solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2002年10月の書き込み
To sabato@koubo osawasense@laguz at 2002 10/06 00:55 編集 返信
RE:個人的には好きだ

いいですね、sabatoの切れ味は。

>「勃起」を前提で話を進めていくカウンセラー女史。
>そんな、モンモン(?)カウンセラーは個人的には好きです(笑)
>なんだか、AVっぽくて。

「性幻想が昇華されていないようですね」とやり返されてしまいそうです(笑)。カウンセラー自身が、何か深層にかかえていそうですが。
もともと、この相談はママの飛躍をベースにしている。
救済されるべきは、ママではないか・・・と、「カウンセラー分析家」の僕はにらんでおるのよ。

>「体調がずーっとだるくて、何もする気がないんです。」
>「まぁ、それは辛いですね。とりあえず脱ぎましょう。」

>とか(笑)

それで行きなさい、sabato先生は!(イチ押し)
君いつからアラキのぶ子になったんや?


From sabato@koubo To osawasense@laguz at 2002 10/06 00:47 編集 返信
個人的には好きだ

「勃起」を前提で話を進めていくカウンセラー女史。
そんな、モンモン(?)カウンセラーは個人的には好きです(笑)
なんだか、AVっぽくて。

私もカウンセラーの資格をもっているので、この路線で行きましょう!!

「体調がずーっとだるくて、何もする気がないんです。」
「まぁ、それは辛いですね。とりあえず脱ぎましょう。」

とか(笑)
・・・・だめだこりゃー。
gaiax掲示板アーカイブ2002年 | 23:36 | comments(0) | trackbacks(0)
2002年10月の日記

ストリート百均

at 2002 10/01 16:00 編集

アエラや週アスの類は、書店で買ったことがない。
いつもの場所に、露天100円書店が店を出すから、たいていそこで調達できてしまう。
ならんでいるのはマンガと殿方週刊誌がほとんどだから、きのうみたいに『朝日パソコン』と『DIME』を手にとって、ほかに何かないかと物色している小太り君が横にいたりすると、「同士よ!」という気がするのが我ながらけったいだ。
 
「入荷」時間になると、蜜に群がる蟻のような騒ぎになるから、知らない人には何の騒ぎだかわからないようだ。いつだったか、銀行の支店長ふうのおじさんが「これ、安いんですか?」と尋ねてきたこともあったっけ。

たまには汚れた「ハズレ」もあるにはあるが、書斎に収蔵するような本を買うわけではないから、ほんと中身という情報に100円を払っているような感覚になる。パソコン関係の雑誌だと、必要なページだけ破りとって(ファイルすることもある)、残りはほとんど捨ててしまう。僕は買わないが、マンガだと、読んでスカッとすれば、もう丸ごとポイではないのかね?
 
情報メディアはタブレット型PCに一元化される―という未来物語も聞くものの、宇宙食みたいなチューブが「箸と茶碗」を絶滅させることさえ未だないように、紙というメディアは延々なくならないのではないかと思う。そうであってほしい。
僕の「紙の手帳」はPDAに完全に置き換わってしまったとはいえ、筆記具だけはこだわり抜いてドイツ製の多機能ペンをいろいろ使い分けている。PDAの入力も手書き認識だし(中高年に手書き感覚でメールが楽しめる利点をアピールすれば、電脳ハードルは低くなると思うんだがなぁ…)。
紙メールも今のところ「筆まめ」続行中で、辞書を引き引き書いている。
その辞書は、さすがに広辞苑というわけにはいかないから、PDAに頼っているのは、「一本劣勢」をとられている感じかな。


柿1号

at 2002 10/01 22:26 編集

初モノにやっとありつけた。小ぶりの柿だったが、うまかった。しみじみと、素朴さナンバー1のフルーツを味わう。
ばんばさんはラジオで、脂ののった秋刀魚を焼いて実にうまかった!と悶絶しておられた。
そりゃそうだろうそうだろう。
旬のものは、とにかくうまい。
初モノなら、ご祝儀評価もあるかもしれないが、昨年以来、待っておりました!と、ひたすら季節の巡りに感謝してしまう。「季節の中で」は松山千春だったか、陽水だったか…
これから、栗もカニも楽しみな季節だ。はよ寒くなれ、寒くなれ。雪降れ水凍れ…と、うらまれそうな呪文をとなえてしまう神無月でありますな。


