solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2002年12月の日記
供給者の論理

at 2002 12/03 03:22 編集

よく消費者問題でこんな言葉が出てくるのだが、もちろん教育の場でもいえること。
「教育」と「学習」は、内容も方法も狙いも食い違うのが当然だ。
とまぁ、難しい論争は横におくとして、最近WEB上の写真を見て思うこと。
写真の技法では、本でも学校でも「人物写真は目にピントを合わせること」と、鉄則のように言い古されてきた。たしかに、どんなに被写体がよくても、マシンがよくても、目に合焦していないショットは、どこか間抜けで、いかにも素人写真に見えてしまう。

ところが、グラビア写真などで、ポーズの狙いがたとえば胸を強調したものだと、当然それは見せたい一点も見たい一点も胸なのに、あいかわらずピントは目に合っている・・・というショットが多い。
スタイリストや振り付けの狙いは見る側の欲望と一致しているのに、撮影者の脳内の教科書は「ピントは目!」という呪い(?)に縛りつけられているのである。

こんな齟齬は、被写界深度が浅い望遠レンズ+開放絞り+フィルムカメラという伝統的な「写真」術につきものだっただろうが、今はデジタル画像時代。
小口径CCDで撮ると、被写界深度はうんと深くなって、パンフォーカスに近くなるから、立体的なポーズをとったモデルでも、「すみずみまでくっきり」というショットになりがちだ。アウトフォーカスをレタッチする技術だってある。
すると、それはそれで微妙な被写界深度の調節という写真撮影や写真鑑賞の妙がなくなってしまうようで、少し寂しい気がしたりするから、勝手なものだと思う。

アマチュア用のデジカメなど、ぼかしたくてもぼけない機種が多いから、「絞り」の意味までぼやけてしまう。マルチコーティングだカールツァイスだとこだわりながら、玉虫色に輝くレンズをみがいていたフィルムカメラの時代は、アマチュアレベルでは終わってしまいそうな気がする。サービス判程度のプリントなら、街のDPE屋さんに持って行かなくても、自分でデジタルプリントした方が安くて手軽だ。
でも、フィルムよ永遠に!と思う気持ちも残っていて、しぶとくフィルムカメラを旅に持って出る。

行きつけの中古カメラ屋に、ライカM6が10万円で出るようになった。
10万円あれば、さて中古ライカを買うだろうか。このクラスだと相当ハイレベルのデジカメも買えるし・・・。
35ミリフィルムも、そのうち110(ワンテン)やディスクカメラのような運命をたどるのだろうか。


友、逝く

at 2002 12/03 22:58 編集

あっけない。まだ40歳で、20年来の友人があの世へ旅立ってしまった。

新入生やサークル勧誘でごった返す春爛漫のキャンパスで、「おまえ、予備校で一緒やったんちゃう?」と声をかけたところから、腐れ縁が始まった。
ゼミも外国語クラスも一緒、サークルは違っていたがコンパもよく一緒、伊吹山や志賀高原に安い宿を見つけて、スキーも一緒に行った。
卒業して仲間が全国に散らばっても、お互い神戸市内に住み続け、ずっと飲み仲間だった。
飽きもせず、よく写真の話をした。僕の撮る「新作」も楽しみにしてくれていた。
感受性が豊かで、僕がお忍びデート中(笑)にばったり出くわして、後で「あんなかわいい子、どうやってだましたんや」と追及してきやがった。
やつに言われて初めて、僕は傍らの細川ふみえ(?)を再発見させられた気がした。するどい。

父君が同じ病気で、数年前に先立っている。そして家業の後継ぎを必死にこなしていた。ばったり街で配達のワゴン車を走らせているところに出くわしたこともあった。
あぁ、僕の13年前の実家からの独立は、あのワゴン車で荷物運びをしてくれたんだった。

去年、妹さんの挙式では「花嫁の父」役を務めていた。その直後に、癌が見つかって入院、まったく元気そうだったので、案の定すぐ退院してきた。
でも、今年再入院が決まったときには、うすうす予感していたのかもしれない。いつもの宴会とも疎遠になったのは、身辺整理を始めたつもりだったのか。

闘病中にメールを送っても、やがて返事が来なくなった。9月に一度、からレスが届いた。そのときすでに、本文を打つ力がなかったのか、打とうとしてやめたのか、推し量りようがないが、いずれにせよメッセージのないレスだけ、ぽつんと送信されてきた。あぁ、あのとき電話すれば、最期を見送ることができたかもしれない!

酒はつきあい程度、煙草やらず、早寝早起きでユーモアのセンスもあって温厚な人柄。なぜ、こんないいやつが、この世におさらばしなくてはいけないのだ!
癌は非情で、命は無常だ。

あの世で幸せな結婚でもしてくれ。ありがとうな。
ご冥福を祈る。


611

at 2002 12/07 19:43 編集

物好きやなぁと思われるかもしれないが、「マイ名機」にこだわって時代遅れの低機能ピッチを使い続けている。
いよいよ重症の診断を受けてドコモがさじを投げた愛用機を、意地でも使いつづけてやろう・・・そこで、同機種を新たに契約して、生まれ変わらせようと考えた。
ヨドバシで「在庫あと1個」を掘り出してもらい、800円で購入。これをドコモに持ち込んで、解約→中身入れ替え作戦だ。
ところが、「土曜日は5時まで。日曜日は定休日」と、出鼻をくじかれてしまった。
ドコモは一昔前の役所か?

前々から、ドコモの立派な社屋+潤沢なスタッフと少ない来客のアンバランスに変な感じがしていた。ある週刊誌によると、ドコモ社員は携帯が無料で使い放題だという。
こんな維持費を、結局は客が負担していることになる。
簡単なROM書き換えや修理の受け付けなど、下請けでもパート社員でもできるはず。コアスタッフは役人体質の勤務でもいいだろう(いや、よくはないけど、とりあえず・・・)。

僕が経営者なら、販売店並に年中無休にして早朝から深夜までオープンするだろう。立派な社屋など売却してしまうか、会社の得意分野―たとえば光ファイバーネット使い放題のハイテクマンション「ドコモ荘」―なんてのに業種転換して収益増を考えるなぁ。
もちろん、消費者にとってはJ-PHONEのような新しい携帯の開発をどんどんやってほしいだろうし、なにより通話料引き下げが最大のニーズだろう。じゃんじゃん携帯を使えるようになると、たしかに既存の固定回線や公衆電話の収益率が低下するから、簡単には行かないだろうけど。

じゃー今なぜドコモにこだわるんだと突っ込まれたら、皮肉だが赤字でもPHS事業を曲がりなりにも続けてくれているメリットはある(あぁ、このツケも携帯事業のお客さん負担なのかもね)。「データ通信カード一体型携帯電話」なんてのも、他社は出していないし。
あと、キリのいい番号に愛着があるからという理由ぐらいか。番号も市場で自由に流通できればいいが、総務省の割り当てからも縛られているのだろう。
とすると、ドコモがどうという問題を超えて、役人体質そのものが消費者の宿敵なのだ。「今お使いのauの使えなくなります」なんてやってる某社も同類だ(正直に「使えなくします」と書かんかい!)。


男と女の任侠道

at 2002 12/08 13:56 編集

麦茶を買いにローソンへ。
レジがたてこんでるなぁと思ったら、バカップルどもが行列の水増しをしていたのだった。
まぁ、実際にレジでやりとりする財布は1つだけだから、時間は変わらないのかもしれない。
けど、なにもレジの行列に一緒に加わらんでもええんでないかい?片時もカレシにひっついていたいのか?
「この世は二人だけ」感覚でいると、行列の後ろでヤキモキしている客の気持ちなどわからないだろう。まぁ、それが発情のエクスタシーってもんかもしれんが、大人の想像力というのがないのかねぇ、二人そろって。
大人のカレシなら、「離れて待ってて」と言うだろうし、彼女が大人なら、すーっと自然に離れて待っているか、一緒に行列しようとはしないはず。それが仁義っちゅうもんやないですかい姉御!(笑)。
・・・と思うのも、神経質すぎるのだろうか。

思いやりとかマナーの類は、公私の区別をつけて社会生活を平穏にする公共の知恵だが、個人主義者Osawasenseからすると、公私の区別は、公の顔と私的な顔の2つの面を使い分けることでもある。その意味で、ヤクザや右翼の社会貢献、金持ちのボランティアなどは同類だ。
そんな人と接する人にとっては、「この人の意外な一面が見えた」ということになる。それが魅力につながるか失望につながるかはケースバイケース。

結婚後に配偶者の隠れた趣味を発見して離婚だなんだと騒いでいる人民がいるけれど、そんなもん、同居生活するまでにさらけ出しておけばいいではないか。さらけ出せないならひっつくな。隠すなら墓場まで隠し通せ。
カップルにしろ夫婦にしろ、養うとか無料性交できるとか、そんな契約関係ではなく、「隠しだてしないと決めた相手」ということじゃないだろうか。もう、契約を超えて仁義というもんか。ユーミンは、恋愛は任侠道だと述べていたっけ。
サイキック青年団で北野誠も話していたように、マニアックな趣味もさらけ出して、理解しあえるカップルが本物だと思う。

若い世代でも、同居もせずに結婚してしまう冒険家がまだまだ多いようだが、「あの人の本当に大事なこと」は、同居しないと絶対に見えない。金銭感覚しかり、仕事ぶりもしかり、異性関係もしかり。
「性格の不一致」なんて、あって当然だ。これを離婚理由にあげる人民は、アホかいなと笑ってしまう。
お互い「見えない者」同士で金婚式まで一緒にいられたら、それはそれでいいだろうし、冒険のようなカップリングもいいだろうけど、すったもんだして悩むんだったら、予行演習しておかないとね。


追悼イヴァン・イリッチ

at 2002 12/10 04:36 編集

いつものように、朝まで風呂につかって眠ってしまった。冬にこれをやると、下手すると死んでしまうなぁと苦笑しつつ、なまった体を叩き起こすべく「運動」をする。
ここ数日、寒気が入って、鈍色の空模様。東京は雪景色だとか。うらやましい。
片岡義男さんが書いてたっけ。冬は寒い方がいい。
 
自転車を磨いて、油をさして、ドコモに出向く。
修理に出したときと同じ若い兄ちゃんが、残念ながら治りませんでした・・・と恐縮して説明してくれる。
「僕もスノボに携帯持って行くんですけど、寒暖の差で結露するともう、だめですからねぇ」と、フレンドリーな会話が午後の窓口にまったりと漂う。彼も冬が楽しみな、僕と同種族なのだろう。好青年タイプだったので、「一緒に信州へいかが?」と誘いかけたが(笑)やめた。

ドコモを出ると雨。せっかく愛車を磨いてきたのに、とくさりながら、雨宿りがてら本屋で時間つぶし。
なんだかんだと3000円分ほど買ってしまった。
それにしても、日垣隆氏の論説の切れ味は冴えている。
 
ロジックとレトリックの世界と格闘したあとは、右脳に遊ぶ。
小林紀晴さんの『東京装置』は、単行本を買おうかどうしようかとずっと思い続けていた写文集だが、幻冬社文庫から出てくれたので即決。巧みに人物と装置を斬り分けている彼のモノクロ写真は、これまた切れ味が冴えている。
写真家にも、論理的な人がいる。いや、論理的でないと写真家は務まらないのだ―と、吉田ルイ子さんは書いていたっけ。文才がないからカメラマンになる―というのは日本人の発想で、アメリカの写真家は報道記事も書けるのが常識だという。
 
夜中に、偶然FMで録音したテノールを聴く。パバロッティ、カレーラス、ドミンゴの豪華な3大テノールがポピュラーを歌っている。何度も何度もくりかえして聴いてしまった。
声に表情がある。ってもんじゃない。陰翳があって、喜怒哀楽のすべてが声にみなぎっている。
男声の奥深さに圧倒されてしまった。
心地よく眠れそうだ。
さて、風呂をわかそう。
9時半出勤だから、なんとかなるか。
 


光の祭典の闇

at 2002 12/15 01:00 編集

ルミナリエのおかげで、夕食後のコーヒー屋が一杯で入れんではないか。
夏は花火大会で何十万人もの群れが店をふさぐし(これは1日だけだからいいが)、商店主でない元町住民にとっちゃー不自由するイベントがちまちまとある。

そもそもルミナリエは、始まったときは「震災で廃墟になった街への鎮魂の催し」だったように思う。それが、いつの間にか雑誌でじゃんじゃん宣伝され、イルミネーションイベントになってしまった。
著作権は厳重に管理され、観光客はろくに個人撮影もできなくなり、立ち止まって見上げることさえできない(立ち停まるな!とメガホンでがなりたてられる)。

光の芸術といえば、僕は石井幹子さんのスケールの大きな作品が好きだ。もっともこれは建築物や街頭のライトアップという性格が強い。
ほかにも、日本中・世界中に、光の芸術家は多いはずだから、コンペをやればいい。現実には、なぜかヴァレリオ・フェスティ&今岡コンビの独占街宣イベントになっていて、さかんに募金を呼びかけている。
おかしくないか?
ええかげんルミナリエ利権は宣伝になっているではないか。赤字なら撤退すればよろし。「光の芸術家」は、なんぼでもいてないか?
黒字にならないということは、
・飽きられている
・地元商業への経済波及効果が乏しい
ということにほかならないではないか。
もっといろんなパターンを見たい。ヒットすれば必ず飽きられる。アートの鉄則を、まさかプロデューサーは知らないわけではなかろ?
ほんま、コンペをやったらどうだろう。

独占事業のために公道を2週間も提供している市政も、おかしいぞ!と声があがってもおかしくないのに、封殺されている。
限りなく、闇である。
闇こそ照らせ。


ムービーデジカメ

at 2002 12/16 02:29 編集

デジカメを買ってしまった。
といっても、eggyというオモチャは旅行にお遊びに使ってきたから、初めてというわけではない。
「本格的」というのがどこで線を引けばいいかわからんが、ともかく本格的(?)なやつを買ってしまったのだ。

今までは、そして今でも、デジカメ自体が「本格的」ではない!写真はフィルム!と考える保守的な自分と、「そうは言ってもデジカメは手軽で、加工もできて便利」という現実的な自分とが同居している。
画素数が何百万だとか競いあっているデジカメ市場まるごと「ケッ、フィルムの画素数は無限大じゃい」と冷ややかに見てしまう。
たぶんこの1世代古いデジカメを見て、俗人は「何万画素?」と尋ねるだろう。
「さぁね、画素数とやらが気になる写真は、カールツァイスでフィルムに焼きつけるから、デジカメの画素数なんてどうでもええねん」と、スノビッシュに冷笑するかもしれない(あぁいやなやつ)。

たしかに、これからも心象風景とか、一生モノの写真を撮りたいときには、フィルムカメラを持って行くだろう。
結局、デジカメは「ちょい撮り」用のプラスアルファになっただけか?
あぁ、この値段(2万円)を、フィルムカメラ用50mmマクロレンズ購入に回してもよかったかな・・・と、さっそく浮気心が湧いてくる。
あんまり保守的でいると、デジタル画像(要するにデータだな)の使い道に目を伏せてしまうことになりかねないから、まずは撮りまくってみようか。


粕汁定食

at 2002 12/17 01:37 編集

大阪でいえば新世界のような、コアな神戸へ行ってきた。
予備校時代は毎日歩いては、地下街の古本屋で『写真時代』なんかを立ち読みしていたところだ。

ふと、粕汁定食」の貼り紙を見つけた店で夕食にした。
粕汁におでん3品、御飯に漬け物で600円。久々の粕汁がうまい。冬だからよけいにそうか。

本業はお好み焼き屋で、鉄板の真ん前のせまいカウンター席で食っていたから、暖かかった(笑)。
ふと、メニューを見てみると、焼きソバ+カレーライスの定食とか、ほかにも一品一品は変でなくても、組み合わせが妙な献立が並んでいる。
中島らもさんだったか、だれかが本で、「ラーメンライスの怪」を追究していたと思うのだが、たしかに「こりゃーどっちが主食で、どっちがおかずや?」と悩む組み合わせがある。
京都産業大に通っていた僕の友人は、学食のラーメンライスを愛好していたっけ。
僕にはできない非凡な定番コンビだ。

僕は江戸っ子なので、うどんもおでん(関東煮ね)も濃い汁が好きだ。家族も皆そうで、我が家の関東煮は汁を御飯にぶっかければ「おでん丼」みたいにおいしくいただけた。
でも、関西は薄味なので、粕汁にしても関東煮にしても、それぞれうまくても、どうもおかずにはなりにくい気がする。

ラーメンをおかずに飯を食える人というのは、味噌汁の代わりにパワフルなラーメンを添えている…というわけだろうか。
たしかに僕も、山で飯を炊くのが面倒くさいとき煮込みうどんに餅を何個か入れて夕食にしてしまうことがよくあるから、麺と餅で「炭水化物かちあいメニュー」になっている。
けどなぁ・・・ラーメンには、どうせつけるならチャーハンでしょう。
うどんライスとか、ラーメンライスとというのは、喫茶店でコーヒーを注文したら「デミタス紅茶もついています」と言われるような気分じゃなかろうか(ちょっと違うか)。


アルバム

at 2002 12/23 00:50 編集

とりあえず、「実家」が都心へ移転した。昔なじみの街にも近い。引っ越し祝いをして、ひと段落。
 
学生時代の80年代を端から端まですごした実家は、火事のあと取り壊されるにまかせていた。個人的な「家財道具」は、今の第3サティアンに移していたつもりで。
ところが、取り壊されてから、「あぁそういえば、あれは実家の押し入れに置いたままだったな」と思い出す物が続出。なんたるこった…。
オープンリールのテープデッキは、そんなにビンテージものではないからいいとして、幼少期からのアルバムは、ついに瓦礫と共に廃棄されてしまった。
幼稚園児の自分を眺めて感慨にふける趣味はないとはいえ、重大な過去の喪失感のようなものを何となく感じる。
亡き祖父母の形見も消えた。
祖父の集めていた古銭や、祖母が買ってくれた真空管のレコードプレイヤーも、今はもう荒ごみ処理されているだろう。

日本版PLAYBOY創刊号なんてのも、運び出しておけば、「お宝」になったかもしれない。
道楽雑誌も、今となっては貴重だ。生録雑誌の『ロクハン』とか、電波系の『初歩のラジオ』とか…。
唯一、「スカイセンサー」だけは搬出してもらっていた。
この時代のラジオはでかくて重い。抱き抱えるという感触か。赤ん坊を抱くようなボリューム感がある。
オーバーホールして、愛用してやろうと思う。

不思議と、喪失感で涙に暮れるという感じはない。なぜだろう。
いつか何かのきっかけで噴出するのかもしれない。
やっとそのときに、「育った家の火災消失」は最終的に決着するのだろうか。
「そのとき」が怖い。


苦しみますイブ

at 2002 12/25 00:38 編集

大変じゃ書類を作成せにゃならん!・・・
と、誘惑の多い第三サティアンからノートPCを持ち出して、カップルだらけの珈琲館で打ちまくる。
家でプリントアウトして、幸い徒歩通勤している職場へ自転車で「セルフ宅配」するか・・・それにしても気が重いな・・・とぼやきながら、なんとか仕上がる。
帰宅して、連絡文書を確認してアラびっくり。締め切りを1ヶ月早く勘違いしていた。
なんじゃい!
 
とまぁ、こんなことが多いのはボケの始まりだろうか。
仕事がある日に「ない」と勘違いする悲惨な例はほとんどなくなったが、その逆で、仕事がないのに「ある」と思いこんで出勤して手持ち無沙汰というお間抜けが、今年は多かった。
学生時代は、登校してみたら大雨警報か何かで休校になってたということもあって、そのときは何だかものすごい時間が天から与えられたような解放感を覚えたものだったが、中年になるとひたすら「睡眠取り戻し」へと気持ちが向かう。激しく自己嫌悪しつつ。
 
「2週間冬休みスタート!るるる〜」と話すと、サラリーマンにうらやまれるが(なら転職しておいで〜と手招きしているのだが、だれも動かない様子を見ると、サラリーマンのぼやきは深刻な不満でもない浪花節なのかな)、わたしゃ「ブルペン」が勝負。自宅がデスクなんである。「ブラウスに名札」のOL様も、大沢君、私の部屋で研修よ!と求めてくる黒木瞳係長も、いないのだ。あぁ・・・(苦笑)。
まだ出版社からの請け負い仕事がブルペンに山積み。
苦しみマスまだまだ・・・の年の瀬である。


雪やこんこん

at 2002 12/27 05:57 編集

ルミナリエが終わってくれて、やっとお膝元が静かになった。夕外食もゆっくりできる。
寒波が来たらしくて、京都あたりの山間部から雪の便りも聞く。
でも、電車から眺める六甲の山肌は、青々としていて、冬らしくない。
「瀬戸内気候」という言葉がふと車窓によぎる。六甲が白い稜線を頂くと、本格的な冬という感じがするのだが、こんなにポカポカと日当たりがよくて、同じ県の日本海側住民には申し訳ないほどだ。

まさか鈍色の地方から日光浴に人口移動しているわけではないだろうけど、観光客が多いなぁ。
神戸なんて季節感のない街で、イベントを起こして風物詩を無理やり創っている感じさえする。
それでも、過去最高の人出だったらしいルミナリエが、少しでも地元の景気に刺激を与えてくれていたら救いだ。

さて、冬は買え買え電波が充満する地元を逃れて、雪国へ行くか。

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2002年11月の日記

怒り心頭…

at 2002 11/01 14:42 編集

シンガポールくんだりまで飛行機旅行しといて、「進展はなかったが、言うべきことはしっかり言った」と、外務省高官。
開いた口がふさがらない。これは、拉致被害者家族から役人をねぎらう言葉だろう。
何しに行ったの?オヤジたち!
能なし税金泥棒でしかないぞ!
仕事ができなかった糞役人が、自分をねぎらってどうするのだ!?

「犯罪は減らなかったが、パトロールはしっかりやった」という警察官。
「患者は死んだけど、診察はしっかりやった」という医者。
こんなのと同類ではないか。

「参加することに意義がある」というのは、オリンピックの格言だが、五輪が純粋にアマチュアの大会だった時代はそれでいい。今はスポーツ産業が成長しているし、公費も使われているから、「参加するなら勝て」「勝てないなら出て恥をさらすな」と言われて当然だ。
プロは成果を上げてなんぼ。
公務員は公僕である。血税で、不況でも下がらない収入を保障されて生かされている。
外交交渉で成果を出せなければ、外交官は失格だ。
人間、失敗はあるし外交交渉が外交官の能力を超えた難しさがあるのはわかる。
だったら、無能な税金食い虫は引っ込んでもらって、選手交代すべきではないか。

この類の糞役人が役所にしがみついている日本に、希望はなさそうな…。
また、殿さまを崇め奉っている奴隷犬根性の庶民も、おかしい。
糞役人を一掃しないと、ほんまに絶望的な国になると思う。


もぐらたたき?

at 2002 11/01 16:29 編集

あぁ、血税の無駄遣いを見ると怒りが収まらない。長くなってしまう。
 
役人バッシングは昔からくりかえされてきた。
叩かれなくても、みずから襟を正して仕事に励む立派な公僕もいれば、ただ「頬被りして嵐が過ぎ去るまで我慢」の糞役人も少なくない。「言わせておけ、そのうちほとぼりが冷めるから。退職金と年金さえもらえればいいや」というわけだ。うちの家族みんな公務員だから、本音は手にとるようにわかる(苦笑)。

それでもやはり、糞役人を叩き治さないと、本当にこの国は「1000万もらって10万円の仕事しかできないシロアリども」に滅ぼされてしまう。
なるほど、シロアリだって生きる権利はある。
それなら、成果の出せない税金食い虫は、責任の所在をきちんと追及して、転職訓練を受ければいい。拒否するバカ役人、ついでに部下の首切りしか考えない経営者は、北方領土のどこかに収容島をもうけてそこへ「天下り」させ、自給自足生活をしてもらうというのもいいではないか。

しかし・・・糞役人がぬるま湯につかっている「平成幕府」は、本当に変わるだろうか。
納税者の意識が変わらないと、難しいのは確かだ。問題はそこに行きつくと思う。
選挙に行っても、どこかに引っ越しても、根本的に役人体質は変わりそうにない。無力感が慢性病のようにしみついている。どうせ無駄骨に終わるなら、あきらめるしかない…ということか。その程度には、税金が惜しくない豊かな社会なのかもしれない。

民間企業なら、売り上げ減を招いた社員は即クビだ。それが市場経済の鉄則なのだ。無能企業は、売り上げで社会的制裁を受ける。
でも役所ないし役人は、身分だけは安泰だ。そこが崩れないと、問題を起こして辞表を出せば、退職金をもらって、同情されれば天下り先まで紹介してもらえる。
だから、国家公務員の働き方に不満があれば、「国立病院のヤブ医者○山○夫に税金が支払われているのは納得できないので、私は年金を払いません」というのも、1つの意志表示になるかもしれない。いま年金滞納率が30%に迫っているのは、国民の静かな抵抗だと思う。ノーベル賞田中さんにも、億単位の報酬と地位を用意して獲得しようとする外資系企業や外国研究機関があるだろうと思う。頭脳流出も、無能国家への抵抗になると思う。
もっと身近な痴呆…いや地方自治でいえば、「神戸空港を造るのは納得できないから、神戸から転出して市民税は払いません」というのも、集団規模や企業単位で進めば、1つの圧力になるだろう(か?)。僕が神戸に本社をおく会社の経営者なら、行政のコストパフォーマンスを追究している高知県とか、若い町長が情報公開を徹底している北海道ニセコ町あたりに移転するかな。

国保の負担金が、同じ収入でも全国の自治体で雲泥の差があるというのを告発した本が出ていたが、工夫して住民税を効率的に使っている自治体もあれば、血税をドブに捨てている自治体も多い。問題は、どこに住めばお得な行政サービスを受けられるか?という情報が、さっぱり公開されていないことだ。元公務員に支払われる高額な共済年金という甘い蜜も、内実はあまり知られていないが。

せめて、公務員は全員が名札と年収を表示すべきだよなぁ。
それがいやなら、やめればよろし。
名前を出して責任を持って、効果的な仕事をするぞという若者は五万といる。入れ替え戦をやればいい。顧客のために働ける人が、ハローワークに通っているのだ。
郵政民営化を小泉首相は断行したいようだが、民間企業や外資系企業と競争してみればいいと思う。国民に選ばれれば勝ち残りだ。
ともかく、糞役人や、役人もどきの銀行員は淘汰されて行くしかない。


ワンダフル公務

at 2002 11/03 23:14 編集

連休は山登り…の予定を変更して、出張土産を実家に差し入れがてら泊まっていた。

翌朝、いつもとは違う母の呼び声で起こされた。
弟とともにかけ下りると、母の寝室から煙が吹き出していた。
消火器やバケツリレーで手分けして消そうとするが、「こりゃあかん、消防呼ぼ!」と弟が119番通報。
消防が来るまでの10分か15分の間に、みるみる炎が大きくなって、窓から吹き出している。
黒煙がすごくて、ご近所さんも集まってくる。
炎で強化ガラスも破裂する。台所付近では、ガスの小爆発。

消防車16台、人員60名の威力?で、火災自体は20分ほどで鎮火した。
いったん消防車隊がひきあげて、1時間ほどしてから現場検証の一行が到着、漏電か失火か、念入りに調べて調書を作成し、2時間ほどで一件落着。

今回は「プロの仕事」のあざやかさをまざまざと見せつけられた。現場のプロはえらい!
その1。消火中の部屋の中から、1歳半の猫を救出してくれた消火隊員。
その2。出火原因について、家族3人別々に事情を聞き、整合性を冷静に確認していた警察官は、僕に「だいたい原因はわかるけど、あんまり失火責任を背負い込むと気の毒やから、まぁいろんな可能性を調べておくということで、言うといて」と気遣いをみせてくれた。
その3。負傷者ゼロなので、せっかく出動した救急救命士さんには本務はなかったかもしれないが、救急車で事情を聞きますから、とショックで足元がふらつく母親の肩をしっかり抱きかかえて歩いて行った。
ふだん僕は救急救命士の志願者に教えているけれど、現場での被災者の処遇はほとんどマニュアル化されていないから、この救命士さんの対応は、人間の大きさ、ふところの深さを感じさせた。ちょっとしたしぐさや言動に、それは現れてくる。

そして、素人パワーというか、「ふだん着の援助」も身にしみた。「ヤジウマ」どころか、鎮火したらすーっと去っていったご近所さんたちには、クールな大人の対応だなぁと思った。
洋服をすべて焼失した母に、差し入れの冬服を持ってきてくれた方々、いちはやくバイクで空き部屋情報を持ってきてくれたスクーターおばちゃんら、機転のきく大人の方々に頭が下がった。

「その後」はまたあらためて。
「ちょっとした細部に宿る大切なこと」をテーマに…


断片

at 2002 11/03 23:55 編集

シェリーの詩に、「きれぎれの夢を/つなぎあわせるものは何・・・?」というような一節があった。
原題が、Fragments : Some brighter sphere in the worldだったように思うが、ワーズワースを専攻した弟に聞いてみようか…。すでに僕の記憶能力がFragmentと化している(笑)。

母の寝室から、現場検証隊員が、焼け残った白黒の写真を何枚か取り出してきてくれた。
ぬれたり溶けたりしてくっついている印画紙を、僕は1枚ずつ剥がして陰干しして行った。
ふと、これは「岸辺のアルバム」やなぁと思いながら。
ちょうど、焼けてしまったこの家に引っ越してきた年に「岸辺のアルバム」は放映されてたっけ。
洪水で家が流される一家を描いた山田太一のドラマだ。買いなおすことができない一家のアルバムだけは取ってきて!と叫ぶ母(八千草薫)。無事にアルバムだけは手元に確保して、家屋がきれいに流されてしまう。よかったよかった…ではない。
洪水を機に、一家がバラバラに崩壊して行くのだ。
それほど、「家」は家族を結びつけている、特別な建造物なのだ。

一夜明けた今日は、アルバムや、なんと30年前の僕の通知簿が出てきた。あぁ、これが母親というものなのか…!

