年越しまとめて
at 2003 01/01 19:12 編集
年末は「いつもの豪華旅館」へ一人スキー旅。
妙高で初滑りする。
ふだんはめったに見えない富士山が、朝からタ方までずっと見えていた。厄年の今年一年、個人的には実に運に恵まれていた。富士山に感謝。
ゲレンデはすいていて、ゴンドラも滑り込み状態。一日券の元を2回とれた。不景気万歳である。
仲間と行くツアーを急に一人で1日繰り上げて早出(早着?)したので、僕の単独行動への怒り(笑)を沸騰させながら、翌日ワーカーさん一人合流。
一人旅も一人スキーも、グループとは別の良さがあるよ・・・と説いても、なかなか理解されない。どころか、厳しく断罪されてしまった。
ま、出る杭は打たれて強くなるとしよう。
ゲしンデには学校グループも来ていて、どこの女子校だろうか、ゼッケンにフルネームが書いてあって、綾乃、蘭、杏奈、梓・・・と麗しい名前が並ぶと、芸能関係にも見えた(おとめ、お琴、おヨネ、京奴・・・と並ぶと、それも壮観だろう)。
でもこんな女子校こそ、同調圧力が充満してるのだろうな・・・。
3日日に、元学生が彼女を連れて合流。変なメンバー構成だこと(笑)。
ワーカーさんが帰ったあと、妙高でカップルをしごいて、これまた恨まれる。「ハの字の彼」を、いきなり2kmのスーパーモーグルコースに誘導するのも、酷ではあったかのぉ。
「お疲れさん」と長野駅前で一杯やって、3人で夜行で帰阪。
大晦日ではないか!年賀状買いに行かねば!とバタバタしているうちに、あぁ年が変わってしもうた。
年賀状
at 2003 01/01 20:26 編集
お悔やみの文面も混じった年賀状がドサッと届く。
あわてて筆ペンで返事を手書きするのに午後がつぶれた。
でも、これが「正しい年賀状の書き方」じゃないかと思うのだが・・・。
昨年、ちち丸出し(笑)の画像年賀メールをくれた某サバトは、あえて年賀状は控えたという。ありがたい気配りだ。
どうせなら、メールアート風にショーツに切手を貼って出すとか、だれか革命的な年賀状をくれないものだろうか。だんだんプリンターで機械的に処理された「葉書のような書類」が増えて、ふとそう思った。
女性はプリントごっことか手書きなど、手書き風味の年賀状が多いようでうれしいけど。
やがて、動画つきとかウィルスつき年賀メールがごく普通の年中行事になるのも、もうすぐかもしれない。いや、もう写メールでやってる新人類は多いだろう。ファイリングも簡単だし数円で送れるから、書中見舞いも年賀状も、携帯メールに置き換わって行きそうだ。
でも僕は、あの葉書というフォーマットが好きだ。
文庫本もA6判だから葉書サイズ。気軽に尻ポケットに押し込むというカジュアルさがいい。
深夜ラジオに生息していた葉書職人というマニアに、色刷りの葉書をペッタンペッタン手で刷り上げて行くプリントごっこ・・・。
葉書サイズは、なにかと楽しい「プチ芸」にもつながって行く。
葉書文化は残ってほしいと思う。
今年から、ローソン店内に郵便ポストが置かれるという。便利になっていい。
ポストと切手販売ポイントが離れていることが、「郵便=面倒」という不便感を募らせてきたと思う。切手を買ったらその場で貼って発送できる、というのが当たり前の流れではないか。これを考えなかった郵政は、Eメールに対して劣勢になって当然だ。
郵便は古いようで実は新しい。
郵便システムに、ポストや郵便局というプラットフォームから数十円払って乗ると、全国一律の料金で届けてくれる。インターネットと同じなのだ。
遠距離ほど通話料がバカ高くなる電話こそ、遅れている。
紙の文面は、情報量が少ないようで実は多い。筆跡や仮名遣い、文体など、機械まかせでない書き手の素顔が出てくるから。
だから、もし僕がファンレターがどっさり来るような有名人だったら、メールアドレスや電話番号ではなく、郵便の受け取り場所を公開して「郵便のみ受けとります」と宣言する。手間をかけて書いてくれる人からのお便りだけほしい。
「文通」という、あぁあの中学時代のロマン(?)よ再び!という感じ。アホみたいだが。
白い粉や銃弾やカミソリや髪の毛や不幸など、いろんなオマケもついて、文通は楽しいではないか(笑)。
風花
at 2003 01/04 23:10 編集
三箇日が明けて、この冬の初雪じゃないだろうか。
明るい日光に、風花のように雪が舞っている。
とことん冷え込んだけれど、この方が冬らしくていい。
本格的な雪の前に初滑りしといてよかった。降雪が先だと、なんとなく出遅れたような、落ち着かない気がする。
こんな朝に、ふと裏山に入ってみると、積もった雪の上に野うさぎの足跡を見つけた経験がある。明日の朝、目が覚め(さえす)れば、裏山ハイクしてみようか。
そういえば、黒姫山のゲレンデ横を、オコジョが走っていたっけ。
銀世界にも、小さな命が潜んでいて、お邪魔するよ・・・と分け入ると、案外いろんな生き物に会えたりするのは楽しい。
どこかから、つぶらな瞳が、リュックを背負ったりスキーを履いたりしてえっちらおっちら動いているぶざまな人間たちを、じっと見ているのだろう。
まだ熊には会ったことがないが、神戸市民はイノシシには顔なじみだから、会えたらみな顔がほころんでいる。いきなり悲鳴をあげる人間はよそ者だとわかる。
消防士に救出された実家の子猫は、兄宅にひきとられた後、家出して行方知れずのまま。
この寒空の下、どこか暖かい家にまた拾われていればいいが・・・。
食後は大スポ!
at 2003 01/06 00:23 編集
珈琲館で新聞を読んでいると、完全に正月終了だ。
小室 KEIKO極秘新婚旅行
ハワイでアツアツ姿を目撃
という事態が発生しておるらしい。今年の国際情勢を暗示するような大ニュースではないかっ。
二人はワイキキ中心部で見つめ合っておにぎりを食べたり(ちなみに明太子と鮭)、「古着屋で袋いっぱいの買い物」を楽しんでいるという。
大スポはこの光景に「早くも小室がKEIKOの尻に敷かれている」とコメントしているのだが、こんなチープないちゃつきかたでほんとに妻が満足しているなら、小室さんあんたは偉い!
