2004.03.31 Wednesday
うつるんです か?
at 2004 03/01 21:34 編集
鳥インフルエンザ騒動でとばっちりを受けた卸業者さん、お気の毒としかいいようがない。
卸業者といえば、鶏卵の問屋をやっていた僕の親友が、直接関係ない食品の偽装表示問題に巻き込まれて、得意先との関係で大変な苦労をしていた・・・と、霊前でお母さんが述懐していた。ストレスはてきめんに癌の発症因子になるというから、大企業の不祥事は関連業者の法人格だけでなく、身も心も蝕むのだ。
それにしても、すでにラーメンのダシになってしまえば感染するリスクはなさそうなものの、騒ぎすぎている感じもする。
なんだか日本人は、子供のころは標的になる子をバイキンになぞらえていじめたり、いやな人に触れられると何か手で拭い払うようなしぐさをとったり、「バイキン感染」に以上に敏感ではないだろうか。
そのくせ、鼻クソ痰ツバ大腸菌うようよの歩道や駅のホームに平気でかばんを置いたりしている。男も女も。
僕も、「未開発な年頃」には、地面に落ちたお菓子ぐらいは平気で食っていたが、今は地面に絶対に地面にカバンは置かない。
ふつう公衆便所は、床を靴で踏んで出入りしているわけだが、僕にとっては靴底も便所の床もイコールなんである(ヘンか?)。
鳥インフルエンザぐらいでパニクる国民なら、本屋で本の上にカバンを置いてる客をしばきあげなさいっ!
ミニには寒い日
at 2004 03/02 19:39 編集
明日3月3日がミミの日だというなら、今日はミニの日だ!
とコワダカに主張してもしかたないのだが、ローバー・ミニの日にしてもらってもいいし、そろそろミニスカートの季節ですよ!と「生足到来」を告げる春の訪れでもよろしい。
春の日ざしに浮かれ出て、日曜日に異人館通りをコギコギしていたら、いきなりDがま先生から「携帯の無料通話分が余ったのでかけた」と、ヒマつぶし電話をもらった。
で、時節がら確定申告の苦労をねぎらいあったりしていたが、恋人ども行き交う夕暮れのシュエケ邸の前で税金の話をしている男というのも、不気味な眺めだっただろう。
この先生の昔の愛車が、ミニだったように思う。
が、ワシの愛車は「ドイツ車」なので、英国車はよく知らない。モールトンは妙に複雑だし・・・。
??????
「車種」がごっちゃになるとややこしい話になるので、クルマは横に駐車しといて、「最近、メーリングリスト止まってますなー」と、ため息が2発。
5人の「写真家」でやっているMLだが、足並みがバラバラというか、方向もバラバラ。
そもそも、WEB上の写真は、絵や彫刻と同列の「作品」として鑑賞したり批評したりすることができるのだろうか?という疑問から、なかなか僕は解き放たれない。
そう言いつつ、WEBアルバムにはデジカメ写真やらフィルムスキャン画像をアップしているのは、「とりあえず見ていただける」便利さに負けてしまっている(笑)からだ。
オリジナルの、難の操作も加えていない画像は、コダカラーなりエクタクロームなり(コダクローム使わなくなったなぁ・・・)のフィルム上に定着して、部屋に死蔵されている。
・・・と構えてみても、しょせん死蔵でしかないけど。
それが複写され閲覧してもらいやすい形に変形されると、「死蔵よりはマシ」な気はする。媒体はフィルムからPC+ネットになるだけで、「イメージ」は伝わる。
のかな?
ただし、「いやもう、これは画像データです。レタッチしてるかもしれないし、どこかのサイトや素材集からパクってきたのかもしれませんよ」と但し書きつきで見てもらうのが、デジタル写真の必然的な見られ方というものかもしれない。実際、キレイとかうまいと言われてもピンとこないし、デジタルイメージ画像に、キレイもうまいも存在しないとさえ思う。
これ、顔面をレタッチしまくった(笑)美人とやらを手放しで美人と思えないのと同じイヤミ思考かもしれないが、デジタルフォトに熱中している人は、フォトショップの性能を自分の才能と勘違いする甘い罠と隣り合わせかもしれんなぁ・・・という気もする。
複製芸術論は、学生時代にベンヤミンを読まされたことがあるぐらいでしか知らないが、古くて新しい問題だ。
ちょうど飯沢耕太郎の『デジグラフィ』を読みはじめたところなので、デジタルイメージ論はまた沸々と温めてみたいと思う。
なんだかミニ問題から迂回してしまったが、ぶっちゃけて俗っぽいもの―そりゃミニスカートなんかも、年齢制限つきで(笑)好きなことは好きだが、芸術分野だと「ミニなカメラ専攻」なので(専攻を専ら攻めると書くのはナルホドだな)、これまたマイナー分野で寂しい。
「豪華ななデジタル一眼レフで道端の花」なんて姿になり果てるのも、なんだか繁華街をセコセコとろとろ走ってる四駆みたいで恥ずかしいしなぁ・・・。
洗濯屋でないケンちゃん
at 2004 03/03 20:29 編集
摂食障害を治したくて、WEBサイトで見つけた治療団体に行ってみたんです。そしたら、
前金15万円、
誓約書で「第三者にもらすな」、
治療室に入ったら15人の女性が全裸で寝ていて中央にいた院長も全裸!
院長は自分のことをケンちゃん大菩薩(爆笑)と呼ばせてお布施を集めていた。
・・・とまぁ、ハゲシく(椎名誠調)わかりやすい色と欲を、こやつは摂食障害治療院を隠れみのに満たしておったか!
あまりにも明快なエロ院長も院長なら、お気の毒だが被害者も、なんだろねこりゃ。
「高い授業料払ってだまされた」だけならまだしも、ミサオまで奪われてはいかん。
エロお医者さんごっこオヤジを盲信する精神状態に巧妙に追い込まれた、と弁護することもできるかもしれんが、あまりにも無防備すぎる。
この院長、ぜひ刑務所で掘られまくって「あっち方面」にでも目覚めなければ、メニューを変えて同じことをくりかえすね。
よしケンちゃん、次は、虚飾障害患者の厚化粧やハイヒールやブランドもんを剥ぎ取って、「すっぴん一番」に洗脳してみられよ。できれば偉い。
でもこれ、わが教団ヤマブシズムがずっと実践してきた教義なんだが・・・。
ミミのうしろ
at 2004 03/04 22:53 編集
3月3日に何か考えて日記でも書くべぇと思っていたら、コテンと寝てしまった。
で、鷲田清一さんの哲学エッセイ『聴くことの力』を、ずいぶん日数をかけてちびちび読んでいる。耳の日に読了・・・というのが鮮やかなシナリオなんだけれど、自分の思い描いたシナリオほどあてにならんものはないわい。
聴くことの力と、聞くことの無力―
PCでホイホイ変換できる環境で育ってしまった世代だと、「聴く」と「聞く」はどうでもいい違いで、「出た漢字」で確定してペチペチと書き進めて行くのだろう。人生後半世代の面倒くさがり屋にとっても、漢字変換機能は「福音」になっているのかもしれない。
そんなありがたい道具の前から離れた空間であっても、「聞く」と「聴く」の間に大きな溝があるのを感じる。
何かメッセージを伝えても、聞こえているようだが届いていない―という場面は、教育サービス業者でなくても経験することだろう。
肉声より、ケータイの着信音の方に高感度に反応する子が、ワーカーしたいカウンセラーになりたいというご時世なんだから。
「聴力」には、さまざまな次元がある。測定可能な聴覚から、地獄耳のような腕前、耳年増という発達のねじれ・・・等々まで、耳の良し悪しは自分がかかわる環境に大きく左右される。
最初の言葉をおぼえるころ、鼓膜が溶けてしまって発声をフィードバックしにくい難儀な思いをしていた僕は、否応なくゴボゴボと渦の中にもまれているような日々に生きていた。
そんな中で、子守歌に救われました・・・とか、賛美歌が神の世界へ導かれたんです・・・てな原初体験でもあればドラマチックだろうけれど、そんなものはない。完治しないまま今に至っているだけ。
ふつうに深夜ラジオに熱中する十代を過ごしたが、それもまた完治しないまま、ラジオ中年になってしまった(トホホ)。
それでもそれなりに、聴こうと思って聴くことと、大自然の音声には高感度でいたいと思い続けてきた。
たとえば、クゥクゥいう愛犬に、「おまえ嗅覚は人間の1万倍らしいが、くさい匂いも強烈で大変やのう」と同情したりしながら、動物の魂の叫び(笑)を聴こうと挑戦していた。
ま、こんなこと愛犬家ならだれでもしているだろうが、犬語や猫語は子供の方が得意かもしれない(ハムスター語になると、僕にはお手上げだ)。
かつて放送部にいて、学外まで研修を受けに行ったりしている中で、放送原稿を読むのと「伝える」のとはまったく違うことだと思い知らされた。
はずみでマスコミ専攻のある学部に進学したが、紙や電波を媒体にしたミニコミばかりやっていたから、当然マスコミ就職からは離れてしまった。
そうして今やプロの仕事を見て、スポンサーのボイコットをしたり受信料不払いをしたりするイヤミな素人になり下がっている。
