2004.01.31 Saturday
外食革命
at 2004 01/01 09:36 編集
やはり正月はおせち料理やな。
喪中でおせち料理はいいんでしょうか?という人生相談番組で、「節目のときに食べる料理という意味で、故人に失礼になるわけでもないのでOKですよ」と回答されていたから、バクバク(笑)いただいた。
あぁ、やはり和食で食べ初めというのはいい。
このところ牛丼業界で働く関係者はお気の毒だが、BSE騒動で看板メニュー変更や営業縮小が現実的になってきたような感じ。
だから私がプロフィールの選挙公約で主張したではないか!牛丼屋は転業しろと。
・・・と、鬼の首を取ったような言い方はしたくないが、いい機会になると思う。脂肪ドロドロの成人病の素みたいなジャンクフードは体から遠ざけて、胃腸をキレイにしてみたらどうだろね。体臭も肌荒れも、少しはましになると思うぞ。
成人病といえば、どうも腑に落ちないのが、肉食が大腸癌の因子になっているという疫学的研究も蓄積されているのに黙殺され、BSE牛が何頭か見つかっただけのことで市場からシャットアウトするほど過敏に反応するミステリーだ。
なにか別の力が働いているような気がしてならない。科学的真理ではなく、政治的カードで日本人の腹具合が左右されているのは自明の事実だし。
海の幸・山の幸だけ食ってのどかに生きていれば、もっと平和で健康なジャパニーズライフが送れる気もするが、それは僕の個人的な予感にすぎなくて、「証明」はできない。でも、工業製品ばかり売りつけてきた負い目から、肉買え魚も買え野菜あるよ米も安いよと圧力をかけられれば、台所は外国に占領されて、もう取り戻せない。
カレーライスにしろあんパンにしろ、洋モノの和風アレンジは日本人の得意芸だが、牛丼だけは葬っても日本文化の損失にならんのではないだろうか。牛丼といえば和食ふうに見えるが、完全に輸入牛肉に依存した「安さ命のグロテスクな餌」にすぎないと僕は思う。
しばらく牛丼屋さんは峠の茶屋になって、丼の大量炊き出しの技術をベースに、おにぎり、お茶漬け、雑炊、おかゆetc(おぉ、御飯だけでこんなにアレンジできるのはワンダフルではないか!)を展開してみてほしい。
雑煮も正月限定にしておく必要はない。
ラジオで全国の雑煮くらべをしているのを聞いたら、ほんとに地方色がいろいろあって、僕は御当地雑煮を探訪する旅に出たくなったほどだ。
吉野屋は、和食に回帰しなさいっ!(笑)
女性も老人も熱烈に支持すると思うがなぁ。
よりによって・・・
at 2004 01/01 23:44 編集
元日早々、拉致家族のいる某国を刺激しまくりの靖国神社参拝を決行せんでもええんでないかい?時期を考えろっちゅうに。
どうしても初詣でしたいのだワシは!というなら、いくらでもカムフラージュできるのが初詣でのアバウトな長所なのだ。
たとえば、戦犯と関係ないマイナーなどこかのとげ抜き地蔵に詣でるとか、肩書きはものものしく「内閣総理大臣」なんて書かずに「匿名希望・純ちゃん」にするとか・・・。
八百万の神々が同居しているニッポンだから、クリスマスにお寺に参拝して拍手を打つというチャンポンもよろしい(だめか?)。
そういえば、個人的に今年は神社に寄りついていないな。まぁ、初詣でに行ったという記憶は数回しかないけど。お稲荷さんとか厄神さんとか、いろいろニーズに合わせて神様を選べるというのは、考えてみると超コンビニ信仰やな。
こんな八百万の信仰風土は、世界に理解されるだろうか・・・?
godsと書くだけで欧米人には「オーマイガッ!!カミサマハユイイツ、Godナノデスッ」と驚愕されるそうだが。
おつかれさん
at 2004 01/02 13:06 編集
正月早々、ランナーが苦しそうに顔を歪めて走る長距離をぢーーーーっと観戦する父や叔父(なぜだかこの習性はオトコ特有のものだな)を、これまたぢーーーーっと観察してきた僕だが、未だに正月早々の「苦悩の顔アップ2時間中継」の意味がよくわからない。
もちろん、走ってる当の本人は、気合いをこめて走り初めしているんだろうし、走るにはいい気候なのだろうと思う。ラグビーなんかも、正月早々だからこそ、闘い甲斐があるのだろうなと思う。
わからんのは、おせち料理をつまみながら、ぢーーーっと中継を観戦しているおとっつぁん連中の心理だ。ほんとに謎だ。だれか教えてほしい。「大きくなったらわかるよ坊や」といわれても、いわれつづけて30年、小さいオッサンになり果ててしまった今では、あぁ…正月早々の謎が解けないまま人生の折り返し点をターンしてしまった!という無念だけが残る。
福袋を買うのに徹夜までする店のカモさんたちも、ごくろうさんだ。
福袋=売れ残りだと信じてやまない僕は、中身のわからない紙袋に1000円とか1万円払う度胸はない。「10万円分の商品が1万円!」と店は宣伝するけれど、おいおい、1万円の価値しかないものに10万円の値札つけとるんじゃろに?と、こんな理屈も小学生のころから吐きつづけてきたなぁ。
あんまり福袋マニアの夢を打ち砕くのは罪だから、前向きな提案をいたしてみたい。
こんなやつが選挙に出るのかっ!と袋叩きに遭いそうだが、福袋と福娘を組み合わせれば、正月早々スリルとサスペンスと天国と地獄を経験できるのではないだろうか。
つまり、福袋の中に福娘を入れておくのだ。
これだと客はオトコばかりになるから、フェミニスト、おばちゃん、おねーちゃん、水野晴男さんのご意見にも配慮して「福ボーイ」も新しく導入する(一字抜けて福ボーとなると、これはこれでリアル)。
従来の福袋とちがって、重いほど安くなる(笑)。
えなりかずき袋よりベッカム袋の方が安いという大どんでん返しもあるが、それはまぁ、スリルとサスペンスの代金ということで…。
だから、軽い→モー娘。?→即お買い上げ→開封→きんさんぎんさん!ありゃ遺灰!
ということもあるかもしれない。
「ARASHI 福袋」は1万円で、「野良犬入り福袋」10万円と並んで売られていたら、俗人はアラシを買うだろうが、それでは経済センスが甘い。扶養コストを考えれば、野良犬がお得だろう。賃貸を笑って分譲マンションを買ったら損して笑われている・・・てな話と同じである。
考えてみれば、時間がたてば価値が増えるか減るかわからん不動産という買い物も、福袋に見えてくる。日本人好みのスリルという感じか?