最初は「釣った魚に・・・」の類の単なるドケチかと思ったよ、ほんと。
堅めの新聞にも目を通すと、国語研究所の提案したカタカナ語いいかえ集が、早くも波紋を呼んでいるという。僕も「こりゃー変」と思ったぞ、インフォームド・コンセント=納得診療なんかは。
これは二重の意味でレトリックのマジックなのだ。
・・・といえば、これ即ちカタカナ濫用だな。苦笑。
インフォームド・コンセントは医者のトラブル回避術という文脈上にある考え方で、本来なら「包み隠さず診察情報を知る権利」「診療を選ぶ権利」という患者の権利の問題なのだ。だから「インフォームド・チョイス」が正しい。
ただ、医者の示した選択肢のどれかを受け入れないと報復が怖い・・・というので渋々「コンセント」してきたにすぎない。これまでの医療現場では。
説明してもわかんないでしょ?医学を勉強してから尋ねなさい!という悪徳医も絶滅していないしなぁ。
正月に、会社員平均年収の1.5倍をもらってさらに血税で大学院へ送りこまれている某公務員と、かみ合わない団欒を楽しみ(?)、役人と納税者の関係にも、インフォームド・チョイスは必要やなぁと感じた。
公務員の頭の中には、「リストラ」「不景気」「デフレ」というリアリティが皆無である。学業半ばで、親のリストラで泣く泣く中退する学生の無念さは、役人教諭には決してわからない。
役人どもの現年収と生涯所得とフリンジ・べネフィット(おっとカタカナ濫用だ・・・うま味と言い換えようか)こそ、情報開示して―前にも書いたが名札と年収を表示させて―その仕事ぶりを納税者が見て「インフォームド・No!」が言える社会を造らにゃいかんわな。
さぁ、官僚天国ニッポンという標的に、今年も闘志をかきたてられたぞ。
仕事始め
at 2003 01/08 00:19 編集
いきなり11時間勤務だった。
ふだんの昼夜逆転リズムが身についてしまっているから、朝起きるのがひと苦労。
結局、湯船で眠って8時に起き、出勤するとどうも喉の調子が悪い。
鉄道マニアのキュートな主婦が、激しく鼻をかんで赤い鼻になっていたのが愛嬌満点だ。
仕事始めは、いきなりおもろい人材に対面できて楽しかった。
間もなくお別れではあるけれど。
早起きは三文の損
at 2003 01/08 14:39 編集
早起きして、寒さにこごえながら着替えして、さて出勤しようかという直前にふと確認すると、今日は休業日だった。あぁ・・・。
去年は職場に着いてから「休業日だった」という大間抜けが何度かあったから、今年は少しは進歩した・・・といえるだろうか。
それにしても、なんとなく真夏の早起きはすがすがしいけれど、厳冬期の早起きは「寒いだけ」。
なんだか午後まで頭が痛いぞ。
くたばっては困るよ専業主婦
at 2003 01/09 00:19 編集
出版流通業界もやっと正月明け。
本屋で石原里沙さんの『くたばれ専業主婦』(光文社知恵の森文庫)を立ち読みする。『ふざけるな・・・』よりパワーアップしてて、まぁアッパレというか、無鉄砲というか・・・。
内容は「おっしゃる通り!」なんだけれど、あえて感情的な専業主婦の雄叫びだけを俎上に乗せている気配も、なきにしもあらず。たぶん、「本質的には同類」の主婦などは「甘えた主婦もいるもんだわ。これだから主婦バッシングされるのよ」と、突き放して見ているのではないか?
社会学屋からすると、これほど専業主婦が「自明の職業」として定着させてきた社会保障制度や税制、雇用慣行こそ問題だ・・・という見方になるのだが、そこまで掘り下げて分析するゆとりがなかったのか?
主婦優遇制度の政策意図は、つきつめれば「女は安定した再生産に専念せよ」というところにある点は、疑いようがない。サラリーマンも財界も役人も、それを支持しているのだから、専業主婦バッシングだけだと少し視野狭窄な感じもする。
「自分の食い食い扶持は自分で稼ぐ」「人に養われる家畜身分はNo!」と、考えたこともなく30年40年生きてきた主婦が、かりに発奮(笑)して労働市場に出たところで、時給800円程度のパート労働で疲れはて、働きに出る利益と犠牲を秤にかけたら、結局は家庭に出戻って「女房を養う男の沽券セーフ!」「ママおかえり〜」でチャンチャン!
てことになるんじゃないか?
食って行けるほどのワーキングスキルは、一朝一夕には身につかない。
と同様、専業主婦という生き方も一朝一夕にできるわけではない。それは「女の子」の延長にあるんだから。
闘ったり考えたり創造したりする知的能力を、言葉を獲得しはじめるのと同時並行で磨いて行かないと、学校では生き方など教えてくれない(とりあえず高校レベルで確実に教師にできることは、教師になる方法を教えることぐらいか)。それを自分でつかむか、彼氏(夫)に頼る道を選ぶかが人生の分かれ道になりそうだ。
大事な十代のころに自立を意識しないと、年がいってから自立しようとすると、家庭崩壊しかねない。崩壊すること自体は、肯定も否定もしないけれど、結局ツケは社会に回ってくる。
日本の少女は10代で「かわいくしてれば守ってもらえて、いろいろおごってもらえるうま味」を学習する。で、20代まで(いや、30代までも?)「飾る・食う・旅する」しか載ってない女性誌の世界に浸った揚げ句、だれかの被扶養者になり間もなく母親になってしまえば、それから「140万円の壁」を抜け出るほど働くのは、41歳の僕がアイドル歌手デビューする(笑)ようなもんだろうな・・・。
さて、日本から専業主婦がせめて半減するのが早いか、僕がアイドルデビューするのが早いか・・・!?