あ゛ぁぁ・・・そのひとことが・・・

at 2002 10/02 01:16 編集

毎日新聞の育児相談に、こんなQ&Aが載っていた。
http://www.mainichi.co.jp/edu/kokoro/0209/15-1.html

一緒に入浴した5歳の息子が「股間をおさえてもじもじ」してしまい、どうしたらいいのか、一緒に入浴しない方がいいのかしら・・・とうろたえる40歳のおかーさんに、

「あら、どうしたの?」と聞いてあげればいいんです。もじもじしているようなら、ほほ笑みとともに「大丈夫よ」といってあげましょう。「大丈夫、そういうこともあるのが男の子の体なのよ」とも伝えてあげましょう。

とアドバイス。
なんたって、股間をおさえている坊や=「勃起している」という前提で話を進めているのも大胆だ。それ、見たのかね?
そもそも、5歳にもなる男の子を抱っこしながら風呂に入るのも、どうかと思うけど(そんなこと、お父さんと、やんなさいって!笑)。

しかしなぁ・・・・・・
「あら、どうしたの」
はないんでないかい?
なんだか「筆おろし」に来たチェリーボーイを慰める風俗嬢というシーンに見えてしかたない。僕が邪心にまみれているのかね?(笑)

カウンセラー女史はさらにたたみかけて、

 そういう当たり前のやり取りを重ねるところに本当の性教育があるのです!
 それにしても不思議ですね。あなたはなぜ戸惑うのですか? なぜおふろに一緒に入ってはいけないのでは、などと考えてしまうのですか!?

と、自信満々でアドバイス。あららら・・・

母親に風呂場でこんなレクチャーを受けてしまった男の子の心理には、どうも想像が及んでいないような気がしてならない。これが、上野千鶴子女史のいう「家族の性を管理する主婦役割」ということかもしれない、と妙に合点が行く。
パパと娘の場面で、同じようなアドバイスを書けば、非難轟轟じゃないだろうか。
子供のことは何でも把握しておきたいというのはママの本音かもしれないし、それはそれで熱心だなぁと思うが、わかりえないことはどうしてもわからない。また、わからないことにしておく、わからないふりをしておくのが大人のゆとりということだってあるだろう。

坊やとママが、後々気まずい関係にならなければいいと願うばかり。
こんなとき男性なら、無視してほしい、いちいち興味もたんでよろしいと思うやつが多いのではないだろうか。
こんな「気のきいた」慰めと教育は、おそらくこの男の子が成長してソープなんかに行けば、そっくりな慰めをおねーちゃんから聞くだろうから、「おふくろも同業者であったか!」と大発見してしまったりして・・・


無一文!

at 2002 10/04 23:21 編集

財布を落としてしまった。
5万円、カード類すべてパー。
気づいた店で、すでに注文した晩飯を支払い猶予にしてもらった後、カード会社や銀行に電話したり、警察署に届け出たり、レンタルビデオ屋にかけこんだりと、てんてこ舞い。幸いカード類は使われてなかったが、もしかすると、使われて通報→逮捕という方がすっきりしたかもしれない。
警察でもレンタルビデオ屋でも「出てこんやろね」と落胆ダブルパンチ。そりゃないだろう。
ふだん、拾い物は必ず交番に届けている行いが報われるかどうか…
 
レンタルビデオ屋に無効届けをしに行くと、僕の顔を見て「6511番さんでししたよね」と言い当てられて驚いた。ま、それだけお得意客になっている証拠なんだろうけど、カウンターチェックも伝票もすべて手書きというアナログな独立店だから、無言のやりとりで客情報はしっかり把握しておられるのだろう(こんな店が好きだ)。

ビデオ屋を礼賛しててもしかたない。
カードが新しくできるまで2〜3週間、通帳と印鑑で現金生活をするしかない。
財布ポロリは初めての経験だったが、それにしても高い授業料やなぁ・・・。これぐらい痛い目に遭っといた方が、気の緩みが叩きなおされるのかな?


