solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2003年5月の書き込み

From 教祖 To sabato@koubo osawasense@laguz at 2003 05/18 00:31 編集 返信
RE:なんという事を!!

>「女子大生が副学長に」、ではありません!!
>ネットでそのような発言は控えてください!
>「副学長が女子学生に」、が正しいのです!!

すまなんだね。さっそく修正いたしておきました。
しかしまぁ、なんですなー、たしかにあのヒトミ(このヒトミではない)からは、君に向けて特別なスカラー波が出ている。
イクケ?

>ああ〜、きっと今も私のことを思ってらっしゃるのです。
>アッ、ダメ・・・そんなに深く私のことを思い出さないで・・・。

「私のこと」でよかった。「そこ」なら大変だ。
 


From 職業「女子大生」 To osawasense@laguz at 2003 05/18 00:15 編集 返信
なんという事を!!

「女子大生が副学長に」、ではありません!!
ネットでそのような発言は控えてください!
「副学長が女子学生に」、が正しいのです!!

ああ〜、きっと今も私のことを思ってらっしゃるのです。
アッ、ダメ・・・そんなに深く私のことを思い出さないで・・・。
(*素晴らしき妄想の世界より)


To osawasense@laguz at 2003 05/15 00:05 編集 返信
RE:追伸に反応して

>わかりました!!
>間違って言わないように気をつけます♪

よろしいよろしい。
かわいく言ってみて下され。上目づかいで(笑)。


From 良家の処、じゃなくて子女 To osawasense@laguz at 2003 05/14 21:25 編集 返信
追伸に反応して

わかりました!!
間違って言わないように気をつけます♪


To sabato@koubo at 2003 05/02 23:45 編集 返信
RE:貴方しかいない!!

>「M原歯科医院」
>こんな書き込み者、貴方しかいませんっ。(笑)

さて、なんのことやら。
夢見る乙女ですなぁ。
早く服を来てスーに戻りなはれ(笑)。
 
 


From sabato@koubo To osawasense@laguz at 2003 05/02 23:41 編集 返信
貴方しかいない!!

「M原歯科医院」
こんな書き込み者、貴方しかいませんっ。(笑)
gaiax掲示板アーカイブ2003年 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0)
2003年5月の日記
55

at 2003 05/01 01:26 編集

五木ひろし「55が活躍する年にしたい」
 
という日刊スポーツの見出しを見て、とっさに55から連想したのが「コント」という単語。そして「マッハ(いやあのアニメはマッハGoGoGoだったか)」。いやはや古いな。

結局、自分が55歳だから、それにちなんだ舞台あいさつということだそうな。

五木ひろしは、個人的には「演歌と歌謡曲のボーダーライン歌手」に見える。この上はもう、サブちゃんこと北島三郎である(326をミツルと読ませるのは無理があるぞ。わしゃー北島サブローかと思ったものだ)。
もちろん、五木ひろしより若い演歌歌手はいる。でも、なぜだか天童よしみの方が年季が入ってそうに見える。少年時代に聞いた五木ひろしの「洗いざらしのジーパンひとつ・・・」という歌のワンフレーズがどうも印象に残っていて、それまでの演歌のイメージがちょっとほぐれたことも、北島三郎ジャンルから野口・西城・郷ジャンルへ引き寄せる要素になった。あくまでも、ごく個人的な感じ方だけど。

では若手もいるのはどうするんだ氷川きよしはズンドコ演歌してるではないか!長山洋子は元アイドルではないか!と外野の声も聞こえてきそうだが、そう考えてみれば、演歌は必ずしもジジババワールドというわけでもないなぁ。

若手といえば、小林よしのりも大絶賛の藤あや子。成人した娘もいるのは驚きだ。
よりによって、この大演歌職人を「オレぜったい妻にする」と大それた発言をする野郎がいてた(笑)。
ほんま大それるにも程がある。
僕が「瞳を妻にする!」とほざけば、地球がきりもみするほど大笑いされるのがオチだ。
正しい言い方は「瞳さんの夫にさせていただきたい」だろう。
まー大風呂敷クンも、イチかバチか(これが彼の命名の由来だと亡き酒好き博打好きおとっつぁんが話していたっけな)言ってみただけかもしれないが・・・。

男と女の関係はシーソーゲームみたいなもので、いくらアンポンタン男でも、自分が偉いと錯覚して自信満々でそうふるまっていると、聡明な彼女でもいつの間にか暗示にかかってしまうようだ。近ごろ話題のドメスティック・バイオレンスもそうだろうし、ヒモを養っている働き者の彼女というのもそうかもしれない。
低姿勢そのもので生きて来た僕は、一度でも錯覚してみたいものだとひそやかにあこがれて(笑)しまう。

なんだか、外野のブーイングも聞こえるが・・・
  


専門職メーデー

at 2003 05/01 17:35 編集

シーナ本を2冊消化して、あや探(わしらはあやしい探検隊)つながりで、新潮文庫から出た太田和彦さんの『超・居酒屋入門』に着手。基礎篇、実技篇、研究篇・・・と分かれていて、いかにも教科書だがエッセイふうの私情もちらほらと顔をのぞかせていてまぁまぁおもろい。
太田さんって、あや探のご陽気な呑んべえだと思っていたら、今は大学教授に転身している。なるほど、だから、そうなのか(なんのこっちゃ)。

それにしても、われながら「入門」とか「初歩」の類が妙に好きだ。専門分野の教科書など、目新しいのが出ると買って目を通してしまう。
なんでだろう〜?
1.新しい気分になれる。というかピチピチの入門者の気分に戻れる。「初めての一人暮らし」の類は特にそうで、「ラブチェア」なんてインテリアに妄想をふくらませて乳首や股間をうずかせている男子女子は、若さの特権だな。
2.とはいえ、現にビギナーでなくなっている今だからこそ、別の読み方ができる楽しみ。「聖書は読むたびに新しい発見があります」という牧師みたいになれたら立派だが・・・。
3.仕事上の参考にする。
4.「なんやこの東大教授はこんなことしか書けへんのか。税金の無駄じゃ」と悪態をつける楽しみ。

業務上読まされる類の活字は3だけ満たせばOKだが、本当に「読む」という行為は、3以外をどれだけ追究できるかが問われるのだと思う。「行間を読む」とか、「意味を読み解く」という表現を、人文科学者は好む。
なのに、「この本を読んで論文を書け」と言われて丸写しする猿を、日本の学校は大量生産してきたんだよな。
読んだ本の正確な要約をするのが東大生で、その類が官僚になり、だから日本を窒息させている―と、東大社会学科の上野千鶴子教授が自分のお膝元を斬っていたっけ。

本に書いてあること、すでに手垢のついた言説は、なにもなぞって言うことない。同じこと言うならオウムでもできるわい。
まことしやかに語られていることを疑うのが社会学屋のモットーだから、1つ俎上にのせる。
「女性が元気だ」「女性の発想が求められている」
というが、ほんまか?
この手のヨイショに、僕は最近かなり懐疑的になっている。
女性の発想で国際平和が守れるか?中国で大粛清をやったのは江清「女史」だったぞ。

脳天気な女性ヨイショは、こう斬ってみよう。
「自分が元気になれる場をみつけるのがうまい」女性だけ見ればそう言えるかもしれないし、「自分をみずみずしく見せる技に長けている」だけにも見える。だって男はハゲてもがんばるし、血管が切れても修繕して戦場復帰しよる(笑)。女性はお肌が荒れても一大事、ハゲそうになったら危険信号だからやめるものね。

もっと土俵に目をやると、「女性を元気にしておく社会の良心」のようなものがあって―フェミニズムは否定するだろうけど―その上で守られているから、早く退勤できるし女子大生は映像でとりあげてもらいやすい。
そして、とことん奈落に落ちる前に救われることになっている。たとえ誘拐監禁犯でも、オンナ・子供を先に解放する「いいやつ」は多いのだ。

カウンセリング、ボランティア、セルフヘルプ、エンパワメント・・・とかくカタカナ用語は、うさんくささがぬぐえない。偽善をカムフラージュするのにカタカナ用語は持ってこいだったりする。
カウンセリングを「受けさせられる」人は気の毒だ。自発的でない来談なんて、それ自体がナンセンスで、見立て」の信頼性・妥当性が大きく疑われるのだが、カウンセラーも仕事がないと困るのから、ちょいと変わった生徒はお賽銭のようにカウンセリングルームに投げ込まれる(笑)。
でもなぁ・・・「カウンセラーの深刻な顔みてたら気が滅入るから、野山で遊んで息抜きしてきますわ」で充電できる人が増えればいいと思うよほんま。
そんな人間から見ると、カウンセラーやワーカーが実は遊び下手で口下手で自閉症と燃え尽きの予備軍に見えたりするのではないだろうか。
人のことより、まず自分が救済されてない人が好む職場が、福祉であったり心理臨床であったりするのも、僕の目の前の現実。パーキンソンの法則じゃないが、病気病人が増えるから治療者が必要なのではなく、治療者が増えるから病気・病人が増えるのだ。

健全なカウンセラー、ワーカーもいるとは思うが、業界タコツボの中で澱んでいる専門家も多い。学校やカウンセリングルームに来ず楽器に没頭しているような子を問題行動だ対人関係障害だと見立ててコントロールしよう―または、治療らしいことをして論文ネタにして出世しよう―としているだけのカウンセラーは、政治家と大差がない。
こやつらは偏差値とプライドは高いから、うまい救済が必要だ。「あんたこそ病んどる!」と僕が投げるような直球は逆効果で(反省)、「あなたは立派な専門家ですよ」と認定するような装置が大人気のようだ。それが資格制度の1つの背景で、このおかげで支えられている人は多い。

