2004.04.30 Friday
回天ドア
at 2004 04/01 21:47 編集
回転ドアで亡くなった子供は、本当にかわいそうだ。しかも目の前で見ていた親の心中は、察するに余りある。
あんなドアは至るところにあるから、犠牲者が「犬死に」にならないよう(たしか昔の日本軍に「回天」とかいう人間魚雷があったような・・・)、改善してほしいとしみじみ思う。
僕はまだ国土交通大臣になる予定はないのだが、もし大臣だったら、ドアは固定してビルを回転させる・・・というのは冗談としても、回転ドアは禁止して引き戸に換えさせる(これは本気)。
従わないビル・オーナーがいたら、そやつの自宅に強制的に回転ドアをとりつけまっせ。トイレにも!マイカーにも社用車にも!おっさんのズボンの「社会の窓」もだ!
回転ドアづくしに発狂寸前のオーナーに「これでもあんたのビル、回転ドアで客を危険にさらし続けるつもりかい〜?」とまぁ、ダーティーハリーみたいなことができたら、大人気のあまり次は首相に推されるかもしれない。
夢物語はさておき・・・
福祉メーリングリストで流れていた指摘で、多くの客が同時に入って一定のペースで運ばれる回転ドアは、ゆっくり歩きたい者にとっては危険なものだという。
たしかに、ゆっくり回して入っても、逆方向からグイッとドアを加速する対向者がいたら、はじかれてしまいかねない。お年寄りや車椅子の人にとっても、危険だろうと思う。
一体なぜ、あんなものつけるのか?
頻繁に人が出入りしても、外気が屋内に流れ込まないから。
動力なしで、開きっぱなし状態を避けられる自動ドアになるから。
出入り客の鉢合わせがなくなるから。
開けたドアを後続の人のために開いたまま渡す手間いらず。
おしゃれだから(?)。
素人に思いつくのは、そんなところだ。
どれも、機能的な人の流れを追求する現代人の発想の産物ではないか。
機能追求といえば、ずいぶん前に、廊下にセンターラインや停止線が引かれて、天井には標識がついてたりする小学校が笑いの種になったことを思い出す。
そんな学校には、回転ドアを並べれば、いやでも「右側一定速度移動」が徹底されるぞ。なんだかチャップリンのモダン・タイムスみたいだが。
つまり、回転ドアは、機能的に人の流れをさばこうとする「モダン」の象徴にも見えてくる。作動はオートマチックで、見守ったり助けたりする人はいない。「設置」すなわち「放置」になってしまう。
回転ドアにゆっくり歩きたい人が入ったとき、対向して入ってくる人はどうすべきか、そのあたりの「交通マナー」は、まだまだ確立されていない。
マナーや知恵より、「考えなくても効率的にさばいてもらえるシステム」に、どんどん人間が回収されて行くようで怖い。「仏つくって魂入れず」では悲しいではないか。
ハード面が冷酷なだけではない。
悲劇が起こった状況というのが、母親の目の前とはいえ、元気な盛りの男の子から母親が手を放していた。
決して母親個人を責めるつもりはないし、ふつう回転ドアを暗黙のうちに信頼するものだろう。
それが日常世界というものかもしれなくて、つい大手のメーカー品だと大丈夫、と盲信してしまうのは、IBM PCを使っている僕も同じ。
こんな悲劇を教訓に、回転ドアの前で子供としっかり手をつなぐようにしたり抱っこしたりする親が、どれだけ増えるだろうか。
事故が風化すれば、危険があふれる街の中で子供を野放しにして、「だめよ〜」「あぶないわよ〜」と声だけかけるリモコン育児は、きっとすぐ復活する。交通事故や肺ガンで毎年何万人死のうと、クルマが減らないように。
街で放任されている子供が、なぜこんなに多いように感じるのだろうか。
ふだん、着替えとか部屋のかたづけとかお受験とか、しなくていいところで母親が子にかまいすぎていて、母子ともにストレスをかかえているのかもしれない。その反動で、お外でタガがゆるむのだろうか。
ストレス発散したいのはわかる・・・とはいえ、とにもかくにもビル街や店や駅は、走るところじゃないのだ。おい、そこのローラーシューズのふざけた小娘!デパートの中を滑るなっちゅうの!
走るのは草原とか運動場とか砂浜で、とけじめをつければいいと思うが、なかなか実践は難しいものだろう。
「まぁ、うちの子だけは大丈夫ヨきっと」
「だって子供は走りたいものなのよ」
とトンチンカンなことを信じ込んでいる親だけでも、まずどうにか洗脳解除せんといかん(笑)。
だめよーあぶないわよー、ほら転んだ!だからママ言ったじゃない!
だと、親の責任はどこにあるのだろうか(親を飼い主に置き換えても同じこと)。
言うだけならロボットにでも言える。危ないときだけ手をかけ、ときには握りしめ抱き締め、おバカなことをしたときはぶん殴ることは、親にしかできないことだから、それができてこそ親の存在価値だろうと思う。
小言や指し図ばかり毎年百万回聞いている子は、やがてメッセージの内容に反応しないよう、認知機能が麻痺してしまうものだ。そんな子供の頭の中では、親は小言ロボットと化している。
子供がさらされる危険は、転ぶ以外にも、「ひかれる」「落ちる」「さらわれる」「いたずらされる」「咬まれる」「切りつけられる」「刺される」等々もあるかもしれない。街遊びは、ロシアンルーレットみたいなものになってしまったのか?
なによ!子供に縄つけて犬みたいに散歩させろっての!?
と反撃されるかもしれない。僕は、本当に縄をつけているドイツ人、アメリカ人、デンマーク人etcetcは見たことがあるが、これ日本人の感覚では人権侵害になるのかな(笑)。
けれど、「自由と責任」を一人で背負える大人はいいが、危機管理能力がない幼児に「危険に直結した自由」を認めるのは、大人の罪だと僕は思う。
たしかに、街にある危険を野放しにしてはいけない。その危険は、大人が造営したモノのマイナス面だから、きれいに尻拭いしてほしい。
人間が建物や乗り物にビクビク遠慮しながら暮らすのは、なんだか不条理な気もするから、知恵を絞りたいものだ。
そうして効率優先の都市生活が、子供や老人や障害者の視線で、もっと優しい街に「整形」されて行けばいいと思う。
そこで輝く高齢社会!心あるジジババには、子供が事件や事故に遭わないよう、おせっかい(あばれている子を杖で「コリャー!!」と叩きのめすのもいい)を焼きまくってほしい!と、エールをおくりたい。
禁煙禁止
at 2004 04/02 18:14 編集
和歌山大学の全面禁煙に反対したセンセイ、「研究や教育に差し障りがあるから吸わせろ」とは大したものだ。
まさか、タバコを吸いながら講義をしているわけでもないだろうね(笑)。
「そんな働き方が昔から夢だった」というセンセイが、全面禁煙けしからん!というなら、こりゃーいっそアッパレだと思う。
僕はタバコがきらいだから、公共の場所の禁煙は歓迎する。
では、大学は公共空間かというと、ちょっと考えてみる価値はある。
役所や公立病院のような、だれにでも開かれた空間と、大学はちょっと違うような気がするから。
公営か私立かは横においといて、入学資格をクリアした国民に教育サービスを公平に提供するのが、公教育の責任だ。これは正論。
ただ、大学教育は教員(学者)の個人的資質に深く根ざしている。大教室でマイクで講義するよりゼミの方が、さらに学部より大学院の方が、徒弟修行のような性質が強くなる。大教室がホテルのロビーだとすると、ゼミはバンケットルーム、大学院は教授の個室という感じ。
その密室性ゆえに、セクハラやアカハラのような事件も起こるわけで、それはそれで抑止と救済をすべきだと思うけれど、「卓抜した研究者の薫陶を受ける」ような濃密な師弟関係は、決してパブリックなものではない。公共性なんか入り込む余地のない、寝技の世界である。
学ぶ側から見れば、この先生の人間性すべて学び取りたいと思えば、「タバコはやめて下さい」「先生、そろそろ下校時間ですから話をまとめて下さい」なんていえるはずはない。
実際、単位を取るだけが目当ての学生が大多数だから、多数派のお客様の都合に合わせて、公的なサービスを提供する形にならざるをえないけど。
どうしてもタバコを我慢できない学生は、ちゃんと交渉して、ローカル・ルールをつくっていけばいい。そんなコミュニケーションが育つ機会を、公共的ルールはつぶしてしまう。
僕の中で神格化されてしまった我が恩師は、ゼミでほとんど何も教えてくれなかったが、飲み屋に行くと絶好調(笑)だった。
今ならセクハラの温床になりかねないが、門限が早い女の子は10時半に帰らせて(単位はくれてやる)、それ以後が「社会学特別講義」だった。
まぁ、毎週ではなかったからお互い命拾いしただけで、教授送り届け係を割り振ったり、サウナに泊まって同級生と議論を続けたりと、学生時代にしか過ごせない無為な時間を謳歌したものだった。
今こんな大学教育をやってたら、訴訟騒ぎになるかもしれない。
僕も、なつかしい思い出は自分だけの宝にして、仕事は90分1コマ1コマをきっちり使って、教卓にひじをつくこともなく、黒板もきっちり書く。雲をつかむようなトークをしても、雲のつかみかたを知らない少年少女が99.9%もいるから、それで完結させないと契約違反だといわれかねない。
ただ、タバコぐらいは、ケース・バイ・ケースの余地を認めてもいいのではないかねぇ。
タバコより、今のご時世では、国公立の女子大学の方が、公共性に反していて問題だと思うのだが・・・。
ダブルパンチ
at 2004 04/03 21:27 編集
野暮用で大阪の地下鉄に乗ったら、おねーちゃんの熱い視線を感じた。
ベビースターラーメンの吊り広告に、杉田かおるが並んでほほえんでいるのである。
ダブルでこわかった。どっちも魔性ギンギンの笑みである。
「チー坊」のころの大アップ顔写真には、「お父さんみたいな男がいい」、今の写真には「なんでも言うこと聞いてくれる男がいい」てなキャプションがついている。
なんだかなー、逆ちゃうか?
