solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2004年10月の日記
新潟を買おう

at 2004 10/31 15:23 編集

新潟で家を失った住民のために、やっと自衛隊のテントが立ち並びはじめた。
お年寄り最優先で入居できれば・・・と思うものの、エコノミークラス症候群で急死するのは、働き盛りの年頃の住民だったりする。
だれにとっても、マイカー暮らしは体に相当な無理をきたしているのだろうと思う。

先週、命日の線香をあげに行った元同級生も、阪神大震災のあとはクルマで寝泊まりしていたと後に話してくれていたのを思い出す。僕は避難所で寝泊まりしていた。
広い場所だと体は伸ばせるが、インフルエンザの集団感染やトイレの不衛生が問題になっていた。

クルマで寝泊まりしている被災者に情報や救援物資が届かない点も取り沙汰されているけれど、マイカーにこもるなら、情報や物資は自分で取りに行くぐらいの手間はかけないと、
そう言うと、被災者バッシングのように響くのが災害救援のナイーブな側面だが、動かないと実際に循環器や代謝に障害が出るわけだから、どんどん動く機会があった方がいいように思う。

うろ覚えで、伊丹十三さんが、岸田秀さんとだったか、『保育器の中の大人』という対談を出版されていた記憶があるが、まさにそうなってしまうのはこわいシナリオだ。
僕が震災後3カ月ほどたって手伝いに行った仮設住宅では、上げ膳据え膳で1DKのプレハブ長屋から一歩も出ずに暮らせるようになったおばーちゃんに、痴呆が進行していた。
もちろん、災害そのもののショックや環境変化も要因だろうが、「今まで通りの不便」まで手厚く消してしまえばどんな副作用が出るか、蓄積された過去の教訓をちゃんと活かして、救援文化を創って行ってほしいと思う。

「世話好き日本人」は、実は「そんな私の自己愛」であったりするから、「被災者の喜ぶ顔が見たいから」としゃーしゃーと語っていたボランティアには、スピード開発した「被災AIBO」を与えれば満足するかもしれない。
心のケアが大はやりの、うさんくさい時代だからこそ、本来の「新潟という地域の経済復興」を願わずにはいられない。
だから、小千谷ちぢみは着る機会がないが(古いかな)、山古志村特産の作物や果物が出荷されてスーパーに並んだら、最優先で買いたい。地酒も飲ませていただきまっせ!
経済復興こそ、全国どこでも「購買」で支援できるボランティアになるし、生業を失った人にはその人に合った仕事を世話するのが、ボランティア以上の人情ではないかと僕は思う。仕事を奪ってはいかん。
1万円募金するなら、1万円地元に落ちるような買い物をする方が、地元の経済復興になる。
観光地なら、観光客が戻ってきて、地元の物を買ってくれるのが一番うれしい。
・・・というのは、客好きな神戸市民の感覚かな?


犬のノミ

at 2004 10/30 17:40 編集

イラクで人質になった香田さんの実家には、あいかわらず匿名の非難・中傷が殺到しているそうで、ご家族の心痛をお察しするばかりだ。
某棋士と同様、ナニサマかになりたがっている小市民が多いのだろう。
裁判官になりたいなら、司法試験を受けなさい!(笑)

今年は自己責任というのを考えさせられる事件が多くて、不謹慎な言い方だが、テロリストにそんなチャンスを与えられたのも事実だと思う。
「テロはいけない」のは当たり前だが、テロを責める資格を、善人づらの小市民は自問自答すべきだろう。

「ブッシュの飼い犬」を支持している日本人は、香田さんに自己責任を問う資格はないと僕は思う。現政権を支持しているか、反対票を入れに選挙にも行かず放置しているということが、結果的に「テロに狙われる日本」を支えているわけだから。
テロリストも誘拐も「間違い」だと思うし、免罪されるべきではないが、弱い者を叩いてテロには手出ししない醜悪な日和見主義もまた、根深い病気に見える。
香田さんへの責任追及は、救出された後にやればいいではないか。

ブッシュも飼い犬も、「テロに屈することになるから軍隊は引き揚げない」と意固地になって思考停止しているのが現実。
(テロがあろうとなかろうと)外国の武力が駐留し、暫定政権と言いながら実態は傀儡政権が統治している独立国というのは、国際法上違法な状態にあるから、イラク人はイラク人に任せて撤退するのが正しいという結論に至った、というのが法治国家のとるべき道だろうと思う。
こんな基本的な国際法秩序を論理的に考えない首脳たちを、まず叩くべきではないだろうか、匿名で個人宅に中傷を送りつける愚か者どもは。

むしろ、「自己責任社会」になって困るのは、喫煙者やドライバー、コカコーラ・ジャンキーetcetcの一般国民自身ではないだろうか。「病気は不摂生だかな治療費は自己負担!」といわれればどうするの?

おそらく肺ガンになる喫煙者に費やされる保険診療費とか、飲酒運転にひき殺された被害者の遺失利益etcの何百分の1かの費用で、イラクに入った単にお間抜けなだけの青年を保護・救出するぐらいは、国の責任でやってあげればいいのではないだろうか。
ただし、帰国したあと「福祉懲役」でも命じれば、不満な納税者も溜飲が下がるだろうと思う。そうした「納得の行く落とし前」をつける仕組みをつくる方が、前向きでいい。「放ったらかし」というのは、思考停止でしかない。

政府の退避勧告を無視して危険地域に立ち入って誘拐されたりした邦人がいても、助けないわけにはいかないのが国家利害というもので、もし自己責任をふりかざすと、「あぁそうですかい、では老後は自己責任でやりますから年金払わんからね」という日本人は確実に増える。
税制と社会保障には僕も不満タラタラで、たとえば「喫煙者の肺ガン」など自己責任を問いたい気持ちが山々だが、自己責任を細かく追及すると、日常生活はリスクだらけ、自己負担だらけになってしまう。

どんな行動のリスクまでを国家責任で助け、どこから自己責任を問うかは、とても難しい。
「地震大国日本に好き好んで暮らすなら、震災は自己責任」「自殺は救急救命救命しません」などといいはじめたら、そもそも統治というものが否定されてしまう。
自己責任論は、一度「無政府状態」を体験してみてから考えてみてもいいだろうと思う。

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2004年9月の日記
非才見舞い

at 2004 09/01 11:53 編集

新学期スタート!と、お定まりのニュースを聞くたびに、あのなー勤労者の夏休みはとっくに終わっとる!プロレタリアートに2学期なんかないわい!と思うのだが、今さら反論してもどうにもならない。
たしかに、ラッシュアワーの通勤電車なんかは、大学生ぐらいの層も何%かいるせいか、休み中はすくし「新学期」には混雑もする。
児童・生徒がいる家庭だと、やはり生活パターンも違ってくるのだろうと思う。
でも、「お子さま暦」を中心に社会が回っているのは、やはり変だ。
もし子供を大切にしている社会なら、なぜ出生率が下がり続けるのか。

夏休みの宿題をやってあげるマニュアル本が、腐るほど出ていた。「親子で楽しむ○○」の類。
ふだん学校と塾に管理されている子供は、夏休みぐらい解放してやれよー、と思うが、祖父母とママは放っておけないのだろう。

ちょうど2学期が始まる今日は関東大震災の勃発日。
地震や台風に遭ったときどう助かるか、被害からどう復興するかが、知恵の見せどころだ。
そこで、夏休みの宿題は災害シミュレーションにすればいいと思う。9月1日に富士山を噴火させる、飛行機が六本木ヒルズに突っ込む、「関東阪神以外大震災」が起きる・・・そのときサバイバルできるか(ブルジョアは潔く即死できるか)、機敏に救援ボランティアに行けるかで、2学期の成績をつければよろしい。

そんな対策まで、日能研や希学園あたり、夏期講習で始めそうなイヤな予感も・・・。
「関西にある活断層の位置を地図に記入しなさい」
「地球上のプレートの名前を全部あげなさい」
なんてお勉強を、冷房の効いた教室でハチマキしてつめこんでいるところへ、不意にピカドン!と一撃。
「ウグググググ・・・せ・せんせい・・・今のは何ですか。1、雷。2、核攻撃。3、隕石。ひとつ選べ」
「せんせい国文科の院生だから、わかんないよごめんね・・・」ガクッ
とまぁ、こういうのは畑の有機肥料になってもらうしかない。


メッセでっせ

at 2004 09/02 14:45 編集

町内にあるのに、めったに行かない東急ハンズ。ハンズメッセぐらいでしか、行くきっかけがない。
ハンズメッセも、冬はなんとなくにぎわっている気がするのに、なんで夏は8月末からなんだろう。7月20日からにして、「リゾート・モード」で品揃えすれば、もう少しパッとすると思う。
が、提案しているつもりの僕が買ったのはハンディ・マッサージャーだから、季節感まるでなし。あー効く効く・・・極楽。

もしかすると、こんな健康グッズの専門店があるのかもしれないが、知らないからハンズメッセで目についた→買ってみるか、というだけの話。
ハンズでの買い物は、こんなパターンが多い。
ある程度の知識があれば、手芸用品はユザワヤに行けば確実だし、工具類はコーナンに行くし、アウトドア用品なら好日山荘、家電はジョーシン・・・と、専門店が半径1km内に思い浮かぶ。文具・事務用品だと、富士商会という大学生協みたいな全品2割引の店があって、ハンズより売り場は狭いのに、とにかく驚異的に何でもある。
あとは、そんな専門店に足が向くか、「ハンズでいいや」とかたづいてしまうかの問題。

扱っているものが悪いわけでもないし、ふだんの値段の高さも店員サービス料込みだと思えば納得できるのだが、百貨店化すると、こだわる客からは敬遠されるのかな。
デパートが家電や本から手を引いて、高級ブランドものと地下食品(と書くと怪しい匂いやな)で勝負しているように、ハンズも「勝負どころ」を見せてほしいと思う。
やはりDIY精神というか、せめてテイストだけでも死守してほしいものだ。

組み立てキットなんかもいい。うまくできないときは名人級の店員がサポートすれば、固定客化できる。
大昔はプラモデル職人みたいな人があちこちにいたものだが、今はフィギュアショップとか、「そっち系」に濃厚な客が集中している。下手すると「おたくハンズ」になってしまうから、鉄道とかフィギュアの禁断の世界には踏み込まず(ハンズの真南200mにオタク解放区と化したビルがあるわい)、「日曜大工」「クラフト」「アート」路線で行けばいい。
まぁ、Nゲージ屋さんなど「俺たちゃHOゲージより繊細なアートなのだ」と自負しているのかもしれないが・・・(僕は決して鉄道模型に手を出したことはない)。

たぶん、、手作り大国のアメリカあたりと比較して、あまりにも法規制が多い日本だから、ログハウスとかリフォーム、手作りカー&バイクも、「自己責任でやります」といっても、何かと規制にひっかかるだろう。それが、ハンズのような店にしてみれば、手かせ足かせになっていると思う。
ログハウスキットを自分で組んで住みたいと思っても、火事になりやすいとかでほとんどの住宅地では建てられない。
車やバイクの改造も厳しく制限されていて、せいぜいアクセサリーを買ってつけるぐらいしかカスタマイズできないようだから、手作り派は腕がうずくだろう。

ハンズには、あんちゃんたちには料理教室を、おねーちゃん向けには大工教室を企画して、「大人の家庭科」路線でがんばってほしい。
うまく行けば、独身者はますます「パートナーいらず」になってしまいそうだから、究極は「彼氏ロボット・キット」だろうか。
画像や人形を彼女の代用にしている先駆者は五万といるから、それがついに女性にも普及して行く!・・・か?


浅間2000というスキー場はどうなるの?

at 2004 09/03 06:18 編集

浅間山の噴火は、地元でも東京でもわりと落ちついているのが意外だった。
首都圏の一部のようなエリアだから、火山灰で農家が大被害を受けている面に、ピンとこないせいかもしれない。三宅島の例も身近なはずなのに。

火山の噴火といえば、五木寛之氏の小説『にっぽん退屈党』(文春文庫)を思い出す。これは浅間山ではなく、富士山を噴火させてしまった革命家集団の物語。
先生の勧める少年文学全集の類は無視して江戸川乱歩にはまっていたほどのアンダーグラウンド・ロマン愛好者の僕が、二十歳ごろ読んで戦慄を覚えた名作だ。

浅間山や阿蘇山は、噴火しても当然なほどありふれた火山のようだから、いくら祟りだ何かのお告げだとフィクション仕立てをあおっても、国民のほとんどは地球物理学の方に耳を傾けるだろう。
そんなご時世だから、おもしろいのは、槍ヶ岳が岩の円錐のように見えて実は中がアポロチョコレートだったとか、八ヶ岳の「にゅう」という変わった名前の(乳頭形をしている)ピークが実はミルクをほとばしらせる悩ましい山だとか、そんな類の「トリビアな地球物理学」だ。トリビアどころか、むしろ「トンデモ科学」かもしれないが。

でも、サンダーバードにはまっていた少年なら、どこかのシュロ並木を見かけると、それがさーっと倒れてサンダーバード2号が発着するシーンを夢想していただろうし、月を仰ぎ見ては「謎の円盤UFOとムーントランスポーター」を探していたものだ。
僕は「地球防衛軍親衛隊幼年学校生」だったから、滝を見るとウルトラホーク3号が出てくるのではないかとわくわくしながら眺めていた。山肌がズルリッと動けばウルトラホーク2号ノースゲート・オープン!である。

八ヶ岳の麓で僕を逆ヒッチハイクしてくれたあんちゃんも、飛んでる人だった。
いま当時のコースをたどってみると、なぜあんなコースでもない草原の小道を歩いていたのか自分でもわからないし、ぽつんとたたずんでは彷徨する登山者らしからぬ人物となぜ遭遇したのかも不思議だが、ともかく廃品回収業者に逆ヒッチハイクされたのだ。

メールなどない時代だったから、住所を交換して別れたら、「私の師匠の本です」と送られてきたのが、五次元世界がなんとかかんとかという本。
たしか五井野正という著者で、むやみにマイナーな国の勲章や聞いたこともない外国大学の学位をいっぱいもらって記念写真をとりまくっているダテ男(に見えた)だった。

ただ、この「弟子」さんはさっぱり押しの強くないさわやかな人だったので(うさんくさいけどねー…と苦笑する、世捨て人のようなキャラクターだった)、残念ながら僕は「五次元世界」には連れて行ってもらえなかった。

先日アテネで優勝した野口みずきの注目点は、ツチノコを見たとか、UFOが飛んでいたとか、NHKで巧妙にカットされるような発言をしていることで、あの方は美内すずえの世界に行きそうなテイストを感じる。がんばっていただきたい(何をや)。

野口みずきテイストの人は、陰陽道より、やはり『ムー』の方を愛読しているのだろうか。
宇宙と更新するおじさんとか、波動を感じるワおねーちゃんとか、アムウェイ洗脳主婦とか、いろんなトンデモ人種に出会ってきたけれど、残念ながら僕自身は、まだ「あっちの世界」にも「そっちの世界」にも行けてない。
これはスゴい!と開眼するような、上出来のフィクションに出会えていないだけかもしれないし、色と金から逃れられない世俗べったり人間だからかな?
金星人(とやら)の恋人でもいたら、「金星に地球の金は持って行けないよ」と説いて巻き上げてしまいそうだし。
あぁ、そうか、だから地球人とは御縁がないのか。
行っちゃいそう、行っちゃいそう・・・(笑)。


カールツライっす

at 2004 09/04 11:55 編集

台風のおかげで急に涼しくなったと思ったら、きのうの出勤途中の並木道に、もうギンナンが落ちていた。ちょっと早すぎるんでないかい?
小中学生が、くさいくさいとキャッキャ笑いながら小走りして行く。キミたちも、ギンナンの茶わん蒸しには文句はないでしょうに。
のどかな朝はいい。

夏男としては、このまま足早に夏が褪せて行くのも寂しい。
どの季節もそれぞれに趣があり・・・と皇太子トークをするつもりはない。秋の空気感は格別だ。山の緑も目から1枚ウロコが落ちたように鮮やかに見える。

こんな透明な空気感には、カール・ツァイスだ。
というわけで、また病的なくせで、CONTAX印のデジカメを買ってしまった。電脳ショッピング判事の裁きを覚悟しつつ(笑)。
突っ込まれる前に重々承知しているのは、「CONTAX印」であってCONTAX製というわけではないから、どれほどの違いがあるのかといえば、「あるようで、ないようで」というしかない。

しょせんデジタル写真の世界だから、「どうです!バリオ・テッサーの描写は」「バリオ・ゾナーとどう違うのだ?」なんて論争をしたところで、どう味つけされているかわからないのがデジタル画像。どうにでもごまかせる。
撮った本人ですら、「最終データ」は永遠に完成しない。ある意味、絵画や彫刻みたいなものか。
フィルム125分の1秒とか、4000分の1秒の一瞬で、ネガとかポジという最終データが残る。これは版画の世界に似ている。

だから、どっちが芸術的か、高級かと対決をしても不毛だ。
パトローネ(イルフォードのパトローネ・デザインは秀逸だ)に入ったフィルムをカチャリと充填して、玉虫色に光るレンズを選んで装着し、ガバナーと歯車の感触を楽しみながら撮影する・・・こんな作業は、それ自体に情念を刺激する何かがあると思う。
撮ってどうレタッチするか、なんて楽しみはない、というか考えなくていい。

では、なぜデジカメを買うのかといえば、「つまらなさを実体験して、性懲りもなく再確認するため」という妙なことになっている。
立派な病気である。


財布

at 2004 09/05 11:41 編集

どうせカスしか当たらないだろうに、「5000円お買い上げで福引き1回」のために、よけいな買い物をするはめになるハンズメッセ。
つくづく、まんまと店に乗せられる小市民やなぁと自己嫌悪にさいなまれる。
せめて、「今はいらないが、いつかいる」ものをと考えて財布を品定めするが、こんなのはスーパーや地下街や、駅のコンコースでさえ1000円均一で売っている。
でもしかたない。本当に、「今はいらないが、いつかいるもの」がほかにないのだ。
財布売り場に群がる客には、なぜ「趣味は貯金なのさ」というオーラを発散させているオババが多いんだろうと疑問に思いながら、自分もオバサン化していたかもしれない。

飽きて買い換えるようなことは、財布にはまずないことで、たいていほころんだり落としたりして、しかたなく新調することしかない。1〜2年の周期だろうか。
ところが、今の財布は5年ももっている。無骨で、特に愛着もない「バッタもん」だが、こわれないし、特に不満もない。
気分転換に別の財布に浮気して使っていたら、落として散々な目に遭った(現金や回数券は抜かれて、残骸だけ警察から通報をもらって引き取りに行った)ので、また戻ったのが今の財布。経験はないが、なんだか浮気でヤケドして古女房に舞い戻り「やはり戻ってくると思ってたさ」「かーちゃんごめん!」なんて会話をしたような気分だ(笑)。

とすれば、またぞろ浮気心を出して、なにか災いが起きるのかもしれない。
そんなジンクスをかついで手を出せないでいると、なんのための買い物なんだか・・・。
罪なバーゲンである。


進度4

at 2004 09/06 07:25 編集

きのうの夕食後のグラグラ、おまけに夜中にもグラグラ・・・けっこう長時間の地震はこわかった。9年前は熟睡中だったから、「わけわからんうちに生き埋めになっていた」というドタバタだったが、意識がはっきりしているからこそ、こわい。

それにしても、「NHK和歌山放送局では、机の上のパソコンが落ちたりすることはありませんでした」てな形容は、どんな意味があるのだろうか。実際に、一般の民家では、階段から落ちて骨折したりしている被害者が入る大地震だったのだ。
犠牲者6400名の阪神大震災でも倒壊しなかったような頑丈そのものの放送局を基準に、「それほどでもなかったよ」といわんばかりの報道は、完全に庶民感覚とかけ離れている。受信料ボイコットされまっせ。

最初は突き上げるような縦揺れで、つづいて横揺れが続き・・・ともっともらしい用語で「わかった気」にさせないでほしい。
舗装も造成もしていない地面の上でナマの揺れ方を感知している人間なんて、まずいない。
床がチープな一軒家だと縦にバウンドして縦揺れに感じるし、免震構造の建築の中にいれば横揺れするわいな。
こんな環境の違い、錯覚、不安心理etcetcを横に置いて、縦揺れだ横揺れだと断定するのは、素人を惑わせるだけで百害あって一利なし。
そんなことがわかって、どうなるというのだ。「縦揺れにはうまく縄飛びしていると被害を受けません」とでもいう気か(笑)?

「津波は時速500kmで進む」という情報も驚きだったが、沿岸部でも100kmで押し寄せます。決して見に行かないように!という放送は、やんちゃなサーファーに「それ行け」とけしかけるメッセージにならないのだろうか。
震災報道はまだまだ情緒的で、あまり進化していないような気がする。


予知能力

at 2004 09/07 15:14 編集

また、いやーな揺れが長く続いたと思ったら、西には台風。これも不思議なことに、雨がさっぱり降らないで、熱風が吹き荒れている。
ニュースで「河船の増水や氾濫に気をつけて」といわれても、ぴんとこない。いっそ、ふだんゴミや汚水をほかされているばかりの川が「反乱」したり・・・というのは困るけど、雑炊が流れるとありがたいかなぁ・・・いや究極の生ごみかもしれんなぁ・・・とバカなことを想像してしまう。

こんなに天変地異がたて続けに起こると、「これらすべて大地の神の怒り」「宇宙の波動の歪み」てなことを口走る部類も出てこないのだろうか。
「なんでもかんでもユダヤの陰謀説」の落合信彦は、少しトーン・ダウンしたご様子だし。

この手のシナリオは、天変地異を何かもっと大きな変化の予兆だとこじつけるパターンと、大きな力が働いた結果だとこじつけるパターンに分類できるようだ。
プレート・テクトニクスもいいが、せっかくだからファンタジーを楽しみたいし、うならせてくれるようなトンデモシナリオを、だれか唱えてくれないものかね。

宇宙エネルギーとか霊の力とやらはもう飽きたから、すべて元凶は自民党とか、もすこし現実的ないいがかりもあってもいい。
ただ、クラスや職場で「あいつが魔の世界の使者だ」てな話になると、人身御供にされかねないこわさを感じる。実際そうされてきた当の本人として(笑)。

シナリオを楽しむより、「自分だけサバイバル」を考える現代人は、超能力願望を持つようだ。
どこでもドアで酒池肉林に入りたいとか、たけコプターで満員電車から免れたいとか、他愛もない超能力はすぐ飽きそうだから、やはり究極は予知能力だろうと思う。
これだと、単純に札束をホイホイ出せる超能力より、買った株が株式市場で大化けするとか、ハルウララが天皇杯を制するとか、200枚買った宝くじが全部3億円当たるとか、もうかる前の楽しみを味わえる。
ただ、600億円の成り金になったとたん女狐にもてまくったり、あげくの果てには暗殺される最期まで予知できるとすると、つらい。

それにしても、なんだか「東海道沖大地震」が匂ってしかたない。
なぜか必ず生き残ることになっている政財界のお偉方が、じわじわと熱海・伊豆・箱根の別荘をたたみ始めると、やばいと思う。
ピーターさん、どうなんですか!?


新快速湯

at 2004 09/08 06:10 編集

土砂降りに遭うぞ遭うぞ・・・と思って外出したら、結局ほとんど雨は降らないまま、台風は去って行った。
たしかに風は強かったし,海沿いの国道2号線は潮に浸ったりしたようだが、あまり被害がなくてよかった。

ただ、帰宅ラッシュ時の神戸以西のJRが止まっていて、小パニックになっていた。
で、近所のコンビニがどこも大繁盛していると思ったら、帰宅をあきらめて職場かホテルかに泊まる人が多いのだった。
よほど、「歩いてすぐのトーホーストアに、安くてうまいオリジナル弁当あるよ」と営業したろかと思ったが、急なお泊まりモードになると、やはり頼れるのは
コンビニなのかな。

ところが、夜中前にJRが運転再開してしまった、
充分、明石でも姫路でも淡路島でも帰れる時間だ。
ホテルなんか取ってしまった人は、運が悪かった!

こんなときこそ、「いつ運転再開するかわからない」鉄道会社は、列車ホテルをスタンバイさせておくのが良心的というものではないかと思う。
こうすると、「寝て起きたらホームタウンに着いてた」だとラッキーだし、動かなくてもダメもと。

僕はスキー帰りに持急の列車ホテルにめぐりあったことしかないが(災難だと思うのは損。特急料金返してもらって寝泊まりできて飯がつくのは棚ボタだ)、在来線では未経験だ。
リクライニングシートでないのは少しつらいが、まあ珍しい経験にはなると思う。
こんな非常時だけはしかたないから、女性専用車を朝まで確保するのもいいでしょう。
そして!その隣の車両に、列車ホテルというからには、「浴場車」もl両ほしい。貨車をつないで湯を注げば、けっこうな大浴槽になるはずだ。

もちろん周囲から注目されてしまうから、瀬戸大橋とか関空連絡橋とか、餘部鉄橋の上に停めておけば大丈夫。
絶景だし、料金とってもいいぐらいだと思う。

バカなことを・・・と鼻で笑われそうだが、69%は真面目。
そういえば先週、廃止になる南海貴志川線を救うには?という番組をNHKでやっていたけれど、元手さえあれば僕は鉄道を買収して、列車ホテルを経営するね。浴場車は名物として必ず編成に入れる。
赤字線は風光明媚なところが多いから、うつりゆく車窓風景を眺めながら、10km/hの運行・・・というのもいい。全国全世界から鉄ちゃんが来てくれそうだ。

よく豪華客船が甲板にプールなんぞ装備しているが、ありゃ恥ずかしいスノビズムだ。まわりは海なのに、なんで毛唐どもプールにこだわるねん。
泳ぎたいやつは飛び込めばええんじゃ。置き去りが心配なら、生け簀を曳航して、そこで泳がせる。
やるなら、風呂である。満点の星空を眺めながらの、究極露天風呂になるぞ。

客船だとスケールが大きすぎて夢物語にしかならないから、手近なところで鉄道となるわけで、世界一熱い日本の鉄人なら、きっと実現してくれると思う。
列車ホテルに、列車喫茶店、列車病院、列車葬式・・・


救急究明士

at 2004 09/09 14:53 編集

「今日は救急の日ですよ」と報じるNHKが、何度も救命救急士と呼び間違えるほど、専門の資格がまぎらわしいのは何とかしないといけない。救命救急センターと救急救命士があるのも、ややこしい一因かもしれない。
いっそ名前を変更して、「命お助け士」では間が抜けているとしても、スカッと一語で納得できる名前はないものだろうか。

そして「究明士」というのを新設する。弁護士や警察や検察が追究してくれない難問にメスを入れる専門家だ。
にせ温泉を暴いたり、スイカップに札束をねじこんでいたNHKの不正経理を糾したり、仰天の「読売タイガース」構想をスッパ抜いたりするのが初級(審査員はテリー伊藤)。
そこまでは命の危険はないが、中級になると、マル暴と芸能界と政財界とのおつきあいを暴く。ヒヤヒヤ…
上級は天皇の戦争責任まで行かないと…。ズドン!

国際A級、B級なんてのもつくって、「アジアで少年少女買春している欧米人の実態」は小手調べかな。
命さえあれば、ユダヤコネクションとマフィアとバチカンの関係まで、解明できるかもしれない。

それは冗談半分として、「究明しない士」が多すぎるから、どんどん血税や受信料や保険料がむしり取られるがままなのだと思う。
いま話題の、「逃げたり頬かむりしたり隠したり」略してNHKは、せめて受信料の使い道として職員の年収は公開すべきだろう。プライバシーだ?しゃらくせえ、「給料の出所」に使い道を説明する義務はないってわけですかい?
民放キャスターは、だれが何億円かせいでいても、納得できなければそいつの出ている番組のスポンサーをボイコットするなり不買運動するなり、働きかけはできる。
そんな回路が閉ざされているのだ、NHKと役所の仕事ぶりには。

願わくば、草野さんあたりに、「今だからいえること」をぶっちゃけてほしいものだ。ワダベンの下半身も含めて。


不適切な市

at 2004 09/10 15:22 編集

「本場」では当たり前にあるプロ野球のストが、日本で実現するかどうかの瀬戸際交渉。
ファンにとっても球団にとっても選手にとっても不本意だろうが、ここまで実力行使できるようになったのは、意味があることだと思う。
そう思わせる効果があったのではないかな、あの「たかが選手ごときが」発言は。
上から高圧的に権力をふりかざす悪役は、いるだけの値打ちがある。
おかげで、みな目覚めて、野球は選手とファンあっての文化なんだという当たり前のことに立ち戻れるから。
あまりマネージメントがでしゃばりすぎると、ろくなことにならないと思う。

いっそ、マネージメントがうまく行かない事業は、行政がやればいい。銀行も国有化される例があるように。
そこで、近鉄は藤井寺市か大阪市が、ブルーウェーブは神戸市が買収して、公営球団にする。これこそフランチャイズの極みだ。
バカみたいな市営空港を造る費用の100分の1ぐらいの費用ですむだろうし、「全員公務員のプロ野球選手」というのは世界の注目をあびて、キューバと友好関係もいっそう強くなる(笑)。

逆に、採算を度外視して市民にツケをまわしているような市営空港なんぞ、オリックスに下取りしてもらえばいい。飛行機をリースしている会社だから、空港リースでもかせいでもらえば「いい流れ」ではないか?
ついでに市長もリースでいい。ゴルバチョフとかジュリアーニ元NY市長とか、マジソン郡で「不適切な関係」にふけったクリント・イーストウッド元カーメル市長とか、おもしろどころを借りてきてほしい。

ついつい郷土愛?から手厳しくなってしまうが、今の市長なんて、土地と結びついた顔ではなく、小役人そのものが談合で票を集めただけ。だから、「グリーンスタジアム神戸」が「ヤフーBBスタジアム」になってしまうのだ。これがもし隣の芦屋に「グランドメゾン田園調布」なんてマンションができたら、地元が許さないざます!

いくらオーナーが地元出身だといっても、地元が喜ぶ球団経営をするとは限らない。
京都や大阪だと、出身者が軽率なことをすると地元が黙っていないはずだが、神戸は「好き勝手にやってお咎めなし」だから。なんだろうこの街は。
もう、オリックスにやる気がないなら、本拠地を神戸に!なんておねだりは、誇らしくやめた方が潔い。地元球団がなくなっても、世界から偉人をひっぱってくれば、市民は軽薄に浮かれて幸せだ。いまだに異人館でかせいでいる街なんだから。
個人的には、「ビル・クリントン神戸市長」なんかいいと思う。実現したころには、「妻は大統領ぼく単身赴任中」とまぁ、男女共同参画者会の鑑にもなりそうだ。
それもまた空港の何百分の1かのスカウト料を積めばできるはずだが・・・。


第2ラウンド

at 2004 09/11 15:06 編集

よかったのか悪かったのか、「プロ野球スト回避」となると、「台風がそれた!やれやれ」と同じトーンでうけとめてしまうのは、まぁ球場近くの商売人ならしかたない。

でも、交渉そのものは「失敗だった」と僕は思う。
何ひとつ、確約を取りつけられなかったから。
結局、パリーグ5球団で行くと確認させられた。つまり、合併を追認したということだ。

新しい球団も参加できるようにしたいね、と曖昧な合意だけはしたものの、現に名乗りをあげてる会社があるんだから、ずばり「ライブドア・バファローズ」を認めるかどうか、具体的に俎上に乗せてなんぼの席ではなかったか。6が5にされ、また6を勝ち取ってはじめて、選手の雇用問題はセーフである。

ところが、今回の交渉は、ふたをあけてみると「近鉄とオリックスを1つにして、選手の雇用問題半分リストラ」案を呑まされたという結果。そりゃ経営側が笑顔で握手を差し出しても、古田は憮然と拒むわなぁ・・・。

古田もよくやった、ねぎらいたい、野球に専念してほしい、と思うせいだろうか、「どのメディアも本当の採点」をしない。
たしかに、よくやったと思う。古田は個人的には偉いと思うし、類い稀な知将タイプだろう。
しかし、選手4人vs12球団経営者というアンバランスも問題だ。人数で威圧するというのは、労働運動の基本中の基本だろうに、これじゃーリトルリーグvsプロ野球だ。

いたずらに長引くと、味方だったファンも離れて行く。「5回コールド勝ち」できるぐらいの短期必勝作戦に期待したいところだ。


チャーリーとエンジェル

at 2004 09/12 14:19 編集

座間基地に「赴任」したジェンキンスさんは、妙にかっこよかった。
きちんと軍に戻る手続きをして、「軍人としての罪を問う代わりに軍人であるから月給36万円を支払う」という事務処理は、一応のフェアプレイだ。不謹慎な邪推だが、曽我さんも「あなた、やはり軍人でいなさい。あなたには国民年金ないんだから、この方が得よ!」と耳打ちしてたりするかもしれない(失礼)。

脱走したときに時計を戻して、そこから身分上の処理をしなおそうというのは、軍隊ならではの体面だろう。
「日本で家族仲良くしてるんだから、罪を問うな」と人情話にもつれこむ世論に対して、こういう理屈も使える、こう処理すれば整合性が崩れない、とロジックを究めるのは、政府なら当然すべきことだ。
そこで大衆人気に迎合して政治家がロジックを都合よく曲げたりすると、ヒーローになってしまう国と、アンフェアとして非難される国があるように思う。

だから、こんなときこそ、わが国では皇族発言が鶴の一声として響いたりする。
「ジェンキンスさんに対して、不当な人格攻撃が目に余ります」
と記者会見してもらうと、いくらジェンキンスさんが飲んだくれても、チュチェ思想の本を読んでいても、日本人みな味方になる。
セイン・カミュとかパックンマックンあたりのファンキー外タレが活躍している芸能界には、あの世代の渋い(爆弾発言もしてくれそうな)外国人がいないから、「ジェンキンス枠」のようなものがすでに用意されているのではないだろうか。

まぁご家族にとっては気をもむことになるだろうが、アメリカの退役軍人が運命のいたずらで妻の祖国に来日することになって、余生をどう過ごすかは大事なことだ(もちろん、北にいるより希望はあるだろう)。
現役の米軍人と違って、日本語を習得する必要もあるし、年金がないから働く必要もあるし・・・。

それ以上の詮索はプライバシーに触れるからさて置くとして、ちょうど先日「徹子の部屋」に出ていたロザンナさんと、若い頃のイザベル・アジャーニのような美貌の娘さんを見て、ついの祖国というのを考えさせられた。
ヒデと一緒に仕事をしていた国、子供が育った日本国に、ロザンナさんはすっかり同化しているように見える。自由に行き来できるとはいえ、イタリアの家族との御縁もあるだろうし、気持ちの整理をつけるには年月がかかっただろうなと思う。
もちろん、ロザンナさんは自分の意志で来日して、仕事で生計を立て、生まれた子供が母親にとっての外国を母国として育ったというのが、同化できる強力な要素になったと思う。

その要素がないジェンキンスさんのつらさは、ついお察ししてしまう。彼の祖国はどこになるのだろうか。
「親子4人仲良しショット」に目を細めているだけの人情話ですませてはいかんと思う。
こんなケースは、日本の社会保障の守備範囲という問題を浮き彫りにしてくれる、リトマス試験紙にもなる。


焼き鳥バファローズ居酒屋ブルーウェーブ

at 2004 09/13 06:38 編集

労働運動や反戦運動、学生運動、住民運動etcetcが昔のように目に見える形で盛り上がらない、という定説もある一方で、プロ野球選手のストは臨戦状態。
おかげで国民の関心が集まっているのは、いいことかもしれない。

草の根の運動はとりあえず好意的にクローズアップする朝日新聞に、60代の紳士の投稿が載っていた。かなり踏み込んでいて、思わず行け行けエールを口走りそうになった。
選手がストをするなら、ファンもストをやろうというわけで、つまりは不買運動のすすめである。

ただ、広告収入で成り立っている新聞に、この種のメッセージが露骨に出ることは自殺行為だから、まず載らない。そこは世間を知る人生の達人、うまくぼかして軽妙な文体で笑いを誘う。なかなかの文章家ではなかろうか。
選手の言い分を聞かないスーパーも百貨店も電車も利用しない、大新聞もハムもチョコも乳酸菌飲料も買わないでやろう!と書いてあったのだが(笑)、肝心の「リース」は、ちょっと照準を合わせにくかったかな。
あと、僕には親会社がよくわからない球団もある(ベイスターズって水産会社ではなくなったのかな?)。

しかし、阪神は今まで通りの2リーグ制維持を訴えているから標的にはならないと思うが、もし一転「パリーグ・リストラ案」など出したら、阪神電車沿線の住民はどうしたらええねん?
阪神間なら、少し歩けばJRや阪急に浮気することもできるけれど(僕は浮気症だからJR、阪急、阪神、地下鉄のどの駅にも近いところに寓居している)、いま話題の近鉄だと、三重県や奈良県の沿線の持ち家に住んでいるファンは、ボイコットしようにもできないではないか。

たしかに、ボイコットというのは、「飽食の時代」に合う戦術かもしれない。
選択肢がたくさん、しかも続々とある寡占市場だと、1社がボイコットされて敗退しても、市場経済それ自体にあまり支障はない。ヤク*トがなくてもビックルがあるし(ヤ*ルトおばさんはお気の毒)、ゴリ売り新聞は多少お客さんが減ってもつぶれないだろう。

むしろ、静かな国民的ボイコットが進んでいるのは、年金と結婚だ。いきなり現実的な生活問題になるが。
どうしても「払えない」「できない」のではなく、これはかなり意図的にボイコットされているように思う。
海外旅行者も多い、クルマは減らない、ブランドものは売れに売れる、行列はできる、スピリチュアルだけでも売れる(笑)…日本人のあんちゃんお姉ちゃんに、経済力はありありなのだ。パラサイトしていれば経済苦は実感ないし。
だから、諸手当てを増やしたりしても、的外れではないかなぁ・・・。
政治屋がこの意図を誠実に聴きとろうとしないなら、ボイコットは「該当者」の半数に届きそうな勢いだ。もうすぐに。
こっちの方が、僕は気がかりである(あんたこそ!と責められるのは承知)。

さしあたっての日本球界だが、潜在的に購買力のある日本人は、ブロードバンドやらデジタル家電やらを導入して、日本の野球中継も大リーグ中継も同じ感覚でザッピングできるようになった。ファンが「海外」に流れて行くのは、簡単なこと。
だから、ストをするならするで見ごたえのあるストを、やらないならアッパレな獲得成果を、ぜひ見せてほしい。
選手が球場周辺の店にポジションを割り振って、場外ファン感謝デーをやるというのはどうだろう?


監禁快速

at 2004 09/14 19:53 編集

ふだん列車ホテルにあこがれている罰か、今日は真っ昼間から電車に缶詰めになってしまった。
大阪も神戸も真夏の日差しなのに、西宮が土砂降りだった。局地的な雷雨で、信号が落雷で故障したらしい。ちょうど武庫川の鉄橋の上にさしかかったとき、プスンと停車。

まぁなんとか30分ほどで動き出したが、昼間から「このまま夜をどう過ごせばいいのか」と考えてしまった。
赤ん坊は泣くし、座席のない客はたくさんいるし、在来線で「お泊まりモード」になると、これは少しつらい。今回はまだJRだからよかったものの、トイレのない私鉄で30分、1時間と缶詰めになるだけでも、地獄になりそうだ(車掌室から外へ出してくれるらしいが)。

信号が消えてしまったといっても、その場で律義に停まらなくても、運転士の「有視界飛行」で、せめてどこかの駅までトロトロたどりついてから停まってほしかったと思う。
素人の発想かもしれないが、まず「安全に解放してほしい」気分にもなるよなぁ。

山陽新幹線は、トンネル(長さは十何kmあったと思う)の中で立ち往生したので、反対方向から入れた列車を横付けして、乗客を移して運び出したという。
戦闘機の空中給油みたいだ。あぁ、どうせならこんな場面に巻き込まれたかった。
バチが当たるだろうか?





ネーミング

at 2004 09/15 10:40 編集

きのう生まれた子の名前から、撫子ちゃん、林檎ちゃん、桔梗ちゃんもOKになったそうな。
これまで遥、苺、雫がだめだったのが不思議なほどだ。どれも、いい名前だがなぁ。

法務省法制審議会が、いったん「人名に使っていよ」と指定した漢字のうち、姦・癌・糞・呪・屍は、こんな字を使わせるなんて!!と非難を浴びて、削除されることになった。
まぁ、当たり前だわな。姦吉とか、屍郎というのも穏やかじゃない(糞はだめになったが尿はどうなのか?)。

子供の名前は、漢字をあてるかカナだけで行くか選択の余地がある我が国では、よけいに思い入れがこもってしまうが、アメリカのように「なんとかかんとか Jr」ですませてしまうのも潔くていいというか、明快というか・・・。日本のジャニーズファンは、わが子に樹似亜とつけたりするのだろうか?
鉄道マニアだと、「なんとか一郎ジェイアール」てな変則技を使ったりするかもしれない。

漢字が使えるから、かえって当て字やらこじつけやら考えてしまうともいえるから、カナだけで考えてもいいと思う。「がん」も「ふん」もショッキングでなくなる。もっとも、漢字だからこそ意味があるのだろうけど。
「しずく」「りんご」「なでしこ」「いちご」も、どれもカナだけでもいい感じ。ただ小学校あたりに上がると、「しずく」ちゃんの名前には線2本書き足されて「もずく」にされてしまうイタズラも、覚悟しなくてはいけないか。

天気や植物や果物の名前は、妙に人間くさかったり信仰じみているより、さわやかでいい。親は革新政党員のくせに、僕が昭和天皇から、兄が靖国神社から字を借りている冗談のような命名は、発育が歪むぞ!とつくづく思う。


消費評

at 2004 09/16 07:37 編集

たった1時間の労働なのにやたら眠い日で、神戸に戻ってサンマルクでソファーに座ったらうたた寝、帰って改めて昼寝したら晩飯時間にまでくいこんでしまった。
やっと書類作成とワープロ打ちの作業がひと段落して、つかの間の「秋休み」に入ったせいでつかれがどっと出たのかもしれない。

変なパターンで寝ると、「夜通し」目が冴えてしまって、いい夜風を窓際で浴びながら分厚めの文庫本を一気読み。
永江朗さんの新刊『批評の事情』(ちくま文庫)は、若手批評家列伝というか、批評家批評のような、でも軽快なエッセイでもあって、おもしろかった。
イントロには宮台真司、上野俊哉、山田昌弘、宮崎哲弥・・・と社会学屋さんが並んでいて、すんなり入って行けたし、幕間には森永ドラエモン卓郎や小林ゴーマニズムよしのりなんかがはさまっていて、起伏がある。

ただ、春日武彦がいて斉藤環とくれば香山リカがなぜ抜けているのだ!?という疑問は、9割の読者が持つだろうと思った。
小谷野敦を俎上に乗せて、小谷真理まで「ファンタジーではなくフェミニズム批評家」としてとりあげるんだったら、上野千鶴子がいないのは巨人抜きセリーグみたいな感じ。若手批評家を集めたというふれこみらしいが、鷲田清一さんは登場していて、同い年の上野千鶴子はいないのだ。

あえて、思想界では吉本隆明を視野の外におき、写真界アラーキーも除外されているから、「戦後派」というくくりにこだわったようで、それはそれでわかりやすい切り口だと思う。
思想というと、どうしてもマルクスが「付着」してきたり、映画批評だ写真批評だというとベンヤミンやゴダールが透かし見えたりするのは、もう「お約束ごと」なのかもしれないが、あえて古典の影を切り捨てると見えてきやすい面もあるんだな・・・と意外な発見。永江さんの立ち位置も自然で、文章も軽妙酒脱でいい。業界人ならではのこぼれ話も気がきいている。

しかし、これを読んで原著作まで手が伸びるかというと、なかなかそうは行かないのが困りもの。
これだけで現代批評の論壇がわかったつもりにはならないまでも、気分を消費しただけに終わってしまう。
過剰になればなるほど、批評は「流通」「消費」されるだけのデータと化してしまうように思う。

最たるものが、命をめぐる著作だろう。
難病闘病記の類は、あとからあとから出ては人目に触れず消えて行く。もう、「俺のかかった乳癌」までインパクトが出ないと、出版もされないのではないだろうか。
名医の「ありがたいお言葉」本も、ふと、1冊1冊どこが違うのだろう?という気にもなる。

でも、あとからあとから涙を搾り出させようとする本が出るのは、買う消費者がいればこそ。
「もう、ええわ」と開き直れたら、さぞかし楽になれるんだろうけど・・・。



楽天ドアーズ

at 2004 09/17 12:56 編集

うちはライブドアと違うもんね、と球団経営を最近まで否定していた楽天が、やっぱり参入を表明した。
球場を持っちゃったお調子者の港町が、なんとか地元に球団を置いときたいから社長なんとかしてよ、てなラブコールでもあったのだろうか。
球団とサッカーを持って、ナベツネ帝国に張り合うのだろうか。

「Tシャツ上目使い」の若社長より好青年度を感じるのだが、それにしても次々に出てくるIT長者がかもし出す胡散くささは、赤字が出れば「やーめた」と投げ出しそうな予感がつきまとう。だから警戒されるのかもしれない。
次は、携帯コンテンツ供給とやらでかせいだ「日本人なのに本名ロベルト」が、俺も野球やっちゃおうかな?と、手を出すかもしれない。

地域性にとらわれないから伸びるIT事業が、さて実際に地域経済を潤わせると大きくイメージ・アップすると思う。
ただ、ニフティの企業城下町というのは聞いたことがないし、神戸のヤフー・スタジアムがインフォシーク・スタジアムに変わってもグーグル・スタジアムになっても、何か変わるの?という感じ。金で名前を買った売ったというだけの話だから。

パ・リーグ経営の構想で、だれかが韓国、台湾と交流してアジア・リーグをやってはどうかと提案していたが、IT長者なら抵抗なく実行に移すかもしれない・・・と少し期待する。
「胡散くさい偏差値秀才」が居並ぶおかげで一番しっかりして見える孫正義さんが、真打ちかな?


球場周辺店がんばれ

at 2004 09/18 07:06 編集

古田会長、ついにストを決行!
ニュースでは、さかんに「プロ野球70年の歴史で初めての」と強調していた。
ストはベストな解決手段ではないかもしれないが、「初めて」というところに価値があると思う。実戦で使うカードが1つ増えたということだから。
そんな経営にはこの手、あんな揺さぶりにはこの手、と選択肢が1つでも多い方が、今後の戦い方が洗練されるというものだ。
「伝家の宝刀」は、使わないと錆びる。

ただ、球団側はスト慣れしている。
鉄道会社のストは年中行事だし、ロッテ財閥なんか日本以上に激しい韓国の労働争議のノウハウを蓄積している。
ところが、選手会側は初陣である。
経営側が労働者と戦うのは本職の一部だが、労働者にとって労働運動は本職ではない。
だから、結果的に勝ち目はないような予感もする。

むしろ、ストしているうちに、やるせなくなってくる選手が続出して、「もう妥協して、ゲームに復帰しようぜ!」「体がなまって空しい」という空気が、戦いを自滅させて行くかもしれない。こんな自らの心理状態との戦いも、選手会側は未経験だ。

次元の違うもめごとだが、どこかの小学校で、担任の授業のやりかたに反発して、児童が授業をボイコットしたという事件があった。
結果はどうなったか知らない。たぶん、担任も児童も学校側も、みな気まずい思いをしただけではないだろうか。
「やっぱり学校に戻ろうよ」「いつまでも家で自習なんて、やだよ」てな気持ちが、遠心力の反動で起こってくるだろう。
結果的に、反乱児童が自分で別の学校を造って認可させたとか、自治体を動かして担任を懲戒免職にしたという話は聞いたことがない。この手の運動に、勝利はありえないのだ。

経営側・管理者側にも賢者がいて、「まぁ戦わせておくことだ。そのうち厭戦気分で消耗するか、内部分裂して自然崩壊するから」と構えているだろう。
老獪な闇将軍が出てきて、堤義明・宮内義彦あたりをガツンとたしなめて「選手諸君、これで許してやってくれ」と丸めこまれると、体育会系の選手は情にほだされて武装解除してしまいそうだ。
闇将軍といっても経営側と通じ合っている隠し球だから、結局は経営側のシナリオに乗せられて幕引きになると思うが。

ここは選手会側にも闇選手を用意して(桑田あたり適任だ)、戦いの構図そのものを変えてしまえばどうかと思う。
ともかくストは選手にとって初めての技だが経営側にとっては「手慣れたあしらい業務」なのだ。お互い初めての土俵で、フレッシュに戦ってほしい。
そこで、「野球もする不動産屋さん」桑田投手には、こっそり買い込んでいるハワイの土地や会社を提供してもらって「第3リーグ」をぶち上げ、そこに皆で移籍するとか。
スター選手の大リーグ流出は、球団にとっても脅威だろうから、その回路をつくるのも1つの手だろう。今のスト戦術は「自分の職場を自ら放棄する」ということだから、抵抗感はつきまとうだろうが、だからこそ「自分たちの職場は自分で創る」形になれば、建設的だ。

ただ、アメリカ本国は球団も飽和気味らしいから、カナダとかハワイが狙い目だろうな。
六本木でおねーちゃんとチャラチャラしていたい選手は、球団に寝返って元のさやにおさまってもらい、のびのび野球をしたい本当のプロは、バンクーバー・ホークスとかワイキキ・ホエールズとかカルガリー・スワローズを創って北米チームと本物の野球を戦ってみせてくれたら、その方が精神衛生上よろしいと思う。
すでに、イチローは「オリックスのイチロー」でなくても、松井は「巨人の松井」でなくても、日本のファンをしっかり集客している。このブレイクスルーを、「標準」にすればいいのだ。

カリスマ美容師やカリスマドクターが顧客をごそっと引き抜いて移籍したり開業したりするのに比べて、チームプレイの野球は、足並みをそろえるのが難しいかもしれない。
だから、アテネに行った選抜チームみたいな球団を1つ結成して、球団ごと大リーグに売りこむとか、カナダやハワイでリーグづくりから着手するとか、組織を動員するような夢を持ってほしいと期待するのは、無責任だろうか。
そうでもしないと、脳梗塞だらけの経営者に喝が入らないぞ。

監督はバースで決まりだな。
始球式はクリントンにやってもらおう。


ソーラーカーだん吉どうなった?

at 2004 09/19 08:39 編集

北海道から九州まで、最長ルートをコンピューターで計画して乗りつぶすという鉄分濃厚な番組が、BSで放送されていたらしい。
BS限定でブーイングでもあったのか、純粋に大好評だったのか、はたまた海老沢バッシングを和らげる飴か、このマニアックな旅番組が地上波で再放送されていて、おぉこれは日本人必見の旅ではないか!と確信した。こりゃ教育テレビでやらにゃいかんよ。

なにしろ、東北から南下して秋葉原からあと2駅で東京駅というところを、ぐぐっと東へそれて、房総半島を一周して東京駅にたどりつくような回り道を尽くして、全国をジグザグにたどりにたどって12000kmになるそうな。
主演というか被験者というか犠牲者(笑)というか、僕の知らないあんちゃんが、結果的には無事やり通せたのだが、いやはや御苦労さん。

そこは、ふつうの十代の鉄ちゃんなら、夏休みあたりに敢行できるはずだ。
もし僕に小学生の子供がいて、日能研に通いたいとか公文やってみたいとか、ふざけたことを願い出たら、このJR長旅をやり通すのを条件に許可するね。
同級生が夏期講習だ特訓だと冷房に浸って青い顔で受験勉強する時期、うちの子だけは時刻表に目を輝かせている・・・となるのも、将来が楽しみだ(たぶん僕と妻の間に亀裂ができると思うが)。
かわいい子には旅をさせろというではないか。
まずでかい旅をしておくと、自分に自信がつくし、自分の外の世界への知的関心もかきたてられると思う。

家計に余裕があれば、トーマス・クックの時刻表を与えたいところだが、これはさすがに帰って来れないかもしれないので(各国の日本大使館・領事館で保護されまくってこい、国民の権利なのだ!とけしかけるかも)、まずは国内でいい。
子供のJR運賃など安いものだが、宿代がばかにならないから、テントを持たせる。張る場所も交渉して、合法的に世渡りすればいい。
あーら大変ね、おねーちゃんの部屋に泊まらない?と逆ナンパされても断って、「僕の代わりにパパを泊めてやって下さい。おとなしくしてますから」と振るようにしつけておく(僕と妻の深刻な亀裂になるかも)。

鉄道の旅はドライブやサイクリングにくらべると数倍は安全だから、全国の少年に義務教育化してもいいぐらいだと思う。
全小中学生の毎年の生徒手帳に1万km単位の「JR乗車権」をつければどうだろうか。何割かの心配性な親は自分の切符を買って同伴するから、経済効果も見込める。

JRには食堂車も夜行列車も減っているのが寂しい限りだが、その分、駅から街へ足を踏み出して一宿一飯にありつくチャンスが必然的に増える。
おじさん嗜好だと、サンルートチェーンの類より、「駅前民宿」の類がいい。
とはいえ、たとえば12歳の少年が駅前民宿をたずねて「今宵の宿は、ありますかな」というのも無気味だろうけど(地酒に目覚めたりすると、成人するまでに肝硬変だ)。


ようこそオータムファッション

at 2004 09/19 19:18 編集

梨をムキムキワシワシいただきつつ、柿はまだかなーと待ち望む曰々。
スイカは今年2玉ぐらいしか食えなかったなーと夏に未練たらたらのワタクシが先ほど目撃したのは、冬の兆しだった。

ダウンジャケットを初目撃したのである!
女の子ニ人連れだった。汗ひとつかいてなかったのが、すごい。
10月いっぱい、ワタクシはポロシャツにサンダルでルンペン散歩をしているというのに。

日本経済に貢献しているのは、まちがいなく彼女たちだろう。
いや、40℃のスーツ男もそうだ。
まだまだバブル消費は消えていない。


徒歩歩・・・

at 2004 09/20 06:56 編集

行きつけのモスの向かいに開店したカレーうどん屋というのが、気になっていた。
雑誌に載りました!!というコピーをぺたぺた貼って、なんだか下衆っぽいなぁとも思いつつ、「カレーうどん」で勝負する気合を受けて立とうじゃないの、と決意して、のれんをくぐった。

カレーうどん680円。
定食の時間帯というのが、なぜか昼と夜中。夕定食がないのは不思議。
夜中は11時から3時という時間帯で、割増料金はないようだ。

定食は、「うどんと玉子ライスのナイスなコンビ」と書いてある。ナイスである(笑)。
玉子ライスとは、卵かけ飯のことらしい。
カレーに生卵をかける大阪の掟が、紆余曲折を経て「カレーうどんについた飯に卵」というところに落ち着いたようだ。

で、肝心のカレーうどんはというと、なかなかナイスだった。
甘い口あたりの後、じわじわと辛味がきいてくる。腰の強い麺が、カレーライスを食うぐらいのボリューム感を味わわせてくれた。

三宮あたりで飲んだくれて、千鳥足で夜道をふらふら歩いて帰るときの、ちょうど中間地点ぐらいの場所にあるから、ちょうどいいロケーションだ。となりには「180円びっくりラーメン」もある。

ところが、実際「うぃ〜っ飲んだ飲んだ」というところまで飲んだくれることが、もうここ数年、いや震災を境にパッタリなくなったような気もする。
酒飲みにとっては、繁華街から歩いて帰れる自宅は、とことん飲めて好都合なのかもしれないが、不思議と「好条件にジャストフィット」するようなネオン街愛好家にはならないものだ。長野県に引っ越した人が登山家になるとは限らないように。
終電が気になる10時半とか11時までのギリギリの攻防が、遠距離通勤者の「ちょいと一杯」の醍醐味なのかもしれない。

そんな涙ぐましい遠方マイホームローン奴隷パパたちが、GDPを世界首位に保っているのに、消費は低迷している。せめて仕事帰りの一杯がニ杯になるぐらいの景気刺激策は、小泉さん竹中さん打ち出してよ。
一杯がニ杯になるもよし、夫も一杯+妻も一杯が気楽にできるようになるもよし。

乗合タクシーの禁止も、規制緩和せんといかんわな。
神戸から明石あたりまで帰りたい客が4人いたら、まとめて乗せれば安くて助かるのに、タクシー業界は4台のタクシーに分乗させようとする。
客を束ねて運ぶ車がいたら、業界内で「飯のタネを奪う気か」と袋叩きに遭うようだが、客の立場で考えてほしいものだ。足並みが乱れるとめんどうなことになるから、法律で一斉に規制緩和する方がいい。
「安く帰れて、時間制限なし」こそ、飲んだくれパパの悲願なのだから。

すぐに帰れる者としては、あえて道草を食う「止まり木」が増えた方が楽しい。
ただ、モスバーガーでコーヒーっちゅうのも、そこはかとなくわびしい。
カレーうどんに代わっても、元気をつけてそれからどうしたらええねん?という感じだが。




at 2004 09/21 13:35 編集

「連休は雨」の天気予報がみごとにはずれて、山に登る計画をキャンセルしたカヌーイストと「海の記念日男」は、憤懣やるかたない。
むしゃくしゃしたままなので、最終日は、ひとっ走りすっか、ということになった。雑誌に書く記事の取材を兼ねて。

芦屋まで愛車をたたんでJRに乗り、浜辺へ向かう。
芦屋浜、西宮ヨットハーバー、甲子園浜、鳴尾浜・・・と、阪神間には何かありそうな浜の名前が並んでいる(関東でいえば由比ケ浜、江ノ島、逗子マリーナ・・・という感じかな?)。
何かあるのか何もないのか、確めてみよう、距離的に自転車がちょうどいい、というわけで、まず芦屋川から下って行ったのだが、たしかに何もなかった。連休なのに人影まばらな、都会の静けさスポットである。
海はずいぶん遠浅で、水遊びしている女の子たちが、びっくりするほど沖合で海に使ったり立ち上がったりしている。

天然の浜といっても、大阪に近づくほど水遊び気分をそいで行くのはしかたない。
それでも、曲がりなりにも阪神電車から歩いてすぐの浜で水遊びぐらいはできるのが、意外な発見だった。

正味3時間ほどジグザグに走って、30kmぐらいだっただろうか。標高差はほとんどないのに、この程度でバテバテ。蒸し暑い日で、潮風も紫外線も容赦なく襲ってくる。
帰りの電車に乗ったらコテンと眠ってしまい、よっこらしょっと自転車を組み立て、乗って帰るとコテンと数時間、寝込んでしまった。

こんな風に体がすなおに反応する運動は、いいものだ。
この延長で、しまなみ街道も走破できるかどうか・・・!


地球人の悩み

at 2004 09/22 07:01 編集

真夏日が90日あったとかそれ以上だとか、各地で記録を更新したらしい。
ヒート・アイランド現象説も、地方都市の灼熱にはどうも通用しにくい気もするが、かといって一概に温暖化だ海面上昇だとあわてる必要もない。夏が暑いと梨やスイカがうまいし、北海道でバナナやパイナップルができるようになれば、災い転じて福となすのだ。
・・・そんな次元の話ではないか。
スキー・シーズンが短くなるのは悲しいから、地球上の熱はせいぜい夏に放出してもらって、冬はシュパッと寒くなってほしい。

やはり、冷房のしすぎが街をじゃんじゃん暖めているとしか思えない。
9月のブーツ娘、ダウンベストお姉さんには、クーラー寒すぎるわよ!これ以上冷やさないで!と怒っていただきたい。
就職できず憤懣がたまりたまっている少年少女には、クーラーきんきん好みのスーツおやじを狩る許可を与えたい。

汗をかけば涼しいのだ、と単純なことに世間が気づいたとしても、「汗くさ日本」になるのは賛否両論もあるだろう。おばさんと予備軍が塗りたくっている強烈なケミカル臭、酸っぱいオヤジポマード、イケメンのギトギトフレグランスがこれ以上増えると、もう立派な公害である。
「乙女の石鹸の香り」など、絶滅したのだろうか。
えなりかずき君なら、同感してくれるはずだ。

ようやく今日から涼しくなるらしいから、押し殺されていたファイトが甦ってくる感じ。
まぁ、ファイトを道楽に向けず仕事に注ぎなさい、と天の声も聞こえてくるが、仕事は老後の楽しみ(ボケ防止)に取っておいて、体力と金に余裕があるうちに趣味を楽しもう…という生き方もあっていいと思う。
今の調子で温暖化して行くと、スキー・シーズンは1,2月だけになっているかもしれないし、山のマナーは悪化する一方だし、もっと早く堪能しておけばよかったと嘆くことになるかもしれないから。

兄と弟にはさまれておかずを奪い合う幼少期を過ごしたせいか、「うまいものは取っておかない」のが僕の処世訓になってしまった。楽しいことは今する。
「老後の楽しみ」をとっておいて、東海大震災や火山噴火や日本沈没や隕石衝突でパーになってしまうのも空しい。
ゴミゴミした街遊びが趣味の人はあせらなくてもいいだろうが、自然と戯れる道楽は、今のうちに「思い残すことはない」ぐらいに究めておいた方が、笑って死ねると思う。


愛¥家ヨンさま

at 2004 09/23 15:23 編集

いとうせいこう司会、やくみつると山本容子が向かい合っている画面にひょっこり遭遇して、漫画版画対談か?と思いきや、タバコ番組なのだった。
敬老の日でもないし、世界禁煙デーでもないし、妙なタイミングでまじめなタバコ文化番組をやってるなぁと思いつつ、最後の15分ほどを見ただけ。
ロンドンで禁煙パブが増えているとか、タバコはインディオにとって神聖な習慣だったとか、ヨーロッパの貴族はマナーを追究したとか、一応は擁護派と禁煙派の両方に目配りした内容だったが、いったい番組スポンサーがどこなのか、わからずじまいだった。

ニコチンもタールも肉体の生理に悪いのはもう物理現象で、疑う余地はないのだろうけど、精神衛生を考えると、体に悪いことでスカッとすることもあるわけで、論争がねじれてくる。
そこに、「タバコ以上に体に悪いものはある」と議論がすり替えられる余地も出てくる。
たしかに、本当にストイックかつ美しく喫煙している人と、車道沿いに「オレ、鍛えてるもんね健康だからね」と排気ガスを膨大に吸ってジョギングしている人と、はたしてどっちが病気でどっちが健康だか、わからなくなってくる。

ふと、思い出した。
脳死者からの臓器移植を受けて無事に退院した五十代の女性が「いただいた命を大切にして生きて行きたい。モーニング娘のコンサートに行くのが楽しみ」みたいなコメントを口にしていたっけ。
もしタバコをつけて「あぁ、この一服が幸せなのよ」なんてやると、主治医は仰天するだろうし、世間が許さないだろう。
では、コンサートではなくて新興宗教だったらどうなのか?とつっこむと、そんなドナー登録者数を減らすような雑音には、フタをされてしまうのが落ち。

特殊な高度医療はともかく、保健政策の追い風もあって、タバコは矢面に立たされている。
なるほど成人病やガンの元凶だから喫煙を、というのはわかるけれど、政策というものは幸福とか生きがいを問題にしない。カネの問題である。
権力を使ってタバコを絶滅させることは難しくないはずだが(外圧だけでも捕鯨のように絶滅寸前になった食文化もある)、簡単なことだからこそ、次のターゲットが不安だ。酒か?塩分か?砂糖か?

庶民のささやかな楽しみ(こんな言い方は庶民性善説みたいで僕は嫌悪してきたのだが)を狙うより、無駄な公務員を切り捨てた方が一気に税金の無駄遣いは抑えられる。
まぁ、国のやることであればこそ、国そのものの害悪は後回しになるのだろう。

それにしても、タバコの煙たちこめる中に浸って漫画を描いてそうなやくみつるが、「くわえたことも一度もない」というのも意外だったし、山本容子画伯は「二十歳の誕生日に父の前で吸って以来の愛煙家」というのも意外。
でも、この程度の「意外」で山本容子のファンが減ることも、やくみつるのファンが増えることもないだろうと思う。
ご両人なら、実は私・・・と禁煙宣言されても喫煙宣言されても、「そういうこともあるだろうな」と思うぐらいで、その道のプロという圧倒的な人物像が、嗜好品を呑み込んでしまうような感じがする。

僕は一応タバコが嫌いではあるけれど、たとえば山本容子はタバコをひっくるめて好きだといえる反面「私もタバコ大っ嫌い」と顔をしかめる人に手放しで共感できなくなってきた。
吸っても尊敬される人間になればいい。
嫌われるから禁煙するような日和見喫煙者は、最初から喫煙なんかしないで、人に好かれることばかりしときなはれ。

ヨンさまあたりは微妙な地位だろうな。タバコを吸っただけで、それでも素敵だの幻滅しただの、イメージ戦略を操るのが大変だろう。
いっそ、オ*ニー好きとカミングアウトしても人気者のSMAPをを見習って、やっちゃえばいいのだ。「僕はヘビースモーカー。そろそろ日本にスモーカー」と、ニコチンオヤジギャグを。



町興し野球

at 2004 09/24 13:54 編集

「楽天」球団が、本拠地をどっちにしようかと大阪人神戸人をヤキモキさせたあげく、仙台に落ちついた・・・のかどうか?
「地域にこだわらない球団経営」なんて発言をしている社長だから、仙台でもうからなければ東京へ、と浮き足立つ可能性もある。本当に、宮城県民は手放しで歓迎してるのかね?

「東北に球団を」という悲願はわかるけど、それなら日本海側と四国にも球団がないのは寂しい。
そこで、水産会社が「タラバガニうぐうぐーず」とか、高松の製麺所が「さぬきメンズクラブ」とか設立すれば、すぐ地域経済が潤うのではないかと思う。

カニは高嶺の花だから、個人的には、うどんを全国に普及させたい。球団経営はぴったりだ。
巨大な丼みたいな球場を造って、球場内でしか出してくれないスペシャルうどんを出す。いや、観客席でもビールやジュースは一切売らず、うどんだけ。中継で観客席が映ったら、全員がうどんを食いながら野球観戦している…というのも、宣伝効果抜群だろう。
香川県民以外の四国人も、なにか協力できる名産品を持ち寄ってほしい。バッティングフォームは阿波踊り打法とか、広末涼子がボールガールに雇われているとか、ノーゲーム日には丼球場に道後温泉の湯を満たして巨大浴場になっているとか。

カニは、僕の偏見にすぎないが、ヒヒジジイが愛人にほぜらせて偉そうにくちゃくちゃ食っているようなイメジがあるので、あまりさわやかなスポーツと結びつかない。せいぜい、松葉ガニと越前ガニとタラバガニと、カニ同士で闘ってもらえばいい。
新潟あたりにも、球団があってもいいと思うが…。

もう、子供みたいに何でもほしがる巨額負債都市神戸には、球団も空港もなくてもいい(空港はできてるけど)。サルおやじがよたれ歩きしているだけのゴルフ場が日本一多い自治体らしいが、恥さらしなだけ。
とまぁ、行ったことがないものばかり、いらんいらんと叫ぶだけだが、「○○がない街」というのが自慢になるようなマイナス指向が、これからのトレンドになってもいいと思う。
たとえば「風俗店もパチンコ屋もない芦屋」は立派なステイタスだし、探すとけっこう少ない「高速道路が通ってない街」なんてのは、静かそうでいい。

気品ある街(ざあますオバサンやシロガネーゼが這い回っているという意味ではなく)には、静謐さが不可欠だと思う。
ただ難しいのは、「活気」との両立だろう。気品を完全に捨ててゼニもうけの活況を取った街に僕は通勤しているから、まぁ悪くはいえない。「ゼニより気位どすな」って街でお茶屋めぐりをする身分にはなれそうにないし。
それができれば、理想の三都暮らし(神社仏閣をまわって、ドーム球場で爆発して、さて神戸の我が家へ…)が実現するのだが、そのためにも、球場も空港も喜んで手放したい。


ホームラン場面105円

at 2004 09/25 14:02 編集

「朝ナマ」は、やはりプロ野球がテーマだった。
楽天もライブドアも、ブロードバンドで試合中継して、今までの放送権料ビジネスとは違う感覚の経営やろうとしてますよ、というのがおおかたの下馬評だった。テリー伊藤も「あえて、これまでのプロ野球を支えてきた観客層のおじさん切り捨ててますよ。正解かもしれない」と肯定的にとらえていた感じ。

古い野球体質を改革する旗手がIT経営・・・と期待するのはわかるが、そうかなー?と素朴に思う。
「ビール、ステテコ、テレビ」でナイター中継を見たいおとーさんを守れ!というつもりはないし、居酒屋テレビは永遠です!とも思わないが、リアルな球場に足を運ぶ観客を呼び込む泥臭い経営努力が、やはり球団のコア・コンピタンスではないかと思う。

客層分析や満足度のリサーチは、たしかにIT屋さんの得意とするマーケティングだろうが、いくらデータを集めてこねくりまわしても、限界はある。スポーツビジネスの命は「臨場感」にあるから、球場経営をしっかりやってほしいものだなぁと他人事ながら思う。

でもテレビ中継も大きな曲がり角にある感じもする。
朝ナマはハードディスクに録画して後追い再生で見ていたのだが、自動CMスキップを働かせると、ほとんどリアルタイムでCM抜きの番組が見られる。
そんな芸当で見られる番組も半分ぐらいはあるから、民放にとってはたまったもんじゃないだろう。

ブロードバンドや地上波デジタルだと、課金もマーケティングも送り手が制御しやすくなるのかもしれないが、ペイ・パー・ビューは今までのテレビになじんできた日本人にすんなり浸透するかどうか・・・。
視聴者が匿名でいられないデジタル化は、「今月のあなたの視聴明細は以下の通り。料金は○千円。口座引き落とし」なんて記録通知も可能にする。

いやだなー、番組を匿名で見られないなんて。
放送のデジタル化は、巨大なスパイウェアじゃないかという感じもする。
そんなメディアの様変わりと、泥臭いコンテンツ(野球がその筆頭か。音楽番組は1曲いくらで課金できるパッケージ商品になりやすいと思う)は、どう合体して行くのだろうか。
なんだか、しらけてしまいそうな予感もある。


ナンバーワン・ステーション

at 2004 09/26 14:30 編集

生まれ育った界隈に、「日本一危険な駅」というのがあった。数日前まで。

幅たった2.5mで両側を特急・急行がびゅんびゅん通過する、というので有名であった阪神電車春日野道駅は、とはいえ事故は一度もなかったというから、「日本一危険視されていてみな気をつけるから日本一安全な駅」だったのだ。
それが、このたびプラットフォームが増設工事されてしまった。
あぁ、これで名所が1つ減ってしまった。

おまけに、ほとんど同時に悲報が追加。
日本一か二番目か、ともかく秘境駅で名高い神戸電鉄菊水山駅が、休業するという。
ひょっこり訪ねた人は、駅周辺に人家1軒もなし、公共工事の事務所のようなのが遠くの山に埋もれて見えるぐらいで当然の無人駅だから、なんのための駅なのかわからないだろう。

ただここは、地元民なら事情はわかっていて、休業といっても電車は毎日何百本も通るから、とりたてて喪失感みたいなものはないだろう。廃線になるわけでもないし、「一度は降りておきたかった駅なのに!」という客もマニア以外いないだろう。
たぶん、休業の来年3月までは、カメラを持って「秘境記念写真」を撮りに行く物見遊山が急増するはずだ。まぁ、ハイキングコースを歩けば神戸電鉄に乗らなくてもたどりつけるけど。

そういえば、わが電脳判事の地元の餘部鉄橋ももうすぐ架け替えだというので、撮影においでおいで今やでチャンスは・・・と濃厚な鉄分がメールに添付されてくる。
なるほど趣がある鉄橋風景だが、僕はどうしても列車転落事故で下敷きになって亡くなった多くの犠牲者の御霊というのを思い出してしまう。
まさか心霊写真にならなければいいが・・・。

鉄道や心霊や山岳、パパラッチ、婦人科・・・と、写真にもいろんな分野があって、かなり壁は守られているようだ。
電脳判事の周辺を見ると、「アイドル」は撮っても裸女は御法度だ。鉄ちゃんも、レールスターのボディラインに欲情したりするくせに婦人科には足を踏み入れない。いや、そんな浮気なやつは蔑まれるだけ。

でも、ほころびは、さすがのおマニヤさまも隠せない。
鉄道写真屋が「旅する少女」をモチーフにしたがるように、山岳写真家は清楚な女性を狙いたいのに撮れないから、可憐な高山植物や清楚なメスニホンカモシカやメス雷鳥をモチーフに入れる。
「不純なようで純情」の代表格がアラーキーだとすると、一番わかりやすい不純はアーミーフォトグラファーだ。まじめに兵器や戦車や巡洋艦を撮っていると思いきや、実は自衛隊音楽隊のバトントワラーや婦人警官をコレクションしている。公僕は肖像権など主張しないから、素材はタダで、写真写りのいい制服のアイドルは、トレカ状態になっていたりする。
露骨にアーミーおマニヤさまの情欲が投影されているのは、コンバット系雑誌だ。

「秘境駅にたたずむ麦わら帽子の女の子」なんて写真も、あぁいかにも考えつきそうなモチーフではないか。
「あ、やってるやってる」と、我が意を得たり気分を味わってみようか、菊水山駅で。


深夜の友

at 2004 09/27 08:43 編集

長寿番組が終わるのは寂しいものだ。
主演のスタミナや才能の限界ではなく、経営場の都合で幕が引かれると、なおさらそう思う。
去年、「ごめんやす馬場章夫です」が終わる間際は、やたらに「番組のようなCM(雑誌の記事本体と同じレイアウトの広告と事情は似ている)」が増えて、放送時間の4割がCMという惨状だった。
スポンサー募集のCMまで、しょっちゅう流れている。
企業の広告費が抑えられているのと、ラジオ聴取率の伸び悩みとのダブルパンチが、長寿人気番組を消し去ってしまう。

ラジオのレギュラー番組で語りかけてくれる作家というのは、昔も今も珍しい。
概して、もっと語ってくれたらいいのに、と思う。

とすると、ダブル村上などファンは期待するだろうが、春樹さんは出ないところに魅力があるし、龍さんは昔の露出過剰を反省したのか懲りたのか、これまた出ない。
どちらもwebに「僕の文壇」を持っていて、これも時代の流れというものだろうか。

「五木寛之の夜」はカネボウが単独スポンサーだから、春にカネボウ解体のニュースを聞いたとき、あぁ何かシワ寄席があるだろうな、とは思っていた。主演の五木さんは古希をすぎて東奔西走ますますお元気だから、体力の限界でもないだろう。
「ではまた、どこかのラジオで」と明るく言い残してくれたから、再開されるのを心待ちにするしかない。

それにしても、25年のロングランは長かった。
始まった'79年に、たしかNHK・FMのラジオドラマ「二人の夜」で、『青年は荒野をめざす』をやっていて、初めて原作者を知った僕は、原作の文春文庫版を読んだ。脳内革命が起きて(笑)、何十冊と読み漁り始めた。
高校3年生である。当然、受験には失敗したが、まぁ若気の至りというもんか。

もともと五木さんは「エンターテイメント作家」で、最近は人生訓エッセイストと思われているかもしれないが、一貫して「根なし草」を自認しておられる。
外地で帝国主義的教育を受けた引き揚げ者として、外側から今の日本を観察するアウトサイダーの目を持ちつづけている。日本の村社会の空気を吸って受けた皇民教育とは違って、五木寛之さんが思春期までに吸収した「日本的なもの」は、虚構だったのだ。

だから、今でもある麺では「日本探し」をしておられるようにも見えるし、それはそれで不幸だとはいえない気もする。
二十代でいっせいに学校から去り、三十代までで恋は終わり、サラリーマンの生き方・OLの生き方・正しい主婦のありかた・正しい中高年のありかたがガッチリ決まっている日本というシステムは、疑えば村八分にされかねない。

そんなジャパン・ええシステムにどっぷり浸って年金や投資の計算ばかりしている偉いセンセイがたは多いが、七十をすぎても世界中を旅して回る五木氏の好奇心とフットワークは、自然な複眼思考を失わずにいられると思う。

かつて、文化大革命でもスターリン粛正でもフランコ独裁体制でも、そして日本でもドイツでも、全体主義政権は文学者を徹底的に弾圧した。
僕がただ抒情的な理由(?)で愛聴しているアシュケナージとソ連との関係を扱った番組が、たまたま最近見たのだが、音楽家や画家も権力に利用され、利用できなければ弾圧される公式が、ありありと描かれていた。
そのアンチ・エネルギーが、たとえばスペインではピカソを生んだりしたのだが、だからこそ権力は芸術表現者を恐れる。

今のような時代に、民衆を動かし「ビロード革命」を起こせるのは、だれなのだろうか。
政治性と微妙な距離をとっているのが五木寛之さんだが、いっそ、ドクターなだいなだ氏に合流して老人党運動でもすればおもしろいのに。

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2004年8月の日記

聖火占灯!

at 2004 08/01 20:27 編集

大自然の猛威で強風が吹き荒れていると、反対に人工的な場所でひと息つける感じ。
雨の中を梅田へ夕方ひとっ走り…といっても快速電車で出かけて、ヨドバシから液晶テレビをかついで帰ってきた。
「チューナーつきPCモニター」とは、やはり反応速度も色再現も違う。やはりソニー・ベガなのだ。
それでも4万ちょっとだから、ここ数年の値落ちはすごいなぁと素朴に感動する。
で、DVDデッキ(こんな言い方しないようだが、HDD内蔵DVDレコーダーというのもまどろっこしい)とつないで、S-VHSとDVDとHDDの相互ダビング・トライアングルができあがった。DVハンディカムが退院したら、ここに加わるダンドリだ。

こんなシステムづくりにうつつを抜かしたとて、実はあんまりアウトプットというか、用途がない。
前の職場は、「駅前留学N」に追撃されつつあるEだったから、視聴覚環境は整っていたし、協力体制もあった。教材と連動するようNGO活動の映像を編集したりするのに、自宅でも複数のビデオデッキを活用していた。
畑違いの分野へ職場が替わって、そんな「シャドウワーク」が必要なくなると、DVDもただ個人的な道楽でしかなくなる。
個人的な道楽でも、映写会をするとか「配信」するとか、アウトプットのバリエーションが、ハードの楽しみ方をふくらませてくれるものだと思うのだが。

アテネフィーバーもあって、プラズマだハイビジョンだDVDだと家電業界はバブっているけれども、放送や録画ソフトを見て楽しむスタイルは、ここ四半世紀の間あまり本質的に変わっていないから、けっこう醒めている層も多いのではないかと思う。特に若い世代は。客も家族連れ・夫婦連れが多いようで、家電バブルを支えているのは、「金余り中高年」ではないだろうか。

学生やOLさまだと、小画面ブラウン管テレビでも、VHSテープでも、またカセットウォークマンでも、充分楽しいよ♪という感じだろうか。それはそれで健全だと思う。
オーディオ&ビジュアルより、ケータイの新機種の方が気になるのかもしれないし、通話料金やパケ代にかなりの出費がコンスタントにかかるから、そのあおりでCDの売り上げがどんどん落ちていたりする。
家で映画をじっくり見ようにも、数分おきにメールが入ってきて放っておけないと、おちおち「ホームシアター」にどっぷり浸る気持ちにもなれないだろう。
耐久消費財の買い方をがらりと変えて行くネットワーク社会は、どんな発展を遂げるのだろうか。

とはいえ、アナログな僕でさえ、紙の手帳も、カセットテープもLPレコードも薄情にオサラバしてしまったから、ノスタルジックな抵抗をするつもりはない。

そんなおり、大学の1年先輩で、あるPDA大手メーカーの中間管理職さんから、暑中見舞い葉書を手書きでいただいた。
素朴にうれしい。こんな感性を持った人間味ある先輩に敬意を払いつつ、しかし僕はライバル社PDAを後ろめたく使っている。罪滅ぼしに(笑)、腕時計はプロトレックをグレードアップしたけど。

時代はユビキタスへ向かっているのだろうが、その中核がPDAのスタイルになったらいいのに、と僕は勝手に想像している。
ケータイは画面の小ささがどうしてもネックだ。
電話もできて手帳の用途もこなせてメールもできて音楽も動画もゲームも楽しめて、それがハンズフリーで…となると、ヘッドセット+PDAというのが合理的だと思う。PDA本体はポケットに入れておけばいい。
なまじっかケータイだと文字通り「携帯」して片手がふさがってしまうから(なぜイヤホンマイクが普及しないのだろうか)、ユビキタスにはハードルになる。

ただ、ユビキタス・ネットワーキングの普及といってもOSをどうするのか、イメージが見えてこない。
ウィンドウズは迷走しているし、僕は勝手にリナックスで行けばどやろ?と思うが、国内最大手のソニーはパームOSに固執している。船頭多くして舟どこに登るつもり?という感じ。

やっとセットアップしたDVDデッキにはメモリーカードスロットもついていて、「ザウルスで映画を見るか」と野望もふくらむけれど、最新のラインナップからは、メモリーカードに動画を録画できなくなっている。松下さんも迷走している御様子。
なんだか、東から西へ迷走したきのうの台風みたいだ。



なじめない

at 2004 08/02 16:34 編集

宮内庁発表の雅子さまの病状は、「適応障害」。
なにか身体症状が出ていれば、立派な(?)治療の対象になるだろうから、適切な医療体制に恵まれればいいですねと思うばかりだが、今の環境だと完治するのは大変だろうなぁ・・・と、素人目にも心配してしまう。

皇太子妃殿下のご病状として聞けば「ハハァなるほど」と聞こえる適応障害、案外だれもがどこででもかかっていて、自覚されないか適当に乗り切っているものでもある。
引き金は要するに「なじめない」いうことだから。
雅子様を見ていて、ひとつだけ「いかにもつらそう」に見えたのが、登山につきあわされて作り笑いしているお姿だった。
皇族はみな登山がお好き。春めいてきましたね」てな会話から、「ポトマック川へお花見に」と期待した雅子様は、「立山は残雪が美しいですよ」と振られて、「あ〜、しまった」と思ったかもしれない。

かりに僕が紀宮さまといい仲になったとして、デートにいちいち侍女がついてきたり、「私お金をさわったことがありませんの」と言われたりすると、そのとたん適応障害を発射いや発症するだろう。適応不安、適応恐怖とさえいえるかもしれない(笑)。

世の中、現実には美女と野獣とか、アマゾネスとニットの貴公子みたいな極端なカップルもそうそういないもので、なんとなく「釣り合い」のとれそうなカップリングがごく普通の日常茶飯事になっている。適応できそうな・・・。

ただ、一億総中流日本社会だと、この「釣り合い」がとてもナイーブな問題になっていて、異文化に適応しなきゃいけないような、微妙な階層分化が進んでいる。
たとえば、同じ大学で席を並べて恋の花が咲いた二人だと、当人同士は似たような価値観を持っているように見えても、家庭の文化がずいぶん違っていたりする。
信仰の違いや温度差になると、スパッと気にならないと言い切れる人は、そう多くないと思う。浄土真宗と浄土宗ぐらいの違いならともかく、創価学会員とアーレフ信者が恋に落ちたら、なかなか大変だ。

目に見えてぎくしゃくし始めるのが、結婚式の来賓の顔ぶれだったりする。
お互い親がサラリーマンでも、あちらは東証一部上場ヨ!てな値踏みは必ず渦巻いているものだ。卑しい話だが。
宮様くさい名前とか財界の巨頭とかズリズラリと並ばれると圧倒されて、ほなこっちは共産党関係者を並べて火花散らしたろかいと闘争心がわくかもしれない(なんのための挙式だか・・・)。
「一人娘の彼女のパパ実は組長」というケースだと、これはもう命懸け(笑)。

二人の愛の力さえあれば、相手の家風やしきたりに適応できる!というものだろうか。

きれいごとは言いたくないので、僕はつい「適応回避」を考えてしまうのだが、それもただの事なかれ主義なのかもしれない。
たとえば、我が実家にいる身内は、そろって「近隣半島諸国出身の日本住民」への差別意識を根強く持っている。僕自身はどうだかよくわからんが、友人として複数の隣国籍の人たちとつきあってはいる。
それで何かのご縁があって、「俺の彼女、キム・ヘギョンさんね」と紹介することになったようなとき、肉親の偽善演技を見るのはつらい。
民族差別以外にも、我が家の家風というのがコチコチの官尊民卑教団だから(笑)、こちらも民間企業に勤める彼女なんて立場からすると、適応障害の一因になりかねない。

でも、究極の公務員であらせられる雅子さまの立場は特殊だとしても、日本人が結婚するときは、擬制親子関係が暗黙のうちにワンセットになっているから、最初から不自然なボタンをかけることになるのだと思う。
配偶者の親は自分の親ではない、というのは当たり前のことなのに、つい「おとーさん」「おかーさん」と呼んでしまう。いきなり「辰夫さん!」と呼ぶのも変だし。

子連れ再婚でも、継父・継母と不自然な刷り込みをしようとするから、子供は親でもない男女に適応するのに苦労するのではないだろうか。パパの彼女、ママの彼氏でいいではないか。ロマンチックに。
5歳未満と50歳以上にだけはモテる僕が、妖精のような少女に「パパになってくれまちゅか」と申し込まれて、「やだわ、この子ったら、ママの彼氏を困らせちゃダメ」と頬を赤らめる鈴木京香・・・
なんて場面だと、「ぼぼぼぼぼ僕こここここ困りませんっ!」と絶叫してしまうだろう、きっと(笑)。
まぁ実際こんなドラマは起こらないだろうから、つきあう相手の家庭文化には、できる範囲で適応して行けばいいのではないかと思う。

人づきあいと異文化適応は、難しさの次元が違う。なかなか「いい人いい家族いい一族」とは行かない。
無理に踏み込まず、踏み込ませずのドライな仲が軋轢を避ける知恵かもしれない。
それを「水くさい」と揶揄するのが日本人だが、酒臭い・タバコ臭い・抹香臭い水に染められるよりは少しましかな?