病んでいる人と健全な人なんて、もともとグラデーションのように地続きになっているのが現実だと思う。
そこで、資格を取って専門職につくと、本来なら病人の側に分類されていた人でも、線引きを変えて救済される。それが資格制度の効果というか、弊害というか・・・。
シェークスピアが「しょせんこの世は舞台」と言い放ったような、資格認定する大きな権威の手のひらの上で治療者が患者をいじくっているだけの構図は、なんとかならんもんか。
あぁ、来週のジェンダー論の授業、気が重いなぁ。あのオッサンの言の端を、注意深くチェックしようと狙っている受講生が必ずいるから(でもこんな学生は正統派だから好きだ)。

注*「メーデー」
1.通信業界用語で「非常事態」の意味
2.伝統的な労働者の祭典(らしい)
3.関西の大人の求愛または威圧。「目ぇでイカす」「目ぇで殺す」等々・・・(笑)
  


居酒屋を超えて

at 2003 05/01 19:18 編集

ひきつづき『超・居酒屋入門』を勉強中。
先ほどもつい深刻な日記になってしまったように、格調高い教育ソーシャルワーカーosawasenseは、あすの大日本の教育界に希望の光を照射しつつ余暇読書に励んでいるのだ。

太田教授は、いい居酒屋の名前という項目のところで、「やはり個人名がいい」と主張。なるほど、シンプルで憶えやすくていい。「屋」をつけると店らしくなる、ともいう。「大沢屋」か?
そういえば高校時代に、国語教師から「おい大沢商会!」とあだなで呼ばれていたので引き継いでもいいのだが、貴金属輸入やカメラ輸出まで羽振りよく扱っていたバブリー貿易商社の大沢商会は、間もなく倒産してしまったからゲンが悪い。
「大沢庵」というとソバ屋みたいになってしまうし、「大沢亭」は売れない落語家一門みたいだ。
個人的には、その昔なにかと学生文化の発信源になっていた京都の「ほんやら洞」にならって、「大沢洞」というのにあこがれるが、入ると出て来れなくなりそうで恐れて客が入ってくれないだろう、きっと(間違って入った芸能人あくまでも一例で黒木瞳は逃がしませんよ)。

居酒屋によくある、「一段高いけど座敷」というのは不思議なエリアで、これも僕の好みだが、どうせなら居酒屋ふうの学校を造れたらおもしろいのではないか・・・と、虎視耽々と(笑)あこがれている。閉店した居酒屋のハードをそのままひきついで、ソフトだけ教育事業に入れ替えるか。のれんをくぐって登校というのも、風流でいいと思う。PTAなど参加率100%で激しくにぎわうことうけあい。
ソフト面のアレンジとしては、入学金をテーブルチャージと呼び、人気教師は指名料をとり、態度の悪い生徒は遠赤外線の炭火であぶるか。
貧乏学生は、荒巻きジャケとかふるさとの地酒とか、現物を持ってきて納めればよろしい。それなり自信のある学生は、サンバかベリーダンスで風車を回して踊っていただき、一般客をよびよせてぼったくれば学費に振り替えまっせ。運動会は野球拳のみ。
オリジナルメニューは梅サワーあらため「Oh!サワー」で、赤まむしとスッポンと炭酸のカクテル。呑んだら逃げられませんよあくまでも一例の瞳さん。

ハード面では、カウンターとテーブル席に大きく分けて、基本的に4人とか8人でテーブルを囲んで、そこで自主的に協同研究なり議論なりをやってもらえばいい。これが自然な複式授業というものである。
発言したい者は1発言1ジョッキぐいっとやってからと決めると、議論も白熱してよろしい。吐いたら焼いて「すっぱいドリア」をメニュー化しまっせ。
個人的に助言がほしいという学生だけカウンターにやって来れば、さしで対話しよう。また、クラス(テーブル席)になかなかなじめない学生は、最初からカウンターにやってくる。ヒゲのマスター大沢教祖が、「やぁ、どうしたんだい兄弟」と迎え入れて、「まぁカツ丼食って洗いざらい自白するんだな」と、落としてあげよう。
「お疲れのようだね」と営業口調に乗せられてカウンター席常連になった、演劇学科22年生のアンニュイな瞳さんは、いつしかヒゲのマスターと並んで「カウンターの中の人」になっている。生徒を前に「だまされちゃったのよねワタシ」と笑うその眼差しは、ゆるぎない固い絆の証し(なに言ってんだか)。
夜間部の瞳ママは、エプロン姿の下はなぜか素肌になっており、編入学希望者が数万人殺到して、倒産する近隣大学も出てくる(どことは言わんが、さぞかし牧師もお嘆きであろう)。
こういう赤提灯学園(楽園だな)は、邪道腹黒詐欺悪徳スクールと朝日新聞で叩かれて宣伝効果抜群になる。戸塚ヨットスクールよりはいいと思うけど。


祈「FM演歌」開局

at 2003 05/02 17:11 編集

演歌をリクエストしてもかけてくれないFM局を脅迫してつかまったおっさん(お好みは山本譲二の「みちのく一人旅」だそうな)には笑った。よほど一直線の演歌人生だったのかねぇ。
取り調べ風景も、「故郷(これにクニとふりがなをつけるのが演歌ふう)のおっかさんも泣いてっぺよ!」と、神奈川県警なのに浪花節でやってるのではないだろうか。

FMは、'79年からよく公開放送スタジオに入り浸ってやんちゃしていたもので、Dんきがま先生は「通信会員」だ。地元のNHKだから、かなりローカル風味で楽しかった。
さすがに演歌はかからんかったが、そのかわりNHKを困らせる葉書を書く「変化球の名手」が何人かいたと思う。
あからさまな下ネタはもちろんふるい落とされるので、登録商標名がよく使われた。たぶん今でも、NHKではウォークマン、セロテープ、マジック(インキ)、ウォシュレットなどアナウンスしないはずだ。こういう単語を、さりげなく読まれるよう文面にまぶしておくと、「携帯型カセットプレイヤー」「せロハンテープ」「フェルトペン」というように苦しい翻訳をしよるのだ(ウォシュレットは不明。陰部洗浄兼快感機能か?)。

観客席から生の声を放送に乗せるときは、さぞかしヒヤヒヤものだっただろう。
放送禁止用語の管理が厳しいというか、きっちり監視するタイプの実況アナウンサー―つまり有能な組織の歯車タイプ―の前では、悪童たちはやんちゃせず、ちょっと抜けたところのある兄貴タイプのアナの前では、やんちゃと監督の綱引きを楽しんでいた。この緊張感が、ライブの醍醐味なのだと思う。

こんな牧歌的な番組が終わって十数年たつ。
当時、常連同士が観客席の自主管理のようなことをしていて「要注意」とマークしていたガクラン少年がいた。軽度の知的障害を持っているようで、悪意なく何をしゃべるかわからない・・・というので、観客席実況のときはだれかが見張り役をしていたものだ。

この少年が、今も神戸周辺に住んでいるようで、たまに商店街でバッタリ出くわす。
すると、当時のノリそのままで「やあ、こんにちはです」と声をかけてくれる。
僕は見張り役も彼と会話もしたことがなく、特に嫌悪感でも親しみでもなく「点景」として記憶しているにすぎないが、彼の認知世界では十数年前の経験が風化していないのだろう。
喜怒哀楽を風化させてしまう方が、はたして健常なのだろうか?と、童顔そのままで白髪が出てきた彼の笑顔に出会うと、ふと考えてしまう。
 


オリンポスの山

at 2003 05/02 19:30 編集

妖しく鈍い銀の光沢を放つレンジファインダーカメラが、行きつけの魔界の一番高いショーウィンドーに孤高の姿をみせて1ヶ月。
あの機種の長所短所のすみずみまで知り尽くしているワタシに、買い取られるのを待っている。
としか、つじつま合わせの文句が思いつかないのだよ買ってしまったからには。

レンジファインダーカメラは、100台はないがもう10台以上は引き出しの肥やしになっている。
とっくに写真機家(写真家ではない)を廃業したらしいDがま先生は、いま「写真機家評論家(笑)」へと出世しているから、「そんなにそろえて、どうすんだか」と笑われそうだ。

それにしても、ん〜、ずっしり重い金属製精密部品の集積感、梨地のクロームメッキの光沢、芸術的な角のR処理、七色の宝石の光を乱反射させる大口径レンズ―どれをとっても、おお・・・見事なできばえだ。
高度成長期には、家庭用カメラも潤沢に製造されてたんだなぁと思う(このカメラが世に出たのは、アポロ11号が月面に到達した年)。

魔界の若番頭が「ちゃんと調整してるから、よう写るよ」と後押ししてくれる。セールストークをまったくしないから、全面的に信頼できるのだこの若番頭さんは(売り物でも、率直に「それ写りようないで」とけなしてくれる)。