下半期リセット?

at 2002 10/06 04:00 編集

捨てたものは悔やむまい。
ポイントカードの類も更新して、カードライフ一新をスタートさせた。
 
それにしても、銀行のカード係の無愛想な応対は、傷に冷水をかけられたような感じがした。
合併をくりかえし名前がころころ変わるこの銀行とは20年来のつきあいになるが、長いつきあいのメリットは皆無だから、いっそ口座を引き払って外資系に口座を移行してやろうかと思う。
郵便局と信販会社は親切丁寧だった。これはつきあって行こう。一応の経営努力は目に見えるから。
 
現在進行形の悩みの種で、出張の資料づくりに難航している。
神様の与えたもうた試練の秋は深まって行く…。
コーヒーがぶ飲み、葉巻モクモク(!?)でも、なかなか頭が回らない。
エディターとノートで打つのに慣れてしまっているせいか、デスクトップより軽快に打てるモバギを机や枕元にウロウロさせながら、あぁでもない、こうでもないと頭をしぼる。
そんな頃合に、よりによって30代のころすったもんだした「モトカノ」から、ひょっこり電話が入って、色欲(笑)にもさいなまれる。そういえば、ずいぶん金を使わせてしまったのだったなぁ…と、つい反省もぶり返す。
そういえば、阪神大震災でもずいぶん公金を給付してもらって、「震災太り」したものだった。
悪銭身につかず――そんな格言も脳裏に浮かぶ。
  
まじめに働いて、労働の対価を稼ぐしかないか。
近ごろは、僕の業界では「通勤してなんぼ」より、「家で資料を仕上げて勝負」という仕事のウェイトがどんどん高まりつつある。
SOHOとかリモートオフィスが流行しているようだが、僕は通勤労働の方が好みだ。家がオフィスになるというのも、なにやら落ち着かない気がする。
毎日、しかも何十年間も満員電車に揺られて何時間も通勤地獄に耐えているサラリーマンや、子育てしながらでも働きたいおかーさんたちにとっては、在宅勤務が魅力的なのかもしれないが、都心に召集される必要があるかどうかは、職種によるとしか言いようがない。
 
魚柄仁之助さんの新刊『うおつか流 豊かな時間の使い方』(知恵の森文庫)をパラパラ読んでいると、古道具屋という在宅ワークも、おもしろそうに見えてくる。古カメラ屋とか古ラジオ屋なら、やってみたい気もする。
まぁ、それで食って行くのはかなり難しいだろうけど、コーヒーカウンターをくっつけて、仲間とあれこれだべる時間と空間なんてのがあれば、もうからなくても息抜きにはなるかもしれない。
 
…と、ささやかな妄想をころがしているうちに、目の前の締め切りに追いつめられて、しらじらと夜が明けて行く。


ノーベル社会学賞

at 2002 10/11 03:57 編集

初の民間会社員の受賞になった田中さん、「作業着姿ですみません」と不精髭で緊急記者会見をされてたのは楽しかった。
これこそ、研究者だと思う。作業着はものづくり職人の勲章だ。
うってかわって、翌日はスーツで出社、社員に拍手で迎えられたという。この姿は、一見ちょっとさえなかった(頭脳は冴え冴えだから、そこが粋だが。好対称は中谷彰宏かな)。
どうせなら、作業服でスウェーデンに乗り込み、「賞金で年末ジャンボを…へへへ」とスピーチしてほしい。これこそサラリーマンの鑑ではないか。
 
昔、「リーゼントの高校球児がいてもいいじゃないか」というような評論があった気もするけど、意表を突く素顔!というドラマだと、こういうのはどうだろう。
ノーベル社会学賞授賞式に、「私をもてあそんだ大沢センセイ、責任とってよ!」と乱入する昔の教え子
…というのは、意表を突かない気もするな。 
でも、ただのアカハラは破廉恥罪で社会から抹殺されるが、ノーベル賞学者になると「英雄、色を好むんだな」と、妙に納得されるものかもしれない。