カーテンコール
at 2003 01/09 23:48 編集
3時間のステージのつもりが、出動してみると半分の90分で終わりだった。
やや拍子抜け。カーテンコールでもあればアンコール講演してしまう気合いはあったが、実際そんなことないわなぁ。
どうも今年は出足がよろめいている。反省。
出演中、別の職場の同僚から、留守電あり。
お仲間みな本調子の回復によろめいているようだ(笑)。集まると「血管が・・・」「私は心臓が・・・」と病気談義になってしまうのは情けないやらわびしいやら。
ともかく、今年も体は健康、意気は軒昂で行きたいものだ。
長い長いため息
at 2003 01/11 15:34 編集
きのう昼食がてら喫茶店でたまたま見た毎日新聞で、社説が「出会い系」法規制にコメントしていた。
http://www.mainichi.co.jp/eye/shasetsu/200301/10-1.html
「出会って売る」側を、警察が加害者として摘発しようとしているのだが、すでに成人の売春は昔からそうなっている。
これを、今までは「保護」されていた18歳末満にも適用しようという司法運用に対して、社説は
「売春は買われる側から誘うのが通り相場で、かつて管理売春に泣かされた女性たちも、嫌々自ら声を掛けていたことを思い起こすべきだ」
と述べ、大人の取り締まり強化(氏名公表など)を徹底すれば、児童買春は一掃できるはずだ――と力説しておられる。
んんんん・・・どうだかなぁ。
まず、この論説委員氏の頭の中では、昔の女郎部屋と現代の援交がごっちゃになっている感じもする。
第一、「嫌々自ら声を掛けていた」って、ホンマかいな。
不謹慎ながら笑ってしまったのが、「売春は買われる側から誘うのが通り相場」というわけ知り顔の断定。「通り相場」って、あのねぇ・・・。
そうだからこそ、誘う側を処罰しようという話になるんだが。
そもそも、「買われる側から誘う」は論理矛盾ではないか。「売る側から誘う(買われるために売り込む)」のか、知恵が働く売人なら「誘われたかのように売る」のが実態ではなかろうか。
確信犯的に春を売る女性を「保護」「救済」したいなら、女を売る文化そのものを歴史的に検証してこそジャーナリストだろう。
そうすると、この「歴史」の中に我々はみな生きているわけで、毎日新聞社はミスコンの類を主催・共催・後援したことがないのか、社屋に手をあてて考えてみればいい。
社説さんがタイムトリップしている時代の売買春は、権力関係として読み解くことができる。その意味では、専業主婦というシステムや現代のアカハラと地続きだ。権力を盾に、拒否も告発もできない関係を強いる行為は、痴漢のような性犯罪とは次元が異なっていて、性的搾取の社会構造といえる。
この「権力」は、威厳やカリスマ性に自覚的に服従させる魔力?とは違って、システム化・制度化・マニュアル化されている。早い話、高学歴や難関資格を取れば、自動的に高い地位に就けるしくみが法的にも保証されているということだ。たとえば、東大法学部を出て絶大な許認可権やプレミアムな情報を握る役人の立場になれば、のし紙つきの見合いからエロ接待まで、あちらから快楽がやって来る(のかね?経験ないけど)。
毎日といえば、この権力への階段を、さんざん批判されても掲載し続ける「有名大学合格者高校別ランキング」という形で掲載する週刊誌を発行している会社だが、自社の商品の売り上げには頬かむりして、「春を買う力」「春を売るしかない道」を温存・強化するのは偽善というものだ。
高い地位やゼニを持てば、快楽を買おうと考える習性それ自体を否定するつもりはない。大昔も今も未来も、「春」は商品として市場を形成している。「私はイヤよ」と取引に参加しない権利もある。それを貫いている人もいる一方で、実際には買われているのに、それに気づかない「砂の上のプライド城の姫」もおられる。
もちろん買おうとする男性もいるわけで、横山ノックみたいな類は、正直なのか、単純明快なのか・・・。
でも社会の木鐸を自認している報道マン諸氏は、プレゼントで女性の歓心を買ったりしたことがないのだろうか。その延長すぐ先に、金で体を買う」があるのではなかったか。
「それは結局こういうしくみです」と真実を伝える報道は、存在しえないのだろうか。
ぎゅーっ・・・
at 2003 01/12 01:40 編集
肉食をやめて幾年月・・・
バーベキューを囲んでも肉には手をつけないから、歓迎されるからいいけど。
といっても、ベジタリアンになったわけではなくて、あえて注文しないだけで、その場の流れで出てきた肉は食べる程度。
それでも、年月は体質を変えるのか、肉を食うと胃がもたれてしまうようになった。
今夜は、カレー屋の閉店まぎわに、ほとんどのメニューが終わりになっていて、肉じゃがカレーというのを注文してみた。
たいていの客は喜ぶのだろうけど、「じゃが」より肉が数倍こってり乗っていた。じゃがいもも、油で揚げてある。
食べ終わって、店の外でさっそく吐き気をもよおしてしまった。
電車に乗って、神戸に戻って下車してまた吐き気。なんだこりゃ。
腹痛はないから食あたりではなさそうだし(期限を1週間すぎた牛乳でもあたったことがないから、そもそも消化器官が鈍感なのだが)、体質に合わないか、胃の処理能力とミスマッチを起こしている感じ。
こんなことが、あるんやなぁ。
いっそ、精進料理専門で生きてみようか・・・。
春よ来い
at 2003 01/12 15:42 編集
2年がかりのとなりの巨大マンション工事が終わった。
ほこりが立ちこめる前の建物の解体工事から、奈落の底から地響きが突き上げてくるような基礎工事、ダンプカーが行きかい金属音が交錯する建築工事・・・と、さんざんつきあわされて、いつの間にか慣れてしまったのは恐ろしい。
つきあわされて、すっかり「工事現場の一日」に生活が適応してしまった。朝は8時に騒音で目が覚める(目覚まし時計もいらない)。12時にぴたりと音がやんで昼休み。午後の後半戦は5時ごろまで続く。
この不景気な御時世に、のべ何千人、いや万単位の作業員が、ここで汗を流し日当を稼いで行ったのだろう。
工事が終わってみると、なんと静かな街だったのかと拍子抜けする。
幹線道路から数十mしか離れていないのに、車の音は聞こえないし、まるで陸の孤島だ。まぁ、大阪でいえば中之島(東京でいえばよくわからん)みたいな官庁街だから、夜の静けさはまた格別(?)だし。
こんな無機質な界隈にも、コミュニティ・キャットがいて、「おい、ダンプカーにひかれるなよ」と祈りながらなでなでしていたトラ猫も、なんとか無事に街をうろついている。僕の帰りをどこで見つけるのか、つつつつつーっと小走りにやってきて、すりすりしてくれるようになった。
間もなく、この巨大なコンクリートの楼閣には、完売すれば何百人もの人口が入居する。一気にこれだけの人口が流入して、静かな街はどう変わって行くのだろうか。低迷気味のパン屋や喫茶店は、商売繁盛するだろうか。
トラ猫は街のアイドルになるだろうか。
ともかく、住み慣れた街に新しい風が吹き込む予感は新鮮だ。
建ってしまったからには、野に植えられた若い苗のように、根をおろして、いい実をつけてほしいと思う。
小春日和のせいか、ふとそんな感慨にふけってしまった。
これが木枯らし日和だったら、「クソーッ!あのビル風め」と八つ当たりするかもしれないが(笑)。
大人の絵本
at 2003 01/12 21:02 編集
夕飯を食いながら、NHK「課外授業ようこそ先輩」を見ていた。
絵本作家の葉祥明さんが先生だった。
画家だと思っていたのだが、背広にネクタイに運動靴(スニーカーなんて感じではない)、髪は武田鉄也ふう・・・と、もろ「教師」スタイルだった(笑)。あれは天然か?演出やったんか?
