2004.07.31 Saturday
超英語
at 2004 07/01 11:00 編集
国立国語研究所が、外来語の日本語言い換え案を出していて、半分ぐらいは納得できるのだが、「オンライン」などはそのままで行こうということになったそうな。
そりゃそうだ。回線接続なんて案より、「接続中」の方が、前置詞onのニュアンス・・・おっと意味合いをよくあらわしているのではないだろうか。
「不自然つながり」でいえば、僕の母校など、ミッションスクールということになっているが、国立国語研究所は「使節団学校」と呼びたいらしい。ザビエルご一行様でも出てきそうやな(笑)。
アカウンタビリティー(説明責任)やガバナンス(統治)、コンプライアンス(法令遵守)のような経営関連用語は、あんまり得々と使われると煙に巻かれる感じもするから、たしかに日本語化した方がいい。
ポマード頭の若手起業家みたいなあんちゃんが「ソリューション(問題解決)」なんて多用していると、「おいおい、要するに売りつけたっちゅうことやろ」と突っこみたくもなるわい。
学者の間で意見が分かれているのが、ドメスティックバイオレンス。「配偶者間暴力」とすると、恋人や別れた配偶者からの暴力、ストーキングがこぼれ落ちてしまう。そういえばセクハラも、以前から定義と「運用」のギャップが解決していない。
あと、ユニバーサルデザイン→万人向け設計も少し笑ってしまった。いや、おっしゃる通りなんだが・・・。
医者との個人的つきあいの中で、また肉親を無残に扱われた一般素人の立場として、「インフォームド・コンセント」はまだまだ医者に都合よく使われているように思う。「説明したんだから同意してくれなくちゃー」というプレッシャー、いや無言の圧力がこもっているカタカナ用語なのである。
本来なら、「インフォメーション&チョイス」「選択のための惰報開示」でなければ困るのに。
もはや「言い換え」も「是正」も絶望するしかないカタカナ世界は、『Ray』『ViVi』『Can Cam』『an・an』の類に満載されている。
いや別に『装苑』『婦人公論』のように誌名変更せんでもいいが、カタカナで塗りつぶされていても右綴じ左開きを変えると読者が離れて行くところは日本だなぁと思う。
案外わかりやすい雑誌が『卵』だったりして、この中はチョー絶そのものの魔界だ(笑)。カタカナ雑誌は、ここまでぶっ飛んでくれたらアッパレだと思うが・・・。
夏さっくり
at 2004 07/02 16:40 編集
海開き・山開きである!
海の日生まれのワシは、山に誘われている。
両方行きまっせ!
旧友とライブカフェで昼飯を共にしたのだが、こやつが生保マンで、なんとか加入させようと虎視眈々な(笑)様子がうかがえる。まー、こじれる損失と会社の利益と自分の利益を秤にかけると、手近なところから営業するというのはあまり賢くないと思う。
今日も、当たり障りのないバカ話でうやむやに「ランチ終了」である。
帰宅して、「スイカ開き」を挙行した。
デザートの類は除いて、今年初めての「それらしい場面」でのスイカである。
甘くて極上だった。サクッと夏が始まった感じ。
真夏なみの日差しと気温だが、陽が傾くと、風がスヤヤヤヤ〜〜〜っと部屋を吹き抜けてくれて涼しい。
選挙運動だけがけたたましい。となりが病院だと静かなもんだが、マンションだと運動カーの標的になるから、とんだとばっちりである。
政治や金融や、渦巻く欲を浴びたような一日だった。
あ、まだナイトスクープを見ないと今日は終わらんな。
クレイマー、クレーマー
at 2004 07/03 11:59 編集
もしかして、あえて四方八方からいちゃもんをつけられるよう、挑発的に編集しているのだろうか、女性週刊誌というやつは。
おせっかいにも、雅子様問題では、「再度の転地療養」をすすめ「愛子さまの養育問題」にくちばしをはさんだ
●雅子さまあて手紙つき
が目玉になっている。
この調子で、
・浩宮さまへの慰問状
・宮内庁への嘆願書
・天皇陛下ガン見舞い状
・紀宮さまへあて「嫁入りのおすすめ」
・ついでに秋篠宮さまあて「白髪見舞い」
がベッカム、いや別冊になって「豪華5大付録つき」になったりしないだろうか。
「保坂、高岡離婚の深層」には、遥洋子と田島陽子が飛車・角になって攻めて行きそうなフレーズが出ている。
●すでに4年で破綻していた、「主夫業」に疲れ果てた夫と「女」を取り戻したかった妻
あのねぇ、女を取り戻すって、家庭に入るってことなの!?男が家事して何がいけないのさ!!
てな具合に噛みつきそうだ。
●「賢い節約 通信費まるごと半額に!」
では、6万円の携帯費用が3万円になったというモデルケースが紹介されている。
あのねぇ、月6万円が異常ではないか?批判覚悟でいうと、そりゃ病気です。
節約術から数ミリはなれたページでは、
●ミリオネーゼに学ぶ、お金持ちになる極意
って、あたたたたたた・・・・とずっこけるがな。
ミリオネーゼ(もどきを含む)って、つきあいはないからわからないが、たぶん「稼いでいる女性経営者」という意味合いではなく、稼ぐ旦那のコバンザメのことであると仮定する。見習ってしまうと「出費がミリオネーゼ」になるだけではなかろうか。
まぁ、ツケは旦那に回るだけだから、要は人のいい金脈男をつかまえて、離婚させないようなテクニックを教えてあげるわん・・・ということなのだろう。
僕が女性なら、真剣に学んで実践すると思う。「相手の立場に立って考えなさい」とは、よく教育されたことでもあるし(笑)。
「高岡早紀の夫」は、小耳にはさんだニュースによると、「離婚はしたが同居して生活はそのまま。子供の親権は父親」だそうな。
太っ腹というか、えらいぞクレイマークレイマー保坂。子供を手放しちゃいけませんぜ旦那!
うちの「父兄」と同じパターンだが、僕もその血を引けるだろうか・・・。
こんな野望をちらつかせるから、警戒されるのかね?(笑)
静香に・・・
at 2004 07/04 12:46 編集
僕の住むフロアには、好青年お住まいの北の角部屋と、好色中年お住まいの南の角部屋と、サンドイッチになった真ん中部屋との3つがある。
長らく空いたままの隣室に、ドタバタと人の気配。ごくたまーに来る、物件を見に来る客なのだろう。
好青年宅を訪れて、なんと部屋の中を見せてもらってワーワーおしゃべりしている。好青年君も、彼自身引っ越してきたばかりだから、「なんかあつかましいなー」と思いながら、招き入れてしまったのだろう。
この勢いが、次はうちに・・・!?
イカン!
拝殿やら、製造中の爆弾やら、ホルマリン漬けの標本やらに卒倒されると面倒なことになる。
しゃーないなー・・・と思いながら、コンビニに避難することにした。
「あら、お出かけですか?」と、レレレのおじさん風の当たり前の声をかけられる。
「ちょっと見せていただいてるんですけど」・・・(わかってますって)
「こぶ平の母」と小林カツ代みたいなおばさんズと、工藤静香の3人が廊下でたむろしていた。前に出ているのが「こぶ平の母」で、工藤静香はあいさつもしよらん。
だれが当事者なのだろうか。
小林カツ代さんなら大歓迎だが・・・。
大家さんの経営を考えると、「満室御礼」をお祈りしたいところだが、隣も真下も空室の最上階角部屋というのは、一軒家のような静かな生活ができて、なかなか捨てがたい。
山口もえとか、鈴木京香が隣にいたりすると(絶対ないだろうが)、天下平安・安寧秩序・公序良俗が乱れるわい。
静かな生活は、いつまで続くだろうか。
γGTP上り調子
at 2004 07/05 17:25 編集
あと2週間でバケーション!という今ごろが、疲れのピーク。
今朝は初めて新大阪駅前で蝉の声を聞いた気がする。
「蝉しぐれ」を初めて知ったのは、いつの日のことだっただろう。
今なら風雅な季語やなぁと思うが、文学に素養ゼロの餓鬼だった僕は、「セミを乾燥させて粉々に砕いてふりかけたかき氷」だと思っていたもんだ。どんな味やろ・・・あんまり食う気せんなぁ・・・とおびえつつ(笑)。
疲れると食い気で昇華しようとするのか、新聞でチラッと「タイタンに氷とメタンの雲」の見出しを見ると、「タンメンと氷」に見えてしまった。熱い麺と涼味・・・ええもんやなぁ、てな感じで。
いやほんま、疲労も重症だ。γGTPは「要検査」の値をつきつけてきているし。
昼休みは、また新顔のカレーショップを査察してきた。
コロッケカレー630円。こりゃいかん。ただ、具なしのカレーの池にコロッケが浮かんでいるだけ。芸がないぞ!
と、あまりイライラするとγGTPがまた上がるだろうから、どうにでもなれクソー!と、わけのわからん憤懣パワーをシーナさんにもらって、わっせわっせと夜勤に向かうぞ!
「歩く人」序説
at 2004 07/06 12:51 編集
今さらながら、ウォークマンを買った。ラジオがついていて録音できてスピーカーが鳴る、まぁ何の変哲もない「ラジカセ」のカセットケースサイズというやつを。
MDだネットオーディオだという時代に、カセットテープというのもレトロな気分だ。
ラジカセというのは、もう完成に近い家電品カテゴリーだろうけど、このラジカセ(メーカーはウォークマン・シリーズに位置づけているが)、2年で機能アップして型番が「400」から「410」へ進化しているから、脈々と開発は進んでいるようだ。えらい!
