solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2007年8月の日記
「ぶちます、ぶちます」と二郎さん

at 2007 08/31 23:26 編集

「姫の虎退治」で有名になったジャンヌ・ダルクが、今度は不倫スキャンダル勃発である。
本家ジャンヌ・ダルクは、衣装を投げ捨てて兵士を奮い立たせたそうだが、日本の姫は「禁断の鯉」の現場でプライドも節操も、そしてもしかすると将来も投げ捨てて愛欲にふけっていたようで、あぁ性界失楽園ふたたび・・・!?と畑恵NHKアナの略奪不倫愛を思い出した国民も多かったのではないだろうか。

今のところ姫は仮定を捨てたわけではないし(それはそれで、亭主と子供たちはどんな気分だろうか?)激務の合い間の息抜きでちょっと火遊びした程度、と(本人は)とらえているのかもしれない。
だから、すっぱ抜かれた「ぶって、ぶって!」プレイには愛嬌さえ漂っていて、ただ失笑するしかない。まぁこれぐらいの性癖は犯罪ではないから騒ぐこともないわけで、ほほえましくていいではないか。大人同士の責任において、惚れた別れたで好き勝手にやればよろしい。

国会でも、トゲトゲしい自民党への追及に「あぁ、もっとぶって!言って!」とギャグをかます議員がいたりすると、なごやかな笑いが議場にあふれ、姫はもじもじ、視聴者はムラムラで国会中継が異常に高視聴率をかせぐね。

マスコミだって、倫理を振りかざすより、「で、ほかにはどんな技を?」という方向の取材に努めていただきたい。
ロマンチックな写真が何百枚もあるというから、小出しにすれば、参議院議員のうちはしばらく突っ込まれつづけるだろうね。トーニャ・ハーディングのビデオは下品なだけで醜聞以上のものではなかったが、姫は議員である限り一定の「価値」がある。議員バッジという「箔」もつくし、本人も「好きに書いていいわよ」と承諾している。出るか?DVD(笑)!

まだ姫は「英雄色を好むんだな」と擁護されるほほえましさがある反面、さくらパパは民主党の恥さらしでしかない。1日も早く、自民党にでも売却した方がいい。または、「モンゴルさくらカンツリー倶楽部」の話でもぶちあげて、そっちに「栄転」していただくとか。

およそTVに出なれている人間で、あれほど焦点の定まらない、5秒と相手の目を直視することのなない、うつろで空っぽな目線は、僕は見たことがない。
公認したときから、民主党は「大丈夫か?」と進言されていてようだが、心配が現実になったわけで、トカゲの尻尾さえ切れない組織か、きっちりけじめをつけられる組織かが問われるだろう。
姫の火遊びより、粗暴なゴロツキでしかないおっさんが反省のカケラも示していないのは、もう治りそうにない性癖で、今回をやりすごしても、任期中ずっと民主党はリスクをかかえることになる。

民主党は火消しと身辺警護を「姫」に集中させて、パパは切った方がいいぞ。
個人的な好みで進言するつもりは・・・ありありだが。


産科をやらない医学生を税金で育てるな

at 2007 08/30 22:48 編集

また奈良で、今度は妊婦さんが気の毒にも「たらい回し流産」してしまった。すぐ入院できていたら流産はしなかったか、早産でも子供が助かったのかは、医学的な検証を待つしかないが、救急車に3時間も乗っていたくないわな。おまけに、事故って「代車に乗り継ぎ」なんて考えられない。

人口あたり医師数もG7諸国内で最低水準で、おまけに診療科の偏りと高齢化、大都市集中が主な課題(主なったって、この4つでも解決不可能なほど大問題)のようだが、当の医者の方にも、ベストを尽くしても訴えられるとか、ハードワークすぎるとか、言い分あるらしい。それも、よくわかる。

わかるけれど、医学部に入れば九分九厘医師免許はもらえて、国民皆保険で報酬源は確実に確保されていて、おまけに医療労働市場は鎖国しているから国際競争しなくていい。ちょっと、恵まれすぎていることに気がつかないんではないですかい?と思うぞ。

個人的には、そんなにひどい医者にあたったことがないどころか、恩人ばかりに見えるのだが、国がもっと医師や看護師の人事にイニシアティブを取ってもいいと思う。
なにしろ、国公立大学医学生一人に6年間で2〜3億円もの税金をかけてもらっているわけだ。卒業したら診療科も勤務地も好きに選べるなんてのは虫がよすぎるってもんだ。それなら税金を返せ、となるわね。

だから、医学部はみな防衛医大や自治医大方式にして、卒業したら僻地や周産期の無医地区に配属されるようにすればいい・・・のか、そうすると妊産婦さんが不慣れな新人の実験台になるだけではないか・・・とまぁ、こう考えればそうなる、ああすれば上祐(笑)でうまくいかない。

少なくとも、都道府県立の医大は、そこの都道府県知事が卒業生の配属に条件をつけて、受験の際に確約させればいい。それぐらいは、自治体のレベルでできるはずではないかな?

こんなときイニシアティブをとれそうなのが、某都知事だけなのが寂しい。
横浜市の若い市長さんあたり、市大医学部に注文をつけてみれば、となりの某都知事が「なかなかやるじゃない、いいね、首都大学東京医学校つくるか」と腕まくりしそうで、楽しみなんだか怖いんだか。


絶妙なタイミング

at 2007 08/29 22:55 編集

ハンズメッセで唯一、キー・ケースを買った。
今まで、ビニールレザーの安物に5個の鍵をつけてズボンのポケットに入れていたのが、どうもおみすぼらしくなったというか、汗をかいたときケースも不愉快にじとっとしていた。

それに、男のズボンっちゅうものは、意外とポケットの中に3Dの強い力が加わる。もみくちゃになって、鍵を束ねる安物ケースはすぐほころんでくる。
だから、革製はたのもしい。
真鍮のリングもがっしりしているし、長く使えれば、ますます風合いがよくなるだろうな、と楽しみになる。

ハンズのあとで、となりのエクセルシオールで「夜お茶」をしていたら、不意に大雨が降ってきた。天気予報で秋雨前線がくると予告されていた本格的な雨で、夕立ではなさそうだ。
となりの席の女子2名が「どーしよー」とうろたえている。同感だがね(濡れて帰るのも、夏のあばんちゅ〜る気分で、いいかもしれないよ)。

外の歩道を叩く雨足を見ながら、もう少し雨宿りを続けるか、小降りになったころ「突破」するか、迷うところだ。
幸い、20分ごろしてほとんどやんだのはラッキーだった。いいタイミングですがな。
「次いってみよー!」でコンビニへ。

けっこうたくさん買い込んでレジに並ぼうとすると、0.01秒のタイミングで、前かけ姿の若いあんちゃんが、缶コーヒー2つだけ持って僕の後ろにつこうとした。こりゃ申し訳ない構図である。
とっさに僕は、「お先にどうぞ」と一歩ひいてしまった。
行儀よく並ぶのが原則だとはいえ、自分がガム1個で、カゴいっぱいの客の後ろに並ぶはめになるのは激しく不条理だから、前かけあんちゃんに譲ったのである。

「袋、いらんよ」と缶コーヒーをわしづかみに、小銭でぴったり払って、あんちゃんは「ども」と会釈して去って行った。速い!(若さだねぇ)。

このへんの阿吽の紳士協定みたいなものは、さわやかでいい。
これがケバいねーちゃんに親切にしてしまったりして、「えーとぉ、ストローと、わりばしと、スプーンもつけて。木のじゃなくて、プラの」とかなんとかクチャクチャぬかしてレジで「滞在」なんかされたら、わたしゃ噴火しかねない(笑)。

変に誤解されても不愉快だから、わたしゃ女子には冷酷なゴルゴなのだ。ヌハハハハハハ
紳士の気遣いは誤解の余地なく、さわやかに伝わる。これが甲子園の夏なのである(関係ないか)。


次の内閣、僕のポスト

at 2007 08/28 22:28 編集

新しい内閣の顔ぶれを見て、辛口のコメンテーターでさえ「最初から、こういう手堅い布陣で行けばよかったのに」と批評していた。
僕も同感だ。
顔役専門の役立たずのジジババは一人もいない反面(伊吹文明はちょっと危ない)、弁護士はいる、心療内科医はいる、スキンヘッドの農家もいる、もちろん地方自治や外交の政策通はいる・・・と、安倍学級どころか「安倍村」が創れるほどの多士済々。

インテリが秘めた色香に弱い(アラーキーもそうらしい)僕は、個人的に上川萌えウィルスに感染したかな〜と自覚症状はあるのだが、佐藤ゆかりも野田聖子も放っておけないから、ちょっと忙しい(笑)。

こういう花もあれば岩もあるわけで、コワモテ度がかなり高い鳩山邦夫法務大臣は、内心「長瀬前大臣の10件を超える死刑執行命令を出してやる」と意気込んでいそうではないか。
あの目は、やる気だね、たぶん(汗)。

本気といえば、舛添さんの厚労大臣は、本気度を示す適役人事だと思うが、まちがっても副大臣に片山さつきを充ててはいけない。
まさかとは思うが、でも禁断の誘惑ってやつで、そんな厚労省も見てみたい気もする。官僚の調教は、片山さつきの方がうまいだろうし。

こういう明暗両面(鳩山、さつきが暗というつもりはないけど)の人材が、いざとなったらガラガラポンで出てくるのが、やはり自民党の地下資源のようなものだと思う。民主党は、なかなか党首が人前に出てこないし(笑)、河村たかし(自称)総理は、国会でこてんぱんに叩かれそうで、危ねぇったらありゃせんだがも。
結局、「ハトカン」に次ぐ実力者は、耐震偽装追及の馬渕さんと、社保庁追及の長妻さんぐらいかな。モナ食い細野豪志は、「不倫は文化だ庁」の長官しかポストはなさそうだしね。

もっとも、中曽根康弘や宮沢喜一のような、いかにも戦後政治のパラダイムを担うインテリジェンスを輩出してきた自民党ジェネレーターは、底が尽きかけているとの見方もなきにしもあらず。小泉チルドレンを見ていると、高砂部屋か貴花田部屋が重なって見えるし。

自民党は次の総選挙で瓦解するとの見方もけっこう現実味があるから、その次の内閣は、やはり河村総理を軸に(笑)もっと最強な布陣を見せてほしい。有権者は、もう自民党の次世代には期待していないのだ。

「いや、民主党の人材だって底は浅いではないか」という見方も、なるほどその通りかもしれない。だから、自民党の反主流派や抵抗勢力を取り込んで行けばいいのだ。
「加藤の乱」の加藤紘一さんなど、谷垣元財務大臣と一緒に民主党に移籍すれば、もっと実力を発揮できると思うのだが、あまりにも紳士すぎて、恩義のある古い政党をけとばして出てくる度胸はないのかな。

谷垣さんの知性と愛嬌と人柄には、別にサイクリストだからというわけではなく男惚れしてしまうのだが、こういうスマートな政治家は、公明党や共産党に、ましてや社民党には決していない。
モナ食い細野にならって、辻元清美は安住アナでも食ってみろっちゅうねん。
いや、不謹慎な応援ですな・・・失敬、失敬!


おい、小池!

at 2007 08/27 23:42 編集

政界風見鶏ゆりねえは、何を考えてんだか・・・週明けに内閣改造がわかっているのに、「このたび、防衛大臣を辞任します」って、あらためて自慰を見せなくても、再任されないシナリオは明々白々だったでしょうに。

「(クビになる前に)やめてやるって言ってんだよ!」と吐き捨てる一言も、ちゃんと放送されていた。
そうかですか、任命した総理から首を切るには、「人事の誤り」としてダメージも大きいから、自分でやめてあげて、花をもたせるおつもりだったのかな。

この気配りが、ジジ殺しにとっては自然な腰の…いや身の振り方なのだろう。
サンヨーの会長や通販下着メーカーの社長など、今年あちこちでジジ殺しをめぐるお家騒動が続いた。どれも共通して、はきはきしたショートカットのおばさんに、どこでどうにか麻酔を注射されたオジサンが、あちこちにいるものである。

そろいもそろって、絵に書いたような「女の武器」ムンムン魔女ではなくて、一見けなげに奮闘しているセーラームーン・キャラが、政財界のジジ殺し。
かっ飛んでいるようで実は筆まめ、エロかわいいかと思えば意外に献身的、毛並がいいくせにギャースカと露悪的・・・うーん、こういうコ娘に、僕も何度マヒさせられたことか(笑)。
殺される前に、ワシも身辺ガードを考えておかにゃならん!

と鼻息を荒げてみても、幸か不幸か僕には権力も金も「男の武器」の類もさっぱりないから、金脈と人脈を高感度に嗅ぎつけるジジ殺しには見向きもされない(トホホホホホホ)。
これはこれで、まぁ天が与えた身の安全に感謝するしかないのかね。

今日の内閣改造にともなって、また「身体検査」が叫ばれている。
これ、もちろん女性議員や女性閣僚にも平等にしなくてはいけない作業なのだろうが、うかつに身体検査しようものならかみつかれそうなT市S苗は姿を消して、無難な顔ぶれになっていた。
こういう「安全スタッフ一員」も、ちょっと退屈ではあるね。


大阪陸上は熱湯バトル

at 2007 08/26 23:00 編集

この記録的猛暑の大阪で、よくやるよなーとあきれるほど暑苦しい世界陸上を、それでもやはり見てしまう。
体温より暑い、排気ガス充満都市で走るなんて、ノルウェーやカナダの選手にしてみれば特攻隊員の気分だったのではないだろうか。

案の定、男子マラソンは3分の1の選手がコース半ばでにして死んでしまった。
そして昨夜は、女子の1万m。もう、涙で画面がかすんで見えない(笑)いい試合だった。

くつを踏まれて脱げて笑いをとった「スマイリー福士」は、おぉやっぱり余裕のズッコケ芸だったか!と感心するほど追い上げて先頭に躍り出たのに、最後はやはりエチオピアが強かった。まるでもう、走るために神が地球に産み落としたような人種だから、太刀打ちできませんな。

それでも、スマイリー福士への期待が大きかっただけに、どのメディアも大アップでとりあげて落胆していたけれど、僕は一緒に走って堂々の13位でゴールした女子高生・絹川愛ちゃんは、すごいと思ったぞ。
世界の檜舞台で堂々と走った後、「私にとって最高の夏でした」とインタビューに答えていた。えらいね。

こういう前途有望な伏兵をフィーチャーしてこそのスポーツ・ジャーナリズムなのに、「女子マラ=福士、ハードル=為末、棒高跳び=イシンバエワ」みたいに、表層しかクローズアップしない報道は、ゴシップと大差がない。

いま世界陸上と同時に、世界水泳や世界柔道があちこちで開催されていて、プレ・オリンピックのような活気が伝わってくる。
それなら、台北ぐらいでまとめて「世界バレー柔道シンクロ陸上バドミントン水泳サッカー野球ソフトボール馬術テニス」をやれば、来年の北京五輪をひかえている中共は原爆をかざして激怒しよるだろうなぁ・・・(よりによって、2つめの中国で!?笑)。

と、意地悪いこと考えるのもなんだが、気温だけでなく、大気汚染も懸念されているから、スポーツをする街によっては「選手寿命」どころか、選手の人としての寿命も縮むのではないだろうか。
経済発展の象徴として五輪招致を待ち望んできた中共の気持ちもわからなくはないが、帝都・北京より、まだ大連とか香港の方がよかったのではないかと外野からヤジを飛ばしたくなる。もう遅いって?


メッセでっせ

at 2007 08/25 21:37 編集

夏休みの終わりごろと年末の定番になっているハンズ・メッセに出撃してまいった。このタイミングは、けっこう季節感があって絶妙だなーと思いつつ。

地元のハンズは、巻き貝のように6階から地下2階までぐるぐる巡回すると、いい目の散歩になる。連れがいると、ふだん僕が立ち止まりもしないリネン売り場とか食器売り場で錨をおろされたりして、つきあうのも社会勉強かな、というノリでまったりと冷やかし散歩。

ミリタリー・ショップや中古家電店、ホームセンターあたりに入り浸って飽きない僕と、テディ・ベアやピーター・ラビットが好きな連れ(あくまでも、例として)が、お互いの世界に相手をひきずりこんで絶句させないために、なんとか折り合える「共通店」がハンズやロフトになるだろうか。
まぁ、こういう店で「待って待って」「もうちょっと見せて」「次いってみよー!」とかなんとか、すったもんだやっているぶんには、平和でいい。

そういえば、不動産屋の窓広告の前に一緒に立ち止まって、あーだこーだと好き勝手な品定めをするとやたら喜ぶ女子と、僕とは絶対に立ち止まらないように足を速める女子が、くっきり分かれるのもおもしろい。
その1:99の割合が、せめて2:98ぐらいにならないものか?と思えば、「総合雑貨店」が好都合なのだ。

しかし、いざ行ってみても、買いたいものはなくなった。
よくまぁ、ハンズのバーゲンぐらいでワゴンに積まれている陳腐なポーチやシャツや財布を、血眼になってかきまわしているアマゾネスの物欲は、いやはや底なしでんなー、と目を丸めていると、すでに世捨て人のご隠居気分である。あぁ、トシとったな。

メモパッドや指圧グッズやティーポットなんか、もう百均の守備範囲で、安くなっても高いハンズでわざわざ買う動機がなくなってしまった。こんな現実は、雑貨店や文具店の危機ではないだろうか。
ハンズで買ってもメイド・イン・チャイナだから、同じチープ・グッズなら投資リスクの低い方を選ぶからね。
ひいきにしたい散歩スポットだからこそ、無印みたいなブランド構築を、ハンズもがんばってほしいものだ。


佐賀して北エール

at 2007 08/24 22:02 編集

マボロシのような涼しい1日は、ほんとにきのう1日で終わった。なんだろね、あの雷雨と冷気は。
空港が停電したり、京都で浸水したりと荒れ模様だったようだが、窓全開玄関半開プライバシー全壊で野蛮に暮らしている僕は、天変地異にさっぱり気づかず、涼しく熟睡していた。

ところが、昼前に起床すると、トレパン一枚だけ重ね着していたことに気づいて首をひねってしまった。毎晩エビス黒ロング缶ぐらいはしゅぱっと飲んで寝ていても、これぐらいで泥酔していたわけでもないし、さっぱり記憶にない。

ただ、今年は冷房嫌いな僕が初めて扇風機を使い始めたぐらいの「熱帯夜以上」が続いていたから、4時ごろ寝て日がカンカン照り始める9時ごろ暑さにうなされて目が覚める毎日だった。だから自然に、できの悪いミニボディなりに、短時間熟睡術を体得しているのかもしれない。

それでも、やはり夏は何かに燃えて汗して、恋して破れて涙して秋風にエレジー♪・・・が、ニッポンの夏というものだ。
絶好調タイガース桧山の逆転満塁ホームランにもスカッとしたが、今年の甲子園は、佐賀北高校の逆転勝利の方に、父親世代としては涙が止まらなかったぞ。
佐賀県に何の縁もないが(阪神大震災の復興を粛々と進めた貝原俊民元兵庫県知事が佐賀出身だったことだけ、妙に憶えている)、サガキタの君たち、よくやった!!とエールを送りたい。

だれかがコメントしていたけれど、「地元の球児たちがつかんだ、公立高校の快挙!」というのは、その通りだよなーと思う。駒苫のマーくんも野球留学の関西人だし、野球のための選手集めが強豪校の常識になっている。

そんな営業がおおっぴらにできない公立校で、しかも進学校だというから、えらいよね佐賀北高校。
よく、学校の序列が二極化へと喧伝されているけれど、二極化どころか、実際には「文武両道校」と、「スポーツだけ強い校」と、「どっちもダメな低迷校」に三極化しているような気もする。
絵に描いたような、ガリ勉モヤシっ子ばかりの託児所みたいな高校なんて、どこにあるの?と思うほどだ。
日比谷高校や開成高校のことはさっぱり知らないが、関西だと灘高校はテニスの強豪だし、関西学院はアメフト、ラグビーの古豪だったりする。

こういう文武両道の伝統がある高校が、「武」の資源を「文」にしぼって偏差値だ進学率だといいはじめると、両方ダメになって行くような気もする。本当に優秀な子は、野球でもサッカーでも納得行くまでやりながら、進学したい子はちゃんと進学する。切り替えがうまいというか、集中力が人並みはずれているというか、プレッシャーに強いというか・・・。

東大にもプロ野球界にも僕から見ての先輩をたくさん輩出した我が母校も、後輩はというとぱっとしない。一体、どうなったんかねーと忸怩たる思いをしていたら、共学にするというから、あぁそこまで客集めせんといかんか?と思ったものだ。

まぁ、これでスポーツ熱が再燃するかもしれないし、何年かぶりに甲子園に出れば、今までチアボーイしかいなかった応援席に、想像だにできなかった母校のチアガールが並ぶことだろう。
佐賀北のグリーンのTシャツ応援団は、質素で好感が持てたものだが、わが母校は思い切って「倖田來未系」を並べて、史上初・モザイクがかかる応援団(笑)でもやらかしてほしい。

野球が強くなくても、文美両道に生まれ変わってもらうのもいいではないか・・・というのは、スポーツ音痴+もてない+偏差値ひくい暗い高校生だったワタクシの、やぶれかぶれな反動的要望である。もしかして、母校の敵だな。


混浴混乱条例

at 2007 08/23 23:13 編集

兵庫県のいわゆる「混浴禁止条例」が改定される、というので夕方ワイドが沸いていた。
ちょうど思春期の手前ぐらいまで一家で銭湯に通っていた僕も、なんとなく風呂屋さんの判断で決めとるのかな・・・ぐらいに思っていた。いや、そう思うまでもなく、仕切りのカーテンは自由奔放に行ったり来たりしていた思い出しかないから、いかがわしい頭が異常発達した今、なつかしく思い出すばかり。

で、条例改定(改正とも言いにくいし、改悪だともいいきれない微妙な内容だ)のきっかけになったのが、県内の温泉使節にある「家族風呂」の存在だったようだ。

家族なら何歳でも混浴OKなのか、いやいや家族でも公衆浴場と同様に6歳以上の混浴は禁止なのか、またその中間の条件つき容認(禁止)派がいろいろあって、有識者をまじえて審議してきたとのこと、その結果が「両親と子供が同伴している場合に限り混浴してもよかろう」という、いやまぁおせっかいな条件に落ち着いたのである。

たしかに、小柄で色黒の46歳オヤジが「娘だ」といいつつ19歳少女と二人で入浴していると限りなくいかがわしいし、いろいろまぎらわしい組み合わせはありましょう!
だからといって、ちょっとお姉さんぽい女性とあどけない女性を「両手に花」している絶好調男が「妻子だ!」といえば(絶好調女がムキムキマンと美少年を連れている場合もあるね)、これもまぎらわしい組み合わせだ。

問題になるのは、なぜ風呂に入るぐらで、家族であることの証明をしなくてはいけないのか。来週家族になる婚約者はどうなのか、「同棲しているパートナー+どちらかの子」は家族とみなされるのか・・・なんだかドナー・カード裏面の「家族の同意」欄と同じ問題が、こんなところでも見えてくる奇遇さに、僕は苦笑してしまった。

この男女が夫婦または親子であるか、「カギのかかる個室風呂につきの宿」特集なんか読んで家族をよそおって浴場で欲情するバカップルにすぎないのか、まぁそんなに目くじら立てなくてもいいではないかい?と思う。
貸し切り浴場の類が、「そんな用途」に使われていることはとっくに世間の常識だし、5組め、6組めと湯はどんどん白濁してくる(笑)ものだと覚悟して、個室混浴したいやつはすればいいのだ。

条例が苦しまぎれにつけた条件は、「男女3人以上ちゃんぽん=家族とみなしましょう」という投げやりな役所知能が、必死に頭をしぼって不時着した結果、としかみえないのだが、役人たちの頭を現実ははるかに

役人たちと同じレベルだったのが、まぁ放送上セーブしていたんだろうけど、おじさんゲストたちの牧歌的なコメント。

「江戸時代は混浴だったんですけどね」
「混浴は日本の大人の文化」
「昔はそないに細かいこと抜きで、銭湯で語らいあってましたけどなぁ・・・」

それもわかる。ごもっともではある。
わかるけど、今は21世紀なのだ。どこのだれがどんな欲望を持っているかわからないし、「無音シャッター改造したウィルコム」なんて携帯もあったりする。
僕は、父親に似ず美少女の愛娘・葵ちゃんと公衆混浴風呂になんか絶対に連れて行かない。6歳だ10歳だといわず1歳でも危ないことは危ない。ま、葵の影も形も気配もない今は「そのつもり」としかいえないけど。

息子あって、いろんなおじさんが世間にいることも事実だから、ええい、面倒くさいから「ねーイザベル(妻)、葵もケンちゃん(これ長男の予定)も、女湯に連れて入ってくれないか」と頼んで
しまうかもしれない。
「でも、いいのかしら、ケンはもう17歳なのに」
「それで、風呂上がりのケンは過労死寸前だったのか!!」

・・・なんてバカな家族旅行は、いつやってくるのだろうか。
結局、混浴嫌いな僕のような世捨て人が、混浴でガーガー騒いでいる「大欲情」からポツンと離れて、静かに風呂につかっていたいだけの逃げの一手にすぎないのだ。


たぶん森昌子は訴えよる

at 2007 08/22 22:31 編集

四十男の中学教諭が、女子生徒とチョメチョメ・・・と聞くと、よくありがちな話。魔がさす季節なのか、いや夏だろうと冬だろうと日常茶飯事かもしれないが、いけませんねセンセ。

こういうセンセイや植草ミラーマンにうかつに同情すると、ミイラ取りがミイラになりかねないけれど、ちょっと同情するいざこざだった。
日刊スポーツによると、1989年から91年まで、「すでに卒業していた元女子中学生」と交際していたことが2006年に発覚して、43歳の中学教諭が懲戒免職になったという。
行政処分の時効がどうなっているのかわからんが、15年以上前の禁断の恋は殺人罪ほどの重罪ではないだろうから、刑事上は時効だろう。

だから懲戒処分で刑罰に代える、と考えたわけでもないだろうけど、「処分しないわけにはいかんじゃろ」とばかりに発したのが免職。
そりゃちょっと厳しすぎるんでないかい?と訴訟になって、停職何カ月かの処分に落ち着いたそうだ。

この懲戒処分の意味が、正直わからないのだ。公務員には厳しく己のフシダラには大甘な僕の頭では、どっちが責められるべきなのか・・・。
刑法の効力を越えるような罰を役所が課していいものかどうか・・・。「罪刑法定主義」も、チラチラ浮かんでくる。

もし、卒業した元生徒とはいえ未成年者と関係したカドで(時代劇みたいだ)免職になるなら、非行行為があった時点から現在までの給与支給は正当なのか、返還すべきなのか。
この間センセイの仕事はちゃんとやっていたなら、その対価は払う(もらう)のが当然だとしても、それなら、バレてなければどうだったのか?という疑問も出てくる。

そして、この元女子生徒の年齢を推計すると、89年に中学を卒業しているとしても今34歳。実際には、もっと熟女かもしれない。
「もう43歳と36歳か・・・昔こんなこともあったね私たち(俺たち)」ですんでしまうことは、ないのだろうか。

そりゃ三十路の大人といっても、16歳の私をもてあそんで、18歳になったとたんトシをくったと言って捨てられた乙女のトラウマがあるなら、それはそれで気の毒だとは思う。だから、この元生徒からのタレコミか、その友人の焚きつけか、彼氏や夫からのリベンジ扇動か、で発火した昔話なのかもしれない。

それでも、だな。
殺人なみの時効を越えて昔話を発掘してきて、処分する役所の体面もどんなもんだかと思うし、かといって水に流すには微妙に尾を引く年頃の被害だったりもする。相手の年齢と、過去の遠さという2通りの時間が重なっているから、よけいにすっきりしない。

当のセンセイは、停職処分を受け入れた上で、「気持ちを入れ替えてがんばる」と語っているようだが、殺人犯以上に「昔のよろめき」にビクビクしながら奉職しなくてはいけない身分には、少し同情する。「12年前にO沢センセイに体罰を受けました」「16年前に私の鎖骨が視姦されてたような気がするんです」って話が続出すれば、教育委員会はどうするのだろう。

教師の非行は、ちゃんと定義しにくい難事ではある。
その場では納得ずくの体罰であっても、後で「暴行事件」に様変わりしてしまうことはあるし、セクハラをした教諭が転職して会社員になっている場合、停職はナンセンス。免職だと退職金は返金させられるかもしれないが、在職中に発覚しなかった非行については、皮肉な話だが時効をどんどん適用しないと、やめた公務員への遡及処罰は膨大な仕事になるぞ。

そして、今回のドタバタで勝手に大どんでん返しを想定すると、43歳教諭と34歳元教え子が、今は夫婦です!!
というケース。事の発端はセクハラでした。もっといろいろありました。子供もできました。でも好きになりました。今とってもいい夫であり父親で、私たち愛し合ってます・・・という場合、処罰できるのだろうか。

いかがわしい仲にはまって行った師弟が、結婚して幸せな家庭を築いていれば、セクハラもなにも水に流されてしまうのもおかしなところで(離婚したら訴えられるのか?)、そこを狙った卑劣な事件も少なくないだろうね。
おそらく、中途半端に小賢しいセクハラ教諭は「僕は真剣だ。責任とる」と言いつつ欲情していたりするから、そんな言い訳が許されてはいけない・・・は教師倫理を追及する正論の1つ。

けれど、あのときのゲンコツが、あのときの発言が、そういえばこんなタッチも・・・と掘り起こされたことがどんどん認められるようになれば、どうにでも教師に復讐できるようになってしまう。これもこわい。

尋常小学校を出たような御老人と、九十を越えそうな恩師とが「あぁなつかしや先生!」「ヒトミちゃん大きくなったわね」なんてやっているぐらいだから、卒業して何年たっても、師弟関係は一生ひきずる特殊な関係ではある。
その一方で、在学中からヒトミ先生に萌えていて、卒業したとたんに燃えはじめる僕のような野獣もいる(笑)から、この師弟関係をお互いがどう受けとめているか、世間的にどう受けとめられているかは、かなりくいちがっているものだ。

今回の騒動は、いくら師弟であろうと、またタレコミがあったとしても、16年前の禁断の仲について責任を問うのは無茶な話だと思う。
これで懲戒処分を出しはじめると、今その処分庁である教育委員会に出世している元現場のセンセイだって、自分の首を飛ばしてしまうことだってあるだろうに。
別に公務員を擁護するつもりはないし、密室でのセクハラやアカハラは厳しく処分していいとは思うけれど、「告発できる時効は卒業後1カ月」ぐらいに決めておかないと、僕なんか心臓が800個あっても足りない。


これぐらい、できやんかな?

at 2007 08/21 23:33 編集

和歌山県内初のメイド喫茶が、よりによって県立文化会館内にできるなんぞ、けしからん!!
利用者は家族連れやお年寄りがほとんどなのに、マニヤご用達のいかがわしい店なんぞ、いかがなものか!?

と石頭が勃起したおかげで、この朗報はあえなくうたかたの泡と消えてしまった。うーん、残念。
別によろしいではないか、メイド喫茶もヒツジ喫茶も。
ちゃんと下着もはいてるだろうから(笑)。

そりゃ電脳街ではオタク限定の寄せ場みたいなもんかもしれないが、それほどオタク密度が高くない地方だと、これを機会に、家族で行くメイド喫茶なんてのも、のどかで自然ななりゆきだと思う(おじーちゃんが通って萌えて、介護を返上するリハビリフーゾクなんかも、あっていいと思うのは僕の持論である)。

「おかえりなさいませご主人さま」
「ちょっとコ娘さん、それ私のセリフよ」
「いえ、わたくしはメイドですから、奥様の座はおびやかしません。すっかり奥様が遠ざかっております寝床やお風呂で、ご主人様に尽くすだけですから・・・」
「キ〜〜〜〜〜ッ!!なによ、あてこすり言う気なの?コ娘の分際で!」

てなふうに、妻を萌えさせるカンフル剤になったりすれば、全国からくたびれたカップルが巡礼にやってくるかもしれない。こういう火花が、親子の間にも、老夫婦の間にも、バチバチあがるようになるね。

愛人に公金を貢いでつかまった市長が獄中から立候補する(おまけに当選する)街ならばこそ、「県立メイド喫茶」ぐらい、ぜんぜん衝撃度がないと思う。
いや、皮肉でもなんでもなく、メイド高野山だろうとメイド移民船だろうとメイド砒素カレー店だろうと、ひそかに僕は惜しみないエールを贈りたいね。
石頭を萌えさせりゃいいのだ。


次は知覧から出撃するか・・・

at 2007 08/20 23:12 編集

鹿屋基地出身のマーメイドと対戦してまいった。
いやはやー何年ぶりでしょー♪
ということで、出会った出鼻から、満面のひまわりスマイルで、まずワタクシは撃沈されかかった(笑)。いきなり負け戦かい!

アルベルトの写真展を拝見してから、ビアレストランへ。
ん・ん・んまいっ!!
やはり、夏は麦燃料のうまさに戦意喪失してしまうね。

人魚は三夜連続の出撃だそうで、昨夜はその中日。
前夜は、2つとなりの区で焼酎を飲み明かしていて、「自宅まで自転車を押して帰ったらしいけど記憶がないの」と笑っている。おそるべし!

明日もあるから、ひかえめに・・・といいつつ、2軒目へ。ジョッキは1けたですんだだろうか。
燃料が入ると、僕からはセクハラトークしか出てこないシステムになっているので、あぁこれで再会は2年先まで遠のいたなぁ・・・。いつまでポンコツ兵器で玉砕を重ねるつもりだろ。

そこで、停止しなさい!
なんなの、その手はっ!!
と怒らせて迎撃ミサイルを撃ち込まれる前に、おとなしくワタクシは白旗をあげて神戸基地へ戻ったのであった。いやほんま。
JRが落雷で遅れでいて、これも人魚の怒りが天をも動かした証拠だろうか?
とわななきながら、でも夕立で少し涼しくなった夜中の家路は気持ちよかった。

猛暑は持久戦になるとスタミナが持たないから、こりゃ完敗!と察知すると、あたふたと撤退するのがポンコツ兵なりの知恵みたいなものである。
防衛のボス小池大臣、これでよかとですか?
「後輩クン、お姉さんが私が鍛えなおしてあげましょう」となっても、それはそれで、きついものが・・・


盆の尻拭い

at 2007 08/19 23:38 編集

2週間の盆休みは長いなぁ・・・と早くも出勤モードになっていたら、想定外の「夏休みの宿題」がどーんと送られてきた。

実際のところ、僕の宿題ではなく、人の手伝いなのだが、もしかすると僕が最初から一人でやった方が手っ取り早い内容だった。
でも、あくまでも契約はあちらさんと発注元との委託契約で、僕は無報酬のチェック担当にすぎないので、できるだけしゃしゃり出ずに、指示だけにする。
・・・つもりが、6KBの原稿に手を入れて返すと14KBにふくらんでしまった。

しかしまぁ、こうしてキャッチボールしながら仕事を完成させて行くのは、悪くない在宅仕事ではある。テキストファイル主体だからやりやすいし、小説やマンガを執筆するクリエイターであっても、これからネット分業みたいな形がどんどん普及して行くかもしれない。

この春シコシコ書いて最近やっと出版の運びとなった問題集は、共同執筆とはいえ、各自が自分の専門分野に責任を持って完成させる、との暗黙の前提か紳士協定かで、横の連絡はほとんどなかった。事務的な連絡を出版社のメーリングリストで進めるだけ。
添削を受けるまで行かなくても、第三者の目で自分の原稿を見てもらって率直な指摘を聞くだけでもためになるので、少しあっけなかった。

いや、執筆・校正の責任も全面的に個人に帰するわけで、これはこれで重い請け負い仕事だった。
そのわりに印税は売上÷担当ページ数×8%と微々たるもので、あまり爆発的に売れそうにない(笑)上、毎年改訂されてしまうので、いただける印税はトータルで80円ぐらいだろう(笑)。

とはいえ、協同で書くこと、公刊することは、それで売れてなんぼの世界ではなく、協同作業の中でのやりとりや、市場の反応が最大の成果なのだと思う。
こんな作業の中でもまれて行くのは、ありがたい機会やなーと思うし、もっとありがたいことに、学費を払う必要がない(♪)。

この盆の仕事は、例年なら、「市場の反応」は伝わってこない反面、担当者2名のキャッチボールが仕事を完成させて行く実感があったものだ。始まって約5年、最初から組んでいた「完璧仕事人」のパートナーは結局一度も顔を合わせることなく現場を離れ、新しいパートナーとの丁々発止がにわかに始まったのが、一昨日から昨日にっけての話。
そこで僕は、このパートナーの本業の職場である「今どきの名門大学」って、どうなっとるんかいなと、ふと思いやってしまった。

ときどき僕も私立大学へ「一発芸」に行くことはあるものの、一定期間講義を担当したことはない。ひょっとして、誘われたとき神戸女学院に行っていれば、有働有美子に偉そうに教えていたかもしれない(笑)。

階段教室で何百人もの群衆に向けてマイクで語る仕事など、ヒトラーになることを自覚している僕はやりたくもないし、受けたくもない。
バイオエシックスの研究会の運営にかかわっていながら、まるで「対岸の火事見物」ふうのシンポジウムや、一方通行の講演会がメインになる企画には、できるだけかかわらないようにしているほどだ。

放送のような授業をけだるく聞いて、ライブなディスカッションもなく、レポートはパクリとパッチワークで仕上げて送信クリック・・・こんな勉強を4年間やって「大卒でござい」と言ったって、そりゃ使いにくいでしょう、企業は。
だから、名の通った大学を出て、優等生は修士号、博士号まで取っても、リカレント学習が必要になる。彼ら彼女らが高い学費を払って頭に残らなかった社会学を、僕は半年でぐさりぐさりと刻みこんでいるのである(笑)。

あえて同情するなら、大学のシャガクなんてところは、「なんとなくおもしろそう」で入学する学生も多いし、モチベーションを方向づけるのが難しい。それに、経済学部の経済原論とかシャガクの社会学のような科目は、1年次で履修して、3年後の就職だ国家試験受験だというころにはさっぱり忘却されていたりする。
よって、教える側も講義して終わり、「成果なし」で許されてしまう。

このあたりの、「何年かけて何を学ぶか」は案外きちんと考えられなかった教育科学であるような気がする。
きめ細かく考えると、専門学校、予備校、短大、大学それぞれに適した一般教養が必要になるはずなのだ。
のに、たとえば僕が以前いた予備校で、1年間で社会学をマスターして編入合格させなくてはいけないのに、アリストテレスから講義している研究者肌のセンセイがいた。

そりゃたしかにギリシア哲学から中世神学、近代哲学を経て近代科学、経済学に社会学・・・とたどるのが王道だろうが、時間とキャパシティという現実を考えないと、効果が出ないものだ。
だから、1年間もらえると僕は前奏曲を省いて本編とフィナーレぐらいは演奏するし、「たった1日で」となったらなったで、「おぉ、これが社会学か!自分で勉強してみよう」と思うようモチベートできるぞ。それがプロの段取りというものだと思う。

そんなお手本が、大学を2つ出ている偉い医師に、統計学の瞬間レクチャーをされた僕の先輩のプロフェッショナル芸だった。
ドクターの感想は率直に聞けなかったが、たった1枚のレジュメで統計学のエッセンスがまとめられていて、僕は大学より、大学院より「感動的にわかる授業」を聞いたような印象が強烈に残っている。
こういう先輩をお手本に、そして感動的な明解講義をバトンタッチしたいと思うものだが、決意は易く、行うは難しではあるね。


恋人はシロ

at 2007 08/18 22:03 編集

孫引きになるが、「居酒屋甲子園」と名づけたイベントが、甲子園球場ちかくの住民から「高校野球の聖地を、飲み屋のイベントに使ってくれるな」とクレームがついた、という産経新聞の記事を、夕刊フジが引用していた。

夕刊紙らしく、それぐらい、ええんではないかい?てなニュアンスだったが、もちろん「清く正しい球児の聖地と居酒屋を切り離したい」と考える清く正しい住民の気持ちもわからなくはない。ただ、ちょっとヤボやなぁと思うだけで。

この道徳的な住民は、たぶん「マンガ甲子園」にはかみつかないだろうけど、「コスプレ甲子園」には少し胸騒ぎを覚えることだろう。
居酒屋とコスプレのどっちが高校生に有害か微妙なところで、法律論で斬って裁けば「未成年に、酒はだめですよ」となるのは当然。だからといって、居酒屋甲子園のイベント名を聞いて甲子園球児が居酒屋に突進する!!ってものでもないわいな。
「甲子園」は西宮市の町名にはなっているが、どこまで使用を禁止できるものか・・・いっそ、「甲子園」を商標登録でもするかい?

そう出るなら、「焼き肉のメッカ大阪」なんて言っている日本人にテロをしかけないでいてくれるイスラム教徒の深〜いふところには、感謝しなくてはいけませんなぁ。

知的財産権がらみの懸案というと、偽装表示で市場から消えてしまった「白い恋人」である。
僕でなくても、「白い恋入」「白い変人」なんて類似品を思いつくおちゃめな業者はいるだろう(計画破産したミートホープさん、いかがかな?)。

不二家騒動のときは、僕の好きなLOOKチョコが消えて寂しかったので、某パクリ共和国が「LOOOKチョコ」でも出してきよるんではないかとワクワクしていたものだが、無事に本家の製品が復帰してくれて事なきをえた。
たぶん「白い恋人たち」は、フランシス・レイさんかレコード会社かが著作権を持っているはずだから、「白い恋人ども」はどうだ?

甲子園にしろ、白い恋人にしろ、サポーターたちは長年の思い入れやドラマをこめてひいきにしてきた文化でもあるから、偽物にや企業の腐敗には、匿名の鉄杭が打ちこまれることを覚悟しなくてはいけない。ボイコットぐらいなら、当然の消費者の権利だとはいえ。

それでも、こっそりと「白い変人」なんか出てきたら、その勇気に一応の敬意は払ってあげたい。
いや、すでに地元のポスターや看板の類には、イタズラ書きされていたりして・・・って、そそのかしているつもりはないから、良い大人は実行しないように。
それでも悪い子供はやっちゃうかもしれないが、世の中そんなもん、ということで・・・。


40.1℃!!

at 2007 08/17 21:50 編集

いま、海がない県が、暑い!熱い!!
そんなキャンペーンをやっている役所もあるようだが、ついに日本記録を書き換えた街になってしまった。
まるで、「熊谷温泉」「多治見サウナ」だな。体温計で、気温が測れるのも、すごい。便利だ!てことないか・・・。

汗をかくことは基本的な新陳代謝だから、どんどん盛んにやればいいのだ。
青空相撲大会、トライアスロン、青空将棋・・・サバイバル戦になるね。

ここまで暑いと、ホットな街として喜ばしいことなのか、不名誉なのか歯がゆいところだろう。
たとえば夏フェスなんかやれば、燃えあがりたいファンがイナゴのように集まって、もう解放区と化して過熱しそうだから楽しいではないかな。
その一方では、熱中症で命を落とすお年寄りもいるから、要注意でもある。

ここは、柏崎じゃないが「暑いなんて風評被害です!!実は涼しくて涼しくて」と観光キャンペーンをやれば、知らずに岐阜や埼玉に来た観光客は、もうタダゴトではないぽかぽか陽気にすっかり魅了されて、思わず入院ステイしたくなるにちがいない(笑)。
出迎えは、激辛カレーか四川料理でやればいい。
宇都宮がギョウザの街で売り出しているから、熊谷はハバネロ・タウン、多治見は「暑い恋人」を売り出せばどうでしょー!!

と、無責任な提案をしていると、もうこの酷暑は今週いっぱいだとか。
水道をひねるとお湯が出る関西は、もうしばらく猛暑が続くそうだが、もう僕はすっかり慣れてしまった。24時間入浴している気分も、いちいち怒っていたら「急逝ストレス生涯」になりそうだから、もう笑ってるしかないのだ。

深い空や秋の風に触れると、サーカスの「去りゆく夏」じゃないが、愛はなぜ消えて行くのだ、モナムール!!と絶叫したくなる(笑)。
ルンペンのような裸族生活をしている身としては、愛も鯉もへったくれもないけどね。


ドコメモ嬢は飯島愛だった

at 2007 08/16 21:37 編集

ショップより、「本丸」に近い窓口の方が、詳しくわかるだろうと思って、炎天下ヒーヒーハーハー愛車をこいで、ドコモのショールームへ出撃してきた。9月からのウィルコムへの同番移行について尋ねるために。

かなり制服の似合わないタイプの、日焼けしたスレンダーなドコモ嬢が、
「弊社指定の機種への移行でしたら、端末無料で申し込みを承ることができます」というので、
「ほんなら、指定以外の機種には有料で移行できまんの?」
と質問した。こんなの、高校生の客であっても、論理的に思いつきそうな疑問である。

すると日焼けドコモ嬢(以下、ヒド嬢と略する)、奥に引っ込んで約5分、業務用マニュアルのようなものをもってきて、「えーとですね、この端末が無料優待対象になっておりまして・・・」と、マニュアルからメモ用紙に型番を書き写しはじめた。だーかーら〜、指定以外の型番機への変更ができるのかどうか?と聞いとるでしょうに。
手書きで必要項目だけメモって渡すぐらいの、客には絶対に見せるわけにはいかない書類なら、そもそも客の前に持って出ずに、奥でメモして出てこいっちゅうねん。要領悪いぞヒド嬢!

ワタクシの疑問は、ウィルコムの販促キャンペーンとタイアップしただけの「この機種に替えるなら同番移行OK」なのか、それとも包括的なMNPがPHSにも適用拡大したということか、なのだが、これぐらいわからんかねぇ・・・。
つっこんだ質問をするたびに、何度も奥に引っ込んで5分ほど待たされる。そばでウロウロしていた(まるで余剰人員)電電公社時代から勤めているようなオヤジ社員が、見かねてソファーをすすめてくれたほどだった。

結局、メモ好きなヒド嬢(笑)から「詳しくはこのフリーダイヤルにおかけ下さい」と、電話番号を手書きしたメモを渡されてて、門の中に入ってからの門前払いみたいになってしまった。
なんだか裁判所に呼ばれて開廷して「訴状不受理!」と告げられたような気分だ。おい!それなら最初から受理するなって(涙)。

自社の端末の手続きがわからなくて、「電話で聞いてね」と煙幕を張るドコモって、客あっての仕事を忘れた、コドモの電話ごっこに退化しとるんではないかい?
つきあっていると、こっちまで退化しそうだ。この顛末も、もう怒りさえ湧き起こらない、脱力系の肩透かしである。
いやはや、ひどいねぇ・・・
早く、抜け出さなくては。


窓革命

at 2007 08/15 23:07 編集

くそ暑いのはうちだけかと思っていたら、ハラペーニョだかラニーニャだかしらんが、北海道から沖縄まで、猛暑日続きの日本列島になっている。群馬で40℃なんて聞いてびびっていたら、「神戸は体温より涼しいんだから、まだまし」と言われそうだ。

それでも、よそが暑いからうちは涼しいなぁってことにはならないから、この期に及んで第三サティアンの清涼化に取り組んだ(出足が襲い!)。
午前中の2時間だけ直射日光が当たる窓を、なんとかしなくてはいけない。
壁にツタをはわせて、やたら葉っぱの生い茂るベランダ・ガーデニングでもやってみっか・・・とのらりくらり夢見つつ、いざ暑くなってしまった今じゃ手遅れである。今日タネを植えて、明日すぐ緑が生い茂るわけではないからね。
簡単なのはスダレだが、そもそも軒もひさしもないから、つける場所がない。それでは、内側への小細工となると、ブラインドしかない。

そんなわけで、ホームセンターへ。
いい色あいの、カナダ産天然木のが9800円。畳の寝室にもフローリングのリビングにも、よく合う。でも高いんだか、安いんだか・・・。
結局、旧宅でも使っていたアルミ製のにしたら、これが1畳大で1480円。脱力するほど安い。自転車の荷台にくくりつけて帰って、ヒモでカーテンレールにしばりつけていっちょあがり。
アダプターだなんだとややこしい金具をつけているメーカーには悪いが、なぁに見栄えはだらしなくても、取りつけられればいいのだ。これでちゃんと開閉できるし。

やはり、夜でも窓は全開にできるから、風通しがよろしい。
冬の日差しならほとんど100%カットできる遮光カーテンを使っていたのだが、夏の日差しはなかなか撃退してくれなかった。やはり、アルミのブラインドの方が目隠し・風通し・遮光の三拍子そろって合格だな。

つけた昨夜から、いきなり2〜3度は涼しくなったような気がするのはオーバーだとしても、熱いシャワーを何度も浴びて窓際で涼風にあたっていると、とてもさわやか。35℃が涼しく感じるぞ。
やはり、汗かいて、代謝をフル回転させる方が、デトックスとやらもできるし、せっかく肌に備わっている天然の空調機能を鈍らせてしまうのはもったいないと思う。

日本人、がんばって滝の汗を流そうではないか!!
と訴えたいところだが、こんな基本的なことも忘れて冷房ガンガンかけるから、原発はなくならないのだよ。
老若男女、上半身すっぽんぽんで暮らせば、どれだけパラダイスになることか。「猛暑日トップレス法」を選挙公約にすると、次の総選挙で当選できるだろうか。いや、まじめな話。
もちろん、下半身はきちんと道徳を守ってもらうとして(これは解き放つとグロテスクでいけない)、上半身ぐらいは、ややこしい「猥褻」の煩悩から解き放ってもよかろうに・・・と思うのだ。

そうなると、ただでさえネクタイやストッキングの売り上げが落ち込んでいるアパレル業界は猛反対するだろうが、男女とも上半身を鍛えるべくブートキャンプに入隊してDVDは売れるし、エイトフォーも売れるだろうから、まぁいいではないか(そう簡単には許してもらえそうにないかな)。

法制化が無理なら(200%無理だろう)、「トップレス特区」をやってみて省エネ度や快適さを測れば、きっといい結果が出ると確信するね。
麻生太郎あたりは、「ウハハハ、いいんじゃないの、それ」と賛成してくれそうだし、野田聖子と佐藤ゆかりが賛同すれば、鬼に金棒なんだが・・・。動機不純ですかい?


おせっかいギネス認定

at 2007 08/14 22:46 編集

世界最高齢の日本人おばあちゃんが、老衰で永眠。
で、「次はこのおばーちゃんです!!」
と騒ぎ立てるのは、ずいぶん不吉な話やなぁと不憫に思ったね、繰り上げ首位のおばーちゃんの気持ちを察すれば。

選ばれてしまったお年寄りは、プライバシー権なんて主張しない世代だろうから、もしかすると忸怩たる思いを押し殺しているのかもしれない。
長生きしてね、と祈られているのか、死のカウントダウンをされているのかわからん、奇妙なギネス認定だからね。
たとえばここに、「末期ガンの診断を受けた患者が、推定余命を何年超えて長生きしているかランキング」を並べてみれば、倫理的な問題は重なって見えてくると思う。

相前後して、世界一のノッポさん250cm!!なんてギネス認定も話題になっている。
ご本人は画面で見ると、心臓に負担がかかるし、動作は老人のように緩慢だし、明らかに病気だ。ホルモン異常だよ、ありゃ。
発育障害のエマニエル坊やをテレビに出すことを人権問題だとして封印させてしまった世論は、でかすぎる異常の方は、ただ「ヒャーッすごい!!」だけで笑いものにして問題を感じないのだろうか。

「世界一の巨人」ご本人も、発声も滑らかではない口調で「騒がれず、ただ静かに暮らしたい」とインタビューに答えていたけれど、ギネスもメディアも、ただおもしろいネタとして取り上げているだけ。
フリークスを見てキャーキャー喜んでいる視聴者も悪い。基本的に、フリークスを見たいのだ、平凡な庶民というのは。
脳性麻痺のレスラー、
両手がないソープ嬢、
フォークロアの定番「死体洗い槽」、
同じく「ダルマ女」のフォークロア・・・
見たくて見たくて、うずいてしかたないのだ、庶民の好奇心は。

こんな好奇心と、ネクロフィリアやペドフィリアはつながっているぞと考えるのは飛躍しているかもしれないが、今のところ死体や奇形やU15がいびつに封印されているからこそ、「8歳Tバック」なんて方向へ、欲望が誘導されているような気もする。娘を商品化している親も親だが。

なんだか、脱線してしまった。
フリークスでかせぐギネスブックは、長寿なだけでプレッシャーをかけられるようなランキングはやめて、世界一高齢の現役ホストとか世界一若いパパのような、ほほえましい(のか?)記録で世間に勇気と希望を広めてほしいものだ。


不穏な盆

at 2007 08/13 21:46 編集

なんだか、妙に人出が多い盆の雑踏。
帰省して行く人民より、帰省してくる人民+夏休み外出人民が多いせいだろうか。

きのうは、紀伊国屋→長崎チャンポン→ドトールコーヒーと巡回してきたのだが、ラーメン屋にもコーヒースタンドにも、団体客が多い多い。
チャンポン屋には、家族連れ風の9人組がきて、「えーと、私は皿うどん」「じゃー、ボク肉うどん」
おいっ!
その「うどん」ちゃうがな。空気読めよなー小学生!

ドトールコーヒーにも、サラリーマンふう5人組、8人組のグループが来て、「席ある?」と聞いていた。
コーヒー屋に団体で流れてくるのは、なにかのサークル活動か、でなければ労組青年部か民青か、はたまた資本論研究会か・・・ってのは偏見だとしても、だったら大目に見てあげよう。世界同時革命の相談なら、がんばっていただきたい。

こんな人の淀みは盆特有の風情かもしれないが、この日の一番の見モノが、紀伊国屋での緊縛・・・いや金箔・・・いや緊迫場面だった。
ひと目で万引き監視員とわかる眼光するどいおっちゃんが、一人のショルダーバッグ姿の女性をマークしているのだった。

「被疑者」は清楚な感じの若奥様か家事手伝い風で、マークされている理由がわからなかっい。バッグの口はやや大きく開いていたけど。
僕もヒマだったから、もしや現行犯逮捕の現場を見られるかと思って、さりげなく30分ほど監視員をマークしていた。ヒマやなぁ・・・。

余談だが、なんで万引き監視員をやるスタッフは、あまりにもわかりやすい身なりで仕事に励んでいるのだろうか。
書店でするどい目つきの手ぶらオヤジとくれば、あんたたちぐらいしかいてまへんで。わかりやすすぎますって。せめて、カバンぐらい持てば、一般の客に紛れるだろうに。
正攻法で警備をするなら、ガードマン服を着ている方が、潜在的な万引き犯にも「当店では厳重警備してます」とアピールできるし、まだ正々堂々としていると思うが、監視員には監視活動の流儀でもあるのだろうか。

私服監視員は、10mほど離れた地点から、ぢーーーーーーっと女性を凝視している。万引き犯は目が泳ぐのに対して、監視員は一点凝視しているから、実に目立つのだ(僕は二点を凝視しているから、もっと目立っていたかも)。

しかし結局、「家事手伝い風」は正しく本をレジで精算して、幸か不幸か何も事件は起こらなかったのだが、会計をすませた彼女はなぜかニヤニヤニヤニヤ笑っているのが不思議というか、不気味だった。
ひょっとして、マークされていることに気づいている常連犯だったのか?だとすると、アッパレ!

監視員に時給1000円払っているとしても、この投資額で一体いくらの損害を防ごうとしているのか、ちょっと不条理なものを感じてしまう僕は、書店経営の厳しさが、わかってないと言われりゃ確かにわかってない。
それでも、かなり不効率な縁の下しごとではあるね。
商品に万引き防止タグを埋め込むような、スマートな防犯対策もやればいいと思うものの、売り場に不穏な空気をかもし出してでも、「目つきの悪い人海戦術」しかないのだろうか。

道路も行楽地も商業施設も、ふだんとは違う客の出入りがあって、「特別警戒」もしなくてはいけないのは大変ですなぁとねぎらうばかりだが、いっそバカンス!!で一斉に休んでしまえば、楽といえば楽。
僕が目の洗濯に行く中古カメラ専門店マツミヤカメラは、どーんと盆休みをとっている。フィルムカメラ店など、いまや年中ニッパチ景気みたいなものだから、ホンネは店を畳みたい気分かな。

かといって週休3日とか毎月1のつく日だけ営業なんてことはできないから、お盆ぐらいは堂々と休める口実になるのかもしれない。
こういう店こそ、ゆったり骨休めして、盆明けに目をみはる掘り出し物で驚かしてほしい・・・と願いつつ、いつもの寄り道ポイントが少し減るのが寂しい盆ウィークである。


BGM=モンゴ・サンタマリア「ウォーターメロン・マン」

at 2007 08/12 22:43 編集

レゲエなアパートから、家賃倍増の現住所に移っても、ノー・エアコン生活は引きずっているから、暑さがこたえる。実際のところ、エアコンがほしくなるのは1カ月間ぐらいだから、なんとかごまかしつつ彼岸を迎える。

最上階なのも同じだが、前は突き当たりの部屋だったから、もう「玄関ドアも解放区」でもだれも来ず、ノー・プロブレムだった。東、南、西に開かれている角部屋は、風が通る通る。換気扇というものも必要ない。
夜中なんか、常に風速1〜2mが通っていて、熱帯夜といっても26℃なら26℃そのものの外気温が室温でもあったから、とても気持ち良く寝ていられた。

東向きの今の部屋は、玄関ドアをうっすら開けておかないと廊下の邪魔になるし、風通しはかなり悪い。風呂場と台所とトイレの換気扇3機はフル稼働である。
夕方にわりと風が通るものの、窓を閉めて戸締まりして外出すると、部屋はうだる暑さで蒸し風呂になる。帰宅すると、壁や柱まで40℃はありそうな放熱設備と化している。

たしか、初めてこの部屋と出会ったのが去年の彼岸すぎだったから、夏真っ盛りの暑さは想定外だった。ちょっと失敗した感じ。
ま、冬はけっこう暖かかったけど。

暑い暑いとグチりつつ、暑いからこそ、スイカがうまい。
いつの間にか、デラウェアも巨峰も出回りはじめて、フルーツ界では季節が確実に進んでいるのがわかる。

近所のコープでは、六つ切りのスイカが298円で、これが夕食どきの微妙な時間帯に売れ残っていると、半額シールがつく。
昨夜は、この叩き売りスイカが3つ4つ残っていた。

いただき〜♪とお買い上げする寸前に、「23歳レゲエな若妻」に、ごっそり持って行かれた。あぁ、タッチの差で・・・。
あのなぁ、あんた何人家族やねん!ひとキレぐらい残しておくのがレゲエの仁義ではないのな?

と呪文を飛ばしても、まぁ伝わってないだろうな。
節約生活をしている若い夫婦の、けなげな奥さんの手柄ってことなら、まぁよしとしてやろう。

それに、べつにコープでなくても(ポイントカードに誘惑されてひいきにしているだけ)、歩道に張り出して季節の野菜やフルーツを売っている店が多いのが楽しい界隈で、こういう下町の風情はホノボノしてくるからいい。

だから、ついつい買いすぎて腐らせてしまうのが油断ならないところで、スイカなんか、切った状態で3日ほど冷蔵しておくと、もうクワガタの餌のような臭気を漂わせてきよる。
それでも、捨てるにはもったいないから食べるけど(笑)、クワガタムシの仲間になったような複雑な心境になるのも、夏の風情ってやつですかねぇ・・・


夏の宿題

at 2007 08/11 21:41 編集

昨夜の出勤で、人生で最短の2週間の夏休みに入った。
あと2枚ほど文書をFAXすれば、サントリーニ島だろうと江ノ島だろうと、バカンス三昧である!・・・が、高い家賃を払っているんだから我が家三昧になりそうだ。
休み明けの「予習」もあるから、2週間といっても土曜日が1週間と日曜日が1週間あるような気分でしかない。

10時すぎに神戸に戻ると、駅前の飲み屋街は蜂の巣のようににぎわっていた。
あぁ、プロレタリアートは盆休みなんや〜と、プロレタリアート以下のワタクシは別世界を眺める気分になる。

一度でいいから、帰省ラッシュの新幹線とか、砂浜でスイカ割りとか、渋滞80kmとか、経験してみたい(笑)。でないと、休み明けに同僚と再会して、「いやもー、家族サービスやら里帰りで、クタクタですわ」と苦笑されても、話を合わせられないからね。
そういえば、ビアガーデンにも、フィリピン・パブなるものにも、行ったことがないのだった。日本男子失格だな。

待ちに待った夏休み!ゴールデンウィーク!年末年始!の3大決戦で、懲りずに民族大移動して「もう、懲り懲りです」と善良なる日本人が笑っているうちは、なんだかんだ言っても国民の結束は堅いと思う。

僕の地味すぎる夏休みは、やはり各社文庫が企画している「夏の読書100選」の類に挑むのが、文化的かつチープでいい。
今年は『魔の山』あたり読みたいと決意して上巻だけ買ってあるのだが、最近したり顔で「カラキョー」などと呼ぶスノッブもいる『カラマーゾフの兄弟』は新訳が出ているそうだから、ロシア文学もいいか?とよろめいているところかな。

全国の教育委員会は、夏休みに日記や木工なんかの宿題は出さなくていいから、じっくりと古典を読み通す方が、後々の人生にどれだけプラスになるかと思う。
まぁ、読書びいきは僕が「社会学部英文学科電気専攻」だったせいもあるけれど、くだらない工作をしたって(僕の手がけるのは、脳波検出機とかミニ・スタンガンなんてやつばかりだった)何のトクにもならない。

ボックスものDVDで映画の大作を見るのもいいとは思うものの、基本は読書と感想文でしょう!という思いは、ずっと変わらない。
ただ、「夏の一冊」にベストな場所が、なかなかない。「縁側に、風鈴、蚊取り線香」なんてのがベストな道具立てだと思うのは、古いのかな?
今じゃ、エアコン完備、ただし携帯は鳴る鳴る鳴る・・・が当たり前だからね。

それなら携帯が圏外になりそうな海域に、「本の島」なんてのを開墾して、図書館を解説してみたいものだ。
でも、静かで文化的な島になるかと思いきや、無線塔や天文ドームが増えて行くことは確実かもねぇ・・・


長崎に原爆を落としたのはビンラディンってか

at 2007 08/10 23:11 編集

「しょうがない」前防衛大臣の地元で、原爆記念日。
長崎で「しょうがない」はどんなニュアンスで使われているのかわからないが、本人の言い訳に反して、「言語道断」と怒りを買っていたから、「しょうがなくはない」のだろう。

政治屋の発言責任は、それはそれとして、それに歴史的事実は事実としてちゃんと検証するとして、原爆以外の終戦の可能性も考えるのが、未来への責任ではないかと思う。その意味で、久間さんの頭は、「原爆を落としてもらうしかなかった」以上の思考能力がなかっただけのこと。

絶対に許されないこととはいえ、それが実際に起きてしまって、取り返しがつかない歴史的禍根になっているからこそ、やった国を責めるだけでは不充分だろう。
しかも相手は戦勝国で、しっぽ降って追従しているのが一方の現実だ。マクド出て行け運動も、コカコーラ・ボイコット運動も、聞いたことがない。

戦争の構図が、「日独伊vs連合国」のようなわかりやすい構図ではなくなって、闇討ち的なテロや、B、C兵器が拡散している現代世界だから、テロ監視や兵器管理には率先して参加する日本であってほしい。少なくとも、劣化ウラン弾を使ったアメリカのイラクいじめには、協力すべきではないと思う。
ハイテクを使って追いつめて、勝てると誤算したのはベトナム戦争がいい例ではないか。

その轍を踏み続けるのは、アメリカだけではない。
あの将軍様を兵糧攻めにして、経済封鎖したまま日朝国交正常化をやろうとしている外交交渉は、すでに座礁してしまっているのではないか?
ならずもの国家に対しては、核ミサイルでギャフンと言わせてやれ!と「目にモノいわせてやる誘惑」にかられている人間もいる。やるなら、こういう連中を回天に乗せて発射すればいいのだ(と考える僕も同類かな?)。

日本軍の独走や孤立を許した70年前の日本の対中政策がどうだったのか、自虐でもなく開き直りでもなく、考え直してみる機会ができればいいと思う。でないと、アメリカから「原爆の原因」を突きつけられて、さらにその背景を蒸し返して・・・と堂々巡りになってしまう。
このへんの歴史感覚は、日本史や世界史を履修偽装してもらて喜んでいる今の高校生がやがて海外に出ると、とたんに恥さらしになるだけだろうなぁ・・・。


やはり持ち家でしょー♪

at 2007 08/09 23:19 編集

「郵便ファンにして文通愛好家」としてはうれしい暑中見舞いが、ぽつぽつ届く。
ある計算機メーカー本社の管理職さんからは、毎年のように木訥な手書きの年賀状と暑中見舞いをいただく。恐縮するあまり、腕時計は彼の会社のフォーマルタイプのとプロトレックとベビーGの3個を使い分けて、微力ながら献金している(株券を買えたら一枚上なのだが)。

別のハウスビルダーの住所で、ある建築家からも一応手書きの暑中見舞いが届いていた。
一緒に建築ウォッチングをしていた仲間で、大阪や神戸の安藤作品を見て回ったとき、いろいろ解説してくれて「とても勉強になりました」と感動感謝感心するプロフェッショナルである。
たしか店舗設計を専門としていたはずで、ミラノ留学のセンスを生かした、ハイブローな設計をしていた・・・と思う。

それが、今度は住宅建築に鞍替えしたようで、「お知り合いで家を建てられる方を紹介してくれたら、10万円あげるよ」と営業メッセージがついていた。エンジニアも営業マインドを持たねばならない、厳しい時代なんですなぁ。

年に50人紹介すれば、けっこうなサイドビジネスになるかもしれないが、ところがあいにく、僕は賃貸愛好家でもある。しかも、集合住宅が大好きなのである(最上階しか住んだことがないから騒音家族の下に住めば、「上下関係」で悩んでいたかもしれない)。

大学を出てキャリアアップを考えておられる「夜のお客さん」から、この春も「持ち家と賃貸と、どっちが得なんでしょう」と相談されて、即答していたところなのだ。
「お得感は人それぞれだろうけど、持ち家で大損することはあっても、賃貸で大損はしないよ」と。

賃貸の損といっても、払った家賃総額が上限で、実際には家賃はなんらかの効用とバーターできるから、「損失ナシ」とならないこともない。
ところが、持ち家には災害復旧コスト、資産デフレのリスク、固定資産税だ不動産取得税だローン金利だ・・・と派生損失がついてまわる。
老後に子供に円満に贈与できればいいだろうけど、農家ならともかく、親子二代が同一住所に家をかまえて通勤・通学に不便がない、という状況は、社会移動がきわめて低い珍しい社会情勢でもある。

子供に譲る以外の持ち家の用途は、老後の融資の担保だろうか。
老人ホームやケアつきマンションに入居するなら、築何十年の中古住宅より、とにかく現金や有価証券を貯めておいた方が有利ではないかと思うのだが、そのへんは僕の専門外なので、なんともいえない。

先日、全国の公示地価がニュースになっていたけれど、大阪も神戸も、東京も名古屋も軒並み上昇!!不動産バブル再来か!?とヌカ喜びするのは、どうかなーと思ったぞ。

いまなお地方都市の地価下落は続いていて、二極化が進んでいるようで・・・云々の解説は、実は「神戸市」や「京都市」の市域内部でも起きていることで、郊外ニュータウンの人気下落は進行中なのだ。つまり、神戸なら神戸の市内に、地方都市が広がっていて、都心の商業地だけは人気復活している感じ。
だからこそ、ターミナル駅近くで、将来デベロッパーに地上げしてもらえそうなエリアで一坪地主でもしていなければ、不動産で得することなんて、ないだろうと思う。

とまぁ、こんな素人分析をしながら、「転職や家族の増減に合わせて住み替えて行くのが簡単で身軽な賃貸の方が、フレキシブルでいいよ」とレクチャーしてきたのだが、明日からは方針転換である(笑)。
家一軒、たかが35年程度のローンで買ってこそ大人でしょー!!
みなさん、マイホームを買おう!賃貸なんかやめとけ!!
と、手のひらを返すとするか?・・・ワハハハハハハ

それに、暑中見舞いをくれたパンツェッタ君や、ついに身を固める上北沢のアルベルト君のように、建築や土木のエンジニア氏が構える自宅というのはもう、「潜水艦探検」なみに楽しみだったりする。
家なのに、やたらハッチやレバーがあちこちついていて、息子さんがはしゃいでいても奥さんが複雑な笑顔を浮かべていたり、いつの間にかマニア仲間が神戸から引っ越してきて下宿していたりする(笑)。

アルベルト君のマイホームなど、絶対に線路が敷いてあるね。ご飯やおかずが、HOゲージで運ばれてくるのだ。もう、ちょいと一杯のつきあい皆無で、退勤後速攻で帰宅する優良マイホームパパになるだろう。
となると、いま話題になっている定年夫の在宅ストレス症候群に、奥さんは結婚当初から備えることができるわけで、とても未来志向ですばらしい!!

あぁ、やはりおマニヤさまにとっては、持ち家はいいねぇ。
天文ドーム、無線塔、駅舎にトーチカ・・・こんな設備も自由自在ではないか。手弁当で、建造の手伝いに行くね。
ちゃっかりマイルームを1つこさえたりする作戦も楽しみである。


070フォーエバー

at 2007 08/08 21:27 編集

新聞紙面には感動しても、ネット上のプレスリリースはなかなか心に届かないのは僕だけではないだろう・・・けど、初めて感動したぞ、ドコモの発表。

今年度で廃業するPHSを、ウィルコムへ同番移行させてやる、というのだ。
こんな朗報こそ、5大新聞と人民日報とワシントンポストとプラウダとル・モンドに掲載すべきである。

MNPが携帯だけっちゅうのは、理不尽極まりない!
ドコモのPHSは事業を廃止するんだから、空いた番号はそのまま他社(といってもウィルコムしかないが)に譲って、ユーザーには手数料なんて負担を求めないのが筋だろうが!!

と、僕が総務省に苦情メールを送ったのが、効いたのである。
・・・てことで、よろしいかな?

たぶん、総務省が右往左往していたせいで、事業者との調整が遅れていたのだと思うが、ほんの最近まで、ドコモは070ューザーに、さかんに「FOMAに乗り換えろ」と、090移行を勧めていた。たとえ同じ会社でも、番号は変わってしまう(8けた部分が同じでも、プリフィックスからして別体系だからね)。

最新機種の大幅値引き特典までつけて、うちにはそのクーポンが5回ほど波状攻撃的に届いただろうか。このへん、事業者はちょっと顧客情報を調べれば、すでに FOMAを並行して使っていて、ダブル090契約なんか望み薄だろうと察しがつくはずなのに、屋上屋を重ねるような愚かなことをさせるつもりだったか?

