solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2003年8月の書き込み
From 教祖 To osawasense@laguz at 2003 08/26 00:17 編集 返信
RE:レンズは

>国産で、ニコンですわ。

ローデンストックに変わる日も、やがて来るかな?
緑色は目にやさしい・・・とは一般論ですが、背景とのかねあいも工夫せんといかんかな。


From Dがま To osawasense@laguz at 2003 08/26 00:08 編集 返信
レンズは

国産で、ニコンですわ。
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2003年8月の日記

アバンチュる

at 2003 08/02 16:42 編集

なにも繁華街に出て混み混みの喫茶店でふてくされている必要もないわな、と徒歩2分の200円コーヒースタンドへ書類持参で「出勤」する。

ふだんの昼は、近所のマダム族85%、通りすがりのビジネスマン10%、通りすがりの山手女子短大生15%という客層で・・・あれれ数字が合わんが、とにかくそれぐらい3タイプの客で一色(三色?)という惑じだ。
それが、お子さま夏休みのせいだろう、お茶しているマダムの推定平均年齢は黒木瞳ラインから市原悦子ラインへぐっと上がって、やや抹香臭いカフェ。

いや、このまったり感がスローライフでええね。旅の相談に花が咲いていて、自然体でいい。
僕と同年代のマダムたちは、まだ人生半分残っているのに、お子さまに仕えてしまってるのか、夏休みになったとたんカフェから消えている。
頁休みなんだから、お子様どもは缶詰100個とサバイバルナイフ一丁だけ持たせて、無人島にでも放りこんでくればええだに。同輩のパパママ諸君、もっとバカンスを!ラブを!アバンチュりましょう!
・・・と、他人事だからこそ好き勝手なことが言えるのかな。
「そんな元気ないよ」って顔も目につくけど。
 


歴史はくり返す

at 2003 08/04 21:41 編集

コラ後輩!!「就職がうまくいかん」なんて理由で折り鶴に火をつけるな!
どうせなら、文学的に「夏の陽に不条理感じて夏木マリ!」とか、灼熱日本スーツ帝国に戦線布告して「汗ぐっしょりリクルートスーツはよ乾け」とか、気のきいた理由がほしかった。川柳協会もうなるはず(ちゃうか?)。

で、燃えた折り鶴を学生や職員が折りなおして寄贈する動きが出ているという。
広島といえば、亀井静香ちゃんの地元だから、亀も折って混ぜておけば、衆院選や痔眠党相殺選挙が少しは楽しめるかも・・・。
このアンポンタン学生も通っていたであろう未完成学院大学の学食には、広島丼というメニューがあって、カキの玉子とじ丼だったが、とてもうまいアイデア賞ものスタミナメニューだった。僕も、広島丼をきっかけに広島ファン(カープじゃないが)になったんである。
だからといって「うちには広島丼メニューもあることですし、それに免じてお許しを・・・」なんてことはいえない。
それにしても、焼けたのが折り鶴だけだったのは不幸中の幸いだったと思う。
原爆ドームが焼け落ちていたら、復元するのは大変だ。
ドームはすぐできるとしても、何のドームなのか?といえばその「何」をどうにかせにゃならん(笑)。
ふと、ひと昔前、プリンストン大学の学生が、原爆製造が意外に簡単にできると卒論に書いて、当局側に封印されてしまったニュースを思い出した。
理学部生諸君、できますかな?航空クラブに応援たのんで。
もちろん、「できる」と「する」は別問題なんだが、実行あるのみ!という国に従属したい純ちゃんは怖い。

世界貿易センタービルなんかも、跡地再開発は進んでいるようだが、狙われることに意味があり壊されることで有名になるわけだから、復元は宿命的に「再びの悲劇」の復元になるのだろうか。
 


3万円投資の配当

at 2003 08/04 22:11 編集

りずむぼっくすのスタンプがやっとカード1枚たまって「CD3000円分と交換」を勝ち取った(おおげさな!)ので、安いの3枚みつくろって引き換えてきた。

HMV やバージンやタワーやその他忘れてしまった店のスタンプカードをごじゃごじゃ持っていると、結局どこも一杯にならないうちに有効期限になってしまう。よほど猛烈な勢いでCDを買い漁っているマニアか業者でなければ、特定の店のスタンプが1年かそこらで埋まることはないんちゃうか?とも思う。
CDの売り上げは落ちてるそうだし、ポイントカードという囲い込みマーケティングは、つぶしあいになりはしないのだろうか。

その点、りずむぼっくすは無期限なのがいいし、中古だと単価も安いからお得な感じがする。
買ったんは、リー・オスカーのラテン・ハーモニカとジャズボーカル・オムニバス、それに見知らぬギタリストのピアソラ・ナンバーの輸入盤。
夏のラテンはハーモニカがさわやかでいい。冬のラテンも好きで、バンドネオンは心のひだを潤してくれる感じがするけれど、夏はやはり硬質なインストゥルメンタルがいい。
ボーカルCDはメル・トーメやチェット・ベイカーらスタンダードが並んだ「無難」なもの。本物のボーカルは、井戸水のように夏はクールで、冬は暖かい。
熱帯夜が温帯夜ぐらいにはクールダウンできるかな?
 