もちろん田中さんは清廉潔白な研究者だから、「ここが行きつけの赤ちょうちんれすぅ〜」と、ほろ酔い加減でヨロコビ会見をすれば、ますます好感度アップ間違いなし。「女房は日本直販で買ったフィットネスローラー使ってるけど、効果なくてね」とグチったりとか…(笑)。
 
田中さんはヒラの一段上ぐらいの地位らしいから、さてこれから会社は大変だろう。たとえ年収が1000万円になったとしても、ほかの社員にしてみれば「ノーベル賞をとってもあの程度か!」と、ガラスの天井が見えてしまう。
ここで当然思い出されるのが、日亜化学で青色ダイオードを開発した中村さん。5億とも10億ともいわれる契約金を手にして、カリフォルニア大学に移籍して行った。イチローより、科学者の世界の方が成功例は豊富だ。MITでノーベル医学賞をとった利根川さんもそうだった。
さて、島津製作所は、どんな遺留をするのだろうか。


祝ごめんやす30年

at 2002 10/15 01:07 編集

千里セルシーへ、公開生放送を見に行ってきた。(→street snapに写真5枚アップ)

いやまぁ、ばんばさんパワーはすごかった。とにかく、世間の目を気にしない好奇心と行動力がエネルギー源なんだと納得させられた。
簡単なことだけれど、声をよく出す(怒鳴ったり叫んだりも)こと、がんがん歩くことが、老化防止になるのではないかと思った。
 
観客は圧倒的にシルバー世代。もしかすると、ばんばさんより若くて枯れているおとっつぁんもいたかもしれない。
でも、手をふったり相の手を打ったりするのは、女性ではなくおっちゃんファンだ。手紙を出すのは女性リスナー、イベントがあれば出かけて行って声を出すのが男性リスナーかな…と、勝手に分析してしまった。

千里セルシーといえば、横山プリンとキャッシーのパクパクコンテスト(コーナー名だけ憶えていて、番組名わすれた)はテレビにかじりついて見てたものだ。
で、いちびって小学生時代には、のこのこ予選まで受けに行ったっけ。放送には出られなかったが、番組の派手さにくらべて、意外に裏側は地味で暗かったような印象だけ残っている。
それ以来、テレビの公開放送というのはほとんど見に行ったことがないが、ラジオは入り浸るほど見に通っていた。あげく「放送局へ徒歩3分」の土地に引っ越したぐらいだ。

「ラジオ番組を見に行かなくても聴けばわかるやろ」と突っ込まれそうな気もするし、その通りだとは思う。テレビは見に行けば画面に映らない部分が見える。ラジオはCM中に爆弾トークをやってるわけでもなし、淡々と進行の打ち合わせをしていることが多い。
それでも、なぜラジオがおもしろいのだろう。
1つは、家庭で聴いている主婦層のほかに、車で聴いている人が多いこと(また、それを意識した番組づくりをしていること)が、番組をダイナミックにしているのではないだろうか。クルマ以外にも、ラジオを携帯して聴いている人もいる。
逆にいえば、テレビはテレビの前に向かい合ってやらないと見られないのに対して、ラジオは自分の側に持って来れる。テレビ視聴者はテレビの召使いという感じ、ラジオリスナーはラジオを連れ歩くご主人さま。
・・・と考えてみると、デスクトップパソコンとノートパソコンの関係がだぶって見えてきた。
それにしても、テレビは見なくなったなぁ・・・ナイトスクープの録画だけは、惰性で13年ほど続いているけれど、それだってすぐ再生して見なくなったし。うちじゃ、VTRよりMDLPコンポ2台がフル稼動している。

また明日から、帰宅して録音を聴く日々に戻って行く。
声になごみ、声に励まされる。



ぶらぶら脇見運転

at 2002 10/17 22:06 編集

このごろ、物欲が低下してきた。
本代でコンスタントに毎月5万円近く出していた数年前にくらべて、この枯れようはどうしたことだ(笑)。
今月はドラッカー本を何冊か買ったけど。
 