この波状攻撃を受けて、慣れ親しんだ070を捨ててしまったユーザーもいたはずだ。お気の毒に。
「待てば海路の日和あり」とばかりに悠長に構えていた僕は、あぁフライングしなくてよかった・・・と胸をなでおろしたのであった。

でも、もしもPHS同番移行が実現しなければ、年度末の最終日の23時台に、「さよならパルディオ祭り」なんてのができないかな?とたくらんでいた。掲示板にでも、間もなく無効になる番号を公開して、「最後のコール」がだれからかかってくるか・・・と考えて勝手にしみじみしていた(笑)ものだ。

このへんは、電話の場合は難しい。
よく、合併で市町村名が消えるとか、香港が中国に帰るとか、そんな「世紀の一瞬」には、空が無線でお祭り騒ぎのようになる。無線だからこそできる、何十人、何百人ものサークル会話の醍醐味のようなものだ(実際には、2ケタの人が一緒に話すのは難しいから、MC役が出てきたりする)。

無線が野外ロックフェスの世界だとすると、電話は一人で
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2007年7月の日記
時間割ドミノ

at 2007 07/31 23:03 編集

夏休み気分にもなれない、すったもんだの忙しさ。
論述試験の採点をかかえるのと平行して、後期のシフト調整を、契約相手の4法人と電話で、メールで、出向いて行って調整しているせいだ。

今日も2法人を渡り歩いて交渉し、書類の受け渡しをすませ、9月からよろしくねー、とスタッフに慌ただしいあいさつをしてきた。
ある日の夕方など、ついに18時に退勤の職場と18時出勤の職場がガチンコ。上司も巻き込んでなんとか収拾をつけ、離れ業でクリアすることになった。大丈夫かね?

10年前の、別の法人グループとの契約も、こんな感じだった。「お呼びがかかれば京阪神どこでも足軽ですよ〜電車大好きだし」とPRしていたら、本当にそうなって行った。
京都は、たまに遊びに行くならいいものの、さすがに9時半に退社して、とろい阪急電車で神戸まで帰らにゃいかんと思うと、近くの祇園で一杯♪て気分にもなれなかった。そんなわけで、祇園童貞のままである(笑)。

移動が多いと無駄な時間も増えるので、今は大阪だけに集中できていること自体、ありがたいことだとは思う。
友人で短大や大学をかけもちしているボヘミアンは、もっと大変だ。1カ所での仕事量はごくわずかだし、通勤時間の方がはるかに長いこともざらにある。

おまけに、最近の大学など、やたら郊外にできる。新設校はたいていそうだし、同志社も立命館も関大も大阪大も、京都の中心、大阪の中心からスピン・アウトしてしまった。

そりゃ梅田とか、東京だと汐留とか、ターミナル駅至近の一等地にキャンパスがあれば、教える側も学ぶ側も便利でいいと思う。
ところが、教育産業というのは投資の回収が目に見える形で実現しないものだから、やはり「売れてる」「ウケている」「当たっている」が見えやすいオフィスビルか巨大ショッピングモールのために、好立地条件は与えられるようだ。しかたないのかな。

NOVAのようになれというつもりはないけれど、古本屋や定食屋、コンパに手ごろな、しかも店長も同窓生のような赤提灯なんかがゴチャゴチャある都心にこそ、学び舎が立地してほしいものだ。

豊かな自然に囲まれて寮生活のできる神戸女学院の美点については、内田樹センセイがエッセイに書いておられて、それはそれでごもっともだと思うのだが、とりあえず仕事で何カ所も渡り歩くステージ芸人にとっては、「駅近ラッキー駅地下なおよし」が率直な気持ちだ。

辺鄙なところに通勤するはめになると、相手方との条件の折衝が難しい。
知人で、大阪から徳島や、日本海側の豊岡まで「通勤」していた猛者もいたが、豊岡は夜行列車で帰る電車賃を出してくれたという。うわぁ・・・と絶句する一方で、ブルトレに萌える男なら、ありがたい遠距離通勤だろう。

僕は「一発芸」で、博多まで新幹線往復+ホテル代を別支給してもらったことがあるが(日本総研さん、ありがとう)、たとえ週1回でも、こんな「リゾ勤」は悪くないかもしれない。
だから逆に、世の中の出張族がブーブー文句を言っているのが信じられない。バチあたりですよ、おとーさんたち!!(家族がいるから出張がわびしいのかもしれないが)

事故と隣り合わせで、夜通しハンドルをにぎっている長距離トラック運転手やバス運転士が、「しんどい」「きつい」とこぼすのはよーくわかるのだが、電車賃も飛行機代も会社持ちでしょ?とつっこみたくなる出張サラリーマン族は、旅をさせてもらってありがとう!!と感謝すべきだと思うぞ。
反感買いそうだが。

僕はまだまだ出張ビギナーで、博多には何度か通勤したのに「中州童貞」のまま。もったいないなぁ。
機会があれば、恋の街(ほんまかいな)札幌出張で、すすきの筆おろしを実現したいものだ。
いや、そもそも大阪に通勤して20年、「新地デビュー」もしてないではないか!興味ないけど・・・と、かっこつけるしかないけど。


あっぱれ讃院選

at 2007 07/30 22:51 編集

やっぱり、選挙を楽しむには投票に行くこっちゃなー、としみじみ思いつつ、いつも「無効票ではトップ得票率」の僕は夜中まで開票速報を見てしまった。
投票した候補が百万票超の得票でトップ当選するのは、やはり溜飲が下がる思いでスカッとする。

ついでに(といっちゃ悪いが)、ツルネン・マルテイさん、おめでとう!
投票はしなかったが、個人的にヒゲの佐藤まさひさ隊長、おめでとう。
レズビヤン尾辻かな子さん、がんと闘う山本孝史さん、残念!!
フジモリさん、残念でした〜アディオス!!

参議院不要論なんて非現実的に思えるほどの、与野党逆転劇を楽しませてもらったなぁ。
ねじれは政局不安定になるからいかん・・・とはいえ、ねじれがせめてもの歯止めにならいと、相次ぐ強行採決で、たとえば年金と医療は一挙に崩壊して行くはずだ。

そして、涙もろいワタクシが注目したのは、「涙」であった。
くやし涙、うれし涙、感謝の涙・・・と悲喜こもごもの分泌液である。バカな少年は小便を放水して武器にするが、大人の女はちょびりちょびりと絞り出して武器にする、アレである。

おぉぉぉぉ、そろそろ泣くぞ泣くぞと思うジャスト・タイミングでうるうるくる泣きべそ王子が原ジャイアンツ監督だったとすれば、目をうるませながらいじましく続投宣言をする安倍首相は、どうも遅漏じゃないのか?と心配してあげたい(ガンは、案外あの能天気アッキーだったかも・・・)。

逆に、もう早々と濡れ濡れ(もちろん、涙で)だったのは、「まるたま穴」であった。いやもう、すでに遊説中にウルウル泣いてみせるのは、ちと早すぎたんではないかい?

あの涙は、どういう状況で持ち前の泣きぼくろが最高に効くかを熟知した、ジジ殺し東大女の本領を発揮した、計算の解であったと思う。
やはり、「女の武器」は健在なのヨ♪と、上野千鶴子のおひざもとを卒業したキャリアウーマンご自身が示してくれたわけである。よりによって、丸珠は最も泣いてはいけない存在だったのに。

ただ、まるたまのほかにも「なんであんな候補が?」と感じてしまう憤懣は、衆議院のタイゾーくんのようなイリュージョン・チャイルドと引き比べてみれば、ちょっとは和らいでしまう。皮肉なことに。

そして、今回の選挙の裏の楽しみが、闘うオバサンの勇姿に萌えさかっていたこと。僕だけかな?
共産党あたりが、けっこう女王様っぽい切れ味の女性候補を毎回擁立するものだが、今回は各党まんべんなく萌えさせてくれたぞ。

民主の愛ちゃんもいいし、社民の上原ひろ子は前国立市長、と女王の風格ありありだ。尼崎市長の元キャビンアテンダント白井文さんも、VERYの表紙に似合うタイプかな?
自民の「まるもゆきこ」は、さて政界の次はクッキング・タレントにでも転職しそうな表記だが、なんかそんな先輩格の議員妻が、衆議院自民党にいたっけね。

島根の亀井亜紀子さんは、宮里藍とそっくりで、女子ゴルフつながりで(?)さくらパパと頭の中でリンクしてしまった。目線がパワフルで、まるたまにないものをすべて持っている感じの、頼もしいニューフェイスおばさんだ。

こうしたおばさんパワー・・・といっても浮き足立ったマドンナ・ブームではなく、しっかりと社会保障や教育や医療の未来を、しがらみ抜きで考えられる政治家が増えた方が絶対いいと思う。
タフな四十代、美しい四十代こそ、社会の腰骨なのだから。

小田実さんのご冥福も祈りつつ。


闘いすんで秘がばれて

at 2007 07/29 22:39 編集

この部屋に移ってきて初めての催しが、残っていた。選挙である。土曜日に選挙活動が一応終わった。
それにしても、静かな選挙戦だった。
いや、闘いは熱戦だったと思うが、選挙カーの騒音がほとんど聞こえない、とても閑静な田舎なのだった。

それでも、さすがに目抜き通りには選挙事務所があって、駐禁も完全無視の選挙カーが何台も停まって、気勢をあげていた。
なぜか、鯉川筋は民主党の事務所が2つあって、逆風の与党の影がない。ま、鴻池さんの地元は芦屋だし、うちの町内には石井一の実家があるから、野党のお膝元タウンなのだ。

そんな地元に、僕はあまり「ふるさと意識」のようなものがない方だが、政治家が近所にいて、橋をかけてくれたり駅を増設してくれたりすると、利益誘導のうまみを身近に感じる有権者感情は、よくわかる。新幹線駅なんか、悲願だろうね。

そんな角栄型のばらまき・飴配り政治の恩恵を実感することがなかった選挙区の住民としては、かえって「あの先生が建ててくれた○○」なんていうシンボルのもとに支持者が集い、かがり火でも焚いて選挙戦をやっている眺めも、経験してみたかった。それこそ、「まつりごとの祭典」だろうなぁ。
勝っても負けても、お涙が伝染してきたりして・・・。そんなハイテンションが、まつりごとの本質だと思う。

僕なら、バス停を造るぐらいしかできないが、やはり学校を建てたいな。
地域住民のご子弟だれでも入学できる、それでいて超進学校の「ミラクル学園」を(笑)。
清く正しく賢く優しい少年少女が、続々と輩出されるミラクル学園は、兵庫選挙区の宝として、党派を超えて支持される・・・かな?大学合格偽装なんかやらなくても。

そこに銅像を建てるなんて貧相なことは、ワタクシはやらない。ずばり、「神殿」を建てるぞ。ワハハハハハ
S価学会も視察したがる洗脳教育で染めあげ、優秀な卒業生は医学部へ進み、赤ひげドクターかブラックジャックになる。

そう、医療改革だ福祉拡充だ平和外交だという前に、それができるタフな少年少女が育たないと、未来はない。「未来の有権者」が、ワタクシの票田なのである!
なんてことを、選挙のたびにほざいているのだが、「入れるよ〜」と言ってくれる少年少女が成人すると、人を見る目もできあがってくるから、そのときにワタクシの正体が見破られてしまうんだよなー・・・


信長なら延暦寺にガソリン

at 2007 07/28 23:01 編集

スケートの織田ノブナリ君、情けないねぇ・・・ぴーぴー泣きじゃくるばかりの記者会見は。
「ええ気分で、サウナあがりにビールきゅっとやっただけやないけー!」とでも逆切れしてみせろってんだ。

おまけに、うたた寝してJRを乗り過ごして、草津で目が覚めたという。
中途半端やのう。
ふつう、大阪からJRに乗れば、「終点の米原まで行ってまうど」ってのが、よくある酔っ払い一般クラスへの脅し文句だ。

中級クラスは。終点の米原でも爆睡していて、おまけにだれにも起こされずに戻ってきて、今度は姫路で目が覚める。ワハハハハハハ
そんな悲喜劇の一部始終を観覧できる機会には恵まれたことがないのだが、阪神間でなら、よく見かけるぞ。
阪神電車の梅田駅に入ってきた電車で爆睡していて、だれにも起こされずに、また神戸方面へ戻って行くおっちゃん客を。特に、真っ昼間のすいている電車に多い。

フッっと目が覚めて、「あぁ、まだ芦屋か、大阪までまだまだあるなぁ・・・ムニャムニャ・・・と眠り直して、どんどん大阪から遠ざかって行ったり。
・・・って、じっと観察しているワタクシも残酷だが、こういう爆睡客が目覚めた時の反応は、最大の見ものだからねぇ。もう、ワクワクするではないか。

そこまでの大物ではなかったノブナリ君、これが去年のJRダイヤ改定で、日本海と瀬戸内海を直結するようになった新快速に乗っていて、「目が覚めたら、敦賀でしてん。ワッハッハ〜!!」と笑っていたら、その豪放磊落ぶりで飲酒バイクぐらいは微罪扱いされいたかもしれない。一応、飲酒運転はいけないことではあるけどね。

スケート選手のバランス間隔で、高槻から京都まで居眠りバイクで転倒せずに走り通せていたら、これはアッパレの上級テクニックだ。たとえつかまっても、大絶賛されていただろう。
もっとも、そんなチャレンジが成功する確率より、大事故→スケーター廃業となる確率の方が高いから、関西大学も、本当に選手として大事に扱うなら、二輪車の運転など禁止すべきだっただろうね。

超一流スキーヤーはオフにサッカーなどしないし、同じように超一流サッカー選手はスキーなどしない。なでしこジャパンは野球をしたりしないし、卓球の愛ちゃんはパチンコをしないのだ。それがプロというものよ。
ただ、「シャラポワの温泉卓球」は見てみたい気がする。
いや、温泉卓球というより、ゆかた卓球というか・・・。
せめて、ゆかたビリヤードでも・・・って、不純か?


次は綺羅羅

at 2007 07/27 23:07 編集

「越光」に「一目惚」には、笑ってしまった。
日本米を、世界の中心でパクリにふける某国で売ろうとしたら、すでにコシヒカリとひとめぼれのブランドが商標登録されていたという。笑いとばすとJAに気の毒だが、しかし脇が甘いねぇ。

これ、パクリ人民共和国のあざとい戦術というより、もしかすると、入れ知恵する日本人がいるように思えてならない。「ブランド名を登録しておけば、本家が売りにきたときロイヤリティを取れまっせ。どこが中国進出しようとしているか分析してやるから、私にはマージン**%よろしくね」とかなんとか、そそのかしているやつが。
アパンマンも、クレヨンしんちゃんも同じではないだろうか。

ソニーはWALKMANを登録したが、英語圏でやるように、漢字文化圏だからこそ、よほど細かく考えて、想定されるブランド名を守らないと、似たようなことが起きかねない。極端な話、「豊田自動車」なんてのが出てくると、本家がレクサスが「模造品」よばわりされかねない。

特に、漢字で書いてある会社名やブランド名は、片っ端から「お手つき」になるおそれがる。資生堂も、三菱も、松下も(すでに日立はパクられてHITACCHIが出ていた)。ワープロソフト「一郎太」があってもおかしくない。神戸牛、松坂牛も危ない。

このへんは、そもそも日本人が漢字をパクってアレンジしているんだから大きなことはいえないだろう・・・と、あちらもこちらも双方それぞれの理屈で正当化してしまう向きもあるから、どうも日本企業としては旗色がよろしくない。

日本側が報復しているわけではないのに、孫悟空の日本版アレンジにかみついてきたりしているから、目には目で、『金瓶梅』を村西とおる監督で撮って「逆輸出」してみるか?
『金瓶梅』の商標を取って、『金瓶梅』で売り出せば問題ない(そういえば、『女子十二楽棒』ってパロディがなかったっけ?)。
資本主義の退廃だ!!拝金帝国唾棄!!とかなんとか、あちらさん得意の横断幕作戦で攻撃してくるように見えて、けっこう「蒼井空的豊満肉体熱烈歓迎」とエレクトしている消費者が、2億人ぐらいはいてくれるね、たぶん。

こんな応酬が、やがてあちらが源氏をパクる、こっちが京劇をパロる・・・と発展して行けば、それはそれで新しい作品として大人気になることも、ないとはいえない。そもそも、文化はそんなものかもしれない。

もっと生産的に、いっそ日中合作で平和裡に作品や製品の共同開発が進めば、それがベストだろうなぁと思うし、ちょっとは見てみたいぞ、カンフー・アレンジの「仮面ライダー」なんかも。


ブログ難民は何万人?

at 2007 07/26 22:45 編集

ブログといえるようないえないような、原型のような亜流のような、このgooのサービスが終わるようだ。
会員個人には通知もないので、もう、「やる気なし」なのかねぇ・・・。
gaiaxから引き継いだはずのサービスを、わずか数年で放置。これでOCN CAFEへ移行してねと促されても、どうも信用できんわなぁ。

で、引っ越し先をどうするか。
並行して維持しているのはgooブログトエキサイトブログ、あとシーサー・ブログもやってたっけ・・・どれも一長一短あって、なかなか「安住の地」がない。ブログ難民か?(笑)
腐敗臭が洩れ臭ってくるミクシィへ行くつもりはないし。

シーサーなんか、「コンテンツのエクスポートばっちり」をうたっているのは、倒産することも想定内なのか(笑)、だとすると誠実でよろしいわい、と妙に評価してしまうが、サーバー反応がとろいことしばしば。勝手にアフィリエイトリンクを埋め込んでくれるのも、便利なんだか、おせっかいなんだか・・・。

携帯でチェックしてみたところでは、エキサイトが一番すっきりしているのにカテゴリーもリンクも表示されるので、このへんで手を打つか?と思案中。ただ、各社ともサービスをいろいろ拡充しているので、来月いっぱいかけてじっくり選ぼうと思う。

いまだに、ブログはしっくりなじまないところがあって、それがなぜなのか?は自分でもよくわからないので、気持ちの中でうまく整理できれば、華々しくブログりまくるか、まったくやめてしまうか、それとも英文デビューするか、セカンドライフに住みついてしまうか、なんともわからない。

まぁ、どんなメディアに横滑りしたとしても、gooでjazzyさん、みかん娘さんらユニークな多士済々と出会えたのもたしかで、ご縁は大切にして行きたいと思う。
結局、オフ会なんか一度もやらなかったし顔を出すこともなかったなぁ・・・と、少し反省。
ひまな方は、
http://k.excite.co.jp/hp/u/cov3/?pid=0004yid=SSL=
のどちらかにおいでいただければ、オフ会がわりになりますよ・・・ということで、残り少ないgoo最後の夏を、しこしこと消化して行くとするか。


修理名人は幸か不幸か・・・?

at 2007 07/25 21:24 編集

めんどくさいなーと思いつつ、職場から小径車専門店へ向かった。面倒なのは、隣りの隣り区なのに、店の最寄り駅まで地下鉄だと3回も乗り換えなくてはいけないこと。それに、大阪地下鉄は、運賃が高いのだ。

そこで、初めてJR東海道線→環状線→京阪と乗り継いで、少し歩くルートを選んだ。
昼下がりのビジネスタウン北浜は、静かで暑かった。
やたらマンション工事が多い。これも時代の流れだろうか。
このあたりに住むと、自転車で買い物&通勤圏になりそうだ。もっとも、空気は最悪だから、運動するほど肺癌リスクは高いと見たぞ。

タイヤ2本を買って、あたふたと神戸へ引き揚げる。たった18インチのタイヤだけなのに、ずしりと重い。
おまけに、ネット通販の相場より5割高い。これじゃー通販の方が早くて手間いらずかもしれんなぁ・・・と思う。

パンクの穴ふさぎなどというチープなことはせず、チューブとタイヤの両方を交換してしまおうと、パンクした後輪をはずす。クイックレリーズのくせに、5年酷使してきたせいか、あちこち癒着していて、車輪をはずすのも力仕事。
ぺちゃんこになっているのに、タイヤも古いチューブも、これまた癒着していて、ひっぺがすようにむしり取る。

新しいチューブは、さすがに張りがあってたのもしい。
爪で傷をつけないよう慎重にはめこんで、少しエアを入れてタイヤをかぶせて行く・・・とまぁ、単純に内側からリム→チューブ→タイヤの順にはめて行くと、難航すること30分。汗だくである。
タイヤをはめて、すきまからチューブを入れて行くのがコツなのだった。あーしんど。

手は真っ黒になり、いろいろ発見しながら、なんとか形だけは新品タイヤとチューブがおさまった。空気を入れて、車体にはめこんで、ちょこまか試乗してみると、なんとなくしっかり地面をグリップしているような、タイトな感触が伝わってきた。

ただ、くせものは「形だけ」は新しいタイヤに替わっただけで、チューブがねじれているとか、リムとタイヤで噛んでいるとか、そんなトラブルが多いらしい。どこでシュパン!!とボロが出るか、わかったもんではないのだ。
自分の素人修理ほど信頼できないものはないからね(苦笑)。

こういうのは、やはり専門店でやってもらった方が、工賃だけなら1000円そこそこなので安心だと思う。
あえて自分でやったのは、まぁ、遠乗りしている途中でパンクでもしたら、自分で修理できるよう「実技」を経験しておこうと思ったからだが、そもそもパンクの修理なんて、自転車歴35年ほどでたしか2回目だ。いや、パンクの経験そのものが2回しかない。

めったにないトラブルの修理であるがゆえに、なかなか腕は上達しない。自分でうまくできるようになるには、しょっちゅうトラブってくれないと困る。いや、それは困る・・・と、セルフメンテナンスというやつは、矛盾と背中合わせなのだ。

メンテナンス・マニュアルもいろいろ出ていて、DVDつきなんてのも買ってはいるのだが、そもそもこんなにしょっちゅう、あちこち故障するものかね?と思ったりもする。

それもそのはず、こういうマニュアル本は、一般的に起こり得る故障をすべて1冊に盛り込んであるわけで、実際のところ高性能車を大切に愛用していると、故障らしい故障は年に1回起こるかどうかだろう。人体の故障より、はるかに頻度は低いほどだ。

自分でてきぱきと故障が修理できるようになるからには、よほど頻繁に試練を与えてくれるような故障続出車に乗っているか(笑)、仲間とチームで走っていて、修理係でも引き受ける必要がありそうだ。
どっちにしろ、避けたい不運ではある。入院や手術のダンドリを熟知して慣れ親しんでいる「達人患者」にはなりたくないのと同じで・・・。

「いやー、僕の愛車は故障しないから修理も下手くそで」とキザに笑っていたいものだが、故障ではなく不満を次々に見つけるのも、「いじくり慣れ」する1つの方法かもしれない。
いっそ、改造王になるか?

そういや無線機なんかは、僕はあちこち改造しまくっていた。
ただ、そんな改造機を久々に引っぱり出してくると、どう改造してスイッチ操作を替えたのか忘れてしまっているから、たとえばアクセルペダルを踏むとクラッチが切れたりするドッキリマシン(笑)になっていたりするから恐い。

改造も、した本人が忘れてしまうんだから、考えものである。
こんなの、僕だけだろうか?
やはり、ノーマルなままが無難かな。


夏休みらしくない月曜出勤

at 2007 07/24 22:53 編集

やっと近畿が梅雨明けした。
スカッと暑くて、夏らしくていい。

いよいよ今週から、夏休みだ!!
とニュースもバラエティも騒いでいるけれど、小中高校生が日本人の何割いるんだか・・・そんなに子供の暦に引きずられるこたぁないのに・・・とケチをつけまくっている僕が、夏休みだ冬休みだ春休みだとのんびりしまくっているんだから、皮肉な話である。

世間のお父さん、お母さんは、子供が休みに入るのが、そんなにうれしいのだろうか。
それともマスコミは、子供の目線で夏休みを祝っているつもりなんだろうか。謎は尽きませんな。

幼稚園3年間から数えて、夏休み歴40年(笑)の僕が、今年は職場シフトの都合で、初めて「夏休み40日」というお宝時間ものがなくなってしまった。
正確には、週1回アサガオに水やりに行く(!?)当番のため、この夏は週休6日ということになる。旅行は5泊6日が限度。

もう、絶望的な気分・・・なんてことをいうと、勤勉なプロレタリアートに鎌と鍬で殴られそうだから、小声でこぼすしかない。これぐらいの出勤増でも、「帰っておいで私の夏時間!!」と、竹内まりお気分になるワタクシは、あぁ、なんと軟弱な中年男であることよ。

でも、もともと僕は海の日から盆あたりまで、灼熱の都心でぢっとしているのが習性だったので、特に盆休みあたりのガラガラの通勤ラッシュ(じゃないか)の電車なんかは、シュールな気分で悪くない。
月曜日の朝8時台のJR東海道線も、心なしかすいていたような気がする。駅ごとに大学があるような阪急神戸線は、もっと劇的に夏の朝はすいていたものだが、今年はまだ阪急電車というものに乗ってないのでわからない。

若年人口が減った昨今は、そんな季節感も薄れているのが、少し寂しいといえば寂しい。夏休みになったらなったで、通学定期でせっせと(学校以上に熱心に?)バイトに通勤する学生が多いせいだろうか。

シューカツだ補習だセミナーだ合宿免許だバイトもはめこんで行かなあかんしー・・・と「予定でびっしり手帳」を見せてもらうと、唖然となる。いざ就職してから毎月200時間も仕事漬けになると、燃え尽きないものかね?と、「夏休み歴40年」としては心配になるぞ。

今なら18きっぷ11500円で、北海道まで乗り継いで行けるぞキミタチ!!
とけしかけたって、「9800円の飛行機チケットもあるから」と、反応はそっけない。まぁ、ムーンライトの実態は、神経質そうなジジ・ババ・マニアが埋め尽くす巡礼列車だからねぇ。
夏の鉄分補給は、うんと穴場を狙わないと・・・。
これが夏休み歴40年男の、夏の宿題である。トホホホホホ


ヘチマ水は知らないけれど

at 2007 07/23 23:11 編集

タイヤひとつ手に入らないだけで、せっせと歩き回って汗をかく梅雨明け陽気。
いやはや、駅から20分の坂道、しかも斜度がどんどんきつくなる「二次関数カーブ」はきつい!

でも、日陰の路地に入って、打ち水なんかしてあったりすると、そこだけ局地的にひんやりしているのを感じる。ジョウロで風情ある打ち水をしてくれているおばーちゃんなど、ありがたい存在だ。ホースでジャージャーやっているおっさんは迷惑だったりするけど。

トンネルのような廊下を外気が通るようになっているアパートは、おぉ都心かと思うほど、風が涼しい。どうりで、どの部屋もエアコンを回している音がしないはずだ(今だけか?これからブンブンうなり始めるのかも・・・)。

那覇より暑い(笑)大阪の、いま前景気が盛り上がっている世界陸上キャンペーン・ブースには、緑のカーテンやミスト水冷のデモが展示されているとかで、あちこちの番組で紹介されている。電力に頼らない天然冷房の知恵をしぼるのは、とてもいい試みだと思う。
ケチケチ精神で効果が上がる技術なんてのは、大阪が世界に誇れる知恵といえるかもしれない。

で、緑のカーテンや打ち水なんかは、昔から自然に庶民が活用していた原理ではある。その打ち水の水滴を細かくしてミスト化するだけで、気化熱を奪いやすくて節水にもなるんだとか。すばらしい!
冬の雪国で道路にシャワーが吹き出しているように、道路やビル壁面からミストが噴出するようになれば、街全体がずいぶん涼しくなるのではないだろうか。

緑の壁は甲子園球場のようなツタが有名で、そういえばペギー葉山の懐メロで「学生時代」なんかは、「ツタのからまるチャペルで祈りを捧げた日」を唄っているもんなぁ。母校のチャペルも図書館も、エアコンなどなかったけれど、まさに歌の通りの風情で、夏は居眠りしに行くのに最高の場所だった。

こんな自然な冷暗所が、街からなくなって久しい。
僕の悪ガキ時代でも、工事現場とかマンションの駐車場とか、味気ない冷暗所に垂れ込めて友だちといけない遊びをしていたほどだから、今の子供も大人も、涼味を味わう知恵なんかなくなっているのかもしれない。

こじゃれたセレブっぽいガーデニングを楽しむなら、朝顔を繁殖させるとか、ヘチマを大量生産するとか、家の壁面を緑で飾れば一石二鳥ぐらいの利点もあると思うのだが、こういう植物は今どきダサいのかな?

ヘチマなんか、うちの庭で立派なやつを収穫して、銭湯に持って行って愛用していたもんだがな。けっこう「自家用ヘチマ」を持って来ているおじさんもいたっけ。
あの感触が、子供の肌には妙にイタキモチよくて、懐しくて、夏の思い出の1つになっている。ベランダでは、できないものだろうか・・・


愛犬バーディー

at 2007 07/22 21:10 編集

自宅玄関前の、街路灯と路肩の間に愛車を留めていたら、市役所が撤去しろと赤紙を貼って行きやがった。
「通行の妨げになります」と書いてある。あほか。
街路灯の鉄柱と路肩の間である。この30cmほどの空間を、昆虫以外のだれが通行するんじゃい!
わざわざこんな住宅地の片隅の生活道路まで巡回して鈴虫の味方をする役所は、いやはや見上げたもんじゃのう。
・・・と、皮肉りたくもなるぞ。

しかも、年月日を書かずに「1週間以内に移動させないと撤去するよ」と脅してある。
こんなふうに、期限を定めず行政処分を通告するのは、権利の乱用ではないか!!と憤慨しつつ、ころあいをみはからって、アパートの駐輪場になんとか押し込んでおいた。満車状態だから、停めにくいのだ。

すると、10日ほどたったころ、僕の愛車と並んで放置されていた、明らかにもう持ち主も乗っていないサビだらけの電動自転車とママチャリ(赤紙つき)が、きれいに撤去されていた。
荒ゴミ処理をしてくれたわけね、わざわざ二度出張して。

持ち主が、2000円を払って取りに行くとは思えない半壊状態の放置自転車を運んで行ったところで、この費用は結局市民税から出るだけ。つまり、コストを回収できない仕事なのである。

こんな公費の無駄遣いを見せつけられれば、なるほど「本当の放置自転車」も増えるわなぁ・・・と考えてしまう。自転車を捨てたくなれば、荒ゴミ日に収集所に持って行かなくても、どこでも思い立ったところに乗り捨てておけば、役所がそこまで車で引き取りに来てくれるんだから。アホくさ。
もちろん、見せしめ効果も狙ってのことだろうが、この「駐輪イコール放置」とみなして撤去しようとする乱暴な道路行政は、やればやるほど回収できない赤字を蓄積させることになると思うぞ。

ちゃんとした駐輪場を整備しないのも、行政の怠慢の1つ。
クルマ1台のスペースがあれば自転車は10台停められるから、100円パーキングは自転車に転用すると10円パーキングになる。みな停めるよ、10円なら。

こうして、バカ高いだけで不便な公営無人駐輪場のライバルになって、料金と利便性を競いあって、いい駐輪場が整備されれば、だれの迷惑にもなっていない駐輪に目くじら立てて取り締まりをしなくても駐輪のお行儀はよくなると思うのだが、どうだろうかね。

で、悪態タラタラつkながらも正規の駐輪場に愛車を移して、一番奥の邪魔にならない隙間に停めておいたら、今度はパンクしてしまった。どうもリム打ちでチューブが避けていたようだ。

タイヤのへりがボロボロで危ないなぁと思いつつ、6気圧ぐらいまでパンパンに空気を入れておいたら、夜のうちにパンクしていた。
約5年こき使って、よく効くブレーキでしょっちゅうリアホイールをロックしてまで道路にこすりつけてきたから、タイヤは丸坊主に近いありさまだった。いい交換時期かな。

と思って、何かとお世話になっているヤマダサイクルセンターにタイヤを買いに行くと、僕の愛車だけは、特殊だからと扱ってなかった。なんじゃとて。
一難、二難、三難である。あぁ、ため息が漏れるわい。

だらしなくタイヤがぺちゃんこになった愛車バーディー君が、不憫でならない。
そのうち、ちゃんと部屋まで上げて、念入りにメンテナンスしちゃるけんね、ということで、しばしの「乗らずの無沙汰」を詫びることにする。
まるで飼い犬だな、自転車ごときでも。


散弾銃受験作戦?

at 2007 07/21 21:03 編集

ある大阪のさもしい高校が、優等生をたぶらかして73もの大学合格実績をかせいで、「当校進学実績」としていたらしい。
あぁ、これで新入生は激減するね。わたしゃ知らんよ。

どうせバレるとわかっていて、こんな愚劣な「実績偽装」をするなんて、よほど理事会が血迷ったか、アルツ・・・なんていうと問題発言か。
麻生太郎さんは、こういう学校呆人にこそアルツ云々と切って捨てるべきでしたな。

センター試験のスコアで合否判定するシステムが、そもそもこういう不正を生む条件のひとつになっていたのは確かで、さもしい高校がインチキに使うことを想定しておくべきだった。
まぁ、この1件で1校が沈没して、再発防止策が講じられるなら、「雨降って痔かたまる」でいいとするか。

いやいや、コトは入試実績の偽装がバレた間抜けな事件だけではすまない。
この3年生は、73大学を受けたことになっていて、72校の合格を放棄しているわけだ。ということは、別の受験生の合格を72件奪っているわけで、不合格になった受験生は、この大阪のあさましい高校を集団提訴してもいいぐらいだと思う。

この受験生が単純に学校からの要請で「受けたことにしていた」大学は、60か70はあるはずだ。「73大学どこでも受かれば入学するつもりだった」なんて抗弁がどこまで認められるか微妙なところだが、そこは法廷で熱弁ふるってもらおか(・・・と、もう被告だと決めつけている)。

そもそも、私大入試のシステムが不正やムダ受験を生む下地になっているのも確か。僕が受けて落ちた大学を同級生が合格して、しかも別大学に入学してしまった苦い思い出もある。そいつ自身と親がそろって恐縮してくれていたし、「入試って、こんなもの」と覚悟していたから、個人的には何も感じなかったけど。

もし、ここがアメリカで、受験生の中に知り合いがいて命運が分かれるようなことがあれば、裁判沙汰になっても不思議ではない。替え玉まで横行するほど受験熱がすさまじい韓国や中国でも、ありえる話だ。まだ日本は牧歌的というか、アバウトなところは救いといえるのかな?
もっとも、僕も合格して行かなかった大学があるから、あまり裁判だ権利だとシビアに声をあげて裁判しろしろとアジると、自分の首をしめることになりかねない。

大学側も、合格しても袖にする受験生を見込んで水増し合格を出しているものだから、それでも合格しなかったなら、よほど成績が悪かった結果だと納得すればすむ話。このボーダーラインぎりぎりの受験生が首の皮1枚つながるか切れるかを気にしている受験というもの自体も、あさましい儀礼だなぁと思うのである。

ほんと、入試なんか抜本的に見直して、早慶や関関同立で勉強したい高校生はどんどん入学させて(もちろん外国語や哲学も猛勉強させて)、1年次からドサドサふるい落として行けばいいのだ。進級のたびに9割が落第する大学がもし実現すると、かりに1万人が入学しても、4年生は10人ということになる。おぉ!見てみたいものだ、このサバイバーを。
「東大は都道府県の人口比に応じて入学枠を割り振れ!」と主張する評論家もいた。これも名案かもしれない。

とかなんとか言いつつ、そうなったらなったで、僕など「昔はな、2月の極寒の入試で苦労するのが試練であった」なんて類の、役に立たない思い出話を垂れるじじいになりそうな気もする(苦笑)。
むしろ、試練のない今の学生の方が、気の毒に見えることもあるのも確か。大学全入時代が間近だからこそ、試練とチャレンジを選ぶ者だけが生き残ればよろしいのはないかと真剣に思うぞ。


柏崎がんばれ

at 2007 07/20 21:48 編集


リケンの柏崎営業所で操業がストップしたせいで、国内の自動車メーカー12社のピストンリングが生産されなくなっている・・・と知って、意外や意外、特定の1企業に依存した部品供給が日本のクルマを支えてたんやなぁと「社会勉強」になった。

僕はナイカー族なので、わが愛車におきかえてみると、ちょうどシマノが操業ストップしたようなものかな。だとすると、日本の誇るべき基幹産業にとっては大打撃だろう。

でも大丈夫、某ニセモノ大国があるぞ。
困った困った困ったとうろたえていると、あちらのミラクル名人は、「激安ピストン」を木と竹で作ってくれるはずだ。ヌハハハハハハ
ちょうど、アメリカで某国製の子供用クッキング玩具が欠陥で販売停止!とのニュースを見ていて、「ありゃりゃ?ママレンジのパクリやないの」と唖然とした日本人も多いはずだ。

もう、後から後から次から次へ、出てくる出てくるパクリ製品!この調子だと、まぎらわしい「レクサヌ」も「スカイライソ」も作ってるに違いないね(笑)。

クルマよりスイ〜ツに心を奪われる軟弱野郎のワタクシにとっては、柏崎の有名企業といえばブルボン製菓。
ホワイトロリータという悩ましい名前のお菓子も、菓子としては絶品だし、僕は今バウムロールにはまっている。バウムクーヘンの本家地元市民である僕から見ても、バウムロールはくどくないトロリ感が絶品だ。下手なスナック菓子より栄養満点で、オールレーズンと並ぶナイスな行動食だし。
新潟は米菓のイメージが強いのに、このブルボンのセンスのよさは尊敬に値する。
ぜひ、風評被害や景気の落ち込みに負けずに、操業復興にがんばってほしい。もちろん、リケンも。

と同時に、「事故なし」から「放射性廃棄物のドラム缶横倒し」ついに「放射能漏れ」「海に流出」と、案の定の事故隠しがポロポロポロポロ明らかになっている東電に、風評被害の損害賠償を求めればいい。

ほんと、隠せば必ず傷口が開いて行くことぐらいわかっているはずなのに、隠し通せると思っているのだろうか、原発企業は!
最初に「原子炉倒壊!県内全域が放射能の渦!!」とぶちかましておけばよかったのに。
・・・ってのは乱暴か?

赤城大臣も、ギャラをはずんでSMクイーンや銀座クラブママを仕込んでおいて、「ヒールで踏んでやったわ」「手切れ金で指3本しか出さないから引っかいてやったの」ぐらいのこと、迫真の演技で言わせておけばよかったのだ。
んー、これも違うか?


もとへ!

at 2007 07/19 22:36 編集

避難所に扇風機が差し入れられたのを、朗報だと浮かれているマスメディアもどうかと思うし、ちゃんと取材しているのだろうか。
何人の被災者が扇風機を希望していて、扇風機で不安が解消されました!災害復興への励みになりました!って人がどれだけいたのだろうか。
別に、扇風機を求めるなというつもりはないけどね。

1日も早く自宅に戻れるか、「戻れる日がわかる」ことこそ、最良の心のケアになるんちゃうかなーと思うのは、素朴な国民感情だろう。
そこを担当するのが、ガリ勉だけの臨床心理士でいいのだろうか?とも思うのは。ナイ〜ブなカウンセラーをいじめたところで、そのまたカウンセラーが必要になるだけだが、被災者の不安のストライクゾーンを逃さず、ちゃんと絶好球を投げられる専門家は、日本に何人いるだろうか。

いつ我が家に帰れるの?
自宅再建の費用はどうしたらいい?
仕事が元どおり続けられるだろうか・・・

これが、生活者の悩みである。これに答える、いや応える専門家が必要なのだ。
生活者という全人的な存在の中から、不眠症とかパニック症候群だけを取り出して「検査」して、何がわかるのだろうか。
大馬鹿者クラスになると、子供を集めて被災地の絵を描かせたり、泣かせるワークショップとやらを開いたりして、被災者の心をもてあそぶ。いいかげんにしろっての。

僕自身も避難所で寝泊まりしたのが、もう12年も前の話だから、今の新潟の被災者の気持ちがどうなのか、正直よくわからない。
ただただ、ストレスがたまっていることでしょう、とお察しするばかりだ。

それに、大人数でかたまっていること自体の心強さとイライラを天秤にかけると、どうもマイナス面が少なくないような気もする。
なのに、「かためておけ」といわんばかりのお役所仕事をひっくりかえすような指摘は、本当にないのかな。もしかして、タブー視されているのか・・・?

普通につつましく生活しているだけでも、子供がむずがっている家族と、高齢者だけの家族とでは温度差が違うし、見舞いや差し入れの多い家族とほとんどない家族との格差は、いやがうえにも浮き彫りになってくる。それも、衆人環視の中で。
こんな光景も、ストレッサーになると思う。

地震それ自体で命拾いしても、避難先で命を落とす被災者が必ずいるのも、やるせない。本当に不憫に思う。無策ぶりを露呈している象徴的な悲劇ではないか。
倒壊・損壊家屋は一日も早く撤去でもして、その土地にプレハブ住宅を建てて住めるように進めて行ってほしい気もする。経済力の乏しい高齢者にとって、仮設住宅の次は公営住宅、そして特養というコースをたどることが多いから、引っ越しに次ぐ引っ越しで、心休まる年はない。
住み慣れた土地に住み続けられない無常感、根なし草のような喪失感は、とりわけ高齢者にはつらいだろう。

家を失ったショックに加えて、慣れない土地で見知らぬ隣人とつきあいながら暮らす中で募ってくる適応障害は、神戸でも問題視されてきた。自殺や孤独死も多い。
この轍を、これからの被災者に踏んでほしくないと切実に思う。


赤城の子守歌

at 2007 07/18 22:58 編集

あえて聞くまでもなく、もう、わかりやすすぎるほど「殴られました」印の赤城農水大臣のばんそうこう姿には笑えた。おまけに、涙目だし、片目は腫れてるし。

これが「暴漢に襲われて・・・」「ウルシにかぶれて・・・」ってことなら、お気の毒に、と同情も誘っただろうが、本人が頑なに否定しているから、見た者は「内輪もめでやられたのボク」と言いたいのだな、と勝手に解釈してしまうのである。
説明責任が命の政治家なんだから、「説明しない=憶測を許してしまう=邪推されて笑われる」のは当たり前。

といっても、邪推の選択肢はさっぱり少ないのが、つまらない。
家柄は由緒正しいかもしれんが、つまらないガリ勉人生を歩んできた、退屈な秀才クンだからね。

仮説1:パパに殴られた

「パパー、実家を事務所に使ったことにしてるんだから、正直にしゃべっちゃだめだよ!」
「何を偉そうなこと言うかセガレよ。ちゃんと口裏を合わせておかないおまえが悪いのじゃ」
「だってだって、ボク御曹司だもん。僕の願望通りに、家の中は動くことになってたよねっ!ねっ!ねっ!」
「バカモン!!おまえの爺さんに代わって、鉄拳だ!」
てな、みっともない若殿のご乱心があった。
と見るのも、かなり信憑性は高そうだぞ。

仮説2:松岡の亡霊と格闘した

「寝込みを襲われたのです、ポストを返せ!と。クワで殴りかかってきたから、私は鎌で応戦したのです!!」なんてことを真面目に主張すると、報道各社は「こりゃまともに問答できない状態だな、お大事に」と引いて行くだろう。もしかすると、河合隼雄文化庁長官が倒れた後のように、報道管制が敷かれるかもしれない。
そうなれば、赤城さん、してやったりであるね。

仮説3:バキューム・キス

だれが?と聞くのは野暮というものだ。
ホステスだろうと愛人だろうと、ドーランでは隠しきれない強烈な跡が残るバキューム・キスとは、どんな威力なのか・・・俺にも宜しくお願いしたい、と望む殿方は多いだろう。
顔は困るけど。

まぁ要はアザをつけたのがだれなのか?に世間の関心は収斂して行くはずだから、そのうち内部リークで全貌が明らかになるだろう。
そのころには、もしかすると内閣改造で、短い任期は終わってしまっているかもしれない。それまでの間もたせとして、ばんそうこう+不精髭+涙目は、けっこう効果的だったということになるのかな?

この目くらまし作戦がうまく行けば、ほかの閣僚もクサい真似を始める可能性があるぞ。
いきなり小池百合子防相が剃髪して出てくるとか(本当に出家したのか、プレイなのか?笑)、
麻生太郎のワイシャツが透けて、亀甲縛りの縄の模様が浮かび上がって見えるとか。
**大臣の髪が咳払いするたびに微妙にズレて行くとか。

記者会見で事務所経費の問題など命取りになりかねない急所に質問されそうになったら、「どころで、皆さん気になさっておるコレのことだが・・・」と横道にそらせる絶好の記号になると思うね、ばんそうこうや包帯は。
さるぐつわや手錠になると、マニアックすぎて、記者会見になじまない。よって、手厳しい質問をかわせる。ゆえに安泰。

と僕は勝手に読み解いているのだが、かなり自信はあるぞ。たぶんアカギくんは仮説1で図星でしょう。
ばれても、どってことない。アカギくんは、あくまでも実験台にすぎないのだ、政治屋たちの。
殴られても、ひっかかれても、吸われても(笑)、御曹司は泣き言をもらさず、ぢっと耐えるしかないのである。六本木の秘密クラブ「空母赤城」で、ビザ〜ルなママの太ももに顔をうずめて、しくしく癒されてなさいって。ワハハハハハハハ


タコ部屋見舞い

at 2007 07/17 22:11 編集

中越地方が震災で非常事態だというのに・・・とレジャーを自粛するのも、うそくさいかもなーと自己弁護しつつ、裏山をほっつき歩いてきた。
さすがに、雨に打たれたのはバチが当たったせいか?

それに、被災地に降る雨が少しでもこっちに回るなら、喜んで降られようではないか!と息巻いてみても、お天道さまには通じそうにない。
非情の雨は中越地方に降り注ぎ、そのせいで瓦礫の山は水を含んだ泥の山と化して、生き埋めになった被災者を窒息させたのではないか?とも思ったりもする。素人の見立てにすぎないが。

高齢者ばかりになった犠牲者にはご冥福を祈ることしかできないが、家を失った万単位の被災者の処遇もハードで、エコノミー症候群やストレスなどで、二次被害が心配されている。
ぜいたくはいえないとしても、「菓子パンと水を支給」って、一体どうよ!?とも思うぞ。被疑者がカツ丼を食って(ドラマの見すぎか?)、張り込み刑事があんパンと牛乳なんだから、せめて北海道で余っているという牛乳ぐらい、どーんと補給できないもんですかい?

体育館で何百人も雑魚寝ってのも、もう国民全員が見慣れていて、いざ自分が台風か震災かの被災者になったとき、「こういうものだ」と自分を納得させてしまう思考誘導も、やるせないものを感じる。

しかたないといえばしかたないが、あの久間さんじゃあるまいし、もっと楽しく快適な被災生活を、行政も企業もボランティアも頭をしぼってほしい。
コールマンのような企業は、ファミリーテントぐらい提供してくれたら、けっこうな宣伝効果もあることうけあいだが、そう考えるとアウトドア業界は「がんばりどき」だろう。

姉歯さんには、永住型仮設住宅(矛盾するなぁ)の「渾身設計」をやってもらって、ミートホープには上ロースの味がする配給食を開発してもらう(あかんかな?)など、こういうときに罪深き話題の人々は罪滅ぼしをしてほしい。その貢献度に応じて、恩赦を出せばいいのである。

ホリエモンもグッドウィル折口も、ほんの少し私財を投じれば、被災者全員の仮設住宅ぐらい、すぐ建つはずだ。そこにアライブドアハイツ」なり「混むスマン住宅」なり出資企業の名前が分かるネーミングになっていても、いいではないか。
こんなCSRは、あまり報道されないようになっているのもいやーな事実。ふと、小指のない作業服姿の「ボランティア」が、被災者ケアで活躍しているのに、周到にテレビが映さないようにしていた阪神大震災を思い出す。

同じように、「進んでないな」と感じたのが、行政が得意とする大部屋一括収容主義。
10人か20人=4〜5世帯単位で細かな避難所暮らしができれば、ストレスはずいぶん減ると思う。ただ、役所の都合としては、1カ所にかためておいて集中管理できる方が、やりやすいのだろう。

いきおい食事は流れ作業になり、トイレには黄金の山ができ、ひっきりなしに訪れるマスコミや医療スタッフや役人のせいで、落ち着いて眠れる避難所ではなくなっている。何十人もの被災者を1カ所に集めて、被災者にとっていいことは何もない。
せめて、仮設住宅が当たるまでは、静かな生活ができるよう、そっとしておくことも大事なことだと思う。


本気やのう

at 2007 07/16 22:40 編集

こんな雨の中、あちこちで祭をやっていた。山笠、那智の火祭り、京都の祇園祭・・・あっぱれやねぇ。本気やねぇ。
かえって悪天候の方が、神妙な気分にもなり、三脚で武装したカメラじいさんも少なくて、純粋な祭らしくなっていいかもしれない。
裸の男が乱舞する、水野シベチョウ晴男さん大興奮のどこかの祭など、当の水野さんが「かけて下さい〜っウホッホッホッホッ!!」と燃え上がっていたりしてね。

もちろん僕は祭の類には寄りつかない。
地元で開港120周年を記念したみなと祭をやっていたのも、ニュースで聞くまで知らなかった。申し訳ない。
そのすぐ近くのソフマップで、僕は小市民的にワゴンセールに萌えあがっていたのだ。

あえてiPodに見向きをせず、今は512MBの消しゴムサイズの安物を使っているのだが、USBメモリーとしてもまぁまぁ使えて重宝している。この程度の容量でも、6000円した。

それが、このたびワゴンに出ていた消しゴム2個分サイズの新製品(かどうか、さっぱりわからんのが中華ITマグマの産物だな)が、今までの不満をクリアした本気モードの逸品のくせにサンキュッパの安さで、衝動買いしてしまった。どうですかーお客さんの俺!!と脳裏で独り言を絶叫しながら。

容量2GBで、SDカードスロットがついている。つまり、無限に増やせるわけで、SDカードリーダー&ライターとしても使えるマスストレージ対応。
補充しやすい単4電池駆動で、FMラジオもついていて、うれしいことにスピーカーまでついている。ラインジャックまでついているので、普通にステレオとつないで録音もできる。

これであとAMラジオとワンセグTVでもついていたら申し分ないけれど、そのへんな技術的に無理な話。
まぁ2GBのカードの値段で、FMチューナーとライター(録音機)とヘッドホン、USB延長ケーブルがついていると考えれば安い。

さっそく、USBつきのMDラジカセに接続してみると、ホイホイすいすいクリアな音で録音――というより、もう転送か転写って感じだな――完了。
このDAPへのタイマー録音も、ばっちりである。
FMとDAPの切り替えが少し手間がかかるのは欠点だが、主にビットレートを落として録音した深夜ラジオのプレイバックが主な使い道だから、これ1台いや「1本」で充分だ。

それに、こんなワゴンセールで叩き売っている小物にすぎないのに、スペックを細々と尋ねる僕(あぁ、いやな客だ)に、「メーカーのサイトを調べてまいります、お待ち下さい」と対応してくれた、TBS安東弘樹アナそっくりの店員さんもえらい。プロフェッショナル!!ですなぁ・・・。

「実は、メーカーがですね、今はないようで・・・」と申し訳なさそうな顔で戻ってきたのが、またご愛嬌だったけど。
ますます怪しい中華DAP、壊れるまで使ってみるとするか?


台風刑法

at 2007 07/15 21:37 編集

あっけなく、台風は東へ去って行った。
せめて、六本木ヒルズだけでも傾けて行ってくれたらよかったのに。

僕は木曜夜に普通に出勤して、実際ヤキモキして台風のゆくえを見守っていたのは金曜、土曜の2日だけ。なのに、ずいぶん長い週末だったように感じる。大文豪だと3日間の嵐を小説にするぐらいだから、台風1つでドラマはいくつも生まれると思う。

ドラマなんて悠長なことを言ってられないのが、現実の農家の方々だろう。
台風銀座のような沖縄や九州が、いくら慣れているといっても、田畑や用水路やビニールハウスが気になって見に行く農民や、裏山が危いとわかっていても自宅から離れられないお年寄りが、あちこちで犠牲になるのが恒例になっている。哀しいことに。

中には、特養に避難勧告が出たところもあった。
せっかくの安住の館が、ノアの箱舟になってしまうわけか?・・・お気の毒に。
避難先に身を寄せて、「はよ家に帰りたいわ」とため息をついているおばーちゃんたちも、不憫でならない。

こういう災害避難は、毎年のように日本のどこかで起きるとわかっているんだから、役所は「安心避難セット」みたいなものを備えておいてほしいやね。
いや、別に「乾パンや毛布を備蓄しておけ」ってな矮小な話ではない。
体育館や公民館で雑魚寝させられているだけでもストレスが募る一方なんだから、ついたてで仕切るだけでも効果はあると思うのに、あいかわらず避難民は大広間で「寝姿さらし者」になっている。お気の毒に。

そのあたりの阪神大震災以来の研究や試行錯誤の蓄積は、どれだけ活かされているのかねぇ?と疑問を覚えるぞ。
「年寄りと子供は、集めて弁当でも配っておけば、二晩、三晩ぐらいしのげるだろ」と皮算用しているのがわかるような、おざなりな避難所シーンが、毎回毎回全国中継されているのだ。そんな場面を見て安心することにさせられてしまっているだけ。

ふと、僕なんかは「ペットの犬猫はどうなっとるんやろ」「空き家の警戒は、だれかが責任持ってやってくれとるの?」と心配してしまうのだが、後先の心配はさせないように、口にさせないように、不思議な力が働いているような気もする。
こういう面のフォローまでマンパワーをきちんと充てて対処できれば、それが「安心避難セット」になるはずだが、そこまで役所は考えて・・・ないだろうねぇ。

僕が初めて聞いた気象情報もあった。ニュースではやたらくどく強調していたので、よほどの重大発表だったのだろう。でも、
「土砂災害警戒情報が出ました」
ったって、「へー、それで?」としか思わないではないか。

どうしてこう、お役所仕事というのは、回りくどくで隔靴掻痒で、何をやりたいのかしてほしいのか不明朗で、つまりは仕事のためにやているような仕事が多いのだろうか。
土砂災害警戒情報なんて、ずばり
「土砂崩れ注意報!」
と言えばいいのだ。違うか?

「避難勧告」とか「避難指示」も、どっちが重いのか、強制的なのか、よくわからない。小学生に聞かれても、大人がよくわかってない。ましてや、ブラジル人にはなおさらわからない。
「逃げましょう」「逃げろ!」と言ってくれたら、明快でいいのに。

次の台風も必ずくるわけだから、ぼちぼち変えて行けばどうだろうね。
「見に行くべからず令」とか、「大雨に負けずがんば令」とか。
ポップな警報は、聞くのが楽しくなるし、耳をそば立てて聞くようになれば、それもまたよろしいではないか。


塵芥一層台風よ来たれ

at 2007 07/14 22:40 編集

「五時から男」でもないのに、日が暮れると、足腰がウズウズ元気になる。街の明かりが〜とてもきれいねヨコハマ〜♪とBGMが聞こえてくる妙なDNAを残してくれたのが亡父の罪つくりなところだ(笑)。

ともあれ、ぢっと停滞していると体がなまってしかたない。
風がさほど強くなかったので、台風というより梅雨末期の大雨のような中、中央図書館へウォーキングしてきた。図書館→神戸駅→自宅と三角定規歩きをすると、ちょうど1時間ほどのウォーキングになる。
このさい突風でぶっ壊れてくれたらリストラできるかも・・・と不埒な思いで65cmの特大ビニール傘をさして出たのだったが、昨夜はほとんど必要なかった。

街の中は人気がなくて、「ちょい高級スーパー」に寄ったら、カットフルーツやビゴさんのパンがたくさん半額で売れ残っていた。悪天候さまさまである。
ラッキー!!と庶民のヨロコビを感じつつ買い込んで、雨に感謝したのであった。
これでミッション完了である。

どうだ、スナックだ赤提灯だとゼニ食い店に寄ることもなく、いたって感心な主婦生活を送る愚息に落胆したか親父め!と、別に悪態つかなくてもいいか。
ただ、模範的なハウスワイフと違って、書店やらソフマップやらに寄って閉店までゴソゴソうろついて、きんきんに冷えた缶ビールがすっかりぬるくなるまで家路につかないのは、まだまだ修行不足なところだ。

連休に入る金曜日の夜の三宮なんて、学生やらOLやらサラリーマンやらが、わらわら集まって阿鼻叫喚の盛り上がり方をしてそやなーと想像しつつ、ひっそりとまじめな散歩コースをとんぼ帰りしてきたのであった。
街の明かりを反映して妖しく漂う雨雲が、なんともいえない夜空の色を演出していて、風のせいでおどろおどろしい渦を描いた模様で愚かな人の世をあざ笑っているかのようだ。
刻一刻と変わる大自然のご機嫌の方が、ちっぽけな人の世のゴタゴタより退屈しないし、雄弁でさえある。


蜜の味の台風

at 2007 07/13 23:22 編集

沖縄や九州には台風が吹き荒れているというのに、お湿り程度しか降らない。
これが瀬戸内気候というやつだろうか。さめうらダムの下流の四国民にも、同情とお見舞いを申し上げるばかりだ。

昨日も、家を出るとき降っていなければ傘を持って出るなんてことが大嫌いな僕は(おかげで出先で降られて買ったコンビニ傘が玄関にゴロゴロある)、殊勝にも傘を持って出勤したところ、結局いらなかった。そこはかとなく、くやしい。

元町駅からずいーっと登って帰る坂道の背山に、錨マークが電飾で浮かび上がっているのだが、てっぺんの輪っか部分が雨雲で曇っていて、その下が煌々と光っている。300mぐらいの低さまで雨雲がたれこめているのに、その下の街には、さっぱり恵みの雨が降らないのだ、きのうも今日も。

さすがにこの週末は台風直撃らしいから、できるだけ被害が出ないことを祈るとして、でも大潮と重なったりするから、不謹慎にも少し楽しみだったりする。
数年前にも、そんなことがあった。岸壁が消えて、もう街の中まで海の一部になっとったのである。それはそれはシュールレアリスムな眺めで、僕はときめいたね。国道2号線が冠水して運河と化していたから、もちろん車はアウトで、消防や警察(これまた準備のいいことに水上警察署なんてのが近くにあるから、憎いね兵庫県警)のボートが出ていたっけ。

幸い、逃げ遅れたお年寄りの救助とか傷病人の搬送のような緊迫した場面は見かけなかったから、非常時にハイテンションになる祝祭心理をちょこっと経験できる・・・そんなのどかな物見遊山が、警察なんかは一番いやがるのだろうね。
「海や川を見に行かないように!!」なんて警戒発令は、もう「いま見ごろだよ」に聞こえてしかたない。いかんなぁ・・・。
週末は、防水デジカメを充電して・・・あかんがな!!(苦笑)


マーメイド・メール

at 2007 07/12 22:34 編集

コードネーム岩崎恭子から、郵便手紙が届いた。
ひょっこりひょこひょことメールをくれていた人魚姫だが、返信すると、妙な受信設定をしているせいか、戻ってきてしまうことが一度や二度でなかった。ややこしいものを感じた僕は、かかわらんとこ、と決め込んでいた。

どんな事情があるのか詮索するつもりはないが、だからこそ、メールのトラブルは電話会社のせいだと考えることにする。その方が平和でよろしい。

ほんと、憶測や不審をよびおこす携帯メールというやつは、罪作りなものであるね。
携帯からPCアドレスに送信してきて、そのアドレスに返信するとしたら、スパム対策で「携帯3社アドレス以外からのメールは受信しない」なんて設定になっていたりする(それなら、ショートメッセージのみ可にしてしまえっちゅうの!)。

192文字とか250字とか、受信容量制限があったりすると、オーバーしたメール本文はブチッと切れるだけ。丁重に返信して、「ところで、から後が切れててわからない」なんて返されたら、もうガックリ落胆する。
オーバーした字だけでも、ケータイキャリアの責任で、送り返してもよかろ?消してしまうとはなんだ!
郵便局は、「ハガキが大きすぎましたから下5分の1切断しときました」なんてこと、しないだろが!!

送った側が「原本」を持っているだろう、という推定の上に3大キャリアが甘えきっているから、送信メールはいつまでも差し出し人から離れて行けない。キャリアは爆速バケツリレーでメールをさばいているだけで、メールサーバーに保存しておくなんて気の利いたことはしてくれない。

そんなケータイメール「だけ」に依存しているユーザーは、特に若い子に多くて危なっかしいものを感じる。タグメールなんかでクラッシュさせられたり、隠しタグで生番号を抜かれたり、リンク先に飛ばされたりするのも、赤子の手をひねるようにできてしまうだろうなぁ・・・。

メールで大事な連絡をしなくてはいけない側としては、せめてGメールあたりのアカウントをとって標準アドレスにしてもらいたいところだ。
ケータイ転送設定しておけば、ケータイメールのように使えて、一応グーグルに受信メールは残るし、字数制限だって事実上なくなるしね。

よーし、これを人魚姫に説教してやるのだ。ブホホン!!・・・と鼻息荒く構えていても、紙メールをくれる女子に、ワタクシはとことん甘い。
一度、ビール呑みに行きましょっ!
と結ばれているともう、ヌハハンヌハハンとなってしまうね。


僕は撃沈されっぱなし

at 2007 07/11 22:53 編集

海自隊員、やってくれるねぇ!
潜水艦の乗組員が、一般女性との合コンをやって、それ自体はいいとして、海自の機関誌(?)のような朝立ち新聞・・・いや『朝雲新聞』に、その「戦果」を書いているのが公にやった。
これが、なかなかの、なかなかな力作なのだ。

戦闘配置についた人間魚雷クンたちは、
「すぐさま接敵、攻撃態勢に入る」
と臨戦状態。

つづいて、
「最初の対抗部隊が芳香を漂わせながらエリア内に侵入!」

芳香ってのが、いいねぇ。
潜水艦といえば、ソナーで敵艦の機械音を探知して攻撃したり回避行動をとったりするものだが、嗅覚も動員するわけか。
いや、敵艦が芳香という新兵器をぷんぷん散布してかかってくるわけね。がんばれ、回天クンたち!

そして、いよいよ戦闘が始まる。ずぶ濡れの戦闘が目に浮かぶぞ。
「誤射、壮絶な海戦!」
おぉ、そうかそうか、誤射もやらかしたかね。伊藤美咲丸めがけて撃った魚雷が、マツコ・デラックスに命中してしまったとか?(あちゃー!!)

最後は結果報告でしめくくられていて、
「撃沈成功○組」
と、ちゃんと数字を示しているところが、さすが自衛隊である。できれば、味方の撃沈が何人、ヤケド何人、再起不能何人と被害分析もしとかないと、次の闘いに活かせないよ。

とまぁ、他愛なくあおったりほめたりしている僕なんかも共犯者と罵られかねないが、この人間魚雷クンたちの戦闘記録が、女性蔑視ではないか、不謹慎ではないかと問題になっているらしい。
どうも女性自衛官からの告発のようだ。

うーむ、撃沈された女性から「失礼な書き方だわ」と言われれば、謝罪するしかないし、書いた場が一応は血税で作成されている公文書であった点もまずいかな?とは思う。
それでも、勤務時間外に、ポケットマネーで世間の会社員やOLがするような息抜きをしているなら、それ自体はよろしいのではないかな?
そこは、納税者に聞いて判断すればいいのだ。
環境型セクハラになる可能性もなきにしもあらずだが、これも女性自衛官の判断を仰げばいい。

政治家が有権者をちゃかしたわけではなし、役人が納税者にケチつけたわけではなし、警官が犯罪者を罵倒したわけでもなし、合コンのような平和なことを、職種がわかるような用語をつかって書いたのがまずいのか、または合コンしていても仕事のことを忘れない殊勝なやつらだったということか・・・?

いずれにせよ、朝雲新聞の購読希望者がズン〜と増えた予感がする。
とともに、だれの脳裏にも浮かんだであろう、「まだまだ潜水艦員は氷山の一角。陸自は?空自は?海保は?」と続編を期待するアーミーおたくのリビドー。

僕も大学の体育実習で合宿していたスキー宿で試みたものだが、匍匐前進ぐらいは陸上自衛隊員の基礎の基礎。たいていの男性はキャンプで同じことを考えるはずだ。
自衛隊員ならではの秘技だと、空挺団員男女がパラシュートの中で「着地までの愛」をはぐくんでいたとしても、それはアッパレな技であると思うぞ。

潜水艦員の仕事は、何週間もつづけて拘束される神経戦で、それはそれは激務だという。普通の船や戦車だと、乗務の合い間にケータイで外の世界の雰囲気を味わうぐらいはできるのに、潜水艦だけは完全密室だ。
だから、自衛隊員のハメはずしは、違法でない限り、内部文書の世界では許容してあげてもいいのではないかと思う。

悪乗りが行きすぎないうちにタガをはめておくのは必要な予防線だが、女性自衛官も、対抗していただけばよろしいと思う。

「自称重戦車級のビリー隊長、脱いだらライフル程度だったわお笑いね」

「あぁっ・・・憎いクールムスクのケミカル兵器、思わず私はバイオ兵器!いま5カ月になりました」

「竹島に水着で乗りつけると、ほほ笑みの韓国兵王子さまたちが大歓迎!私はガードになってないコーストガード」

なんてことは、書けば書くほど荒唐無稽で、真に受ける側がバカみたいだから、案外ズバズバ書いてもらった方が人畜無害で、おまけに楽しめる。
シュンとなった男性隊員は、それを機に「不謹慎執筆」はやめるかもしれない。消防の機関誌かなんかで女性消防隊員が「放水してやったら、鎮火するどころか、燃え上がる燃え上がる」なんてことを書いたりしていると、ちょっと引いてしまうからね。
男性隊員の一部に、妙に萌えはじめる変種がいるかもしれんが(笑)。


38歳非常勤講師パパへの顕彰

at 2007 07/10 20:36 編集

夜の出勤にそなえて夕方ワープロをたたいて資料を作成していたら、ニュース速報で、JR人身事故。
案の定、出勤の足は神戸で10分遅れ、現場に近づくと20分遅れ・・・と乱れて行った。朝のラッシュワーの遅れほどカリカリするものではなかったとはいえ、昼下がりの飛び込み自殺は意表を突く感じもする。

鉛色の雨雲の下、現場駅は数時間前の事故が何でもなかったように機能していた。
子供を道連れにした母子の無理心中で、残された夫は大学非常勤講師だという。
あぁ、僕の周囲にも、家族を扶養していたり住宅ローンまで払っていたりする専業非常勤が多数いるぞ。生活は苦しい。5年先、10年先の展望を夢見て、爪に火を灯すような生活をやりくりしている。

無理心中の母親は会社員でもあったようだが、経済的に楽でなかったのかもしれない。また、妻が「外資系証券会社ディーラー」なんかバリバリやっていたなら、夫婦の歩幅も合わせにくくて、じれったい思いをしていたのかもしれない。

講師組合で統計をとったら、大学の非常勤講師の専業で、平均年収は200万円台だった。
実際には専門学校の非常勤の方が収入はいいのに、アカデミズムに近い職場ならば本望・・・とばかりに悪条件で働いている非常勤の同士たちには、とりあえず同情を禁じえない。その上、妻子がいれば、夫の「崖っぷち感」は相当のものだっただろう。

支えは、愛しい幼な子だったにちがいない。
それを、道連れにする無理心中は、やはり罪深い愚行だと思う。
この世に絶望して「あっち」へ行くのは、大人の女の選択と責任において勝手にやればいいが、子供は分身でもないし、巻き添えにしてはいけない。

百歩ゆずって、夫が借金まみれで浮気症でDV野郎で児童虐待オヤジであったとしても、許されない。
実際のところ、夫は子供を自転車の前後に乗せて買い物に行ったりしている姿(おぉ!うちの姉も娘二人を乗せてサイクリングしていたぞ)も目撃されているから、子煩悩な、いいパパだった様子がうかがえる。
父親としては合格点だろう。なのに、血を分けた子供を愛妻に奪われるのは、本当にお気の毒。

死人に口なしだから、飛び込み妻が実際何に絶望したのかわからないが、もし夫が大学にこだわらず、あちこちかけもちして非常勤をしていれば、子育てには向いている立場ではないかと思う。
安心して育児できるために、と最初から、終身雇用!や手厚い厚生年金!財形貯蓄!なんて期待していると、フラストレーションはたまる一方だ。

大学の非常勤の待遇から推計してみると、週10コマ拘束されると、通年で300コマ。コマ1万円として、年間労働時間は450時間で年収300万円(税込み)となる。
これだけで父子3人暮らしをまかなうと考えると苦しいが、平均的な母子世帯よりは確実にいい条件ではある(働くシングルママは偉いね)。

あんまり簡単に言ってのけると、仲間から闇討ちされかねないけれど(笑)、「ビンボー非常勤は時間持ち」ということになる。
ここで、妻が「もっと働いて稼いでよ!」と求めるか、「時間を最大限に活用しましょう」と考えるかが、家族の運命の別れ道になると思う。

往々にして、労働単価の高い仕事なんてのは、毎日8時間、週40時間も勤務できないものだから、「えっ時給5000円?週給20万円!年収イッセンマンエン!!」とおバカな単純計算をするような妻に、家計のやり繰りをする資格はない(週20万円かせぎまくってみた年、僕は実際バカになりそうだった)。
そういう小中学生レベルは論外としても、「一般会社員より1500時間多く自由裁量時間がある」夫に、何を求めるかが、妻のリトマス試験紙になるのではないだろうか。

シンプルに、原点に立ち返って考えれば、とにかく子供と一緒に過ごす時間にあてれば、託児料、保育料の節約になるだけでなく、子供の情操発達にとっても、金銭に代えられない宝物になるかもしれない。もちろん、夫婦で向かい合う時間もとれる。

子供に顔を覚えてもらえないほどがむしゃらに働いて、塾から大学まで行かせて、そのあとでゴマシオ親父が「子供たちよ、親子の思い出をつくろう」ったって、そりゃ不可能ではないかい?
配偶者には毛嫌いされるし、早けりゃ十代の息子や娘に、ウザい!くさい!どっか行けと言われる(笑)。

それなら、育児ぐらいはとことん時間と真心をつぎこんで、まぁ学資保険ぐらいは積み立てておいて、子供が「ウザい!」と口走った日に、子供の頬に通帳をたたきつけてサラバと家庭を去るのが粋なパパというものよ(笑)。
ま、子供の発育にちゃんと参加したパパは、裏切られる確率は低いと思うけど。

案外、こんな父子関係もあっていいと思っている御同輩は多いのに、それを許さない風潮は、まだまだ根強い。それはひょっとして男性差別じゃないかと疑念を呈するだけで、たぶんフェミニストに核爆撃される(笑)。
「時間も、お金も、財産も。すべて子供のためなんだから」とおねだりする強欲ママこそ、ひょっとすると少子化の元凶だと思うのだが、あぁ、テポドンが飛んできませんように・・・。


ダメ、そこ

at 2007 07/09 19:21 編集

夏は、「そのつもり」で備えているんだから、カーッと暑くてよろしい!