オランダのフィリップス社がカセットテープを規格化したのが、35年ほど前。最初からコンセプトは携帯用だから、その後は
ポータブルカセットレコーダー
↓ラジオがついて
ラジカセ →TVがついたTVラジカセという亜流
↓CDがついて
CDラジカセ
↓MDがついて
MDラジカセ
↓カセがとれて
ラジMD
・・・と進化系統図が描けそうだが、ジルバップ、ヨコハマリバース、ハイファイマックetcetcが百花繚乱していたころが全盛期かな。あと、ジャッカルも(おマニヤ様にはわかる)。
ところが、カセットウォークマンで実現していた「外出先エアチェック」というのが、未だMDウォークマン単体ではできてないのが哀しい。AM受信回路にMDから干渉してくるノイズの問題を解決できていないのか、メーカーにやる気がないのか・・・。
「TVFMつき携帯電話」はあっても、AMが聞ける携帯電話は絶望的だ。おとーさんたちはナイターを聞きたいだろうに(笑)。
「素人芸」で、MDのライン録音でコードにトロイダルコアをかませてみたりして実験したが、なかなかデジタルノイズは取り除けない。
だから、この分野は今でも「ラジカセ」の独壇場だ。
とはいえ、実際、家でテープに録音した音楽を歩きながら聴くという習慣は、僕にはさっぱり身につかなかった。18歳でウォークマンがこの世に出たから、どっぷり浸っていたはずの世代だが、オヤジ少年だったから、ひたすらオープンリールのテープデッキを相手にしていた(これを背負ってウォークマンしている猛者も当時いたらしい)。
MDで携帯音楽がうんと手軽になっても、ソリッドオーディオの次代になっても、家で録音した音源を再生しても、なんだか「予定調和」の世界でしらけてしまうのだ。何度かやってみたけど。
なんだこの曲順は!と怒ってみても、それは自分のミスだし、うーんナイスな(=死語)録音だわーと悦に入るのもマスターベーションでしかない。世界が閉じているのだ。
ラジオは、リクエスト通りの内容が届かない。思うままにならないから、おもしろい。
思うままに書き込めるメディアがテープとMD(あとMP3の世界かな)、書き込めないメディアがCDとラジオ・・・と分類してみると、本とWEBの違いとも重なってくる。
大枚はたいて丸ごと購入するCDや書籍が敬遠されているようなご時世だが、アナクロな僕は、つい本と音楽ディスクの存在感に、今でもヒレフしてしまう。あっさりLPを見限ったくせに、現金なものだ。
今回の「ウォークマン買い替え」の布石には、「CDウォークマン初購入」があったのだが、その感想はまたあらためて。
笹の葉さーらさら
at 2004 07/07 16:58 編集
織女と牽牛が1年に一度、夜空で逢瀬を果たすという七夕・・・
生徒会センスの野暮なフェミニストなら、「なんで男が外で働いて女が家で織りものなのさー!!」と(田島口調やな)かみつくかもしれない。
ならば、時代に合った七夕物語にアレンジしなくてはいけない。
牛は家のペットで、牛追いは家に縛られ、織り姫は洋裁和裁学校を経営しているやり手だとか。
としても、こりゃ野暮な話やなぁ。
メスを入れると野暮な伝統文化の例としては、「世界遺産になった女人禁制の山」が身近でホットな話題だ。
国民の半分をシャットアウトしている具体的な寺や神社があれば、そういう宗教施設を公益法人として税制優遇するな!とアピールすればいいのではないだろうか。国民の半分にそっぽを向かれても独自に経営をやりくりする覚悟で女人禁制を貫けば、それはそれでひとつの文化として、別の意味で「遺産」になるだろうと思う。
という線で「女相撲はどうする?」と考え始めると暑苦しくてたまらんので、七夕日記は笹だんご、笹の葉寿司、笹餅・・・と食い気に逃げてお茶を濁すとしよう。
二枚舌
at 2004 07/08 08:11 編集
滋賀県で明るみに出た看護助手の患者殺し事件は、あまり「被疑者」の肩を持つのも不謹慎だろうが、ただの凶悪犯罪と同列には扱えない気がする。
動機や背景にしっかりメスを入れないと、犠牲者も浮かばれない。
動機には、なるほどなぁと思う面がなくもない。この24歳の看護助手の供述は、人事の問題をあぶり出しているようにも見えるから。
排泄介助やシーツ交換のような3K仕事ばかり与えられ、地位も低く見られていた――それは「そんなもんだよ」と言うしかない現実ではある。善し悪しは別として。どんな病院でも会社でも、資格と実績に応じて地位が決まってくるものだろう。
「患者ウケ いいから注射を 看護助手にも」と都々逸にすることはないが(笑)、まぁそんなことがあっては困る「命の現場」なのだ病院は。そこが、たたきあげで好成績をあげれば高い地位に昇って行ける政財界やネオン街との違いだろう。
問題が透けて見えるのは人事のありかただ。
おそらくどこでも、「助手も立派な、なくてはならないスタッフですよ」ということになってはいても、地位や評価は低くて、そのギャップに憤懣やるかたない・・・というのが若い3K労働者のホンネではないかと思う。
最初から、「君たちの地位は低い。看護師は看護助手を軽蔑しています。そんな現場でよければ採用する」というのがフェアプレーだろうが、それも無理がある。
看護職として昇進しようと思えば、与えられたポストで一生懸命働くほどチャンスは遠ざかる。それなら受験勉強にかじりついて看護大や専門職大学院に進むのが、「急がば回れ」のキャリアパスになっているのではないだろうか。
うちの母も、生前の父と同じ職場だったので、人事ネタを茶の間に持ち込んで「あの子は準看やからねぇ」というような言い方をしていた。高看と準看の間には、意識の溝があるものだなぁと感じたものだし、実際「正看」でも帽子に線が入っていたり勲章をつけていたり(こんなナースいないか)すると、無言で威風堂々としていたりする。ように見える。
資格や学歴による待遇格差はなくならないどころか、学ぶべきことがどんどん専門化・高度化している上に、責任も重大(リスクマネージメントのノウハウを個々人が武装しなくてはいけない)になって、ナースの高学歴指向・資格追求は進む一方だ。
数年前に職場で出会った短大卒の看護師は、「四大卒でないと管理職になりにくい時代なんです」と言って四大へ進学して行った。
「たたきあげ」で権威を高めてきた専門職は、次々に「近代化」の波を受けて、権威の再編成が進んでいる。
たとえば、福祉職の資格化は、僕が学生のころは実現してなかったが、今では法律や医学の知識まで採点されて資格認定される。
そうした動きがあるから僕の今の仕事があるわけで、一概に全否定するつもりはないし、おおむね「近代化」は必要だとは思う。
「たたきあげ」だけでは、現場の仕事が「よかれと思って一生懸命、結果的に人権侵害をしている」ようなことになっていても、なかなか気づかない。
看護職でも、地位の階層ができてくるのは、世界普遍の流れだろう。
上昇志向を持つプロには、進学したり資格を取得したりする機会がちゃんと保障されていてほしい。そこから先は本人の問題。
ただ、24歳という世代の女性には、別の不安もあるかもしれない。
労働市場で闘うべきか、花嫁市場(いやな表現だが現実問題として・・・)に移るのが得策か。
たしかに、僕の同級生世代の、大学院に進もうとする男子学生は、就職の心配をしてもらっていたものだが、女子学生は「嫁のもらい手がなくなるぞ」と、次元の違う心配を浴びせられていた。
まぁ今だとセクハラ視されかねないが、僕の世代の女性修士・女性博士は、みな無事に?家庭を持っている。
だから、キャリアか家庭か、早く昇進しないと嫁の行き先が・・・なんて悩みは、あまり本質的な問題とは思えない。キャリアウーマンが、キャリアに理解のない金持ちイケメンにあこがれるのが、そもそもの人生の過ち(笑)というだけ。
育児支援政策が未整備だとか、企業の女性登用が立ち遅れているとか、社会的な環境を問題視するのはわれわれ社会学屋さんに多い発想だが、自分のキャリアはもっと主体的に考えた方がええんでないかい?と思う、個人的には。
自分の仕事に評価が低ければ、評価を上げるチャレンジをする道が開かれている。
または、評価に合わせて仕事をする(または手を抜く)という労働者もいるだろう。そこに、管理職は気づきにくい。
これからも、似た事件は続発するのではないだろうか。
そういえば、パートスチュワーデスと正社員スチュワーデスが同じ仕事をしている「機内」は、大丈夫なのだろうか。
まさか、
正社員→幕内力士、Jリーグ、プロ野球一軍選手と噂
パート→幕下力士、J2、プロ野球二軍選手と噂
てな「割り振り」はないだろうが、万一、パートスチュワーデスが大リーガーと婚約でもした日には、世にも恐ろしいフライトになりそうだ。
MBAのNBA構想?
at 2004 07/09 13:59 編集
パ・リーグの合併縮小劇、今度はロッテとダイエーか!
やはり、球団経営の論理でコトが進んでいるわけかねぇ。
球団存続を最優先したい選手会側としては、買収してくれる会社にラブコールを送りたいだろうから、ライブドアに続いて、次は2ちゃんねる・・・か?
そうなれば、さぞかし掲示板上で監督采配やら選手のこきおろしが騒々しくなるだろうが、まぁ実際そんな買収はないだろう。
日本の球界は、ナベツネが「1リーグもいいじゃないか」といえばトントン拍子に進むはずだから、ファンと選手の頭越しに球界再編が推し進められて行く。これは果たして「野球文化」にとってプラスなのだろうか。
宮内オリックス社長が朝日にコメントを書いていて、「ファン層を厚くして行かねばならない!」とおっしゃることはその通りなのだが、だからこそ、しらけさせてもらっちゃ困る。
スポーツライターの玉木さんの熱弁によれば、「ファンが経営するチームがプロ野球本来の姿なんです」ということらしい。それも一理ありそうだ。
教科書にも載っているように、「所有と経営の分離」が資本主義の原則だが、親会社=オーネーが、球団経営に口をはさみすぎたり、売買したりすると、ファンはしらけてしまうように思う。
そういえば、ニューヨーク・ヤンキースは親会社がどこなのか、とんとわからない。
まぁマリナーズと任天堂の縁は日本人にはよく知られているけれど、メッツもドジャースも「球団会社」であって、何かの会社の球団ではない。少なくとも、表向きは。
だから、いっそバファローズも、近鉄をとって「大阪バファローズ株式会社」でファンに優先株を売って野球経営に専念してみてはいかがかと思う。
やるだけやってみてから、合併も最後の選択になる。
それが資本主義社会の経営の定石ではないのかな、MBAの宮内さんには「釈迦に説法」だろうけど。
チャーリーズ・エンジェルズ
at 2004 07/10 11:22 編集
飛行機から出てきたばかりのジェンキンスさんに、タラップ上で抱きついた曽我さんには感動した。
この世代の日本の夫婦が、こんなに熱い抱擁と接吻をしておるだろうか!
「亭主元気で留守がいい」なんてほざいておる主婦どもは、あの国に強制移住させてやればいい。
ジェンキンスさんも、写真では笠智衆のような枯れた印象だったのが、「動くジェンキンスさん」はチャールトン・ヘストンのようだった。
俺を逮捕してみやがれ米軍め!と、雄叫びを見せてほしいものだ。
曽我さんは、日本から米と味噌を運び込んでいて、「料理をつくってあげたい」と腕まくりしているそうだ。1年9カ月ぶりの「おふくろの味」になるのだろう。
こんなときも、料理が主婦イメージを強化している!と、「遥かの方」からフェミニストの雄叫びが聞こえてくる(笑)。
でも、妻の祖国に4人そろって「帰って」らっしゃい、チャールズあなたアメリカに帰りたいって?それならしかたないわね、お元気でネ娘たちはいただくわ・・・てなシナリオが描けるとしたら、溜飲が下がるのではないか?
今でこそ、日本は脱北者を熱烈歓迎するお祭り騒ぎで沸きかえっている日和見的ムラ社会だが、あの国で生まれ育った子供たちにとっては、お節介に息がつまるのではないだろうか。監視社会より少しましな、善意の覗き見社会に移住するだけ。
たとえば、あの「北のバッジ」を捨てさせる圧力は、ひとつの思想統制ではなかったか?
「偉大なる金親子」などと口走ることも許されない。
ブリンダちゃん美花ちゃんは、北より少しはましな日本で言論・思想の自由を知るが、第三者的な立場のパパ(北からも日本からもアメリカからも一定の距離をおいているから)に意見を求める機会があれば、パパの祖国へ・・・という可能性もある。
まぁ、ジェンキンス氏の「親コミュニスト度」の程度にもよるが、おせっかいながら、どう展開して行くか楽しみではある。
アマテラスアメフラスオオミカミ
at 2004 07/11 12:28 編集
プロトレックのデジアナ併用ウォッチが、シリーズ終了とかで投げ売りされていた。6割引きと聞いては黙っちゃおれん。
で、あっけなく左腕に収まってしまった。
気圧変化がグラフで出ますから、天気予報にも使えますし・・・と店員の兄ちゃん。わかってますがな。出た当時のデジタルだけバージョンは街で山で使っていた元ユーザーなんですから。
使い勝手も表示も、基本的に変わっていない。
見慣れた気圧グラフが、昨夜はどんどん下がっていた。
それを「ふーん」と一瞥しただけで外出して、さっそく後悔することになった。みごとに雷雨が降り始めたから。
プロトレックの天気予報機能は、実によく当たる。
ただし同じ場所においておかないと、正しい気圧変化は測れない。固定腕時計(笑)になってしまうのが宿命なのだ。
気圧変化のグラフを、「毎日デザインが変化して、二度と同じ絵が出ない」という理由で愛用しているデザイナーだったか学者だったかが昔おられたけれど、たしかにそんな見方をするとおもしろい。
アナログの時計だと、毎日2度ずつ必ず文字盤が同じデザインを描くわけだが、気圧計のサンプリングドット表示は、V字型や山型など、予測もつかない形を描くので、占いだと思って楽しむと飽きない。
星座がどうだとか筮竹ガラガラポンとか、そんなこじつけ物語より、気象の変化が体調や気分を決めてるなぁと思うことがよくある。しとしと雨でも、気圧が上がっていたら、ものの1時間後にはさわやかな雨上がりが待っているし。
自然には逆らえない。ワタクシは人には反抗的だが、おてんとさん、おしめりさん、雷大王には従順なのである。
三十何℃まで太陽がギラギラ照りつけて「服脱げ服脱げ」と言っているのに、スーツを着ているアジアの紳士が絶滅しないから、原発もなくならんのじゃ!
