2002.12.31 Tuesday
供給者の論理
at 2002 12/03 03:22 編集
よく消費者問題でこんな言葉が出てくるのだが、もちろん教育の場でもいえること。
「教育」と「学習」は、内容も方法も狙いも食い違うのが当然だ。
とまぁ、難しい論争は横におくとして、最近WEB上の写真を見て思うこと。
写真の技法では、本でも学校でも「人物写真は目にピントを合わせること」と、鉄則のように言い古されてきた。たしかに、どんなに被写体がよくても、マシンがよくても、目に合焦していないショットは、どこか間抜けで、いかにも素人写真に見えてしまう。
ところが、グラビア写真などで、ポーズの狙いがたとえば胸を強調したものだと、当然それは見せたい一点も見たい一点も胸なのに、あいかわらずピントは目に合っている・・・というショットが多い。
スタイリストや振り付けの狙いは見る側の欲望と一致しているのに、撮影者の脳内の教科書は「ピントは目!」という呪い(?)に縛りつけられているのである。
こんな齟齬は、被写界深度が浅い望遠レンズ+開放絞り+フィルムカメラという伝統的な「写真」術につきものだっただろうが、今はデジタル画像時代。
小口径CCDで撮ると、被写界深度はうんと深くなって、パンフォーカスに近くなるから、立体的なポーズをとったモデルでも、「すみずみまでくっきり」というショットになりがちだ。アウトフォーカスをレタッチする技術だってある。
すると、それはそれで微妙な被写界深度の調節という写真撮影や写真鑑賞の妙がなくなってしまうようで、少し寂しい気がしたりするから、勝手なものだと思う。
アマチュア用のデジカメなど、ぼかしたくてもぼけない機種が多いから、「絞り」の意味までぼやけてしまう。マルチコーティングだカールツァイスだとこだわりながら、玉虫色に輝くレンズをみがいていたフィルムカメラの時代は、アマチュアレベルでは終わってしまいそうな気がする。サービス判程度のプリントなら、街のDPE屋さんに持って行かなくても、自分でデジタルプリントした方が安くて手軽だ。
でも、フィルムよ永遠に!と思う気持ちも残っていて、しぶとくフィルムカメラを旅に持って出る。
行きつけの中古カメラ屋に、ライカM6が10万円で出るようになった。
10万円あれば、さて中古ライカを買うだろうか。このクラスだと相当ハイレベルのデジカメも買えるし・・・。
35ミリフィルムも、そのうち110(ワンテン)やディスクカメラのような運命をたどるのだろうか。
友、逝く
at 2002 12/03 22:58 編集
あっけない。まだ40歳で、20年来の友人があの世へ旅立ってしまった。
新入生やサークル勧誘でごった返す春爛漫のキャンパスで、「おまえ、予備校で一緒やったんちゃう?」と声をかけたところから、腐れ縁が始まった。
ゼミも外国語クラスも一緒、サークルは違っていたがコンパもよく一緒、伊吹山や志賀高原に安い宿を見つけて、スキーも一緒に行った。
卒業して仲間が全国に散らばっても、お互い神戸市内に住み続け、ずっと飲み仲間だった。
飽きもせず、よく写真の話をした。僕の撮る「新作」も楽しみにしてくれていた。
感受性が豊かで、僕がお忍びデート中(笑)にばったり出くわして、後で「あんなかわいい子、どうやってだましたんや」と追及してきやがった。
やつに言われて初めて、僕は傍らの細川ふみえ(?)を再発見させられた気がした。するどい。
父君が同じ病気で、数年前に先立っている。そして家業の後継ぎを必死にこなしていた。ばったり街で配達のワゴン車を走らせているところに出くわしたこともあった。
あぁ、僕の13年前の実家からの独立は、あのワゴン車で荷物運びをしてくれたんだった。
去年、妹さんの挙式では「花嫁の父」役を務めていた。その直後に、癌が見つかって入院、まったく元気そうだったので、案の定すぐ退院してきた。
でも、今年再入院が決まったときには、うすうす予感していたのかもしれない。いつもの宴会とも疎遠になったのは、身辺整理を始めたつもりだったのか。
闘病中にメールを送っても、やがて返事が来なくなった。9月に一度、からレスが届いた。そのときすでに、本文を打つ力がなかったのか、打とうとしてやめたのか、推し量りようがないが、いずれにせよメッセージのないレスだけ、ぽつんと送信されてきた。あぁ、あのとき電話すれば、最期を見送ることができたかもしれない!
酒はつきあい程度、煙草やらず、早寝早起きでユーモアのセンスもあって温厚な人柄。なぜ、こんないいやつが、この世におさらばしなくてはいけないのだ!
癌は非情で、命は無常だ。
あの世で幸せな結婚でもしてくれ。ありがとうな。
ご冥福を祈る。
611
at 2002 12/07 19:43 編集
物好きやなぁと思われるかもしれないが、「マイ名機」にこだわって時代遅れの低機能ピッチを使い続けている。
いよいよ重症の診断を受けてドコモがさじを投げた愛用機を、意地でも使いつづけてやろう・・・そこで、同機種を新たに契約して、生まれ変わらせようと考えた。
ヨドバシで「在庫あと1個」を掘り出してもらい、800円で購入。これをドコモに持ち込んで、解約→中身入れ替え作戦だ。
ところが、「土曜日は5時まで。日曜日は定休日」と、出鼻をくじかれてしまった。
ドコモは一昔前の役所か?