ブツブツ

at 2004 08/03 14:23 編集

理工系大学の経営陣と、「懇談」という名目の議論をしてきた。
僕はその大学で教えている立場ではないのだが、非常勤講師という存在は、本当に都合良く買い叩かれているものだとしみじみ感じた。

職種は違うが、講談社や集英社や小学館をかけもちしているフォトグラファーは立派なプロと呼ばれるし、レギュラー番組をあちこちの局で受け持って渡り歩いているタレントも、売れっ子と言われる。
ところが、非常勤講師は逆。
「一所」懸命が偉い、と世間では見られている。
一所の頂点は東京大学。

当然かけもちをしないと生活が成り立たないから、お仲間は皆あちこちかけずりまわって、疲れ果てている。
そんな風に行動範囲を広げるより、「守備範囲」を広げる道もある。たとえば英文の先生だと、英文学・英語・英米文化論・英米哲学・英国史・米国史…と出し物を替えながら、仕事を確保するという道がある。

それでは専門家の名折れだ!と専門分野にこだわる学者肌の人もいて、それはそれで1つの生き方かもしれない。
専門家の長所短所はいろいろ取り沙汰されているが、医者の世界だと、守備範囲の広いホームドクターと、腫瘍内科というような専門家の両方が求められている。専門科のたらい回しで命を縮めてしまう患者の立場からすると、「まず懐の広い受け皿がほしい」と思うのは当然だ。
ところが、大学の先生は、未だに小さな専門の窓がぽつんと空いただけの、「一国一城の主」が多い。
それで今までは務まってきたのだが、学者センセイの守備範囲を超えた暴投球のような(笑)学生の現実が、いま大学の経営そのものを揺るがしている。90分集中力が持続しないとか、教壇の先生は黒板の模様にしか見えないとか(笑)、まぁ心理臨床の素材には恵まれているといえるか…。
数学ができない経済学部生や、4年生になって「何をやっていいかわかりません僕…」というのも増えていて、嘆くのは簡単だが、根は深い。
問題を先送りしていると、今の大学の理事クラスはリタイアして「共済年金もらい逃げ」できるけどね、次の世代はたまったもんではない。

文科省が「トップ30大学」構想を立てて避難を浴びて、COEに衣を変えたのはオソマツだが、気持ちはわからなくもない。大学の名に値しない大学が多い気もするし。
そんな「名前だけ大学」の経営陣は、定員割れとか中退率とか、ソロバン勘定ばかりが頭にあって、基礎工事抜きの家を2年か4年で作り上げて会社に売りつけているような詐欺的お習い事になっているのが実態だ。結局、崩れてしまったり腐食したりする。つまり大卒者の離職率が高くなる(いや、その前に中退か)。問題の先送りというか、ツケを回しているだけ。
原因追究は、大学の先生は「高校教育までが問題だ」というし、小中高校教員は「家庭のしつけがなっとらん」というし、これも責任逃れのくりかえし。なんだか、銀行の不良債権問題とよく似ている。

改革案はいろんな人が口にするけれど、ノスタルジーが見え隠れする案が、21世紀のいま通用するかどうか怪しい。今さら旧制高校復活するかよー!!と苦笑するしかない案をそろりそろりと出すじーさまもいる。僕の世代だと、「クリスタルでバブリーな時代のキャンパスライフ」を、つい念頭においてしまう。
間口は広く受け容れて、勉学でどんどん淘汰されるアメリカ型教育を!なんて提唱しているセンセイは、自分の勤務先の入試を廃止しようとしない。実際どれぐらい中退者が出て、法人の遺失利益がどれだけになるか、冷静に計算できていないから、そういうのをトンデモ学者の机上の空論という。

もし自分に18歳の子供がいたら、どうするだろう。
とりあえず大学4年分の学費だけは(僕も出してもらったから)ぽんと渡して、進学するなり旅に出るなり挙式あげるなりご自由に、と放任するかもしれない。
とりあえず、大人が敷いたレールからはずれてみるのが、子供らしさ・若者の特権という気もする。それが通過儀礼で終わるかもしれないが、30歳、40歳になっても延々続くのがフリーター現象だろう。

いい悪いはともかくとして、「静かなボイコット」が進んでいるのだと思う。
年金未納問題でも、就職できないのはジジィが引退しないせいなのに、無職でも年金払えという気か!という動機も、なるほどごもっとも。
最近、義務教育でも社会保障を教えるらしいが(あの社会保険庁が出張授業を展開している)、実態がわかればご理解いただける…どころか、ますますボイコットが増えるのではないかという気もする。
それも教育の効能かもしれない。
大学教育も、「社会保障」「防衛問題」「宗教と科学」のような教養科目を必修にすればいいのに。
いや、サービスメニューの問題ではないかもしれない。
「全寮制、学費無料、ただしタダ働き必修」で、大学が学生を売り物にすればどうか?とも思う。
家庭教師、スポーツ指導者、ミュージシャン、話し相手(笑)などなど、学生は何かできる。それを大学ブランドで地域に売って教員の人件費にあてると、学生の学費負担は(金額上)タダにできる。
いや教員も、給料の代わりに衣食住の現物をもらえばいい。貨幣経済から物々交換への逆行である。
まず、医学部のセンセイは自分の教えている医学生に診療してもらう決まりにすれば、これはもう真剣勝負になっていいと思うが。


がんばれ中部商業

at 2004 08/04 11:58 編集

意外に早くソニーから「修理できたよ」と電話。お盆までに仕事をかたづけたかったのか?(世界のソニーが!)。

で、駅に向かう途中に県警本部があって、その隣に建っている旅館が、高校野球の選手団の宿舎になっている。どう決まっているのかわからないが、毎年「沖縄代表校ご用達」になっているようで、ちょうど中部商業ご一行様がバスで到着したところに通りかかった。

いかにも、さわやかな野球少年と女子マネである。
がんばってくれよなー、とスカラー波を送信してから、ふと疑問。
みなユニフォームを着ていたのだが、沖縄から飛行機に乗って、大阪からバスで、ずっとユニフォーム姿かい?

いや、イカンとは思わないが、移動時はスーツ姿のプロ野球選手と、ついひきくらべてしまった。
あのヤワラちゃんだって、柔道着でない平服をl着は持っているから、それを着て移動するはずだ。

なにか高野連の暗黙のルールかしきたりみたいなものがあるのかね。
野球部員は24時間365日、野球人だ!!
という気合いだろうか。

でも、儀礼を盲信するピュアなスポーツマンシップも、貴重ではある。
逆に、プロ選手も、見習ってはどうだか。
選手は丸刈りで、男女交際禁止(笑)。
1塁にヘッドスライディングするとか、負けたら砂をかき集めて持って帰るとか、ビフテキとカツばかり食っているとか、そんなプロ野球選手がいたら、けなげで人気が出るかもしれない。くさいことがブームになるのは、ヨンさま人気を見てもわかるではないか。
西武の松坂がやれば、はまり役だろう(アテネで見せてほしいものだ)

でも率直に、中部商業には愚直にがんばってほしいと思う。宿舎がご近所というだけの縁だが。
沖縄料理屋は大阪ほどないが、この機会に明石のタコとか神戸ビーフとか、たらふく食って、優勝旗を琉球に持って帰ってほしい!
本州では沖縄ブームのようだから、「都会のリズムにつかれたの私」てなおねーさまも、ご同伴で(笑)。


産経新聞ふう

at 2004 08/05 09:57 編集

中国サッカー応援団の日本バッシングは、おそらく「あんな国にODAくれてやる必要ない」といった2ちゃんねるの怒り(笑)を巻き起こしているだろうと思う。ヤフーも2ちゃんねるも見ないけど。

で、実際のところ中国向けODAの実態は?と裏をとろうと思って外務省のODA統計を見ようとしたら、なぜか削除されている。
置き換え作業中なのか、なにか「これは公開するとマズい」と判断されたせいなのかは、わからないまま。

いずれにしても、世界一かそれに近い巨額のODAが、日本国民の税金から中国に貢がれていることは間違いない。
サッカーファンが日本チームに悪態をついたからODA縮小というのも大人気ない話だし、まぁ熱いのはいいから穏健にヒートアップしてほしいものだ。

中国製品不買運動なんかも一部で出ているようだが、無理な話。服だって電子部品だって食材だって、もうボイコットしては生活が成り立たないほど、日本人の生活に入り込んでいる。

そもそもラーメンも餃子も大好きな日本人は、今さら中国に反感を持てっこない。僕も嫌いではない。
味覚の次は音楽。なにせ12億人の大国だ。「女子十二億坊」だってひかえている。
十二楽坊の次は、午前娘(中国版モーニング娘)、ペキオ(TOKIOの北京版)、須磨譜(中国版SMAP)etcetcと続々とパクリ・・・いやインスパイアされて出てくるはずだ。
なぜか大昔の小林旭みたいな雰囲気の、サングラスかけたプロデューサーってのが糸を引いて(笑)。

これを機会に、台湾問題を俎上に乗せると、これが中国政府の最もいやがる舞台かもしれない。
ODAは国民にとってはどうしようもないから、皆せめて旅先は「癒しの島」台湾に変更するぐらいの行動を示して見せれば、少し効き目はあるかもしれない。「だって、身の危険を感じる国に行きたくないでしょ?」といえば正論だし。

いずれにせよ、世界一「なめられている」のが日本国&日本人になっているような気がする。つまり、世界一怖くないのどかな日本人である。集団になると悪辣なことをするが、一人になるとノミの心臓だから。

靖国参拝や自衛隊を「脅威です」という国々は、本心から日本を怖がっているのか?
「因縁つければ何千億円と恵んでくれるカモ」になってないだろうか?
もし、あちらの政府でさえそう考えるなら、巷には「日本人を誘拐すれば身代金は確実」と考えるやつがいても不思議ではない。日本人の平均貯蓄額は、あちらで一生遊んで暮らせるぐらいの金額になるだろう。

疑心暗鬼になっては失礼かもしれないが、経済格差は、そんな邪心を引き起こす一因になるのが道理というもの。つかまってでも、日本に潜伏して荒稼ぎするアジア人が増え続ける背景には、圧倒的な経済格差がある。かりに1日で100万円稼げる黄金の国が日本の近くにあるとすれば、日本人だって流れ出すだろう。

中国は世界一!四川料理も世界一!共産党ばんざい!
とヨイショしておけば、それもコトを荒立てない工夫になるかもしれない。


京都観光

at 2004 08/06 14:28 編集

たまーにしか行かない京都で時間ができたので、三条から五条まで、猛暑の中を散歩してきた。
暑いのと、細い筋や小路まで縫うように走るクルマの多さに、気苦労もあってかなり疲れた。
坂道だらけの神戸や、「健康よりゼニ」の大阪(失礼)より、むやみにクルマが多い!…のは気のせいか?
寺町の家電屋さんを賑わしていたのは、英語や中国語を話す客たち。
これも時代の流れだろうか。

大学生の下駄姿や外国人住民の甚兵衛姿は、昔ながらの点景だろうと思う。
あぁ、天国の親父も、こんな学生生活を送っていた街に、僕を住まわせたかったわけか・・・と感慨にふけってしまった。金閣寺のとなりの大学に合格しただけで(行かなかったけど)、「わしのおった下宿屋紹介したる」と、苔むしたような話を持ち出して喜んでいたから。

この古都は、どんな方向に変わって行こうとしているのだろうか。つい、三都比較してしまう。
大阪はゼニ命、神戸は健康をテーマにWHOや先端医療産業を誘致している。
なまじっか伝統の重みがあるから、大胆なことはできそうにない。西京区あたりを切り拓いて京都空港を造るとか、太秦に京都ハリウッド村を造るとか、大阪や神戸なら無節操にやらかしそうなことは、「慎む」のが古都の風格だろう。

今日は原爆記念日。
灰墟になった街で生き残った人の証言が、メディアに流れている。
数分前まで一緒に遊んでいた同級生が、全身やけどで溶けながらふりしぼる声で、自分の名前を呼んで亡くなって行くような経験は、毎年聞いても圧倒される。
もうあってはならない悲劇だが、記憶は風化して、肉声で語れる人もやがて絶えて行く。風化した方がいいのか、風化させてはいけないのか、なんともいえない。

戦災を免れた京都や奈良は、幸運だったとは思う。けれど、広島や長崎や、震災の神戸が学んだ何か大切なことは、知らないまま。
といっても、「大切なこと」は、いいことばかり・ありがたいことばかりではない。
復興の名のもとに、ゼネコンが行政と結託する悪しき構図には、異議を唱えられない。そうして「拒めない弱み」を背負うことになる。
拒めない救いや借りを背負う立場は、幸せなのか、不幸なのか・・・?

こてんぱんに破壊してから、立ち直る援助もするのが、原爆を落とす国の手口だ(なんだか国家的な自己啓発セミナーではないか)。
このプログラムに抵抗できるのは、京都しかない。
悲劇を知らない街だからこそ、貴族的な操を守ってほしい。「どこにでもあるもんお求めになる観光客なら、来てもらわんでよろしおす」と言ってしまえる潔さもほしい。
中京区とどこかクルマ立入り禁止にしてベネチア化するのも、「坂道ないし、歩いておくれやす」のひとことで実行できそうだ。
ゼニやよそ者や女コドモにひれ伏すよその街にはできない、大胆にお高くとまった策が打てるのではないだろうか。

広島や長崎は、不運ではあっただろうが、「らしさ」を追求してきた街だと思う。
秋葉市長を選んだ広島市民は偉い。天皇の戦争責任を発言して狙撃される市長も、よそにはいない。
こんな「気高さ」が、わが三都にもほしい。


コンプレイント!

at 2004 08/07 10:37 編集

ある郵便局員が、退職した後、客のキャッシュカードを使って貯金を引き出して逮捕されたというニュース。
カードは客の自宅でなくなっていたとか。
郵政監察室は、なんともピンぼけしたコメントを出しとるぞ。
「今後こういうことのないよう、コンプライアンスを高めて行きたい」
民営化に躍起のあまり、はやりのビジネス用語で慣れないお化粧をしたいようだが、ずれている。気づいているのだろうか。
コンプライアンスというのは、たとえば郵便局だったら、なじみの客が何かの書類に何か一字書き忘れていたとき、気をきかせて代わりに書いておくような、慣例化している法令違反を戒める発想だ。トラックの過積載も、一般サラリーマンのサービス残業も、解雇原則お構いなしのクビも、ジェンダー・トラックも、みなコンプライアンスに抵触する。
が、客のキャッシュカード貯金を勝手に引き出すなんて、慣例どころか、れっきとした犯罪そのものではないか。

僕の前の職場に、転職して異業種から入ってきた上司は、部下と議論もできない陰気な巨漢だったが、いきなり「カスタマー・サティスファクション!」なるスローガンを張り出して、非難する気にもなれない失笑を集めていた。
コンプライアンスにしろCSにしろ、趣旨は至極当然なのだが、
使い慣れない場ででいきなり表に出すと馬脚をあらわすよ、というキャッチフレーズは多い。
下手すると、「お客さんは、あなたを嫌ってるよ」という現実に斬り返されることもある。

コンプライアンスを気にしていたら、営業マンはおちおち青空駐車もできないし、職場の電話やコピーを私用に使うと業務上横領だ。
いや、もちろん「無法地帯」はいけないのだが、企業の中が無法地帯になりがちなのは、私的自治や私的司法を法が認めているせいでもある。
身近な例が、法令では16歳で単車の免許が取れるのに、校則で禁止している矛盾だ。だれか、校則の違法性を裁判で訴えないのか?

ただ、法律に従うとかえって経営がリスキーになることもある。
性別分業もそうだろう。
みな「男女公平賃金公平昇進」は歓迎するだろうが、「公平残業公平出張公平責任」になると、「不平等なままがいいです」という層も厚いと思う
商取引や事業展開の面では、コンプライアンスはどんどん高められて行くだろうが、人事面はどこまでも合意されにくく、難しい分野ではないだろうか。


動悸の桜

at 2004 08/08 13:47 編集

つらつら思い起こしてみれば、同窓会というのは初めてだった。
人望がない上に、小学校のとき中学校のとき高校・大学生のとき・・・住所がみな変わっているから、連絡も届かず、ほとんど消えた存在になっているような気もする。

だから、マメ男くんとメールでの接点があったのはありがたい話だ。
マメ男とは無線部仲間。持つべきものは通信マニアである(笑)。

で、母校近くのホテルへ集まった。
同窓会ロマンスの類はよく聞くのだが、そんな竹内まりやのような世界は、男子校には無縁である。男子校には!
政治活動も布教も「まったく新しいビジネス」の勧誘もないかわりに(笑)、心おきなく金儲けとシモネタの話で盛り上がれた。

これがもし共学校で、「そのころ山田花子いま松嶋菜々子」のような元同級生から、なまめかしい目つきで「説明会に来てくれるだけでいいの」と二の腕にしがみつかれたら、ややこしい話に巻き込まれて行くに違いない。
そんなときこそ、「あいつはシモネタキング」と定評をいただいていれば、あらゆる勧誘から免れるのではないだろうか。

ややこしい話のない「お前と俺」の世界はいいものだ。
農村の古い学校だから、自営業と農家、その跡継ぎが多い。となりの建築屋クンが、「おれ消防団リタイアしたけど、あいつの子がそろそろ入団で・・・」なんて話をしている。友人同士、家族の動きをこと細かく把握しているのは、いかにものどかな農村生活。
向かいの席には、消防官がいる。こんなチャンポンワールドは、田舎の楽しさだ。

みな転職や「なにかおもしろいこと」を口にするけれど、妻子がぶらさがって、ちょうど子供の進学時期となれば、そうそう「冒険」はできるものではない。
でも、それだからいいのかもしれない。
落ち込んだり興奮したり気絶したりしても、いちおう心臓と肺は動いているような、ごく基本的な世間は「昔ながら」でいい。
でも、いつかは畜産しながらデイトレーディングで一財をなして、牧場にキラキラ豪邸を建てるやつが現れたりするのかな?


ホットキャットプレス

at 2004 08/09 13:04 編集

『ホットドッグプレス』休刊!
え?まだ出てたのか!と思った。『ポパイ』はどうなんだろう。
ばかばかしくクリスタルな時代に、『ポパイ』と競り合っていたゴッタ煮雑誌ぐらいの記憶しかないが、僕は一応HDP創刊号からの愛読者でもあった。
『ポパイ』の方が、カウンターカルチャーを熱っぽく取材した誌面で、HDPの守備範囲はファッションや音楽など日常そのものだった。カタログ雑誌というジャンルを作ったのがこの2誌で、その中では同類だったとはいえ。

そんな競り合いは、いい緊張関係ができる。「巨人対阪神」みたいなライバル関係はあった方がいい。
音楽雑誌でも、ちょっと尖ったやつはロッキング・オン、くだけたやつはミュージック・マガジンという具合に。
あぁ、自民党対社会党が勝負になっていた時代だったなぁ・・・

ポパイ対HDPは、硬派なポパイに僕は肩入れしていたけれど、週刊プレイボーイと平凡パンチは、くだけたパンチを毎週愛読していた。廃刊になって、今はプレイボーイだけ生き残っている。
先日古本屋で80年代のパンチを見つけて、わずか100円で楽しめたというか、ずっこけまくった。なにせ、「ナイスな旅はバイクで北海道」なのである。「ナオンちゃん」目当てがちらついていたりする(笑)。

デートをマニュアル化したのも、『HDP』の功績!?だったかもしれない。もう、時間の使い方、金の使い方から気の使い方、腰の使い方!?まで、びっしりマニュアル化したような記事がバブル時代には踊っていて、イヤハヤと苦笑するしかなかった。そして「初めてのソープ」のような見出しを見かけるころ、手に取ることもなくなった。
あぁ、こうして青年はオヤジ化して行くわけか。
別に僕は「週刊ポスト週刊現代」に乗り換えて行ったわけではないけど。

会社組織に人生を決められるオヤジを笑う青年は、マニュアル雑誌に人生を決めてもらっている。
そんなわかりやすい構図は、バブルとともに消えてしまった。
たぶん、読者が雑誌そのものから気持ちが離れて行ったのだと思う。生きる支え(笑)のようなPHP系の雑誌は、どれだけ残っているのだろうか。今だとバイト情報誌か。
出版業界まるごと不景気だとか、雑誌以外に情報はあふれているとか、年少人口の減少だとか、致命的な要因がからみあっているだろうと素人にも想像できる。
マンガ雑誌さえ、売り上げは落ちているそうだし。

僕が雑誌業界人だったら、『おばさん現代』『おばさんポスト』を創刊して、ヨンさまや氷川きよしを脱がしてしまう。
ばかクリスタルな時代に、「アノアノ」でブイブイいわせていた斎藤綾子姐御を編集長に迎えて、40代に火をつける。清水ミチコもいい。
どれも、読売新聞なみに売れるだろう。罪な結果が出るかもしれんが。
なんとか、退潮気味の雑誌界にテコ入れして、熱い闘いを見せてほしいものだ。


いかり定食

at 2004 08/10 10:20 編集

久々に「めしや丼」で、彩り定食にすっかー、と決めて中で食券を買おうとしたら、ボタンがなかなか見つからない。うしろの客の気配に焦って、数十秒かかってやっと見つけたのは「いろどり定食」のボタンだった。
コノヤロー!同じ書き方せんかい!!
と、「錨定食」になってしまった。

漢字と仮名でずいぶん印象が違うのが、日本語の醍醐味でもあり、まぎらわしいところでもある。
うな丼か鰻丼かウナ丼か・・・慣れ親しんだメニュー表示が変わっただけで、味まで違ってきそうな感じがする。
漢字は表意記号として右脳で、仮名は発音記号として左脳で把握しているせいかもしれない。

僕でさえ「彩り定食」と「いろどり定食」を結びつけるのに手間取ったぐらいだから、外国人にはもっと難問ではないだろうか。
漢字仮名混じり表記にはちゃんとしたルールがないから、そのややこしさも世界への壁になっているように思う。
日本名物のウナ丼を食べようと思えば、うな丼と鰻丼とウナ丼が全部おなじものだと学習しておかないと不自由する。

めしや丼店内には、でかいスーツケースやバッグをおいた2グループが、中国語で会話しながら食事していた(5分も歩けば、ネイティブ中国語で一通りのことはできる南京町があるのだが)。
彼らからすると、たとえば「中華ランチ」と書いてあるのを見ると、なんだか私の国の一部が書いてあるけど、その横の簡体字をさらに簡体にしたような3文字は何?という見え方なのだろうか。

それにしても、アジアからの旅行者は一体どんな日本旅行を計画して、どんな印象を得て帰るのだろうか。
素朴に、楽しい思い出を、1つでも2つでも持って帰ってほしいなぁと思う。
僕もサンフランシスコで緊急に腹が減ったとき、「パンダ」を見つけてひと心地ついたが、早い話、神戸や大阪の地下街にあるパンダと変わりない。
それで旅先の印象が悪くなるものではないにしても、自己嫌悪にはなる。

トロント大学の社会学部長という初老の学者と居酒屋に行ったとき、「こんな店がカナダにはない」と喜んでおられた(日系の居酒屋はあるらしいが)。安くてうまい、とも。
考えてみれば、家庭料理を売り物にする外食産業というのは奇妙な存在だし、家では家でしか、外では外でしか食えないものがあった方がいい。
それでも、一人でぶらっと入ってカウンターで地酒をちびちびやりながら、ちゃんとした夕食をとっても、2000円ほどですむのは便利ではある。大の男が一人で晩餐してサマになるのは、居酒屋の懐というものか(太田和彦ふう)。
懐石料理店や寿司屋なんか行かなくてもいいから、外国人旅行者よ、どんどん居酒屋へ!と僕は国連本会議場でアピールしたい気もする。

思いきり節約して、「バックパッカーの旅」で行こうと思うなら、めしや丼や松屋の類で、充分にカロリーのバランスと補給はできるかもしれない。
けれど、けれど・・・。
前もって日本の外食情報を得ていて、「日本に行ったら夕食は家族で松屋」と決めて実現している旅行者は、それはそれでけっこうなことだと思うが、実際どうなんだろうか。

欧米人は気さくに日本人に店や道を尋ねている。「ジャパニーズガールは日本にいる外国人と英会話したがる」と、ガイドブックに書いてあるのかもしれないが(笑)。
それに、ストレンジャーであることを楽しむゆとりがあるという感じがする。知らないことは知らない、電車の乗り方もわからない、でも異国の旅だとそれが当たり前で、だからおもしろいという発想かいなと思う。

どこか身構えているような気がするのは、隣国から旅して来ている、「日本人に見える旅人」たち。
まさか、「従軍慰安婦を強制した軍国日本の末裔たち」だと見られているのか?
もしかすると、昔の日本人はハワイや欧米で、そんな姿を現地人に見られていたのかもしれない。
サッカーの試合で問題になったような場面は、日本で身構えて旅する中国人と、地続きだと思う。


イカサマ、皆かも?

at 2004 08/11 14:37 編集

今度は、水道水を沸かしていた伊香さま温泉!
美白メイクしていたシラキル温泉、今回のイカサマ温泉に続いて、「皆カモ温泉」にも疑惑が浮上している。
温泉につかって「あ〜極楽極楽、プハーッ」とやりたい客をなめている。

どこかの若女将の「伊香保温泉にあるから温泉です」というトンデモ弁明には仰天したが、そうです、温泉地にあるから温泉だと思ってつかっていた方が幸せなんです!と開き直る業界人もいるのではないか?
芸能人だって、ロケでちょこっと入って「ほーんと、肌がすべすべになって温泉の成分がひしひしと・・・」なんてやってたやつは、一蓮托生ではないのかね。

僕の好みの新潟県燕温泉・川原の湯は、源泉に浴槽だけで壁もなにもない露天だから、これは本物でしょーと信じているのだが、もしかして手のこんだ野趣かもしれないと思うと、怪しく見えてくる。
まぁ、付近の山道が硫黄くさいし、至るところ硫黄ガスが噴き出ていて湯は硫黄泉ということになっているから、「情況証拠」から信じているだけだが。

温泉には、いろんな物語がくっついているもので、子宝に恵まれるというのもその1つ。
それは大昔からある民間伝承だろうが、最近やけに堂々と「カップルで行ける鍵のかかる貸し切り温泉」てな案内本があふれかえっていて、慎み深い私は「アラやだわ」と赤面しっぱなし。
「料金2時間2000円」なんて、まるで連れ込みホテルと同じで、申し込むのも恥ずかしくないのか青年諸君!
2時間ごとに次の対戦に入れ替わって行くたびに、湯は白濁して・・・アラやだわ!である。

温泉は「個室欲情」すべき場所ではなく、あっけらかんと気持ちいい裸天国であってほしい。
欲情するなら、縁結びとか商売繁盛のような、現世利益をうたい文句にする温泉はあってもいい。ついでに占いつき温泉とか。

欲情とは無縁の浴場で、常宿にしているスキー宿は、いつ行っても客が少ない(笑)せいか、風呂は1つしか沸かしていないことがよくある。「交替でどうぞ」ということで。
ここに、オッサンどもが先に入ったところ、思春期の25歳お姫が、なぜ!信じられないワ!やだワ!と本気で怒っていた(笑)。
「幹事さんお先にどうぞ」の発想は、姫は未習得であったのだ。
オッサン代表のワシは、銭湯で育ったから、「みんな先に体を洗って湯につかれば、湯はきれい」とわかっているし(教わったのではなく自然に現場で学んだのである)、浴槽でタオルを使わないマナーも知っている。洗面器をかたづけないと、知らないがおっちゃんにパコーンと殴られもする。
後に入る人のことを考えて利用すればいいだけ。

わが地元にも古い名湯があって、学生時代はアルバイトさせてもらった。標高500mの緑、神戸ビーフ、温泉とそろって、客としては極楽な奥座敷だ。ジンギスカン・スタッフとしては汗と涙の日々だったが。
ここは金泉、銀泉が名物で、炭酸のせいで色がついているのだが、もしかして「きんさん・ぎんさんが昔つかった」だけの普通の湯だったりすると笑える。
まさかの「あれまー温泉」にならないでほしいとは思うが。



我が家はツポレフ

at 2004 08/12 12:26 編集

「暗室職人」のグループ展を見に行ってきた。
毎年ちゃんと展示をして、雑誌にも発表しているクリエイター魂は、立派なもんじゃなぁ…と、スカラー波で拍手を送信しておいた。
初日なのでお仲間が集まっていて、これ以上陰気な貸しギャラリーはない(笑)と思うような会場で、楽しいひとときをすごした。

クールなアングルとていねいなモノクロームの焼き付けは、もう立派な写真作家だ。
クリエイター魂のない僕は、終わってから暗室職人と呑みに行って、もっぱらゲスな話に傾いて行く。
暗室君はもと鉄道写真家であるから、旅行シーズンにちなんで、路線と車両の薀蓄をかたむけあう。東北新幹線はレールスターも700系も走ってないとか、東北のどこそこの路線は第三セクターでも経営が危ないとか、鉄分の濃い濃い話が、酒のサカナになるかなーしかし。

おかげで、やはりマニアの夢は乗り物に住むこと!と再確認できたのが成果である(たかが酒の席で!)。
つまり、鉄道マニアは廃棄車両を買い取って住む、航空マニアは機体に住む、廃線マニアは駅舎に住むのが、やはりマニヤさまの本望なのだ。
バスマニアがバスでキャンピングカーライフを送っているのはすでによくある話だから、次は飛行機・鉄道・船舶の時代ではないかと思う。そうでしょう山*君。

列車なんかはけっこう広くて、頑丈でいいと思うのだが、「窓が多いから冷暖房効率悪いっすよ」と、*本君からマニアックなチェック(略してマック)が入る。
飛行機に住むのは、もしかして史上初の快挙か暴挙になるはずだから、ばかに本気であれこれ検討していると、「フィリピンに行ったとき現役で飛んでたDC-3は安く払い下げてもらえそうでしたが、停止したとき機体が傾いているから、住むにはちょっと…」と、これまたマック。
いやはや詳しくてたのもしい。

僕が見たある広告によると、セイバーやコルセアのような練習用ジェット戦闘機の払い下げは、クルマなみの値段で買えるようだが、とにかく座席がせますぎる。軍用機マニアに座らせてあげて金をとる「見世物用」には使えるか。
やはり旅客機だ。
「コンコルドの窓枠を買った人の話を聞きましたよ」と、またもやマック。おいおい…もしかしてキミ自身ではないのか?

技術的な手はずは、政府系エンジニアの彼にまかせれば大丈夫だとして、僕はソフトウェアで頭をしぼる役を勝手に担当した。
YS-11を買い叩いて、一般庶民がなかなか入れないコックピット部分は有料で開放する。これでローン返済の足しにすればいい。座席部分を仕切って居住用とする。
リアルさを追求すれば(いや本物なのだが)、マニアでなくても日本中からものめずらしげに客が来てくれるだろう。
客のためには、客室乗務員も設置しなくてはなるまい。
これが本題だったりして・・・


あれまー温泉

at 2004 08/13 11:24 編集

まさか、地元でやってないだろうねーと日記で書いた矢先に、温泉の偽装が発覚した。
無許可の露天風呂をつくってタンクローリーで湯を運んでいた、温度を下げるため水割りしていた、と説明されているのだが、どんどん究明されて行けば、「ペットボトルに温泉の湯をくんで露天風呂に垂らしに行ってただけ」だったりするのではないか?

温泉だけでなく、食品の産地や成分の偽装も、「誤解されるような表示をうっかりかかげていた」という問題ではなく、客がうっかり誤解するよう巧妙に考えた確信犯ではないのだろうか。
「ばれなきゃいいだろ」「ばれるまで稼ごう」と消費者をばかにしたような腹の底も見え隠れするのだが、これは社会保険行政という巨悪にも通じる。
60歳から年金をもらえると信じ込んできた日本人が、65歳におあずけされ、70歳支給開始に引き上げられても、騒がない日本人は、真相を見ようとしない事なかれ主義者なのだなぁと思う。
そんな国民性が、偽装表示を育てる。

どこかの県が、「正しい表示がなされているか、地元自治体のチェック体制を整える」と会見していたが、アホか!
地元の町長が経営している旅館で偽装表示してたやんか。

金持ちと政治家は、必ずウソをつく。清廉潔白に見える政治家でも、言葉を濁すこと、触れられたくないことは必ずある(わたしゃヨハネ・パウロ二世さえギャフンといわせるぞ)。
農耕民族は、真相究明より、怪しまないこと・異議申し立てをしないことが、田園共同体でつつがなく生きて行くコツだった。
殿様はいい人だ。ということにする。
国は国民を守ってくれる。と思う。
温泉にあるのは温泉だ。ということになっている。
疑うことは罪悪なのだ。

山岸さんという社会学者によると、「安心な社会」と「信頼できる社会」は根本的に違う。性善説を信奉して、セイフティ・ネットや自衛手段を持たず、なんとなく安心しているのが、これまでの日本人。
権力は必ず腐敗すると言い当てたのは、マキャベリだったかホッブズだったか、ともかく性悪説に立って、チェックと処罰を機能させるのが信頼社会だ。
伝統と格式になんとなく信頼をおいて怪しまない日本人は、年金行政にだまされても払い続けるし、温泉にだまされても「あ〜いい湯だ」と苦笑い。

あんまり絶望するのも精神衛生上よろしくないので、こんな仮説を立ててみた。
国民は、だまされるがままのバカではない。
かといって、国民をだまさない政財界人はいない。
「だますなら、ばれないように知恵を絞って、死ぬまで夢を見させてくれ」
と、お手並み拝見しているのかもしれない。懲りずに入湯料金、年金、税金を払っている国民は。

いや、ボイコットせず払い続けるほどに、信じたくなるものかもしれない。カバンを何十万円で買ったら、高貴な人間になれたと思いこみたくなるのと似ているかな。
臨床心理士さんたちは、だまされたがる国民心理にこそ、メスを入れてほしいものだ。


あっぱれゴン

at 2004 08/14 12:23 編集

中部商業は残念だった。
ただ近所に宿泊していただけの縁だが、だからこそ僕は追っかけ少女の気分になりかけた。
握手してほしい、なんならサインもほしい・・・ウルッ・・・と、けなげな(笑)気分に。
というのも、公称107kgのアハゴン君である。
実にいいキャラクターではないか!

甲子園出場中は、好きな夜食もひかえて節制に励んでいたらしいが、ふだん合宿中は何をむしゃむしゃ食っているというのか。
チャンプルー?、ゴーヤソバ?、サトウキビ?
負けたかわりに、球場の砂なんかかき集めなくていいから、三宮あたりでケーキをかき集めて帰ってほしい。

敗因分析なんか、「なんですかそれー」って感じで、あっけらかんとしていて、すがすがしい。
もう3年生だから、甲子園は終わりなのだ。
次は、四股名いやリングネームいや芸名そのまま、本名ずばりアハゴンでデビューするか?

すがすがしいといえば、目立たない女子サッカーも、さっぱりと予選勝利してアッパレだった。
ともかく早く先制点をとって、あとは守りに徹するのが、スタミナで不利な日本人の必勝法だと思う。50対45みたいな試合になると、逆転はまず無理だろう。
スタミナの問題と、使えるカードの乏しさという難点もある。
ステラン・ダニエルソンという、おっさんホンマにスウェーデン人かいなと疑われるほどファンキーなスポーツジャーナリストによると、日本サッカーは「うまくなった」が、作戦を読まれてしまうらしい。すなおというか、あらゆる状況を想定していないというか・・・。
それもそうかもしれない。和を以て貴しと為す国なのだから。
チームプレイとは助け合うもので、出し抜き合い・競い合いをすると「協調性を持ちなさい大沢君」などと咎められる。
まぁ、プロチームは世界標準で闘っているのだろうが、18歳からだと遅いかもしれない。本当に日本社会からはじき出されるほど尖ってないと、世界と闘える神風にはなれないのではないだろうか。

パラグアイとか次の相手のイタリアといっても、もう何が出てくるか百鬼夜行の逸材ぞろいという感じで、いくら試合ビデオを見ても、ふところの奥深さは見えてこないだろう。
日本人は特に途上国の文化、人間を知らないから、作戦の立てようがない。逆に、ヨーロッパ、中近東、南米チームから見ると、日本人は予測通りの動きが見えるのかもしれない。

いろんなバージョンがある「諸国比較ものジョーク」で、「難破船の救命ボートに、弱者をさしおいてわれ先に乗り込んでしまった各国の男どもを降ろす方法」というのがある。

英国人→「あなた紳士でしょ」?と言ってやれば降りる
米国人→「あなたには保険がかかっているから心配なく」と言えば降りる
ドイツ人→「船長命令だ」と言えば降りる
イタリア人→「降りるな」と言えば降りる
日本人→「みんな降りてますよ」と言えば降りる

おそらく、枢軸国と戦っていた連合国のどこかでできた小話だと思うが(出展は開高健さんのエッセイ)、これほどに日本人は同質的で、同調的な民族と映っているのだろう。

今はいろんな日本人がいるから、一概にステレオタイプで遊べないのは少し面白味に欠ける。
それに世界はもっとボーダーレスだから、ドイツ人といってもトルコ出身だったり、英仏あたりは旧植民地から強い人材をいくらでもリクルートできる。

わが日本にも、耳元で「食堂にディナーが手つかずでそのまま!!」とささやかれると、救命ボートからダイブして、沈みかけている船にダッシュしようとする新人類がいるかもしれないが、この日記の冒頭とは関係ない。


生涯オリンピック

at 2004 08/15 08:28 編集

初めて見たオリンピックの生中継が、柔道の決勝戦。
なんだか、いきなり閉幕かいなーという気分だった。
結果は、「ヤワラちゃん前評判通りの金メダル」で、めでたいがシナリオ通りで、あと尻すぼみにならなければいいが・・・と思った。

アテネの選手には知人・縁者がいないのだが、スピードスケートに高校の後輩が出ていたのを思い出す。
たしかワールドカップのときは現役高校生で、ほほーがんばっとるなぁと思って応援していたら、五輪では浪人生と紹介され、あちゃー受験勉強するひまなかったかと思い、その後の身分は地域スケートクラブ員になっていた。
たしかお父さんが医者で、医学部めざして何浪でもする覚悟だったのかもしれないが、医学生になると6年間はユニバーシアードに出られるのだろうか。ふつうの大学選手生活は4年間だから、少し得かもしれない。

ヤワラちゃんのように、3大会連続出場という長い選手生命はすごいと感心する一方で、二十代前半で「引退」する女子バレー選手は普通だから、種目によって現役の長さはずいぶん違うようだ。
これが体操になると、二十歳ぐらいが絶頂期だから、三十代選手の演技はヒヤヒヤさせられるかもしれない。もしかしてコマネチが現役カムバックすると、見たいような見たくないような・・・。

選手生命を長くしようと思えば、あんまり早くから競技ロボットのように心身を改造して壊してしまうのはよくない。生涯スポーツの時代だから、長いー目でゆっくり鍛えればいい。
そこで、まずインターハイとインカレの間にイン浪を設けて、河合塾、代ゼミ、駿台の3強対決なんかがあってもいい。
「先輩、カツを入れて下さい」「人前で先輩と呼ぶな!予備校2年生とばれるじゃねえか」てなほほえましいシーンも、見られないか?

予備校に卒業はないから、何年でも選手生活が送れるのが、メリットというか墓穴というか・・・
実況中継で「4年前のイン浪にも出てましたねーこの選手。かつての同級生は大学を卒業して就職かというトシのようですが」と紹介されても悲しい(同情)。
インロー高じて「イン老」にも発展して、「いきいきの里」VS「ゆうゆうホーム」みたいな闘いができれば、いいストレスがボケ防止になりそうだ。
そうなると、種目も工夫しなくてはいけない。
選挙公約に追加しておこう。


スーパージェンダーフリー慎ちゃん

at 2004 08/16 21:08 編集

やっと戦争が終わって空襲がなくなった。暑い15日であった。
と思いきや、少し曇ったせいで、ずいぶん涼しい1日で、何十日かぶりに熱帯夜はまぬがれた。

こんな日こそ、暑い息を懐かしむには産経新聞だ。
あのI・S太郎が統率する都教委が、ジェンダーフリーを現場から廃止する!もう2学期から即刻だ!
てなトーンの記事が踊っている。気合い入っとるねぇ。

具体的には、男女混合名簿を「禁止」して男女別名簿に戻すことから「揺り戻し」が始まるようだが、これはエクセルをちょこっといじくればすぐできる。
むしろ、底に沸々とわいている古き良き「男女七歳にして席を同じうせず」へのノスタルヂーが、熱い。

無署名の記事は(だから新聞社の意志である)、一部の教職員や市民グループらがジェンダーフリー思想に基づいて男女混合名簿を推進している!と憤っている。「思想」なんである。ほほぅ。

矛先は名簿で収まらないだろうことは予想できる。
では、男女別教室、男女別校則、男女別学校、男女別家庭役割、男女別就職、男女別企業(笑)・・・とつないで行けば、こりゃおかしいとだれでもわかる。
けれど、現実には大学までは能力(学力)競争社会でも、その先に壁やら溝やら透き通った天井やらがあって、ジェンダーフリーは中途半端。だったらやめましょう、という一派と、もっとがんばれという一派がいる。
というより、日本人一人一人が賛否両論かかえていて、得になれば賛成、損になるなら反対ということではないかと思う。「ジェンダーフリー思想」をめぐる論争ではなく、功利主義論争として見た方が現実的だ。

おそらく男性も、「負担も平等になるなら賛成だよ」と思ってはいるのではないだろうか。
子供と遊びに行きたい(その余裕がほしい)と思っているのではないだろうか。
そうならない社会のしくみが問題で、それがなかなか進まないから、いっそ昔に戻そうというのが、つい流れて行きやすい方向ではある。
それで社会全体で損になるか得になるか。
だれが多く得になるか、だれにしわ寄せが行くか。

でもねぇ・・・彼女を守るとか養うetcの発想は、80年代までの「彼氏心得」であって、今は絶滅しかかっているのではないだろうか。学歴より腕力がものをいう仕事についている類の男性は「俺についてこい」と発言して笑わせてくれるかもしれないが、そんな男性はなかなかもてへん。
ペ・ヨンジュンみたいに彼女に巧みに靴を履かせてやらないと、まごついていると「自分で履くからキショいことせんといて!」と怒られかねない。
こんなふうに、すでにモデルがいる「はかせ芸」は比較減点されかねないから、いきなり下着の方に大胆飛躍するか、靴下、手袋、外反拇趾防止サックとかマニアックな方に行くか、男どもよ知恵を搾んなさい、と慎太郎は言うだろうか。

もし、労働単価が高くて(つまり時間に余裕がある)ジェンダーフリーな男がいるとしたら、家事や育児は「僕でもできること」と、とりたてて評価しないから、かえってひいてしまうのではないかと思う。下手にやると、「僕は長いこと自炊してきたから、台所はまかせてくれていいよ」「僕が施設で見てた子にくらべれば、わが子の育児ぐらいルルル〜お任せ〜」などと引き受けられれば、わたしゃ産むだけ女かい!?という気にならないだろうか。
楽でいいわと笑うばかりの彼女は、浅はかなリストラ要員だ。そんな子連れ彼氏は、年季が入るほど女性に深くもてる。

家事は自分の責任でどうにでも工夫できるけど、仕事は世間の都合でいつリストラに遭うかわからない。だからお互いバックアップしあえるよう、対等にがんばって働こう。
というのが、まともなジェンダーフリーだと僕は思うが、お互いの思惑でねじれているのが、ジェンダーフリーの悲劇だと思う。

たぶん、男女とも浅読み・深読みしている面はあって、それも不幸の種であったりして、「実現したら自分の立場が危ない」ようなことを夢見てしまうのが、これはもう性みたいなものか、男も女も。
たとえば妻が黒木瞳ふうというのもヒヤヒヤものだし、ベッカムふうの彼氏というのも大変だろう。

かといって、天の邪鬼もリスキーだ。「滝沢君が好み」とか言い続けていたら平穏にシングルを遂げられるが、「江頭さんステキ」とカミングアウトすれば、もててもてて困る。

カミングアウトしなくても、「あなたなら、こんな私を受け入れてくれると思ったのに」と嘆かれるのも困る。なんだか自分の虚像がいるようで。
「なら」って、なんじゃい?
「思った」って。ねぇ・・・トホホホホ



五輪必勝作戦コードネームは真弓

at 2004 08/17 06:42 編集

梅酒を一杯やったら、早く目がさめてしまった。
体操日本の血がめざめたのか、生中継を見ると体操団体で日本の金メダル演技をやっていた。完璧な演技で、解説のおっさんも泣いていた。
すばらしい。
やはり、毎朝ラジオ体操をやっている国民性の勝利か?
おじーちゃんまで、NHKテレビの「午後の体操」で春を回復している風土の勝利か?

この調子で、残り種目は全部キンピカで決めてほしい。
日本が金をとれる春季・秋季オリンピック種目の私案は、きっと実現するだろうが(JOCは我がサイトの選挙公約なんか見てないだろうが見ないと後悔するだけなのだ)、今大会でも、あと少しの工夫でメダルを確実にできそうな種目がある。

たとえば愛ちゃんの卓球。
ゆかたでやりなさい!日本人の血が騒ぎ応援コールもひときわ高くなる。黒地に白い水玉柄にすると、相手の目をくらませる効果もある。
女子柔道は78kg超級が上限らしいが、アジャコングは助っ人に…無理か?
次から女子でも100kg超級というクラスができるかもしれない。見たいような、こわいような…。
最終兵器は、アーチェリーだ。某尊師の娘を仕込め。みな棄権するから、自動的に「金でも銀でも好きなのをどうぞ!助けてー」となる。

アホな夢を投げつけられるのも、「スポーツの祭典」の楽しみだ。
正式なオリンピックでは、浴衣卓球もアーチャリー出場もホンジャマカ柔道も無理だろうから、イグ・ノーベル賞にならって、パラダイスリンピックでもやってみたらどうだろう。
自転車競技はママチャリで。ライバルは中国ぐらいか。
ビーチバレーは暑苦しいから、ビーチいか焼きにして味で勝負してほしい。これも中国が驚異かな。
コートのバレーボールは時間無制限にすれば、疲労で世界の強豪がどんどん脱落して勝てるぞ。日本はママさんバレー選手が約4700万人ひかえているから、無尽蔵に補充できるから。「出たい人〜」と募ると4800万人は志願してくるから、飛行機で運べばよろしい。
JALもANAも景気回復。ママの留守中、パパは家事をおぼえる。
めでたいことだらけだ。
うまいこと、きのうの陰気な日記につながった。


月並み金メダル

at 2004 08/18 13:02 編集

カレー屋さんで少年ジャンプを見ながら、こりゃー予備校生時代と同じことやっとるなぁ・・・成長してないなぁ・・・とため息がもれてしまった。愛読していた「こち亀」は、四半世紀近くたった今も延々と連載されているから、よけいにそう思う。

ふと読者欄を見ると、少年たちの投書が「オリンピック新ルール」特集だった。
曰く、女子テニスはパン*ラが多い選手が優勝
曰く、シンクロはポ*リが多ければ優勝
・・・なんだか、ワタクシと同レベルではないか。
「卓球のユニフォームは浴衣に」のイラストつき投書なんか、もう、日本人みんな考えることは同じではないのだろうか(苦笑)。

「こんな種目があったらええなぁ」とおバカな妄想を曰記に書いていると、きっとワタクシを知る者は「おまえらしくない、あっち方面はないのか」とヤキモキされているだろう。
ワタクシの頭の中など、世間の殿方や少年たちと変わらないと思う。堂々と言うか、言ってはしゃぐか、言わないでいるかの違いしかない。

坊主どもなら考えそうな妄想は、適当にあしらっておけばいいのか、「添削」してやればいいのか、律義に考えてしまうが、1件だけ君たちにレクチャーしてしまうと、テニスで見えるのも、ホッケーで申し訳程度にヒラヒラした「スカートふう」下に履いているのも、下着ではないわい。

でも、男どもはそこにときめく段取りになっているから、不可解なことではある。これは、井上章一さんが名著『パンツが見える』で探究しておられる立派な記号論哲学でもある。
つまり、少年もヤローもおっさんも、全く実益に結びつかないことを見捨てられない哲学者なのだ。

何かの拍子で街行く乙女の一部が見えてしまうと「大吉」に当たった気になったり、経済学者がエコノミスト生命(なんだか保険会社みたい)を賭けて手鏡で見ようとしたりしたのも、たかが下着である。
その理由は、これから少年に探究していただきたいものだ。君たちは、クラスのあこがれのあの子の椅子にすわるだけで、ちびって・・・いや天に昇れる幸福な哲人なのだから。

しかし無垢な哲学には大人の分別という強敵が待ちかまえている。
大人の分別のかたまりであるワタクシが、*ラリ、*ロリ論争を「水入り」させてあげよう。
少年に妙な妄想を植えつけた、あの大磯ロングビーチ名物のポ*リは、いかにもなビキニが「お約束」であった。

ビキニといえばビーチバレーである。
ところが、海のないチェコにストレート負けしたのはどうしたことだ?
海岸線が世界1位か2位の長さを誇っている海洋国家としては、不甲斐ない。これでは、ハプニングより「本業」に、1から励んでもらわにゃいかん。
選手は別にハプニングなど意識してないのだろうが、水に入らないのに水着というのも変な話だ・・・とIOCは考えないのだろうか。
卓球にしろビーチバレーにしろ、ユニフォーム問題は尾を引きそうだ。


愛のピンポン

at 2004 08/19 14:50 編集

日本中が毎日オリンピックで浮かれていると、さぞかし曽我さん一家も監視をまぬがれてゆったりしているだろう(ジェンキンスさんどうなった?)。
ヨンさまも、歌舞伎町で羽を伸ばしているにちがいない。

めでたい勝利ばかりではなく、卓球の愛ちゃんが敗退した。お気の毒に。
ほかにも、サッカーやら射撃やら、敗退した種目はどれも「今後につながる結果に終わりました」というのがはやり言葉になっているようだから、そう考えると 15歳の愛ちゃんにとっては、今後のオリンピックは5〜6回ぐらいありそうだ。「7大会出場」てな世界記録でも目ざせばいいのに。
若い選手は、じっくり時間をかけて世界へ武者修行に出て、打たれ強くなれば勝てるのではないだろうか。

卓球は可動域が小さいから年をとってもできそうに見えるが、俊敏さや動体視力がシビアに問われるから、実際にはスタミナより神経の老化を感じて引退することになる。
愛ちゃんはすばしっこそうだし、あの目は狙ったお菓子屋さんを新幹線の窓からでも発見しそうだから、おおいに期待したい。

バレーボールや柔道や体操はヒーローが出やすい種目だが、卓球のヒーローというのは聞いたことがない。不思議と、格闘技系の選手には近づいてペタペタしたくなるのに、なぜか「卓球の達人」からはひいてしまう感じがするのはなぜだろうか。地味すぎるせいか?

だからこそ、愛ちゃんキャラクターは貴重だ。
少年少女が卓球の道にどんどん進むよう、キャンペーンに一役かってほしい。
「持ち物は短パンとラケットだけでいいから、カバンにはお菓子を一杯つめこめます」とか(マラソンに負けてるがな)。
「どこの温泉に行っても、旅館でひっぱりだこ!」とか(休養が仕事になるがな)。
卓球の一番のウリは、ケガしないという点ではないだろうか。
練習のしすぎで故障することはあっても、球が当たってもまず大丈夫。野球やバレーボールやサッカーとの大きな違いだ。
あ、そう考えるとバドミントンというライバルが浮かび上がってくる。
愛ちゃんには、陣内貴美子になってもらわねば・・・


いぶし銀メダル

at 2004 08/20 13:30 編集

残念ながらアーチャリーは出ていなかったアーチェリーの本命は、ムッシュ山本だった。LA五輪では銅だったから、20年かけて銀へと、ワンランクアップしたわけで、すごい選手寿命だ。
インタビュアーは、聞きたくなかったのだろうか。「次は20年後に金ですね」と(笑)。でも山本さんなら「え〜かんべんしてよ」と笑ってあしらってくれそうな気もする。

そのへんは、ウィットの効かないマスコミだからこそ紋切り型に逃げる。
「中年の星」ですか。
なにやら聞き慣れた常套句やな。ま、そりゃ星飛雄馬も中年にはなるわいな。

銀メダルといえば、若手も差しおいての世界2位ということでっせ。中年の部での2位ではない。
ということは、中年の星というのは誤りであって、銀色の星が中年だったというだけのことやんけコノヤロー!と、だれに憤慨していいのかわからんが、あえて中年の星とくくらなくてもよさそうに思う。

それに、健闘を讃えるなら、同い年の女子ソフトボール宇津木麗華は、なぜ「中年の星」と呼ばれないのか。
おっさんだけ中年だ人生後半だ(笑)と揶揄されて、おばさんは「まだまだ若いわよ」「中年の星だなんて失礼よね」というのは、逆性差別ではないだろうか。

なんて青くさい正論はさておいて、「おじさんがんばってるよ〜」と堂々と中年の星を引き受けて笑っている方が、輝いて見えるわな。

中年の星は、同じ中年に勇気を与えなくてもいい。「それぞれの道」でがんばるしかないのが中年の定めだから、まさか今からアーチェリーを始めてオリンピックをめざす人はいないだろう。
むしろ、若い世代に「君はワシの年齢になったとき、ワシを超えていられるかな?」とプレッシャーをかけてやればいい。いや、目標になるような「地上の星」になれたらいいと思う。

そんなおじさんおばさんを、「好青年」にならって「恒星中年」と命名したい(好中年と書くと好色っぽくなっていけない)。
若者へ媚びるのはやめて、老いの恐怖も忘れれば、四十代中心の文化を創れるはずだ。スポーツでも旅でも音楽でも(ゴルフと温泉と演歌ではあまりにも貧相だ)。

「とは言うてもなオマエ、女房からもらえる小遣い微々たるもんやで」
「子供の進学で大変なのようちは!」
という同級生諸氏からの嘆きも聞こえてくる。
こうして、ふけこまされるのが日本人の人生後半なのか・・・。

社畜という捕われの身、種馬という道、ローン債務者という蟻地獄・・・そんな闇に沈むのは簡単でも、星になるのは難しい。
安酒で崩れて演歌をがなっているクサいだけのおっさんは、ピンクレディのコンサートで踊っているミーちゃんケイちゃん世代のおばさんを見習ったらいいと思うが。


マニュアらない、マニュアれば、マニュアろう

at 2004 08/21 18:03 編集

午後のお茶でもしながら・・・と集まった打ち合わせが、なごやかに終電近くまで激論になって散会。
地方都市の夜の駅は、驚くほど涼しくて、なんだか夏から秋にかけて議論したような妙な気分だった。

議論になったのは、たとえていえば安藤忠雄建築事務所の無名の建築士である数名が、雲をつかむような下請け話を振られた、というような話。
大手発注元から安藤忠雄に依頼が来た、いい機会だから事務所の諸君どうだ、というありがたい話で、委任契約だからだれが下請けしても、安藤忠雄を見込んだ発注元に、「安藤忠雄の仕事」を出せばいいわけだ。
それはいい。
ところが、肝心の納期と分担割合がわからない。

シモジモの数名の無名建築士は、みな塗装工であったり電気設備士であったり図面屋さんであったり鉄骨屋さんであったり、専門分野が違うのだが、「一人で1棟まるごと担当できるぐらいの覚悟で」と精神論を説かれるばかりで、はっきりしたガイドラインはない。「君たちで考えるように」とだけ。

数年前にも、1棟まるごと建てる仕事をしたら、1階だけ残して2階から10階まで潰されたということがあったので、またかと思うと不審は解けない。

すこし分野は違うが、超勉強法の野口悠紀夫氏は「言論情報」を生産するプロだが、その手引き書で「時間と字数で内容が決まる」と力説しておられる。その通りだと思う。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」というようなミラクルが世の中たまにあることは否定しないが、根性だけでは自滅することの方が多い。客観的な条件は、精神力を圧倒するのだ。
情熱や愛や闘志は、周到で冷静な作戦を伴ってはじめて生かされるように思う。

与えられた時間はどれだけあるか。自分の今の力量はどれだけあるか、コストをかけただけのベネフィットが見込めるか。成果はいつ出るか(生きている間は評価されないだろうが歴史が評価してくれるよ、といわれて喜んで仕事のできる人はどれだけいるだろうか)、そんな条件は、ついクールに考えてしまう。
だから、「その建物の用途や納期や資材や担当部分を指示してくれ」と求める僕と、「気合い」「責任感」を問う安藤親分との話がどうも噛み合わない。

おそらく、僕のようなのがマニュアル人間(共通一次世代と呼ばれたこともあったなぁ)の走りなのかもしれない。
マニュアル世代の前は、「惻隠の情」「以心伝心」のムラ世界だ。
「どない?」「ぼちぼちや」「大変やな」で大切なことが通じる世界は、ごく親しい村人の間だけの話。
それで商人は商人の世界、職人は職人の世界にこもって支障なく暮らしていけるうちはいい。

ところが、別世界やら異星人とコミュニケーションをとらないと、溝が増えるだけ。
偉い人々が偉くないシモジモとの間に溝をどんどん掘って行けば、どうなるか。
そんなことが前代未聞の大きな規模で進行している1つの兆候が、年金不信だろう。行政府と立法府の怠慢が、だれも望んでいない「老人と若者の反目」に飛び火してしまっている。
強欲な政治家と糞役人は、いかに合法的に強制徴収するか、法を変えてでも断行しようとする。対話もへったくれもない。
フリーターや主婦や中高生にもわかる言葉で、怠慢を反省して、安心してもらって、その次に信頼されるような仕事をすれば、年金制度は持ちこたえられると思うが、まず「信頼して下さい!」では、悪徳商法と同じではないか。

社会に階層ができるのは自然現象のようなもので、どんな先進国でも未開社会でも、完全にフラットな社会はない。
問題は、上の層に上がれる方法が、だれにでも利用できる形でちゃんと公開されていること。それが、本来のマニュアルだ。
無知から入門レベルになれるマニュアル、入門レベルからエキスパートになるマニュアル、実戦マニュアルがそれぞれ必要だ。
もちろん、マニュアルは万能ではないし、書き尽くせないことは多々ある。それに、行き着くところは「マニュアルの捨て方マニュアル」という皮肉な宿命もある。

けれど、まだまだマニュアル化は進んでいないどころか、無軌道ほったらかしが現実だ。
たとえば、下宿進学が決まった高校生に、ご近所への引っ越しあいさつから教えるマニュアル。
男女交際マニュアル雑誌については少し前に書いたけれど、これから(すでに、か?)中高年の性愛マニュアルは大事な分野になってくると思う。あと、快楽をギブ&テイクするマニュアルなんかも、「私はその場面だけ下で受け身がいいの大和撫子」の心の中ではタブーになっているのかもしれないが(笑)、欧米のフェミニズムは「対等な性愛関係」という理念の中でマニュアル化している。
男のための離婚マニュアルもほしい。
宗教や占い、セミナーやカウンセリングとつきあうマニュアルは、老若男女を問わず必要だろう(坊主と結託した葬儀屋に丸裸にされた無知な身内の悲劇も、去年書いた)。
無料で利用できる公共施設や相談窓口、公的助成金なども、調べてみれば驚くほど手厚い福祉大国になっているのがわかる。要は情報を持っているか、利用するかの問題。

図書館の利用法や、「大学に行かなくても大学レベルの学問ができるマニュアル」も、あればおもしろい。その気になれば、「敷居のない(笑)大学に籍だけ置いて通学しない落ちこぼれ」に見えた学生が、「eラーニングでMITの学士を習得」ということも、ありえるだろう。

自殺マニュアルなんて禁じ手の前に、行政の闇をあばくマニュアル、無能公務員を辞職させるマニュアル、払わなくていい税金を取り戻すマニュアルetcこそ必要だ。
僕が「勤労学生控除還付申告術講義」をやると、どれだけ感謝されることか(笑)。

そんなふうに、必要なマニュアルがまだまだ不足している上に、必要なマニュアルは時代によって立場によって違ってくる。
運よく師匠や先輩に恵まれた人は、知らない世界から知っている世界へと溝を渡ることができる。

溝のどっち側が天国で地獄なのかは、なかなかわからないものではある。「かんぷしんこくってなんですかー。しなくちゃいけないんですかーめんどくさーい」という層は、そのまま黙って徴税されていた方がいいのか、耳の穴かっぽじって教え諭すのがいいのか、僕にはわからない。
ただ、「そのうちわかる」と試合場から逃げる年寄りにはなりたくないなぁと思うあまり、10年ぐらいかけて消化すればいいマニュアルを一括発射する僕は、「あなた、3日で生まれ変わりたくありませんか!?」って類と親戚かもしれない。



ちー坊

at 2004 08/22 13:39 編集

ナイターで阪神対ヤクルトの実況画面にスコアが出ていて、「神」と「ヤ」の闘いになっていた。様をつけると大変だ。

それにしても、夜通し24時間テレビというのを、まだやってたの!?とあっけにとられた上に、なんと杉田かおるにマラソンをさせていたからビックリ。
さすが日テレ風味だ。
笹川良一が「人類みな兄弟!」とのたまっていた旧日本船舶振興会のCMと、同じ風味がする。

でも近ごろ何かと話
gaiax日記アーカイブ2004年 | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0)
2004年7月の日記
超英語

at 2004 07/01 11:00 編集

国立国語研究所が、外来語の日本語言い換え案を出していて、半分ぐらいは納得できるのだが、「オンライン」などはそのままで行こうということになったそうな。
そりゃそうだ。回線接続なんて案より、「接続中」の方が、前置詞onのニュアンス・・・おっと意味合いをよくあらわしているのではないだろうか。
「不自然つながり」でいえば、僕の母校など、ミッションスクールということになっているが、国立国語研究所は「使節団学校」と呼びたいらしい。ザビエルご一行様でも出てきそうやな(笑)。

アカウンタビリティー(説明責任)やガバナンス(統治)、コンプライアンス(法令遵守)のような経営関連用語は、あんまり得々と使われると煙に巻かれる感じもするから、たしかに日本語化した方がいい。
ポマード頭の若手起業家みたいなあんちゃんが「ソリューション(問題解決)」なんて多用していると、「おいおい、要するに売りつけたっちゅうことやろ」と突っこみたくもなるわい。

学者の間で意見が分かれているのが、ドメスティックバイオレンス。「配偶者間暴力」とすると、恋人や別れた配偶者からの暴力、ストーキングがこぼれ落ちてしまう。そういえばセクハラも、以前から定義と「運用」のギャップが解決していない。
あと、ユニバーサルデザイン→万人向け設計も少し笑ってしまった。いや、おっしゃる通りなんだが・・・。

医者との個人的つきあいの中で、また肉親を無残に扱われた一般素人の立場として、「インフォームド・コンセント」はまだまだ医者に都合よく使われているように思う。「説明したんだから同意してくれなくちゃー」というプレッシャー、いや無言の圧力がこもっているカタカナ用語なのである。
本来なら、「インフォメーション&チョイス」「選択のための惰報開示」でなければ困るのに。

もはや「言い換え」も「是正」も絶望するしかないカタカナ世界は、『Ray』『ViVi』『Can Cam』『an・an』の類に満載されている。
いや別に『装苑』『婦人公論』のように誌名変更せんでもいいが、カタカナで塗りつぶされていても右綴じ左開きを変えると読者が離れて行くところは日本だなぁと思う。
案外わかりやすい雑誌が『卵』だったりして、この中はチョー絶そのものの魔界だ(笑)。カタカナ雑誌は、ここまでぶっ飛んでくれたらアッパレだと思うが・・・。


夏さっくり

at 2004 07/02 16:40 編集

海開き・山開きである!
海の日生まれのワシは、山に誘われている。
両方行きまっせ!

旧友とライブカフェで昼飯を共にしたのだが、こやつが生保マンで、なんとか加入させようと虎視眈々な(笑)様子がうかがえる。まー、こじれる損失と会社の利益と自分の利益を秤にかけると、手近なところから営業するというのはあまり賢くないと思う。
今日も、当たり障りのないバカ話でうやむやに「ランチ終了」である。

帰宅して、「スイカ開き」を挙行した。
デザートの類は除いて、今年初めての「それらしい場面」でのスイカである。
甘くて極上だった。サクッと夏が始まった感じ。
真夏なみの日差しと気温だが、陽が傾くと、風がスヤヤヤヤ〜〜〜っと部屋を吹き抜けてくれて涼しい。
選挙運動だけがけたたましい。となりが病院だと静かなもんだが、マンションだと運動カーの標的になるから、とんだとばっちりである。

政治や金融や、渦巻く欲を浴びたような一日だった。
あ、まだナイトスクープを見ないと今日は終わらんな。


クレイマー、クレーマー

at 2004 07/03 11:59 編集

もしかして、あえて四方八方からいちゃもんをつけられるよう、挑発的に編集しているのだろうか、女性週刊誌というやつは。

おせっかいにも、雅子様問題では、「再度の転地療養」をすすめ「愛子さまの養育問題」にくちばしをはさんだ

●雅子さまあて手紙つき

が目玉になっている。
この調子で、

・浩宮さまへの慰問状
・宮内庁への嘆願書
・天皇陛下ガン見舞い状
・紀宮さまへあて「嫁入りのおすすめ」
・ついでに秋篠宮さまあて「白髪見舞い」
がベッカム、いや別冊になって「豪華5大付録つき」になったりしないだろうか。

「保坂、高岡離婚の深層」には、遥洋子と田島陽子が飛車・角になって攻めて行きそうなフレーズが出ている。

●すでに4年で破綻していた、「主夫業」に疲れ果てた夫と「女」を取り戻したかった妻

あのねぇ、女を取り戻すって、家庭に入るってことなの!?男が家事して何がいけないのさ!!
てな具合に噛みつきそうだ。

●「賢い節約 通信費まるごと半額に!」

では、6万円の携帯費用が3万円になったというモデルケースが紹介されている。
あのねぇ、月6万円が異常ではないか?批判覚悟でいうと、そりゃ病気です。

節約術から数ミリはなれたページでは、

●ミリオネーゼに学ぶ、お金持ちになる極意

って、あたたたたたた・・・・とずっこけるがな。
ミリオネーゼ(もどきを含む)って、つきあいはないからわからないが、たぶん「稼いでいる女性経営者」という意味合いではなく、稼ぐ旦那のコバンザメのことであると仮定する。見習ってしまうと「出費がミリオネーゼ」になるだけではなかろうか。
まぁ、ツケは旦那に回るだけだから、要は人のいい金脈男をつかまえて、離婚させないようなテクニックを教えてあげるわん・・・ということなのだろう。
僕が女性なら、真剣に学んで実践すると思う。「相手の立場に立って考えなさい」とは、よく教育されたことでもあるし(笑)。

「高岡早紀の夫」は、小耳にはさんだニュースによると、「離婚はしたが同居して生活はそのまま。子供の親権は父親」だそうな。
太っ腹というか、えらいぞクレイマークレイマー保坂。子供を手放しちゃいけませんぜ旦那!
うちの「父兄」と同じパターンだが、僕もその血を引けるだろうか・・・。
こんな野望をちらつかせるから、警戒されるのかね?(笑)


静香に・・・

at 2004 07/04 12:46 編集

僕の住むフロアには、好青年お住まいの北の角部屋と、好色中年お住まいの南の角部屋と、サンドイッチになった真ん中部屋との3つがある。
長らく空いたままの隣室に、ドタバタと人の気配。ごくたまーに来る、物件を見に来る客なのだろう。
好青年宅を訪れて、なんと部屋の中を見せてもらってワーワーおしゃべりしている。好青年君も、彼自身引っ越してきたばかりだから、「なんかあつかましいなー」と思いながら、招き入れてしまったのだろう。

この勢いが、次はうちに・・・!?
イカン!
拝殿やら、製造中の爆弾やら、ホルマリン漬けの標本やらに卒倒されると面倒なことになる。
しゃーないなー・・・と思いながら、コンビニに避難することにした。
「あら、お出かけですか?」と、レレレのおじさん風の当たり前の声をかけられる。
「ちょっと見せていただいてるんですけど」・・・(わかってますって)
「こぶ平の母」と小林カツ代みたいなおばさんズと、工藤静香の3人が廊下でたむろしていた。前に出ているのが「こぶ平の母」で、工藤静香はあいさつもしよらん。
だれが当事者なのだろうか。
小林カツ代さんなら大歓迎だが・・・。

大家さんの経営を考えると、「満室御礼」をお祈りしたいところだが、隣も真下も空室の最上階角部屋というのは、一軒家のような静かな生活ができて、なかなか捨てがたい。
山口もえとか、鈴木京香が隣にいたりすると(絶対ないだろうが)、天下平安・安寧秩序・公序良俗が乱れるわい。
静かな生活は、いつまで続くだろうか。


γGTP上り調子

at 2004 07/05 17:25 編集

あと2週間でバケーション!という今ごろが、疲れのピーク。

今朝は初めて新大阪駅前で蝉の声を聞いた気がする。
「蝉しぐれ」を初めて知ったのは、いつの日のことだっただろう。
今なら風雅な季語やなぁと思うが、文学に素養ゼロの餓鬼だった僕は、「セミを乾燥させて粉々に砕いてふりかけたかき氷」だと思っていたもんだ。どんな味やろ・・・あんまり食う気せんなぁ・・・とおびえつつ(笑)。

疲れると食い気で昇華しようとするのか、新聞でチラッと「タイタンに氷とメタンの雲」の見出しを見ると、「タンメンと氷」に見えてしまった。熱い麺と涼味・・・ええもんやなぁ、てな感じで。
いやほんま、疲労も重症だ。γGTPは「要検査」の値をつきつけてきているし。

昼休みは、また新顔のカレーショップを査察してきた。
コロッケカレー630円。こりゃいかん。ただ、具なしのカレーの池にコロッケが浮かんでいるだけ。芸がないぞ!
と、あまりイライラするとγGTPがまた上がるだろうから、どうにでもなれクソー!と、わけのわからん憤懣パワーをシーナさんにもらって、わっせわっせと夜勤に向かうぞ!


