就活不調で自殺する大学生が増えているニュースは読売オンラインにも出ていたが、紙の社会面には追加でルポ記事が出ていた。いたたまれない後輩くんのケース。
母親が脳梗塞で入院、父親が見舞いに通う日々。関学生の息子は不採用を重ねたあげく、ついに若い命をみずから絶つ。間もなく母親も命が尽きる。
パパの無念さは、察するに余りある。
結婚後の人生は何だったのかと。
識者のコメントもついていて、「ほぼ全入」時代の大学生は、入試のハードルが低いので、人生初の挫折体験が就活になるのだと。
打たれ弱いのも、一因としてはあるだろうが、やや粗雑な仮説ではある。
では、「入試のやさしい学校で就活する学生ほど自殺率が高い」ということになるのか?
ハードルは大学よりはるかに低い我が職場は、就活失敗を苦にした自殺者など報告されていない。
就職率そのものはいいが、5年定着率はご多分に漏れず芳しくない。中にはフリーター化する卒業生も少なくないし、女子は「永久就職」する道が健在。
大きく違うとすれば、みな就職のための専攻を決めて入学する点と、ブランド志向はあまりないこと。幸か不幸か、自己評価が高くないところはある。
中途半端に著名な大学だと、ブランド――自尊心――就職先を高く設定してしまう学生気質はあると思う。
命を絶った学生個々がどういう目標設定をしていて、実力がどうだったのかはわからないが、就職支援スタッフや民間サービスで、客観的な自己査定も受けているだろうし、求人難の企業の情報もふんだんに得られる時代だ。
とりあえず「社員」「店員」「丁稚」の地位に就くのも現実的ではないのかな。
大学が多すぎるのも事実で、高校生に毛がはえたような子にも大卒初任給を支払い、均等法を守って男女平等に採用・配属しなければいけない。採用側も大変だ。人気企業でさえ、本当に使える人材を探しあぐねている。
たかだか「22歳の試練」だけで一生が決まるわけではない。とりあえず石の上にも3年やってみて、「案外おもしろそう」なら続ければいいし、耐えられなければ転職活動をすればいい。
まぁ、初挫折はそれなりにこたえるものだから、年長者の視野で「人生もっときついことはあるよ」と声をかけようにも、本人にとっては人生最初で最後で最大の危機だったりする。だから少し先輩ぐらいにあたるメンターが、出口を示唆してくれた方が救いになるのかもしれない。
就活は「日本の労働市場」が戦場とはいえ、暗闇の太平洋で泳いでいるような気分だろう。情報だけはあふれている海でもある。死屍累々も漂っている。
あまり闇雲に下手な鉄砲の数を撃つより、何かの機会に巡り合わせた職場にとりあえず入って、そこで財務なり営業なりの経験を積めば、その先も見えてくるのではないだろうか。
東大生でさえ、贅沢いえる立場ではない。
偏差値がいくらだろうと、TOEICが何点あろうと、新卒学生は採用側にとってはドングリの背比べ。
むしろ、イガグリのように底力を発揮するのが留学生だったりする。
ちゅごく人を揶揄しているヒマがあれば、異国でせまいワンルームをシェアしながら、馬車馬のようにバイトと学業と就活をこなしている彼ら彼女らのバイタリティに撃ち勝つ何かを磨けばどだね?とも思う。
大学生も「自分なりにギリギリまでがんばっています」のは事実だろう。
連休の谷間に出勤したときも、電車にはいかにも就活スーツ姿の男子女子を大勢見かけた。そろって、ファイルとスマホは必需品。
おいおいおい、だれも新聞を読んどらんじゃないか!おじさんの時代でも、「平凡パンチとウォークマン」でしたが・・・時事情報のソースとして、新聞ぐらいはデフォルトだったとですよ。
スマホでニュースは見てるっす。ソーシャルメディアでライブな情報もやりとりしてるもん。エントリーシートはクラウドにストックして添削してもらってるし。てか?
おいおいおい!
なんだか、なんだかなぁ・・・でござる。
就職の闘い方を見れば、プロフェッショナルなら「仕事はそういうわけにはいかんよ」と苦笑いするのではありますまいか?