「無理して買っておけば、資産として残るんやぞ」と、ローンをずっしりかかえてマイホームを買って僕にしみじみ語ってくれた先輩も何人もいたが、これも10万円の価値があると確信して1万円の福袋を買うような心理かな。
現実の負債や資産デフレが見えなくなって、幻想ばかりふくらんで見えるのは、永遠のお正月気分という気もするけれど、たしかにお正月景気は楽しいわな。
穴
at 2004 01/03 22:18 編集
例によって年末年始は社交週間という感じで、大晦日だけ静かに過ごせた。
今日は正月早々、3兄弟会議で父の墓づくり相談。
業者の敷いたレールに丸め込まれて、苦しい家計と「立派なやつを建ててやりたい」気持ちとに引き裂かれそうになっている「喪主」の姿は痛ましい。
風来坊の真ん中―つまり僕だが―は、「灯篭だの荘厳な台座だの、金と見栄がふんだんにあれば買えばええが、要するに墓は穴と墓碑があればええ。いま払える範囲で質素に建てて、余裕があれば建て直せばええんちゃう?」と意見すると、おまえ奇抜な意見やなぁ・・・と「保留扱い」になった。
あれこれカタログを送りつけられて、これとこれを省けば、少しは安くなるやろか・・・と苦心惨憺する兄に対して、僕は0から考えて「墓の成立要件(笑)は何ぞや?」と考える。
墓は魂の家だから、生きている人間の家と同じように財力とのかねあいで建てて後に「建て増し」するなりスタイル変更するなりするのはあかんの?と疑問も持つし、その分手厚く墓参りするとか、ソフト面で誠意を注げばいいのではないかと思う。
つまるところ、具体的な宗教が悪いというより、横並び意識とか世間体、家族の価値観の弱さといった「こちら側」の問題が大きいような気もする。だから、「黙ってワンセット買えば悪いようにはしませんぜ」という葬祭ビジネス+墓地ビジネス+石材ビジネスがはびこるのだろう。
なんだか、雇用スタイルも社会保障も教育も医療も底辺で同じ体質に見えてくる。
経済難は、兄の子つまり亡父の孫が跡を継いで医療の道へ進学を決めたせいでもある(よくやった!と僕からのお年玉はノートPCにした)。おそらく天国の父も喜んでいる一方、「孫の学費にできるだけ回して、墓の体裁などどうでもええぞ」と言うんちゃうやろか。
が、墓というのは亡き魂のためなのか、祀る遺族のためのものなのか、線引きがしにくいのも難しいところだ。
父の最期から葬儀、埋葬までのいろいろな場面で、つくづく、商業主義という強敵に対抗するには、強靭なカウンターカルチャーなり論理の力なりが必要だと思った。
今さら、あのなー、「親父はプロテスタントやで」と口をはさんでも、戒名までつけられて見知らぬ寺の顧客リストに登録されてしまった今では、今さら十字架というわけにもいかない。
ならば、マルキストを演じて「魂など実在せぬわ!」と唯物論法を盾とするか、我が家流の祖霊祭祀を創建するか、あれこれ悪あがきを考えてしまう。
まぁ、無知な金持ちな庶民は、「命のビジネス」にとっては絶好のカモになるが、知識もカネも両方ない、というのは少し救いになっているかもしれない(苦笑)。
僕自身の最期だと、「坊主ビジネスに一銭も払う必要なし!音楽葬で見送ってもらって、畑に埋めて桜の木でも植えてくれ」と遺言したい気もするが、遺族の世間体というのも、無視するわけにはいかないから厄介だ。
間もなく通常国会が始まると、子供の意志不在でも親を説得すれば臓器を摘出できるよう改悪臓器移植法案が提出されようとしている。
ひたひたと、自分の死に方を自分で決められない社会になるのだろうか。
ロングラン・サスペンス
at 2004 01/06 06:44 編集
正月早々、下ねたファウルボールを打ちすぎて新年会を凍りつかせてしまった。
今年こそ、格調高く政治経済歴史芸術に思いをめぐらせる年にしたいものだ(無理な抱負)が、また少しトンデモ世界がブレークしそうな予感もある。
年末に、「あの韮澤さん」が愛嬌をふりまいてくれた番組が、月着陸はウソだったと暴露してくれたおかげで(ほんまかね)、火星に探査機が着陸したというニュースも何となくウソくさい。
何年か前のマーズ・パス・ファインダーも、火星の地表を走り回る6輪駆動車のあまりにも鮮明な映像が「ハリウッド・ロケ」を匂わせたものだった。
結局あのニュース(芝居か?)は、バギーカーやラジコンマニア向けのプラモデルの売り上げを伸ばしただけだったような気がする。
思い返せば、電波望遠鏡なんかが、コンピューター処理した画像をばら巻き始めたころから、肉眼と脳が切り離されてきたような気がする。「これがブラックホールです!」ったって、そもそも目に見えないものだから、どんな風に加工されていようと本物かどうか検証できないではないか。
「この宇宙の映像が、CGでないことを証明してくれ」という声は、テレビ局に届いていないのだろうか。
「一生懸命つくったんだから、野暮いうなよ」というのが番組製作者のホンネかもしれない。
それを「一生懸命働いてるんだから、努力は認めましょう」なんていうすりかえ論法が後押しする。
おいおい、真面目にだましてくれるな。
やるなら悪意を持ってやらんかい。なあフセイン。
善意+ハイテクほど、危険なものはない。
フィクションをリアルに感じる想像力は文化の源泉といえるかもしれないが、まんまとプロパガンダや商業主義に丸め込まれることもあるから、水をさす「ヤなやつ」も必要だ。ただ、北野武のようにカリカチュアの様式をとればかわいがられるが、あんまり露骨にやると抹殺されるから難しいわなぁ・・・。
人民一人一人が自分の中に、夢見る天使とイヤな悪魔を同居させておけば免疫にもなるんだろうけど、社会全体をみると、なんだか乗せられてゼニを支払わされている人民が多いような気がしてしかたない。心を移植されて免疫抑制剤漬けになっている感じかな。
高校生が就職できなかったり、小学生の夢が「公務員」だったりする夢のない世の中をつくったのはまちがいなく大人で、そんな大人社会が一方で心のケアだ、すくすく成育支援だ、なんやらワークだと天使の仮面をみせてくる。自立しようとしているのを孤立だと言い換えて支援の白手袋を差し伸べる偽善者は、御自身も生活能力のない張り子の虎だというリアリティを直視しない(張り子には資格が書いてあって、生きる杖になっているようだが)。
人のことより先にすることがあらへんか?
ある臨床屋さんの「私たちはちゃんとスーパーバイズうけてますっ!」という反論には爆笑したことがあったけれど、この専門家同士のマスターベーション(よほどクセになるような苦悩と快楽が満ちているタコツボらしい)も、笑える物語だ。
判断能力が半減した酔っ払いが「二人あわせて一人前だよーん」と二人で車を運転しているような喜劇にも見える。おぉ、これはスリルとサスペンスだ(笑)。
マスメディアにしろ、魑魅魍魎の「支援」サービスにしろ、組織化されて、政治権力を後ろ盾にして、飲み込みやすい物語で味つけされているから、知らぬ間に丸め込まれていることが多い。
「だから、自分の立っている土俵を疑え」と諭してくれた我が恩師の面影は輝きを失わないのだが(俺も疑ってみろよと笑っていたっけ)、さて今年はどんな土俵を造って行こうか・・・。
ゆらり
at 2004 01/06 16:47 編集
さっき珍しく強い地震があった。
震源地は熊野灘・・・と聞いても、はて何県の沖合やったかいな?と考え込んでしまったが、神戸でもかなり揺れた。
ところが、震度2は大阪府・・・というところまでしか震度情報がなくて、おい兵庫県も紹介してくりっ!と僕はテーブルを揺すりつつ念波を送信した。
被害は出ていないと告げるニュース速報は、「奈良県では、鏡餅の上の飾りつけが傾く程度で・・・」と紹介していた。
おぉ!季節の風情がにじみ出ていて、いい表現ではないか。みかんが数ミリ動いた程度だったのか?
いっそ鏡餅は和風の震度情報に使えるかもしれない。
「鏡餅こっぱみじん」から「鏡餅1階部分横ずれ」「鏡餅2階部分横ずれ」「鏡餅みかん落下」「鏡餅平気な顔」まで5段階は分けられる。
まぁ、鏡割りのめでたい時期までの間は、地震なんか起きてほしくないのが人民のホンネだろう。
それにしても、各地のレポートを聞いていても、縦揺れだ横揺れだと「いかにもサイエンス」がすっかり定着しておる!
それは、建物の揺れ方か、あなたの気分だろうに。
阪神大震災のとき僕は震度7の区域で6階建てマンションの最上階で永眠しかかっていたが、最上階だから横に揺さぶられたのは当然だ。
感覚としては「突き上げられるような」「天地がひっくり返るような」という声もあっただろうが、建物の構造でずいぶん感じ方は違ってくるものだと思う。
だから、放送局のインタビューに「いやもう、七色の地震でした」とか「すべすべした官能的な揺れかたでした」なんて答えると、放送屋さんの頭に微震が走るかもしれない。
ゲージツ家くまさんなら、おっいいねぇ、その表現!と「共振」してくれそうな気もするけど。
おさがわせ?・・・おさわがせ?
