solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2001年11月の日記

月刊化!?

at 2001 11/13 06:37 編集

塩漬けにしていたこのサイトを久々に覗いて、「おぉ!芽が出とる」とうれしい発見。妖しい(怪しい?)花を咲かしているニューハーフもリンク先におられるけど。
週末は研究会で社会階層問題の発表をして、翌日に大学時代の同級生と六甲を歩いてきた。↓こんなペースで週末をすごすのが、ちょうどいい感じだ。
http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=23772key=538474m=0
この、山道でずっこけながら歩いている朴訥な男は、トヨエツと文学部で同級だったようである。

また「アウトドア・レポート」できればいたしましょう。



復活か?

at 2001 11/14 00:38 編集

ほとんど「勘当しちゃった我が子」のようなサイトも、ちょっと更新すると十数件の来訪者がいてくれる。ありがたいことよ・・・のう、越後屋。3000アクセスまで、がんばってみるか。
今夜は、sabatoと大社会学者との3人での飲み会は楽しかった。
「論文、書きなよ。約束だよ!」とけしかけてくださるホットな師匠の愛情にもふれた。
写真社会学を打ち立てますぜ、見とくんなはれや・・・と宣言したのはいいが、さてどう手をつけるかね。


世界は病室か?

at 2001 11/15 23:59 編集

臨床心理学に臨床哲学、臨床社会学・・・
とかくこの世は住みにくい!とつぶやいたのは漱石だが、ともかく臨床ばやりだ。この世は病院かいな?
たしかに、心に問題のありそうな人はいるにはいるが、もっと手厚いケアが必要な障害者には、援助のシステムはお寒い限り。
それに、カウンセラーや教育者にも問題人物は多い。

自己啓発やマインドビジネスを批判した論説は数々あるし、「勧善懲悪」はわかりやすい。
けれど、善良な「臨床家志望者」、そして彼女らを賞賛する社会、スクールカウンセラーをばらまこうとする文部行政・・・からなる「心のケア・マーケット」に立ち向かうには、よほどの周到な戦術が必要だ。

今日の朝日新聞(朝刊)人生相談欄に、飯野賢治さんあてに高校生の投書が載っていて、子どものためだとあれやこれや手を尽くす大人たちに、放っといてほしい、好きにやらせてみてほしいと訴えていた。
その通りかもしれない。
いったい、ケアが必要なのはどっちだろうか。
人のことより自分が優先。
なんていうとエゴイストと非難されそうだが、大人が生き生きと輝いていれば、若い世代は自然に「あんな大人になろう、早く大人の社会に参加しよう」と思うのではないだろうか。
そう思わない子にも、それはそれで生き方はあるだろうから、放っておけばいい。

相手への愛情と管理は紙一重なのだ。
実は管理したいのに「愛情」だの「大人の責任」だの「心のケア」だの美辞麗句で飾り立てようとする偽善者が多すぎる気がする。
若い世代を育てようと思うなら、自由にやらせてほしい、責任も自分で背負って行きたい、大人は地位や年金etcetcの既得権益を手放して立ち去ってほしい。
そう言われたら大人はどうするのだろう。

過保護きわまる家庭につなぎとめておきながら最近の若い連中は・・・とグチる親たちは、「パパ、くさ〜い」なんて言われたら家から放り出せばいいではないか。
そうすれば、本気でタフな社会人になる子もいれば、体を売るしかない子もいるだろうけれど・・・


「無知は力」?

at 2001 11/17 14:53 編集

今ごろになって、しょっちゅう年末調整の相談を受ける。あのねぇ、わたしゃ税務の専門家ではありませぬ社会学屋さんです・・・とはいえ、法制度は知って「利用」しないと損だから、みなさん活用しましょう。
「勤労学生控除って何?」という初級から、「給料そんなにもらってないから所得税は引かれてないみたい」という中級、「年末調整と確定申告とどっちがいいか」という上級まで、ゼニカネのことになると向学心がむらむら沸いてくるのは、まぁ、いいことかな。
それにしても、僕はあくまでも法律家ではなく社会学屋なので、「いかに無知が損をするか」を考えさせられる。政治屋や役人の中には、納税者・国民が無知でいてくれた方がいいと思っている税金泥棒がいる。選挙に行かずに旅行にでも行っててくれた方が、政治は変わらずゼニカネを使ってくれるからありがたいのだ。森蜃気楼首相のように、それをあけすけにしゃべってしまうわかりやすい「ノミの脳みそ+クマの心臓」もおられたから、ますます国民は疑り深くなっている。年金負担ボイコットも海外脱出も、加速度的に増えるだろう。