毒を以て毒を制す

at 2003 08/06 08:57 編集

広島の23万人のご冥福を祈りつつ、平和記念式典のニュースを聞いていた。
核保有国には式典参加を要請しているのに、公使が参列したのはロシアだけだという。英米はやましい過去を自覚している証拠だろう。

「ギブミーチューインガム〜」「米軍キャンプで音楽修行♪」とお気楽に占領軍に寝返った日本人と、アメリカへの不信、テロ、ゲリラが渦巻くイラクとの違いはどこにあるのだろう。どっちが健全だろう?と、ふと考えてしまう。

昭和天皇が処刑を申し出た(という逸話もあるというだけで、史実は闇の中だが)のに対して、日本人の精神的な支えは葬らない選択をした58年前のアメリカは、イラクには「独裁者の息子惨殺」をこれ見よがしに断行した。
亡命中のフセインの娘の美貌に少しよろめいている僕が、もし、もももし、もしも、おとっつぁんに見込まれたら、ウダイとクサイに代わって娘婿として跡取りにならへんか?と勧められるのだろうか。
わなわな・・・(と、真剣に悩んでいたりする)。どうしようか?ジョンイル。

僕が神戸―バグダッド―平壌の枢軸計画を語ると、人は危険視するが、実は逆だろう。この3地点に、あとリビアとイランも加えて「仲良しネットワーク化」すれば、これほど安定した世界平和はないんちゃうか?とも思うんだが…(警察は大泥棒の最高の転職先になるというようなもんか)。


サマーフォトスクール第一講

at 2003 08/07 11:11 編集

「一眼レフカメラとレンズは、マウントちゅう金具でつながるようになっておってな、ニコンのレンズはニコンのカメラにしか使えんのが原則じゃ」
「ほほぅ・・・一夫一婦制みたいなものね」
「さよう。ただシグマやトキナーのように、ニコン家にでもミノルタ家にでも、お宅の流儀に合わせてお相手しに行きますっちゅう八方美人系レンズ業者もあるぞな」
「そうっすか。身が持ちませんね。八股のオロチみたいな絶倫スタミナでもないと…」
「何を想像しておるのじゃ鯖人。オープンマインドなマウントもあるぞ。ペンタックスのマウントは、うちの亭主でも女房でも、どなたでもお使い下さい、と公開したから、リコー家やコシナ家とは通婚可能な関係にある。この御三家のレンズとボディは互換性があるから、好きな相手といつでも合体できる」
「ぬぁぁぁぁぁん!いけません!そんな・・・」
「わしのカメラもペンタックス製じゃ。太いの細いの、軽いの重いのレンズもいろいろありましてな。おぬしがペンタックスを選べば、おぬしのボディにうちのレンズたちが合体できるわけじゃ」
「いやです!私のボディに・・・なに言ってんですかセクハラ師匠!あたしオープンでいたくな〜い!!」
「あのなぁ、おぬしの買ったカメラのボディに、ということじゃ。おぬしのバディではないわ!たわけ」
「ハッ、ボクとしたことが、つい欲情して失敬」
「で、どういたす鯖人」
「もっちっろん、ペンタックスなんか買いません」

で、イチキュッパで見つけたニコンFEとお見合いの果てに、無事ご成婚。
「あぁペンタックス光線に撃ち落とされなくてよかった」とぬか安心した勢いで、「写真術9日間マスター」の秘伝書を一夜でマスターして、翌日には湖畔のアバンチュールにニコンを持参していっちょ決めますわ♪と鼻息を荒くしてやがる。
フフフフフ・・・甘い甘い。
週末の第二講「モデル実習」でおぬしの腕前をトクと見せてもらおうかの。


夏の姉

at 2003 08/08 18:47 編集

降ったり止んだりの蒸し暑い朝、三宮へ自転車で出動していた。
ご無沙汰している魚専門定食屋で昼メシ食いながら様子みるか…と店を覗いてみるとちょうど昼休みどきで混んでいたので、サンマルクでヒマつぶし。食前コーヒーというのは、どうも落ち着きが悪い。
やっとサバみそ煮込み定食に感動の涙を流して外に出ると、本格的に雨。ドトールで雨宿りしていると、うまいぐあいに雨足が切れたのでダッシュして帰る。
こう暑いと、いっそ汗やら雨やらでずぶ濡れになって、風呂にドボンというのもさっぱりするかもしれんなぁ・・・と思いつつ、遠い幼少期を追憶する。

「あらー、どうしたの坊や、ぐしょ濡れじゃない!うちで乾かして行きなさいな」
「い・いいです・・・見知らぬ美女についてっちゃいけないと父上に教育されているので」(=ウソ)
「遠慮しなくていいのよ。はいバスタオル。シャツは乾くまで、おねーさんの着ててね」
甘い香りのシャツに体を通すイケナイ裕司少年。フッフッフ、少年にしか見えない身長だが実は40歳なのじゃよ(いつの話や)。
「あのー、下はどうすれば・・」
「私の、はく?」
「えっ・・・!」
「私も、着替えたいから」
ふいにサマー・ニットのワンピース姿で後ろを向く謎の美女27歳。ファスナーに細い指が伸び、無言が支配するマンションのリビングルーム。