前々から、ドコモの立派な社屋+潤沢なスタッフと少ない来客のアンバランスに変な感じがしていた。ある週刊誌によると、ドコモ社員は携帯が無料で使い放題だという。
こんな維持費を、結局は客が負担していることになる。
簡単なROM書き換えや修理の受け付けなど、下請けでもパート社員でもできるはず。コアスタッフは役人体質の勤務でもいいだろう(いや、よくはないけど、とりあえず・・・)。
僕が経営者なら、販売店並に年中無休にして早朝から深夜までオープンするだろう。立派な社屋など売却してしまうか、会社の得意分野―たとえば光ファイバーネット使い放題のハイテクマンション「ドコモ荘」―なんてのに業種転換して収益増を考えるなぁ。
もちろん、消費者にとってはJ-PHONEのような新しい携帯の開発をどんどんやってほしいだろうし、なにより通話料引き下げが最大のニーズだろう。じゃんじゃん携帯を使えるようになると、たしかに既存の固定回線や公衆電話の収益率が低下するから、簡単には行かないだろうけど。
じゃー今なぜドコモにこだわるんだと突っ込まれたら、皮肉だが赤字でもPHS事業を曲がりなりにも続けてくれているメリットはある(あぁ、このツケも携帯事業のお客さん負担なのかもね)。「データ通信カード一体型携帯電話」なんてのも、他社は出していないし。
あと、キリのいい番号に愛着があるからという理由ぐらいか。番号も市場で自由に流通できればいいが、総務省の割り当てからも縛られているのだろう。
とすると、ドコモがどうという問題を超えて、役人体質そのものが消費者の宿敵なのだ。「今お使いのauの使えなくなります」なんてやってる某社も同類だ(正直に「使えなくします」と書かんかい!)。
男と女の任侠道
at 2002 12/08 13:56 編集
麦茶を買いにローソンへ。
レジがたてこんでるなぁと思ったら、バカップルどもが行列の水増しをしていたのだった。
まぁ、実際にレジでやりとりする財布は1つだけだから、時間は変わらないのかもしれない。
けど、なにもレジの行列に一緒に加わらんでもええんでないかい?片時もカレシにひっついていたいのか?
「この世は二人だけ」感覚でいると、行列の後ろでヤキモキしている客の気持ちなどわからないだろう。まぁ、それが発情のエクスタシーってもんかもしれんが、大人の想像力というのがないのかねぇ、二人そろって。
大人のカレシなら、「離れて待ってて」と言うだろうし、彼女が大人なら、すーっと自然に離れて待っているか、一緒に行列しようとはしないはず。それが仁義っちゅうもんやないですかい姉御!(笑)。
・・・と思うのも、神経質すぎるのだろうか。
思いやりとかマナーの類は、公私の区別をつけて社会生活を平穏にする公共の知恵だが、個人主義者Osawasenseからすると、公私の区別は、公の顔と私的な顔の2つの面を使い分けることでもある。その意味で、ヤクザや右翼の社会貢献、金持ちのボランティアなどは同類だ。
そんな人と接する人にとっては、「この人の意外な一面が見えた」ということになる。それが魅力につながるか失望につながるかはケースバイケース。
結婚後に配偶者の隠れた趣味を発見して離婚だなんだと騒いでいる人民がいるけれど、そんなもん、同居生活するまでにさらけ出しておけばいいではないか。さらけ出せないならひっつくな。隠すなら墓場まで隠し通せ。
カップルにしろ夫婦にしろ、養うとか無料性交できるとか、そんな契約関係ではなく、「隠しだてしないと決めた相手」ということじゃないだろうか。もう、契約を超えて仁義というもんか。ユーミンは、恋愛は任侠道だと述べていたっけ。
サイキック青年団で北野誠も話していたように、マニアックな趣味もさらけ出して、理解しあえるカップルが本物だと思う。
若い世代でも、同居もせずに結婚してしまう冒険家がまだまだ多いようだが、「あの人の本当に大事なこと」は、同居しないと絶対に見えない。金銭感覚しかり、仕事ぶりもしかり、異性関係もしかり。
「性格の不一致」なんて、あって当然だ。これを離婚理由にあげる人民は、アホかいなと笑ってしまう。
お互い「見えない者」同士で金婚式まで一緒にいられたら、それはそれでいいだろうし、冒険のようなカップリングもいいだろうけど、すったもんだして悩むんだったら、予行演習しておかないとね。
追悼イヴァン・イリッチ
at 2002 12/10 04:36 編集
いつものように、朝まで風呂につかって眠ってしまった。冬にこれをやると、下手すると死んでしまうなぁと苦笑しつつ、なまった体を叩き起こすべく「運動」をする。
ここ数日、寒気が入って、鈍色の空模様。東京は雪景色だとか。うらやましい。
片岡義男さんが書いてたっけ。冬は寒い方がいい。