いま流れている国民年金のCMは、明らかに虚偽広告だ。「将来、増えて戻ってくるんです」なんて売りこんでいるけれど、おいおい、年金は貯蓄ではなくて、今の年金支給に充てられているしくみじゃなかったっけ?いまの20歳の国民から見た負担額がトータル何千万円で、平均寿命まで生きると何千万円もらえるか、金額を出してみろと迫っても、ほとんど絶望的なのだから、絶望ですといえばいいのだ。
ガン告知をしないで治療しようとする医者の姿勢と似てなくもないけれど、そんなこんなの「無知」は、本当に本人のためになるのだろうか。


「無知は力」か?(2)

at 2001 11/18 01:20 編集

日記にしてはウルトラヘビーなので、これは今夜あたり新しいインデックスをつくって移す予定です。

世のお母さんたちが、男の子へのかかわりかたがわからず悩んでいる、とする。
反抗期や思春期にどんどん変化して行く異性の我が子の難しさは、本人だってわからないんだから、お腹を痛めて産んだ母親でもわからないのは当然だ。「わかりやすい子ども」というのは、妙な気もするしね。
そんなとき、「どうにかしたいが、どうしていいかわからない」母親はどうするか。
(1)夫(=男親)に相談する
(2)外の専門家や専門機関に相談する
(3)男の子を成熟させない
がよくある選択だろう。これは「父親と娘」についてもいえるかもしれないけれど、父親は「花嫁の父」になること、また娘に彼氏ができることが愛娘とのある種の「訣別のイニシエーション」になるのに対して、母親の息子への介入関係は、息子が結婚しても続くのが特徴だ。
息子は母親と近親相姦関係にあると考えたのはフロイトだが、見方を換えれば、母親は息子を支配し続けようとして、嫁と息子の奪い合いをすることから、「嫁いびり」へと屈折して行くのだとは考えられないだろうか。
大胆不敵な邪推だが、嫁いびりというのは、息子との近親相姦の変形である!と僕は仮説を立てている。かりに「嫁」が自分と似た若い女性なら、二人ばおりのように「嫁を介した息子の支配」ができるし、事実、母娘また義母と嫁との間で、夫(=息子)の夜の能力について仲むつまじく相談しあっている恐ろしい会話を、僕はあちこちで耳にしてきた(男性として意識されない僕の強みだな)。

邪推はともかく、「息子がわからない母親」がなぜ問題か?に戻ってみたい。
これも父親と比較してみると、職場や夜のお店の「女の子」とかかわりがあって(決して恋人同士としてではないにしても)、娘が一般化されたような相手を知る機会が多い男親に対して、おばさまたち―とりわけ専業主婦―はどこで男の子なる存在を汁・・・いや誤変換!・・・知るのだろうか。
世のオッサンたちが、セクハラだ痴漢だと叩かれて、異性との距離のとりかたを、失敗して身にしみて(か?)学んでいる一方、オバサンたちは若い異性との距離のとりかたをどこで学ぶのだろうか。
学ぶ機会(一般的に言えば社会参加機会の)の乏しさが、我が子への関心に集中してしまう1つのあらわれを、上野千鶴子は、洗濯という家事を通じた「息子のパンツの管理」だと指摘している。
僕のボランティア先で知りあった主婦は、心理学という学問を、息子や夫を含む周囲の人々の心を理解できる「魔法の杖」として選んで右往左往している。

「異文化」を理解するにはいろいろな試みがあっていいし、亭主族のように「夜の街で遊べばわかる」というものではないだろうけれど、「わからない」「知りたい」気持ちを表現する場、同じ問題を抱えている人と共感できる場,etcが乏しい状況は、確かにある(知識社会学のフィールドでもある)。
主婦だけではない。福祉職をはじめ、ごく普通の勤労者や学生についても、「問題を共有するための連帯」は、まだまだ不充分だ。「私の悩み」を「みんなの問題」へと開いて行く場も、方法論も未成熟なのだ。またそれは行政や専門家が与えてくれるものでもなく、「知る権利」に属する問題だと僕は思う。
カウンセラーや精神科医、ワーカーといった専門家に相談するという方法は、その中の1つの選択肢にすぎないわけで、理論のレールに乗らないドロドロした悩みの渦は、捨象されてしまいがちだ(むしろそのような情動は、芸術や身体ワークを使ったカタルシスで、自助的に解決する場合もある)。

