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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
タイムフリーはラジコの価値を高めるか?


1週間前までさかのぼってラジオが聴けます!とうたうタイムフリーが昨日スタートして、「では1週間たまるのを待って来週からプレイバックできるわけか?」とズレた思い違いをしていたのが恥ずかしい。1週間たまったコンテンツは、昨日からしっかり聴けるようになっていたのだった。

 

アプリも更新して、インターフェイスも若干わかりやすく、検索しやすく、動作も軽くなった(あいかわらずJRT四国放送は聴けないままだが、徳島ケンミンのラジコはどうなっているのだろう?)。
オリジナルの「ラジコ局」もスタートしているようだが、さて宇多田ヒカルはファン世代をラジコに呼びこむ磁力を発揮するかどうか、見守りたいところだ。

 

日曜日に聴き逃した「土田晃之の日曜のヘソ」を再生しつつ、ついクセでCMスキップをしようとしてしまう(苦笑)。
早送りボタンなんかついていないのに。
これだけは、CM命の民放連は絶対に譲れない機能だろうから、ラジコで120分かけて120分番組をまじめに聴くリスナーが上得意様であろう。ダウンロードして「いいとこ取り」するマニヤは、民放の敵ですわな。

 

でもまぁ、コース料理を順番に食べさせられるようなコンテンツ・パッケージは、必ず風穴が開く。
きっと、某国あたりでVPN経由でラジコ・データを落として勝手配信する業者が出てきそうな予感もある。すでにTVは「勝手再放送」されていたりするし。

 

スマホからライン・ケーブルを介してICレコーダーで録音すれば(時間はリアルタイムでかかるが)、飛ばし聴きはできるが、これぐらいの素人技なら許される…かな?

それにしても、あ〜面倒くさい^^;

 

三十路以上のジャーナリストやタレントが、ことあるごとに「昔はエアチェックを工夫してたなぁ」と懐かしがっている感覚は、20歳前後の学生はキョトンとしているだけ。ダウンロードもイマ風のエアチェックといえなくもないけどね・・・聴きたい曲ピンポイントで手に入れるだけだから、「番組ごとエアチェック」とは感覚がちがう。

 

そこに優劣をつけるつもりはさらさらないのだが、アプリでmp3の切り貼り編集をしていても、「ダビング」の緊張感というか、タイミングのはかりかたのようなスリルはない。今さらテープで時間のかかるダビング編集なんかするつもりはないワタクシ(昭和オーディオOB失格ですな)が一番ラクで確実でよかったな〜と思う録音メディアは、MDだった。ブチブチ切って切って、CMや告知の部分は消去してしまえばメディアは1つですむ。

 

カセットやレコードがにわかリバイバルブームらしいが、さてMDは再び日の目を浴びる日がくるだろうか?
メディアの実体が見えないネットラジオやダウンロード、定額配信なんかは、コンテンツの希少性みたいなものは逓減していく一方だと思うのだが・・・

 

 

 

 

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聴きました(音楽・オーディオ評) | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0)
SMプレイはじめました


電波少年の夢はシャックづくりである!
別に電波系でなくても、テツの部屋は操車場に、走り屋の部屋は愛車の整備室に、スポーツ小僧の部屋は部室になるもんだ。

ネットラジオの時代になると、こんなシャックづくりのためのリフォーム事業は、マシンの中の小細工になり果ててしまった。ちと寂しい。わがシャックには、AMループアンテナこそゴロゴロ林立してはいても、無線機は段ボール箱にしまったままだし、あまり電気磁気の香り(?)がしない。反省。

で、ネットラジオの受信環境整備であるが・・・
Razikoの録音ファイルはAACになっていて、PCに転送すると、わがPCでデフォルトのプレイヤーにしているSM playerでは再生できる。
このプレイヤー、コーデックを手広く備えているおかげで、オーディオのAACだろうと動画のFLVだろうと軽快に再生してくれるので、GOM playerより使いやすい。