「洋服が焼けちゃった」「CDも惜しいなぁ」と嘆き、かろうじて焼け残った数枚の紙幣を仮住まいで乾かしている母に、「細々したことを気にやむな」と叱責する弟。
ストレスもたまっているのだろう。
でも僕は、細々とした落ち穂拾いが、心の復旧作業の一歩一歩になっているように思えた。

僕が差し入れたステレオで、僕の差し入れた音楽ソフトをよく聴いていた母に、僕はまた音楽を贈ろう。
自殺衝動にかられている被災者には、先の生活再建を考えろとだれもが忠告する。
僕も親戚も、皆そうアドバイスしている。
一方で、失ったものへの愛惜の念も、老母の心の中では想像以上に深い。
40歳前後の息子世代は、まだまだ未来を考えられる。でも、過去の思い出にすがって生きている老世代も、現に目の前にいる。
僕自身も、ちょうど学生時代の10年間をすごしたこの家には、それなりに思い出がある。両親が離婚しても、家族をつなぎとめてくれた猫たちが、役目を終えて亡骸を埋めている庭がそこにある。
黒こげの家屋は取り壊して、別の街に引っ越す方向で再建計画が動き出した。
家は取り壊されても、「生きられた家」は残る。

30年前に、生まれ育った家が取り壊されるさまを、僕は自分の分身が破壊されるような沈痛な思いで見せつけられた。
その近くへ、戻ろうじゃないか―と僕は提案している。あの街へ。
前に進むのか、過去に戻るのか。
どっちでもいい。
記憶には古い・新しいがあるが、歴史は循環していることに、あらためて気づかされる。


断片は全体を再構成するか

at 2002 11/04 23:58 編集

今日も焼跡のかたづけ作業。
自分の臍の緒が出てきて、弟が苦笑している・・・と、次に僕の34年前の通知簿まで出てきた。あららら…

いろんなものを拾い集めては母のおえつが洩れる。柱にもたれかかって涙を流している。
こんなとき、専門家がしそうなことを極力しないのが、インフォーマル・サポートという営みだろうと思ってそうしている(励ましも叱責もせず、ただそばで聴いている)のだが、すでにこんな語彙が出てくること自体、僕自身、こころビジネスに毒されているのかね?
自殺念慮も口にしている今が微妙な時期だ。

捨てるもの、持ち帰るものを選り分ける作業ということ自体、酷な作業だと思う。
僕からみてボロきれのようにも見える衣類に、本人が刻んだ思い出がつまっていたりするわけだから。
鉢植えや、置き物の1つ1つが、「捨てないで」と叫んでいるようにも見える。

庭の片隅に、かつて家族として生き、死んで行った猫を埋めた土に立てた墓石がある。ただの岩のカケラではあるけれど、これなんかは、どうにかして持って行きたい気もする。
そんな経験をすると、位牌や仏壇を大切にする人の気持ちがわかる。
位牌なんて、驚くべき発明だ。「ポータブル祖先」なんだから。
 
さぁ、断片を拾い集めて、どれだけ過去を修復できるかどうか…。


きっちゃてん

at 2002 11/07 01:25 編集

阪神大震災直後は、喫茶店でひとときを過ごすのが楽しみだった。行きつけの店が再開するのは本当にうれしかった。
たぶん、大げさなお祭りや豪華な食事より、「いつものパン屋、いつもの喫茶店、いつものケーキ屋」でホクホク喜ぶ神戸市民が大多数じゃないだろうか。
新聞をブラウジングしていたら、「スタバ赤字」の記事を発見。
http://www.asahi.com/business/update/1106/032.html

「それ見たことか」とわけ知り顔で言うつもりはないが、どうも日本の「きっちゃてん文化」とは異質な印象がぬぐえないんだよ、スタバは。
僕自身、スタバはシアトルのパイク・プレイス・マーケットの1号店が初体験で、次はモントレー店だったか、そのずいぶん後になって「日本にあったんかいな!」と発見したほどの時代遅れなのだけれど、かの地の風土にはピッタリでも、「歌声喫茶」「ジャズ喫茶」の伝統がある我が国に、雨後のタケノコのように増殖しているのを見て、「だいじょぶかいな?」と怪訝に思っていた。
 
そりゃー婦女子が「気持ちいいカフェ」なんてはやしたてて入りびたると、雑誌やテレビは書きたてるもんだが、あえて差別を承知でいうと、女・子供のブームなんて底が浅いから、醒めるのも早い、って。
 
やはり、文化はその社会の中核層が支えて行くものなのだ。喫茶文化も例外ではない。
中核というのは、中高年なのである。
中高年にとって居心地がよくない、婦女子に媚びた店は、必ずすたれる。

では中高年が支持するカフェとは何か?というと、さんざん僕はエールを送っているのだが、「おしぼり・新聞・レーコー」がワンセットで用意されているような、我が家テイストの店なんである。ついでに、テレビで高校野球とか阪神戦がかかっているとか、おしぼりは「北半球世界一周(=上半身ゴシゴシ)」が許されるとか、新聞は大スポにとどめをさすが一般紙でもいいとか、バリエーションがある。
スタバには、これがない。なぜか眉毛をいからせた婦女子がえっらそーにフラペチーノだかマルチーズだかをなめているだけの、絵にもならない虚構が踊っているだけなのだ。
きんさん・ぎんさんのようなおばーちゃんが、手押し車を押してやって来て、コーヒーと食パンをおいしそうにいただいている光景こそ、本物のきっちゃてん文化じゃなかろうか。

この際、スタバには「カフェ経営コン猿タント」としてアドバイスしておこう。きっちゃてん3点セットを導入すべし、女・子供をいぶし出す演歌をBGMにかけろ…と。

え?それじゃスターバックスではなくなる、と?
いいではないか。
きっちゃてんは、我が家の憩いの延長であってほしいもの。


小倉にて

at 2002 11/09 21:40 編集

先月につづいて九州に遠征中。
I-modeで「4500円のシティホテル」がとれたぞ手軽だねぇラッキー…と思って電話で確認しようとしたら、さっぱりかからない。何度かけても、だれも出ない。なんじゃこりゃー!
駅から5分ほど歩くとホテルが見えるが、窓が真っ暗。不安半分で後悔もしつつ、妖怪オババが「女を紹介するでぇ」と客引きをする場末(いや、大阪でいえばハービスプラザあたりになる駅前なのだ)を通って、宿に到着。いちおう、ちゃんと営業してた。
さすがに安値にふさわしく古いけど、「最上階エグゼクティブフロア」で小倉の夜景を満喫だ。これで4500円ポッキリなんである(笑)。

博多といえば明太子、長崎といえばチャンポン…ぐらいしかイメージがわかない不勉強なので、当然のこと小倉といえば「あんパン」でしかない。いや、あれは「おぐら」だったか?
ともかく、官能的な小倉の夜(笑)はやはり泡と消え、そそくさと晩飯をすませて「ホテルでチューハイ」である。おぉなんとストイック!
こんなとき、某鯖人なんかスポーツ新聞でも買っておねーちゃん遊びをしに繰り出すのだろうか?

電車で通りかかったスペースワールドは、土曜日というのに「工事中の万博」みたいに人気がなく、スペースシャトルは日ざしにキラキラ輝いて立っていた。
催しの会場は八幡にあるのだけれど、官営八幡製鉄所!新日鉄!という熱いイメージとは裏腹に、さびしかった。
でも、僕はこんなメタリックな町が好きである。
イベントのオープニングで、八幡製鉄所の鉄の男たちが作業服で整列し、力強くみごとなコーラスを聞かせてくれた。鉄の街のハートは熱い!
九大の学者センセイがたも熱かった。
小倉の街は、いい感触だ。
さて空き時間に、どこを探ってみよう…?


小倉城となり

at 2002 11/10 17:26 編集

小倉の今宵は、ゆうべの廃墟一歩手前の宿より300円高いだけで、天と地ほど快適なところが、やっぱりi-modeでとれた。
広くてきれいで、フロントには花が咲いている。4800円は安いなぁ。

協働の全国集会が終わった。高齢者の仕事づくりという分科会に参加したのだが、となりの部屋は「就職難の若い世代の仕事づくり」がテーマで、隣の芝生が青く見えてしまった(悪いクセ)。
「仕事づくり」について、考えさせられるところが多々あった。
集会全体のテーマが、労働力の生産・供給側の話だから、案の定「利用者に喜ばれています」「一緒に働く仲間も生き生きしてます」という話が充満している。
けれど、買う側はどう評価しているだろうか。不満があっても、それをサービス提供者に直に伝えられるだろうか。
たとえば、僕が老親にヘルパーを契約させようと考えると、NPOよりまず社協に相談すると思う。海のものとも山のものとも…という言葉があるように、どこが本当にリーズナブルな料金で、よく相談に乗ってくれて、室の高いサービスを提供してくれるか、情報がほとんどない。いや、まずほしいのは「やぶヘルパー派遣業者」情報なのだが。

福祉事業は、規制緩和で事業者が増えて、利用者が自由に選べるようになった。
選択肢は増えたが情報が乏しい―だけなら、実際には選択のしようがない。声のでかい=広告宣伝のうまいところが選ばれるだけ。
利用者は、サービスを選んでみて、不満なら簡単に他の業者へ鞍替えすることができる。なぜ買ってもらえないか、他社とくらべて何が劣っていたのか、なかなかつかめない。自分にとって耳の痛い利用者の声をしっかり蓄積して改善に向けフィードバックしているところは、生き残って行くだろう。

現実には、顧客からのクレームを蓄積して活かしているところがどれだけあるだろうか。
仲良し感覚で経営している事業だと、かばいあい、不正の隠蔽、独善体質の温床になる。
僕も、所属していたNPOが放漫経営で会費アップばかり押しつけてくるので、批判したところ、「攻撃的だ」と被害妄想をむき出しにされたことがある。敬老精神で、追及の矛は納めたけれど(笑)、ここが高齢者中心の事業経営の限界なんかなぁ…とも思った。高度成長期の会社経営や行政のやりかた以外の方法を思いつかないのかもしれない。
 
集会でも、「フラットで上下関係のない共同労働が好きなんです」と強調していたおとっつぁんが配布したレジュメは、そのNPO法人の組織図が真ん中にあって、そのおとっつぁんは事務局長なのであった。
つまり、仕事でもボランティアでも、組織化するということは、「フラットな仲間関係が必然的に上下関係になる」ということなのだ。
「局長」はマスコミにとりあげられ、「局員」は日陰の補助職―なんである。福祉分野の事業だと、「利用者と事業経営者」とは、「荘園領主と小作人」の封建関係と大差がなくなってしまう。
それを認めた上で、セルフチェックをして行かないと、ボランティアやNPOのうさんくささ、偽善性は払拭できないだろうな・・・と思った。


西小倉カレーの王様

at 2002 11/10 23:57 編集

九州国際大学の裏に堂々とそびえるのは、皿倉山という600mほどの山だった。看板によると、10億ドルの夜景が楽しめるという。
六甲山から見下ろす神戸の夜景が1000万ドルとうたっているから、ざっとその100倍か。すごい。
神戸も景気よく宣伝すればどうじゃろ?

小倉へ戻って、なんと2日つづけて夕食はカレーライスだ!われながら、悲しいではないか。
不案内な土地では、(昼食もそうだったけど)ちゃんとした夕食の食える店への道案内がまずほしい。
立場を替えてみれば、神戸に来る観光客や出張族も、不自由を感じているだろうと思う。
ガイドブックには、いわゆる定食屋なんか載っていない。コンビニやファストフードは載っているのに、肝心の定食屋の類は、よほど名所にでもならないと載らない。でもなぁ…「一人で安心して飲み食いできる店」が情報不足ではないかと思う。何千円も使わせるレストランとか格式ばった店の方が、ガイドブックの彩りにもなるんだろうけど。
ふだん定食屋や居酒屋に一人で乗り込むことさえない女性の一人旅だと、けっきょく喫茶店あたりでごまかして「ごちそうさん」じゃなかろうか。

男性一人でも、不自由ではある。ふだんも旅先でも羽根をのばせない小心者の僕など、豪遊どころか、とりあえずくつろいで食事のできる店がほしい。昼飯ぐらいで難民化してしまうのだ。トホホ…

街はずれのバーで、隣り合わせた黒木瞳ふうに
「小倉には、初めて来たんだが…」と話しかける僕。
「あら、どちらから?」
「東の、港町さ」と、気取ったふり(!!)をする僕。
「港か…旅に出たいわ」と、調子よく物語を進める瞳。
「あす俺と、一緒に行くかい?」と、身のほど知らずの大胆勧誘。
「いけません!私には家庭がっ…」と、アホなよろめきドラマに流れ込む瞳。

なんて空想は、絶対に空想で終わるのだ。
見果てぬ夢はさておき、今日の西小倉駅前「カレーの王様」は、ちょっとおもしろかった。
3原色のエプロンにピンポンパン帽(といえば若い子はわからんだろうな)の男女店員が気持ち良く応対してくれる。
客はというと、ケバい女子2名が「無理めの東京弁(笑)」でおしゃべりしておる。
んー、これは「80年代の学生街の喫茶店」ではないだろうか。
どうりで、なつかしさを感じたものだった。
肝心のカレーは、これで辛口オーダーか?と思う甘口だったが、どこでも食べたことがない風味でなかなかうまかった。

宿は小倉城の近くにあって、城の西隣では遺跡発掘工事が進んでいる。お堀をはさんで北側では、巨大な近未来ビルが建築中だ。土日でも「スペースワールド閑古鳥」のこの土地で、採算は見込めるのだろうか。
先進性と歴史がせめぎあって、何か巨大な実験をしているような感じもする。博多へ直行する本州人民を、なんとかここで下ろそうというわけか…?
何が生まれるか、楽しみな街だ。


感動した

at 2002 11/11 09:09 編集

なんだか、ホテルの外が夜中まで工事で騒々しいので、フロントにクレームコールをしたら、かわいい声で(あぁ、こう感じた時点で負けとるな)「すぐ調べますので!」と返答。現場に確認してくれたようで、「もうすぐ終わるそうです。お客さまの部屋が現場から一番遠いので替えるわけにも行きませんし…」と説明があった。
そうか、最大限、静かな部屋をあてがってくれてたわけか、4800円の客に。
感動した。
小泉純一郎になってしまった。
小倉リーセントホテルは要ブックマークだ。


もじもじ

at 2002 11/11 23:33 編集

なんとなく、門司港に足が向かった。愛読している藤原新也がよく出生地を語るエッセイに登場する街だから、興味もあった。
それに、終点駅というのは、どこか「鉄ちゃん琴線」をくすぐるのである。
大正初期にできたという駅舎は、たしかにレトローッ!とアピールしていた。観光に来ている乗客もレトロそおものだった。おばーちゃん観光客が、「あぁ、このホームの先から連絡船が出てたんよ」と昔を思い出している。

街も全体が「レトロ」をテーマにしている。
「レトロマラソン大会のため交通規制」という張り紙があちこちにあったけど、レトロマラソンとはこれいかに?アテネまで走るサバイバルロングランとか…。
和布刈(めかり)という地名にひかれて、標高175mの古城山をめざす。バスを待つのも面倒くさいので歩きはじめて、結局2時間登山になってしまった。眼下の関門海峡の眺めがよくて、あちこち展望所で休みながら楽しく歩けた。
門司城跡は深い森の中に700年前の面影を残していた。
平氏が築城させたというから、平清盛が港を開いた神戸の市民としては因縁を感じる。
おまけに、ここ和布刈公園は、日本最大の瀬戸内海国立公園の西端で、東端は神戸の六甲山だそうな。うーん、門司と神戸は、案外ご縁があるようだ。
 
たしかに、ここでも神戸と似たウォーターフロント開発が進んでいて、山がそばにあって、海辺に親水ゾーンが造成されていて、海の幸がある。くだらんハコモノも建築されてはいるが、それでも海峡沿いを歩くと落ちつける。いい感じのタウン・スケールだ。
登山疲れは地ビールでねぎらおうと思ったが、ビールは土産に買って、瀬戸内だか玄海灘だかの海の幸を天ぷらで味わう。うまい!
小倉に戻ると、どしゃ降りの通り雨。いいタイミングで登山してきたわけじゃな。
好感度大の門司には、またゆっくり来ようか。


出張おわり

at 2002 11/11 23:53 編集

3日ぶりに神戸へリターン。
その前に、岡山で途中下車して、中学時代の同級生に二十数年ぶりに会ってきた。
学校で1,2を争う天才少年だった彼は、雇われの身を蹴って自社を起こしたばかりで、めらめらと燃えている。たのもしい。
教育事業にかかわっているので、いろいろと共感するところもあったし、示唆に富む議論もできた。
教育業界でも、義務教育は国の教育行政の一環だから、なかなか開放されない点が難しい。でも、中学生はバカではない、自分でマイティーチャーを選んで社会勉強もして行ける、本当に問題なのは民間で競争して働いて行けないような教諭たちだ・・・という点で、意見は一致した。
スクールカウンセラー派遣政策については、意見は噛み合わなかったが、まぁいろんな意見を闘わして行けるというのはいい関係だろうと思う。
こういう事業家が、視野の狭いセンセイがたを変身させて行けるのかもしれない。

しみじみ、途中下車してよかったと思いつつ岡山から「こだま」で神戸に戻る。
1両に3人しか乗ってないではないか。指定席なんかとって、アホみたいじゃ。
100系新幹線よ永遠なれ(言うに事欠いて何のこっちゃ!)。


こげ、走れ、工夫して

at 2002 11/13 00:19 編集

神戸港中突堤から、我が家につづく坂道を歩いて帰ってきた。
2台のチャリが僕を追い抜いていった。
若いカップルで、男27歳は18段変速のマウンテンバイク、女23歳は9800円の(おそらく折り畳むことのない)折り畳み小径車だ。

5mも登ったところで、彼女はこげなくなって自転車を降りて歩き始めた。
彼もつきあって降りた。
シフトすればすいすい登れる坂道である。

なんてことのない路上の光景なんだが、これが日本の夫婦を象徴しているように思った。

こんな場面で、彼女は何を思っているのだろうか。
「私に合わせてくれて、素敵な彼っ!」という感じだろうか。
彼は「ボクいつも君と一緒だよ」という無言のメッセージを態度で醸し出しているわけだろうか。

強引な決めつけを承知でいえば、このカップルは、間違いなく「働き蜂と家政婦」になるだろう。

「坂道をこぐの大変なの。だから押すの」という彼女は、限りなくやさしい。彼と同じぐらい、やさしい。そのやさしさが、彼をうまく飼い慣らしている。
だから、やがて、
「育児しながら働くの大変なの。だから赤ちゃんのそばに私がいてあげたいの。あなたにもおいしい御飯つくるから、がんばって働いてね」
ということになると思う。
その彼女の健康保険料を、僕が一部負担するしくみになっているのである。

やさしい家族がいたわりあっているこの国が、自殺者3万人を生み出している。
リストラで命を絶つおとっつぁんがたの配偶者は、おそらく上のようなセリフを吐いてきただろう。若かった亭主族は、それで幸福をかみしめていただろうと思う。
そうして、職を失っても「食わしてくれないか」とは言えず、「食わしてやれなくなった俺は世を去るしかない」と思考飛躍してしまうのだ。

思考停止の彼女と、思考飛躍のカレシ。

「きちんと考えつづけること」が、今ほど大切になっている時代はないと思う。
この国に満ち満ちている「やさしさ」は、実は無知・無恥・無自覚・無批判・無教養であるだけなのかもしれない。
一見やさしさに見えることが、習慣化すればどれだけ相手を無力化するものか、想像が及ばない。
家事・育児のできない男と、労働市場で闘っていけない女がくっついて、フィフティ・フィフティを実践しても、「50%+50%」じゃなく「50%×50%」になりゃ答えは25%だ。

「コ難しいこと考えずに楽しく働きましょう」とそそのかしている経営者や政治屋や糞役人は、自分の収益がいかに増えるか?については、悪知恵をフル回転させ、最難度のウルトラCを駆使している。
まるでカウボーイと子羊あるいは子牛だ。

頭を使わにゃ。
20代そこそこで痴呆じゃ困るよ諸君!


快食快復

at 2002 11/14 13:57 編集

風邪がはやってる、はやってると聞いているし、実際やられてぐったりしている某女子大生もいるのに、「どこ吹く風」だった。
すると、昨日にわかに悪寒におそわれ、どーんと腰が重くなって、全身だるい。
あ、やられたな・・・!と思うが、体温計も風邪薬もないので、「自覚症状と人体実験」がセルフ診療の頼りだ(笑)。
といっても、野菜満載の鍋をつくって、キムチもくらって、体に喝を入れるぐらい。今までも、薬はできるだけ飲まずに、栄養をつけて、自然治癒力で治してきた(つもりだ)。中国4000年の知恵である。
朝起きると、寝汗をかいて、腰痛は消えていた。
でも、これぐらいの風邪で通院したり薬を買ったりする人も、何百万人といるんだろうな。
その総額はいくらになることやら…。


ピッチ救命蘇生

at 2002 11/14 23:06 編集

個室に入ってしゃがんだら、電話がドボン・・・
あぁ、やってしもうた!
全部水没してたが、あわてて引き上げた。ばっちぃのなんのと考えるヒマもなく、数秒のクイックリアクションだ。
かろうじて画面表示だけは残っているが、電源を切ろうとしても切れない。
こりゃ絶命までは時間の問題かな・・・と思いながらも、「すること」もそこそこに、救命措置を試みた。まず薬局へ走って消毒用ティッシュを買って入念に消毒、電池をはずしてショートを防ぐ。
次にカメラ屋で強力乾燥剤を買って、これで密封乾燥させてやろうと考えた。
十年以上前にも、カメラを水没させてしまったことがあるが、タッパーにカメラとティッシュをつめこんでカメラを密封乾燥させたら、ちゃんと蘇生(笑)して、未だ故障なしで使えているのを思い出したわけだ。

はたして、結果は・・・
1日密封乾燥させてみたら、見事に復活していた!
脱臭作用つきの乾燥剤を詰め込んでいたせいか、気になる匂いもとれていた。メモリーも各種の設定も消えていない。
まぁ、いつまで使えるかわからないが、もう売られていない機種なので、大事に使うしかない。ドコモ611はPHSの名器だからなぁ。
つくづく、初期救急が大切なのだと実感した(よりによって救急救命士学科での仕事の後だったのは、因縁か?)。


街が家族

at 2002 11/15 12:50 編集

老母の新居探しがすったもんだしている。
買うのも住むのも母一人だから、とやかく言うべき筋合いではないのだが、それでも他人事と捨て置けないのも身内の筋合いという感じだろうか。

ずっと庭つきの一軒家で、窓も玄関も開けっ広げで、庭いじりが趣味という母が、幹線道路沿いの3LDKに移り住む段取りが、周囲のみこしに乗っかって進みつつある。

一族で(笑)見に行ってきたところ、投資用ならともかく、住む物件としては、僕なら値札の半額以下でも買いたくない場所だった。ゴーゴーと24時間、車が通る。暴走族の晴れの舞台になっている道路でもある。洗濯物を干すと窒素酸化物まみれになる。網戸もすぐ真っ黒。近所に一時住んでいた僕にはわかる。
不動産屋は「夏は道路沿いだから、風がよく通るんですよー」というが、「アホか、窓を開けてたら暮らせんから、エアコンが4機もついとるんやがな」と僕は小声で(笑)つっこんだ。
 
おしどり夫婦の兄(僕の叔父)は、「場所柄なんか気にするな」と諭しているが、家族構成は住環境の基本条件になる。おしどり夫婦なら、どこに住んでも、我が家が憩いの空間になる。
でも、たとえばヤモメ男は家族愛の充満するニュータウンの団地より、職場近くの都心の狭いマンションの方が快適だったりする。広さと値段だけ見て「得だから」と物件選びをする人はいないだろう。
年齢を問わず、独居生活は、周囲の街が「配偶者」になるのだ。だから「暮らし方に合った転居」が自然な考え方だろうと思う。

不動産屋も、顧客のライフスタイルやパーソナリティを考えずに「交通至便・車庫つき・学校近し・公園そば」なんて宣伝を一方的にするばかり。「あのなー、わしゃヘルシーウォーキングしたいから駅1kmでもええんじゃ!坂道大歓迎。クルマ?免許ありまへん取りません」と反論したりする客は「難しい客」としてマークされる。
植物に興味もないくせに「緑が近くにあっていいね」なんて浮かれる間抜けは、カモになる。
どんな暮らし方をされたいですか?と尋ねるところから相談に乗る不動産業者こそ、信頼していいと僕は学んできた。僕がお世話になった賃貸仲介業者は、職業を聞いて「中央図書館にも近くていいですよ」と考えてくれたっけ。
これが病弱な人だと、相性のいい医療機関が近所にあるとか、呑みすけならネオンサイン&赤提灯きらめく街があるとか、そうした環境が、「その人にとっての住みやすさ」を決定する。間取りや築浅かどうかなんて、オマケみたいな要素だろう。

「都会でマンション暮らしをして選び方を身につけた人は、この中にいますか?僕だけちゃいますか?」と母・叔父夫婦・弟を見渡して聞いてみたら、沈黙の後、「とにかく、待っててもしかたない、はよ決めにゃ」と、ベルトコンベアが動いて行った。
あとは自己責任。
たしかに、「老いては子と同居」より、個人として自律(自立)できる生活設計が、これからの趨勢になると思う。
だけど、なんだかなぁ…。
自分が金を出して買う一生最後の買い物なのに、我を出せない高齢者は、結局ストレスフルな箱に追いつめられて行く。阪神大震災の高齢被災者が「ふれあい長屋」から、優先的に転居できたハイテク豪華公営マンションで、孤独死や自殺が絶えないのは、同じ区内にある何よりの教訓だ。
「居住福祉」という言葉は聞くけれど、まだまだその発想すら、我が身内のだれの頭にも存在しない。
母は老人福祉を教えている看護師でもあるのに、いまゆっくり自殺しつつある。


ピッチ入院

at 2002 11/18 23:22 編集

ピッチがデータ通信できなくなったので、オーバーホールを兼ねて、ドコモのモバイルメディアラボに持って行った。
どでかいビルに広大なロビー。午後4時ごろ、客の姿はない。
おねーちゃんたちが、元町のどこそこのレストランの割引の話に花を咲かせている。
この殿様商売は、いつまで続くんだろうか。

太川陽介みたいなあんちゃんが、「ずいぶん長く使っていただいてるようですねぇ…」と話しかけながら、故障箇所の説明をしてくれた。人あたりは、ノーベル賞田中さんテイストだ。技術屋さん臭がすると、かえって安心する。
あぁそうか、窓口嬢というのは、男性社員の「選択肢」なのだな…と、当たり前のことを再確認してしまった。


お茶

at 2002 11/19 23:59 編集

久々のきっちゃ店L。
コーヒーを飲んだ後は、サービスでお茶を出してくれる。ちなみにメニューには「おでん」もある。新大阪にある「そうめん定食」を出す「演歌BGM」の喫茶「アロハ」が東の大関とすると、西の関脇か(せこい土俵じゃ)。
ジャズのBGMがいい。
形容詞は「ジャジー」。
「ジャージーな・・・」というDJがいたりすると、「それじゃートレパンやがな」とつっこんでしまう(エンターテイナーでいいのに、得々とエンターティナーなんてしゃれてるつもりの芸能人も同類かな?)。

それはともかくとして・・・
スポーツ新聞に、「営業マンの苦手なタイプの相手というのが載っていた。曰く、
1.決断が遅い
2.理屈っぽい
3.値下げばかり要求する
4.同業他社をひきあいに出す
5.約束を守らない
6.言動が粗い
7.呼び出しが多い
8.接待を強要する
9.秘密を守らない
10.マージャンにつきあわす
というタイプが十悪だそうだ。営業さんも、大変だな。

でもこれ、「悪徳商法から身を守るポイント」にもなるのではないだろうか。
1.決断までじっくり考える
2.理屈をこねる(法律武装する)
3.値切り命
4.同業他社と徹底比較する
5.約束を破りちらす
6.言動が「ヤ」系またはモーホー系(笑)
7.5分おきに呼び出し携帯コール
8.せっ**を強要する
9.商談内容をべラベラ言いふらす
10.礼拝につきあわす(笑)

どうだ、悶絶の営業泣かせではなかろうか。
また、最初の十箇条を裏返せば、
・決断が速い
・理屈がない
・金払いがいい
・同業他社が目に入らない
・約束は律義に守りよる
・言動が低姿勢
・だれにも呼ばれず寂しい
(以下略)・・・なんて客は、のし紙つきのカモといえるのではないか?