・・・と、エコな怪気炎をあげていると、某環境政党に1票入れたろかという気になってきたぞ。
戦いすんで日が明けて
at 2004 07/12 14:45 編集
いやぁ、選挙戦は疲れたが無事終了。
僕、投票しますよ!私も!俺も!と800名の支持者が名乗りを上げてくれたが、開票されてみると8票しか入ってなかった。
義理チョコをあげるわと言われていたその義理チョコさえもらえなかった気分だ(苦笑)。世間とは、そんなものよ。
まぁ、よろしい。
政界フィクサーのワタクシの次なる仕事は、落選議員の雇用対策なのである。
さしあたって、有名人ビッグ3は・・・
ムネオ→アテネでフルマラソンを走って見せればイメージアップ。意外にも、2時間の壁を破って世界中の度肝を抜くかもしれない。「ドーピングの百貨店」と言われることうけあい。
キヨミ→上方芸能界デビューしかない。遥洋子と漫才コンビを組むのもいい。吉本でもいけそうだし、上沼恵美子の線で行くのもいい。けっこう「汎用性」があると思う。
青島幸男→リアルいじわる爺さんになる。タナボタ当選した喜納昌吉の耳元で「笑いなさい〜笑〜いなさいぃぃぃぃ〜」と鼻歌を唄って聞かせるとか。
万一、キヨミとムネオが和解して呉越同舟のような政党ができれば、スリル満点の台風の目になるんちゃうかと僕は前々からにらんでいる。中間地点の東京で、飄々とした青島さんが仲介役をしてもらえば、団結できるはずだ。
キヨミのようなおねーちゃんはよく北海道の牧場で働いていたりするし(麦わら帽子が似合いそう)、ムネオといえば坂田利夫そのものだから、お互いかつての「敵地」でも受け入れられると思う。
圧勝した民主党の中にだって、案外コチコチの逸材もいたりするから、政党より議員のキャラクターを楽しみたいものだ。
ステレオタイプライター
at 2004 07/13 10:04 編集
呉で大規模な断水事故が起きて、ようやく復旧の見通しが立ったというニュース。
お定まりの「街行く人にインタビュー」で、あるおとっつぁんが「これでようやくひげがそれますよ、やれやれ」とひと息ついているとか。
紋切り型の見本のようなニュースやなぁと苦笑するしかなかった。
今どき、「水道が出ないよーボクどうやってヒゲそったらいいの!?ママ!!」てな男性がいるのだろうか。
ニュースのモチーフは、こんなところに落ち着くものだろう。
「無難」を洗練させると、紋切り型として定着する。
断水で震災経験者が真っ先に思い浮かべる悲劇は、「運古が流れない!」ということである。
インタビューされて「うちでは、子供の運古はよかったけど、だんなの運古が難物で、今もそのまま」なんていう、想像したくないような・してしまうようなリアル悲惨アンサーは、決して放送されない。
リアルといえば、選挙で落選した候補者の会見も、しおらしく支援者に頭を垂れているような構図に整えられているが、楽屋裏ではどうだか・・・
「おい!しっかり饅頭(もちろん和菓子のことではない)配ったのか」
「先生ずるいよ自分は手を汚さないで」
てなドタバタが、くりひろげられているのではないだろうか。少なくとも、無言のうちに、「責めるような目線」や「怨念スカラー波」が渦巻いているはずだ落選者事務所には。
ないはずの「型」を性懲りもなく創りつづける報道機関は、あるはずの無言ドラマをリアルにあぶり出してほしいものだ。
「報道されてないことを想像しろ」とは、恩師の明言でもある。
新潟県立タイタニック小学校
at 2004 07/14 11:36 編集
被害に遭った人たちにはお見舞いするばかりだが、それにしても興奮した。新潟の大雨で小学校が孤立し、200人の児童・保護者・先生が、停電した学校に泊まったというのは、もろ「漂流教室」ではないか。
水が引いたら、そこは2040年の別世界だった!
てことになっていたら、これはすごい。
老婆心ながら、ふとんは体育マットを使ったのか?
食事はボートかヘリで届けたとしても、夜中に学校のトイレに行くのは、さぞかし肝試し・・・いや、こわかったことだろう。
学校は妙にゆったり広いから、あちこちに何かが潜んでいそうな空間がある。空き教室で笑い声が絶えないとか。
まわりはチャプチャプと泥水に囲まれて、浮いているような不思議な感覚だったのではないだろうか。
非常事態を分かち合った者同士の間には、よくラブロマンスが勃発したりするものだが、小学生だと少し早いかな。
校長と教頭が・・・というのはちょっと困るけど(笑)。
温泉のもっと
at 2004 07/15 10:56 編集
「白骨温泉のもと」を入れている白骨温泉には笑った。
老いた藤原紀香が「若いころの私にしてちょうだい」と注文して美容整形を受けるようなものか。いいんだか悪いんだか、まぎらわしいこと甚だしい。
僕も10年ほど前に乳白色の白骨温泉に行ったことがあるが、演出するなら完璧にやって・・・というのも変だとして、馬脚をあらわすようなことはしないでほしいぞ村長!
美女と過ごした夜が明けると、彼女の口元にヒゲが・・・というような経験は哀しい。
野天風呂「キハ42」
at 2004 07/16 15:28 編集
体温を越えそうな、サウナと化した部屋でも、なぜか風通しはよくて、熱風がびゅんびゅん通ると汗が出ないのが不思議。
感覚的に、「あっついなー!!」とは思うのに。
うだるようなカンカン照りの阪神間からすると、水害の報道は同じ本州かと思うほど縁遠い。
田んぼの様子を見に行って洪水にさらわれた被害者の話を聞くと、あぁ大事に米を育ててくれているんだなぁと今さらながら胸を打たれるし、危険だから外に出るなといっても、そうは行かないものだろう。
ただただ、被災見舞い申し上げるばかりだ。
コンクリートとアスファルトの上でばかり生活している今でも、少し前までは、大雨といえば六甲の山津波が神戸市民を脅かしていた。
ゼネコンを潤す砂防ダム乱立で、土砂災害は減ったのかもしれないが、記録破りの水害や震災や台風は、いつ「あめつち離れ」した都市住民の足元をすくうかわからない。
日照りの都会じゃ水不足だ節水だという話になるのが例年だから、いっそ新潟のダムやため池にあふれる雨水をどんどん貨車に積み込んで、たまり次第太平洋側に運ぶ「水道列車」を走らせればどうか?とも思う。それこそ、国営鉄道事業として。
10分おきに発車するぐらいの量が、すぐたまるだろうなぁ・・・。
都会の炎天下に野ざらししておけば、すぐ湯だって風呂になるから、「20両編成の野天風呂」というのもいい。走りながら入浴できれば、こりゃ格別ではないだろうか。
あぁ、水害見舞いのつもりが、すぐ不謹慎な空想に流れてしまった。
あ、そういえば
at 2004 07/17 13:03 編集
夏休みが始まったのだった。
バケイションなのだ。馬鹿んスなのだ。アバン誅ルなのだ。
「へー、早いですねー」
「おまけに長いよー8月末まで」
「いいなー、うらやましいなー」
という無意味な会話を、もう15年にわたって800万人の人民とくりかえしてきた。
各種保険なしボーナスなし終身雇用なし退職金なし出世なし有休なし
・・・と並べると、口先ではうらやんでも転職する人はいない。
やりゃーいいのだ、FA宣言。
とはいえ、自由業の「自由と自己責任の大きさ」を考えると、結局「不自由と集団無責任」の方になびいて行くサラリーマンが多かったのも無理はない。
ただ、無能経営のしわ寄せ→忠犬ハチ公のリストラという悪夢を現実に見ると、心は会社から離れて行くサラリーマンが増えるのも、自然のなりゆきだろうと思う。
でも、僕はいくら年収倍やると言われても、年間2000時間労働とか真夏の背広とか通勤ラッシュが耐えられないように、それに耐えてきたサラリーマンが独立だ起業だというのも、「かなりアドベンチャー」ではないだろうか。フレンチっぽくアバンチュールといえば、なびいてしまうおねーちゃんもいるかもしれない。
妻子がぶらさがっている場合は、なおさらだ(アドベンチャーできそうなパートナーを選ぶことよ野郎ども!)。
子供は、いざとなれば親兄弟に託したっていいが、パラサイト娘のまま安定した給料運搬亭主を選んで結婚した(また、亭主もそれを売り込んで口説いた)妻は、方向転換するとき最強の抵抗勢力になるのが現実だろう。
男と女のどっちの意識が高くてどっちが鈍いのか?
という論争は80年代までの演目だった。しょせん「鈍い相手を選んだあんたも同類」というだけのことなのに(身もフタもないな)。
今は、自分の王国の王子様女王様が多いから、論争にもならない。「私は私」と唱えて信じ込もうとしている自分が信頼できない・・・というややこしい王侯貴族もいたりする。
すったもんだで婚礼を乗り切って子供ができてしまえば、「俺は仕事だおまえは子守りだ」といえばまぁ穏やかじゃないが、少し言い方を変えれば「私には子守りがあるからあなたがんばってね」てな穏便な分業に落ち着いてきたわけだ、日本の核家族は。
それが今は、子供ができる前に「待てよ」と足踏みするカップルが多くて、その兆しが「枯れた若いカップル」だったりするのではないだろうか。僕が見聞きしてきた限りでは、彼が及び腰のケース、彼女が及び腰のケース半々ぐらいあるようだが。
次の臭議院選挙で票をかせがなければならないワタクシが大胆な提案はしにくいのだが、ちょっと順序を変えてみるぐらいのプチ革命は、日本の出生率を上げ、劇的に社会保障を楽にするはずだ。
そもそも、つきあい始めてスキンシップがあって結婚して子供ができて・・・の順序がおかしいわけで、「まずサヤ当て(古いね)して相性がよければつきあって、子供ができたら結婚も」という方が自然ちゃうかやー?と思うのだが、どうだろう。
結婚を強制しなければ、税制面での控除もしなくていいメリットがあるし、そもそも婚外子=不幸と決めつけること自体、合理的ではない。
ただ、大日本道徳婦人協会(って、あるのか?)からは、八つ裂きで処刑されかねないなー。
雪乞い
at 2004 07/18 11:23 編集
阪神間からは日本海も太平洋も近い。連休ということもあって、和歌山や舞鶴方面に向かう道路が軒並み渋滞のニュース。
よろしいよろしい、わしらは地元須磨に結集するのだ皆の衆は遠心力で遠くに散らばれ!!
と念じてもむなしく、阪神高速が須磨方面へ何十kmも渋滞しとるとや。
イモの子を洗うような混雑がくっきりと予想されるが、まぁこれは「自然との語らい」などではないのだ、お祭り騒ぎなのだ、メインはバーベキューなのだと考えなおして仕度する。
猛暑の真っ只中に、神戸市職員がズル休みしてスキー大会で大活躍してたことが発覚!?というニュースも、笑えるというか、唖然というか・・・。イザベル・アジャーニじゃないが「殺意の夏」だぞこりゃ。
この程度のこと、公務員がしでかしてたとしてもまったく不思議を感じないのも考えてみると情けないが、スキーにふけっていた日々の給料も市民税からしっかり支払われていたわけで、市民をなめきっちょる。
停職処分で退職金査定が減ったとしても、定年までクビはつながっているわけだから、この税金泥棒&税金詐欺にはうんと仕事をしてもらわねばなるまい。
これで、もし釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいに左遷されたりすれば、大喜びしかねない落とし穴があちこちにある。「姉妹都市シアトルの神戸事務所へ」なんていうと、「バンクーバー→ウィスラー→スキー三昧…」と連想するだろうから、できるだけ雪に縁のなさそうな職場に更迭してしまうのがええな。火葬場とか。
この税金泥棒&税金詐欺スキー中毒は、「体調不良で仕事はできなかったがスキーはできた」と言い訳を垂れてやがるが、実感としてはよくわかる。
なるほどね。そしたら、スキーを仕事にしたらいいわけね。
六甲山にもうひとつスキー場を造って、責任者になってもらえば本人ホクホクとなるかもしれない。
「ケガしても雪がなくても私のせい」とヘボ川柳みたいなタスキをかけて、ひたすらゲレンデ整備で定年まで働いてもらおうか。
個人的な努力で年間6ヶ月間オープンできれば、あと半年間は有給休暇にしてあげてもいいと思う。
あぁ、早く初雪の便りを聞きたいなぁ…の海の日連休である。
淡路島通う千鳥足鳴く声に
at 2004 07/19 11:24 編集
阪神高速渋滞27km、3連休、夏休み始まりスタート・・・と聞いてわななきながら須磨海岸へ終結した9人の侍。
そこは、地元民の知恵で、駅から少し離れるとゆったりできる松林にツバをつけておいたので、海もメシも楽しめた。
ただ、皆かけ声だけは海水浴だ海水浴だと浮足立っていたわりに、水着持参は2名だけ。完全に観客か「採点員」と化していたようだ(笑)。
ワシも砂浜を「採点散歩」。
といっても、おねーちゃんチェックではない。ワシは硬派なのだ。
人波がひいた夕暮れの砂浜は、とても空気が優しい。硬派野郎のハードボイルド魂が唯一ゆるむ場所なのだ(笑)。
海を眺めるのとは逆に、波打ち際から陸の方を眺めると、案外それはそれで新鮮な眺めで、別の街に見えたりする。
特に須磨は、沖合は大阪湾だから、海を眺めわたしてもごちゃごちゃしていて「スカッと太平洋」とはいかない。むしろ、緑したたる山が迫っている背景の方が、見違えるような眺めだった。
写真でしか見たことがないコパカバーナ海岸も、僕は山の眺めにばかり目を奪われた。その何分の一かのミニチュアが、須磨といえなくもないか(人出は何倍かだったりして)。
海からより、海への眺めがよかったのは、やはり江ノ島〜片瀬海岸だったかな。
今まで、東尋坊とか浜小清水海岸とか日南海岸とか、大自然!という感じの海岸風景にもあちこちで圧倒されてきたけれど、「改札口を出たらビーチ」の意外性もお手軽でいいものだ。いつでも自転車で行けるし。
さて、今夜中に写真をアップしとくか・・・。
サンキュー!