「歩く人」序説

at 2004 07/06 12:51 編集

今さらながら、ウォークマンを買った。ラジオがついていて録音できてスピーカーが鳴る、まぁ何の変哲もない「ラジカセ」のカセットケースサイズというやつを。
MDだネットオーディオだという時代に、カセットテープというのもレトロな気分だ。
ラジカセというのは、もう完成に近い家電品カテゴリーだろうけど、このラジカセ(メーカーはウォークマン・シリーズに位置づけているが)、2年で機能アップして型番が「400」から「410」へ進化しているから、脈々と開発は進んでいるようだ。えらい!


オランダのフィリップス社がカセットテープを規格化したのが、35年ほど前。最初からコンセプトは携帯用だから、その後は
ポータブルカセットレコーダー
↓ラジオがついて
ラジカセ →TVがついたTVラジカセという亜流
↓CDがついて
CDラジカセ
↓MDがついて
MDラジカセ
↓カセがとれて
ラジMD
・・・と進化系統図が描けそうだが、ジルバップ、ヨコハマリバース、ハイファイマックetcetcが百花繚乱していたころが全盛期かな。あと、ジャッカルも(おマニヤ様にはわかる)。

ところが、カセットウォークマンで実現していた「外出先エアチェック」というのが、未だMDウォークマン単体ではできてないのが哀しい。AM受信回路にMDから干渉してくるノイズの問題を解決できていないのか、メーカーにやる気がないのか・・・。
「TVFMつき携帯電話」はあっても、AMが聞ける携帯電話は絶望的だ。おとーさんたちはナイターを聞きたいだろうに(笑)。
「素人芸」で、MDのライン録音でコードにトロイダルコアをかませてみたりして実験したが、なかなかデジタルノイズは取り除けない。
だから、この分野は今でも「ラジカセ」の独壇場だ。

とはいえ、実際、家でテープに録音した音楽を歩きながら聴くという習慣は、僕にはさっぱり身につかなかった。18歳でウォークマンがこの世に出たから、どっぷり浸っていたはずの世代だが、オヤジ少年だったから、ひたすらオープンリールのテープデッキを相手にしていた(これを背負ってウォークマンしている猛者も当時いたらしい)。

MDで携帯音楽がうんと手軽になっても、ソリッドオーディオの次代になっても、家で録音した音源を再生しても、なんだか「予定調和」の世界でしらけてしまうのだ。何度かやってみたけど。
なんだこの曲順は!と怒ってみても、それは自分のミスだし、うーんナイスな(=死語)録音だわーと悦に入るのもマスターベーションでしかない。世界が閉じているのだ。
ラジオは、リクエスト通りの内容が届かない。思うままにならないから、おもしろい。

思うままに書き込めるメディアがテープとMD(あとMP3の世界かな)、書き込めないメディアがCDとラジオ・・・と分類してみると、本とWEBの違いとも重なってくる。
大枚はたいて丸ごと購入するCDや書籍が敬遠されているようなご時世だが、アナクロな僕は、つい本と音楽ディスクの存在感に、今でもヒレフしてしまう。あっさりLPを見限ったくせに、現金なものだ。
今回の「ウォークマン買い替え」の布石には、「CDウォークマン初購入」があったのだが、その感想はまたあらためて。


笹の葉さーらさら

at 2004 07/07 16:58 編集

織女と牽牛が1年に一度、夜空で逢瀬を果たすという七夕・・・
生徒会センスの野暮なフェミニストなら、「なんで男が外で働いて女が家で織りものなのさー!!」と(田島口調やな)かみつくかもしれない。
ならば、時代に合った七夕物語にアレンジしなくてはいけない。
牛は家のペットで、牛追いは家に縛られ、織り姫は洋裁和裁学校を経営しているやり手だとか。
としても、こりゃ野暮な話やなぁ。

メスを入れると野暮な伝統文化の例としては、「世界遺産になった女人禁制の山」が身近でホットな話題だ。
国民の半分をシャットアウトしている具体的な寺や神社があれば、そういう宗教施設を公益法人として税制優遇するな!とアピールすればいいのではないだろうか。国民の半分にそっぽを向かれても独自に経営をやりくりする覚悟で女人禁制を貫けば、それはそれでひとつの文化として、別の意味で「遺産」になるだろうと思う。
という線で「女相撲はどうする?」と考え始めると暑苦しくてたまらんので、七夕日記は笹だんご、笹の葉寿司、笹餅・・・と食い気に逃げてお茶を濁すとしよう。


二枚舌

at 2004 07/08 08:11 編集

滋賀県で明るみに出た看護助手の患者殺し事件は、あまり「被疑者」の肩を持つのも不謹慎だろうが、ただの凶悪犯罪と同列には扱えない気がする。
動機や背景にしっかりメスを入れないと、犠牲者も浮かばれない。

動機には、なるほどなぁと思う面がなくもない。この24歳の看護助手の供述は、人事の問題をあぶり出しているようにも見えるから。
排泄介助やシーツ交換のような3K仕事ばかり与えられ、地位も低く見られていた――それは「そんなもんだよ」と言うしかない現実ではある。善し悪しは別として。どんな病院でも会社でも、資格と実績に応じて地位が決まってくるものだろう。
「患者ウケ いいから注射を 看護助手にも」と都々逸にすることはないが(笑)、まぁそんなことがあっては困る「命の現場」なのだ病院は。そこが、たたきあげで好成績をあげれば高い地位に昇って行ける政財界やネオン街との違いだろう。

問題が透けて見えるのは人事のありかただ。
おそらくどこでも、「助手も立派な、なくてはならないスタッフですよ」ということになってはいても、地位や評価は低くて、そのギャップに憤懣やるかたない・・・というのが若い3K労働者のホンネではないかと思う。
最初から、「君たちの地位は低い。看護師は看護助手を軽蔑しています。そんな現場でよければ採用する」というのがフェアプレーだろうが、それも無理がある。
看護職として昇進しようと思えば、与えられたポストで一生懸命働くほどチャンスは遠ざかる。それなら受験勉強にかじりついて看護大や専門職大学院に進むのが、「急がば回れ」のキャリアパスになっているのではないだろうか。

うちの母も、生前の父と同じ職場だったので、人事ネタを茶の間に持ち込んで「あの子は準看やからねぇ」というような言い方をしていた。高看と準看の間には、意識の溝があるものだなぁと感じたものだし、実際「正看」でも帽子に線が入っていたり勲章をつけていたり(こんなナースいないか)すると、無言で威風堂々としていたりする。ように見える。

資格や学歴による待遇格差はなくならないどころか、学ぶべきことがどんどん専門化・高度化している上に、責任も重大(リスクマネージメントのノウハウを個々人が武装しなくてはいけない)になって、ナースの高学歴指向・資格追求は進む一方だ。
数年前に職場で出会った短大卒の看護師は、「四大卒でないと管理職になりにくい時代なんです」と言って四大へ進学して行った。
「たたきあげ」で権威を高めてきた専門職は、次々に「近代化」の波を受けて、権威の再編成が進んでいる。
たとえば、福祉職の資格化は、僕が学生のころは実現してなかったが、今では法律や医学の知識まで採点されて資格認定される。
そうした動きがあるから僕の今の仕事があるわけで、一概に全否定するつもりはないし、おおむね「近代化」は必要だとは思う。
「たたきあげ」だけでは、現場の仕事が「よかれと思って一生懸命、結果的に人権侵害をしている」ようなことになっていても、なかなか気づかない。

看護職でも、地位の階層ができてくるのは、世界普遍の流れだろう。
上昇志向を持つプロには、進学したり資格を取得したりする機会がちゃんと保障されていてほしい。そこから先は本人の問題。

ただ、24歳という世代の女性には、別の不安もあるかもしれない。
労働市場で闘うべきか、花嫁市場(いやな表現だが現実問題として・・・)に移るのが得策か。
たしかに、僕の同級生世代の、大学院に進もうとする男子学生は、就職の心配をしてもらっていたものだが、女子学生は「嫁のもらい手がなくなるぞ」と、次元の違う心配を浴びせられていた。
まぁ今だとセクハラ視されかねないが、僕の世代の女性修士・女性博士は、みな無事に?家庭を持っている。

だから、キャリアか家庭か、早く昇進しないと嫁の行き先が・・・なんて悩みは、あまり本質的な問題とは思えない。キャリアウーマンが、キャリアに理解のない金持ちイケメンにあこがれるのが、そもそもの人生の過ち(笑)というだけ。
育児支援政策が未整備だとか、企業の女性登用が立ち遅れているとか、社会的な環境を問題視するのはわれわれ社会学屋さんに多い発想だが、自分のキャリアはもっと主体的に考えた方がええんでないかい?と思う、個人的には。

自分の仕事に評価が低ければ、評価を上げるチャレンジをする道が開かれている。
または、評価に合わせて仕事をする(または手を抜く)という労働者もいるだろう。そこに、管理職は気づきにくい。
これからも、似た事件は続発するのではないだろうか。

そういえば、パートスチュワーデスと正社員スチュワーデスが同じ仕事をしている「機内」は、大丈夫なのだろうか。
まさか、

正社員→幕内力士、Jリーグ、プロ野球一軍選手と噂
パート→幕下力士、J2、プロ野球二軍選手と噂

てな「割り振り」はないだろうが、万一、パートスチュワーデスが大リーガーと婚約でもした日には、世にも恐ろしいフライトになりそうだ。


MBAのNBA構想?

at 2004 07/09 13:59 編集

パ・リーグの合併縮小劇、今度はロッテとダイエーか!
やはり、球団経営の論理でコトが進んでいるわけかねぇ。
球団存続を最優先したい選手会側としては、買収してくれる会社にラブコールを送りたいだろうから、ライブドアに続いて、次は2ちゃんねる・・・か?
そうなれば、さぞかし掲示板上で監督采配やら選手のこきおろしが騒々しくなるだろうが、まぁ実際そんな買収はないだろう。

日本の球界は、ナベツネが「1リーグもいいじゃないか」といえばトントン拍子に進むはずだから、ファンと選手の頭越しに球界再編が推し進められて行く。これは果たして「野球文化」にとってプラスなのだろうか。

宮内オリックス社長が朝日にコメントを書いていて、「ファン層を厚くして行かねばならない!」とおっしゃることはその通りなのだが、だからこそ、しらけさせてもらっちゃ困る。

スポーツライターの玉木さんの熱弁によれば、「ファンが経営するチームがプロ野球本来の姿なんです」ということらしい。それも一理ありそうだ。

教科書にも載っているように、「所有と経営の分離」が資本主義の原則だが、親会社=オーネーが、球団経営に口をはさみすぎたり、売買したりすると、ファンはしらけてしまうように思う。

そういえば、ニューヨーク・ヤンキースは親会社がどこなのか、とんとわからない。
まぁマリナーズと任天堂の縁は日本人にはよく知られているけれど、メッツもドジャースも「球団会社」であって、何かの会社の球団ではない。少なくとも、表向きは。
だから、いっそバファローズも、近鉄をとって「大阪バファローズ株式会社」でファンに優先株を売って野球経営に専念してみてはいかがかと思う。
やるだけやってみてから、合併も最後の選択になる。
それが資本主義社会の経営の定石ではないのかな、MBAの宮内さんには「釈迦に説法」だろうけど。


チャーリーズ・エンジェルズ

at 2004 07/10 11:22 編集

飛行機から出てきたばかりのジェンキンスさんに、タラップ上で抱きついた曽我さんには感動した。
この世代の日本の夫婦が、こんなに熱い抱擁と接吻をしておるだろうか!
「亭主元気で留守がいい」なんてほざいておる主婦どもは、あの国に強制移住させてやればいい。

ジェンキンスさんも、写真では笠智衆のような枯れた印象だったのが、「動くジェンキンスさん」はチャールトン・ヘストンのようだった。
俺を逮捕してみやがれ米軍め!と、雄叫びを見せてほしいものだ。

曽我さんは、日本から米と味噌を運び込んでいて、「料理をつくってあげたい」と腕まくりしているそうだ。1年9カ月ぶりの「おふくろの味」になるのだろう。
こんなときも、料理が主婦イメージを強化している!と、「遥かの方」からフェミニストの雄叫びが聞こえてくる(笑)。
でも、妻の祖国に4人そろって「帰って」らっしゃい、チャールズあなたアメリカに帰りたいって?それならしかたないわね、お元気でネ娘たちはいただくわ・・・てなシナリオが描けるとしたら、溜飲が下がるのではないか?

今でこそ、日本は脱北者を熱烈歓迎するお祭り騒ぎで沸きかえっている日和見的ムラ社会だが、あの国で生まれ育った子供たちにとっては、お節介に息がつまるのではないだろうか。監視社会より少しましな、善意の覗き見社会に移住するだけ。
たとえば、あの「北のバッジ」を捨てさせる圧力は、ひとつの思想統制ではなかったか?
「偉大なる金親子」などと口走ることも許されない。

ブリンダちゃん美花ちゃんは、北より少しはましな日本で言論・思想の自由を知るが、第三者的な立場のパパ(北からも日本からもアメリカからも一定の距離をおいているから)に意見を求める機会があれば、パパの祖国へ・・・という可能性もある。
まぁ、ジェンキンス氏の「親コミュニスト度」の程度にもよるが、おせっかいながら、どう展開して行くか楽しみではある。


アマテラスアメフラスオオミカミ

at 2004 07/11 12:28 編集

プロトレックのデジアナ併用ウォッチが、シリーズ終了とかで投げ売りされていた。6割引きと聞いては黙っちゃおれん。
で、あっけなく左腕に収まってしまった。

気圧変化がグラフで出ますから、天気予報にも使えますし・・・と店員の兄ちゃん。わかってますがな。出た当時のデジタルだけバージョンは街で山で使っていた元ユーザーなんですから。
使い勝手も表示も、基本的に変わっていない。
見慣れた気圧グラフが、昨夜はどんどん下がっていた。
それを「ふーん」と一瞥しただけで外出して、さっそく後悔することになった。みごとに雷雨が降り始めたから。
プロトレックの天気予報機能は、実によく当たる。
ただし同じ場所においておかないと、正しい気圧変化は測れない。固定腕時計(笑)になってしまうのが宿命なのだ。

気圧変化のグラフを、「毎日デザインが変化して、二度と同じ絵が出ない」という理由で愛用しているデザイナーだったか学者だったかが昔おられたけれど、たしかにそんな見方をするとおもしろい。
アナログの時計だと、毎日2度ずつ必ず文字盤が同じデザインを描くわけだが、気圧計のサンプリングドット表示は、V字型や山型など、予測もつかない形を描くので、占いだと思って楽しむと飽きない。

星座がどうだとか筮竹ガラガラポンとか、そんなこじつけ物語より、気象の変化が体調や気分を決めてるなぁと思うことがよくある。しとしと雨でも、気圧が上がっていたら、ものの1時間後にはさわやかな雨上がりが待っているし。

自然には逆らえない。ワタクシは人には反抗的だが、おてんとさん、おしめりさん、雷大王には従順なのである。
三十何℃まで太陽がギラギラ照りつけて「服脱げ服脱げ」と言っているのに、スーツを着ているアジアの紳士が絶滅しないから、原発もなくならんのじゃ!
・・・と、エコな怪気炎をあげていると、某環境政党に1票入れたろかという気になってきたぞ。


戦いすんで日が明けて

at 2004 07/12 14:45 編集

いやぁ、選挙戦は疲れたが無事終了。
僕、投票しますよ!私も!俺も!と800名の支持者が名乗りを上げてくれたが、開票されてみると8票しか入ってなかった。
義理チョコをあげるわと言われていたその義理チョコさえもらえなかった気分だ(苦笑)。世間とは、そんなものよ。

まぁ、よろしい。
政界フィクサーのワタクシの次なる仕事は、落選議員の雇用対策なのである。

さしあたって、有名人ビッグ3は・・・

ムネオ→アテネでフルマラソンを走って見せればイメージアップ。意外にも、2時間の壁を破って世界中の度肝を抜くかもしれない。「ドーピングの百貨店」と言われることうけあい。

キヨミ→上方芸能界デビューしかない。遥洋子と漫才コンビを組むのもいい。吉本でもいけそうだし、上沼恵美子の線で行くのもいい。けっこう「汎用性」があると思う。

青島幸男→リアルいじわる爺さんになる。タナボタ当選した喜納昌吉の耳元で「笑いなさい〜笑〜いなさいぃぃぃぃ〜」と鼻歌を唄って聞かせるとか。

万一、キヨミとムネオが和解して呉越同舟のような政党ができれば、スリル満点の台風の目になるんちゃうかと僕は前々からにらんでいる。中間地点の東京で、飄々とした青島さんが仲介役をしてもらえば、団結できるはずだ。
キヨミのようなおねーちゃんはよく北海道の牧場で働いていたりするし(麦わら帽子が似合いそう)、ムネオといえば坂田利夫そのものだから、お互いかつての「敵地」でも受け入れられると思う。

圧勝した民主党の中にだって、案外コチコチの逸材もいたりするから、政党より議員のキャラクターを楽しみたいものだ。


ステレオタイプライター

at 2004 07/13 10:04 編集

呉で大規模な断水事故が起きて、ようやく復旧の見通しが立ったというニュース。
お定まりの「街行く人にインタビュー」で、あるおとっつぁんが「これでようやくひげがそれますよ、やれやれ」とひと息ついているとか。
紋切り型の見本のようなニュースやなぁと苦笑するしかなかった。
今どき、「水道が出ないよーボクどうやってヒゲそったらいいの!?ママ!!」てな男性がいるのだろうか。
ニュースのモチーフは、こんなところに落ち着くものだろう。
「無難」を洗練させると、紋切り型として定着する。
断水で震災経験者が真っ先に思い浮かべる悲劇は、「運古が流れない!」ということである。
インタビューされて「うちでは、子供の運古はよかったけど、だんなの運古が難物で、今もそのまま」なんていう、想像したくないような・してしまうようなリアル悲惨アンサーは、決して放送されない。

リアルといえば、選挙で落選した候補者の会見も、しおらしく支援者に頭を垂れているような構図に整えられているが、楽屋裏ではどうだか・・・
「おい!しっかり饅頭(もちろん和菓子のことではない)配ったのか」
「先生ずるいよ自分は手を汚さないで」
てなドタバタが、くりひろげられているのではないだろうか。少なくとも、無言のうちに、「責めるような目線」や「怨念スカラー波」が渦巻いているはずだ落選者事務所には。
ないはずの「型」を性懲りもなく創りつづける報道機関は、あるはずの無言ドラマをリアルにあぶり出してほしいものだ。
「報道されてないことを想像しろ」とは、恩師の明言でもある。


新潟県立タイタニック小学校

at 2004 07/14 11:36 編集

被害に遭った人たちにはお見舞いするばかりだが、それにしても興奮した。新潟の大雨で小学校が孤立し、200人の児童・保護者・先生が、停電した学校に泊まったというのは、もろ「漂流教室」ではないか。
水が引いたら、そこは2040年の別世界だった!
てことになっていたら、これはすごい。

老婆心ながら、ふとんは体育マットを使ったのか?
食事はボートかヘリで届けたとしても、夜中に学校のトイレに行くのは、さぞかし肝試し・・・いや、こわかったことだろう。
学校は妙にゆったり広いから、あちこちに何かが潜んでいそうな空間がある。空き教室で笑い声が絶えないとか。
まわりはチャプチャプと泥水に囲まれて、浮いているような不思議な感覚だったのではないだろうか。

非常事態を分かち合った者同士の間には、よくラブロマンスが勃発したりするものだが、小学生だと少し早いかな。
校長と教頭が・・・というのはちょっと困るけど(笑)。


温泉のもっと

at 2004 07/15 10:56 編集

「白骨温泉のもと」を入れている白骨温泉には笑った。
老いた藤原紀香が「若いころの私にしてちょうだい」と注文して美容整形を受けるようなものか。いいんだか悪いんだか、まぎらわしいこと甚だしい。
僕も10年ほど前に乳白色の白骨温泉に行ったことがあるが、演出するなら完璧にやって・・・というのも変だとして、馬脚をあらわすようなことはしないでほしいぞ村長!
美女と過ごした夜が明けると、彼女の口元にヒゲが・・・というような経験は哀しい。


野天風呂「キハ42」

at 2004 07/16 15:28 編集

体温を越えそうな、サウナと化した部屋でも、なぜか風通しはよくて、熱風がびゅんびゅん通ると汗が出ないのが不思議。
感覚的に、「あっついなー!!」とは思うのに。

うだるようなカンカン照りの阪神間からすると、水害の報道は同じ本州かと思うほど縁遠い。
田んぼの様子を見に行って洪水にさらわれた被害者の話を聞くと、あぁ大事に米を育ててくれているんだなぁと今さらながら胸を打たれるし、危険だから外に出るなといっても、そうは行かないものだろう。
ただただ、被災見舞い申し上げるばかりだ。

コンクリートとアスファルトの上でばかり生活している今でも、少し前までは、大雨といえば六甲の山津波が神戸市民を脅かしていた。
ゼネコンを潤す砂防ダム乱立で、土砂災害は減ったのかもしれないが、記録破りの水害や震災や台風は、いつ「あめつち離れ」した都市住民の足元をすくうかわからない。

日照りの都会じゃ水不足だ節水だという話になるのが例年だから、いっそ新潟のダムやため池にあふれる雨水をどんどん貨車に積み込んで、たまり次第太平洋側に運ぶ「水道列車」を走らせればどうか?とも思う。それこそ、国営鉄道事業として。
10分おきに発車するぐらいの量が、すぐたまるだろうなぁ・・・。
都会の炎天下に野ざらししておけば、すぐ湯だって風呂になるから、「20両編成の野天風呂」というのもいい。走りながら入浴できれば、こりゃ格別ではないだろうか。
あぁ、水害見舞いのつもりが、すぐ不謹慎な空想に流れてしまった。


あ、そういえば

at 2004 07/17 13:03 編集

夏休みが始まったのだった。
バケイションなのだ。馬鹿んスなのだ。アバン誅ルなのだ。
「へー、早いですねー」
「おまけに長いよー8月末まで」
「いいなー、うらやましいなー」
という無意味な会話を、もう15年にわたって800万人の人民とくりかえしてきた。
各種保険なしボーナスなし終身雇用なし退職金なし出世なし有休なし
・・・と並べると、口先ではうらやんでも転職する人はいない。
やりゃーいいのだ、FA宣言。

とはいえ、自由業の「自由と自己責任の大きさ」を考えると、結局「不自由と集団無責任」の方になびいて行くサラリーマンが多かったのも無理はない。
ただ、無能経営のしわ寄せ→忠犬ハチ公のリストラという悪夢を現実に見ると、心は会社から離れて行くサラリーマンが増えるのも、自然のなりゆきだろうと思う。

でも、僕はいくら年収倍やると言われても、年間2000時間労働とか真夏の背広とか通勤ラッシュが耐えられないように、それに耐えてきたサラリーマンが独立だ起業だというのも、「かなりアドベンチャー」ではないだろうか。フレンチっぽくアバンチュールといえば、なびいてしまうおねーちゃんもいるかもしれない。

妻子がぶらさがっている場合は、なおさらだ(アドベンチャーできそうなパートナーを選ぶことよ野郎ども!)。
子供は、いざとなれば親兄弟に託したっていいが、パラサイト娘のまま安定した給料運搬亭主を選んで結婚した(また、亭主もそれを売り込んで口説いた)妻は、方向転換するとき最強の抵抗勢力になるのが現実だろう。

男と女のどっちの意識が高くてどっちが鈍いのか?
という論争は80年代までの演目だった。しょせん「鈍い相手を選んだあんたも同類」というだけのことなのに(身もフタもないな)。
今は、自分の王国の王子様女王様が多いから、論争にもならない。「私は私」と唱えて信じ込もうとしている自分が信頼できない・・・というややこしい王侯貴族もいたりする。

すったもんだで婚礼を乗り切って子供ができてしまえば、「俺は仕事だおまえは子守りだ」といえばまぁ穏やかじゃないが、少し言い方を変えれば「私には子守りがあるからあなたがんばってね」てな穏便な分業に落ち着いてきたわけだ、日本の核家族は。
それが今は、子供ができる前に「待てよ」と足踏みするカップルが多くて、その兆しが「枯れた若いカップル」だったりするのではないだろうか。僕が見聞きしてきた限りでは、彼が及び腰のケース、彼女が及び腰のケース半々ぐらいあるようだが。

次の臭議院選挙で票をかせがなければならないワタクシが大胆な提案はしにくいのだが、ちょっと順序を変えてみるぐらいのプチ革命は、日本の出生率を上げ、劇的に社会保障を楽にするはずだ。
そもそも、つきあい始めてスキンシップがあって結婚して子供ができて・・・の順序がおかしいわけで、「まずサヤ当て(古いね)して相性がよければつきあって、子供ができたら結婚も」という方が自然ちゃうかやー?と思うのだが、どうだろう。
結婚を強制しなければ、税制面での控除もしなくていいメリットがあるし、そもそも婚外子=不幸と決めつけること自体、合理的ではない。
ただ、大日本道徳婦人協会(って、あるのか?)からは、八つ裂きで処刑されかねないなー。


雪乞い

at 2004 07/18 11:23 編集

阪神間からは日本海も太平洋も近い。連休ということもあって、和歌山や舞鶴方面に向かう道路が軒並み渋滞のニュース。
よろしいよろしい、わしらは地元須磨に結集するのだ皆の衆は遠心力で遠くに散らばれ!!
と念じてもむなしく、阪神高速が須磨方面へ何十kmも渋滞しとるとや。
イモの子を洗うような混雑がくっきりと予想されるが、まぁこれは「自然との語らい」などではないのだ、お祭り騒ぎなのだ、メインはバーベキューなのだと考えなおして仕度する。

猛暑の真っ只中に、神戸市職員がズル休みしてスキー大会で大活躍してたことが発覚!?というニュースも、笑えるというか、唖然というか・・・。イザベル・アジャーニじゃないが「殺意の夏」だぞこりゃ。
この程度のこと、公務員がしでかしてたとしてもまったく不思議を感じないのも考えてみると情けないが、スキーにふけっていた日々の給料も市民税からしっかり支払われていたわけで、市民をなめきっちょる。
停職処分で退職金査定が減ったとしても、定年までクビはつながっているわけだから、この税金泥棒&税金詐欺にはうんと仕事をしてもらわねばなるまい。

これで、もし釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいに左遷されたりすれば、大喜びしかねない落とし穴があちこちにある。「姉妹都市シアトルの神戸事務所へ」なんていうと、「バンクーバー→ウィスラー→スキー三昧…」と連想するだろうから、できるだけ雪に縁のなさそうな職場に更迭してしまうのがええな。火葬場とか。

この税金泥棒&税金詐欺スキー中毒は、「体調不良で仕事はできなかったがスキーはできた」と言い訳を垂れてやがるが、実感としてはよくわかる。
なるほどね。そしたら、スキーを仕事にしたらいいわけね。
六甲山にもうひとつスキー場を造って、責任者になってもらえば本人ホクホクとなるかもしれない。
「ケガしても雪がなくても私のせい」とヘボ川柳みたいなタスキをかけて、ひたすらゲレンデ整備で定年まで働いてもらおうか。
個人的な努力で年間6ヶ月間オープンできれば、あと半年間は有給休暇にしてあげてもいいと思う。
あぁ、早く初雪の便りを聞きたいなぁ…の海の日連休である。


淡路島通う千鳥足鳴く声に

at 2004 07/19 11:24 編集

阪神高速渋滞27km、3連休、夏休み始まりスタート・・・と聞いてわななきながら須磨海岸へ終結した9人の侍。
そこは、地元民の知恵で、駅から少し離れるとゆったりできる松林にツバをつけておいたので、海もメシも楽しめた。
ただ、皆かけ声だけは海水浴だ海水浴だと浮足立っていたわりに、水着持参は2名だけ。完全に観客か「採点員」と化していたようだ(笑)。

ワシも砂浜を「採点散歩」。
といっても、おねーちゃんチェックではない。ワシは硬派なのだ。
人波がひいた夕暮れの砂浜は、とても空気が優しい。硬派野郎のハードボイルド魂が唯一ゆるむ場所なのだ(笑)。

海を眺めるのとは逆に、波打ち際から陸の方を眺めると、案外それはそれで新鮮な眺めで、別の街に見えたりする。
特に須磨は、沖合は大阪湾だから、海を眺めわたしてもごちゃごちゃしていて「スカッと太平洋」とはいかない。むしろ、緑したたる山が迫っている背景の方が、見違えるような眺めだった。
写真でしか見たことがないコパカバーナ海岸も、僕は山の眺めにばかり目を奪われた。その何分の一かのミニチュアが、須磨といえなくもないか(人出は何倍かだったりして)。

海からより、海への眺めがよかったのは、やはり江ノ島〜片瀬海岸だったかな。
今まで、東尋坊とか浜小清水海岸とか日南海岸とか、大自然!という感じの海岸風景にもあちこちで圧倒されてきたけれど、「改札口を出たらビーチ」の意外性もお手軽でいいものだ。いつでも自転車で行けるし。
さて、今夜中に写真をアップしとくか・・・。


サンキュー!

at 2004 07/20 14:31 編集

東京の都心で39℃を記録しようかという灼熱日、また1つトシをとってしまった。
ハートが熱いのか、怒りのボルテージが高いのか、ともかく神戸も熱いのである。

誕生日は本人の功績ではなく暑い日に産んでくれた親に感謝する日だと思うので、老母に接見に行って赤飯をいただいてきた。
赤飯と祝辞のおかずは、同期の同僚たちの、ワタクシと同年代のご子息たちの噂話である。
似たような年に就職・出産・育児をした横並び世代だから、「あそこの子は灘中に入った」「マサル君は医学部に行ったって」「あそこの娘さんは外資系の証券会社で…」てな話は、もう呼吸するように身についてしまっているのだろう。

親が長生きする時代だから、そうなるのも自然な流れかもしれへんなぁ…と、仙人気分の僕など「高みの見物」を決めこんでいるけれども、真面目ーに生きて真っ当な人生を送ろうとしている年頃の独身男女にとっては、なかなか息苦しい時代だろう。彼も彼女も、向かい合うと互いの背後霊がリアルに長生きしているから、一挙手一投足が逐一チェックされかねない。りえママと梅宮パパみたいなややこしい背後霊が元気でいる(悪いとはいわんが)この国では、もっともっと晩婚化・非婚化・少子化は進むのではないかと思う。

曽我さんちのジェンキンスさんブリンダさん美花さんも、実の親より、日本中の偽善者から監視されて、ありがたいお言葉や贈り物を押しつけられ、わけがわからない涙まで流され(笑)、自分が親しんだ国の偉大な指導者さまのバッジさえつけることを許されない思想統制国家に住まわせられることになり、ご苦労さまなこっちゃと思う。放っておくのも愛情かも?という想像力が欠けとるわなぁ。

金日成のような父権的国家建設者は、それなりに存在意義はあったと僕は思うが、フセインやカダフィと並んで(かつてはカストロも)、「独裁者は悪」という定説に異論をさしはさむ自由はなさそうだ。
我が国には、父権主義的な政治家がいない代わりにアンポンタンなとっちゃん坊やの二世政治家ばかりになり、それを後ろから動かす、集団無責任を絵に描いたような官僚主義・官尊民卑がはびこっている。
ジョンイル君もビンラディンもいない代わりに天皇がいる(雅子さん、はやくワタクシのふところにかけこんで来れば、一緒に「18切符の旅」に出て幸福をかみしめられるよ!)。
雷オヤジが消えた代わりに、金をためこんだジジババが我が子を経済的に動かして―いや、動けないよう骨抜きにして―いる。
原爆で一瞬にして非戦闘員を何十万人と灰にしたり、洞窟に逃げ込んだ沖縄の婦女子を火炎放射機で焼き殺したりの御陽気な国を愛して、ノドンとテポドンばかり騒ぎ立てているこの国は、どれだけ北西の隣国より偉いのか?
てなことを考えていると、脳内気温は40度を突破しそうだ。
あっつー!


スロー、スロー、クイックイッ

at 2004 07/21 13:50 編集

ウィンドウズCEを狙ったウィルスが初めて発見されたという。システムやファイルを破壊するような力はないイタズラ程度のものらしいが。
9*やXPを狙ったウィルスはさんざん話題になってきたのに、ようやくCEも一人前か!?と喜ぶあまり、久々にCE機で日記を書いてみた(笑)。

ウィルス感染の被害報告や不安の声を聞くたびに、「それならCE機だねぇ」と、クロック133MHzの超高性能CEマシンが輝いて見えるぞ。
「パソコンで動画編集も音楽もなんでもかんでも」と欲張ると、エクスピーだセントリーノだと必要になるんだろうが、仕事上の用途でもせいぜいテキスト作成ぐらいだと、10時間使える800gのCE機で充分だし、その方が安全だったりする。

ウィルスとセキュリティは、イタチごっこも進化の一途。
それなら、いっそ「後戻り」するのも勝ちかもしれない。
メールは郵便にするとか、文書は原稿用紙に万年筆とか。
こりゃあまり現実的ではないか。

僕の尊敬する自転車評論家さんに、「文明は、自転車ぐらいがいい早さ」という名言があって、なるほどなぁと思う。その方は車も自動二輪も乗り回してきてこの境地に達したそうだが、ナイカー族の僕は最初からこの境地しかない(笑)。
渋滞と信号だらけの都心では必ずしもクルマが速いわけではないし、飛行機の旅も僕はきらいではないけれど、せっかくのスピード感がうまく生かされていない感じもする。

というのも、飛行機はプロペラが回っているのが見えないし、クルマはウスノロ運転手に飼い殺しされているように見えるから。

黄信号を見ると、ちびりかけたガキみたいにあせりまくるくせに、カーブでのステアリングの取り回しは「なにトロトロやっとんじゃ!」と怒鳴りたくなるほど、中途半端にノロいドライバーが多い気がする。クルマを発明した民族と、運動神経が根本的に違うせいかもしれない。おみごと!と感動するようなスマートなドライバーは、車バブル社会では育たないのだろうか。
こんな場面では、「もっと機敏に動いてくれよなー」と思うのだが、黄信号で交差点につっこむと、ちびりかけた車に巻き込まれそうになるから、わがエコカーはファイトを投げ捨ててすぐ停まる。「本人ウスノロ」のくせに愛車の性能で錯覚している運転手には近寄らない方が賢い。

しかし、自転車界にも、「都会の歩道で全身レーサー仕様」の錯覚野郎が増えていて、こわい。
ヘルメットはいいが、サングラスなんかすな!っちゅうねん。
フロントガラスにまでスモーク貼ってるクルマみたいな存在でっせこりゃ。法規制がないから、「本人ウットリ」は野放しのまま。
「こぎながらメール中」のバカは、まぁ事故って痛い目に遭えばいい薬になると思うが、これだから「自転車免許」なんて変な話も出てくるのかな。


ペ・ヨンジュー

at 2004 07/22 14:49 編集

甲府で40℃!というニュース映像の背景に、やはり映っていました背広男。実際アスファルトの上だと45℃は越えるだろうに、背広にネクタイ姿で汗をふきふき歩いている。
脱いだらどうかに〜(笑)。
風呂みたいなサウナタウンなのに、こんなもん着てられっか、ペッ!と言わないサラリーマンの新陳代謝は、一体どうなっておるのか!!!!

暑いといえば、今朝は早起きして電車に飛び込んだ人のおかげで、ダイヤが大混乱していた。間引き運転のせいで、ふだん座って行ける通勤電車も、高濃度のサウナ状態。
いやぁ、絵に描いたような押しくらまんじゅう電車に乗るのも、何年ぶりだろ。

僕の前には「うんと地味なフェミニストT嶋Y子」がいて、僕はしっかりカバンでバリケードにしていたのだが、僕の右にいたサラリーマンが、不運にも手が当たっていたらしく、手さえ動かせないほどのギューギューづめなので、必死にもぞもぞ手をどこかに動かそうとしていた。すると、田島陽子が「な・なにやってるんですかっ!」と怒りはじめた。
いや、あれはどうみても当たってたんだって。
冤罪一歩手前のサラリーマン氏は、お気の毒に次の駅でペ!と舌打ちしながら降りて逃げて行ったが、かりに不当逮捕でもされたら、弁護側証人になってあげたくなった。
でも、「そもそも被害者さん、彼がなんであなたを触るんですか」と怒りの炎に油を注ぐような爆弾質問をしてしまいそうだ。

異性といっさい肉体接触しないスシ詰め満員電車なんて、ありえない。
そんな状況と、いかがわしい動機が見分けにくいところに、痴漢が発生するのはたしかだ。
濡れ衣を着せられないように・・・被害に遭わないように・・・とささやかに築かれたいろんなバリケードのおかげで、よけいに混雑はひどくなっているんではないかと思う。

そこで法案提出。
いっそみんな抱き合えば、かなり混雑はましになるか、もっと詰め込めるかもしれない。
ただし、相手を選べるのは国民投票で合格した女性だけ(笑)。
選ばれた女性に選ばれて毎朝抱きしめられる男性は、きっと日本の「ペッ、あのやろー!」様になるだろう。

実は今朝も、芦屋から乗ってきた天海祐希に後ろから抱き締められていたのだが(後頭部にクッションつきで!)、彼女は彼女で「こんなやつ国民投票で下車させてよね」と思っていたかもしれない。
ごっつぁんです。



還流

at 2004 07/23 13:09 編集

知人の大学語学教師たちの間で、「第二外国語異変」がささやかれている。
今年は特に韓国語をとる学生が急増して、いままでの標準的?なフランス語・ドイツ語のクラスが減ってしまうのだという。非常勤としては死活問題だ。
いままででも、「フランス語でも・ドイツ語でもとっとくか」層は、中国語とスペイン語に流れていた。実務指向というのも無理はない。

いま韓国語がトレンディ!!というのも、駅前留学のNの広告で騒いでいれば自然に見えるけれど、「京都私大の雄」でも、Nのお客様と同じような学生が増えているわけか…?
まぁ、ペさま(僕の中では林家だが)ヨンさまユジンさまと想いが募る勢いで、感性が敏感な時期に熱中した外国語は、それなりに身につくと思うから、悪くはないと思う。
大学の第二外国語なんて制度は、ブームにあやかりでもしないと、風前のともしびだ。

ふた昔前までの大学院入試には第一第二外国語があって、僕はフランス語専攻でもなかったが、デカルトの方法序説を読まされた。いまは第二外国語自体が試験科目にないらしい。
それで即ハードル低下だ学力低下だというつもりはないし、おそらく大学に求められる知のありかたが変わってきているのだろう。
教養課程の廃止・形骸化は、大学という教育研究機関の自殺行為ではないかと個人的には心配だ(教養学部を残している東大とICUは健全だと思う)。
哲学の講義を「盗聴」に来る医学生や、天文学を覗き見に来る文学の徒…なんて学生は、将来の宝ではないのかな。

今の僕の職場でいえば、「目の前の老人」「障害者と私」しか視野に入らない福祉オタクは多い。
外国語音痴がかなり高濃度な世界かもしれない。「日本語で書かれた北欧の福祉」を仰ぎ見て追いかけるだけで、スウェーデンに行って現地の人と意見を交わす発想がない。いや、思いついても萎縮して行動に出ないだけなのかもしれない。
そして、法律や経済を知らないという「福祉な人」が大量生産されている。かくして、福祉は「思いやりの世界」であり続ける。「患者の表情を見ず画像ばかり見ている医者」と同じ。
自立支援に政策転換!といっても、「福祉な人」(カウンセリングな人も同種かな)自身が生活自立できていないと、うろたえるばかり。できることといえば、弱者を囲い込んで、論文の業績に利用するだけ。
こうして、障害者は社会参加どころか「福祉な人」を乗り越えられないという二重の塀に封じ込められている。
・・・というのは一部の問題=氷山の一角かもしれないが、何かの兆候だとしたら、想像力を働かせないと軌道修正できなくなるかもしれない。

脱線してしまった。「明るく楽しい外国語」に戻ろう。
制度が変われば、学生の想像力のありかたも変わらざるをえない。
なんとなく、「将来どこかで何かの役に立つかも」と思いながら、分厚い独和辞典や仏和辞典を毎日キャンパスに運んでいた牧歌的な学生は、今どれだけ生存しているのだろうか。
今だと「そんな辞書ひいこら持ち歩くより、バイオノートがイマ風っすよ」という感じかな。
ネットワークで距離感も抵抗感もなく世界中のサイトにアクセスできるし、翻訳ソフトを使うと「現地語を解読」する手間もいらない。
便利だけど不幸にも見える。
逆に、不便が幸福だったよなーと思うこともある。
ネットなんか使えず、テレビの旅行番組と映画でしか異文化を知ることができない時代だと、ハングリーな小年少女にとっては外国語の学習は魅惑の風穴(笑)になりえた。犬養道子さんの明言「外国語は世界の窓である」は、ほんとその通りだと思う。
カーペンターズの歌が聴いてわかるようになるだけでも、英語の勉強は「勉めて強いる」必要なんかない。僕の少し前の世代だとビートルズ、もひとつ前はプレスリーだった(と、小林克也さんが書いておられた)。

いずれにせよ、今の韓国ブームと似ているかもしれない。
そろそろ、韓国スターが「僕は祖国が好きだ。年金も加入してます」なんてメッセージをつぶやけば、「韓流やまとナデシコ」たちは、自分の足元に目を向けるのかな。
いや、そんな必要はない。
台湾の哈日(ハーリー)族と入れ替え戦をやればいいのだ。民族「還流」は大和魂を守れるぞ(愛国なんだか亡国なんだか…)。


鉄分

at 2004 07/24 15:23 編集

今年ほど、青春18きっぷのマニュアル本があふれている年はなかったのではないだろうか。
と思うほど、雑誌やムックや文庫や新書で、18きっぷ使え使えメッセージがにぎわっている。
JTBのムックに、こんな一節があった。
実際に18きっぷで旅したライターの一文である。

「西脇行きはキハ40の2両編成。すでに電化工事はほとんど完成しており、後は125系&103系の試運転を待つだけになった。<中略>谷川駅では福知山線117系が待っている。80年代に関西国電のエースとして私達を魅了した名車だ。その健在な姿を見ると、私のような非車両派の人間でも嬉しくなってくる」

・・・おいおい、車両派だろうよアンタが!!
おぬしこそ、80年代に117系に魅了されたんでしょうに!?
思わず突っ込みたくなる、鉄分濃厚な文面ではないか。

でも憎めない。
おそらく、鉄ちゃんであるがゆえに、中高大と不遇な立場に追いやられ、お仲間と濃い〜カルトな青春をおくってきたにちがいないのだ。
デートはベイブリッジへドライブにでも行けばいいものを、つい「鶴見線のクモハ42が見納めだから乗りに行こう」と口走って自滅してしまったのだ(大丈夫よ、小野田線があるわ!と助言してくれる、天女のような彼女を探さねばなるまい)。

ようやく日の目を浴びる活躍の舞台が、鉄道旅行雑誌なのである!
そう思って目を通すと、2倍読める。
鉄道記事にはさまれた写真に、異様に「女の子ショット」が多い。「いやこれ取材ですから」と立場を利用して、堂々と激写できるのかね。
表向きは、「鉄道の旅を、女性も楽しんでいます。さぁあなたも鉄道へ!!」というコンセプトなのかもしれないが、記事の中身が↑だとねぇ・・・(笑)

でも、がんばれ鉄ちゃん。
「全身JTB・歩く時刻表」として。
でも、運転席の後ろで「よし!」と叫んでいればわかりやすくて避けやすいが、時刻表をめくりながらブツブツしゃべっているキミもしかして独り旅?・・・というのは無気味だ。


スケパンでか?

at 2004 07/25 12:07 編集

デサントが、透けない競泳水着を開発したのだそうな。
目的はズバリ「赤外線透撮撃退」。なるほどなるほど。
では、一般用はどうなんだ!?
つい、素朴な突っ込みをしてしまうぞ。

このニュースリリースは、朗報であると同時に、「ほとんどの水着は透けるのだ」というメタ・メッセージをまきちらしている。
一般のユーザーにしてみれば、かえって不安だろうに。
透けてるか透けてないかは「赤外線の世界」の話だから、わからんではないか。ワタクシのところへ「あなたの目は赤外線でもスカラー波でも見えそうだから、チェックしてみて」と依頼があれば、喜んで怒りながらチェックしてあげるけど。

よく似た話が、コードレス電話だった。
半径1kmに熱烈な通話(笑)をまきちらしているユーザーも無知すぎるとはいえ、罪はない。こんな電話機を製造して「盗聴防止機能つき」なんて虚偽広告をしているメーカーの罪だと思う。
「聴かれる覚悟で使ってね」と書くのが正しいのだ。タバコには「ガンになります」と表示する義務があるように。メーカー側の製造物責任ではないか?

海岸に「覚悟せよ あなたを狙う 黒レンズ」なんて看板が立つ時代が来るとしたらせちがらいし、なんだか興ざめだ。
が、だれでも自由に行き来できる海岸だと犯人を取り締まるのはほとんど不可能だから、自衛するしかない!

と、世を憂うる老人の新聞投書みたいに憤慨してもしかたない。
これだけ開放的な時代になると、「別に水着が透けたって、どってことない」と、物珍しさは相対的に低くなるから、あまり衝撃はないかもしれない。

どうしても困るスイマーは、百均で売ってるアルミ箔のガムテープを前貼りにすれば絶対大丈夫で、なにも特殊な水着を買うことはないぞ。
しょせんは黒い影が見える見えないの話。
「透けてる」ことを前提に、ではどう見せるか?と前向き(というのか)に考えるのも妙案だ。
「タイガースファンの虎刈り」をいただくのもいい。つまり、「黒い影」が縦縞とか五輪マークになっているのもおしゃれだ。密度の濃い人は、「バカ」とか「あほか」とメッセージを残して刈り込むこともできるかもしれない。
透撮を先回りして笑ってあげればよろしいのだ。
ただしこれは自衛手段にすぎないから、怪しいカメラマン取り締まりもビシバシやればいい。

ところで、透けるとすれば、理屈の上では「男はズバリ」だ。
芸能人水泳大会なんかで、カメラを覗いて「あっららららら透け透け」とつぶやいてみせると、となりにいる滝沢君ファンが「えっホントに見えるの?貸して貸して!見せて見せて!ウヒョーッ!」てことになるのではないだろうか。
透撮という秘術は、「とにかくダメ」というのが建て前というもの。その裏には、「私だけが彼にだけ使えて、彼が気づかなければいいのよ」てなホンネが透けて見えてくる。
こんな心の闇に火がともると怖いね(笑)。


夏の百冊は無理でも百読は

at 2004 07/26 15:57 編集

ナイターで遅れに遅れ2時半にまでずれこんだ五木寛之さんのラジオを録音しておいて、暴力的な夏の日ざしの下で、深夜の友へという語りを聴くのも、オツというか拍子抜けするというか…。

「五木寛之の夜」は、辛酸なめ子がゲストだった。僕は読んだことがなかったが、楽しくからんでいた。
このペンネームに、72歳の五木センセイ、「将来、辛酸なめ子に対抗してデビューしようとするエッセイストがいたら、ペンネームをつけてあげる!」と悪乗り。
曰く、「暗澹たる子」
曰く、「水虫かゆ子」。
曰く、「魚の目さゆり」。
・・・おぉ、どれも文壇を賑わせそうなペンネームばかりではないか。
五木センセイ、悪乗りしすぎです!(笑)

「ジェームス三木」とか「ジャッキー吉川」とか、その世代の芸能人は、その世代ふうの芸名がついているケースが多い。なんだか、ほのぼのとした憧れ感覚が匂ってくる。
最近だと、玉袋筋太郎とか、槍魔栗三助なんて芸名で「NHK出してもらえんでええよ」と開き直った芸能人もいたっけ。槍魔栗は改名したけど。

古くは夏目漱石もそうだし、文豪の香り高いペンネームというのは難しい。デビューしたてのころ、歴史に残る文学者になるかどうかわからんもの。
「辛酸なめ子」も、もしもしノーベル文学賞をとればMiss Nameko Shinsanと紹介されるのだろうか。文学全集は、箱に「辛酸なめ子全集全25巻」と書かれるのだろうか。それはそれで、すごい。

ふと全集を思いついたのは、もう数年前に軽井沢で急死した辻邦夫さんの全集が、今月から出はじめたせいでもあって、「並べる」趣味のない僕が初めて全集で読み通したいと思った文学者だ。
華々しい「賞ビジネス」とは縁が薄かった存在だが、気になる作家だった。ずっと。社会学部英文科(笑)にいたころ、『城』『夜』あたりの作品に僕は感化されていた。

数日前の新聞紙上の短いコラムで、デカルト通りというのがパリのカルチェ・ラタンにあるらしく、かつてヘミングウェイも暮らしていたそうだ。最近、そこに暮らした日本人作家として初めて、辻邦夫の記念碑が埋め込まれたのだという。
辻邦夫は、パリに客死した森有正のような亡国の徒でもないし、三島のような憂国の士でもないが、それほど、「欧州」で評価が高い文学者でもあった。
反日的な批評を書いていたわけでもないが、アウトサイダーでもあった。冴え渡った隠喩で、ジャポネスクな情感を徹底して払拭した作品世界のせいか、「西欧かぶれ」という批評もされたことがあった。

でも、こんな文学者の存在は、ボーダーレスになった時代には望めないような気がする。
パリに暮らした池澤夏樹や、アメリカ東海岸に暮らした村上春樹も、僕には安部公房、加藤周一の影を追っているように見える。批判する気はさらさらないけど。

人情や儀礼で個を溶かしてしまうようなこの国で、私であることの座り心地は、言葉で築いて行くしかない。でないと、真綿のようなお膳立てを、まず「善である」という前提で、政府も身内もボランティアも押しつけてくるから。
それにおとなしく従う気分になれなければ、言葉ではっきり要望と拒絶を伝えるしかない。

文学少女であった(今もか?)我が母が、「あの人は本を読まない無教養な男だ」と蔑んでいた父の遺品を整理していたら、文学には無縁な医療人だったと僕でさえ思っていた死者の書棚から、辻邦夫や串田孫一が出てきて驚かされた。
どちらも僕の愛読書だった。僕と文学の話をしたことは一度もないが、実家に暮らしていたころの僕の部屋の書棚をいつか覗き見て読んでみたのか、それとも偶然の好みの一致なのか、今となってはわからない。
父もまたこの人情国家で生まれ、浪花節も好きなオッサンだったが、故郷の方言は完璧に忘れ、北海道の兄弟と電話で話すときも関西弁だった。言論の武器は持たなかったが、哲人や文学者の言葉に、何かを託したのだろうか。息子たち3人のうち、だれかが医者になってほしいと願っていたようだが、さもなくば弁論人か…。

手足も動かなくなり、絶望的な病状はレントゲン写真を見れば自分で厳然と診断できたはずだが、実在する故郷に少なくとも心だけはワープしていた。
僕にとって、故郷といえる愛着の対象になるだろうか、生まれ育ったこのゼネコン都市は。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」というが、「死者を介して思うもの」になるかもしれない。
何かの御縁で、仕事さえあれば、たとえば夕張が新しい故郷になってもいいか…とも思う。
こう暑いとね。


白昼怪談

at 2004 07/27 12:41 編集

天災でしかたないとはいえ、落雷で夜通し宙吊りになったままのロープウェイは、こわかっただろうなぁと思う。
「なんでロープーウェイ」と伸ばすんじゃアナウンサー!!と、どうでもいい突っ込みをしながらも(笑)、僕はお見舞いスカラー波を送信しておいた。
夏とはいえ、薄着だからこそ寒かったかもしれないし、満月でもないから暗い夜空に宙吊りというのは、いくら道連れが何十人いたとしてもかなりこわい。

そこで下世話な僕が心配するのは、シモの問題だ。
まさかロープウェイで女性専用車はないはずだから、もよおしたときどうすればいいか。
窓をあけて空中に半身乗り出してすませられたらいいが、スリル満点すぎる。実際には、せまい空間内で人垣をつくって、その陰ですませるような臨機応変なチームワークができていたらいい。これが、コミュニティ福祉の原型といえるかもしれない。

スキー場のリフトが長時間停まってしまうという事故は毎年のように起こっていて、僕は幸いまだ遭ったことがないが、これも困る。小なら開き直れば勝ちだろうけど(勝負の問題ではないか)、大は目立ちすぎる。
いや、まず同乗の見知らぬ女性客の心配をしなければいけないのか?

とりあえず、勇気ある人が「前例」をつくってみせれば、後に続きやすくはなるかもしれない。「私もみんなもやってます、あなたもどうぞ」という空気が、日本人の心のふるさと(!?)だから。
そんな場ができれば「集団の効果」ともいえるけれども、孤軍奮闘という場面はしんどい。
岡山かどこかで、パラグライダー事故で電線に何時間かひっかかったままのOLが生中継されていたのは今年の話だったか、ともかくズームアップで生中継というのも困るだろう。目をそらしてあげる気配りもほしい。

たしかに、シモの心配は下世話だとはいっても、現実に避けて通れない生理現象だから、タブー視するより、実際に不測の事態が起きた時どうするか?を考えた方がいいのではないかと僕は思う。
戦前の白木屋デパート火災で、着物のすそがまくれあがるのがいやで飛び降りるのをためらった(のか?)売り子さんたちが、何十人も焼死したという悲劇もあった。
羞恥心が自ら命を奪うこともある。

アメリカの女性登山家キャサリン・メイヤーさん('42年生まれ)が、『山でウンコをする方法』という実にストレートな本を書いている。
内容はエコロジカルな配慮から書かれた「排泄気配り術」なのだが、この類のストレートな本が日本にはない。「だれか教えて」と思う人は特に女性アウトドア予備軍には多いだろうに、女性登山家も書かない。「私はこうしたわさ」(なぜか田嶋陽子口調)という苦労話、なせばなる式の根性論はあっても、マニュアルがない。排泄の処理こそ、マニュアル化は必要なのに。
アウトドアクッキングの本は腐るほど出ているのに、糞便は「はばかりネタ」なのだろうか。

野山でしゃがんだら、おそらく羞恥心から、一刻も早くコトをすませてその場を立ち去りたいと思うのが人情だ。おぉ白銀の峰々よ!と感動して景色を眺めてしゃがんでいる僕のようなのも、男性には多いかもしれないが。
そんな山での排便は、穴を掘って産み落とし、尻をふいた紙を燃やして一緒に埋めるべし、というのが土壌に優しい排泄様式なのだそうだ。
本能的に、目立つ排泄行為を避けようとする心理が働くから、なかなか火をつけることまでは思いつきにくい。
男女を問わず、日本人なら「土に還るから糞も紙もそのままでいい」と勝手な解釈をしそうだし。

どうしても、排泄は無防備にならざるをえない行為だから、「注意」すべき瞬間として、場所や手順を考える女性はいるだろう。
でも、そもそも山奥で「だれか助けてーっ!!」と悲鳴をあげてもどうしようもない危険に遭うことは、男性の想像以上にあるんじゃないかと思う。「自然を愛する人はいい人ばかり」とはいかないのだ、悲しいことに。

おまけに、たいていの登山者はナイフやロープを「合法的」に持ち歩いているから、彼が万一いけない人に豹変したときには、すでに武装ができている。
そんなとき、どうするか。

そもそも、「女の子同士でキャンプ行きたいんですけど」と相談されたとき、僕は「やめとき」と言下に言い放ったし、今でも後ろ向きなアドバイスしかできそうにない。
別の女性と、新潟の山を登って下りたところにおぉ混浴露天風呂が!!という幸運に恵まれたことがあった。先客はやんちゃなおじさん+あんちゃん5〜6名グループ。
ここで「俺様がついとるわい」と変なハッタリをきかせて混浴でもしようものなら、僕が取り押さえられたらオシマイである。
同性だからこそ、こんな場面のシナリオは読める。不思議なもので、男性集団にはすでに「番犬役、取り押さえ役、実行犯」の役割分担ができあがっているものなのだ。チームプレイにローテーション、である。

だから、むやみに危険な状況に身をさらすことはない。危険を冒しながら学んで行くことはあるだろうが、結果があまりにも陰惨になりそうだったら、最初から近づかない方が賢明なのかもしれない。
どうしても!というなら、「覚悟」するか、闘う意識を持つか、しかない。有事立法である!

ところが、あまたある登山教室というのは、なぜ「女性登山者の護身術」をレクチャーしないのかね。
別に柔道や空手や剣術を身につけろとは言わないが、「誘いを断わるとき絶対に微笑みを浮かべるな」「会話に乗るな」という次元の超基礎的なことを、だれも教えない。
女性がヘラヘラ笑って断わっている(つもりの)うちに、相手は「脈あり」と勘違いしてややこしい話になることもある。

男性側の羞恥心も、災いに手を貸しているかもしれない。
俺が男だったら(いや、すでに男なんだが)…という話を、父親も兄貴も上司も友人も、すべきだと思う。
「へー、あなたってそんなこと考えるの。やらしー」と思われるのがイヤではばかってしまうのかもしれないが、口ごもると、大切な妻や妹や娘や彼女の貴重な学習機会を奪ってしまうことになる。
僕は毛嫌いされても平気だから(笑)、すばり「急所を狙え」とは言うぞ。
なかなか「これで万全」という手立てはないものだが、とりあえず急所、である。
あれは、怖じ気づかないで明るく楽しく(?)蹴るなり刺すなり突くなりすれば、何十秒間かは動けなくなるものだ。刺してもちょん切っても死なないから大丈夫。ポイントを狙ってやれば、殺人未遂にもならない。
その間に延髄にカンザシを・・・ってのは時代劇の話としても、顔に砂でもぶっかけてやれば、さらに数分は身動きできない。その間にトドメを・・・(笑)。
なんぼなんでもトドメは気の毒だから、クマの出そうなヤブの木に縛りつけておけば、被害者の気持ちはわかるだろう(大丈夫、クマが縄を噛み切ってくれる)。

まぁ、そこまで深刻な危険に巻き込まれることはないにこしたことはないが、「あってもおかしくない」のが現実。希望と現実を混同しちゃいかんわな。
希望通りに、現実は動いてくれないのだ。
なのに、きれいな写真ばかり満載している雑誌は、大切な情報が欠落していないだろうか。
リアリティを隠す社会、「考えさせず安心だけさせる社会」は、はたして弱者に優しいといえるのだろうか。

ロープウェイから脱線して、JR東海道本線。
電車の二人がけ座席で、窓際(つまり袋小路だ)で居眠りしている女性客が、痴漢に遭っている場面を目撃したことがある。僕の発するスカラー波で(笑)犯人は逃げて行ったからよかったものの。
「奥からつめて座る」マナーとやらが、いつできあがったのか知らんが、声をあげられない弱者をどれだけ袋小路の危険に追いやることになるか、だれも指摘しないのはなぜだ?
くだらない車内放送はやめて、「次は〜大阪〜窓際席は〜痴漢の餌食です〜」と放送すればいいのに。
僕は二人がけ席は通路側に座るし、宴会はこっそり帰りやすい出口近くに座るし、引っ越しやすい賃貸住宅派だし、婚姻国家登録はしないし、ともかく逃げ足だけは確保しとるぞ(だから人望がない)。

ロープウェイのトイレ問題から脱線してしまったが、なんだか本質的なことを言葉にしないのが、この国の優しさらしい。そして、福祉国家をめざしているのだそうな。
「聖域なき構造改革」というなら、「タブーなき危機管理」も俎上に乗せないと、偽善だろう。
難儀な話である。


らも乳

at 2004 07/28 12:53 編集

最初に謹んでご冥福をお祈りした上で、らもサン!
あんたねぇ・・・あっけなさすぎまっせ。

「らもチチの魔界ワールド」という奇怪な番組で、夜中にボソボソボソボソボソボソしゃべっていたと思ったら、FMは音楽放送だ!という当たり前の声があがったのか、大阪から消えてFM徳島に「移転」。
苦労しながら聴いていたが、関西話芸人(チチ松村さんは僕ギタリストやん!と苦笑してそうだ)ペアの隠れた人気番組を地元大阪で放送しないという異常事態がしばらく続いていた。
あげく、有線放送番組に追いやられてしまった。こんな媒体で、だれが聴くかなぁ。
そうこうしているうちに、らもさん大麻でつかまり、番組も自然消滅。

一方で、ボソボソトークを活字起こしした『らもチチ』という上下二分冊の単行本まで出ている。
そうか、やはり人気番組やったんか・・・と、僕はしみじみ偉大な(?)功績を追憶している。
今度の「酔っ払って転倒して頭部外傷」とそっくりな災難は過去にも前科があるようだから、52歳は若すぎるとはいえ、だれにでも納得できてしまう最期だったかな。なぜだっ!!と絶句する人はいないだろう。それもまた物悲しい。

チチ松村という、名ギタリストのようでいてゴミ拾い名人。
妙にエロいんだか技巧派なのか奇怪な漫画家のようでいて、若い妻と熟年熱烈結婚して「身内とはしたくないんですわ」と笑っているひさうちみちお。
ときには少女のように悩ましく、40年前から肝っ玉かーさんをしていたような、わかぎえふ。
らもさんの周囲には、怪人変人偉人が「汗牛充棟」していた感じ。「代わり」が見当たらない。

あの世で存分に酒を浴びて、トラちゃんに遊んでもらいましょう、らもサン。
呑み放題になったらおもろないねん・・・とぐちって、今度は聖人にでもなろっかな?と笑っていそうだ。


ババア

at 2004 07/29 08:35 編集

ユーミンは騒音ババアって・・・まぁなんて露骨な、女性週刊誌の見出しなんでしょ。
何を今さら?という気もするし、もしかすると実際20年間耐え忍んできたのかもしれないが。
うちの町、ユーミンがライブやってるの・・・って「ユーミン効果」も、あったんちゃいますのん?
と、自治会の逆鱗に触れそうなチャチャを入れてしまった。


火入れ式

at
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2004年6月の日記

送受信中

at 2004 06/01 13:29 編集

蒸し暑いきのうから一変して、急に涼しくなると、まるで秋の訪れだ。
気温が下がると調子がいい。
真夏に、キンキンに冷房のきいた喫茶店にいると脱力して行く感じがするのは、すこし不健康な気もするけれど、冷えると疲労物質が分解されるのだろうか。それともただの錯覚か?

きのうが禁煙デーだったそうだから、タバコの安らぎ効果も、錯覚だ有害だ迷惑だ!と袋叩きになっているのは、これはこれでごもっとも。
いっそ禁煙デーはデイリー化してもらって、喫煙デーを限定した方がいいぐらいで、「木曜日だけモクモク」というのもいい。
一服ふかすより道端のゴミを拾ってスカッとするとか、喫煙している未成年者をポカリとやってスカッとする方が、世のため人のためになると思うけど。

禁煙デー明けて、今日は電波記念日だとな。
最近ナリを潜めているパナウェーブは、何かキャンペーンでもしないのだろうか。少し期待しているのに。

電波に敏感すぎる人種がいるかと思えば、世間一般には電波感覚のにぶい人の方が多い。たとえば、トンネルに入って行く電車の中で携帯通話していて、当然電波は届かなくなるのに、遮断されると携帯を振ってみたりこすってみたりする(笑)反応は、よくある眺めだ。

だれか「くるくる回すと電波が強くなる」と噂でも流せば、流行するかもしれない。
演技してみようか?
「あぁ〜〜っ切れそう。ちょっと待ってね、携帯回すから」
クルクルクル・・・
「おっ感度よくなった。これ効き目あるねぇ」
とか。

空席めざして遠方のニュータウン住民が殺気立って列をつくる始発駅プラットフォームで、まだドア位置の電光掲示がない時代に、僕は適当な位置に立ってイタズラすることが、昔たまーにあった。
こうすると、横へ後ろへ、「読書しながら電車を待っている19歳坊や(笑)」に追従して並ぶ人々が必ず出てくる。
数m横には、こちらは正しい(?)列ができはじめる。
あれ、ここでいいの?と迷う気配も、ワタクシの背中アンテナは受信する。

いざ電車が入ってきて、ドア位置がずれていたと判明したときの反応は、あまりにもこわいので、電車が来る前に僕は「用事を思い出した」風に立ち去る。これまた、「オッ一人抜けてくれたぞ」と喜ぶ気配も感じながら。あぁぁぁぁ・・・
灰色の予備校生の陰湿なイタズラであった。懺悔。

そんな悪行も、自分で判断しない群衆心理というものに興味を持って、英文科志望から政治学志望へ転向するきっかけにはなった。
罪には報いがつきものだから、KO大学には慶応されて落ちた。
運命がイタズラすれば、今ごろ僕は政界に巣食ってたかもしれない。「電波党」でも結成して。

今こんなサイトで日記を散布しているのは、有線での発信業務(笑)に変わったようなものかもしれないが、なかなか革命にまでは至らない。
せめて、常識で固まっている人の脳内にさざ波でも呼び起こされたら、常識的ゆえの苦悩が3デシベルぐらい下がるかな?

電波で惑わされる(らしい)人も、それはそれで人生というもの。血液型や星座や姓名で何か判断するのと同じ次元だと思う。
電波は知っているつもりの僕も、フェロモンにはめっぽう弱い。ヘナヘナーッと骨抜きになるのも、これまた楽しい。罪のない麻薬経験みたいなものか。
数百Wの地対空・空対空レーダーを運用してよろしいというペーパー(だけ)免許を就職浪人中に取ったけれど、一度も使ったことがないし、知識も錆びついてしまった。
今はそんなもんより、大金が埋もれている場所がわかるレーダーを使ってみたいものだ。
あぁ、俗悪な電波祈念日だこと・・・。


絶句

at 2004 06/02 16:58 編集

佐世保の少女の殺人も、やはりネット・トラブルだったか!
と納得できそうな気がする反面、仲良しの同級生が掲示板に書き込んだわけだから、ぜんぜん匿名ではない。
ということは、古典的な「みんなの前で悪口いった」の類にもなりそうだが、切り殺してしまうだけの書き込み内容だったのだろうか。

「O先生はアタシのものよ」
「ふん!私なんかO先生メールもらったもん」
「青いわね小娘、あたいには子種までくれたさO様は」
・・・というエスカレートはまさかなかっただろうし、12歳同士の世界でなくなる。

それにしても、犯罪にしては衝撃的なのかあっけないのか哀しいのか不運なのか、コメントしにくい「事件」だ。
気休めになるのは、いまJRの天井から下がっているポスターか。

哀川翔が「守ってくれよ、電波のルール」とさわやかスマイルしてくれている、総務省の電波の利用保護旬間キャンペーンである。
おい哀川翔、電波のルールって何じゃらほい?と尋ねると、どう答えるつもりか。
「呪い電波は控えめに発射しろってことよ!」とか答えるわけか?



勝手サイト

at 2004 06/03 14:18 編集

さっき、新大阪駅で評論家の宮崎哲也そっくりさんとすれ違った。でかい荷物をかかえて新幹線改札口から出てきたのだが、ずいぶん小柄だった。

それはともかく・・・
佐世保の女児殺人事件で記者会見していた児童相談所の所長さん、善良な公務員なのだろうが、時代について行けてないのがありありだった。

「インターネットに掲示板というのがあるそうで、そこで情報交換をしておったようです」
というのは素朴な感想だろうし、「昼はネット知らずのいいおじさん、夜はチャット名人」ということでもないだろう。きっと。

ネットで何が行われているか、そこに浸っている12歳少女の精神構造がどうなっているか、雲をつかむような感覚かもしれない。
僕にも少女心理はわからない。

ただ、情報交換と感情交換は区別した方がいいように思う。
「あなたはバカだ」というのと、「あなたはバカだと噂されている」のとは違うのだ。事実が根拠になっている情報と、感情が根拠になっている放屁とは、チャンポンにすると不幸なことになる。

情報なら、たとえカチンとくる話でも、「知ってよかった」と思えることが多い。「あなたのズボンの窓、開いてますよ」というのも、恥ずかしいがありがたい情報提供だ。
だから、佐世保の少女は、情報より、被害者の素朴な=むき出しの感想に、切れたのではないかとも思う。

まぎらわしいのは、「あなたはバカだとみんな噂してるよ」の類。
フランス人あたりなら、「みんなって、だれ?」とすましているだろうし、陰険な僕なら、「みんなの中に、Aさんは入っとるの?Bさんはどうか?」と詰問する。
もし答えなければ、AさんBさんに「あいつが、私の名誉を傷つけた容疑者として、あなたの名前は否定しなかったよ」と振る。
どや、Yesなの?Noなの?
この論法で、AさんとBさん、ついでにCさんもDさんもクロシロつけて行けば、「てめぇの言うみんなというのは、だれもおらんがな。おまえは裸の王様じゃい!バカヤロ」と一件落着する(かな?)。

しかし、容姿への中傷をメールで書くならともかく(いけないけど)、掲示板に書き込むのも罪なことだし、書かれた側のそのときのショックも、いかばかりだっただろうと少し同情する。
気の毒にも命を落とした少女は、メールで他愛ない罵倒を書くつもりが、うっかりブラウザーを起動してうっかり掲示板にアクセスして、うっかり書き込みしてしまったのか。「みんな見て見て」という意図を持って書いたのか。

殺されてしまったから免罪されるものではなく、殺した罪を超えない限度で、きちんと検証してほしいと思う。

そうしたネット心理の分析は香山リカ先生に任せるとして、僕が少女心理を理解できないように、小学生の我が子にパソコンを与える親も、ネットのリスクを理解してないように思う。

少女サイトには、「いいアルバイトしない?」の勧誘がつきものだし、嵐・・・じゃなかった荒らしもつきもの。
こんなのにつきあって、被害をかわすスキルを磨くのもIT時代の教養・・・なんて、ばかばかしいとは思わないだろうか。
そんな危険があったら、ネットと断絶して図書館で勉強していた方が勝ちかもしれない。

隠しタグが埋め込まれた勝手サイトにアクセスして携帯番号やアドレスを抜き取られる携帯なんて、18歳未満にはズバリいりまっせん!と思うぞワシは。
メールだけはできるプリ携を小遣い代わりに与えておけば、それで充分ではないのかな。

情報発信したければ、きちんとITリテラシーを持った先生と相談して、管理の行き届いたサイトを共同運営するのが賢明だろう。
子供だけで雪山登山を許すような、子供のリスキーな欲望にどこまでも甘く、無知で、野放し状態の親が、俎上に乗せられてしかるべきだと思う。


晴らすメント

at 2004 06/04 16:05 編集

近所に某お嬢ちゃま中高があって、コンビニに寄ったらそこの生徒が「ドデカミン」というドリンクを買っていた。
スタミナドリンクをらっぱ飲みしながら下校する制服ワンピース
・・・んー、嘆かわしい!
とは思わなかった。豪快なのは、ほほえましくてけっこう。タバコはいかんけど。

やがて成長してエキスパートになると、実にうまく世渡りしている淑女のもいるようで、アコガレの的が女子アナだろうか。
テレビの夕方番組に、女性レポーター2名(たぶんアナウンサー)と男性アナが、傘のトレンドを紹介していた。

問題は、傘にもなる杖というアイデア商品であった。
「スエタさん、これ必要じゃありませんか」って、キミねぇ、五十男を老人よばわりするか???
これは、れっきとした年齢ハラスメントであるぞ。
二十代後半の女性に「そろそろ適齢期」とプレッシャーをかけるのと同罪の。

しかしそこは温厚を絵に描いたような(横綱でも泥酔してタクシーで暴れる程度)NHKアナウンサーである。言われるがまま平然としておられた。
その傘レポート番組は、背負った荷物や赤ちゃんが濡れない楕円形の傘なんてのも紹介していたから、「いやー、これはスイカップでも濡れなくていいですね!」とジャブを返せばよかったのではないか?
「僕ならそうする」ことは、たいてい「NHKアナなら絶対しない」から寂しい。


死語の世界

at 2004 06/05 13:42 編集

佐世保の少女同士の書き込みが、ぼちぼち報道されている。
やれ体重が多いとか、やれ「ぶりっこしている」とか、屁でもない中傷未満に見えるが、書かれた本人にとっては神経ガスのように効いてしまったのだろう。

それにしても、「ぶりっこ」は懐かしい。
元祖は松田聖子だったと思うが、世間に生息している元ぶりっこの42歳は、「ぶりおばさん」になっているのか?男ならブリオ(こんな雑誌があったな)になるのか?サザエさんみたいだが。
「ぶりっこ」も「カマトト」も、死語にしてしまうにはもったいない出世魚みたいなものだと思う。

掲示板には、
「ナウいサイトですね!」
「ナオンと出会いたいぜ!」
「ビバ!ビバ!」etcetc
と書き込むのがはやれば、殺意は消えて苦笑するしかなさそうだ。


死語の世界

at 2004 06/05 13:42 編集

佐世保の少女同士の書き込みが、ぼちぼち報道されている。
やれ体重が多いとか、やれ「ぶりっこしている」とか、屁でもない中傷未満に見えるが、書かれた本人にとっては神経ガスのように効いてしまったのだろう。

それにしても、「ぶりっこ」は懐かしい。
元祖は松田聖子だったと思うが、世間に生息している元ぶりっこの42歳は、「ぶりおばさん」になっているのか?男ならブリオ(こんな雑誌があったな)になるのか?サザエさんみたいだが。
「ぶりっこ」も「カマトト」も、死語にしてしまうにはもったいない出世魚みたいなものだと思う。

掲示板には、
「ナウいサイトですね!」
「ナオンと出会いたいぜ!」
「ビバ!ビバ!」etcetc
と書き込むのがはやれば、殺意なんか消えて苦笑するしかなさそうだ。


スピードMAX

at 2004 06/06 13:58 編集

すったもんだの年金法案が、成立してしまった。廃案になったら財政破綻する、成立すると家計破綻する・・・どっちが先に倒れるかの違いだけだろう。

参議院議長が「いっそ宴会して与野党仲良く話し合ってよね」と促したかのように聞こえたのは、実は「延会」宣言だった。
なんや・・・
延会したあげく徹夜になった国会は、夜更かし族にとってはときめく番組でもある。
ただ、中身は退屈きわまりないから、オールナイト国会ならタモリや笑福亭鶴光がキャスターをやってくれたら、見る方も楽しめるのに。

「牛の足」で採決を遅らせる野党の戦術はあいかわらずで、「馬の耳」の与党にはもう通用しないのではないかな?
どっちにしろ、厚生年金も国民年金もジリジリあがって、「象の足」のコ娘に代表される世代は「超ムズーい!」といって加入しない。僕もムズいと思うもの。

間もなく惨議院に立候補するワタクシとしては、アニマル国会を開き、なんじゃこりゃーとうろたえているうちに、わが選挙公約がいつの間にか法律になっている!!というのを狙いたいところだ。
「馬の絶倫」ヤマタクは防衛問題担当(捕虜になってビザールの快楽に酔いしれてもらうのにもってこい)。
牛歩で審議・採択しようとする議員には牛歩で給料を払う(そうだなー月給は1年かけてちびちび払ってあげればどうか)一方で、ビル・ゲイツのスピード経営にならってスピード政治をやってもらう。
たとえば「1カ月で街中きれいさっぱり段差をなくせ」とすれば、一気に工事需要は高まって、失業問題は解決するのではないだろうか。
青空駐車はビシバシ東南アジアへ運んでしまうと、海運業大繁盛だ(笑)。買い替え需要も高まりまっせ。

そうなれば、世の流れが早すぎてついて行けないと嘆く人もいるだろうが、案外スピードが大事なことは多い。
逆に言えば、いたずらに年月をかければいいというものでもない。
年月をかけているうちに骨抜きになる行財政改革は、道路公団問題だけではない。一瞬にしてパチッとやってしまった方がいいこともある。
レジで消費税10%とられて「えーっ!いつの間に?」と驚いても、その月末に給料明細から厚生年金の欄が消えていて「60歳から月末20万円は全退職者に保障される」とわかれば、1カ月で国民は納得するぞ。

いたずらに先延ばしする愚が実は多いことに、中高年は気づいてほしい。
未来を煙に巻く中高年の子や孫にあたる「象の足」は、バブル崩壊と共に育ったから楽しい幼児期も懐かしめず、楽しいはずの未来も期待できないからこそ、いつ死んでも悔いが残らないよう今だけを精一杯消費しているのではないかと僕は思う。

中高年が若僧を煙に巻く常套句「キミもそのうちわかる」も、「子孫のために長い目で見て・・・」と、保守を図る政治家の弁舌も、最終的に「まちがっていた」とわかったときに、言った本人はこの世にいない。
ただ逃げていただけ。
または、いま答えがほしい次世代にシュパッと説明できる言語能力がない。

とまぁ、とろい政治や経営にスピード感を求める僕自身、スローライフにどっぷり浸っているのは、矛盾しているのか、「もう老境」なのか・・・


大往生

at 2004 06/07 14:52 編集

レーガン大統領への弔辞でゴルビー、
「われわれの提案に応じて、冷戦終結に着手した勇気をたたえたい」
ってねぇ・・・
なんとまー都合のよろしい解釈でしょう!と僕は感動した。死人に口なしだから、「おいおい冷戦を提案したのはワシだよ」と言い返されることはない。
たしかに、「もうソ連やめた」と態度を軟化させ、みずからラスト社会主義エンペラーになることを選んだのは、ゴルバチョフの功績だった。

みずから引退宣言して、アルツハイマーとの闘病を公表したレーガンも偉いが、こういう大国家元首が最近いなくなったような気がする。
愛人を公表した(ホモセクシャルだったのか?)フランソワ・ミッテラン大統領も粋だった。

存命の政治家だと、だれが歴史に残るだろうか。
最近の中国の主席や首相さえ、どうも名前が霞んでしまう。
クリントンは変なところで名前を残すだろうが、恥さらしブッシュのおかげでカムフラージュされたかな。

小泉さんは、どう歴史に名前を刻むだろうか。


合格?

at 2004 06/08 15:44 編集

住民検診が有料になったのはけしからんが、せっかくだから行ってきた。こげなことで、国保料を取り戻せるのかねぇ・・・。

隣りブロックの中華同文学校を通りすぎると、吹奏楽部が「ルパン賛成」を演奏していた。窃盗をたたえるアニメの曲はいかん!と野暮なことは言わない「中国四千年の太っ腹」であるね(笑)。
小雨に香る山の緑を吸いながら散歩して、ユダヤ教会の隣りブロックにある仏教寺院が検診会場だ。すぐ成仏できる手際いい会場設定ではないか。
めまいがしてくるユーラシア散歩だった(笑)。

微妙に「唐」が出ていて食事改善をアドバイスされ、一件落着。
中華料理の食べ過ぎかな?