ちょうど動作チェックしているとき、何人かの客がつめかけていて、一人目はマミヤの6×7判を買うかどうしようかと迷っていた。
「645にしとくかロクナナまで行ってしまうか、迷うとこやね。でもロクナナでフィルムスキャンすると、下手なシノゴよりきれいよ」と、経験にもとづいたアドバイスをしている。ここまで貴重なアドバイスされたら、おっちゃん、買うしかないで」と僕は電波を送っておいた。
二人目はつつつーっと入ってきて、「ブローニー判で、ええ入門用ないか?」と常連らしいノリでお伺いをたてる。「待ってや、ちょうどええのがあるで」と、若番頭さんは待たせる間もなく推奨品を出してくる。
カメラが売れない泥沼デフレのご時世で、高い中判カメラをホイホイ売ってしまうこのスピード経営は、ビル・ゲイツも驚きだろう。

魔界の近所に住んでいると、誘惑に負けてしまって困る。いったい今までいくら献金してしまったことか(苦笑)。
そろそろ打ち止めにしないといかんなぁ・・・でも、この写りを見てしまうと、デジカメが軽薄に見えてしかたないから、フィルムカメラの魔法は醒めないでほしい。
 


神戸観光革命

at 2003 05/03 20:40 編集

観光地をパトロール(笑)して、純日常的サンマルク読書アフタヌーンヘ。
市内名所めぐりのループバスは、通勤ラッシュなみの寿司詰めだ。たぶん京都もそうでしょう。
ったく、東京23区の人口なみの観光客に毎年おいでいただいているんだから、もっと気のきいた接待を考えにゃいかんよ神戸株式会社は!
せっかく観光に来てくれて、寿司詰めバスというのも興ざめでしょう。この街はカーブも坂道も多くて急ブレーキも多い。ご苦労さん。

まずできることを自分から・・・というのでパトカーで出動したのだが、粘着罪のつがいや阿呆の一つ憶えクレープ乱用罪が多すぎて、取り締まりはギブアップした。この者どもは、監禁すると栄養過多もあって間違いなく繁殖しよるだろうなあ(笑)。

直線の多いわかりやすい街なのに、ガイドブック片手に歩いている人も多いのは、もしかするとガイドブックが情報過多でガイドになっていないのかもしれない。よく似た街で姉妹都市のシアトル市というのがあって、たてよこの区画がとてもわかりやすかった(もっとも、人口は神戸の3分の1とこじんまりしている)。

街の隅々を一番よく知っているのは路上生活者だから、彼らを北野町や須磨など要所要所に待機してもらって、テントと弁当は公費で支給するかわりに無料観光案内をしてもらう案は、市議会で・・・通らんだろうなあ。
観光客に、「あの店の残飯は三つ星クラスやで」とか「このビルのトイレは行水しやすい」なんて案内されても困るわけで(でも、勝手に入ってトイレを使えるビルは重要情報だと思う。地元のリストは僕の頭の中にあるし、旅先でも勘を働かすけど)。

何気なく必要なのに、金を払って店を利用せにゃならんレールが敷かれている用事は、トイレだけではない。
買い物の山を詰め替えるとか、赤ん坊のオムツを替えるとか、ちょっと足を休めたいだけで使える木陰のべンチの類がもっとあればいい。
幸い、エッセイでよく描かれる神戸の印象は、「緑が多い」点だ。木の幹をぐるりと椅子で囲めばどうかなぁと思う。
鳥の糞や毛虫が落ちてきても、まぁそれも神戸土産ということで・・・。
 


カーゴ・カルト

at 2003 05/03 21:14 編集

パナウェーブは、トンデモ系研究集団というお笑いカテゴリーに入っているのか、今のところ激しい拒絶反応にまでは発展していない様子。
マスコミもおもしろがっている気配すらある。次は桃色か?紫か?
ゴールドで行くか、サバト!?

僕がこの白集団を見て思いついたのは、KKKではなく、オセロ白い死神こと松島尚美でもなく、いたってまじめーな宗教社会学である。いやホンマ。
講談社学術文庫から出ている、荒木美智雄さんの『宗教の想像力』に、米国の信仰宗教の新しい傾向として「カーゴ・カルト」が紹介されているのを、今年パラパラ読んでいたところだった。カーゴ=貨車、荷馬車である。

ふつう宗教というと、拠点を定めて、経典があって、そこで信者が統合されているのがオーソドックスな形。
それが、モバイル社会になってくると、宗教も「ポータブル」になって、教祖が信者や聖地をまるごと浮遊するようになってくる。
どんどん活動の場を変え、浮遊して行く先々で叩かれて試練を共にするうちに、構成員の連帯感や凝集性は高まって行く。
もともと、アメリカという国の成り立ちが清教徒のカーゴ(帆船だが)に始まっているから、かの国では不思議なことではない。日本でも、あの世とこの世は毎年コンタクトをとれるようになっているし、位牌や仏壇も祖霊崇拝の聖地がポータブル化したものといえる。

最近ネットでよびかけて自殺するグループがよく報道されているけれど、これも明確な宗教でないとしても、WWWの中に、簡単に聖なる場ができてしまう現象として僕はとらえている。

「ポータブル宗教」だけではなく、人材流動化のかけ声のもとで、労働力もポータブル化している。職場は変わらないように見えて、実は分社化やセクション単位のMAで、自分の職場を牽引する機関車が別企業になっていた、ということも珍しくなくなっている。

かくいう僕の仕事も、「愛着ある職場」も、自分のデスクもない。かばんに資料やパソコンをつめて、お座敷芸カーゴと化している。まるで一人サーカスだ。
一応それは僕が主体的に選んでいる生き方ではあるけれど、仕事と生活をカーゴ化つまり分断されて銀河系の彼方まで左遷されてしまう悲劇はあちこちにある。
自分たちで機関車も動かそう―という謀略(笑)を慎重に進めているところなのだが、カルトになってしまわんか心配ではある。



ラトビア

at 2003 05/03 23:37 編集

連休は本屋もごったがえしていて、カキンチョはわめくわ走るわ、つがいは粘着するわ、今からガイドブックを血眼で探すせっぱつまった客はいるわで騒々しい。

こんなとき、古本屋はまったくいつも通りで落ち着くなぁ。
というわけで、五木寛之さんの古いふるいエッセイ集を見つけて、懐かしさのあまり買ってきた。なんと30円。前に「1」が消えてるんだろうかと心配になったけど、税込み正真正銘32円だった。チロルチョコレートなみになってしまっとるのね五木先生・・・(苦笑)。

今年はちょいとバルト三国に行ってみたくなって、あれこれ調べているのだが、もともと東欧諸国と同じ陣営にいたが東欧圏ではなく、バルト海をはさんでスカンジナビア諸国と対面してはいても北欧でもなく、「バルト三国」とまとめて呼ばれている通り、一国ずつの知名度はいたって低い。

でも調べて行くうちに、ロシアと領土を奪い合ったフィンランドと似た経緯があるようだな・・・というところまで勉強中。
その流れで、今はフィンランド領内になっているカレリアという地方にたどりつく。
バルト三国問題(笑)に興味が行く前に、五木寛之さんの小説で「霧のカレリア」という美しい小品があるのを思い出した。
そこで、まぁ小説だから観光情報ではないにしても読み返してみたいと思って、古本屋に出かけたわけである。

五木寛之さんはロシア文学専攻だから、ソ連から入って旅した経験をモチーフに北欧小説集を書いておられる。たしかに、一番近い大都市は当時のレニングラード、今のサンクトペテルブルグ(聖ピョートル大帝の街という意味だそうな)になっていて、バルト三国への旅はストックホルムか、サンクトペテルブルグから入ることになりそうだ。

・・・なんて、すっかりプランニング気分だが、もう10年近く前から「今はトルコがおもしろい!アジアとヨーロッパの境!シルクロードの起点!」とさんざん一人キャンペーンをしていながら未だ実行していないから、どうも座学だけになりそうな予感もする。

バルト三国で一番有名なのは、神戸の姉妹都市でもある港湾都市リガをかかえるラトビア共和国だ。
ガイドブックによると、人口規模も小さな国々なのに、言葉はそれぞれまるで違う。
そこがまた大国に翻弄されながらも自前の文化を守ってきた小国の姿が浮かび上がってきて、妙に惹かれる。
しばらく歴史のお勉強ができるかな?
 


カフェFM

at 2003 05/04 15:55 編集

祝日は番組が変わってしまって調子が狂うことがある。
テレビは週2つか3つしか見ないから、主にラジオがウィークリーライフ(?)の標識みたいな感じ。いつ帰るメシ食え風呂入れ起きろ・・・の類の標識がゼロでとことん自堕落に溶け込んで行く暮らしだから、なんかないと困るかなという程度で。
あれこれ言う家族や、言わなくても見られているような意識は、子供にとっては圧倒的な存在感だと思うが、平均的な家庭でも、10年もコンスタントに安定してある環境でもないんじゃなかろうか。逆に、波風がない家庭というのはこわい。

我が家も穏やかでなかったから、皮肉にもテレビやラジオとの「対話」の方が安定して続いてきたように思い出せる。

たとえば「日曜喫茶室」」。よくまぁ四半世紀以上も続いてるもんだと思うが、聞いてる方もよくやるよわれながら(笑)。
同じNHKFMの「世界の快適音楽セレクション」は、録音して聞こうとはするけれど、「録音すると聞かない鉄則」がくやしいことに的中してしまう。
でも、日曜の昼という、テレビの最も退屈な時間帯で、僕にとってはお目覚め時間帯に、生で聞きながら自宅喫茶するBGMとしては、日曜喫茶室がちょうどいい。

今日はドイツ文学者の池内紀氏が外国語の勉強法をおだやかな口調で話してくれていた。
氏の東大時代の講義も、さぞかし明快でわかりやすかったんだろうなと思う。姫路ご出身だから、おだやかな関西弁も親しみやすい。