自転車を磨いて、油をさして、ドコモに出向く。
修理に出したときと同じ若い兄ちゃんが、残念ながら治りませんでした・・・と恐縮して説明してくれる。
「僕もスノボに携帯持って行くんですけど、寒暖の差で結露するともう、だめですからねぇ」と、フレンドリーな会話が午後の窓口にまったりと漂う。彼も冬が楽しみな、僕と同種族なのだろう。好青年タイプだったので、「一緒に信州へいかが?」と誘いかけたが(笑)やめた。
ドコモを出ると雨。せっかく愛車を磨いてきたのに、とくさりながら、雨宿りがてら本屋で時間つぶし。
なんだかんだと3000円分ほど買ってしまった。
それにしても、日垣隆氏の論説の切れ味は冴えている。
ロジックとレトリックの世界と格闘したあとは、右脳に遊ぶ。
小林紀晴さんの『東京装置』は、単行本を買おうかどうしようかとずっと思い続けていた写文集だが、幻冬社文庫から出てくれたので即決。巧みに人物と装置を斬り分けている彼のモノクロ写真は、これまた切れ味が冴えている。
写真家にも、論理的な人がいる。いや、論理的でないと写真家は務まらないのだ―と、吉田ルイ子さんは書いていたっけ。文才がないからカメラマンになる―というのは日本人の発想で、アメリカの写真家は報道記事も書けるのが常識だという。
夜中に、偶然FMで録音したテノールを聴く。パバロッティ、カレーラス、ドミンゴの豪華な3大テノールがポピュラーを歌っている。何度も何度もくりかえして聴いてしまった。
声に表情がある。ってもんじゃない。陰翳があって、喜怒哀楽のすべてが声にみなぎっている。
男声の奥深さに圧倒されてしまった。
心地よく眠れそうだ。
さて、風呂をわかそう。
9時半出勤だから、なんとかなるか。
光の祭典の闇
at 2002 12/15 01:00 編集
ルミナリエのおかげで、夕食後のコーヒー屋が一杯で入れんではないか。
夏は花火大会で何十万人もの群れが店をふさぐし(これは1日だけだからいいが)、商店主でない元町住民にとっちゃー不自由するイベントがちまちまとある。
そもそもルミナリエは、始まったときは「震災で廃墟になった街への鎮魂の催し」だったように思う。それが、いつの間にか雑誌でじゃんじゃん宣伝され、イルミネーションイベントになってしまった。
著作権は厳重に管理され、観光客はろくに個人撮影もできなくなり、立ち止まって見上げることさえできない(立ち停まるな!とメガホンでがなりたてられる)。
光の芸術といえば、僕は石井幹子さんのスケールの大きな作品が好きだ。もっともこれは建築物や街頭のライトアップという性格が強い。
ほかにも、日本中・世界中に、光の芸術家は多いはずだから、コンペをやればいい。現実には、なぜかヴァレリオ・フェスティ&今岡コンビの独占街宣イベントになっていて、さかんに募金を呼びかけている。
おかしくないか?
ええかげんルミナリエ利権は宣伝になっているではないか。赤字なら撤退すればよろし。「光の芸術家」は、なんぼでもいてないか?
黒字にならないということは、
・飽きられている
・地元商業への経済波及効果が乏しい
ということにほかならないではないか。
もっといろんなパターンを見たい。ヒットすれば必ず飽きられる。アートの鉄則を、まさかプロデューサーは知らないわけではなかろ?
ほんま、コンペをやったらどうだろう。
独占事業のために公道を2週間も提供している市政も、おかしいぞ!と声があがってもおかしくないのに、封殺されている。
限りなく、闇である。
闇こそ照らせ。
ムービーデジカメ
at 2002 12/16 02:29 編集
デジカメを買ってしまった。
といっても、eggyというオモチャは旅行にお遊びに使ってきたから、初めてというわけではない。
「本格的」というのがどこで線を引けばいいかわからんが、ともかく本格的(?)なやつを買ってしまったのだ。
今までは、そして今でも、デジカメ自体が「本格的」ではない!写真はフィルム!と考える保守的な自分と、「そうは言ってもデジカメは手軽で、加工もできて便利」という現実的な自分とが同居している。
画素数が何百万だとか競いあっているデジカメ市場まるごと「ケッ、フィルムの画素数は無限大じゃい」と冷ややかに見てしまう。
たぶんこの1世代古いデジカメを見て、俗人は「何万画素?」と尋ねるだろう。
「さぁね、画素数とやらが気になる写真は、カールツァイスでフィルムに焼きつけるから、デジカメの画素数なんてどうでもええねん」と、スノビッシュに冷笑するかもしれない(あぁいやなやつ)。
たしかに、これからも心象風景とか、一生モノの写真を撮りたいときには、フィルムカメラを持って行くだろう。
結局、デジカメは「ちょい撮り」用のプラスアルファになっただけか?