もう四十路にして、私のわがまま聞いてくれる王子様だか下男だか、堂々と要求できる心臓はすごい。つきあうか、チー坊!なんでも聞いちゃるで。聞くだけは(笑)。
野暮用がすんで、王将でモヤシとニラの炒め物を食ったら、いつも付け合わせでマッシュポテトがついているのに、今日はモヤシサラダ。
こりゃ、くどいなぁ。ヘルシーだが。
なんだかダブルパンチをダブルで受けた日であった。
特殊『街路』
at 2004 04/04 23:09 編集
建築は、だいたい10年周期でブームになるような気がする。僕が近代建築ウォッチングに熱を入れていた学生時代から、安藤忠雄ブレークまでが、それぐらいだった。
10年周期にちなんだわけでもないが、久々に『10+1』という雑誌を買って、モスでパラパラお茶読書。
いつも沖縄なまりで素朴に接客してくれている店員は、高感度99点だ。さっき入ってきた女の子客と、二人で中国語まじりの受け答えをしている。マルチ店員やなぁ。
多国籍都市は、煮詰まって行くと無国籍都市になって行くような客がする。
そんな都市論が、社会学者や民俗学者をまじえてゴッタ煮で論陣を並べていたのが、『10+1』のおもしろいところだった。最近、頭がふやけてしまって読まんようになってるけど。
最新号には、日本全国の地下街のグラフィックな比較が載っていてる。んー、地面の下は土木の縄張りやなかったかいな?・・・と思いつつも、おもしろかった。
人口あたりの地下街面積は、やはり大阪がダントツ全国一で、東京はベスト5にも入っていない。首都圏は、それだけ災害に対して用心深いという事情もあるのかもしれない。
たぶんナニワ大震災が起これば、ただでさえ血の気が多い大阪人が充満していて、停電か浸水かになった地下街は、もう地獄と化すのではないだろうか。ふだんの停電だけでもこわい。
ムーミン谷のおさびし山みたいな「人里ちかくの闇」は、都会からどんどん失われていて(神戸には六甲があるが、全国に名が売れてしまったのは、あのタンク山だろう)、それに代わって地下街やトンネルが人工的な闇を造り出している。
闇といっても、段ボール寝床の住人がいたりするから、ゴーストタウンでもない。
けれど、終電後の地下鉄駅なんてのは、ちょっとした廃墟のゾクゾク感があって、それなりに味わい(変なの!)があるものだ。
合法的に楽しむ(?)チャンスもなかなかないからこそ、こんな都心の「営業時間限定デイリー廃墟」は、なんかの形でブームになるんちゃうかな?と、イマジネーションがふくらんだ。
いっちょ、行ってみるか?
ふれまち
at 2004 04/05 21:12 編集
家賃を払いに行って、大家さんと町内会談義。
震災をきっかけに「ふれあい喫茶」の類が増えていて、自治会有志も地元で毎週かかわっておられるらしい。
「らしい」なんて他人事ふうにしか言えないのは自己嫌悪のタネだが、なんかできることがあればお手伝いしまっせ!としかいえない。
出無精の高齢者と地域が触れ合うきっかけづくりとして行政も推奨している「ふれあい喫茶」だが、役所から助成金がばらまかれてる感じですよねー、と大家さんはクールに評価。
その額は、人件費に充てるには乏しく、しかし市内全域への配分を合計すると巨額になるという微妙なところで、役所としても手の出し方が難しいグレーゾーンなのだろう。
かりに、ふれあい喫茶が繁盛しすぎて毎日営業するようになれば、「民業圧迫」で市税収入減につながるし、かといってボランティアに水をさすのもヤボというものだ。
どうせなら、市役所職員を1割リストラして仕事を民間に委託するか臨時雇用すれば、おそらく市内の失業率は激減するような気もするけどなぁ・・・。
井戸端談義
at 2004 04/05 21:12 編集
家賃を払いに行って、大家さんと町内会談義。
震災をきっかけに「ふれあい喫茶」の類が増えていて、自治会有志も地元で毎週かかわっておられるらしい。
「らしい」なんて他人事ふうにしか言えないのは自己嫌悪のタネだが、なんかできることがあればお手伝いしまっせ!としかいえない。
出無精の高齢者と地域が触れ合うきっかけづくりとして行政も推奨している「ふれあい喫茶」だが、役所から助成金がばらまかれてる感じですよねー、と大家さんはクールに評価。
その額は、人件費に充てるには乏しく、しかし市内全域への配分を合計すると巨額になるという微妙なところで、役所としても手の出し方が難しいグレーゾーンなのだろう。
かりに、ふれあい喫茶が繁盛しすぎて毎日営業するようになれば、「民業圧迫」で市税収入減につながるし、かといってボランティアに水をさすのもヤボというものだ。
どうせなら、市役所職員を1割リストラして仕事を民間に委託するか臨時雇用すれば、おそらく市内の失業率は激減するような気もするけどなぁ・・・。
新編成
at 2004 04/06 22:26 編集
番組改変の季節・・・といっても、気になるのはラジオだけ。
よーし、今年こそ錆びついた第二外国語に磨きをかけるぞ!と決意するのは、年中行事になっている。
ところがスタートダッシュが遅れて、「まぁ、アーベーセーぐらいは憶えてるからこの段階は飛ばしてもいいか」といいわけしているうちに、梅雨に入って時制や話法にレッスンが進んでいると、もう「途中合流」は無理。トホホホホ…
それでも、「在宅サビ落とし療法」にはラジオがもってこいだから、一応聞こうとはするけんど…。
で、帰宅早々つけたラジオから流れてきた声で、「上沼恵美子、えっらい上品にしゃべっとるなぁ」と思ったら、それはエミーではなく汀夏子さんであった(汀さん失礼!)。
今をときめく元タカラジェンヌといえば、なんといっても扇千景…ではなく黒木瞳かな。
黒木瞳様はもう国民的カリスマダム(巨大なダムではない、カリスマ的マダムの意味)だから、ワシの手に負えるものではない(えらそうに!笑)。
ちょっとマニアック?に、天海祐希という線も好きだが、まぁどちらにしても、ワシの手に負える…じゃない、全国区の人気者だから、ちょっと縁が遠い。
ところが、汀夏子さんは関西ベタベタである。梅田のデパ地下でばったり出会いそうな気さえする。
「やんちゃな大阪の少年」そのままのキャラクターは、男役というポストがあったとはいえ、絢爛豪華なタカラヅカでは異色の存在だった。たぶん、フリフリキラキラの世界に拒絶反応が出るアンチタカラヅカ派にも、汀さんだけは受け容れられるだろうと思う。「今は普通のおばはんやで〜」と笑って酒席を共にしてくれそうで。
僕の姉ぐらいの年格好になっているはずだが、去年テレビで見かけたときは、ばりばりダンスもされるし、少年体型は変わってなかった。すごい。
少年のような感性や機敏さといえば、昨夜は帰ってすぐつけたラジオで浅井慎平さんがトーク番組を始めていた。あぁ、さわやかな語り口やなぁ・・・。いかにもエロじいさま然としているアラーキーより3つも年上なのが信じられない。
つい先日は、ビートルズ来日公演の前座で有名になったドリフのボスが亡くなったけれど、そのビートルズ公演の公式カメラマンが浅井さんだ。
ロックだけは嫌いだった僕の亡父は、しかし浅井さんの作風が好きだった。カリブ海か南太平洋かの写真をモチーフにしたカレンダーを気に入っていて、「これ、浅井慎平やからええんや」と高く評価していた。それが、僕が初めて知った具体的な写真家の名前だった。
それから30年近く。
浅井さんは、あいかわらず引き締まった体にGジャンを着て、日焼けした笑顔で写真を撮っている。老齢年金世代なのに(笑)。
