2012.04.25 Wednesday
JR福知山線事故から、ちょうど7年。
被害者会「4・25ネットワーク」の名前で記憶に残る日付は、当時も昔も今も、GWに突入する前の軍資金振り込み日だ。家族や友人と、行楽の計画を立てていた被害者もいただろう。
事故直後のGWの足は、一時的にJR離れもあったはずだが、いま、直接の被害者を除けばあいかわらず「国民の足」になっている。
日航機事故、ばんだい号事故の後も、エアライン客は増加の一途。記憶の風化は、そんなものだ。
鉄道事業者には安全対策も永遠のテーマにしてほしいと思う一方で、分単位の速さを求める客にはならんとこ、と僕の心がけも変わった。踏切トラブルや何やかんやで数分ぐらい遅れても、イライラしない、と。
遅れる時間がアナウンスされれば、職場に電話で伝えればすむし、延着証明も出る。
線路に立ち入る不届き者や、駆け込み乗車ではさまっているドジのせいでダイヤが乱れても、それは鉄道会社の責任ではないから、全部ひっかぶっておわびアナウンスをすることもない。
「いま*号車中央ドアに駆け込んだニーソの女子のせいで発車が遅れました」とだけアナウンスをすればよろしい。こりゃ、いたたまれませんな。
まぁ、別に鉄道会社の味方をするつもりはなくて、利用者が安全運行に協力できる面もあるのでは?と思うだけ。
たとえば、最近あっさりと駆け込み乗車はしなくなった。往生際がよくなったといえばいいか。次の電車で出勤に間に合うぐらいの余裕の便に乗るようにしているので、血相を変えて滑りこむ必要はない。
線路に十円玉を置いて延べ板にする遊び(ごめんなさい神鉄さん)は笑学生のころ卒業した。
1分でも速く!とは期待しない。
退勤はあえて新快速ではなく快速で帰るぐらい、みみっちいスローライフを心がけているので、ゆったり移動すればいいのだ。冬の暖かい電車、夏の涼しい電車は快適な空間だから、音楽でも聴いて居眠りしていればすむ。骨休め時間が延びたと思えばいい。
電車なんて何百本も走っていて次々に来るから、命がけで走りこむこともなかろ?と思うのは日本在住50年セルゲイ・ユージスキーさん(仮名)のご意見だが、「走る客の割合は運行本数に逆比例する」というフィーリング研究結果もある。あくまでもフィーリングね。
運行本数、車両のキャパが少ない困った電鉄を利用していた時代、それそれは朝の駆け込みランナー、踏切またぎ客は多かった(今もいると思う)。客それぞれにやむをえない事情もあるとはいえ、運行する側は毎日毎日どの駅でも同じことが発生すると、気が滅入るだろう。
阪神、阪急、山陽へ乗り換える終点の新開地駅もすさまじかった。猛ダッシュである。転倒する客、バッグをひっかけられる客、鼻緒が切れる客も日常茶飯事。
プラットフォームから転落したり踏切で渡りきれずに命を落とす客は、ひょっとして福知山線事故をしのぐ件数が毎年起きているのではないだろうか。福知山線事故は別として、危険客が安全を要求しているようなカリカチュアも見えてくることがある。
一大事故ばかりドラマ仕立てにニュースショーにしていないで、身近に毎日パックリ開いて見える事故死の淵を、もっとレポートした方がいいと思う。
千鳥足で線路に駆け込み乗車しようとしている客が放任されているような社会も、のどかというか、冷酷非情というか…。
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