これでとりあえずエアチェック録音はPCで再生できるとして・・・
ラジオサーバー等ほかのプレイヤーで再生するには、やはりmp3にしとくのが汎用性が高い。
有料で「Raziko変換」をDLするのが、スマホ上で簡単にできて手軽な方法なのだろうけど、わたしゃケチな性分なので、無料ソフトを探してPCで変換作業をすることにした。

Free Audio Editorは地味ながら必要最小限の機能に特化していて、変換とカット編集ぐらい。
立ち上げてみると、もともと楽曲単位で処理する用のソフトなのか、2時間前後の番組ファイルを読み込むにもちょっとした時間がかかる。
5分程度はお茶でもいれながら待つとして、変換後の出力はビットレートを選べる…とはいえ、選択肢がビミョーに少ないんですな。

たとえば、2時間ほどのRaziko録音ファイルは、AACで43MBほどのサイズになっている。レートは46kbps。これをmp3に変換するには、どの程度の設定が賢明か。耳で確認しながら試行錯誤するしかない。

「元のクォリティを維持する出力」に設定すると、115MBにも肥大してしまった。オイ!
次は、32kbpsに設定してみると、29MBとずいぶん小さなサイズになる。ただし、ジャリジャリと貧相な音質になっていて、聞き苦しい。
この中間ぐらいの絶妙なレートが、Free Audio Editorの選択肢にないのだ。64kbpsぐらいがちょうどいいのに。

まとめると、
Razikoオリジナル録音 AAC 実レート 124kbps サイズ  43MB
変換後32kbps設定 mp3 実レート  33kbps サイズ  29MB
変換後オリジナル設定 mp3 実レート 126kbps サイズ 115MB

AACをmp3に変換するだけでこんなにサイズ肥大するのが元凶なのだが、逆にいえば、AACが高圧縮のたまものでもあるわけで、ネットラジオの音質の担保はよく考えられてまんな〜とあらためて感心する。

ちなみに、「ラジエム」でmp3録音した55分のエアチェックファイルは、レート64kbpsでサイズ25MBになっている。2時間に換算すると、52MBほどになるか。mp3もええかげん圧縮されているが、AACがいかにトラフィックの負担減をめざした技術なのかがわかる。
さすがに、32kbpsだときつい感じがするので、トークラジオは64kbps、音楽FMは128kbpsぐらいが設定の相場になろうかと思う。

とすると、先週わがシャックに加わったラジオサーバーの音質設定は、潔いほど割り切っているのがわかる。
高音質がサンプリング44KHzでレート128kbps、低音質だとサンプリング22KHzでレート48kbps。サンプリング周波数まで大胆に節約している。
これ以上の性能は、アナログラジオのレコーダーとしては「猫に小判」になるだけ。

もっと高音質高圧縮のソフト開発はプロにまかせるとして、いつの間にかラジオを聴くのに月額料がかかってしまう時代は嘆かわしい。
ラジカセの時代が懐かしい。
タダで受信したFMをテープに落としてコレクション。もう、宝の山だったな〜
メタルテープなんかは安くなかったが、意味のある高値だから、がんばっていいテープ、いいデッキを使えばいい音が録れる。わかりやすい。

いま、ソフトは無料だとしても、「努力と見返り」はすなおに一致しない。
金をかければ望み通りの受信環境が保証されるってもんでもない。ややこしい時代になったものだ。
「アンドロラジオ」も広告がうるさいし。
すっきりシンプルで快適なラジオを楽しめる環境を構築するには、まだまだ道遠しであ〜る。



 
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聴きました(音楽・オーディオ評) | 22:14 | comments(0) | trackbacks(0)
魔女の指に陶酔


6年前に中古屋で出会ったシャロン姐さんをfacebookでフォローしていると、エレキギターを弾いてみせる、オーケストラをぐいぐい引っ張ってみせる、エスニックにも食指を伸ばす、と果敢なチャレンジに魅了されてしまった。すばらしいビデオクリップ。