のに、九州が大雨だ洪水だと災難に遭っていたころ、当地では薄曇りで妙に涼しく、そのせいか体調を崩してしまった。
といっても、心配マニアに心配されるのも憂鬱なので、薬も飲まず体温も測らず(だいいち体温計も持っとらん)、ふだん通り夜更かししては出勤している。

母宅に寄って咳こんでいると、結核の全盛期から看護の現場にいた母は「妙な咳をするねぇ。こわいよ」とびびっている。
「なぁに、ただの結核、せいぜい肺ガンどまり」と笑ってごまかしているが、発見されたときにゃ「肺ガン第5ステージ」なんてことに、ならないかどうか・・・(笑)。

普通に歩き回れるし食欲もあるので軽症だと思うけれど、唯一おかしな「重症」部分は、悪寒の一種なのか、やたら全身くすぐったくてしかたない。肌着に皮膚がこすれてもくすぐったくて、風が吹いてもくすぐったくて、階段を降りて肉が揺れてもくすぐったい。いやはや・・・ケタケタケタケタ・・・と笑いが止まらないくすぐったさ、どうにかしてほしい。
女性が下着をつけないでいると、B地区と服とがこすれてアヒアヒ言うお気持ち、よくわかりますな。ちょっとちがうか?

歩くたびに笑いがとまらない触覚過敏がいつまで続くのか・・・これで耳たぶでも噛まれた日にゃー、おそらく悶絶してしまうね(噛んでくれるのは母の飼い猫ミーちゃんだけだから、これはこれで平和でいい)。
あぁ、くすぐったい笑いたい笑えないイヒヒヒヒヒヒ・・・・・・
で、シリアスな病状報告として通用しますことやら。


鳳ヘップバーン啓助

at 2007 07/08 22:18 編集
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2007年6月の日記
トップレスでしこしこ

at 2007 06/30 21:44 編集

忠実な足代わりになってくれているバーディー君が、トップギアが入らない、ブレーキも前後とも効かない、と駆動・制動系のコア部分がいかれてしまった。トップどころか、8速のうち6速までしかシフトできないので、低速で、しこしことポタリングに甘んじていた。
おかげで、高速走行はしたくてもできず、ストレスがたまる。「トップレス」が欲求不満のタネだったわけだ。

ディレイラーの不調は調整しても治らないので、専門店で見てもらうと「こりゃ交換せんとあきませんなぁ」という診断。とりあえず、診断だけしてもらって、何週間も保留していた。
そして、「晴れのち雨」のような、乗って行って、雨になって預けて帰るのにちょうどいい天気の日をうかがって、うまい具合にそうなった昨日、入院手続きをとってきた。

このついでにブレーキも含めてあちこち「触診」してもらうと、さすが老舗のヤマダサイクル若旦那、「だいぶ坂道で酷使してまっしゃろ。チェーンも伸びてるみたいやねぇ」と言い当ててくれた。
「坂の上のチャリ麻呂」が多い土地柄を熟知された上でのプロの触診は、説得力がある。

ディレイラーの交換と、安物を酷使していた制動系もディレイラーに合わせてシマノのVブレーキに替えてもらうことにして、見積もりは1万200円。紙に見積額を書いてくれて、名前と電話番号を書いてくれという。安心できる明朗会計だ。

1泊預けることにして(雨だったからちょうどいい)、ちょうど24時間後に、退院したバーディー君を引き取ってきた。親子3人が切り盛りする中、ダイヤルの黒電話がひっきりなしに鳴る油くさい店へ。
「チェーンも、いずれ替えんとあきませんけど、とりあえずはずして洗浄しときました。あとブレーキワイヤーも錆びとったから新しいのにして、ちょっと不細工ですがこう処理しときました」と、見積もり以上のオプションつきで、明朗会計そのまま。

見違えるほど、駆動も制動もキビキビと生まれ変わっていた。なめらかにシフトが入り、クイッとにぎると車輪が即ロックするほど小気味よく効くブレーキ。
「トップレス」で悶々としていた煩悩をふっきる勢いで、2駅ほど走って図書館まで往復してみた。おぉ、段違いに速く走れる!
自転車は素人技でたいていのメンテナンスや改造ができるのが利点だが、やはりプロに手入れしてもらうと、みごとに復活するから感激する。工賃も部品代も含めて、低料金だし。

ただ、ちょっと気になるのは、折り畳み車なのでブレーキワイヤーとシフトワイヤーは可動域に合わせて長めにボディに這わせてあるのだが、なんだか短くて、必要最小限にカットしてあるような・・・まさか畳もうとすると、畳めなくなっていたりするのでは・・・!?
と、新たな疑惑が浮かんできた。

こんな簡単で肝心なことを、自分の目で、手で確認するのが怖い(笑)。
まぁ、ワイヤー長の不手際ぐらいは、アフターケアをちゃんとやってくれる店だから、どうってことはないけど。「短かすぎて、畳めまへんで」と持って行くと、「ハッハッハー、そうでしたか。ほな、治しましょ」と、即応してくれることは、わかっている。
こんなやりとりも含めて、愛車のメンテナンスは、「愛」が深まる人づきあいでもあるねんなぁ・・・と思う。


宮沢りえも黙祷エビゾーは?

at 2007 06/29 22:32 編集

ベルサイユ講和条約の年に生まれた宮沢喜一元首相が、ふいに逝去された。
ふいに・・・というのは、亡くなる朝までふだんどおりに新聞を読んでいて、家族がかたづけようとすると「もう少し読みたい」と答えていた会話が報じられていて、あまりにも意外だったからだ。

結局そんなありふれた日常のやりとりが最後になり、眠るように息を引き取ったという。
死因は老衰ということになっていて、こんな自然な大往生は、近ごろ珍しいのではないだろうか。僕の祖父母も、畳の上で、やはり眠るように子や孫に見守られて老衰で亡くなって行ったが、いつ心臓が止まったかわからないぐらい、穏やかな最期だった。医師がいたかどうかさえ記憶にない。

ふつうの庶民と政治家の頭や体の使い方はまったくちがうとはいえ、宮沢元首相は、最期までぼけずに、天下国家を案じていたようだ。政治手腕を疑問詞されたり、不信任決議されたり、「55年体制を崩壊させた張本人」と責任追及されたりはしたものの、そして僕は自民党支持者ではないものの、宮沢喜一という政治家に崇敬の念は感じる。
同世代の中曽根元首相が自主憲法」を政治信条としているのと正反対に、与党の中で護憲を貫いてきたリベラルな立場は、「加藤の乱」の加藤紘一に引き継がれた。

宮沢派は、護憲の立場から自衛力の拡大、集団的自衛権の行使に慎重であったために中国には歓迎されたが、それを愛国者の尻に火をつけてしまい、「弱腰外交だ」と批判された。
それはいえるかもしれないが、現実的に国際的な緊張関係の中で日本がいたずらに中・韓はじめアジア諸国とピリピリしているのは賢明ではない、と考えるのが政治的判断だろう。

その意味で、ウルトラ保守派の唱える「美しい日本」やら「自主憲法で真の独立を!」のメッセージは、ひどく観念的に見える。
自主憲法制定を願う気持ちは当然だとしても、「改悪」が目に見えてわかと、「改正」と書く気がしない。

その前に、憲法にのっとった政治が行われているか?
憲法の精神が国民生活にちゃんと定着しているのか?

と問う基本スタンスは、不思議なことに、自民党護憲派と社民・共産党にしか残っていないように見える。なんでだか。
いま一番ホットな「自民党おぼっちゃま派」と「パッチワーク民主党」は、まるで生徒会のように憲法を好き勝手にいじくって「我が党は」「我が党は」のPRにふけっているばかり。

ほんと、強行採決を見ても、委員会審議を見ても、子供のツバぜりあいか、猿の乱闘のようで、国権の最高機関でやっていることとは思えない。
松野頼三さんしかし、宮沢さんしかり、老獪な政治家がほぼ絶滅して、二世、三世とタレントばかりになってしまった。たよりないこと甚だしい。

ここは、存命の大政治家たちが結集して「妖怪党」でも結党すれば、意外と票を集めるのではないだろうか(中曽根康弘と不破哲三が呉越同舟していたりして、前代未聞の政党になるでしょうなぁ・・・笑)。いま人口割合で21%を越えている高齢者層は、有権者の中では30%にもなる一大票田だしね。
平均年齢80歳なんていう政党は、入れ替わりだって激しい激しい(笑)、人事の停滞なんか絶対に起こり得ないから、案外フレッシュな顔ぶれが毎年どんどん循環して行くと思うぞ。

静香ちゃんが参院選にアルベルト・フジモリをかつぎだそうとしているから、妖怪党はゴルバチョフかジミー・カーターか金大中あたりを帰化させて擁立するとか。
「もう、母国の国籍に未練はないでしょ?余生を世界平和に捧げてみませんか?」と勧誘すると、案外いけるかもしれない(ジョンイルはだめだよ)。
がんばれ、爺さま政治!


ミーツホープとして再建せよ

at 2007 06/28 17:01 編集

ミートホープの薄ら笑い社長、「安売りを喜んで買う消費者も悪い、販売店も悪い」と敵を増やして、あの断末魔の放言はもう、アッパレでさえある。まだ、言うかもしれんぞ。

国民の怒りを増幅報道することに躍起になっているメディアで、「もしかすると、当たってるよな」と発言しようものなら、ミソクソに叩かれること確実。
でも、当たってるもんなぁ・・・。

だって、血で色づけしたり、牛脂で風味をつけたりしていたひき肉が、「うまい」から売れてたわけでしょうに?
それを「悪い」といっちゃーなんだが、正解は「愚かだ」となるところを、社長のなりにオブラートにくるんだ表現だと思えばよろしいのだ。ワハハハハハ

たしかに、食品に求める価値として、「うまい」「安い」「正しい」のうち、「正しい」を重視する消費者がどれだけいたのか疑わしい。今でもファストフードに群がる日本人は多い反面、「美味しんぼ」みたいに素材の質や風味を追究する客なんか、いないしね。
楽しければいいのだ。うまければいいのだ。感動できればいいのだ。

あの社長の心の奥底には、「毒が混じって健康被害が出たわけでもなし、客は値段の割にうまいうまいと思って食ってたんだから、騒ぐことねえべ」なんて思いがありそうだから、反省しないまま薄ら笑いを続けるだろう。客は、「ちゃんぽんミンチ」を支持してたんだから。

一応、だましたことは悪い。
ただし、それを言うなら、
レタッチしまくりの広告写真はOKかい!?
歌舞伎か宝塚みたいな厚化粧はいかがなもんですかっ!!
CGを駆使した医薬品のCMって、ありよ?
男たちは、ヅラをかぶり、底上げ靴もはきたいのだ!!偉大なる将軍サマでなくても。
とかなんとか憤慨しはじめると、偽物だらけの今の世の中、ストレス火山が大噴火してしまうぞ。

そんなニセモノ社会をあぶり出した功績をたたえて、ミート社長のもホープ息子も、罪に問わない・・・なんて許されないだろうから、とりあえず起訴する、と。
そして公判をだらだら時間をかけて進めて、その間に罪滅ぼしをして情状酌量を狙ってもらおう。
ずばり、「偽装食品バスター」である。

姉歯もと建築士には「違法建築バスター」を提案したから目新しくない案だし、警察は足を洗ったヤクザを暴力団対策に使っている。名を捨てて実をとる方がいい。
またこれが、類犯、再犯のあぶり出しにはけっこう効果があるのではないだろうか。

真っ白な善人と、真っ黒な悪人との間に、「悪いことしたけど罪滅ぼししようとしているグレーな人」がいて、よく見れば見るほど階調の細かいグラデーションが見えてくる。これが世間のリアリティだと思う。
なのに、自分は白だと開き直る偽善者や、ダークグレーを責めたてるライトグレーがいたりする。こんなやつらの方が罪を意識していない分、悪質だろうなーと思うのだが社長、いかがなもんですかい?(長男は、わかってくれるかも)。


転灯!

at 2007 06/27 22:01 編集

ぼんぼり風のシェードの天井灯がプツンと切れてしまった(もちろん、電球が)。半年の寿命だった。
つけたときは、秋が深まりゆくころだったので、「あー、あったかいなー」と満足していたし、実際むやみに暖かい、まるで暖房器具のような電灯だ。100Wの白熱球が2連装だから、熱帯夜になろうかという季節、なにしろ暑い。

そこで、蛍光電球に替えることにした。20W消費で100W相当の明るさ!とうたっているやつに、1個あたり大枚1500円をはたいて。
おぉっ!光はやさしく明るく、温度はクール。
色温度の高い蛍光灯の直射は大嫌いなので、ちょうどい感じ。

夕暮れ前に帰る日をのぞいて、部屋の明かりは防犯のためにほとんどつけっぱなしにしているし(これは確信犯)、つけたまま眠ってしまうことが多い(これは反省)。
一応これで、照明費も5分の1になったわけで、免罪符になるだろうか。
エアコンを持たないだけでも、罪滅ぼしになるかと思うのだが。

いま、国も蛍光球の普及を奨励しているそうで、先週あたりの新聞で、「白熱電球が消える運命」とかなんとか、小さな見出しが目にとまった。
省エネはわかるし、高性能化もけっこうだが、エジソン以来のフィラメント電球が、消えてしまうのか?と思うと、ちょっと寂しい。もう今さら真空管じゃないでしょー、とソリッドステート化が進んだオーディオ機器を思い出す。

それが今、なぜか静かな真空管ブームだったりする。
趣味の世界と、生活必需品の照明器具は同列に扱えないとはいえ、残るものには、それなりの理由があると思う。
薪ストーブも、かまど炊き御飯も、ろうそくも。

白熱球を撲滅するぐらいの政策パワーを行使するなら、ガソリン車を半減させて、トロトロと下駄代わりにころがす程度のマイカーは、ソーラーカーに転換して行った方が利口ではないのかな。
よくフィリピンやベトナムで走っている三輪モーターバイク(シクロだったかな?)のような低燃費の乗り物を認可して行くぐらい、すぐにできるだろうに。

まぁ、僕はそれほど特別に白熱球に思い入れはないし、ただ「部屋が暑い」から避けているだけだが、省エネ教みたいな運動をみると、「持続可能な運動かな、こりゃ」と疑問がぬぐえない。住民が手間ひまかけてゴミ分別を進めて、市民税が下がったという自治体は、どこにあるのだろうか。

細かいことばかり槍玉にあげて(レジ袋廃止もゴミ分別もそうだ)、クルマ社会とエアコン依存のような大状況を放置しているのも、なんだかねぇ・・・と苦笑してしまう。
木を見て森を見ないように仕向けている黒幕と、広告主に盾つけないマスコミは、なぁなぁの共犯者でしかない。


がんばれオータニ

at 2007 06/26 22:23 編集

ハーバーランドのニューオータニが、撤退を決定!?
第一報で、「震災の影響が尾を引いて・・・」と会見していた経営陣に、僕は素人ながら「いつまで震災を言い訳にしまんねん」といぶかってしまった。

それが、続報では経営上のいざこざが表面化してきて、「やっぱり・・・」と素人ながら合点が行く真相が見えてきた。複合ビルに賃貸入居している形なのだが(大阪のヒルトンと同じ)、オーナーが外資に代わり、運営方針が折り合わなくなったのだそうな。

客室稼働率だけ見ると、神戸市内のホテル平均をうんと上回ってコンスタントに8割を超えているから、本来の宿泊業務は堅実に回っているようだ。
もちろん、ホテルは客室だけでなく、バンケットや外商、料飲部門など、いろいろな顔を持つ立体的なビジネスだから、ニューオータニにも赤字部門があるのかもしれない。

それに第一、地味!である。
ここにニューオータニあり、とわかるようなランドマークもないし、大阪城公園のニューオータニのような晴れ晴れしたエントランスもない。
神戸のは、コチャコチャ甘味どころが寄せ集められたスイーツハーバーとゲーセンにはさまれた(前はダイソーもあった)フロアにあるから、こりゃどっちがメインだか、わからんわな。ロビーもラウンジも暗いし。
このビルは、たしか南部のパソナが持っていたはずだが、テナントの選び方がどうなっているのか、統一イメージがない。同じ海沿いのホテルなら、メリケンパーク・オリエンタルかオークラで海を真正面に眺めながらステイする方がいいに決まっている。

陣内・紀香の披露宴でオークラに知名度を持って行かれたから、オータニも県内カップルを捜し出して、無理やり(無料ででも)式を挙げてもらわなくてはいけない。
だれがいるだろう。
浅野ゆう子は「一番の地元」で、もうあきらめているのかもしれんが、頼まれたらまぁ、結ばれてあるにやぶさかでない(偉そうに!!笑)。
それ以外では、客寄せパンダ、おらんね。

「芸能人婚」だけで名前を売るのもわびしい話で、泊まらなくてもふらりと立ち寄れる快適空間を、なんとか品揃えしてほしいものだ。今の寂しさは、もう「不倫ルーム」の匂いがぷんぷんするだけ。
それはそれで、渡辺淳一センセイが喜んで取材に来そうではあるけど。


ハローワークのような、サロンのような

at 2007 06/25 23:02 編集

何カ月かおきの、のどか〜な読書会に、MSW志望のミセスを招待。
「研究会の司馬遼太郎」のような、歴史好きな事務長さんの担当で、加藤周一氏の高額なハードカバーが昨日の題材だった。

「よりによって、一番避けてきた(思想)分野の本でした」と苦笑しつつ、心理畑出身のミセスは、必死に(?)議論に参加してくれた。やはり、心理は思想と食べ合わせが悪いようで・・・?

おまけに、「MSWですか。実際のところ、患者さんに退院促進してくれて、病院の収益に結びつくスタッフなら歓迎されるでしょうけどね。現場はそんなものですよ」と、中規模病院のリアリティをざっくばらんに突きつけられて、ちょっと気の毒ではあった。

主婦の座という「足元」を見てのことではないだろうが、「ボランティアでなら、ご希望のターミナル・ケアの手伝いにかかわったりすることはできるでしょうけど」とのすげない提案で、希望の光が無残に吹き消されてしまった印象が、なきにしもあらず。
なるほど。現実は厳しいようで・・・でも、ない職域は自分で創ればええんです!!と無責任な応援をしている僕は、つくづく罪なやつなのかね。

グリーフワークだスピリチュアル・ケアだ精神腫瘍学だと、新しいセオリーはいろいろな場で取り沙汰されてはいても、現実として医療の大枠は柔軟に変わっているわけではない。より診療報酬単価の高い患者を、より多く回転させなければいけない収益構造への「改革」の波に、民間病院は飲み込まれつつある。

緩和ケアとか生活相談業務といっても、まず政策上きちんとした位置づけがないし、専門看護師ように資格化されているわけではない。
「あちこちの病院で絶望的な診断をうけた患者の家族の相談を受けていると、ほんと疲労困憊しますよ」という事務長さんの声は、実感がこもっている。よほどの専門的訓練と、本人のメンタル・タフネス、加えて待遇の保証がないと、なかなか続かない仕事だろう。

こうした荒野にこそ、がんがん足を踏み入れる者は少ない。だからこそ、かえってチャンスかもしれない。
とまぁ、山師のような、うさんくさい発想でミセス・ハートを惑わすのは問題かもしれんが、がんばってほしいものだ。
あなたのつけた足跡にゃ〜、きれいな花が咲くでしょう〜♪
だからね。

無責任といえばそうだが、発言の責任を問われず、自由奔放に発言できること、また参加者の発言なり発案なりを抑え込まないことが、リベラルな論争の風土なのだ。
ところが、現実の職場でも学校でも病院でも、いたるところ見えないタブーだらけだし、伊沢元彦さんのいうような「言霊」が、言論を自粛させている気配もありあり。

だからこそ、主従関係も雇用関係も競い合いもない、「ただ物好きな研究とヨタ話が好き」な面々との談論風発は、つくづく貴重だなぁと思う。
次回は僕の担当だ。
さて、何をサカナにしようか?
『資本論』なんか選んだら、袋叩きに遭いそうだし。
でも、でも・・・


梅雨は流水写真で

at 2007 06/24 21:28 編集

カッと晴れたり、熱帯夜もどきの夜であったり、しとしとと涼しい雨が降り続いたりと、めまぐるしく初夏から真夏への「申し送り」が進んでいる。
とはいえ、梅雨まっただなかである。

このウェット感、じとじと感を映像で写し留めるには、やはりフィルムかな、「現像」のイメージからして。
と思って、あぁ情けないことに今年初めて、フィルムというものを買いに行った。

コダクロームが山岳写真の王道だったこともあって僕はコダック党だが、もう、イーストマン・コダックはフィルムを売る気がないんちゃうか?と思うほど、売り場は寂しい。
「ウルトラカラー」シリーズの5本パックを買ったら、3000円もした。メモリーカードなら1GBが買える値段にあたる。

こりゃ、消費者いなくなるわなぁ・・・と実感する。
せっせと暗室にこもって新作を現像し続けている上北沢暗室職人君は、えらい!とも思う。

たしかに、デジカメは便利だ。
メモ代わり、またアップロード用には、デジフォトさまさまの手軽さを発揮してくれる。僕もフル活用している。

プロの現場は、とっくにアマチュア以上にデジタル化が定着してしまっているという。
広告業界など、レタッチ天国の世界だし、報道写真もスピード処理できるメリットは大きい。

だからこそ、新聞写真であろうとフライデーであろうと、レタッチ=偽造された写真かも・・・と眉に唾して見るのが、メディア・リテラシーの現実になっている。
レタッチできる画像データというのはもう、「鉛筆書きの契約書」みたいなもので、どうにでも作り変えられるから、「本誌(本紙)を信用して下さい偽造してません」なんて宣言が説得力を持たないことは明々白々。

「現場の写真は、この通りフィルムに残っているからな!」といえば動かぬ証拠になるけれど、今やそんな写真家はごく少数派だろう。
つまり、フィルム時代の「写真には真実が写っている」という先入観が生きている中で、レタッチ技術が日進月歩で進んでいるわけで、これはこれでおっかない大衆操作の条件が整っていることになる。
北の将軍サマは、さぞかし活用しているだろうけど、いまヒトラーやスターリンが生きていたら、ドイツ製のフォトショップ、ロシア製のイラストレーターなんてのが、今以上に激しくテクノロジーを競い合っていたに違いない。

そんなことをつらつら考えつつ、ありゃりゃーフィルムどうやって装填するんだっけ?と手元がおぼつかなくなる我が身が、まったく情けない。
でも、パトローネの中には、「写っているだろうか」と思う一抹の不安と背中合わせの夢と期待が宿る。潜像が現像に移行するまでの時間が宿る。
それを、ただの無駄な時間・無駄なリスク・無駄な手間と考えるか、醍醐味と考えるか。

せめて、現像した写真をデジタル管理できるよう、フィルムスキャナーぐらいは導入してみようか・・・ハッセルのデジタルバックが安くなれば試してみようか・・・と考えはじめている僕のフィルム写真道は、結局は中途半端なレベルで「陥落」してしまいそうだ。


行列のできる入隊待ち

at 2007 06/23 22:45 編集

あのビリーが、営業ツアーに来日!
と、ビリー旋風が吹いていた。

僕も、ごく最近たまたま夜中に遭遇して「ぬぉぉぉぉぉっ!なんじゃこりゃ」と打ちのめされたばかりだったから、グッドタイミングだった。
個人的には、ソウルフルで、動と静の両面を持った、いいキャラだと思う。「京都にも行きたい」と語っていたそうだが、本場で座禅を組むぐらいの経験はしてみたいのかもしれない。
これを機会に、高野山で修験道の修行でもやってみれば、今度は欧米で「ビリーズ・スピリチュアル・キャンプ」なんてのに仕立てて売り始めるかもね(がんばれ!)。

デューク更家の旬が過ぎた今、「あのポスト」にうってつけなのがビリーだろう。
何か器具やサプリを買わされるわけでもなし(ビリー・バンドは付録かな?)、「体操するだけ」と思わせるお手軽感は、「歩くだけ」と思わせる更家と戦略が似ている。

でも、あのブートキャンプ、「いやなら、やめちまえ!」「そうそう、できるよ!」とアメとムチで励ますように見えて、結局は脱落者をわんさか出すことになっているのではないかい?
僕も、とても真似はできない。
フィットネス・ローラーだって、未だに先に行ったまま戻らない
のだチクショーなに笑ってやがるビリー!!
と逆切れしてしまうぞ。

だいたい、あの手のエクササイズにしても、美容グッズ健康グッズにしても、実演例は「アフター」であって、「ビフォー」が問題なのだ。
日本でもっと売りたいなら、すそ野を広げなくてはいけないやね。
内山くんとかホンジャマカ石塚くんとか、おやじダンサーズを起用して。

もし、それで劇的に効果が出たら、石塚くんは石塚くんでなくなり、パパイヤ鈴木はただの鈴木さんになってしまうから、「入隊します」とは言いにくいんでしょうなぁ・・・それほど、効くことが証明されたら、これはもう、けた違いに売り上げ記録を塗り替えると思うけど。


ホープレス・ミートホープ

at 2007 06/22 23:17 編集

ミートホープの薄ら笑い社長が不評だ。
「同系」のヒール役であったものの、最近ようやく賞味期限が切れかかっていたヒューザー小嶋社長も、ほっと一息ついているだろう。

社長も相当なアバウトおやじだが、息子たちもそろいもそろって「肉屋一族でござい」と無言でアピールしていたのを感じた視聴者は、僕だけではなかったはずだ。
そのファミリー会社ナンバー2の弟をさしおいて、長男が「正直に言って下さいよ」と親父を諌める場面も、弁護士と打ち合わせ済みのクサい芝居だろう。

もう、いろんなところで「最悪の謝罪会見!」「晩節を汚しきったワンマン社長」「親父の尻拭い次期社長はどっち?」と叩かれて、もう救いのないダメージを受けている――自業自得だとはいえ――ミートホープには、いいところもある。

そう、これだけ偽装しても、消費者の舌は感づかなかった、という事実が突きつけられたことである。ミンチにしてしまえば、日本人の舌はいくらでもだませるのだ。
たぶん、家で手抜きテクニックに使えるワ、と気づいた主婦もいたにちがいない。

また、原材料がわからなくなる「挽き肉」はハンバーグの原材料でもあって、何が混ざってもわからない肉食文化に、すでに日本人は染まってしまっているわけだ。
哀しいことではあるね、消費者の味覚感度低下は。

それと、内部通報でどんどん企業の悪事がばれる世の中になってきたこと(建築設計偽装もそうだった)は、組織の風通しがよくなっている兆しだと思えば、悪くはない。
経営者も社員もみな一蓮托生の運命共同体で、社員を手厚く処遇してやっていれば、多少のインチキの口止めにもなる。
それが、買い主の手をかむ社員が出てきたわけで、これは労働市場の流動化に伴って、もはや避けられない変化ではないだろうか。

内部からリークしたきっかけは、たぶん僕の邪推でしかないが、あの「ギンギンたぷたぷキンキラ三男」が取締役なんかに就いたことではなかっただろうか。だって、父親ぐらいの年の社員に、上から指図する――しかも犯罪行為までも、だ――ふてぶてしいボンボンに、反感を覚えない社員はいないだろうしね。
そこが、創業から叩き上げたオーナー社長の誤算だったといえるかもしれない。

被害者なき鳥インフルエンザ問題で、京都の浅田農産の社長は、老妻を道連れに首を吊ってしまった。
ミートホープも、今のところ「だまされた」以上の食品被害は報じられていない。
報道がどう追いつめて行くのか、ちょっと警戒もしなくてはいけないが、あの社長の薄ら笑いの陰には、鋼鉄のような神経をもつ総研社長と同質の傲慢さは感じられず、臆病で神経質な人となりも感じる。薄ら笑いが消えると、深く「鬱の深海」に沈んで行くかもしれない。

そこで三男は、金ぶちメガネを磨いて、「次はオレ」と息巻いているのかもしれないが、会社自体、再建は大変ではないだろうか。
開き直って、「旦那をだませる上ビーフ風味くず肉ハンバーグ!!」なんて商品を開発すれば、意外に当たるかもしれないから、企画書メールでも出してあげようか(笑)。


カバちゃん!

at 2007 06/21 22:58 編集

通勤電車の斜め前に座っていたリクルート・スーツ姿の女子が、「シューカツ本」らしきものを熱心に読んでいた。レイアウトから、そして覗き見視力6.5の我が「レントゲン・アイ」からして、おぉ!カバシマ先生の小論文マニュアルではないか!とわかったぞ。
樺島忠夫氏の、『文章構成法』(講談社現代新書)である。

まず、絶版になってなかった驚きを書店の新しいカバーに感じたほどのロングセラーで、おそらく70年代の初版だろう。
27年前の浪人生活で、僕は勝手にカバシマ先生を小論文の先生に選んで、しゃぶりつくすほど熟読していた(もちろん、実践も)。ついでに、カバシマ先生は'27年生まれ、僕の父も'27年生まれである(つまり、作文学習の父だな)。

簡潔明朗で、とても実践に移しやすい名著だったと思う。
起承転結なんて絵巻物のような名文ではなく、とにかく伝わりやすい平易な文をカバシマ先生はすすめておられて、しかもつぎはぎ・入れ替えもしやすい=手直ししやすい、今ふうにいえばパラグラフ・ライティングを採り入れた内容は画期的だった。

それが、時を超えて、「我が娘」世代(なんだよなー、二回りも年下の4年生だとすれば)の手にあって読まれているのは、ちょっと感動ものだ。
君は絶対内定!と僕は勝手にテレパシーでお墨つきを授けておいた。

いまどきの小論文のマニュアルというと、頭のいい人・悪い人と単純に分けたがる困ったオヤジがマニュアル本を連発していて、「あんたのコンプレックスの世界に読者を巻き込むなよなー」と難癖もつけたくなるけれど、まぁそれだけマニュアル本が求められ、消費されている証拠なのだろう。

もしかすると、作家や評論家など、あらゆる文筆家が手を染めるジャンルが、女流作家なら恋愛論、男性作家なら文章術ではないだろうか。谷崎や三島のようなオーソリティでさえ、文章読本を書き残していて、このジャンルそれ自体が、実用を離れて「比較読書」の楽しみを確立させているようだ。

名文家や多作家が書いた文章術が、意外にも激しく駄文だったりする(笑)発見も、実益を離れたところで楽しめたりもする。
そして、武田徹さんがどこかの新書に書かれたジャーナリズム文章術の類が、ジャーナリズム論そのものとしても名著であったり
するのも、お宝発見という感じで、一粒で二度おいしい。

カバシマ先生のように、ヒット狙いでもなく、おそらく教え子に誠実に、それでも凛とした姿勢で向き合って、原稿用紙に魂を刻みこんで行く手助けをしてくれるような指南本もまた貴重だ。
安い新書ではあっても、もっと息長く残って、孫ぐらいの世代のシューカツや受験に役に立てばいいと思う。
どこのだれやら知らない彼女の内定を、激しく祈りつつ。


男の園

at 2007 06/20 22:44 編集

最近、人種差別者としての汚名を浴びまくっている僕のもとへ、同窓会だよりが届いた。私立中高一貫の「男の園」の。
明示45年竣工の、文化遺産なみの寮が取り壊しになるという。
友人の部屋に遊びに行ったとき、幽霊屋敷のような維持言空間にびびった覚えがある、今となっては懐かしい館である。
こういう中・高生活も、悪くないのにね。

そして、衝撃のニュースが、あぁ、なんてことだ。2年後に、中一から女子を入学させて行くというのである!
理事長が、あいさつ文で「男女共同参画社会の流れに棹さすことはできません」と書いておられる。
いつの間にか、鉄腕DASH村にあんべとかいう女子が入り込んでいる以上のショックである。

いや、反対!というのではない。「なんで、俺たちの時代に共学にしてくれなかったのだ!」と嘆くケダモノども(笑)は多いはずだ。せめて、「杉本あや先生」ぐらいいてくれてもよかったのに(だれも塾なんか行かず、全員が終電まで居残り勉強させられて喜ぶね)。
そういう憤りでありますな、みっともないけど。

われわれケダモノが、「生徒も教職員も男の園」で悶々としていたころ、学園の周囲は田畑しかなく、勉強かスポーツか悶々か(笑)しかすることがなかった。文武両道というのは、「それしかない」環境がそうさせている面もあるのだ(涙)。
やがて、市は10年間も続けて、人口増加率日本一のニュータウンに変貌し、自治体からは定員増、共学化の要望を受けているとは聞いていた。

周辺に急造された公立高校はもちろん共学で、ちょっとした団塊化の「切磋琢磨効果」か、新設校なのにいきなり進学校になってしまった。
歴史と伝統に安住していた母校からは、かつては毎年いた東大への進学者が、今はいない年もある。総体的に、学力も低下しているのかもしれない。
だから共学化、というわけではないだろうけど。

なるほど、男女共同参画社会に異議を唱えるつもりはないし、少なくとも公民権は絶対に平等でなくてはいけない。
が、一方で、ある種の私立学校は異性に排他的であってもいいとも思うのだ。

妙に混浴が大嫌いな僕は、国税で経営されている「お茶の水女子大学」「奈良女子大学」が女子大のままであってもいいとさえ思うし(別に、国技の土俵に女子は入るな、てな伝統との駆け引きではなく)、ましてや私学だから、男子のみ、女子のみを対象とする教育理念は、男女共同参画社会に反する不正義でもない。

それに、「女の園」は、まるで「つみきみほワールド」で、もうアートでもあって大変けっこう。
これに対して、男の世界で浮かんでくるのは「ジャニー喜多川」で、どうにもどす黒い(苦笑)。どこにも、ベルナールもフィリップもいないのだ!

男子教育または女子教育の伝統は、とにもかくにも共学化で大きな区切りを刻まれることになりそうだ。
はたして今後どうなるのか、OBとしては暖かく見守りたいものだが、さしあたっての心配は制服である。
今の男子は詰め襟の学生服だが、このクラシック・スタイルも、ブレザーばかりの周辺公立校から際立っていて悪くない(僕のころは、学生帽と革カバンも義務で、学生帽をかぶっている高校生は、たぶん兵庫県内でうちだけだったから目立ってしかたなかった)。

では、この詰め襟に合う女子服はというと、セイラ〜服である。これは悩ましすぎる。刺激が強すぎる。
特に、教師たちに(失敬!)。

いっそ、女子も「詰め襟にズボン」とすれば、これはこれで平等だし、スカートの長さチェックだの下着の色・柄がどうたらこうたらと面倒な校則はいらない。

ただ、ガクラン姿の女子中高生なるものが、妙にマニア受けする可能性もあったりするから、これはこれでなんというか、慎重にというか、ぜひ「対応が間に合わなかった」をわざとらしく口実にして、最初だけガクラン女子を通わせてみてほしい。

となると、どうするよ、モー娘みたいな女子がガクラン姿で、通学電車で抱き合っていたりすれば!
志願倍率は、10倍ぐらいに跳ね上がるね。
「彼氏のワイシャツを素肌にまとってみた小悪魔」のような女子は、全国からデジカメ片手に盗撮しにきたマニアたちを萌えさせるにちがいない。
やがて灘中・高なんかも共学になれば、村上ファンドのような女子やら勝谷誠彦のようなイガグリ頭の女子写真部員なんてのが出てきそうで、こりゃー楽しみなんだか恐ろしいんだか・・・


マルタマよりモナSTORY

at 2007 06/19 23:01 編集

二度も不信任決議され、返す刀で二度、議会を解散した火災いや家裁いや加西市長選挙は、いけいけ中川暢一市長が僅差で再選された。
いやもう、これしか話題がないといっちゃ失敬だが、こういうことがあるから、地方選挙はおもしろい。

独断で市職員採用をかきまわした、との批判に、中川さんは「前の市長は裏口採用をしていたではないか」とぶちまけて、名誉棄損で告発されているから、選挙の次は司法の場で第三ラウンドのゴング!である。
やりますなぁ、ワンマン市長。

地方自治体の採用試験など、口ききでどうにでもなるズブズブの世界だから、個人的には、真相は闇の中の裏口採用より、「私が決断した結果だ」とわかる採用の方が、少しはマシだとは思う。
それでも、この中川市長を責めていいのか弁護していいのかイマイチわからないので、おもしろい闘いになるよう、がんばっていただきたいと願うばかり。
たぶん、中川さんは参院選に出るれば当確だろうけど、国会議員より自治体の首長の方が、うま味があるのだろうか。

タレント議員の巣窟でもある参議院には、さくらパパやらマルタマ元アナなど、各党ともあの手この手で人寄せンダをかき集めている感じで、ハンカチ王子の親なんかも出てくれば、さくらパパは撃沈だ。
子供の七光りシリーズ(笑)で、マーくんの親まで引きずり出されたりすると、何かありげな美女をよく出すK明党は、モデルあがり(さがり?)の黒田知永子あたりをくすぐって擁立するかもしれない。

マルタマは、蓮舫の活躍を見て色気づいたのかもしれないが、ちょっと、どうだろうね。
明らかに自民党の「ジジ殺し」枠にはめこまれた感じもするが、あのトゲトゲしい風貌は、ちょっと損な印象もある。やはり、ジジ殺しならNHK有働アナが決定版、そして対民主党ミサイルなら、「あの、モナ」が効果絶大ではないんかね。

おまけに、なんとまーフジモリ大統領を神輿にかつぎ出す話まで出てきて、どうやって軟禁されているペルーから出てくるねん?
と、突っ込みどころ満点である。

僕自身は自民党に入れたことはないものの、次の首相はおそらくサブカルチャー麻生セメント大臣で決まりそうだから、ちょっとお手並を拝見してみたい。秋葉原に文化庁を移設したりしそうだし(笑)。
そうなるためにこそ、安倍さんには「選挙大敗」を経験して、引責辞任してもらわにゃ困る。
年金問題の責任は横においといて、ガラガラポンを見たいがゆえに、参議院大どんでん返しに期待したいところだ。

僕が出馬したところで、さて「台風の目」になれるかどうか自信はないが、黒田知永子やモナが出るなら、喜んで秘書の座に寝返ってさしあげるぞ。
議員宿舎に住み込みで、「熱烈奉仕」いたすのだがなぁ・・・。


ほのぼの家族市場

at 2007 06/18 22:57 編集

さしさわりがあると気の毒だから、コードネーム「家族市場」としておこう、町内の西武系コンビニに寄った週末の夜のこと。
お茶だのビールだの(アサヒの「北の職人」は、泡がギネスのように細かくて、うまかった)を買って、レジへ。係は、僕と同年代のおとっつぁんだった。

ストローをつけてくれようとするから、「ストローいらないよ」と制止すると、おとっつぁん、「大人やね〜」と、意表を突く親しみをこめて応じてくれた。
僕も、「もったいないしね」とフォローすると、おとっつぁん小声で、
「いやね、牛乳1個でもストローつけてくれっちゅう客がおるんすわ。ここだけの話、内心『ボケー!!』思いますねん」
と、意表を突きまくりの魂の叫びを吐き出した(笑)。

風采からして、脱サラしたオーナーっぽい感じもしたから、脱マニュアルの受け答えもしたくてたまらなかったのかもしれない。
ええんかねぇ・・・。まぁ、僕はええんですが。

観光客もひっきりなしに立ち寄るエリアだから、よほどイライラする客が多かったのか?
つい、「土日のコンビニも、イレギュラー客が多くて大変でしょうなぁ」と同情してしまった。
まぁ、自分が「ボケー!」と陰口をたたかれると、「カス!」と反撃したくもなるから、雄叫びの善し悪しはケース・バイ・ケースである。

このレジおじさん、別れ際に「京都議定書!」とワンフレーズかけ声をあげていたが(笑)、もしかして環境運動にも取り組んでおられるのか?
いや、コンビニといえば大量のごちそうを廃棄処分しているもったいない天国(地獄?)だから、ふだん心を痛めているのかもしれない。

それなら、おとっつぁんの独断で、「北」へ食糧支援してみますかい?
と提案してみようか。
「六カ国協議!」
と叫ばれそうだが(笑)。


NOVAさまさま?

at 2007 06/17 22:08 編集

被害者に鞭打つようで恐縮しつつも、NOVAの客はいったい何を考えて、何十万円もの契約を結んだのだろうかねぇ・・・と不思議に思う。

いや、「お試し」のつもりが、チケットをまとめ買いするほど得になるような巧みな勧誘に乗せられて・・・ってことなら、それはそれで同情する。まやかしの「お得な感じ」に加えて、都合のいい時間帯に受講できる「マイペースの誘惑」も、落とし穴だったのかもしれない。

マイペースで英会話や資格が習得できるほど、世の中なかなか甘くない。たとえば「今年中にTOEIC800点」と目標があれば、今の実力との格差を時間で割り算して、客観的にペースが決まる。
これに従わないで、ズルズルやったりやらなかったりポカンと空けたりは、こりゃもう道楽の世界になってしまって、費用対効果はほとんど望めない。僕の経験からも。
まぁ、ひまつぶしと「NOVAへの献金」にはなっているけど。

自分の都合のいいときは、多くの人にとっても都合のいいときだったりするから、ピーク需要時に合わせて講師と教室を確保しておくのが企業の良識なのに、NOVAは「閑散時の空き教室に振り分ければええねん」とでも考えていたのだろう。その時点で、「好きなときに受講」はウソになる。
客は、1カ月なら1カ月、広告通りのサービスが買えるか様子を見てから本契約すべきだったと思う。変な意味での「いい授業料」を払って、骨身にしみる学習ができたのではないだろうか。

NOVA商法を糾弾するジャーナリストは、もう20年も前から違法な営業が常習化していたと証言していたが、やっと業務停止にこぎつけた感じ。
まぁ、悪辣NOVA商法のおかげで、特定商取引法や消費者契約法が制定されたといえなくもないから、「雨降って地固まる」といえなくもない。VIVA!NOVA!(笑)

これでNOVAの教室閉鎖が相次ぐと、解雇される講師が続出する。現在進行中のクラスでも、先生はビクビクしていることだろう。
そんな今がチャンス!
教室で、先生をスカウトして雇用すればいいのだ。「NOVAなんかやめて、ダイレクト契約しませんか?」と。

およそスクール業なるものは、会社が間に入って相当額ピンはねしているのが通例だから、ダイレクト契約してピンはね分を双方に還元すると、先生は報酬アップ、生徒は授業料ダウンと一挙両得。NOVAはいい顔しないだろうけど。
それどころか、個人授業するな!と講師契約でクギを刺しているかもしれないが、日本国憲法22条は職業選択の自由を認めているから、ぬかにクギである。

ピンはね分は、通常はマネージメント・コストの償却費になっていて、サイマルやベルリッツのような良質の英語学校は、ちゃんとカリキュラムを組んで生徒の学力管理もしている。
ところが英語学校とは名ばかりの押し売り業だと、ろくに教育的マネージメントなどしていないから、それは先生にやってもらうか、生徒が自分で考えればいいのだ。

マネージメントに学歴認定や就職指導まで入ってくると、これは立派な学校法人格が認められるから、ECCのように全日制の英語専門学校をやっているところは、少しは経営が安定する。
NOVAは無認可で、「スクールのように見える接客サービス業」でしかなかったところが、急所でもあった。
生徒も先生も、どんどん流れ出して、砂でできたNOVA城は瓦解して行くだろう。

本気で学びたい生徒と良心的な先生が、芝生の上ででも青空教室をやればいいのだ。
それが本当の学校なのだから。


あんしんねんきんダイヤル(R)

at 2007 06/16 15:46 編集

徳光さんも、小倉さんも、死亡したことになっていたとか。ワハハハハ・・・奥さん、遺族年金もらいますか?
こんな爆笑ものの年金管理をしていた社保庁が、殺到する問い合わせに、あわてて受付を増強している。

「どうなってるんだ!」「きちんと対応しろ!」とせっつかれて、100台で足りないなら1000台に増やします・・・とまぁ数を増やすしか能のない糞役人のIQにはあきれてしまう。今やもう、公務員の低能ぶり(勧奨を活用して退職金を増やす悪知恵、共済年金のお得なもらい方、自己保身の弁舌には、たぐいまれな才能を発揮する)には、もう納税者のだーれも驚かない。

こんな後手後手であわてふためいて、下請けの民間人に年金という国民の個人情報を扱わせておいて、この次に起きるのは年金情報の漏洩である。まちがいなく。
泥縄で研修したところで、手元に端末がなくて、「お話を聞いて上の者に伝えます」だけの派遣スタッフは、ほとぼりがさめれば解雇するんだから、膨大な個人情報が漏れること必至。
試しに、「私、女優の○△だけど、これから年金に加入したら将来もらえるのかしら」とニセの電話相談をしてみたら、何週間か後に「女優の○△、年金未加入!?」とスクープが飛び出すだろう。

あんまり犯罪教唆ふうになってもいけないが、「ねんきんあんしんダイヤル」の愛称も、ちゃんと商標登録しとかないと、「年金安心ダイヤル」「あんしんねんきんダイヤル」なんていう紛らわしい民間サービスも出てくるかもしれない。こっちの方が先に商標登録されてしまうと、本家ねんきんあんしんダイヤルが偽物よばわりされかねない(笑)。

どうせ、社会保険庁の公式(?)ねんきんあんしんダイヤルも「伝えます」しか言えないんだから、民間サービスでも「ハイハイ、社会保険庁にお伝えしときますよ」という建て前で電話受付すれば、同じこと(これ自体は、犯罪ではない)。
結局は、役所の電話相談も、それ自体は根本的な問題解決とは無関係で、ただ年金加入者にとってのサンドバッグになって、ガス抜きをするためでしかない小細工なんだから。

今回の「年金記録ガラガラポン」は、いま最高の国民的関心事だから、年金不安に後押しされた個人情報が「あんしんねんきんダイヤル」に集まると、これは大きな商機になるね。
・・・と考える柳の下のドジョウ狙いも、うごめいているはずだ。
「ところで、国の年金に不安なあなたのために、元本保証の定額年金、さらに運用益次第でたいへん有利な変額年金保険も用意してございます。いかがでしょうか」なんて営業もできるわけで・・・。

こんなのは限りなくイカサマっぽいが、法的に問題はないし、むしろ本当に「本家ねんきんあんしんダイヤル」より役に立つかもしれない(トホホホである)。
チャンス到来がんばれアフラック!アクサ!AIG!(笑)

「まぎらわしい営業」程度の法的問題を超えて、国民と政府との社会契約をふみにじっているのが社会保険庁なんだから、役所が「うちを信用して下さい」とは言えない状況の方が深刻だ。
「どのツラさげて、信用しろというの?」と言われたら、返す言葉がないではないか(それでも、そう言い返すのが糞役人の心臓なのだが)。
あとは、「役所を信用して年金をかけ続けないと、てめえの給料を差し押さえるぞ!」と恫喝するしかない。あぁ、NHKと同じですなぁ。

駅前イカサマ百貨店NOVAの猿社長に、今さらになって国がナタをふるっているのもあきれるが(NOVA事件はまたあらためて書きたい)、これも「どのツラさげて」である。10年以上も前からわかってたくせに、法人税とるだけとって、業績が下降しはじめると「そろそろ処分するか」ってところだろう。

そもそも政府がイカくさいから、消費者は自分の理性を信頼して、年金や教育投資を慎重に選ぶしかない。
その結果としての失敗は、国民の自己責任・・・というのも哀しいが、コムスンしかない村でコムスンを選ばざるをえない要介護者には同情の涙10滴だが、NOVAを選んだお調子者には、「同情2滴」ぐらいしか出てこない。
ほんと、かしこくならないと・・・。


新大阪エキナカ村

at 2007 06/15 22:10 編集

しばらく休業していたなと思っていたら、新装開店した新大阪駅構内の書店が、ゆったり・びっしりを両立させた、いいムードでほっとする。

DVDやゲームソフトを扱っていたコーナーを取っ払って、純粋な書店(純喫茶ってのが昔あったな・・・)として再出発したわけだが、激しく正しい方向だと思う。大書店とはいかないまでも、京阪神のターミナル駅の構内にある書店としては、一番充実しているのではないだろうか。天王寺駅の旭屋も、けっこう大きかったが、そこにあって新大阪にないのは、小中高校生向けの学参売り場で、そのぶん新大阪は大人の、特にビジネスマン向けの空間だ。

おまけに、営業時間が1時間遅くなって10時まで。
今までは、仕事が終わってからだと閉まっていたので、神戸まで戻って11時までやっている阪急三宮駅構内のブックファーストで「ほっ」としていたのだが、職場の近くで用事をすませられる方がありがたい。もう、サラリーマンの居酒屋感覚である。

この斜向かいで、僕が定期的に色ものコーヒー(メイプルとか、ナッツとか)を仕入れていた食品店が少し横にずれて、その跡にユニクロが入った。で、僕にとっては初ユニクロだったのだこれが。
やたら愛想のいい店員が、マクドかコムサストアか区別がつかないほどそっくりなのが気持ち悪いなー君たちマニュアル接客の裏で陰口たたいてるんちゃうん〜?と意地悪く想像しながら、「とりあえず、ポロシャツ」を試し買い。まるで、サラリーマンの「とりあえずビール」感覚である。
まぁ、別に何のへんてつもない、「生中」みたいな定番シャツで、安くてお手軽でいい。

そういえば、新大阪駅構内に服屋さんはなかったから、これであとクリニックでもあれば(歯医者ぐらいあればいいのに)、駅構内で生活ができそうなほど、まるで「おまけに駅もついたショッピングモール」のような感じ。
もしかすると、大阪駅より生活感があっていい。
大阪駅は、大丸と一体化していて、こじゃれた婦人服屋はあちこちにあれども、デパートはビジネスマン向けではないし、なにぶん高くつく。

京都駅なんか、完全に「よそさん」向きのオブジェと化しているから、新大阪のベタなにぎわいが、僕にとっては過ごしやすい。
うっかり、「暮らしやすい」と書いてしまうところだった(笑)。

書店から消えたDVD売り場には未練はないのだが、CDとか中古レコードを扱う店があると、今どきのご時世かえって「人肌」のようなものを感じるだろうなーと思う。個人的には、古本屋もあれば完璧だ。
まぁ、あれもこれもと盛り込んで行くのが日本の駅のおもしろいところだし、アッパレな商いでもある。脱帽するしかない。

これで、あとパソコンショップかキンコーズでもあれば(大阪駅構内にはあるのに、新大阪店はやたら「駅遠」の街の中にある)、ビジネスマンも芸能人も大助かりだと思うのだが、ミヤテツさん、いかがかな?


ハニカミ王子、ハジカキTV

at 2007 06/14 23:02 編集

TBSが叩かれた盗聴作戦の次は、掟破りのタイガー・ウッズへのコメント依頼、とマスコミの「ハニカミ王子騒ぎ」はフルスペック水準にまで感染している。
どうせ、すぐ次のネタが出てくるまでの熱病だとは思うものの、ただの○○フィーバーではなく、「神聖化」に近い危なっかしいものを感じる。なんで16歳の少年に、大の大人がにわかファンになって命懸けで追い回すかなー。

こんな偶像化はマスコミの得意芸でもある一方、罪なところでもあるし、偉大なる将軍様もヒトラーも、メディアをフル活用して神聖な偶像づくりに励んできた。
我が国の戦時中の朝日新聞も、そうだった。

「プロパガンダではない」としても、手法は同じ。しかも、視聴者は批判や疑問を忘れて、ただポカ〜ンと画面を見て萌えきって(笑)しまう。たしかに、さわやかでいいやつだと思う。個人的には何とも思わんが、多くの女性とゲイを萌えさせているのはわかる。

陰険な僕など、平日にプレーしている高校生に、学校の出欠はどうなってるんやろ?と思ったりもする。同じように、「ゲーマー選手権ニューヨーク大会」に出たい高校生がいたら、学校はどういう扱いにするんだろう?・・・なんてことを指摘すると、「よけいな活躍の場をPRして、高校生を焚きつけないでくれ」と叱られそうだ。

スポーツ選手は弁舌の達人ではないから、おだてられて玉座に載せられてピーピーキャーキャー囃したてていると、それで視聴率を引き上げてCM収入を荒稼ぎ、とまぁ旧態依然としたビジネスモデルを死守しているTBSもフジも、未来がないねぇ。
だから、買収されかけたのではないかい?

そんな浮き足だった取材やヨイショに、堂々と苦言を漏らすところが、ハニカミくん得点アップである(なんや、結局ハニカミファンかい!と突っ込まれそうだ)。
楽天やソフトバンクがスポーツ選手と契約して(八代英輝弁護士が入れ知恵したりして)、放映権料をマネージメントするようになると、構成中立な報道各社は、どう対抗して行くのだろうか。
報道の中立性なんて、とっくの昔から読売が踏み倒しているし
、オリンピックや五輪選手個人の扱いは、メディアにとっては金のなる木である一方で、地雷でもある。

ビーチバレー浅尾など、見せたいのか見せたくないのか、いじましい撮影規制が張り巡らされているから、完全に「さわやかなきわきわ」を売るだけの見世物になってしまった。
本来、もっとハードで健康的なシーサイド・スポーツだっただろうにね。

ここは、たぶんビーチバレーで稼ごうと暗躍している業界とマスコミと広告代理店が結託して、何食わぬ顔をして赤外線撮影をしていたりするのではないだろうか。やがて美和ちゃん引退へ→グラビアアイドル→AV・・・とレールが敷かれているような気もする。

おっと、山本モナがぐずって、先がつかえています!
安達佑実ママが引退してくれません!
ってなことも、あるかもしれない(笑)。


6万件のパイ

at 2007 06/13 23:32 編集

「赤ちゃん本舗」がセブン&アイに買収され、ブルドックソースはどこに買収されるのかと戦々恐々、毎日のように名の通った企業の買収劇を聞かされる。
そして、コムスンである。
元の創業者オーナーに「名前を汚してすみませんでした」と返してもよかろうにと思うが、そう簡単には行かない(そりゃそうだ)。
さっそく、施設部門をワタミが、訪問介護サービスをニチイ学館が、いやいや丸ごと買うよ、と三井物産が買収しようとしている。

関西だと、安倍首相の古巣の神戸製鋼や松下、大阪ガスなど、畑違いではあれ大企業が介護サービスもやっていたような気がする。
だったら、そういう財務体力のあるところが買収すればいいと思うものの、北海道や九州で、神鋼グループだ大阪ガスだと親会社の看板をかかげても、介護事業のイメージはちょっとわきにくい(当のコムスンだって、最初はそうだったのだが)。

障害者福祉を援助している宅急便のヤマト福祉財団や、もっとでかいところでは日本財団あたりが救済に乗り出せば、財務面では心強い。
その一方で、在宅介護の市場シェアは、コムスンとニチイがほぼ互角で6万件強、ちょうど参議院の議席数みたいなかっこうで、「2強」がほぼ独占しているようだ。

とすると、ニチイが事業継承すると、独禁法に触れかねないのではないかい?
かといって、全国ネットの大企業より地域密着ローカル企業がいい・・・かといえば、経営体力の不安が出てくる。あっちをとればこっちが立たずで、なかなか大変だ。

もちろん、一番不安なのは実際の利用者と家族で、どうしたらいいの?とオロオロしている昨今だろう。お気の毒に。
「受け身ではなく、自分で介護事業会社を探して、主体的にサービスを利用するのが正しい!」と教科書ふうにいえばいえるけれど、パターナリズムに慣れてきた世代にとっては、コムスンに二足のゲタをあずけてしまったような感覚だろうから、とまどうのも無理はない。

こんなときのために、「いざA社がサービス継続できない場合は、B社がある。契約の乗り換え手続きは、かくかくしかじか」とマニュアルがあって、事務的に契約変更ができた方がいい。そのためのサポーターがケアマネであるはずなのに、それは「絵に描いた理念」にすぎず、やはり特定の業者とのしがらみもあるのかもしれない。

だから、今回のコムスン災難をきっかけにして、介護サービス業は競争するのもいいが、いざというときの「身売り先」を決めて連携しておくなど、バックアップ態勢ができればいいと思う。
それを、グッドウィルはグループ内でやろうとして待ったをかけられたわけだが、「顧客のつけ替え」は一概に罪なことではない。グッドウィルは、会長が諸悪の根源だから、「客をころがしてピンはねなんぼ」が懲りずにくりかえされること見え見えだから釘を刺されたわけだ。

もちろん、末端のコムスンのヘルパーといい関係の要介護者も多いはずだが、その信頼関係の先には企業の論理があって、どう買収・身売りされるかわからない御時世なのだ。
信頼できるのは、つまるところ自分の判断力ではないのかな・・・と、デカルト主義者としては思いを新たにするのである(でも聖路加病院のような法人は、もう盲目的に信頼して下駄をあずけてしまいそうなワタクシでもある)。


だめな寝だめ

at 2007 06/12 21:45 編集

よく、ふだん寝不足な人が週末に「まとめ寝」をしたりするのを、「そんな離れ業はナンセンス」と打ち砕いてくれる医学書があったような、なかったような・・・。
僕もそんなことができると思い込んでいて、土日はとことん寝ていた。しかも長時間。

ただ、長く眠るほど逆に疲れたような、スッキリしないモヤモヤ頭が残るだけで、どうも俗説は説得力がないぞ・・・?と気づきはじめた。
日曜日も、下山してシャワーを浴びてゴロンと横になったら、1時間ほど気持ちよく昏睡してしまい(笑)、月曜は朝イチ出勤だというのに夜はほとんど眠れなかった。

どうやら、「眠たいときにそこで眠る」のが一番のようで、電車の中でもベンチでも喫茶店でも、とりあえず寝入ることができるよう、我が身は最適化されてしまっておるようだ。
飛行機でもバスでも列車でも友人カーの助手席でも、「夜行」の乗り物で僕は必ず安眠できているし、これが「大沢さん空気読んで下さいよ〜」と言いたげなニュアンスをこめた「どこでも寝られて、いいですね」てな評価を勝ち取っている。
ワハハハハハハハ、すまないね。

で、月曜日はさすがに目がしょぼしょぼしてきたので、午前勤が終わって準夜勤までの空き時間、帰宅して昼寝でもするか、と考えたのだが、これが眠れないのだ。
結局、「ちちんぷいぷい」を見ながら(ふまじめ!)資料準備やらネットでの調べ物やらをやっていると、頭がムワーンと発熱した状態で一睡もできず、重い足で夜の出勤となってしまった。

仕事自体は重労働ではないものの、とにかく時間の使い方が漫然としているので、なかなか「安心就寝、起きて爽快」とはならない。
ヒマなんだか忙しいんだか、よくわからん息づまり感があるので、一度まっしぐらに帰宅してコテンと寝て、「5時起床ラジオ体操!」のような健康優良爺ライフをやってみようか・・・。
と考えると、あぁそうか、まっしぐらに帰宅しないで喫茶店で2時間はねばって新聞を読んだり居眠りしたり(笑)している日課のなんとムダなことよ!と気づいたりもする。

職場と家以外の居場所に漂うのが大好きな性分は、もし失業するとネットカフェ難民にすんなり「転職」できそうでこわい。
こんな性分、激しく家庭的でないし、ヒトミ6号(仮名)を悲しませるだけだろう。
逆にいえば、家で待つ人のいない殿方、待つ人のもとへ帰るのがこわい(笑)人は、町を漂うのがよろしいのである。夜景の見えるカフェなど、ノートPCがあれば本当に仕事がはかどる。

そんなカフェ仕事師が、このごろ目立つようになってきた。サンマルクで、スタバで、ドトールで、そして今僕のいるエクセルシオールで。なぜか、レッツノートが多い(気がする)
「お互い、大変でんなー、だんな」と僕はテレパシーを送りつつ、トロトロと襲ってくる睡魔を感じる、安らぎの宵の口である(バッカみたい、てか?)。


フライング・アジサイ

at 2007 06/11 23:15 編集

梅雨入りが遅い。
でも、降らない方が外出には好都合。
それがジレンマにならないのが、梅雨どき限定の花巡りだ。

で、日曜日は「アジサイ花見」を呼びかけて、裏山へ三々五々集まることにした。
まずいことに待ち合わせに手間取って、2時間歩くコースを、90分で駆け登らなくてはいけないはめになった。「神戸市中央区」なのに、あたり一面が山また山で、ずっと携帯が圏外だったので、遅刻の連絡もできず、とにかく集合時刻に追いつく勢いでガンガン歩く。
まるで朝イチ通勤電車にかけこみ乗車するような気分だ。せっかくに日曜日に、忌わしいことよ。

なんとか100分かけてゼーゼーいいながら植物園にたどりつき、あいかわらず圏外なので足と鼻で(笑)仲間を捜して、無事に落ち合うことができた。

今回は、総勢9名のうち、「新しい命」が、完全防水のベビーカーで顔見せ。たちまちアイドルか、はたまたマスコットか?のデビューを飾っていた。
ホリエモン父さんも、「海より山の方が楽しいみたいで、素質もありそう」と、すでに実験済み(笑)の様子。
「キッズ・バイク、キッズ・カヌー、キッズ・スキー・・・とどんどん備品を買い揃えて、使い古したら次は我々にお下がりよろしく!」と、野郎ども一同お願いをしておいた。そうは問屋が卸してくれますことやら?

ふもとでは晴れていたのに、山の中は降ったりやんだりのくりかえしなのが、少し気ぜわしかった。おまけに、メインのアジサイがほとんどつぼみ状態で、だいぶ早すぎたのが間抜けだった。
それでも、まわりの緑は、どれもみずみずしくて、目に心に保養成分をもらった感じ。

雨はアウトドアで嫌われものだが、僕は雨の眺めが好きで、紅葉を打つ雨もいいし、夏の通り雨もいい。
そして、アントニオ・カルロス・ジョビンの「薔薇に降る雨」じゃないが雨が似合う花もあって、アジサイは代表格だ。
アウトドアでも、もっと雨や雷を楽しめばいいと思う。

雨宿りもしながら、なごやかに園内を散策した後、「じゃ、次は花火大会で」と淡泊に(飲み会に流れて行くわけにも行かないから、しかたない)車に分譲して下山。ブログに写真をアップして、ちょうどいい忙しさの日曜日は終わった。
お目当てだったアジサイは、再出撃しないと見ごろにジャスト・ミートしそうにないから、これは個人的な宿題とするか。


土曜出勤空振り

at 2007 06/10 21:53 編集

土曜出勤したところ、その職場の出勤指令がダブルブッキングされていたことがわかり、結局トンボ返りになってしまった。謝罪メール1本で。
そこはかとなく、情けない。

今年は、季節ごとに出勤指令パターンが変わる風情ある・・・というか目まぐるしい時間割で、梅雨の季節は週休3日になった。もう、毎週だって小旅行に行ける。
そのかわり、夏休みは実質的にない。ふだん週60時間働いてフラフラになり、その代わり「夏休み2カ月、冬休み1カ月、春休み1カ月」になっていたメリハリある前の職場がなつかしい。

きのうも、その当時の同僚から電話がかかってきて、四方山話に花が咲いた。つい「敗残兵のやるせないボヤき話」になってしまうのだが、こき使う一方で休みはドカンとくれる点はよかった。ネイティブ・スピーカーあっての語学学校だから、労務管理もメリハリをつけていたのかもしれない。持ち帰り仕事は「原稿何枚書いて何千円」と個別に契約を交わしていたし、年度途中に不意に勤務が入る、なんてこともなかった。
ただ、労働単価は安かったから、ベア以上の昇給を望むなら、労働市場へ泳ぎ出すしかない。

それも自己責任だから納得するしかないし、そう深刻な不満でもないのだが、今年の夏は2週間ぐらいは空けておきたかった。僕の「槍・穂デビュー25周年記念イヤー」だから、四半世紀ぶりに(まぁこの間、何度か登っているけど)縦走してみるか、と企てているためだ(うれしいことに、25年前にそろえたテントもザックも現役である)。

天気のいい時期を見計らって、日程をギリギリまで見極めようと思えば、所要日数5日+前後3日ぐらいの余地はほしい。
ところが、今年は週1回ずつ仕事が入っていて、盆だけが休み。盆休みは避けたい。
盆の北アルプスなど悪名高き「人間渋滞」で、もう先行く群れの吐き出す二酸化炭素と汗の匂いを吸いながら歩いているようなものでんがな!!・・・とびびっているのだが、実際には海の日から盆までの夏山決定版シーズンに、人の群れに飛び込んだことはない。「食わず嫌い」なだけか?「案の定」になるか・・・?

週1回出勤ぐらいでブーブーぐちっていると、おなじみの遊び仲間のカヌー部員2名から、「てことは、毎週、週休6日ってことですやん。許せん!!」と諌められること必至。なんとか6日間の日程をうまく工夫して、さっと行ってさっと帰ってくるしかない。

それでも、寄る年波のせいか(笑)、もろもろの不安は年ごとに募ってくる。
所要時間だけは、不思議と早いペースを保っているけれど、スタミナより懸念材料なのが、もう学生時代のように、まるで雲に乗ったような、岩場で踊るような、天空で遊ぶような至高感覚が、なかなか取り戻せないこと。出会う風景も、起こりそうなアクシデントも想定内で、「一件落着感」をかかえて3000m下界に下りてくるだけ。

いっそ、仕事がベッタリ入って、土日で日本アルプスに登って帰ってこなくてはいけないとか、そんな大冒険(笑)しかできなくなると、かなりのハード・ミッションになりそうだが、そんなことしたくはない。
「しみじみ・ハラハラ・めくるめく山歩き」を演出してくれるような妙薬は、ないものだろうか。


フィリピーナを 笑うジャップを だれ笑う?

at 2007 06/10 00:08 編集

フィリピーナからタガログ語で話しかけられて、わたしゃ日本人やと答えると英語に切り替えてくれたことで、「なんでやねん!」と憤慨した・・・云々の笑い話を紹介すると、なぜ憤慨しなきゃいけないんですか!と憤慨されてしまった。
憤慨が渦巻く週であった(笑)。

前ふりに、国民性ジョーク(ドイツ人らしさ、英国人らしさ、日本人らしさをカリカチュアライズした、よくある小咄)を一席紹介した後だったので、「高感度」な聞き手には、僕の内なる差別意識と人権感覚をにわかに訝る気持ちを目覚めさせてしまったのだろう。このおっさんは、欧米と日本と途上国を序列化して笑っている不届きなやつではないか、と。

考えてみれば、こうしたジョークに、アフリカ人やアイヌ人が登場することはめったにない。欧米人と並べて笑い飛ばして、それが「人種差別だ」と騒ぎにならないぐらいには、日本の地位が高く、日本人が寛容になった証しともいえるかもしれない。

それでも、僕の話した国民性ジョークを英米人がしゃべれば、私たちを侮辱している!と感じる日本人は、いるかもしれない。このあたりの、多民族世界の中での日本人の地位は微妙なもので、本当の意味でのコスモポリタンは、なかなか存在しない。

ただ、だれがだれを差別しているか?と問い始めると、何者をも差別していない人はいないから、目くそ鼻くそ・・・といっちゃ失礼だが、「コップの中の戦争」をくりかえしても、建設的ではない。

正直、差別はなくならないとも思う。
そもそも、「文化は差別の体系である」という命題もあるからだ。

たとえば、囚人を差別しない人はいないだろう(平等に、共生しましょう!といえる人は、相当おめでたい頭脳の持ち主だ)。
囚人やホームレスよりは、いい生活つまり自分なりの価値観(美とか富、正義、自由、高揚感など)を実現できる生きざまが「文化」でもある。

ショパンが最高だと思うクラシック・ファンは、モーツァルトのファンを見下さないだろうが、ヒップホップをそれとなく軽蔑する。猛烈に働いて地位と財産を築いた人は、ニートを軽蔑する。

そして、エリート企業はエリート学生を優遇する(格差社会をとやかくいうマスコミほど、高学歴者の天下である)。
こうした差別構造があるから、エリート文化に対するサブカルチャー、カウンター・カルチャーが多様化する。

差別が文化に組み込まれているからこそ、奴隷労働でない「職業の選択」や、ただの「交尾」ではない結婚が、差別と無縁ではいられない。
ある種の病気や障害や出自(つまり、同和地区出身であるとか、パパが組長であるとか)をもとにした進学や就職の不自由は、もっと身近でナイーブな問題だ。
「それも文化だから放置しておくべし」というつもりはないが、さて、完全に公明正大で、機会均等な進学や就職、政治参加や結婚は、あり得るのだろうか。

制度的な差別が、社会防衛上どうしても必要な場合もある。性犯罪や放火の常習犯が、何という名前で、いつ出所してどこに住んでいるかは、住民の知る権利が本人のプライバシー権に勝ると思う(オール&ナッシングだとはいえないが)。
最近の論点になっている、認知症と診断された人のマイカー運転については、免許取り消しが差別といえるかどうか微妙なところだ。保険を手厚くかけておけば免罪されるものでもないだろう。

前にあげた囚人の差別も、公的に認められている(というより、国民に強制されている)ように、病気や障害や性癖にかかわらず共生しましょうと言えるほど、社会は、そして現実の僕もタフではないと思う。
かくいう僕は脳卒中や心臓発作のような前兆もない癲癇持ちで、発作もある僕がクルマや飛行機を運転するのは「世界の脅威」だから、パイロットになれなくても全く文句はない。かといって、癲癇持ちにも運転を認めよとアピールする運動は、否定も支援もしない。

癲癇持ちすべてが脅威だとは思わないが、筒井康隆さんの小説『無人警察』騒動にみられるように、過剰反応する社会があるのも確かだから、非合理的な不安も、過剰な被害者意識も、少しずと歩み寄れたらいいと思う。
つまり、非合理的な不安から村八分にしたり隔離したりするのではなく、ちゃんと真実を知った上でリスクヘッジできる社会になるということである(個人的・公的にリスクヘッジできていることを条件に癲癇持ちの運転を認める国もあるから、どうしても運転したければ移住するね)。

もちろん、社会防衛や公安を理由に公権力が人権を制限する度合いは最小限であった方がいい。
制度的な差別が極小化して、その結果として起きる事故や社会不安に、国民が個人的に備えができていて、究極は家族の命が奪われても納得できるならば、と但し書きがつくのだが。

あぁ、障害者差別だ人種差別だと考えはじめると、人によってナイーブさが違うから難しい。
いや、ふだん隠している「差別感度」が表にあぶり出されてくるからこそ、寝た子を起こすような大論争にもなり、しかもそれは人類社会永遠の難題だと思う。

ほてった頭には、シーナさんの新刊が清涼剤になる。
いいタイミングで文春文庫から出たズバズバエッセイが、『ただのナマズと思うなよ』。
僕の頭の中では、アナゴ>ウナギ>ナマズ>ドジョウと「差別構造」ができあがっているのだが、シーナさんはナマズを擁護しておられるのだ。えらい!
さすが、「忘年会と新年会はどっちが偉いか」なんてエッセイも世に問うておられる天才である(笑)。

シーナさんを見習って、「仁義なきキムチと奈良漬けの闘い」などをしていた方が、こと日韓関係は平和でいいかもしれない(シーナさん自身、小学館文庫の『からいはうまい』であちらの漬け物をかなり肩入れしているけど)。


ともあろうもの

at 2007 06/08 23:16 編集

また前時代的な、生徒会レベルの道徳論が、コムスン叩きの背後に見えかくれしている。
「介護事業者ともあろうものが」といわんばかりの特別視は、事件によっては「医師」「教師」に矛先が変わることもあって、そのたびに僕は小声で「ほんなら、風俗業者ならどうやねん」とつぶやきたくなるのだが、独り言もむなしい(笑)。

あぁ、僕がこんなとき「卑しいと評される職種や人の属性(堅気でない人々とか、移民とか)」をたとえにあげるたびに、一部の聞き手のナイーブな倫理観をくすぐるのか、たとえ話に気をつけるようクレームが出るのだ毎年毎年。この件については、またあらためて書きたい。

見下される職種とは対称的に、介護職を高く持ち上げる倫理観は、あまり普遍的な価値観から出たものではないから、往々にして論理的に整合しない。
介護事業に高い倫理観を求めるなら、高い責任に応じた高い報酬を保障しなくてはいけない。介護保険料を値上げするか、それとも負担者を年金と同様に拡大するか。

あたかも、採算は二の次で、家族のように心のこもった介護をしてほしいと望むなら、それは大きな勘違いで、介護保険制度そのものが「ビジネスライクな介護事業」の支援政策だから、金にならないメンタル・サービスは期待しない方がいい。また、ダメモトだと思う。

もちろん、脱法行為をやってでも介護報酬を国から引き出すのは倫理以前に犯罪だから、法令を守った上での営利を追及すればいいだけ。それだけなのだ。
家族にしかできない特別な「真心アービス」は、やはり家族にしかできないものではないだろうか。

あえて誤解を恐れずいえば、コムスンだろうとニチイ学館だろう
goo日記アーカイブ2007年 | 23:19 | comments(0) | trackbacks(0)
2007年5月の日記
拾う縁

at 2007 05/31 23:20 編集

ベランダに出て真南にホテルオークラが見えるので、きのうの「5億円披露宴」は何かスペシャル・イルミネーションでもやっているんだろうか?と思って楽しみにしていたのに、ホテルオークラは平常心で建っていた。

元町界隈に出ても何の騒ぎにもなっていないし、まだ春節祭の方が商店街は浮足立っているほど。
まぁ、ほんと地元の、すでに入籍している加古川のおにいちゃんと西宮のおねえちゃんの披露宴だから、死に物狂いで覗きに行くファンもいないだろうし。
テレビで中継を見ていた方が、あの長〜い紀香のドレスの優雅なところだって、クッキリ見える。

そして、かなり早口な「感謝の言葉」も、何度も何度も再放送されているから、やっと聞き取れる。
「父には往復ビンタで叩かれ、家に入れてもらえず犬小屋で泊まりした日もあり、男の子からかかってきた電話は切られ・・・」と、厳しいパパへの感謝なんだか暴露なんだかよくわからない早口言葉は、皆ちょっとドキドキしたのではないだろうか。
勢い余って「パパは私にきた手紙を全部チェックし、私のタンスを開け、私の入浴も覗き・・・」と大暴露になりはしないかと、僕はヒヤヒヤ楽しみにしていたのに(笑)。

でもまぁ、紀香パパ&ママはそろって美男美女で、やはり「この親にしてこの娘あり」だった。できもつくりもいい、その地を引いているから、あの紀香のフカヒレのようなつけまつげは、実際いらんよねぇと思ったぞワタクシは。
紀香は、素のままで充分かっこいい。

素では最初から失格になりそうなのが、ミス・ユニバースだった(関西芸人は、必ず末成由美のギャグをはさみよる!笑)。
いやもう、あの歌舞伎そこのけのコテコテメイクは、70年代のアメリカ映画に出て来るホステスではないか。あちらから見た典型的日本人のイメージなのかもしれない。

あんまりといえば、あんまりなエキゾチック東洋人」そのものだが、こういう塗装の厚さを競うだけなら、藤原紀香が出れば、さりげなく優勝できるかもしれない。
ブラジルより、韓国より、ベネズエラより美人だったぞ紀香は。日本国万歳安倍総理万歳!
となると、なんとか水大臣の辞世の句になってしまうから、ともかくきのう、今日は「陣内紀香おめでとう!」と素直に祝賀ムードに浸っていよう。


初レッカー

at 2007 05/30 23:21 編集

朝イチ出勤の電車に乗り遅れそうになったので、本当にやむなく駅まで自転車を飛ばした。
駐輪に不安があったので、「駅までチャリ通」はしたことがなかったのだ。いやホント。

すると、「ビギナーズ・アンラッキネス」である。
夕方に戻ると、ガードレールに縛りつけていた愛車が忽然と消えていた。盗まれたのかと思いきや、地面にはチョークで「市撤去」と書かれ、電話番号もついていた。やられた!
レッカー移動じゃない、「トラック移動」の標的になったのだ。初めて。

よりによって、僕のだけ持って行かれていたのは、たぶん「凝ったタイプだから、見捨てることはなかろ。取りにくるに違いない」と値踏みされたためだろう。違法駐輪の「一掃」撤去ならまだしも、こうして狙われるのは腹が立つ。

怒りを抑えつつ、翌日(つまり昨日)、第四突堤の岸壁にある二輪車保管所に出頭してきた。
ランチタイムは食べに行く店も周辺にない、ハードボイルドな僻地である。
受付に近づくと、もう中から満面笑みを浮かべて、「いらっしゃいまし」と爺さまが出迎えてくれた。ここの仕事は、出頭者の応対と同僚とのおしゃべりだけではないか???と思える小屋に、4人もの爺さまが詰めていた。

カギを照合して確認、書類を書かされ2000円を支払った後、あっけなく愛車を引き取ることができた。「週4〜5回は回ってまっさかい、気ぃつけて下さいな」と忠告される。クソッ!!
ワイヤー錠は切断されたままである。不運な愛車が、不憫で不憫で・・・(笑)。

そりゃーたしかに路駐した僕が悪い。「あいつだってやってるのに」と他人をひきあいに出して自分を免責させようとは思わない。
けれど、路駐をぜんぶ「放置自転車」と一括してしまう役所の姿勢はおかしい。乗り捨てているなら、撤去して捨てればいいわけだ。

それを、一時保管する設備を構えているのは、放置ではないく、「占有離脱したいでだけ」の可能性を認めているからではないかい?
クルマだと、放置車と違法駐車は区別されているのに、自転車は一時駐車でも「放置=没収!」である。んな、アホな・・・。

自転車の走る道の問題も含めて、駐輪の扱いは、まだまだ自転車後進国の状態にあると思う。
やはり、(元)自転車大臣谷垣さんに安倍政権を倒してもらって、強力な自転車内閣を実現してほしいものだ。それなら、自民党を応援するのに。


なんとか還元水大臣、骨と灰へ還元

at 2007 05/29 22:47 編集

松岡農水大臣の自殺と、久本雅美が2歳サバをよんでいた年齢詐称発覚と、衝撃度には甲乙つけがたいが、とりあえず坂井泉水さんに添えて松岡大臣のご冥福をお祈りしよう。

疑惑だらけの剛腕政治家であったとはいえ、それぐらいの骨太さがないと、日本の農は守れないのかもしれない。
そして、その骨太い政治家を自殺に追いやった力が、本人のもろさなのか、無能無策な安倍人事の閉塞感からくるものか、もっと別の闇の力なのか、はっきりとはわからないのがこわい。

いや、別のもっと深刻な疑惑をカムフラージュするための人身御供だったのでは・・・?と見ることもできる。
たとえば、5000万件もの年金納付記録消失である。
いやもう、グレートな失政だねこりゃ。
省庁再編にナタをふるう自民党を退陣させて、官公労に甘い民主党に政権交代させるために、役所が恣意的に不祥事をもらしているのではないかい?