「海外に住めば外国語はマスターできる」なんてウソ。しっかり文章を読んで、人と対話しないとダメですよ・・・というのは、学者ふうのアドバイスかもしれないが、真理だと思う。
語学力は、ペラペラになることではなく、論理構成力なんだろうな・・・と、なんだか池内ゼミで学べた気分で幸福だ。

こんなことを考えながらのラジオライフが僕の電波系対話生活(笑)だが、あまりはまると、俺の頭に電波が入って来て指令を出すのだ!という世界にのめりこんで行くのかな。
そういえば、番組にリクエストはがきを出したりする現実的なおつきあいも減ったなぁ。「のぶりんの気分は青春」なんて聞いていると、名人級の投稿を聞くほうが断然おもしろい。
くじ運や女性運は皆無に近いほどないけれど、番組に何か書けば高打率だったから、相性はいいのかもしれない。探偵手帳や「ごめんやす馬場章夫です」のノベルティグッズはごちゃごちゃあって、こんなのを究めれば「葉書職人」になれたのかもしれない。
そこまでの根気がないのが僕の「ただの俗人」でしかないところだが、死ぬまでにはどこかでDJをやりたいもんだ。
 


ニッポンよいとこ一度はおいで?

at 2003 05/04 20:07 編集

この連休、アジアからの観光客が多い。
日本人がどっと乗って行った飛行機の帰り便を安く埋めてるのか?(トラックじゃあるまいし)
台湾や中国から、家電製品お目当てに・・・というわけではないだろうけど、家電屋さんは名所旧跡より確実にアジアントラベラーの密度が高いように見える。

経済的に強い韓国でも、通貨価値が対日比で1:5ぐらいだから、日本に来て缶ジュースを買うときは、日本人が500円出すような感覚に近いのではないだろうか。
ラーメンなら数千円って感じか。「こんな麺は中国四千年の冒涜であるヨ!」と、クレーム日本語(笑)を身につけて来て、どんどん外圧をかけてもらってもいい。
もっとも、海外旅行に出る人はかなりリッチな層だから、「20万円のデジカメ」も抵抗なく買えるのかもしれない。

こんなふうに、日本の魅力がどう映っているか、観光客の姿から逆に教えられている気もする。
いま珈琲館のとなりで、旅した国々を連れの女の子に話しているおっちゃんがいて、韓国、台湾、フィリピン、タイ・・・と、およそ何を目当てに行くのか想像できてしまう(歴史探訪とか文化交流だったら失礼)。女の子からつっこまれて「観光やで観光!」と言い訳してるけど。

日本人にとって、アジアは安く快楽が買えるところ、欧米はレアなブランド品を仕入れに行くところ―と、先方にはとっくに見抜かれているだろう。
原地の言葉で現地の一般人と対話ができなくても、ジャパンマネーを持って行けば、とりあえず歓迎はされるわな。だから笑顔で迎えられて、錯覚する日本人も多いはず。あなたの財布にニッコリしてるだけだったりするのに。
欧米人はけっこうケチ(いい意味で)で、札ビラでブランド品を買いあさる観光客というのは少なくとも関西では見たことがない。
むしろ片言の日本語を必死に駆使して、道を尋ねてきたりする。そんな観光客の方が、僕はウェルカムだな。くだらん懐石屋より、サバトいやサバ煮定食屋ガイドしたげまっせ。
僕の感じ方と欧米人、アジア人の感じ方は遠うかもしれないが、マネーで原地に突入して行くより、対話や芸で「招かれる」+「おじゃまします」という方が平和でええんちゃうかと思う(金づる大歓迎の商人は別として)。
迎えてくれる原地一般人の笑顔の質だ)て違うだろう。
第一、札ビラなんていう武器は持ちたくても、わしゃ縁がないわい(涙)。


ようこそ第3サティアンへ

at 2003 05/04 21:43 編集

今日の訪問セールスマン推定25歳は、ご陽気だったが、ひつこかったなぁ。連休に、ご苦労さんなこっちゃ。
分譲マンション屋で、「いらん」と18回断っても「そこの新築、みてもらましたか」と、そもそも会話になってない(笑)。
身元確認したらひるむかと思って名前と会社を聞いたら、いちおう名乗りよった。サカモトと。

こういうセールスをやらせている会社だから、クレームをつけても会社ぐるみで押し返してきよるだろう。
こっちは自宅で応対しているわけだから、立場が非対称な点で、すでに不利だろが!
やつの免許証でも出させて、自宅情報をおさえておけばよかったか?
玄関に神棚・防犯カメラ・代紋の3点セットでもつけとけばいいか?(ヤブへびのリスクあり)
今なら白装束がインパクトもあっていいかもしれない。前から細々とやっている宗教も拡大せねば(笑)。
パンツ一丁で唄いながら玄関に出る某女子大生のノリを、おっさん版にアレンジして、江頭2:50を演じてみるか。
僕を知る悪友どもなら、「日本人でないフリしたら、疑われへんで」と言いそうだ(これが一番効きそう・・・)。

なにせ震災で傾いたままのアパートで、玄関前もむさくるしく散らかしているから、決して金持ちが住んでいるようには見えないはずだがなぁ(夏など玄関あけっぱなしでピッキングの手間もいらん)。セールス君もっとターゲットを選ばにゃいかんよ。
冷静なときは、「わし禁治産者(今なら後見か補助か)やから、契約でけへんよータリラリラ〜〜ン」とリーガルな煙幕を張る作戦も考えたりしていたが、それを試す場は突然やってくるからスクランブル発進が難しい。

ひそかに強敵だと思いつつかすかに期待しつつ未だお越しいただいてないのが、「布教にやって来る黒木瞳」「健康食品を売りに来る島崎和歌子」の類である。
たいてい、「市原悦子ふう」とペアで来るようだが、それでも負けるかもしれない。聖書だろうと読売新聞だろうとヤクルトだろうと、ホイホイ契約してしまうと思う。
ただし。あなたの自宅情報をまず示してもらわんと話は聞きませんよ瞳さん(笑)。


潮風のふぁんたじ〜

at 2003 05/05 18:07 編集

午前中に、馬場章夫さんがラジオで「大阪市内の渡船8本制覇」をレポートしていて、おぉこれだ!と思って水辺を巡ることにした。
といっても、神戸には渡船はないので、突堤巡りだ。
港の突堤のへりを細かく全部たどれば、その距離は何十kmにもなりそうな気がする。ヘビーサイクリングになった。

アウトドアといえば山へ行ってしまうけれど、たまには海もいいもんだ。
紫外線はふんだんで、潮風は香ばしい。
岸壁は、祝日は車も自転車も出入り自由で解放区みたいになっている。釣りOK、バーベキューOK、将棋OK、粘着カップルややOKである。海はおおらかなのだ。海の日生まれOsawasenseは、バカップルに対しては心のせまい意地悪だが。

そういえば子供の日なのだ。
子供人口が老年人口を下回ったのはもう何年も前の話。たしか子供人口割合が一番高いのが沖縄、低いのが東京である。県民所得は東京が日本一で沖縄が47位。これを「子沢山で低所得」と考えるか、低所得でも高出主率と考えるか・・・(沖縄が持に子沢山というわけではなく正常値で、日本平均や都市圏が異常に低すぎるのだ)。
子育てしにくい環境とか、子育てに縛られたくないオスメス心理とか、低出生率の原因はいろいろ言われているけれど(他人事のように書いとるなあと笑われそうだが、僕は海と山と田園と都市文化のある今の神戸で子育てしたいし育児もしたいぞ)、実際どうなんだろうね。

子供の日記念として、「この日に仕込んだと推定される懐妊には、その子が義務教育終了まで育児費用全額国負担」というキャンペーンでもしたらどやろ。
毎年べビーブームが巡ってくるわけで、出生率も回復するかもしれない。
「子供の日」は「子づくり日」と改名して、この日はホテルも軒並み満室になるから、親同居のカップルのために、「じじばば疎開切符」を配布して、どっか行ってもらう。
「じゃーヒトミ、わたしら1泊してくるからね」
「からね。って何よ」
「あんたも、ほれ、裕司さんと、なんですわ、あぁしてこうして・・・」
「なに言ってるの!!」
てなこそばい会話があちこちでくりひろげられたりして。
梅雨に入るころ、
「ヒトミぃ〜どうしよう、あたしできちまったみたいだよ」
てな話になるとこわい。
ま、それも出生率回復ということで・・・(笑)。
 


モザイク

at 2003 05/06 20:55 編集

めしや丼で夕飯を頼んだら、なんとなく何か足りない。お気に入りの「彩り定食」は、15品目ほどコチャコチャ盛られて590円と安いので常食にしているのだが、皿は一応いつものように埋まっている・・・
食べ始めて、店員が「サワラお持ちしました〜」と追加で小皿を持って来た。そうかそうか、サワラか。この時間差攻撃も、焼きたてでサワラがいただけるならいい。

めしや丼が松屋のとなりに大胆オープンして、最近とんと松屋には行かなくなってしまったが、やはり和食中心のバラエティメニューは人気が出るのもわかる。
こんなに手軽に、夕定食らしいものにありつけると、ますます自炊が手抜き気味になる。
カップルで来ている客には、「おい、彼でも彼女でもいいが手料理でいてこまさんかい」とよけいな命令をしたくなるのは、よくないオヤジ癖だが、外食がこう気軽になるとね・・・。水は低きに流れるという感じかな。