寂しい荒野にできたオアシスに、悩める人々が「回収」されて行くというより、その荒野を肥沃な緑に変えて行くことがソーシャルワークなのだと僕は考えているけれど、年月がかかるのは欠点だ。いま悩んでいる人、あす悩む人への処方箋にはなりにくい。
だから、オアシスと「緑化活動家」が提携すれば、心の砂漠はずいぶん改善されると思うのだが、心理屋と社会学屋は仲が悪いからなぁ・・・



「無知は力」か?(3)

at 2001 11/18 01:48 編集

三部作というわけではないけれど、思いついたことをできるだけ外に出してみようと思う。これがWEBの利点だし。

今は番組改変でなくなってしまった原田伸郎のラジオ番組で、リスナーのOLが、「同僚の男性社員からセクハラメールを送られて困っている」という相談の投書が紹介されていた。
で、弁護士まで電話で登場してもらって、あれやこれや対策を練っていたのだが、頭の切れる松井愛アナのアドバイスが一番、なるほどと思える戦術だった。
あくまでも「私だったら、こうする」という意見だと前置きした上で、「こんなセクハラをされているのだと同僚みんなに言いふらしますね」とのこと。
なるほど、社内のセクハラなりいやがらせなりは、秘密裡になされることが多い。セクハラなど、密室性が高い方が興奮する(か?)ものかもしれない。
そういう加害者の暗黙の前提を崩すのが、「いいふらす」こと=情報公開してしまうことなのだろう。
もちろん、被害が深刻になるほど他言するのは勇気がいるだろうから、軽症のうちに逐一ベラベラしゃべるようにしておけば、発展しないのではないか?
・・・と思うのは浅墓な読みだろうか。

就職難のここ数年、面接でセクハラまがいの質問をされたという女子学生も多い。そのやりとりも、会社名を実名で公開してしまえばいいと思う。そうすれば、前後の文脈から被害妄想なのか、その会社のセクハラ体質の現われなのか、客観的な社会評価ができるかもしれない。

ただ、東芝クレーム事件のように、情報公開は関係者にあらゆる方向からプラス・マイナスの評価が浴びせられるから、周到に戦術を練る必要があるとは思う。
その難しさがあるのか、単に行政の怠慢なのか、最近激増している悪質商法の被害情報も、消費者センターが膨大な情報をストックしているのに、どの業者がどんな悪行三昧を展開しているのか、ぼかした情報公開しかされない。
一般消費者が無知なまま放置されて、年金も資産もスッカラカンにされるという悲劇が続発している。情報公開しない行政は、悪徳商法に荷担していることにならないのかね?

もっともっと知る権利を主張しなければ、無知は犬死にを重ねるだけだ。


区内の極楽

at 2001 11/19 01:37 編集

二週つづけて裏山ハイキング。紅葉も黄葉も、日に日に鮮やかでよかったなぁ。区内にこんな別世界があるのは、幸せな環境やなーとしみじみかみしめながら、木漏れ陽をあびて歩いてきた。東京の中央区に、札幌の中央区に、大阪の中央区に、こんな場所があるだろうか!?

諏訪山からは、淡路島も和歌山の友ヶ島も、四国まで見えたし、瀬戸内海に浮かんでいるような絶景。山は秋が一番!
ひざの疲れも、風呂でほぐして極楽、極楽・・・
遠くへ行かなくても、本当においしく楽しめた日曜日だった。
流星群も見たいが、このままコテンと寝てしまえそうな感じ。ま、下山してきたところが金星台だったということで、「星に願いを」はすませたことにしようかな。


凍死寸前!

at 2001 11/20 00:21 編集

猛暑の夏はよく、ぬるめの風呂につかって眠ってしまうことがあった。あれは気持ちいいんだ。疲れがすっかり抜けるという感じ。
おまけに、
<お湯の温度が外気温に近くなる→体温が湯温に奪われる→心臓停まる>
のプロセスをたどるというスリルもある。ふと、僕が尊敬していた「97歳の現役近畿大学生」歌川豊国さんが、たしか入浴したまま昇天されたことを思い出してしまう。

この初冬の時期になって、久々に、入浴中に熟睡してしまった。
運良く目が覚めると、風呂の窓を開けていたこともあって、湯温がすっかり冷めて、心停止一歩手前だった。あらためて温まって、正式に(正式って何のこっちゃ)就寝して、目が覚めたら夕方だった。
これでワンデイハイキングの疲れはすっかり抜けたということにして、夕方に朝食をとるはめになった(1日の初食事が朝食だ。英語のブレックファストは、眠りを破ってすばやくすませるという意味になっているではないか)。
おかげで、ランチと夕食は合体して、流動食になってしまったのが情けない。鍋焼きうどんに菊菜をごっそり入れて、餅も2きれぶちこんで。