at 2004 01/07 02:19 編集
明日はまったりと七草粥か・・・という時期に、人騒がせな者どもがいて日記も忙しいわ。
ブリトニー・スピアーズの「行きすぎた冗談」結婚。あんたの名前わしゃ知らんかったが、離婚届けと婚姻届けの両方を用意するのはよろしいよ。それにしても早すぎるっちゅうに。
ハクビシン1万匹屠殺。こりゃお気の毒だ。SARSとわかった患者さんは「俺、ハクビシンは触ったことも食ったこともねえぞ」と証言しているそうだが、中国の食文化には驚く。猫エイズでも似た証言をする人間がいるかもしれない。
一時「世界のべスト経営者」に選ばれたソニーの出井社長が、今度は「世界のワースト経営者」。赤字なのにリストラが遅れたことが理由らしいが、クビを切っても文句いわれる、クビを避けても非難されるで、経営者も大変ね。
社内webサイトだかメルマガだかに書いたエッセイをまとめたという『ONとOFF』という御本は、ずいぶんゴルフ談議が多かったような「立ち読み印象」がある。
社長ゴルフを社員に読ませて「何かを汲み取ってくれたまえ」なんて、ずいぶん古い、80年代のセンスやないかなぁ・・・と素朴に思ったものだった。オペラ歌唱とジェット機操縦が趣味という大賀さんとは格違いな惑じ。
しかしなんといっても人騒がせなのは、女性セブンの広告見出しだった。
「別れた彼の家へ突入した自爆テロ女」
「ハイヒールで恋人撲殺女」
「局部握りつぶし女」・・・いちちちちち
ニャントロ人?
at 2004 01/07 23:02 編集
ピアニストの中村紘子さんが、インタビュー番組に出ていた。
個人的に、千住真理子さん、葉加瀬太郎(ごめんな呼び捨てで)と並んで、宇宙人ではないかと疑って・・・いや尊敬申し上げている音楽家である。
ネタは、60年代のショパンコンクールの思い出であった。
「こんなことNHKで言ってよろしいのかしら・・・」とためらいを見せて「おっ・・・どんな話やろ。商品名か?宗教ネタか?」と期待させたエピソードは、1位の女性が、コンクールの前の晩にデートに行っててその余裕に私は打ちのめされた・・・というだけ。
なんだか、あっけない。
ところが、入賞した後のマスコミ騒動に話が移ると、「いやもう、今みたいにヘアヌードが載ってない時代ですから、どの週刊誌にもでかでかと取り上げられちゃって・・・」と、カラカラ笑っている。
一体、どんな脈絡でヘアヌードが出てこにゃならんの?
いやはや、ものさしが俗人と違う芸術家はすごい。別世界から降臨してきたような神々しさを感じるぞ。
受け手がハラハラ・ドキドキ・オロオロさせられるような表現こそ、芸術家の存在理由だと思う。偉大なる岡本太郎も、何が乗り移ってるの?と感じさせる憑霊トークが持ち味だったなぁ。
逆に、あんまり世慣れて社交的で口当たりのいい、セールスマンみたいな芸術家はイカくさい。
デビューしたてなのに、サインがさらさらと淀みない新人歌手とか、模範的オリンピック選手インタビューのような問答がすんなりできるロックバンドなんてのも、なんだか多くないか?
めしめしめし
at 2004 01/08 23:03 編集
飯をやたら食った1日だった。
朝から寿司6品盛りを食って出勤、昼は新春初の粕汁定食、夜はニラたま定食。野菜が多いからヘルシーなのです!と言い訳するのが習い性になって、結局総カロリー・オーバーから目をそらしているのかもしれない。注意しないと・・・!
久々に梅田の旭屋書店に寄ってみたら、改装したせいもあってか偶然か、せまいながらもずいぶんスッキリした店内で、落ち着いて立ち読みできた。
大竹昭子さんの写真家列伝『目の狩人』が、ありがたいことにちくま文庫から出たので即お買い上げ。単行本は10年ほど前からうちの本棚にあるが、これはsabatoに回ることになるだろう。解説つきで省スペースで安い文庫は大歓迎だ。
エイ文庫からは『ペンタックスカメラ図鑑』が出ていたので、もう中も見ず即買。待ってました!のペンタックス版だ。オリンパスとニコンとライカとコンタックスの「図鑑」はそおろったが、肝心のペンタくんがやっと加わってくれたわけだ。
いぶし銀のような名品カメラに満ち満ちている図鑑からインスパイアされるという感じか、おぉこのオーラはデジカメにはないなぁ・・・と、あらためて思う。
ライカがちらついて見える魔界の入り口が近くに口を開けて待っているのが、悩みの種(笑)。
夢
at 2004 01/09 23:36 編集
ナイトスクープの録画予約をしようと番組欄を見ていたら、左の方にひっかかる番組がちらついた。
みんな、夢という言葉に踊らされてない?
という少年少女向け番組のテーマなのであった。
おじさんはションボリする。みんな、醒めてない?という感じ。
夢を持てない社会をつくったのは、たしかにおじさんとオババたちだ。
そのおじババも、夢を捨てて仕事と家庭に献身してきたから、年金しか夢を持てないのである。
だから、そんな人に夢を与えましょう!
と、けしかけるつもりはない。
夢はあるにこしたことはないが、実現不可能と見切ることも必要で、それが今の子たちは早すぎるのだろうか。
被害が深くならないうちに次の夢を探す。のめりこまない。安全第一。
大人の知恵はそうでないと困る。たとえば、「夢はかわいい奥さん」という婦女子には近寄らない。ヘンな夢をふくらされて、29歳で別れようかと切り出そうものなら、満月の夜でもこわいから。
が、こんなお子さまは寂しい。
お手本がないのかもしれない。風船で太平洋を横断するのだ!というおとっつぁんがいたら妻子は困るし、30年前の青春よ再び(笑)と色気づくオババも人騒がせだし、夢はなくなったと首を吊るおっちゃんたちは哀れだ。
かといって、妥当な夢を持ちましょう中高年の皆さん!というのも何だか言葉の矛盾を感じるが、まぁ身を持ち崩さない程度の夢で嬉々としていれば、高感度な子は救われるし、救われない子は職のないカウンセラーを救うことはできる。
だから、絶望しましょう病みましょう・・・とけしかけるのもヘンな話だが、そんな無言のメッセージが社会に満ちているような気がする。
夢の翌朝
at 2004 01/10 09:04 編集
老母その他身内を誘って、アメリカへ旅立った。
殊勝な心がけはいいが、つい自分流を通してしまうマイペース野郎である。宿は現地で探そうと思って、どこも予約してなかった。
当然、出迎えも何も来てないのでトボトボ歩き始める。すると、どこかのトンネルを歩いているとき、運悪くパトカーが通りかかって急停止、身元チェックを受けた。
テロ厳戒態勢下のアメリカ本土、日本人観光客にはみえない行動、ジャパニーズだと言い張るが一人だけインドネシア人くさい男。こりゃイスラム教徒と疑われるべき条件はそろっている。イスラム教どこが悪い!と言いたいが、警官には従っておくしかない。
パスポートを見せろと言われて探すが、これが運悪く必死にどこ探しても見つからないのである。
あぁ、また入国管理官に取り調べられるんかい!涙涙涙・・・
と、いうところで瞬時に目が覚めた。いやーな目覚めだ。
もう何年も前に実際に犯したヘマが、こんなところにひょっこり出てくるとは、記憶よ恐るべし・・・という感じ。
殊勝なことなどしようとすると、自分流がどこかでヒト様を巻き込む災難を生むことは、現実によくある。たとえばアウトドアでは、「飲み食いの反対(というか結果)」は、そこらへんで勝手にひっそりすばやく、しかも自然破壊にならないようにやってしまう。甲賀流の秘術である。
しかし、「ハイキングつれてって」という婦女子に、出発していきなり「トイレはないから、そこらへんで勝手に、ひっそりすばやく、しかも自然破壊にならないよう甲賀流でな」と宣告すると、顔から血の気が引かれてしまったりする。期待から絶望に突き落とされたような顔をされると、いちおう哀しい。