風俗嬢がラジオか雑誌かで、「彼女のいる客が増えた」と話していたが、これもなんとなくわかる。それはそれ、あれはあれの世界ってことだろうと思う。
「伝統的機能のアウトソーシングに伴う家族縮小と家族圧力の相乗的衰退」なんてコむずかしい話が今週の演題だ。
家族どころか、恋人の存在感もだんだん小さくなって、「用途別」に使い分けるようになるのではないか?
こうしてヒトの存在は、世界一心を許せる間柄にあっても、断片化して行くのだろうな。

未来を先取りする!?Osawasenseは、たとえば「ドライブに連れてってほしい」とおねだりする彼女には、カプセル怪獣よろしく外車マニアの実弟を投げつけるつもりでいたものだが、たまたま出番はなかった(笑)。


慢性五月病

at 2003 05/07 18:46 編集

日が長くなって、あぁひと仕事終わったなぁとヤレヤレ気分で神戸に戻っても、まだまだ明るい。
遅い晩飯が習慣になっているから、中途半端に時間が空いている。

たぶん、こういう時間帯に軽くワインなど開けながら仕事疲れをねぎらうのが「サパー」で、その場所が本来のサパークラブなのだろうな・・・と思う。本格的な晩飯は、もっと遅いディナータイムで。

このトロリとした時間帯は仕切り直しするにはよくて、バブリーなころは「五時から男」なんて類は出撃モードに入ってギラついていたと思うが、今は不景気のおかげでそう切羽つまる感じはないみたい。平均株価8000円を超えた!ヤッホー!のレベルだからなぁ。
営業マンや経理マンや現場工員の経験はないので、この退勤後の解放感みたいなのは想像するしかないけど。

どうしても日本のサラリーマンライフだと、居酒屋ベルトコンベアに乗っけられて酔っ払っていっちょあがり・・・という感じで、なんだか巨大な消耗サイクルシステムの中でかけずりまわっているハムスターにも見える。
居酒屋で気勢をあげている職場仲間ふうの諸兄は、仕事への鋭気を養っているのか、本当に気分転換できているのか・・・?
僕も社会勉強で一度やってみたいもんだ。「やだ主任!私の肩に回したこの手は何?」「私とデュエットで唄う気?」などと、いぃぃぃぃわれて蔑まれてみたい(悪趣味)。

サラリーマンでも、
「ヨットハーバーを眺めながら美女をひざに乗せ、ブランデーでもちびちび」
やれたらかっこいいダテ男の世界なんだが、現実には
「ヨッパライババーがひざに乗って来る悪質な呑み屋で、いっそグラインダーでいたぶったろかと怒り充満」
が、今まさに僕が突入して行きそうなバテ男の世界だ。「本体ちびちび男」だしなぁ。

さてと、コーヒー1杯呑んでから、雨上がりの街へ「出撃」するか(笑)。


おき火

at 2003 05/10 15:38 編集

父が再入院の知らせ。
冷静な兄も、執刀医から話を聞いてうろたえている。兄が感じた不審な点を確かめに、さっそく父の見舞いに行ってきた。
1ヶ月前に会ったときとうって変わって、ほとんど屍のような骨皮状態だった。開腹したがさじを投げてすぐ手術を終えたそうだ。
意識はしっかりしていて、うまいもん食いたいなぁと話す一方で、遺品のことまで口にしていた。
素人としては、何もできない。哀れだ。無念だ。悔しい。

しかし「ファミリーMSW」はできるかもしれない。
カルテも画像資料も何も開示されていない。治療計画も告げられない。転院希望を告げてもはぐらかされている。なんだこの病院は!と僕は憤った。

といっても、本人にとっては昔の職場でもあるから、気がねもあるのか、なかなか強く言えないようだ。
セカンドオピニオンなど、「どこ吹く風」だ。
告知もなし。「本人が絶望するので」という理由らしいが、絶望するほどの診断結果なら、徹底治療するか終末期ケアに切り替えるか、計画はあってもええんでないかい?と思う。
やるせない。
 


白日夢

at 2003 05/11 01:41 編集

信頼できる名医のセカンドオピニオンをうかがって帰り、ふだんめったにしないことだが昼間から一杯ひっかけて昼寝した。
白日夢は意味深な番組(笑)が多くて、ときどき日記ネタにもしたことがある。
案の定、象徴的な夢が上映されてしまった。
親父の葬式の1週間後、母の再婚の挙式に出席したのである。「不幸のあった翌週にめでたい席というのも、変やなぁ」と皆で苦笑しながら。
どういうわけでか、飼い猫がちょろちょろ紛れ込んで、じゃれついていた。

飼い猫といえば、我が家で初めての葬式というのは札幌オリンピックの年の祖父とのお別れを思い出す。
我が家はだれもが猫好きで、畳の上で家族に囲まれて眠るように昇天した祖父の周辺にも、いつも飼い猫がつきまとっていた。
それが、葬式になると「猫は不吉だから」という理由でシャットアウトされ、子供ごころに僕は理不尽なものを感じていた。通夜では大人たちが酒を飲んでやけににぎやかにしていたのも理不尽で、「しめやかに、親しかった犬猫も一緒に別れを惜しんだらどうやねん」と子供ながら感じていたものだ。

そんな習俗がそれなりの裏づけがあってのことと了解したのは、のちの座学のたまものかもしれないが、そうした原初的な理不尽経験がきのうの白日夢にひょっこり浮かび上がるとは思わんかった。

夢は、何か大切なことを教えてくれたり、思い出させてくれたりする不思議な泉だ。
はやりことばでいえば、「暗黙知」とでもいえるだろうか。
こんな闇の部分があるからこそ、理不尽は理不尽でとりあえず受け留める余地になっているのだろうなぁと思った。
 


しかしまーなんですなぁ(小枝ふうに)

at 2003 05/12 05:02 編集

考えてみれば、ヘンな家族だ我ながら。
大黒柱(いまタイピングミスで変換したら去年直腸癌で若死にした旧友の名前が出てきてしまった)の余生の「秒読み」宣告を受けて、僕などが一番理屈っぽいことをこねまわして、あとの家族がオロオロする・・・と思いきや、実際には逆なんである。

「あと半年もたないらしいよ」と離婚した父の古女房=わが母に打ち明けると、キューブラー・ロスの死の受容段階説をひきあいに出しよる。当の親父は、病床でインフォームドコンセント云々とカタカナ用語をこね回してたっけ。
どっちも80年代の、ちょいと古い「医の倫理」用語ですがな。今そんなもん持ち出してどうするねん(苦笑)。
現実的なのは案外、理屈王の僕だったりして、転院先や告知のタイミングを名医と話し合ったりしている。

そもそも、当の本人=父が、一度目の手術入院のとき、自分で画像を見て診断して「わしゃーもう退院できん」と電話してきながら、ケロリと退院して仕事復帰したりパソコンを始めたりとお気楽な生活を謳歌していた。
この調子で、再び奇跡が起こらないものかと淡い期待も湧いてくる。

受容や否認を行ったり来たりしているのは、本人もこれからたどる余生かもしれないが、僕も期待と諦念の合い間を行ったり来たりしている。ヤキモキさせるなぁ、この親父は。

考えてみれば、無為な定年後をだらだら送り産業廃棄物でもなく、濡れ落ち葉でもなくそこそこヤモメ暮らしを楽しみ、とっくに曾孫も抱き、ボケもせずちょうど平均寿命まで生きて来た父である。残る悔いは、数え始めればいくらでも出てきそうだが、もうええじゃないかと神様仏様は言うかもしれない。
晩節こそストレスフルではあったけれど、あの年で、若いころ勤労動員も学徒動員もなかった(能天気に「北海道には戦争なかったんじゃ」などとうそぶいていた)のはラッキーだったといえなくもない。1歳違いの母方の叔父など、海軍に出征して戦艦上で死線をさまよっていたそうだし、母は疎開先で米軍の機銃掃射に逃げ惑っていたそうだから、父は運に恵まれていた方だろう。

とまぁ、父の死刑宣告を聞いてから数日で今は「淡い期待の段階」にある僕だが、本人が告知を受けてからどう変わるか、これから見守って行かなくてはいけない。
ジャイアンツファンの父に「ミラクル」が訪れるか、それとも「もはやこれまで」か・・・。
今週、決戦がスタートする。
がんばらねば。
 


ハチのムサシも死んだのさ

at 2003 05/12 23:22 編集

母の日など、娘や嫁でもいなければ昔の人間はピンとこないと思う。
なんて自分のずぼらを正当化しようというつもりはないけれど、きのうの母の日は親父の末期宣告の又聞き(両親は夫婦をやめているので)という、とんでもない贈り物を持って行ってしまった。あぁ親不孝。

帰り道に、花屋に行列ができていて、やっと母の日に気づいたのが正直なところ。
もしかして、あれは売れ残りを叩き売るクリスマス商法と同じなんだろうか。客はカスミ草に群がってたけど。

もし叩き売りしてるのなら、自分の中で勝手にカレンダーを1日早めて、「母の日は第2月曜日とする」と決めてしまえば、毎年安く買えるわけだな。クリスマスも同じ手で行けばよろしい(えらそうに)。