あぁ、この値段(2万円)を、フィルムカメラ用50mmマクロレンズ購入に回してもよかったかな・・・と、さっそく浮気心が湧いてくる。
あんまり保守的でいると、デジタル画像(要するにデータだな)の使い道に目を伏せてしまうことになりかねないから、まずは撮りまくってみようか。
粕汁定食
at 2002 12/17 01:37 編集
大阪でいえば新世界のような、コアな神戸へ行ってきた。
予備校時代は毎日歩いては、地下街の古本屋で『写真時代』なんかを立ち読みしていたところだ。
ふと、粕汁定食」の貼り紙を見つけた店で夕食にした。
粕汁におでん3品、御飯に漬け物で600円。久々の粕汁がうまい。冬だからよけいにそうか。
本業はお好み焼き屋で、鉄板の真ん前のせまいカウンター席で食っていたから、暖かかった(笑)。
ふと、メニューを見てみると、焼きソバ+カレーライスの定食とか、ほかにも一品一品は変でなくても、組み合わせが妙な献立が並んでいる。
中島らもさんだったか、だれかが本で、「ラーメンライスの怪」を追究していたと思うのだが、たしかに「こりゃーどっちが主食で、どっちがおかずや?」と悩む組み合わせがある。
京都産業大に通っていた僕の友人は、学食のラーメンライスを愛好していたっけ。
僕にはできない非凡な定番コンビだ。
僕は江戸っ子なので、うどんもおでん(関東煮ね)も濃い汁が好きだ。家族も皆そうで、我が家の関東煮は汁を御飯にぶっかければ「おでん丼」みたいにおいしくいただけた。
でも、関西は薄味なので、粕汁にしても関東煮にしても、それぞれうまくても、どうもおかずにはなりにくい気がする。
ラーメンをおかずに飯を食える人というのは、味噌汁の代わりにパワフルなラーメンを添えている…というわけだろうか。
たしかに僕も、山で飯を炊くのが面倒くさいとき煮込みうどんに餅を何個か入れて夕食にしてしまうことがよくあるから、麺と餅で「炭水化物かちあいメニュー」になっている。
けどなぁ・・・ラーメンには、どうせつけるならチャーハンでしょう。
うどんライスとか、ラーメンライスとというのは、喫茶店でコーヒーを注文したら「デミタス紅茶もついています」と言われるような気分じゃなかろうか(ちょっと違うか)。
アルバム
at 2002 12/23 00:50 編集
とりあえず、「実家」が都心へ移転した。昔なじみの街にも近い。引っ越し祝いをして、ひと段落。
学生時代の80年代を端から端まですごした実家は、火事のあと取り壊されるにまかせていた。個人的な「家財道具」は、今の第3サティアンに移していたつもりで。
ところが、取り壊されてから、「あぁそういえば、あれは実家の押し入れに置いたままだったな」と思い出す物が続出。なんたるこった…。
オープンリールのテープデッキは、そんなにビンテージものではないからいいとして、幼少期からのアルバムは、ついに瓦礫と共に廃棄されてしまった。
幼稚園児の自分を眺めて感慨にふける趣味はないとはいえ、重大な過去の喪失感のようなものを何となく感じる。
亡き祖父母の形見も消えた。
祖父の集めていた古銭や、祖母が買ってくれた真空管のレコードプレイヤーも、今はもう荒ごみ処理されているだろう。
日本版PLAYBOY創刊号なんてのも、運び出しておけば、「お宝」になったかもしれない。
道楽雑誌も、今となっては貴重だ。生録雑誌の『ロクハン』とか、電波系の『初歩のラジオ』とか…。
唯一、「スカイセンサー」だけは搬出してもらっていた。
この時代のラジオはでかくて重い。抱き抱えるという感触か。赤ん坊を抱くようなボリューム感がある。
オーバーホールして、愛用してやろうと思う。
不思議と、喪失感で涙に暮れるという感じはない。なぜだろう。
いつか何かのきっかけで噴出するのかもしれない。
やっとそのときに、「育った家の火災消失」は最終的に決着するのだろうか。
「そのとき」が怖い。
苦しみますイブ
at 2002 12/25 00:38 編集
大変じゃ書類を作成せにゃならん!・・・
と、誘惑の多い第三サティアンからノートPCを持ち出して、カップルだらけの珈琲館で打ちまくる。
家でプリントアウトして、幸い徒歩通勤している職場へ自転車で「セルフ宅配」するか・・・それにしても気が重いな・・・とぼやきながら、なんとか仕上がる。
帰宅して、連絡文書を確認してアラびっくり。締め切りを1ヶ月早く勘違いしていた。
なんじゃい!
とまぁ、こんなことが多いのはボケの始まりだろうか。
仕事がある日に「ない」と勘違いする悲惨な例はほとんどなくなったが、その逆で、仕事がないのに「ある」と思いこんで出勤して手持ち無沙汰というお間抜けが、今年は多かった。
学生時代は、登校してみたら大雨警報か何かで休校になってたということもあって、そのときは何だかものすごい時間が天から与えられたような解放感を覚えたものだったが、中年になるとひたすら「睡眠取り戻し」へと気持ちが向かう。激しく自己嫌悪しつつ。
「2週間冬休みスタート!るるる〜」と話すと、サラリーマンにうらやまれるが(なら転職しておいで〜と手招きしているのだが、だれも動かない様子を見ると、サラリーマンのぼやきは深刻な不満でもない浪花節なのかな)、わたしゃ「ブルペン」が勝負。自宅がデスクなんである。「ブラウスに名札」のOL様も、大沢君、私の部屋で研修よ!と求めてくる黒木瞳係長も、いないのだ。あぁ・・・(苦笑)。
まだ出版社からの請け負い仕事がブルペンに山積み。
苦しみマスまだまだ・・・の年の瀬である。
雪やこんこん
at 2002 12/27 05:57 編集
ルミナリエが終わってくれて、やっとお膝元が静かになった。夕外食もゆっくりできる。
寒波が来たらしくて、京都あたりの山間部から雪の便りも聞く。
でも、電車から眺める六甲の山肌は、青々としていて、冬らしくない。