ギタリストにとって、アランフェス協奏曲が王道中の王道なら、その源流はバロックだろう。
バッハを、ヴィヴァルディをどう料理してくれているだろうか??と楽しみにしつつ、たてつづけにポチって、まず「主よ、人の望みの喜びよ 〜シャロン・イズビン、バロックを弾く」が届いたこの連休。いや〜、エネルギーをもらいました。試聴もせずにポチって期待通り。いや、それ以上に大満足。

このバッハの定番曲は、3100mの断崖絶壁のてっぺんに建つ北穂高小屋に命からがらたどりついたときに脳天チョップを受けた思い出の曲であった。この小屋の若きご主人が演奏家でもあるし、北穂高岳という岩山が実にバロック的な尖峰なので、あまりにもピッタリなリスニング・スポットでもあった。部屋でチェンバロ協奏曲を聴いているのとは全然ちがった臨場感がある。

イタリアのバロックも、地中海文化圏とはまったくちがう「クラシック界のソウル」といっていいと思う。
そんなドイツ・イタリアの名作を、シャロン姐さんは力強く、でも叩きつける風ではなく聴き手に刻みつけるように奏でてくれる。さすがですなぁ。
村治佳織は、この域にたどりつけるだろうか。

まだあと1枚、どんなルートなのか謎のDHL便を待っているところだが、ギターをバックパックしたシャロン姐さんの笑顔が届く日も楽しみ。
しばらくギター三昧の応援歌で、夏まで突っ走らせていただこう。


 
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聴きました(音楽・オーディオ評) | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0)
美魔女の指遣い


BSで全国の酒場を吟遊してまわっている吉田類が、実は下戸!?
と収監文春が埋め草のような記事を垂れ流していたのは苦笑するしかないが・・・
その吉田類に(なぜか!?!?)なろうとしておられる社長が販売なさっている週刊誌には、吉田類ではなく太田和彦さんが居酒屋巡礼の連載を持っていて、その一族であるシーナさんも隔週で筆をふるっているので僕の愛読誌。

太田さんの全国百名居酒屋も、オンエアがあるときは自動録画設定しているので、プレイバックは週末の夜の日課になっている。
土曜日は甲府だったので、土地勘も思い出もない僕は、太田さんのくつろいだナビゲートをぼんやり聞いていたら、BGMがイイ!
番組がちゃんとクレジットを入れてくれているおかげで、名前だけ知っていた国府弘子の名曲を知ることができた。
「ALWAYS」か・・・いやー名曲だわ。すーっと疲れが消えていくリラクゼーション旋律。

ジャズピアニストとしてデビューしたとはいえ、スイング感やアドリブ感が躍動するというより、イージー寄りな国府弘子さんは、柔軟で意欲的。
何曲か試聴した範囲では。「ALWAYS」はストリングスをバックにしているせいか、オスカー・ピーターソンのカナダ組曲を彷彿とさせつつも、うんと抑制がきいている。不思議と、居酒屋のBGMとしてしっくりくる。

同じジャンルにくくるのもどうかと思うが、昔(学生時代末期)愛聴していた中村由利子と音世界がよく似ている上、ほとんど同世代なのだった。ピアノ科で正統派の教育を受けた経歴も同じ。美熟女なのも。

クラシック畑からジャズ海へ「J転」したプレイヤーは珍しくない。
というか、洋の東西を問わず大多数のプレイヤーの出自がそうだから、ジャズ・ピアニストは現代と古典をつないでくれるありがたい存在だ。たとえばBob Jamesのおかげで、僕はラモーやスカルラッティを知ったほど。ジャズ・ピアニストがバロック時代に連れていってくれるのだ。

だから、国府弘子さんには、肩の力を抜いたヴィヴァルディなんぞも似合うのではないだろうか。中村由利子や西村由紀江が不得手な(?)スイング感をもっと出してもいいと思う。
しばらく目が(耳が)離せません(^^)




 
聴きました(音楽・オーディオ評) | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0)
テツ番組の終電波


