今年も東遊園地へ献花に参上してきた。
22回もまじめに通っているわけではないが、雨は初めてだったような・・・
砂埃がたちこめているイメージが強かったから。
男子高校生の団体が、帰り道で靴の泥をせっせとゴシゴシ落としている理由は、会場一面のぬかるみに足を踏み入れてみてわかった。
小降りにはなっていたものの、よくまぁ竹灯籠のキャンドルが消えないもんだな〜たくましいな〜と感心しつつ、募金と引き換えに花一輪をもらって池に供えてきた。
もう働き盛りの被災民でさえ、震災は風化しかかっているので、大学生以下の若い市民は「歴史的できごと」として授業で習うご時世になっている(僕も、神戸空襲は歴史の知識でしかない)。
終わっていないのが、復興住宅を出ていけと神戸市から提訴されている高齢の被災者だ。
再三ニュースでとりあげられていて、一部の裁判は被告敗訴の判決が出ていたりするので、行政側の言い分が正しいことになるのか?
期限に同意して転出してもらった被災者もいるので、特別扱いすると不公平、というのも理屈としてはわかるが、理屈を実現する方法が雑なところもある。当時の市役所の担当者も、「20年で出ていくことに納得していないまま入居手続きがされている」ことを認めている調査報道もある。
何もかも行政の横暴だというつもりはないし、「まさか永住されることを想定してなかった」ことも、無理からぬことかもしれない。
ただ、被災者の年齢や資産、家族構成、生業など細かく把握していれば、仮住まいから終の棲家へ移るための支援をきめ細かく考えるのが、復興政策の基本の基本だろう。
僕が被災者の身内だったら、訴えられて最終的な勝敗がわからないままストレスフルな老後を送るより、市側が提示した市営住宅なり、生活支援サービスなりを最大限に活用して、安心できる終の棲家に移ることを勧めると思う。
「このトシで引っ越しはしんどいですわ」とおっしゃるなら、引っ越しボランティアを募るもよし、転居先の近所づきあいが不安なら、社協や地域包括にも手伝ってもらって、新天地でケア・コミュニティができるよう、前向きに動くのが賢明かな。
「震災前のふるさと」は戻ってこないのだから。
区画整理で立ち退きを余儀なくされた住民もあちこちにおられるし、運良く戻れた人もいる。
もし自宅が元通りの住所になったとしても、自分にも住民にも、老いの坂道は容赦なく迫ってくる。家族構成も変わる(先立つ家族もいるわけで…)だろうし、ご近所の顔ぶれも変わる。
若返りできない以上、1995年以前にワープするわけにはいかない。
僕の生地はあんまり昔と変わっていないし、震災の被害もほとんど受けなかったので、たまに散歩するとタイムマシン感覚を楽しめるのだが、銭湯も駄菓子屋もおもちゃやもなくなっている。そもそも、僕自身が年老いている。
もし丸焼けにでもなっていたら、どう生まれ変わっていたかは、想像もできない。
地名も変わらず、小学校も統廃合されず、60年代のままなのは、ある意味幸せかもしれないが、ふるさとが消失してしまった被災者の気持ちは想像力をたくましくしていかねば・・・とは思う。
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