トシのせいか、ここまでが思い出せる限界である。
片岡義男さんの写文集に『夏の姉を撮る』というのがあったと思うが、夏は「姉」や「少女」と重なると、鮮烈なイメージができあがる。「夏」「夕立」「美女」とそろうと、なにやらエロチックになるのはなんでかね。
「少年」も健康的でいいが、「おじさん」になると暑苦しい。「大学生」だと、最近は「就職活動」とまぁ現実的で味気ないけれど、僕が「少年」のころはヒッピーやらカニ族やら、それなりに夏の風物詩になってくれていた。
もっとも、こんな時代の真っ只中にいる少年や少女たち自身は、いかがわしいことなど考えず旅や宿題に追われていたもので、大人が勝手にエロチック・ファンタジーをふくらませているのだろう。
けれど、今の少女は自分に商品価値がある、媚びた目線を送ると男が金を出しよる、世の中そんなもんよ・・・と気づいている。
「生々しい社会科」が学校の外に渦巻いていて、少年少女の目がどんどん濁って行くのも、時代の流れとはいえ何だかかわいそうな気もする。
エロ目当てであろうと教育ボランティアであろうと、大人の目線の及ばない子供の世界はあった方がいい。
そんな「ガキの日常」の城壁に、ふと裂け目ができて、「めくるめくおねーさまの世界」がチラリと見えたりするのが、これまたいいもんだ(結局それが目当てちゃうんかい!と突っ込まれそうやな)。
ネットやAVや成人雑誌を平然と見てわけ知り顔しているとっちゃん坊ややら、自意識過剰な小便臭い少女やら、いやーな子供が街を堂々と歩きすぎとる!親なにやっとるんだ!ドン!
と机を叩いたら「うちの子が、なにか?」
と立ち現れたるマダムが黒木仁美いや瞳!
夏の妄想おじさんは困ったもんだな。
 


長崎追悼

at 2003 08/09 23:05 編集

起きたらスカッと晴れていた…らよかったんだけれど、ジトッと晴れていた。台風一過、秋が来ればうれしいなぁとばかな期待をしつつ、天気予報を聞こうと思ってねぼけまなこでラジオをつけたら、偶然にもちょうど11時2分、半鐘の音が実況で流れてきた。
長崎に原爆が投下された時刻だ。あらためて黙祷。

長崎は修学旅行でしか行ったことがないが、広島も長崎も、率直に美しい街だ。
長崎は岡部まりしか思い浮かばないが、広島市民も長崎市民も、誠実でいい人ばかり。
そこへ、非戦闘員まで皆殺しにする原爆を落とす国は、正気の沙汰ではなかっただろう(過去形でいえるのか?)
なぜベルリンではなく、ローマでもなく、広島と長崎だったのか?という問いも、我々は白人どもに投げ続ける必要があると思う。
9・11は必然的な報いだと言い放ってしまうと、犠牲者は浮かばれないが、テロだけ憎んで原因から目をそらすと問題は解決しない。
それでも犠牲者はテロリストを憎むよう仕向けられ、ブッシュ政府は犠牲者の味方のような顔をしている。本当の溝はどこに掘られているのか見極めないと、9・11は再発するだろうし、イラク内紛も終わらない。長崎も広島も、終わっていない。
だから水に流してはいけない。
アメリカ人も真珠湾を水に流していない。
僕はコロンブスのアメリカ侵略も水に流していないし、オージーどものマオリ、アボリジニー抹殺も水に流さへんぞ。

憎しみの連鎖はイカンというが、忘却したら歴史から学べない。
人間だけが歴史を刻む動物だ。記憶が歴史を紡いで、伝承されて行く。
過ちは水に流しても、忘れないでおこう。
 


サマーフォトスクール第2講

at 2003 08/11 15:25 編集

毒々しい真夏のサイキックミーティングでそろって解脱させられた余韻もさめやらぬ、長堀通りの居酒屋。
黒光りする直径8cm長さ20cmのイチモツが、夕日に鈍く輝く。なめらかな白い肌に吸いつくように合体して行く。

「どうじゃ、極太の感触は」
「ぬぉぉぉぉぉーっ!この重さにうずきますわ。病みつきになりそう」
「どや、ほしくなるじゃろ」
「う〜ん、スナイパーの気分っすわ。トロトローッ」
「望遠と逆に広角もほしくなるかもな」
「なんっすかそれ、小さく写るんすか?」
「オープンマインドでだれでも写り込んでらっしゃい大開脚ー!という聖母マリア泡姫のようなレンズだ」
「なるほど、見習うべきですね。トロ」
「浴場でなに欲情しとるのじゃ」
「オヤジギャグはええっちゅうに、絞りをどうすればきれいに写るんすか」
「絞るよりダイエットせいと言いたいな。腰巻きやらパンストでガチガチにがんじがらめにして細く見えると勘違いしておるトーチュア・ガールどもよ目覚めよ!」
「同感なんすけど、こんなとこで鳥肌実にならんで下さいよー」
「うんにゃ、シャセイ道でも同じことが言えるのだぞ」
「射精?」
「たわけ!写正道じゃ。ピントは合わせるもの、絞りは選ぶもの。作画意図に従って、ぼかしたいか、手前も奥もくっきり写したいか決めれば絞りが決まってくるわな。意志と欲まずありき。そこに諸条件を従属させるのだ。それがエロースの美っちゅうもんだ」
「ボクは、エロ講師が早くボケて枯れてくれないか期待してんですけど」
「フッフッフ、お互いさまじゃ、サバ」
セクハラしゃせい道は、またもや中身がないまま、飲み屋はしごで暮れて行く。