図書館で、新聞のバックナンバー(?)をめくっていたら、三面記事に「妻が映った女湯盗撮ビデオ、夫が発見して業者告発」というのがあった。それはたしかにイケナイ事件だけど、さてこの夫もそういう趣味があったのか(テレビでたまたま映っている類のビデオじゃないだろうし)、それとも知人が知らせてくれたのか、そうだとしたら知人は…?と、よけいな想像がふくらむ。
本屋で天文雑誌の表紙をチラッと見たら、「満月に負けない流星群観測」と見だしが載っていた。近々、流星群があるんだな…とわかったのはいいが、天体マニアでない僕のようなヘタレだと、「よーし、満月に負けずに観測するぞ!」とは行かない。一般人なら「流星群だけど満月で見にくい」と解釈するだろうなぁ…。


はかたい

at 2002 10/20 20:21 編集

岡山駅にて(博多へ出張授業の帰り)。
自費では決して乗らない「のぞみ」グリーン車で、九州もたった2時間じゃい。
東京3時間、博多4時間というのが、時代遅れで悪い僕の旅行感覚なのに。速すぎる。

「お泊まりでしたら宿泊費も出しますよ」という条件を聞くと、煩悩人間なら中州の赤い灯青い灯を思い浮かべるだろうけど(たしかに月曜日が休みなので正直、頭をかすめた)、天気もしとしと・じめじめで明太子シャワー延降ってなかったので、仕事が終わると切符を変更して早々に引き上げてきた。ま、宿泊費は出るとはいえ無駄遣いに変わりはないから。

博多は受験で1泊して以来、二十数年ぶりやなぁ・・・。
でも今回の必殺仕事は駅から5分の往復なので、これといって感慨も何もなかった。受験の頃は、東京にくらべて「街ものんびり・人はずんぐり・ホテルはほっこり」で好感度大だったし、今でも変わった感じはしないけれど、何か、どこか、ムラムラしない。
これが札幌だと「ススキノ!」となるかというと、そうでもない感じ。枯れたんかね?
結局はかない博多出張じゃった。

始発駅から乗るときの、「ビールに弁当に本におやつ・・・」って小道具も、博多でちょっと買いそろえようかと思ったけれど、神戸までたった2時間だもんなぁ・・・。ほんと味気なくなってきた。車窓を開けて「おっちゃん、早く早く!」とあわてながら駅弁を買う・・・なんて情緒は、在来線でさえ、ない。
いや、そもそもそんな経験あったっけ?とさえ思う。
「旅情」というのは、つくられたイメージなのかもしれない。
4人ハコ席で、冷凍みかんを「おひとつ、どうだに」と分けてもらって話がはずんだとか、迷い子の世話をしてあげたら10年後に大歌手になって恩返しに来たとか(そんな話ないか)、旅がらみのエピソードは、なんか架空くさいわな。
「金沢行きスーパー雷鳥・古谷一行・川島なお美」という品揃えだと、リアルさ満点のわけありドラマが浮かんできて一瞬は楽しめるか。「叶姉妹とチョコボール向井」だと羨望で悶えたり、「鈴木京香と江頭2:50」だと憤りを感じたりね(笑)。
いま均一化した街や地方で旅情みたいなものを感じるとすれば、日帰りでは往復できない所とか、いざ住むとなると戸惑うような所になるんじゃなかろうか。
コンビニがあって、ファミレスがあって、なにか量販店でもあれば、ほとんど今と同じ生活が全国どこへ行っても「コピー&ペースト」されると思う。
あと、ピッチ派の僕ならPHSが圏外になると「おぉ、秘境じゃ」と思うのも情けないか・・・(笑)。

今回、行きも帰りも妙に味があるなぁと思って眺めていたのが、小倉の街。
街の中あちこちに屹立する煙突から、煙が(日曜にもかかわらず)モクモク出ている。売茶けた鉄鋼(か?)プラントのシュールな威容もいい。まさに藤原新也の世界だ。小倉の街を、じっくり探訪してみたいと思った。
来月は小倉出張に賭けるとするか。


ボーダータウン?