坂を下って、雨の歩道に面したいつもの喫茶店で3時のお茶。
好きなコーヒーも、飲み過ぎるとカルシウムが逃げて骨粗鬆症を促す・・・と、ネガティブな健康情報も脳裏をかすめる。
まぁ、帰って「毎日骨太」で補うか。


大安売り魂

at 2004 06/09 19:16 編集

いいタイミング・・・というのは不謹慎ながら、ちょうど洋泉社新書で出たばかりの小沢牧子著『心を商品化する社会』を読みつつ、佐世保の少女事件ニュースを片目で追っている。

父子家庭で娘を失った父親・・・と聞くだけでも痛ましいが、報道記者という立場もあってか、手記を公表するのもちらいだろうと思う。
それが、ご本人の社会的な使命感から出た自然な行動なら、表現を封じる道理はない。
けれども、内心はどうなのだろう。
私的な世界が全国に垂れ流される構図に、僕は違和感を禁じえなかった。

被害者の父親を批判するつもりは毛頭ない。
問題は、「涙をあふれさせる最高のノンフィクション」として売り物にするメディアにある。もちろんそれを見たがる消費者がいるから、同罪なのだが。
そっと喪に服するにまかせておけばいいのではないだろうか。

それでは視聴率がとれないだろうし、ニュースの消費者も何か物足りない感じがして、それに応えるかのように後から後からゴシップがほじくり出されてくる。めざすは.心を揺さぶる報道、魂に訴える報道・・・
よそさまの不幸に感情移入して、共感したつもりになれるのか?

垂れ流されるプライベートライフに偽善の涙が垂れ流される構図は、バラエティ番組でもおなじみだ。
探偵ナイトスクープの司会者も、くだらない感動演出に涙してみせる。上岡竜太郎なら、「子供だましやな」と一蹴するようなネタでも、涙が大安売りされるようになった。
視聴者がなめられているだけ。
感動が商品になっているだけ。

「商品」はすぐ飽きられ、次々に新種が求められる宿命にある。もっと凄惨な事件が次々に起こってもらわないと、マスコミも困るし、社会に出たがらない心理学屋さんの就職口も増えない。

心ケア人は、決して心を商品化しているとは自覚しないだろう。
心を商品化しようとする高度消費社会というトレンドがあって、よほど覚醒していないと世渡りも結婚も損得勘定してしまうのだ。
そんなトレンドに気づいていても、「事例」「成果」が増えないと居場所にありつけないから、ケア屋さんは、命や魂や、人生の春やターミナルが次々に消費される社会を、間接的に肯定してしまう。

GDPを伸ばすために(笑)、エログロホラーとカウンセラーの抱き合わせ増産が謀られているような気がしてならない。


月のころは、さらいえ

at 2004 06/10 13:18 編集

しゃべるデューク更家というのを初めて「ごきげんよう」で見た。
感想は「うさんくさいが、案外ええやっちゃ」。

理由はただ「関西弁」と「おっさん」を飾らず出していただけのこと。
「いやー、夜中にコンビニに行くんがひそかな楽しみなんですけどォ、服を着ていない女の人の雑誌を立ち読みして、顔もばれているから、買えませんでねぇ・・・と笑っていた。

この手口、「AV大好き」を公言しても業界トップ人気のSMAPとゴジラ松井の庶民風味路線を正しく受け継いでいる。
よし、この線で行け柳楽ユウヤくん!

前々から、某スピリチュアル焼き肉のたれカウンセラーを僕は「うさんくさいが、案外いかがわしい」と思って見ているが、こいつも「女王様のムチに僕は癒される」とカミングアウトしたりすると、案外ええやっちゃ!と見直してしまいそうだ。

しかしデューク、きのう「生まれた姿の女性」雑誌が大好きと話していた舌の先も乾かない今日の放送で(ごきげんようは1曰まとめ録りだが)、「モナコの自宅で、12歳の娘と風呂に入るのが私の休日」と、しゃーしゃーとすましていた。
やはり、変だ。


粉々一番や

at 2004 06/11 15:52 編集

「結婚しよー」とふざけた義理ぷろぽーずをしてくれる19歳コ娘と、庶民的グルメトークを楽しんでいた。
こやつの家のすぐ近所に、小枝の実家のお好み焼き屋があるんだそうな。こやつ宅も食べもの屋さんなので、舌がうるさいというか、なかなか辛口の批評だった。
わたくしへの甘口のリップサービスは、そのお口直しか?

ふとした勢いで、例によって僕が「お好み焼きにマヨネーズ」を罵倒したら、あっさり縁談は破談になってしまった(笑)。

腹いせに、正しいソースグルメで今週の労働をしめくくることにした。
新大阪駅構内の飲食街はまだまだ踏破しつくせない。
初めて突入した店で、わざわざ「神戸名物」とうたってくれているソバメシを試食。
「北海道産小麦粉と九条ねぎ使用」と売り込みに熱が入っている。

目玉焼きが乗っているのは、スタンダードカレーに慣れた一般地方民をたじろがせる「カレーライスに生卵」という浪速趣味のあらわれだろうか。
ソバメシ「本体」は、ピリッと辛味もきいていて、なかなかうまかった。650円なり。
マヨネーズはプリインストールされていないし、了解なしのトッピングもしよらん。この店は正しい。

しかし、ヤキソバ+ヤキメシ=ヤキヤキではなくソバメシとは、これいかに?
まじめな一般地方民がきいたら、「ソバとご飯」ぐらいのイメージしかわかないのではないだろうか。焼きそばライス定食を思い浮かべるのもちょっと貧相だし、おい神戸のソバメシよ、損しとるよ。

神戸の、といってもコアな神戸で生まれ育った僕でも、ソバメシというのは新種だ。
西の方の下町が発祥らしいが、同じ神戸でも摂津文化圏と播磨文化圏に分かれているから、庶民食にも違いが出てくるのがおもしろい。
「コナモン研究」を究める熊谷真菜女史だったら、どう分析されるのだろうか。

たまに、夜中に無性にソース味を求めたくなることがあるけれど、インスタントの焼きそばや焼きそばや焼きうどんでは、どうにも物足りない。やはり、鉄板+ソースがホットでいい。

その昔、賀川豊彦がソーシャルワークの礎を築いた下町のお好み焼き屋で、おばちゃんが「夏こそ鉄板!」と気合いを入れながら焼いてくれたお好み焼きも、「街が感じさせるおふくろの味」である。
外国人観光客も、懐石や寿司より、こんな庶民食を食べ歩いたらいいのに、と思う。


娘は葵

at 2004 06/12 10:55 編集

人名漢字の使用制限が少しだけ緩和されたニュースの裏で、使ってよろしくなった漢字というのが「???」を巻き起こしている。

そりゃそうだろう、姦や糞や呪を子供の名前につける親が、実際いるわけか?(前にあった悪魔ちゃんを思い出すぞ)。
双子に目糞鼻糞とか、こち亀の主人公が両津姦吉になったりするのも、いかがかものか・・・。

「苺ちゃん」を命名したかった親は万歳したい気分だろうけど、イチゴは「一五」でかわすという手もある(親はお調子者ですとPRしてるようなものだが)。
なんだか懐かしいポケベル時代の数字ゴロ合わせ作戦を思い出す「北島三二六」という技だって使えるわな。

むしろ、名前負けしている不幸なケースをなんとか救済した方がよろしいぞ。
たとえば、「もえ」に限って、本人と面接して使用許可を出すべきだろう。
「親の願望は分かるけどネあんた、このギャップは人騒がせですから公序良俗違反!」と、裁判所で却下されるべきだ。世論は「燃え」るかな?

わが兄宅で飼っている雑種犬の名前が「もえ」で、小屋に表札までかかっているが、このもえちゃんはかわいいから許されよう。犬に負ける人間もいてよろしい。

この調子で、すでに「拓也」を我が子につけているママがいることは間違いないが(苦笑)、そろそろずばり「四」と命名してヨンさまと呼ぶおかしなママやら姑がいてもおかしくない。
気持ちは、わかる・・・わかるけど、ねぇ・・・。
子供の命名で遊んではいけない。

昔はアニメふうの名前とか外国人ぽい名前をつける親はいなかったのではないかねぇ。
うちの親も大真面目に、兄は靖国神社に、僕は昭和天皇の名前にちなんで命名したという。なんちゅう右翼・愛国一家かと思われそうだが・・・。
その僕が、息子を球児にしたくて、「犠牲バントでチームに貢献する人間になってほしい」と願って「犠打郎」とでも命名すると、「大騒ぎだろう」なぁ・・・


ウルトラバイタリティ

at 2004 06/13 23:06 編集

雑誌原稿のロケに行くぞ者ども!と野生人どもに声をかけると、マウンテンバイク夫婦が出馬というか、出走してくれることになった。

いちおう「神戸の海と山を結ぶサイクリングコース」というコンセプトなので、玄関口は新神戸駅として朝イチに集合。
低気圧一過で、雲ひとつない極上の天気だ。

山あいの新神戸から時計回りに、王子公園〜HAT神戸〜ポートアイランドと海へ出て、メリケンパークを通って山の手へ遡行し大倉山でフィナーレ。
これ、三宮、北野、元町(中華街)を無視した、神戸商工会議所ご立腹のチープきわまりないコースである。しかたない、ワシの独断なのだから。

唯一、料金を払ったのが動物園で、ペンギンさんやパンダのおとっつぁん、お猿さんにクジャクさんたちと友情をはぐくんだ(笑)、
隣町が故郷の僕にとっては、この動物園は、小学生無料という特権もあって庭のような場所だった。
ジェットコースターや遊具など、浅草の花屋敷のようなレトロな味わいがある。案の定、時代の流れで消えてしまった設備もあったが、回転ブランコと鏡の館は健在で、35年ぶりのご対面で涙がにじんだ。

動物園から南下してピカピカのHAT神戸を通りすぎ、ポートアイランドへ渡る。本州を離れて眺める六甲の山々と街並は、紺碧と濃緑とオフホワイトのコントラストが目にしみる。

人工島で昼食をとって、メリケンパークでデザートタイム。「若旦那」が鉄柱にもたれて眠そうにしている。
前夜は夜釣りをしていて一睡もしていないそうな。いやはや遊び好きなことで、すばらしい!

ゴールはやはり山好きな3人にちなんで、街のど真ん中の「山頂」へ、標高数十mをこぎ登る。
6時間かけたサイクリングの疲れが出たか、ついに若旦那が寝床についてしまった。緑陰の風にくすぐられながら、午睡をむさぼっている。

「あとは帰ってホンカク的に寝てやー、お疲れ〜」と簡単に手を振ってお開き。
帰宅して腕時計を外すと、真っ赤に日焼けしていた。紫外線素通し」のような澄んだ空気だったからなぁ。
「UVケア」という言葉は、いつも後の祭りである。


なごり雪

at 2004 06/14 19:37 編集

年1回かならず見る初夢兼見納めが、今年は6月にずれこんで、やっと上演(笑)された。
滑り納めスキーである。

ゲレンデは、新潟に飛ぶ年もあるが、今年は地元六甲山だった。
登山していたら残雪があって、かろうじての「名残り雪」を堪能してきた。
便利な大脳だが、やはりナマ体験できるに越したことはない。

立山はまだ雪の中らしい。
梅雨どきの中途半端な時期に、わざわざ滑りに行こうと考える熱意もなくなってしまった。
いっそ、はやく海の日を迎え撃ちたい。


まるでワーキングホリデー

at 2004 06/15 20:48 編集

会社員が7時に家を出て7時に帰ることなんて、まずないぐらい働きづめなのはわかっているから、週に1回10時出勤10時帰宅があろうと泣き言ほざいてたらいかん!
・・・と、それはわかってはいても、やはり疲れる一日仕事だ。
さぁ今日は中休みだ、とぬか喜びしても、なんだかメールやFAXや手渡しでどっさり仕事がたまってしまう。

メールは「どっさり感」がないのでクセモノだ。
部品を渡されて、「今日中に5個これを作るのが君の仕事だ」というような労働だと、どんなにわかりやすいだろう。
農業だと、「自分の畑はここからあそこまで」とわかっているし、いくらがんばっても6月に稲が実るわけでもないから、これまた明快だ。

ところがサービス業は無限に仕事が増える。おまけに終わりがない。
医者だと、患者の全快退院で一件落着になりそうだが、次々に患者はやって来るから、仕事に終わりはなさそうだ。
心を込めていると無限に浪費してしまうから、どこかで「これで完成」とキリをつけるのが、職業人なのだろうと思う。

それでも芸能人などは24時間スターであることを期待されるから、大変だろうね。
桂小枝は、24時を過ぎるとリアルな(素の)「青木君」に戻るらしいから、見習いたいものだ。
戻って行く「素の自分」があれば、そうしたいけどねぇ・・・


近鉄ヴェルディ九重部屋

at 2004 06/16 18:58 編集

赤字球団のリストラ・・・としか野球音痴には見えない「オリックス・バファローズ」騒動も、球界にとっては大問題らしい。
「でかいもの何でも敵」の朝日新聞は、ジャイアンツ分割案を社説でアピールしていたし(一理ある名案かな)、ロッテのお偉がたは韓国チームを招くのはどうだ!?と意気込んでいる(これも名案)。「外国チーム枠」というのは、案外おもしろそうではある。

糾弾も事業経営だから、球界再編も避けられないのだろうが、オリックスのような「野球にも手を出してみました」発想だと、地元もファンも裏切ることになる。
いっそ、アメリカ大好きな経営者なら、「読売タイガース」「阪神ジャイアンツ」のような世紀の大合併を陰で演出してみせてくれんかな。これで、長年の敵対関係は解消しまっせ。

まぁ実際そんなことは無理だろうから、さしあたってパ・リーグに1チーム補う必要がある。
名案をいくつかあげてみると・・・

1。リトルリーグか甲子園優勝チームを毎年ゲスト枠で入れればどうだろうか。このチームに負けると大恥だから、5球団は必死に闘うだろうし、少年チームの腕も上がることうけあい。

2。シニアチーム枠

各チームOBで編成する。掛布、バース、クロマティ、張本、金田、川上、スタルヒン、ベーブ・ルース・・・とそろえばもう、オカルト風味で人気ナンバーワン―ただし故障者続出要介護チーム―になるだろう。
個人的には、カルロス・ポンセをぜひスタメンにしてほしい。

3。異種格闘枠

女子ソフトボールチームとか、相撲部屋で1チーム編成して野球をやってもらえば、これまたパリーグならではの人気カードになるんちゃうか?西武vs高砂部屋とか。
オリックス対女子柔道部チームで「夫婦対決」になったり、「ヤワラちゃん系」に盗塁で寝技を決められて野球選手が悶絶していたりするかもしれない。

パリーグは、巨人を頂点にしたセリーグのがちがちピラミッドとは違って、もう少し大胆な改造もできるのではないだろうか。
と、思うあまりの戯れ言めいた改革案なのだが・・・。


彼研

at 2004 06/17 14:29 編集

本日のランチは、新大阪駅構内カレー研究所を開拓。
いつも寝ぼけまなこの好青年塚田君が情報提供してくれながら、はや3年。やっと課題達成(笑)である。

客が全員、なぜかダークスーツ姿であった。
団体さんではなく、皆ばらばらなのに、なぜかダークスーツの三十路男、四十路男が並んでいる。な・な・なんでや〜?

キーマカレーを注文したら、あとから入ってきたやはりダークスーツ男が2〜3人つづけてキーマカレー。この店の名物なのか?
BGMもインドポップスだし、カレンダーもなぜかヒンディー語だし、それなりに演出はしているようだが、だったらなぁ、わざわざ「インドカレー」と品書きを出して、(ビーフ)と書くかぁ?「インドカレー(野菜)」ならわかるけど。

おまけに、キーマカレーがどっぷり「大阪」していた。
先週のソバメシ店につづいて、このキーマカレーにも半熟の目玉焼きが乗っていた。
目玉焼きも生卵も、それ自体は嫌いではないが、なんだかねぇ・・・。
核保有国インドと戦っても、この「なにわテイスト」は勝利しそうな気がする。

肝心のルーの味はというと、なんだか目くらましに遭ったようで、「印象うっすー」で終わってしまった。
これは、「これからカレーを研究しなさいよ」というメッセージなのだろうか。「コレカレ研」か。
この乗りで、お好み焼き研究所(お好み研)、タコヤキ研究所(タコ研)、焼きそば研究所(ヤソ研)・・・と開店して行けばおもしろいのに。

「なんやら総研」の羽振りがよかったころ、僕の先輩が「なんやら研究所」をつくりたくて暗躍しておられたことがあった。
今やすっかり、ケネディ、バテル、カーネギーといったアメリカのシンクタンクが世界戦略の頭脳になってて、三菱も三和も野村も、我が国の大手「総研」は往年の勢いがないが(仕事をさせてくれた日本総研はグングン伸びます!と予言しておこう)、案外、シンクタンクというのは、私設博物館と同様おったてること自体は簡単にできる。明日から「タコヤキの受託研究ならびに独自研究、外食産業政策への提言」を看板に掲げれば、一応シンクタンクである。
まぁ、タコヤキぐらいでシンクタンクもないものだが。

「カレ研」というのも、「OL500人委員会」の関連機関として旗揚げできそうな気もする。研究テーマは、ずばり「間違いない金ヅル種馬くんの射止め方」しかない。
あー、せちがらいものだ(笑)。
「しあわせ研究所」でもつくろうかね。


ボーダーレス・リーグ

at 2004 06/18 17:13 編集

通勤電車の中から朝ふと山を眺めると、新神戸オリエンタルホテルの屋上に、クレーンが乗っかっていた。
初めての眺めではないのだが、
オリエンタルホテル→ダイエー→再建→パリーグ→再編成
と、勝手な連想が働いてしまって、もしやホテル解体か?と勘ぐってしまう。

5チームになるだけでパリーグ問題はかたづかないらしく、1リーグ制にする案も出ているそうな。
そうなると、巨人や阪神と戦うパリーグ・チームが放映権料をかせげるから(つまりテレビ中継されるようになるってことね)リーグ合併はパリーグの思惑だということか。

たしかに、オリックス宮内オーナーも話してたように、野球人気が、ダブル松井&イチロー効果のアメリカ大リーグに奪われている部分も相当あるだろう。例にあげちゃー悪いが、日ハムがどこでどんな試合をしているかより、「今日の松井&イチロー」コーナーの方が関心が高い。

それは国内のゲームが飽きられている(元凶は某金満タレント球団だろう)こと、放送網の発達で視聴者がボーダーレス化していることetcの当然の結果で、おもしろくないゲームを束ねていくら放送回数を増やしても、「あれこれセットでお買い得!!」の通販の発想と変わらず、球界の知性を疑う。
やはり、ゲームで勝負してほしい。

横綱が「外国人専用」になってしまった大相撲の方が、世の流れに対して柔軟ではないんだろうか。プロ野球も、「ガイジン枠」など撤廃すれば、アジアや中米から年俸300万円でも喜んで野球をする選手がどんどんやって来るだろう。1億もらっても当然のような顔をしている鼻高選手の目の前に、500万円の年俸から祖国に仕送りして一家を養うんだ!と気迫満々でプレーしてくれるパンチョレロくん、グエンダックくんを20人雇用した方が、人気チームになると思う。

人情話の好きな日本人だと、
「祖国のバナナ農園の集会所におかれたテレビで、村人みんながカルロス君のプレーに大声援。ホームランを打つと村に花火が上がります」
なんてドラマに感動して、せっせと球場に足を運ぶだろう。それも自然な野球の応援というものだと思う。

選手の背景にたちのぼる苦難の生い立ち・・・のようなオーラの消失は、野球だけでなく、バレーボールも低迷させているのだ!というのが、我が仮説である。
リトルリーグ→高校野球の「球児製造工程」から生産されてきた野球マシンを、企業が動かす予定調和のようなゲームは、見ていてもおもしろくない。

筋書きの見えるドラマは、吉本新喜劇だけでいい。
読めない筋書きを演じられる外国人選手よ、日本のプロスポーツ界を揺るがせてくれ。


土地記号家電

at 2004 06/19 13:58 編集

心斎橋のソニータワーが閉鎖決定。
わがくつろぎエリア西梅田に移転するためだというから、行きやすくなって歓迎なのだが、規模縮小には違いないから、寂しいものだ。

「おい、大阪にソニータワーいうのができたんやが、行くか?」
てな乗りで、あいよ〜とチュー坊だった僕が父の誘いについて行ったのが、「ミナミ・デビュー」の日だった。
以来、僕に限らず心斎橋のランドマークはソニータワー!だったはずだ。アメリカ村なんて、大学生になるまで知らなかった。

ソニー信者のオーディアマニアの父にとっては、3人息子の中で唯一「電波系」の僕を巻き込めば、堂々と道楽を楽しめる好都合な存在だったわけで、持ちつ持たれつの癒着(笑)は、なにかとメリットもあったようだ。

ソニー製品はもう、仏壇もないわが家では崇拝対象であった(笑)。松下の製品はナシ(毛嫌いしてたわけではないけど)。
オープンリールデッキからアンプからターンテーブルからLLカセットコーダーからBCLラジオまで、「犬と猫とソニー」は家族の一員だったようなものだ。
僕のみつくろったバイオノートを触り始めて5ケ月で世を去ってしまった父は、「ワシはこっちにおるから、ソニータワーは天国も移転すればええんや」と笑っているだろう。

家電不況は、どのメーカーにとっても深刻なのだろうし、もう家電は飽和状態でもある。
「オリンピックをプラズマテレビで!!」って、「平成天皇ご成婚パレードをテレビで!!」「東京オリンピックはカラーテレビで!!」の時代と同じパターンで、進歩がない。
もう、テレビの時代やないでしょ。

と、家電業界のカモであり続けたテレビっ子としては、醒めた気分にもなってしまう。・・・これもソニータワー売り上げ減の元凶かな?と反省しつつも、オーディオ&ビジュアルは袋小路の停滞をしているように見える。

ホームシアターって、昔も4チャンネルサラウンドとかバイノーラルとかセンターウーハーとか、似たようなのが次々に消えて行ったよなー。
生活習慣として根づかなかったせいかもしれない。
だから、「時間と年金がゆったりある老人」が増えれば、ホームシアターも1つの巨大市場になるとは思う。

でも、現に買う決定をするのは一家の大黒柱で、住宅ローンや子供の教育費をずっしり背負っているのが難点。このおとっつぁんがたを動かすようなオーディオ&ビジュアルか、主婦と子供が飛びつくような「きゃわいい系」で売り込むしかない。

僕が一目おいているのが北欧デザインで、夏は涼味満点で冬は暖かみを感じさせるグッドデザイン家電も多い。
B&Oのオーディオコンポなんてのはとっつきにくいが、同じデンマーク生まれオルトフォンのレコードカートリッジは安いものだから、その音に心酔した僕は、米国製シュア派だった父と、トーンアームに差し替えながら使っていた。

家電一般も、もっと色とりどりの製品がEU圏から入ってきてもいいように思う。せいぜい知名度があるのは、ノキアの携帯ぐらいではないかだろうか。
ボルボなんかは日本でも人気があるが、もっとマイナーな北欧の飛行機メーカーの車に、僕の弟は乗っていて、五木寛之さんもこの車について、こだわりのエッセイを書いておられた。

車もこの島国には飽和状態だが、耐久消費材のマーケティングは、性能より「人とちょっと違う」記号で勝負するしかないのかもしれない。
ま、イスラエル製のパソコンとか、ウラル原産木で建てるマイホームとか、凝りすぎると「へ〜」も通りこして絶句されてしまいそうだ。


悩デザイン

at 2004 06/20 13:04 編集

今日が「ノー・デザイン・デー」というのは初耳だった。ノーマイカーデー、ノースモーキングデーetcはおなじみだが、効果は疑問だらけで、ノーデザインデーも心配してしまう。

デザインというのも、とらえどころがないので、どうにでも解釈ができる。
僕のように「ワンステージ90分のデザイン」に苦心している同業者も多いし、時間のデザインはビジネスマン共通の課題でもある。
人生という長さになると、「もうライフデザインやめた」てな人が増えると、年金と生保は大ピンチだから、人生のデザインはほとんど国民の義務みたいに洗脳されているのが現代日本人。なかなかラテンにはなれないのだ。

ノー・デザイン・デーは、主に視覚の問題らしくて、「使い捨てをあおる欲望刺激デザインをボイコットしましょう」という世界的な運動になっているようだ。
別にいいと思うがなぁ・・・というのが素朴な感想で、思わず買わされてしまうデザインはアッパレだと思うし、無駄買いにならないよう物欲をコントロールすればいいわけだ。
いや、モバイルギアやらジョルナダやらザウルスやら、「魅惑の電脳小物」に負け続けている僕には、偉そうな反論はできないだけなのだが。

最近も、今までみたこともないパステルカラーのラフマのデイパックと、「ただの緑色」ではない深草色のジャックウルフスキンのアタックザックが、行きつけのアウトドアショップに出ていて、ふらふら〜と手がのびそうで困っている。

我慢するのが健全か、買って持て余すのが健全か・・・。
すでに、ボーイスカウト小隊ぐらいに配分できそうなほど、リュックは「在庫」ができてしまった。
わがショッピング判事Dがま先生が「カメラとリュックと、3けたになるのはどっちが先や?」と、取り調べを受けそうだ。


便器が喫水線

at 2004 06/21 10:41 編集

台風ぐらいのことで、なぜ日本列島は四国を見放すのか!!
鉄道も船も飛行機も橋も、軒並みシャットダウン。
ふだん、讃岐うどんだ土佐のマグロだとちやほやしておきながら、満腹になった客が本州に帰れなくなっているではないか。お気の毒に。

たしかに警戒はせんといかんだろうが、身動きできない側もつらいだろうと思う。逃げ場がないというのは。

逆に、さすがの朴念仁の僕でさえ身の毛もよだつほどおぞましい災害が、「動きまわる汚水」である。
つまり、床上浸水というやつは、お隣りさん御近所さんの便所からあふれ出た糞尿が、あたり一面に漂ってくるということではないのか国土交通大臣!
マンホールのふたを押し上げて茶色い水が噴出しているのは、ま・ま・まさか、下水ではないだろうね市長!
地下室で溺死する気の毒な人というのは、もしかすると上の階からの糞尿希釈水で窒息しているわけですか管理人!
と、憤りまくるのだ憂国の士としては。

水害後に呑気に畳を乾かしたり服を干したりしている住民もおられるが、見えないだけで、やってることは「大腸菌染め友禅」ちゃうかなーと思う僕は、神経質すぎるのだろうか。
でも、プールにウンコ1つ浮かんでいただけで、パニックになったりする現代人は、そのウンコがしっかり者で底に沈んでいて見えなければ無頓着すぎるように思う。尿となると、あっちの美女も、そこのおっさんも垂れ流し状態の超閉鎖水域がプールなのだよ皆さん!

水害で「地域まるごと湖」と化してしまったら、もう、気にするだけ徒労かもしれないが。
コンビニにおいてあるような、おでん鍋の仕切りみたいな柵があれば、気休めにはなるだろうか。

つくづく、ウンコも死体も流れているガンジス川の水で沐浴したり歯を磨いたりできるインド人は偉大だと思うが、昔わが弟だって銭湯の湯舟で、ベビースターラーメンをじかに温めて食べていた。
どや!?
と自慢すればいいのか、嘆けばいいのか・・・
列島各地の水害予防を、心からお祈りする次第である。


台風充電器

at 2004 06/22 12:12 編集

ひときわ山の緑が濃く見える台風一過、被害さえなければ、たまには台風もいいものだ。大気汚染を吹き飛ばしてくれるから。

この風力をどこかにためておいて、必要なときに使えるようになれば便利だろうに。
大気汚染も熱帯夜もかなりごまかせるだろうし、プシッと小出しにしてタバコや厚化粧を撃退できればありがたい(笑)。

なんといっても、風力は発電エネルギーに期待されていて、24時間使えるのがいい。うちの裏山に実験用の風力発電機が回っていて、市のシンボルマークと錨マークの電飾をまかなっているのだが、データとノウハウをもっと公開して、「屋根に1台、風車を回そう」のキャンペーンをすればいいのに、と思う。

99%行くことはないだろうに、もし無人島に住まにゃならんとしたら、僕は「1冊の本」なんかいらんから、発電機と釣り竿ぐらいはほしい。
海沿いだと、波力発電すれば永遠に使える。
電気を起こして使い道がないとしかたないから、テレビにラジオにCDコンポに・・・となると、オートキャンプの愚劣さ丸写しになるから、電子ブロック1セットあればいいか。これならラジオになったりSOS送信機になったりするし。

電力は、中近東との関係や原発権益がからんでくるから、なかなか利権がクリーンなエネルギーは進まない。
チクショー!コノヤロー!とにぎにぎすると発電できる携帯充電器というのを持っているが、怒りが解消できるどころか、ストレスがどんどんチャージされて行く。


空飛べ円盤

at 2004 06/23 16:54 編集

バージンメガストアが神戸から撤退する。
少し寂しいが、それもそうだろなーと納得するしかない。そもそもCDが売れない時代に、狭い繁華街にタワーとHMVとバージンと3店も固まっていれば、つぶしあい必至。

顧客囲い込みの手口で、どのCD屋でもポイントカードを出していて、僕もあちこち持っていたが、有効期限内にたまった試しがない。
3店足せばクリアしそうでも、我が店のポイントを他店で使われてたまるか!客を取り逃がすものか!と囲い込んで、結局「心底のお得意さん」が増えるのか?
結局、僕はカードを出すのをやめてしまったし、お作りしましょうか?と言われても断り続けてきた。
消費者が待ち望む?ポイントの融通はかなわないまま、1店脱落である。

CD業界さんも、そろそろセコい手口はやめてほしい。こんなこと続けてきたから、ウィニーに客を奪われるんちゃうの?
値下げが目に見える消費者利益であって、ポイントで釣ろう、縛ろうとしてると、醒めてしまうよ。
並行輸入盤を規制する法律を味方につけて、再販制度の後ろ盾に守られ続け、高コストの殿様商売してたらあきまへん。

「アルミの円盤もプラスチックの円盤も磁気テープもいらん、データをダウンロードすれば」という感覚の音楽ファンも増えている時代だ。
マクルーハンじゃないが、「メディアもメッセージである」と思う僕は、未だにEメールより紙メールに感動するアナクロ人間だし、ジャケットも含めて音楽メディアの形に愛着を感じる。
だから、音楽店が充電スタンドみたいになると寂しいし、そもそもネットワークオーディオは店舗がいらない。
なんだか、授業が空洞化している教育の実態と重なって見えてくるバージン問題であった(こじつけか?)。
 


ウィークリー・M

at 2004 06/24 13:40 編集

炊き込み御飯定食をいただいて新大阪駅をブラブラ〜ッとしていたら、今日も地味なオーラを発散する宮崎哲弥に遭遇した。毎週木曜午後に、在阪TVのレギュラー番組でも持っているんだろうか。
今日は「談」で本を物色していたので、こちらもぢっくり観察することができた。どんな本を手に持ってレジに向かおうとしていたかは、彼の名誉のために伏せておこう(笑)。

しかし・・・「有名税」という言葉があるように、有名になると不自由にもなるもんだ。
おちおち居酒屋にも行けないし(→からまれる)、電車にも乗れないし(→いじられる)、レンタルビデオも借りられない(→致命的)。自宅から出れば、プライバシーはなさそうだ。

芸人も文化人も似ているが、文化人の方が、ギャラは安いのに思想がらみの難癖をつけられがちだから、報われないだろう。
「文化人枠」で政界進出しようという作戦も、われながら腰砕けになりそうでいけない。


ムハハハ

at 2004 06/25 15:09 編集

いきなり一人称が「俺様はなぁ・・・!」になってしまいそうな、カバンに1冊のスタミナドリンク本が、シーナさん。
ぢめぢめしたうっとうしい時期に、いいタイミングで角川文庫から『むはのむは固め』が出たので新大阪で買って、車中の人になる。

『むは』は改題して『くねくね文字の行方』になっていた。
まぁ、出たんだからいいとするが、「むは」とは何であるのか、謎は残ったまま。
東海林さだおさんとの「ビールうぐうぐ対談」という名文句は、とてもストレートに実感が伝わってくるのに。

新刊文庫には、「ソーメンカボチャを知っておるか」「うーむのあとさき」「おれはわしではない」・・・と、いつものシーナ節エッセイが並んでいて、顔もほころぶのだが、案の定、神戸までの新快速電車でコテンと寝てしまったので、悦楽の車内読書はできなかった。
でも「くねくね文字」というのは、表紙の写真が一発すっきり解答だ。ほほぅ、こうして書く字のことですかい。


選挙戦スタート

at 2004 06/26 15:16 編集

参院選が公示されて、第一声をあげてきたから疲れたよ・・・と笑うたびに、少年少女も笑って聞いている。「女装して出てるから、気がつかへんよ〜」と煙幕を張ってあるから、ばれそうにない(笑)。

本サイト上のわがマニフェストも、くそまじめに解釈して「不道徳ではないか」「人権無視もはなはだしい」と非難する脳硬直患者がこの世に7人ほどいるかもしれないが、なぁに道徳は完璧ではないし法律は万能でもない。ウィンドウズにもバグやセキュリティ・ホールがつきものであったりするように。

法律を盾に受信料を取り立てにくるNHKの脳硬直は前に断罪した通りだが、法律を遵守しているドライバーはこの世におらんわい。
金科玉条のように政治屋や経営者の論理を押しつけてくる原理主義者は、万景峰号に積み込んで某国に送致してやればよろしい。

しばしば村の常識と世界の常識は違うもの。世界に目を向けさせず村の掟だけを守らせようとするミニ・キムジョンイルは、日本社会の至る所に生息している。
だから、ワタクシの票田は、偽善にまみれ既得権益に縛られた有権者ではなく、しがらみのない「未来の有権者」なのである。

我が恩師が「日本て国はよー、敗者復活を認めねぇんだ。人間を使い捨てしやがる」と、優しい目で本質的なことをぼやいておられたのは、中国戦線の従軍経験からだろうか。
100gでも機体を軽くするために、脱出装置も被弾よけ鉄板もコックピットに装備しなかったゼロ戦は、被弾するとあっという間に燃え上がり税金をつぎ込んで訓練した兵士が犬死にしてしまった。花と散るのが美徳だと洗脳されて。

そんな時代から、どれだけ変わっているだろうか。リストラされただけでホームレスになったり命を断ったりするおじさんたちは、現代の使い捨て兵士ではないか。
60年前に出征兵士を万歳で見送った家族やご近所さんは、今は1200万人の主婦と、その予備軍へと姿かたちを変えている。
この構造を変えないと、リストラ自殺もDVも低出生率も、解決しないと思う。どこの党が、どの派閥がという次元ではなく、男は社畜に専念し、女は家にこもって養われることが日本のためだと主張する男女が、世直しを阻む最強の抵抗勢力だろう。

今度の選挙には、辻本ミサイルを浴びて散ったムネオも、落とし穴でこけた辻本本人も、敗者復活戦に打って出ている。
何度でも、戦ってみればいいと思う。
当選しようと落選しようと、世代別性別職業別の投票分析が、将来を占う重要な答えになるはずだ。

ブッシュの親友フセインや、ハンドミラー植草一秀、耳にタコ田代まさしetcetcのキラ星のような(笑)著名士を名簿に並べた政党は、比例代表で何票とれるだろうか(案外、無党派層と無投票層の指示を集めるかもしれない)。
広告塔には、ラブホテルで待つわ岡村孝子と干されてる鈴木あみーごを起用して、コンサートのような選挙遊説をやるのも効果的か。
どこかの政党やらないか?
と、よそに振るのも、われながらズルいとこかね。



茶道野外流

at 2004 06/27 22:19 編集

「もろこし茶」というのが発売されて「お、なかなかええやん」と思っていたのもつかの間、いっせいにコンビニから消えてしまった。
百均に出ていたから、別に何か品質に問題があったわけでもなさそうだが、それにしてもペットボトル茶の市場は、やたらにぎわっているような気がする。今年は特に。

濃い緑茶やら、うす甘い抹茶やら、カテキンがどうのイエモンさんがどうのと、売り文句も賑々しい。
僕は去年そば茶を「専攻」していたのだが、最初は珍しかったそば茶も、もうかすんでしまうほど、今年は特に新規参入が多いように思う。個人的には、とてもうれしい百花繚乱だ。
日本人にとっても大歓迎の動きだろうけど。

ソバやトウモロコシやと「イロモノ系」になびいてしまう軟弱な僕は、コーヒー、紅茶もフレイバー系をあれこれ試してしまう。「粉と葉」が10種類ぐらい並んでいて消化して行くのだが、結局は使いかけのパッケージを湿らせてしまう。いっせいに(あぁもったいない)。
要は、消費するペースより「おっ」と思って衝動買いしてくるペースが上回っているのが原因だから、解決は簡単な話なのだが・・・。

飲みかけが何種類も冷蔵庫の中にゴロゴロしていると、幼いころ「宵越しの茶は飲むな」と教わっていた家庭の知恵も、どこ吹く風。「冷蔵していれば大丈夫」と変な迷信をさそう罪な家電製品である、冷蔵庫というやつは。

でも、夏だからこそキンキンに冷えたやつがいい。
このごろ、カバンやリュックに500ccボトルをさして歩くいでたちがはやっているようだが、あれをやるとすぐぬるーくなって泡立って、なんだか不潔な液体に見えてくる。
街を歩きながら、のどがかわいたらいつでもその場で飲めるからいいのだろうけど、まるで点滴ではないか(笑)。のどをうるおす場所と時間をピチッと区切れば、それで「休憩」になるんではないだろうか。
子供が水筒を持ち歩くのは、まぁガマンができない性みたいなもんでしかたないとは思うが、大人まで、ぐじゅぐじゅと「働きながら休みながら結局仕事も休憩も生煮え」になりつつあるように思う。

ま、深夜ラジオを聞きながら受験勉強していた僕がえらそうなことはいえないが、ただ僕は不器用なので、同時並行で本業と息抜きはできない。
歩きながらハンバーガーを食ったりしたこともないし(食べるときは胃に血液を集中させたいのである)、ピッチ愛好家の性で電話がかかってくると立ち止まってしまうのが恥ずかしい。歩きながらの通話ができないのだ。

だから500ccボトルもベンチか自宅かでしか飲めないのだが、それもせめてものワシなりのお茶への仁義というもんである。


P中

at 2004 06/28 10:25 編集

携帯を持たないと外を歩けない携帯中毒が増殖中ケシカラン!!といいつつ、PDAを忘れて骨抜き・・・。
携帯で何百字も打つ人類に敬意?を覚えつつ、本日の日記はここまででダウン。


オス!

at 2004 06/29 12:52 編集

朝いつものすいた快速電車に乗り遅れたので満員の新快速に乗るはめになり、昼休みは立ち話、夕方3時間の空き時間は梅田の書店かけもちで捜しもの・・・と、座る間がなかった月曜日は、本当に疲れた。
帰ってバタンと倒れ込むように寝込むが、朝早くに目が覚めてしまう。あぁ、夏休みまであと3週間、もつか?・・・

こんなことでは選挙戦を戦い抜けない!!と気合を入れてみせると、「がんばって下さい投票しますんで」と、冗談のわかる支持者(笑)も増えてきたのは、一応うれしい。
素顔じゃないよ女装して出てるよと悪乗りすると、「あっ神戸で見ましたよ、共産党だったんですか」という反響も昨夜いただいた。
んー、まぁ、それでもよろしい。
投票する側としては、某党を除いてあちこち投票してきたから、特にこだわりはないのだ。

昼下がりに、大阪駅前にナマ木枯紋次郎が演説に来ていて、腰巾着をしているはずの同級生にからんでやろうかと思って運動員に聞くと、「今日は東京にいます」と、つれない返事。なんやつまらん。目先を変えて、「緑の会議」にでも入れちゃろかと思ったのに。

緑の会議というのも、名前だけはほのぼのしてていい。民主党は自由民主党から自由がとれただけだし、斜眠党は末期的だし、皆ほのぼの風味でやんわり与党を包囲すればいいと思う。共産党は「赤の会議」に改名して集会は「赤の広場」と命名するとか。

UFO党、オウム真理党etcが続出したひと昔前の選挙は楽しかったが、醒めた時代の反映か、どうも生真面目な党が多い。
女性党というのを、不勉強にして今回初めて存じ上げたのだが、やはり「婦人会役員のお歴々」風の候補者が並んでいて、ちょっと精彩を欠く感じ。中ピ連の榎本美沙子(だったか?)のようにピンクのヘルメットというパフォーマンスぐらいは、何か見せてほしいものだ。

してみると、男性党がないのはこれいかに?
ヤローども限定で「怪しい探検隊」をやっているシーナ誠親分なら、すぐさま「怪しい探検党」ぐらいできそうだし、親分と沢のひとし画伯、木村晋介弁護士、野田カヌー船長、林シェフあたりまでは比例代表で当選しそうだ。
議員宿舎は無駄!と、テント暮らしで国会に登院してくれたりするだろう。
あんまりむさくるしいのもイメージダウンで損だから、特例で「男役」も党員資格を認めて、天海祐希、涼風真世、真矢みきを打ち出す。
おぉ、これは実に「野生と美の共演」になりそうではないか。


しゃんしゃん台風

at 2004 06/30 12:55 編集

株主総会が特定の日に集中しているのも資本主義だか全体主義だかわからんが、いつもながらのシャンシャン総会が、儀礼的に全国でくりかえされているのだろう。
近鉄は、さすがに「忍耐と善意の株主」から、無配どうにかしちくり!と突き上げもあったらしいが、経営責任の急所を突くような異議なり動議なりは出たのだろうか。
「カエルの面にしょんべん・公務員に罵声・経営者に株主総会」で、お互い慣れっこになっていて、ただ「総会ちゃんとやりました」の形式だけが一人歩きしているような・・・

バファローズはライブドアが買収を申し出たそうだが、「どこか」がやりそうに思っていた。
オリックスのホームグラウンドは、グリーンスタジアムという神戸らしい名前の地元球場だったが、街頭モデムばらまきプロバイダーが自社の名前に塗り替えてしまった。楽天がヴィッセル神戸。
とくれば、へたりかけている球団をいただく機会を狙うネットベンチャーがうごめくのも不思議ではない。
創り育てて行く手間はいらない。ゼニで選手の頬をなで叩いて、収益がでなければ手放したらいいじゃん。
てな感覚が透けて見えるとしたら、買収劇は最初からつまづくのではないかい?オリックス自体が反面教師だろうに。

ゼニさえあれば愛着も知恵も二の次で買収が簡単にできる――そんな金融資本主義は、これからますます猛威をふるうだろうが、そんな御時世だからこそ、ナベツネのような古風なカリスマは文鎮のような意味を持ち続けるのだろうな〜と、勉強になった株主爽快であった。
しゃん、しゃん!

gaiax日記アーカイブ2004年 | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0)
2004年5月の日記

at 2004 05/01 11:07 編集

いつものように、風呂で熟睡して「1泊」してしまった。
9年前まで住んでいたユニットバス、いやアパートのユニットバスでは眠れなかったのに、なぜだろう。
寝床周りよりスッキリかたづいているのは、風呂だから当たり前だが、散らかし放題の部屋で父が捜し物をしていて、「きったないなぁおまえ・・・」とぼやいている。やめてくれーっ!!と癇癪を起こして家を飛び出すと、老猫2匹が見送ってくれて・・・
という夢を見た。風呂につかって。
登場人物も猫も、なつかしい実在の家族だが、みな天国にいる。おまけにその家も焼失してしまっている。
ただ、脳内の記憶の沼に沈んでいる。

つくづく、記憶とは不思議なものだと思う。
記憶があるから過去があり未来を推測したりする。言葉も、道順も、人づきあいも、記憶が機能していればこそ無難にやりくりできる。
そんな記憶が、次第に欠損して行く痴呆は、他人事ではない。わが家系にも影を落としているから。
もしかすると、僕を認識できない親を見取ることになるかもしれない。

祖父は山の精神病院に入院した。
よく似たロケーションにあるサナトリウムへと、ペダルをこいだ。香山リカ『自転車旅行主義』の実体験版である。

紺碧の空をバックに、鉄格子の並んだ建て物が威容を誇っている。なぜか、ほっと落ち着いた。
足が動かなくなっても、僕の精神はこのサナトリウムに吸引されて行く、そんな日が来るかもしれない。

トーマス・マンは『魔の山』でサナトリウムを描いたが、僕がぶらり眺めに行くようになったサナトリウムは「摩耶山」を背に建っている。この語呂は、ただの偶然だろうか(偶然だって)。

偶然といえば。
五木寛之の『旅のパンセ』を古本屋で買って、「なんで文庫やのにハードカバーになっとるねんブツブツブツ・・・」と、ボヤキ読書をサンマルクでむさぼる。
そのあと一般書店に寄ると、五木さんの『旅のヒント』という新刊が出ていた。単行本なのにソフトカバーであるのに気をよくして即買。
旅に出なくても、こんな出会いもあるもんやなぁ・・・。


スマスマ

at 2004 05/01 18:39 編集

ナイトスクープで、宮崎の海岸で見かけた不思議な生き物を探して!というのを、須磨海岸でロケしていた。そりゃーちょっと無理でしょう・・・と思った通り、もう少し天然の瀬戸内よりで、みごとマテ貝の取材が大成功したのは、とても勉強になった。
理科の勉強はいい。
春先の須磨の映像は、サンタモニカ〜ベニスビーチのように、明るくさわやかだった。
「よし、散歩いこ」と思い立って、こぎ出した。
JRで行けば5駅。
海岸沿いをクネクネたどって行ったので、距離は10kmぐらいだろうか。ふだん西の方は行く用事がないので、「初めてのチャレンジ」気分だが、あっけなく30分ほどで行き着いてしまった。
2号線を走っていると、上は阪神高速だから、もうダブルで排ガスくさい。走れば走るほど、全身が運動になってるのか汚染されてるのかわからん。ドライバーも同じガスを吸ってるんだろうけど。

さすがに海岸をこいでいると、さわやかで心地よかった。
ウィンドサーフィンも水上バイクも砂浜バーベキューも、今は何でも可の解放区になっている感じ。
まだ海の家の類はないので、飲み食いは持参責任だ。
ふと思ったのだが、市街地にドトールだスタバだサンマルクだとひしめいてないで、昔の一里塚なみのペースでカフェがあれば、自転車族にはありがたい。
新しいチェーン名は「マイルストーン」でどやろ。

須磨界隈は、やはり家族向けの店が多い。
会席屋さんやファミレスにぽつんと入るのもなんだし、陽も傾いてきたので、少し山手の28号線を快走して帰ってきた。
快適にひと汗かけた。

須磨は遊ぶところ(赤い提灯に青いネオンではなく、緑の山と青い海のこと)も多くて、住むにはよさそうだ。
「離宮前町」なんて界隈で、ふと不動産屋の店先をのぞいてみたりする。もちろん、冷やかし止まりだが。

次は、塩屋、舞子海岸あたりかな。
じわじわと、最長不倒距離を延ばして行こうか。


プライベートビジネス

at 2004 05/02 13:05 編集

大阪の某社が、新入社員の会社への忠誠心をアンケート調査したそうな。
ん〜?どこの会社なんじゃい!ニュースソースにあたってみたくても、できんじゃないか!
なんで肝心なところボカすんじゃNHK!
「コーラ」「サランラップ」「セロテープ」さえ禁句にしている延長でかしらんが、これ宣伝ちゃうよ、情報源ですぜ、こんなニュースでは。

・・・てな非難を、鴻上尚史さんが書いておられたっけ。ごもっともやなぁ。
私どもがボカしたニュースはお問い合わせいただければ裏の裏まで、取材源を教えます電話は0120・・・という態度を示せば、受信料も払う気になるかもかもしれない。

それはともかく、古い友人と会う約束をしている日に、職場の飲み会が入ったとき、職場を優先する新入社員というのが、過去最高の64%にのぼった!という由々しき事態だ。
ニュースは「厳しい就職活動を乗り越えて入社した会社への忠誠心」とコメントを加えていたが、たしかにそれは社会心理学の定説でもある。
就職難の御時世でもあるし、自分の選んだ仕事を最優先に考えるのは、ごく当たり前のようにも見える。「なぁお前、仕事と俺とどっちが大事やねん」と、おバカなこと言う友人はいない(と思う)。

ところが、仕事と私(または家庭)と、どっちが大事なの!?プリプリ!と、愚問を飽きずにぶつけてくる婦女子・・・というのは、ドラマの中だけの世界だろうか。
「仕事です」と答えるのがわかりきっている僕は尋ねられたことはないけれど、そもそもこんな問いが出て来る時点で、終わりかけているような気もする。
働いて、住居費食費光熱費公共料金保険税金を払って生活をやりくりしている余力で、色恋沙汰にうつつをぬかす(笑)のが大人の現実。
それぐらい、パラサイト娘だと頭ではわかっていても、昔あくせく働いて立派な今があるママやパパと、未来のために今あくせく働かにゃならん彼を、見比べて採点してしまうのかな。
こんな危険を察知し始めた男どもに、やっと文明開化が始まったような気がする。

いかん、つい恋愛ポリスの本領を発揮して横道にそれてしまった。
あっけないが、「職場の飲み会」ぐらいは振ってよろしいのではないか?
今どきノミニケーションで人事をやっているような職場、勤務時間外まで同調させる職場とは、距離をおいた方が賢いと思う。

たしかに、強く出られない立場の新人君も大変だろうと思う。
身内の冠婚葬祭をでっちあげるという古典的な手口もあるが、使える回数に限度がある(笑)。会社の飲み会をふっとばすような口実が必要だ。
ここは政治的に考えればいい。
つまり、彼女に会社の株を買わせる。デートは「株主接待です」とカムフラージュできるから、堂々と株主といちゃつけるぞ。

とはいえ、しょせん勤労者の余暇なんて、自分のポジションと仕事がらみの相手との力関係の中で決まってしまう面がある。俺は余暇でリフレッシュできるから会社に貢献できるのだ!俺を休ませないと会社の損になるのだ!というところまで、強く出られる人はなかなかいない。

ニュースは、新入社員の保守化という言葉を使っていたが、「アメリカ化」への拒絶反応かもしれない。能力主義・成果主義のメッキは剥がしてみればいいと思うものの、かといってふた昔も前の滅私奉公に戻るのも芸がない。
自分の趣味に照らしてみて「お得」な仕事かどうか?というものさしもあっていい。

では、僕が芸能事務所に就職して山口もえのマネジャーになれたとすると、極楽かといえば、そうは問屋が卸してくれまい。
道楽に仕事をからめるとロクなことはない、と気づくのが大人へのワステップだったりする。
それこそ、好きなことが職業になったとたん、いやな仕事から逃れたいとき逃れられないのもつらい。

だから、趣味を仕事にするのではない。仕事を趣味にすればいいのだ。
俺の本職は君を愛することさ。
あぁ、羽賀研二になってしまうな。


希望的人権の損よ

at 2004 05/03 12:10 編集

憲法記念日にちなんでか、イーデス・ハンソンさんが新聞で語っておられた。
関西人以上に「和歌山人」している豪快なおばちゃまぶりは、著書『南西斜面からの便り』(小学館文庫)にもあふれていて、僕はファンである。
ただのタレントではなく、別の肩書きでは、かつてアムネスティ・インターナショナルの日本支部長も歴任されていたと思う。人権見張り番である。

で、ハンソン女史のアピールは、「女人禁制の大峰山は解禁すべし」であらせられる。
聞き手というか、記者が「世界的にも、女人禁制の聖地がありますが…」「文化の破壊になりませんか?」と、俗世間から出てきそうな疑問を代弁してぶつけ、女史が「それ、おかしいやないの」と喝破して行く。

まー人口の半分をシャットアウトする信仰は、自ら足かせをはめているようなものだから、永遠のマイノリティだ。また、メジャーになろうともしていないし、「全国の山々も女人禁制にしましょう」とキャンペーンしているわけでもない。

たとえば運転免許の欠格条項に「おばちゃんであること」を指定するとか、だるまのような元首相が日本を神の国にしてしまうとか、マジョリティが社会的な差別をするのは問題だろうが、「マイノリティのふんばり」はそっとしておいてもよろしいのではないかと思う(大峰山は国有地だったのか?)。

かりに、ふんどし愛好会というのがあって、「トランクスとブリーフとショーツをはくやつは入会さしたらへん」といえば、それは差別なのか?グンゼにもワコールにもふんどしを製造してもらえず、日陰の身を甘んじて受け容れていくしかない。

世俗に背を向け、自虐的な足かせをアイデンティティとするのが修験道の世界だから、なんだか同性だけで群れて「この苦労、わかってもらえない」とため息をついている過労死予備軍や主婦の世界も、現代の修験道といえそうな…(=こじつけ)。

こんなたとえ話以上に、奇妙というか巧妙なのが、イーデス・ハンソン女史の論理だ。
編集の作為でそうなったのかもしれない…とはいえ、「敬虔な気持ちを持って登山する女性を排除するのはよくない」とおっしゃっていたのだが、こんな論理の飛躍は、いかがなもんかね。
整理すると、
事実A「大峰山は信仰対象になってきた山である」
から、
信念A「登山は信仰である」
が導かれ(少し無理がある)、
信念B「そんな山に登る女性は、敬虔な動機からである」(極論)
が暴発している。

そもそも、事実Aにしたって、信者の立場から見ると「そうあらねばならない」だけであって、信心のない庶民や渡来人や子供からすると、山菜や果実を採りに行くエサ場であったり、ただ景色を眺めに行くハイキング気分の山だったかもしれない。…いや、「そうであった可能性を排除できない」とするのが論理的かな。修験者からすると、マツタケ狩人やハイカーは許せない存在なのだろう。

事実Aが揺らぐと、信念Aも「大本営発表」化してくるぞ。
僕は登山が好きだが、別に信仰でもないし、「自分との闘いですっ!」でもなく、ただ「山で食う飯はうまい」というだけ。まぁ一人でテント張っていると、神妙な気分になったりもするが、別に神仏に祈るわけでもない。
そんな薄っぺらい自分を基準に考えるのもよくないだろうが、登山する女性は敬虔な気持ちを持っとるわけかい?

こんな「女性信仰」は、女人禁制信仰と同レベルではないだろうか。
敬虔な気持ちを持ってるかどうかは、思想チェックでもしないとわからない。人権問題である(笑)。
僕がもし、お茶ノ水女子大学に入学したいといえば、不純度99%の卑しい動機としか思われないぞ!
思想チェックしていただいた方が、不純度は88%ぐらいに晴れると思うほどだ。

と、こんな風に、ハンソン仮説(いや、人権教か?)は、洗練させようとすると人権侵害をはらんでしまう。
いろんな人を受け容れた方が、信仰は発展する。
のか?
えっ??????????
なぜローマ法王に黒人がいないのか?
八百万の神々(hundreds of gods)と発言しただけで―godを複数形にしただけで―クレイジー扱いされるのはなぜだ?

神のもとに人類平等をうたった信仰が、どんな悲劇を歴史に刻んでいるか、アングロサクソンは自覚しているだろうか。
唯一絶対神を認めないアウトサイダーへの布教・改心、差別、排除、差別、虐殺は、土着文化を破壊して、罪のない原住民をゲームのように葬ってきたんちゃうかい?

「罪に上下はない」のだろうか。
手近なところ、弱そうなところからメスを入れて行く――そういう態度を「日和見」「権威主義」という。おかげで巨悪は安泰である。
だから、大峰山より、オーストラリアとニュージーランドの方が罪は重いと僕は思う。
と考えると、大峰山が安泰になるか。
なんだか「喫煙と大気汚染」論争みたいやな。



きよっさん!

at 2004 05/04 14:54 編集

出てくる出てくる議員先生がたの年金空白。
老人福祉を看板に掲げる西川きよっさんまで。
もう、ショックでショックで・・・
て国民はいるのだろうか。

やがて、「国民年金不信議員同盟」が立ち上げられて、開き直ったとたんに、国営年金は崩壊する。
その前に、未納率が50%を超えたら、民意が年金を見限ったという証しになるのではないかと思う。

国民年金不信議員同盟には、座談会を開いていただいて、匿名でいいからホンネを語ってほしい。

「25年加入で受給権は発生するけど、権利と受給額別問題。払った額以下しかもらえないんじゃ預貯金しといた方がましだな」

「65歳を超えて働く人からは堂々と削られるからね、国民年金だけで生活できない、かといって働けばもらえない。地獄だね」

「生命保険会社に丸投げして、個人運用化した方がよくないか?」

「厚生官僚が利権を手放すわけないから、国税と連携して強制徴収するさ。住民基本台帳はその布石だろ」

等々、国民が疑っていて、聞けばやっぱり!と思うようなことをぶちあけてくれてこそ、「民意の代弁者」だ。
さて次は、どんなカミングアウトが出てくるか・・・?


肩書き楽園

at 2004 05/04 20:09 編集

「大型連休に小さなレジャー」というのも、粋でいい。
「ロンドン・パリ・ローマ4日間の旅」をやってしまう日本人ならではの大道芸ではないか。

テレビで、さぁご家族で折り紙を楽しみましょう!という番組をやっていた。昔ながらの折り紙細工篇と、紙飛行機篇に分けて。
大型連休は紙一枚で楽しむ・・・すばらしい。
いやー勉強になった。
折り紙ができるようになったぞ!という効能ではなく、社会勉強というか・・・。

日本折り紙協会とかいう団体があって、ゲストで出ていたのはそこの「師範」という肩書のおねーさまだ。
紙飛行機も同様の業界(というのか?)団体があって、そこの「認定指導員」なる斎藤孝フェイスのおにーさんが実演指導していた。

肩書好きの神国日本(やみくもに肩書を畏敬するところは、ほんと神がかりな社会やな)だとは思っていたが、こんな資格もあるんやね。
ま、「大日本スキー教祖」「カウンセラー治療師」「他者支援職支援員」等々を勝手に仰せつかっている僕が、大まじめに資格ブームを批判する資格はない(笑)。

資格や肩書きといえば、カタカナライセンスが近ごろのはやりで、シニアなんとか、アソシエートなんとか、なんとかディレクターかんとか穴リスト・・・というので煙に巻かれた気分になっていたら、今はCEOだCOOだとわけわからんようになってきた。
とーちゃんかーちゃんでやっているSOHOで、「CEOです」といわれて仰々しく名刺を出されても、苦笑してしまうがな。

やはり日本語がいい。
「副係長代理補佐」なんてのはみっともないだけだが、「和菓子本舗十五代目当主」というようなのはすごい。「資格なんぞおまへんが、十五代続いたのれんを守るだけどす」とへりくだられては、パティシエもトルシエも頭が上がらんだろう。
会社も、丁稚、番頭、大番頭、若旦那、旦那衆・・・という地位構成にすると、ぴしりと引き締まる感じがする。業界内独立は「のれん分け」とか。

肩書きの威光とか引け目etcの政治的かけひきで、この世が動いている気もする。「スピリチュアル・カウンセラー」も風水も。飛ぶ鳥を落とす勢いがつけば、それがスタンダードになってしまう。
その意味では、日本は神の国なのだろう。


かっこいい64

at 2004 05/05 11:56 編集

といっても、「任天堂64」の類ではない。
どうせ、うちの通信環境は未だ64Kの超低速ナローバンドじゃっ!!でもそれがかえって粋なのだ!!
・・・と強がり言うつもりはない。

1940年生まれの、人生の先達が元気だなぁとつくづく思うのだ。
連休直前のいいタイミングで池内紀さんの新刊『ひとり旅は楽し』(中公新書)が出たので、カフェのお供になっている。
ムッシュ池内の不思議なところは、まったく家庭の匂いが漂ってこないところで、既婚か独り身かもわからないが、わかったとて、この孤高の生きざまは、文章にもにじみ出ていて美しい。
美しいといえば、日曜昼間のFMの準レギュラーゲストで、訥々と語られる口調も声質そのものも、優しくて美しい。
池内さんの声を、つい首を長くして待ち望んでしまう。

最初は、角川文庫版の『海山のあいだ』あたりで登山家(?)として知ったのだが、東大のドイツ文学教授を定年前にあっさりやめて、天下りもされてない仙人のような生きざまには、つくづく粋やなぁと思う。

池内さんが大学で教えていたころ、ドイツ語を習ったんですよ、という研究仲間の哲人がおられて、ときどき研究会で会って議論に花を咲かせている。
その会の代表で、怠け者の僕に喝を入れてくれる内科医の院長先生も、偶然1940年生まれだ。

同じ40年生まれでも、ずいぶん違うなぁと思うのが、学生時代に何十冊その著書を読んだかわからない片岡義男さんも40年生まれ。
日系三世ゆえのアウトサイダーの視点は、最近は日米関係や英語教育への硬質な評論に結晶している。
文体は池内さんと異質だが、片岡氏のもうひとつの技である写真は、なぜか池内さんの語り口調に通じるクールな優しさを感じる。

硬質なエッセイというか、実用性を貫いた手引き書でうならせてくれるのが、やはり40年生まれの野口悠紀雄先生。新潮文庫版『超旅行法』は、マニュアル書のようで、「人間野口」が随所に垣間みえる紀行エッセイだ。

40年生まれというのは、どんな成育環境だったのだろう。
戦争中に物ごころついて、義務教育はちょうど新制の1期生ぐらいにあたる。
「校舎」はともかく、「ソフト」はまっさらで、教師や官僚の権威が地に墜ちていた時代だ。
片岡氏など、父親が進駐軍として祖国を統治しに来ていたそうだから、「つくりものJAPAN」の
できて行くさまを冷静に観察していただろう。
根っからの日本人でも、敗戦リセット体験があると、その国にいながらにして異邦人感覚を持つのかもしれない。
実験的に異邦人になってみようではないか、とカリフォルニア大学から発信された社会学の方法論にエスノメソドロジーというのがあって、立派な一学派になっている。
そのスピリットを、40年生まれのクール・ミドルは自然に持っているのかもしれない。
64歳はミドルどころかオールドに見える少年少女の方が、なんだか安定志向でふけて見えるのは僕だけか?


G携

at 2004 05/06 10:50 編集

あんまり関係ないが、連休を機会にGPSを試してみるか・・・
そうと決まれば、ハーバーランドの携帯屋さんへチャリリリリ〜ンである。

プレミアムクラブがどうのこうのとキャンペーン説明が始まり、年間10万円ご利用でしたら必ずお得・・・というので、「わしゃ携帯、2年で2000円ぐらいしか使っとらんがに」と返すと、おにーちゃんは2.5秒ほど絶句して、パンフレットを引っ込めた。

GPSだけついておればよろしいのである。
最近の標準装備だか、カメラがついていたりするが、ええぃそんなもん二の次ばい!
・・・とはいえ、メガピクセルカメラもついて8000円というのは、もし期待外れでも授業料だと思えるレベルかな。
FOMAはまだいらないし、なにしろワタクシは「携帯2年で2000円」の、現役PHS命ユーザーなのである。
テレビ電話なんかする相手といえば、わが電脳ショッピング判事でんきがま先生しかおらん。「なんでそんな中途半端なモデル買うの!?」「FOMAにしとけばええのに!」てな判決が予想されるなぁ。

「衛星の視野角は何度ぐらいですか」「衛星は何個捕捉すれば測位できまんの?」・・・と、おねーちゃん店員に尋ねるのは気の毒だから(これは偏見と差別だろうか)、おにーちゃん店員と「電波系」の質疑応答。
いろいろマニュアルを繰りながら、必死のパッチで調べてくれた。こんなマニアに接客することになって、お気の毒に。声をかけてきたのは、そっちだからね。
この客は接客マニュアル通りには乗せられん!と、てこずっていただければ本望である。
相手してくれたお礼に、すんなり成約の運びとなった。

月刊『文芸春秋』なみに分厚いマニュアルには思わずひるんだが、いじくっているうちに何となく使い慣れた。
いや、前の「やっとカラー画面になった」レベルの携帯だって、めったに使わなかったから、かろうじて使う機能だけならすぐマスターするのである。

でGPSだが、なかなか微妙なもんだ。
ビルの谷間だと、衛星を捕捉してくれない。GPS機能と地図業者が結託して商売しようといているのに、市街地でGPSが機能しないというのは自殺行為ではないのかね。スタバの中では測位できるのに、この日和見ぶりはよくわからん。
まぁ、たいていの市街地だとザウルスにPHSつないで無料で大きな地図を見られるから、いちいち数十円ずつ課金される携帯でちっこい地図を見る必要もない。
と、地図機能も減点、カメラも単体デジカメがいい、GPSやっぱり単体がいいか?・・・となって行くと、あぁこの携帯は中途半端の集大成みたいに見えてくるがな(笑)。
なんとか気を取り直して、緯度経度だけでもわかるのは、「少年探偵団」気分ぐらいにはなる。
気圧計で現在地を推定していた登山からは、すこーし進歩できるかな。


おマニヤさま

at 2004 05/07 13:42 編集

連休はゴールデンでしたか?
と、長良川に魚をくわえに行っていた鵜(笑)からメール。

結局、どこにも行かずじまいだった。
そのかわり、電脳ショッピング判事が、怪しい用事で後輩を伴って神戸出張してきた。
よーしここは乙女に毒ガスを浴びせてやろうと悪だくみして呼び出す。

「旅行したいな〜」「北海道も行ってみたい」「18切符って何?」「プロペラ飛行機に乗ったことがない」「ブルートレインってなんですか?」etcetcという、こげな箱入り娘が格好の犠牲者になるのだ。
群馬県と新潟県が頭の中でごっちゃになっている様子。よしよし、脇の甘さはマニヤさま3人のつけ入るスキだらけだ。

YS -11という日本の誇る国産機があってなぁ、エンジンはロールスロイスで…と僕が知ったかぶりを披露しかけると、すかさず怪しいおマニヤ様たちから「YS はもう国内から引退しとる!」とチェックが入った。そして話はコンコルドの採算問題にまで飛ぶ。おそるべし、乗り物オタクである。
「但馬空港に保存されとるから見においで」って・・・
機体マニヤでなきゃ、わざわざ行きませんわな。

この勢いで、バスマニヤさまの「バス入門」が開講すした。乙女が目を白黒させとるわい。
電脳判事は「車体コレクション」専攻で、実際に長距離バスを愛用しているのは僕だから、ハード派とソフト派が居合わせて、濃度の高いバス旅レクチャーになったのでゃないだろうか。でも、こんなマニヤトークきいて「ぜひ、旅したいわぁ」とは思わんだろうな(笑)。

機会があれば、国鉄チャレンジ2万キロ達成者アルベルト君に、鉄分濃厚なレッスンを注入されるような場面も楽しみである。
純真な乙女に、「これぐらい知っとかないとモグリ」とプレッシャーをかけて、マニアックな旅へ仕向ける罪な男3人組。そのうち、「この線区はEFからDDにつなぎ替えるのよね」てな話ができるようになれば、上出来である。
あぁ、罪な!


三都物語

at 2004 05/09 22:05 編集

大阪で、京都新聞の若手記者氏に熱弁(?)をふるって、「じゃー僕は神戸へ帰りますサヨナラ〜」と、阪神電車に乗った。
甲子園駅にこぼれそうにナイター感染いや観戦客がひしめいている。
ユニフォームそのまま着た兄ちゃんまで!(笑)
でも、通勤ラッシュアワーなみに満員になった車内は、やはり通勤電車のような静けさ。
熱狂的に応援して、公共の交通を整然と利用する。このマナーはすばらしい!
スポーツマンシップは、「ファンシップ」のようなものとワンセットになって、地元を幸せにしてくれるもんだなーと思った。サッカーでも同じだろう。

特別に阪神タイガースファンというわけでもなく、「巨人と戦っているチームのファン」というだけの僕ではあるが、いいファンはスポーツ文化全体を育ててくれるような気がする。
だから、アンチ巨人を許してやー巨人ファンだった父よ・・・と、納骨式を明日にひかえて天国に叫んでみた。



国民念禁

at 2004 05/09 16:52 編集

あらまぁ、閣僚や議員や政党幹部の年金空白が出てくる出てくる・・・。
たたけば、もっとホコリが出てくるのではないか?
あってはならないと思っていたことが起きると、憤りや怒りが出てくるのは当然。
そんな気分になりたくなければ、「あってはならないこと」を「あって当然」と考えるのも知恵だろう。政治屋を性善説で見るのは脳天気すぎるわな。

政治屋ご自身も、いっそ「実は、国会議員と大臣全員に未納期間がありました」という演技でもいいからカミングアウトをすれば、辞任ですむ問題ではなくなる。つまり、だれもやめなくてすむぞ。否応なく、もう国民年金は御破算!という形になれば、合本的な見直しができるかもしれない。

サイキック青年団(実は中年団)は、「社会保険庁には年金運用など任せておけないから、ゴールドマンサックスあたりの外資に信託すればどやねん」と、投げやり案をぶちまけていた。そうなる気持ちも無理はない。

「老後の生活資金を国に頼るのは危ない」と思う国民は加速度的に増えるから、破綻は前倒しされるのではないだろうか。
ではどうするか?となったとき、いくつかの道があって、

1.福祉国家(国権で税を財源として社会保障をまかなう)
2.個人運用(店をするとか、金融商品を運用するとか)
3.コーポラティズム(会員制の互助システム)
4.身内の助け合い

が、主立った選択肢かな。
国というものの信用が根本的に揺らいでいるから、1はそっぽを向かれそうだし、人生設計を国や会社任せにしてきたサラリーマンが今さら「脱サラ開店」というのも、ちょっとねぇ・・・。
3は宇沢弘文さんらが提唱している共同体構想で、僕も勉強中というところだが、昔々の日本には講という形で根づいていた。だから、4と組み合わせて、案外いけるかもしれない。

そのためには、とにかく日本人よ、せっせと子づくりして高齢者と同居して、大家族とムラ社会に回帰せよ!とS経新聞の鼻息も荒くなるだろう。
それも案外おもしろいかもしれない(他人事のようにおもしろがっているだけだが)。
規制緩和した経済特区ができているぐらいだから、逆に婚姻の自由は認めない「強制結婚特区」をどこかにつくって、そこでは医療も教育もタダとすれば、ひょっとして地上の楽園に見えてくるかもしれないぞ。
少し演出して、鈴木京香や阿部寛あたりを仕込んでおけば、効果抜群。
なんだか、集団結婚式やってる某教団の発想やな(笑)。

徴兵制度がない日本人だから、徴婚制度で世界をアッといわせるのも妙案だ。国がカップリング事業に乗り出すわけである。
「家事・育児をしない夫、働かない妻は、返品交換できます」とすれば・・・あぁ、もしかして返品の山になるかな。

しかしこんな地上の楽園構想、50年代の「新天地移住政策」を思い出させる。そのオチは「やっぱり楽園はありませんでした」という移住者の本音だったりする。
夢を見て醒めるのも不幸、夢が見られないのも不幸。
夢を見続けようとするのは、幸せなのか不幸なのか・・・?


変身!

at 2004 05/10 17:52 編集

わかってはいたものの、次は誕生日まで、祝日のないタイトな労働が再来した。
ささやかな抵抗で、通勤カバンにはシーナさんが常駐。
お守り気分かな。

カバンといえば、けさ通勤電車に乗っていたら、並びに若手ビジネスマンが大きなボストンバッグとオーバーナイターの二刀流で座り、オーバーナイターを机代わりに経済書のようなのを熱心に読んでいた。
気合い入ってるなぁ。あのカバンの中すべて本だったら驚愕だ。
お勉強する勤労者の姿は尊いと思う。
がんばってほしい。

大阪からは就職活動か、リクルートスーツの女子学生が乗ってきて、ビニール袋に入っていた毎日新聞を読み始めた。チラシが入っていたから、たぶん「一人暮らしワンルームマンション5万5千円バストイレ別」にお住まいなのであろう。これまた、がんばってほしい。
大スポを購読してる女子大生がいたらエラいと思うが、世の中そこまではなかなか進化してくれない。

正装といえば・・・
きのう墓の落成と納骨で兄弟が集合したら、僕一人がポロシャツ姿で、兄には「おまえ、ふだんはネクタイしてるんやろ?」とチクリといわれた。ハイハイそうです。
ふだん兄はヘルメット、弟は(たぶん)サンダルがトレードマークのような労働姿だから、僕が一番お堅い格好をしているはずだ。
その反動で、ふだんは「猥褻一歩手前」までラフな姿に流れてしまうのである。
仕事では「正装」がなんとなく決まっていて、そのかわりオフはできるだけ「素」で過ごせるというのがいい。平服で行ける冠婚葬祭というのも、もっと増えればいいのに。


E男

at 2004 05/11 13:48 編集

ふと「真夜中NHK」を見たら、「いい男について語る山口小夜子」が出ていた。
おぉぉぉぉ、懐かしいというか、永遠に変わりません!この元祖スーパーモデルは。
水戸黄門で風呂シーンを四半世紀も演じつづけた由美かおる、ふけないイリュージョンを駆使するプリンセス天功、最近見ない水森亜土とならぶ、永遠のファンタジーである。

番組は、フランス映画に見るいい男の条件は?とクイズ形式のゲストトーク。
ヒントで「エ」だけフリップに出ていたので、サイキックを聞き終わったばかりのゲスい僕は「そりゃーエロスだろ」と勝手に断定して一人満足していたら、そこは天下のNHK、正解は「エレガンス」だった。
回答者が、名前も思い出せないほど影の薄い面々だったから、さかもと未明や森園みるく女史あたりが並んでいたらよかったのに。

で、「いい男」を人民に尋ねるロケ班が、まずおばーちゃんの原宿こと巣鴨のとげぬき地蔵通りに出て街角インタビュー。グフフフフ笑い、ウィッヒヒヒヒヒ笑いをまじえつつ、元おねーさんたちは「やっぱぁ、アランドロンだにぃ」「ジャン・ギャバンもいいわん主人に似てるの」・・・。
いやぁ、おばちゃんたちもキュート。
たとえアランドロンがお忍びで来日しても、おはぎ持参で全編日本語オンリーでデートしたりしそうな日本のおばーちゃんは、銀幕のいい男にモテモテではないだろうか。

ロケは、続いて元祖原宿で、コむすめどもにインタビュー。
こやつらが群がるいい男は、「ベッカム!」「中居くん!」とまぁ、ストレートでわかりやすい。
なぁデビッド、この英語も日本語もまともにしゃべれん発情娘、どうよ?
ビクトリアに圧勝できる魅力的キャラクターは、やはりグフフフフ笑い、ウィッヒヒヒヒヒ笑いの巣鴨おばーちゃんではないかと思うが。

スタジオに戻って、山口小夜子がエレガンスを「粋」と訳していたのは、さすがのセンスだ。
決して、ニットの貴公子広瀬光治やカバちゃんみたいな(一緒にして申し訳ない)なよっとした物腰のことではない。
なにげない所作の気配りに、エレガンスは宿るのだ。
といえば、日本橋のモバイル専科というパーツ屋に、「お買い上げありがとうございます」と、ちょこっと首をかしげて礼してくれる細面の店員氏がおられるが、これもエレガンス(笑)かなーと思う。

山口小夜子そのものが醸し出しているのが、粋は年季の産物だというメッセージ。いやーすごい。硬質な声は、腹の底からカチッと出ているし、知性のオーラを感じる。
促成栽培で偏差値をかせいだエレガンスは、その手のキャンパスに行けばふわふわ歩いているだろうが、たとえば陽の当たらない福祉の現場で20年、30年と磨き上げられたような技も、若く輝いてなくても、見る目を持った人を圧倒する。
学校の先生も、普通の親も、長年やって疲れた顔ばかりしてないで、渋く美しくなってくれたら、相手の心は離れて行かないだろうに…と、ふと思う。
疲れてはいないがさっぱり渋くもない僕が「エレガンス男」になれる日は、今世紀中に来るのだろうか。


あのー社会の窓が

at 2004 05/12 11:51 編集

130Rという芸人がいたと思ったら、今度は「175R結婚」というニュース。
「326」を(北島)三郎だと思っていた芸能オンチの僕には、さすがに175R=イナゴレボリューションとは読めなかった。昔、よくR175を通って明石まで往復30kmのサイクリングをしてたがなぁ。
0930がオクサマとか、なんだか暗号みたいな芸名もあって、0430(オジサマ)にはついて行けん。

語呂合わせといえば、公衆電話や郵便受けのチラシでおなじみの「0721ボイス聞かせます」というのがあった。
ちょうどその類の宣伝が全盛期のころ、顔なじみの19歳コ娘からもらったメールのアドレスが、なんとか0721なんとか@ドコモになっていて、よほど問いただして叱咤激励(激励は余計)してあげようかと思ったが、そのコの誕生日をつけていたらしいので、そっとしておいた。その前日が僕の誕生日だから、あぁ1日早く生まれていてよかった。

はたして、そっとしておいてよかったのか、泥をかぶる覚悟で御注進してあげればよかったのか、悩むところだ。
悩み続けてはや数年、今そのコ娘はどこで何してるやら。
だれかに指摘されて、「気づいていたくせに、ヒドい!」と矛先が向けられるかもしれないから、消息プッツリは神様の施しかもしれない。


アーバン・フィトンチッド

at 2004 05/13 13:15 編集

12時間拘束から解放されて、プラットフォームで電車を待っていると、「あら、ども。お疲れさま〜**です」と声がかかる。
こんな声のかけかた、気がきいている。
ふだん、街でばったり面識のある人物と出会ったとき、たとえば「よっ大将!」てな声をかけるようなシーンがある。こんなとき、「大将」に対応する単語が案外ないものだ。
「あ〜ら社長」とホステスが呼んでくれたり、「係長!一杯いきましょう」と部下にキャッチされたりする経験はないが、あったとしても「やあ、社員!」と返すのもおかしい。
声をかけるとき便利な肩書きは、「非対称」なのである。
だから、御芳名を名乗っていただけるとわかりやすい。
かといって、「ヒトミです。忘れたの?」といわれるとドキリとするが、まぁそんなことは断じてない(だろう今後も)。

飼ってた猫が死んじゃって、葬儀を出してもらいまして・・・というような話をしみじみうかがって見送り、なんとなく平和な気分で1週間が始まった。

始まったと思うと、翌日は休みなので、いつもの散歩トライアングルに出かける。
週はじめの12時間でぐったりしているか、リカバーしているかで、その週の勝敗が占える。幸い、余力が残っていた(笑)。

藤原新也さんの『空から恥が降る』が文春文庫出でいたので、新刊で買っていた単行本と入れ替えようか・・・と思ってレジへ。
こんなとき、書棚の場所ふさぎになっている単行本の行き先は、「ヒトミ」さんであったり、アウトドア仲間であったりする。
ライナーノーツのようなオマケでしかないものの、解説がついてコンパクトサイズの文庫の方が、僕にはありがたい。

ふだん通勤で乗り降りする新大阪駅に、一昨年オープンした食品店があって、なかなか品揃えは気がきいていて、「色ものコーヒー」を扱っている。邪道といわれようと、僕は色ものコーヒーは好きなのだ。
糸巻きのようなちっこい缶で、何種類かのフレイバーならんでいるので、つい買いおきしてしまう。
割高だが、少量ずつ空けて行く方が風味にはいい。
その1つを家で煎れて、読み慣れた新刊書(変なの)をあらためてパラパラ読む夜中は、心地よい時間だ。

藤原さんのコラム集は、もともとハワイで遭難した愛媛丸について書かれた一筆から始まっていて、今のイラクでの米軍の動きを重ね合わせながら読むと、藤原新也の透視力のようなものが浮かび上がってくる。人の生死を写し留める「藤原カメラ」は、独特の文体で読み手に迫ってくる。

水曜日は、真夏のように暑かったので、夏シャツでも見つけるかと思って阪神百貨店に寄ってみた。
んー、ふだんは阪神びいきでも、どうもタイガースデパートはいけない。地下は大繁盛していて、駅構内にまで、「行列のできている阪神百貨店名物イカ焼き」の芳香が漂っている。それはよろしい。
ところが、あいかわらず紳士服フロアは閑散としていて、なんだか店員の方が多いぞ。ビシバシささってくる視線と、世話を焼きたくてウズウズしている揉み手に恐れおののいて、結局素通りして出てきてしまった。

無駄な途中下車になるのもしゃくなので、となりに新装開店したブックファーストをひやかす。
おぉ、これはいい感じの、静かで高密度の書店だ。表示も明快で、インテリアもシック。
植物図鑑(葉っぱ図鑑)を買って帰る。
新緑の裏山散歩が楽しみ。なんとか週末につながるスタミナになるかな?