だから、楽しいことも災難も、くれぐれも独り占めしときなさい!という天の声だか夢のお告げだかも聞こえてくる。
なるほど。
たしかに、僕が「これはワンダフル」と思って人に布教(笑)しようとしていることも、実際不慣れな人にとっては拷問だったりしたかもしれない。デートは青春18切符とか(帰りの疲れを考えてない)。自転車こそ賢い乗り物だとか。スキーは必ずリフト1日券の元をとるまで滑り尽くすとか。同棲→「できちゃったら婚」がタダシイ順序だ!とか。いや、あくまでもたとえばの話。
選挙公約を、少し洗練して行かんと、トンデモ候補者扱いされて終わりだろう。秀吉よりは票を取れないと恥ずかしい。
「一見ごもっともに見えて、実はハムラビ王」という伏線でレトリックを磨いて行くのが、政治家への道かもしれない。
修行はまだまだである。
ボイコットのような後回しのような…
at 2004 01/10 19:00 編集
外の階段で燃焼実験(笑)をしていると、NHKの集金マンが、今日は二人組でやってきた。
「ちょっと確認にうかがったんですが」と、物腰柔らかく切り込む作戦だ。「確認」だけで引き下がらないのはわかっちょるから、「押し問答しても時間の無駄ですよ寒い中ご苦労さん早く次に言った方が仕事の効率よくなるよん」が常套句になってしまった。
いい番組には払いたいけど、そうでないと返してくれるの?と質問すると、「いや、そういう問題ではなくて、これは法律で決まっていることですから」と、百年一日あいかわらずの論法が返ってきた。法を盾にする権威主義は、白髪世代に染みついている習性である。
そう来るかオッサン。ほな聞くで。
あなたスピード違反したことないか?青空駐車したことないか?一旦停止違反したことないか?信号守ってるか?飲酒運転したことないか?幇助したことはないか?立小便は?・・・と並べてやればいい。
それとこれとは別です、と言い逃れようとすれば、こう畳みかける。「いや、そういう問題ではなくて、法律で決まっていることですから。破ると被害が出るわけですしね」
玄関に招き入れてから、「帰って下さい」と要求するのもいいかもしれない。出て行かなければ不退去罪になる。
法律を盾にすると墓穴を掘るぞ、とNHKは集金研修をレベルアップしてほしい。
なんでもかんでも無法主義を貫くつもりもないし、煽るつもりもない。
ただ、法律に書いてあるから…というのは権力者に好まれる思考停止そのもので、むしろ法律に書いてある「けど」と考えてみないと、法律運用の恣意性は浮かび上がって見えてこない。
交通法規が最たるもので、だれも守れない法律とわかっていて廃止もされず、執行者(つまり警察)の意図次第で運悪くつかまったり、議員コネがあればもみ消したりできるのは法の裏表だ。こんな裁量余地に、権力が巣食う。そのために、グレーゾーンを残しているのだと考えることもできる。
それに、受信料は、返却される道が保証されていない点で欠陥制度だ。一度払うと不当性を承認したとみなされる既成事実となってしまうのも怖い。
だから、だれが書いていたか忘れたが、「先月はいい番組でしたから払います」と但し書きをつけて納付しようとすれば、受け取りを拒否されるのである。そんな領収証を自前でつくってそこに領収印を押してもらうようにすれば、「受信料受け取り拒否」をされる。
そもそも僕はめったにテレビを見ないし、BSアンテナさえない。ところがNHKの会計は丼勘定になっているから、ラジオしか聴かない契約者の受信料もデジタルハイビジョンの普及コストに回るしくみになっている(パラボラありとなしで若干の差を設けているのはカムフラージュである)。なのに、放送衛星や地上波デジタル化に多額の費用をかけて、全加入者が納得して負担していただいています!というのは詭弁でしかない。
反論されるなら、独立採算にすればスッキリする。電電公社も国鉄も分割民営化されたように、NHKラジオ、NHK教育、NHK-BS・・・と分ければ明朗経理になるぞ。
受信料を徴収する権利はNHK法で定められているが、払わない場合の罰則は規定されていない。なぜだ?
受信料を払うのは「受信契約」と明記されているが、上位法は民法だから、契約自由の法理に抵触するのではないか?
と集金マンの手に負えない疑問は消えないので、「合理的な説明のできる経営陣を呼んでくれ」と去年は若手集金マンに伝えたのに、局には伝わってないのかな。
NHK が「国営」放送だと、明らかに民事契約ではなく行政府との社会契約になるかもしれないが、それでも所得にかかわりなく一定料金を徴収する根拠はもっと緻密に整備しないと不公正だろう。そもそも国との社会契約である社会保険でさえ、加入義務はあっても脱退罰則はないぞ。
まぁ素朴な庶民感情としては、社会保険料さえ渋々負担しているのに(なんと億万長者に比べて5分の3も、である!!)、NHK料金になると「渋々渋々渋々」ですわ・・・という感じで、だから生活にゆとりができれば払います。
としかいえない。
つまり、拒否ではなく生活のゆとりからして優先順位がうーんと低くなっているだけである。
テレビも買えませ〜ん!!という住人を疑うなら、ほんまに持ってないのか、私生活に立ち入り調査して反証しなければいけなくなる。そうなりゃ憲法違反である。
法律を杓子定規に運用すると、自分の首を絞めることになる。
あんまりゴネてばかりいるのも良くないから、前向きな提案も考えたぞ。
要するに、すすんで受信料を払いたくなるよう、いい番組と明朗会計を心がけるのが放送事業者の王道だろうと思うのだが、「契約さえさせれば自動的に安定収入」と考えている役人体質のNHK官僚には、馬と鹿の耳に念仏かもしれない。
「ラジオしか聴かないのになぜハイビジョンの開発費用まで負担せんといかんの?」というような不公平感には、デポジット制という料金転嫁法がある。つまり、受信料をテレビやラジオの製品価格に上乗せ(内蔵)すれば、取りっぱぐれがない。NHKチューナーだけ別売りユニットにして、受信料を製品価格に上乗せするとか。
耐用年数が長い受信機ほど高くなるけど。
まぁそんなのは今さらできないだろうが、これをハイテク化したのが地上波デジタル化陰謀(笑)なのである。制御信号を使って受信料の管理ができるし、サンプリングしなくても全受信者の視聴行動が把握できるから、デジタル放送部分の会計は明朗になる。
ジャンルは違うが、住基ネットも発想は同じだ。
なんだか巨大な権力がハイテクを駆使して、盾つく道が閉ざされて行く実感とともに、社会保障の財源をどうするか?にもつながって行く大問題と重なって見えてくる。
僕は国民基礎年金は大欠陥制度だと思うので、基礎部分は消費税を引き上げて確実かつ公正に財源に充てるのがいいと思う。低所得な人は消費を節約して負担を軽くするという工夫ができる。
健康保険にも介護保険にも怨念は尽きないが、社会保障は公共放送とは少し別次元なので、また別の機会に考えるとしよう。
ところで、今NHK神戸放送局でキャスターを募集している。
ローカル番組のレポートを担当するおねーちゃんである。さすがに「女性限定」とは書いてないので、ローカルNHKでも雇用機会均等法ぐらいはご存知とみえる。
しかし応募の条件として、「局まで自宅から通勤できること」と、堂々と放送されている。「親の目が行き届いた毛並みのいい娘がええ」とじーさまが御所望なのかもしれないが、こんな規定が居住地による採用差別になるという自己チェックは働かないのだろうか。
「採用されたら親元を出てハーバーランド(NHK神戸のある場所)に一人暮らしします」ではいけないのだろうか。
一人暮らしできるほどの給料は出ないから、援助交際でアルバイトするしかない!