ローカルAMラジオから一気に鉄分が薄れてしまった。
羽川さんの鉄カフェは、羽川さんの人徳もあって、コ娘やんわり責めプレイで通して平穏無事終了。ほとんど父娘のようなかけあいだったから、ゆるくてなごやか。
業界エキスパートの羽川さんと組んでしまったせいか、素人に毛が1本はえたような「愛嬌だけがとりえです」娘は、最後まで素人でしたなぁ・・・

MBSたび組は、ジャーナリスティックというか、馬野アナが生き生きと鉄分を放出していた。毎週2時間半の鉄道番組というのは、埋めるのもなかなか大変だっただろう(なぁに、テツは放っておけば線路の果てまで薀蓄を傾ける人種なのだが)。

全国路面電車の旅コーナーなんか、取材業務なんだか趣味なんだかグレーゾーンな「役得」だったが、馬野アナはしっかり仕事はしておられた。
相方も局アナの前田エキ子だから、別にこの番組で生計を立てているわけでもなく、日常業務のシフトが変わるだけで、名残り惜しさはそれほどでもない。またどこかで鉄分放出される場が絶対きっと必ずある。

どちらも共通して、テツにつきあって愛想よさげに演技するコ娘というパターン。
もう、定番である。ちょっとマンネリ気味。
これからのテツ番組EXは、育成プレイに進化してもらわないと困る。

電車で旅って〜?フンッ!と鼻で笑って右側の助手席にふんぞりかえっているような厚化粧ねーちゃん崩れを改造するのだ。ぢわぢわ鉄分を注入して、化粧より列車塗装!、パスタより駅弁!、助手席より運転席真後ろ!へと性癖がシフトすれば成功である。

鉄カフェの先々週には、大井川鉄道のアテンダント嬢がゲストで呼ばれていて、鉄道の専門学校で学んだ筋金入りのテツ子であらせられたが、こういうレアメタコ(鉄はレアメタルではないが)は、「その世界」では国宝級だ。
鉄道女学院を開校したいね。講師が生徒の100倍ぐらい集まってしまいそうだが。

最近は工場夜景萌え子とかサバイバルゲーム・アマゾネス、航空整備女士なんてのもぢわぢわ増殖しているようで、それはそれでいいことではある。
けど、コンクリートジャングルに迷い込んだ蝶にうつつを抜かすビジネスマンが足元をすくわれて失敗するように、達人は蝶や花には目もくれず、コツコツ模型を作り、黙々と時刻表を読み、1日5食も駅弁をむさぼり食い、線路で撮影して轢死するものである!

これがテツの花道。
そんな地獄への路線からイチ抜けたできるフットワークだけは残しておきたい…




聴きました(音楽・オーディオ評) | 15:56 | comments(2) | trackbacks(0)
桑江知子に心肺停止


夜間徘徊をしていた間に録っておいたTBS「懐かしのスターは今」に、萌えた。
特盛りまつ毛に照明があたって目尻にカラスの足跡がついているのに、股下5cmのミニスカートで歌っていた黛ジュン62歳に圧倒されてしまった。見ていいものか、見てはいけないものか(笑)・・・

辺見マリなんか、姉と同じ還暦なのが笑えた。こうも違うもんかと。
でも、辺見マリはこのまま行くと美輪明宏になってしまいそうな不安もある。実は男でした。とか?
黛ジュンの「天使の誘惑」も、辺見マリの「誘惑」も、小学生の僕が熱唱しては教師に「大人の歌を唄うな」と叱られる禁断の麻薬であったな。懐かしいというか、早すぎる青春の苦味というか(笑)。

Gメン75の藤田美保子は、57歳の今も悩ましい。夏木マリの路線を突っ走っている。どちらも、かっこいいではないか。
うーん…エアポート75のカレン・ブラックとオーバーラップして困るな。藤田美保子とよく似たタイプだし。

萌えに萌えたのが、桑江知子50歳。変わってない!ストップモーションしてしまいますがな(笑)。
黒木瞳、麻倉未稀、岡部まり・・・黄金の60年アンポ生まれは不死鳥だらけ。まだまだ余裕の現役ではないか(久本雅美も清水ミチコも、昔からあの調子だから、これもすごい)。