女子アナの美貌や美声にまどわされて騒いでいる庶民の方が、マスコミ業界にとってはありがたい客なんだろうけど、そうは私が卸しません。
ニュースの読み方を耳にしただけでも、その内容がちゃんと理解できているか、自分のアナウンスを客観視できているか、あらわになってしまうものだ。
別に女子アナに限らず報道記者でも、一番多いのは、原稿棒読みタイプだ。あぁこやつらは、与えられた仕事をこなすことしか頭にないんやな・・・と言外のメッセージが聞こえてくる(幻聴か?)。
ちゃんと心に届く伝え方をしているアナウンサーは、やはり高齢者の叱咤支持を浴びているNHKに多い感じもするけれど、日テレの井田由美さんを推すマニアは僕だけではないだろう。だけ、であってほしい気持ちと、だけでは困る気持ちが哀しきオッサン心理というものだ(笑)。
ふだんは、ラジオ少年なれのはて中年だから、ラジオ部門だとあのカリスマ番組(?)「深夜便」にたまーにお出ましになる須磨佳津江さんとは、一体どんなに麗しいお姉様なのだろう?と、じーさまたちに混じって(といっても、それぞれ自宅で老いらくの心をときめかせているんだろうけど)妄想してしまう。
原稿や台本があったとしても、この消化力と表現力は天才的というしかない。
ミミに障らず、知らんうちに全身全霊に届いてしまう話芸を、身につけたいものだなぁと思う。
ブレイン
at 2004 03/05 14:27 編集
緊急入院の長嶋さん、「いやー、ブレインがですね、脳卒中しちゃいまして」と、いつもの長嶋節で復活会見してくれるのはいつだろう。
まだ六十代。
心筋梗塞から退院して病院玄関で投げキッスを見せてくれた森繁さんに、「ワシより先に逝っちゃだみだよアンタ」と檄を飛ばされまっせ。
最近のブームにあやかって、安保先生の免疫療法の本を読んでいるのだが、ストレスは万病の元のように説かれている。でも長嶋親子はそろって「ストレスって何ですか?」と言いそうに見えるから、食生活か何かが原因だったのだろうか。
巨人は好きではないが、早くよくなってほしい。
「おかげさまで、クイックに退院できまして・・・」と笑わせてほしいものだ。
ウェディングケーキ入党
at 2004 03/07 20:43 編集
人前結婚式というのはシンプルでいい。
神様の代わりに、祈祷やら呪術やら披露して参列者を煙に巻けるってことか?・・・と期待して、式から披露宴まで司会を引き受けたのだが、案の定、自慢の宗教色(笑)は出せなかった。
「日々ポカポカと春の足音が・・・」と台本を書いていたのが、朝起きると窓をたたく雪音。なんじゃこりゃー!
アウトドアが出会いの場という野生カップルだから、ガーデン式典となったのだが、おかげで僕も寒くて、皆ガタガタ震えていた。「はよターミネートしちまえ」とホンネがそうさせたか、署名をすっとばして式を短縮しかけてしまった。
3時間のお務めが終わったら、当然でしょ!の勢いで二次会・三次会へ。新婦が漁師の娘、新郎がカヌーイスト・・・と、潮の流れでベーリング海峡!のノリ(ようわからん)に便乗して、とりあえず2時まではつきあった。しかしカヌー部員たち皆よく飲むことよく歌うこと。
花束贈呈もケーキ乳頭いや入刀もないシンプル披露宴だったから、「盛り上げ隊」を買って出る友人連中というのは宝物やなぁと感心させられた。
おまけに、「親以外の来賓は全員友人」で、会社の上司のスピーチとか、何やら議員の祝電披露の類もなく、実にさわやかだった。
ということは、宴の後は三島由紀夫・・・じゃない、若い連中が主役である。
「いつの間にか合コン」の空気は、あぁ、こんなのは80年代に率先してやってたなぁと懐しかった。そう察知したらひっそり去るのが、哀愁のおじさん道というもんか(笑)。
種の保存競争から離脱したオスとしては、同性諸氏の、女子に発する電波が客観的に見える気がする。つい、段取りのまずさに「おらおら、おねーちゃんにアドレス聞きたいんやろ?」「自己PRしたいポイントを検索中なのねーあんさん」などと、導火線に火をつけてやりたい衝動にかられたが、野暮は思いとどまった。
ま、「西川りゅうじんと中谷彰宏と清水ちなみが仕切りまくっているような飲み会」てな場面を想像すると、興醒めもいいところだし。
晴れの舞台で興に乗れる気分と、構造的に婚姻に夢を託せない社会との格闘は、なんだか「老人と海」のようだ。
一般的には、女性の方が賢く生き延びてきたような気もするけれど、男性が賢くなっていろんな制度のカラクリが見えてしまうと、少子化は今以上に絶望的に深刻になって行くだろうと思う。
種明かしばかりしているのが社会学屋だったりして、その一端をかついでいるので、罪滅ぼし?に「結婚はいいよー」「チャンスは逃すなよー」と男女を煽っているのだが、説得力ないな。
薮の中
at 2004 03/08 20:54 編集
朝から、ニュース速報がかけめぐっていた。養鶏場の経営者夫妻の首吊りで。
お気の毒というか、何もそこまで・・・というか、よほど報道で追いつめられていたのだろうか。
この国には、切腹という「自死の文化」があったとはいえ、それは武士道の話。今の日本で、晩節を穢さず自分で身を処するつもりだったなら、真実を書き置きすべきだろう。限りなく黒に近い灰色の会社をバトンタッチされた息子の立場も、お気の毒だ。
遺族には遺族なりの思いがあるだろうが、地元住民やニュースの受け手にとっては、おわびの言葉より、とにかく「真実」が知りたいものだろう。
この社会には、よく「ゴメンですむなら警察いらん」と言われる一方で、儀礼的にゴメンを強要するような空気も漂っているように思う(どっちやねん!)。
心から「すまない」と思ってなくても、経営陣そろって土下座してみせたら謝罪した「ことになる」し、謝られた方も溜飲の下がる思いがする「ことになっている」。謝罪と赦しが儀式になっているのだ。
謝れと言われてから謝ったのでは遅い。
それでも、儀礼的なゴメンナサイの次には、「こうして謝ってるんだし」と、赦しを誘導するような浪花節BGMが聞こえてくるから、とても心の奥底から赦す気持ちになれなくても、赦さないことが赦されないことさえある。被害者の側が今度は罪人扱いされるのである。何かの事件の被害者にとっては。セカンドレイプに似た二重の苦しみを感じるのではないだろうか。
命がけで真相究明するというのは1つの価値だろうが、命を捨てて真相は闇の中・・・では、何のための命なんだろう。いくら憎くても、死なせてしまったら、被疑者の頭の中にある当事者情報は、永遠に安心社会づくりの肥やしにはならない。
殺戮が好きなブッシュでさえ、皮膚ガンのフセインを治療して延命せよと命じているのは、「感情より国益ですよ大統領」と進言したブレーンでもいたのかと思うが、憎まれ役が死んでせいせいしているだけでは、成熟した社会とはいえないと思う。
無限に名言は妄言へ
at 2004 03/09 17:33 編集
教祖と結婚した美人女優について、元吉本興業名物常務の木村政雄さんが、すがりたくなるものを求める芸能人心理でしょうか・・・と、短いコラムを書いておられた。
妙にわけ知り顔で天下国家について高説を垂れる経営者が多い中、木村さんは素朴に自分の言葉で語っている。
社会不安(年金、家庭、仕事、等々)、
自己への関心(私らしさとか、本当の自分探しとか、オンリーワンだとか)、
メディアの発達(視聴率とれれば教祖もスター)
という条件がそろったところに、エキセントリックなキャラクターが登場すると、瞬時にカリスマ化する。
という分析を、大昔にナチズムの分析をした精神科医エリッヒ・フロムが『自由からの逃走』に書いている。
そんな話を、精神保健福祉を学びつつ手をあげて質問された年長の女性に答える形でしたのが、5年ほど前だった。
大半が勤労者だったクラスは、大卒したての20代が多数派になり、今はこんな挙手質問をする人はいなくなった。忠実に黒板を書き写し、講義ノートだけに頼って受験勉強をする。国家試験で即効力が出るトレーニングが要望される。
実際たしかに安くない学費を払って漫談を聞かされるのも悪いから、一定の成果を保証するのがプロだとは思う。
その結果、「講義ノートだけが頼りでした」と言われて、感動する教師も世間にはいるかもしれないが、良し悪しは後で論じるとして、これは1つの宗教現象だなぁと思う。
小学生相手の「熱血系」学習塾でアルバイトしていたとき、授業で教わった言葉を使ったら親戚のおじさんにほめられた!と満面の笑顔で報告してくれた少年に、「よかったやんけー」と返した僕は、やりがいの裏で「あ、この味は危険だ」と感じて、それ以来お子さま相手の仕事からは足を洗った。
「子供の笑顔」の味に取り憑かれる寂しい大人は少なくない。
悪意を持ってコントロールしようというわけでなくても、いや、だからこそ、「いいことなんだから」「子供も喜んでいるから」と自己承認してしまっているから、この種の善意は深い病根になりうる。
その次のステージにはまって行くと、「涙」を肥やしにするようになる。