というメタメッセージなのかもしれないが。
それなら、東北のどこかでスイカップ契約女子アナ(キャスターか?)が話題になっていたのを思い出せば、「安月給だけどNHKに出たら箔がつくから退職してからグラビアで稼ごう」と考えるスイカップ2号3号etcがいても不思議ではない。案外正しい戦略かもしれない。
親元娘だろうと偽装令嬢だろうと、スイカップはどこに潜んでいるかわからんよ人事課長さん(笑)。
監視のような盗撮のような
at 2004 01/12 04:47 編集
なんと女湯を堂々とカメラで撮影している銭湯が、けっこうあるのだとか。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou04/0110ke8200.html
そりゃイヤでしょう。いくら大義名分が「窃盗防止」だろうと、脱衣所荒らしに遭う「かもしれない」リスクが減るだけのために、客全員のプライバシーが犠牲になるというのは、乱暴な話だ。
盗撮用カメラが「監視カメラ」の名前で電器屋さん街でなんぼでも販売されているのは事実。その監視カメラに映った映像は、盗難警戒に使われる以外に、警備スタッフの下半身を刺激して「感じカメラ」と化する余地は大いにある。
だから信頼できる婦人会にでもチェックを委託するとか(それも不快でしょうな)、映像の用途をきちんと管理すべし。
というのも、本質論ではない気がする。
そんな理屈を許すと、そもそも番台は何のためにあるの?という疑問もわいてくる。
神戸に限った話ではないが、こんな管理手法を「神戸方式」と名づけてあげたい。
「頭髪の乱れは心の乱れ」てな暴論で、最近まで市立中学生男子全員に丸刈りを強制していたのが、あぁすばらしき国際都市神戸だ。十把ひとからげのゼネコンスタイルである。
えてして「長いもの」は、少数意見を無視して暴走するものだが、「抵抗勢力」や市民監視が弱いのも問題だと思う。
話がでかくなってしまったが、僕も生まれてから十数年、銭湯に通っていた元愛用者として、「ほのぼの銭湯復活案」を考えてみたい。
1.番台で朱印状(勘合符でもいいが)とひきかえに貴重品を預かればよろしい。
2.そもそも入浴代とフルーツ牛乳代の小銭だけ持って行けばよろしい。
3.なんなら腕時計も指輪の類もつけず下着一丁で自宅から走って来ればよろしい。
4.男湯はマイケル・ジャクソンと水野晴男先生に監視させれば、絶対カメラより高性能だ。
5.カメラ監視エリアに「第三の湯」をつくって、モー娘と嵐の混浴ゾーンとする。「監視」できるのは経営者だけ。
とすると、われもわれもうちもワシとこもと銭湯は激増して経営者もヤル気満々。ビルゲイツも資本提供したりして、外資系」も増える。銭湯文化は復活すること確実。
結局、まじめな考察は最初だけで腰くだけになってしまった。
夢の坂道
at 2004 01/12 19:41 編集
不思議と、すっきり目が覚めた。いい天気だった。
あの坂道へ行こうと空が誘っている。名前のない坂道へ。
その坂道は、夢の中に出てきた。
市街地から急な坂を延々登った果てに、山肌に身を寄せるように朽ちた石造りの建物があった。
古い宿泊施設だった。
放浪の旅人が何人も長逗留して、そのまま住みついている。洗濯場や台所があったので、寮のようにも見えた。
客人として何泊かしたが、こそこから眺める夜景が、ふだん住んでいる街だとは思えない息を呑むほどの美しさだった。
それだけの、夢で通りかかった景色を「地図」に、正午すぎに家を出て東に向かった。
その名前がすっかり手垢にまみれてしまったハンター坂、北野坂、不動坂と通り過ぎ、新幹線の駅を巻いて山の手に入って行く。
急坂が市街地の喧騒を洗い落としたように、界隈は静まりかえっている。目前の山肌が、澄みきった空を背景に屹立している。
古くからの戸建て住宅と、大規模な集合住宅が混在する奇妙な肌触りの街だ。この街には三十年前まで住んでいたから、山に伸びる道の果てにはたいてい登山口があることは、体で把握しているつもりだった。
その経験則が通用しない。何度か行き止まりに追い帰され、あるまっすぐな一本道を登って行った。吸い寄せられるように。
僕の理性は、それが初めて歩く道だと指し示してくれたが、記憶の泉はざわめきいていた。鼓動と同期して泉のさざ波は振幅を増してくる。そう、あの坂道だ。
息が切れるような坂道だった。古ぼけたコンクリートの建物が、山肌に吸いつくように屹立している。
とうとう、夢の地図に導かれて、夢で見た通りの場所へたどりついたのだ。
そこに建っていたのは、なんと象徴的なことだろう、サナトリウムだった。
窓には鉄格子がはめられていたが、しかしこの窓から眺める夜景は格別だろうと思った。
登ってきた坂道をふりかえると、澄みわたった冬の大気を通して、海を隔てた対岸の街までくっきり見渡せた。
夢の中で居心地のいい安宿として滞在した建物が、現実に足を運ぶ時間の中で、サナトリウムに変容していたわけである。これは何を意味するのだろう。
「魔の山」のサナトリウムで、ハンス・カストルプは魂の変容を経験した。
僕がその中に抱かれた「夢の安宿」は、摩耶という名の山の麓に実在するサナトリウムに変容していた。
市街地へダイブするように、僕は急坂を下りつつ、あみだくじのようにあてどなく右左折をくり返した。何度も病院に行き当たった。なぜ、こんなに病院が多いのだろう。僕が生まれて初めて開腹された病院まで、現実に目の前に立ち現れた。なんだ、この道行きは。
やがて、商業地と住宅街を分かつ幹線道路を越え、僕は雑踏と汚猥の都心へ「戻って」きた。
戻りたいような、戻りたくないような・・・。
ほんの数時間の旅だったが、僕の中の空洞に浮かぶ小島のような世界が、くっきりと輪郭をもって存在するようになった気がする。僕自身が危機や孤独や強迫観念に激しく揺さぶられても、横たわっても、転倒しても、ぷかぷかと水平に浮かんでいるような、心のジャイロスコープである。
明日はどこへ行けと指し示してくれるのだろう。
夜の匂い
at 2004 01/14 00:08 編集
寒波に震え上がったわけではないが、日光を浴びずに1日が暮れてしまった。椎名誠親分とわかぎえふ姉御のエッセイ三昧。
コンビニ散歩に出ると、強風なのにどこか夜の匂いがする。汚れた都会の大気は吹き飛ばされているはずだから、潮の香りや山の木々の呼吸が織り込まれたような匂い、といえばいいか。
戻ると、物陰からツツツーとお隣りのトラちゃんがすり寄ってきて、買い物の中に鼻をきかせる。
寒いのに全身ショートカットで、元気なことだ。
3分猫マッサージをしてやって「おやすみ」を告げるが、彼女は別れ難いのか(笑)階段を一緒にかけあがってくる。
心を鬼にして、「新大阪駅発のぞみ最終」の気分だった(=大げさ)。
潜在鉄分
at 2004 01/15 23:00 編集
大寒波到来だとか、千歳空港が陸の孤島になったとか、被害を受けている人にはお気の毒だが心ときめく白銀の便り。
こんな季節になると、電車通勤族の僕は「雪乗せ列車」と「列車ホテル」はどこかにいないかとソワソワする。列車ホテルは夜中でないと出会えないものだが。
きのうも出勤して「なかなか雪乗せ列車は見かけませんね」と同僚に話しかけると、「いや、ワタシ見ましたよ、丹後の方から来た便で」と指摘してくれた。
やはり、白銀の彩る列車をサーチしている鉄っちゃんは、意外なところにおられるのだ!