玲子と猿

at 2004 05/14 15:15 編集

明日は朝イチ、早起きしないと・・・どころか、数時間後に出勤という明け方近くになって、おとなしく寝入らずにゴソゴソゴソゴソしてしまうのは、困ったクセだ。
昨夜というか今朝も、トルーマン・カポーティーの『夜の樹』という短編小説集を何気なく読み始めたら、これがまた陰鬱な短編小説集をばかりで、2つ3つ読んで睡眠が浅くなってしまった。
ま、半ドン勤労日だから何とか声をはりあげて無事終了、ランチタイムに神戸へ直帰。

ほんと何気なーく元町を歩いていて、昼食は立ち食いソバ屋でザルソバに決定。食べ終わるころ入ってきた客が、「ザル中華やってる?」と声をはりあげる。え?なんじゃそりゃ。メニューにものってないがに。
店員は平然と「やってますよー、620円ねー」と、つくりはじめた。
なにぶん立ち食い屋だから、「ごちそうさま」した後に居座るには手持ち無沙汰すぎて、おさまりがつかない。
冷やし中華と同じやろか違うんやろか・・・でも冷やし中華にザルはいらんやろ。
わがザルソバの倍近い高額メニューだから、よほど具沢山なんやろか、もしかして手長ザルのだし汁ラーメンか・・・と、???マークを頭から乱射しながら、店を出てきてしまった。

世の中、不思議なメニューもあるもんだ。
たとえば関東人からすると、大阪の喫茶店に必ずある(スタバでも通用するかもしれない)「玲子」も、玲子と美湖が合体した「レミーコ」も、やはり???マークを噴出させるメニューかもしれない。

これからの季節だと、鹿児島から西日本を制覇しつつある「しろくま」も、僕は大好きだ。薩摩センスは、愛嬌があって、親しみやすくていい。
ただ、さすがのしろくまも、東へ進むとき、日本一の怪食都市N古屋あたりが壁になって、なかなかたどりつけないのではないだろうか(きしめんも僕の好物だから、名G屋を蔑むつもりは毛頭ないけど)。

いろんな???メニューは、ローカルなまま残っていた方がいいかもしれない。
それにしても、ザル中華は気になる。
一度注文してみようか?


スロー&ミニマム

at 2004 05/15 14:41 編集

菅さんも小泉さんも、おたかさんも公明党も、年金は「穴だらけ」が判明。
年収数千万円の政治家が、意図的に数万円をけちるとは考えにくいから、これはもう、制度そのものに欠陥があるということではないだろうか。

欠陥を見えにくくするのが、迷信や神話の力。
61年に国民皆保険が決まったのだ!というのは、あくまでも政策目標だった。それが、今の世論を聞いていると、いつの間にか政策目標が「国民の義務」にすりかわっている。体制側も、反体制側も。

一方で、年金に頼らなくても老後は安泰な金持ちや、国営年金はかけ損をすると判断した国民や、国営年金の運営の杜撰さに憤る国民が、神話から目覚めはじめたのである。

「悪法も法なり」とはいうものの、それが法治国家の落とし穴でもあって、悪法には従わない自覚ある国民も出てきて当然だ。
所得を捕捉しにくいフリーターの急増も、予想できなかっただろう。
社会人類学でいうポトラッチという原始的な「財の交換」も、金額で算出できないので(政治家、官僚はもっと社会学を勉強した方がいいぞ)、たとえば「ただで働きますから食わせてね」というスタイルの生き方をしていると、低所得者として健康保険・年金保険には加入できても、負担が免除されるから、フリーライダー化する。

その最たる例が、専業主婦という存在だ。
経済成長の夢がなくなった国民は、「何百万円もの可処分所得はいらないから、つつましくても健康で文化的なミニマムな暮らしができれば、それでいい」という気分になるのも自然だろう。
「家庭や地域で必要なお手伝い」はしますよ、でも国に金を納めたくはないですよ、でも医者にかかったら医療費の7割は国が負担してね・・・とまぁ、主婦っぽくなりたがっているのではないかなぁ老若男女ともども。

野心的な国民はどんどん「労働」に励んで所得税を払い、消費も多いから大型間接税も払うから、社会保障は基本的に税でまかなうのが正義だと思う。
所得にかかわりなく一定額という国民年金保険料は、逆進性を持っているから、月収13万円の人にとっては10%もの負担で苦しい、月収130万円の人にとってはたった1%の負担で痛くもかゆくもない(それでも未納が発生する)。
これが制度そのものの欠陥だから、経済力に応じた負担ができる間接税でまかなう方がいい。

で、大真面目に僕がマニフェストにしているのが、「ブランドじゃらじゃら姉ちゃん税」「車でキャンプに行くやつ税」「夏のネクタイ・パンスト税」「美女はべらしイケメン税」などなど。
いらんことに金かけすぎとるぞ日本人!というスローライフ主義といえばかっこいいが、まぁただの貧乏人のひがみ根性+雄叫びかもしれないな。

マイナス思考は健全ですよ、と五木寛之さんもおっしゃっている。
古くは三種の神器、その後はカー、クーラー、カラーテレビの3C、今ならパソコン、携帯、DVD・・・てとこだろうか。買え買え買えと煽って、「買うためには働け」が経済政策の思惑なのだろうが、なければ暮らせんか?

「あれもこれも、いらない」と却下して行けば、ずいぶん静かでほのぼのした暮らしができると思う。
パソコン4つPDA4つ電話4回線をひきずっている僕が雄叫びをあげるのも矛盾しているが、テレビは見ないしエアコン持ってないし足は自転車だけ・・・で相殺できないか?

いっそメールは伝書鳩にして、ホームシアターなんぞやめて電器屋で街頭テレビ、マイホームはテントにして、電話はトランシーバー、教育は自分で師匠を探して弟子入り!
と、こうなりゃホームレスやな。チープだが負担も低額で、ヘルシーな暮らしになると大真面目にワタクシは考えるが。

来週末は、星を見るだけのキャンプを仲間と計画していて、少し勢いづいているせいかもしれない。
黎明期のアルピニストで、高校山岳部員だったころ、山にテントを張って通学していたというつわものがいたそうだ。
心配した親に相談された担任の先生、酒を持って様子を見に行って、「元気でやっとるか。俺も泊めてくれないか」。
いいエピソードだなぁと思う。

そうだそうだ!と賛同して下さる方からは、紙メールをもらえたらうれしい。
あぁ、心ときめく「文通」にも、淡い郷愁を感じるなぁ。色欲煩悩からは解き放たれていないかも(笑)。


マスかき

at 2004 05/16 23:13 編集

「百ます算」の蔭山校長と、元吉本常務の木村政雄さんがFMでトークをしていた。
なんだか毛色の違いすぎるタッグマッチだが、二人とも学生時代は報道志望だったらしいのが接点か?蔭山さんなど、岡山で深夜ラジオのアルバイトをしていたそうだし。
「人気商売」なのは、芸人も小学校の先生も共通している。

たまたま評判になった教育手法が持てはやされて、大声で「奇跡」や「メソッド」を売り出すようになった先生が今度は管理職になって、さて独善的にならなければいいが・・・と、僕はふと思った。

そこは生き馬の目を抜く百鬼夜行の芸能界を見てきた木村さん、絶好調の絶校長先生を前にして、「芸のよしあしは、お客さんが決めればいいんです。子供に媚びてもだめだし」とジャブ1発。いやぁ、大事なことをさらりとおっしゃる。
前からストレートにぶっちゃける人やなぁと尊敬していたけれど、そうそう、そうなんよね。

さらに、子供はこうすれば楽しいんです、だからこうすればいいんです、と断定する絶校長を牽制して、
「年齢がプラスマイナス10歳はなれると、もう本心からおもしろさがわからない。僕はダウンタウンもナインティナインも、なぜおもしろいのかわからない。だから、おもしろさがわかる若手に仕事を任せればいいんです」。
そうですねぇ。
ごくまっとうなご意見だなぁと思う。

たしかに、十年ひと昔ともいうように、10歳違う相手は異文化だと思った方がいいかもしれない。
それで関係が成り立たないとは思わないが、異文化の溝を越えられる人と越えられない人がいるのは確か。
たとえば同世代でも「親元歴42年」なんていう淑女とは何光年もの隔たりを感じる一方で、同じ敵と共に闘うような立場にいる汝なら、たとえ高校生でも同志である(ま、わが心の中では)。
好きなものを共有するより、憎めるものを共有した方が深い絆になるような気もする。

だから、世間一般の年長者と年少者の関係が、偽善的に見えてしかたない。
年長者は「こうなってほしい」という支配欲をカムフラージュして、君のために努力しているおじさん(おばさんでも、おねーちゃんでもいい)を認めてほしいとかすかに望んでいたりする。
「若い人の思っていることがわからないのは、どうすりゃいんです?」と尋ねる司会者に、木村さんは「わからないなら、それでいいんじゃないですか?わかってほしいと思う相手には、何か訴えてきますよ。それに耳を傾ければいい」というような、ざっくばらんな御返答。

不安げな年長者の視界から、恣意的に排除されている反応がある。
「自分で失敗して学ぶから、手を出さないで」
「私にかまってないで、おじさんも成長して」
等々・・・
こんなホンネが出てこない熱血先生レポートやボランティア礼讚は、かなりウソくさい。若い子を不安がる前に、おのれを診断するのが身のため若い子のためだろう。

前々から気になっている何げない言い回しで、教師などがよく「子供たち」という。
そりゃあ未成年者ではあるけれど、そういう意味合いではなく、「子供たち」といったとたん別のニュアンスが響いてくるのは僕の穿ちすぎだろうか。

「こちらは大人だ」という立場の違いを訴えているようにも聞こえるし、「何かしてあげたい」と大きな親切を押し売りたい大人の寂しさもヒュルルル〜と吹いている。

子供なんて、わかりまっせん(北野武ふうに)。
それでええんちゃうかい?
人のことより、まずおのれを把握して糺して、「子供たち」にいい社会を残すことやね。できるだけ、ボケず病まず汚れず、若い世代が自分から弟子入りしたくなるようなふけ方をすればいいと思う。
わかるということは、自分より弱い相手を導きたい(どこへだ?)とか、予測したいとか(育成ゲームかい)、つまりは支配欲の変形したマスターベーションにすぎなかったりするから、注意した方がいいよ子供たち!(笑)

というような揶揄や非難を受けても、どうしても義務教育は必要な国策的な意味を持っているから、難しい立場だろうねぇ。


山楽パトロール

at 2004 05/17 23:00 編集

空き時間に公園あたりでボーッとできれば精神衛生上はいいんだろうけど、なんとなく梅田でひまつぶししてしまう。野生人のつもりが、なんとも不甲斐ない。
梅田に新しく山屋さんがオープンしていて、念のためパトロールに行くと、けっこうにぎわっている。おそるべし、中高年の購買力を見せつけられた感じ。

昨夜は、23歳乙女にリュックとトレッキングブーツを売りつけてきた。
店員に代わって売りつけて、ついでに同伴してくれた仲間にも同じ靴を「いかがですか大将!」と売り込んで、3万円も店に貢献したぞ。

ったくもう、ボランティアにもほどがある。
スポタカより石井より好日より「安くていいもの多数」の店に買いに来ないキミはまちがい!と確信しているワタクシだから、売り込みにも熱が入る。店員のノリもよかったし。

梅田の店を見ていると、おねーちゃん客など、まずいない。
「あたし、これにしとくわ。アッハハハハハハハハハハハ」
とまぁ、ここでなんで笑いが入るのであるか?と思う節目節目に、必ずおばちゃん笑いが入る。
おかげで、いやぁ山につながる店はにぎやかで楽しい。

いま登山界には、口やかましい手取り足取りおやじがカリスマとして君臨しているけれど、氷川きよし似のクライマーでもいれば、日本アルプスにおばちゃん大量増殖・・・という、世にもおそろしい事態になるのではないかな?
それもほほえましいけど。


ふりだしに戻る

at 2004 05/18 14:46 編集

喫茶店でプハーッと息抜きするのがささやかな楽しみなのに、手にとった日経新聞が、「サラリーマン、変わらなきゃ」と訴えてくる。
変わった例を連載で紹介しているのだ。

なにぶん記事なので、だいぶ要約されているとは思うが、こんな親子物語である。
高校生だった息子が、不登校から引きこもるようになり、悩んだ親はカウンセリングや新興宗教にも出向いて、息子を変えよう変えようとしていたのだそうな。
が、あるとき親が変わりなさとアドバイスされて、子供と向き合うように意識した。
すると、あるとき「お父さん、許してやるよ」と、息子が引きこもりをやめたという。
親子関係が「再生」する感動のドラマである。

・・・か?
引きこもりにも、いろんな形、理由があるから、学校に原因があって、自宅がシェルターになることもある。もっと攻めの家族なら、砦か前線基地か、何か次のアクションを起こすための充電スタンドにもなるかもしれない。
が、親が原因だと思っていて、その親が築いた家に引きこもってネガティブな自己表現に浸るというのは、なんだか哀しい。

こんな引きこもりから足を洗えたのは何よりだが、そりゃアホらしくなるだろう。
いっそ彼女の部屋に転がり込む方が、なんぼか健全だし、彼女が大人の女性なら、何か得るものはあるのではないかな?

それにしても、言うに事欠いて「許してやる」とは、なんちゅう捨てぜりふだ!(笑)
なんだか、「ふりだしに戻る」みたいな展開ではないか。

「そうか、わかってくれたか・・・じゃあ、学校に行ってくれるんだね息子よ」
「あぁ、行ってやるよ。許してやるよオヤジ」
「そうか、では行っとくれ。・・・だがな、二度と帰ってくるなバカモン!」とぶんなぐってやれる気骨は、もう日本の父親に残っていないのだろうか。

ドラマ好きなカウンセラーなら、「精一杯の闘いを終えた我が子を叱りとばすのではなく、やさしく抱き締めて上げるのも、親の改心を表現するメッセージとして映るものです」なんて間抜けな感慨にふけって陶酔しているかもしれないが。

上の不登校克服ドラマは、どうしも「親をなめた息子」と、「息子に媚びたオヤジ」に要約されてしまう。
そう指摘する客観的な第三者がいないことこそ、不幸な状況だ。マスコミは涙の物語が好きだから、なんでもかんでも「絶望と再生」におとしめたり持ち上げたりするし、職業カウンセラーは寄り添ってくれないし、宗教ビジネスは救済してくれない。

いてほしいのは、幼いままの王子様に「きみ、何もわかってないね」とグサリやってくれるスナフキンのような村人だ。
そんな村人を「はみだし者」「風来坊」として消し去ってしまった社会で、似たような三文ドラマが再演され続ける。


ふりだしに戻る

at 2004 05/18 14:46 編集

喫茶店でプハーッと息抜きするのがささやかな楽しみなのに、手にとった日経新聞が、「サラリーマン、変わらなきゃ」と訴えてくる。
変わった例を連載で紹介しているのだ。

なにぶん記事なので、だいぶ要約されているとは思うが、こんな親子物語である。
高校生だった息子が、不登校から引きこもるようになり、悩んだ親はカウンセリングや新興宗教にも出向いて、息子を変えよう変えようとしていたのだそうな。
が、あるとき親が変わりなさとアドバイスされて、子供と向き合うように意識した。
すると、あるとき「お父さん、許してやるよ」と、息子が引きこもりをやめたという。
親子関係が「再生」する感動のドラマである。

・・・か?
引きこもりにも、いろんな形、理由があるから、学校に原因があって、自宅がシェルターになることもある。もっと攻めの家族なら、砦か前線基地か、何か次のアクションを起こすための充電スタンドにもなるかもしれない。
が、親が原因だと思っていて、その親が築いた家に引きこもってネガティブな自己表現に浸るというのは、なんだか哀しい。

こんな引きこもりから足を洗えたのは何よりだが、そりゃアホらしくなるだろう。
いっそ彼女の部屋に転がり込む方が、なんぼか健全だし、彼女が大人の女性なら、何か得るものはあるのではないかな?

それにしても、言うに事欠いて「許してやる」とは、なんちゅう捨てぜりふだ!(笑)
なんだか、「ふりだしに戻る」みたいな展開ではないか。

「そうか、わかってくれたか・・・じゃあ、学校に行ってくれるんだね息子よ」
「あぁ、行ってやるよ。許してやるよオヤジ」
「そうか、では行っとくれ。・・・だがな、二度と帰ってくるなバカモン!」とぶんなぐってやれる気骨は、もう日本の父親に残っていないのだろうか。

ドラマ好きなカウンセラーなら、「精一杯の闘いを終えた我が子を叱りとばすのではなく、やさしく抱き締めて上げるのも、親の改心を表現するメッセージとして映るものです」なんて間抜けな感慨にふけって陶酔しているかもしれないが。

上の不登校克服ドラマは、どうしも「親をなめた息子」と、「息子に媚びたオヤジ」に要約されてしまう。
そう指摘する客観的な第三者がいないことこそ、不幸な状況だ。マスコミは涙の物語が好きだから、なんでもかんでも「絶望と再生」におとしめたり持ち上げたりするし、職業カウンセラーは寄り添ってくれないし、宗教ビジネスは救済してくれない。

いてほしいのは、幼いままの王子様に「きみ、何もわかってないね」とグサリやってくれるスナフキンのような村人だ。
そんな村人を「はみだし者」「風来坊」として消し去ってしまった社会で、似たような三文ドラマが再演され続ける。


陰陽道

at 2004 05/19 19:46 編集

身内の子供をダシにキティちゃんコレクターをしている(のではナイ!と本人は弁解する)ムッシュDがまが、今度は「日記のネタにいかが?」と、わが日記をダシに、コスプレ喫茶店に誘ってくる。
しゃーないなぁ、と渋々ご同伴さしあげた。
うちから徒歩20分の庭先だが、もちろん、こげなマル秘スポットができているなんぞ知らなかった。
ムッシュDがまは、はるばる日本列島を縦断して、もう2度目だそうな。ご苦労さん。

出し物は普通の喫茶店で、コーヒーを2杯たのむ。ほかにはケーキとピラフ類。調理する店員はいないようだ。
メニュー冒頭には、「携帯を含むカメラ撮影厳禁」とクギをさしている。
よほど、おマニヤさまが集まるのだろう。

で、店員のコスチュ〜ムは・・・
これまた、なんといえばよろしいか、わからない。まぁ、「めるへんちっく」やねぇ・・・としか、いいようがない。
ケバいわけでもないし、大真面目にやっているので、ただただ恐縮するばかり。おじさんは老婆になって「夏、暑いことないか?」「和式便所、無理ちゃうかい?」とねぎらいたくなった。

「こりゃ昔あった美人喫茶の現代版やね」というと、ほとんど同世代のくせにムッシュDがまは知らない。
歴史をひもとくと、美人を見せる喫茶店や音楽を聴かせる喫茶店、ノーパンを見せる喫茶店(笑)等々、喫茶店の出し物は、「時代が変われば品変わる」のである。
だから、コスプレ喫茶も当然ありだろなーと、あまり驚きはしなかったが、開店当初は「行列のできる喫茶店」だったらしく(並びよったのだ)、その姿を想像すると、俺は森田健作になる。

これがもし「Arashi喫茶店」だったら、やくざが「荒らし」に来るボケはご勘弁願うとして、少女ファンが嵐にお茶を出してもらうために行列をするだろうか。
そんな秩序は考えにくい。
女性ファンの世界は、出し抜く、引っ張る、おどかす、蹴散らすのオンパレードで、たとえば氷川きよしをめぐって血みどろの声援レースがくりひろげられている(笑)。「ズンドコ節カフェ」などできた日にゃあ、どすこい級のファンが店を仕切ってしまうだろう。

ところが、かつてはラムちゃんだ聖斗士聖夜だセーラームーンだの類(今のトレンドさぱりわからん)の男性ファンは、案外うまく統制がとれていたりする。
「みんなで仲良く応援してます僕たち」という乗りで、親衛隊ができるのもよくある話。僕の周囲にはうじゃうじゃいた。
鉄壁の横並び主義という感じで、僕には別世界だった。
おまけに鉄壁のファンタジーを共有しているから、「真夏にブーツ、絶対ありゃー足くさいでぇ」と突っ込もうものなら、「余計なこと言うなバカヤロー!!光線」が突き刺さってくる(ごめんよー)。

こんな世界の頂点が、ディズニーだろう。
ミッキーが頭を脱いで煙草を一服。
など、絶対ありえない(ことになっている)。
それはそれで、夢のある楽しい幻想世界だからいい。
これを表のファンタジーとすると、表裏一体のように、宗教社会学でいう千年王国論や陰謀史観という世界も生まれてくる。

太陽暦に対する太陰暦もしかり。
舞踏会に対する仮面舞踏会もしかり。
ドレス・コードに対するヌーディズムもしかり。
アメリカだけで、数千人もの神父や牧師に小児同性愛が発覚したのは、氷山の一角だろう。
裏の世界を見ないでいると、どこかで幻滅させられる。
だから、幻滅から世界と向かい合う方がええんちゃうかと思う。
「学校で真実を教えてくれると幻想を持つな」とか。・・・これは恩師の至言だった。


睡蓮

at 2004 05/20 13:23 編集

まったくもう、困ったことに、明け方また「バスタブが寝床」になってしまった。
ラジカセをかけながらつかっていると、寝入ってしまう。一度や二度や三度や十度のことではない。
そのうち、溺死か冬なら低体温症で逝ってしまうよ!と叱ってくれた女性がいたような気もするが、すでにそれを記憶した脳細胞が死滅してしまって(笑)わからない。

どうも、人々が楽しく談笑している声を聞いていると眠くなるようで、これ「居酒屋の法則」でもいえばいいか。
わが風呂に咲いていた話の花は、ひょっこり出てきたサイキックの録音テープだったが、猿岩石がはやっていたころの放送だから、けっこう昔というか、案外つい数年前かもしれない。

90年代デビューのお笑いタレントは、あぶくのように消えて行くのが多い。淘汰といえばそれまでだが、つぶやきシローは個人的には悪くなかった。吉本の島田珠代がテレビから消えたのは、どうしても納得できない。
復帰嘆願書でも書いて、署名を集めようか?

そんなことをウニャウニャつぶやきシロっていたら、また眠くなってくる。昼寝して、再出勤するか。


Kill me softly

at 2004 05/21 15:20 編集

宇都宮の監禁事件、結局2人とも死なせてしまって、何のために警察が説得だ突入だと騒いだのかわからん、空しい結果に終わった。
短絡的に考えると、窓から姿を見せた瞬間に狙撃すればよかった、という人もいそうだが、実態は監禁事件というより、二人で自決したようだから、かりに片方を救出しても、いずれ死を遂げたかもしれない。

それでも、時間をかけて追いつめたことが、自決への花道になってしまった可能性はあるのではないだろうか。
日本の裁判は長すぎると不評だが、警察も緩慢すぎる。「被害者が出てから捜査」は小役人ポリスの常識だし。

射殺は穏便ではないし誤認射殺は取り返しがつかないから、強力な催眠ガスを室内に注入するとか、頭を使えば被害を最小限にくいとめて犯人逮捕ができるんちゃうか?と、素人なりに考えるのだが・・・。
こんなときに備えた化学兵器を開発して、活用すればいい。

バイオテロや化学兵器は無気味なイメージもあって拒絶反応もあるだろうが、テクノロジーは必ず進んで流出・拡散するものだから、タブーにするのではなく開発しつつ管理するしかないと思う。
毒ガス開発者も、吸うと世界が美しく愛しく思えてたまらなくなるガスや、怒りが消えて笑うしかなくなるガスなんてのを開発してほしい。もしかすると、すでに開発されているのかもしれないが。
眉唾ものの「超ストロング媚薬」の類が男性誌の広告にあふれているのを見ると、世界の老若男女の期待はつい「そっち方向」に傾いて行くんだろうなぁ・・・。

かえって、隠すことでロマン(?)になってしまうのが、UFO神話。あんなもの、僕は欧米で開発された新型兵器だと思っている。ヘリコプターだって、最初はそうだった。
兵器となれば秘密が守られなくなるし、軍拡につながるから、「宇宙人の乗り物」ということにしといた方がカムフラージュになる。
それはそれで楽しめるし、UFO関連消費もGDPに少しは貢献しているかもしれない(笑)。
ね?韮沢さん!


北の国から

at 2004 05/22 16:59 編集

拉致被害者の家族が帰って来るそうだが、それはもう日中友好パンダ以上の見世物報道が過熱するのではないだろうか。
僕もテレビで見る決意(笑)であるが、「ビートルズ初来日タラップシーン」のような騒ぎになり、やがて飯を食った、学校に入った、散歩した、買い物に行った・・・と、プライバシー皆無の張り付き報道は当然予想される。「本日の蓮池さんコーナー」、「時報のあとは池村さんコーナー」ができたりする勢いで。

それにしても、「お帰りなさい」といえばいいのか、「ようこそ」といえばいいのか・・・。
顔立ちはよく似ているが、北のテレビでは「米帝の有害思想に毒された敵国イルボン」として教育されてきた日本社会で、「在日日本人」として暮らす大学生は、たいへんなストレスもあるだろうと思う。
うまくなじんでくれたらいいなぁと願うばかりだが、それが幸せなのかどうかは、ご本人家族が判断すること。
その家族にしても、久々に再会できた親は日本語をペラペラしゃべっているし、一体この現実は何なのだ???と戸惑うかもしれない。

何をしてあげようか、鶴橋コリアンタウンに連れてってあげようか・・・等々と世話好きな日本人は考えるだろうし、僕も北のコリアンフードと本邦コリアンフードの対決ジャッジは聞かせてほしいなぁと素朴に思う。あと、偉大な将軍様が育てた喜び組と、つんくプロデュースのジャパニーズ喜び娘との対決評も。

まぁ、勝手な期待はさておき、大切なのは、そっとしておくこと、SOSがあれば必要な支援はすることぐらいで、あとはジュニアたちがカルチャーショックを自分の将来に活かして行けばいい。
日朝友好の役に立つ人材になってくれるかもしれないと期待するのも大きなお世話だろうが、しかし・・・もしも焼き肉屋や冷麺屋でも開業すれば、大繁盛しそうだ(笑)。

ふと、『パパラギ』を連想するのは失礼かもしれないが、蓮池さんジュニア、池村さんジュニアたちの「アウトサイダーから見た日本観は、日本の薬になると思う。
あえてアウトサイダーになってみて、目からウロコを落として自分の周囲を観察するエスノメソドロジーという企てを立てたのが、往年のカリフォルニア大学の社会学者たちであったが、いま国も企業もアメリカも信用できず浮遊している日本人は、案外アウトサイダーと共感できるところがあるかもしれない。


大峰山

at 2004 05/23 18:28 編集

初夏の日ざしに緑したたる・・・がぴったりの山へ、ドタバタ登山隊3名を召集して出かけてきた。
廃線跡ウォークが静かなブームになる勢いで、一般人の鉄分を高める効果を発揮している(?)関西では有名な渓谷へ。

緑の美しさにみとれているうちに、知らんうちに山頂を通りこしてしまい、「登頂って実感がほしかったわぁ」と女子部長が嘆く。
最初「大峰山って、女人禁制ちゃいましたか?」と心配していたが、宝塚の大峰山は修験の山ではない。「あ〜ら神サマ、お堅いこと言わないの言わないの!プルンッ」と祈祷しておけば大丈夫やで、とおバカな戯れ言をほざきながら歩いていたら、それみたことか道に迷ってしもたがな。
遭難か?食料はあるから大丈夫やな!と不吉なことも想像しながら道を探して、結局もう1つ登頂したような徒労感。
この前の連休に、初めて携帯を買い替えてGPSつきというのにしたのはいいが、緯度経度を測位しても地図がないわい。山道のサイトもないし、経緯を引いた地図も持ってなかったので、役に立たんわい。

谷筋で肝を冷やしたり、崩れかかった山道にてこずったりしながら、結局オーソドックスに方位磁石と勘で下山でルートをさぐって、なんとか下山できた。
プリムスに着火して、大沢シェフ特製配合カレーうどんに腕をふるう。ふるうったって、麺とカレーをぶちこんで煮るだけ。どうも配合は失敗だったようで、マウンテンバイク部長と女子部長は、そろって複雑な感想をもらしていた。
ま、今後の課題としましょう。

この暑さだと、ハイキングはそろそろ夏季休業としようか。「頂上よりバーベキュー」にシフトするのがこのころだ。
今年は穂高へ!と、カヌー部長と気合だけ入れてきばる初夏は、もう3度目になるだろうか。
彼の新妻は元教え子だから、未亡人にするのも気の毒だしなぁ・・・。


ノース・ラポール

at 2004 05/24 17:23 編集

予想した通り、出てきたぞ「拉致被害者家族へ心のケア」論。
おいおい、あの子たち、すでに病んでるわけか?

首相と同じジュースを飲んでも許されるどころか、ジャパニーズ喜び組の飲みかけジュースなんぞ争奪戦になるとか、
ローンに縛られて自殺するプロレタリアートがいるとか、
専業主婦という生き方ができるとか、
プロレタリアートの平均日給ぐらい払えば、春も買えてしまうとか
・・・
いろいろ驚愕の事実は見るだろうと思う。
そのせいで精神的に変調をきたすというなら、カウンセラーの出番かもしれない。

ちょっと敷居の高い異文化適応をせんといかんのは確かだが、日本人が普通に暮らして幸せな姿を見せればいい。そこで「気配り」をすれば。
「ケア」とか「サポート」というと、「専門家の仕事」と誤解される危険がある。「アセスメント」「インターベンション」等々になると、なおさらだ。
専門家まかせの風潮は、実績がほしいカウンセラーにとってはありがたいだろうけど。

日本移住した子供たちから、これから星の数ほどのナゼ?が噴出すると思う。
ナゼ?に答えないカウンセラーは、かえって悩ませることにならないだろうか。
「なぜ日本人は死ぬほど働くの?」
「なぜ日本人は死ぬほど働くのか、あなたの疑問はよくわかりますよ」
「だから、なぜなの?」
「疑問を持つのも、ごもっともですよ。それでいいんですよ」
「だ・だ・だから、なぜなの!?」
というような、トンチンカンな場面がなければいいが(笑)。


またまたデジカメ

at 2004 05/25 12:06 編集

夕方にFAXで注文したデジカメを、翌朝いきなりクロネコが配達してくれよった。東京から。
早いにもホドがある!と、怒っているどころかアッパレ気分なのだが、店の屋号もよろしいねぇ。「賞栄堂写真機店」と風格があって。
ソフマップの中古品より1000円高いだけで新品が買えた。価格ドットコムさまさまである。

アングルフリーになる「板型デジカメ」は、フィルムカメラには絶対できない構造なので、エッギィに始まって3台目なのだが、どうせなら、デジカメはデジカメならではの利点を発揮してほしいわなぁと思う。
フィルムカメラは光軸がフィルムに直角に入らなくてはいけないので、「薄いカメラ」には限界があるし、レンズ設計にも制約がある。
デジカメだとCCDと記憶素子と光軸は切り離せるから、板型カメラを作った場合でも薄い方の辺にレンズをつけることができる。
広い方の面にレンズをつける発想は月並みすぎるし、画素数何万とフィルムカメラを意識しているわりには、フィルムカメラの呪縛から解放されてないなぁと思う。

現実には、大事な記念写真でさえ「写るンです」で満足していた膨大な消費者は、携帯カメラで満足するだろうから、「写真は携帯で」が普通のスタイルになって行くだろう。画素数も、かつて車好きをこだわらせたエンジン排気量ぐらいの意味しか持たない記号になって行くような気がする。

デジカメがフィルムカメラを追っかけているうちは、なんだか奴隷根性が匂ってきて好きになれないし、どう金をかけたってライカやハッセルブラッドのプレゼンス、オーラ、神話性は、デジカメには宿らないと思う。
「便利でいい」だけで一辺倒になれる人は、たぶん便利な食事、便利な友達、便利な快楽、便利な旅を追求して、ご自身も便利屋さんになって行くのだろう。便利な彼氏、便利な彼女・・・レタッチできます消去できますコピペできます・・・てか?(笑)

けれども、イ
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2004年4月の日記

回天ドア

at 2004 04/01 21:47 編集

回転ドアで亡くなった子供は、本当にかわいそうだ。しかも目の前で見ていた親の心中は、察するに余りある。
あんなドアは至るところにあるから、犠牲者が「犬死に」にならないよう(たしか昔の日本軍に「回天」とかいう人間魚雷があったような・・・)、改善してほしいとしみじみ思う。

僕はまだ国土交通大臣になる予定はないのだが、もし大臣だったら、ドアは固定してビルを回転させる・・・というのは冗談としても、回転ドアは禁止して引き戸に換えさせる(これは本気)。
従わないビル・オーナーがいたら、そやつの自宅に強制的に回転ドアをとりつけまっせ。トイレにも!マイカーにも社用車にも!おっさんのズボンの「社会の窓」もだ!
回転ドアづくしに発狂寸前のオーナーに「これでもあんたのビル、回転ドアで客を危険にさらし続けるつもりかい〜?」とまぁ、ダーティーハリーみたいなことができたら、大人気のあまり次は首相に推されるかもしれない。

夢物語はさておき・・・
福祉メーリングリストで流れていた指摘で、多くの客が同時に入って一定のペースで運ばれる回転ドアは、ゆっくり歩きたい者にとっては危険なものだという。
たしかに、ゆっくり回して入っても、逆方向からグイッとドアを加速する対向者がいたら、はじかれてしまいかねない。お年寄りや車椅子の人にとっても、危険だろうと思う。

一体なぜ、あんなものつけるのか?
頻繁に人が出入りしても、外気が屋内に流れ込まないから。
動力なしで、開きっぱなし状態を避けられる自動ドアになるから。
出入り客の鉢合わせがなくなるから。
開けたドアを後続の人のために開いたまま渡す手間いらず。
おしゃれだから(?)。
素人に思いつくのは、そんなところだ。
どれも、機能的な人の流れを追求する現代人の発想の産物ではないか。

機能追求といえば、ずいぶん前に、廊下にセンターラインや停止線が引かれて、天井には標識がついてたりする小学校が笑いの種になったことを思い出す。
そんな学校には、回転ドアを並べれば、いやでも「右側一定速度移動」が徹底されるぞ。なんだかチャップリンのモダン・タイムスみたいだが。

つまり、回転ドアは、機能的に人の流れをさばこうとする「モダン」の象徴にも見えてくる。作動はオートマチックで、見守ったり助けたりする人はいない。「設置」すなわち「放置」になってしまう。
回転ドアにゆっくり歩きたい人が入ったとき、対向して入ってくる人はどうすべきか、そのあたりの「交通マナー」は、まだまだ確立されていない。
マナーや知恵より、「考えなくても効率的にさばいてもらえるシステム」に、どんどん人間が回収されて行くようで怖い。「仏つくって魂入れず」では悲しいではないか。

ハード面が冷酷なだけではない。
悲劇が起こった状況というのが、母親の目の前とはいえ、元気な盛りの男の子から母親が手を放していた。
決して母親個人を責めるつもりはないし、ふつう回転ドアを暗黙のうちに信頼するものだろう。
それが日常世界というものかもしれなくて、つい大手のメーカー品だと大丈夫、と盲信してしまうのは、IBM PCを使っている僕も同じ。
こんな悲劇を教訓に、回転ドアの前で子供としっかり手をつなぐようにしたり抱っこしたりする親が、どれだけ増えるだろうか。
事故が風化すれば、危険があふれる街の中で子供を野放しにして、「だめよ〜」「あぶないわよ〜」と声だけかけるリモコン育児は、きっとすぐ復活する。交通事故や肺ガンで毎年何万人死のうと、クルマが減らないように。

街で放任されている子供が、なぜこんなに多いように感じるのだろうか。
ふだん、着替えとか部屋のかたづけとかお受験とか、しなくていいところで母親が子にかまいすぎていて、母子ともにストレスをかかえているのかもしれない。その反動で、お外でタガがゆるむのだろうか。
ストレス発散したいのはわかる・・・とはいえ、とにもかくにもビル街や店や駅は、走るところじゃないのだ。おい、そこのローラーシューズのふざけた小娘!デパートの中を滑るなっちゅうの!
走るのは草原とか運動場とか砂浜で、とけじめをつければいいと思うが、なかなか実践は難しいものだろう。
「まぁ、うちの子だけは大丈夫ヨきっと」
「だって子供は走りたいものなのよ」
とトンチンカンなことを信じ込んでいる親だけでも、まずどうにか洗脳解除せんといかん(笑)。
だめよーあぶないわよー、ほら転んだ!だからママ言ったじゃない!
だと、親の責任はどこにあるのだろうか(親を飼い主に置き換えても同じこと)。

言うだけならロボットにでも言える。危ないときだけ手をかけ、ときには握りしめ抱き締め、おバカなことをしたときはぶん殴ることは、親にしかできないことだから、それができてこそ親の存在価値だろうと思う。
小言や指し図ばかり毎年百万回聞いている子は、やがてメッセージの内容に反応しないよう、認知機能が麻痺してしまうものだ。そんな子供の頭の中では、親は小言ロボットと化している。

子供がさらされる危険は、転ぶ以外にも、「ひかれる」「落ちる」「さらわれる」「いたずらされる」「咬まれる」「切りつけられる」「刺される」等々もあるかもしれない。街遊びは、ロシアンルーレットみたいなものになってしまったのか?
なによ!子供に縄つけて犬みたいに散歩させろっての!?
と反撃されるかもしれない。僕は、本当に縄をつけているドイツ人、アメリカ人、デンマーク人etcetcは見たことがあるが、これ日本人の感覚では人権侵害になるのかな(笑)。
けれど、「自由と責任」を一人で背負える大人はいいが、危機管理能力がない幼児に「危険に直結した自由」を認めるのは、大人の罪だと僕は思う。

たしかに、街にある危険を野放しにしてはいけない。その危険は、大人が造営したモノのマイナス面だから、きれいに尻拭いしてほしい。
人間が建物や乗り物にビクビク遠慮しながら暮らすのは、なんだか不条理な気もするから、知恵を絞りたいものだ。
そうして効率優先の都市生活が、子供や老人や障害者の視線で、もっと優しい街に「整形」されて行けばいいと思う。
そこで輝く高齢社会!心あるジジババには、子供が事件や事故に遭わないよう、おせっかい(あばれている子を杖で「コリャー!!」と叩きのめすのもいい)を焼きまくってほしい!と、エールをおくりたい。


禁煙禁止

at 2004 04/02 18:14 編集

和歌山大学の全面禁煙に反対したセンセイ、「研究や教育に差し障りがあるから吸わせろ」とは大したものだ。
まさか、タバコを吸いながら講義をしているわけでもないだろうね(笑)。
「そんな働き方が昔から夢だった」というセンセイが、全面禁煙けしからん!というなら、こりゃーいっそアッパレだと思う。

僕はタバコがきらいだから、公共の場所の禁煙は歓迎する。
では、大学は公共空間かというと、ちょっと考えてみる価値はある。
役所や公立病院のような、だれにでも開かれた空間と、大学はちょっと違うような気がするから。

公営か私立かは横においといて、入学資格をクリアした国民に教育サービスを公平に提供するのが、公教育の責任だ。これは正論。
ただ、大学教育は教員(学者)の個人的資質に深く根ざしている。大教室でマイクで講義するよりゼミの方が、さらに学部より大学院の方が、徒弟修行のような性質が強くなる。大教室がホテルのロビーだとすると、ゼミはバンケットルーム、大学院は教授の個室という感じ。
その密室性ゆえに、セクハラやアカハラのような事件も起こるわけで、それはそれで抑止と救済をすべきだと思うけれど、「卓抜した研究者の薫陶を受ける」ような濃密な師弟関係は、決してパブリックなものではない。公共性なんか入り込む余地のない、寝技の世界である。

学ぶ側から見れば、この先生の人間性すべて学び取りたいと思えば、「タバコはやめて下さい」「先生、そろそろ下校時間ですから話をまとめて下さい」なんていえるはずはない。
実際、単位を取るだけが目当ての学生が大多数だから、多数派のお客様の都合に合わせて、公的なサービスを提供する形にならざるをえないけど。
どうしてもタバコを我慢できない学生は、ちゃんと交渉して、ローカル・ルールをつくっていけばいい。そんなコミュニケーションが育つ機会を、公共的ルールはつぶしてしまう。

僕の中で神格化されてしまった我が恩師は、ゼミでほとんど何も教えてくれなかったが、飲み屋に行くと絶好調(笑)だった。
今ならセクハラの温床になりかねないが、門限が早い女の子は10時半に帰らせて(単位はくれてやる)、それ以後が「社会学特別講義」だった。
まぁ、毎週ではなかったからお互い命拾いしただけで、教授送り届け係を割り振ったり、サウナに泊まって同級生と議論を続けたりと、学生時代にしか過ごせない無為な時間を謳歌したものだった。

今こんな大学教育をやってたら、訴訟騒ぎになるかもしれない。
僕も、なつかしい思い出は自分だけの宝にして、仕事は90分1コマ1コマをきっちり使って、教卓にひじをつくこともなく、黒板もきっちり書く。雲をつかむようなトークをしても、雲のつかみかたを知らない少年少女が99.9%もいるから、それで完結させないと契約違反だといわれかねない。

ただ、タバコぐらいは、ケース・バイ・ケースの余地を認めてもいいのではないかねぇ。
タバコより、今のご時世では、国公立の女子大学の方が、公共性に反していて問題だと思うのだが・・・。


ダブルパンチ

at 2004 04/03 21:27 編集

野暮用で大阪の地下鉄に乗ったら、おねーちゃんの熱い視線を感じた。
ベビースターラーメンの吊り広告に、杉田かおるが並んでほほえんでいるのである。
ダブルでこわかった。どっちも魔性ギンギンの笑みである。

「チー坊」のころの大アップ顔写真には、「お父さんみたいな男がいい」、今の写真には「なんでも言うこと聞いてくれる男がいい」てなキャプションがついている。
なんだかなー、逆ちゃうか?

もう四十路にして、私のわがまま聞いてくれる王子様だか下男だか、堂々と要求できる心臓はすごい。つきあうか、チー坊!なんでも聞いちゃるで。聞くだけは(笑)。

野暮用がすんで、王将でモヤシとニラの炒め物を食ったら、いつも付け合わせでマッシュポテトがついているのに、今日はモヤシサラダ。
こりゃ、くどいなぁ。ヘルシーだが。

なんだかダブルパンチをダブルで受けた日であった。


特殊『街路』

at 2004 04/04 23:09 編集

建築は、だいたい10年周期でブームになるような気がする。僕が近代建築ウォッチングに熱を入れていた学生時代から、安藤忠雄ブレークまでが、それぐらいだった。
10年周期にちなんだわけでもないが、久々に『10+1』という雑誌を買って、モスでパラパラお茶読書。

いつも沖縄なまりで素朴に接客してくれている店員は、高感度99点だ。さっき入ってきた女の子客と、二人で中国語まじりの受け答えをしている。マルチ店員やなぁ。

多国籍都市は、煮詰まって行くと無国籍都市になって行くような客がする。
そんな都市論が、社会学者や民俗学者をまじえてゴッタ煮で論陣を並べていたのが、『10+1』のおもしろいところだった。最近、頭がふやけてしまって読まんようになってるけど。

最新号には、日本全国の地下街のグラフィックな比較が載っていてる。んー、地面の下は土木の縄張りやなかったかいな?・・・と思いつつも、おもしろかった。
人口あたりの地下街面積は、やはり大阪がダントツ全国一で、東京はベスト5にも入っていない。首都圏は、それだけ災害に対して用心深いという事情もあるのかもしれない。

たぶんナニワ大震災が起これば、ただでさえ血の気が多い大阪人が充満していて、停電か浸水かになった地下街は、もう地獄と化すのではないだろうか。ふだんの停電だけでもこわい。

ムーミン谷のおさびし山みたいな「人里ちかくの闇」は、都会からどんどん失われていて(神戸には六甲があるが、全国に名が売れてしまったのは、あのタンク山だろう)、それに代わって地下街やトンネルが人工的な闇を造り出している。
闇といっても、段ボール寝床の住人がいたりするから、ゴーストタウンでもない。

けれど、終電後の地下鉄駅なんてのは、ちょっとした廃墟のゾクゾク感があって、それなりに味わい(変なの!)があるものだ。
合法的に楽しむ(?)チャンスもなかなかないからこそ、こんな都心の「営業時間限定デイリー廃墟」は、なんかの形でブームになるんちゃうかな?と、イマジネーションがふくらんだ。
いっちょ、行ってみるか?


ふれまち

at 2004 04/05 21:12 編集

家賃を払いに行って、大家さんと町内会談義。
震災をきっかけに「ふれあい喫茶」の類が増えていて、自治会有志も地元で毎週かかわっておられるらしい。
「らしい」なんて他人事ふうにしか言えないのは自己嫌悪のタネだが、なんかできることがあればお手伝いしまっせ!としかいえない。

出無精の高齢者と地域が触れ合うきっかけづくりとして行政も推奨している「ふれあい喫茶」だが、役所から助成金がばらまかれてる感じですよねー、と大家さんはクールに評価。
その額は、人件費に充てるには乏しく、しかし市内全域への配分を合計すると巨額になるという微妙なところで、役所としても手の出し方が難しいグレーゾーンなのだろう。

かりに、ふれあい喫茶が繁盛しすぎて毎日営業するようになれば、「民業圧迫」で市税収入減につながるし、かといってボランティアに水をさすのもヤボというものだ。
どうせなら、市役所職員を1割リストラして仕事を民間に委託するか臨時雇用すれば、おそらく市内の失業率は激減するような気もするけどなぁ・・・。


井戸端談義

at 2004 04/05 21:12 編集

家賃を払いに行って、大家さんと町内会談義。
震災をきっかけに「ふれあい喫茶」の類が増えていて、自治会有志も地元で毎週かかわっておられるらしい。
「らしい」なんて他人事ふうにしか言えないのは自己嫌悪のタネだが、なんかできることがあればお手伝いしまっせ!としかいえない。

出無精の高齢者と地域が触れ合うきっかけづくりとして行政も推奨している「ふれあい喫茶」だが、役所から助成金がばらまかれてる感じですよねー、と大家さんはクールに評価。
その額は、人件費に充てるには乏しく、しかし市内全域への配分を合計すると巨額になるという微妙なところで、役所としても手の出し方が難しいグレーゾーンなのだろう。

かりに、ふれあい喫茶が繁盛しすぎて毎日営業するようになれば、「民業圧迫」で市税収入減につながるし、かといってボランティアに水をさすのもヤボというものだ。
どうせなら、市役所職員を1割リストラして仕事を民間に委託するか臨時雇用すれば、おそらく市内の失業率は激減するような気もするけどなぁ・・・。


新編成

at 2004 04/06 22:26 編集

番組改変の季節・・・といっても、気になるのはラジオだけ。
よーし、今年こそ錆びついた第二外国語に磨きをかけるぞ!と決意するのは、年中行事になっている。
ところがスタートダッシュが遅れて、「まぁ、アーベーセーぐらいは憶えてるからこの段階は飛ばしてもいいか」といいわけしているうちに、梅雨に入って時制や話法にレッスンが進んでいると、もう「途中合流」は無理。トホホホホ…
それでも、「在宅サビ落とし療法」にはラジオがもってこいだから、一応聞こうとはするけんど…。

で、帰宅早々つけたラジオから流れてきた声で、「上沼恵美子、えっらい上品にしゃべっとるなぁ」と思ったら、それはエミーではなく汀夏子さんであった(汀さん失礼!)。
今をときめく元タカラジェンヌといえば、なんといっても扇千景…ではなく黒木瞳かな。
黒木瞳様はもう国民的カリスマダム(巨大なダムではない、カリスマ的マダムの意味)だから、ワシの手に負えるものではない(えらそうに!笑)。

ちょっとマニアック?に、天海祐希という線も好きだが、まぁどちらにしても、ワシの手に負える…じゃない、全国区の人気者だから、ちょっと縁が遠い。
ところが、汀夏子さんは関西ベタベタである。梅田のデパ地下でばったり出会いそうな気さえする。
「やんちゃな大阪の少年」そのままのキャラクターは、男役というポストがあったとはいえ、絢爛豪華なタカラヅカでは異色の存在だった。たぶん、フリフリキラキラの世界に拒絶反応が出るアンチタカラヅカ派にも、汀さんだけは受け容れられるだろうと思う。「今は普通のおばはんやで〜」と笑って酒席を共にしてくれそうで。
僕の姉ぐらいの年格好になっているはずだが、去年テレビで見かけたときは、ばりばりダンスもされるし、少年体型は変わってなかった。すごい。

少年のような感性や機敏さといえば、昨夜は帰ってすぐつけたラジオで浅井慎平さんがトーク番組を始めていた。あぁ、さわやかな語り口やなぁ・・・。いかにもエロじいさま然としているアラーキーより3つも年上なのが信じられない。
つい先日は、ビートルズ来日公演の前座で有名になったドリフのボスが亡くなったけれど、そのビートルズ公演の公式カメラマンが浅井さんだ。
ロックだけは嫌いだった僕の亡父は、しかし浅井さんの作風が好きだった。カリブ海か南太平洋かの写真をモチーフにしたカレンダーを気に入っていて、「これ、浅井慎平やからええんや」と高く評価していた。それが、僕が初めて知った具体的な写真家の名前だった。
それから30年近く。
浅井さんは、あいかわらず引き締まった体にGジャンを着て、日焼けした笑顔で写真を撮っている。老齢年金世代なのに(笑)。

浅井さんも汀さんも、老いを感じさせない驚異的なプロだ。こんな中年世代が頼もしい現役でいられる大人の社会は、悪くない。
若くて美しいのは、本人の努力とは無関係の自然現象といえなくもない。
老いて美しいのは、その日との叡智の結実というか、人徳みたいなものだ。老いを毛嫌いしたり抵抗したりごまかしたり、いつまでも若さに媚びたりしているうちは「醜い若づくり」としか見られないように思う。皮肉にも、「いかに風流なじーさまになるか」と中学時代に悟ったというチチ松村さんが、息子や娘世代のファンから「兄貴ぶん」として人気を保っているのもわかる。

僕と、妙高高原の2km続くスーパーモーグルコースでデュアルレースを競ったスノーボーダーは、ちょうど10歳ほど若い(ゴールインはほとんど同時で、タイムは12分ほどだった)。酒の席で「でも僕があと10年たったら、あれぐらい滑れるかなぁ」と笑っている。
大丈夫、10年先を視野に入った遊び方ができるのは人徳だと思う。
そんな発想がない二十歳の少年少女に、僕は体格や体力では完全に負けるけれど、「あんたら20年たったら今の僕以上にジジババになってへんかい?」と負け惜しみを言う。
資格競争やらパラサイトやらで去勢され無力化させられている若い連中も、気の毒な立場ではあると思うけれども、若い子は僕のライバルには見えない。
汀夏子との恋、浅井慎平との寝技(たとえ話として)が、僕の肥やしなのだ。



プレイ=バトルフィールド

at 2004 04/07 16:53 編集

なんだか大阪や長崎や栃木・・・と、あちこちの公園で遊具の事故がたてつづけに報道されている。
春になって急に増えたというわけでもなく、今までは「しゃーないな」とあきらめていた無数のケガが、「これは行政不作為による人災だ!」という回路に乗せられるようになってきたのではないだろうか。

考えてみれば、公園の遊具というのはどれも鋼鉄かコンクリートでできていて、あまり融通がきかない無粋な感じ。
子供というのは、おもちゃを与えられたら壊すか自分の好きなように細工したいもので、それが知的な冒険への第一歩になることが多い。
ところが、公園の遊具は子供の細工を受けつけない造りになっていて、どうにか工具を使ってボルトを抜いたりしたら、えらいことになる。

工具が好きな僕は、だから、公園の遊具で遊ばなかった(友だちとブランコで飛距離を競うぐらいだったかな?)。
家の裏が、子供にとってはムーミン谷のおさびし山のような深山幽谷の摩耶山だから、よく探検した。山にイノシシや野犬やいるが、指を切断するとか骨折するとか、いかにも悲惨なケガは聞いたことがなくて、せいぜい道を踏み外すとか、ウルシにかぶれるようなナチュラルな(?)ミスばかり。

でも最高におもしろかった遊び場は、病院の解体・改築現場だ。
薬品はちらかってるし、廃墟のたたずまいは、歩いて15分の市立動物園にあった作り物のお化け屋敷の100倍ぐらいの魔界だった。探検するにも、廃材を集めて前線基地を築き、夜までたてこもって(ゲームもケータイもなかったのに、何してたんやろ?)遊んでいた。
同世代の「元悪ガキ今おじさん」は、99.7%がこんな基地を造ったはずだ。

そこでケガをすれば、ガキといえども完全に自己責任で、「工事現場の警備が不充分だ」と訴えるような大人気ない発想は世間になかった気がする。幸運にも事故には遭わなかったから、想像するだけだが、たぶんケガした子供を連れて親が工事関係者に謝りに行くのが筋というものだっただろう。

子供の遊び場が、大人や行政のしつらえた人造物件に収斂されて行くのが、高度経済成長期の大きな動きだったと思う。
「回転系」の遊具など僕は見たことがなかったが、たしかにエンジニアが頭を絞った遊具は、子供の興味を引きつける。

その延長に、「大人の手のひらの上で管理されて遊ぶ子供に目を細める世間」というのができあがって行く。そこで何か事故が起きれば、人生幸朗さんじゃないが「責任者、出てこーい!」という政治の世界だ。
親の立場としては、そう言いたくもなるのだろうけど。

本屋には、子供を遊ばせてその笑顔で報われたい大人のために、野遊びだ科学手品だエコツアーだと、マニュアル本が続々と並んでいる今日このごろ。
その結果として、子供の反逆心や冒険心、失敗するチャンスetcを奪ってしまう「お膳立て社会」が、パラサイトや就職難、引きこもりや成熟拒否を生んでいるのではないかなー?と、僕は邪推してしまう。

大人うけする子供なんて気持ち悪い生き物は、あっち行け!勝手に遊びを探しとれ!
・・・とやれば、軟弱なくせに小賢しい「U15」など、出会い系とか風俗とか、大人のつくった快楽システムに巻き込まれて行くリスクもあるから、難しいものだ。
大人の目線が届かない「子供の楽園」は、夢の世界なのだろうか。


ついに

at 2004 04/08 22:52 編集

今月から、「自転車運転免許」を兵庫県警が発行するそうな。
法的拘束力はないそうだが、一瞬あせった。今まで減点80000点ぐらいはやってるはずだから、不適格者扱いで取れなかったら悲しい(幸い、発覚したことがないから大丈夫か?)。

それにしても、自転車とはナニモノか?
歩道をとろとろ走っているが、ときに時速40kmは出せる軽車両。
でも車道を走っていたら、「道路はエンジンで走る世界だ!」と邪魔者扱いされる。警察行政も、自転車は歩道に上げてきた。

こんな、あやふやな地位にある自転車に資格制度の網をかけたい気持ちも、わからなくもない。
ゆくゆくは自転車も「軽二輪車」として、小型・中型・大型、一種・二種というような区分がされて行くのだろうか。自転車タクシーは「大型二種」とか・・・?

けどなぁ・・・もっと取り締まらにゃいかん「乗り物」はあるんちゃうか?と思う。飲酒運転しかり、「私が道路の女王様」のようなドライバーしかり、歩道乗り上げ駐車しかり、なぜかむかついてしかたない小学生のローラーシューズしかり・・・ええい、なんだかやみくもに腹が立ってきたぞ、そこのコ娘!(笑)

「免許」制度は規制や管理の匂いがつきまとうから、もともと自由な乗り物であるはずの自転車や自転車文化を縛ってしまう感じがする。
縛るより、いい自転車乗りにはメダルとか勲章(?)を与えて、それをつけていたら健康保健料5%割り引きというようなエサをつければ、無駄なクルマは減って空気もきれいになると思う。
「厚生労働省職員は全員自転車で登庁」なんてことに決まれば、僕は日本の官僚を見直すがなぁ。


ついに2

at 2004 04/09 22:29 編集

日本人が人質になったイラク撤退要求、いよいよアメリカと運命共同体になっている危さがリアルに突きつけられたということだろうか。

不甲斐ないのは、官房長官にストライクど真ん中の質問をしない報道関係者だ。
「テロには屈しない!自衛隊は撤退しない!」
と言い切る長官に、
「人質が目の前で一人ずつ殺されても、ですか?」
と、なぜ質問しないのだ?
あの首相なら、言い放つかもしれない。「犠牲になられても、粛々と自衛隊の活動は進める」と。

政府間で宣戦布告をして、軍人同士が闘い、基地や軍需工場を破壊し、講和条約で終了する――こんな戦争の公式がまったくあてはまらないのがテロのこわいところだ。無差別に、一般国民を爆弾や生物化学兵器で襲うから。

あれ?無差別殺戮の世界一の実践者が、某合衆国だったのではないか?
第二次大戦中、世界で使われた爆弾の2倍をベトナムに投下して、枯れ葉剤を撒いたのはだれだ?
丸腰の沖縄住民が逃げ込んだ防空壕を、火炎放射器や手榴弾で炎の地獄にしたのも。
イラン・イラク戦争ではサダム・フセインを応援して、のちの大統領親子になる一族と合弁ビジネスまでしていたのも。

おいおい日本よ、なぜあんな国の殺戮作戦に協力するのだ!?というのが、心ある民族の素朴な感情かもしれない。

あんな国だから、敵対しろとまでは言わないが、おかしいことはおかしい、と言える同盟関係であってほしい。
3名の拉致は、まだまだ序章のような気がする。


お茶のまず男子大学家政学部第1期生

at 2004 04/10 22:42 編集

昔は、ひょっとして今も、お嬢様女子大といわれてきた(その根拠がよくわからんけどウンコもしない姫が集まっていたのだろうか)某私大の管理職たちと会ってきた。
ブランド価値だけでお客様が集まった時代は過去の話で、「こんな経営は方向転換しないと、自滅行為でっせ」と、えらそうなことも言いたくなったが、そこはぐっとこらえた。

1つだけあげると、マーケティングの発想がない。
保護者とOGの御機嫌を損ねないような、昔ながらの「良妻賢母教育」を維持していて、肝心の学生自身が何を求めているか、社会が何を求めているのか、リサーチしたのか?と首をかしげてしまう。
資格を取りたい、確実に就職したい、手に職をつけたいと思う学生がいれば、安易に「心理コース開講!!」なんてやるが、専門職につながる教育事業経営は、並大抵の難しさではない。

でも、実際ホンネの部分で学生さまがどんな希望をもっているのかは、なかなかわかりにくい。
「腰かけ仕事数年で、扶養してくれる旦那が見つかりやすい職種」を望む女子学生は一定割合いるだろうし、キャリア志向でも、人生のパートナーが「家を守ってくり」と条件を出すかもしれない。
だから、将来の保証まではできないキャリア指向カリキュラムも、なかなか大胆に打ち出せないのかもしれない。

さっき呼び出しをくらって(笑)飲みに行った大学の後輩男女と、仕事の思想論争(!?)をしていて、結局ヤロー両名が落ち着いたマニフェストは、「医者か弁護士と結婚して家庭を守ってあげるぜ俺たちゃー!!」という、日米安保根性が丸出しなのであった。
情けない・・・。


冬のアナタ

at 2004 04/10 23:26 編集

「白い巨塔」もトレンディドラマも見たことがなかった僕が、ひょんなことから某韓国ドラマを見ている。
「ユジン!」と呼ばれると自分の名前を呼ばれたようでドキッとするし、「チュンさん」というのが出てくると、愛称「チュンすずめ」という古い悪友を思い出すし、なんだかメロドラマには見えない。

おまけに、女子学生ワールドのお戯れが妙に純朴というか、なんだか日本の少女コミックの乗りに見えてしかたない。いきなり、スカートめくりなんかしないよなー「中学生日記」でも。

ペさま(ヨンジュンさまか?)のさわやかさも、文句はないけれど、何だか70年代の日本で白いギターを持ってイルカに乗った貴公子みたいな面影があったりする。
なんだかエッシャーの描く階段屋敷のように、あちこちタイムスリップしそうな落差を5分ごとに感じる、実に珍しいラブコメディだなこりゃ。
ペ様は、年とるとアルベルト・フジモリになりそうな予感がするのは僕だけだろうか。


平和利用

at 2004 04/11 20:37 編集

やっと、イラクの人質が解放されるという。
とりあえず、よかった。

一難去って、次はサイキックな展開である。
解放を求める家族の会見を見ていて、「おぉっ・・・個性的な家族がいるな」と僕の目にとまったのは、イラクの子供を世話する姉を待ち望む札幌の妹。『月刊コンバット』が放っておかない、もしかして表紙モデルに?とスカウトされそうなミセス(かな?姓が違うのは)だった。
きっと、にわかに隠れファンが発生しているに違いない。
北朝鮮拉致被害者の家族会でスポークスマン的な役割をしている蓮池透さんを、わが老母が「素敵やわぁ」と感心しているのと似たような、妙な脚光が当たるのではないだろうか。

フセインもカダフィ大佐(昇進しないなぁ少将とか将軍に)もアラファト議長も、放っておく手はないよハリウッドは。
あの金賢姫も、女優デビューの話があたとか、なかったとか。ペ・ヨンジュンさまも吹っ飛ぶ話題女優になりそうだ。

75年の元祖「白い巨塔」で末期の財前五郎に執刀した主任教授は、もう亡くなった名優で名前はおぼえていないが、北から亡命してきた北の元幹部ファン・ジャンヨプそっくりだった。

不謹慎かもしれないが、亡命者や権力を失った独裁者をまとめて、「裏ハリウッド」を築けば、過去を償う文化貢献もしてもらえると思うのだが、そう考えると、某K.ジョンイル父子は、いけてないわな。
その代わりに、ジョンイルがはべらせている喜び組には、北バージョンの「女子120楽坊」でもやってもらおうか?


スタバ恋し

at 2004 04/12 16:41 編集

3時間も空き時間ができたので、時間つぶしをしようと職場近くを散歩する。
全然知らない街を、あてもなくうろつくというのは、まるで別世界で難民化しているような気分だ。
喫茶店でも・・・と探すまでもなく、数だけは多い。どこも似たり寄ったりのけだるさと無個性を競い合っている。

そんな1軒で、ひと息つく。なんじゃこりゃ、チーズケーキが冷凍されてたのか、凍ってサクサクいうとるやないか!
神戸でこんなカフェをやってたら、1カ月で客足が絶えまっせ。

ママは客席に座って完全に休息モード。
ベートンのピアノソナタがやけに重厚に響いている。
あぁ、脱力感・・・


春散策

at 2004 04/13 23:37 編集

行きつけの酒屋が、閉めるの早いなぁ…と思っていたら、もう閉店してしまってたのであった。
コンビニで酒販売が全面解禁されたあおりを受けたのだろうか。
そりゃあスーパーやコンビニで手軽に酒が買えるのは便利かもしれんが、売れ筋のものしか置いてない。「余市」が飲みたいのだ!というこの片隅ウィスキー党には不自由になるなぁ。「あんまり出ないんですけどね、いい酒ですよね」と、ちょっとした前菜代わりの話をしながら買って帰るのも、風流なものなんだが。

余市といえば(関係ないか)、食品問題を起こした雪印乳業。
その社屋が近所にあって、あの雪の結晶マークが僕は好きだった。
それが、いよいよ解体工事が始まった。
企業としてはよろしくないことをしたので、社会的制裁はやむなし…だが、あのマークだけでもくれへんかなー?と、ふと思う。
札幌五輪以来、黄金時代の「日の丸飛行隊」は、たくぎんかニッカか雪印の広告塔だったよなぁ・・・。

春休みが明けて新学期になると、さすがにもう「冬は一掃」なのがアウトドアストア。
おかげさまで、なかなか値引きしないサロモンの板が、半額になっていた。浮力のある形に、斬新な表面加工。とりあえず「冬までおあずけ」覚悟で即お買い上げである。
ところが、スキーケースっちゅうもんを売ってない。
家から取ってきますわ…ということで、預かってもらった。

春というのは、仕事始めでバタバタ忙しいイメージばかりで、何もすることなく梅雨に入ってしまうのが例年のパターンだ。
早く秋よ!初雪よ!と首を伸ばしすぎて待つ今日このごろ。


スカートのエコノミクス

at 2004 04/14 16:54 編集

テレビで大学で活躍中のエコノミストが、女子高生を除いた…いや覗いたカドで逮捕されたニュース、ある新聞の見出しで「スカートの中の経済学」というのを見たときは、0.3秒で上野千鶴子の『スカートの中の劇場』を思い出した。

よほど、目の前のコ娘のスカートの丈がエコノミカルすぎて誘惑にかられたのだろうか。
いけないことはいけないが、初犯ではないそうだから、刑事処分以上にかなり今後に響くだろうと思う。

この教授を免罪するつもりはないが、スカート覗き以上に悪辣なことをして頬かむりしている政治屋、宗教屋、経営者、医療人etcは五万といるだろう。
発覚するかしないかの違いがあるだけで、悪辣なこと自体は一定数この世に沈殿しているように思う。

かつて、スー・チーさんの日本留学時の恩師が、秘書に罪の意識なくし続けていたことが「アカセクハラ」と告発されて京大を追われ、ウィーンで客死した事件もあった。その顛末について、精神医学者の野田正彰氏が批判的なコメントを書かれていた記憶がある。当の教授を弁護するのではなく、ある事件をきっかけにあぶり出される日本社会の冷酷さを指摘する野田氏は、まるで社会学者の視点をお持ちだと思った。
40年なり50年なりの蓄積から築かれた研究者というキャリアを無におとしめるような、付和雷同的なバッシングをする「世間」の良識を問う内容だった。
被害者と弁護者も「こちらも人生を台無しされた、人間としての尊厳をふみにじられた」と訴える本を出している。

たしかに、「犯罪は犯罪」は正論だ。
ただ、たとえば灘高から東大法学部を経て弁護士をしている偏差値秀才が、世間の喝采を浴びながら「オウムは抹殺すべし!」と喧伝しているのを見ると、正論は怖い。
累犯(類犯)を抑止する名案を、正論派の偏差値秀才は出せるのだろうか。思いつくのは、保護観察だカウンセリングだ精神医療だと、「管理社会」まっしぐらの道ではないだろうか。

おそらく、いつか「被害者」のパパが痴漢か何かで逮捕されて実名報道され、会社を懲戒解雇されたとき、かつて自分のスカートを覗いた43歳おじさんについて、何か考えるのかもしれない。
被害届けを取り下げさせる圧力になってはいかんけれど、被害は制裁できれいに埋め合わされるものではない。
司法では罰金いくら懲役何年でかたづくが、赦されるかどうかは、当事者間のやりとり次第だと思う。

もし僕が娘のスカートを覗かれた親なら、「あんた教育界にはおったらイカン。そのかわり仏門に一生こもるなら赦す」というような、マイ判決を申し渡すかもしれない。
スーパーフリーの被害者の親だったら、選りすぐりのホモ専用刑務所をつくって、加害者を送りこむ。
掘られて謝罪したくなるか、ヘンに目覚めてしまうかはわからないが。


ピストン!

at 2004 04/15 23:36 編集

木曜日は朝イチで出勤、10時半にお開き。
そのあと夕方6時から仕事で、9時すぎにお開き。で、明日は朝イチで出勤だ。ぜんぶ、新大阪駅前で。
なんじゃこりゃー!?
と気が滅入る、スカスカ勤務である。
さすがに、電車マニアの僕でも快速ばかり乗るのも食傷気味。
いっそ、新大阪に宿舎でもあれば、木曜日は昼寝したり、金曜の朝イチ出勤はラッシュアワーを避けて徒歩出勤もできそうだが、なかなかそうは行かない。

心理的には、神戸から大阪への出勤はずいぶん遠い「別世界探訪」で、15年通勤していても気分は変わらない。
でも、電車でほんの30分、620円の距離である。
職場が京都だったら、お泊り」も考えるかもしれないが。
新幹線で充分に日帰り往復できる距離の街へ出張する会社員の気持ちは、こんなもんだろうか。
おととしの博多出張は、自腹で1泊してきたけどなぁ・・・。
来週から、なんとか「鮮やかな3往復」を考えねば!

鷺沢萠さんの本を、静かにホテルで読む夜もいいかもしれない。
ご冥福を祈りつつ…。


最新の中古 最古の新品

at 2004 04/16 16:54 編集

初夏のような陽気の中、スキー板を買って帰るのもオツなものだ。
が、いやはや4倍はありそうな重さでんがな。まるでボーリング玉とバレーボール。
5年以上ショートスキーばかりやっていると、「普通のスキー」の重さに腰砕けになりそうで情けないが、いや、それなら「普通のスキー」の重さは何やねん?という気にもなる。
畳1枚分の長さの板を肩から下げて自転車で坂道をコギコギして帰るのも危っかしかったが、まぁ「懐かしいスキーの重さ」がよみがえってきた。

売り場のおにーちゃんも、もう今どきスキーもボードも売る気はなさようだ(だから、持ってけ価格にガタ落ちしてたのか?)。こんな店はありがたい。
新年度が始まったばかりだから、レジャー消費自体が谷間の時期なのだろう。キャンプ用品も、黄金連休から夏にかけて新製品を投入したいわけだから、在庫処分は気前がいい。
でも、「安物買いのゼニ失い」ともいうから、いいものに資金をつぎ込んで長く愛用するのが正解かもしれないなぁとも思う。

そんな反省をしたきっかけは、カメラ。
ちまちまと安物レンジファインダーを買っては、「どや!1万円でここまでキレイに写るぞ」と驚かして楽しんでいると、「御本尊」の一眼レフの出番がなくなってくる。

もう20年近く登山のお供になって、落としても濡れても故障しなかった頼もしいペンタックスLXに、カビがはえたのか経年変化か、接触不良が出てきた。
基本的な動作はするので放っておこうかとも思ったが、定期検査だと思って製造元に持って行ったら、分解作業料だけで1万7千円も宣告されてしまった。おまけに、大阪のスタッフでは手に負えない精密機種らしくて、職人芸を持ったスタッフが大阪にはいないので、東京送りになった。

渋々入院させてきたけれど、いやはや高くつくねー・・・と、ため息をもらしながらも、老犬を見舞うような(笑)気分になった。
ま、とことん、つきあってやろうか。


ハートだけ

at 2004 04/17 21:27 編集

サンケイ新聞は明快さナンバー1の新聞だ。予想通りの論調だから(笑)。
朝ナマでは「温厚で慎重な論客」という印象だった拓殖大学の森本敏さんが、イラクで解放された3人に雷を落としておられる。

「・・・国内で困っている人が多い。国内に目を向けずに途上国に行き英雄気取りで帰国して報告会などやる人がいるが、この節度のなさもひどい・・・」

という調子。
朝日新聞だったら、「これでNGO活動が萎縮するようなことになると、イラクの子供たちはどうなるのだろう」と書きそうだ。

戦災が報道されて、純粋まっすぐ頭の中で、「私」と「イラクの子供」がショートしてしまうと、危機管理が置き去りになっても不思議はない。
そして何かあったときには、自分が飛び出して着た国の政府に助けてもらうことになる。それは一応、日本国籍を持つ日本人の権利ではあるけどねえ・・・。

「途上国の子供」に、日本のおにーちゃん・おねーちゃんは弱い。
日本の身近で自殺しかかっているオヤジの話し相手はしたくなくても、途上国の子供には何かスペシャルな気持ちになる(のかな?)。

たしかに、罪のない子供の被災、貧困や病気は気の毒だと思う。
その不幸に、だれが責任を持って救うべきかといえば、第一に親だろう。子供の面倒をみられる親がいなければ、政治の仕事。政府にその力がなければ、ODA。
それでは草の根に届かないから、NGOや未組織ボランティアが活躍するのだが、ともかく命あっての活動である。

だから、他国からの援助を求める国には、「食糧や医療、教育や仕事は提供するから、安全は用意しろ」と言ってもいいと思う。
それができていない国があるとしたら、あえて命を捨てに行くべきだろうか。

かつて、UNHCRの緒方貞子さんが「国際貢献、国際貢献と騒いでいる国は日本人だけ。普通に国内で地球社会のことを考えながらやっていることが、自然に国際貢献につながるんです」というような熱弁をふるっておられた場面を、ふと思い出す。

どうしても「国際色」のある援助(笑)をしたい人は、国内に居場所はないのだろうか。危険がない活動は、魅力がないのか?
たとえばイラクの子供の面倒をみたいなら、日本に呼んで保護・養育するとか、そんな活動があってもいい。
入管政策の壁はたしかにあって難儀するだろうが、法の網の目を探るような救援活動も、立派な人道支援活動だと僕は思う。

海外に「援助」「救援」に行く人は、国内のホームレスや犯罪、障害者問題、介護問題をどうとらえた上で出て行くのだろうか。
一概にそれが悪いというつもりはないし、自分に合う活動が海外にあっただけなのかもしれない。自分中心で考えれば。
逆に、「戦乱の地で教育や福祉や医療の仕事をする人材」として求められる条件というのがあるわけで、それに自分は適合するか?と考えてみるのが、現地の立場に立った発想だと思う。

震災後の神戸には、アメリカからカウンセラーが心理救援にやってきた。
そして、地元のお年寄りに接した後、「目をみて話してくれない」と批判的な評価を口にして、帰れコールを浴びた。当たり前だ。それが日本人なのだ。
日本語もわからないアメリカ人カウンセラーには、言葉もアメリカ人の気持ちもカウンセリングも「わからないづくし」の被災高齢者が、まず「おびえ」を感じるのは自然ではないか。

ボランティアは(そのお気持ちは)とりあえずありがたいけれど、被災者の立場に立った支援をするなら、こちらの人間の言葉や習慣をよく理解している人に来てほしい――僕の研究を励ましてくれた北朝鮮系病院長のドクターは、そう語っておられた。
そう発信しないと、主体的な生活復興はかえって遠ざかるのだと被災住民は学んだのである。

人道支援に行く国には、「輝く瞳の子供」もたくさんいる一方で、「白い肌を狙う暴漢」もウジャウジャいる。「日本人を誘拐すると俺の生涯所得の何倍ものジャパンマネーを脅し取れる」と考える輩もいる。
「皆いい人ばかりです!!」などと手放しで絶賛する支援家を見ると、そこに途上国への蔑視が垣間みえる僕は、歪んでいるのか?

