solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2004年12月の日記
スカートもスキーも…

at 2004 12/31 15:21 編集

ショートスキーを買いに老健ワーカー君をハーバーランドに案内する。
スキーをやって、ボードをやって、次はショートスキーとまぁ、好奇心旺盛でけっこう。
おまけに、用具は安くなっている。
僕が長い板からショートに浮気した3〜4年前、あんなちゃちな短い板がなんで3万もするんや!?と憤るしかなかった。選択肢もほとんどなかったし。

でも、使ってみると、「これで充分やがな」と目ウロコ気分。
ビンディングはドイツ製で、ブーツはイタリア製で…とこだわっていた我が身がばかばかしくなる。
これで滑れないところは国内にはないと思う。日本一の斜度だという45度のコブ斜面も、トランポリンをしているような感覚で滑り下りられるし。
長くて重い「前世紀の遺物」は、使わなくなって何年も、まだ玄関脇につっ立っている。

さすがに、長い板や強靭で微妙な力を扱うビンディングは、ヨーロッパ製の天下だが、ちゃちなものは激安で造ってしまうのが中国である。
「なんちゃって品」を平然と粗製乱造するイメージもあるものの、ことショートスキーに限っては、いくらブランドものといっても、あの短い板とハリガネだけのビンディングで1セット3万円という相場価格は高すぎる。「ニホエンデ、ゲンカ500エンデ、デキルヨ」という乗りで請け負ったのではないかと思しき中国製を、ワーカー君は7000円で買って、喜んで帰って行った。
正月明けに、一緒に223系に乗って(お互い鉄分が濃い!笑)試し滑りしに行きましょう、ということになっている。

暖かくなったり都市型お楽しみスポットが増えたりして、スキー人気が凋落の一途をたどっているとかで、業界人は大変だろうが、けっこう初期投資がかかるのもネックだろうなぁ・・・と、僕は大日本スキー教教祖として憂うる冬である。
テニスなら、ジャージだけ着てれば、ラケットもボールもどこかから回ってくるものなのに、スキーウェアは何万円もする(僕はダイエーのフリースに、秋から春までふだん着のヤッケを重ね着するだけだから安上がり)。
レンタルスキーは1日数千円、自前で「危なくない」レベルのを買うと1セット5万。
一般人なら、いつモトがとれるやら…とため息をつくだろう。家庭を持ったりすると、モトは回収不能だ。
いまだに、バブリーな時代の、リオのカーニバルなみラメ入りピンクのスキーウェア(そんな恥ずかしいもん二度と着られない)をたんすの肥やしにしているオバサンも多いと思う。

そう考えると、ショートスキーは福音になるんだがなぁ。
あの、履いてるか履いてないかわからないような短い板は、ファッションに凝る必要がない。というか凝っても無駄だから、雨合羽でもよろしいのだ。
それに、せまいゲレンデで小回りがきくのも重宝する。半径50cmのウェーデルンなんて芸当は、そこのサロモンレーシングモデルのおにーさん、真似できんでしょう?
都心でトロトロもたもた走っているフェラーリより、自転車が速いのと同じ理屈だ。

日本国には、自転車とショートスキーが似合っている!
脱亜入欧は愚者の発想!
と、愛国メッセージで今年の日記をしめくくっておこう。


ハーバーパトロール

at 2004 12/30 06:19 編集

今年も寄りつかないまま、ルミナリエが終わってほっと一息。
この2週間、「徘徊重点エリア」は、三宮〜元町からハーバーランドへとシフトしていた。
そのわりに、プロメナのお向かいの新装開店ビル、ビーズキスに行ってなかったので、愛車をこいで視察してまいった。

スタバが出て行ってシアトルズベストが入り、ハードロックカフェと入れ替わりにファミリーマートが開店して、何だか全体にコンビニエントでファストな店が多い。

地階にあるスイーツハーバーは、ずいぶん前評判もにぎやかで、西日本最大級のスイーツのテーマパーク!!と雑誌やテレビで騒いでいたけれど、前も要するに「地階飲食店街」だったので、装いがスイーツに変わっただけで、大革新というわけでもない。
横浜中華街のような規模を想像してくる人がいれば、拍子抜けしやしないだろうか。となりのビルにある映画館では、「スーパーサイズ・ミー」ほやらないだろうなぁ・・・
まぁ、職人さんたちが一ヶ所でしのぎを削るスポットというのは、見ごたえ+食べごたえがあると思う。

甘味どころは、怪しいオッサンが一人で徘徊すると、どこかの業界のスパイかと思われるのがオチだから、今回は通過。

しかしこのビルにしても、渡り廊下でつながっているプロメナにしても、よくいえばゆったりしているというか、テナントで埋まっているわけではなくて、間延びした感じ。もったいない。

トイレを探してフロアの隅の方に迷い込んで行くと、ひとけがなくてひっそりしている工事現場のような空間に出くわしたりする。
そこから眺める夜景の美しいこと!(笑)

案外、集客の狙いがはずれたファッションビルに、穴場的くつろぎスポットができたりするもので、今がチャンス(何のや!?)かもしれない。
次の「年末パトロール」先は、どこにしようか・・・


津波感覚研究会

at 2004 12/29 16:44 編集

スマトラ大地震で被害に遭った日本人リストの中に、「中心感覚研究会」というグループがあるのを、ワタクシは見逃さなかった。
犠牲になられた「研究員」にはお悔やみ申し上げるばかりだが、検索してみると、この研究会、ヨガをまじめーに研究しているらしい。東京には道場がある。
ヨガの道場は珍しくないが、「中心感覚」というネーミングがいい。

たぶん(いや絶対)意味は違うだろうけど、災害の被災地に暮らしていると「我こそ経験者」という中心感覚に不意に襲われることがある。それはたぶん、深刻な被害に遭わなかった幸運な立場だから持てる感覚だと思う。
世界中から注目されて、支援の手が差し伸べられて、ひととき話題の中心にいるような感覚。

芸能人ではない普通の農山村の住民にとっては、騒然とした支援の渦が引いていったあと、いいようのない孤独や絶望の大波に襲われる。
精神医学者がポスト・フェストゥムと呼んだこの精神状態にポッカリ空いた空洞に、心のケアという飴玉が大量投入され、それが当然と思われて全国の大学で飴玉が量産されている。

なんでこんな災難に遭わなければいけないのか。
そんな不条理に、真正面から答えられる人は、なかなかいない。ボランティアも医者も政治家も学者も。
災害救援や精神科救急を論じておられるある精神医学者は、被災者が怒り、悲しみ、絶望するのを邪魔してはいけない、と主張する。
心のケア専門家が敷いたレールの上で悲しんだり立ち直ったりさせられる被災者を見ると、なんだか論文のネタにされているだけのようにも見えてくる。何割かのカウンセラーにとっては、災害や犯罪の被害者+ご遺族は、「事例」であり「素材」なのだ。

避難所で、
「おねえちゃん、私らのことはええから、はやく家に帰らないと親御さん寂しがるよ」
「こんなことしてて、就職は大丈夫?」
とボランティアをねぎらっている被災者を見ると、相手を奥深く見抜いているのはどっちだろうと思う。

重いものを運ぶとか、シモの世話のような「3K作業」は素朴に助かる。「お疲れさま」「あぁしんど」「何も出せないけど、お茶飲んでって下せえ」ですむ、さわやかな関係だ。
けれど、全身全霊を注ぎ込んでのケアが評価されないときのケア屋さん(実際、粛々と仕事をしている真面目な善人が多い)の不完全燃焼感は、これまたケアが必要だったりする。ケアが必要な御自身が他人をケアしようと猛勉強(盲勉強)している状況それ自体が、ケアされなくてはいけない。
一生治らない――ように見える――クライアントもいる(表面上はカウンセラーだが)。こんな種族が「スピリチュアルなケア」とまで口にするおこがましさ、傲慢さは、どこから出てくるのだろうか。

はるかインド洋から所かわって、女児誘拐殺人のあった街では、かけこんで助けを求められる家や店にポスターを貼ったり、地域で配達の仕事をしているドライバーに「子供たちに目配りして下さい」と号令をかけたりしている。
それはそれでけっこうなことだと思うけれど、それって昔の街角や路地に普通にあった習慣ちゃいまっか?と首をかしげてしまう。コミュニテまるごと、自然にケアがやりとりされる空間だったのが、「玄関ドア一枚隔てた外は危険地帯」になってしまった原因は、どこにあるのだろう。

ニュータウンに小ぎれいなマイホームを買うのが夢でしたという住民に鞭打つつもりはない。
けれど、ローンを背負ってニュータウンに寝に帰るだけのサラリーマンの奴隷的生活とか、家の周辺の街のあり方まで考える住民は、凄惨な事件が起きる前にどれだけいただろうか。

人の欲望を発散させる装置がない、漂白された街――これがニュータウンだ。人間まで漂白されて行くが、そのプロセスは行政の思惑通りに行かなくて、人によってさまざまな歪みを見せる。
酒鬼薔薇の住んでいた街と、いま住んでいる街を結ぶ地下鉄に乗ると、漂白されたようなおとっつぁんと、ブヨブヨの坊やと、ピカピカのおねえちゃんと、ピカピカのおねえちゃんと、悶々のおばさん(笑)に満ちている。後の2タイプをフィールドワークしたのが宮台真司の『まぼろしの郊外』で、欲望を発散させる装置がアンダーグラウンド化している実態を描いている。歪み、腐っている実態を小ぎれいに見せる装置が、援助交際という記号だったりする。

なんだか脱線してしまったが、「中心感覚」があれば周縁感覚もあるわけで(強引なこじつけ)、郊外が病理の巣窟になっているのは現実。
歴史的にも、革命は周縁からノロシが上がるのだ。

津波で打ち上げられる車や家屋を見ると、「船頭多くして舟、山に上る」の格言を思い出してしまった。
あまり災害になぞらえるのは不謹慎かもしれないが、歪んだケア文化やケア利権を洗いざらい押し流すような大津波が到来しないものかと思う。


ひょっこりビンボー島

at 2004 12/28 09:58 編集

ゲレンデのライブカメラの画像が白く白くなって行くのが楽しい反面、「コタツにもぐりこんでミカン」という風情も悪くない。
コタツは持ってないが、「まったり系・垂れ込め系の休日消化」は、猟書と読書に限る。
前川つかさ『大東京ビンボー生活マニュアル』が、もう講談社漫画文庫版が絶版になっているのか、新品ではさっぱり見かけなくなって寂しい思いをしていたら、全5巻のうち2巻目だけ、ひょっこり古本屋に出ていた。
ちょうど12月のストーリー(といっても、ストーリー性がほとんどないフリーター生活の点描だが)から始まっている。お買い上げ。

この、バブル真っ盛りの時期に世に出た「6畳風呂なしアパート暮らし」の読み切り短編集は、文庫になっているのを阪神大震災の翌月ぐらいに初めて出会った。
主人公の住むようなアパートは神戸にもたくさんあって、ことごとく震災でつぶれるか、燃えてしまった。風呂あり6畳に住んでいた僕も、引っ越し先を探し回っていた。
かろうじて残った安アパートは、こわがってだれも入居しない。
別に、読んだばかりの『大東京ビンボー生活マニュアル』を実演してやろうと思ったわけではないが、傾いたままのアパートを、僕は選んで棲みついてしまった。

『大東京』の世界は、作者の前川さんが中央大の学生だったころを投影したような世界で、奇妙にノスタルジックで新鮮だ。
『男おいどん』ほど生々しくもなく、『マカロニほうれん荘』ふうのスラップスティックでもなく、とても自然にリアルだから、「そう、そう!」と共鳴するところもあちこちにある。
しみじみと読みふける。

震災を知らずに生まれた子供が、もう小学校高学年。
長いようで短い丸10年を迎えようとしている。
あれから、経済復興はなかなか進まず、「清貧の思想」の中野孝次さんは世を去り、スローライフがはやり、介護保険が始まった。

寒い日本を脱出して、手軽にプーケットにもペナンにも行ける豊かさ。の反面、プーケットやペナンに行けるのは年末年始とGWだけ。せいぜい1週間で、脱出したくなる国に帰って来なくてはいけない日本人は、60年代から進化していないようにも見える。
だから、「バブルよ再び」と夢見る庶民は多い。生産からリタイアして、築いた資産を消化しつつ余生を過ごす高齢者も手伝って、「資産バブル期待」も災いしている。

今の高齢社会というのは、人口構成の問題ではなく、老若男女全体がジジババ化していることだと思う。
生産より消費に熱心なのは、六十代以上ばかりではなく、若い世代も同じ。資産は、働いて築くものではなく、「見つけてしゃぶりつくす」ものになっているようだ。

『大東京ビンボー生活マニュアル』は、「懐かしい遺物」でしかないのだろうか、来るべき未来なのだろうか。
バブル再来はハゲタカやカラスが飛び交ういやーな世界になりそうだから、「神田川の世界」で、青い鳥を探したいのだが。


海と山

at 2004 12/27 14:32 編集

日曜日の朝、「山、行かへん?」と電話をもらって、「12時待ち合わせで」と、のどかな提案。「ちょっと遅いなぁ。日が短いし、11時半にしよう」と返すと、「ほな、11時45分ということで」と微妙な折衝(笑)になったあげく、ぽくぽくと新神戸から山に入る。
目を閉じても歩けるほど歩きなれたコースだから、のんびり登ってフタタビ公園でタコヤキを食って下山。

あぁ、裏山散歩はええなぁ・・・
と、心地よい疲れで熟睡して夜が明けると、スマトラ大地震。
海はこわいなぁ・・・
と的はずれな感慨にふける僕は海の記念日生まれだが、ビーチ・リゾートというのは、旅人が一番無防備で緩みきった姿でいる場所だ。津波が来るとわかっても、サンダルだと逃げ足だって遅くなる。

「武装」して出かける登山と、ヨットやサーフィン、海水浴とは、ある意味、気持ちが反対方向に向いているのかもしれない。山には「対決」しに行くような意識が働くのに対して、シーサイド・リゾートに、好き好んで「サバイバル」「危機管理」をしに来る人はいないと思う。
とはいえ、六甲も豪雨の爪痕があちこちに残っていたから、天災となると、登山だって危ないだろうが。

一人でも多く救出されるようお祈りしつつ、ひょんなきっかけでクローズアップされてしまったウィッキーさんが懐かしかった。


コピーキャット

at 2004 12/26 11:20 編集

クローン猫が500万円というニュースは、なにげなく「夢のある話ねぇ」と聞いていると、次に「パンドラの箱」から何が出てきても衝撃にはならないだろう。
僕もかじりかけたが、バイオエシックスという学問が何十年も議論してきた倫理問題は、「現実」1匹、そして「現実の一人」が出現すると、あっけなく吹き飛んでしまう。
「倫理上、問題がいろいろある」ったって、「すごい!」「すばらしい使い道がある!」「でも悪用しちゃいけないよね」の二言、三言ですんでしまいそうだ。

大腸菌あたりのクローンの技術水準にくらべれば、猫で成功したということは、もう「人間でもOK」と答えが出ているに等しい。
とすれば、偉大な将軍様やサダム某が輪廻転生を考えて、億単位の金を積めば、請け負ってしまう科学者はいるだろう。
遺体が保存されているレーニンだって、復活させられるかもしれない。

ただ、我が国のバイオエシックスのパイオニア米本昌平さんがどこかで書いていたように、クローン人間といっても、「年のはなれた一卵性双生児ができるだけ」なのも確かだ。幼くして亡くなった子供のクローニングならともかく、もし「偉大な将軍様」のクローンができたとしても、六十数年たって今の将軍様と同じ個体が21世紀後半の地球上に、存在していられるかどうかはわからない。

猫は1年かそこらで成熟するから、愛猫が亡くなってもクローンで誕生した子猫は約1年で「少し若返ったな」と見えるものの、夢の再会になるかもしれない。
ところが、人間の成長曲線は犬や猫以上にナイーブだから、環境因子まで統制しないと、ドナーとクローンのシンクロは成り立たないはずだ。たとえば、僕と四十数歳はなれたクローンベビーが誕生したとしても、彼は1960年代を経験することも、阪神大震災に遭うこともないから、自分の分身だと思って接すると、実は「違いすぎるやつ」だったりするだろう(笑)。

クローンの用途(いやな言葉だ)で期待されているのが臓器移植だが、これとてクローンだから必要なパーツだけ摘出してしまえばいい、というわけにはいかないから、成長して、腎臓の片方とか肝臓の一部をあげます、と申し出てくれるダンドリに導くのだろうか。
その前に、そもそもクローンとして自分が作られた理由を知ったら、気が滅入るでしょうなぁ・・・と思う。
それに、遺伝子が同じなら同じ病気を発症する確率が高いし、性格が似ていれば、「臓器をほしがる者同士」で骨肉の争いになったりしないのだろうか。