at 2004 07/20 14:31 編集
東京の都心で39℃を記録しようかという灼熱日、また1つトシをとってしまった。
ハートが熱いのか、怒りのボルテージが高いのか、ともかく神戸も熱いのである。
誕生日は本人の功績ではなく暑い日に産んでくれた親に感謝する日だと思うので、老母に接見に行って赤飯をいただいてきた。
赤飯と祝辞のおかずは、同期の同僚たちの、ワタクシと同年代のご子息たちの噂話である。
似たような年に就職・出産・育児をした横並び世代だから、「あそこの子は灘中に入った」「マサル君は医学部に行ったって」「あそこの娘さんは外資系の証券会社で…」てな話は、もう呼吸するように身についてしまっているのだろう。
親が長生きする時代だから、そうなるのも自然な流れかもしれへんなぁ…と、仙人気分の僕など「高みの見物」を決めこんでいるけれども、真面目ーに生きて真っ当な人生を送ろうとしている年頃の独身男女にとっては、なかなか息苦しい時代だろう。彼も彼女も、向かい合うと互いの背後霊がリアルに長生きしているから、一挙手一投足が逐一チェックされかねない。りえママと梅宮パパみたいなややこしい背後霊が元気でいる(悪いとはいわんが)この国では、もっともっと晩婚化・非婚化・少子化は進むのではないかと思う。
曽我さんちのジェンキンスさんブリンダさん美花さんも、実の親より、日本中の偽善者から監視されて、ありがたいお言葉や贈り物を押しつけられ、わけがわからない涙まで流され(笑)、自分が親しんだ国の偉大な指導者さまのバッジさえつけることを許されない思想統制国家に住まわせられることになり、ご苦労さまなこっちゃと思う。放っておくのも愛情かも?という想像力が欠けとるわなぁ。
金日成のような父権的国家建設者は、それなりに存在意義はあったと僕は思うが、フセインやカダフィと並んで(かつてはカストロも)、「独裁者は悪」という定説に異論をさしはさむ自由はなさそうだ。
我が国には、父権主義的な政治家がいない代わりにアンポンタンなとっちゃん坊やの二世政治家ばかりになり、それを後ろから動かす、集団無責任を絵に描いたような官僚主義・官尊民卑がはびこっている。
ジョンイル君もビンラディンもいない代わりに天皇がいる(雅子さん、はやくワタクシのふところにかけこんで来れば、一緒に「18切符の旅」に出て幸福をかみしめられるよ!)。
雷オヤジが消えた代わりに、金をためこんだジジババが我が子を経済的に動かして―いや、動けないよう骨抜きにして―いる。
原爆で一瞬にして非戦闘員を何十万人と灰にしたり、洞窟に逃げ込んだ沖縄の婦女子を火炎放射機で焼き殺したりの御陽気な国を愛して、ノドンとテポドンばかり騒ぎ立てているこの国は、どれだけ北西の隣国より偉いのか?
てなことを考えていると、脳内気温は40度を突破しそうだ。
あっつー!
スロー、スロー、クイックイッ
at 2004 07/21 13:50 編集
ウィンドウズCEを狙ったウィルスが初めて発見されたという。システムやファイルを破壊するような力はないイタズラ程度のものらしいが。
9*やXPを狙ったウィルスはさんざん話題になってきたのに、ようやくCEも一人前か!?と喜ぶあまり、久々にCE機で日記を書いてみた(笑)。
ウィルス感染の被害報告や不安の声を聞くたびに、「それならCE機だねぇ」と、クロック133MHzの超高性能CEマシンが輝いて見えるぞ。
「パソコンで動画編集も音楽もなんでもかんでも」と欲張ると、エクスピーだセントリーノだと必要になるんだろうが、仕事上の用途でもせいぜいテキスト作成ぐらいだと、10時間使える800gのCE機で充分だし、その方が安全だったりする。
ウィルスとセキュリティは、イタチごっこも進化の一途。
それなら、いっそ「後戻り」するのも勝ちかもしれない。
メールは郵便にするとか、文書は原稿用紙に万年筆とか。
こりゃあまり現実的ではないか。
僕の尊敬する自転車評論家さんに、「文明は、自転車ぐらいがいい早さ」という名言があって、なるほどなぁと思う。その方は車も自動二輪も乗り回してきてこの境地に達したそうだが、ナイカー族の僕は最初からこの境地しかない(笑)。
渋滞と信号だらけの都心では必ずしもクルマが速いわけではないし、飛行機の旅も僕はきらいではないけれど、せっかくのスピード感がうまく生かされていない感じもする。
というのも、飛行機はプロペラが回っているのが見えないし、クルマはウスノロ運転手に飼い殺しされているように見えるから。
黄信号を見ると、ちびりかけたガキみたいにあせりまくるくせに、カーブでのステアリングの取り回しは「なにトロトロやっとんじゃ!」と怒鳴りたくなるほど、中途半端にノロいドライバーが多い気がする。クルマを発明した民族と、運動神経が根本的に違うせいかもしれない。おみごと!と感動するようなスマートなドライバーは、車バブル社会では育たないのだろうか。
こんな場面では、「もっと機敏に動いてくれよなー」と思うのだが、黄信号で交差点につっこむと、ちびりかけた車に巻き込まれそうになるから、わがエコカーはファイトを投げ捨ててすぐ停まる。「本人ウスノロ」のくせに愛車の性能で錯覚している運転手には近寄らない方が賢い。
しかし、自転車界にも、「都会の歩道で全身レーサー仕様」の錯覚野郎が増えていて、こわい。
ヘルメットはいいが、サングラスなんかすな!っちゅうねん。
フロントガラスにまでスモーク貼ってるクルマみたいな存在でっせこりゃ。法規制がないから、「本人ウットリ」は野放しのまま。
「こぎながらメール中」のバカは、まぁ事故って痛い目に遭えばいい薬になると思うが、これだから「自転車免許」なんて変な話も出てくるのかな。
ペ・ヨンジュー
at 2004 07/22 14:49 編集
甲府で40℃!というニュース映像の背景に、やはり映っていました背広男。実際アスファルトの上だと45℃は越えるだろうに、背広にネクタイ姿で汗をふきふき歩いている。
脱いだらどうかに〜(笑)。
風呂みたいなサウナタウンなのに、こんなもん着てられっか、ペッ!と言わないサラリーマンの新陳代謝は、一体どうなっておるのか!!!!
暑いといえば、今朝は早起きして電車に飛び込んだ人のおかげで、ダイヤが大混乱していた。間引き運転のせいで、ふだん座って行ける通勤電車も、高濃度のサウナ状態。
いやぁ、絵に描いたような押しくらまんじゅう電車に乗るのも、何年ぶりだろ。
僕の前には「うんと地味なフェミニストT嶋Y子」がいて、僕はしっかりカバンでバリケードにしていたのだが、僕の右にいたサラリーマンが、不運にも手が当たっていたらしく、手さえ動かせないほどのギューギューづめなので、必死にもぞもぞ手をどこかに動かそうとしていた。すると、田島陽子が「な・なにやってるんですかっ!」と怒りはじめた。
いや、あれはどうみても当たってたんだって。
冤罪一歩手前のサラリーマン氏は、お気の毒に次の駅でペ!と舌打ちしながら降りて逃げて行ったが、かりに不当逮捕でもされたら、弁護側証人になってあげたくなった。
でも、「そもそも被害者さん、彼がなんであなたを触るんですか」と怒りの炎に油を注ぐような爆弾質問をしてしまいそうだ。
異性といっさい肉体接触しないスシ詰め満員電車なんて、ありえない。
そんな状況と、いかがわしい動機が見分けにくいところに、痴漢が発生するのはたしかだ。
濡れ衣を着せられないように・・・被害に遭わないように・・・とささやかに築かれたいろんなバリケードのおかげで、よけいに混雑はひどくなっているんではないかと思う。
そこで法案提出。
いっそみんな抱き合えば、かなり混雑はましになるか、もっと詰め込めるかもしれない。
ただし、相手を選べるのは国民投票で合格した女性だけ(笑)。
選ばれた女性に選ばれて毎朝抱きしめられる男性は、きっと日本の「ペッ、あのやろー!」様になるだろう。
実は今朝も、芦屋から乗ってきた天海祐希に後ろから抱き締められていたのだが(後頭部にクッションつきで!)、彼女は彼女で「こんなやつ国民投票で下車させてよね」と思っていたかもしれない。
ごっつぁんです。
還流
at 2004 07/23 13:09 編集
知人の大学語学教師たちの間で、「第二外国語異変」がささやかれている。
今年は特に韓国語をとる学生が急増して、いままでの標準的?なフランス語・ドイツ語のクラスが減ってしまうのだという。非常勤としては死活問題だ。
いままででも、「フランス語でも・ドイツ語でもとっとくか」層は、中国語とスペイン語に流れていた。実務指向というのも無理はない。
いま韓国語がトレンディ!!というのも、駅前留学のNの広告で騒いでいれば自然に見えるけれど、「京都私大の雄」でも、Nのお客様と同じような学生が増えているわけか…?
まぁ、ペさま(僕の中では林家だが)ヨンさまユジンさまと想いが募る勢いで、感性が敏感な時期に熱中した外国語は、それなりに身につくと思うから、悪くはないと思う。
大学の第二外国語なんて制度は、ブームにあやかりでもしないと、風前のともしびだ。
ふた昔前までの大学院入試には第一第二外国語があって、僕はフランス語専攻でもなかったが、デカルトの方法序説を読まされた。いまは第二外国語自体が試験科目にないらしい。
それで即ハードル低下だ学力低下だというつもりはないし、おそらく大学に求められる知のありかたが変わってきているのだろう。
教養課程の廃止・形骸化は、大学という教育研究機関の自殺行為ではないかと個人的には心配だ(教養学部を残している東大とICUは健全だと思う)。
哲学の講義を「盗聴」に来る医学生や、天文学を覗き見に来る文学の徒…なんて学生は、将来の宝ではないのかな。
今の僕の職場でいえば、「目の前の老人」「障害者と私」しか視野に入らない福祉オタクは多い。
外国語音痴がかなり高濃度な世界かもしれない。「日本語で書かれた北欧の福祉」を仰ぎ見て追いかけるだけで、スウェーデンに行って現地の人と意見を交わす発想がない。いや、思いついても萎縮して行動に出ないだけなのかもしれない。
そして、法律や経済を知らないという「福祉な人」が大量生産されている。かくして、福祉は「思いやりの世界」であり続ける。「患者の表情を見ず画像ばかり見ている医者」と同じ。
自立支援に政策転換!といっても、「福祉な人」(カウンセリングな人も同種かな)自身が生活自立できていないと、うろたえるばかり。できることといえば、弱者を囲い込んで、論文の業績に利用するだけ。
こうして、障害者は社会参加どころか「福祉な人」を乗り越えられないという二重の塀に封じ込められている。
・・・というのは一部の問題=氷山の一角かもしれないが、何かの兆候だとしたら、想像力を働かせないと軌道修正できなくなるかもしれない。
脱線してしまった。「明るく楽しい外国語」に戻ろう。
制度が変われば、学生の想像力のありかたも変わらざるをえない。
なんとなく、「将来どこかで何かの役に立つかも」と思いながら、分厚い独和辞典や仏和辞典を毎日キャンパスに運んでいた牧歌的な学生は、今どれだけ生存しているのだろうか。
今だと「そんな辞書ひいこら持ち歩くより、バイオノートがイマ風っすよ」という感じかな。
ネットワークで距離感も抵抗感もなく世界中のサイトにアクセスできるし、翻訳ソフトを使うと「現地語を解読」する手間もいらない。
便利だけど不幸にも見える。
逆に、不便が幸福だったよなーと思うこともある。
ネットなんか使えず、テレビの旅行番組と映画でしか異文化を知ることができない時代だと、ハングリーな小年少女にとっては外国語の学習は魅惑の風穴(笑)になりえた。犬養道子さんの明言「外国語は世界の窓である」は、ほんとその通りだと思う。
カーペンターズの歌が聴いてわかるようになるだけでも、英語の勉強は「勉めて強いる」必要なんかない。僕の少し前の世代だとビートルズ、もひとつ前はプレスリーだった(と、小林克也さんが書いておられた)。
いずれにせよ、今の韓国ブームと似ているかもしれない。
そろそろ、韓国スターが「僕は祖国が好きだ。年金も加入してます」なんてメッセージをつぶやけば、「韓流やまとナデシコ」たちは、自分の足元に目を向けるのかな。
いや、そんな必要はない。
台湾の哈日(ハーリー)族と入れ替え戦をやればいいのだ。民族「還流」は大和魂を守れるぞ(愛国なんだか亡国なんだか…)。
鉄分
at 2004 07/24 15:23 編集
今年ほど、青春18きっぷのマニュアル本があふれている年はなかったのではないだろうか。
と思うほど、雑誌やムックや文庫や新書で、18きっぷ使え使えメッセージがにぎわっている。
JTBのムックに、こんな一節があった。
実際に18きっぷで旅したライターの一文である。
「西脇行きはキハ40の2両編成。すでに電化工事はほとんど完成しており、後は125系&103系の試運転を待つだけになった。<中略>谷川駅では福知山線117系が待っている。80年代に関西国電のエースとして私達を魅了した名車だ。その健在な姿を見ると、私のような非車両派の人間でも嬉しくなってくる」
・・・おいおい、車両派だろうよアンタが!!