インドア・アウトドア

at 2003 08/11 21:41 編集

我が家にはシャワーっちゅうもんがない。夏でも「入浴」なので、これはこれで健康法になってるかな。
別の階のOL様など、工事してつけていたから、「オプション」でつくのかもしれんが、面倒なのでシャワーを買ってきた。笑える1000円、キャンプ用品だ。単1電池を使うとや。ますますパチくさい(笑)。
持ち帰って、いそいそと火入れ式というか、放水式だ。
ウィーン・・・ゴボゴボゴボ・・・シュワーーーッ!ルツネッガー!!
という感じで、チープながらシャワーらしい散水をしてくれた。
電池で20分しかもたないから、けっこう強力なモーターを使っているのか、それとも「単に負荷が大きいだけ」だとDがま先生に突っ込まれそうだ。

うちの家具はだんだんキャンプ用品に置き換わっていて、OAイスは折りたたみ5段階リクライニング・ビーチチェアで涼しく過ごしているし、台所用品もキャンプ用何点セットの類だ。
ただ、ちゃちいのもあって、毎夜の酷使だから安物のコットは1年しか持たなかった。
蛍光灯ゼットライトをええかげん卒業して、冬場は灯油ランプの下で読書に励みたいなぁと思うが、目を悪くしそうな気もする。

今年デスクトップパソコンをやめてシンクパッドに買い換えたのも、アウトドア指向ゆえかもしれないが、巷では必ずしもモバイル屋さん即ち野生人というわけではないようだ。コールマンのリュックにシンクパッドを放りこんでMTBで通勤・・・なんて、けっこういい感じだと思うけどなぁ。

僕のキャンプスタイルはバックパッキング専門だから、棺桶サイズの極小テントしか使わないが、店に展示してあるオートキャンプ用のテントなど、不条理に安くて1DKぐらいの仕様になっていて、すごいなぁと思う。「DK」部分はメッシュで、イスをならべてコンロでもできまっせ!北斗もコテツもコユキも置いておけまっせ!といいたげな余裕を見せつけてくれる。
もっとも、こんなテントを張れるのは数千円もするオートキャンプ場で、夜になると押し殺したようなあえぎ声を聞かされて、クッソーこっちもあえいだるわい!フィナーレすすり泣きつきだぜモーター・スイッチオン!!
と、変な張り合いをしてしまいそうで、だからカップルのオートキャンプはわかりやすくいかがわしい(邪悪な腹黒キャンプ考えてるのはお前だけだ!と言われそうだ)。
 


やっと復活、たまった日記

at 2003 08/14 16:29 編集

我が家の近くに県の公館という、まぁ地方自治体レベルの迎賓館みたいな建物があって、その玄関前に1軒の古本屋がある。
古本屋といえばカビくさい空気がつきものなのに、ここは妙にきれいだ。客層というか、通行人は圧倒的にすぐそばの県庁か県警本部に通退勤する職員たちだからか?
「こぎれいでおもろい」ものに、僕は妙に惹かれる。
ただ汚いだけで「そこがおもしろいのだ」と自画自賛している人や店は、なんだか自分を鏡で見ているようで避けてしまう(反省)。
で、この店は20坪ほどの狭さながら、うなってしまうような学術書が多い。
在庫も、無造作に積まれた「ゴミ一歩手前」はなくて、きちんと棚に並べられている。
そんな中から、『沢野ひとしの旅絵日記』というカラー画文集を200円で見つけた。
椎名誠親分からは、間抜けだワニ目だとおちょくられているように見えて、実は絶大に信頼されているのもわかる瓢々画伯だ。
ハードカバー嫌い・文庫好きな僕でも、画文集は大判の方がいい。おまけにソフトカバーで見やすいし。

沢野さんの絵は、モチーフが日常の街角や山がからんだ旅先だから、見る自分の心の中で絵筆が動いて見える感じがする。
「どんな気持ちで、この幹を描いたんだろう」とか、「この空は、ふんわり流したかったんだろうな」と、想像を投げかけながらぼんやり見てしまう。ト書きつきの演劇を見ているようなもんか。

モネの水蓮は僕も好きな名画だけれど、水蓮をあそこまで精細に観察して絵筆に反映させるというのは、画家の執念を感じさせる。ルノワールなんて、西洋画壇の谷崎潤一郎といいたくなるぐらい、フェティッシュの極みだ。
絵は、作られるプロセスが画面上に残って、そうして蓄積された圧倒的なボリュームを読む芸術だと思う。だから、静止画であっても流れている時間が見える。波打つ水面のチャプチャプ音や、梢が風で揺れてささやいている音まで聞こえてくる絵もあるし、岡本太郎の絵からは永遠に燃えている温度を感じたりする。