何かしてあげた相手に涙を流して感動される・感謝されると、じんとくるのは人の常かもしれないが、そんなとき両者は、絶対的な権力的上下関係にある。そう説明すると、私は政治学や社会学は専門外ですし、宗教をやってるつもりもないんだ、と病根から目をそらそうとする「臨床家」は多い。
教師やカウンセラーや医師は、癒される側の心の中では「教祖」になっているのに、無自覚なのか、謙遜を装った陶酔なのか、「いやいや私のはそれほどの力を持ってない」とうそぶいたりする。本当に病床にあるのは、こんな人々の方なのである。
「しめしめ私の言う通りに動く。これが自分の功績だ」と自覚している師(教師・医師・尊師・詐欺師etc)は、まだ罪が軽い。悪意は修正できるから。
それを職業にして、外から「それは、おかしいんじゃないか?」と批判されても意固地になって、自分を相対化できなくなると、これは重症だろう。自分を客観的にチェックできなければ、自分の中にある弱さや、自分がよりどころにしている地位や資格の欺瞞を疑う知力が、封印されてしまう。木村政雄さんのように、自分が芸人塾の塾長をしていて、カリスマ化される立場だと率直に打ち明けて書いているのは誠実だと思う。
「善意」をどう修正したらいいのか?と問われるかもしれない。問うことをやめてしまって、あとは退職金と共済年金だけが楽しみ(笑)という教師も繁殖していて、教育行政を蝕んでいる。
バッシングでカルトが先鋭化して暴走する方程式は、オウムや原理主義がうんざりするほど見せてくれているのに、カルト化した癒し業界は、ますます繁盛している。
こんなカルトビジネスは、金の切れ目が縁の切れ目だから、財産丸裸になれば、それをしゃぶりつくした業界からは用済みになるだけだが、元信者が財産以外に失うものは大きい。
たとえば、心理的な空虚感。
だから、カルトを抜けても「その代わり、得たものもあった」という認知の組み替えがなされて、「セントラル・ドグマへの帰依」は消去されない例も多い。
宗教、ウォーキング、沖縄、メイク、心理、登山、不登校・・・・・・
あちらにも、こちらにもカリスマがいて、カリスマは塾長になったり社長になったりして、布教と洗脳に励んでいる。
そんな中、小学生の次に僕が偶然かかわった某塾の塾長が、性懲りもなく名言集とやらを出した。
あらまぁ・・・表紙からして神々しい演出の顔アップ写真。中には、立派な名言があふれている。「経典」になりやすいつくりなのね。
具体的に病気を治せる医術や、宙空から金粉を出してみせたりするマジック(笑)は持たないが、無自覚な権力志向を秘めた小者が、てっとりばやく・やさしく・一見無害に弱者を支配する小技が、「気の利いた名言」である。
たとえば、
「今のままのキミで、いいんだよ」
というような、できるだけシンプルなのが呑み込みやすい(あ、これはキリストひげ姿で夜回りしている某高校教師のミコトバだったか)。
「大人の言うことなんか聞くもんか」という少年少女を肯定してみせるふりをして、「でもね、おじさんは君のためを思って言うんだよ。だから私の言うことだけは心に留めておいてね」
・・・というのは、俺にだけ影響されればいいというカリスマの脚本そのものではないんだろうか。
名言は商品としてメディアにとりあげられ、批判しようものなら悪者扱いされる――そんな空気は、知らん間に、やわらかな赤狩りやファシズムに近い社会を創って行く。
まぁ、僕も教祖の一員であるから(笑)、同業者の手の内が見えてしまう。
ただ、僕は山で笑ったり半泣きしたり、脳いや心を洗われたりして、このヨロコビを、君もどう?とそそのかす「信者代表」というぐらいの乗りの教祖だから、本当に偉いのは自然の中で一人で泣き笑いできる遊び人だと思う。
自己治癒力を萎えさせる偽善こそ、悪そのものではないだろうか。
泣きなさい
笑いなさい
あのね、命令されなくても、勝手に泣き笑いするわい。
そう唄ってもらわないと、感情を出せない現代人が増えている証しだろうか。
もれもれ
at 2004 03/10 21:25 編集
「ジャパネット高田の顧客情報流出66万人分!!」って、CM自粛までの騒ぎになっているが、実害はあるのだろうか。
通販で集めた情報が、販促に流用されることは消費者だれでも知っている。社内で使われようと、関連会社に流れようと、流用は流用といえへんか?線引きする場所が違うだけで。
それにしても、ただ買い物するのに、生年月日や性別まで通知するのは解せぬわと訝しんでみても、「でも便利だから、いっか」と思えば吹き飛んでしまう。
「個人情報洩れ」「プライバシー保護法制化」と行政批判のノロシをあげるのは、カタルシスにはなるんだろうが、実態は国民が個人情報を正直にばらまきすぎとるんではないかな。
そんなこと商業メディアで主張すると、スポンサーを失うのがこわいから言わないだけ。
そりゃー銃刀類とか劇薬を買うときは身分証明とひきかえなのはわかるけど(我が街には、身分証明なしでプリペイド携帯も催涙ガスも現金で、つまり匿名で買える店が普通にある)。
ええかげん、消費者もかしこくならにゃ。
僕はできる限り(ちゃんと届く範囲で)ウソの個人情報で通販を利用するし、実際、姓だけ正しければ、名前は大明神だろうとサダムだろうと届くわい。
まぁ、できるだけ本物らしいウソの方が、集まった個人情報に「見えない虚偽情報」を埋め込んで撹乱し、リストの価値を下げる効果があるかもしれない。2月30日生まれだとか、職業は組経営だとか。ささやかな抵抗にすぎないが。
実験がてら、「45歳主婦」と称して高田で美顔器でも買うと、ドモホルンリンクルのサンプルが届いたりするのだろうか。
業者ごとに名前を変えてカタログ請求でもしてみたら、別業者から届いたDMの宛て名から、「この会社からここに個人情報がリークしている」とわかるだろうな。
でも、通販は「アホくさー」と思いつつ、芝居こてこてCMを見ているだけでも、「だまされてやろうやないの」てな変な楽しみ方ができる。
実際、僕はトーカ堂の「うつむき社長」のファンである。
いくら繁盛しても、堂々としてほしくない。
あくまでも、もうしわけなさそーーーに、「それがですね、1万9800円・・・ということで」と、ボソボソと恐縮しながら、永遠に「口ごもり恐縮うつむき販売」をやってほしいものだ。
愛の貧乏脱出
at 2004 03/11 21:11 編集
あちゃちゃちゃちゃー…と、ため息で酸欠になりそうなファミリーが、貧乏救出系(笑)番組に出ていた。
旦那が独身時代に財テク(のつもり)で投資マンションを買って、おまけに金(ゴールド)の積み立て預金もやっていて、働かない女房と幼な子を養っている。
総年収は税込み480万円。ここから、自分たちの家賃と、マンションのローンを払っているわけだ。ふつう、家賃かローンか、でしょうに。
投資マンションというもの、家賃収入あっての投資になるはずだが、この旦那の家賃収入はローン返済額に負けている(爆笑)。
おまけに入居者がもうすぐ退去する、ローンはあと1000万円近く残っている・・・で、「あなた、もうこのマンション手放しましょうよ」と、未練のある旦那に、奥さん涙ながらに訴えている。
「みんなマイホーム建てて友だち招待してるし、私たちだけよ!友だちも呼べないこんな暮らししてるのはっ」と切々と訴えているが、年収いくらで大黒柱1本だったら、どんな暮らしになるかがわかった上で結婚しないのだろうか?
働かない(働けない、ならしかたないけど)奥さんがマイカーを持って、自分のマイカー(家族で乗れるワンボックスカー)は手放して、徐々に丸裸になりつつある旦那。あぁ、やはり「男は消耗品」なのね村上龍さん!
いまどきのマンション建設ブームといっても、投資用マンションという甘い罠が増加率最大だというから、マンション経営のプロでもない素人が不良債権を買わされているだけではないだろうか。
年金不安をかかえている国民で、「年金の足しに家賃収入を」と考えた庶民が、右も左もわからないマンション投資に財産を注ぎこむケースは、もっと増えるだろうなぁ。
家賃がコンスタントに入るかどうかわからない、空き部屋であっても、税金や修繕費、ローン返済などの固定経費が容赦なく持続する、原価償却したころに「築 30年」になっているマンションなど二足三文でしか現金化できない・・・と、不安な年金より大きい不安がつきまとうのに。
後生大事に16平米のワンルームマンションをかかえこんでいる旦那は、足元を見て虎の子の資産を買いたたかれる絶好のカモだろう。
相談員の荻原博子おっかぁも、内心では「収益あげないマンションと、稼がない奥さんとで、ダブル不良債権だねぇ」と思っていたはずだが(笑)、まぁそれは口にせず、小手先の生活節約術を紹介するにとどまった。
そこで登場する、あの「別れちゃえば?」の、みのもんた。
もちろん、それでは抵抗もあるだろうが、そこで登場する三番手osawasenseである!!
