solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2003年12月の日記

むずむず

at 2003 12/01 23:16 編集

8割がた風邪が快方に向かって、でもあと2割抵抗勢力がありそうな・・・というころは、思い切って運動して体にカツを入れる方がいい感じ。
風邪ひきかけ」というときは不快なものだが、治りかけにはヘンなホルモンでも出るのか、胸がくすぐったいような、チリチリした感触があって、4日ぶりぐらいにコーヒーを入れたら入れたとこれが興奮剤。
ともあれ、これで冬の免疫ができたというところかな?


産めよ稼げよ?

at 2003 12/02 16:30 編集

世界一出生率が低い国は韓国・・・という話をした矢先、今度はイタリアが世界最低(1.2)というニュース。
こんな世界一争いは、日本も他人事ではない。
役人が考えることは、日本もイタリアも似たもののようで、祝い金か助成金みたいなものを支給して、エサで釣ろうという発想だ。
一時的な札びら支給は効果が疑問だから、やはり抜本的に「子どもを生んで育てたい社会」に改造して行くしかないだろうと思う。僕も、かりにイタリアのように 13万円もらえたとしても、だからといって我が子に公立義務教育を受けさせたくはないし、痴呆大学に入れる気もしないし、青息吐息会社に就職させるのも不安だ。

かといって、すべて社会のせいにしてると、永遠に理想の社会を待ち望みながら死んでいくしかできないから、ええい、生んでまえ!という勢いで行くしかないのかもしれない。

喪中葉書を一斉に送ったら、何年も御無沙汰していた昔の同僚から速攻で喪中電話をもらって、感激してしまった。
スタンフォードで学位をとった文化研究者である彼は、専門学校に務めつつ英語学校を経営したり、ニュージーランドの大学に赴任したりと、身軽な生き方をしておられるなぁ…と思いきや、しっかりジュニアと令嬢を関西私大の雄に進学させておられた。
この御一家なら、バブル日本だろうとデフレ日本だろうとシルバー日本だろうと、なにかしら生きる道を自分でならして生きて行くのではないかと思う。夜間保育がないとか育児休暇がどうだとか条件を並べて産み控えをするような発想は最初から超越してしまっている。

たしかに、今日び育児教育の経済的な負担は大きくて、俗説では子供一人を私立大学まで行かせたときのコストとマイホームのコストがとんとんだ(できの悪い子いい子によって、また親の見栄によって、開きは大きくなる)。
けれど、マイホームは借り物でもいいし、投資の回収率は絶望的に低い。
子育ては借り物でというわけにはいかない。教育投資は、将来どんな形で報われるか報われないかにわからないが、先のことはあてにせず子育て自体を20年ほど楽しめば、銀行に消えていくローンよりは払い甲斐があるのではないだろうか。
だから、住宅ローンで生活全体が窒息しかけているなんて狂気の集団催眠状態で、それより教育と福祉の優先順位を上げた方がかしこいと思うのだが、まだまだ「ローンかかえて一人前」という変な空気が日本列島を覆っている。SMという趣味を否定するつもりはないが、SM夫婦にSM親子もあまり増えるとそれが標準になってしまってノーマルな僕が変に見られるわい。
「清貧の潔さ」のような価値観は大切にしたいと思いつつ、マイホーム・マイカー・マイファミリー以外の煩悩は多すぎるから、なんとかダイエットせんといかんなぁ・・・


契約こうかい?

at 2003 12/02 23:32 編集

阪神の金本と片岡の契約更改、当然あれだけの大活躍をしたんだから、来年は3億の大台か?(今年ともに2億円ちょっと)とだれもが期待していたはずだ。
それが、1割アップにも満たない微増で、ニコニコ顔で一発更改していたんだから、なんと感心な…というか、阪神のしぶちんぶりはあっぱれすぎる。

ファンならぜひ年俸アップに貢献したいと思うだろうから、せいぜい阪神電車に乗ってあげるぐらいしかしようがない。
ことあるごとに、僕は大阪の職場で、「ええよー阪神電車は。ジャージで乗っても違和感ないし」と宣伝しているのだが、「それってほめてるんですか、バカにしてるんですかっ!」と逆襲される。
んー、ちと答えにくいが(苦笑)、ともかく僕は乙女の阪急電車よりジャージの阪神電車を愛好しているのは確かだ。
「岡田監督顔の電車」など走らせたら、それも乗客アップに結びつくか・・・それとも・・・?
 


こだわり車両

at 2003 12/03 22:49 編集

今月またダイヤ改定されてるとかで、夜勤帰りの便が微妙に変わった。
変わったといっても時刻はそのままで、車両が変わったぞ!すごいぞ!と声高に叫ぶのが鉄ちゃんという人種かもしれないから、僕は小声でつぶやくばかり。

いつも乗っていた、何型というのか知らんが、緑に朱色の―僕はひそかに柿電車と呼んでいる―ボックス席の古い車両がぐんと減って、年々グレードアップされている。
でも、僕はこの柿電車が好きなのだ。ガタガタゆれるご老体も、すきま風が多いところも、レトロでいい。なにより、あのカラーリングは日本の秋という感じ。
もちろん、窓も自由に開けられるから、この柿電車が停まるときだけ限定で弁当屋さんがホームを販売して回るというサービスでもしてくれたら、けっこう受けると思うがなぁ。
4人ボックス席だから、自然に「こりゃ、ええもんですな」「懐かしいですな」と乗客の話もはずむ。「中年のための出会い系電車」である(笑)。
なのに、なのに、新快速型の最新鋭車両がどんどん増えて、もう来年にはなくなってしまうのではないかと心配でたまらん。

あんまり奇抜な企画列車は通勤時間帯には迷惑かもしれないが、ちょっと革新ペースをゆるめてくれたら、ホッとひと息つけそうだ。
女性専用車など未だにワシは承服しかねるのだが(えらそうに言ったって何ともならんけど)、ふと、ワシのものわかりの悪さはなにゆえだろう・・・?と考えてしまう。
それは、当事者にも努力を求める余地がまだまだあるのに、その回路を「女性専用車両化」で押しならしてしまって、結果的に当事者を弱いままにしておく副作用が見え隠れするからでもある。
そう考えると、ご本人の努力より当然に制度面で優遇されるべきは、高齢者、妊婦、乳児、障害者etcになる。
車掌の目の届く最後尾車両を、こうした乗客に厳しく限定した「安らぎ車両」にする方が、価値はあると思うのだが。


上本町

at 2003 12/04 23:07 編集

久々に、「9時9時」の出勤日だった。
といっても12時間労働ではなく、この時間内で拘束が5時間しかないから、すきま時間をどうするかが難問。
上本町のゆったりした台地を「んー、この土地も開放的でいい感じ。どれどれ家賃相場は・・・安くないなぁ」と、値踏みしつつ散歩して、用事のあった谷町へ向かう。ビル街の合い間や裏側に、昭和30年代ふうの家屋がひっそり残っていたりして、すこし失礼だが異邦人の覗き見体験はおもしろい。
大阪でも、ミナミのど真ん中は絶望的に息詰まる感じがして居心地はよくないが、上本町になると、いざとなれば伊勢や奈良にエスケープできそう・・・と思わせる風穴が開いている感じで、もちろん地形もおおらかな台地で、僕のポイントは高い。
カメラを持って散歩でもするかな?と、「街をブックマーク」した後、夜勤でくたびれて神戸の住人に戻っていった。


ご利益

at 2003 12/05 23:19 編集

「金運がよくなる財布」の広告に、公取委がかみついた。
こんな広告を見て夢をふくらませて(?)買う客ぐらい、そっとしておけばいいのに、なぜ金運財布だけ表面化したのだろうか。
「即もてまくるペンダント」とか「女性が即欲情する媚薬」の類はどうなのか?
効果があるともないとも証明できない・・・というのは、金運財布も同じはずだが。

逆に、「もてて困っているあなたが必ずもてなくなる女難(男難)厄除けブレスレット」「試験に落ちまくる悪運はちまき」というのが発売されたとしたらどうだろう。
「効果が出なくて、うれしすぎるではないか!けしからん」と苦情が来るだろうか。いや。出ないだろうな。だったら、こんな広告で売る側が勝ちというもんである。
マイナス思考を発し続ける者が日の目を見る時代が、間もなく来るような気がする。


よいお年を

at 2003 12/07 00:19 編集

忘年会一発目。
その前に大阪で少し会議があるので・・・と話すと、神戸から梅田へとつつつーと忘年会の場所が移動した。なんと臨機応変な!というか、ありがたや、ありがたや・・・。

ふだん飲み屋にはあまり寄らないので、やっとこさ「いま忘年会シーズンやったなぁ」と実感した。
それでも、不景気のせいか、なんとなくおとなしくて、あっさりしている感じかな?生暖かい夜なのに、梅田の路上で寝ている酔っ払いもいないし。
浮かれているのはクリスマス景気の少女たちばかりかな?
あぁぁぁぁまたルミナリエが始まるぞワシの庭で。迷惑な話だが・・・。
 


逆ギレ

at 2003 12/08 23:04 編集

空港の窓口職員が「逆ギレ」した客に暴行をうける事件が急増しているそうな。
つい最近まで、逆=さかさまだと思いこんで逆ギレという言葉を「キレた人にキレること」かいなと勝手に考えていた僕は、よほど税関員が乱暴に客を扱って反撃をくらっているのかと想像してしまった。実際には逆上してキレること」らしい(が確信はない)。

宿を決めずに切符だけ買ってアメリカを訪れただけのことで僕を不法入国者扱いしたシアトル入管オババは横柄きわまりなかったなあと思い出してしまった。
だから、逆ギレする側にも言い分は多々あるだろうと思う。暴力イケマセン!!は正論だが・・・。
新聞によると、何かのチェックか手続きの遅れで、乗る予定の便に乗り遅れてキレる客がいたそうだが、そりゃだれだってキレたくもなるわな。ハワイ便あたりだと、「2時間後の別便へ振り替え」扱いにでもしてくれれば、まぁしゃーないな〜ですませられる温厚人もいるだろうが、「週1便しかない南米プンタアレナス行き」なんかに乗り遅れると、泣くに泣けないではないか。
踏んだり蹴ったりの仕事をしているわりに、密輸も密入国もうなぎ昇り。ちゃんと仕事してるのか?と疑ってしまう。

空港で思い出したが、高知空港は高知竜馬空港という名前がついているのであった。
ジョン・F・ケネディ空港やシャルル・ドゴール空港の日本版てところか?
でも「高知ヒロスエ空港がいい!!」「土佐カツオ空港もよか」という人もいるだろうに・・・。
 


スケベッチ

at 2003 12/09 22:56 編集

あぁ、記念すべき2万アクセス目のかたに、またシモねたを披露してしまいそうだ。
それというのも、今たまたま珈琲館で日刊スポーツを読んでしまったせいで、悪いのは新聞なんである(苦しまぎれ)。

台北のお嬢さま女子高で、元看護師の女性教諭が保健体育の宿題に「鏡を使って自分の性器を描いてきなさいっ」と出題したとかで、賛否(攻守かな?)両論がヒートアップしているそうな。
熱血タイプのこの先生、生徒の性意識を何とかしたいと思っての大胆宿題だったようだが、こんなことを男性教諭が男子校でやってもスキャンダルだろう。その絵をミズノ校長(仮名)と山分けしていたりすると、これはもう「シベリア超学校」である。

しかし、男のそれは「棹と玉」ですべてだが、女性は「どこまで?」と悩む当事者も少なくなかったのではないだろうか。もじもじしながら提出した生従もいたらしいが、問題だ!と声をあげる生徒や親たちク中にも、「範囲がわからないから困る」という次元の戸惑いも、あったのではないかな。
たとえば日本だと、川島おなみ(仮名)さんなど「そりゃぁ私は全身感じるわよ」とおっしゃるだろうし、殿方向け雑誌では生殖器こそぼかされていても、すぐご近所の菊の絞章は大公開中だ。こちらに用がある一部の殿方にとっては、そこは排泄器ではなく性器そのものだろう。
マニアックにドテに興奮する男もいるようだし、こんな風に見方によっては「禁断ゾーン」は広がったり狭まったりとややこしい。

こんな定義づけは、警察が取り締まりの根拠にするだけで、あまり一般に議論されていない(当たり前か)。
ただ「性行為に使う部位」というだけだと、うなじも腋の下も唇も谷間も、スケッチ問題(笑)を巻き起こしてしまうぞ。
ま、単純明快構造の男で、わたしゃよかったけど。
 


帰巣本能

at 2003 12/10 18:58 編集

最近ほんと寄り道をしなくなった。
今日も、仕事の後すっと神戸に戻ってスーパーで果物を買い、その袋をさげて初めての中華料理屋で夕食(哀愁漂うおじさん姿やなぁ)を試し、6時半には帰宅してしまった。
こんなに早く帰ると、することがない。明日のアサイチ出勤にそなえて寝るのもどうだか・・・「7時消灯」てのも、あんまりだ。
テレビのゴールデンタイムというのは、8時ごろなのだろうか、そもそもテレビをめったに見ないし、新聞もとっていないので、黄金時間帯に何をやっているのかさっぱりわからない。

たぶん、これから夜中にかけてフラフラ〜ッと外に出て街をさまよい歩きたくなる予感もある。出歩いたり、人によっては我が家よりくつろげる飲み屋にマーキングしたりと、オトコには帰巣本能がないのかね。
「マイルームは私のお城」感覚のインテリア好き少女に見習った方が、家賃を有効活用できてええやろなぁとも思う。「お部屋への根の生やしかた」などを…。




at 2003 12/11 15:33 編集

職場で7時間半も空き時間があるので、いったん帰宅。
昼飯は、「駅食」にカス汁定食が出ていたので、飛びついてしまった。
しみじみと、うまい!
昼下がりの電車は、ついうとうとするほど絶妙の腹こなし席だった。
神戸に戻って、モトコーの古本屋で少し立ち読み。村上春樹を1冊買った。
雨の日に古本屋などにたれこめていると、時間が止まってしまったような感じがする。カス汁で昔なつかし世界へタイムトリップしたり、雨模様でタイムストップしたりと、まぁややこしい日である。

日ざしは、昇り方・傾き方でおおよその時間がわかるし、動きは正確に周期的だから、いやおうなく時の経過を思い知らされる。
雨は周期的な経過ではないから、時の流れを中和してしまうような、不思議な効果をもたらすように思う。雨の午後の「まったり感」は、そんなところに原因があるのだろう。
ひどい雨だと、水中にいるような類推も働く。僕は運転しないが、車というカプセルの中でどしゃ降りの雨をやりすごしていると、潜水艦にいるような気がする。
それも、クルマという容器の問題ではなく、雨の力というものだろう。

窓をしたたる雨垂れとか、雨の中の日時計とか、雨の中たたずむ恋人・・・等々、雨は無数の文学や音楽のモチーフになっている。
雨を毛嫌いせず鑑賞するのもいいなぁと思う。
美的感覚の鈍い僕にとっては、うたた寝導入剤みたいなものだが。
 


ルミナリエ・パトロール

at 2003 12/13 23:28 編集

週末なのに、冷たい小雨のせいか、ルミナリエ景気はエリアが限定されている感じ。
見に来たついでに足を伸ばして、食事に買い物・・・とは行かないようで、元町の珈琲館もすいていた(ひと安心)。
地元市民は、とっくに飽きているのかもしれない。
それでも、地元に金を落としてもらわないと、交通規制やら何やらのマイナスが目立ってくると「ルミナリエ効果とルミナリエ害」を考えて「もう、けっこう」という声もあがってくると思う。僕は最初の2〜3年で「もう、けっこう」と思ったけど。いつまでも、イベント依存の震災復興に甘えてたらあかん。「被災地神戸」というなら、「被災地イラク」はどうなのか?日本人が信任してしまった今の政権が、アメリカに金をみついでイラクで何を断行しようとしているか、まぁ夜景うかれバカップルに説教垂れても馬耳東風だろうけど。

あいかわらず、ピーピー警笛が鳴り止まず、メガホンで雨あられのように指図されまくっているルミナリエ。まともな判断能力を持った大人なら、不快感をもって神戸の夜景は刻みつけられるだろう。


パワー・ブレックファスト

at 2003 12/14 19:19 編集

部屋でのらりくらり、ほとんど入院患者のような日曜日だ。
さーて出動するか、と思ったら日が暮れていて、今度はドラキュラ伯爵になった気分。

でかいバゲットを買うと、下手すると4〜5日残ってしまうので、スライスといえないぐらい分厚めに切って朝昼食にせんといかん。常温でおにぎりより保存がきくのはいいところだが、3日続けてパン朝食になると、大和魂が「いかんぞ」と声をあげてくる(笑)。
おにぎりは梅干や昆布が入っていたら、あと味噌汁でもあれば完璧なミニ定食になるが、パン食だと目玉焼きとかサラダとか、どうしてもバランスをとらにゃいかんなぁという気がしてくる。栄養学的にはどうなんだろう。
どうしても「手軽さ」に負けてしまうので、疲れて面倒くさい週末には、ついバゲットを買ってきてしまうが。

外食派の一人者にとって、定食屋はありがたい存在だが、ふつう定食屋というと煮魚定食とかトンカツ定食のように、晩飯が中心になっている。最近、「めしや丼」や「松屋」で、朝限定の納豆定食なんかを出すようになってはいても、僕はまだ朝定食というのは未体験だ。

子供時代から、毎朝のように近所のパン屋でトーストの山を六切りか八切りにしてもらって持ち帰り、家族5〜6人で朝食にしていた憶えしかなくて、母親や亡き祖母には「わたしゃ御飯も炊いて味噌汁つくってわな」とクレームが聞こえてきそうだが、ともかく朝はトーストと決まっていたのだ、神戸市民は…と、勝手に一般論にすりかえてしまう(笑)。
だから、ただの慣れの問題かもしれないが、朝の外食は条件反射のようにドトールへ入ってミラノサンドセットのようなのを注文してしまう。
そこへ、大和魂は脳裏で叫ぶのである。正しい朝飯を食わないと目が覚めない、体が覚めないぞ、と。

たしかに朝から飯は腹に重い。だから、うどんやソバという偉大な食文化が出番だと思う。
冬は鍋焼きうどんが最高だ。物足りなければ、餅をぶちこんで力うどんになるし、風邪気味かなと思ったら卵を入れて「高栄養流動食」になる。
鍋文化というのは、ほんと変幻自在でいいものだ。
といいながら、バゲットがまだ3分の1残っている。腐らせないよう、うどん朝食はおあずけである。
こんな気持ちをかきたてられるのが、パン食の皮肉な効果なのかもしれない。


おひさサダム

at 2003 12/14 23:01 編集

たまたま、新聞で「パバロッティ再婚」の記事を見ていたところ、フセイン発見のテレビニュースが飛びこんできたので、一瞬重なって見えてしまった。そっくりさんなのである。テノールの王者と、「賢者ひげ」ぼーぼーのフセインが。

あの手の風体のオッサン、日本でランニングシャツに腹巻き姿でテキ屋をやってたりしてもだれも気づかないぐらい「妙に人なつっこいコワモテ」だから、日本に極秘入国してきたら案外公然と逃げおおせたかもしれない。
それでもやはり最期は穴にこもるのが独裁者の性なのか、上九一色村の施設の隠し部屋で見つかった某尊師と、考えることは似ているようだ。

こうなれば、次にびびっているのはジョンイルさんだろう。
まちがっても、クーデターや核暴発という不手際を招くと、一気に動乱が起こって日本からは電光石火で米軍が飛んでくる。「ペルシア湾からイラク」どころの遠距離ではないのだ。
そうなれば、身を隠すしかないわけだが、穴の中や地下室に隠れるというのは月並みすぎる手口だから、賢者はもすこし頭を使ってほしい。

前々から、実はジョンイルさんはオバサンではないか?というのが僕の大胆仮説なので(ああいうオバサン、大阪になんぼでもおる)、その「たるみ感」(笑)を活かして、「喜び組シニア部」の一員として踊っていればいい・・・というのも一案。世界各地に行けるから、亡命先もよりどりみどり。
ただ、「あのたるんだオバサン、どうも行方不明のジョンイルに似ている」と疑われそうだから、高須クリニックで美少年に変身すればいい。
でも彼のことだから、自分の最期は自分で決めたヒトラーのように、「喜び組エクセレントチーム」の肉布団で窒息死するか、腹上死を選ぶのではないだろうか。

今は、フセインのなりゆきを、わななきながら静観しているところかもしれない。
カツ丼でも出されて「故郷のおふくろさん泣いてるぜ」と泣き落としされたら(西部警察やないって)、洗いざらい罪を認めたり・・・はしないだろうな。そんなやつではないよな、サダム。
 


ミッドナイト・アメリカザリガニ

at 2003 12/15 04:02 編集

日曜深夜というか…月曜早朝のラジオというのも、NHKを聞いている高齢者と、サイキッカーぐらいしかいないだろう。
サイキックを子守唄にする僕も、こりゃ「おマニ屋さま」が治らんなぁ・・・とため息をつきながら、スヤスヤとうたた寝してしまった。
ちょうど3時前の番組の終わりに目が覚めたら、ラジオは「その後」の番組をやっていた。番組改編で、究極のドツボ時間帯のさらにどんづまり枠に、アメリカザリガニのスレッドキングXLという新番組が入っていたのであった。
いやまぁ、ようやりますな、こんな時間帯に2時間も。
ゲーム談義あり人生相談あり、アニソンランキングあり。超深夜の時間帯に妙に二人で盛り上がっている滑り加減がいい。アメザリは個人的にも好感度アッパーの若手タレントだし。
でも、いつまで続くんだろうか(笑)。
もし、サイキックの後この番組を聴いて月曜朝にすがすがしく学校に行ける少年少女がいたら、ちょっと健康面を心配してしまう。



リトマス試験紙

at 2003 12/16 02:33 編集

大阪で初霜がおりたほど、寒いぞ!冷えるぞ!と天気予報が騒ぐので夕方びびりながら出勤したら、なんとなく湿気が高くて電車で汗をかいた。どこもかしこも、暖房しすぎるわい。

大スポの1面には、フセイン尋問のニュース。
「水を飲みますか」と問われて「水を飲めば便所に行きたくなる。国民が奴隷の身分でいるのに、便所など行けるか」と答えたらしいが、では垂れ流しているのだろうか、おむつをしているのだろうか。ちょっと心配してあげたりしてしまう。

いくら独裁と圧政をほしいままにしてきたとはいえ、内政干渉はできないから、戦争犯罪で裁くことになるのだろう。今のところ戦争捕虜として扱われているそうだし。
戦争犯罪は絶対の正義も悪もない。勝てば官軍である。「皇国日本」が「物量アメリカ」に負けたので、戦後派アメリカの弟分になるしかなかっただけで、これがもし中国の一部になっていたら、歴史はどう展開していたかわからない。赤アレルギーのアメリカは絶対それだけは避けたかったようだが。
それなら、ベトナムはどうだったかといえば、尻尾を巻いて撤退したアメリカは、国際社会で断罪されたか。
結局、「勝っても負けてもアメリカ」という感じで、だったら「表立っては戦わない。従うふりしてテロ」という動きが潜航して行く予感もする。
フセインを断罪しイラクに居座り続ける限り、アメリカはアラブからの宣戦布告を浴びつづけるだろう。フセインの次の役割は、アメリカの知性をあぶり出すリトマス試験紙になることだ。


悪夢

at 2003 12/16 17:46 編集

夕闇の街をあちこちうろついては、火事や事故やけんかに野次馬根性丸出しで吸い寄せられてしまうクセが災いしたか、神様からの戒めなのか、三宮の市街地での暴力団抗争事件に巻き込まれてスナイパーに追跡される夢にうなされ、目が覚めたのは夕方だった。
そんな「ドリーム劇場」の中でも、ちゃんと日常生活に戻って職場でくつろぐ場面でしめくくられていた(このあたりで目が覚めた)ので、全体を通してハッピーエンドの一大アクションドラマとしてまとまっていたわけだ。

こわい夢を見る理由に思いつくところはないのだが、あまり住み慣れ見慣れている街だと、ちょっと違う顔も見てみたい…という潜在願望があるせいだろうか。
いかにも観光向けの「太陽さんさんの北野!三宮!」という景色を、しばらく見ていない。昼間はゴロ寝しているし、夜はルミナリエ客を避けてハーバーランド方面を散歩していて、仕事のある日だけ大阪へワープしているから、根なし草のような気分だ。
部屋に根をはやすのも不健康だから、さて月夜の徘徊に、出かけるとするか。


やっとこさ

at 2003 12/18 23:05 編集

仕事納めになった!
さて3週間、何をするか・・・?
この休みこそ、「18切符の旅」に行きたいと思うのだが、夏休みと違って、駅はどこもクリスマスだカニ食いツアーだと「単価の高い商品」カタログがあふれていて、18切符の案内をとんと見かけない。たしか、そろそろ使えるはずだがなぁ・・・
と、ルミナリエ客でごったがえす最寄り駅を殺気立って通りぬけながら、僕は「脱出願望」をふくらませるのであった。


15cm

at 2003 12/19 18:21 編集

待望の寒波が到来!
ゲレンデのライブカメラを見ていると、みるみる白くなっているのが楽しみだ。
雪が降ってすぐ滑走可というわけではないから、良心的なスキー宿(僕の常宿もその1つ)だと、「根雪にならないと満足に滑れない」と、「良心的なおあずけ」をしてくれる。
きのうの新聞の積雪情報を見ていたら、僕が通っている黒姫高原と、地元県内北部の大屋ゲレンデが、ともに15cmだった。黒姫は×、大屋は○をつけている。思わず、オイオイ、その○はないんちゃうかい?と突っ込みそうになった。
スキー客を呼びたい気持ちはわかるがなぁ・・・
学生時代に初めて志賀高原に行ったときは、貧乏性で激安時期を選んだので、案の定ゲレンデに雪はまばら。どこかのスキー部員らしきグループが、手押し車で雪を運んで滑走ゾーンをつくっていた。
「積雪15cmスキー可」というゲレンデ情報を見ると、そんな風景を思い出してしまう(笑)。
今朝からの寒波で、ようやく本州のゲレンデも安心して山開きできるだろうけど。


PC

at 2003 12/20 18:46 編集

ちーさな囲み記事だが、「セクハラ冤罪」という見出しに、セクハラ評論家(実践家やろと突っ込まれそうだが)の僕はひっかかった。
セクハラだとして処分された公務員が冤罪だと提訴しているのだが、セクハラの根拠が灰色なのである。報道されている限りでは。

問題になっているのは、「だんなとはどうやって知り合ったのか」「毎日同じ服やな」「太ってるね」といった発言で、まぁたしかに言われて不快に感じるかもしれない。もしそれだけなら、個人間の謝罪なり賠償なりで解決すればいい。
セクハラというからには、性的な不安を感じることと、人事権のような権力を盾に有無を言わせない(反発できない)関係でなされていることが要件になる。だから、部下の男性から「不美人ですね」と笑われた女性上司は、人事権・懲戒権を行使できるわけだし(大人げないけど)、娘から「パパ、くさい」といわれるおとっつぁんがセクハラだと騒いだ話も聞いたことがない。
対等な関係であっても、「ちび、デブ、ハゲ」で笑いものになっている男性一般は、だからといって世間を相手にセクハラだ!と訴えられるわけでもない。
「人格権への侵襲」というくくりかたをするなら、それは一般的な迷惑行為や、(被害が深刻なら)傷害罪として対応できるのではないか?・・・というのは、あくまでも個人的な一般論で、具体的な被害者の心情からは遊離しているだろうと思う。

この種の発言をセクハラとして立件するには、まだまだ脇が甘いような気もする。反論を許してしまう余地が多分にあるという意味で、訴えるにも処分するにも、「副作用」があらかじめ見えてなかったんやろかと想像してしまう。
上の発言は、同性には向けられたことはないのだろうか。先輩女性が後輩男性に向けたことはなかったのか。「へー、○○君とつきあってくれた彼女がいたんだ〜、どうやって知り合ったの?」とか。
だれにでもこんなことを言っているオッサンなら、「職場の迷惑」だし、「身の程知らずのただのバカ」だろう。ズバッと反撃して、「目には目を」でわからせるのが効果的かもしれない。「人のこと言えるガラか」とか。

別にセクハラを推奨するつもりはないが、バカな墓穴を掘らないために、Politically Correctな言い回しというのがある。アメリカでは専用の辞書まであって、英語の苦手な僕でも笑えるペーパーバックとして出版されている。「グッドモーニング・ベトナム」で、放送局の上司がロビン・ウィリアムスにPCなDJをしろと圧力をかけているシーンもあった。
たとえば「fat」は「horizontally challenged」、「short(ちび)」は「vertically challenged」というような言い換えが載っていて(-manという接尾語を、-pesronと言い換える例は、かの国のマスコミでは定着しているようだ)、まぁイヤミでしかないのだが、侮辱をイヤミ程度に中和するchallengeとはいえるのかもしれない。
よし、この手で行けばいい男も女も。

「3低」で落ち込む男性諸兄は、「3高に寄生する不良債権を抱え込まなくていいじゃないすか」と励ますのがPC。
ブランド品の知識で大脳満杯の女性は、「消費不況の救世主」と見るのがPC。
男女の問題を離れると、成績の悪い子は「伸びる可能性はだれよりも大きい」と言うこともできる。これは現実に、偏差値秀才クンが実社会に出ると高い確率で精神的に壊れているので、真実味がある。

御同輩諸兄には参考になるかならんかわからんが、「もてない俺」は「犠牲者を一人でも出さないための独身ボランティアをしているのだ」と思い込めばよろしい(笑)。
慰めにならんだろうなぁ・・・。


カンパの歓喜

at 2003 12/21 17:11 編集

こう急に寒くなると、ドライブも手がかじかんで苦行になる。じわじわ寒くなってくれたら慣れるのだが。

愛車を飛ばして本屋で岩波新書の新刊『著作権の考え方』を買ってくる。寝ていてもロイヤリティが流れ込んでくる「ビルゲイツ生活」をめざすのだ!・・・とまぁ、動機があさましい。

北西からカンキが流れこんでくると聞けば、某国の喜び組を連想して歓喜がやってくるのか?とソワソワしたり、大カンパと聞けば多額の寄付がうちにも届くのか?とぬか喜びしたりするワシは、永遠に色と銭の欲望から解放されそうにない。


優秀公社

at 2003 12/23 23:04 編集

暴年会から帰って夜が明けて朝もや・・・と思ったら夕方やないか!
ともかく、寝ぼけまなこでポストを見に行ったら、職場から郵便が来ていた。
ところが、住所が「これ、どなたの?」とクビをかしげてしまう、まったく別の区(須磨区)の地名と番地が書いてある。
ときどき一字違いの宛て先で郵便が届くことはあるが、今日の届き方はすごい。
これじゃー「東京都千代田区・・・」と書いても届くわけか?わたしゃ住所がどこでもいい男なのか?(笑)

いったん須磨に行って、名前が違うということで転送されてきたようにも見えない。だって大阪の職場からきのう発送されて今日到着だから、ダイレクトに須磨区あての郵便が中央局によって配達されているのだ。

別に僕が業界にその名を轟かす切手コレクターとか消印マニアというわけではない。決して(笑)。郵便受けは部屋番号だけで、表札も出していない。
郵便物だって、毎日1〜2通しか届かないから大口の顧客というわけでもないし。
そりゃーたしかに僕は紙メールでの「文通」が好きだ。花柄の便箋に心ときめかす文通少年のなれの果てである。
今日も、サイキックを聞き逃した「ブロードバンドsabato」に音声ファイル圧縮してメールすればよさそうなものを、MDを封筒に入れて中央郵便局まで投函しに行ったのだ。
郵便大好きおじさんなのである。
その貢献度が認められたというわけか?(まさか)

いやはやポストマンの超能力には唖然とさせられた。もはやミステリーである。
がんばってほしいな、この熟練の技は。
こんど現役ポストマンの兄貴に尋ねてみよう(この兄貴が国相手に裁判中だから、それで業界で名前が知れ渡っているのか?)。
 


クリスマス・イフ

at 2003 12/24 22:00 編集

さっき松屋でマーボー豆腐定食を食っていたら、キャリアウーマン風のお姉さまが持ち帰り弁当3つを買って出て行った。

この「3」の組み合わせ次第で、次のようなシナリオが考えられる。

1.旦那と子供が待っている。

だとしたら無能な旦那やな。

2.子供二人が待っている。

これはありそうな話。
人ごみの中、幼子ダブルで連れ歩いて、クリスマスらしい気のきいたものを食わせるのは気苦労も大きいと思う。
そんな悩みをお持ちの瞳ママ、まっかっせっなっさっいっ!子煩悩だが独身おじさんなのだワシは。
王将でギョーザ5皿食わせても1000円で釣りがくる。キミたち腹一杯になったかな?
デザートはロイホのケーキセットでコーヒー飲み放題、キミたちコーヒーの味わかるかな?
仕上げは博多山笠ラーメンで・・・と、おっとこれは酒飲みオヤジのフィニッシュですな。
「ママー、おなか一杯ごちそうしてもらっちゃった」と坊や。
「そうぉ、よかったわね」
「あのねママ、あのおじちゃんパパになってくれないの?」と大胆イマジネーションの末娘。
「えっ!?あんなのと、けけけけ結婚するってこと?」
「うん、けっこんしたら、あたしに弟か妹ができるんでしょ?」
「弟か妹!あっあんな男と結婚のみならず、そんなことまで!」と戸惑いまくる瞳ママ。
そこへosawasense登場である。小鼻が古谷一行状態にヒクヒクふくらんでいる(笑)。
「ぬははははははは、瞳さん覚悟はできましたかな?」

まぁ、こんな悲劇は神様が許さないだろう。たぶん。

3.子供と老父が待っている

「ママー、クリスマスイブなのに、また牛皿弁当なの?」
「ごめんね、忙しかったから」少しやつれ顔の瞳ママ。
「あ〜あ、パパのサンタさんがいたらなぁ・・・」
「こりゃ!カズキ!パパのことは言うんじゃない」と、おじーちゃん一喝。
「うっうっうっ・・・」とママの嗚咽。
そこへosawasense登場である。
「ぬははははははは、お困りの瞳さんに、ジャパネットパパパがパッとお送りする新品パパ。無駄のないコンパクトボディに低姿勢、子煩悩と3大特典つきですよ奥さん!今なら金利手数料無料」
と自分を売り込むぞ。

リアルラバーどもの手垢のついた色恋沙汰は、もうワンパターンでしかないから、これからは「シングルママのクリスマス」「失楽園クリスマス」を楽しむべきである。行く手に待つのは、「特養ラブストーリー」「ビューティフル老健」「男女七人ケアハウス恋物語」だったりする。
成熟した大人社会っちゅうものは、そうであってほしいわな。


俺様クリスマスキャンドル

at 2003 12/25 16:58 編集

前々の日記で書いたように、放火仲間にあれこれコンロ実験をさせて、「よし、俺様はこの手口で行こう」と考えて、マイ・コンロを買った。
ボルボの国で開発された、ガソリンと灯油とLPGの兼用タイプである。
これが、大手の山屋さんの店やサイトを覗くと、談合そのものの横並び価格(17000円)。お前ら、闇カルテルでも結んどるんちゃうか?と疑いだすと、意地でも店頭購入したくなくなる。
で、スカンジナビアン・ネット・ショップというサイトを探し当てて13000円足らずで買えてしまった。手数料なしの代金引き換えで、速攻で届いた。ありがたや。

クリスマスキャンドルなんちゅうコじゃれたものは、ヤモメ暮らしには縁がないわい。そこで、男の火入れ式(意味ないけど)である。
LPGは、すでに手持ちの同じメーカー製ガスコンロのカートリッジをつないでみたところ、おっそろしい轟音で燃え始めた。自分の部屋に放火してしまいそうなので、「オイル・バージョン」はまたあらためて屋上でやってみよう。
あの屋上で火を焚いてるバカ、なに考えとるの?
と通報されそうやな。


火入れ式

at 2003 12/26 22:12 編集

ネット通販なんかに逃げる客はシカトしてやるもんね、と地元の山道具屋にそっぽ向かれたか、ええいそれならええわい!と、空き缶1つのために大阪くんだりまで買いに行くはめになった。
ネットショップに「なにゆえに、専用ボトルいりまっせと書いてくれなんだやー」となまりまくりたい気分でメールすると、「この製品を買うお客さまは、ある程度の熟練者ですでにボトルをお持ちの方が多く、押しつけがましくならないようにしておりますが、今後は広告に反映させていただきます」と丁重な返事。おぉ、そうかそうか。
買った後も気のついたことをちょこっとメールすると、ちゃんと消化した返信が届くネット通販は、見方によっては店頭買いより人間的だ。少なくとも、蚊のように店員がまつわりつく店ほどの不快さはない。その代わり、通販は自分で情報集めをしっかりやって立ち向かう(笑)必要があるけど。
郵便通販(?)歴30年の果てのネット通販2社目だから、まだ怪しい商法に引っかかっていないだけなのかもしれない。

通販担当者とのやりとりの中で、親族が札幌の同じ町内に住んでいることまで発覚してメールがはずんだ「1社目」の話は昨年だったか日記に書いたけれど、そんな話は一見さんが店頭でできるものではない。
そんな無駄話は店員にとっては本当に「時間の無駄」で、客との会話というのは、確実に一定の時間を消費してしまう「直列」の作業なのだ。営業時間内に店舗内で一人でも多くの客を回転させなければいけない。
だから、あーじゃこーじゃと質問する客や、「うーん、スペアのボトルも買っとく方がええかなぁ・・・ボトルといえばsabatoと行った新梅田食堂街で焼酎ボトルキープしにゃい?と勧められたが、あいつキープするのでしょうか店員さん」と質問なのかヨタレ話なのかわからんことをつぶやく客(まさに僕だな)には、無駄口をシャットアウトして一刻も早くレジに向かわせるセールストークというのがあるようだ。FAQならぬFQAのような、迷っていそうな客には迷いのツボをうまく突くような、「本製品は改良品で、ここがグレードアップしておりますが、その機能が必要なければ旧タイプはお買い得価格になっております」てな類のセールストークが。

これがネット通販だと、客の問い合わせの処理とほかの仕事をパラレルにこなせるせいだろうか、質問への答えが半日後であっても、待たされた気がしないどころか、丁重な対応だなと感じてしまうのが不思議なところだ。
札幌の発電機屋さんからは、夜中でも返事をいただいたのだが、店のドメインではなく個人アドレスから返信が来たりして、あぁ持ち帰り仕事させてるようで悪いなぁと恐縮してしまったが、客にとっては営業時間と店舗所在地でブロックされないだけ、買い物しやすい感じもする。

うんと田舎に住んでいたら通販が命綱になるかもしれないけれど、中途半端に地の利がいいので、快速に乗って梅田へ出かけた。
蚊のような店員がウヨウヨいる大型店へしぶしぶ買いに行くと、まだ閉店の10分前なのに、シャッターを降ろしてやがる。
バカタレー!と、あわてて同じ閉店時刻の別の小型店に走る。
ここはまだ開いていた。小型だが、マイナーブランドの燃料ボトルもちゃんとおいてあった。あぁ、めでたしめでたし。

ほっとすると、この役所のような店にムラムラと憤りがこみあげてくる。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎し…じゃないが、蚊のような店員が「はよ買え」とプレッシャーをかけてくる1軒目のお役所店のwebサイトは、印刷版店頭カタログをスキャンしただけの、工夫もへったくれもない手抜きヘビー画像である。
あのなぁ、ワシはナローバンドユーザーじゃい!パルス回線でぷちぷちダイヤルアップしとるんじゃい!こんな大画面、ダウンロードするにゃー茶でも沸かして待っとらんといかんがに!とキレそうになると、しびれを切らしてナチュラムかサカイヤドットコムへとジャンプしてしまう。webカタログの意味がまったくわかってない、ふざけたサイトがまだ生息しているのは驚きだ。

このむしゃくしゃを保温して帰宅し、屋上で怒りの炎(笑)を点火した。
「灯油は難しいよ」と放火仲間に聞いていた通り、ちょっと手間どった。おまけに燃焼後はススで真っ黒。そりゃ石油ストーブを見ればわかるわな。
うーん、燃費は抜群にいいが、よほど多量に煮炊きするのでなければ、ありがたみを感じないかな。年に数回程度の山歩きなら、やはり簡単でクリーンで安全なガスに戻りそうだ。


うめお

at 2003 12/27 08:02 編集

いやーびっくりした。うれしい驚きという感じかな。
ふだん歩かない繁華街を通りかかったら、どこかで見覚えのある顔とすれ違った。
向こうは絶対に気づかない。
というのも、ふた昔も前によく通っていた中古レコード(CDが出始めたころだ)屋の店員さんだったから。

ちょうど神戸三宮の北野坂の起点に位置するT字路に面したこの店は、中古LPもなかなか粒ぞろいだったけれど、新品も注文できた。大学生協で15%引き程度だったレコードが、この店の会員になると2割引きだったので、神戸大学に通う友人と連れ立って宝探しに行ったり、しょっちゅう注文したりしていた。
店員さんは兄貴格のあんちゃんが一人と、楳図かずお似の弟格(コードネームはウメオとしておこう)が一人。どっちかがカウンターにすわっていて、ちょうどバックの壁に、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの全裸ツーショットポスターが貼ってあった。そんな図柄の前に、ちょこんと座る「楳図かずおヤング」は、どうにもおとぼけ味でいい感じだった。
年恰好は大して違わないと思う。勝手な想像だが、大学を中退してサブカルチャー商いの世界に飛び込んだような、無頼の徒という印象もあった。なつかしい80年代の点景の1つだった。
店はとっくに閉店して、今はサラ金屋か何かに代わっている。

やがて僕は就職してその店の界隈で一人暮らしを始め、あの店員さんたち、どうしてるんだろう?・・・と何かの拍子に思い出すことがあった。
あれから、震災に見舞われて一時この界隈は闇の廃墟と化し、僕は引越したり転職したりして、中古レコード屋のことなど忘れてしまっていた。
それが、昔のままのウメオが、なぜか段ボールをかついで、なにやらうれしそうな顔で繁華街を小走りしていたのである。

ふつう懐かしい顔と遭遇すると、頭が寂しくなるかでっぷり太るかで歳月を感じさせるものだが、ウメオは昔のまんまだった。
思わず、「あ、ハーベストの店員さんでしょ!!」と声をかけそうになったが、すれ違った瞬間はそこまで記憶が戻らなかったので見過ごしてしまった。
これほど代わらないと、タイムスリップしたような気になる。奇妙にうれしくてしかたない。あぁ、代わってはらへんわ、元の店のすぐ近くで、段ボールで何やっとるかわからんが元気で働いてるんや・・・とうれしいノスタルジーが湧き上がってくる。
この界隈は、客をキャッチしようとしのぎを削るカラス族がうようよしていて、僕の見るところ神戸で一番汚れた界隈だが、今度こそ僕はウメオをキャッチしてやろうとヘンな意欲が湧いてくる。
キャッチ、させてもらいますよ、ウメオ!(笑)


スッとレス

at 2003 12/28 21:11 編集

「ストレスで太りやすいのは男性より女性」という記事が朝日新聞に載っていて、条件反射を思い出した。
なんで女性が太りやすいかというと、過食でストレス発散しようとするからだそうで、なるほど男が酒・煙草に走るようなものかなと思う。

大人のストレッサーは、「人間関係と仕事」が双璧だ。仕事から撤退する道は女性には開かれているけれど、そうなったとしても人間関係のストレスからはなかなか解放されない。
彼氏と別れたり離婚したりした女性が美しくなり、別れた男は冴えない・・・という話はよく聞く。「私と別れたことを後悔させてみせるわ」という捨てぜりふも、昔よく聞いた(いや、実体験ではなく、ドラマで)憶えがある。
でも実際には、酒浸りになる女性や、自分に磨きをかける男だっているかもしれない。
ただ、そうなると男の側は、再婚の式場に昔の彼女が殴り込みに来るかもしれないとか、リニューアル彼女の向こうにオールド彼女の影がちらつくとか、不安要因は尽きない。だから、リスクを背負い込まないために、みすぼらしくふるまっておくのが男の知恵というものかもしれない。

「ストレスなさそうやね」と大きく誤解される僕でも、ストレスはある。
とはいえ人間も小さいしストレスも小さい、解消法もチープ・・・という感じで、ただ、寝る寝る寝る!が一番だ。カネもかからないし。少し寝つきが悪いときは睡眠導入音楽を聞きながら寝ると、十夜中九夜はCD1枚終わるまでに寝てしまう。
通勤(退勤)電車の中でも、喫茶店でも寝る。
寝る子は育つというから、今からでも育つかな?と期待するが、寝るオジサンになってしまうと無理な話だろう。
煙草でストレス発散というのは、未だにピンとこない。
愛煙家の気持ちは想像するしかないが、大人になりたい背伸び心とか、仕事が終わって同僚や先輩がプカーッと一服やっているのを真似てか、「最初の1本」を始め、習い性になってしまうのが煙たい道への第一歩ではないだろうか。医学的に過食や煙草が緊張緩和に役立つのかどうか素人にはわからないものの、「ストレスを解消した気分」だけは感じるのかもしれない。
煙草を吸ったとたんに疲れがスーッとひいて絶大な効果を実感したぜ!という人なんて、いるのだろうか。

そんな呪術的な条件づけなら、煙草や過食の代わりにもっとためになる報酬を考えてもよかろうに、と思う。
仕事のストレス発散には、デート。という男女は多いが、平凡すぎるよキミタチ。
仕事のストレス発散には、ダンベル体操。これが健康長寿への道だ。
日本フェミニズム城の女帝上野千鶴子は、学生時代なにをしてましたか?と学生に聞かれて「麻雀とセックス」と答えるらしいが、これは金か手間がかかる。おっと余談。
仕事のストレス発散には、仕事をする。
と提案しようものなら、そりゃストレス倍増じゃろうが!とブーイングも聞こえてきそうだが、ボランティアに励む人の動機は、これと似ているような気もする。

勉強のストレス発散には、別の勉強をする。
なんてのも、しんどいかもしれないが、知的好奇心そのものが旺盛な人間だと、案外うまく行くものだ。勉強するという行動そのものに疲れたなら、旅にでも出ればいいが、勉強のコンテンツに飽きてくれば、コンテンツを替えればいいわけだ。
たとえば法律の勉強に疲れたら、英語の勉強をするとか。
まぁ、そんな芸当ができれば人間みな秀才になれるわな。

ときどき研究会の準備やなんかで、一晩で新書1冊読まなければいけないというようなとき、「新書に疲れたからペーパーバックで息抜き」なんてできれば、どんなに英語力がつくだろう…とため息をつきながら、凡才の僕はつい「こち亀」に手が伸びてしまう。


もやしっこ

at 2003 12/29 07:38 編集

「買いましたぞーアウトドア灯油コンロ!!」と放火仲間にファイアーメールを送ると、「僕も新しい放火ツールがほしくなって1個注文した。こんど一緒に燃やしっこしよう」とレス。
なんだろなぁ、この「もやしっこ」仲間というのは(笑)。


f1.8

at 2003 12/30 23:05 編集

Dがま先生から電話で「パーツ買い出しに行くのでよろしく」と電話。何がよろしくなのかは、もう暗黙の了解事項である。
ふむふむ、このところ山陰地方は寒波でしばれておるのじゃろう、太平洋も見たいじゃろなと想像しながら、ハーバーランドに向かう。

と、最近油断していたのが、自宅とハーバーランドの間にあるのが中古カメラ修験者にとっての魔窟、マツミヤカメラである。
「久々やな。覗いてみよか」と立ち寄ったら、もういけない。
コニカのレンジファインダー、C35FDというのが妖しくたたずんでいるではないか。しかも相場の半額で。
ほどほどにスリ傷があるので安くなっているのだとか。「モルト貼り替えときましたし、レンズも大丈夫ですよ」と、店長兼エンジニアのお墨つき。
試しレリーズさせてもらって、すぐ決めてしまった。

静かなシャッター、大口径レンズ、小型ボディ、梨地クロームメッキのメタリックな質感・・・どれをとってもしびれまくりの逸品である。
C35シリーズの中では、FDは最も大口径なので1.5万円はするし、委託で2万円近くついていることもある。
それに、このFDには紆余曲折がある。
まだレンジファインダーの良さが充分にわかってなかった青二才のころ、5000円ほどで買ったFDを使いこなせず、いったん雑誌の売ります欄で売却してしまったのだ。
のちのち相場が3倍に高騰するとわかっていたら、デッドストックでもしておいたのに…と悔やんでも後の祭り。それ以後、投機はさておきちゃんと愛用したいなと思って探しても、FDはまず市場に出ないし、出たとしても中古ファミリーカメラとは思えない高値がついている。

そう考えると安い買い物なのだが、今から会う相手はデジカメ原理主義者のDがま氏だから不吉な予感。
ソフマップの後は、タコ焼きで勢い(?)がついたか、Dがま先生、「夜景を見に行きましょう」ということになって、ヤロー二人で港の夜景見物。トホホホホ
寒さにこごえる僕とは対照的に、ヒストグラムがどうのこうのと楽しそうに薀蓄を傾けるDがま氏は、僕のクラシカルなフィルムカメラを見るやいなや、「またこーたんかいな」「いったい何個カメラあるんや」「一度ぜんぶ持ってきてみ」とあきれかえっている。
いやまったく、すみませんですなぁ・・・なんか不条理だが一応謝っておこう(笑)。
それにしても、いったい何台カメラがあるのだろうか・・・。


漂流感覚

at 2003 12/31 17:39 編集

年末年始の自分の置き場所といえば、帰省か都会居残りか海外のどれかだろう。
「正月休みに海外へ脱出する人たちでごった返す空港ロビー」なんて映像を見れば、「脱出したい国なら戻ってこんでもよろしい!」と一人で憤ってしまうし、やはり正月だけは右に寄って愛国者になってしまう。
が、天皇にあいさつしようとか、日の丸をあげようとか、初日の出を礼拝しようとか、そんな儀礼的なことは無視しているので、一年の節目がどこにあるのかピンとこない。

結局、「家族に回帰」する年中行事が正月なのである!というところに落ち着くが、とはいえまるで他人事で、実感として―身体感覚として―納得できるものでもない。
わが実家は、同じ市内にあっても雪深い(笑)ニュータウンで、夏の涼しさ冬の寒さで実感として帰省ムードはあったが、建物がなくなったからそんな経験をする場所はなくなった。

老父の再婚家庭に兄弟みな集まって、和やか演技をしていた年もあった。
が、その家庭も壊れ父も逝き、次は老母を見送ることになるのだろう。
そうなった後は、本気で正月の過ごし場所を考えなくてはいけなくなる。

一族が集まって和むような場所は、最近なくなったわけでもなく、ずいぶん昔からなかったような気もする。菩提寺のように先祖と交感できる場所もなければ、引越しを重ねて「柱の傷」が残るような思い出の生家もないから、魂が漂流している感じかな。

自分の生殖で家族を持った人たちでも、正月はその家族で団結するキャンペーン期間というわけでもなくて、親戚あいさつ周りとか、嫁姑業とか、けっこう外向けの営業活動に追われているようにも見える。
とすると、正月にNHKがプロパガンダを垂れ流している「家族の絆」とは何だ?と考え込んでしまう。
「家族は部隊である」と空想することはあるけれど、別に農家でも自営業でもないから、一致団結する理由というのがない。小隊長・軍曹ごっこに応じてくれる酔狂な相手もいないし(苦笑)。平和な日本で部隊団結するときといえば、家族のだれかが重病になったときぐらいかな?

身内(おそらく嫁)に裏切られ、息子を惨殺されたイラクの元独裁者は、どんな気持ちで拘置所の年越しソバを食うのだろうか。
「フセインはいいから、あんた早く身を固めなさいって」と姉から年賀メールが届きそうな予感もある(苦笑)。


あぁ波動がっ・・・!!

at 2003 12/31 23:47 編集

いやー今年は韮沢さんで笑い納めができた。
UFOも超能力も、あるようなないような・・・でいた方が、トンデモ番組で笑えるからいい。
もしかして、「そんなものはない」と断定しないのは、政治的な判断なのかもしれない。
予知能力者が競馬で必勝という話が出てきたら、それこそ社会システムが崩壊しかねない驚愕の真実だから。
UFOも、あれはどこの軍隊の新兵器だ?という話になると厄介だから、宇宙生命のしわざということにしておいた方が無難だ。UFO出現で町興し効果も見こめるし、ロマンチックだし(笑)。
来年はどんなオカルトがはやるのだろうか。
個人的には、パナウェーブなど「電波系」にがんばってほしいと思うが。
 
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2003年11月の日記
2899m

at 2003 11/01 18:11 編集

の山頂小屋にチェックイン。標高差1400m一気登山は、夜行で1時間しか眠れなかったにしては上出来かなぁ。
雪をかぶった富士山が間近に見える絶景!!…はいいが、晩飯のまずさには客から小声でブーイング続出。ま、テントかついで登る労力の代わりかな。
さて消灯8時までなにするか?
50cm隣りには凶悪なほど爆音イビキおやじが寝てやがるしなぁ…。


ホッと生還

at 2003 11/03 19:08 編集

雲海に浮かぶ富士山を眺めて下山したら諏訪の里は雨。
別世界はしんどかったが、別世界やったなぁ…(なんのこっちゃ)。
3日でベルト穴1つ分はやせていたが、たぶん1日で元に戻ることであろう。


八ヶ岳登山日誌11月1日

at 2003 11/04 21:54 編集

旅先が「携帯圏外」でも気にならないが、ザウルスだけは持って行ってシコシコ記録をつけているので、今回の山旅もアップしてみようと思う。

タイガース神戸パレードの日―明治天皇誕生日だぞ―も、神戸を抜け出していた僕は、タイガースファンに暗殺されないよう密かにホークス優勝電波を発信していた効能か、ダイエーが優勝。記念セールで、シックな色と丈夫な生地の英国カリマー製の40リッターの小型ザックが安くなったので、それだけでうれしい。

買ったからには絶対に使わねばなるまい!というのも、ぐうたら山男の腰をあげるカンフル剤みたいなものか。一人旅は、怠けようとすれば「結局、やめ」というところまでとことん怠けてしまうので、スッポン赤まむしカクテル級のカンフル剤が必要なのだ。

長年乗りなれた夜行急行「ちくま」は、連休だけの運行になったばかりか、なんと帰り便がない!一体どうしろっちゅうねん客に!と怒りまくっていると、正式に(笑)乗れたヨロコビも半減してしまう。
一人で座席に横になれたのはラッキーだが(いつも名古屋で満席になるが今回はほとんど名古屋からの乗客はいなかったので、いよいよ名古屋人はこの不便な夜行を見捨てたのか?)、正味1時間ほどしか眠れなかった。
背中の荷の重さがこたえる。
こんなんで、だいじょぶかいな、八ヶ岳…。

茅野から登山口に入り、森の香りを嗅ぎながら黙々と歩いていると、体が慣れてくる。というか、蘇ってくる感じ。標準タイム以上のハイぺースで中腹の小屋へ。紺碧の空に突き出した岩陵が美しい。鍋焼きうどんを炊いて昼食とする。
さあ、ここからは一転、尾根道の急登になって、ぐんぐん高度を上げる。風は冷たく、谷筋には初雪が残っている。
乾いた岩は、腰かけたり寝転がったりして休むと気持ちいいので、その上で大胆に休憩するのを楽しみにしているのだが、じっとしていると寒いので、ただ一気に登るしかない。高度差もあってか、胸に鈍い痛みを感じるようになる。
滝の汗をかいてがむしゃらに登ったおかげで、かなり早く八ヶ岳の主峰、2899mの赤岳頂上へ到着。
夜行疲れをとるには寝るのが一番。頂上小屋へチェックインして、午睡をむさぼることにする。
連休だから込むのはしかたないけれど、間もなく50cmとなりに轟音イビキおやじがつめて来て起こされる。

夕食は、おでん5品程度にべちゃベちゃした飯。できれば二度と泊まりたくない印象。この小屋に、'90年ごろの秋に泊まったときは、愛想のいい60代の紳士(松坂慶子の友達だと自称していたが…笑)や、いろいろ果物をおすそ分けしてくれたおばちゃんたちのおかげで、「楽しい小屋の夜」という思い出ができたのだが、それは「ソフト面の幸運」だったにすぎないなぁ・・・ハード面では中の下クラスの宿ちゃうかなぁ・・・と、冷静にアラが見えてきてしまう。山登りビギナーのうちは、もう大自然の中にいるだけでハイテンションだから、いろんなアラも見えないか、「思い出」になってしまうものだが。
ま、本当の頂上に建っているから、布団の中からでも、富士山を眺められる点だけはプラスだが・・・。

夜は、イビキ対策に明け暮れて、本当に夜が明けてしまった。
イビキは「治る病気」なのに治さないのは、本人にその自覚がないせいで、そうか自覚がないか。ええ気分で熟睡しとることじゃろう・・・と、僕は余った枕を本人の顔にあて、何度かどついてやった。あなた一人が叩き起こされても、部屋の客みな安眠できるのだ。結局、効き目はほとんどなかったけど。
体力もまぁまぁ発揮できたし気温も高めだったから、テントをかついで来ればよかった。(つづく)


南八ヶ岳登山日誌11月2日

at 2003 11/05 22:11 編集

せっかく登った山頂も、2日目は岩場を一気に400m下ってから、また200m登るという不条理!
と憤っても、これが登山というものだからしかたない。下ってひざがガタガタになってからまた登るというのは、老体(笑)にはかなりきつい。
ただ、ずっと雲海に浮かぶ富士山が道連れになるほど好天に恵まれたのは、ラッキーだった。

2泊目の宿は、かなりくたびれた・・・というか年季の入った「青年小屋」という山小屋で、これは大当たりの宿だった。
6畳間ほどの和室に、単独おじさんトレッカー6人の一人として今夜の寝床があてがわれたのだが、ルームメイトの「人生の先輩」たちは、みな気さくないい人ばかり。
夕食は、肉と野菜の味噌炒めを中心に、具だくさんの豚汁、サラダなど20品目近くある豪華版だった。しかもうまい。頂上小屋より200円安い¥7500ながら、雲泥の差!
竹内敬一さんという小屋主がエプロン姿で「鮮度の都合で急きょ献立を変えましたので少し遅くなりましたが、豚汁もおかずもお代わり自由ですからどうぞ」とあいさつされ、自ら中華鍋を持って回ってお代わりしてくれる。
あとで小耳にはさんだ話では、予約なしの飛び込み客が多くて予定の献立が間に合わなかったそうだが、客に責任を転嫁するような言い方は決してしなかったのはえらい(飛び込み客の一人としては恐縮するばかり・・・)。
若々しい男女スタッフも愛想がよく、さわやかで温かみのある山小屋だった。いい意味で、オーナーの顔が見える経営という感じかな。

食後、食堂をうろついていると、名も知らぬ客の紳士からウィスキーを1杯いただく。
建物は古く、廊下は今にも床が抜けそうなほどで、部屋は一番はずれのトイレの隣なので、人通りが最も頻繁で、そのたびに部屋に振動が伝わってくる。
「こりゃ夜は眼れませんね」とこぼすと、「では私が廊下側に寝ますから、皆さん奥に布団を敷いて下さい」と率先して泥かぶり役(?)を買って出てくれた人物がいて、翌日も大変お世話になることに・・・。(つづく)


南八ヶ岳登山日誌11月3日

at 2003 11/06 23:15 編集

秋の八ヶ岳には、なぜか不思議な出会いがある。
最初は19年前、下山して草原をうろうろ歩いていると、同じようにうろうろ散歩している少し年上のあんちゃんと、自然に会話が始まった。
「なんなら、クルマで駅まで送ってあげましょう」ということになり、その人が駐車していた麓に一緒に下りると、クルマはスピーカーのついた廃品回収トラックだった。立川でその商売をしているかたわら、なぜかUFOに思い入れのある人で、なんだか奇妙な会話になった。今ほどカルトやトンデモ科学が社会問題化していなかったので、なんとなく住所を交換すると、その人が尊敬しているらしい五井野正という霊能力者(?)の本が送られてきた。
で、それ以上は何もやりとりがなく、御縁も立ち消えになってしまったのだが、八ヶ岳山麓の野辺山には宇宙線観測所があるから、波動やら異次元やら地球外生命やらに心を寄せている人々が、フラリと訪れるのだろうか。たしかに、南八ヶ岳の奇怪な山の形は、ある種の感性を持った人には、特別な想像をかきたてるんやろなぁと納得できなくもない。

10年ほど前に赤岳頂上小屋で出会った豪快おじさんのエピソードは省略するとして、今回はカモシカおじさんである(なんだか10年おきぐらいに奇抜な出会いがあるなぁ)。野武士のように渋くて、物静かな五十がらみの丸刈りおじさん。
雑談しているうちに、「明日もう1つ軽く登ってから下山するので、ご一緒できれば車に乗せてってあげますよ」というので、旅は道連れとばかりに同行する。
予定外のコースだったが、こんな横道も旅のおもしろさかいなと思って、今回4つ目の山頂をめざす。
頭に日本手ぬぐいを巻き、軽装のせいもあってか山道を実に俊敏に歩き、ついて行こうにも見失うことしばしば。
道にはカラマツの落葉が敷きつめられ、岩には苔むし、いかにも八ヶ岳の原生林という風情ですばらしいコースだが、じっくり撮影する暇もなかったのは残念。この俊足の野武士、毎年のように日本一険しい冬の槍ヶ岳・北鎌尾根をテント持参で登っておられるエキスパートだった。どうりで、足どりはカモシカのように軽い。ついて行こうと焦っていると、豪快に転倒してしまった。マイペースで歩いているうちは、ダブルストックを使うようになってからは転倒することもなくなったが、今回のようにあせると、岩場でも何でもない林道みたいなところで、ズテーン!とこけてしまう。
おじさんは「えーと、どこだったかなぁ」「あの山頂がこっちに見えるから、たぶんこの方向でいいはずです」と地図にない道を勘で探し出しながら、ところどころ藪をかきわけ山の斜面をズリ落ちながら、マタギのように原野をかけめぐる。
約2時間、枯れ葉と枯れ枝に全身まみれつつ、ようやく麓の沢にたどりつき、そこにはおじさんのマイカーがあった。自衛隊払い下げのような、アーミーグリーンのジープであった。「もう24年乗ってますけど、寒くてバッテリーが冷えきってしまうと、下山してバッテリーを買って背負ってきて、エンジンかけなおすこともあります」と、平然と手のかかるエピソードを話してくれる。幌もボロボロで、いたるところ隙間だらけだ。「冬は普通の服装では乗ってられんですよ」と笑っている。
いやはや、ワイルドな怪傑である。

少し走ったところにある原村の温泉に落としてもらって、名前も聞かないままあっさりとお別れになってしまった。
この原生林迷い歩きは一体なんちゅう経験やったんかねぇ…と、キツネにつままれたような不思議な感覚のまま、3日間のトレッキングが不意に終わってしまった。
茅野の街にバスで戻ると、そのとたんに雨が降ってきた。絶妙なタイミングだったわけで、この幸運も野武士のおかげだろうか?…と、ミラクルな思いを胸に、僕は文明人に戻って行った。

   完!(おおげさな・・・)
 


若気の至り

at 2003 11/07 14:25 編集

大阪で「親を殺して一緒に暮らそう」と示し合わせた少年少女カップル、浅はかやなぁと笑うのは簡単でも、こんな短絡発想ができてしまうのは「若気の至り」ってやつかいな…と妙に感心してしまう。ある意味、うらやましいよオジサンには。

分別のつくトシになってしまうと、「親なんか放っといて、一緒になろう」と駆け落ちをそそのかしても「マンションの頭金を出してもらえないから損よアナタ!」と現実的な待ったがかかりそうだし、「遠い世界で、私たちだけで暮らしましょう」と彼女に誘われても「ははーん、子供を産んだら俺は用済みやな」と勘繰ったりしてしまう。つまり、恋などできなくなって行くのが、大人になるということかもしれない。もろもろのいやらしい「条件」やら「損得」やらがまぶたにちらついて、「生身の相手」そのものを見る目が濁ってしまうのである。

でも、何歳からそうなるかという問題でもなくて、僕以上にとっつぁん坊やもいるし、僕以上のコマダムもウヨウヨいる。おそらく、本能的に種の存続繁栄のために安全な選択をするよう、若い個体でも遺伝子にプログラムされているような気もする。
それに、仕事も治安も自然環境も不安だらけの世の中になると、自然に「条件」や「損得勘定」「リスク管理」を老若男女みな考えるように傾いて、その兆候が年金不信と出生率低下だったりするのだと思う。国に年金を払うリスク、家族という重荷が、生々しく見えてきた結果だろう。

車道沿いを熱心にジョギングしている人を見ると、「排気ガスめいっぱい吸って命を縮めている」ように見てしまう僕など、幸福の中に隠された不幸や、不幸の中に見える幸せを探しあてるクセが、38年間頭に刻みこんでしまった。それが人間の知恵というものじゃないかとも思うが、警戒される(笑)。
河内長野の少年少女カップルのように、「同棲したい」というだけの小さな欲望のために、逮捕されるという大きなリスクを冒すのは「若いなぁ」と感心する(?)と同時に「低知能やなぁ」とも思う。のぅ少年少女諸君、親の目を盗んで密会したり交尾したりするから楽しいんだろうて。どうせやるなら、親の目を盗んで挙式出産育児までやってみせて「パパ、今まで黙ってたけど私の子どもが来年入園なの」というところまでやれたら、でかしたものだ。
頭を使ってほしい。

「不況だから公務員人気」という空気も、どうだかなぁという気がする。
どこかの市で、年齢制限のない募集をしたら、中高年が殺到したそうだが、なるほど被扶養家族をかかえて整理解雇されたようなおとっつぁんにとっては、きれいごとを言ってられないとしても、「公務員志望」なんて叫んでいる進学塾のガキどもに至っては、一体なんなのだ?
現役の糞役人は、とりあえず年金くれてやっておとなしく無害な廃棄物になってもらうしかないとして、将来の日本を食い潰す糞役人の卵は、駆除しとかにゃならん。
不景気だからこそ、少年少女には、これから崩れて行く牙城(郵政省を見ろ、市町村合併を見ろ、特殊法人・公団・公社を見ろ)をめざす愚から目覚めて、これからヒットする金脈を探ってほしいものだと思う。
 


プリムス

at 2003 11/07 20:59 編集

あぁ、そういえば山でガスコンロが壊れて、お茶を沸かせなくなってたっけ。
10年は酷使してきた超小型モデルである。
小さな青いナイロンケースにMade in Swedenをプリントされているのが、もうかすれたり焦げたりして、相当ヨタレている。本体も、今ほど精密なつくりではないのであちこちガタがきているが、自分なりにスマートなゴトクの引き出し方やたたみ方は体で覚えてしまっている。カチャッ、カチャッで準備完了、クッキングスタート!の流れるようなテンポは、プレヒートや加圧の必要なガソリンにはないスムーズ感があって好きだ。

そろそろオーバーホールもしてやるか、と思い立って、修理に持って行った。
修理代を見積もってもらうと、3000円。
新品の高性能モデルが3980円。セール中で1割引き。どうしますか?
なんて聞かれても困るのだが、店員氏は「まぁ、よほど愛着があれば修理もあり、でしょうけど…」とたたみかける。まるで「山男は道具に愛着を持つものだが、お前さんはどうなんだ?」と試されているような気分。
別にビンテージもののコンロでもないし、特別高性能というわけでもないのだが、あぁこれで公園でお茶を沸かして、細川ふみえと冬の夕暮れ、暖まったなぁ・・・とか、雪や冷雨に降られても(ガソリンコンロと違って)すぐ着火してテントの中を温室にしてくれたわなぁ・・・とか、地味ながらホノボノした思い出がよみがえってくる。
結局、「愛着、ありますあります!あふれまくり!修理してくり!」と即決したのであった。
でも、季節のせいもあって、トロトロと炎をあげる灯油コンロにも食指を動かしていたりする。
いかんなぁ、浮気な物欲も。


20倍ズーーーーム

at 2003 11/08 20:58 編集

旅行直前に寄ると、つい交換レンズか何か買いたくなってしまうので自粛していた地元のMミヤカメラに久々に寄ると、閉店まで30分もあるのに、大番頭さんがのらりくらりとシャッターを降ろそうとしていた。
ふと、曇ったショーケースの中を見ると、望遠鏡アダプターが半額以下でぽつんとたたずんでいた。50mmレンズにつけると5倍の望遠鏡になるという小物アクセサリーだ。我が家には200mmのズームがあるから、20倍の望遠鏡が即できあがるはずだ。
ちょうど、フィールドスコープを買いたいと思っていたところに絶妙のタイミングで見かけたものだから、即決となった。
「保証1年」の値札がついていたが、5000円払ったら、おじーちゃんの懐から「ハイ、しぇんえん」と釣りが出てきて、3秒で買い物がすんでしまった(笑)。
オイオイ、カメラ屋での買い物って、もう少し儀式めいているところが奥ゆかしくて、いいもんでないかい?

まぁ、この店の人徳(店徳というのか)か、こんな買い方もワビサビがきいていて風雅な感じがするのは、僕がみごとに抱き込められている兆しか?
そんな勘繰りはどうでもいいか。粗悪品は売らない、技術のしっかりした店だから、「お店ブランド」まるごと信頼できるし、「本日の獲物」は新品同様だし…。
さっそくレンズにつけてみると、おぉ!高倍率大口径のフィールドスコープそのものではないか。
ハイキングの楽しみがちょこっと増えた。


ペロクリ

at 2003 11/09 12:49 編集

民主党が入閣させると発表して話題になっている田中康夫ペログリ長野県知事を指して、某シン・キロウ前首相(仮名)がぶちまけたいちゃもんというのがすばらしい。
「あんな顔なら、キムタクやモー娘の方がましだ」
というのである。
「ノミの脳みそタヌキの心臓」だと思われていたシン・キロウ氏を少しは見なおした。タヌキの脳ぐらいありそうだ。
まず、このハズレかたに本人が気づいてなさそうなのがおかしい。
かりに田中真紀子をつかまえて、「あんな顔なら、黒木瞳の方がましだ」と罵ると、それは罵ったことになるのか?ただの事実ちゃうやろか。聞いた方は、一瞬怒ろうとして、次の瞬間ずっこけるしかないわな。
あと、よりによってシン・キロウ氏にルックスのことを批評されるとは、よもやペログリ知事も想像しなかっただろう。
世界にキンタマひきずり歩きして国辱栄誉賞に輝いたシン・キロウ氏のこと。こんな二重の笑いを、未自戒コメントにこめる高等テクニックは、さすが政治家だと思う。
ぜひ選挙で生き残っていただきたい。保存する価値のある標本だ。
 


手口調査

at 2003 11/09 23:01 編集

「あのー、MHKですけど、ズバリどの候補者に投票されましたか」
「そりゃー決まっちょるがに。きっちりO沢U司と書いて熱い一票を入れてきましたよ」
「はて、無名の候補者ですが・・・」
「まぁ新人だからね。でも、フレッシュだし、しがらみは一切ないし、期待してますから」
「しがらみが一切ない、とおっしゃいますと…?」
「なにせ、万人に嫌われる稀有な逸材です。6000万人の労働者からは警戒され、1000万人の専業主婦からは卵を投げつけられ、2000万人の老人からは杖でつつき回されている革命家ですから」
「そのような候補者に、あなたは何を期待して一票を託したのですか?」
「こいつが当選すると、就職に苦労している某女子大生をはじめ、秘書にしてくりしてくりというサバやらコバンザメならが鈴なりになってましてね、おたくとこの女子アナと代議士が陰気な政界失楽園なんてやってたけどね、もっと豪快な政界ハーレム、いや政界アマゾネスが見られるじゃないかと期待してる・・・のは不純かね」
「いや、それも1つの投票動機でしょうけど…。しかし泡沫候補に、何か強烈にアピールするものがないと、当選は難しいかもしれませんね」
「O沢候補に、長所はいっぱいあるよ。でも大きな欠点もあるからねぇ」
「と、いいますと?」
「立候補しちょらんのよ」
・・・ドテーッ!!・・・

「あ、あ、あのね!あなた大事な選挙で不真面目すぎるんじゃないですかっ!?」
「そうかに?」
「そりゃそうですよ、第一無効票になるのわかってるじゃないですか」
「ま、そうだな。でも、無効票を分析すると、確実に得票数は1位。このデータが、効いてくるんじゃよ」
「それでも、落選は落選でしょ」
「小選挙区は、当選一人以外はみな立候補しても落選する候補者というこっちゃね。ところがO沢候補は、立候補しなくても無効票の最多得票率である、と。コストパフォーマンスを見れば、次点に値する成果とはいえんかね?」
「そんな・・・暴論でしょうに」
「あんた、どこかの地方で、投票用紙に松山千春と書く有権者がどれだけいるか、ご存じないようだね。候補者でもないのに、それだけの隠然としたプレゼンスを持つということが、どれだけ政治の台風の目になるか、わからんか?」
「ウッ・・・」
「伸び悩む各政党とも、あの無効票最多得票率の陰の候補者を公認して、票を呼び込もうと知恵をしぼってるとこじゃよ」
「そんなときが来ますかね」
「さぁねー、実現すると、老人は働かされ、主婦はよそさまの亭主かけもち慰安婦になり、サラリーマンは毎年就職活動するはめになり、少年少女は慢性ケータイ中毒になり、結局ものすごい好景気になるだに」
「おぉ、それはすごい」
「そやろ、あんたも支持するか?」
「したいですね、そんな候補…じゃなかった立候補候補者がいたら」
「よっしゃ、あんたワシの第512私設秘書にしたろ」
「えっ!!」
「ワシがO沢候補じゃよ」
ハッハッハ・・・!!
 


正解再編成

at 2003 11/10 15:40 編集

シンキローは無難に当選して、絶倫ヤマタクは落ちた。石原家の、「どこにいたの」と言われそうな顔をした三男坊は、かつぎ出された当初から「困ったなー、やりたくないなー、会社やめたくないなー」顔をしていたのが気の毒だったけれど、案の定落選。おいおい、なんのために会社やめたんだか。
なんとなく結果は透けて見えていたけれども、波乱含みの選挙は終わった。
落ちた候補者は、次の選挙に向けて足場固めに入ることだろうが、楽しく肩を組んで「助け合い選挙」すればどうですかい?と提案したい。
たとえば…。
大阪1区、東京1区、兵庫1区etcは、連帯して「イック同盟」をつくっていただく。

闘った 勝っても負けても みな仲間

と、なんでもかんでも一句詠みつつ仲良くなっていただく。

そんなこと できるもんじゃあ ありまへん

と、くだらん川柳が飛び交うだけになりそうやな。

大阪2区、東京2区、兵庫2区etcは、連帯してニクの味くらべをしていただく。
やはり神戸ビーフを売りにする兵庫2区が強いかな?