絵と比較すること自体ナンセンスかもしれないが、写真でプロセスを写し込むことはできるだろうか?と、ふと考えてしまう。
数百分の1秒とか数十分の1秒でボタン一発で撮影された画像は、同じ場所から同じ条件で撮れば同じ作品になる。ただそれが大写真家の作品ですと冠されるか、無名の素人の撮影なのかで商品価値が天と地ほど違ってきたりする。
モノクロ写真だと、現像や焼きつけで自分の味を出すことはできるが、僕がやっていたリバーサルカラーの現像など、はるばる撮影に出かけて刻み込んできたお宝作品?の詰まったフィルムでも、現像液の温度が1度違っただけで、ゴミと化してしまう。
芸術というより、手工業という感じかな。
じっくり時間をかけて作品をまとめる写真家より、クライアントの発注に機敏に応じて「作品」を大量生産できる写真家の方が、経済的には報われるという産業システムも、「写真芸術」が定着しにくい一因になっているのかもしれない。
それはそれで、いい写真が巷に出回って知られる機会が増えていい面もある。おまけに今はネット時代だから、WEB上の個人ギャラリーも簡単にできてしまう。大ベテランも、「こないだデジカメ買ってバンバン撮ってまーす」という少年少女も、平等というか、フラットな関係だ。
『TOKYO STYLE』の都築響一さんが、写真は一番民主的な表現ツールだと話しておられたのは、なるほどその通りだと思う(余談だが、拳銃を持ち歩ける某国は、腕力の有無にかかわらず自衛権を平等に持てる民主的な社会だともいえる。野獣のような暴漢に襲われそうになったら、銃より効果的な自衛はないではないか)。

では「民主的な芸術」はバラ色かというと、これは自己否定になってしまいそうで、手放しで笑えない。
民主的でないから、差別的だから、芸術は成り立つのだから。
すごい!あんな写真どうやって撮れるんだろう!?
と驚嘆しても、「こうやれば撮れますよ」「なるほどー、やってみたら私にもできました」では、これは芸術やろか。クイズ番組のようにも見えるけど(笑)。
芸術は、「秘儀を体得した芸術家少数」と、「できない素人鑑賞者多数」という歴然とした階層格差があるからこそ成り立つ。
たとえばピアニストになろうと思えば、音大に入るか高名なピアニストに弟子入りするかして、コンクールで勝って、音楽家のサロンで社交もこなしながら、世俗的でない生き方をしないと達成できないだろう。当然、育つ家庭環境も芸術に理解のある空気が必要だ。
こんな生活様式を、現代フランスの社会学者ブルデューはハビトゥスと呼んで独特の階層分析をしている。
ハビトゥスの土台がないところに、技術だけつめこんでも限界があるんちゃうかな?と思う場面が、スポーツでちらほら見えてしまう。
「和を持って尊しと為す」社会に適応してまったり生きている日本人力士が、遊牧騎馬民族のモンゴル人に力と技で負けてしまうのは当然だから、保守派は「品格」とやらで煙幕を張るしかない。
フィギュアスケートなど、それ自体、クラシック音楽やバレエや舞踊が自然に生活の中にある欧米人が、自分たちが勝つためにつくった競技だ。
日本人が勝てる競技は、みこしかつぎ、天安門だんじり引き回し、南京玉すだれ、アテネ田植え大会、リオの阿波踊り・・・ぐらいだろう。ぜひIOCに提案してみてほしい。

研究者の世界も、芸術やスポーツと似ている。1年のカレンダーを見て、論文執筆や学会発表のスケジュールを思い浮かべるような人こそ学究肌であって、「このころ穂高に登りたいな」「この時期になると八ヶ岳は新雪だろうな」とレジャーばかり考えている僕は、DNAからして遊び人なのだろう(苦笑)。


闇セキュリティ

at 2003 08/17 00:28 編集

ニューヨークの大停電が、もし日本で起こったらどうなるだろう。
阪神大震災のとき都心の夜の闇は経験しているので何となく想像はつくけれど、ニューヨークでは一般の想像ほどには略奪や暴行は多発しなかったという。
たふん、9・11テロもあったし、自衛・自警意識も日本の百倍は高そうだから、火事場泥棒みたいな最低アンフェアなことをすれば死の制裁を覚悟せんといかん・・・のかな?

停電の地下鉄や地下街など、女性にとってはほんまに怖いと思う。もし痴漢されてもされなくても、ふだんに増して悔しいだろう。でも、された悔しさは、その場で身嗜み用ハサミか何かで刺しまくり返し(刺し返しまくり?)てやったらよろしいと思う。ま、暗いと犯人を間違える危険もあるけど、まちがえてもわからんから大丈夫。

停電の怖さとは少し異質だが、助けてもらえない怖さという点では、「アウトドアおんな一人旅」の類もハラハラする。だれか助けてーっ!!と叫んでもだれにも聞こえない、110番しようにも圏外、つながっても山岳警察がへリコプターで1時間・・・なんてエリアは日本のあちこちにある。
そんな状況で熊みたいな暴漢に強姦されそうになったら、もう、されるしかない。まさか山登りするのにスタンガンや猟銃を持って行くわけには行かないだろうし、ナイフ一丁あってもふだんから人を刺し慣れていないと(笑)いざというとき武器にはならない。
まぁ僕なら(体格は平均女性なみだからホモ・サップに襲われる危険だってなくはないのだ)、砂を顔に撒きつけて犯人を「停電」状態にして脳天チョップ・・・というシナリオを考えているが、逆にされたら終わりだし、あぁ停電は怖い怖い(何のこっちゃ)。
 


三人六脚カンパニー

at 2003 08/18 16:35 編集

姫路を通って日帰り18きっぷの旅に行こうと思って、ついでに会えるかいなと県西半分の古顔に声をかけた(いやメールをかけた、か?)。
朝からの雨がやまないので延期にしようかと電話すると、昔ながらの情けな〜い声で「そう言わんと、来ない?」というので、「ついで」を主目的に変更して新快速に乗る。
13年ぶりなのに、お互い変わり映えせんなあ・・・と談笑も弾まず、けだるいバカ話(笑)。いやはや変わらんな。躍らないオヤジダンサーズみたいだ。