カモといえば、サンケイスポーツに小田茜が出ていて、「噂される28歳の占い師との仲」なんて書いてある。
あれれ・・・牧瀬里穂―小田茜―占い師―自己啓発セミナー屋という関連ラインが、頭の中でこんがらがってしまった。カモられる美少女タイプというのが、芸能界には必ずおられるようだ。似たもの同士だから、マインドコントロール師につぶされても、「そういえば、昔こんな子がいたなぁ」程度ですまされてしまうのが哀しい。


カフェ復興

at 2002 11/22 23:56 編集

県警本部のおひざもとに、ずいぶん夜中までポツンと開いている居酒屋があった。
行ってみようみようみようと思っているうち、ふと通りかかったら、占い屋(!)に変身していて驚いた。
きょうび、こんな場所で、こんな商売が、やっていけるんだろうか。
まさか捜査官が占いに頼るわけでもないだろうけど。

この店のすぐ近くに、「珈琲文芸復興」(カフェ・ルネッサンス)という名前の喫茶店があって、これも惹かれる名前の店だたぁと思っていたら、昼間からシャッターがしまっていて心配…。

個性的な店がどんどん姿を消して、廃業したり業種転換したりするのは寂しい。
新しい店主が持ち味を発揮して新しいカフェ文化を土地に芽生えさせてくれるなら、それも楽しみではあるけれど、ラーメン屋に変わってしまったりすると、(別にラーメンととやかくいうつもりはないけど)ガックリくる。

ほんとに復興してほしい「ルネッサンス」を横目に見て、夜はダーツばかりやっているカフェを久々にのぞいてみた。サンドイッチ280円、コーヒー300円と、経営だいじょぶかいな?と心配になる店だが、「開いててよかった」(笑)。
バカボンのパパのような、物静かであどけないが凄みのある表情のマスターが、淡々と仕事をしておられた。なんの変哲もなさそうで、実は壁がどんでん返しになっていて、秘密基地が隠されていそうな、気になる店である。
いつ入会儀式に誘われるか、楽しみである…。

このあと、某女子大生と大学の副学長とで、イタめし屋へ。うすいの・中ぐらいの・濃いーの…と、ええかげんな選び方でうまいワインに酔った。オックスフォード在職中はワインばっかり呑んでたよ〜とおっしゃりながら、川島なお美のような薀蓄はひけらかさない、気さくな兄貴肌だ。論文書け書け推薦したげるよ― と、ありがたい叱咤激励。
幸福なワインの酔いだった。



大竹一重

at 2002 11/24 14:58 編集

愛読している雑誌が出て、すぐとびついて買うことが少なくなった。
そのかわり、古本屋で古いバックナンバーが出ていると、出た時点で払う金額で5冊分ぐらい買えてしまうから、得した気分だ。
最近のカメラ雑誌は、カメラ小僧向け2誌とオヤジ向け3誌に二極分化しているが、どれも共通しておもちゃのようなフィルムカメラしか出せない能なしメーカーの提灯持ち記事で埋まっているから、ちょっと古い時代に目が向いてしまう。われながら、仕事は未来志向(のつもり)だが、道楽は保守的になってしまうようだ。
古い時代の雑誌に目が向くといっても、数年前どまり。記事の傾向は似たようなものだけれど、年月のフィルターにかけられて、提灯持ち記事のすきまで目立たなかった「レトロ再発見」のような記事が、がぜん浮かび上がってくるのが不思議だ。
 
そんな雑誌は、すでに部屋に山とあって、われながらゴミの山と見分けがつかないので、単行本の話。
アラーキーの写真集を買った。「写文集」なら何冊か愛読してきたけれど、純粋な写真集は初めてかもしれない。モデルは大竹一重。
大竹一重といえば沢渡遡という感じだが、同世代なのにアラ−キーの撮り方は、沢渡さんや篠山紀信らとこうも違うもんかと思う。
沢渡氏は、モデルをモデルとして、猥雑なところは捨象して「作品」にする。
アラーキーは、捨象されるものを写してしまう。その延長にモデルの「生身」が写っている。
 
あまり裏も表もない少年少女タレントの「メイキング」やら「楽屋裏ショット」なんて、面白くもなんともないが、大竹一重のようなタイプだと、アラーキーの手にかかると、(股間激写なんて下衆な意味ではなく)人間の裏まで写る。これが写真の妙だよなぁ、と思う。
すでに「プライベート寝床写真」が出回ってしまった奥菜恵のようなタイプこそ、アラーキーが斬ってみてほしい気もする。「あたしゃプロのモデルやタレントは撮らないの!」と(一応)言ってるのが、彼の偉いところだが。


まもなく6000

at 2002 11/24 15:01 編集

キリ番がどうこう、とあまり気にしたことがなかったけれど、見てくれる方あっての個人サイトだから、なにかお礼をさせていただきたく思いまする。
自己申告していただけるとうれしいし、なくても勝手にお礼するかもしれません。


むははは

at 2002 11/27 07:29 編集

角川文庫の新刊で椎名誠さんの『むはの断面図』が出ていたので、1秒衝動買い。
椎名さん自身、ビールが大好きだそうだが、なんだかビールのようなエッセイだと思う。心の渇きに染み入るパワーがあるというか、とにかく元気になれる。つい最近も、朝日文庫版の写文集『旅の紙芝居』をしみじみと読み終わったところだった。
椎名さんはいま週刊文春でエッセイを連載中だから、文春文庫からはわりと新しいエッセイ集が出る。でも、角川文庫版は新刊のくせにレトロな内容で、それがまたおもしろい。『むはの断面図』も初版は86年だ。おお、黄金の80年代、昭和末期ではないか。
「ナウい」なんて言葉も、ギャグではなく平気で連発されている。こんな時代が、すぐ昔にあったんやなぁと思う。景気もよかった。
 
40代のシーナにもとにかく勢いがあって、オババにも粘着バカップルにも椎名マシンガンが炸裂している。今の僕とほとんど同世代だったのだ・・・と思うと、よけいにこのエネルギーに刺激される。
読者に嫌われないように無難に…なんて媚び方は、みじんもない。
媚びない生き方を、見習いたいと思う。


ミスったコン

at 2002 11/27 08:13 編集

大学祭名物のミスコンが、「女性の商品化につながる」ということで下火になっていたと思ったら、最近「ミスターコン」と並行して開かれているとか。
いかにも言い訳くさい「ミスターコン」がどれだけ目玉イベントになるかわからんが、「沢田亜矢子のもと夫」こと松野さんや、猿岩石みたいなメンズが「人生のミスを競いあうコンテスト」というのも、それなりに味わいがあるかもしれない。

「若き婦女子」だけランキングするミスコンが差別なら、いっそ「人生をミスった人」コンテストをカップリングするのもいいだろうし、ジジコン、ババコン、ジャリコンもあっていい。「癒し系」でなら、きんさん・ぎんさん系おばーちゃんが、優香も蹴散らして優勝まちがいなしだろう。
 
昔ながらのミスコンに、「この子の親父はこんな人です!」と、パパコンをワンセットするのもよくはないか?これをフェミニストは、「親子差別」とはいえないだろう。
たとえば松浦あや(字わからん)の親父が江頭2:50とかミスター・オクレみたいな親父だったら、羨望と絶望、勃起と萎縮が葛藤をもたらして、差別構造もうまく中和されるような気もする。
 
親子ワンセットの「ファミコン」路線だと、「ジャニーズ系の坊やと黒木瞳のようなママ」がワンセットで出ると、これもちょっとした騒ぎになりそうだ。
もしかすると、これこそ世間の「ジャニーズ狙い女」をふるい立たせるビューティフル姑として注目を集めて、美の競演になるかもしれない。
ま、現実には、宮沢りえママや、和泉元彌の背後霊セッチーのような組み合わせの方がありそうな話で、巷の男女をうろたえさせるだろうが。
 


くっさー

at 2002 11/30 00:09 編集

国に楯突くユニークな横浜市が、匂い条例を導入しようとしているとか。
http://www.yomiuri.co.jp/04/20021128i213.htm

僕は焼き鳥や焼き肉は食べないが、匂いは好きだ。「くさい」と感じる人は、どれぐらいいるのだろうか。
条例は、焼き鳥屋のすぐ近所に住んでいる住民の生活環境を守るという趣旨から策定されているようだから、たしかにいい匂いも四六時中ずっとだと、辟易するどころじゃすまないかもしれない。

だったら、食品の匂いより、オババやおネエの殺虫剤のような香水を、ぜひ条例で根絶してほしいものだ。あれはほんまに公害であって、「う〜ん、いいフレグランス〜」と思っているのは本人だけで、居合わせた人みな「強烈に匂う!」としか感じてないのではないか?
同じく勘違い系フレグランスとしては、個人的には、酸っぱいオヤジ臭も条例でなんとかしてほしい気もするが、おじさん予備軍としては、小声になってしまう。

まぁ、みな悪意はないだろうし(だから治らないのだが)、風上にいれば被害は避けられるので、なんとか共存できそうではある。
悪習ばかり敏感になっても不幸なので、サザエの壷焼きとか、お好み焼きのソース臭とか、もうたまらん「猫にマタタビ」系の香しい匂いが漂ってくる街角をそぞろ歩くのを、せめてもの楽しみにしよう。


モトコー

at 2002 11/29 15:08 編集

80分MD単価が80円を切る店をついに発見。日本国TDK製だ。なぜか5枚セットの方が10枚セットより単価が安い。不思議な店だ。
同じ店で、アウトドアショップで買うより半額でヘッドランプを見つけて、即「お買い上げ」。ペツル君という、山で長年愛用してきたヘッドランプもいよいよ脇役に回って、松下君が主役になった。

そのまま元町高架下をつつーっと歩いて、70年代ラジオショップをひやかしていると、客の男の子に「ちょっと席はずさなあかんから待っててくれへんか」と話している店長がいた。
「トイレ行きたいねん。15分はかかるで。なんでか言うたらな、浣腸せなあかんねん。しばらくつまっとるんや」と、そこまで克明に説明せんでもええがな(笑)・・・と思う、ほのぼのした場面であった。


第二自民党

at 2002 11/30 23:28 編集

自由民主党への対抗勢力づくりで、自由党と提携しようとしている民主党――名前どうするんや?
皮肉って「不自由民衆党」とか・・・。
小沢さんも鳩山さんも、もと自民党だし、自民党それ自体、鳩山グランパが創った政党だからなぁ。本来の意味での二大政党制になど、なるんだろうか。
英米みたいな二大政党で振り子政治になることなど、国民が望んでいないのではないだろうか。
既得権益は絶対に手放したくない国民が最大の抵抗勢力だ―と、小沢さんなら見抜いているし言えるヒールだと思うけれど、どう変わるかわからん改革は高齢国ニッポンでは支持されないだろうなぁ・・・。

二大政党になって、そのうち「小泉改革勢力とも連携」なんて言い出すと、一党独裁になってしまうぞ(笑)。

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2002年10月の日記

ストリート百均

at 2002 10/01 16:00 編集

アエラや週アスの類は、書店で買ったことがない。
いつもの場所に、露天100円書店が店を出すから、たいていそこで調達できてしまう。
ならんでいるのはマンガと殿方週刊誌がほとんどだから、きのうみたいに『朝日パソコン』と『DIME』を手にとって、ほかに何かないかと物色している小太り君が横にいたりすると、「同士よ!」という気がするのが我ながらけったいだ。
 
「入荷」時間になると、蜜に群がる蟻のような騒ぎになるから、知らない人には何の騒ぎだかわからないようだ。いつだったか、銀行の支店長ふうのおじさんが「これ、安いんですか?」と尋ねてきたこともあったっけ。

たまには汚れた「ハズレ」もあるにはあるが、書斎に収蔵するような本を買うわけではないから、ほんと中身という情報に100円を払っているような感覚になる。パソコン関係の雑誌だと、必要なページだけ破りとって(ファイルすることもある)、残りはほとんど捨ててしまう。僕は買わないが、マンガだと、読んでスカッとすれば、もう丸ごとポイではないのかね?
 
情報メディアはタブレット型PCに一元化される―という未来物語も聞くものの、宇宙食みたいなチューブが「箸と茶碗」を絶滅させることさえ未だないように、紙というメディアは延々なくならないのではないかと思う。そうであってほしい。
僕の「紙の手帳」はPDAに完全に置き換わってしまったとはいえ、筆記具だけはこだわり抜いてドイツ製の多機能ペンをいろいろ使い分けている。PDAの入力も手書き認識だし(中高年に手書き感覚でメールが楽しめる利点をアピールすれば、電脳ハードルは低くなると思うんだがなぁ…)。
紙メールも今のところ「筆まめ」続行中で、辞書を引き引き書いている。
その辞書は、さすがに広辞苑というわけにはいかないから、PDAに頼っているのは、「一本劣勢」をとられている感じかな。


柿1号

at 2002 10/01 22:26 編集

初モノにやっとありつけた。小ぶりの柿だったが、うまかった。しみじみと、素朴さナンバー1のフルーツを味わう。
ばんばさんはラジオで、脂ののった秋刀魚を焼いて実にうまかった!と悶絶しておられた。
そりゃそうだろうそうだろう。
旬のものは、とにかくうまい。
初モノなら、ご祝儀評価もあるかもしれないが、昨年以来、待っておりました!と、ひたすら季節の巡りに感謝してしまう。「季節の中で」は松山千春だったか、陽水だったか…
これから、栗もカニも楽しみな季節だ。はよ寒くなれ、寒くなれ。雪降れ水凍れ…と、うらまれそうな呪文をとなえてしまう神無月でありますな。


あ゛ぁぁ・・・そのひとことが・・・

at 2002 10/02 01:16 編集

毎日新聞の育児相談に、こんなQ&Aが載っていた。
http://www.mainichi.co.jp/edu/kokoro/0209/15-1.html

一緒に入浴した5歳の息子が「股間をおさえてもじもじ」してしまい、どうしたらいいのか、一緒に入浴しない方がいいのかしら・・・とうろたえる40歳のおかーさんに、

「あら、どうしたの?」と聞いてあげればいいんです。もじもじしているようなら、ほほ笑みとともに「大丈夫よ」といってあげましょう。「大丈夫、そういうこともあるのが男の子の体なのよ」とも伝えてあげましょう。

とアドバイス。
なんたって、股間をおさえている坊や=「勃起している」という前提で話を進めているのも大胆だ。それ、見たのかね?
そもそも、5歳にもなる男の子を抱っこしながら風呂に入るのも、どうかと思うけど(そんなこと、お父さんと、やんなさいって!笑)。

しかしなぁ・・・・・・
「あら、どうしたの」
はないんでないかい?
なんだか「筆おろし」に来たチェリーボーイを慰める風俗嬢というシーンに見えてしかたない。僕が邪心にまみれているのかね?(笑)

カウンセラー女史はさらにたたみかけて、

 そういう当たり前のやり取りを重ねるところに本当の性教育があるのです!
 それにしても不思議ですね。あなたはなぜ戸惑うのですか? なぜおふろに一緒に入ってはいけないのでは、などと考えてしまうのですか!?

と、自信満々でアドバイス。あららら・・・

母親に風呂場でこんなレクチャーを受けてしまった男の子の心理には、どうも想像が及んでいないような気がしてならない。これが、上野千鶴子女史のいう「家族の性を管理する主婦役割」ということかもしれない、と妙に合点が行く。
パパと娘の場面で、同じようなアドバイスを書けば、非難轟轟じゃないだろうか。
子供のことは何でも把握しておきたいというのはママの本音かもしれないし、それはそれで熱心だなぁと思うが、わかりえないことはどうしてもわからない。また、わからないことにしておく、わからないふりをしておくのが大人のゆとりということだってあるだろう。

坊やとママが、後々気まずい関係にならなければいいと願うばかり。
こんなとき男性なら、無視してほしい、いちいち興味もたんでよろしいと思うやつが多いのではないだろうか。
こんな「気のきいた」慰めと教育は、おそらくこの男の子が成長してソープなんかに行けば、そっくりな慰めをおねーちゃんから聞くだろうから、「おふくろも同業者であったか!」と大発見してしまったりして・・・


無一文!

at 2002 10/04 23:21 編集

財布を落としてしまった。
5万円、カード類すべてパー。
気づいた店で、すでに注文した晩飯を支払い猶予にしてもらった後、カード会社や銀行に電話したり、警察署に届け出たり、レンタルビデオ屋にかけこんだりと、てんてこ舞い。幸いカード類は使われてなかったが、もしかすると、使われて通報→逮捕という方がすっきりしたかもしれない。
警察でもレンタルビデオ屋でも「出てこんやろね」と落胆ダブルパンチ。そりゃないだろう。
ふだん、拾い物は必ず交番に届けている行いが報われるかどうか…
 
レンタルビデオ屋に無効届けをしに行くと、僕の顔を見て「6511番さんでししたよね」と言い当てられて驚いた。ま、それだけお得意客になっている証拠なんだろうけど、カウンターチェックも伝票もすべて手書きというアナログな独立店だから、無言のやりとりで客情報はしっかり把握しておられるのだろう(こんな店が好きだ)。

ビデオ屋を礼賛しててもしかたない。
カードが新しくできるまで2〜3週間、通帳と印鑑で現金生活をするしかない。
財布ポロリは初めての経験だったが、それにしても高い授業料やなぁ・・・。これぐらい痛い目に遭っといた方が、気の緩みが叩きなおされるのかな?


下半期リセット?

at 2002 10/06 04:00 編集

捨てたものは悔やむまい。
ポイントカードの類も更新して、カードライフ一新をスタートさせた。
 
それにしても、銀行のカード係の無愛想な応対は、傷に冷水をかけられたような感じがした。
合併をくりかえし名前がころころ変わるこの銀行とは20年来のつきあいになるが、長いつきあいのメリットは皆無だから、いっそ口座を引き払って外資系に口座を移行してやろうかと思う。
郵便局と信販会社は親切丁寧だった。これはつきあって行こう。一応の経営努力は目に見えるから。
 
現在進行形の悩みの種で、出張の資料づくりに難航している。
神様の与えたもうた試練の秋は深まって行く…。
コーヒーがぶ飲み、葉巻モクモク(!?)でも、なかなか頭が回らない。
エディターとノートで打つのに慣れてしまっているせいか、デスクトップより軽快に打てるモバギを机や枕元にウロウロさせながら、あぁでもない、こうでもないと頭をしぼる。
そんな頃合に、よりによって30代のころすったもんだした「モトカノ」から、ひょっこり電話が入って、色欲(笑)にもさいなまれる。そういえば、ずいぶん金を使わせてしまったのだったなぁ…と、つい反省もぶり返す。
そういえば、阪神大震災でもずいぶん公金を給付してもらって、「震災太り」したものだった。
悪銭身につかず――そんな格言も脳裏に浮かぶ。
  
まじめに働いて、労働の対価を稼ぐしかないか。
近ごろは、僕の業界では「通勤してなんぼ」より、「家で資料を仕上げて勝負」という仕事のウェイトがどんどん高まりつつある。
SOHOとかリモートオフィスが流行しているようだが、僕は通勤労働の方が好みだ。家がオフィスになるというのも、なにやら落ち着かない気がする。
毎日、しかも何十年間も満員電車に揺られて何時間も通勤地獄に耐えているサラリーマンや、子育てしながらでも働きたいおかーさんたちにとっては、在宅勤務が魅力的なのかもしれないが、都心に召集される必要があるかどうかは、職種によるとしか言いようがない。
 
魚柄仁之助さんの新刊『うおつか流 豊かな時間の使い方』(知恵の森文庫)をパラパラ読んでいると、古道具屋という在宅ワークも、おもしろそうに見えてくる。古カメラ屋とか古ラジオ屋なら、やってみたい気もする。
まぁ、それで食って行くのはかなり難しいだろうけど、コーヒーカウンターをくっつけて、仲間とあれこれだべる時間と空間なんてのがあれば、もうからなくても息抜きにはなるかもしれない。
 
…と、ささやかな妄想をころがしているうちに、目の前の締め切りに追いつめられて、しらじらと夜が明けて行く。


ノーベル社会学賞

at 2002 10/11 03:57 編集

初の民間会社員の受賞になった田中さん、「作業着姿ですみません」と不精髭で緊急記者会見をされてたのは楽しかった。
これこそ、研究者だと思う。作業着はものづくり職人の勲章だ。
うってかわって、翌日はスーツで出社、社員に拍手で迎えられたという。この姿は、一見ちょっとさえなかった(頭脳は冴え冴えだから、そこが粋だが。好対称は中谷彰宏かな)。
どうせなら、作業服でスウェーデンに乗り込み、「賞金で年末ジャンボを…へへへ」とスピーチしてほしい。これこそサラリーマンの鑑ではないか。
 
昔、「リーゼントの高校球児がいてもいいじゃないか」というような評論があった気もするけど、意表を突く素顔!というドラマだと、こういうのはどうだろう。
ノーベル社会学賞授賞式に、「私をもてあそんだ大沢センセイ、責任とってよ!」と乱入する昔の教え子
…というのは、意表を突かない気もするな。 
でも、ただのアカハラは破廉恥罪で社会から抹殺されるが、ノーベル賞学者になると「英雄、色を好むんだな」と、妙に納得されるものかもしれない。

もちろん田中さんは清廉潔白な研究者だから、「ここが行きつけの赤ちょうちんれすぅ〜」と、ほろ酔い加減でヨロコビ会見をすれば、ますます好感度アップ間違いなし。「女房は日本直販で買ったフィットネスローラー使ってるけど、効果なくてね」とグチったりとか…(笑)。
 
田中さんはヒラの一段上ぐらいの地位らしいから、さてこれから会社は大変だろう。たとえ年収が1000万円になったとしても、ほかの社員にしてみれば「ノーベル賞をとってもあの程度か!」と、ガラスの天井が見えてしまう。
ここで当然思い出されるのが、日亜化学で青色ダイオードを開発した中村さん。5億とも10億ともいわれる契約金を手にして、カリフォルニア大学に移籍して行った。イチローより、科学者の世界の方が成功例は豊富だ。MITでノーベル医学賞をとった利根川さんもそうだった。
さて、島津製作所は、どんな遺留をするのだろうか。


祝ごめんやす30年

at 2002 10/15 01:07 編集

千里セルシーへ、公開生放送を見に行ってきた。(→street snapに写真5枚アップ)

いやまぁ、ばんばさんパワーはすごかった。とにかく、世間の目を気にしない好奇心と行動力がエネルギー源なんだと納得させられた。
簡単なことだけれど、声をよく出す(怒鳴ったり叫んだりも)こと、がんがん歩くことが、老化防止になるのではないかと思った。
 
観客は圧倒的にシルバー世代。もしかすると、ばんばさんより若くて枯れているおとっつぁんもいたかもしれない。
でも、手をふったり相の手を打ったりするのは、女性ではなくおっちゃんファンだ。手紙を出すのは女性リスナー、イベントがあれば出かけて行って声を出すのが男性リスナーかな…と、勝手に分析してしまった。

千里セルシーといえば、横山プリンとキャッシーのパクパクコンテスト(コーナー名だけ憶えていて、番組名わすれた)はテレビにかじりついて見てたものだ。
で、いちびって小学生時代には、のこのこ予選まで受けに行ったっけ。放送には出られなかったが、番組の派手さにくらべて、意外に裏側は地味で暗かったような印象だけ残っている。
それ以来、テレビの公開放送というのはほとんど見に行ったことがないが、ラジオは入り浸るほど見に通っていた。あげく「放送局へ徒歩3分」の土地に引っ越したぐらいだ。