自分の尻をふけない在外日本人の実態も、もっと報じられてもいい。その功罪両面も。
自分の出したゴミやウンコを被災者に掃除させてるボランティアもおったぞ神戸には(笑)。
護身術も知らない女の子でも、「スマイルで国際交流」とそそのかすビジネスも、罪つくりやなぁと思う。

今、そんな業者が狙う新たなターゲットは、シルバーボランティアだ。
日本の高齢者の平均貯蓄額は世界一で2300万円。これが知れ渡ると(もう知られてるか?)誘拐に強盗に詐欺・・・増えまっせ!
日本刀でも持って行くかね?


さいころトーク

at 2004 04/18 18:49 編集

古本屋に『イバラード博物誌』が出ていたので、ちとなつかしいなぁと思って衝動買い。
サンマルクでお茶しながら「釣果」をチェックするのが、ささやかな楽しみだ。

あっちのテーブルに、13歳少女4人組がいて、かわいくお茶している。「ねーねー、次だれの番?」「お題は?」てな調子で、お題振りトークをやっている。「ナサバナ!」とか「アンッフォゲタブル!」なんていう、昼下がりのアレでんな。
ほほえましくて、よろしいねぇ。

「純喫茶」の類だと、こんな場面は見られないと思う。あんなとこに来ている少女といえば三原順子(笑)と昔なら決まっていた。

僕も純喫茶にはなじみがない。一時うわさになった「不純喫茶」も行きそびれた。
これで大スポを置いてたら申し分ないがなぁ・・・と注文をテレパシーしつつ、ホコテンに面してドアを開け放ったサンマルクが、やはりいい。



スピリチュアル劇場

at 2004 04/19 23:55 編集

ペケジャパンの元メンバーが関係している施設が、またまたカルトだ洗脳だ児童虐待だと騒動を起こしている…のか?
真相はわからないので、個人的に信頼している紀藤弁護士が訴追運動をしている点で、「これは事件らしい」と思うばかり。

それにしても、カルト事件は後を絶たない。「ブーム」が終わったように見える自己啓発セミナーも、報道ブームが下火になっただけで、現象としては安定したビジネスになってしまった気がする。
「焼肉のたれスピリチュアルカウンセラー」は女性誌でモテモテ、ドクター風水もすっかりおなじみ、韮沢さんはおもしろい、和歌山をウォーキングすれば日本人でも公爵である・・・で、迎え撃つ大槻教授サイドは、少し元気がない。
世界ではイスラムとユダヤの死闘が泥沼化しているのに、日本の内紛はのどかそのもの。いや、被害者は気の毒だが。

我が子の洗脳に家族が抵抗したり奪回したりするのは、もう一昔前の構図で、今は親子まるごと入信するのがトレンドだ。地域社会や、親戚の絆は、怪しい教えや団体をチェックする力を持っていない。
どころか、今は義務教育から「心のノート」でスピリチュアリティとやらを注入される。心は「対象」化され、修理したり操作したりできるものモノだと勘違いされる。
その落とし子として生まれた浮遊感覚や存在不安、たしかな手応え願望etcetcが、伝統的なしがらみに縛られていない人たちを「スピリチュアリティ」に向かわせるのだろうと思う。

何教も信じない、「自分は自分」と思い込んでいる人が感染しやすいドグマもある。批判されても、聖職者のまなざしで慈悲深く聞き流す、ハイレベルな勘違いさんもいる。
えてして自尊心と偏差値は高いが、生活能力は低い。こんなのに「支援」や「救済」をされている弱者というのも、気の毒な存在だと思う。安定した「クライアント」の座に張り付けられて、論文のネタにされるだけなのに。

そんな舞台から下りること、治療関係を相対化して観察してみることは、支援業界の存在意義を揺るがすのでタブー視される。
けれど、やはり専門家は妙に多すぎる。
人の魂の領域にまで踏み込んで、おのれの手柄にするなって。



ハルスベリ

at 2004 04/20 12:44 編集

夜勤疲れで、放ったらかしになっていたきのうの朝刊をめくっていて、うぬぬぬぬ…と、一人どよめいた。
新神戸駅で、スキー板を線路に落とした客のおかげで、新幹線が12分遅れて2500人に影響が出た云々の記事である。
このうっかり者、どこかで滑って新神戸で降りたところだったのだろう。まさか新神戸駅の裏山の六甲山人工スキー場ではない。
そりゃ志賀高原あたりはまだゲレンデスキーができるし、立山という冒険も考えられる。ただ、雪はあっても、地元の空気といのがネックなのだ。僕も5月に板をかついで滑りに行ったことが何度もあるが、電車が名古屋を過ぎるあたりまで、笑い者になりつつヂッと耐えていた。
もう桜前線が通りすぎた関西では、スキーなど完全に忘れ去られているのに、おぉ同志よ!と快哉を叫んだ(ほとんど勝手にスキーをしてきたマニアと断定してるけど)。
見習いたいものだ。


好調先生!

at 2004 04/21 13:37 編集

小・中・高校の民間人校長が、すでに60人を超えているそうだ。
一番多いのが広島県で、一方ここは、去年民間から「推薦」されて、「研修わずか2日」で赴任した校長先生が、激務に追われて自殺している。
教育行政の管理職に、いきなり民間から転身してくると、叩き上げのセンセイ方と仲良くなるのは大変だろうと思う。ほんと、ご苦労さまなこと。
とはいえ、違う畑から移ってくる先生がもっと増えて、風穴が開くのはいい。
逆に、叩き上げのセンセイ方が管理職になろうと思えば、民間企業に何年か勤めて(給料は会社からもらいなさいよ、税金じゃなくて)役人天国以外の実社会を知ることを、条件にしてもいい。

僕の勤務先は、逆に叩き上げの肩身が狭く、業界経験者が優遇されている。
ある程度大人が対象の学校だと、「教科書をしゃべる」ような叩き上げの教師より、教科書に書いてないことを知っている先達に、学ぶべきものを見て取るのだと思う。

とはいえ、乱暴に「生え抜き先生無用論」を唱えるつもりはない。
義務教育のうちから、「おまえのコア・コンピタンスは何か」とか「エンプロイアビリティを高めろ」なんて檄を飛ばされるのも、なんだかなぁ・・・と息がつまる感じがする。
実務を学びたければ、すぐ現場に出ればいいわけで、学校には学校でしか学べないことが確かにある。18歳までに答えが見つからないことも多々ある。
収入には結びつかなくても、窮地に落とされたとき救われるものが、1つでも若いうちに心に取りこんでおければ、それが教育の価値だろうと思う。

僕は「あぁ古典を習っておいてよかった」と思う。
トホホな気分のときは、竹取物語や雨月物語をつまみ読みして空想の世界で気を紛らせられる程度の読む力は、文法を叩き込まれたおかげで十分の一ぐらいは残っている。消されていることばを想像しながら読む古典は、いたずらな著者と想像する読者のキャッチボールのような、とても立体的な楽しみ方ができる。
決して優等生だった…わけではなくて、ゆとりはあった。その場で感覚的につまらないとか、来年の受験で役に立つとか、そんな時間感覚はなかった。
ときどき、80歳ぐらいで生涯学習に燃えていて、「まぁ気長にやりますわ」と笑っている老人がいるが、僕は十代にして老人だったのかもしれない(!?)。
今も余裕がありすぎて、結婚を焦らない僕に老母は焦りまくっているが(笑)。

ただ、何かとせちがらい今なら、ゆとりがほしくても、ゆとりに脅える人もいる。メールはいつ入ってくるかわからんし、本1回まともにぢっくり読めない。かといってメールが1日なければ不安だろうし。

不幸なことに、学校が勉強嫌いを育ててしまう面も確かにある。
対処法をどうこうする前に、これはもう、持って生まれた人生観が生徒それぞれに違うと考えるしかない。悠長な子はいつまでも泥んこ遊びをしているし、生き急ぎをする子は喫煙したり交尾したりして体を蝕む。
こんなに多様な子の生きざまを学校教育という制度文化はカバーしきれないわけで、だから本当に音楽にこだわる子は家庭教師や芸能プロダクションにつく。

そうしたくても、経済的に余裕がなくて才能が埋もれたままの子にチャンスを与えるのが、公教育の使命だろう。
ただ、チャンスは試験や内申で強制する必要はない。チャンスを棒に振る者、つかみ取る者がいて、その結果としての格差はしかたない。
ただ、しまった!!と思ったとき、勉強しなおせる場はほしい。

「今やらないと来年えらい目に遭う」と、会社の決算みたいな感覚が学校に持ち込まれて効率ばかり重視されると、そこは養鶏場と化すのではないだろうか。
じっくり時間をかけて、成果も生涯スパンで見えてくる教養教育をおそろかにすると、とんでもなく視野の狭い専門家が生産されて行くような気もする。
だから、日本以外の先進国は、医学校でも教育大でも政治経済分野でも、リベラル・アーツを捨てないのである。
アジアのリーダーたちは、世界標準の教養人が多い。浅い意味でのグローバル・スタンダードではなく、ゴッホの見方もチャイコフスキーの聴き方も身につけた上で、論語を語り、仏教を実践できる。
日本の教育で、そんな教養人が育つだろうか。
幸か不幸か、アジア諸国でリーダーになるには欧米諸国に留学することがワンステップになっているのに対して、日本は東大や上級公務員に合格すると「とりあえず安泰」だから、受験英語・受験数学・受験理科が目標になってしまっている。

産業の現場から学校世界へ入って来るプロフェッショナルに少し不安を感じるのが、この「人間形成のゆとり」や「ハンドルさばきの遊び」のような部分をどう教えられるか?という点だ。
たしかに仕事経験で磨かれる人間性もあるが、平和な社会だからこそ、教養教育は大切にした方がいいと思う。

民間人校長をルポしていた番組で語っていた元銀行マンの校長先生は、「なぜ?」と部下からも生徒からも問われて、言葉を選びつつとまどっていた。
なるほど、思うような発言ができないんでしょうな。
でも、クビのない別天地でぬるま湯に浸っている叩き上げのセンセイ方とも、受け身に浸っている生徒とも、もっと議論すればいいと思う。「センセイねぇ、あなたの英語の授業、発音なってないよ」「銀行マン校長、金融英語は入試に出ないのです!」「先生たち、どっちもクサい!」・・・とまぁ、こんなのは不毛の議論かな。

もし学校組織が大きく変わるきっかけになれば、生徒自身がスカウトや投票で「我が校の校長はこの人に!」と声を上げられるようになったら、教育革命になるかもしれない。
ヒラの先生の大抜擢もあるかもしれないし、北野武が引っ張りだこになるかもしれない。PTAが乗り出してきたら星野さんとか、黒木瞳は何十校もの校長を兼任することになりそうだ。
もう、不登校はなくなるね。親も頼まれなくても出入りして、地域との風通しもよくなる。

そうなるためには、生徒自身が自治意識を持って組織活動をする「コスト」も払う必要がある。
それが面倒だ、だれか勝手にやってくれ、と身近で「不良債権化」している無関心生徒を目覚めさせられたら、そのときこそ「生徒本位の学校」ができあがると思うのだが・・・。


あーしんど

at 2004 04/22 23:26 編集

今週は土日も仕事でぶっつづけ休みなし。
きのうは職場の行事で欠勤日で貴重な休養日になるはずだったのを、間抜けにも出勤してしまった。
あぁ、これで連休突入まで休みなしの10日間労働になってしまった。
自分で自分の首を絞めている感じで、こういうのはやり場のないトホホである。
どこかで札束でも拾わないもんかなー。

こんな青息吐息で連休といっても、ゴロゴロしているうちに終わってしまいそうだ。
景気よく10連休というわけには行かないし、学会で東京にも行かにゃならん。
「連休中都内のホテルは比較的すきます」という案内をもらったが、そんなものか?それだけ都民の皆さんが都内のホテルをふだん利用しているということか?行動パターンがよく読めんよほんま。

わざわざ高い料金払って海外に「脱出」する人民も多いが、テロ騒ぎもあることだし、いっそ皆さん国内で大シャッフル移動して、大阪に浪花っ子がいない、東京に江戸っ子がいない、沖縄が道産子だらけ・・・となるのも、非日常的でおもしろいと思う。
「昼と夜が逆転して、人であふれる深夜の街並み」という夢をときどき見るけれど、せまいようでミクロコスモスな日本、だれかが音頭をとってめまいがするような別世界を演出できるかもしれないぞ。
旅人のように、ガイドブックとカメラを持って神戸をうろついてみようか?
「あのー、ちょとスミマセン、いーじんかん行くに、どしたらいでしゅか!?」とか、いかにもアジアからの旅行者を演じて道を聞いたりして。
「ワタシ王族の息子ネ。島20モテルヨ。コンドミニアム800アリマシュゼヒヨメイリテクダサィウェルカムね」とかなんとか、悪乗りしそうだが。


初中毒

at 2004 04/23 22:41 編集

ヤキソバパンを朝飯用に買い置きしていたのが、朝飯用にばたばたしてておあずけになった。半ドン仕事で自宅へ奪取してランチにしようか・・・と思っていたら、「おーい、メシ食わない?」とでんきがま電話が入ってきて、ヤロー二人でイタめし屋である。
「ヤキソバパン・・・?そんなん午後のおやつにすればええねん」てな乗りである。

結局その通りにしたが、今週はどうも腹の調子が悪い。
悪化もしないが良くもならないので、思い切ってかかりつけ病院に行ってみた。研究で15年来お世話になっているDr.キム院長がたまたまおられて、見てもらった。この病院はふらっと行ってもすぐ見てもらえて、検査も手際よく早い。触診、エコー、血液、シモの検査をさささっとやって、「腸炎やね」。で点滴を受けて、「しばらく絶食」と判決を受けてしまった。抗生物質をもらって、計2時間で一応のクロシロがついた。

食あたりの自覚はないのに、ともかく名医の診断結果は、生まれて初めての意外な判決だった。
落ちてるパンを食っても、銭湯に浸してつくったチキンラーメンを食っても(あ、これ弟の前科だ)、期限切れの牛乳も卵も、およそ当たったということがなかったのだが、いよいよ最強の肝臓も疲れを見せたわけか。

あぁしかししかし、絶食はかなりきびしい。休養はさせてやりたいけどなぁ。
ヤキソバパンが最後の晩餐というのも、情けないではないか。
雑踏を歩けば、海鮮丼やらマーボー豆腐やら、好物の看板がやたらちらついて見えるし、おぉ!焼きたて自慢のイスズベーカリーは「イチゴフェア」なんかやってるぞ。

うーん、消化にいいものなら、800回咀嚼して胃腸に優しく食えば、ええかな?・・・ええよね?・・・ええい自己責任!
と勝手な解釈をして、モス海鮮ライスバーガーに手が伸びてしまった。先生すみませーん!!
これでも、ふだんの夕食の半分ほどのボリュームだが・・・。

しかし、初めてオーダーしたモス海鮮ライスバーガーは、もう、ハンバーガーではないやね。おむすびに海鮮かきあげがはさまれていて、パンもハンバーガーも、影も形もない。
うまかったけど。
あぁ、まさかこれが正真正銘の最後の晩餐にならんよう、祈るばかり。


MMB

at 2004 04/24 12:32 編集

朝イチで大阪へ休日出勤。守口のあと、谷町へ。
乗り換えで、魔界・京橋、冥界・天満を通ると、食事制限にはつらい「うまいもん屋」が目について毒々しい。
ま、パンなら800回咀嚼して、ヨシとしましょう。ふだんの勢いならサバ味噌煮定食!という流れだから、それにくらべると充分に病人食ではないか。
勝手な理屈だが。

勝手といえば、おいダイムラーよ、三菱を牛耳っておいて、資金援助を見限るって、それは勝手やないかい?と思う。
「ビデオとプロバイダーは三菱」という以外、ナイカー族の僕は、別にMMCに義理があるわけではないが、ちと気の毒だ。業績不振とはいえ。

昔はギャラン、バブリー時代にはパジェロ、こけてぃっしゅに(笑)ミラージュマリオン、たのもしいデリカワゴン、渋いレグナム・・・MMCの車は、けっこう多彩で「あれもこれも」ほしくなる。ミニカーでも集めてみようか?
トヨタには、こんな熱愛・偏愛される車はあるだろうか(犬とメリーのスカイラインのようなレジェンドカーは、トヨタならセリカXXかな?)。

会社規模に比較して、多彩な名車ラインを広げすぎたのかもしれないが、ほんと三菱カーはおもしろい。上は本物の戦車や装甲車まであるし(笑)。
おいダイムラーよ、けちなこと言わずに、ハーケンクロイツつきのハマーみたいな車を共同開発してみたらどや?
オチは、ラリったやつがラリー気取りで河原や砂浜を暴走するだけかもしれないが。

新車開発もどうなるか、ひとごとながら心配してしまう。
二輪にでも進出してみたらいいのに。「三菱モーターバイク」って。僕は自転車専門だから、「三菱マウンテンバイク」も熱烈歓迎するぞ。


医師を投げれば医師に当たる

at 2004 04/25 20:51 編集

ちょうど病気療養に充てられそうな土曜日が、7時起きでヘルパー講座に出張、そのあと大学財務分析の勉強会みっちり5時間でグッタリ。こりゃ免疫力がいちぢるぢるぢるしく低下したはずだ。

今日は大阪で丸一日、お医者さま数百名が充満する国際会議場で、シンポジウムをぢっっっくり拝聴。たまたま神戸から主治医も来ておられたし、いつ倒れても心配ないが(笑)、倒れずにもった。

お医者さまが奮闘しておられるのはよくわかる。研修制度改革や大学独立法人化、専門医認定制度等々、たしかに不安定要因もある。
でも、医学部を出て「先生!」と呼ばれて、自営業者の苦労も、偏差値40の子の屈折感も、失業者の挫折感も、別世界だったりするのも現実だ。

ある意味、教育学部を出て一直線の教諭と似ている。
教諭は会社員や芸能人に転身するケースがあるが、医者はどうだろう。逆に、別の職種から医学部に入って医者になる人はいるが、外科は高齢の学生を歓迎してないのが今日よくわかった。

たしかに、二十代までに身も心も捧げて習ったことは、なかなか方向転換しにくいだろうな。
精神科や老人医療だと、「いろんな人生経験」や「寄り道」も役に立つかもしれないが、あんまり「患者と話が弾む」ほどの人生経験を医者に求めてもしかたないと思う。病気、けがを治してなんぼ、だから。

今日も、医者で仏教者という高名な先生から、「スピリチュアル・ケア」という言葉が厳かに出てきた。
患者のスピリチュアリティを理解するのは、まぁした方がいいとは思う。けれど、医者の仕事はやはりサイエンスにもとづいてほしい。
スピリチュアルといっても、キリストやマホメットや釈迦なんかより、上司に帰依して、職場が聖域化しているのが現実だろうから。


老兵は死なず

at 2004 04/26 22:58 編集

老兵・・・なんて擬人化をするともう重症だが、使い古してガタがきた愛機LXが完治しましたよ♪と電話をもらって、新大阪での仕事の空き時間に長堀橋まで取りに行ってきた。
治療費は見積もりより安くて、それでも1万5000円。老兵はなかなか金がかかるなぁ。
それでも、見捨てませんよっ!

カビかサビかはわからんが、「金属部品の腐食」が故障の原因だった。
使い過ぎがよくないのか、使わないのがよくないのか、わかりにくくて困る。
6本もレンズをそろえて、ボディはLX1つに頼っているから、過労気味なのかもしれない。

でも、サブを買うと老兵LXの出番が減ってボケるのではないかと気遣って、治し直しLXばかり使ってきた。この熱い期待を、老兵は現場(山)で裏切らなかった。しばらく家に放置している間に、腐食が進んだのだった。

連休には、働いてもらおうかな。
すると今度は親父の形見のニコンが・・・あぁ、指揮官はつらいよ(独り戦争ごっこ?)。


老兵は死なず

at 2004 04/26 22:59 編集

老兵・・・なんて擬人化をするともう重症だが、使い古してガタがきた愛機LXが完治しましたよ♪と電話をもらって、新大阪での仕事の空き時間に長堀橋まで取りに行ってきた。
治療費は見積もりより安くて、それでも1万5000円。老兵はなかなか金がかかるなぁ。
それでも、見捨てませんよっ!

カビかサビかはわからんが、「金属部品の腐食」が故障の原因だった。
使い過ぎがよくないのか、使わないのがよくないのか、わかりにくくて困る。
6本もレンズをそろえて、ボディはLX1つに頼っているから、過労気味なのかもしれない。

でも、サブを買うと老兵LXの出番が減ってボケるのではないかと気遣って、治し直しLXばかり使ってきた。この熱い期待を、老兵は現場(山)で裏切らなかった。しばらく家に放置している間に、腐食が進んだのだった。

連休には、働いてもらおうかな。
すると今度は親父の形見のニコンが・・・あぁ、指揮官はつらいよ(独り戦争ごっこ?)。


儀式

at 2004 04/27 22:53 編集

大臣が年金に未加入なのはけしからん!
と野党が怒って、国会が空転している。
けどまぁ、枝葉の問題だし、なんだか儀礼くさい。
自分が年金に加入していないで国民から絞り取る――のは、なるほど国民感情からすると許せないだろう。
面目の問題かもしれない。

最初から、政治家は聖人君子とは思われていないから、年金未加入だけではないだろなーという気もする。
だから、いかにも「いじめられキャラ」のぼんぼん大臣をバッシングして納得してるだけだと、永田町の思うツボ。

僕が閣僚の末席にいたら、言い返すだろう。
「そりゃミスはミスですから改めますカタヂケナイ!ところで、あなた宅にパラサイトしてるフリーターのお子さん、払っておるのですかな?」


プレ・メーデー・イブ

at 2004 04/28 17:22 編集

今日は午後出勤。
ちょうどランチタイムに家を出るので、近所の家の新築現場で、大工さんが建材にすわって握り飯にぱくついたり、一服くゆらせたりしている。
空は青く、風は涼しく、ツツジは咲き、木の香り・・・平和で、いい眺めだ。ランチジャーも、あこがれるなぁ。まぁ、お仕事はきついだろうけど。
生家のとなりにあった病院では、昼休みに職員がよく輪投げをしていた。これも、健康的な気晴らしで、いいものだ。
そういえば、予備校の近所にあった神戸大学医学部の庭で、白衣姿でバレーボールしている学生か医者がいたが、健康的なようで、不衛生のようで、複雑な眺めだった。「ナース姿のテニス」は見たことがないけど。

快速電車に乗ったら、真新しいスーツのOLか女子大生かが、こっそりパンを食っている。
なかなか苦労してますな。
僕も車内昼食せにゃならんときがある。勤労者の皆さん、お互いがんばりましょう!


ソフトな毛

at 2004 04/29 14:34 編集

連休は飛び飛びだし、人込みの中に飛び込んで行く勇気がないので、まるで「お父さんの日曜日」だ。
どれどれ・・・と、fテレパルをぱらぱら。
ワシには不似合いな御婦人向け番組情報誌である。300円と一番安いのでお買い得なのよ気分だ。
ところがどうして、美容に旅に食い気と、憎いまでに我がツボをおさえてくれている。

しかしなぁ、なんじゃいそのサンダル!人体の足は、そげな形しとったかぁ!?
おい柴咲コウ、あんた足に何巻きつけとるかに。贈りもんのラッピングかぁ!?
彼女がこげな「おファッションIでデートに参上なさった日にゃー、ひっつき虫やらカマキリやら麦藁やらはさまってしかたないやね。

「ロケ地を旅する」とやらで出てくる、ソウルの案内人「ドンさま」て、なんじゃとて。ヨンさまの次はドンさまか。ドンとくりゃ、闇の帝王じゃがね。

とまぁ、けっこう一人で会話できるのがお買い得である。
結局、5月いっぱい、見たい!という番組はなかった。
そのくせ、テレビつきワイドバンドレシーバーを買ったりしているワシは、次はDVDビデオ・・・と物色している。
ハードがあってソフト不毛。
うーん、日本のインフラの縮図だな。


アンドロイドジナス

at 2004 04/30 12:57 編集

冬スーツ3セットをまとめてクリーニングに出してきた。
2200円・・・意外に安いわ〜うれしい!!
と、主婦ヨロコビを胸に秘めつつ(笑)帰ってきた。
本物なら、
「ねーねー、聞いてよ、午前中だと1割引になるのよ」
てとこだろうけど、主夫野郎だと
「よーよー聞いてくれよな、午前中だと1割引になるんだぜ」
てな乗りになるのかな。
「ふんふん、そうかい・・・」と無愛想に答える妻は外科医。いいねぇこういうのも。

「生まれ変わるなら女」と思う人が、初めて「男希望者」を上回ったのだそうな。
そうかい御同輩!
というつもりはない。普通に人として暮らしをやりくりしていると、主婦業も大黒柱役もこなしつつ両性具有になって行くものだと思うから。

男も女も弱気になっているのか?
かわいく無難にやんわりまったり生きて行きたいのか?
ふと、ビロード革命という言葉を思い出す。それもいいかもしれない。

男であることに疲れているのか、御同輩!
生きた証しは仕事より我が子で・・・ということなのか?

シングルパパ、シングルママからは、どう感じているだろう。

女装して女湯に入っていたヤローが最近あちこちで発覚しているが、これも何かの兆しなのだろうか(笑)。
逆のパターンは聞かない。サファイヤ王子みたいで美しい話なんだがなぁ。

「慣れているから、今のままでいいや」という程度にしか考えない僕にはわからん女性化現象だ。

そりゃたしかに、ふだん男女平等を訴えていても、人質になれば「女・子供・老人は解放してやる」と言ってもらえる可能性は高い。
女性専用車にも乗れる。まじめなエステ(笑)にも行ける。
トイレが混んでいたら「あーらごめんなさいね、ちょいとさせてね」とヌケヌケと男子トイレに入っても、決して犯罪にならない。
女性の特典は、たしかに多い。
そんな下世話な便利さは、でもそれだけのこと。

人間社会の摂理のようなものが働いて、いろいろな場面で女性と子供は守られやすい。
子宮という1つの宇宙を宿して生きているわけだから、粗末にするとバチが当たりそうな気もする(て次元の感覚でもないか)。
日本人は、どんどん宇宙を宿したい気分に傾いているのだろうか。

ちょっと検討させていただきたい。
毎日のヒゲ剃りと、毎月の出血。どっちを受け入れるか。
お産1回分と、便秘100回と、どっちを耐えるか。
過労死一歩手前と「職場の花」のどっちが惨めか。

結局、「慣れの問題」に落ち着きそうな気もする。
さしあたって、「喫茶店おしぼり世界一周」ができるのは男のプチ極楽だろうな。

gaiax日記アーカイブ2004年 | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0)
2004年3月の日記

うつるんです か?

at 2004 03/01 21:34 編集

鳥インフルエンザ騒動でとばっちりを受けた卸業者さん、お気の毒としかいいようがない。

卸業者といえば、鶏卵の問屋をやっていた僕の親友が、直接関係ない食品の偽装表示問題に巻き込まれて、得意先との関係で大変な苦労をしていた・・・と、霊前でお母さんが述懐していた。ストレスはてきめんに癌の発症因子になるというから、大企業の不祥事は関連業者の法人格だけでなく、身も心も蝕むのだ。

それにしても、すでにラーメンのダシになってしまえば感染するリスクはなさそうなものの、騒ぎすぎている感じもする。

なんだか日本人は、子供のころは標的になる子をバイキンになぞらえていじめたり、いやな人に触れられると何か手で拭い払うようなしぐさをとったり、「バイキン感染」に以上に敏感ではないだろうか。

そのくせ、鼻クソ痰ツバ大腸菌うようよの歩道や駅のホームに平気でかばんを置いたりしている。男も女も。

僕も、「未開発な年頃」には、地面に落ちたお菓子ぐらいは平気で食っていたが、今は地面に絶対に地面にカバンは置かない。
ふつう公衆便所は、床を靴で踏んで出入りしているわけだが、僕にとっては靴底も便所の床もイコールなんである(ヘンか?)。

鳥インフルエンザぐらいでパニクる国民なら、本屋で本の上にカバンを置いてる客をしばきあげなさいっ!


ミニには寒い日

at 2004 03/02 19:39 編集

明日3月3日がミミの日だというなら、今日はミニの日だ!
とコワダカに主張してもしかたないのだが、ローバー・ミニの日にしてもらってもいいし、そろそろミニスカートの季節ですよ!と「生足到来」を告げる春の訪れでもよろしい。

春の日ざしに浮かれ出て、日曜日に異人館通りをコギコギしていたら、いきなりDがま先生から「携帯の無料通話分が余ったのでかけた」と、ヒマつぶし電話をもらった。
で、時節がら確定申告の苦労をねぎらいあったりしていたが、恋人ども行き交う夕暮れのシュエケ邸の前で税金の話をしている男というのも、不気味な眺めだっただろう。

この先生の昔の愛車が、ミニだったように思う。
が、ワシの愛車は「ドイツ車」なので、英国車はよく知らない。モールトンは妙に複雑だし・・・。
??????
「車種」がごっちゃになるとややこしい話になるので、クルマは横に駐車しといて、「最近、メーリングリスト止まってますなー」と、ため息が2発。
5人の「写真家」でやっているMLだが、足並みがバラバラというか、方向もバラバラ。

そもそも、WEB上の写真は、絵や彫刻と同列の「作品」として鑑賞したり批評したりすることができるのだろうか?という疑問から、なかなか僕は解き放たれない。

そう言いつつ、WEBアルバムにはデジカメ写真やらフィルムスキャン画像をアップしているのは、「とりあえず見ていただける」便利さに負けてしまっている(笑)からだ。
オリジナルの、難の操作も加えていない画像は、コダカラーなりエクタクロームなり(コダクローム使わなくなったなぁ・・・)のフィルム上に定着して、部屋に死蔵されている。
・・・と構えてみても、しょせん死蔵でしかないけど。

それが複写され閲覧してもらいやすい形に変形されると、「死蔵よりはマシ」な気はする。媒体はフィルムからPC+ネットになるだけで、「イメージ」は伝わる。
のかな?

ただし、「いやもう、これは画像データです。レタッチしてるかもしれないし、どこかのサイトや素材集からパクってきたのかもしれませんよ」と但し書きつきで見てもらうのが、デジタル写真の必然的な見られ方というものかもしれない。実際、キレイとかうまいと言われてもピンとこないし、デジタルイメージ画像に、キレイもうまいも存在しないとさえ思う。

これ、顔面をレタッチしまくった(笑)美人とやらを手放しで美人と思えないのと同じイヤミ思考かもしれないが、デジタルフォトに熱中している人は、フォトショップの性能を自分の才能と勘違いする甘い罠と隣り合わせかもしれんなぁ・・・という気もする。

複製芸術論は、学生時代にベンヤミンを読まされたことがあるぐらいでしか知らないが、古くて新しい問題だ。
ちょうど飯沢耕太郎の『デジグラフィ』を読みはじめたところなので、デジタルイメージ論はまた沸々と温めてみたいと思う。
なんだかミニ問題から迂回してしまったが、ぶっちゃけて俗っぽいもの―そりゃミニスカートなんかも、年齢制限つきで(笑)好きなことは好きだが、芸術分野だと「ミニなカメラ専攻」なので(専攻を専ら攻めると書くのはナルホドだな)、これまたマイナー分野で寂しい。
「豪華ななデジタル一眼レフで道端の花」なんて姿になり果てるのも、なんだか繁華街をセコセコとろとろ走ってる四駆みたいで恥ずかしいしなぁ・・・。


洗濯屋でないケンちゃん

at 2004 03/03 20:29 編集

摂食障害を治したくて、WEBサイトで見つけた治療団体に行ってみたんです。そしたら、

前金15万円、
誓約書で「第三者にもらすな」、
治療室に入ったら15人の女性が全裸で寝ていて中央にいた院長も全裸!
院長は自分のことをケンちゃん大菩薩(爆笑)と呼ばせてお布施を集めていた。

・・・とまぁ、ハゲシく(椎名誠調)わかりやすい色と欲を、こやつは摂食障害治療院を隠れみのに満たしておったか!

あまりにも明快なエロ院長も院長なら、お気の毒だが被害者も、なんだろねこりゃ。
「高い授業料払ってだまされた」だけならまだしも、ミサオまで奪われてはいかん。
エロお医者さんごっこオヤジを盲信する精神状態に巧妙に追い込まれた、と弁護することもできるかもしれんが、あまりにも無防備すぎる。

この院長、ぜひ刑務所で掘られまくって「あっち方面」にでも目覚めなければ、メニューを変えて同じことをくりかえすね。

よしケンちゃん、次は、虚飾障害患者の厚化粧やハイヒールやブランドもんを剥ぎ取って、「すっぴん一番」に洗脳してみられよ。できれば偉い。
でもこれ、わが教団ヤマブシズムがずっと実践してきた教義なんだが・・・。


ミミのうしろ

at 2004 03/04 22:53 編集

3月3日に何か考えて日記でも書くべぇと思っていたら、コテンと寝てしまった。
で、鷲田清一さんの哲学エッセイ『聴くことの力』を、ずいぶん日数をかけてちびちび読んでいる。耳の日に読了・・・というのが鮮やかなシナリオなんだけれど、自分の思い描いたシナリオほどあてにならんものはないわい。

聴くことの力と、聞くことの無力―
PCでホイホイ変換できる環境で育ってしまった世代だと、「聴く」と「聞く」はどうでもいい違いで、「出た漢字」で確定してペチペチと書き進めて行くのだろう。人生後半世代の面倒くさがり屋にとっても、漢字変換機能は「福音」になっているのかもしれない。

そんなありがたい道具の前から離れた空間であっても、「聞く」と「聴く」の間に大きな溝があるのを感じる。
何かメッセージを伝えても、聞こえているようだが届いていない―という場面は、教育サービス業者でなくても経験することだろう。
肉声より、ケータイの着信音の方に高感度に反応する子が、ワーカーしたいカウンセラーになりたいというご時世なんだから。

「聴力」には、さまざまな次元がある。測定可能な聴覚から、地獄耳のような腕前、耳年増という発達のねじれ・・・等々まで、耳の良し悪しは自分がかかわる環境に大きく左右される。
最初の言葉をおぼえるころ、鼓膜が溶けてしまって発声をフィードバックしにくい難儀な思いをしていた僕は、否応なくゴボゴボと渦の中にもまれているような日々に生きていた。
そんな中で、子守歌に救われました・・・とか、賛美歌が神の世界へ導かれたんです・・・てな原初体験でもあればドラマチックだろうけれど、そんなものはない。完治しないまま今に至っているだけ。
ふつうに深夜ラジオに熱中する十代を過ごしたが、それもまた完治しないまま、ラジオ中年になってしまった(トホホ)。

それでもそれなりに、聴こうと思って聴くことと、大自然の音声には高感度でいたいと思い続けてきた。
たとえば、クゥクゥいう愛犬に、「おまえ嗅覚は人間の1万倍らしいが、くさい匂いも強烈で大変やのう」と同情したりしながら、動物の魂の叫び(笑)を聴こうと挑戦していた。
ま、こんなこと愛犬家ならだれでもしているだろうが、犬語や猫語は子供の方が得意かもしれない(ハムスター語になると、僕にはお手上げだ)。

かつて放送部にいて、学外まで研修を受けに行ったりしている中で、放送原稿を読むのと「伝える」のとはまったく違うことだと思い知らされた。
はずみでマスコミ専攻のある学部に進学したが、紙や電波を媒体にしたミニコミばかりやっていたから、当然マスコミ就職からは離れてしまった。
そうして今やプロの仕事を見て、スポンサーのボイコットをしたり受信料不払いをしたりするイヤミな素人になり下がっている。
女子アナの美貌や美声にまどわされて騒いでいる庶民の方が、マスコミ業界にとってはありがたい客なんだろうけど、そうは私が卸しません。
ニュースの読み方を耳にしただけでも、その内容がちゃんと理解できているか、自分のアナウンスを客観視できているか、あらわになってしまうものだ。

別に女子アナに限らず報道記者でも、一番多いのは、原稿棒読みタイプだ。あぁこやつらは、与えられた仕事をこなすことしか頭にないんやな・・・と言外のメッセージが聞こえてくる(幻聴か?)。
ちゃんと心に届く伝え方をしているアナウンサーは、やはり高齢者の叱咤支持を浴びているNHKに多い感じもするけれど、日テレの井田由美さんを推すマニアは僕だけではないだろう。だけ、であってほしい気持ちと、だけでは困る気持ちが哀しきオッサン心理というものだ(笑)。

ふだんは、ラジオ少年なれのはて中年だから、ラジオ部門だとあのカリスマ番組(?)「深夜便」にたまーにお出ましになる須磨佳津江さんとは、一体どんなに麗しいお姉様なのだろう?と、じーさまたちに混じって(といっても、それぞれ自宅で老いらくの心をときめかせているんだろうけど)妄想してしまう。
原稿や台本があったとしても、この消化力と表現力は天才的というしかない。
ミミに障らず、知らんうちに全身全霊に届いてしまう話芸を、身につけたいものだなぁと思う。


ブレイン

at 2004 03/05 14:27 編集

緊急入院の長嶋さん、「いやー、ブレインがですね、脳卒中しちゃいまして」と、いつもの長嶋節で復活会見してくれるのはいつだろう。
まだ六十代。
心筋梗塞から退院して病院玄関で投げキッスを見せてくれた森繁さんに、「ワシより先に逝っちゃだみだよアンタ」と檄を飛ばされまっせ。

最近のブームにあやかって、安保先生の免疫療法の本を読んでいるのだが、ストレスは万病の元のように説かれている。でも長嶋親子はそろって「ストレスって何ですか?」と言いそうに見えるから、食生活か何かが原因だったのだろうか。
巨人は好きではないが、早くよくなってほしい。
「おかげさまで、クイックに退院できまして・・・」と笑わせてほしいものだ。


ウェディングケーキ入党

at 2004 03/07 20:43 編集

人前結婚式というのはシンプルでいい。
神様の代わりに、祈祷やら呪術やら披露して参列者を煙に巻けるってことか?・・・と期待して、式から披露宴まで司会を引き受けたのだが、案の定、自慢の宗教色(笑)は出せなかった。

「日々ポカポカと春の足音が・・・」と台本を書いていたのが、朝起きると窓をたたく雪音。なんじゃこりゃー!
アウトドアが出会いの場という野生カップルだから、ガーデン式典となったのだが、おかげで僕も寒くて、皆ガタガタ震えていた。「はよターミネートしちまえ」とホンネがそうさせたか、署名をすっとばして式を短縮しかけてしまった。

3時間のお務めが終わったら、当然でしょ!の勢いで二次会・三次会へ。新婦が漁師の娘、新郎がカヌーイスト・・・と、潮の流れでベーリング海峡!のノリ(ようわからん)に便乗して、とりあえず2時まではつきあった。しかしカヌー部員たち皆よく飲むことよく歌うこと。

花束贈呈もケーキ乳頭いや入刀もないシンプル披露宴だったから、「盛り上げ隊」を買って出る友人連中というのは宝物やなぁと感心させられた。
おまけに、「親以外の来賓は全員友人」で、会社の上司のスピーチとか、何やら議員の祝電披露の類もなく、実にさわやかだった。

ということは、宴の後は三島由紀夫・・・じゃない、若い連中が主役である。
「いつの間にか合コン」の空気は、あぁ、こんなのは80年代に率先してやってたなぁと懐しかった。そう察知したらひっそり去るのが、哀愁のおじさん道というもんか(笑)。

種の保存競争から離脱したオスとしては、同性諸氏の、女子に発する電波が客観的に見える気がする。つい、段取りのまずさに「おらおら、おねーちゃんにアドレス聞きたいんやろ?」「自己PRしたいポイントを検索中なのねーあんさん」などと、導火線に火をつけてやりたい衝動にかられたが、野暮は思いとどまった。
ま、「西川りゅうじんと中谷彰宏と清水ちなみが仕切りまくっているような飲み会」てな場面を想像すると、興醒めもいいところだし。

晴れの舞台で興に乗れる気分と、構造的に婚姻に夢を託せない社会との格闘は、なんだか「老人と海」のようだ。
一般的には、女性の方が賢く生き延びてきたような気もするけれど、男性が賢くなっていろんな制度のカラクリが見えてしまうと、少子化は今以上に絶望的に深刻になって行くだろうと思う。
種明かしばかりしているのが社会学屋だったりして、その一端をかついでいるので、罪滅ぼし?に「結婚はいいよー」「チャンスは逃すなよー」と男女を煽っているのだが、説得力ないな。


薮の中

at 2004 03/08 20:54 編集

朝から、ニュース速報がかけめぐっていた。養鶏場の経営者夫妻の首吊りで。
お気の毒というか、何もそこまで・・・というか、よほど報道で追いつめられていたのだろうか。

この国には、切腹という「自死の文化」があったとはいえ、それは武士道の話。今の日本で、晩節を穢さず自分で身を処するつもりだったなら、真実を書き置きすべきだろう。限りなく黒に近い灰色の会社をバトンタッチされた息子の立場も、お気の毒だ。

遺族には遺族なりの思いがあるだろうが、地元住民やニュースの受け手にとっては、おわびの言葉より、とにかく「真実」が知りたいものだろう。
この社会には、よく「ゴメンですむなら警察いらん」と言われる一方で、儀礼的にゴメンを強要するような空気も漂っているように思う(どっちやねん!)。
心から「すまない」と思ってなくても、経営陣そろって土下座してみせたら謝罪した「ことになる」し、謝られた方も溜飲の下がる思いがする「ことになっている」。謝罪と赦しが儀式になっているのだ。

謝れと言われてから謝ったのでは遅い。
それでも、儀礼的なゴメンナサイの次には、「こうして謝ってるんだし」と、赦しを誘導するような浪花節BGMが聞こえてくるから、とても心の奥底から赦す気持ちになれなくても、赦さないことが赦されないことさえある。被害者の側が今度は罪人扱いされるのである。何かの事件の被害者にとっては。セカンドレイプに似た二重の苦しみを感じるのではないだろうか。

命がけで真相究明するというのは1つの価値だろうが、命を捨てて真相は闇の中・・・では、何のための命なんだろう。いくら憎くても、死なせてしまったら、被疑者の頭の中にある当事者情報は、永遠に安心社会づくりの肥やしにはならない。

殺戮が好きなブッシュでさえ、皮膚ガンのフセインを治療して延命せよと命じているのは、「感情より国益ですよ大統領」と進言したブレーンでもいたのかと思うが、憎まれ役が死んでせいせいしているだけでは、成熟した社会とはいえないと思う。


無限に名言は妄言へ

at 2004 03/09 17:33 編集

教祖と結婚した美人女優について、元吉本興業名物常務の木村政雄さんが、すがりたくなるものを求める芸能人心理でしょうか・・・と、短いコラムを書いておられた。
妙にわけ知り顔で天下国家について高説を垂れる経営者が多い中、木村さんは素朴に自分の言葉で語っている。

社会不安(年金、家庭、仕事、等々)、
自己への関心(私らしさとか、本当の自分探しとか、オンリーワンだとか)、
メディアの発達(視聴率とれれば教祖もスター)

という条件がそろったところに、エキセントリックなキャラクターが登場すると、瞬時にカリスマ化する。
という分析を、大昔にナチズムの分析をした精神科医エリッヒ・フロムが『自由からの逃走』に書いている。

そんな話を、精神保健福祉を学びつつ手をあげて質問された年長の女性に答える形でしたのが、5年ほど前だった。
大半が勤労者だったクラスは、大卒したての20代が多数派になり、今はこんな挙手質問をする人はいなくなった。忠実に黒板を書き写し、講義ノートだけに頼って受験勉強をする。国家試験で即効力が出るトレーニングが要望される。
実際たしかに安くない学費を払って漫談を聞かされるのも悪いから、一定の成果を保証するのがプロだとは思う。
その結果、「講義ノートだけが頼りでした」と言われて、感動する教師も世間にはいるかもしれないが、良し悪しは後で論じるとして、これは1つの宗教現象だなぁと思う。

小学生相手の「熱血系」学習塾でアルバイトしていたとき、授業で教わった言葉を使ったら親戚のおじさんにほめられた!と満面の笑顔で報告してくれた少年に、「よかったやんけー」と返した僕は、やりがいの裏で「あ、この味は危険だ」と感じて、それ以来お子さま相手の仕事からは足を洗った。
「子供の笑顔」の味に取り憑かれる寂しい大人は少なくない。
悪意を持ってコントロールしようというわけでなくても、いや、だからこそ、「いいことなんだから」「子供も喜んでいるから」と自己承認してしまっているから、この種の善意は深い病根になりうる。

その次のステージにはまって行くと、「涙」を肥やしにするようになる。
何かしてあげた相手に涙を流して感動される・感謝されると、じんとくるのは人の常かもしれないが、そんなとき両者は、絶対的な権力的上下関係にある。そう説明すると、私は政治学や社会学は専門外ですし、宗教をやってるつもりもないんだ、と病根から目をそらそうとする「臨床家」は多い。
教師やカウンセラーや医師は、癒される側の心の中では「教祖」になっているのに、無自覚なのか、謙遜を装った陶酔なのか、「いやいや私のはそれほどの力を持ってない」とうそぶいたりする。本当に病床にあるのは、こんな人々の方なのである。

「しめしめ私の言う通りに動く。これが自分の功績だ」と自覚している師(教師・医師・尊師・詐欺師etc)は、まだ罪が軽い。悪意は修正できるから。
それを職業にして、外から「それは、おかしいんじゃないか?」と批判されても意固地になって、自分を相対化できなくなると、これは重症だろう。自分を客観的にチェックできなければ、自分の中にある弱さや、自分がよりどころにしている地位や資格の欺瞞を疑う知力が、封印されてしまう。木村政雄さんのように、自分が芸人塾の塾長をしていて、カリスマ化される立場だと率直に打ち明けて書いているのは誠実だと思う。
「善意」をどう修正したらいいのか?と問われるかもしれない。問うことをやめてしまって、あとは退職金と共済年金だけが楽しみ(笑)という教師も繁殖していて、教育行政を蝕んでいる。

バッシングでカルトが先鋭化して暴走する方程式は、オウムや原理主義がうんざりするほど見せてくれているのに、カルト化した癒し業界は、ますます繁盛している。
こんなカルトビジネスは、金の切れ目が縁の切れ目だから、財産丸裸になれば、それをしゃぶりつくした業界からは用済みになるだけだが、元信者が財産以外に失うものは大きい。
たとえば、心理的な空虚感。
だから、カルトを抜けても「その代わり、得たものもあった」という認知の組み替えがなされて、「セントラル・ドグマへの帰依」は消去されない例も多い。

宗教、ウォーキング、沖縄、メイク、心理、登山、不登校・・・・・・
あちらにも、こちらにもカリスマがいて、カリスマは塾長になったり社長になったりして、布教と洗脳に励んでいる。
そんな中、小学生の次に僕が偶然かかわった某塾の塾長が、性懲りもなく名言集とやらを出した。
あらまぁ・・・表紙からして神々しい演出の顔アップ写真。中には、立派な名言があふれている。「経典」になりやすいつくりなのね。

具体的に病気を治せる医術や、宙空から金粉を出してみせたりするマジック(笑)は持たないが、無自覚な権力志向を秘めた小者が、てっとりばやく・やさしく・一見無害に弱者を支配する小技が、「気の利いた名言」である。
たとえば、
「今のままのキミで、いいんだよ」
というような、できるだけシンプルなのが呑み込みやすい(あ、これはキリストひげ姿で夜回りしている某高校教師のミコトバだったか)。
「大人の言うことなんか聞くもんか」という少年少女を肯定してみせるふりをして、「でもね、おじさんは君のためを思って言うんだよ。だから私の言うことだけは心に留めておいてね」
・・・というのは、俺にだけ影響されればいいというカリスマの脚本そのものではないんだろうか。

名言は商品としてメディアにとりあげられ、批判しようものなら悪者扱いされる――そんな空気は、知らん間に、やわらかな赤狩りやファシズムに近い社会を創って行く。
まぁ、僕も教祖の一員であるから(笑)、同業者の手の内が見えてしまう。
ただ、僕は山で笑ったり半泣きしたり、脳いや心を洗われたりして、このヨロコビを、君もどう?とそそのかす「信者代表」というぐらいの乗りの教祖だから、本当に偉いのは自然の中で一人で泣き笑いできる遊び人だと思う。
自己治癒力を萎えさせる偽善こそ、悪そのものではないだろうか。

泣きなさい
笑いなさい

あのね、命令されなくても、勝手に泣き笑いするわい。
そう唄ってもらわないと、感情を出せない現代人が増えている証しだろうか。



もれもれ

at 2004 03/10 21:25 編集

「ジャパネット高田の顧客情報流出66万人分!!」って、CM自粛までの騒ぎになっているが、実害はあるのだろうか。
通販で集めた情報が、販促に流用されることは消費者だれでも知っている。社内で使われようと、関連会社に流れようと、流用は流用といえへんか?線引きする場所が違うだけで。

それにしても、ただ買い物するのに、生年月日や性別まで通知するのは解せぬわと訝しんでみても、「でも便利だから、いっか」と思えば吹き飛んでしまう。
「個人情報洩れ」「プライバシー保護法制化」と行政批判のノロシをあげるのは、カタルシスにはなるんだろうが、実態は国民が個人情報を正直にばらまきすぎとるんではないかな。
そんなこと商業メディアで主張すると、スポンサーを失うのがこわいから言わないだけ。

そりゃー銃刀類とか劇薬を買うときは身分証明とひきかえなのはわかるけど(我が街には、身分証明なしでプリペイド携帯も催涙ガスも現金で、つまり匿名で買える店が普通にある)。
ええかげん、消費者もかしこくならにゃ。

僕はできる限り(ちゃんと届く範囲で)ウソの個人情報で通販を利用するし、実際、姓だけ正しければ、名前は大明神だろうとサダムだろうと届くわい。
まぁ、できるだけ本物らしいウソの方が、集まった個人情報に「見えない虚偽情報」を埋め込んで撹乱し、リストの価値を下げる効果があるかもしれない。2月30日生まれだとか、職業は組経営だとか。ささやかな抵抗にすぎないが。
実験がてら、「45歳主婦」と称して高田で美顔器でも買うと、ドモホルンリンクルのサンプルが届いたりするのだろうか。
業者ごとに名前を変えてカタログ請求でもしてみたら、別業者から届いたDMの宛て名から、「この会社からここに個人情報がリークしている」とわかるだろうな。

でも、通販は「アホくさー」と思いつつ、芝居こてこてCMを見ているだけでも、「だまされてやろうやないの」てな変な楽しみ方ができる。
実際、僕はトーカ堂の「うつむき社長」のファンである。
いくら繁盛しても、堂々としてほしくない。
あくまでも、もうしわけなさそーーーに、「それがですね、1万9800円・・・ということで」と、ボソボソと恐縮しながら、永遠に「口ごもり恐縮うつむき販売」をやってほしいものだ。


愛の貧乏脱出

at 2004 03/11 21:11 編集

あちゃちゃちゃちゃー…と、ため息で酸欠になりそうなファミリーが、貧乏救出系(笑)番組に出ていた。
旦那が独身時代に財テク(のつもり)で投資マンションを買って、おまけに金(ゴールド)の積み立て預金もやっていて、働かない女房と幼な子を養っている。
総年収は税込み480万円。ここから、自分たちの家賃と、マンションのローンを払っているわけだ。ふつう、家賃かローンか、でしょうに。

投資マンションというもの、家賃収入あっての投資になるはずだが、この旦那の家賃収入はローン返済額に負けている(爆笑)。
おまけに入居者がもうすぐ退去する、ローンはあと1000万円近く残っている・・・で、「あなた、もうこのマンション手放しましょうよ」と、未練のある旦那に、奥さん涙ながらに訴えている。
「みんなマイホーム建てて友だち招待してるし、私たちだけよ!友だちも呼べないこんな暮らししてるのはっ」と切々と訴えているが、年収いくらで大黒柱1本だったら、どんな暮らしになるかがわかった上で結婚しないのだろうか?

働かない(働けない、ならしかたないけど)奥さんがマイカーを持って、自分のマイカー(家族で乗れるワンボックスカー)は手放して、徐々に丸裸になりつつある旦那。あぁ、やはり「男は消耗品」なのね村上龍さん!

いまどきのマンション建設ブームといっても、投資用マンションという甘い罠が増加率最大だというから、マンション経営のプロでもない素人が不良債権を買わされているだけではないだろうか。
年金不安をかかえている国民で、「年金の足しに家賃収入を」と考えた庶民が、右も左もわからないマンション投資に財産を注ぎこむケースは、もっと増えるだろうなぁ。
家賃がコンスタントに入るかどうかわからない、空き部屋であっても、税金や修繕費、ローン返済などの固定経費が容赦なく持続する、原価償却したころに「築 30年」になっているマンションなど二足三文でしか現金化できない・・・と、不安な年金より大きい不安がつきまとうのに。
後生大事に16平米のワンルームマンションをかかえこんでいる旦那は、足元を見て虎の子の資産を買いたたかれる絶好のカモだろう。

相談員の荻原博子おっかぁも、内心では「収益あげないマンションと、稼がない奥さんとで、ダブル不良債権だねぇ」と思っていたはずだが(笑)、まぁそれは口にせず、小手先の生活節約術を紹介するにとどまった。

そこで登場する、あの「別れちゃえば?」の、みのもんた。
もちろん、それでは抵抗もあるだろうが、そこで登場する三番手osawasenseである!!
開口一番、「離婚して、後生大事なワンルームマンションでわびしく暮らせ」と旦那に鉄杭(笑)。

それだけだと酷だから、愛と知恵のosawasenseである。
マンション名義を元奥さんに移して、元奥さんとはいえ他人である大家さんに家賃を払うという形にすれば、それで働かない奥さんも今のアパート家賃と相殺して、赤字にはならない(自分のメシ代ぐらいは働いて稼げ)。
ついでに、母子福祉手当も母子世帯家賃助成も、もらえるうちにもらいましょう。
もちろん、けんか別れするわけではないから、お互い行ったり来たりしながら家族団欒すればよろしいのである。

一緒にいたくないとき一人になれれば、「あなた、おしっこする音が大きいのよ」とヘンないいがかり(しゃがんでおしっこする彼氏を好きか?)をつけられるストレスもなくなるし、掃除しない家事しないと責任のなすりつけあいもなくなる。お互い自分の友だちを自由に招いて、自分の家を自己管理で使えまっせ。

あぁ、「カップル仲良く別居、ほとんど通い婚」というのは、ロマンチックッな名案だと思うなぁ。いくら親密になっても、「デート」「夜這い」の楽しみとスリルと手間が味わえる。私のいない間に、姑が来て彼の身の回りの世話してるんです!プリッ…という悲劇もない。

子供も、「家が2つあるの」というのは楽しくていい。パパに叱られたらママ宅で癒されたらいいし、ママ宅で溺愛されてだめになりそうなら(子供が自覚できるか?笑)パパ宅に出家してバットの素振りを仕込まれればよろしい。
「パパの家とママの家」と聞いたセンセイたちは気を遣うだろうが、「でもパパとママ仲がいいの」と聞くと、気遣いを通りこして目まいされるかもしれない。「今晩パパの家でママいちゃついてるから、あたしママの家でおとなしくしてるの」なんてことになれば、僕はおぉなんといい形だ!と幸福を感じるが、道徳的なセンセイたちは生活指導したくなるかもしれない。
でも、高齢化社会だからこそ、「親子愛より夫婦仲」を正面から考えにゃいかんと思うがなぁ…。

これ結局、自分の好みを押しつけるだけの人生相談か…それとも布教かな?



SOS

at 2004 03/11 21:12 編集

モスであっちの席に座りかけた「トレンチコートの樹木希林」、一瞬目が合ったかと思うと、すぐ隣に移ってきた。よりによって、顔の見える斜め前80cmの至近距離から、わしに視線を投げかけてくる。
「そんなに私を見て、どうしよっての?」と、勘違い電波を発信しつつ(笑)。
ちゃうわーっ!!
十万円もらっても、やです!この手のオバサン、モスでは13人目だが、オババ入店の瞬間から胸騒ぎのあまり、チラッと見なきゃよかった。

あ”〜、今宵もモスに渦巻く「たして百歳のフェロモン」(笑)。
トホホホホホ・・・・・・
だれか「オバ専」の坊や、カプセル怪獣として僕に登録しといてくれないか?



にょいーん

at 2004 03/12 22:18 編集

やややっぱり、やってましたか教祖っ!
と納得してしまったのが、某巨漢教祖の「裸体に写経」という儀式。若い女性信者限定の秘密の儀式らしい。
「そんなこと、あってはならない」という女優ファン心理と、「あ・あ・あんなことやこ・こ・こんなことも、やってるに違いない」という心境が妙にないまぜになって、妙に合点が行くような、めくるめくスキャンダルだ。

あの夫婦のような異色のコントラストを見せられると、段違い平行棒を通り越して、「棒違い乱交坊」という感じもするが、きっと、信者の女性はヤワハダに書き込まれるお経に、それなりに法悦の境地に達していたのだろう。
うーん、藤原紀香みたいな尼僧がいたら、わしにも書いてほしい…(脱線)。

それにしても、細かい字をヤワハダにぴちゃぴちゃ書いて、する方もされる方も気持ちいいものだろうか?というのが、素朴な疑問。
いろんな趣味の人はいるだろうけど、たぶんわしが紀香尼にされても、「あぁこんなもんでしたか」で終わりそうな気がする。

やはりこの分野(どんな分野や)では、わが敬愛する先輩メールアーチストの嶋本昭三さんに、スキンヘッドの先輩として教祖を調教していただきたい。
嶋本先生は、女拓―にょたく―作品を旺盛に制作し続けておられる偉大なアーチストだ。要するに「魚拓の女体版」だが、全身に墨をモップで塗って、キャンバスにたたきつける・・・この方が、陰湿ではないしダイナミックでいい。

あの教祖の変態秘儀と嶋本先生の女拓をコラボレーションすると、ニョイン(女陰ではない、女印)ができる。お経を鏡文字で書いて、乾かないうちにキャンバスに貼りついてもらえば、ありがたい女体印鑑である。
これこそアートだし、ありがたい御利益もありそうだ。

鏡文字は難しい(頭がいかれている僕はスラスラ書けるけど)ので、左右対象の字でやってみれば、どなたでもできそうだ。「回春」とか(笑)。この名案のパクリ犯が増えても、わたしゃ責任もてないが。


しまった

at 2004 03/13 17:42 編集

九州新幹線の部分開業を目玉に、今日がJRの春ダイヤ改定になっていた。
「新幹線が通れば在来線は捨てる」のが、長野新幹線と信越本線で見せつけられたJRの鉄則(まさに鉄道の原則だな)。九州南部の新幹線と並行したJR線区は、「オレンジ鉄道」(ダイエー系か?)という新会社に移管されたという。

ところが困ったことに、JR線区ではないので、18きっぷが使えない。
思えば、よーし西方浄土だ!と壮大な決意を胸に18きっぷで西をめざし、山口で挫折してしまったとき以来、鹿児島到達は我が悲願であった。神戸から始発に乗れば、鈍行を乗り継いで、ちょうど日付が変わるころ鹿児島県にたどりつけるダイヤだったのだ、きのうまでは。
行こう行こうと思いつつダラダラなまけているうちに、2300円フル活用の鉄分濃厚な旅はできなくなってしまった。残念無念!
こんなご時世だからこそ、「新幹線で便利になる」という歓迎ムードが日本全土を覆うほど、鉄ちゃんの気持ちがわかる。僕は断じて決して絶対あくまでも鉄ちゃんではないが(たぶん)、肩身が狭い連中に肩入れしたくなる。

僕を蒸気機関車に乗せてくれたりした元機関士の義兄は、「のぞみ」の運転士を最期に、定年を待たず完全退職して郷里に帰って行った(某元首相に鉄ちゃんがいるという話もしてくれた)。労務管理が厳しく、相当ストレスで消耗していた様子だった。
その新幹線が、今でこそローカル線を駆逐する罪な花形だが、時代が変われば懐かしく思われたりする日も来るだろう。僕が幼稚園児のころ「夢の超特急」といわれてSFのように光り輝いていた「100系」も、引退した去年?には、もうレトロな存在になってしまっていたように。

けさ「ごめんやす」でばんばさんが体験レポートしていたリニア新幹線は、かなり実現が近いようだ。150km/hまでは車輪で走ったあと、ふわっと浮くのだそうな。線路上を飛ぶハイブリッド交通という感じか・・・これはこれで、楽しみではある。
東京の都心から大阪の都心まで1時間。大阪から空港へアクセスして搭乗手続きをすませたころ、リニア新幹線は東京に着いてしまう計算だ。

JALシステムとANAが巻き返そうと思えば、ミサイル便を開発するしかない。JALとANAが合併してJAANA(命が保障されない乗客は、じゃあな!と言い残して搭乗していただく)を設立して、丸の内に狙いを定めてビジネス客を発射するとか。最強ビジネスマンが凄まじいG(荷重力)に耐えれば、10分ほどで着きまっせ。
浦安を標的に発射すれば、日ごろ刺激不足なディズニーバカップルなど、Gに失神して喜ぶだろう。

決して断じて絶対にマニアではない僕が今ターゲットにしているのが、乗った経験は一度か二度しかないが、YS-11である。絶滅する前に何とか…と思いつつ、俺はマニアではない、おマニ屋さまではない…と唱えつつ、書店のヒコーキ雑誌が我が右手を呼んでいる(笑)。


ゴールドデー

at 2004 03/14 21:07 編集

ホワイトデーは昔、マシュマロデーとよばれていたような気もするのだが、もう死語の世界になってしまったのだろうか。
いかにも、マシュマロを買わせたい業界の思惑が見え見えだったせいか?
どうせバレンタインデーのお返しを何か買わせたいんだろうから、ブラックデーでもパープルデーでもよろしい(あ、私ブルーデーだから・・・という女子も聞かなくなったが、これも死語の世界か?)。

僕は金ぶちメガネにあこがれるゴールドマニアである。ところがメガネには幸か不幸か縁がないので、最近の身の回り品では自転車とか婚礼ネクタイはゴールド化している(さすがに横山たかし・ひろしのようなゴールドスーツは無理だが)。
あるサイトで、モバイルギアをゴールド塗装したマニアが載っていて、「まるで仏具」とからかわれていたが、僕は「うぅぅぅ先を越された!」という気分だった。

だから3月14日は、個人的には白々しいホワイトデーをやめて「ゴールドデー」がいい。
しょせん「純白な心」は遅かれ早かれ濁って行くけれど、「ゴールドな心」は何物とも化合しないピュアの証しなんである。

ま、ほとんどの女子はそんな「色ことば」を深読みするより、白でも金でもいいからブランドものとマイバディ引き換えだ!てな乗りだろう。
ははー、シロガネーゼとは、こやつらの化けの皮であったか?


ボーナス7万円

at 2004 03/15 18:22 編集

先月から、さっさとすませてしまおうと思いつつ期限日が来てしまった確定申告に、閉庁30分前にすべりこみ。
あわてて係員の前で申告書を書く方が、確実で早い。15分ですんだ。

今年の還付額は、10万円の大台には届かなかったのが残念。
でも、あんまり多すぎても、それは「不正な課税でした」ということだから、腹立たしくなるわな。
学生諸君には勤労学生控除をしてみたらええよ、と毎年そそのかしているけれど、「*万円戻って来ました!ありがとう、チュッ」は決してない。「僕でよければ・・・」というのも困るが。

経費がほとんど認められないのが、給与所得者の不利なところだ。
きのうは組合の総会に行って、引退できるかな?と思っていた執行委員に再選されてしまったのだが、そこで議論をふっかけてみたのが「賃金のもらいかた」について。

大学の非常勤講師諸兄は、労働者として給与をもらってきた。
正式には、雇用契約を結べば賃金労働者である。労災が適用されるし、所得額によって、厚生年金に加入できたりする。

それが、国公立大学の独立行政法人化で、業務委託契約に変わりつつある!えらいこっちゃ・・・と動揺が広がっている。
つまり、レギュラー番組を持つ放送タレントと同じ法的身分になる。「保険や災害補償も、自己責任でやりなさい。ギャラは出すから、その使い道はご自由に」という形だ。

善し悪しはさておき、こんな形は、予備校や専門学校業界では昔
から当然だった。実績と年棒を毎年交渉するプロ野球選手の感覚で、1年単位で実績を出すよう、励んで来たわけである。
一方サラリーマン正社員は、安定した月給が定年までもらえるが、給料から年金や健康保険が強制的に天引きされる。自由度は小さいが、安定かつ安心だ。

というのも、どうやら怪しくなってきた。
今の年金天引きは、何十年後かの受給を保証してくれないのだから。
それなら、「仕事の対価は退職金までおあずけにせず、その月末にガッポリ単発でもらって、使うか貯めるか運用するか自己責任で選びたい」という気分も、ええかげん煮詰まっているだろう。「年金も健保も雇用保険も入れてくれなくてけっこう」とケツをまくって、外資系金融機関に期待する国民も増えている。

もし社会保険天引きをやめてしまうと(会社ぐるみで脱退するケースも増えている)、国営の保険制度は破綻してしまうし、あの大銀行と、この大銀行は倒産する。
銀行は、顧客無視の営業や巨額の役員報酬を改めず、郵便局が悪い!縛れ!解体せよ!と矛先をはぐらかしているが、戯言ほざくな。

こんな銀行や、厚生年金事業団のザル経営を見ていると、ハゲタカよばわりされている外資系の個人年金保険や投信に、日本人の資産が流れて行くのは無理もない。
ただ、個人個人が賢くならなければ、騙された!ということにもなりかねない。
国に騙されるのと、会社に騙されるのと、どちらの絶望が深いだろうか。

所得の総額は変わらなくても、自由度と自己責任割合の高い働き方(アメリカ型)と、「がっちり天引き安心老後(ヨーロッパ型)」と、どっちがいいか。
流れとしては、「ヨーロッパからアメリカへ」のようで、不安も渦巻いている。アメリカ追従、抵抗心理、保守回帰(日本だったら家族福祉の世界だな)というのが3大世論のようだが、もっと賢い第4の道はないものだろうか。


キュー!

at 2004 03/16 22:38 編集

「キューちゃん選考漏れ」でニュースは沸いているのに、当の本人は会見で、すごくリラックスしたような、いい笑顔を見せていた。今までのキューちゃんスマイルは、僕の目には「ひきつり笑い」にしか見えなかったけれど、重圧感で緊張が溶けなかったせいかもしれない。

若手にチャンスを与えるのも、先輩の美学というもんです。
長い間ご苦労さまでした。
・・・というにはまだ早い。
ぜひ、キューちゃんスマイリング・リベンジを見せてほしい。
北京で優勝して「近ごろの若い子たちは、せっかくチャンスを与えられてもだめねぇ、オホホホホ」と笑ってみせるとか(=なんでマダム笑いや?)。

さしあたっては、アテネ対策だ。
選ばれた6人のためにもなるようなリベンジがいい。
僕がキューちゃんなら、ブータン国籍をとって出場する(生活してればそのまま高地トレーニングになる)。そして本番で優勝すれば、選考委員会の権威は丸つぶれだ。
キューちゃんの代わりに日本代表に選ばれたのが実際だれなのかわからないが、本人自身も、結果で納得するだろうと思う。

こんなリベンジは、学者の世界では昔から「頭脳流出」という形でよくある話だ。あまりに社員の才能を冷遇しすぎて、200億円支払い命令を受けるはめになった会社は、最近の有名なニュースねた。
キューちゃんは頭脳もよさそうだが、「健脚流出」ということになるかな?
さぁ海外進出、キュー!である。

これからは、「私を代表にしてくれる国募集」なんてことも、起こりうる話だ。
よほど何か特技や才能があったらの話だが、僕ならそうする。食事は和食の賄いつきで(これだけが条件かな?笑)。

国粋主義者からは「それはズルい」と難癖をつけられそうだが、国単位の対抗戦というのが、もう古いんちゃうかい?と思う。クリスティ・ヤマグチやミシェル・クワンといった金メダル級のフィギュアスケート選手を見ていると、つくづくそう思う。
モンゴル人とアメリカ人に「君臨」されてしまった国技もあるしなぁ・・・。

昔々、早稲田のチーム力に貢献しながら、台湾籍を理由に甲子園に出してもらえなかった王貞治は、日本を代表して世界の王になった。古い世代は恩や情に弱く、スポーツ界もそれに甘えてきたところがあるように思う。
けれど、あいかわらずなんやら枠とか建前にこだわりすぎると、自分を推してくれる国を選んで、外から祖国にリベンジするような戦士が、出てくるのではないだろうか。
たとえば、サッカーが未来を暗示しているのかもしれない。天才の卵に年棒1000万円なんて査定をしていたら、5億で買って育てる欧米チームも、ありありだろう。
そんなドラマも見てみたいものだが。


中ぐらいのお世話

at 2004 03/17 23:12 編集

モスでティーンズ軍団に囲まれてしまった。
煙草スパスパ、どこかのバイト帰りだろうか、きつかったの、ヤーさま怖かっただのと(どんな商売や)だべって盛り上がっている。話の中身から、16歳というのも判明した。あらまぁ、世慣れしていること・・・。
黙々とコーヒーすすっているおっさんを取り囲んで騒ぐ形にはなっても、何かこぼすとかぶつけるとか、粗相のないよう細心の注意を払っているのが伝わってくる。
その代わり、「静かにしてくり」とクギをさすようなことを言えば、反撃は必至だろう。
これが、夜の街を泳ぐ少年少女のサバイバル術みたいなもんか?と思う反面、どうだかなぁ・・・という気もする。

十代にして「大人を喜ばせる仕事」に長けるのと、「大人が喜ぶ働き方」はまったく異質なはずだが、金払いとひきかえの接客サービス業で、自分を承認されたように勘違いしてしまうのは、僕にも経験がある。
(幻想なのかもしれないが)純粋な感性を擦り減らして、1時間800円を愛想笑いと交換して夜中に帰宅する・・・ってのは、なんだか彼ら彼女らの嫌うオッサン労働と、質的には同じではないのかね?
じっくり本を読むとか、血まみれで楽器を練習するとか、古典的なパターンでスポーツに没頭するとか、いずれにせよ生産と消費のサイクルに丸め込まれない贅沢な生き方ができるのが、若さの特権だと思う。
どうせいやでも働かにゃならん時期が来るんだから、今は金にならなくても夢中になれることをやっといた方がええんちゃうか?と疑問電波を送信しておいたけれど、届いているかどうか・・・。


よかよか

at 2004 03/18 23:08 編集

人前結婚式で立会人をしてくれた平井堅(仮名)に、写真を見せてもらいながら茶話。
宗教色のない、友人だけで盛り上げる簡素な式に「やっぱり、友達というのは宝やなぁ」とうなずきあっていた。

学生時代に酒や旅を共にした仲間も、会社の人になり、家庭の人になり、少なからぬ女性は、子の母になって行く。
それでも、一緒に「その日に帰りたい」世界をもっていられるのは幸せだなぁと思う。

メールなどなかったし電話さえ生活の一部になかったころ何度か引っ越し・転校をした僕には、幼なじみというのがいない。
それでも、ときどきガキどもを率いて裏山ハイキングに連れて行ってくれた近所のおねーちゃんには感謝している。別に組織的な活動というわけでもなかったから、だれかが役割分担したりバトンタッチしたりするのでもなく、自然体の「お遊び」だった。
そうした思い出が下敷きになって、泥んこ汗だく・山の実・水遊びが生活の一部になって、未だに同じことを続けている。
学校の体育は最低評価だったが、屁でもない。
逆に、学校や塾など「大人の視線」に見守られるフォーマルな活動以外に、天真爛漫に遊べる場に恵まれない子供は、無意識に上手・下手を気にするようになって、偏差値の階段に吸い込まれてしまうのではないだろうか。
泥んこ遊びさえ、大人が用意して、観察され評価される少子化時代の子供たちは、気の毒やなぁと思う。

お膳立てから離陸して、自分のやりたいように遊ぶことから、自分ができあがって行くものだろうと思う。
自分を確立するというのは、孤独な試みでもある。仲間がほしくなるのも自然だろう。その仲間が本当に対等な関係のままでいられると、それは一生の宝物だと思うけれど、往々にして上下関係になったり、「足かせ」と映ったりするもので、自尊心と自己嫌悪の間でフラフラ揺れるはめになる。あぁしんど・・・。

しんどい思いを十代になる前にうんざりしていたので、たぶん、余暇という抽象的なものが、僕にとっては形のない「生涯の伴侶」かもしれない。
字にすると「余った暇」なんて情けない字面になるが、だれの評価も受けない自由は、ここにあると思う。
まぁ、「安全第一でやれ」と言葉少なにクギを刺してくれていた我がスキーの師は天国に行ってしまったから、いま遭難すれば泣かせることになる身内一人だけ気遣うぐらいでいい。
妻子がいたら、上司よりこわい査定(笑)にさらされるかもしれない。

ふだんは、公務員が諸悪の根源だとか、低成長万歳デフレ歓迎だとか叫んでいても、アウトドア仲間には公務員もいるし、マッチポンプしてでも売上を追求しなければいけない営業マンもいる。
まぁ、政治経済の話はしたことがないが、余暇について価値観を共にできる「人」とつきあっているわけで、肩書と闘っているわけではない。
これが、人を裸にしてくれる大自然の力かな?


お見知りおきを

at 2004 03/19 17:33 編集

「この階、ワシだけ」状態が、やっと1年で中断した。
番号札もカギもない郵便受けに、手書きの名札が入っていて、勇ましく何度もペンでグキグキなぞって太くした姓が赤穂浪士みたいだ。

うちは角部屋なので、毎日その赤穂浪士宅前を通っているのだが、電灯がついていたためしがない。

もしかして爆弾を密造しているとか、ベランダから怪しげなアンテナが出ているとか、そんなドラマをひっそり期待していた。
超高層ハイテク要塞のような県警本部ビルが目の前に建っているこんな界隈が、意外に公安の盲点だったりする。

ついこの前、何かガチャガチャやってるなぁと思いながら部屋を出たら、その新顔さんが廊下でロードレーサーを整備していた。俳優みたいな、ええ男ではないか。

なんや・・・

いや待てよ。
この「さわやか業界人」風貌が、実はカムフラージュで、ロードレーサーは、パトカーも白バイも巻いてしまえる機動力を発揮するのではないか?

と、妄想ばかり描いて楽しんでいるワシが、あちらさんからすると逆に怪しまれているかもしれない。
ベランダのヘリカルホイップアンテナ、引っ込めておこう・・・(笑)




at 2004 03/20 20:29 編集

本の雑誌社から新書が出ていたので、「珍しいなー」と思いつつ、ローヤー木村の『リコウの壁とバカの壁』に目を通してみた。
あの養老解剖先生の『バカの壁』が難解なので、明快な弁護士ロジックで解題してみせる!というふれこみなのだが、なんだか目からウロコが落ちない。ベストセラーを肴にした時事エッセイだと思えばいいか?