せいぜい、ペットのクローンぐらいにとどめておいた方が無難だと思うのだが、悪知恵の働くやつは「ペ・ヨンジュンのDNA」なんて商品を発売するだろうなぁ。


教会

at 2004 12/25 13:34 編集

幹線道路をわたって、神戸教会、聖公会、栄光教会と、駅まで「神聖スポット」をはしご。ちょうど今の時期は、窓越しにキャンドルサービスをやっているのが見える。
外から眺めながら「御利益」にあずかろうという不精というか、背徳というか、セコさは、いつ身についた悪習なのか、情けなくなってくる。

幼いころは、バザーが夢のような世界で、おとぎの国に来たようで楽しくてしかたなかった。家の向かいに教会があって日曜礼拝には通っていたが、バザーはとなりの区の教会まで行っていた。
いろんな子供たちがいて、いろんなお兄さんお姉さんがいて、甘い音楽とお菓子が子供を魅了する世界は、大げさだが理想郷のように表象化されて僕の中に残っている。学校で楽しい思い出はほとんどないのに、教会には楽しい世界があって、歌やスポーツが下手でもほめてくれて、いじめっ子はおらず、身構える必要がない。

それは現実と違うからこそ理想郷なのだが、もしかすると、どの国でも、争ったり競い合ったりする必要がないムラ社会ののどかな田園生活にはあったはずの「平和」だっただろうと思う。
それが、通りすがりのおじさんが、なにげなく子供に声をかけただけで110番通報される世知辛い世の中になると、教会のような「お仲間世界」の絆と安全性がありがたく見えてくる。「世の中まっ暗闇」にも見えるほど、光が灯っている場所は、人をひきよせる。

ただ、聖職者と信徒と非信徒との絶対の序列や、そこから生じる排他性、選民思想は、なかなかアジア人うけしない。そこはさすがバチカンも国教会も考えて、非信徒にも、教会やミッションスクールや病院は非信徒にも開放されている。
その総決算が、クリスマス騒ぎだろう。

クリスマスデートに燃えているカップルどもは、「クリスマス騒ぎ教」の信者同士、共感なり絆なりで結ばれていただきたい。
しかし、「行列のできる連れ込み」で待合室におとなしく並んで、見てないふりして見くらべあっていたりする(笑)のが現実でございましょう。イライラ半分モンモン半分の気分で、「俺たちの方がハイレベルだ」「あたしの座ってる助手席なんか右なのよっ」・・・と、変な溝を掘りあっているのではないだろうか。あくまでも想像でしかないが。
行列なし即OKの相部屋もあればいいのに。
そうなれば、ある種の聖地となって、そこから「愛の家族」が増殖するだろう。


クリスマス・イフ

at 2004 12/24 13:23 編集

中越地震から2ヶ月。
村民全員が退去した山古志村(すごい!ザウルスで一発変換できた)の方々が、ようやく仮設住宅に入居できたのを追いかけるように、雪が積もり始めた。

そんな様子を、ラジオのインタビューで聞いていると、牛が家族の一員のように愛されている農家の様子が伝わってくる。
たまたま登場していた農家のご主人が飼っている牛が「孫兵衛」くんというそうで、ヘリで避難させてもらって元気にしているんだとのこと。なんだか、心温まる話だ。

その一方で、少し前のテレビでは非情なシーンが映っていた。一時帰村した村民が、倒壊した我が家で、建物の下敷きになって息絶えている牛と対面して「マメタローーーッ!!」と号泣していたのは、胸を打つ場面だった。
「マゴベエくん、マメタロウくんの分までがんばって生きようね」
と、妙に親しげな(笑)エールを送りたくなる。

山古志村には、ペットの犬や猫たちが置き去りにされていて、何かの用事で短時間だけ帰村した住民にもの悲しくなついてきて、別れて帰るのがつらくてさ、と「孫兵衛くんのご主人」はしみじみ話しておられた。
もし、これから雪に閉ざされるゴースト・タウンに、このまま犬や猫が取り残されたなら・・・と僕は気がかりでならない。
牛は大変だとしても、飼われていた犬や猫の避難施設というのも必要ではないだろうか。「新居に落ち着かれるまで、うちで預かりますよ」という申し出をするのも、立派なボランティアではないかと思うのだが。

もし都会のマンション住人が「牛を預かってもいい」といい始めたら、それはなんというか、立派すぎるボランティアみたいだが、まさかうちのマンションじゃないだろうな・・・と不安が胸をよぎるだろう。
いろんな「もしも」が思い浮かぶ被災地の冬景色である。


うま湯

at 2004 12/23 14:24 編集

クリスマスまでは、暖房なしでがんばろう!と思って耐寒訓練をしていた。
わけではなく、ただストーブがガラクタの山に埋もれていただけで、ひと仕事してストーブを掘り出した。寒波でも来ないと、なかなか片づけ作業に腰が上がらない。

「冬の友」は、一番小さいファンもついてない四角いガスストーブだから、春になるとすぐガラクタに埋もれてしまうのが欠点だが、上にも前にも熱が出るので、上で餅を焼いたり、ヤカンをかけたりしていると、茶釜や網が乗っていた生家の火鉢を思い出す。

本物の火鉢の情緒はない代わりに、一瞬にして暖かくなるのがガスのいいところ。
消えかかるような弱火にして、ヤカンをかけて湯をトロトロ沸かす。沸騰するのに数十分かかる。

僕はコーヒーがほしくなると、一回一回湯を沸かす。毎日3回か5回。
手間はかかるが、面倒くさいどころか、ちょうどいい「小さな儀式」になっている気がする。
ところが、ものの本に「コーヒーは熱湯で入れると苦みが出てうまくない」と書いてあって、あらためて注意書きされると、たしかにそんな気がする。
そこで、微妙に冷ました湯でコーヒーを入れる工夫をしているのだが(これは面倒臭いくさい)、トロトロと沸騰させた熱湯で入れると、明らかにコーヒーがうまい。湯が、熱いのに甘いのだ。

水道水に入っている化学物質がどうにかなる・・・ような説明はつくのかもしれないが、サイエンスは横においといて、「時間」が喫茶の大切な要素だなぁ、とあらためて考えさせられる火入れ式になった。


ジングルウェディングベル

at 2004 12/22 16:24 編集

保険屋の知人から電話で「昼飯でも食わへん?」という話で、待ち合わせの段取りを相談していたら、「本部の人が同席したい言うから、話だけでも…」という流れになった。
いや、すでに「そろそろ上役が登場して保険契約説得」という第二幕が、伏線としてあったとしても不思議ではない。
「その話は抜きで」とクギをさして、「これ以上生保に入る余裕ないし」と木ネジをねじこんで、とりあえず無難な昼飯になった。
まぁ、あんなこんなのバカ話をして終わり、というのが無難でいい。

大学の同級生で、アムウェイにはまって僕にアタックしてきたおねーちゃんは何人もいるが、もし色仕掛けで勧誘してこられて(笑)「やっぱり、やめとくわ」てことになれば、刺し傷の1つや2つは覚悟しなければいけない。
もし相手がトム・クルーズだったら、目当てを達成できなくても「いい思い出」ぐらいは残るだろうが、僕に色仕掛けして得るものがなければ、深い深い被害意識しか残らない。
そんなの、勝手に「この人は金持ちだが孤独」と誤解する方が未熟でした、というだけの話なのに。

近ごろ、横田濱夫の年収100万円生活論や、森永卓郎の年収300万円礼賛論の類が、冗談抜きで本気で読まれているようで、けっこうなことだと思う。ちゃんとした金融なり財政なりの専門知識と現場経験を持つエコノミストの生活感覚は、骨太で効果てきめんだと思う。
ただ、よく家事評論家が得意げに開陳する「ティッシュの空き箱は文庫本立てにぴったり」てな類の節約豆知識ほど、敷居は低くない。
いくら森永さんに「人生の3大不良債権」だと断定されても、今さら慣れ親しんだ専業主婦とマイホームとマイカー(だったかな?)を捨てて元気に生きて行ける殿方は、いるだろうか。もう、債権放棄するしかないわいな。

食後のコーヒーをすすりながら、「ところで、いくつになったん?パートナーはいらんの?」と、四十路になった保険屋さんは尋ねてくる。
いったん、今度は「孤独な老いと病床の恐怖心」から攻めてくるかえ?と思ったが、そういう腹でもなかったようで(海老坂先生流に「必要から愛は生まれるであろうか?」と腕組みしながらつぶやくのも、返し技になったかもしれない)、「オレ、身を固めることにしたんだわ」と切り出してくる。なーんだ。
さんざん、「人生の不良債権」話をしてきた後だったので、気の毒な話の運びになってしまった。「人生の最後は煉炭が楽だろう」なんて話をしていたからねぇ…。
最初から、家庭を持とうとしている友人とわかっていたなら、「いやー、めでたいめでたい!人生の伴侶ですか、ウラヤマシーッ!」と持ち上げておくのに(笑)。

ヒトサマの人生の貸借対照表を扱って、さんざん悲喜劇も見てきた立場だから、手放しで我が人生バラ色!と有頂天になっているわけでもなく、苦渋の選択(失礼!笑)だっただろう。
どこか後ろ髪を引かれるような不完全燃焼感をかかえて「家庭の人」になるためらいは、男女ともにあるだろうと思う。
「ためらい続けて40歳」という人も多い。今なら、黒田さま紀宮さまカップルが、ある種の「ライン」になっているかもしれない。

最近、「よろめいてためらって立ち直って半世紀」という元同僚に花屋でバッタリ会ったときには、その美貌にこちらがよろめきかけたが(笑)、そう易々と神様のイタズラに乗らない分別もついてしまった。
神様にイタズラさえけしかけられなくなったら、いよいよ・・・だろうか。


はるか・・・

at 2004 12/21 10:51 編集

やっと仕事納め。
浪花の街とも、3週間お別れである。
今年の夏ごろまでは、新大阪駅構内の本屋で、毎週決まった時間帯に宮崎哲弥を見かけて、「いやはやー、小柄やなぁ」と親近感を持ったりしていたのが、ぱたりと見なくなった。なにか番組出演のスケジュールが変わったせいだろうか。

その代わりに、きのう行きつけの喫茶店でボケーッとお茶していたら、遥洋子がとなりの席にやって来た。
上野千鶴子の弟子である。
思わずびびりかけたら、これがかっこいいのである。「元タカラジェンヌ男役」といっても通用しそうなハンサムで「小顔」な姐御だ。どこかで読んだが、肉体も鍛えているとか。とても44歳には見えない。
さすが、人類の半数を敵に戦う(笑)闘士は、磨きあげられたF16のような「怜悧な美」を身につけている感じ。
マネジャーらしき女性と、スケジュールの調整をしていたが、静かな喫茶店で声をひそめていても、芯のあるしっかりした声がよく通る。

宮崎哲弥との共通点は、歌でも芝居でもない、「売れる言論」を武器にしているところだろうか。
だから、「やや右」の宮崎氏と、「あえていえば左でしょう」の遥洋子に、ぜひ対決してほしいものだ。まさか駅構内の喫茶店で、というわけにもいかないだろうが。

フェミニストといえば、田嶋陽子がかなり同性の反感を買っていたように思うけれど、「華」のような部分も、あった方がいいのかもしれない。論文で評価される学者はともかく、マスコミ界で勝ち残るには、やはりそれなりの見栄えも必要なのだろう。

そんな男の視線こそ、私たちの敵なんです!と斬り捨てられるのはわかっているが、遥洋子姐御に斬られてもいい!いい!と麻酔状態の喫茶タイムであった。


萌えるな、いい女

at 2004 12/20 15:22 編集

街にイカモノがちらついて見えてしかたない年の瀬である。
夕食後のデザートをいただいていた昨夜のモスでのこと。
どかどかどかっ!と、十数名のミドルティーン少女グループが入ってきた。キャリーカートやらダッフルバッグやら、みな荷物がでかい。ミニスカート姿とワンセットで、家出少女に見えなくもない。
でも、妙に統制がとれていて、「オーダーまとめ役」「点呼役」がちゃんと決まっている。てきぱきと注文してから、会議らしき行事(笑)が始まった。

「あの人なー、人に上から命令することで自分の地位をカクリツしてるだけなんよ」
「パンフ手に取ってくれた時点で、お客さんなんだから、そのつもりで応対しようよ」
「ちゃんと規約守らない人は、会館使う資格ないよ」
なんて発言が飛び交っている。
別に盗み聞きしようと思わなくても、モスバーガーが「生徒会役員会議」になっていれば、目立つというか耳立つわいな。
どうも、同人誌サークルのようだ。

それ自体は珍しくないグループだが、それにしても怪しいのが、「黒一点」の野郎であった。
推定29歳・長髪・細身・ソバカス。奥目ではないのに、おどけたような目が奥まって見える。
あぁ、こういうのが増えとるよなー、「萌えてる男」が。

「しゃべり場」風味のグループで、この陰気な野郎は何をしておるのか。黒幕か?(笑)。
本人は「プロデューサー」とか自称しているかもしれない。名簿を管理してたり、メルマガ発行してたりして。
いやはや、怪しい。
「プロデューサー」でなければ、少女たちの通う塾の講師とか(これまた危うい)。
疑うのは勝手だから、勝手に決めつけて、大いに疑惑の念を持たせていただこう。

ひと昔前に、この店で僕も「14歳女子」数名を指揮カントクして(笑)同人誌編集会議をしていたから、たいそうなことはいえない。ただし、萌えたりなんかせずメラメラと燃えてたが。
張本人だから、カラクリが見えてしまうことはあるが、萌えてる男の腹の底は闇だ。
ただ、「女子」に囲まれて、「僕って、話のわかるお兄さんでしょ」てな顔をしている野郎ほど、気恥ずかしくなるものはない。
この類は、即「29歳オタク」とは限らない。
昼下がりの奥様たちに囲まれたテニスコーチ、
居酒屋で女子大生に囲まれた教授、
NGOもSOHOも混同している主婦を組織しようとしているNPO幹部のおとっつぁん
・・・なんてのにもつながる、男が陥りやすい危険地帯だと思う。
どれも少しずつかすめてきた経験者だからわかる(僕はラケットの代わりにストックを持ってたけど)。

願わくば、あの同人プロデューサー君の守備範囲が広がってくれれば、出生率低下に歯止めがかかるかもしれない。同年代は「計算高いお局世代」だったりするから、U15に最適化された彼の設定が、「U30にクロック倍増」するのは、かなり大変かもしれないが。

昔々、世良正則とツイストだったか、「燃えろ、いい女」をヒットさせたが、今は「萌えろ、いい女子」を叫ぶヤローが繁殖している。
おかしな男子とおかしな女子は、合わせ鏡のようなもので、ペーさま追っかけおばさんも、ピーピーキャーキャー戯れてばかりの女子アナも、萌え系かもしれない。
「卒業」すると、すぐ先にじじむさい・ばばくさい初老期しかないから、いつまでも若づくりにしがみついているのかもねー、日本の三十代・四十代は。
そう思いませんか、中尾彬アニキ!


日曜喫茶室聴き納め

at 2004 12/19 21:40 編集

やたら暖かいもんだから、「今年最後の放送になりました」という番組を耳にして、なんとなく年の瀬気分になるばかり。
総集篇とか拡大スペシャルになるのも多くて、「これをふだんもっとやってくれよな」と思うネタも久々に登場する。

ふだんはすっかり「政見放談」になってしまったTVタックルで、とんと御無沙汰になっているネタが、オカルトもの(韮沢編集長、お元気ですか?)。
オウム騒動のころは、ずいぶんオカルトバッシングをやっていたはずだが、喉元すぎればなんとか。ノストラダムスあたりからエンターテイメント風になって行って、今はほとんど「カリスマ癒し人のショービジネス」がテレビにあふれかえっている(のだろうか?)。
オカルト暴露より、江原啓之や細木数子の方が視聴率をとれるせいだろうなぁ。

いくら大槻教授や松尾貴史が正論を通しても、イカモノの方が「役者」揃いで大衆ウケするから、結局オカルトバスターは脇役になってしまう。
教育テレビで立命館のオカルトバスター安齋教授の連続講座がスタートしているが、種証しが見え透いているから、ナルホドと思うものの「おもしろくない」。あ、僕も「おもしろい」ものを求めているわけか。

こんな世の中だから、オウムの後にも、スピリチュアリティを売り物にする商人は後を絶たない。
「涙と感動」は商品になる。
テレビからもらって、テレビに投映して、あの手この手こんな切り口そんな手口で涙を搾りとるドラマを求め…。災害映像や復活のドラマ、夜回り先生、死を看取る医者、薄っぺらい死と現世の断想を文学作品めかして書く人あたりのよさそうな坊主、心のケアが必要なカウンセラーetcetcetcが、パッケージになって、国民に購買・消費される。
「そっと見守る」風習は、どこに消えたのだろう。
「だれかがきっと見守ってくれている」と感じさせる世の中を崩壊させたのは、一体だれなのか。

「かせぎ終わったやつが説く心の豊かさ」
がんばって成功したやつがささやく「がんばらなくていいんだよ」

こんなのを口先で叩き斬って、「識者」の末席に連なる機会をいくつも棒に振った1年だった。
来年こそ、イカモノを暴く剣に、磨きをかけねば!(→反省しとらん)



雪や来ん来ん

at 2004 12/18 12:58 編集

あと1日出勤すると冬期休暇。
なのに、ゲレンデがオープンしない。ホームページには「待っててね」メッセージが寂しく載り、現場写真も「土!」のまま。
瀬戸内気候帯ののんきな住人の僕など、中越地方は避けて寒波がドカ雪を運んでくれる日を、都合よく(?)待っているのだが、もちろん雪国の一般住人の方々にとっては、憂鬱な季節だろうなとお察しする。

でも、雪国の人たちにしても、本心から雪を厄介者扱いしてないはずだ!!とも思う。
僕が何度もテント登山してきた妙高は、「標高差日本一」のゲレンデが魅力で、リフトも1本ずつがやたら長い。それに乗って豪快な沢を渡ると、巨大な天然の貯水池になっていることがよくわかる。この山だけ見ても、1年の半分以上は雪を被っていて、少しずつ川に、湧き水に、地下水に溶け出して、米どころ・酒どころを潤している。

極楽スキーに、至福の名酒・・・日本から世界から、新潟県に幸福を買いに来る観光客が、経済復興を後押ししてくれるよう、はるばるお見舞いするばかりだ。
雪よ、まだか!?