授業内容は、小学生に集団で絵本を共同制作させるという魂胆で、この絵本作家先生が実に仕切り上手なのにびっくりした(教師役は、やはり天然だったのだ)。
板書が実にシステマチックで、整然と構成されている。見習いたくなるほど(笑)。
で、共同制作の進行というのが、もろKJ法だったのには、これまたビックリ!
カードにキーワードを書かせて、それをあちこち動かして構想するというしかけで、次にキーワードをフレーズに、そしてシナリオへと発展させて行く。
小学生たちが書き出したフレーズ(あらためて強調するけど、絵本の制作だよ、小学生の)に、「神」「責任」なんて語句が登場して僕は寒気を感じたのだが、葉祥明さんは目を輝かせてクラスをまとめあげて行く・・・。
これが自己啓発セミナーとだぶって見える僕は、意地悪いのかね?
芸術教育って、こんな風に効率的に進められるべきものだろうか。
僕はかすかに期待していたのだが、「さぁ、こういう手順でみんなで絵本を創りましょう、よーいドン!」と号令をかけられても、ぼーっと窓の外の雲を眺めている子とか、スケッチブックを持って裏山に飛び出していく子は、やはり映ってなかった。
ま、そんな子は実際ロケ現場にはいなかっただろうし、いても天下のNHKが放送するわけもなくカットされていただろう。または、武田鉄也ふうの教師が「どうしたの?」と偽善スマイルで丸め込んで行って、最期にすばらしい作品を披露して拍手喝采・・・という番組づくりが、透けて見える。最期は定番の、「子供たちをいじくったあげく思い通りに動いてくれて目を細める現場教諭たち」のカットでフィナーレ。
この絵本制作の授業で行われていることは、芸術でも創造でもなく、そう見えるだけの「生産」ではないかと思った。妙に、勢ぞろいの制服を着た小学生の、ものわかりのよさそうな笑顔も気になったし、なんだか無気味だった。
だからイカン!斬り捨てる!という元気もない。
この子たちは、将来まちがいなくジャパン・システムの人柱になって、律儀に働いてくれるだろう。未来の年金財政のためにも、子は宝なのだ(笑)。
でも、本来の子供の自然というのは、子供をいじくって感謝されたい寂しい大人どものお膳立てをあっさり拒んで、勝手に遊び、勝手に自分の世界を創って行くものだと思う。
葉祥明さんを寂しい大人だというつもりはないけれど、なんだか課外授業という番組は、子供に相手にされない大人が見て感情移入して、代理経験できるようにつくられている気もするぞ。
・・・んな見かた、意地悪いかね?
三連休
at 2003 01/13 23:02 編集
に仕事を入れてもらって、今日だけ休み。
皆いやがる日に喜んで働くのも、大前研一ふうにいえば「サラリーマン・サバイバル」だろうか。
おかげで、高い評価を得られるぞホホン・・・てことはなくて、細切れの仕事が増えるだけだが(苦笑)。
その代わり、すいていて安い平日に旅行に行けるから、道楽人間には得だと思う。一斉に土・日に余暇をすごすメリットは、よほど人混みの好きな人を除いて、ない!としか思えない。
土日休みの友人と休みが合わず、一緒に遊べないのは寂しいと思う人は多い。素朴な気持ちとしてはわかる。
だったら、土日出勤残業出張左遷過労死をすすんで引き受けて得点稼ぎして、平日にドカン!と休めばいいと思う。一緒に旅したい仲間と日程を合わせて。
世間に自分を合わせて行くか、
世間を自分用に変えて行くか。
だれもが好き勝手に働いたり遊んだりできるようにならなくてもいいと思うようになった。できる人だけアクションを起こせばいい。
前は、社会まるごと変わるべしと尊大な考え方をしていたのだが、トシをとったせいだろうか(笑)。
たぶん日本は同調圧力が強い社会でありつづけるだろう。
標準的な生き方からはずれるには、それを相手に、周囲に納得させる工夫もいるかもしれない(世捨て人にはなれないし)。
この「工夫」の蓄積が、文化というものだと思う。
掲示板に書いてくれたお姉さん、「嫁入り圧力」を笑い飛ばせるような文化を創って行ってほしい。
嫁入り圧力光線を照射してくる家族文化は、メディアにあふれかえっているから(確信犯は、何でもかんでも家族愛に結びつけるNHKだ)。
さて、これからシングル・カルチャーは育つか・・・?