大阪3区、東京3区、兵庫3区etcは、連帯して「3区ス」を結成していただく。
ローソン、ファミマ、セブンイレブンがコンビニ3大政党だとすると、サンクスは野党だ。野党ならではのオリジナル商品で勝負してほしい。

大阪4区、東京4区、兵庫4区etcの選挙カーは四駆。演説会は川原とか海岸でやって、バーベキューを聴衆にふるまうと千客万来。候補者はみなワイルドな格好をしてもらって、ウグイス嬢は本物のウグイスを使う。

大阪5区、東京5区、兵庫5区etcの候補者は「ごく道」で行く。あくまでも演出として、党首は安部譲二、突破役には辰吉丈一郎、極妻には岩下志摩あたりを並べると、それらしくなるぞ。たまたま石原軍団と鉢合わせして、カーチェイスが始まったり撃ち合いになったりすると(もちろんパフォーマンスで)、投票率は急上昇する。

大阪6区、東京6区、兵庫6区etcの全国の「ロック」候補者は、バンドを組んで選挙活動だかライブだかわからんことをもらおう。選挙活動なら場所代も見物料も無料だから、ものすごい観客動員数になるぞ。
党首は矢沢永吉、幹事長は泉谷しげる、政調会長は忌野清志郎とそろえば完璧だ。グレイもラルクも似たようなのもみな呼びましょう。幹部にはマニフェスト音頭を歌ってもらって、若手にはビジュアルマニフェストを絶叫していただく。ただ、支持者の平均年齢が17歳ぐらいになりそうで、あんまり票には結びつかないかもしれない。

とまぁ、オジャレ(オヤジ駄洒落)で楽しめる選挙は、毎年あってもいい。
最近の選挙はパフォーマンスが明暗を左右するようだから、結局「6区圧勝」になりそうな気もする。
遠い北国―足寄から、なにか動きが起こりそうな・・・(ムネオ・ロック!?)。


足裏感覚

at 2003 11/11 16:46 編集

ひと雨ごとに秋が深まり寒くなって行きます・・・と聞く季節になると、眠っていた冬男魂が目覚めてくる感じ。ワシはほんまに海の日生まれなのか?(生まれた日の記憶なんかないけれど)。

雪と紅葉と緑のトリコロールを期待して登った八ヶ岳も、初雪の残雪はわずかだったし、なかなか「絶妙な秋色」というのは巡りあえないものだ。
雑誌や観光パンフレットには「秋の古都」なんて色とりどりの写真が充満しているけれど、あれはストック写真を組み合わせて、これでもか!これでもか!これでどうおすえ!?と演出したハリボテなのだろう。
以前ボランティアしていた博物館の研究員が、うちの裏山を調査して、「針葉樹が増えていて、やがて六甲山では紅葉が見られなくなるかも」とまとめていたのは少し寂しかった。全国的にスギ花粉症が増えているのも、ひとつの兆候なのかもしれない。
街路樹でも、落葉樹が多いと落ち葉の掃除や交通障害で何かと支障があるようで、まさか松の木ばかり並べるわけには行かないだろうから、青と緑と白のトリコロール都市神戸もだんだん味気なくなって行くかもしれない。

おじさん共通の言い伝えで(世間のおじさん巻き込んでごめんね)、トシをとると異性への視線がだんだん下降して行くものだそうな。子供は、顔を見てかわいいとか美人だとかで心をときめかせる。色気づいてくると、胸からぐぐーっと下降(笑)して行く。おじさんになれば、「足腰―脚線美や腰まわり専攻」である。
そんな習性と結びつけるには不謹慎かもしれないが、僕も山を歩くときの視線は下降気味で困る。根が貧乏症なので、「なにかええもん落ちてへんかいな」と、落とし物を探しながら歩く本能は昔から変わらなくて、それでも天気図を書いたり観天望気したりと感心なこともやっていた。それが今は携帯で気圧配置も気象衛星の画像を簡単に見られるから、空を観察する必要はなくなった。
で、だんだん視線が下がって、というより、足元に注意していないと、転んでケガして寝たきり中年になるのもまずいという現実的な動機もあったりする。
ずっとうつむいて歩いているわけではないが、足さばきはあらゆる運動の基本だし、足で感じる道の味わいみたいなものに感度が高まってきたのも事実だ。
カラマツの落葉が幾重にも降り積もって、なんともいえないふかふかの腐養土の上を歩くのは、しみじみと気持ちがいい。落ち葉は、歩いて踏みしだいて、土に還ることで、森の養分になって行くから、カサカサ・ホコホコさせながら森を歩くと、来年どこかで花が咲くのを手助けしているのかなと思うと、歩く自分の生と森の命が並走しているような感じもする。

「ええ土ですねぇここいらは」と、地元の山男とおしゃべりしながら歩く八ヶ岳の原生林は、行きがかりコース変更のごほうびに思えるほど気持ちよかったが、案の定、気が散るとズテン!と転んで全身枯れ葉まみれになってしまった。
転んでも、全身で山を楽しんでいるのだ!と苦しい言い訳をする自分も情けないが、転ばなくなったスキー、ハイテクウェアで濡れなくなったスキーが、雪遊びの楽しみを幾分か捨ててしまった感じがするのと、どこかつながっているような気もする。効率的にうまく歩いても、おもしろくないのだ。


トリニティ

at 2003 11/12 23:32 編集

サバ子と、稀代一流の社会学者をまじえての飲み会は、居酒屋からイタ飯屋へ移動して話の花が咲いた。
それそれ、社会的な立場とオス・メスという二面を出し入れしながらの丁々発止。
本当の意味での知的な談論風発というのは、こんなものだろうなと心地よい快感を味わいつつ、帰路についた。
むかつくわ〜〜〜〜〜と憤慨していた現役女子大生のピチピチした若さが浮き上がっていた(笑)。
ま、修行あるのみですよ。プヒッ!
 


深海の午後

at 2003 11/13 22:20 編集

大した量を飲んだわけでもなかったのに、ワインの酔い覚めはどうも調子が悪い。寝つきも悪くて変な夢を見るし…。
ビールも日本酒もウィスキーも強いのに、ワインとブランデーには弱い自分の体質がうらめしい。
「葡萄関係」に薀蓄を傾けられるダテ男になっていたら、少しはもてただろうか?

こんな朝(夕方になっとったが)は、体を動かしてさっぱりすべ、と外に出たら、えらい冷え込んでるではないか。
さすがに、コートを着ているおとっつぁんを見かけたときは「来月になったらその上にまたコートかい」とお見舞い申し上げたくなったが、まぁこれが普通の気候なのかもしれない。
今日は「喫茶読書」にふける気力がなかったので、早々に帰ってちらし寿司を食って「自宅喫茶」。

テレビも音楽も何もつけずにじっと部屋にたれこめていると、潜水艦の中のように(乗ったことないけど)静寂なのが我が家だ。家中、数千冊の本が充満して吸音剤になっているようで、隣近所の音さえ聞こえない。
そんな環境を好むのは僕だけかと思いきや、ホームレスも「御近所さん」とのつきあいは最少限にして、孤独を謳歌しているように見えるから、ホームレスになれる素質は僕には充分ありそうだ。


ボンクラ・ヌーボー

at 2003 11/14 15:57 編集

ボジョレ・ヌーボーを乗せた第一便が空港に到着!とニュースが伝えていた。さぁボジョレよ!ヌーボーなんだからっ!と色めき立つ「川島なお美ふう」が、このアジアの島国にも800万人はいるにちがいない。
これほど「わけわからず屋」の薀蓄にまみれた酒もないだろうと思う。
ワインは嫌いではないが、正直いって僕もわけわからん。だから「飲みやすい」「飲みにくい」のモノサシしか持っていないし、僕なりにしっかりと理解していて、理路整然と説明できるモノサシは、むしろ飲む環境だ。だれと飲むか、どこで飲むか、どんな話をするかで酒の味は千差万別に変わる。
植物学も生化学も醸造学も僕は知らないから、夏の高温で糖度が・・・なんて「わけ知り顔で語るわけわからず屋」の心臓には、ほとほと感心してしまう。光合成と糖分解の関係について、尋ねてみようかな。

さて先日、畔幻砲凌郡で『ハッセルブラッドの時間』というのを買ってしまったのだが、内容はまーまーヒマつぶし程度に読めたとしよう。しかしだ、著者の藤田一咲に、フリガナというか、アルファベット名がついているのだが、これがムズムズするほど恥ずかしい。Issaque Foujitaと書いてやがるのだ。ウヒャー!!と飛びあがりたくなる「おっフランス男」なのであった。なんだか「おそ松くん」のイヤミが、名前を変えてまだこの世に生息しているのかと思ったぞ。
Issaque Foujitaで「イッサク・フジタ」と読めるのは英米人ではなくフランス人だから、ではフランス人あてに書いた本かというと、中身は日本語だから、この屈折加減はボジョレ・ヌーボーと甲乙つけがたい。

これがヒロシ君という名の日本人だと、かの国で「色師」と発音されたりするリスクはあるから、なんとか表記を工夫したいヒロシ君もいていいと思うが、一咲さんはどうなんだろう。
やるなら、本文もフレンチで書いて、ヨーロッパ市場で出版してみろって。村上春樹はベストセラーで百万部。ハリーポッターは2億部。
日本語で書いてたら、これが限界でっせ〜Issaque Foujitaさん。なにせラルク・アン・シエルとラルク・アン・シェルがごっちゃにされている―どうでもええ―国なのだ、ここは。おフランス風味でありがたがる鹿鳴館時代が終わってない国、田舎紳士と田舎ねーちゃんが、ボジョレで浮き足立っている国なのだ、ここは。

ワインブームに難癖つけた勢いで、日本人は和食にこだわれいっ!と強弁するつもりもない。ワシは中華が大好きだし。
けれど、長野の「地元特産品店」で、野沢菜漬けを買おうと思ったら、工場は長野で、野菜は中国野菜だったりして、これで「長野特産」と名乗っているご時世だ(堂々と「四川省漬け」で売り出せばいいのに)。
いま本当にグルメを気取るなら、産地で、収穫したてのものを直に頬張るのが王道だろう。海沿い、山あいまで出かけて、海水したたる海の幸、土のついた山の幸をわしわしといただくしかない。
たとえば、八ヶ岳のある山小屋では、周辺でとれたキノコでカレーをつくって出してくれるし、木の実からはジャムをつくっている。
アホなハイカーは、「え〜、晩御飯カレーか…」「朝はパンって、ふだんと同じじゃん」(イヤミな発言はなぜか関東弁にしてしまう。失礼)とほざいている。けれど、国立公園では、登山者は木の実ひとつ採ってはいかんことになっているから、この山の恵みのプレシャス度は想像以上に高いのだ(フットワークさえあれば、だれでも一泊二食7500円で食べられる美食だが)。

ずぼらな都会人は、排気ガスと騒音と人混みにまみれた「おしゃれなお店」で、大枚はたいてグルメを追求するしかないのだが、ちょっと発想を変えて、五感が鋭敏になる場所に自分を運んで、「御飯と山菜」だけでも美食を楽しめる方が叡智というものだと思う。
クリスマスだ買い物だホテルだと♂♀がさかっているころ、僕は北信濃のM荘で、川魚の塩焼きをつついていることにしよう。
(でもマタギ生活も飽きたな…)
 


あたしに溺れるのよっ!

at 2003 11/15 13:32 編集

東京の中学校で、水着を忘れてきた生徒に、女性教諭が体操服のまま泳がせていたという一件が問題になっちょる。
「体操服なんか着せるなら、どうせなら…」というコスプレマニア、
「おんな先生、あんたはどうだったんじゃ!?」というPTA長老
らの意見は抹殺されていて、「下着が透けて精神的苦痛を受けたのよっ!!」という女子生徒の母親のクレームが新聞には載っていた。それはごもっとも。

テレビ番組で聞いただけで、3秒後にラサール石井など「泳ぐときは体操服だけで、下着は脱がせたんでしょうかね」と詮索していたが、さすが頭の回転が早い。
下着+体操服で泳がせてびしょ濡れになっていたとしたら、下校時にはノー下着+制服だけで帰らなくてはいけない。これはかわいそうだし、プリーツスカートを「さよならー風邪ひくなよー」と見送る男性教諭たち、学ランズボンの中で揺れるものを想像する女性教諭たちも、心中なかなか穏やかでいられないだろう。
だから、「体操服ノー下着」で泳がせていたら、下校時には普段着で帰れるし、「下着が透けて恥ずかしい」という心配もご無用だから、その方が思いやりがあふれている(わけではないか?)ことにはなりそうだが、それはそれでラサール石井ほど頭がよくないPTAからはクレームがつきそうだ。
教育現場でなくて、何かのハプニングで、雨や川や海でびしょ濡れにならなければいけないような場面だと、行動を共にする女性に「下着を着ないでずぶ濡れになれ」とクールに言い放つのは、ひとつの思いやりではないかと思うが、子供には通じないだろう。

セクハラ男性教師はよく問題になっているけれど、微妙な年頃の生徒たち相手だと、女性教師も、かなり気を遣うだろうと思う。
「きみヘナチョコね!」と男子に言っただけで、「あぁぁぁぁ!!毎日ママがパパに言ってるのと同じだ」と絶望する少年がいるかもしれないし、「ひと皮むける」「のびる」「図太く」なんて激励句も、かなり神経を尖らせることだろう(笑)。
そういう微妙な関係を超越しエロを漂白してしまった女性教諭は、もう社民党女性議員のように枯れてしまうが、そうなりたくない抵抗と、そうならなくてはいけないプレッシャーとの葛藤に悶々とする聖女も、どこかに生存しているのだろうか。「校門出たら私は女」という切り替えは、要領よくマスターしてしまうのかもしれないが。

で、水泳なのに水着を忘れてきた生徒には、いかに教育的に有効な指導をすればよいかが本題。

1.「私の水着を着させるで」と宣言する(担任が松島菜々子先生ならだれも水着を持って来ないだろうが、山田花子先生で半減、出川哲郎先生だと・・・省略)
2.剣道着で泳がせる(準殺人で問題になりそう)
3.「プール授業やから水着がいるのに、それを忘れるんやな、それなら入浴なら水着いらんわな(なぜかベタベタな関西弁になる)」と、明快な理屈でたたみかけて、プールを沸かし、阿鼻叫喚の大問題体育授業にする・・・と、国家的国際的大問題になるから、生徒は出席免除にして、父母に代役をしてもらう。
「おいヒデオ、今日プール授業だろ海パン持ったか。なに、用意してる?バカヤロー!忘れんかい」というお父さんも出てきそうだ。もちろん、「黒木さんちのお母さん」あっての話であるが。
4.プールの水を墨汁にすれば透けないし見えないから大丈夫

・・・とまぁ、だんだん思考停止しそうなので、5以下の提案はやめておこう。


やるトライ

at 2003 11/16 10:41 編集

当地には、トライやるウィークという地域奉仕実習プログラムがあって、主に中学生が店員さんをしたり福祉施設で軽作業をしたりしている。
その中には、税関実習という硬派なのもある。
税関で没収された偽ブランド品を、切り刻んで廃棄処分にする手応えを、少年少女諸君どうぞ味わってくれ!というふれこみで実際やらせていたのだが、それはそれでいいとしよう。

「税関で没収」というと、身も心も濁ったオッサンが想像するのは、なんといっても「あの手の本やビデオ」である。
ならば、「3年1組のみんな、このビデオのどこが猥褻なのか、ぢっくり見て討論してみましょう」
という実習や、
「このグラビアのイケナイ部分を黒塗りしてくれないか風紀委員の諸君」
という実習もあってもいいだろうと思うが、やはり未だにない(当たり前か)。
もし実施しようとすると、たぶん「実習の下見」という名目で教諭がさんざん楽しんだあげく「やはり採用しないことにしました」ということになるだろう、きっと。

教育者がちゅー坊にお膳立てする実習に、あまり生々しい世界は考えられないのはしかたない。なら、いっそ親に1週間ほど密着して、親の部下か同僚として働いてみるというのも、社会勉強になっていいのではないかと思う。
働く親の背中を見ずに育つ子が多いから、その苦労のありがたみがピンとこないままというのは不幸だと思うのである。
とすると、もし親がAV業界人とか、おさわりバー(今こう言わないのか?)マスターだと、なかなかむずかしい…というより、教諭にうらやましがられて妬まれて(笑)内申点をうんと辛くされるかもしれない。
親がシングルママだったら、会社でものすごいヤリ手お局さまだったりして、ママに反感を持つ江角マキ子に焼きを入れられたりして「あぁ就職したくないなぁ」と絶望するのも、実習の成果になったり…(元も子もないって)。
親がヘナチョコ教師で、職場でスケ番にカツアゲされて泣いている姿を見たりすると、こりゃーつらいだろう(笑)。

自然な形で、大人の世界を覗く機会が、今の子には減っているのかもしれない。
だとしたら、おとっつぁんがたには、子供に胸を張って仕事ぶりや職場の人間関係を見せてやってほしいと思う。
たぶん、さえないおとっつぁんでも、バーに息子を連れていくと、そのときぐらいはモテモテになれるだろうと思うけど(どっちが?とは言えない)。




トリプルバーナー実験

at 2003 11/17 16:31 編集

山用のガスコンロが故障して、そろそろガソリンタイプを買おうかと思っていたので、道具持ちの友人に声をかけて、日曜日はわざわざ実験登山をしてきた。

待ち合わせ場所の芦屋川駅に、ガソリンコンロ、灯油コンロ、枯れ木コンロと3タイプ持ってきてもらい、山に登って燃焼実験(ありがたいことだ)。いろんなタイプのコンロを持っているやつで、「今度、なにか燃やしてみようか?」とメールをしめくくる、炎にとりつかれた野人(笑)である。
なにしろ「実験」であるから、登山は最小限になるコースで頂上に登り、そこで実験開始。
草原の上であれこれ加圧したり点火したりしていると、危うく山火事を起こしそうになったが、「この通り、ガソリンは下にこぼれると危険である」という結果が目の前で出たので、わかりやすい。
ガソリンコンロで火事を出しかけて以来避けるようになったという故・植村直己さんが御愛用の灯油コンロは、たしかに火つきはとろくて、少し手間がかかる。でも、だからこそ安全だろうなという感じ。なんといっても燃料が安い。

安いといえば、エコロジーグッズ界の風雲児「枯れ木くべコンロ」は、燃料代がタダ。松ぼっくりやら枯れ木やら放りこめば、盛大に煙は出るが、いちおう湯も沸かせた。
燃料を持って行く必要はないから最高に経済的で、それを考えると笑いが止まらない。でも、どうだかなぁ…笑いをとれても、雨にそなえて薪をかついで登山しなくてはいけないのは、なんだか二宮金次郎みたいではないか。

ヤツとは、ひとりテント旅を好むという共通点があるから、「テントで寝たまま、すぐ火をつけて暖まれるのはガスコンロが一番やろね」という点では意見が一致。たしかに、楽でええわな。ガソリンも灯油も、テント内では危なっかしくて使えない。
実験中に、別のカヌーイストからは「荒天時の火力ならガソリン」と、メールで横ヤリ情報が飛び込んできた。
うむ・・・コンロ1つ買い足すだけで、ずいぶん立体的な野外実験になったものだ。感謝感謝。

で、結局まだ結論は出ていない。
ガスもガソリンも灯油も使えるという欲張りなコンロを、「買ってレポートしてくれ」というリクエストを聞きつつ、夕闇迫る六甲山をあたふたと下山してきたのであった。
なんだかひと仕事した(させた)ようなサンデーハイキングだったな。


イクメン

at 2003 11/18 22:24 編集

ある航空会社が、「イケメン客室乗務員」を採用して女性客を呼びこもうとしているそうな。
http://www.yomiuri.co.jp/business/news/20031115i414.htm
もし、この裏返しをやって「イケイケメ(女)乗務員、スペシャルサービス」なんてやれば、航空会社は袋叩きに遭うにちがいないが、果たしてイケメン乗務員の反響はどうなんだろう。外国だと「アニータが乗務」「モニカ・ルインスキーは軍用機で奉仕」というのもありそうだが。
ホストやミスターコンテストを「男の性の商品化だ」と問題にする声は聞かないから、イケメン乗務員たち本人は、意に介さずなのか、知って知らぬふりを決めこんでいるのかは、ファッションモデル業界の僕には(笑)よくわからない。

それにしても、イケメンやカリスマに女性客が入れ込むのは別に珍しくも何ともない構図だが、僕はもっと下衆い読み方をしてしまう。サイキッカーの悪いくせか…。
客の待遇は公平にしなくてはいけないから、航空会社の読みが変にはずれて、イケメンパーサーにシベ超おやじ客がご無体なサービスを要求したり、ポール牧が指パッチンしながら迫ってきたり、「おすぎとピーコのダブルチェック」を受けたりしても、ギャレーで涙しつつ耐えるしかないだろう(それもオッケーなのか?)。

「私たちも、そうして苦労してきたのよ」と、黒木チーフパーサーが意味深な笑みを浮かべているスカイネットアジア1919便―というのも、大人気路線になったりするかもしれない。長瀬パーサーを「あゆもどき」と「飯島愛くずれ」が取り合いしていたりするのは、まぁあまりにも俗な眺めだが、シベ超が出てくるとお姉ちゃんたちは引き下がるしかない。
そんなドロドロした機内ドラマに、常連客はもうやたら詳しくなったりして、「智也クン、出世したわね」とか「秀明クンも昨夜のフライト後どうも株主の水野さんから洗礼を受けたようね」と噂しあったりするのも、なんだか雲の上の芸能界みたいでおもしろそうだ。

それを、操縦棹を握りつつ「どうもキャビンから淫微な空気が漂ってくるね」「そうですね機長、でもキャビンはキャビン、コックピットはコックピットですから・・・密室ですし・・・」と意味深な目線を送る副操縦士。
ええい!こんな期待いや機体は、サンダーバード2号みたいに切り離してしまえ!
こわいもの見たさのワシも、さすがに乗りたくも乗せられたくもないぞ(笑)。


幸いオババではないが

at 2003 11/19 23:16 編集

すいている電車なのに、謎の美女がぴったり横に立って、「予習」している僕の手元をちらちらと見下ろしてくる。妙に何か言いたげな目線がチクチクと伝わってくる。
「譲渡担保はこうやれば借金踏み倒しができますよ」と、おせっかいにもアドバイスしてくれる、浪速金融道子(みちこ)なのか?
僕の関係者(笑)なのか?・・・いやいや、お初に見かける顔だが。
単にコンタクトが痛くてうつむいていたのか?(どうせ、そやで!と外野のヤジも聞こえてくる)

結局、気になってそわそわしながら新大阪で下車したら、うっかり傘を忘れてしまったではないか。
この美女ヤロー!と八つ当たりするのも大人気ないか。
それにしても、ローソンで打っている少し高めの65cmビニール傘は、僕のお気に入りなのだ。
学生時代というのは、くだらんことに執心する年頃で、僕は後輩と「イチ押しビニール傘」の競い合いをしていた。「この半透明がメランコリックで(笑)ええんや」「僕のはヒモついてますよ」なんてばかばかしい競いあいをしていたものだったが、350円のスタンダード品を横目に、480円の大口径モデルを買い求めるときにささやかな贅沢を感じる今は、ほとんど人間的に成長してないのだろうな。

謎の「立ち美女」のせいで、自分の恥部をあらためて見せつけられることになるとは・・・(トホホホ)
 


発射オーライ

at 2003 11/21 01:32 編集

乗務中に不倫メールをやってた新幹線運転士、やることは低俗というか月並なのだが、メール内容を画面つきで報道されてしまうのはIT時代ならではやなぁと感無量である(感心しててはいかんが)。
神戸新聞紙上に、しっかり「すれ違う300系新幹線」がカラーで写っていた。まさか「あの事件の、素人には撮れないアングルからのカラー動画」というふれこみでオークションに流れたりすると、案外いい値がつくのではないだろうか。

どうせやるなら、「雲の上のJA*機長と双方乗務中にホモダチメール」というところまでやれば、なかなかスケールが大きくて楽しめる。F1ドライバーと陸上自衛隊戦車部隊砲手との体育会系メル友というのも、スリリングだ。日本中が「やめるべきだ」「いや、見てみたい」の二手に分かれてさぞかし盛り上がるだろう。いやまぁ、なるほど乗務怠慢も不倫もいけませんが。
こうなりゃ単なる不倫など、ニュース性はないに等しい。

それにしても、43歳の人妻と2年間つきあっていた42歳の殿方の書く(打つ?)メール文体というのが、若さに媚びている感じで恥ずかしい。
「…はっきし言って、横で座ってるだけです…」
「…しっかっし、マニアが凄いっす…」
というのを、プチプチと打ちまくってたんか…と想像すると、もちろん危険なのは当然としても、「大人になれない中年」の姿が浮かんでくる。
こんなオッサンに、鉄ちゃんもなめられたものだ。
しっかっし(いかん!感染した)2年の蜜月で、お互いイイ年したオッサンおばはんだとわかっているだろうに、おねえさま相手に若づくりしてどうするんじゃ御同輩!とワシは情けなくなる。
あ、もしかして「姉弟プレイ」を楽しんでたか?



復活

at 2003 11/21 20:11 編集

喪中葉書の印刷を頼んだその足で、修理に出していた山用コンロを受け取りに行って、古本屋で漁。
そんな順序で街クルーズしたせいか、つくづく、捨てられそうなものに命を吹き込んでリユースする社会になればいいなぁと思う。
もっとも、そうなると新製品を猛烈なサイクルで生産して買わせる自転車操業の製造業にとっては困るだろうが、あんまり買い替えを煽ると、ユーザーも簡単に他社製品に乗り換える浮気性になってしまうぞ。

修理や改造部門を強化して、「愛着あるでしょうね、ではこう手直しすれば、もうしばらく使えますよ。どうぞお大事にかわいがって下さいね」と使い方アドバイザーのようなことを専門にするプロを大勢配置してくれたら、ブランドメージもずいぶんよくなると思う。
ただ、ウィンドウズ95なんてのを使い続けようとすると、本家本元の製造元にさえ冷たい扱いをされかねない。XPだって、「やがては95」だろう。
だから、宿命的にIT機器ユーザーはニヒルにならざるをえない。
山用コンロも、いつまで治し治し使えるだろうか。
やはり「焚き火は永遠です!」か?


随喜の涙

at 2003 11/22 16:49 編集

ピースサインに投げキッス姿で保釈されたMケル・ジャクソン、ここまで開き直れるのもすごい心臓だ。
もし日本で同じことが起きれば、ずいぶん腫れ物・汚れ物にさわるような扱いをされるのではないだろうか。だから、吹っ切れてか堂々とカミングアウトしてしまったシベ超さんは、偉いといえば偉い。
もちろん、ふだん会っている同性からカミングアウトされたら引いてしまうし、もし愛息子がいたら「Jクソンさん家に近づいてはいけないよ」としつけるだろう。
趣味は個人の魂が自由に遊べる世界だから、その責任も一人で背負っていただける分には、喫煙だろうがSMだろうが勝手だが、趣味も高じて最高級(?)となると、政治や宗教に行ってしまう。人を支配して至高感覚に酔うと、ちょっとやそっとのことでは「解除」できない。
Mケルのようなペドフィリアには、この支配感覚が抜き難くあって、行き着くところはネクロフィリア(死体姦)・・・と考えると、人形性愛はその代償行為といえるかもしれない。

一個の人格を持った他者が自分の意のままに動く味というのは、その原始的な経験が僕にもある(いや、別にロリコンの趣味は皆無だが)。
小学4年生に塾で教えていたころ、雑談で「上座・下座」の意味を教えた直後、それを家に来た客との会話で使ってみたらすごくほめられたよ!と「輝く目」で「感謝」されたことがある。
そのとき、「あぁ講師冥利に尽きるなぁ」という充実感と、「あ、この蜜の味を追い求めるようになると怖いな」という覚醒感がパラレルで襲ってきた。その翌年、僕は「小学生相手」業から足を洗った。

前の方の感覚を味わいたくて子供にかかわっている人々、また子供の笑顔がかかわり続ける原動力だという人々も多いと思うし、それは「善い行い」ではある。
けれど、なついている子をかわいがるのはだれにでも―金正日にもフセインにも―できること。
「なつく」というのも、ペットの調教みたいでいやな言葉だが、強い側がお膳立てしたスゴロクの中で弱者を動かして、いいことをしていると錯覚している例は腐るほどある。身動きできない障害者や、どんな被害に遭うかわからない乳幼児を守るのは「当然必要」な良識で、むしろ難しいのは、最小限にかかわって限りなく放っておく加減だろう。

ペドフィリアからそれてしまったが、「拒否しにくい立場の弱者に、自分の欲を満たすためにかかわることを非難する倫理原則」を仮定すると、被害者が訴え出たMケルのケースは明らかに問題だとして、世間で「善い行い」とされていることも疑わしくなってくる。
そこで「子供が喜んでいます」という顧客満足度が錦の御旗になるのだが、オイオイそれなら快楽主義やないかい?という感じもする。
鬼コーチと従順なスポーツ部員という関係も、本人たちが自発的に厳しさに耐えているのだという建て前で担保されているのだが、これとSMクラブはどう違うのだろうか。
明るいSM・・・女性監督率いる全日本男子バレーボール部員・・・これ、妄想かね?


アダルト好きー

at 2003 11/22 20:10 編集

世間にあふれる、偽善くさい「子供のため」を叩いて本屋に寄ったら、「大人のスキー」というムックが出ていた。毎年の定番だ。
出ている業界人のプロフィールから想像すると、大人というのは40代からのようで(よかった!入れてもらえて)、キーワードは「ゆとり」「安全」という感じか。

でもなあ・・・「大人の旅行」誌といえば、外洋クルーズとかトワイライトエクスプレスとか、ばか高いトラベルモデルばかり。案の定、「大人のスキー」も高いぞ。
第一、できの悪い子供と稼がない妻と住宅ローンの三大不良債権+リストラ・健康・年金の三大不安をかかえたおとーさんが、一式20万円(!!)の道具を携えて、和の調和なんぞコンセプトにしたとかいう「極上の温泉旅館」に「ステイ」するなんて、どこの世界の話や!?という感じ。

と、つい醒めてしまうのも悪い癖か。
大人といっても、羽振りのいいのからホームレス(予備群)まで十人十色で、一方的にゴージャスな旅行をするものと決めつけんでほしいわい。ワシは1泊2食65O0円の艮宿が好きなのだ。

「大人のスキー」と同じ発想で、学生のスキーとか、じじばばスキーetcetcと考えてみても、「大きなお世話」といわれるのではないだろうか。また、そんな声を出せる社会が健全だと思う。

ただ、顧客ニーズが「大人のウィンタースポーツ」というようにセグメント化―細分化―されるようになったのは、いいことかもしれない。どうせなら、「業務用食材を使わない宿」とか「ツアー客をとらない宿」というような切り口で、本当にありがたい惰報をすくい上げてほしいものだ。
『ブルーガイドスキー』の姉妹誌で『シルバーガイドスキー』ができてもいいし、『ブラボースキー』の特別付録に『嗚呼白銀万歳』なんてのがつけば、家族で楽しめるではないか(甘いか)。
とりあえず、『おじさんぴあ』『おじさんウォーカー』がほしい。「なになに、おじさんウォッカ?」と勘違いして買ってしまう飲みすけも・・・いないか(笑)。
 


紅葉狩り

at 2003 11/23 23:41 編集

「10時集合」のところ、新顔末端隊員が「いま起きたとこです〜すんまへん〜」と電話をかけてきて、のらりくらりとお茶しながら待つ。
2時間のコースを、はた迷惑なコーラス(笑)をがなりたてながら、植物園をめざす。72歳のお姉さまハイカーと出会って雑談しながら、汗をかく陽気の中を快調にドバドタ歩き。
チューハイで乾杯したあと、昼飯は豪華海鮮鍋に火がつく。餅もどんどんぶちこんで、あちちちち・・・と頬張りながら、木漏れ日の中で鍋を囲む。うまい!腹一杯で、一人前700円だ。安い!
紅葉はまだまだ持ちそうな気配で、「また、行きますか!?」と余韻を感じつつ下山。
街に下りて居酒屋で乾杯(よくまあ飲む食うこと!)。
なんだかバックコーラスつきで、にぎやかなんだか、騒々しいんだかわからん、まぁ楽しければすべてよし」のナーベキューは大成功裡に終わった。
こりゃまた行かねば!
 


背中でカメラ

at 2003 11/24 22:48 編集

いつもの中古カメラ屋マーキング散歩、本日の部は苦戦であった。
3連休の最終日、雨、閉店直前、と3条件がそろった?せいか、店員氏が1.6m横にはりついて、僕をぢっ!と観察している。こんなこと初めてだ。

ふつう、新品カメラ売り場ではセールスが盛んで中古売り場は放ったらかしにされるのが相場だ。
中古バイヤーは自分なりのモノサシをしっかり持っているから、ちょっと行楽スナップを撮ろうかな、という程度の客と同じ扱いの売り込みはあまり効果がない。下手に「どうですか、イオス安くなってますよ」などと誘い水をまこうものなら、「イオスは電池なしで動くんか!FDマウントユーザーをばっさり切り捨てたキヤノンの経営判断は正しかったのか!」等々・・・の反撃が返ってきたりして(これ僕の返球パターンだが)ヤブヘビになるので、呼ばれたときにしか相手にしないのが「中古の客のあしらい方」なのだ。

今日は、よほど「紅葉の秋を撮りましょうキャンペーン」のノルマが達成できなかったのか、ひしひしと中古レンズ1本でも売りつけたいオーラが伝わってきた。
実はこの店で最近買った中古望遠ズームをきのう六甲山に持って行って、使い心地がイマイチだったのだが、まさかそれを超能力でキャッチしていたか、僕の哀愁漂いまくりの横顔から察知したか、ともかく弱みを突かれては負けてまた買わされる!と僕はヘンな意地を張って、「こちらもオーラ」を張り巡らせていた。
あいにく、何万円のレンズをつきあいでホイッと買うほどお人よしではないのである。

と結局、冷やかしだけで無事に立ち去ることができたのだが、実はお人よしな僕は(ほんまかいな)、少し後悔して「なにか買ってあげればよかったかなー」とも思ったりする。
レンズ選びの魔境に誘い込まれるのは怖いしなぁ・・・。形見カメラの性能を活かせるようなレンズを見つけてやりたいしなぁ・・・と、逡巡は煮え切らない(いや、レンズの問題ではなく腕前の問題なのはわかっているのだが)。


セルフ薬膳

at 2003 11/25 23:07 編集

のどが痛い。季節の変わり目のお告げみたいなものか?癌年齢になると、せきをしただけで「喉頭…いや肺癌か!?」と心配症になっていけない。
つい数日前、「風邪に総合感冒薬は効かない」と、どこかの学会が啓発していた記事を真にうけたわけでもないし、昔からクスリ医者ナース病院の類は苦手だったので、ともかく栄養で治すのだ!と決意して、野菜どっさり鍋焼きうどんをつくって流動食とする。
スペシャルゲストは、ニラである。
袋に「四万十ニラ」と書いてあるが、日本一の清流はニラの名産地だったのか?
まさか「四万十川とは名乗っていないもんね中国奥地のまぎらわしい農地産だけど何か文句あっか」てな椎名誠口調の言い訳はないと思うが。「しまんじゅう地方」とか(笑)。

どうせなら、まずくて効果も疑問な薬より、「うまい!」とニコニコできる食事の方が自然治癒力を掘り起こしてくれる感じでいい。
結局、風邪を治す特効薬は「明日欠勤したら○万円の減収」という計算だったりして、貧乏症はこの調子で治りそうもない。


こだわらない

at 2003 11/26 20:14 編集

年内に自衛隊イラク派兵を強調していた自民党、現地がきなくさくなってくると「年内派遣にこだわらない」とトーンダウン。訂正や修正だと自らの非を認めることになるから、「こだわっていた」のを「こだわらない」にすると、なんだか柔軟になったような、いい印象を感じさせるから不思議だ。
この手口、使えるぞ。

約束を破っても、「約束にこだわるなって」(なんだと!!)

首切りの正当化には、「君を雇い続けることにはこだわらない」(そ、そんな〜!!)

不祥事を起こした組員の指をつめるヤーさまが、優しく「1本ぐらい、こだわらない、こだわらない」(こだわるよーっ!!)

浮気の言い訳には、「愛する相手はこだわらないんだ」(石田純一かい!!)

自殺前の辞世の句で「この世にはこだわらない」(あらららら)

・・・と、いうように。

「こだわり」という心理は、行きすぎるとスキゾイドになりかねないし、オタクなどその予備軍のようにみられているが、考えてみれば、だれだって日々「こだわり」と「こだわりなし」の抜き差しをしながら生きているわけだ。
僕自身、電車に乗るときは通路側の席に異常にこだわるが、「221系と223系の違い」への鉄分濃厚なこだわり(笑)はない。まだ…。

女性が眉毛を抜いてまで自分の思い描くへの字のカーブにこだわるのも、男性からすると「なんでかねー」の世界だし(そりゃ末端がヘビの舌みたいに二股に枝分かれしていたらアッパレなこだわりだけれど)、携帯なしで外出できない若い衆など、こだわりを越えて中毒患者に見える。
知的であろうとするこだわりは皆無に近い反面、「浮く」「孤立する」「きらわれる」のがこわいから、周囲に同調することに異常にこだわる。「意見なし」「教養なし」「罪なし」が、今のような世の中で快適に生存する適応形態なのかもしれない。
こうして、ひとかたまりになったカテゴリー(ちょうど団塊の世代のジュニアだ)に、年金の負担者として国はこだわっているのだが、日本の青少年にこだわるのをやめて、アジアやアフリカの前途有望な少年少女に教育投資した方が、効果はあると思う。
ま、そこまで見限らないのが、大人の最後の良心というものかもしれないが。


オスでない豚

at 2003 11/27 22:20 編集

宇都宮大学で62歳の教授が、受講態度がなっとらん(?)女子学生に「メスブタ」と罵ったりして定食いや停職処分になったそうな。
これがもし、「子猫は下等な動物だ」と思っている人なら、「こらキティちゃん!」「このキティ野郎!」と罵倒するだろうが、たぶん問題にならなかっただろう。
同じ理屈で、ピーターラビットも使えるし、ダッシュ村も巻き込んで「ホクト!」「まさよ!」「みのり!」というのも使えそうだ。言われて「キャー私そんなにかわいいの?」と思われれば、言う側は怒りと罵倒をこめて目的達成、言われた側は無傷で八方まるくおさまる(か?)。

こんなとき、「あんたなぁ、子猫ちゃん言われとるのはバカにされてるんやで」と入れ知恵する火つけ役がいたりする。
最近、内田樹センセイの哲学エッセイをたてつづけに読んでいて、センセイが矛先を向けるフェミニズムというのが、この火つけ役を果たしてきたのかな、とふと思った。
短い日記で、マルクスから上野千鶴子まで論評することなどできないので踏み込みたくないが、たとえば働き蜂と専業主婦という役割分担が即差別なのか、ミスコンが性の商品化なのか、即決は難しいと思う。
「女房」や「お嫁さん」といった言葉は僕も嫌いなので使わないが、死語にしたところで差別はなくならない。同和問題が、見えなくなっただけで実在しているのと同じなのだ。

僕はメスブタと口走ったことはないが、アウトドア仲間の新人ヒライ君を、「平井堅」→「平井犬」ともじって、犬よばわりしている。悪乗りして、真ん中に「バター」をはさんだりして。
これなんかは、男性による男性差別になるのだろうか…。




at 2003 11/29 16:52 編集

風邪をおして出勤して、最終講義後「おやじギャグの数々にあきれました」と苦情メッセージを浴びて寝込んでしまった。
薬膳療法(?)で、なんとか回復。ヘミングウェイの短編じゃないが「三日間の嵐」のような感じだった。
3時ごろ目が覚めて、3時のおやつにレトルトおでんをいただく。あぁ、やはり大根がええなぁ。
物置きと化していたガスストーブの上を片づけて火入れ式。ものぐさには、即暖かいガスストーブが重宝する。
なにより、上にヤカンをのせたり餅を焼いたりできるから、どうだエアコン族め!と、エアコンなしアパート住人としては屈折した優越感を味わうことができる。
悪態をつけるようになったのが、元気回復の兆しかな?
 


見られてまっせ

at 2003 11/30 05:37 編集

また情報収集衛星が打ち上げ失敗。
結局、失敗1発で何百億円がパーになったのか、ちゃんと報道せんかいっ!と怒る納税者はワシだけではなかろう。NHKも、受信料ほしければ庶民が勘繰る内容をズバッとあばいてくれにゃ。
そもそも、「情報収集衛星」とは何ぞや?気象衛星?GPS?
ぐらいしか庶民は想像しないが、外国メディアは実にあけすけに報道してくれている。
「北朝鮮を監視する日本製スパイ衛星」と。あれまー、そうだったの・・・(笑)。
もしかして、「制御不能で爆破した」のではなく、どこかの国のミサイルで撃墜されたのではないか?
と、歯切れの悪い政府広報のモヤモヤを相殺できるような、エキサイティングな展開を期待してしまう。
別に、有事をそそのかすつもりはないのだが。

日本の記者クラブ制度に浸りきった慣れあい報道は、当局に都合の悪いネタは出てこないから、報道は無難なネタだけで構成される。そんな報道を鵜呑みにすると、コトの真相が見えないどころか、マインドコントロールされてしまう。そんなメディアに受信料を払ったり番組スポンサーの商品を買ったりする義理はないわい。

不偏不党の報道なんて、洋の東西を問わずなかなか見当たらないのかもしれない。左右・東西のメディアを適当に組み合わせて見聞きして、複眼指向で判断するのが妥当な情報行動というものだろう。
赤旗をとっている我が母に、元帝国海軍兵の叔父(産経新聞読者)が、「そんなもんとるな。朝日でさえ偏っとるからわしゃ読まんのに」と説教していたシーンを思い出す。
僕は「赤旗と産経を両方とればええねん」と、ちゃちゃを入れようとしたが、身内に波風を立てるのはイカンと思って黙っていた。
どうせなら、玄関に、赤旗と聖教新聞と産経と社会新報(社民党の機関紙)の新聞受けを並べておいたら、どんな反応を招くだろう・・・と思うと、ワクワクする。購読料を払う余裕があれば、こんな冒険をやってみたいが、各政党から立候補者として担ぎ出されたらどうしよう…(笑)。


合掌

at 2003 11/30 16:20 編集

ついに日本の外交官がテロの標的になって二人が命を落とした。
危険地域に自衛隊を出すのがいいかどうかと議論されていると、武官というものは危険覚悟で勤めて当然ではないか?と言いたくもなるけれど、まず文官から犠牲者が出るというのはお気の毒というか何というか・・・。

こんなことでひるむとテロに屈することになる!絶対自衛隊を出すのだ!と息巻いている政治家ないしアメリカの忠犬もいるようだが、頭を使ってほしい。外交は論理で勝負すべきなのだ。
「自衛隊出すのやめました。イラクは好きにやって下さい。日本は干渉しません」
といえば、「テロに屈したかジャップ!」と、プッシュいやブッシュは逆上するだろう。
いや、テロに屈するわけではない。テロを正当化するわけでもない。イラク征伐というアメリカ筋書きの芝居に参加するのをやめました、といえばいいのだ。

いっそ「アメリカに戦費を貢ぐのはやめるから、てめえらもテロやめてくれよな」
と、直談判すればどうだろうかとも思う。会場は神戸のモスクでやればよろしい。手垢にまみれたルミナリエより、世界に輝く希望の灯りが炸裂しまっせ(神戸港に浮上した謎の潜水艦からスカッドミサイルが飛んできたりするかもしれないが)。

来年の参議院選をにらみながら、政府の腰がどうくだけて行くか、退散の弁をどう弄するか、見ものである。


え?ロリンピック

at 2003 11/30 20:26 編集

日曜日は、どうも「一人サンデープロジェクト」状態になって政治放談ばかり立て続けに書いてしまう。そろそろ素に戻るとするか。

ちかごろフィギュアスケートの中継を見ていて素人目にも映るのは、「あーこれは勝ち負け以前に土俵が違うなぁ」という迫力の差。
世界のひのき舞台で、日本人のテクニックは見劣りしないのだが、「あぁ、けなげにがんばってますねぇ」といたわりの気持ちこそもよおしても、つい共鳴してしまうような躍動美というか、リズム感のようなものがイマイチうすい。

ちょっと横にそれると、スキーで血のにじむような努力をしている木村公宣は日本の働くオジサンの星としても立派だと思うが、どうも楽しそうに見えないのは僕だけだろうか。
外を見てみれば、この業界には伝説のイタやん爆弾男アルベルト・トンバを始め、父子鷹ジラルデリ、古典的貴公子ジャン・クロード・キリー等々、役者がひしめいている。皆それぞれゴジラ松井なみにかせぎまくっていた白銀のスターなのである。
ゴシップねたも尽きることがなく、トンバの腰には世界中どれだけの女性ファンがしがみついていたかわからない。

しかしだね、日本のウィンタースポーツには、エロスがないのである。エロースが!
なんでそんなもん必要か!神聖なスポーーーツに!
と、JOC官僚の説教も聞こえてきそうだが、別にお色気路線で売り込めというつもりはない。
技の美しさと肉体の美しさは連続しているもので、大人の肉体美からエロスだけ漂白することはできないと思うのである。

ロシア代表だろうと欧米代表だろうと、ペア演技は、日本選手団が学芸会に見えるほど格段にエロいが、鑑賞に耐えうる。「鑑賞」できる余地があるというのは、やはり技術的にも高水準で、なお文化的な演出が加味されているからだと思う。高難度の技術だけを追求した演技は、鑑賞より「審査」モードになるのではないだろうか。
たとえていえば、某情熱の国代表の「ベラムーチョ&チュッパスキー・ペア」なんていう組み合わせだと、「ありゃー服を着てなければ妊娠してまっせ」と匂わせる悩殺ポーズを、平然と披露なさる。
ソロ演技をする男子スケーターも、いずれもまぁ「せくしー」である。こんな選手、日本におるか?
思春期のころから少年少女がダンスや演劇なんかでひっついたりもつれたり突撃したり(笑)かわしたりという切磋琢磨をしている文化圏と、そもそも「ちゅー坊のダンス」「パパママの社交界にジュニアデビュー」等々の習慣がない我が国とでは、文化のストックからして違うなぁ…と痛感させられてしまう。

コトはスケートだけではない。バレーボールにしろ、水泳にしろマラソンにしろ、日本女子選手は、とにかくお色気を消去することに必死で、胸の先端突起は「絶対ない」し、へそも出ないし、臀部脂肪の下垂露出(あぁ回りくどい言い回しじゃ)もちゃちゃっとパンツを下げて隠すし、いったいどこのジジババの顔色をうかがって自縛してるのだろうと気の毒になる。まるで中学生じゃないか?欧米の選手なんて、「見せ放題」「揺らし放題」なのに。

その昔、水泳の木原美知子さんが、「今だから話せますけど、試しに全裸で思いっきり泳いでみたら、たしかに記録はいいんですよ。気持ちよかったっすよ」と談笑していたことがあったけれど、今はそんな牧歌的な時代ではないのかもしれない。全日本代表クラスでも、選手として報われなければ方向転換してヌードモデルとして報われてしまう時代だから、スポーツ団体も「お色気など出すな」と神経を尖らせているのだろう。

選手も大変だろうなと同情する面もあるけれど、競技ロボットのような精密な技ばかり磨いて見せられても、某国の子供たちの芝居を見ているようで、ちーともおもしろくない。
オジサンとしては、札幌五輪で尻餅をついて全世界の男性に「俺もリンクになりたい」と思わせた(ほんまかいな)スケートの妖精ジャネット・リンのような、人間味のある選手を見たいのである。
・・・と述懐するワシは、札幌五輪のころ小学生にしてすでにオッサンであったか(!!)。
 
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2003年10月の日記
梨栗柿芋
at 2003 10/01 19:09 編集
露天の「雑誌百均」が、ヤボな取り締まりで店をたたみかけていたので、顔なじみのおっちゃんに「お目当て」を注文すると、だんボール箱から探し出してくれた。 「ありがとさん、がんばってや」・・・と、違法行為を教唆したことになるのかな。 ともかくこんなやりとりをしてから家路に向かい、梨を安売りしている雑貨屋の閉店間際に、急いで滑りこみセール!を決めようとすると、タッチの差で梨をのがした。つまらんことだが、まことに悔しい。 ふだん僕は「読書の春夏秋冬」「連愛の春夏秋冬」を送りすぎているので、秋は何かといえばやっぱり収穫の秋、実りの秋という感じ。この前、組合に出たらブドウが差し入れされていて、のどかに皆でつまみながらの委員会になった。 店頭にはもう柿が出ているから、秋の味覚の定期補充に油断ができないせわしない季節だ。 別に奇抜なものを食べあさりたいとは思わないし、平凡な日本の秋の味覚が何よりありがたい。案外いいのは、秋のつるべ落としの陽差しを気にしながらのバーベキューだ。焼きマツタケでもあれば極上だ。庶民的に、焼き芋をしたこともあった。これも、寒い夕暮れに皆でやってアチチと食えば、実にうまい。 再来週、しばらく暑さで自粛していたバーベキューの再開が楽しみだ。

原稿犯? at 2003 10/03 07:11 編集
朝まで苦労して書いたつもりの文書が、字数にして2500字ほどでしかなかった。 かと思えば、ちょっと気合いを入れて打ったメールが35字×200行ほどになること(=受け取り人の悲劇)も、ときどきある。あらためて、「キーボードで画面に向かって文書を作成するという作業」と、「ペンで紙に文章を書く営み」との違いを感じさせられる。 大学生が卒論に四苦八苦している時期だが、今はほぼ全員がワープロを使っている。僕のころは「何枚書かなあかん」とか「何枚仕上げた」と、ボリュームを 400字詰め原稿用紙で計っていた。僕自信は50枚ほど書いたような記憶があるけれど、とてつもなく長大文書のように思えた。今なら「長いメール3本分」でしかない。 ファイル保存すると、字数ではなく容量が表示されるから、「何KB」といってもピンとこないが、ゆくゆくは「レポート5KB書いて来なさい」と宿題が出されるような時代になるのだろうか。まぁ僕も最近は「何KBほど書きました」というように会話しているけれど、webに載せる文書を書けというときには、字数制限がないに等しいから、書きやすいようで書きにくい。 量が同じなら「コンテンツ」には変わりがないはずだが、なんとなく昔の計り方の方が、単位に重みや軽さがこもっていて実感しやすい。「5枚程度でいいよ」と言われたら「そこそこ」でいいし、仕上がりが紙5枚でペラペラしているように内容もペラッと薄くなるというか、サラッと浅くなる。100枚というと、「ずっしり」と気合いが入る。原稿用紙で100枚書き表紙をつけて綴りヒモで綴じたとき、持ち上げた論文の重さは、あぁ仕上げたなぁ、学生生活も終わりやなぁ…と格別の思いがするものだ。 今ならメールでホイと送れたりするから、いいよな!! と、ケチをつけているわけではない。いま僕もメール入稿できる職場には、「あーラクでいいや」と文書を送信しまくっている(笑)から。

世界制服 at 2003 10/03 07:14 編集
飲み会を終えて乗った終電近くの阪神電車。作業服姿のおっちゃんが、建築図面を出してあれこれ見比べている。 おそらく、現場第一線の熟練工か、監督なのだろう。「菅原文太カット」もきりりと勇ましい。 それにひきかえ、このワタクシは口八丁手八丁でコずるい世渡りばかり・・・と、ただでさえ小さいのにさらにちぢこまって勝手に恐縮しながら座っていた。 別にマニアではないが、作業服はいい。制服といっても、スッチー姿(結局、スッチーアイテムはスカーフと黒ストッキングだろ?)やバニーガールは、虚飾くさいから、機能美を追究するワタクシの鼻の下は伸びない。 制服には、不思議なことだが「作業しづらい服」と「作業するための服」がある。「作業しづらい服」は、結局その中身に興味を誘導して金払いのいい客になってもらうための記号だから、作業効率など二の次だ。だからスッチーは揺れ動く機内でもスニーカー姿は許されないし(薄いジャージ上下の方が動きやすくていいと思います)、バニーガールは横になるにも耳をとってはいけないのである(たぶん)。 ま、色じかけはともかく、太股にポケットがついていたり、袖にペン挿しがついていたりする作業服に、僕は弱い。弱いというのは、干してある服を盗みたくなるの類ではなく、ひれ伏すような尊敬の念である。 こんな作業服には、建築なり土木なり鉄工なりの確かな技能を持ち、課せられた仕事を実直にこなしている寡黙な職人―というイメージがある。作業服と人柄が直結してしまうのだ。その通りの建築士を従兄弟が長年していて、そのたのもしい大黒柱ぶりを見てきたせいだろうか。 はて、機能が美になる―という装いは、女性にはないのだろうか(胸や腰あたりの「曲線美」が制服みたいなものか?)。僕は愛読者ではないが、モデル嬢に軍服を着せているミリタリー雑誌とか、本物を撮影して「今月の婦警さん」という連載にしている雑誌があったりするが、これも完全に中身が主・制服が従という感じ。 でも、昔ながらの「伝統制服」もある。 定宿になっている信州の民宿には、割烹着でバリバリ働くおかみさんがいる。夜の雪道さえ仲間一同絶句するようなスピードでワゴン車を飛ばして送迎してくれるときも、長靴はいて雪かきしているときも、山の幸を活かした絶妙な料理でもてなしてくれるときも、帳場のこたつでひと息入れているときも、いつも割烹着姿だ。法衣のように神々しい。 ところがだ。 今月から、赤い羽根募金よろしくお願いしまーす!と、街頭におばちゃんたちが立ってPRをしている。 そのおばちゃんたちが、そろいもそろって割烹着姿なのは、なんでや!? 「誠意」「真心」「けなげ」を演出する記号なのかと思うが、意図が透けて見える時代錯誤な磯野フネの真似事は、なんだか安っぽい。ふだん着で自由にやればいいではないか。 割烹着は、エプロンと違って服の上に着るものだから、生身の上に装うための普段着を着て、さらに「主婦」という普遍的なイメージで中和しているのは、なんだか回りくどい。 あぁ、こんなことを書いていたら、これを目にしてしまった12〜13歳の少女が「パパー、エプロンは服の上に着ちゃだめなの?」と、家庭に波風を立ててしまうかもしれないな。

発進オーライ!(其の一) at 2003 10/03 16:54 編集
少女拉致事件が起きた新潟県村上市で、小中学生全員に発信機を持たせてGPSで居場所を把握し、誘拐事件から守ろう―という名案が出ているそうだ。 おいおい、だれか発案者の頭を修理したらんかい?と苦笑しつつ、僕は一方でゾッとするものを感じる。 管理主義だという指摘はどこから出てもおかしくない。 保護者の要望です、と返されたら反論もしにくい。おまけに子供本人から「GPSで見守って」なんて言われた日には、もう運用にあたる警備会社ホクホクというところか。 もうふた昔も前、ホテルニュージャパン火災という悲劇があった。 あの悲惨な日本版タワーリングインフェルノの後、「スプリンクラー」と「マル適マーク」が、期待の星のように語られていたものだ。旅館業界も、鬼に金棒のように宣伝した。 ところが、金棒を持った鬼も、眠っていたら、ただの場所ふさぎでしかない。 火災報知機もスプリンクラーもついていながら、いたずらが多くて営業に支障があるとか、作動時の対処マニュアルがないといった理由で、電源オフになっていたというケース(高い買い物だこと)、火災本番でも作動せず犠牲者が出たというケースが続発した。人為的なミスを減らすストラテジーを考えないと、設備投資は無駄になるばかりだ。 ん?煙たいぞ。火が見えるぞ。でも火災報知機は鳴らないぞ。鳴れば火事だぞ。・・・と待っている(笑)うちに、煙に巻かれて・・・という間抜けは笑わせるための作り話のように聞こえるかもしれないが、そんな判断はありがちだと思う。家が揺れても、テレビかラジオの地震速報を聞いてから「あれは地震だったな」と確認して安心することもある(あれ?安心するのも変だが、何が不安で何が安心なのか、現代人の認知構造は混乱しとるなぁ)。 子供から発信される電波が、ある個人宅で静止していたら、それは拉致されているのか遊びに行っているのか。 結局、電話して安全を確認するとか、あらかじめ親が決めた当日の行動予定(立ち寄っていいお宅リストとか)に緻密に子供を従わせるとか、人間が人間を監視する手間をかけないと、システムに血が通わない。 つまり、運用する情熱が高いほど、そのシステムは有効に働くが、おそろしい監視社会になる。 第一、すべての親がパソコン画面で我が子の行動をリアルタイムで追跡していられるのか??? システムの運用は警備会社らしいが、見ず知らずの子の行動データを見て、道草か昆虫観察か誘拐か淫行か判断できるのか??????? 子供がもう1時間も静止しているこのポイントは、廃墟になったビルだ。携帯に電話してもつながらない。これは拉致監禁だ! と思いきや、雨宿りしていただけだったり(笑)。 あとで、この家では「いい?雨宿りは、携帯の電波が届くよう屋外でしなさいね」というしつけ(だれかこんなバカ親をしつけてやれ)がなされていたり、「雨宿り禁止。どんなに濡れてでも歩けぃ!」と星一徹(古いね)ばりの鉄拳が飛んだりしていたら、これはとても楽しいホームコメディだ。 こんなミスジャッジが相次ぐと、この監視システム自体の信頼性がなくなり、「切ない投資」になってしまうぞ。出鼻をくじくようなことを言って、せっかくの警備もうけ話に水をさすようで悪いけど。 警備それ自体は必要なシステムだろう。 が、ネオン街をジグザグにたどっていたら、誘拐には見えないが、これは不純な寄り道だということで「生活指導」のきっかけになることは火を見るより明らかだ。そんな「用途」が考えられた時点で、この追跡装置は子供を犯罪から守る装置から、監視装置へとスライドして、もののみごとに転用されていることになる。この「垣根なし」がこわい。 すでに監視カメラは至るところにあって、道行く人も、道路を走るクルマも撮影されている。けれど犯罪は増える一方だから、監視装置は犯罪が起きてしまった後でのトレースには役立つが、犯罪抑止になっているだろうか。 予防に役立たないのはわかっている!ただ、ハイテクで監視しておきたいのだ!と正直に言う教師や親がいれば、まだわかりやすい。決してそうは言わないけど。 しかし、 「東京出張だという亭主が本当はどこにいるのか把握したい」という奥様や、 「携帯でどこかにメールしてからキレイにお化粧して出て行くママの居場所を知りたい」という子供 の要望で、この際いっそ親御さん全員にも発信機つけてもらいましょう!先生もご一緒にどうぞ!ということになれば、抵抗なく導入しますか皆さん。 子供の誘拐事件と不倫と、どっちが多いのか。 不倫は被害者がいないからいい…という理屈は、さて子供に語って納得させられるか。 たしかに子供の身の安全は大事だけれど、親たちのオツムもええかげん危険な方向に傾いているような気がする。しっかりした子供不埒な大人と、警備せんといかんのはどっちや?

発信オーライ!(其の二) at 2003 10/03 22:28 編集
お前も教育者だったら立場を変えて考えてみろ!と叱られそうなので、立場を変えて考えてみる。 監視装置がGPS使用だったら、ビルの中や地下街で誘拐する。 携帯電波を使うなら、ジャミング発信機(電機店街で数千円で売っている)で電波をシャットアウトしておいてから誘拐する。 おいおい犯人の立場になってどうする!と叱られそうだ。 が、そう考えることこそ、防衛の基本ではないだろうか。変な倫理感があると、目的がかすんでしまう。子供の行動を把握する目的は、ともかく第一に犯罪を抑止することだから、犯人が考えそうな犯罪計画や行動を予測しないと始まらない。心理学者リチャード・ファースンの『パラドックス系マネジャーがビジネスを変える』(ハヤカワ文庫)にも書いてある。コンピューター会社は、セキュリティシステムを開発するのにハッカーの知恵を借りている、と。 はたして自分が親の立場だったら、どうするだろうか。 誘拐されそうになったら、助けて!私もうあんなオヤジの家に帰りたくないの!犯人さん、危険な香りのあなたが好きっ。私を遠くへ連れてって!とかけ寄って、「うっとうしいなぁ、はよ帰れ!」と言わせたら勝ちだぞヒトミ。離れてほしかったら手切れ金ちょうだいとゆすれ。 と教育する・・・のは冗談だとしても、監視し尽くせるものじゃないとは思う。 現実には、誘拐されて殺される確率より、クルマに轢かれて死ぬ確率の方が何百倍も高いから、「交通安全」を徹底するほうが賢明かもしれない。 それでも誘拐が気になるなら、できるだけお古のボッロボロの服を着せて、泥んこのきたならしい身なりをさせておく。いや、自然にそうなるだろう、永遠に裕福とは縁がなさそうだから(苦笑)。僕がロサンゼルスで、昼でも「女性が一人も歩いていない地域」をのこのこ歩いていても、黒人の若者グループが後ろの席に固まって座っている深夜2時の路線バスに乗って市内観光(笑)をしていても、だれもひったくってくれなかったのは偶然の幸運だろうか、当然だったのだろうか(黒人差別しているつもりはないので念のため)。 どこにでも暴漢や通り魔はいるから、護身術は身につけておかんといかん世知辛い世の中になっている。哀しいことに現実は。 そこで、触ると感電する電撃上下服に、ジャミング電波より強い電波を発進する無線機、振動で鳴り響く特大アラーム、手荒に扱うと破裂するサリンガス・カプセルを身にまとえば超安全かもしれないが、そんなフルメタルジャケット坊や、身動きできないし友達がいなくなりそうだ(笑)。 日本で子育てするなら、どこか離れ島の学校に内地留学させとくのも、いろんな意味でいいかもしれない(そんな土地で、誘拐って成り立つのか?)。道で子供を見かける人、また子供が出会う人がみな顔見知りという世界があれば、不埒な者が入りこむ余地はほとんどなくて平和だろうな…と思う。 未来志向のハイテクは、どこまでも裏をかく犯罪といたちごっこだから、いっそ過去志向で本物の田舎生活に回帰した方がいいのかもしれない。 ただ、「田舎」といっても、社会学的にみれば田舎ではなくて、住民みな無関心で家の外には頬かむりという「都会の荒野」そのままのような地域が少なくないと思う。 個人宅でないところは公の場所だが、「だれの土地でもないという意味の公」と考えると、そこが広大な死角になってしまうから、みんなの土地と考えて鵜の目鷹の目でジロジロ観察すればいい。他人の家の中を覗くとプライバシーの侵害だから、きちんとけじめをつけて、道行く人や車や牛馬イヌネコ専門にジロジロ見て声をかけなくればいい。おじーさんおばーさんは本領発揮だ。ボケ防止にもなって防犯効果も上々。 こうして、「我が家から他人宅の境界までの間はぜんぶ我が家の延長」と皆が思えば、もう犯罪もゴミも絶滅するね確実に。 僕が国会議員になるなら・・・という公約は自己紹介でヤケクソまじりで書きなぐっているが、それは遠い夢だから、まずどこか人口2けたの村の村会議員か村長になって、「村の中みな我が家」条例を施行したい。 親の立場を考えるつもりが、つい政治家の立場で考えてしまった。

のぞみスピード仕事 at 2003 10/04 22:59 編集
またまた一夜漬けで文書を作成しようとしたら、コテンと寝てしまった。あぁ!激しい自己嫌悪。 目が覚めてから、大慌てで本を1冊読んでレジュメを乱打(笑)、実質4時間の怒涛の突貫工事が何とか間に合った(間に合ったらあかんがな)。 ここまで追い込まれないと、なかなかエンジンがかからない己の不甲斐なさに、今日もやけ酒が進み、たそがれて行く。 「計画的な仕事」が、計画通りにできる人など、人間セントリーノかと思ってしまう。 見習いたいものだ・・・といっても、そもそも計画を立てるという殊勝な心がけがないから、道はまだ遠い。 うなだれる一方の週末じゃのぉ。

エスパー悦子 at 2003 10/05 23:15 編集
休日の朝イチ出勤は、眠いのが難点。 梅田で用事をして電車に乗った。となりの席は空いていた。 すると、ホームを歩いていたオババが、窓も鼻息で曇りそうなほど外から覗きこみ、「空いてるわっ!」という顔をしたかと思うと案の定、一目散に僕のとなりに吸いついてきた。トータルおよそ3秒の早ワザ。 電車におけるオババの空席察知能力はハゲタカを超え、すきまへの着地重力はサイを超えていると思う。 オババが横にいると、なぜかうつらうつら舟をこぎだすのがわれながら不思議な条件反射だ。女子高生だと絶対にそうはならない。 オババは催眠術も使っているのだろうか。 いやはや、街の市原悦子には気が抜けない。

健さま at 2003 10/06 23:21 編集
今までと同じ「夕方出勤」が、もう夜勤に感じるほど、日が短くなった。 3時間トークの後、トンボ帰り。疲れているほどでもないのに、あんまり梅田でブラブラする気もわかなくなったのはなぜだろう? 夜の電車からは当然「夜景」しか見えないのだけれど、山の輪郭が夜空と夜景の間に横たわっているのが澄んだ大気の中でくっきり見える。六甲の山麓に帰って行くなぁ…という感じがほっとする。距離はそう離れていなくても、神戸に住んで大阪に通うだけで、気分の切り替えができる。あと京都で遊べるようになると黄金の三点セットかな? でも帰ると隣りの家のオヤジが、路上でバットをふりまわしていて、大きく迂回してアパートに入らにゃならんかった。 もう何年か、長続きしてるなぁ運動も…と妙に感心させられるが、ゴルフのスイングもバットの素振りも、もうどうしようもなくダラダラしたモーションで、しかもそれを歩道上でやっているから迷惑千万。 僕は深読みをしてしまう。これは運動ではない。健康づくりでもない。 電車でも、やたら短い足を開いて占有領域をとって、他人が詰めてくると露骨にいやな顔をしたり咳ばらいしたりするジジイがいる。サラリーマンではなくて、決まって田舎くさい風体をしてるんだけれど。 そんなジジイが俺様の縄張りを誇示する感じに見える。路上素振りオヤジの無意味な運動は。なんとか俺の家の前の公道も「俺の道」にしたくてしたくてたまらんという感じ(笑)。だから夏は公害のような醜いヨタレ胴体にステテコ一張で、これ身よがしに表に出て水巻きなどしている。 なんだか分別ある男のいじましい自己顕示が目について、哀しく目をそらしてしまう点景が増えたような気がする。フェミニストには差別と言われるかもしれないが、男はさっぱり強く、潔く!と叫びたくなる。 さっぱり強いというのはポイントだ。ねっとり強い(いつまでも強いところを見せ続けたがる)のは痔民党の政治屋タイプか。ここぞというときに強さを垣間見せて、あとは静かに構えているだけでいいと思う。居合い抜き辻斬りが男のミッションの美学なのだ。 高倉健で行こう(なんのこっちゃ)。

素人芸 at 2003 10/07 15:25 編集
場違いなところに居合わせるというのも座り心地が悪いもので、勉強したくない子が90分授業で拘束されている気分が少しわかった(笑)。 あるホールに集まった青年や少女が数百名、あと若づくりのオバサンと、定年世代のおじさんがちらほらという顔ぶれ。 これが、「オルタナティブな生き方」の説明会かと思って聞きに行った世捨て人は、おそらく少数派だったかもしれない。内容は、すりきれかかったビデオを延々見せられて、つまるところ「ちょっと高級な海外ステイ」のPRだった。 体験者トークという時間にステージ上に並んだのも、そろいもそろって「女の子」で、おいおいこんなことしてて、仕事どうすんの?かわいいお嫁さんになるしかないよと僕は就職指導担当者の頭に(笑)なってしまった。 まず、留学の定義からして違う。「あたしはぁ、1ヶ月の短期留学してたんですけどぉ…」と自己紹介する少女に、オイオイとのけぞった。「留学とは学位を取得することでは?」と突っ込むことすら、宇宙語のように空しく空回りすることは目に見えているからしなかったけれど、ともかく主宰者側の司会のおねーちゃんからして「短期語学留学とやら」経験者で、得々と「私もね…」とフォローする。 この業者がウリにしているのは、「ありふれた語学留学の斡旋業者のほぼ半額で、現地で日本紹介の授業を担当しながら英語に浸る生活ができます。英語も身について、国際交流にもなる!」という点。鳥越俊太郎もこれで行きました!という「権威づけ」も添えられて、説得的心理術のツボはおさえている。及第点をあげたい(笑)。 肝心の料金は、いろんな個別プログラムを平均して1年100万円、これに現地生活費(推計で100万円はかかるだろう)が別途加算になる。安いのか、高いのか。 このプログラムに共通する特色が、現地の小中高校で日本紹介の授業をすることで、たしかにやりがいがある海外経験かもしれない。その価値は認める。しかし、「英語の勉強にもなる」ことと、「英語が身につく」こととは別モノではないかと僕は思う。素人相手にいくら楽しく会話したり友情を深めあったりしても、論文が書けるわけでもないし、英語で営業や経理や交渉ごとができるようになる保証にはならない。そういう英語力は、やはり職業現場での叩き上げかシステマチックな教育訓練でこそ身につくものではないだろうか。わかりやすくいえば「資格か学位」「職業実績」が獲得成果になる。 それが保証されず、友情を深めるのに100万円+生活費を払うことに、かくも多数の青年少女が殺到するというのは、豊かなのかねぇ。 教えることは、職業とする僕からすれば「顧客の教育投資に見合うだけの労力を提供すること」でもある。ただで教えてくれる相手には責任を追及できない。 外国で日本について教えるなら、きちんと日本の歴史政治経済文化を英語でレクチャーできるぐらいに準備をして、何を尋ねられても自分の言葉で答えられるぐらいになってから臨みたいと思う。 そこまでの準備はできず「一生懸命スマイル」だけで乗り切ろうとする冒険者(笑)や、「武士と騎士の違いは何ですか」と質問されてフリーズしてしまう思考停止丸暗記排出マシンは、まず日本で基礎教養を身につけておかないと、日本の恥をPRすることになりまっせ。 青年、少女の気軽な海外遊飛を否定するつもりはないけれど、投資効果という意識も持った方がええんちゃうかいと老婆心ながら思う。 僕だって京都あたり観光に来ているアメリカ人のおじさんおばさんをつかまえて「合衆国の外交理念について」なんて質問しよう(笑)とは思わない。答えられなくても罪はない。ただ、国際交流だとか教員として来日した外国人には、それなりの資質(知識と日本語力)は問うだろう。 整理すると、カモいや客の負担は、労力と200万円(ここからしておかしい。ただ働きである)。得られるものは、労賃でも学位でも資格でもない。国際交流(?)と友情と会話力。うーん、高いのか安いのか。 授業が労働とされないのは、就労ビザの関係もあるせいかもしれないが、それなら業者が介在するメリットがないではないか。個人で滞在して働き生活費をまかなうというのは難しいから、教育だとか文化交流だとかワーキングホリデーという大儀名分を法人がお膳立てする、それに対価を支払うという論理ならわかる。 「200万払って授業する」のなら、「ただで授業するから寝食まかなってくれ」と交渉すればすむことではないのか?先方が招聘ビザを出してくれたら、ある程度のアルバイトはできるし、受けたい教育と提供できる労力とのバランスも自分で加減できる。 2時間で学んだことは、このビジネスは、こうした交渉や企画、調整を代行する料金が収益源なり(あと現地とどんな金の流れがあるのかは不明)という点だ。 これも1つの代行業だから、悪質というつもりもない。ただ、よく考えてみずに何百万も賽銭している子の未来が心配だ。 「自分でやればできること」 そんな答えに落ちついた。 一方で、ちょっとした市場観測ができた感じ。別の意味で「自分でやればできるかも」とも思った。

フォトレッスン第3講 at 2003 10/08 23:24 編集
あぁ重かった。秘蔵カメラをかいつまんで持ち出して7台。撮り比べをしようというわけで、工事現場脇という変な―我々らしい―場所で開講、受講生は例によってサバ子である。 絞りとシャッタースピードその他のデータを書いた掲示を持ってもらい、カメラをとっかえひっかえフィルム3本を消化する。 「ええのう、この艶、この輝き」 「そうでしょ?前髪つくってニキビ減ったんすよ」 「何を言うておるのじゃ。レンズのことじゃ」 「さいっすか。それにしてもよーけありますね」 「そじゃろ。いろいろ条件変えて、写り具合を比較するためじゃ。ある条件を統制して他の条件だけ変えてこそ、レンズの比較ができるのじゃ。しかるに旅で使ったカールツァイスと、宴会スナップしたニッコルレンズを比較して、ツァイスはいいとか何とかほざくのはタワケておる」 「なーるほど!で、この絞りの違いで、何が変わるんすか?僕いつもF2で撮ってるんすけど」 「いつもF2とは見上げたものよ。手引書で学んでおらぬか?回して絞るとどうなるか」 「気持ちよくなりますね」 「たわけ!乳首ではないわ。レンズの絞りじゃ」 「あぁぁぁ欲情しちゃった。わかりましぇん」 「ピントの合う距離幅が広がる。たとえばおぬし、半ズボン美少年を見かけるとどうするね」 「ぢっと見つめてまいますわ〜〜〜〜〜」 「どこを」 「いぃぃぃぃぃぃ言わす気ですか。セクハラっすよ」 「なら代弁しようか、コカンじゃろ」 「カキーン!いやいやちゃいますよ、目を見つめて誘惑するんすよ」 「そういうことにしておこう。それをカメラがやれば、原理的には、目にピントを合わせれば手前の鼻の頭にはピントが合わぬはずじゃ」 「私にゃら全身、ナニからナニまで先端まで、ぜーんぶ見てますよ」 「そうじゃろな。しかしカメラは下衆な欲情などせぬ冷徹な装置なのじゃ」 「イケナイ写真は全部くっきり写した〜い」 「そういうとき、絞りをF8とか16という値へ絞りこむのじゃ。そうすりゃ近いとこから遠いとこまでシャープに写る」 「エロの欲張り度に応じてですね」 「おぉ、そういうことじゃ。なかなか飲み込みが早いの。かわいいやつじゃ」 「ぬおーっ!カワイイと言うなー」 「エロの書き方はこうするのじゃよ、わかったねサバ」 「なーるほどわかりやした」 「よしよし、かわいいよ」 「ぬおーーーーーーっ!!」

引退か続投か at 2003 10/09 23:17 編集
今さら嘆かんでも・・・と、悪友からは妙に慰められそうだが、写真の腕が落ちた。涙目の原監督状態だ。 デジカメを、かなり警戒して使い控えなどしていても、効果などないようだ。もう、ちゃんとピントを合わせて露出を決めて「写真機で撮影する」という絶対数が少ないのだ。 視力は、眼鏡が必要ない程度には維持しているつもりだが、そもそもピントが「いけてない」。あぁ自己嫌悪・・・打率1割で低迷している感じ。ホームランがないわなぁ。黄金の80年代のような。 実験台の実験嬢(笑)が露出データカードを持ってファインダーの中でにっこりキューーートに微笑んで協力してくれるだけ、条件は恵まれておる(加茂?サバ!)。素振りでも再開して、奇跡のホームランバッターになりたいものだ。 腕は落ちるのに反比例してカメラが増える一方なのも、困ったことよ。どうりで、実験嬢が「遺品に下さいね〜」とシリアスな予約をしよるわけだ(笑)。

 貝さん at 2003 10/10 16:13 編集
衆議院が解散。「いよいよ出馬ですねー」と、支持者だか何だかわからん連中におちょくられる。 塩爺の後釜か、辻本清美の代わりか、どっちで出ようかと思い悩む。 ライバルはムネオとマキコだ!と闘志をあらたにする。 と、「なりきる」のもまた楽し、である。 政界は選挙で嵐が吹くだろうが、社内政治や学内政治という言葉もあるように、どこもかしこも、人間社会これ即ち政治なのだ。力と色欲とゼニカネが渦巻いている点では、芸能界も立派?な政治の場だ。 たとえば石井さん、負けましたな。お気の毒というか、何というか。 だから、清楚さの裏に「子種だけもらってサヨナラするの。私はこの子と生きて行くの。神がそう告げたの」といいたげなフレアスカートの女(笑)には気をつけなさいって。子供とゼニを渡して、「あぁ俺って何だったんだ」と酒くらってボヤくのが男のDNAなのかな。 まぁそれにしても、こんな力関係や陰謀は昔から変わらない。報道も、ワンパターンだ。 「ついに野生のトキが絶滅しましたが、首の皮一枚の藤井総裁、なにかコメントは?」とか、「英国航空とアメリカン航空の合併のどさくさにまぎれて合併されてみませんか中内社長!」とか、シュールに笑える切り口を見せてほしいものだ。こんなヒトコト以上多い記者がいたら、ジョークの好きなBBCあたりにヘッドハント(フットハント?)されるかもしれない。流れつく先はアルジャジーラ。 さしあたって、僕は衆議院選挙は高みの見物と決めよう。参議院もつまらないし。 二大政党の時代だ民主だ自民だと騒いでいるドサクサにまぎれて、「入退院」という議院をつくって、ちゃっかり三院制を実現してみようか?地位にしがみつくジジイが抵抗勢力になっているから、ちゃんとポストは用意して、決してお払い箱にはしません。藤井総裁は、北方領土公団をつくって歯舞島あたりで総裁職を務めてもらう。野中広務は捨てがたいから、イラクで声を張り上げてもらおうか。つまり、政界ガラガラポンをやるのだ。 選挙に行かない若い有権者諸君が、閉じた貝殻を開いて動けば、確実に日本は変わる。