開口一番、「離婚して、後生大事なワンルームマンションでわびしく暮らせ」と旦那に鉄杭(笑)。
それだけだと酷だから、愛と知恵のosawasenseである。
マンション名義を元奥さんに移して、元奥さんとはいえ他人である大家さんに家賃を払うという形にすれば、それで働かない奥さんも今のアパート家賃と相殺して、赤字にはならない(自分のメシ代ぐらいは働いて稼げ)。
ついでに、母子福祉手当も母子世帯家賃助成も、もらえるうちにもらいましょう。
もちろん、けんか別れするわけではないから、お互い行ったり来たりしながら家族団欒すればよろしいのである。
一緒にいたくないとき一人になれれば、「あなた、おしっこする音が大きいのよ」とヘンないいがかり(しゃがんでおしっこする彼氏を好きか?)をつけられるストレスもなくなるし、掃除しない家事しないと責任のなすりつけあいもなくなる。お互い自分の友だちを自由に招いて、自分の家を自己管理で使えまっせ。
あぁ、「カップル仲良く別居、ほとんど通い婚」というのは、ロマンチックッな名案だと思うなぁ。いくら親密になっても、「デート」「夜這い」の楽しみとスリルと手間が味わえる。私のいない間に、姑が来て彼の身の回りの世話してるんです!プリッ…という悲劇もない。
子供も、「家が2つあるの」というのは楽しくていい。パパに叱られたらママ宅で癒されたらいいし、ママ宅で溺愛されてだめになりそうなら(子供が自覚できるか?笑)パパ宅に出家してバットの素振りを仕込まれればよろしい。
「パパの家とママの家」と聞いたセンセイたちは気を遣うだろうが、「でもパパとママ仲がいいの」と聞くと、気遣いを通りこして目まいされるかもしれない。「今晩パパの家でママいちゃついてるから、あたしママの家でおとなしくしてるの」なんてことになれば、僕はおぉなんといい形だ!と幸福を感じるが、道徳的なセンセイたちは生活指導したくなるかもしれない。
でも、高齢化社会だからこそ、「親子愛より夫婦仲」を正面から考えにゃいかんと思うがなぁ…。
これ結局、自分の好みを押しつけるだけの人生相談か…それとも布教かな?
SOS
at 2004 03/11 21:12 編集
モスであっちの席に座りかけた「トレンチコートの樹木希林」、一瞬目が合ったかと思うと、すぐ隣に移ってきた。よりによって、顔の見える斜め前80cmの至近距離から、わしに視線を投げかけてくる。
「そんなに私を見て、どうしよっての?」と、勘違い電波を発信しつつ(笑)。
ちゃうわーっ!!
十万円もらっても、やです!この手のオバサン、モスでは13人目だが、オババ入店の瞬間から胸騒ぎのあまり、チラッと見なきゃよかった。
あ”〜、今宵もモスに渦巻く「たして百歳のフェロモン」(笑)。
トホホホホホ・・・・・・
だれか「オバ専」の坊や、カプセル怪獣として僕に登録しといてくれないか?
にょいーん
at 2004 03/12 22:18 編集
やややっぱり、やってましたか教祖っ!
と納得してしまったのが、某巨漢教祖の「裸体に写経」という儀式。若い女性信者限定の秘密の儀式らしい。
「そんなこと、あってはならない」という女優ファン心理と、「あ・あ・あんなことやこ・こ・こんなことも、やってるに違いない」という心境が妙にないまぜになって、妙に合点が行くような、めくるめくスキャンダルだ。
あの夫婦のような異色のコントラストを見せられると、段違い平行棒を通り越して、「棒違い乱交坊」という感じもするが、きっと、信者の女性はヤワハダに書き込まれるお経に、それなりに法悦の境地に達していたのだろう。
うーん、藤原紀香みたいな尼僧がいたら、わしにも書いてほしい…(脱線)。
それにしても、細かい字をヤワハダにぴちゃぴちゃ書いて、する方もされる方も気持ちいいものだろうか?というのが、素朴な疑問。
いろんな趣味の人はいるだろうけど、たぶんわしが紀香尼にされても、「あぁこんなもんでしたか」で終わりそうな気がする。
やはりこの分野(どんな分野や)では、わが敬愛する先輩メールアーチストの嶋本昭三さんに、スキンヘッドの先輩として教祖を調教していただきたい。
嶋本先生は、女拓―にょたく―作品を旺盛に制作し続けておられる偉大なアーチストだ。要するに「魚拓の女体版」だが、全身に墨をモップで塗って、キャンバスにたたきつける・・・この方が、陰湿ではないしダイナミックでいい。
あの教祖の変態秘儀と嶋本先生の女拓をコラボレーションすると、ニョイン(女陰ではない、女印)ができる。お経を鏡文字で書いて、乾かないうちにキャンバスに貼りついてもらえば、ありがたい女体印鑑である。
これこそアートだし、ありがたい御利益もありそうだ。
鏡文字は難しい(頭がいかれている僕はスラスラ書けるけど)ので、左右対象の字でやってみれば、どなたでもできそうだ。「回春」とか(笑)。この名案のパクリ犯が増えても、わたしゃ責任もてないが。
しまった
at 2004 03/13 17:42 編集
九州新幹線の部分開業を目玉に、今日がJRの春ダイヤ改定になっていた。
「新幹線が通れば在来線は捨てる」のが、長野新幹線と信越本線で見せつけられたJRの鉄則(まさに鉄道の原則だな)。九州南部の新幹線と並行したJR線区は、「オレンジ鉄道」(ダイエー系か?)という新会社に移管されたという。
ところが困ったことに、JR線区ではないので、18きっぷが使えない。
思えば、よーし西方浄土だ!と壮大な決意を胸に18きっぷで西をめざし、山口で挫折してしまったとき以来、鹿児島到達は我が悲願であった。神戸から始発に乗れば、鈍行を乗り継いで、ちょうど日付が変わるころ鹿児島県にたどりつけるダイヤだったのだ、きのうまでは。
行こう行こうと思いつつダラダラなまけているうちに、2300円フル活用の鉄分濃厚な旅はできなくなってしまった。残念無念!
こんなご時世だからこそ、「新幹線で便利になる」という歓迎ムードが日本全土を覆うほど、鉄ちゃんの気持ちがわかる。僕は断じて決して絶対あくまでも鉄ちゃんではないが(たぶん)、肩身が狭い連中に肩入れしたくなる。
僕を蒸気機関車に乗せてくれたりした元機関士の義兄は、「のぞみ」の運転士を最期に、定年を待たず完全退職して郷里に帰って行った(某元首相に鉄ちゃんがいるという話もしてくれた)。労務管理が厳しく、相当ストレスで消耗していた様子だった。
その新幹線が、今でこそローカル線を駆逐する罪な花形だが、時代が変われば懐かしく思われたりする日も来るだろう。僕が幼稚園児のころ「夢の超特急」といわれてSFのように光り輝いていた「100系」も、引退した去年?には、もうレトロな存在になってしまっていたように。
けさ「ごめんやす」でばんばさんが体験レポートしていたリニア新幹線は、かなり実現が近いようだ。150km/hまでは車輪で走ったあと、ふわっと浮くのだそうな。線路上を飛ぶハイブリッド交通という感じか・・・これはこれで、楽しみではある。
東京の都心から大阪の都心まで1時間。大阪から空港へアクセスして搭乗手続きをすませたころ、リニア新幹線は東京に着いてしまう計算だ。
JALシステムとANAが巻き返そうと思えば、ミサイル便を開発するしかない。JALとANAが合併してJAANA(命が保障されない乗客は、じゃあな!と言い残して搭乗していただく)を設立して、丸の内に狙いを定めてビジネス客を発射するとか。最強ビジネスマンが凄まじいG(荷重力)に耐えれば、10分ほどで着きまっせ。
浦安を標的に発射すれば、日ごろ刺激不足なディズニーバカップルなど、Gに失神して喜ぶだろう。
決して断じて絶対にマニアではない僕が今ターゲットにしているのが、乗った経験は一度か二度しかないが、YS-11である。絶滅する前に何とか…と思いつつ、俺はマニアではない、おマニ屋さまではない…と唱えつつ、書店のヒコーキ雑誌が我が右手を呼んでいる(笑)。
ゴールドデー
at 2004 03/14 21:07 編集
ホワイトデーは昔、マシュマロデーとよばれていたような気もするのだが、もう死語の世界になってしまったのだろうか。
いかにも、マシュマロを買わせたい業界の思惑が見え見えだったせいか?