「ラジオ番組を見に行かなくても聴けばわかるやろ」と突っ込まれそうな気もするし、その通りだとは思う。テレビは見に行けば画面に映らない部分が見える。ラジオはCM中に爆弾トークをやってるわけでもなし、淡々と進行の打ち合わせをしていることが多い。
それでも、なぜラジオがおもしろいのだろう。
1つは、家庭で聴いている主婦層のほかに、車で聴いている人が多いこと(また、それを意識した番組づくりをしていること)が、番組をダイナミックにしているのではないだろうか。クルマ以外にも、ラジオを携帯して聴いている人もいる。
逆にいえば、テレビはテレビの前に向かい合ってやらないと見られないのに対して、ラジオは自分の側に持って来れる。テレビ視聴者はテレビの召使いという感じ、ラジオリスナーはラジオを連れ歩くご主人さま。
・・・と考えてみると、デスクトップパソコンとノートパソコンの関係がだぶって見えてきた。
それにしても、テレビは見なくなったなぁ・・・ナイトスクープの録画だけは、惰性で13年ほど続いているけれど、それだってすぐ再生して見なくなったし。うちじゃ、VTRよりMDLPコンポ2台がフル稼動している。

また明日から、帰宅して録音を聴く日々に戻って行く。
声になごみ、声に励まされる。



ぶらぶら脇見運転

at 2002 10/17 22:06 編集

このごろ、物欲が低下してきた。
本代でコンスタントに毎月5万円近く出していた数年前にくらべて、この枯れようはどうしたことだ(笑)。
今月はドラッカー本を何冊か買ったけど。
 
図書館で、新聞のバックナンバー(?)をめくっていたら、三面記事に「妻が映った女湯盗撮ビデオ、夫が発見して業者告発」というのがあった。それはたしかにイケナイ事件だけど、さてこの夫もそういう趣味があったのか(テレビでたまたま映っている類のビデオじゃないだろうし)、それとも知人が知らせてくれたのか、そうだとしたら知人は…?と、よけいな想像がふくらむ。
本屋で天文雑誌の表紙をチラッと見たら、「満月に負けない流星群観測」と見だしが載っていた。近々、流星群があるんだな…とわかったのはいいが、天体マニアでない僕のようなヘタレだと、「よーし、満月に負けずに観測するぞ!」とは行かない。一般人なら「流星群だけど満月で見にくい」と解釈するだろうなぁ…。


はかたい

at 2002 10/20 20:21 編集

岡山駅にて(博多へ出張授業の帰り)。
自費では決して乗らない「のぞみ」グリーン車で、九州もたった2時間じゃい。
東京3時間、博多4時間というのが、時代遅れで悪い僕の旅行感覚なのに。速すぎる。

「お泊まりでしたら宿泊費も出しますよ」という条件を聞くと、煩悩人間なら中州の赤い灯青い灯を思い浮かべるだろうけど(たしかに月曜日が休みなので正直、頭をかすめた)、天気もしとしと・じめじめで明太子シャワー延降ってなかったので、仕事が終わると切符を変更して早々に引き上げてきた。ま、宿泊費は出るとはいえ無駄遣いに変わりはないから。

博多は受験で1泊して以来、二十数年ぶりやなぁ・・・。
でも今回の必殺仕事は駅から5分の往復なので、これといって感慨も何もなかった。受験の頃は、東京にくらべて「街ものんびり・人はずんぐり・ホテルはほっこり」で好感度大だったし、今でも変わった感じはしないけれど、何か、どこか、ムラムラしない。
これが札幌だと「ススキノ!」となるかというと、そうでもない感じ。枯れたんかね?
結局はかない博多出張じゃった。

始発駅から乗るときの、「ビールに弁当に本におやつ・・・」って小道具も、博多でちょっと買いそろえようかと思ったけれど、神戸までたった2時間だもんなぁ・・・。ほんと味気なくなってきた。車窓を開けて「おっちゃん、早く早く!」とあわてながら駅弁を買う・・・なんて情緒は、在来線でさえ、ない。
いや、そもそもそんな経験あったっけ?とさえ思う。
「旅情」というのは、つくられたイメージなのかもしれない。
4人ハコ席で、冷凍みかんを「おひとつ、どうだに」と分けてもらって話がはずんだとか、迷い子の世話をしてあげたら10年後に大歌手になって恩返しに来たとか(そんな話ないか)、旅がらみのエピソードは、なんか架空くさいわな。
「金沢行きスーパー雷鳥・古谷一行・川島なお美」という品揃えだと、リアルさ満点のわけありドラマが浮かんできて一瞬は楽しめるか。「叶姉妹とチョコボール向井」だと羨望で悶えたり、「鈴木京香と江頭2:50」だと憤りを感じたりね(笑)。
いま均一化した街や地方で旅情みたいなものを感じるとすれば、日帰りでは往復できない所とか、いざ住むとなると戸惑うような所になるんじゃなかろうか。
コンビニがあって、ファミレスがあって、なにか量販店でもあれば、ほとんど今と同じ生活が全国どこへ行っても「コピー&ペースト」されると思う。
あと、ピッチ派の僕ならPHSが圏外になると「おぉ、秘境じゃ」と思うのも情けないか・・・(笑)。

今回、行きも帰りも妙に味があるなぁと思って眺めていたのが、小倉の街。
街の中あちこちに屹立する煙突から、煙が(日曜にもかかわらず)モクモク出ている。売茶けた鉄鋼(か?)プラントのシュールな威容もいい。まさに藤原新也の世界だ。小倉の街を、じっくり探訪してみたいと思った。
来月は小倉出張に賭けるとするか。


ボーダータウン?

at 2002 10/21 23:42 編集

なんと、落とした財布が届いとるよ〜と三木署から通知。身分証持参で取りに来いという。
えっちらおっちら、「ローカル電車の旅」で取りに行った。田舎の駅舎のような小さな小さな署で、のどかな窓口(元)嬢を相手に手続きをして、一件落着。
もちろん現金やJR回数券は抜かれているし、テレカもなぜかICカードだけ抜かれて、診察券やら珈琲館割引券なんてのだけ残っていた。そんな残骸を、親切にも発見して届けてくれたおとーさんがいたのであった。
署内で礼状を書いてすぐ出した後、すべて切り替えてただのプラスチックごみになった残骸を処分する。
いっそ、どこかでカードを使って防犯カメラに映って御用!というのが劇的なシナリオになるのだが、敵もさるもの、そんな足がつくようなことはしてくれなかったようだ。
 
旅の帰りついでに、7年間ほど住んだニュータウンで途中下車してみた。いちおう神戸市になっているが、三木市との境界に広がるニュータウンである。札幌五輪の年に都心から引っ越して、多感な十代を過ごした界隈は、二十数年ぶりに歩くと、やはり小さく見えた。浦島太郎の気分だ。
旧居の裏山にも登ってひと汗かく。商店街は、あまり変わってなかった。かつて1軒もなかったコンビニがあちこちにできている。一家でひいきにしていたパン屋さん「ローザンヌ」は健在でうれしかった。うまいピロシキは残ってなかったけれど、記念に(?)小物を買ってきた。
 
中学時代、よく塾の帰りに自転車に乗せて送ってくれた(あぁ、そのころすでにヒモ人生であったか…笑)女の子の実家が、まだあった。目の前の「女子」の腰にしがみついて…というのは、そりゃめくるめく鮮烈な体験であったものだ。たぶん、彼女は当時の彼女にそっくりの娘かなんかの母親になって、別の街で暮らしているだろう。
こんな思い出でもあると、ふだん殺伐として見えるニュータウンも、「懐かシネマ」のように見えてくる。
同じ神戸出身の美術批評家多木浩二さんが、『生きられた家』という本を書かれているけれど、生きられた街や山河というのも、歩く人間にとってはずいぶん違う眺めに見えると思う。
道行く中高生は、もう僕がこの街を後にしたずっと後に生まれた世代だ。彼ら彼女らにとって、このニュータウンは、後々どう見えるのだろう。
 
家を出るときから、「よし、あの街に寄ってみよう」と考えてカメラ持参だったので、あぁなつかしいなつかしいとパチパチ撮って、フィルム1本すぐに消化してしまった。
遺失物処理のおかげで、ちょっとしたセンチメンタルジャーニーができた。
かな?
 


仏滅撲滅

at 2002 10/22 23:15 編集

来年のカレンダーや手帳が店に並ぶのは、10月の風物詩になった感じ。
すっかり、なんぼでもメモを書き足せるPDAで予定管理するようになったものの、いちおう紙の手帳類をチェックする。
それにしても、小娘向けの動物柄や花柄の手帳にも、六曜が印刷されているのは不思議だ。
ただでさえ狭い余白がせまくなって、迷惑である!・・・と、買わないくせに難癖をつける、いじけた楽しみ。
 
いったい、どこの小娘が「明日は友引だわ」なんて生活サイクルを送っとるかねぇ。
迷信めいた六曜なんぞに日々を左右されるなど、ばかげておる。竹内まりやの歌じゃないが、「毎日がスペシャル」と思っとればいいではないか。
いっそ、月齢でも載せてくれた方が、ロマンがあってよろしい。
または、月曜日は市場へ出かけ火曜日はお風呂に入り…と書いてあるロシア民謡手帳とか。
食いしん坊向けには、「秋刀魚のおいしい季節です…炭火でじゅーじゅー焼いた絶品ククーッ!」とか、「そろそろカニの初水揚げ!シュパーッ」というようなメッセージが書いてあってもいい。

大福帳みたいな日めくりを手帳代わりに使っている小娘なんてのがいたら、僕は熱烈に恋するだろう。

メーカーのよけいなお膳立てといえば、ノートブックというのには罫線が引かれているが、あれも邪魔でしかたない。ルースリーフは無地に限る。字の大きさも、図を書くのも自由にできる。
10年以上前の学生で、同じポリシーの持ち主がいて、彼女は薄いグラフ用紙のようなリーフにノートをとっていたっけ。
大福餅みたいな風貌のファンキーな子だったが、日めくりを愛用してたかどうかはわからない。もしそうだったら、今ごろ僕の妻になっているはずだが。


キム・ヘギョン

at 2002 10/24 12:28 編集

DNA鑑定で、拉致された横田めぐみさんの娘だと断定されて、お母さんが「宝物をいただいたような気分」だと語り、日本への「帰国」を求めて行くとか。
お母さんの心情はよくわかる。娘の形見のような孫娘は、なんとしても「取り戻し」たいと思うのは当然だと思う。
さて、北朝鮮で生まれ育って、母親の祖国が日本だと知った15歳のキム・ヘギョンさんにしてみればどうなんだろう。
今の家族や父方の親戚関係や、友達や地域との関係の中で、北朝鮮国民として生きてきた女の子にしてみれば、日本の祖母に「取り戻される」ことが、どんな数奇な人生を強いられるか、あちら側の立場になって考えてみてもいいと思う。
帰国したらしたで、日本のマスコミがパンダ以上の騒ぎになって一挙手一投足を報道しまくるのは確実だ。いま一時帰国している拉致被害者でさえ、寿司を食ったとか、散歩をしたとか、国賓なみのお祭り報道にさらされている。
いろいろ不自由はあるであろう彼の国での生活も、それも一つの人生だろう。国交の次元と、個人の生き方の次元を区別して考えないと、今の世論は「拉致被害者の関係者ごっそり取り戻し」大政翼賛運動に見えてくる。
どこまでを、拉致被害者の縁者として日本人は受け入れるのだろうか。「金日成バッジを捨てろ!」という圧力は、信仰の自由を侵すことになりはしないかなぁ?


サンマルコ

at 2002 10/25 14:37 編集

「お茶読書」を楽しむ午後のひととき。
高校生二人が鞄を席にどーんと置き投げ(?)て、ドリンクとパンをたんまり注文してきた。
う・・・こんなとこで、喫煙タイムの始まりやろか、けしからんなぁふてぶてしいなぁ石油かけたろか・・・とイケナイことを考えていると、煙草どころか、勉強を始めた。
僕の向かいの2席に移ってちんと並んで座り、参考書やらノートを広げて、自習体勢に入る。
ときどきふざけてお互いどつきあったりしているのも、ほほえましかった。

あぁ、こういう放課後はいいよなぁ。
おっちゃんの高校時代は、喫茶店なんか大人の世界だと思って入れんかったぞ、ファストフード屋もなかったし。
でも今は今で、図書館で勉強しにくくなったようだし、勉強に打ちこめる場所を確保するのも大変なのだろう。
ゆとり教育とか癒しブームだからこそ、工夫しながら何かにガンガン打ち込む少年少女はたのもしい。
しっかり勉強して頭に筋肉をつけて、21世紀を開拓してくれたまえ!と、クラーク博士の気分で(えらそうに)電波を送っておいた。
こんな子が、頭脳流出して行くのかもしれないけど(それでもいいか)。


日本シリーズ必勝法

at 2002 10/30 22:28 編集

勝負はみえみえだった。
これじゃーまるでアメリカ対イラクの戦争みたいじゃないか。戦争にもなってない。
なにせ、巨人には9人スタメンがいたが、西武のスタメンはカブレラ一人。笑える茶番劇だ。

来年度のペナントレースをおもしろくする案はないものか・・・?
 
(1)柴田倫代爆弾で骨抜きになった松阪クンに、粛正を求めるのは間違っておる。むしろ、「モー娘散弾銃」でも浴びせて絶倫投手に変身させる。柴田アナは焦って技を磨くだろう。
 
(2)巨人まるごとセリーグから切り離して、アメリカ大リーグに移籍していただく。マリナーズ対巨人というカードは、大人気になるだろう。
 
(3)タイガース選手の年俸を半額にして、しがないサラリーマンと同レベルにする。それでも阪神はそこそこ成績を残しそうだ。ローコスト野球の醍醐味に、サラリーマンは同情を感じて自らも粗食勤勉に励み、国民の健康は向上する。

あぁ、長嶋選手の引退メッセージじゃないが、ジャイアンツ(だけ)は永遠に不滅です!てか・・・?

gaiax日記アーカイブ2002年 | 01:51 | comments(0) | trackbacks(0)
2002年9月

ここに残る花園

at 2002 09/07 02:10 編集

珍しく出勤1時間前に目がさめる。
夏の朝というのは、「ラジオ体操」の小学生時代のような気分でさわやかだ。
それにしても9月になっても暑い。
NHKラジオをちょいと聞いてみる。
7時45分ごろから、新幹線と航空3社の予約状況というのが放送されているのだが、前々からこの放送は、1日の闘いの火ぶたを切る儀式として愛聴しておる。
なぜならば、放送されるJR→JAL→ANA→JASの順に、ナレーション担当の各社の女性広報員?の女の子度が上がっていくのだ。
 
女子アナという勘違い職種があこがれの職種になってたりするこの国のこと、二十歳すぎても黄色い声の女の子というのは珍しくない。
とはいえ、JR→JAL→ANA→JASの順に乙女度数が上がって行って、JASに至っては「わたし花嫁修行してるの。難しいことわかんないの。だから早くかわゆいお嫁さんになりたいの」と、ヒダヒダまで女の子漬けになっている声のトーンは、いったいどうしたことであるかっ!
 
ラジオのナレーション担当は乗務員ではないはずだが、機内保安という役目は念頭にない「制服の天女さま」が、未だに乙女のあこがれの職業になっているのとつながっているような気もする。
客室乗務員は安部譲二とか大仁多厚、ヒクソン・グレイシーが適任だ。ハイジャック犯や泥酔客は高度10,000mからつまみ出すぐらいの屈強なキャビンアテンダントにこそ、料金を払う価値があるってものだ。
 
田嶋陽子センセイなら、「男が職業世界から女性を締め出してきたのさ」ということになりそうだが、そうかいなぁ?という気もせんでもないぞ。
たしかに、乙女をゼニで買う男は多いから、思春期あたりから「乙女は売れる」と学習し続けてしまう面はあると思う。
が、ワシはモー娘みたいな看護婦がいたらチェンジ(行ったことないけどキャバレーちゃうって)してもらうか転院する。秋野暢子とか、黒田福美クラスの姉御に命を預けたい気もする。
乙女に点滴と消毒薬をまちがえられて「ごめんなさ〜い」で人生の幕切れというのも、あまりにも哀しいから。



声と耳と

at 2002 09/04 00:12 編集

朝これを書いて出勤して、今日は快速に4本乗った。
その中で、3本が女性車掌だった。
JR、えらいではないか。少なくとも、関西では、阪急や阪神よりは進んでいるといえるかもしれない。
社内放送は忠実に台本を読んでいる感じで、それがかえってわかりやすい。
いや、よくよく考えてみれば、無意識のうちに「どこかトチらんやろか」「間違えへんやろか」と鵜の目鷹の目で耳をそばだててしまうからかもしれない。
完璧でないアナウンスの方が注意力をよびおこすのは皮肉な話だが、それでも女子アナの読むニュースは別だな。
NHK副会長級の加賀美幸子アナとか、民放なら日テレの井田由美さんとか、年輪が語りかける重みがあってすごいと思う。声の職人だ。
自分自身、話すことでメシを食ってはいても、「僕の発した『言の葉』はどこに消えて行って、実を結ぶんだろう」と思うこともある。
居眠りしている学生には子守唄に響いているのかもしれないが、聴きのがすまいとまっすぐ視線を向けてくれる学生が、10人に一人ぐらいはいる。
彼ら彼女らが、言葉を待っている。
でも、心に届く話し方というのは、まだまだ修行不足でできないのが悔しい。


ゆく夏の

at 2002 09/06 10:25 編集

「ほのぼの系」の光景その1。

梅田の登山用品店でテントをひやかしていたら、58歳(推定)のおとっつぁんが、軽いテントを探しに来ていた。とてもそうは見えなかったけど、ツーリングに持って行きたいんや…と店員に相談している。
薦められたタイプのワンマンテントに「入らしてもろて、ええか?」と入り込んで、なにせワンマン用なので横になるスペースしかない。メッシュを閉めて、横になったまま店員とあれこれ話している。この数分も、なんとなくおかしな眺めだった。
そのうち、だんだん口調が間延びするようになって、端々でろれつが回らなくなってきた。
「あぁええ感じや。寝てまいそうや」と、おとっつぁん自覚して出てきた。えらい。
仕事の疲れと夏の疲れをダブルで肩に乗せた旅好きなおとっつぁんなら、新型テントの中で横になってみれば、そりゃ極楽だろう。
いい旅してや、おとーさん!と肩にメッセージを送信して梅田を後にした。
 
そういえば、本町かどこかのオフィス街(まったく関係ないが、アナウンサーという人種はなんでオフィース街と間延びした言い方するんやろ?)に、テントを室内に並べただけの昼寝スポットがあったはず。1時間数百円で、公園のベンチで居眠りする自信がないOL様たちも利用しているらしい。楽しそうな商売やなぁ・・・。
たしかに、ビルの一室でも、店の展示であっても、テントの中に入ってみれば、そこは別世界という感じだ。
昔、山岳部だった弟が学生時代の山仲間を実家によんだとき、僕のテントを貸してくれと言って、庭の芝生の上で「キャンプ」をしていたこともあった。学生時代は北海道のこれまた極寒の地で凍えていたようで、下宿の部屋の中でテントを張って寒さをしのいでいるらしい、と母親がレポートしてきたこともあった。
どうやら、兄弟そろってテントが好きらしい。
 
結局、新しいテントを買うには踏みきれなくて、重いけれど20年使ってまったくビクともしていない(航空機用ジュラルミンパイプを使ったヒマラヤ仕様だからなぁ…)テントを背負ってヒーヒー言う登山を続けることになりそうだ。


「ほのぼの系」光景その2

at 2002 09/06 23:45 編集

携帯電話嫌いな僕でも、ピッチが使えない旅先ではi-modeが重宝する。
ひまわりの天気画像まで見られたりするから、昔練習した天気図を書く技術など、無用の長物になってしまった。必死に書いた天気図を、近所のテントの住人たちが集まってきてしげしげと見て参考にしてくれたようなふれあいも、今では登山者それぞれのポケットの中の携帯へと封じ込められて行く感じがする。
 
それでも、便利なもんは便利でいいか、昔は昔―とまぁ、ここが僕の優柔不断なところだ(近々コンパスも高度計も、GPSに置き換わって行きそうだ)。
ダイナモ式の携帯の充電器をネットで探して、製造元に問い合わせの電話をかけてみた。東京のドコモエンジニアリングに。
機種を告げて使えるかどうか確認したところで、「ところでお客様、どちらにお住まいですか」と尋ねられたので、神戸だと答えると、「はーっ、神戸ですか!そうですか〜!」と、ずいぶん大げさに反応している。神戸は東京からすると秘境らしい(笑)。
取り扱い店を心配してくれている様子だったので、東急ハンズで見かけたよ、と話すと、「神戸の東急ハンズですか!こちらだと渋谷と新宿で…」とピントはずれの説明に脱線しかけて、また「そうですか……神戸の東急ハンズでねぇ」と驚いている。
製造元さんは、販売ルートを把握していないらしい。
それにしても、家出した犬が何年もたって樺太で発見されたようなリアクションやったなぁ。


洪水の後

at 2002 09/09 08:15 編集

チェコの動物園が再開したそうな。
洪水に流されて外に出そうな猛獣は射殺されたほか、恐怖感で元の場所に戻りたがらない動物もいるという。
動物のトラウマは、実家の猫にも教えられたことがある。
ずっと前の飼い主に殴られていた猫は、頭をなでられることに死ぬまでおびえていた。
言葉で反論したり説明したりできない動物は、全身で恐怖を訴えるしかない。
つい、イライラが洪水のようにほとばしって手を振り上げようとしたとき、袋小路で半分ぐらいの大きさに縮こまってふるえていた猫の姿も思い出す。
動物は、人間の傲慢さ・愚かさを写し出す鏡だ。
  
動物園の動物は幸せなんだろうか。
天敵が襲ってこない代わりに、隔離されて観察される檻の中は、安住の地なのだろうか。
 
町内に、猫の駆除に毒薬を置く人がいる、と大家さんがぐちっていた。野良犬は人間の幼児を噛み殺すこともあるが、猫は人間を襲わない。それでも、嫌悪する人がいるのはしかたない。
街の中で、犬の鎖を解いて散歩させている人も多い。「うちのワンちゃん、噛まないからだ〜いじょうぶ」という気分だろうけど、万引き少年の親が「うちの子は万引きするような子じゃない」と言っているようなレベルだ。
犬も気の毒ではある。
猫はせまい空間に適応できる動物らしいが、犬は外を駆けまわる動物だから、庭のないところで飼われるのはつらいだろう。
車がびゅんびゅん疾走する道路沿いの歩道を、鎖なしで散歩させて「ちーちゃん、そっち行かな〜いの」なんて声をかけているバカ飼い主もいる。大きな音や何かの拍子で車道に飛び出したら、轢かれた犬も轢いた運転手も不幸な惨事になる。それぐらいの想像力を持てないアンポンタンは、動物を飼う権利がないと思う。
 
さて、動物園は…
災害や戦争で「やむなく」殺すようなことが想定されるなら、最初から飼育せん方がいいのではないか?
日本にいて南極や北極やアフリカにしかいない動物を見られるというのは、そもそも不自然かもしれない。造った自然は不自然なのだ。
珍種珍獣を見られないことは不幸ではなく当たり前だから、見たい人は現地へ行けばいい。
金持ちだけアフリカや極地に行けばいいというわけではなくて、国内にいても、自然に親しんでいればイノシシやら熊やらタマちゃんやらに会えるわな。

タマちゃんが人体の一部でもむさぼり食ってたら、テレビは放映するのだろうか。
傷ついた人を癒してくれるらしいイルカが、パクッと人間を丸呑みしたとか、パンダが爪で飼育係を血まみれにしたとか、そんなことはないのかね?
実は震災復興に大活躍した暴力団を周到に黙殺した報道規制と同じように、癒し系の動物は癒し役以外の本性を出せば黙殺されるか、下手すると射殺されるだけ。

拘束して、いじって、手に負えなくなると廃棄処分―
動物園と学校が、どこか似ていたりする。


OL劇場

at 2002 09/12 16:09 編集

いつもの弁当が都合で支給されなかったので、昼「外食」になった。
もしかすると、オフィス街のランチタイムのファストフード屋というのに、初めて入った。
お隣は「制服・名札・カーディガン・サンダル・徒党」の黄金OLセットを備えた、生保レディの山下さんだ。ここまで明快だと、さわやかでいい。
あと、これは部内者しか楽しめないが「6時に、いつもの喫茶店で」という類の密会メモでももらえれば、サラリーマンライフとしては業務完了(笑)だろうなぁ・・・。


ノースパワー

at 2002 09/12 23:42 編集

札幌の店から、着払いで携帯の充電器が届いた。
ダイナモ式の充電器は何種類か出ているけれど、片手で発電できるタイプはドコモの関連メーカー製だ。
使ってみて、けっこう運動になるぞこれはっ!
1分間9O回ニギニギするぺースで3分間発電すると、携帯も3分間使えるぐらいの電力が出るらしいが、この1分間9O回ニギニギ・3分270回ニギニギというのが、けっこうすぎる運動なのだ。ダイナモにフライホイールがついているから負荷がかかるのも原因だ。
ま、電池を買い足せない旅先では重宝すると思う。キャンプで試してみようかな?