ケミストリー at 2003 10/11 13:37 編集
フォトレッスンの前に寄った難波には、得点+1と失点−1があった。差し引き0だからいいか、という感じか。 まず失点は難波パークスかなぁ。「ミナミに広がる屋上庭園」のふれこみが空々しく響く、刺身のパセリ程度の植え込みと群がる人人人々・・・。わずか13分で疲れてしまい、刺身のパセリを脇目に、サバ子と共に「はよ出ましょ」と退散したのであった。金があり余っているお客様には楽しい遊び場だろうけど。 得点は、カメラのキタムラである。この店、べったり広い(天井が低くてそう見えるのかな)わりに人でごった返すこともなく、落ち着いて買い物できる。そして一番奥に、中古マニア様の聖地がある。店の造作のせいか、海の底に進んで行くような感じ。大きなウィンドウの壁は赤いのだが、紺になるとますます海の底になるだろう。 この店は、90年前後、ソニーマニアの友人と情報交換しながら当時最新鋭だったプロデュースというワープロ専用機を買いに行った思い出の場所でもある。書院とも文豪ともキャノワードとも違ったハイブロウなデザインのプロデュースは、そのころ文芸同人誌に盛んに寄稿していた我々にとって、憧れのツールだったのだ。 時は下って、今のキタムラは、地上最強の(と勝手に思っている)一眼レフカメラF3チタンブラックを半額で手に入れたせいで、「中古道の一里塚」になった。 このところニコンに傾倒しているいきさつは、形見で銀色のニコンを残してくれた父について6月ごろの日記に書いたので割愛するけれど、「やはり何だかんだ言ってもニコン」である。35ミリカメラの世界史をたどれば、世の中ライカとニコンが双頭の鷲で、その他のカメラはすべて「ニコンのフォロワー」と「ライカのコピー」にすぎないと豪語する批評家もいるほどだ。 サバ子に催眠術をかけて買わせたのも銀色のニコンで、次の術は当然ながら「ライカ!!」である。 そこで、キタムラでF3との仲人をしてくれたさわやか店員を見つけて「ライカいじくりまくり」に甘えさせてもらった。「こやつ地元民ですから、この先なにかと賽銭しに来てくれますよ」と耳打ちすると、店員氏はいろいろ出して熱く語りながらいじくらせてくれた。バルナック型ライカからM3、そして復刻版のモダンクラシックまで、静謐なシャッターの手応えには、サバも催眠術師=僕もそろって猫にマタタビ状態であった。 「キタじゃレモン社(東京系の、金持ち老人御用達の敷居の高い店)が相場を決めるつもりで高値に吊り上げてますけど、ミナミの方が確実に相場は安いです」と胸を張っておられた。説明も丁重だし腰は低い―というよりフレンドリー―だし、このハートを買い物に行くような感覚かな。 たぶん、一人で行くと、こんなに大胆な冷やかしはできなかったかもしれない。サバ同伴の余録は大きい。 こんな場面で、同伴者という存在は、かりにただそこにいるだけでも、未知の世界を出現させる「触媒」として働く。そして何かしら収穫に結びつく。 買い物でも旅でも、同伴する他者が新しい状況を創り出すこともあれば、その存在を意識するだけでも、一人ではしなかった行動や発見があらわれるものだ。 サバが僕の母校に編入したおかげで、もう10年以上も会えなかった恩師と再会できたばかりか、美酒美食を共にする機会にも恵まれた。この触媒作用は、うれしいを通り越してグレートだ。 本来、学校という集団は、異質な分子がさまざまに影響しあって知的触媒作用があふれる場所であったはずだし、またそうであってほしいと思う。全員が教師の演説をかしこまって拝聴して一斉にうなずいているなんて、通信教育の世界だ(通信が悪いというわけではない)。 AとBが対話したり議論したりしているところで、Xという脇役が道化役を演じたり、水をかけたり油を注いだりすることで、新しい場面が現れてきたり何か発見があったりするもので、それが知的な触媒作用というものだろう。 学校に限らなくても、意見が沈澱したり、アイデアが昇華したり、人間関係がスパークしたりと、激しい化学反応の中で我々は生きているような気がする。なのに、当たらず障らずの無機的な共存を求める空気が、学校にも職場にも漂っているように見えるのは、悲観的すぎるだろうか。 触媒を大事にすれば、ときには麻薬のような働きが出てくるかもしれないし、ごく自然に癒されたり励まされたりするのが現実の日常だと思う。 先週サバを初めて招いた研究会のサブグループで、僕は『心の専門家はいらない』という本の紹介と批評を90分しゃべった。「女子大生」の参加が研究会にどんな触媒作用が起きたか、今は様子見というところだが、心のケアや生活支援という行為を考えるきっかけにはなったと思う。 ある社会が健全ならば、ごく普通の素人が自然な形で仲間を思いやり、できる範囲で手を差し延べたり声をかけたりする。仲間のだれかの傷病や災難が触媒になって、コミュニティが柔軟に―有機的に―対応する。 しかし、現実はコミュニティの機能不全や脳梗塞を捨て置いて、「外から専門家に来てもらう」道へと進んでいる。専門家の養成、そのために屋上屋を重ねるかのような資格の花盛りである。専門家には対価(金か地位か)が必要だ。また、「一件落着」すると出て行ってしまう。共に暮らしている仲間ではない。 僕個人はといえば、親との死別経験を、カウンセラーやグリーフセラピストなどで癒されたいとは決して思わなかった。夢のなかでときどき対話して、なんとなく不条理が昇華されてきた感じもする。 現実世界では、友人とのバカ話や飲み会や、変わらない裏山への散歩や、「何があったかさっぱりご存じない隣りの猫トラちゃん」とのじゃれあい(笑)で、ごく自然に癒される。自然治癒力のようなものか? 暮らしの中の喜怒哀楽というのは、ある日見込み通りに決着したり、一件二件とカウントされるものではなく、永遠にそのコミュニティにかかえこまれて、そのコミュニティの血肉となって行くものだろう。 医療や福祉を否定するつもりはないし、有効な場面もあるとは思うのだが、日常性が持つ「ホッとできる脱力感」や「みな手放しで楽しめる祝祭」を、大事にしたいと思う。

滑 り込みアウト! at 2003 10/11 18:40 編集
おーし、40リッターのアタックザックを買って信州をめざすか!と、山用品店をうろついていると、職場から電話で「稼がせてあげます」。いや、選択の余地はなく泣きながら承諾するしかない、急ぎの調べもの書きもの加工モノ仕事なのだった。間一髪で、すっぽかすところだった。 おかげで連休がみごとに「上書き保存」されてしまった。 まぁ、しかたないか。毎週3連休だから、祭日に無理して人混みの中に飛びこまなくてもいいわけで、本当にこの連休しか休めないビジーネスメンのために、紅葉の山を明け渡してあげよう(えらそうに)。 とはいえ、駅には巨大リュックを持ち寄ったパーティーや、ひとりで5人分元気なおばちゃんハイカーがいて、みな誇らしげな顔に見えるのは気のせいだろうか。やっかみで雨降れ雨降れと意地悪な呪いをかけそうになったが、この秋の連休はどれも台風にたたられたから、どかっと発散しましょう山仲間よ!とエールを送信しておいた。 指の快感 at 2003 10/11 23:08 編集 アットフリードがつながりにくくなったので、ノートPC2台リュックに背負ってドコモまでじきじきに自転車を飛ばしてきた。「ショールームの方にモバイル担当の専門の者がいますので」と紹介されたところには、ジュリアナ風(古いね)のおねーちゃんが…。いい意味で、制服が浮いてるぞ。 でも、てきぱきときーをたたいて設定のミスを確認し、念のため新しい設定をあっという間につくって接続試験。手馴れた様子であった(へー、ネスケって初めて見た〜なんて言ってたけど)。 手際の良い指さばきに、わがニクタイを指圧されているような気になる(=妄想)。この際もっと、お頼み申し上げたい(アホか)。 結局あっけなく問題は解決した。 でも、うっかりしていたら、マル秘ブックマークをばっちり見られてしまった(笑)。かすかに「おっさんヒマなのね」と、問題客ブックマークをつけられた気がした。ま、いいか。

即快 at 2003 10/12 16:31 編集
昨夜は鼻水が止まらん咳も出るくしゃみ止まらん・・・と、いかにも風邪の兆しにのたうちまわっていた。 ここのヒトサマの日記を見てても、「風邪ひいた」という魂の叫び(んな、おおげさな!笑)が多かった。 けれど、晩飯は「タチウオ納豆定食つけ合わせはゼンマイ」を、ほとんど2食分おいしく平らげた。3杯目はカブラでお茶漬け。 風邪本番でも、薬嫌いで3年に一度ぐらいしか呑まないので、食べて食べて栄養で乗り切る作戦が僕の定番だ。人生を折り返したんだから、そろそろ深刻なガタがくるかもしれないが、今のところ「うまい飯」が精神的にも肉体的にも何よりの薬だ。 今度は肥満に気をつけないとな…と思いつつ、布団をかけずに(そもそも布団なるものを持ってないのだった)ゴロリンと横になったら、スコーンと安眠してしまった。悪いクセだ。 起きると、風邪は治っていた。めでたし、めでたし。 今日はスーパーに買い出しに行かないと、食糧も底をついた。最後のたぬきソバを食って、食後のコーヒーでひと息。卵もなくなっていて、きつね憑きソバ(きつね月見そば)もできん。 そういえばきのう、モンカフェにフレイバーコーヒーがあったのを見つけてきていた。アーモンドコーヒーを買ってきたが、手軽でなかなかいける。ハイキングのひと休みにちょうどいいかもしれない。 そんな「色ものコーヒー」なら、粉を買ってくればいいものだろうけど、あれこれ飲みたいとき2つも3つも粉を使いかけていると、気が抜けて?しまって不経済な気がする。モンカフェ・スタイルは割高だが鮮度はいい。 シナモンやバニラやショコラのモンカフェは出ないのだろうか。出ているのだろうか。

 ハズイヤバイ日記? at 2003 10/13 13:26 編集
珈琲館で読んでた読売新聞の『「ハズイ」日本語はやめよう』というタイトルのコラムで、「ハズイ」なる俗語があるなんて初めて知った。聞いたこともなかったぞ。 「なにげに」「やばい」「きしょい」「チャリ」「イマイチ」等々の言葉―もう、若者語ともいいきれない―をあげて、正しい日本語を使いたいです!という小学生の作文も引用したりしているのだが、賛成するには少し後味の悪さも感じる。 なるほど「イマイチ」「チャリ」の類をつい使ってしまう僕は、反省する面もあるにはあるが、この種の日本語論は、俗語をこの世から撲滅しようというニュアンスが透けて見えるからヤバイ(笑)。 いったい、いつの時代の日本語を「正しい」というのか?50年前か?平安時代か?新聞の日本語は正しいのか?見出しにでかでか刷ってある「ら致」とは何じゃらほい!?あぁかっこわるい。 「正しくない」日本語も、要はTPOに合わせて使ったり控えたりすればいいことではないだろうか。 コンサートでアーチストが「みんな、のってる〜!?」と声をかけるのは、それも音楽文化の欠かせない一要素だと思う。「皆の衆、高揚していますか」と言いかえれば正しい日本語でめでたしめでたし…なのだろうか。 ただ、ビジネスの会議の場なんかで「ノリが悪いなぁ」ともらすのは場違いというか、品位を疑われてもしかたない。学生世代だと、レポートや小論文でも平気で「炸裂」や「爆」や「超」を書くが、公私混同の自爆表現の責任は、無知(無恥)な本人より、まずきちんと指導しない教育者の方にある。嫌われてでも、本人を呼び出して言語表現の品位について説教する教師は、大人として当然の姿勢だと思う。 経済水準もエスニシティも似たもの同士が密集したこの国だから、微妙な言葉遣いが、その遣い手の属する社会階層を暗示してしまうことはある。かといって、明日からハイソになるわ!とインスタント上昇をたくらむと、せいぜいデビ夫人か叶姉妹に近づいてしまうのがオチだろうけど。 本当に言葉遣いの正しい人というのは、どんな単語を使うか使わないかという次元より、民衆の言葉には寛容な反面、自分の言葉遣いに厳格な人だと思う。こんな言葉の達人の周囲には人が集まり、「門下生」に身をもって言葉の綾や美や切れ味を教え、対話を通じて「一枚上」の世界に導いてくれる。 ところが、分別ある(はずの)大人に、「・・・である、と。」でかたづけて語尾をぼかして、「と、私は思います」なのか「と、聞きました」なのか、肝心の責任主体をぼかしてしまう罪な言葉遣いが横行している。 簡潔に文を完結できない意気地なし状態でメディアに氾濫している言論人、文化人、政治屋どもの方がヤバイと思うぞワシは。 ただ、「簡潔に完結させない」というのは、老いも若きも共通してかかえこんでいるクセだ。この土壌の中から、私が確立されていないツブヤキか、私を露出するだけのストリップが繁殖する。あぁ日本語が世界共通語でなくてよかったよ。 たとえば「て、ゆーか」も禁断の味のようで…。 「あなたはAなんですか」 「てゆーか、Bに近い、ってゆーか」 「なるほど、それはCにも見えますね」 「てゆーか、Dじゃないかという気もするのね」 「Eだとはいえないんですか?」 「てゆーか、あたし的にはFだと思うってゆーか」 「それとAはどう違うんですか?」 ・・・とまあ、延々同道巡りをしたあげく「結局、それならワシが5分前に言うたAやがな」てところに落ち着いたりする(笑)。という疲れる回り道を、僕はしょっちゅう経験する。なんじゃこりゃ。 「てゆーか族」は、なかなか尻尾をつかませそうとしない。「私のことあっさり把握されたくないけど寂しがりや」だったりする。いや、「自分はこうだ」と言葉にする自分らしさや、言語スキルが未成熟なまま、ツボをおさえられそうになると、身の危険(笑)を察知してはぐらかすという防衛心理の現れなのだろうか。 よし、TPOに合わせて、ワシも使ってみようかね。

アウトドアショップは衣替え at 2003 10/13 23:03 編集
巨ダイエーに行ってみると、モンカフェのココナッツ味があったので買って帰る。 なかなかいけた。この線で、モンカフェにはがんばってほしい。 このダイエーの上のフロアはアウトドア用品売り場だが、ちょうどこの連休が境目になっているらしく、10張りほどあったテントがたたまれている最中だった。夏モードから冬モードへの変わり目なのだった。少し寂しい気もするけれど、そのぶん今度はスキー&スノボ用品で埋め尽くされる。 ただ、スキー用品は毎年買うものではないし、かといってスノボをする気もないから、よくまー毎年毎年こんなに高機能で、ニューデザインのウェアが出るもんだ…と、唖然として終わり。 商戦の変わり目には、地味な商品の一掃もあって、探検グッズ探検家の僕はがぜん張り切る。 視力4嗅覚8で探し出したのが、ドイツ製のキュルビメーター。半額で叩き売られていたので即買ってしまった。腕時計にこんな機能がついたモデルもあったような気がするが、要するに地図の上をころがして距離を測るメーターというだけ。原理としてはごく単純だが、小さな歯車がいくつも組み合わされていて、精細な動きをする小道具だ。 「使い道あるんか」と、僕の買い物ポリスDがま先生には突っ込まれそうな予感がする。 たしかに、道路を通って目的地へ行くには、ロードマップを見ればだいたいの距離はわかる。かといって、山道の地図上の距離など、斜度によって所要時間が大幅に変わる―険しい山岳路だと1km1時間ぐらい―から、測ってもあまり参考にならない。 よって、使い道はない! と牽制しておいて、実は使い道があったのだ。 ニクタイの周囲をたどって回せば、「んー、キミの胸周りは0.00082km」と測定できるんである。 「巻尺でやりゃええがな」と、買い物ポリスは黙ってないだろうな・・・。「そうよ!ヒツレイしちゃうわ!可愛いというなー」と、サバ子もわけのわからん加勢をしそうだ。 はい、巻尺でやります。

道頓堀に変化球! at 2003 10/14 22:07 編集
阪神が確実に日本一になりそうな予感もあってか、今度は道頓堀に飛び込み防止柵と、街灯には有刺鉄線だとか。 死人も出たし、大変だ。 前に書いた「お笑い飛び込み対策」は実現不可能にしても、どうしても飛び込みたいファンは道頓堀川だから飛び込みたいんだから、できるだけ天然のままのドブ川に、安全に飛び込めるようにしておけばいいと思う。 いけす化作戦もその1つ。川をせき止めてしまうのは不可能だから、飛び込みポイントをちゃんと設けて、その下だけいけすにして「さーどうぞ」とやるのが粋というもんではないか?子供用ビニールプールの大きいやつを川の中にしつらえて、川の中にあって川でない池にしておくわけだ。まさに本物の道頓「堀」になる。 これなら、酒造会社から廃棄処分になったB級アルコールを満たして、ついでにネオン街を廃棄処分になったおねーちゃんを漬けて、酒池肉林もどきができる(いや、僕は絶対に入りたくないし夢を投影しているわけではない、決して)。 日替わりで、彼女から廃棄処分された「ゴージャス松野さん系」を何人か漬けこんでおけば、まぁ癒されたい御婦人も飛び込むかもしれない。 週に1回はプレミアムデーで、ジャニーズ系を漬ける。「飛び込み即できた」で少子化に少しは歯止めがかかるかもしれない。非嫡出子ばかりになりそうだが、がんばってステージママになってもらえばそれもまた職業婦人増加である。 おかーさん僕どうやって生まれたの?と、物心ついた「ボリっ子」に聞かれたら答えに困るかもしれないが、自信を持って「あたしゃ発情して飛び込んじゃったのよ」と答えておけばよろしい(笑)。 楽しみだな「堀」化計画。

アウラ at 2003 10/15 21:41 編集
なすび味噌炒め定食が久々に王将に復活していた。うまかった。 お隣りの気弱そうな青年は焼きそば定食だ。 ラーメンライスとか焼きそば定食を注文している諸君は、なぜかそろって気弱そうに見えるのは僕だけだろうか。学生時代の延長のような、そのチープシックなところに僕は「好感度ハイスコア」なのだけれど。 焼きそば定食というと、ご飯に焼きそば。でも、おにぎり定食はご飯+おにぎりではない。この定食界における微妙な変型文法は問題だ! とくだらんことに憤慨するのも、出たばかりの椎名誠の『すっぽんの首』(文春文庫)を読んで、シーナモードに入りかけたせいか? この中で、最近映画づくりに傾いているシーナ隊長が、初めて8ミリを撮影した少年時代の思い出が書かれていて、リアルなので「うんうん、わかるなぁ」と共感してしまう。撮影カメラのゼンマイじかけ、映写機のモーター音、暗がりに像が映し出されたとき思わず皆で拍手して感激したくだりなど、同じ経験はなくても僕の五感が刺激される思いがする。 僕の実家では、新しモノ好きだった父のおかげで、8ミリカメラの代わりにオープンリールの重い白黒ビデオカメラで家族旅行を撮られていた記憶がある。 だから、幻燈機のような「暗がりに生まれる映写芸術」は、かえって新鮮に感じる。 昭和40年代に電子映像で撮られていた身としては、今のデジカメも、メカニズムが違うとはいえ、とりたてて新鮮な気がしない。光も闇もないデータの世界という気がするのである。 たしかにデジタルデータはネットを介して共有したりコピーしたりするのが簡単だから、いいアーカイブにつながれば「自分の机の上に美術館が実現!!」というイメージもふくらむ。 でも、絶対に我が家はオルセー美術館にはならないのである。当たり前だが。 この落差が、写真なら写真、音楽なら生演奏の持つアウラというもので、このアウラはそこに行く手間ヒマをかけた者にだけ独特の至高感を与えてくれる。 芸術が生まれる現場の胸騒ぎや緊迫感、勾いや乾湿感など、便利になればなるほど「データ」からこぼれ落ちてしまう大切な要素は多い。 時代遅れのフィルムカメラユーザーとしては、せいぜい「アウラ」の創造に頭を絞るとしよう。

ロケット神風 at 2003 10/16 22:29 編集
中国の有人宇宙船成功、ようやったなぁ。宇宙食て、餃子やラーメン食うてはるんやろか。 と、いつもの中華食堂で、テレビを見ながら親父さんがうなずいている眺めが浮かんでくる。 「神舟」という名前はなんだか暗示的で、神の領域へ赴く舟という感じにも聞こえる。 それなら、と日本が有人宇宙船を開発して「神風」と命名したら、全世界から大ブーイングを浴びそうだ。 現実には、東大阪でだったか開発されている宇宙船の名前が「まいど」だったかな、大コケにコケてしまうワンダフルフルフルーツポンチな名前だ!と吉本ギャグでずっこけにゃならん気になるがな。 英語にすればeverytimeってとこか?なんででんねん?と、カリフォルニア州知事からもつっこまれそうだ(あ、スティーブン・セガールと勘違いしてしまった)。 ロケットの夢は、僕の誕生日に月着陸してくれたアポロ13号で1つの頂点に達してしまった感じもする。 今おもしろいのは、UFOやエイリアン、コンタクティetcetcのトンデモ宇宙物語だ。これが南米地底探検と結びついたりするから、この妄想力はあなどれない。 あぁ、最近たま出版の韮沢編集局長、テレビでお見かけしないなぁ・・・。

白昼夢 at 2003 10/17 15:24 編集
宴会やるぞ集まれ!とメールして、こてんと寝てしまったら、皆「遅いじゃないですか」と飲み屋の前で待っていたという夢を見た。なんとわかりやすい、現実から夢へのひと続き。 昔ちょっとした大げんかをして、夢の中で相手を殺してしまい、殺人犯として逃亡する夢も見た。 それで目覚めるとすっきりしているんだから、飲み屋でママ相手にグチっっている御同輩おとっつぁんや、カラオケで歌って発散している少年少女より、安上がりにできているのが我ながらありがたい。寝たらかたづくんだから。 自分では気づかないストレスが、夢で気づかされることもある。一体どっちの世界が夢なのか現実なのか、わからない。夢の中の現実世界がどんどん広がっていて ―というより決まった居場所が昔からいくつもあって―、適当な周期でホッとできる居場所に投げ込まれるから、その偶発性に癒されている感じ。 そんな居場所を無意識に求めているせいか、覚醒時の(一応の)現実世界でやたら眠いので、神経内科にときどき通っているのだが、脳波をとったりロールシャッハをとったりされても、よくわかってもらえない(笑)。これはもう、「こんなもんでいいか」と納得すればすむことかもしれない。保険も使わないと、払いっぱなしでもったいないし。動機不純だなこれは。 寝つきは寝台車でも通勤電車でも喫茶店でも良すぎるぐらいで困らないぐらい困ってしまうのだけれど、寝つき誘導剤のようなアルバムと偶然中古CD屋で出会った。寝る前にもう10回ほど聴いていて、最後まで聴いた覚えがない。前半の数曲で寝入ってしまうのだ。 フィンランディアというレーベルの北欧クラシック曲集『アダージョ』、演奏はオストロボスニア管弦楽団だ。曲は寂寥感に満ち満ちている感じなのに、裏ジャケットには、林の中で普段着の楽団員が勢揃いして皆おだやかに微笑んでいる。こんなに心地よいクラシックは初めてだ。ダビングして、臨床心理士の卵に送りつけたりしている。 フィンランドというと、「森と湖の国」のイメージしかなくて、昔の国名「スオミ」も「湖の国」の意味らしい・・・ぐらいしか知識がないのだが、もちろん北国だから雪国でもある。 森も雪も、騒音を吸収して静寂な世界を創り出す。人の声や足音をかき消して、枝葉のざわめきや、雪の降る音が残る。いや、そんな音が森には充満している。最高の音楽だ。ただし同じ演奏は二度と再現されないし、1曲、2曲とカウントすることもできない。地球が続く限りの長大な音楽といえるかな。 宇宙飛行士は、宇宙船の機械音を消したらどんな音楽が聞こえるのだろうか。空気のない外の空間からは本当に何も聞こえてこないだろうから、自分の血流の音か。耳鳴りか。 宇宙空間には、ロマンはあるけれど体験もできないし静寂すぎてもつまらないから、飛行船や潜水艦でエンジンを止めて読書三昧という余暇はいいかもしれない。 と、夢想しながら(本当に夢で体験できそうだ)、昔「気まぐれ飛行船」というFM番組が夜中にあったなぁ・・・と思い出しては、DJをしていた片岡義男さんの静謐なエッセイを読む。

オリジナル福袋 at 2003 10/17 21:41 編集
古本屋はよく行く方だが、紙袋にずっしり入れてもらうほど買ったのは、初めてかもしれないな不思議と。 県の迎賓館の前にあるこの店は、静かすぎるたたずまいでいつもガラガラ。きれいに掃除が行き届いていて、品揃えも文化の香り(?)が高い。経営は成り立ってるんだろうか?つぶれないでほしいけど。 『社会調査の哲学』という洋書を、睡眠導入剤代わり(笑)にまずキープ。 写真関係の本を何冊か見つくろいはじめると、なんや奥にもあるぞ…おぉこんな本も下敷きになっとる!ついでに文庫も…と、もう歯止めがきかない。 鷲田清一の臨床哲学書は植田正治さんの写真をちりばめたエッセイだし、森枝卓士さんのアジア紀行書も本業の写真をからめているから、「写真つながり」の猟書になった。 この店、となりのパン屋と、反対側の喫茶店から、芳しい香りが漂ってくるのは罪なところだ。いい本に焼きたてパンに炒れたてコーヒーとそろえば、この世は極楽だ。 腹が減っては読書ができぬ―と、本日は紙袋1つで打ち止め。 中毒が再発したら「続き」をやらかしそうでこわい。

衣替え at 2003 10/18 22:59 編集
土曜出勤でヘルパー講座。 スーツ用に出したワイシャツのついでに、長袖シリーズをそろえて出しで、入れ替わりに夏ものシャツをひとまとめに押し入れに送りこんだ。 半袖のボタンダウンシャツというのは大好きな衣類で、これ来年も着られるかなぁ…地球は大丈夫だろうか…オゾンホールは…!小惑星は…!ハルマゲ丼は…!と、前途悲観の極みに達しつつ、せつなくかたづけるのがこの時季の年中行事だ。 ヘルパーの受講者は僕の姉('50年生まれ)ぐらいの年齢のお姉様がたが多い。ウン、ウンとうなずきながら受講してくれるので手応えがあっていいのだが、後で評価レポートを見ると、なんだか難しくてわっかりましぇーん!!と、「ふりだしに戻る」状態の告白も今までは多くて、少しころびそうになることもあった(笑)。まぁ、「わかったつもり」より率直でいいと思うが。 現場で働きながら勉強した方が、実感しやすいんですけどねぇ、民事の紛争処理や成年後見制度は・・・と、主催者スタッフと雑談しながら帰路につく。 と、すんなり家路につけるわけがないので、難波の中古カメラ屋をひやかして、心斎橋までうろうろ歩いて地下鉄に乗る。 Dがま先生の打ち上げた「おカメラマニ屋」のメーリングリストに、真性フィルムカメラの魔術師から、登録したぞメールが届いている。「デジカメに浮気することもある」僕など、仮性フィルムカメラマンの風下にしか置かれないだろう。 暗室の魔術師でもある彼は、DOSマシンでネットをやってて、マウスなんちゅうもんは使っとらん!クリックしろって、どうせいっちゅうの!?とあきれ笑いしておられる。 そのへんは目をつぶっていただいて、さて、デジカメの波にフィルムカメラの笹舟がどこまで存在感を保てるだろうか。

エクスピーひさびさ at 2003 10/19 13:26 編集
 「エクスピー買うこーたんじゃ」の元海軍兵おじさんにメールが開通した。「メール届いたかのー」と電話フォローつき。 「届いたぞなタケさんや、順調でおますなぁ」と、こっちも80歳になってしまう(笑)。 ずいぶん何ヶ月も空いたエクスピー・レッスン(しかし僕は未だにXP使ったことないぞ)、そろそろ「画像添付の巻」になると、こりゃーおもろいわい!と開眼されるかもしれない。 何メガもの重量級メールが届くかも・・・ワナワナ・・・。

運河のほとり at 2003 10/19 21:40 編集
友の一周忌に行って来た。 やつのかわいがっていた犬が2匹いて、小型の方が僕のひざに乗って離れない。 「人なつっこいんですねー」と感心すると、「知らん人には身構えるから、一年ぶりでも憶えとるんですわ」とお母さん。 前に抱いたのはちょうど1年前だが、匂いか人相かを憶えていてくれたのだろうか。偉いもんだ。 一体これは犬か猫か?と疑ってしまうほど、あぐらの中に丸まって、ぐーぐー寝ている。よだれまで垂らして(笑)。 老犬の方は、自転車のカゴに入れて散歩に連れて行ってくれた飼い主が先立って以来、どんどんふけこんできたそうだ。しっかり座れない様子で、おしっこ垂れ流しに近い状態だという。 犬も人も、老化は同じですねーと茶飲み話をして、運河のほとりの友の実家を後にする。 みな老いつつ生きとるんだなぁ・・・と感慨にふけりつつ。  

 ミッドナイト塾発足委員会 at 2003 10/20 16:51 編集
夜の仕事がしんどくてたまらんほどの年ではないが、意外に時間の使い方が難しい。5時の出勤時刻までまったく自由かといえば、ハイキングに行ってケガするわけにもいかないから、結局ずっと仕事の準備でつぶれてしまう。起床時刻はかなり自由にあっても、そこから出勤までは無給の準就業時間である。 完全に「毎日夜勤」になって陽の光を浴びないドラキュラ生活というのは僕には経験がないが、そんなサイクルにも夜の仕事をしている人は慣れてしまうのかもしれない。だから、いっそ夜勤専門で「夜の先生」というのも、割り切ればおもしろいかもしれない。 以前、ほとんど毎夜京阪神をかけずりまわって予備校に通勤していたけれど、結局のところ京都の夜も神戸の夜もナニワの夜もなんもなかった(笑)。「豪の男」になれば、京都の店、キタの店、ミナミの店で「あ〜ら1週間ぶりね」と愛想よくもてあそばれつつ、その日の稼ぎをすっかり吸い取られる(笑)…という「男のエレジー」も地で行っていたかもしれないが、根がケチな性分だろうか、なかなか亡父に追いつけない(追いつかんでもいいか?)。 空腹や睡魔と闘いながら社会学だの社会保障だの受講するのもしんどいだろうと思うが、平均年齢の高い夜学の方が断然元気で、寝ている学生はいないから、もっとバリエーションのあるナイトスタディが増えてもいいと思う。 トップページの選挙公約に掲げて結局お笑いとしか受けとめてもらえてないが、夜の街で勉強することは多い。 よくトイレや風呂場で斬新な発想が浮かぶという作家はいるが、僕は夜景にいろいろインスパイアされるところがあって、震災まで住んでいた夜景が眺め渡せる異人館街のマンション最上階は、いろんな意味で「思索の館」―人呼んで第2サティアン―になったなぁと思う。考えすぎて友人と火花を散らしたこともあったし、女難も危機一髪のところだった(笑)。そんな悲喜こもごもを飲み込んだ街の灯りが夜景というもんかいなと思う。 まぁ夜景は付録として、夜の勉強は資格取得をめざす勤労者パワーで支えられている面もあるが、資格取得以外でも、たとえば表現系の塾。美術しかり(講師はアラーキーや安藤忠雄)演説しかり(講師は鳥肌実とか鈴木宗夫とか辻本清美)、政治経済の第一線の切れ者も招聘できそうだ。 学生には、家庭に縛られている層を歓迎したい。 たとえば、主婦が家事のゴールデンタイムに自分のための勉強をしに出らるようになると、日本は変わる。どうしても家事が頭から離れない奥様たちのために、学校に赤提灯またはラウンジを併設して、そこで腕をふるっていただけばいい。「なんでA子さんが高級ラウンジであたしが炉ばたなのよ!」と苦情も出るかもしれないが。 学費をかせぐための職場が学校にあれば、結局タダで勉強できる。僕もTA、RAのような仕事をしながらタダで学位をいただいたので、夢は夢でない気もする。 ついでにカプセルホテルも併設して「スクールコンプレクス」が実現すると、終電無関係のオールナイト徹底ゼミナールが毎晩できる。 あぁこれは家庭崩壊も加速させるな(笑)。

モトコー雨宿り at 2003 10/21 20:40 編集
元町高架下で、骨董タイプライターを値切るOLと店員のやりとりを聞きながら、「昔懐かしラジオ」を見ていた。 上機嫌でタイプライターを買って帰ったOLの次は、僕に矛先が向かってきた(笑)。 「ラジオをお探しですか?」 「はぁ、まぁ・・・見てるだけで」 どのラジオも、値札を見るとヤフオクの落札価格に引っ張られたような高値がついている。去年、僕が別の店で買ったクーガ2200という短波ラジオには、ここで倍以上の値段がついていた。その手には乗りませんぜ。 「珍しいタイプのお探しでしたら、ジャッカルみたいなのも、ありますよ。 「え?ジャッカルあるの。見せてくり」 「んーと、ジャッカル、はないんですけど…似たようなので、これなんかジャンク扱いで3000円です」 いちおうソニー製のコンポ型、テレビつきラジカセで、まぁまぁ美品だ。うまいこと出してきよる。 が、電源を入れてもらうと、左のスピーカーから音が出ない。一目で、断線しているのがわかる。 するとこの店員、何を思ったか―単に音が出にくいときはこうしとけとマニュアルを叩きこまれているのだろう―ボリュームのすきまに接点復活剤をシュッシュと噴霧しはじめた。 いや、可変抵抗器の故障やないって。断線しとるんだって。 あまりメカに詳しくない兄ちゃんらしい。ちょっと技術的なつっこみを入れると、値段が2000円に下がった(笑)。 ただの断線なら、分解して半田づけしなおせば直るだろう―昔、親父の寝床テレビを直したこともある―が、面倒くさいので商談不成立となった。 兄ちゃんは、「このオッサンはごまかせない」とあっさり見放してくれたようなので、「ステレオ半チャンネルしか鳴らんでも、売れますって」と慰めてやりつつ(皮肉は通じただろうか)店を後にした。別に後味は悪くなかった。相打ちで引き分けというところかな。 高架下はパチもんも多いから、それもまたありありだと思って安値で買い叩けば、故障していても怒る気にならないのが不思議な御愛嬌という感じもする。 クーガは今のところ絶好調でハイファイ音を鳴らしてくれているし、エンクロージャーがクルミの木でできている(昔は凝った素材を使っていたものだ)というソニーの小型スピーカー・セットも、小さなキズ以外は完動で定価の1割で買えたから、自分としてはまだ大損したことはない。そろそろ、落とし穴にはまりそうな予感もあるにはある(笑)。 短波ラジオは、コアな電波系コレクターが値を吊り上げているが(他人事みたいに言えないって)、オーディオ関係は実に安い。70年〜80年代オーディオ・ルームを再現しようと思えば、2万円でレコードプレイヤーからアンプからスピーカーまでそろってしまいそうだ。 あぁ、ええなぁ・・・。 どこか廃屋か倉庫でも借りて、懐かしAV館(欲情する場所ちゃうよ)ができれば、おマニ屋様どもも群れ集うかもしれない。そこでカフェスペースも設けて…といっても今風の「おカフェ」はアホらしいので、食堂を併設して、大塚のボンカレーとかチキンラーメン、ついでにチクロ入りジュース、ヒ素入り森永ミルク等々もメニューに並べて商売すれば、これは評判になるだろうか、罪な危険地帯になるのだろうか。  

禁断症状 at 2003 10/22 20:30 編集
ちかごろ「仕事帰りのコーヒーブレーキ」をなぜかしなくなって、アクセル全開で一目散に帰宅して着替えてやっと、ひと息つける。机と椅子があると、つい条件反射のように読み書き作業をしてしまうので、ネクタイ姿で喫茶店に入っても、営業途中の一服という感じがぬぐえないのだ。 場所は変わっても欠かせないコーヒーは、一種の中毒と診断されてもしかたないが、最近しみじみ自覚するのがカメラ中毒。 今も、webで見つけた宮崎のカメラ屋にある珍品コンタックスに手(電話する指ということになるか)が出そうで、浪費を自戒しつつなんとか思いとどまっている。ところが今日も昼間に臨時の仕事がころがりこんできたので、これから数日間は禁断症状と闘わねばならない「要注意日」である。カメラウィルス熱には波動があるから、毎日基礎体温をつけて、惚れたひっついたの悲劇をなんとか回避したいものだ。あのカメラ、あっさり売れてしまってほしいのか、売れずにいてほしいのか、つらいつらい葛藤である(笑)。 赤瀬川原平さんのいう「カメラウィルス」は、実にうまい表現やなぁと感心してしまう。 このウィルスの仲間には、中古ウィルス、金属ウィルス、レンジファインダーウィルス等々の亜種がある。複合感染している患者も多い。 こんな患者のオアシスが中古カメラ屋である。 職場の近くや、梅田にも定期巡回するショーウィンドウがあって、まるでガソリンスタンドかな。毎日見たところで大して変わりばえしないようでも、ある日いきなり珍品が現れていたりするから、巡回はやめられない。 また、品揃えが変わらなくても、銀色の魅惑の物体がズラリ並んでいる光景そのものが、ウィルス感染したおマニ屋にとっては魂の飢餓を癒す(大げさな!)塗り薬になっている気もする。この眺めに心が洗われるというか・・・。 こうなりゃ立派な病気である。 さらに病状が進行すれば、居並ぶカメラの中から、今まで見向きもしなかったカメラがふっと魅力的に浮かび上がって見えたり、じっとにらんでいるだけでひんやりした触感が伝わってきたりする(=自律神経失調症)。 ついでに、銀色のバルナック型ライカが巡洋艦に見えてきたり、オリンパスOMシリーズがショートケーキのようにうまそうに輝きはじめたりする。あぁ重症である。 幸い、カメラ屋の閉店は早いから、ほどほどのところで唾を飲みこんでエクスタシーを寸止めすることができる。 そして帰宅して、飼いカメ(亀ではない)をいじくりシャッター音を聞いて、「今日も健康。よろしい」と満足している飼い主は…重病やなほんま。

貴人変人? at 2003 10/23 16:12 編集
もうふた昔も前に、僕の大学は週休二日制だったから、高校までの土曜日というのは本当に解放感があって、ただ午前中の授業が終わっただけで小さな極楽だった。別に「あの子とデート」があるわけではなし(男子校じゃい)、旅に出るわけでもなし、何をするわけでもないのに、幸福な週末だった。 今は木曜日が半ドンである。毎週3連休で、少し交渉をがんばれば毎週4連休も実現したかもしれないが、なかなか「金のかからない連休の使い道」がないので骨休めしまくりだ。いまだに「あの子とデート」もしたことがないし、何をするわけでもない極楽トンボは相変わらずで、宮台博士いうところの「終わりなき日常」はいつ終わるのだろうか。 職場からだと「秋の京都の昼下がり」にもすぐ遊びに行けても、また昼下がりのキタにも寄り道さえせず、今日も神戸に一直線で戻って、第3サティアンで「午後のお茶」してすごす。デザートは柿。 研究仲間で、急に他県の国立大学で教えることになった哲学者がいて、家族と離れ郊外の一軒家で準備と研究に打ちこんでおられる。あぁ、こんな現代のディオゲネスみたいな暮らしも優雅でいいなぁと思う。 BBSにもどこかの奥様が書いてくれていたけれど、時間を自分のために使えるという意味で、独身は貴族のようなものかもしれない。可処分所得も、妻子持ち殿方の「お小遣い」という奇習からは免れているから、自分の判断で使える。 僕が案外一番大事かなと思うのは、自分のための空間だ。 よく「男は船、女は港」だとか、「女三界に家なし」と言い古されているけれど、男とくっつかず不動産と結婚しているような女性も多いから、男も女も、自分の居場所を求める本能のようなものがあるように思う。 ただ、家にしろコンクリートのひと箱にしろ、維持する経済力と、そこで過ごす時間が伴わないと持ち腐れになってしまうから、金と時間と空間は3点セットでそろうのが理想だ。 これを、共同生活というロングランマラソンのために明け渡すのが、身を固めるということかもしれず、これらを手放せない男女は「貴族化」して行く(良くも悪くも)。だって、身を固めると即3点一気に失うわけだから。男性より女性の方が、喪失感は大きいだろうと思う。 ひどい場合は、仕事を手放すよう仕向けられるキャリア女性もいるが、これはどこまで不本意なのか自発的なのかわかりにくい問題だから、一概に主婦業は損か得かとはいえない。 経済成長期には、「仕事を犠牲にして尽くしてもやがてモトを取れる彼氏」を求める女性は多かったはずだが、無知蒙昧だった男も、さすがに近ごろは下手するとモトも子もない(とられる)可能性に気づくようになったから、尻込みしているのかもしれない。 あと50年ほどたつと、「仕事を奪わない彼氏」へと女性のフェロモンターゲットが移って行くのではないかと思うが、僕はあの世でモテモテになれるだろうか。 先日も、何年ぶりかで親戚が集まる場に居合わせると、お年寄りたちの話題は、案の定わがosawasenseブラザーズがいつ身を固めるか!?!?!?に向けられてきた。 「こんな人って多いんよね。女の子たちも。自分の生き方を大事にしてるんかね」とため息混じりで笑っている。そこへ、エクスピーのおじさん、「年寄りがやいやい言いすぎるんじゃ。若いやつら放っといたらにゃ」と、楔を打ち込んでくれる。 エクスピーでない親戚―つまりごく普通の世間さま―だと、もし「貴族の3点セットを一気に失うのはつらいからお互い別居したまま結婚します」なんてことを宣言しようものなら、貴人ならぬ奇人変人扱いするのは確実だ。以前、「何年か同居してみてから結婚するかどうか決めるわ」と宣言してからは、見合い話を匂わせることはなくなってくれたけど。なんか間違った宣言をしてしまったのだろうか。 でも、おもしろいと思うがなぁ。夫が自分の401号室から妻の402号室へ毎夜メシを食いに行くとか、玄関に掲示があって「本日女湯は休業につき男湯使用」と書いてあるとか、「湯女」の欄てのもあって「待機」「出張」「休業」のどれかにランプがついているとか。 あんたたち、いいかげんにしなさいっ!!と叱られるだろうな(笑)。  

ソーサイ!!ソーサイ!!と辻本の声は? at 2003 10/23 23:26 編集
去年のヒールが「宗夫」なら、今年のヒールは道路公団藤井総裁だろう。 不正経理や不正人事はいけません!辞任しなさい!と金切り声をあげるのは、生徒会レベル=朝日新聞レベルの単細胞思考で、この勝負を大人の目で見れば、氷山の一角とは違った水面下の勝負が見えてくるというものだ。 石原大臣も、任命されたばかりで手柄をあげたいのだろうが、タイタニック号なみの意気込みはあるとしても、相手はキャリア40年の官僚。タイタニックを沈める氷山どころか、その海底のそのまた奥底のマグマのような存在なのである。 親子ほどの年齢差もあってか、勝負は完全に藤井総裁に分があるように見える。「ノブちゃん、がんばんなさいよ」というところだろうか。 石原坊やは国民感情を後ろ盾にして斬り込むが、藤井総裁は「解任の客観的具体的事由、法的根拠を示せ」と返す。至極当然な要求だ。ヒールの方が正攻法をとっているのである。 法治国家の国務大臣たる者なら、不法行為を理由にキャリア40年もの高級官僚を解任しようとするからには、周到な理詰めで行くしかない。国民感情や自分の不快感からヒールを一刀両断して、ファンが拍手喝采してくれる・・・という読みがあるわけではなかろうな、芸能人一家の出だとはいえ。 敵の矛先をくすぐるような余裕も、敵の包囲網も、完全に藤井総裁の手中にある。官僚のスゴロクは、まさにこんな手練手管を磨く数十年だといっても過言ではない。直接手を汚さなくても、「俺の気分を害するようなことすると、どうなっても知らんよ」と匂わせて、利権から接待から天下り先まで、ほしいままに動かすのがおいしい官僚道なのだ。 心理学にも、ハロー効果(後光効果)という用語がある。その個人の腕前なりキャラクターなりは大したものでなくても、背後に強力な力を感じさせると、その人物も大きく見えるという効果である。 まぁ実際には張り子の虎ということが多いが(まさに同時進行している「有栖川詐欺事件」もそうだな)、官僚は実際に政財界の隅々まで人脈を張り巡らせているから、いろんな補給源から反撃力を注入することができる。藤井総裁の弁護団の顔ぶれを見てもうなずける。 僕も、個人的には道路公団の無駄遣いに血税が流れているのはけしからんと思うが、この政治家と官僚のバトルはどんな映画でも描けない実世界のリアルファイトとして、観戦しようと思う。 石原大臣の切り札は、あてにならない世論なんかに頼ることより、別の官僚を味方につけることだと思う(あくまでも外野の声として)。毒を以って毒を制するしかない。 がんばれ石原がんばれ藤井…というところかな。  

 東京セントラルパーク at 2003 10/24 17:42 編集
ニュースを聞いていたら、たまたま墨田区で子育て世代の住民が住みやすい助成が出るというニュースに、南アルプス市が格安で障害者や子供に乗馬療法を提供しているというニュースが続いた。 子供の成長支援政策はかつてないほど「品揃え」が進み、それと反比例して出生率は過去最低を更新している。 だから無駄だ!というつもりはない。 「子供のための何々」が、する大人の癒しになっている面もあるから、それはそれで人生の彩りになるだろう。中高年や主婦やボランティア好き学生世代が、自分たちの問題を直視すると、これはとても「きれいなボランティア」ではすまなくて、身を切る経験を避けるわけにはいかないから、他者を支援することで安全地帯にいることができる。 ・・・と、ボランティア批判論を展開するのが本意ではない。 「する」ことばかり論じられると、僕は「されなくなったこと」を拾い集めてみたくなるだけだ。 たとえば、先の墨田区ばかりでなく、どこの都心でも空洞化は問題になっている。子育てしやすい街にする前に、子育てしにくくなった原因を検証しないと、ザルで水をすくうような無駄になりかねない(役人は経営感覚がないから、どうせ税金だからキレイな大儀名分がつけば使い放題なのだろう)。 では乗馬療法はどうかといえば、最初「ホースセラピー」と紹介されたときは、水道ホースを体に巻いて悶々とする新しい療法かいなと勘違いしたが、馬に癒される(仕事増やさんでくれよヒヒーン!と雄叫びしたくならへんか?)
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2003年9月の日記

アーバン・サバイバル

at 2003 09/01 13:08 編集

関東大震災の起こった日にちなんで、今日が「防災の日」になっているらしく、いろいろイベントや番組があるようだ。
「ごめんやす」では、仕事中に大地震が起こったとき会社から家まで歩いて帰れるか?という「サバイバルウォーク」を企画・実況していた。
で、提唱した人が「サラリーマンの方が大阪から自宅まで帰ると仮定して、スーツに通勤カバンで臨みました」と、34℃の梅田からスーツ姿で歩いておられたのだが、おやまぁご苦労さんなこと・・・(苦笑)。
非常事態でもスーツを手放せない会社パパなら、家に帰らんでも会社で暮らせばええんでないかい?
「オイ妻子たち、会社に泊まらないか。受付嬢はいるし、コーヒー飲み放題だし」
「なにバカ言ってんですかア〜タ!!生活費だけでも届けて下さいよっ」
で一家崩壊、岸辺シローのアルバム…になったりして。

実際、こぎれいな「何やらヶ丘ニュータウン」だと、陸の孤島と化して食料品の流通も絶ち切られてしまうから、かえって不便だろうと思う。阪神大震災でも、須磨の奥のニュータウンとか芦屋の山の手に住んでいた同僚は、水汲みに通う日々が長かったそうだ。
インフラの復旧は、オフィス街が一番早くて住宅地は最後になるから、会社の近くに住む方が案外便利だろう。殺風景だけど。
大阪や東京は詳しく知らないが、最近僕は三ノ宮駅から徒歩10分のところに銭湯を発見した。緑地や川や海や山も、徒歩圏内にある。なんで平時でも毎日2時間押しくらまんじゅうしながら都心とニュータウンを往復しなければいけないか、日本人もそろそろ憑きものを払い落としたらいいのに。
徒歩圏内に港か舟着き場があれば、孤島にはならずにすむから、海や川の近くもいい(津波で流されてしまわなければの話)。震災その他の天変地異で、一番復旧が遅れるのは陸地で、海はすぐ平穏そのものに戻る。電車やクルマで丸1日かけて阪神間を移動していた被災者は多かった(救急車の中で命を落としたり)が、船でポンポンポン…と行けば渋滞しらずなのだ。
行き帰りに底引き網か釣り糸を垂らせば、おかずもついてくる・・・なんて、調子がよすぎるか?


ブロンソンに合掌

at 2003 09/02 10:46 編集

「汗くさ系」の俳優が僕は妙に気に入っている。ジャック・ニコルソンしかり、エディ・マーフィーしかり。白バイ警官ジョン&パンチでいえばパンチ(エリック・エストラダ)、USSエンタープライズ号でいえばカーク船長よりドクター・マッコイ・・・あぁたとえが古いわい!
なんでやろかと考えると人なつっこいから…といえば、「そんなことないよ、キアヌ・リーブスの方が親しみやすい」と反対意見もありそうだから、「俺なつっこい」ということにしておこう。
元祖汗くさ系といってもいいチャールズ・ブロンソンが、アルツハイマーと闘病していたがついに力尽きた。81歳だった、と力をこめて話していたのは、やはりあの浜村純先生だった。

たぶん中年日本人ファンはたいていそうだと思うが、ブロンソンといえば「大脱走」と「マンダム」だ。もう少し高齢になると「荒野の七人」かな。すぐ殺されてしまう脇役だが。
スターとして発掘したのがアラン・ドロンで、まずフランスで売れたそうだ(シャルル・ブロンソンか?)。そういえば、字幕で見た「さらば友よ」で見事なフランス語を話していた。
なるほどなぁ、やっぱりフランスではひとクセふたクセありそうな役者に目が効くのかな。
「荒野の七人」が黒澤映画の影響だったとか、米空軍パイロットとしてB-29に乗り組み日本にも爆撃に行ってたとか、売れる前にも日本に何かと御縁があったようだ。
ガキでも物真似してはやった「うーん、マンダム」のCFは、当時CF撮影の名手と言われていた大林宣彦が監督だったそうな。

老俳優に、こんなエピソードで最後の光が当たるのは、この世におさらばするときぐらいか。
好きな俳優が最近とんと話題にならんなぁ、近況聞きたいなぁと思う気持ちは、「いざ大ニュースになる日」の不安と裏腹なのが、せつない。


祝開通

at 2003 09/02 21:05 編集

やっと、常時接続ではないが家でも外でもつなぎ放題になった。
アットフリードのカードがソフマップで4800円、いつもの(…って、常連になってどうする!!)ドコモショップで2000円。
これは、もう、行くしかない。

喫茶店で取説を見ながらテリオスに挿して設定しても、うまくつながらん。
シャープオリジナルの「お手軽接続」画面を呼び出して設定すると、スルスルリンと接続できた。さすが浪花の家電メーカー、わかりやすくていい。

「お外で64kbps」はピッチでやってたけれど、メール確認だけに1分つないで40円もかかっていたから、定額というのは大進歩だ。
家にADSL引くより「外でも64K」の方をとる落ち着きのないやつだから、つなぎっ放しで、ぢっくりねっとりこの日記が書ける!とぬか喜びしているのだが、調子に乗ってつないでいると、あとで「違うルートで接続されてたから*万円引き落とし」なんて通知が来たりしかねないのが少し不安。
端末でチカチカLEDがついたり消えたりしているのはドーマント方式とかいうドコモ独自の通信方式のせいかどうか、イマイチ勝手がよく呑みこめてない(開通して30分だからな)。
まぁしばらく使ってみて、調子よさそうなら1年まとめて契約更新しようかな。
Dがま先生のエリアも、64Kでつながればいいのにね。
  


ラーゲ

at 2003 09/03 10:24 編集

よく「あたしのカジュアルIT生活〜」ふうの広告カットで、女の子や若妻(いやらしい響きだな)が腹這いになってノートパソコンと戯れているような体位(いやらしい響きだな)を見かけるが、広告屋は実際にやってみたんか?
腹這いでキーボード打つなんぞ、無理ではないがしんどいですぜ奥さん。ちゃんとパソコンデスクに向かいましょう。
と忠告したくなるが、画面タッチだけでブラウジングだけはできるCEマシンは枕元に置いて朝刊アクセスなんかにちょうどいい。
これもアットフリードの余録かな。
テリオスだと通信しながら電池も約5時間は持つみたいだし。
Dがま先生、そろそろ買いますかな・・・?(笑)
 


流血ダイエット

at 2003 09/03 16:55 編集

ドコモに行って「料金プランリストラ」をまず1件。あとテレホーダイやらタイムプラスやら解約すると、@FreeDの新規出費がほぼ帳消しになる。無料通話分は消化しないと・・・と無理して使っていた呪縛から、やっと解放される。
ついでに、1年半で1000円しか通話してない携帯も解約してしまおうかと思ったが、何とか保留。なんでやろ?

帰り道、電通ビルの向かいのドトールで通りに面した「俺席エマニエル椅子」が空いていたのでお茶。
この前の通りは、アーケードをとっぱらって、ついでに電線も埋めて「ガス燈通りふう改築」した道が元町までつづいていて、黄昏どきが美しい。
てな若妻アフタヌーンティー劇場に浸っていると、爆弾のような雷鳴と稲光に続いて、滝のような雨がなぐりつけて来た。
エレガントな午後には縁がないわ・・・。
 


通勤快足

at 2003 09/04 16:42 編集

90分だけの仕事で大阪まで往復。
朝イチに通勤電車に乗ると、正しい日本人の苦労をしているぞ!という誇らしげな気分になる。といっても、週1回の儀式みたいなもんにすぎないが。
タイガース7連勝のせいもあってか、浪花の街の血圧が最高潮という感じだから、仕事が終わると、すでに体温なみにヒートアップしている大阪から一刻も速く脱出しないと命が危ない。それにしても「宴の後」が心配だな。
おカメラの森につい立ち寄ると、それはそれで躁状態に追い込まれる。
おぉ中判カメラが値落ちしている…ににににニッコールED(勃起障害ではない)レンズも安いっ…と、つい魔がさしてしまうが、物欲煩悩をふり払ってそそくさと神戸に戻る。
猛暑の山の緑が美しい。
 


真偽かい?

at 2003 09/05 22:52 編集

ひょんな縁から某市のお役所仕事が舞いこんできて、条件を話し合う。一発ステージ職である。
あんまり「薄給で申し訳ないんですが…」と何度も前置きするから、大学生の塾バイト並―1000円程度―かと思いきや、1けた違っていた。
いや、これなら週40時間でもやりますって(笑)。
一体、お役所の「一発講師」の人件費はどんな相場になっているのだろう…?と、わけがわからなくなった。

まったく異次元の世界だが、政府の各種審議会の委員になると、週1回数時間の会議出席で、月収100万円水準だという。下手な大学の先生をするより数倍うま味がある。
僕が受けた一発講師は20代が対象になっているそうだから、逆に提案してみようかな。
「コギャル審議会つくりませんか」
「OL審議会も!」
「年金問題をかかえている人妻審議会はどうですか」(前半はともかく後半はいやらしい響きだ)
「ちょっとズにのりすぎじゃないのかねキミ」
「局長、熟女分科会つくってそちらはお任せしますから」
「そうか越後屋、おぬしもワルよのぅ…」
という世界が、21世紀によみがえらないものか?


道頓堀川ダイブ!

at 2003 09/06 18:22 編集

知事と市長が「道頓堀川問題」で対立しているタイガース秒読み。
ラジオで原田ノブローが「川にピラニアと鮫を放流しとけば飛び込みはなくなる」と提案していた。なるほど・・・でも鮫は淡水で生きてられるのか?

いっそ優勝の夜だけ上流でせき止めて川を涸れさせると、いかにきったない川であるかが露わになって、だれも飛び込まないかもしれないが、無粋といえば無粋な「措置」という感じ。いま3m程度らしい水深を、ゴミが頭をのぞかせるぐらいの微妙な浅瀬に保っておくのもスマートなやりかたかもしれない。

しかしそこは大阪の街。浪花の粋を見せてほしい。もはや清流に戻すことは絶望的に無理だろうから、「粋なものが流れる川」を、ロマンチックに考えてほしいものだ。
たとえばヘドロの水はどこかにバイパスで流して、あの川にサントリーウイスキーを流すのはどうだ。
あぁぁぁぁこれは桃源境だ!!!!と世界から呑ん兵衛が殺到するだろう。アルコールだから衛生的だし。
観光収入は天文学的にふくらむだろうが、呑み屋は全滅するかもしれない。なにしろ川に飛び込めば浴びるほど呑めるわけだから。

そこで、失業したホステス様たちも日替わりで流れてもらう。「月曜日は新地が流れます。一本釣り限定」とか「土曜日はフードルデー」で、底引き網するヤローとか槍で突く凶暴なやつとか撒き餌になるナルシス君とか入り乱れて戦場になる。
「コギャルデー」に流れるものは、「本体」とは別に服とかソックスとか、パーツごとに流せば集まる客が違ってきそうで「世間は広いなぁ」と考えさせられるだろう。ある品目が流れる光景には、解脱してしまうかもしれない。
解脱といえば、「ジャニーズ系がなみなみと流れる日」とか「ショタコンデー」「JUNEナイト」なんて日にゃあ、サバ子みたいな変わり種もウハウハ飛び込むだろうが、飛びこむ客の約4割はオヤジだったりして、イッポン釣りしたらシベリアへ超特急で逃げて行くだろうなぁ・・・。
 
「ナニワ金融道」の青木雄二さんに合掌。
 


耐久登山!?

at 2003 09/07 23:42 編集

一人で山に登るときは、味はほどほどでも、いかに軽いか手っ取り早いかだけを考えて投げやりな食事プランになってしまう。まぁ5000〜6000kcalともいわれる運動量の後でパクつけば、たとえカレーライスだけでも、これほどうまい食事は街では絶対ない。
で昼メシなどはカロリーメイトにはそろそろ飽きてきたのでオールレーズンをココアで流し込むとか、そんな行動食ですませられる方がありがたい。
でも今夜久々に登山隊3名で荷物分担と食事を打ち合わせて、腕によりをかけるワと張りきっている初登山者(=管理栄養士)、1gでも軽くしたいという発起人(=カヌーイスト)、うまいもん食わせろ!酒じゃ喜び組じゃとわがままリクエスト放題の「くうねるサンダー俺」の三者の思惑は、見事に分裂した(笑)。

こんな支離滅裂な登山隊、食いもんの争いで遭難騒ぎになること必至だ。
みっともないなぁ・・・「登山者がガケから転落。関係者の話によると、昨夜の夕食が餅1個だけでフラフラ状態で歩いていた」
なんて報道をされたら(飯を炊くのはやめて餅をあれこれ調理しようという話だけはまとまった)。
せっぱつまったあげく山で追いはぎをしてしまったりして、「前代未聞!他の登山者に食い者をねだり、断わられると強奪する野生猿以下の3人組」
というのも、みっともないったらありゃしない(笑)。
  


神々の大阪

at 2003 09/08 23:41 編集

わかぎえふ姉御の『大阪の神々』(集英社文庫)を買った日、偶然に読売新聞の書評欄で、この本が日テレの森富美アナの愛読書なのだとインタビュー記事で紹介されているのを見た。ほぉ〜大阪出身を匂わせない芸能人や女子アナ(分けなくてもいいか)は多いけれど、ザ・ワイドの彼女も「生まれ育った大阪を封印していた」ってか。

わかぎえふ分析は、うまく京都や神戸、和歌山や奈良と比較しながら、生まれ育った大阪をクールにしかしおもしろく描いている感じ。
その中に、大阪人のアウトドアという一章があって、ぶっちゃけた話、大阪人にアウトドアという趣味はない(笑)のだそうだ。
北摂に住んでいる大阪府民になると少し違うような気もするが、環状線の円内にでも住んでいたら、たとえば川で泳いで遊ぶという発想はまず出てこないだろう。野山を駆け回る運動神経より「二重三重の縦列駐車で割り込み神経を磨いた方がトクでっせ」という計算が働くのであないだろうか(いや、けなしているわけではなく…)。あれだけの人の洪水が、日本一の高速で歩き回っているのがナニワの街なのだ。

神戸じゃ普通に暮らして学校に通って働いているだけで、市内の山に登り市内の海で泳ぎ市内の牧場で牛や羊と戯れ、狸やイノシシと出会い、自然にアウトドアしている。
わかぎえふ姉御は、パンうまい!ケーキ天国!・・・と好意的に評してくれているが、甘党でない僕からすると無節操にカタカナ文化を取り入れて浮かれている甘ったるい街にも見えるけど。
とかなんとかいいながら、決して大阪に引っ越そうとはしない愛憎気質が、京都人と神戸人にはあるようだ。

京都にも奈良にも大阪にもない点といえば、「たえず風が吹いている」ように感じさせる開放感だ。
ほかの都会には必ずある匂い―街が煮詰まって発酵して醸し出す独特の住民気質―が、一番希薄なのが神戸ではないかと思う。インド風味もドイツ風味も中国風味もアメリカ風味も、どれも神戸ブランドのコンポーネンツになってしまう。
オッサン的眼鏡で見ると、大阪の女性は笑わせておもろい人やわと感じさせ男は相手にしない。京都の女(ヒトと読む…感じ)はススの染み込んだ塀が幾重にも心の周りに張り巡らされていて、まぁとりつくシマがない。神戸の女の子は、とりあえず一番軽くフラーッツとついて行く。夏の須磨海岸など、大阪ナンパーいやナンバーの車がやたらウヨウヨしているから、さぞかし「漁」をしやすいのだろう。

軽薄な神戸と濃厚な大阪は、これだけ近所なのに対称的だ。
旅先で神戸市民が出会っても、「あぁ、あなたも神戸ですか」ですんでしまう。中央区生まれ中央区住民の僕も、「私も中央区在住」と聞いても、ご近所さんねぇという親近感は湧いてこない。ところが大阪市民同士だと「へー!あんたどこ?京橋かいな!キリンドー知ってる?うちのおかーちゃんパートしてるんよ。ほんであの1本筋入ったとこが私の実家なん」と、こてこてローカルな話に相手を煮込んで行くシーンを実際よく見かける。
良し悪しは抜きにして、こてこてした生き方は個人的には息苦しいなぁと思う反面、ある場面では参考になりそうな気もする。
営業マンや福祉屋さんなど、大阪人の発想でやればうまく行くんちゃうか?と勝手な想像をしたりするけれど、現実はもっと複雑かな。


静香ちゃーん!!

at 2003 09/09 15:16 編集

葬祭戦…いや総裁選の候補者へのアンケートの回答というのが新聞に載っていた。
注目はなんといっても亀さんである。こちらの亀=こち亀は、亀有交番どころか警察庁のトップにまで昇りつめた公安のボスである。
最近イタリアンスーツに「いめちぇん」して、のび太くんに入浴を覗かせたりしているお茶目な面もありありだ。

その静香ちゃん、キャッチフレーズを「決断と実行」と自答しておきながら、弱点は「気が弱い」と。なんじゃこりゃ!?
    決断実行、するのは亀か鶴さんか
下手な川柳を詠んでしまうわ。
気が弱い静香ちゃんが、つぶらな瞳でにんまり笑えば、政界2位という多額の政治資金が集まってくるってのか?
弱気どころか、まるで新田たつおの「静かなる首領」やがな。
ブキミだ・・・
 


たびたびカメラ

at 2003 09/09 23:59 編集

気まぐれな新刊リリースが待ち遠しい畔幻砲ら、渡部さとる『旅するカメラ』というのが出てたので買って帰り、寝そべってパラパラ繰っていたら、こてんと居眠りしてしまった。

挿入された、少しアンバーがかった写真もいいが、あまり旅の話は出てこない。
が、著者が僕と同い年ということもあって、同時に呼吸していた時代背景を追憶していると、ある種の「旅」気分だ。
そのせいか、居眠りで旅してしまった(なんとわかりやすい反応だこと)。
壁や柱まで湯だっている部屋で見る夢は、よくできた話で、どこかのゲレンデを滑っていた。
なぜだか仲間はキャサリンとロバートで、早く下山しよう!とせまいコブ斜面を順に疾走するのだった。むやみに高い断崖絶壁のような山だった。
ハイビスカスや山桜が脇に咲き乱れるゲレンデを滑ったこともあるが、それは名残り雪の延長といえるかな。
残暑の厳しい9月に見るゲレンデ夢は、初雪の予告か、初滑りへの勇み足か・・・?




レールバトル

at 2003 09/10 17:47 編集

新車レビュー云々という単行本を本屋で見つけて笑ってしまった。
クルマではない、電車の車体レビューなのだ。
鉄ちゃんは昔からいるし本もいろいろ出ているが、新車レビューが出版ルートに乗るほど新車が製造されていて、お目当てのファンもおるのねぇ・・・と思った。
とか何とか他人事のようなことをぬかしていると、「おまえも鉄分濃いくせに」と突っ込まれそうだが。

鉄道といえば、ほんのひと昔前、関西の球団は私鉄全盛期だった。いま阪神がマジック爆走中、近鉄も「快速」ぐらいか、これに南海ホークスと阪急ブレーブスも加わって、特にパリーグは熱かった。
阪急の山田久志のアンダースローは、見ている方も自然に体がくねってしまうような「職人芸」で、なかなか真似できるもんではなかった。
そんなかつての名投手も中日監督に疲れきったのか、休養宣言してしまって寂しい。

ブレーブスを解体してしまい、上田監督も仰木監督も活用しきれなかったブルーウエーブのオーナーは、情けないことに同郷の同窓の先輩だ。
ここは「かわゆい後輩」として取り入って(絶対かわゆがられないと思うが)、鉄ちゃん作戦でパリーグを活性化させたいところだ。
強い大球団という発想はやめて「お京阪ひらパーズ」とか「山陽イカナゴお茶漬けーズ」などチマチマでっちあげて、地元の名産売り上げアップも兼ねるといい。山陽のホームグラウンドは明石にして、バックネット裏には枡席をもうけてタコ焼き(本家の明石焼き!!)をつまみながらの観戦もいいなぁ。優勝祝賀会はビールならぬタコ墨のかけあい。
もう野球やーめた!という阪急にも「グループ電鉄に野球部どんどん創部して選手を持ち寄ればよろしいやん」とそそのかせば、地元高校生の就職対策にもなる。阪急傘下には「神鉄トロッコスター」と「能勢電いのししパワーズ」「北神だれも知らねーズ」が控えている。

まぁ、地元を思ってのつもりが、野球も関西もモノ笑いにしとるだけや!!と叱られそうだ。唯一、銑ちゃんから「この路線の知名度を上げてくれた」と感謝されるかも・・・。
 


9・11

at 2003 09/11 15:02 編集

猛烈級の台風接近で、連休の山登りが危うくなってきた。
とりわけ発起人が残念がっていて、「高気圧スポットを探してそのエリアの山に登りましょう」「いっそ北海道へ!」と、滑り止め策を出してくる。なんとか、この熱意が台風を吹き飛ばせたらいいが・・・。

でもこんなとき、急転回して行き先が予想もつかなかった方向に変わったりするのは、個人的には好きだ。「ひょうたんからコマ」を実感する。
だれかのせいで振り回されるのと違って、ハプニングゆえに「メイク・ドラマ」という感じがするせいかもしれない。
そりゃ沖縄旅行がUSJに変更になったりするとガックリくるかもしれないが、そっちはそっちで何かいいことないか?と前向きに行けばいいと思う。

今回の登山の発起人から沢登りに誘われたときも朝から雨で、現地に行ってもやまず、急転回してDがま先生率いる「出石そば800杯」に赴いた。雨の城下町もなかなか風情があるわねーウフフン・・・と、ヤロー3匹でのし歩いた(苦笑)。

天変地異はしかたないが、たとえばデートで「ごめん、風邪ひいちゃったから中止」というのはわびしい。
ほんまドタキャンは嫌いだ。せめてドタエンなら・・・。

人生も、酔っ払い運転でセンターラインを越えて正面衝突、双方死亡・・・なんてのは、酔っ払った方は御機嫌なポックリ死だが、当たられた側は不条理そのもので死を受けいれられないだろう。「納得できる理由」がない。
予想外のことが起これば、ふつう人は「なぜだ!?」と理由を求める。心理学でいう「状況の合理化」だ。
合理化できない悲劇が、最近どことなく多すぎる気もする。「9・11」は最たるものだろう。

デートの没ぐらいのことなら、まだかわいいものだ。
せっかく、あそこでああして、暗くなったらこんなことして、あぁそんなことまで!!Ah・・・と勃起しきった陰謀の収めどころがないわい。
そんな腹黒さは頬かむりして、「いいかね、自己都合で中止するなら対案を出して延期としたまえ。原案より楽しければ発案を尊敬する。来たときよりも美しく。遠足の鉄則じゃ」
と、わけのわからん説教もどきを真面目くさった顔でする僕の仮面は、わかる相手にはバレバレだ(笑)。
 


延期!

at 2003 09/12 12:26 編集

発起人とザウルスをはさんでレーダー画面を見ながら、登山の打ち合わせ。便利な時代になったものだ。
便利だが、かえってこんな判断材料があると迷うわな。
「進路がこうなら前線が押し上げられて晴れる!」「高気圧が弱いから油断できない」等々、素人口論は埒が開かん。気象予報判事みたいな専門家がいたらありがたい(苦しまぎれ)。

結局、「なかなかとれない有休やから、何とか行きたいなぁ」という発起人をねじ伏せて「油断大敵。有休の苦労より自然の猛威」と幕を引いてしまった。晴れ間を探して行き先を決める」行き当たりばったり作戦で、御岳だ乗鞍だ八ヶ岳だと標的が右往左往しはじめて、「こりゃ危ない兆候だ」と感じたせいでもある。地図も計画も持たない登山なんて、正気の沙汰ではない。
微妙な天気だったので、「こんなとき、一人ででも行く?」と聞いたのが決め手になった。
「行かへんなぁ」「それなら、やめとこ。集団心理で無理すると遭難しかねへん」

昔から、こんな類のやりとりの後「ほんまにお前はやる気あるのか?」と疑問を持たれるのが常だった。
疑われるのは慣れているからいいとして(笑)、集団や組織のハイテンションとか盲進を警戒するのは小学生時代からだった。
グループが割れるいざこざとか不協和音を忌み嫌うのが日本人の「和の精神」で、うまく行けば全員が成功を喜べる。運が悪ければ全員が遭難する。ゼロ・サム・ゲームである。
日本人特有でもないと思うが、集団心理が個人の判断をのっぺらぼーに帳消ししてしまうようになると、リスクが見えなくなる。そうならないためには、群れないこと。と言ってしまうと身もフタもないので、集団行動を前提に考えると、「割れたりまとまったりが、わだかまりなく変幻自在にできる集団であること」が理想だと思う。
シーナ一族の「あやしい探検隊」のスナップ映像を見ると、5人や10人の集団キャンプでも、めいめい小型テントを持ち寄って、1人とか2人単位で泊まっている。巨大テントに皆まとまって寝泊まりしてはいないのだ。仲間が運転するバスで旅行するのと、バイク・ツーリングとの違いみたいなものか。
これだと、だれかが離脱するのは簡単で、また同調圧力も小さい。個々人が完結した能力を持っていれば、「だれかに従属してついて行かないと助からない」という奴隷根性も湧いてこない。
奴隷同士がなだめ合っているぬるま湯体質が、よくあるサークル活動・・・というか、自然にそうなる日本人の性なのかもしれない。実際、そんな悲劇でグループがまっ二つに割れたこともあったし。
ただ、まだ僕自身も未熟なところで、心の片隅に、たとえば修学旅行は大欲情で浴場する(あ、逆か)のが正しい姿で、生徒みなツインルームに割り振られてユニットバスに入っているなんてのはケシカラン!という変な固定観念はある(でも夏のプール授業でスクール水着一辺倒は反対で、スクール水着しぶしぶOKひもビキニOK水着なし大OK・・・と支離滅裂になってしまう)。

脱線はともかく、アウトドアという道楽を、価値観やテンションや職業がばらばらな他者と、規則や悲劇で萎縮することなく楽しめるというのは、これからの課題だと思う。
こんなとき僕は集団指向の社会学屋をあっさりやめて、心理学講師時代に逆戻りして考える。よーく自己分析して、ソーシャルな自分とプライベートな自分をきちんと区別してマネージメントして行かないと、悲劇を招き寄せてしまうものだ。しばしば、内向的な面は、ある種の内向的な他者から共感されて「私のことを理解してくれている優しい人」と誤解されてしまうこともあったりする。
目下大切にしているのは、笑われそうだが「晴れ男」という素顔である(自分で笑ってしまいそうだ)。
僕は雨に降られたことはあっても雨にたたられるほどの悲劇に遭ったことがなくて「晴れ男」を自認してきたけれど、別に運命の女神がついているわけでもなく、降りそうならあっさり延期するだけ、晴れ間が出そうなら2時間で荷造りしてスクランブル発進登山(笑)するだけで、早い話、「超自己都合」というだけのことだ。リーダーシップがないのに、リーダーと見られているのが罪つくりな教祖でもある。

夜が明けて、台風は東シナ海を北上しているが関西は真っ青な空でお日様さんさんと晴れ上がっている。
恨まれているだろうなぁ(笑)。


店名はCLEAR

at 2003 09/12 16:15 編集

「バカボンのパパ」の喫茶店が生まれ変わって数ヶ月。剽軽そうに見えて実は「葉隠道をたしなむ隠密」のようなオーラを発する前マスターは、夜中まで店をやっては実はほとんどダーツサロンと化していた。コーヒー300円というのも、稼ぐ気がなさそうな値段。そのくせキノコのソテーとスープの定食は絶品なほどうまかった。

そんな、いい意味で怪しい店はどうなったべかとマーキングしに行った。
当たり前だが、ダーツ場はちゃんと客席に変わっていて、ごく平凡な喫茶店である。バイト店員もいなくて、一人で仕切っている推定30歳の少年ふうミストレスの趣味なのか、ずらりカウンター奥にそろっていた洋酒に代わって、アロマキャンドルが並んでいる。夕暮れそこそこに閉店なのに。
そうか、閉店後は会員制でキゃンドルを使って何かが催されるわけか・・・?
てことはないだろうが、ちょっと何かあり気なミストレスの細い線に、妄想をふくらます午後の教祖なのであった。
 


ひと足お先にM1

at 2003 09/13 15:28 編集

マジックマジックマジックマジックマジックマジックと、テレビもラジオも騒がしい。
おカメラマニ屋の僕は、M5、M4、M3・・・とカウントダウンされるのを聞いて「ライカみたいやなぁ」と別方向に気が向いていた。

カメラおやじを黙らせるオーラを放つライカM型は、1954年発売のM3こそ世界一だというのが定評だ。
ヘンなのは、M3の次にスペックダウンしたM2、M1と出ていることで、次はM0かと思いきやM4になって、以後5、6、7・・・と出ている。
エルンスト・ライツのドイツ本社には、熱心な野球ファンがいて、マジックナンバー式の型番ネーミングをしていて上司にばれてしまい、順算式に渋々変えたのではないだろうか(そりゃないだろうけど)。
ちなみにニコンの看板カメラはF,F2,F3,F4,F5と変遷してきている。Fの1はキヤノンが出してしまい、その次にたしかニコンからF2が出て次はF3だぞと睨みがきいていたから、キヤノンは「F2.5」を出そうかと思ったところ、そんな小数点のけったいな型番あるか!と御手洗社長から叱られ、おまけにすでにニコンの望遠レンズで105mm「f2.5」というのが出ていたので万事休す。
・・・というのはまったくの作り話だが、世界に売り込む日本の基幹製品だから、ネーミングも大変なのだろうと思う。

M1になると、そりゃもう浪速の街は百鬼夜行の騒ぎになって女子供カーネルくんコルゲンくんペコちゃんは外出禁止になり、戒厳令さえ敷かれるかもしれない。
M1といえば、たしかあの豊田商事の斬殺された永野会長の愛車が、日本に1台しかないBMWのM1とかいうクルマだったのではないか・・・?と、おぼろげに思い出す。
亡霊が、蘇るか浪速の街に!!・・・ワナワナ・・・
 


挿ス兵衛

at 2003 09/13 22:17 編集

ドトールコーヒーへの道連れは、自転車ツーキニスト疋田智さんの『サドルの上で考えた』(東京書籍)だ。
疋田さんのツーリングレポートが大・中・小と3レベルあって(つまり大旅行、中旅行、小旅行ということ)、「小」として大阪1週間自転車散歩という「冒険」が紹介されていた。

なるほど、中途半端に大阪をかすめ歩いている地元民より、このニュース23ディレクター氏の方が、するどい観察をしているかもしれない。
疋田さん曰く、大阪はビルのつくりも違う、女子ファッションも違う、もう何から何まで東京と違う魔都だ!!ということらしい。

で、ディレクター氏の取材(?)で僕が初めて知ったのが、大阪の自転車オバチャンが必ず愛車のハンドルにつけている、あの傘固定金具は「さすべえ」という商品名だったのだ!!(笑)!!
このスクープ!?は、ニュース23ものですな。

レポーターが「もう後は野となれ山となれ。ボクやめるもんね」の久米宏なら、ブラックジョークを飛ばしてくれるんちゃうやろかと少し期待してしまった(なにせ英国リーボックブランドの靴のほとんどは韓国製だというルポルタージュで、「李さんと朴さんが作ってるからリーボック?」と大胆ジョークを飛ばしてた人だから)。
曰く「大阪のオバチャンは雨でも『さすべえ』でご機嫌、でもご機嫌斜めになったら『刺すでえ』ってね」。
まさか久米氏はこんなお戯れは口にしないだろうが、銃弾入り郵便覚悟で華々しい毒舌を残してほしい。
筑紫哲也には絶対できないことだからね。
 


少女は赤い靴をはいていたか

at 2003 09/14 12:24 編集

新潟で監禁された女子中学生、犯人の家で1週間以上も家族と一緒に御飯を食ったりテレビを見たりして団欒」してたそうで、北野武あたり「ホームステイ監禁だねこりゃ」とつぶやくのではないかとかすかに期待している。
もちろん「犯罪よくない」の正論を否定するつもりはないけれど、どうなっとるのこりゃ?という違和感と、ありうるかも?という納得が僕の中で入り乱れている。
マスコミでは犯人家族批判も垂れ流されていて、不可解な感覚はわからなくもないのだが、わけわからん子が勝手に家で飯を食ったり寝泊まりしたりすることは、昔は都会でもあったし、今の農村部に残っていても不思議ではない。
鍵をかけずに外出して、近所の老人や子供が勝手に入って来て庭の柿をむしって食ってるとか、ついでに雨が降ったら洗濯ものを取り込んであげるとか、そんな村落生活は現代の都会人にはなじまないだろうし僕も戻りたくないが、このアジア的というかムラ社会的なアバウトさは、残っている地域があるし「そんな古い生活はやめて最先端のプライバシー感覚を持ちなさい」という資格など、だれにもない。
僕も幼いころ、友達の家でおよばれになって満腹になったあげく寝てしまうようなことがしょっちゅうあった。そこの親にしてみれば、僕は「どこかの男の子」であって、わが子が「友だちやねん」と言って連れて来たら、それはそれでなんとなく信用して、家族の準構成員として扱っていたようだ。何家の息子なのか?何か事情があって自分の家に帰りにくいのか何となく滞在しているだけなのか等々、追及もしなかった。イエと子供のつながりがアバウトで、「わが子が連れてきたどこかの子」はエイリアンでも不安材料でもなく、わが子の延長だったのだ。
だから、地域の大人はよその子もわが子に準じて世話したり叱ったりしていたわけで、早い話、地域に住みついている野良猫だったわけだな僕なんぞは(笑)。

別にノスタルジーで丸めこんで現代の犯罪を弁護するつもりはないし、今回の犯人が、被害者を脅迫したりしていたなら断罪されるべきだとは思う。それにしても、1週間も真相を知らない犯人の家族と同居していたのは、案外、その「軟禁」生活に快適さがあって、一方では元の生活への求心力が弱くて、もしかするとなんらかの遠心力(どこか行きたい、刺激がほしい、毎日なんとなく退屈etcetc)が伏線としてあったのではないか・・・?と考えてみることすら封殺されるようだと、同じことは何度でも起きるだろうとも思う。

素性のわからない子供がいたら、保護者はどこだ、保護責任を果たせ、子供をしっかりつなぎとめておけ、と無言の社会的圧力がかつてないほど高まっているのが現代社会でもあり、子供の監護責任者を確定できないと不安でしかたない。泣いている子を家に連れて帰って、あとで何か言われたらややこしいから警察に通報するのが、とりあえず「無難な措置」だろう。ヤモメ暮らし中年男が少女を連れ帰ると、確実にただごとではすまない。
その一方で、同じ社会で、事件性さえ匂わなければ、この子どこの子?という関心を持たれないのも現実だ。「U15」が夜中に街をふらふら歩いていても、タバコを吸っていても、だれも口出ししない。
そんな社会的無関心と、軟禁犯26歳無職男の家族の「見慣れぬ少女との団欒」は同じではないけれど、違うからこそ、猫を拾うような感覚で少女を連れて帰る犯人を断罪する資格は、無関心社会人にはないと思う。

もし、僕のところに「猫と遊びたい」と(家族を持つより猫と暮らしている可能性が高い)フラ〜ッと近所の子がやってきたら、適当にいさせてやろうかと思うが、事なかれ主義で追い返すかもしれない。
「君はどこの子だ?なにっお父さんがいない?ママは黒木瞳似?そうかそうか、ママによろすく。今度は一緒においで。永遠に」
と、事あれ主義にコロリンと転じる可能性は108%ほどある。
邪悪な!!
  