ぜいぜい

at 2004 12/17 14:40 編集

まわりの所帯持ちは、ぜいぜい言っている。
素人の僕から見ても、税制改定大綱とやらは、とにかく「取れそうなところから取る、お目こぼししてやってたところからズシリと取る、漏れているところから漏らさず取る」という気合だけひしひし伝わって。ビジョンのない「なりふりかまわず増税」に見えてしかたない。

おまけに、「フリーター課税」というのも、なんだか気の毒な話。
脱税があればきっちり追徴課税すればいいが、フリーターを即「税金・社会保障拠出を負担せず公共サービスは受けるフリーライダー」と見るのはいかがなもんかと思う。

源泉徴収されてしっかり所得税を前払いさせられている割合は9割に上るだろうが、年末調整か確定申告で還付手続きを取っているフリーターは絶対に9割いないはずだ。
この差が、政府に「濡れ手で泡」で入ってくる税収――いわば無知税――になっているわけだから、フリーターが本気で怒れば、取り戻し熱が沸き上がるよ。僕も「所得税って何?」なんていう少年少女に、毎年数百人ずつ年末調整と還付申告を懇々と教えているから、税務当局からは「よけいなことするな仕事が増える」と煙たがられるかもしれない。

国民が議論してできた「あるべき高齢社会」のビジョンがあれば、フリーターでもパートタイマーでも、就労形態は自由選択すればいいから、みな働いて国民の義務は果たしましょう、という明快な立場を打ち出すのがフェアな施政方針だろうと思う。

僕が21世紀の偉大なる将軍様サダム・大沢だったら、フリーター課税なんか撤廃して、パラサイト税を搾り取る。これで、夢を追う「清貧のフリーター」と、乳離れできない成年幼児は区別した方がいい。
「主婦税」は僕の長年の懸案だが、あんまり主張すると大根で殴られそうだから(姉から絶縁されるかも)、「人さまの介護をすれば課税免除」としておけばいい。

介護といえば、保険の使い道も、洗いざらい公開すれば若い世代の反発は免れないだろうと思う。
タクシー代や、介護帰省の飛行機代まで、国民がカンパしなくてはいけないのか?
そんなツケのまわし方は、社会正義に反する悪制だと僕は思うのだが。

演説や政争はどうにでもウソや猿芝居でごまかせるが、法律と税制は、国家意思を明々白々に表している看板だ。
こんな税制改定で、政府は若者を生殺しにしたいのだろうか、国外逃亡してほしいのだろうか。


お姉さん修復

at 2004 12/16 14:50 編集

このところ、お姉さんたちが壊れかかっている事件が目につくなぁと感じるのは、僕だけだろうか。
FM802の女性DJにストーカーして「しばくぞ」と脅迫した女性ファン、食堂経営者の老夫婦宅に放火した容疑者、18歳ラグビー少年に一目ぼれしてストーカーしていた 36歳、ドンキホーテの防犯カメラに映っていた不審な女性・・・ドンキホーテ犯はまだわからないが、共通するのは三十路の女性だということ。

別に統計的な検定をしたわけではないし、変な四十路男だってここにいるから、偏見はご法度だろう。
とはいえ、偏見のない人間はいないし、わたしゃデータを出力するマシンではないので、偏見と独断と先入観と予断でベトベトの断定をする。

恵まれないお姉さんに愛の手を!

「都合のいい女になるもんか」と誓う女性には、都合よく扱いやすい坊やを支給すればどうだろう(アシモ君でもいいか)。お好みの彼氏にと自由にプログラミングできていいぞ。
近ごろの犯罪の変調は、80年代に繁殖したオタクのミームが、当時思春期を迎えていた女性に、今ついに感染しつつある兆しだ!!
かどうかはわからんが、そういうことにすればエキサイティングではないか。ね、小谷真理さん。


念賀状

at 2004 12/15 18:36 編集

「年賀状の受け付けスタート」というニュースを聞いても、肝心の年賀状のそのものを買ってなかった。
手書き派なので、まとめて書くことを考えると面倒くさいのは確かだが、この「手間」が、「それならやめとこう」と「それでも出そう」とに知人を塗り分けるリトマス試験紙になっている感じ。

今年の年賀状売れ行きは、インクジェット用葉書が過半数になったそうで、これも時代の流れだろう。

年に一度の「大量葉書印刷」のために、プリンターや葉書作成ソフトが売れるのだと考えると、かりに20万円の設備投資を100枚の年賀状作成に使うと、1枚2000円。いろんな書類や手紙の作成で1000枚生産するとしても、単価は200円。高いなぁ。
それなら、パソコンで年賀状ひとつ作成しないお前は、宝の持ち腐れをしてるではないかと言われそうだが。

それでも、年賀状は手作業をしたい。
例年のやりとりで100枚程度のサンプルから見る限り、手書き派は女性に多くて、男性の9割は印刷派だ。
「印刷では心が通じない」などとは思わないが、「込める気持ち」が、流れ作業だと均一になってしまう。まさかプリンターに向かって「この人にはこの気持ちを」と念波を送っている人はいない。
手書きでもらうと、「この文面を書いていたときの心境」を想像してしまうのも、楽しみのひとつだ。

だから、プリントアウトするなら、全部違う文面で年賀状を作成してみるばい!と意気込んでいるのだが、そうすると気づかれにくいのが難点。
長編を書いて100篇に小分けして、番号をふるか?


ルミナガタ

at 2004 12/14 19:42 編集

昨夜から地元で灯がついた「電飾ホコ天」のおかげで、晩飯を外食するにも満席だらけで迷惑しちょる。

とはいえ、経済波及効果で潤っている地元商店もあるから、「とりあえずウェルカム」ではあるけれど、浮かれ気分が冷めると、光のすきまの闇に目が向く市民もいるはずだ。

まず、「瓦礫の街に復興のともしびを」で始まったルミナリエは、いつからバカ騒ぎに変わったのか?が闇である。

「震災復興のため」なら、なぜ今岡寛和プロデューサーは、新潟にルミナリエを灯さないのか?も闇。神戸の次に東京に手先を延ばしたのは、いかにも商業主義を匂わせるが。

わが街限定にならなくてもいいから、被災した街と人が打ちひしがれているところにフットワークで「移動祝祭」をしに行ってほしい。
それでこそ、「神戸からのともしび」とかなんとか、ブランドになると思う。

ほんと、ゴーストタウンになっている山古志村にかがり火でも灯してあげたいものだ。


別れ話

at 2004 12/13 16:31 編集

飲んだ後のちりちりと引きずる頭痛が、夜中にひいてきて、あとは風呂に入って寝るか・・・というとき、あるOLから色恋沙汰相談メール。要は「ふられた理由がわからない」とのこと。

こんなテーマについて、「250字以内で答えて」と、おそろしいメタ・メッセージ込みで来るのが携帯メールだ。
明快な冒頭メッセージは、「あなたとは恋愛感情がおこりえないから相談にのって」とグサリ(笑)。まぁ、わかりやすくてけっこうだが。

彼女とは、もう5年ほど前に出会ったときから、スキのない化粧を決め、男性を警戒し、「私を守るのは私」とバリアを張っている感じがした。
まぁ、僕が女性ならこうなるだろうなぁと思うから、とやかく裁くつもりはない。

そもそも、イントロの第一声から、答えが出ているような気もする。
「この人は、こう扱う」と決めた通りに、人生うまく運ばないものだろうに、「異性=タスク」として映っているのかもしれない。ご本人は、仕事では大病院でナレッジマネージメント・システム導入をしようとしている推進者だが。

出会った相手を「発展する相手」「利用する相手」というフォルダに振り分けるのは、もし反論されたら男だってやっていることかもしれないが、地球上の「私は何なの?」という問いと、「俺は何なのだ?」という問いは、8:2ぐらいの割合じゃないかと思う。
職場でどのへんのポジションにいるか、敏感な男性は多いだろうけど。

「自分がどの位置に見られているか、気にしている彼女の心中が気にならない彼氏」というのは、ごく普通にいる。そんなもんだと思う。
かりに「君はブルペンピッチャー」とか「あんまり気が利かないと二軍落ちだぞ」なんて明言したら、それはそれで火種になる。20年、30年たっても「あのとき私を傷つけた言葉」として、くりかえしくりかえしくりかえしプレイバックされる。
だから、言わないのも知恵かもしれない。
そんなもんだ。


冬枯れリゾート

at 2004 12/12 22:32 編集

いつもは登山して行く六甲森林植物園に、ドライブで…というのも気分転換になった。
しかしまぁ、クルマで行くとなんと近くてあっけないことか。

園外で、焚き火とガスコンロの「ダブルファイアー」で昼食。炭火の焼きイモは、ほくほくして上出来だった。
ちょうど腹一杯になったころ、ポツポツと雨が降り始め、あわてて下山。
芦屋で「第二部」開幕である。ちょうどフィーリングカップル3対3で、最初から「枠の外」の僕は司会と決まっている。

このグループは、もう10年以上つるんでいるが、ひと昔前だと「配偶者候補を見つけに来たのよっ!」という熱いオーラが火花を散らすほど満ちていたものだが、近ごろはどうもおとなしい。
今の時期の「本題」は、冬遊びのプラン相談と決まっているのだが、雪山以外に遊び場はいくらでもあるから、「板はデモを買ったぞ」「カービングの使い心地はどうだ?」なんてコアなスキー談義は消滅してしまった。

ま、いろんな余暇のありかたがあっていいと思うが、カッと没頭できる仕事があれば、スカッと発散できる余暇も手に入るんじゃないかと思う。
リゾートの低調は、景気の問題より、どこか燃えきれない勤労者心理にありそうな気がするのだ。
せめて、手近な山歩きを大切に楽しむとしよう。


ふりふり詐欺

at 2004 12/11 12:37 編集

電話でのイタズラは、昔からあったもので、野郎がひっかかるものと相場は決まっている。
女性が「わ・た・し!わかる?」とふっかけて「ヒトミか?」「そうよ、ヒトミよ。大変なの、事故っちゃって示談が・・・」という筋書きもあったし、最近――といってもひと昔ほど前 ――は、テレクラや伝言ダイヤルにボイスチェンジャーを使って電話してスケベ野郎をだます野郎(笑)というのもいた。

どんな手段でも、いつの時代でも、だまされる層は一定割合いるだろうけど、問題は、痛い目に遭って、高い授業料を払って、免疫がついているかどうかだ。
大の大人にとっては、不運を乗り越える稼ぎも年月もあるが、高齢者に高い授業料や痛い思いを強いるのは、あまりにもせちがらい。

抑止効果になるのかどうか、「おれおれ詐欺」が、「振り込め詐欺」に呼び名を変更されたそうな。
バリエーションが豊富になって、「オレオレ」で始まるとは限らないのも一因のようだが、ドラマ仕立ての役割分担もあるようだから、一度聞いてみたいものだ。こっちも合わせて「えーーーっ!!わしの息子に限って・・・」と、取り乱してみたり、涙声で「なんとか、助けてやってくださらんか」と懇願してみせたりしていると、どんな気分になって行くのだろうか。
振り込みはしないから、催促の電話がまたかかってくる。
「いんにゃ、振り込んだぞい。白い服来た偉い人は、ワシのことアルツハンマーとかいうちょるが、ものおぼえはええんじゃ」
とか、こっちもレベルアップした演技をみせてやれば、あきらめてくれるのではないだろうか。

向こうにもさんざん演技につきあわせた後「あー、楽しかった。でもキミの演技力では成功率60%だな。だめなポイントはこれこれ」とオチをつけることができればいいが。
ヤブヘビになりそうだから、やめとこう。


韓流フィギュア

at 2004 12/10 14:33 編集

せっかく韓国に建てたヨンさま人形が、大ブーイングで引き倒されそうな気配。
韓国民の不平は、「顔が大きすぎる」「眼鏡とマフラーすればヨンさまになるわけではない」「日本人が気持ち悪がってマイナス効果だ」・・・等々。ごもっともだと思う。僕には、「眉毛だけ柳葉敏郎」に見えてしかたなかった。

でも、あんな人形でおびきよせられると見込まれた日本人ファンというのは、相当なめられているということではないんだろうか?
為替レートを考えると、単価はほぼ10倍だから、おいしいカモなのだろう。
日本の巷では、ヨンさまマフラーにヨンさま巻きがはやりだとか。ルミナリエもミレナリオも、ヨンさま柄が登場しそうな勢いだ。

ふと、いつものくせで解体してしまうのだが、ペ・ヨンジュン単体は、ただのヤサ男なのだろうが、くさいセリフ、それに心を打たれて見せるチェ・ジウの存在、それに冬という舞台設定の3点セットが、「ヨンさま世界」をつくりあげているように見える。
日本だったら70年代風味のくさいセリフを、しゃーしゃーとのたまう度胸は、冷めた現代人にとっては「うらやましい自己陶酔」だし、チェ・ジウみたいにクサい殺し文句に心の中で「チェ」と思いつつも、「ペ!」と唾棄せずつきあってくれる乙女はおらん。
日本のファンは、ないものねだりを投映しているのだろうか。

いっそ、韓国にはヨンさま追っかけオババ人形までそろえて、ジオラマを作ってほしいものだ。万札をにぎりしめて、ワゴンのヨンさまグッズに殺到しているシーンとか。
そういうファンが発酵している日本の夫婦なり家族なりは、ちょっとシリアスだから、ふれてほしくないけど。



愛BM

at 2004 12/09 07:52 編集

へー、ゲートウェイが再上陸するか!と思いきや、IBMのパソコンが中国企業に買収されるのは驚いた。東芝が買い受けを断わったためらしいが、時代の流れとはいえ「どうだかな」とも思う。
Thinkpadユーザーとして「中華風味」がいやだというつもりはないが、ちょっと考えれば、軍事技術の精度が上がるのでは?と当然予想できる。原子力潜水艦なんか乗組員の「鼻」に頼って航行していたのが、「電算機」でナビゲーションするようになるぞ。
IBMの技術は、ダジャレではなくICBMにも転用される。隣国日本としては驚異だ。
ま、Thinkpadの新バージョンが開発続行されるよう、期待するばかりだが。

IBMといえば、Windows 95の時代に、経営学の先生が「アメリカ人みな週給ベースで働いてるわけやなくて、IBMは80年代まで終身雇用やったんよ」と、例に出してくれたのが記憶に残っている。
どこかで広い読みしたガスリー会長の語り下ろしも、良くも悪くも父権主義的な、おおらかな「社員みな仲間」意識を感じさせた。

とはいえ、コンピューターのパーソナル化を推し進めたIBMは、日本メーカーが台頭するおかげで、終身雇用どころではなくなってきたんだから、皮肉なものだ。今は日本でも成果主義、能力給、年俸制…と企業が浮わついている。ハイテク分野の経営は、売れるときに一気に売ってしまって、下火になったら撤収してしまうのが得策♪ということなのだろうか。
場当たり的な「ヒット商品どんどん投げ売り」路線のノートPCマーケットの中では、頑固なまでのThinkpadの風格は抜群だ(だから波に乗れなかったのか?)。
乙女が腹這いになって「あたしリビングでインターネトしてま〜す」てな場面のCMが最も似合わないのが、真っ黒なThinkpadだ。
「宣伝部長、腹這いになってキーボードは打てません」とクールに分析してくれる忠実な部下という感じで、それがかえって「信頼できる人間くささ」を感じるのだが。

人間くさいIBMといえば、8年前に妙高高原のロッジで出会った赤瀬川原平そっくりの紳士が、日本IBM東京本社の管理職だった。「ものすごく和風な外資系さん」だ。もしかしてIBN(インターナショナル・ビジネス・なんちゃって)という会社だったのだろうか。
一人客はまとめてタコ部屋に同室になるスキー宿で、IBM赤瀬川さんと早稲田の体育専攻の学生と愛知県の中学教諭と一緒にバラバラの4人、あっという間に仲良くなった。
このIBMさん…というか、赤瀬川さんが、無類の酒好きで、「このあたりの幻の銘酒ですよ」と買って差し入れてくれたのが雪中梅。当然、連夜の酒盛りになった。