どうせバレンタインデーのお返しを何か買わせたいんだろうから、ブラックデーでもパープルデーでもよろしい(あ、私ブルーデーだから・・・という女子も聞かなくなったが、これも死語の世界か?)。
僕は金ぶちメガネにあこがれるゴールドマニアである。ところがメガネには幸か不幸か縁がないので、最近の身の回り品では自転車とか婚礼ネクタイはゴールド化している(さすがに横山たかし・ひろしのようなゴールドスーツは無理だが)。
あるサイトで、モバイルギアをゴールド塗装したマニアが載っていて、「まるで仏具」とからかわれていたが、僕は「うぅぅぅ先を越された!」という気分だった。
だから3月14日は、個人的には白々しいホワイトデーをやめて「ゴールドデー」がいい。
しょせん「純白な心」は遅かれ早かれ濁って行くけれど、「ゴールドな心」は何物とも化合しないピュアの証しなんである。
ま、ほとんどの女子はそんな「色ことば」を深読みするより、白でも金でもいいからブランドものとマイバディ引き換えだ!てな乗りだろう。
ははー、シロガネーゼとは、こやつらの化けの皮であったか?
ボーナス7万円
at 2004 03/15 18:22 編集
先月から、さっさとすませてしまおうと思いつつ期限日が来てしまった確定申告に、閉庁30分前にすべりこみ。
あわてて係員の前で申告書を書く方が、確実で早い。15分ですんだ。
今年の還付額は、10万円の大台には届かなかったのが残念。
でも、あんまり多すぎても、それは「不正な課税でした」ということだから、腹立たしくなるわな。
学生諸君には勤労学生控除をしてみたらええよ、と毎年そそのかしているけれど、「*万円戻って来ました!ありがとう、チュッ」は決してない。「僕でよければ・・・」というのも困るが。
経費がほとんど認められないのが、給与所得者の不利なところだ。
きのうは組合の総会に行って、引退できるかな?と思っていた執行委員に再選されてしまったのだが、そこで議論をふっかけてみたのが「賃金のもらいかた」について。
大学の非常勤講師諸兄は、労働者として給与をもらってきた。
正式には、雇用契約を結べば賃金労働者である。労災が適用されるし、所得額によって、厚生年金に加入できたりする。
それが、国公立大学の独立行政法人化で、業務委託契約に変わりつつある!えらいこっちゃ・・・と動揺が広がっている。
つまり、レギュラー番組を持つ放送タレントと同じ法的身分になる。「保険や災害補償も、自己責任でやりなさい。ギャラは出すから、その使い道はご自由に」という形だ。
善し悪しはさておき、こんな形は、予備校や専門学校業界では昔
から当然だった。実績と年棒を毎年交渉するプロ野球選手の感覚で、1年単位で実績を出すよう、励んで来たわけである。
一方サラリーマン正社員は、安定した月給が定年までもらえるが、給料から年金や健康保険が強制的に天引きされる。自由度は小さいが、安定かつ安心だ。
というのも、どうやら怪しくなってきた。
今の年金天引きは、何十年後かの受給を保証してくれないのだから。
それなら、「仕事の対価は退職金までおあずけにせず、その月末にガッポリ単発でもらって、使うか貯めるか運用するか自己責任で選びたい」という気分も、ええかげん煮詰まっているだろう。「年金も健保も雇用保険も入れてくれなくてけっこう」とケツをまくって、外資系金融機関に期待する国民も増えている。
もし社会保険天引きをやめてしまうと(会社ぐるみで脱退するケースも増えている)、国営の保険制度は破綻してしまうし、あの大銀行と、この大銀行は倒産する。
銀行は、顧客無視の営業や巨額の役員報酬を改めず、郵便局が悪い!縛れ!解体せよ!と矛先をはぐらかしているが、戯言ほざくな。
こんな銀行や、厚生年金事業団のザル経営を見ていると、ハゲタカよばわりされている外資系の個人年金保険や投信に、日本人の資産が流れて行くのは無理もない。
ただ、個人個人が賢くならなければ、騙された!ということにもなりかねない。
国に騙されるのと、会社に騙されるのと、どちらの絶望が深いだろうか。
所得の総額は変わらなくても、自由度と自己責任割合の高い働き方(アメリカ型)と、「がっちり天引き安心老後(ヨーロッパ型)」と、どっちがいいか。
流れとしては、「ヨーロッパからアメリカへ」のようで、不安も渦巻いている。アメリカ追従、抵抗心理、保守回帰(日本だったら家族福祉の世界だな)というのが3大世論のようだが、もっと賢い第4の道はないものだろうか。
キュー!
at 2004 03/16 22:38 編集
「キューちゃん選考漏れ」でニュースは沸いているのに、当の本人は会見で、すごくリラックスしたような、いい笑顔を見せていた。今までのキューちゃんスマイルは、僕の目には「ひきつり笑い」にしか見えなかったけれど、重圧感で緊張が溶けなかったせいかもしれない。
若手にチャンスを与えるのも、先輩の美学というもんです。
長い間ご苦労さまでした。
・・・というにはまだ早い。
ぜひ、キューちゃんスマイリング・リベンジを見せてほしい。
北京で優勝して「近ごろの若い子たちは、せっかくチャンスを与えられてもだめねぇ、オホホホホ」と笑ってみせるとか(=なんでマダム笑いや?)。
さしあたっては、アテネ対策だ。
選ばれた6人のためにもなるようなリベンジがいい。
僕がキューちゃんなら、ブータン国籍をとって出場する(生活してればそのまま高地トレーニングになる)。そして本番で優勝すれば、選考委員会の権威は丸つぶれだ。
キューちゃんの代わりに日本代表に選ばれたのが実際だれなのかわからないが、本人自身も、結果で納得するだろうと思う。
こんなリベンジは、学者の世界では昔から「頭脳流出」という形でよくある話だ。あまりに社員の才能を冷遇しすぎて、200億円支払い命令を受けるはめになった会社は、最近の有名なニュースねた。
キューちゃんは頭脳もよさそうだが、「健脚流出」ということになるかな?
さぁ海外進出、キュー!である。
これからは、「私を代表にしてくれる国募集」なんてことも、起こりうる話だ。
よほど何か特技や才能があったらの話だが、僕ならそうする。食事は和食の賄いつきで(これだけが条件かな?笑)。
国粋主義者からは「それはズルい」と難癖をつけられそうだが、国単位の対抗戦というのが、もう古いんちゃうかい?と思う。クリスティ・ヤマグチやミシェル・クワンといった金メダル級のフィギュアスケート選手を見ていると、つくづくそう思う。
モンゴル人とアメリカ人に「君臨」されてしまった国技もあるしなぁ・・・。
昔々、早稲田のチーム力に貢献しながら、台湾籍を理由に甲子園に出してもらえなかった王貞治は、日本を代表して世界の王になった。古い世代は恩や情に弱く、スポーツ界もそれに甘えてきたところがあるように思う。
けれど、あいかわらずなんやら枠とか建前にこだわりすぎると、自分を推してくれる国を選んで、外から祖国にリベンジするような戦士が、出てくるのではないだろうか。
たとえば、サッカーが未来を暗示しているのかもしれない。天才の卵に年棒1000万円なんて査定をしていたら、5億で買って育てる欧米チームも、ありありだろう。
そんなドラマも見てみたいものだが。
中ぐらいのお世話
at 2004 03/17 23:12 編集
モスでティーンズ軍団に囲まれてしまった。
煙草スパスパ、どこかのバイト帰りだろうか、きつかったの、ヤーさま怖かっただのと(どんな商売や)だべって盛り上がっている。話の中身から、16歳というのも判明した。あらまぁ、世慣れしていること・・・。
黙々とコーヒーすすっているおっさんを取り囲んで騒ぐ形にはなっても、何かこぼすとかぶつけるとか、粗相のないよう細心の注意を払っているのが伝わってくる。
その代わり、「静かにしてくり」とクギをさすようなことを言えば、反撃は必至だろう。
これが、夜の街を泳ぐ少年少女のサバイバル術みたいなもんか?と思う反面、どうだかなぁ・・・という気もする。
十代にして「大人を喜ばせる仕事」に長けるのと、「大人が喜ぶ働き方」はまったく異質なはずだが、金払いとひきかえの接客サービス業で、自分を承認されたように勘違いしてしまうのは、僕にも経験がある。
(幻想なのかもしれないが)純粋な感性を擦り減らして、1時間800円を愛想笑いと交換して夜中に帰宅する・・・ってのは、なんだか彼ら彼女らの嫌うオッサン労働と、質的には同じではないのかね?