こう楽しもう阪神戦

at 2003 09/15 12:50 編集

阪急ブレーブスがあるころ、報道メディアでの球団の略称は混同しないよう「阪」ではなく「神」と書いていたが、もうその必要はなくなった今でも、阪神タイガースは略称では「神」阪タイガースだ。
気まぐれな神サマがついているのではないかと思わせる大活躍も、いよいよフィナーレ。
なんとかうまいこと甲子園で優勝を決めようという(ほんまか?)心憎いタイガースの足踏み演出。くーっ!

今日もし勝てば選手も観客も甲子園に残り、夕方のヤクルトの試合をスクリーン観戦しながら優勝を待つという。
なんや、それならヤクルトのデーゲームを朝イチにやっといて(アサゲー)、大喜利に阪神戦をやるという段取りの方がすっきりするのに。
と、ファンはみな思うだろうけど、無理なことではない。
阪神戦を、0対0でもいいし10対10でもいいが、シーソーゲームに持ち込み、延々と長引かせればよろしい。
国会野党議員のあの投票スタイルを見習えばいいのだ。牛歩戦術である。
ヒット打ったら走らにゃならんが、盗塁は何百回とモーションかまして、牽制球だけでピッチャーへとへとにする。
ホームランを打ったら牛歩でのらりくらり歩く。1塁の次はレフトにも立ち寄って「どや!」とあいさつし、2塁の次はライトにも立ち寄って「ムハハ」と笑い、3塁からは赤い絨毯を敷いてもらってトラッキーと交尾しながらホームインする。

こうして2時開始のゲームが7時ぐらいまで長引けば、ころあいよくヤクルト戦が終盤か。
決着がつくまで、満塁にランナーをためておいて、あえて同点でキープしておいた最終回裏、ツーアウトツースリーでバッターは金本、すでに50本のファウルでねばっている(!!)。ピッチャーは過労死寸前、遠い世界にいる村山実の亡霊がスクリーンに浮かび上がって甲子園は心霊球場と化し、カープ一同「打つなら早く打って終わらせて下さいよ〜」と泣きべそをかいている。どこかの某原監督に涙目の浮かべ方を教われば効果抜群だ。

そしていよいよ、「いまヤクルトが負けました!」
というところでスコーンと出たら、もう関西だけ21世紀が終わるね。
 


敬ゾーの日

at 2003 09/15 20:19 編集

糸井重里さんが、「お年寄りは埋蔵金」というタイトルで敬老の日エッセイを書いている。
うまい表現やなあ。
熟成された経験というか、知恵のジャングルというか、歴史の生き証人というか、発揮できる場さえあれば今の世の中、多少は「もっちゃり」しても人間的な社会になっていたかもしれない。

僕はじーちゃん子だったせいか、昔から老齢な先生を自然に師と仰いできた。
でも、学校現場の老害を激しく糾弾する教育事業家(旧友)もいて、それはそれで1つの卓見にも思える。やつは「義務教育の教員の平均年齢は、親の平均より高いねんで。我が子でもない小中学生の気持ちなんか、わかりっこないで」というような指摘をしていたと思うが、たしかに「中年の知恵」は、説教か昔話が匂ってなかなか「埋蔵金」には見えないだろう。それどころか親と教師と警察は「ニアイコール感覚」で結ばれて、枢軸同盟に見えるんちゃうかな?と僕は想像するばかり(同世代のビル・ゲイツやサザンは、ニアイコールされるのだろうか?)。

いかん、敬老を考えるつもりが、ついその「助走世代」を考えてしまう。
きのうの読売新聞には、99歳のプロスキーヤー三浦敬三氏の自炊生活がでかでかと載っていた。専門家も完璧な栄養状態だとお墨付きを与えているが、帝国大学農学部出身でスキー歴80年(それまでは陸上選手だったそうだ)、自分の体は医者よりもだれよりも熟知しちょるよ、とつぶらな目で笑っておられるようだ。いい笑顔なんだこれが。
完璧な食事と欠かさない運動で、敬三さんの肉体は無駄なく磨きあげられている。

肉体(筋肉や脂肪、肌や髪)を、自然な老化のせいにして醜くなるにまかせている中年も多いが、肉体のtune-upと頭の中はシンクロしていると僕は思う。
先の「老いた教育者」の話でも、平均年齢を問題にする友人と違って僕は「体の醜さ」が前々から気になっている。いろいろなシンポジウムや学会で壇上に見かける教育者たちの大半は、頭髪か目つきか下腹が醜い。「背広にアディダス」という例の超絶ファッションも絶滅してないし(笑)。
こんな「教師の身体性」から、セクハラや性犯罪も説明できそうな気もする(街を歩けば逆ナンパされるようなビューティフルおじさまなら、電車で痴漢する必要もないわなぁ・・・)。
頭だ言葉だけで「すごいですね」というだけでなく、「敬三ボディ」を見習いたいものだ。スポーツでも芸術でもいいから、肉体を鍛えて磨いて、せめて若い連中にそばに寄りついてもらえる風体にならないと、中年タコツボで窒息してしまいそうだ。
「老を敬う」価値観自体、タコツボの外じゃ絶滅してしまうかもしれんなぁ・・・。
 



ミナミは燃えているか

at 2003 09/16 16:03 編集

きのう星野監督と抱き合っていた某元選手をモデルにした「がんばれタブチくん」の作者が出身の大学へ、野暮用で出かけてきた。
目的地は阪急沿線だが、用事が終わってあえて阪神に乗り換えて神戸に戻る。
そんな僕は、たしかに「にわかタイガースファン」だが(弘田澄夫のファンだったと力説しても、年季の入ったオッサンからは新米だと言われるのだ)、阪神電車ファンは前々からだから、少しは市民権を与えてもらってもいいだろう(ね?)。

昼下がりの梅田は騒然としていた。特に地下街。どこでもタイガース優勝あやかりセールで、どうでもいいようなモノまでさばかれている。こんなときこそ、売れ残りを虎縞か縦ストライプの袋にいれて「福袋でっせ!」と並べれば、棚卸しになっていいのかもしれない。
阪神電車で神戸に向かうが、特急は甲子園をすっとばしていた。阪神百貨店が優勝直後に閉店するのと同じ心理からか?(まぁ、違うだろうけど)。
甲子園周辺の住宅はちゃんと建っていた。燃えたり穴が開いたりした様子はなかった。

ミナミの女帝sabatoに「あたりを取材して来い」と指令を出すと「ヤバいっすよ〜」とうろたえていたが、一夜明ければ戒厳令は解除されているようだ。
以上、タイガースファンを怒らせかねない阪神間レポートまず1本。
 


場外バント!

at 2003 09/16 22:46 編集

阪神優勝から一夜明けた新聞各紙には、関係者のいろんなコメントが載っているのだが、スポニチに出ていたタイガーマスクのコメントには首をかしげた。

プロレス人生で今が一番最高。
べルトも無事戻ったし阪神も優勝。
大阪プロレスを日本一の団体に。
大阪を首都にしたいですね。

これがすべてなのだが、阪神優勝など「片すみ」扱いではないか??(笑)。なんですかコリャ!?である。
大阪プロレスも大阪遷都もええけどねー、このズレまくりかたは、芸だと思いたい。
ビールかけ中に「どうですかーっ!!今のお気持ちは」とインタビューされて赤星が「阪神はさておき自民党総裁選も小泉圧勝だし朝青龍も全勝、ヤッター!!」と真面目くさって答えるようなものだ(でも、これもやってみてほしいけど)。

こんな記事とは正反対に、仙ちゃんの母上が優勝の2日前に他界していた話にはポロリと大磯ロングビーチ・・・じゃない、ホロリとさせられた。胴上げを見せてやりたかった・・・か、そうでしょうそうでしょう。
逆にたどってみれば、案外そんな悲喜裏腹劇はあるものかもしれない。
僕も改めて調べてみると、実は親父の他界した日に宝くじが当選していて気づかずにいただけで、「親父と1億5000万ずつ分かちあいたかった」なんて言ってみたかった・・・と悔やんでみたいが、買ったことがないもんは当たりようがないわい。
でも、喜びの陰には悲しみあり、悲しみの陰には喜びあり。
だと思う。
苦楽が順にやって来るというより、苦楽は背中合わせのような気がする。
 


宴のあと

at 2003 09/17 17:19 編集

なんだか文学的な題名で格調高い日記になりそうだ。
道頓堀のカニの目玉が警戒中にもかかわらず盗まれたとか、食いだおれ人形が拉致されかかったとか、「その後の騒動」もなにかと楽しませてくれるタイガース狂奏曲。「実はあのカニの足には身がどっさり」「カニみそも詰まっている」とデマが流れれば、あられもなく解体されてしまうのではないだろうか。
日本シリーズが楽しみ・・・とはいえ警備する側は大変だろうけど、あれだけのファンが御堂筋の3分の2をふさいでも、暴動らしいこともなかったようだし、本当に平和なお戯れでよかったのではないかと思う。偉いぞナニワの野球ファン。

案の定、ダンカンが「川にピラニアを放っておけばいい」と手垢のついた提案をしていたが、もっと頭をひねらんかい。
川に水着のミニスカポリス・・・こりゃ変か、ビキニ婦警軍団を田植え女よろしく配置して、「飛び込んだら即刻逮捕」と構えていたら、さて飛び込むかためらうか。これを接近―回避のコンフリクト状況という。タイガース旋風は心理実験も見せてくれてためになる(まだ実現してないけど)。
それでも逮捕業務は断行せねばならぬ!と意気込む大阪府警は、もし江頭があの肛門芸をやれば、あまりに気持ち悪くて手出しできないかもしれない。
鳥肌実が立ちまくるって?サバ子!


道頓堀「タイプ」!

at 2003 09/18 19:15 編集

日刊スポーツに「ビビアン遠恋」の見出し。
これぐらいのトレンド略語はわしにもわかるぞ。エンコーも納得したし・・・いや、納得するわけにはいかないが、納得したし。
「遠ざかる恋」か。なるほど台湾のビビアンと東京のガクトは遠い。
なら、ガクトが那覇に引っ越せば、東京より近くなるぞ。どうだねガクト。

トップ記事は、とうとう出た道頓堀川水死事故。
でも星野監督のコメント「飛びこんだやつは1年以内に重病になるというデータもあるらしいで」は、データになってないって。重病って、なんですか仙さん!
飛びこんだ人が標本集団で、85年の優勝で何人いたのか知らないが、母集団は日本人に限定しても1億3000万。比率が大きすぎて誤差があやしい。

なんてヤボなこと言わなくても、たしかに汚いわな。「飛び込む時点ですでにビョーキ」という気もするけど。
どうせ比較するなら、「道頓堀川に飛び込むリスク」と「喫煙の罹病リスク」、「ダイエット中の女性の罹病リスク」「車道に沿って排気ガスを浴びながら一生懸命ジョギングしているランナーの罹病リスク」など比較してみたら、おもしろい結果が出るかもしれない。
野球に限ると、12球団の各ファン層ごとの健康度やストレスを比較すると、けっこう違いが出そうな気もする。ジャイアンツファンはぼけやすい、横浜ファンは長生き・・・ような気がする。
血液型別性格や、好きな煙草の銘柄なんかよりはるかに、どの球団を応援するか、どんなスポーツが好きかでタイプが分かれてくるのではないだろうか。道頓堀タイプとか(笑)。

それでただ「○○タイプだね」と言いあうだけなら他愛ないお戯れでいいが、ときどき―半世紀に一度ぐらいは―、選択肢がたくさんある嗜好品について無邪気に語る声を、ぢーっくり聞いているOL(39歳独身お局歴10年)がいたりするのはこわい。だろうと想像する。
たとえば「どんなお酒がお好みなんですか?」と聞かれる場合。
「何が好物ですか」と聞かれて必ず「あたしゃ何でも食べる」と答えるナニワのおばちゃん&おばーちゃん(ナイトスクープねた!)と似て、僕は「何でも飲むよ」。実際その通りなんだけれど、これは正直に言わないと変な酒席によばれたりするから、正直に自己申告すると、「ワインはちょっと体に合わないかな」とか言っといた方が無難だ。
私の体はワインが垂れて・・・じゃない、ワインでできてるのウッフンンンンン・・・私と一緒にグラスを傾けてくれる男性いないかしらahhhhhhhhhhhhhh・・・てなフェロモン女性と出会う機会なんかまずないと思うが、手ごめにされるのも甘美な経験でいいかもしれないな。「この、役立たず!」と罵倒されること確実だが(笑)。

僕がお誘いを受ける機会など、もう今世紀中にあるかどうかわからんのに、「お誘いする機会はあきらめず散弾銃」であるのは、われながら情けないところだ。
そんな立場になると、まず「お酒は好きですか?」と尋ねなければならない。いきなり「貴女は何を飲むか!?」とやれば、飲むことを前提にしているから、飲まされるワと察知して逃げられる。
これ、オタクの陥るミスと似ている。
たとえば、いきなり「桃レンジャーと黄レンジャーのどっちが好きっすか?」と問いかけて、そもそもその世界に縁のない相手の目をシロクロさせて、後で「ゴレンジャーの類はご趣味ではないのか」と気づく前後不覚なオタクはよくおられる(最初にそれを探れっちゅうのに)。
でも、こんなやつは「いいやつ」な純情男だと思うのだ。彼女が気づかんうちに、手なれた乗せ方でうまいことやってしまう色男など、108%の確率で悪人である(と、もてるやつを落としめて自分を正当化する姑息な手口)。
若造のうちは、こんな攻め方を磨くのに必死だが、地位と名誉と財産を築き上げた青年実業家でんきG先生ぐらいの大人になると、こりゃ危ないなと思う相手(39歳独身お局)に煙幕を張るために、オタク演技も必要になる。
「ご趣味はなんですか?Dがまさん」
「やっぱりペンティアム4がええな。もうすぐ4ギガ導入するで」
とか。え!演技ではなく地でやってるって?(笑)
 


あぁサターンさま・・・

at 2003 09/19 17:45 編集

週末ごとに台風が来る感じ。またこの飛び石連休は、山の神さんに「無理して来るべからず」とシャットアウトされそうだ。
僕は副業で教祖をしているので、信心深くて(釈迦やイエスは信心深かったのだろうか)、こんな大自然のめっせーじには敏感だ。台風のニュースを聞くと、耳では普通の天気情報が聞こえ、第六感では「お前は無理してサラリーマンと行動を共にせず平日レジャー男になれなれなれ」というメッセージを受信する。
こんなのを俗世間では「電波系」というらしい(笑)。

先週お流れになった穂高登山隊の紅一点と電話で話していて「だれが雨男なんでしょうねー、私が雨女なんかな〜」とぼやいていたが、おそらくだれが元凶というもんではないと思う。
絶好の日程で絶好のレジャーを楽しもうと張りきっていると、必ず「何か」を見落としているもので、自然現象の観測を棚上げしといてだれかを雨男だ雨女だとスケープゴートにするのは罪なのだ。台風だって、突然降って湧いたわけじゃなく何日も前から接近してくるのがわかっていたんだし。
と、教祖はいたって科学的に考える。
だから信者が増えへんのかね?


カネもほしいがもっと時間を

at 2003 09/20 22:05 編集

台風のおかげで涼しくなって、何ヶ月ぶりだろうスニーカー・・・と思いつつ、スニーカーで野暮用に出動。
出勤の皮靴と、普段着用のサンダルのどっちかしかはかないアジアンライフになったのは、梅雨入り以来か。いっそ仕事もサンダルで通せたら理想的だが。

今日の野暮用は、森永卓郎じゃないが「年収300万でいかに人間らしく生活するか?」を実践する集まりだ。
年収300万といっても、配偶者もそれぐらいかせげば決して低所得ではない。
むしろ、低年収で空いた時間を家事育児に回せば、保育費や教育費、遊興費なんてのが節約できていいのではないか?と僕は提案した。

同じ年収300万でも、追い込まれた受け身の立場もあれば、選び取った積極的な仙人生活がある。俺の仕事は600万の価値があるのだ!と自負する人が所得半減するとガックリくるのだろうが、それなら消えた300万の部分(時間、能力)を300万なり400万なりで売れるかどうか、試す機会になると僕は考える。所得半減で落ちこんでいる人の支えに全然なってない、挑発的な考え方かもしれないが。

労働の価値と貨幣価値の整合性をとるのは本当に難しい。
僕など、もし黒木瞳級の客専門マッサージ師をするなら年収200万でも大喜びだし、サッチー専門なら2000万はほしい。
とまぁこんな差別的な比較をするのもなんだが、仕事には賃金以外にも「報われ方」があるわけで、低賃金でもフリンジベネフィット(うま味)があればいいと考える方が、どうせデフレでベアなんて期待できないご時世には賢明かもしれない。平均労働者にくらべて年収が半分でも、拘束時間が半分以下だったら、余った時間を余暇に使うもよし、副業に使うもよし。生活時間の主導権を少しでも増やせるほうが、僕は人間らしさを確保できると思う。

森永卓郎さんがいうように、働かない専業主婦、教育費を湯水のように使う不出来な子、資産価値が下がるばかりのマイホーム・・・は、3大不良債権だろう。
では「優良債権」とは何か?といえば、これがなか思いつかないものだ。
ただ、生産に化けるか消費に終わるかは人それぞれだろうと留保しつつも、やはり時間的余裕は何をするにも必要だから、時間を犠牲にしたら何も自発的・主体的に始めることができない。年間2000時間以上(通勤時間の累積は入ってない)も会社に貢いでたら、なかなかしんどいだろうなぁと思う。
時間を投資に転換せねば!とあちこち作戦会議には出向いているのだが、なかなかね・・・。


秋はどこへ

at 2003 09/21 12:20 編集

ひどい残暑から一転、大雪山に初冠雪のニュース。待ってました!
じんわり秋が深まるのも僕は好きだが、その先の銀世界が待ち遠しいので、雪乞いをしては寒がり屋を怒らせてしまう。

しかし、少し早い気もする雪だ。灼熱の汗だく登山もいやだし、寒さに凍えるキャンプも気が重い。勝手なものだと思う。
でも、八ヶ岳でテントを張っていたとき、カサッ、カサッと雪が降る音で目覚めた朝は、すばらしく抒情的な瞬間だった。
今年も経験できるかな?



Pコードファッションチェック

at 2003 09/22 16:50 編集

涼しくなると衣替え。
と思うのが感覚人間OsawaSense(センセではなくセンスなのだ)のマイ・ジャッジなのだが、暦に忠実に生きる真面目な人民も多い。
気温30度でも、ブーツよ!もう9月なんだから秋なのよ!だからブーツ!なにが悪いのよっ!というひざ下サウナ女性も見かけたから、もうすぐフリース君も現れるかもしれない。

仕事中毒のあまり、休日の服に困るというサラリーマンもいるらしい。休日は抜け殻みたいになっている「充電待ち状態の産業ロボット」なのだろう。いちおう脳は働いていて「どこにも出なきゃパジャマのままでいいや」てな判断をした結果かもしれない。
実際、そんなかっこうで(どう見てもTシャツには見えない黄ばんで汗くさいメリヤスシャツとか)スーパーに買い物に来ているおっちゃんもいて、それはそれで「ああなりたくない」と「ああなるかも」の葛藤を感じさせてくれるロールシャッハ画像だ。

僕の休日は、「思いきり息抜きをしたい」日であって、オフのコーディネートで決めるわよ!と考えるエネルギーとかKansai Walkerなんかのノリはすごいなぁと思う。乗る人が増えた方が、経済活性化のためにはよろしいかな。
私的には、オフでは透明人間になりたい。目立ちたくない。穴があったら入りたい(笑)。
というわけで、身だしなみにあえて気を使わないのです!
と、ただのファッション音痴をごまかしているだけのような気もするな、われながら。

ファッションと「私」の関係は、哲人プロフェッサー鷲田清一氏らの研究に脱帽するしかないが、ファッションはだれのためのものか?と考えると、なかなか割り切れない。「私の精神の充足のためでもあり、国の安寧のためでもあり」なんてバランスよろしく考えるのは、皇族だけでええぞ。

暦や流行に敏感に従う人がファッショナブルといわれる感じもするけれど、本来ファッションは強烈な美意識や表現意識に裏打ちされているプライベートな、ごく私的な行為だといえる。パブリックとプライベートを対比させてもいいが、これをPコードとしよう。
パブリック(またはトレンド)とプライベートのどっちに意識が傾くかで、「ファッショナブル」にも4象限あることがわかる。でっかい「田」の字を描けばわかりやすいのだが、Pp、pP、PPとppの4タイプである。
例をこじつけるとこんな感じ。
Pp:儀礼服
pP:場違い
PP:美男美女のヌーディズム
pp:ホームレス
つまり、左のPは見たい度合い(大・小)、右のPは見せたい度合い(大・小)である。

こんな分類は、あくまでも便宜的なものにすぎなくて、現象学的にみるとこの4象限と重なりつつ微妙にブレた別象限が透けて見える。
つまり、

Pp:儀礼服
          のボーダー *1
pP:場違い
          のボーダー *2
PP:ヌーディズム
          のボーダー *3
pp:ホームレス

という、「ボーダーケースの4象限(1象限は省略している)」である。
たとえば、*1の例としては「灼熱日本の汗ぐっしょりスーツ」、*2は「ミニスカおばば」。*3は難しいが、一歩間違うとカルト界では稀少価値を持つような、見たい・見せたい存在でありながら、見たくない・見せたくない楽屋裏の表現かな。たとえば分娩を「表現」にしてしまう女性なんかも芸能人を中心にいるようだ(3日間の苦しみの末やっと排泄した私のウ●コ3172グラム!と表現する女性がいたら脱帽するけど)。

あの「某ファッションチェック」のおもしろいところは、する人がこれまたボーダーの人なので(笑)、巷で「私はバッチリ」と思い込んでいる女性を槍玉にあげて「あなた、変!」と4象限の外に放り出してしまう勢いにあったりする。または、自分ではボーダーをねらっていても、「あなたみたいなのは、掃いて捨てるほどいるわよ」と桝目にはめこまれてしまうケースもある。
ピーコのような人、また惜しくも早逝したナンシー関さんは、目に見えるファッションではなく、その奥にあるコードを読む透視力の持ち主だ。表現の達人というのは、たとえば真っ赤な服でちゃんと弔意を表現できたりするように、コード使いの達人なのだろう。
そのコードにも、装いのコードのほかに肉体のコード、言葉や表情といったコードがあって、操るのに疲れ果ててしまうのだ、する前から、頭の中で。
なんだか長い長い「休日ファッションレスホーム・・・いやホームレスファッション」のいいわけになってしまった。



腹立つ乗り

at 2003 09/22 19:38 編集

ご本人がかわいそうといえば、かわいそうなジャイアンツ某監督解任騒動。
あのタツノリ君には、高校時代から、背後霊がついていた。それを世間では父子鷹なんていうが、子離れできない親の影はなにかと後遺症を残す。「いじくられキャラ」である。永遠に「男一匹の決断」をさせてもらえない。
今日のスポーツ紙は、安倍晋三に小泉純一郎に…まるで「親の影」特集だ。

たしかに原監督就任は、ミスター長嶋の後だけにちょっと落差がありすぎたが、あの球団にはそれほど人材が不足してるんだろうか。タマがないから何十億ものお高い外人を買ってしまうわけか。僕ならカルロス・ポンセを9人雇ってスタメンを固めるぞ(無理)。
巨人といえば、知名度だけしかものさしを持たないファンは中畑!とか江川!と次期監督候補をあげるかもしれないが、球団もさすがにそんな自殺行為はしないだろう。
「当時のファン」であった僕の腹案は、クロマティ監督だ。これは乗り抜群だ。買っても負けても「バンザイ」できる根アカ監督は、負け「そう」なだけで涙目になる原ボンボンより楽しめる。

まーこの名案は実現しそうにないけど、あの球団のことだ。ペタ10人分ぐらいのゼニを積んで星野監督獲得に血走るかもしれない。
そうなると、ついに掛布タイガース監督が実現する。
よし、これで行け!
 


夜の学校

at 2003 09/23 12:05 編集

昼は働いて、夜に勉強―それが「夜学」のイメージだった。
亡父がまだ独身で働いていたころ、同じ部屋に下宿していた同僚が、立命館の二部に通い続けたあげく弁護士になってなぁ…という昔話をよくしていた。今もその弁護士事務所は裁判所の真正面にあって、裁かれるために出廷するたびに(冗談)親父のルームメイトの老いた姿が浮かんでくる。

そんな話を聞かされて育ったせいか、苦学とか立身出世というイメージが強いし、もちろん今でもその通りの夜学生はいるだろう。

4年ほど前の開講当初からかかわっている夜学は、当初はやはり現役の職員がほとんどで、平均年齢はうんと高かった。居眠り、私語、メールは皆無。ピリピリした緊張感に、圧倒された。突然挙手して「エリッヒ・フロムのいう『自由からの逃走』はどんな時代背景の中で起こってきた現象でしょうか御説明下さい」というような質問が出てくる。
ほんの数年で、就職難も極まったせいだろうか、今は新卒直後の大学生が大半で、四捨五入すると二十歳だとか三十歳だオバサンだとか、それぐらいの平均年齢になっている。ともかく、若い。
昨夜は3時間授業のあと9時から終電まで宴会だった。若いなぁ。

空気は軽いけれど、おそらくカジュアルに見えて実は無言の緊張感が張りつめているのだろうと思う。2〜3人の島があちこちにできていて、島同士は気遣いあってぶつかることがない。島の中でも、あまり立ち入った詮索やお節介は避ける「エチケット」があるようだ。

それも学生気質だろうか。でもカリスマが現れたときコロッと洗脳される無防備さも感じる。宗教にも異性にも行政にも頼らないぞという信念は、資格取得に傾いているような印象もなきにしもあらず。いま、カリスマは人物ではなく「資格」だ。
別に資格がないと専業主婦しかないってわけでもないはずだが、なんだか生きるという実存を、オペレーショナルに単純図式化して考えている感じもする。ゲームの「攻略」とか、グルメ旅行の段取りなどうまいだろうな、と思う。

でも、僕と同年代の受講生が、「四捨五入二十歳」と同級生をしているのは、うらやましい眺めだ。これが本当の学校の未来型だと僕は確信する。島それぞれが「ミニ・ムーミン谷」といえるぐらい異質な多士済済で成り立っていたら、授業なんかよりためになると思う。
いや、責任逃れをするつもりはないけれど。



あぁ秋野菜カレー

at 2003 09/23 22:19 編集

なぜかこの夏は行かんかったなぁ・・・と思いついてサンマルコに行く。
秋野菜カレーが、なかなか彩りよろしくて気合いが入る。
でも、注文すると売り切れ。なんじゃこりゃ。

この店は、ナイトスクープでレトルトカレー20種の利き酒ならぬ「利きルー」を完璧に遂げた、あのカレー大王がアルバイトをしていた由緒ある(笑)店なのだぞ。球切れとは情けない。
まーそれだけ繁盛しているということなら、慶賀の至りですわ、フン!と小枝ふうに大人げなくひねくれて、海老ブライカレーで腹をなだめた。
夜間俳諧の、ちょっと出鼻をくじかれた感じ。
この仇は、いつか討たねば・・・。
 


さわわ

at 2003 09/24 01:20 編集

夜中に雨が降ってきた。
さわさわさわさわ……と音がする。
部屋の外はアスファルトとコンクリートだらけなのに、辻向かいの大きな街路樹が雨をたくさん受けている。
この木は、すぐ数メートル横で2年がかりの巨大高層マンションの工事中は邪魔者扱いされて、今にも切り倒されそうだったが、無事に生き残って、今も春夏秋冬の美しい変身を見せてくれている。

葉や枝が雨を受ける音は、やさしくて、気持ちが安らぐ。沢音も僕の好きな大自然の音だが、身近にこんなに心地よい音があるのはうれしい。

10歳のころ通っていた寺子屋みたいな座敷塾(?)は、授業前に先生が悪童たち全員に座禅を組ませ、「雨音に耳を澄ませましょう」と瞑想させる変わったところだった。
それで何か神がかりなことを言うでもなし、いっさい宗教色はなかった。
おかげで、神や霊の名を借りた怪しげな説法より、自分の五感と瞑想でつかんだ世界観を大切にしたい、と悟ったような気がする。

今のご時世なら、ネイチャーヒーリングだスピリチュアリズムだと口にする「ファシリテーターとやら」が跋扈することだろう。
ひとり静かに、季節の声に耳を澄ませられたら、それでいいのに。
 


バーコードファッションチェック!

at 2003 09/24 22:50 編集

この季節になると、半袖ワイシャツ姿のサラリーマンが目立ってくる。少数派として。
10月の末ごろ、もう風前の灯みたいにがんばっているおとっつぁんを見かけると、「日本の父さんがんばれ風邪ひかず」と、サラリーマン川柳ふうに(笑)応援したくなる。

半袖ワイシャツはいい。
半袖の穏やかなカラーシャツだと、カジュアルにもなるし、「さわやかに仕事できそう」な印象を受ける。真夏にスーツだと、「忍耐爆弾」で攻めて来られそうで暑苦しいし、逆にTシャツやポロシャツだと崩れすぎる。中年になってTシャツが似合うというのは、実はとても難しいことだ。

「仕事ができそうなカジュアル」が僕の目標で、なかなかできないのでネクタイを免罪符代わりにしている境遇が情けない。ネクタイなど、1000円しか投資価値がないいと思う。スーツや靴の高級品はそれなりに「性能」が違ってくるが、棒みたいな布キレにブランドものを求める同性の気が知れない。

ビジネスマンは、自分の脳や顔がブランドなのだ。
脳の中身はすぐ見えないから、サラリーマンミリタリーウェアともいえるスーツや靴の扱い方で、できる男かどうかが値踏みされる(スーツをめったに着ない僕などゲリラ兵、スーツを着たらスパイみたいなものか?)。戦闘要員は、バッチリ武装して手抜かりがあっちゃならん。携帯ストラップはキティちゃんジャラジャラ(Dがま先生ふう)、着メロはフルコーラス鳴らしてから出なければいけない。鞄は世界のアディダスで。

なのに、なんだか勘違いしてのぼせてしもうたような「銭湯要員」が多いぞ。
このさい殿方ファッションチェック!だ。
スーツ姿でネクタイだけはずした「俺ってカジュアル」は、間抜けなだけで、僕はそっと目をそらしてしまう。ノータイが似合うようにデザインされたスーツを、ノータイが似合う達人が着こなせば決まるものだが、なかなかなか難しいんである。千鳥足でノータイのサラリーマンなんて、全身「リストラの崖っ淵ですワタクシ〜ッ!!」とメッセージを発散して歩いているみたいで哀れだ(笑)。
あれだけはしたくないなぁ…と思いつつ、いつか自分でもやりそうでこわい。
千鳥足になっていたら、もしかして上着もズボンも脱ぎ捨てて、あの西田敏行ふう「頭にネクタイ」をやっているかもしれない。酔ったふりしてやってみたい気もするけど。


寝た子を起こして寝る

at 2003 09/25 15:57 編集

「洗濯物も干したしランチどうしようかしら」という時間帯のマダムにあてた(?)ラジオ番組に、上野千鶴子と遥洋子がゲストで出ていた。司会はキャリア女性アナウンサーである。
もう、内容をとやかく評するのもおそろしい(笑)組み合わせだ。
だから、フェミニズムについては論評をひかえさせていただきたい…と、「川口よっちゃん外相答弁」になってしまう(これからするけど)。

できるだけ予断や感情を排したつもりでいえば、論理的には同意する。
妻でもなく、母でもなく、男の望む彼女でもなく私が人間として私らしくありたい、「私」を漂白して都合よく使う社会構造が問題だ―というのはごもっともだと思う。こんな社会を再構築する運動が、結果として多くの男の既得権益や権力を失墜させることになるので、反発を受ける―と、こう僕はマルフェミを理解しているのだが、ただ整然とした理論だけがじっくり寝技で闘っているるわけではない。場外乱闘もありありだし、場外から椅子やシャモジも飛んでくる。
感情的なルサンチマンが、理論の神輿をかついでいるのが現実。だから、神輿に用があっても、血圧の高いお囃子に怒鳴られて近づけない…という忸怩たる思いを、男性も女性もかかえているだろうと思う。

男が口にしそうなルサンチマンは、我ながら中年まっ盛りなので、代弁するのは簡単だ。
「男だって苦労してるのだ。ワシだって社畜でいたくない!自分らしくありたいのよ!それを我慢して妻子を養ってるのよ」というのが代表意見だろう。俺だって苦労しているから、女どもも多少の苦労は我慢しろ、とまぁいかにも、な恨み節だ。世代間の議論でも同じ理屈は出てくる。「わしの若いころも苦労した。だから若者もっと苦労せい」というように(就職難の新卒学生など、あんたらの間違った苦労のとばっちりを食ってるのだ!が本音かもしれない)。
ほんまにしんどいことばかりなら苦労はやめたらいいが、既得権益や投資回収も手放せないからやめられん♪という面もあるから難しい。どうしても経済的に行きづまれば、家事育児が大変なのよと子供が高校生になっても訴える女房に、「働け!」と一喝したらいいのに…と思う。
みのもんたも、同性に向かっても怒鳴ればいいのではないか。
しなくてすむ苦労は喜んでする必要ないよ、と。「忙しそうにふるまうことが仕事」という人材はボランティアに行け!と。

性差の問題より成熟差の方が大きい―というのが僕の実感で(世間知らずかねぇ)、大人が自分らしさを見極めて、それを実現できる社会になればいいと思う。素朴に。
隷従がいやなら手に職を持つ(働く、ではなく職を持つ意識でね)。その機会がとりあえず等しく保障されて、だれにも邪魔されない社会であってほしい。

現実には、どんな国でも、一枚岩ではなく階層化されている。男が女の努力を邪魔するとか認めないどころか、もっと歴史的かつ国家的な差別の上に成り立っているのが先進国の実体だ。
それこそ向井千秋さんのようなクラスでは男女差より能力差で個人の価値が決まる(国籍も民族も関係なくボーダーレスだ)が、中層では男女が差別の応酬を果てしなくくりかえし、下層社会は腕力と絶倫が男の価値、巨乳多産が女の価値!というオスメスの世界だ。
フェミズムの脳裏で輝いている欧米社会だって、かつては奴隷、今は先住民や移民が下層をなしていて、トータルで見ると日本と大差ないかそれ以上に階層差別は大きい。「下層あっての上・中層の豊かさ」が現実なのだ。
あえてマキャベリふうに悪辣な言い方をすれば、「寝た子を起こすな」と願っている上層権力者は確かにいる。けれど、あたしら難しいこと考えたくない、その日その日が適当に楽しければいいという個人の意識の総体が「寝るから起こすな」のメッセージになっているのも現実だろう。
だから、社会まるごと変えようというのは全体主義的発想で、無視できない反動が高まると思う。

男らしさ・女らしさはひとつの文化的記号であって、それが政治的記号に横滑りすると差別になる。横滑りさせるしかけそのものが差別だし、差別を差別だと見せない隠蔽力も差別だ。
たとえば「母性本能」という言葉は、あまり科学的な裏づけもないまま政治的に女性を家事育児と特定職種に誘導する道具として使われる。だれが使うかといえば、男性もそうだが女性自身も使う。
結果的に、「かわいい奥さん」を自発的に選ぶ女性も、一定割合を維持する。
そこへ、明日からすぐ「忍耐やめた」「みんな自由気ままに」というわけにはいかない。
いきなり洗濯や自炊をしなければならず仕事も手につかない男は続出するし(金で解決できる雑事も多いが)、残業も出張もバリバリやらされて肌荒れ脱毛便秘生理不順に苦しむ女性も続出する。
そんな一時的な混乱の向こうに、男も女も輝く人間的社会が待っている!と、声高らかにいえるだろうか。

少子化は、すべての先進国がかかえている難題だ。勝手な女が多いけしからん!と、痔見ん党のじーさまたちは憤慨しているが、産み控えしたい気持ちは僕にはわかる。
ただ、そんな僕の理解が、偽善的!薄っぺらい!とフェミニスト弾で撃破されてしまうように、男性の根源的不安もあんまり理解されていないような気がする。たとえば「ED=頼りない男」「割り勘=ケチ」と考えるなら、「フェミニスト=わがまま」説と大してIQは違わない。
男も女も共に、しかし別種の性的実存としての不安を抱えていて、加害者と被害者という構図にこだわると問題は解決しないだろうと思う。

僕は本当に考え込んでしまう。
専門職に就きたいが数年後にはカワイイ奥さんになって「寝るから起こすな」と決めている女子学生、そんな彼女を追い求めている男子学生を、おこがましくも「目覚めさせる」べきなのだろうか。
 


インタラクティブであること
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2003年8月の日記

アバンチュる

at 2003 08/02 16:42 編集

なにも繁華街に出て混み混みの喫茶店でふてくされている必要もないわな、と徒歩2分の200円コーヒースタンドへ書類持参で「出勤」する。

ふだんの昼は、近所のマダム族85%、通りすがりのビジネスマン10%、通りすがりの山手女子短大生15%という客層で・・・あれれ数字が合わんが、とにかくそれぐらい3タイプの客で一色(三色?)という惑じだ。
それが、お子さま夏休みのせいだろう、お茶しているマダムの推定平均年齢は黒木瞳ラインから市原悦子ラインへぐっと上がって、やや抹香臭いカフェ。

いや、このまったり感がスローライフでええね。旅の相談に花が咲いていて、自然体でいい。
僕と同年代のマダムたちは、まだ人生半分残っているのに、お子さまに仕えてしまってるのか、夏休みになったとたんカフェから消えている。
頁休みなんだから、お子様どもは缶詰100個とサバイバルナイフ一丁だけ持たせて、無人島にでも放りこんでくればええだに。同輩のパパママ諸君、もっとバカンスを!ラブを!アバンチュりましょう!
・・・と、他人事だからこそ好き勝手なことが言えるのかな。
「そんな元気ないよ」って顔も目につくけど。
 


歴史はくり返す

at 2003 08/04 21:41 編集

コラ後輩!!「就職がうまくいかん」なんて理由で折り鶴に火をつけるな!
どうせなら、文学的に「夏の陽に不条理感じて夏木マリ!」とか、灼熱日本スーツ帝国に戦線布告して「汗ぐっしょりリクルートスーツはよ乾け」とか、気のきいた理由がほしかった。川柳協会もうなるはず(ちゃうか?)。

で、燃えた折り鶴を学生や職員が折りなおして寄贈する動きが出ているという。
広島といえば、亀井静香ちゃんの地元だから、亀も折って混ぜておけば、衆院選や痔眠党相殺選挙が少しは楽しめるかも・・・。
このアンポンタン学生も通っていたであろう未完成学院大学の学食には、広島丼というメニューがあって、カキの玉子とじ丼だったが、とてもうまいアイデア賞ものスタミナメニューだった。僕も、広島丼をきっかけに広島ファン(カープじゃないが)になったんである。
だからといって「うちには広島丼メニューもあることですし、それに免じてお許しを・・・」なんてことはいえない。
それにしても、焼けたのが折り鶴だけだったのは不幸中の幸いだったと思う。
原爆ドームが焼け落ちていたら、復元するのは大変だ。
ドームはすぐできるとしても、何のドームなのか?といえばその「何」をどうにかせにゃならん(笑)。
ふと、ひと昔前、プリンストン大学の学生が、原爆製造が意外に簡単にできると卒論に書いて、当局側に封印されてしまったニュースを思い出した。
理学部生諸君、できますかな?航空クラブに応援たのんで。
もちろん、「できる」と「する」は別問題なんだが、実行あるのみ!という国に従属したい純ちゃんは怖い。

世界貿易センタービルなんかも、跡地再開発は進んでいるようだが、狙われることに意味があり壊されることで有名になるわけだから、復元は宿命的に「再びの悲劇」の復元になるのだろうか。
 


3万円投資の配当

at 2003 08/04 22:11 編集

りずむぼっくすのスタンプがやっとカード1枚たまって「CD3000円分と交換」を勝ち取った(おおげさな!)ので、安いの3枚みつくろって引き換えてきた。

HMV やバージンやタワーやその他忘れてしまった店のスタンプカードをごじゃごじゃ持っていると、結局どこも一杯にならないうちに有効期限になってしまう。よほど猛烈な勢いでCDを買い漁っているマニアか業者でなければ、特定の店のスタンプが1年かそこらで埋まることはないんちゃうか?とも思う。
CDの売り上げは落ちてるそうだし、ポイントカードという囲い込みマーケティングは、つぶしあいになりはしないのだろうか。

その点、りずむぼっくすは無期限なのがいいし、中古だと単価も安いからお得な感じがする。
買ったんは、リー・オスカーのラテン・ハーモニカとジャズボーカル・オムニバス、それに見知らぬギタリストのピアソラ・ナンバーの輸入盤。
夏のラテンはハーモニカがさわやかでいい。冬のラテンも好きで、バンドネオンは心のひだを潤してくれる感じがするけれど、夏はやはり硬質なインストゥルメンタルがいい。
ボーカルCDはメル・トーメやチェット・ベイカーらスタンダードが並んだ「無難」なもの。本物のボーカルは、井戸水のように夏はクールで、冬は暖かい。
熱帯夜が温帯夜ぐらいにはクールダウンできるかな?
 


毒を以て毒を制す

at 2003 08/06 08:57 編集

広島の23万人のご冥福を祈りつつ、平和記念式典のニュースを聞いていた。
核保有国には式典参加を要請しているのに、公使が参列したのはロシアだけだという。英米はやましい過去を自覚している証拠だろう。

「ギブミーチューインガム〜」「米軍キャンプで音楽修行♪」とお気楽に占領軍に寝返った日本人と、アメリカへの不信、テロ、ゲリラが渦巻くイラクとの違いはどこにあるのだろう。どっちが健全だろう?と、ふと考えてしまう。

昭和天皇が処刑を申し出た(という逸話もあるというだけで、史実は闇の中だが)のに対して、日本人の精神的な支えは葬らない選択をした58年前のアメリカは、イラクには「独裁者の息子惨殺」をこれ見よがしに断行した。
亡命中のフセインの娘の美貌に少しよろめいている僕が、もし、もももし、もしも、おとっつぁんに見込まれたら、ウダイとクサイに代わって娘婿として跡取りにならへんか?と勧められるのだろうか。
わなわな・・・(と、真剣に悩んでいたりする)。どうしようか?ジョンイル。

僕が神戸―バグダッド―平壌の枢軸計画を語ると、人は危険視するが、実は逆だろう。この3地点に、あとリビアとイランも加えて「仲良しネットワーク化」すれば、これほど安定した世界平和はないんちゃうか?とも思うんだが…(警察は大泥棒の最高の転職先になるというようなもんか)。


サマーフォトスクール第一講

at 2003 08/07 11:11 編集

「一眼レフカメラとレンズは、マウントちゅう金具でつながるようになっておってな、ニコンのレンズはニコンのカメラにしか使えんのが原則じゃ」
「ほほぅ・・・一夫一婦制みたいなものね」
「さよう。ただシグマやトキナーのように、ニコン家にでもミノルタ家にでも、お宅の流儀に合わせてお相手しに行きますっちゅう八方美人系レンズ業者もあるぞな」
「そうっすか。身が持ちませんね。八股のオロチみたいな絶倫スタミナでもないと…」
「何を想像しておるのじゃ鯖人。オープンマインドなマウントもあるぞ。ペンタックスのマウントは、うちの亭主でも女房でも、どなたでもお使い下さい、と公開したから、リコー家やコシナ家とは通婚可能な関係にある。この御三家のレンズとボディは互換性があるから、好きな相手といつでも合体できる」
「ぬぁぁぁぁぁん!いけません!そんな・・・」
「わしのカメラもペンタックス製じゃ。太いの細いの、軽いの重いのレンズもいろいろありましてな。おぬしがペンタックスを選べば、おぬしのボディにうちのレンズたちが合体できるわけじゃ」
「いやです!私のボディに・・・なに言ってんですかセクハラ師匠!あたしオープンでいたくな〜い!!」
「あのなぁ、おぬしの買ったカメラのボディに、ということじゃ。おぬしのバディではないわ!たわけ」
「ハッ、ボクとしたことが、つい欲情して失敬」
「で、どういたす鯖人」
「もっちっろん、ペンタックスなんか買いません」

で、イチキュッパで見つけたニコンFEとお見合いの果てに、無事ご成婚。
「あぁペンタックス光線に撃ち落とされなくてよかった」とぬか安心した勢いで、「写真術9日間マスター」の秘伝書を一夜でマスターして、翌日には湖畔のアバンチュールにニコンを持参していっちょ決めますわ♪と鼻息を荒くしてやがる。
フフフフフ・・・甘い甘い。
週末の第二講「モデル実習」でおぬしの腕前をトクと見せてもらおうかの。


夏の姉

at 2003 08/08 18:47 編集

降ったり止んだりの蒸し暑い朝、三宮へ自転車で出動していた。
ご無沙汰している魚専門定食屋で昼メシ食いながら様子みるか…と店を覗いてみるとちょうど昼休みどきで混んでいたので、サンマルクでヒマつぶし。食前コーヒーというのは、どうも落ち着きが悪い。
やっとサバみそ煮込み定食に感動の涙を流して外に出ると、本格的に雨。ドトールで雨宿りしていると、うまいぐあいに雨足が切れたのでダッシュして帰る。
こう暑いと、いっそ汗やら雨やらでずぶ濡れになって、風呂にドボンというのもさっぱりするかもしれんなぁ・・・と思いつつ、遠い幼少期を追憶する。

「あらー、どうしたの坊や、ぐしょ濡れじゃない!うちで乾かして行きなさいな」
「い・いいです・・・見知らぬ美女についてっちゃいけないと父上に教育されているので」(=ウソ)
「遠慮しなくていいのよ。はいバスタオル。シャツは乾くまで、おねーさんの着ててね」
甘い香りのシャツに体を通すイケナイ裕司少年。フッフッフ、少年にしか見えない身長だが実は40歳なのじゃよ(いつの話や)。
「あのー、下はどうすれば・・」
「私の、はく?」
「えっ・・・!」
「私も、着替えたいから」
ふいにサマー・ニットのワンピース姿で後ろを向く謎の美女27歳。ファスナーに細い指が伸び、無言が支配するマンションのリビングルーム。

トシのせいか、ここまでが思い出せる限界である。
片岡義男さんの写文集に『夏の姉を撮る』というのがあったと思うが、夏は「姉」や「少女」と重なると、鮮烈なイメージができあがる。「夏」「夕立」「美女」とそろうと、なにやらエロチックになるのはなんでかね。
「少年」も健康的でいいが、「おじさん」になると暑苦しい。「大学生」だと、最近は「就職活動」とまぁ現実的で味気ないけれど、僕が「少年」のころはヒッピーやらカニ族やら、それなりに夏の風物詩になってくれていた。
もっとも、こんな時代の真っ只中にいる少年や少女たち自身は、いかがわしいことなど考えず旅や宿題に追われていたもので、大人が勝手にエロチック・ファンタジーをふくらませているのだろう。
けれど、今の少女は自分に商品価値がある、媚びた目線を送ると男が金を出しよる、世の中そんなもんよ・・・と気づいている。
「生々しい社会科」が学校の外に渦巻いていて、少年少女の目がどんどん濁って行くのも、時代の流れとはいえ何だかかわいそうな気もする。
エロ目当てであろうと教育ボランティアであろうと、大人の目線の及ばない子供の世界はあった方がいい。
そんな「ガキの日常」の城壁に、ふと裂け目ができて、「めくるめくおねーさまの世界」がチラリと見えたりするのが、これまたいいもんだ(結局それが目当てちゃうんかい!と突っ込まれそうやな)。
ネットやAVや成人雑誌を平然と見てわけ知り顔しているとっちゃん坊ややら、自意識過剰な小便臭い少女やら、いやーな子供が街を堂々と歩きすぎとる!親なにやっとるんだ!ドン!
と机を叩いたら「うちの子が、なにか?」
と立ち現れたるマダムが黒木仁美いや瞳!
夏の妄想おじさんは困ったもんだな。
 


長崎追悼

at 2003 08/09 23:05 編集

起きたらスカッと晴れていた…らよかったんだけれど、ジトッと晴れていた。台風一過、秋が来ればうれしいなぁとばかな期待をしつつ、天気予報を聞こうと思ってねぼけまなこでラジオをつけたら、偶然にもちょうど11時2分、半鐘の音が実況で流れてきた。
長崎に原爆が投下された時刻だ。あらためて黙祷。

長崎は修学旅行でしか行ったことがないが、広島も長崎も、率直に美しい街だ。
長崎は岡部まりしか思い浮かばないが、広島市民も長崎市民も、誠実でいい人ばかり。
そこへ、非戦闘員まで皆殺しにする原爆を落とす国は、正気の沙汰ではなかっただろう(過去形でいえるのか?)
なぜベルリンではなく、ローマでもなく、広島と長崎だったのか?という問いも、我々は白人どもに投げ続ける必要があると思う。
9・11は必然的な報いだと言い放ってしまうと、犠牲者は浮かばれないが、テロだけ憎んで原因から目をそらすと問題は解決しない。
それでも犠牲者はテロリストを憎むよう仕向けられ、ブッシュ政府は犠牲者の味方のような顔をしている。本当の溝はどこに掘られているのか見極めないと、9・11は再発するだろうし、イラク内紛も終わらない。長崎も広島も、終わっていない。
だから水に流してはいけない。
アメリカ人も真珠湾を水に流していない。
僕はコロンブスのアメリカ侵略も水に流していないし、オージーどものマオリ、アボリジニー抹殺も水に流さへんぞ。

憎しみの連鎖はイカンというが、忘却したら歴史から学べない。
人間だけが歴史を刻む動物だ。記憶が歴史を紡いで、伝承されて行く。
過ちは水に流しても、忘れないでおこう。
 


サマーフォトスクール第2講

at 2003 08/11 15:25 編集

毒々しい真夏のサイキックミーティングでそろって解脱させられた余韻もさめやらぬ、長堀通りの居酒屋。
黒光りする直径8cm長さ20cmのイチモツが、夕日に鈍く輝く。なめらかな白い肌に吸いつくように合体して行く。

「どうじゃ、極太の感触は」
「ぬぉぉぉぉぉーっ!この重さにうずきますわ。病みつきになりそう」
「どや、ほしくなるじゃろ」
「う〜ん、スナイパーの気分っすわ。トロトローッ」
「望遠と逆に広角もほしくなるかもな」
「なんっすかそれ、小さく写るんすか?」
「オープンマインドでだれでも写り込んでらっしゃい大開脚ー!という聖母マリア泡姫のようなレンズだ」
「なるほど、見習うべきですね。トロ」
「浴場でなに欲情しとるのじゃ」
「オヤジギャグはええっちゅうに、絞りをどうすればきれいに写るんすか」
「絞るよりダイエットせいと言いたいな。腰巻きやらパンストでガチガチにがんじがらめにして細く見えると勘違いしておるトーチュア・ガールどもよ目覚めよ!」
「同感なんすけど、こんなとこで鳥肌実にならんで下さいよー」
「うんにゃ、シャセイ道でも同じことが言えるのだぞ」
「射精?」
「たわけ!写正道じゃ。ピントは合わせるもの、絞りは選ぶもの。作画意図に従って、ぼかしたいか、手前も奥もくっきり写したいか決めれば絞りが決まってくるわな。意志と欲まずありき。そこに諸条件を従属させるのだ。それがエロースの美っちゅうもんだ」
「ボクは、エロ講師が早くボケて枯れてくれないか期待してんですけど」
「フッフッフ、お互いさまじゃ、サバ」
セクハラしゃせい道は、またもや中身がないまま、飲み屋はしごで暮れて行く。


インドア・アウトドア

at 2003 08/11 21:41 編集

我が家にはシャワーっちゅうもんがない。夏でも「入浴」なので、これはこれで健康法になってるかな。
別の階のOL様など、工事してつけていたから、「オプション」でつくのかもしれんが、面倒なのでシャワーを買ってきた。笑える1000円、キャンプ用品だ。単1電池を使うとや。ますますパチくさい(笑)。
持ち帰って、いそいそと火入れ式というか、放水式だ。
ウィーン・・・ゴボゴボゴボ・・・シュワーーーッ!ルツネッガー!!
という感じで、チープながらシャワーらしい散水をしてくれた。
電池で20分しかもたないから、けっこう強力なモーターを使っているのか、それとも「単に負荷が大きいだけ」だとDがま先生に突っ込まれそうだ。

うちの家具はだんだんキャンプ用品に置き換わっていて、OAイスは折りたたみ5段階リクライニング・ビーチチェアで涼しく過ごしているし、台所用品もキャンプ用何点セットの類だ。
ただ、ちゃちいのもあって、毎夜の酷使だから安物のコットは1年しか持たなかった。
蛍光灯ゼットライトをええかげん卒業して、冬場は灯油ランプの下で読書に励みたいなぁと思うが、目を悪くしそうな気もする。

今年デスクトップパソコンをやめてシンクパッドに買い換えたのも、アウトドア指向ゆえかもしれないが、巷では必ずしもモバイル屋さん即ち野生人というわけではないようだ。コールマンのリュックにシンクパッドを放りこんでMTBで通勤・・・なんて、けっこういい感じだと思うけどなぁ。

僕のキャンプスタイルはバックパッキング専門だから、棺桶サイズの極小テントしか使わないが、店に展示してあるオートキャンプ用のテントなど、不条理に安くて1DKぐらいの仕様になっていて、すごいなぁと思う。「DK」部分はメッシュで、イスをならべてコンロでもできまっせ!北斗もコテツもコユキも置いておけまっせ!といいたげな余裕を見せつけてくれる。
もっとも、こんなテントを張れるのは数千円もするオートキャンプ場で、夜になると押し殺したようなあえぎ声を聞かされて、クッソーこっちもあえいだるわい!フィナーレすすり泣きつきだぜモーター・スイッチオン!!
と、変な張り合いをしてしまいそうで、だからカップルのオートキャンプはわかりやすくいかがわしい(邪悪な腹黒キャンプ考えてるのはお前だけだ!と言われそうだ)。
 


やっと復活、たまった日記

at 2003 08/14 16:29 編集

我が家の近くに県の公館という、まぁ地方自治体レベルの迎賓館みたいな建物があって、その玄関前に1軒の古本屋がある。
古本屋といえばカビくさい空気がつきものなのに、ここは妙にきれいだ。客層というか、通行人は圧倒的にすぐそばの県庁か県警本部に通退勤する職員たちだからか?
「こぎれいでおもろい」ものに、僕は妙に惹かれる。
ただ汚いだけで「そこがおもしろいのだ」と自画自賛している人や店は、なんだか自分を鏡で見ているようで避けてしまう(反省)。
で、この店は20坪ほどの狭さながら、うなってしまうような学術書が多い。
在庫も、無造作に積まれた「ゴミ一歩手前」はなくて、きちんと棚に並べられている。
そんな中から、『沢野ひとしの旅絵日記』というカラー画文集を200円で見つけた。
椎名誠親分からは、間抜けだワニ目だとおちょくられているように見えて、実は絶大に信頼されているのもわかる瓢々画伯だ。
ハードカバー嫌い・文庫好きな僕でも、画文集は大判の方がいい。おまけにソフトカバーで見やすいし。

沢野さんの絵は、モチーフが日常の街角や山がからんだ旅先だから、見る自分の心の中で絵筆が動いて見える感じがする。
「どんな気持ちで、この幹を描いたんだろう」とか、「この空は、ふんわり流したかったんだろうな」と、想像を投げかけながらぼんやり見てしまう。ト書きつきの演劇を見ているようなもんか。

モネの水蓮は僕も好きな名画だけれど、水蓮をあそこまで精細に観察して絵筆に反映させるというのは、画家の執念を感じさせる。ルノワールなんて、西洋画壇の谷崎潤一郎といいたくなるぐらい、フェティッシュの極みだ。
絵は、作られるプロセスが画面上に残って、そうして蓄積された圧倒的なボリュームを読む芸術だと思う。だから、静止画であっても流れている時間が見える。波打つ水面のチャプチャプ音や、梢が風で揺れてささやいている音まで聞こえてくる絵もあるし、岡本太郎の絵からは永遠に燃えている温度を感じたりする。

絵と比較すること自体ナンセンスかもしれないが、写真でプロセスを写し込むことはできるだろうか?と、ふと考えてしまう。
数百分の1秒とか数十分の1秒でボタン一発で撮影された画像は、同じ場所から同じ条件で撮れば同じ作品になる。ただそれが大写真家の作品ですと冠されるか、無名の素人の撮影なのかで商品価値が天と地ほど違ってきたりする。
モノクロ写真だと、現像や焼きつけで自分の味を出すことはできるが、僕がやっていたリバーサルカラーの現像など、はるばる撮影に出かけて刻み込んできたお宝作品?の詰まったフィルムでも、現像液の温度が1度違っただけで、ゴミと化してしまう。
芸術というより、手工業という感じかな。
じっくり時間をかけて作品をまとめる写真家より、クライアントの発注に機敏に応じて「作品」を大量生産できる写真家の方が、経済的には報われるという産業システムも、「写真芸術」が定着しにくい一因になっているのかもしれない。
それはそれで、いい写真が巷に出回って知られる機会が増えていい面もある。おまけに今はネット時代だから、WEB上の個人ギャラリーも簡単にできてしまう。大ベテランも、「こないだデジカメ買ってバンバン撮ってまーす」という少年少女も、平等というか、フラットな関係だ。
『TOKYO STYLE』の都築響一さんが、写真は一番民主的な表現ツールだと話しておられたのは、なるほどその通りだと思う(余談だが、拳銃を持ち歩ける某国は、腕力の有無にかかわらず自衛権を平等に持てる民主的な社会だともいえる。野獣のような暴漢に襲われそうになったら、銃より効果的な自衛はないではないか)。

では「民主的な芸術」はバラ色かというと、これは自己否定になってしまいそうで、手放しで笑えない。
民主的でないから、差別的だから、芸術は成り立つのだから。
すごい!あんな写真どうやって撮れるんだろう!?
と驚嘆しても、「こうやれば撮れますよ」「なるほどー、やってみたら私にもできました」では、これは芸術やろか。クイズ番組のようにも見えるけど(笑)。
芸術は、「秘儀を体得した芸術家少数」と、「できない素人鑑賞者多数」という歴然とした階層格差があるからこそ成り立つ。
たとえばピアニストになろうと思えば、音大に入るか高名なピアニストに弟子入りするかして、コンクールで勝って、音楽家のサロンで社交もこなしながら、世俗的でない生き方をしないと達成できないだろう。当然、育つ家庭環境も芸術に理解のある空気が必要だ。
こんな生活様式を、現代フランスの社会学者ブルデューはハビトゥスと呼んで独特の階層分析をしている。
ハビトゥスの土台がないところに、技術だけつめこんでも限界があるんちゃうかな?と思う場面が、スポーツでちらほら見えてしまう。
「和を持って尊しと為す」社会に適応してまったり生きている日本人力士が、遊牧騎馬民族のモンゴル人に力と技で負けてしまうのは当然だから、保守派は「品格」とやらで煙幕を張るしかない。
フィギュアスケートなど、それ自体、クラシック音楽やバレエや舞踊が自然に生活の中にある欧米人が、自分たちが勝つためにつくった競技だ。
日本人が勝てる競技は、みこしかつぎ、天安門だんじり引き回し、南京玉すだれ、アテネ田植え大会、リオの阿波踊り・・・ぐらいだろう。ぜひIOCに提案してみてほしい。

研究者の世界も、芸術やスポーツと似ている。1年のカレンダーを見て、論文執筆や学会発表のスケジュールを思い浮かべるような人こそ学究肌であって、「このころ穂高に登りたいな」「この時期になると八ヶ岳は新雪だろうな」とレジャーばかり考えている僕は、DNAからして遊び人なのだろう(苦笑)。


闇セキュリティ

at 2003 08/17 00:28 編集

ニューヨークの大停電が、もし日本で起こったらどうなるだろう。
阪神大震災のとき都心の夜の闇は経験しているので何となく想像はつくけれど、ニューヨークでは一般の想像ほどには略奪や暴行は多発しなかったという。
たふん、9・11テロもあったし、自衛・自警意識も日本の百倍は高そうだから、火事場泥棒みたいな最低アンフェアなことをすれば死の制裁を覚悟せんといかん・・・のかな?

停電の地下鉄や地下街など、女性にとってはほんまに怖いと思う。もし痴漢されてもされなくても、ふだんに増して悔しいだろう。でも、された悔しさは、その場で身嗜み用ハサミか何かで刺しまくり返し(刺し返しまくり?)てやったらよろしいと思う。ま、暗いと犯人を間違える危険もあるけど、まちがえてもわからんから大丈夫。

停電の怖さとは少し異質だが、助けてもらえない怖さという点では、「アウトドアおんな一人旅」の類もハラハラする。だれか助けてーっ!!と叫んでもだれにも聞こえない、110番しようにも圏外、つながっても山岳警察がへリコプターで1時間・・・なんてエリアは日本のあちこちにある。
そんな状況で熊みたいな暴漢に強姦されそうになったら、もう、されるしかない。まさか山登りするのにスタンガンや猟銃を持って行くわけには行かないだろうし、ナイフ一丁あってもふだんから人を刺し慣れていないと(笑)いざというとき武器にはならない。
まぁ僕なら(体格は平均女性なみだからホモ・サップに襲われる危険だってなくはないのだ)、砂を顔に撒きつけて犯人を「停電」状態にして脳天チョップ・・・というシナリオを考えているが、逆にされたら終わりだし、あぁ停電は怖い怖い(何のこっちゃ)。
 


三人六脚カンパニー

at 2003 08/18 16:35 編集

姫路を通って日帰り18きっぷの旅に行こうと思って、ついでに会えるかいなと県西半分の古顔に声をかけた(いやメールをかけた、か?)。
朝からの雨がやまないので延期にしようかと電話すると、昔ながらの情けな〜い声で「そう言わんと、来ない?」というので、「ついで」を主目的に変更して新快速に乗る。
13年ぶりなのに、お互い変わり映えせんなあ・・・と談笑も弾まず、けだるいバカ話(笑)。いやはや変わらんな。躍らないオヤジダンサーズみたいだ。

大きく変わったのは我々を取り巻く経済情勢で、3人とも転職組。そろってここ3年ほどのうちに自由業に転身している・・・が、僕は自由業から「もっと自由業」へ鞍替えしただけだから、固定給も有休もない極楽界に住人が加わることを慶ぶばかりである(あぁ悪趣味)。
やはり話題は起業。
しかしだ、一人は「講演とコンサルティングならやったろ」と構えておられるし、一人は「いま何が売れるか」の話がすぐ「俺の好み」の話に流れて行くし、あと一人は「ワシは教祖になる!だめならバリ島でアロママッサージ師になって日本の女優専門に・・・」と空想ばかりふくらませているし、そんなこんなで全く非生産的な夜ほ更けて行った。
 


罫線SM

at 2003 08/20 00:02 編集

古本屋入り浸りでくたびれた足腰を180円コーヒーで潤す日々。忙しいのかヒマなのか、我が身ながら不可解だ。
ふと入った店で片岡義男氏のソフトハードカバー判(ややこしい)エッセイをみつけて、300円と格安だったので衝動買いしてきた。
昔は飛ぶOLを落とす勢いのカリスマトレンド作家でいらしたなぁ・・・懐かしいのぅ・・・と読み始めてすぐ、わずか5日前に出たばかりの新刊だとわかってビックリ。新古本ってやつかね。
『文房具を買いに』というその本は、おなじみの片岡さん自身の撮った文具フォトを混じえたとクールなエッセイ集だ。
その第一篇―といっても丸ごと1冊ひと続きの長いエッセイだが―が、「大福帳のようなメモ帳がほしい」だった。
フムフム、共感できるなぁ。
いつでも持ち歩いていて、いやそれ以上に体の一部で、ふと必要になると即、自分の手と脳の代わりになるような、シンプルなメモ帳がほしい。
片岡さんは舶来品フリークだからモールスキンの方眼紙メモ帳をイチ押ししている。方眼紙というところが勾う。
どうやら、罫線アレルギーのようだ。

ほとんどの日本人は、物心ついてすぐ学校というレールに収容されると同時に「罫線人生」が始まって、線に従って自己表現するという様式に疑いを持つこともない。こうして最も基本的な文具であるノートブックが形づくる精神構造というのは、バカにできないと思う。
だから、無地のノートブックに文を書くぐらいの作業でさえ、うろたえる学生は珍しくない。名刺サイズのメモ帳にまで、ちまちまと罫線が刷り込まれていて、そこを律義に文字で埋めて行くよう、条件づけられているのである。
筆記用具は鉛筆(シャープペン)命!というマインドコントロールから解放された学生を時々見かけるようになったけれど、罫線病は今後どうなるのだろうか。

僕は別にポリシーがあったわけでなく、フローチャートやら図表やらを自由気ままにチャンポンにしながらノートする土俵としては無地がとても快適だったから、その延長で、我が家のノートや手帳の類から罫線は1本残らず一掃されてしまった。無地の自由なキャンバスに慣れると、罫線が窮屈でならない。
陸上競技トラックを律義に守ってプレイする人の方が日本社会では歓迎されるかもしれないが、トラックは自分で引いて走る生き方もあっていいと思う。まず第一歩が、無地ノートブックかな。

ただ、「横断歩道はワシが決める」「ワシの心の中では青信号」と道路をどこでも渡る僕は、某もと学生いまPSWのおねーちゃんから「イケマセンそれは!!」と叱られる。
さすがに、お子ちゃまが立ち止まって待っている赤信号を無視する時は、少しは残っている良心が咎める(笑)。「信号は心の中に持てばよろしい」と言っていいものかどうか・・・?
 