このタコ部屋は、そもそもバッジテストの講習合宿で、よりによって翌日が検定日だった。
IBM さんは二日酔いで棄権、教諭は二日酔いで転倒負傷、早稲田クンは酔わずに合格、僕はアルコール燃料(笑)のおかげで合格――という結果に終わった。赤瀬川さん(あ、モリタさんという名前を思い出した)は「私もうトシでだめだね。皆さんを応援してますよ」と、人なつっこい笑顔で応援してくれたので、彼の人徳のおかげだと思う。
感謝の気持ちを込めて、僕はIBM PCを…ではない、間もなくコンパックを買ってしまったのだが。
日記だって、これはテリオスで書いているし、ふだんはたいてい電車内でザウルスでポチポチ打っているから、すっかり「シャープお得意さん」と化しているのが現実のワタクシだ。
不義理きわまりないな。
せめて、Thinkpadを大事に使おう。


白日夢

at 2004 12/08 11:58 編集

なんだかリアルすぎる夢だった。
友だちが「会ってみない?」と紹介してくれた乙女に会いに行ったら、父親が同伴していた。
こんな場面で「かしこまる」どころか、「かしこまってなるもんか」と奮い立ってしまう歪んだ性根だから、それが災いしてしまう。
会食の後、「礼儀がなってない男だ」と酷評されて、結局当の本人の肉声は一声も聞かずに別れてきた。
とまぁ、これだけの顛末だったが、ずいぶん美しい街だったなぁというのが印象的だった。
きれいな薔薇にはトゲがある、という教訓だろうか。
「いや、おまえの欲求不満だ」と天の声に一喝されそうな気もするから、あれこれ分析しない方が身のためか。

もしこの夢物語が、ママご同伴だったら、「ご成婚の運び」になりそうな気もする。
というのは、あの冬ソナ熱である。
韓流俳優は、どれもこれも、なんだか「ふた昔前の日本のハンサム」を踏襲していて、なんだかヒタヒタと日本を追いかけている影のように見える(そのうち韓流つんくが出てくるにちがいない)。

それでも人気沸騰しているのは、オババの青春の不完全燃焼感がマグマのように鬱積しているせいではないか?とも読める。バブルの前は女子大生ブームもあったし、もててチヤホヤされて光り輝いてたのに、いま旦那はリストラ不安、夫婦はセックスレス・・・と勝手に決めつけるのはいかがかと思うが、「ときめきたい半熟女」は推定800万人はいるだろう。
レトロ男がもてる時代なのだ。
だから、若いのに礼儀正しいズンドコきよし、
クラシックなのにサンバを踊る松平健
なんてのも、ファン層がペさま追っかけ隊と重なっているのではなかろうか。

クラシックといえば、ワタクシが大本命だ。
歴史の本に写真が載っている神風特攻隊には、僕の双子のような顔がズラリとならんでいる。茶髪は絶対に似合わないが、刀とかハチマキはぴったり似合う顔つきなのだ。

よし、この線で「還暦前後」の線をウルウルさせるアルペジオを奏でるか。もちろん、「うちの娘と・・・」へと展開してくれないと困る。「私と・・・」になってしまう不安もぬぐえないけど、母親というのは「あぁ娘は将来こうなるんだ」とわかる未来予測図だから、魅力的なオバサマとはどんどんお茶(まで)するがよし!と、ご同輩に声を大にしてよびかけたい。

乙女とお茶しても退屈するか疲れるだけだから、黒木瞳とアフタヌーンティー」という、限りなく悩ましいんだかストイクだかわからん路線は、悪くないと思う。罪でもないし。
目が覚めてから夢見る妄想の方が、夢物語・・・とは、これいかに?


追っ手と逃げ足

at 2004 12/07 16:57 編集

関東で夏日、北海道では大雪に地震。日本列島どうなってるんでしょう!?
と、千歳空港から羽田に飛んだだけの客は、赤道を越えたような感覚でキョトンとしていたのではないだろうか。

台風で大きな被害が出た豊岡では、大雨でまた川があふれて、市は自主避難を540世帯1700人によびかけたらしいが、応じたのは1世帯3人だけだったという。
避難しなかった99%以上の住民をとやかくいうつもりはないが、この勇敢な・・・というか敏感な・・・というかフットワークのいい一家は、ぜひ名乗り出てほしいものだ。表彰されてもいいぐらい。

天災があれば、避難勧告や避難指示が、公権力の濫用と言われるせいか、及び腰なところに犠牲者が発生するわけだから、もっと踏み込んだ避難誘導をしてもよろしいのではないかと思う。
1700分の3というのは、あまりにも寂しい。
ペーさまを追っかけて韓国にまで行く身軽なオババが、あれだけいるというのに・・・。


JRとNTTに続け

at 2004 12/05 13:05 編集

与野党が互角で大統領選を闘って、国論が二分されているウクライナは、本当に分裂しようとしている。
こんなことは、日本ではありえないが、ありえたら(不謹慎だが)おもしろい。

ウクライナは国の東と西できれいに支持勢力が分かれているから、「おーし、それなら東と西に分かれて独立するからね」とまぁ、世論の動きはわかりやすい。
同じ動きが、もし日本で起これば・・・?

「いじわる婆さん都知事」と「横山セクハラノック府知事」があいついで誕生したころ、にわかに大阪帝都待望論が盛り上がったことがあった。別に二人が敵対していたわけではないから、日本が分裂することはなかったけれど、もし今の太田フーミン府知事がガチガチのフェミニストで、鷹派都知事と激しく敵対すると、「東京は首都、大阪が首府!」と宣言して、「完全男女共同参画の西日本共和国」を造ってしまうかもしれない。
おもしろい。

女御、更衣のポストを新設して、京都の芸妓さんを起用する。
義務教育では英語をやめて古文で読み書きする。
背広とカバンなんかやめて、みんな和服と風呂敷で通勤・通学する。
もう、世界中から留学生が殺到するね。学びたい!溶け込みたい!と。
黒木瞳を、宝塚でも博多でもいいから呼び戻して、官房長官にすれば、ワタクシはひざまずくよ。

ここで微妙な立場が、「国境」エリアにある名古屋だがも。
なにしろ味噌とカツを煮込む土地だ。コロッケとラーメンを同居させるマルチカルチャリズムだ。
案外、そんな寛大なごった煮風土が、僕は好きだが。

現実的に考えれば、沖縄と北海道は独立できそうな気もするが、そうなると、僕は沖縄に住んで夏川りみのような連れあいと人生を送りながら、ちゃっかり北海道の味覚と雪遊びを楽しんでいるかもしれない。分裂している東日本帝国と西日本共和国の頭越しに。

研究発表の場を目前に、香山リカの『私の愛国心』(ちくま新書)を3時間で特急読みして、つい、そんな夢想をしてしまった。
香山センセイからは「幻想ね」と笑われそうな気もする。


タスクトレイ

at 2004 12/04 12:12 編集

ちゃんと朝食をとって、遅刻せず出勤して、特にミスもなく、タスク達成100%の1週間やったなぁ…としみじみしていたら、JRの不手際できのうの夜勤に遅刻してしまった。「画竜点睛を欠く」という感じ。

「そっちの電車が送れているから、こっちが早いよ」と電光掲示が出ているから、「こっち」に乗っていたら、「あっち」のホームの新快速がまず発車。おまけに、「そっち」に普通が入ってきたと思ったら、先に発車しやがった。
憎悪の視線を電光掲示板に向けると、ちゃっかり「実はそっちが早くて、こっちに乗った客はバカでした」と書いてある。くそーーーっ!
1分でも2分でも早く行けないと困る客がおるのがわからんかJR!次の駅は新大阪だぞ。

災難とはいえ、「タスク達成率99%」ぐらいに下がったのが惜しい。
そうなると、不思議なもので、「そういえば出版原稿に脱字があったっけ。修正しとかにゃ」「あの書類を返し忘れてたな」・・・と、ミスがポロポロ見えてくる。

些細なことに気づかないぐらいに「怒涛の全力疾走」ができたらいいのにと思うが、ふっと我に帰る瞬間が訪れるのは、神様の恵みかいたずらか・・・
明日の研究会に向けて、また「1昼夜で1新書」を読んでレジュメを打たなくてはいけない。
神様がほほえんでくれるだろうか。


路地復権

at 2004 12/03 14:38 編集

駅に向かう途中、兵庫県警本部の石垣にあの沖縄の平良さんに似たおばーちゃんが座って、ぽわーっと息抜きしていた。前かけみたいな割烹着みたいな、いかにも「台所仕事の途中です」という感じで。

なんで県警本部に、なのかはわからんが、なんとなく、あてどなく、よんどころなく腰かけてひと息・・・というのは、老人の「至福のひととき」のようだ。僕の祖父も、つえとキセルと、ときどき孫を足して(笑)黄金の3点セットで町内を散歩していた。お寺の石段や、幼稚園の庭石が定番の「立ち寄りスポット」だった。

こんな老人の止まり木が、町から消えて行くのと、子供が路上で狙われる物騒な世相は、連動しているような気がする。

子供は外で遊びたい生き物だし、家でドタバタ騒いでいると、狭苦しいから「外で遊んでなさい」と言われるほど(6畳二間の長屋に6人家族で住んでいた我が家だけの話ではないはずだ)。
老人だって外の空気を吸って、あてどなくいろんなものを見つめたり覗いたりするものだ。

70年代のモータリゼーションから、ぼちぼち街が物騒な世界になってきたのではないかと思う。
それでも、「路地」は子供の天国で、かならずどこかで近所の人の視線が防犯カメラの役割を果たしていた。

ところが、今は「危ないから外で遊ばないで」と言われかねない時代で、家の中にゲーム機やDVDや遊び道具があふれていて、外よりエアコンのきいた家でおとなしく遊ぶ、ハムスターのような子供ばかりになっている。
老人が通う福祉施設も、送迎までしてくれる。
路上は、ご近所さんがウロウロしながら憩う世界ではなくなり、公園はペットの便所と化している。

そんな今だからこそ、なんでもないことだが、街にベンチをどんどん増やせばいいと思う。
何か事件が起きて犠牲者が出てから、ボランティアで立ち番したり子供の登下校に付き添ったりするのが「定番」になっているが、ほとぼりが冷めたら皆めんどくさくてやめてしまう。

自然に、路上に「人の目」を呼び戻すには、死角ができないぐらいにベンチをあちこち設置すればどうだろうか、と思う。ライオンズクラブでもロータリークラブでも会社のPRでもいいから、ベンチやパラソルを出してみてほしい。
住民が路上で憩える街は、自然な形で治安がよくなるのではないだろうか。


潮風写真家

at 2004 12/02 12:37 編集

古本屋で、浅井愼平さんの写真集を見つけた。
今年の夏に出ているから、「新品の古本」か。
エッセイ半分の「写文集」は、沢木耕太郎や藤原新也が切り開いたジャンルだと思うが、それに触発されたのか、写真家としてはうんと先輩の浅井愼平が、「写文家」のようになっている。今の学生世代から見ると、コメンテーターとして映っているかもしれない。へー、浅井さんって写真もうまいんだ!とか(笑)。「サンコンさんのフランス語ペラペラ」に驚くようなものか?

僕に写真を教えてくれたわけではないが、「骨の写真家」だった亡父のお気に入りが、浅井愼平さんのカリブ海の写真を使ったカレンダーだった。「これは浅井愼平やからな。ええなぁ」と、父が具体的に名前をあげて称賛した唯一の写真家で、僕が初めて記憶した写真家名でもある。
それから25年以上たち、父は天国に行ってしまったが、よくテレビで見かける浅井愼平さんは、まったくといっていいほど容姿が変わらないのは、驚くようなばかり。
加山雄三よりずっとヨットが似合いそうな感じがする。

シンペイさん、と呼んだ方がしっくりくる、このクールでドライな写真家は、同年代の写真家が「大家」になってごちゃごちゃと役職や肩書きを飾りつけるのとは対照的だ。「潮風に吹かれていたい」とでもいいたげに、房総半島にプライベート・ギャラリーを建てて、「自分の風」に自分をゆだねているように見える。

写文集のあとがきには、僕は宇宙を求めていて、宇宙そのものになること、体の中に宇宙を持つことを心がけている・・・といったようなモノローグが書かれている。ちょっとスピリチュアリティに流れそうな印象も受けるが、神だ波動だ霊だ真理だというところまでは「行って」しまわないところが、クールでいい。

そろそろ、「女の子写真」で売り出したが飽きられて次の手を考えるおねねさん写真家あたりが、「スピリチュアル・フォトグラファー」とか銘打って降臨しそうな予感もする。
デジカメ時代、携帯カメラ時代だから、写真のありかたは考えるほど難しい感じがする。お宝画像だとか「ネガを返して!」とか(なんだかトラブルメーキングな写真ばかり思い浮かべてしまう)、そんなオリジナルソースの持つオーラが消えてしまったから。
複製時代だから、「用途」も加工のおもしろさも広がるんだろうけど、だからこそ、複製でも加工でもないオリジナルだ、私が原版を所有する原作者だ、という証明は難しい。
著作権で理論武装しないと、写真家が写真だけで稼ぐのは難しい時代だろうなぁ・・・と、ふと思う。


ケニー!

at 2004 12/01 11:53 編集

カメラも本も家もCDも・・・の我が中古ライフも、時代の先端に一応いるのだろうか、なつかしいコンサートビデオが、りずむぼっくすDVDコーナーに出ていたので、2600円「即払い」してしまった。
りずむぼっくすのスタンプもちょうど一杯になって、3000円分買い物に使えるのも、ささやかにうれしい。

89年のケニー・Gは若い若い。
サンディエゴで、薄暮のあたりから夜にかけて、マリーナをバックにした野外ライブは、あぁ80年代AORの時代の残り香が漂ってるなぁ。

あらためて感動するのは、ゲストで出てきたどこかシリアスな表情のダドリー・ムーアが、華麗なピアノを披露してくれている1曲。
日本ではクリストファー・クロスの歌うテーマ曲の方が有名になってしまった「ミスター・アーサー」で、コミカルな役を演じたB級脇役かと思いきや、ムーアさん、実はオックスフォードで作曲の学位をとったクラシック・ピアニスト出身だ。
160cmという小柄も喜劇俳優の道へのきっかけになったのかもしれないが、幼いころ内反足を友人にからかわれて、音楽の世界に逃避したのだとも伝えられている。
ともかく、ケニー・Gと親子ほどの年齢差もありながら、英国人らしいクールなピアノと軽快なインタビュー・トークは、美しい「中年の星」という印象だ。

楽しい映像や名演奏はこうしてDVDに残るが、ダドリー・ムーア本人は、つい昨年、まだ70歳に届かない若さにして、天国へ旅立ってしまった。
5年前に、彼がやっているというレストランバーを、LA郊外ベニス・ビーチだったかサンタモニカだったか、リゾートタウンに捜し当てたけれども、ほとんど開店休業状態で人気はなかった。
あとから記事を追うと、すでに闘病生活に入っていたようだ。

お元気なうちに、ボズ・スキャッグスのやっているレストランにも行っておきたい。

名優がやっている店というのは日本のあちこちにあるけれども、行ってみたいような、期待を砕かれそうな複雑な気持ちになってしまうのは、元モロボシ・ダンが湘南でやっているという「ジョリー・シャポー」と、アンヌ隊員が夫婦でやっている中華料理屋(なんとか飯店というらしいが忘れた)だ。
森次晃司はモロボシ・ダンのあと、時代劇で悪代官をやってたのを見たので、ある程度、トホホな「その後」に免疫もできている。
アンヌ隊員は、あのままでいてほしい・・・
同年代の殿方諸兄に共通する、夢まぼろしファンタジーではないだろうか。
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2004年11月の日記
弱暖車

at 2004 11/30 14:36 編集

いつの間にか、気温が上がっても10度台になっていて、電車に暖房が入っていることさえ、しばらく気づかなかった。
けさから始まった「吐く息の白いアサイチ出勤」で、おぉそうか冬間近なんだとしみじみ感じた。北海道で氷点下十何度、沖縄でTシャツ1枚なんて聞くと、つくづく日本は広い。

八ヶ岳で、10歳若い山仲間がガタガタふるえているときも、「まーこんなもんちゃう〜?」とかまえていたら、不思議がられたのが不思議だ。冬のふだん着は素足にサンダルなので、外で大家さんに会うと「ひえ〜っ」と肩をすくめて驚かれる。
別に暑がりでもない、「ただ鈍感なだけ」なのだが。

エアコンと暖かい毛布で冬眠していた前のマンションから、エアコンなし布団なしの今のアパート暮らしに代わって、否応なく適応力がついた感じがする。
特に鍛えているつもりではなく、阪神大震災の直後は避難所暮らしだったから、そこに比べると、運よく見つかった個室は、それだけで別天地だ。段ボールの住人より、はるかに恵まれていると思う。

だいたいやね(人生幸朗ふう)、まだ11月なのにガンガン暖房で暖めて、夏は風邪ひくほど冷やす日本人の度を過ぎている暑さ寒さ過敏症というか、エアコンへの鈍感症というか、こりゃ病気じゃないかと思う。
病人や高齢者にまで寒さに凍えろというつもりはないが、元気な人も全般にぬくぬくしすぎちょる!と、思わず竹刀を振り回したくなったりもする(笑)。
じめじめした東南アジアに定着してしまった乙女のブーツも、水虫をふやしている一方らしいから、夏のスーツおじさんの脂汗を笑えないぞキミたち!