浅井さんも汀さんも、老いを感じさせない驚異的なプロだ。こんな中年世代が頼もしい現役でいられる大人の社会は、悪くない。
若くて美しいのは、本人の努力とは無関係の自然現象といえなくもない。
老いて美しいのは、その日との叡智の結実というか、人徳みたいなものだ。老いを毛嫌いしたり抵抗したりごまかしたり、いつまでも若さに媚びたりしているうちは「醜い若づくり」としか見られないように思う。皮肉にも、「いかに風流なじーさまになるか」と中学時代に悟ったというチチ松村さんが、息子や娘世代のファンから「兄貴ぶん」として人気を保っているのもわかる。
僕と、妙高高原の2km続くスーパーモーグルコースでデュアルレースを競ったスノーボーダーは、ちょうど10歳ほど若い(ゴールインはほとんど同時で、タイムは12分ほどだった)。酒の席で「でも僕があと10年たったら、あれぐらい滑れるかなぁ」と笑っている。
大丈夫、10年先を視野に入った遊び方ができるのは人徳だと思う。
そんな発想がない二十歳の少年少女に、僕は体格や体力では完全に負けるけれど、「あんたら20年たったら今の僕以上にジジババになってへんかい?」と負け惜しみを言う。
資格競争やらパラサイトやらで去勢され無力化させられている若い連中も、気の毒な立場ではあると思うけれども、若い子は僕のライバルには見えない。
汀夏子との恋、浅井慎平との寝技(たとえ話として)が、僕の肥やしなのだ。
プレイ=バトルフィールド
at 2004 04/07 16:53 編集
なんだか大阪や長崎や栃木・・・と、あちこちの公園で遊具の事故がたてつづけに報道されている。
春になって急に増えたというわけでもなく、今までは「しゃーないな」とあきらめていた無数のケガが、「これは行政不作為による人災だ!」という回路に乗せられるようになってきたのではないだろうか。
考えてみれば、公園の遊具というのはどれも鋼鉄かコンクリートでできていて、あまり融通がきかない無粋な感じ。
子供というのは、おもちゃを与えられたら壊すか自分の好きなように細工したいもので、それが知的な冒険への第一歩になることが多い。
ところが、公園の遊具は子供の細工を受けつけない造りになっていて、どうにか工具を使ってボルトを抜いたりしたら、えらいことになる。
工具が好きな僕は、だから、公園の遊具で遊ばなかった(友だちとブランコで飛距離を競うぐらいだったかな?)。
家の裏が、子供にとってはムーミン谷のおさびし山のような深山幽谷の摩耶山だから、よく探検した。山にイノシシや野犬やいるが、指を切断するとか骨折するとか、いかにも悲惨なケガは聞いたことがなくて、せいぜい道を踏み外すとか、ウルシにかぶれるようなナチュラルな(?)ミスばかり。
でも最高におもしろかった遊び場は、病院の解体・改築現場だ。
薬品はちらかってるし、廃墟のたたずまいは、歩いて15分の市立動物園にあった作り物のお化け屋敷の100倍ぐらいの魔界だった。探検するにも、廃材を集めて前線基地を築き、夜までたてこもって(ゲームもケータイもなかったのに、何してたんやろ?)遊んでいた。
同世代の「元悪ガキ今おじさん」は、99.7%がこんな基地を造ったはずだ。
そこでケガをすれば、ガキといえども完全に自己責任で、「工事現場の警備が不充分だ」と訴えるような大人気ない発想は世間になかった気がする。幸運にも事故には遭わなかったから、想像するだけだが、たぶんケガした子供を連れて親が工事関係者に謝りに行くのが筋というものだっただろう。
子供の遊び場が、大人や行政のしつらえた人造物件に収斂されて行くのが、高度経済成長期の大きな動きだったと思う。
「回転系」の遊具など僕は見たことがなかったが、たしかにエンジニアが頭を絞った遊具は、子供の興味を引きつける。
その延長に、「大人の手のひらの上で管理されて遊ぶ子供に目を細める世間」というのができあがって行く。そこで何か事故が起きれば、人生幸朗さんじゃないが「責任者、出てこーい!」という政治の世界だ。
親の立場としては、そう言いたくもなるのだろうけど。
本屋には、子供を遊ばせてその笑顔で報われたい大人のために、野遊びだ科学手品だエコツアーだと、マニュアル本が続々と並んでいる今日このごろ。
その結果として、子供の反逆心や冒険心、失敗するチャンスetcを奪ってしまう「お膳立て社会」が、パラサイトや就職難、引きこもりや成熟拒否を生んでいるのではないかなー?と、僕は邪推してしまう。
大人うけする子供なんて気持ち悪い生き物は、あっち行け!勝手に遊びを探しとれ!
・・・とやれば、軟弱なくせに小賢しい「U15」など、出会い系とか風俗とか、大人のつくった快楽システムに巻き込まれて行くリスクもあるから、難しいものだ。
大人の目線が届かない「子供の楽園」は、夢の世界なのだろうか。
ついに
at 2004 04/08 22:52 編集
今月から、「自転車運転免許」を兵庫県警が発行するそうな。
法的拘束力はないそうだが、一瞬あせった。今まで減点80000点ぐらいはやってるはずだから、不適格者扱いで取れなかったら悲しい(幸い、発覚したことがないから大丈夫か?)。
それにしても、自転車とはナニモノか?
歩道をとろとろ走っているが、ときに時速40kmは出せる軽車両。
でも車道を走っていたら、「道路はエンジンで走る世界だ!」と邪魔者扱いされる。警察行政も、自転車は歩道に上げてきた。
こんな、あやふやな地位にある自転車に資格制度の網をかけたい気持ちも、わからなくもない。
ゆくゆくは自転車も「軽二輪車」として、小型・中型・大型、一種・二種というような区分がされて行くのだろうか。自転車タクシーは「大型二種」とか・・・?
けどなぁ・・・もっと取り締まらにゃいかん「乗り物」はあるんちゃうか?と思う。飲酒運転しかり、「私が道路の女王様」のようなドライバーしかり、歩道乗り上げ駐車しかり、なぜかむかついてしかたない小学生のローラーシューズしかり・・・ええい、なんだかやみくもに腹が立ってきたぞ、そこのコ娘!(笑)
「免許」制度は規制や管理の匂いがつきまとうから、もともと自由な乗り物であるはずの自転車や自転車文化を縛ってしまう感じがする。
縛るより、いい自転車乗りにはメダルとか勲章(?)を与えて、それをつけていたら健康保健料5%割り引きというようなエサをつければ、無駄なクルマは減って空気もきれいになると思う。
「厚生労働省職員は全員自転車で登庁」なんてことに決まれば、僕は日本の官僚を見直すがなぁ。
ついに2
at 2004 04/09 22:29 編集
日本人が人質になったイラク撤退要求、いよいよアメリカと運命共同体になっている危さがリアルに突きつけられたということだろうか。
不甲斐ないのは、官房長官にストライクど真ん中の質問をしない報道関係者だ。
「テロには屈しない!自衛隊は撤退しない!」
と言い切る長官に、
「人質が目の前で一人ずつ殺されても、ですか?」
と、なぜ質問しないのだ?
あの首相なら、言い放つかもしれない。「犠牲になられても、粛々と自衛隊の活動は進める」と。
政府間で宣戦布告をして、軍人同士が闘い、基地や軍需工場を破壊し、講和条約で終了する――こんな戦争の公式がまったくあてはまらないのがテロのこわいところだ。無差別に、一般国民を爆弾や生物化学兵器で襲うから。
あれ?無差別殺戮の世界一の実践者が、某合衆国だったのではないか?
第二次大戦中、世界で使われた爆弾の2倍をベトナムに投下して、枯れ葉剤を撒いたのはだれだ?