畏友のシーナ誠が「左」系の雑誌の編集委員をしているのに、ローヤー木村晋介は高校時代から愛国運動(笑)をやっていた「右よりの人」だというのはおもしろい。この新書でも、フェミニズムには奥歯にもののはさまったような牽制球を投げている(内田樹センセイのように、はっきりファミニズムはバカと喝破した方が気持ちいいのに)。

目くそ鼻くそが小さな違いを売りにしているだけだから、この国で左だ右だと人を塗り分けるのは、あまり意味がないかもしれない。
が、僕の元帝国海軍兵のおじさん(エクスピー習得中)が愛読するS新聞には、至極まっとうな論説も載っていたりする。曽野綾子さんが署名入りで「天下りは悪いことばかりではない」と。

そりゃそうだ。さすがは、カトリシズムにぬかづく以外は怖いもの知らずの、曽野綾子女史。
60歳の公務員なんて、リストラ不安と無縁に働いてきたから、まだまだ丈夫だ。あと30年近く共済年金払ってブラブラさせるより、とことん働いて稼いでもらって、年金を減額する方が合理的というもんだろう。
天下りを禁止するなら、東大教授の定年60歳、京大教授が63歳・・・を筆頭にした大学のピラミッドにも、メスを入なければいけないが、そんなことはできないに決まっている。
廃止すべきは、定年制ではないだろうか。

バカの壁の中で感情的に騒ぐだけでスカッとするのかもしれないが、たとえば今ホットな「議員年金ケシカラン問題」だって、あのね〜これまで投票しといて何を今さら・・・?という気もする。
投票しないなら発言するな。選びたい議員がいなければ白票を入れろ。
投票率が4割とか5割というお寒い風土で、議員年金を廃止に追い込めば、鬼の首を取ったつもりだろうか。

あれこれ試行錯誤しながら奮闘している市民・国民を、僕はバカだとは思わないが、バカになりたい人、バカのままでいたい人が多いのも事実。その方が、楽で快適だから。
「年金も保険も税金もクルマも家も彼が払ってくれて、私は受益者」という千数百万人の壁―加えてその予備軍も巣穴に多数かくまわれとるぞ―は、手ごわい。

そういう層を丸ごとバカよばわりするのは失礼かもしれない。バカを生産するシステムこそ標的になるべきだから。
このシステムは、一種の生態系をつくっていて、たとえば「家事をしない男の沽券バカ」が、「お仕事は私に向かないのバカ」と持ちつ持たれつの関係になる。
これはこれで安定したシステムなのだが、動植物と違って、人間の文化はシステムを不安定にするスパイスをはらんでいる(だから文化なんだけれど)。
男がこのシステムの維持費(彼女のコストパフォーマンス)に気づくとか、女性がアイデンティティなんてのを模索するとか、そんなことを考えもしないようにつくられた「バカ」に、現政権は支えられてきたように見える。

政権だけではない。
学校という制度だって、「自分で素材や教師を見つけて系統的な学習を組み立てることができない子供たち」が前提になっている。
自助・自立できないコミュニティや弱者がどんどん増えないと、ワーカーやカウンセラーは職がない。

バカのマッチポンプは、いつ消えるのだろうか。


甲子園を世界に?

at 2004 03/21 20:34 編集

母宅に飯を食いに寄ったら、きゅうりのキューちゃんを出しながら、「キューちゃん、どうなんやろねー」と話を振ってこられた。

我が家におけるこの種のネタふりには、二重の意味がある(ややこしい家族だ)。
だから含みを持たせて答える必要がある。
「好みのタイプちゃうけど、まー選考漏れは気の毒やなー」と。
実際のところ、キューちゃんは好みのタイプなんだが。
あぁしんど。

「嫁さがし」はさておくとして・・・。
インターハイや高校野球あたりの団体と、JOCや日本陸連ぐらいのレベルとは、組織のありかたが必然的に違ってくると思う。
たとえば、高野連は野球を育てる教育団体だといえるけれども、「長嶋ジャパン」は日本国の野球のプレゼンスをアピールする政治的な団体、はっきりいえば平和な軍隊である。
そうでないと困る。

教育団体は選手の未来の可能性を、軍隊は戦士の実績を軸に、チーム編成をしなければいけない。
キューちゃんを落とした日本陸連は、新人に道を開いたとはいえるが、世界を相手に「勝てる布陣だ」と胸を張れるのだろうか。
選ばれた6人には健闘してほしいと思う一方で、国際試合だったら、「買ってほしい、将来ある若者」より「勝てる選手を出す」ことを意識してほしいと思う。高橋と金メダルを奪い合うのを楽しみにしていたラドクリフが、今回の選考結果に露骨に驚いていたのも当然だ。
「ここはひとつ、未来ある新人にオリンピック出場の機会を認めていただいて・・・」という村の長老の論理が、世界の戦場にのこのこ出て来ている感じがぬぐえない。政治的采配をしなくてはいけない場面で、教育的采配をしてちゃーまずいと思う。

ウィンタースポーツ界でも、日本が「参加することに意義がある」を忠実に守っている種目がある。たとえばアルペンスキーは「モンスターのような白人に勝てることが奇跡」という種目、フィギュアスケートは「蝶のような日本人が有利かも?かな?かね?」という種目だ。
モンスターを出す国といっても、英国のようにアルペンスキーから足を洗ってしまった潔い?国もある。その代わり、よく知られているようにサッカーやラグビー、陸上競技にはめっぽう強い。

アジアを代表して(?)アルペンスキーに出場する日本選手の半分が、転倒したり棄権したりしていると、素人目にも「もすこし強化してから出せば?」と苦笑してしまうのは、冷酷な見方だろうか。
軍隊が実の戦場に行って、予想された敗れ方をして「よくがんばった」と教育をしている(笑)ようにも見えるのだが、勝てなきゃどうにもならない。こんな捨て身の特攻隊精神が、兵士を犬死にさせて使い捨てていた軍国主義の時代から連綿と生き延びているのではないかねー。

いっそ、こんなにふところの深いニッポンスポーツ業界は、開き直って、なかなか芽が出ない途上国のジュニアを受け入れて伸ばす役割に向いているかもしれない。
個人的には、すでにスケートで急成長している中国など、練習の場さえあれば強力なスキー選手が育つと思う。
チベットやカラコルムで命からがら冒険スキーするより北海道の方が手っとりばやいから留学していただいて、上達して中国選手として国際試合に出て日本を打ち負かしたりすると、「恩を仇で返す」ように映るかもしれないが、まぁしゃーないと思う。相撲もそうなっているし。「強い選手を育てるふところ」を自慢すればいい。

中国から来る学生は、一部に「偽装留学・研修生の実は出稼ぎ」もいて偏見も浴びているのは気の毒だが、スキーのようなスポーツ面でも留学生をどんどん受け入れれば、成果が見えやすい。「日本文化を学びにきました」という留学生も必要だけれど、どう役に立っているか見えにくいから、わかりやすいメリットがあればいい。
日本人は、見た目と味覚につられやすいから、「体育留学生」がゲレ食で本場の四川料理、広東料理をつくるアルバイトをしてくれれば(一方的に決めつけてしまうのはイカンか?)、大歓迎されるだろうなぁ。
うまい麻婆豆腐がゲレンデで食えたら、恩も仇も特攻隊も、どうでもよろしい(笑)。


まだだめだそりゃー

at 2004 03/22 23:09 編集

長さんが逝ってしまった。
ご冥福を祈りたいとはいえ、早すぎる・・・

「全員集合」は、僕の8歳から24歳までの間オンエアされていた。もう、全員集合とともに育ったようなもの。長さんの「オイッス!」も、終わりのカトちゃんの「宿題やったか?歯みがいたか?」も、家族以上に身近な(と感じる)声だった。

荒井注さんが亡くなったとき、すでにドリフは「ガキを笑わせてくれるおにーちゃんたち」ではなく、「けったいなおじちゃんたち」が、そろそろ「ドタバタやったらケガしそうなおじーちゃん」にさしかかっているのだと思い知らされた。

いつかはこうなる、とわかってはいても、リーダーの永眠は、やはり大黒柱がなくなったようなもの。本当に寂しい。
長さんだからこそ、「集合!」のひと声で、ふだんソロ活動しているメンバーが勢揃いしてくれる、という安心感があった。長さんのリーダーシップは、そこが魅力だった。いま、吉本新喜劇でもこうはいかない。
独裁者とよばれたこともあったそうだが、独裁して笑われてみせるのも芸のひとつだったのだろう。

けっこうまじめなC&Wバンドだったドリフが、テレビに舞台を移したのは時代の流れだったのだろう。荒井注が抜けて志村けんに若返りしたころから大衆化が加速して、「俗悪」といわれながらも、お笑いのカリスマになってしまった。
子供たちが「あれやって!これやって!」と求めるお定まりのギャグをくりかえすばかりで、自由に新しい境地を開拓できないいらだちもあったそうだ。

そこが「僕たちのドリフ」の魅力だったのだが、さすがは長さん、単体でも渋い俳優業をみごとにこなしていた(考えてみれば、ドリフの面々は役回りこそ三枚目だが、どなたもイイ男ばかりだ)。
「寺内貫太郎一家」や「だいこんの花」のような、大黒柱が主人公になったドラマは最近のはやりではないが、いかりやさんにこそ演じてみてほしかった。

長さんのような親父がやっているラーメン屋にも、行ってみたかった。
長さんのような大工に、家を建ててほしい。
長さんのような刑事のいる取調室なら、行ってもいい。
長さんのような開業医が、どの町に1軒はほしい。
長さんのような、ガミガミいう親父は、この国に必要だ。

「・・・のような」と職業を冠されて、われわれのささやかな憧れを投影されやすいキャラクターこそ、名優の条件なのだろう。
天国で荒井注さんと「なんだバカヤロー」「バカヤローってなんだよ」とののしりあって、ジョン・レノンも呼んできたりして酒でも酌み交わしていることだろう。


脱線甲子園

at 2004 03/25 01:48 編集

センバツの初戦で敗退してしまった近畿勢その1の立命館。
相手にはイチローからの応援電波が飛んできてたんだから、手ごわかっただろう。
ま、大会行進曲が「ナンバーワンにならんでもええよ」だから、さっさとオンリーワンなオリジナル甲子園を追究してがんばってほしい。どこのチームよりも砂をたくさんさらって行くとか、チアガールを55000人も動員するとか(笑)。
朝鮮高校も出場資格を勝ち取れたようだから、早く甲子園で喜び組の応援も見てみたい。阪神電車ですぐ見に行きまっせ。

阪神電車といえば、終点で降りた車内に、うっかり傘を置き忘れてしまった。
駅から手配してもらうと、ちゃんと届いていたのは、ありがたや・・・ありがたや・・・と手を合わせつつ、引き取りに行ってきた。
そういえば、何年も前に買ったばかりの靴を忘れたときも、ちゃんと届けられていた。
ふだん「ジャージで乗っても違和感なし」と少し笑いつつ人にPR?しているのだが、阪神電車ならびに匿名の乗客の方々には感謝感動である。

僕にとっては梅田と三宮(元町)しか乗り降りする駅がないので、阪急の梅田・三宮と比較になってしまう。
「ワタクシ、阪急しか乗りませんの」とレースのストッキングなんかはいて木魚みたいにポクポクポクポクポクポクポクポク歩いている「阪急沿線こだわり姫」どもに問いたい。
あの、どの電車に乗り継ぐにも延々歩かされる不便な場所にある阪急梅田駅は、便利か〜?
コチャコチャコチャコチャコチャコチャと何もかも狭くるしく立て込んで常に人でごった返している阪急三宮は、天井も低くて圧迫感があって、ホームは夏あたたかく冬は涼しすぎる。何度か改装計画があったらしいけれど、震災を経ても、さっぱり改善されてないではないか。ブランドイメージにあぐらをかいてまへんか?
線路がつながってるのに神戸から京都まで会社の都合で直通させないから、JRに負けるんじゃよ。

阪神はいい。すっきり地下街や乗り継ぎとつながっているし、駅も整然としている。ジャージのイメージで損しているが(これ僕の罪な営業妨害か?)、関西では一番スマートで快適な私鉄だと思う。姫路から奈良まで直通する経営計画は、大英断だ!と絶賛しまくりたい。小娘コマダムの御機嫌うかがいではなく、合理的に考えてくれている感じが、うかがえまくる。

京阪マニアのフリーアナ羽川英樹に対抗して、阪神電車を全国にアピールできるマスコミ人はいないものだろうか・・・?
月亭八方も松村邦博も、阪神沿線に住めよなー



マキコでいいわけ?

at 2004 03/24 22:35 編集

江角マキコの年金CMのキャッチコピー「将来、泣いてもいいわけ?」を最初見たとき、これは、払っている国民に「払うのやめちゃえば?」とけしかけているような気がした。「国に年金払ってると、将来泣くことになるよ」と。
マキコなら言いそうだ。言わなくても、腹に秘めていそうだ。
そんなキャラクターなんだと承知した上で起用せんといかんよ、お役所さん。

江角マキコの世代だと、加入しても損するから、金融商品に回そうという人も多いだろう。
マキコ本人だって、もう一般国民の生涯所得の何倍もかせぎまくったはずだから、自分の老後は「私は私で、これでいいわけです」て感じだろう。

「所得」のとらえかたが根本的に違う芸能人に、サラリーマン層や主婦層がとやかく言ってもしかたないし、逆に、諭されるような言い方をされても一般国民としてはカチンとくるだけ。

立場の違いといえば・・・
たしか80年代に、アグネス・チャンが、運転手&マネジャーつきの立場で「女性の皆さん、子連れ通勤しましょう」と呼びかけて、芸能界、産業界、フェミニズム業界(?)に論争を巻き起こしたのを思い出す。
乳飲み子を抱えて通勤電車に乗れっちゅうんか!!というのが、アグネスが応援したかった(はずの)ワーキングママからの一般的反応だった。

育児と年金は問題が違うとはいえ、「ワンステージでギャラなんぼ」の芸能人こそ、社会保障をあてにしていない代表者だろう。国が想定しているのも、芸人の生き方ではなく、「働き蜂と専業主婦」である。

若いうちに成果報酬ときっちり月末にもらって自分で運用して、「老後はカナダかタイで大橋巨泉」てな生き方をされると、困るのは政府だろう。資産流出で財政が空洞化してしまう。
けれど、今の社会保障自体が、弱者にも強者にもソッポを向かれる病的な制度なのである。
だから、マキコだと、「私は私。あなたは国民年金」と、爆弾発言も一発ありそうな予感もあったのだが、マキコっぽくない国民的人気者が、コトの本質を突く発言をして、おおいに物議をかもした方が、制度改革は進むかもしれない。


出棺

at 2004 03/25 22:41 編集

いかりやさん追悼番組を留守録画したら、CM自動カットしても正味2時間20分もあった。
今朝は朝から出勤だったので、早く寝ないと!と思ってはいたのだが、そう決意するほど天の邪鬼なのが腹の虫。
ついつい、とれてるかな・・・とチラリと見るつもりが、結局あらまぁ全部見てしまった。

いやはや長さんの持ち味もいいが、やっぱりドリフは、カトちゃんケンちゃんが「飛車と角」で持っていた感じ。おなじみ「牛乳コント」には、腹がよじれるほど笑わされた。

泥縄で、長さんの自伝『だめだこりゃ』(新潮文庫)も買って一気読みしてしまった。
ドリフの笑いを、メンバーのキャラクターの違いから決まる位置関係のおもしろさ・・・と分析しておられる。ん〜するどい分析。ただのドタバタではなかったのだ。

いい老い方だなぁと尊敬したのが、SMAPや織田裕二、モー娘も、うまいところ・いいところは、きちんとほめている姿勢。
昔はよかった、今の若いのはダメと紋切り型の嘆き方をしない。あくまでも、昔のこぼれ話は淡々と・・・である。

インテリだと、人生哲学を語ったり何やら養成塾の類をつくったりして、まぁ死ぬまで権威を追い求める手合いもいたりするけれど、長さんは謙虚で爽やか、だから重みがある。コント界に空いた穴は大きすぎる。
ご冥福をお祈りしたい。


島トレード

at 2004 03/26 22:45 編集

魚釣島に、自国の領土だと主張して上陸した中国人活動家を逮捕、動機を取り調べている・・・ったって、動機は「自国の領土だと主張したかったから」に決まっとるがな。まさか「磯釣りしたかった」でもなかろ?
書類を作らにゃならん役所のたてまえなんですかなぁ。

島全体が波をかぶる沖ノ鳥島のような無人島かと思いきや、この島けっこう大きい。
ならば、政府も領土侵犯をおそれるなら、交番でも置くべきではないかと思う。
世界一ヒマで孤独で、カモメやウミネコしか話し相手がいない寂しい仕事だが、「それがまたいい」という適任者、「派遣されて当然」の罪人を送り込めばいい。
巡査長は、たとえば椎名誠にお願いして、全国の、のらりくらり公務員や問題教諭や酔っ払い運転おまわりを島に収容して指揮監督してもらえばどうだ?
島民は、「あやしい探検隊」一族だ。このお騒がせ集団を「巡査」「警ら」できるものならドーゾやってごらん弁護士もいるよ・・・てな緊張感で、観光名所にもなりそうだ。

魚釣島という名前も、国家主権を放棄しているような、投げやりな感じがして損している。
アイヌ語からついた北方四島のような、由緒ある名前で、日本人が誇りと愛着を持てるのがいい。ナガシマというのはタイムリーだが、不謹慎かな。

帰属問題でもめる島は、辺境にあるから厄介なんであって、もっと身近にあれば目が行き届きやすい。
いっそ魚釣島は正式に日本がいただいて、その代わりに佃島か夢の島を中国にあげればどうだろう。
つまり!東京湾の中=東京の目と鼻の先に、中国があるわけだ。
50円ぐらいで本場のラーメンや麻婆豆腐を食べられる(ただしパスポート持って)から、連日日本人が殺到して、中国としては外貨をかせぎまくれる出店みたいな島になる。

ついでに、本物の雑技団や生パンダがいたら、みなとみらいもTDLもつぶれるかもしれない。
中国本土ら無尽蔵に女性タレントが送り込まれる「女子十二億楽坊」なんかができたら、日本の芸能界は壊滅するね。
いやその前に、騒音が大変か。


またチョーさん

at 2004 03/27 13:45 編集

今度は下川辰平さんが、石原裕二郎に呼ばれて逝ってしまった。
糖尿病で壊死した足を切断・・・という晩年は、故・村田英雄さんを思い出させる壮絶な姿だった。ストレスも死期を早めたのではないだろうか。

それより、葬儀で92歳のおかあさんが75歳の息子の出棺を、車椅子で号泣しながら弱々しく手を振る姿に、僕は打ちのめされてしまった。
事故や病気や、いろんな死に方はあるとしても、親を残して先立つことほど、次元の違う哀しい最期はない。順番が違うでしょうに!と憤っても、やり場のない気持ちは永遠に収まらないものだろう。
六本木ヒルズで、小学校入学目前の男の子が事故死したのも、親としてははかり知れない絶望に落とし込まれた悲劇でしかない。
すぐ行くからね・・・というわけにも行かないし、あと何十年も大きな穴をかかえて生きるのは、どんなにつらいことだろうと思う。

一方で、こんな精神状態を「研究」して、幼な子の臓器を自発的に提供させるよう誘導する専門家が、着々と養成されている。「**ちゃんは亡くなっても、その一部が恵まれない他の子の中で生き続けるんですよ」というストーリー・テラーが。
親としては、静かに喪に服したい、ただそっと葬ってあげたいと思う当たり前の気持ちが、罪悪感と背中合わせのつらい立場に置かれるわけだ。

こんな法改定は、推進されるべきなのだろうか。
反対声明を出している日弁連の主張は、それはそれで理にかなっているような気はするけれど、よその子の脳死を待っている重症児が責められる筋合いでもない。
一人の死が何人の延命につながるかという功利主義的な発想も、遺族には残酷に響く算術でしかない。
説得されない、完全に自発的な臓器提供だけが、わが子の供養になるような命のバトンタッチが実現すればいいと思うが、中立的な立場で「コーディネート」する専門家はいない。
移植実績を1件でも増やしたい組織の「説得士」はいても・・・。


花見先発隊

at 2004 03/28 19:00 編集

まだ少し早いが、海岸が目の前の須磨駅に、花見部隊7名が集結した。
雲ひとつない快晴で暖かい。紫外線に目がくらむ感じ。
鉄拐山、鉢伏山と登って煮炊きして海岸に下ろう!と隊長の指令を受けて、一同コープで1万円も買い込んで山道へ。
ちょうどいいベンチがあったので、「ちょうど昼どきやし、このへんでいっときますか」てな感じで、大ヤキソバ宴会が始まった。ビールに酎ハイに・・・と進むと、もう登山どころやおまへん。

てなわけで、ほんの2合目あたりで登頂したことにして、「あー食った食った」と山を下る。あぁ情けない。
「まだ桜は満開ではないようだし、これ以上標高の高いところへ行っても余計ムダ」と、もっともらしい理由をくっつけるのだけは達者である(苦笑)。
残った塩コショーやソースやビールを、じゃんけんで山分けして「おみやげ」とする。これを含めて、満腹で一人1300円ですんだ。安くていい。

山から下りるとすぐ須磨海岸。
結婚近くに住んで、愛車(マウンテンバイク)でこのあたりを走り回っていた隊長が、「山も海もすぐで、ええわぁ・・・!」としみじみ絶賛すると、新妻が「うちの田舎もそうよ」、新人隊員も「和歌山もそうですよ」と、女性ダブル反撃。
ま、撃破されるのも楽しい。傍観している限り。

のどかで暖かくて、まだゴミも少ないようで砂浜もきれいだ。犬も子供もウィンドサーフィンも元気にかけずりまわっている。
松林で、湯を沸かして午後のコーヒータイムにする。
やさしい夕日を背に、一同ズリ歩きで家路につく。

あとは若い方々にお任せして・・・と、紋切り型の別れを告げて、僕は駅へずらかった。
ホームでうとうとしていたら、さっぱり気づかんうちに、電車を1本乗り過ごしてしまった。
まだ明るいのに、こんなのは初めてだった(夜中でもホームで寝たことなどないのに)。
それだけ、「春の須磨の巻」に心地よくほぐされたという感じかな。
いやー、このあたりにも引っ越してみたい。


一本!

at 2004 03/29 22:27 編集

先生が学校でHビデオ!と、一般紙(読売)の見出しもかわいく見える
gaiax日記アーカイブ2004年 | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0)
2004年2月の日記

ネコメシ

at 2004 02/02 23:33 編集

往路4時間のコースを、帰りは仮眠時間をはさんで6時間がかりのバスで帰ってきた。
それにしても、期待を裏切らないほど魚介類がすばらしい松江だった。リンク先「旅のアルバム」にも写真をアップしたが、市場横の魚定食屋さんは素朴で量もどかんと多くて、またそれがうまくて絶品だった。
日本人、もっと海の幸山の幸でビタミン・ミネラル・プロテイン・カルシウム・繊維をとりましょう!!
と絶叫したくなるほど宝の山と海に囲まれているのに、牛丼ひとつ販売停止になるぐらいで、騒ぎすぎ!
「あと2時間で運命の時を迎えます」なんてカウントダウンまでしているマスコミは、浮かれているだけではなく偏っていると思う。
なぜ店内に女性客がほとんどいないのか、コメンテイターもキャスターもだれも疑問を呈しない。
しばらく牛丼を食べなくなった常連が、中性脂肪が減ったり総コレステロール値が下がったりしても、「あ、意外に牛丼抜きの食生活って、体にいいみたい」という声は放送されない気もする。

メニューが多様化するきっかけになるのはいいと思うので、いっそキャットフード路線に行って「かつおフレークまぶし丼」に「味噌汁かけ飯」というのも、実はとてもヘルシーで日本人の体にも合う気もするがなぁ・・・。


アンダーグラウンド!

at 2004 02/03 22:46 編集

たとえば『AERA』なんて、もうここ5年は本屋で買ったことがない。リサイクル百均本屋のおかげで。
いつもの露店で古雑誌屋を買ったら、東京〜北関東一帯にチェーン展開している本屋のしおりがはさんであった。
「新幹線読書」用に買われて捨てられたのだろう、880円が100円で再デビューできたわけだ。
週刊誌の類はもう本屋で定価で買うのがバカバカしくなってしまった。
こんな消費は出版元が潤うことはないしGDPにも反映されないが、確実に相当な規模の地下経済を形成しているはずだ。フリマやネットオークションと同様に。

地下経済というと聞こえは悪いが、国税が把握できない経済的取引のことで、合法なものと違法なものがある。
子供が親の肩たたきをしておもちゃを買ってもらうのもそうで、アンダーグラウンドというよりドメスティックな経済という感じ。
なぜか大人になると「お手伝いと見返り」が「労働と賃金」に置き換わって行く。
この「なぜか」を問い直すのがエスノメソドロジーという社会学派やカルチュラル・スタディーズでいうレイヴの発想で、国税からすると一種の危険思想と映るかもしれない。
だって、月給15万もらって家賃に10万食費に5万出て行く労働者がいたとすると、こんな取引も可能になる。
「住み込みで賄いをつけてくれたらタダ働きします」と。
こうなると、無所得者として納めるべき税額は発生せず、しかし健保・年金に加入して保険料は免除されてしまう。
負担なしで社会保障サービスは受けられて、基本的な衣食住は困らない。こんな立場を専門的にはフリーライダーと呼ぶが、「働く対価は現物支給で」と発想を換えるだけで、国が恐れるフリーライダーは急増する。代表格は専業主婦1200万人、親元パラサイトのフリーターも、この甘美な世界(笑)に流れ込んできている。

「それではいざというとき困るよ」と役人の代弁をするような人々はいる。
つまり、失業や大病や大ケガヘの金銭的備えをしとけということだろうが、そんなリスクへの担保があれば、「源泉徴収・社保天引き」のサラリー奴隷身分からイチ抜けする社会人も急増すると思う。
食糧、医療、福祉が国家システムに依存せず全部ボランティアで循環するような共同体も、まんざら夢物語ではない。
世界のどこかに、「村人百人が分担して衣食住を面倒みてくれたら、百人の診療はしてあげよう。心をこめてケアするがハイテクは使えないから、納得して昇天すること」というブラックジャックもいるだろう。葬儀も賛美歌や読経を村民ボランティアが執り行って、それを順繰りにやって行けば社会保障はいらなくなる。

確定申告を前に、億万長者の5分の3もの保険料を払わされてきた明細を見て、ふとそんなことを考えてしまった。
あぁため息・・・


歩道は高くするな

at 2004 02/04 17:40 編集

あと4,5日出勤すると長い春休み。猛烈に働いたあと一気に休んで発散する形だと「充電期間」という感じもしてバカンス!!気分にもなるんだがなぁ・・・と、毎週拘束40時間在宅40時間のGTO時代を懐かしんでもしかたない(今やると過労死する)不景気。
仕事期間も昼間の線香花火ぐらいのショボい時代だから、春のバカンス〜を前にしても、線香花火が消えかけている感じしかしない。

それでも、仕事が空いた分は、きちんと散歩する時間に回っているから足腰は喜んでいる(もっと勉強したり地中海リゾートに羽を伸ばせたりできたらいいが)。
官庁街に住んでいると、やはり役所の目に触れやすいところだからか、これ見よがしに公共工事をドンカチドンカチとやっているのが目立ってしかたない年度末だ。
ばらまき予算の消化で土建業者の雇用が守られているのが現実だとはいえ、ほんま無駄な掘り返し工事が多すぎる!!なんでこないにヒマそうな警備員も多いんや!!

と、いつもなら怒り心頭なのだが、散歩の足―小径自転車―は少し喜んでいる感じ。
歩道の段差をゆるくする工事が、今年の公共土木のトレンドのようだ。
車道と歩道を自由に行ったり来たりできるのが、我が足の便利なところとはいえ、この段差のスロープが少し小径車にはこたえる。歩道に上がるときの進入角度をゆるくしようと斜めから入ると、スリップしてしまう。
それが、工事したての歩道に入るときは、おや?と思うほど衝撃が少ない。自転車でもそうだから、電動車椅子やベビーカーでも感触はよくなっているはずだ。
少しずつバリアが低くなっている兆しも感じるから、これはまぁ、「座布団1枚」である。

しかし、もっと根本的に考えてみれば、そもそも車道より一段高くして歩道用の舗装をする必要はあるのだろうか?と思う。日本中、歩道を造るだけで莫大な費用がかかっているだろう。
おまけに、レンガだか何だかおしゃれな敷石を張ってくれると、雨で滑りやすいのなんの。
「車道より一段高いスペシャル歩行者道」なんて、実は、ベビーカー、車椅子も含む歩行者のためのものではない。

それなら、いっそ車道の延長でアスファルト舗装でベタッと地続きにしてもらって、車道と歩道の境に花壇でも並べれば安全だし安いのではないか?と思う。
どうせ段差をつけたって、乗り入れて歩道を半分パーキングにする阿呆ドライバーのためでしかない。1mおきにでも花壇があれば、乗り入れられまへんで。
それに、ただの縁石なんてだれも手入れしない―しようがない―が、花壇なら住民が喜んで手入れするだろうし。

一段高い歩道を延々造成するのに比べると、全面アスファルトの車道にしてガードレールで歩道を仕切るというのも安上がりだろうが、ちと無粋な感じはする。
そこで、ガードレールの裏表(どっちが裏なのか表なのか知らんが)を有料広告ゾーンにすれば、地方税(国道は国税)収入になりまっせ、ゼニの街の某知事さん!

まぁ僕はゼニの街に出稼ぎに通うだけのよそ者だから、地元の道路行政には街路樹を熱烈推薦する。
木をびっしり並べると、暴走運転でも歩道につっこむ危険はかわせるから、一段高く造成する必要はない。おまけに景観の面でも環境面でもプラスになる。
よけいな歩道造成工事を請け負っていたゼネコン業者は、園芸屋さんに転業してもらって手入れすればよろしいではないか。いや、花壇や樹木の手入れなら、住民も参加できるから「道路維持は市民の仕事」みたいな意識も育つだろう。

クリント・イーストウッド市長はリタイアした後だったが、カーメルの街を散歩したとき、家々が普通に我が家の庭の普請を美しくしていることが、街全体を美しく見せるもんだな・・・と実感した。
僕がダーティー・ハリーだったら、歩行者を背に、旧態依然としたゼネコン癒着道路行政にマグナムをぶっぱなしてやるのだが・・・。


しゃぶ中

at 2004 02/05 23:17 編集

MDMAだかMDLPだかしらんが、新種の麻薬がティーンズに広まりつつあるとかで、お縄ちょうだいしたチュー坊もいる。
「まったく新しいヤク」だといってアリナミンか何かの錠剤を高く買わされても、本物を知らなければ偽物が見分けられないから、新しもん好きなど、いいカモだろう。
「独自化合のC6H12O6を静脈注射。確実にトリップできる」なんてやれば、こりゃ間違いなくトリップできる(これ、ただのアルコールだから)。
だから、真贋の見分けがつくオーソドックスな麻薬にしなさい・・・というわけにはいかないが、コーヒー1杯でいい気分になれるほうが幸せだ。
覚せい剤をやったとか大麻をやったとか、そんな経験がなにか自慢になるんかいな?と考えると、特殊な仲間うちでは屁のつっぱりぐらいの武勇伝になるのかもしれない。
が、そんな貧相なトリップ体験より、コーヒー1杯で「んー、キリマンジャロの標高1000mクラスの豆ですね」なんて具合に鼻が利く方が粋ではないか。こんなティーンズがいたらすごい。
鉄道の駅名を憶えたり、着メロ作曲したりするより、なんだか尊敬に値するような気がする。
そんな「カフェ中」こそ、どんどん出てきてほしいものだ。


今度はオナ中

at 2004 02/06 22:40 編集

『夕刊フジ』に「こんなに変わった若者言葉」という記事が載っていて、おじさんはオナ中にとまどった。
「彼女オナ中なの」なんて、娘が得々としゃべっていたら、コラひとみ!そんな言葉つかうんじゃない!と、親の立場だったら苦々しく叱りつけなくてはなるまい。

が、ご丁寧に「自慰中毒のことではなく」と、おじさん向け注釈がついている。
そうか、それなら新婚女性同士で「同じ新妻同士」を略して言うてみなさい!
いやはや大人げない・・・。


燃焼系トレッキング!

at 2004 02/07 21:17 編集

寒波襲来!のニュースを聞くと山へ誘い出される変人仲間でもある「トヨエツの元同級生」とコースを相談して、今日は新神戸から摩耶山をめざすことにした。

一応、前々から懸案だったガスコンロvs灯油コンロvsガソリンコンロの比較実験をしようという「燃焼系ガシガシ歩き」が主目的なのだが、なぁにそんな目的はどうにでも流れていくわい。

案の定、9時半出発の予定が10時をすぎ、「あっ買い物して行こ」「百均でおやつも」とうだうだやっている間に、ほとんど昼前の出発になる。
もう100回は歩いたであろう裏山コーなのに、間抜けなことに途中で進路を間違えてしまった。
おかげでとんでもない遠回りになり、あっさりと目的地を「腹が減った時いる場所がゴールだ(笑)」ということにする。情けねぇ・・・。

ついでに森林植物園を見て回ると、さすがにオフシーズンの、しかも寒波襲来ニュース当日。公園の池も凍りつき、園内は閑散としていた。日がさせばポカポカと暖かく、冬枯れの梢も乏しい紫外線を満身に浴びて輝いている。こんな時期の山歩きもいいものだ。

せせらぎのある谷筋に下って、川原で遅い夕食とする。
二人そろって鍋焼きうどんである。
あいかわらず、加圧してからプレヒートのとき盛大な火柱を巻き上げて燃焼してくれるスウェーデン製灯油コンロは、ガソリン派の相棒の笑いを誘う。これがスカンジナビアン・アウトドアスタイルなんや!文句あっか!と意固地になりそうな気分。
「ガソリンの方が静かでええやん」という相棒の弁当箱スタイルのコンパクトなコンロは、静かに無色の炎をあげている。
かたや、ゴーーーーーーッ!!と爆音を轟かせてあっという間に鍋を煮立たせるこちらの武器は、青い火赤い火黄色い火を吹き上げる火焔放射器そのもの。ええねん、これがスカンジナビアン・キャンピングファイアーなんや!!(苦しい)。
ま、長所といえば1リッター燃やしても灯油代は50円。コストパフォーマンス抜群だ。液化ブタンを使うガスコンロも持って行ったが、ガスは250g燃やして400円飛んで行ってしまう。
この超コストパフォーマンスの灯油コンロが、なぜアウトドアで一番不人気なのか、ワシにはわからん。

よーし、灯油一筋で行くぞ!と宣言すると、相棒「ほな、なんでガス灯油ガソリン兼用の機種を買うたんや」とつっこんでくる。
そうでした。



ひっこす?

at 2004 02/08 20:28 編集

こんな真冬まっ盛りでも「季節の変わり目」を感じるのが不動産市場。進学や転勤の時期だから、不動産屋さんはかきいれどきという感じか。

僕は市内での仕事がなくなってしまったが、市内のビジネス街へ自転車通勤圏の我が家は、資料だけ見ると申し分ない物件だろう。
ところが、現地を見て地震で微妙に傾いたままだとわかると、断念する客も多いのかもしれない。

もう、ずっと「最上階うちだけ」状態の物件を見に来る客が、ときどきバタバタと隣室に出入りする音が聞こえる。
壁が薄くて、あらためて声もまる聞こえなのがわかるが、今の部屋に9年住んでいて隣室に住人がいたのは2年ほどだから、ぜんぜん不都合を感じたことがなかった。

もし、震源地のような元気すぎる子供でもいたら苦情を言うに困るし、ただガサツなだけのドタバタ咳ばらいオヤジというのも困る。
だから、物件を見に来たのが「問題住人」とわかれば、玄関に代紋をつけて神棚を祀っておくとか、大声で祈祷をうなるとか(笑)、怖気づくようなこともすれば効果があるかもしれないが、大家さんの立場を考えれば、そんなことする方が迷惑だろう。

あぁしかし9年あっという間やったな。
震災のおかげで、今の静かな住まいで、親切な大家さんとの仲もできたわけだし、前の大家さんの医師夫妻とも新しい関係になれたという感じ。不幸を風化させたくないという被災者も大勢おられるのだが、「震災よかった論」は言論統制されるのがこの社会の風土だから、個人的に前向きに考えておくしかない。
「家族が増えますので、引っ越すことにしました」てな引越しもあったらよかったが、それは不徳の致すところで(笑)、大家さんには恐縮だがすっかりいついてしまった。
その間、デフレはどんどん進み、異人館通りに面した白亜の中古マンション60屬900万円とか、笑える値崩れがあちこち目につく。このまま保険の満期払い戻しまで激安相場が続いていれば、即金で買ってしまうかもしれんなぁ・・・と、ちらっと考えてしまうが、それでも身軽な賃貸で行けるところまで行こうと思い直す。われながら賢明なのか愚かなのか、意固地なのか・・・。



学習机

at 2004 02/09 17:42 編集

さんざん国産手帳の悪口は書いてきた覚えがあるので、今さら大安や仏滅の撲滅運動をくりかえすつもりはない。
オヤジ手帳ばかりかOL手帳も六曜に汚染されているのを見ると、自分の人生なのに暦ビジネスやら運勢やら星座やらに惑わされる愚がにじみ出ておるのである!
「外資系」の手帳だと、書くスペースもゆったりして、ヘンな六曜も出てこないもんね…と「逃げ道」を担保していたつもりが、なんと英米製ドイツ製の手帳まで、日本人用にカスタマイズされて「大安」「仏滅」が刷り込まれていたりするから驚く。

なんとか妥協して、すっきりシンプルなソニープラザのオリジナル手帳を愛用していたのだが、ソニプラに寄ってみると、あれまーバレンタイン・モードにすりかわっていて、手帳どころではない。くそー、こんなところをうろついていたら、「僕も憧れの彼氏にチョコあげるんだ」男に見られるではないかっ!!

こんな風に、ちょっとタイミングをのがすと、あちこちの店の手帳売り場が急に縮小してしまうので、ヨドバシに寄って「とりあえず手帳」500円なりで手を打つことができた。
とりあえずなら買わなくてもよさそうなものだが、とっさに見る必要があるスケジュールだけは、「電源いらずの手帳」の方が便利だ。アドレス帳は、暗誦番号でロックできるし、アドレス帳からそのままメール作成へとシームレスに作業していけるので、完全にザウ化(電子化)して便利に使っているけれど。

文具売り場の横には、学習机が並んでいたもんで、なつかしい気分が呼び起こされて鬼の目にも涙。
最近いろいろニューウェーブはあるようだが、文具セット、学習机、ランドセルの三点セットは、季節の風物詩みたいなものか。どの机がいい?と子供に聞いて「机はいらないからゲームボーイの方がいい」とでもいわれたら、そんな子供は山寺に出家させたくなる(笑)。
まぁ、それほど初めての就学というのは心ときめくものでもあり(であってほしい)、最初が肝心だと思う。

でもこの学習机というツール(なんだか家具なんだか…)、おとーさんにも主婦にも一人一台あっていいと思う(ドレッサーの方がいいという主婦やおねーちゃんも多いだろうが)。
なかなか書斎を一人一室とれる住宅事情ではないから、きちんと知的生産する環境を、せめて学習机という場所にでも確保してほしいものだと思う。

たまに、通販カタログなんかには、主婦用だかパパ用だか、折りたたみのライティングデスクの類が載っているが、もう少し工夫すれば、ヒット商品になると思うのだ「神戸のドクター中沫」ことosawasenseは。
基本形は共通で、女子高生〜OL向けオプションで「キミは世界一きれいだ」とささやいてくれるキムタクユニットをつける。マイホームパパ向けオプションには、村上龍ボイスが「しょせん男は消耗品なんだ!」と叫ぶエグザイル・ユニット。・・・という感じで。

日常動作のユニット化というのは、伝統的に宇宙開発や軍事の世界でニーズが高いから、戦車のコンソールや宇宙船の指令室のレイアウトなどは最先端の研究テーマになっている。「サンダーバード」と「ウルトラ基地(地球防衛軍だったかな)」の違いを見れば、日本の基地が「会社の延長」でしかないのは一目瞭然だ。

そんな軍用人間工学を民需転用して、一般人の世界に展開している先進国は日本である。我々の誇る(?)カプセルホテルやラブホテルが代表例だ。「そこですること」は大体みな同じだから、気持ちいい…いや、カユいところに手が届くようコンソール化してしまえばいいわけで。
そのうち、「ラブ・カプセル」も出てくると思うぞ(笑)。

ドクター中沫は、この延長に学習机をつないでしまうのである。
学習机には自販機を内蔵して、勉強疲れをコーヒーやカップラーメンで癒せる。常時接続PCを埋めこんでおけば、「ねぎらいサイト」がやさしくお疲れさまメッセージを送ってくれる。こりゃ夫婦いらなくなるね。
とことん疲れたら、レバー1つで椅子がリクライニング。床はバスタブになっていて、椅子を倒してシャワーを浴び、ドライヤーで全身乾燥できるようになれば朝まで快適だ。
すべて込みで、占有床面積1畳分のユニットですむから、ワンルームマンションに5〜6人は暮らせるぞ。

なんといっても時代は高齢社会だから、寿命まで読書したり俳句をひねったりして、「わしゃもう限界」スイッチを押せば、椅子が倒れ四方から白木の壁が包んでくれて、そのまま棺桶になるという「三途の川ユニット」も便利だろう。
こんなユニットは、二段ベッドの半分ぐらいの要領でできるはずだが、明和電機あたりで開発してくれないものだろうか。



そうなんです

at 2004 02/10 21:45 編集

北陸の雪山で遭難騒ぎを起こしたワンゲル諸君、1年生が多かった点はちと問題に思うが、無事だったのはなによりだ。一部のメディアが救難費用総額1億3000万円なんて報道していたのも、(全額自腹ではないとはいえ)薬になるかもしれない。
つい後輩の仕業には寛大になってしまうが、大騒ぎになったおかげでリスク管理をしっかりやろうと考えてくれたらいいと思う。もし、幸運にも成功体験しかないと、将来にツケを残すだろうから。

僕自身はあの部ではなく「ワンゲル同好会」を中退しただけなので、一人で計画もリスクも責任もやりくりしながら山登りを続けてきた。といっても、ただ何となくの勘で「危ないな」と思ったら行かないし、すぐ引き返してしまうというだけ。意気地なし!とプレッシャーをかける仲間がいないので、逃げ帰るのは簡単なのである(笑)。

実際、十数人もの集団でワッセ、ワッセと行進していたら、「リーダー、ここから先は危ないと思います」「ボク、もうあきまへん」と1年生が言おうものなら、「きさま、なに弱気を吐いてやがる!玉砕あるのみだ!!」てな鬼軍曹が、冥土へのツアーコンダクターになったりするからこわい。集団行動は、力も発揮するが「レミングの行進」にもなりうるのだ。
てなことを、ワンゲル中退仲間と学食でボヤきあっていた'81年を思い出す(以来、負け犬根性にも年季が入ったなぁ・・・)。

ここ数年、初心者を「登山靴必要」なレベルの山に同伴するようになって、ヒヤッと感じることもある。
個人的な勘で、「このタイプの人は、大自然に近寄ってはいけないのではないか」と直観するような乙女と、何年かおきに巡り合って(笑)しまう。
ひとことでいえば、パニクってしまう情動の持ち主。
これはこわい。歩きながらアドバイスしても上の空で、条件反射のようにハイッ!ハイッ!と答えるが、心に届いていないから。
私、スポーツ大好きです!ったって、登山やカヌーのような身体運動は、スポーツではない。
ラケットをかまえていたらボールが打ち込まれてくるし、石を投げたら反則負けする。格闘技だって、ルールがある。
けれど、雪山で雪崩に「こちとら初心者なんだから、いきなり雪崩なんて反則だよ〜」と泣き叫んでも、どうしようもない。大自然の壮大な景色が初心者にほほえんでくれることもあるし、大ベテランが一瞬にして命を落とすこともある。
だから、スポーツ感覚で海や山に乗り込むのも危険だと思う。

素質があって経験だけ不足という場合は、先輩から後輩へとスキルをバトンタッチして行くような環境があれば、自然に上達して行くものかもしれない。とはいえ、そういう体育会系のトレーニング経験が僕自身ないから、伝えようがないわな。めいめい注意してネ、というしかない。
僕を信用してついてこないように、と(笑)。
 


そうか、学会

at 2004 02/11 15:32 編集

札幌雪祭りの会場から、ラジオが生中継していた。
キャスターが見物客にインタビューしていたら、あるおばちゃんが「鶴がいいわね。なんといっても私、創価学会ですから!」と、熱弁。
バックで何か叫び声が聞こえたと思ったら、キャスターがあわてて次に振って、ほんの数秒でワクワク場面は消えてしまった。なんや、いいところだったのに。
創価学会は、鶴のマークか何かをCIに使っているのだろうか。とすると、昔の鶴のマークの日本航空は創価学会経営だったのか?(んなわけないか)。

この勢いで、雪像にオウムがあればアーレフ信者が全国から集結し、「1、2、3、ダー!!」像(わかる人にはわかる)があれば崇*真光が興奮し(わかる人にはわかる)、そんな神々の饗宴に自爆テロが・・・
と、美しい北の都に、縁起でもない幻想を投影するのは、ヒツレイなことかもしれない。

でも、あのおばさん、ときどき鶴居村あたりにも出張して、鶴の実況をしているテレビにうまくつかまっては、「やっぱり鶴はすばらしいですね!私、創価学会」と口走っているのだろうか。
うーん、この使命感というか、没我の信仰心というか、なかなか見上げたものだ。

露骨にやると、NHKは敏感に報道統制してくるから、暗号を使えばよろしい。
僕が、教祖兼地上唯一の信者を務めている宗教呆人ヤマブシズムは―山で遊ぼうというだけの遊び呆け団体だが―まぁ御本尊は熊ということにしよう。どうにでもでっちあげればいいのである(キリストがイエズス会を創ったわけでもなし、仏陀が浄土真宗を創ったわけでもないように)。
で、街角インタビューされたら、

「今の不景気をどう思いますか?」
「苦しいですねー、クマ」

「お嬢さん、あなたのファッションのポイントは?」
「清楚なカジュアルを心がけてるんですけど。くま」

「お婆さん、年金不安じゃありませんか?」
「なぁに、だいじょぶだろうて、クマ」

「古賀議員の学歴詐称について、いかがですか」
「熊に食われろ」

「自衛隊イラク派兵はどう思いますか?」
「熊を派遣したらいい」

てな風にクマ空気を蔓延させて、「あの受け答えは何かの符丁なのか?」と国民が勘繰りはじめたころ、目の周りが白い熊が「降臨」して、私がチャネラーとして熊の気持ちを代弁する。

と、アホなことばかり考えてないで、修行に励まねば。


Buy America?

at 2004 02/12 17:08 編集

吉ぎゅーフィーバーは逮捕者まで出て、まーこれしきのことで騒ぐ客も客なら、カウントダウンまでするマスコミもマスコミ。おバカさん同士、勝手に阿鼻叫喚してなはれ。
代わりのメニューで客層が広がったとか、国内畜産業者がうれしい出荷増だとか、明るい面も報道したらどやねん!と思う。

もう少し硬派なメディアなら、アメリカンビーフvs捕鯨禁止の日米戦争としてドラマ仕立てにしてくれたら、日本国民は政府と団結するかもしれない。今のままでは、「日本政府の輸入禁止が厳しすぎるから庶民の牛丼が消えてしまった」と反感を持つ牛丼ジャンキーも多いだろうから。

食肉だけでなく、どんな農産物を輸入するにしても国内農家は大打撃だから、政府はセイフティ・ネットをあれこれ工夫しているわけだが、「一人家計」の僕は、どれほど割高に食品を買わされているかピンとこない。
その代わり、「これはどんどん輸入すべし」と切に願うのが、アウトドア用品だ。
日本人のサイズに合いにくい、雨対策が不十分、アフターサービス窓口がない、等々の不安がくっついてくるアウトドア用品は、なんだかアメ車が日本市場に食い込めない理由と似ている。
商品そのものは、ユーザーがどうにか改造したりして使いこなせばいいわけで、実際そんなユーザーを想定しているのが彼の国の開拓者精神だ(なのか?)。大はマイホームから、小は寝袋まで、キットというものがある。
僕の昔なじみの分野では、無線機もキットが百花繚乱だ。
さすがに、回路図からプリントパターンを設計して塩化第二鉄液でエッチングして、デバイスを1個ずつ買い集めて半田づけ・・・という作業は、もう今やる気力がない(僕のような下手クソがやると、感電して死にかける)。でも、米国キットメーカーのサイトを見ていると、デザインにしろスペックにしろ、開発者の息吹きがそよいでいるような、たのもしさを感じる。

たぶん、モータースポーツやマリンスポーツの世界も、DIY精神は健在だろうと思う。
バイクを改造しようにも、手作りで家を建てようにも、法的な規制が多くて・・・という声もあるだろうし、DIY派の嘆きもよくわかる。ただ、「お上におまかせ」の国民が増えれば、自動的に公権力は強くなっていくのが古今東西の政治学の教科書に書いてある鉄則だ。どっちもどっちなのである。

DIYと食肉もつながっていて、アングロサクソンどもは、自分で鶏や牛馬を絞めてばらして食うぐらいは平気でする。食べることと、自分で狩猟して処理する作業とがつながっている。
「むごいこと」は人にやらせて―自分の手は汚さず―食欲を満たすことしか考えない日本人は、幼いなぁと思う。
ならば、どっちか選択すればいい。
むごいことをしてでも食いたいものを食うか、むごいことを伴う食習慣をやめるか。


文庫とCDと

at 2004 02/12 22:11 編集

尊敬する人のたとえで、「雲の上の人」というのがあって、そりゃ昇天しちゃったみたいで縁起でもないなぁと思う僕にとっては、尊敬するその大人物の一人は、「雪の上の人」だ。
三浦敬三さんの『百歳、元気の秘密』が祥伝社文庫から出直してくれたので、即刻お買い上げ。何年か前に単行本も速攻お買い上げしていたので、いつものように「場所ふさぎな方」はだれかに払い下げて、大日本スキーヤー教を布教しよう。

ただの文庫化だから内容は同じだが、単行本の初版は『98歳、元気の秘密』だったから、文庫もきちんと2歳トシをとっている(笑)。
表紙の精悍な肖像写真が、「好々爺ふう」に入れ替わっていたのは少し残念だったが、あらためてどの肖像を見ても、偉大な百歳スキーヤーだ。
根性論でもなく、神がかりでもなく、きちんとサイエンスにもとづいた食生活と運動を続けてこられた記録は、「明治の男」の気骨と帝大知識人像が絶妙に織り上げられていて、生き方そのものが「美しい」!。テレビで飄々と語られる姿を垣間見られただけだと、とても「百歳現役プロスキーヤー」だとはわからないだろう。

文庫1冊で少し力をもらえた気分になって、その足で中古CD屋へ。リシャール・ガリアーノのタンゴ・アコーディオンとアート・ファーマーのジャズ・コルネットを買って2900円なり。3000円分スタンプを押してくれて、小さな幸福(笑)を感じる。
じっくり喫茶読書もしたいし早く聴きたい・・・となれば、ポータブルCDプレイヤーがほしい気もする春の陽気だった。


聖地

at 2004 02/14 01:03 編集

久々に日本橋に買い物に行った。
よく、一般家電客が梅田に吸引されて、「でんでんタウン」苦戦と聞くが、やはりその通り、さびれた界隈に、砂ぼこりが風に舞い・・・
てなことは全然なかった。
どころか、ますます魔界ヒートアップしておる!

いきなり、地下鉄を下車した駅の看板広告に、日本コンピュータークラブ連盟がオーラを放っている。
神戸大学で電子工学を専攻していた友人に、この、当時はマイコンサークルであったクラブのY会長の風評はよく聞いていた。僕は直接知らないので、なにかとキャンパス文化シーンを騒がすY会長が、どんな意味で怪人なのか怪傑なのか、よくわからないまま80年代は過ぎて行った。

まったく個人的な邪推だが、日本でテロが起きるとすると、飛行機がビルに突っ込むような映画風のではなく、巨大情報システムの撹乱を狙ったサイバーテロではないかと思う。その気になればやれてしまえそうな「マイコン」青年が五万と沈殿している。

決して、この連盟がサイバーテロの発進源だというつもりはないが、今この連盟の傘下には4団体あるようで、その組織図が看板になっている。
その傘下団体とは・・・

ゲームカルト連盟、
カードカルト連盟

はいいとしよう。パソコンと「地続き」だから。でもなぁ・・・

日本占い師連盟、
日本霊能者連盟(!!)、

になると、あぁもうすぐ「銀河同盟」やら「金星人連盟」の世界に行っちゃいそうで、ロマンチックすぎるではないか(笑)。
Gaiaxにも「本館・別館」「カフェ」「国」とならんで連盟や同盟を築きたがるユーザーが多いけれど、西のオタクの聖地にリアルな連盟をかまえているのは立派だ。

どうせなら、テロではなく、あの「韮沢さん方面」に行ってくれたら楽しめるのだが(笑)、オタク様たちは楽しそうにパーツ屋めぐりをしていても、目の奥だけは決して笑っていない人種だから、なに考えてんだかわからん。

なんて、陰口たたいている僕自身、リナックスザウルス用モデムカードを探しにきた「IT小物マニ屋」なんだから、同類異種がごった煮されている街なのね日本橋は。
 


毒中?独中?

at 2004 02/14 15:18 編集

最近でこそはやりの「地産地消」そのままで、神戸の真ん中で生まれ育った子供は、ユーハイムのケーキとゴンチャロフのチョコレートが自然な風景の一部だったと思う。
その反動か、「ゴディバより駄菓子」になってしまった今の好みは、バッカス。
ところが、毎年チョコを買いにくい時期っちゅうもんが巡ってくるから、迷惑しちょる。

昨夜モスバーガーでコーヒー189円だけで「迷惑居座り」していたら、お隣のOLさま二人連れが結婚トークをしていた。
千堂あきほ風が、「一生結婚せえへんねん私!」と吐き捨てるように言うと、飯干景子ふうが「でも年とったらどうすんの」となだめている。
バレンタインデー前夜の「13日の金曜日」には、いろいろ過去の怨念も甦ってくるものじゃのう…と、しみじみワシは感慨にふけっておった。

そうだそうだ、年とったらどうすんだ!と思わず口をはさもうものなら―いかにも話の輪にからんでくる酔っ払いオヤジやな―、99%無視されるか、1%の確率で「おっさんこそ先にどうすんねん?」と逆襲されるのはわかっている。だから心の叫びで「でも子供だけはほしくなるんちゃう?」と、千堂あきほのDNAに疑問電波を送っておいた。

なりゆき独身や、それが発酵しつづけて中年になってしまった「毒身」、確信犯的な避婚願望etcetcの背景には、人それぞれの環境事情やアイデンティティの様式があるのだろうけど、一番マクロに見ると―無難な見方でもある―「高齢化社会の歪み」とでもいえるだろうか。

年金問題もからめて、避婚・少子化の元凶が高齢者だ!てな風にいうと、戦後の豊かな日本を築いてきた世代に鞭打つ響きを含んでしまうから、「自然のなりゆき」「必然的公式」ということでもいい。
子供に不自由させない、ひもじい思いをさせないよう賢明に働いてきた親のおかげで、あえて暖かい巣から出る必然性も意欲もなくなってしまうのは当然だ。

そんな家ばかりでもなく、独立したいが出るに出られない子供世代もいるだろう。
「彼女」が、結婚したとたんに介護嫁としてイエにはめこまれてしまうシナリオがくっきり見えてしまうと、なんだかなぁ・・・と気が滅入るのは、男も女も共通ではないだろうか。生まれ落ちるイエや親は選べないから、そんなイエの呪いが背中に貼りついている人民はお気の毒だと思う(あ、うちもだ!)。

一人の男と一人の女が向かいあう関係など、日本のイエには存在する余地がない。「外野の声」が聞こえすぎるのである。
彼氏の親からかもし出される「無理して働かなくても家はあげるから、跡取りを産んで、その後は介護してくれればいいですよお嫁さん」てな期待が女性をたじろがせる予感だとしたら、彼女のイエから漂ってくる「旦那に愛想を尽かしたら孫だけ連れて戻っておいで」の磁力は、感度鋭敏な男性をたじろがせる。
両方の声にたじろぐアンドロジニーもいるだろう。

こんな風に、息子を持つイエの陰謀と、娘を持つイエの陰謀の間に、深い溝―厚い壁でもいいけど―があることがだれの目にも見えてきた。溝を超えるのも埋めるのも、しんどいのである。

問題は、この溝に終わりはないのか?ということ。うんと右か左に行けば、溝が終わっていて、彼女の世界と俺の世界はつながっている!と思える土地があるなら、そんな土地を探す恋人たちの旅は、大事なものだと思う。そうなんだよなーオメダ・・・と、「俺たちの旅」の世界に心が飛んでいってしまう。十代のころは「俺たちの旅」、二十代で「無邪気な関係(当時から古尾谷雅人は死の影を醸し出していた!)」にはまってしまった僕は、見果てぬ夢を追いつつ老いつつ死んで行くしかないのだろう。
一人旅ばかりして、「ここに楽園発見!」と叫んでも、ずっと元の溝の前でたたずんでいるパートナー候補には届かんのだよなこれが(苦笑)。


透き通った罪

at 2004 02/14 22:35 編集

毎朝7時ごろメールで届く天気予報が、午後に「春一番が吹いた」と号外を伝えてきた。暖冬とはいえ、なんだか早すぎるやおまへんか?これからスキーシーズン(のつもり)だというのに。

よーし、それなら激辛春一番を書いてやろう。

某自治体が「いのちの言葉」を募集していて、「私を支えてくれたあの先生の一言」をテーマにした入賞作とやらが決まったのだそうな。
そりゃ、だれがだどんな言葉に支えられようと自由だが、私的な世界が新聞紙上という公共圏に染み出てくると、なんだか背中がムズムズするセリフもあれば、場合によっては喜劇の一言になるセリフもある。

ムズムズ賞は・・・あ、これ作品と銘打っていて著作権の障りもあるようだから、少し改編すると、

「花は花でいいの。雑草は雑草でいいの。空海は空海でいいの。あなたはあなたでいいの」
という一編。

なんだか、教師やら臨床心理士が言いそうな、透き通った催眠術という感じの説得フレーズではないか。
奴隷と支配者という関係―資本主義社会そのものがそうだが―にある人々を前に、こんな「感動の一言」を口にすれば、それは強い側を支え、隷従や差別をまるごと肯定する政治的な言葉になってしまう。
負け犬だって、勝てるようになりたいんちゃうの?勝ちたいと思ってもがいとるんちゃうの?
「負け犬は負け犬でいい」なら、教育システムはいらなくなるわな。

この種の、一見すばらしい名言に聞こえる言葉には要注意だ。口当たりがいいからといって、あんまり喉ごしよく社会に蔓延すると、かえって害悪だと僕は思う。
今のはやりは「ナンバーワンよりオンリーワン」ですと?
そう「ナンバーワンのアイドル」に言われたら、脱力するしかないがね。
優勝旗を夢見て野球部員が戦う高校野球の行進曲が、「ナンバーワンでなくていい」って唄だから笑えますな。

この世は現実に階級社会で、人生は平坦な道ではなく階段になっている。ばかげているとはいえ、現実に、偏差値や年収や地位や肩書きやルックスやマイカーで、特定の「クラス」に割り振られる。

この階級社会を、教育が強化しているのか崩す効果があるのかは、諸説が入り乱れているので、ここでは保留しておこう。
確実にいえるのは、教師やカウンセラーも、資格試験に盲進する高学歴階級だ。
経済的な面だけ見ると、地味に見える教育公務員や公立施設の保育士さんらが、どんなに破格の労働時間単価やフリンジ・ベネフィットを定年まで保証され、天下り天国が待っているか、年収600万円クラスでリストラにおびえている一般会社員=公務員を養っている納税者が知ったら、もう脱力しきるだろう。

癒しや支援を口にするやつは疑え。
敵は透き通った罪悪だから、しっかり見定めないと、本当の支配のメカニズムが見えてこない。

新聞記事に戻って、最後にお笑い賞を一編。これも、ある三十代の女性の心の支えになっている言葉だそうな。
「おまえの味方は必ずいる」
うっうっうっ・・・・・・支えてくれて、ありがとう・・・・・・
あれ!君は味方ちゃうの?と、少し冷静になれば疑問が湧くだろうな。
これ、落ち込んでいる相手との間に「透き通った一線」を画するような言葉だもの。
プロポーズ場面で、「好きです!」「大丈夫、あなたを好きな人は必ずいる」なんてやられたときの、いやはやトホホな気分に通じるものがある(笑)。
サダム・フセインが言われていそうな言葉にも聞こえるが。


ちゅー棒

at 2004 02/15 21:48 編集

日経新聞に、「中食がはやり」の見出し。
「おな中」にハラハラドキドキムラムラした余韻もあって、中学生のジャンクフード食かと思いきや、総菜や弁当を持ち帰って家で食べたり、勤め人が飲食店を避けて買ってきた弁当をオフィスで昼食にしたりするスタイルが増えているという。外食と自炊の中間ぐらいの食事スタイルだから「中食」。

そういえば、僕は必ず職場から離れることにしている昼食時間に、同僚のお姉様方は、たいていチクワになって、じゃない輪になって、かわゆい弁当をひろげておられる。
安いし好きな献立だし並んだりする面倒くささもないから、合理的なスタイルだと思う。

実際僕の職場周辺でも、そんなニーズをあてこんで、弁当屋が屋台を出して毎日1時間ほどの短期決戦でかせいでいる。これも、飲食店を構えるより合理的な商売かもしれない。
度胸があれば、休憩時間に、自分の勤め先のすぐ外で復業だってできてしまう。粗利単価が100円だとしても、100個売れたら時給1万円。月にすると、ばかにならない収入になる。「あら課長、昼休みは弁当屋さんのご主人!?」てなことは実際まずないだろうが、あったらおもしろい。OL様は好きな「おカフェ」を1時間だけ開店するとか、体がなまった守衛はクイックマッサージを開業するとか。

会社をリストラされそうになったら、すすんで応じる代わりに、会社の敷地内で弁当屋さん開業許可をもらえれば、確実な脱サラができるんちゃうやろか?
一番手堅い外注産業は、「すぐ外」になるのかもしれない。

福祉の教科書なんかには、「家族機能の外部化」というフレーズが必ず出てくるが、定説では「再生産」だけは外部化されていないことになっている。
つまり、食事は外食業者につくってもらったり、子供のしつけを教育者に任せたり、介護をヘルパーに頼んだり・・・と外注が進んではいても、子づくりだけは家庭内でまかなっているということ。

しかし、「遊び相手と結婚相手は別」という感覚に慣れてきた現代人が、「結婚相手と子づくり相手は別」と思うようになるのも、時間の問題かもしれない。
「心は妻に、体は愛人に、魂は仕事に」
という亭主族がいるなら、
「心は夫に、体は彼に、魂は教祖に」
という奥様方がいても不思議ではない。

日本の家族制度では「婚外子」は戒めてられてきたけれど、現実には「配偶者はこの人。でも子供を持つならあの人の血を分けた子がいい」というアラカルトを望む人もいるだろうと思う。
そんな身勝手な!エゴは絶対許さん!という倫理観が、たとえば「不妊症ではない未婚者」の人工授精を厳しく禁止してきたのだが、婚外子をつくってしまう男女は昔から普通にいたわけで、倫理とやらは、だれかの得になるよう、別のだれかを抑える力として働くのが古今東西の常なのだ。

人工授精にしろオーダーメイドチャイルドにしろ、技術的には難しくないようだし、大枚はたけば請け負って暮れる国へ出かけて「処女受胎」することもできる。

よし、これだ(何がヨシなんだか!)。
最近はやっているEDやセックスレス夫婦には、家の本妻と外の浮気相手の中間ぐらいの「中妻」を認めるというバイパス案もいかがかと思う。
カレシ以上だんな未満の「中棒」も認めれば、夫婦対等である(笑)。

こんな提案をしたら、「夫婦崩壊をそそのかす邪悪思想」と叩かれそうだが、崩壊するのは仮面夫婦や打算カップルだろう。
その余禄で出生率が上がる(か、中絶件数が減る)と、坂口厚労大臣に表彰されてもええのではないだろうか。


223系

at 2004 02/16 15:56 編集

明日は久々に朝から出勤だ!という夜に限って、眠くないしダラダラと夜ふかししてしまう。
「試験前一夜漬けしているときに手にとってしまうマンガの味」みたいなもんか。
結局、1時間睡眠で出勤して、突貫工事のようなひと仕事になってしまった。

こんなときの、下り快速電車の日当たりと振動が、これまた極上なのだ。快速は二人がけシートで、僕はいつも通路側に座る。そこでお決まりのように、こてんと安眠していた。
うまいぐあいに、六甲道をすぎたあたりで目が覚めると、隣には美女が・・・!
そうですかお嬢さん、ワタクシの寝顔に吸い寄せられてきましたか(=妄想)。
「あんたの足がぜんっぜん邪魔にならんから、奥の空席に入りやすかっただけや」
と、彼女の横顔に書いてあった感じもする。


偉大なプチ

at 2004 02/17 16:42 編集

彼女の子を虐待して死なせてしまった少年が、検察の陳述に「だいたい合っていると思います」「虐待30分間というのは長いと思います」と申し述べているそうだが、まさか法廷で「ビミョー」なんて言ってないだろうね。

もし強盗+誘拐+放火+殺人で裁かれている凶悪犯が、「加えて逃走時に猛スピードで走行し・・・」と道交法違反を追加しようとする検察に、「30キロオーバーではない!25キロぐらいだった」とプチ抵抗しようとしていたら、そのこだわりは何となく尊重してあげたい気も、プチッとする。
微妙好きな若い衆だったら、そんなこだわりを譲れない子は多いだろうと思う。がんばっていただきたい(笑)。

オッサンだったら、「おっしゃる通り!好きなようにしてくんねえ!」とケツをまくるだろうし、そんな態度を潔しとする空気が、この社会にはあると思う。
でも、「細かいこだわり」は、日本人だけのお家芸ではないようだ。
ケリー大統領候補の妻は、プチ整形を告白しているとか。
「微妙」ブームは世界に広がっているのか!?
この真相が「庶民に合わせるため少しブサイクにしてみました」てな整形だったら、有権者がどう反応するか、ワクワクする。

庶民に迎合するパフォーマンスは、政治屋が自転車に乗って選挙運動する姿でおなじみだ。
正々堂々「私は当選したらベンツに乗っちゃるけんね」と笑う候補者がいたら、かえって透明度アップだ。
ワシなんぞ、運転免許もないから、ずっと自転車じゃい!議員宿舎にも国会議事堂にも駐輪場をつくらせて、こいで出勤するぞ(いや、悩ましい運転手を雇って、正当に抱きついて至福の通勤時間を誇示するか)。

「議員になって、不倫相手、セクハラ相手に払う慰謝料を稼ぎたいんですっ」という正直者がいてもいい。
こんな透明さが今の政治屋には乏しいから、学歴詐称(実態は学歴些少)だ資金疑惑だとほじくり返されるのである。

腹黒いことをさらけ出す政治屋と、腹の底を見せない政治屋のどっちが罪深いか。
必ずしも腹黒いこととは断定できないが、フランスの某政治家は「愛人疑惑が取り沙汰されていますが」と記者に問われて、「いますよ。それが、何か?」と返したそうだ。
すると一転、「倫理の木鐸」がまな板に乗せられるのである。
愛人がいようと、金銭欲があろうと、それを隠さず、政治家が政治の実績を出せば、大人の有権者は支持する。大人というのは、公の問題と、個人の欲望の問題をきちんと線引きする理性という意味で。

「プチ」にこだわるのもけっこう、でもコソコソ隠すな。ゴシップばかりほじくり返して巨悪を野放しにしているマスコミも、巨悪と一蓮托生ではないだろうか。
必ずしも、政治は「巨悪」ではない。それは庶民のカタルシスのために創りあげられた幻想にすぎなくて(だってマスコミと政治家は実はとても仲がいいんだから)、本当の3大巨悪は別にいる。
マスコミが決して批判しないのは、CMスポンサーと、ゴシップに一喜一憂する客、それにもう1つは、うかつに公言すると銃弾が飛んでくるグレートな方なので、やめておこう。
(でもワタクシは巨悪をなくすべしとは思わない。悪のない社会は偽善くさいもの)


アンパンチ

at 2004 02/18 20:58 編集

夕方、元町の小さなお総菜居酒屋の前を通りかかったら、なにやら怒り狂った客が飛び出してきて、店のご主人も出てきて怒鳴っている。
悪酔いしたアンパンマンふうの客45歳が、腹いせに、ペッペッペッ!とつばを吐き散らして立ち去ろうとすると、ご主人62歳も、ペッペッペッ!とやり返している。
何か行き違いでもあったか、客の虫の居所が悪かったか、ともかく大人気ないなぁ・・・と苦笑するしかなかった。

アンパンマンは、すぐ近くの交番にかけこんで、警官を連れて店に戻って行った。よほど、自分が正当だと自信を持っていたのだろう。
しかし、店で事情を聴いた警官になだめられると、形勢不利な窮地に追いこまれたアンパンマンは、今度は警官にからみはじめる。
すると、巡査長53歳がアンパンマンの胸ぐらを両手でつかみあげて、「なめとったらあかんどコリャー!!」とどやしつけていた。

ふつう、現行犯を現認でもしないと、警官がここまで腕力をふるうことはないだろう。
よほどアンパンマンの悪態がカチンときたか、それとも一皮むけば「ヤーさまと混じると見分けがつかへん関西系ポリやん」やでぇ・・・というところを、たまにはパンチラ(パンチパーマちらり)してみたくなったのだろうか(笑)。
小春日和の陽気が、野生を刺激するのだろうか。


フェ*芸

at 2004 02/19 16:35 編集

フェスティバルゲートができたころ、環状線に乗ってすぐ横から眺めながら通勤していたので、「よくまぁ、あんな狭いとこにジェットコースター造って・・でもかえって迫力あるかもね」と思いつつ、行ってみようとは思わないまま、ついに閉鎖決定。
遊園地はどこも経営が大変らしいし、親方が役所というところはなおさらだろう。刀でB29に闘いを挑むようなものか。
責任者が責任を取らなくていい体質には、ええかげん納税者は愛想を尽かしているはずだ。
あちこちで公営の競馬場も傾いているし―会社なら倒産しとるわな―、どこかの知事がお台場カジノを造るんだと息巻いているのも、だれか止めるやつはいないのか?

住民のためを思うなら、失敗すること確実な武家の商法を性懲りもなくくりかえすより、引っ込んどれ!と言いたくなることも多い。
人の入らない遊園地や公園に公共投資するぐらいなら、空き交番をなくすとか、夜間保育を増やす方が良心的だと思う。
ニーズに応えるというマーケティングの基本を、無責任役人にはわかってないのではないだろうか。だれが「遊園地ほしい」と要望したのだろうか。

そう考えると、関空が目の前に見える神戸空港(笑)に多額の市民税を搾り取られている住民としては、暗澹たる気分になってしまうから、「対岸の火事」見物で気晴らししたくなる。
フェスゲの元の土地は交通局の車庫だったのにちなんで(?)、閉園後はチンチン電車の運転ゲームなどで楽しめる遊園地にしたいという腹案もあるそうな。なんとまぁ、性懲りもない役所に税金を貢ぐ浪花市民は、寛大だこと…。

どうせやるなら、全国の鉄ちゃん連盟(というのがあるのかどうか知らないが)に委託し、世界随一の鉄ちゃんの聖地にしてしまうとか、はじけた案を出してみてほしい。
いや、決してワシは鉄ちゃんではないのだが(苦しい)、浪花っ子の「鉄分」が高くなって電車利用が増えれば、大阪名物の二重・三重駐車も少しは緩和されるかもかもかもしれないではないか。あぁそのかわり、地下鉄御堂筋線名物の痴漢も増えるかな。

大阪に隣接する東大阪や堺は世界有数の自転車産業都市でもあるから、もっと自転車利用者が増えればいい。
これまた大阪名物の―悪い名物ばかりあげてごめんね―ひったくりに遭わないママチャリを、町工場の職人さんが知恵を絞って開発するのもいい。ワシが太田フーミン知事の愛人だったら、耳元で甘美に政策提案をささやきかけてあげるのに(笑)。「ひったくられ率」とメーカーの法人税を連動させれば、メーカーは血道をあげて開発を進めるんちゃう?と。
ま、かごにカバンを入れるのをやめるだけでも、ひったくりはなくなるような気もするけど。

いっそフェスゲは「フェスティバル・ゲイ」と改名して世界初の自治体キモ入りゲイパークにしたら、全世界から「その筋」の観光客が殺到して観光収入は増えるかもしれない。
この前フェスゲに水野シベチョー晴男さんがシネマトークをしに来ていたのは、その伏線だったりして…。


やっと啓蟄

at 2004 02/20 22:43 編集

あぁなんてこった。
組合の集会に出かけて行ったはいいが、2時間も勘違いしていて、終わった後。頭が冬眠していた。
自己嫌悪でうなだれて、トボトボ帰るのもなんだし、大阪駅東口に最近オープンしていたイカリスーパーへ狩猟に入る。アーモンドコーヒーとナチュラルチーズをお買い上げ。

コンコースには、気温が上昇したせいか、絶滅したかに見えたルーズソックスが、なんだか異様に多数わいてきているように見えた。
気温のせいでなければ、金曜日のせいか?
勤労者は仕事から解放されて「どうですか主任、ちょいと一杯」と流れていく「花金」だろうけど、ルーズソックスも、あれでストレス発散に出てきているのだろうか。「どうお?美化委員さん、ちょいと一杯」とか(笑)。

でも、今はまだ受験シーズンではなかったんかいな?
2月前半に関西の私大入試、下旬に関東の私大入試、3月に国公立大学入試とわかりやすかった受験生暦も、最近は多様というか、わかりにくくなっているような気がする。後期日程やらB日程やらC日程やらD日程やらE日程やらF日程やら・・・あぁそげに受験生集まらんのなら、いっそ「随時入学可」にしなはれ!といいたくなるような、入試のやりなおしが多い。受験生はやりくりが大変だろうな(がんばっておくれ)。

どんどん大学入試も簡単になってきているから、「受験に失敗してしぶしぶ・・・」という顔の専門学校生が減っているような気もする。最初から、「福祉職につきたい。就職実績を見ると大学より、ましてや短大より確実」ときちんと判断して進学する少年少女も増えているようで、いいことだと思う。

バブリーなころは、僕の周辺にも「京・阪・神大か関関同立に受かれば将来安泰」と構えているとっちゃん坊やと、下半身をほてらせてサラブレッド探しに東奔西走する女子学生が蒸れて(群れて)いたものだが、今は資格だダブルスクールだと真剣になっている学生も多くて、それも不景気のいい面だろうか。
いまだに「ボクは偏差値70だい」と威張りくさっている痴呆少年は、60歳まで親のスネかじりで生きて行くしかないわな。

ダイヤモンドの原石のような眠れる獅子は、就職してから本当に必要な勉強に目覚める。
職場で、そんなダイヤモンドを見送ったり迎えたりする、心ときめく季節でもある。


青年の主張モス予選

at 2004 02/22 15:57 編集

モスバーガーで189円コーヒー1杯でくつろいでいたら、あっちの方で「青年の主張」が始まった。
「女の子て、やせたい言うわりに甘いもん食うやろ?ほんなら、やせたい言うのやめたらええやん!ちゃうかー?」と、後輩とおぼしき彼女に訴えている。

ははぁ・・・演題は、
「食べたいやせたい女性心理の葛藤が、わかるようでわからない俺様の煩悶」
ということらしい(笑)。
別にねちっこくも乱暴でもない、「純朴青年の一途な主張」という感じで、ほほえましくそば耳を立てていたけど。

答える彼女は、「でも、女の子って、そういうもんなんよ」と、軽く受け流している。
私設審判のワタクシは、もしかしてこの二人、どこかの社会学科の先輩後輩ではないか?と思った。
というのも、向かい合って、目の前の相手の気持ちをネタにしているのではなく、相手の属する「カテゴリー」を俎上にのせているから。
キミはなぜやせたいのに食べるの?と問いかけているわけではない。
聞き役の彼女も、女性を代表したような答弁をしている。
この場面にリアルに存在しているのは、「俺、わからんわぁ・・・」とため息をついている、近畿ブロック代表A太郎君22歳大学生だけなのであった。

人はけっこういろんな場面で、気づかないうちに「カテゴリーの勝負」をやっているものだ。
そのカテゴリーを扱う学問が社会学なんだけれど、男性や女性や家族や組織の「一般論」を論じるものだから、「でも我が家はこうじゃない」「私は男に依存する女ではないからねっ」てな違和感がつきものだ。あげく「抽象的すぎる!と敬遠されたりもする。
そうして、「具体的なこと」「わかりやすいこと」に人々は群がる。

けれど、カテゴリーというのは、具体的な経験から自然に抽象化作業でつくられて行くもので、たとえば野良猫だって、おじさんAや少年Bにいじめられると、「二本足で近寄ってくる生き物はこわい」と抽象化する。
ただ、この抽象化やら、感覚的に刻み込まれた経験を修正したりする作業やらを、言語をつかって行うのはチンパンジーと人間ぐらいのもの(イルカはさておき)。
乱暴に裏返していえば、具体的なことにしか反応しない人間は、霊長類より退化しているといえなくもない。

カテゴリーを鎧にすると、けっこう都合がいいこともある。
「疲れたサラリーマン」になりきると、おしぼりで顔を拭くぐらいは朝飯前だったりするように(みみっちい・・・)。
その調子で、つい「おじさん代表」「関西人代表」「日本人代表」のような態度をとってしまうけれど、とはいえ僕は行列や団体行動が苦手な日本人だし、おねーちゃんが酌その他いろんなサービスをする店に行かないおじさんでもある。
ついでに、「男なんて・・・」とグチる婦女子には、「その中に、ワタクシは入っておるのですか?」と確認してしまうチェック屋である(笑)。

あんまりカテゴリーにぴったりはまった―予想を裏切らない(笑)―人物になりきるのも、これまた窮屈なもの。
だから、「おねーちゃん嫌いじゃないでしょ?」と言われたら「お好きです」と答えることにしている。「そういうことにしている」のである。あくまでも。
それもまた関西人のノリということになっている。


不意打ち

at 2004 02/22 17:23 編集

いきなり「飲み会ですよ来ないんですかっ!?」とメールくれても、そんな話さっぱり聞いてないぞ和田君!
ったく、近ごろの若いやつときたら・・・(笑)


雨のち雨

at 2004 02/22 21:36 編集

いやに暖かい日が続くなぁと思っていたら、久々のおしめり以上に、しっかり降ってくれた。
あぁ、「雨あがりの匂いが好き♪」なんて浮かれて、自転車で出るんでなかった。これから本降りになるとこやったっちゅうに。

三宮から神戸駅までの3km弱は、アーケードをつなぎつなぎ、雨に濡れずに歩けるので、徒歩民族にとっては雨の日の大動脈という感じ。「毛細血管」に入って行くというか、出て行く寄り道は、ずぶ濡れになるのがつらい。

それにしても、花冷えの初夏のような変な陽気。まだ2月というのが信じられない。
このまま、桜の便りを待つばかり・・・か?
もう1発、冬将軍にはがんばってほしいのに。


オーダーメイド・チャイルド

at 2004 02/23 18:46 編集

神戸の産婦人科医が、着床前の受精卵を取捨選択していたとして、学会除名処分になったニュース。
学会の方針に背いたから村八分というのは、いかにも日本的なやりかたに見える。組織の中で議論を闘わせて、「異端」から汲み取るべきこともあるだろうにと思う。賢明な組織なら。

「生命の選別につながる」から倫理上問題だというもっともらしい世論に、当の医師はささやかな反論をしていたように見えた。「だったら中絶はどうなんだ?」と。
着床前の受精卵の選別は、順調に赤ちゃんとして育っている胎児を闇に葬る―統計に出ているだけで年間数十万件―のと比べて、罪が重いのか軽いのか同列なのか・・・。

着床前診断は、障害児が「処理」される可能性から、優生学につながる、ゆえにタブーだとされているのだが、この問題は難しい。
今この世で生きている先天的障害者の権利を奪うつもりはなく、ましてや我が子が障害を持って産まれてきても育てるつもりでいても、胎児になる以前にそれを知る方法が現にあるわけで、それを使うか使わないか、親心としては難しい選択を迫られると思う。

産む産まないの線引きが、どの程度の「障害」で許されるか、法的な拘束力を伴う基準がないので、現状では個々の親の判断に委ねられるしかない。胎児の遺伝子診断の技術は日進月歩だから、ごく軽い障害の有無・程度まで診断できるようになるのも、時間の問題だ。
たとえば僕のように色覚障害やてんかんを持っていて、それが我が子(になるべき胎児や受精卵)に遺伝していることがわかって、どうしても我が子はパイロットや医者にしたいと思っている親・・・という条件がそろえば、少し前なら闇に葬られる可能性もある。
ところが、制度の欠格条項も変わりつつあって、障害者の資格受験も少しずつ拡大する方向にある。また、同じ歩行障害者でも、今の日本ではためらう親もいるだろうが、車椅子で社会生活に不自由しない社会なら産み(産まれ)やすい。

結論としては、障害者でも不自由なく暮らせる社会づくりを進めて、あとは個々の親の良心に任せるべし…と、もっともらしいことしか今は思い浮かばない。

以下冗談。
今回の診断は、たしか男女の産み分けを求める患者の求めに応えたということだったように思う。
もっともらしく倫理を語る報道は、別の解釈がなされて、国民に「やっぱり技術的にはできるのね」と、産み分けへの期待を呼び起こしてしまったのではないだろうか。
国レベルとしては、この方がこわい結果につながる。ある世論調査によると、日本人の7割は圧倒的に女の子を持ちたいと思っているそうだから、だれもが「女児選択」などできてしまうと、性別人口構成が変わってしまう。
もし男女比が実際3:7にでもなれば、一夫二婦制にでも改定しないと、女性があぶれてしまう計算になる。そうなれば、女性はオスを奪い合って競いあい、僕のようなモテズ君でもモテモテになるかというと、「それでもモテズ君」は一層落ち込むことになる(笑)。
それより、二人も扶養するのはしんどいから、妻Aに扶養してもらいつつ妻Bを扶養する男なんて工夫(か?)もしなくてはいけない。アホなことと笑われるかもしれないが、現に夫に扶養されつつヘソクリで坊やを買っている妻なんてのもいたりする。主婦の知恵から学ぶべきものは多い!(笑)。

厚労省に「なぜ俺はもてないのだ?」と憤っている東大卒キャリア君たちがいれば、産み分けを認めようとするかもしれない。「逆スーパーフリー」を夢見る愚かな男は、僕だけではないだろうな、御同輩。


ぼちぼち

at 2004 02/25 12:57 編集

春先は子供がらみのニュースが多い。
「胎児」の次は、義務教育。
大阪市立の小中学校(焼酎学校なら再入学したいのぅ・・・)が、やっと習熟度別クラス編成を導入するという。
ほほー、やっとですか・・・という感じ。

導入それ自体はいいと思うが、習熟度別に3段階に分けたクラスの名前が、
基礎=「ゆっくりクラス」、
中級=「ぼちぼちクラス」、
上級=「とことんクラス」
だというから、失敬だが笑ってしまった。「とことんできない」子は、ゆっくりやってて大丈夫か?(笑)。
「ぼちぼち」のようなナニワセンスは、関東からの転校生などにはわからんやろなぁ・・・。「お店での値切り方がわかんないよ」なんて東京弁でこぼしてたら、ぼちぼち目をつけられ、ゆっくりいじめが始まり、とことんやられまっせ(笑)。

ま、大阪人を敵に回すのはさておくとして、なかなか習熟度別クラス編成が実現しなかった背景には、「どんな子でも一律に同じ授業を受けるのが平等だ」と考える勘違いや、我が子が低いクラスに入れられるのをおそれる被害妄想など、根深い病根がからみあっている。

なかなか理解できない教科があれば、基礎から教わるのは当然の権利だと思うのだが、たとえばスポーツにたとえると、運動部員も障害児も同じ体育を受けるのが正しいという類の勘違いは、なかなか消えない。

勘違いといえば、成績は個人情報だという感覚も、わりと最近の傾向ではないかと思う。成績は「隠す」ものである、ゆえにせっかく隠していた成績が、クラス分けであらわになることに、抵抗もあるのだろう。

それなら、勝ってたたえられ負けて笑われ、露骨に能力差がさらけ出されるスポーツはどうなるの?
偽善的な教育者が、勝敗や序列をつけない運動会を実施したりしているのは、すでに良識ある社会人から失笑を買っている(スポーツ音痴の子が、ランキング廃止ありがとう!と感謝しているのだろうか)。

子供のうちから、笑われて、恥をかいて鍛えられるべきだ!と乱暴なことを主張する鷹派ではないつもりだが、集団に何かものさしを当てれば、なんらかの序列ができるのは当然のこと。「身長順に並べ」といえば、最低くんと2番目くんが激しく背伸びしあう(笑)のが現実だ。

教育者の本当の仕事は、運動能力なり学業成績なりモテモテ度なりのものさしが、即その人格評価に直結するのではないと教えることだろう。ものさしを相対化できないと、「偏差値が高いこと=幸福な人生」と、とんでもない短絡をしてしまう。
教育者が使えるものさしは、ごく限られたものでしかないのに、「多面的評価をしよう」なんて無理の上塗りをしない方がいい。
同じ愚行を犯しているのが、¥で人生や人の価値を測って、勝ち組だ負け組だと騒いでいるエコノミストども。

おまえは負け犬だとか、俺の方が何万円多いだの何センチ長いだの資格があるだの何分もつだの、言いたいやつには言わせておくのが慈愛の心というものかもしれない。
ただ、「美しい生き方」をしたいものだなー・・・と思う。


命の椅子とりゲーム

at 2004 02/26 22:32 編集

アメリカで心臓移植を受けた女児が、「手術成功!」の朗報。
朗報・・・か?
子供用の心臓というレア資源を待つ列の最後尾にいた子が、確実に一人、命を奪われているということなのに。

なんだかイラクや北朝鮮でゴタゴタしている国会に、とんでもない法案が出されようとしている。
臓器提供の意思表示をしていなくても、「提供拒否」でない限り、家族の同意だけで脳死状態から臓器を摘出できるよう、法を改悪しようとしているのだ、自民党は。

移植法ができて7年で、脳死状態からの移植は30件たらず。
ある心臓外科医は、毎年ジャンボ機1機分に相当する心臓病患者が、移植を待ちながら亡くなって行く非運を嘆き、患者や家族の団体も、移植医療の「規制緩和」を訴えている。
今回の移植法改定案は、そうした陳情に応えたものだ。

しかし、やりかたが粗雑というか、乱暴すぎる。
最初は、現行法では子供の臓器提供ができないので、親権者の同意で脳死の子供から臓器をとれるようにしたい、ということだった。
それが、いつの間にか、大人も子供もいっしょくたに、本人の意思表示がなくても家族の同意で臓器をいただいてしまおうという内容に変身している。

「家族の同意のみで臓器摘出」というのがミソで、意図するところは、「同意しやすい家族を説得して、承諾文書に署名捺印させる」ということにほかならない。
現に、説得の専門家をコーディネーターと称して着々と養成している。脳死状態の患者の蘇生をあきらめきれない家族の気持ちを酌んで、外科医に臓器摘出を断念させる話をする専門家ではない。とにかく臓器を自発的に提供させるよう誘導し、悲嘆を癒す「グリーフワーク」の心理技法まで磨いた専門家である。中立的な機関に所属するわけではなく、移植を推進する病院や専門機関に所属するスタッフでもある。つまり、決してコーディネートするわけではないから、「説得士」と呼ぶべきなのだ。

それにしても、厄介な時代になりつつある。
9割以上の脳死者が、ドナーカードなど持っていない。「死んだら臓器を提供してもいいかな・・・」ぐらいに思っていたか、「提供したくないなぁ」と思っていたか、ともかく灰色の意思表示を、家族から間接的に聞き出すしかない。
よほど「臓器提供拒否」と明言して(本人の署名捺印と日付を伴った書面が必要)いなければ、事故で脳死になれば家族への説得が始まる。灰色の状態で脳死になった患者(や、事故被害者)の臓器は、基本的にドナー候補として「医療機関のもの」と推定されるのである。
なんだか、戦時中に家の中の金属器を軍に「供出」させられていたのと同じロジックも透かし見えてくる。脳死患者の臓器は、「公共の資源」なのか???