「瀬戸内気候」という言葉がふと車窓によぎる。六甲が白い稜線を頂くと、本格的な冬という感じがするのだが、こんなにポカポカと日当たりがよくて、同じ県の日本海側住民には申し訳ないほどだ。
まさか鈍色の地方から日光浴に人口移動しているわけではないだろうけど、観光客が多いなぁ。
神戸なんて季節感のない街で、イベントを起こして風物詩を無理やり創っている感じさえする。
それでも、過去最高の人出だったらしいルミナリエが、少しでも地元の景気に刺激を与えてくれていたら救いだ。
さて、冬は買え買え電波が充満する地元を逃れて、雪国へ行くか。
at 2002 12/03 03:22 編集
よく消費者問題でこんな言葉が出てくるのだが、もちろん教育の場でもいえること。
「教育」と「学習」は、内容も方法も狙いも食い違うのが当然だ。
とまぁ、難しい論争は横におくとして、最近WEB上の写真を見て思うこと。
写真の技法では、本でも学校でも「人物写真は目にピントを合わせること」と、鉄則のように言い古されてきた。たしかに、どんなに被写体がよくても、マシンがよくても、目に合焦していないショットは、どこか間抜けで、いかにも素人写真に見えてしまう。
ところが、グラビア写真などで、ポーズの狙いがたとえば胸を強調したものだと、当然それは見せたい一点も見たい一点も胸なのに、あいかわらずピントは目に合っている・・・というショットが多い。
スタイリストや振り付けの狙いは見る側の欲望と一致しているのに、撮影者の脳内の教科書は「ピントは目!」という呪い(?)に縛りつけられているのである。
こんな齟齬は、被写界深度が浅い望遠レンズ+開放絞り+フィルムカメラという伝統的な「写真」術につきものだっただろうが、今はデジタル画像時代。
小口径CCDで撮ると、被写界深度はうんと深くなって、パンフォーカスに近くなるから、立体的なポーズをとったモデルでも、「すみずみまでくっきり」というショットになりがちだ。アウトフォーカスをレタッチする技術だってある。
すると、それはそれで微妙な被写界深度の調節という写真撮影や写真鑑賞の妙がなくなってしまうようで、少し寂しい気がしたりするから、勝手なものだと思う。
アマチュア用のデジカメなど、ぼかしたくてもぼけない機種が多いから、「絞り」の意味までぼやけてしまう。マルチコーティングだカールツァイスだとこだわりながら、玉虫色に輝くレンズをみがいていたフィルムカメラの時代は、アマチュアレベルでは終わってしまいそうな気がする。サービス判程度のプリントなら、街のDPE屋さんに持って行かなくても、自分でデジタルプリントした方が安くて手軽だ。
でも、フィルムよ永遠に!と思う気持ちも残っていて、しぶとくフィルムカメラを旅に持って出る。
行きつけの中古カメラ屋に、ライカM6が10万円で出るようになった。
10万円あれば、さて中古ライカを買うだろうか。このクラスだと相当ハイレベルのデジカメも買えるし・・・。
35ミリフィルムも、そのうち110(ワンテン)やディスクカメラのような運命をたどるのだろうか。
友、逝く
at 2002 12/03 22:58 編集
あっけない。まだ40歳で、20年来の友人があの世へ旅立ってしまった。
新入生やサークル勧誘でごった返す春爛漫のキャンパスで、「おまえ、予備校で一緒やったんちゃう?」と声をかけたところから、腐れ縁が始まった。
ゼミも外国語クラスも一緒、サークルは違っていたがコンパもよく一緒、伊吹山や志賀高原に安い宿を見つけて、スキーも一緒に行った。
卒業して仲間が全国に散らばっても、お互い神戸市内に住み続け、ずっと飲み仲間だった。
飽きもせず、よく写真の話をした。僕の撮る「新作」も楽しみにしてくれていた。
感受性が豊かで、僕がお忍びデート中(笑)にばったり出くわして、後で「あんなかわいい子、どうやってだましたんや」と追及してきやがった。
やつに言われて初めて、僕は傍らの細川ふみえ(?)を再発見させられた気がした。するどい。
父君が同じ病気で、数年前に先立っている。そして家業の後継ぎを必死にこなしていた。ばったり街で配達のワゴン車を走らせているところに出くわしたこともあった。
あぁ、僕の13年前の実家からの独立は、あのワゴン車で荷物運びをしてくれたんだった。
去年、妹さんの挙式では「花嫁の父」役を務めていた。その直後に、癌が見つかって入院、まったく元気そうだったので、案の定すぐ退院してきた。
でも、今年再入院が決まったときには、うすうす予感していたのかもしれない。いつもの宴会とも疎遠になったのは、身辺整理を始めたつもりだったのか。
闘病中にメールを送っても、やがて返事が来なくなった。9月に一度、からレスが届いた。そのときすでに、本文を打つ力がなかったのか、打とうとしてやめたのか、推し量りようがないが、いずれにせよメッセージのないレスだけ、ぽつんと送信されてきた。あぁ、あのとき電話すれば、最期を見送ることができたかもしれない!
酒はつきあい程度、煙草やらず、早寝早起きでユーモアのセンスもあって温厚な人柄。なぜ、こんないいやつが、この世におさらばしなくてはいけないのだ!
癌は非情で、命は無常だ。
あの世で幸せな結婚でもしてくれ。ありがとうな。
ご冥福を祈る。
611
at 2002 12/07 19:43 編集
物好きやなぁと思われるかもしれないが、「マイ名機」にこだわって時代遅れの低機能ピッチを使い続けている。
いよいよ重症の診断を受けてドコモがさじを投げた愛用機を、意地でも使いつづけてやろう・・・そこで、同機種を新たに契約して、生まれ変わらせようと考えた。
ヨドバシで「在庫あと1個」を掘り出してもらい、800円で購入。これをドコモに持ち込んで、解約→中身入れ替え作戦だ。
ところが、「土曜日は5時まで。日曜日は定休日」と、出鼻をくじかれてしまった。
ドコモは一昔前の役所か?