at 2002 10/21 23:42 編集

なんと、落とした財布が届いとるよ〜と三木署から通知。身分証持参で取りに来いという。
えっちらおっちら、「ローカル電車の旅」で取りに行った。田舎の駅舎のような小さな小さな署で、のどかな窓口(元)嬢を相手に手続きをして、一件落着。
もちろん現金やJR回数券は抜かれているし、テレカもなぜかICカードだけ抜かれて、診察券やら珈琲館割引券なんてのだけ残っていた。そんな残骸を、親切にも発見して届けてくれたおとーさんがいたのであった。
署内で礼状を書いてすぐ出した後、すべて切り替えてただのプラスチックごみになった残骸を処分する。
いっそ、どこかでカードを使って防犯カメラに映って御用!というのが劇的なシナリオになるのだが、敵もさるもの、そんな足がつくようなことはしてくれなかったようだ。
 
旅の帰りついでに、7年間ほど住んだニュータウンで途中下車してみた。いちおう神戸市になっているが、三木市との境界に広がるニュータウンである。札幌五輪の年に都心から引っ越して、多感な十代を過ごした界隈は、二十数年ぶりに歩くと、やはり小さく見えた。浦島太郎の気分だ。
旧居の裏山にも登ってひと汗かく。商店街は、あまり変わってなかった。かつて1軒もなかったコンビニがあちこちにできている。一家でひいきにしていたパン屋さん「ローザンヌ」は健在でうれしかった。うまいピロシキは残ってなかったけれど、記念に(?)小物を買ってきた。
 
中学時代、よく塾の帰りに自転車に乗せて送ってくれた(あぁ、そのころすでにヒモ人生であったか…笑)女の子の実家が、まだあった。目の前の「女子」の腰にしがみついて…というのは、そりゃめくるめく鮮烈な体験であったものだ。たぶん、彼女は当時の彼女にそっくりの娘かなんかの母親になって、別の街で暮らしているだろう。
こんな思い出でもあると、ふだん殺伐として見えるニュータウンも、「懐かシネマ」のように見えてくる。
同じ神戸出身の美術批評家多木浩二さんが、『生きられた家』という本を書かれているけれど、生きられた街や山河というのも、歩く人間にとってはずいぶん違う眺めに見えると思う。
道行く中高生は、もう僕がこの街を後にしたずっと後に生まれた世代だ。彼ら彼女らにとって、このニュータウンは、後々どう見えるのだろう。
 
家を出るときから、「よし、あの街に寄ってみよう」と考えてカメラ持参だったので、あぁなつかしいなつかしいとパチパチ撮って、フィルム1本すぐに消化してしまった。
遺失物処理のおかげで、ちょっとしたセンチメンタルジャーニーができた。
かな?
 


仏滅撲滅

at 2002 10/22 23:15 編集

来年のカレンダーや手帳が店に並ぶのは、10月の風物詩になった感じ。
すっかり、なんぼでもメモを書き足せるPDAで予定管理するようになったものの、いちおう紙の手帳類をチェックする。
それにしても、小娘向けの動物柄や花柄の手帳にも、六曜が印刷されているのは不思議だ。
ただでさえ狭い余白がせまくなって、迷惑である!・・・と、買わないくせに難癖をつける、いじけた楽しみ。
 
いったい、どこの小娘が「明日は友引だわ」なんて生活サイクルを送っとるかねぇ。
迷信めいた六曜なんぞに日々を左右されるなど、ばかげておる。竹内まりやの歌じゃないが、「毎日がスペシャル」と思っとればいいではないか。
いっそ、月齢でも載せてくれた方が、ロマンがあってよろしい。
または、月曜日は市場へ出かけ火曜日はお風呂に入り…と書いてあるロシア民謡手帳とか。
食いしん坊向けには、「秋刀魚のおいしい季節です…炭火でじゅーじゅー焼いた絶品ククーッ!」とか、「そろそろカニの初水揚げ!シュパーッ」というようなメッセージが書いてあってもいい。

大福帳みたいな日めくりを手帳代わりに使っている小娘なんてのがいたら、僕は熱烈に恋するだろう。

メーカーのよけいなお膳立てといえば、ノートブックというのには罫線が引かれているが、あれも邪魔でしかたない。ルースリーフは無地に限る。字の大きさも、図を書くのも自由にできる。
10年以上前の学生で、同じポリシーの持ち主がいて、彼女は薄いグラフ用紙のようなリーフにノートをとっていたっけ。
大福餅みたいな風貌のファンキーな子だったが、日めくりを愛用してたかどうかはわからない。もしそうだったら、今ごろ僕の妻になっているはずだが。


