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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
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みんな被災者

 

退勤した足で東遊園地へ直行した。
年に一度の震災鎮魂行事に足を運ぶだけなので、えらそうなことはいえない被災民ではあるが・・・
当事者性というテーマは難しい。

 

被害はなくても「俺は被災者だ」とアピールして禄を食む住民も、多少いたかもしれない。
資格がありながら、支援の手も関心も寄せられなかった被災者もいる。

被災者の自覚も、実害もほとんどなかったのに、周囲から同情されてしまう立場もどうも座りが悪い。

 

当時ご存命だった大家さんが、「入居者まるごと全壊被災者」の申請をしてくれたおかげで、わたしゃ制度上は手厚い給付を受けることができた。

ただ、人によっては被害も金銭補償でカバーできるものばかりではない。身内の命や家財は買い直すわけにはいかないし。
だから、広い意味で喪失感をもつ人すべてが当事者ということでいいのではないかと思う。

「デートした街が無残なことになって…」とお悔やみをくれる人も、旅人も、神戸の業者と取り引きしている関係者も、みな濃淡はあるにしても当事者体験を共有している。そこに格付けをする必要はない。

 

当事者性の線引きは、メディアが好む絵づくりの一環でもあるし、当事者の支援団体も神経を尖らせている。
親等の近い家族と死別した被災者が最上位の当事者で、家や店を失った人、震災以後に持病が悪化した人は格下の扱いになる。「恋人の家が半壊した」ぐらいでは当事者扱いされない。

 

格付けと画像のインパクト、視聴者の感動を連動させるべく、ステレオタイプな被災者像を創り出そうとするメディアも、そりゃそれが仕事だからしかたない。ウンザリしながらやっているスタッフもいるかもしれんが、「小指のない震災ボランティア」は相変わらずタブー映像になったままだ。それを世に問う勇敢なジャーナリストはいないようだが。


まぁそれはともかく、神戸ぐらいの都市の災害だと、いろんな被災者がいるからなぁ・・・

「街全体が悲しみに包まれている」ように見えながら、包まれない人もいるのは事実。清く正しく健気な被災者像を固められても困る。

 

大人に1・17行事への参加を提案されて(?)寒空の下きれいな歌声を披露してくれた児童は、直接の被害者でないといっても、「生まれる前の災害」に必死に思いを馳せて鎮魂の歌を歌った経験は、未来に生きてくるのではないだろうか。
当事者でない人を、当事者に巻き込んでいくのもインクルージョン。


もちろん、強制はNGだが、どれだけ伝聞や報道で知っていても、被災地というトポスに身をおいて全身で感じる何かは、別の災害に接したとき想像力が働くと思う。
前向きな復興は、手間ひまを惜しまずバトンタッチすることかな。

 

 

 

 

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災害 | 23:02 | comments(2) | trackbacks(0)
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- | 23:02 | - | -
ja_zzyさま
たしかに、不自由なことも多々ある中で、空腹より閉じ込められた感や用足しの不便はこたえますねぇ。
福祉避難所ができ始めたのも、「阪神」以降の成果かもしれません。
 
| solosolo | 2017/01/18 23:29 |
かなり強引ながら…

トイレに行かずリハパン穿いて3日間すごしてみたら、なにか思想が変わるカモしれませぬ。
そぅだねぇ、、
特に傷害のある方へのケアの考え方がズボーンと変わったりしちゃったりしてー^^;
| ja_zzy | 2017/01/18 22:23 |









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