セミはトリプル合掌

at 2003 08/21 16:52 編集

なんだか異様に蒸し暑くて、盆もすぎて初めて熱帯夜を実感した。
ふだん天気予報でうだるような熱帯夜!!と聞いても、我が家は「無防備そのもの風通し満点」だから、エアコンも扇風機も使わず夜風にあたって熟睡していられた。でもさすがに夏の何日かは、夜通し壁や柱まで体温以上に発熱していて、地獄夜になる。

外の廊下には、セミの亡骸がころがっている。最上階には僕しか住んでおらず、よりによってこのOsawasenseの第二サティアンと化しているから、セミもゴキブリもコオロギも風葬にされるがまま。
虫は死ぬと手(足か?)を合わせて固くなる。
廊下のセミも合掌を3対つくって天を仰いでいた。
先週から読んでいる藤原新也の新刊『なにも願わない手を合わせる』を思い出した。
藤原さんが四国巡礼のある寺で、幼い女の子が「全感覚」で何かを感じて仏前に手を合わせている場面に居合わせて、御利益をあてにして祈る大人にくらべて何と純粋な、本来の祈りの姿なのだろうと書いている。

ふと、若死にした同級生の霊前にかけつけてくれた仲間を思い出した。面識の深さは同程度の遊び仲間たちに一斉に旧友の永眠を知らせたところ、彼だけが霊前に線香をあげにかけつけてくれた。そうしなかった仲間を差別するつもりは毛頭ないし、本人も「いやー、仕事がなくてヒマなだけやったから」と笑うかもしれない。精神の不調で入院し退院後も再就職に難儀しているが、魂は健全だ。
忙しい金もうけも、忙しい組織への滅私奉公も、まともな魂を持っていたら続かないものだろうと思った。

河野博臣医師の御冥福を祈りつつ・・・。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030821ke121710.html
 


しろくま

at 2003 08/22 00:27 編集

歩いて5分の円内に5軒のコンビニがあるのだが(10分歩くと10軒になる)、ローソンが6割の「議席」をとっているのはやはり地元だからか。
でも新しく議席を1つとったampmに、なんとなく足が向くようになった。オリジナルのきしめんがボリューム満点で安い、コピー機が速い、雑誌が手広い・・・と、ちょっとしたウリが積み重なって、コンビニ評論家Osawasenseを吸い寄せるのである。

「あーら、お久しぶりね!最近浮気してんじゃないのん?」なんてあいさつ、絶対にコンビニ店員がするわけないが(すればいいのに)、ご無沙汰していたローソンに浄財しに行ってあげた。
なんと、「おでん始めました」のノボリがある。そりゃ、ちと早いんでないかい?
「店内=冷蔵庫」の勢いでクーラーをがんがんかけているから、木枯らし気分かもしれんが、外は蒸し蒸しする晩夏である。
俺は夏男だ!海の男だ!ベーリング海だ!と叫んで、しろくまを買って出た。
そう、しろくまを扱ってるのだローソンは。これは高得点である。
ナイトスクープで5年ほど前だったか、しろくまが紹介されて頭に焼きつき、ふとスーパーで見つけて僕はすっかり「しろくま食い」になってしまった。
近ごろ大手に生産拠点が移ってしまったせいなのか、近所の行きつけスーパーでは去年まで置いていた本場鹿児島のメーカー製造のしろくまを置かなくなった。残念無念。
この300円のしろくまは強烈だった。フルーツてんこ盛りで、量もどかんと500ccはあっただろうか、食べると一気に北極体温になった。

しろくまもいいし、すいかバーとかソーダバー、名前は知らないがゴム風船に入ったような「まりもアイス(?)」とかミルクきんとき等々・・・食べ過ぎは水腹になってよくないとはいえ、100円レベルの夏の風物詩は色とりどりで楽しい。
ソフトクリーム専攻のアメリカ人あたりに、ニッポンの氷菓文化っちゅうもんを味わわせてやりたい。
と、ふと愛国者になるのが、いつもの8月だ。…あ、今年はまだ「きけわだつみの声」を読み返してないわ。
 


日独伊

at 2003 08/25 23:10 編集

日本の板、イタさんブーツ、ドイツ金具―が、僕の黄金スキー3点枢軸だ。なかなか忠実に「仕事」をしてくれる。
身の回り枢軸化計画はゆっくり着実に進みつつある。
ドイツもどきレンズを先に買ったので、それに合わせて、「イタさんデザインの日本工学製カメラ」を大阪難波から傭兵してきた(スカウト料は高かったな・・・)。
全身つや消しブラックチタンは、たしかマカロニまでデザインしているイタやん工業デザイナーの手によって、官能的にソフトな曲線を効かせている。
写真を撮るより人のカメラにぶつけて楽しむ不埒な使い道に走りそうだ(危うし、サバ!)。

「このサイト、バックと字の輝度差がチカチカして見にくいで」と、神戸に来たDがま先生から苦情。先生、眼鏡はカールツァイス製でっせ(笑)。
 



バキュームキス

at 2003 08/25 23:11 編集

夕立の合い間の街角。京都ナンバーの真っ赤なBMWが、一方通行を逆に入って行こうとして、アラおかしいワという感じで路肩に停車した。
そこへ、前から走ってきたタクシーが最徐行で接近して、運転手が「一方通行でっせ」と、オーバーアクション気味に無言のジェスチャーをしながらゆっくり通りすぎて行った。
ほのぼのした場面だった。なんといっても、運転手氏のオーバーアクションが顔までフル活用してたのがおかしかった。
ふてぶてしくない小ぶりなジョディ・フォスターふうのおねーちゃんに、上ずってたのか?
ジェスチャー英会話は日本人の得意芸だが(パントマイムとは違う)。

土曜日は、難波まで往復する地下鉄の車内で、横にいた日本人ヤローと白人のガールフレンドが、こともあろうに英会話してやがる。おめー、日本人か!?と注意してやろうかと思ったが、女10の発言に対してヤロー1の「AhHmmmm」「OhYeah」ぐらいしか返球されてなかったので、英「会話」ともいえない。そのくせ、クチャクチャシュポシュポと湿った音が響くほど接吻をくりかえしていたから、「あたいたちに言葉いらないのさ」ってことなのか(なぜか、あばずれ調に演出してしまう)。
しっかし…あの接吻は吸引力ハイパワーだったな(驚異)。
 


雨に賭ければ

at 2003 08/26 19:37 編集

雨があがったなーと浅はかにも愛車をこいでハンズメッセヘと「出漁」する。
ふと、「これぐらいのもん、百均でいつでも買えるな」と獲物をふるい分けしていることに気づく。たぶんお仲間も多いだろうと思う。
一番の人だかりは、文具売り場のレターセットだった。
なぜだ!?
ほんまに彼女らは、手紙を書いて切手を貼ってボストに投函する紙メールを出しあっているのか?
まったく、摩訶不思議な眺めやな。
おじさんは「文通」が好きなもんだが。

外に出たら、雷を伴う豪雨。
こいで10分とはいえ、滝にうたれる修行僧になるのもつらいので、ハンズのとなりのエクセルシオールで雨宿り。ちょうどいい所に開店してくれたものだ。
ハンズの斜め向かいにはスタバもあるが、Dがま先生が遠洋漁業に来たとき必ず寄る習わしになっているから(ついでにキティショップもだ!!)、一人のときはスタバ以外に「マーキング」することにしている。

お茶しはじめるとすぐ雨が小降りになったので、早くやめやめと念じていたら、また大雨に戻ってしまった。なんじゃい!
雨宿りと「不動産底値」の見極めどきというのは、難しい賭けだ。
もう少し「底雨」を待つことにしよう。
 


KANSAIあと1週間

at 2003 08/27 23:47 編集

せみしぐれから鈴虫へと、夜のBGMがすっかり変わった。
つい、真っ赤に燃〜えた〜♪と美空ひばりの歌声が浮かんでくる昼の太陽も、なんとなく夕方になると「しょんぼり光線」に傾いてくる。
この朽ち果て方がいい。廃墟を愛でる美学という感じか?
この夏はサーカスのベスト盤を何度も何度も聞いていた。
「ミスター・サマータイム」につづいて「去りゆく夏」である。
晩夏―いい響きだ。ひと夏の恋。別れ。宴の後。
小中高校の2学期というのは、なにか特別な気分がしたものだ。40日も休みをはさんだ再会ということもあるのか、同級生が変わったような感じがするのはなぜだろう。
いや実際に「女子16番」が鮮烈に日焼けしてたり、だれが見ても「あちゃちゃー」と感じるほど一線を超えてたり(笑)して、
俺が目を離したすきに、何があったんだヒトミ!
と、偉そうな身勝手な、勘違いも甚だしい憤りを感じていたりする(高校はヤローばかりだったから、またお前らかい!と辟易してたものだが)。
大学だと、やんわり新学期が始まって、ぼちぼち懐かしい顔がキャンパスに戻ってきたりするから、それほど休み明けはショッキングではない。
それもちと寂しいから、世間の大学も宿題をてんこ盛りに出して(図工とか雑巾縫いとか絵日記なんてのがよろしい)、登校日に意味もなく教室の掃除などさせて、始業式をうやうやしくやれば、めりはりがついていい。「おい、あいつ最近見ないな」「知らなかったの?去年の春休みに事故で死んだじゃない」てな陰の薄い同級生もいなくなるはずだ。
大学生の絵日記はゴージャスになるだろうな。「オークランドは雪景色でした」とか、「バンクーバーのコンドミニアムで彼女と粘着」とか、キザな絵日記は片っ端から留年処分だ(なんでやねん)。
灼熱のさなか汗だくで就職活動している学生は本当にお気の毒だと思う。アメリカ式に年度を半年ずらせば、就職活動は寒い時期になって、ゲレンデは少しは静かになるのに…とつい自己都合にねじ曲げてしまう。


何式甲子園?

at 2003 08/29 17:59 編集

甲子園球場からうんと離れた明石でやってるのに「軟式野球の甲子園」とは、これいかに。
明石市民に対して、これはないんでないかい?
というわけで、「タコ野球」とか「軟式野球の棚」はどうだ・・・といちびると、明石海峡に沈められそうだ。

たしか神戸と南仏のマルセイユが姉妹都市ということで「東洋のマルセイユ神戸」なんて浮かれている市民もいるけれど、マルセイユ市民は「ここは良いとこフレンチ神戸」と囃したててくれてるのだろうか。いや絶対ないなこりゃ(笑)。
こんなたとえは、キャラクターの世界ではもっと多いように思う。
和製プレスリー(あぁ恥ずかし)とか、わが社の江角マキコとか(陰口?)。

「本家甲子園」がヤマ揚だったころ、高校野球の方はさておいて「そういえば今、マンガ甲子園というのも開かれておりまして・・・」と自分の趣味の世界に話題を振って元「マン研」の面目発揮していたのは、「NHKラジオの朝の顔」氏であった。
こんな甲子園は応援したくなる。
このアナウンサー、神戸時代にDがま先生や僕の戯れ相手をしてくれてた良きアニキだが、東京に栄転して、本心ではお忍びでビッグサイトに通い詰められるヨロコビに涙しているかもしれない。被りモノなんか好きそうだからなぁ・・・。
 


おいしいヤクルト

at 2003 08/30 21:34 編集

ロード疲れもなく、水を得た魚か、密林に帰った虎のようなタイガース。近ごろ安心して試合観戦できる。
9月後半には優勝決定か?
その前に、「連休に北アルプス攻めませんか〜?」と、山仲間からお誘い。遭難したら優勝試合見られないしなぁ・・・と、不吉な心配をしてしまう。なにせ夏はたるみきって怠け腐って水腹で、不健全そのものの「自己暗示アルピニスト」だからなぁ・・・。
優勝戦は死んでも見る!!の気合が支えになるかな?
遭難はしてもいい。しても「下山命」で戻って来れたら騒ぐことはないのだ(=かえって人騒がせ)。

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2003年7月の日記

雨の午後

at 2003 07/01 22:49 編集

ときどき、クルマが水の皮膜を押しならす音を窓の外に聞きながら、文庫で出た村上春樹の『村上ラヂオ』をぱらぱら読む。

村上夫妻が、結婚祝いにしゃれたリストランテで食事中、幸福そうな若い二十代男女が近くにいて、「いい感じのカップルだな」と思ってそれとなく観察していたそうな。
と、おもむろに彼がパスタをズルズルズルッと食いはじめ、彼女も村上夫妻もウェイターもソムリエも、凍りついてしまった。
ハルキさんは、「季節の変わり目に、地獄の大門が開け閉めされるような音」と表現しつつ、「あのカップルはその後どうなったんだろう」としめくくっている。

いや、たぶん大丈夫でしょう。
亭主の食事の作法でグチっている奥様がたは多いけど、それだけで離婚したという話は聞かない。給料さえ家に入れてくれたらいいと打算しているのかもしれない。
恥ずかしながら、僕も、ひじをつきながら食事するクセを指摘されたことがあるし、今なら雑誌や新聞を広げながら食事するクセは美しくないなぁと反省している。さすがにレストランで読み食いはしないけど、ラジオを聞きながら自室で食事をするのは、テレビと一緒に団欒していた家族生活の名残りか、ささやかな修正か?
ながら食いするなら別れますっ!と迫られたら、「ごめんなさい、やめます」と、しおらしく修正する…かな?
音は立てないが、黙ってられない場面で理屈は滔々と述べるから、そっちの方が嫌われているかもしれない(苦笑)。

しかしなぁ・・・賑々しく食う彼とリストランテに行くっちゅうのも、そもそも波乱含みの展開だったのではないかい?
デートはラーメン屋かソバ屋にすべきじゃなかったのか。
逆に、せんべいもたくあんも、音なしの構えで食う恋人というのがたら、「おぬし、伊賀の出身か甲賀の出身か!?」てな疑惑も浮上してくる。

中島義道さんじゃないが、音への感受性は、人間やその周りの社会の文化を象徴している。
だから、根は深いと思う。食事作法は、育った家庭でどんなしつけをされたか、されなかったかという原初的な文化の象徴だ。

ところで門外漢からすると「変なの」と思われるだろうけど、写真を撮る機械を、シャッター音から採点する趣味人も多い。クルマでもそうだろう。エグゾーストノイズも、通からするとノイズどころか愛車の鼓動のように愛おしいものかもしれない。
そんなこだわりはよくわかるし、「こだわり」こそ趣味の真髄だと思う。だから僕は僕でシャッター音にこだわり続けている(その点で、デジカメは寂しいね)。

厄介なのは、無神経と無関心で、自分の立てる音に無関心な人種は、その音をまわりがどう感じているかについて、輪をかけて無関心だ。そこから「無修正」につながって行く。
携帯から出る種々雑多な音をやめたら、持ち主の文化度は高くなるんちゃうかい?と思うが、もうだれも顔を曇らせたり注意したりしなくなったから、押しつけメロディーは、大手をふってリストランテだろうと講演会場だろうと図書館だろうと、あふれかえっている。
聴覚麻痺社会で生きるには、一人一人が聴覚を麻痺させないと適応できない。

また嗅覚麻痺社会という現実もあって、タバコが値上がりして本当の愛煙家にはお気の毒だが、自分の出す煙のゆくえについてもっと愛煙家が敏感なら、こんなに嫌煙ムードは高まらなかったんじゃなかろうか。
オナニー禁止キャンペーンというのはありえない(と思う)が、ふつう密室で楽しむものだし、ふつう人にかけたりしないから、「個人の嗜好」ですむのである。見ず知らずの人の前で「ふつうでないオナニー」をすると、タバコほどの健康被害はなくても、確実に犯罪になる。うーん、タバコって不思議。オナニーより特権的な嗜好だな。

父の臨終のベッドサイドには、「がんばれ」コールがあふれかえり、ターミナルケアの研究の世界には「音楽療法」があふれかえり、静かに考えたり哀しんだり自分を癒したりする場が、どんどん「過剰なサービス」に侵されている。
雨音や風音、人の息遣い、鳥や虫の鳴く音が聞こえる暮らしは、日本の都会生活で取り戻せるんだろうか。


小作家生活?

at 2003 07/04 23:55 編集

自転車で職場に書類を届けて、やっと「本日のタスク修了」。
なんやら今週は書き仕事に追われていて、明日の研究会に備えて一晩で岩波新書を読破せんといかん。
サッポロビールのブラック珈琲というまぎらわしいアルミボトルを買ってきたから、これで真夜中突貫工事いくか・・・。
来週の「足慣らし登山」は、計画だけ踊っているけれど、結局いまだ足慣らし登山の足慣らしウォーキングの足慣らし柔軟運動もできてない。
遭難するぞこりゃ・・・(苦笑)。
 


膳週

at 2003 07/06 16:58 編集

「禅」についての真面目な真面目な研究会お開きの後は、黒生中ジョッキから第2部が始まる。こっちがメインか?
焼きソバを頼んだら焼きビーフンが出てきたので、(ビーフンも食ってから)お口直し?に焼きうどん、その他おなじみの居酒屋メニューで満腹になって、コーヒーで胃のお清め(笑)をして解散した。
なんか足らんなぁと思ったら、ご飯であった。
帰ってあらためてお茶漬け2杯。
炭水化物、とりすぎー!!
と、体細胞が訴えている。
こりゃ太るわな。
「週末ダイエット」という言葉もあるようだが、「週末リバウンド」とか「週末リベンジ」という人も多いんじゃなかろうか。

ささやかなカロリー消費をもくろんで、ハーバーランドと元町へ愛車をこぎこぎする。
ハンドルがキコキコいうので、コーナンでグリスを買って即さすと、ピタリと調子が良くなった。

今宵は「妖怪女ベラ」と自称する某女子大生と、飲み食いである。
ベラでもコテでも使って、お好み焼き行くかね!
と、またまた胃袋が悪魔の誘いをけしかけてくる。自分の胃を、あの世から父の「胃志」が糸を引いている感じ(笑)。

ま、好きなことは先にしておく方が、好きなことを楽しみに待ちながらその前に死ぬより「オトク」だと思う。貧相な性格なのだ。
ところが、もし世間の子供がそんな理屈を述べてやがったら、しばき倒したくなるのは身勝手なのか。
「大人の道楽」を早くから楽しんでしまって、平均寿命が伸びると、よほど次々に刺激的な道楽でも見つからないと、ずいぶん空虚な中高年期にならへんか?とおせっかいな気分になる。
パソコンとか携帯なんぞ買い与えられているガキは、かわいくない。
そりゃ「裏山の雑木林で捨てられている成人雑誌をリサイクルする秘めやかなチュー坊の苦労」なんてのは、懐かしむだけで、無理強いしようとは思わんよ。
せめて、小学生のうちは「自分飛脚」で紙メールを送らせ、中学生になったら伝書鳩を飼育させ、高校生でトランシーバー、18歳以上になったらやっと携帯を解禁する・・・というのが、しみじみ電話をありがたく思うしつけになる・・・わけないか(笑)。

成熟するのが早いにも程があるなぁと唖然とするのは、週3回程度はある。。
藤原紀香みたいな小六がモデルか何かにいるのは驚いたけど、叶姉妹のような女子大生もいる。
そげに早く熟してしまって、いいものだろうかっ!

生き急ぎをしてるのか、してきたせいなのか、二十歳前後にして「オッサンと主婦」みたいな連中も多いなぁと思う。
「ふけたくない」と願っている(らしい)十代ニ十代。
でも、「安定」と「無難」をテーマに日々まったり生きてると、中身は立派なオッサンと主婦ちゃうか?
特別養護青年ホーム(略して特青)というのが必要になるかもしれない。
「これこれ坂本くん、そんなに深夜徘徊しちゃダメですよ。夜這い日は月水金だけですからね」とか、
「サバ美さん、またトロトロしちゃったの〜?じゃケージロウ主任におむつ替えてもらいましょう」
なんて場面もありそうだ。


琵琶法師

at 2003 07/07 23:22 編集

ビワが安くなっていたので何年ぶりかに買って来た。
このところ、フルーツ三昧だ。
たぶん僕あたりジャンクフード第一世代で、「かっぱえびせん」「ぼんち揚げ」ぐらいは好んでいたけれど、フルーティーな(??笑)幼少期だったから、ご近所へ「猟」に回ると、びわ、あけび、いちぢく、ざくろ、柿など、おやつには事欠かなかった。
びわなんて、耳なし芳一の民話を読んでいたから、なんとなく幽玄な気分でつまみ食いしていた。
ざくろのシュールさ、柿の渋さのような「翳り」も果物の醍醐味だろうと思う。パパイヤとかバナナは、満面「甘いっス!」とストレートに訴えてくるようで、それはそれで爽快で好きだけれど、風流味に欠けるのでちと寂しい。
「浴衣美人とビキニねーちゃん」の違いにたとえると変かな?

ものの本には、「野菜と果物はヘルシー」と単純に考えている僕のようなやつに向けて、「果糖にご用心」と書いてある。
たしかに、りんご100%ジュースなんかも考えてみればしみじみ甘い。
気をつけないと・・・。
 


命拾い

at 2003 07/08 15:49 編集

小脳出血をやった翌年、雪降ろし中に屋根から落ちて頚椎と脊椎を損傷、全身不随。
3ヶ月でなんとか歩けるようになって、今は老健でラジオ体操とマッサージ、エアロバイク、ダンベル、バランスボールなどやってるのですが、これから先なにをやればええだ?
という70歳がラジオの健康相談に出ておられた。
できすぎー!!(笑)
相談員の医師も、「もう、それだけできれば充分。転ばないことだけ気をつけて、あとは楽しむことを考えればいいですよ」とアドバイスしておられた。そりゃそうだろう。
「一病息災」の方が、無傷な健康体より元気な、いい例かもしれない。

どうですかおとーさん、スキーでもやってみませんか?と罪なアドバイスをすれば、元気すぎる障害持ちシルバーだと、もしかしてパラリンピックに出てきてしまったりするのではないか?
それはそれで楽しみだけど。

命拾いして粛々と生きるのもよし、一度は死んだと思って大冒険するもよし。
自分ならどっちだろう?

命拾いを、大勢が奪い合う貴重な資源を手に入れて成し遂げるというイベントもある。
移植医療が好例だ。
臓器=資源配分の公正さや移植システムの未整備など、「ドナー側」の問題は、研究も出版も多い。
しかし、臓器をもらって命拾いした側の研究は圧倒的に少ない。
「もらった命を大切に生きています、ありがとう」と、日々感謝しながら生きている殊勝な患者像
が、暗黙の前提になっている。
本当にそうならいい。
「よし、生き延びられたぞ!これからスーパーフリー復活だ」という輩(笑)がいたりしないか?
そんなのはまだ可愛い部類で、もらった命で、他人を搾取したり差別したり、社会的な害悪を再びまき散らし始める権力者だっているかもしれない。

だれが生き延びるべきか。

そうした倫理的な判断は規準が策定しにくいので、現状では医学的な診断でレシピエントの優先順位が決まっている。
これだって、重症度や緊急度の高い患者に優先的に移植するのが「人情」だろうが、統計的には成功率=五年生存率が低くなるから、できるだけ症状の軽い患者に移植した方が成績は良くなる。
移植医療は、そんな矛盾から逃れられない社会的医療なのだ。
また、芸能人やスポーツ選手、慈善活動家といった人が命拾いした方が、社会的な効果も高い。
その裏返しに、レシピエントが実は殺人罪で服役していた人物だったとか、薬害で何千人もの命を奪った会社の社員だったとか、患者のプライバシーに踏み込む報道がやがて出てくるだろう。「こんな人物のために、貴重な臓器が使われていいのか?」というメタ・メッセージとともに。
実は、日本でも80年代に心臓移植を受けた後ギャンブルに興じる(これが彼の社会復帰だった)姿がフォーカスされ、医師の服薬指示にも従わず、結局亡くなってしまった人がいた。

そうした人間のリアルな面が本当は移植医療の向こう側に広がっているのに、一般国民がそれを覗くことはできないし(移植を受けた人の祭典というPR系イベントは報道されるが)、ドナーないしその遺族が、レシピエントのQOLについて自分なりに価値判断することも許されない。「わが子の臓器を移植されて真面目に生きない患者からは、臓器を返してほしい」と願う遺族がいれば、それを医療者は理不尽だと笑うだろうが、自然な気持ちだろうと思う。笑われて無視されて終わりだとわかっているから、「最初から登録しない」人が大多数なのではないか。
臓器のバトンタッチは、あくまでも匿名のシステムである。不自然な匿名システムだからこそ、不信感がぬぐえない。
バトンを渡す方ももらう方も目隠しされていて、どんな人からどんな人に(後者の方が社会的に問われる)バトンが渡されるのかがわからない。
こんな人に臓器をあげたい!(または、こんな人にはあげたくない!)という「行き先指定」ができれば、ドナー登録はうんと増えるだろうと思う。僕にもし重い心臓病や肝臓病の家族がいて、「今から暴走族します」というときは(笑)、家族指定のドナーカードを自前で作って持ち歩く。そんな家族がいなければ、「納豆のきらいな人にはあげません」とでも指定しようか。
ただ、こうなると従来のシステムは成り立たない。僕のドナーカードを見た医師は頭をかかえこむだろう。
さまざまなドナーないし遺族の希望を「漂白」して、臓器を資源化して配分する組織も必要なくなってしまう。だから、移植実績を増やすことより、システムを守る方に執念が注がれる。

最近、「家族にあげたい」と指定して脳死になった人から、指定通り移植が行なわれた。
これが日本的なウルトラCである。
生体肝臓移植も同様で、「家族は特別」なのだ。
「あくまでも例外中の例外ですから、本当はこんなレシピエント指定しちゃ困るよ」という移植業界のコメントもあったが、認めるしかないだろうと思う。
でないと、「行き先指定を実現するための養子縁組や結婚」なんてウルトラC+も出てこないか?
 


教科書評論家

at 2003 07/09 19:08 編集

森枝卓士さんの『デジカメ時代の写真術』NHK生活人新書)を買ってきた。
なにを今さら・・・という気もするし、たしかにこの類の本に書いてある内容の99%は必要ない。
でも、なぜだか入門書というのは買ってしまうクセが抜けない。もっとも、パソコンを前にした僕などウィンドウズそのものが未だ入門者レベルだから、まだまだ入門書は欠かせない杖なんだけど。

写真も、日々基本技術の鍛錬に余念がなく、心を新たに入門書をひもとく!
なんて殊勝な心構えがあるわけでは、(決して)ない。
その入門書の書き手が、読者とどう向かい合っているか、また向かい合っていないかを読む楽しみ・・・というか、拝見させていただく。

さすがに、デジカメ万能の時代に、「あんなもん、まるでダメ」と言い放つ本は売れないだろうから、適当に認めるそぶりを見せながら、「アマチュアにライカなんて猫に小判じゃ」という本音をカムフラージュしている本は多い。
いや、別にそれでいいと思う。フィルムカメラで撮っても、キャビネ判以上に引き伸ばし飾るような写真文化を育ててこなかった消費者が、デジカメで300万画素だ500万画素だと追求しているのは、メーカーに乗せられている茶番劇でしかない。
だから、「お買い得デジカメ紹介」が、入門書としては無難な内容なのだろう。
写真を撮るという行為を純粋に考えるなら、デジカメどころか、電池で動くカメラまるごと視野に入らないはずだ。
いっそ、そんな入門書でもあれば潔くていいが、採算を考えると無理かな。
好きなことを放言できるのは大御所だけで、写真界だと土門拳ぐらいになると、そもそも教科書は書かない(アンセル・アダムスのような例外もあり)。

学術書の世界になると、読み手に迎合して媚びへつらうか、完全に無視しているかと両極端な、絵本タイプか経典タイプが多い。あ、絵本をバカにしたらいかんな・・・。
わがフィールドの社会学書など、最たるものだ。
「よくまぁ、こんな偉そうなこと書けるあんたは何様じゃい」「こいつ何もわかってへんな」等々と突っ込むのが、ささやかな楽しみだったりする(あぁ陰気・・・)。
教科書が、その学問のイメージを台無しにしている例は少なくないと思う。
福祉士の国家試験対策で使っている(指定されている)教科書は、あてがわれる受講生が不憫に思えてならない。あれで社会学がおもしろく見えてくる人はいないだろう(何かと毀誉褒貶も多い宮台さんなど、社会学の広報マンにはなっているかもしれないが)。
せめてosawasenseは話芸でカバーしようと悪戦苦闘しているが、アラーキーの乗りで書かれた社会学書というのがあればなぁ・・・
と思うと、あるんだなこれが岡本太郎!
パリ時代に社会学を専攻してロジェ・カイヨワやレヴィ・ストロースと親しかっただけあって、岡本太郎のエッセイや評論を読むと、ほとんど社会学senseである。
おそるべし、岡本太郎の死霊・・・。


狙撃兵復活?

at 2003 07/11 00:03 編集

ニコンからFM2が退院してきた。リハビリして、脳ドックにも入ってもらって、すっかり絶好調である。
レンズがないので、中古で何か合体させてやらにゃならん。
退院をひかえて、畔幻法慇簑丱縫灰鷦腟繊戮鯒磴辰謄僖薀僖蘢めていると、いかにも兵器メーカーですなぁニコンは・・・と、あらためて圧倒される。戦艦大和の艦橋に長く突き出た測距儀が、ニコン製だったそうな。

そんな兵器メーカーだけあって、世界最強の一眼レフは、スペースシャトルにも乗ったニコンF3のチタン仕様!というのは定評だろうと思う。どんなカメラと体当たりしても、確実に「あっち」が壊れるカメラというのは、ほかにないだろう。どんなデジカメだろうと、かかってらっしゃい!木っ葉微塵〜♪というのは爽快だ。
そんな戦艦大和に対して、FM2は、巡洋艦か駆逐艦という位置づけが似合いそうな中級機だ。
ということは、次は旗艦にあたる御本尊F3Tを買わねばならない・・・!!

しかし、最上級機を先に買って、28ミリf2とか、85ミリいちよんとか、高額設備投資してきたのが現行ペンタックスの部隊なのである。
今さら、またニコンに里帰りするわけにはいかない。MXとかK2とか、質実剛健なマニュアル中級機で脇をかためて、機動的な撮影部隊を結成しようと思っていたのに、レンズ補給ルートが少しニコン寄りになってしまいそうで、参謀としては頭が痛い。
LXのサブにFM2というわけにはいかんしなぁ。どうするフセイン?

こんな作戦を温めていると、「まだフィルムカメラやっとるの」「D-1買わんの」と、某Dがま先生からコメントが入りそうな気配(笑)。
いったい何をどうしようって作戦なのかも、本人からしてわかってないのだが、カメラを持つ野郎というのは、ついつい兵士スピリットが目ざめてしまうのだよ。
街でカメラバッグとか三脚をかかえて歩いているカメラじーさまを見たらわかる。
「武装」ふうの、モノモノしく過剰ないでたちだから。
何を撃つかというと、ふた昔ほど前はいきなり道行く婦女子を盗み撮りしておられたっけ。社会悪とか、不条理とか、そんな敵を狙撃するのではなく、マシンガンで小鳥を撃つような図式かな。
そんなふうに、もともと小心者だから、肖像権だ盗撮だと騒がれると困るってんで、今は数十万円はする兵器で、梅にウグイスとか、朝顔に朝露とか、アジサイにカタツムリとか、そんな無難なのしか撮らない(笑)。
同じ小心者なら、不肖osawasenseのように「VOW専門」に転業したらいいのに・・・と思うぞ御先達!

しかしまぁ、FM2でムラムラしはじめたソルジャースピリットを、どこで発散しようか。


キンタマとURL登録しかかった

at 2003 07/13 18:41 編集

滝登りしましょー!とカヌーイストの誘いに乗って、ついでに彼の愛車に乗っけてもらって、しとしと雨降る中を北上する。
裏六甲の地獄谷というけっこう深い谷を遡行して遭難しかかった経験があるので、完全防水で荷造りして、峰山という渓谷をめざす。
・・・と、現地はますますひどい雨で、どうしましょー????と空を見上げているうちに、冒険者魂(そんなもん、あるのかね)は情けなくしぼみ、約5分でDがま先生に「近くに来てるから、遊ぼー」と電話していたのであった。
505とFOMAを忙しく使い分けてスナップ撮影にいそしむ写真「機」家Dがま先生は、但馬地方一円が庭みたいなものだ。観光客で行列のできるそば屋を、行列のできない絶妙の時間帯に案内してくれた。
シャワークライミングが、なぜか出石そば満腹20皿(×3人分)+小京都そぞろ歩き(ヤロー3人で)に大変身しすぎて、まぁこんな超変化球もいいかな?とプラス思考?しつつ、神戸まで満腹状態で戻ってきた。ずいぶん腹持ちのいい本格派そばである。
しかし、梅雨末期に渓流遡行というのも、無謀といえば無謀だったかねぇ。
「おミズ系」アウトドアが好きなのは、だれだ!?(笑)


梅雨ブライド

at 2003 07/14 23:38 編集

昨日の豪雨とはうって変わって、まるでデンマークのような(行ったことないけど)さわやかな天気になっとった(怨)。
この涼しさは、理想的な陽気だな。
雨にたたられると厄介だが、梅雨明けの灼熱を思うと、潤いがあった方がいい。

ジューン・ブライドなんてのは、もちろん梅雨じめじめネトネトのこの国の風習ではないけれど、梅雨どき以上に冠婚葬祭などやってほしくない季節が真夏だろう。
まぁ葬式は最後の機会だから行かにゃならんとして、結婚式の類は、後々なんぼでも疲労・・・いや披露される顔だから(笑)、真夏の黒服は辞退させてもらっている。

どうせやるなら、日本版ジューンブライドは大磯ロングビーチ(当然、某sab*toは例の「ポロリ」を期待しよる)で濡れまくりながらやるとか、7・8月はもう、「服なし!」でやればいいと思う。会費制でやれば大収益になりそうだ(新婦によりけり)。

うぅーん、他人の華燭の宴には無責任になんぼでも注文つけられるのが楽しい。
いっそブライダルコーディネーターでも開業するかな。「業界の風雲児」が手がけた心労新婦は、リピーター率がやたら多いとか(何回も結婚するなって?)。
 


朝もはよからzzzzz

at 2003 07/15 21:41 編集

7時前にDがまコールで「遊びましょ〜」と来たもんだ。
10時に自転車で出動して、いつものように(これしかすることない)電脳散歩である。
札束持参でマシン3台お買い上げ〜!!と、好景気なブローカー業じゃな。
「甥っ子がバス好きなんよ」と、市バスやリムジンバスをパチパチ激写。
土産物屋を通りかかると、「頼まれものを買わにゃ・・・」と、ハローキティ・グッズを買い漁る。
なーに、よそのお子様を言い訳に使わんでも、Dがま社長のミーハーとオタクの合併症は見抜かれておるわいハハハハ(笑)。

それにしても、神戸牛バージョンのハローキティ(子猫)って、おかしいではないか。「ハローぎゅー」にしなさいっ!
とまあ、怒りの新発見もあったりして、電脳散歩に同行すると「キャラクターグッズ」「フィギュア」やら「デバイス」やら、この分野のトレンドがよくわかる。ためになりますなぁ・・・
 


フォクトレンダー!

at 2003 07/18 00:17 編集

「形見カメラ」にようやく目玉がついた。なんだか選挙事務所のダルマみたいだが。
いざ交換レンズを探すとなると、ニコンは選択肢が世界一多すぎる。
すでに営々とそろえてきたぺンタックスの交換レンズ軍団があるから、似たようなニコン軍団をそろえても使われない公算大だ。接写用とか超望遠系とか、特殊部隊でもつくってみようかと思っていた。

そんなこんなで今日たまたま梅田で途中下車してカメラ屋をひやかしていたら、フォクトレンダーの40ミリという逸品が約4割引で出ていて、飛びついてしまった。発売が去年だから、中古といっても新品同様。
ブランドは18世紀の光学メーカーだが、レンズ自体は長野県産だ。

会計をしているとき、カウンターがショーケースになっていて、真下からぺンタックスの特殊光線(笑)が出ている。
ややや・・・!ステレオ撮影アダプターではないか!!
レンズの前にカチャッとくっつけるだけで3D写真が撮れるという、ミラクルアクセサリーだ。
まあ原理は簡単で、図面を引いて試作してみたこともあった。ただ、反射率の高い鏡を使う必要があるので、材料の調達でくじけていた。
やはり、そこは旭光学製の純正品がいいよな・・・と、返ってきたVISAカードをすぐ突き返して「これも、いただこう!!」と店員を喜ばせてしまったのだった。あぁ・・・

帰宅してから、フォクトレンダーをニコン・ボディに、ステレオアダプターをペンタックスの手持ちレンズにつけて作動点検。
うーん、持にフォクトレンダーが渋い。
40ミリという焦点距離もいい。ごく自然な視野角だと思う。
しばらくは40ミリ1本で、1コマ1コマ丁寧なスナップ写真に励んでみようか・・・。
  


雨に詠えば

at 2003 07/20 20:22 編集

いよいよ夏休み・・・(と、世間は騒ぎすぎるぞ!いったい小中高校生が人口比で何割になるねん?)というころに、絶妙のタイミングで、朝は蝉時雨で目が覚めるようになった。
近所には巨大な街路樹が何本かあるから、出どころはそこしかない。
その木から、窓あけっぱなしで暮らしている我が家のカレンダーでも盗み見たか、
「アブラゼミさんや、そろそろ夏休みみたいですから、始めますか」
「そうですねクマゼミさん、ツクツクボウシさんも誘って」
「あたしゃまだですよ、ニイニイゼミさんお先にどうぞ」
なんて打ち合わせでもしているにちがいない。

九州で大雨の被害が出ているのに、神戸はパワフルに晴れあがっていた。
尊い人名を何人も押し流してしまった大雨を、くそ暑い関西でベトベト吸いつきあってからまりあって陶酔してやがる粘着性バカップルの真上に引き寄せて滝のように流してやれたらと思うが、大自然相手にそうも行かない。
そう、相手は大自然。
人智はいかにも無力だ。
だから、不自然な抵抗はやめて、「自然の一部」として生きる発想も、人智のバリエーションだと思う。

よくTVで見かける「雨でずぶ濡れになっているOLさま」の中継映像なんて、悩殺的すぎる天然アダルト映像ではないか。カメラマンだって、もしかして半ば趣味でズームアップしているに違いないが、いちおう画像メッセージは「悲惨な大雨にとまどう市民」ということになっている。悲惨なことは悲惨なままでいてくれた方が、お定まりの映像でお茶を濁したいマスコミにとっては都合がいいのだろう。
庶民は発想を変えて、「傘に水着」のレースクイーンふうに着替えてしまって出勤すればよろしいではないか。
僕が経営者なら、水着出勤手当てを出すぞ。

街ごと浸水してしまったら、カヌーをこいで出勤・登校するツワ者もいるかもしれない。「大変ですトホホ…」という顔をしてみせて、内心うれしくてたまらなかったりする。
どんな災害の真っ只中でも仕事が大好きな日本人は多いから、どうしても出勤しなくてはいけない人々のために乗り合い形式の舟を出して、いっそ屋形舟ふうに仕立てて客を拾って行けばいい。夕方の便は酒と肴を出したりして。
朝の便だと、「到着です。えーと、このへんの水面下が淀屋橋でしょう」と案内しても、「ここから地下鉄に乗り換えにゃならんのだ」という客もいるだろうから、水面にハッチを開けて待っている乗り継ぎ用の潜水艦にバトンタッチする。
わくわくするではないか、こんな通勤通学は。不登校児など、一発で登校が楽しくなるにちがいない。

地下街で雨宿りするのは危険だからやめるように、とニュースで警告されていたけれど、「んにゃ、たしかに地下街が浸水したら致命的だのクワバラクワバラ」と思いつつ、僕は別の空想にふけっていた。
もし地下鉄の構内も地下ショッピング街も「水中」になってしまって、そこをアクアラングか潜水艇で行き来するような災害が起きれば、めったに見られない幻想世界ではないか。地上では無理だとしても、地下街だけなら、「海中世界」になることも可能である。
まぁ、実際には、おサカナさんが地下街を泳ぎ、竜宮城に乙姫様・・・というメルヘンなんて空想でしかなくて、溺死体が漂い、公衆便所の糞尿が溶け出して、停電で真っ暗な暗黒ヘドロ世界になってしまうだろうけど。

被災者救出を祈りつつ・・・。
 


クールサマー

at 2003 07/22 16:32 編集

暗黒サブカル女子大生でさえ、ラジオ体操に通う夏だ。
清く正しく、こどもラジオ相談というのを聞いてみた。睾丸の美少年であったころ出演したときのネタは「地球内部空洞説」の真偽であった僕だから、どうしても夏はムー系(笑)に関心が傾く。
小1の坊やが、「夜お父さんを迎えに行くとき、お月さんがついてきます。どうちてですか?」と質問している。
「それはね、うんと遠くにあるからなんだよ」と、公明正大な回答をするのは、さすがNHK御用達の科学者だ。つまらん。どのセンセイに聞いても同じ答えが出てくるなら、そんな答えをするセンセイは何人もいらない(リストラ要員)。
「それはね・・・キミが呪われているからなんだよフッフッフッ」
と、涼味あふれる答えを聞かせてやってもよかろうに。

かわいくない子だと「遠くにあるお月さんだから追いかけてくるというお説に従うと、すべての惑星に近いかけられているということになりますな」と返すかもしれん。こんなバトルを聞きたい。

といっても、出演者厳選+厳重言論規制のNHK(なんにも・はなせない・かも)のことである。
「夏の宿題を作ってるんだけど、セロテープとセメダインと、どっちがいいですか」
なんて、ピーだらけになりかねない。
だから、いっそNHKで答えてくれないネタを受けつける裏ラジオ相談なんてないだろうか。
回答者は大川総裁、青木雄二、ゲージツ家クマさん、鈴木宗男、スナフキン、べム、ねずみ男・・・と「各方面」から幅広くお招きする。
この世の真実が、暴かれるにちがいない。
現実は小説よりオカルト!なのだ。
 


プチエンジェルをプロエンジェルにする社会装置

at 2003 07/23 04:52 編集

元小学校教諭で子供の性の研究家であるという先生の解説記事。
12歳という男の子なるもの、「男は大人びてかっこいいし、女の子ははち切れそうな肢体・・・そんな中で、えたいの知れない性衝動が生じる」そうな(どうするサバ子、はち切れてるって)。
この類の解説は、男の子なり女の子なりを一般化しすぎている気がしてならない。
事件の当事者は、司法関係者か精神科医ぐらいしか観察できる立場にないので、いきおい一般論を具体的な少年Aに投映して論じることになるのだろう。

センセイは、思春期の性意識の扱い方として、「まず学校で、お互いの体をいつくしむ教育を充実させる」と訴えておられる。え?ABCのしかた、愛撫のしかたを教えるってか?・・・もちろんそんな話ではなくて、あくまでも机上の空論にすぎない。黒板にチョークで
「異性の体をいつくしむ、とは」
と書いて、おもむろにレクチャーを始める。
のか?(笑)

こういう情操教育を教室まかせにせざるをえない親やコミュニティというのも情けないが、現実のコミュニティには交尾を見せてくれる牛馬なんておらず、スタンガンと手錠で少女監禁するロリコン男とか、ヤリコンサークル早大生なんてのを氷山の一角にした欲望が渦巻いている。かと思えば、一方ではEDだセックスレス離婚だ少子化だと話題になっている。

このセンセイ自身、小学校では「なぜ男の子はエッチなのか」をテーマに授業をしたという。そして人類の種の保存のために神様が一方をエッチにしたと教えたそうだが、これは問題ではないか?非科学的―いや宗教色がいかんというつもりではなく―だし。
種の保存のため、男と女にはそれぞれ性本能と解発因というものがあり、教育や道徳という文化装置があの手この手で発情させたり抑圧したりして危険な男や危険な女を生産している。また、危険をカムフラージュしている。と考えなければ、似た事件はくり返されるだろうと思う。

ファッカーファーザーは話題にもなったが、十数年もの年季が入った巧妙な母子相姦は、話題にもならない。
男の子が変調をきたしている背景には、母親の盲愛が見え隠れする。いや、育児のしかたがダメだと断罪するつもりはない。
お母さんたちもまた苦労しているのだと思う。母性は全うできても(これは犬でも猫でも立派に全うしている)それでもなお救済されない部分をかかえている。
自分が人として承認されるステージに飢えている。
だから夫の役職とか(会社の財務諸表は「むつかしくてよくわかんない」)、我が子をデビューさせる公園とか、我が子の通う学校の偏差値番付とか、そんな他人の土俵で他人の褌を借りて自己承認するしかない。
・・・のか?
それなら、わしの褌を貸したげるのに(笑)。


Gスーパーフリー

at 2003 07/23 19:47 編集

エビス缶ビールに黒生があるとは知らなんだ。ロング缶で270円と安い。「じっくりローストした黒麦芽とバイエルン産ホップの香り」と能書きがある。うまい。
口当たりは、ノーマル(?)エビスの方が慣れているせいもあってよかった気もするけれど、それとは別のうまさに一撃をくらった感じ。
サッポロビールさん偉い!
久々に恵比寿ガーデンプレイスでとことん呑んでみたくなった。

ぐじゃぐじゃ言おうとすると、「オトコは黙ってサッポロビール」というCMも思い出す。菅原文太だったか、三船敏郎だったか・・・。
今あんなCMがあれば袋叩きに遭うだろうけど、ふとWEB上の読売の社説を見ていたら、ジェンダーフリー教育にしかめっ面を見せていた。

実際、教育現場でジェンダーフリーって何やっとるの?男女混合名簿のこと?という程度の認識しかないので、読売の視線で拾い上げられた細々した例しか把握できなかったのだが、たとえば・・・

・ランドセルや洋服の色が男女で違うのはおかしい、と性差を否定する方向へ誘導する。
・桃太郎や一寸法師などの民話を登場人物の男女を入れ替えて、読み聞かせる。
・端午の節句やひな祭りは、男らしさ女らしさを強調する催しとして否定する。

等々の教育が、伝統文化を否定しておる!というトーンだった。
たしかに、性差を否定すると古典文学はほとんどノンアルコールビールみたいになりそうだし、こんな愚行をジェンダーフリー教育と称するのは笑止千万だ。ジェンダー論者があこがれる欧米で、こんな文化大革命でもやってるのか?

オトコはオトコ、オンナはオンナとして認めあって・・・なんて当たり前のことで、これを疑い始めると難儀する。毛深くなるのが恐怖な少年なんて気の毒なサンプルも増殖している(オイそこの少年!腋毛そるってか!?)。
どう疑っても少女にペニスは生えてこないし、男は妊娠できないのに(オイそこの少年!乳癌になったらうれしいか?)。
問題の核心は、性差が差別や権力関係に滑り込んで行くことなのだろうと思う。

ジェンダーフリーを唱えるのはいいと思うが、実社会のジェンダートラックがあまりにも強固だから、相対的に学校という小社会がジェンダースーパーフリー(笑)になってしまうかもしれない。学校は「成績がよければ勝ち」の、ある意味で実力主義・能力主義集団で、性別が格別に有利・不利を左右するわけでもない。
かえって、「こんな社会は学生時代で終わりですよ。会社にはオトコの人生オンナの人生があって・・・」と、実態を教えないと、「授業で教わったことと違うよー」なんてウブなカルチャーショックを受けないかね?

ジェンダーフリー教育を考えているセンセイがたは、「女子大に進学したい女子生徒」にはどんな指導をしているのだろうと思う。
僕も学生時代―だから80年代だが―にアルバイト講師していた塾で、成績の伸び悩んでいる女子中学生が「進学できなくても結婚できたらいいもん」と革命的な発言をするのを聞いて、ずいぶん肩の力が抜けた。昔から「癒し系」な少女はいたもんだ。
そりゃもう、教育の土台を土石流で押し流してしまうような、革命的な開き直りではないか(笑)。
たしかに、そうだからなぁ。我が実家にいたチャコ(雌猫)もポチ(雌犬)も、学歴はなかったけど、完璧な賢母だったもんだ。

ジェンダーは、最後の拠りどころにもなる。
否定してしまうと、ワンコやニャンコは救済されない。
 


2ウェイ密閉型

at 2003 07/23 19:48 編集

うー、スピーカーを買ってしもうた。
これまた懐古趣味の、70年代の名機。
といっても、そんなにレアものではないから、1セット3500円。
口径たった14cmでエンクロジャーもちっこいくせに、ずしりと重い。
たしか発売当時は、熟成したクルミの木だったかナラの木だったか、そんな厳選素材を売り物にしたコンポーネントなのだ、とソニーが宣伝していた。明らかにプラスチックでもないし、集成合板でもない重厚な木目だ。
古道具屋でホコリをかぶっていたのを、敏感に嗅ぎ取り、試聴させてもらって即決した。
ボーズの101シリーズぐらいのサイズだろうか。
ボーズの弾むような音も好きだが、「オールマイティな優等生」といえばソニーかな?

夏休みの宿題に木工をやっている子は今でもいると思うが、スピーカーなんて、趣味と実益と宿題を兼ねてやれる確実な工作ではないかと思う。スピーカーユニットだけそろえれば、あとはほとんど木工作業で終わりだし。
ただ、素材や加工技術、仕上げの手間で音が微妙に違ってくるから、個性が出る。
そのせいか、昔のオーディオ雑誌には、変な素材で個性的な音を競い合った手作りスピーカーの記事がよく載っていた。段ボール箱は僕もよく使ったが、陶器とかレンガ、挙げ句の果ては土木工事用の土管とか、とにかく振動しない稠密な素材が好まれるので、「どうやって穴開けしたりカットしたりするの?」と首をかしげるお手製品が個性を競い合っていた。
マニアの中には、窓枠にスピーカーユニットをねじ留めして(当然部屋の中に向けて)、世界まるごとエンクロージャーにしていたという、近所迷惑なのもいたっけ。

ま、ふつうは木箱を作って前面にスピーカーユニットを固定する―というのが基本だ。
スピーカーボックスの工作は簡単なわりに、老舗メーカー品の音の深みはどうしても出せないのが不思議だった。アンプ類は、手作りすると絶対に世界一いい音に聞こえるが、なぜかスピーカーは見劣り(聴き劣り)する。なんでだろう?

亡父はダイヤトーン信奉者で、たしかにスピーカーといえばダイヤトーン製。製紙業界もグループ内にあったから、良質の素材を開発意図通りに使えたのではないだろうか。
僕は、反抗期じゃないが「外資系」という変化球で対抗して、タンノイのエクリプスをドンスコドンスコ鳴らしていた。
あぁそのタンノイも押し入れに眠っているし、MDコンポにワンセットされて今しぶしぶ使っているスピーカーボックスもあるし、スピーカーだらけ(笑)である。
身内に寄付してラジカセにでもつないでやれば、卒倒するほどいい音で鳴るだろうな…。
 


物欲街道三宮元町線

at 2003 07/23 21:33 編集

まじめに雨が降っていたので、徒歩で三宮へ。
なんだか、愛車ビーエムをこがない日がめったにないので、歩き方を忘れる…といえば大げさか。
梅雨があるといっても、日照率は抜群に高い瀬戸内気候である。
こいで通勤通学する人がもっと増えれば、人工島にWHOを誘致したこの街も、「健康都市」を地で示せるのに。

と、ブツブツ思索にふけりながら、注文していたファインダースクリーンを受け取りに行く。
たった36mm×24mmのガラス片なのに、2500円もしやがる。でも傷のついた古いスクリーンと入れ替えただけで、おぉ愛用機種が生まれ変わったような、目からウロコが落ちるようなリフレッシュ感がある。
こんな小物で気分がガラッと変わるフィルムカメラは、だからやめられない。

てくてく元町へ戻って、いつもの立ち寄り店にさしかかると、よりによってショーウィンドーの角、一番外側の目立つところに、逸品が鎮座していた。
ドイツ・プラウベルマキナ社の6×7判レンジファインダーカメラである。
普通、中古カメラを眺めている客は、新品を買う客とはモチベーションが異質なので、セールストークは浴びないのだが、なぜか声をかけられた。「なんでしたら、出しましょか」と。
いかーんいかーん、「見るだけ」と宣言しつつ、出してもらったぞプラウベルマキナ14万円!

妖しく光る大口径ニッコールレンズ、極限まで無駄を省いた薄型軽量ボディ、実に静かで軽いシャッター・・・。
ほっほっほっほ…しぃ…!
「これだけの美品で、この値段は珍しいですよ」と、愛想笑いをしない店員のメタルフレーム眼鏡が鈍く輝く。くそっツボを押してきよる。
「最近、若い女の子がプラウベルマキナを指名して買いに来ますからね。隠れた人気モデルです」と。
そうだろそうだろ、なんたってアラーキー愛用カメラだ。ときどきアラーキーと一緒に写っている。
あの弁当箱みたいなの、カメラなの?ほしー!プヒッってな乗りで、即金で買いに来るのだろう、あな恐ろしや婦女子の購買力!

マキナは、宣言通り見て冷やかすだけで、またショーウィンドーに戻っていただいた。
にわかアラーキー追っかけの婦女子に買われて、愛玩してもらうがよろしい。
案外、初めてカメラ買おうかな?という婦女子が、いきなりブローニー判を買ってしまったりするのかもしれない。
そんな意表を突く購買行動こそ、婦女子フォトグラファーのおもしろいところだ。
某女子大生がいきなりハッセルブラッドを抱えて現われたりしたら、どうしよう・・・。


不自由な民衆党より

at 2003 07/23 23:21 編集

自由党と民主党が合併するとや。
自由党+民主党=自由民主党!?
そんなはずはないから、太陽神戸銀行の末路みたいに「さくら党」とでもするか?
一字違いで、選挙のとき書き間違え票が入るのを期待して「自由民酒党」とか「不自由民主党」という線もある。
頭文字にこだわって自と民をくっつけなくても、由民党でもいい。毎年冬は苗場でコンサートをしていただく。

いかす政党のつくりかたを見せてほしいものだ。参考にするから(笑)。
 


ニュー・ハーフ&ハーフ

at 2003 07/26 00:00 編集

ひとまず通勤電車生活が終わってしまうと、電車好きとしては寂しい。ハーバーランドから、フラッと梅田に向けて新快速に乗る。
電池やらフィルター径変換リングやらケーブルレリーズやら、小物専門買い物客になりきった後、カレースタンドでハーフ&ハーフをオーダー。
これはビールではない。
カレー&ハヤシライスである。
やや少なめのライスがバリケードになっていて、左右にカレーとハヤシがなみなみと盛られている。「一皿で楽しみ2倍」のお得なメニューなのだ。
こんなキテレツメニューを披露してくれる店の名は、「メルシー」という。
なんだか、新大阪の「あがりコーヒー・そうめん定食・BGMは演歌」の喫茶アロハを思い出すが、この種の「あいさつ店」は個性が突出している気がする。
「またな」とか「おひさ」なんて屋号もいけそうに思うが、電話をとっていきなり名乗ったら、初めてかけた人はとまどうだろうな。

神戸でだったか大阪でだったか、「まいど」という店の看板をどこかで見かけた記憶もあるのだが、あれはいったい何の店だったのだろうか。風俗店だったらレポートどうするべフセイン。よりによってハーフ&ハーフというメニューがあったりすると、逃げ出したくなるかもなぁ。
 


阿鼻叫喚の夜はふけて

at 2003 07/27 23:40 編集

神戸港花火大会は、惨事で中止になっている明石からの遠征客もいるのか、「岸壁超満員」だった(→リンク先2003年アウトドア・アルバムヘアップロード)。
コンロとフライパンでソーセージ、野菜から餃子、焼きうどんまで炒めてビール、チューハイ、ウメッシュでできあがっている「後方部隊」6名は、周囲から刺すような視線の痛みや、あきれ顔の警官の無言の警邏にも耐えて、よくがんばった。感動した(笑)。
潮風も涼しくて、料理もビールもうまかった。
花火が終わっても1時間半、岸壁で飲み食い居眠りで余韻に浸っていた。

たぶん、真似するグループが来年以後あらわれそうな気がするな。
で、再来年あたり「調理禁止」の規則ができる。その頃すでに我々は「岸壁の宴」には飽きて、次のエンターテイメントを考えているだろう(か?)。
だれもやってない時―つまり規制がない段階―に、先駆けとしてまずやってしまえばお得なのだ。

正反対に、十年一日さっぱり変わらない超マンネリが、波打ち際かぶりつき席のカメラマン・ゾーンに発酵している。僕もワンパターンに埋没してきたわけだが。
マンネリも煮詰まってくると、独自の「ローカル・ルール」ができてきて、たとえば「立てた三脚の足の幅がわしの縄張りだ」というのが無言のメッセージになっていたりする。
僕は一脚しか立ててなかったので、縄張りは幅5センチしかなかったぞ!!トホホホ・・・
割り込もうとする新参者にビシッと注意する、なんてサンケイ新聞的モラル(?)が定着しているのも、さすがカメラおじさんカルチャーワールドだなあと思うが、「お隣さん」とすんなり世間話に入って行けて、「ここからのアングルだとレンズは何ミリがよろしいよ旦那」てな指南までしてしまう自分にあきれてしまった(笑)。
 


みんな変態

at 2003 07/28 16:38 編集

「小学生狙う変態ビジネスの深淵」と、AERAの見出し。
いかにも、PTA体質の朝日新聞社だな(朝日新聞体質のPTAともいう)。
PTA体質というのは、厚顔無恥なおねだり癖がコア・パーソナリティである。

最近前後して起きた事件で、「加害者」はいかにもPTAが好む優等生だったのではないかい?
「被害者」の少女に、PTAはどんなフェロモンやりくり教育(笑)をしていたんだろうか?まさか、小学生の娘を弄ぶ趣味がこの世にあったなんて!!てな、レべル200無知ではないと思うが。
これが変態ビジネスだ!撲滅せよ!とPTA決議みたいなキャンペーンしか思い浮かばないとしたら、大人の知性はどこに行ったのだろう。

ロリータビジネスとすぐ地続きの世界にモー娘ビジネスがあり、少年愛ビジネスと地続きにジュニアがある。
芸能界は虚構の世界だからまだいいとして、巷にあふれ全面的に「善」だとされている子供お世話ビジネスは、これまたロリコンの異形だ!といえば、たぶん否定されると思う。
しかしなあ・・・
「最初は恐る恐るだったユウジくんも、手ほどきをうけて上達、ありがとうの笑顔」
なんて記事は、調教ものポルノ文学なのか、夏休み子供指導ボランティア報告なのか、区別がつかん(笑)。
つまり、こんな場面で大人が子供に解発される「歓喜」の深層にある惰動は、方向が違うとはいえエロスが通底しているのである。

日本人みんな幼い少年少女が大好きなのだ。大人が大人の美や芸を愛でる文化がないから、少年少女への人形愛の世界に耽溺するのが、大人の居場所になってしまうのだと思う。
小学生の春を買ったり暴力で支配したりする大人は「まだ」少数だとはいっても、「それよりウットリできる文化」がなければ、子供が犠牲になりつづけるだろう。
大人が大人のエロスを否定せず、直視して育てて行かないと、「いんにゃ、わし(orあたし)は半熟や未熟がいいの」という病気は日本人の平均体質になってしまうだろう。

エロスを直視している教育者が、神戸女学院大の内田樹センセイで、アカハラを論じる文脈で、師弟関係は本質的にエロチックなのだと明言している。
師弟関係でなくても、支配―服従関係が維持されるのは、エロスが粘着剤になっているからではないかと僕は思う。
だから余談だが、卒業した母校の恩師を先生よばわりすると、「キミも女らしくなったにー」とかなんとか勃起されてややこしいことになのがオチ。おい、オッサン!と呼ぶのが正解(笑)。
僕は「係長!」と呼ばせてるけど。
 


横浜優勝

at 2003 07/30 16:45 編集

1日だけ見れば優勝だからいいではないか。元太洋ホエールズ・ファン(カルロス・ポンセのファンというか・・・)は一夜の栄光に浸るのである。
ところで阪神優勝を商標登録したやつが、球団と和解してしまったそうな。
いかんなぁ・・・日本人は浪花節が大好きだが、コずるいやつが「濡れ手で泡」に喜ぶだけ。和解内容は不明だが、かりに登録者がギャランティを放棄させられたとしても、和解金を何十万か何百万かせしめることができて、けっこうな不労所得になっただろう。
和解の余波は、「そうか、こんな手があったか」と真似するやつを誘発する。巨人、ヤクルトなんてのはすでに商標登録されていてアウトだから、次の手は「広島優勝」「横浜優勝」か?
この手で行けば、「あんなフレーズも登録して儲けちゃれ」というやつが続出しそうだ。それで知的財産権の認知が広まるのはいいことかもしれないが。

しかしだ、阪神優勝の登録は、確実に「権利の濫用」ではないか。こいつを正面から訴えて、無用の登録はたたきつぶされまっせ!という前例をつくった方がよかった。そうなると今没の模倣登録の抑止になるしね。
ドメイン登録はそうなっているのになぁ・・・。
 


夏休み日記

at 2003 07/31 05:29 編集

夜更かししないか、しても早朝きちんと蝉しぐれで目が覚める。
あぁなんと健康的な夏休み生活でございましょう!
まるで小中学生みたいだ。
大きくちがうのは、寝る前に缶ビールくいっとやってることぐらいか。
世間で、休み中は子供が家にいるから相手するのが大変で・・・とぼやいている親は、昆虫採集か何かでひと汗かいた子に「ご苦労さん!じゃ乾杯」とクイッとやらせれば、コテンと静かになるだろうに。

ビール腹の僕は、起きてすぐ体操するわけでもなし、昆虫採集しに行くわけでもなし、「夏休み放題の大人」としては手持ち無沙汰でいけない。ペンション住み込みのバイトなどできればおもしろそうだが、「ピーチ女学院短大テニス同好会(あくまでも仮称です)夏合宿」なんて客が来れば、一体どうなることやら。
やはり、未だ見果てぬ夢「蓼科の別荘街で蝶を追いかけている亜麻色の髪の乙女」と出会いたい。
実際の行楽地には「蝶だと思って蛾を追いかけている茶パツのコギャル」が湧いていそうな気もするけど。

まぁ、四十男の「夏の出会い」は、絵になりにくくて何かと難しい。「不倫」とか「拉致誘拐」という気配がぷんぷん匂う。
行楽地は「正しい家族」にお譲りして、今日も来週も図書館にたれこめて過ごすか・・・。


がくとスッポン?

at 2003 07/31 22:55 編集

女性週刊誌の中吊り広告の見出し

Gackt先白「10代の僕は吸精鬼!毎月SEXを渇望していた」

おぉそうか少年、健康でいいね。
と「はるか元少年」は思うのだが、この雑誌の読者層は、こげなことで下衆な好奇心を満たしたり淫靡に欲情したりするのだろうか。
あのGacktさまは無機的な造形美そのものなのよ!
というファンの幻想へ偶像を祭り上げておいて、チラホラとズボンのすそから素肌を覗かせる。
なにやら昔はやった「でぃすこ」のお立ち台とりまき男と似てないか?

まぁ、それはそれでモンダイにするつもりはない。
毎日エッチなことを考えない十代男子というのがいたらそっちの方が問題で、「学徒告白」の後半は沙汰なしとしよう(奉行みたいに・・・笑)。
気になったのは「吸精鬼」のところで、ふつう男は精を発射する側で、吸うというのは・・・もももしかして、こここれは、別世界の人種へのメタ・メッセージなんでしょうかシベ超!!
と、深読みしてしまうのは夏の陽気ゆえか?

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2003年6月の日記

いきそう・・・

at 2003 06/01 15:07 編集

ほんと何気なくラジオをつけたら、9回表の巨神戦、4対2で阪神が負けていた。こりゃー連敗かなと思っていたら、あれよあれよという間に13対2にまで大逆転して勝ってしまったではないか。
なんじゃこりゃ。
今年の阪神は「奇跡タイガース」か?「阪神ミラクルズ」か?
去年の勢いを反省してか、阪神ファンは「優勝」を口にして浮かれないよう、慎重に応援しているようだが、今年は行くのではないか?

思えば、N村監督だったら、9回表で2点差で負けていたら、「もう、やめ」だろう。妻から「あ〜た、そろそろ引き揚げちゃえば?早くおかえんなさいよ」と電話がかかってきて帰り仕度を始め、どいつを悪者にまつりあげようと苦い顔をしている野M監督に選手も気づいてだれも顔を合わせようとしない・・・のではなかったか。
組織が生まれ変わるというのは、この球団のことをいうのだろう。
アメリカでMBAをとりましたというオーナーが、開幕早々監督を解任してしまった某地元球団は、パリーグ最下位に低迷している。ホームグラウンドも、地域色なしのヤクザなIT業者の社名に変えてしまって、コーポレートアイデンティティだなんだと浮かれている。野球は泥と汗と涙のドラマだ!っちゅう原点を忘れたらあかんよ、優等生の原監督も。

大逆転の余韻に浸っていたら、1時すぎにスキー仲間から呼び出し電話。ヤロー二人が「電車なくなってしもーたんで、朝まで茶ーしましょ」と泣きつくので、えっちらおっちら喫茶店へ。
まったりグッタリしらじら朝を待つ・・・アホな学生時代は、よくやったこと。呑みつぶれて、吐きまくって、連れの下宿にころがりこんだこともあった(そんな汚らしいバカ友にお茶を入れてくれたやつのへ恩義はマイ世界遺産だ)。
新人類31歳と26歳は、清潔に、からむこともない。小心者の「彼女ほしいよー」の遠吠えに説教をして(笑)、始発電車を見送って別れる。
なんだろなー、この透明感は。


台風一過

at 2003 06/01 20:02 編集

涼しい晴天―と絶好の回復ぶり。
初夏の陽気はさっぱりしてていいのに、サンマルクでめったに座らない孤島席でお茶していたら、ぢっとり満面なにやら言いたげな無言のメッセージ(笑)をたたえたオバサン47歳が隣にやってきて、熱い電波を子宮から発してくる(SOS!!)。これも、春なんかねぇ・・・。
あっちもこっちもそっちも、空いてますやん!シッシッ!と追っ払って駆除できればいいが、頑として動きません大地の母は(笑)。

最近は、喫茶しながら何か読み書きしていても、ふと鳥肌が立つ念波を感じる瞬間があって、それはたいていオバサンスカラー波だ。あ!いま俺オババ地対地レーダーに捕捉されたな!?とわかると鳥肌が知らせてくれる。

で、脳に警戒信号が送られるのだが、僕の脳にはオババ抗体とオババカプラー(受容体)が同居しているからややこしい。
こんなふうに悪態つきながらも、「今日TVで見た伊東ゆかり、イイ感じ」とか、「根本りつ子大歓迎」「秋野暢子さん呑みに行きましょう」etcetcと勝手放題ばかり妄想してるから、被害を免れないのかな。

ただ、「この風来坊くん(=僕のことね)、私のフェロモンを受け取ってくれんわ」と判断すると、あっさり退店なさるのが熟(れすぎてしまった)女の長所かな。
ストーカー男にもてもてという女性がいれば聞いてみたいが、男の方が往生際が悪いんじゃないだろうか?って気もするなあ。


6月に記念日を

at 2003 06/03 19:00 編集

*9000番目の方、よければ書き込んで下さい*

6/4=ムシにちなんで、「明日は虫歯の日」とキャンペーンあの手この手・・・というニュース。
月刊『むし』という雑誌を思いだした僕は、マニアだろうか。
ゲーム好きなら「任天堂64」を思いだすだろうし。
それにしても、まだ3日である。なぜ「無残な日」を記念しないのか。なにか、無残なことが起きる日―こりゃカルトが騒ぎかねないな。

記念日というと、敗戦記念日を除けば、お祝いデーばかりなのが不思議だ。
しっとりした記念日を増やして、ご陽気な記念日は盛大に祝って、めりはりをつければいいと思う。天皇誕生日があるなら、昭和天皇の命日もあっていい。
終戦記念日に対しては、真珠湾記念日もカップリング。
盆休みがある8月を除けば、6月には祭日がないから、なにか設けてあげたい。
虫歯デーは、痛い思いをして歯医者を儲けさせるだけという気もする。
ジューンブライドがキレイなイメージはあるけど、ここは欧米と違って梅雨どきのアジアの島国である。ベタつくわい。
でも6/3無残、6/4無視、6/5婿養子(つらい)、6/6夢無、6/7ムナしい・・・と続く6月上旬は、かなりきつい。
そのかわり、6/9になれば、
日めくりをめくってわざとらしく「あら、6と9だなんて、あぁた、どうします!」と頬を紅潮させ驚いてみせる妻サバ子
「どうするったって、6と9なんだろうよ。ムクか・・・」と、わけわからん横道にそれる夫ケージロウ。
「ムキますか?」と、もうすっかりトロトロしているお間抜けなサバ子。
「あ〜あ、僕はねー、無垢とゆーつもりで言ったんだ!たわけ者!」
と、夫婦でムッとして6/10につながるダジャレウィークというのもいい。

下ネタついでに思い出した。
海の日の翌日が誕生日で、日付をメールアドレスにしていた女の子がいた。「へー、僕の誕生日の翌日か」と、あたりさわりのない会話をしながら、僕は郵便受けに入っているチラシや公衆電話に張ってあるシールによく「0721」の番号があるのを思い出した。
ひまわりのように69・・・いや無垢な彼女には、なかなか「そのアドレス、誤解されるよ」とは言えなかった、あぁ甘酸っぱいメモリー(アホかっ!!)。
  


マスター、起きて下さい!

at 2003 06/04 00:43 編集

近鉄百貨店と阪急百貨店が、販売員のスキルを認定して、「マスター」の称号を設けたそうな。
これ自体は昔からある労務管理の一環にも見えるが、内容がイマふうだ。ワイン選びの助言をする(ま、けっきょく買わせてナンボやけど)ワインマスターは、体をワインで改造しとるんだろうな?男性ワインマスター君は、女性客に「あなたは、僕を熱くする極上の赤ワインですよ」とかなんとか嘘八百ならべて酔わせる名人でないといかん。

「眠りマスター」というのは、寝具売り場のエキスパートらしい。
客に添い寝して眠らせてしまう名人だろうか。イメージキャラクターは山口もえ。
ひざまくらが最高に気持ちいい大腿美人だろうか。イメージキャラクターは鈴木京香か。
世界最高の幸せ顔で熟睡する健康優良児だろうか。イメージキャラクターは、えなりかずき?
永遠の眠りをマスターした店員だろうか(売り場に寝てたらこわい)。イメージキャラクターは天本英世。

でも、僕だって居眠りマスターだぞ。いや聞こえが悪いから、仮眠マスター、いや大脳リフレッシュマスターと名乗ろうか。某「ただの心理学者」が「脳機能学者」と名乗っていたように(笑)。
喫茶店でも電車でも、数分クイッと眠るとリフレッシュできまっせ。
夜行電車での登山やスキー旅行でも、一応まとまった睡眠はとれるよん。
友人の運転するクルマの助手席で熟睡したら、同乗者から激しく叱られましたばい(日本の変な習慣ですたい)。

寝言マスターという一面は、自覚がないが旅仲間に指摘されたっけ。ある山小屋の一室に男二人+主婦で泊まった朝、「なんだか、女性の名前をはっきりしゃべってましたよ」と笑われたが、その名前はいくら尋ねても教えてくれなかった。

数年前のナイトスクープで、起きている人間が話しかけて寝言でちゃんと返事しているおとっつぁんがネタになっていたが、僕も横で寝ていた女性には必ず言われた。あの話、どうなってるの?と何日もたってから言われて、「???」になることがよくあった。よーく考えてみたらその話をしかけたら急に眠くなって、「また今度・・・zzz」となったら、どうも寝言で商談が進行してた(笑)という恐怖体験があった。
ま、「商談」ぐらいは笑えるが、自白誘導に使われなければ・・・とだけ不安。
 


ノマド

at 2003 06/06 00:01 編集

兄宅で兄姉弟4人集まって、夜を徹して親族会議。
弟にクルマで三宮へ送ってもらい、「始発待ち」で1日が始まる。あぁ、今日は大阪へアサイチ出勤だったのだ。弟もつらかっただろう。

当然、意識朦朧状態で仕事をして、神戸に戻る電車で熟睡。っと・・・、明石から引き返してきたばい。
つかれていると、かえって家ですんなり仮眠もできないまま、ワープロ作業をして、夜勤へ再出勤。
終わってまた電車内で熟睡してしまったが、なんとか寝過ごさずにすんだ。

こういう日はビールでもくらってコテン!と寝るのが一番だろうけど、メシは食いたい。呑むより、食い意地が張っているのが情けない。
めし食って、お茶してほっと一息つくと、けっこう体のすみずみまで血が通うような蘇生感。
いかんぞいかんぞ、夜風を切ってチャリクルーズ・・・と、いつものパターンに腰が浮いてしまいそうだ。
ほんま、そのうち寝不足でポックリいきそうでこわい。

職場へのちょうど中間地点の芦屋あたりに彼女がいて、「ちかれたー」と立ち寄れたりすると段取りオーライなのだが、まぁそんなぜいたくは見果てぬ夢か。駅で仮眠室ビジネスでも始めてくれたら、けっこう利用客はいると思うがなぁ。
こんなときは、営業車で外回りしているビジネスマンがうらやましい。木陰にクルマを停めて、BGMでも聞きながら仮眠する・・・なんてことはできるかいな!と反論されそうな気もするけど、建築現場でダンプカーの座席に横になって、窓から足を投げ出して仮眠しているおっちゃんたちは、最高に心地よさそうだ。
あの座席というのは、弁当を食って、寝て、一服やって、たまには抜いて、同僚とバクチなんかもやったりして、1畳もないスペースがDK+寝室+カジノの機能を持っているわけだ。すごいミクロコスモス!
寝台車もいいし、僕がひそやかに考えるのは書斎車だ。
海を見ながら、高原に足を延ばして、また湖畔で、書斎の外の風景は自由に選べる。流民―nomad―は、「野窓」とゴロが合う。
もっとも、そんな場所で読書なんて気にならんかもねぇ・・・。



錦は着てても心は・・・

at 2003 06/07 16:14 編集

ズンドコズンドコ、ガリガリギーギーと工事音で目が覚める。
隣りの空室の改修工事だ。そりゃまぁしかたない。
不景気はわかるけど、4階まるごと空き部屋だらけで、我が第3サティアンしかないというのも寂しい(玄関に神棚を奉ったりしてないし、マントラを唱えたりも、白いシートを張り巡らしたりもしてないぞ)。震源地みたいなにぎやか親子が引っ越してくるのも災難だが・・・。
みなさん、都心のチープ・アパートの住み心地を見直しましょう!とキャンペーンしたくなるばい。

兄の引っ越した先の高級ニュータウン(笑)では、端っこの雑林を拓いて知的障害者施設ができると報じられたとたん、「高級な住民たち」が猛反対運動をしているという。
なんだか、貧相な高級住宅地だこと。
住民運動や対話だとキレイな衣はまぶしてあるが、ホンネは
・「キ印は、近所に来るな」
・「おれんちの資産価値さがるのイヤだ」
の2点でしかない。顔を出して言ってみろって。

たかだか20年前の造成当初から住んでいるったって、しょせんよそもの。よそものが寄り集まって、新しいよそものをランクづけしようとしているバカ住民は、自分のキ印に気づいていないようだ。あぁ、おかしい。
ニュータウンに住んでいるのは、1億円で買ったマイホームが5000万円に下がることぐらいでガタガタ騒ぐ程度の「リッチ」な住民なのだ。車庫にジャガーは置けるが、出先では路上駐車(笑)。運転手なんて、とてもじゃないが雇えない。という程度。
景気変動にはデフレ期というのが必ずあって、資産価値は下がりますよ、うまく運用しないと損しますよ、という社会科レベルの知能はリッチじゃないようだ。
パチンコ屋や風俗店ができても、住宅地の経済価値は下る。でも、規制緩和はどんどん進むから、どこに何ができても不思議ではない。
評価額が下れば税金も安くなるから、喜んだ方がいいのではないだろうか?その程度の金持ちだと。

偏った報道を排除して現実を見れば、ほぼゼロ金利でも、新築マンションはなかなか完売しない。売れ残れば在庫クリアランスするしかない。
でも、阪急百貨店の叩き売り・・・いやクリアランスや、格安航空チケットには喜んで飛びつくくせに、我が家と同じ部屋が1割引きで再販売されることは許せない住民が、訴訟のカードをちらつかせる。

マイホーム問題ほど、その人の人生観や文化レベルの豊かさを投影するリトマス試験紙はないと思う。ときにはエゴや偽善やプア知能もむき出しになる。
住宅政策も、悪いといえば悪いけど、住宅控除ぐらいで目がくらんで、宅地開発で潤った行政がいかに利益還元していないか、赤字のツケをどれだけ支払わされているか、考える頭を捨ててしまった。
「だって、買っちまったんだから、今さら考えたってしかたないよ」とうなだれた中高年たちを満載して、ピカピカの神戸市営地下鉄は走っている。
 


グレートBBQ

at 2003 06/09 02:16 編集

梅雨から灼熱の夏本番まで、外遊びはおあずけになる(夏眠期間か?)ので、その前に、焼きますか!?というわけで、バーベキュー隊を召集。
いつもの墓地よこだ。
指揮官の僕から離れた買い出し部隊の都合で、シーフードがなく野菜もやや少なめだったものの、仕上げの焼きソバでごまかして(?)、もうさんざん焼いたいぶされた食った焼いた食った・・・で満腹。うまい!
8人で発泡酒ロング缶12本は「ほろ酔い」程度だが、千鳥足で上機嫌のカヌー部員2名は、適当に近所をうろついていたムロイくんという6年生と1年生の見知らぬ兄弟をナンパして(笑)、フリスビー教室をやっている。のどかですなぁ・・・
ムロイブラザースは、保護者が引き揚げるのを見て「帰るわ」とプイッと脱走してしまった。お子ちゃまらしくてさわやかだ。

この子たちの記憶の中に、わがカヌー部員、その背後組織(笑)の我々はどう映っているのだろうか・・・とふと想像してしまった。
「今この瞬間」を、過去や未来への広がりの中に置いて考えてしまうのは、僕が老化しているせいか?
あぁ、わしも戦地で・・・って世代より少しは若いが、瀬戸内の島で、北海道で、入院中の6人部屋で、高原で、通っていた教会で、多くの「見知らぬあんちゃん」たちに、お世話になってきたなぁ・・・と、しみじみ感謝する人生の後半である。
実兄という存在はうっとうしいが、風が吹き抜けるような距離にいる赤の他人のあんちゃんたちは、義理も責任もない分、さわやかな存在だ。

こういう「遊び相手」を組織的・制度的にやれば、イマ風の「ボランティア」ということになるんだろうけど、実は大昔からあったこと。石川英輔&田中優子『大江戸ボランティア事情』(講談社文庫)を読むと、ボランティアで成り立っていた江戸時代の活気が生き生きと伝わってくる。
わざわざボランティアやらコーディネートやらコミュニティなんたらとガタガタこねまわさくても(今から明日の地域福祉論の授業準備をしなければいけない反動か?笑)、「袖すりあうも他生の縁」というすばらしい格言を実践すればすむことかもしれない。

BBQの会計は、お一人さま750円!と驚異的な安さ。
毎日やってもいいかもしれない。
次はビーチで・・・と不埒なことを考えるのは、「あんちゃん」を終えてしまったオッサンの腹黒さかもしれない。
トホホ・・・
 


アウトドアギャング

at 2003 06/12 00:13 編集

大阪の銀行強盗、ニュースで淡々と犯人像を報道してるけど、
「近くにあった1700万円を自分でリュックサクに入れ、自転車で逃走」
って、のどかすぎる(笑)。銀行が間抜けなだけ。
報道はさらに、
「犯人は、作業服の上下に、緑色の十字マーク入りのヘルメットをかぶっていた」
とまぁ、見るからに工事現場のいでたちではないか。偽装かもしれないが、犯人がつかまって「現場の昼休みで銀行強盗できるかどうか同僚と賭けて、やってみた」と供述でもしよったら、銀行はさぞかしバカにされたことになる。
リスク管理意識のないデフレというのは、こわいよホンマ。
 


知の剣

at 2003 06/11 01:14 編集

MSWの卵に授業をした翌日、父の転院先候補の緩和ケア病棟を見てきた。
アセスメントをとる病院所属のMSWさん、なかなかわれわれ兄弟の名前の漢字を部首で説明してもわからない(笑)。
靖国神社のヤスに・・・」「昭和天皇ヒロヒトの裕に・・・」と説明しても、ペンが止まって動かない(しかし息子たちにこんな名前をつける親がそろって革新政党の党員というのも喜劇だ)。まー無理もないけど(笑)。
「俺、がんばってますっすよ!」という感じの好青年ワーカー、なんとかきっちり仕事をこなして緩和ケア専門医に引き継いでくれた。たとえキャリアが浅くても、「なるほどねぇ・・・」「そうなんですか・・・」と、感心を持って話を聞いてくれるスタッフがいるというのは、本当に安心できる。「受け皿」と「揺りかご」の違いといえばいいか。

最初に父の入院を聞いて田舎病院に見舞いにかけつけたとき、僕は直観的に「こんな病院にいたら殺される!」と思った。
それから2ヶ月たった今、緩和ケア病棟の明るく自由な実態を自分の目で見て、同伴した兄も、ようやく「最初からここに入院しとけば、今ほど悪化せんかったやろなぁ」とため息をついている。

僕は医学そのものは素人だし、理論ばかり振り回す頭でっかちな面は確かにあるとは思うけれど、難しい局面を客観的に考えるスタンスは必要だと思う。
兄からしてみると、客観的に考える理屈屋の弟を「斬り込み隊員」に使ってくれてるわけだから、結果的に強力な「兄弟ユニット」にはなっているけど。

兄は若いころ官憲にさんざん世話になった反動か、今は国家の勤勉な公僕として日々温厚に(?)暮らしている。この30年の兄の生活歴の軸上に、権威に下駄をあずけてしまう姿を重ねてみると、いかにマイホーム主義という生き方が「権威と闘う市民」を甘美に愚民化して行くか、哀しいほど明々白々に見えてくる。

マイホームが悪いというつもりはない。
医師が敵だと暴論を叫ぶつもりもない。
ただ、人は気づかないうちに、まじめに、誠実に、過ちを犯しているという面があると思う。
外科医は懸命の治療をしてくれる
・・・とはいえ、では外科的な方法以外に選択肢がなかったのか?という視点が、懸命な医師の姿に感動ばかりしていると見失われてしまう。
インフォームドコンセントという言葉も、いかに薄っぺらく「操作的」に使われているかも、ありありと観察できてしまった。
こんなこと、欧米の病院だったら確実に提訴されて有罪になるだろうと思うような、「田舎病院の誠意」も見てきた。

医学を知らなくても、人はいかに無知になるか・思考停止するのはどんな状況か・人を愚かにするのはだれなのか・・・という問題群から成り立つ知識社会学のメスは、福祉や教育だけでなく医療にも斬り込んで行けると思う。
まだまだ「素人に何がわかる」という空気に支配されている収容所だと、外部チェックもままならない。
むしろ「素人でもわかる説明責任」を果たさないと訴えられる社会の方が、健全だと思う。その意味で、医療の市場主義化には少し期待する。

父のことで「頭が一杯」になるわけでもなく、醒めた目で病院経営や兄の思考回路や周囲の人間模様を観察してしまう僕は、たぶん薄情者だと後ろ指をさされるだろう(苦笑)。
ま、いいか・・・。
 



あたしゃーハチマンエン

at 2003 06/12 00:11 編集

買春代金を踏み倒して口論になった末、女子高生をクルマから振り落としたケチな23歳♂がつかまったとや。↓
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-030610-0024.html

さて、このオトコに警察は「買ったもんは払いなさい」と諭すのだろうか。
報道によると、だいきんは8万円という合意だったらしく、こりゃ高いなぁと思うが(不謹慎)、かりに支払わせたとしても女子高生も処罰されるわな。
人権派は、やはり「女子高生=100%被害者、買春オトコ=真っ黒な加害者」と見るのだろうか。
 


似魚定食

at 2003 06/12 15:00 編集

大阪で空き時間がどーんと空いたので、昼メシは神戸まで往復して食うことにした。
別に「こだわりのレストラン」をキープしてるわけでもなく、ただ、なじみの定食屋に最近行ってないなぁと思っただけ。

昼食時間をずらして行ったのに満席。さすが、魚にうるさい客がつめかける通の店だ。
よくある形で相席になり、僕はシステム手帳片手の商店の若旦那ふうのあんちゃんと差し向かい。
僕は天ぷら定食、あんちゃん刺身定食である。
このあんちゃん、実に行儀よく、美しく、さりげなく、短時間に食事をすませて出て行った。
何がいいといって、ジュルジュルクチャクチャ音を立てることなく、静御前のごとく(どんなんか、たとえる本人がわかってないけど)音無しの構えなのであった。妖怪ヘドロ嘔吐ノイズを吐き出しまくりの食事男が多い昨今、もう金ブチの表彰状をあげたいほど感動した。彼になら黒木瞳を略奪されてもいいっ。

すぐに入ってきた女子高生3匹いや3人組は、コロッケ定食やら海老フライ定食やら頼んで場の雰囲気(あぁこういう子がフインキなんていう日本語を定着させてるんだろうな・・・笑)から浮き上がっていた。まぁ、マクドとはちがうちゃんとした定食屋さんに、どんどん少年少女はいらいっしゃい。
色白のガングロみたいな子が「煮魚定食ってなんですかぁ?」と尋ねてるから、「わからんけー!煮た魚のことばい。ヒラメとカレイは似た魚じゃい!わかったかーっ!!」と愛のスパンキングをしたろかと思ったが、相手は3匹いや3人組で、反撃されたらちっこいおじさん死んじゃうので無言でぢっとこらえる。
ま、乙女ども・・・いや乙女たちよ、お魚しっかり食べて、美しく賢くなって下さい。
ブツブツいいながらの天ぷら8品定食はうまかった。油っこいものひかえないと・・・。
 


ターミナル第2幕

at 2003 06/13 14:23 編集

ターミナル病棟に空きベッドが出たよ、と意外に早く連絡があり、急きょ父を転院搬送。病室が7120で僕の誕生日が7/20(なんか霊験でもあればいいが)。
田舎病院じゃ廃人のように沈んでいるか、看護婦も意味不明な言葉を絞り出す状態だったのが、転院が決まると、目を覚ましてちゃんと会話できるようになっていた。
そりゃそうだろう、情報開示がほとんどなく、治療計画もなく、「無難ケア」の病院で24時間目を閉じた闇か天井しか見えない環境に置かれていると、末期ガンでなくても拘禁反応にさいなまれるはずだ。

転院先は、主治医だけで3名体制。八木、新庄、吉田・・・と、なんだか阪神タイガースみたいな医師団だ。ぜひ勝利に導いてほしい。親父が巨人ファンだが。
看護師さんの面談も詳しく、てきぱきとしていて頼もしい。ここで最期を迎えられることになるでしょうけど…と、スタンスは明快だ。
付き添い家族のための寝室や自炊食堂、ボランティアが演奏に通ってくれるサロンルームもある。

今朝までいた病院では、好きなテレビも見なくなって1日中うつらうつらしているばかりだったのに、新しい病室テレビのリモコンを覚えようとしたり、音楽を聞きたいと言ったり、少し前向きな兆しも見える。
環境の変化が脳内ホルモンに劇的な変化をもたらし、スカラー波発信で自己治癒してしまったミラクルケース!
・・・となればなぁと思う。


チャッカマン

at 2003 06/14 18:25 編集

本人が見るとフンガイするかもしれないが、知り合いにのーんびりしたコレクターがおる(卒業してから出会った大学の同級生で、隣りの学部に通ってたヤツは俳優トヨエツの同級生でもある)。
トヨエツというより柄本明にちょい似のヤツが集めるラジオ、カメラ、アウトドアグッズ等の品目は、僕と好みが似ていて、ときどき珍品自慢をしあっている。
芦屋で独身3LDK暮らしの金持ち男だから、本気で競い合うと地獄に落ちそうでこわいが、たまに掘り出し物情報や変な自慢をお寄せいただけるので無視できない。趣味は鉄棒(笑)。

シエラ・ストーブという珍品を買ったときには、記念に(?)六甲山へ同行した。枯れ枝を燃料にするエコロジカルなコンロで、原始的なターボチャージャー(笑)つきのアイデアグッズはさすがの発掘眼だ。
松ボックリを拾い集めては火にくべている柄本明は、なかなか風情のある眺めだった。
僕はといえば、キャンプ用品といえばテントにはこだわってもコンロに特に思い入れはないが、炎によろめく男というのもいるようだ(男の本能かな?)。ヤツも、ガソリンコンロが好みらしい。
そして、オプチマス、コールマン、MSR、シグ等いくつかのメジャーブランドの愛用品をあげて、こう書いてきよった。

「・・・機会があれば、何か燃やしてみようか」

って、ほとんど放火魔ではないか。
なじみのない人には誤解されそうだが、もちろんイケナイおじさんではない。
はずだが・・・。


チチの日

at 2003 06/15 16:28 編集

「チチ松村の日」は毎週土曜の夜に勝手に楽しんでいるけど、「乳」はさっぱり。
コーヒー片手に、「親父」がテーマの日曜喫茶室をFMで聞いて愛車をこぎ出す。
番組のゲストはノルディックスキーの金メダリスト荻原健司だった。双子の荻原兄弟も、疾風のように滑るスキーヤーパパを見て育ったのだそうだ。
僕と、年子の弟も、スケールはだいぶ劣るがそうだった。弟は北海道の大学に進んで山岳部で山スキーに遊び、僕は大日本スキー教の教祖を勝手に(笑)やっている。

でも天の邪鬼だから、見舞いをさぼってサンマルコでお茶している次男坊が僕である。すまぬ。
お隣は、12歳の娘と孫正義ふうのパパが差し向かい。いい眺めだ。そろそろ(すでに?)混浴もできなくなる年頃だから、はかなげな美的関係って感じか?