これでもまだ自民が夏の参院選に勝てば、次はアメイジングな不祥事が出てきて、与党を揺さぶるかもしれない。たとえば、麻生太郎が好きなアキバに変装して通い、メイド喫茶で手鏡を変なことに使ってつかまるとか(ミラーマン兇世福法

まぁそれは冗談として、「年金パー」は、ドイツやイギリスで発覚すれば、政権が転覆するか、暴動が起こっても不思議ではない大事件なのに、なんとのどかに騒いでいるだけであることか。
それに、まだまだ、マンションの耐震偽装の問題や、BSE牛の解禁など、未解決の失政は山ほどあって、もう松岡さん一人の自殺では目くらましにならないほど、とっくに制度崩壊しているのかもしれない。
社会保険庁の巨大な癌が飛び火しないうちに、職員もろともさっさと処分してしまわないと、次の「実は・・・」がこわい。


老いの週末その2

at 2007 05/28 23:19 編集

毎年の行事になっている研究会のシンポジウムに、今年は運悪く仕事がぶつかって、出席できなかった。
その直前のタイミングに合わせるかのように、ボスの御著書が店頭に並んでいるのを偶然発見、一気に通読してしまった。

前々から、ボスの右腕の事務長さんからは、「体調はあまりよくない様子ですよ」「医者の平均寿命は、実は平均よりかなり短いんです」と不吉な知らせを聞いていたので、もしや・まさか・よりによって・・・とは思っていが、本の中で、御自身のガン闘病とガン患者への日常診療について、並行して書いておられる。
そして、「どうやら、私の人生は、がん患者として終えることになりそうだが」とも・・・。

あぁ、そうだったか!と一撃されてしまった。
先生の張りのある声での演説は、本を読んだ2日後のこと。仕事のシフト変更が間に合わなかったのは惜しい。

と、あたかも見納めのように切羽つまることは、実は「縁起でもないこと」に備えているようでもあるから、ふだん通りに、また先生と議論を戦わせたいものだ、と思い直すことにする。
戦うこと、発言すること、ぬるま湯的な馴れ合いを改革することを、ことあるごとに我々しがない研究員(?)に発破をかけてくれた先生だから。

医療や行政に染みついたパターナリズムを批判しつつも、「では先生の組織運営は、知らしむべからず寄らしむべしになってませんか?」と無遠慮なことを、面と向かって、またメールで、企画書という形でガンガンぶつけてきた僕など、きみがガンだ(笑)と言われそうな気もする。

そもそも、病院とか業界団体とは違う市民団体のガバナンスは、だれがやったとしても難しいものだと思う。世間にも、NPO経営論はあれど任意団体をマネージメントする手引き書さえないように、実際には篤志家の職人芸的な判断や手さばきで動いている市民団体が大半だろう。
病院の部下のような直接の雇用関係がない「外様」である上に、遠慮がない僕のような人間には、さぞかし手を焼いておられたはずだと反省する。

それでも、御著書の一部を分担執筆させて、なんとか業績を残せるようにと配慮してくれたのも事実だ。
その作業の期間中、病院の医局を覗いたら、僕の草稿のプリントアウトを机の上に広げ、はさみとのりでつぎはぎして「整形」しようと苦心されている先生の姿が目に入ったことがある。
原始的なやりかたではあれ、こんなことをしてくれた恩師は、いなかった。

結局、28000字の原稿が20000字もカットされて大いに腐っていた僕に、「削った原稿は、保管しておきなさいよ」と含みのある助言をしてくれたのだが、その内容はというと、たしかに臨床医として許し難い提言だっただろうと今になれば理解できる。

そもそも臓器移植に慎重な立場の医師2名が立ち上がってちょうど20年前に結成された研究会に、僕のような臓器提供賛成派が紛れ込んでいること自体、人騒がせな話なのだが、それも先生の度量だと思う。
さすがに、「臓器提供意志表示カードは、自分の好きなスタイルでカスタマイズしよう」と書いた部分は、指先で弾かれつつ、「こんなことは、とても許されるもんやないよ」と、にらまれてしまったのであった。

議員会館にまで、臓器移植法の改悪阻止のため乗り込んで行った先生の情熱を飲み込んでしまうように、法は改悪の審議が進んでいる。
もとより、年間数例あるかどうかの「脳死からの移植」より、がん対策基本法の方が、対象者も多い重要法案だったことは否めない。だから、ボスのライフワークも、がん対策に移って行ったように見える。

多くを語り、書き、人を動かし、働きかける中で、「志を継いでくれる者はいないのか!?」というメッセージは、直接発信されることはなかった。
そこが昔気質の先生らしいというか、スムーズな次世代へのバトンタッチだけは苦手なようで、その点では、マニュアル主義者(?)の僕と激しく衝突してきた。

「惻隠の情」は否定しないが、もっと腹の底は明快な言葉で語ってほしいとも思う。
医師と社会科学屋の発想や手法はまるでちがうからこそ、溝を超えるのは言葉と対話なのだ。


老いの週末その1

at 2007 05/27 22:29 編集

図書館で、空き巣に入るために(笑)住宅地図を調べていたら、となりの区の地図を返しにきた爺さまが話しかけてきた。

「最近、マンション増えましたなぁ」
「ポーアイが多いんでっしゃろか」
「わしら若いころ考えられなんだ」
とか、なんとか、かんとか。

できるだけ無愛想をきめこんで、「はぁ・・・」「そですね・・・」ぐらいしか返答しなかった。
すると、ためらいも遠慮もなく僕が調べかけて指をはさんでいる地図帳を奪い取って、「えーと、わしとこは・・・」と勝手に自分の家を探しはじめるではないか。かなり必死に索引からたどって、ようやく「あった、ここ、ここ!清水***と、名前のってまっしゃろ」と僕に指し示す。

で、なんやねん、爺さん!!

会話としては成り立っているような、いないような・・・でも相手は結局だれでもよかったような気もするから、行き当たりばったりで僕に声をかけただけにも思えるし、カモられたってことか。
ふだんから独り言をしゃべりまくっている爺さんもいるから、相手しようとした僕が間抜けなだけなのか。アルツ気味なのか、単に寂しい老人なだけなのか。
ええい、ややこしい!
悩ませんといてくれよな、御老人。

こういう御老人は、昔話やら何の展開もない繰り言をかわすご同輩とペアを組めばいいのに・・・と思う一方、縁もゆかりもない相手を巻き込むのも、少しは刺激になっているのかもしれない。

そのあと土曜出勤するための夕方の快速電車には、いかにもリゾートスタイルの小ぎれいな老人4人組が僕の斜め前の枡席に座っていて、今まで行った海外旅行の国名をダラダラダラダラしゃべっている。
アジアとヨーロッパとアメリカの10ケ国か20ケ国は出てきただろうか。

それも、あまりに淡々と、「***も行きましたけどな、なかなかでしたな」「あそこ、寄りましたか」「あぁ、行った行った」のくりかえしで、何がおもしろかったのか、どんな思い出ができたか、さっぱり伝わってこない。
あぁ、これは老人のメンコ遊びみたいなものなのだな。
ただただ、集めて並べて、「消費」する。

時間もそうだ。老後の膨大な年月というのは、確実に振り込まれてくる年金を頼りに、ひたすらヒマをつぶして、ものを買って買って買って、ひたすら消化して行く。
つまり、生産性を伴わないから、なんだか話が合うようで合わないのだ。向かっている方向が根本的に違うようで。

こうして飽きずに消費する世代を対象にしたマーケットができるという意味では、生産的ではある。たとえば、割安オフシーズンのパックツアーの上得意が、こうした層なのだろう。ま、要介護予防になっているならいいか、と納得しようとするが、こういう現場に流れて行く現役世代の年金保険料は、ちょっと不条理ではある。

年金が今現在の世代間の仕送りスタイルになっている限り、「働ける老人は働いて、社会貢献してくれ」と期待する声は当然あがってくるだろうし、もちろん僕もそう思う。
レジャーなどわき目もふらず、戦後がむしゃらに働いてきたから、定年後は遊びほうけてみたいのじゃ・・・とおっしゃるのも、わからないでもないけど。


対岸の火事とケンカは掲示板

at 2007 05/26 23:44 編集

「OB、OGたち」のなごやかな掲示板が、いよいよ閉鎖か?の憂き目に遭っている。
ハンドルネームでうさ晴らしメッセージを書いたり、匿名で荒らしたり、こうなると「これはだれだ」とサヤあてが始まったり、憶測で個人を追及したり、すさんだ場へと転落する一方。

こういうことを、ネット上でやるかい?
と思う。若いなぁみんな。いや、ネットだから別人格が出てくるのだろうけど。
僕はOB当事者ではないから書き込みもしないし、火事場見物をするやじ馬にすぎないが、当事者にはメールで忠告しておいた。

管理者クンは、「維持費も開発費もかかっているのに」と、この期に及んでボヤくが、それは最初にカンパをお願いするか、または自腹を切って、別の形で「投資を回収」すればいいこと。
僕もそう考えてきた。いや、「そう考えにゃ、しゃーない」としかいえない。

それほど、みな集まってワイワイやる場の温もりや臨場感をネット上に再現・維持するのは難しいことだと思う。決して、資金をつぎ込めば問題がなくなるわけではない。

携帯メールを打つ速さとか、着メロに反応する俊敏性(笑)は高いが、どこか大事な能力がおろそかになっているような気がしてしかたない。
また、そういう若い子がネット上だけでの関係を好むようだしね。

便利なツールを「幸福なツール」にまで高めるには、言語表現もよほど慎重にしなくてはいけない。先の時間差の問題、閲覧者が不特定多数である怖さなど、うんと想像力を発揮しないと、便利なツールが一転して凶器になるし、友人関係に溝を掘ることになりかねない。
まぁ、すでに後の祭りだが。

チャンバラごっこを、真剣でやってはいけないのだ。
血を流している犠牲者が、気の毒でならない。


わたくしハジカキ王

at 2007 05/25 23:39 編集

ハンカチ王子の次は、ハニカミ王子なんだそうな。
天才ゴルファーなのはその通りかもしれんが、少年をはやしたててはしゃぐ大人の不甲斐ないこと!

・・・と雄叫びをあげても、何も変わらないだろうけど、中には大人の求めるけなげさを素直に演じない子もいて、僕はこっちを支持したい。
ライバル対決の演出をされて試合を組まれたピンポン愛ちゃんが、「なんで、この子と真ん中で試合をすることになったのかと思うと、イラッとくる」と切れかかっていたのは当たり前で、「もっと言うことよ吠えることよ噛みつくことよ」と、僕はエールを送りたい。

そもそも子供は、悩ましいヒトミ先生から「どうしたの?先生のどこを見てるの?正直に言ってみなさい、言っていいのよん」と詰問されたら、いやがうえにもはにかむものだ。こんな贅沢な青春ドラマの場面に恵まれなかった、ただ汚らしいだけの坊主どもは、昔からハジカキ王子であった(はずだ)。
どこでちびっただの、いじめられていただの、ヒマラヤ山脈をヒラヤマ山脈と思い込んでいただの、間抜けなことばかりやっているものだ。

それはそれで、ハジカキ時代からの脱出力が大人になるエネルギーにもなるからいいと思う。
優等生はつまらない。もう十代で老成してしまって、おいおいこれ以上部長みたいな記者会見されたら、ヒトミ先生を呼びたくなるよな。

せいぜい、このスポーツマンシップと高校生離れした冷静沈着さで、将来は部下を「なぁ、腹を割って話そうや」と諭し導くハラワリ王子になってほしいものだ。
でも、やはり「ファスナー、お願い」と背中を向ける罪なヒトミ先生にはにかむ面はキープしてほしいし、「ホック」までやらしといて、「じゃ今度は私の番ね」と振り返るともう、もうもうもう…俺ハミダシ王子!!
てないけないカップルが多ければ、少子化には歯止めがかかるだろうに、はにかみ王子に萌えているのはPTAたちと「水野晴男系」ばかりじゃなかろうか?


初夏の体

at 2007 05/24 22:30 編集

いま見ごろの金星を眺めながら、「金星台」のふもとへ帰宅する毎日。アウトドア派は、空ばかり見ているのだ。
おかげで、落ちている金を拾うことはさっぱりないけれど、視力だけはメガネいらずで38年。あぁ星眺めサマサマである。

しかしこの地は、というかこの物件は、風通しが悪い。
初めての一人暮らし物件は東向きワンルームで、夏は朝から直射日光、半年前まで住んでいた物件は西日が直撃、とまぁ日当たりには恵まれてこなかった(夏の日よけのためにこそ、南向きがいいと思う)。
そして今、またまた東向き物件である。トホホホホ・・・
ず〜っと最上階なので、寝そべると涼しいが立つと暑い(笑)物理現象にも、すっかり慣れてしまった。

足元は、もう堂々と真夏モードである。もちろん、オフでの話だが、年の半分はスポーツ・サンダルですごしている。
LLビーンとかホーキンスとか、ちゃんとしたスポーツメーカーのサンダルはとても快適だ。昨年バージョンは、なんとヴィブラム・ソールが貼ってあって、ちょっとしたハイキングにも使えた。
今年のバージョンを、と毎年買っても、安いものだから気にならない。で、今年の新作お買い上げ♪
足元が安く機能的にリフレッシュされる気分は、とてもいい。

次は、「胃腸の初夏モード」である。
まだビア・ガーデンには早いので、涼味満点のスピリッツを!とばかりに、前々から狙っていたウォッカを仕入れてきた。
フィンランド産のフィンランディア(そのまんまやがな)。

ウォッカといっても、僕がふだんストレートで飲んでいるウィスキーと同じ40度ほどだから、恐れるほどのアルコール濃度ではない。
とはいえ、ウォッカベースのカクテルしか飲んだことがなかったから、おそるおそるグレープフルーツ生ジュースで割って飲んでみた。
いける!
軽快で、楽しい酔いがすぐ回ってくる。何で割ってもいけそうだ。

20年ものが希少品なので一緒に勝ってきたカナディアン・クラブも、ウィスキー・ベースのカクテルによく使われる名酒のようだが、フィンランディアもそのようで、たしかに透明感がある。
ボトルも、東山魁夷さん描く北欧の平原のようで、とてもみずみずしくてクールだ。

おまけに、さすがウォッカだから安いし、値段だけでもありがたい。
これをちびちびやりながら、シベリウスのフィンランディア組曲でも聴いて、トーベ・ヤンソンの寓話など読んで過ごすのが、涼味満点の夜のすごしかたになるかもしれない。
寝入りも酔い醒めも心地よくて、後に残らない。

夏を前に体づくり!とシェイプ・アップの記事が雑誌をにぎわせようと、僕は酒で「体壊し」に突き進んで行くことになるだろう。
大丈夫か?北アルプスは・・・


君は君、僕はクマ♪

at 2007 05/23 22:01 編集

ありがたい言葉が巧妙に「自縛力」を植えつける話に続いて、いい言葉が人と人との間に「水位差」をつけてしまう話。

いい言葉とは、「すなおに自分を出せばいいんだよ」「君は君でいい」の類の、最近はやりのフレーズ。面と向かって言うと「はあ?」と反応されるような気恥ずかしい言葉であっても、弱っている人には投げてみたい衝動にかられる(?)麻薬であったりする。

こんなナイスな(?)言葉が、仕事で四苦八苦している旧友を怒らせてしまった掲示板がある。
ただ何気なく、講演で聞いたか、自分にとって啓示のように響いた箴言を、友のためを思って「使用」してしまうことも、ありがちなことだと思う。世間一般に、そんなマニュアル本もあふれているご時世だし。

僕は距離をおいて苦笑しつつ見守っている立場だが、善人のメッセージは、ふんだんに改行した、詩のような画面になっていて、「なんだかこういうのを色紙に書いて売ってるタレントがいたっけなぁ」と思い出してしまう(僕は最初サブローと呼んでしまった326だったかな)。

自分の思いや啓示を表現するのは別に悪いことでもないけれど、閲覧者コントロール設定もされていない掲示板で違和感や諍いが発酵して行くと、ただごとでなくなってくる。掲示板が私物化されているように感じている観客は、僕だけではないようで、案の定、匿名の中傷や荒らし反復文字が目立つようになってきた。

コメントやトラックバックをコントロールできるブログだと、荒らしもかなり抑えられるから、検討してみては?と勧めたのだが、その理由も理解できているのか、いないんだか・・・。

そもそも、「僕の受けた啓示」を「みんなの掲示板」に書くには、よほどの配慮が必要だ。何を食べておいしかったとか、どこに行って楽しかったと書くのとは意味合いが違ってくる。
おぬし、いつから教祖になったつもり?と感じられるか、落ち込んでいる者にとっては励ましを厭味に感じたりするのが、想定内の反応だろう。

善意での励ましや、慈悲の言葉は、往々にして「上からの目線」を匂わせるためである。

そして、往々にして弱者を教え導く権力者の道具にもなる。もはや「対話」的な関係ではない。
カウンセリングや福祉の対人関係に潜むこうした政治性に、ミシェル・フーコーは権力指向を敏感に読み取ったのだが、おそらく巷の善意での癒し人や励まし人は、気づいていないだろう。「政治とか権力なんて、意識してないし」とおっしゃるのも、素朴な気持ちだと思う。

江原や細木のような、また「足裏」の福永をはじめ新興宗教の教祖などは、権力をふるうことを自覚しつつ実行しているだろうから、下々は頭を垂れて依存していればいい。夜回り先生やヤンキー先生、うまいラーメン屋やいけてる美容師を神格化したい民衆も、それはそれで自由に崇拝していればいい。

くせものは、対等な間柄だと思っていた二者関係を、一瞬にして「上下」に組み替えてしまう言葉なのだ。
こんな安っぽい人間コントロールの小手先技が、あちこちにあふれて、ミニ江原、ミニ夜回り(笑)がうさんくさい腐臭ぷんぷんのオーラを撒き散らしている。なんとか一掃して下さい環境省!

メッセージだけではない。
メディアも、あの手この手で、ありがた言葉を演出する。
「経営の神様」の本は、ビニールカバーで装丁されていたりする(金箔入りのもあったっけ)ように。

NHKのトーク番組なんかで、ゲストに「最後にメッセージをお願いします!!」と色紙を書かせたりするのも、僕はいやーな気分になる。「一期一会」とか「明けない夜はない」「やまない雨はない」みたいな紋切り型フレーズに、ハハーッ!とひれ伏しろとでもいうのか?

色紙に名言を書かせて大アップにするなど、視聴者に及ぼす効果としては、偶像崇拝そのものではないか(こういう紛らわしいマインドコントロール放送をやってはいけませんね)。

僕の座右の銘は「逃げるが勝ち」である。
NHKが生放送に出してくれたら、なんぼでも色紙に書いちゃるからな。


いいか悪いか、「一所懸命」

at 2007 05/22 22:49 編集

「就活」中の4年生に、上杉謙信の名言とやらを教えてもらった。
聞いたこともなかったし、しみじみと印象に残るものでもなかったから正確に再現できないが、およそ「贅沢を求めるな、いま与えられた境遇に感謝せよ」のような内容だったような気がする。

シューカツ関連の本かパンフレットかで見かけたようだが、「ほほ〜、いかにも上司が部下に、年寄りが若者に言いたげな名言やねぇ」と、僕は反射的に意地悪なことを口走ってしまった。
せっかく、「与えられる仕事」を謙虚に受けとめようとしていたかもしれないのに(反省)。

彼女とともに就活中の、隣席の仲良し同級生は、ある専門職に就きたいと熱望しているのだが、訪れる企業からは、まぁ新人向けの、別の仕事ならありますがと提示されて憤慨している。
そんな二人を見て、「贅沢を求めちゃだめよ」「そうね、与えてもらえる仕事に感謝しなくちゃ」と同級生同士で名言をキャッチボールしてもよかったんちゃうか?と、ふと思ったものの、それは言わなかった。

そのかわり、感動した名言をぶちこわすようで悪いが、「やりたいことは、追い求めたらええやん。欲望むきだしで貫け。途中で脱落して行くか、勝ち残るか。専門職として一人前になるには、石の上にも3世紀。やりたいことを貫け」と、僕の頭上に星一徹が降臨してしまったのであった。
あぁ、出生率なかなか上がらんな・・・(笑)。

職探しは、自分の理想値と、自分への期待値のギャップをいやというほど思い知らされる経験なのだと思う。
「そんな仕事をするために、この学科を選んだんじゃない」
と思うのも無理はない。自分探しとかモラトリアムのためではなく、はっきり専門職に就くための養成機関を選んだのだから、その夢には近づけた方がいいとは思う。

ただ、卒業してすぐ一人前になるものでもないし、それも学生さんは頭ではわかっている。「回り道」は、営業や経理のような別の専門職であったり、お茶くみ、運転、お使いのような雑用であったりする(雑用のために正社員を雇用している企業はつぶれて当然だと思うが)のは、企業側の都合次第でもあるし、巡り合わせの運というのもあるだろう。

ともかく、「自分は経済学部ですから、経理しかしたくないのです」とアピールする学生には、「だったら公認会計士を取ってから言え」と一喝されるのが落ちだから、「なんでもやります」と裸一貫で出撃するのが就職活動ではないかと思う。
個人的には、もっと専門教育と就職先が結びついた方がいいとは思うのだが・・・。

彼女の求める専門職は、実際には看護師が兼務していたりするようだから、医療や薬剤に詳しい専門職が「兼任できる」ポストでもある。
「だったら、看護師に勝てる何かを武器にしないと、採る側にほしい人材とは思われないよ」と諭したのは、もしかするとダメ出しのように聞こえただろうか(反省)。

彼女らが――だけでなく、どの学生も――「私なりにがんばっている」のは事実だが、就活は労働市場での闘いである。いい条件のブランド企業には、全国から志願者が集まってきて、シビアに比べられる。
うんと努力しても、適当にやったとしても、ある資格を持っていれば持っていないより有利だし、学校の偏差値で判断されることも現実なのだ。

「今どきの子」の特徴として、打たれ弱さを指摘する年長者は多いが、それと関連して「比べないで下さい。私は私」と主張する者もいる。好きな言葉は「マイペース」(笑)。
そして、「比較する大人」は、それだけで×だったりする。

でもねぇ・・・職場は職員が私らしさを発揮する舞台なのだろうか。
組織の人材として、とにもかくにも故障せず機能して、人件費投資を上回るぐらいの実績をコンスタントに上げるようになってから、個性を出すなり采配をふるうなり考えればええんちゃうの?と思うのだが、就職してすぐ私を私として認めて専門職に就けてくれないと納得できない学生もいる。

「定年まで一カ所で働く必要はないけど、もうちょっと長い目でキャリア形成を考えればいかがかな?」と曖昧なアドバイスをしておいたのだが、「長期的な視野」なんて雲をつかむような能力は、近眼な若者にとっては最も苦手なことかもしれない。

そんな宙ぶらりんな境遇に、希望を与えてくれる(?)武将の名言は、それなりにありがたいものかもしれない。
けれど、名言に翻弄されて、地に足がつかないのもまずい。
そう思うあまり、「だれがだれに何を目的に言う言葉か、冷静にチェックしろよー」と、僕は水をさしてしまう。
別件で、言葉にまつわるトラブルが同時並行でネット上に澱んでいて、その件はまた明日に・・・


命乞いにはラブ&ピース

at 2007 05/21 21:42 編集

愛知県の立てこもり事件の詳細が明らかになって、警察の対応が取り沙汰されている。
現場での犯人とのやりとり、犯人と地元FM局とのやりとりが、やっと今になって出てきている・・・ということは、現場ではちゃんと記録されていて、ただリアルタイムでは報道規制をしていただけなのだ。なるほどね。

それも、「犯人を刺激しないため」だったのかもしれない。
ならば、徹底的にやんわり説得作戦で、婦人警官軍団が取り囲む手もあったのではないかい?(別の意味で刺激的だが)と冗談半分で思ったりもするが、そんな作戦にジェンダー・フリー論者は賛成するだろうか、反対するだろうか。SATもSITも男女混成で、「23歳婦人警官射殺、9カ月の娘と優しい夫を残して」ということになれば、さてさて・・・?

ともかく、
「君を保護するから、いいね、出てきてくれてありがとうね」
とまで下手に出なくてもいいんじゃないか!?甘すぎる!情けない!・・・と愛知県警への批判も噴出している。
もしかして、現場に群れていたのはSITでもSATでもなく、ひたすらそっとしておくSOTではなかったんか?と揶揄したくもなる。

おまけに、射殺容認論や、人質脱出後「一気に急襲すべき論」まで出てくる粗暴な世論が噴出しているのは、ちょっとこわい風潮だと思う。
自殺させない、射殺もしない、生け捕りにして裁判で事件の真相を解明して裁いて刑事責任を負わせる、と警察本来の仕事に徹していたのではないかと僕は思うのだ。ただ、動きがとろすぎたけど。

だからといって、ダーティーハリーみたいな、警官と裁判官と処刑担当刑務官を兼務したような大胆すぎるヒーローを待ち望む大衆心理があるとすれば、それはそれで不自然ではない。
けれど、そんな風潮の中から生まれたのがヒトラーであったり、サダム・フセインであったわけで、公権力が一極に集中どころか、一人のスナイパーの引き金に託されてしまうのは、とてつもなくこわい。冤罪続出でっせ。

かつて日本にそんなヒールがいたかというと、案外見当たらないのは(東条英機だって、全権を掌握したわけではない)、けっこう日本社会が権力の肥大を警戒していた証しではないだろうか。
それが、簡単に「犯人なんか射殺しちゃえ!」に流れて行くのは、いろいろな要因はあるだろうが、思考回路が単純化している兆候かもしれない。生かすか殺すか、有罪か無罪か、勝ちか負けか、に二分して納得しているだけ。

その自分自身が、実はグレーゾーンで生きていて、いつ負け組になるか、いつ悪事に手を染めるかわからない不安と背中合わせなもんだから、線引きをすれば、「自分はこっち側。あぁよかった」と安心できるわけか?

この事件の犯人は、たしかに3人を死傷させた粗暴犯ではあったが、もし最初の巡査に対して「どうせ防弾チョッキをつけているだろうから、威嚇のために撃った」のが真実だったなら、警察の装備のミスが確実になる。このへんの警察の不手際も改善しないと、また殉職者が出るかもしれない。

別に犯人の弁護をするつもりはないのだが、かといって射殺でもなく、1発撃った時点で、「2発目を撃たせない方法」を最短時間で考えるべきであったと思う。まさか、「単独犯だから、時間かせぎをすればそのうち疲れて投降してくる」と悠長なことを考えていたわけではないだろうけど。

そのためには、前にもどこかで書いた記憶がある「即効性催眠銃」や「即効性お笑いガス」なんかを開発して、撃ち込めばよろしいのだ。そんな武器こそ、国費でどんどん開発していただきたい。世界平和にも役立つことうけあい。
立てこもり事件は、ラブ&ピースで解決である。


金星人より金玉人

at 2007 05/21 00:39 編集

細木と江原は、うちのブラウン管(古いな。今は液晶だし)に映っていたら2秒でチャンネルチェンジすることになっているのだが、ふとしたことで、細木に2分ほど釘付づけになってしまった。

そういえば、僕の婚約者を自称する(くせに合コンに熱心な)おもろい乙女が、細木にはまっているのだった。
そして、もう一昔も前に、僕の生年月日を聞いて勝手に本で調べて相性を占っていたコードネームめぐみ(あ、本名だった)も、水星がどうとか木星がどうとかこだわっていた。細木は息が長いなぁ。

なぜ、あのダークサイドな細木が民放で重宝されるのか、わかる気がした。
というのも、まさに僕の婚約者(一応)やコードネームめぐみと似た感じの乙女がスタジオにズラリならんで、喝を飛ばしていたのだ。そのスタジオでのアンケートで、「35歳以上の独身男は気味が悪い」を押した81%ほどの乙女が、ガツンとやられていた。さては、アンケートからして前張りいや前振りだったのかもしれないが。

「あ〜たたちねぇ、甘えてんじゃないわよ!」と細木節が炸裂。ワハハハハ、台本通りですかな。
「うまい料理つくれない、家事へたくそ。それでいて、あれ買ってだの、どこ連れてってだの、そんな女房になりやしないかと、男は慎重になってるのさ!」とおっしゃる細木さん、あなたの見立ては正しい!(笑)

ただ、次がいけなかった。
だからこそ、「家事名人になって尽くせ」というのである。
あたたたたたたたた・・・・・
それじゃー時代錯誤だって。

ガックリきながらも、僕はこの時代錯誤ぶりに、真実を発見したのであった(笑)。
世間のジジババは、言いたいことを代弁してくれている安堵感を、そして親に勘当されなくなった青年淑女にとっては、辛口言葉でツボマッサージを受けているようなイタ気持ちよさを感じているのである、細木の遠吠えに。

これからの日本の主役にガツンと物申す細木世代は、大切な存在だとは思うが、おじいちゃんの知恵、おばあちゃんの知恵が、21世紀の今ちゃんと役立つ面と役立たない面があるわけで、ただ吠えさせて、孫世代が神妙に聞いているふりをさせて、それで何が変わるのだろう。ただの演出された儀式にしか見えないのだが。

働く大変さは、さすがにブラックマダム細木でも経験上よくわかっているから、未婚サラリーマンの不満や不安はそこそこ洞察できているようで、僕は62点をあげたい。
だったら、「あんたたち、仕事を捨てるんじゃないわよ」と迫ってほしいものだが、これは田嶋陽子や福島瑞穂の役目だから、細木には歴史をさかのぼってもらうしかないのだろう。といっても、主婦業なんて高度成長時代の産物だから、あの時代のように「主婦と大黒柱1本」で不安なく生きて行けた家庭生活は、もう過去の話。

今は19歳の男子でも、「一生懸命働いても、ワガママ言われて、年金半分むしり取られるのが女房を食わして行くってことか・・・」とため息をついているご時世なのだ。「しょせん男はタネとカネしか求められてないねんなー」と肩を落としている19歳だっている(まぁ、そう教えたのは僕だから、罪だねこりゃ)。

ただ単純にオスとメスが発情してまぐわっていれば自然に家庭すごろくが進んで行く時代にくらべると、不安だらけの今のような時代のはやるせないが、本当のことが見えているだけ幸いだと思う。
事実は事実として正しく把握していないと、打つ手がないからね。

男性諸氏が、二人分も働いてクタクタになっているのは確かだ。きれいに片づいた家に帰って、メシ、風呂、エッチで癒されたいでありましょう。
でも、そのために、働ける大人の女を家に囲ってあるおかげで、二人分働かなくてはいけないわけで・・・。「オーバーワーク気味だから癒される」のではない。「癒されるためにオーバーワークしている」ようなものなのだ。

それなら、二人とも家事をやって、二人で働いて家計をやりくりする形になれば、お互いの苦労もよーくわかると思う。
あなた、私の気持ちをわかってくれてるの?と臆面もなく口走る魔女に限って、彼の戦場での苦労はわかっていないし、もしかすると、わかるつもりもない(笑)。
本当にわかりあえる関係は、なかなか難しいことなのだ。わかりあえないまま30年たつと、熟年離婚というハメになる。

そして、僕が代弁したつもりになっている殿方のホンネも、実は僕自身、リアルにわからない。東大モトクロスとはこのことである。
他愛なく「こんな彼女がいいよな」とダベったり、「ちょっと聞いてくれる?彼女の下手さかげんには、あきれるよ」とグチったりする男たちの輪は、とんと見かけないよなーと思う。奥様族は、平然と真昼の喫茶店でエロねたをしゃべりたおしているのに。

もしかして男同士でかっこつけているのか(これは素人童貞にありがち)、「俺様のホンネ」を言語化する能力がないのか(これを指摘する女性は多い)、ともかく少年よ、イケメンくんよ、殿方諸兄よ、ホンネを叫ぼうではないか!!と言いたいね。
でないと、「やんわりと饒舌」なのが人気の江原に彼女候補を吸い寄せられるばかり。
あんな焼き肉ヤローの、どこが・・・!?と憤っている場合ではないよ(おっと、憤っている張本人はワタクシだな)。



ドクター谷ざんす

at 2007 05/19 16:47 編集

またまた新しい新書が刊行スタート。新書ラッシュは、新書ファンとしてはうれしい。あのVHSテープサイズというのが、なんともエッチなレモンの思い出で(笑)。

今度は土屋書店から、知の雑学新書だとか。
『知らないと本当は怖い現代人の病気』・・・?最近あちこちで聞き覚えがあるようなタイトルだが、もしや、この著者は「BSEは陰謀、よしぎゅーは毒!」と僕のツボにはまる怪説を展開してくれるのでは・・・と期待して、1冊お買い上げ。

駅構内の書店で買って職場に向かう道すがら、著者ご本尊とバッタリ遭遇した。なんとまぁ、真っ赤な糸というやつか。
「谷せんせ、ご本、いま買わせていただきましたよ」と声をかけると、
「それは、どうも」と、両手を合わせて礼をされてしまった。
フリーメイソンだと思っていたら、もしや仏教徒だったのか!?(笑)

さすがに、内容は抑え気味だった。ケータイ電磁波の害、ファストフードの害、脳血管障害の恐ろしさ・・・ごく真っ当な健康論だと思う。
そして、全体に「医食同源」が通奏低音のように流れていて、ドクター谷の人となりと重なって見えた。食育も、実態は想像以上に崩壊しているからこそ、なおさら大切さが叫ばれているんですなぁとあらためて思う。

一方で、「とはいっても」のサプリメントを、ドクター谷も愛用されているようで、薬嫌いの僕を揺さぶってくれる(笑)。ドクター新谷弘美も熱烈推薦しているコエンザイムって、そんなにええもんですか・・・。

いくら一般向けの出版物で「勉強」しても、分子レベルでの薬や食品の効能や害悪は、非医学者としては雲をつかむ話。その医学者は、薬と病状の方程式を立てるために、患者の生活を管理して、雑多な変数を統制しようとする。
これが近代医学の発想であるのはわかる。いろいろ批判されていても、僕はデカルト主義者だからそれでいいと思う。おとなしくまな板の鯉になって治療に専念すればいいのだ、治る病気なら。

と確信しつつも、ドクター谷のような主治医がいて、ベッドサイドで「世界同時革命、どやって起こしましょ」などと他愛もないバカ話ができれば、それもまたよしイエスである(リアル谷告生は怪しい人物ではなく高潔な医学者である)。
そんなこと言ってると、「緊急入院が必要です!!ご家族の連絡先は!?」てことになりそうな予感もある・・・ワナワナ。


ひるむな外食

at 2007 05/18 17:26 編集

入社9カ月の新米を店長にしてしまうペッパーランチの人事はどうかと思うが、起きてしまった監禁強姦事件の落とし前は、どうつけるのだろうか。
僕にとっては、行ったことがない店だし、ペッパーフード・サービス社がどうなるか関心はないが、それより外食業界へのダメージをお気の毒に思う。皆さん、きつい条件でがんばっておられるのに。

被害者は、うら若き二十代の女性だった。よーく害もご存じの上で、夜中に焼き肉!である。
よほど覚悟の上で、焼き肉を食べたかったにちがいない。焼き肉を愛する気持ちが裏切られたわけで、本当にお気の毒である。

こんな女性客にとって、焼き肉屋は敷居が高いから、ファストフード感覚の外食屋は貴重だと思う。業界ぐるみで人事をしっかり叩きなおして、治安のいい、安くてヘルシーな「晩飯屋さん」が増えてほしいものだ。

うちの最寄り駅周辺にある松屋、やよい軒、なか卯、宮本むなし、サイゼリヤ等々も、どれだけ「一人晩飯」を楽にしてくれているか。
ほか弁と同じような値段で、煮魚定食や、まともな(吉野家でない、ということ)丼が食えるようになった。ありがたいことである。

この便利な外食のコンビニ化は、われながら「ええんかいな」と思いつつ、やはりありがたい(こういう店が独身をはびこらせる元凶だと憤る中高年もいるようだが)。
まだまだ数は少ないとはいえ、女性一人客も夕食を外でとれるわけで、自炊しか選べない、ゆえに一人暮らしに覚悟がいる状況より、「自炊も可・外食も可・デリバリーもあり」と選択肢が増えたのはいいことだと思う。

男性や腐女子にとっては自炊が、乙女や元乙女にとっては外食が、やっかいな試練になるのかもしれないが、慣れてしまえば「武器」をたくさん持てるわけだから、けっこうなことではないか。
一人で夕食を食べ、一人で旅に出て、一人でおしっこに行けて、一人で暮らして行ける女性は、どんどん増えてほしい。こういうことを一人でできない乙女が、子供にも伝染して独り立ちをさせず、ときには子供を道連れに心中したりするのではないか!?・・・とさえ思うぞ。

夜、小腹がすいてくだらないファストフードでお茶を濁している女子は、まず試しに餃子の王将で、「野菜満載の中華丼+ハフハフ焼きたての餃子しめて609円」から、デビューしていただきたいものだ。それぐらいなら、あとくされなく(?)おごっちゃるけん!
      ※ギャル曽根は除く
この食べごたえに味をしめたら、おごり好きなオジサンを続々と紹介しちゃる!(笑)


せつり、せつられ、せつれば、せつろう!

at 2007 05/17 22:54 編集

摂理のエロ教祖がつかまったとか、いや実は影武者だったとか、中国発のニュースは赤い闇の中だからよくわからない。
けど、事実であってほしい。

事実だとするなら、それを伝える報道機関それ自体が、
1.男の世界である
2.研究機関でも司法機関でもない
3.視聴者はお客様である
宿命があるので、すっきりした真相究明は難しい。

たとえば、エロ教祖の行状ばかりクローズアップされていて、番組制作者の「ちくしょー、コノヤロー!!」てなジェラシ〜がにじみ出ている(笑)。懇切丁寧に作った再現シーンなど流しても、何の役に立つのかわからんが、ウィークエンダーの影響だろうかね。
このへんは、多くの男が即物的に「あのオッサンが何をやりおったか」にフォーカスするのに対して、「どうして信者が洗脳されて行ったのか」を考える目線は女性視聴者の方に多い気がするのは、僕の錯覚だろうか。

しかも、お茶大や早慶の女子大生まで!・・・と驚いても、偏差値は英・国・数・理の成績にすぎず、状況判断やクリティカル・シンキングの能力は別問題だ。満たされない自己愛や万能願望を、宗教に託したり心理臨床に託したり(あ、同じか)する高偏差値女子は、あとからあとから湧いてくる。

当の摂理だって、ver.1.0、ver.1.1、とバージョン・アップして、間もなく「Web2.0時代の摂理ver.2.1!!」なんてのが、たぶんミクシィやセカンドライフに繁殖していると思うぞ。
ま、タコツボで群れてなさい。・・・というしかない。

いま新入社員の手綱さばきとか、学校現場での命の教育といった現場で求められている「つかみ」やファシリテーションの極意は、なんだかんだ問題視されても、やはり宗教にあるのではなかろうか。
だからこそ、何百年、何千年も生き延びて、民衆に支えられてきたわけで。

摂理だって、あんなにうさんくさくても鄭教祖の洗脳力は、スキンヘッドのハーレム男の「もてる呪文」、大川隆法の演説力とならんで、やがて単行本となって船井総研から発売に・・・・ならないかな?
「揺さぶって、泣かせて、持ち上げてイチコロ」みたいなコンテンツは、何となく予想できるたりする。
うーん、出たら買って熟読してみたいところだが(笑)。

不埒な関心は棚に上げとくとして、なぜ韓国にキリスト教を偽装したエロ教団が多いのか(京都の聖神中央教会事件でも、ロリコン牧師は韓国人だった)、どなたかが分析しておられた。
儒教の伝統が強く、自由恋愛や自己実現を抑えられてきた女性層がマイノリティとしての意識に目覚めるきっかけを教会が提供したこと、抗日・半日運動の砦にもなったこと・・・等々の背景は、なんだか日本の隠れ切支丹と中ピ連がチャンポンになったような事情に見えなくもない。

ただ、そうした歴史分析の枠組みでは、今の日本の乙女が「摂理慰安婦」になって行く理由を説明できない。

我が社も摂理に!
うちのセミナーも摂理に!
俺の店が摂理ならいいな、

てな願望が消えない限り、今月も来月も来年も、ビジネス書を偽装した洗脳マニュアルは、書店に並びつづけるのだろう。
読んで行くのも大変だ・・・って、本気で「その気マンマン」になっているのか俺は?


「ぼく三歳」 名乗る子供は 変声期

at 2007 05/16 22:25 編集

笑っちゃ悪いが、やはり発覚した「赤ちゃん以上」のポスティング。
三歳児は想定外だったとは役所の弁だが、たぶん病院側は想定していたのではないのだろうか。
置いて行った親も、おそらくカメラでモニターされていただろうが、置いた瞬間にスタッフが出て対応すると、「やっぱりチェックされてるんだ」ということが知れ渡ってしまうから、本当に赤ちゃんを預けようとしている親は二の足を踏んでしまう。
そこで、これからは犬・猫・亀・豚を置いて試す不心得者(なのか、しっかり者なのか・・・)が現れてもおかしくないと思う。

「赤ちゃん以上」の子供でも、養えなくなる事情があれば、行政が相談に乗って対応すべきだと思うから、赤ちゃんポストの利用は邪道ではある。
なのに、匿名で棄てたい、刑事責任も問われたくない、というだけの理由で邪道に走る親は、いけませんね。つかまえて処罰すべし、である。赤ちゃんポストから出て行くときにカラー・ボールをぶつけてでも。

あの赤ちゃんポストは、これから「最高年齢」を更新して行くような気もする。ベッドに乗るサイズなら、たぶん中学時代の僕でも、ポストされる可能性がありそうだから。

そこで、安易な子捨てを助長しないような対策も必要だ。
赤ん坊を一人置けば、引き換えに捨て犬か捨て猫が5匹出てきて、引き取らせるトレード・システムはどうだろう。おそらく、不届き者はその犬猫を捨てようとするから、犬猫を捨てたら別の赤ちゃんを二人引き取らせるとか。

こうして、「こうのとりのゆりかご」は「逆わらしべ長者の館」と名前を変えて、スリル満点のホラー・ハウスへと変身して行く。それもまたガラガラポンみたいで楽しみになったりする。
案外、シャッフルするとけっこう相性のいい養親子関係ができたりするのではないか?というのが我が「大沢仮説」であるから、証明される日は近い!・・・かも。
少なくとも、生まれる前に葬られるより百倍いいはずだが。


哲也マージャンの落とし前?

at 2007 05/15 22:33 編集

そういえば、ニュース番組は見なくなって長いなぁ・・・と、あらためて思い出したニュース番組23で、筑紫哲也がガン闘病を発表した(そうな)。
この番組は地味なわりに、池田キャスターの離婚劇やら、くさまんの移籍騒動やら、けっこう話題豊富で(それでも僕は見るクセがつかなかった)、お父さん役=筑紫さんが最近ボケボケの多事争論をしゃべくっているとの噂が絶えなかった。

もともとはニュース・ステーションの久米宏に対抗したキャスター抜擢だったのだが、その久米さんも引退。いまや、ろれつも怪しい筑紫さんの一人勝ちならぬ一人ボケが続いていた。なんと、平成元年からキャスターをやっているという。これはこれですごいけど。

七十代で初期のガン、というのは珍しいことではないと思うのだが、壮絶に切り刻まれて亡くなった逸見政孝さんの例もあるから、ニュース・キャスターの闘病宣言は、どこか象徴的な感じがする。
ただ、裏事情を聞くと、チェーンスモーカーで、放送後の夜中の打ち上げ、徹夜マージャン・・・と、これでもか!これでもガンにならんか!といわんばかりの不摂生を続けた果ての七十歳だから、予定調和なところがなきにしもあらず。
ご本人は、「まさか俺が」と思っていたらしいが、いやいや、どうですやら。覚悟してたんちゃいますか〜?と疑ってしまうぞ。僕のように、過労したくても未経験・タバコ嫌い・百薬の長ゴクゴクの健康優良生活を送っていてガンとなると、そりゃショックだと思うけど。

かくなる上は、キャスターらしく手術室、ICU、病室にカメラクルーを招き入れて、実況中継していただきたい。
鳥越俊太郎さんの直腸ガンのときも、僕は少し期待したのだが、「いま直腸に内視鏡が入りました。いてててて・・・ちょっと抜いてもらいますね・・・シュポッ!
」てなことになるとモザイクも間に合わないから、スタッフは大変だ(笑)。

でも、なんとか無事に治療が成功して、戻ってきてほしい。
TBSのニュースの顔というと、ニュースコープの古谷綱正さんに始まり、入江徳郎さん、料治直矢さんなど、個性的なお歴々がそろっていた。筑紫さんも、「ユニークTVじいさま」の末席に加わる資格は大ありだ。
退院したら、「これがニコチンで真っ黒になった、私の肺の組織標本であります」と、悪趣味な復帰放送をやってほしい。
陰口をたたかれない筑紫さんは、終わりだからね。いや、ほめ言葉として。


哀愁の石景山

at 2007 05/14 23:03 編集

ちぢれっ毛のキティちゃんや、ダイエットしたドラえもん、人の手首がみえるミッキーとミニー・・・等々で人民を魅了し日米を激怒させていた石景山遊園地の目玉が、あっという間に撤去されてしまった。

シンデレラなど、倒されて叩き壊されていたけど、立っている方が問題なのか、壊しゃいいんだろ壊しゃ!!といわんばかりの壊し方が問題なのか、ともかく阿鼻叫喚四千年の国は、やってくれよる。
「あぁ、見に行こうと思ってたのに!」と、サイキッカー兄貴たちも惜しんでいた。同感である。

エキスポランドやUSJでは決してやれない、世紀の大パクリ遊園地は、やっている側もパクリとは何か、なぜいけないかもわかっていないようで、そこがダブルでこわい。この大胆不敵な遊園地が、もし風神雷神をパクっていたら、遺書を書いて乗らなくてはいけない。

そんなホラー・スポットが隣国にあるわけだから、いやはや騒ぎすぎたから撤去となったのは、返す返すも惜しまれるなぁ。
まだ西安かどこか地方都市に行けばあるようだが、地方に行くほどキャラクターの崩れ方もひどいようで、ドラえもんとオバQが融合していたりすると、ちょっとスリルに欠ける。
やはり、「そっくり」なところは守ってほしいものであるね、パクリの誇りとして(笑)。

ガミガミいうな、そもそも漢字文化圏は中国文明のパクリではないか!?といわんばかりの中華思想は、これからもパクリをやめそうにないから、SQNYの冷蔵庫やSHAPPのウォークマンなんて珍品を、どんどん出してくれるだろう。もちろん、封切られたばかりの日米の映画は、DVDで即日発売。
「こんな国でのオリンピックはボイコットする」と言われるのがこわいだけで、ほとぼりが冷めたらパクリ文明は成長しつづけるはずだ。

仏大統領候補のロワイヤル女史のように、真面目にボイコットを口にすると選挙で落ちるから、パクリ五輪を楽しむぐらいの気構えで行けばいいと思う。
日本人選手団のユニフォームは人民服にして、選手団長は四人組が分単位、文句をいう関係者は「粛正」する。ガハアハハ・・・どうだ共産党!
こういうあてこすりをやれば、ちょっとは反省するかもしれないが、望み薄かもねぇ・・・。

おもしろいのは、いよいよ「餃子の王将」が中国進出することで、あちらからすると「パクった上に、おめおめと!!」とでも言いたくなるだろうが、とっくにカップヌードルや肉まんはコンビニでなじんでいるんだから、たぶん日本のパクリの方がスマートで、波風が立ちにくいのだろう。

とすると、本当に問題なのは巧妙なパクリの方で、お遊戯会レベルの激しく下手くそな石景山のぬいぐるみたちは、ご愛嬌だと思う。
「BULGARI」でも平然と身につけている関西系おばちゃん&ヤンキーの乗りだと、「おもろいやん〜」で片づいてしまいそうだし、僕も「知的所有権」云々をいう前に笑わせていただきたい。
見ものは「鉄パク」で、すでに日本の協力でできた新幹線も、チベットの高地を走るカナダ製の長距離列車も、「自国開発」と称しているらしいから、車両マニアなど、期待がふくらむだろうねぇ。
いや、僕は車両マニアではないが、ないが、ないが・・・「0系」をパクってくれたら乗りに行きたい。


カムバック神戸祭り

at 2007 05/13 22:49 編集

土曜日まで出勤する週だった。少し疲れた。
金曜、土曜日と夜中に帰宅するだけ。
ニュースによると、「神戸まつり」だったのだそうな。

ほえ?
まるで、よその世界のような気もするぞ。
区内でパレードをやっているというのに、うちの近所には、祭り囃しも聞こえてこなかった。
電柱に「子猫あげます」「金魚泥棒つかまえて」と貼り紙がしてあったりする、こちゃこちゃした家並みが密集した庶民的な街だからか、「市民の晴れ舞台」との間には、いくつもの段差があるようだ。

大家さんに毎月会っていた去年までのアパートだと、少なくとも大家さん経由で祭り囃しが聞こえてきた。婦人会や老人会でこんな催しがある、どこそこに視察に行った、チラシを配る仕事が重労働で・・・こんな話から、縁の下で市民が協力する祭りの一面があるんやなぁ、と僕は学ばせてもらった。

そういうのが、とんとない「庶民的な町」なのだ。
隣りの隣り町にすぎないのに、この大きな違いは何だろう。ちょいと寂しい。

それに、よりによって連休で疲れ果てた翌週に、市民祭りを設定しなくてもいいだろうに。なぜ、こうなったのだろうか。
神戸まつりの間は、たしか神戸市立の学校は休校になるから、祭日のない6月にでも設定すればどうかと思う。まぁ、梅雨の空模様が心配ではあるけどね。

外面がよすぎるぐらいにいい神戸気質だから、インフィオラータだ神戸祭りだルミナリエだと、ちゃらちゃらした(笑)イベントには事欠かない。
よさこいソーラン踊りとサンバと和太鼓が同居しているような「とりとめのなさ」が、オープンで、間口も広くて、神戸祭りらしさなのかもしれない。

けど、聖と俗の螺旋模様が祭りの醍醐味だとすれば、「聖なるもの」がさっぱり漂白されてしまったキラキラパレード、ちゃらちゃらデコレーションばかりだと、ちょっと物足りない。
源平合戦あたりをモチーフにしてチャンバラでもやれば、市民も観光客もコーフンするのではないかい?ルミナリエも春の夜に、たいまつでやれば、戦いの炎みたいでヒート・アップするぞ。

と、無責任な提案をしつつ、それでも未だかつて神戸祭りを見に行ったことさえない不熱心な市民だから、不名誉市民の称号をもらえそうだ。
めんぼくない!
トホホホホホ・・・


こうやれさん

at 2007 05/12 23:42 編集

結局、高野連がえらそうな「処分」を緩和して、特特待生の野球を認めることになった。やれやれ。
ったく、人騒がせなことでしたな。
高野連が、いかにカビくさい伏魔殿だったかが露呈されて、見て見ぬふりしてきたツケが回ってきただけのこと。僕の提案する「野球部員限定のスペシャル・アルバイト」も、「高野連管轄外の第二高校野球」も、実現しなくてすんだ。惜しいけど。

でも、頸椎ヘルニアから復帰してきたMBSの碩学デスク石田さんが、また快調に弁舌を飛ばしておられた。
いま世間で大手を振っている「野球以外の特待制度が蔓延しているのに野球だけNGなのか?」という問題の立て方は、石田さんの脳裏では「スポーツ特待が蔓延しているのは、高校教育として正常なのか?」となる。なるほど、ごもっともだ。

バスケやサッカーばかりやって計算も作文もできないまま、高卒の学歴を認めて大丈夫か?その競技のプロになれない生徒が大多数なのに・・・と心配するのは、大人としては当然だと思う。野球マシンのような高校生は、とりあえず甲子園を沸かせてくれるが、その後の人生を考えるのが大人の責任だろう。

別に漢文を読めとか微積分をやれというレベルの問題ではなく、勉強して知識を身につけるという習慣は、意外に大事だと思う。1時間なら1時間、それを1カ月とか半年間じっくり勉強に費やせる習性は、将来なにか資格を取るにしろ、職場のマニュアルを読みこなすにしろ、不可欠なことだから。
この習慣のない子が、何か問題にぶち当たると、癇癪や暴力が噴出したり、人によっては薬物、酒、裏社会(的な生き方)にはまって行くリスクは高い。

そう考えると、特待制度まるごと見直して、「プロにはなれない・お勉強からっぽ」の高校生を生み出さない工夫をした方がいいと思う。
だから高野連も、高校独自の特待制度にケチつけるからこじれるわけで、「勉強しっかりやらせろ」というなら、正論だったのである。野球に打ち込んで、なおかつ勉強もよくできれば、高野連が奨学金制度を創設して、大盤振る舞いしてやればいい。
どうしても最低限の勉強ができない子は、高野山にほうり込んで修行させるのはいかが・・・と、シャレではないが一字違いの鍛練の場に置くのも、親心というもんではないかい?


捨てられる赤ちゃん捨てられる大人

at 2007 05/11 23:15 編集

「つつつついに、赤ちゃんポストが稼働開始です!!」
と現場中継まで出して、カウントダウンするほどのことかえ?
と苦笑してしまった赤ちゃんポストが、つつつつついに稼働してしまった!
と、伝染してしまうではないか。平和やなー日本は。

人工中絶30万件(あくまでも公式統計で)の方は、もう騒ぎにもならない。
闇に葬られる子も不幸なら、生まれてきて虐待される子も不幸だから、赤ちゃんポストは少しは不幸度が低い、とはいえないだろうか。

「こんなものが、安易な子捨てを助長することにならないか」と懸念する声もあるようだが、それは親への処罰感覚から出る意見にすぎない。子供の立場に立てば、育児のできない親から引き離されるのは、とりあえず最悪の身の上にはならないと思う。

5年、10年と経過観察をして、その後の子供の成長をみて、制度を存続するかどうか検討すればいいし、それぐらい手が回らないほど子捨てがあふれかえることにはならないような気もする。

「今、そこ」だけを見てては何とも評価できないのに、赤ちゃんポストそれ1個だけクローズアップされているのも、困った意味で現代的ではある。
第一、マスコミが張りついている中、子を抱いて堂々とやってくる親がいるわけないではないか。

そこで、だ。
赤ちゃんポストの東西南北5m周辺、その東西南北100m、そのまた東西南北1kmに赤ちゃんポストへの一里塚でも置いて、それぞれ「ほんとにいいんですね」「戻るなら今ここで」「三つ子の怨念百まで」と警告を出しておくのも、育児放棄の歯止めになるかもしれない。

そんなにポストが増えると、捨て子に混じって捨て犬、捨て猫、捨てドラ息子、捨てコギャル、捨て旦那・捨て古女房まで増えそうでこわいが(笑)、こうなりゃ捨てられた者同士で家族ができそうな気もする。結束は強いぞ、たぶん。
せこく「生後2週間まで」と条件をつけたりせず、「没前2年まで」ぐらいに思いっきり緩和すればいいのだ。

かなりまじめな提案なのだが、「どうせおぬしは、『淡泊な夫に捨てられた淫蕩な妻』など拾いたいんだろ」と見破られ・・・いや誤解されるかもしれない。
捨てるだの、捨てないでだの、大人の関係であっても演歌みたいな世界は、正直大嫌いなのだが・・・。


「今ここだけ見ていよう」の時代に

at 2007 05/10 22:23 編集

地元で闘病していた末期癌の小田実さんが、「死への準備宣言」をされて、関東の病院へ移ったとか。
「もうデモ行進に行ったり叫んだりすることはできないが、書ける限りは書いて行きたい」という。哀しくもあり、寂しくもあり、心強くもありの複雑な感慨をもよおしてしまった。

偶然にも、'30年生まれの小田さんと同世代の作家には、僕自身ずいぶん親しんできた。一番よく読んだ開高健さんは同い年で同じ大阪人。ムッシュ開高は、世界の美酒・美食・紫煙道楽がたたったのか、還暦前に逝ってしまった。
お二人の対談は楽しく読んできたし、文学者としての国際活動も写真で見たおぼえがある。

たしかに、世界を股にかけた「行動する作家」のペンさばきには心躍らされた。
小田実といえば、『何でも見てやろう』だが、ハーバードに留学して巨像アメリカの路上から権力の中枢まで首をつっこむ見聞録は、もう伝説的な名著になっている。

「地球の歩き方」も「るるぶ」もない時代には、『何でも見てやろう』や五木寛之さんの『青年は荒野をめざす』を、大まじめにガイドブック代わりにして世界へ出るあんちゃんが多かったようだ。ちょうど今でいえば沢木耕太郎の『深夜特急』だろうか。
もちろん、僕も『何でも見てやろう』を読んで感化され、『青年は荒野をめざす』を読んで脳天ショックを受け、「うーん、ソ連とアメリカ、どっちに行くべや」と悩んでいた(のんきに!)。

小田さんの著作はルポルタージュともいえないし、あえて戦略的に「俺の目で見たもの、俺の耳に入ってきたことを、俺の言葉(小田さんは東大言語学科出である)で表現する」を金科玉条にしていたように思う。
だから肩書きは「作家」だし、五木さんの『青年荒野』に至っては『平凡パンチ』に連載されたビルドゥングス・ロマンそのものなのに、こういう文学書に触発されて海を渡る青年が多かったこと自体、古きよき時代だなぁと思う。

ただ素朴でむき出しの好奇心で世界をかけめぐるGlobe Trotterの文化は、たぶん小田さんが先駆けだったと思うが、『何でも見てやろう』の政治的な部分は、皮肉にも、だんだん捨象されて行った。これはジャルパックとJTBとHISの陰謀であると思う(笑)。
小田実さんらが心血を注いだ「ベ平連」の活動は、中学時代にサイゴン陥落の報をきいた僕ぐらいの世代にとっては、あまり同時代感覚の運動でもない。従軍を逃れたい米兵の脱走幇助という実にスリリングな地下活動をやっていたなんてことは、後に「こぼれ話」として知ったほどだ。

それでも、日米安保がある限り、パックス・アメリカーナが続く限り、ベ平連の活動はイラク問題で、中米エルサルバドル問題で発掘され、その残り火が消えることはないだろう。
いや、僕は「アメリカこそ悪者」などと叫ぶ無邪気な左翼は嫌いだ。中国とチベット、ロシアと旧同盟国の関係も、サルコジとフランス移民の対立も、「帝国の病い」としては同じ構図だ。

ベ平連が示唆してくれる火種は、世界のあちこちに見える。
小田さん、鶴見さん、ありがとう!
・・・と、なんだか御存命の方々を追悼するようなメッセージになってしまった。
できれば、小田さんの御快復を祈りたいところだが。


猿誇示

at 2007 05/09 22:29 編集

フランス大統領が決選投票でサルコジに決まった。
風刺マンガに描かれやすそうな顔やなーと思う反面、日仏関係は不安だらけだ。まずフランス国内の治安がガタガタになりつつあるし、ドゴールのように強権で抑えられるかどうか・・・。

「髪をポマードでなでつけた太った裸の男がとっくみあいをする相撲のどこがいいんだ」と難癖をつけているのは、まぁ文化的な無知と己の無恥をさらけ出しているだけだから憐れんでやればいいとして、このメッセージ、実はパリ市長への牽制球になっている点にワタクシは注目したい。
パリ市長は、自他共にみとめるゲイなのだ。

そして、シラク大統領の前職がパリ市長だったことを考えると、ゲイ市長がゲイ大統領となる道も、当然予想されること。
ここに、フィスト・・・じゃなかったクギを打っておきたかったのではないかい?蛇の道はヘビ、だからね。

歌舞伎も大相撲も、「日本の男の世界」が相次いでパリ公演を成功させたのも、もしかするとパリ市長の格別の取り計らいだったかもしれず、ゲイであろうと水虫だろうと文化交流が進むのはいいことだ。
それに、大相撲のように国技の最高位にモンゴル人が君臨しているような日本のふところの深さは、移民暴動で悩むフランスにとっては、いいお手本になりはしないだろうか。移民にとってはいいカタルシスになるだろうし。

フランスの移民問題は、植民地帝国主義の百年越しの落とし前が回ってきている現れであって(サルコジだって移民二世だ)、日本が「従軍慰安婦に謝れ!」とせっつかれていることより数段上の危なっかしい火種だ。
フランスを含む国連常任理事国5カ国は、どれも国内に抱える異民族の反乱で、内側から分裂・崩壊する危険をはらんでいる。フランス国籍を持つアラブ人が「自国」にテロをしかけることも大いにあり得る(あった)ことなのだ。

だから、サルコジのようなガチガチの移民嫌いを選出するフランスの有権者というのは、よほど火の粉と流血の内紛を見たい、江戸っ子気質なんでしょうなぁ、と思う。
そんなピリピリした内政を救うのが、大相撲。

「フレンチ相撲」を現地に普及させて、移民の闘う場を設ければよろしいのだ。リヨン部屋とかカンヌ部屋、ヴェルサイユ部屋・・・と部屋をこしらえて対抗戦をやれば、おしゃれでいい。観光の目玉にもなるぞ。さしずめ日本の東関部屋にあたるのが、アルジェリア部屋となるだろうか。

ちょっとおちゃめな工夫をして、「まわしをつけないのがフレンチ流」となれば、パリジェンヌもパリ市長も、悶絶して喜ぶぞ。ただし、本家本元の日本相撲協会が、「日本の相撲を冒涜した!と宣戦布告を申し入れるおそれはあるな。朝青龍だって、品位まるでなし横綱なんだが・・・。


熱烈クラブ会員まだ2年

at 2007 05/08 22:44 編集

「仕事始め」気分の月曜日、いつもの朝イチ電車で出勤し、夕方に戻ってくる。
いつもの坂道、いつもの総菜屋さん、いつもの露店八百屋・・・戻ってきた「いつもの暮らし」が、僕はけっこううれしい。

ビールのまとめ売りなどスーパーに任せてしまったのか、マニアックな品揃えで勝負しているリカー・ストアへ、ウィンドー・ショッピングしに入る。
とはいえ、冷やかしで終わらないのが酒屋の魔力だ(笑)。そして、圧倒的なワイン勢力の片隅でほこりをかぶっているウィスキー・コーナーをほじくるのが、おマニヤの楽しみだったりする。

スコッチ数種類とバーボンとコニャックとカナディアンとニッカがうちの台所に常備されている中、一番人気(といっても飲み手は一人だが)はカナディアン・クラブ。安いこともあって、8年ものか12年ものをジュースのように飲んでいる。

このカナディアンをもっと研究しようと手に入れたカタログの5年ほど前の版で、20年ものがあると知ったのだが、14000円と高い。12年ものの7倍もするのだ。
それなら、12年を7本買うね・・・と貧乏根性も出てきたりする。あぁ情けない。

ところが、リカー・ストアに、20年ものがほこりをかぶっていたのである。値札からは、「1」が消えていた!
えっ、ほんまかいな?