この、「金のわらじをはいてでも探せ」と言われそうな1つ年上の姉御は、もっと強く強くそそのかすいけない大人がいたら、わたしゃ学生結婚していたかもしれない。
ビビリの頭でっかちな世間知らずの大学生に人類の神秘を伝授してくれるような、すばらしくいけない姉御(笑)は縁遠い存在だった。

当時から、何かかかえた学生に信者が多かったシンガーも、一発ヒットが鮮烈だった。あっさりと別世界に飛んでしまった久保田早紀や八神純子の波乱万丈は、たぶん本人が出演を承諾しないだろうから、カラオケ印税が流れて行くだけの存在になるのだろうか。少し惜しい。

80年代以降になると、テクノで軽い曲が増えて思い出に残る曲はほとんどない。
サザンと竹内まりやは、カレッジソングとか呼ばれてどこかで必ず流れていたものだが、僕はA&MとタッパンジーとCTIばかり漁っていたから、東京の事情がよくわからん(笑)まま就職してしまった。

ニート&クリスタル&テクノでつるんとした80年代をスルーしたおかげで、よく耳に刻み込まれているのは、やはり70年代もの。
フォークローバーズの「冬物語」なんか、この曲だけ特訓を受けて歌いこなしたいと思う名曲なのだが、ほかにも甲乙つけがたい曲がキラ星のごとく残っているから、そんな70年代を十代ですごして幸せだったと思う。もう、去年死んでも悔いはないとです。

サーカスが「アメリカン・フィーリング」(1979年)で唄う「あなたからのエアメール」など、平成生まれの連中に「ドコモの新しいサービスでエアメールちゅうのがあってね、そのキャンペーンソングや」と教えてやると、真に受けるかもしれない。もう、「ポケベルが鳴らなくて」の意味もわからなくなっとるからね。

ましてや、エアメールや鯉のダイヤルや白いギターなんぞ、昭和の文化遺産になってしまっとる!
嘆かわしい!!
石川ひとみの「まちぶせ」(原曲ユーミン)なんか、ストーカーよばわりされるのがオチだし、「君のとりこ」などと打ち明けようものなら、大丈夫?と心配される。
ウーム・・・難しい時代になったものだ。
鯉する乙女から、水色の手紙をもらえる日は、わが余生に巡ってくるものかどうか…(笑)。



聴きました(音楽・オーディオ評) | 06:18 | comments(4) | trackbacks(0)
死んじまった


早すぎる。惜しい。
でも、違和感が不思議とない加藤和彦さんの自殺は、飄々とした人となりから漂う、憂き世を達観したような仕事と符号する。

だって、初ヒットがあの世とのチャネリング(?)を歌った「帰って来たヨッパライ」だし、「あの素晴らしい愛をもう一度」にしても、どこか突き放したような詞なのだ。

この世での愛情なり、共感なり、自分の才能なり人気なり、仕事の使命なり、必ず終わりがある。

と確信していたのではないだろうか。

親しい人にあてた辞世の句が一部公開されているけれど、
「世界は音楽を必要としているのだろうか」
と哲学的な問いを投げられても、問われた方は困るよなぁ…。

音楽の始まりは、人類の祖先が木の上にいたころにはあったのかもしれないし、トイ・ピアノをたたいてポロンピリンと音を出して戯れている猫もいるから、大きな謎のままだ。言葉が先か音楽が先かも。
偶然に生まれた音楽ではあっても、世界が必要としていたからこそ、何千年か何万年か続いてきた人類の創作物だと思う。

ただ、それは一般論で、偉大だとはいえ日本の音楽市場で頂点に昇りつめたアーチストの「世界」と、ボーダーレスに活躍するアーチストの「世界」、学者の「世界」、宗教音楽家の考える「世界」は違う。
いまどきのJ−POP市場は、加藤和彦さんや小林亜星さん、富田勲さんのような、ジャンルをまたいで不滅の名作を次々に夜に放ってきた天才を、必要としていないかもしれない。