大きく変わったのは我々を取り巻く経済情勢で、3人とも転職組。そろってここ3年ほどのうちに自由業に転身している・・・が、僕は自由業から「もっと自由業」へ鞍替えしただけだから、固定給も有休もない極楽界に住人が加わることを慶ぶばかりである(あぁ悪趣味)。
やはり話題は起業。
しかしだ、一人は「講演とコンサルティングならやったろ」と構えておられるし、一人は「いま何が売れるか」の話がすぐ「俺の好み」の話に流れて行くし、あと一人は「ワシは教祖になる!だめならバリ島でアロママッサージ師になって日本の女優専門に・・・」と空想ばかりふくらませているし、そんなこんなで全く非生産的な夜ほ更けて行った。
 


罫線SM

at 2003 08/20 00:02 編集

古本屋入り浸りでくたびれた足腰を180円コーヒーで潤す日々。忙しいのかヒマなのか、我が身ながら不可解だ。
ふと入った店で片岡義男氏のソフトハードカバー判(ややこしい)エッセイをみつけて、300円と格安だったので衝動買いしてきた。
昔は飛ぶOLを落とす勢いのカリスマトレンド作家でいらしたなぁ・・・懐かしいのぅ・・・と読み始めてすぐ、わずか5日前に出たばかりの新刊だとわかってビックリ。新古本ってやつかね。
『文房具を買いに』というその本は、おなじみの片岡さん自身の撮った文具フォトを混じえたとクールなエッセイ集だ。
その第一篇―といっても丸ごと1冊ひと続きの長いエッセイだが―が、「大福帳のようなメモ帳がほしい」だった。
フムフム、共感できるなぁ。
いつでも持ち歩いていて、いやそれ以上に体の一部で、ふと必要になると即、自分の手と脳の代わりになるような、シンプルなメモ帳がほしい。
片岡さんは舶来品フリークだからモールスキンの方眼紙メモ帳をイチ押ししている。方眼紙というところが勾う。
どうやら、罫線アレルギーのようだ。

ほとんどの日本人は、物心ついてすぐ学校というレールに収容されると同時に「罫線人生」が始まって、線に従って自己表現するという様式に疑いを持つこともない。こうして最も基本的な文具であるノートブックが形づくる精神構造というのは、バカにできないと思う。
だから、無地のノートブックに文を書くぐらいの作業でさえ、うろたえる学生は珍しくない。名刺サイズのメモ帳にまで、ちまちまと罫線が刷り込まれていて、そこを律義に文字で埋めて行くよう、条件づけられているのである。
筆記用具は鉛筆(シャープペン)命!というマインドコントロールから解放された学生を時々見かけるようになったけれど、罫線病は今後どうなるのだろうか。

僕は別にポリシーがあったわけでなく、フローチャートやら図表やらを自由気ままにチャンポンにしながらノートする土俵としては無地がとても快適だったから、その延長で、我が家のノートや手帳の類から罫線は1本残らず一掃されてしまった。無地の自由なキャンバスに慣れると、罫線が窮屈でならない。
陸上競技トラックを律義に守ってプレイする人の方が日本社会では歓迎されるかもしれないが、トラックは自分で引いて走る生き方もあっていいと思う。まず第一歩が、無地ノートブックかな。

ただ、「横断歩道はワシが決める」「ワシの心の中では青信号」と道路をどこでも渡る僕は、某もと学生いまPSWのおねーちゃんから「イケマセンそれは!!」と叱られる。
さすがに、お子ちゃまが立ち止まって待っている赤信号を無視する時は、少しは残っている良心が咎める(笑)。「信号は心の中に持てばよろしい」と言っていいものかどうか・・・?
 


セミはトリプル合掌

at 2003 08/21 16:52 編集

なんだか異様に蒸し暑くて、盆もすぎて初めて熱帯夜を実感した。
ふだん天気予報でうだるような熱帯夜!!と聞いても、我が家は「無防備そのもの風通し満点」だから、エアコンも扇風機も使わず夜風にあたって熟睡していられた。でもさすがに夏の何日かは、夜通し壁や柱まで体温以上に発熱していて、地獄夜になる。

外の廊下には、セミの亡骸がころがっている。最上階には僕しか住んでおらず、よりによってこのOsawasenseの第二サティアンと化しているから、セミもゴキブリもコオロギも風葬にされるがまま。
虫は死ぬと手(足か?)を合わせて固くなる。
廊下のセミも合掌を3対つくって天を仰いでいた。
先週から読んでいる藤原新也の新刊『なにも願わない手を合わせる』を思い出した。
藤原さんが四国巡礼のある寺で、幼い女の子が「全感覚」で何かを感じて仏前に手を合わせている場面に居合わせて、御利益をあてにして祈る大人にくらべて何と純粋な、本来の祈りの姿なのだろうと書いている。