ちゃんと、4千4百いくらと位取りされていて、値札は目違いないようだ。
すさまじい円高でもあったか、ドル安だったのか、それとも関税撤廃か(GATTよ、ありがとう!!)、ともかく欣喜雀躍しつつ買ってきた。
とはいえ、夕食前には飲まないぞ。ちゃんと晩ご飯をいただいてからアルコールでお清め(笑)するのが俺様流だから。

バランタインの17年やシーバスの18年が、グイグイッと値が張るわりに少々期待はずれだったこともあったし、20年ものは初めてだった。
ところがところが・・・カナディアンクラブ・リミテッドの20年ものは違った。すごい。優しくて深くて甘くて感動ものだった。いや、陶酔ものというか。
ダブルで2杯たてつづけにクイクイあおって、座椅子に座ったままコテンと寝入ってしまった。あー極楽。

次の夢は、マッカランの50年!?
と行くか?
恐ろしい単価・・・どころか、まず店頭でお目にかかれないだろうけど、飲めなくなるまでには、飲んでおきたいものである。
意外にも下戸だったという横山ノックさんのご冥福を祈りつつ。


五月の分岐点

at 2007 05/07 23:07 編集

やれやれ、やっと仕事復帰できる。体がなまってしかたないから、旱く働きたくてしかたなかったぞ(笑)。

土曜日が出勤だったから、実際には「日曜から日曜までの8連休」だった。公立高校に奉職する弟に「飛び石もどんと休んで、家族で旅行に行くような子はおらんの?」と尋ねると、いないとのことだった。
こう聞くと、「ええい、学校ぐらい休んで貧乏旅行でもしてまいれ少年少女!」とアジってみたくもなる(いけませんね、スクール・テロリストみたいで)。

意地悪な学校だと、1、2日とか、連休明け直後に模試を入れたりしているから、連休だからとおちおち遊びにも行けない。テストや内申書を脅しに使うくだらない教師がまだ生息しているなら、勉強嫌いを生産しかねないから心配ではある。

鯉や旅が楽しくてしかたない最高の季節だからこそ、うんと遊べばいい。だいじょぶかなーと不安になれば自発的に勉強しはじめるだろうし、そうならない子は自業自得である(笑)。
こんなことをそそのかしていると、ニートだらけになるかもしれないが、家から叩き出す親が増えない限り、いつでもどこでもどうやってでも、ニートは繁殖する。

ニートより皮一枚ほど前向きかもしれないのが「ネットカフ
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2007年4月の日記
連休思索

at 2007 04/30 23:09 編集

連休の中日は雨らしい。
やだわ、今のうちにお洗濯しとかなくっちゃ・・・
と、すっかり「ゴールデン洗濯掃除デー」になってしまった。
でもまぁ、よく乾くのはありがたい。干すと2時間で乾いてしまう。
ささやかな幸せである。

興奮したりときめいたりすることは年々なくなってきたのに、疲れ果てることもなくなった。
4月に新年度のシフトが決まって、それに慣れるのに精一杯で、ちょうどいいころ「ゴールデン骨休め」になっていたのが、三十路のころ。ぐったり疲れて、その変わり春スキーなんかに出かけて行っては、命の選択(自殺するか生きるか?・・・笑)をしていたリズムのようなものが、あったと思う。

今そんなものはない。どっちかというと、5月の連休は特にしたい「種目」がないし、一番やりたいのは仕事だ。
せっかく新年度のペースをつかみかけているのに、8連休もしたら調子が狂うではないか。
この連休を廃止すると、大学生の五月病も減るのではないだろうか?と思ったりもする。

やはり大学生のにしろ会社にしろ、入って2〜3ケ月はがむしゃらにがんばって新しい環境に適応して、夏休みぐらいに一息つくぐらいでいい。それで長すぎるなら、6月に3連休でも設けるか。
だから僕は、殊勝にも「仕事と勉強」をしている!
なんだかねぇ・・・別に、在宅仕事をやっても連休明けの仕事が楽になるわけでもないのに。

勉強は、なんだかんだ言っても、勉強できる身分は幸せだし、自分で選びとった勉強というのは楽しいものだ。
4月からのラジオ講座が、タイマーでどんどん録音されて行くのをまじめに聴いてなかったので、まとめて聴いたりもするのがこの連休。とりあえず、英語を2番組。
毎年、仏語や中国語に手を出しては尻切れになり、「4月はアルファベをのらりくらりやっているレベルだから聴かなくてよろし。ある程度進んだら合流しよう」とえらっそーな言い訳をして、結局何カ月もたってからテクストブックを見ると、もうついて行けない会話に進んでいたりする。

こんな失敗をくりかえすものか、と誓う回数だけは自慢できるが、なんとか勉強の態勢は整えて、ペースをつかみたいものだ。
かろうじて勉強できるほどには余裕があるのは、貧乏生活とはいえ幸運だなーと思う。
金のかからない趣味だ節約生活だと低コストで何かしようとするのもけっこうだが、一番いいのは「お勉強」だと思う。これほど金がかからなくて(図書館ですればノート代ぐらいしかかからない)、ひょっとすると将来の宝になるものが頭にインプットされるわけだから。
仕事から学べるものも大きいけれど、では働き蜂ほどかしこいかというとちょっと疑問で、働き蜂が気づかない知というのは、逆説的だが「ヒマ」の中でしか得られないものかもしれない。


イエロー信号カメラ

at 2007 04/29 19:45 編集

元町駅の真ん前にあったイエローカメラが、あたふたと閉店して、金券屋に替わってしまった。

ふと思い出したのが、やはり元町に古くからあった写真店が倒産して、資産保全のためか突然閉鎖され、シャッターに「大事なネガを返して!」と貼り紙が何枚もされていた眺めだった。
フランチャイズ・チェーンのイエローカメラは、受け付けたDPEはちゃんと処理しての閉店のようだが、それにしても寂しい。
フィルム先細りの時代だから、珍しくない光景とはいえ・・・。

僕の印象では、いい悪いではなく、大阪はケータイカメラが便利でええやん!と合理的に割り切って流れて行くような気がする一方、神戸から阪神間にかけては、写真機で撮る手間のようなものを楽しむ「写真愛好家」が多い印象がある。
ハナヤ勘兵衛や芦屋カメラ倶楽部のような、モダニズム写真の影だろうか、人口規模にしては、三宮界隈には妙にカメラ屋さん、写真屋さんの類が多い(いや、多かった、と過去形になりそうな感じはあるけど)。

だから、イエローカメラが撤退したとはいえ、その目と鼻の先には、フジカラーのパレットプラザが生き残っている。
そして、うちの近所の、魚屋さん、酒屋さん、煙草屋さん・・・の並ぶ住宅街にも自営の写真屋があって、デジカメプリントもリバーサルプリントも扱っているし、アンブレラがあって古きよき「写真屋さん」をしている。細々とではあっても、生き残ってほしいと思う。

僕自身、デジカメは否定しないし、あぁ便利やなーと思いつつ使ってはいるが、レタッチしたとたん(いや、できるし、しているにちがいないと見る側は考える)、フィルム上に焼き付つけられた写真とは本質的に違う。
まぁ、今さら繰り返したってどうにもならない「アウラを消す装置」ではあるけど。

そんな中、フジのコンパクトデジカメはFUJIブランドなのに、ネオ一眼レフにはFUJIFILMと書いてあって、フィルムへのこだわりをアピールしているのがおもしろい。単三電池で駆動するのも貴重だ。
デジイチ買うなら、ファインピックスかな?買っても写真生活そのものが大きく変わるわけではないから、この気もそぞろになるカメラ市場は、罪つくりですなぁ・・・


後ろ向きに連休突入

at 2007 04/28 23:34 編集

連休直前の金曜日は、繁華街はむやみに騒々しかった。
みな海外に脱出してくれたらいいのに。

外食を避けて、電車を降りると「登山コース」の家路に直行した。
さすがに11時近くになると、ふだんあまり値引きしない生協に寄ったら、「半額品」がたくさん並んでいた。ささやかな幸福感に浸りつつ総菜を買って帰り、ウイスキーで戦闘配置について、テレビをオン。

平井堅とアンジェラ・アキが出ていた。
歌の合い間に、お便りコーナー。
「5歳年下の彼とうまくつきあえません私どうしたらよか?」とお悩みメールが読まれて、平井堅が答えていた。

「うーん、僕は上も下もあるんですけど・・・」
アタタタタタッ・・・せめて「年上も年下も」と言わんかい。よりによって、天下の平井堅でっせ。いつ「上も下も、前も後ろも」と口を滑らさないかと、ワタクシははらはらどきどきどぎまぎしていた。
考えすぎか?

その後のナイトスクープで金曜日は静かに終わってしまった。まだ、土曜日まで出勤だから。
歌手のように、祝日フル稼働で、平日ににんびり休める方がありがたい。
同感の殿方も世間には多いようで、「どこに行っても混んでるから、わざわざ出かけることないわい」という。これが、老化の兆しなんだそうな。

たしかにね・・・
人込みだろうと行列だろうと渋滞だろうと、ものともせずリゾート地に出撃する気合いがないと、世捨て人になりかねない。よくわかる。
それでも、混雑はかなわん。子供のころから世捨て人をしているから、今さら世慣れ人になるのも無理だろう。
せいぜい、「ひっそりスポット」をさがすか、ふだん読めない小説など家にこもって読破するか・・・ともかく、迷惑なほど長い連休である。


おやおや学

at 2007 04/27 23:58 編集

もしかして仕掛け人は、議論になるのを見越して企てたのではないかい?とも思える親マニュアル「親学」が、思惑通り賛否両論を巻き起こしている。

マニュアルがないと自信が持てない親が多いなら、マニュアルも捨てたもんではないと思うけれど、母乳だ観劇だとイチ推しされると、「おせっかいだ」と反発したくなる気持ちも、よくわかる。
しかし、すでに「生おばーちゃん」より「おばーちゃんの知恵」本に、失恋体験より「成功する恋愛本」に頼る現代人が当たり前になっていたりするわけで、国民的に支持されていることを国が提唱したからって文句を言うのは、子供の八つ当たりである。

マニュアル欲にこたえて、そのうちサンマーク出版かPHPあたりから、ビニールカバーのついた単行本が出たりするのだろうけど(ゲゲッ!この方が気持ち悪いぞ)、もっと効果的に、かつ楽しく親をマニュアル・ロボット化する方法があるぞ。
ポイントカード制にすりゃいいのだ。
ピタパやスイカと連携して。ケータイと連携してもいい。
献血センターに搾乳場を併設して、その場で絞って1cc1ポイント・・・という具合に。

まぁ、それは冗談として、子供のために何かしてやる(どこか連れて行く、遊ばせる、買い与えるetcetc)より、手を出さない方が大事だと僕は主張しているので、本当の親学は、子供の自主性を育てることであってほしいと思う。
たとえば、子供だけで旅行していたら、親の名前を聞いてポイント加算してあげればいい(どうしても、ポイントカード制にしたい!笑)。

「親いらず」な子供が増えると、子供に依存している母親は猛反対するだろうが、あぁ解放されたぜ!と前向きにとらえるママたちは、仕事に鯉に励んで美しくなり、「ロマンチック・ジャパン」が実現するぞ。
厚生労働省さん、経済産業省さん、いかがかな?


クイック生死

at 2007 04/26 23:02 編集

今年も「4・25」が巡ってきた。
あの日から2年。あらためて、犠牲者のご冥福を祈りたい。
重傷者はリハビリに励んでいる最中で、重度の脳挫傷から蘇生して歩行訓練をしている女性や、両足を失って学生生活に復帰した大学生君の姿には、頭が下がる。
そんな姿こそ、当事者の許す限り、メディアは追跡報道してほしいものだ。

ふと、事故当時の――そして信楽鉄道事故のときも重役だった――JR西日本の社長の名前を、ふと思い出せなくなっている自分にあぜんとする。街行く人にマイクを向けても、当時の記憶はかなり風化しているのではないだろうか。

事故の被害者側は、形式的にはJR西日本という法人と補償交渉を進め、企業の社会的責任を問いつづけるしかないのだろうが、組織は紛れもなく人が造っているもの。企業の体質や経営風土も改善して行くべきなのは当然としても、だからといって運行管理責任者や乗務員が免責されては困る。
だから、生存した車掌が、個人として名乗りを上げて頭を下げているのは、ひとつの良心の示し方として評価されてもいいと思う。

2年は、ご遺族や後遺症に悩む被害者にとっては、あっという間だったかもしれないが、時間は「事故その後」の検証を可能にする。
たとえば、Nスペで特集されていたトリアージの難しさ。負傷者につけるトリアージ・タグのうち、「もうダメ」を示すタグにだけは、判断した者の名前が書かれてなかったりする。
もし、「緊急に処置せよ」のタグがついていたら、助かっていたかもしれない・・・と、今なお御遺族はやり場のない無念をかかえている。

無署名というところに、医師の煩悶がにじみ出ていると見るか、責任を追及されたくない逃げ腰と見るかは、なんとも評価しようがない。
もちろん、現場の医師たちは一人でも多くの救命を、と全身全霊の奮闘をしてくれただろう。
当時の修羅場と2年後の冷静な検証の席はまったく状況が違うから、「蘇生処置を何分か試みてだめなら、次の負傷者の手当てにかかるしかない、でないと両方助からない」と言われれば、見放された被害者の遺族はとしては冷徹な功利主義の前に反論することもできない。
お気の毒だし、不運だし、まさに不条理だと思う。

だれも、こんな場面を想定して電車や飛行機に乗るわけではないから、トリアージは客観的に判定されるものだが、客観的にといっても機械がするのではなく、医師や看護師、救急救命士が行うわけだから、今後もしかすると裁判沙汰になることだってあるだろう。
そういう事態を恐れて、「あきらめタグ」に署名するのを避けて、どの重体者にも「緊急に処置すべしタグ」をつけるようになると、トリアージの意味はなくなる。ある重傷者に注いで無駄になりそうな医療資源を他に振り向けることで、トータルで一人でも多くの救命を図ろうとする功利主義は、事故や災害の現場に限らず、一般の医療や福祉、教育、企業経営など、至るところに浸透しつつあるのを感じる。

そう考えると、「自分で自分につけるトリアージ・タグ」のようなものが、ドナー・カードだったりするのかもしれない。
脳死になったら延命しなくていいから他の患者さんに臓器あげます、という意思表示だから。
それを、ご本人がカードを持っていますから、と紙きれ一枚を錦の御旗のようにして家族を説得する移植コーディネーター(要するに病院に雇用されて臓器摘出を納得させる説得士である)は、因果な専門職だなぁと思う。

こんなふうに、人を死に急がせるシステムは、別世界のオカルト話ではない。早くメシ食え、早く成果を出せ、早く結婚しろ、早く子を産めとせかす空気が、日本列島を覆っているような気もする。クイック成績、クイック若作り、クイック・マネー、クイック出世、クイック快楽・・・あぁ、ワタクシも、「速く」なりたいものだ!
てか?

このアンチ・テーゼが、スローライフ・ブームなのかもしれない。
でも、要介護で長生きすると、金がかかるから、ゲレンデが溶けるまでスキーをして鯉をして、ぽてちんと逝きたいものだ。

でも、それは僕個人の希望だから、とことんスローにゆったり生きたい人から、そのチャンスを奪う空気には結びついてほしくない。
そこに、脳死・移植反対の団体に参加しつつ個人的にはドナー・カードを持っている肩身の狭さを感じるわけだが、すぱっと線引きしてもらうのは難しい。


ハイファイ・クリーナーがほしい

at 2007 04/25 22:10 編集

家庭用のAC仕様の掃除機もあるのに、身の回りの細々したゴミ掃除には、手元にあるPCキーボード用の豆掃除機を使ってしまう。単三電池でウィーンと動く、ダストボックスも指の先ほどしかないやつである。
これで床1畳分ぐらいはちまちまと掃除してしまうのだが、さすがにこんな神経質な掃除はイライラする(当たり前か)。
ちょうどいいスケールの掃除機がほしい。

ホームセンターやカー用品店に行くと、もう1000円台から充電式クリーナーを売っている。今まで買って使ったこともあって、1年か2年で電池がへたって、粗ゴミになって行く。
それに、どうしてどれもこれも、クニャクニャした悪趣味な形をしておるのか!と憤慨してしまう。もっとも、安物にプロダクツデザインなど期待するのが間違いなのか・・・。
電池だって、おぉ、こんなところに生き延びていたのか!と思う化石のようなニッカド電池である(まぁ、ニッケル水素やリチウムイオン電池の掃除機など見たことがないけど)。

おかげで、掃除機を買うぐらいで、もう4回か5回ヨドバシに足を運んで、やっと買ってきたぞ、充電式ハンディクリーナーを。
というのも、「掃除機には紙パック式とサイクロン式があって・・・」「今はやりはサイクロン式で・・・」の類の豆知識がいろいろなところから聞こえてくるもんだから、検討に検討を重ね、清水の舞台から飛び降りるつもりで、納得の逸品を!
と、超高級品を買ったわけではない。
結局、「音」で選んだ。

アメリカ製の強力そうなやつは大音響がネックになったし、松下やサンヨーのは実に静かでいいのに、高い。
結局、「その間」ぐらいのツインバード製が、妥協の産物となった。

音にこだわるのは、オーディオ・マニアだった父の血を引いているせいかもしれない。
カメラだって、シャッター音にこだわる愛好家は多い。ライカM型は静謐そのもののノーブルな音に陶酔してしまうし、愛機のシャッター音を聞くのが、フィルムカメラの楽しみの何%かになっているのだと思う。デジカメはこの楽しみがない。電子回路でシャッター音を出したり選べたりするのは、邪道でしかない。

この正月に、兄とその妻が、会食の席でクルマ談義になって、「私、ドアを閉める音が安っぽいクルマは、許せないの」「そうやなー、レクサスなんか、ほんまええ音するもんなぁ」と納得しあっていた意味が、よくわかる。
兄は暴走族あがりの(笑)バイクの現役プロライダーだから、排気音にもうるさい。
実家にZ1300で乗りつけてきたとき、まるで地の底から噴火してくる鼓動のような排気音に僕は感心してしまったし、たぶんバイクマニアというのは、エンジン音や振動や匂いがダイレクトに伝わってくる「鉄の馬」に魅了されているのだろうと思う。

この感覚は、エンジンアなしバイクにしか乗らない僕でも共感できる(ついでに、僕は2ストロークの音は嫌いである)。
エンジン音にうるさい「聞き耳師」にとっては、四輪のドア音も大事な要素なのだろう。ドアの開閉音は、乗り始めと乗り終わりのセレモニーでもあるからね。

だから、掃除機だって、もっと音を意識して設計してくれたらいいと思う。いくら高性能でも、あまりバカでかい音だと使うこと自体ためらってしまうし、なにかこう、掃除が楽しくてたまらんような絶妙な音にならないものだろうか。

僕が買った中途半端なクラスのクリーナーは、テナー、アルト、ソプラノでいえばアルトぐらいのまぁまぁ控えめな音を出すが、シーメンスとかフィリップスあたりの「ヨーロピアン・サウンド」も、聞いてみたいものだ。
掃除機自身の性能の差なんぞ、ハウスダストやダニでアレルギーを起こしたこともない僕にはノー・プロブレムである。豆掃除機で1畳ぐらいは掃除しているんだから、2DKはハンディ・クリーナーでやってしまうぞ。

うわさのレクサスに乗っている知人はいないので、ドア音はわからないままだが、「レクサスのようなクリーナー」が増えれば、世間の亭主族は、掃除ぐらいから家事参加が進むかもしれない。
少子高齢化対策には夫の家事参加、ならば「家電製品の音に要注目!」である。


全国学力テストの楽しみ方

at 2007 04/24 22:48 編集

全国の小中学校で行われた文科省学力テストが、賛否両論を浴びながらも断行された。
多くの現場の教師や犬山市教委など、「市場原理反対!学校の序列化反対!」を訴えているかと思うと、保護者の中には、「プライバシー侵害だ」と中止を訴えた親もいる。
熱い闘いですなぁ・・・けっこう、けっこう。

とはいえ、国が、これまでの教育行政を評価するために学力測定をするのは、当然といえば当然ではある。学力テストだけが問題で、運動能力の測定や身体測定は不問、というのもおかしい。文科省は、客観的な数値をつきつけられた上で、教材やカリキュラムの再検討をすればいいと思う。
つまり、教育行政全体の成否を測るということなら、生徒個人の成績は関係ない。というより、必要ない。

そう考えると、名前を書かせることもないのに、成績がデータを集めたベネッセは、一人一人にコメントでも書いて返してくれるのだろうか。
担任の先生が教え子に指導するための試験なら、今まで学内にあったわけで、個人個人に利益が返ってこないテストなら、個人名など書くことはない。

とすると、まずプライバシー云々の問題は、生徒がみな匿名で受けるか、好き勝手な名前を答案用紙に書けばいい。それでもちゃんと学校ごとの成績の比較はできるわけだから、目的は果たせるぞ。
もし、ペンネームで書いても受験した教室の座り位置から匿名の主がバレて、「おい、11番の大沢、なんだぁ?氏名トムクルーズとはっ!」と怒られそうだから、もう一工夫しなくてはいけない。全員が同じ名前を書くのである。「安倍晋三」で行けばいい。

安倍信三が何万人と集まれば、個人を特定できないなるね。
ムハハハハハハ・・・名案ではないか。でも、「偽計業務妨害教唆」にでもならないかどうか心配だから、良い子は参考にしないように。

次に、「学校の序列化」という危惧をどうするかだが、いわゆる「いい学校」の秀才君に協力をあおぎ、わざと低い点を取ってもらうと、学校間格差はカムフラージュされる。
まぁ、そこまでして格差をなくすべし!と僕は思わないから、結果的に成績のランキングができることはしかたない。
近所に「平均点がやたら高い中学校がある」とわかれば、引っ越してでもわが子を入学させたい親はいるだろう。それは、放っておけばいい。

ただ、学校間のランキングが国語と算数だけで決められてしまうのは空しいから、音楽や美術のテストもしたらいい。
そして、生徒主導で先生に点をつけて、我が校と他校が競い合えばいいほだ。
それで授業の質が良くなれば、ラッキーではないか。前向きに、テストを活用すればいいかがかな?とも思うのだが、今後に期待するとしますかね。


祝プリティ当選

at 2007 04/23 23:24 編集

統一地方選の後半が終わった。
案の定、夕張に「羽柴秀吉市長」は誕生せず、撃たれた伊藤さんの娘婿は長崎市長になれず(新聞社は退社していたのだろうか?)、プリティ長嶋さんは市川市議となり、宅八郎は落ちた。

当選しても、投票終了の2分後に逮捕された生駒市会議長というドラマの主人公もいた(突入したのは地検特捜部だから、これは限りなくクロに近い)し、和歌山の懲りないタビタ卓宗はまた返り咲いている。いったい、生駒や和歌山の有権者は、どんな判断をしたのだあろうか。

銃弾だけは飛んでほしくないが、選挙といえば金、怪文書、恫喝が飛び交い、利権が動くのは定例になっている。そんなものだと思う。

あの長崎市長選でさえ投票率は過去最低だったというし、有権者のしらけ気分は「われ関せず」に行き着くのもしかたない。
逆に、田舎の選挙区で、棄権したり白票を入れたりすると、それがだれなのかおおよその察しがついてしまうところは怖い。
だから、棄権する自由もある社会の方が、まだ自由な気もしてくるのだが、投票に行きたくなるような政治的な風土を創る方が、長い目で見て参加型民主主義の土台になると思う。

その意味で、「プリティさん効果」は効果大ではある。
では、ぜひ「エロかわいい京都府議」なんてのにも期待したいところだ。
色仕かけはどうかと思うが、あのスタイルで議会に出てもらうと、傍聴席は満席、おっさん議員たちも膨張しっぱなしで、これはこれで府政は活性化するだろうね。


高校教育改造

at 2007 04/22 23:41 編集

ひとりドトールで「食後のお茶」をしていたら、昔の同僚からひょっこり電話をもらって、ざわざわと騒々しい中ひとしきり雑談が盛り上がった。
盛り上がるといっても、もともと景気のいい話など我々には縁がない。ただ、長いこと病に臥せっていた彼が元気になったのはうれしい。声も弾んでいた。

経済学部を出て高校の英語教師をした後、専門の経済学の講師をしておられたのだが、体調を崩してからは細々と地元の塾で高校生を教えていたらしい。
それが、ここ数年で壊滅的に生徒がいなくなって、G研のような大手でも潮が引くように事業を縮小したり、地域によっては撤退してしまったところもあるようだ。
「そうでしょうね、うちの近所の日能研も、独立した校舎から撤退して貸しビルの一室で細々とやっている程度ですよ」と、僕は大阪湾のこちら側(彼は和歌山県人)の事情をお話ししていた。

もちろん、年少人口の減少など、ずいぶん前から数字に出ていて、今さらのように驚いてもしかたない。
お受験や習い事の熱が冷めたわけでもないとはいえ、「人口」のレベルでマーケット規模が縮小してしまうと、お子様だけを対象にしていた塾業界などは、生き残りが絶望的に難しい。

僕もずいぶん前にかかわっていた大学予備校だと、僕自身が通っていた予備校自体、チェーン展開していた法人まるごとなくなってしまった。
すでに、大学全入時代は近未来の話どころか半ば現実で、首をかしげるような受験生(笑)が、京都大学にも大阪大学にも入学している。中堅私大など、3回も4回も入試をやって、それでも定員を割っているところが少なくない。

それに、世間の公立高校がめざめた!というので、進学対策に本腰を入れるようになって、わざわざ高い学費を払って家から遠い予備校などに通う必要がなくなってきた。
進学したい高校生が多いのに、「受験対策は予備校におまかせ」という高校は怠慢だといえるし、そういいつつ予備校的な(つまり、数字で成果が上がる)授業を高校教諭たちが軽視して、ふんぞりかえっていた現実もあるように思う。
平均で1000万近く年収を(血税からだ!)むさぼり取っておきながら、教え子を現役で進学させてやれない教諭は、もしかして予備校業界から献金をもらっているのではないか?とさえ思えてくる。・・・あ、だから定年教諭が予備校によくいたりするわけか?(笑)

つまり、「高校に通っていただけではいい大学に行けない」奇妙な現実が教育ビジネスが繁盛する前提としてあったわけで、前提が崩れる事態を想定していないと、足元をすくわれるのだ。
これをを何とかせにゃならん、と気づいた教育行政が、顧客=納税者の当然のニーズに応えるようになったのは、こと社会全体として、また子を持つ保護者からすると、望ましいことだと思う。

僕が保護者なら、高校で英会話や情報処理、バイク運転術、経理や株式投資まで(笑)、あれもこれも教えてくれと要求するだろう。安くあがるなら大歓迎である。
その筋のスクール業界からは反発をくらうだろうが、小・中・高校というのは、1つの生活の場だから、「あんなことも、こんなことも教えてもらえるコミュニティ」になればいい。中退も不登校も減るのではないかね?
こんな夢が、自分の首をしめることになりはしないかと、少し不安ではあるが(笑)、私欲より公益を優先する殊勝な提案ではある。
ヌハハハハハハ


がんばれ専大北上

at 2007 04/21 22:36 編集

相次ぐ銃撃事件に隠れて、深刻なところまで展開していたのが、高野連の専大北上高校への処分。
かなり重い処分で、かわいそうに、北上高校野球部は廃部になってしまった。

プロ球団から金銭をもらっていたこと、野球部員を特待生として経済的な特典を与えていたことが、高校野球憲章に反する、ということで重い処分になったそうだが、部員に責任はないのにね。
部長と監督、校長や教頭にこそ責任があるのに、こいつらは給料も、(未来の)退職金も共済年金もちゃっかり保証されて、野球部員から夢が奪われたわけで、いかにも不条理だ。

野球部が売りの高校が野球部員を特待生にするのは当たり前だし、部員は当然それを期待して入学・入部する。
野球部員は、高校の知名度のために白球を追い汗・泥・涙の3年間を捧げるのだ。広告活動をやってギャラをもらえるどころか、学費を払うのは考えてみれば変ではないか。

それを、僕が尊敬する「ちちんぷいぷい」のコメンテイター石田英二さんは、「ほな、野球部員は野球だけやっとったらええんか?将来プロ選手になれへん球児が大半なのに、就職することになる子が高校で何も勉強せんままで、ええんやろか」と指摘していた。その意味で、高校野球憲章を盾にした高野連の立場を擁護していた。
なるほど!とうなる指摘だ。

一般論としては、そう思う。
学生時代の僕は、高校は英・国・数・理・社を勉強するところ、大学は法律や経済を勉強するところ、と薄っぺらい正論を信じ込んでいた。アメリカの学生時代の僕はスポーツは文武両道で、学業成績が悪いと選手登録もされないのだ!京大ギャングスターズを見習え!と小声で叫んでいた。

では、高校で、野球と勉強の両立は難しいのだろうか。
たしかに、野球とだけやって、甲子園にもプロにも行けなければ、「その先」が心配になる。
大学で続けるハンカチ王子のような例も、ちゃんとエスカレーターのある高校ならいいが(だから附属高校が甲子園には多いのか)、一般の公立高校だと、進学・就職モードへの切り替えが難しいかもしれない。だからといって、「プロ球団の三軍」みたいになってもまずいだろうし。

そこで僕の考えるのが、クラブチーム会社という受け皿である。
球児もラガーもスイマーもスケーターも、そこに就職して、競技を続けながらスポーツクラブ経営にも貢献していただくといい。

ハンカチ王子や浅田舞が営業に出れば(営業しなくても、それだけで広告塔になるけど)、効果絶大だ。
教えて競技費用をかせいで、成績が出れば生徒が増えて収益が上がる。京大ギャングスターズの塾経営の応用編である。

ただ、球技や水泳のようなメジャーな競技なら、地域でそこそこのお客さんはあるだろうが、陸上フィールド競技などは難しいかもしれない。跳んで走って営業してもらうか?(笑)

僕の守備範囲のウィンタースポーツなど、どの企業もチームを縮小したり廃止したりしているのが哀しい現実だから、選手の皆さん、ペンションのおにーちゃん・おねーちゃんになるか、マタギでもやってもらうしかないのかな。
どんどん特待制度でも奨学金でもはずんで英才教育しないと、中・韓に太刀打ちできなくなると思うのだが。


銃で自衛する権利

at 2007 04/20 23:07 編集

バージニア銃乱射事件の犯人のビデオを放送したことに、遺族が猛抗議しているという。当然だ。
各メディアが、おぉ、こりゃー売り上げにつながるネタだ!と飛びついて公開していることが、犯人の自己顕示欲をかなえてやったあげく、遺族には二重の苦痛を与えているわけだから(日米マスコミ各社は同罪だな)。

こんな劇場型犯罪と劇場型報道の拡大循環は、困った連鎖を招きかねない。これから、ひとりよがりな演説や執筆やブログを見てほしい寂しい人間は、放火や強盗をしでかすと、夢がかなうぞ・・・と考えることだってあると思う(とすると、くまぇりは、もしかしてブログを有名にしたかったのか?笑)。

報道の被害者が声をあげて抗議できる社会は、一見健全だと思うが、それを「紅白戦」のように仕立てて売り上げにつなげるのが商業放送の性みたいなものだから、それがわかると、被害者も遺族も憤懣やるかたなしだろう。

こう連日のように銃撃や立てこもり事件が起きると、アメリカの「野放しの銃」と日本の「やーさま専売特許の銃」は、被害においては大差ないのか?と思ってしまう国民がいても不思議ではない。
だからといって、銃の規制は政府の責任ではあるし、一応アメリカでもやっている。
ただ、ライフル協会のロビー活動が邪魔しているとか、自衛権は合衆国憲法上の基本権だといった事情も言い古されていて、それ以上に肯定論も否定論も発展していない。原則としては規制、ケースバイケースで自衛可、と玉虫色の答えしか出せないのが現実。

具体的に銃がいいか悪いかはさておくとして、警察力があてにならなければ自衛するしかないし、警察も自衛もあてにならないとなると、第三の力つまり裏社会が「わしらが守ったろか〜」ということになる。これがやくざの一つの起源でもあるし。

バージニア工科大学は、ブッシュ大統領の追悼メッセージの中でも「Virginia Tec community」と呼んでいたように、大学村ともいえる1つの共同体で、医療や警察も備わっている。
こういう囲いの中で、武装を警備員だけに許可して学生は徹底的に非武装、というのもアメリカの自治警察の伝統になっている。

それでも、優秀な工科大学だと内部で催涙ガスやボールペン偽装小型銃ぐらい作ることはお茶の子さいさい!なんて学生もいるだろうし(プリンストン大学の4年生で原子爆弾を開発した秀才もいたっけ)、水も漏らさぬ武器の規制となると、不可能に近い。
その気になれば、岩石でも、ワイドショーお得意の花瓶でも、人を殺傷することはできるから、完璧な「刀狩り」は難しい。

しょせん無理だから解禁してしまえというつもりはないけれど、実際、銃で襲ってくる凶悪犯がいれば銃で立ち向かうしかないし、家族が銃で脅され誘拐されて行く現場に居合わせて、その場に銃があれば、僕はためらわず使う。

夜道を歩く女性の恐怖感は、ときどき前を小走りされてカチンとくることもあるものの(僕の人相からして、まぁわからなくもない)、冷静に考えるとよくわかる。
かよわい女性に限って、ナイフ、スタンガン、催涙スプレーの携帯は認めてもいいと思う(かよわいかどうかは、ワタクシが面接で決めます)。
痴漢に遭ったら、カッターで反撃するぐらい無罪としてもいい。
女性一人のアウトドアだと、正々堂々とナイフを持ち歩けるし、いざとなれば犯人は谷に埋めれば大丈夫。

もちろん、過剰防衛はいけないから、銃は最後の切り札にしておくべきだが、いちがいに否定はしない。僕はアメリカに住むなら銃は持つと思う。
ただ、銃まるごと規制ではなく、銃弾は「南天の実」に限定するとか、日本では和風テイストの条件をつければよろしいのだ。
弓矢や吹き矢、手裏剣を解禁して、強盗には毒矢、空き巣には落とし穴、セクハラには由美かおるでやり返せば、たとえ犯人が死んでしまっても、全国民しみみじみ納得すると思うぞ。
不謹慎か?


棄国子女のゆくえ

at 2007 04/19 22:33 編集

一人と32人とでコトの深刻さを測るつもりはないけれども、銃犯罪といえば、バージニア工科大学の乱射事件の方が、衝撃的だった。
日本でも、これから首長への銃撃と、学校での大量殺傷事件は、同じくらいの確率で起こりそうな気がする。

バージニアの犯人は、ジェリーという妄想の恋人がいたそうだ。
僕も、猫家族と暮らす中で「トムとジェリー」を見ていたが、ねずみのジェリーの方がなんともキュートで好きだった。まさか、あのジェリーではないだろうけど、妄想上の彼女といえば、メイドやコスプレやアニメの世界とつながって見えてくる。もしかして、犯人は日本のサイトをサーフィンして、萌えまくっていたのかもしれない。

しかし彼の一家が韓国から移住してきた土地には、なんと韓国人5万人が住む移民町までできているという。
夢を求めて一家で移住するというのも、明治時代の日本みたいで、とりあえずそのバイタリティには感心する。仕事熱心で教育熱が高いのも、それはそれで美徳ではある。
それが、子供だけ留学という形ではなく、一家で祖国から脱出するというのは、まるで経済難民でhないか。韓国社会の暗部を見たような気がする。

日本人は、こうは考えない。
いや、貧困で苦しんでいる生活弱者は五万といても、「だからアメリカ」「オーストラリアもいいかも」とは考えない(老後移住は別として)。当然、言葉の壁もあるし、医療や福祉のシステムがあまりにも違うから、「移住のコスト・ベネフィット」を考えると冒険者はほとんど出ない。

国民の移動性というのは、国によって違うものの、年々高くなっているようだ。アジアだと出稼ぎ大国フィリピンやタイも労働力を輸出しているし、中国人も歴史的に全世界に「遠征」してきた方だが、日本は概して外に出ない。また、移民を受け入れない。

それで「日本は遅れている」と批評するのが知識人の常套句だったが、外に出ればいいというものでもないし、人材に困れば外から補充すればいい、ともいえない気がする。

どこかの国の国益になる人材はどんどん招かれて行けばいいと思うが、生活苦から日本を捨てて他国に行く日本人は、まずいない。一方、従軍慰安婦や植民地侵略や領土問題で難癖をつけながらも、その憎らしい日本をめざして入国してくるアジア人も多い。

ともかく、そういう国であるということは誇りに思って、祖国を捨てる韓国人の多さと、日本市場でボロもうけする一握りの韓流スターとの格差を考えると、あちらの方が「希望格差」は深刻ではないかと思う。

せっかくアメリカンドリームの大地に渡っても、大阪あたりの開放的なコリアン・タウンとは違って、まるで租界のように独特な韓国町を造っていると、アメリカ人からは不気味な存在に映るのではないかな?と老婆心もわいてくる。
家族もろとも祖国を捨てる覚悟でグリーン・カードまで取っていると、後には引けない悲壮感が、同胞を一カ所に結集させるのだろうか。

アメリカ社会の中に囲った塀の中で、精神的に煮詰まってしまうと、「安心できる祖国に戻る」という選択肢は残しておいた方がいいのかもしれない。移住先に適応できなかったとしても、恥じるべきことでもない。
結局のところ群れていないと不安で生きて行けないのなら、祖国で団結・連帯して豊かな社会を築いて行く方が、賢明ではないのかな?

いや、そんな異文化摩擦だ、(昔はやった)パリ症候群の21世紀版だ、といった難しい背景でもない可能性はある。
成功した姉と、ぱっとしない自分を引き比べて自暴自棄になっただけだとすると、日本でもあった兄弟姉妹間の屈折した劣等感が根っこにあるのかもしれないし、パリ人肉事件の佐川一政君(先輩だ!笑)のような鬱屈した性幻想があったのかもしれない。セレブへの恨みを書き綴った声明文や、やたらマッチョに「武装」した自画像に、そんな一面も感じるのは僕だけだろうか。

それでも、韓国人の棄国はやまないだろう。
国民が逃げ出す国に未来はない。韓流といったって二昔前の日本の青春ドラマをなぞったようなドラマで、ジャパンマネーを荒稼ぎしている場合じゃないよ、格差是正や年金・介護改革をちゃんとやって、「北」の兄弟を吸収合併できるぐらいの国力をつけてほしいものである。


テロではない

at 2007 04/18 16:14 編集

長崎の伊藤市長が銃撃されて死亡確認されるまで、心穏やかでない夜中をすごしていた。

事件そのものは忌わしいことであっても、不謹慎なのか、僕はふと「でもなぁ・・・重くて無期懲役、ひょっとして有期刑で判決が出てしまうんちゃうかな」と量刑を考えてしまっていた。

長崎では、17年前に本島市長が天皇の戦争責任を口にして狙撃された過去があるから、その事件を思い出す国民がいることは、否定も批判もできない。
ただ、大スポでも女性週刊誌でもない一般紙が、大衆目線におもねるのはまずい。
犯行そのものよりメディアでの扱い方の方が、国民への影響力が大きいから、報道のされ方も含めての事件として、僕は考えさせられてしまった。

よりによって、市民運動家や教育者や女性や子供に支持されている旭新聞が、またまた社説でピンぼけぶりを発揮しておるぞ。
書き出しは「この卑劣なテロを断じて許すことはできない」である。
そんな、ばかな。これって、テロ?

犯人が、今まで公共工事入札や道路工事のトラブルで役所に因縁をつけていた前歴は少しずつ報道されているものの、「私怨から及んだ凶行」以上の背景が、今のところ見当たらないではないか。
年収2000万円の論説委員殿は、犯罪とテロリズムの区別がついていないのか・・・ついているなら「旭によるテロの定義」を見せてほしいものだ。
体制の転覆を狙う政治的・思想的な組織または運動がバックにあって、犯行を正当化するような宣言があって、実行者はヒーローとして賛美するシンパが一定数いる破壊行動――がテロだと僕は考えているのだが、旭の辞書に従って扇情的な社説を書いた方が、ドラマチックといえばドラマチックではある(売り上げ、伸びるかな?)。

つづいて、社説は今回の事件を原爆と強引に結びつけて「被爆地で繰り返される凶行に、強い怒りを覚える」と書いているのだが、おいおい、むやみに誇張してはいかんよ。
「役所を恨んで、そのトップを殺した」短絡的な犯行である以上の動機がわかっていない。そんな時期に、被爆地の市長だから強く憤るという感傷的な論説委員さんは、被爆地でないところの首長だと、どう憤ってくれるのだろうか。もし広島出身のテロリストが「祖先の仇だ」とワシントンに爆弾テロをしかけたりすると、「同情の余地はある」とでも書きそうな気もする。

妙な結びつけで怒りをふくらませる旭の回路は、間抜けな自損事故を起こしたチンピラが市役所にいいがかりをつけて、「わしがヤクザやから鼻であしらっとるんか!?」と凄むのと、皮肉にも似た発想ではないだろうか。
まるで、道端で体が当たってけんかになった日本人とアメリカ人が、「ノーモア・ヒロシマ!」「リメンバー・パールハーバー!!」と怒鳴りあっている(と報道されている)ような話で、旭は案の定、これを「反核運動が萎縮するのではないかと心配だ」てな方向にねじ曲げている。
はて、犯行の動機は「反核運動に反対だから」なのだろうか。犯人は、「暴力で言論を封殺した」のだろうか。

まだ、これから凶行の背景は見えてくるかもしれないが、犯行後たった数時間で「やくざが市長を撃った」事件を、「暴力による反核運動弾圧・言論封殺」へと変身させてしまう社説は、こわい。
悪意でないなら、ひょっとして論説委員殿は、タミフルのみつつ書いていたのかもしれない(笑)。

あらかじめ、長崎や広島といえば原爆、NPOといえば善良、政治家が襲われたらテロ・・・というような貧相な回路があって、刻一刻と入ってくるニュースをその貧相な回路に通して社説らしきものに仕上げて生産していることが、よくわかる。
こんな見識で、思想事件と粗暴犯との区別ができるのだろうか。
殺人犯をテロリストに「格上げ」して断罪する旭の論調が売り上げを伸ばすような社会も、こわい。


歴史認識は地理認識

at 2007 04/17 23:25 編集

温家宝さんの「スマイル訪日」が絶賛されていて、中身をみるとたしかに画期的ではある。
祖国にも生中継した国会演説で、日本のODAに感謝してみせたり、農作業のまねごとや野球の始球式までやって、フレンドリーな中国首脳の顔をアピールしたようだ。

もちろん、政治的な思惑も背後にあるんだろう・・・と賢明な日本人なら眉に唾していたに違いない。日本の若者との交流の舞台になっていた立命館で、学生たちは、東シナ海のガス田開発の問題やチベット問題をちゃんとぶつけたのかどうかも疑わしいし。

それでも、まぁ難しい次期の訪日外交には、ソフトムードの効果的な人選だったとは思う。江沢民や李鵬のような鉄面皮だと、卵でも投げられたかもしれない。
感覚人間の僕は、「あぁ、ええ感じやん」と印象づけられると、とたんに友好ムードになってしまうが、そんな日本人も少なくないはずだ。

いったい、どんな演出が国民感情をソフトに溶かす効果を出すのだろうか。
まず、「日本語がうまいこと」も、少数民族者日本人からすると得点アップ。納豆や日本酒、漬け物が好きといえば、ボーナスポイントがついたりする。ダニエル・カールやジェフ・バーグランドは、このあたりの達人だ。

あと、アニメやコミック、J-POPなど日本文化を持ち上げるのもイマ風で効果的だろう。
たとえば、アンパンマン商品を買って、「やはり、日本文化はすばらしい」とコメントしてもらうと、海賊業者が中国のアニメとして販売して消費者もそう思い込んでいる祖国(中国)では、大問題になるかもしれない。だからこそ、実現しにくいだろうけど。
そんな著作権問題などは、日中間の「こぼれ話」程度のトラブルだと思うが、やはり大きな火種になるのは、歴史認識の問題と、そこともつながってくる台湾の承認問題だろう。

特に、スマイル訪日の狙いは北京オリンピックと上海エキスポを、日本の協力も誘い出しながら成功させることにあるらしいから、立命館の学生は単刀直入に聞けばよかったのだ。
「台湾選手は台湾代表でオリンピック参加できますのん?」と。

僕ぐらいの世代は、まだ角栄さん政権のときの「赤い中国」承認をリアルタイムで見て知っているものの、今の学生世代は、「中国と台湾は、日本列島と佐渡島みたいなもの」としか見ていないかのような気配が気になるところではある。歴史認識と重なって、地理認識も問題にしたいところだ。
北は北方四島から南は尖閣列島まで、日本の国境は描きにくそうな少年少女もいて、それがたんなる無知ではなく、線引きをためらう何か微妙な問題であることを匂わせるのだ。

おそらく、高校時代までに教師もためらいつつ教えてきたせいかもしれない・・・てな気配まで漂ってくるのは考えすぎかな?
それほどに、歴史と地理の交錯する外交問題というのは、アジアに旅する(こともある)日本人にとって、重い十字架じゃなかろうか?と思う日中関係である。


矢祭町のゆくえ

at 2007 04/16 23:33 編集

統一地方選挙の後半の目玉は、やはり出てきました羽柴秀吉!の夕張市長選。
・・・は、実は人騒がせなだけのニュースで、僕が考えさせられるのは、合併しない宣言&住基ネット不参加宣言で有名になった矢祭町だ。

名物おとっつぁん根本町長は、町民から一斉に「やめないでコール」が湧き上がろうと、涙ながらに慰留されようと、頑として引退するつもりらしい。
こんなに納税者から慕われる首長は、政治家冥利に尽きるといえそうだし、実際それだけの功労者なのだろう。小さな自治体だからこそありえる話だろうが、うらやましい町ではある。

そこへ、あえて難癖をつけるなら、たとえ過去と現在の実績、人気は抜群でも、根本町長に欠けていたのは、後継者を育てる能力だったのではないだろうか。
引退後の政策継承を考えていたのか、手を打っていたのかどうかはよそ者には察しきれないが、スーパーマンに往々にしてありがちなのが、自分に代わる人材への政権移行がなかなかすんなり行かないこと。

自分の力を過信しているのか、「まだまだ自分がやれる」とおもっているうちにバトンタッチの機会を逃してしまうのか、結果的に一人帝王になってしまうのは、政財界だけでなく、名医や名匠、名シェフの世界でもみられる晩節の姿だ。

僕の身近にも、「先生の方法論を、ぜひ目にみえる形で残して、グループの知として受け継がせて下さい!」と思って、実際何度も何度も求めたのに未だ実現しない名医がおられる。
決して自分の力を過信しているような、驕り高ぶった人物ではないのだが、どうも本心がわかりにくいし、「側近」もいないので、話すたびに隔靴掻痒の感がある。こちらとしても、別に野心があるわけではなく、ともかく先生の業績にしろノウハウにしろ、埋もれたままではもったいない、と思うばかりだが、「盗む」にも限界がある。

こんな経験を反面教師にして、自分の世代からは「現場の知」や失敗例や改革など、できるだけきちんと方法論として構築して行かなければと考えるのが、せめてもの下僕(笑)の企てなのだ。
知識経営だ形式知だ可視化だとスローガンばかり空回りして、どんな組織でも職場でも、知の伝承は実際のところ大変な難作業だと思う。団塊世代の引退で本当に問題なのは、年金財政より、蓄積された知恵が死蔵されることではないだろうか。
引き継ぎをうまくやらないと、素人集団ばかり残ってしまうぞ、政界も企業も、病院も学校も。


お宅に一票

at 2007 04/15 23:33 編集

渋谷区を萌える街にする!と区長選に立候補表明したのが、あらお久しぶりの宅八郎。
こんなとこに出現するなんて、まー、タクらしい!
選挙活動は、また森高人形を片手に絶叫して回るんだろうか。ウグイス嬢は、もちろんメイドぞろいで・・・これは、けっこう得票するかもしれんぞ。

横山ノックのようなおっさんが同じことをやれば、限りなく真っ黒に近い灰色セクハラでしかなくて、実際ノックは強制わいせつ犯になった。
その犯罪を、マニア道楽の世界へとカムフラージュしてしまう装置が「ヲタ」の記号だから、宅に始まるヲタ・ブームはうまいことやっているといえなくもない。

たとえば「萌え」なんて、ICPOまで動く重罪ときわきわな趣味だったのが、萌え〜と「〜」をつけてだけで、ただのもてない野郎たちの画面上の道楽にしか聞こえない。あけすけに「幼児性愛」と呼んでしまうと、身もフタもないからね。
金妻から失楽園、愛るけまで、包装紙だけはとっかえひっかえされてきたのと同じで、けっきょく黒幕はD通か?と思ったりするのは僕だけだろうか。

宅八も、「いかにもヲタ」な姿形をしているが、実はものすごくストイックなマイホームパパだったりするかもしれないし、いや逆にショタコン系かもしれない(後ろ・・・いや後者の方が確率は高い)。それを、フィギュア・フェチでカムフラージュしているだけだったりすると、闇は深い。

ふつう政治資金や事務所経費の闇をえぐる議論が戦わされる区議会が、「宅区長!あなたは森高が好きなんですか、実は江口洋介に萌えているのではありませんかっ!!」と糾弾されていたりして(笑)。
ばかばかしい、とはいえ、そうしてワーワーさわいでいるうちに本当の闇がうやむやになってしまえば、水面下の魚影たちは安泰だ。永田町には、「私も実はヲタ」を呼び水にして、首相の椅子を狙っているセメント大臣もいるようだから、

クィアはクィアで、うそも隠しもせず正々堂々としておいてほしい。いや、あまり堂々と近くにはいてほしくないけど。
変な要望だな。



美しい四十代

at 2007 04/14 23:31 編集

運営にかかわっている研究会が主催する・・・といっても、院長先生の頭の中で1から9まで「決定」している終末期医療のシンポジウムが、今年は仕事と重なってしまった。
だれか代わりにのぞいてきて、報告してくれませんか?
と職場で呼びかけると、年配のお姉様が、とりあえずパンフレットだけ受け取ってくれた。

社会福祉士の卵であるから、自分に合った活躍分野が見つかり、いいMSWになってくれたらいいと願って、激しくエールを送っておいた。
実際、そうなりそうな予感もある。僕の経験では、期待に応えてくれる確率は、おじさん・おばさんの場合100%であった。
たとえば、40歳で臨床心理士を志して苦節4年で就職した奥様もおられたし、舅の介護を機に高齢者福祉を勉強しはじめた元女子アナもおられた。
別に若い世代を軽視するつもりはないものの、「四十の手習い」は、こと切実なモチベーションに突き動かされた向学心は本物だ。こういう大人こそ紳士淑女だし、「円熟ニッポン」を支えて行けると思う。

むやみに、若い(だけの)ことに価値を置く社会は、高齢化をどう乗り切るのだろう?
と僕は思うし、三十路、四十路になってもキャピキャピした(=死語)若さにしがみついている大人は哀れでさえある。まるで演歌のような哀愁をたたえているのは三十路あたりで、四十をこえて一念発起した人々は、ドリカムであったり渡辺美里であったりする!(笑)

若さはそれだけでは美徳ではないし、冷静にみれば未熟で無知なだけ(ときに無恥は大発見やチャンスにつながることはあるけれど)だったりするから、猿みたいな暗記作業はできても、たとえば「社会主義は何を残したか」「この患者さんの痛み・つらさの本質は何か?」「」に答えることはできない。
だから媚びるのはやめて、「大人の世界」に生きて、「大人の矜持」というものをどーんとかまえていればいいと思う。ね、ヨシムラさん!

もちろん、何かを教え導く責任は大人にあるだろうが、ボケッーとしてて旨みが与えられるわけではないことを学習してもらわなにゃ困る。
第二新卒だから、と新卒より一皮むけた気分でいるあんちゃん・お嬢ちゃんの尻は、まだまだ青いわい。ヌハハハハハハハ


代理母と代理妻

at 2007 04/13 22:31 編集

産科界のブラックジャック根津医師が、日本でなかなか認められないのに業を煮やして、代理出産のボランティアを公募してしまった。
代理出産、ボランティア、公募とトリプルパンチで驚く。
1つ1つは聞き慣れた言葉だが、代理出産とボランティアが組み合わさると革命的というか、なんというか・・・。

今までも、母が娘の代わりに孫を出産する例はあったが、今回あえてボランティアというのは、近親者でない他人で産んであげようという篤志家を掘り起こす企てでもあるようだ。そもそも数百万もらったとしてもリスクのある「代行業務」を、ボランティアでやろうという奇特な人が続出するなら、国も動くかもしれない、とふんだのかもしれない。

しかも、すでに数件の申し出があるというから、これはボランティアというより、根津医師へのエールだったりするのではないだろうか。

それほど、代理出産は福音のように受けとめられているのだとすると不妊の当事者のお気持ちはよくわかるし、個人的には代理出産には賛成だ。代理母のリスクや、子供にとっての親の認知の問題など、いろいろ課題は取り沙汰されているけれど、「だから禁止する」のではなく、課題は法整備や医療・福祉のきめこまかな対応で乗り越えて行けばいいと思う。
そうしたフォローを経た上でのリスクを考えれば、今までならあきらめていた、「自分の血を分けた子供」を抱けるメリットの方が、明らかに大きいのではないだろうか。

だから、それほど望まれた子供を代理で産んでくれる女性に、ボランティアはないでしょうに?とも思う。
むしろ逆で、ビジネスライクに「報酬1000万円」で公募した方が、新生児の引き渡しはうまく行くのではないだろうか。ボラティアで産むのは我が子の出産と変わりないから、親子関係とまぎらわしくなると、産んだ子に情が移ることもあると思うのだが、こればっかりは、まったく自信のない憶測でしかない。

保守的な政官界や産科学会は、産みの母と子供に限定した母子関係を重視するあまり、まるで神聖視しているようにも見える。
「赤の他人がお腹を痛めて産んだ子」がどう問題になるのか、なるかならないかも含めて、だれも予知できない。「この子の出生の秘密」なんて風に隠し立てをする風土がそのままだと、たしかに子供は気苦労をかかえるだろうから、最初からオープンにしてもいいのではないだろうか。
むしろ、メリットにも注目すれば、産みの苦しみが人まかせになることで、夫婦の育児負担をクリアに割り勘できると考えることもできる。

もし、代理母が赤の他人であることに難癖をつけるなら、代理出産を依頼する夫婦に限って、妻とは別に代理母を(側室とでも名づけて)家族として認めるように民法を改正すればいい。つまり、一夫二婦制である!ヌハハハハハ
卵子の母も産みの母も、ちゃんと一緒に暮らして子供を育てれば、負担は半分になり、夫の楽しみは2倍になり、妻(母)は倍ぐらい稼げる。名案だと思うがなぁ・・・。

もし、二人の母がケンカすれば、「何よ、産んだわけでもないくせに!」「あなたこそ、血がつながってないじゃない!!」と深刻なキャット・ファイトになりそうだから、板挟みになった夫(父)は、子供を連れて実家に戻る・・・と。
めでたし、めでたし。


新人ブックス

at 2007 04/12 23:28 編集

乙武くんそっくりの小学生(か中学生か?)が、電車で『乙武レポート』を熱心に立ち読みしていた。いい眺めだった。
ゲーム機や塾のドリルをやっている子供は、つい邪険に見てしまうのに、読書している子供や淡い鯉を語っている少女は限りなくほほえましい。

それに、読書と恋愛は、おじさんのトシになるとなかなかできなくなるものだから、うらやましくもあったりする。
もちろん、仕事に役立つ文書をこなして行くような「作業」や、通りすがりの乙女に萌えるぐらいのことは、もう毎日のルーチンワークになってはいるけれど。

夢中になれるとか、没頭できるものは、貴重な救いの場だと思う。「飲む・打つ・買う」は金食い虫の麻薬みたいなものだから、読書なんか超ローコストのエンターテイメントだと思う。ときには人生が変わったり脳天を打ち破られたりするわけだから、読書おそるべしである。

人間関係もすぐリセットできて、入試も楽々で育ってきたあんちゃん・お嬢ちゃんが最初に壁にぶち当たるのは就職なのかもしれず、壁を越えるためのマニュアル本が書店にあふれている。
この、「新社会人が読むべき本」の類も僕は注目していて、けっこうためになったりする。敬語の使い方やファイリングなど、僕は全然なってないから、おおいに参考になる。「うむ、なるほど」と思うだけで実践しないのが難ではあるが(反省)。

だれとは言わんが一文ごとに改行しているようなスカスカ本や、ビニールカバーのついた「ありがた本」(自分の本を聖書のようにしたがるやつがいるものだ)は無視するとしても、山崎武也さんのビジネス訓話エッセイ(?)は、しっくり頭に入る。
人間をバカと天才に分ける乱暴なパラダイムの持ち主でないことは確かで、「おまえの人間性を見つめなおせ、そして陶冶せよ」といわんばかりの静かなメッセージが伝わってくる。

扇動的な文体でもないし、「不良社員でいい」なんて破滅的なことをすすめる(笑)でもなし、「そういえば、そうだよなぁ」と気づかされて、すとんと腑に落ちるような感じ。名文の書き手だと思う。
いま読んでいる角川新書の『一流の矜持』は、冠婚葬祭や印鑑の扱い方など、おそらく親から子へ受け継がれて行くような処世訓も書かれていて、率直にありがたい。

ただ、深い教養とワールドワイドな経験に裏打ちされているのはわかるが、ユーモアは感じないから、「語り聞かせ」がおもしろいかどうかは何とも察することができない。

山崎氏はちょうど僕の親世代だから、亡き父に代わって世渡りを活字で教えてくれるような存在だ。
いつか、越えられるのだろうか。
「うぬ、なるほど!」と思っているだけでは、永遠に足元にも及ばないだろうけど。


人質救出術

at 2007 04/11 22:47 編集

統一教会もからんでくるからこそ、限りなくクサいなぁ・・・と考えさせられてしまうのがパラグアイの邦人誘拐事件。

案の定、どんどん身代金が吊り上がっているという。あと一歩で交渉成立、犯人確保というところで、カタン、と「ワンメーター上がる」感じ。
これって、どうだかなぁ・・・やっぱりねぇ・・・の世界である。

もしかすると、被害者の側に、誘拐犯とつながっているやつがいないか、交渉役というのが、実は犯人そのものだったりするのではないか、警察も実はグルではないか・・・こんな疑問を否定する証拠がないのだ。

現地関係者が、われもわれもと誘拐ビジネスに参加して、ギャラを吊り上げているとしか思えないフシもある。
とすると、綱引きをしている犯人側とこちら側との力関係を見て、「犯人の周辺」が、どっちにつくか選ぶのではないだろうか。

そもそも、こんな誘拐ビジネスを成立させないためには、とにかく身代金を支払わないことに尽きる。
わりにあわないことがわかれば、反抗の代償の大きさを考えて、抑止につながる。人質を殺せば情状酌量の余地なく死刑、解放すれば死刑にだけはしない、という量刑基準が、インセンティブになるかどうか。
強く出るのが難しければ、ひたすら犯人のメッセージを黙殺して、交渉を無視するぐらいが、せめてもの抵抗になるだろうか。

と机上で理屈を練っていても、実際には誘拐ビジネスはなくならないだろう。もし自分の身内が誘拐されたら、公安でも現地に顔の利く交渉役でもなく、金で手を打つことを選ぶ人だっているわけで。

また、そういう身内のいる人質を厳選して誘拐するのがプロというものかもしれない。
「そんな人質はくれてやる。煮るなり焼くなりご自由に」とでも言われたら、犯人が間抜けなだけ。「あぁ、人質の人選をまちがえた」と嘆くしかない。

もっと間抜けな誘拐は、仲間に裏切られることだ。
身代金の分け前が少なければ、「イチ抜けた」で人質を誘拐して、単独交渉を企てる裏切り者も出るかもしれない。僕なら、そんな呼びかけをして値切るね。「1億円要求して、お前ら何人で分けるのだ?人質を連れて来てくれたら、5000万円を個人的に支払おう」とそそのかすと、たぶん犯人グループは仲間同士で監視しあうことになって、ことによっては内部分裂してくれるかもしれない。そうなれば、こちらとしてはチャンスになる。
これは、労組を切り崩すとき経営側が使う手でもある。

毒をもって毒を制する手もある。
1億円要求されたら、「犯人グループを知っているゲリラの皆さ〜ん、人質を取り戻してくれたら5000万円あげますよ!」と呼びかける。懸賞金をエサに、釣るわけである。応じてくれたら感謝されて、懸賞金ももらえる。ついでに、犯人を私刑しても許す!とそそのかすと、もう裏社会で相打ちが始まるね。
たしか日本赤軍も、これと似た内ゲバで自滅して行ったのではなかったかな?(リンチは公安がそそのかしたことではないけど)。

もちろん、毅然とした姿勢で交渉するのは公安の建て前かもしれないが、公安と誘拐犯の線引きが釈然としないような場合だと、目には目をでずる賢く交渉することも、選択肢としてはあり得ると思う。
フィリピンかどこかで、「旧日本兵が潜伏しているのを知っているから、出てくるよう説得してあげよう」とかいう原地の顔利きがいたことを思い出す。交渉代理人という建て前で、マスコミや政府から金をゆすろうとする輩がいるだけのこと、と種明かしされてしまうと、この「スクープ」は雲散霧消してしまった。

疑って疑って、相手側を動揺させて内部分裂に持ち込む術が成果をあげれば、たとえば偉大なる将軍様の国に拉致された日本人の救出にもつながるのではないだろうか。
ならば、裏切り者としての「英雄」をあぶり出すことである。

うなるほど鮮やかな救出劇を、ぜひ見せてほしいものだ。
安倍首相、できますかな?


統一宇宙選

at 2007 04/10 22:44 編集

統一地方選挙は、期日前投票をすませておいた僕のような「一応まじめな有権者」がそれほど多くなかったのか、神戸での投票率は過去最低だったようだ。

僕の投票した候補者は市会も県会も当選したけれど、フタをあけてみるまでハラハラ・ひやひや・ドキドキの方が楽しめる。
たとえば岩手県知事選の有権者は、「ひょっとしてグレート・サスケ知事が生まれるかも!?」とワクワクまたはヒヤヒヤしていたのではないだろうか。

その点では、やはり都知事選のような「妙に全国区」で、ひとクセもふたクセもある候補者が、くんずほぐれつバトルを見せてくれる方が、少しは関心を呼び起こせると思う。「枯れ木も山のにぎわい」だからね。

そのわりに、ふと気づいたのは、最近とんとトンデモ系の候補者が出てこないのが寂しい限りだ。羽柴秀吉も、ちょっとスタミナ不足だし。
まぁ、ドクター中松も黒川紀章も、ある種トンデモじいさんかもしれない(工学部出身なのは共通点だ)。

サリンや震災で本州が揺らいでいたころは、けっこうエスパー系の候補者が出ていたような気がするのに、最近みなさんどうしておられるんでしょう?
ライフスペース高橋さんは獄中だし、パナウェーブは教祖永眠、先週どこかで久々の死者復活系の信者がニュースになっていたが、これとて政治的な力を発揮しているわけではない。

崇め奉るのはイワシの頭でも何でもいいから、やはり全国民を幸福にするような政策なりビジョンなりを示して、選挙を闘ってほしいやね。
幸か不幸か、この畑の活動家は、国際関係や金融となると手を出せず、マニフェストは心のケア!と子供を救え!ぐらいしか出せない。だからこそ、かえって「それぐらいならわかる」浮遊層が支持するかもしれないぞ。郵政民営化!だけで躍らされる国民性なんだし。

参院選では、宇宙パワー炸裂を期待したいものだ。
がんばれイオンド大学!たま出版!(笑)
上祐がんばれとはいいにくいが・・・(現実味があるからね)。



初陣さぬきうどん聖戦

at 2007 04/09 22:46 編集

日曜日は18切符の消化試合。ったく、このノルマ感はくせものだ。
こんなチープ旅行を知らない女子隊員たちを誘って、前々から懸案の讃岐うどんの聖地をめざすことにする。

「近いから10時集合でよかろ」と決めると、「早く帰りたいの私」という女子意見に軟弱なワタクシはよろめいてしまって、通勤時間帯へと繰り上げ出発になった。
すると、日曜日なのに通勤ラッシュそのもので、気合いのこもったシルバー部隊がひしめいている。しかも、網棚にはリュックや旅行カバンばかり乗っていて、いやーな予感がする。

18切符有効期限直前の日曜日だから、さては皆「そっち系」の行楽客だろうか・・・ヌヌヌ・・・と察しても、もう遅い。とにかく、途中の駅でさっぱり客が減ることはなく、全員がずっと乗りっぱなしなのだ。

終点で、乗り継ぎの電車にどどどっと皆ダッシュして全速力で走り込む「18切符シルバー軍団」は、あっけにとられている我々より、はるかに闘い慣れしているようであった。
結局、岡山まで3時間のうち、2時間は立ちっぱなしの道中になってしまった。

寝不足もあって、出端から疲れ気味で訪れた高松は、僕にとっては初めての「香川県上陸」である。
ただし、時間の制約もあって、あちこち観光して回るわけには行かない。女子1号が下調べしてきてくれた店2軒を攻めることにして、まずは栗林駅へ。塩田うどんというサイトをちゃんと設けている製麺所つき店舗からお手並み拝見である。
静かな住宅街を歩いて、すんなりと戦場に到着。

まずはめいめい、釜あげなどシンプル・メニューを注文する。食券を買うようなカウンターで「**うどん、熱いやつ」と言えば現物が出てくる明快さ。
そして、味は上々だった!うれしい初戦完敗であった。
うわさ通りのコシの麺に、汁の味がよくなじんでいる。関西風の薄味うどん汁が嫌いな僕にとってはうれしい、香り高い醤油ベースの汁である。

かくして、第一戦目からして、3名そろって大好評だった。
店内で製麺作業もしているので、取材班と、取材班の取材班(笑)はデジカメ片手に忙しい。いい社会見学になったぞ。

「あーごちそうさん、うまかったねー!第二戦目にそなえて少し時間とって、腹こなししましょう」ということで、栗林公園で花見がてら休憩。
人出はすごかったが、桜も満開で、あちこちで整然と花見のシートが広げられていた。庭園もよく整備されていて、落ち着いた感じで散策ができる。写真だけだと周囲のにぎわいを感じさせないようなカットも撮れた。

適当に腹がこなれたころ、てくてく30分ほど歩いて2軒目の「大円」へ。
ここの麺はつるつる柔らか麺で、少し讃岐うどんのイメージからは離れた食感だった。
ふつうの大衆食堂みたいで注文もしやすかったのは、けっこう観光客が来ているからで、壁には雑誌の切り抜きペタペタ、ほかの客はケータイカメラでパシャパシャやっている気配。
ここでは女子隊員が3人前500円という乾燥麺を買っていた。なんとなく、こっちは負けた気がしないから、戦利品か?

こうして、ひかえめに2軒だけ回って、讃岐うどん聖地のごくごく端っこを踏んで、琴電でJR高松に戻り、関西へトンボ帰りした戦麺部隊であった。

反省点としては、なんといってもリーダーシップ不足。
電車の段取りがまずかったな、明らかに。
岡山で乗り換えるのは初心者!一駅だけ下りに乗って、上り電車に乗るべきなんだよ!
と、つい横見浩彦成分が分泌されてくるのを感じる。ひかえめな性格の僕は口に出せないだけ(笑)。

ただ、女子隊員のマニアックなトークや、職場のこぼれ話などうかがっていると、立ち話で時間を忘れる。おしゃべりのおかげで、立ちっぱなしでも気が紛れた。
旅は道連れ、世は情けである。
気がかりなのは、たとえ1600円とはいえ、「鉄分序の口」の旅にウンザリしていないかどうか。戦意喪失していなければ、熊本へ遠征が待っているからね(ヌハハハハハハハ)。


週末マニア相乗効果

at 2007 04/08 23:11 編集

マニアックな週末だった。
土曜日は接待で雨の中、モトコーをだらだら歩いて小物をあさり、スイ〜ツハーバーで「糖分補給」。ウホホホホ、うまいうまい。

その罪滅ぼしになったのかなってないのか、元町に新規開店したブルブル振動ダイエットマシンに10分500円で乗って大笑い(いやもう、自然に笑けてくるのだ)。
10分で500Kcal燃えるという。ほんまかいな。
おかげで、げっそり脂肪が落ちたつもりで(笑)三宮へと足取りも軽く、いつもの野郎ども2名と合流して、4人で飲み会になった。

いやもう、四国から何度もはるばる、よく来るねぇ!と下心みえみえで(?)平井犬がほめちぎり、初顔合わせになったヒロユキ君と女子はさっさく打ち解けあってバター*の話題で盛り上がり、ゲスいねたで4人の絆は堅く結ばれたのであった。
あぁ…!!

僕は別の野暮用で中座したのだが、そのあと3人でブルブルダイエットマシンに乗りに行ったとかで、「ゲッソリやせました」「感動の速効です」「信じられない!!」と、うそくささ満点の報告がメールで着信。ま、脂肪燃焼はともかく、飛びつく伝染力は旺盛なようだと認めてあげよう。

宴はおひらきになり、平井犬が愛車に戻ると、車上荒らしに遭っていたらしく、とんだ災難だったようだ。
あと一歩のところでつかまえそこねて逃げられたそうで、「気をつけようねー」と落胆メールがきていた。ほんと、お気の毒に・・・。

楽しい宴席と、寒々とした窃盗事件との裏表もあわただしく、こうしてあたふたと土曜の夜は更けて行った。
日曜日は日曜日でマニアックな難行苦行の1日だったのだが、それはまた明日…。


高松塚ランドにするか?

at 2007 04/06 23:18 編集

高松塚古墳の壁画が、やっとのことで解体修理されるというので搬出されるニュースに、涙ぐんでいる「考古学ファン」が画面に映っていた。
いやもう、考古学ファンというより、今と古代をつなぐ想像力の持ち主なら、この壁画には格別の思い入れがあると思う。僕も歴史や考古学は苦手な方だが、忘れもしない札幌オリンピックの年に発掘された高松塚古墳の極彩色の壁画の美しさには小学生ながら魅せられたし、記念切手も買ったぞ!(笠谷幸夫か高松塚か浅間山荘かと画面くぎづけの72年であった)。

発見当時の美しさを知っているから、管理の手落ちかどうか何ともいえないが、哀れに色あせてカビだらけの現状を見て、自分の財産でもなく、わが町の名物でもないのに、同情と憐憫があふれてくる思いがした。
ぜひ、これ以上の腐敗は食い止めてほしい・・・
と願う反面、これが古墳の運命なのか?とも思う。日の目を浴びた瞬間から、別次元での腐敗が始まって、あるものは盗掘されたり、あるものは売買されたり、場合によっては国に囲われ、ずさんな維持管理が外部チェックをうけないまま今回のような悲劇を招く。

それに、高松塚の壁画にだけ「格別の思い」を感じても、歴史遺産を大事にしているのか冒涜しているのかわからん国民性でもある。
訪日して「伝統とモダンが融合している」と持ち上げる外国人がいるかと思えば、伝統建築や歴史景観が自販機や電線、看板で台無しになっているところに唖然とする審美家もいる。

高松塚だ吉野ヶ里だと「ブランド遺跡」ばかりもてはやすのは、ガケっぷち犬やタマちゃんにキャーキャー群がってウソくさい愛情を表明する国民性と地続きでもある。古墳は守れといいつつ、我が家は築20年で古くさいだのリフォームだのと「古色蒼然」を毛嫌いする。

式年遷宮のようなリニューアルを含みながらの伝統というのが神道的な歴史観というものかもしれないから、良し悪しをとやかくいうつもりはないけれど、遺跡が大事ならフィルムカメラやウォンドウズMeを大事にしてくれよな!
と、僕は私利私欲にねじ曲がった主張をするのである。
就職した元女子大生から、「大変です、でもがんばってます」と紙メールが届いた。
文通も、ええよなぁ・・・。


雪あられ

at 2007 04/05 22:59 編集

きのうの午後、ええ天気やなーと思っていたら、いきなりパラパラと窓を叩く音。
雪あられというらしい。
おぼえているかぎり、神戸での「初雪」になったようだ。なんと、市内の六甲山には10cmも積もったそうな。
市街地ではすぐやんで、積もるほどではなかったけど。
変な天気であった。

桜前線が進んでいるかと思うと、県内の北部でも北海道でも雪が降っている。
新聞のゲレンデ情報が桜情報に置き換わっただけで、すっかり花見だ桧花粉だ黄砂だと春爛漫の気分になっていても、いやもう、日本は広い。全日本アルペンスキーの大会が野沢温泉で開かれているし、おぉ銀世界は健在ですがな!!とうれしくなった。
桜の散り始めも情緒があっていいものだが、ふとニュースか何かで映る全国あちこちの名残り雪の点景が、僕は好きだ。

おかげで、さすがに夜は暖房なしだと風邪をひきかけて、のどの調子がおかしい。
明日いよいよ年度始めの初ステージなのに、いかん!