丸腰の沖縄住民が逃げ込んだ防空壕を、火炎放射器や手榴弾で炎の地獄にしたのも。
イラン・イラク戦争ではサダム・フセインを応援して、のちの大統領親子になる一族と合弁ビジネスまでしていたのも。
おいおい日本よ、なぜあんな国の殺戮作戦に協力するのだ!?というのが、心ある民族の素朴な感情かもしれない。
あんな国だから、敵対しろとまでは言わないが、おかしいことはおかしい、と言える同盟関係であってほしい。
3名の拉致は、まだまだ序章のような気がする。
お茶のまず男子大学家政学部第1期生
at 2004 04/10 22:42 編集
昔は、ひょっとして今も、お嬢様女子大といわれてきた(その根拠がよくわからんけどウンコもしない姫が集まっていたのだろうか)某私大の管理職たちと会ってきた。
ブランド価値だけでお客様が集まった時代は過去の話で、「こんな経営は方向転換しないと、自滅行為でっせ」と、えらそうなことも言いたくなったが、そこはぐっとこらえた。
1つだけあげると、マーケティングの発想がない。
保護者とOGの御機嫌を損ねないような、昔ながらの「良妻賢母教育」を維持していて、肝心の学生自身が何を求めているか、社会が何を求めているのか、リサーチしたのか?と首をかしげてしまう。
資格を取りたい、確実に就職したい、手に職をつけたいと思う学生がいれば、安易に「心理コース開講!!」なんてやるが、専門職につながる教育事業経営は、並大抵の難しさではない。
でも、実際ホンネの部分で学生さまがどんな希望をもっているのかは、なかなかわかりにくい。
「腰かけ仕事数年で、扶養してくれる旦那が見つかりやすい職種」を望む女子学生は一定割合いるだろうし、キャリア志向でも、人生のパートナーが「家を守ってくり」と条件を出すかもしれない。
だから、将来の保証まではできないキャリア指向カリキュラムも、なかなか大胆に打ち出せないのかもしれない。
さっき呼び出しをくらって(笑)飲みに行った大学の後輩男女と、仕事の思想論争(!?)をしていて、結局ヤロー両名が落ち着いたマニフェストは、「医者か弁護士と結婚して家庭を守ってあげるぜ俺たちゃー!!」という、日米安保根性が丸出しなのであった。
情けない・・・。
冬のアナタ
at 2004 04/10 23:26 編集
「白い巨塔」もトレンディドラマも見たことがなかった僕が、ひょんなことから某韓国ドラマを見ている。
「ユジン!」と呼ばれると自分の名前を呼ばれたようでドキッとするし、「チュンさん」というのが出てくると、愛称「チュンすずめ」という古い悪友を思い出すし、なんだかメロドラマには見えない。
おまけに、女子学生ワールドのお戯れが妙に純朴というか、なんだか日本の少女コミックの乗りに見えてしかたない。いきなり、スカートめくりなんかしないよなー「中学生日記」でも。
ペさま(ヨンジュンさまか?)のさわやかさも、文句はないけれど、何だか70年代の日本で白いギターを持ってイルカに乗った貴公子みたいな面影があったりする。
なんだかエッシャーの描く階段屋敷のように、あちこちタイムスリップしそうな落差を5分ごとに感じる、実に珍しいラブコメディだなこりゃ。
ペ様は、年とるとアルベルト・フジモリになりそうな予感がするのは僕だけだろうか。
平和利用
at 2004 04/11 20:37 編集
やっと、イラクの人質が解放されるという。
とりあえず、よかった。
一難去って、次はサイキックな展開である。
解放を求める家族の会見を見ていて、「おぉっ・・・個性的な家族がいるな」と僕の目にとまったのは、イラクの子供を世話する姉を待ち望む札幌の妹。『月刊コンバット』が放っておかない、もしかして表紙モデルに?とスカウトされそうなミセス(かな?姓が違うのは)だった。
きっと、にわかに隠れファンが発生しているに違いない。
北朝鮮拉致被害者の家族会でスポークスマン的な役割をしている蓮池透さんを、わが老母が「素敵やわぁ」と感心しているのと似たような、妙な脚光が当たるのではないだろうか。
フセインもカダフィ大佐(昇進しないなぁ少将とか将軍に)もアラファト議長も、放っておく手はないよハリウッドは。
あの金賢姫も、女優デビューの話があたとか、なかったとか。ペ・ヨンジュンさまも吹っ飛ぶ話題女優になりそうだ。
75年の元祖「白い巨塔」で末期の財前五郎に執刀した主任教授は、もう亡くなった名優で名前はおぼえていないが、北から亡命してきた北の元幹部ファン・ジャンヨプそっくりだった。
不謹慎かもしれないが、亡命者や権力を失った独裁者をまとめて、「裏ハリウッド」を築けば、過去を償う文化貢献もしてもらえると思うのだが、そう考えると、某K.ジョンイル父子は、いけてないわな。
その代わりに、ジョンイルがはべらせている喜び組には、北バージョンの「女子120楽坊」でもやってもらおうか?
スタバ恋し
at 2004 04/12 16:41 編集
3時間も空き時間ができたので、時間つぶしをしようと職場近くを散歩する。
全然知らない街を、あてもなくうろつくというのは、まるで別世界で難民化しているような気分だ。
喫茶店でも・・・と探すまでもなく、数だけは多い。どこも似たり寄ったりのけだるさと無個性を競い合っている。
そんな1軒で、ひと息つく。なんじゃこりゃ、チーズケーキが冷凍されてたのか、凍ってサクサクいうとるやないか!
神戸でこんなカフェをやってたら、1カ月で客足が絶えまっせ。
ママは客席に座って完全に休息モード。
ベートンのピアノソナタがやけに重厚に響いている。
あぁ、脱力感・・・
春散策
at 2004 04/13 23:37 編集
行きつけの酒屋が、閉めるの早いなぁ…と思っていたら、もう閉店してしまってたのであった。
コンビニで酒販売が全面解禁されたあおりを受けたのだろうか。
そりゃあスーパーやコンビニで手軽に酒が買えるのは便利かもしれんが、売れ筋のものしか置いてない。「余市」が飲みたいのだ!というこの片隅ウィスキー党には不自由になるなぁ。「あんまり出ないんですけどね、いい酒ですよね」と、ちょっとした前菜代わりの話をしながら買って帰るのも、風流なものなんだが。
余市といえば(関係ないか)、食品問題を起こした雪印乳業。
その社屋が近所にあって、あの雪の結晶マークが僕は好きだった。
それが、いよいよ解体工事が始まった。
企業としてはよろしくないことをしたので、社会的制裁はやむなし…だが、あのマークだけでもくれへんかなー?と、ふと思う。
札幌五輪以来、黄金時代の「日の丸飛行隊」は、たくぎんかニッカか雪印の広告塔だったよなぁ・・・。
春休みが明けて新学期になると、さすがにもう「冬は一掃」なのがアウトドアストア。
おかげさまで、なかなか値引きしないサロモンの板が、半額になっていた。浮力のある形に、斬新な表面加工。とりあえず「冬までおあずけ」覚悟で即お買い上げである。
ところが、スキーケースっちゅうもんを売ってない。
家から取ってきますわ…ということで、預かってもらった。
春というのは、仕事始めでバタバタ忙しいイメージばかりで、何もすることなく梅雨に入ってしまうのが例年のパターンだ。
早く秋よ!初雪よ!と首を伸ばしすぎて待つ今日このごろ。
スカートのエコノミクス
at 2004 04/14 16:54 編集
テレビで大学で活躍中のエコノミストが、女子高生を除いた…いや覗いたカドで逮捕されたニュース、ある新聞の見出しで「スカートの中の経済学」というのを見たときは、0.3秒で上野千鶴子の『スカートの中の劇場』を思い出した。
よほど、目の前のコ娘のスカートの丈がエコノミカルすぎて誘惑にかられたのだろうか。
いけないことはいけないが、初犯ではないそうだから、刑事処分以上にかなり今後に響くだろうと思う。
この教授を免罪するつもりはないが、スカート覗き以上に悪辣なことをして頬かむりしている政治屋、宗教屋、経営者、医療人etcは五万といるだろう。
発覚するかしないかの違いがあるだけで、悪辣なこと自体は一定数この世に沈殿しているように思う。
かつて、スー・チーさんの日本留学時の恩師が、秘書に罪の意識なくし続けていたことが「アカセクハラ」と告発されて京大を追われ、ウィーンで客死した事件もあった。その顛末について、精神医学者の野田正彰氏が批判的なコメントを書かれていた記憶がある。当の教授を弁護するのではなく、ある事件をきっかけにあぶり出される日本社会の冷酷さを指摘する野田氏は、まるで社会学者の視点をお持ちだと思った。
40年なり50年なりの蓄積から築かれた研究者というキャリアを無におとしめるような、付和雷同的なバッシングをする「世間」の良識を問う内容だった。
被害者と弁護者も「こちらも人生を台無しされた、人間としての尊厳をふみにじられた」と訴える本を出している。
たしかに、「犯罪は犯罪」は正論だ。
ただ、たとえば灘高から東大法学部を経て弁護士をしている偏差値秀才が、世間の喝采を浴びながら「オウムは抹殺すべし!」と喧伝しているのを見ると、正論は怖い。
累犯(類犯)を抑止する名案を、正論派の偏差値秀才は出せるのだろうか。思いつくのは、保護観察だカウンセリングだ精神医療だと、「管理社会」まっしぐらの道ではないだろうか。
おそらく、いつか「被害者」のパパが痴漢か何かで逮捕されて実名報道され、会社を懲戒解雇されたとき、かつて自分のスカートを覗いた43歳おじさんについて、何か考えるのかもしれない。
被害届けを取り下げさせる圧力になってはいかんけれど、被害は制裁できれいに埋め合わされるものではない。
司法では罰金いくら懲役何年でかたづくが、赦されるかどうかは、当事者間のやりとり次第だと思う。
もし僕が娘のスカートを覗かれた親なら、「あんた教育界にはおったらイカン。そのかわり仏門に一生こもるなら赦す」というような、マイ判決を申し渡すかもしれない。
スーパーフリーの被害者の親だったら、選りすぐりのホモ専用刑務所をつくって、加害者を送りこむ。
掘られて謝罪したくなるか、ヘンに目覚めてしまうかはわからないが。
ピストン!
at 2004 04/15 23:36 編集
木曜日は朝イチで出勤、10時半にお開き。
そのあと夕方6時から仕事で、9時すぎにお開き。で、明日は朝イチで出勤だ。ぜんぶ、新大阪駅前で。
なんじゃこりゃー!?