前々から、ドコモの立派な社屋+潤沢なスタッフと少ない来客のアンバランスに変な感じがしていた。ある週刊誌によると、ドコモ社員は携帯が無料で使い放題だという。
こんな維持費を、結局は客が負担していることになる。
簡単なROM書き換えや修理の受け付けなど、下請けでもパート社員でもできるはず。コアスタッフは役人体質の勤務でもいいだろう(いや、よくはないけど、とりあえず・・・)。
僕が経営者なら、販売店並に年中無休にして早朝から深夜までオープンするだろう。立派な社屋など売却してしまうか、会社の得意分野―たとえば光ファイバーネット使い放題のハイテクマンション「ドコモ荘」―なんてのに業種転換して収益増を考えるなぁ。
もちろん、消費者にとってはJ-PHONEのような新しい携帯の開発をどんどんやってほしいだろうし、なにより通話料引き下げが最大のニーズだろう。じゃんじゃん携帯を使えるようになると、たしかに既存の固定回線や公衆電話の収益率が低下するから、簡単には行かないだろうけど。
じゃー今なぜドコモにこだわるんだと突っ込まれたら、皮肉だが赤字でもPHS事業を曲がりなりにも続けてくれているメリットはある(あぁ、このツケも携帯事業のお客さん負担なのかもね)。「データ通信カード一体型携帯電話」なんてのも、他社は出していないし。
あと、キリのいい番号に愛着があるからという理由ぐらいか。番号も市場で自由に流通できればいいが、総務省の割り当てからも縛られているのだろう。
とすると、ドコモがどうという問題を超えて、役人体質そのものが消費者の宿敵なのだ。「今お使いのauの使えなくなります」なんてやってる某社も同類だ(正直に「使えなくします」と書かんかい!)。
男と女の任侠道
at 2002 12/08 13:56 編集
麦茶を買いにローソンへ。
レジがたてこんでるなぁと思ったら、バカップルどもが行列の水増しをしていたのだった。
まぁ、実際にレジでやりとりする財布は1つだけだから、時間は変わらないのかもしれない。
けど、なにもレジの行列に一緒に加わらんでもええんでないかい?片時もカレシにひっついていたいのか?
「この世は二人だけ」感覚でいると、行列の後ろでヤキモキしている客の気持ちなどわからないだろう。まぁ、それが発情のエクスタシーってもんかもしれんが、大人の想像力というのがないのかねぇ、二人そろって。
大人のカレシなら、「離れて待ってて」と言うだろうし、彼女が大人なら、すーっと自然に離れて待っているか、一緒に行列しようとはしないはず。それが仁義っちゅうもんやないですかい姉御!(笑)。
・・・と思うのも、神経質すぎるのだろうか。
思いやりとかマナーの類は、公私の区別をつけて社会生活を平穏にする公共の知恵だが、個人主義者Osawasenseからすると、公私の区別は、公の顔と私的な顔の2つの面を使い分けることでもある。その意味で、ヤクザや右翼の社会貢献、金持ちのボランティアなどは同類だ。
そんな人と接する人にとっては、「この人の意外な一面が見えた」ということになる。それが魅力につながるか失望につながるかはケースバイケース。
結婚後に配偶者の隠れた趣味を発見して離婚だなんだと騒いでいる人民がいるけれど、そんなもん、同居生活するまでにさらけ出しておけばいいではないか。さらけ出せないならひっつくな。隠すなら墓場まで隠し通せ。
カップルにしろ夫婦にしろ、養うとか無料性交できるとか、そんな契約関係ではなく、「隠しだてしないと決めた相手」ということじゃないだろうか。もう、契約を超えて仁義というもんか。ユーミンは、恋愛は任侠道だと述べていたっけ。
サイキック青年団で北野誠も話していたように、マニアックな趣味もさらけ出して、理解しあえるカップルが本物だと思う。
若い世代でも、同居もせずに結婚してしまう冒険家がまだまだ多いようだが、「あの人の本当に大事なこと」は、同居しないと絶対に見えない。金銭感覚しかり、仕事ぶりもしかり、異性関係もしかり。
「性格の不一致」なんて、あって当然だ。これを離婚理由にあげる人民は、アホかいなと笑ってしまう。
お互い「見えない者」同士で金婚式まで一緒にいられたら、それはそれでいいだろうし、冒険のようなカップリングもいいだろうけど、すったもんだして悩むんだったら、予行演習しておかないとね。
追悼イヴァン・イリッチ
at 2002 12/10 04:36 編集
いつものように、朝まで風呂につかって眠ってしまった。冬にこれをやると、下手すると死んでしまうなぁと苦笑しつつ、なまった体を叩き起こすべく「運動」をする。
ここ数日、寒気が入って、鈍色の空模様。東京は雪景色だとか。うらやましい。
片岡義男さんが書いてたっけ。冬は寒い方がいい。