準備に追われる一方、まだワタクシの中では春休みが終わ
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2007年3月の日記
検定者を検定せよ

at 2007 03/31 21:02 編集

こんな時期にやってるんでしたっけ?と意外だった教科書検定で、またまた歴史記述に文科省が渋い顔をしていた。
従軍慰安婦に軍の関与があったのかどうか、といえば、イエス&ノーとしかいえないから、両論併記でよろしいのではないだろうか。「こんな立場が対立しています、考えてみましょう」が教育だからね。

たとえ従軍慰安婦という制度が、軍の記録として公式に残っていなくても、武装した日本人が侵略地で婦女子に狼藉をはたらいたとか、婦女子が抵抗できないような状況で慰安とやらの作業が行われていたなら、それが「被害者」のいう従軍慰安婦なのだから、事実は認めなくてはいけない。
このあたりはセクハラやいじめの問題とも似ていて、被害者のいいなりで事実認定されるのもまずいけど。

なにぶん、歴史のかなたに風化しかけていることだけに、証拠を集めて検証するにも限界がある。損害賠償となると、具体的な事実関係を提訴者が突きつけなくてはいけないから、60年以上前の戦時下の犯罪行為というのは、司法にはなじまないと思う。そもそも、司法審理しようにも時効にかかってしまうのもしかたない。

だから、政治的な決着を図って、誠意を示せるような支援なり教育への反映なりをして行くしかない。たとえば、買春ツアーに行くような日本人は日本国政府が「国辱もののジャップは保護しないもんね。好きにして」と現地当局に厳罰を願い出るぐらいすればいいのだ。

でも、教科書問題といえば、自虐史観だ新しい歴史観だ近隣諸国の反発だ(内政干渉だが)と社会科ばかりが問題になってきたが、理科の教科書にもダメ出しがあったようだ。
ささいな項目なのか、ほとんどニュースにもなっていない。ちょっと気になるぞ。

アメリカの狂信的保守州で、インテリジェント・デザイン思想が理科教育を歪めているような大論争ではなさそうだが、たぶん日本だと水伝説か、スピリチュアリティだな(笑)。政治的な論争に発展していないだけ、まだのどかなものだ。

このへんのトンデモねたは、教師が率先して布教してたりするからタチが悪い(決してEDではない)。ほんまに、水にバカと書いた紙を見せて腐った水になるなら、バカづらした教師や薄汚い身なりの教師が生徒の目に触れないようにしなくてはいけませんね文科大臣。汚い日本語の怒鳴り声で命令ばかりしている教師も、ありゃー公害でしかないわな。
こういう教育環境こそ研究すれば社会心理学になるし(実際、テキサス大学の院生の研究論文を見たことがある)、立派な理科の教材にもなろうってもんだ。

百聞は一見に如かず、で観察や実験を重視するのが、理科教育の課題だと思う。学校には、神話やタブーになっていることが多いからね。
たとえば、学力別クラス編成なんてのも、希望者だけ選んで実験的にやってみれば、案外できる子にもできない子にも評価されるのではないかと思う。

「タブーなきメス」が科学教育の核心だから、斬り込み隊員がどんどん育てば、理科だけでなく歴史にも国語にも数学にもプラスになるはずだ。
「先生の能力を検証する」
「学校は必要?」
のような次元にまで掘り下げて問いなおしてガラガラポンをしないと、平成維新にならないのだ。
夏休み研究で「全国一斉テストはなぜベネッセが受注したか、どれだけ金が動いたか」「懲戒免職になった公務員の再就職先」「セクハラ教師の妻との性生活」を調べる中学生なんか出てきたら、抱きしめてあげたい(笑)。


斜面すっきり

at 2007 03/30 22:21 編集

年度末だから公共工事が増えるのはお決まりの年中行事だが、うちの隣りにあった市有財産――といっても廃屋――が、あたふたと取り壊されて更地になった。

予算が余っているのか足りないのかわからないが、かなり雑な突貫工事で、工事概要の看板もなく、振動も騒音もひどかった。発注者が役所で、落札したか随意契約(つまりコネ)かだから、請け負った業者は「工事責任はうちじゃないもんね」と決め込んでいるのかもしれない。
民間デベロッパーなら、ちゃんとあいさつぐらいはするだろうよ、例の「おじぎおじさん」看板で。
中には、一戸一戸「ご迷惑をおかけします。工事予定はかくかくしかじか。責任者連絡先はこれこれ」とチラシをポスティングして回る業者もあった(三菱地所、セキスイハウスはえらい!)。

ともかく、巨大な公共ゴミが処分されたおかげで、風通しも見通しもずいぶんよくなった。1階玄関からでも、大阪湾を隔てて紀伊山地まで見える。最上階のうちのベランダからは、八丈島まで見えそうだ(笑)。

黄砂がニュースをにぎわせていても、なぜだか空がスッキリした感じの春本番だ。
相次ぐ会議、会議で阪神間を電車で往復して、六甲山の上のすがすがしい青空を眺めていると、やっとこさ「新年度やなー、がんばるかー」と心機一転した、のどかな3月最終週であった。


UCCええ会話学院

at 2007 03/29 22:44 編集

長い間、ややこしい病気で通勤できず在宅で伏せっておられた元の同僚が、やっと持ち直してきまして・・・と電話をくれた。
大学病院でも原因不明で、あちこちの病院や薬局を頼っても埒があかず、鬱々としておられたのが、不思議なほど気持ちが晴れ晴れしてきたという。

なんでも、お母様を見送ったころがどん底だったようで、堂々と「母を愛していましたから、つらかったですよ」ということだった。その後の供養で、ご自宅近くの高野山へ通ううちに、足腰も動くようになってきたそうだ。

「山には不思議なものがありますね」「墓に参ると、母親が喜んでるんですよ」と喜々として話されると、あぁ、これが普通の市井の人間の霊性感覚なんですよねぇ・・・と共感させられる。こういう「山」を身近に持っているというか、ホトケさんのお膝元に抱かれて暮らすのは、恵まれているのではないかと思う。

トンデモ系の熱弁をふるうわけでもなく、個人的な感覚をありのままに語られると、とてもよくわかる。波動やスピリチュアリティではなく、「僕の母が」という話だと、それはそれで真実なのだから。
おそらく、普通の人の暮らしに、仏壇や菩提寺や先祖代々の田畑のような「うちの聖地」があって、そこで祖先や祖霊と対話してきたのが、民俗の伝統というものだったのだろう。

それを、ショーで見せたりイベントにしてみたり、プログラム化して迷える子羊の洗脳したりするビジネスは、まぁ買い手があって売り手がいるだけのことだろうが、せちがらいですねぇ・・・と、僕はぼやいてしまう。相手は近代経済学の先生だが、もしかすると「神の見えざる手」を実感されているのかもしれない(笑)。

そんなこんなの近況を電話でだべって、ついでに(と言うと悪いけど)経営学の先生と民法の先生にも電話して(メールじゃないところがアナクロ的だな)、「快気祝いも兼ねて、茶話会しましょー」とコトが運んで行った。
いつも、あんまり景気のいい話の出ない席ではあるけれど、近畿一円から懐かしい元同僚の顔ぶれが集まるのはいいものだ。かつては「オルグ」をやって「決起集会」と銘打っていたのが、あっけなく叩きつぶされて皆バラバラに解体された今、細々と僕の個人的なオルグだけが延命している感じ。
ま、春の陽気にのって、大言壮語だけ花開かせてみるか。


能登ほっと作戦

at 2007 03/28 22:50 編集

浅はか新聞が、第一面にでかでかと「心のケア!!」と見出しを打っていた。
まだ余震が続いている真っ只中の能登の避難民に、カウンセラーを派遣しろというのである。アホか。

今は、ひよわなカウンセラーより土建屋さん、睡眠薬より安心して休める個室でしょうが。
家の再建のメドが立ち、元どおり働けて、昔ながらの近所づきあいが復活して、全国の人々が能登の産物を買って観光にもきてくれてこそ、結果的に心のケアになるというものだろう。
地域福祉や地域経済、地方自治は「専門外」なカウンセラーは、いまや自治体が「心のケアやってます」とエクスキューズしてみせるための手札にしかなっていない。

とまぁ、こんな災害救援論は、僕自身が避難所で首をかしげつつ寝泊まりしていた阪神大震災以来、叫び疲れたわい。
それに、被災者のニーズも時代や政権の移り変わりに従って、様変わりしてきているのも事実。「カウンセラーさん来て下さい」と声をあげる被災者がいても不思議ではない。

災害救援は、被災地域の特性や被災者の構成、災害の種類、経済情勢など、変数がさまざまで正解がないのが難しいところだと思う。法律や精神医学も一通り習得していて、介護もできるソーシャルワーカーのような専門職こそ、どんどん活用してほしいと思うが、営業するわけにもいかないから、注目される日を待つしかないのだろうか。

たとえば、ボランティアを歓迎するのか呼ぶのか制限するのか断わるのか、能登の各自治体もとまどっているようだ。
今回も「車で来てくれるな、日帰りしてくれ」と条件がついていたりするから、おいおい、JRと地下鉄とバスが網の目のように走っている地域なんですかい?と僕はつっこみそうになった。

現地自治体の不安もわからなくはない。
ボランティアが長期滞在すると、役所にも地域社会にもいろいろな「負荷」がかかることは、12年前から指摘されてきた。そして、ボランティアの活躍や美談がことさらに強調され、「コスト・パフォーマンス」についてはまるで報道規制されていた。

自分の尻は自分で吹いて、地元のお膳立て不要で、最大限の効果を発揮してくれるボランティアとなると、結局のところ「自衛隊だけ歓迎」ともなりかねない。宿営地も食事も自前で用意して、工兵部隊も医務官も備えているからね。

それはそれで、被災地のホンネとしてはよくわかる。
だったら、ぜひ在日米軍にも救援要請してみればどうか。
風呂は自衛隊の得意技のようだから、「アメリカン仮設ハウス」を建ててもらうとか。どんな「出し物」があるか、楽しみではないか。被災地だけ期間限定の医療特区にして、メグ・ライアンのような軍医さんにバリバリ活躍してもらおう。どうも個人的な好みに走った提案になってしまうが(反省)。

そういえば、三沢と丘珠は米空軍も使っているようだが、日本海側に米軍の駐留地がないのは不思議ではある。
震災救援からは脱線してしまうが、朝鮮半島ににらみがきくよう、新潟とか富山、小松あたりに米空軍がいてもいいのでは?・・・と、ふと考えてしまうのは不謹慎なのか。

火事場泥棒しにくるような不届き者は、アパッチ・ヘリで追跡してつかまえて、北緯38度近くの日本海にでも落としてやればいいのだ。
拳をにぎりしめながら、ついつい被災地へのパワフルな救援を願う「憂国の士」は、ワタクシだけではないはずじゃい。


過誤愛?

at 2007 03/27 21:04 編集

未成年だからK護A依とでも書くのが正しいのだろうけど、そうするとかえって目立ってしまいそうな人気アイドルが、喫煙2度目でクビ!なんだそうな。

タバコだけだと微罪だとは思うものの、「お客さま」が圧倒的にローティーンであればこそ、示しがつかない不祥事ということになるわけか。
もしジジ殺しの19歳なら、鼻の下が長いファンに「まーいいじゃないの」と許してもらえそうだから、演歌歌手として出直す道も、なくはないだろうに。

タバコより、「37歳彼氏と草津温泉」のゴシップの方が、もう女子中高生にはドロドロに映り、うんと年上の男性ファンには夢と希望を与えてしまう変な「ダブル効果」をもよおすのではないだろうか(もちろん、本人の望まない効果だろうけど)。

関西のうるさがたコメンテイターたちは、「彼氏も彼氏やわ。大人としてちゃんと彼女の将来を考えて襟を正してタバコは戒めるぐらいでないと・・・」てなトーンで一致団結(笑)していた。ごもっともだと思う。

初犯の(かどうかはわからないが)17歳の喫煙スキャンダルで芸能活動を謹慎している間も、「事務所の手伝い」が謹慎処分の実態だったようだ。こんな儀礼的な「OLのまねごと」にすぎない軽作業が、少女にどういう改悛の情をもよおすのか、自分の不祥事がファンや会社、業界に与えた影響が身に染みてわかるのか、かなり疑問ではある。ちゃんと再教育を考えた形跡がないのは、救いがないなぁと思わざるをえない。

つまり、職場も交際相手も、頭ゆるゆるの大人だらけだったということで、低能男が少女アイドルをもてあそんでつぶして行くだけのこと。「代わり」はいくらでも補充されるしね。
泥の川では、きれいな鮎は育たないのだ。

これでもしAV転身でもすれば(かなり高い確率で予想されている)、元アイドルAVというブランドというか、キャリアパスができあがってしまうわけで、クビにした事務所はそれを禁止もできないわ、契約復活するわけにいかないわでややこしい立場におかれる。

こういう少女を商材にした業界だと、よほど「商品の管理」を厳しくやらないと、芸能界と風俗業界がどんどんボーダーレスになって行きそうな予感もある。
それは殿方にとっても、あんまりうれしいことではない。
アイドルなるものは、幻想の上に成り立っている偶像だから、「四十男とくわえタバコで温泉旅行」なんてことは、しているかもかもしれない・・・と思いつつ否定したい男心(笑)を、加G亜Iは打ち砕いてしまったわけだ。おぉ、罪深きジャリタレよ!(笑)

やはり、規律と訓練の世界で鍛えられて行くタイプと、ずぶずぶの世界でしぶとく生き抜いて行くタイプがいるような気がする。
ヅカ・スターは完全に前者だし、僕もそんな「歌舞音曲の達人」を尊敬するし応援したい。
最難度の訓練といえば軍隊だから、「アメリカ士官学校卒業、武術万能」なんてキャリアの女優がいれば、しびれまくる殿方もいるのではないだろうか。
え!ワタクシだけか?


百万石の絆

at 2007 03/28 23:54 編集

北陸地震は、寝ていたのでさっぱり気づかなかった。
大阪でもグラグラ揺れまして・・・と職場のスタッフが話していたぐらいだから、かなり大きかったのだろう。

でも、全壊家屋が多かったわりに圧死した人はいなかったようで、それがせめてもの幸いだった。某大臣のように「死者一人でよかった」と口にするのは不謹慎とはいえ、実感としては「犠牲者一人ですんだの!?」と軽く驚いてしまったのが正直なところ。

古くて風格のある木造瓦屋根の民家がグシャリとつぶれている眺めには心が痛むが、それよりも鉄筋コンクリートに押しつぶされる方が、絶望的なダメージを受けるような気がする。
茅葺きだと、もっと安全ではないだろうか(もちろん、火事や延焼を免れれば、の話)。素人考えにすぎないだろうけど。

欧米人は技術の粋を尽くして耐震建築を考案するが、アジア人は「つぶれたら、そのときはそのとき。建て直せばいい」ぐらいの感覚で、木や竹や草で編んだ家に住んできた。木と紙の日本家屋は、非戦闘員無差別爆撃をするような鬼畜兵からすると、おもしろいように燃えあがるはかない小屋にしか見えなかっただろう。

でも、「災害に強い街」の意味は、ただ建物が頑丈なだけでなく、立ち直りの早さということでもある。災害の爪痕はさばさばと水に流して、さっさと建て直しに励むのが賢明だと思う。

12年前の神戸でも、火事場泥棒はほとんど報じられなかったが、今の能登の住民は、なおさら略奪や暴力やぼったくりに走らず、コミュニティの絆の中で復興を進めて行かれることだろう(と、確信する)。
実際できるのかな?とは思いつつも、戸締まりできなくなったわが家を放置して避難所に身を寄せても、不届き者が侵入することがないような、そんなコミュニティは日本のあちこちにまだまだ健在なはずだ。

能登や加賀の被災者が、そんな日本の美徳を世界に向けて示してくれると、これこそ日本のソフト・パワーというものではないだろうか。
救援ボランティアだ物資ロジスティクスだと騒がなくても、すんなりと困っている人のもとに自然に人手や物資が行き渡っているような、さりげない復興支援が進むよう、心からお祈りしたい。
 


産地不明流通不詳

at 2007 03/25 21:27 編集

国は代理母には否定的なのに、「離婚後300日以内の出生子は前の夫の子」の規定は、柔軟に運用するよう通達が出たようだ。
条件として、離婚後の妊娠を、医師が証明すればいいらしい(医師立ち会いで交尾すれば、もっと確実なわけか)。
まるで、胎児のトレーサビリティですな。

この現行民法の「嫡出推定」の原則は、学生諸君にも不条理感(?)が強く沸き起こる。毎年のように。
もっと日常的にあるケースで、婚姻期間中に妊娠すると、かりにそれが妻の浮気相手の子でも、とりあえず夫婦の子とみなされる理屈もそうで、気づかない夫は実に間抜けな存在ではある。
もちろん、父子関係不存在を申し立てる道はあるとはいえ。

もっとも、生まれたてホヤホヤの新生児なんか同じように見えるのに、妻に「ねぇねぇ、目鼻立ちがあなたソックリ!!」と言われて=洗脳されて初めて、「あぁ、俺の子かー」と信じ込むのが男の性というもんだ。
だまし通されている殿方も少なくないと思う。そもそも、母子の絆さえちゃんと確信していれば、妻子に給料を運ぶオスがだれであろうと、妻はあまり気にならないのかもしれない(僕が子を産む性なら、そう考える・・・というだけの「嫡出邪推」である)。

そんな話をすると、学生諸君は、「DNA鑑定すればわかるでしょー!!」と頭をひねるのだが、理論的にできることと、法的に強制できることは違うのだ。
夫と妻と子がDNAサンプルを用意しても、浮気相手と推定される男性が「やだよ」と拒めば、そこで暗礁に乗り上げてしまう。刑事事件なら指紋やらDNAやら尿やら強制的に採取できても、民事はどうしようもないのだ。

・・・という条件を示しながら、「さて、どうする!?」とケース・スタディを出すと、やはり狼狽するのは男子学生。ますます女性不信、結婚不信が加速しているかもしれない(柳沢厚労大臣ごめんなさい)。
女子学生は、「どっちでもええわ、私の子なんやから」と言いたげな悠然とした顔をしている。さすがというか、なんというか・・・。

最近議論になっている離婚後300日の規定は、医療の進歩でかなり正確に推定できるとはいえ、お盛んなオス・メスの性行動まできちんと読み取れものでもない。
日曜日に元カレと「最後の晩餐」をいたして、月曜日に今カレと「モーニング・コーヒー」なんて関係があっても不思議ではないから、やはり当事者の証言とか記憶に頼る部分は、最後まで残りそうだ。

無責任きわまりない提言をすれば、嫡出を推定することはやめて、母子家庭が当たり前の犬猫の世界と同じになればいい(雌犬、雌猫はえらい!)。
その代わり「働く母」と子が苦労しないような就労・育児環境を整えて行く方が、とりあえず出生率は上がるのではないだろうか。出生率対策だけを考えればね。

いっそ、「離婚して1年は男に近づくべからず」と、非難囂々ものの悪法を施行すれば、嫡出はすっきりする。
では、こんな人権無視の悪法にNoということなら、「女性が父親を証明する責任を果たすこと」が切り札になると思うのだが、論理より強いのがフェミニストの大声(笑)。
「なんで女がそんなことしなくちゃいけないのさー!!」「女を信用しない男の方がよっぽど悪辣じゃないのー!!」と、テポドン級の反撃を受けそうだ。
そこまで言わせてもらって委員会?


官僚ふう子守りと介護

at 2007 03/24 23:01 編集

あと一層、二層ほどメタボリック度が高まると父ミッチーそっくりになるなぁ・・・と思いつつ、渡辺行革担当大臣の公務員天下り対策を聞いていた。

ミッチー父子は、キャラクターとしては好きなのだが、政策はいただけませんな。
何げなく聞き流している国民も、「支援」という用語にはひっかかったのではないだろうか。なにしろ、公務員の再就職支援対策で「人材バンク」設置というのだから、お笑いである。何千万もの退職金と、「死ぬまでお手盛り」の共済年金をがっぽりもらえる公務員に、な〜にが支援だ。

いま、民間の福祉現場を苦しめている政策も(経営が苦しいのは国のせいだとはいえないものの)、支援の名がついている。
いったい、国はどんな意味を「支援」にこめているのだろうか。

そもそも、公務員が隠然と権力を行使できる民間企業に再就職して、官民癒着の温床になるような天下りを廃止しようとしたのが政策の意図だったはずだ。
とこが、最初のかけ声はでかく、あっという間に尻すぼみ。
どだい天下りなんか、禁止しようがないし、徹底的に管理しようとすると、民間人の人権としての「職業選択の自由」に抵触しかねないからね。

だから、まだまだ元気な退職公務員には、働いてもらえばいいのだ。すでに、行政書士や司法書士、税理士のように、元公務員独立自営支援そのものの資格があるんだから、資格をくれてやればいい。下から「元クソ役人3級」、中レベルで「元小役人2級」、上級だと「元カミソリ官僚1級」とかね。
懲戒処分を受けたような税金泥棒には、竹島警備とイラク駐留をやってもらおう。

それは冗談として、もし退職後も世のため人のための公僕として役に立とうと思えば、どんどんベビーシッターや介護職に就いてもらった方が、三十代、四十代の労働力は安心して働ける。
僕は「労働鎖国」には批判的だが、安易に外国人労働力に頼るより、このように元公務員が「現役労働力の就労下支え」に回ってもらう方が賢明だと思う。

つまり、元公務員の就労支援が、働きたくても働けない現役世代の就労を支援する形になればいいわけで、元公務員自身の利益を第一に考えていることがみえみえなら、納税者はだまっていないもんね。「非課税所得」「母子世帯」を偽装して対抗する(笑)。

公務員の再就労を天下りと呼ぼうと、再就職と呼ぼうと、ボケ防止と謙遜しようと、どうでもいい。
しょせん禁止したって抜け穴や小細工、偽装を増やすだけなんだから、国民が納得するような天下りをやってもらえばいいのだ。退職後の、終生の社会貢献という意味で、ターミナル・ワークと呼ぶのもかっこいいではないか。
名案だと思うがなぁ・・・。


甲子園リーグ

at 2007 03/23 20:21 編集

いつの間にか、高校野球が始まっていた。そういえば、「春はセンバツから」とキャッチコピーで言ってたように、春の甲子園は彼岸に始まるのが習わしになっていたっけ。

ということは、3年生というのは卒業式を終えた満18歳のことなのか、新3年生ということなのか・・・と、未だにナゾが解けない。前者なら、就職する子は入社式とカチあうだろうし、後者なら、やっと受験勉強を終えて一服するヒマもない。
どっちにしても、年度の変わり目はあわただしい。ご苦労さんなことだ。

どこかのチームのことを、「今まで九州を出たことがなかったチーム」と紹介していたアナウンサーがいたのは、全国規模の檜舞台にやっと出た栄誉をたたえていたと思うのだが、それなら沖縄の新顔チームだとどうなるのだろう。
まず九州、そして本州へ・・・のような野球スゴロクでもあるのだろうか。

実際には、高野連がスゴロクの枠組みを決めているのは事実。
九州本土ブロックでも、都道府県大会でも、とりあえず地区レベルで優勝したチームが甲子園に集まってくるわけだから、そのわりに高校球児たちの扱いは軽すぎると僕は思う。

特に、初戦で敗退したチームが砂拾いなんかしている場面をみると、気の毒でしかたない。
都道府県大会の決勝戦で負けたチームからみれば、「俺たちが出ていたら、勝っていたかもしれない」と思うこともあるだろう。
トーナメント(勝ち抜き戦)だから、こうなるわけだ。

僕は高校時代、校内ソフトボール大会で初戦敗退したが(なにしろ守備が大忙しになる大沢投手だったから)、敗者復活戦では一度も負けなかった。つまり、トータルで準優勝と同じ扱いになった(さすが大沢投手である)。

全学年で18クラスしかなかったのに、野球のダイアモンドは6面もあったから、こんな試合運営もできたのだろうが、たった1回負けただけで、それ以後の試合の機会を奪うというトーナメントは、教育上よろしくないと思う。

だから、高校野球は総当たり戦に改めてあげたらどうだ?大相撲の幕内取組みのように。
東京や北海道あたりは分割するとして、全国50チームほどが総当たりで勝敗率、得失点差を競い合って、順位を決めればいいのだ。どのチームも最後まで甲子園をにぎわせてくれるぞ。
たった1日でトボトボ帰ることもなく、全チームが同じ試合数をこなして、平等に甲子園を満喫できまっせ。

と提案してみて、うーん、これはプロ球団が50チームになるのと同じことだな、と気づいてしまった。
同じチームとは1回きりと決めても、延べ試合数は何百となる。しかも、試合場は甲子園1つ。高校生なのに、授業を受けているヒマなんかない「プロの高校球児」になってしまうな。
首位のPL学園と最下位の**高校が24ゲーム差!!なんてことになれば、引きこもる野球部員も出てきそうだ(笑)。

全国の球場を25カ所おさえて朝からナイターまでフル回転すれば、数カ月で試合は消化できると思うが、まぁそこまで試合漬けにすると、大ちゃんやハンカチ王子みたいな選手が「もう、野球はこりごり」と別の道へ逃げてしまうかもしれない。桑田真澄のように計算高い(けなしていないよ、僕はファンだから)選手が適当にスタミナをセーブして、涼しい顔で最終戦を巻き返したりするだろう。

ともかく、1敗しただけで早々と「都落ち」させられるトーナメントは、現実の「再チャレンジできる社会」の趣旨とも合わないから、なんとか改善してやってほしいと思う。
案外、監督やコーチが飲酒運転や体罰やセクハラで首が飛んでも(いや、そう見えても)こっそり再就職あっせんをしてもらっていたりするからね。


がんばれ松岡大臣

at 2007 03/22 23:07 編集

寿司ポリスが来るぞ!と海外の日本食業界をどよめかせた優良日本食認証制度が、腰くだけになってしまった。
事の発端は、高級還元水が好きな松岡大臣がアメリカ視察中、寿司と焼き肉を両方出している店に入って「これは本物の日本食ではない!」とむかついたことらしい。

案の定、こんなことを国家事業でやろうとする企てはボロカスに叩かれ、身内の有識者会議も「大臣、こんなことやめましょう」とダメ出しをしたそうな。
そうそう、ヤボなことやめましょう、でケリがつきそうに見えるからこそ、ワタクシは「一人でも和食ポリス」を買って出たい。
チョコレート味の焼きそばとか、バニラ風味の寿司なんか、許してはいけないのだ。

こんなゲテ食は、毛唐の味覚ではどうってことないのだろうし、向こうからも「あんパンやライスバーガー、チーズかまぼこなんかも日本人は発明してるくせに」と反論も聞こえてくる。
そう言われればそうだから、謙虚なワタクシは、別に国際紛争に持ち込むつもりはない。

そもそも、ゲテモノ和風食がのさばる火種は、海外ではなく日本国内にあるかもしれないから。
つまり、日本人自身が、変な和食を許してしまっているから、えらそうなことは言えないのだ。

考えてみれば、さんまにレモンをかけるとか、納豆にマスタードを混ぜるなんて変化球は、わりと最近の奇習ではないかと思う。
そのうち、ショコフレークお茶漬けなんぞ出現しそうな予感もある。

この責任は、かなり学校給食にあると思う。けんちん汁、筑前煮、五目ごはんに、なぜか牛乳!!がついていたりするからね。
栄養バランスを考えての献立かもしれんが、学校給食は、ビタミンとかミネラルを注入するステーションではないわい。食事作法や、ひいては食文化を学ぶ場であってほしいものである。

ただ、学校給食を修正したとしても、僕と同年代の親たちが変な食生活を子供にバトンタッチしているから、なかなか根は深い。
寿司ポリスなんかいいから、食育ゲシュタポ、食育KGBが一般家庭に乱入してビシバシやってほしい。松岡大臣は、あの風貌からして最適任のダーティーヒーローではないか。

変なゲテ食で家族だんらんしている家庭には、光熱水費が年間500万円もかかる(らしい)なんとか還元水のマシンを強制的に取りつけて、罰ゲームとすればよろしい。
大臣にもゲテ食ファミリーにも、いい薬になるのではないかな?暴論だと叩かれるのは覚悟の上で・・・。


野中去るよ

at 2007 03/21 21:55 編集

サンヨーの野中会長が辞任して、いっせいに後ろ指がさされている。
ニッポン放送の取締役をしていたころ、買収劇で危なくなると逃げ出したクセを、三洋でもくりかえす無責任ぶり!とかね。
勝谷さんなど、ひとこと「ジジ殺しの女ですわ」と一喝していた。直球ストライクですがな。

経歴を見ると、「経済ジャーナリスト」の立場でうまく業界を泳いで爺様たちのハートをくすぐり、財界アイドルとして世渡りしてきたようにも見えなくはない。技術もちんぷんかんぷんで、財務諸表も読めないタレントが一流メーカーの会長に鎮座しているのは、やはり不自然だから。

野中さんも悪意はないだろうし、ある面かつがれてきたところもある。
創業者会長が、かわいい息子を後継者にしたくても、世襲がとやかく言われそうだからカムフラージュに意表をつく門外漢をかつぎ出し、斬新な人事をする革新企業、というイメージも狙った・・・との見方もあるようだが、だとしたら野中さんも利用されたわけだ。

世襲の誘惑は、それほど強いものだろうか。
もう松下電器は松下一族の私物ではないし、トヨタも本田もそうだった。
世襲イコール悪と決めつけるつもりはないけれど、家業の旅館業を幼いころから手伝って将来その看板を継ぐような世襲と、大企業の経営者の世襲とは意味が違う。

そりゃ昔なら親の会社の丁稚奉公から始めて辛酸をなめることも修行になっただろうが、今どきの二世は、たいてい大学まで行かせてもらえる普通のぼんぼん。
大卒まで、親の職場を見て育つわけではないし(その点では他の大学生と同じで)、そもそも家にめったに親はいないんではないかい?

だから、技術力で国際競争しなくてはいけない業界で、息子に社長のイスを!とこだわっている爺様の会社は、そりゃ傾くわなーと思う。22、3歳のペーペーから「社長のおぼっちゃん」と腫れ物に触るような扱いをされて、まともに仕事を覚えられるとも思わないし、職場だって緊張するだろうに。
僕が親なら、親の後光が効かない異業種で10年は下積みさせるか、同業他社で敵陣の内側をしっかり把握させてから、自分の会社に採用するね。

サンヨーの井植親子が実際どうなのか、一人の経営者または技術者として優秀なのかは、部外者にはよくわからないが、メーカーであればこそ、やはり製品で勝負してほしい。父子鷹のドラマなんか、どうでもよろしい。
最近、なんだか財界人のお家騒動を描いたとおぼしき「華麗なる一族」が終わったらしいが(結局1回も見なかった)、消費者は経営者の家系とか人情ドラマに金を払うわけではないのだ。

でも、「ドラマ効果」で、経営者一族の栄光やスキャンダルが売り上げに影響することも、あったりするかもしれない。
もしかして、銀行頭取の女性スキャンダルが出てこないのは、完璧に封じ込めているせいだろうか。

それを考えると、「指3本」や「モナ」「親子丼」ぐらいで袋叩きに遭う政治家は、気の毒といえば気の毒だ。
何千人の従業員の生活がかかっている会社を、息子にホイホイ託す社長の方が、重罪だと思えてならないのだが。


彩都とウェブサイトの共通点

at 2007 03/20 22:51 編集

春のダイア改定に合わせて、新駅も開業。関西では、さくら夙川と彩都西がニュースになっていた。

そりゃー桜の名所だからって、1年のうち1週間ほどの名所でしかないのは、どうよ?
とつっこんではみても、しかし、なかなかいいネーミングだと思う。評判も上々。
名所を冠にする駅名は、「○○前」や「○○口」のパターンで珍しくはないが、この調子で、ご当地名物あやかり駅名が増えるのも、よろしいのではないかい?「メロン夕張」とか、「メイド秋葉原」とか。

もともと、東海道本線は芦屋と西宮の間が開きすぎていて、駅がなかったのがおかしいほどだった。だから、さくら夙川はできて当然の駅で、めでたしめでたしである。
阪急夙川が決定版だとすると、「脇役デビュー」という感じだろうか。僕は、川の下流の阪神香枦園あたりも好きだが。

この、待ってました感のあるさくら夙川駅に対して、彩都西というのは、ニュータウン駅の宿命で、一体どこにあるのかわかりにくいのがお気の毒。路線図を見せられて、「阪大病院前からさらに奥へ伸びて・・・」と言われても、阪大病院自体が大阪の中之島から衛星都市へ移転、さらに奥地へと都落ちしているから、彩都というのが正確に茨木市にあることなんぞ、大阪府民でさえなかなかわからないようだ。

それにしても、一体なんでこう匿名的な、広告コピーのようなニュータウン名をつけたのだろう。D通と結託しているのか?
夙川とか香枦園のような名前の方が、風格があっていいと思うのだが、ニュータウンだからしかたないのか。

おまけに、彩都西というのは大阪の都心から遠い。神戸より遠い(笑)。
こういう辺境地の自然を破壊してツルピカのニュータウンを造って、計画人口の何割かしか住まない、しかも住み続ける住民は高齢化する一方!となること必至の都市計画は、実際ことごとく各地で失敗しているではないか。

やはり、関西だったら京阪神間に沿って住めたら理想的だと思う。いい学校、いい病院、いい文化資産が鈴なりの風土に住むのが、そんなに高嶺の花か?というと、決してそんなことはない。
働き盛りの皆さんは、なんとしてでも都心に住むべし!が僕の持論なのだ。

中でも、大阪にも神戸にも等距離の西宮が、再開発も手伝って人気急上昇中らしい。
今回のさくら夙川駅の開業とワンセットで、お隣りの昔ながらの「西ノ宮駅」なる変な駅名表記も「西宮駅」に変わって、あらためて「生まれ変わる西宮市」のイメージが高まっている。いい感じの街だと思う。

ただ、電車で西宮に通学していた僕は、もちろん駅周辺の界隈しかしらない。大学の最寄り駅、夙川駅、西宮北口駅の周辺の居酒屋やレストラン・バーしか立ち寄らないから。
そのへんは、同級生にうじゃうじゃいた「未来の社長のぼんぼん」が外車をブイブイいわせて街のマル秘スポットにしっかりマーキングして、雌捕獲に活かしていた行動力に完敗するしかない。
阪急電車の新型車両に詳しいやつなんて、100%もてない(笑)。

まぁ、もてるか否かは大人になればどうでもよくなるが、夙川に住んでいますといえば優雅なイメージがあるのに、○○ニュータウンに引っ越しましたと聞けば、背後霊のように「35年ローン」が浮かび上がって見えてくる(笑)のは、僕の目が濁っているせいだろうか。
それも家族愛のなせるわざ、ということなら、ニュータウンなる土地は、リアルな「愛の流刑地」なのか?


好都合な真実

at 2007 03/19 18:38 編集

ANAの「胴体着陸その後」の、製造元ボンバルディアの事故がポロポロ出てきている。まるで、「胴体着陸仕様」で作っているのではないかと思うほど。

まるで両手をしばられてヘッド・スライディングするような場面に、滑走路のどこかから前輪代わりのスタント・カーが出てきて前を走り、「俺の頭にアゴを乗せろ!!」てな場面展開になるんちゃうか?と僕はひそかに期待していた。スタントマンは、当然あのスティーブン・セガールで(笑)。

そんなリアルな緊急事態を、冷静沈着にかたづけた一姫二太郎のパパ機長は、よくやった!と称賛されている。しかも、彼はANAの子会社に所属しているのだそうな。ぜひ、親会社にスカウトして、厚遇してあげてほしい。

不良品ヒコーキといえば、少し前は「エアバスは落ちる!」だった。
危ないとわかっていても、高い買い物だから、もとをとるまで使いきるつもりでいるのかもしれない。だとすると、こわい話ではあるね。

一方で、YS-11は今もう乗れない(惜しみつつも、僕も1回か2回しか乗ったことはないけど)。
同じプロペラ機でも、YSと違ってボンバルディアは主翼の横の席からでも下界が見えるから、乗客サービスとしては悪くないスタイルだと思う。ジェットも、あの形が増えればいいのにと思うのだが、あまり見たことがない。

いっそB52を旅客用に転用すれば迫力満点でないかい?とも思う。爆撃機にくっついている回転砲座や後部砲座のような「個室」は、その手のおマニア様にとっては特等席だろう。プレミアム・シートになるぞ。
実は僕もぜひ乗ってみたい座席ではある。もちろん、撃てなくてもいいから(笑)。

ヒコーキの旅は、たいてい行きと帰りの2本しか足がないもので、ほとんど選択肢はないから、ハコモノにこだわる旅はやはり「鉄」になる。
新潟から5、6本の鈍行を乗り継いで帰ってみると、ローカル線の車両が意外に多彩でおもしろかった。旧態依然とした不便な急行「きたぐに」が乗り心地は最悪だったほど。

不思議にも、急行がぱっとしない一方で、かつての特急車が払い下げられている鈍行がお得感満載だったりする、いい時代ではある。リクライニングもついていたりするしね(あだ花のような一時的なパラダイスかもしれないが)。

我が子がいたら、もう胎内教育からして鉄分濃厚にしつけて、ドライブをせがまれても「パパは免許がないから鉄道でGo!」で通したいと夢見る僕は、「でもな、それ金かかるがな」と兄にたしなめられたりするのだが、本当だろうか。

たとえば、友人ホリエモンのたのもしい運転で4人でワリカンして行けば、ドライブ旅行も安くなって、それはそれでありがたいけれど、家族4人で乗っても子供にワリカンさせるわけにはいかないから、結局両親二人でワリカンになるもんなぁ。
追い抜いて行くメルセデスを目で追う妻は「あなた早く買い替えてね」とうらめしそうにグチるだろうし(笑)。

鉄分濃厚な愛息と愛娘なら、「あの長ーいやつに乗りたい」とせがまれると、「そしたら日通に頼んでキハ42に乗せたろか?」と夢をかなえてやるのは簡単だ。
暑いし寒いし窓もないけど(笑)、ひょっとして味をしめるとこわい。

豊かになったせいなのか、公共交通で旅行する家族の姿をめっきり見かけなくなったのは寂しい。
マナー教育の場としても、鉄道の旅は悪くないと思う。飛行機ほどうるさいことは言われないし。マイカーの中はわが家の延長だから、子供はどこに旅行してもわがままを通せると勘違いしてしまうのではないだろうか。

僕自身、人間が円くなったせいか(老化か)、電車でぐずる赤ん坊を懸命にあやしている親の姿は、ほほえましく見えてきた。
若気の至りでとんがっていたころは、ただうるさいなぁと思っていたものだが、人間くさい旅が旅のアクセントみたいなものだから、まぁいいではないか。どうしてもいやなら、耳栓かヘッドホンで何とかすればいいわけで。

父が北海道に里帰りするロングランの列車で、僕のおむつを窓から出して乾かしていたら車掌に叱られて・・・なんて思い出話を親から聞いたことがあるから、今こんな客がいたら問題だろうが、もし実際に見かけると笑ってしまうと思う。マナー云々は棚上げして。
そんなバタくさい鉄の旅も、案外アジアや中南米に行けば普通に残っているのではないかと思う(いや、僕の方から「こうすりゃおむつを乾かせまっせ」とよけいなアドバイスをしてしまうかも・・・)。

なぜか独り旅姿が目立つ日本の鉄ちゃんも、実は妻子持ちというおとっつぁんも多いから、だったらぜひ、妻子に鉄分を注入して、「地球環境にも健康にもいい旅を家族で」と願う今日このごろである。
さて、あと4枚、どう消化するかな・・・


スローなバール

at 2007 03/18 21:43 編集

二晩ほど徹夜して(そのかわり昼はダウンして)怒涛の7000字ほどの原稿を打ち込んで出版社へ送信。
ひと息ついたと思ったら、研究会に備えて、またまた徹夜で新書1冊を読むはめになった。こりゃマンガなんか手にとってしまうと危ないな・・・と思って何気なーく本屋に寄ったら、おぉあのコミック新刊がっ!!

ということはなかったが、スローフードの島村菜津さんの新刊『バール、コーヒー、イタリア人』が、光文社新書から出ていた。
帯のキャッチコピーが憎い。
「なぜイタリア人には、スタバもコンビニも、シャッター通りもないのか?」
なるほど!

吸い込まれるように、読み進んでしまった。
島村女史は取材も細かいし、文章は濃密なのにリズム感があるし、僕は大ファンなのだが、出世作の『スローフードな人生!』(新潮文庫)に負けない輝きと、バール文化へのオマージュにあふれている。

バリスタとバールマンの地位比べ、スタバが入り込めないイタリア人のエスプレッソ信仰、英・仏に植民地争奪戦で完敗したイタリアが、なぜ世界一コーヒーにうるさい国になったか・・・そういえばイタリアがなんとかアフリカに足を踏み入れた土地がエチオピアだったっけ・・・アラビア半島にも近いぞ・・・もしかして・・・

と、僕の頭の中で断片化している、中東とアフリカとヴェネツィア商人を結ぶトライアングルを、島村さんが軽妙な文でつないでみせてくれる。16世紀以来の歴史もサラリとなぞって、地図など1つもついていないのに、とても明解に「コーヒー世界史」がわかるのだ。

結局、「本番前の禁断の果実」は、この新書になってしまった。いかんなぁ。
でも、心憎い出会いをして、おまけに内容も二重丸だったからいいとするか。
窮すれば通ず、である。


花粉お届けか?

at 2007 03/17 16:55 編集

ピンポーン、と宅配便が届いた。旅先から送ったので、日時も品物もわかっていた。
だから驚かなかった・・・とはいえ、「杉をお持ちしました〜」とまじめに言われると戸惑う。いやホントの話。

「スキー」の「ー」がちょっと短くて汚れているだけだし、ビニール袋もかけず、でかでかとSALOMONと書いたスキーケースそのままゴロンである。
まさか、これを「スギ」と読むかい?

「あ、スキーね」と僕が確認してハンコを押そうとすると、配達のあんちゃん、まじめに伝票を見て「えっ、スキー?」と驚いていたことに、あらためて僕は驚いたぞ。こんなあんちゃん、僕は「杉」だな(笑)。いや、わたしゃーおすぎサンではないけど。

これで、すべての荷物が戻って、旅も終わった感じがする。
旅先のルームメイトつっちーは、シーズン始めに宿に板を送り、シーズン終わりまで置きっぱなしにしておられるようだが、僕は律義に一回ずつ往復させている。一度、つっちーのように「板キープ」してみるのもいいかもしれない。

僕には行きつけの酒場もないから、ボトルをキープしたことがなく、その楽しさというのはよくわからない。
ただ、スキー板にたとえて説明してくれる呑みすけがいれば(絶対いないだろうけど)、納得できる。

この山だとこの宿、というのが決まっていれば、そこに合う板をシーズン初めに預けておくのだ。ついでに、ウェアも預けておければ、その後シーズン中は手ぶらで行ける。

実際のところ、黒姫山の常宿も妙高高原のロッジも板は預かってくれるのだが、それは「これから何度も来ますよ」の意志表示でもあるから、宿にとっても悪くないシステムではないかと思うのだ、板キープは。

若いころは、信州のゲレンデはしらみつぶしに滑り尽くしてやろうとばかりにガイドブックも毎年買い替えてあちこち遠征して回っていたものだが、もう信越方面は黒姫山と斑尾と志賀高原だけでいい。白馬は八方と五竜だけでいい。北海道はニセコと富良野と手稲ぐらいでいい・・・。
この中で、いい宿をブックマークしてあるから、今さらアドベンチャーのようなツアーに金を払う気は起きない。
おもしろくないといえばいえるし、電話一本かけて電車に乗るだけだから、旅立ちのトキメキというものが皆無なのは寂しい。

そして、ロッジの牢名主のようなおとっつぁん、元おねえさんがたに溶け込んでふんぞりかえっている己の姿は、結局これ街の酒場の常連さんと変わらないではないか!
飲み屋の常連より健康的でいいとは思うけれど、あぁ、「板キープ」に手を出してしまうのも時間の問題かもしれない。まいったなー。
 


金と権力の教育

at 2007 03/16 22:16 編集

確定申告に滑り込みセーフ。
といっても、必ず還付になるので、時効の5年先までならいつ行ってもいいのだが。

今回は、生保の払い込み証明書が欠けていたので、出直し申告になってしまった。
去年までは、毎月の引き落とし通知ハガキを何枚か持って行けば、「みなし」で書類作成して受理してくれていたのに、今年の相談員は杓子定規に「正式な書類を添付しないとダメです!」と突っぱねるのだった。優秀なお役人だこと。

その代わり、この5万円の生保控除がある場合とない場合とでは還付金額が5000円違ってきます、と端末をたたいて金額をシミュレートしてくれた。妙なところだけ丁寧ですな。

またゆっくり書類をそろえて出直すと決めてあっけなく出てきたのだが、今年の税務署はずいぶん静かで閑散としていた。
神戸随一の歓楽街すぐそばだから、このあたりに「職住接近」で住んでいる人たちも経営者たちも、去年までは確定申告会場にひしめいていたものだ。バブルがはじける前は、よほどボロもうけをして浮かれていたせいか、税務署に怒号が飛び交っていた記憶がある。

それが、申告のしかたがスマートになったのか(でも飲み屋関係者がいっせいに電子申告に切り替えたとは考えにくい)、間際までずれこまず早い時期にさっさとすませているのか、僕にはよくわからない。

定率減税が薄くなる上、扶養家族持ちにとっては増税感をぬぐえない税制だろうに、もっと怒りに来てはいかがかな?と思う。
まぁ、感情的になってもしかたない。
せめてものボランティアで、僕は毎年数百名の学生諸君に勤労学生控除と還付申告について懇々とアドバイスして、国に納めすぎた涙と汗の結晶を取り戻せ!とけしかけている。一人でも数名でも、初めて税務署に行ってきたという学生から「○万円戻ってくるそうです。やったー!!」の声を聞くと、これほどうれしいことはない。

自分の税金は、毎年10万円前後必ず戻ってくるのが、もう年中行事みたいになっていて感動もヨロコビもないけれど、国を相手にやることをやって達成感を得た学生にはヨコロビを覚える。こういう少年少女こそ、立派な社会人だ。

税金だけでなく、社会保障のしくみや選挙の話をきちんと教育した方が、生きた勉強ができていいのではないかとも思う。
実際「憲法概論」の講義なんか睡眠薬にしかならないのに、「おまわりににらまれたときの助かり方」など説明すると、全員が熱心に聞いている(令状出てますか任意ですか、と言い返しただけで警官が引き下がりました、すごいですねーと話してくれた子もいた)。
クスリなんかの疑いをかけられたら、署ですっぽんぽんにされて、むかれてほじくられて徹底的に身体検査されるよ〜と脅かしてみると、けっこうリアルにびびっている(のかコーフンしているのか)野郎もいたりする。

賢い生活設計のためには、保険や投資、会社設立なんかの分野もきちんと勉強した方がいいと思う。
中には、「持ち家と賃貸のどっちが得ですか」と聞いてくる18歳もいたりして僕はずっこけそうになるが、まぁ手堅くてよろしいではないか。
僕はかろうじて二十代のうちに苦しい家計から捻出して養老保険を契約したが、18歳から養老保険を熱心にかけ続けると、30歳までに持ち家の頭金ぐらいはたまるかもしれない(料理より保険商品選びに血マナコになっている二十代カップルというのは無気味ではあるけど)。

こうしてためた虎の子の貯蓄を、バカバカしい挙式なんかで一瞬にして使ってしまうのも、いい授業料になるというもんだ。ワハハハハ
荻原博子センセイと居酒屋ゼミで保険談義でもできれば、けっこう楽しくてためになると思うのだが、これは僕の趣味がかなり入り込んでいる(苦笑)。

では、まじめに日本経済のゆくえについて、佐藤ゆかりセンセイを囲んでミッドナイト・ゼミを・・・というのも、たぶん一人で囲んでいたりするから、邪悪な腹の底がみえみえかな。


コホン金沢コホン観光

at 2007 03/15 22:17 編集

そういえば、月始めにゲホゲホと咳が出始めて、さっぱり治らない。
つっちーには「花粉症ですか?」と心配されるし、風邪のような風邪でないような、結核のような結核でないような(笑)妙な容体が続いている。熱もないし食欲もあって体も動くのに、呼吸困難だけが厄介だ。
こんなついでになんだが、鈴木ヒロミツさんのご冥福を祈りたい。

もう若くないガン年齢だけに、スキー三昧にも、余韻を残しておくのが大人じゃろーと考えて、最終日は丸一日かけて列車の旅にした(大人というより鉄ちゃんなだけか)。
去年は18切符で新潟から中央線経由で帰り、けっこう快適だったので、味をしめたのだった。

今年は、JR発足20周年記念ということで、18切符が一段と安くて5回分で8000円。ということは、1600円で神戸まで帰れる!
ただ、名古屋近郊の夕方のラッシュアワーだけがうっとうしかったので、今回は日本海側を回って、こんなプランを組んでみた。

妙高(8:54)>直江津(9:41/9:47)>富山(11:46/12:22)>金沢(13:21/16:36)>敦賀(19:09/19:51)>長浜(20:33/20:42)>三宮(22:42)

宿の仲間の関東人たちは、みなさん新幹線に乗って2時間ちょいで妙高まで来られるから(おまけにジパングだフルムーンだと特典ありありなのがうらやましい)、「へぇ、夜行で8時間もかけて来るんですか、ご苦労さんですなぁ」とねぎらわれてしまったりする。
だから、14時間かけて鈍行で帰る物好きの気持ちは、たぶん理解していただけそうにない。

もっとも、この帰り道は線路上ぶっつづけではなく途中の富山で30分のランチタイム、金沢で3時間の観光タイムをとってございます・・・とまぁなかなか自画自賛ものの、お得なプランニングなのである。

富山では、レストランで待たされるリスクがあったので、こんなときこそ駅弁のありがたさよ、富山湾弁当800円なり。富山湾の幸がちょこまか乗っていて、「海鮮おむすび4つ分」ほどの分量は、けっこう食べごたえがあった。
つい目に入ったドトール・コーヒーに誘い込まれて、「ミラノサンドCセット」など注文しそうな自分が情けないわい。

もう1時間鈍行に乗って、金沢に入る。
メインの金沢観光といっても3時間だけだから、お目当ては前から行ってみたかった21世紀美術館だけ。下調べも何もしていないので、駅の無料チラシで見当をつけて、とぼとぼ歩いて行くことにした。
とにかく金沢城跡が広大な加賀藩城下町だから、簡単な地図ではスケール感がつかみにくく、意外にあっさり、そして意外にこじんまりした美術館にたどりついた。

企画展で、初めてナマの草間彌生作品に触れることができた。部屋の6面も、そこに置かれた家具も例の水玉だらけで、ブラックライトで水玉模様だけ浮かび上がるインスタレーションには、感動のあまり笑いが漏れてしまった。ニャハハハハ・・・と。

物体の輪郭が闇に溶け込んでしまって、水玉だけが物体の存在を知らせている。我々が絵を描くとき、輪郭から描いて面に色を塗るのと逆の発想なのだ。
「ドローイングの常識」を反転させて見せてくれる草間さんはすごい。

常設展の「レアンドロのプール」も笑えた。プールサイドから、プールの底に沈んだ客のこっけいな姿を見下ろせるのだが、逆に今度はプールの底に潜って、プールサイドの客たちを仰ぎ見ることができる。
このインスタレーションは大人気で、撮影フリーというのもあって皆パチパチ記念写真を撮って楽しんでいた。僕も客に頼んでプールサイドからアホな己の姿をパチリ。

いやはや、現代美術というのは、常識をひっくりかえしてくれる社会学そのものではないか。おもしろい。来てよかった。

いい気分で、おだやかな夕日を浴びつつ犀川へ回り、河川敷を歩いて駅に戻る。
たしか五木寛之さんの小説の舞台になっていた川だった・・・と思いこんで、そのトポスに触れたいと考えたのだが、間抜けなことに正解は浅野川であった。
地図で見るとずいぶん遠いので、今回はパス。いっそ五木先生には「犀川暮色」を書いてもらうということで、わかりましたね五木先生!

またまた鈍行の旅に戻り、敦賀、近江長浜で乗り継いで、京阪神三都物語の新快速で「はるばる帰ってきたぞ感覚」に浸る。11時前に神戸着。
こうして、ほとんど疲れも残らず、けっこう得したなーと感じる1600円の旅は終わった。
さぁ、残り4枚はどう消化しようか・・・またスキーか?(ゲゲゲッ)


高地にてコーチ倒れるの巻

at 2007 03/14 11:29 編集

1日目の講習は吹雪との闘いだったのが、2日目は晴れ間ものぞいて、天気は上々。悪天候にはヘナヘナになる我々素人を尻目に、連日「○○連隊」とか「速射」と書いた迷彩服軍団がスキーをしに来ていたのは、訓練なのか骨休めなのか・・・?

僕とコードネーム坂口力と中坊以外おばちゃまズラリの軍団にレッスンをするのは、ひとクセもふたクセもある名物インストラクターだった。
毀誉褒貶も多い雪上の野武士のようなキャラクターで、リゾート気分でスキーに来て教えてもらおうとする客は、ほぼ確実に撃沈されてしまう。もう10年以上前に、大阪のOLたちを連れてこの先生のレッスンを受けてもらうと、どこでどう衝突したのか、「お前はバツだ!」って全否定されたワと憤慨していた。
そんな強烈なアクを持った野武士だからこそ、「あなた、いいね。できてるね」と評価されると自信につながるのだが。

ところが、この日の「雪上鬼瓦」は違っていた。
口数も少ないし、斜面で受講生を並べて説明しているとき、前のめりになったかと思うと、そのまま倒れ込んでしまった。
おばちゃまたちは、「アラアラ、大丈夫?」「休んだ方がいいわよ」「スタッフを呼びましょうか」と気を遣って、様子をうかがっている。どうも、風邪で休んでいたのを無理に出勤して、薬の副作用で強度の目眩がしたようだ。標高も高いしね。

「電話しなくていいから」とプロの誇りを見せる野武士は、しかし立ち上がれない状態だったから、皆スキーの腕前は2級以上のレディース軍団、自然に役割分担ができて、下界へ滑り落ちて行った。雪の上にへたりこんだインストラクターのそばには僕と坂口厚労大臣が残り、30分後に登ってきたスタッフに引き継いで、これで午前の講習は中断ということになった。

午後はちゃんとピンチヒッターが入って講習は終わり、宿に戻ると、ちょうど病院で点滴を打って来たという野武士と鉢合わせ(インストラクターやゲレンデ・スタッフが何かと行き交い集結する宿なのだ)。ケロリとした様子に、ひと安心した。

夕食後には、野武士の謝罪(?)記者会見が開かれた。
といっても、まぁ我々は全員が常連のおばちゃん軍団(すっかり僕もおばちゃん化している)だから、なごやかに今どきスキー事情、今どきスキー場経営事情の四方山話になった。

インストラクターの故障は、かえってケガの功名で、いろいろ楽屋裏話も聞けて、常連さんたちの交流も深まり、悪くなかったと思う。
金を払って宿泊と講習のサービスを受ける「プロと顧客の関係」というより、この山とスキーを愛するファンのコミュニティのような気がする。予約もプラン変更も自由気ままにできてしまうのは、気まぐれ独り旅には特にありがたい。

もちろん、カチッと「旅行サービス消費者」の意識を持てば、オプションが欠けてるぞパンフレットと違うぞ料金が変だぞとクレームもつけられるかもしれないが、こっちから踏み込んで、この宿をフル活用してやろうと思えば、融通のきく便利なロッジではある。確実に、スキーの腕前は叩き上げてくれるし。

夜中までインストラクターをつかまえて用具の説明をせびっては談笑しているおばちゃまたちの歓声を聞きながら、つっちーと僕はテレビも見ずに寝床についたのであった。
お互い、「上達しかけたと思ったら、帰る予定日なんですよねー」と深く納得しながら。


妙に高いテンション

at 2007 03/13 22:48 編集

朝早くに銀世界の妙高高原駅に着いて、さっそく宿に電話。
「今夜、泊まれますか?」「大丈夫ですよ」ほっとひと安心。
「いつごろ御到着ですか?」「いま駅ですけん、20分後」
「えっ・・・」と絶句するような間が伝わってくる。
ま、いいでしょう。出たとこ勝負の宿探しも。

今夜からの宿泊と夕食だが、「腹減った朝飯ほしい」とリクエストすると、すぐ出してくれた。融通がききすぎるこのロッジは、まるで星飛雄馬の暴投をしっかり受け止める番宙太みたいな存在だ(古いたとえ!)。

部屋に通されると、先客は武蔵野から一人で来ている「コードネーム坂口力」さん72歳。
自己紹介しあって、僕の親ほどの年長ながら、すぐ同好の士だとわかって打ち解ける。
そもそも、こういう宿に喜んで泊まるようなシルバー・スキーヤーは、それだけで趣味が似ているわけで、天下りしてゼニと肩書きの亡者になっている爺様もいないし、酒と煙草に浸って三大死因の見本になっているような人もいない(この宿で出会った中高年に喫煙者は一人もいないのだった)。

コードネーム元厚労大臣さんも、悠々自適の今は、登山とスキーに夢中なのだそうな。穂高や八ヶ岳など、山の思い出話に花が咲く。
彼とはスキー・スクールでも、彼と同じクラスになった。
宿と受講料で9800円になるところを、2泊になると15000円と割安、3泊でも15000円とわけのわからん激安になる(なんちゅう料金設定や)。あいにく仕事の都合で2泊だけ申し込んで、結果10名の和気あいあいとした顔ぶれでレッスンを受けることになった。

雪は寒波再来で雪がしんしんと降り続き、ふかふかの新雪。
滑ると、音もなく、ひっかかりもなく、空中を浮かんでいるようなシルキーな感触に感動する。この天使のビロードのような触感は、初めてかもしれない。これだけでも、来てよかった。

クラスメイトは、坂口力さんのほか、僕の母親がズラリ並んでいるような顔ぶれだった(一人、中学生の孫息子クン同伴)。ウェアを着ると元お姉さまがたはあと 20年は現役よ!のお姉さまと化して、元気でかしましく、天気がどうの、ゲレンデ整備がどうのとグチりながらも、ガンガン滑るのなんの。

これが本物の女子大生さま、OLさまだと、「私にかまうな」バリアを張り巡らせているものだが、あけすけな元お姉さんパワーは、後で大きなパワーを発揮する。

ゲレンデ上で、今回の旅を相談しあった、コードネームつっちー大兄と合流して、再会を喜びあう。そういえば、坂口力さんもつっちーも中学生も、僕以外の男性兵士は皆ヘルメット着用で、本格的な装備に感心させられる。見習わなくては・・・。

去年は、女子高生と僕と僕の親世代の3世代が、机ならぬスキーを並べてスキーを習っていたが、今年も中学生と僕と親世代のサザエさん一家ふうスキースクールになった。
こんなところも、この宿、このゲレンデのふところみたいなものだなーと感心する。

先週の真夏のような太陽は姿を魅せず、冬に戻されたようなふかふかの新雪の上を、老若男女が歓声をあげながらのたうちまわり、楽しい冬の一日が過ぎていった。月曜日というのも、無性に愉快であるね。
夕食後、7時半にバタン。あー健康的すぎる!


鯉の逃避行

at 2007 03/12 23:34 編集

やはり、誘惑には負けてしまった。
徹夜で文書を30KB打ち込んで、「とりあえず一部完成」と編集者に送り、これを免罪符に、無謀な逃避行へ!

そんなことしてて、大丈夫か!?と天の声がこだましつつ、宿も予約せず(ただ、つながらなかっただけだが)、いつもは宅急便で送る荷物もかついで、旅立ったのであった。
そして北国行きの夜汽車へ・・・ク〜〜〜〜ッ!!演歌ですなぁ(笑)。
見送る妻子がいるわけでなし、出迎えてくれる現地妻がいるわけでもなし、私を連れてってくれないの?とせびる「OLひとみ」がいるわけでもなし、ちょっと舞台設定がチープなのは残念。

逃避行の車内は、日曜の夜だからすいているだろうと思いきや、大阪で用事をすませたと思しき北陸人で、自由席は満席になってしまった。
夏のような陽気で汗だくになった先週とはうってかわって、米原からもう、雪が降っている。ムード満点。

敦賀、福井、小松・・・と乗客がどんどん減って行って、あいかわらず営業収支が思いやられそうな(笑)スカスカ状態になる。
でも、予約もいらず、毎日毎晩律義に北国へ運行してくれている夜行列車というのは、本当にありがたいインフラやなーと思う。

闇の中でも雪景色でボーッと白い街の眺めを車窓から楽しみながら、鯉の逃避行のムードはありがたくも勝手に高まって行く。
宿、あるかな〜?と基本中の基本的な不安も手伝って、スリルとサスペンスはどう展開して行くか、続きは明日。


上祐へのエール

at 2007 03/11 20:54 編集

上祐が独立宣言をしていた。
未だに、アーレフが定着せずオウムと呼ばれるあの教団が今どうなっているのか、どこに行こうとしているのか、部外者にはよくわからない。上祐は「宗教研究会のような組織にしたい」と語っているそうだが、機関誌でも購読してみようか(笑)。

しかし、統一教会やオウムを邪悪とラベリングする一方で、テレビで人を罵り「地獄に落ちるわよ」と恫喝し、批判すると闇社会から刺客がやってくる自称占い師を、売れっ子に仕立て上げている商業メディアは、宗教よりタチが悪い。
「エハラさん、体型が麻原尊師に似てきたのは、パーコー麺の食べすぎ?」と突っ込めるのは、ベンジャミン・フルフォードさんしかいないのかもしれない。

かつて「殺人者集団」とまで言われたオウムが息の根をとめられず生き永らえているということは、たたきつぶせない何かがあって、それがもしかすると宗教の本質かもしれないとも思う。
その昔マルクスだったかレーニンだったか、宗教は麻薬だと言いのけたが、宗教はウィルスなのだ。

それに、宗教と政治は同じだと思う僕は、上祐会見を見ていても失笑を禁じえなかった。新しい体制だの、制度だの、派閥だの、まるで政党と同じことをやっているではないか。
だから、あそこにも左派と右派と中道があって、中道の代表は東大物理学科まで行っていながら、「車両省」のトップだったという。おいおい、鉄ちゃんか、カーマニアか?ワハハハハハハハ

ぜひ上祐さんには、「新体制」下で憲法を制定して、立憲君主制か専制君主制を敷いて、トップに鎮座していただきたいものだ。「喜ばせ組」でも組織すれば、引退した上祐ギャル(今おばさん)が身を挺して参集することであろう。すると、またマインドコントールだ、ディプログラミングだと騒ぎが大きくなって、脳なんちゃら学者が出てくる。クオリア降臨!とか言って(笑)。
なんだか、マッチポンプですなぁ。

宗教を叩けるのは、法でも武力でも世論でもなく、やはり宗教でしかないような気もするから、マッチとポンプの両方をオウムにも太木数子にも持たせて、相打ちしてもらえばどうかと思ったりもする。
こんなことをけしかけていると、仏難やら霊障やらカルマやら、いっぺんに背負わされそうな気もする。いやはや、ごっつぁんなことで・・・。


去ってくれない一難あさってまた一難

at 2007 03/10 23:46 編集

袋小路の絶望感とピンチを脱出できたときの快感が、病みつきになってしまった。まるで悪魔の心境に、いま囚われの身になっている。
この土壇場のパワーをふだんから発揮できれば苦労はないのだが、ふだん出ないのが困ったところ。まるで、怠慢がチャージされて、いざというときパワーが炸裂するような気もする。
なかなか、ほしいときに出ないものだ。

連日連夜の年度末の仕事がやっと終わったと思ったら、あと6日で2万5千字分ほど原稿を書く仕事がポツンと残ってしまったのだ。
しかも、手つかず。
出版社からは「できてますか〜?」と問い合わせが来る。焦る。自業自得っちゃー自業自得だが、焦る。

それなら、春休み返上で突貫工事で行くしかないのに、新雪の便りに心が躍る(苦笑)。
あいまいな返事をしていたばっかりに、スキー仲間のおとっつぁんからは「宿とりました。再会を楽しみにしています」とメール。
あぁ、突貫工事を放り出して旅行なんかしている場合ではないのに、放り出してしまいそうで、しまいそうで、我が身がこわい!
行くとするか?

いつも夜更かしには慣れているので、徹夜でがんばろうかと思っていたら、そんな決意の夜に限って10時には眠くなる。どうしようもない。
蓄積パワーが変なところで屹立して、愛の流刑地へ、鯉の逃避行〜!!ということにはならないだろうか。ええぃ、もう地位も名誉も財産も捨てて、二人の黄泉の国へ・・・といっても、「おまえにゃ地位も名誉も財産もないがな」と閻魔様に追い返されそうだから、ますます行き場がない。


落とし物リターンズ

at 2007 03/09 15:47 編集

旅支度をやっと解いて、バッグをすみずみまでほじくってみても、腕時計が見つからない。
ふだん携帯は携帯しないわ、腕時計は腕にはめないわ、そんな癖が悪いとわかってはおるんです!すんませんな!だから許していただきたい・・・まさか、ゲレンデで落としたのかも?
と思って黒姫山に電話してみると、受付の代表番号の電話口で、「あぁ、聞いたことあるような・・・」とゴソゴソしていただいてるなぁと思ったら(笑)、一発で見つかった。

特徴を知らせると照合できて、送ってもらう段取りがついた。驚くべき「クイック・ソリューション」である。
届けてくれた方に、ただただ感謝するばかりだ。

実は土曜日の妙高でも、デジカメを落としたら、その日のうちに事務所に届いていた。
今まで、サングラスやハンカチを落としたことはあっても、貴重品の落とし物は初めて。しかも連日だった。
なのに、ちゃんと届いて本人の身元確認云々もなく、すなおに戻ってきたのは驚異的だ。

登山客同士があいさつを交わしたり助け合ったりする巨大コミュニティになっているのは感じていても、ゲレンデや海水浴場は普通の街の延長だろなーと思っていたから、落とし物が届いているかどうか、問い合わせるまで半信半疑だった。

年々、ゲレンデのお客さんは減っているようだし、とりわけ暖冬の今年は寂しいから、それでも行くような人は本当に雪が、山が好きな人なのだろう。
そのおかげで、マイノリティ同士の仲間意識が萌えてきているとしたら、それはそれで悪くないと思う。もしかすると、喫煙コーナーに閉じ込められている愛煙家みたいな気分かな?

ゲレンデやふもとの宿の経営が苦しくなって行くのはお気の毒ではあるけれど、猫も杓子もキャピキャピ(死語)してリゾート地で欲情していた「あの時代」は、もういらない。
ゲレンデは、愛の流刑地になればよろしいのだ。


石川鉄右衛門よ!

at 2007 03/08 17:02 編集

マンホールや半鐘や側溝のフタまで持って行かれる、せちがらい世の中やなぁ・・・と思いつつも、金属盗のおかげでちょっとしたメリットも見えてくる。

というのも、被害金額が報道されるたびに、
「へぇー、公園の車止めの柱は10万円もするのか。そんなに金属の値段が上がっているのか」
とは思えず、むしろ「あんな金属棒に10万円もかけているお役所はアホちゃうか?税金返せ」と言いたくなるのだ。

滑り台に至っては、60万だ80万だと聞こえてくると、「なんじゃそりゃ、あんなもんが軽自動車なみかよ」と、これまた驚いてしまう。
報道は、役所と随意契約している製造元を取材して、原価がいくらで、それが「設置費用」となるといくらにはね上がるのか、明朗会計をどーんと公表してこそなんぼ、だろう。

でないと、深く考えない盗っ人が、えっ、あんな棒や手すりがそんなに高く「売れる」のか!?と思い込んで、模倣犯が全国に増殖するぞ。田舎の道路のガードレールなんか、夜中にやれば盗み放題だろうしね。
「設置工事と維持費用で役所はこんなに高額払っているけど、金属として売ると、たったのキロいくら」という現実を、しっかり報道してほしい。

どうせ盗むなら・・・といえば犯罪教唆になりかねないが、放置自転車なんかは盗み放題かもしれないし、駅前がきれいになって感謝されたりするかもしれない。
それなら、チャリよりクルマでしょう!と違法駐車がどんどん持って行かれるようになると、盗まれたクルマと盗まれたくないクルマの両方が減って効果抜群ではないかと思う。

こんなふうに、世の中にアッパレと思われる余地もあるメタル窃盗団であってほしいわね。
究極の金属製品は、戦闘機、戦車、軍艦だろうから、このあたりの高難度なメタルに、ぜひ大勝負をしかけてみてほしい。
不謹慎かもしれないが・・・


肩書きジャンケン

at 2007 03/07 16:54 編集

別に人里離れた世界でマタギのような生活をしていたわけではないが、土日はテレビ、ネット、コンビニとは無縁だったおかげで、世の中の動きに2日間だけ取り残された感じ。時代の最先端を疾走する(!?)トレンディ男としては、焦るね。

そもそも、旅の連れはだれもテレビを見たがらない自然児ばかりだから、僕が「ちょっと、ブロードキャスターだけ見てぇ」とチャンネルをおねだりしたほど。これも、睡魔で意識もうろうとしていたから、中身はほとんどわからなかった。

おかげで、だれが離婚しただの、くっついただの、芸能界ニュースにはなかなかついて行けない。
僕がついて行かなくても、わけのわからん肩書きの相手と結婚する有名人は大変ね・・・と、良識ある一般庶民は直感していたのではないだろうか。

何をやりたいのかわからない人の肩書きはわかりにくいし、それは本人もわかってなかったりして、まずますわからない。たとえば、脳機能学者なるものが心理学者とどう違うのか、僕は未だによくわからない。

コンサルタント、カウンセラー、プロデューサー、コーディネーターなんてのも、名乗ったもの勝ちの世界だったりする。
特に芸能界は、海千山千の肩書の宝庫でもあって、宇多田ヒカルの亭主だった「映像クリエイター」って、何ですねん?
一眼レフを構える「創作風景」を公開してましたが、「カメラマン」とはちゃいまんの?
と、素朴な疑問が解けないまま、結婚と離婚のマッチポンプ劇場が終わってしまった。

そういえば、今までも似たケースはあったぞ。
菅野美穂の彼氏は、ハワイの寿司職人とやらだった。実は「寿司屋見習い」だったようだが。
それなら、店舗経営と味の追究を両立させている、ごく普通の「寿司屋の親父」の方が偉いと僕は思う。

大塚寧々の前の旦那は、「三代目なんちゃらかんちゃら」だったが、彼は三代目の店を継いだのだろうか。
ありがたい言葉を書きなぐった掛け軸やら色紙やら売ってたような記憶があるけど。

とまぁ、雲をつかませるような肩書きは紛らわしくていけないのに、その時代の最先端にいる女優や女性アーチストは、なぜだか「本業不詳男」にひかれるクセがあるようだ。
なぜだろう?