でもね・・・
マーケットが相手にしなくても、食うには困らないだけの基盤は築いたんだから、学校を開いて後進の指導に回るとか、「聖なる音楽」の世界を究めるとか、新境地はいくらでもあっただろうに、と思う。
松下幸之助も、井深大も、中内功も、ロックフェラーも、カーネギーも、スタンフォードも、自分の業績を教育に注いで立派な社会貢献をしている。

社会貢献は無限に必要とされる世界だから、世界は俺を必要としているのか?と悩むことはないはずだ。
シニカルに見れば、世界は欲深いブラックホールのようなものだから、社会貢献が自分の思った通りの果実を実らせるかどうかはわからない。
天才は、そこまで見透して絶望してしまうのだろうか。

絶望の砂漠にも、きっと花が咲き果実が実り、飢えて苦しんでいる人の命を救う・・・
と信じて無償の奉仕をするのは、宗教的なミッションの世界かもしれないが、現実は飽食する富裕層が食べきれない果実を食べ残しては捨てている。
音楽も同じ。ダウンロード、コピー、サンプリング、リマスタリングが自由自在にできて、あの「2枚組みLP」の重さを宝物のようになでまわしながら買って帰った時代のようなアウラが消滅してしまった。

表彰されたりご立派な肩書考えるきをもらったりする欲とは無縁に見えた加藤和彦さんだからこそ、薄っぺらくなる一方の音楽が捨ててきたものが、彼にとっての音楽だったのではないかと思えてならない。
できれば、ご自身の音楽のエッセンスを、ギター1本、マイクなしで「伝道」して回ってほしかった。
ご冥福を祈りつつ。

聴きました(音楽・オーディオ評) | 21:55 | comments(6) | trackbacks(0)
お耳直し盤


久々に声を嗄らして疲労困憊。食事休憩をはさんでも、6時間しゃべりっぱなしは酷である。
それに、しゃべればしゃべるほど、僕の声は子守唄として効くらしい。困ったものだ。

夜に学びにこられていた年配のご婦人たちは、口をそろえてそうおっしゃる。
気配りして遠回しに評してくれてはいても、なんのことはない、インパクトも迫力もメリハリもなく「やる気なさそー!!」に聞こえるだけなんですな。

一番近くでモニターしているのは話している本人だから、われながら実にその通り。
乙女を萌えさせ、野郎には世界同時革命を奮い立たせる(笑)ような話術が、身につかないものだろうか(チェ・ゲバラの演説でも聴いて勉強しようか?)。

疲れ気味のがなり声に自分でほとほと疲れて、「お耳直し」にアシュケナージのピアノはいい。
辻井青年が絶賛されて、またラフマニノフが再評価されている。もっとも、浅田真央ちゃんも演技のBGMに使っていたから、もう定番のミーハー・準クラシックになっている。

ハイティンクのコンセルトヘボウ盤は、学生のころの愛聴盤だった。
研究室で鳴らしていたら(テープだったのかもしれない)、ふらっと入ってこられた先輩が、小耳にはさんだだけで「コンセルトヘボウだね」とつぶやいて、静かにほほえんでおられたのを思い出す。すごい聴覚(?)に、たじたじとなったものだ。
彼はチェリストでもあったから、感性は周囲の社会学屋さんとはまったく異質だったようだ。

まだ、CDというメディアが出始めて数年のころで、たぶんサンプリング技術も今ほどではなかったと思う。ディスクの単価も高かった。
いまや、もうCDさえ主役の座をダウンロードに明け渡そうとしているご時世。

それでも、パッケージの存在感は無視できない。
たまたま最近、プレヴィン指揮のロンドン・シンフォニー盤を中古CD屋で見つけた。1番から4番までのピアノ協奏曲全集が2枚組みで、なんと1000円だった。どうも「新古品」のようで、包装つきだったから、よけいにありがたみ倍増の中古市場である。