雪の取り持つ心温まる連帯感・・・である(笑)。
リナざう
at 2004 01/16 23:36 編集
わが「電子手帳の道」は、ジョルナダにも少し浮気しかかったけれど、またザウ道に戻ってきてしまった。
いやはやすごい鮮明画面だ。モバイルギアと同じ解像度が、手のひら面積に凝縮されているんだから。
さすがに「眼鏡いらず」のわが両眼でも、気合いを入れないと見にくいが、まるで写真画質の画面だ。
ウィンドウズ一派のポケットPCは、PCとつないで補助機として使うのがコンセプトだから、単体ではなにかと不自由だった。
ところが、「ザウ」は単体でweb上のソフトをダイレクトにインストールできるし、旧ザウルスからのデータ転送もスイスイホイホイだった。本当に手帳感覚で使える。
不安は、野口悠紀夫センセイも書いておられるように、同期をとらないと微妙に修正時期の違うデータがあちこち散らばるドッペンゲンガー現象だ。
今まで、アドレス帳とスケジューラーは、単三電池で使えるザウルスを「正本」にしていたのだが、ザウ」が2系になったのは少し厄介。まだまだカラポケにはリリーフピッチャーとしてがんばってもらわねばならない。モデム内蔵というのも、最近のPDAにはない取り柄だから。
それに、震災経験者は、いざというときを考えて「単三電池で使える器械」に、つい最後の信頼を置くのである。
あと数時間で、震災まる9年。
亀裂
at 2004 01/18 00:32 編集
朝、ここ神戸の平地では初雪になるみぞれのような雪が舞っていた。
裏山はうっすら白くなっていた。
が、さすがに昼過ぎには溶けてしまったのか、山は緑。
薄日を浴びた木々の体温が、それだけ温かかったということか。
震災9周年のテレビニュースで、物心ついて以来ずっと我が家の台所であった市場が映っていた。
あぁ、懐かしいなぁ・・・と思って見入ってしまった。
三宮の1駅となりだから、激震地域の1つだ。長田区のように丸焼けにはならなかったが、瓦礫の山と化していたのはどこの市場も同じだ。
中高年の被災者がインタビューに答えていて、「もう、震災があったことを知らん子が増えてますね」と風化を嘆いていたように聞こえた。
このおじさんは、おそらく幼いころ「日清戦争を知らない今どきの子供」として年長者から新人類扱いされていたのだろう。
別に揚げ足をとるつもりはないのだが、時代の記憶というのは、常にそんなものかもしれない。
風化させてはいけない。
と決意を新たにする一方で、風化すべき体験というのもあるように思う。
家族を失ったとか、感動したというような、生々しい記憶は忘れたくないが、そこに留まっていてはいけない、という感覚もまた自然なものだろう。
「被災者扱い」されることに慣れてしまうと、むやみに弱い立場に自分を追い込んでしまう。
活断層で大地が裂けた直下型地震は、人の世の亀裂もえぐり出した。
日常世界は、強そうに見える人と、弱そうに見える人から成り立っている。
それが、土壇場で強い人と土壇場にもろい人に、否応なくリシャッフルされたのである。
また、ミネラルウォーターを3000円で売りつける強欲なやつと、行政より迅速に炊き出しを用意してくれたヤクザの明暗も、有名なエピソードだ。シロだと思っていた隣人が腹黒く、闇とか裏社会とみられていた人々が光をともしてくれたのである。
なんだか、写真のネガを見ているような気分だ。
それ以来―といってもずっと昔からかな?―、黒いものに光を、白いものに影を見るクセが染みついてしまった。
これこそ社会学である(・・・おぉ仕事熱心な!)。
大学入試先端試験
at 2004 01/18 14:07 編集
受験シーズンが、よりによって雪のトラブルが一番起きやすい時期に頑固に固定されているのは、受験生にはお気の毒だ。
・・・というわけでもないだろうが、9月入試とかセメスター制とか、いろいろ案は出ているようで、どっちにしても「寒さにこごえながら」か「うだる暑さのなか汗だくで」の業苦を受けにゃならんというこっちゃな。
けれど、入学できれば満開の桜というのもいいし、黄金のポプラ並木がお出迎えというのも感動的でよろしいと思う。
受験生の皆々方は、「1週間の便秘の後の快便」だと思ってがんばってほしい。
いっそ入試をなくして・・・という案も、ふた昔も前から延々取り沙汰されている案だが、そうすると東大の1回生の定員を50万人にしなくてはいけない(笑)。その代わり、進級時に1ケタずつサバイバルして行くような大学教育にすれば、残った4回生500人は最精鋭「ノーベル・ジュニア」だ。
先端科学の研究センターがあるが、大学の価値は偉いセンセイ方や立派な施設より、「尖った学生」が育つかどうかだと思う。
まぁ、だからといって一芸入試だとか、自己推薦だとかいうのも、第二・第三のヒロスエ(笑)がちらついて見えてくる。
大人の戯れ
at 2004 01/18 23:41 編集
ゲームマシンと化しつつあるわがリナザウ、さっそくいくつかインストールしては試し、「こりゃ手に負えん」とアンインストールしたりをくりかえしている。
同じゲームでも、製造元によってクセがちがっていて、それが読めた「相手」はだんだん撃退できるようになるのだが、リバーシは百戦百敗というありさまだった。
それが、やっとのこと800試合目で初めて勝利をおさめ(笑)、くだらない感動をかみしめてしまった。うぅっ、奥が深い。
フリーソフトばかり物色しているので数は限られるのだが、その中に嗚呼懐しや!!の「パックマン」がある。
見つけたときは感激したのだが、これがはやっていたのは、もうふた昔も前。すっかり遊び方を忘れてしまっている。フリーソフトだからマニュアルもないし。
こんな記憶は、風化するにまかせておくのがいいのだろうか。
卜シ相応のお遊戯というのも、ないようで、あるようで、なくていいような、あってほしいような、ややこしい気分だ。『ラピタ』なんかで平均年齢40代の読者層にオマケおもちゃコレクションをそそのかしたり(笑)しているのを見ると、「なにもマスコミがブームを煽らなくても、ひっそり勝手にやっとればいいのに」とも思うが、熟しきれないミドルは、何か社会的な承認を求める哀しい生き物なのかもしれない。
よく子供相手のボランティアに目を細める中高年が、メンコや凧揚げ、羽根突き、竹馬etcの「昔とったきねづか」をお膳立てしようとするものだが、これも時代の流れというものか・・・。
ほほえましい光景に見えるが、大人の管理の中で遊ばされる子供は、「哀しい大人」のミニチュアだったりする(夢は公務員という小学生が1つの兆しだ)。
まぁ現実には、ちゃっかり一緒になって、というかデジタル世代の当の子供たちはそっぽを向いて、ジジババが一番熱中してたりする。
だったら「子供の健全育成ボランティア」てな大義名分でハッタリつけなくても、空き地で思う存分やればどうだに?と思うけれど、まだ自信満々で子供に伝承できる「お遊び経験」があるだけ幸福かもしれない。昔はね・・・と語り始めると、今どきの子供は「心はウンザリ態度は聞くフリ」のスイッチが入るしかけになっているから、あぁ子供に喜ばれちょるわい!と幸福な錯覚を味わうことができる。
錯覚でも、錯覚と気づかなければリアルな幸福なのだ。
実際、お年寄りを封じ込めて「爺さまオンリー缶けり団」とか「骨粗鬆症が気がかり婆ちゃまゴム跳びサークル」が盛り上がったりすれば、それはあまりにもリアルなリアルだから、不気味なんだか、楽しい未来なんだか・・・。
サトエリ
at 2004 01/19 23:32 編集
HANAKO WESTの表紙はサトエリだった。
中村江里子も佐藤藍子もごっちゃになっている今どき芸能界無知蒙昧おやじのワシでも、なぜか佐藤江梨子だけはメモリーしている。
先週だったか、たまたま徹子の部屋を見たら、阪神大震災の話をしている見知らぬ少女がいて、それがサトエリだった。
転勤族っ子だったサトエリは、たまたま神戸に住んでいたとき被災したらしく、ラジオに励まされました、将来ラジオで人を励ます仕事をしたい、葉書職人でもいいetcと熱弁をふるっていて、ラジオを熱く語るとは見上げた変わり者じゃ・・・と、ワシは表彰状電波を送っておいたのだ。
この、若いくせにオッサンくさいところがいいではないか。
鈴木紗理奈も少しこの線が入っている感じもするが、横綱・島崎和歌子、大関サトエリの次ぐらいか。
ただオッサン受けを狙っているのでもなく、自然に腹が座っているというのがたのもしい。うんと背が高いのもたのもしい。競歩したら完敗だ。
そもそも、ラジオ職人志向というのが珍しくていい。
ラジオは地味に見えるが、みのもんた級のカリスマがひしめきあっているのがラジオの世界だ。関西だと「さてみなさん」に「ごめんやす」、関東は詳しく知らないが永六輔さんに毒蝮さんに大沢悠里(なぜかワシと一字違いなので憶えているのだ)・・・と、リスナーの日常生活の襞々にまで染み込んでいる人気タレントがいる。
こんな世界で20年、30年と声で勝負できれば、それが本物のカリスマなのだろうと思う。
女性アイドルタレントのファンは五万といるが、ディープなのになると声優に行くのと似ている(かもしれない)。ちょっと違うか?・・・
仮称「まいどサトエリです」みたいな、主婦とお年寄り向けの帯ラジオ番組でも持ってくれないだろうか。
きっと受けると思うが・・・。
お詫び儀式
at 2004 01/20 15:06 編集
伊東市お騒がせ新成人、ニュース画面で見る限り、ちゃんと壇上のお偉方と丁々発止しとるがな、と僕には見える。
「成人おめでとう」「イエーイ!」
「一人一人が輝いて見える」「ホントかよ!」
「静かにしなさい」「景気なんとかしろよハゲ!」
という具合に、揚げ足取りでも、ちゃんとお膳立てされた土俵で悪乗りしているだけ。いくつかのメッセージは、ごもっともと思える面もある(訴え方が稚拙だが)。
主催者だって、こんな形式でセレモニーをやれば暴徒が出てくるのはわかっていながら、あいかわらず工夫もない儀式をくりかえす責任というのは、問われてもいいだろうと思う。一蓮托生やな。
無能な公務員に払っている税金で、何人の失業者が救われるかも真剣に考えてみてもいい。生産性の劣る税金食い虫には、「あんたのできない仕事を失業中の市民に外注してポケットマネーから支払いなさい」とでも通達を出せばどうか?