まぁ、とっくに僕は自分の暦で動いているから、連休明けが衣替えだし(この灼熱アジアで夏に着るサウナサマースーツやサウナサマージャケットは持ってもおらんぞ)、冬でもだいたい素足につっかけで買い物に行っている。
徒然草に、興醒めなものとして「夏炉冬扇」が代名詞にされてたと思うけれど、1日や1ヶ月ぐらい自分の好みで季節の風物詩や年中行事をずらしてもいいではないか、のぅフセイン・・・は行方不明か、のぅ兼好法師どの。横並び教の信者が多い国だからこそ、ちょっとずれてみるのもいいかもしれない。

ターミナルモードに入っているこの日記だが、どうも僕は死者と夢の中で会話してることも多くて、この世も幻に見えることがよくある(鬱病か?)。なんだか自分が生きているのは2053年ごろに思えてしかたない。
夏目漱石が、ロンドン留学中に英詩を書いていて、ある女性を思う自分が夢と現実の間に立ちつくしている、夢と現実は追いかけっこをしている・・・というようなくだりがあったと思う(かなりねじ曲げた意訳)。
自分の暦で生きている僕なんぞ、2003年5月12日神戸という「今・ここ」の現実になかなか足をおろせず、かといってイカロスになる勇気もなくて、小賢しく生き延びているにすぎないなぁと思う。
 


おやGスポッと

at 2003 05/13 23:38 編集

ブランチを家でとって、イスに座ってお茶しながら、なんとなく百均で買ったマッサージばさみ(というのかな?首なんかをはさんでモミモミするU字形のやつ)で、背中をゴリゴリしていた。地面ゴリゴリ野良猫になった気分で。
左の肩甲骨の下あたりにしつこいこりがあって、「ん〜〜〜〜いい気持ち」とゴリゴリしていたら、天に昇るほど効くスポットにうまく入ったのか、にわかに睡魔が襲ってきて、座ったまま数時間、熟睡してしまった。なんだ一体これは!?
目覚めると、しつこいこりはほとんど消えていた。
肩こりのメカニズムは素人にはわからないが、何か毒素の塊みたいなものがあって、そいつに絶妙の直球ストライクが入って打ち砕いたような感じがする。

たかが肩こりといっても、長年の積み重ねだから、また「毒の素」が少しずつ蓄積して行くんだろうな・・・と思いつつ、でも「ここリセットスイッチ」と背中に刺青でもしておきたい気分。
本人はミニチュア(笑)とはいえ、人体は不思議だ・・・。

★追伸★
肩こり撃退スポットのことをGスポットと呼ぶのではありませんので、良家の子女は間違ってもパパに「ね〜気持ちよくなりたいからパパ私のGスポット押してみて」と発言してはなりません。
一家が激震に襲われますっ。
 



波風

at 2003 05/15 14:42 編集

冬休みをはさんで、今年度は朝の通勤ラッシュ電車に乗るのが週1回になっている。
去年はけっこう何度か毎朝同じ電車に乗っていて、いつもの定位置の「ご近所さん」が何人か、無言の顔なじみになっていた。
わずか1年のうちに、顔立ちは若くてスラリとしていて「学生時代はもてただろうな」と想像してしまうおっちゃんは、一気に白髪頭になってしまった。さぞかし、つらい勤労に追われているのだろうか。座席でいつも、そして今朝も、うとうと短い朝寝をむさぼっておられて、必ず白目をむいているのがご愛嬌だ。来週は、呼吸しているかどうか一応チェックしておこうか。

バイオリニストの千住真理子を10歳ほど若くしたようなOL様の姿は、案の定みかけなくなった。
僕が何名かまとめて勝手に命名している「8時15分快速四人組」の中で、なんとなく真っ先に抜けるのは彼女ではないかと予想していて、その通りになった(白目のおっちゃんは過労死しそうな気配もあるけど)。
実態は、「寿なんとか」かもしれないし、単に配置転換や転職、引っ越しをしたのかもしれない。
こんな当たりはずれがニュースになるわけじゃないが、かりに寿か転職で真理子さん(仮名)が四人組を抜けたのだとして、転機があるというのはいいことかもしれない。・・・と、おじさんは目を細めるあまり白目になってしまうのだ(俺もか?笑)。転職先がないまま解雇不安をかかえているというのは最悪だからなぁ。

僕が人事部長なら、「すぐやめるOLは補助職でいい」と雇用差別をするかもしれないし、人材派遣会社経営者なら「どんどんやめて転職してね」と煽るかもしれない。今の風向きは、人事部長に向かい風、転職サービス業界には追い風というところだろう。
おっちゃん的―つまり日本を閉塞させている―発想だと、「景気の波をもろにかぶらない安定した仕事が一番」ということになって、我が実家もそんな空気が昔から今に至るまで蔓延している。
でも、実社会は景気循環の波に洗われるのが当たり前。それを免れようとする小役人発想が、ますます不健康な社会を
景気がよくなっても悪化しても食って行ける「マッチ屋さん兼ポンプ屋さん」を並行して営むのが利口なのかもしれない。薬局の前に煙草の自販機がおいてあるように。

家族でただ一人冒険して「技官」から民間へ転じた父の終末期は、不遇なのか幸福だったのか。
昨夜は深夜まで、主治医と話し合った後ついに本人に余命の告知をした。
余生の質を高められる専門機関に移ることを勧めたが、「本人の意向が尊重されるべし」というのは教科書レベルの正論ではある。
意識もしっかりしてはいるが、察するに、ショックや無念や不安や疼痛などがないまぜになって(僕の素人判断では、そもそも最初の手術が失敗で、失敗の上塗りをされながらどんどん体力が低下している)、明晰な判断は
あまりにも荷が思いにちがいない。そんな状態の患者に、「自己決定」「インフォームドチョイス」など迫るのは、愚かしい態度だなぁと自己嫌悪を感じる。家族で裁判するわけじゃなし。

「クレイマー、クレイマー」に、ダスティン・ホフマンがけがをした愛息子を抱き抱えて、信号無視をして診療所へひた走る場面があった。同じ場面を、虫垂炎の僕は父に抱きかかえられて経験している。
今、骨皮だけになった父を抱きかかえて転院先へ走ることは、物理的にはできるかもしれないが、病院・家族のあきらめムードを「洗脳解除」できるかどうか、ファミリーMSWの腕が問われている。
やってみようか・・・でも実の親父は、博打のサイコロではないしなぁ。


SAAAAAAAAAAARS!

at 2003 05/17 01:09 編集

台湾から観光に来ていたお医者さんが、SARSで隔離されたそうで、ニュースが過敏に報道している。
大阪にある遊園地に寄って天橋立を観光し、高松から淡路島に移動して宿泊・・・
とまぁ、プライバシーは問題ないだろうけど、おひまなのねマスコミは。

この立ち寄り経路、詳しいんだか不明朗なんだか、よくわからん。
もしかすると、「どこかの歩道橋の上で大くしゃみをしました」とか、「酔っ払って御堂筋を転げ回っていました」とか、「大繁盛の風俗店で豪遊しました」なんて供述が出てくるかもしれなくて、そうなりゃ恐ろしくて報道できないだろう。
でも、そうした「具体的な情報」こそ報道すべきじゃなかろうか。

ヘンに中途半端な報道だと、「ははーん、大阪の遊園地っちゅうのはUSJやな」「天橋立で股覗きしたのかセンセイ!」「讃岐うどん巡りは台湾からの団体さんにも人気コースなんやね」と、のどかに想像して、ほほえましいだけで終わり。
観光客が立ち寄った先というのは、ほかでもない、風説や誤解で観光客が寄りつかなくなることが死活問題だから、うかつに報道されても困るだろう。
だからきちんと取材してから報道するか、オフレコにしとくか、どっちかにすべきだろうなぁ。

それにしてもSARSサーズさーて・・・と神経質すぎる。
まだ日本では感染者が見つかってないんでしょう?
でも1日90人が自殺しとるんだよ。
自殺ぐらい、ニュースではないってことなのか。なんだか歪んでいる。




at 2003 05/18 00:29 編集

ちょうど20年使ったテレビがついにダウン。さて、修理するか、これ潮時ってことで買い替えるか・・・。
当時は最先端だったボタン式チャンネル選びも、離れると「竹棒リモコン」しかないから、せめて赤外線リモコンはほしかった。
地上波デジタルが始まるとかなんとかゴタついているので、買い換えても5年も使えるかどうかわからん(電波行政、はっきりせんかい!)。こりゃ買い控えで家電業界が冷え込むのもわかるわな。
で結局液晶テレビに買い換えたので、夢のような(笑)リモコンライフが実現した。

週1回のテレビアワー金曜夜11時27分、記念すべきニューテレビで受像式を執り行う(おおげさな!)。
なかなかきれい。でもブラウン管の方が画像は忠実な感じ。メーカーはサンスイなのに(今のMDコンポ世代なら知らないだろうなぁ・・・サンスイとかナカミチとかラックスマンとか、通好みのメーカーは)、音はイマイチ。
そういえば、真空管自体は電気性能に劣るわけではなく、半導体より集積性と生産性が低いため片隅に追い払われてしまったのだといわれている。
病床の親父はなぜか半導体好きで、息子の僕が真空管アンプを手作りしたり買ったりしていた。
真空管アンプで聴くと、同じCDを聴いても、霧が晴れたようなみずみずしい音で聴ける。
オーディオの法則とテレビの法則は違うのかもしれないが、テレビを液晶にしたことは「進歩」なのかどうか、ふと考えてしまった。
ブラウン管はでかくて熱くて電磁波洩れも多い。けど、動画の反応は速い感じがする。