けさも、僕の座席の手すりにはりついていた「キャリアウーマン歴27年」ふうのおばさんが、片足ずつ脱いで「ムズムズ・かいーかいー・スリスリ」をしていた。
あっち行ってくり!。

困るのは外と室内の温度差で、電車に乗ると必ず汗をかいて、かえって寒くなる。温室のような電車に長く乗って、降りるとき血管がプチッと切れるお年寄りも出てくるのではないだろうか。
家に帰る道すべて暖房されてるなら問題ないだろうけど。
そう考えると、地下街に住むホームレスは、けっこう利口かもしれない。


裏山物語

at 2004 11/29 11:46 編集

日曜午後になって、ふらっと裏山へ紅葉狩り決定。一人だと発作にまかせて即出かけられるのがいい。
ポカポカ陽気で、「晩秋」の気配さえない。おまけに、六甲山系は常緑樹が増えているそうで、表から眺めても「錦秋」のカケラさえ見えない。

それでも、15分か20分歩くと、深い緑の香りに包まれるのは、夏でも冬でもいいものだ。
山に分け入ると、緑の中でもあちこちで紅葉、黄葉を鑑賞できる。
修法ヶ原まで行き着くと、ちょうど日が沈むころだった。残照の中で行楽客がボート遊びをする眺めは、平和そのものだ。
さすがに夕暮れは秋の気配だ。今日はヘッドランプ持参なので、下山は多少遅くなっても万全である。
のどかに茶屋でタコヤキなど食っていると、「あのー、バス停どこですか!?」と、ジーンズ姿のOL25歳(推定)があせり顔で尋ねてきた。一人で、バスで登ってきたのだろうか。
ここいらは散歩エリアなのでバスの便がわからない僕は、適当に「はー、池のあっち側に看板があったんちゃいますかねー…」と適当なことを教えて、あとは野となれ山となれ(迷ったらね)。
不思議な「ソロOLハイカー」は、無事にバスの客になったのだろう、行楽客は潮が引くように、マイカーで引き揚げて山は静かになって行った。

もし、泣きそうな顔で「最終バスが行っちゃった…」とうらむような涙目で戻ってきたら、そこからがワタクシの本領発揮だ(笑)。
「ありゃー、ごめんね。でも歩いても街に戻れるから、ご案内しましょう」
「ほんとですか?」
「ほんま、すぐすぐ」
トレッキングシューズにリュックに防寒具、ヘッドランプ完備の僕の感覚では、夕闇の山道2時間でも「すぐ」なのである。

ハーバーランドで買い物してそうなオシャレな乙女は、やがて鬱蒼と樹木が生い茂る真っ暗な森の山道で足元をすくわれながら、不安を募らせて行く。
「買ったばかりのミュールが…」と、悲しげな声。
そうかそうか、そろそろワタクシの出番だな。
「おわびに、靴ぐらい買ってあげよう。ガラスのハイヒールを、君に!」
これでイチコロだ。
「なに言うてんの、このオッサン。キモッ!」
で、僕はイチコロに撃退されるのである。
おバカな妄想に、歯止めをかけてくれる仲間が欠かせない。


佐渡市民チャールズ

at 2004 11/28 12:37 編集

ジェンキンスさんが釈放されて、さぁ就職活動だそうな。
日本の年金も、米軍の恩給もないから、パートタイムの妻の被扶養者になるか、手に職をみつけるか…。

アメリカ人なら、自立の道を追求するだろうと思う。軍服で基地へ大股で闊歩して入っていくジェンキンスさんは、とても64歳には見えなかったもの。

夫妻と娘の「祖国」がばらばらな点も、他人事ながらご心配申し上げてしまう。新潟暮らしは、娘は慣れて行くだろうし、母は故郷だからいいとして、パパが疎外感にさいなまれるのではないか?と老婆心が出てきてしまう。

いろんなアメリカ人がいるから一般化はできないのだが、ちょうど30年前の映画「ハリーとトント」でアート・カーニー演じる主人公ハリーを、ふと思い出す。
80歳近い老人が、借家を追い出され、愛猫トントと安住の地を求めて北米横断の旅に出る。東海岸の息子の家では嫁に毛嫌いされ、孫やヒッチハイカーも巻きこんで、オンボロ車で西海岸をめざす。

ロサンゼルスでは末息子に「一緒に住もうよ」と願い出られても毅然と断わる。
そして、長旅を共にしたトントには先立たれてしまい、海岸で暇をもてあそぶ老女との出会いがロマンスを匂わせるだけで、ハリー自身の行く末はぼかされたまま、物語は終わる。

この映画の通奏低音は「老人の自立」だ。
援助や慈善、福祉制度は否定するわけではないだろうが、親子それぞれの自立を前提にした人生は、パラサイト日本人と根本的に発想が違うから、議論にさえならない気もする。
「甘えるのも親孝行」「子供が保険」という家族内福祉(?)は、奴隷制度という負の遺産を学んでいて、働けるのに養われている身分は奴隷以下だと感じる民族には、感覚的には受け容れ難い伝統だと思う。

だから・・・
と一気に飛躍してしまうのもなんだが、ジェンキンスさんはアメリカ合衆国へ帰国してもいいんではないかと僕は思う。

自分が何かしら負担になっていると察すれば、妻子と別れて祖国へ戻りたいと本気で考えるかもしれない。
そうすれば、家族福祉が好きな日本人は「冷酷非情!」のレッテルを貼って、一個の合衆国民チャールズ・ジェンキンスさんを唾棄するだろうが。

ジェンキンスさんは、まだ旅の途上なのだ。
人それぞれが納得する旅の終え方を実現できる国だろうか、この日本は。

最近、「ハリーとトント」監督のポール・マザースキーの訃報を目にした。
まさかトントが生きていたら笑ってしまうが。



探偵ファイトスクープ

at 2004 11/27 16:42 編集

何週間かおきにしか部屋に戻らない得体の知れないオバサンが入居した隣室に、なぜか子供のはしゃぎ声。
それが尋常ではない暴れぶりで、まるで動物園のサル舎と化している。
こりゃ悪い夢だな・・・と思って、ヘッドホンをかぶってヤケ寝してしまったので、ナイトスクープは今日になって録画をプレイバック。

けんかをして、男になりたいんだボク!という、19歳の下宿大学生がネタになっていた。
いかにも、いい子だった。故郷のパパは社長(店長?)。なに不自由なく、円満な坊やで育ってきたのだろう。
イヤミなぼんぼん風味がないから、キミそれでええんちゃうの?と思ったものだが、そこはテレビ番組だから、「困ったな、こりゃ」と考えて、くさい親子げんかをやらせて、チャンチャン。寒いなぁ。

さすが顧問の田渕幸一は野球人だから、「武道のクラブにでも入門して、ガンガンやりあえ!」とエールを送っていたが、むしゃくしゃするときのカタルシスとして、格闘技やケンカは文明の知恵だという気もする。
動物が獲物を奪うために殺し合うのと違って、人間のけんかは1つのコミュニケーション、格闘技は高度な遊戯だ。

けんかしない人生というのは、難物のかかわりを避けても生きて行けるだけ豊かになった証しかもしれないから、それはそれで肯定するしかない。あえてかみついたり、火をつけたりすることもない。「文句があるならよそに行く」ですんでしまう。

生まれ育った環境で、なりゆきのように格闘体験という洗礼を受けるのが、昔は自然だったように思う。一般化はできないとしても。
兄と弟にはさまれているから、僕は何度か激しいけんかをしたし、近所でも石ころや煉瓦まで飛び交う悪ガキ同士のけんかもした(4丁目と戦争や!なんて奮い立っていたのも、おバカで懐かしい思い出だ)。
けれど、ケンカは勝っても負けても「スッキリさわやか」とはいかない。勝てば報復が怖いし、負ければ挫折感が人生を歪めることもある。僕は瓦を顔にぶつけられて鼻骨が歪んだ(笑)。

だから、「報復」もゲームの要素にしたのが格闘技という完結システムで、リングでの負けを河原で仕返しするというのは反則だということになっている。
が、「うっせー!ここが俺のリングだ!」というのが、不条理な負け犬の決闘の哲学(笑)だったりする。
ま、呼び出されて出向いた時点で、相手が決めた決戦場を認めたことになりかねないから、足を運んでおいて「反則だよ」はないだろうけど。

そんな危ない場面を早くから察して近づかない・・・人生を19年過ごしてくると、なにか奮い立ってくるものかもしれない。
「ケンカすれば脱皮できる」と考えるのもかわいいもので、あぁ僕けんかできないんだ・・・と悟れば、次はボディビルでも始めるか、包茎手術でも受けるか、裏世界のカモになるか、己との闘いとやらのセミナーに走るか・・・?
それも、仲間うちで酒の席上のいじられネタになって、いいんではないかと思う。そういうキャラは「必要な人材」だから。
「俺はオンリーワン」とか唱えてPCにかじりついて、ネットベンチャー(の真似ごと)にふけってしまうと、メル友やネッ友が「さくさく増える」だけだろうなぁ。


ゼンハイザー

at 2004 11/26 09:40 編集

今日出勤する電車賃+10円しか、財布に残っていなかった。おそろしい!
そもそも、きのうヨドバシにやっと入荷したヘッドホンを、有り金はたいてキャッシュで買ってしまったのが原因なのだ、と重々わかっている。なんてオバカなのワタクシ…という気分だ。
ポイント還元が現金で10%、カードで8%というみみっちい差に目がくらんで、カードを出し惜しみしたのだが、まぁこんなヒヤヒヤ経験が獲物への愛着につながるかな?

ずっと昔、このドイツ製ヘッドホンの入門モデルを使い始めて、その繊細な再現力に驚いてから崇拝者(笑)になってしまった。真空管アンプにつないで聞くと、霧が晴れたようにきめ細かい音が、臨場感満点で頭を包んでくれる。

ただ、消耗品が消耗品すぎて、補充が面倒だった。ウレタンのイヤーパッドがヤワで、すぐ破けてしまうのだ。
いま、このメーカーのwebサイトを見ると、「質実剛健なメーカーでありまして、30年も前のヘッドホンのイヤーパッドでも、ちゃんと供給されています」と誇らしげに書いてある。
それはいいけどね…たしかにその通りかもしれんけどね…まず丈夫に作ってくれよな、とボヤきたくなる点が、画竜点睛を欠くという感じ。
音響機器の中でも、マイクやヘッドホンは体に密着させて使うものだから、頑丈さとかデザイン、触感、相性なんかも、電気性能と並んで重要な性能になる。
皮膚感覚で使うせいか、耳かけ式ヘッドホンなど若いユーザーがかなり熱心に選んでいる姿をよく見かけるし、ヘッドホンは特殊な装身具としてのキャラクターを持っていると思う。

やはりドイツ製(生産はスペインだったりアジアだったりする)はデザインがごついが、すっぽり耳を覆うハウジングはタフなつくりに見える。
ふつう、耳をすっぽり覆うタイプは密閉型と決まっているのに、これはなぜかオープンエア・タイプになっているのが珍しい。おかげで遮音性はあまりよくない。静かな電車なんかで使うと、インナーイヤーホンよりシャカシャカと音をまき散らすことになるだろう。だから「在宅専門」になりそうだ。

イヤーパッドが皮やケミカルレザーでできていたら、かなり密封性は高くなるものだが、夏は暑さで蒸れるのを覚悟しなくていはいけない。買ったモデルはクロス張りのウレタンクッションで、側頭部に優しくフィットするようになっている。

で、肝心の音はというと、やはり期待を裏切らなかった。
3000 円安いだけの下位モデルとは、音の厚みやコクが明らかに違う。弦楽器の艶っぽさも、ボーカルの肉厚も、打楽器のインパクトも、インナーイヤーホンとは別世界だ。サントリーの大衆向けウィスキーの水割りと、ストレートでもスムーズに飲める上質のピュアモルトとの違い…といえばいいか。
音源がCDやMDであっても、音の出口がこうも音を彩ったり生き生き響かせたりするものなんやね…と、あらためて知らされた感じ。
これでしばらく、極上の子守唄を聴きながら昏睡できそうだ。


中年の主張

at 2004 11/25 14:53 編集

紅白に、SMAPもペ様も出演してくれない・・・紅白離れ・・・娯楽の多様化・・・(どさくさにまぎれて)海老沢やめろ!・・・と、大晦日異変が騒がれている。
当のNHKなど、7時のニュースで出場歌手を歴代出場回数ランキングに並べなおしてみたり(なんの意味があるのか?)、あれやこれや前景気を高めようと、いじましい売り込みぶり。
後浦なつみに、松健サンバまでかつぎ出しましたがな。
このまま紅白の視聴率が低下し続けると、浅草キッドや大川興業までかつぎ出すんじゃないか?水道橋博士の相方を、「ピーなし」で紹介できるかNHK!?

もう紅白を見なくなって15年か20年たつ僕も、もう紅白に幕引きを言い渡す!
というつもりはない。
1年の終わりを、もう何でもありの歌い締めで飾るというのは、平和でいいではないかと思う。おバカで低俗で絢爛豪華だからこそ、大晦日らしくていい。

そして、年が明けたら「青年の主張」なのである。正しい日本の年末年始は。
なのに、これも最後になるという。
清く正しい青年の演説こそ、あぁこんな若者がNHKに好まれるのね・・・と、「青年の肖像の向こう」が透けて見える、いいスクリーンなのに。
こんな手本があるのに、就職難というのは、今の青年は芝居が下手なのかな?「本当の自分にうそをつけない」とか。
壇上で「主張する好青年」の仮面を被って、演壇の陰でズボンのチャックでも開けとけばいいのだ。

チョベリバ・・・じゃなかった(死語)、「しゃべり場」という、テレビ史上屈指の暗い番組があったような気もするが、あんな風になって行くのだろうか。
高齢社会だから、「しゃべり婆」「特養の中心で愛を叫ぶ(トクチュー)」なんてトーク番組をすべきだなNHKは。50年後の冬ソナも見てみたい。ペ様は白内障、チェ・ジウは骨粗鬆症でいたわりあっているとか。

青年層の言語能力は、この前の学会で大学教員たちが口をそろえて嘆いていたように、年々深刻になっている。
メールで試験も卒論も授業もできるなら、それはそれで「便利」だろうが、便利な介護労働とか、便利な営業職とか、便利な通訳業というのはありえないのではないだろうか。もがきながら、言論で自分を語って、自分を社会に開いて行かないと、広いはずの世界がせまくなる一方だと思う。

「矢面に立つ」「惻隠の情」のような感覚――つまり「場」のリアリティは、沈黙して察したり様子をみたりするのではなくて、やはり言葉のキャッチボールでできあがるものだし、またそうあってほしい。
いっそ強行手段で、大晦日から1月15日にかけて、十五夜連続で「紅白主張合戦」をやればどうだろう。
勝ち残ったやつは、職場で使いにくいだろうがなぁ・・・


商工会議所代弁

at 2004 11/24 05:35 編集

『ぴあ』も『KANSAI1週間』も『KANSAI Walker』も『KOBE Walker』も、クリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスクリスマスとヨコイチの特集をしていて、まぁ要はプレゼントを買え買え買えというキャンペーンなんだろうけど、クリスマスに間に合わせるよう、商業施設のリニューアルがあいついでいる。

三宮のクレフィーは乙女服の店なので素通りするしかないが、昨夜はハーバーランドへ、パトカーをこいで視察してきた。
ハーバーサーカスが不振でつぶれただけだと思ったら、お向かいのオーガスタプラザも、「プロメナ」と名前を変えてリニューアルしていた。
でかい書店と百均があるようなので、こっちを重点視察してきた。

いやはや・・・確かに、どーんとでかい。
近隣の書店や文具店は、これでかなり苦戦を強いられるのではないかと心配になった。客の立場としては、選択肢が増えてありがたいけど。
2フロアをフルに使ったダイソーの品揃えは、今さら目新しくはないものの、よくまぁこれだけのキャパに、何でもそろっているもんだ・・・と、あらためてあきれてしまう。
ウソくさいとわかってはいても、ご当地ものドリップコーヒーのパックで、豊かなコクと甘み!と銘打った「金沢篇」を買ってみた。金沢の味なんだかどうだか、さっぱりわからなかった(笑)。