お偉方のスピーチで新成人が騒ぎはじめたら、「そう来ると思ってました!」と会場全体が傾いて、新成人席に熱湯が注ぎこまれる。「さー、助かりたい人に贈る、社会常識クイズ第1問ですジャジャーン!!みんなイラクに行きたいかぁーっ!!」という大どんでん返しも見せてもらいたいものだ。
いま世間で問題になっているのは、反社会的な行動より、脱社会的な動きだろう。
働かない勉強しない外に出ない子作りしない(これ我が耳も痛い)過去も未来も見ない・・・でも騒がないから目立たない「水面下の氷山」の方が、氷山の一角より社会的な負担になる。
奇抜なスタイルで、また騒動を画策して成人式に出てくる連中はエネルギーを持て余しているんだから、ぜひイラクに派遣してあげたらどうか。
イラクは冗談としても、詫びを入れに来た新成人と親が、「海岸清掃ボランティアなどしてお詫びしたい」とポーズを示しているのは、責任をとる、社会貢献するということを初めて自覚的に考えた第一歩だとすれば、まさに禍い転じて福となすことになるかもしれない。
どうせなら、この意志をもっといい方向に活かせばいい。
この新成人と親に、来年の成人式の企画運営警備を任してみればどうだろう。
まずいことをやれば、来年の新成人からボコボコにされまっせ。どや?
別に奇抜な案でもない。大昔から、青年団や消防団はこういう形で「少し先輩」から新世代が社会規範を叩き込まれてきたのだから。
税金で太っている市長や教育委員長が壇上から訓示を垂れるスタイルだと、反発されて当然で、自分たちで市民から「おぉたのもしい新成人だな」と思われる催しなり社会事業なりを実行してみて、そこに税金を投入すればいい。
英米では、刑務所の財政削減という思惑もあって、軽い犯罪者には刑罰に代えて地域奉仕作業をさせるという司法取引や教育刑も活用されている。
これはいただける。
「騒動」程度の悪事なら、伊東市長のいう「禍い転じて福をなす」を現実に政策的(つまり強制力を伴う)プログラムにしてみせてほしい。
それが大人の知恵の見せどころだと思うし、儀式と刑罰だけでは実質的な解決にはならないよ役人諸君。
なんのこれしき寒波
at 2004 01/21 21:39 編集
神戸から大阪まで、電車でほんの30分だが、出勤するときどんより暖かかったのが、大阪で下車するとぐっと冷え込んでいた。ふつう大阪の方がどんより暖かいから、ちょうど電車に乗っていた間に天気予報通りに寒波がやってきたらしい。
仕事を終えて戻ると、Dがま先生から留守電に「神戸に来てます寂しいよー遊ぼ」とメッセージがあったので、スタバで待ち合わせる。「こんなん出てたから買ってきました」と、バス写真集というか、設計図みたいなのが載ったムックと、「デジカメで本日撮影のバス」を披露していただく。
鉄ちゃんの上を行く濃度120%だ(驚)。ま、小径自転車マニアの僕と相通じる血が流れているのかもしれないが。
日本海側まで帰宅せんといかんDがま先生に「六甲の裏で、すでに雪ちゃうか。チェーン持ってるかい?」と振ると、「なに言うてまんねん!スタッドレスはいとるわっ」と反撃弾が飛んできた。毎日千里を走る営業マンの俺様テクニックをなめてもらっちゃー困りますぜ旦那!と言わんばかり(笑)。
県内の南北を結ぶ背骨のような播但道が雪で通行止めになっても、「地を走れば屁でもないわい」とたくましく鼻で笑うDがま先生は、今日も水色のマーチをボルボに変身させる。
ここは地中海沿岸?
at 2004 01/22 19:33 編集
阪神間はポカポカと抜けるような青空。電車の窓からは、美しい山肌と紺碧の空で、のどかな眺めを楽しめたが、もちろん外は寒風が吹き荒れているのであった。
新大阪駅の掲示板は、小倉〜博多間が雪で徐行運転だとか、関空快速が強風で運転見合わせだとか、まるで「周辺有事」の様相だった。
北陸線なんか、「スーパー雷鳥は、運行することができません。ご旅行をとりやめていただきますよう、お願いしますっ!」と、ずいぶん踏み込んだ(笑)アナウンスをしていた。なんだか、「運転したい気持ちは山々なんだが、どうしても雪で進めんのよ。旅行したい人ごめんねー!!」というメッセージがにじんでいるではないか。
ところが、今年はまだ「雪乗せ電車」を見ていないのが個人的には不満だ。
日本晴れの阪神間にいると、いったい北の国では何が起こっておるのか?と勘ぐってしまう。
というあまり、来週は山陰へ一人旅の手配をしてきた。気分は「日本海の荒波」「白い峰々」「カニづくし」である。
「中国道封鎖」なんてことにならなければいいが・・・。
ヒロヒト
at 2004 01/23 22:01 編集
今夜はカレーにしようとココイチに入ると、カウンターにボブ・マーリーが読書していた。
ちらっと見ると、“HIROHITO”という分厚めのぺーパーバックだった。
目が澄んでいる。こころなしか、「賢い野郎」に見えた。
右だろうと左だろうと、純粋に知的な好奇心からだろうと、カレースタンドで天皇陛下の研究書を読んでいる日本人はまずいない。
でもまぁ、書名が「ヒロヒト」だからこそ、レゲエの兄ちゃんとセットで絵になるのだろう。これが小沢一郎の『日本改造計画』なんかだと、「イショケンメイ、ニホンノセイジベンキョシテマス」留学生みたいで、それはそれで立派だけど、オーラに乏しい。
僕のアウトドア仲間で、カヌーイストで、スノーボーダーでもある三十男は、『六千万歩の男 伸能忠敬』をコツコツ読んでいた。
そんな姿を見ると、野山に日常を持ち込むだけのアウトドアファッション野郎にはない気骨のようなものを感じる。
日本に住んでヒロヒトに興味を持つボブ君(勝手に決める)キミは偉い!
ハワイに行く日本人は、カメハメハ大王に敬意を払ってもよかろうに。
潤ちゃん!
at 2004 01/24 15:04 編集
学歴詐称で追及去れている某議員さん、さわやかテニスボーイの沽券も台なしではないか!と、テニスと縁がなかった元ピンポンボーイから野次らせていただく。
僕が高3になったとき、昨年高3だった先輩が隣の席にいて、同級生だったが皆からサンづけ敬語で呼ばれていたが、彼が人並み以上の受験勉強年数で(笑)、東大に合格した!という話と似ている。東京大学と一字違いだったのが話のオチである。
そんなおちゃらけより、議員さんの「勘違いだった」「弁護士にまかせていた」云々は、聞き苦しいいやら、みっともないやら。
「現地で卒業を否定された後、行方をくらませています」というニュースも、えっらい直球やなぁ・・・と思いつつ聞いていたが、この騒動で脳裏によみがえるのが、「コロンビア大学精神心理学部」を卒業いたしましたという、あの方である。
「そんな学部はない」と否定されても、「あら、そう」で平然としていられる心臓の方が、議員に向いているのかもしれない(たしかあの方、出馬してたけど)。
で結局、もし補欠選挙になれば、例の性豪どの、マタの名「まらタク」が出てくるのではないのだろうか?