世間で家族が一層はかなくなっとるのねと感じさせられたのが、産経新聞に載っていた「レンタルお兄さん」の見出し。
なんでも、神奈川県のNPOが、不登校や引きこもりの少年少女に話し相手のお兄さん、お姉さん役を紹介するとか。
わしも黒木瞳ふうお姉さんが来てくれるなら引きこもりたい・・・とふざけるのは不謹慎かもしれないが、親近者レンタルというのは何かと条件を並べる必要もありそうな、難しい事業だろう。

だから、ナマのお兄さんお姉さんに限らなくても、犬猫馬あひるペンギンでもええと思うぞ。
海沿いの家に引きこもっている子には、イグアナ・・・じゃない、いま服役中の戸塚宏ヨットスクール校長をレンタルするとか。
イルカもいい。「僕と一緒に、アウトドアヘ!」と背中にのせて、マリアナ海溝まで連れ出してくれる。

まぁそこまでは冗談として、動物はいい。犬やペンギンのお散歩が日課になれば、ご近所さんの笑顔が、世界へのアクセスポイントになる。
猫は役に立たんけどね(そこが、僕の猫好きな理由でもあるのだが)。
 


VHSに死す(ベニスに死す風に)

at 2003 06/16 21:54 編集

VHSビデオが不調で、修理してでも使うか、DVDへ移行するか、ふと考えてしまう。
この類のアナログなためらいは、古くはレコードからCDへ、システム手帳から電子手帳へ、テープからMDへ移行するときにも感じていた。
いま、330万画素程度でもフィルムカメラと遜色ないデジカメを使いながら、あぁフィルムカメラよどこへ行く・・・と哀愁(?)をかみしめている真っ最中だが、レコードもテープも紙の手帳もさっぱり使わなくなって平然としていられるから、案外すんなりDVD化してしまいそうな自分自身がはかない。

しかし、ナイトスクープの創生期からの録画テープ数百本(なんで3倍モードで撮ってないんですかっ!?とあきれた人もいる)だけでも、どうするばい?と考えると、あぁ気が重い・・・。
CM自動カットで撮っているとはいえ、単純に月4本分あるとして3時間。12ヶ月で36時間。10年で360時間=15日間(!!)。実際それ以上は確実にたまりまくっているから、計算したくもないわい。

試験前にテレビを見たくなる法則というのがあるように、僕ならあと12時間で新書1冊読んでレジュメを書かにゃならん!という深夜に、マンガに手が伸びてしまう。
これで、「ナイトスクープ360時間」なんて麻薬級のオヤツがあれば、一度ふらふら〜っと手が伸びると15日間徹夜して見てしまいそうだ。

某PSW嬢にそんな話をしたとき、「ナイトスクープ1年分ぶっ続け36時間鑑賞合宿」というパリダカのような企画に飛びついてこられた。
死ぬなこりゃ。
使い道がありそうでなさそうな、不発弾のようなVHSテープの山・・・一体どうするばい?
 


脱ぐのは試合の前か後か?

at 2003 06/17 00:50 編集

元新体操の選手が週刊誌ヌードになってしまったというので、体操協会が抗議しているのだが↓、こういうのは予防できるもんだろうか。
http://www.asahi.com/national/update/0616/026.html
それではスッチーはどうなんだ、ナースはどうなんだ、OLはどうなんだ・・・と、勘繰りは際限なく広がって行く。すると結局、問題は職業への冒涜という次元からすり落ちて、個人の自覚の問題へと還元されてしまうように見える。
いや、そう考えるしかないのが個人主義社会の宿命なのだと思う。
どの職業なら退役しても裸体表現が許されないのか?という問題の立て方をすると、それは必然的に職業選択の自由を侵害することになりかねない。

スポーツマン(ウーマン)の生き方をよく検証してみればいい。
法律も経済も理工系の技術も習得せず、授業サボタージュも免罪されてスポーツに浸ったまま大切な時期を過ごしてしまったスポーツマン(ウーマン)が、選手生活を終えて、さて何で生計を立てて行きましょ?と考えると、「肉体を使う」と考えるのは自然な発想だろう。「試合に勝つ以外に頭を使うように生きてこなかった」のだから。元野球選手とか元力士という肩書きだけで視聴率のとれる人材が、どれだけマスコミ業界でタレントとして生き残っているだろうか。
実社会は、スポーツの試合よりはるかに複雑で手ごわいのに、スポーツの論理で世渡りしようとして八方塞がりになってしまう元選手はお気の毒というしかない。

だから、選手の引退後までスポーツマンシップやら試合の延長のような倫理性を求めすぎると、「なぜ引退後の道を業界は保証しなかったのか」と非難されてもしかたない。
あまり神経質に清純なスポーツマン(ウーマン)シップにこだわると、その記号(乙女の世界というような)が市場価値を帯びて、かえって宣伝効果抜群になりかねない。

僕の認識はこうである。
「元体操選手」やら「元NHKドラマヒロイン」「元客室乗務員」が脱いでしまった!
・・・のではない。
「やがて脱ぐ子(笑)が体操をしたりNHKに出たり飛行機に乗務したりしていた」ということではないか。
倫理を盾に眉をひそめるお歴々は、どうやってこの仮説をくつがえせるのだろう。また、どうやって「けしからん転身を防止」する気なのだろう。
「引退しても脱ぎません」と誓約させるのか?
この論理は、最初から破綻するのである。

乙女の清純な花園を守りたい夢を見る権利はあると思うし、僕も花園は花園、アダルトメディアはアダルトメディアで別々に繁盛すればいいと思う。
が、現実は現実だ。
AV面接にやって来て1本撮られて(いたされて)しまった少女が、宝塚音楽学校を受けたら合格して入団してしまった・・・ということも、ありうる話として考えておかにゃならんと思う。
長期的な戦略経営を考えているアダルト業界だと、組織的にそれぐらいの「商品価値培養」は考えるのではないだろうか。面接に来て「試し撮り」してしまった子をテレビ局or女子アナ業界に送り込んでしまう、また客室乗務員にしてしまう、ちょいと頭のいい子なら予備校費用も負担してキャリア官僚にさせてしまう・・・とか。
そうして大変身した後、ころあいを見計らって「お宝発掘」とやれば、投資は何倍、何十倍にもなって回収できてしまう。こわい話だよホンマ。人生、防御に回ると、防衛費(緘口令なり口止め料なり著作権料なり)は高くつく。

オウムに入信した秀才たちの「入信前」をプロファイリングすると、そうした現実的な推論をしないと、似た例が続出して道徳家たちはただ後手後手でうろたえるしかないと思う。

そのうち、「堅気の職業にはいっさい脇目もふらずAV一直線です」というアイドルが清純派と評価されたりする・・・(笑)かもしれないが、冗談じゃなく、それが職業倫理の本質かもしれない。
  


最後の晩餐?

at 2003 06/18 07:54 編集

チチキトクスグカエレという「電文」は、人が自宅の畳の上で死んでいた、しかも電報が活躍していた時代の話。今だと「スグニイケ」か「スグイコウ」がよくある状況か。
知らせを受けてかけつけて、主治医に「あと数時間」と言われ、兄は葬祭の手配も始めた。
肺炎で胸まっしろのレントゲン写真、胴体以外に血流が途絶え手足が冷たくなり、血中酸素濃度も危機的・・・と次々に厳しい現実を突き付けられ、「覚悟」を迫られる。
病室に息子どもが勢揃いして夜を徹して見守る。

ところがミラクル阪神(?)、呼吸が安定して夜ぐっすり眠り、容体が落ち着く。
徹夜看病といっても、どこでも寝られる「毛深い心臓」の次男坊など、瀕死の父の病床の隣に添い寝して安眠してしまった。
朝になって「ビール飲みてえ」と洩らす。
おーい朝から酒かい!?と苦笑するも、ホッと胸をなでおろしながら、アイスクリームを食べさせると、うまいうまいとうなずいている。
これで最後にならなければいいが・・・。
 


うるさい!

at 2003 06/18 23:17 編集

いい調子になって、あれ飲むかクスリ打つかべッド倒すか寒くないか痰とってもらおか熱はひいたか・・・と父をいじくり回していたら、声は出ないので何か書きたそうなしぐさを見せる。
鉛筆と紙を渡していよいよ、書き置きか?と見守っていると、ひとこと


ウルサイ


と書いて、目をしょぼしょぼさせている(笑)。

あっぱれマイダディ!である。
そりゃそうだ。この期に及んで「終末期は家族で暖かく看取りましょう」と教科書の演習みたいなことを始めて6人で取り囲み、フガフガ言わせては「うんうん、わかるよー」と子守り気分でうわずっているのは滑稽な眺めでもある。意識レべルが正常な父本人にしてみれば、「偽善者どもめ、わしを自己満足のダシにしないで、散れ!」と言いたいのかもしれない。
おいおい、今までオヤジにこんなこと決してしたことなかったくせに・・・と突っ込みたくなるのを噛み殺して、次男坊は一人「ほな、オレ仕事してくるわ」と告げて出勤してきた。何の因縁か、救急救命士クラスで2コマが本日の仕事だった。

北海道から姉夫婦がかけつけて来てくれたが、呑んべえの義兄のノリで、危篤状態から少し戻った程度の父の口にビールやウイスキーをふくませ(主治医追認)、狭い個室に8人ひしめいて酒宴になってしまった。むやみに酒くさい病室だとマークされているかも・・・(苦笑)。
ホンマにここはターミナル病棟か????

まぁ、すったもんだしつつ、父の命は家族の中で消費されて行く梅雨空の下・・・である。
 


むせび泣く風音

at 2003 06/20 05:53 編集

*死後、誤字訂正したので内容は「生前」*

いよいよですよ!とドクターコールで病院へ。
「九時九時」の出勤日は丸ごと休みにして休講の事務処理はザウルスでかたづけ(文明の利器やなぁ)、一族郎党ともども父を取り囲む。
血圧は半分に低下、もう意志表示はない
。主治医には、「日暮れまでに最期でしょうから、お心づもりを・・・」と宣告された。「もう魂は体から離れて、浮かんでいる状態」なのだそうだ。

・・・が、ニュースステーションが始まっても自発呼吸している父に、あきれるやら、うれしいやら。ジャイアンツ逆転Vを耳で聞いていたせいか?「札幌ドームでジャイアンツ勝ったぞ!早く治して北海道に里帰りしような」と弟が耳元に声をかけている。

「今度ばかりは覚悟して下さい」と迫られる臨死宣告は、3度目だ(笑)。
これなら、出勤した方が気分転換になったかもしれぬとふだん怠け者の僕は肩透かし状態。本人以上に心配気に電話で応対してくれた上司に恐縮してしまう。
これで「べイスターズ優勝」に近い奇跡が、さて起きるかどうか・・・。

半ばシラけ気分の次男坊は、廊下の突き当たりにあるサロンで一人、照明をおとして台風の風音を聞きながらこれを入力している。
台風の強風や低気圧のせいかもしれないが、ときどき、棚のガラス窓や柱の陰や消えたブラウン管に、なにかフッと通りすぎる影が見える。背中には足音を感じる。
何かがこの部屋に出入りしているのだろうか。

終末期患者のほとんどの個室は、夜通し開け放たれている。
死に神がやって来ているなら、病室に行かずこの俺様に宿りやがれ!
どうせわたしゃ腹黒大魔王じゃけん。
 


おやすみ

at 2003 06/20 06:58 編集

3時半、「息が止まった」と弟に起こされる。
別れを告げて医師の確認、看護師の清式と淡々と進むうちに夜が明けて行く。
台風が温帯低気圧に変わって間もなくのことだった。
長いようで、短い末期だった。

さすがに父を拭くときには、こみあげてくる何かがあった。
看護師さんが、30分ほどかけて清拭と背広への「衣装直し」をしてくれた。
廊下から窓越しに薄明るくなってきた夜空を眺める。ほかの病室から呻き声が漏れてくる。
電話室にこもって嗚咽を噛み殺す。

父は家族・親族の中で唯一の鬼子のように次男坊を警戒していた。論戦で負けそうになると、「屁理屈こねるな」と煙幕を張った。僕も、とことん追い詰めるのはためらった。
飲み屋へ息子たちを連れて行ったときは、まあ外面をつくろう勢いもあってか、「次男坊はただもんやないで。一人で裁判も起こしよるし、文系のくせに無線機つくりよるし」と、引き出物のように酒場の女性たちにPRしてくれた(笑)。

いま、父が「屁理屈」とかたづけようとした僕の正論が牙をむこうとしている。
世俗にどっぷり浸って疑うことを知らない兄や義兄は、「友引に葬式出せへんから、日程を先延ばしして・・・」と相談しているので、「なんやねんトモビキて。迷信がそないに大事か」と僕はポツリ。
「戒名の相場はいくらぐらいかねぇ」と心配しているので、「ランクづけしてぼったくる葬祭業者も坊主も、地獄に落としてやらんけー!!」と、次第に世俗の因習なるものへの僕の憤懣はヒートアップする。
第一、親父はプロテスタントである(笑)。

ところが哀しいかな、「無知につけこむ善人づら商人」という類もいて、世間の庶民から銭を搾り取って行く。
これから第2ラウンドだ。
昔なにかと僕に「波風たてるな」と諌めてくれた親父の遺志には、背くことになりそうだが。


むちむち

at 2003 06/21 06:11 編集

静かな騒乱状態の夜は明けて、医師団ナース団(?)が並んで深い礼で父を見送ってくれた。
どの医師もナースも、個性的で「顔の見える看護」をてきぱきと進め、家族の不安を鮮やかに肉親の死の受容へと着水させてくれた。
心暖まるターミナルケアだった。

「切り貼りと化学実験」のような前の病院との差を目の当たりにして、兄は「あぁ、こんな病院があるとはなぁ・・・」と後悔していた。
セカンド・オピニオンという流行語の意味を、少しはリアルに理解してくれたかもしれない。

その兄が自動的に喪主になり、退院後2時間ほどで、今度は葬儀ビジネスのカモになってしまった。
たとえば・・・
清拭を病院で心を込めてやってくれたのに、あらためて湯潅するのに3万円。
ナースがせっかくお気に入りの背広に着替えさせてくれたのに、すぐ火葬してしまうペラペラの死装束に着替えて3万円(原価は百分の一ほどに見えたぞ)。
お布施に20万円(!!)。
・・・と、あれよあれよと上乗せされて、総額180万円の見積もりに、善良な兄は頭を抱えていた。
心労が募っているのはだれの目にも明らかで、「もう、考える力ないわ」とため息をついている。

次男坊はどうにかしてやれなかったのか?
と、外野の声も聞こえてきそうだ。
実際、「なんで止めてくれんかったのだ」と非難された。
タワケ!言うとるやないか。
言ったかどうかの問題ではなく、聞く耳を持つかどうかの問題。
仏さんの前で骨肉の争いをする気になれないので、僕は泥をかぶったまま、いたたまれず「浪費の蟻地獄」から脱出してきた。

葬祭業者が悪徳だというつもりはない。
身内を罵倒するつもりもない。
「坊主丸儲け」をとやかくいうつもりもない。
僕の目に映ったのは、自ら進んで思考停止する善人が身内にいて、汗の結晶である財産を搾り取られている哀しいカリカチュアだ。
いかに、世間体や迷信を後生大事にすると高くつくか・・・!
合理的な疑問が、いかに忌み嫌われ、フタされることか・・・!
「あのとき次男坊が言ってた通りやな」と気づく時が、あればいいが。

大河に流される笹舟のような庶民の無知に鞭うたないと、われわれの汗と涙が結晶した財産は、あれよあれよと「おまかせぼったくりビジネス」に回収されて行く。
目の黒いうちから、実は死んでいる日本人・・・
しっかりせにゃいかんよ!!!!
 


ヘリテイジ・カメラ

at 2003 06/25 23:53 編集

告別式の夜に父の家をかたづけて形見分け・・・というのは、なんだか手際がいい(笑)というか、打ちのめされていないというか、あれよあれよという間にかたづいてしまった。翌日が荒ゴミ回収日だったから急いだんだけれど。

父は骨粉になっているし、家財はきれいさっぱり荒ゴミ処分されたし、人の最期はあっけない。
形見分けで、バイオノートとニコンの一眼レフを受け取ってきた。
バイオノートは、正月に日記で書いた通リのいきさつで、出戻りのような感じだから、母に回そうか。

父の遺影は、業者に注文して職場で白衣のままの姿をそのまま使ってもらった。
背景に写っているのは、人体を撮影する巨大なカメラで、父はコントローラーをにぎってほほえんでいる。
よし、あのカメラをもらおう・・・というわけにはいかないし、せめてウランだけでも・・・というのも無理な話。
その代わり、趣味のカメラの方をもらったわけである。

大学に入った年、僕はEMというニコン最安値の入門カメラを、入学祝いに買ってもらった。たしか母の永年勤続顕彰と重なって、その祝い金のおこぼれだったように思う。
その後、アルバイトして自前で少しハイグレードの(といっても中古で、このころから中古道に入ってしまう)FEというカメラに買い替え、EMは父に譲ってしまった。

ニコンのレンズもいろいろ買って、ネイチャーフォトにネイチャンフォトに励んでいたが、ネイチャンフォトに「ニコン」「キヤノン」のブランドイメージは強くても、硬派の俺様にはネイチャーが呼んでおった(某Dんきがま氏の突っ込みが入りそう…)。
氷点下30度の冷凍テストまでされて合格しているカタログ写真を見て、「ネイチャーに強いヘビーデューティーカメラはペンタックスだ!」と僕は洗脳され、ニコンとレンズ一式は処分して、ネイチャンとの訣別を宣言した。以後あぁもう20年、女性とは縁がない。
そのとき父に譲ったレンズとが、あらなつかしや、EMと一緒に何本か出てきた。
ペットの行き来はよく聞くけれど、さすが写真家(?)の父だけあって、カメラがあっち行ったりこっち行ったりして、家族の間で通用する手形のようになってたなぁという感じ。ちなみに、昨年焼失した母宅の瓦礫の中から、ススだらけで取り出したオリンパスペンは、捨てられる寸前のところを僕が拾ってきた。

結局、お懐かしい20年ぶりの対面のEMは、甥ごさん(つまり僕の従兄弟だな)に持ち帰ってもらって、純粋に父の私物であったFM2というのをもらってきた。レンズは1本もない。
でもペンタックスが、カタログ通りに、冬山でも結露でぐっしょりのテント内でも故障ひとつせず、僕のベストな片腕として現役である。レンズも5本。
今さらニコン党に戻るのもどうかな・・・と思いつつ、ネイチャンフォトに・・・いやいや世界一豊富なニコンレンズのラインアップに、少し浮気心も湧いている。
 


アイアム・ニャントロ人

at 2003 06/26 00:01 編集

今日は、アフタヌーンコーヒーしなくちゃと思って、ハーバーランドのエコールマリンのイル・プリモでパスタとパニーニのセットをいただきました。
・・・なんていうと、あぁ気色わるい、女性雑誌か、偉そうな女性DJの(笑)昼下がり民放FMみたいな文章になってしまうが、まぁそんな午後であった。

少し前に、MBSラジオ「ごめんやす馬場章夫です」が、日本語で通すというおもしろい試みをやっていて、「便利商店午前午後」には笑ってしまったから、これに見習ってみようか。
午後の中東原産炒り豆飲料喫茶しなくちゃと思って、波止場の海兵隊学校のイルプリモ(イタリア語わからん)で伊多利亜風麺定食をいただいた!…あぁしんど。

片仮名は便利なようで、電脳界になると未だにわたしゃーわけわからん。
わかってない息子が、FAX送信もできないという(これは言い訳にしかならん。医療機器を40年扱ってきた看護師なんだから)母にパソコンをあてがうとなると、さてどうしたもんかと考えてしまう。
「インストール」????
「ウィンドウズ」に「ウィンドウ」????
「ダウンロード」????
「ログイン」????
うまい日本語が思い当たらない。台湾語を参考にしようか?
日本語になってても、「立ち上げる」「最大化」「最小化」なんてのは、かえって把握しにくい電脳語かもしれない。
「立ち上げて」といわれて持ち上げた人とか、「最大化しましょう」といわれて、どうパソコン本体が膨張するかとワクワクして観察していた人というのはいないんだろうか。いたら友達になりたい(笑)。

ジャーゴンの世界に酔うのは、オタク道への1丁目だ。
僕も昔、無線を始めて即「CQCQ・・・This is JF3・・・calling CQ and standing by!」なんて、得々としてアナウンスしていたものだ。でも、外国からお呼びがかかることは一度もなかった(笑)。外国を呼べば返事は返って来るから、電波は届いていたわけで、ということは下手っくそな英語が世界の素らを汚染していたわけか。
うんと人間的コンテンツがあれば、外国人から日本語で話したいとアプローチされるのだろうなぁ(反省)。
結局「こちらはJF3・・・受信します」に代えてしまったが、それでええんちゃうの?と今は思う。英会話したい人はしたい人でいいけど。
人生後半に折り返して「開き直り」の右翼中年になってからは、僕のメール署名は、欧米人風ではなく姓・名のアジア式(実はこれ学術分野の世界標準表記でもある)を通しているが、これといってメリットもデメリットも経験しない。

僕は日本文化も日本食も大好きではあるのだが、その中に、やはり個人を溶かしてしまうような力が潜んでいたり、欧米への卑屈な態度が見え隠れしたりしているのを見ると、なんだかわびしい。
さて、何人として生きればいいのか?
 



カメラナース

at 2003 06/27 23:28 編集

形見カメラを、オーバーホールに持って行った。
さすがにニコンもデジタル色が濃厚になっていたのは時代の流れか。
一見OLふう「ベストにブラウス」の制服の窓口嬢は、爪を短く切り込んだ職人指(?)で、てきぱきとカメラの動作チェックをする。官能的だ(アホか)。

サービス窓口には、たまたま「草薙君ふう」の青年が来ていて、大事そうに持ってきていたレンズを修理に出していた。
ほのぼのする。
なにかと不便でも、フィルムカメラを大事にしているのは、いいなぁ…と思う。
見積もり5700円で納期2週間。
ドックに入って、中身ピカピカになって帰って来いよ、と預けてきた。
 


老いかた上手

at 2003 06/28 23:35 編集

在宅・ホスピスケア研究会の全国大会というのが、ポートアイランドで開催されていて、飛び入りで見に行ってきた。
目玉は90歳ドクター日野原重明氏の講演である。
もう、公園前の席取りで会場は殺気立っていて、いざ講演が始まると会場は水を打ったような静けさ。
関西学院に通っていた話、栄光教会の聖歌隊に参加していた話など、地元ネタで聴衆をひきつけ、雲の上から俗界に降臨してこられた感じ。
結局2時間ずっと立ちっぱなしで、こちらが座ってウトウトしてしまうほど。完敗である。10年ほど前に、早稲田大学で開かれたバイオエシックス関連の学会に引き続いて「生ドクター」は二度目だが、まったく老いた印象がない。驚異的だ。

老いない驚異といえば、99歳のアルプススキー滑降をやってしまった三浦敬三さんの新著も、書店でオーラを発していたので即買してしまった。
スキーもすごいが、その話を帰国1ヶ月かそこらでハードカバー本に書いてしまうのもすごい。
閣僚で塩自慰…いや塩爺という愛嬌大臣がおられるが、日野原先生やら三浦仙人は、「超爺」と呼びたくなる。元気なおばーちゃんは「病まん婆」かな。

介護保険も年金もいらない超爺に病まん婆が増えれば、国は助かるはずだから、遊び呆けるけるぐらいに余暇支援を国はしてほしいものだ。
僕は余暇をもてあましているから(笑)、超爺や病まん婆と一緒に山歩きや温泉をご一緒してもいい。ドクター日野原は、「そろそろゴルフを再開しようかと思ってるので、忙しくてしかたない」と会場を笑わせてくれていたっけ。

ただ、息を呑むような大自然に息が停まったり、絶景のあまり絶命してしまったりしたらコトである(笑)。
「幸せに天国に行かせてくれて、ありがとう」と感謝されるぐらいに、世界一の高齢社会日本が成熟していけばいいのだが・・・。
 


初七日

at 2003 06/30 20:07 編集

まさか亡くなってちょうど7日目に、午睡の夢に父が出てくるとは・・・おとっつあん、あんたはホトケ?イエスの子?「ワシはワシ」ってか?(笑)。

よりによって、いつもの渋い顔で「お前、早く線香あげてこい」と小言をつぶやいてくれるから、「そやな、お参りしてくるか」という気になったものの、あれ??と首をかしげたら目が覚めた。
それにしても、懐かしい家族に次々に会える、便利な夢チャンネルだこと。

叱ってくれる大人が一人、また一人と減って行くのは寂しい。夢の中ででも、こうして目を光らせてくれている存在は、ありがたいものだ。

午睡でひと息いれて、居酒屋へ出撃。
ここで登山パートナーとの打ち合わせである。といっても、結局ただの山の雑談になりそうだ。
「山に一人で行くな。何かあったらどうする」と、これも父によく説教されたものだ。
いま信頼できる連れがいるのは合格点をもらえそうだが、梅雨の終わり頃の足慣らし登山に、雷を落としてくれるかもしれない。

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2003年5月の日記
55

at 2003 05/01 01:26 編集

五木ひろし「55が活躍する年にしたい」
 
という日刊スポーツの見出しを見て、とっさに55から連想したのが「コント」という単語。そして「マッハ(いやあのアニメはマッハGoGoGoだったか)」。いやはや古いな。

結局、自分が55歳だから、それにちなんだ舞台あいさつということだそうな。

五木ひろしは、個人的には「演歌と歌謡曲のボーダーライン歌手」に見える。この上はもう、サブちゃんこと北島三郎である(326をミツルと読ませるのは無理があるぞ。わしゃー北島サブローかと思ったものだ)。
もちろん、五木ひろしより若い演歌歌手はいる。でも、なぜだか天童よしみの方が年季が入ってそうに見える。少年時代に聞いた五木ひろしの「洗いざらしのジーパンひとつ・・・」という歌のワンフレーズがどうも印象に残っていて、それまでの演歌のイメージがちょっとほぐれたことも、北島三郎ジャンルから野口・西城・郷ジャンルへ引き寄せる要素になった。あくまでも、ごく個人的な感じ方だけど。

では若手もいるのはどうするんだ氷川きよしはズンドコ演歌してるではないか!長山洋子は元アイドルではないか!と外野の声も聞こえてきそうだが、そう考えてみれば、演歌は必ずしもジジババワールドというわけでもないなぁ。

若手といえば、小林よしのりも大絶賛の藤あや子。成人した娘もいるのは驚きだ。
よりによって、この大演歌職人を「オレぜったい妻にする」と大それた発言をする野郎がいてた(笑)。
ほんま大それるにも程がある。
僕が「瞳を妻にする!」とほざけば、地球がきりもみするほど大笑いされるのがオチだ。
正しい言い方は「瞳さんの夫にさせていただきたい」だろう。
まー大風呂敷クンも、イチかバチか(これが彼の命名の由来だと亡き酒好き博打好きおとっつぁんが話していたっけな)言ってみただけかもしれないが・・・。

男と女の関係はシーソーゲームみたいなもので、いくらアンポンタン男でも、自分が偉いと錯覚して自信満々でそうふるまっていると、聡明な彼女でもいつの間にか暗示にかかってしまうようだ。近ごろ話題のドメスティック・バイオレンスもそうだろうし、ヒモを養っている働き者の彼女というのもそうかもしれない。
低姿勢そのもので生きて来た僕は、一度でも錯覚してみたいものだとひそやかにあこがれて(笑)しまう。

なんだか、外野のブーイングも聞こえるが・・・
  


専門職メーデー

at 2003 05/01 17:35 編集

シーナ本を2冊消化して、あや探(わしらはあやしい探検隊)つながりで、新潮文庫から出た太田和彦さんの『超・居酒屋入門』に着手。基礎篇、実技篇、研究篇・・・と分かれていて、いかにも教科書だがエッセイふうの私情もちらほらと顔をのぞかせていてまぁまぁおもろい。
太田さんって、あや探のご陽気な呑んべえだと思っていたら、今は大学教授に転身している。なるほど、だから、そうなのか(なんのこっちゃ)。

それにしても、われながら「入門」とか「初歩」の類が妙に好きだ。専門分野の教科書など、目新しいのが出ると買って目を通してしまう。
なんでだろう〜?
1.新しい気分になれる。というかピチピチの入門者の気分に戻れる。「初めての一人暮らし」の類は特にそうで、「ラブチェア」なんてインテリアに妄想をふくらませて乳首や股間をうずかせている男子女子は、若さの特権だな。
2.とはいえ、現にビギナーでなくなっている今だからこそ、別の読み方ができる楽しみ。「聖書は読むたびに新しい発見があります」という牧師みたいになれたら立派だが・・・。
3.仕事上の参考にする。
4.「なんやこの東大教授はこんなことしか書けへんのか。税金の無駄じゃ」と悪態をつける楽しみ。

業務上読まされる類の活字は3だけ満たせばOKだが、本当に「読む」という行為は、3以外をどれだけ追究できるかが問われるのだと思う。「行間を読む」とか、「意味を読み解く」という表現を、人文科学者は好む。
なのに、「この本を読んで論文を書け」と言われて丸写しする猿を、日本の学校は大量生産してきたんだよな。
読んだ本の正確な要約をするのが東大生で、その類が官僚になり、だから日本を窒息させている―と、東大社会学科の上野千鶴子教授が自分のお膝元を斬っていたっけ。

本に書いてあること、すでに手垢のついた言説は、なにもなぞって言うことない。同じこと言うならオウムでもできるわい。
まことしやかに語られていることを疑うのが社会学屋のモットーだから、1つ俎上にのせる。
「女性が元気だ」「女性の発想が求められている」
というが、ほんまか?
この手のヨイショに、僕は最近かなり懐疑的になっている。
女性の発想で国際平和が守れるか?中国で大粛清をやったのは江清「女史」だったぞ。

脳天気な女性ヨイショは、こう斬ってみよう。
「自分が元気になれる場をみつけるのがうまい」女性だけ見ればそう言えるかもしれないし、「自分をみずみずしく見せる技に長けている」だけにも見える。だって男はハゲてもがんばるし、血管が切れても修繕して戦場復帰しよる(笑)。女性はお肌が荒れても一大事、ハゲそうになったら危険信号だからやめるものね。

もっと土俵に目をやると、「女性を元気にしておく社会の良心」のようなものがあって―フェミニズムは否定するだろうけど―その上で守られているから、早く退勤できるし女子大生は映像でとりあげてもらいやすい。
そして、とことん奈落に落ちる前に救われることになっている。たとえ誘拐監禁犯でも、オンナ・子供を先に解放する「いいやつ」は多いのだ。

カウンセリング、ボランティア、セルフヘルプ、エンパワメント・・・とかくカタカナ用語は、うさんくささがぬぐえない。偽善をカムフラージュするのにカタカナ用語は持ってこいだったりする。
カウンセリングを「受けさせられる」人は気の毒だ。自発的でない来談なんて、それ自体がナンセンスで、見立て」の信頼性・妥当性が大きく疑われるのだが、カウンセラーも仕事がないと困るのから、ちょいと変わった生徒はお賽銭のようにカウンセリングルームに投げ込まれる(笑)。
でもなぁ・・・「カウンセラーの深刻な顔みてたら気が滅入るから、野山で遊んで息抜きしてきますわ」で充電できる人が増えればいいと思うよほんま。
そんな人間から見ると、カウンセラーやワーカーが実は遊び下手で口下手で自閉症と燃え尽きの予備軍に見えたりするのではないだろうか。
人のことより、まず自分が救済されてない人が好む職場が、福祉であったり心理臨床であったりするのも、僕の目の前の現実。パーキンソンの法則じゃないが、病気病人が増えるから治療者が必要なのではなく、治療者が増えるから病気・病人が増えるのだ。

健全なカウンセラー、ワーカーもいるとは思うが、業界タコツボの中で澱んでいる専門家も多い。学校やカウンセリングルームに来ず楽器に没頭しているような子を問題行動だ対人関係障害だと見立ててコントロールしよう―または、治療らしいことをして論文ネタにして出世しよう―としているだけのカウンセラーは、政治家と大差がない。
こやつらは偏差値とプライドは高いから、うまい救済が必要だ。「あんたこそ病んどる!」と僕が投げるような直球は逆効果で(反省)、「あなたは立派な専門家ですよ」と認定するような装置が大人気のようだ。それが資格制度の1つの背景で、このおかげで支えられている人は多い。

病んでいる人と健全な人なんて、もともとグラデーションのように地続きになっているのが現実だと思う。
そこで、資格を取って専門職につくと、本来なら病人の側に分類されていた人でも、線引きを変えて救済される。それが資格制度の効果というか、弊害というか・・・。
シェークスピアが「しょせんこの世は舞台」と言い放ったような、資格認定する大きな権威の手のひらの上で治療者が患者をいじくっているだけの構図は、なんとかならんもんか。
あぁ、来週のジェンダー論の授業、気が重いなぁ。あのオッサンの言の端を、注意深くチェックしようと狙っている受講生が必ずいるから(でもこんな学生は正統派だから好きだ)。

注*「メーデー」
1.通信業界用語で「非常事態」の意味
2.伝統的な労働者の祭典(らしい)
3.関西の大人の求愛または威圧。「目ぇでイカす」「目ぇで殺す」等々・・・(笑)
  


居酒屋を超えて

at 2003 05/01 19:18 編集

ひきつづき『超・居酒屋入門』を勉強中。
先ほどもつい深刻な日記になってしまったように、格調高い教育ソーシャルワーカーosawasenseは、あすの大日本の教育界に希望の光を照射しつつ余暇読書に励んでいるのだ。

太田教授は、いい居酒屋の名前という項目のところで、「やはり個人名がいい」と主張。なるほど、シンプルで憶えやすくていい。「屋」をつけると店らしくなる、ともいう。「大沢屋」か?
そういえば高校時代に、国語教師から「おい大沢商会!」とあだなで呼ばれていたので引き継いでもいいのだが、貴金属輸入やカメラ輸出まで羽振りよく扱っていたバブリー貿易商社の大沢商会は、間もなく倒産してしまったからゲンが悪い。
「大沢庵」というとソバ屋みたいになってしまうし、「大沢亭」は売れない落語家一門みたいだ。
個人的には、その昔なにかと学生文化の発信源になっていた京都の「ほんやら洞」にならって、「大沢洞」というのにあこがれるが、入ると出て来れなくなりそうで恐れて客が入ってくれないだろう、きっと(間違って入った芸能人あくまでも一例で黒木瞳は逃がしませんよ)。

居酒屋によくある、「一段高いけど座敷」というのは不思議なエリアで、これも僕の好みだが、どうせなら居酒屋ふうの学校を造れたらおもしろいのではないか・・・と、虎視耽々と(笑)あこがれている。閉店した居酒屋のハードをそのままひきついで、ソフトだけ教育事業に入れ替えるか。のれんをくぐって登校というのも、風流でいいと思う。PTAなど参加率100%で激しくにぎわうことうけあい。
ソフト面のアレンジとしては、入学金をテーブルチャージと呼び、人気教師は指名料をとり、態度の悪い生徒は遠赤外線の炭火であぶるか。
貧乏学生は、荒巻きジャケとかふるさとの地酒とか、現物を持ってきて納めればよろしい。それなり自信のある学生は、サンバかベリーダンスで風車を回して踊っていただき、一般客をよびよせてぼったくれば学費に振り替えまっせ。運動会は野球拳のみ。
オリジナルメニューは梅サワーあらため「Oh!サワー」で、赤まむしとスッポンと炭酸のカクテル。呑んだら逃げられませんよあくまでも一例の瞳さん。

ハード面では、カウンターとテーブル席に大きく分けて、基本的に4人とか8人でテーブルを囲んで、そこで自主的に協同研究なり議論なりをやってもらえばいい。これが自然な複式授業というものである。
発言したい者は1発言1ジョッキぐいっとやってからと決めると、議論も白熱してよろしい。吐いたら焼いて「すっぱいドリア」をメニュー化しまっせ。
個人的に助言がほしいという学生だけカウンターにやって来れば、さしで対話しよう。また、クラス(テーブル席)になかなかなじめない学生は、最初からカウンターにやってくる。ヒゲのマスター大沢教祖が、「やぁ、どうしたんだい兄弟」と迎え入れて、「まぁカツ丼食って洗いざらい自白するんだな」と、落としてあげよう。
「お疲れのようだね」と営業口調に乗せられてカウンター席常連になった、演劇学科22年生のアンニュイな瞳さんは、いつしかヒゲのマスターと並んで「カウンターの中の人」になっている。生徒を前に「だまされちゃったのよねワタシ」と笑うその眼差しは、ゆるぎない固い絆の証し(なに言ってんだか)。
夜間部の瞳ママは、エプロン姿の下はなぜか素肌になっており、編入学希望者が数万人殺到して、倒産する近隣大学も出てくる(どことは言わんが、さぞかし牧師もお嘆きであろう)。
こういう赤提灯学園(楽園だな)は、邪道腹黒詐欺悪徳スクールと朝日新聞で叩かれて宣伝効果抜群になる。戸塚ヨットスクールよりはいいと思うけど。


祈「FM演歌」開局

at 2003 05/02 17:11 編集

演歌をリクエストしてもかけてくれないFM局を脅迫してつかまったおっさん(お好みは山本譲二の「みちのく一人旅」だそうな)には笑った。よほど一直線の演歌人生だったのかねぇ。
取り調べ風景も、「故郷(これにクニとふりがなをつけるのが演歌ふう)のおっかさんも泣いてっぺよ!」と、神奈川県警なのに浪花節でやってるのではないだろうか。

FMは、'79年からよく公開放送スタジオに入り浸ってやんちゃしていたもので、Dんきがま先生は「通信会員」だ。地元のNHKだから、かなりローカル風味で楽しかった。
さすがに演歌はかからんかったが、そのかわりNHKを困らせる葉書を書く「変化球の名手」が何人かいたと思う。
あからさまな下ネタはもちろんふるい落とされるので、登録商標名がよく使われた。たぶん今でも、NHKではウォークマン、セロテープ、マジック(インキ)、ウォシュレットなどアナウンスしないはずだ。こういう単語を、さりげなく読まれるよう文面にまぶしておくと、「携帯型カセットプレイヤー」「せロハンテープ」「フェルトペン」というように苦しい翻訳をしよるのだ(ウォシュレットは不明。陰部洗浄兼快感機能か?)。

観客席から生の声を放送に乗せるときは、さぞかしヒヤヒヤものだっただろう。
放送禁止用語の管理が厳しいというか、きっちり監視するタイプの実況アナウンサー―つまり有能な組織の歯車タイプ―の前では、悪童たちはやんちゃせず、ちょっと抜けたところのある兄貴タイプのアナの前では、やんちゃと監督の綱引きを楽しんでいた。この緊張感が、ライブの醍醐味なのだと思う。

こんな牧歌的な番組が終わって十数年たつ。
当時、常連同士が観客席の自主管理のようなことをしていて「要注意」とマークしていたガクラン少年がいた。軽度の知的障害を持っているようで、悪意なく何をしゃべるかわからない・・・というので、観客席実況のときはだれかが見張り役をしていたものだ。

この少年が、今も神戸周辺に住んでいるようで、たまに商店街でバッタリ出くわす。
すると、当時のノリそのままで「やあ、こんにちはです」と声をかけてくれる。
僕は見張り役も彼と会話もしたことがなく、特に嫌悪感でも親しみでもなく「点景」として記憶しているにすぎないが、彼の認知世界では十数年前の経験が風化していないのだろう。
喜怒哀楽を風化させてしまう方が、はたして健常なのだろうか?と、童顔そのままで白髪が出てきた彼の笑顔に出会うと、ふと考えてしまう。
 


オリンポスの山

at 2003 05/02 19:30 編集

妖しく鈍い銀の光沢を放つレンジファインダーカメラが、行きつけの魔界の一番高いショーウィンドーに孤高の姿をみせて1ヶ月。
あの機種の長所短所のすみずみまで知り尽くしているワタシに、買い取られるのを待っている。
としか、つじつま合わせの文句が思いつかないのだよ買ってしまったからには。

レンジファインダーカメラは、100台はないがもう10台以上は引き出しの肥やしになっている。
とっくに写真機家(写真家ではない)を廃業したらしいDがま先生は、いま「写真機家評論家(笑)」へと出世しているから、「そんなにそろえて、どうすんだか」と笑われそうだ。

それにしても、ん〜、ずっしり重い金属製精密部品の集積感、梨地のクロームメッキの光沢、芸術的な角のR処理、七色の宝石の光を乱反射させる大口径レンズ―どれをとっても、おお・・・見事なできばえだ。
高度成長期には、家庭用カメラも潤沢に製造されてたんだなぁと思う(このカメラが世に出たのは、アポロ11号が月面に到達した年)。

魔界の若番頭が「ちゃんと調整してるから、よう写るよ」と後押ししてくれる。セールストークをまったくしないから、全面的に信頼できるのだこの若番頭さんは(売り物でも、率直に「それ写りようないで」とけなしてくれる)。

ちょうど動作チェックしているとき、何人かの客がつめかけていて、一人目はマミヤの6×7判を買うかどうしようかと迷っていた。
「645にしとくかロクナナまで行ってしまうか、迷うとこやね。でもロクナナでフィルムスキャンすると、下手なシノゴよりきれいよ」と、経験にもとづいたアドバイスをしている。ここまで貴重なアドバイスされたら、おっちゃん、買うしかないで」と僕は電波を送っておいた。
二人目はつつつーっと入ってきて、「ブローニー判で、ええ入門用ないか?」と常連らしいノリでお伺いをたてる。「待ってや、ちょうどええのがあるで」と、若番頭さんは待たせる間もなく推奨品を出してくる。
カメラが売れない泥沼デフレのご時世で、高い中判カメラをホイホイ売ってしまうこのスピード経営は、ビル・ゲイツも驚きだろう。

魔界の近所に住んでいると、誘惑に負けてしまって困る。いったい今までいくら献金してしまったことか(苦笑)。
そろそろ打ち止めにしないといかんなぁ・・・でも、この写りを見てしまうと、デジカメが軽薄に見えてしかたないから、フィルムカメラの魔法は醒めないでほしい。
 


神戸観光革命

at 2003 05/03 20:40 編集

観光地をパトロール(笑)して、純日常的サンマルク読書アフタヌーンヘ。
市内名所めぐりのループバスは、通勤ラッシュなみの寿司詰めだ。たぶん京都もそうでしょう。
ったく、東京23区の人口なみの観光客に毎年おいでいただいているんだから、もっと気のきいた接待を考えにゃいかんよ神戸株式会社は!
せっかく観光に来てくれて、寿司詰めバスというのも興ざめでしょう。この街はカーブも坂道も多くて急ブレーキも多い。ご苦労さん。

まずできることを自分から・・・というのでパトカーで出動したのだが、粘着罪のつがいや阿呆の一つ憶えクレープ乱用罪が多すぎて、取り締まりはギブアップした。この者どもは、監禁すると栄養過多もあって間違いなく繁殖しよるだろうなあ(笑)。

直線の多いわかりやすい街なのに、ガイドブック片手に歩いている人も多いのは、もしかするとガイドブックが情報過多でガイドになっていないのかもしれない。よく似た街で姉妹都市のシアトル市というのがあって、たてよこの区画がとてもわかりやすかった(もっとも、人口は神戸の3分の1とこじんまりしている)。

街の隅々を一番よく知っているのは路上生活者だから、彼らを北野町や須磨など要所要所に待機してもらって、テントと弁当は公費で支給するかわりに無料観光案内をしてもらう案は、市議会で・・・通らんだろうなあ。
観光客に、「あの店の残飯は三つ星クラスやで」とか「このビルのトイレは行水しやすい」なんて案内されても困るわけで(でも、勝手に入ってトイレを使えるビルは重要情報だと思う。地元のリストは僕の頭の中にあるし、旅先でも勘を働かすけど)。

何気なく必要なのに、金を払って店を利用せにゃならんレールが敷かれている用事は、トイレだけではない。
買い物の山を詰め替えるとか、赤ん坊のオムツを替えるとか、ちょっと足を休めたいだけで使える木陰のべンチの類がもっとあればいい。
幸い、エッセイでよく描かれる神戸の印象は、「緑が多い」点だ。木の幹をぐるりと椅子で囲めばどうかなぁと思う。
鳥の糞や毛虫が落ちてきても、まぁそれも神戸土産ということで・・・。
 


カーゴ・カルト

at 2003 05/03 21:14 編集

パナウェーブは、トンデモ系研究集団というお笑いカテゴリーに入っているのか、今のところ激しい拒絶反応にまでは発展していない様子。
マスコミもおもしろがっている気配すらある。次は桃色か?紫か?
ゴールドで行くか、サバト!?

僕がこの白集団を見て思いついたのは、KKKではなく、オセロ白い死神こと松島尚美でもなく、いたってまじめーな宗教社会学である。いやホンマ。
講談社学術文庫から出ている、荒木美智雄さんの『宗教の想像力』に、米国の信仰宗教の新しい傾向として「カーゴ・カルト」が紹介されているのを、今年パラパラ読んでいたところだった。カーゴ=貨車、荷馬車である。

ふつう宗教というと、拠点を定めて、経典があって、そこで信者が統合されているのがオーソドックスな形。
それが、モバイル社会になってくると、宗教も「ポータブル」になって、教祖が信者や聖地をまるごと浮遊するようになってくる。
どんどん活動の場を変え、浮遊して行く先々で叩かれて試練を共にするうちに、構成員の連帯感や凝集性は高まって行く。
もともと、アメリカという国の成り立ちが清教徒のカーゴ(帆船だが)に始まっているから、かの国では不思議なことではない。日本でも、あの世とこの世は毎年コンタクトをとれるようになっているし、位牌や仏壇も祖霊崇拝の聖地がポータブル化したものといえる。

最近ネットでよびかけて自殺するグループがよく報道されているけれど、これも明確な宗教でないとしても、WWWの中に、簡単に聖なる場ができてしまう現象として僕はとらえている。

「ポータブル宗教」だけではなく、人材流動化のかけ声のもとで、労働力もポータブル化している。職場は変わらないように見えて、実は分社化やセクション単位のMAで、自分の職場を牽引する機関車が別企業になっていた、ということも珍しくなくなっている。

かくいう僕の仕事も、「愛着ある職場」も、自分のデスクもない。かばんに資料やパソコンをつめて、お座敷芸カーゴと化している。まるで一人サーカスだ。
一応それは僕が主体的に選んでいる生き方ではあるけれど、仕事と生活をカーゴ化つまり分断されて銀河系の彼方まで左遷されてしまう悲劇はあちこちにある。
自分たちで機関車も動かそう―という謀略(笑)を慎重に進めているところなのだが、カルトになってしまわんか心配ではある。



ラトビア

at 2003 05/03 23:37 編集

連休は本屋もごったがえしていて、カキンチョはわめくわ走るわ、つがいは粘着するわ、今からガイドブックを血眼で探すせっぱつまった客はいるわで騒々しい。

こんなとき、古本屋はまったくいつも通りで落ち着くなぁ。
というわけで、五木寛之さんの古いふるいエッセイ集を見つけて、懐かしさのあまり買ってきた。なんと30円。前に「1」が消えてるんだろうかと心配になったけど、税込み正真正銘32円だった。チロルチョコレートなみになってしまっとるのね五木先生・・・(苦笑)。

今年はちょいとバルト三国に行ってみたくなって、あれこれ調べているのだが、もともと東欧諸国と同じ陣営にいたが東欧圏ではなく、バルト海をはさんでスカンジナビア諸国と対面してはいても北欧でもなく、「バルト三国」とまとめて呼ばれている通り、一国ずつの知名度はいたって低い。

でも調べて行くうちに、ロシアと領土を奪い合ったフィンランドと似た経緯があるようだな・・・というところまで勉強中。
その流れで、今はフィンランド領内になっているカレリアという地方にたどりつく。
バルト三国問題(笑)に興味が行く前に、五木寛之さんの小説で「霧のカレリア」という美しい小品があるのを思い出した。
そこで、まぁ小説だから観光情報ではないにしても読み返してみたいと思って、古本屋に出かけたわけである。

五木寛之さんはロシア文学専攻だから、ソ連から入って旅した経験をモチーフに北欧小説集を書いておられる。たしかに、一番近い大都市は当時のレニングラード、今のサンクトペテルブルグ(聖ピョートル大帝の街という意味だそうな)になっていて、バルト三国への旅はストックホルムか、サンクトペテルブルグから入ることになりそうだ。

・・・なんて、すっかりプランニング気分だが、もう10年近く前から「今はトルコがおもしろい!アジアとヨーロッパの境!シルクロードの起点!」とさんざん一人キャンペーンをしていながら未だ実行していないから、どうも座学だけになりそうな予感もする。

バルト三国で一番有名なのは、神戸の姉妹都市でもある港湾都市リガをかかえるラトビア共和国だ。
ガイドブックによると、人口規模も小さな国々なのに、言葉はそれぞれまるで違う。
そこがまた大国に翻弄されながらも自前の文化を守ってきた小国の姿が浮かび上がってきて、妙に惹かれる。
しばらく歴史のお勉強ができるかな?
 


カフェFM

at 2003 05/04 15:55 編集

祝日は番組が変わってしまって調子が狂うことがある。
テレビは週2つか3つしか見ないから、主にラジオがウィークリーライフ(?)の標識みたいな感じ。いつ帰るメシ食え風呂入れ起きろ・・・の類の標識がゼロでとことん自堕落に溶け込んで行く暮らしだから、なんかないと困るかなという程度で。
あれこれ言う家族や、言わなくても見られているような意識は、子供にとっては圧倒的な存在感だと思うが、平均的な家庭でも、10年もコンスタントに安定してある環境でもないんじゃなかろうか。逆に、波風がない家庭というのはこわい。

我が家も穏やかでなかったから、皮肉にもテレビやラジオとの「対話」の方が安定して続いてきたように思い出せる。

たとえば「日曜喫茶室」」。よくまぁ四半世紀以上も続いてるもんだと思うが、聞いてる方もよくやるよわれながら(笑)。
同じNHKFMの「世界の快適音楽セレクション」は、録音して聞こうとはするけれど、「録音すると聞かない鉄則」がくやしいことに的中してしまう。
でも、日曜の昼という、テレビの最も退屈な時間帯で、僕にとってはお目覚め時間帯に、生で聞きながら自宅喫茶するBGMとしては、日曜喫茶室がちょうどいい。

今日はドイツ文学者の池内紀氏が外国語の勉強法をおだやかな口調で話してくれていた。
氏の東大時代の講義も、さぞかし明快でわかりやすかったんだろうなと思う。姫路ご出身だから、おだやかな関西弁も親しみやすい。

「海外に住めば外国語はマスターできる」なんてウソ。しっかり文章を読んで、人と対話しないとダメですよ・・・というのは、学者ふうのアドバイスかもしれないが、真理だと思う。
語学力は、ペラペラになることではなく、論理構成力なんだろうな・・・と、なんだか池内ゼミで学べた気分で幸福だ。

こんなことを考えながらのラジオライフが僕の電波系対話生活(笑)だが、あまりはまると、俺の頭に電波が入って来て指令を出すのだ!という世界にのめりこんで行くのかな。
そういえば、番組にリクエストはがきを出したりする現実的なおつきあいも減ったなぁ。「のぶりんの気分は青春」なんて聞いていると、名人級の投稿を聞くほうが断然おもしろい。
くじ運や女性運は皆無に近いほどないけれど、番組に何か書けば高打率だったから、相性はいいのかもしれない。探偵手帳や「ごめんやす馬場章夫です」のノベルティグッズはごちゃごちゃあって、こんなのを究めれば「葉書職人」になれたのかもしれない。
そこまでの根気がないのが僕の「ただの俗人」でしかないところだが、死ぬまでにはどこかでDJをやりたいもんだ。
 


ニッポンよいとこ一度はおいで?

at 2003 05/04 20:07 編集

この連休、アジアからの観光客が多い。
日本人がどっと乗って行った飛行機の帰り便を安く埋めてるのか?(トラックじゃあるまいし)
台湾や中国から、家電製品お目当てに・・・というわけではないだろうけど、家電屋さんは名所旧跡より確実にアジアントラベラーの密度が高いように見える。

経済的に強い韓国でも、通貨価値が対日比で1:5ぐらいだから、日本に来て缶ジュースを買うときは、日本人が500円出すような感覚に近いのではないだろうか。
ラーメンなら数千円って感じか。「こんな麺は中国四千年の冒涜であるヨ!」と、クレーム日本語(笑)を身につけて来て、どんどん外圧をかけてもらってもいい。
もっとも、海外旅行に出る人はかなりリッチな層だから、「20万円のデジカメ」も抵抗なく買えるのかもしれない。

こんなふうに、日本の魅力がどう映っているか、観光客の姿から逆に教えられている気もする。
いま珈琲館のとなりで、旅した国々を連れの女の子に話しているおっちゃんがいて、韓国、台湾、フィリピン、タイ・・・と、およそ何を目当てに行くのか想像できてしまう(歴史探訪とか文化交流だったら失礼)。女の子からつっこまれて「観光やで観光!」と言い訳してるけど。

日本人にとって、アジアは安く快楽が買えるところ、欧米はレアなブランド品を仕入れに行くところ―と、先方にはとっくに見抜かれているだろう。
原地の言葉で現地の一般人と対話ができなくても、ジャパンマネーを持って行けば、とりあえず歓迎はされるわな。だから笑顔で迎えられて、錯覚する日本人も多いはず。あなたの財布にニッコリしてるだけだったりするのに。
欧米人はけっこうケチ(いい意味で)で、札ビラでブランド品を買いあさる観光客というのは少なくとも関西では見たことがない。
むしろ片言の日本語を必死に駆使して、道を尋ねてきたりする。そんな観光客の方が、僕はウェルカムだな。くだらん懐石屋より、サバトいやサバ煮定食屋ガイドしたげまっせ。
僕の感じ方と欧米人、アジア人の感じ方は遠うかもしれないが、マネーで原地に突入して行くより、対話や芸で「招かれる」+「おじゃまします」という方が平和でええんちゃうかと思う(金づる大歓迎の商人は別として)。
迎えてくれる原地一般人の笑顔の質だ)て違うだろう。
第一、札ビラなんていう武器は持ちたくても、わしゃ縁がないわい(涙)。


ようこそ第3サティアンへ

at 2003 05/04 21:43 編集

今日の訪問セールスマン推定25歳は、ご陽気だったが、ひつこかったなぁ。連休に、ご苦労さんなこっちゃ。
分譲マンション屋で、「いらん」と18回断っても「そこの新築、みてもらましたか」と、そもそも会話になってない(笑)。
身元確認したらひるむかと思って名前と会社を聞いたら、いちおう名乗りよった。サカモトと。

こういうセールスをやらせている会社だから、クレームをつけても会社ぐるみで押し返してきよるだろう。
こっちは自宅で応対しているわけだから、立場が非対称な点で、すでに不利だろが!
やつの免許証でも出させて、自宅情報をおさえておけばよかったか?
玄関に神棚・防犯カメラ・代紋の3点セットでもつけとけばいいか?(ヤブへびのリスクあり)
今なら白装束がインパクトもあっていいかもしれない。前から細々とやっている宗教も拡大せねば(笑)。
パンツ一丁で唄いながら玄関に出る某女子大生のノリを、おっさん版にアレンジして、江頭2:50を演じてみるか。
僕を知る悪友どもなら、「日本人でないフリしたら、疑われへんで」と言いそうだ(これが一番効きそう・・・)。

なにせ震災で傾いたままのアパートで、玄関前もむさくるしく散らかしているから、決して金持ちが住んでいるようには見えないはずだがなぁ(夏など玄関あけっぱなしでピッキングの手間もいらん)。セールス君もっとターゲットを選ばにゃいかんよ。
冷静なときは、「わし禁治産者(今なら後見か補助か)やから、契約でけへんよータリラリラ〜〜ン」とリーガルな煙幕を張る作戦も考えたりしていたが、それを試す場は突然やってくるからスクランブル発進が難しい。

ひそかに強敵だと思いつつかすかに期待しつつ未だお越しいただいてないのが、「布教にやって来る黒木瞳」「健康食品を売りに来る島崎和歌子」の類である。
たいてい、「市原悦子ふう」とペアで来るようだが、それでも負けるかもしれない。聖書だろうと読売新聞だろうとヤクルトだろうと、ホイホイ契約してしまうと思う。
ただし。あなたの自宅情報をまず示してもらわんと話は聞きませんよ瞳さん(笑)。


潮風のふぁんたじ〜

at 2003 05/05 18:07 編集

午前中に、馬場章夫さんがラジオで「大阪市内の渡船8本制覇」をレポートしていて、おぉこれだ!と思って水辺を巡ることにした。
といっても、神戸には渡船はないので、突堤巡りだ。
港の突堤のへりを細かく全部たどれば、その距離は何十kmにもなりそうな気がする。ヘビーサイクリングになった。

アウトドアといえば山へ行ってしまうけれど、たまには海もいいもんだ。
紫外線はふんだんで、潮風は香ばしい。
岸壁は、祝日は車も自転車も出入り自由で解放区みたいになっている。釣りOK、バーベキューOK、将棋OK、粘着カップルややOKである。海はおおらかなのだ。海の日生まれOsawasenseは、バカップルに対しては心のせまい意地悪だが。

そういえば子供の日なのだ。
子供人口が老年人口を下回ったのはもう何年も前の話。たしか子供人口割合が一番高いのが沖縄、低いのが東京である。県民所得は東京が日本一で沖縄が47位。これを「子沢山で低所得」と考えるか、低所得でも高出主率と考えるか・・・(沖縄が持に子沢山というわけではなく正常値で、日本平均や都市圏が異常に低すぎるのだ)。
子育てしにくい環境とか、子育てに縛られたくないオスメス心理とか、低出生率の原因はいろいろ言われているけれど(他人事のように書いとるなあと笑われそうだが、僕は海と山と田園と都市文化のある今の神戸で子育てしたいし育児もしたいぞ)、実際どうなんだろうね。

子供の日記念として、「この日に仕込んだと推定される懐妊には、その子が義務教育終了まで育児費用全額国負担」というキャンペーンでもしたらどやろ。
毎年べビーブームが巡ってくるわけで、出生率も回復するかもしれない。
「子供の日」は「子づくり日」と改名して、この日はホテルも軒並み満室になるから、親同居のカップルのために、「じじばば疎開切符」を配布して、どっか行ってもらう。
「じゃーヒトミ、わたしら1泊してくるからね」
「からね。って何よ」
「あんたも、ほれ、裕司さんと、なんですわ、あぁしてこうして・・・」
「なに言ってるの!!」
てなこそばい会話があちこちでくりひろげられたりして。
梅雨に入るころ、
「ヒトミぃ〜どうしよう、あたしできちまったみたいだよ」
てな話になるとこわい。
ま、それも出生率回復ということで・・・(笑)。
 


モザイク

at 2003 05/06 20:55 編集

めしや丼で夕飯を頼んだら、なんとなく何か足りない。お気に入りの「彩り定食」は、15品目ほどコチャコチャ盛られて590円と安いので常食にしているのだが、皿は一応いつものように埋まっている・・・
食べ始めて、店員が「サワラお持ちしました〜」と追加で小皿を持って来た。そうかそうか、サワラか。この時間差攻撃も、焼きたてでサワラがいただけるならいい。

めしや丼が松屋のとなりに大胆オープンして、最近とんと松屋には行かなくなってしまったが、やはり和食中心のバラエティメニューは人気が出るのもわかる。
こんなに手軽に、夕定食らしいものにありつけると、ますます自炊が手抜き気味になる。
カップルで来ている客には、「おい、彼でも彼女でもいいが手料理でいてこまさんかい」とよけいな命令をしたくなるのは、よくないオヤジ癖だが、外食がこう気軽になるとね・・・。水は低きに流れるという感じかな。

風俗嬢がラジオか雑誌かで、「彼女のいる客が増えた」と話していたが、これもなんとなくわかる。それはそれ、あれはあれの世界ってことだろうと思う。
「伝統的機能のアウトソーシングに伴う家族縮小と家族圧力の相乗的衰退」なんてコむずかしい話が今週の演題だ。
家族どころか、恋人の存在感もだんだん小さくなって、「用途別」に使い分けるようになるのではないか?
こうしてヒトの存在は、世界一心を許せる間柄にあっても、断片化して行くのだろうな。

未来を先取りする!?Osawasenseは、たとえば「ドライブに連れてってほしい」とおねだりする彼女には、カプセル怪獣よろしく外車マニアの実弟を投げつけるつもりでいたものだが、たまたま出番はなかった(笑)。


慢性五月病

at 2003 05/07 18:46 編集

日が長くなって、あぁひと仕事終わったなぁとヤレヤレ気分で神戸に戻っても、まだまだ明るい。
遅い晩飯が習慣になっているから、中途半端に時間が空いている。

たぶん、こういう時間帯に軽くワインなど開けながら仕事疲れをねぎらうのが「サパー」で、その場所が本来のサパークラブなのだろうな・・・と思う。本格的な晩飯は、もっと遅いディナータイムで。

このトロリとした時間帯は仕切り直しするにはよくて、バブリーなころは「五時から男」なんて類は出撃モードに入ってギラついていたと思うが、今は不景気のおかげでそう切羽つまる感じはないみたい。平均株価8000円を超えた!ヤッホー!のレベルだからなぁ。
営業マンや経理マンや現場工員の経験はないので、この退勤後の解放感みたいなのは想像するしかないけど。

どうしても日本のサラリーマンライフだと、居酒屋ベルトコンベアに乗っけられて酔っ払っていっちょあがり・・・という感じで、なんだか巨大な消耗サイクルシステムの中でかけずりまわっているハムスターにも見える。
居酒屋で気勢をあげている職場仲間ふうの諸兄は、仕事への鋭気を養っているのか、本当に気分転換できているのか・・・?
僕も社会勉強で一度やってみたいもんだ。「やだ主任!私の肩に回したこの手は何?」「私とデュエットで唄う気?」などと、いぃぃぃぃわれて蔑まれてみたい(悪趣味)。

サラリーマンでも、
「ヨットハーバーを眺めながら美女をひざに乗せ、ブランデーでもちびちび」
やれたらかっこいいダテ男の世界なんだが、現実には
「ヨッパライババーがひざに乗って来る悪質な呑み屋で、いっそグラインダーでいたぶったろかと怒り充満」
が、今まさに僕が突入して行きそうなバテ男の世界だ。「本体ちびちび男」だしなぁ。

さてと、コーヒー1杯呑んでから、雨上がりの街へ「出撃」するか(笑)。


おき火

at 2003 05/10 15:38 編集

父が再入院の知らせ。
冷静な兄も、執刀医から話を聞いてうろたえている。兄が感じた不審な点を確かめに、さっそく父の見舞いに行ってきた。
1ヶ月前に会ったときとうって変わって、ほとんど屍のような骨皮状態だった。開腹したがさじを投げてすぐ手術を終えたそうだ。
意識はしっかりしていて、うまいもん食いたいなぁと話す一方で、遺品のことまで口にしていた。
素人としては、何もできない。哀れだ。無念だ。悔しい。

しかし「ファミリーMSW」はできるかもしれない。
カルテも画像資料も何も開示されていない。治療計画も告げられない。転院希望を告げてもはぐらかされている。なんだこの病院は!と僕は憤った。

といっても、本人にとっては昔の職場でもあるから、気がねもあるのか、なかなか強く言えないようだ。
セカンドオピニオンなど、「どこ吹く風」だ。
告知もなし。「本人が絶望するので」という理由らしいが、絶望するほどの診断結果なら、徹底治療するか終末期ケアに切り替えるか、計画はあってもええんでないかい?と思う。
やるせない。
 


白日夢

at 2003 05/11 01:41 編集

信頼できる名医のセカンドオピニオンをうかがって帰り、ふだんめったにしないことだが昼間から一杯ひっかけて昼寝した。
白日夢は意味深な番組(笑)が多くて、ときどき日記ネタにもしたことがある。
案の定、象徴的な夢が上映されてしまった。
親父の葬式の1週間後、母の再婚の挙式に出席したのである。「不幸のあった翌週にめでたい席というのも、変やなぁ」と皆で苦笑しながら。
どういうわけでか、飼い猫がちょろちょろ紛れ込んで、じゃれついていた。

飼い猫といえば、我が家で初めての葬式というのは札幌オリンピックの年の祖父とのお別れを思い出す。
我が家はだれもが猫好きで、畳の上で家族に囲まれて眠るように昇天した祖父の周辺にも、いつも飼い猫がつきまとっていた。
それが、葬式になると「猫は不吉だから」という理由でシャットアウトされ、子供ごころに僕は理不尽なものを感じていた。通夜では大人たちが酒を飲んでやけににぎやかにしていたのも理不尽で、「しめやかに、親しかった犬猫も一緒に別れを惜しんだらどうやねん」と子供ながら感じていたものだ。

そんな習俗がそれなりの裏づけがあってのことと了解したのは、のちの座学のたまものかもしれないが、そうした原初的な理不尽経験がきのうの白日夢にひょっこり浮かび上がるとは思わんかった。

夢は、何か大切なことを教えてくれたり、思い出させてくれたりする不思議な泉だ。
はやりことばでいえば、「暗黙知」とでもいえるだろうか。
こんな闇の部分があるからこそ、理不尽は理不尽でとりあえず受け留める余地になっているのだろうなぁと思った。
 


しかしまーなんですなぁ(小枝ふうに)

at 2003 05/12 05:02 編集

考えてみれば、ヘンな家族だ我ながら。
大黒柱(いまタイピングミスで変換したら去年直腸癌で若死にした旧友の名前が出てきてしまった)の余生の「秒読み」宣告を受けて、僕などが一番理屈っぽいことをこねまわして、あとの家族がオロオロする・・・と思いきや、実際には逆なんである。

「あと半年もたないらしいよ」と離婚した父の古女房=わが母に打ち明けると、キューブラー・ロスの死の受容段階説をひきあいに出しよる。当の親父は、病床でインフォームドコンセント云々とカタカナ用語をこね回してたっけ。
どっちも80年代の、ちょいと古い「医の倫理」用語ですがな。今そんなもん持ち出してどうするねん(苦笑)。
現実的なのは案外、理屈王の僕だったりして、転院先や告知のタイミングを名医と話し合ったりしている。

そもそも、当の本人=父が、一度目の手術入院のとき、自分で画像を見て診断して「わしゃーもう退院できん」と電話してきながら、ケロリと退院して仕事復帰したりパソコンを始めたりとお気楽な生活を謳歌していた。
この調子で、再び奇跡が起こらないものかと淡い期待も湧いてくる。