おぬしこそ、80年代に117系に魅了されたんでしょうに!?
思わず突っ込みたくなる、鉄分濃厚な文面ではないか。
でも憎めない。
おそらく、鉄ちゃんであるがゆえに、中高大と不遇な立場に追いやられ、お仲間と濃い〜カルトな青春をおくってきたにちがいないのだ。
デートはベイブリッジへドライブにでも行けばいいものを、つい「鶴見線のクモハ42が見納めだから乗りに行こう」と口走って自滅してしまったのだ(大丈夫よ、小野田線があるわ!と助言してくれる、天女のような彼女を探さねばなるまい)。
ようやく日の目を浴びる活躍の舞台が、鉄道旅行雑誌なのである!
そう思って目を通すと、2倍読める。
鉄道記事にはさまれた写真に、異様に「女の子ショット」が多い。「いやこれ取材ですから」と立場を利用して、堂々と激写できるのかね。
表向きは、「鉄道の旅を、女性も楽しんでいます。さぁあなたも鉄道へ!!」というコンセプトなのかもしれないが、記事の中身が↑だとねぇ・・・(笑)
でも、がんばれ鉄ちゃん。
「全身JTB・歩く時刻表」として。
でも、運転席の後ろで「よし!」と叫んでいればわかりやすくて避けやすいが、時刻表をめくりながらブツブツしゃべっているキミもしかして独り旅?・・・というのは無気味だ。
スケパンでか?
at 2004 07/25 12:07 編集
デサントが、透けない競泳水着を開発したのだそうな。
目的はズバリ「赤外線透撮撃退」。なるほどなるほど。
では、一般用はどうなんだ!?
つい、素朴な突っ込みをしてしまうぞ。
このニュースリリースは、朗報であると同時に、「ほとんどの水着は透けるのだ」というメタ・メッセージをまきちらしている。
一般のユーザーにしてみれば、かえって不安だろうに。
透けてるか透けてないかは「赤外線の世界」の話だから、わからんではないか。ワタクシのところへ「あなたの目は赤外線でもスカラー波でも見えそうだから、チェックしてみて」と依頼があれば、喜んで怒りながらチェックしてあげるけど。
よく似た話が、コードレス電話だった。
半径1kmに熱烈な通話(笑)をまきちらしているユーザーも無知すぎるとはいえ、罪はない。こんな電話機を製造して「盗聴防止機能つき」なんて虚偽広告をしているメーカーの罪だと思う。
「聴かれる覚悟で使ってね」と書くのが正しいのだ。タバコには「ガンになります」と表示する義務があるように。メーカー側の製造物責任ではないか?
海岸に「覚悟せよ あなたを狙う 黒レンズ」なんて看板が立つ時代が来るとしたらせちがらいし、なんだか興ざめだ。
が、だれでも自由に行き来できる海岸だと犯人を取り締まるのはほとんど不可能だから、自衛するしかない!
と、世を憂うる老人の新聞投書みたいに憤慨してもしかたない。
これだけ開放的な時代になると、「別に水着が透けたって、どってことない」と、物珍しさは相対的に低くなるから、あまり衝撃はないかもしれない。
どうしても困るスイマーは、百均で売ってるアルミ箔のガムテープを前貼りにすれば絶対大丈夫で、なにも特殊な水着を買うことはないぞ。
しょせんは黒い影が見える見えないの話。
「透けてる」ことを前提に、ではどう見せるか?と前向き(というのか)に考えるのも妙案だ。
「タイガースファンの虎刈り」をいただくのもいい。つまり、「黒い影」が縦縞とか五輪マークになっているのもおしゃれだ。密度の濃い人は、「バカ」とか「あほか」とメッセージを残して刈り込むこともできるかもしれない。
透撮を先回りして笑ってあげればよろしいのだ。
ただしこれは自衛手段にすぎないから、怪しいカメラマン取り締まりもビシバシやればいい。
ところで、透けるとすれば、理屈の上では「男はズバリ」だ。
芸能人水泳大会なんかで、カメラを覗いて「あっららららら透け透け」とつぶやいてみせると、となりにいる滝沢君ファンが「えっホントに見えるの?貸して貸して!見せて見せて!ウヒョーッ!」てことになるのではないだろうか。
透撮という秘術は、「とにかくダメ」というのが建て前というもの。その裏には、「私だけが彼にだけ使えて、彼が気づかなければいいのよ」てなホンネが透けて見えてくる。
こんな心の闇に火がともると怖いね(笑)。
夏の百冊は無理でも百読は
at 2004 07/26 15:57 編集
ナイターで遅れに遅れ2時半にまでずれこんだ五木寛之さんのラジオを録音しておいて、暴力的な夏の日ざしの下で、深夜の友へという語りを聴くのも、オツというか拍子抜けするというか…。
「五木寛之の夜」は、辛酸なめ子がゲストだった。僕は読んだことがなかったが、楽しくからんでいた。
このペンネームに、72歳の五木センセイ、「将来、辛酸なめ子に対抗してデビューしようとするエッセイストがいたら、ペンネームをつけてあげる!」と悪乗り。
曰く、「暗澹たる子」
曰く、「水虫かゆ子」。
曰く、「魚の目さゆり」。
・・・おぉ、どれも文壇を賑わせそうなペンネームばかりではないか。
五木センセイ、悪乗りしすぎです!(笑)
「ジェームス三木」とか「ジャッキー吉川」とか、その世代の芸能人は、その世代ふうの芸名がついているケースが多い。なんだか、ほのぼのとした憧れ感覚が匂ってくる。
最近だと、玉袋筋太郎とか、槍魔栗三助なんて芸名で「NHK出してもらえんでええよ」と開き直った芸能人もいたっけ。槍魔栗は改名したけど。
古くは夏目漱石もそうだし、文豪の香り高いペンネームというのは難しい。デビューしたてのころ、歴史に残る文学者になるかどうかわからんもの。
「辛酸なめ子」も、もしもしノーベル文学賞をとればMiss Nameko Shinsanと紹介されるのだろうか。文学全集は、箱に「辛酸なめ子全集全25巻」と書かれるのだろうか。それはそれで、すごい。
ふと全集を思いついたのは、もう数年前に軽井沢で急死した辻邦夫さんの全集が、今月から出はじめたせいでもあって、「並べる」趣味のない僕が初めて全集で読み通したいと思った文学者だ。
華々しい「賞ビジネス」とは縁が薄かった存在だが、気になる作家だった。ずっと。社会学部英文科(笑)にいたころ、『城』『夜』あたりの作品に僕は感化されていた。
数日前の新聞紙上の短いコラムで、デカルト通りというのがパリのカルチェ・ラタンにあるらしく、かつてヘミングウェイも暮らしていたそうだ。最近、そこに暮らした日本人作家として初めて、辻邦夫の記念碑が埋め込まれたのだという。
辻邦夫は、パリに客死した森有正のような亡国の徒でもないし、三島のような憂国の士でもないが、それほど、「欧州」で評価が高い文学者でもあった。
反日的な批評を書いていたわけでもないが、アウトサイダーでもあった。冴え渡った隠喩で、ジャポネスクな情感を徹底して払拭した作品世界のせいか、「西欧かぶれ」という批評もされたことがあった。
でも、こんな文学者の存在は、ボーダーレスになった時代には望めないような気がする。
パリに暮らした池澤夏樹や、アメリカ東海岸に暮らした村上春樹も、僕には安部公房、加藤周一の影を追っているように見える。批判する気はさらさらないけど。
人情や儀礼で個を溶かしてしまうようなこの国で、私であることの座り心地は、言葉で築いて行くしかない。でないと、真綿のようなお膳立てを、まず「善である」という前提で、政府も身内もボランティアも押しつけてくるから。
それにおとなしく従う気分になれなければ、言葉ではっきり要望と拒絶を伝えるしかない。
文学少女であった(今もか?)我が母が、「あの人は本を読まない無教養な男だ」と蔑んでいた父の遺品を整理していたら、文学には無縁な医療人だったと僕でさえ思っていた死者の書棚から、辻邦夫や串田孫一が出てきて驚かされた。
どちらも僕の愛読書だった。僕と文学の話をしたことは一度もないが、実家に暮らしていたころの僕の部屋の書棚をいつか覗き見て読んでみたのか、それとも偶然の好みの一致なのか、今となってはわからない。
父もまたこの人情国家で生まれ、浪花節も好きなオッサンだったが、故郷の方言は完璧に忘れ、北海道の兄弟と電話で話すときも関西弁だった。言論の武器は持たなかったが、哲人や文学者の言葉に、何かを託したのだろうか。息子たち3人のうち、だれかが医者になってほしいと願っていたようだが、さもなくば弁論人か…。
手足も動かなくなり、絶望的な病状はレントゲン写真を見れば自分で厳然と診断できたはずだが、実在する故郷に少なくとも心だけはワープしていた。
僕にとって、故郷といえる愛着の対象になるだろうか、生まれ育ったこのゼネコン都市は。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」というが、「死者を介して思うもの」になるかもしれない。
何かの御縁で、仕事さえあれば、たとえば夕張が新しい故郷になってもいいか…とも思う。
こう暑いとね。
白昼怪談
at 2004 07/27 12:41 編集
天災でしかたないとはいえ、落雷で夜通し宙吊りになったままのロープウェイは、こわかっただろうなぁと思う。
「なんでロープーウェイ」と伸ばすんじゃアナウンサー!!と、どうでもいい突っ込みをしながらも(笑)、僕はお見舞いスカラー波を送信しておいた。
夏とはいえ、薄着だからこそ寒かったかもしれないし、満月でもないから暗い夜空に宙吊りというのは、いくら道連れが何十人いたとしてもかなりこわい。
そこで下世話な僕が心配するのは、シモの問題だ。
まさかロープウェイで女性専用車はないはずだから、もよおしたときどうすればいいか。
窓をあけて空中に半身乗り出してすませられたらいいが、スリル満点すぎる。実際には、せまい空間内で人垣をつくって、その陰ですませるような臨機応変なチームワークができていたらいい。これが、コミュニティ福祉の原型といえるかもしれない。
スキー場のリフトが長時間停まってしまうという事故は毎年のように起こっていて、僕は幸いまだ遭ったことがないが、これも困る。小なら開き直れば勝ちだろうけど(勝負の問題ではないか)、大は目立ちすぎる。
いや、まず同乗の見知らぬ女性客の心配をしなければいけないのか?