この店の担当者さんは、メールできめ細かで迅速な対応をしてくれた美人(名前から勝手に想像)総務担当者さんだった。
札幌に旅行した思い出や、北20条に住む叔母の話など書いてみると、総務さんの実家もすぐ近く、僕の叔父の地元夕張の隣町にも、御親戚がおられるという。
不思議なご縁ですね、ということでさわやかな通販になった。
ネット通販も、けっこう快適だ。


ピアソラのタンゴが心にしみる秋

at 2002 09/14 23:12 編集

今度こそ、秋の訪れかな?と期待させる朝の冷え込み。さすがに上半身素っ裸だと目がさめる(笑)。

冬から春になるとき、街行く人が軽装になるのはあまり目立たない変化って気もするが、逆に夏から秋になるときは、「おいおい、秋を飛ばしてどこ行くであるか?」と声をかけたくなるような、浮かれた厚着君がいる。
なぜかたいてい男の子で、なぜか得意げに街を闊歩しておられる。
今日はフリース男を目撃した。彼が厳冬季にどんな重装備になるか、期待しておるよと背中に送信しておいた。

お調子者といえば、人のことはいえない。
フレイバーコーヒーがいろいろと並んでいたので、カカオやバニラの風味をいくつか買って、ついでに保存用の瓶を雑貨屋で選んで、よし明日の朝食は簡単にクロワッサンにしよう…と神戸ベルに立ち寄って、あぁぁぁなんかこじゃれた婦女子雑誌の「雑貨大好き」記事みたいやなこりゃ!と自己嫌悪。

でもコーヒーはうまかった。
一人で部屋にいると、うまいものを飲み食いしたとき思わずワハハと笑ってしまう。行きつけのスーパーのオリジナル松茸弁当なんてのが半額で買えて、納豆と味噌汁とで純和風夕食をおいしくいただいたときも、「あ〜最高最高」と絶叫したくなる。
天井と会話するようになると問題だが・・・。


羊たちは沈黙

at 2002 09/18 12:50 編集

横田めぐみさんの出身中学校で、「昔の先輩」の死去が全校集会で伝えられ、「命の大切さを考えよう」と呼びかけられたそうだ。
なにやらピンぼけした、教育官僚的な常套句ではないか。
これは、ただの誘拐・拉致事件でもない、きわめて政治的な問題だろう。「北朝鮮と日本はどうして仲が悪いの?」「政府は行方不明者に対して、なぜ手をこまねいてきたの?」といった疑問も当然ありそうなものを、「悲しみを受けとめましょう」「命の大切さを考えましょう」でお茶を濁す気か?
このような背景が複雑な構造的問題を、命の問題、悲しみや癒しの問題=感情問題に収斂させる発想を、心理主義という。
 
そういえば、官僚は「遺憾の念」という言葉もよく使う。問題の分析より「あなたと共感していますよ、一緒に悲しみましょう」といわんばかりの紋切り型フレーズは、かえって犠牲者・被害者の感情とかけはなれて行くのに。
そもそも、本当に共感などできるのだろうか。「遺憾の念など感じてないくせに」とは断言できないが、政治家や役人の立場なら、再優先ですべきことがあるだろう。
犠牲者・被害者にとっては、共感より責任追究のスキーマを示すこと、処分や処罰を明確にして、同じ被害が再発しない確約を得ることが、せめてもの救済になるのではないだろうか。いくら謝られても、共感してもらっても、死者は戻ってこないし、心の穴も元通りにはならない。
 
「心の教育」がじわりじわりと義務教育の現場に浸透されつつある。
家族を愛し郷土を愛することが、国を愛することにつながる。
と、国定教材は説き諭している。
「社会のありかたがおかしい」「何か大きな問題が隠されているんじゃないか」「今の政治・経済・教育制度が心を荒廃させてるんじゃないか?」といった疑問を子供が持つことを、最初から想定していない。
かりに疑問を発したとしても「それは専門家が解決するから子供は心を豊かにしていましょう」と、カヤの外に置かれてきた。
 
対象は、いじくりやすい(笑)子供に矛先が向いているが、それだけではすまない。
森シンキロー前首相など、わっかりやすーく「有権者は選挙に行かず家で寝ててくれた方がいいね」とタヌキ腹の底を明かしてくれたものだった。
人々を内省や享楽へと誘導して、社会的な行動力や猜疑心を去勢し、管理しやすい分子をつくることが、既得権益を手放したくない痴呆中高年に残るライフワークなのだろうか。


トカゲの尻尾はこう切ります

at 2002 09/18 23:55 編集


金正日氏に、拉致された日本人死去の責任を問えるかどうか。
「自国民の1割を餓死させても平気な男だから油断するな」と、北朝鮮に留学した関西大学の李英和教授が書いておられたが、独裁政治家には、そもそも失政の責任感覚がないのだろうと思う。免罪されるべきだというつもりはないが。
 
そもそも、末端の具体的な不祥事の責任を、頂点がとれるわけではないのだ。我が国も疑いなく採用している官僚制や間接民主主義とは、そんな欠陥を持つシステムなのだ。
責任を「問わねばならない」のと「問える」のとは別問題という気もする。

教科書ふうにいえば、会社にも役所にも教団にもサークル活動にも見られる「権限が頂上に集中するヒエラルヒー」は、同時に、頂上が最終責任者だということになる。
底辺との距離が遠いほど、頂上に君臨するボスは、現場でどれだけ重大な事態が起こっているかピンとこないので、責任が自分に及んでこないような「防波堤」を幾重にも用意する。会社だと中間管理職というやつだ。
ヒエラルヒーにおいては、権力の行使も末端になればなるほど具体的になる。
たとえば、こんなふうに。
 
ボス…「日本から責任を問われて困るなぁ」
  ↓
右腕…「責任をかぶる者を探せ」
  ↓
丁稚…「おまえが責任をとれ」
  ↓
末端→処刑される
 
頂点は、決して具体的な指示をしなくてもいい。だから、いざ訴訟沙汰になっても「私はそんな指示はしていない」と証言できるのだ。

「指示」はしなくていい。「示唆」でいいのだ。
会社や税金のドブ(=役所)だと、管理職を呼びつけて、「あれは、どうなったね?」とジロリにらむだけ。不祥事の責任を追及する刃は、下の階層に降りるにつれて研ぎ澄まされ、末端のクビが飛ぶ(しかも、クビではない。巧妙な自主退職だ)。
こんな場面で僕は「これを、こうしろということですね?」と、具体的にだれが何を指示したのかを確認しようとして、にらまれたことがある。筆記や録音など、証拠を残そうとしようものなら、いいトシした上司が貝殻を閉じよる(笑)。
古いことわざを持ちだす化石アルツハイマー上司もいる。「気がきかんのぅ。一を聞いて十を知るという言葉を知らんのか」なんて(笑)。
「若いやつは気がきかない」とボヤく化石脳軟化中高年も多い。
それなら、具体的に指示をして、指示した範囲までの責任を明確にすればいいのである。
指示の(1)根拠と(2)効果と(3)責任を、明確に整理してから出さないと、無駄ダマを撃ちまくるだけ。
1しか指示されず、気をきかせて2とか10までやってみる(つもりだ)と責任を問われる!!…というんじゃ、踏んだり蹴ったりではないか。

北朝鮮問題から脱線してしまったが、官僚主義という点では、日本はアメリカよりは北に近い。同類といっていいかもしれない。


あ〜ら社長、お・ひ・さ!

at 2002 09/19 01:54 編集

ここのところ国際情勢できな臭い新聞にも、うまいタイミングで「ほのぼの系ニュース」が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0918/043.html

なかなか、アッパレではないか。いやはや、ほほえましい。

BBSにときどき書いてくれる一方、自前サイトで女装している某sabato(わかるっちゅうねん)なんか、「僕もやってみるかな」といいそうだが、彼はSMサロン向きだ。
メルヘンランドの令嬢どもが、ヒィヒィいいつつ霊獣いや隷従しよる様子がまぶたに浮かぶ(笑)。


エコチャージャー・テスト!

at 2002 09/19 22:43 編集

長野はまだ紅葉の季節ではないだろうなぁ…と思いながらも、夜行客になっている。 結局、最新ワンマンテントを買ってしまったので、元をとるまで老体に鞭うって野山をほっつき歩くとするか…(笑)。


寒い!

at 2002 09/20 06:04 編集

長野に着いた。
いい天気だ。
だから、寒いではないか!
テントなんか、気が滅入るっちゅうねん…。


食った食った

at 2002 09/20 20:04 編集

好調に山頂をきわめ、テントを張る。
あたりは濃霧。おかげで冷え込まずにすむかな?
真っ暗な外のベンチで、ヘッドランプつけて手回し発電器で携帯を操作してる「アジア系(笑)」…これは怪しまれること確実だから、8時ですが就寝するとしましょう。


新書斎

at 2002 09/27 18:24 編集

山の写真を取りに行って、イエローカメラのすぐそばにある200円カフェで「どれどれ・・・」と写真チェックをしようと思ったら、カフェがつぶれてしまっていた。悲しい。おかみさんの笑顔のファンだったのに・・・。
近くのシナボンカフェも、開店して1年たたずに撤退してしまったし、古顔の「古時計(平井堅の歌を聞くたびに思い出してしまう)」もつぶれた。
代わりに増えているのが、スタバとサンマルク。
まるでカフェ業界の国取り合戦だ。
腰をすえて書斎代わりにできる「根城」は、なかなか定まらない。

車道沿いというロケゆえ通りすぎていた喫茶店に入ってみた。通りの喧噪と静かな店内のギャップが快適だ。
小雨がぱらついて、群青色を深めて行く通りの夕暮れを眺めながら、新聞8紙をブラウジングする(モト取りすぎ!笑)。
コーヒーを飲み干すと、お茶が出てきた。
あとで入ってきたタクシー会社の労働組合員らしきおっちゃんたちは、カツカレーやらおでんやらを頼んでいる。この多彩なメニューがすばらしい。

よし、ブックマークだ。
(日常語が電脳化しつつあるなぁ・・・)

gaiax日記アーカイブ2002年 | 01:48 | comments(0) | trackbacks(0)
2002年8月の日記

たまや〜

at 2002 08/04 23:32 編集

神戸の夜景をバックに海面に映える花火を見物できるアングルから、いつもの顔ぶれでビールやツマミを広げて楽しんできた。
見事な大玉には、思わず岸壁を埋め尽くす観客から拍手喝采。この一体感はさわやかでよかった。
去年の明石の悲劇から一周忌ということもあってか、花火大会本体はすこし寂しい構成だった。それにも増して、会場の警備は野放し状態で、「これ見よがし運転」のプレジャーボートのたてる大波が岸壁を洗い、頭からぐっしょり潮をかぶってしまった。
なぜか、あまり腹は立たなかったのが不思議ではあるが、それでも、「来年は魚雷を撃ち込んでやるべ・・・」と心に誓ったのであった。

塩でベトベトになった「本体」はあまり心配されなくて、岸壁にくくりつけておいた愛車バーディーは、「湯で洗っとかなあきませんよ」「油もさしなおして・・・」と気遣ってもらえた。トホホ・・・
花火の後、居酒屋でまた呑みなおしているうちに、服はほとんど乾いてしまったし、帰ってすぐバーディーはお湯で行水だ。
ついでに、今日は空気圧計つきポンプを買ってきて、空気を入れなおした。なぜかメーターに心踊るのが男の本能(か?)、調子に乗ってパンパンにふくらましてやると、なんだか自転車というより鉄道のような乗り心地になってしまった。
夏はバーディーのチューンナップに励むとするか。


間もなく立秋

at 2002 08/05 00:20 編集

熱帯夜だ27°Cだと天気予報は騒いでいるのに、なぜか涼しく感じるのは変だろうか。
夕立のせいかもしれない。
最近の「お湿り」は、あがった後も空はドヨーンと黄色くて中途半端に明るくて蒸し暑いものだけれど、今夜はちゃんと雨上がりに夜空が戻ってきた。ほんとに空気が冷えてくれたという感じで心地よい。
虫の声も聞こえる。
そうかそうか、はやく秋を呼んでくれ。
でも、まだまだ「そうは問屋が卸さない」だろうなぁ。


住基ネット対抗ネット

at 2002 08/05 12:34 編集

が、プライバシーの侵害だ個人情報の保護法案が先だと議論も盛んだが、なんとなく盛り上がってない。
個人情報保護が、取材規制につながってスクープがとりにくくなる―というマスコミの御都合も透けて見える。

そりゃそうだわな、下手するとフライデーもワイドショーもがんじがらめになって、売れ行き不振・・・というのが商業メディアの不安の本音かもしれない。国民の側に立った報道というなら、役所との慣れあいの象徴=記者クラブ制を廃止すれば説得力が出ると思うのだが。

スキャンダルで「辞職」した公務員に退職金が何万円支払われているのか、その後の転職先はどこなのか、そこまで報道しないと、ただスキャンダルを消費しているだけで、ニュースが次から次へとさばかれて終わり。

実際、個人情報なんて盗まれても実害はないし盗まれたことさえ気づかない。情報はなんぼでもコピーされて増殖するから、通販のカタログやお買い得クーポン券など送られてきてありがたがっている国民の方が多いのではなかろうか。
答えるアンケートや登録する店ごとに名前だけ少しずつ変えておけば、関係ないDMが着たとき、どこから情報を横流ししよったかはわかる。
でも本当に困る人は、自分の分身をつくって、その分身にアンケートや各種の店の会員登録を任せるとか、「個人情報はウソしか書かない」ように決めて、民間の個人情報データベースを腐らせて行くぐらいしかない。ある種のゲリラ戦法やね。
民間私書箱や、身分証のいらない中古プリペイド携帯販売店だってある。毎日郵便物が来るなら、郵便局の私書箱は無料だ。
部屋の玄関とは別にマンションの玄関があるように、ワンステップもツーステップもプライベートライフを守るしかけが必要だ。せちがらいなぁ・・・。


夏はスイカが一番

at 2002 08/06 01:48 編集

BSE騒動の直前あたりまで、牛肉の消費が回復したそうだ。
マクド(関西風)では半額商戦も復活。
「夏は肉食で乗り切ろう」ってことか。愚かしい。体くっさーなるぞ。おまけに大腸ガンになるっちゅうねん。肌荒れるっちゅうねん。痴呆になるっちゅうねん。ハゲるっちゅうねん。
夏は冷やっこに冷麦に冷や汗!で乗り切れば、ヘルシーでよかろうに。

閉店に滑り込みセーフでよったスーパーで、カットパパイヤがわびしげに売れ残っていた。半額シールつき。
買ってやらねば捨てられる。よし、買ってやろう。
鈴木さんで有名になったパパイヤだが、いまだになんとなく影が薄い。キウィに続くぐらいのポジションでなんとか日本人になじみかけている感じか。
パパイヤの風味は、なんとなくイチヂクを彷彿とさせてくれた。
あぁ、昔よくイチヂクやビワや柿やザクロなんか採って食ってたなぁ・・・と無性に懐かしく思う。故郷といっても、神戸市中央区の、市街地のど真ん中での話。農村ではないし、別に飢餓状態にあったわけでもないから、子供ならではの嗅覚というか、カラスなみのさもしさといえばいいのか・・・。

こんな「天然のおやつ」を探し当てる嗅覚は、今のガキんちょに残っているのだろうか。
「街で天然フルーツを手に入れる講座」なんてのを大人がお膳立てしてやらないといけない時代なのかもしれない。


夏こそナマ

at 2002 08/09 23:43 編集

夕立が降ると一気に涼しくなった。
夜中から明け方にかけてだったから、夜立ちというか、朝立ちというか・・・
そりゃ、ちゃうやろー!!と突っ込みを入れてくれるのは、シモねた好きピチピチ女子大生サバ*しかいないだろうな。

最近、スポーツサンダルが涼しそうでいいなと思って、あれこれ物色しはじめると、意外に種類が多くてうろたえてしまった。固定のしかたも、バックル留め、マジックテープ留めなどいろいろあって、値段も1万円近くするやつまである。
凝りはじめればキリがないと割り切って、ホームセンターで480円のを買ってきた。これで充分、快適だ。
そういえば、いかに「体温気温」の炎天下でも、靴下+靴で窮屈な思いをしてきたわけだが、急にナマ足(この流行語はどこ行った?)になって冷房のきいた店に長時間いると、急に疲れやすくなった気がする。格言で「頭寒足熱」というように、やはり足は冷やさない方がいいのだろうか。
OL様がパンストを手放さない(足放さない?)理由も、なんとなくわかる気がする。下半身の冷えは、全身がだるくなる感じだ。
かといって、天然素材は素肌と遊ばせてほしい気もする。ナマ足愛好家としては。
そうすると、冬でもナマ足ふりまわしている女子高生は偉いと思う。素朴に。


盆ミステリー

at 2002 08/15 12:18 編集

樹海で見つかった女子大生、実名で公開捜査だったのが匿名報道になったり、「小説を書きに来た」と話した後で「殺される」と保護を求めてきたり、なにやら不可解だ。
事件だったら解決してほしいのは当然だとしても、もしかすると夏休みに「あっちの世界」に迷いこむ少女がいてもおかしくない世の中ではある。
こう暑いと、離脱願望のようなものが湧いてくるのもわかる。不謹慎な僕は、樹海や霊場ときけば「キャンプ」と連想してしまうのだが。


かつて日本の一番長い1日だった日は僕にとっても長い1日

at 2002 08/16 10:47 編集

姉からメールで「父、ガン!」と速報。電話すると、「もう退院して来れんかもしれん…」と、達観したような声。さっそく出かけて行こうとするのだが、なぜかしなくていい買い物をしたりして、雑踏の中で無為に(小泉首相ふう?)時間をやりすごしてしまう。
夜になって兄と合流する。とりあえず、元気に煙草をふかしていた(笑)。
どす黒ぅて癌相も醜うて・・・と、検査の詳細を聞きながら寿司をつまむのは消化に悪かったなもー!
進行性の度合いや転移の有無は、手術してみないとわからないらしいが、「わしも年貢の納めどきか・・・」とため息をついていやがる。
胃癌など月並みな病気だろう、気弱になったら生活もすさんで、その方があわれな最期になるよというようなことを話してきた。

この期に及んでも、別れた古女房(僕の母だが)のことをグチる。
なぜ財産を手放すことになったか、なぜ再婚相手にまで年金ネコババされて逃げられたか、結局わかってないようで、いまさら説教する気にもなれない。
悪人ではないと思うのだが、不運にも悪魔に見られる宿命を背負っているようで、それがなぜなのか、そして何かあれば「誠実に金で解決しようとする」クセが相手にどう映っているのかが理解できない。僕にその血が流れていなければいいが。
けれど、みっともなくても親は親。
グチも見当違いな恨み節も受け入れて、なだめて、とにかく今は病気に負けないことを祈るしかない。
 
その昔、イタイイタイ病の集団検診に、遠路はるばる「出陣」して行く父の白衣姿は、幼心に誇りに映っていた。今でも「巨悪を叩け」を身上にしているようだ。
50年以上着ていた白衣は、今月正式に脱いだのだという。
親の絶頂期が、不意に事故や急病で破壊されたような御遺族は、それなりに衝撃は大きいだろうと思うが、いい姿だけ残るというのは、想像でしかないが幸福に思えるときが来るかもしれない。
弱気になったり、悪態をついたりしながら朽ち果てて行く親の最期をスローモーションで見るのはつらい。
 
煙草は家族全員で反対してきた。
退院できれば父と同居する兄も、「禁煙してもらわにゃ困る」と迫っている。僕も嫌煙家だ。
けれど、「煙草が生きがいなら、節制しながら吸ってもええよ」と言えるようにはなった。余生の質こそ大事にしてほしいから。
 
老父の同年代の平均余命まで、まだ10年はある。
「わしの兄貴たち皆八十いくつまで生きたから、そこまでは行きたいなぁ」とポツリともらしたのが、入院前のささやかな希望といえるだろうか。


まな板の上の・・・(1)

at 2002 08/18 22:04 編集

父のガン診断の話を聞きながら、しきりに頭に浮かんでは押し殺していたのは、「ターミナルケア」や「死の臨床」といった用語だった。
僕が研究してきたバイオエシックスの世界でも、「グリーフワーク」「デス・エデュケーション」というような用語があって、専門職にさえなりつつある。福祉や心理の世界では、ひと昔前に「まるでセラピー百貨店」を生み出したトランスパーソナル・ブームを思わせる○○療法が花盛りだ。

いったい何なのだ、この気持ち悪いブームは.。

老人がガンを患って、患部を切ったり薬漬けにしたりして健康体の数値に戻すことより、疼痛をやわらげ残された生活を楽しむのは、当たり前のことではないか。カタカナ用語のついた特別なケアへ「切り替える」かどうかで医療者や家族が思い悩むというのも、難儀なことではあるなぁと思う。

この違和感は、女子大生sabatoがかかわろうとしている街づくり実習の話を聞きながら感じたことにつながって行く。
ボランティアやNPOが、よその街に乗り込んで行って主婦の「エンパワメント」をしたり、子供のためのプレイルーム(パーク)を造ったりするとき、その企てに協力的な=乗りやすい住民層とそうでない住層民という階層分化が起きる。後者の中に、やがて「協力・参加・負担はしないが、おいしいところだけ利用する」というフリーライダーが出て来たり、新しい企てそのものに批判的な層も必ず存在する。そして、もしかすると最大多数かもしれない無関心層もいる。
こんな層を無視できないよ、というのが僕の立場だが、無視して行かないと事業が進まない・事例研究が形にならないという現実もある。

「ターミナル」に僕が感じる違和感は、お膳立ての偽善性と、それに乗っかって規格化されてしまう主体性のなさ―から主に来るのだけれど、地域活動でも同じで、第三の別の道を考えてみてもいいのでは?と思った。<つづく>


まな板の上の・・・(2)

at 2002 08/18 22:10 編集

僕には、困ったクセで援助と妨害の両刃をふるってしまうところがあって、援助をしてから「待てよ、あれで本当によかったんやろか」というアンビバレントな感覚に襲われることがよくある。
それがたとえば地域活動だと、うまく企てに乗っからない住民をいかに巧みに取り込んで行くかを考えさせようとする一方で、個人的に僕自身がどの立場にいるかというと、取り込まれてたまるか!という「イヤ〜なやつ」そのものだろう(笑)。

そもそも、僕が興味を持っている「いい人」の本音を探るような問いかけも、タブー視されているようでもある。ボランティアやカウンセラーやファシリテーターや、そんな「カタカナの人」は、自分たちの仕組んだプログラムにおとなしく順応して無邪気に笑う弱者が好きだ。そんな風に「感謝されたくてしかたないイイ人」こそ病んでいるのかもしれない。

たしかに、「カタカナの人」に自分の居場所をつくってもらって救済される人も現にいるし、抵抗することが自分らしさの証しだという人もいる。子供や障害者を一律にお膳立てされる側に配役するのは、それこそ箱庭的おままごとの発想だ。
 
僕は、「カタカナの人」に丸め込まれない人が好きだ。そんなに気負わなくても、もともと大人の目を盗んで悪さするのが「子供の自然」なんだけどね。


増殖ザウルス

at 2002 08/21 22:44 編集

ウソみたいに涼しくなったなぁ。空は高くて、山の緑は近くて、午後の日差しはやさしい。旅行日和だ。秋風が吹くと、老体も燃えてくるし。
ソフマップへチャリころがして行くと、ザウルスカラポケが7000円ほどで出ていた。おいおい、定価11万円やで。いまだに価格コムでは7万なんぼで売ってるというのに。
しかも限定色パールホワイト。美品ですがな。
お買い得じゃいとばかりに買ってしまった。
ふだん愛用しているのとまったく同じ機種で、色違いなだけだから、さっそく追加のアプリケーションやらアドレス帳やらを赤外線でコピー。簡単でいい。
しかし一体どうするね、ザウルス4つも持て余して。バックアップ用にはなるか・・・。


衣替え?

at 2002 08/22 04:16 編集

さすがに、すっぱだかでいると寒気がする夜になった(当たり前か)。
何ヶ月ぶりかで、ホットコーヒーをいれてみた。
たぶん、粉も気が抜けて(?)いるのか、いがらっぽい風味が立ちのぼる。
新しく挽いてもらわないと・・・。

夏は麦茶で決まりという感じ。秋はコーヒーかな。
そして冬はウィスキーお湯割り。
酷暑の夏に、辛くて熱いものをハフハフいただくのもいいものだが、なんとなく季節の味というと、僕は料理より旬の果物とか野菜を真っ先に思い浮かべる。
ぶどう狩りスタートのニュースも見たし、早く柿を食いたいものだ。


なんや残暑再来

at 2002 08/26 15:55 編集

エアコンに浸って読書でもするか、といつもの地下喫茶店へ。携帯電波が届かないこんな店が一番落ち着く。
でも珍しく満席。
いかにも人のよさそうな―いやホントにいいんだろうけど―父子でやっている居心地のいい店に入りかけたら、レジにいたおやっさんが目線で「すまんね」と会釈してくれる。

しゃーないな、で上の階の古本屋をのぞいてから、隣のビルの「地上喫茶店(笑)」へ。朝刊2紙とスポーツ新聞2紙を読みながらレイコー!で決める(おじさん初級なので、まだレイコー!と発言したことはない)。
コーヒー1杯分で520円分の新聞を読めて(家ではWEBでしか新聞を見ないので)、ヒマならマスターとだべって、常連さんと店員との雑談を盗み聞きして、店によってはテレビやビデオが見られる―とまぁ、昔ながらの喫茶店は安上がりでくつろげる。この3ポイントが、おカフェにはないからなぁ・・・

きのうは故岡本太郎さんの養女敏子さんを10人ほどのファンが囲んでのお茶会に出てきた。
肩の力が入った元気というより、少女のような天真爛漫さは70代とは思わせない。
有志がWEB上で作品を展示して・・・といった企画を話すと、「やっぱり、作品はわざわざそこへ出かけて行ってナマで見なくちゃ」と笑っておられた。いいなぁ、健全で。
この会場になっていた関西大学前の喫茶店も、いろいろ文化イベントの情報発信源になっているようで、店の発行するミニコミ誌も置いてあった。「インクジェット」ではなくコピーで作ってあるのが、なんだか懐かしい昭和の香り(笑)だ。

散会してから、関係者ご夫妻と居酒屋へ。
岡本太郎がパリ大学時代に親交のあったマルセル・モースの話が敏子さんからも出たのをうけて、話は「贈与論から考える福祉」へ広がって(深まって)行く。
たまたま、ちくま新書の『実践力ルチュラルスタディーズ』と、辻信一さんのスローライフ論を読んでひざを50回ほどたたいていた夏だったので、「レイヴ」によるアートとか、「贈与福祉」の可能性が少し形になって見えてきた感じ。
続きはまたあらためて。

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2002年7月の日記

ホボ、ブラジル

at 2002 07/01 00:44 編集

予測した通りの優勝シナリオじゃったな。
なぜかというと、世界平和のために、ワールドカップはあらかじめ展開がプログラムされているのだ。
番狂わせがあると、こんな惨事が起こる。
ドイツ優勝→在独出稼ぎトルコ人迫害される
トルコ優勝→やはり在独出稼ぎトルコ人迫害される
アメリカ優勝→報道されない
イングランド優勝→紳士の仮面が剥がれる
韓国優勝→テポドン飛んでくる
というわけで、めでたしめでたし。
乳首で風車をくるくる回す女性ブラ汁゛サポーターでも出るかと思ったけど。


妖しい新宿

at 2002 07/06 03:23 編集

学会で上京中。
会場は江ノ島の「まんま島の中」ではあるけれど、新宿で約8年ぶりの友人に会うため新宿に向かう。
自費出張とはいえ、この平常心はなんだろう。宿の予約もせず、切符だけ安売り屋で買って着いたところで宿探し・・・というのは、入管で取り調べられたアメリカ旅行と同じパターンではないかっ。

でも、ふだんほとんど使っていない携帯で、宿を探せたのは便利だった。予約で初めて、テンキーで名前や何やらを入力したのだが、あぁかったるい!とイライラさせられた(立派な爺さまやね)。
友人は、帝都の都市計画をデザインする第一線エンジニアという身分で携帯を持っていないので、「こんなときは役に立つよ」とかすかにPRしといた。「でも都心だとピッチで充分やけどね」とつけたしたので、PRになっとらんか。
友人がホテルまで案内してくれつつ、妙なカーブを歩いていると思うと、歌舞伎町を避けてたそうだ。
もう1軒候補にシテイタホテルが歌舞伎町2丁目だったから、避けてよかったのかもしれない。

チェックインは「東京ビジネスホテル」――なんちゅう、わっかりやすい名前じゃ!
週末で5400円。やっすー!!少し古いが頑丈そうで、清潔じゃわい。
食堂のサービス定食500円、親子丼540円。ウソのような劇安ホテルだ。静かでいい場所だし。
採算とれるのかね?と、他人事ながら心配してしまう。

早稲田で学会があったときは、サンプラザ中野…じゃなかった中野サンプラザに泊まったけれど、そこも6000円かそこらで(10年ほど前の話)、超高層からの絶景夜景を眺めることができた。
宿選びでドツボに落ちたことがないのは、悪運が強いせいだろうか。
そんな目先のことで幸運じゃわい・・・と喜んでいても、頭を冷やせば「お間抜け」そのものの上京もある。
きわめつけは、2年目の受験上京だったか。
1年目は生意気に赤プリに泊まって「お受験」で親不幸をしたので、こんどはチープに行こうと決めて駒場の「東急修学旅行会館」という木塀瓦屋根の宿に泊まった。
和室で布団を敷いて20名ほどで雑魚寝(そんな受験宿、今じゃ考えられないだろう)。
いかにも修学旅行という感じで、全国から集まってきた初対面の受験生どもは、すぐ仲良くなれてしまった。となりの布団の宮城県から来た受験生とは、朝がたまで天下国家について(笑)語り明かして、そのせいでもないだろうが肝心の受験はサッパリできずに終わってしまった。
でも、楽しかったなぁ、あの一瞬の寮生活のようなひと晩は。
キャラメルを食わずオマケだけ楽しむような旅行パターンは、まだまだ治りそうにない。


バーディーの夏

at 2002 07/14 04:01 編集

学会から帰ってバタバタしていたら更新が留守になってしまった。
久々の姉一家と呑み食いして、姪(10歳しか違わんけど)と「早く身を固めろ」と突っ込みあったり、楽しんできた。

義兄は定年間近の今でも毎年山に登っておられる。僕と別れた翌日からは利尻岳へ登ってきたという。
ただただ感心するばかりの僕は、自転車に浮気している。
風を切って街を滑る感覚は、夏の夜だと最高だ。
近所のタクシー専用ガススタンドの前で信号待ちしていると、従業員のおっちゃんが、「それ、よう走るか?」と声をかけてきた。愛車が人目を引いたのは初めてだ。今のところ神戸の街では見たことがない「折りたたみカー」だし、「あれちょっと変わったタイプや」と思われたのだろう。
「外国製か?」と第2問が飛んできたので「まぁ、台湾製ですわ」と返したけれど、もしかすると1台買うつもりで自分なりにいろいろ研究中だったのかな?