「どくだみ荘」に「男おいどん」みたいなのばかりでは気が滅入るし、女性版じゃ谷村志穂は現実離れしていて、田嶋陽子の延長は哀愁漂う土井たか子だもんなぁ・・・。
不景気なのだ
at 2003 01/14 23:24 編集
「バカボンパパ」オーラが不吉で楽しい、昔の花街の坂道に面した喫茶店Bが、夜間営業をやめているようで寂しい。
「夜お茶」の立ちより先が、また1つ減ってしまった・・・。
きのうは、行きつけ先の、いつもジャズがかかっている店Lで「午後茶」していたのだが、ここのマスターはちとアル・パチーノに似ていて、苦みばしったギョロ目で僕を一瞥してくれるのが、これまた不吉で楽しい。
どっちも四十男。
なにか、時代の空気を共感しあっているのだろうか。
いや、深読みしすぎか。
「あの無気味な客、また来てねばりやがる」と素朴に苦々しく思っているのかもしれないな(笑)。
寒い夢
at 2003 01/16 00:09 編集
今日はずっと粉雪がちらついていた。
牡蛎フライ卵とじ丼+けんちん汁で昼食をすませ(うまかったー!久々のヒットランチ)、神戸に戻ってくると、「本日労働90分」だけなのに妙に眠い(もっとも、大阪→神戸間の電車内では必ず居眠りしてしまうが)。
夕方ちょっと横になると「本格就寝モード」に入ってしまい、5時間近く熟睡してしまった。今夜も朝までワープロたたきの内職になりそうだ(苦笑)。
夢の中で、僕は地元の街の駐車場に棲みつくホームレスだった。
なぜか!?・・・ストーブをつけないまま、寒い部屋で眠っていた環境がそのまま脳内で映像化されたのだ(こんなことがよく起こる、わかりやすい回路なのだ)。
ホームレスの我が身を嘆くべきなのに、「あぁ、万年床はみっともないなぁ」と反省している間抜けな心境を、不思議と憶えている。
ふと、遠くの山が、そう高くないのに全身みごとな雪化粧をしていて、見とれてしまった。
何度か夢の中で出会った山に、おととし偶然登ることができた。既視感でも予知夢でもない。現実が夢に引き寄せられて立ち現れるという、奇妙なできごとが時々起こる。
とはいえ、菱の中の世界はふだん暮らす街というわかりやすい夢想人のこと、どこかで先にあった現実経験が、断片化されたり再構成されたりして夢に落滴した――と分析すると「正解!」てことだろう。わかりやすっ・・・
でもいいか、また夢に、近い将来の行き先を1つ暗示されたような感じで楽しみだ。
女性がさっぱり出演してくれないのが不満だから、脳にリクエストしておこう。
もう8年
at 2003 01/16 23:55 編集
連日のように、関西のJRで人身事故が起こっている。
事故と命名すると、不注意で、輪禍で巻き込まれた不幸というニュアンスになる。交通事故はトラフィック・アクシデントという。「アクシデント」だ。
が、鉄道事故は単なる事故だろうか。
自殺なら、とてもアクシデントとはいえない気もする。
阪神大震災から、あと数時間で丸8年になる。もう8年、御遺族にとっては「まだ8年」だろう。
各地で追悼の催しが営まれている。鐘や蝋燭、メモリアルウォークなど、それぞれの様式で。
あの震災で破られた連休に、僕は女友達との逢瀬から神戸に帰って惰眠をむさぼっていた。
壁一面に天井まで積んだ書棚が、ぜんぶ寝床に倒れてきた。「数cmの幸運」で、タンコブだけですんだ。
一方で、家具で圧死した犠牲者も多かった。
この差は何なのか。「申しわけない」気持ちとも違う。非情としかいいようがない。
のちに、所属する研究会の医師が検死調査を詳細に調べて、圧死といっても即死ではなく、圧迫による急性腎不全で全身が衰弱し、苦しみながら瓦礫の中で息絶えた犠牲者が多かったことを指摘した。だからこそ、家屋の倒壊は一瞬でも、命は土壇場での救命活動で助かる可能性を強く印象づけられた。
ニューヨークのテロの犠牲者が、数の上では同程度の規模になったが、テロは犯人が特定される。
天災はだれを恨み、呪えばいいのか。
人災の要素も確かにあるが、人的責任を追及すると、その矛先は「関西じゃ震災はない」と楽観視して家具を積み上げ、安普請の家屋で日々を営んでいた「罪なき庶民」にも差し戻されてくる。だから、やるせない。
せめて助かった我々が、拾った命を死んでも守る執念を持ちたいと思う。
自殺は哀しい。声をかけてくれたら、「しんどいけど、一緒に生きて行きましょう」と声をかけるぐらいはできたかもしれない。
でも、この社会では死に行く人の声が届かない。「先立つ不幸をお赦し下さい」と残す言葉は、気の毒極まりないほど自責の念にかられているように響く。
時代のキーワード「自己責任社会」は、欧米ではないこの日本では、死ななくてもいい人間を死の淵に追いやる呪文として、ますますボリュームアップするだろう。
「犬死にを見過ごす罪」は、自覚されているのだろうか。
犬死ににつながる過労死、ホームレス、いじめ、差別・・・
無難に「かかわらないでおこう」「巻き込まれたくない」傍観者が、交通事故の3倍もの犠牲者を生み出しているのが現実ではないか。
寒風の深夜の商店街に、今夜も段ボールハウスがひっそりと並んでいる。
脳内劇場
at 2003 01/17 21:21 編集
また午睡にどっぷりひたって、その間に白馬スキーツアーに行ってきた。
実に具体的かつリアルで、仲間が手配したツアーで、爺ヶ岳という実在の山へ足を延ばし、とてもダイナミックな斜面を快適に滑ってきた。
斜度が80度ぐらいの雪面を滑り下りて、上で尻込みする仲間に「はやく下りておいで」と声をかけているのは、さすがに不自然だったが(笑)。
あそこで、「あれ?なんでこんな斜面を滑り下りられたんやろ?夢ちゃうか?」と疑うと、そこで目が覚めてしまったかもしれない。
夢の中のさらに無意識のうちに、夢かと疑うと楽しい夢が終わるから、疑わないでおこう・・・と「抑圧」するようになった。手がこんでいるというか、悪化しているというか・・・
道中、街の食堂でうまい郷土料理(笑えることに、2日前に実際に食べた海鮮丼だった)を食べ、店の人と談笑し、ほかのツアー客とも談笑し、幹事に「バス乗り継ぎ時間がえらい長く待たされるねぇ」とグチったりしつつ、それでも話の内容は完璧に辻褄が合って、楽しいツアーだった。