受容や否認を行ったり来たりしているのは、本人もこれからたどる余生かもしれないが、僕も期待と諦念の合い間を行ったり来たりしている。ヤキモキさせるなぁ、この親父は。

考えてみれば、無為な定年後をだらだら送り産業廃棄物でもなく、濡れ落ち葉でもなくそこそこヤモメ暮らしを楽しみ、とっくに曾孫も抱き、ボケもせずちょうど平均寿命まで生きて来た父である。残る悔いは、数え始めればいくらでも出てきそうだが、もうええじゃないかと神様仏様は言うかもしれない。
晩節こそストレスフルではあったけれど、あの年で、若いころ勤労動員も学徒動員もなかった(能天気に「北海道には戦争なかったんじゃ」などとうそぶいていた)のはラッキーだったといえなくもない。1歳違いの母方の叔父など、海軍に出征して戦艦上で死線をさまよっていたそうだし、母は疎開先で米軍の機銃掃射に逃げ惑っていたそうだから、父は運に恵まれていた方だろう。

とまぁ、父の死刑宣告を聞いてから数日で今は「淡い期待の段階」にある僕だが、本人が告知を受けてからどう変わるか、これから見守って行かなくてはいけない。
ジャイアンツファンの父に「ミラクル」が訪れるか、それとも「もはやこれまで」か・・・。
今週、決戦がスタートする。
がんばらねば。
 


ハチのムサシも死んだのさ

at 2003 05/12 23:22 編集

母の日など、娘や嫁でもいなければ昔の人間はピンとこないと思う。
なんて自分のずぼらを正当化しようというつもりはないけれど、きのうの母の日は親父の末期宣告の又聞き(両親は夫婦をやめているので)という、とんでもない贈り物を持って行ってしまった。あぁ親不孝。

帰り道に、花屋に行列ができていて、やっと母の日に気づいたのが正直なところ。
もしかして、あれは売れ残りを叩き売るクリスマス商法と同じなんだろうか。客はカスミ草に群がってたけど。

もし叩き売りしてるのなら、自分の中で勝手にカレンダーを1日早めて、「母の日は第2月曜日とする」と決めてしまえば、毎年安く買えるわけだな。クリスマスも同じ手で行けばよろしい(えらそうに)。

まぁ、とっくに僕は自分の暦で動いているから、連休明けが衣替えだし(この灼熱アジアで夏に着るサウナサマースーツやサウナサマージャケットは持ってもおらんぞ)、冬でもだいたい素足につっかけで買い物に行っている。
徒然草に、興醒めなものとして「夏炉冬扇」が代名詞にされてたと思うけれど、1日や1ヶ月ぐらい自分の好みで季節の風物詩や年中行事をずらしてもいいではないか、のぅフセイン・・・は行方不明か、のぅ兼好法師どの。横並び教の信者が多い国だからこそ、ちょっとずれてみるのもいいかもしれない。

ターミナルモードに入っているこの日記だが、どうも僕は死者と夢の中で会話してることも多くて、この世も幻に見えることがよくある(鬱病か?)。なんだか自分が生きているのは2053年ごろに思えてしかたない。
夏目漱石が、ロンドン留学中に英詩を書いていて、ある女性を思う自分が夢と現実の間に立ちつくしている、夢と現実は追いかけっこをしている・・・というようなくだりがあったと思う(かなりねじ曲げた意訳)。
自分の暦で生きている僕なんぞ、2003年5月12日神戸という「今・ここ」の現実になかなか足をおろせず、かといってイカロスになる勇気もなくて、小賢しく生き延びているにすぎないなぁと思う。
 


おやGスポッと

at 2003 05/13 23:38 編集

ブランチを家でとって、イスに座ってお茶しながら、なんとなく百均で買ったマッサージばさみ(というのかな?首なんかをはさんでモミモミするU字形のやつ)で、背中をゴリゴリしていた。地面ゴリゴリ野良猫になった気分で。
左の肩甲骨の下あたりにしつこいこりがあって、「ん〜〜〜〜いい気持ち」とゴリゴリしていたら、天に昇るほど効くスポットにうまく入ったのか、にわかに睡魔が襲ってきて、座ったまま数時間、熟睡してしまった。なんだ一体これは!?
目覚めると、しつこいこりはほとんど消えていた。
肩こりのメカニズムは素人にはわからないが、何か毒素の塊みたいなものがあって、そいつに絶妙の直球ストライクが入って打ち砕いたような感じがする。

たかが肩こりといっても、長年の積み重ねだから、また「毒の素」が少しずつ蓄積して行くんだろうな・・・と思いつつ、でも「ここリセットスイッチ」と背中に刺青でもしておきたい気分。
本人はミニチュア(笑)とはいえ、人体は不思議だ・・・。

★追伸★
肩こり撃退スポットのことをGスポットと呼ぶのではありませんので、良家の子女は間違ってもパパに「ね〜気持ちよくなりたいからパパ私のGスポット押してみて」と発言してはなりません。
一家が激震に襲われますっ。
 



波風

at 2003 05/15 14:42 編集

冬休みをはさんで、今年度は朝の通勤ラッシュ電車に乗るのが週1回になっている。
去年はけっこう何度か毎朝同じ電車に乗っていて、いつもの定位置の「ご近所さん」が何人か、無言の顔なじみになっていた。
わずか1年のうちに、顔立ちは若くてスラリとしていて「学生時代はもてただろうな」と想像してしまうおっちゃんは、一気に白髪頭になってしまった。さぞかし、つらい勤労に追われているのだろうか。座席でいつも、そして今朝も、うとうと短い朝寝をむさぼっておられて、必ず白目をむいているのがご愛嬌だ。来週は、呼吸しているかどうか一応チェックしておこうか。

バイオリニストの千住真理子を10歳ほど若くしたようなOL様の姿は、案の定みかけなくなった。
僕が何名かまとめて勝手に命名している「8時15分快速四人組」の中で、なんとなく真っ先に抜けるのは彼女ではないかと予想していて、その通りになった(白目のおっちゃんは過労死しそうな気配もあるけど)。
実態は、「寿なんとか」かもしれないし、単に配置転換や転職、引っ越しをしたのかもしれない。
こんな当たりはずれがニュースになるわけじゃないが、かりに寿か転職で真理子さん(仮名)が四人組を抜けたのだとして、転機があるというのはいいことかもしれない。・・・と、おじさんは目を細めるあまり白目になってしまうのだ(俺もか?笑)。転職先がないまま解雇不安をかかえているというのは最悪だからなぁ。

僕が人事部長なら、「すぐやめるOLは補助職でいい」と雇用差別をするかもしれないし、人材派遣会社経営者なら「どんどんやめて転職してね」と煽るかもしれない。今の風向きは、人事部長に向かい風、転職サービス業界には追い風というところだろう。
おっちゃん的―つまり日本を閉塞させている―発想だと、「景気の波をもろにかぶらない安定した仕事が一番」ということになって、我が実家もそんな空気が昔から今に至るまで蔓延している。
でも、実社会は景気循環の波に洗われるのが当たり前。それを免れようとする小役人発想が、ますます不健康な社会を
景気がよくなっても悪化しても食って行ける「マッチ屋さん兼ポンプ屋さん」を並行して営むのが利口なのかもしれない。薬局の前に煙草の自販機がおいてあるように。

家族でただ一人冒険して「技官」から民間へ転じた父の終末期は、不遇なのか幸福だったのか。
昨夜は深夜まで、主治医と話し合った後ついに本人に余命の告知をした。
余生の質を高められる専門機関に移ることを勧めたが、「本人の意向が尊重されるべし」というのは教科書レベルの正論ではある。
意識もしっかりしてはいるが、察するに、ショックや無念や不安や疼痛などがないまぜになって(僕の素人判断では、そもそも最初の手術が失敗で、失敗の上塗りをされながらどんどん体力が低下している)、明晰な判断は
あまりにも荷が思いにちがいない。そんな状態の患者に、「自己決定」「インフォームドチョイス」など迫るのは、愚かしい態度だなぁと自己嫌悪を感じる。家族で裁判するわけじゃなし。

「クレイマー、クレイマー」に、ダスティン・ホフマンがけがをした愛息子を抱き抱えて、信号無視をして診療所へひた走る場面があった。同じ場面を、虫垂炎の僕は父に抱きかかえられて経験している。
今、骨皮だけになった父を抱きかかえて転院先へ走ることは、物理的にはできるかもしれないが、病院・家族のあきらめムードを「洗脳解除」できるかどうか、ファミリーMSWの腕が問われている。
やってみようか・・・でも実の親父は、博打のサイコロではないしなぁ。


SAAAAAAAAAAARS!

at 2003 05/17 01:09 編集

台湾から観光に来ていたお医者さんが、SARSで隔離されたそうで、ニュースが過敏に報道している。
大阪にある遊園地に寄って天橋立を観光し、高松から淡路島に移動して宿泊・・・
とまぁ、プライバシーは問題ないだろうけど、おひまなのねマスコミは。

この立ち寄り経路、詳しいんだか不明朗なんだか、よくわからん。
もしかすると、「どこかの歩道橋の上で大くしゃみをしました」とか、「酔っ払って御堂筋を転げ回っていました」とか、「大繁盛の風俗店で豪遊しました」なんて供述が出てくるかもしれなくて、そうなりゃ恐ろしくて報道できないだろう。
でも、そうした「具体的な情報」こそ報道すべきじゃなかろうか。

ヘンに中途半端な報道だと、「ははーん、大阪の遊園地っちゅうのはUSJやな」「天橋立で股覗きしたのかセンセイ!」「讃岐うどん巡りは台湾からの団体さんにも人気コースなんやね」と、のどかに想像して、ほほえましいだけで終わり。
観光客が立ち寄った先というのは、ほかでもない、風説や誤解で観光客が寄りつかなくなることが死活問題だから、うかつに報道されても困るだろう。
だからきちんと取材してから報道するか、オフレコにしとくか、どっちかにすべきだろうなぁ。

それにしてもSARSサーズさーて・・・と神経質すぎる。
まだ日本では感染者が見つかってないんでしょう?
でも1日90人が自殺しとるんだよ。
自殺ぐらい、ニュースではないってことなのか。なんだか歪んでいる。




at 2003 05/18 00:29 編集

ちょうど20年使ったテレビがついにダウン。さて、修理するか、これ潮時ってことで買い替えるか・・・。
当時は最先端だったボタン式チャンネル選びも、離れると「竹棒リモコン」しかないから、せめて赤外線リモコンはほしかった。
地上波デジタルが始まるとかなんとかゴタついているので、買い換えても5年も使えるかどうかわからん(電波行政、はっきりせんかい!)。こりゃ買い控えで家電業界が冷え込むのもわかるわな。
で結局液晶テレビに買い換えたので、夢のような(笑)リモコンライフが実現した。

週1回のテレビアワー金曜夜11時27分、記念すべきニューテレビで受像式を執り行う(おおげさな!)。
なかなかきれい。でもブラウン管の方が画像は忠実な感じ。メーカーはサンスイなのに(今のMDコンポ世代なら知らないだろうなぁ・・・サンスイとかナカミチとかラックスマンとか、通好みのメーカーは)、音はイマイチ。
そういえば、真空管自体は電気性能に劣るわけではなく、半導体より集積性と生産性が低いため片隅に追い払われてしまったのだといわれている。
病床の親父はなぜか半導体好きで、息子の僕が真空管アンプを手作りしたり買ったりしていた。
真空管アンプで聴くと、同じCDを聴いても、霧が晴れたようなみずみずしい音で聴ける。
オーディオの法則とテレビの法則は違うのかもしれないが、テレビを液晶にしたことは「進歩」なのかどうか、ふと考えてしまった。
ブラウン管はでかくて熱くて電磁波洩れも多い。けど、動画の反応は速い感じがする。

マイ・テレビアワーで、5歳の女の子が二十歳のヨーヨーマンにプロポーズするというネタがあった。
ほほえましくてええねぇ。最近、「うちの子(orペット)みてみてみてみてみて!!」ってだけのひまなママ投書が増えてうんざりしていたところ、この子のママは姿も出さない。子供だけの経験を大事にしとるんかなぁ・・・と少し勝手に感心。
ヨーヨーマンも、とまどいつつデートごっこにつきあってあげてたけれど、まぁやがて淡い恋仲も立ち消えになるわいな。いや、ずーーーーっと交際してたらすごいと思うが、犯罪やら、親子丼やら匂ってくる。
それに、彼女が14歳になって「あたし生徒会長が好きになったの」と別れ話を切り出して、彼が「ひどいよ!やりなおせないかしら・・・29歳のボクを捨てるなんて、ただじゃすまないわよ」てな話になれば、哀れを通りこして喜劇だ。今度は彼のママ55歳が投書して、当時は桂小枝探偵局長が「しかしまぁ、こりゃー、なんですなぁ」と頭を抱えているだろう。

逆に、よくありそうなシナリオとしては、別れ別れになって15年ぐらいたってから、どこかでバッタリ出会うと、こりゃ感動のドラムが鳴る。ヨーヨーマン係長35歳と短大出たて新入社員20歳という構図である。もう、何が起こるかみえみえではないか。
そのままズルズルいって、「32歳♀と47歳♂」になると、まったく違和感はない失楽園ワールドだ。
芸能界じゃ森光子が東君とのお泊り仲をカミングアウトしたりしているから、男性も女性も、15歳差ぐらいは問題ナシと思ってよろしい(と、勝手に許可する)。
二十うん歳年上のナイスミドルな社会学者に欲情しまくりという女子大生というのがおられて、卒業したら何が起こるか、ヒヤヒヤむらむらハラハラすぽすぽ状態の僕だが、まぁこれも文化かな?石田純一さん!
 


しかしまぁ、こわいですなぁ

at 2003 05/18 23:25 編集

産業別労働組合の総会を、遅刻しながら覗いてきた。
組織的な労働運動というのも、どうもピンとこないんだな。育った環境が、両親も兄もそろって闘争一家だったにもかかわらず。

まぁ何かのご縁と思って不純な動機で参加しているのだが、末席でこっそりひっそりしていたら、いきなり執行委員にプッシュされて投票、開票であれよあれよという間に決まってしまった。
なにせ、「雇用の維持」「解雇撤回闘争」を主目的にする組合で、僕は「有能な私をクビにする職場なんか、こっちから絶縁したったらええんですわ!」と、ぶちこわし発言をしてしまったから、あいつは何だ!?と危険視されてもしかたないだろう。

おまけに、大量解雇の追い風になるような仕事を起業しようとしている(WEB上には案内サイトつくったけど)。
たとえれば、どんどんリストラして正社員を派遣社員とパートに置き換えようとしている会社に、抵抗するのが労組。僕は派遣会社を興して「正社員クビにして安い社員に置き換えまへんか〜♪」と法人営業しているようなものだ。
生徒会に、校長・教頭お気に入りの飼い犬みたいな生徒が混じっているようなものだから、いつか暗殺されかねない。

でもまぁ、それもちゃんと表明した上で執行委員に推されたわけだから、冒険好きというか、リベラルというか、おおらかというか、なかなかおもしろい組合ではある。
いつ粛清されるか、ヒヤヒヤもんではあるけど・・・。
 


オンリーワンは宗教

at 2003 05/20 22:22 編集

SMAPの某ヒット曲は、なんとマッキーの作詞作曲であったか!!と大発見した話なんて書くつもりはない。
ナンバーワン、ナンバー2・・・と人間をランクづけしてきたものさしも、えーかげん日本人には刷り込まれてしまているから、飽きられたんだろうか。
でも、現実なのだ、人間々が序列化されているのは。

「個性重視」を口走る学者や財界人の99%を僕は信用しないし、小市民も似たようなもんではないだろうか。
たとえば、つきあう異性について、数字やランク(年収、学歴、地位etc)に全く関心がわかない人っておるのか?自分の彼女or妻が何cmか何kgかと本気でこだわる男というのは、同性として話している限り、聞いたことがないけど。
オスメス話のついでにちょいと話はそれるが、体位だって、正常位以外はぜんぶ異常位みたいな扱いではないか。けしからん。騎乗位は「貴嬢位」と改名すれば、もっと普及すると思うよ厚生労働省さん!
労働省つながりで、職場だって、オンリーワンの人材ばかりの組織というのは(ありえないが、あるとして)、その人が欠けると停まってしまうから、必ずピンチヒッターを調達せんといかん。つまりナンバー2、ナンバー3・・・というこっちゃな。

「あなたは第何位ではない、オンリーワンです」と思わせるのは、現実逃避させるだけのマインドコントロールではないかと思う。
僕の認識は、まず序列は悪ではないということ。偏差値で卑屈になっている子はお気の毒だが、偏差値20!と測定されてめげるなら、その土俵で力をつけるか、偏差値80をとれる土俵を探せばええんちゃうか?
「優も劣も、人と比べられるのがイヤ」となれば、自分の部屋に引きこもるしかないのかな。その中で、「オンリーワンな私なんだから」と自慰にふける・・・か?

刑務所の中でも、病棟の中でも、信仰の世界でも、人は必ず序列をつくる。身近な経験で、僕はチャリンコに乗っていると歩行者が邪魔ものに見えてしまうが、そんな僕がクルマからは邪魔もの扱いされる。クルマ―チャリ―人という序列があるわけで、それが世の中っちゅうもんだ。
「山好きみな仲間だー!!」のはずの山小屋でも、いつの間にか「俺様の登山歴」をさりげなく雑談に織り込むタヌキおやじがおる。自分の土俵を用意しとる僕は、「雷に撃たれて死ななかった話」をしてやる。どや、挑んでみんかいコキンタマ野郎!(笑)

あなたはこの世で一人の存在―こんなこと、今の一瞬が二度と再来しないのと同次元の自明の真理じゃい―、オンリーワンなあなたを尊重します・・・とささやかれて、整体師だか正誤師だか、ステージを与えられてた信者たちがおったよな(うち1名にまた死刑判決が出た)。

「わたしゃナンバー6000000000でいいっす」と笑って生きられる方が、幸せやなぁと思う。
 


58歳校長っ!

at 2003 05/21 00:52 編集

さいたま市内の小学校長が、児童の前でヘンな替え歌を披露したけしからん責任者出てこーい!というニュース。
http://www.asahi.com/national/update/0520/029.html

アホらしくて論評する気にもなれんが、気になるのは歌詞の内容で、新聞では一部しか報じられていないが、
「ドはどくろのド、レは霊柩(れいきゅう)車のレ、ミはミイラのミ、ファはふぁかば(墓場)のファ、ソは葬式のソ……さあ死にましょう」・・・の次はどうなってるんだ校長!いや新聞社!?

こんなこと子供のお戯れじゃよくある話で、だから校長の精神年齢が疑われるな。

ドんくさい校長
レい点だよ査定
ミのほど知らず
ファンさえいない
ソく懲戒だ
ラくして出世
シらんよ退職金
さぁやめましょう♪
・・・って「懲戒音頭」歌ってあげよう。
 


ワイルド&レフトで行こう

at 2003 05/23 01:16 編集

タバコの表示を厳しくせんかー!と、WHOの勧告。
mildやlightが国際的に禁止されて行くらしい。
でも「ファッションマッサー」があふれるジャパンのことだ。「MILE SEVEN」とか「PEACE RIGHT」という手もありうるぞ。
「どんどん吸ってマイルをためればもう1箱プレゼント」とか、「平和に喫煙する権利だ!」というメタメッセージをこめて。

タバコは、うちの実家を焼いてしまい、親父の末期癌の一因にもなっていると思う。
にっくきタバコ!だし、僕も趣味ではないけれど、愛煙家がもうすこし論理的に喫煙権を訴えて、秘めやかな嗜好として楽しむにはいいんじゃないかとも思う。

「タバコは心の日曜日」という専売公社の名コピーが、昔あった。
街角で、電車内で、タバコの火を貸し借りする場面も懐かしい光景だし、とても大切な見知らぬ人間同士(同志)のコミュニケーション・チャンネルだろうと思う。
いかにも僕が愛煙家にみえるのか、火をいただけないかと乞われたこともある。「いやーわるい、あっしもライター忘れちってね」とカドが立たないように断った。「私は吸わない!」「タバコは迷惑ですっ!」と返すのは野暮ってもんかもしれない。

理路整然とした野暮が嫌煙権運動のような気もする。
身近に運動が存在すれば、たぶん賛成はするだろう。
でも、若干のためらいも感じる。
「たしかに、吸わされたくない。けど・・・」の思いが社会運動へと組織化されると、点点の部分が掃き清められてしまって、憎悪が増幅される危なさがある。国や民族をまるごと憎悪して殺戮へと突き進んでしまう戦争と地続きの回路である。
身近な場面じゃ、不倫は不道徳です民事上の貞操義務違反です禁止しましょう!というのは勝手だが、ただの「もてない連中ヒステリー」が権力を持つと、映画や文学のかなりの部分が漂白されてしまいそうだ。
ちょうど、猥雑な下町と、ぴかぴかつるつるニュータウンとの違いに似ている。
これは浪花節的な感傷にすぎないのだろうか。

親父は、もうひと昔以上も前だったか、僕がまだ夕食を食べ終わっていないとき、ちょっと一服しかけて、タバコ嫌いな息子に気づいて「あーわりぃわりぃ」とあわてて消していた。今年になっても、愛車で僕を拾うとき、真冬でも窓を開けて、たまった煙を一掃していた。
考えてみれば、そこは親父の買った家、親父のクルマである。「けむたくていやならお前が出ていけ」というのが正論だろうに。
こんな親父の末期癌は、治りそうにない。
だったらせめて、タバコを吸わせてやりたい。それがターミナルケアというもんちゃうか・・・?と思う今日このごろ。



ノックアウト

at 2003 05/22 23:02 編集

久々に、「2時間一気読み」させられた新刊だった。
暉峻淑子『豊かさの条件』(岩波新書)。
心を打たれる論説本というのは、そうめったにない。

われわれのすぐそばの、過労死寸前の労働者や、就職口が見つからない若者や、仕事したくてもありつけない路上生活者といった事例研究は、一見それぞれ別種の極端例にみえるが、根っこには「経済大国日本の貧しさ」があることがよくわかる。
暉峻先生がかかわったNGOが縁結びした内戦状態のユーゴスラビアの子供と、阪神大震災で家や家族を失った子供との交流は、やがて「交感」へと発展して行く。そのプロセスには、薄っぺらい美談や手柄話が持ちえない迫力があった。
終章は、いま僕が企てている協同労働の歴史と概論になっている。
なんとタイムリーな!

数年前に、あるシンポジウムで暉峻先生の講演の前説をしたことがあった。
小柄で気さくな人物像と、毅然としたまっすぐな背中が印象的だった。
ヨーロッパと日本を忙しく往復しつつ、地の塩になって働き、研究業績も蓄積しておられるエネルギーには圧倒されるばかりだ。
世界に求められ、呼ばれる存在といえるだろう。
自分を待っているフィールドは、どこにあるだろうか?と、ふと考えた。


ジェネレーション・ギャップ

at 2003 05/25 03:21 編集

「ゆびとま」に母校を3つ登録していて、ときどき新規登録者の通知を受ける。200万人以上の会員数らしいけど、さすがに弱小予備校の卒業生は14人しか登録がない(その母校も倒産してしまったし・・・トホホ)。
大学だと2ケタ多い。今日も新着情報というのが届いていて、新規会員の短いメッセージが並んでいたのだが、「学生時代が懐かしいです」と書いてあるやつが、今春の卒業生(!!)だったりして、入力ミスでなければ「なんじゃこりゃ」と首をかしげるところだ。

3月に卒業して4月に就職し、よほど普通の勤め人の何年分もの猛烈な仕事をして、しみじみ2ヶ月前をふりかえれば「懐かしい」と感じるものなんかねぇ・・・。
女子大生をオバハンと見る女子中高生の感覚はマスコミねたになってたから、つくづく異世代の時間感覚は不思議なもんやなぁと思う。

たしかに僕も小学生のころ女子高生がムンムンしたお姉様に見えていたけれど、それは憧れに近いまぶしい感情だった。年上の世代が「あぁなりたくない」イメージとして見えるのは、それだけ社会全体に見通しが暗くなっているあらわれだろうか?

もうふた昔も前と、学生バイトの時給相場も大卒初任給もほとんど変わっていない。どころか、今の職場に張ってある求人票を見ると、大卒者の待遇は(福祉業界のせいもあるだろうが)80年代より悪化している。
これで、実力次第では毎年めきめき給与アップして行く・・・なら報われるのだろうけど、そんな時代ではないね気の毒にも。

時代のせいとばかりもいえない。実力主義・成果主義が、労働者の側から出たムーブメントなのか、雇用側から出た「単なるコストカットの言い換え」なのか、働く者自身が考えてみないと本質は見えてこない。
責めるつもりは毛頭ないが、仕事の評価が正当でないとき、自己アピールしたり、仲間と連帯して運動を展開したりする発想を学習する機会がないのが今の二十代。
ネットやマニュアル本など情報は洪水のようにあるのに、壁にぶちあたったとき、頭を絞るより求人情報誌を片手にプッツンとやめてしまうか、心を病んでしまう人民が多いような気がする(ま、10年以上同じ職場にいないと決めている渡り鳥のような僕も、えらそうなことはいえない)。
雇って教育する側の責任もあるし、そんな我が子をパラサイトさせている裕福な親世代も問題といえるかもしれない。

でも、あと60年は生きていける連中の頭の中で未来が霞んでいて、いつガンか脳卒中でくたばるかと現実的なリスクをかかえている僕などがあいかわらず「夢見るオッサン」でいるのは、これいかに?
村上龍さんが『自殺するよりSEX』の中で書いてた慨嘆に、「女子高生と話していると、死体を相手にしている気がする」というくだりがある。
同感です龍さん。
僕が脳天気に浮き足立っている「夢みるオッサン」ということではなくて、気づかないうちに自殺してしまっているような子が少なくない気がする。
「安定が一番」「我を主張しない」「勉強は受験対策だけ」とまぁミニ公務員みたいな二十歳ばかり見ていると、半分以下の年齢なのに、ふけとるなぁ・・・と苦笑してしまう。

プーシキンの詩に「夢の翼」というフレーズがあって、老化で詩そのものは忘れてしまってそこだけ憶えているのだが、21世紀の学生が持つ翼って、あるとすれば何だろうか。
ケータイとか・・・?
  


なごり雪

at 2003 05/25 16:33 編集

もう初夏の四国の石鎚山へ、登山に行ってきた。
時間が空いたので、徳島の剣山にも寄ってみると、なんと剣山スキー場がまだ銀世界。係員のおっちゃんが「ぼちぼち、今年は営業終わりだじょ」なんて言いながら片づけ仕事をしている。季節はずれの寒波で、山肌は真っ白になっていた!

と、これ実は白日夢で、年中行事のように4月か5月に必ず見ることになっている「なごり雪もの」。
今年は遅いなぁと思っていたら、勉強机に向かってリクライニングチェアに座った状態で、やっと2003年バージョンが見られた。なんとまぁ、季節色がちゃんと規則正しく巡ってくる脳内劇場だこと・・・(笑)。
この「なごりゲレンデもの」の舞台は、我が街を一望する六甲山であったり、なぜかハイビスカスの咲き乱れる高原であったり、深いヨーロッパアルプスの山々であったり、秋田県であったり、いろんなところでともかく快適にスキーをしているのだ。本物のスキーはかなりマンネリ気味なので、とんでもない舞台設定にワープできる脳内ゲレンデが毎年楽しみなのだが、自分の脳なのに予告篇もなくて、見るまで本篇がわからない。野沢菜を食べたら信州にワープできるというものでもないし。
居眠っていたときは低気圧のせいか、四国から淡路島を経由して船で神戸に帰るとき、雨でずぶ濡れになってしまうという演出もついた。
子供時代なら、おねしょが現実になっていただろう。

大人になって、おねしょをしなくなるというのは、もしかすると夢を見ながら「これは夢だ」と冷静に識別していて、「手に寝汗にぎる大スペクタクル」なんか見ていないからではないか?と素人夢分析をしてしまう。
ちょっとつまらん。
僕は通勤電車の中でも喫茶店居眠りでもたくさん夢を見るので、本当に悲鳴をあげたり、ちびったりすると困る(笑)けれど、せっかく見るなら没頭したいものだ。公園の木陰で寝てるだけで、ブナの原生林や熱帯のマングローブ林やフォンテンブローの森にワープできれば、こんなにお安い旅はない。
寝てなくても周りの風景が変わって見えたり頭に電波が入ってきたりすると、それはそれでスリルとサスペンスものだが・・・。


おつかれさまです

at 2003 05/27 00:15 編集

神戸新聞の「イイミミ」欄だけは、夕刊のペらっとした紙面で楽しみたい。読者の電話投稿欄である。
こんなのが載っていた。
畑仕事をしていたところへ、小学生グループが通りかかり、口々に「体、大事にして下さい」「お仕事、頑張って下さいね」などとあいさつして通り過ぎて行った、というのだ。
さわやかさに感動のあまり学校へ「ええ教育しとりますな」と礼を言いましたわ、と61歳のおとっつぁん。

そりゃ、よかっただろう。ストレスも消え血圧も下がり心の襞に一陣の風が吹く気分じゃろう。どこか懐かしさを感じたかもしれん。
しかしだな、「中高年心のつぼマッサージ」それ自体はけっこうだが、本当にこんな言葉を口走る小学生がいたらわしは気色悪いよ。
第二の可能性は、こんな声かけ運動をやらせている教育者の影である!これこそ教育に名を借りた子供洗脳!!はたまた子供をペット化しようとしている寂しい大人の猫なで声!!とはいえないか?遠山大臣!

従順な子供が、大人の教えた通りのセリフを口にして、地域住民に感動を与え、それが学校にフィードバックされ・・・こうして子供の管理(と裏腹の大人の自慰)は平和に、批判の隙もなく強化されて汗く。
だから、こわいで。
そういえば最近、終講後「おつかれーっス」と声をかけて下さる学生が増えた。なんじゃこりゃ。
怒るべきか、ため息つくぐらいでいいのか、41歳教祖はわからんよ。

ただ教祖は素朴に思うばかり。
田畑を踏み荒らし
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2003年4月の日記

エイプリルフール就職

at 2003 04/01 22:53 編集

高校時代の同窓会名簿というのが、忘れていたころに届いた。
大学の名簿も知らないのに、なぜむさ苦しい男子高校の名簿を買ったのか、われながら大きな謎ではある。

母校は創立が明治末期だから、当然ながら第1期生という先輩は全員が故人だ。2期生以後、じわじわと(笑)生存者が名前を連ねている。
その対極にある今春の卒業生は、全員の「所属先」が真っ白だ。
自分自身の同級生は、まぁ十人十色でおもしろいが、個性満載で芸大に進学した悪友が、いま親の家から市役所に通勤していたりして、ちと寂しかった。僕の隣の席にいた自転車部員は、競輪選手をした後いま競輪団体に勤めているようで、おぉ、好きなこと貫きよったか!とうれしかった。大江千里さんのバックをやっていた悪友はテレビ局の仕事をしているし、こんな風に好きなことの延長で奮闘しているやつの方が多い。

そういえば、「ゆびとま」で再会した中学時代の悪友は、そろって僕が技術屋さんになっていると思っていたそうだ。
たしかに無線マニア歴は長いが、それは趣味の話。ご期待に沿えず申し訳ありません・・・と謝る必要はないんだけれど、人の予想通りに動かないという予想には沿えると思う。

たぶんきのうあたりから、新人プロレタリアートが組織の歯車として始動し始めている季節。僕の職場でも、新人あいさつで「ほにゃー、かわいらしい女の子やなぁ。短大出たてやろか」と見ていた女子職員が、「大学院を卒業したばかりで・・・」とあいさつしていたのには驚いた。

いま簡単に1年か2年で「この会社ワタシに向いてないんですっ」と、わかったような分析をして離職していくプロレタリアートが多いと聞くけれど、まぁ見極める時期は難しいだろうなと思う。
定年まで辛抱して人柱になれ!というつもりはない。僕も10年周期で転職する生き方をしているから。

まー働き方は人それぞれ自己責任でいいと思うが、黒スーツに茶髪はやめた方がいいよ新人クン!歓楽街のキャッチのあんちゃんと区別つかないし、ブラックとゴールドといえばその筋のテーマカラーと決まっているし、陰気クンがやればまるで仏具ですがな。
 


清く正しく

at 2003 04/02 00:21 編集

福本投手の暴投で、さよならホームインした姫路の選手は、気持ちよかっただろうか。
僕は「延長戦は徹夜でやって、ハーフタイムショーにゃ野球拳も」なんて不埒な提案をするくそオヤジだが、暴投で走塁する子を育てた覚えはないぞ父さんは!という心境だ。

まさか高校野球で隠し球なんて技は使わないと思うが、まだ毛も生えそろってないリトルリーグの坊やからして、盗塁やら敬遠やら、ずる賢いプレイをしよる。
だから、僕は野球など健全なスポーツだとは思わない。盗塁を認めるなら、ペーパーテストのカンニングも「よくやった」とほめてやらねば!(笑)。
ついでに、相手のサーブミスを万歳して喜んでいるバレーボールも、ありゃ相手の失敗を喜ぶ卑劣な根性を育てる洗脳行事だと前々から思っているのだワシは。

しかしサヨナラ暴投をしたピッチャー君は、チームメイトや学校関係者から暗殺されかねない恐怖感をかかえているのではないか?
生き延びたとしても、おそらく死ぬまで同窓会のたびに「あのときのお前の暴投は・・・」とつつかれるのは確実だ。
こんな純情君が、結婚したら子供5人も6人もかかえて女房に「あんたの暴投のせいで生まれちゃったじゃない。がんばって働いてよね。おととしの次男の授業参観に着て行ったスーツ、体が入らなくなったから買ってくれるよね当然」と搾取されて、生き地獄になっているかもしれない。
あぁかわいそうに。合掌。
「ストライクゾーン直球3球」で決めたいものだ(ん?)。


芸能界陰陽道

at 2003 04/02 17:17 編集

深夜喫茶のクセが、なぜか昼下がりにシフトして毎日入り浸っている。
「スポーツ新聞のお花畑」は、無性に心ときめく。

ん〜、ピンクレディ正式再結成?
たぶんMie(中尾ミエではない)は本気だろうが、ケイは静かに増田恵子していたいんちゃうやろか?現役のころ高校生だった僕にも「ミーのりのり・ケイしぶしぶ」の奇妙なコンビに見えていたもの。
ミル・マスカラス(古いね)にたとえると極端だが、ピンクレディは陰と陽が並んでいる感じで、キャンディーズやリリーズとは異質な太ももアイドルだったと思う。まぁそんな陰も人気の一部だったのかもしれないし、オセロだって「白い死に神」の方が人気のツボ
日陰人生(笑)の僕は、未唯より増田恵子のファンだし、僕を知る人なら100%、未唯と交際しているosawasenseは想像できず増田恵子にからみつかれている僕を想象していただけるだろう。

陰陽パターンは他にもある。
たとえば水戸黄門で由美かおるは喜々として入浴してみせているが、宮園純子は露出シーンがイヤでイヤで、脚本家に圧力をかけて入浴シーンから逃れていたはずだ。
もちろん僕は見せたがりの由美かおるより、着衣の宮園純子のファンであった。
(つづく)


芸能界は陰陽道なり・その2

at 2003 04/02 21:59 編集

ん〜、「割烹着の女が通り魔殺人」・・・?
被害者のご冥福を祈る一方で、これも淫蕩な香りの漂う記号設定ではないか。
割烹着というと、「ストイック」「勤勉」の代名詞。野菜か何か刻んでいるうちに、人を刺したい破壊的衝動が噴出したのだろうか。

制服が、ありふれた事件に猟奇性を加味する面は確かにある。
たとえば福岡で、部下を殺してバラバラにした美容師とか、看護学校時代の先輩お局に指示された看護婦4人がかりの保険金殺人というのもあった。ただの怨恨や嫉妬、欲による殺傷事件にすぎないのが、ニュースの消費者は無意識のうちに制服姿での犯行場面を夢想してしまう。

きわめつけは「イラク軍の捕虜になった米軍女性兵士」である。「女性」が頭につくと、とたんに淫蕩風味を帯びるフレーズは少なくない。教師、医師、兵士、捕虜、看守、受刑囚等々・・・。兵器雑誌の表紙にアイドルのような少女が武装して笑っているとか、無線雑誌に「今月の婦警さん」という連載があったりするのも、「あの風味」を欲する読者の購買力をあてこんでいるからだろう。

そういえば、ついでに思い出して悪いが某長野県知事は数年前ラジオで堂々と、ハイソ系女性雑誌『VERY』をオカズにしていると公言していた(あっぱれ)。

こんな記号群の「その先」に投映される物語は、自分の口で語ることをはばかる男が多いからこそ、よけいに淫蕩味は濃くなる。
野暮な説明は無用だろう。
ETVの囲碁番組に心ときめく視聴者あり、「おかあさんといっしょ」のお兄さんにぢゅん・・・となっているママあり、メディアの裏面は百鬼夜行なのだ(笑)。


学用品〜

at 2003 04/03 21:45 編集

毎年のように、今年こそ語学講座を聴き続けるぞ!と決意する季節。その結末は、多くの御同輩と同じで惰けないばかり(トホホ・・・)。イタリア語講座でジローさんが山口もえを弄ぶのは楽しく見ていたので、あの乗りを英語仏語にも導入してほしいものだ(今そのかわり日本語講座が少しおもしろくて、小林克也さんはスゴイと敬服している)

かっこよくいえば「環境整備」とばかりに、初めての電子辞書を買ってみた。すぐ地元・徒歩15分圏内の携帯電話屋さんで、ヨドバシよりさらに3割安く売ってたのだ(カカクコムにも出てたけど)。
いま使っているザウルスの内蔵辞書も、高校レべルの英文だと使えるし、手書きで漢字を引けたり、文書にコピー&ペーストできたりするので、そこそこ重宝してきた。
だから、1万なんぼ投資するからには高性能機を!と、前からセイコーと比較してターゲットを絞り込んでいたのである。

原書を読む流れを妨げないのは英英辞典、英作文を練るには類語辞典―は定説だ。僕の外国語学習はすなおなだけが取り柄で、ロングマンの英英とロジェのシソーラスを昔から愛用していたので、よく似たオクスフォードの英英とシソーラスがついたソニー製を選んだ。総花的で無個性な電子辞書が多い中、英英とシソーラスのような専門性が尖った機種は希少価値である(まともなのは全部で3機種ぐらいしかない)。

このソニーの名刺サイズ辞書にはオマケもいろいろついていて、旅行用の「第二外国語」の短いフレーズは昔のお勉強を思い出して楽しく「懐かしめる」。
奇怪なのは、「とっさのひとこと英会話」に並ぶフレーズ。

「この勾いは何だろう」
「あの音は何?」
「何をたくらんでいるの?」
「質問してもいい?」

てな文が並んでいて、テロ対策と浮気調査とナンパ対策がちゃんぽんになった感じ。

とまぁ、オマケで遊んでいる昼下がりカフェだけれど、さてこれで「読み書き能力下り坂」が少しはましになるか・・・?


きれいごと

at 2003 04/04 00:06 編集

正確さこそ報道の使命かと思いきや、実際には口当たりのいい表現で置き換えたり、自殺のように報道そのものを極端に間引きすることもある。
さっき和歌山で起きたJRの事故は歯切れの悪いニュース原稿だったなぁ。
「男性がレールと車輪の間に足をはさまれて大ケガをして、手当てを受けている」
って、あのねぇ・・・電車の車輪とレールの間に人間の足がはさまれたら、シュパッと切断ということではないのか?
なんだかこのニュースを字面とおり受け止とめると、鋼鉄以上の頑強な足が、鋼鉄のレールと何十トンもの鋼鉄の車両との間にはさまれて抜けなくなっている・・・ように聞こえるではないか。

鉄道の人身事故でよく聞く「全身を強く打って死亡」といえば、跳ね飛ばされたように聞こえるが、実際に轢死したなら、粉々にな引きちぎれて断片死体と化しているのが現実だ。
やはり自殺はむごい。むごい死に様は正確に報道した方が抑止力になりはしないか?キレイに、楽に死ねると勘違いしている自殺候補者が多いのではないか?

「きれいごとニュース原稿」で少しなごめる(笑)のが、「中年男性が女児にイタズラ」の類。いや、実際の被害者は気の毒だなんだけれど、何歳までならイタズラになり、いかに女性側から誘ってもイタズラになるのか。「18歳男子高校生が、28歳女性教諭にイタズラ」というんじゃ、大人の女性にしちゃ妙にみっともない。それでかえって淫靡さ倍増だ。
しもニュースついでに(笑)、師弟間で不適切な関係になったとか何とかで職員会議でもめている場面なんてのも、歯切れが悪いだろうなぁと想像する。
ゲージツ家クマさんなら、「棒が穴に入って動いたかどうかってことだろうよ?」とズバリ表現して、列席者をもじもじさせることだろう。
僕のオヤジ大沢啓二親分ならもっとシンプルに「要するにだ、まぐわったのか、やってねぇかだ」と一刀両断して、「やったもんは元に戻らねえやな。まー、孕んだらしっかり育てろや青年!」とわかりやすいストライク球を投げて爽快にかたづくだろうと思う。

きれいな言い換えは、問題をいたずらに複雑にする。明快に事実を述べればいいのだ。
「え?サバ子と放課後に呑みに行きましたよ〜何回も何回も居酒屋へ。でも、いわゆる接触の事実もカケラもなければ理由もなければ運命のいたずらもなければ互いにその意志もなく、ゆえに可能性は完全絶無。なんか問題ありまっか?」と明快な弁明をしようかと思っていたら、公になっても上司のだれも問題にしてくれなかった(笑)。

 


即入居可

at 2003 04/03 23:49 編集

年度が変わったのを実感したのが、身の回りの引越し。
なんと、我が家のフロアがそろって空き家になっている。現住者は僕だけ。
廊下は好き勝手に使えるぞ!・・・とまぁ、そんな開放感はどうでもいい。

しかし、お隣りの単身赴任パパは、ひどい騒音振動の発生源だったから正直ほっとする。
週末には妻子がやってきて、この子がもう、ささやかなアパートをリングだと勘違いして暴れ回る。何度、疲れて寝ている週末の朝に起こされたことか(涙)。

「ご近所さん」になるマナーを、このエリートパパは実行しなかった。入居時のあいさつがないまま。まぁ本人は毎夜遅くに寝に帰る日々だったから、カプセルホテルの気分だったのだろうけど、大人がこうだから子供のしつけは推して知るべしだな。

同情の余地がな騒音振動公害も、あっけなく消えてみると寂しい・・・というつもりはないけれど、慣れというのはおそろしいものだ。
僕が引っ越してきてから、お隣りは5年ほど空き部屋だった。唯一の騒音は、隣接する救急病院に毎夜のように入ってくる救急車。それも、だんだん目が覚めなくなったから我ながら大した適応力だ(笑)。
病院が取り壊され、すさまじい地響きを伴う巨大マンションへの建て替え工事も、2年越しでやっと終了した。
うるさいの何のとグチってはいても、
けっこう慣れてしまうものだ。

さて、新しい住人は入居するのだろうか。商売っ気のない善良すぎる大家さんだし、不動産は買い手市場だから、しばらく空いたままかもしれないが・・・。
幼な子を抱えた黒木瞳似のシングルママ!
なんて隣人が現れると、もうテポドンがかすんで見えるぐらいに大変である。
 


って、いうかぁ・・・

at 2003 04/05 23:56 編集

ラジオで、NHKらしく(笑)「日本語の乱れ」をとりあげていて、不満のお便りを紹介していた。

たとえば定番の「ら抜き」言葉。わしゃ賛成だぞ。自分では使わないが。
古文を予備校で教えていた詐欺師の僕でさえ、助詞「らる」には受身・可能・自発・尊敬と4つもの機能があること、それは現代語にもつながっていることは憶えておるぞ。
だから、混乱しやすいのだ。
ある珍しい動物を前にして、「これ、食べられますか?」とだれかに尋ねたとき、連用形「られ」は受身なのか可能なのか尊敬(笑)なのか、区別がつかん。「私が食べられるのではないか?」と動物の危険性について問うているようにも、「この動物は食用ですか」の意味にも、「あなた、お召し上がりになりますか?」という尊敬質問にも受け取ることができる。ら抜きは、限定して「可能」を表示する用法になるのだ。わかりやすくていいではないか。

注文した献立が届いて、「こちらコーヒーになります」と言うウェイトレスの言葉遣いにクレームをつけていたお便りもあった。「え!まだコーヒーになってないの?」という突っ込みはナイス。どこかで使って意地悪いオッサンになってみようか。
メニューに「あなたの奴隷」という献立があればいいなぁ。

おれ的に(てのも槍玉にあがってたな)こりゃむかつくなぁと思うのが、「て、いうかぁ」という、相手の推察をねじ曲げようとする悪あがき。表現力不足と相手への甘えが張りついたお子ちゃま返答にすぎないと思うので、大人なら多少誤解されていると感じても「はー、そういうことにしといてくり」と笑っておればよろしい。憎まれ少年だった(過去形かい!?)僕は「答えを用意しないで」と返してたものだったが。

ま、勝手に相手に自分のことを決めつけられて反論したいときは「違います」「ハズレです」といえばいいと思う。
けどなぁ・・・
「あなたの作品のコンセプトをわかりやすく紹介して下さい」
「みんなハッピーで行こうぜってことで」
「つまり、老いも若きも幅広いファン層に支持される音楽ということでしょうか」
「っていうかぁ・・・」
なんて返されたら、NHKアナウンサーは額と陰茎に青筋立てて
「ほなら第一答でそうと、バシッとわかりやすう言わんけー!」と、どおくマン的に(笑)キレたくなるだろう。

陰険な、でも誘導尋問はうまい僕なら、「っていうか」「つまり、こう?」「いや、っていうか」「なるほど、こういうこと?」というやりとりを14分ほど繰り返して、「結局、それって僕が13分前に表現したフレーズですがな」と畳み込んでやるだろう。よほどヒマなら。

しかしNHK自身、携帯からもメールをお寄せいただけます。アドレスはhttp・・・とやってるんだが、NHKリスナーは年齢層が高いとわかっておろうに。携帯でメール作成画面を出して、URLを入力させるんか?@マークのついたメールアドレスを告知しないと不親切だわなフセイン。
NHKさまの不正確なアナウンスもそもそも問題でございますな。
 


具大盛り

at 2003 04/08 17:46 編集

夜桜でも撮ろうかと三脚にデジカメをつけて(一眼レフだとカメラに三脚をつけて、という感じになる)夜間徘徊。
バルブやらスローシンクロやら、あの手この手で試し撮りしようとするが、どうもピンとこんなぁ・・・。
一眼レフだと、夜景は絞りはどれだけ、シャッタースピードいくらでストロボ同調!と大体の勘で撮れるのに、スペックの上ではよく似たデジカメでも、なんだか感覚が違う。

撮ってすぐ見られるとか、試し撮りもし放題だとか、それはそれで「便利」だろうけれど、便利さは「作業」につながる。作業したいわけでも、処理したいわけでもない。楽しみたいだけなんだがなぁ・・・。「楽しめ度」では、カメラ携帯の勝ちだな。だから売れる。
ザウルスから始めて5年ほどデジタル写真を撮ってて、技術的進歩はすごいなぁと大絶賛は惜しまないけれど、まだまだしっくりこない。
一発勝負でフィルムに焼きつける写真の方が、慣れているせいか気持ちよく撮れる。この潔さが、簡単明快だ。シャッターを押した瞬間に、フィルム写真は完成ということだから(自家DPEする趣味人は別として)。
デジカメは加工できるのが楽しみということになっとるが、面倒くさいなぁ(すでに、ものぐさモード!)。最初から「撮るだけでなく画像を手入れしてね」と甘えてこられるような感じ。
だからあの手この手のレタッチソフトが商売になるんだろうけど。

レンズと記録素子の位置関係が自由になった点で、デジカメのデザインは、もっと冒険ができると思う。
だから本当はもっと奇抜なデザインもありうるんだろうが、僕のような保守的なのがまだまだ生息しているから、今のところ昔からあるコンパクトカメラや一眼レフの形を引き継いだようなのが多い。
でも、どうせ買うなら「これはフィルムカメラには無理な芸やなぁ」とアッパレ賞をあげたくなるようなのがいい。
メガピクセルでペン型とか新聞型とか(すでに缶コーラ型のカメラというのが昔あったなぁ)、ネクタイ一体型とか人体埋め込みデジカメ手術とか。

で結局、スタパ斎藤さんが「板型」と呼んでいるやつを買って、ぼちぼち必撮法を練習している。ウェストレベルで撮れるのは楽でいい。「カメラを構えて狙ってます」という撮影姿勢に、自分で気後れしてしまうことがあるから。
先代機は女アラーキー(めラーキーかな)へ。
30fpsで撮れる動画機能を発見して、いかがわしい用途にふける日も近いだろう。目を細めて見守っておる禁断の日々(笑)である。
アラ子はいそいそと変なものを試写して、添付メールしてきよる。
「次は『具』でも撮りましょかね〜!!」
「いんや、具は後々のお楽しみっちゅうことで、まず土手から」
と、アホ丸出しの会話やな。


できちゃったら婚

at 2003 04/09 14:17 編集

兄の二度目の披露宴で、その息子、娘たち(甥っ子、姪っ子)と再会。長男が「できちゃった婚」する身重の彼女と列席していた。
なんやらもう、人事異動(笑)が多くてややこしい。

「できちゃった婚」といえば、あまり堂々と公言しにくい空気があるが、兄も甥もあんまり堂々と公言しているのを見ていると、案外「正しい結婚」という気もしてきたから、身内のリアリティというのは恐ろしいものだ(恋愛結婚して温度低下に耐えている人々も偉いと思うが)。

よくある話で、結婚して双方が望んでも子供に恵まれないカップルはお気の毒というしかない。まさか、お隣りさんと味噌を貸し借りする(古いね)ノリで「お手伝いできることがあれば・・・」なんてことできないし。
いや、そんなことができない理由は何やろか?
と、沸々と考えさせられたのが、伊田広行さんの新刊『シングル化する日本』(洋泉車新書y)。伊田さんは研究会や労組でお世話になっている「熱くておもろい兄貴」でもあり、書かれた御尽力には申し訳ないが、一気読みしてしまった。

不妊症でもなく、EDでもなく、不仲でもなく、それでも子に恵まれない夫婦はつらいだろうと思う。そんな現実のカップルに結果論は無力かもしれないが、できちゃった相手と結婚するのが確実といえば確実だ。入籍してもしなくても、共同で育児責任を果たせばいいわけで。
この場合、結婚は夫婦のためというより再生産のため、そして出生率を保つ必要のある社会のための関係というとらえ方になる。挙式したいカップル、国に承認されたいカップルは自由にやればいい(ちょうどこれを書いている今、なんやら互助会とかいう訪問セールスが来た!)。
ただ、専業主婦の納税義務を免除するのは問題で、そもそも個人間の好いた惚れたの情緒に、国が承認を与えたり登録したりする必要はない。「ほっといてくれ」という国民こそ増えていいだろうに、逆に入籍を愛情より重視したりする日本人は、つくづく民事行政に飼い馴らされとるなぁと思う。

国が奨励し、権威主義的な国民が支えてきた
発情→儀式と登録→生殖
の順序が、いろいろな不幸を生んでいるような気がする。
この順序は、歴史的には意外に新しく、作為的につくられた秩序で、戦前は「儀式と登録→発情→生殖」のレールに逆らえない人も少なくなかったのだ。
むしろ、
発情→生殖→儀式と登録(したければする)
が、「生物としての自然に人間の文化をプラスした様式」といえへんか?と僕は考えるのだが、子の養育責任を負わない男または経済力のない女という、子にとっての不幸が現実にあるから、嫡出の原理と法的義務でオスメスを拘束するという統治が便宜的に定着しているだけ。現行制度の前提にあてはまらない「子の養育責任を負う父親」と「経済力のある母親」がいれば、「儀式と登録」は必要なくなる。まぁ、今じゃ国も内縁のつれあいに扶養や介護をさせたほうが得策だと考えてか、なしくずし的に認められつつあるようだが。

発情・登録・生殖の順序を変えたところで、疾病としての不妊症が減るわけではないだろうが、EDの何割かの原因になっている変な家族圧力はかなり避けられるのではないかとも思う。
だから、「できない相手と結婚しない・結婚を続けない」と唱えると、夫と共に不妊症と闘っている妻という立場には冷たく響くかもしれないが、僕は具体的なカップルを想定しているのではなくて、「もよおさない相手と結婚し続けさせる」不幸の方が、件数としては圧倒的に多いだろうと想像している。

婚姻制度や道徳が病んでいるという可能性を考えてみてもいいだろう。
極端に邪推して「お前はフリーセックスを奨励するのか」という反論も受けそうだが、そう言いそうな中高年の年金は、出生率が回復するかどうかにかかっておるのだよ。
「できた相手と結婚する」「もよおさなくなったら別れる」が自由な社会になると、恋愛もますます自由市場になるから、あぶれる男女は確実に増えるだろう。だから、「あぶれそうな男女(笑)」も自由化に反対し道徳を支え続ける。
否応なく、もてる・あぶれるの基準は変わってくるかもしれない。あぶれないのは、「育児する男」と「働く女」になったりして…。
現に口ではそう言う男・女も多いし、表面的な男女共同参画スローガンが踊っているけれど、実際「彼女の立つ瀬がなくなる家庭的な男(=専業主婦が必要ない)」とか、「彼以上にかせぐ女(=支配できない・かわいくない)」は警戒されるだろうけど、今は過渡期かな。

兄は男手で3人の子をかかえて奮闘してきたが、数年で力尽きた・・・わけじゃなく、よろめいた(笑)のか。
継母が来て「御飯が豪華になった」と、子供たちはあけすけに喜んでいたけど。
アミューズメント、再生産、介護etcの家族の事業分野(?)が、どんどん「分社化」されて行きそうな気配を、身内から感じる。


あおかん

at 2003 04/09 22:42 編集

珈琲館で隣りの兄ちゃん方が、おもむろにオセロを始めた(笑)。
たまにこんなファンキーなあんちゃんがいても、中高年が自信を失っているデフレ日本。
ひとり元気なのが、シンタローである。
31年前に書かれたシンタロー著の『真実の性教育』が、アサ芸によると「凄い中身を発掘!」だという。
古書店で探そうとまで思わないが、国会図書館には収蔵されてるんだろうな。
なかなかけっこうなことを叫んでおられる。
中身はSEX教則本のような構成らしく、まぁ檄が並んでいる感じで、たとえばこんな調子(いちゃもんつき)。

「恥毛まで描かれた裸体画を(子供に)見せよ」→見せんでもネットで見てるって
「キスで女性が目を閉じるのは性の集中力が高いから」→単にいやがってるだけかもよ。歯を食いしばってたらどうなんや?
「野原での性交を体験せよ」→蚊が大敵

圧巻は、「息子に男の初体験のむさしさと楽しさを説け」だと。
風呂へ入るときに性器の発育を確かめ、そのあとさりげなくそれに触れながら近々やってくる精通について話し、そのときお前は一人前の男になると教えたものだ!と、いつの間にか自慢話にシフトしている。あらららら・・・・息子の気象予報士と大臣は赤面してへんか?
一般家庭でさりげなく触れたり初体験はむなしいと説いたりしてると、あぁ坊やは女性どころか、「あっち」の方へ目覚めてしまわんだろうか(笑)。

よく、若いママだと1歳か2歳の息子が包茎ですどうしましょー!!と人生相談してたりするけれど、いやはや息子というのはあっちからも、こっちからも相談の肴にされるんだな。気の毒に。
「女装をいやがる」とか「女子大生になっても女の自覚がない」とか「格闘技観戦でイっている」とか、まぁあくまでも架空の例だが「娘について相談」はそうそう見かけないのは気のせいか。


元町点描

at 2003 04/11 20:07 編集

「PSWになっていただく社会学」がスタート。
知的好奇心がビンビン伝わってきて、これはこれで楽しい。
短時間でも、体はほとんど動かさないのにぐっと疲れるのは、昼間の式典の類だ。修行が足りないか。
まぁ、儀式というもの自体、あえて気疲れさせるためのものかもしれないけど。
 
久々にサラリーマン疲れをためこんで、神戸に戻ってくる。外遊び好きなサラリーマンの清涼剤は、椎名誠のエッセイだ。文春文庫から出た『くじらの朝がえり』を買って快速に。
元町駅前のポストをテーブルにして、缶ビールで一杯やっているサラリーマン4人組がいる。なるほど、あの高さは絶妙だ。立ち呑み居酒屋気分か。
「春の夜」は、少し冷え込んでもトロンとした空気がいい。

ときどき行く松屋のなんとすぐ隣りに、定食屋がオープンしている。この通りは、50mほどの間に吉野屋、松屋、天下一品、そして新顔店(名前忘れた)が並んでいる。背中合わせのビルには、なか卯。このあたりうろついていれば、自炊は必要なさそうだ。
サバみそ煮定食を試食。御飯が小どんぶり2杯もついてくる。「せいぜい食って、大きくなれ」というイヤミか?
たいした繁華街でもない界隈に、これだけ外食屋が並べば、潰し合いにならへんか?と心配になる。コンビニやカフェと同じで。
店主は「うちが生き残る」と自信満々で出店するのかもしれないし、競争で「安くうまく」なれば、それはそれでいいけど。
でも、なんだか違和感は残る。整理できれば、また書いてみたい。


副党首はアルベルト

at 2003 04/12 00:04 編集

選挙ポスターがベタベタ街の美観を損ねている。
でも、美しいのもあった。
美女が慣れたカメラ目線で、文字はドーンと
「福祉と教育」!
写真の下には
「元スチュワーデス」
と、これだけ。実にわかりやすい。地元民なら、あぁあの候補者か・・・とわかるだろう。
余分な情報は何もない明快さ。何も公約のない低姿勢。小中学生にもわかる、「政策理念ゼロ」。
おそらく、1000万人は下らないといわれる専業主婦や家事手伝いに、「これなら私にもやれそう」「私も姑の世話とPTAやってきたから、福祉と教育なら言えるわ」と、勇気を持たせるのではないだろうか。

選挙出馬の垣根が低くなるのはいいことだ。
地方選挙なら、もっとベタなのもありでいい。
タイガース党なんてのが関西にできてもいい。どさくさにまぎれて「バース党」もできたりして、タイガース全盛期の立役者ランディ・バース党首かと思いきや、街頭演説するのは刀を持った濃い顔のヒゲおやじ・・・!
というのも、世界をあっと言わせる浪速ラビリンスという感じでいい。
大波乱になって、十代の諸君は、早く選挙に行きたくなってたまらなくなるだろう。

で、バース党がそこそこ票をとったりして得票率がドングリの背くらべになると再選挙になるから、各党はバース党と合併しようと躍起になる。
こうして、日本を支配して行けまっせフセイン、と先ほどテレパシーを送っておいた。
 


出馬に向けて(笑)

at 2003 04/14 00:54 編集

ドクター中松にも、グレート・サスケにも投票できなかったのが残念!
だが、グレート・サスケ当選おめでとう。
「真実の性教育」も自信満々の当選だろう。対抗馬の樋口恵子さんも、楽しみだったけど。

グレート・サスケは岩手県議会議員だ。
当然、活躍が期待されるのは公安委員会である。
自分でも覆面で議員活動する」と宣言しているぐらいだから(試合で議会に出勤できないときは覆面を影武者にかぶらせればいいわけだな)、覆面パトカーも大幅増員、県警の取調室にはゴング常備で気合いを見せてほしい。

地元で元スッチーの主婦は予想通り洗礼を浴びていた。まぁ、塾経営しているようだから、いい広告にはなったのではないか?
神戸には、田中ヤッシーの彼女も住んでいるそうだから、「長野県知事のペログリ彼女ですっ!」と売り込めば、ひょっとして当選していたかもしれない。
選挙公約なんて、無難なやつ(福祉充実とか)か実現不可能なやつ(イラク戦争反対とか消費税廃止とか)しかないから、結局あとは気分で左右されるのではないかね。
有権者はバカではない・・・とはいえ、勇気もないご時世だからなぁ。


6時間!

at 2003 04/17 00:57 編集

毎年、勤務パターンがころころ変わるので飽きないというか、めまぐるしい。
今年は木曜日に1週間のピーク?が来てしまった。
週1回だけ、朝の通勤ラッシュに乗るのは久しぶりだ。あの乗車位置で、いつものOL様と感動の再会ができるか?(あちらはうっとうしがるだけだろうけど)。
朝イチで出勤すると、職場に「9時から9時まで」拘束されるのだが、悲劇的なのは、途中6時間も空き時間がある!
さて、どうしようか・・・と途方に暮れてしまう。

何年か前には、4時間ほど空いてしまった時間に、駅のカプセルホテルの時間貸し(デイユースってやつね)を利用してみたことがある。で、1000円払って、結局お隣のカプセルのおっちゃんのイビキを聞いて終わりだった(笑)。
いっそ家に帰って大阪と神戸を2往復しようか・・・でも2度目の出勤がいやになりそうだから、どこかで時間をつぶすか。

前の勤務先で、京都で2〜3時間空いてしまったときは、五条から四条を大迂回コースで歩いて清水、岡崎あたりを散歩したりしたものだった。老いぼれの今はそんな元気もないが、やろうと思えば無理ではないかな。新大阪から京都まで足を伸ばすのも、なんだかなぁ・・・。

1.けっきょく大阪でウロウロして終わり
2.公園のベンチで寝る
3.強引に一旦神戸に帰宅して再出撃
4.京都か奈良の古都散歩
5.ウェストンで彼女と昼下がりの逢瀬を楽しむ(笑)

さて、どれになるだろうか?
番号はオッズです。賭けに当たった方には豪華景品を進呈しましょう(結果2を当てた人にはダンボール2枚、4になれば鹿せんべい4枚、5を当てた人には毛布5枚を進呈!笑)。


行ってみてよし、食べてよし(?)

at 2003 04/19 07:41 編集

親友が、痔だと思って気にしなかったのが実は癌で、手術の甲斐なく亡くなってしまった悲しい現実が脳裏によぎる・・・これはなんだ!・・・
と悲観的になりつつ、保険証やら、入院給付金が出る保険証書やら印鑑(なんのためじゃ?)など身支度整えて、我が家の散らかり具合をしみじみ見渡して「あぁ、うっとうしい遺品やな」と感慨にふけって、病院へ。何かとお世話になっている「在日同胞のための」病院で、ここは待ち時間というのを経験したことがない(といっても3回しか通院したことがないけど)。

あっけなく、薬を塗って5分で終わった。

そういえば、病院というところへ行くのも5年ぶりだった。
病院が嫌いで、「行けば病人にされるにちがいない」「感染するかもしれん」「朱に交われば赤くなる」と迷信に凝り固まって加持祈祷にすがろうとしている(笑)前近代的な僕だが、意外にも「安心をもらいに行くところ」だった。
あぁよかった。
やはり名医の目利きは安心度抜群だ。
行ってみるもんですなぁ・・・
 


シーナ

at 2003 04/20 03:42 編集

イーストンではない。
サラリーマンのスタミナドリンク作家にしてアウトドアの達人が、自分のことを「シーナ」なんて書くから、なんだか本家?のシーナ・イーストンより有名になっているではないか。

という、その彼のエッセイ文庫本が、読みかけなのに行方不明。ロジカルに考えれば考えるほど、電車内に落としてきたとしか結論づけられない。
最後に読んでいた記憶が、退勤後の快速電車の中。よほど疲れていたのか、酒は一滴も入ってないのに降りる駅を寝過ごして、垂水で目が覚めてしまった。こんなことは初めてだ。
あわてて(まぁ、あわてなくても明石まで行ってタコヤキ食って帰ってもよかったのだが)バタバタと脱いだ上着やかばんをわしづかみにして降りた後、シーナ文庫の消息が途絶えたわけだ。

これほどの大損害(笑)を生んだ、あの初体験の寝過ごし大疲労は、いったい何だったのか〜?
肝転移・・・
いやな妄想が走る。
シーナさん、罪つくりやねぇ。
(彼のせいじゃないって?)
 


次は300点

at 2003 04/20 22:20 編集

雨で花見が中止になって、なんでいきなりボーリングなんですかー!!とブーイング混じりながら7人で2ゲーム。
最年長者がダントツの最高得点で、「おぬし、元プロね?」とにらんだ。
ストライクも1発入れたが溝掃除も散々して程よく疲れた。「3時はお茶時間でしょー!!」とまたまたブーイングながら飲みにくり出して、美酒美食を楽しんだ。

んー、こういう日曜日も健康的でいい。
足腰を痛めた仲間がいれば恨まれるかもしれんが、ついでに、超ヘビー級の残雪を滑り納めしますか連休に・・・と、またまた恨まれそうな提案だけしてお開きにしてきた。
やるからには、やらねば(笑)。


許してチョンまげ

at 2003 04/22 23:26 編集

ってケンシローが口走ったわけじゃないだろうが、懐かしいギャグがスポーツ紙の見出しに踊っている。
ラジオでは中村鋭一さんが「人はいいヤツなんですが・・・」と弁護しつつも、やはり「やめるべし」ムード一色だ。
出直してみたらどうかに?と思うが、かつてカブール大でレスリングを講義したそうだから、アフガニスタンで1年ほど働いていただいても見直す(いや、僕は投票しないが)。
この際、鈴木宗男らと本気でハマコー率いる大日本悪党党を結成すれば、それはそれでそこそこ議席をとるかもしれない。

近ごろ日本の政界にいないのが筋金入りの悪役や道化師だ。
きれいごとが裏目に出る政治屋は多いから、かえって悪役がいいことをすれば、「腹黒い白手袋」より評価されたりするかもしれない。
ま、窃盗の前科者をまとめて雇用して最強の警備会社をつくろうと目論む僕のちょっとした脱線だが、案外「いける」かもしれないぞホンマ。

サバ子と話していると、病んだワーカーが福祉業界を病ませ、そんな業界に入る新人ワーカーがまた病んで・・・という悪循環が匂ってくる。サバ子が匂うのではなく、そうした業界の臭気の中では、サバ子からトロトロしたたるフェロモン(笑)が場違いにみえるのだろう。
異端を受け入れる懐の深さは、福祉業界や、ひいてはこの国に、昔からなかったのだろうか。
これから先ないのだろうか。

ここで二句。

豊かさは 金じゃないよと いう金持ち

「オレ異端」 それでも年金 かけてます
 


初すいか

at 2003 04/25 00:14 編集

6時間もヒマになれば、もう喫茶店に沈殿して時間つぶしをする根気もなくて、まっしぐらに神戸に帰るようになった。寝込んでしまわないように気をつけて(笑)。
それにしても、再出勤するときはつらいが、気分の切り替えにはなっているようで、全身虚脱状態にはならない。

スーパーで西瓜を買って帰る。
初ものだ。
あぁ、初夏の陽気でんなぁ・・・
カリウムを補うぞ!


レミングの連休

at 2003 04/25 19:57 編集

なぜか雨の日は、約1km南の神戸港の汽笛がよく聞こえる。
カーペンターズに「雨の日と月曜日は」という曲があったけれど、「雨の日と連休前」はどう反応していいか悩ましい。
ま、今年も予定はないから、「待ちに待ったゴールデン!」という実感がさっぱりない。いつの間にか連休になり、バタバタと掃除や洗濯をしているうちに連休が終わり、あぁぁぁぁぁ・・・・・・と夏休みまで連休なしの蒸し暑い勤労生活になる。
というのが例年のパターンだ。
もっとも、今年は毎週3連休だから飛び石連休はありがたみがない。
月給定額のサラリーマンや、余暇消費のおこぼれにあずかれる業者には、ハッピーマンデー政策はありがたいだろうけど。

あと「家族で行楽」するにも連休は必要かもしれなくて、黄金連休と年末年始は年間2大決戦かもしれない。家族サービスが試される、おとっつぁんの試験期間になってたりする。お気の毒に(笑)。
・・・と、憶測しかしようがないのは扶養家族がないせいかもしれなくて、そればかりか家族4人で暮らしていたときも、黄金連休をワクワクして待ったとか、そろって遠出したといった思い出がさっぱりない。うんと幼いころは、泊まりがけドライブによく行ってたらしいが、弟の面影がさっぱり兄・osawasenseの記憶にないのは、なんでだろう?なんでだろう?

連休連休!日本脱出!安近短!とニュースが踊っているのは、かなり最近の現象ではないかと思う。
いつの間に、国内旅行が高くて敬遠される国、毎年脱出したくてたまらなくなる国、それでも戻ってきてため息をつく国(笑)になってもたんやろ。
なるほど国内旅館は高い。僕も旅館の類には泊まらない(一人旅は歓迎されないし)。でも、宿にしてみれば、客は6月とか11月に泊まりに来てくれんではないか。かきいれどきにドヒャーッと高値をつけないと経営できない事情もわからんでもない。
「梅雨どきも情緒があっていい」とか「木枯らしの野山は渋くていい」てな発想をする行楽客が増えればいいのに。

なんで皆、群れたがるのか。
なんで皆、並びたがるのか。
日本語では「列に並ぶ」という言い方になるが、英語では「列を作る」という表現になる。
「列に並ぶ」だと、列は絶対の、自明の秩序というニュアンスになって、乱すやつ=反社会的とみなされる。「列を作る」のは主体がはっきりしているから、列を作るのが誤りかもしれないし、列は別に「所与の秩序」ではないぞと考える余地が存在する。
何百万人が脱出したくなる日本は、「考える余地」が与えられていない社会。というより、考える余地を勝ち取ろうとしない日本人が脱出をくりかえす。それが「考えない余暇」だ。

横並びしたがる人民が多いのは、横並びさせて一網打尽に金を搾り取る闇の力がどこかに働いているせいではないか?
と、いつもの妄想癖が出る。社会保障って制度も、そうでないと困るからなぁ。
考えてみたら、年金は損だし、今の年金受給者もどこか変だし、わたし払うのやめました」というイチ抜けた組は、加速度的に増えるだろう。
考えて節約するか、考えずに搾り取られるか・・・。


ホンマかいな

at 2003 04/26 23:51 編集

電車に飛び込み自殺未遂して、なんで「腕の骨折」ですむのかね?
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030426ic21.htm

「切断!」「粉砕!」・・・と、グロテスクなものはグロテスクなものとして正直に報道しないと、自殺抑止効果はないぞ商業新聞よ!
と、電車ニュースに敏感に反応してしまうのは鉄道マニアゆえか?
いや、きょう乗ってきた近鉄が、準急でやったらに時間がかかる一方、特急だとほぼ倍額になる運賃にもちと腹が立ったせいか。
平和な連休にせねば・・・(笑)。


どっちもどっち制服プレイ?

at 2003 04/27 01:15 編集

痴漢センセイ御用!
なんて珍しくもなくなった今日このごろ。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/flash/23.html

お間抜けなのは、オヤジ教諭が触った相手が、よりによって婦警さん!
とまぁ笑えるニュースなんだけれど、ちょっと引っかかったのが「満員状態の車内で、ドア近くに立っていた巡査長を五分間にわたって触り続けた疑い」という経緯だ。

もちろん犯罪は犯罪だからイケナイとは思うが、なんで5分間も?と素朴に疑問。
せめて、最初のワンタッチで「本官を触るとコワイよ」と警告しなかったのだろう。
泳がせて様子を見て、犯罪構成を現認してから有無をいわせず逮捕!
というのが警察の作戦だったのかもしれないが。

「まぁ、そういう取り締まり方針で行くのでローバー巡査長君、しっかりやってくれ」
と職務命令を受けて、「つらいけどがんばります」と宣言しつつも、実際に痴漢が網にかかってみると、「気持ちよくてアラいつの間にか5分」て事情・・・ではないだろうなまさか。
この婦警さん、同様の悦楽・・・いや被害というか手柄というか、初めてではないそうな。
会ってみたいぞ。
いろんな憶測をかきたててくれる「5分の謎」であった(笑)。
 


老化で立っとれ

at 2003 04/29 16:49 編集

ふだん毎週が3連休なので、黄金連休は切れ切れでメリットないなぁ・・・と思いつつ、あらためて職場のスケジュールを確認したら、いま5連休中だった(笑)。なんじゃいな〜。

そもそも、連休の始まりがずれこんでいて、頭の2日間は学会観戦で中尾ミエ県に通っていた(あ、もしかして近鉄特急というのは初めて乗ったのではないだろうか?と鉄道マニアチェック)。
推薦状などいらないオープンな学会だから、集まる顔ぶれは(あくまでも僕の一方的な印象として)玉石混交だ。
会場質問を受けつけると、延々と演説を展開する人、ねちこい糾弾を始めるおじさん、「私劇場」の幕が開いたとばかりにモノローグを始める常連さん、マイクをにぎったまま考え込んで、順番待ちしている他の発言者が目に入らない人など、難儀な人々が目白押し。「私が注目される場」に飢えている様子と、集まっている仲間の話はほとんど聞いていない(笑)のが、共通する特徴だ。

おっしゃることは1つ1つとりあげるとごもっともなんだけれど、それをうまく配置したり組織化したりできなければ、結局「貴重な御意見」はその場で消費されて終わりだろうなぁと惜しまれた。もったいない話だ。不謹慎なたとえかもしれんが、射精を受精にしないと、結局オナニーで終わるんだがなぁ。

ふと、ドラッカーに入れ込んでいるわりに、「ナレッジ・マネージメント」の発想がない滑稽な経営者が思い浮かぶ。
「経営資源は、ワシとワシの取り巻きの頭の中にある」「従業員にそれをわからせるのが経営管理」と信じきっている。経営とは、経営者の哲学(とやら)の射精なのだ。この類は、演説が大好きである。一方通行の。
現場第一線にこそ、本に書いてない知識の原石が埋もれているのに。
こうして、労使は溝で隔てられる。

「過去の達人」が、組織の高い地位につくのは、長生きのご褒美としてはあってもいいが、現場を離れて「指図専業」になるとまずい。「今も達人」というところを見せてなんぼ、である。
ああしろこうしろという前に、じーさんアンタがやって見せろと言いたくなる。できなくなれば去れ。
25年ぶりに再会した中学時代の同級生は―教育出版社をやめて研究所を経営しているが―「つまるところ、問題は先生たちが年とりすぎとる点に行きつく」と批判する。抜いた刀で、「ジジババ教諭は年金くれてやるから引退しろ」とも気勢をあげていた。
まぁだれでも加齢はするもので、先生業は毎年、相手との年齢差が開いて行くのが普通だから、年をとらないのも難しいけど。

「ワシも昔は苦労したのだ」と、
「お前もやがてわかる」
と言うようになったら、老化の始まりかな?
これ実は定番の「その場を逃れたいだけの煙幕」で、かつ自分が思考停止しているのに相手の未熟に問題をすりかえている詭弁なのだが、高齢化率20%になろうとしているこの国に、ヘドロのようにたまっているような気がする。
ジジババは、どこへ行こうとしているのだろう(ケアつきマンションってか?)。
若モンをどこへ行かせようとしているのだろう(ヒモつきで自由ってか?)。
サンドイッチ世代代表(笑)としては、うまいこと「イチ抜けた」したいのだが・・・。


みどりの日

at 2003 04/29 23:47 編集

梅ドリンクがスーパーで安売りされているので試飲がてら買ってきた。
おととし、伊藤園から「超清涼!梅」という缶ジュースが出ていて大好物だったのに消えてしまい、去年はやはり伊藤園から「しそ快適」というペットボトルが出てこれまたひいきにしていたのに姿を見かけなくなった。
梅とかシソの類が大好物な僕は、もしかすると「遺伝子がおばーちゃん」なのかもしれない(笑)。タモリが懐かしいテレビ番組で永六輔さんのことを「男のオバサン」と笑っていたのを思い出した。

で、梅ドリンク(伊藤園製ではない)だが、きゅーっと飲み応えさわやかだ。口の中がキュッときしむほどだから、何か洗浄効果もあるのかもしれない。

MBSラジオ「ごめんやす馬場章夫です」で、みどりの日にちなんで植木の話をしていた。
盆栽やガーデニングにはあまり興味はないけれど、「樹木」は好きだ。
生まれ育った家には毎年出荷するほど柿が実る大木が2本あったし、火事で更地になってしまった親の家には屋久杉が立っていた。
いま小人閑居して不善をなしているわが第3サティアンのそばには、楡(プラタナス)の並木が見事だ。
こんな木々は、四季によって姿を劇的に変えて見せてくれる。

今は庭さえない暮らしで、コンクリートの密室もこれはこれで好きだが、並木道のあるマイホームというのもいい。無理だろうけど。
とはいえ、柿とか梅、梨など実が繁る木がいいなぁ・・・と食い気が出てくるのは、われながらさもしい趣味だな(笑)。
 


白塗り

at 2003 04/30 01:58 編集

なんだか楽しいなぁ、パナウェーブ。
最初、松下電器が製造する流し台かと思った(笑)。
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-030429-0024.html

「人騒がせ」で報道されれば、無料の宣伝になる。うまいこと考えたものだ。もしかして白虎隊ふうの劇団のパフォーマンスか?はたまた、ホワイティ梅田の宣伝か?鈴木その子の会社の関係者か?
白装束だけでなくガードレールまで白に塗るというから本格派だ。この勢いで、目玉もウンコも白くしてみたら尊敬する。

そのうち、全身ゴールド族とか、七色団体(昔ゴレンジャーというのがいたな)なんてバリエーションも出てきそうな気がする。

JRで通勤する鉄道ファンの僕としては、アーバンライナーより112系が好きなので、グリーン+橙色のツートンカラー(柿カラーね)を装束にしたマニアグループを結成して、JR車両を塗ってみようか・・・いや冗談だが。
 



霊媒師?

at 2003 04/30 14:26 編集

8連休の中に、1.5時間だけ仕事があるというのも、「バカ混みリゾート地に行かないよなお前は」という天の声あるいは天からのクサビという感じ。

この天の声は、最近たてつづけに出たシーナさんの文庫本に影響された幻聴(笑)かもしれない。
どんより雨上がりした午後に、『くじらの朝がえり』(文春文庫)を読み終えたところに出た角川文庫の『ばかおとっつぁんにはなりたくない』を読み進める。原作はそれぞれ90年代と80年代に出ていて、この間のシーナさんパワーの移り変わりはしみじみと「年季」を感じさせてくれる。パワフルなのはやはり80年代、シーナさん四十代のころだ。
角川文庫の『ばかおとっつぁん』の方は、表紙写真が絶妙だ。ニュース23の某キャスター氏のはちまき姿もいいし、ドラム缶風呂もいい。

シーナ本はもちろん文字なんだけれど、大自然とむさくるしいわが書斎(といえるのか?)をつないでくれる触媒のような本だ。
触媒と並行して、学会で買ってきた『臨床心理の問題群』やら、自転車関係のムックやら山のガイド本など乱読していると、右脳と左脳が統合失調症状態になってしまう。それが快楽なんだけど。

本もいいが、雨があがったばかりの「したたる緑」もいい。裏山が呼んでいる。外へ誘い出してくれる触媒が、廊下にきらきら輝いてたたずんでいる。
さて、こぎに出るか。


家族も頭脳もワープ

at 2003 04/30 23:38 編集

学生の引越しはともかく、家族ぐるみの引越しは、連休の前半に引っ越して、後半に片付けたり友人を新居へ招待お披露目ランランラン!(笑)
・・・と、勝手に「世俗の流れ」を予想していた。
隣りにできた巨大マンションを横目に通るたびに。
まぁ、僕の見込みが見当はずれなんだろうけど、それにしてもいっこうに入居が増えてない。売約がどうなっているのかわからんので、入居状況だけ見ると2割から3割というところか。
値下げするとすでに買った人から差額返金訴訟を起こされるし、賃貸に出すにも15万は下らないだろうから借り手がつくかどうか・・・。
震災の後ニョキニョキ建った近所の少し小さめの分譲マンションは、軒並み「分譲貸し」の看板が並ぶようになったから、このご時世に強気の大規模開発をやれば、予想された売れ行きではないかね?