41歳

at 2002 07/23 14:19 編集

誕生日は、バーベキューの席上、デザートでささやかに祝ってもらった。
差し入れてくれた「25歳女性」は、中年男でも、誕生日を祝ってもらうとうれしいものですか?と聞いてきたけれど、相手が僕のような屈折中年だと、一言や二言は理屈をこねるだろうから、かまえてしまうのかもしれない(たとえば、誕生日は本人の手柄ではなく親に感謝すべき日だと思うようにはなった)。
気づかれないのもわびしいが、大々的に「祝賀」されるのも面映い(そんな経験ないけど)。
であるから、ストレートに飛んでこないメッセージに想像を馳せるのも、なかなかに趣があるもので(なんて、皇族の記者会見かっ!)。

何年も会っていない女性から、ふいにカードが郵政省メールで届くということは、よくあった。きれいに忘れ去られる存在になるには、まだまだ修行が足りない。
とっくにEメール環境が整っていることはお互い暗黙裡に承知しているのだが、決してアドレスは交換されない。紙メールだけ。
この距離のとりかたも、Eメール時代のあだ花のような気配りなのだろうか。

相手が30歳とか40歳の節目にさしかかる女性だと、誕生日といっても気を遣うのもたしかだ。ふれてほしいのか、ふれてほしくないのか、察しにくい。「生年月日」ではなく「誕生月日」だけアピールしている女性は、いかにも「祝ってね」とアピールしているように見えるからわかりやすいけど。
「ジェンダーフリー」を唱えながら、ことプライベートな身の上表現については、年齢を隠す女性というのは少なくないけれど、それは本人の問題か、年齢から連鎖反応される先入観で人を型にはめようとする社会の問題か、根拠はよくわからない。
僕など平気で「41歳です。行き遅れの毒身」と宣伝?して何も不都合はないのだが、30代、40代の女性はその後で「独身か、既婚か」「既婚なら子供はいるのか、何歳か」「働いているのか、養われているのか」なんて探りが当然予想されるから、大変でございましょう。
だからこの社会では政治と宗教だけでなく尋ねるのがはばかられるタブーがやたら多い(年齢や職場での地位など)。
たかだか年齢を尋ねるだけで「失礼ですが・・・」と前置きして下さる方もおられる。「年齢を尋ねることは失礼にあたること」という風潮があるのだ。
年齢を尋ねることが失礼だとは僕は思わない。だったら、ずけずけ相手に尋ねているかというと、そもそも興味がないから尋ねたことがないだけ。親しい昔の同僚なんて、だれ一人として未だ実年齢を知らないし、親しかった女性についても、失礼ながら生まれた月日しか知らなかった(18歳未満はいなかった気はするから、いいか)。相手の年齢なんて、なんとなく「同年代かな?」「若いなぁ」「若づくりしてるなぁ」でいいし、年齢を正確に1の位まで把握してないといけない関係なんて、役所の年金係だけでいいではないか。
相手の年齢なんて、勝手に決めればいいのだ。そして、「ヘッドホンから音洩れがうるさい30歳サラリーマン」なんてのがいれば「うるさいんだけどね、坊や」と低音で言い聞かせれば効くし、「着メロがあまりにもオバカなOL27歳」には「うるさいなぁ、オバハン!」とやれば効果的だ。

アンタッチャブルな闇があちこちにあって、うっかり足を踏みいれれば「無礼者」と断罪される地雷原のような社会より、何を問われても斬り返せる個人が増えた方が幸福な気もする。
「おいくつですか?」には「なんか文句あっか40歳だ!」とか「30以上数えられないバカな私です」とか、いろんな返し方があればおもしろい。

年齢を明かされにくいつまらんタブーがある一方で、かねがね僕が不思議に思っているのは、「愛の巣」の物件名(アビタシオン・メゾン・なんたらかんたら 201号室の類)まで転居通知に明記したがる新婚心理(?)とならんで、我が子が生まれたときの体重をグラム単位までしっかり宣言する母親心理(ってのかな?)。「うちの子は3456グラムでぇ・・・」と言われても、どう反応していいかわからんではないか。
「赤ん坊の体重より、あなたの体重をネタにしようよ」と返したい衝動は、かろうじて抑えているけど。


36℃

at 2002 07/23 14:20 編集

なのに、スーツが街から消えない。
パンストもおねえさんがたの下半分に貼りついたまま。
汗一粒かかず涼しい顔をしている個体さえいる。
この個体の新陳代謝は、どうなっているのだ。
悶絶顔で汗をかいているスーツビジネスマンもいる。
そりゃそうだろう。
でも、なんで脱がへんの!?!?!?見るだけで暑いぞ。
パンストを脱ぐのは面倒くさいかもしれんが、そんなに蒸らしてどうするであるか?

ファッション業界、クリーニング業界、エアコン業界、電力業界…みんな結託して、このアジア島国をよけいに蒸し暑くしているようだ。
エアコンの室外機から熱風をぶんぶん放射しているエゴイストは南極へ島流しにして、そいつの土地には木を植えればいい。
それにしても暑い。立秋まであと2週間。彼岸まで2ヶ月。
なんとか「立て板に汗」状態で、がんばるか。


18きっぷ作戦

at 2002 07/24 18:09 編集

「18きっぷでどこまで行けるか」「最低どれだけ乗るとモトがとれるか」は、いま旬の夏休み情報だ。
「どこまで行けるか」は、ノーマルな在来線を乗り継いで西方浄土をめざす(笑)と、大阪6:00発で鹿児島県・出水駅着が23:59(宿あるんかい!?)。
これはただひたすら遠距離をめざすルートだが、その1日の内で観光もして戻ってくる最大限日帰りコースを考えてみた。つまり大阪・神戸へたどりつける一番遅い便を逆算してみたわけで、これだと出水よりもっと遠い川内を6:02に出る便から乗り継いで来れる(鹿児島、熊本県人の皆さん、神戸をめざしましょう!この便で大阪まで行くと日付が変わってしまいます。ファイトをたたえてテントを貸してあげます)。

この最終便ラインに乗り遅れないよう、途中の街でどれだけ過ごせるかを算出してみると・・・。

1.「マスカットコース」大阪発6:00→岡山着8:52(観光12時間20分)岡山発21:12→元町着23:46
2.「アイビーコース」大阪発6:00→倉敷着9:21(観光11時間24分)倉敷発20:45→元町着23:46
3.「転校生コース」大阪発6:00→尾道着10:27(観光9時間10分)尾道発19:37→元町着23:46
4.「カープコース」大阪発6:00→広島着11:43(観光6時間36分)広島発18:19→元町着23:46

下関になると、もう日帰りフグ食いツアーは無理だ。
ただ往復するだけのトンボ帰りが可能な最西端は、下関と小郡の間の山口県厚東。
厚東に15:06着、厚東から神戸への最終が15;07だから、ホームが近くて1分で乗り換えられたらセーフ。

まぁ、おトク惑があるのは、尾道か広島で昼飯+観光+晩飯で帰ってくる日帰りだろうか。僕は数年前に600円のお好み焼きを食うのに18000円かけて新幹線で往復したおバカな日帰り旅行をしたことがあるが、2300になれば格安だし、広島だと関西圏からひと押し・ふた押しぐらいの距離感だから、苦しゅうない。
次は東北をめざすコース(東北までは無理だった気もするけど)、山陰コースを練ってみよう。
あぁしんど・・・


ステップ・バイ・ステップ・ファミリー

at 2002 07/30 15:26 編集

「完全夏休み」ではないが、テレビを見る日が増えた(といっても夜中専門)。
そんな日々で、カリスマ鍼灸師さんの書き込みから思いついたこと。
深夜の再放送で、ステップファミリーの暮らしがレポートされていた。
子連れで離婚した男性には「がんばって下され、おとーさん!」と勝手に檄を飛ばしながら見ていた。
中には子連れ同士の再婚というケースもあって、新しい親子関係づくりに苦労しておられた。たしかに、子どもにとっては別れた親イコール血を分けてくれた生みの親で、新しく同居するおじさん(おばさん)を親とみるのは難しいだろうな・・・と、勝手にお見舞い申し上げたりしていた。
だったら、「親のパートナー」と見ればいいと思うし、無理に親子関係をつくろうとしなくてもええんじゃないか?と勝手にアドバイスしたくもなった。我ながら勝手な外野である。

「彼の連れ子が悪さをしたとき、叱るのが難しい」という新ママの煩悶も、なんとなくわかる気がする。
実の子でない子供を叱ったり、実の親でない年長者から叱られたりする関係が日常生活の中からなくなってしまった昨今だから、どういう立場で相手と接するか、考え込んでしまうのだろう。相手との関係で善悪のものさしが揺らいでしまったりもする。
そういえば、悪事を働かれたこともないし、そもそも同居したことさえないが、兄の子も姉の子も弟の子も従兄弟の子も、僕は叱ったことがない。
もし自分が黒木瞳と再婚して、その連れ子を叱って「パパじゃないくせに」と反撃されたら、「おまえと親子でなくても、悪いことは悪いから叱るんじゃいバカタレ!」と一撃してしばきあげるつもりである!・・・が、黒木瞳に「やめて」と言われたら、ヘナヘナ〜と矛先をおさめてしまうだろうな(あぁ情けない)。

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2002年6月の日記

家に書店が

at 2002 06/01 11:46 編集

アマゾンで初めて通販。いや、買うんだから「通購」か通「買」か・・・?
ともかく、早い・安い・うまい(?)の三拍子。代引にしたから「早い・安い・安心」かな。
ジュンク堂で立ち読みして注文はアマゾンというルートができそうな気配。とんでもない手数料を上乗せしてる街の本屋の洋書部門は、叩きなおされて当然だ。

それにしても、「アマゾン様から」というペリカン便の不在伝票にものどかに笑えたし、「運転手電話番号」がピッチの070・・・だったのも笑えた。
いや、バカにしてるんではなくて(僕もピッチを活用しているからな)、宅配便でもピッチで仕事になるんだなぁ・・・と妙に感心してしまった。
法人との通話コストは携帯の3分の1だから、コスト削減を本気で考えたらあえて携帯を社員に持たせなくてもいいわけだな。日通さん、えらい!


空からコピーの雨が・・・

at 2002 06/01 14:18 編集

藤原新也さんの新刊『空から恥が降る』を一気に読んだ。
『藤原悪魔』のような切れ味もある一方で、ご自身のサイトを通じてのメールのやりとりもずいぶん取り込まれていて、雑誌ふうの構成になっていた。
あぁ、自前サイトを使うとこんな本づくりもできるのか・・・と納得させられてしまった。
読者も本づくりに参加できる、著者はネタを一人でひねり出さなくていい、デジタルデータなので編集者は処理しやすくていいぞ皆ハッピー・・・??????
いや、待てよ。
ネットが作者と読み手の垣根を曖昧にしてしまうと、オリジナリティはどこにあるのだろう。
田口ビンラディンとかいう某ネットデビュー作家(作家という肩書きも怪しくなってきた)が、パクリで告発されたのも、ありそうな話だ。マウスですすーっとコピー&ペーストすれば、いとも簡単に人の著作をパクれるからな。
だから、メールで論文など書いて送られても、どこまでが本人のオリジナルなのか、日本語入力ソフトの力が介入してないか、いちいちチェックできない。

同じことは、画像についてもいえる。
ベンヤミンがもう半世紀以上前に論じた「複製芸術」としての写真は、デジタル化でますます加工・複製がしやすくなった。田中長徳さんは「デジカメ写真は写真ではない」ととらえているようだが、たしかにWEB上でデジタル写真を見ても「うまく撮ってるなぁ」と「キレイに加工してるなぁ」「いいソフト使ってるなぁ」が曖昧になっている。極端な話、「撮らなくても撮れる」「なくてもでっちあげられる」のがデジタル写真だ。
「ハッブル天文台から見た宇宙」なんてのが、なにやらカラフルなまだら模様のデジタル加工された画像で世間にお目見えしたあたりから、「これはウソくさい」と感じずにはおれなかった。だって、「これが本物のブラックホールです」と言われても、本物を見た人はだれもいないから、言われたまま、もしかすると適当に合成した画像を見せられていても、本物だということにして感動しておく(笑)しかない。
CGを駆使したNHKの科学番組も、これはもう科学・教養というより、アニメでしかないわな。
本物を見たいなぁ・・・と思うと、やはりリバーサル写真かな?


白昼の車道が凍りつく

at 2002 06/03 06:56 編集

日曜日の昼下がり。
変わるのが遅い横断歩道で、信号の押しボタンを威勢よく押して待っていたら、上品そうな老夫婦が横に来て「そないにあせったって、ここはなかなか変わらへんわいな。そらー、犬二、三匹放り出して轢かしたら、すぐ変わるよんなるやろけどな」と、とつとつと恐ろしい発言をなさる。

おじーさんはニヒルだ!

しげしげと眺めてしまったおじーさんには、「あの人の面影」がある・・・・・・
バカボンのパパだ!

そういえば、うちの近所の喫茶店のマスターも、バカボンのパパに似ている。
表情はとぼけているようで、目がシュール(なんだかフレンドリースマイルで目だけ笑ってないオタクのオフ会を彷彿とさせる)。
でもこの喫茶店のメニューは、いやに安いわりに相当うまい。一人でやっているから、マスターの調理の腕前はあなどれないと見た。
商売っ気があるのかないのか、夜はほとんどダーツ会場と化していたりする。裏の顔はダーツで必殺仕置き人か?このマスター!

そんな変な喫茶店に、妙に惹かれる。
よそ見をしながら帰路を歩いていると、それこそ昼間のじーちゃんじゃないが轢かれてしまうわな。


すごい先輩

at 2002 06/06 22:57 編集

「ゆびとま」で、母校の大学を65年前に卒業された大先輩と出会えた。
一杯やる?と誘っていただいた。
すごい。インターネットさまさまだ。
負けてはおれぬ。
という矢先、大先輩より一回りぐらいは若い実父から、手術入退院・転居の葉書が…。
弱気になってきた親にも、勧めてみようか。
「老後は孫だけが楽しみ」と期待されても、どうしようもないからなぁ。


第一種接触遭遇がないわい

at 2002 06/09 11:54 編集

だいたい1年おきに「第二種接近遭遇」がある。第一種はない。接近するのは、結婚願望の強い女性。
いや、決して断じて金輪際「もてまくる」わけではない。「ここで結婚をちらつかせるとトントン拍子にコトは進むだろうな」と直観する場面があるということ。
いつものペースが、すでに今年は2件。なんたることだ(笑)。世の中、不景気に加えて冷静な判断能力もなくなっているのだろうか。

女性諸君、ほんとに結婚は永久就職だと思っちょるの?
このカネなし地位なし身長なし運転免許なし優しさなしの僕でもそうだから、僕の周辺の「カネあり地位あり才能ありルックスあり優しさあり」の独身ご同輩諸氏など、「そろそろ結婚しよかな」といえば、もてまくること確実だろう。

このアンバランスを見ると、婚姻圧力というのが背景に働いているのではないかとも思う。
家事が大変でしょう?
今は気ままでいいけど、老後は寂しいよ。
灯りのついてない家に帰るわびしさ・・・等々。
こんなステレオタイプな「独身悲劇」が延々、蒸し返される。蒸し返すのはヒマな年輩者ばかりで、同年代の既婚男性・女性の友人から「結婚はいいよ」と聞いたことは一度もない。みな一様に元気がないから、やつれた顔で「大沢くん、早く結婚した方がいいよ」と説かれても困るし。
僕への独身見舞い(?) は、どれも自分自身への不安を転嫁しているだけではないかという感じもする。または、いっこうに不自由そうに見えない極楽トンボを結婚させて、自分の結婚の生煮え感を「アドバイスする」という形で満たそうとするのか(寿退職したキャリア断絶ワーキングウーマンが、ステージママに化けるような心理かな?)。

本当につらいのは、あてにしていたときにパートナーの手助けがないとか、一方的に離縁を告げられる(多くは)夫だだろう。
病気になったら一人でいたい人と、孤独に耐えられない人がいる。「ニーズに合わない現実」がつらいのであって、「病気になったら寂しくなれ」「自炊はわびしくやれ」といわんばかりのステレオタイプには辟易する。
ちらかして出たときのままの部屋に戻るのが当たり前の暮らしだと思う僕からすると、家に帰って灯りがついていて部屋もかたづいていててメシもできている喜び―なんてのは、マザコン以外のなにものでもないとも思う。

たとえ話で「男は船で女は港」なんてのがあって、たしかに船にとって港は必要ではあるけれど、「海の方が魅力的」だからこそ、の船である。「港のような彼女」って、無気味じゃないか?港は故郷であったり親であったりすればいいわけで、一緒に航海に出る相手が配偶者ではないんだろうか?中には「船長のような妻」「鵜飼いの鵜のような夫(笑)」もいるかもしれないが。
家事もぬかりなくできて、自分の趣味も犠牲にして献身的に良妻賢母をこなす妻は、高性能のオーダーメイド家具のようで、人間的な魅力とはかけ離れてくる。
また、そんな家具になることを妻に求めておきながら、ときめかなくなって浮気したりしている自業自得な男が多いのも現実。

一人では見えなかったことが、つがいになってから見えてきたりする。いい面も、悪い面も。
相手の思惑が見えない若さが、結婚圧力に動かされてシュパッ!とひっつくのが、今までの結婚。
これからは、「陰謀探索結婚」がトレンドだ(笑)。
たとえば、親の介護を彼女にやらせようと考えている殿方は多い(いや、それが当たり前で、あらためて考えたこともないのかもしれない。悪気がないわけで、だから悪気があるより始末が悪い)。
子供を産んで実家に帰ろうと虎視坦々と考えている女性もいたりする。また、そんな(孫持参の出戻り)娘を歓迎する親もいたりする。
こんな思惑を探りあうのが、大人の男と女のラブゲームだ。
とはいえ、勝ち負けもないゲームだし、何の喜びもないし、そんなヒマがあれば仕事に打ちこんだ方がいいや―というところで、幕引きになってしまう。
あぁお疲れさん。


百均ショップ劇場

at 2002 06/09 11:45 編集

ダイソーに行くと、笑える販促をやっていた。
「台所用品の今日のおすすめは何ですか〜〜〜〜?」
「今日のおすすめは〜天然油脂配合の洗剤で〜〜〜〜す、全品100円でーす、いらっしゃいませいらっしゃいませ〜」
と、離れた売り場の店員同士、声をかけあってるようなナマ店内放送をやってるのだ。
どこからヒントを得たのか、このクサい声かけは憎めない。サクラに行列をつくらせる「行列のできる店」と似た手法だ。
ちょっといたずらっ気のある客なら、割り込むこともできそうだ。
「今日のおすすめは〜〜〜、どうせパチもんでしょ〜〜〜〜?」
「そんなことはございませ〜〜〜〜ん、全品100円均一で〜す」
なんて会話が成り立つと楽しい。
できるだけクサく、やる気のない機械声でやるのがコツだな。


エクスピーの叔父さんその後

at 2002 06/09 22:58 編集

2度目の「エクスピー」家庭教師に行ってきた。
テレビでサッカーのダイジェストがかかっていて、スウェーデン対ナイジェリア戦をさして「この黒いの、どこやったかいな・・・カメレオンか、そうかそうか」と納得しておられた。叔父夫婦の間では、カメルーンがカメレオンとして立派に話が通用しているから、いいではないか。
友人からの年賀状を出してきて「ほれ、これなんか写真うまいこと入れとるやろ、これがしたいんじゃ」と、筆ぐるめと格闘している。僕は年賀状ソフトはおろかワードさえめったに使わないから、設定やらナビやら、さっぱりわからないまま降参。家庭教師失格だ。
でも、人に影響されたり競争心を持ったりするのはいいことだな、と思った。ソフト使いこなし自慢ができれば、ボケ防止にもなるだろうし。
次はエッチサーフィンをレクチャーするか!・・・(笑)


御冥福を・・・

at 2002 06/14 00:47 編集

村田英雄さんの晩年は、両足がなくても明るくて、立派だった・・・。満身創痍という感じ。
「オトコ村田」にこだわる演歌歌手だったが、これをマッチョな差別文化よと野暮は言わないだろうねフェミニストさまたちは。

もっと親近感を持ってたのがナンシー関さん。
絶妙の観察眼と急所を突く批評眼は、本当に冴えているから、尊敬していた。
若すぎるよ30代なんて。
でも、いかにも血管障害を起こしそうな体格だったからなぁ・・・。
サラサラ血液」を心がけたいものだ。
合掌―。


W杯=ワコールカップ

at 2002 06/19 01:06 編集

もう20年ほど前に、たしかソニーの井深大(当時)会長が、「高校野球は甲子園で負けた高校が校歌を唄って帰ることにして、最後に優勝校が校歌を唄えば全校の校歌が聞ける」と提案しておられた。
さすが、天才経営者!
・・・にならって、提案してみたい。
サッカー世界制覇プランを。

日本が誇れるのは、世界一の高齢者大国であることだ。
黄金のイレブンを構成してみたぞ。長沼(指図専門)、加茂、川渕チェアマン、岡野俊一郎、岡田、釜本、三浦カズ、ラモス、セルジオ越後、村野武範(レッツ、ビギン!)、穂積ペペ(ほとんどヤケクソ)。
案外ほんとに、これが世界最強のマスターズサッカー選手団、名づけてSリーグ(シルバーリーグ)になると思う。日本が自信を持って世界に誇れるのは、シルバースポーツマンシップだ!
問題は、GKか。長沼だとシュートされたとたんに絶命してしまいそうだから、三浦カズしかいないかな。

こんなことを考えたのも、新刊で出た三浦敬三さん(現役プロスキーヤー)の御著書『98歳、元気の秘密』を読んで、ふとシルバーパワーの無限の可能性を考えさせられたからでもある。
スキーも世界一を狙える。ジャンプは着地したら最後、立ち上がれないかもしれないし、ボブスレーは木製の長方形の箱にした方がいいかもしれないが。
サッカーもテニスも野球も、案外いけるんじゃないか?ほんまに。今年更新されたエベレスト世界再高齢登頂だって、男女とも日本人だったと思うし。

今の商業スポーツの現役期間は、だいたい20歳から40歳ぐらいの約20年間しかないが、マスターズなら40歳から80歳まで、倍の年数を楽しめる(40歳の若手のデビューを、80代がつかえていて阻んだりして!)。
政府も、介護保険や老人医療制度に回す国家予算のいくらかをメダルや賞金に回して、現役バリバリを競わせてくれた方が、楽しんだ(観客も楽しませた)あげくポックリ行けていいのではないか?
スポンサーはワコールで、それにちなんで「Wカップ」として、わし中身がほしいんじゃという「夢見る爺さま」がいれば(いや、きっといるぞ、みのもんた似の)、「年齢と同じサイズのバストをどうぞ!」ということにしたら、イタリアと決勝戦ができるかもしれない。


はじめまして、バットマン!

at 2002 06/22 02:56 編集

なんだかガサガサと不審な音がしていて、玄関の外を見てもだれもいない。
少したってからトイレに行くと、コウモリが2匹乱入していた。1匹は便器の中で溺死していて、もう1匹が床でうずくまっている。もしかすると、彼か彼女かを追いかけてきて、戯れているうちに落ちてしまったのだろうか。かわいそうに。
しばらくコウモリを飼っていたという友人いわく、意外になついて、顔もかわいいし愛着がわくらしいが、どうも慣れない。動物は何でも好きな方ではあるけど、生態がわからないのはどうしようもない。名前だって、コウモリにちなんでモリ・コウイチというわけにはいかないだろうし。
いっそ友人宅へ送り届けてやろうかとも思うが、どこか住みやすいところを見つけて引っ越してもらうのを待つとするか・・・


9万円のゴム草履

at 2002 06/29 13:47 編集

思いきって、ドイツ車を買ってしまった。約1年間、本を読んだりネット情報を見たりして、「あれがほしい」気持ちが冷めない。
よし、即金で行こう!
と、大阪は谷九へ直行して、ディーラーでぽーんと支払ってしまった。
OEMでプジョーから同機種も出ていて、「シフトまわりはプジョーの方がワンランクいいやつ使ってますけどね」と教えてもらったが、あまり街で見ないブランドの方を選んだ。
今まで、安物の国産車に乗りついでは盗まれたり壊れたりしてきた。「師匠」長尾藤三さん(『おじさん自転車革命』の著者)の「最初はずばり8万円出せば愛着のわくいい機種が買える」とのアドバイスにも従って、保険や輪行袋etcも含めて、身を切る9万円を出した。
夜中に試乗してみる。今までの足をスニーカーだとすると、ゴム草履のような感覚だ。フルサスペンションも、さすがに小径ホイールだと劇的には効かない。けれど、ホイールベースが長いのでスピードを出しても安定している。カチャカチャッと数十秒で折りたたんで4階の玄関前までひきあげておけるので、野ざらしより安心だ。
あいにくの梅雨どきなので、爽やかな風を切って・・・とはいかないが、都心の足としては最高だとあらためて思う。
お目当ては輪行ワールド!とはいえ、地下鉄と阪急を乗り継いで持ち帰るだけでヒーヒー言ってるぐらいだから、「飛行機に乗せてヨーロッパツアー」など夢のまた夢かもしれない。
ま、しばらくは国内で足ならしとメカの勉強をしておくか、と「鑑賞」にふけっている(あぁ、ライカおじさんっぽくなって行きそうでこわいなぁ)。


ニレの木陰で雨宿りしながら

at 2002 06/30 20:35 編集

新しい足も買ったことだし、日曜日だ、よーし歩くか!(=ヘソ曲がり)と万歩計をつけて三宮へ。雨がぱらついてきたので、三宮からハーバランドまではJR に乗って、ツーリング本その他を買って帰る。このトライアングルを歩くとちょうど1万歩ぐらくらいになるから、今日は歩数はかせげんかったかな・・・と思ってみてみると、2駅分JRに乗って省略したのに、12000歩も歩いていた。あら不思議。

雨が降っても、プラタナスの街路樹の下は、乾いた地面がいつまでも残っている。葉っぱは高性能なタープだ。
雨がやんだら、今度はしとしと滴が落ちる。うまいことできてるもんだ。
これは「なーるほど」の不思議かな。

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2002年5月

損した気分

at 2002 05/02 12:32 編集

連休の中日は出勤だと思っていたら(たしかに火・水曜は仕事があった。メーデーなのに、仕事をしたぞ)、さぁ出勤するぞ!と思って念のため電話すると、今日の契約先は休業日だった。なんじゃらほい・・・


「エクスピー」その後

at 2002 05/04 21:35 編集

連休は、アウトドア仲間とバーベキューを楽しんだだけ。年末年始も、ふだんなかなか会えない友人と会うのがいつもの過ごし方だ。
今回は、親戚宅へお邪魔して、「エクスピー」を初めてさわってきた。叔父に代わってユーザー登録をするにも、「えーと、生年月日か。千九百二十・・・何年やったかいな・・・」という感じでのどかにすませ、とりあえずワードとワードパッドの使い方だけレクチャーして終わり。