ギター侍という、これまた弾き語りとどう違うのかわからん肩書きにならって、「スキー侍」とでも名乗ってみると、少しは一目おかれるだろうか。「スキー教教祖」の肩書きが、もうカビくさくなっているからね。
アンジェラ・アキに「入門」されたら、わたしゃもう、「アンジェラ・アキのアンタ」かいい!


初滑り2日目

at 2007 03/06 23:47 編集

冷酷非
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2007年2月の日記
もう、ワシやだ

at 2007 02/28 23:29 編集

生きている屍を見た、と言っては失礼かもしれない「おふくろさん」の川内さん。
でも、もう終わっているように見えるのだ。

もう、やだ。
歌わせない。

どうも、法律もファンの存在も眼中にないようだ。「わしの考える仁義」の世界を檻で囲って、耳を剛毛でフタして、聞く耳をもたない。森進一への怨念を、冥土への土産にするのだろうか。

たしかに、元はといえば、森進一が悪い。
川内さんの言い分は、ごもっともではある。
が、いい大人を通り越した大御所の態度としては、ちょいとまずいんではないかい?と思う。

あれほどの年齢になると、何か言って聞かせる人はいない。
僕ぐらいの若輩者でも、若輩とはいえ、説教してくれる人、ガミガミ言う人は減ってくる。それは決して人間ができ仕事ができているからでもなく、ミスをすればもう治らないと思われて、プチンと切られるだけだから。
ましてや、人生の完成期のご老人にガミガミ言う人などいない。

だから、もう、川内さんはあのままだろう。
森進一としては、謝罪はしながら、作詞通りの歌を歌うしかない。変なイントロをつけたCDは回収して絶版にするぐらいの誠意は見せてほしい。

まぁ、あんまりあれこれ策を弄するとヤブヘビだから、無駄な手間をかける必要もないんちゃいますか〜と、森さんには声をかけたい。
それにしても、「昌子の陰謀」を感じるのだが(笑)、こんな邪推もまたヤブヘビかな?


円楽さんは終わっても・・・

at 2007 02/27 23:36 編集

円楽さんが高座で「もう、だめですよね」と引退宣言をしていた。
いや、正確には、つかえつかえ・しどろもどろをさらしながら、やっと高座を終えて、舞台の上で正座から立てずに這い回っていた。その姿はもう、だれの目にも「死に体」だったのではないだろうか。
なぜ、だれかタオルを投げてやらなかったのか。

落語のファンとしては、咄家がゆっくり崩れ落ちる現場を凝視させられたような感じだったかもしれない。
そして、僕をはじめ円楽さんファンとしては、ぜひ復活を見守りたいと思ってはいても、残酷な光景だっただろう。

そんなファンの気持ちを代弁してか、歌丸さんは「まだ引退させない。説得してやらせる」と会見していた。
けれど、円落さん自身が「こんな姿、こんな口調を、木戸銭を取って、お客さんに見せられませんよ」というからには、舞台に引きずり出すこともないと思う。

そして楽屋に戻って、しみじみと引退宣言をしていた円落さんの手には、タバコ!
腎臓透析に加えて、脳梗塞の後遺症でろれつが回らない身の上に、「それでもタバコ」は、ほとんど自殺同然ではないのかな。よけいなおせっかいながら。

芸人の引き際というのは、難しいものだと思う。
光り終えたスターというのは、いぶし銀になれるのか・・・?

それこそ病床の虫の息で、話芸やスピーチをして傾聴してもらえるのは、恩師が弟子に、宗教家が信徒に、親が子にかみしめながら語る言の葉だけで、テレビにはなじまないと思う。それがまるで公開自殺を見ているような気もする僕は、冷淡なのか?

だからミスター長嶋も、あんまり野球の現場に引きずり出さない方がいいのではないかと思うし、山城新伍さんも恍惚状態だとうわさされている。たしかに、画面で最後に見た山城さんの表情は硬直して、なにかこう、「止まって」いた。

リハビリで余生をまっとうするのは立派だし、本人が出たいと思う場には出てもらって、自分の納得できる花道を飾ってもらうのはいい。
ただ、ファンとしてはうれしさ半分、つらさ半分の複雑な気持ちではある。

MBSの角淳一も、何十回とかみながら、ローカルワイドに出て司会をやっている。そこらへんの62歳のおっちゃんならいいとしても、元アナウンサーの栄光の時期を知る視聴者としては、ハラハラし通しだ。
何度も何度もとちりながら、番組の流れを淀ませ話の焦点をぼやかし、あげく笑いでごまかしているのを見ると、痛々しい。出る方も出る方、出す方も出す方ではないかい?
と思うのは、老人への差別になるのだろうか。
「あえて見ない」のも、優しさではないかと思うのだが。


予約までが重い腰

at 2007 02/26 07:40 編集

常宿、といっても2〜3年ぶりになる黒姫山麓の民宿に、無沙汰をわびる気持ちをこめて予約の電話を入れた。
いつもは、氷雪ラリードライバーのようなたくましい運転をされるチャーミングなおかみさんか、原田知世のようなお嬢さんがキビキビと接客や電話番をされているのだが、珍しく・・・というか初めて御主人が出られた。

年賀状のやりとりだけになっていて、不義理で申し訳ないなーと思いつつ「神戸の大沢ですけど」と告げると、「あぁ・・・」と思い出されたような、懐しげな声が返ってくる。まるで「親父の海」の村木憲吉のような、やさしいトーンである。

久々に遠路はるばる行く宿なのに、日本の原風景に帰って行くような感触がうれしい。
この宿が、i-mode予約システムなんか導入されたらどうしよう・・・と思うほどだ(勝手なもんだが)。

ともあれ、無事に男女ちゃんぽんのタコ部屋が取れた。クリスマスイブでも全20室中、18室は空いているような秘境宿だから(笑)、たぶん雪道不足の今シーズンは余裕で空いていることだろう。
それでも、しかも人妻をまじえてでも「相部屋でGo!」は、計画的確信犯的セクハラであろうね。ガハハハハ・・・まぁ、ええわ。

あと、太平洋ベルト地帯の紳士諸兄とも、平日の雪遊びをメールで相談している。
「コードネーム吉永小百合」さんは今回欠席で、八甲田を滑ってきたというエンジニア氏、放送大学でコツコツ勉強しておられる「コードネーム日ハム監督」らと、現地集合することになりそうだ。

黒姫は三十路ばかり、その翌週は僕からみて「親世代」ばかりの面々である。
おーい、日本の四十代、どうなってまんねん!

まぁ、来年あたりから団塊世代がどっと山にやってくるのかもしれないから、足腰を鍛えて迎え撃つとしよう。兄貴分、姉貴分に「弟子入り」されたり、かわいがられたり、ときには説教され(るふりを演じ)ながら、元気な四十代としてがんばりたいものだ。
黒木瞳世代をうるうるさせられるか、どうか・・・お目当ては、そこだけである。


越境を楽しむ

at 2007 02/25 21:13 編集

ふつう新書は書店に並ぶのが遅れ気味だから、発売日すこし前に出ていると、かなり得した気分になる。実際には何の得もないことは百も承知なのに。

池内紀さんの『異国を楽しむ』(中公新書)は、高尚に観光を論じる教養書でもないし、具体的な紀行エッセイでもないし、旅馴れた文学者がちょっと耳打ちしてくれる)tipsはあってもマニュアル本でもない、不思議なタッチのペーパーバックだ。

なにより、中公新書という容れ物が意外だ。
そもそも「岩波!」のイメージが定着していた新書で紀行や随筆というのもミスマッチ感があるから、売るのは大変だろうと思う。以前の装丁の講談社現代新書だと、硬軟どっち向きにも収まりがよかったけど(嵐山光三郎の『日本全国ローカル線おいしい旅』なんてのも)。

ただ、中公新書では、今をときめく陣内君・・・ではない建築家陣内教授の『地中海都市周遊』なんかは、ベストセラーにならないのが不思議なほど、濃密で鮮やかな建築紀行だったりする。さすが中公新書やなぁと圧倒される、歴史絵巻のような構成だ。
大胆にカラー写真満載というのも斬新だし、こういう新書の方向もあっていいよな、と賛同する人も多いであろう名著だと思う。

たしかに、思想的に偏らず、俗に媚びず、深い教養の森を垣間見せてくれる池内センセイの文体は、絵も写真もない紀行書で自由に飛躍し、肩の力を抜いて、FMでおなじみのほっこりした口調が行間から聞こえてきそうな感じさえする。
この中公新書に、すでに3冊上梓されているのも意外だった。

その気安さからか、オペラ座で女性の胸の谷間に顔をほころばせている池内センセイがいて、動物園でボーーッとしている池内センセイがいて、イタリアを鈍行で旅する鉄ちゃん池内センセイがいる。

けっこう安宿や安食堂、街角のバールでなごんでいる池内センセイの姿は、質素でも楽しそうだ。
もちろん、外国語ペラペラの武器があってこその余裕だろうけど、「英会話なんかいらないドタバタツアー」ではなく、ちゃんと土地の人と普段着で接する泥くささが旅の醍醐味ですよ、と無言で諭されているような気もする。
その通りですよねぇ・・・。


ビルダー知事

at 2007 02/24 23:45 編集

真面目なのか冗談なのか、義侠心からなのかわからん、黒川紀章さんの都知事選出馬は、どの政党も戸惑っているらしい。
ひょっとすると、「赤い都政」が誕生するかもしれないのに、共産党も推薦しないのだろうか。

僕の世代なら、彼の師匠の丹下健三はよく知らなくても、建築家としての黒川さんは天才と認めているはずだ。
まぁ、僕は文系だから「ホモ・モーベンスの思想」の未来性に惹かれたぐらいだが、今のモバイル社会、労働力流動、ボーダーレス社会を予見していたような、「ソーシャル・デザイナー」やなぁと感服するばかりだ。

黒川さんの行政手腕については、だれも認めていないだろうが、こんなグランド・デザインのできる首長がトップにいて、現場を動かせるのもいいと思う。

となると、かつての「青島にノック」の再来を期待する関西人いちびり癖で、大阪府知事には安藤忠雄でしょう!!との声は、当然あがってくるはずだ。かなり、得票できると思うぞ。
元ボクサーの経歴を売りにして「裏金役人にパンチ!」とキャンペーンそいてもらうと効果抜群。
大阪がだめでも、ご自身の作品も多い神戸で市長か兵庫県知事をしてもらってもいい。

医師の政治手腕は、大阪市長を見ても坂口前厚労大臣を見ても頼りないから、僕は建築家に期待したい。
ただ、建築家といえばハコモノが作品ゆえ、公共工事の費用が膨らむ・・・?と心配される恐れはある。
そこは前向きに受けとめるしかない。豪華絢爛だがじわじわ傾いて行く公務員住宅を「ピサのシャトー」と名づけて建設し、不祥事を起こした税金泥棒はそこに住まわせればいい。

安藤忠雄さんには、大地にめりこんだような幼稚園、保育園がめりこんだ子供園、墓地にめりこんだ特養などをどんどん建設してもらって、全国から「ここで育児したい」「ここで死にたい」を思う人が集まればいいと思う。
建築には、そんな力がある。
知事公舎か、せめて私邸が、黒川パワー・スポット、安藤パワー・スポットになればおもしろい。

風水師だセラピストだと魑魅魍魎が群がる「ミステリー都道府県」ができればいいのだ。
どうせ清く正しく透明な地方自治など無理なんだから、怪しく楽しめるお役所仕事をみせてほしい。


関西納豆まもなく発売

at 2007 02/23 22:58 編集

しばらく、毎夜定時の「準夜勤」が続く。
ちょうど夕食時だから、ついつい夕食が後回しになって深夜近くになるのは、まずいなーと思う。
毎日規則正しく空腹になるので、ランチタイム、サパータイムを逃すと腹がグーグー鳴って困る。昨夜もそうだった。

いくら夜更かしをしても、また徹夜をしても、決まった時間に食欲が湧いてくるのは、別に親にしつけられた記憶もないから、自然の摂理というものだろうか。
体が呼ぶ声に自然に応える食生活というのは、大事だと思う。
「あるある大事典」にかぶれたわけではないし、そもそも見たことがない番組だったが、納豆をコンスタントに食べていると、腸の調子もいい。バカ素直な体なのだ。

で、「納豆その後」である。
きのう、元NHK元フジのキャスター宮川俊二さんが大阪ローカルの夕方ワイドに出ていて、なりゆき上「60年間食べたことがないんですよ」という納豆を食べさせられていた。
60年間といえば、よほど固い決意で拒んできたことだろうと思う。あぁ、お気の毒に。

それを、「納豆嫌いの関西人向けに開発されたんです(宮川さんは愛媛出身)」「匂わないから」「あっさりしているから」と能書きをつけられて、おそるおそる口にしていた。
食べてすぐ「おぉっ!うまいよ、これ」と絶賛していたのは、本心なのか、演技なのか・・・?
今後どうなっても知らんからね(笑)。

出演者ずらり並んでいっせいに納豆を食べて絶賛するコーナーで、「いや、僕は食べません」と我を貫くのは、さすがに難しいものかもしれない。
関西ローカル番組は、スポンサーの商品を平気で「イマイチやな」とけなす一方で、やたらに同調を迫るところがある。近畿2府4県民は皆タイガース・ファンですよね、いうまでもなく・・・という具合に。

ふな寿司や奈良漬けになじんだ土地なのに納豆星人が少ないのは不思議な気もするけれど、「かつおだし風味の薄口醤油だれ納豆」は、関西に定着するのだろうか。
ソースをかければ、「いけるやん」と喜ぶ特殊味覚の種族もいそうな気もするが・・・。


赤ちゃんポストの前に

at 2007 02/22 23:13 編集

熊本の病院に、こんなファンタスティックなポストができているなんて!
と驚いてしまった、捨て子あずかり窓口。
賛否両論あるのは当然だろう。

このポストが生むモラル・ハザードより、子供の命を救えるメリットの方が大きい、ということなら悪くないのかも?と思う反面、どうも違和感は残る。親の責任があいまいになるリスクは、どんな親を増やすことになるのだろう(もちろん、保護責任者遺棄の刑事責任も)。

献血や臓器提供は、基本的に個人の責任において自由だと思うけれど、子供は親が自由に放棄していいのだろうか・・・でも、捨てたい親に育てられるより、育てたい人に育てられる方が、子供の「幸せ」云々の前にまず「安全」なのかもしれんなぁ・・・と、考えるほどいろいろな面が見えてくる。
このポストの功罪は、長い目で検証して行くしかない。

それに、いきなり「赤ちゃん」というナイーブな存在を扱う前に、モデル・ケースを試してみればどうじゃろ?と思う。
たとえば、「だんなポスト」「奥さんポスト」である(ハローワークのプライベート版だな)。
この方が、意見百出、熱く闘えるにちがいない

夫、妻というのは、ある一人と向かい合っての立場だから、「亭主元気で留守がいい」妻の夫が、病弱で在宅していたりすると「ストレス二倍」なだけ。
相性が悪くて腐っているなら、どんどんシャッフルしましょう!という世の中になれば、おもしろいのではないだろうか。
配偶者にダメ出しされたところも、別の人にとっては長所に見えることもあるかもしれないからね。捨てる神があれば拾う神もいるわけだから、これも「再チャレンジ政策」になりませんかねぇ、安倍総理!

「妻を働かせる夫と、働きたくない妻」なんかは、それぞれ、働きたい彼女と、妻を養いたい男と出会ってくっつくのが、人類繁栄・世界平和・安寧秩序・明朗会計というもんである。まぁ、そんなに簡単に行かないものだろうが。

赤ちゃんは、どんな素質を持っているかいないか未知数なのと同じで、大人のパートナーだって、どう変身するか、化けの皮の下がどうなっているか(笑)も未知数なのだ。
だから、「しまった!」と気づけばリサイクルポスト。
環境保護のように、リユース、リサイクルの前に「リデュース」となると、ブライダル商売そのものが不景気になるから、軽はずみな結婚と正しい離婚、懲りない再婚(笑)がどんどん増えれば、GDPも上昇するってものだ。

でも、「つれあいポスト」に10年も20年も居残っている人も出てきそうで、この中も格差社会になって行くのは避けられそうにない。
年季の入ったお局さまというのも見てみたいが、この先輩格のお局さまというのは、威張っているものだろうか、うなだれているものだろうか。
大地真央なら、僕は入札するかもかもかもしれないが、捨てられたのは「サンバな夫」の方だからね・・・


おかんむりさんよ

at 2007 02/21 23:29 編集

「おふくろさん」の歌詞に、老作詞家が吠えた。
勝手に変なイントロをくっつけるな!今後いっさい森にはワシの歌を歌わせん!と息巻いて、おかんむりである。

著作者は著作物を改変させない権利があるから、「前半」の主張はごもっとも。もし森進一が「わかりました。元通り歌います」といえば、これは真っ当な著作物利用契約の遵守だから、そこまで感情的に禁止することはできないそうだ。
なるほどね・・・財産法は常識的にできているんですなーと勉強になった。

しかし、常識ばかり通るとは限らない芸能界は、パクリやねじ曲げだらけなのが現実だ。お互い、黙認して、見て見ぬふりして、それで蓄積された貸し借りのカードは、ばかにならない量にちがいない。
そこへ、何かのきっかけで「あいつを消せ」「あいつとあいつを闘わせてみよう」という空気ができあがったら、カードが駆使されて訴訟合戦になったりする。

森進一に吠えた川内さんについては、なぜ今になって・・・?と素朴な疑問も覚える関係者もいるようだ。
これも、勘ぐれば、森夫婦の離婚や森昌子復活が地味なニュースにしかならなかったから、もっとおもしろく「前途多難」を焚きつけようとするフィクサーが、作詞家に耳打ちしたのではないだろうか。「そろそろ、訴訟を視野に入れて、声を出しませんか?」と。

「森おろし森あげ」をもくろむ闇の力!と考えると、まるで芸能界と政界は重なって見えてくる。人気商売という点でも似ているし。

民主党つぶしのフィクサーが永田メール問題を仕掛けたとすると、安倍首相おろしのフィクサーは、何を出してくるのだろうか。
安倍学級崩壊状態ともいわれているから、いじめ自殺で引責辞任・・・というシナリオもあるかもしれない。5つも6つも大臣名を背負わされて発熱していた女性閣僚も、ありゃーいじめではないかい?と思ったものだが、ただ、あの姉御は殺されても死なないタイプだから、いじめ甲斐はないだろう。
(ヒツレイ!)



丸山健二も怒る安曇野

at 2007 02/20 06:57 編集

居眠り衝突事故を起こしたスキーバスの運行実態には、あっけにとられてしまった。
「三ちゃん農業」というのは聞いたことがあるが、観光バス事業にもあるとはね・・・。社長が39歳のパパ、運転手が21歳の長男、交替運転手はママ、添乗員は16歳の三男・・・とまぁ、絵に描いたようなファミリー・ビジネスだ。もろに「家族的な職場」だったことだろう。

社屋の玄関前に物干し台があったりする眺めも、何もなければのどかな「自営業者宅」にしか見えなかった。
そんな仕事熱心な家族が総出で、「自転車操業のようなバス操業」をしていたようで、シャレにもならない。

従業員とはいえ、末っ子が兄貴の運転で命を落としているわけだから、刑事責任を追及するのもかわいそうな気もするものの、それでも罪は罪ということか。犠牲になった末っ子添乗員のご冥福を祈るばかりだ。

途中で「あんた、しっかりやんな」と長男一人に残の運転を任せて下車してしまった母親は、悔やんでも悔やみきれないだろう。
我が子の喪に服する間もなく、運転を交替しないで下車してしまった交替運転手は、やはり直接の責任を免れないとは思う。

かろうじて、客の命が奪われる前に司直のメスが入ったのは、せめてもの救いなのか・・・それでも、背骨を骨折したという乗客がもし半身不随にでもなっていれば、おそらく廃業せざるをえない「家族バス会社」は責任をとれるのだろうか。

規制緩和政策の鬼子のような、コンプライアンスもガバナンスもゆるゆるの会社が旅客の命を運ぶ事業にポッと参入できるのも、実におっかない話で、行政の責任も半分ぐらいはありそうに見える。大型二種免許も、路線免許も、こんなに簡単に取れるものだったのだろうか?

労基署は、スキーバス事業がメインの家族企業だと把握していて、前にもイエローカードを出してマークしていたらしい。
それが、なぜ業務停止まで行かなかったかといえば、「雪が本格的に降るのを待っていた」そうだ。アホか。冬が来る前に、危険なバス運行を止めにゃならんでしょうに。

会社が倒れても、これから転業するとしても、このバス会社のスタッフ一同は家族であり続けるわけだから、「家族で再スタート」となると、また同じミスをくりかえさないだろうか。

家族経営の典型が個人病院だったりするし、「三ちゃん経営」のようなファミリー・ビジネスが丸ごと悪いというつもりはないけれど、安全管理までなおざりになるのはまずい。
ところが、行政がメスを入れられるのは結果としての事故だけで、親子や夫婦の関係までは監督できない。だから、あずみの観光バスの社長が専務に関係を迫ると、これはセクハラになるのか、よくある「夫婦の営み」なのか?・・・こんなことは、行政指導しようにも無理があるわな。

僕も「魔性の社長」に仕える副社長なんて身分をもくろんだりしているから、ゆるゆる経営いかん!!と力説しにくいところはあるのだが、世間のファミリー企業はしっかり安全管理もやってほしいと願うばかりでありますな。

そして我が家では、「なんなの副社長、この業績は。研修しなきゃいけないわね〜。バスルームへいらっしゃい!!」というヒトミ社長のお仕置きが、夜な夜なくりひろげられるのである。労基署も視察したくてたまらない労務管理が・・・(笑)。
アホやなー


大阪の次はアモ〜レ・マラソ〜ン

at 2007 02/19 07:40 編集

東京マラソンは、とりあえず無事に挙行されたようで、めでたし、めでたし。あんな寒そうな雨でも成功したんだから、次やるときは雪でも大丈夫だろう。

直前の住吉会vs山口組の抗争も、スリルとサスペンスで大会をひきしめる効果があったのかもしれない(ひょっとして、おちゃめな893さんの演出か?)。
そのへんは、さすがに、いざとなりゃ「東京軍」でも編成して鎮圧しかねないコワモテの都知事のおひざもと。平和裡に終わろうと戒厳令が出ようと、どっちに転んでも楽しめる。

東京全体が完全封鎖されたわけでもないとはいえ、実際7時間も交通規制するのは大変だろうなぁ・・・と思う。それでも大混乱がなかったのは、アッパレ!と海外のマラソン関係者も評価していたそうだ。
これを某O阪市でやれば、「ちょっとぐらい通らしてんか」「融通きかしてぇや」と、なしくずし的に「堤防」が決壊して、やがて暴動に発展する可能性は128%ほどありそうだ(笑)。

そうやって、なしくずしになること前提で、大阪の世界選手権も開催してほしい。「なにわ節だよマラソンは」て感覚で。
コースは、ジャンジャン横町を走り抜けて通天閣を昇り降りして、大阪城に乗り込んで、ホームレスの村を世界に中継する。補給ポイントに並んでいるのはタコヤキとか(笑)。

テレビで映るから、沿道の広告もド派手を極めることまちがいなし。沿道みな道頓堀みたいになって、グリコの看板、カニ道楽、食い倒れ人形がやたら増殖して、スタートからゴールまで、必ず画面のどこかに映っていそうな気もする。

関市長も、立場上マラソンやオリンピック誘致をしなくてはいけないだろうが、医者としての立場で考えると、「都会であんまり激しく運動されると肺によくないぞ」と思っているかもしれない。おそらく。

それは東京でも同じことで、そもそも大気が汚れている上、何千、何万もの先行ランナーの吐く二酸化炭素を吸いながら走るのは、不健康といえば不健康だわな。
そのせいでもないだろうけど、2名ほど心肺停止したランナーがいたらしいが、「AED容易してますから心配停止」というわけにはいかない。

東京とか大阪のように空気の澱みやすい都心で、窒素酸化物、二酸化硫黄etcetcを大量に吸わせるマラソン大会というのは、考えなおした方がよろしいのではないか・・・と、ふと僕は冷静に考えてしまうのだ。
そうなれば代案を!というわけで、「神戸淡路マラソン」はどうかいなーと、地図を見ながら勝手にコース設定をしてみたりしている。

芦屋あたりから、須磨、舞子海岸を走って淡路に渡るのは、眺めがすばらしいコースだし、潮風、六甲颪の「ダブル横風」を受けながら爽快に走れるぞ。
並行して走る主要道が高速も含めて何本もあるので、1本だけマラソンで封鎖しても大丈夫。
そして明石海峡大橋を走る。なぁに、マラソン中だけ車はフェリーに回せばいいのだ。
だめならランナーをフェリーで運んでもいい。「デッキで足踏みしてろ」と命じて。

絶景また絶景の、すばらしい都市マラソン・コースになると思うのだが、ただ芦屋をコース途中に通ると、イケメン選手を誘惑する悩ましい奥さんがうごめいていたりして、走る前から骨抜きになる(笑)選手が出るかもしれない。そこはネックというか、オプショナル・ハプニングというか・・・

かどわかされてから走っても、ゴールしてからかどわかされても、心臓に悪いから、芦屋、御影、塩屋あたりに医師と風紀委員を張り付けておかにゃならんわな。
「ちょっと、そこのベンツの奥さん、持ち帰りはだめですよ!」とかなんとか注意してやらないと、招待選手された芸能人ランナーなんかは「青田刈り」されるね。
外国人だと、ジローラモみたいなイタリア人選手がむやみに増えそうな気もするし(笑)・・・あぁ、偏見コテコテの「阪神淡路大マラソン」青写真だな。


夜のウォーキング

at 2007 02/18 09:14 編集

しとしと冷たい雨が降っていたので、体を暖めるのを兼ねて、日が暮れてから徒歩で出撃した。とりあえず中央図書館へ向けて。

しばらく座り読みしてから、ハーバーランドへ南下する。ここから東へ九十度ターンして、中華街から北上する「反時計回りルート」を予定していたのだが、家に忘れ物をしていたのに気づいた。情けない。

戒めをこめて、罰金200円なりを自分に課すことにする。
で、バスで一旦帰宅。神戸駅から、大きな時計回りルートに方向転換することになった。

氷雨の夜のバスは、独特のうらさびしいムード満点で、暖房が心地よく、うつらうつらしてしまう。
新開地、湊川・・・と旧都心を北上する路線なのに、車内は閑散としている。間もなく乗客は僕だけになってしまった。

途中で下車して行く客たちが消えて行く街の明かりが、どこか別世界のように見える。
車窓に流れて行く、雨に煙る夜の街頭は、ここが神戸なのか千葉なのか広島なのか、区別がつかない。おかげで、しみじみ我が街とは実感できない、抽象的な「夜の雑踏」を滑って行くかのような非現実感覚もまたオツなものである。

忘れ物を手にとって、再び外出。今度は三宮〜元町と右回りに歩く。
「陣内・紀香」で沸いていた(であろう)生田神社横を通ると、ひっそりと静まり返っていた。
厳戒体勢、と報道は誇張していたけれど、生田警察の隣りだから、警備は楽々だっただろう。西門正面の飲食店には、「ご成婚おめでとう」の貼り紙があった。

挙式前日まで、のんびり「なるとも」の司会をやっていた陣内君だから、大騒ぎするほどのこともない、淡々と「儀式一発」ですんだのだろう。兵庫県民同士、親族だけで粛々と、簡素な式を挙げたご両人は、なかなか鮮やかで好感度アップではなかっただろうか。

あっけない「宴の後」の街頭をずんずん歩き、TSUTAYAにブツを返して、やっと昨夜の任務終了。
たぶん、5000歩ぐらいのにわかウォーキングでしかないと思うのだが、冷気を浴びながらもうっすら汗をかいて、気分は爽快だった。
夏の雨はアスファルトの匂いが、春には沈丁花、秋には木犀の香りが折々の風情として漂ってくるものなのに、冬の雨は無味無臭で、そこはかとなくわびしいのが、何ともいえない快感だったりする(笑)。

ひと雨ごとに暖かくなるのは、まだ早い!
・・・と、あたふたとスキーの計画を立てて部隊編成を進める今日このごろだ。例年なら厳冬期まっただ中なのに、いったいこの陽気はなんだろね?



「要するに」

at 2007 02/17 23:50 編集

イレギュラー千本ノックのような、ひな祭りまで連日連夜の仕事が入ってきた。

忙しくなると、本の世界に逃げたくなる。
講談社文庫の新刊は、待ってましたの椎名誠兄貴の『くじら雲追跡編』。
副題が「にっぽん海風魚旅2」だから、島旅や岬への旅やら、絶品シーフードやら、日焼けした人々との言葉のキャッチボールあり、そしていい顔・顔・顔の写真が満載されていて、あぁ、ポケットの中に吹く「旅の風」なるかな〜〜〜と、ヒシヒシ感じる。

別に椎名さんが軟派だとは思わないが、こういう(いい意味で)雑誌ふうの本と相乗効果が出るのが、堅い本のような気もする。
お堅い岩波文庫からは、『サミング・アップ』という、岩波らしくない現代そのままのサマセット・モームのエッセイ集が出ていた。ひと昔前の新潮文庫の古典シリーズで、『要約すると』という訳題で出て絶版になっていたやつだ。岩波は軽佻路線に行くのか?

モームといえば『月と六ペンス』だが、まともに読んだことがない。
予備校時代のリーダーの老講師がやたらモームが好きな学者で、自分で編集した分厚い教材を使って熱心かつ丁寧に講読を施してくれたおかげで、成績は急上昇した。
残念ながら、その伊藤律にそっくりの老講師が熱く語るモームの滋味のようなものは、わからないままだった。英文学のテクストは難しい。

英語で四苦八苦すると日本文学に逃げるのが息抜きになっていたから、開高健おやじの小説、エッセイは貪り読んでいた。開高さんも、モームの『要約すると』を名作アフォリズムとして紹介していたから、ちょうど授業と道楽の複線でモームに寄り添っていた感じ。
未だ、モームが読めたとは思えないが(苦笑)。

ただ、不確かな時代だから、箴言集のようなものが求められているのかもしれない。
僕の尊敬していた作家が、処世訓のような、また「○○になれるための十の法則」の類のマニュアル本を書かされるのも、ちょっとどうだかなぁ・・・と哀しくなるが、しかたないのかな。

「大切なものは、目には見えないんだよ」なんてパクリ文句を、子供に垂れて偉そうな顔をしている大人に限って、お経ひとつ聖書ひとつ読まない。「読書よりケータイ」はもう、茶髪のオバサンやちょいワル気取りの団塊おじさんまで染み渡っている「時代の空気」みたいなものだ。
あなたがたこそ、ありがたい言葉や感動させるための言葉を拾い集めてないで、じっくしモームでもソクラテスでも読みなはれ!と恫喝してやりたい。

モームなら、今の日本人を見ると、どんな警句を吐くだろうか。
小学生の娘のTバック写真集なんかで小遣い稼ぎしている大人を見ると、「子供を救え!大人から離して」と言うかもしれない。
「大人がバカだから」「大人がずるいから」「大人が欲深いから」で、世の中の問題の大半は説明がつくような気もするしね。


サッポロがんばれ!

at 2007 02/16 22:19 編集

サッポロビールがピンチ!
サッポロビール党の党員としては、黙ってみているわけにはいかない。

ハゲタカ・ヤンキー・ファンドがサッポロ株を買い占めて、アサヒビールに「買わないかい?」と持ちかけているのが真相のようだが、メディアによっては「アサヒビールが市場支配を狙ってサッポロ株をを買い占めている」ようにも報じられている。
いずれにしても、アサヒと外資ファンドとの間に、「魚心に水心」の取引が成り立っているのだろう。

白馬の騎士が現れて救ってくれなければ、サッポロはアサヒの子会社になってしまうか、この外資ファンドに買われて即よその会社か似たようなファンドに転がされて、マネーゲームのコマとして命果てて行くことになりかねない。

血を吐きながらのたうち回る会社の血しぶきで儲けるようなファンドというのは、これからも「日本買い」を進めて行くのは確実で、ホテルやゴルフ場などバブルの遺産は、かなり外資が買い叩いているという。
同業者が吸収合併したり異業種で提携したりすることは、これまでもあった。ソニーだって松下だって、「アメリカの魂」を買い、三菱はニューヨークを買ってきた。
そのツケが回ってきたわけか?

買収されたくなければ、防衛策をとるか、上場をやめるか、打つ手もあっただろうにと思うが、マツダやニッポン放送や明星食品の例を見て、サッポロビールは何をしていたのだろうか。ファンだからこそ、厳しく愛のムチをふるいたくなるぞ。

たとえ同業他社の傘下に落ち着いたとしても、サッポロビール党というのは、アサヒでないからサッポロを飲んでいるところもあるわけで、買収されたらブランド価値がなくなるから、売り上げは落ちないだろうか。そうなれば見返りが乏しい買い物になることぐらい、アサヒはわからんか?

ファンドが買収、となると経営のノウハウを持つわけではなく買って転がすだけだから、いい買収か悪い買収か・・・どころではない、ただ不安しか感じない。
どうせなら、日本の怠慢メガバンクがシティ・グループやドイツ銀行に買収されるようなサプライズは、ひょっとして悪くない感じもするのだが、銀行業界は政府が手厚く保護して飼い馴らしているから、まだガラガラポンは起こらない。

うまいビールを誠実に製造しているサッポロのような会社を買収するより、石川五右衛門かルパン3世のような鮮やかな勧善懲悪を見せて、「まいう〜!!」と絶賛されるようなファンドは、ないものだろうか。


春一番ちょっと待て

at 2007 02/15 09:35 編集

春一番が吹いてしまった。
東京でさえ、初雪が降らないうちに春の嵐!?と戸惑っているようだから、このまま春が来てしまうのだろうか。損した感じやなぁ・・・。
あわてて、3月のスキー・プランを連発で立てているありさまだ。

キャンディーズの「春一番が〜掃除したてのサッシの窓に〜」の歌が、自然と脳裏にこだまする。
歌詞は、「お引っ越しのお祝い返しもすまないうち〜に〜」と続く。あぁ、キャンディーズの世代までは礼節があったんですなぁ。今じゃ祝い返しどころか、引っ越し祝いさえ、何それ!?と言われそうだ。

もっとも、中元、歳暮を一度もやりとりしたことがないやつが、えらそうなこと言うな!と叱られそうだから、愚痴は口チャック・・・。

今年は特に、寒がりの人や猫は暖冬にぬか喜びしているようだが、うんと雪が山に積もってくれないと、夏になって水不足や発電不能なんてことになるから、やはり冬は冬らしく雪化粧するのがいい。
なのに、おてんと様どうしてるんでしょう?

前川つかさの『大東京ビンボー生活マニュアル』(講談社漫画文庫)は、延々5巻、昭和末期の東京の下町暮しを描いてホッコリさせてくれる名作だが、ここにも都心の積雪で雪だるまを作る場面が出てくる。
あぁ、こんな時代が、すぐそこにあったんやなぁ・・・という感じ。

別に東京に限らなくても、かつて街は寒かった。寒波が来ると白一色になっていた。
クルマは走れなくなり、目抜き通りが広大な歩行者天国になる(ホコテンというのが初めて東京にできたのは70年代になってからだったと思う)。

冬の賓客である雪は、一夜にして非日常な夢の世界を出現させてくれる、「魔法の杖の一振り」のようなものだ。いまいましげな顔をしないで、笑顔で迎えようではないか!と思う。
仕事をする大人は雪に難儀しつつ恨んでいても、子供にとっては楽園だから、犬と一緒にのたうちまわって遊びほうければいい。

こんな積雪そのものがめったに見られない今、都会に多少降ってもパニクる人はいないから(ピリピリするのは受験生ぐらいか?)、冬の季節感がないよなぁ・・・と寂しく思う。
店員なんか半袖で仕事をしているし、なにより寂しいのが、道端で焚き火が見られないこと。

もっとも、僕の焚き火シーンなんか、どんど焼きとか落ち葉焚きのような情緒あるものではなくて、町中やたら工事ばかりやっていた時代に、廃材を燃やす工事人夫さんたちが、近所の薄汚いガキ(=僕のような)にかまいながらの残務処理だったかもしれない。これはこれで、「なごみの場」ではあった。

こういう経験を経ないで成長する子供が多いことが、最近の火事で子供が犠牲になりやすい一因ではないか・・・と消防研究の専門家が話しておられた。
ちょうど僕が子供のころの日本人は、平均して1日8本のマッチを燃やしていたのが、今は0.2本だという。たしかに、大人も主婦も、マッチよりライター、コンロより電磁調理器具、焚き火より家でポカポカ暖房、の時代だ。

火とつきあう経験が圧倒的に乏しいから、火と煙のこわさを知らない、だから防火の備えも考えないし、火の気に鈍感で、出火すると逃げ遅れるのだそうだ。
おまけに家の気密性が高くて、別の部屋や階で出火してもわかりにくいから、気づいたら手がつけられないほど火の手があがっていたりする。化学建材は猛毒の煙を出して、焼け死ぬことがなくても窒息死する。

たしかに、一家で焼死する火事が多いような気もするが、まぁ、だからといって子供だけ助かって親・祖父母が犠牲になるのが自然でいいとはいえない。
僕も、別に風呂を薪で焚いていた経験があるわけでもなく、せいぜい火鉢に練炭、焚き火にキャンプファイヤーぐらいの経験しかない。

このまま、雪に吹きさらされながら焚き火にあたったり、家の中の赤い炎にホッコリしたりする国民的な経験が消えて行くと、ただ情緒的なものだけでなく、失うものは大きいような気がする。

天変地異や暑さ寒さへの適応力が衰えるにつれて、ストレスが蓄積されて細胞がガン化しやすくなる・・・というのは、かなり強引な素人推論だが、大自然のリズムに、悶々いらいら鬱々として愚かな抵抗をしているのも、文明人の浅はかさかもしれない。「年中22℃の空間」で過ごすつもりだろうか。

猛暑には汗、寒さには鳥肌、雨には濡れたTシャツ、風にはミニスカート・・・があればいいではないか。
あと、火遊びは大人の専売特許。かな?


感動の涙 そうそう その調子!

at 2007 02/14 08:54 編集

板橋署常盤台交番のおまわりさんが、残念ながら絶命してしまわれた・・・というので、全国から弔意の手紙やら花束やらが集まっている様子。
たしかに、文句なしに立派な殉職を遂げられた「警官の鑑」であることにちがいはないし、地域で愛されていた頼もしいプロフェッショナルだったのだなぁ、とあらためて思う。
僕も、合掌して敬礼して表彰して叙勲してさしあげた次第である。

だから、あの交番に大阪府民や大分県民や北海道民から寄せられる弔意に横槍を入れるつもりはないのだが、それにしてもねぇ・・・美談と感動に飢えているのか日本人よ!とも思う。
精神構造は、偉大なる将軍様を賛美する映画に狂喜する人民と、ちょっと似ている(笑)。

なんだか、徳島の崖っぷち犬の騒ぎを思い出すぞ。
そういえば、崖っぷち犬がいたなぁ・・・という「国民的記憶」も、やがて風化して、多摩川にいたアザラシや、皇居の濠かどこかにいたカルガモ親子と同じような運命をたどるのだろうけど。

たまたま話題になっただれかを、ことさらに「聖化」する国民的感動したがり症は、マス・ヒステリーと表裏一体だ。
かつて日本の同盟国にいたアドルフおじさんが、今この国に生きていたら、美談こてこての国策映画を続々と作って、感動好きな国民を丸めこむのは簡単だろう。
絶叫と号泣が、自宅にフルスペック大画面プラズマ+5.1サラウンドを構えて感動に飢えている日本人の魂を、うち震えさせるのだ。
ちゃんちゃら、おかしい。

近ごろは、一流の(はずの)アーチストまでも、「感動の舞台をご覧下さい」なんて言い方をしていたりするから、まず自分のパフォーマンスに全力を注いでくれればええわいな、と苦笑してしまう。あくまでも結果として、多くの人が感動したり、人によっては不満だったりするだけのことではないかい?

医療ドキュメンタリーで、「奇跡的に救われた命」に無理やり感動させる類の演出も定番だが、実際に「感動する治療を致します」なんて医者が目の前にいたら、限りなくうさんくさいでしょうに。
同様に、「感動的な裁判」を戦う弁護士がいてもおかしいでしょうに(笑)。あの弁護士なら、やりかねないとはいえ・・・(!?)。

まぁ、実務のプロと芸術家は追い求める成果の質が違うとは思うが、この中間ぐらいにある(と僕は思う)教育のプロが、「感動する教育」「子供の心をつかむ授業」なんてことを口にし出すと、ちょっと危ないなぁと思う。おいおい、教師は手品師ちゃうで。「すぴりちゅある・かうんせらー」とも違うって。
こういう教師が、「水に語りかけましょう」てなトンデモ世界に傾いて行くのかもしれない。

今回の警官の殉職それ自体は感動に値するお仕事だが、かといって、感動する海上保安や感動する保線作業というのは聞いたことがない。
感動したがり屋さんは、マスコミが「ほら、まれに見る美談でしょう」と差し出すニュース素材だけでなく、身近で身を張って働いているプロフェッショナルに目を向けたらどうだ?

どっぐぱーくや崖っぷちの犬に、もう顕微鏡的な超ピンポイント近視眼で目をうるませて「引き取らせてっ!!」と申し出るなら、自分の町の動物処分場に行ってみるつもりはないのだろうか。

とまぁ、せっかく人民が「心の洗われる思い」をしたがっているのに、八つ当たり的に水をさすのもなんだが、どうしても僕には「危険な回路」が見えてしかたないのだ。
いや、日本全国の感動マニアさんの暮らしている世界と、常盤台交番が直結させられていて、間の回路がすっ飛んでしまっているショートカットが、おっかない。

クルマの総量自体が基本問題なのにエコ・カーやハイブリッド・カーがはやったり、エアコンの使い過ぎこそ元凶なのに国民が原発の被害者であるかのように報道する・・・この程度のイカサマを見破れないほど、感動の涙で日本人の目は曇っているのだろうか?
泣けてまいります・・・ケタケタケタケタ


生存させてもらえない遭難者

at 2007 02/13 23:31 編集

宮崎の漁船転覆事故は、3日間の漂流後に無事救助!でめでたし、めでたし。
当て逃げされた上に、寒かっただろうに、ホントよくがんばりました・・・と祝福しつつ、僕の腹には的外れな、邪悪な好奇心がムクムク。
あの救命ボート、かわいいやんか!
乗ってみたいし、寝てみたい。できれば一家に一台。

乗り物に燃えるマニヤな殿方はみな、興味津々だったと思うぞ。
そこを見通して、ちゃんとスタジオで「実物解説」してくれていた番組もあった。

サンスター・スパイセットを思い起こさせる非常用食糧や釣り道具などが収められたガジェットには、心穏やかならぬトキメキを覚える。
サバイバル・キットには、国土交通省謹製のサバイバル・マニュアルもついていて、これが力強く遭難者を励ます感動の激励文なのだ。人は海で死ぬのではない、恐怖から死ぬのだ!という具合に。

しかも、細心の気配りが行間ににじんでいる。うかつに「一応」とか「とりあえず」「かもしれない」などと書いてたりしない(笑)。

ただ、今回のように72時間で救助されるぐらいならちょうどいい励ましになるだろうが、漂流が長引くと、もっと悲壮感が漂ってくるはずだから、バージョン・アップしなくてはいけない。「1週間たったら読め篇」とか、「死を覚悟した遭難者向け篇」とか。

まちがって、遭難2日目に開封して読んだりすると、「遺族に伝えたいことをここに書いておきましょう」というページに愕然としたりする。こりゃ罪だわな。
あくまでも、助かるのだ!もう少しの辛抱だ!希望を持て!一色でかためたマニュアル本でなくてはいけない。

でも、僕のような下世話な野郎も遭難するだろうから、「1週間で発見されたら表彰状、1ヶ月もてば国民栄誉賞、半年もてばモテモテ!!」と書いてくれてたら、僕は遭難したまま孤島に潜伏するね。もてるというなら、「該当者」が孤島にいらっしゃい!いや、一緒に遭難してみませんか?と、わがままな記者会見をしたりして。

こんな遭難者は、同情も祝福もされないから、遭難ではなく「失踪」扱いされておしまいだろう。
それはそれでいいんですが…。
救命ボートではちょっと貧相だから、廃船でいいから空母か潜水艦に乗せて海へ放ってくれたら、あとは勝手に生きて行きますが、だめですかねぇ・・・。
 


鍋蓋ころがり

at 2007 02/12 12:13 編集

「真っ白に雪化粧した裏庭」が今年は望めそうにないので、うららかな春山散歩のつもりで、なまった体を運んできた。

12℃ぐらいあると、ポロシャツにウィンドブレーカーぐらいでも寒くないし、うっすら汗をかくぐらいで、ちょうどいい陽気だ。
ぬるんだ風が雑木林をかけ抜ける音を聞き、行き交うハイカーとあいさつを交わし、無料の幸福(笑)にひたる。

目をつぶっていても歩けそうなコースを75分。
雪が降らないどころか、雨もほとんど降っていないカラカラ陽気のせで、再度公園の池も半分ほど干上がっていた。当然、ボートも引き揚げてしまっている。

ちょっと寒波が来ると全面が真っ白に凍りついて、荒涼感満点の静かな奥座敷だったのになぁ・・・と去年の眺めを思い出しながら、茶屋でお決まりのタコヤキを注文してランチ・タイム。
この茶屋は吹きさらしの露店だから、外気温と同じ店内で、おばーちゃんが調理をしているわけだ。今年は助かっているだろう。

この公園から、ガイドマップによると15分ほどで鍋蓋山の山頂に着く。こんなに近いのに、踏破したことがなかったので、足を延ばしてみた。
そういえば、六甲全山縦走路にもなっている尾根道だったから、左手に市街地から大阪湾、右手に裏六甲のニュータウンを同時に眺めながらの道は「お得」で楽しい。雪が降れば、瀬戸内と山陰の両方の眺めを楽しめる道だろう。
すぐに着いた486mの山頂からは、淡路島が幻想的に浮かんで見える絶景。すぐ足元は市街地だから、夜景ハイキングも楽しそうだ。

この山頂からは、ほとんど一直線で下山するコースがあったので、「はよ帰ろ」とずぼらな選択をしたのが悲劇の始まりだった。
ふつう登山道は、谷筋とか、岩場の迂回とか、クネクネと曲がりくねるものなのに、強引に一気に通しました!!という感じで、下山しているのに急登があったりして、やたら険しい細い道だった。

下りと上りが交互にくるのは、使う筋肉と関節技が違うので、とても疲れる。最後の方になると、急な砂地でズリ落ちそうになりつつ、なんとか拾った木の枝をストック代わりにズリ落ちないようにしながら、結局は半分ズリ落ちてきた(笑)。

岩場にはロープが這わせてあるのに、それも所々ちぎれていて、「なんじゃこりゃ、コース整備してないんかねー」とぼやきながら、やっと人里に着いてわかった。
なんと、「登山禁止」の看板がついているではないか。

あのなー、登山より下山の方が危険なんじゃい!なんで上から「下山禁止」にしとかへんねん!!
と憤慨しつつ、僕はたぶん二度と歩かないコースを「封印」したのであった。
いつもの下山路だと、目をつぶっていてもOKの「家路」だから、同じ標高差を下るのに、こんなに難儀する道があるとは・・・と、あらためて裏庭の別の面を発見できたのはおもしろかったけど。

帰って速攻で入浴して、全身に睡眠薬をするこんだような甘美な疲れから、すぐコテンと仮眠してしまった。
あぁ極楽、極楽。
連休の中日には、ちょうどいいアドベンチャーだった。


トアロード20年

at 2007 02/11 08:08 編集

トア・ロードのCafe BERTHIERに、「このたび閉店となりました。1985年以来、ご愛顧ありがとうございました」と貼り紙が出ていた。
うぉーっ、なんということだ!
と嘆き悲しむ資格のないワタクシは。上客でないどころか、結局一度も行かなかった。

でも、ショートケーキのように可憐な外見の建て物は、トアロードの名物といってもいい(だから地元市民としてはビジターに席を譲っていたつもり)。
開店当初は、景気も絶好調の時代で、ちょうど僕が大学を卒業した年でもある。バブル前夜祭のような時代で、だれでも羽振りがよかった。

この80年代を通じて、トアロードを上り下りしてすごしていた僕がつるんでいた相手は、しかし羽振りとは無縁の、のちのヲタの卵。Cafe BERTHIERに出入りする「じょしだいせい」や「ぎゃる様」たちを横目に、ぞろぞろ固まって歩いて、高架下の喫茶店や「餃子の王将」へ、けだるいたむろをしに行ったものである。
いやー、苦々しく楽しかった(笑)。

大学の同級生どもは、当時流行のMGやトライアンフに女子を積載して、苦楽園や芦屋あたりの隠れ家ふう瀟洒なすい〜つ店へ、前戯がてら出撃していたが、僕はせいぜい「サ店」。パックマンが標準装備だったりする。
「焼きたてパンがおいしいお店」なんてのになると、もう、奥様ぎゃる様に席をゆずるしかない。「きっちゃ店」が一番である。

トアロードとハンター坂にはさまれた好立地のワンルームマンションに蟄居するようになってからも、ショートケーキのような「てぃーる〜む」には、男おいどん、足を踏み入れなかった。やはり「きっちゃ店」が一番である。
そしてバブルが崩壊すると、トアロードから人波そのものが引いて行った。

おかげで静けさを取り戻した坂道というのは、僕の好みではあるけれど、商売しかも単価の安いコーヒーをふるまったり、スイーツ激戦地帯でケーキを並べたりする業種だと、苦境からなかなか脱出できないのかもしれない。おまけに、650円以上のケーキセットというのは、おいどんのルールでは許されない・・・なんてことをいうワタクシこと喫茶店ポリスも、責任の一端は感じている。一応。

観光名所へのルートになっているわけでもないし、どんな目的の客がどう流れているのか、ふと考えると謎は解けない。
そんなトアロードは、いま抗争・・・いや高層マンション・ラッシュ。

個性的な商いが店をたたみ、デベロッパーに地ならしされて行く。
郊外ニュータウンを嫌悪する僕は、都心に住む家族が増えること自体は大歓迎だが、マンションが多少のデザインを競い合っていても、「みやこ」としては静かでわびしく、味気ない。食事をしたり酔っ払ったり買い物をしたり、客人としての観光客もそぞろ歩いて、鯉やら愛やら憎しみやら(笑)が渦巻いている街こそ、おもしろいし愛着が湧くと思う。
人の渦が淀むスポットとして、きっちゃ店は街に欠かせないな点景だろう。

木村紺さんの名作コミック『神戸在住』は、ちょうどこの界隈の盛衰に、登場人物の成長・成熟を絶妙に織り込んだ連作だ。
これからは、この作品と街と、そして僕とだれかを重ね合わせながら、トアロードの盛衰を見て行くことにしよう。
ちょっとは買い物してマネーを落として下さいよ我が街に!
と、商店会からクギを刺されそうだが。



受験参考書

at 2007 02/10 23:05 編集

退勤して地元に戻って、アポをとっていた出版社と打ち合わせ。
ドカンと大きな原稿の仕上げに、春休みがつぶれそうな予感がする。

何年か前にも、こちらはシンクタンクから請け負って、レクチャー半分教材作成半分の仕事で大阪や博多を行き来したことがあった。
シンクタンクでも出版社でも、未開拓の分野に乗り込もうとする企業の野望はエネルギッシュで、いろいろと刺激を受ける。

今回は出版社だから、「自分で問題を解いてスパイダー・チャートに自己採点をプロットして行けると、おもしろいんじゃないでしょうか。既存の出版物にはない新機軸だと思いますけど」と提案してみると、編集者は熱心にメモをとっておられた。さすが、プロだなぁと思う。

調子に乗って、これまでのメディア・ミックス教育事業を垣間見て感じたことも紹介する。
「日本総研さんも、通信教材と講座を組み合わせてやっていますが、ちょっと顧客との距離感があって、せっかくのコンテンツの相乗効果が見えにくかったですね」・・・とか何とか話しているうちに、出版と教育の事業の違いが、思った以上に大きいような感じた。

教育現場にいると、完全な板書や印刷資料、明朗な口頭表現へのニーズをひしひしと感じる。

まじめで熱心でけっこうなことではあるのだが、ノートは全員が同じ内容を書き写す。強迫的に同じ文面だから、自分のノートと違うことが書いてあれば、強迫的に不安がる。自分の問いをぶつけて、得たこと考えたことを記録したノートではないから、同じものにしかなりようがないのだ。
全員同じ内容なら、だれかが代表で書いて、コピーして配ればええんちゃうのと思うのだが、それでも「同一の作業」はなくならない。つまり、出版作業をしているわけだ。

こうして、ライブ演奏だったはずの授業は、商品になる。
昔々、生録がはやっていたころ、レコーディング・コンサートという無気味な催しがあったのを思い出す。聴衆は、思い思いの録音機(デンスケとか、オープンリールデッキとか)を構えて、マイクでバンドを録音するのである。
演奏された音楽を楽しむのは、テープを持ち帰って、編集してからの話。

これと同じようなことが、教室で現在進行形なのだ。
まぁ、全面否定するつもりはないし、熱心に消化吸収しておられる姿勢はアッパレだと思うけれど、僕が出版社に提案したのは、この逆バージョンだった。
「ライブ演奏つき参考書」である(笑)。別に朗読を録音したCDをつけるわけではないが。

今でもCDやDVDのついた本はいろいろ出てはいるものの、耳で内容を吸収できる本というのは、まだまだ少ない。
アフターケアはwebで・・・というのでURをつけている場合もあるにはあるが、こういう紙媒体と電子媒体の相互乗り入れは、もっと進んでいいと思う。

楽曲ごとにダウンロードするネット音楽が、ワンセット販売のCDより伸びているように、だんだん本もそうなって行くはずだ。
それでも、完成品として求められる本は残るだろうから、どんどん出版と教育とwebの融合、本の解体・教育の解体は、前向きに見守りたいものだ。


2倍カップル

at 2007 02/09 22:22 編集

ぱっと見たら、寺島しのぶと見間違えそうになった秋吉久美子が、喜色満面で記者会見をしていた。
実の息子より若い彼と結婚!!というのは、いやはやアッパレですな。

息子は、まぁ無理に「お父さん」と呼ばなくていいとしても、しばらく戸惑うことだろう。
それでも、「52歳の新妻と子づくりに挑む26歳クン」の方が、アッパレ度はだんぜん上だと僕は思う。現代の特攻隊員だ。
最初から、ギリギリ感に迫られつつも(笑)、わかってつきあうわけだから、それ相応の覚悟はあったにちがいない。

老婆心ながら、もし結婚早々「できない」ことがわかると、子供がほしい彼に、子づくりを、「よそでしておいで」と言うのか、「私が天国に行ってから」と、遠すぎるおあずけを言い渡すのだろうか・・・?
秋吉久美子の身のふり方に、世の「年の差カップル」が注目しているのは間違いない。

そして、小泉今日子や、秋吉久美子が道を切り開いたおかげで、年の差2倍カップルが案外はやるかもしれない。
思いっきり生電話にも、似たおばさんが出ていた。
息子とほとんど同年代の彼氏とつきあっていて、結婚話に発展したバツイチ四十路が、隠していた身の上がバレて彼氏激怒、でも手放したくないのどうしましょ〜という、どうしようもないおばさんだった。
当然のように、みのさん「あんた無責任だよ」とガツン。
いやはや・・・大胆不敵なお姉様の姿を、一瞬拝見してみたい気もする。

いま「団塊の世代」がとりあげられるニュースは多いが、団塊の世代は男性サラリーマンだけではない。半数は女性なのだ。
時間と退職金を手にしたキャリアウーマンが、フォーリーブス再結成」に熱狂するだけならまだしも、関ジャニへ、嵐へジュニアへと萌えはじめると、「うんと姉さんカップル」も珍しくなくなるだろう。

子供は想定外になるのが、「母息子クラス」の年の差カップルの利点というか、覚悟になるのかな。
だから、お互いかどちらかが、そこそこの年ごろだと、(遊びなら遊びでいいとしても)ドライに割り切れるかどうかが、大人のリトマス試験紙になりそうだ。
よけいな期待をさせない火遊びに徹して、さっぱり幕引きできればややこしいことはないだろうし、子供が見え隠れするつきあいになれば、2軒目のファミリー物件を物色しなくてはいけない。それが大人の責任というもんである。

「おふくろよ、あの大学生が俺の継父になるのかい?」
てなケースは笑えるだけですむとしても、娘がいるケースだと、娘と母と彼氏がややこしいことにならなければいいが・・・
鯉多きママが見守っているのは、あの聖子か・・・その聖子は、麻丘めぐみ先輩の動きを参考にしているかもしれない。


更生不能厚生労働大臣

at 2007 02/08 23:31 編集

またまた柳沢大臣が失言。
「子供を二人以上持ちたい世の中は健全」という大臣に対して、「二人持ちたいカップルが健全で、持ちたくない人は不健全なのか!!」と噛みつく議員も野党にいるのだが・・・。

これはこれで、おいおい、的外れではないかい?
斬る刀が歪んでいると、返す刀にやられてしまうぞ。

問題にすべきは、二人以上の子供がほしい「健全カップル」にフィットした政策を展開して行きたい、という政策の偏りの方ではなかろうか。
ただでさえ、独身者は割増しの税金、社会保険を払わされているのに、古い政治屋の頭には「標準家族」なんて先入観があるから、制度差別には鈍感になってしまうのだろう。
こんな制度差別でわりを食うのが、子供がほしくて持てない人と、子供がほしくない人になるだろうか。あと、ほしくないのに産まされてしまった人への配慮もない。

同じ断罪口調でも、シーナ誠さんの「正しい日本の夏」とか「居酒屋のあるべき姿」「ほどよいビール」なんかは、よくない夏やビールや居酒屋への愛もにじませているから、許されるのだ。うーんとうなるほど言葉づかいがうまいのは、作家だから当然か。
政治屋が、健全さとか美しさをスローガンにかかげるのはいいが、まず隗より始めろ、である。健全な政治、健全な役所、健全な選挙を実現してから、子づくりをためらっている庶民を不健全と呼びなはれ。
もちろん、それでも子なし人生を選ぶ「不健全な日本人」は少なからず残るだろう。しかたないわな。

柳沢大臣の脳内回路はもう、修正困難かもしれないから、もう、大臣のまま泳がせておけば、安倍政権の自爆装置になるのではないだろうか。
だから、やめなくていい。
次は何が飛び出すか、楽しみですらある。


祝!札幌リオ祭り

at 2007 02/07 07:32 編集

あまりにも、ぽかぽかといい天気だったので、トレーナーも脱いで洗濯をして、Tシャツ1枚でベランダへ干しに出たら、寒くなかった。なんじゃい、この陽気は!?と思うほど。
さすがにTシャツ1枚だと少しひんやりするものの、紫外線が降り注いでいるから、まるで「春スキーの休憩時間」のような気分だった。

札幌の雪祭りや紋別の流氷観光などは、うんと寒いほど効果抜群なのだろうが、さて、雪祭りの季節になると僕が後頭部で気になるのは、「裏番組」でもあるリオのカーニバル。

冬が温暖化すると、あちらが冷夏になる・・・というわけではないとしても、イパネマの娘たち&おにいさんたちに札幌へ来てもらえば、暖冬ならではの新企画にならないだろうか。
お忙しいとは思うけど。

すでにオーストラリア人がニセコのおなじみさんだから、札幌にはブラジル人、夕張にはカーネギー・メロン大学生、根室には宗男、帯広には中島みゆき、十勝には花子がよく似合う。
ついでに青森にはアニータか。

南半球人の目には、この国の冬はどう映るのだろうか。
いま何かと静かなブームの耐震偽装建築は、首都圏や京阪神など、細かいことにこだわりまくる土地柄では、まるで九龍城みたいな扱いをされているが、おおらかな北の大地だと大ざっぱに受け流してくれそうだ。勝手に決めて悪いけど。道産子の僕の姉も、なにかと「しょうないっしょ」「ま、いいさー」でカラリと受け流しているぞ。

バカにならない量の雪が毎年積もり、道路も畑も山も湖も凍りついてしまう土地だと、多少建物が歪もうが腐ろうが「手入れして住めばいいさー」と、たくましく暮らしておられると思う。勝手に決めて悪いけど。たくましい道産子自身が、耐震強度ナンバーワンだ。

南国土佐にも、限りなく怪しいマンションがあったっけ。
あの高知の九龍城こと沢田マンションなんか、「耐震強度は震度2まで」ぐらいに見えるが、どうなんだろう。
この1年の騒ぎのあおりをくらって、退去勧告など出されやしないかと、天国の沢田さんもヤキモキしているかもしれない。自慢の「現代芸術作品」だろうに(笑)。

阪神大震災では、公共工事でさえ、鉄筋の節約(?)がバレていたぐらいだから、ヒューザーやアパよりずさんな業者は、まだまだありそうな気もする。ただ、政治的な思惑や業界内の力関係次第で、リークされたりもみ消されたりするだけ。
出てくるのはトカゲの尻尾にすぎず、決して本丸は炎上しない。

いくらマスコミが騒ぎ、「○○業界に激震が走りました」といっても、未だ日本のどの業界も、こと基幹産業に限れば、本当に崩壊したり、外国の植民地状態になったりしているところはない。
流通は、ウォルマートだカルフールだと攻勢をかけてきても、存在感は刺し身のツマぐらいだし、エクソンやBPのガソリンスタンドも見たことがない。チェコ・ビールも自販機で買えないぞ何とかならんか!(ヤケクソ)

つまり、日本企業の業界は、妙に耐震強度が強すぎるのだ。まだまだ、愛国者が自衛隊に乗り込んで自決するほどの非常事態でもない。

でも、政財界への不信感や政治離れ、ニート問題など、筋繊維が海綿体になってしまうように、内面から立ち腐れて行ってるような気配は感じる。たとえば、公的年金なんぞリアルに危い。いや、もう、すでに・・・。

まぁ、いいさー。どうしようもないっしょ。
と受け流せる耐震性能が、いやでも日本人には身についているわけか?


自立させない自立支援?

at 2007 02/06 23:19 編集

ネパールかどこかの国王が亡くなって、群衆の中で葬送が執り行われているのか・・・と思ったら、大阪の公園に住んでいたホームレスが、ベッドに寝たまま運び出されているところだった。
なるほど・・・木にしがみついている人を、根こそぎ抜いて木ごと持って行くような発想ですな。

感心している場合ではない。
公園美化整備に名を借りたホームレス排除だ!
というのは、その通りだ。「ホームレスとともに世界陸上」というわけにはいかないから、大阪市は、世論を味方に「当然の措置だ」という。

それに、大阪の大きな公園や河川敷の「ホームレス・ホーム」は、食卓あり調理場ありサロンあり倉庫ありで、もう何がなんだか、1つの村みたいになっていたりするから、市民からの風当たりも強い。
大阪城公園では、元大工のホームレスが2階建てのバラックを建てて、仲間に分譲していたこともあったという。
市も、排除しようと思えば、口実になる国際イベントを誘致しなくてはいけないから大変だ。

なるほどホームレス対策、ひいては雇用分配は政策の課題だから、ホームレスを生む役所にも責任の一端はある。
僕は個人的に公園のホームレスが目障りになったとか不愉快に思ったことはないけれど、個人商店の軒先というのではなく、公共の土地だから、放置して蔓延して行くのも困る。ホームレスの方々は、廃屋とか草ボーボーの空き地とか、迷惑にならないところに蟄居して、職探しに励んでほしいと思う。

昨日の長居公園に何百人もの撤去作業員が動員されたのは、たった9人のホームレスのためではなく、支援者の抵抗があったからだが、果たしてあの若い支援者たちは、何をどう「支援」しているのだろうか。

シュプレヒコールをあげることも、場合によっては必要だと思うが、肝心のホームレスが働いて食い扶持を稼ぐようになるか、生活保護を受給できるような支援が最重要のはずだ。
なんなら、支援者が自分の家に下宿させてあげて、職探しを手伝ってもよろしいのではないか。「それはいやだな」と思えば、即いい仕事を見つけてあげられることだろう。

社会の最底辺の人々への支援は、必要だが難しいことだと思う。
支援することで慢性化する面もあるし、支援せず数年目をそらしていれば自然消滅するものでもない。
役所に、必要な施策を訴えて行くのも市民の責任だろうが、ことホームレスないし低所得者対策が改善されれば、そこに流れ込んでくるニューカマーが増えることは確実だ。
生活保護のジレンマと重なって見えてくる。

やはり、最低生活水準が満たせる仕事を、求職者全員に保証することを、行政は目標としてほしい。
裏金づくりの名人が役所の隅々に寄生している大阪に限れば、公務員は無能でも平均年収700万円(フリンジ・ベネフィット含む)だから、100人カットしてその7億円を7000人のホームレスに分配すると一人100万円。国民年金以上の額にはなるぞ。もちろん、現金ばらまきではなく、ちゃんと100万円分の仕事をしてもらえばいい。

残業手当という税金の無駄遣いをしている無能役人には、タクシーではなく、元ホームレスの引く人力車で深夜帰宅してもらおう。家まで送って力尽きたら、泊めてあげるしかない。
これが4LDKなんて官舎だったりしたら、もう下宿したくなるだろうね。すればええ、すればええ!

公僕サマたちは、そんな「車夫」を、家政夫にしたげなさい、したげなさい!ひょっとして奥さんも悦ぶかもしれない(現代版チャタレー夫人の恋人だな)。
役人は、無能無策のツケをホームレス・ステイで実感してもらえばよろしいのだ。名案だと思うがな。


白鳥おばさん

at 2007 02/05 23:21 編集

ストックホルムで、白鳥11羽と同居していた67歳のおばちゃまには、一瞬驚いた。
ついでに、あの世界一でかいスカンジナビア人の北の都に、25平米のワンルーム・マンションというものがあったのか!と驚いた。
15畳もあると、羽ばたかなければ白鳥クンたちと暮らすことはできそうだし、肩を寄せ合っていると(白鳥の肩って、どこや?)、案外暖かかったりするのかな。

ただ、運動不足になりそうだから、今度飼うときはビルの屋上ぐらいに水を張って、自由に離着陸できるようにした方がいいよ・・・白鳥は人騒がせだからアヒルがいいでしょう・・・とアドバイスしなくても、このおばちゃま、「私のバードランド」構想を暖めているかもしれない。

こんなおばちゃんとは、どこか相通じるものがありそうで、驚きよりもうらやましさが勝ってしまう僕は、孤独なアニマル好きだったりするので(笑)、あらためてペンギンかアヒルとの同居の夢がふつふつと湧いてくる。いかんなぁ・・・。

松江のフォーゲルパークでフクロウの芸を見てからは、フクロウも気に入った。なんだか太った猫みたいで、じっとしていると鳥に見えない(でも猫を捕って食ったりもする猛禽類だが)。
海辺に暮らしていたらイルカを餌付けするのもやりがいがありそうだし、草原に家があれば馬もオーソドックスでいいぞ。これからは、マイカーより馬車である。

あぁ、こうしてムツゴロウ王国のウィルスが・・・
どっぐぱ〜くボランティアの二の舞いに・・・!(笑)。


ケツをとれ

at 2007 02/04 21:01 編集

トミーズ健が、中国の寺で、よりによって観光客の前で尻出し芸をやったカドで、公安当局から始末書を書かされた・・・というお笑い芸を披露していた。
前科と背中合わせのプロ根性(?)も、芸人の心意気というものですかねぇ。

僕も、落語家なんか、いつでもどこでも「今日は日和がいいってぇもんじゃーない、晴れ晴れのコンコンチキだってんだ、なぁ八っつぁん!」てな乗りでしゃべっているような気がするし、色眼鏡かもしれないが「二十四時間スター」でいてほしい気持ちから、ついそう期待する。

演技なのか地なのかわからないのが、なにわの芸人の声はとにかくどこででもでかいこと。常軌を逸しているほど、でかい。すぐ絶叫するハイ・テンション。
たぶん、世界中オレサマのしゃべり慣れた言葉で世渡りできると思い込んでいるのがアメリカ人と大阪人だから、宴会芸の乗りを中国でもどこにでも持って出るのだろう。尻出しと「象さん」は、学生時代に先輩から後輩へ受け継がれる伝統芸みたいなもので、なかなかギャグや持ちネタがヒットしない芸人は、ついつい伝統芸に頼ってしまうのかもしれない。

まぁ、健さん(というと高倉みたいだが)も反省しているようだから、謹慎が解ければ、元気に職場復帰してもらいたいものだ。
その「職場」は、芸人にとっては、お笑いを期待され、ボケたら突っ込んでくれる、突っ込まれるためにボケにゃならん、大阪という舞台なのだ。
京都、神戸では決してそんなことはないもんなー。

ふつうのオッサン、おばちゃんも「ハイおおきにー、けつねうどん650万円!」とジョークをかましてくるし、この素の延長上に浪速芸人がいるわけだから、公私の区別なんかなくなるのかもしれない。女優の顔とプライベートをしっかり守りたい女優が、大阪出身というのをひた隠しにしたいのもわかる。

それを考えると、最近しみじみ「ええやっちゃなぁ」と思うのが、NHK有働アナである。
番組ゲストが大阪人なら大阪弁こてこてに切り替えて「ちゃいますやん」「ほんまですのん?」とやっているし、あのメイクは田辺聖子に通じるものがある。決して美人ではないくせに、どうにもこうにも愛嬌満点。

それにひきかえ、おい、「関西弁は忘れました」なんて顔をしている日テレ森富美よ、テレ朝丸川珠代よ、有働を見習え!
せめて、トミーズ健を見習うなら、うーん認めてあげてもいいが、君たちがやっても、おもしろくないやね。
やっぱり有働だ(笑)。


季節の変わり目でしょうか

at 2007 02/03 17:05 編集

福岡でも雪が積もっていた昨日、午後の神戸は、やっとチラホラと雪が舞いましたかねーという程度の初雪だった。期待はずれもいいところ。
とりあえず、初雪バンザイではある。

とはいえ、僕のスキー仲間は関東人と三河人ばかりになってしまった。明らかに「灯台もと暗く」なっている。
会社なら会社、役所なら役所、学校なら学校、と職場ごとのリズムのようなものがあって、職場を横断する面々と集まるのがとても難しい。
みな家庭や地位を持つようになると、ますます身動きしにくくなるようで、ふと空き時間ができそうなときな、身近にいて「阿吽の呼吸」が通じる同じ組織の人間と、ちょっと一杯・・・がせいぜいの気晴らしになってしまうのだ。

まったく違う職種、組織の働き盛りのサラリーマンや自営業者や主婦が、ぴったり都合が合い、同じテンションで泊まりがけのグループ旅行プランがまとまるなんてことは、奇跡に近い。
そんな奇跡的なことを共にやってきた仲間が、初めて父親になった去年は、「山もスノボもカヌーも、一度も行けませんでしたわー」と苦笑していたが、熱烈マイホームパパも楽しんでやっているようだから、それはそれで、ひとつの生き方ではないかと思う。
「望み通りの苦労なら、不本意な苦労より幸せちゃうのん?」というと、沈黙されてしまうけど(あぁ、こうして嫌われて行くのだろう・・・笑)。

仕事でも家庭でも、どっぷり浸って、ふと空いた時間にぶらり出かける旅ほど貴重なものはないし、いくら高くても
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2007年1月の日記
発奮あるある大事典

at 2007 01/31 09:38 編集

みそ汁でダイエットとか、レタスで熟睡だとか、まだあるある、あるある偽装。ほじくればあるある、今になってあるある、これでもかこれでもかあるある・・・とばかりに、「あるある」叩きも騒ぎすぎ。

そのうち、「ウォーキングが体にいいらしいデータは、誇張でした!」となると、反動で「実は歩かない方がいい」なんてことになりかねない。
昔から論争の種になってきた肺ガンと煙草の関係でも、疫学的な検証がまだ不充分だから、「定説」がどう転ぶかわからない。

だいたい、商業放送の健康番組を、そんなに真に受けてたんですかい視聴者は?
普通の頭がある大人なら、眉に唾しながら見ているものだし、人体実験したくてたまらないドラッグ(ストア)ジャンキーの方々だけが、「納豆だけ」で、やせるの、やせないのと憤慨しているのではないだろうか。
ジャンクフードや運動不足はそのままで、大真面目な顔で「裏切られました」と嘆くのは、恥ずかしくないのか?