じっくり本を読むとか、血まみれで楽器を練習するとか、古典的なパターンでスポーツに没頭するとか、いずれにせよ生産と消費のサイクルに丸め込まれない贅沢な生き方ができるのが、若さの特権だと思う。
どうせいやでも働かにゃならん時期が来るんだから、今は金にならなくても夢中になれることをやっといた方がええんちゃうか?と疑問電波を送信しておいたけれど、届いているかどうか・・・。
よかよか
at 2004 03/18 23:08 編集
人前結婚式で立会人をしてくれた平井堅(仮名)に、写真を見せてもらいながら茶話。
宗教色のない、友人だけで盛り上げる簡素な式に「やっぱり、友達というのは宝やなぁ」とうなずきあっていた。
学生時代に酒や旅を共にした仲間も、会社の人になり、家庭の人になり、少なからぬ女性は、子の母になって行く。
それでも、一緒に「その日に帰りたい」世界をもっていられるのは幸せだなぁと思う。
メールなどなかったし電話さえ生活の一部になかったころ何度か引っ越し・転校をした僕には、幼なじみというのがいない。
それでも、ときどきガキどもを率いて裏山ハイキングに連れて行ってくれた近所のおねーちゃんには感謝している。別に組織的な活動というわけでもなかったから、だれかが役割分担したりバトンタッチしたりするのでもなく、自然体の「お遊び」だった。
そうした思い出が下敷きになって、泥んこ汗だく・山の実・水遊びが生活の一部になって、未だに同じことを続けている。
学校の体育は最低評価だったが、屁でもない。
逆に、学校や塾など「大人の視線」に見守られるフォーマルな活動以外に、天真爛漫に遊べる場に恵まれない子供は、無意識に上手・下手を気にするようになって、偏差値の階段に吸い込まれてしまうのではないだろうか。
泥んこ遊びさえ、大人が用意して、観察され評価される少子化時代の子供たちは、気の毒やなぁと思う。
お膳立てから離陸して、自分のやりたいように遊ぶことから、自分ができあがって行くものだろうと思う。
自分を確立するというのは、孤独な試みでもある。仲間がほしくなるのも自然だろう。その仲間が本当に対等な関係のままでいられると、それは一生の宝物だと思うけれど、往々にして上下関係になったり、「足かせ」と映ったりするもので、自尊心と自己嫌悪の間でフラフラ揺れるはめになる。あぁしんど・・・。
しんどい思いを十代になる前にうんざりしていたので、たぶん、余暇という抽象的なものが、僕にとっては形のない「生涯の伴侶」かもしれない。
字にすると「余った暇」なんて情けない字面になるが、だれの評価も受けない自由は、ここにあると思う。
まぁ、「安全第一でやれ」と言葉少なにクギを刺してくれていた我がスキーの師は天国に行ってしまったから、いま遭難すれば泣かせることになる身内一人だけ気遣うぐらいでいい。
妻子がいたら、上司よりこわい査定(笑)にさらされるかもしれない。
ふだんは、公務員が諸悪の根源だとか、低成長万歳デフレ歓迎だとか叫んでいても、アウトドア仲間には公務員もいるし、マッチポンプしてでも売上を追求しなければいけない営業マンもいる。
まぁ、政治経済の話はしたことがないが、余暇について価値観を共にできる「人」とつきあっているわけで、肩書と闘っているわけではない。
これが、人を裸にしてくれる大自然の力かな?
お見知りおきを
at 2004 03/19 17:33 編集
「この階、ワシだけ」状態が、やっと1年で中断した。
番号札もカギもない郵便受けに、手書きの名札が入っていて、勇ましく何度もペンでグキグキなぞって太くした姓が赤穂浪士みたいだ。
うちは角部屋なので、毎日その赤穂浪士宅前を通っているのだが、電灯がついていたためしがない。
もしかして爆弾を密造しているとか、ベランダから怪しげなアンテナが出ているとか、そんなドラマをひっそり期待していた。
超高層ハイテク要塞のような県警本部ビルが目の前に建っているこんな界隈が、意外に公安の盲点だったりする。
ついこの前、何かガチャガチャやってるなぁと思いながら部屋を出たら、その新顔さんが廊下でロードレーサーを整備していた。俳優みたいな、ええ男ではないか。
なんや・・・
いや待てよ。
この「さわやか業界人」風貌が、実はカムフラージュで、ロードレーサーは、パトカーも白バイも巻いてしまえる機動力を発揮するのではないか?
と、妄想ばかり描いて楽しんでいるワシが、あちらさんからすると逆に怪しまれているかもしれない。
ベランダのヘリカルホイップアンテナ、引っ込めておこう・・・(笑)
壁
at 2004 03/20 20:29 編集
本の雑誌社から新書が出ていたので、「珍しいなー」と思いつつ、ローヤー木村の『リコウの壁とバカの壁』に目を通してみた。
あの養老解剖先生の『バカの壁』が難解なので、明快な弁護士ロジックで解題してみせる!というふれこみなのだが、なんだか目からウロコが落ちない。ベストセラーを肴にした時事エッセイだと思えばいいか?
畏友のシーナ誠が「左」系の雑誌の編集委員をしているのに、ローヤー木村晋介は高校時代から愛国運動(笑)をやっていた「右よりの人」だというのはおもしろい。この新書でも、フェミニズムには奥歯にもののはさまったような牽制球を投げている(内田樹センセイのように、はっきりファミニズムはバカと喝破した方が気持ちいいのに)。
目くそ鼻くそが小さな違いを売りにしているだけだから、この国で左だ右だと人を塗り分けるのは、あまり意味がないかもしれない。
が、僕の元帝国海軍兵のおじさん(エクスピー習得中)が愛読するS新聞には、至極まっとうな論説も載っていたりする。曽野綾子さんが署名入りで「天下りは悪いことばかりではない」と。
そりゃそうだ。さすがは、カトリシズムにぬかづく以外は怖いもの知らずの、曽野綾子女史。
60歳の公務員なんて、リストラ不安と無縁に働いてきたから、まだまだ丈夫だ。あと30年近く共済年金払ってブラブラさせるより、とことん働いて稼いでもらって、年金を減額する方が合理的というもんだろう。
天下りを禁止するなら、東大教授の定年60歳、京大教授が63歳・・・を筆頭にした大学のピラミッドにも、メスを入なければいけないが、そんなことはできないに決まっている。
廃止すべきは、定年制ではないだろうか。
バカの壁の中で感情的に騒ぐだけでスカッとするのかもしれないが、たとえば今ホットな「議員年金ケシカラン問題」だって、あのね〜これまで投票しといて何を今さら・・・?という気もする。
投票しないなら発言するな。選びたい議員がいなければ白票を入れろ。
投票率が4割とか5割というお寒い風土で、議員年金を廃止に追い込めば、鬼の首を取ったつもりだろうか。
あれこれ試行錯誤しながら奮闘している市民・国民を、僕はバカだとは思わないが、バカになりたい人、バカのままでいたい人が多いのも事実。その方が、楽で快適だから。
「年金も保険も税金もクルマも家も彼が払ってくれて、私は受益者」という千数百万人の壁―加えてその予備軍も巣穴に多数かくまわれとるぞ―は、手ごわい。
そういう層を丸ごとバカよばわりするのは失礼かもしれない。バカを生産するシステムこそ標的になるべきだから。
このシステムは、一種の生態系をつくっていて、たとえば「家事をしない男の沽券バカ」が、「お仕事は私に向かないのバカ」と持ちつ持たれつの関係になる。
これはこれで安定したシステムなのだが、動植物と違って、人間の文化はシステムを不安定にするスパイスをはらんでいる(だから文化なんだけれど)。
男がこのシステムの維持費(彼女のコストパフォーマンス)に気づくとか、女性がアイデンティティなんてのを模索するとか、そんなことを考えもしないようにつくられた「バカ」に、現政権は支えられてきたように見える。
政権だけではない。
学校という制度だって、「自分で素材や教師を見つけて系統的な学習を組み立てることができない子供たち」が前提になっている。
自助・自立できないコミュニティや弱者がどんどん増えないと、ワーカーやカウンセラーは職がない。
バカのマッチポンプは、いつ消えるのだろうか。
甲子園を世界に?