とりあえず、勇気ある人が「前例」をつくってみせれば、後に続きやすくはなるかもしれない。「私もみんなもやってます、あなたもどうぞ」という空気が、日本人の心のふるさと(!?)だから。
そんな場ができれば「集団の効果」ともいえるけれども、孤軍奮闘という場面はしんどい。
岡山かどこかで、パラグライダー事故で電線に何時間かひっかかったままのOLが生中継されていたのは今年の話だったか、ともかくズームアップで生中継というのも困るだろう。目をそらしてあげる気配りもほしい。
たしかに、シモの心配は下世話だとはいっても、現実に避けて通れない生理現象だから、タブー視するより、実際に不測の事態が起きた時どうするか?を考えた方がいいのではないかと僕は思う。
戦前の白木屋デパート火災で、着物のすそがまくれあがるのがいやで飛び降りるのをためらった(のか?)売り子さんたちが、何十人も焼死したという悲劇もあった。
羞恥心が自ら命を奪うこともある。
アメリカの女性登山家キャサリン・メイヤーさん('42年生まれ)が、『山でウンコをする方法』という実にストレートな本を書いている。
内容はエコロジカルな配慮から書かれた「排泄気配り術」なのだが、この類のストレートな本が日本にはない。「だれか教えて」と思う人は特に女性アウトドア予備軍には多いだろうに、女性登山家も書かない。「私はこうしたわさ」(なぜか田嶋陽子口調)という苦労話、なせばなる式の根性論はあっても、マニュアルがない。排泄の処理こそ、マニュアル化は必要なのに。
アウトドアクッキングの本は腐るほど出ているのに、糞便は「はばかりネタ」なのだろうか。
野山でしゃがんだら、おそらく羞恥心から、一刻も早くコトをすませてその場を立ち去りたいと思うのが人情だ。おぉ白銀の峰々よ!と感動して景色を眺めてしゃがんでいる僕のようなのも、男性には多いかもしれないが。
そんな山での排便は、穴を掘って産み落とし、尻をふいた紙を燃やして一緒に埋めるべし、というのが土壌に優しい排泄様式なのだそうだ。
本能的に、目立つ排泄行為を避けようとする心理が働くから、なかなか火をつけることまでは思いつきにくい。
男女を問わず、日本人なら「土に還るから糞も紙もそのままでいい」と勝手な解釈をしそうだし。
どうしても、排泄は無防備にならざるをえない行為だから、「注意」すべき瞬間として、場所や手順を考える女性はいるだろう。
でも、そもそも山奥で「だれか助けてーっ!!」と悲鳴をあげてもどうしようもない危険に遭うことは、男性の想像以上にあるんじゃないかと思う。「自然を愛する人はいい人ばかり」とはいかないのだ、悲しいことに。
おまけに、たいていの登山者はナイフやロープを「合法的」に持ち歩いているから、彼が万一いけない人に豹変したときには、すでに武装ができている。
そんなとき、どうするか。
そもそも、「女の子同士でキャンプ行きたいんですけど」と相談されたとき、僕は「やめとき」と言下に言い放ったし、今でも後ろ向きなアドバイスしかできそうにない。
別の女性と、新潟の山を登って下りたところにおぉ混浴露天風呂が!!という幸運に恵まれたことがあった。先客はやんちゃなおじさん+あんちゃん5〜6名グループ。
ここで「俺様がついとるわい」と変なハッタリをきかせて混浴でもしようものなら、僕が取り押さえられたらオシマイである。
同性だからこそ、こんな場面のシナリオは読める。不思議なもので、男性集団にはすでに「番犬役、取り押さえ役、実行犯」の役割分担ができあがっているものなのだ。チームプレイにローテーション、である。
だから、むやみに危険な状況に身をさらすことはない。危険を冒しながら学んで行くことはあるだろうが、結果があまりにも陰惨になりそうだったら、最初から近づかない方が賢明なのかもしれない。
どうしても!というなら、「覚悟」するか、闘う意識を持つか、しかない。有事立法である!
ところが、あまたある登山教室というのは、なぜ「女性登山者の護身術」をレクチャーしないのかね。
別に柔道や空手や剣術を身につけろとは言わないが、「誘いを断わるとき絶対に微笑みを浮かべるな」「会話に乗るな」という次元の超基礎的なことを、だれも教えない。
女性がヘラヘラ笑って断わっている(つもりの)うちに、相手は「脈あり」と勘違いしてややこしい話になることもある。
男性側の羞恥心も、災いに手を貸しているかもしれない。
俺が男だったら(いや、すでに男なんだが)…という話を、父親も兄貴も上司も友人も、すべきだと思う。
「へー、あなたってそんなこと考えるの。やらしー」と思われるのがイヤではばかってしまうのかもしれないが、口ごもると、大切な妻や妹や娘や彼女の貴重な学習機会を奪ってしまうことになる。
僕は毛嫌いされても平気だから(笑)、すばり「急所を狙え」とは言うぞ。
なかなか「これで万全」という手立てはないものだが、とりあえず急所、である。
あれは、怖じ気づかないで明るく楽しく(?)蹴るなり刺すなり突くなりすれば、何十秒間かは動けなくなるものだ。刺してもちょん切っても死なないから大丈夫。ポイントを狙ってやれば、殺人未遂にもならない。
その間に延髄にカンザシを・・・ってのは時代劇の話としても、顔に砂でもぶっかけてやれば、さらに数分は身動きできない。その間にトドメを・・・(笑)。
なんぼなんでもトドメは気の毒だから、クマの出そうなヤブの木に縛りつけておけば、被害者の気持ちはわかるだろう(大丈夫、クマが縄を噛み切ってくれる)。
まぁ、そこまで深刻な危険に巻き込まれることはないにこしたことはないが、「あってもおかしくない」のが現実。希望と現実を混同しちゃいかんわな。
希望通りに、現実は動いてくれないのだ。
なのに、きれいな写真ばかり満載している雑誌は、大切な情報が欠落していないだろうか。
リアリティを隠す社会、「考えさせず安心だけさせる社会」は、はたして弱者に優しいといえるのだろうか。
ロープウェイから脱線して、JR東海道本線。
電車の二人がけ座席で、窓際(つまり袋小路だ)で居眠りしている女性客が、痴漢に遭っている場面を目撃したことがある。僕の発するスカラー波で(笑)犯人は逃げて行ったからよかったものの。
「奥からつめて座る」マナーとやらが、いつできあがったのか知らんが、声をあげられない弱者をどれだけ袋小路の危険に追いやることになるか、だれも指摘しないのはなぜだ?
くだらない車内放送はやめて、「次は〜大阪〜窓際席は〜痴漢の餌食です〜」と放送すればいいのに。
僕は二人がけ席は通路側に座るし、宴会はこっそり帰りやすい出口近くに座るし、引っ越しやすい賃貸住宅派だし、婚姻国家登録はしないし、ともかく逃げ足だけは確保しとるぞ(だから人望がない)。
ロープウェイのトイレ問題から脱線してしまったが、なんだか本質的なことを言葉にしないのが、この国の優しさらしい。そして、福祉国家をめざしているのだそうな。
「聖域なき構造改革」というなら、「タブーなき危機管理」も俎上に乗せないと、偽善だろう。
難儀な話である。
らも乳
at 2004 07/28 12:53 編集
最初に謹んでご冥福をお祈りした上で、らもサン!
あんたねぇ・・・あっけなさすぎまっせ。
「らもチチの魔界ワールド」という奇怪な番組で、夜中にボソボソボソボソボソボソしゃべっていたと思ったら、FMは音楽放送だ!という当たり前の声があがったのか、大阪から消えてFM徳島に「移転」。
苦労しながら聴いていたが、関西話芸人(チチ松村さんは僕ギタリストやん!と苦笑してそうだ)ペアの隠れた人気番組を地元大阪で放送しないという異常事態がしばらく続いていた。
あげく、有線放送番組に追いやられてしまった。こんな媒体で、だれが聴くかなぁ。
そうこうしているうちに、らもさん大麻でつかまり、番組も自然消滅。
一方で、ボソボソトークを活字起こしした『らもチチ』という上下二分冊の単行本まで出ている。
そうか、やはり人気番組やったんか・・・と、僕はしみじみ偉大な(?)功績を追憶している。
今度の「酔っ払って転倒して頭部外傷」とそっくりな災難は過去にも前科があるようだから、52歳は若すぎるとはいえ、だれにでも納得できてしまう最期だったかな。なぜだっ!!と絶句する人はいないだろう。それもまた物悲しい。
チチ松村という、名ギタリストのようでいてゴミ拾い名人。
妙にエロいんだか技巧派なのか奇怪な漫画家のようでいて、若い妻と熟年熱烈結婚して「身内とはしたくないんですわ」と笑っているひさうちみちお。
ときには少女のように悩ましく、40年前から肝っ玉かーさんをしていたような、わかぎえふ。
らもさんの周囲には、怪人変人偉人が「汗牛充棟」していた感じ。「代わり」が見当たらない。
あの世で存分に酒を浴びて、トラちゃんに遊んでもらいましょう、らもサン。
呑み放題になったらおもろないねん・・・とぐちって、今度は聖人にでもなろっかな?と笑っていそうだ。
ババア
at 2004 07/29 08:35 編集
ユーミンは騒音ババアって・・・まぁなんて露骨な、女性週刊誌の見出しなんでしょ。
何を今さら?という気もするし、もしかすると実際20年間耐え忍んできたのかもしれないが。
うちの町、ユーミンがライブやってるの・・・って「ユーミン効果」も、あったんちゃいますのん?
と、自治会の逆鱗に触れそうなチャチャを入れてしまった。
火入れ式
at
at 2004 07/01 11:00 編集
国立国語研究所が、外来語の日本語言い換え案を出していて、半分ぐらいは納得できるのだが、「オンライン」などはそのままで行こうということになったそうな。
そりゃそうだ。回線接続なんて案より、「接続中」の方が、前置詞onのニュアンス・・・おっと意味合いをよくあらわしているのではないだろうか。
「不自然つながり」でいえば、僕の母校など、ミッションスクールということになっているが、国立国語研究所は「使節団学校」と呼びたいらしい。ザビエルご一行様でも出てきそうやな(笑)。
アカウンタビリティー(説明責任)やガバナンス(統治)、コンプライアンス(法令遵守)のような経営関連用語は、あんまり得々と使われると煙に巻かれる感じもするから、たしかに日本語化した方がいい。
ポマード頭の若手起業家みたいなあんちゃんが「ソリューション(問題解決)」なんて多用していると、「おいおい、要するに売りつけたっちゅうことやろ」と突っこみたくもなるわい。
学者の間で意見が分かれているのが、ドメスティックバイオレンス。「配偶者間暴力」とすると、恋人や別れた配偶者からの暴力、ストーキングがこぼれ落ちてしまう。そういえばセクハラも、以前から定義と「運用」のギャップが解決していない。
あと、ユニバーサルデザイン→万人向け設計も少し笑ってしまった。いや、おっしゃる通りなんだが・・・。
医者との個人的つきあいの中で、また肉親を無残に扱われた一般素人の立場として、「インフォームド・コンセント」はまだまだ医者に都合よく使われているように思う。「説明したんだから同意してくれなくちゃー」というプレッシャー、いや無言の圧力がこもっているカタカナ用語なのである。
本来なら、「インフォメーション&チョイス」「選択のための惰報開示」でなければ困るのに。
もはや「言い換え」も「是正」も絶望するしかないカタカナ世界は、『Ray』『ViVi』『Can Cam』『an・an』の類に満載されている。
いや別に『装苑』『婦人公論』のように誌名変更せんでもいいが、カタカナで塗りつぶされていても右綴じ左開きを変えると読者が離れて行くところは日本だなぁと思う。
案外わかりやすい雑誌が『卵』だったりして、この中はチョー絶そのものの魔界だ(笑)。カタカナ雑誌は、ここまでぶっ飛んでくれたらアッパレだと思うが・・・。
夏さっくり
at 2004 07/02 16:40 編集
海開き・山開きである!
海の日生まれのワシは、山に誘われている。
両方行きまっせ!
旧友とライブカフェで昼飯を共にしたのだが、こやつが生保マンで、なんとか加入させようと虎視眈々な(笑)様子がうかがえる。まー、こじれる損失と会社の利益と自分の利益を秤にかけると、手近なところから営業するというのはあまり賢くないと思う。
今日も、当たり障りのないバカ話でうやむやに「ランチ終了」である。
帰宅して、「スイカ開き」を挙行した。
デザートの類は除いて、今年初めての「それらしい場面」でのスイカである。
甘くて極上だった。サクッと夏が始まった感じ。
真夏なみの日差しと気温だが、陽が傾くと、風がスヤヤヤヤ〜〜〜っと部屋を吹き抜けてくれて涼しい。
選挙運動だけがけたたましい。となりが病院だと静かなもんだが、マンションだと運動カーの標的になるから、とんだとばっちりである。
政治や金融や、渦巻く欲を浴びたような一日だった。
あ、まだナイトスクープを見ないと今日は終わらんな。
クレイマー、クレーマー
at 2004 07/03 11:59 編集
もしかして、あえて四方八方からいちゃもんをつけられるよう、挑発的に編集しているのだろうか、女性週刊誌というやつは。
おせっかいにも、雅子様問題では、「再度の転地療養」をすすめ「愛子さまの養育問題」にくちばしをはさんだ
●雅子さまあて手紙つき
が目玉になっている。
この調子で、
・浩宮さまへの慰問状
・宮内庁への嘆願書
・天皇陛下ガン見舞い状
・紀宮さまへあて「嫁入りのおすすめ」
・ついでに秋篠宮さまあて「白髪見舞い」
がベッカム、いや別冊になって「豪華5大付録つき」になったりしないだろうか。
「保坂、高岡離婚の深層」には、遥洋子と田島陽子が飛車・角になって攻めて行きそうなフレーズが出ている。
●すでに4年で破綻していた、「主夫業」に疲れ果てた夫と「女」を取り戻したかった妻
あのねぇ、女を取り戻すって、家庭に入るってことなの!?男が家事して何がいけないのさ!!