あるある叩きに励んでいる民放各局だって、今までもっと闇のありそうな占い師や手品師、脳機能学者、UMAだオーラだ風水だ霊視だ気功だと垂れ流してこなかったんですかねぇ・・・。
たとえば、藤岡弘が「今回も、イエティは発見されませんでした」と総括したりすると、「ひどい!私はイエティを信じていたのにっ」と憤慨したりしている類の視聴者は、今ごろ納豆はやめてるね(笑)。

こんな、あれやこれやの民放ご用達のトンデモ系アイテムを全部否定するとNHKになってしまうからおもしろくない。この際いかがわしく気持ちよく楽しめば、笑いでストレス緩和、ガン患者も減ると思うぞ(おぉ、科学的だ!)。

関テレ社長も、「やせなかった人は、功徳が足りなかったわけです。仏縁とのコンタクティである私が発するオーラの泉を受けて下さったグルの魂は必ず浄化されて、デトックスできますよっ」とでも会見で述べてみせればいい。ワハハハハハ
スポンサー=たま出版と船井総研、キャスター=中谷彰宏、イスラエル特派員=ユリゲラー・・・てな「報道番組」ができれば、意外にも視聴者の心をつかむ(もてあそぶ?)かもしれない。

健康ネタは、具体的な効能や商品の売買を伴うから、一番ホットな「トンデモあるあるトンデモないない界」だ。

うろおぼえだが、かつて腸内洗浄にはまっているという女性の夫からの相談に、批評家の日垣隆さんが答えていたのを思い出した。「趣味でやるならともかく、必要な腸内細菌まで排出してしまうのはどうか?」という趣旨だったと思う。
野暮なことおっしゃるでない、気持ちよければそれでよし、趣味でやればよろしいのだ。そんなファンキーな健康づくりを、国民は求めているのだ。

いま評判のドクター新谷なんか、「私は毎日コーヒーエネマで腸内すっきりさっぱり」と著書で力説していて、それがまた売れている。こういうエステ店だか風俗店だかわからない虹色の商売も増えるかもしれない。
関テレよ、次はコーヒーエネマ実演番組で発奮させて下され!
すでに江頭2:50が舞台でやってるようだが(笑)。


機械製造大臣

at 2007 01/30 16:45 編集

女性は、子供を産む機械といいますか、装置といいますか・・・と口を滑らせた厚労大臣が叩かれている。
政治屋に舌禍事件はつきもので、正直に腹の底をさらけ出したあげく自慰を示すことになるのも、よくある話。政界の「男の花道」である(笑)。
それにしても、よりによって、参院選の年が明けて、通常国会が開店したばかりの時期だから、タイミングが悪いわな。

記者のだれか、「では大臣のお母さんも、機械ですか」と突っ込まなかったのだろうか。
ベンジャミン・フルフォードやデイブ・スペクターなら、あけすけに投げつけそうな直球ストライクだと思うぞ。

「あんな考え方そのものが許せない」と人格批判もぶちまける女性議員もいたけれど、政治屋のおじさんに人格など求めてはいけない。しょせん品格より腹芸の世界なんだから。

それより、ヒツレイなことを発言したら、はねかえってくることがわからなかった想像力の鈍さこそ、政治屋としては致命的な欠陥だろう。前後左右を読めない自爆発言者は、党としては地雷みたいなものだ。

そんな党の苦労は知ったこっちゃないが、柳沢大臣の機械的な人間観は、(あぁそう考える政財界人もいるだろうなぁという意味で)わかる気がする。
子の出生は英語でリプロダクションだし、生殖の決定権はリプロダクティブ・ライツ。僕自身、「再生産」という和訳はどうにもなじめなかったものの、「社会の一員を産んで補充する」という意味を聞いて、少しは納得したものだった。

国家や企業から見ると、労働者には生産に励んでもらうか、または生産に従事する次世代を生産してもらう=妻子を扶養してもらうために、労賃という投資をしているわけだ。
それなら、議員をはじめ公務員の人件費は、血税が投資されているわけだから、こっちこそ機械のように忠実に仕事をしてもらいたいものだ。

公務員の地位も利権も身分保障の特権もそのままで、労働基本権を認めようなんて法案審議は、甘い甘い。なに言うてまんねん。
投資以上の公益が生産できない税金泥棒は、去れ!


食い足りない新燃会

at 2007 01/29 06:09 編集

昨夜は、ちょっと遅めの新年会と、祝賀会のダブルヘッダー。
デイゲームとナイターの、ではなくナイターのダブルヘッダーだから慌ただしい。
おまけに、どっちも飲み放題だから、両方で元を取ろうと考えると少々きつい。

まず心斎橋で、アウトドア仲間たちと清く正しく慎ましく年始の乾杯。
幹事役をしてくれた乙女25歳が彼氏の実家にあいさつに行ったとかで、トントン拍子に「ウェディングベル序曲」というめでたい話に皆で祝杯をあげ、なごやかに宴も進行。
後ろ髪を引かれる思いで、この先発試合を1時間で切り上げ、後発の新大阪へと「地下鉄ダッシュ」してきた。

さて五十余名の宴会場に到着すると、そこは怒号と嬌声で阿鼻叫喚、床でころがり回って場外乱闘している野郎どもがいて、なぜか同僚のおねえさん方はさめざめと泣いているわで、すっかりクライマックス苦しみマックスだった(笑)。

ここも、ちょうどお年頃の乙女や好青年たちばかりだから、連愛やら順愛やらがメインテーマである。
でも、「華麗なる一族」から読み解く政略結婚!なんて話には、見ていないのでちょっとついて行けなかった。「結婚できない男」ならついて行けるのに(トホホホホ)。

結婚が得か、ワーク・ライフ・バランスはどうするか、通い婚はうまく行くか、子供の親権はどうするか・・・と、絵に描いたような空理空論も、まぁ酒の席だから自由奔放に楽しめる。
こういう話は、まるで昔のキャンパスライフの一場面みたいで、奇妙に懐しい。

もちろん、偽善者の僕は「勢いのあるうちに野郎ども淑女ども、好いた・惚れた・くっついた・できちゃったで、さっさと再生産に励むべし!」と檄を飛ばして自分はカヤの外にいる。
対岸の火事は、純粋に他人事としてエールを送るのみである。ヌハハハハハ

宴もクライマックスで、「僕たち実は婚約します!」という爆弾発表もあったりして、うーん、好ましい勢いであるねと僕は拍手喝采。
ま、勢いは大事でしょう。あとは野となれ花となれ。

おりしも、もう10年越しで国会に出ては流れている夫婦別姓法案について、反対派の世論が盛り返してきたというニュースも聞こえてくる。
授かり婚でも産み逃げでも年金分割離婚でも何でもいいから、幻想と幻滅、期待と絶望、信頼と背徳で、飽くことなく男と女のすったもんだがくりかえされて波瀾万丈あった方が、お年寄りの仕事も増えていいかもしれないのだ。



カラオケ・ウィルスの犠牲者

at 2007 01/28 13:29 編集

いま建築界の闇が問題になっていて、規模は小さいが、宝塚のカラオケ店の火事も、消防署のずさんな監査がポロポロポロポロ出てきている。建築というより、監督の問題かな。

十代の少年たちが命を落としたのも悲惨だし、一人で店番を全部やっていたアルバイトのお姉さんだけが逮捕されているのも、気の毒といえば気の毒だ。泣き崩れているのも、たしかにそりゃそうだろう。
労務管理責任の方が、絶対に重いと思うぞ。

重いか軽いかといえば、勝手に改造した店長より軽いかもしれないが、監督官庁の無責任ぶりは深い。
おそらく、だれも涙ひとつ流さないであろうお役所体質が垣間見える。

店が届け出を偽装していたといっても、そのオーナーは消防士の義父で、おまけに何人もの消防士が何回も歌いに行っていたというではないか。
まさか、「俺は歌いに来たのであって、査察しに来たのではないもんね」とは言わないだろうが、ともかく、小規模カラオケ店は消防の盲点だとわかったわけだから、しらみつぶしに査察を入れるべきだと思う。

ある女子モーグル選手が、外国人と個室で情欲におぼれ(笑)、注意した店員とケンカになったのは、たしか東京の高級カラオケ店とやらだった。
個室となると、「別の用途」に使われることは見え見えなんだから、総ガラス張りでも義務づけたらいい。火事になったらよくわかるぞ。

おまけに、よその客も丸見えだから、「おぉっ!ヒトミ、そいつとそこで何やっとるのだ」「パパこそ、そのオバサンだれよ!」とガラス越しに火花も散るだろう。「ハプニング・カラオケ水族館」である。
名案だと思うがね。

逆に、個室化してほしい類の店もある。僕はボウリングが下手で恥ずかしいので、1レーンずつ仕切って個室ボウリングにしてほしい気もするし、図書館なんかもブースにしてほしい。
うちの近所にはブースになったカレー・スタンドというのがある。連れ添って行くと不便なのか(となりと話ができないわけではない)、あんまりはやってない様子だが、何十種類かのスパイスと雑穀米を売りにしていて、なかなかうまい。

それはさておき、カラオケボックスは宿泊に使う客もいるようだから、雑魚寝ホテルととらえて対策を練るのが現実的だ。
たとえば、大浴場もほしい。歌いたくなるオヤジはいるだろう。
シングル・ルームもあっていい。もう、そうなりゃカプセルホテルだが、それでも歌う客はいるだろう。
サウナもあっていい。ここでも、うなり歌う客もいるだろう。
そうなると、カラオケ店のバリエーションというより、家にも酒場にも旅館にもカラオケ・・・。

マイクと大画面テレビがちらりとでも見える酒場は心して避けている僕は、だからスナック、スタンドの類に縁がない。
カラオケ嫌いの男は「止まり木」難民なのだ。


すでに年度末

at 2007 01/27 22:49 編集

レギュラー勤務が終わった。
自分でねぎらいの祝杯をあげる。といっても、祝杯は毎晩のことだから、もっとねぎらいを!と言い訳するうちに、酒浸りになるのだろう。
安くてうまいカナディアン・クラブも悪い。ジュースのようにくいくい飲めてしまう。

悪酔いしたわけでもないのに、いやな夢を見て、実家のあった街を歩いていると、なぜだか全裸女性の死体を発見してしまった。目が覚めて、こりゃイカン!と寝なおして、やっと午後に夜が明けた。何か不吉な予兆なのだろうか(笑)。

どうも毎朝頭が痛いのは、これも不吉な・・・と非科学的な思い込みにふけっていてはいけない。原因はガス・ストーブの酸欠だろうと見当がついている。パロマの被害は他人事ではない。
まだ僕は、真冬でも部屋に風を通さないとイライラするくせで、ストーブは夜通しつけっぱなし・換気もしっぱなしだから救われているのかもしれないが、危ないといえば危ない。

夏はサウナのように汗だくで、冬は吐く息が白い部屋で暮らしながら地球環境に配慮しているつもりだが、環境省が表彰してくれるわけでもなし、いずれ寄る年波に白旗をあげる日が来るのだろうか。

レギュラーで顔を合わせていた楽しいマダムが、家族で節約生活がんばるわ♪と、最後の手書きメッセージを下さった。たのもしい!
働きながら、家業の店も手伝いながら、家事・育児もこなすこのようなマルチタレントな老若男女こそ、無駄金が暴れない景気回復を実現してくれるはずだ。

労働時間短縮で残業代が減ろうと、そう悲観しなくてもよろしいのではないかと思う。ゆっくり時間をかけて楽しむ育児や趣味は、そんなに無駄金を浪費しなくてすむにちがいない。
すぐ成績を上げたいとか、みるみるやせたいとか、勝手な願望をかなえようとすると、高いサービス消費にカモられるんだろうね。

今年度の仕事は、わりとスロー・ペースのまま終わった。金のかかる趣味もないし、OSはまだMeだし、金食い虫ともおつきあいしていないから、今のところひっそり暮らしては行ける。
これ以上タイトになると、年600時間労働で過労死して笑われそうだ。参議院出馬、どうしようか(笑)。


ホテルはアッパッパ

at 2007 01/26 22:28 編集

耐震偽装事件が、まだ終わらない。
今となっては、ヒューザー小嶋社長の答弁など、あのキャラクターからして猿まわし、いや猿芝居にすぎず、背景の闇も深いのでは?と匂うまでのところで、「姉歯丸刈りの刑」で一件落着になったように見える。

ただ、まだあるぞ怪しいぞ調べる価値あるぞ・・・と断末魔のつぶやきを残していたのが、イーホームズ藤田社長だった。
闇の力に葬られる危険さえ感じているだろうに、彼の勇気には男惚れする。

その指摘通り、APAグループの灰色マンション、灰色ホテルが浮上してきた。
安倍首相の応援団をしているのが、これまではバリアになってきたのだろうが、いやはや、あの社長おばちゃんも強烈だ。
記者会見では、トレードマークのゴ〜ジャスなお帽子を脱いで号泣していたのが、まるで台風直後の土石流のようだった。アップにしてはいけませんね。

この芸は、国会で罵声をふりまいた小嶋社長と通じるものがあって、マスコミでいじくられる価値のあるキャラではなかろうか。これまでも、さんざん関西の駅や電車の広告ポスターにオカルトスマイルで露出していたから、本人は国会という檜舞台に喜んで出て、お涙ポロポロ芸を見せてくれるにちがいない。

ただ、ご自身も年をとってから女子大生のヨロコビを味わっていたようだから、季節柄APAホテルに泊まっている受験生への気配りを見せていたのはほめてあげたい。そして緊急対応として、営業禁止措置のホテルでも、どうしても泊まりたい客には無料で部屋を提供しているという。
いや、タダならいいという話ではなくて・・・と突っ込みそうになるが、ぜひAPAホテルは議員宿舎に転用するなど示していただきたい。

こんな偽装ホテルは、営業できなくなるだけで、客から訴えられることはなさそうだが、マンションとなると、購入者への払い戻しや損害賠償請求をかかえると建設費を上回る損失が出るから深刻だ。
破竹の勢いで次々に建て続けてきた強気の夫婦にしてみれば、どこかで穴埋めするメドは立っているのかもしれない、とはいえ。

ただ、穴埋めしても、闇がなくなるわけではない。外からこじ開けないと、闇は晴れないと思う。
そこで、藤田東吾さん起用!である。「民間検査機関の検査機関」として、再登板してもらえないものだろうか。すでに前科ある身、失うものはないはずだし(失礼)。

検察も司法取引をして、「知っていること洗いざらい証言すれば、減刑してやる」と持ちかければ、名を捨てて実をとることもできただろうに・・・と今となっては惜しいが、まだまだ灰色物件は出てくるにちがいない。
「皇居地下の核シェルターは震度5で陥没する」
「平壌の地下鉄の設計は姉歯だった」
「篠塚支店長の劇やせは納豆ダイエット」
などなど、トリビアもまじえて暴露マンとして活躍していただきたいものだ。


昔のまんま?

at 2007 01/25 17:56 編集

そのまんま知事が、荒海に乗り出した。
保守王国で、組織の後ろ盾も持たず、当選したらしたで議会はオール野党の板挟み状態。「お手並み拝見」の鳥インフルエンザは、初仕事としては専門的すぎて、現場視察しようにも役人にシャットアウトされて右往左往・・・お気の毒な船出ではある。

県民に選ばれた知事に、県民に選ばれていない役人が協力しないとき、伝家の宝刀を抜くこともあっていい。本人も、長野県議会+役所vs田中康夫という前例を見ていて、覚悟もしているだろうが、康夫ちゃん以上に「ええい!」とばかりにケツまくって県議会を解散してしまう可能性は高い。
利権や名誉など失うものが何もなさそうだから、いっそオール与党を御破算にしてみて、ガラガラポンをやってみるのもいいかもしれない。

それでも、地方の保守王国の宮殿にはびこる官僚主義は、なかなかすぐには崩壊しない。なにしろ、高天が原の里、卑弥呼さんの生まれた土地ということになっているほどだから。

だから、いっそ共産党と手を組んでみるのもおもしろい。保守勢力は、鹿屋から特攻隊を飛ばして、「そのまんま基地」に突撃しかねないほど奮い立つかもしれない。がんばれ、西南戦争!(笑)
戦争は究極の公共事業だから、ダムと道路の利権にしがみついているオッサンたちにとっては本望だろう。

もちろん、流血の政治改革をあおるのは不謹慎だから、平和裡に保守回帰してみることを、地元の政・官・財界には提案したい。
ダムや道路の利権構造については、僕は知識も関心もないから、「あっち」の面だけ、歴史の針を戻してみるのだ。

たとえば、宮崎県だけJRを国鉄に戻す!(県鉄になるか?)
九州新幹線が、宮崎ではなく熊本の方を通っている無念さには、僕は深く同情する。おまけに、宮崎と関西を結ぶブルートレインも廃止になったから、夜行愛好家としては何とか復活してほしい。

そこで、宮崎県には東京や大阪へ直通の夜行寝台(食堂車つき)フェニックス号を走らせて、熊本と競い合えばいいのだ。新幹線が通過する熊本各地にペンペン草が茂るのを尻目に、宮崎には古き良きブルトレで新婚さんたち(フルムーン客でもいい)がやってくると、それはそれで活性化にもなるというものだ。

東国原知事は、大学で地方自治を学びなおしたそうだが、九州のように由緒ある町や村がひしめいている土地に、新幹線は似合わないと考えるかもしれない。
ぜひ、国鉄フェニックス計画をぶちあげて、鉄ちゃんを議会に送り込み、県職員は「鉄分」で高得点のマニアを採用し、「昔のまんま」を実現してみせてほしい。
保守政治屋も、汽笛を聞いて納得するのではないかい?


やれやれ大事典

at 2007 01/24 13:59 編集

コンビニに納豆が戻ってきた。
おかえり、また会えたね!これからも一緒だね!と抱き締めてあげたいほどの再会である。

キノコだ、野菜スープだ、ココアだ、ヨーグルトだ、と浮かんでは消え浮かんでは消えしてきた健康アイテムに、最近は納豆が取って代わっていた。
どうりで、コンビニでも売り切ればかりだったわけだ。昔から納豆星人だった僕にとっては、迷惑なとばっちりでしかなかった。

「あるある大事典」の偽装発覚をうけて、短絡的な市民を妙に同情的にとりあげたがる某A新聞には、「裏切られた。毎日食べていたのに、効果がなかった。返金してほしいぐらいだ」という庶民の声が載っていた。
んな、アホな。
裏切るもなにも、納豆は有害とわかったわけではないし、それを食べてしまってから返金しろとは、ユニークな理屈ではある。そんなにやせたいなら、絶食しろ絶食!(笑)と僕は忠告してあげたい。
「ウォーキングが○○に効く」と聞いてせっせと歩いて、効果がなければ「流した汗を返して!」というわけにはいかないでしょうに・・・。

そもそも、ダイエットのためだけに納豆を食う人民は、納豆に対して失礼というもんである。
イソフラボンもナットウキナーゼも摂れるんだから、それでいいではないか。

ただひたすら毎日、体重計の目盛りを見ながら黙々と納豆を食っている消費者というのは、これまでもリンゴだカスピ海ヨーグルトだとひっかかってきただろうから、また次は別の商品にひっかかる「カモ」だったりするのだろう。
これからも、日本経済のために、貢献していただきたいものだ。

僕の敬愛する小泉武夫先生は、ちょうど年末に講談社文庫から『納豆の快楽』を出されていたせいか、このにわか納豆ブームにコメントを求められていた。
案の定、「納豆かけ御飯、おいしくて何杯でも食べたくなるぐらいですねぇ。食が進んで太ることはあっても、やせるんでしょうか〜?」と笑っていた。ガハハハハ、これでいいのだ。
納豆クンに罪はない。かりに「あるある」のデータがウソであっても、すでに定評になっている効能は揺るがないのだ。

シンプルに、雑穀と炊き合わせた御飯、季節の具どっさりの味噌汁に納豆があれば、僕は充分だし、魚か野菜の煮物ぐらいの一皿がつけば、極楽気分になれる。奈良漬けかタクアンでもあれば、お茶づけサラサラ「仕上げの一杯」で感動的なフィナーレだ(笑)。
劇的にやせなくても、実感として体調すっきり・食費節約になるから、いいではないかと思う。
保釈されたてホヤホヤの植草ミラーマンやホリエモンを見ると、こと体格だけに限れば「あれが正解」という気もするのだが。


混浴露天風呂殺人事件リターンズ!

at 2007 01/23 21:27 編集

偉大なるワンパターン土曜ワイド「混浴露天風呂」シリーズが終わってしまった。「あるある大事典」より100倍惜しい。

家族だんらんのお茶の間を、一瞬気まずくさせるドキドキ・ハラハラ・ドギマギの「お約束シーン」が、もう見られないのかと思うと、しみじみと寂しい。今となっては、平日の再放送を楽しみにするしかない。

今どき、「私たち、短大の温泉サークルで〜す」とはしゃぎつつ全裸で混浴しにくる乙女なんか、いるわけないのだが、このバカバカしさがいい。温泉に行ったとき、(決して混浴には入らないので矛盾しつつも)ふと期待する自分がバカバカしく思えるのも、温泉ギャルとやらの「功徳」だったりする。あぁ、彼女らは巫女なのか・・・(笑)。

これがないと温泉ロケの価値が皆無になってしまうぐらい、お決まりの瞠目シーンといえるし、あられもないおねえさんたちが自然に見える温泉風情という装置を、巧みに使った演出だと思う。
世の殿方は、古谷一行をチクショーと妬みながら、録画スロー再生してみたり、コマ送りしてみたりしていたに違いない。

そして21世紀、時代の移り変わりは、このシリーズも180°ひっくりかえすかもしれない。
温泉ボーイズが、「僕たち、営業キャラバン中の三助(古いね)サービスです!」といいつつ、温泉地でおマダムたちを惑わせて回るという物語はどうだろう。

最大の難問はキャスティングだ。
関ジャニ∞なんかがやれば、おそらく今までのファンからは大ブーイングだろうが、新しいファンもつくにちがいない。ジュニアが東日本、∞が西日本を担当すれば、首尾よし見通しよし発射オーライ!である。
なぁに、30歳以下のおねえさんたちより、40歳以上の元おねえさんたちの方が人口は多い。ファン層が入れ替わってしまうのも、経営判断ということで、いいでしょう(無責任だな)。

定番ドラマも出演者が高齢化している昨今だから(はぐれ刑事なんか、とっくに公務員定年を越えて実年齢70歳だから、せいぜい探偵か警備員しかできないはずだし)、木の実ナナが還暦というのも、制作サイドにとって、いい潮時になったのかもしれない。

だから、水戸黄門に由美かおるが網タイツでお色気を注ぎ込んだように、「左近警部どの」にはミニスカポリスを組ませるとか、斬新な「リターンズ」に期待したいところだ。
肝心の左近警部役が、意外と適役が思い浮かばない。
はまり役を思い起こすと、クリント・イーストウッドなら、もう稼ぎ終わった名優だから、ギャラ度外視で「友情主演」してくれるかもしれない。日本の温泉で、ダーティ・ハリーよろしく44口径マグナムをぶっぱなされるのは困るけど。

ピーター・フォークやデニス・ウィーバーを天国から呼んでくるわけにはいかないし、まぁ手近なところで田村正和で決まりだろう(定年オーバーはごまかしてもらうとして)。
温泉ギャルというより、温泉マダムが群がるかな?
「ぜひ刑事をやらせてくれ」と這い出してきそうなのが水野晴男センセイだが、∞やジュニアと混浴したら悦楽のあまり昇天しそうだから、シリーズ化できないな。


メーカー名を公表せよ

at 2007 01/22 18:42 編集

たかが一度の入試ぐらいで・・・とはいえ、一浪しても三浪しても、とにかく合格すれば、ある程度のレールが敷かれるのが日本人の人生。
だから、センター試験は乾坤一擲の大勝負だろう。受験生にとっては、関が原の戦いみたいなものだ。

なのに、端末の不具合でリスニング試験の音声が切れるトラブルが、去年以上に起きていたという。いきなり音が消えた受験生は、さぞかし焦りまくっただろう。かわいそうに。
やりなおせばいい、というものでもない。このショックが尾を引いて、出せるはずの実力が発揮できない受験生だっているはずだ。

もう、こうなりゃ低性能な端末を製造したメーカー名を大々的に公表した上で、こんな不良品の納入は撤廃すべきではないだろうか。
そもそも、納入が随意契約なのか入札なのかもわからないから、それも公表して、金額も明らかにすべし!
という尻拭いをさせるために、法学部志望の受験生は、入試センターを訴えればいい。いい「プレ・キャンパス」の実習になるぞ。

入試の監督を昔2回ほどやったことがある不真面目なワタクシは、ひまつぶしに受験票に貼ってある写真と名前と電話番号を暗記しようと試みたが、結局ただの一件も記憶に残らなかった。
満開のお花畑のような文学部の入試など、インプットすべきサンプルが多すぎた(笑)のもあるし、記憶力が致命的に衰えていたから。

まぁ、憶えて悪用しようとしたわけではないし、二浪一留の僕は受験生の境遇が痛いほどわかるから、「みんな入学させてやれよな」と日本の大学教育に心の拳を向けていたほどだ。今でもそう思う。

乱暴な割り算で「大学教育に全入時代が間近」と騒いでいるニュースもあるが、そんなに簡単な話でもない。都会の国公立は依然として狭き門であり続けるだろうし、不人気な大学は淘汰されて行くし、東大も含めて全大学で学力低下は進む一方だ。

リスニング試験のような新しいタイプの試験は、いい試みだとは思うが、遅すぎた。
経済の「失われた10年」どころか、未だその真っ只中にある大学教育は、教える側の無策と怠慢で、立ち腐れかけているような気がする。組織の病気を厳正に診断してメスを入れないと、危っかしいフリーターや医者、教師らが野に放たれるだけだろう。


センター試験が何だ漫学生がんばれ

at 2007 01/21 13:55 編集

お兄ちゃんに命を奪われた歯科医の末娘も、かわいそうといえばかわいそうだが、ここ数日の僕の同情ホルモンは、京都精華大学生の方に注がれている。
大作クンである。合掌。

マンガ専攻というのが泣けるではないか。
たぶん、司法試験や銀行を受ける学生はいないだろう(いてほしいけど)。むしろ確実に地味で貧乏な生活に突入することがわかっている・・・でも自分の納得する作品を追究する志は、立派ではないか。

ホストクラブなんぞでバイトしている国税大学生なんてのを見かけると、HIVに感染しようと流れ弾に当たろうと、同情ホルモンは1滴も出ないが、長い下積みを覚悟している学生、たとえば音大生には10滴、美大生には17滴、マンガ専攻には50滴ぐらい出るぞ(一番日の目を見ないのは詩人かな)。

ちょっと景気がよくなったと思えば、タメ口で「やっぱ外資でしょ」と、メリルリンチやモルガンに目が向いているあんちゃんや、「私って、日本の企業社会じゃ評価されない人なのよね」なんつうイエローキャブ嬢が増殖しているのは、あぁ世界の田舎ジャパンの恥部である!勘違いな大学生たちは、マンガ家のアシスタントを3年勤めてみやがれ!!とワタクシは就職指導してやりたいぐらいだ。

きのうからセンター試験が始まったが、まだ受験生が甘い夢を見るならいいと思う。
それが、2年なり3年なり最高学府で勉強して、「重要語句」やら「要点項目」なんかの暗記勉強にふけっているお子ちゃまも多い。

そこが、マンガ青年は違う!
と、いきなり手のひらを返したような絶賛をするのもいかがかと思うが、投稿して落ちて、持ち込みしてダメ出しされ、それでも挫折を楽しんでいたりするマンガ青年は、やはりえらい。
大作クンは下宿生だったが、きっとトキワ荘のような、マンガ専攻の仲間たちと鍋を囲んでいるような、麗しい青春を謳歌していたことであろう。

京都精華大といえば、上野千鶴子が東大に赴任する前に教えていた「偏差値三流校」なのだと『サヨナラ学校化社会』で書いていた。
もちろん、偏差値で一流だ二流だと序列化されている学校化社会の方を揶揄しているテクストなのだが、この中で精華大生は、フィールドワークを通じて「無知の知」を学習して行くのである。すばらしい!

たしか僕の記憶では、上野さんが在籍していたころの学長を文化人類学者の深作光貞さんが務めておられたと思う。
この深作さん、未開社会へのフィールドワークで、なかなか洗濯しながらの旅ができないとき、安くて使い捨てしやすいというので、女性用のショーツをたくさん持参したという逸話を紹介しておられた。
アッパレな発想ではないか。いいねぇ、こんな学長を冠する大学というのは。

その中でも、マンガ学部こそ、もしかするとマンガ界のハーバード大学になったりする可能性がある。政治経済や医学や理工学系は「あっち」に頭脳流出する一方だが、マンガは「こっち」をめざして頭脳流入してくることだって、あるだろう。
大作君の分まで、マンガ学部をあげて、世界に誇れる表現を究めてほしい。ビンボー漫画家の未来は明るいのだ。


大寒にはやはりガスストーブ

at 2007 01/20 23:42 編集

北見のガス漏れ事故で亡くなった被害者は本当にお気の毒だと思えるほど、うちもガスに依存している。
「すぐ暖かい」ガス暖房をPRするCMソングも耳にこびりついているし、その通り瞬間的に暖かくなってくれるのはうれしい。

ただ、危なっかしい面もあるわけで、追い焚き式の風呂では沸かしているうちに居眠りしてしまい、沸騰させてしまったことがあった。そんな話をすると、「またまたぁ・・・沸騰なんて」と冗談のように受け取る人もいるが、実際ゴボゴボと別府の地獄温泉のような不気味な音で目が覚めて、みごとに熱湯と湯気でフタがクニャクニャになっていることもあった。

ストーブつけっぱなしで寝入ってしまい、元栓が自動的に閉じてしまうのは、しょっちゅうだった。いやはや危ない。
そして昨夜が、新居で初めての「つけっぱなしシャットダウン」の1泊になった。
寒さで目が覚め、喚起不足だったせいか頭がズキズキ痛い。
でもまぁ、ガスが止まってくれてよかったとはいえるけど。

こんなヒヤリ・ハット経験があっても、まだまだ電気暖房に切り替えようとは思わないほど、赤い炎の温かみは捨てがたい。
餅を焼いたりヤカンを乗せたり足をあぶったり(?)とフル活用できる3980円ストーブは、廃棄処分しなくてよかった・・・と言ってられるのも、まだ火事を出していないうちの話なのか?
これ1台で2DK全室の暖房に使っているんだから、環境省からはほめてもらってもいいほどだと思うのだが…。


セレブなセフレ

at 2007 01/19 22:41 編集

ネオン街で、何かの店のビラ配りをしていた、いかにも学生アルバイトふうの坊やが、先輩格に「なー、セクキャバとキャバクラって、何がちゃうん?」と質問していた。
ホノボノとした光景であった(笑)。
僕も解説を聞きたがったものの、愛車を停めてぢっと耳をそば立てているのも変だから通りすぎてしまったが、答えは「セクシーなキャバクラとセクシーでないキャバクラ」だったかな?

その道にはとんと疎いのだが、今はやりのバラバラ事件の意外なつながりが、キャバクラだったりするようだ。
三浪の兄にばらされた妹のアルバイト先がキャバクラ、証券マンの夫をばらした妻の昔のアルバイト先がキャバクラ、そのまた夫の「元カノ」が風俗嬢だったという。なんだか、侘しいばかりの「女の職場」があそこにも、ここにもある!という感じ。

キャバ嬢が手っ取り早く現金収入をかせげる職場はまた、手っ取り早くモテ男の気分が味わえる御殿でもある。
家族の悩みや焦りや不安のひだを察する気配りもなく、切って捨ててしまうような発想の現代人にはぴったりの施設なのだろう。

最初、証券マン夫婦を勝手に「セレブ婚」などと書き立てていたメディアは、手のひらを返したように、実は家計は破綻寸前だっただの、おとしめるのも早い早い。
早い時点で妻が容疑者とにらんでか、電話の会話を録音してネタとして売りつけた元同僚とやらも、イエローメディアも皆グルではないのか?と思う。

うわべでは豊かで幸せに見える証券マン家族も歯科医家族も(一緒にしちゃー悪いが)、ハリボテが倒れてみれば人の命は虫けら同然。
家庭というのが、油断できない場所になっているのは気が滅入るけれど、そうとわかるだけでも不幸中の幸いといえなくもない。夢も幻想も、打ち砕かれてみないと、その正体はわからないからね。

こんなご時世だからこそ、結婚しようという男女は勇敢だ。「逆風」がもっと吹けば、危い兆しの二人が家庭らしきものを構える悲劇は防げるのかもしれない。


1個のブルガリより10通りのシチズン

at 2007 01/18 05:34 編集

たぶん、手持ちの一番古い腕時計が、電池切れ程度かなと思って店に持って行くと、あれこれ診断されて重症だということになり、約1カ月の入院を経て昨日ようやく帰ってきた。

「電圧をかけてみると、針は動きますが、負荷が過剰にかかっているようで、電流が流れすぎて・・・云々」と専門的な診断をしてくれたスタッフは、近ごろ珍しいぐらい誠実だ。オームの法則を思い出させる論理的な説明は、かえってよくわかる。
なるほど・・・エネルギー補給しても、どこか病んでいて、過労死しかかっていたわけね。そうかそうか、ご苦労さんであったね。

なにしろ、就職したころに、ということは一人暮らしを始めたころに、気合いを入れる覚悟で買ったというか、半ば買わされた時計なのだ。
ロレックスだタグホイヤーだと時計に凝る性分ではないけれど、JALよりANA、サントリーよりニッカ、阪急電車より阪神電車、アサヒよりヱビスビール、劇団四季より吉本新喜劇(笑)ぐらいのこだわり(ひねくれ?)を持っているなりゆき上の、「シックなシチズン」である。

それでも、思い出せないほど愛着もない、数千円のチープな腕時計しかしてなかったチープ男にとっては、勇気のいる買い物だった。
そこを、「お似合いですよ」と営業用の微笑み(笑)で萌えさせてくれよった魔性の店員嬢のせいで、買ってしまったのだ。
以来18年間、使っている間は故障もなく、律義に作動してくれた。

防水とうたっているわりに水につけると中から曇ってきたり(笑)、マリンスポーツに最適!なはずが、真水でウレタンバンドがぼろぼろになって行ったりするような安物どもしか知らなかったから、このシチズン君の100m防水というのが未だ信じられない(し、確かめようもない)。
まぁ、もうしばらく使ってみるか。

ふと、腕時計というのは、もしかするとステイタス性というか、必要性も急低下しつつある装飾品なのかもしれないなーと思ったりもする。たとえば、カフスボタンとかネクタイピンのようなポジションにあるのではないだろうか。

今どき、子供の高校や大学の入学祝いに時計を贈る親族はいないだろうし(もっと昔は万年筆だったらしい)、そもそも腕時計=ダサい、ケータイが時計代わり、というのが学生世代の感覚だ。
たしかに、手首に巻きついて密着している腕時計というやつは、夏など特にうっとうしい。

ただ、いつでも、どんな席にでも、だれの前でもケータイを手放さずメールに条件反射している「今どき君」より、TPOに合った腕時計をして、ケータイも活用しつつ筆まめだったりする「今どき君」の方が一目おかれるようなビジネス・カルチャーが、健在でいてほしいものだとは思う。

大橋巨泉が「イレブンに出てたころの僕のスーツなんて、2万円の吊るしのですよ」と笑っていたことがあったが、チープでも高級に見せる腕前が、品格というものだろう。
「歩くブランド」のような猿娘が目立ってしかたないからこそ、よけいにそう思う。


高射砲がほしいかも

at 2007 01/17 23:54 編集

あの日、あの時刻を迎えてから就寝したので、昨夜のことのように感じる今朝早くの「メモリアル・モーメント」だった。
追悼式典やイベントを、空から取材しようとするヘリコプターが何機も何機も飛び交って、うるさいのなんの。撃墜したい衝動に襲われたぞ。

ヘリの轟音は、おととしのJR福知山線事故の直後に、現場の生存反応を探り当てようと耳を澄ましていた救援スタッフの神経を逆なでしたという。
取材の自由は認められていい。とはいえ、空からの取材ほど、他人行儀で役に立たないものはない。

あの朝、僕が住んでいた中央区のマンションの屋上から目撃した幾本もの黒煙の柱や炎と、空からの中継映像とは、同じもののようで、実は本質的に違う。
空撮映像は、取材スタッフ以外、一般の素人には決して追体験・再確認できない画像だから、永遠に虚構なのだ。

今まさに目の前で家族と永遠の別れをせざるをえない悲劇の現場を空から見下ろして、上ずった声で下手くそな実況中継など、してほしくないのである。ちゃんと大地を歩いて、あの家や街や人が焼けている匂いを嗅いで、取材してほしいものだ。
空から現地に直行できるなら、消化器や、倒壊家屋から人を救い出せる工具でもばらまいてくれよな、というのが素朴な気持ちというものだろう。

集まって、みんなで追悼しあたり癒しあったりしたい人は、そうしてもいい。家で静かに遺影に手を合わせるご遺族も、いてもいい。
ただ、善意でイベントを企画・運営している関係者には悪いが、人文字やら、万灯会のようなライトアップやら、気恥ずかしいばかりにくさい歌詞を小学生にあてがった合唱やらは、ショウ・アップされたドラマのような印象がぬぐえない。

知らず知らずのうちに「テレビ受け」することを意図するようになってはいないだろうか。それが証拠に、どの新聞の第一面写真も、万灯会であった(笑)。
究極の戯れは、巨額のグレー・マネーがプロデューサーに流れ込んでいるルミナリエだろうけど。

追悼は「絵になるイベント」になり、復興支援は結局ゼネコンに狩り場を与える公共事業になり、復興住宅では孤独死も自殺も絶えない。
だからこそ、ソフト面での暮らしのバックアップが、もっとほしい。
本当に必要な被災者への医療や介護やリハビリを、もっとよこせ!と訴えるデモンストレーションは、もっと声高にやればいいと思う。
現に生き残った市民が幸せにならないと、犠牲者も浮かばれないのだから。


後部座席は花園か柩か

at 2007 01/16 06:46 編集

MBSの、チューリップのようにキュートな女子アナ八木早希が、大学病院の外科医と婚約なすった。
ほっほー、やっぱりセレブ婚ね。ほとんど別世界の話だが。

それでも、もう自由になされよ!と勝手に勘当する気分になっていた(笑)ワタクシは、プロポーズの手順を報じるスポニチの記事のおかげで、にわかに「あの時代」にタイム・ワープさせられたぞ。
ヒジュラ・・・じゃなかったジュリアナ期に。
あの、大学生の小僧も犬猫もジジババもバブっていた、絢爛豪華なマラカニアン時代に。

外科医のクルマの後部ドアを開けたんです私・・・(八木アナよ、あんた社長かい?)。
そうしましたら、あぁなんてことでしょう、400本の薔薇の花束と、その中央にケーキがあしらわれていて、球根いや求婚メッセージがついているではありませんか!!

ワハハハハハハ
こういう演出をするダンディくんが、いたいた!・・・あの時代に。
それを、21世紀に再現してしまう32歳レッドデータ君がいたのだ。すごい!真似できません!!

いや、別にイチャモンつけてるわけではない。求婚するのにここまで演出できる若さはプリティ〜だし、すなおに喜んであげている八木アナのボランティア精神もすばらしい。
景気回復の兆しというのは、こういうところから、下々の庶民に降り注いでくるものかもしれない。

それでは、下々にしかいたことのないワタクシが真似ると、どうなるか。
我が愛車の後部座席は、せいぜい鉢植え3個ぐらいしか載らないのが現実だ(縄をかけて固定する必要あり)。
「私どこに跨がればいいのよ!!」と憤慨する彼女をなだめて、鉢植えは頭に固定してもらい、両手でしっかりワシにつかまっておれ!で発射いや発車オーライである。いや冗談ではなく、本当にデートの足はこれしかない。

本気で、花束あふれるマイカーに彼女を乗せて運搬しようと思いついたなら、軽トラの方がたくさん積めそうな気はするが、園芸店の配達仕事みたいになるから、あまり夢はない。
でも、乗用車のリアシートだけ畑みたいになっていると、虫が湧いてきかねないから、やはり荷台とシートが別になっている車種の方がよろしいのではないでしょうか?と、よけいな提案をしてしまう。

あぁしかし、花束攻撃する彼氏の嗜好も、なんとなく透けて見える気がするぞ。
早希の髪に花飾りをさりげなく挿してキザなこと口走ってみたり(わしがやれば刺してしまうな)、四畳半ほどありそうな「僕んちのバスタブ」に、花びらをわんさか浮かべて誘ってみたり(ヒィィィィィィィ〜〜〜ッ)、彼女に花柄を強要してみたり(笑)・・・外科医の口ぐせで、「では開いて点検」などと口走ってしまわないのだろうか。

そんなおせっかいはさておき、乗り物を花で飾る演出は一見クサいが、南イタリアの挙式シーンで見たような気がするし、路面電車のあったころの神戸では、港祭りの際に花電車が、のちに花バスが走っていた。なつかしい実話である。
昼は花飾りがきれいで、夜は電飾がついていて、沿線に立ちつくして待っていると、まるで「動くおとぎの国」が夜の闇を滑って来るかのような幻想に、まだ純真なころの僕は酔いしれていたものだ。

こんな見世物は、その時代を共に生きた神戸市民ならだれもがウットリ反芻できる「まぶたの情景」だが、プロポーズの演出で花束運搬車となると、思い出したくなるか封印したくなるか、微妙なところだ。下手すると、インターンの女医との浮気によろめきかけたときに、「あのころのあなたは、どこに行ったの?」と証拠写真を突きつけられかねない。
このへんの、絶対忘れない女脳に刻まれる「二人の思い出」の強さと怖さは、幸か不幸か僕の知ったこっちゃない。

「誠意」とハチマキに書いた羽賀研二の演出なんかは、一回こっきりのジョークですむものの、エリート外科医が真面目に決めてしまうと、求婚日だ結納日だ入籍日だ挙式日だ受胎告知日だ・・・と記念日マニアの妻が望むままに、新たな出し物を考える必要もありはしないのかな?日ごろ激務の外科医でしょうに。

最初に人体切断のイリュージョン!と荒技をやってしまうと、3周年、8周年と経ってから鳩を出しても「なによ、それ」と言われて、萎えてしまうかもしれない。
そうなるのは、へなちょこのお前だけだ!と諌められそうで、たぶん実際その通りだが。


BUY宮崎!

at 2007 01/15 20:01 編集

鳥インフルエンザが発生した養鶏場が宮崎県にあるというので、地元の畜産業者は風評被害に頭を抱えているという。
ほんと、お気の毒な話だ。
各地の小売店で、お役所が「宮崎産は販売してません」「宮崎県産でないから安心」のような表示をチェックするようだが、ほとぼりが冷めるのはいつになるのだろうか。

そもそも、味の違いなんかわからないくせに産地にこだわってみせる(または、こだわっているつもりの)消費者がいるから、表示するんでしょうに?
大阪湾や東京湾でとれた水銀風味の魚さえ、マイウー!マイウー!と喜んで食っているような消費者に、鳥インフルエンザの被害なんか出るもんかね?

アメリカ産の牛肉は汚染されてるぞ!
あそこのカイワレ大根あぶないわよ!
今度は宮崎の鳥肉が怖い怖い!
てなマス・ヒステリーは、まぁ煽るメディアもメディアだが、子供の世界のいじめと似た幼児性が見え隠れする。

たとえば、ふと犬のウンコを踏んだだけで、いつまでもバイキンくんなどと呼ばれて、こっち来るな!うつるぞー!みんな逃げろ〜と村八分に遭う子が、よくいるものだ。犬のウンコの代わりに、外国人の血が混じっている、同和地区に住んでいる、名前がユニーク、パパが幸福の科学(笑)・・・と、何でもいい。何がきっかけになるかわからないのだ。

こんな記号をきっかけにして、今の今まで仲間だっただれかを「異化」して共同体の外に排除してしまおうとする力は、どんな集団でも起こりうるものだから、たまたま今回「宮崎の畜産品」が風評被害に見舞われただけで、次はどこが生け贄になるかわからない。

もしかすると、神道の「穢れと禊」の観念にルーツがあるのかもしれないと僕はにらんでいるのだが、不幸のあった場所には近づかない「物忌み」感覚が、かえって被害修復を遅らせたりするものだ。
もうすぐ、あの年の1・17から、干支がちょうど一周する。
惨状を見に来るな!と叫ぶ被災者もいたし、どんどん見に来て、肌で感じたことを全国に伝えてほしいと願う被災者もいる。僕も後者だ。

物忌みなんかしなくていいから、今は宮崎チキンを、宮崎卵をどんどん買って、売り上げで地元経済に活気を与えるのが、一般国民にできる応援になると思う。
素人が「あの県の○○は、衛生面でちょっと・・・」と非科学的な思い込みにふけっている場合じゃないのだ。


斜行生活カーテン

at 2007 01/14 22:08 編集

朝日に起こされる生活は案外うっとうしいから、日当たりが良すぎる部屋は考えものだ。
さすがに夏の西日が直撃する部屋は苛酷だったから、ブラインドで風通しと暗黒化を両立させていたのだが、西向きからは解放されたので、カーテンでいいか、と考えた。

普通のカーテンだと、さすがに冬でも朝からまぶしいほど日が当たる。やはり、日ざしを遮りたい。ただ、ある程度は部屋の明かりが外に漏れる方が、防犯上はいいかもしれないが。

遮光カーテンの遮光性というのは、買ったことがないからどれだけ効果があるのかピンとこなかったが、この際だから試してみることにした。
売り場には、遮光だけでなく、遮音効果のある繊維とやらを使ったズシリと重いタイプもあって、こっちは半間で1万円から。まぁ、そこまではいいか、と思って普通の遮光カーテンを調達した。

これが、けっこう効き目があるのでうれしい。朝の訪れは、ほぼわからない。ドラキュラ生活には、うってつけである。
遮音タイプのだと、もっと効きそうな気もしたが、「遮音2枚重ね」という裏技の方が安いかもしれない。

やはり、朝の訪れは、不意にまどろみを破る薔薇の香りのキスで・・・(笑)と、バカな夢を見ている愚か者には、未来も朝日も訪れてくれそうにない。
まぁ、よろしい。ドラキュラ人間として生きるのみである。
地獄への坂道を滑り落ちて行けばいいさー


不二家よ不死身であれ

at 2007 01/13 21:59 編集

不二家、と入力するとちゃんと変換されるほどのネーム・バリューが定着しているせいか、消費期限をわずか1日すぎた牛乳でカスタードクリームを製造しただけで、大騒ぎしすぎではないかい?と思えてならない。

もしかすると、「これだけのミスでも我が社は公表して、厳しい処理をしているのです!」と示す宣伝かもしれないと思ったりもする。
記者会見で、社長と副社長がペコちゃんポコちゃんのかぶりもので登場すれば、パーフェクトだったのに(笑)。

うちの地元では、洋菓子メーカーが苦戦続きで、コスモポリタンに続いてハイジも倒れてしまった。
森永とか明治、ロッテのような大手ではない阪神間ローカルの老舗ブランドには、神戸市民としては特にがんばってほしいのだが、洋菓子業界というのは、過当競争なのかもしれない。

今回の不二家騒動では、被害者も出てないのに、地に堕ちたブランド!!などと書き立てる一般紙もあった。
こんな新聞特有のヒステリーは、冷静に「食の安全」を追究する姿勢には見えない。不安と怒りを煽るだけ。

「失敗学」の畑村先生は、失敗した人を責めずに、失敗したそのものを分析せよという。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」とばかりに叩きまくると、本当に大事な証言が埋もれたまま、「罪人を葬り去る」だけに終わってしまう。それで気分はスッキリするかもしれないが、野蛮なカタルシスでしかないと思う。

賢い社会というのは、たとえば植草ミラーマンや、田代トリップまさしのような逸材(?)の、知恵と情熱(笑)を活かせる逆転技を持っていてこそなのだ。「獄中の林真須美が監修した激辛カレー」なんてのができれば、グリコのLEE30倍も撃沈する世界最強のカレーになるだろう(無理か・・・)。

雪印は大コケしてしまったが、たまたま中継で見たスキー・ジャンプの大会では、雪印乳業チームが健闘していた。
失敗をバネにして改善に改善を重ね、雪印も不二家もがんばってほしいと思う。牛乳が余っているなら、北朝鮮に輸送費だけの実費で贈ってあげればいいのだ。

戦後の日本人が、チョコレートの甘味でアメリカにコロリとなったように、北の人民には不二家、森永、明治あたりの連合軍のスイーツ作戦で惑わせて開国を迫るとか(ロッテも協力してくれるにちがいない)。
巨大ウサギを食糧にしようとしているようだが、乳製品の方が応用もいろいろできるし、ヘルシーでいいと思うが、いかがかな将軍さま!


オタクの年輪

at 2007 01/12 23:13 編集

謹厳実直な印象の同僚と、ちょっとしたきっかけで話をするようになり、昼飯の友になった。
気さくに「休みの日は何してまんの?」と聞いてこられた彼は、経営学のご担当である。が、学問的な話はそっちのけで、毎週会って話すたびに、道楽話ばかり。

「私、ラジコン作って、クラブがあるから飛ばしに行きますねや」と楽しそうに話されるので、「あー、いいですねー。エンジンですかモーターですか」「エンジン載せてるけどね」「ほほー!!」と、僕も模型少年のころの知識を動員して受け答えする。

自転車についても、僕が「マウンテンに乗ってましたけど、今はBD-1でちょこまか街の中うろついてます」と自己紹介すると、「あれは18インチやったかな。輪行にええよね」と、よくご存じなのだった。なんだか、戦後の日本人のホビーライフをフルコースで楽しんで来られたような博識と楽しみ方が伝わってくる。

今週の仕事始めでは、
「正月どないしてました?」
「寝正月でしたねー」
「そうですかいな。私はスピーカー作ってましてね・・・」
という流れで、オーディオ談義になった。
「フォステクスのユニットはバランスがとれてて、自作に使いやすいね」「ボーズの設計を参考にしよと思うても、ダクトが独特な構造になってますな」
オーディオ用真空管の生産状況、スピーカー職人長岡鉄男の伝説、アメリカンスピーカーのドライな音の秘密などなど、縦横無尽に趣味のチャンバラを交わすのは楽しい。

偶然、彼が最初にちゃんと買い物をしたスピーカーがタンノイで、僕と同じだった。
ただ、世代も違えば時代も違うわけで、「当時はまともなスピーカーは欧米のしかなかったからねぇ。タンノイの音の艶は、もう格別でしたよ」とおっしゃる彼より、僕は20年ほど後のタンノイに魅了されて我が家に鎮座させているが、やはり同じような評価になってしまう。

時代を経て石油危機をはさんでも、あぁ、老舗の音は変わらないものだなぁ・・・と妙に感心して、古いオーディオも大事にしようとあらためて思ったものであった。
若い世代同士のオタク・トークだと、自分のコレクションの張り合いみたいな乗りになってしまうが、たして百歳を超えると(笑)、懐古話半分、将来の夢半分のいい塩梅で、しみじみしたものを感じる。

次のネタふりは、やはり男の道楽の王様=カメラになることは間違いない。
定食屋での渋いオタク・トークが、楽しみである。


紅白全員集合

at 2007 01/11 22:28 編集

僕は見てなかったが、紅白歌合戦でDJ OZMAがやらかしたパフォーマンスで、苦情殺到だ事情聴取だ謝罪だとゴタゴタしている平和な正月だこと。
まるで「8時だよ全員集合」へタイムスリップしたみたいだ。

あの程度の演出もくだらないが、目くじら立てる視聴者の感性もくだらないし、処理のしかたもお粗末。「事情聴取」って、NHKはいつから警察になったのだろう。

体裁を気にするNHKのもみ消し工作や、「知らなかったことにする」体質は、実はいじめ自殺者を出した学校の管理職とウリふたつだったりする。そこに、賢明な視聴者なら気づいているだろうし、これ自体がいいニュース素材だったりする。

そして、一番賢明でなかったのが、どんな老眼で見ても作り物だとわかる「エロかぶりもの」に目くじら立てている、善良な視聴者たちだったのではないかい?
30年まえに「全員集合」に難癖つけていたPTAのなれの果てかもしれない。

民放でも活字メディアでも、叩きやすいからNHKを叩いているようだが、石頭な視聴者の受信料に支えられているNHKは哀れな組織で、こんな視聴者がNHKを支えているようで、実は立ち腐れさせているのが真実ではないだろうか。

全国数千万人の風紀委員みたいな視聴者がいるおかげで、NHKの演出は実にマニアックに、「わかる人にだけわかる」カルトな「お約束」へと進化している。
たとえば、「おかあさんといっしょ」で、おねえさんに触りまくる坊やを仕込んでおくとか、将棋解説のおねえさんの「バストショット・横から」とか(笑)。

この前なんぞ、有働恵アナが、対談番組でパパイヤ鈴木と一緒に腰をふりふりマンボのステップを踊っていたぞ。年金から受信料を払っている視聴者は、皆さん血圧が急上昇したであろう妙にキュートなエロさであった(笑)。

僕が前から注目しているのは、NHK大阪の青井クンというアナウンサーで、関西の奥様の99%を萌えさせているのではないかと
さえ思える。
DJ OZMAよりハイレベルな「悩殺人事」だぞあれは!


ひさ茶

at 2007 01/10 06:31 編集

ハイバックの、低反発素材の座椅子というのを使いはじめて、めっぽう自宅での居心地がよろしくなった。足を投げ出しているは血行がいいせいかむくまず・しびれずで、リクライニングを倒すとそのまま水平飛行に移れたりする。

この座椅子のおかげで、「夜お茶」をパッタリとしなくなった。
最近、カフェで煙たい思いはしなくなったけれど、根を生やす勢いで通いつめた店が相次いで閉店したこともあって(ごめんね)、尻が吸いつくような(笑)居心地の店に、なかなか出会えないのも、残念要因のひとつ。

久々に、エクセルシオールで10時ごろ「一人お茶」していたら、無性に眠くなって困った。
きのうまで冬休みだったので疲れているわけではないし、不思議でしかたない。酸欠になったような感じ。

「陣内紀香」効果でごったがえす生田神社の鳥居のすぐ脇の店で、客の入れ替わりも激しい店だった。もしかすると、愛の流刑とやらを求めて(笑)群れる男女の毒気にあてられたせいかもしれない。

まだまだ修行がたりんぞゴルゴ!と自戒して、「ホットラテショート」を飲み干して家路につく。
あぁ、この家路がクセモノなのだった。
この店と、となりの東急ハンズと、ちょっとその延長上の同じ町内に住んでいたときは、もう、「6丁目から3丁目にお茶しに出る」感覚で気軽に徘徊していたのが、いま隣町の隣町となると、ちょっと気持ちが遠い。

歩くと15分程度だから大した距離ではないのだが、官庁街の谷間のような区画から、「完全住宅地」に移っただけで、フットワークが変わってしまった。別に、出無精になったわけではなく、ゴミゴミした都心がさらに息苦しくなってきた感じ。

この、「15分歩いて繁華街」というロケーションを兄に話したら、「遠いなぁ」と笑っていた。
郊外ニュータウンでクルマ漬け・バイク漬け生活を送っているおっさんにとっては、15分も歩くことは皆無らしい。
ふだん使っている足によって、距離感や、「便利さ」感覚がずいぶん違うようだ。

僕が駅からトボトボ15分歩いて帰るうちに、兄が好きなZ1300でバイパスをぶっ飛ばせば、ひと山こえて郊外のマイホームに着くだろう。
おまけに、僕のトボトボは果物屋やら酒屋やら総菜屋やら、野良犬のマーキングのように寄り道ばかりしているから、よけいに時間がかかる。
でも、それはそれなりに楽しい。

都心と、地下鉄や高速で直結しているニュータウンが、よく「三宮まで20分!」「大阪まで45分!」と謳っている分譲広告を見る。そりゃウソではないのだろうけど、この20分とか40分は、意味がない時間に見えてならない。3分でも5分でも短縮されるべき時間と距離だから。

こんなニュータウンの駅に夜遅く電車で着くと、タクシー乗り場へ血相変えて走るサラリーマンやOLの殺伐としたシーンに出くわす。階段近くにあたる電車のドア付近からして、都心駅を出る時点ですでに混んでいる(笑)。
朝のラッシュもそうだし、この数十分という朝晩の時間は、「秒読み」としてだけ意味を持つのである。

郊外の公団に空き家が目立ち、分譲地が売れ残っているのも、ニュー・ファミリーが、徒歩圏内で生活できる都市の利便性に気づき始めたせいではないだろうか。
買い物にも病院にも音楽会場にも歩いて行ける生活は、やはり豊かだと思う。

歩いていても殺伐としている無機的な郊外ニュータウンに、最近はやっているのが、自宅イルミネーションだったりする。
旦那の肩書きや子供の学校の偏差値に加えて、新しく競い合うネタが増えただけのことだろうけど、似た者同士つくり笑いでライバル視しあっているニュータウンより、玉石混淆で個性を競い合っている都会の方が、やはり僕にはおもしろい。


星人式

at 2007 01/09 22:53 編集

何かと評判の悪い成人式も少し鎮静化してきたのか、ニュースを見る限りでは、浮かれ者もそれほど多くなかったような気もする。
大人のお膳立てした会場にわざわざやってきて乱痴気騒ぎするのも、二重に愚かで哀れな気もするが、顔にモザイクかけてもらっている恩情には、ますます気がつかないだろう。

でも、暴れたり、権威に反逆したりするのは若い連中の特権で、それはそれで通過儀礼として、あっていいとは思う。
大人は「青少年かくあるべし」のようなお膳立てをしつらえたがるもので、反感を覚えるのも自然だろう。「二十歳に成人式」は、「雷オヤジの前のちゃぶ台」と同じ道具立てなのだ。

だったら、いっそボイコットする方が潔い。
成人式は義務ではないんだし、おとなしく出席するのがいやなら「成人式休暇」でももらって、恋人と旅行にでも行っておればいいのだ。
おとなしく出席していれば「元気がない」と言われるし、暴れると「そら見たことか」と叩かれるし、どっちみち「近ごろの若者」はボヤきねたにされてしまうのだ。一体いつ、エイリアン扱いから地球人として認めてもらえるのだろうか(笑)。

成人式は昔からあったものだろうが、僕のころは通知があったわけでもないし、だれも行けと言わなかったから、言ったことがない。だいたい、二十歳になってから行くものか、満19歳で行くものか、未だにわからない。
来年だろうと思いつつ来年になったら去年だった(笑)という同級生も多い。
かえって、最近のように注目されていると、出席しようと欠席しようと強く印象に残ってよろしかろう。

現実的な希望をいえば、しゃちほこばって式典に出たりしなくていいから、二十歳になったら似合わないタバコをきっぱりやめる「卒煙式」をやってほしい。
選挙権や単独での法律行為など、何かができるようになる節目というのは大事だが、ある節目で何かをやめる儀式というのも、大事だと思う。この点では、引退暴走をやる族の連中なんか、「案外けじめ意識あるやん」と思ってしまう。

やめた方が100%いいのはタバコ、95%いいのは一気飲み、80%いいのは「合わない学校」、50%いいのは「無駄な浪人」・・・と挙げて行くと、酒・タバコでストレス発散して、苦役をやめられない社畜と重なって見えてしまう。

年長者は、偽善的なお膳立てはしなくていいから、せめて、身近なところで「いい大人」の姿を見せてやるのが、さりげない大人の務めだと思う。
松坂大輔や荒川静香は、現実の会社員のモデルにはならないのだ。


ガーラよしもと

at 2007 01/08 20:24 編集

もう、けっこう月並みな災難の部類なのに、妙にコーフンするゲレンデ事故ニュース。けが人もいなかったようだから、安心してワクワクできる。

GALA湯沢で、ゴンドラが停まって3000人ものスキーヤーが下山できなくなった上、やっと動いても800人の客が終電に間に合わなかった(終電を気にするスキーというのも、カラオケや飲み屋の延長みたいだ)。
こんなときの常套手段で、JRは列車ホテルを用意したようだから、被害者の皆さんは、めったに泊まれない「幻のホテル」を充分に満喫なさったのだろうか。

こんな「置き去り事故」は、まず山小屋なりレストハウスなりに籠もって救援を待つ間に、ロマンスが生まれるものと決まっている。タイタニック効果である。

乙女なスキーヤー「本当に私たち助かるのかしら」
微笑みのボーダー「大丈夫、僕は君のポーラースターさ」
乙女なスキーヤー「北極星?・・・聞くだけで寒いっちゅうねん!!」
てな漫才を信州のゲレンデでやっているのは、関西人だけだろう。
しかし、心細い拘禁状態でこそ、笑いで緊張緩和。がんばってほしい。「関西人が立ち寄る土地すべて関西」で行こう。

列車ホテルは、おばちゃん流の値切り変化球「負けてくれへんのやったら、オマケつけてえな〜」で、グレードアップを図ろう。

「こんなとこに泊められるんやったら、せめて寝台車ぐらい、用意してぇな」
「申し訳ございません。ここは新幹線駅ですから在来線と軌道幅が異なっておりまして、新幹線以外は乗り込めません」
「なんやのん、むつかしこと言われてもわからんわ。広軌とか狭軌とか」
「おや、お客様ご存じでしたか」
「あちゃーしもた〜!でもええやん、あたしら鉄子やから、手ぇ抜いたら騒ぐよ」
「そのままで充分騒がしいので、もう覚悟しております」
「あははー突っ込まれた〜」

というやりとりを、東京へ帰る客たちの前で見せてやれば、「本場の漫才の原型を見られた」と大喜びされるかもしれない。
ま、「見せてあげる」とまで構えなくても、関西のおばちゃん(小中学生からして、すでにおばちゃんエキスを持っている)は、自然にこうなるのだが・・・。



年賀状の向こう

at 2007 01/07 21:57 編集

松の内が明ける。
年賀状がない日もあれば、新居への転送先シールを貼った何束かがまとめて入っている日もあり、郵便局は間引き配達しとるんちゃうか?と不信感を持ってしまった。

ネット経由の年賀状も今年はなかったが、あれは送り手と受け手のアドレスを回収できるうまい商売やなーと感心してしまう。
そんなサイバー界の情報漏れをちゃんと規制できるなら、年賀状ハガキはなくなってもいいと思うが、年賀状だからこそうかがい知れる人の消息というのも、確かにある。

よくあるのは子供の写真だが、そんなもん興味はない。
別に僕が産ませたわけではない子供(笑)の写真を送られても受け答えに困るだけで、むしろ僕は人生後半の方々の変化を楽しみにしている。

まずサンプル1。
NHK放送センターの某アナウンサー森本レオ(コードネーム)は、団塊の世代ながら万年大学生のような、生きのいいというかファンキーな手書きで年賀状を下さった。
僕にとってはマンガ好きの先輩、素人漫画のプロデューサーのような恩人だ。帯で担当してらっしゃる番組で、「私はパソコンもインターネットもちんぷんかんぷんで、乗り遅れたまま」と謙遜しておられたのに、今年初めて、メールアドレスがついていた(祝)。
そのうち、ブログのURLでもつくのではないかと楽しみだ。

サンプル2。
こちらは、「コードネーム南方熊楠」で、コードネーム森本レオのちょうど10歳年長にあたる。
この、息の長さで浜村純と双璧をなす関西DJ界の「おもしろすぎるおっちゃん」とは、去年からプライベートに年賀状を交わす間柄になったばかりだ。手作り感満点の年賀状は、さすが美大に8年行っていたキャリアをうかがわせる(笑)。

今年は御家族の名前も連名で入っていた。
放送に息子さん2名を代わる代わる引っ張り出してきて、「おい、何うまいもん食うてるねん。こっちにもよこせや」などとじゃれあっている。
この父と息子の関係が、とても自然でホノボノしていて、漢字で兄弟のお名前を見ると、ますます身近な感じがする。

実際、家庭で超マニアな怪傑オヤジとやりあうのは、普通の会社員である息子さんたちにとってはなかなか大変だろうが、いい意味での父と息子の火花が、家族のバックボーンのようなものを感じさせてくれるオンエアである。

このおやっさんも、心底ではネットには懐疑的な様子だが、取材で使うデジカメの画像処理用にはパソコンを使いこなしておられるようだ。ただ、宛て名の差し込み印刷は息子さんあたりに任せている気配はあるような・・・。
どちらも、60歳近く、70歳近くになる人生の大先輩だが、水揚げされた魚のような目をしている今どきの青年諸君より、はるかに生き生き・ぴちぴち・ギラギラしてらっしゃるのがいい。

「やはり、年賀状」という世代の大兄、大姉たちの頭やハートの中に、お宝のような知恵やエピソードが眠っているのだと思う。
電波というメディアあってこそ人柄が伝わるのも、ハイテクなようで実はアナログな、ローテクである。
これが、ポッドキャストだストリーミングだとなると、とたんに虚構くさくなってしまうから、ラジオ職人は死ぬまで健在で(当たり前か)マイクに向かってほしいものだ・・・が、年頭の期待。


うまくいかない寝介

at 2007 01/06 21:38 編集

いまGメールがクールだ!
ブラウザーはファイアフォックス!
と騒がしいので、まぁ無料ならいいでしょう、ということで手を出してみた。

昨年、わが電脳判事が唐突にGメール絶賛メールをくれたので、これでメールしていれば、有罪判決は免れるというものだ(笑)。
ネットスケープとgoo日記はダメ出しされたままだが。

まず、Firefoxをインストール。
ふと、クリント・イーストウッド主演の同名の映画があったよなぁ・・・と思うが、あれは架空の戦闘機の名前で、かっこいい未来の戦闘機だった。フォックスファイアだったか、ファイアフォックスだったか・・・。
ぜんぜん関係ないが、アウトドアのブランドで、地味ながらいいセンスのFoxfireというのがあって、けっこう好きだ。
あれこれ連想していると、こんがらがってくる。

今までNetscapeを使ってきたから、同じMozilla系のブラウザは操作感が似ていて、違和感がない。クッキー、ブックマークまで一瞬で移行できたのは、拍子抜けするほどだった。
表示も心持ち速い感じ。

ところが、画像保存がいけない。フリーズしてしまうのだ。
何度も再起動させられるはめになった。
もう、やめ!
というわけで、アンインストールして、ネスケに戻ってしまった。

たぶん、マシンそのものが非力なせいなのだろう。
無料多機能!と評判のいいGIMPをインストールしたときも、立ち上げかけて即フリーズしてしまった。いや、カーソルは動いたから、べらぼーにスローペースで立ち上がっている最中だったのかもしれないが。5分、10分と待っているのも空しい。

お次はメーラー。
Gメールは、転送機能が重宝しそうだ。
というので、これに一本化しているググラーもいるらしい。アドレス帳までエクスポートしてしまえる。膨大な個人情報がグーグルに集まるわけだ。
テクストをスキャンして広告を画面に出す技術で無料化を実現しているそうだが、マル暴さんが連絡用に使っていると、銃刀や防弾チョッキの広告が出るのだろうか(笑)。

サイン・インは簡単にできた。
ところが、同じブラウザで再度ログインしようとすると、できない。クッキーもonにしているのに、クッキーくれくれと出るのだ。一応ネスケにも対応しているそうだが、なんじゃこりゃ。

リナザウや、何年も使ってないIEでアクセスすると、ちゃんとログインできるのに、ネスケだけ嫌われているようで、不憫でならない。この「寝介」はブックマークの管理やソースの編集がしやすくて、それなりに重宝しているのだが、なかなか1つで完璧なブラウザというのはないようだ。

というわけで、怪しい無料ブラウザを入れてスパイウェアを仕込まれるのも気持ち悪いし、OPERAを試してみようかどうしようか・・・とさまよい続けるのが、「無料あさり貧乏人」のつらい身の上である。


家族の闇

at 2007 01/05 22:52 編集

兄の妻子たちに合流して、近所の墓へ参ってきた。
正月早々、どの墓の花も新しい。「皆けっこう正月も墓参りしてるもんやねー」と兄としゃべりながら、線香をあげて手を合わせ、簡単にすませてきた。

葬祭商人と結託した、あまりにもやる気のない坊主を断って以来、我流で墓参をしている我々一家に、ホトケさんは苦笑しているに違いない。なにしろ、戒名までつけられて(もちろん、数万円もむしられて)葬られたクリスチャンだから、「第一、ホトケではないぞよ」とでも叱られそうだ。

この、個人の信仰が因習に呑み込まれて魂がさまよっている(ように僕の目に映る)様子も、いかにも日本的な光景ではある。
おかしいことを「おかしい」というやつが「おかしい」とされる社会の縮図が、家族だったりするのを、僕は身をもって感じてきたものだった。

それでも、まぁ基本的に善良な一族ではある。
十勝ワインをあけながらの、ジンギスカン・パーティーは、なかなか、うまかった。

東京で歯科医を継ぐプレッシャーから妹を殺してしまった三浪クン(ふと、歯学部受験で五浪していた井上陽水を思い出したが、どの局かコメントを取りに行かないのだろうか)の罪もまた、家族のプレッシャーだろう。

僕の亡父の職を継ごうとしたのは、兄の息子つまり孫だったが、適性を見限ったのか、入った学校を中退してしまった。
が、末期状態の祖父の見舞いに付き添い、スクーターを駆って一番まめに家の雑用をこなしていたのも、やつだった。遺品の中から、「サイズぴったりだ」と言ってワイシャツを一枚、形見分けして受け取って行ったけれど、この祖父孝行だけでも、父は充分あの世で喜んでいると思う。
すでに別の孫娘が「祖父の職」を継いでいるから、僕の父は、跡継ぎのプレッシャーなどかけるつもりはさらさらなかったはずだ。

社会学者パーソンズは、50年代アメリカン・ファミリーをモデルに、目標達成
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