4時間かそこらで、信州往復スキーツアーが楽しめたのだから、実にお得だ。
さらに楽しみなのは、この白日夢の通りの現実を追体験できる可能性だ。
精神医学では、これを病的な記憶の置き換わりとして説明しているようだが、こんな楽しみを治療するつもりはないぞ(笑)。
病み上がり
at 2003 01/18 23:29 編集
いかにも「風邪の諸症状」。体温計も薬も持っておらんので、スタミナ食を腹いっぱい食って食餌療法するのがいつものパターンだ。
寝汗をかいて目覚めると、いくぶん回復したような感じ。寄る年波か(笑)節々が痛むが、まぁ全快としよう。
BD−1で雨上がりの街へこぎ出る。少し空気圧の抜けたような、柔らかなサスペンションが心地良い。
毎日のようにちょい乗りして、4階の自室までBD−1をかつぎ上げているのも、積もり積もればいい運動になっていたのかもしれない。
ダイエーで、シエラデザインのジャケットが半額以下で叩き売りされていて、残り1着を「救出」する。
ダイエーといっても、その昔、70年代からのヘビーデューティーブームを神戸で支えていた専門店の集合体で、なかなか通好みの品揃えだ。くだらんアウトドアショップより、気がきいている。
シエラデザインというメーカーも、環境保護NPOシエラ・クラブの関連会社で、60年代以降デザインの変わらないパーカは会社のシンボルになっている。
いいなぁ、このシンプルで質実剛健なつくりは。
本屋で新刊フィッシング。飯沢耕太郎さんの『写真とことば』(集英社新書)を買って、コーヒー片手に拾い読み。毒にも薬にもならないが、多作で鳴らしている写真評論家といえば、氏をおいて他にない。写真という芸術の批評は、こと日本ではあまりにも層が薄い。
少女趣味の飯沢氏が「女の子写真の時代」なんてブームをあおったおかげで、紙資源の浪費でしかない「女の子写真集」が増えたよなぁ。
雑誌『編集会議』が写真特集。ここにも飯沢さん!藤原新也と対談をしている。月並みにも程があるっちゅうねん。
買ったけど(苦笑)。
のどがカユい
at 2003 01/19 03:17 編集
頭を洗うとさっぱりした。
熱い風呂に、熱いしょうが湯で、風邪撃退。
と、なればいいが。
風邪をひきかけた気配は不吉でいやなものだが、治りかけのとろんとした気分は、なかなか快感だ。
また明日から寒波が来るというから、迎え撃つとしよう。
重症か?
at 2003 01/20 04:59 編集
かなり全身状態が悪化(笑)してきた。
こんなときヤモメはつらいぞ……と、悪魔(よばわりするのも失礼だな、親類一族のおばちゃんがたを)のささやきが聞こえてくる。なるほど。
と、しみじみ感慨にふけっている間にケロリと治るのが、いつものパターンだが・・・。
背中の痛みをこらえつつ、うつらうつらしていると、朝4時ごろ絶好調に回復してしまった。根っからの夜行性なのか?
平凡療法
at 2003 01/22 03:06 編集
悪寒が軽くなると、ムズムズと無性にくすぐったい時期があるものだ。出勤しても、ワイシャツがくすぐったくてしかたなかった。
が、これも全快への一里塚。笑って過ごそう。
風呂にどかっと入って、葛根湯をくらって、得意の短時間深昏睡(笑)で出勤に備えよう。
しかしまぁ何ですな(小枝ふうに)、菖蒲湯とか柚子湯というのは、日本のすぐれたアロマテラピーだと思う。
まだ酒風呂とか海草風呂というのは試したことがないけれど、案外、風邪や疲れに効くのかもしれない。酒池肉林をすれば風邪をひいたり疲れたりするはずだから(さて、どうだか?)、うまく循環させれば「マッチポンプ入浴療法」になるのではないか?
ま、夢物語は空想だけにして、現実には「銭湯・タイル富士・コーヒー牛乳」という黄金の三点セットが、幼少期にしみついたお風呂屋さんセラピーの必須項目だ。
なんてことのないチープな道具立てだが、「シンプルな日常」が人を元気にしてくれるものではないかと思う。
熱を出して布団の中でダウンしている時間も、なかなか甘美なものだったりするのは確かだ。そもそも、まったく動けない病弱な人もいるだろうし。
でも街に出て、人の顔を見て、いつもの店で道草を食っているうちに、ふだんのペースが取り戻せるような感触もある。
「特別扱い」は、する方もされる方もストレスフルになる。
「平凡な日々に戻ること」
が、最良のセラピーになるのだと思う。
あと10日
at 2003 01/23 13:39 編集
偶然、前任校の同僚に夕方の電車内でバッタリ再会。
お互い今もフリーランサーで、プロ野球界でいうストーブ・リーグの時期にあたる。
次年度の身の振り方、移籍先、残留の条件など、水面下でのかけひきに神経をすり減らし、そのわりに1円の稼ぎにもならない。
お互いの身の上を見舞い合って(?)大阪駅で別れるが、人のことを心配している余裕もないのが冬枯れ時期の渡り鳥の実態で、彼女の表情もこわばっているように見えた。
学生の親は、教育投資の内訳を、どう考えているのだろうか?と思う。
授業の受講料は学費の半分にも満たないことに、どれだけの「出資者」が気づいているか。
法人の財務諸表を開示すべし!と請求するリベラルな出資者も、やがて現れるだろうなぁ。
学費を、就職のための保険金と考えている親もいるかもしれないが、「健康保険に入ったから健康になる」わけではない。むしろ逆で、保険にはモラルハザードがつきものだ。
教科書1冊さえ、試験前に初めて読もうとする(読もうとするだけで、読めない漢字にぶちあたると調べ方もわからないから、そこで勉強は終了する!笑)お坊ちゃん、授業中も居眠りかメールにふけって「だれにも迷惑かけてないもん」とうそぶくお姫様のために、額に汗して毎月10万円を投じている親は、本当に不憫だ。
ま、やがて気づけばいいと思うけど。
高校生に毛が3本生えたぐらいの少年少女のお戯れなら、目を細めてしまう程度に、僕もトシをとってしまったのだが、「幼児化」は偏差値が高い人種にもどんどん進行しつつあるようだ。
大卒者と院生から成る夜間クラスに、今年度ほど唖然とさせられた年はなかった。先週やっと終わって、うんと自分を慰労してあげた(笑)ものだった。