てな具合に噛みつきそうだ。
●「賢い節約 通信費まるごと半額に!」
では、6万円の携帯費用が3万円になったというモデルケースが紹介されている。
あのねぇ、月6万円が異常ではないか?批判覚悟でいうと、そりゃ病気です。
節約術から数ミリはなれたページでは、
●ミリオネーゼに学ぶ、お金持ちになる極意
って、あたたたたたた・・・・とずっこけるがな。
ミリオネーゼ(もどきを含む)って、つきあいはないからわからないが、たぶん「稼いでいる女性経営者」という意味合いではなく、稼ぐ旦那のコバンザメのことであると仮定する。見習ってしまうと「出費がミリオネーゼ」になるだけではなかろうか。
まぁ、ツケは旦那に回るだけだから、要は人のいい金脈男をつかまえて、離婚させないようなテクニックを教えてあげるわん・・・ということなのだろう。
僕が女性なら、真剣に学んで実践すると思う。「相手の立場に立って考えなさい」とは、よく教育されたことでもあるし(笑)。
「高岡早紀の夫」は、小耳にはさんだニュースによると、「離婚はしたが同居して生活はそのまま。子供の親権は父親」だそうな。
太っ腹というか、えらいぞクレイマークレイマー保坂。子供を手放しちゃいけませんぜ旦那!
うちの「父兄」と同じパターンだが、僕もその血を引けるだろうか・・・。
こんな野望をちらつかせるから、警戒されるのかね?(笑)
静香に・・・
at 2004 07/04 12:46 編集
僕の住むフロアには、好青年お住まいの北の角部屋と、好色中年お住まいの南の角部屋と、サンドイッチになった真ん中部屋との3つがある。
長らく空いたままの隣室に、ドタバタと人の気配。ごくたまーに来る、物件を見に来る客なのだろう。
好青年宅を訪れて、なんと部屋の中を見せてもらってワーワーおしゃべりしている。好青年君も、彼自身引っ越してきたばかりだから、「なんかあつかましいなー」と思いながら、招き入れてしまったのだろう。
この勢いが、次はうちに・・・!?
イカン!
拝殿やら、製造中の爆弾やら、ホルマリン漬けの標本やらに卒倒されると面倒なことになる。
しゃーないなー・・・と思いながら、コンビニに避難することにした。
「あら、お出かけですか?」と、レレレのおじさん風の当たり前の声をかけられる。
「ちょっと見せていただいてるんですけど」・・・(わかってますって)
「こぶ平の母」と小林カツ代みたいなおばさんズと、工藤静香の3人が廊下でたむろしていた。前に出ているのが「こぶ平の母」で、工藤静香はあいさつもしよらん。
だれが当事者なのだろうか。
小林カツ代さんなら大歓迎だが・・・。
大家さんの経営を考えると、「満室御礼」をお祈りしたいところだが、隣も真下も空室の最上階角部屋というのは、一軒家のような静かな生活ができて、なかなか捨てがたい。
山口もえとか、鈴木京香が隣にいたりすると(絶対ないだろうが)、天下平安・安寧秩序・公序良俗が乱れるわい。
静かな生活は、いつまで続くだろうか。
γGTP上り調子
at 2004 07/05 17:25 編集
あと2週間でバケーション!という今ごろが、疲れのピーク。
今朝は初めて新大阪駅前で蝉の声を聞いた気がする。
「蝉しぐれ」を初めて知ったのは、いつの日のことだっただろう。
今なら風雅な季語やなぁと思うが、文学に素養ゼロの餓鬼だった僕は、「セミを乾燥させて粉々に砕いてふりかけたかき氷」だと思っていたもんだ。どんな味やろ・・・あんまり食う気せんなぁ・・・とおびえつつ(笑)。
疲れると食い気で昇華しようとするのか、新聞でチラッと「タイタンに氷とメタンの雲」の見出しを見ると、「タンメンと氷」に見えてしまった。熱い麺と涼味・・・ええもんやなぁ、てな感じで。
いやほんま、疲労も重症だ。γGTPは「要検査」の値をつきつけてきているし。
昼休みは、また新顔のカレーショップを査察してきた。
コロッケカレー630円。こりゃいかん。ただ、具なしのカレーの池にコロッケが浮かんでいるだけ。芸がないぞ!
と、あまりイライラするとγGTPがまた上がるだろうから、どうにでもなれクソー!と、わけのわからん憤懣パワーをシーナさんにもらって、わっせわっせと夜勤に向かうぞ!
「歩く人」序説
at 2004 07/06 12:51 編集
今さらながら、ウォークマンを買った。ラジオがついていて録音できてスピーカーが鳴る、まぁ何の変哲もない「ラジカセ」のカセットケースサイズというやつを。
MDだネットオーディオだという時代に、カセットテープというのもレトロな気分だ。
ラジカセというのは、もう完成に近い家電品カテゴリーだろうけど、このラジカセ(メーカーはウォークマン・シリーズに位置づけているが)、2年で機能アップして型番が「400」から「410」へ進化しているから、脈々と開発は進んでいるようだ。えらい!
オランダのフィリップス社がカセットテープを規格化したのが、35年ほど前。最初からコンセプトは携帯用だから、その後は
ポータブルカセットレコーダー
↓ラジオがついて
ラジカセ →TVがついたTVラジカセという亜流
↓CDがついて
CDラジカセ
↓MDがついて
MDラジカセ
↓カセがとれて
ラジMD
・・・と進化系統図が描けそうだが、ジルバップ、ヨコハマリバース、ハイファイマックetcetcが百花繚乱していたころが全盛期かな。あと、ジャッカルも(おマニヤ様にはわかる)。
ところが、カセットウォークマンで実現していた「外出先エアチェック」というのが、未だMDウォークマン単体ではできてないのが哀しい。AM受信回路にMDから干渉してくるノイズの問題を解決できていないのか、メーカーにやる気がないのか・・・。
「TVFMつき携帯電話」はあっても、AMが聞ける携帯電話は絶望的だ。おとーさんたちはナイターを聞きたいだろうに(笑)。
「素人芸」で、MDのライン録音でコードにトロイダルコアをかませてみたりして実験したが、なかなかデジタルノイズは取り除けない。
だから、この分野は今でも「ラジカセ」の独壇場だ。
とはいえ、実際、家でテープに録音した音楽を歩きながら聴くという習慣は、僕にはさっぱり身につかなかった。18歳でウォークマンがこの世に出たから、どっぷり浸っていたはずの世代だが、オヤジ少年だったから、ひたすらオープンリールのテープデッキを相手にしていた(これを背負ってウォークマンしている猛者も当時いたらしい)。
MDで携帯音楽がうんと手軽になっても、ソリッドオーディオの次代になっても、家で録音した音源を再生しても、なんだか「予定調和」の世界でしらけてしまうのだ。何度かやってみたけど。
なんだこの曲順は!と怒ってみても、それは自分のミスだし、うーんナイスな(=死語)録音だわーと悦に入るのもマスターベーションでしかない。世界が閉じているのだ。
ラジオは、リクエスト通りの内容が届かない。思うままにならないから、おもしろい。
思うままに書き込めるメディアがテープとMD(あとMP3の世界かな)、書き込めないメディアがCDとラジオ・・・と分類してみると、本とWEBの違いとも重なってくる。
大枚はたいて丸ごと購入するCDや書籍が敬遠されているようなご時世だが、アナクロな僕は、つい本と音楽ディスクの存在感に、今でもヒレフしてしまう。あっさりLPを見限ったくせに、現金なものだ。
今回の「ウォークマン買い替え」の布石には、「CDウォークマン初購入」があったのだが、その感想はまたあらためて。
笹の葉さーらさら
at 2004 07/07 16:58 編集
織女と牽牛が1年に一度、夜空で逢瀬を果たすという七夕・・・
生徒会センスの野暮なフェミニストなら、「なんで男が外で働いて女が家で織りものなのさー!!」と(田島口調やな)かみつくかもしれない。
ならば、時代に合った七夕物語にアレンジしなくてはいけない。
牛は家のペットで、牛追いは家に縛られ、織り姫は洋裁和裁学校を経営しているやり手だとか。
としても、こりゃ野暮な話やなぁ。
メスを入れると野暮な伝統文化の例としては、「世界遺産になった女人禁制の山」が身近でホットな話題だ。
国民の半分をシャットアウトしている具体的な寺や神社があれば、そういう宗教施設を公益法人として税制優遇するな!とアピールすればいいのではないだろうか。国民の半分にそっぽを向かれても独自に経営をやりくりする覚悟で女人禁制を貫けば、それはそれでひとつの文化として、別の意味で「遺産」になるだろうと思う。
という線で「女相撲はどうする?」と考え始めると暑苦しくてたまらんので、七夕日記は笹だんご、笹の葉寿司、笹餅・・・と食い気に逃げてお茶を濁すとしよう。
二枚舌
at 2004 07/08 08:11 編集
滋賀県で明るみに出た看護助手の患者殺し事件は、あまり「被疑者」の肩を持つのも不謹慎だろうが、ただの凶悪犯罪と同列には扱えない気がする。
動機や背景にしっかりメスを入れないと、犠牲者も浮かばれない。
動機には、なるほどなぁと思う面がなくもない。この24歳の看護助手の供述は、人事の問題をあぶり出しているようにも見えるから。
排泄介助やシーツ交換のような3K仕事ばかり与えられ、地位も低く見られていた――それは「そんなもんだよ」と言うしかない現実ではある。善し悪しは別として。どんな病院でも会社でも、資格と実績に応じて地位が決まってくるものだろう。
「患者ウケ いいから注射を 看護助手にも」と都々逸にすることはないが(笑)、まぁそんなことがあっては困る「命の現場」なのだ病院は。そこが、たたきあげで好成績をあげれば高い地位に昇って行ける政財界やネオン街との違いだろう。
問題が透けて見えるのは人事のありかただ。
おそらくどこでも、「助手も立派な、なくてはならないスタッフですよ」ということになってはいても、地位や評価は低くて、そのギャップに憤懣やるかたない・・・というのが若い3K労働者のホンネではないかと思う。
最初から、「君たちの地位は低い。看護師は看護助手を軽蔑しています。そんな現場でよければ採用する」というのがフェアプレーだろうが、それも無理がある。
看護職として昇進しようと思えば、与えられたポストで一生懸命働くほどチャンスは遠ざかる。それなら受験勉強にかじりついて看護大や専門職大学院に進むのが、「急がば回れ」のキャリアパスになっているのではないだろうか。
うちの母も、生前の父と同じ職場だったので、人事ネタを茶の間に持ち込んで「あの子は準看やからねぇ」というような言い方をしていた。高看と準看の間には、意識の溝があるものだなぁと感じたものだし、実際「正看」でも帽子に線が入っていたり勲章をつけていたり(こんなナースいないか)すると、無言で威風堂々としていたりする。ように見える。
資格や学歴による待遇格差はなくならないどころか、学ぶべきことがどんどん専門化・高度化している上に、責任も重大(リスクマネージメントのノウハウを個々人が武装しなくてはいけない)になって、ナースの高学歴指向・資格追求は進む一方だ。
数年前に職場で出会った短大卒の看護師は、「四大卒でないと管理職になりにくい時代なんです」と言って四大へ進学して行った。
「たたきあげ」で権威を高めてきた専門職は、次々に「近代化」の波を受けて、権威の再編成が進んでいる。
たとえば、福祉職の資格化は、僕が学生のころは実現してなかったが、今では法律や医学の知識まで採点されて資格認定される。
そうした動きがあるから僕の今の仕事があるわけで、一概に全否定するつもりはないし、おおむね「近代化」は必要だとは思う。
「たたきあげ」だけでは、現場の仕事が「よかれと思って一生懸命、結果的に人権侵害をしている」ようなことになっていても、なかなか気づかない。
看護職でも、地位の階層ができてくるのは、世界普遍の流れだろう。
上昇志向を持つプロには、進学したり資格を取得したりする機会がちゃんと保障されていてほしい。そこから先は本人の問題。
ただ、24歳という世代の女性には、別の不安もあるかもしれない。
労働市場で闘うべきか、花嫁市場(いやな表現だが現実問題として・・・)に移るのが得策か。
たしかに、僕の同級生世代の、大学院に進もうとする男子学生は、就職の心配をしてもらっていたものだが、女子学生は「嫁のもらい手がなくなるぞ」と、次元の違う心配を浴びせられていた。
まぁ今だとセクハラ視されかねないが、僕の世代の女性修士・女性博士は、みな無事に?家庭を持っている。
だから、キャリアか家庭か、早く昇進しないと嫁の行き先が・・・なんて悩みは、あまり本質的な問題とは思えない。キャリアウーマンが、キャリアに理解のない金持ちイケメンにあこがれるのが、そもそもの人生の過ち(笑)というだけ。
育児支援政策が未整備だとか、企業の女性登用が立ち遅れているとか、社会的な環境を問題視するのはわれわれ社会学屋さんに多い発想だが、自分のキャリアはもっと主体的に考えた方がええんでないかい?と思う、個人的には。
自分の仕事に評価が低ければ、評価を上げるチャレンジをする道が開かれている。
または、評価に合わせて仕事をする(または手を抜く)という労働者もいるだろう。そこに、管理職は気づきにくい。
これからも、似た事件は続発するのではないだろうか。
そういえば、パートスチュワーデスと正社員スチュワーデスが同じ仕事をしている「機内」は、大丈夫なのだろうか。
まさか、
正社員→幕内力士、Jリーグ、プロ野球一軍選手と噂
パート→幕下力士、J2、プロ野球二軍選手と噂
てな「割り振り」はないだろうが、万一、パートスチュワーデスが大リーガーと婚約でもした日には、世にも恐ろしいフライトになりそうだ。
MBAのNBA構想?
at 2004 07/09 13:59 編集
パ・リーグの合併縮小劇、今度はロッテとダイエーか!