と気が滅入る、スカスカ勤務である。
さすがに、電車マニアの僕でも快速ばかり乗るのも食傷気味。
いっそ、新大阪に宿舎でもあれば、木曜日は昼寝したり、金曜の朝イチ出勤はラッシュアワーを避けて徒歩出勤もできそうだが、なかなかそうは行かない。
心理的には、神戸から大阪への出勤はずいぶん遠い「別世界探訪」で、15年通勤していても気分は変わらない。
でも、電車でほんの30分、620円の距離である。
職場が京都だったら、お泊り」も考えるかもしれないが。
新幹線で充分に日帰り往復できる距離の街へ出張する会社員の気持ちは、こんなもんだろうか。
おととしの博多出張は、自腹で1泊してきたけどなぁ・・・。
来週から、なんとか「鮮やかな3往復」を考えねば!
鷺沢萠さんの本を、静かにホテルで読む夜もいいかもしれない。
ご冥福を祈りつつ…。
最新の中古 最古の新品
at 2004 04/16 16:54 編集
初夏のような陽気の中、スキー板を買って帰るのもオツなものだ。
が、いやはや4倍はありそうな重さでんがな。まるでボーリング玉とバレーボール。
5年以上ショートスキーばかりやっていると、「普通のスキー」の重さに腰砕けになりそうで情けないが、いや、それなら「普通のスキー」の重さは何やねん?という気にもなる。
畳1枚分の長さの板を肩から下げて自転車で坂道をコギコギして帰るのも危っかしかったが、まぁ「懐かしいスキーの重さ」がよみがえってきた。
売り場のおにーちゃんも、もう今どきスキーもボードも売る気はなさようだ(だから、持ってけ価格にガタ落ちしてたのか?)。こんな店はありがたい。
新年度が始まったばかりだから、レジャー消費自体が谷間の時期なのだろう。キャンプ用品も、黄金連休から夏にかけて新製品を投入したいわけだから、在庫処分は気前がいい。
でも、「安物買いのゼニ失い」ともいうから、いいものに資金をつぎ込んで長く愛用するのが正解かもしれないなぁとも思う。
そんな反省をしたきっかけは、カメラ。
ちまちまと安物レンジファインダーを買っては、「どや!1万円でここまでキレイに写るぞ」と驚かして楽しんでいると、「御本尊」の一眼レフの出番がなくなってくる。
もう20年近く登山のお供になって、落としても濡れても故障しなかった頼もしいペンタックスLXに、カビがはえたのか経年変化か、接触不良が出てきた。
基本的な動作はするので放っておこうかとも思ったが、定期検査だと思って製造元に持って行ったら、分解作業料だけで1万7千円も宣告されてしまった。おまけに、大阪のスタッフでは手に負えない精密機種らしくて、職人芸を持ったスタッフが大阪にはいないので、東京送りになった。
渋々入院させてきたけれど、いやはや高くつくねー・・・と、ため息をもらしながらも、老犬を見舞うような(笑)気分になった。
ま、とことん、つきあってやろうか。
ハートだけ
at 2004 04/17 21:27 編集
サンケイ新聞は明快さナンバー1の新聞だ。予想通りの論調だから(笑)。
朝ナマでは「温厚で慎重な論客」という印象だった拓殖大学の森本敏さんが、イラクで解放された3人に雷を落としておられる。
「・・・国内で困っている人が多い。国内に目を向けずに途上国に行き英雄気取りで帰国して報告会などやる人がいるが、この節度のなさもひどい・・・」
という調子。
朝日新聞だったら、「これでNGO活動が萎縮するようなことになると、イラクの子供たちはどうなるのだろう」と書きそうだ。
戦災が報道されて、純粋まっすぐ頭の中で、「私」と「イラクの子供」がショートしてしまうと、危機管理が置き去りになっても不思議はない。
そして何かあったときには、自分が飛び出して着た国の政府に助けてもらうことになる。それは一応、日本国籍を持つ日本人の権利ではあるけどねえ・・・。
「途上国の子供」に、日本のおにーちゃん・おねーちゃんは弱い。
日本の身近で自殺しかかっているオヤジの話し相手はしたくなくても、途上国の子供には何かスペシャルな気持ちになる(のかな?)。
たしかに、罪のない子供の被災、貧困や病気は気の毒だと思う。
その不幸に、だれが責任を持って救うべきかといえば、第一に親だろう。子供の面倒をみられる親がいなければ、政治の仕事。政府にその力がなければ、ODA。
それでは草の根に届かないから、NGOや未組織ボランティアが活躍するのだが、ともかく命あっての活動である。
だから、他国からの援助を求める国には、「食糧や医療、教育や仕事は提供するから、安全は用意しろ」と言ってもいいと思う。
それができていない国があるとしたら、あえて命を捨てに行くべきだろうか。
かつて、UNHCRの緒方貞子さんが「国際貢献、国際貢献と騒いでいる国は日本人だけ。普通に国内で地球社会のことを考えながらやっていることが、自然に国際貢献につながるんです」というような熱弁をふるっておられた場面を、ふと思い出す。
どうしても「国際色」のある援助(笑)をしたい人は、国内に居場所はないのだろうか。危険がない活動は、魅力がないのか?
たとえばイラクの子供の面倒をみたいなら、日本に呼んで保護・養育するとか、そんな活動があってもいい。
入管政策の壁はたしかにあって難儀するだろうが、法の網の目を探るような救援活動も、立派な人道支援活動だと僕は思う。
海外に「援助」「救援」に行く人は、国内のホームレスや犯罪、障害者問題、介護問題をどうとらえた上で出て行くのだろうか。
一概にそれが悪いというつもりはないし、自分に合う活動が海外にあっただけなのかもしれない。自分中心で考えれば。
逆に、「戦乱の地で教育や福祉や医療の仕事をする人材」として求められる条件というのがあるわけで、それに自分は適合するか?と考えてみるのが、現地の立場に立った発想だと思う。
震災後の神戸には、アメリカからカウンセラーが心理救援にやってきた。
そして、地元のお年寄りに接した後、「目をみて話してくれない」と批判的な評価を口にして、帰れコールを浴びた。当たり前だ。それが日本人なのだ。
日本語もわからないアメリカ人カウンセラーには、言葉もアメリカ人の気持ちもカウンセリングも「わからないづくし」の被災高齢者が、まず「おびえ」を感じるのは自然ではないか。
ボランティアは(そのお気持ちは)とりあえずありがたいけれど、被災者の立場に立った支援をするなら、こちらの人間の言葉や習慣をよく理解している人に来てほしい――僕の研究を励ましてくれた北朝鮮系病院長のドクターは、そう語っておられた。
そう発信しないと、主体的な生活復興はかえって遠ざかるのだと被災住民は学んだのである。
人道支援に行く国には、「輝く瞳の子供」もたくさんいる一方で、「白い肌を狙う暴漢」もウジャウジャいる。「日本人を誘拐すると俺の生涯所得の何倍ものジャパンマネーを脅し取れる」と考える輩もいる。
「皆いい人ばかりです!!」などと手放しで絶賛する支援家を見ると、そこに途上国への蔑視が垣間みえる僕は、歪んでいるのか?
自分の尻をふけない在外日本人の実態も、もっと報じられてもいい。その功罪両面も。
自分の出したゴミやウンコを被災者に掃除させてるボランティアもおったぞ神戸には(笑)。
護身術も知らない女の子でも、「スマイルで国際交流」とそそのかすビジネスも、罪つくりやなぁと思う。
今、そんな業者が狙う新たなターゲットは、シルバーボランティアだ。
日本の高齢者の平均貯蓄額は世界一で2300万円。これが知れ渡ると(もう知られてるか?)誘拐に強盗に詐欺・・・増えまっせ!
日本刀でも持って行くかね?