マイ・テレビアワーで、5歳の女の子が二十歳のヨーヨーマンにプロポーズするというネタがあった。
ほほえましくてええねぇ。最近、「うちの子(orペット)みてみてみてみてみて!!」ってだけのひまなママ投書が増えてうんざりしていたところ、この子のママは姿も出さない。子供だけの経験を大事にしとるんかなぁ・・・と少し勝手に感心。
ヨーヨーマンも、とまどいつつデートごっこにつきあってあげてたけれど、まぁやがて淡い恋仲も立ち消えになるわいな。いや、ずーーーーっと交際してたらすごいと思うが、犯罪やら、親子丼やら匂ってくる。
それに、彼女が14歳になって「あたし生徒会長が好きになったの」と別れ話を切り出して、彼が「ひどいよ!やりなおせないかしら・・・29歳のボクを捨てるなんて、ただじゃすまないわよ」てな話になれば、哀れを通りこして喜劇だ。今度は彼のママ55歳が投書して、当時は桂小枝探偵局長が「しかしまぁ、こりゃー、なんですなぁ」と頭を抱えているだろう。

逆に、よくありそうなシナリオとしては、別れ別れになって15年ぐらいたってから、どこかでバッタリ出会うと、こりゃ感動のドラムが鳴る。ヨーヨーマン係長35歳と短大出たて新入社員20歳という構図である。もう、何が起こるかみえみえではないか。
そのままズルズルいって、「32歳♀と47歳♂」になると、まったく違和感はない失楽園ワールドだ。
芸能界じゃ森光子が東君とのお泊り仲をカミングアウトしたりしているから、男性も女性も、15歳差ぐらいは問題ナシと思ってよろしい(と、勝手に許可する)。
二十うん歳年上のナイスミドルな社会学者に欲情しまくりという女子大生というのがおられて、卒業したら何が起こるか、ヒヤヒヤむらむらハラハラすぽすぽ状態の僕だが、まぁこれも文化かな?石田純一さん!
 


しかしまぁ、こわいですなぁ

at 2003 05/18 23:25 編集

産業別労働組合の総会を、遅刻しながら覗いてきた。
組織的な労働運動というのも、どうもピンとこないんだな。育った環境が、両親も兄もそろって闘争一家だったにもかかわらず。

まぁ何かのご縁と思って不純な動機で参加しているのだが、末席でこっそりひっそりしていたら、いきなり執行委員にプッシュされて投票、開票であれよあれよという間に決まってしまった。
なにせ、「雇用の維持」「解雇撤回闘争」を主目的にする組合で、僕は「有能な私をクビにする職場なんか、こっちから絶縁したったらええんですわ!」と、ぶちこわし発言をしてしまったから、あいつは何だ!?と危険視されてもしかたないだろう。

おまけに、大量解雇の追い風になるような仕事を起業しようとしている(WEB上には案内サイトつくったけど)。
たとえれば、どんどんリストラして正社員を派遣社員とパートに置き換えようとしている会社に、抵抗するのが労組。僕は派遣会社を興して「正社員クビにして安い社員に置き換えまへんか〜♪」と法人営業しているようなものだ。
生徒会に、校長・教頭お気に入りの飼い犬みたいな生徒が混じっているようなものだから、いつか暗殺されかねない。

でもまぁ、それもちゃんと表明した上で執行委員に推されたわけだから、冒険好きというか、リベラルというか、おおらかというか、なかなかおもしろい組合ではある。
いつ粛清されるか、ヒヤヒヤもんではあるけど・・・。
 


オンリーワンは宗教

at 2003 05/20 22:22 編集

SMAPの某ヒット曲は、なんとマッキーの作詞作曲であったか!!と大発見した話なんて書くつもりはない。
ナンバーワン、ナンバー2・・・と人間をランクづけしてきたものさしも、えーかげん日本人には刷り込まれてしまているから、飽きられたんだろうか。
でも、現実なのだ、人間々が序列化されているのは。

「個性重視」を口走る学者や財界人の99%を僕は信用しないし、小市民も似たようなもんではないだろうか。
たとえば、つきあう異性について、数字やランク(年収、学歴、地位etc)に全く関心がわかない人っておるのか?自分の彼女or妻が何cmか何kgかと本気でこだわる男というのは、同性として話している限り、聞いたことがないけど。
オスメス話のついでにちょいと話はそれるが、体位だって、正常位以外はぜんぶ異常位みたいな扱いではないか。けしからん。騎乗位は「貴嬢位」と改名すれば、もっと普及すると思うよ厚生労働省さん!
労働省つながりで、職場だって、オンリーワンの人材ばかりの組織というのは(ありえないが、あるとして)、その人が欠けると停まってしまうから、必ずピンチヒッターを調達せんといかん。つまりナンバー2、ナンバー3・・・というこっちゃな。

「あなたは第何位ではない、オンリーワンです」と思わせるのは、現実逃避させるだけのマインドコントロールではないかと思う。
僕の認識は、まず序列は悪ではないということ。偏差値で卑屈になっている子はお気の毒だが、偏差値20!と測定されてめげるなら、その土俵で力をつけるか、偏差値80をとれる土俵を探せばええんちゃうか?
「優も劣も、人と比べられるのがイヤ」となれば、自分の部屋に引きこもるしかないのかな。その中で、「オンリーワンな私なんだから」と自慰にふける・・・か?

刑務所の中でも、病棟の中でも、信仰の世界でも、人は必ず序列をつくる。身近な経験で、僕はチャリンコに乗っていると歩行者が邪魔ものに見えてしまうが、そんな僕がクルマからは邪魔もの扱いされる。クルマ―チャリ―人という序列があるわけで、それが世の中っちゅうもんだ。
「山好きみな仲間だー!!」のはずの山小屋でも、いつの間にか「俺様の登山歴」をさりげなく雑談に織り込むタヌキおやじがおる。自分の土俵を用意しとる僕は、「雷に撃たれて死ななかった話」をしてやる。どや、挑んでみんかいコキンタマ野郎!(笑)

あなたはこの世で一人の存在―こんなこと、今の一瞬が二度と再来しないのと同次元の自明の真理じゃい―、オンリーワンなあなたを尊重します・・・とささやかれて、整体師だか正誤師だか、ステージを与えられてた信者たちがおったよな(うち1名にまた死刑判決が出た)。

「わたしゃナンバー6000000000でいいっす」と笑って生きられる方が、幸せやなぁと思う。
 


58歳校長っ!

at 2003 05/21 00:52 編集

さいたま市内の小学校長が、児童の前でヘンな替え歌を披露したけしからん責任者出てこーい!というニュース。
http://www.asahi.com/national/update/0520/029.html

アホらしくて論評する気にもなれんが、気になるのは歌詞の内容で、新聞では一部しか報じられていないが、
「ドはどくろのド、レは霊柩(れいきゅう)車のレ、ミはミイラのミ、ファはふぁかば(墓場)のファ、ソは葬式のソ……さあ死にましょう」・・・の次はどうなってるんだ校長!いや新聞社!?

こんなこと子供のお戯れじゃよくある話で、だから校長の精神年齢が疑われるな。

ドんくさい校長
レい点だよ査定
ミのほど知らず
ファンさえいない
ソく懲戒だ
ラくして出世
シらんよ退職金
さぁやめましょう♪
・・・って「懲戒音頭」歌ってあげよう。
 


ワイルド&レフトで行こう

at 2003 05/23 01:16 編集

タバコの表示を厳しくせんかー!と、WHOの勧告。
mildやlightが国際的に禁止されて行くらしい。
でも「ファッションマッサー」があふれるジャパンのことだ。「MILE SEVEN」とか「PEACE RIGHT」という手もありうるぞ。
「どんどん吸ってマイルをためればもう1箱プレゼント」とか、「平和に喫煙する権利だ!」というメタメッセージをこめて。

タバコは、うちの実家を焼いてしまい、親父の末期癌の一因にもなっていると思う。
にっくきタバコ!だし、僕も趣味ではないけれど、愛煙家がもうすこし論理的に喫煙権を訴えて、秘めやかな嗜好として楽しむにはいいんじゃないかとも思う。

「タバコは心の日曜日」という専売公社の名コピーが、昔あった。
街角で、電車内で、タバコの火を貸し借りする場面も懐かしい光景だし、とても大切な見知らぬ人間同士(同志)のコミュニケーション・チャンネルだろうと思う。
いかにも僕が愛煙家にみえるのか、火をいただけないかと乞われたこともある。「いやーわるい、あっしもライター忘れちってね」とカドが立たないように断った。「私は吸わない!」「タバコは迷惑ですっ!」と返すのは野暮ってもんかもしれない。

理路整然とした野暮が嫌煙権運動のような気もする。
身近に運動が存在すれば、たぶん賛成はするだろう。
でも、若干のためらいも感じる。
「たしかに、吸わされたくない。けど・・・」の思いが社会運動へと組織化されると、点点の部分が掃き清められてしまって、憎悪が増幅される危なさがある。国や民族をまるごと憎悪して殺戮へと突き進んでしまう戦争と地続きの回路である。
身近な場面じゃ、不倫は不道徳です民事上の貞操義務違反です禁止しましょう!というのは勝手だが、ただの「もてない連中ヒステリー」が権力を持つと、映画や文学のかなりの部分が漂白されてしまいそうだ。
ちょうど、猥雑な下町と、ぴかぴかつるつるニュータウンとの違いに似ている。
これは浪花節的な感傷にすぎないのだろうか。