「なんべんやっても、IT講習でやったようにできんのじゃ」という操作難航の謎は、マウスで正確にカーソルを合わせてなかっただけという原因が判明。アイコンや矢印を特大にして、デスクトップのショートカットも作り直して、なんとかカスタマイズらしきことができた。
これぐらいのことからメーカーは配慮した開発をしないと、買ってほしい高齢者層には売り込めないだろうな。
叔父も未だ現役の会社員だから、製品開発とアフターケアのしかたについて、パソコンと格闘しながら考えている様子。かえって示唆に富んだおもしろい「一日家庭教師」ができた。


10分で死にかけた

at 2002 05/06 03:03 編集

ネットサーフィンしながら、Tシャツ1枚だとちょっと冷え込んできたなぁと腕組みをして、そのまま(机の前のイスに座ったまま)つい、うとうとしてしまった。
僕は、電車内でも喫茶店ででもコロッと居眠りしてしまい、そんな数分間でも激しく夢を見る。おまけに、夢の中に行きつけの街や、登りつけ(というのか?)の山があって、どれも無性になつかしい風景だ。

今回初めて、なんと戦場で歩兵部隊にいた。
どこの戦地かわからんが、女性兵士が同僚にいたから、太平洋戦争あたりの時代ではなく、ごく最近の中近東あたりだろうか。
キュートな青い目の女性兵士との間に芽生える「戦地の恋」・・・しかし敵に見つかって、逃走中に生き別れ!
ジェニファー!!
・・・というあたりで目が醒めた。
なんのこっちゃ。
この間、時計を見たら約10分がたっていた。
こういう類のうたたね夢を見ると、強烈になつかしさがこみあげてくる。どこに帰りたいのかわからんけれど、心拍数が上がり、心の鎧が溶けている感じ。
前世は兵隊だったのだろうか。
TSUTAYAに行かなくても、大スペクタクルが見られてお得なんだが・・・


親子丼

at 2002 05/06 14:30 編集

外国語のTVラジオ講座のテクストブックは、4月号だけ売り上げがいいそうだ。
僕もそれを実践しているぞ。三日坊主は毎年ちゃんとやめている。断念することをやめない私をほめてあげたい。
「アーベーセーはもうマスターしたから、ある程度進んだ5月からでいいや」と思っているうちに、連休が終わり海の日までのタイトな日々が始まると、もう英語フランス語中国語の勉強どころではなくなる。
10年ほど前に僕が英語を習っていた現役通訳の女性が、「NHKの『やさしいビジネス英語』は、易しくなんかない、本格的なレベルですよ」と紹介してくれて、聴いてみると案の定たいへんだった。
そのビジネス英語も「易しいもんか!」というクレームでもついたか、間口を広げるためか、時間は短縮されたが「やさしい」の看板がとれた。5月からは聴いてみようかな。
 
ワイドショー的なくだらない中央政争ニュースや田舎政治の猿芝居でヘッドラインが埋まっているときは、BBCやVOAの短波放送を聴いていると、あぁ世界は動いているなぁとわかる。市役所に家宅捜索が入って市長がゴルフをしてたのはなっとらんとか、形式的なことで揚げ足とりをしていないで、北朝鮮との交渉やテロへの危機管理をまじめに議論したらどうだ。
女性問題があれば、ワイドショーは視聴率が上がって、広告収入も増えて万歳じゃないのか?
フランスの故ミッテラン大統領は、亡くなるまで愛人がいたそうだが、記者にそれを指摘されて、「愛人?おるよ。それで、何か?」と平然と答えたという。大人の国だと、政治家に全身(下半身も)聖職者のような偶像性を期待しないのだろう。
既婚者の愛人問題など、身内だけが問題にしていればいい。
「実績を出せないが清廉潔白な政治家」と、
「実績を出せる英雄、色を好む」と、どちらがいいか。
大人の選択をすれば、まともな判断ができるはずだがな・・・。


あほかーナビゲーション

at 2002 05/07 09:38 編集

帰省ついでに、弟の車で新居をかまえたいとこ宅へ行ってきた。建築士をしているいとこの息子たちに「ここ、阪大に近いから通うに便利でええね」と振ると、受験エリートより宮大工になるよう期待されているようで、頼もしかった。
それはともかく、「弟カー」はカーナビつきだった。
老母と「便利な世の中になったもんやなぁ」と感心しあってばかりのカーナビは、「あと○メートルで左に曲がって下さい」「この先交差点です御注意下さい」など、かゆいところに手が届くようなアナウンスつき。
使うと手放せないほど便利だろうけれど、勘は鈍っていくだろうなと思った。試行錯誤しながら道をおぼえて行くドライバーの勘は、すばらしい能力だと僕は思っていたんだがな。
コンビニのCMで、カーナビが「お弁当できたてです」とかしゃべるようなスキットがあった気もするが、そのうち、「この先で子供が飛び出します」「今ひいた猫は軽傷でした。よかったね」なんてアナウンスするようになるかもしれない。・・・んな、アホな・・・(笑)。
 
考えてみれば(子供の日にちなむわけではないが)、子供にとっての60年か70年か続くドライブが、ナビゲーションつきになってしまって、「これぐらいさぼっても大丈夫」とか、「これぐらいやればこの程度の就職ができて老後はどの程度安心」だとか、先が読めてしまっているんじゃないだろうか。
ナビゲートしているのは大人だ。ひいては、社会システムか。
だれかが「教育とは、希望を語ること」と名言を残していたけれど、希望というのは先が読めないからこそ持てるもので、冒険と希望とは表裏一体なのだ。
子供(+若い世代)に冒険をさせないor敷いたレールにおとなしく乗って反乱させないような大人は、罪つくりな存在かもしれない。それは悪いことではないし、「善行」だから、だれもおかしいとはいえない。フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールの言葉を借りれば、「透きとおった悪」という感じだろうか。

だから、「子供のための癒しの場づくり」など熱心にやっている大人が、どうも偽善くさく見えてしかたない。
大人が楽しめる社会、オジサンオバサンが笑える文化を創って行かにゃいかんと思う。そうすればボケも過労死も自殺も減って、大人の音楽・大人のリゾート・大人の恋なんてのが、どんどん花開くだろう。そんな大人の世界に、子供が早く入って行きたいと思うようでいてほしい。
成熟拒否症のような人間が(若づくりに励む大人もだ)多い社会は、不幸だと思う。
だから、「オヤジぃ、くさいよ」なんていうクソ娘がのさばるのだよ(キミもそんなオヤジのチンチンの先の汁から生まれたのだよん、と僕は一撃をくらわせて激しく嫌われているけど)。

子供には「大人がお膳立てした居場所なんかクソくらえ」「学校は自分たちで造る」「あんたたちが既得権益を手放さないから、僕らの老後が灰色なんだ!」と言えるような不満分子が増えてほしい。

僕が参院選に出るときは(党首は田中真紀子、幹事長はハマコー、広報部長は辻本茂雄・・・じゃなかった清美を並べた悪党党をつくって擁立していただく)、

1.公共工事・住宅建設認可は、世界中の安価でいい仕事をする業者を公開入札に参加してもらいます
2.能力ある公務員・会社重役は天下り大いにけっこう。ただし働けば年金あげないよ
3.定年も男女別雇用も廃止して、みな実力で勝負しましょ
4.緑地と託児所を設けた事業所は税率優遇するよ
5.歩道に段差などつけよった管理者からは、うんと罰金ぼったくるぞ
6.10年は掘り返さなくていい道路設計を、世界中の有料デザイナーからコンペで選ぼう
7.夜間大学、早朝大学をどんどん造って銀座や新地をキャンパスタウン化!アカハラ教授はママさんにもてあそばれなさいっ!ママは、まきあげた金を苦学生に還元してあげれば税金控除するよ
8.酔っ払い運転手は免許を没収して人力車をひかせるで(健康にも地球温暖化防止にもいいよ)
9.ミサイルをぶっぱなす国には、右翼と左翼を組織化して斬り込ませるで
10.公務員と銀行員は、全員名札と年収を表示せいっ!
11.夏のスーツ、ネクタイ、パンスト、冷房はすべて禁止して、和服を着てもらいやす(ゆかた女性は無税!)
12.航空機乗務員、看護師には肝っ玉かあさん優遇採用
13.陪審制を導入して、死刑相当の犯罪には、被害者遺族が死刑執行してもよろしい
14.携帯着メロは禁止して、お経か讃美歌を全曲聞かないと出られない電話をメーカーは作れ
15.暴走族には獄門島を2つ3つ用意して、ライオンを放ってバトルランをしてもらう
16.海水浴場で暴走するプレジャーボートは、サメうようよの湾を囲って、そこで腕を磨いていただきやす
17.頭髪と身長に恵まれない男性と結婚した女性には、「でかした控除」を新設する
18.青空駐車してるクルマは没収して途上国にあげまっせ
19.モーニング娘には民謡歌手になってもらおうか
20.マクド、コカコーラ社はそれぞれソバ屋、峠のお茶屋に転業してもらう

を公約にしようと思うが(なんか後半はヤケクソ気味)、袋叩きに遭いそうやな・・・




敬老生活?

at 2002 05/09 23:45 編集

家賃を払いに行って、大家さんと植木談義。
特大のグレープフルーツを3つもらって帰る。
今日もテレビを見ない夜。NHKラジオ深夜便がBGMになっている。
・・・とまぁ、こりゃもうすっかり老年期の暮らしではないか。
深夜便のアンカーのお名前もおぼえてしまったし、斉藤季夫さんといういぶし銀アナウンサーはひいきNo.1だ。あぁ、近々「ラジオ深夜便の集い」なんてのに参加して、親世代に囲まれて耳学問してそうだ。
日の出が5時ちょうどになるらしい。冬が終わったと思うと、もうすぐ夏至ではないか・・・早いなぁ。
5時からは、「おはよう朝一番」で昔お世話になった小野卓司アナウンサーの声を聞く。団塊の世代まっただなかでも、万年青年のような「NHKの森本レオ」でいらっしゃる。
声から人柄や近況を偲ぶというのも、想像力が豊かになりそうで楽しい。
ふだんメールや文書作成など文字生活がメインだから、よけいに肉声に惹かれるのかもしれない。
声はその人そのものだ。
俳優を超えてしまったような、吹き替えの名声優もおられる。野沢那智さん(アラン・ドロン)や、故・山田康雄さん(ルパン)、故・小池朝雄さん(コロンボ)など・・・。
DJだと糸居五郎さんもマイク使いの鉄人だったと思う。
そんな声の達人が、「パックインミュージック」や「セイヤング」で活躍しておられたっけ。
いま声をじっくり聴かせてくれるラジオが、NHKの深夜便ぐらいしかない。
民放も、がんばってほしいなぁ。


ふと接吻

at 2002 05/12 17:35 編集

TVブロスの表紙にウルトラセブンの見出しを見て、ふとセップンについて思索をめぐらせていた。
セップンといえば、むかし読んだ木村治美先生のエッセイ『黄昏のロンドンから』の一節。ロンドンの街頭で熱く抱擁するカップルのうち、無心な女性に対して男性がキョロキョロあたりをうかがっている様子に、「あぁこれが男と女」と慨嘆しておられたのだった。
今の日本には、つがいそろって人目をはばからないバカップルも多いけれどどっちかが何かに没頭しているとき、片方がしっかり状況判断していればいいのではないかとも思う。あまり足を引っ張ったり水をさしてばかりだと、敬遠されるけど。
キスは「目をとじて口あけて」が最高潮モードだとすると、「目をあけて口とじて」が警戒モードだろうか。この間―つまり、目を閉じないで酔う―の按配が、むずかしい。美しくやらないと無気味だから。
でも、これは接吻の作法という問題ではなく、理性と情動のありかたを象徴する、人間科学の最重要問題でもあるのだ!


「最強」ボールペン

at 2002 05/16 01:38 編集

を買った。楽天で型番を調べて、注文は行きつけの地元「富士商会」へ!値段が同じ2割引だから。
おばちゃんに「はぁー、外国製ですか。時間かかるかもしれへんよ」とクギをさされたが、たったの4日で「入りましたで」とうれしいコール。
支払いに行くと、「へぇ〜、ケースもついてるねんね」と感心しながら紙袋に入れてくれて、税抜き2割引の「大学生協価格」で決済完了。この地味な文具屋さん、実に手際がいい。
「スペアの芯、もろとこかな」とフェイント注文すると、「ちょっと、4Cとってー」「あいよー」と、店員おばちゃん同士の連携も見事で、すっと替え芯が出てきて、一緒に包んでもらった。
なんだか駄菓子屋のような乗りの文具屋さんで、ドイツ製の重厚な筆記具を入手するというのも、「居酒屋で諜報活動をしていたロシア大使館員イワノフ中佐」って感じで(おおげさな・・・!)微妙にときめいてしまう。「サンスター・スパイセット」にしびれた元探偵少年なれの果ての琴線をくすぐるのだ。

ロットリングというと製図用ペンの代名詞みたいになっていて、製図用インクと丸ペン・Gペンで漫画を描いていた昔の僕にとっては「高級品」だった。軸とペン先の組み合わせがシステム化されていて、みごとだった(今でもあると思う)。
働き始めてからも、ロットリングを筆頭にいろいろなペンを使ってきた。万年筆は、すでに中学時代にして21金を使っていたほどませガキだったせいか、あまり食指が動かない。ボールペン専門だ。

ボールの回転が実にスムーズな黒・青(前にも書いたけれど、赤ペンは嫌いなので青に入れ替えてしまう)のインクカートリッジとシャープペンシルを切り替えて使えるロットリング製トリオペンというのは、絶妙の書き味とサイズとデザインで気に入っていた。そんなのに限って、阪急電車内で落としてしまい、窓口へ捜索願いを出しに行ったが戻ってこなかった。拾った人に「おぉ!このメーカーはすばらしい」と開眼させていたなら、まぁ報われるのだが。せっかく不良パーツを交換までして愛用(=投資)してきたのに・・・と思うと、落とした代償はでかい。

けれど、ロットリングの単価は実際には意外なほど安い。変にプレミアがつくコレクターズアイテムのような万年筆にくらべて、1けた以上も安い。
実用第一と機能美を兼ね備えたグラファイトボディのモデルは、普通のペンの倍はあろうかと感じるほどズシリと重くて、鈍く光る六角形の胴体は、戦車装備の機関銃の薬莢にも見える(実弾の薬莢というのを見たことはないけど)。
ペンは、軽過ぎるよりもある程度重い方が、慣性を使って書けるから楽なのだ。万年筆のような粘りも感じて、指先も手首も疲れない。イチローの振り子打法の要領だろうか。
あと、ついでにファーバーカステルのペンも一緒に注文しといた。こっちは、はかないほど軽い。ボディは兵器のようなロットリングに対して、梨の木を漂白した素材を使っている。あまり使うと汚れが目立ちそうなので、ふんわりと(笑)いたわりつつ使うことになりそうだ。
ってぇと、これが自分で嫌ってたコレクター根性というやつか・・・と、自己嫌悪に陥るなぁ。


グレー・サブマリン

at 2002 05/19 16:59 編集

昨夜、しばらく本を読んでいて、ふと窓を開けたら雨が降っていた。
さっき、テレビをつけたら神戸祭りの実況中継をやっていた。
知らんかった・・・。外界が伝わってこない潜水艦みたいな空間だな、この第3サティアンは。

引っ越してきて7年、東・南・北に高層マンションがニョキニョキ建って、ビルの谷間になりつつある。いま西隣に大規模マンションが3年計画で建造中だ。こりゃますます谷間になる。
建築規制は、震災復興の名目とマンションブームでなし崩し。
最初は憤慨していたが、まぁ潜水艦生活もええか・・・と達観してしまった。
異人館街にあった「第2サティアン」は、部屋からも神戸の夜景が見えて、屋上では住人でないカップルがいちゃついたりしていたが、今の屋上は「どん底ステージ」だ。四方八方観客席から見下ろされる。
それでも、夏の夜はデッキチェアを持ち出して夕涼みしてるけど。
いっそ地下室にも住んでみたい気もするが、たしか居住用の地下室は建築規制で認められなかったはず(よけいなお世話なのに)。
コンクリートの潜水艦もいいけど、本物の潜水艦が持てたら楽しいだろうな。漁場をめざして放浪すれば自給自足できそうだし、キャンピングトレーラーよりタフな感じがする。あ、もしかしてキャンピングカー願望は、潜水艦に行きつくのだろうか。


そういえば神戸祭りだ。

at 2002 05/19 16:54 編集

市立の学校は神戸祭りの土曜日は休校になるのでうれしかった以外、若くても中年になっても一向にときめかない祭りだな。
参加しないせいもあるだろうけど、これほどコンセプトのない「ただの祭り」も珍しいんとちゃうか?
延々、安っぽいパレードが続いて、延々実況中継をしている。

ふと気づいた。
これは「インターネット的」(同名の著書を糸井重里さんがPHP新書から出してたっけ)なんだ、と。
ふと思い立って、葵祭りや時代祭り、天神祭りに出ようと思っても、京都市民や大阪市民にとっては敷居が高いのではないだろうか。葵祭りにサンバもなかろう?って空気が最初からある。
神戸祭りは何でもOKだ。サンバあり日舞ありブラスバンドあり、ただの会社のプライベートな宣伝でも、政治や宗教のメッセージでも何でもありだ。
かっこよくいえばインターネット的、意地悪くいえば量だけの素人芸。何かにぎやかにやってパレードすればいい。
街のキャラクターと重なってみえる。京阪神の中で、関東弁を使っていてもいじめられない街。風通しがよくて開放的でおおらか・・・でも、薄っぺらい。浪花の街にも京の都にもある風格を、この街に探し求めれば外国人の遺産に行きつく。
なんでもありのごった煮の中から、さて都市文化は出てくるんだろうか・・・。


測定結果

at 2002 05/19 17:21 編集

16日の日記lの追伸。
シャーペン&ボールペンの複合機能ペンを計量してみた(なんとヒマな日曜日じゃ)。無印良品の3徳ペン(と呼ぶのかね?)が、おぉなんとはかない21g、ファバーカステル26g、ロットリング51gだった。この重量感はすごいではないか!
このオーラにほだされて、昔の同僚に紙メールをすらすら書いてしまった。

「重いペン」のほかに、僕は筆を学生に勧めては蔑まれている。楽といえば一番ラクな筆記具だと思うんだが、まぁ実際には使いこなすのが難しいだろうな。

赤ちゃんの名前は何ですか?と聞かれたから、僕は「娘は『葵』、息子は『拳』だ!」と筆で黒々と色紙に書いてみせて「小渕平成おじさんごっこ」をしようかと思ったもんだ。
官房長官にはなれないが、そのうち参院議員から文部科学政務次官になった暁には、小学校で鉛筆を使わせる教育は叩きなおそうと思う。いや、禁止ではなくて、使うなら自分で指を血だらけにして削れ、と。書き間違いはすぐ消す根性はイカンよ、と。すぐ消せないインクで書いた方が、速く書けるし、書くことに責任を持てるぞ・・・というのも、基礎教育になると思うのだが。

どんなペンを使うかより、今は携帯テンキーかパソコンのキーボードの時代だから無駄かな。自分で書かない漢字も機械がすいすい変換してくれる(僕は変換前にチェックして、手書きできない漢字を打ち出すのが恥ずかしいと思うけど)。
添削を依頼する論文だけは手書きで!・・・と、ささやかな抵抗がいつまで続くだろうか。


偏差値クン、御用!

at 2002 05/20 02:16 編集

痴漢でつかまった京大院生、名前が前後翼というのもできすぎている。前と後ろに逃げ足がついてなかったんかい?と(逃げればいいというつもりはない)突っ込んでしまいそうになった。
「たまたま触ってみたら反応がなかったので、大丈夫と思い繰り返した」という供述には、どうも理工系の匂いがするぞ。または医学系か?

このまま野放しだと「アカハラへの道」確実に見えるから、早めにつかまってよかったかもしれない。
たまっているなら、ちゃんと処理して出直したまえ陰性クン!


個人の嗜好?

at 2002 05/23 11:36 編集

BBS鯖人の問題提起から考えた。
「あの…吸っていいですか?」
と愛煙家が一服前に一言ことわると、「いい人」ということになる。
これがタバコの不思議なところ。
タバコの良し悪しから、吸い方の良し悪しへと議論のステージがすーっと横滑りしてしまうのだ。最初の論点が横に置かれてしまうハットトリックか。
「あかん」と拒否すると、心の狭い嫌煙家ということにさえ、されかねない。
愛煙家は、一言ことわると上手に喫煙できるという点で、有利だ。非喫煙者には「いいところ」を示す記号が確実に1つ少ないわけだから。

クルマや食品添加物など、「巨悪」は禁止されることはないのに、なぜタバコが目のかたきにされるのか…と、愛煙家の父がよく憤慨していた。
それも一理ある異議申し立てだとは思うが、それは永遠にタバコ規制が棚上げになってしまうすり替え論でもあるから、片目を見開いてないといかん。

以前、東京まで出向いてタバコ論の対談に出たあと、僕の発言に編集者が「これ、活字にしていいんですか?」と確認を求めてきた表現があって、はっきり言っていいと思う。再現すると、

    タバコはオナニーである。

と考えればいいのだ。
・楽しみすぎると体に悪いが、程々だと精神衛生上はよろしい(のかな?)個人的嗜好品である。
・だから、他人に迷惑をかけなければいい。
・ましてや自分の部屋や人っこ一人いない野外だと、だれも「禁止」する権限はない。
・それに、他人にふりかかっても許される状況、許せる間柄の相手というのがある。
といった点は、煙草オナニー説の裏づけになると思うのだが、どうだろうか。

タバコだけでなく、酒でもクルマでも、扱い方次第では社会悪になったり公共の利益の方が上回ったりもする。要は方法なんだと思う。
単一原則で全面禁止か解禁かというのは、ホームルームの次元の幼稚な議論だろう。

だから、一言ことわってくれる善良な「肺黒人種」には、
「吸うの?風向き確認した?灰皿持ってますか?」
と念押ししてから(哲学者の土屋賢二さんのいう「問いかけ型の命令文」だ)、「僕はあなたの自己満足を禁止したり許可したりする権限はないけど、自分を守る権利はあるよね」
…とまで言うと、断るより効果的かもしれない。
え?実際やってるのかって?
食事中に漂ってきたタバコをあおぎ返して、からまれたときに「吸うなとは言わへんで」とすごんでみせたら、なんとなくかたづいてしまった。
ということはあったっけ。吸う権利、防ぐ権利の共存共栄なんていうともっともらしいが、実際は難しいな。

愛煙家も気まずいだろうと思う。
だからこそ、オナニーは他人がとやかく言えない治外法権域でとことんスカッとすればいい。
でも、そうして突き放して、プロフェッサー中島義道じゃないが「対話のない社会」になるのも寂しい気がする。

父の棺にタバコを供える瞬間に、「あなたのタバコ」だけは赦せるのかもしれない。


主権枕

at 2002 05/23 11:41 編集

領事館にかけこんだ難民を保護しそこねた日本政府…完全になめられたまま、頭越しに難民の扱いが進んでしまった。

ふと、昔読んだ法哲学の本に、「権利の上に眠る者の権利は守るに価しない」とあったのを思い出した。
難民の国際協定も知ってか知らずか、ただ仕事を減らしたいだけの領事館員こそ、「国家主権の上で眠る者」といえそうだ。
従来、「眠ってないぞ」とアピールする方法が軍備だったはずだが、領海侵犯1隻さえつかまえられないシーレーン防衛や、露骨に日本を狙ったミサイル1発も迎撃できない領空安保を見ていると、いったい自衛戦力って何なのだ?と思う。

いじましく難民の送致に日本の外交官が付き添って、「わが国の意向に添った難民送致ができた」という既成事実をつくろうとしているのが哀れだった(ほんと、こんな国の領事館を選んだ難民5名はお気の毒だったというしかない)。タネみえみえの手品を見せられている気分といえばいいか。

この詭弁劇を見ていて、似たトリックを思い出した。
受験ビジネスが、「本校在籍者は東大合格○○名」とやっている類の広告である。
最初から好成績の生徒を無料で入学(在籍)させるか模擬試験だけ受けさせて、いい最終成果が出れば「本校の関与」ゆえに合格しました!という手法だ。たとえば灘高生を在籍させて、東大に受かれば「本校生、東大に合格!」とやれば、ウソにはならない。

だから、情報の出口だけ見ている側としては、どの程度の関与があったのか、その結果がどうなのか、しっかり見極める必要がある。逆に、もし「関与」がなければ、その成果が出なかったのか、「関与」があればだれでも同じ成果が出るのか、問い詰めてみてもいいだろう。

今回の事件だと、日本の領事館や外務省が脇で何を言おうと、同じ結果になったような気がする。
主権など存在せず、在外公務員の事なかれ主義だけ目についた気まずい事件だった…。


クイール鍋?

at 2002 05/26 00:08 編集

ワールドカップ会場になる韓国で、犬鍋が問題になっているという。
捕鯨が矢面に立たされている日本も、他人事ではない。食文化は、世界の動植物の生態系に快復不可能なダメージを与えない範囲で認められていいのではないか?

牛はどうだ、豚はどうだとやりかえしたときに返されてくる論理を、鯨や犬にも応用して差し戻してみればいい。
犬はかわいい愛玩動物だから、情緒的に不快な人も(僕を含めて)いるのは確か。それなら、北米移民がゲームのように殺戮したネイティブアメリカンはどうなのだろう。犬以下イルカ以下なのか?
オージー移民が見事に制圧し、ときには断種までして種の根絶を図ったアボリジニーはどうなんだ?
中南米は・・・?