いや、なにもデベロッパーの阪急不動産と三菱不動産になりかわって心配してもしかたないし、その気もない。無謀な開発をした間抜けというだけだ。
コストパフォーマンスはかなり良好な物件だと思うが、「お買い得価格」でも売れないのは、ローン計画に不安がぬぐえないせいではないか?と思う。
安心して30年ローンなど組めるのは公務員ぐらいしかいない。いま無理してローンが組めても、史上最低金利ということは将来必ず金利が上がりそうな気配も匂ってきて、それも不安の1つだろう。

先の見えないデフレは政府が悪い!とぼやくのは簡単だ。
たしかに持ち家政策というマインドコントロールはある(現在継続中)。
でもなぁ・・・年収の10倍もの不動産を買ってた庶民もアホでした。と、だれか言わんのか?
仕事で使うわけでもないクルマに、これまた60ヶ月ローンなど払ってたいじましいサンデードライバーも、ええかげん目はさめたんやろか。

「子供を大学まで行かせて教育費4000万円」てな経済記事に脅かされて、我が子にため息をつく親もつらいだろうけど、そんな親を見る子はもっと気の毒だ。
ビンボー家庭なら、我が子は北京大学かチュラロンコン大学か梨花女子大か、そのあたりにケツたたいて行かせれば、東大生より優秀になって学費は東大の半額以下ですむのではないか?

と、ハッパかけるのは簡単だが、おまえ実践するの?と聞かれたら・・・
もちろん、やりまっせ(笑)。
gaiax日記アーカイブ2003年 | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0)
2003年3月の日記

クリントン先生

at 2003 03/01 03:18 編集

NOVAの外国人講師が、仕事以外での生徒との接触を理由に不当な扱いを受けたのは人権侵害だとアピールしている。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030301k0000m040144000c.html

こんなことに神経を尖らせている学校管理者は多いが、それなら僕はどうなるのじゃ?のう、サバ子。「スペシャルソシオロジー」の授業は居酒屋で一対一だったから、「いけませんっ!こんなカンケイ・・・」と彼女はもじもじしていたものよ(笑)。
次は東大進学エクストラレッスンか?

それはともかく。
NOVAの顧客といえば、おそらく成人だろう。それと、学位や単位を認めるという公権力を行使できる学校ではない。
つまり、自己決定・自己責任に基づくサービス契約(法的には特定役務契約という)であるということだ。それを前提に、何がイカンか整理してみる。

仕事以外でねんごろ(あぁ、ええ言葉じゃ)になって何がまずいかといえば、
1.平等性の問題
2.教育効果の問題
3.倫理的問題
に集約されると思う。
まず1は、誘われなかった顧客、誘ってふられた顧客からクレームが出る(こんな子は小中学校にはウジャウジャいそうだ)。学校外でねんごろになった顧客が、そうならなかった顧客と、本来の授業サービスに格差が出ていると感じれば―いわゆる「えこひいき」―、これは問題になるかもしれない。
それが2を損なうこともある。英会話であれ着付け教室であれ教育という枠組みでの集団サービスは、クラスの空気がまずくなれば、質が低下する。
そういう論理で戒めるなら、筋が通っていると思うが、NOVAは「顧客と講師をトラブルから守るために処分した」と説明しているそうな。顧客は子供か?
3は難しい問題だと思うが、僕は、「聖職」というとらえ方が一方では「卑しい職業」を想定した差別思想だと思うので、本来の仕事の成果で職業人は評価されればそれでいいのではないだろうか。

その意味で、政治家が愛人を囲っても、坊主が色欲を持っていても、僕はかまわんと思う。問題にする方が幼稚だ。
最近は、大学で女子学生が研究室に来ている間はドアを開けておかねばならないとか、いろいろな服務規定があるらしい。
僕が個人的に知り合いの阪神間の某私大の女性教授は、「あたしが研究室で男子学生と二人っきりでおっても、だれも問題にしてくれん」と笑っておられたけど。
なら、男性教師と男子学生ならお咎めなしなのか?といえば、これも御存命の某氏をあげると差し障りがあるので、たとえば故ヨドチョーさんのような教授とハリーポッターの子役(名前しらん)のような関係だと、何が起こるか火を見るより明らかではないか(こんな想定が、サバ子は好きだなぁ)。

現実には、僕の職場との契約にも「クリントン規定(笑)」みたいな契約文言があって、アバウトに運用されているような感じか。解雇したい従業員には、何かの拍子にそれを持ち出して事務的にバッサリ処理する宝刀というわけだ。アバウトな規定は、恣意的に使われるための奥の手なのである。

しかし、もう少しIQの高い学校管理者なら、ポジティブな倫理規定を考えた方が、「ぬぬぬ・・・おぬし、やるな」と一目おかれるだろう。
たとえば。
第一条「顧客とねんごろになるなら、すべての顧客と平等に。一人におごれば全員から同等のサービスを請求されても文句垂れるな」
というのも、効果がありそうだ。
また、こんなのもいかがなものか。
第二条「おごるな、たかれ!顧客全員」
おごるのではない。「たかる」のである、僕だと四十男が少年少女に(笑)。
これも平等である。もちろん、「おごってくれてありがとうね〜はい100点」ということは厳禁だ。
もともと、僕はたかりそうな顔をして歩いているから、「不適切な関係」の予感も気配も完璧に無縁だが。

教育関係者より顧客さま方の方がうんと進んでいて、たとえば仮に(あくまでも仮定)僕が昼休みに「メシいこかー」と声をかけると、「おごってくれるんすか?」と確認しよる。すでに、取り引きモードなのである。
僕とて、鯖定食で小娘の歓心を買って(これでよろめく女子学生というのがいたらすごい)ねんごろになろうとは思わないから、目には目である。「おごるで〜芸すればギャラ」と返せば、それで終わり。

しかし。
終わらなかったのは、サバ子だけじゃったなぁ・・・(笑)。芸といえば、B地区に風車つけて回す・・・のは、先の話か。


カフェでうっとり

at 2003 03/02 23:15 編集

珈琲館の「隣席」は、物書きお姉様だった。
一心不乱にノートに何か手書きしている。美しい姿だ。
合い間に雑誌をパラパラ繰ったり、背伸びしたり、音楽を聴いたり・・・。この緩・急のリズムが、彼女の知的生産の技術なのだろう。
がんばれOLがんばれフセイン!と、悦楽のあまりまた興奮してしまった。


そんな、御無体な・・・

at 2003 03/03 04:25 編集

下世話なニュース調理人osawasenseの反応をうかがいながらスポーツ紙を読んだ方(いないか?)、正解です!

別れた女性(22歳)に「セーラー服を着て、駅に来い」と要求した男(24歳)が、強要罪でつかまったそうな。
http://www.nikkansports.com/news/society/p-so-tp0-030302-02.html

男は、セーラー服(夏服)を来て来いと強要したそうだが、その前に家に放火するぞと脅していたそうだから、本来なら脅迫罪が妥当じゃなかったかと素人の僕は思ってしまう。
怖くなった女性は、水野容疑者の要求通りセーラー服姿でしぶしぶ・・・か、もじもじしながら・・・よいうか出向いて行って、連れ回されたと報じられている。

警察は「嫌がる女性にセーラー服を着させ、駅に呼びつけたという事実が『強要』にあたる。女性はかなりおびえており、一刻も早く容疑者を確保する必要があった」というが、実はそうなっているであろう姿を想像して少しは楽しんでいた刑事もいたのではないか?

カツ丼でも食わせながら、「え!?水野(被疑者の名前)!その後、あんなことや、こんなこともさせるつもりだったんだろう!!」と、あれやこれやを聞き出そうとしている様子が目に浮かぶ。いや、あんなことやこんなことが起こってから逮捕して、聞き出したくてたまらんかったとか。しぶしぶ逮捕を急いだ気配が、記事から漂ってくる。

「被害者の裏づけ証言をとります」と担当したサバ子刑事などは、「あぁんたも、楽しんでなかったんかぁ?」と迫っていそうだ(笑)。いや、傷心の被疑者には失礼な話で申し訳ないが。
「セーラー服着用」が、「ルーズソックス着用」なら強要罪になったのだろうか。片方1本だけだとどうだろうか。
「僕を踏んでぇぇぇぇっ!」と強要しても、罪になるのか?

被疑者も、なぜ逮捕されるのか、ポカンとしているかもしれない。お間抜けだが。
なんだか、いろいろ裏がありそうな事件だ。
ときどき僕は某後輩女子大生に「女装してきてくれ」と強要するが(だれのことだか一発でわかりそうだ)、これはいつ告訴されるかもしれないな。

以前、どこかの職場で元金融マンの学生(年上)と雑談していて、いつものように下世話な脱線になったことを思い出す。「社長すてきっ」というおべんちゃらバーの裏返しで、「罵倒バー」でもやれば、受けるかもしれないねと話して、いちおう彼には受けてしまった。言葉のSMサロンというわけである。
「えぇっ専務よぅ!おまえいつも私らOLをねっとり横目でみて、あんなことや、こんなこと考えてたんだろうが。言ってみな!ペシッ!」と加虐して「すすすすすみません、あんなことや、こんなことを妄想してましたっ」と吐かせて罵倒し尽くす商売というのは、どうですかサバ子くん。
事件とは関係なさそうな気もするが。


お久しぶりカリスマ鍼灸師さん

at 2003 03/04 22:48 編集

研究者の評価で、その論文が引用される数というものさしがある。本の売り上げで評価される作家と違って、売れなくても「引用される―つまり影響を与える―度合い」が、表現者としての価値を測るものさしになる。

最近「うまいこと書きよるなぁ!」と思ったネーミングが、たしか「ウェルチにNoを突きつけた現場主義の経営論」だったか、そんなタイトルの新書だった。

・有名人の名前を冠する
・大胆な行動
・結果は書かない

という大風呂敷3大原則をみごとに実現した快著だ(ろう・・・手にもとってないけど)。

この手で行くと、あんなことや、こんなことも言えるぞ。
「小泉総理に退陣を求めたosawasense」とか(勝手に求めろって?)。
「ヨハネ・パウロ2世に宣戦布告したヤマブシズム教祖」とか。

この手口は、拳を振り上げるのは勇ましいが、納めどころの美学が難しい。
鈴木宗夫に「あなたはね、疑惑の総合商社ですよ!」と言い放った某女性代議士は、喝采を浴びて間もなく泣きべそをかいて国会を去って行ったっけ。
冒頭の経営本だと、「結局あなたはウェルチになれたのか?」という疑問で風呂敷はたたまれてしまう。「やはりウェルチは偉大」と印象づけられてオチになる。

僕はウェルチの業績そのものは直接知らない。
もしかすると、何もしていないのかもしれない。
それでも、ウェルチ社長に惚れぬいて働き、会社の業績につながるという社員が多ければ多いほど、影響を与えた経営者は神格化される。カリスマ誕生である。
経営は支配や管理という面だけではとらえきれない。自発的に、命を投げ出して私淑するフォロワーがいないと成り立たない。だから、経営は宗教現象でもある。フーコーのいうパノプティコンを、看守ではなく囚人みずからが創りあげれば、それこそ見事な経営なのだと思う。
野球でいえばミスタージャイアンツ長嶋監督(を創りあげたナベツネ帝国)、芸能界だと石原裕次郎(につづく石原軍団)。産業界だとやはり松下幸之助か。こうした小さな帝国では、門下生が、拡大再生産式に御本尊のカリスマ性を高めてくれる。

カリスマ的な魅力づくりに励まず、管理ばかりする低能経営技術者は多い。
さっぱり支配欲のない教祖も、ここにいる(笑)。教祖としては低能そのものだ。
教祖が技術を持つ日は、いつか来るのだろうか。
・・・と、風を待っているようでは、ありえんなぁ。

宮脇俊三さんのご冥福を祈りつつ・・・


年166万6666円彼女

at 2003 03/06 00:58 編集

永遠のウィークエンダーosawasenseは、読売新聞に目がクギづけになった。
「別れの代償1000万円」という特大の見出しで、「18歳年下男性に」と小見出しがある。
WEB版にまだ載っていないので、紙面から要約すると・・・。

19歳の男性が患者として入院した病院で看護婦をしていた当時37歳の看護婦が、この男の子とねんごろになった、と。
同棲しながら男性を医学部に進学するよう「激励」し、晴れて進学できた―と、ここまではよろしい(えらそうに)。
ありそうな話だが、ありゃりゃ?と思ったのは、男性が580万円のスポーツカーを買うにも「大部分を援助」したり、事故ったとき修理代金を払ってあげたりしながら、結局6年ほどで別れることになる。医学生としては、「取れるものは取れた」という目論見だったのかもしれない。
腹の虫が収まらないのはお姉さまの方で、「いやがらせしてやる」と責め、支払った金の返金を迫る。わかった1000万円返すよ、という約束が履行されないので、裁判沙汰になり、このたび大阪地裁は1000万円の支払い約束は和解契約であると認定して、男性に支払いを命じたということなのだ。

この男性―いま医者をしているのかどうかは不明―は、恐怖を覚えるほど迫られたので借用書を書いたと抗弁したらしいが、まず、女性の要求が脅迫行為にならなかったのか、微妙に不思議。
いま50代の看護婦からすると、青春(?)を返せという怨念もこもっていたのかもしれないが、鮮やかに別れる大人の美学を見せてほしかった。いや、世間に見せつける必要はないんだが。

つまるところ、6年間総額1000万円の援助交際が終わったということだから、映画を見てつまらなかったから代金返せというレベルの問題にたとえると、当事者の逆鱗にふれるかもしれないが、それ以上のものだろうか。
ふと思い出したのは、十数歳年下の彼氏をポイと捨てて、ストーキングされてます助けて!と訴えて元彼を逮捕に追いやった某女性タレント(女優?司会者?)。

同性の肩を持つわけではないが、加害者(この裁判では債務者)は、本当に真っ黒な悪人なのだろうか。
大人気ないオバサン・・・と言い放ってしまうと失礼かもしれないが、楽しむことは楽しんだのではないですかい?姉御。
男・女を入れ替えて考えてみて、おじさんが三十路の元彼女に「俺のおごりを返金しろ」と訴えると、笑い飛ばされてしまうのがオチだろう。

援助交際にしろ純愛にしろ、いつかは終わるものだと了解して、金銭収支でゴタゴタもめないのが男と女の仁義というもんではないかね。もちろん、収支トントンという交際と別れは、あまりないのが現実かもしれないが。でも、そんなもんだろう。
記事ではわからないのが、1000万円のおごった先に、何を見返りに求めていたのか?という心境。
「投資だ」ということなら、回収しようとするのはわかるし、婚約をして履行していないという民事紛争であれば、金で形式的に解決するのが相場だと思うが。

もし、「交際当時は純愛関係だった」ということなら、回収できるもんかなぁ・・・?と僕は思う。その場その場で、おごる喜びと快楽が体験できれば、水に流して「高い授業料だったわねぇ」と納得するしかないのではないか?
1000万円の支払い命令で、どんな満足が得られるのか・・・お姉様心理は謎である。
ま、医者をしてるなら、お姉様を魅了してむさぼった不労所得ぐらい、返すのは簡単だろう。今はお互い大人なんだから、札束どーんと積んで、きれいさっぱり絶縁するこっちゃね。
それとも、「あなたに1000万円分スペシャル介護をして返すから」と斬り返したりすると、火に油を注いだような修羅場になるのかな?



明日は朝イチ出勤

at 2003 03/08 02:53 編集

目が覚めて、まだ夜が明けてないなーと思ったら日が暮れたところだった。
テレホーダイで一日が始まった。
ふ〜っ、Windowsの修正ファイルをダウンロードしたら1時間近くかかってしまった。
「はよADSLにしなさいっちゅうのに」と、魔のデジタルボイスが雪国から聞こえてくる(笑)。


行かな碁

at 2003 03/09 00:39 編集

僕にとっては今年の初もの―「イカナゴのくぎ煮」で幸福な晩餐をすごした。
つくづく、明石海峡近くで生まれ育ってよかったなぁ!なぁフセイン!と思える極上のおかずだ。

果たして、イカナゴのくぎ煮はおかずといえるのか?
個人的には、「これだけあれば、おかずいらず」と思える食品がいくつかあって、イカナゴのくぎ煮または納豆(これ定番)またはキンピラゴボウまたは塩辛またはイクラまたは奈良漬けまたは味付け海苔(桃屋の)あたり、ぞろぞろ並べることができる。実に安上がりなグルメ人間なのだ。
極端な話、いい梅干があればそれだけで御飯が進む。

パンだとそうは行かない。パンにバターか何かつけても、おかずにベーコンエッグぐらいはつけたい、おっと野菜もいるからサラダも・・・という流れになるが、イカナゴがあれば冷や飯に乗せて熱いお茶をかければ、極上健康食のできあがり。

ふつう、安食堂の定食といえば焼き魚定食なんてのに決まっていると思うが、「イカナゴ定食」とか「納豆定食」あたりだと、300円ぐらいで行けそうだ。僕はそれで大歓迎する。
実際ない理由は、あまりにもみずぼらしい・・・というか、採算の問題かもしれない。
でも、呑み屋でお茶漬けごときを500円なんて値段でえらそうに出しているぐらいだから、イカナゴも行けると思うがなぁ・・・。

近ごろ、昼間はコンビニがおにぎり競争をしている。
新入社員・新入生に、昼はぜひうちで!と刷り込む年に一度の勝負どきなのだろう。納豆巻きというのがはやっていると聞いたこともある。けっこうな健康志向だと思う。
僕はスキー旅行で「納豆だめなんです」という関西人がいれば、スキーとなんも関係ないけど「人間失格!破門じゃ」と理不尽なことを通告して逆に破門されているが(=間抜け)、「イカナゴがだめでね」という阪神間住民は見たことがない。タコやイカやエビがだめな人はたまにいるけど。
あぁ、イカナゴはおかずにもよし、肴にもよし、スナック代わりによし・・・当分、冷蔵庫が宝物で暖かくなりそうだ。
 


珈琲館一気

at 2003 03/09 02:35 編集

かなりハイペースで、というか一気に3時間で新書を2冊読めてしまったのは過去最高のペースか。
別に、ベラボーにおもしろいというわけでもない新刊だったが、流れがつかみやすいというか、こちらの思考の流れが本の構成を追いやすいと相乗的にスピードアップするのがよくわかった。
内容はBookに書いとこう。


袋ラーメン

at 2003 03/09 07:49 編集

これ、朝食になるんだろうか。退勤してうとうと昼寝していたら夜に目が覚めて、そのままオールナイト読書になだれこんでしまった。
それでも体は正直よのぅ(町娘をどうにかしようとしている悪代官のセリフだ)、朝食がほしくなる。
Book欄に「おでん本」を書いていたことも手伝って、よけいに腹が減った。
何年かぶりの、カップでないカレーうどんを炊いてみる。
カップ麺の方が具はちまちま入っているのに、やはり「煮炊き」で手をかけるとうまい気がする。マルちゃんのカレーうどんで、胃も心も温まる。
のどかにカレーうどんで温まる平和な朝はいいぞフセイン!と無意味な遠吠えをして、一日が始まる。


縄の怨念

at 2003 03/10 03:34 編集

たかがケーブル接続・・・
が、インストールしたと思ったら消えとるし、シリアル接続は800回リトライしても切断されるし、再起動したらシステムが「壊れちょるけん、あきらめなゲイツより」とメッセージが出るし、そうこうしているうちにデスクトップがデフォルトに戻ってしもうた。あれ?Vixも消えてもた。OEもIEもまっさらですがな(笑うしかない)。
まだ文書ファイルは残っているようだが、取り出しにくいもんじゃの。
ストローででも吸い出せたらいいが。
なかなか完全移行は進まない・・・。


合根

at 2003 03/11 01:31 編集

「夜中茶」は、何日か休んだだけで、ずいぶんご無沙汰しているように感じる。
珈琲館に10時すぎてからチェックイン(笑)すると、珍しく満席に近い。ゴト日のせいか?
客でごったがえす中、常連の猛勉強サラリーマン氏は、白いワイシャツにベスト姿で3冊の本を広げてお勉強中だった。がんばれ中年!がんばれ和三郎!と、わけわからん激励を送信しておく。

なんとか見つかった席に座りかけると、ほとんど同時に入ってきた団体さんもやっと席が見つかった様子で、勢い余って(か?)「一緒にどうですかぁ?」と声をかけられた。酔っ払いには見えなかったが、なんだろね、このハイは。
勧誘してくれよったのが、テツ&トモにそっくりな二人組で、それはそれで楽しそうで好感を持ったのだが、少し離れた席から「オトコはいらん!」と声がかかり、テツがしゅんと肩をすぼめた。

このグループ、「本島」と「離島」から成る6人組だった。
本島は、珍しくみなタイプが違うOLさま4人+テツ&トモ。
問題は離島のOL2人である。「花*花の片方」風のほんわりした子が泣いていて、連れのアマゾネスみたいなお姉ちゃんがなだめている。「オトコはいらん」と一喝したのはこのアマゾネスである。推定27歳、一人だけTシャツ姿だ。とにかく笑い声がキンキンと壮絶にうるさい。
なにか事情がありそうな集団だが、まぁワシの知ったこっちゃない。こちとら邪推を楽しむ専門家なのである。

シナリオ1>6対6の合コンをしたところ、アマゾネスが♂2名を駆逐してしまった。アマゾネスは自分が原因だとは気づいていない。

シナリオ2>実は6対2の合コンで、6人でカレを囲もうと企むが、露骨なので♂の片方はカムフラージュの添え物。偶然喫茶店で出会ったオトコとジョイントすると企み遂行に支障をきたす!というアマゾネスのミッションがあった。

シナリオ3>なぜか花*花がもてもてで、テツ&トモがいじくり回して泣かしてしまった。「かわいそうじゃないの!という叱責と、「テツもトモも私の魅力がわからない」という憤懣をかかえるアマゾネスの心中が透け透けに見えて、いたたまれず泣けてきた花*花。

シナリオ4〜10はサバ子にまかせるとして、そういえばサバ子が通っている大学に、僕はクリスタルな(なつかしー)80年代の1のケタから9のケタまで寄生して、合コンを専攻していた。
学生時代の合コンは無邪気でいい。「青年よ大志と酒瓶を抱け」と、クラック先生はトリップをすすめているではないか。
泣いたり笑ったりケンカしたり吐いたり、すったもんだして無為な時間が消費されて行く。おバカな時間はいいものだと思う。

労働者の合コンはシリアスになる。
就職して13年、二度だけ合コンの席にあずかれたことがある。
一度はJAS+キャセイの元乗務員チーム。ただしJASといっても「東亜国内航空」時代の現役だから、「元」にも程があるって(笑)。彼女らは、パイロット、俳優・歌手、プロスポーツ選手、医者,etcがお相手のはずだが、いかなる運命の悲劇か、僕ごときに社会学の話を聞かされることにあったのだろうか(合掌)。「ベンツを買う前に、運転免許とらないと・・・」と正直に告白しても、「ご冗談うまいんだからぁ」と信じてもらえなかった。

二度目はキャリア公務員チーム。職場はおっちゃんばかりだとぼやいていたが、霞ヶ関に出向すると言っていたので、そっちで東大クンに吸いつけば安泰だろうになぁ・・・。僕が「年収なかなか5に届かなくて・・・」とぼやくと、ケタをまちがったか、目がキラリと光らせておられた。金なし甲斐性なしクルマなしルックスなしシークレットシューズ25センチの僕さえ、仕事に追われて自分を見失いがちなOL様は、ついでに理性を失って、「ベンツころがし大学者の卵」に見えるらしい(ほんまかいな)。

かように震災までは何とかまだバブリーな時代だった。
デフレスパイラルの今、少しは♂も♀もかしこくなっていることを期待するのみだが(未婚率の上昇はその兆しか?)、一見かしこい女性の判断能力は、まだまだバブっている面もあるように思う。
ブランドもんにこだわる♀は、世の中すべてブランドだから、「青年実業家」とか「医者」とか「一部上場企業社員」「愛車はベンツ」という記号によろめくよう、骨の髄にプログラムされている(愛車は自転車。おれ中性脂肪も低いよ!が乙女を魅了する記号になるのは、97年先の日本だろうか)。
ところが、光り輝く「青年実業」の事業計画がどうなっているとか、上場企業のコア・コンピタンスがどうであるとか、医者の有病率が実際どうだといった分析能力がない。彼の「夢を追い続ける姿」や「優しさ」にマタタビ状態になってたりする。
ま、そりゃそうだろ。彼が仕事に燃えて夢を語っているのに、「ほんまに会社だいじょぶかぁ?財務諸表見せてみ」と突っ込む彼女なんてのがいたら、興ざめする。一時ご愛顧いただいていた女性は経理ウーマンだったが、僕の悪どい事業妄想にはメスを入れなかった。「上質の目利き」は慎み深いのだ。
その僕も、数年前まで臨床心理士志望という一途な乙女に、文部省予算の動向を示しながら夢を打ち砕く興ざめなことばかり言っていたが、別に恋仲でもない職業上の関係だから、嫌われても屁でもない。
はよ家庭に埋まりなはれ(笑)と言い放つと、一種のセクハラになりかねないけど。

バブルも消えると、他愛もない合コンも下火になったように見える。するからには、実利をとる神経戦。「ミッション遂行」に照準を合わせるべし!なのだ。
横道にそれて女性を泣かしたりしたら刺し殺されかねないし、♂が泣いたり学生時代の宴会瞬間芸「象さん」なんて披露してしまうと、定年まで語り草にされる。
♂は彼女の家政婦能力を値踏みし、♀は彼氏の種馬能力を値踏みする―それが正しい会社員合コンのミッションというもんだ。

やがて、6人組のお茶会は、大音響のアマゾネスが勝手にお開き宣言をして、嵐が去るように店を出ていってしまった。
あぁ、花*花に「うち歩いて15分だから、泊まりたまえ」と誘うつもりだったのに(アホか)。


デッドライン

at 2003 03/11 02:15 編集

朝日新聞記者暗殺事件が時効になった。
犠牲者のご冥福を祈りつつ、「刑事は時効でも民事はあと5年ある」と、かすかな期待は残る。警察はタッチできないが・・・。
被疑者が国外に逃亡していたら、その間だけ時効は停止するから、その線も希望は持てるかもしれない。

昔々、ある刑事ドラマで「その日に時効」の被疑者をやっとつかまえて、取調室で持久戦になるというシーンを見たことがある。
時計の針が0時を回って、ついに被疑者が高笑いする。敗北の苦悩をにじませた刑事が、「お前のような見事なホシは見たことがない。どうやって殺すにいたったか、今なら話してくれないか」と促すと、勝ち誇ったように犯人は自供を始める。
・・・すると、刑事は「そうか、お前の自供はすべて辻褄が合う。まさにお前がやったんだな。では逮捕する」と斬り返す。
「ハッハッハ、時効だよな」と笑う犯人。
しかし、取調室の時計はわざと1時間進めてあった!
というのがクライマックスだった。

よし、この手で行け森山法務大臣!
つまり、公訴時効15年は、公訴してからカウントが始まる。公訴したように見せかけて報道させて、実はせずにおく。
犯行後20年ほどたってから、犯人がのこのこ出てきたところで、「実は公訴したのは去年だから、時効まであと14年あるよーん」と逆襲するという作戦である。
こんなウソなら、犯人以外はだれも怒らないと思うが、どんなものかに?

これと似た話は、政界ではときどきあるようだ。
意図的に、だれかが急死したというニュースを流す。すると、その権力の座を狙っていた腹心の部下の腹黒さが白日のもとにさらされる・・・。
とか、スターリンの死去のニュースも何回か流れたと思う。
ビンラディン氏など、本当に死んでいても、遺体確認だDNA鑑定だと、なかなか信用されないだろう。
もしかすると、金丸信や田中角栄はまだどこかで生きているのかもしれない。
ジョン・レノンも、マイルス・デイビスも渥美清も坂本九も、「実は死んでいなかった」であってほしい。報道を鵜呑みにしているけれど。

時間差作戦は、いろいろな用途がありそうだ。
親に猛反対された相手とどうしても一緒になりたい人なら、クルーズ旅行で遭難して海に沈んだとか、「彼にメロメロ(=死語)で、わたし溶けて死んでしまいましたah・・・」ということにして、社会的には存在しなくても実は生まれ変わって生きているという技を使っている人も、きっといるだろうと思う。
もしかすると、スペースシャトル搭乗員に、そんな家庭内不和から逃れたくて影武者を自分に仕立てて事故死させた達人がいるかもしれない。勘ぐりすぎか?

もっとも、自分が死んだ誤報を流してみて、「実は生きてました」と現れてみせたら、喜ばれるか、ガッカリされるか、ちと不安な人もいるかもしれない。


ドラキュラへの道

at 2003 03/12 02:03 編集

あぁ、今日は夕方出勤で、一度も日光を浴びていない!
冬の寒さに逆戻りだとお天気ニュースは騒いでいるけれど、風もないから、コートなしで歩いていてもつらくなかった。
浅い春の夜は、凛とした空気の中にふと生暖かい気配を感じたりするのが官能的でいい。


リスク管理

at 2003 03/13 06:55 編集

また昨日も日光を浴びない1日だった。
たまった録画をプレイバックして消化する。
TVタックルで危機管理特集をしていて、野坂昭如さんが「管理できたら危機じゃないんでね、管理できない危機が本当に怖いんだ」と名言一発。その通り!大正解!お見事!あっぱれフセイン!と言うしかない。
現実には、せいぜい「うっかりミス管理」を考えるのが我々庶民にできる精一杯のこと。たしかに危機は管理できないから危機というもんだろう。なんだか、「一人旅同好会」みたいな言葉だなこりゃ。

テロはほとんどの人が経験したことがないから、見えない怖さがある。欧米人からすると、サリン事件のように目の前でテロを見ていても、それをテロとして見ない日本人の平和ボケも怖いらしい。「無知」は、慢性的な痴呆に似ていて、本人は幸福だが周囲が不安でしかたない。

「そのまま行けばリスキー」と感じていても、ピンチで神風が吹くとあてにしているのか(笑)、悲観論者とレッテルを貼られたくないせいか、「危ないよ」の指摘をつい引っ込めてしまうことが、善良なる諸国民には多いと思う。
リストラで絶望しているサラリーマンも多いけれど、ほんまに「突然降ってきた悲劇」なんかぁ?と、僕なら傷口に塩をふるようなことを言ってしまいそうだ。うちの会社は危ない・・・と同僚がささやいていたような兆しがあっても、「会社がつぶれるなんて、そんなバカな」と打ち消して悲劇に巻き込まれて行くのかもしれない。「期待」が冷静な推測を歪めてしまうのだ。
僕の身近にも、だれか「あなた、おかしいよ」と指摘してあげる人がいなかったのか!?と義憤を覚える「むつかしー子」が少なくない。ワーカーやカウンセラーが皆そうだという論理にはならないが、まず自分を治療した方がよさそうな人は、高い確率で「人助けをしたい」と矛先を向けてカウンセラーやワーカー、ナースなどをめざす。むつかしー子は、なまじっか頭はいいから高い成績をとって「私は向いている」と誤解してしまう。
どうリスキーなのかは、書くと本当に背中が寒くなるので、暖かくなるまで封印しておくとして(笑)、周囲の人たちは、だれかに迷惑かけてるわけでもないから、まっいいか・・・とやり過ごしてきたのかもしれない。

現実に、世間一般には物わかりのいい無難人間が多い。
その一方で、社会的圧力や差別やストレッサーは、無形の不安をかきたてている。
その結果、無害で温和でイイ人ばかりなのに、社会は沈んでいる。なんでだろう、なんでだろう・・・?
すぐ身近に怖い人がいて叱られしごかれ、社会に出てみるとその経験が宝物になって世渡りしやすい―という形が、幸福な社会じゃないだろうか。

えらそうに学生を論じている僕も、世間の善良なる方々から「いつまでもヤモメで大丈夫か?」とリスク管理を促される。妻帯者より健康で自由に生きている独身奇族に、なんとか錨をおろさせようと躍起になっているのは、主にオバサンたちだ。オッサンたちは、「経済力のない妻+マイホームローン+できの悪い子」の3大不良債権をかかえて、あぁ独身がよかったと(かなり現実的に?)嘆いている。独身で子供を持てない点だけは、独身男の不利な点だと思うから、僕は不幸ですオロオロ・・・と演じておけば、その場しのぎにはなる。
「一人で病気になったり老いたりメシを食ったりして暮らすのが「リスク」で、妻子が支えるというのが幸福―という筋書きは、日本人の生き方を「一つの正解」に誘導してきた。「家族」は信仰にもなっている。
信仰は冷静な判断を狂わせる。団欒とひきかえに書斎も持たせてもらえないおとっつぁんは、知的活動から遠ざかり肉体労働者と化する。ドメスティックバイオレンス、不倫、連帯保証・・・そんな悲劇は、兆し―管理できるリスク―があったはずなのに、思考怠慢が悲劇を生む。冷静になって考えて、こりゃイカンと思ったとき、未来が開けるか、右往左往したまま奈落へ流されて行くかは、思考能力次第だと思う。
もし閻魔大王のようなのがいれば(現実に会社にいそうだ)、自分の利益にならない人間は、破門するだけではリスキーだから、洗脳するか思考できないように改造するかして、クーデターを回避するはずだ。
リスクは、閻魔大王が自分に従わせるために仕組まれた壮大なドラマだったりする。
この閻魔大王を、どう欺き、リスクを種明かしして行けばいいか・・・・・・?

お隣の席に向かいあってお茶していた男の子二人組は、「おもしろい話」の交換に花を咲かせている。
内容は、キワモノ自慢である。「キツネと目を合わせて集団気絶した女子高生遠足の話」とか、「なぁ知ってる?青木ヶ原樹海って、自殺しに行く人の名所らしいで」とか、ドッペルゲンガーの話とか、クルマにはねられた猫の目撃談なんてのを次々披露する。
言うに事欠いて、坊主頭の学生(21歳で大学に入ったそうな)は「今日ウンコ2回行ったぞ」と自慢している。
こんな無邪気なキワモノトークは、かえって健康的な感じがする。サバ子とっておきトークを聞けば、全身麻痺して撃チンされてしまうだろう。
荒波に漕ぎ出てがんばれ青年!偉大なる将軍様のために!と祈ってお開きとする。


タマばあちゃ〜〜ん

at 2003 03/13 07:56 編集

タマちゃんを救う会の、なにかに取り憑かれたような「信念の顔」は、なんだか久々に見たような懐かしい顔。
この類、オウムにぞろぞろいたような気がする。
いや、「あっちの世界」だけではない。僕が一時覗いていたボランティア団体を母体に膨張したNPOの幹部にも、あの顔がいた。

「せっかくよー、住民票とったのによー、なんで連れてくんだっ」と憤慨するおとっつぁんの言い分にも笑えたが、せっかくなら、野生のイノシシも住民票とってやりなっさい。それより、亡くなった僕の祖母タマばあちゃんを降霊して、会わせてくれないものか。

タマちゃん捕獲作戦のどさくさにまぎれて、どこかの浜でイルカの刺身とかイルカ踊り食いなんかやれば、アメリカ人は

Ohhhhhhhhhhh! My Goddddddddddd!!!!!!!!!!

と激怒するのではないだろうか。鯨を食うだけで、日本人は野蛮人扱いだから、アメリカ人やっかいだよなぁフセイン。
「牛や豚も生きる権利がある」と、「イルカを養殖して水産資源として適正管理しても、食ったらあかんのか?」と、欧米人に叩きつけてやらんかい。

そのイラクに残って、進んで人間の盾になっている女性の手記というのが朝のテレビで紹介されていた。
日本の家族に当てた手紙は、イラク国民を絶賛するあまり嫌米を強調し、「ここでイラクの人たちと共にいる私は幸福です」と結んであって、すでに「あっちの世界」にトリップしてしまっている。この子がブッシュに殺されるなんて、なんてむごい!・・・と、日本の家族だか恩師だか、すすり泣いている。
あのねぇ・・・。嘆くなら、首に縄つけて送還させてからにしなさいって。
小倉キャスターは、最初いつものクールさでコメントしていたが、「人間の盾が戦争を回避できると考えるほど甘くはない」と、ずばり直球を投げておられた。
さすが(笑)。

この日本人女性が綿々と著している透徹した使命感も、すごかった。何がすごいって、陶酔感が。
「一介の日本人庶民である私」が、外交交渉したり武装解除させたりする地位やスキルを持っているわけではない、という状況認識はしっかりできている。
そこから飛躍するのが「信仰の人」なのである。「一般庶民の私にもできることは、現地で弱者を助けること」と。
こうしたジャンプ力(笑)が活かせる場は、会社や役所ではなく、戦地とか環境破壊の現場だという人は増えているのかもしれない。
しかも、政治的運動である平和運動とかNGOとは違った流れで、戦地に吸い寄せられる「信仰の人」が目につく。あえて丸腰を承知で危険に望む私ってすごい!という、一種の自己愛にも見える。人騒がせだけど。

僕はガンジーやマザー・テレサは否定しないし、個人的に尊敬している犬養道子さんの生涯を賭けた国際的人道支援活動は、根っこにカトリックという信仰があるのは確かだけれど、崇高と愚考は紙一重だ。
丸腰でアブナイ場所にのこのこ出向いて行って、国際紛争とか軍事大国の思惑を動かそうとするのは、冒険なのか作戦なのか・・・。
犬養道子さんの偉いところは、信仰と作戦をしっかり区別して、思考の武器を身につけてから国外に出ろと強調しておられる点だ。だから、「いてもたってもいられなくなった」動機で始めた活動も、やりようによっては、効果が出る「作戦」になるかもしれないか・・・。
ハートも大事だけど、ブレインも駆使してくれよ、と僕はいま伝書鳩に託して放ったところである。



陽のあたる坂道

at 2003 03/13 11:00 編集

逆転した昼夜を元に戻すべく、昼に続いて夜も強引に眠ることにした。
チューハイ1缶でコテッと眠れた。
でも呑んで眠くなるのは条件反射みたいなもので、疲れて体を休める本来の睡眠ではない。だから、熟睡できず激しくリアルな夢を見せられてしまった。もう、いま住んでいるアパートそのもので、まさに愛車をふだん置いている廊下が舞台で、愛車の盗難事件に巻きこまれたのである。事件処理にやってきた婦人警官が絶望的に頼りなくてやる気もなくて、こりゃ永遠に愛車は取り戻せないな・・・とヤキモキさせられて、夢見は悪かった。

でも、やれやれ・・・目が覚めたら廊下でちゃんと愛車がいて、キラキラと朝日を浴びていた。
あんまり日光を浴びないと心配なので、近所に買い物に出る。
おぉ、3日ぶりの日光のなんと輝かしいことよ!空の青も、木々の梢の蕾も、この世のあらゆるものがはアラーの神の恩寵にあふれかえっておるではないか。
近所にある関帝廟は、真紅の柱と群青の壁とゴールドの屋根瓦が早春の日光に輝いている。このカラーリングはすばらしい!
郵便局に寄ると、民営化を前に、ずいぶん局員の愛想がいい。でも、同じ雑誌を出しても、ある局では書籍小包、この局では(僕が雑誌発行人でもないのに)第三種郵便と扱いが分かれるのは謎だ。

スーパーで柑橘系の天然果汁とバゲットとサラダを買い込んで朝食とする。
さわやかに一日が始まった。
さてこれから風呂に入って、晩酌して、眠るとするか・・・


卒業!

at 2003 03/14 00:35 編集

やっと今年度の仕事が全部終わった。前の職場では春休みがドカンと2ヶ月あったが(バンクーバーにアパート借りて短期移住しようかと思っていた)、今は実質3週間。
旅にでも出るべ?と某サバ子にバグダッド探訪をそそのかすと、もぢもぢと身をよじらせて「いけませんっ!一線を越えるなんてah・・・」と悶え苦しむので、免除してあげた。
サバ子といえば少年(love)だ。

「三宮で少年数十人と警官もみあう」
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030313ke100180.html
という見出しに、股間をもみ合う新種のプレイなのかと下っ衆い想像をしてしまったのは、こりゃ悪影響だな。

まぁ、「シベ超」系のネタはともかくとして。
中学の卒業式の後、特攻服を着て集まるならわしが広まっているのは初耳だったが、それも年に一度のことでしょうに。
少年たちがたむろしていた広場というのは、よくバンドをやってたり若い衆が待ち合わせをしていたり、要するにヒマな人民の展示場みたいな場所だから、特攻服の15歳の坊やが「おれたちよー、カッコいいよなー」と粋がって群れているのも、春先の珍景という感じでほほえましい。
目立ちたいけど芸能や学力やスポーツで目立てない子たちも、目立たせてあげるお立ち台はあってもいいだろう。ガス抜きとして。
ガスついでに、密室で練炭炊いて集会するのが最先端の流行だよキミたち!
 


政治の季節

at 2003 03/15 00:28 編集

所属している学会からの雑誌をポストから受けとって、会議に出勤する。
雑誌のテーマは、精神障害者の隔離政策を批判する特集。会議でちょっと話題になったテーマが「『人格の統合が失調した』人が精神障害者をケアしようとする怖さ」だった。奇妙にシンメトリックだ。

少なからぬ障害者が実は「まとも」で、ヘンな治療を受けて真性の病人になってしまうケースは跡を絶たない。その原因は、社会的な差別や偏見が根強いせいだと説明されるのも、通り相場だ。
たしかに、差別や偏見はある。
もっと見えにくいのが、ヘンな治療とやらをしてしまう専門家の病いで、生活福祉を求めている相手に心理検査やカウンセリングをしようとしたり、相手の生活実態がまったく見えなかったり、そもそも見る能力に欠ける注意欠陥障害者であったりする。

無知を思い知らされて、法律や経済や宗教や政治や社会学を勉強しなおすのはまだ「まとも」で、ますます自分の専攻に自閉して変わろうとしないのが、とりわけ心理屋さんに目立ってしかたない。
正直これは僕自身もっている偏見だが、心理学屋さんというのは、医学部に行く自信がないくせにだれかを「治療」したり、人体を解剖する資格はないので心を「解剖」したりして、専門職を気取っている鼻持ちならない病人を高濃度に含んでいる。

精神障害者の処遇というのは司法政策の次元で議題になっているし、学校教育は教育「行政」であるという認識は専門家にはあるが、実はカウンセリングというのも政治にほかならない。僕が「ワンちゃんは僕の最良のカウンセラー」といっても、犬は政治をしないが、ではセラピー犬を養成して、制度化しようということになると、セラピー犬養成協会の類が犬を使った政治を仕切るのである。犬は知らぬ間にお先棒をかつがされている。

心理臨床が、気づかないうちに、支配―被支配の関係に滑り込む危険は、共依存というタブーとして教科書で勉強してはいるだろう。
その隣接分野である、政治とは何か、権力とは何かという学問的基盤を欠いていると、カウンセリングの政治性に気づかないまま、いつの間にか権力を行使してしまうのだ。

フセインとブッシュのおかげで、「人の世は政治」という現実が、ありありと思い知らされる今日このごろ。
明日も、僕自身どこかで政治をしてしまうのだろうか・・・。


クモハ

at 2003 03/16 00:48 編集

JRのダイヤ改定で、日本最古の電車が引退してしまった。70歳。お疲れさん・・・と声をかけたくなる老兵だ。
最終日は、1日3便しかない路線に全国からファンが集結したのではないかと思う。
ボンネット型特急電車とか、SLとか、食堂車の引退はなんとなく聞き捨ててしまった僕だが(いや、もしかすると自分の血に流れる「鉄分」をおさえこんでいたのかもしれない)、クモハ42だけは妙に気になって、引退の予定を聞いた2年前に、18切符で乗りに行った。山口まで。
うぉ〜ん・・・と懐かしいモーターのうなりを響かせて、ガタゴンガタコンと10分ほどの盲腸路線を走り、その響きを尻でかみしめて(?)帰ってきた。車内に寄せ書き帳を備えてある電車なんて、初めて見た。

この羊羹みたいな(チョコレート色と紹介されていることが多いが、その色と形を見ると羊羹そのもの)電車は、昔々われわれ阪神間の住民が「省線」と呼んでいた懐かしい車両である。
記憶のかなたを、かすかに羊羹電車が走っている。
我が家の地元には、1935年に建造されたモダンな阪急三宮駅が、2つのトンネル口を並べていて、子供にしてみるとトンネルに阪急の栗色電車が出たり入ったり、「省線(と呼んでいたのは親世代で、もちろん正式には国鉄だった)」の電車が出たり入ったりするのが物珍しくて、おもちゃ箱のような建物に見えた。

国鉄電車にはあまり乗っていた記憶がないが、これも私鉄王国の関西ならではの電車ライフかもしれない。だから、国鉄とは少し距離があったように思う。「国有鉄道」ゆえの役所的な敷居の高さも感じていたのかもしれないし、「乗り過ごすと東京や九州にまで行ってしまう」ような、しなくていい心配をレールに投影して見ていたのかもしれない。
阪急や阪神は大阪止まりだったから、身近な存在だった。

その阪急の駅舎は、太平洋戦争の神戸大空襲でも焼け残ったのに、阪神大震災であっけなく崩壊してしまった。そんなこともあって、よけいに省線電車の完全引退で、キラ星のように色とりどりの電車が行き交っていた過去が消えてしまうような寂しさを感じる。
SLは懐古趣味的な観光運行が残っているけれど、通勤用の省線電車なんて、現役引退したらそれまでだろうなぁ・・・。


ヤフーBB「窮状」

at 2003 03/16 01:43 編集

よりによって、何かとトラブルメーカーの会社をグリーンスタジアム神戸の新しい呼称にせんでもええのに・・・と、地元民は思っているのではないかね?
プロ野球もJリーグも、フランチャイズ経営だからこそ地元ファンに支えられているんじゃないだろうか。アメリカでだって、たぶんゲイツ君はあちこち投資をしてるだろうが、「マイクロソフト球場」とか「ウィンドウズスタジアム」なんて聞いたことがない。
シアトルマリナーズのオーナー任天堂だって、「スーパーマリオ球場」なんて命名しなかったよな。そんな売名行為は、自滅行為だし地元から総スカンをくらうはずだ。

でも、歴史意識ゼロに近い神戸市民の根なし草性につけこまれた結果だともいえる。なめられているのだ、ITバブル企業に。
これが大阪だったら、「いてまえ球場」(選手全員が敵チームにいてこまっそワレ!とすごむとか、近鉄電車は駅で止まらず行てまうとか)なんてネーミングがたぶん支持されるだろうな(されないか?)。
神戸、大阪とくればついでに(失礼)京都が悲願のフランチャイズ球団を持つとしたら、「京いてまいまっへ」なんて球団名にして(いてまえ打線に引きずられすぎ!笑)、ホームグラウンドは加茂川沿いの幅20m×奥行き2kmの変則パターンにすれば、そんな球場でプレイしたことがない11球団をばったばったと迎え撃ち優勝まちがいなし。「京の町屋はな、平安時代からウナギの寝床だっさかい文句いうやおへん」と涼しくかわしておけばいい。ベンチも一塁側も三塁側も地元チームに使わせ、「京の都はな、御所を中心に右京と左京にあんじょう割り振られてますのや文句いいな」でかたづけられてしまいそうだ。

結局、騒いでいるうちに、
ネットバブルを怪しむエコノミストは「ヤバーBB」と呼び、
パッパラパーの若者は「電話も安いしよー、ヤッホーBB」と喜び、
とにかく文句垂れの僕のようなのは「ヤメーBB!」と叫び、
パロられながら知名度が浸透して行くんだろうな・・・くそ。

 


コクル・コクレ・コクロウ

at 2003 03/16 07:55 編集

葬儀屋の内部告発は、他人事ではない。
http://www.mainichi.co.jp/news/selection/20030316k0000m040114000c.html

この組合員が、どれだけ冷や汗かきながらコクった(告白じゃなく告発ね)ことだろうか・・・と思うと、シンパシーさえ覚える。

「世間に内部腐敗をばらして業績に響くと自分の雇用も危ない」と頬かむりして、一蓮托生でいたのが、日本的な労使関係だっただろう。
以前の我が職場でも、虚偽広報が横行していたのでよほどコクってやろうかと思ったが、会社が傾くと「ザマミロ上司」と「スンマヘンお仲間」がいるから、周到に計画しないとうまく行かない。効果より副作用が大きいと、英断もすぐ「軽率」とそしられることになる。
そもそも、せまい業界だと締め出されかねないよ、と指摘してくれた社外参謀の助言は、今でも卓見だったなぁと思う。

いま職場組織でうつ状態や真性うつ病が問題になって、あらためてメンタルヘルスが注目されている。
内部告発を恐れる経営者は、「予測できない反旗」というイレギュラーバウンドも視野に入れておくべきだろう。
僕の元同僚が、精神的に変調をきたして故郷へ帰ってしまい、県内の「仕入れ元」(業界用語)に告発文書ばら撒いたる〜!と叫んで退職して行った。
収益源が限定されているわが業種は、内部告発も、大々的にやらなくても静かに個人でできてしまう。
間もなく会社は確実に傾いて行ったが、デフレや震災もあったので、告発が元になったのかどうかは何ともいえない。僕も転職したし。

組織の精神保健が予測できない行動を招くという側面、
一蓮托生といえるような忠誠心が薄れてきている側面
で、内部告発は増えるだろうと思う。雪印のような、開拓者精神で一体感を高く保っていた企業でさえ、内部告発で崩壊してしまった。
社会学や経営学の教科書では、官僚制は指揮命令系統のヒエラルヒーだと説明されているが、奇才ゲオルグ・ジンメルの眼鏡を借りてみると、組織は「秘密の体系」だともいえる。いかに決定的な経営情報を知っているか?の度合いが地位の階層をつくっている。そして、他社や市場に対しては一丸となって情報を隠蔽する。
この「秘密システム」を崩す内部告発を、経営者はあまり真剣に考えてこなかったのではないだろうか。
そもそも、「これが秘密ですから他言しないように」なんて間抜けな口止めはできないから、社員が握っている情報の何を封じれば安全なのかもわからない。不当解雇だと感じてやめて行く社員が、社内のどんな情報を握っているか、持ち出してどう利用するか、把握してはいないだろう。性善説というか、「正当な理由で解雇した」と一面的に都合よく解釈している能天気な経営者が多いのではないかと思う。

前の日記でカウンセラーをこきおろしたけれど、現実の企業の大きなダイナミクスを左右している構成員の心理というサブシステムは、分析のメスを入れてみる価値大だと思う。
リスクマネージメントは、性善説が支配している社会では根づきにくいのかもしれない。
本当に善人ばかりの社会だとそれは平和でいいけれど、「信頼している上司や組織に実は信頼されていない歯車」ほどみじめな身分はない。
 


いちだい

at 2003 03/17 03:31 編集

ちょっとした入試ミスのニュースで、尾道に市立大学があるのか・・・と初めて知った。
観光地で有名だとはいえ、人口規模ではこじんまりした地方都市のはずだから、大学を経営する財力は大丈夫かいな?と疑問に思った。

市立大学というと、地元の神戸にも大阪にも京都にもあって、総合大学の大阪市大を除けば京都は芸術単科大学、神戸は外国語単科大学というのもローカル色だ。
そう、ローカル色を出せるのだ、公立大学は。

・明石市立大学たこやき学部ソース系おつゆ系
・芦屋市立大学マダム学部ムリめのチアリーダー部もありまっせ
・赤穂市立浪士大学暗殺学部血みどろコース
・岸和田市立大学だんじり学部一人は死ぬ科

という調子でどんどん造れば、どんぐりの背比べのような大都市密集大学から学生が流れ出して、意外にも盛況になるんじゃないだろうか。
まぁそれは冗談半分として、現実的な大胆発想が大学にも必要だと思うのですよ遠山大臣。

幼い頃から深夜族の僕としては、「超夜間大学」もあっていい。ただの夜学どころか、残業を終えてからでも法律や経済や福祉が学べる学校が必要だ。これは95%大真面目な発想なんだが・・・。
そこは午前0時開講、6時終講で、学内温泉でひと風呂あびて出勤できる(仕事やめたくない、勉強もやめたくないといえば、睡眠をやめるしかないわな)。

ま、それも冗談ぽくなってしまうが、僕は昔友人がいた院内学校つき養護施設からヒントを受けて、シネマコンプレクスの教育版カレッジコンプレクスというのを考えている。「宿舎つきの夜学」である。早い話、「教室がついた学生下宿」という感じで、かりに月家賃10万円で学費と生活費すべてまかなえれば、安くあがるのではないだろうか。
つまり、この発想は高齢者の互助共同体であるグループホームにつながって行く。
グループホームを、高齢者の専売特許にしなくてもいい。
本当にカネがないが勉強はしたい学生なら、5人、10人と集まってうまく組織化されれば、不自由を補って余りある生活共同体ができるように思う。
ひと昔前の京大アメフト部は、部員がアパートで共同生活していて、そこが塾にもなって近所の子供たちに勉強を教え、生活費や遠征費をかせいでいると聞いたことがある。これは立派なコーポレートフィランソロピーになっていて、そのせいか、学生日本一の常連だった。

市場価値が低い時期(つまり学生時代ね)にプライバシーを主張しすぎると、生活はずいぶん高くつく。典型的な例が、携帯電話だ。
電話なんか、共同で赤電話を置いといて共同で受け答えすれば、安上がりで静かな生活ができるのは間違いない。共同電話は、自然に緊急性の度合いを判断してくれる私設秘書みたいな機能を持っているのだ、昔から。
「下宿赤電話」の時代に戻れば、勉強中にかかってきた電話には「あー、サバ子姉御は今お勉強中ですから、伝言うけたまわっておきやすぜ」と答えてくれる後輩・・・とか、
「私を捨てたOさんに言いたいことがあるから出してよ!」という怒りの電話はブロックできるから静かでいい。この類には、「先輩がぼやいてましたよ、あなたマグロだって。あきらめた方がいいなぁ。今なら乗り換えチャンス期間中でして、3日以内に断念すると僕が代わりにおつきあいする得点つき」と処理してくれる後輩タッキー・・・
なんて共同生活者がいれば、とても便利だろうな。
なんだか、そんな下宿ものコミック(マカロニほうれん荘の類)が昔は多かったような気もするが、最近はやらないのがちと寂しい。



勝手口

at 2003 03/19 01:19 編集

確定申告のあと、9万円強の戦利金の祝いを兼ねて、サバ子と串カツ&おでん屋へ。
毎年10万円前後を取り戻しているのだが、逆に零細自由業者から毎年これだけ余分に取っている税制は、やはり問題だと思う。「多めにとっといて、手間ヒマをかけられる人だけには返してあげます」という姿勢がみえみえだ。国民を信用しない官僚に対しては、逆にそっぽを向きつつあるのではないかね。刑事事件の検挙率の低下もそのあらわれかもしれない。

税金も、年金財政のためといった目的税なら、消費税10%も許せると思う。
昔々の糞役人か糞政治家だかが、「独身税」を導入しようという提案をしたそうだが(このオヤジは、妻が先立って独身になったら、後老い自殺する気か?)、税金の使途はわかりやすいに越したことはない。「県民税」が、はたして県警のサービスにきちんと使われているのか?等々、疑問もふくらんでくるからね。

税金は、NHKの受信料みたいなもので、サービス内容に満足しても不満でも、一定額を負担させるシステムだ。民放は視聴が無料の代わりに、広告を見せられる。だから僕は、くだらん番組のスポンサー名はしっかり刻みつけて、不買運動をいたす。まぁ番組は家にいてもたいてい自動CMカット録画をして後で見るから、たとえば「ナイトスクープ」のスポンサーはいまだに知らんけど。
税金と社会保険は、ちょうどNHK受信料と民放CMのような関係になっているのではないか?
だから、年金というサービスはほとんど支持されてないから、金を払う人が減り続けている。または、確信犯的なボイコットだ。
ただボイコットするだけでは逃亡者みたいでみっともないから、サービスも拒否するのが男っちゅうもんですばいフセイン!
「老いたら自分で死ぬから年金いらねえ」
「冒険したいから遭難救助しなくていいよ」
「ものごとの善悪はわしが判断して、わしがハングマン」とか。

昔の日本社会も、今の闇社会にも、そんな行動原理はある。「法律と刑罰」が「仁義と私刑」にとって代わったのが近代化のプロセスだ。
いまイラクとアメリカが一触即発の土壇場状態。途上国の内情は詳しく知らないが、仁義と私刑の社会ではないだろうか。それを武力で「近代化」できると考えるのも、野蛮そのものだよなぁパウエル。
ここ数年、アメリカさんの企業会計の巨額の粉飾が続出したのは、かの国の資本主義も、インサイダー情報で動き、だましあいと私利私欲が渦巻いているのだと暴露したではないか。「大きいことはいいことだー!」しか頭にないバカが経営すると、図体だけでかい糖尿病会社ができあがって身動きできなくなることを、ステーブ・ケースが披露してくれているではないか。

平和なわが国の集団自殺のニュースも、「僕たち勝手にやります」社会の前ぶれを感じさせる。
それを社会と呼べるのかどうかも疑問だし、前ぶれなのか後戻りなのかわからないが・・・。


利己主義者?

at 2003 03/20 00:46 編集

単純なケガで入院した母の見舞いに行くと、さっそく6人部屋の牢名主になっていた(笑)。
何十年と勤めていた古巣でもあるし、後輩現役ナースそこのけでルームメイトを仕切っていた。
内科病棟で、みな糖尿病らしく、空きべッドの都合で一人ぽつんと押し込まれた「外科の母」は、むやみに元気に見える。
いや、逆に内科系疾患の患者さんたち(病室の全員が似たような世代で、なんだか6人の母がいたような感じ)の沈み込んだ表情は、「難儀なのは、内臓も心もなんよ」と無言で訴えているように見えた。

数年前、研究会で雑談したある医師は、「生活習慣病」という呼び方は病気自己責任論につながりかねない、と厚生行政を批判されていて、僕も相槌を打っていた。生活習慣病は、たしか母が恩師だと話していた91歳現役で著名士になっているH医師のネーミングだったと思う。
そのH医師はクリスチャンでもあるから(僕の母校の大昔の卒業生でもある)、おそらく個人主義的な病因観をお持ちなのだろう。社会環境の変化も深く洞察しておられる立派な医療者だから、偏っているとは思わないが、実際「あなたの生活習慣が病因」という見立てが定着すると、これまた難題があぶり出されてくる。

「では、たるんだ習慣をたたきなおして、生き方を変えよう」と自己革新できる強い個人と、
なにやらよくわからんまま自己決定と自己責任を求められて狼狽し、慢性病と医・薬袋依存の小路に追いつめられて行く人々
―という成層化が進む。学校教育と同じ構図なのだ。

違いは意識のあり方にあるのではないだろうか。個人へのメスをためらい政治が悪い社会がひどいと騒ぐだけでは、マスターベーションにすぎない。
大げさにいえば、「全快する」とか、「病気とつきあう」というプロセスは、その患者の世界親というか、自我の座標というか、そんな因子でかなりの部分、決定されているように思う。「治りたくない退院したくない」という老人が病院経営を圧迫している現実、また極端な例かもしれないが「病気は治ったが自殺した」という悲劇などは、その裏づけになるだろうか。「病は気から」は古くて新しい病因論だと思う。
まわりがよかれと思って与えているが実は自然治癒力や生きる力を萎えさせている因子こそ、本当の病因として標的にすべきではないか。薬漬けの業界癒着構造は、ふた昔以上も前から問題にはされてきたが、大政翼賛的にもてはやされているボランティアも、寂しい大人が実は健康な子供や老人をどんどん骨抜きにしている例を見かける。

究極のボランティアは「親心」だろう。
見舞いの帰りぎわ、部屋から出たとたん患者仲間に「今のが長男で、きのう来てたのが次男で、そろって結婚もせずに・・・」とグチっていた(苦笑)。看護婦の中から、嫁候補を「品定め」しているにちがいない。
ま、グチもメンタルヘルスのはけ口になるだろうし、気にかけることがボケ防止になるなら、それもよしとするか。


参謀会議ここだけ報告

at 2003 03/20 23:55 編集

「開戦秒読み」で浮き足立っているマスコミをとやかくいえないほど、つい気になって生中継を見てしまった。
しかし、イラク対アメリカは戦争なんかではなく一方的な「懲罰」で、むしろアメリカ対国際社会は新しい冷戦に入って行きそうだ。

アメリカで隠れ農業をしているランディ・バースに、バグダッドのバース党にどう指令を送っているのか、タイガースコネクション経由で尋ねてみた。
すると、
「人間の盾は許せない。いっそタマちゃんを盾にすればいい」というので、
「それじゃ日本人にはこたえても、アメリカは屁でもないよ」と反論しといた。
日本中のイクラ丼をイラク丼に改名させてむしゃむしゃ食わせても、日本人はイクラいやイラクへの無用の反感を高めるだけだろう。そうなれば英米の思うツボ。参謀会議はむつかしー!のだ。

「いっそ、イルカを盾にすればヤンキーどもは手出しできないんじゃないですかい?ランディ」
「うーん、バグダッドに海はないからなぁ。水族館より、バグダッド・ディズニーランド造っておけばよかった」
今さら遅いって。


ロース専門

at 2003 03/23 03:41 編集

兄宅に一族が集まって宴会。
姉と義兄が北海道に帰るので、旅行がてら会いに行けばいいだけなんだけれど、感覚的には寂しくなる。
豪快な兄は、晩飯をふと考えて、たまたま特売日だった焼肉屋に予約電話を入れて、8人でワゴン車に乗り込み出撃・・・というか運ばれて行った。
胃のない老父と、「牛さんラブ」の僕が一瞬顔を曇らせても、おかまいなしの勢いである。
玉ねぎやシイタケなどカムフラージュ食をせっせとついばむが、流れが流れだけに、どんどん「わんこそば」状態になって、結局おいしくいただいて満腹。焼肉なんて、軽く10年は食ったことがなかったので、10年分を2時間で食った感じ。
ま、うまいもんはうまい。

バス停から自宅に帰る途中に、イスラムモスクがある。
いつもは幽玄なライトアップをしているが、消灯して真っ暗だった。
イラク人たちは、情事ブッシュの流血の制裁から逃げまどっていることだろう。
われわれ日本人が、血の匂いが好きなアングロサクソンに媚びるよう自己洗脳してしまったのも、肉食のせいだぞジャップ!といえば暴論か。


ナマ江畑!

at 2003 03/23 23:41 編集

戦争が始まれば江口洋介そこのけ江畑謙介さんである。スポニチが、「31時間ナマ江畑氏」の見出しで、局で仮眠しながらの出演解説大活躍を伝えていた。

現地で有名になっている日本人もいる。人間の盾を志願した日本人は、ダンサー、社長、フリーター、牧師、武術家の5名らしい。
「舞踊家や短期雇用労働者」を差別する気は毛頭ないけれど、「戦地で反戦運動に身を投じるカタカナ肩書き」というと、僕の鼻は変調をきたして、うさんくさモード嗅覚800倍になってしまう。つい、「震災被災地にやって来るヒーラー」の類を思い出してしまうせいか、はたまた違法駐車やゴミ問題を棚に上げてきれいなボランティアパフォーマンスを披露しているエヌピーオーとやらが目についてしかたないせいか。

この際、気功師、霊媒師、Dr.コパあたりにもミラクルパワーを発揮してもらって、ついでにカタカナ代表としてヤマンバ、コマダム、シロガネーゼあたりもだまされていただいて、バグダッドに行ってもらおう。
「現地で空爆反対を訴える自称シロガネーゼ岡田里美さん(仮名)は、かつて夫が葉書を置く音でPTSDになったが、ミサイルの音の方が大きいのでビックリしちゃったと驚きPTSDも吹っ飛んだ」と報じられると、深刻なニュースも「笑いのひととき」になりそうだ。

不謹慎!と責められるかもしれないが、もっとたちの悪い、根深い不謹慎もある。いわゆるクォリティ・ペーパーにでかでかと載る「イラクの子供の涙」の類の写真は、実に偽善的ではないか。おいおい、こういう不幸は、酔っ払い運転で親をひき殺された交通遺児「よりヒドイ」という気か?虫けらのように使い捨てられたホームレスは鼻つまみ扱いして、イラクの支援ってか?

イラクの被災児に思いを馳せる心優しき日本人は、半径1kmの世界については思考停止し、純朴性視野狭窄症を患っているのではなかろうか。
酔っ払っても運転するいかれた連中の愛車を没収して、イラクの焦土の復興に寄贈するぐらいの行動を示せば立派だと思うがなぁ。

死神博士こと天本英世さんの御冥福を祈りつつ・・・。


影武者

at 2003 03/25 04:42 編集

疑惑がいろいろ取り沙汰されているフセイン。ではブッシュは本物なのか?あの知能で大統領をしているのは、下手な影武者そのものという気がする。
実は生サダムと生ブッシュは仲良しで、どこか南米の奥地で酒を酌み交わしているのが「驚愕の真実」かもしれない。
英語の慣用句で、テーブルの上でのつきあいとテーブルの下でのつきあいといった表現があったと思うが、ニュース報道はテーブル上の世界で、実際テーブル下でどんな思惑やホンネが渦巻いているか、わかったもんではない。ときどきリークして、政治家に黒い金が流れているとか、スキャンダルになったりするから、素人でも察しはつく。

考えてみれば、WEB上のいろいろな表現も人格を持った本人の実体から遊離した影武者といえる。生身のつきあいでも、相手のホンネがわからないと感じるときは、いつの間にか影武者とのつきあいになっているからだろう。
それを戦略的?に応用すると、別れたい恋人に敬語で話しはじめると、距離を感じさせることになる。
また何か失敗したときも、自分自身丸ごと傷つくとつらいので、影武者がしでかしたミスだということにすれば、少しは気休めになったりする(できればの話だが)。

昼は教育者、夜はバーテンダーという生活にあこがれている僕だが、もう少し実現しそうなのが月水金の影武者と火木の影武者と土日の「生」の使い分け。影武者には、喫茶店マスターをしてもらおうか、占い師をしてもらおうか、探偵をしてもらおうかとバカな目論見を楽しむ春休みである。


網走謹製

at 2003 03/25 19:31 編集

影武者といえば、にせブランド商品や偽装表示の食品も影武者みたいなものか。
最近、刑務所製の安い家具が実はウソで、輸入品だったとか何とかで問題になっていた。そんなことを思い出したのは、さっき神戸に帰ってきて、さんちかタウンを歩いていたら、刑務所製の工芸品?の展示即売会を見かけたからだ。

たぶん偽装ではないと思うが、「刑務所製」というブランドに、いかに信頼性を持たせるかは難題だろう。
農産物だと、「私が栽培しました」と百姓の名前が入っていたりするから、それにならって製品に
「俺が縫ったブリーフさ前科5犯川俣軍司」とか、
「せめてもの償いです死刑囚大久保清・合掌」とか書いてあれば、もしかするとプレミアムがつくかもしれない。
先日、ロス疑惑の三浦さんがやっと無実になったが、彼も何か作っていれば、「実は受刑者でない疑惑渦中のあの人が塀の中で製造」という珍品ができていたかもしれない。

ブランド戦略といえば、一時はやった女子高生の使用済みの衣類。三重県のどこかの町長になったオバサマも今年高校を卒業されたそうだが、彼女が着ていた服一式を買ってしまったマニア君がいたら、「偽装表示だ」と言うのだろうか。なんだか、ロシアンルーレットみたいやな。

影武者モンダイから脱線してしまったが、そもそも本人のブランドという「記号性」が、本人を離れたところで効力を発揮するというのが影武者という戦略である。たとえば「シロガネーゼ」というとき、本物の白金生まれ・育ちの血統書つき(笑)マダムはおそらく数名で、何千人という影武者がシロガネーゼ・テイストをまき散らしているだけのことだろう。
うちの近所でいえば北野とか芦屋か(毎朝電車通勤せにゃならん世俗の田舎出身者が北野なんぞにアパートを借りて引っ越せば、「坂道の往復1時間」に懲り懲りするのがオチじゃが)。「ハイソの影武者」がうようよしているのが、我がふるさと神戸の恥ずかしい一面だ。

偉いのは、火つけ役になった最初の一人だけ。
どんどん影武者が増殖するような「本体」に、なりたいものだと思う。


俺のホース

at 2003 03/27 01:29 編集

カラオケボックスで1時間、全裸で熱唱した消防士が処分されかかっているとか。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20030326i315.htm

まさか「消防士芸」よろしくホースから放水までしなかっただろうが(個室で仲間うちだったんだからよしとしてあげたい気もする)、豪快な体育会ノリで、さわやかなスキャンダルだなこりゃ。

「ゴキブリ1匹見つけると物陰に30匹いる」の法則にならって邪推すると、こんなのはまだまだ氷山の一角で、水面下では・・・

・警官の宴会での実弾ロシアンルーレット
・区役所職員の宴会での全身ハンコハンコ攻め
・自衛官の匍匐(ほふく)前進夜這い
・宇宙飛行士の腹上死

なんてのも、どさくさのノリでやってそうな気もする。

しかし、消防士といえば真夏でも防火服で完全武装して仕事に励む大変な仕事だ。その反動で全裸、しかし仕事が頭から離れず放水ショーというのも(勝手に決めてる)、それだけ仕事熱心の裏返しじゃないかと思う。

これが教諭の買春となると、仕事で禁欲するあまり・・・と同情する気にはならないが、ストリップを見に行ってフライデーされる小学校長というのは、気の毒というか、哀れなサンプルだったなぁと思う。
松井秀樹みたいに「オレ、AV大好きッス」と笑える大リーガーはあっぱれだが、さてこの違いはどこにあるのだろう。キン・・・いや人間の大きさか?

古尾谷雅人さんのご冥福を祈りつつ・・・('80年代のドラマ「無邪気な関係」で、わが兄貴として刻みこまれてしまった。実兄と同い年だし)。


花と散る

at 2003 03/29 08:09 編集

東京で絶好の花見日和だそうで、あれ?桜前線はもう関西を素通りして行ったんやろか〜と妙な感じ。
スキー仲間の平井犬(ヒライ・ケン)という青年が転職先で研修に忙しいという。あぁ、そんな季節なのだ。
新入社員の仕事第1号が花見の席取りだったりする植木等サラリーマン映画ふうの牧歌的な時代は、まだ尾を引いているのだろうか。
昼間から桜の下で時間をつぶして、先輩社員や上司がそろったら機嫌をとり、宴会芸もして、黒木瞳主任の肩をもみ、お開きになってから「新人クン、帰るっていうの?」と目で誘われ、酔いつぶれてエスコートするはめになった主任がさっきまでの酔いはどこへやら、「あぁ疲れたわ。横になりたいけど、ブラウスがしわくちゃになるの私いやなの」と上目遣いになった主任は女王様に豹変して新人君を食い物に・・・
という、ありそうでなさそうな話も、この季節日本中で69件は発生しているだろう(主任がデビ夫人系だとブラウスに着たままアイロンあてたろかと思う新人君の忍耐と試練が待っている)。

たぶん、こんなお戯れ(ほかにも朝礼だの残務処理だの)が実質労働時間に算入されているから、日本人の総労働時間はトップクラスを誇っている。

一方で、完全失業率が関西で7%を超えている。新卒の就職率が低いのは本当にお気の毒だ。これからというときに出鼻をくじかれるのは、トラウマになりかねないと思う。
だからこそ、働きすぎている社員―特に無駄な関連業務に使われている社員―からその仕事をとりあげて、新卒の仕事を創るのが伸びる会社ではないかと思う。
いや、すでに院生のパートで教育サービスは充分という時代になりつつある。
本当の「熟練」「専門性」は、どこに光を見出せるだろうか。
 


サスケはグレート

at 2003 03/31 23:34 編集

地元の高校が甲子園で延長15回の熱湯いや熱闘のすえ引き分けてしまった。いやはや、ご苦労さん。
ここまでくると、実力は伯仲という感じだからサヨナラゲームなどなしにしてほしいものだ。ダブルスコアならわかるけど。
実力というより忍耐力が問われそうな気もする。僕が選手なら、もう試合に飽きてしまって「はよ風呂はいって一杯やりたいんじゃ」と厭戦気分になっているだろう。
まぁそんな高校球児はいないだろうが、監督をしていたら、「好きなように振って投げて走れ」とだけ言い放ってベンチでふんぞりかえっていると思う。
すると案外あれよあれよと出塁し走者一掃満塁サヨナラホームラン・・・となったりして。

どこか東北の地方選挙に、グレートサスケがマスク姿で立候補するというニュースを見て、「これでんがな!」とひらめいた。
gaiax日記アーカイブ2003年 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
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