ほかのフロアには、乙女服もあれば古着屋もあり、わが電脳判事Dがま先生の好きなスタバもあって、幅広い客層にフィットいたしますプロメナ〜・・・というごちゃまぜビルだった。
洗練されていて、買い物もしやすそうで合格(えらそうに!笑)。

次は、ハーバーランドの客の流れからそれたエコールマリンが心配だが、ビレッジバンガードを軸に、「おマニヤさま要塞」にしたらいいのに、と思った。
かわいい雑貨集めてみました☆では許されない(笑)時代になっているのだよ。だれに忠告しているのか、自分でもわからんけど。

ねだり姫くすぐりクリスマスでも、発情カップルお戯れデートでも、手垢べとべとルミナリエでもいいから、年末年始にかけて、どんどん神戸に金を落ちますように。
同じように、新潟の特産品も豊岡のカバンも、売れますように。


ジョイフルシングルデス

at 2004 11/23 16:01 編集

「食後の晩酌」代わりの雑誌でも仕入れて、お茶しに行くか・・・と歩いて(愛車をこいで)いたら、露店で『ダカーポ』を見かけて、ほほー何年振ぶりだろ?と思いつつ、なにげなく100円でお買い上げ。

なじみの喫茶店があいついで閉店して(おカフェは好みではない)、ご近所書斎が年々減りつつある。うちのアパートの1階にあった1軒も閉店してしまった(一度も行かなかったけど)。
暗い商店街でただ一軒、24時間営業していた「珈琲館」は、いつまで持つかなーと心配していたら案の定、撤退してしまったから、今は1駅となりの「迎賓館」に流れ着いている。大層な名前だが、コーヒー350円で、おかわり100円だから、2杯だと単価がスタバよりは安くなる。新聞、雑誌が各誌そろっていて、全席クロス張りのソファーだ。

『ダカーポ』は「一人で生きる特集」をしているのだが、4人のシングル有名人インタビューが、ちょっと眉唾だった。
愛犬と結婚している(同い年の川島なお美もそのようだ)遥洋子44歳は、まぁいいとしよう。
名前も知らなかった某お笑いタレント君32歳、陸上選手28歳は、おいおい、まだこの席に着くには早いんでないかい?と素朴に突っ込みたくなる。
「32歳まで独身を貫いてきましたけど」ったって、そげに偉業を成し遂げたように誇られても困るわに。
30代で、やっと幕内という感じもする。勝負(笑)は40代だ。

先日63歳でパパになったギタリストのアントニオ古賀とか(パバロッティも似たようなものか?)、ともかくまだまだチャンスはあるから、男は何歳になっても達観できないものかもしれない。裏返すと、あきらめがつかない。

仏文学者の海老坂武先生のようなダンディ・セブンティ(セブンティーンではない)になると、たとえ病床に伏しても、「先生の子を・・・」と申し出る女性ファンがいて悩むだろう。夜中に息苦しくて目覚めたら、だれか覆いかぶさっていたりして(笑)。
そんな危険をかわせるカムフラージュは、「あっち方面」に走って、淀チョーさん風味か、シベチョーさん流儀しかない。

おらぁ風まかせでよ、と「無頼の徒」を気どる男は多いが、どこか、女房に尻尾をつかまれている(つかませている)ところが見えかくれするヘナチョコおじさんも多くて、「実は女房が母親みたいなもの」だったりする。
それはそれで一つの生きざまなんだろうけど、シングルの真価(ったって深刻に追究することでもないだろうが)は、「死にざま」の方に結晶するものかもしれない。・・・と、人生後半になると死の影が友達に加わるのである(笑)。

いかに、ジタバタせず静かに死ねるか。
孤独を打遣る(ごまかす?)手段には事欠かない情報社会だから、病気(健康)と仕事が現代人の2大不安になるのは必然だ。
老後は年金を本気であてにしている人はいないだろうが、妻をあてにしている男は多い。「いざとなったら不安だから」結婚するお仲間たちは、善人が多いから「そのいざが来たら、彼女が逃げる不安はないか?」と突っ込まんだりはしない。

やがて寡婦になる確率が高い女性が、そんな未来を見越してか、年下君(絶倫ご陽気君タイプの松坂大輔のような)を手玉にとるブームは、賢明だと思う。
男女の結婚観のギャップは、エジプト古王朝時代からのテーマだが(!?)、「いざ」になる前に愛の証しの金と子種をもらっておこうと考える女性と、金と子種は出さないが「愛してるよ〜」という男性というのが、露骨に増えたのが少子化につながっているような気もする。僕が女性に生まれていたら、金(仕事)と子供だけあれば夫はいらんと思うもの。
いま男性ながらそう思うので、笑われるか警戒される。
世の中ご同輩も、少なくないと思いませんか?小泉首相!

しかし、ただ「身勝手」と切り捨られそうな未婚派の中には、自分の終末期に最愛のパートナーを巻き込みたくないと思う人も、いるのではないかと思う。
まだ「最期」の想像力が乏しい、「一応健康」な僕でも、自分の病床に家族が仕事を犠牲にして付き添われると、いたたまれない気がする。病気と闘うのは自分、仲間は医療者、と割り切っていた父の血を引いている自分を自覚する。
でも、そうあってはならないのである。最期は家族愛に目覚めることになっているのだ、NHKの好む筋書きでは。

ターミナルケアの教科書の類にも、家族に見取られるのが人間の幸福なのである!と、あたかも真理であるかのように書いてあるものだが、「終末期」イメージは、実は創られた物語ではないのだろうか。
だれかそばにいてほしいと願う人には付き添えばいいし、「一人にしてほしい」と願う人が愛する孤独を奪うべきでもない。それだけのこと。

今はやりのボランティアは、「される側」からの異論もぼちぼち世に出てきているが(地元の大工さんや飲食店を失業させるようなボランティアでも、美談なのだ)、終末期のケアは、当たり前だが「された側」からの反論が決して世に出ない。イタコに「終末期ケアのいかがわしさ」「ワンダフルな孤独死」を語らせることができるかもしれないが(笑)。
孤独の美なり力なりに目を向けない家族研究は、どこか薄っぺらくて偽善的な気がする。

死ななくても「恍惚」「垂れ流し」になる可能性は男女ともにあるし、100歳がピンピン、50代の孫が若年痴呆という悲喜劇もある。
いよいよ最期・・・といっても、ネットで道連れを募って練炭で集団自殺したりするブームも、ちょっと早いよあんたら!と説教したくなる(いくばくかの年金を払って1円も受け取らずに死ぬなら、社会保険庁は喜んでいるだろう)。
「仕事と貯蓄がいよいよなくなった無年金独身者の最期」としては、否定しないが。



黒船ドクター

at 2004 11/22 13:01 編集

名物チリ人シェフのやっているレストランが近所にあったご縁で、何度か「接待」に利用したり、朝夕あいさつする程度のつきあいがあって、遠い南米も少しは身近に感じることができた。
そのレストランも移転し、隣り町にあったボリビア領事館も閉鎖されて、ラテンアメリカの熱い風が去ってしまったなぁ・・・と寂しい今日このごろ。

そのチリで、APECが開かれていて、我が国の代表は、領海侵犯した国から「靖国神社に参るな」と内政干渉までされて、ジャパニーズ・スマイルでお茶を濁している。みっともない。

APECの実務作業には、いろんな二国間協定があって、ただの友好協定ではなく暮らしを変えて行きそうな政策転換もある。
フィリピンから求められた看護師、介護職の受け入れも、「それならうちも」と、タイを動かしているようだ。
労働力の流動化で、日本人労働者との競争を目論んでいるのかもしれないが、競争の「まな板」になるのは病人や要介護者だ。いい人材を「厳選」してほしいと思う。

日本人の商売人が海外に進出し、日本製品を売りさばいて、今の経済立国があるのは確かだから、今度はどんどん人材を買って、輸入を増やして、対等な経済関係を築いて行くのは経済大国の責任だろう。
そうなったらなったで、日本の農家や、単純労働しかできないフリーターなどがどうなるか、国は真正面から考えていなかったのではないだろうか。
まさか「フリーターあげます」というわけにもいかないだろうし、そうでなくてもイラクのような危険地域に行きたがるフリーターも後を絶たないから、メイド・イン・ジャパンのブランド・イメージも変わって行きそうだ。

看護と福祉のボーダーレスとなれば、本丸は医師の受け入れだろう。
医学部に合格しただけで、あとは自動的に「こんな医者が」と言われても食いっぱぐれがない社会というのは、やはりおかしい。殿様の時代が、医学界には残っているようだ。

欧米人医師を受け入れたら即解決する問題でもないだろうし、欧米人医師だって、「この国の保険診療制度の下では働けない」と言うかもしれない。
僕には信頼できるかかりつけ名医が身近にいるけれど、不運にして運や「良縁」に恵まれない患者にとっては、黒船に乗ってやってくる医師や看護師に期待したくなる気持ちも、わかる気がする。
今の日本でも、ちゃんと考えて選べば、いい医者や病院は身近に見つかるはずだが、おそらくそうした患者側の努力や責任、権利意識というのが、日本と欧米の一番の違いかもしれない。
「質問も要望も口に出さない患者」は、さぞかし不気味に映るだろうと思う。

職場に日本の医学博士号と中国医師免許をお持ちの美しい才媛がおられて、「奇跡的な診療」を受けてみたいと願い続けても、あいにく健康なままでいるのが惜しい。
でも、「ベッカムの容姿とコンドリーザ・ライスの頭脳がほしい!」と露骨な要求をしそうな僕は、永久麻酔されそうな気もする。
とりあえず、タイ古式マッサージと韓流「全身ゴシゴシ擦り」で、しごいてもらおうかな?


コミュニケーションが、かい?

at 2004 11/21 16:59 編集

昔の同僚アラン(仮名)から、「お久しぶり!お話ししましょ。ボクの大学で学会があるからおいでよ〜」とお誘いコール。
父の忌引でも、真っ先に「追悼電話」をくれたのが彼である。いやはや、マメな律義さには頭が下がる。

同僚でなくなってからも、ちょくちょく近況を尋ねてきてくれて、一度アフタヌーンティーでお茶しながら、文化サロンの仕事を斡旋してくれた。
それからほどなくして、四十代半ばでやっとPh.Dをとれましたた!と年賀状で知らせてきてくれた。
いい意味で万年青年のようにエネルギッシュな(ノーノー、エナジェティックね、と添削されそうだ)アランに、久々に会いに行こうか、と思い立って、畑違いの学会へノコノコ出かけてきた。

畑違いとはいえ、「コミュニケーション学」の学会だから、あちこち首をつこめそうなすき間はある。
メインの「講演」のような退屈な一方通行は眠気との闘いだが、アフター5の懇親会はがぜん元気になってしまう。このために学会はある感じ(情けない)。外国語の先生、企業人、放送業界人らと名刺を配りっこしつつ歓談。

ボジョレーを生まれて初めていただいた。もちろん、味はよくわからんけど(薄口ですなーと口にすると笑われそうだ)。
畑違いの「求道者」に、いろんな刀を見せてもらうのは、本当に楽しい。

ところが、専門家の世界はどんどんタコツボ化して、同じ穴のムジナ同士で寄り集まって、細かな違いでせめぎあっている感じがしなくもない。
中学生と高校生でも、コミュニケーション・バリアがある時代だ。

世代階層間のディスコミュニケーション。
こんな発表でも、まとめてみるかな?
えらそうなことをでかい顔とでかい態度で放言しつつ、実は会員でない「よそもの」なのだが・・・


用心棒ストーカー

at 2004 11/20 12:11 編集

奈良の少女誘拐殺人事件で、GPS携帯が注目されているけど・・・
「GPSのおかげで犯人逮捕」という因果関係がはっきり証明されたわけでなければ、あまり浮き足立たない方がいいのではないだろうか。

犯人だって、携帯がGPSで位置捕捉されているとわかれば、その携帯を通りすがりのトラックの荷台にでも放り込んでしまえば、捜索を撹乱できてしまう。
叩き壊されてパー、ということもあるだろう。

だから、本当に犯罪被害からの助けに使うなら、犯人が気づかないものにGPSをつけるべきじゃないか?と思う。ランドセル埋め込みとか、パンツ縫い込みとか。
英米には、本気で子供の体内に埋め込む手術を考えている親がいるらしいが、身の代金を確実に狙われる資産家なら、そんなこともしたくなる事情はわからなくもない。

いまも、卑劣な犯人は、ニュースを聞いて、「お、ここまで調べがついてるか」と潜水艦ゲームのように自分の追っ手の動きを読んで楽しんでいるかもしれない。
被害者のご冥福を心から祈るばかりだ。

いっそ、バカ正直な報道はやめて、「東と北へ捜査員を重点配置」と報道させておいて、実は西と南で重点捜査している・・・ような作戦も展開したらいかがかと思う。それぐらいのウソ報道は、効果出れば文句は出ないだろうし。

どんな結果に終わるとしても、今回の事件で「GPS携帯」の認知度は上がり、徘徊老人や徘徊児童、徘徊亭主や徘徊マダムがいる家族には普及するかもしれない。
犯罪予防の地道な方法は、足跡の監視である。
・・・となると、ストーキングと紙一重にも見えるけど。

誘拐された女の子を日常的に「追尾」していたストーカーが、警察より正確に犯人の居所をキャッチしていたような場合、情報提供したストーカーは、非難されるのだろうか、感謝されるのだろうか。


デュアル・レース

at 2004 11/19 11:01 編集

ボジョレーボジョレーボジョレーボジョレー
と、「ワインにうるさいワイン音痴」のばか騒ぎは、あいかわらず絶滅しない。
「解禁」だなんて、大げさな騒ぎにしなくても「発売」でええんじゃないですかい!?と思うけれど、「禁」の字に弱いのか?浮世の浮かれびとは。
ま、藤原紀香の体も鈴木京香の体も「ワイン組成率」が上がるなら、よろしいとしよう。
次は「失楽園」ですね、左近警部!てな声もあがるかな?

ワインがさっぱりわからない僕がきのう気になったのは、ボジョレー解禁ではなく、ローソン9000店舗で、宅急便の扱いが終わり郵便局に代わってしまったことだ。「コンビニゆうパック解禁」てか?

ただ、コトは単純ではない。
ゆうパックも扱って、並行受け付けしようとしたローソンに対して、「ゆうパックと並べると不正競争で独禁法違反!」とヤマト運輸が怒って撤退したそうだから、感情的というか・・・競争してみればいいのに、とも思うが。

僕は郵政族の御曹司(笑)であるから、郵貯・簡保・ついでに文通大好き人間だが、これからの季節はヤマト運輸が毎年頼りになる。スキー宅急便は、たのんます!明日の朝すぐ使えますように!とむちゃな発送をしても、ちゃんと届けてくれるから。

スキーのゆうパックが最近できているようで、ははぁ、これは露骨にヤマトを追撃するサービスだな、とわかるが、さて実績のないスキーやゴルフのスピード配達は、うまく行くのだろうか。
「ヤマトが信書のメール便でわしらの客を奪っとるけん、スキー客はゆうパックがいただくからね」というわけだろうか。
もし、ヤマトが返す刀で「メール便ポストカード」なんて露骨に始めれば、郵便局も燃えるかもしれない。

似たような闘いは携帯業界にもあった気がする。ドコモの家族割り引きが、有利すぎて不正競争だ!と他社がかみついたのだが、結局うちもうちもでファミリー割り引きを導入したのではなかったか。
使える手を先に使われて、くやしまぎれの告発というのは見苦しい。

いいサービスが勝ち残る。
ヤマトも郵便局も、スキー競争がんばってほしい。


QR

at 2004 11/18 12:55 編集

QRコード作成ソフトを、窓の杜からダウンロードしてトライ。
あーら簡単、URLもメールアドレスも簡単なテクストも、一発変換。携帯で撮ってみると、かなり高速で認識してくれる。
いやはやー、便利なもんだにぃ!と、素朴に感心してしまった。

そういえば、どこかのデパ地下で、魚の産地表示をQRコード(商標のせいか二次元バーコードなんていうらしいが)で包装に貼りつけて、知りたい客は携帯で読み取るようになっているとか。

デパ地下で、カメラつき携帯を使いこなせる客といえば、奥様がたしかいない。
てことは、当然、「このタラは釧路沖で第18武蔵丸が捕りました」という表示以外に、いろんな情報を付加価値できるわけだ。
「本店に、長瀬君がつれたか丸で釣り上げたマグロが入荷!QRコードで表示!」てなキャンペーンをやれば、氷川きよしから浮気したオババまで、カメラつき携帯を手にウヨウヨ・・・ということにならないだろうか。
QRコードで、ファンクラブ入会手続きまでやってしまえると、「あら便利ね」という勢いも、なくもないだろうね。
地階に携帯ショップも併設すればいい。

QRコードは一種の暗号だから、何が書き込まれているか肉眼ではわからない点を、チャンスととらえる商人と、要注意だという良心の木鐸がいるだろうと思う。良心の木鐸のような顔をして商機だぞフフフとほくそえんでいるやつもいる(ワタクシか?)。
読み取ったURLに「接続しますか?」と確認メッセージは出るが、URLを見ても自分の求めている情報のページなのか、広告ページなのか、アドレスや番号を抜かれてしまうメタタグが埋め込まれた地雷原のようなページなのか、わからない。