さいころトーク
at 2004 04/18 18:49 編集
古本屋に『イバラード博物誌』が出ていたので、ちとなつかしいなぁと思って衝動買い。
サンマルクでお茶しながら「釣果」をチェックするのが、ささやかな楽しみだ。
あっちのテーブルに、13歳少女4人組がいて、かわいくお茶している。「ねーねー、次だれの番?」「お題は?」てな調子で、お題振りトークをやっている。「ナサバナ!」とか「アンッフォゲタブル!」なんていう、昼下がりのアレでんな。
ほほえましくて、よろしいねぇ。
「純喫茶」の類だと、こんな場面は見られないと思う。あんなとこに来ている少女といえば三原順子(笑)と昔なら決まっていた。
僕も純喫茶にはなじみがない。一時うわさになった「不純喫茶」も行きそびれた。
これで大スポを置いてたら申し分ないがなぁ・・・と注文をテレパシーしつつ、ホコテンに面してドアを開け放ったサンマルクが、やはりいい。
スピリチュアル劇場
at 2004 04/19 23:55 編集
ペケジャパンの元メンバーが関係している施設が、またまたカルトだ洗脳だ児童虐待だと騒動を起こしている…のか?
真相はわからないので、個人的に信頼している紀藤弁護士が訴追運動をしている点で、「これは事件らしい」と思うばかり。
それにしても、カルト事件は後を絶たない。「ブーム」が終わったように見える自己啓発セミナーも、報道ブームが下火になっただけで、現象としては安定したビジネスになってしまった気がする。
「焼肉のたれスピリチュアルカウンセラー」は女性誌でモテモテ、ドクター風水もすっかりおなじみ、韮沢さんはおもしろい、和歌山をウォーキングすれば日本人でも公爵である・・・で、迎え撃つ大槻教授サイドは、少し元気がない。
世界ではイスラムとユダヤの死闘が泥沼化しているのに、日本の内紛はのどかそのもの。いや、被害者は気の毒だが。
我が子の洗脳に家族が抵抗したり奪回したりするのは、もう一昔前の構図で、今は親子まるごと入信するのがトレンドだ。地域社会や、親戚の絆は、怪しい教えや団体をチェックする力を持っていない。
どころか、今は義務教育から「心のノート」でスピリチュアリティとやらを注入される。心は「対象」化され、修理したり操作したりできるものモノだと勘違いされる。
その落とし子として生まれた浮遊感覚や存在不安、たしかな手応え願望etcetcが、伝統的なしがらみに縛られていない人たちを「スピリチュアリティ」に向かわせるのだろうと思う。
何教も信じない、「自分は自分」と思い込んでいる人が感染しやすいドグマもある。批判されても、聖職者のまなざしで慈悲深く聞き流す、ハイレベルな勘違いさんもいる。
えてして自尊心と偏差値は高いが、生活能力は低い。こんなのに「支援」や「救済」をされている弱者というのも、気の毒な存在だと思う。安定した「クライアント」の座に張り付けられて、論文のネタにされるだけなのに。
そんな舞台から下りること、治療関係を相対化して観察してみることは、支援業界の存在意義を揺るがすのでタブー視される。
けれど、やはり専門家は妙に多すぎる。
人の魂の領域にまで踏み込んで、おのれの手柄にするなって。
ハルスベリ
at 2004 04/20 12:44 編集
夜勤疲れで、放ったらかしになっていたきのうの朝刊をめくっていて、うぬぬぬぬ…と、一人どよめいた。
新神戸駅で、スキー板を線路に落とした客のおかげで、新幹線が12分遅れて2500人に影響が出た云々の記事である。
このうっかり者、どこかで滑って新神戸で降りたところだったのだろう。まさか新神戸駅の裏山の六甲山人工スキー場ではない。
そりゃ志賀高原あたりはまだゲレンデスキーができるし、立山という冒険も考えられる。ただ、雪はあっても、地元の空気といのがネックなのだ。僕も5月に板をかついで滑りに行ったことが何度もあるが、電車が名古屋を過ぎるあたりまで、笑い者になりつつヂッと耐えていた。
もう桜前線が通りすぎた関西では、スキーなど完全に忘れ去られているのに、おぉ同志よ!と快哉を叫んだ(ほとんど勝手にスキーをしてきたマニアと断定してるけど)。
見習いたいものだ。
好調先生!
at 2004 04/21 13:37 編集
小・中・高校の民間人校長が、すでに60人を超えているそうだ。
一番多いのが広島県で、一方ここは、去年民間から「推薦」されて、「研修わずか2日」で赴任した校長先生が、激務に追われて自殺している。
教育行政の管理職に、いきなり民間から転身してくると、叩き上げのセンセイ方と仲良くなるのは大変だろうと思う。ほんと、ご苦労さまなこと。
とはいえ、違う畑から移ってくる先生がもっと増えて、風穴が開くのはいい。
逆に、叩き上げのセンセイ方が管理職になろうと思えば、民間企業に何年か勤めて(給料は会社からもらいなさいよ、税金じゃなくて)役人天国以外の実社会を知ることを、条件にしてもいい。
僕の勤務先は、逆に叩き上げの肩身が狭く、業界経験者が優遇されている。
ある程度大人が対象の学校だと、「教科書をしゃべる」ような叩き上げの教師より、教科書に書いてないことを知っている先達に、学ぶべきものを見て取るのだと思う。
とはいえ、乱暴に「生え抜き先生無用論」を唱えるつもりはない。
義務教育のうちから、「おまえのコア・コンピタンスは何か」とか「エンプロイアビリティを高めろ」なんて檄を飛ばされるのも、なんだかなぁ・・・と息がつまる感じがする。
実務を学びたければ、すぐ現場に出ればいいわけで、学校には学校でしか学べないことが確かにある。18歳までに答えが見つからないことも多々ある。
収入には結びつかなくても、窮地に落とされたとき救われるものが、1つでも若いうちに心に取りこんでおければ、それが教育の価値だろうと思う。
僕は「あぁ古典を習っておいてよかった」と思う。
トホホな気分のときは、竹取物語や雨月物語をつまみ読みして空想の世界で気を紛らせられる程度の読む力は、文法を叩き込まれたおかげで十分の一ぐらいは残っている。消されていることばを想像しながら読む古典は、いたずらな著者と想像する読者のキャッチボールのような、とても立体的な楽しみ方ができる。
決して優等生だった…わけではなくて、ゆとりはあった。その場で感覚的につまらないとか、来年の受験で役に立つとか、そんな時間感覚はなかった。
ときどき、80歳ぐらいで生涯学習に燃えていて、「まぁ気長にやりますわ」と笑っている老人がいるが、僕は十代にして老人だったのかもしれない(!?)。
今も余裕がありすぎて、結婚を焦らない僕に老母は焦りまくっているが(笑)。
ただ、何かとせちがらい今なら、ゆとりがほしくても、ゆとりに脅える人もいる。メールはいつ入ってくるかわからんし、本1回まともにぢっくり読めない。かといってメールが1日なければ不安だろうし。
不幸なことに、学校が勉強嫌いを育ててしまう面も確かにある。
対処法をどうこうする前に、これはもう、持って生まれた人生観が生徒それぞれに違うと考えるしかない。悠長な子はいつまでも泥んこ遊びをしているし、生き急ぎをする子は喫煙したり交尾したりして体を蝕む。
こんなに多様な子の生きざまを学校教育という制度文化はカバーしきれないわけで、だから本当に音楽にこだわる子は家庭教師や芸能プロダクションにつく。
そうしたくても、経済的に余裕がなくて才能が埋もれたままの子にチャンスを与えるのが、公教育の使命だろう。
ただ、チャンスは試験や内申で強制する必要はない。チャンスを棒に振る者、つかみ取る者がいて、その結果としての格差はしかたない。
ただ、しまった!!と思ったとき、勉強しなおせる場はほしい。
「今やらないと来年えらい目に遭う」と、会社の決算みたいな感覚が学校に持ち込まれて効率ばかり重視されると、そこは養鶏場と化すのではないだろうか。
じっくり時間をかけて、成果も生涯スパンで見えてくる教養教育をおそろかにすると、とんでもなく視野の狭い専門家が生産されて行くような気もする。
だから、日本以外の先進国は、医学校でも教育大でも政治経済分野でも、リベラル・アーツを捨てないのである。
アジアのリーダーたちは、世界標準の教養人が多い。浅い意味でのグローバル・スタンダードではなく、ゴッホの見方もチャイコフスキーの聴き方も身につけた上で、論語を語り、仏教を実践できる。
日本の教育で、そんな教養人が育つだろうか。
幸か不幸か、アジア諸国でリーダーになるには欧米諸国に留学することがワンステップになっているのに対して、日本は東大や上級公務員に合格すると「とりあえず安泰」だから、受験英語・受験数学・受験理科が目標になってしまっている。
産業の現場から学校世界へ入って来るプロフェッショナルに少し不安を感じるのが、この「人間形成のゆとり」や「ハンドルさばきの遊び」のような部分をどう教えられるか?という点だ。
たしかに仕事経験で磨かれる人間性もあるが、平和な社会だからこそ、教養教育は大切にした方がいいと思う。
民間人校長をルポしていた番組で語っていた元銀行マンの校長先生は、「なぜ?」と部下からも生徒からも問われて、言葉を選びつつとまどっていた。