いちいち、けしからん!許せない!間違っちょる!と憤慨するのも空しいから、観察された事実だけ淡々と列挙すると、
・「与えられた」「具体的な」「作業」はする
・読まない(=理論学習が皆無に近い)
・耳を傾けない(=相手に人間として関心がない)
・考えない(=わかったこととわからんことの区別がわからん)
・ケータイ手放せない(=中毒)
・傷つきやすい(=撃たれ慣れてない)
うかつに指摘も注意もできないので、放任され大事な大事なメタ学習を飛ばしたまま、受験勉強ばかりに没頭して行く。
丁重な注意をしようにも、公の場で注意されると激しく傷つく例もあって(公の場でプライベートメールにふけっている自分は透明人間だと思っているのだろうか)、こりまた難しい。
相手の思考回路が変調をきたしていると逆恨みされかねないから(苦笑)、「見えないことにする」というずるい知恵が働いてしまう。ある意味、共同正犯か。
あぁしろ、これするなという動物調教的なインストラクションは習得しやすいものだが、注意されたという出来事の「意味」、相手が言外に伝えたいと思ったメタ・メッセージは理解できているかどうか・・・。
そんな場面で、「あんた、いま何を注意されたかわかってるか?メールするな、話を聞けという次元のこっちゃないで、あの意味はネ・・・」と、横からフォローを入れてくるような友人がいれば、それこそ最高の財産だ。勉強が立体的になる。そんな世話焼きがいないので、メル友やうなずき仲間はいても、実際には孤立しているように見える。
現場からとっくに足を洗った立場としては、クールに「このままで福祉の現場に出て大丈夫かいな?」と心配にもなるのだが、それが離職率の高さにも現れはじめている。
でも、やめる人など心配してはいない。適材適所である。
それより、福祉が大丈夫かいな?という感じ。
変な「資格だけプロ」が専門職のイメージをどんどん悪くして行くのも心配だし。
病んだまま資格だけとって「あなたの心と生活を支援します」などと構えている福祉職を、僕は信頼できない。
閉店前半額〜
at 2003 01/23 22:50 編集
雨がぱらついたり晴れたりとややこしい天気なので、何ヶ月ぶりかで徒歩で外出することにした。ほんと、小径チャリは下駄そのものと化してしまった感じ。
息をはずませて、ずいぶん歩いた気がする。
寿司でも売れ残ってたら晩飯にするか・・・と、近所のスーパーに寄って帰る。
6個パックに半額シールがついていたので、「200円足らずか、安い安い」と迷わず釣り上げる。
と、そこへあの元・舞ノ海関に似た青年が、「あの、こっちにされませんか?」と、8個パックを差し出してきた。ダイエットでもしていて、6個パックの方がほしくなったのだろうか(笑)。
僕にとっては渡りに舟である。8個パックは6個パックにくらべて、イクラとネギトロが2つおまけについていて、子供だましの卵焼きの代わりに僕の最大好物アナゴがついているのだ。
一瞬、これは舞ノ海のトリックプレイか?とも思ったが、結局ホイホイと「そうかい、ありがとよ」ともらってしまった。
なんだかよくわからんが、しみじみ・ほのぼのした晩飯は、うまかった。
煙たい vs うさんくさい
at 2003 01/24 07:54 編集
禁煙ブームに批判的な発言をよそでしているという理由で、生活習慣病のシンポジウムで講演する予定だった三枝成章さんをはずせ!と禁煙団体が要望して、なんとシンポジウム丸ごと中止になってしまったそうな。
http://www.asahi.com/national/update/0123/042.html
なんだか、大げさすぎる気がするぞ。
僕はどっちかというと嫌煙寄りだが、くくくーっと「同情シフト」しそうになった。
禁煙運動を批判したら、健康について聴衆に語る資格がないという論理になるのだろうか。
むしろ、煙草を後ろめたく&やめたいと思いつつ吸っているような人だと、愛煙家三枝さんが「僕も吸っていて、精神衛生にはいい。でも人の健康に害にならないよう風上で吸っている」というようなエピソードを聞いた方が、説得力があるのではないかい?
禁煙運動の中には、僕もあまり同意できない戦術がある。批判すると発言の機会も奪われるというのは、かなり愚かな線術じゃないかと思うのだが、日本ではどう展開して行くのだろうか。
記事には三枝さんのコメントはかなり省略されている気配もあるけれど、煙草が体に悪いことは率直に認めているようだ。変化球の名手でさえ、事実は認めているのだ。
僕が愛煙家なら、コメントを採りに来た記者に「キミが歩けばいいところを走らせている車の排気ガスとわしの煙草と、どっちが国民の健康に悪い?」と煙に巻こうとするだろう。あぁ、これ僕がふだん見逃さない問題のすり替えだな(笑)。
正月に、数年ぶりで会った父は、つい最近胃癌で入院していたようには見えないほどピンピンして、相変わらずうまそうに煙草をくゆらせていた。息子兄弟そろって鍋を囲む席で、窓際に座って窓をうすく開け、換気にも気を遣ってくれていた。
家族全員で父一人を包囲して嫌煙キャンペーンさえしていた我が家族だが、その急先鋒であった僕も、「赦す」気持ちに傾いている。
老父が75歳で再びもらった命。好きなものを存分に吸って、その命を全うすればええんではないか?という感じ。
こんなローカル・ルールなり家族の物語なりを考慮しない「禁煙ユニバーサル・スタンダード」は、青臭さ・うさん臭さを感じてしまう。
尾国に会えた
at 2003 01/24 08:05 編集
「お風呂で寝ちゃだめですよ。死にますよ〜」と、個室浴場客姿(笑)の某sabatoが忠告してくれているのに、また熟睡してしまった。でんきがま先生が雪に埋もれている寒波の朝に。
もう七十五日も過ぎたというのに、去年癌で若死にしてしまった親友が、ひょっこり夢の中へ会いにきてくれた。
そういえば、皆でボート遊びをしていた場所が、あいつの自宅近くの港だったせいか・・・。
ヤツは、船大工をしていたのがご愛嬌だ。
壊れた船を「俺に修繕さしてくれ」と、道具を取りに行って、しかし再び戻って来なかった。
次はいつ会えるかな?