あぁ、こんなこと書くこと事態、まずいかも・・・。
この3つをチャンポンにしたページをつくってQRコードで読ませれば、「だれでも裏マーケター」になってしまうんだから。


コリン!

at 2004 11/17 15:54 編集

政権が代わったわけでもないのに、パウエルさんもアーミテージさんも、辞職してしまった。
パウエルさんはハト派の軍人という変な人だが、この人こそ黒人初の大統領になればいいと思う人格者だ。ブッシュ政権にいたのが何かの間違いだろう。
イラク侵攻の大義であった大量破壊兵器が、結局なかったことが公認されたとき、いかにも満面全身で苦虫をかみつぶしたような記者会見をしていたパウエルさんは、気の毒なほどだった。
さぞかし「だからやめとけって言ったでしょ大統領!」という気分だっただろう。
ひそかに「ケリー勝て勝て」と祈っていたのかもしれないが、運悪くバカ殿様が再選されてしまった。大量破壊兵器がなくても、大量破壊平気な第2次ブッシュ政権に、「もう、ついてけんわ」とさじを投げたのかもしれない。

しかし、パウエルも片腕のアーミテージも、政治家をやめたらハリウッドで活躍してほしいと思ってしまうキャラクターの持ち主だ。マイケル・ムーアは働きかけないのだろうか。
フランスのミッテランも美しい老年だったし、英国のチャーチル首相は、オーソン・ウエルズも霞んでしまう存在感だっただけでなく、ノーベル文学賞をとった。
もちろん我が国でも、あの「眉毛の元首相」は、劇団で全国行脚していると似合いそうな味があった。背景の団体はともかく、現政権の神崎武法さんも、なかなか眼光するどくてかっこいい。
ポマードの元首相みたいに、「ボクってダンディーといわれてるんだけど、映画の話がこないかな」といいたげな勘違いさんもいたけど。

名残り惜しく去る散り際の美学みたいなものが、サムライの国にはなくてアメリカにあるのも、妙な感じ。
いや、サムライの美学もヨーロッパの文化も貪欲に吸収してユニバーサルな社会を創ってきたアメリカだから、叩かれるのではないか。アルカイダだって、ハマスだって、インターネットやジーンズは突き放せない。
アメリカの中にも自国文化があって、自国文化の中にアメリカ文化が普遍化された形で一体化している。

別にアメリカにかぶれて「これぞグローバル・スタンダード」というつもりはないが、共和党と民主党の違いぐらいは理解した上で、反米か親米か、旗色を決めた方がいいと思う。


平等幻想

at 2004 11/16 17:12 編集

「社会成層の話」を終えてから駅構内を歩いていて、ペットボトルをごみ箱に捨てようとしたら、かなり泥まみれの、ボロ布をまとったような初老のおじさんと接触しかけた。とっさに、おじさんは「すまんね」といいたげに合掌して、ゴミ箱あさりをはじめた。
妙に、「いい人」に見えた。合掌に打たれた。

傲慢な中年、尊大なエグゼクティブ、傍若無人な若者、無修正なガキは掃いて捨てるほどいる陰で、スローに(?)生きているゆとりなのか、ひっそりと善良に暮らしている老人もいる。

ついさっきまで、「人の世に序列はつきもの」という話をしたばかりだった。
20代の男女にとって、人間の序列は見えているのだろうか。どんな意味を持っているのだろうか。
服を着ても脱いでも、序列はつきまとう。「裸のつきあいは平等」なんてウソである。風呂場で権威をふりまいている男は実際いるし、藤原紀香に勝てる庶民などおらん。

序列のない社会はない。なのに、この国では「みんな平等」幻想があって、結婚するには家格が、企業には社格が、学校には偏差値が、厳然と存在して影響力を放っている。
あるものを、ないように見せるトリックこそ罪悪ではないか。

労組に首をつっこんでみると、「立場が同じ労働者同士、連帯しよう」といいつつ、権力を持とう指揮しよう脚光を浴びようとするヤカラがいて、なにサマかになりたがっている。あさましい話だ。

不平等や格差は、あっていい。というか、あることを前提にして、「私に合う教育、医療、福祉、仕事」を求めるべきだろう。現実にはまったく逆で、「これがあなたにぴったり!」とお仕着せられている。

つまり、もの言わぬ柔順な大衆が、勝手に序列化されて、A・B・Cだとか甲・乙・丙だとか松・竹・梅だとか、札をつけられているようにも見える。
この札をつける立場は、やってみると蜜の味で(笑)、格づけ願望を沸々とたぎらせている小市民が増えているような気もする。
うまいラーメン屋のランキングとか、本の売れ行きランキングなんて、一人一人で勝手にやってればいいだろうに、なぜ見ず知らずの大衆がつけたランキングが気になるのか、不思議でしかたない。
もしかして、格づけされている庶民の屈折したリベンジなのか?
やってて空しくならないのだろうか。

格づけを遊ぶ名人はシーナさんだ。
「あや探」メンバーと、「忘年会と新年会はどっちが偉いか」「露天風呂と混浴風呂はどっちが偉いか」「ソースとしょう油はどっちが偉いか」てなバトルを、あーでもない・こーでもないと座談会で闘わせている。健全でいい。

いま僕は、マヨラーのコ娘どもの連合軍に立ち向かって、ほとんど負け戦になりかけながら孤軍奮闘している。しょう油>ソース>マヨネーズというのが僕の格づけなのだが、マヨラーのキテレツというかトンデモというか革命的な味覚は、食文化なり作法なりを木っ端みじんにぶちこわす破壊力を持っている。
階層化だ序列だ格差だという問題は、コップの中の嵐でしかない。


祝のりぴー

at 2004 11/15 15:19 編集

はなはだしい他人事ながら心配していた紀宮さまが、めでたく婚約内定。
お相手はクルマとカメラが趣味・・・とまぁ、マニアックなところはなんだか「実のお兄様がた」と通じるところがあって、なじみやすいのではないだろうか。
紀ちゃん自身も鳥類研究所勤めらしいから、鳥マニア鴨?(駄洒落やってる場合ではない)と思うし、亡きおじーちゃんは魚類マニアだった。

あの一族と同じ一族が平民界にいたら、その道を究めて学者やエンジニアにならなければ、オタク一家といわれるのが落ち。
それに、高貴なご一家がオタクであってオタクといわれないのは、政治や経済や宗教の匂いがないタコツボの中にけなげに没頭しているのが無難だから、というシナリオもあるのかもしれない。
某クルマ好き殿下が、「三菱のリコール隠しには心を痛めた次第です」などとポロリ発言しようものなら、会社はガラガラと崩れてしまうだろう。

オタク夫婦というのは、ひとつの理想かもしれない。
スキゾイドとパラノイドは、永遠に理解しあえないかもしれなくて、愛情でカバーできるものだろうかとも思う。
夫婦のもめごとの2大原因は「金と性」らしいが、「趣味の不一致」も哀しい。
極端な話、コレクター夫と、なんでも捨てるのよ捨てるのよ思い出はゴミよ!と捨てまくる辰巳渚(野口悠紀夫教授にいわせると恐怖感しか覚えない、文化の破壊者)のような妻は、別居通い婚でもしていないと、ストレスがたまる一方ではないだろうか。

でも、スキゾイド夫婦はそれはそれで、「こんな蝶の標本、気持ち悪いから捨ててよ!」「おまえこそ、集めているヨンさまグッズどうにかしろ!」てなけんかをしてたりするのだろう。
これもシリアスな亀裂になりそうな気がするが、「あんな趣味、わっかりません」と放ったらかしの方が、楽でいいのかもしれない。その代わり、子供を洗脳するのか?(笑)

我が家など、男3兄弟はみごとに父親の趣味を3等分して受け継いでいるから、男文化で成り立っているような親子仲だったが、理想をいえば一生続く「夫婦の文化」がまずあった方がよかったような気もする。
趣味の世界は、「ひまつぶし」「道楽」ですまない深い絆になると思う。
高貴なオタクも、がんばってほしいものだ。


スイーツ波止場

at 2004 11/14 14:25 編集

うちの真南にある岸壁で、またゼネコンに公金をばらまく工事をやってるなぁと思ったら、住み着いていたホームレス(ホームはなくてもビーチに定住してたわけだな)55人が退去させられたのだそうだ。
ピカピカの公園を造るから、目障りだということか。

この浜は、ほんの30年ほど前には、香港やマカオのように船上生活者が湾をうめていた風情のある光景が、僕の記憶に残っている。
コンテナヤードの開発で、はしけ船が用済みになり、港湾労働者は離職・転職対策で消えたかに見えたが、海に名残りのある男たちは、浜から離れられないのかもしれない。

ホームレスが全員かつての港湾労働者の離職対策とは限らないが、それにしても「ご無体」な気がする。
中突堤を昔から見続けていると、未来が見える港湾対策が施されているようには見えない。公園整備というのが建て前になっているが、その前からメリケンパークを造成して、ど真ん中にある博物館は閑古鳥が鳴いて大赤字。自然の魅力にあやかってはいるが、神戸市の公園経営それ自体は、成功しているように見えない。
ホームレスの雇用対策に失敗し、公園造りに失敗したのでは、0点ではないか。

なのに、また「公園再整備」だ。
お台場のようなのを造ろうとしているのか、それとも別物か、さっぱり未来図が浮かんで見えない。

役所が無能無策でも、「おしゃれな神戸」に浮かれて税金を貢いでいる納税者が、無能無策を追認することになってしまう。どうせなら、いい対案を出さないと、痴呆自治体になってしまう。ゴリ押し市営空港など、市民一人あたり借金500万とも1000万ともいわれているし。

三宮という都心にない元町界隈の魅力は「海の近さ」だから、フィッシャーマンズワーフも1つの目玉になると思う。なんなら経済特区にして、中国の料理人が自由に腕をふるう場にすれば、南京町と南北につないで大中華街になるかもしれない。こんな街にこそ、ここ出身の某東京都知事をスカウトして、市長になってもらうのもおもしろい。「第三国人」と対決してもらおう。

そもそも日本人は、あまり何もない公園で、もの静かに無為自然を満喫するような文化は持っていないようだから、「うまいもの」がてっとりばやく人を引きつける磁石になると思う。
こてこてのグルメブームは、バブルの遺産みたいな発想だから、「なんの変哲もない日常グルメ」のメッカができればうれしい。

横浜カレーミュージアムの類の「食のテーマパーク」が今のはやりだから(ほとんどナムコが企画しているのはすごい)、ここは「パンとケーキの波止場」でどうでしょうか、ユーハイムさんゴンチャロフさんモロゾフさん神戸屋さん!あ、ついでに(失礼)UCCさんも。

かつて吉田茂は、フロインドリーブのパンを、新幹線以前の東海道特急で、神奈川県大磯の家に運ばせていたという。こんな「聖痕」のついたご当地グルメで、神戸は復活してほしいものだ。


ファースト・バイク

at 2004 11/13 11:05 編集

まるでこのごろ「のりもの命」月間だ。
いや別に乗り物にこだわっているわけではなくて、乗り物に命が宿っているような妄想状態(笑)。

なんの用事だったか記憶にないけれど、ゆうべ遅く外に出てみたら、近所の駐車場で男の子が自転車を乗り回していて、両親らしき二人がそばに立っている。
自転車が、街灯でぴかぴか光っている。
ぴんときた。
パパが愛息子に買ってきて与えたばかりの自転車の「試乗会」だ。
うーん、わかるわかる、この子の気持ち。たぶん、男性なら「初めての自転車」は強烈に思い出に残っているものではないだろうか。
どこにでも行ける翼か、魔法のつえをもらったような、もううれしくてうれしくてしかたない夢のような日々が数ヶ月は続くものだ。

新しいペットが家族に加わったときも、寝る間を惜しんで遊んで、学校からは一目散に帰宅して、心がつなぎとめられているような感覚があって、そこは自転車と似ているかもしれない。
この、伴侶のような感覚は、やはり服を買ってもらったとか、ファミコンを買ってもらったというのとは別種のようなものではないだろうか。僕の幼い時代には、ファミコンなどなくて、野球盤ゲーム全盛期だったし。

もう少し成長すると、この「いてもたってもいられない感」は、単車やクルマに置き換わって行くものかもしれない。磨きまくったりいじくりまわしたり改造してみたり・・・(笑)。
あいかわらず、自転車に油をさしたりディレイラーを掃除したり空気圧を計ったりしてかわいがっている僕は、小学生から進歩していないのかもしれない。

疋田さんというTBSディレクターが、自転車にツーキニストと称して入門書をいろいろ出しているが、彼の原初体験が、中学時代に父親と一緒に行ったキャンプ・ツーリングだそうだ。
泊まりがけツーリングは、僕も中学時代に友人と行ったし、そのころの中・高男子の「標準体験」みたいなものではないだろうか。
そこに、父親がかかわれるというのはすばらしい。
ものを買い与えるだけでなく、一緒に遊べるとか、使いこなしてみせる姿というのは、父親が息子に残せる無形の宝物になると思う。我が家では自転車よりスキーとスケートだったが。
せっかく買ってもらった自転車に、すぐ飽きてしまってもいい。
なにか残るものがあれば。


脚本

at 2004 11/12 15:53 編集

家が生き物に見える流れで、上越新幹線ときの車両も、無残に横転した姿を見ていると「早く助けてやって」とヤキモキする日々だった。
やっと撤去され始めたニュースを聞くと、「よかったよかった」と思いつつ「撤去とはなにごとだ。救出といえ!」と憤るのは、まぁアニミズムのような感情かもしれない。

ベンツがクラッシュして、たとえ運転手が死んでいても悼む気持ちがわかないのに、船が座礁しても、飛行機が墜落しても、ただの乗り物を越えた生き物のように見えて心を痛めてしまうのは、屈折しているのか、冷酷なのか・・・。

でも、イルカが高知の施設に戻されて、仲間のイルカが懐かしそうに再開を喜んでいました!なんてニュースも、「たいがいやなぁ」と思う。ごよ陽気な日本人の頭の中で、人を襲っているクマと「プーさん」は、疑問矛なく共存共栄しているようだ。
イルカのホンネだって、「よう、脱走失敗で連れ戻されよったか」「そうなんだよ。和歌山はいい人に遊んでもらったけどね。だれかに通報されちまったぜ」てなところかもしれない。

ブリンダさん美花さんが「帰国」していることになっているこの日本という国は、事実ではなくシナリオで動いているような気もする。
さすが神話の国である。


オリジナルハウス

at 2004 11/11 15:32 編集

新潟の余震は、本震なみの強さだったようだし、いつ終わるともわからないから、被災者の心中を察すると胸が痛い。そんな立ち話をしていた大家さん(まるで奥さん生活やなぁ)も、阪神大震災後は何ヶ月か屋根にブルーシートを張っていたのを思い出す。

持ち家族と賃貸流民とで、意識の違いは大きいと思う。
我が家が地震や水害や戦争の真っ最中にあれば、とりあえず遠くに疎開して保護してもらうというのが安全第一な判断だろう。「なんで危ない場所にいるの」と、責めのモードになっていたりするのは危ない風潮だが。

持ち家だから動けない、という理由もスッキリしない。
修繕するどころか、次の余震でおそらく全壊してしまうだろうと素人目にもわかっていたとしても、機会があれば立ち寄って、崩れ行く我が家に寄り添うような感覚は、なんとなくわかる。
崩れ行くからこそ、いとおしい感じがするものかもしれない。
「廃墟の美学」などと風雅なアート感覚を持ち出すつもりはないが、廃墟が美術のモチーフになってきた歴史は、たしかにある。
写真家の宮本隆司さんが、阪神大震災をモチーフにした作品をベネチア・ビエンナーレに出展したとき、かなりのためらいがあったそうだが、この創作・表現動機と抵抗感が、芸術そのものだとも思う。

震災後の選挙活動手伝いで激震地を回ったとき、すっぱり「断面図」と貸手いた木造家屋から家具や布団がこぼれ落ちて、家庭の匂いがたちこめている界隈を歩いたとき、倒壊家屋でも住む人を待っているような気がしたものだった。

多木浩二さんのいう『生きられた家』というのは、ただの生活空間ではない、そこで自分が育って、子供を育ててきた「自分の分身」のようなものだろう。
「人が家を造る」反面、「家が人を創る」面も、たしかにあるように思う。
だから、独居老人→孤独で危険→家族か施設へ
という発想は、大事なところが見えていない。家とともに生きて死ねたら、それはそれで幸福なのだと思う。

仮設住宅の入居希望者が多くて急造しているようだが、愛着がわくような「カスタマイズ」もできた方がいい。
被災者という規格にはめられない個別の去援が、本当の人間の復興になるはずだから。


くじらはいるか?