食材がたまると、消化しないうちにくさってしまうのが「ワンマンキッチン(つまりヤモメ一人暮らしってこと)」の不経済なところだ。食パンなんて、6枚組を買うと食べつくすのに1週間はかかるし、飽きてしまうわい。

結局、「スーパー閉店前作戦」で、寿司折りなんかを半額で手に入れるのが安上がりになってしまう。いや、それでいいのだろうけど。

風呂も食事も完全自由という身分は、不便なのか、抜け出せない蜜の味なのかねぇ・・・


母親論争

at 2001 11/21 01:00 編集

ある英才児ママと、母親論を闘わせている。
といっても、なごやかなディスカッションだ(と僕は思っている)けれど。
男ヤモメと、年上のママ・・・お互い、相手の身の上を決して体験できない「異文化の住人」だから、どこに接点を持つか、重なる視点は何か、考えながらの論争もおもしろい。

大きな論点の1つは、なぜ母親は「私」を捨てて、専業ママになることを選ぶのか?という点。周囲からの期待や圧力からそうさせられているのか、みずから他の生き方を捨てて選ぶのか、母性の内心は闇の中だ。また、内心に押し込めて、表現しない傾向もある。この子の母親は私しかいない、ゆえにだれに話してもわかってもらえる悩みではない――という考え方もあって、個々のママの悩みが社会的な問題として俎上にのりにくい。

僕が思うに、仕事も恋愛も旅も投げ出して育児に専念せざるをえないのは、シングルパパでも同じ。母親にしかできないのは、妊娠・出産で、授乳以後の育児は必ずしも「女の仕事」とは断定できないと思う。
ただ、父親は、育児に期限を想定している感じがする。息子に対しては、いずれ「男同士」として個人対個人のつきあいができることを楽しみにさえしているし(反抗期の息子に殴られて目覚める父親もいるかもしれない)、娘に対しては「花嫁の父」という別離の儀式がある。
ところが、母親は、子どもが結婚しようと人の親(つまり孫ができること)になろうと、永遠に子どもにかかわろうとする。そこへ「僕(私)に干渉しないで!」「お母さんには生き甲斐はないの?」と子どもに言われると、自分の存在を否定されたように映る・・・のではないだろうか。

僕もずいぶん親不孝をしてきたけれど、「この息子には何を言っても論理で反撃される」とわかっているからこそ、息子のパートナー(=嫁)を溺愛して、娘にしようと企んでいる(笑)様子がひしひしと伝わってくる。
こんな親子関係も、非婚化現象の1つの形なのかもしれない。

わが父親は、70歳をすぎて何度目かの再婚をして気楽に暮らしている。世のオバサマたちもこんな生き方ができる社会が来ればいいと思う。


クーガー再来!

at 2001 11/23 14:41 編集

ナショナルのクーガーというラジオが昔あって、ソニー製スカイセンサー党と人気を二分していた・・・というか派閥抗争していたっけ。僕はソニー党で、実家にはスカイセンサーの5500と5800が現役で働いている。

今年の正月に、うちの近所の商店街に、たしか75年ごろのモデルのクーガー2200が出ていて、懐かしいなぁ・・・買っておこうかなぁ・・・でも、売りのジャイロアンテナがこわれているしなぁ・・・と迷っていたら、すぐ売れてしまった。そのすぐ後日、MBSラジオの「ごめんやす」を聴いていると、馬場章夫さんが「なじみのモトコー商店街の電器屋さんで、ジャイロアンテナのついた懐かしいラジオを見つけて、こーてきました」としゃべっておられて、あぁ、ばんばサンに持ってかれたのか!と妙に納得してしまった。
馬場さんはDJ歴30年のラジオ職人だから、趣味がラジオ本体のコレクションだというのもよくわかる(MBSのサイトからリンクしていて、馬場さんコレクションの一部が写真で紹介されているし)。

で、きのう確認に行くと、外見はきれいなのに、短波がいかれていて受信できない。こりゃ売りの周波数直読メカが生かせないではないか。
値札もついていないので店のおっちゃんに聞くと「1万円」とふっかけてくるし、短波の故障もはぐらかそうとするので、残念ながら見送った。電源をつないでもらって試聴すると、深みのあるいい音だったから、AM・FM用と割り切ってホームラジオとしては使えたかもしれない。