午睡の水蓮
at 2003 01/25 13:20 編集
ちょっと「夕寝」したら、寝台特急日本海で旅に出ていた。
でも京都あたりで目が覚めてしまい悔しがっていたら、「夜寝」でリベンジができた。ドイツの田舎町を鉄道で旅することができた。
夢にもリクエストするとちゃんとお好みの番組が見られるもんだな(笑)。なんと素直な・・・というか、便利な頭だこと!(笑)。
しばらくは「冬の旅」シリーズを楽しむとしよう。
一夜漬けどころか
at 2003 01/26 12:02 編集
いつもながらの突貫工事。
あと3時間で新書1冊あわてて読んで、発表用のレジュメを作成しなければならない。
神風が吹いてくれるか。
火事場のバカ力が湧いてくれるか。
こんなときに限って、ワープロがこわれたりするんだろうな・・・(保存する前に一瞬にして消してしまった阿呆な悲劇は一度あった)。
追い込まれないと、なかなか神通力が湧かない怠け癖は、なんとかせんといかんな。
横綱の品格
at 2003 01/27 23:30 編集
ここ数日あいついだ武道の「グッドニュース」、なんだかため息がつまるような、妙な感触だ。
ヤワラちゃんは、まぁ幸せにやってちょうだい、というほか言葉も出ない。これほど、神話やスキャンダルや、ひいては文化性が絶無な柔道アイドルはいないと思う。
自分の何がいけないっスかぁ?と言いたげな天真爛漫な笑顔には、ただ脱帽するしかない。
朝青龍の横綱昇進は、もう拒める理由がない成績だから、「満場一致の推挙」も予想通りだった。
案の定、審議委員から「品格」という注文が出ていたが、これが国技と「外国籍」の不協和音を匂わせるささやかな記号であることは、たいていの日本人なら感じていると思う。
うかつに異議を唱えると、「非国際人」「レイシスト」と非難されかねないけど。
「強いから勝つ。勝ち星が多いから格上げ」というのは、たしかに当たり前のスポーツの論理なんだけれど、それを極めると、弓道も空手も剣道も柔道も、外国人選手ばかり増えて行く予感もする。
野球など、外国人枠をとっぱらうと日本人選手は半分も残るかいなと思うが、もともと「ベースボール」だから、それでもいいと思う。あとは日本人観客が、そんなプロ野球を市場判断する。
大学駅伝はどうだ?インターハイはどうだ?インカレはどうだ?強い選手をどんどんいれたら、いったい何の対抗戦か、わからなくなりそうだ。
きわめつけは、「国技」のありかただろう。
どうも僕は、曙以来、「強ければ国籍不問」とは思えなくなってしまった。
もっとも、北尾みたいな国辱ものの横綱もいたから、これは国籍の問題ではなく、それこそ「品格」の次元の話になるだろうと思うが・・・。
健康損
at 2003 01/28 23:28 編集
「確定申告にどうぞ」と、保険料総額の通知が来ていた。
極貧の生活をしているのに、松井秀樹(たとえが不適当かもしれんが、まぁ高額所得者の代表というたとえで)の5分の4!!もの保険料を支払ったことになる。
昨年もまた、通院も投薬も一度として利用せず、優良健康児(じゃないのでオジサンだな)そのものである。少しは返金してほしいもんだ。
まったく、健康保険制度は、狂っておるよ。
徹底的に所得に比例させんかい!
という気にもなる。
厚生年金も国民年金も、破綻寸前だという。
当然である。
負担すればするほど、バカを見る思いがする。
ボイコットは静かな国民の抵抗だと思う。
立場上、肯定はしにくいけれど、否定もしきれない。
「支え甲斐のある社会保障制度」という視点で考えられるような知性は、政府にはないようだ。
国民からいかに拠出を小賢しく・コッソリかすめ取るかを考える糞役人発想しか匂ってこない。
ほんま、大丈夫かね?
初冠雪
at 2003 01/29 10:23 編集
いやーきれいに積もったなぁ。
やっぱり冬はこうでなくてはいけない。
でんきがま先生など雪かきに追われている加茂しれんが…。
発酵脳
at 2003 01/30 08:50 編集
同僚が和歌山から通勤しているのだが、ひざまで雪が積もって、バスも電車も遅れましてて・・・と難儀していた昨日。
次年度の契約でゴタゴタしている職場から逃げるように、年度最後の仕事をかたづけて呑み屋へ。
ガタガタふるえて「こんな日は、ビールっちゅう気分やないね」と飛び込んだ居酒屋で、ちゃっかり「ビール!」と注文していたsabato。
この女子大生のビール脳には感心する(笑)。
僕はたいてい「締め」はお茶漬けとか御飯もので決めるのだが、お向かいさんは「そば焼酎で締めたい」と、ビール脳が焼酎モードに発酵していたようだ。
こんな寒い日に、お風呂で眠ったりしちゃダメですよ〜と忠告されたが、また熟睡してしまった。
「冬の一杯」の締めは、やはりひと風呂だ。
底冷えの常夏
at 2003 01/30 23:28 編集
2日前に降った雪が、日陰の民家の屋根に、まだ残っている。
さんさん日照都市神戸では珍しいことだ。それだけ寒いってことだろう。
いろいろな店のスタッフは薄着だから、ガンガン暖房を効かせている。すると、店の気温になじんでから外に出ると、毛穴が開いてしまっているから強烈に寒い。迷惑な話だ。
いっそ、店に入ればシャツ1枚にでもなるか・・・。
北海道民は、暖房を目一杯効かせるから家の中では薄着で、だから寒がりになるのだと聞いたことがある。すると、本土の店員は「道民的」といえなくもない。
でも暖房費用の無駄も気になる。
それでも暖房するなら、店員は水着になるぐらいでないと・・・(妄想にすぎないか)