キム・ヘギョン

at 2002 10/24 12:28 編集

DNA鑑定で、拉致された横田めぐみさんの娘だと断定されて、お母さんが「宝物をいただいたような気分」だと語り、日本への「帰国」を求めて行くとか。
お母さんの心情はよくわかる。娘の形見のような孫娘は、なんとしても「取り戻し」たいと思うのは当然だと思う。
さて、北朝鮮で生まれ育って、母親の祖国が日本だと知った15歳のキム・ヘギョンさんにしてみればどうなんだろう。
今の家族や父方の親戚関係や、友達や地域との関係の中で、北朝鮮国民として生きてきた女の子にしてみれば、日本の祖母に「取り戻される」ことが、どんな数奇な人生を強いられるか、あちら側の立場になって考えてみてもいいと思う。
帰国したらしたで、日本のマスコミがパンダ以上の騒ぎになって一挙手一投足を報道しまくるのは確実だ。いま一時帰国している拉致被害者でさえ、寿司を食ったとか、散歩をしたとか、国賓なみのお祭り報道にさらされている。
いろいろ不自由はあるであろう彼の国での生活も、それも一つの人生だろう。国交の次元と、個人の生き方の次元を区別して考えないと、今の世論は「拉致被害者の関係者ごっそり取り戻し」大政翼賛運動に見えてくる。
どこまでを、拉致被害者の縁者として日本人は受け入れるのだろうか。「金日成バッジを捨てろ!」という圧力は、信仰の自由を侵すことになりはしないかなぁ?


サンマルコ

at 2002 10/25 14:37 編集

「お茶読書」を楽しむ午後のひととき。
高校生二人が鞄を席にどーんと置き投げ(?)て、ドリンクとパンをたんまり注文してきた。
う・・・こんなとこで、喫煙タイムの始まりやろか、けしからんなぁふてぶてしいなぁ石油かけたろか・・・とイケナイことを考えていると、煙草どころか、勉強を始めた。
僕の向かいの2席に移ってちんと並んで座り、参考書やらノートを広げて、自習体勢に入る。
ときどきふざけてお互いどつきあったりしているのも、ほほえましかった。

あぁ、こういう放課後はいいよなぁ。
おっちゃんの高校時代は、喫茶店なんか大人の世界だと思って入れんかったぞ、ファストフード屋もなかったし。
でも今は今で、図書館で勉強しにくくなったようだし、勉強に打ちこめる場所を確保するのも大変なのだろう。
ゆとり教育とか癒しブームだからこそ、工夫しながら何かにガンガン打ち込む少年少女はたのもしい。
しっかり勉強して頭に筋肉をつけて、21世紀を開拓してくれたまえ!と、クラーク博士の気分で(えらそうに)電波を送っておいた。
こんな子が、頭脳流出して行くのかもしれないけど(それでもいいか)。


日本シリーズ必勝法

at 2002 10/30 22:28 編集

勝負はみえみえだった。
これじゃーまるでアメリカ対イラクの戦争みたいじゃないか。戦争にもなってない。
なにせ、巨人には9人スタメンがいたが、西武のスタメンはカブレラ一人。笑える茶番劇だ。

来年度のペナントレースをおもしろくする案はないものか・・・?
 
(1)柴田倫代爆弾で骨抜きになった松阪クンに、粛正を求めるのは間違っておる。むしろ、「モー娘散弾銃」でも浴びせて絶倫投手に変身させる。柴田アナは焦って技を磨くだろう。
 
(2)巨人まるごとセリーグから切り離して、アメリカ大リーグに移籍していただく。マリナーズ対巨人というカードは、大人気になるだろう。
 
(3)タイガース選手の年俸を半額にして、しがないサラリーマンと同レベルにする。それでも阪神はそこそこ成績を残しそうだ。ローコスト野球の醍醐味に、サラリーマンは同情を感じて自らも粗食勤勉に励み、国民の健康は向上する。

あぁ、長嶋選手の引退メッセージじゃないが、ジャイアンツ(だけ)は永遠に不滅です!てか・・・?

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