ラジオも大小5〜6台あるわりに、「ちょい聴き」しかしないから、コレクターといえるレベルでもない。トイレや風呂やベッドサイドなんかに分散して置いてみたり、夏はキャンピングチェアと一緒に屋上へ持ちだして夕涼みのBGMにしたりといろいろ活用は試みているのだけれど・・・


初滑り!

at 2001 11/26 23:08 編集

木枯らし一番から春一番までが、感覚的には「冬」という感じだろうか。
個人的には、初滑りの夢から滑り納めの夢までがウィンター・スポーツ・シーズンだ。
夕方に昼寝をしていると、初滑りの夢を見た。ゴージャスにも、なぜかドイツのスキー・リゾートにステイでしているのだ。
ヨーロッパには行ったことがないけれど、たしか去年はオーストリアあたりでオリンピック大回転競技に出場するというあっぱれな夢で冬を迎えた。そしてシーズンの終わりは、ハイビスカスの咲き乱れる夏の陽気の野山で、残雪の上を滑って汗をかく夢を毎年のように見る。
こんなワンパターンの夢を見る(行きつけの場所もある)僕は、さぞかし分析されやすいサンプルなのだろうな(笑)。
スナックやカラオケのような憩いの場所(?)を持たない僕は、夢が定番の逃避場所だ。手軽というか、完全無料の安上がり!

さて現実の初滑りは、どこでできるだろうか・・・


順調に寒くなってまいりました!

at 2001 11/28 00:56 編集

僕が鈍感だっただけかもしれないが、コインランドリーに行くとき初めて、吐く息が白くなっているのを発見。
青森市内では積雪25cmとか。
今年は冷え込みが一気に来る感じだ。
はやく銀世界神戸」も見てみたいもんだ。
その前に、冬の通勤用ジャケットも買わないとなぁ・・・


Go west!

at 2001 11/29 06:58 編集


紅葉シーズンの「勤労感謝の連休」がヤボ用でつぶれた反面、平日が連休になったので、敗者復活戦の乗りで九州をめざした。仕事から帰って2時間でリュックにありあわせの装備をつめ、あたふたと駅へ小走り。
ついでに、しし座流皇群も見のがしたので、夜行寝台「彗星」というやつで往復することにした(往復¥25000弱は割安だ)。ふた昔前にはやった「ブルトレ」も、さすがに秋の平日の便はガラガラ。
そういえば、おぼえているだけでも乗ったブルトレは、青森行きの「日本海」と東京行きの「銀河」ぐらい。北海道と宮崎への両親の帰省旅行には、僕は弟と必ずワンセットでブルトレに乗せられていたはずだが、さっぱりおぼえていない。「お前たちのオムツを洗って窓の外にはさんで干しといたら、車掌に怒られて・・・」なんて昔話を両親はしてくれたものだけど、さすがにオムツ時代の記憶はないわな。これも家族で、青函連絡船の通路に寝ていたら、甲板から波しぶきが流れこんでずぶ濡れになったという思い出はある。

それにしても、寝台車は名前がいいやね。「あかつき」とか「カシオペア」とか(鉄チャンがエンブレムを撮影してコレクションする気持ちもよくわかる)。
昔は飛行機にも名前がついていたっけな。「よど号」とか「ばんだい号」とか。
ただ、列車の名前は「愛称」として残るのに、飛行機の名前はハイジャックされたり墜落したりした「悲劇のシンボル」としておぼえられてしまう。
それにこりたか、飛行機は名前で呼ばなくなったけれど、今度は「123便」なんて悲劇の象徴が残ってしまった。いっそ「激安NY便9999円おちても文句いうな444便」とか、「乗務員は片桐機長に客室係キムヒョンヒのスリル満点42便」などあれば・・・認可されないだろうな(笑)。
なんてアホな空想をしながらエビスビールをあけていると、即刻ウトウト。なんと、夢の中で椎名林檎とはげしくワイルドに関係してしまった。なんじゃこの夢は!と松田優作状態になって、残念ながら目がさめてしまった。
寝台車という場がわざわいしたのかもしれない。「B寝台でも、こりゃカップルで熱く過ごせるなぁ」と思いきり邪念をたくましくしていたし・・・。
そういや「2人デュエット寝台」てやつは、よく元気な若い衆向け情報誌で特集されてる「鍵のかかる個室露天風呂の宿」と同じで、露骨な用途が浮かんでくるのは考えすぎだろうか・・・

などなど、くだらんことをザウルスに打ち込んで、アップロード!(別府にて)

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