at 2004 11/10 16:47 編集

和歌山の漁港に迷い込んだイルカは、全国ニュースでは「自閉症児のケアのために大学で飼育されているのが、迷い出た」ということだった。
大阪のローカルニュースでは、「芸達者なイルカが迷い込んで、愛嬌をふりまいています」というホノボノ系で報道されていた。
ええなぁ、関西風味のニュースは。

しかし、合図をしてイルカを回したり飛ばしたりして楽しんでいた漁師さんも、「おーい最後はまな板に乗れ〜ぃ」と念波を送っていたかもしれない。捕りたくても、クジラがなかなか捕れないから。

このイルカが、もし人の足だけをくわえてかわいらしく愛嬌をふりまいていたら、サメと同じ扱いをされるかもしれない。

いろんな動物が、物語や政治や宗教(あ、みな同じか)の力で神聖視されたり蔑視されたりして、食べられるもの/拝まれるものにふるい分けられる。
クジラは「うまそう」と食欲がわくのに、イルカは「かわいい」だ。差別しちゃいかん!
神戸市内に(県庁の近くのわが家近辺でさえ)出没するイノシシになると、ボーダーラインかもしれない。ぼたん鍋が思い浮かぶ人と、飼い犬の延長に見える人が半々ぐらいで。
僕は牛にも羊にも豚にも食指が動かないが、ピチピチとうろこを輝かせる魚には食欲100%だから、べジタリアンからは責められるかもしれない。

「食べたい」と「食べてあげたくない」の境目は、宗教色のうすい日本では、けっこうグレーでわかりにくい。野生動物にしてみれば、「俺たち大丈夫やろか」と不安だろう。「ハイ、あなた食用」「きみは愛玩用ね」とレッテルを貼られた方が、開き直れるというものだ。

しかし・・・
日本の婦女子の脳に満ち満ちている「キャー、かわいい!!」という感情は、神聖視しているのだろうか、バカにしているのだろうか。


毛だよ毛!

at 2004 11/09 16:10 編集

短い間でも雄大な自然の中山遊んでいると、大ざっぱというか、アバウトというか、「テキトー」になってしまうのに、一夜明けて「通勤電車の世界」に戻ると、妙にナーバスになってしまう。
今まで、電車の中で化粧する女性客というのは気にならない方だったが、今朝となりの席に入ってきた「かろうじておねーちゃん」は、櫛で紙を梳きまくっていた。逆光で、そりゃもういろんなものがあたりに降り注いで、撒き散らされているのが見えてしまった。ウゲゲゲゲッ・・・

自分の出した排泄物さえかたづけない、この厚かましさは、どういう知能構造の産物なのだろうか。
まぁ、僕も山の相棒も、山に行くとそろって「有機肥料」を原野に埋めてくる部類だから偉そうなことはいえないが、ちゃんと紙を焼却して、一緒に埋めておるわい。

ブラッシングで捨てる髪の10本や20本、どってことないオバ・・・じゃないおねーちゃんもいるだろうが、こういうのが男の部屋に騒動の種を蒔いて行くんだろうなと思う。
逆に、ややこしい=別れにくい彼女に、向こうから別れ話を切り出させる手というのも、昔から(か?)語り継がれている。彼女宅のトイレを使って流さずに出て、「あれ?うっかりしてた」とやれば、2〜3回でケリがつくそうだが。
髪の毛1本で男の人生を変える方が、上手ということかな?


ゆびとま八ヶ岳バージョン

at 2004 11/08 22:33 編集

好っきゃな〜と呆れられた秋の八ヶ岳に、今度は相棒をかどわかして同行してもらった。新車で遠乗り試乗したがっていた(のか?)ので、ちょうどいいタイミングで犠牲者になってもらった。
持つべきものは、陽気で頼もしい山仲間である。

ちょうど1年前に赤岳から西岳へ縦走したので、今年は赤岳から北上しようと考えた。何度か歩いたコースで土地鑑もあったし。
そうして「冬山の構え」で出かけた八ヶ岳は、拍子抜けするほどポカポカ陽気で残雪もごくわずか。そのかわり、紺碧の秋空から降り注ぐ紫外線は強烈だった。南八ヶ岳の最高峰から北八ヶ岳の最高峰まで3日間かけての縦走は、ずっと好天に恵まれて、冬期休業する前日に泊まれた小屋ではタラノメの天ぷらが食べ放題だったし、こんなに幸運つづきでいいんでしょうか!?と後ろめたくもあった。

紅葉は終わっていたようで、今回のハイライトは極上の夜空。
もう店じまいしかかっていて暖房がほとんどない寒い部屋で、相棒と「おんなじ寒いんなら、外出てみよっか」と夜中の稜線に出てみた。
息を呑んだ。
星くずのすきまに宇宙の闇があるかと思うほど満点の星に圧倒される。オリオン座の中にも、これだけ星があったかと思うほど。
天の川も、細くたなびいて流れている。数分に1個の割合で流れ星が見える。
あぁ、宇宙の塵になった二人・・・オイオイ野郎二匹だって。

この八ヶ岳という山は、不思議に行くたびに印象的な出会いのあるミステリー・スポットで、今回もオドロキの出会いがあった。
温泉小屋に泊まりたいな〜と相棒がつぶやくので予定変更しようとしたら、あいにく温泉宿に携帯がつながらず、元の予定コースに軌道修正。これが、思わぬハプニングにつながったのであった。
2泊目に泊まった小屋で夕食後、ストーブの脇で相棒と酒を呑んでいたときのこと。となりに居合わせた若い夫婦と話がはずんで、話を聞いていると(というよりマルシア似の若妻のご陽気さが炉端談義に花を咲かせてくれた)、なんとまぁ、奇遇の極みのような素性が判明したのであった!

「彼は関東人ですけど、私は神戸出身なんですよ」
「おやまー、ワシら二人とも実家が神戸で・・・」
「あら、そうなんですか!私は西の端っこの区で・・・」
「ワシも一時、押部谷という町に住んでたよ」
「えーっ!!うちは先祖代々、押部谷ですよ。もしかして、小学校は・・・」
てな調子で、とんとん拍子で同窓生だったことが判明。
そういえば僕の同級生にも、マルシアの旧姓と同じ姓の友人が何人もいたっけ。みんな身内ではないか。
いやはや、世の中せまいのか広いのか。神戸から遠く離れた信州の、しかも観光シーズンをはずした日曜夜の山小屋で、まさか「生ゆびとま」が演じられるとは夢にも思わなかった。
あとはもう、地元の山や川で遊んだ共通体験が、話の泉のように湧きあがって、あっという間に消灯時刻になってしまった。
マルシアは、「一緒に写って下さいっ」と、内気そうな旦那にファインピックスのシャッターを押させていたが、これが禁断の赤い糸(笑)にならなければいいが。

もう晩秋の八ヶ岳が年中行事になりそうな気配だが、来年はどんな出会いがあるのだろうか?と、鬼が笑いそうな期待を胸に、「助手席で高イビキ」しながら関西に高速帰宅したのであった。


諏訪

at 2004 11/06 05:37 編集

大阪から5〜6時間で諏訪サービスエリア着。早いなぁ。
街あかりが映える暗い湖面を眺めながら、うーん八ヶ岳登れるんやろか・・・と不安の影。
天気はいいし、頼もしい相棒もいるのに。
夜行運転してもらって快適にうたた寝させていただいて、バチが当たりそうだ。
ま、できるだけ八ヶ岳案内人を務めるとするか。


わがアラブの親父よ

at 2004 11/05 19:52 編集

3時間の空き時間を、いつもの喫茶店で過ごしていた。新聞15紙を読みながら(休憩になっとらん)。
ケーキを手づかみでパクついている「ケーキセットのサラリーマン」に圧倒される。

ムネオが実刑判決。
アラファトが危篤。
いろいろ毀誉褒貶はあっただろうが、強烈なパッションを持った政治家が、次々に第一線を退いて、「歴史上の人物」になってしまうのは世の無常だろうか。
ムネオもアラファトも、妙に親近感を感じてしまう。
特にアラファトは、わが恩師と兄弟ではないかとにらんでしまうほど、そっくりなのである。反・帝国主義の立場も。

アラファトの最期はフランスが看取ることになるのだろうが、こういう懐の深さは、さすがヨーロッパの古王国だと思う。「米帝」にいわせると、テロをかくまう困った古老と映っているのかもしれないが。
日本に直接の関係はないかもしれないが、アラファトの後継者の顔が見えないのは、少し寂しい。
落合監督が、「おれ流アラブ」を統治してみたらどうだろう?
強引なソックリこじつけだが。


ナマラジオ

at 2004 11/04 14:42 編集

新しく買ったレンジローバー(ということにしておこう)で「八ヶ岳に行きましょう!」と送迎を買って出てくれたありがたい話を聞いていながら、自転車でころんでひざを強打。ズボンに血がにじんだ。
今日当たり大きく腫れあがって、とても登山できる状態にない・・・という不幸は避けたいところだが、なんともいえない。

納車とか新車選びの手間は僕にはわからないが、あれこれオプションも選んでつける必要がある・・・というか、家電メーカーとクルマメーカーが結託していろいろ買わせるしくみになっているのかもしれない。
だから、「ラジオもついてないので、家からポータブルのを持ってきて鳴らして下さい」という注文には笑えたが、「家のラジカセを持ち込んで使うからカーオーディオいりません。10万円まけてね」というわけにはいかないのだろうか。

よーし、未装備の新車なら、「今ならこれがトレンディ!!」と焚きつけて、広帯域レシーバーでも装着してもらおうか。朝鮮中央放送やらコードレス電話やら盗聴マイクやら、いろんなものが聞けてしまうスペシャルラジオを(笑)。

新婚の好青年の新車に、何を装備するか悪知恵をめぐらせるのも罪な話だが、ビールをかっくらって熟睡してしまいそうなワタクシだから、助手席で楽しめることを何か工夫しなくてはいけない。
困ったことに、「目のさめるトークをよろしく」と注文がきているのに、シモネタしかしゃべるあてがない。乙女二人なら、一生かかっても尽きないおしゃべりで延々もつだろうが、まさか「ケリー敗因の分析」なんかこねまわしても、しかたない(また、話せないし)。
野郎二匹で夜通しシモネタというのも、ねぇ・・・。


自己嫌悪散歩

at 2004 11/03 18:16 編集

本日は、何か文化的なことをせんといかん。
と思い立って、午後3時になろうかという時間に、裏山散歩へと発進した。勝手に、地元のフォンテンブローの森ということにしている(笑)界隈へ。

ふだん家から15分かかるビーナスブリッジに10分で着いて、うぬ、なかなか快調ペース。さらに20分で錨山を通り過ぎて、落ち葉が降り積もる山道をかけめぐる。
まだまだ紅葉には早いが、湿った落ち葉の香りはいいものだ。
通り過ぎるハイカーと「こんちわ〜」とあいさつするたびに、「こんな時間から登り始めるのは非常識ではないかね」てな視線を感じる。
手ぶらだし、いかにも山をなめている身なりかもしれない。地図とコンパスとGPSとLEDライトは持って歩いてるけど。

そもそも、雨だろうと夕闇だろうと、僕は動揺しない。
夜はやがて必ず明けるし、森は夜にこそよみがえる感じもする。
大雨に散々な目に遭った被災者はお気の毒だが、雨は天からの贈り物みたいなものだ。
だから、おおげさな完全防備で雨を毛嫌いしている登山家も増えている山で、ザックカバー何千円なんてのをつけて得意げに歩いていたりするのを見ると、大自然が好きですといいつつ本当は嫌いちゃうか?と疑ってしまう。まともなザックは防水されてるし、ゴミ袋でもかぶせておけば万全だろうに。
晴れの日の方がだんぜん多いんだから、たまの天からの恵みだと思って、雨も雪もあられも楽しもうよ、という気もする。

とはいえ、雨がぱらついてきたので、コースを街寄りにたどって、北野異人館街に下山。お湿り程度の雨は、森の中だけだったようだ。
これしきの天気で、すぐ下山するヘナチョコ男は、あんがい安全かもしれない。
下山して家でひと風呂あびると、あー極楽極楽。
結局、今日もただの軟弱な散歩やったなぁ。


監督も選挙!

at 2004 11/03 13:04 編集

大統領の州ごとの選挙人投票が、こと細かにNHKトップニュースになるこの国がまちがっているのか、ただNHKだけの浮き足なのか。
ただ個人的には手嶋龍一ワシントン支局長はインパクトが強いなぁと感心する。こんな「顔のある外交官」がいたら、外交交渉でも一目おかれる日本の顔になれると思う。
アメリカ人が、本当にジョージ・アルツハイマー・ブッシュでいいと思っているのかどうかは怪しいが、「決定打」が見られないもどかしさは、日米両国民とも同感ではないだろうか。

ケリーなんて――悪い人ではないだろうが――今までの知名度ゼロだった陰気な政治家より、親父の七光りであってもブッシュが有利なのはしかたない。なんせ太平洋戦争で日本と戦っていた空軍兵のリベンジを、「訪日嘔吐」で返した親父である。
そのバカ息子なら、米軍兵をテロとの戦いとやらで何千人でも何万人でも使い捨て続けること確実。米帝と戦っている(らしい)平壌の将軍様と変わらない。あんたら、合わせ鏡のような仲ちゃうか?

大統領選の決定打は、やはりヒラリー大統領だろう。
不適切な旦那はハリウッドにでも出向させて、右腕には、平和の使者として老いて世界を駆け回っているカーター元大統領で決まりだ。

かたや日本では、永田町の村議会はどうでもよろしい。この国は霞ヶ関が動かしているのだ。
決定打は、やはりタイガース掛布監督、バース二軍監督でだれも文句はないだろう。
しかし。
なんだか、かの国の大統領論争に対して、野球の監督ぐらいしか論戦ネタがないこの国は、哀しい。


新札

at 2004 11/02 14:39 編集

月曜日で1日というキリのよさ、新札発行、兵庫県内で神戸市に次ぐ面積の丹波市誕生、年賀状発売・・・とばたばたニュースがあいついだ。なんだか、慌ただしい。
新札は20年ぶりだそうだが、ほんまかいなと思うほど、聖徳太子のイメージが強い。いいキャラクターだと思うがなぁ・・・。
福沢さんは変わってないから、さぞかし早稲田関係者は積年のもどかしさを募らせているだろうと思うし、僕なんぞ文学音痴だから樋口一葉と与謝野晶子が「キャラかぶり」していて、どうもぴんとこない。
お札キャラクターといえば、清少納言か紫式部かの案はどこに消えてしまったのだろうか。
あの2人も、キャラかぶりしてしまう感じがするから、いっそアッと驚くエキセントリク・キャラとして、扇千景ぐらい新札に刷りこんでおけばおもしろい。
手元にいてほしくないから、買い物を促す効果が抜群ではないだろうか。

取引を活性化するにも、キャラクターが使える。
ライバル・キャラといえば、福沢とくれば大隈重信が考えられるし、なんなら万札はご両人を半々使えばどうかと思う。
レアな2000円札には、赤穂浪士の四十七士シリーズか新選組シリーズ、千円札には白虎隊シリーズを刷り込めば、トレカみたいなコレクターズ・アイテムになる。神戸市民としては平清盛を推したいから、源頼朝をライバルに立てて源平合戦シリーズ紙幣もいいと思う。
おっと、これでは紙幣が流通しないか。




at 2004 11/01 18:14 編集

午後のお茶をしていたら、斜め向こうの席に親子3人連れふうが座って、なにやら神妙な空気。
親子ではなく、どうもなにかの組織をやめたいという坊主頭の青年と、ひきとめ役の「元青年部長」ふうオジサンと、「婦人部長」ふうオバサンであった。
指をつめろ云々の殺気も感じないこと、久本雅美ふうの押しの強さもないこと、ミンセイというフレーズから、「ははー、あの政党系か」と納得した。
求心力が低下して、オルグも引き留め工作も、どうも力が弱いご様子だ。

いや別に励ますつもりはないが、かといって警戒するつもりもない。
ただ、福祉(説得されているのは保育士クンのようだった)コンシャスな、もっとスマートな説得のしかたもあるだろうにと切歯扼腕・・・いや別に党員でも党友でもないつもりだが、勝手に拳をにぎにぎしているワタクシは何者だ?
アカでも緑でもなく、かといって与党体制に白旗をあげる気もなく、腹黒いといわれるが腹より頭髪が黒々している健康人間ではあるけど。

それはともかく、もし僕があちらの政党に入党でもした日にゃあ、「乳頭!」とシモネタを飛ばしてヒンシュクをかい、「自由競争大賛成」とぶちあげて共産主義を敵に回し、1日で除名処分されるだろう(笑)。
いきがかり上、ある労組で幹部活動もしている身でありながら、かえって変な面がいろいろ見えてきて、「このままじゃ将来性ないなぁ」と思うことも多い。

いろんな思想的立場はあっていいと思うが、規制緩和・自由競争と、介護保険・国民年金のような共産主義的な社会保障が同居している日本は、「いったいどう生きろっちゅうねん」てな気分にさせられるのも確かだ。
青年部長さん婦人部長さん、おたくの党は、日本の老人の幸せを保障できるんですかい?

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