どうせなら、先の監督妻も今度は「コロンビヤ大学卒業」とか「コロソビア大学卒業」と銘打って出てくれば、疑惑の潤ちゃんにはヒリヒリする当てこすりになりそうだ。
潤ちゃんといえば、「潤一郎つながり」で、あの韮沢たま出版社長も、ぜひともかつぎ出されてほしい。
案外、ダークホースになりそうな気もするが・・・。宇宙人票で(笑)。
盛り沢山な1日
at 2004 01/25 22:53 編集
朝、窓の外をシャーッと走る車の音で目が覚めた。
「なんや雨かいな」と思って窓を開けると、一面の雪。
まとまった降雪は、神戸では今シーズン初めてではないだろうか。
犬は喜び庭駆け回る♪ではないけれど、「雪山」に恋焦がれて、裏山に登ることに決定。
といっても、市街を見下ろすイカリマークの山へ、30分たらずで登りついてしまった。
家の周りは降った雪もすぐ融けてしまうが、さすがに登山道は純白の装い。この「短時間で別世界」が神戸のいいところだ。
横なぐりの雪も樹林帯の中にはとどかず、静けさが支配している。
冷え冷えした体で下山して、風呂を沸かしてあぁ極楽極楽。といっても、1時間ほどで待ち合わせの時間である。アウトドア仲間と元教え子の挙式の段取りを打ち合わせする。「司会して下さいただし下ネタ厳禁!!」とクギを刺されて(笑)、やりがい半減ながらもまぁ祝福ムードで、次いきましょか〜で南京町へ4人で繰り出す。
春節祭の最終日で、見事な踊り龍を見て、露店で肉まんを買い食いしつつ、結局は居酒屋へ流れて行った。
しこたま飲み食いして、「好き同士だけどわかりあえない二人」を浮き彫りにしてしまって、お開きになる。あぁ罪なことをしてしまった。なにせワシは人間リトマス試験紙だからなぁ。不安要因を引きずり出して、いいものやらイケナイやら・・・。
けどまぁ、盛り沢山な1日であった。
あとは野となれ山となれ(罪つくりやっちゅうの)。
反動砲スタンバイ
at 2004 01/26 23:10 編集
日曜夜の居酒屋ディベートが明けて朝イチ出勤、しかも神戸と大阪をかけもちして9時間トークは久々にこたえた。
サイキック青年団が子守唄になってしまったほどだから、すでに日曜の居酒屋議論で疲れていたのだろう。
裏山歩きを「散歩アルバム」にアップしている途中で寝てしまって、目が覚めたら「ページの有効期限切れ」になっていた。ま、なんとかアップし終えたけど。
明日は大阪と神戸で8時間トークだ。
高密度な週が始まるおかげで、木曜日に一段落つけるから、山陰の味覚にまっしぐらの段取りになっている。観光パンフレットの「山陰の味覚」の類の写真が浮かび上がって見える。
こういう疲れの「ため方」は、発散できる時が楽しみだが、その前に過労でくたばらなければいいが・・・。
インフォメーションレス・コンセント
at 2004 01/28 22:45 編集
同僚と茶飲み話をしていたら、風邪薬の飲み合わせを間違ったけどどうしたらいいでしょう・・・と、女子学生から面談の申し入れがあった。同僚P先生は医師で、僕は祈祷師だから、申し入れ先は普通の人の場合はP先生に、行っちゃってる場合は僕になる(笑)。
さすが賢者P先生は応対せず、事務職員に「何かあれば医療機関にかかるように」とあしらって一件落着。
P先生と茶飲み話を続けて、なるほどと思わされた。
こんな場面で、相手は医師に相談したのだから、適切な問診を受けた気になってしまう。
しかし、相談者がどんな体質で、どんな既往症を持っていて、主治医の「ファースト・オピニオン」がどうであったか、ほとんど情報がない状況で、フラッとやって来てアドバイスを受けるというのは、考えてみれば無茶な話だ。
「近ごろは、予想できないアレルギー反応もありますからね・・・」と、臨床経験の長いP先生は冷静な留保の姿勢を示された。それは正しい姿勢だろうと思う。
未熟な専門家だと―医療者、教育者に限らず一般人でも―、相談されると一種の万能感(オムニポテンツ)に酔ってしまい、充分な情報がないまま「こうしなさい」と言ってしまうことが、ままある。
また相談する側も、少ない情報(コイン)を出して効果的な答えが出てくることを期待する。
こんな自動販売機もどきの「相談と診断」は、テレビ文化が1つの雛型をつくってきたのではないだろうか。
みのもんたがガツンと「別れちゃいなさい!」なんて言い放つのは芸の一種みたいなものだと第三者は了解しているけれど、よりによって精神科医が、医学用語で権威づけして大胆不敵な精神分析を披露なさる場面もある。
倫理をわきまえている医療者だと、自分の手で本人を診断せず「診断」の名をつかって易々と有名人についてエッセイを書いたりすべきではないと了解しているはずだが、「観客」が期待するのか、マスコミもショーアップ効果を狙っているのか、危ない「診断もどき」が事件のたびに活字や電波に乗って垂れ流される。そんな状況を、佐藤幹夫さんは『精神分析家を精神分析する』(洋泉社新書)で「グロテスク」と表現されている。
それでも、飽くなき無責任診断がくりかえされるのは、それだけ専門家による救済を求めている「市場の声」が高まっている証しなのだろう。
悩める人は、ワタクシのところにいらっしゃい!
といっても、分析したり診断したり、「タタリです数珠を買いなさい!」とか「人格が問題ですセミナーにいらっしゃいませ」などと言うつもりはない。
「一緒にスキー行きませんか?頭ん中まっしろにすれば気晴らしになりまっせ」なんてことしか言えない。大日本スキー教祖としては(笑)。
初松江
at 2004 01/29 19:52 編集
ぽかぽか陽気の神戸から、バスで山陰へ。
「中国JRバス」といっても、北京まで運んでくれるわけではない(当たり前)。
県内を抜けるのに時間がかかったけれど、津山を過ぎて山あいに入ると、うって変わって雪野原だった。
が、やはり暖かいのか、松江の市街地にはほとんど雪だまりはない。テレビのニュースでは、3月の陽気だという。
関西人の感覚からしても、安い!とうなってしまうビジネスホテルに落ち着く。まぁ、値段相応かな。なんだかフロントにイカの香りが漂っとりますぞ(笑)。
@FreeDが圏内なので(よーし、松江は合格)と、わけのわからん採点をさせていただいてしまった。
さぁて、「宍道湖の味」をめざすとするか。
滑った食った飲んだ笑った
at 2004 01/31 07:49 編集
今シーズンの初滑りは、意外な展開で山陰の名峰・大山になった。
松江から車で40分ほど。
さすがに平日はすいていて、2mを超える積雪は滑りごたえ充分。頂上の浅めのモーグルバーンで何度か足慣らししてから、ロングクルーズを楽しんだ。
四駆をスノボに乗り換えた運転手は自称「雨女」らしく、「ここ来たらいつも霧か吹雪だから、晴れたの初めてー」と、雄大な眺めを一緒に楽しめた。そやろそやろ、僕は晴れ男だから、日本中のゲレンデに太陽を呼ぶのである!(笑)。
リフトl日券が4800円というのは最初ちと高いなぁと思ったが、朝7時半から夕方みっちり5時半まで営業しているので、「9時4時」の信州より間口が広い。おまけに、頂上のモーグルバーンにまでナイター照明がついていて、ナイターも一応やってるもののふもとだけでお茶を濁している平均的なスキー場より気合が入っている。頂上からは夜景がきれいだろうなぁ・・・
ゲレ食はカレーやカツ丼と決まっているものだが、カニ丼というのがあったので、おぉご当地メニュー!!と飛びついた。まーまー食べごたえのある、カニ身入りの野菜丼という感じだった。
ちなみに、牛丼は「オーストラリア産牛肉使用」と貼り紙があった。
仕事疲れ運転疲れの「現地ガイド」をこき使ってばかりの万年ナビシート男の僕は、かなりハイスピードで快走するボードを「たいした腕前やなー」と感心しながら追っかけていた。滑る腕前は、後ろから見るとよくわかる。
それが相手にしてみればただの「ゲレンデストーカー」だったのだろう。僕から逃げたい一心で必死に滑っていた勢いで、予想外のジャンプ台で空中に舞い上がってしまい、顔から着地して顔面アザと血痕だらけになってしまった。ぬぉ〜〜〜っ嫁入り前の彼女をキズモノにしてくれたな!!と、彼氏から暗殺されそうだ。
スキーの後は松江に戻り、僕は「全室温泉つき」の今宵の宿(これで4500円とはビックリ)でひと風呂浴びて、夜の部(笑)が開幕。
お色直ししてきた地元ガイドが予約してくれた店で、宍道湖と日本海の幸をしみじみ堪能した。
「川京」のご主人、学生時代は神戸の甲南大学に通っていたというので「奇遇ですねー!!」と話がはずんだ。「僕は甲南の少し向こうの、同じ阪急沿線の大学でした」というと、地元ネタに花が咲いて、9年前の震災見舞いまでしてくれた。
話の花、美酒美食、おもろい地元ガイド嬢・・・と何拍子もそろって、看板までねばってしまった。
しじみ、スズキ、しらうお、あまさぎ、サザエ、カニctcetcetc・・・と食って呑んで、2人で4000円少々だったのは驚き。
さて、今日は出雲ソバである。