at 2004 03/21 20:34 編集
母宅に飯を食いに寄ったら、きゅうりのキューちゃんを出しながら、「キューちゃん、どうなんやろねー」と話を振ってこられた。
我が家におけるこの種のネタふりには、二重の意味がある(ややこしい家族だ)。
だから含みを持たせて答える必要がある。
「好みのタイプちゃうけど、まー選考漏れは気の毒やなー」と。
実際のところ、キューちゃんは好みのタイプなんだが。
あぁしんど。
「嫁さがし」はさておくとして・・・。
インターハイや高校野球あたりの団体と、JOCや日本陸連ぐらいのレベルとは、組織のありかたが必然的に違ってくると思う。
たとえば、高野連は野球を育てる教育団体だといえるけれども、「長嶋ジャパン」は日本国の野球のプレゼンスをアピールする政治的な団体、はっきりいえば平和な軍隊である。
そうでないと困る。
教育団体は選手の未来の可能性を、軍隊は戦士の実績を軸に、チーム編成をしなければいけない。
キューちゃんを落とした日本陸連は、新人に道を開いたとはいえるが、世界を相手に「勝てる布陣だ」と胸を張れるのだろうか。
選ばれた6人には健闘してほしいと思う一方で、国際試合だったら、「買ってほしい、将来ある若者」より「勝てる選手を出す」ことを意識してほしいと思う。高橋と金メダルを奪い合うのを楽しみにしていたラドクリフが、今回の選考結果に露骨に驚いていたのも当然だ。
「ここはひとつ、未来ある新人にオリンピック出場の機会を認めていただいて・・・」という村の長老の論理が、世界の戦場にのこのこ出て来ている感じがぬぐえない。政治的采配をしなくてはいけない場面で、教育的采配をしてちゃーまずいと思う。
ウィンタースポーツ界でも、日本が「参加することに意義がある」を忠実に守っている種目がある。たとえばアルペンスキーは「モンスターのような白人に勝てることが奇跡」という種目、フィギュアスケートは「蝶のような日本人が有利かも?かな?かね?」という種目だ。
モンスターを出す国といっても、英国のようにアルペンスキーから足を洗ってしまった潔い?国もある。その代わり、よく知られているようにサッカーやラグビー、陸上競技にはめっぽう強い。
アジアを代表して(?)アルペンスキーに出場する日本選手の半分が、転倒したり棄権したりしていると、素人目にも「もすこし強化してから出せば?」と苦笑してしまうのは、冷酷な見方だろうか。
軍隊が実の戦場に行って、予想された敗れ方をして「よくがんばった」と教育をしている(笑)ようにも見えるのだが、勝てなきゃどうにもならない。こんな捨て身の特攻隊精神が、兵士を犬死にさせて使い捨てていた軍国主義の時代から連綿と生き延びているのではないかねー。
いっそ、こんなにふところの深いニッポンスポーツ業界は、開き直って、なかなか芽が出ない途上国のジュニアを受け入れて伸ばす役割に向いているかもしれない。
個人的には、すでにスケートで急成長している中国など、練習の場さえあれば強力なスキー選手が育つと思う。
チベットやカラコルムで命からがら冒険スキーするより北海道の方が手っとりばやいから留学していただいて、上達して中国選手として国際試合に出て日本を打ち負かしたりすると、「恩を仇で返す」ように映るかもしれないが、まぁしゃーないと思う。相撲もそうなっているし。「強い選手を育てるふところ」を自慢すればいい。
中国から来る学生は、一部に「偽装留学・研修生の実は出稼ぎ」もいて偏見も浴びているのは気の毒だが、スキーのようなスポーツ面でも留学生をどんどん受け入れれば、成果が見えやすい。「日本文化を学びにきました」という留学生も必要だけれど、どう役に立っているか見えにくいから、わかりやすいメリットがあればいい。
日本人は、見た目と味覚につられやすいから、「体育留学生」がゲレ食で本場の四川料理、広東料理をつくるアルバイトをしてくれれば(一方的に決めつけてしまうのはイカンか?)、大歓迎されるだろうなぁ。
うまい麻婆豆腐がゲレンデで食えたら、恩も仇も特攻隊も、どうでもよろしい(笑)。
まだだめだそりゃー
at 2004 03/22 23:09 編集
長さんが逝ってしまった。
ご冥福を祈りたいとはいえ、早すぎる・・・
「全員集合」は、僕の8歳から24歳までの間オンエアされていた。もう、全員集合とともに育ったようなもの。長さんの「オイッス!」も、終わりのカトちゃんの「宿題やったか?歯みがいたか?」も、家族以上に身近な(と感じる)声だった。
荒井注さんが亡くなったとき、すでにドリフは「ガキを笑わせてくれるおにーちゃんたち」ではなく、「けったいなおじちゃんたち」が、そろそろ「ドタバタやったらケガしそうなおじーちゃん」にさしかかっているのだと思い知らされた。
いつかはこうなる、とわかってはいても、リーダーの永眠は、やはり大黒柱がなくなったようなもの。本当に寂しい。
長さんだからこそ、「集合!」のひと声で、ふだんソロ活動しているメンバーが勢揃いしてくれる、という安心感があった。長さんのリーダーシップは、そこが魅力だった。いま、吉本新喜劇でもこうはいかない。
独裁者とよばれたこともあったそうだが、独裁して笑われてみせるのも芸のひとつだったのだろう。
けっこうまじめなC&Wバンドだったドリフが、テレビに舞台を移したのは時代の流れだったのだろう。荒井注が抜けて志村けんに若返りしたころから大衆化が加速して、「俗悪」といわれながらも、お笑いのカリスマになってしまった。
子供たちが「あれやって!これやって!」と求めるお定まりのギャグをくりかえすばかりで、自由に新しい境地を開拓できないいらだちもあったそうだ。
そこが「僕たちのドリフ」の魅力だったのだが、さすがは長さん、単体でも渋い俳優業をみごとにこなしていた(考えてみれば、ドリフの面々は役回りこそ三枚目だが、どなたもイイ男ばかりだ)。
「寺内貫太郎一家」や「だいこんの花」のような、大黒柱が主人公になったドラマは最近のはやりではないが、いかりやさんにこそ演じてみてほしかった。
長さんのような親父がやっているラーメン屋にも、行ってみたかった。
長さんのような大工に、家を建ててほしい。
長さんのような刑事のいる取調室なら、行ってもいい。
長さんのような開業医が、どの町に1軒はほしい。
長さんのような、ガミガミいう親父は、この国に必要だ。
「・・・のような」と職業を冠されて、われわれのささやかな憧れを投影されやすいキャラクターこそ、名優の条件なのだろう。
天国で荒井注さんと「なんだバカヤロー」「バカヤローってなんだよ」とののしりあって、ジョン・レノンも呼んできたりして酒でも酌み交わしていることだろう。
脱線甲子園
at 2004 03/25 01:48 編集
センバツの初戦で敗退してしまった近畿勢その1の立命館。
相手にはイチローからの応援電波が飛んできてたんだから、手ごわかっただろう。
ま、大会行進曲が「ナンバーワンにならんでもええよ」だから、さっさとオンリーワンなオリジナル甲子園を追究してがんばってほしい。どこのチームよりも砂をたくさんさらって行くとか、チアガールを55000人も動員するとか(笑)。
朝鮮高校も出場資格を勝ち取れたようだから、早く甲子園で喜び組の応援も見てみたい。阪神電車ですぐ見に行きまっせ。
阪神電車といえば、終点で降りた車内に、うっかり傘を置き忘れてしまった。
駅から手配してもらうと、ちゃんと届いていたのは、ありがたや・・・ありがたや・・・と手を合わせつつ、引き取りに行ってきた。
そういえば、何年も前に買ったばかりの靴を忘れたときも、ちゃんと届けられていた。
ふだん「ジャージで乗っても違和感なし」と少し笑いつつ人にPR?しているのだが、阪神電車ならびに匿名の乗客の方々には感謝感動である。
僕にとっては梅田と三宮(元町)しか乗り降りする駅がないので、阪急の梅田・三宮と比較になってしまう。
「ワタクシ、阪急しか乗りませんの」とレースのストッキングなんかはいて木魚みたいにポクポクポクポクポクポクポクポク歩いている「阪急沿線こだわり姫」どもに問いたい。
あの、どの電車に乗り継ぐにも延々歩かされる不便な場所にある阪急梅田駅は、便利か〜?
コチャコチャコチャコチャコチャコチャと何もかも狭くるしく立て込んで常に人でごった返している阪急三宮は、天井も低くて圧迫感があって、ホームは夏あたたかく冬は涼しすぎる。何度か改装計画があったらしいけれど、震災を経ても、さっぱり改善されてないではないか。ブランドイメージにあぐらをかいてまへんか?
線路がつながってるのに神戸から京都まで会社の都合で直通させないから、JRに負けるんじゃよ。
阪神はいい。すっきり地下街や乗り継ぎとつながっているし、駅も整然としている。ジャージのイメージで損しているが(これ僕の罪な営業妨害か?)、関西では一番スマートで快適な私鉄だと思う。姫路から奈良まで直通する経営計画は、大英断だ!と絶賛しまくりたい。小娘コマダムの御機嫌うかがいではなく、合理的に考えてくれている感じが、うかがえまくる。
京阪マニアのフリーアナ羽川英樹に対抗して、阪神電車を全国にアピールできるマスコミ人はいないものだろうか・・・?