なるほど、思うような発言ができないんでしょうな。
でも、クビのない別天地でぬるま湯に浸っている叩き上げのセンセイ方とも、受け身に浸っている生徒とも、もっと議論すればいいと思う。「センセイねぇ、あなたの英語の授業、発音なってないよ」「銀行マン校長、金融英語は入試に出ないのです!」「先生たち、どっちもクサい!」・・・とまぁ、こんなのは不毛の議論かな。
もし学校組織が大きく変わるきっかけになれば、生徒自身がスカウトや投票で「我が校の校長はこの人に!」と声を上げられるようになったら、教育革命になるかもしれない。
ヒラの先生の大抜擢もあるかもしれないし、北野武が引っ張りだこになるかもしれない。PTAが乗り出してきたら星野さんとか、黒木瞳は何十校もの校長を兼任することになりそうだ。
もう、不登校はなくなるね。親も頼まれなくても出入りして、地域との風通しもよくなる。
そうなるためには、生徒自身が自治意識を持って組織活動をする「コスト」も払う必要がある。
それが面倒だ、だれか勝手にやってくれ、と身近で「不良債権化」している無関心生徒を目覚めさせられたら、そのときこそ「生徒本位の学校」ができあがると思うのだが・・・。
あーしんど
at 2004 04/22 23:26 編集
今週は土日も仕事でぶっつづけ休みなし。
きのうは職場の行事で欠勤日で貴重な休養日になるはずだったのを、間抜けにも出勤してしまった。
あぁ、これで連休突入まで休みなしの10日間労働になってしまった。
自分で自分の首を絞めている感じで、こういうのはやり場のないトホホである。
どこかで札束でも拾わないもんかなー。
こんな青息吐息で連休といっても、ゴロゴロしているうちに終わってしまいそうだ。
景気よく10連休というわけには行かないし、学会で東京にも行かにゃならん。
「連休中都内のホテルは比較的すきます」という案内をもらったが、そんなものか?それだけ都民の皆さんが都内のホテルをふだん利用しているということか?行動パターンがよく読めんよほんま。
わざわざ高い料金払って海外に「脱出」する人民も多いが、テロ騒ぎもあることだし、いっそ皆さん国内で大シャッフル移動して、大阪に浪花っ子がいない、東京に江戸っ子がいない、沖縄が道産子だらけ・・・となるのも、非日常的でおもしろいと思う。
「昼と夜が逆転して、人であふれる深夜の街並み」という夢をときどき見るけれど、せまいようでミクロコスモスな日本、だれかが音頭をとってめまいがするような別世界を演出できるかもしれないぞ。
旅人のように、ガイドブックとカメラを持って神戸をうろついてみようか?
「あのー、ちょとスミマセン、いーじんかん行くに、どしたらいでしゅか!?」とか、いかにもアジアからの旅行者を演じて道を聞いたりして。
「ワタシ王族の息子ネ。島20モテルヨ。コンドミニアム800アリマシュゼヒヨメイリテクダサィウェルカムね」とかなんとか、悪乗りしそうだが。
初中毒
at 2004 04/23 22:41 編集
ヤキソバパンを朝飯用に買い置きしていたのが、朝飯用にばたばたしてておあずけになった。半ドン仕事で自宅へ奪取してランチにしようか・・・と思っていたら、「おーい、メシ食わない?」とでんきがま電話が入ってきて、ヤロー二人でイタめし屋である。
「ヤキソバパン・・・?そんなん午後のおやつにすればええねん」てな乗りである。
結局その通りにしたが、今週はどうも腹の調子が悪い。
悪化もしないが良くもならないので、思い切ってかかりつけ病院に行ってみた。研究で15年来お世話になっているDr.キム院長がたまたまおられて、見てもらった。この病院はふらっと行ってもすぐ見てもらえて、検査も手際よく早い。触診、エコー、血液、シモの検査をさささっとやって、「腸炎やね」。で点滴を受けて、「しばらく絶食」と判決を受けてしまった。抗生物質をもらって、計2時間で一応のクロシロがついた。
食あたりの自覚はないのに、ともかく名医の診断結果は、生まれて初めての意外な判決だった。
落ちてるパンを食っても、銭湯に浸してつくったチキンラーメンを食っても(あ、これ弟の前科だ)、期限切れの牛乳も卵も、およそ当たったということがなかったのだが、いよいよ最強の肝臓も疲れを見せたわけか。
あぁしかししかし、絶食はかなりきびしい。休養はさせてやりたいけどなぁ。
ヤキソバパンが最後の晩餐というのも、情けないではないか。
雑踏を歩けば、海鮮丼やらマーボー豆腐やら、好物の看板がやたらちらついて見えるし、おぉ!焼きたて自慢のイスズベーカリーは「イチゴフェア」なんかやってるぞ。
うーん、消化にいいものなら、800回咀嚼して胃腸に優しく食えば、ええかな?・・・ええよね?・・・ええい自己責任!
と勝手な解釈をして、モス海鮮ライスバーガーに手が伸びてしまった。先生すみませーん!!
これでも、ふだんの夕食の半分ほどのボリュームだが・・・。
しかし、初めてオーダーしたモス海鮮ライスバーガーは、もう、ハンバーガーではないやね。おむすびに海鮮かきあげがはさまれていて、パンもハンバーガーも、影も形もない。
うまかったけど。
あぁ、まさかこれが正真正銘の最後の晩餐にならんよう、祈るばかり。
MMB
at 2004 04/24 12:32 編集
朝イチで大阪へ休日出勤。守口のあと、谷町へ。
乗り換えで、魔界・京橋、冥界・天満を通ると、食事制限にはつらい「うまいもん屋」が目について毒々しい。
ま、パンなら800回咀嚼して、ヨシとしましょう。ふだんの勢いならサバ味噌煮定食!という流れだから、それにくらべると充分に病人食ではないか。
勝手な理屈だが。
勝手といえば、おいダイムラーよ、三菱を牛耳っておいて、資金援助を見限るって、それは勝手やないかい?と思う。
「ビデオとプロバイダーは三菱」という以外、ナイカー族の僕は、別にMMCに義理があるわけではないが、ちと気の毒だ。業績不振とはいえ。
昔はギャラン、バブリー時代にはパジェロ、こけてぃっしゅに(笑)ミラージュマリオン、たのもしいデリカワゴン、渋いレグナム・・・MMCの車は、けっこう多彩で「あれもこれも」ほしくなる。ミニカーでも集めてみようか?
トヨタには、こんな熱愛・偏愛される車はあるだろうか(犬とメリーのスカイラインのようなレジェンドカーは、トヨタならセリカXXかな?)。
会社規模に比較して、多彩な名車ラインを広げすぎたのかもしれないが、ほんと三菱カーはおもしろい。上は本物の戦車や装甲車まであるし(笑)。
おいダイムラーよ、けちなこと言わずに、ハーケンクロイツつきのハマーみたいな車を共同開発してみたらどや?
オチは、ラリったやつがラリー気取りで河原や砂浜を暴走するだけかもしれないが。
新車開発もどうなるか、ひとごとながら心配してしまう。
二輪にでも進出してみたらいいのに。「三菱モーターバイク」って。僕は自転車専門だから、「三菱マウンテンバイク」も熱烈歓迎するぞ。
医師を投げれば医師に当たる
at 2004 04/25 20:51 編集
ちょうど病気療養に充てられそうな土曜日が、7時起きでヘルパー講座に出張、そのあと大学財務分析の勉強会みっちり5時間でグッタリ。こりゃ免疫力がいちぢるぢるぢるしく低下したはずだ。
今日は大阪で丸一日、お医者さま数百名が充満する国際会議場で、シンポジウムをぢっっっくり拝聴。たまたま神戸から主治医も来ておられたし、いつ倒れても心配ないが(笑)、倒れずにもった。
お医者さまが奮闘しておられるのはよくわかる。研修制度改革や大学独立法人化、専門医認定制度等々、たしかに不安定要因もある。
でも、医学部を出て「先生!」と呼ばれて、自営業者の苦労も、偏差値40の子の屈折感も、失業者の挫折感も、別世界だったりするのも現実だ。
ある意味、教育学部を出て一直線の教諭と似ている。
教諭は会社員や芸能人に転身するケースがあるが、医者はどうだろう。逆に、別の職種から医学部に入って医者になる人はいるが、外科は高齢の学生を歓迎してないのが今日よくわかった。
たしかに、二十代までに身も心も捧げて習ったことは、なかなか方向転換しにくいだろうな。
精神科や老人医療だと、「いろんな人生経験」や「寄り道」も役に立つかもしれないが、あんまり「患者と話が弾む」ほどの人生経験を医者に求めてもしかたないと思う。病気、けがを治してなんぼ、だから。
今日も、医者で仏教者という高名な先生から、「スピリチュアル・ケア」という言葉が厳かに出てきた。
患者のスピリチュアリティを理解するのは、まぁした方がいいとは思う。けれど、医者の仕事はやはりサイエンスにもとづいてほしい。
スピリチュアルといっても、キリストやマホメットや釈迦なんかより、上司に帰依して、職場が聖域化しているのが現実だろうから。
老兵は死なず
at 2004 04/26 22:58 編集
老兵・・・なんて擬人化をするともう重症だが、使い古してガタがきた愛機LXが完治しましたよ♪と電話をもらって、新大阪での仕事の空き時間に長堀橋まで取りに行ってきた。
治療費は見積もりより安くて、それでも1万5000円。老兵はなかなか金がかかるなぁ。
それでも、見捨てませんよっ!