自転車を磨いて、油をさして、ドコモに出向く。
修理に出したときと同じ若い兄ちゃんが、残念ながら治りませんでした・・・と恐縮して説明してくれる。
「僕もスノボに携帯持って行くんですけど、寒暖の差で結露するともう、だめですからねぇ」と、フレンドリーな会話が午後の窓口にまったりと漂う。彼も冬が楽しみな、僕と同種族なのだろう。好青年タイプだったので、「一緒に信州へいかが?」と誘いかけたが(笑)やめた。
ドコモを出ると雨。せっかく愛車を磨いてきたのに、とくさりながら、雨宿りがてら本屋で時間つぶし。
なんだかんだと3000円分ほど買ってしまった。
それにしても、日垣隆氏の論説の切れ味は冴えている。
ロジックとレトリックの世界と格闘したあとは、右脳に遊ぶ。
小林紀晴さんの『東京装置』は、単行本を買おうかどうしようかとずっと思い続けていた写文集だが、幻冬社文庫から出てくれたので即決。巧みに人物と装置を斬り分けている彼のモノクロ写真は、これまた切れ味が冴えている。
写真家にも、論理的な人がいる。いや、論理的でないと写真家は務まらないのだ―と、吉田ルイ子さんは書いていたっけ。文才がないからカメラマンになる―というのは日本人の発想で、アメリカの写真家は報道記事も書けるのが常識だという。
夜中に、偶然FMで録音したテノールを聴く。パバロッティ、カレーラス、ドミンゴの豪華な3大テノールがポピュラーを歌っている。何度も何度もくりかえして聴いてしまった。
声に表情がある。ってもんじゃない。陰翳があって、喜怒哀楽のすべてが声にみなぎっている。
男声の奥深さに圧倒されてしまった。
心地よく眠れそうだ。
さて、風呂をわかそう。
9時半出勤だから、なんとかなるか。
光の祭典の闇
at 2002 12/15 01:00 編集
ルミナリエのおかげで、夕食後のコーヒー屋が一杯で入れんではないか。
夏は花火大会で何十万人もの群れが店をふさぐし(これは1日だけだからいいが)、商店主でない元町住民にとっちゃー不自由するイベントがちまちまとある。
そもそもルミナリエは、始まったときは「震災で廃墟になった街への鎮魂の催し」だったように思う。それが、いつの間にか雑誌でじゃんじゃん宣伝され、イルミネーションイベントになってしまった。
著作権は厳重に管理され、観光客はろくに個人撮影もできなくなり、立ち止まって見上げることさえできない(立ち停まるな!とメガホンでがなりたてられる)。
光の芸術といえば、僕は石井幹子さんのスケールの大きな作品が好きだ。もっともこれは建築物や街頭のライトアップという性格が強い。
ほかにも、日本中・世界中に、光の芸術家は多いはずだから、コンペをやればいい。現実には、なぜかヴァレリオ・フェスティ&今岡コンビの独占街宣イベントになっていて、さかんに募金を呼びかけている。
おかしくないか?
ええかげんルミナリエ利権は宣伝になっているではないか。赤字なら撤退すればよろし。「光の芸術家」は、なんぼでもいてないか?
黒字にならないということは、
・飽きられている
・地元商業への経済波及効果が乏しい
ということにほかならないではないか。
もっといろんなパターンを見たい。ヒットすれば必ず飽きられる。アートの鉄則を、まさかプロデューサーは知らないわけではなかろ?
ほんま、コンペをやったらどうだろう。
独占事業のために公道を2週間も提供している市政も、おかしいぞ!と声があがってもおかしくないのに、封殺されている。
限りなく、闇である。
闇こそ照らせ。
ムービーデジカメ
at 2002 12/16 02:29 編集
デジカメを買ってしまった。
といっても、eggyというオモチャは旅行にお遊びに使ってきたから、初めてというわけではない。
「本格的」というのがどこで線を引けばいいかわからんが、ともかく本格的(?)なやつを買ってしまったのだ。
今までは、そして今でも、デジカメ自体が「本格的」ではない!写真はフィルム!と考える保守的な自分と、「そうは言ってもデジカメは手軽で、加工もできて便利」という現実的な自分とが同居している。
画素数が何百万だとか競いあっているデジカメ市場まるごと「ケッ、フィルムの画素数は無限大じゃい」と冷ややかに見てしまう。
たぶんこの1世代古いデジカメを見て、俗人は「何万画素?」と尋ねるだろう。
「さぁね、画素数とやらが気になる写真は、カールツァイスでフィルムに焼きつけるから、デジカメの画素数なんてどうでもええねん」と、スノビッシュに冷笑するかもしれない(あぁいやなやつ)。
たしかに、これからも心象風景とか、一生モノの写真を撮りたいときには、フィルムカメラを持って行くだろう。
結局、デジカメは「ちょい撮り」用のプラスアルファになっただけか?