月亭八方も松村邦博も、阪神沿線に住めよなー
マキコでいいわけ?
at 2004 03/24 22:35 編集
江角マキコの年金CMのキャッチコピー「将来、泣いてもいいわけ?」を最初見たとき、これは、払っている国民に「払うのやめちゃえば?」とけしかけているような気がした。「国に年金払ってると、将来泣くことになるよ」と。
マキコなら言いそうだ。言わなくても、腹に秘めていそうだ。
そんなキャラクターなんだと承知した上で起用せんといかんよ、お役所さん。
江角マキコの世代だと、加入しても損するから、金融商品に回そうという人も多いだろう。
マキコ本人だって、もう一般国民の生涯所得の何倍もかせぎまくったはずだから、自分の老後は「私は私で、これでいいわけです」て感じだろう。
「所得」のとらえかたが根本的に違う芸能人に、サラリーマン層や主婦層がとやかく言ってもしかたないし、逆に、諭されるような言い方をされても一般国民としてはカチンとくるだけ。
立場の違いといえば・・・
たしか80年代に、アグネス・チャンが、運転手&マネジャーつきの立場で「女性の皆さん、子連れ通勤しましょう」と呼びかけて、芸能界、産業界、フェミニズム業界(?)に論争を巻き起こしたのを思い出す。
乳飲み子を抱えて通勤電車に乗れっちゅうんか!!というのが、アグネスが応援したかった(はずの)ワーキングママからの一般的反応だった。
育児と年金は問題が違うとはいえ、「ワンステージでギャラなんぼ」の芸能人こそ、社会保障をあてにしていない代表者だろう。国が想定しているのも、芸人の生き方ではなく、「働き蜂と専業主婦」である。
若いうちに成果報酬ときっちり月末にもらって自分で運用して、「老後はカナダかタイで大橋巨泉」てな生き方をされると、困るのは政府だろう。資産流出で財政が空洞化してしまう。
けれど、今の社会保障自体が、弱者にも強者にもソッポを向かれる病的な制度なのである。
だから、マキコだと、「私は私。あなたは国民年金」と、爆弾発言も一発ありそうな予感もあったのだが、マキコっぽくない国民的人気者が、コトの本質を突く発言をして、おおいに物議をかもした方が、制度改革は進むかもしれない。
出棺
at 2004 03/25 22:41 編集
いかりやさん追悼番組を留守録画したら、CM自動カットしても正味2時間20分もあった。
今朝は朝から出勤だったので、早く寝ないと!と思ってはいたのだが、そう決意するほど天の邪鬼なのが腹の虫。
ついつい、とれてるかな・・・とチラリと見るつもりが、結局あらまぁ全部見てしまった。
いやはや長さんの持ち味もいいが、やっぱりドリフは、カトちゃんケンちゃんが「飛車と角」で持っていた感じ。おなじみ「牛乳コント」には、腹がよじれるほど笑わされた。
泥縄で、長さんの自伝『だめだこりゃ』(新潮文庫)も買って一気読みしてしまった。
ドリフの笑いを、メンバーのキャラクターの違いから決まる位置関係のおもしろさ・・・と分析しておられる。ん〜するどい分析。ただのドタバタではなかったのだ。
いい老い方だなぁと尊敬したのが、SMAPや織田裕二、モー娘も、うまいところ・いいところは、きちんとほめている姿勢。
昔はよかった、今の若いのはダメと紋切り型の嘆き方をしない。あくまでも、昔のこぼれ話は淡々と・・・である。
インテリだと、人生哲学を語ったり何やら養成塾の類をつくったりして、まぁ死ぬまで権威を追い求める手合いもいたりするけれど、長さんは謙虚で爽やか、だから重みがある。コント界に空いた穴は大きすぎる。
ご冥福をお祈りしたい。
島トレード
at 2004 03/26 22:45 編集
魚釣島に、自国の領土だと主張して上陸した中国人活動家を逮捕、動機を取り調べている・・・ったって、動機は「自国の領土だと主張したかったから」に決まっとるがな。まさか「磯釣りしたかった」でもなかろ?
書類を作らにゃならん役所のたてまえなんですかなぁ。
島全体が波をかぶる沖ノ鳥島のような無人島かと思いきや、この島けっこう大きい。
ならば、政府も領土侵犯をおそれるなら、交番でも置くべきではないかと思う。
世界一ヒマで孤独で、カモメやウミネコしか話し相手がいない寂しい仕事だが、「それがまたいい」という適任者、「派遣されて当然」の罪人を送り込めばいい。
巡査長は、たとえば椎名誠にお願いして、全国の、のらりくらり公務員や問題教諭や酔っ払い運転おまわりを島に収容して指揮監督してもらえばどうだ?
島民は、「あやしい探検隊」一族だ。このお騒がせ集団を「巡査」「警ら」できるものならドーゾやってごらん弁護士もいるよ・・・てな緊張感で、観光名所にもなりそうだ。
魚釣島という名前も、国家主権を放棄しているような、投げやりな感じがして損している。
アイヌ語からついた北方四島のような、由緒ある名前で、日本人が誇りと愛着を持てるのがいい。ナガシマというのはタイムリーだが、不謹慎かな。
帰属問題でもめる島は、辺境にあるから厄介なんであって、もっと身近にあれば目が行き届きやすい。
いっそ魚釣島は正式に日本がいただいて、その代わりに佃島か夢の島を中国にあげればどうだろう。
つまり!東京湾の中=東京の目と鼻の先に、中国があるわけだ。
50円ぐらいで本場のラーメンや麻婆豆腐を食べられる(ただしパスポート持って)から、連日日本人が殺到して、中国としては外貨をかせぎまくれる出店みたいな島になる。
ついでに、本物の雑技団や生パンダがいたら、みなとみらいもTDLもつぶれるかもしれない。
中国本土ら無尽蔵に女性タレントが送り込まれる「女子十二億楽坊」なんかができたら、日本の芸能界は壊滅するね。
いやその前に、騒音が大変か。
またチョーさん
at 2004 03/27 13:45 編集
今度は下川辰平さんが、石原裕二郎に呼ばれて逝ってしまった。
糖尿病で壊死した足を切断・・・という晩年は、故・村田英雄さんを思い出させる壮絶な姿だった。ストレスも死期を早めたのではないだろうか。
それより、葬儀で92歳のおかあさんが75歳の息子の出棺を、車椅子で号泣しながら弱々しく手を振る姿に、僕は打ちのめされてしまった。
事故や病気や、いろんな死に方はあるとしても、親を残して先立つことほど、次元の違う哀しい最期はない。順番が違うでしょうに!と憤っても、やり場のない気持ちは永遠に収まらないものだろう。
六本木ヒルズで、小学校入学目前の男の子が事故死したのも、親としてははかり知れない絶望に落とし込まれた悲劇でしかない。
すぐ行くからね・・・というわけにも行かないし、あと何十年も大きな穴をかかえて生きるのは、どんなにつらいことだろうと思う。
一方で、こんな精神状態を「研究」して、幼な子の臓器を自発的に提供させるよう誘導する専門家が、着々と養成されている。「**ちゃんは亡くなっても、その一部が恵まれない他の子の中で生き続けるんですよ」というストーリー・テラーが。
親としては、静かに喪に服したい、ただそっと葬ってあげたいと思う当たり前の気持ちが、罪悪感と背中合わせのつらい立場に置かれるわけだ。
こんな法改定は、推進されるべきなのだろうか。
反対声明を出している日弁連の主張は、それはそれで理にかなっているような気はするけれど、よその子の脳死を待っている重症児が責められる筋合いでもない。
一人の死が何人の延命につながるかという功利主義的な発想も、遺族には残酷に響く算術でしかない。
説得されない、完全に自発的な臓器提供だけが、わが子の供養になるような命のバトンタッチが実現すればいいと思うが、中立的な立場で「コーディネート」する専門家はいない。
移植実績を1件でも増やしたい組織の「説得士」はいても・・・。
花見先発隊
at 2004 03/28 19:00 編集
まだ少し早いが、海岸が目の前の須磨駅に、花見部隊7名が集結した。
雲ひとつない快晴で暖かい。紫外線に目がくらむ感じ。
鉄拐山、鉢伏山と登って煮炊きして海岸に下ろう!と隊長の指令を受けて、一同コープで1万円も買い込んで山道へ。
ちょうどいいベンチがあったので、「ちょうど昼どきやし、このへんでいっときますか」てな感じで、大ヤキソバ宴会が始まった。ビールに酎ハイに・・・と進むと、もう登山どころやおまへん。
てなわけで、ほんの2合目あたりで登頂したことにして、「あー食った食った」と山を下る。あぁ情けない。
「まだ桜は満開ではないようだし、これ以上標高の高いところへ行っても余計ムダ」と、もっともらしい理由をくっつけるのだけは達者である(苦笑)。
残った塩コショーやソースやビールを、じゃんけんで山分けして「おみやげ」とする。これを含めて、満腹で一人1300円ですんだ。安くていい。
山から下りるとすぐ須磨海岸。
結婚近くに住んで、愛車(マウンテンバイク)でこのあたりを走り回っていた隊長が、「山も海もすぐで、ええわぁ・・・!」としみじみ絶賛すると、新妻が「うちの田舎もそうよ」、新人隊員も「和歌山もそうですよ」と、女性ダブル反撃。
ま、撃破されるのも楽しい。傍観している限り。
のどかで暖かくて、まだゴミも少ないようで砂浜もきれいだ。犬も子供もウィンドサーフィンも元気にかけずりまわっている。
松林で、湯を沸かして午後のコーヒータイムにする。
やさしい夕日を背に、一同ズリ歩きで家路につく。
あとは若い方々にお任せして・・・と、紋切り型の別れを告げて、僕は駅へずらかった。
ホームでうとうとしていたら、さっぱり気づかんうちに、電車を1本乗り過ごしてしまった。
まだ明るいのに、こんなのは初めてだった(夜中でもホームで寝たことなどないのに)。
それだけ、「春の須磨の巻」に心地よくほぐされたという感じかな。
いやー、このあたりにも引っ越してみたい。
一本!
at 2004 03/29 22:27 編集
先生が学校でHビデオ!と、一般紙(読売)の見出しもかわいく見える