カビかサビかはわからんが、「金属部品の腐食」が故障の原因だった。
使い過ぎがよくないのか、使わないのがよくないのか、わかりにくくて困る。
6本もレンズをそろえて、ボディはLX1つに頼っているから、過労気味なのかもしれない。
でも、サブを買うと老兵LXの出番が減ってボケるのではないかと気遣って、治し直しLXばかり使ってきた。この熱い期待を、老兵は現場(山)で裏切らなかった。しばらく家に放置している間に、腐食が進んだのだった。
連休には、働いてもらおうかな。
すると今度は親父の形見のニコンが・・・あぁ、指揮官はつらいよ(独り戦争ごっこ?)。
老兵は死なず
at 2004 04/26 22:59 編集
老兵・・・なんて擬人化をするともう重症だが、使い古してガタがきた愛機LXが完治しましたよ♪と電話をもらって、新大阪での仕事の空き時間に長堀橋まで取りに行ってきた。
治療費は見積もりより安くて、それでも1万5000円。老兵はなかなか金がかかるなぁ。
それでも、見捨てませんよっ!
カビかサビかはわからんが、「金属部品の腐食」が故障の原因だった。
使い過ぎがよくないのか、使わないのがよくないのか、わかりにくくて困る。
6本もレンズをそろえて、ボディはLX1つに頼っているから、過労気味なのかもしれない。
でも、サブを買うと老兵LXの出番が減ってボケるのではないかと気遣って、治し直しLXばかり使ってきた。この熱い期待を、老兵は現場(山)で裏切らなかった。しばらく家に放置している間に、腐食が進んだのだった。
連休には、働いてもらおうかな。
すると今度は親父の形見のニコンが・・・あぁ、指揮官はつらいよ(独り戦争ごっこ?)。
儀式
at 2004 04/27 22:53 編集
大臣が年金に未加入なのはけしからん!
と野党が怒って、国会が空転している。
けどまぁ、枝葉の問題だし、なんだか儀礼くさい。
自分が年金に加入していないで国民から絞り取る――のは、なるほど国民感情からすると許せないだろう。
面目の問題かもしれない。
最初から、政治家は聖人君子とは思われていないから、年金未加入だけではないだろなーという気もする。
だから、いかにも「いじめられキャラ」のぼんぼん大臣をバッシングして納得してるだけだと、永田町の思うツボ。
僕が閣僚の末席にいたら、言い返すだろう。
「そりゃミスはミスですから改めますカタヂケナイ!ところで、あなた宅にパラサイトしてるフリーターのお子さん、払っておるのですかな?」
プレ・メーデー・イブ
at 2004 04/28 17:22 編集
今日は午後出勤。
ちょうどランチタイムに家を出るので、近所の家の新築現場で、大工さんが建材にすわって握り飯にぱくついたり、一服くゆらせたりしている。
空は青く、風は涼しく、ツツジは咲き、木の香り・・・平和で、いい眺めだ。ランチジャーも、あこがれるなぁ。まぁ、お仕事はきついだろうけど。
生家のとなりにあった病院では、昼休みに職員がよく輪投げをしていた。これも、健康的な気晴らしで、いいものだ。
そういえば、予備校の近所にあった神戸大学医学部の庭で、白衣姿でバレーボールしている学生か医者がいたが、健康的なようで、不衛生のようで、複雑な眺めだった。「ナース姿のテニス」は見たことがないけど。
快速電車に乗ったら、真新しいスーツのOLか女子大生かが、こっそりパンを食っている。
なかなか苦労してますな。
僕も車内昼食せにゃならんときがある。勤労者の皆さん、お互いがんばりましょう!
ソフトな毛
at 2004 04/29 14:34 編集
連休は飛び飛びだし、人込みの中に飛び込んで行く勇気がないので、まるで「お父さんの日曜日」だ。
どれどれ・・・と、fテレパルをぱらぱら。
ワシには不似合いな御婦人向け番組情報誌である。300円と一番安いのでお買い得なのよ気分だ。
ところがどうして、美容に旅に食い気と、憎いまでに我がツボをおさえてくれている。
しかしなぁ、なんじゃいそのサンダル!人体の足は、そげな形しとったかぁ!?
おい柴咲コウ、あんた足に何巻きつけとるかに。贈りもんのラッピングかぁ!?
彼女がこげな「おファッションIでデートに参上なさった日にゃー、ひっつき虫やらカマキリやら麦藁やらはさまってしかたないやね。
「ロケ地を旅する」とやらで出てくる、ソウルの案内人「ドンさま」て、なんじゃとて。ヨンさまの次はドンさまか。ドンとくりゃ、闇の帝王じゃがね。
とまぁ、けっこう一人で会話できるのがお買い得である。
結局、5月いっぱい、見たい!という番組はなかった。
そのくせ、テレビつきワイドバンドレシーバーを買ったりしているワシは、次はDVDビデオ・・・と物色している。
ハードがあってソフト不毛。
うーん、日本のインフラの縮図だな。
アンドロイドジナス
at 2004 04/30 12:57 編集
冬スーツ3セットをまとめてクリーニングに出してきた。
2200円・・・意外に安いわ〜うれしい!!
と、主婦ヨロコビを胸に秘めつつ(笑)帰ってきた。
本物なら、
「ねーねー、聞いてよ、午前中だと1割引になるのよ」
てとこだろうけど、主夫野郎だと
「よーよー聞いてくれよな、午前中だと1割引になるんだぜ」
てな乗りになるのかな。
「ふんふん、そうかい・・・」と無愛想に答える妻は外科医。いいねぇこういうのも。
「生まれ変わるなら女」と思う人が、初めて「男希望者」を上回ったのだそうな。
そうかい御同輩!
というつもりはない。普通に人として暮らしをやりくりしていると、主婦業も大黒柱役もこなしつつ両性具有になって行くものだと思うから。
男も女も弱気になっているのか?
かわいく無難にやんわりまったり生きて行きたいのか?
ふと、ビロード革命という言葉を思い出す。それもいいかもしれない。
男であることに疲れているのか、御同輩!
生きた証しは仕事より我が子で・・・ということなのか?
シングルパパ、シングルママからは、どう感じているだろう。
女装して女湯に入っていたヤローが最近あちこちで発覚しているが、これも何かの兆しなのだろうか(笑)。
逆のパターンは聞かない。サファイヤ王子みたいで美しい話なんだがなぁ。
「慣れているから、今のままでいいや」という程度にしか考えない僕にはわからん女性化現象だ。
そりゃたしかに、ふだん男女平等を訴えていても、人質になれば「女・子供・老人は解放してやる」と言ってもらえる可能性は高い。
女性専用車にも乗れる。まじめなエステ(笑)にも行ける。
トイレが混んでいたら「あーらごめんなさいね、ちょいとさせてね」とヌケヌケと男子トイレに入っても、決して犯罪にならない。
女性の特典は、たしかに多い。
そんな下世話な便利さは、でもそれだけのこと。
人間社会の摂理のようなものが働いて、いろいろな場面で女性と子供は守られやすい。
子宮という1つの宇宙を宿して生きているわけだから、粗末にするとバチが当たりそうな気もする(て次元の感覚でもないか)。
日本人は、どんどん宇宙を宿したい気分に傾いているのだろうか。
ちょっと検討させていただきたい。
毎日のヒゲ剃りと、毎月の出血。どっちを受け入れるか。
お産1回分と、便秘100回と、どっちを耐えるか。
過労死一歩手前と「職場の花」のどっちが惨めか。
結局、「慣れの問題」に落ち着きそうな気もする。
さしあたって、「喫茶店おしぼり世界一周」ができるのは男のプチ極楽だろうな。