ふと、若死にした同級生の霊前にかけつけてくれた仲間を思い出した。面識の深さは同程度の遊び仲間たちに一斉に旧友の永眠を知らせたところ、彼だけが霊前に線香をあげにかけつけてくれた。そうしなかった仲間を差別するつもりは毛頭ないし、本人も「いやー、仕事がなくてヒマなだけやったから」と笑うかもしれない。精神の不調で入院し退院後も再就職に難儀しているが、魂は健全だ。
忙しい金もうけも、忙しい組織への滅私奉公も、まともな魂を持っていたら続かないものだろうと思った。

河野博臣医師の御冥福を祈りつつ・・・。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/030821ke121710.html
 


しろくま

at 2003 08/22 00:27 編集

歩いて5分の円内に5軒のコンビニがあるのだが(10分歩くと10軒になる)、ローソンが6割の「議席」をとっているのはやはり地元だからか。
でも新しく議席を1つとったampmに、なんとなく足が向くようになった。オリジナルのきしめんがボリューム満点で安い、コピー機が速い、雑誌が手広い・・・と、ちょっとしたウリが積み重なって、コンビニ評論家Osawasenseを吸い寄せるのである。

「あーら、お久しぶりね!最近浮気してんじゃないのん?」なんてあいさつ、絶対にコンビニ店員がするわけないが(すればいいのに)、ご無沙汰していたローソンに浄財しに行ってあげた。
なんと、「おでん始めました」のノボリがある。そりゃ、ちと早いんでないかい?
「店内=冷蔵庫」の勢いでクーラーをがんがんかけているから、木枯らし気分かもしれんが、外は蒸し蒸しする晩夏である。
俺は夏男だ!海の男だ!ベーリング海だ!と叫んで、しろくまを買って出た。
そう、しろくまを扱ってるのだローソンは。これは高得点である。
ナイトスクープで5年ほど前だったか、しろくまが紹介されて頭に焼きつき、ふとスーパーで見つけて僕はすっかり「しろくま食い」になってしまった。
近ごろ大手に生産拠点が移ってしまったせいなのか、近所の行きつけスーパーでは去年まで置いていた本場鹿児島のメーカー製造のしろくまを置かなくなった。残念無念。
この300円のしろくまは強烈だった。フルーツてんこ盛りで、量もどかんと500ccはあっただろうか、食べると一気に北極体温になった。

しろくまもいいし、すいかバーとかソーダバー、名前は知らないがゴム風船に入ったような「まりもアイス(?)」とかミルクきんとき等々・・・食べ過ぎは水腹になってよくないとはいえ、100円レベルの夏の風物詩は色とりどりで楽しい。
ソフトクリーム専攻のアメリカ人あたりに、ニッポンの氷菓文化っちゅうもんを味わわせてやりたい。
と、ふと愛国者になるのが、いつもの8月だ。…あ、今年はまだ「きけわだつみの声」を読み返してないわ。
 


日独伊

at 2003 08/25 23:10 編集

日本の板、イタさんブーツ、ドイツ金具―が、僕の黄金スキー3点枢軸だ。なかなか忠実に「仕事」をしてくれる。
身の回り枢軸化計画はゆっくり着実に進みつつある。
ドイツもどきレンズを先に買ったので、それに合わせて、「イタさんデザインの日本工学製カメラ」を大阪難波から傭兵してきた(スカウト料は高かったな・・・)。
全身つや消しブラックチタンは、たしかマカロニまでデザインしているイタやん工業デザイナーの手によって、官能的にソフトな曲線を効かせている。
写真を撮るより人のカメラにぶつけて楽しむ不埒な使い道に走りそうだ(危うし、サバ!)。

「このサイト、バックと字の輝度差がチカチカして見にくいで」と、神戸に来たDがま先生から苦情。先生、眼鏡はカールツァイス製でっせ(笑)。
 



バキュームキス

at 2003 08/25 23:11 編集

夕立の合い間の街角。京都ナンバーの真っ赤なBMWが、一方通行を逆に入って行こうとして、アラおかしいワという感じで路肩に停車した。
そこへ、前から走ってきたタクシーが最徐行で接近して、運転手が「一方通行でっせ」と、オーバーアクション気味に無言のジェスチャーをしながらゆっくり通りすぎて行った。
ほのぼのした場面だった。なんといっても、運転手氏のオーバーアクションが顔までフル活用してたのがおかしかった。
ふてぶてしくない小ぶりなジョディ・フォスターふうのおねーちゃんに、上ずってたのか?
ジェスチャー英会話は日本人の得意芸だが(パントマイムとは違う)。

土曜日は、難波まで往復する地下鉄の車内で、横にいた日本人ヤローと白人のガールフレンドが、こともあろうに英会話してやがる。おめー、日本人か!?と注意してやろうかと思ったが、女10の発言に対してヤロー1の「AhHmmmm」「OhYeah」ぐらいしか返球されてなかったので、英「会話」ともいえない。そのくせ、クチャクチャシュポシュポと湿った音が響くほど接吻をくりかえしていたから、「あたいたちに言葉いらないのさ」ってことなのか(なぜか、あばずれ調に演出してしまう)。
しっかし…あの接吻は吸引力ハイパワーだったな(驚異)。
 


雨に賭ければ

at 2003 08/26 19:37 編集

雨があがったなーと浅はかにも愛車をこいでハンズメッセヘと「出漁」する。
ふと、「これぐらいのもん、百均でいつでも買えるな」と獲物をふるい分けしていることに気づく。たぶんお仲間も多いだろうと思う。
一番の人だかりは、文具売り場のレターセットだった。
なぜだ!?
ほんまに彼女らは、手紙を書いて切手を貼ってボストに投函する紙メールを出しあっているのか?
まったく、摩訶不思議な眺めやな。
おじさんは「文通」が好きなもんだが。