あぁ、この値段(2万円)を、フィルムカメラ用50mmマクロレンズ購入に回してもよかったかな・・・と、さっそく浮気心が湧いてくる。
あんまり保守的でいると、デジタル画像(要するにデータだな)の使い道に目を伏せてしまうことになりかねないから、まずは撮りまくってみようか。
粕汁定食
at 2002 12/17 01:37 編集
大阪でいえば新世界のような、コアな神戸へ行ってきた。
予備校時代は毎日歩いては、地下街の古本屋で『写真時代』なんかを立ち読みしていたところだ。
ふと、粕汁定食」の貼り紙を見つけた店で夕食にした。
粕汁におでん3品、御飯に漬け物で600円。久々の粕汁がうまい。冬だからよけいにそうか。
本業はお好み焼き屋で、鉄板の真ん前のせまいカウンター席で食っていたから、暖かかった(笑)。
ふと、メニューを見てみると、焼きソバ+カレーライスの定食とか、ほかにも一品一品は変でなくても、組み合わせが妙な献立が並んでいる。
中島らもさんだったか、だれかが本で、「ラーメンライスの怪」を追究していたと思うのだが、たしかに「こりゃーどっちが主食で、どっちがおかずや?」と悩む組み合わせがある。
京都産業大に通っていた僕の友人は、学食のラーメンライスを愛好していたっけ。
僕にはできない非凡な定番コンビだ。
僕は江戸っ子なので、うどんもおでん(関東煮ね)も濃い汁が好きだ。家族も皆そうで、我が家の関東煮は汁を御飯にぶっかければ「おでん丼」みたいにおいしくいただけた。
でも、関西は薄味なので、粕汁にしても関東煮にしても、それぞれうまくても、どうもおかずにはなりにくい気がする。
ラーメンをおかずに飯を食える人というのは、味噌汁の代わりにパワフルなラーメンを添えている…というわけだろうか。
たしかに僕も、山で飯を炊くのが面倒くさいとき煮込みうどんに餅を何個か入れて夕食にしてしまうことがよくあるから、麺と餅で「炭水化物かちあいメニュー」になっている。
けどなぁ・・・ラーメンには、どうせつけるならチャーハンでしょう。
うどんライスとか、ラーメンライスとというのは、喫茶店でコーヒーを注文したら「デミタス紅茶もついています」と言われるような気分じゃなかろうか(ちょっと違うか)。
アルバム
at 2002 12/23 00:50 編集
とりあえず、「実家」が都心へ移転した。昔なじみの街にも近い。引っ越し祝いをして、ひと段落。
学生時代の80年代を端から端まですごした実家は、火事のあと取り壊されるにまかせていた。個人的な「家財道具」は、今の第3サティアンに移していたつもりで。
ところが、取り壊されてから、「あぁそういえば、あれは実家の押し入れに置いたままだったな」と思い出す物が続出。なんたるこった…。
オープンリールのテープデッキは、そんなにビンテージものではないからいいとして、幼少期からのアルバムは、ついに瓦礫と共に廃棄されてしまった。
幼稚園児の自分を眺めて感慨にふける趣味はないとはいえ、重大な過去の喪失感のようなものを何となく感じる。
亡き祖父母の形見も消えた。
祖父の集めていた古銭や、祖母が買ってくれた真空管のレコードプレイヤーも、今はもう荒ごみ処理されているだろう。
日本版PLAYBOY創刊号なんてのも、運び出しておけば、「お宝」になったかもしれない。
道楽雑誌も、今となっては貴重だ。生録雑誌の『ロクハン』とか、電波系の『初歩のラジオ』とか…。
唯一、「スカイセンサー」だけは搬出してもらっていた。
この時代のラジオはでかくて重い。抱き抱えるという感触か。赤ん坊を抱くようなボリューム感がある。
オーバーホールして、愛用してやろうと思う。
不思議と、喪失感で涙に暮れるという感じはない。なぜだろう。
いつか何かのきっかけで噴出するのかもしれない。
やっとそのときに、「育った家の火災消失」は最終的に決着するのだろうか。
「そのとき」が怖い。
苦しみますイブ
at 2002 12/25 00:38 編集
大変じゃ書類を作成せにゃならん!・・・
と、誘惑の多い第三サティアンからノートPCを持ち出して、カップルだらけの珈琲館で打ちまくる。
家でプリントアウトして、幸い徒歩通勤している職場へ自転車で「セルフ宅配」するか・・・それにしても気が重いな・・・とぼやきながら、なんとか仕上がる。
帰宅して、連絡文書を確認してアラびっくり。締め切りを1ヶ月早く勘違いしていた。
なんじゃい!
とまぁ、こんなことが多いのはボケの始まりだろうか。
仕事がある日に「ない」と勘違いする悲惨な例はほとんどなくなったが、その逆で、仕事がないのに「ある」と思いこんで出勤して手持ち無沙汰というお間抜けが、今年は多かった。
学生時代は、登校してみたら大雨警報か何かで休校になってたということもあって、そのときは何だかものすごい時間が天から与えられたような解放感を覚えたものだったが、中年になるとひたすら「睡眠取り戻し」へと気持ちが向かう。激しく自己嫌悪しつつ。
「2週間冬休みスタート!るるる〜」と話すと、サラリーマンにうらやまれるが(なら転職しておいで〜と手招きしているのだが、だれも動かない様子を見ると、サラリーマンのぼやきは深刻な不満でもない浪花節なのかな)、わたしゃ「ブルペン」が勝負。自宅がデスクなんである。「ブラウスに名札」のOL様も、大沢君、私の部屋で研修よ!と求めてくる黒木瞳係長も、いないのだ。あぁ・・・(苦笑)。
まだ出版社からの請け負い仕事がブルペンに山積み。
苦しみマスまだまだ・・・の年の瀬である。
雪やこんこん
at 2002 12/27 05:57 編集
ルミナリエが終わってくれて、やっとお膝元が静かになった。夕外食もゆっくりできる。
寒波が来たらしくて、京都あたりの山間部から雪の便りも聞く。
でも、電車から眺める六甲の山肌は、青々としていて、冬らしくない。
「瀬戸内気候」という言葉がふと車窓によぎる。六甲が白い稜線を頂くと、本格的な冬という感じがするのだが、こんなにポカポカと日当たりがよくて、同じ県の日本海側住民には申し訳ないほどだ。
まさか鈍色の地方から日光浴に人口移動しているわけではないだろうけど、観光客が多いなぁ。
神戸なんて季節感のない街で、イベントを起こして風物詩を無理やり創っている感じさえする。
それでも、過去最高の人出だったらしいルミナリエが、少しでも地元の景気に刺激を与えてくれていたら救いだ。
さて、冬は買え買え電波が充満する地元を逃れて、雪国へ行くか。