とやり返しても、もう過去に戻れないほど既成事実は圧倒的な正当性を持っていて、ここはユダヤ・キリスト教文化の狡猾さが圧勝している。

僕個人は、自分の手で殺せない「ためらい」をもよおす生き物はすすんで食べないことにしている・・・程度には菜食主義者だが、あのかわいい牛とビーフの間に抵抗なく線引きができる文化装置というのは一体なんだろう?と前々から疑問だった。

母校の中等部では、鶏だったか、動物を自分の手で絞め殺して食べる実習をカリキュラムにしているらしい。
それより、いかに「魂」を持った動物を殺さず、人間が生存に必要な栄養素をとるか?の工夫をさせるほうが教育価値はあると思う。母校はプロテスタント学校で僕も洗礼は受けてはいるが、仏僧の食生活を僕は圧倒的に支持するぞ。
豆類を摂るとか、動物性蛋白質がどうしても必要なら乳製品を活用するとか発酵という工夫をするなど、奥が深くて、しかも健康にもいい。肉食は癌の件数第二位「大腸癌」の誘因だともいうし、人間の消化器には肉食の消化は負担が大きすぎるという研究報告も見たことがある。

動物を殺して人間の栄養源にするという畜産は、飼料代や収穫可能期間までの時間という点から考えると、とても効率が悪いという。
豆やイモを増産する方が、緑地も増えるし成人病予防にもなっていいと思うのだが、それはそれで「肉食文化」の否定につながると言われれば、それもまた難問だ。
あぁ、文化と種の保存は両立が難しいなぁ。


やろー!ワーク

at 2002 05/28 23:45 編集

人づてに、就業相談をうけた。わしゃハローワークか?ふだん「やろーワーク」は訴えてるけど。
高校を「できちゃった婚」で中退、乳飲み子をかかえていて、働いて生活にゆとりがほしい―というのが今回のお客様でございました。
旦那はというと、「複利」はおろか「利子」の意味も知らずにサラ金で巨額の借金をして、それでも妻には働くな!育児をしっかりやれ!・・・とまぁ、いいカモだな。絵に描いたような多重苦のケースだ。

御本人の就業条件も、「学歴・学力不要で、子連れか在宅でできて、単価が高くて安定している仕事」というのを大まじめに希望してらっしゃる。「世間知らず」というのは簡単だが、それが彼女の世間ありのままだから、批評する気にもならない。

「通信教育で医療事務の資格がとれるそうだけど、仕事はありますか」という相談が発端だったが、はて、そんな資格があったかいな?と調べているうちに、あぁ、こんな女性がカモになるのね…とわかるような悪徳商法の情報が続々と出てきた。

SOHO スタイルとかSOHOワーカーというのも注目されているけれど、あいかわらず、専用ソフトや研修費という名目の初期投資を何十万から100万以上とられておしまい(笑)という目に遭うようなカモが、自宅でパソコンとままごとをやって何をしてかせごうというんだろう。つい数日前は、ネット上の求人広告に履歴書や保険証コピーを送って悪用されてた被害者が何十名もいたと報道されていた。

IT化は「世の中あまくない」という情報が入りやすいことかと思いきや、人間の判断能力や洞察力は衰えて行ってるのかもしれない。いや、そんな人が低い敷居をひょいと超えてIT詐欺の蟻地獄へウェルカム!ということかもしれないな。

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2002年4月の日記

やめられないとまらない・・・

at 2002 04/07 22:47 編集

なんだかなぁ・・・
これはイイ!!と思った物で、絶版なり製造中止になったりしたものが、なにかの拍子に店頭に出ると、買って「備蓄」してしまうのだ。
たとえばカメラ。オリンパスXAという、すばらしいコンパクトカメラがあるんだが、つい2個目を買ってしまったりする。1個目も現役だが、あまりにすんばらしい!ので、予備を買って、トラブルに遭うかもしれない海外へのお供に使ったりして、それなりに役に立っている。

片岡義男の角川文庫本も、いいのがどんどん絶版になっていて残念。『タイプライターの追憶』なんて、何冊買ってしまっただろう。佐藤秀明さんの掌編写真集としても鑑賞できるし、小説も色褪せない。

PDAも買ってしまうぞ。中古のパワーザウルスがなんと定価の10分の1で出ていると、買っておかねば!と思って「買いおき」。
最近は、ニコンの潜水カメラを4500円で見つけてしまった。
写りはデジカメ真っ青のすばらしいシャープさで、レンズは大口径だし、フォーカスは手動とオートを選べるし、5mぐらいの潜水もOK。
すでに持っている機種の色違いで、これまた光り輝いて見えるから困ったものだ。

「キミのために買いおきしておいたよ」と贈呈する相手でもいればいいんだが、そんな相手もおらんし、かといってコレクションする趣味もないから、中途半端だわね。
おまけに、カナヅチで海には行かないから、なんのための潜水カメラじゃろ?





がんばれアラファト

at 2002 04/07 22:58 編集

老父は兄とローンを出し合って、新居に引っ越すことになった様子。とりあえずめでたし・・・か。足してバツ5だかバツ6だかしらんが、「闘う親子同士」の根城にでもなるだろうかね。
闘うといえば、国を相手に法廷で闘っている国家公務員の兄だから、免職にでもなればローン地獄でっせ〜と、釘を刺しておいた。
「わかっとるがな」と笑ってたけど。
全員破局している我がファミリーで唯一無傷な優等生(笑)の僕も、いま「あなたとの将来が見えない」とビビられている。

配偶者控除という「女性奴隷化制度」が、見直されようとしている。
雌ペットを支配して安心している御同輩バカ男どもも、目が覚めて行くだろう。支配もできないが、食わして行く義務もなくなるわけだ。
結婚制度も揺らいでいるようで、この揺らぎが個人を活かすいい方向に向かえばいいと思う。よそさまの専業主婦が納めるべき税金や健康保険料を肩代わりするのは、もう懲り懲りだから。


高い衝動買い!

at 2002 04/10 05:50 編集

研究仲間の哲学の先生の令嬢が、哲学者鷲田清一氏のところへ進学できたというので、中古ノートPCをはなむけに買ってやりたいという。
「いいのを見かけたら、買っといてくれませんか?代金は後で払うから」と、太っ腹?に頼まれて、店を探りに行く。
そうすると、おぉウィンッドウズCEのレアモデルが出ているではないか。つい衝動買いしてしまい、設定して試しがてら今ここにつないで書き込みしている。
なかなか快調だ。
画面が大きくてTFTというのは、やはりいい。
ザウルスのアドレス帳がスコココーン!と赤外線転送できたのも驚き。こりゃバックアップマシンにもなるわ。


金で買えないもの

at 2002 04/11 03:04 編集

忙しい忙しいを連発していると、さぞかし儲けているにちがいないと誤解されたのか、ローンを組んで家を買わないかという話が舞い込んだ。
とーんでもない、こんな時代に、クビになっても倒れても、がっちりローンを支払わされるなんて、危なっかしい買い物できるかいな!と断ったけど。

それにしても、借りて買え借りて買え借りて買え・・・と、信販会社の売り込みもヒートアップしている。もう、家だって買わなくても借りればいい時代。「マンション買いどき」なんて、政府とデベロッパーが結託して流している陰謀だとしか思えない。
家は借りて、家族が減ったり収入が下がったりすれば分相応のところに移って住み替えて行く方が合理的だと思うがいかが?と、買え買え大魔王に逆に説得してしまった。
僕自身、一番思い出の深い家は両親の持ち家ではなく、借家だった。愛着の度合いはどうだかわからないが、そこで寝泊まりして家族仲良くできていれば、持ち家か賃貸かなんて関係ないような気がする。
買いたいものは、ボケず倒れず働ける健康と仕事。それが保証されないと、住宅需要もデフレも、根本的には回復しないだろう。

今の仕事がらみだと、教育投資も、それなりの学歴や資格に投資しても回収できる保証がないので、社会人のリカレント学習熱も頭打ち状態だとか。
それもそうだと思う。たとえ修士号をとっても、それで年収が倍増するわけでもない。MBAなんて、国内のどの業種で求められてるの?という感じだ。

学歴や資格は、消費不況に反して完全なインフレ状態。
え!?こんな無知な少年少女が大学院生だって?と驚かされるクランケ(笑)だって、掃いて捨てるほどいる。ま、新卒の就職難があって、学校に籍を残しておく程度の理由があるのもしかたないかもしれないが。
その結果、偏差値とプライドは高いが、あいさつ一つできないプライド姫プライド坊や等々が畑で出荷されず腐って行く・・・。
減反で腐りかけている米が、トリュフに変身するような劇薬の肥料が、どこかにないだろうか。
あったらまず自分で服用したいけど(笑)。


あぁマーボーなす丼!

at 2002 04/12 02:32 編集

夜勤が始まってしまった。
毎夜の深夜帰宅になる(まぁ夜明けとともに就寝する僕に夜中という時間帯はあってないようなものだが)。

夜勤生活だと、どうしても帰宅途中で夕食をすませる流れになってしまう。「松屋」はよく行く店で、牛一筋だった吉野屋がBSE騒動で売り上げを落としたのにくらべて、メニューの多角化で救われたんだとか。
たとえば、麻婆茄子丼。
これはけっこう好きでひいきにしていたのに、最近「麻婆茄子飯」に変わってしまい、カレー皿に盛られて出てくる。なんだか、雰囲気ちゃいますなぁ・・・。ルーがないから、こんな盛りつけには合わないメニューだと思うんだが・・・。
「さすらいの麻婆豆腐」とかいうエッセイがどこかにあったのを、ふと思い出した。


しぶ〜い百円コーヒー

at 2002 04/12 05:12 編集

いやしい系ネタでもうひとつ。
コナ・コーヒーがなかなか買えないので、切らしたときの「おさえ」に、百均ショップでインスタントコーヒーを買ってきた。
こりゃまた奇怪なコーヒーだぞ。原産国はカメルーンにコートジボワール・・・アフリカの最貧国群ではないか。出荷地がエジプト・・・「大英帝国の傀儡」っていうと時代遅れな先入観かもしれんが、なにぶん百均商品だ。「搾取」という言葉がちらほら浮かんできたりする。

で、味はというと、これまた渋い!濃いコーヒーというと、元町商店街に「サントス」という泥かコークスのような濃いコーヒーを飲ませてくれる老舗があるが、それよりうんと渋くて濃い感じ。
おまけに、粉はキラキラ光る物質がまざっていて、味の素かいな?とも思うし、砂鉄にも見える(まさか!)。
輸入業者のクレーム窓口はフリーダイヤルなんかじゃないし、何かあったら「返品する」とは書かないで「誠意をもって対処する」とある。羽賀研二じゃあるまいし。
今のところ被害の報道はないようなので、びくびくしながら飲んでいるけどね・・・スリル満点のコーヒータイムだ(苦笑)。


絶食障害

at 2002 04/14 03:08 編集

摂食障害だというお嬢様にコンコンと説教してきたくせに、実はかくいう自分自身、「やめられないとまらない」の絶食障害者(!?)だ。あぁ情けない。

神戸Bellの「クロワッサン10個入り」が、ソフトでいて少しカサッとしているあたり絶妙で、夜中の2時3時につまみはじめると、やめられない。カッパえびせんの類のスナック菓子は食べないけれど。

十二指腸潰瘍で父にレントゲンを撮ってもらいながら、「おまえ、夜中にもの食うの、やめれ」と説教されたのを思い出す・・・が、なかなか絶食は貫けないな。
小野博通さんという外科医の『ダイエットの常識・非常識』(講談社+α文庫)という痛快な本によると、寝る前に食事をしてもいつ食べても、消費カロリーと摂取カロリーの差が肥満の原因で、時間は関係ないと書いてある。
朝は抜くことが多いからいいのだ!という言い訳にはならないことは承知している。してはいるけど。

あぁ、今より元気に重い荷物せおって穂高連峰を縦走していた「49キロの学生時代」は取り戻せるのだろうか・・・
女性の「やせたい」という願望とは違うと思うが、ブヨブヨして運動性能が低いというのが、われながら許せない。
「無駄のないコンサイス」
で行きたい(生きたい)ものだ。


不規則にも程があるっ中年

at 2002 04/21 04:02 編集

12時間拘束日もあれば、昼間なにもない日もあれば、朝10時半に仕事が終わる(!!)日もあって、めまぐるしい。
昼食時間に、定食屋でなぜかサラリーマンふうながらビールと定食をたのんでいる人を見ると、クワッ!と昼間からビールでもあおっちゃるか!!(魚柄仁之助の口調になってくる)という誘惑におそわれる。
さて、あした実践してみるか・・・!?



ドッチ、おまえもリストラか!?

at 2002 04/21 04:01 編集

ドコモが不採算部門のリストラを発表したそうな。
その中には、おぉPHS事業の抜本的見直しも・・・!ドッチ(ドコモのピッチ)危うし!

そりゃFOMAだ光ファイバー網だと次世代の高速ネット事業が優先されるのはわかる。
しかしなぁ・・・PHSのような省エネ優等生の移動体通信網が、不当に低く評価されているような気がしてならない。
音はいいし、64Kbpsでデータ通信もできるし、それでいて基本料金が安い。電池も長持ちするから、「外で長電話」にももってこいだ。

実際、ドッチとi-modeとツーカーを持っているけれど、一番使いでがあるのは、やっぱりドッチの611だ。このデカさ・・・ゆえのボタンの押しやすさ、機能のシンプルさは、捨てがたい。
それに僕は法人にかけたりかけてもらったりする通話が一番多いから、やはりコストの面で一番有利なんだがな。
携帯もよほど田舎に行くときは使えるけれど、アウトドアを楽しみながら電話をもらいたくないし、かけることも、まずない。年に何度かの「ピッチの使えない旅先」にはプリケーで充分だ。
たしかに、i-modeで天気図が見られるのはビックリするほど便利ではあるけどね・・・



京阪準急で

at 2002 04/21 06:00 編集

新年度のヘルパー講座が始まった。
京阪電車に乗るのも、たまには気分が変わっていいものだ。
駅の喫茶店で、遅いランチ。「カレー丼」の正しい姿というのを初めて見た。カレーの海の中に、ごはんの島が浮かんでいた。けっこう、うまかった。

まる1日の座学の最後に、2時間の法律の話はしんどかっただろうな・・・と思いながら、なんとか修了。年齢層はかなり高いのに、一番熱心な受講者層だ。今回だけは、最後に拍手がなかったけど(笑)。
高齢者の法律面での知識不足が「余生へと貯えた財産丸裸」にさえつながる世知辛い悲劇など話していると、うなずきながら聞いてくれる。こんなプロが地域社会にどんどん増えればいいと思う。
ふと、紀藤さんのサイトなど、もっと一般人がアクセスして活用していれば、不幸も予防できるだろうに・・・とも思った。


愛しのガスストーブよ

at 2002 04/22 02:54 編集

すぐ暖かくなる。燃料補給の手間がいらない。
上にヤカンを乗せて、お湯もわかせて加湿器代わりになる。
とろ火で煮炊きできるし餅も焼ける。
便利で、好きな家具の筆頭だ。
でも、そろそろ長期休暇の時期か。ご苦労、ご苦労。

石油ストーブは空焚きしてからしまいこんでいた記憶があるけれど、ガスストーブはそんなことしなくていい。
でも、するぞ。
部屋は常夏の陽気になった。
Tシャツ一枚で過ごせるのが気持ちよろし。ふと、ジャン・マイケル・ビンセントを思い出す(なんでや!?)。

ま、どこにしまいこむわけでもないから、たぶんそのうち物置台になってしまって、半年先にため息をつきながら掃除することになりそうだ。


飛び込みます

at 2002 04/26 00:09 編集

訃報で伝えられていたスポーツ界の重鎮?の肩書きを見て、日本水泳協会に「飛び込み委員」というのがあることを知った。
いろんな委員があるもんやな。
「飛び入り参加」ふうの語感もあったりするのが、ふとおかしい。
「これから突入しま〜す」というストーキング癖の電話メッセージを愛人の林葉直子に隠し録られていた将棋界の名人もいたっけ。関係ないけど。

あと、ふと「斬り込み部隊」とか「斬り込み隊長」てな威勢のいい言葉も浮かんだ。
いま労働運動でそんな威勢のいいことをやっている組織はどれだけあるのだろうか。
あったとしても、ややおめでたい「まつりごと」をやっているようにも聞こえる。のどかだなや・・・。
昨年の大阪の職場には、オルグをやって学校に「斬り込み隊」を送り出す学生気質が昼の部にも夜の部にもあった。
さて、今年は今から、矢のようなクレームを受け留めて、ていねいに送り返して行かねばならない。


買男ノート

at 2002 04/27 01:10 編集

研究仲間の哲学の先生から、娘さん進学(鷲田清一氏のところに入ったとか)の祝いにノートPCを買ってやりたい、適当に中古品を選んでほしいと依頼され、いろいろ探したあげくバイオノートに落ちついた。

自分用ではないとはいえ、自然に選ぶ目も厳しくなってしまう。8万円たてかえて「代行購入」して宅配手続きをすませると、自分用のもほしくなってしまう。
ええなぁ、新しい端末は・・・(98で動く300MHzマシンでも、僕から見ると高性能なのだ)。
いかんいかん、物欲は滅却せねば!ゴロゴロとPDAが4個にCE機が2台、机の飾りになっているではないか!


すーーっ

at 2002 04/29 01:30 編集

いつも見逃せないドリンクメーカー伊藤園から、ミニペットボトルで「しそ快適」というのが出ていた。ネーミングが「蒋介石」みたいでインパクトがあるではないか。
小さいくせに140円は挑戦的な価格設定だ。受けて立とうではないか。
さっそく試飲したではないか。
しそが30枚も入っているではないか!
ノンシュガーではないか!
うまいではないかっ!!
深く感動する一方で、缶の「超清涼梅ドリンク」というのが最近自販機から姿を消していて寂しい。あの梅のさわやかさと、やはり砂糖不使用ではちみつで甘味をつけて、しそ5枚の渋みが絶妙だったのに。
まぁ、しそが6倍にも増えている「しそ快適」で、今日のところは勘弁しておいてやろう。


ウィンドーズエクスピー

at 2002 04/29 12:54 編集

もと「帝国海軍兵」のおじさんから珍しく電話。
「おー、元気にしとるかー!こんどパソコンこうたんじゃ。エクスピーゆうやつな。どうもわけわからんのじゃ。教えにきたってぇな」というSOSだった。
連休は飯をごちそうになりながら、「エクスピー」を初めてさわることになりそうだ。
 
たまたまテレビの農村の元気な御老人を紹介する番組に、糸井重里さんが出ていた。糸井さんの『豆炭とパソコン』は、さすがコピーライターやなぁと思う筆運び(古いね)も感じたけれど、パソコンでもスポーツでも、好奇心をぶつけるものはどんどんあった方がボケ防止になっていいと思う。
いや、これは高齢者だけじゃなく子供でも働き蜂でも主婦でも同じだろうけど。
さて、シューティングゲームでも紹介してこようかな?

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2002年3月の日記

組織の人・市場の人

at 2002 03/01 00:02 編集

田中真紀子さんのゴタゴタについては、いろいろ論説があって、根回しや猿芝居ができなかったのがいかんとか、「けっきょく真紀子さんは組織の人じゃなかった」という意見もあった。

組織の人といえば、僕がかかわってきたボランティアサークルが、組織になりNPOになりというプロセスを見てきて、組織が人の能力を高める一方で、自然な姿を歪める面もあるこわさを痛感してしまった。
「組織の人」にはいくつかのレベルがあって、たとえるなら羊と羊飼いと領主と王侯がいる。このうち羊と羊飼いが、牧場=会社という組織の中で生きている人間。領主は土地を交換したり換金したりできるので「市場の人」といえるだろう。
今の社会でいえば、会社から離れられない人は組織人、身軽に組織を渡り歩く人が市場の人ということになるだろうか。

問題は、組織の羊(経営者の番犬や腰巾着みたいなのもいたりする)が多すぎて、リストラぐらいで自殺に追い込まれたりすることだ。
「市場の人」なら、自分のできることを形にして、業界他社へ身軽に移って行ける。ただ、そんな生き方は組織人からすると敷居の高い冒険になるし、首に妻子やマイホームローンがぶら下がっていては、おとなしく羊でい続けるしかない。
こうして雇用労働者は「飼い殺し」される一方で、失業率も悪化の一途をたどって行く。
だから、もっと市場の人が増えればいいという理屈になる。市場の人は退職金という「忍耐の果てのごほうび」を最初からあてにしていないから、人権を無視した雇用・愚劣な経営をしていると、ぷいっと出て行ってしまう。それが市場人間の行動原理だ。
仕事は、与えられるものというより、選ぶものであってほしいわね。



「読書月間」中

at 2002 03/04 23:36 編集

何かのIT書に書いてあった一節に、情報化社会というのは、「本当に必要な情報を探し回ることになる社会」だといった内容があった。
それを思い出すのが、よし、今日は「ゆっくりお茶しながら本屋で買った本をひもとく午後」をテーマにすべ・・・と思って出撃する昼下がり。
結局なんやかんやと新刊チェックと古本屋(これが一番クセモノだな)散歩を始めると、もういけない。いつの間にか夕食時間帯になって、いつもの定食屋さんに寄っていると夜になってしまう。
なかなか時間の使い方がうまくいかないものだ。
忙しいほど勉強は身につくというのも、わかる気がするなぁ・・・。


イカナゴラブ

at 2002 03/05 23:12 編集

九州で春一番が吹いたとか、あす啓蟄だとか、季節の便りは届いているけれど、海の日うまれの冬男としては名残り惜しい。もすこし雪遊びをしたいわな。
でも、春の訪れといえば、なんといっても「イカナゴのくぎ煮」で決まり。いま「完成品」を買ってきて、一杯やりながらつまんでいるのだが、山椒の香りも加わって、うまい!。「待ってました」の季節の味だな。
あつあつの御飯によし、お茶漬けのふりかけにもよし、おにぎりの具にもよし、酒の肴にもよし・・・と万能だ。
BSE騒動でビーフが御難だったから、イカナゴを神戸の名産イチオシにしたいものよ。

これを読んで、まだ食べたことがない人は、だまされたと思って、まずはお茶漬けのふりかけからイカナゴにぱくついてみてほしい。
絶対、気に入るから。


ヘルシー不健康

at 2002 03/07 02:32 編集

できるだけ、せっせと歩くようにはしているけれど・・・あぁ腹へった!なに新規開店カレー専門店?行かねば!!
で、「食った食った、うまかった」になってしまい、ウォーキングも元の木阿弥。

ちょっと春のきざしも出てきたせいか、えっちらおっちらウォーキングしているおばちゃんをよく見かける。たくましく走っている消防官は、そりゃ仕事に備えてなのかもしれないが、いいことかもしれないな安上がりで。

でも、自分でも万歩計をつけて「おぉ今日は12000歩いったぞ」と自画自賛した3秒後にふと醒めて考えたりしているのだが、車道沿いの歩道を必死に歩いたり走ったりしているのは、体にいいのか悪いのか・・・?
なんだか窒素酸化物やら二酸化硫黄やら、肺いっぱいに吸い込んでいるような気も、せんでもないぞ。
目立ちたい人、裏道で痴漢が心配な人ならともかく、大通りで運動するなんて、「気分はさわやか」でも「肺はドス黒」かもしれないわな。

そう考えると、ずーーーっと中継車や白バイの直後で排気ガスを吸って走っているマラソンランナーとか、二酸化炭素濃度の高い汗くせい密室に金を払っているスポーツジムフェチとか、クルマがぶいぶい走る横にいじましく造りつけたオープンカフェとやらで「おカフェ」しているカップルたちなんてのも、なんだか不健康かもしれないな。

やっぱり裏山だ。諏訪山だ。
木々の芽を眺めながら、クロカンするか。




at 2002 03/13 23:40 編集

採点や添削は青ペンでやっていた。
赤は「警告」「禁止」の色。
青は「誠意」。
だから青は好きだった。
いや、今でも好きな色なのだけど。

今年はささやかな冒険で、赤をとりいれていこうかと思う。
ま、大したきっかけがあるわけではないけどね。

行きつけのアウトドアショップが、スキー一色からキャンプ用品重点へ、模様替えがすすんでいるのを、すこしさびしく眺めながら、在庫一掃を楽しみに「ワゴンセールの鬼」になってきた。
おぉ、掘り出し物があったぞ。
ドイツ製のデイパックがニッキュッパ。赤というか、エンジ色が大量に放出されている。
さっそくとびついて、日帰りハイキングで使ってきた。なかなかいい。

色はかんけいないかもしれないが、まぁ何かの御縁かと思って、ゲンをかつごうかと思う今日このごろ。
情熱の赤。「命のしるし」の赤・・・。
あいかわらず、採点は青でやるけどね。


春のボーナス!

at 2002 03/19 00:33 編集

確定申告の期限1時間前に税務署へ行って来た。
今年から、「自分で税率の計算をやって記入して来い」という書式に変わったのが腹立たしい。去年までは、源泉徴収票を持って行けば、その場で端末をたたいて用紙がプリントアウトされていたのに。
それはいいとして、まぁ手間を惜しまなければ税金を取り戻せる実感を味わいたい(?)ので、僕は何年か前に年末調整を確定申告に切り替えた。

職場でも、学生が一番熱心に質問してきよるのが、勤労学生控除のレクチャーだ。
そりゃそうだろう、僕で年収の5%程度とられすぎた税金が戻って来るのだから、知らなければそれだけ丸ごと「とられ損」になるわけだ(それにしても、無知でいるだけで自動的に大損をする源泉徴収制度は問題だ)。
あと、担保設定してない物件を借金のカタにとられて、感覚的に「しゃーないか」とあきらめている人、不利な条件で示談に応じて泣き寝入りしているケースもある。お気の毒に。

無知は損をする。おまけに、無知で損をしていること自体に無知な国民は多い。「僕のアルバイト、明細を見ても税金引かれてませんけど」という学生もいる。んな、アホな。「ちゃんと労賃なんぼ、所得税なんぼと明細出してもらわんと、最終的に何%課税になるか、非課税になるかわからんがな」と宿題を出しているけれど。

消費生活や税制や行政サービスの利用法なんて、どこでも教えてくれないから、自衛しなければみすみす被害に遭うだけ。切実に、「教育のコンテンツ」も考えなおさなくてはいけないと思う。

選挙権がなくても、高校生でも外国人でも「納税者だ」っちゅう自覚を持ってほしいもんだ。でないと、公務員給与や公共事業への血税の無駄遣いをきっちり監視できないぞ。




シンプル・イズ・ベスト

at 2002 03/21 00:06 編集

東京外大の千野栄一名誉教授の訃報あり。
僕には直接面識もないスラブ語学者だったけれど、氏が岩波新書から出された『外国語上達法』に、ずいぶん救われた思い出がある。
今でも鮮烈に記憶に残っている一節に、「外国語の良い自習書の条件は、とにかく薄いことである」というくだりがある。
あっけないといえばあっけないが、これほどシンプルな名言はない!と、しみじみ思い返している。
必要最少限の要点をおさえて、ひととおり消化しやすい薄さというのは、名著だと思う。
これは、外国語の勉強だけでなく、たいていの教育にあてはまることではないだろうか。教材というのは、99%が「過剰」なのだ。
教材だけじゃない。核心を突いて、くどくどねちこく説教しない教師というのも稀少種かもしれない。

春から、毎年くじけるのが恒例になっているものの、フランス語と中国語とビジネス英語をラジオ講座で勉強しようと気合いだけは入れている今日このごろ・・・
あらためて、千野先生に合掌。


ゴージャスハイキング?

at 2002 03/26 01:03 編集

毎月、山に登るぞ!と目標は立てたものの、どうしても街歩きに流れて行ってしまう。

わざわざ遠くに行こうとするとおっくうだから、おひざもとの六甲山をめざすことにした。
南北縦断コースは盛り沢山だ。
・芦屋ロックガーデンで岩登り
・風吹岩でイノシシと戯れ・・・
・東お多福山の草原でコーヒーブレイク、
・最高峰でコンロを組み立てて海鮮鍋
・有馬温泉に下って銀泉でひと風呂、
・最後はバスで六甲を越えて100万ドルの夜景!
と、とても濃い〜一日を過ごせた。

地元にこんなに歩き甲斐のあるコースがあったんだ!と、20年ぶりの六甲最高峰登頂で、あらためて幸福を感じた日曜日でした。


笑うな辻元!

at 2002 03/27 01:50 編集

うすら笑いの辻元清美、
男泣きのムネオ号、
どっちもどっち目クソ鼻クソ。

お互い政敵だったかもしれんけど、議員を辞めても、よみがえれる業界がありそうだな・・・
そう、「吉本興業」!

「永田町の坂田利夫」はもう、だれもが認めるウリふたつ(ハイヒールモモコも加えて三兄弟か?)だったけれど、辻元清美こそ新喜劇でやっていけそうな気がする。川畑泰史がよく夫婦役を組んでいる「たか子」キャラにぴったりではないか???
いや、ほんまに即戦力で行けそうな気が・・・


ケサランパサラン

at 2002 03/31 02:29 編集

夜道で、車のバックライトで舞っているのが見えた。
何年ぶりだろう・・・
郊外に住んでいたころは、春先の登下校時によく見かけたものだったなぁ。

アスファルトに落ちても、芽が出ることはないだろうけど。

野良猫にでもくっつくと、どこかの庭で芽吹くだろうか。

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