外に出たら、雷を伴う豪雨。
こいで10分とはいえ、滝にうたれる修行僧になるのもつらいので、ハンズのとなりのエクセルシオールで雨宿り。ちょうどいい所に開店してくれたものだ。
ハンズの斜め向かいにはスタバもあるが、Dがま先生が遠洋漁業に来たとき必ず寄る習わしになっているから(ついでにキティショップもだ!!)、一人のときはスタバ以外に「マーキング」することにしている。

お茶しはじめるとすぐ雨が小降りになったので、早くやめやめと念じていたら、また大雨に戻ってしまった。なんじゃい!
雨宿りと「不動産底値」の見極めどきというのは、難しい賭けだ。
もう少し「底雨」を待つことにしよう。
 


KANSAIあと1週間

at 2003 08/27 23:47 編集

せみしぐれから鈴虫へと、夜のBGMがすっかり変わった。
つい、真っ赤に燃〜えた〜♪と美空ひばりの歌声が浮かんでくる昼の太陽も、なんとなく夕方になると「しょんぼり光線」に傾いてくる。
この朽ち果て方がいい。廃墟を愛でる美学という感じか?
この夏はサーカスのベスト盤を何度も何度も聞いていた。
「ミスター・サマータイム」につづいて「去りゆく夏」である。
晩夏―いい響きだ。ひと夏の恋。別れ。宴の後。
小中高校の2学期というのは、なにか特別な気分がしたものだ。40日も休みをはさんだ再会ということもあるのか、同級生が変わったような感じがするのはなぜだろう。
いや実際に「女子16番」が鮮烈に日焼けしてたり、だれが見ても「あちゃちゃー」と感じるほど一線を超えてたり(笑)して、
俺が目を離したすきに、何があったんだヒトミ!
と、偉そうな身勝手な、勘違いも甚だしい憤りを感じていたりする(高校はヤローばかりだったから、またお前らかい!と辟易してたものだが)。
大学だと、やんわり新学期が始まって、ぼちぼち懐かしい顔がキャンパスに戻ってきたりするから、それほど休み明けはショッキングではない。
それもちと寂しいから、世間の大学も宿題をてんこ盛りに出して(図工とか雑巾縫いとか絵日記なんてのがよろしい)、登校日に意味もなく教室の掃除などさせて、始業式をうやうやしくやれば、めりはりがついていい。「おい、あいつ最近見ないな」「知らなかったの?去年の春休みに事故で死んだじゃない」てな陰の薄い同級生もいなくなるはずだ。
大学生の絵日記はゴージャスになるだろうな。「オークランドは雪景色でした」とか、「バンクーバーのコンドミニアムで彼女と粘着」とか、キザな絵日記は片っ端から留年処分だ(なんでやねん)。
灼熱のさなか汗だくで就職活動している学生は本当にお気の毒だと思う。アメリカ式に年度を半年ずらせば、就職活動は寒い時期になって、ゲレンデは少しは静かになるのに…とつい自己都合にねじ曲げてしまう。


何式甲子園?

at 2003 08/29 17:59 編集

甲子園球場からうんと離れた明石でやってるのに「軟式野球の甲子園」とは、これいかに。
明石市民に対して、これはないんでないかい?
というわけで、「タコ野球」とか「軟式野球の棚」はどうだ・・・といちびると、明石海峡に沈められそうだ。

たしか神戸と南仏のマルセイユが姉妹都市ということで「東洋のマルセイユ神戸」なんて浮かれている市民もいるけれど、マルセイユ市民は「ここは良いとこフレンチ神戸」と囃したててくれてるのだろうか。いや絶対ないなこりゃ(笑)。
こんなたとえは、キャラクターの世界ではもっと多いように思う。
和製プレスリー(あぁ恥ずかし)とか、わが社の江角マキコとか(陰口?)。

「本家甲子園」がヤマ揚だったころ、高校野球の方はさておいて「そういえば今、マンガ甲子園というのも開かれておりまして・・・」と自分の趣味の世界に話題を振って元「マン研」の面目発揮していたのは、「NHKラジオの朝の顔」氏であった。
こんな甲子園は応援したくなる。
このアナウンサー、神戸時代にDがま先生や僕の戯れ相手をしてくれてた良きアニキだが、東京に栄転して、本心ではお忍びでビッグサイトに通い詰められるヨロコビに涙しているかもしれない。被りモノなんか好きそうだからなぁ・・・。
 


おいしいヤクルト

at 2003 08/30 21:34 編集

ロード疲れもなく、水を得た魚か、密林に帰った虎のようなタイガース。近ごろ安心して試合観戦できる。
9月後半には優勝決定か?
その前に、「連休に北アルプス攻めませんか〜?」と、山仲間からお誘い。遭難したら優勝試合見られないしなぁ・・・と、不吉な心配をしてしまう。なにせ夏はたるみきって怠け腐って水腹で、不健全そのものの「自己暗示アルピニスト」だからなぁ・・・。
優勝戦は死んでも見る!!の気合が支えになるかな?
遭難はしてもいい。しても「下山命」で戻って来れたら騒ぐことはないのだ(=かえって人騒がせ)。

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