録音自体は、このロンドン・シンフォニーの方が1970年だから、84年のコンセルトヘボウ盤よりうんと古い。
でも、リマスターをうまくやっているのか、コンセルトヘボウ盤とくらべて、どこかキラキラと生気が炸裂するようなダイナミズムを感じる。
もっとも、アシュケナージの若さ(33歳のときの演奏だからね)もあるだろうし、どっちも良し悪しのつけようのない名演奏なのだが。

アルビノーニのアダージョなんか聴いていると、1曲終わらないうちに昏睡してしまうのに、ラフマニノフのピアノ協奏曲はハイになって眠れない。不思議だ。
眠れなくても、気持ちは安まるから、充分に「気力回復剤」になっている。
くりかえし服用しても永遠に減らない、ありがたいドラッグである。

聴きました(音楽・オーディオ評) | 22:39 | comments(2) | trackbacks(0)
ほっこりシベリウス


「シベリウス、知らないの?」
というところから、ほんじゃー一度CD聴いてみる?と勧めた相手が、アマゾンに注文したとの知らせと一緒に、「大阪フィルの演奏会があったから、チケット取りました」と速攻の返事をもらったので、のこのこ便乗してきた。

実は僕自身、交響曲はあまり聴かないので、オケに行ったこともなかった。こじんまりした室内楽か、あとはCDばかり。
いい機会だと思って、食わず嫌いも打ち砕いてみますか、と出かけて正解だった。
打ち砕かれた(笑)。

大フィルの定期演奏会は、みぞれの降る寒いザ・シンフォニー・ホール。
「ごめんねB席で」と恐縮された席は、すぐ後ろは壁ながら中央で、アトリウム状のホールの高い位置にあって、すばらしく壮大で暖かい響きを堪能できた。
フィンランド出身のイケメン指揮者ピエタリ・インキネンを招いての、現代曲ラヴァトーラとシベリウスの交響曲の二部構成。
指揮する姿もエレガントで美しいし、なにせ演目はシベリウスである。冬鳥の羽ばたきのような優しい音色から、岩礁を打ち砕く波のような激情的なメロディ・ラインまで起伏に富んだ構成は、つくづく聴いてよかった珠玉の演奏だった。

大フィルも、僕の食わず嫌いとバイオリン・アレルギーを猛反省させてくれるブラスと打楽器の多彩な編成で、あぁ、いい楽団があるんですなぁ。橋下知事も、楽団の整理統合なんてヤボなこというべきではないよなー…と連れと意気投合しつつ、名演奏を堪能してきたのであった。

その土産話を、今日の読書会で病院事務長さんと哲学者さんにしたところ、事務長さんが
「えっ、大沢さんクラシック聴くんですか」
と驚かれてしまった。
そりゃーザ・ピーナッツから坂本九、中島みゆきもオスカー・ピーターソンも聴きますからね。雑食性らしくクラシックをかじっていても驚かれるこたぁないでしょう(苦笑)。

「で、どんなの聴いてますの」と岡山大の哲学の先生。
「フィンランディアっていうレーベルにいい曲がたくさんあって、最近よく聴いてますよ。主に室内楽ですけど」
「オーケストラは?」
「いやー、シンフォニーは嫌いじゃないんですけど、しょぼい部屋でしょぼいコンポで聴くにはもったいないから、聴くのはギターやピアノのソロが多くて…大編成を聴くとしてもせいぜい協奏曲なんです。シベリウスは冬向きですしね」
「そうねぇ。北欧のは今の時期ぴったりかもね」
「でも、かえって冬はファリャとかロドリーゴなんかも暖かくて好きなんですよ。今はピアソラの古い演奏を発掘してきたり、没後のいろんな演奏家のオマージュはバリエーション豊富で楽しいですよ」
と、僕は「クラシックのセンターはずし」を披露して、失笑を買ってしまった。すみませんねぇ…

哲人殿は、世界各地を旅している団塊世代の善きパパで、大フィルをバックに合唱にも参加されたことがあるという。
それほど見識も豊かな哲人だから、今後の読書会の「放課後」でも、示唆に富む音楽談義ができそうな予感を覚えたのは収穫だった。遠い家路に向かう彼を見送りつつ、今夜はおひらき。
事務長さんの好きなフレーズ「談論風発」は、別に哲学書や歴史書(事務長さんは歴史や考古学が専門である)だけでなくても、音楽や美術に話が飛び火してもいいわけで、それもまた楽しい。