具体的に、何がいけない、これが足りないと一括することはできないが、情報収集にしても「自分なり」に。適性分析も「自分なり」に。努力も成功も失敗経験も、「自分なり」にしている。本人なりに、目一杯がんばっているのでありましょう。基本、まじめな子が多いから。
けれど、たとえば電車で隣り合わせた小柄色黒のサラリーマンに「就活ですか」と声をかけられ、返事ができない子、せいぜい「はぁ」としか返せない子は、そりゃ苦労すること必定。打っても響かない鐘のようなものか。
100人に3人ぐらいは、「しんどいっす」「なかなか大変です」ぐらい、自分の言葉でメッセージを発する子がいるかもしれない。打てば鳴る鐘。
そうなれば、小柄色黒のサラリーマンは「なんでみんなと同じゴキブリ色スーツ着てはるの?」と意地悪いツッコミを入れてきまっせ(笑)。
当意即妙な斬り返しかたができるかどうか。結局、こういうことだと思う。
どこから想定外の問いが降ってくるかわからない。模範解答もない。
さて、どうするか。守備範囲、可動域はせまいまま(僕も人のことはいえませんが)。
先生や親やバイト先の上司といった垂直関係で、「こうされたらこう身を振る」ような型はできていても、実社会は海千山千だからねぇ…。
客からクレームが突き刺さってくる、取引先から無理難題を押しつけられる、上司から笑えないオヤジギャグを浴びる、お局さまに迫られる(笑)、同期生から宗教に誘われる・・・こんな前後左右からの変化球や流れ弾で、いとも簡単にめげてしまっていたら、先が思いやられる。打てば割れる鐘。
打てばメロディを奏でる鐘になれとまでは申しません(悩ましく悶える鐘がいてくれたら楽しいけど)。
そもそも、打ってみたい、声をかけてみたい、何かやらせてみたい、書いたものを見てみたいと思わせるような匂いを発散していない。どころか、「私を大事に扱ってちょうだい」と身構えていたりする。
ちゅごく人やインドネシア人、タイ人、マレーシア人は、言いたいことを山ほど鬱積させていて、レーダーをぐるぐる回していて、少なくとも「有名企業の関係者じゃない大人は関係ないっす」のようなバリアは張り巡らせていないよ。好奇心むき出し。
日本がだめなら環太平洋全域まで選択肢を広げる。
留学生といえども海千山千だから、すべて日本の大学生の好敵手になるとは限らないが、80年代までの日本の大学生が、あぁこんな感じだったなぁというのは、僕と同年代なら気づくはず。
破竹の勢いで生産に輸出にと攻勢をかけて、貿易摩擦まで招いた。その世代が、ちょうど大学生の親ぐらいか。
いまや、パパママと同世代のオヤジやオバハンは、大学生にとって最もつきあいにくい世代かもしれない。
学校とバイト以外の生活時間の中で、どれだけ「見知らぬ人生の先輩」と接しているのだろうか。
かなわん大人、悪意のある大人、ハリボテなだけの大人も大勢いますがね。
ある種の女子学生だと、何かおごってくれたりチヤホヤしてくれたり、力になるよと名刺をくれたりする大人をころがして「成功体験」に味をしめている子もいるかもしれない。
おいおいおい、勘違いだって。仕事ができると承認されているわけではない。仕事を任せるコ・ワーカーとして評価してくれるには年季がいる。
食い物と雑貨の写真ばかりネットに垂れ流している学生の「情報配信」を見てくれるヒマなおじさんはいても、そういう子を採用して人的投資をするプロフェッショナル(といえるか?)は珍種でありましょう。
せっかくソーシャルメディアが使い放題なんだから、分厚い名刺として活用しない手はない。そこに企画なり事業構想なり、クリエイティブ系志望の学生なら自分の作品なり、もっと表現してみせてほしい(140字でかたづくものではないはずだ)。
Facebookでやっている学生もいるが、友達リストやらコメントのやりとりやら、プライベートな交友関係までさらけ出すから、命取りになるリスクもある。このへんのリテラシーは、まだまだ未成熟だ。
無難に読書感想文を公開してもいい。あ、読んでないか。
表現するにはインプットが不可欠。方法論が確立されていて、間口が広い王道は、やはり新聞と書籍ではないかと思う(観劇でも観戦でもいいけれど、自分の言葉で伝られる情報にするには言語力がいる)。
さて、画面をなでまくっていた内定者は、顧客や取引先、上司との生々しいコミュニケーションが取れるだろうか。バッテリー切れで自己表現終了(笑)なんてことにならないかどうか。
とすると、巣立たせる学校の責任は相当に重い。
浴びるほど多読させるのがまっとうな学校なのに。