僕個人は、「臓器だろうと何だろうと何でもあげまっせ」という立場で、ドナーカードを携帯していた時期もあった。
が、今もし無事に(?)ドナーになれたとすると、この乱暴な移植医療体制を追認することになる。提供はしたいが、「日本臓器移植ネットワーク」の実績にはされたくない・・・そんな葛藤をかかえている。

だから、自分流の臓器提供意思表示ができれば、僕だけでなく、もっと自発的にドナーになろうという人が増えるのではないだろうか?と考えた。

それを、どうしたことか移植慎重派の医師からの打診で本に一節書く機会があって、「ドナーカードのカスタマイズができるようになればいい」と書いたところ、削除を余儀なくされてしまった(まぁ、当然といえば当然)。

たしかに、カスタマイズなど認めたら、医療は大混乱するだろう。「同じ鉄道マニアの患者にあげたい」とか「喫煙者にはやらん」「こんな職業の患者にはあげたくない」などと指定したら、病院は困り果てるに違いない。しかし、もしそれができれば、医者が決めた移植優先順位の序列が撹乱されるだろうが、移植総数は増えるのではないだろうか。

そもそも、臓器を遺産と考えれば、遺言相続という制度にならえばいいと素朴な素人は考えてしまうが、そうほ問屋が卸してくれない。「自分の臓器をどう使われるか指定する権利」が認められない背景には、「助かるべき患者の選別は医療の権限」という強固なドグマがあるからだ。

すったもんだの末に出た本に、僕は「家族の同意というときの家族はどう定義されるのか」と書いた。不信感で反目しあっている仮面夫婦でも法的には家族とみなされるが、事実婚カップルはどうなんだろう。

そんな場面はまだないようだが、法廷で議論されるような「移植事例」が出てきてもいいだろう(僕が第1号になりたいが、まだ脳死になりたくはない)。

脳死になった時どうしてほしいか、一番よく知っていて、冷静に代弁できるのは、実は親友や恋人、愛人だったりすると思うのだが・・・(僕の周囲は、口をそろえて「あいつの臓器、どうぞ洗いざらいとって役に立ててやって下さい」と熱烈同意するだろう)。



アレ?フ

at 2004 02/27 23:28 編集

教祖の判決後、国民全体の怒りの総量を顔面に漂わせているような、あのサリン被害者遺族のご婦人のアップがくりかえしくりかえし流れて、現在の教団本部マンションが実況される。
こうして、教団包囲網をつくる回路へと、視聴者は誘導されて行く。
「追いつめて孤立させる」日本風のやりかたが、教団を「カーゴ・カルト」化する。

「孤立とカルト化」を生む排除のメカニズムは、オウムだけでなく、日本中いろいろなところでくりかえされている。
カルト問題は、この社会の知性や理性をあぶり出すリトマス試験紙になりうると思う。


完熟レモン

at 2004 02/28 22:52 編集

僕ぐらいの70年代ちゅー坊にとっては「レモンちゃん」と聞いた方がピンとくる落合恵子大姉が、人生相談を書いておられた。
妻子ある男と不倫している25歳ナースが「彼は妻より君が好きだと言ってくれます・・・ウルウル・・・彼の家庭は壊したくないんです!でも別れたくない・・・悶々」という、まぁよくある御相談である。

われらが70年代アイドルは、さすがの完熟ぶりを見せてくれている。
悩んでいる今が「次のステージ」へ移るチャンスよっ!とくすぐり、この経験を「愛の勲章」にしましょう!と提案。
「ステージ」に「勲章」である。いやもう、感涙もののフレーズだ。
「次のステージは正悟師ですよ」ってわけではないだろうし、おまけにこんな「愛の勲章」は、人に見せたりすると「あんた遊ばれただけちゃうん?」と一笑されそうだが・・・。

辛口相談員(仮名)みなもんたなら、こう言うだろう。
「あのね、男ってものはサ、君が一番と言うものなの。お前は遊び相手だ、と言ってくれる正直男を選びなさいよ、アナタ!!」

そりゃそうだ。
今さら、不倫男・不倫妻けしからん!と、「しゃべり場」レベルの道徳をこねくりまわす気にはなれない。
ただ、不倫するなら、見え透いたキレイゴトを言うべきではないわな。
ほんま、おもちゃやおやつをたくさんかかえて「どれも一番好き!」と言ってる欲張りな坊やみたいな妻帯者は、丸裸になってみないと、己の低能さに気づかないんではないだろうか。
でも、そんな男に振り回されている彼女というのも、その程度・・・なんだかなぁ・・・。


イカナゴ買い禁

at 2004 02/29 17:48 編集

今夜のお総菜買わなくちゃ。育ち盛りの子がいると大変だわ・・・
gaiax日記アーカイブ2004年 | 23:55 | comments(0) | trackbacks(0)
2004年1月の日記

外食革命

at 2004 01/01 09:36 編集

やはり正月はおせち料理やな。
喪中でおせち料理はいいんでしょうか?という人生相談番組で、「節目のときに食べる料理という意味で、故人に失礼になるわけでもないのでOKですよ」と回答されていたから、バクバク(笑)いただいた。
あぁ、やはり和食で食べ初めというのはいい。

このところ牛丼業界で働く関係者はお気の毒だが、BSE騒動で看板メニュー変更や営業縮小が現実的になってきたような感じ。
だから私がプロフィールの選挙公約で主張したではないか!牛丼屋は転業しろと。
・・・と、鬼の首を取ったような言い方はしたくないが、いい機会になると思う。脂肪ドロドロの成人病の素みたいなジャンクフードは体から遠ざけて、胃腸をキレイにしてみたらどうだろね。体臭も肌荒れも、少しはましになると思うぞ。

成人病といえば、どうも腑に落ちないのが、肉食が大腸癌の因子になっているという疫学的研究も蓄積されているのに黙殺され、BSE牛が何頭か見つかっただけのことで市場からシャットアウトするほど過敏に反応するミステリーだ。
なにか別の力が働いているような気がしてならない。科学的真理ではなく、政治的カードで日本人の腹具合が左右されているのは自明の事実だし。

海の幸・山の幸だけ食ってのどかに生きていれば、もっと平和で健康なジャパニーズライフが送れる気もするが、それは僕の個人的な予感にすぎなくて、「証明」はできない。でも、工業製品ばかり売りつけてきた負い目から、肉買え魚も買え野菜あるよ米も安いよと圧力をかけられれば、台所は外国に占領されて、もう取り戻せない。

カレーライスにしろあんパンにしろ、洋モノの和風アレンジは日本人の得意芸だが、牛丼だけは葬っても日本文化の損失にならんのではないだろうか。牛丼といえば和食ふうに見えるが、完全に輸入牛肉に依存した「安さ命のグロテスクな餌」にすぎないと僕は思う。
しばらく牛丼屋さんは峠の茶屋になって、丼の大量炊き出しの技術をベースに、おにぎり、お茶漬け、雑炊、おかゆetc(おぉ、御飯だけでこんなにアレンジできるのはワンダフルではないか!)を展開してみてほしい。
雑煮も正月限定にしておく必要はない。
ラジオで全国の雑煮くらべをしているのを聞いたら、ほんとに地方色がいろいろあって、僕は御当地雑煮を探訪する旅に出たくなったほどだ。
吉野屋は、和食に回帰しなさいっ!(笑)
女性も老人も熱烈に支持すると思うがなぁ。


よりによって・・・

at 2004 01/01 23:44 編集

元日早々、拉致家族のいる某国を刺激しまくりの靖国神社参拝を決行せんでもええんでないかい?時期を考えろっちゅうに。

どうしても初詣でしたいのだワシは!というなら、いくらでもカムフラージュできるのが初詣でのアバウトな長所なのだ。
たとえば、戦犯と関係ないマイナーなどこかのとげ抜き地蔵に詣でるとか、肩書きはものものしく「内閣総理大臣」なんて書かずに「匿名希望・純ちゃん」にするとか・・・。

八百万の神々が同居しているニッポンだから、クリスマスにお寺に参拝して拍手を打つというチャンポンもよろしい(だめか?)。
そういえば、個人的に今年は神社に寄りついていないな。まぁ、初詣でに行ったという記憶は数回しかないけど。お稲荷さんとか厄神さんとか、いろいろニーズに合わせて神様を選べるというのは、考えてみると超コンビニ信仰やな。
こんな八百万の信仰風土は、世界に理解されるだろうか・・・?
godsと書くだけで欧米人には「オーマイガッ!!カミサマハユイイツ、Godナノデスッ」と驚愕されるそうだが。


おつかれさん

at 2004 01/02 13:06 編集

正月早々、ランナーが苦しそうに顔を歪めて走る長距離をぢーーーーっと観戦する父や叔父(なぜだかこの習性はオトコ特有のものだな)を、これまたぢーーーーっと観察してきた僕だが、未だに正月早々の「苦悩の顔アップ2時間中継」の意味がよくわからない。
もちろん、走ってる当の本人は、気合いをこめて走り初めしているんだろうし、走るにはいい気候なのだろうと思う。ラグビーなんかも、正月早々だからこそ、闘い甲斐があるのだろうなと思う。
わからんのは、おせち料理をつまみながら、ぢーーーっと中継を観戦しているおとっつぁん連中の心理だ。ほんとに謎だ。だれか教えてほしい。「大きくなったらわかるよ坊や」といわれても、いわれつづけて30年、小さいオッサンになり果ててしまった今では、あぁ…正月早々の謎が解けないまま人生の折り返し点をターンしてしまった!という無念だけが残る。

福袋を買うのに徹夜までする店のカモさんたちも、ごくろうさんだ。
福袋=売れ残りだと信じてやまない僕は、中身のわからない紙袋に1000円とか1万円払う度胸はない。「10万円分の商品が1万円!」と店は宣伝するけれど、おいおい、1万円の価値しかないものに10万円の値札つけとるんじゃろに?と、こんな理屈も小学生のころから吐きつづけてきたなぁ。

あんまり福袋マニアの夢を打ち砕くのは罪だから、前向きな提案をいたしてみたい。
こんなやつが選挙に出るのかっ!と袋叩きに遭いそうだが、福袋と福娘を組み合わせれば、正月早々スリルとサスペンスと天国と地獄を経験できるのではないだろうか。
つまり、福袋の中に福娘を入れておくのだ。
これだと客はオトコばかりになるから、フェミニスト、おばちゃん、おねーちゃん、水野晴男さんのご意見にも配慮して「福ボーイ」も新しく導入する(一字抜けて福ボーとなると、これはこれでリアル)。
従来の福袋とちがって、重いほど安くなる(笑)。
えなりかずき袋よりベッカム袋の方が安いという大どんでん返しもあるが、それはまぁ、スリルとサスペンスの代金ということで…。
だから、軽い→モー娘。?→即お買い上げ→開封→きんさんぎんさん!ありゃ遺灰!
ということもあるかもしれない。
「ARASHI 福袋」は1万円で、「野良犬入り福袋」10万円と並んで売られていたら、俗人はアラシを買うだろうが、それでは経済センスが甘い。扶養コストを考えれば、野良犬がお得だろう。賃貸を笑って分譲マンションを買ったら損して笑われている・・・てな話と同じである。

考えてみれば、時間がたてば価値が増えるか減るかわからん不動産という買い物も、福袋に見えてくる。日本人好みのスリルという感じか?
「無理して買っておけば、資産として残るんやぞ」と、ローンをずっしりかかえてマイホームを買って僕にしみじみ語ってくれた先輩も何人もいたが、これも10万円の価値があると確信して1万円の福袋を買うような心理かな。
現実の負債や資産デフレが見えなくなって、幻想ばかりふくらんで見えるのは、永遠のお正月気分という気もするけれど、たしかにお正月景気は楽しいわな。




at 2004 01/03 22:18 編集

例によって年末年始は社交週間という感じで、大晦日だけ静かに過ごせた。
今日は正月早々、3兄弟会議で父の墓づくり相談。
業者の敷いたレールに丸め込まれて、苦しい家計と「立派なやつを建ててやりたい」気持ちとに引き裂かれそうになっている「喪主」の姿は痛ましい。
風来坊の真ん中―つまり僕だが―は、「灯篭だの荘厳な台座だの、金と見栄がふんだんにあれば買えばええが、要するに墓は穴と墓碑があればええ。いま払える範囲で質素に建てて、余裕があれば建て直せばええんちゃう?」と意見すると、おまえ奇抜な意見やなぁ・・・と「保留扱い」になった。

あれこれカタログを送りつけられて、これとこれを省けば、少しは安くなるやろか・・・と苦心惨憺する兄に対して、僕は0から考えて「墓の成立要件(笑)は何ぞや?」と考える。
墓は魂の家だから、生きている人間の家と同じように財力とのかねあいで建てて後に「建て増し」するなりスタイル変更するなりするのはあかんの?と疑問も持つし、その分手厚く墓参りするとか、ソフト面で誠意を注げばいいのではないかと思う。

つまるところ、具体的な宗教が悪いというより、横並び意識とか世間体、家族の価値観の弱さといった「こちら側」の問題が大きいような気もする。だから、「黙ってワンセット買えば悪いようにはしませんぜ」という葬祭ビジネス+墓地ビジネス+石材ビジネスがはびこるのだろう。
なんだか、雇用スタイルも社会保障も教育も医療も底辺で同じ体質に見えてくる。

経済難は、兄の子つまり亡父の孫が跡を継いで医療の道へ進学を決めたせいでもある(よくやった!と僕からのお年玉はノートPCにした)。おそらく天国の父も喜んでいる一方、「孫の学費にできるだけ回して、墓の体裁などどうでもええぞ」と言うんちゃうやろか。
が、墓というのは亡き魂のためなのか、祀る遺族のためのものなのか、線引きがしにくいのも難しいところだ。

父の最期から葬儀、埋葬までのいろいろな場面で、つくづく、商業主義という強敵に対抗するには、強靭なカウンターカルチャーなり論理の力なりが必要だと思った。
今さら、あのなー、「親父はプロテスタントやで」と口をはさんでも、戒名までつけられて見知らぬ寺の顧客リストに登録されてしまった今では、今さら十字架というわけにもいかない。

ならば、マルキストを演じて「魂など実在せぬわ!」と唯物論法を盾とするか、我が家流の祖霊祭祀を創建するか、あれこれ悪あがきを考えてしまう。
まぁ、無知な金持ちな庶民は、「命のビジネス」にとっては絶好のカモになるが、知識もカネも両方ない、というのは少し救いになっているかもしれない(苦笑)。

僕自身の最期だと、「坊主ビジネスに一銭も払う必要なし!音楽葬で見送ってもらって、畑に埋めて桜の木でも植えてくれ」と遺言したい気もするが、遺族の世間体というのも、無視するわけにはいかないから厄介だ。

間もなく通常国会が始まると、子供の意志不在でも親を説得すれば臓器を摘出できるよう改悪臓器移植法案が提出されようとしている。
ひたひたと、自分の死に方を自分で決められない社会になるのだろうか。


ロングラン・サスペンス

at 2004 01/06 06:44 編集

正月早々、下ねたファウルボールを打ちすぎて新年会を凍りつかせてしまった。
今年こそ、格調高く政治経済歴史芸術に思いをめぐらせる年にしたいものだ(無理な抱負)が、また少しトンデモ世界がブレークしそうな予感もある。

年末に、「あの韮澤さん」が愛嬌をふりまいてくれた番組が、月着陸はウソだったと暴露してくれたおかげで(ほんまかね)、火星に探査機が着陸したというニュースも何となくウソくさい。
何年か前のマーズ・パス・ファインダーも、火星の地表を走り回る6輪駆動車のあまりにも鮮明な映像が「ハリウッド・ロケ」を匂わせたものだった。
結局あのニュース(芝居か?)は、バギーカーやラジコンマニア向けのプラモデルの売り上げを伸ばしただけだったような気がする。

思い返せば、電波望遠鏡なんかが、コンピューター処理した画像をばら巻き始めたころから、肉眼と脳が切り離されてきたような気がする。「これがブラックホールです!」ったって、そもそも目に見えないものだから、どんな風に加工されていようと本物かどうか検証できないではないか。
「この宇宙の映像が、CGでないことを証明してくれ」という声は、テレビ局に届いていないのだろうか。
「一生懸命つくったんだから、野暮いうなよ」というのが番組製作者のホンネかもしれない。
それを「一生懸命働いてるんだから、努力は認めましょう」なんていうすりかえ論法が後押しする。
おいおい、真面目にだましてくれるな。
やるなら悪意を持ってやらんかい。なあフセイン。
善意+ハイテクほど、危険なものはない。

フィクションをリアルに感じる想像力は文化の源泉といえるかもしれないが、まんまとプロパガンダや商業主義に丸め込まれることもあるから、水をさす「ヤなやつ」も必要だ。ただ、北野武のようにカリカチュアの様式をとればかわいがられるが、あんまり露骨にやると抹殺されるから難しいわなぁ・・・。
人民一人一人が自分の中に、夢見る天使とイヤな悪魔を同居させておけば免疫にもなるんだろうけど、社会全体をみると、なんだか乗せられてゼニを支払わされている人民が多いような気がしてしかたない。心を移植されて免疫抑制剤漬けになっている感じかな。

高校生が就職できなかったり、小学生の夢が「公務員」だったりする夢のない世の中をつくったのはまちがいなく大人で、そんな大人社会が一方で心のケアだ、すくすく成育支援だ、なんやらワークだと天使の仮面をみせてくる。自立しようとしているのを孤立だと言い換えて支援の白手袋を差し伸べる偽善者は、御自身も生活能力のない張り子の虎だというリアリティを直視しない(張り子には資格が書いてあって、生きる杖になっているようだが)。
人のことより先にすることがあらへんか?

ある臨床屋さんの「私たちはちゃんとスーパーバイズうけてますっ!」という反論には爆笑したことがあったけれど、この専門家同士のマスターベーション(よほどクセになるような苦悩と快楽が満ちているタコツボらしい)も、笑える物語だ。
判断能力が半減した酔っ払いが「二人あわせて一人前だよーん」と二人で車を運転しているような喜劇にも見える。おぉ、これはスリルとサスペンスだ(笑)。

マスメディアにしろ、魑魅魍魎の「支援」サービスにしろ、組織化されて、政治権力を後ろ盾にして、飲み込みやすい物語で味つけされているから、知らぬ間に丸め込まれていることが多い。
「だから、自分の立っている土俵を疑え」と諭してくれた我が恩師の面影は輝きを失わないのだが(俺も疑ってみろよと笑っていたっけ)、さて今年はどんな土俵を造って行こうか・・・。



ゆらり

at 2004 01/06 16:47 編集

さっき珍しく強い地震があった。
震源地は熊野灘・・・と聞いても、はて何県の沖合やったかいな?と考え込んでしまったが、神戸でもかなり揺れた。
ところが、震度2は大阪府・・・というところまでしか震度情報がなくて、おい兵庫県も紹介してくりっ!と僕はテーブルを揺すりつつ念波を送信した。
被害は出ていないと告げるニュース速報は、「奈良県では、鏡餅の上の飾りつけが傾く程度で・・・」と紹介していた。
おぉ!季節の風情がにじみ出ていて、いい表現ではないか。みかんが数ミリ動いた程度だったのか?
いっそ鏡餅は和風の震度情報に使えるかもしれない。
「鏡餅こっぱみじん」から「鏡餅1階部分横ずれ」「鏡餅2階部分横ずれ」「鏡餅みかん落下」「鏡餅平気な顔」まで5段階は分けられる。
まぁ、鏡割りのめでたい時期までの間は、地震なんか起きてほしくないのが人民のホンネだろう。

それにしても、各地のレポートを聞いていても、縦揺れだ横揺れだと「いかにもサイエンス」がすっかり定着しておる!
それは、建物の揺れ方か、あなたの気分だろうに。
阪神大震災のとき僕は震度7の区域で6階建てマンションの最上階で永眠しかかっていたが、最上階だから横に揺さぶられたのは当然だ。
感覚としては「突き上げられるような」「天地がひっくり返るような」という声もあっただろうが、建物の構造でずいぶん感じ方は違ってくるものだと思う。

だから、放送局のインタビューに「いやもう、七色の地震でした」とか「すべすべした官能的な揺れかたでした」なんて答えると、放送屋さんの頭に微震が走るかもしれない。
ゲージツ家くまさんなら、おっいいねぇ、その表現!と「共振」してくれそうな気もするけど。


おさがわせ?・・・おさわがせ?

at 2004 01/07 02:19 編集

明日はまったりと七草粥か・・・という時期に、人騒がせな者どもがいて日記も忙しいわ。

ブリトニー・スピアーズの「行きすぎた冗談」結婚。あんたの名前わしゃ知らんかったが、離婚届けと婚姻届けの両方を用意するのはよろしいよ。それにしても早すぎるっちゅうに。

ハクビシン1万匹屠殺。こりゃお気の毒だ。SARSとわかった患者さんは「俺、ハクビシンは触ったことも食ったこともねえぞ」と証言しているそうだが、中国の食文化には驚く。猫エイズでも似た証言をする人間がいるかもしれない。

一時「世界のべスト経営者」に選ばれたソニーの出井社長が、今度は「世界のワースト経営者」。赤字なのにリストラが遅れたことが理由らしいが、クビを切っても文句いわれる、クビを避けても非難されるで、経営者も大変ね。
社内webサイトだかメルマガだかに書いたエッセイをまとめたという『ONとOFF』という御本は、ずいぶんゴルフ談議が多かったような「立ち読み印象」がある。
社長ゴルフを社員に読ませて「何かを汲み取ってくれたまえ」なんて、ずいぶん古い、80年代のセンスやないかなぁ・・・と素朴に思ったものだった。オペラ歌唱とジェット機操縦が趣味という大賀さんとは格違いな惑じ。

しかしなんといっても人騒がせなのは、女性セブンの広告見出しだった。
「別れた彼の家へ突入した自爆テロ女」
「ハイヒールで恋人撲殺女」
「局部握りつぶし女」・・・いちちちちち
 


ニャントロ人?

at 2004 01/07 23:02 編集

ピアニストの中村紘子さんが、インタビュー番組に出ていた。
個人的に、千住真理子さん、葉加瀬太郎(ごめんな呼び捨てで)と並んで、宇宙人ではないかと疑って・・・いや尊敬申し上げている音楽家である。

ネタは、60年代のショパンコンクールの思い出であった。
「こんなことNHKで言ってよろしいのかしら・・・」とためらいを見せて「おっ・・・どんな話やろ。商品名か?宗教ネタか?」と期待させたエピソードは、1位の女性が、コンクールの前の晩にデートに行っててその余裕に私は打ちのめされた・・・というだけ。
なんだか、あっけない。

ところが、入賞した後のマスコミ騒動に話が移ると、「いやもう、今みたいにヘアヌードが載ってない時代ですから、どの週刊誌にもでかでかと取り上げられちゃって・・・」と、カラカラ笑っている。
一体、どんな脈絡でヘアヌードが出てこにゃならんの?

いやはや、ものさしが俗人と違う芸術家はすごい。別世界から降臨してきたような神々しさを感じるぞ。
受け手がハラハラ・ドキドキ・オロオロさせられるような表現こそ、芸術家の存在理由だと思う。偉大なる岡本太郎も、何が乗り移ってるの?と感じさせる憑霊トークが持ち味だったなぁ。
逆に、あんまり世慣れて社交的で口当たりのいい、セールスマンみたいな芸術家はイカくさい。
デビューしたてなのに、サインがさらさらと淀みない新人歌手とか、模範的オリンピック選手インタビューのような問答がすんなりできるロックバンドなんてのも、なんだか多くないか?


めしめしめし

at 2004 01/08 23:03 編集

飯をやたら食った1日だった。
朝から寿司6品盛りを食って出勤、昼は新春初の粕汁定食、夜はニラたま定食。野菜が多いからヘルシーなのです!と言い訳するのが習い性になって、結局総カロリー・オーバーから目をそらしているのかもしれない。注意しないと・・・!

久々に梅田の旭屋書店に寄ってみたら、改装したせいもあってか偶然か、せまいながらもずいぶんスッキリした店内で、落ち着いて立ち読みできた。
大竹昭子さんの写真家列伝『目の狩人』が、ありがたいことにちくま文庫から出たので即お買い上げ。単行本は10年ほど前からうちの本棚にあるが、これはsabatoに回ることになるだろう。解説つきで省スペースで安い文庫は大歓迎だ。
エイ文庫からは『ペンタックスカメラ図鑑』が出ていたので、もう中も見ず即買。待ってました!のペンタックス版だ。オリンパスとニコンとライカとコンタックスの「図鑑」はそおろったが、肝心のペンタくんがやっと加わってくれたわけだ。
いぶし銀のような名品カメラに満ち満ちている図鑑からインスパイアされるという感じか、おぉこのオーラはデジカメにはないなぁ・・・と、あらためて思う。
ライカがちらついて見える魔界の入り口が近くに口を開けて待っているのが、悩みの種(笑)。




at 2004 01/09 23:36 編集

ナイトスクープの録画予約をしようと番組欄を見ていたら、左の方にひっかかる番組がちらついた。
みんな、夢という言葉に踊らされてない?
という少年少女向け番組のテーマなのであった。
おじさんはションボリする。みんな、醒めてない?という感じ。

夢を持てない社会をつくったのは、たしかにおじさんとオババたちだ。
そのおじババも、夢を捨てて仕事と家庭に献身してきたから、年金しか夢を持てないのである。
だから、そんな人に夢を与えましょう!
と、けしかけるつもりはない。
夢はあるにこしたことはないが、実現不可能と見切ることも必要で、それが今の子たちは早すぎるのだろうか。
被害が深くならないうちに次の夢を探す。のめりこまない。安全第一。
大人の知恵はそうでないと困る。たとえば、「夢はかわいい奥さん」という婦女子には近寄らない。ヘンな夢をふくらされて、29歳で別れようかと切り出そうものなら、満月の夜でもこわいから。

が、こんなお子さまは寂しい。
お手本がないのかもしれない。風船で太平洋を横断するのだ!というおとっつぁんがいたら妻子は困るし、30年前の青春よ再び(笑)と色気づくオババも人騒がせだし、夢はなくなったと首を吊るおっちゃんたちは哀れだ。
かといって、妥当な夢を持ちましょう中高年の皆さん!というのも何だか言葉の矛盾を感じるが、まぁ身を持ち崩さない程度の夢で嬉々としていれば、高感度な子は救われるし、救われない子は職のないカウンセラーを救うことはできる。
だから、絶望しましょう病みましょう・・・とけしかけるのもヘンな話だが、そんな無言のメッセージが社会に満ちているような気がする。


夢の翌朝

at 2004 01/10 09:04 編集

老母その他身内を誘って、アメリカへ旅立った。
殊勝な心がけはいいが、つい自分流を通してしまうマイペース野郎である。宿は現地で探そうと思って、どこも予約してなかった。
当然、出迎えも何も来てないのでトボトボ歩き始める。すると、どこかのトンネルを歩いているとき、運悪くパトカーが通りかかって急停止、身元チェックを受けた。
テロ厳戒態勢下のアメリカ本土、日本人観光客にはみえない行動、ジャパニーズだと言い張るが一人だけインドネシア人くさい男。こりゃイスラム教徒と疑われるべき条件はそろっている。イスラム教どこが悪い!と言いたいが、警官には従っておくしかない。
パスポートを見せろと言われて探すが、これが運悪く必死にどこ探しても見つからないのである。
あぁ、また入国管理官に取り調べられるんかい!涙涙涙・・・
と、いうところで瞬時に目が覚めた。いやーな目覚めだ。
もう何年も前に実際に犯したヘマが、こんなところにひょっこり出てくるとは、記憶よ恐るべし・・・という感じ。

殊勝なことなどしようとすると、自分流がどこかでヒト様を巻き込む災難を生むことは、現実によくある。たとえばアウトドアでは、「飲み食いの反対(というか結果)」は、そこらへんで勝手にひっそりすばやく、しかも自然破壊にならないようにやってしまう。甲賀流の秘術である。
しかし、「ハイキングつれてって」という婦女子に、出発していきなり「トイレはないから、そこらへんで勝手に、ひっそりすばやく、しかも自然破壊にならないよう甲賀流でな」と宣告すると、顔から血の気が引かれてしまったりする。期待から絶望に突き落とされたような顔をされると、いちおう哀しい。

だから、楽しいことも災難も、くれぐれも独り占めしときなさい!という天の声だか夢のお告げだかも聞こえてくる。
なるほど。
たしかに、僕が「これはワンダフル」と思って人に布教(笑)しようとしていることも、実際不慣れな人にとっては拷問だったりしたかもしれない。デートは青春18切符とか(帰りの疲れを考えてない)。自転車こそ賢い乗り物だとか。スキーは必ずリフト1日券の元をとるまで滑り尽くすとか。同棲→「できちゃったら婚」がタダシイ順序だ!とか。いや、あくまでもたとえばの話。

選挙公約を、少し洗練して行かんと、トンデモ候補者扱いされて終わりだろう。秀吉よりは票を取れないと恥ずかしい。
「一見ごもっともに見えて、実はハムラビ王」という伏線でレトリックを磨いて行くのが、政治家への道かもしれない。
修行はまだまだである。


ボイコットのような後回しのような…

at 2004 01/10 19:00 編集

外の階段で燃焼実験(笑)をしていると、NHKの集金マンが、今日は二人組でやってきた。
「ちょっと確認にうかがったんですが」と、物腰柔らかく切り込む作戦だ。「確認」だけで引き下がらないのはわかっちょるから、「押し問答しても時間の無駄ですよ寒い中ご苦労さん早く次に言った方が仕事の効率よくなるよん」が常套句になってしまった。

いい番組には払いたいけど、そうでないと返してくれるの?と質問すると、「いや、そういう問題ではなくて、これは法律で決まっていることですから」と、百年一日あいかわらずの論法が返ってきた。法を盾にする権威主義は、白髪世代に染みついている習性である。
そう来るかオッサン。ほな聞くで。
あなたスピード違反したことないか?青空駐車したことないか?一旦停止違反したことないか?信号守ってるか?飲酒運転したことないか?幇助したことはないか?立小便は?・・・と並べてやればいい。
それとこれとは別です、と言い逃れようとすれば、こう畳みかける。「いや、そういう問題ではなくて、法律で決まっていることですから。破ると被害が出るわけですしね」
玄関に招き入れてから、「帰って下さい」と要求するのもいいかもしれない。出て行かなければ不退去罪になる。
法律を盾にすると墓穴を掘るぞ、とNHKは集金研修をレベルアップしてほしい。

なんでもかんでも無法主義を貫くつもりもないし、煽るつもりもない。
ただ、法律に書いてあるから…というのは権力者に好まれる思考停止そのもので、むしろ法律に書いてある「けど」と考えてみないと、法律運用の恣意性は浮かび上がって見えてこない。
交通法規が最たるもので、だれも守れない法律とわかっていて廃止もされず、執行者(つまり警察)の意図次第で運悪くつかまったり、議員コネがあればもみ消したりできるのは法の裏表だ。こんな裁量余地に、権力が巣食う。そのために、グレーゾーンを残しているのだと考えることもできる。

それに、受信料は、返却される道が保証されていない点で欠陥制度だ。一度払うと不当性を承認したとみなされる既成事実となってしまうのも怖い。
だから、だれが書いていたか忘れたが、「先月はいい番組でしたから払います」と但し書きをつけて納付しようとすれば、受け取りを拒否されるのである。そんな領収証を自前でつくってそこに領収印を押してもらうようにすれば、「受信料受け取り拒否」をされる。

そもそも僕はめったにテレビを見ないし、BSアンテナさえない。ところがNHKの会計は丼勘定になっているから、ラジオしか聴かない契約者の受信料もデジタルハイビジョンの普及コストに回るしくみになっている(パラボラありとなしで若干の差を設けているのはカムフラージュである)。なのに、放送衛星や地上波デジタル化に多額の費用をかけて、全加入者が納得して負担していただいています!というのは詭弁でしかない。
反論されるなら、独立採算にすればスッキリする。電電公社も国鉄も分割民営化されたように、NHKラジオ、NHK教育、NHK-BS・・・と分ければ明朗経理になるぞ。

受信料を徴収する権利はNHK法で定められているが、払わない場合の罰則は規定されていない。なぜだ?
受信料を払うのは「受信契約」と明記されているが、上位法は民法だから、契約自由の法理に抵触するのではないか?
と集金マンの手に負えない疑問は消えないので、「合理的な説明のできる経営陣を呼んでくれ」と去年は若手集金マンに伝えたのに、局には伝わってないのかな。
NHK が「国営」放送だと、明らかに民事契約ではなく行政府との社会契約になるかもしれないが、それでも所得にかかわりなく一定料金を徴収する根拠はもっと緻密に整備しないと不公正だろう。そもそも国との社会契約である社会保険でさえ、加入義務はあっても脱退罰則はないぞ。

まぁ素朴な庶民感情としては、社会保険料さえ渋々負担しているのに(なんと億万長者に比べて5分の3も、である!!)、NHK料金になると「渋々渋々渋々」ですわ・・・という感じで、だから生活にゆとりができれば払います。
としかいえない。
つまり、拒否ではなく生活のゆとりからして優先順位がうーんと低くなっているだけである。
テレビも買えませ〜ん!!という住人を疑うなら、ほんまに持ってないのか、私生活に立ち入り調査して反証しなければいけなくなる。そうなりゃ憲法違反である。
法律を杓子定規に運用すると、自分の首を絞めることになる。

あんまりゴネてばかりいるのも良くないから、前向きな提案も考えたぞ。
要するに、すすんで受信料を払いたくなるよう、いい番組と明朗会計を心がけるのが放送事業者の王道だろうと思うのだが、「契約さえさせれば自動的に安定収入」と考えている役人体質のNHK官僚には、馬と鹿の耳に念仏かもしれない。
「ラジオしか聴かないのになぜハイビジョンの開発費用まで負担せんといかんの?」というような不公平感には、デポジット制という料金転嫁法がある。つまり、受信料をテレビやラジオの製品価格に上乗せ(内蔵)すれば、取りっぱぐれがない。NHKチューナーだけ別売りユニットにして、受信料を製品価格に上乗せするとか。
耐用年数が長い受信機ほど高くなるけど。
まぁそんなのは今さらできないだろうが、これをハイテク化したのが地上波デジタル化陰謀(笑)なのである。制御信号を使って受信料の管理ができるし、サンプリングしなくても全受信者の視聴行動が把握できるから、デジタル放送部分の会計は明朗になる。
ジャンルは違うが、住基ネットも発想は同じだ。

なんだか巨大な権力がハイテクを駆使して、盾つく道が閉ざされて行く実感とともに、社会保障の財源をどうするか?にもつながって行く大問題と重なって見えてくる。
僕は国民基礎年金は大欠陥制度だと思うので、基礎部分は消費税を引き上げて確実かつ公正に財源に充てるのがいいと思う。低所得な人は消費を節約して負担を軽くするという工夫ができる。
健康保険にも介護保険にも怨念は尽きないが、社会保障は公共放送とは少し別次元なので、また別の機会に考えるとしよう。

ところで、今NHK神戸放送局でキャスターを募集している。
ローカル番組のレポートを担当するおねーちゃんである。さすがに「女性限定」とは書いてないので、ローカルNHKでも雇用機会均等法ぐらいはご存知とみえる。
しかし応募の条件として、「局まで自宅から通勤できること」と、堂々と放送されている。「親の目が行き届いた毛並みのいい娘がええ」とじーさまが御所望なのかもしれないが、こんな規定が居住地による採用差別になるという自己チェックは働かないのだろうか。
「採用されたら親元を出てハーバーランド(NHK神戸のある場所)に一人暮らしします」ではいけないのだろうか。
一人暮らしできるほどの給料は出ないから、援助交際でアルバイトするしかない!
というメタメッセージなのかもしれないが。
それなら、東北のどこかでスイカップ契約女子アナ(キャスターか?)が話題になっていたのを思い出せば、「安月給だけどNHKに出たら箔がつくから退職してからグラビアで稼ごう」と考えるスイカップ2号3号etcがいても不思議ではない。案外正しい戦略かもしれない。
親元娘だろうと偽装令嬢だろうと、スイカップはどこに潜んでいるかわからんよ人事課長さん(笑)。


監視のような盗撮のような

at 2004 01/12 04:47 編集

なんと女湯を堂々とカメラで撮影している銭湯が、けっこうあるのだとか。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0110ke8200.html

そりゃイヤでしょう。いくら大義名分が「窃盗防止」だろうと、脱衣所荒らしに遭う「かもしれない」リスクが減るだけのために、客全員のプライバシーが犠牲になるというのは、乱暴な話だ。

盗撮用カメラが「監視カメラ」の名前で電器屋さん街でなんぼでも販売されているのは事実。その監視カメラに映った映像は、盗難警戒に使われる以外に、警備スタッフの下半身を刺激して「感じカメラ」と化する余地は大いにある。

だから信頼できる婦人会にでもチェックを委託するとか(それも不快でしょうな)、映像の用途をきちんと管理すべし。
というのも、本質論ではない気がする。
そんな理屈を許すと、そもそも番台は何のためにあるの?という疑問もわいてくる。

神戸に限った話ではないが、こんな管理手法を「神戸方式」と名づけてあげたい。
「頭髪の乱れは心の乱れ」てな暴論で、最近まで市立中学生男子全員に丸刈りを強制していたのが、あぁすばらしき国際都市神戸だ。十把ひとからげのゼネコンスタイルである。
えてして「長いもの」は、少数意見を無視して暴走するものだが、「抵抗勢力」や市民監視が弱いのも問題だと思う。

話がでかくなってしまったが、僕も生まれてから十数年、銭湯に通っていた元愛用者として、「ほのぼの銭湯復活案」を考えてみたい。

1.番台で朱印状(勘合符でもいいが)とひきかえに貴重品を預かればよろしい。
2.そもそも入浴代とフルーツ牛乳代の小銭だけ持って行けばよろしい。
3.なんなら腕時計も指輪の類もつけず下着一丁で自宅から走って来ればよろしい。
4.男湯はマイケル・ジャクソンと水野晴男先生に監視させれば、絶対カメラより高性能だ。
5.カメラ監視エリアに「第三の湯」をつくって、モー娘と嵐の混浴ゾーンとする。「監視」できるのは経営者だけ。
とすると、われもわれもうちもワシとこもと銭湯は激増して経営者もヤル気満々。ビルゲイツも資本提供したりして、外資系」も増える。銭湯文化は復活すること確実。

結局、まじめな考察は最初だけで腰くだけになってしまった。
 


夢の坂道

at 2004 01/12 19:41 編集

不思議と、すっきり目が覚めた。いい天気だった。
あの坂道へ行こうと空が誘っている。名前のない坂道へ。

その坂道は、夢の中に出てきた。
市街地から急な坂を延々登った果てに、山肌に身を寄せるように朽ちた石造りの建物があった。
古い宿泊施設だった。
放浪の旅人が何人も長逗留して、そのまま住みついている。洗濯場や台所があったので、寮のようにも見えた。
客人として何泊かしたが、こそこから眺める夜景が、ふだん住んでいる街だとは思えない息を呑むほどの美しさだった。

それだけの、夢で通りかかった景色を「地図」に、正午すぎに家を出て東に向かった。
その名前がすっかり手垢にまみれてしまったハンター坂、北野坂、不動坂と通り過ぎ、新幹線の駅を巻いて山の手に入って行く。
急坂が市街地の喧騒を洗い落としたように、界隈は静まりかえっている。目前の山肌が、澄みきった空を背景に屹立している。
古くからの戸建て住宅と、大規模な集合住宅が混在する奇妙な肌触りの街だ。この街には三十年前まで住んでいたから、山に伸びる道の果てにはたいてい登山口があることは、体で把握しているつもりだった。
その経験則が通用しない。何度か行き止まりに追い帰され、あるまっすぐな一本道を登って行った。吸い寄せられるように。
僕の理性は、それが初めて歩く道だと指し示してくれたが、記憶の泉はざわめきいていた。鼓動と同期して泉のさざ波は振幅を増してくる。そう、あの坂道だ。
息が切れるような坂道だった。古ぼけたコンクリートの建物が、山肌に吸いつくように屹立している。
とうとう、夢の地図に導かれて、夢で見た通りの場所へたどりついたのだ。

そこに建っていたのは、なんと象徴的なことだろう、サナトリウムだった。
窓には鉄格子がはめられていたが、しかしこの窓から眺める夜景は格別だろうと思った。
登ってきた坂道をふりかえると、澄みわたった冬の大気を通して、海を隔てた対岸の街までくっきり見渡せた。

夢の中で居心地のいい安宿として滞在した建物が、現実に足を運ぶ時間の中で、サナトリウムに変容していたわけである。これは何を意味するのだろう。
「魔の山」のサナトリウムで、ハンス・カストルプは魂の変容を経験した。
僕がその中に抱かれた「夢の安宿」は、摩耶という名の山の麓に実在するサナトリウムに変容していた。

市街地へダイブするように、僕は急坂を下りつつ、あみだくじのようにあてどなく右左折をくり返した。何度も病院に行き当たった。なぜ、こんなに病院が多いのだろう。僕が生まれて初めて開腹された病院まで、現実に目の前に立ち現れた。なんだ、この道行きは。
やがて、商業地と住宅街を分かつ幹線道路を越え、僕は雑踏と汚猥の都心へ「戻って」きた。

戻りたいような、戻りたくないような・・・。

ほんの数時間の旅だったが、僕の中の空洞に浮かぶ小島のような世界が、くっきりと輪郭をもって存在するようになった気がする。僕自身が危機や孤独や強迫観念に激しく揺さぶられても、横たわっても、転倒しても、ぷかぷかと水平に浮かんでいるような、心のジャイロスコープである。
明日はどこへ行けと指し示してくれるのだろう。


夜の匂い

at 2004 01/14 00:08 編集

寒波に震え上がったわけではないが、日光を浴びずに1日が暮れてしまった。椎名誠親分とわかぎえふ姉御のエッセイ三昧。
コンビニ散歩に出ると、強風なのにどこか夜の匂いがする。汚れた都会の大気は吹き飛ばされているはずだから、潮の香りや山の木々の呼吸が織り込まれたような匂い、といえばいいか。
戻ると、物陰からツツツーとお隣りのトラちゃんがすり寄ってきて、買い物の中に鼻をきかせる。
寒いのに全身ショートカットで、元気なことだ。
3分猫マッサージをしてやって「おやすみ」を告げるが、彼女は別れ難いのか(笑)階段を一緒にかけあがってくる。
心を鬼にして、「新大阪駅発のぞみ最終」の気分だった(=大げさ)。



潜在鉄分

at 2004 01/15 23:00 編集

大寒波到来だとか、千歳空港が陸の孤島になったとか、被害を受けている人にはお気の毒だが心ときめく白銀の便り。
こんな季節になると、電車通勤族の僕は「雪乗せ列車」と「列車ホテル」はどこかにいないかとソワソワする。列車ホテルは夜中でないと出会えないものだが。
きのうも出勤して「なかなか雪乗せ列車は見かけませんね」と同僚に話しかけると、「いや、ワタシ見ましたよ、丹後の方から来た便で」と指摘してくれた。
やはり、白銀の彩る列車をサーチしている鉄っちゃんは、意外なところにおられるのだ!
雪の取り持つ心温まる連帯感・・・である(笑)。


リナざう

at 2004 01/16 23:36 編集

わが「電子手帳の道」は、ジョルナダにも少し浮気しかかったけれど、またザウ道に戻ってきてしまった。
いやはやすごい鮮明画面だ。モバイルギアと同じ解像度が、手のひら面積に凝縮されているんだから。
さすがに「眼鏡いらず」のわが両眼でも、気合いを入れないと見にくいが、まるで写真画質の画面だ。

ウィンドウズ一派のポケットPCは、PCとつないで補助機として使うのがコンセプトだから、単体ではなにかと不自由だった。
ところが、「ザウ」は単体でweb上のソフトをダイレクトにインストールできるし、旧ザウルスからのデータ転送もスイスイホイホイだった。本当に手帳感覚で使える。

不安は、野口悠紀夫センセイも書いておられるように、同期をとらないと微妙に修正時期の違うデータがあちこち散らばるドッペンゲンガー現象だ。
今まで、アドレス帳とスケジューラーは、単三電池で使えるザウルスを「正本」にしていたのだが、ザウ」が2系になったのは少し厄介。まだまだカラポケにはリリーフピッチャーとしてがんばってもらわねばならない。モデム内蔵というのも、最近のPDAにはない取り柄だから。
それに、震災経験者は、いざというときを考えて「単三電池で使える器械」に、つい最後の信頼を置くのである。
あと数時間で、震災まる9年。


亀裂

at 2004 01/18 00:32 編集

朝、ここ神戸の平地では初雪になるみぞれのような雪が舞っていた。
裏山はうっすら白くなっていた。
が、さすがに昼過ぎには溶けてしまったのか、山は緑。
薄日を浴びた木々の体温が、それだけ温かかったということか。

震災9周年のテレビニュースで、物心ついて以来ずっと我が家の台所であった市場が映っていた。
あぁ、懐かしいなぁ・・・と思って見入ってしまった。
三宮の1駅となりだから、激震地域の1つだ。長田区のように丸焼けにはならなかったが、瓦礫の山と化していたのはどこの市場も同じだ。

中高年の被災者がインタビューに答えていて、「もう、震災があったことを知らん子が増えてますね」と風化を嘆いていたように聞こえた。
このおじさんは、おそらく幼いころ「日清戦争を知らない今どきの子供」として年長者から新人類扱いされていたのだろう。

別に揚げ足をとるつもりはないのだが、時代の記憶というのは、常にそんなものかもしれない。
風化させてはいけない。
と決意を新たにする一方で、風化すべき体験というのもあるように思う。
家族を失ったとか、感動したというような、生々しい記憶は忘れたくないが、そこに留まっていてはいけない、という感覚もまた自然なものだろう。
「被災者扱い」されることに慣れてしまうと、むやみに弱い立場に自分を追い込んでしまう。

活断層で大地が裂けた直下型地震は、人の世の亀裂もえぐり出した。
日常世界は、強そうに見える人と、弱そうに見える人から成り立っている。
それが、土壇場で強い人と土壇場にもろい人に、否応なくリシャッフルされたのである。
また、ミネラルウォーターを3000円で売りつける強欲なやつと、行政より迅速に炊き出しを用意してくれたヤクザの明暗も、有名なエピソードだ。シロだと思っていた隣人が腹黒く、闇とか裏社会とみられていた人々が光をともしてくれたのである。
なんだか、写真のネガを見ているような気分だ。
それ以来―といってもずっと昔からかな?―、黒いものに光を、白いものに影を見るクセが染みついてしまった。
これこそ社会学である(・・・おぉ仕事熱心な!)。



大学入試先端試験

at 2004 01/18 14:07 編集

受験シーズンが、よりによって雪のトラブルが一番起きやすい時期に頑固に固定されているのは、受験生にはお気の毒だ。
・・・というわけでもないだろうが、9月入試とかセメスター制とか、いろいろ案は出ているようで、どっちにしても「寒さにこごえながら」か「うだる暑さのなか汗だくで」の業苦を受けにゃならんというこっちゃな。
けれど、入学できれば満開の桜というのもいいし、黄金のポプラ並木がお出迎えというのも感動的でよろしいと思う。
受験生の皆々方は、「1週間の便秘の後の快便」だと思ってがんばってほしい。

いっそ入試をなくして・・・という案も、ふた昔も前から延々取り沙汰されている案だが、そうすると東大の1回生の定員を50万人にしなくてはいけない(笑)。その代わり、進級時に1ケタずつサバイバルして行くような大学教育にすれば、残った4回生500人は最精鋭「ノーベル・ジュニア」だ。
先端科学の研究センターがあるが、大学の価値は偉いセンセイ方や立派な施設より、「尖った学生」が育つかどうかだと思う。
まぁ、だからといって一芸入試だとか、自己推薦だとかいうのも、第二・第三のヒロスエ(笑)がちらついて見えてくる。


大人の戯れ

at 2004 01/18 23:41 編集

ゲームマシンと化しつつあるわがリナザウ、さっそくいくつかインストールしては試し、「こりゃ手に負えん」とアンインストールしたりをくりかえしている。
同じゲームでも、製造元によってクセがちがっていて、それが読めた「相手」はだんだん撃退できるようになるのだが、リバーシは百戦百敗というありさまだった。
それが、やっとのこと800試合目で初めて勝利をおさめ(笑)、くだらない感動をかみしめてしまった。うぅっ、奥が深い。
フリーソフトばかり物色しているので数は限られるのだが、その中に嗚呼懐しや!!の「パックマン」がある。
見つけたときは感激したのだが、これがはやっていたのは、もうふた昔も前。すっかり遊び方を忘れてしまっている。フリーソフトだからマニュアルもないし。
こんな記憶は、風化するにまかせておくのがいいのだろうか。
卜シ相応のお遊戯というのも、ないようで、あるようで、なくていいような、あってほしいような、ややこしい気分だ。『ラピタ』なんかで平均年齢40代の読者層にオマケおもちゃコレクションをそそのかしたり(笑)しているのを見ると、「なにもマスコミがブームを煽らなくても、ひっそり勝手にやっとればいいのに」とも思うが、熟しきれないミドルは、何か社会的な承認を求める哀しい生き物なのかもしれない。

よく子供相手のボランティアに目を細める中高年が、メンコや凧揚げ、羽根突き、竹馬etcの「昔とったきねづか」をお膳立てしようとするものだが、これも時代の流れというものか・・・。
ほほえましい光景に見えるが、大人の管理の中で遊ばされる子供は、「哀しい大人」のミニチュアだったりする(夢は公務員という小学生が1つの兆しだ)。
まぁ現実には、ちゃっかり一緒になって、というかデジタル世代の当の子供たちはそっぽを向いて、ジジババが一番熱中してたりする。
だったら「子供の健全育成ボランティア」てな大義名分でハッタリつけなくても、空き地で思う存分やればどうだに?と思うけれど、まだ自信満々で子供に伝承できる「お遊び経験」があるだけ幸福かもしれない。昔はね・・・と語り始めると、今どきの子供は「心はウンザリ態度は聞くフリ」のスイッチが入るしかけになっているから、あぁ子供に喜ばれちょるわい!と幸福な錯覚を味わうことができる。
錯覚でも、錯覚と気づかなければリアルな幸福なのだ。
実際、お年寄りを封じ込めて「爺さまオンリー缶けり団」とか「骨粗鬆症が気がかり婆ちゃまゴム跳びサークル」が盛り上がったりすれば、それはあまりにもリアルなリアルだから、不気味なんだか、楽しい未来なんだか・・・。


サトエリ

at 2004 01/19 23:32 編集

HANAKO WESTの表紙はサトエリだった。
中村江里子も佐藤藍子もごっちゃになっている今どき芸能界無知蒙昧おやじのワシでも、なぜか佐藤江梨子だけはメモリーしている。
先週だったか、たまたま徹子の部屋を見たら、阪神大震災の話をしている見知らぬ少女がいて、それがサトエリだった。
転勤族っ子だったサトエリは、たまたま神戸に住んでいたとき被災したらしく、ラジオに励まされました、将来ラジオで人を励ます仕事をしたい、葉書職人でもいいetcと熱弁をふるっていて、ラジオを熱く語るとは見上げた変わり者じゃ・・・と、ワシは表彰状電波を送っておいたのだ。

この、若いくせにオッサンくさいところがいいではないか。
鈴木紗理奈も少しこの線が入っている感じもするが、横綱・島崎和歌子、大関サトエリの次ぐらいか。
ただオッサン受けを狙っているのでもなく、自然に腹が座っているというのがたのもしい。うんと背が高いのもたのもしい。競歩したら完敗だ。

そもそも、ラジオ職人志向というのが珍しくていい。
ラジオは地味に見えるが、みのもんた級のカリスマがひしめきあっているのがラジオの世界だ。関西だと「さてみなさん」に「ごめんやす」、関東は詳しく知らないが永六輔さんに毒蝮さんに大沢悠里(なぜかワシと一字違いなので憶えているのだ)・・・と、リスナーの日常生活の襞々にまで染み込んでいる人気タレントがいる。
こんな世界で20年、30年と声で勝負できれば、それが本物のカリスマなのだろうと思う。
女性アイドルタレントのファンは五万といるが、ディープなのになると声優に行くのと似ている(かもしれない)。ちょっと違うか?・・・

仮称「まいどサトエリです」みたいな、主婦とお年寄り向けの帯ラジオ番組でも持ってくれないだろうか。
きっと受けると思うが・・・。


お詫び儀式

at 2004 01/20 15:06 編集

伊東市お騒がせ新成人、ニュース画面で見る限り、ちゃんと壇上のお偉方と丁々発止しとるがな、と僕には見える。
「成人おめでとう」「イエーイ!」
「一人一人が輝いて見える」「ホントかよ!」
「静かにしなさい」「景気なんとかしろよハゲ!」
という具合に、揚げ足取りでも、ちゃんとお膳立てされた土俵で悪乗りしているだけ。いくつかのメッセージは、ごもっともと思える面もある(訴え方が稚拙だが)。

主催者だって、こんな形式でセレモニーをやれば暴徒が出てくるのはわかっていながら、あいかわらず工夫もない儀式をくりかえす責任というのは、問われてもいいだろうと思う。一蓮托生やな。
無能な公務員に払っている税金で、何人の失業者が救われるかも真剣に考えてみてもいい。生産性の劣る税金食い虫には、「あんたのできない仕事を失業中の市民に外注してポケットマネーから支払いなさい」とでも通達を出せばどうか?

お偉方のスピーチで新成人が騒ぎはじめたら、「そう来ると思ってました!」と会場全体が傾いて、新成人席に熱湯が注ぎこまれる。「さー、助かりたい人に贈る、社会常識クイズ第1問ですジャジャーン!!みんなイラクに行きたいかぁーっ!!」という大どんでん返しも見せてもらいたいものだ。

いま世間で問題になっているのは、反社会的な行動より、脱社会的な動きだろう。
働かない勉強しない外に出ない子作りしない(これ我が耳も痛い)過去も未来も見ない・・・でも騒がないから目立たない「水面下の氷山」の方が、氷山の一角より社会的な負担になる。
奇抜なスタイルで、また騒動を画策して成人式に出てくる連中はエネルギーを持て余しているんだから、ぜひイラクに派遣してあげたらどうか。

イラクは冗談としても、詫びを入れに来た新成人と親が、「海岸清掃ボランティアなどしてお詫びしたい」とポーズを示しているのは、責任をとる、社会貢献するということを初めて自覚的に考えた第一歩だとすれば、まさに禍い転じて福となすことになるかもしれない。
どうせなら、この意志をもっといい方向に活かせばいい。

この新成人と親に、来年の成人式の企画運営警備を任してみればどうだろう。
まずいことをやれば、来年の新成人からボコボコにされまっせ。どや?
別に奇抜な案でもない。大昔から、青年団や消防団はこういう形で「少し先輩」から新世代が社会規範を叩き込まれてきたのだから。
税金で太っている市長や教育委員長が壇上から訓示を垂れるスタイルだと、反発されて当然で、自分たちで市民から「おぉたのもしい新成人だな」と思われる催しなり社会事業なりを実行してみて、そこに税金を投入すればいい。

英米では、刑務所の財政削減という思惑もあって、軽い犯罪者には刑罰に代えて地域奉仕作業をさせるという司法取引や教育刑も活用されている。
これはいただける。
「騒動」程度の悪事なら、伊東市長のいう「禍い転じて福をなす」を現実に政策的(つまり強制力を伴う)プログラムにしてみせてほしい。
それが大人の知恵の見せどころだと思うし、儀式と刑罰だけでは実質的な解決にはならないよ役人諸君。



なんのこれしき寒波

at 2004 01/21 21:39 編集

神戸から大阪まで、電車でほんの30分だが、出勤するときどんより暖かかったのが、大阪で下車するとぐっと冷え込んでいた。ふつう大阪の方がどんより暖かいから、ちょうど電車に乗っていた間に天気予報通りに寒波がやってきたらしい。

仕事を終えて戻ると、Dがま先生から留守電に「神戸に来てます寂しいよー遊ぼ」とメッセージがあったので、スタバで待ち合わせる。「こんなん出てたから買ってきました」と、バス写真集というか、設計図みたいなのが載ったムックと、「デジカメで本日撮影のバス」を披露していただく。
鉄ちゃんの上を行く濃度120%だ(驚)。ま、小径自転車マニアの僕と相通じる血が流れているのかもしれないが。

日本海側まで帰宅せんといかんDがま先生に「六甲の裏で、すでに雪ちゃうか。チェーン持ってるかい?」と振ると、「なに言うてまんねん!スタッドレスはいとるわっ」と反撃弾が飛んできた。毎日千里を走る営業マンの俺様テクニックをなめてもらっちゃー困りますぜ旦那!と言わんばかり(笑)。
県内の南北を結ぶ背骨のような播但道が雪で通行止めになっても、「地を走れば屁でもないわい」とたくましく鼻で笑うDがま先生は、今日も水色のマーチをボルボに変身させる。



ここは地中海沿岸?

at 2004 01/22 19:33 編集

阪神間はポカポカと抜けるような青空。電車の窓からは、美しい山肌と紺碧の空で、のどかな眺めを楽しめたが、もちろん外は寒風が吹き荒れているのであった。
新大阪駅の掲示板は、小倉〜博多間が雪で徐行運転だとか、関空快速が強風で運転見合わせだとか、まるで「周辺有事」の様相だった。
北陸線なんか、「スーパー雷鳥は、運行することができません。ご旅行をとりやめていただきますよう、お願いしますっ!」と、ずいぶん踏み込んだ(笑)アナウンスをしていた。なんだか、「運転したい気持ちは山々なんだが、どうしても雪で進めんのよ。旅行したい人ごめんねー!!」というメッセージがにじんでいるではないか。
ところが、今年はまだ「雪乗せ電車」を見ていないのが個人的には不満だ。
日本晴れの阪神間にいると、いったい北の国では何が起こっておるのか?と勘ぐってしまう。
というあまり、来週は山陰へ一人旅の手配をしてきた。気分は「日本海の荒波」「白い峰々」「カニづくし」である。
「中国道封鎖」なんてことにならなければいいが・・・。


ヒロヒト

at 2004 01/23 22:01 編集

今夜はカレーにしようとココイチに入ると、カウンターにボブ・マーリーが読書していた。
ちらっと見ると、“HIROHITO”という分厚めのぺーパーバックだった。
目が澄んでいる。こころなしか、「賢い野郎」に見えた。
右だろうと左だろうと、純粋に知的な好奇心からだろうと、カレースタンドで天皇陛下の研究書を読んでいる日本人はまずいない。
でもまぁ、書名が「ヒロヒト」だからこそ、レゲエの兄ちゃんとセットで絵になるのだろう。これが小沢一郎の『日本改造計画』なんかだと、「イショケンメイ、ニホンノセイジベンキョシテマス」留学生みたいで、それはそれで立派だけど、オーラに乏しい。
僕のアウトドア仲間で、カヌーイストで、スノーボーダーでもある三十男は、『六千万歩の男 伸能忠敬』をコツコツ読んでいた。
そんな姿を見ると、野山に日常を持ち込むだけのアウトドアファッション野郎にはない気骨のようなものを感じる。

日本に住んでヒロヒトに興味を持つボブ君(勝手に決める)キミは偉い!
ハワイに行く日本人は、カメハメハ大王に敬意を払ってもよかろうに。
 


潤ちゃん!

at 2004 01/24 15:04 編集

学歴詐称で追及去れている某議員さん、さわやかテニスボーイの沽券も台なしではないか!と、テニスと縁がなかった元ピンポンボーイから野次らせていただく。

僕が高3になったとき、昨年高3だった先輩が隣の席にいて、同級生だったが皆からサンづけ敬語で呼ばれていたが、彼が人並み以上の受験勉強年数で(笑)、東大に合格した!という話と似ている。東京大学と一字違いだったのが話のオチである。
そんなおちゃらけより、議員さんの「勘違いだった」「弁護士にまかせていた」云々は、聞き苦しいいやら、みっともないやら。

「現地で卒業を否定された後、行方をくらませています」というニュースも、えっらい直球やなぁ・・・と思いつつ聞いていたが、この騒動で脳裏によみがえるのが、「コロンビア大学精神心理学部」を卒業いたしましたという、あの方である。
「そんな学部はない」と否定されても、「あら、そう」で平然としていられる心臓の方が、議員に向いているのかもしれない(たしかあの方、出馬してたけど)。

で結局、もし補欠選挙になれば、例の性豪どの、マタの名「まらタク」が出てくるのではないのだろうか?
どうせなら、先の監督妻も今度は「コロンビヤ大学卒業」とか「コロソビア大学卒業」と銘打って出てくれば、疑惑の潤ちゃんにはヒリヒリする当てこすりになりそうだ。
潤ちゃんといえば、「潤一郎つながり」で、あの韮沢たま出版社長も、ぜひともかつぎ出されてほしい。
案外、ダークホースになりそうな気もするが・・・。宇宙人票で(笑)。


盛り沢山な1日

at 2004 01/25 22:53 編集

朝、窓の外をシャーッと走る車の音で目が覚めた。
「なんや雨かいな」と思って窓を開けると、一面の雪。
まとまった降雪は、神戸では今シーズン初めてではないだろうか。

犬は喜び庭駆け回る♪ではないけれど、「雪山」に恋焦がれて、裏山に登ることに決定。
といっても、市街を見下ろすイカリマークの山へ、30分たらずで登りついてしまった。
家の周りは降った雪もすぐ融けてしまうが、さすがに登山道は純白の装い。この「短時間で別世界」が神戸のいいところだ。
横なぐりの雪も樹林帯の中にはとどかず、静けさが支配している。
冷え冷えした体で下山して、風呂を沸かしてあぁ極楽極楽。といっても、1時間ほどで待ち合わせの時間である。アウトドア仲間と元教え子の挙式の段取りを打ち合わせする。「司会して下さいただし下ネタ厳禁!!」とクギを刺されて(笑)、やりがい半減ながらもまぁ祝福ムードで、次いきましょか〜で南京町へ4人で繰り出す。
春節祭の最終日で、見事な踊り龍を見て、露店で肉まんを買い食いしつつ、結局は居酒屋へ流れて行った。
しこたま飲み食いして、「好き同士だけどわかりあえない二人」を浮き彫りにしてしまって、お開きになる。あぁ罪なことをしてしまった。なにせワシは人間リトマス試験紙だからなぁ。不安要因を引きずり出して、いいものやらイケナイやら・・・。
けどまぁ、盛り沢山な1日であった。
あとは野となれ山となれ(罪つくりやっちゅうの)。


反動砲スタンバイ

at 2004 01/26 23:10 編集

日曜夜の居酒屋ディベートが明けて朝イチ出勤、しかも神戸と大阪をかけもちして9時間トークは久々にこたえた。
サイキック青年団が子守唄になってしまったほどだから、すでに日曜の居酒屋議論で疲れていたのだろう。
裏山歩きを「散歩アルバム」にアップしている途中で寝てしまって、目が覚めたら「ページの有効期限切れ」になっていた。ま、なんとかアップし終えたけど。

明日は大阪と神戸で8時間トークだ。
高密度な週が始まるおかげで、木曜日に一段落つけるから、山陰の味覚にまっしぐらの段取りになっている。観光パンフレットの「山陰の味覚」の類の写真が浮かび上がって見える。
こういう疲れの「ため方」は、発散できる時が楽しみだが、その前に過労でくたばらなければいいが・・・。


インフォメーションレス・コンセント

at 2004 01/28 22:45 編集

同僚と茶飲み話をしていたら、風邪薬の飲み合わせを間違ったけどどうしたらいいでしょう・・・と、女子学生から面談の申し入れがあった。同僚P先生は医師で、僕は祈祷師だから、申し入れ先は普通の人の場合はP先生に、行っちゃってる場合は僕になる(笑)。
さすが賢者P先生は応対せず、事務職員に「何かあれば医療機関にかかるように」とあしらって一件落着。

P先生と茶飲み話を続けて、なるほどと思わされた。
こんな場面で、相手は医師に相談したのだから、適切な問診を受けた気になってしまう。
しかし、相談者がどんな体質で、どんな既往症を持っていて、主治医の「ファースト・オピニオン」がどうであったか、ほとんど情報がない状況で、フラッとやって来てアドバイスを受けるというのは、考えてみれば無茶な話だ。
「近ごろは、予想できないアレルギー反応もありますからね・・・」と、臨床経験の長いP先生は冷静な留保の姿勢を示された。それは正しい姿勢だろうと思う。

未熟な専門家だと―医療者、教育者に限らず一般人でも―、相談されると一種の万能感(オムニポテンツ)に酔ってしまい、充分な情報がないまま「こうしなさい」と言ってしまうことが、ままある。
また相談する側も、少ない情報(コイン)を出して効果的な答えが出てくることを期待する。

こんな自動販売機もどきの「相談と診断」は、テレビ文化が1つの雛型をつくってきたのではないだろうか。
みのもんたがガツンと「別れちゃいなさい!」なんて言い放つのは芸の一種みたいなものだと第三者は了解しているけれど、よりによって精神科医が、医学用語で権威づけして大胆不敵な精神分析を披露なさる場面もある。
倫理をわきまえている医療者だと、自分の手で本人を診断せず「診断」の名をつかって易々と有名人についてエッセイを書いたりすべきではないと了解しているはずだが、「観客」が期待するのか、マスコミもショーアップ効果を狙っているのか、危ない「診断もどき」が事件のたびに活字や電波に乗って垂れ流される。そんな状況を、佐藤幹夫さんは『精神分析家を精神分析する』(洋泉社新書)で「グロテスク」と表現されている。

それでも、飽くなき無責任診断がくりかえされるのは、それだけ専門家による救済を求めている「市場の声」が高まっている証しなのだろう。
悩める人は、ワタクシのところにいらっしゃい!
といっても、分析したり診断したり、「タタリです数珠を買いなさい!」とか「人格が問題ですセミナーにいらっしゃいませ」などと言うつもりはない。
「一緒にスキー行きませんか?頭ん中まっしろにすれば気晴らしになりまっせ」なんてことしか言えない。大日本スキー教祖としては(笑)。


初松江

at 2004 01/29 19:52 編集

ぽかぽか陽気の神戸から、バスで山陰へ。
「中国JRバス」といっても、北京まで運んでくれるわけではない(当たり前)。

県内を抜けるのに時間がかかったけれど、津山を過ぎて山あいに入ると、うって変わって雪野原だった。
が、やはり暖かいのか、松江の市街地にはほとんど雪だまりはない。テレビのニュースでは、3月の陽気だという。

関西人の感覚からしても、安い!とうなってしまうビジネスホテルに落ち着く。まぁ、値段相応かな。なんだかフロントにイカの香りが漂っとりますぞ(笑)。
@FreeDが圏内なので(よーし、松江は合格)と、わけのわからん採点をさせていただいてしまった。

さぁて、「宍道湖の味」をめざすとするか。
 


滑った食った飲んだ笑った

at 2004 01/31 07:49 編集

今シーズンの初滑りは、意外な展開で山陰の名峰・大山になった。
松江から車で40分ほど。
さすがに平日はすいていて、2mを超える積雪は滑りごたえ充分。頂上の浅めのモーグルバーンで何度か足慣らししてから、ロングクルーズを楽しんだ。
四駆をスノボに乗り換えた運転手は自称「雨女」らしく、「ここ来たらいつも霧か吹雪だから、晴れたの初めてー」と、雄大な眺めを一緒に楽しめた。そやろそやろ、僕は晴れ男だから、日本中のゲレンデに太陽を呼ぶのである!(笑)。
リフトl日券が4800円というのは最初ちと高いなぁと思ったが、朝7時半から夕方みっちり5時半まで営業しているので、「9時4時」の信州より間口が広い。おまけに、頂上のモーグルバーンにまでナイター照明がついていて、ナイターも一応やってるもののふもとだけでお茶を濁している平均的なスキー場より気合が入っている。頂上からは夜景がきれいだろうなぁ・・・

ゲレ食はカレーやカツ丼と決まっているものだが、カニ丼というのがあったので、おぉご当地メニュー!!と飛びついた。まーまー食べごたえのある、カニ身入りの野菜丼という感じだった。
ちなみに、牛丼は「オーストラリア産牛肉使用」と貼り紙があった。

仕事疲れ運転疲れの「現地ガイド」をこき使ってばかりの万年ナビシート男の僕は、かなりハイスピードで快走するボードを「たいした腕前やなー」と感心しながら追っかけていた。滑る腕前は、後ろから見るとよくわかる。
それが相手にしてみればただの「ゲレンデストーカー」だったのだろう。僕から逃げたい一心で必死に滑っていた勢いで、予想外のジャンプ台で空中に舞い上がってしまい、顔から着地して顔面アザと血痕だらけになってしまった。ぬぉ〜〜〜っ嫁入り前の彼女をキズモノにしてくれたな!!と、彼氏から暗殺されそうだ。

スキーの後は松江に戻り、僕は「全室温泉つき」の今宵の宿(これで4500円とはビックリ)でひと風呂浴びて、夜の部(笑)が開幕。
お色直ししてきた地元ガイドが予約してくれた店で、宍道湖と日本海の幸をしみじみ堪能した。
「川京」のご主人、学生時代は神戸の甲南大学に通っていたというので「奇遇ですねー!!」と話がはずんだ。「僕は甲南の少し向こうの、同じ阪急沿線の大学でした」というと、地元ネタに花が咲いて、9年前の震災見舞いまでしてくれた。

話の花、美酒美食、おもろい地元ガイド嬢・・・と何拍子もそろって、看板までねばってしまった。
しじみ、スズキ、しらうお、あまさぎ、サザエ、カニctcetcetc・・・と食って呑んで、2人で4000円少々だったのは驚き。
さて、今日は出雲ソバである。
 
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