親父は、もうひと昔以上も前だったか、僕がまだ夕食を食べ終わっていないとき、ちょっと一服しかけて、タバコ嫌いな息子に気づいて「あーわりぃわりぃ」とあわてて消していた。今年になっても、愛車で僕を拾うとき、真冬でも窓を開けて、たまった煙を一掃していた。
考えてみれば、そこは親父の買った家、親父のクルマである。「けむたくていやならお前が出ていけ」というのが正論だろうに。
こんな親父の末期癌は、治りそうにない。
だったらせめて、タバコを吸わせてやりたい。それがターミナルケアというもんちゃうか・・・?と思う今日このごろ。



ノックアウト

at 2003 05/22 23:02 編集

久々に、「2時間一気読み」させられた新刊だった。
暉峻淑子『豊かさの条件』(岩波新書)。
心を打たれる論説本というのは、そうめったにない。

われわれのすぐそばの、過労死寸前の労働者や、就職口が見つからない若者や、仕事したくてもありつけない路上生活者といった事例研究は、一見それぞれ別種の極端例にみえるが、根っこには「経済大国日本の貧しさ」があることがよくわかる。
暉峻先生がかかわったNGOが縁結びした内戦状態のユーゴスラビアの子供と、阪神大震災で家や家族を失った子供との交流は、やがて「交感」へと発展して行く。そのプロセスには、薄っぺらい美談や手柄話が持ちえない迫力があった。
終章は、いま僕が企てている協同労働の歴史と概論になっている。
なんとタイムリーな!

数年前に、あるシンポジウムで暉峻先生の講演の前説をしたことがあった。
小柄で気さくな人物像と、毅然としたまっすぐな背中が印象的だった。
ヨーロッパと日本を忙しく往復しつつ、地の塩になって働き、研究業績も蓄積しておられるエネルギーには圧倒されるばかりだ。
世界に求められ、呼ばれる存在といえるだろう。
自分を待っているフィールドは、どこにあるだろうか?と、ふと考えた。


ジェネレーション・ギャップ

at 2003 05/25 03:21 編集

「ゆびとま」に母校を3つ登録していて、ときどき新規登録者の通知を受ける。200万人以上の会員数らしいけど、さすがに弱小予備校の卒業生は14人しか登録がない(その母校も倒産してしまったし・・・トホホ)。
大学だと2ケタ多い。今日も新着情報というのが届いていて、新規会員の短いメッセージが並んでいたのだが、「学生時代が懐かしいです」と書いてあるやつが、今春の卒業生(!!)だったりして、入力ミスでなければ「なんじゃこりゃ」と首をかしげるところだ。

3月に卒業して4月に就職し、よほど普通の勤め人の何年分もの猛烈な仕事をして、しみじみ2ヶ月前をふりかえれば「懐かしい」と感じるものなんかねぇ・・・。
女子大生をオバハンと見る女子中高生の感覚はマスコミねたになってたから、つくづく異世代の時間感覚は不思議なもんやなぁと思う。

たしかに僕も小学生のころ女子高生がムンムンしたお姉様に見えていたけれど、それは憧れに近いまぶしい感情だった。年上の世代が「あぁなりたくない」イメージとして見えるのは、それだけ社会全体に見通しが暗くなっているあらわれだろうか?

もうふた昔も前と、学生バイトの時給相場も大卒初任給もほとんど変わっていない。どころか、今の職場に張ってある求人票を見ると、大卒者の待遇は(福祉業界のせいもあるだろうが)80年代より悪化している。
これで、実力次第では毎年めきめき給与アップして行く・・・なら報われるのだろうけど、そんな時代ではないね気の毒にも。

時代のせいとばかりもいえない。実力主義・成果主義が、労働者の側から出たムーブメントなのか、雇用側から出た「単なるコストカットの言い換え」なのか、働く者自身が考えてみないと本質は見えてこない。
責めるつもりは毛頭ないが、仕事の評価が正当でないとき、自己アピールしたり、仲間と連帯して運動を展開したりする発想を学習する機会がないのが今の二十代。
ネットやマニュアル本など情報は洪水のようにあるのに、壁にぶちあたったとき、頭を絞るより求人情報誌を片手にプッツンとやめてしまうか、心を病んでしまう人民が多いような気がする(ま、10年以上同じ職場にいないと決めている渡り鳥のような僕も、えらそうなことはいえない)。
雇って教育する側の責任もあるし、そんな我が子をパラサイトさせている裕福な親世代も問題といえるかもしれない。

でも、あと60年は生きていける連中の頭の中で未来が霞んでいて、いつガンか脳卒中でくたばるかと現実的なリスクをかかえている僕などがあいかわらず「夢見るオッサン」でいるのは、これいかに?
村上龍さんが『自殺するよりSEX』の中で書いてた慨嘆に、「女子高生と話していると、死体を相手にしている気がする」というくだりがある。
同感です龍さん。
僕が脳天気に浮き足立っている「夢みるオッサン」ということではなくて、気づかないうちに自殺してしまっているような子が少なくない気がする。
「安定が一番」「我を主張しない」「勉強は受験対策だけ」とまぁミニ公務員みたいな二十歳ばかり見ていると、半分以下の年齢なのに、ふけとるなぁ・・・と苦笑してしまう。

プーシキンの詩に「夢の翼」というフレーズがあって、老化で詩そのものは忘れてしまってそこだけ憶えているのだが、21世紀の学生が持つ翼って、あるとすれば何だろうか。
ケータイとか・・・?
  


なごり雪

at 2003 05/25 16:33 編集

もう初夏の四国の石鎚山へ、登山に行ってきた。
時間が空いたので、徳島の剣山にも寄ってみると、なんと剣山スキー場がまだ銀世界。係員のおっちゃんが「ぼちぼち、今年は営業終わりだじょ」なんて言いながら片づけ仕事をしている。季節はずれの寒波で、山肌は真っ白になっていた!

と、これ実は白日夢で、年中行事のように4月か5月に必ず見ることになっている「なごり雪もの」。
今年は遅いなぁと思っていたら、勉強机に向かってリクライニングチェアに座った状態で、やっと2003年バージョンが見られた。なんとまぁ、季節色がちゃんと規則正しく巡ってくる脳内劇場だこと・・・(笑)。
この「なごりゲレンデもの」の舞台は、我が街を一望する六甲山であったり、なぜかハイビスカスの咲き乱れる高原であったり、深いヨーロッパアルプスの山々であったり、秋田県であったり、いろんなところでともかく快適にスキーをしているのだ。本物のスキーはかなりマンネリ気味なので、とんでもない舞台設定にワープできる脳内ゲレンデが毎年楽しみなのだが、自分の脳なのに予告篇もなくて、見るまで本篇がわからない。野沢菜を食べたら信州にワープできるというものでもないし。
居眠っていたときは低気圧のせいか、四国から淡路島を経由して船で神戸に帰るとき、雨でずぶ濡れになってしまうという演出もついた。
子供時代なら、おねしょが現実になっていただろう。

大人になって、おねしょをしなくなるというのは、もしかすると夢を見ながら「これは夢だ」と冷静に識別していて、「手に寝汗にぎる大スペクタクル」なんか見ていないからではないか?と素人夢分析をしてしまう。
ちょっとつまらん。
僕は通勤電車の中でも喫茶店居眠りでもたくさん夢を見るので、本当に悲鳴をあげたり、ちびったりすると困る(笑)けれど、せっかく見るなら没頭したいものだ。公園の木陰で寝てるだけで、ブナの原生林や熱帯のマングローブ林やフォンテンブローの森にワープできれば、こんなにお安い旅はない。
寝てなくても周りの風景が変わって見えたり頭に電波が入ってきたりすると、それはそれでスリルとサスペンスものだが・・・。


おつかれさまです

at 2003 05/27 00:15 編集

神戸新聞の「イイミミ」欄だけは、夕刊のペらっとした紙面で楽しみたい。読者の電話投稿欄である。
こんなのが載っていた。
畑仕事をしていたところへ、小学生グループが通りかかり、口々に「体、大事にして下さい」「お仕事、頑張って下さいね」などとあいさつして通り過ぎて行った、というのだ。
さわやかさに感動のあまり学校へ「ええ教育しとりますな」と礼を言いましたわ、と61歳のおとっつぁん。

そりゃ、よかっただろう。ストレスも消え血圧も下がり心の襞に一陣の風が吹く気分じゃろう。どこか懐かしさを感じたかもしれん。
しかしだな、「中高年心のつぼマッサージ」それ自体はけっこうだが、本当にこんな言葉を口走る小学生がいたらわしは気色悪いよ。
第二の可能性は、こんな声かけ運動をやらせている教育者の影である!これこそ教育に名を借りた子供洗脳!!はたまた子供をペット化しようとしている寂しい大人の猫なで声!!とはいえないか?遠山大臣!

従順な子供が、大人の教えた通りのセリフを口にして、地域住民に感動を与え、それが学校にフィードバックされ・・・こうして子供の管理(と裏腹の大人の自慰)は平和に、批判の隙もなく強化されて汗く。
だから、こわいで。
そういえば最近、終講後「おつかれーっス」と声をかけて下さる学生が増えた。なんじゃこりゃ。
怒るべきか、ため息つくぐらいでいいのか、41歳教祖はわからんよ。

ただ教祖は素朴に思うばかり。
田畑を踏み荒らし
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