その後コーヒーショップで閉店まで事務長さんと文学談義を交わして、次の読書会の打ち合わせをして実り多い日曜日は暮れて行った。
次回は僕の担当である。
新しい年度に入った春爛漫の時期だから、発表にも磨きがかかっているかどうか…お手並拝見していただくとしましょう。
聴きました(音楽・オーディオ評) | 22:58 | comments(0) | -
ギター魔女?


暑気払いにとシベリウスを聴いても涼しくなるわけではなし、思いきって夏はラテンだ(でも冬もラテンがいい)!と南欧の準クラシックでひそかに心躍らせる真夏の夜の夢見心地。

ジャケ買いしてしまったのが、シャロン・イズビンとニューヨーク・フィルのアランフェス協奏曲
カップリングされているヴィラ=ロボスの「ギターと小管弦楽のための協奏曲」も、クラシック・ギターの定番といえるおなじみの曲で、イズビンのギターも楽しく踊っている感じがする。

で、このシャロンねえさん・・・といえばいいのかどうか、調べた限りでは経歴は不詳ながら、威風堂々とした演奏は、大人の女である。
しかも、ギターを始めたのは中学時代で、それまではロケットに夢中の理系少女だったらしい。本物の、宇宙ロケット(笑)。

その縁でか(?)、初期のCDはスペースシャトル・アトランティスに贈られ(営業の一環かな?)、「ロシアのミールにランデブーしたときの友好親善に使われたのよ!!」と御本人のwebサイトに紹介されている。もしかして、サザンの休止宣言の宣材写真は、ここからインスパイアされた部分があるかもしれない。

アントニオ・カルロス・ジョビンが(もちろん親しみをこめて)「魔女」と形容したように、クラシックからポップスまで、守備範囲も広い。
グラミー賞にもノミネートされていたりするし、ジャンルは問わない八面六臂で、教育者として日本人の弟子もいる(弟子の一人によると、かなりの気分屋だそうな)。

ライナーには、ロドリーゴとのツーショットで満面の笑みを浮かべるシャロンねえさんの写真があるのだが、ショパンの心臓の前でピースしてたりするパフォーマンスもやりかねない姐御肌だな(そんなのを姐御肌と呼ぶのか・・・)。

それほど、いい意味でやんちゃな大人がラテン・クラシックをやると、こんな演奏になります、という見本のようにさえ聞こえるアランフェス協奏曲。
ジャケットの、シャロン・ストーン以上にエレガントなドレス姿からは想像を裏切られる、パワフルで深みのある演奏が聞ける。
このアルバムでは、NYフィルとの共演が目玉なのだが、コンポーネンツを少なめにおさえていて、シャロンねえさんの弦はほとんど楽団と互角に、弾むような楽しい演奏を展開している。

ヴィラ・ロボスは個人的には、どこかもの悲しい抒情味のある作曲家なのだが、私が元気に弾いてみせるワ!といわんばかりの演奏だ。賛否両論はあるかもしれないが、乙女の手習い的なギターより、聴き手の気分をのせるたなごころを備えたエンターテイナーですな、シャロンねえさんは。

たとえるなら、汗をかきかき、ウォッカ・ベースのカクテルでも傾けながら聴くのに向いている、ユニークな演奏と巡りあえたのは収穫だった(なかなか、いい中古ディスクが発掘できるのだ、りずむぼっくすは)。
「それじゃー、まるでジャズ扱いではないか」とクラシック信者からはイロモノ扱いされそうだが、ラリー・コリエルとも共演しているようだから、ジャズも余裕でできるだろうね。
これkら、どんな斬り込みを見せて(聴かせて)くれるか、楽しみなシャロンねえさんである。
聴きました(音楽・オーディオ評) | 21:22 | comments(0) | -
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