やはり、球団経営の論理でコトが進んでいるわけかねぇ。
球団存続を最優先したい選手会側としては、買収してくれる会社にラブコールを送りたいだろうから、ライブドアに続いて、次は2ちゃんねる・・・か?
そうなれば、さぞかし掲示板上で監督采配やら選手のこきおろしが騒々しくなるだろうが、まぁ実際そんな買収はないだろう。
日本の球界は、ナベツネが「1リーグもいいじゃないか」といえばトントン拍子に進むはずだから、ファンと選手の頭越しに球界再編が推し進められて行く。これは果たして「野球文化」にとってプラスなのだろうか。
宮内オリックス社長が朝日にコメントを書いていて、「ファン層を厚くして行かねばならない!」とおっしゃることはその通りなのだが、だからこそ、しらけさせてもらっちゃ困る。
スポーツライターの玉木さんの熱弁によれば、「ファンが経営するチームがプロ野球本来の姿なんです」ということらしい。それも一理ありそうだ。
教科書にも載っているように、「所有と経営の分離」が資本主義の原則だが、親会社=オーネーが、球団経営に口をはさみすぎたり、売買したりすると、ファンはしらけてしまうように思う。
そういえば、ニューヨーク・ヤンキースは親会社がどこなのか、とんとわからない。
まぁマリナーズと任天堂の縁は日本人にはよく知られているけれど、メッツもドジャースも「球団会社」であって、何かの会社の球団ではない。少なくとも、表向きは。
だから、いっそバファローズも、近鉄をとって「大阪バファローズ株式会社」でファンに優先株を売って野球経営に専念してみてはいかがかと思う。
やるだけやってみてから、合併も最後の選択になる。
それが資本主義社会の経営の定石ではないのかな、MBAの宮内さんには「釈迦に説法」だろうけど。
チャーリーズ・エンジェルズ
at 2004 07/10 11:22 編集
飛行機から出てきたばかりのジェンキンスさんに、タラップ上で抱きついた曽我さんには感動した。
この世代の日本の夫婦が、こんなに熱い抱擁と接吻をしておるだろうか!
「亭主元気で留守がいい」なんてほざいておる主婦どもは、あの国に強制移住させてやればいい。
ジェンキンスさんも、写真では笠智衆のような枯れた印象だったのが、「動くジェンキンスさん」はチャールトン・ヘストンのようだった。
俺を逮捕してみやがれ米軍め!と、雄叫びを見せてほしいものだ。
曽我さんは、日本から米と味噌を運び込んでいて、「料理をつくってあげたい」と腕まくりしているそうだ。1年9カ月ぶりの「おふくろの味」になるのだろう。
こんなときも、料理が主婦イメージを強化している!と、「遥かの方」からフェミニストの雄叫びが聞こえてくる(笑)。
でも、妻の祖国に4人そろって「帰って」らっしゃい、チャールズあなたアメリカに帰りたいって?それならしかたないわね、お元気でネ娘たちはいただくわ・・・てなシナリオが描けるとしたら、溜飲が下がるのではないか?
今でこそ、日本は脱北者を熱烈歓迎するお祭り騒ぎで沸きかえっている日和見的ムラ社会だが、あの国で生まれ育った子供たちにとっては、お節介に息がつまるのではないだろうか。監視社会より少しましな、善意の覗き見社会に移住するだけ。
たとえば、あの「北のバッジ」を捨てさせる圧力は、ひとつの思想統制ではなかったか?
「偉大なる金親子」などと口走ることも許されない。
ブリンダちゃん美花ちゃんは、北より少しはましな日本で言論・思想の自由を知るが、第三者的な立場のパパ(北からも日本からもアメリカからも一定の距離をおいているから)に意見を求める機会があれば、パパの祖国へ・・・という可能性もある。
まぁ、ジェンキンス氏の「親コミュニスト度」の程度にもよるが、おせっかいながら、どう展開して行くか楽しみではある。
アマテラスアメフラスオオミカミ
at 2004 07/11 12:28 編集
プロトレックのデジアナ併用ウォッチが、シリーズ終了とかで投げ売りされていた。6割引きと聞いては黙っちゃおれん。
で、あっけなく左腕に収まってしまった。
気圧変化がグラフで出ますから、天気予報にも使えますし・・・と店員の兄ちゃん。わかってますがな。出た当時のデジタルだけバージョンは街で山で使っていた元ユーザーなんですから。
使い勝手も表示も、基本的に変わっていない。
見慣れた気圧グラフが、昨夜はどんどん下がっていた。
それを「ふーん」と一瞥しただけで外出して、さっそく後悔することになった。みごとに雷雨が降り始めたから。
プロトレックの天気予報機能は、実によく当たる。
ただし同じ場所においておかないと、正しい気圧変化は測れない。固定腕時計(笑)になってしまうのが宿命なのだ。
気圧変化のグラフを、「毎日デザインが変化して、二度と同じ絵が出ない」という理由で愛用しているデザイナーだったか学者だったかが昔おられたけれど、たしかにそんな見方をするとおもしろい。
アナログの時計だと、毎日2度ずつ必ず文字盤が同じデザインを描くわけだが、気圧計のサンプリングドット表示は、V字型や山型など、予測もつかない形を描くので、占いだと思って楽しむと飽きない。
星座がどうだとか筮竹ガラガラポンとか、そんなこじつけ物語より、気象の変化が体調や気分を決めてるなぁと思うことがよくある。しとしと雨でも、気圧が上がっていたら、ものの1時間後にはさわやかな雨上がりが待っているし。
自然には逆らえない。ワタクシは人には反抗的だが、おてんとさん、おしめりさん、雷大王には従順なのである。
三十何℃まで太陽がギラギラ照りつけて「服脱げ服脱げ」と言っているのに、スーツを着ているアジアの紳士が絶滅しないから、原発もなくならんのじゃ!
・・・と、エコな怪気炎をあげていると、某環境政党に1票入れたろかという気になってきたぞ。
戦いすんで日が明けて
at 2004 07/12 14:45 編集
いやぁ、選挙戦は疲れたが無事終了。
僕、投票しますよ!私も!俺も!と800名の支持者が名乗りを上げてくれたが、開票されてみると8票しか入ってなかった。
義理チョコをあげるわと言われていたその義理チョコさえもらえなかった気分だ(苦笑)。世間とは、そんなものよ。
まぁ、よろしい。
政界フィクサーのワタクシの次なる仕事は、落選議員の雇用対策なのである。
さしあたって、有名人ビッグ3は・・・
ムネオ→アテネでフルマラソンを走って見せればイメージアップ。意外にも、2時間の壁を破って世界中の度肝を抜くかもしれない。「ドーピングの百貨店」と言われることうけあい。
キヨミ→上方芸能界デビューしかない。遥洋子と漫才コンビを組むのもいい。吉本でもいけそうだし、上沼恵美子の線で行くのもいい。けっこう「汎用性」があると思う。
青島幸男→リアルいじわる爺さんになる。タナボタ当選した喜納昌吉の耳元で「笑いなさい〜笑〜いなさいぃぃぃぃ〜」と鼻歌を唄って聞かせるとか。
万一、キヨミとムネオが和解して呉越同舟のような政党ができれば、スリル満点の台風の目になるんちゃうかと僕は前々からにらんでいる。中間地点の東京で、飄々とした青島さんが仲介役をしてもらえば、団結できるはずだ。
キヨミのようなおねーちゃんはよく北海道の牧場で働いていたりするし(麦わら帽子が似合いそう)、ムネオといえば坂田利夫そのものだから、お互いかつての「敵地」でも受け入れられると思う。
圧勝した民主党の中にだって、案外コチコチの逸材もいたりするから、政党より議員のキャラクターを楽しみたいものだ。
ステレオタイプライター
at 2004 07/13 10:04 編集
呉で大規模な断水事故が起きて、ようやく復旧の見通しが立ったというニュース。
お定まりの「街行く人にインタビュー」で、あるおとっつぁんが「これでようやくひげがそれますよ、やれやれ」とひと息ついているとか。
紋切り型の見本のようなニュースやなぁと苦笑するしかなかった。
今どき、「水道が出ないよーボクどうやってヒゲそったらいいの!?ママ!!」てな男性がいるのだろうか。
ニュースのモチーフは、こんなところに落ち着くものだろう。
「無難」を洗練させると、紋切り型として定着する。
断水で震災経験者が真っ先に思い浮かべる悲劇は、「運古が流れない!」ということである。
インタビューされて「うちでは、子供の運古はよかったけど、だんなの運古が難物で、今もそのまま」なんていう、想像したくないような・してしまうようなリアル悲惨アンサーは、決して放送されない。
リアルといえば、選挙で落選した候補者の会見も、しおらしく支援者に頭を垂れているような構図に整えられているが、楽屋裏ではどうだか・・・
「おい!しっかり饅頭(もちろん和菓子のことではない)配ったのか」
「先生ずるいよ自分は手を汚さないで」
てなドタバタが、くりひろげられているのではないだろうか。少なくとも、無言のうちに、「責めるような目線」や「怨念スカラー波」が渦巻いているはずだ落選者事務所には。
ないはずの「型」を性懲りもなく創りつづける報道機関は、あるはずの無言ドラマをリアルにあぶり出してほしいものだ。
「報道されてないことを想像しろ」とは、恩師の明言でもある。
新潟県立タイタニック小学校
at 2004 07/14 11:36 編集
被害に遭った人たちにはお見舞いするばかりだが、それにしても興奮した。新潟の大雨で小学校が孤立し、200人の児童・保護者・先生が、停電した学校に泊まったというのは、もろ「漂流教室」ではないか。
水が引いたら、そこは2040年の別世界だった!
てことになっていたら、これはすごい。
老婆心ながら、ふとんは体育マットを使ったのか?
食事はボートかヘリで届けたとしても、夜中に学校のトイレに行くのは、さぞかし肝試し・・・いや、こわかったことだろう。
学校は妙にゆったり広いから、あちこちに何かが潜んでいそうな空間がある。空き教室で笑い声が絶えないとか。
まわりはチャプチャプと泥水に囲まれて、浮いているような不思議な感覚だったのではないだろうか。
非常事態を分かち合った者同士の間には、よくラブロマンスが勃発したりするものだが、小学生だと少し早いかな。
校長と教頭が・・・というのはちょっと困るけど(笑)。
温泉のもっと
at 2004 07/15 10:56 編集
「白骨温泉のもと」を入れている白骨温泉には笑った。
老いた藤原紀香が「若いころの私にしてちょうだい」と注文して美容整形を受けるようなものか。いいんだか悪いんだか、まぎらわしいこと甚だしい。
僕も10年ほど前に乳白色の白骨温泉に行ったことがあるが、演出するなら完璧にやって・・・というのも変だとして、馬脚をあらわすようなことはしないでほしいぞ村長!
美女と過ごした夜が明けると、彼女の口元にヒゲが・・・というような経験は哀しい。
野天風呂「キハ42」
at 2004 07/16 15:28 編集
体温を越えそうな、サウナと化した部屋でも、なぜか風通しはよくて、熱風がびゅんびゅん通ると汗が出ないのが不思議。
感覚的に、「あっついなー!!」とは思うのに。
うだるようなカンカン照りの阪神間からすると、水害の報道は同じ本州かと思うほど縁遠い。
田んぼの様子を見に行って洪水にさらわれた被害者の話を聞くと、あぁ大事に米を育ててくれているんだなぁと今さらながら胸を打たれるし、危険だから外に出るなといっても、そうは行かないものだろう。
ただただ、被災見舞い申し上げるばかりだ。
コンクリートとアスファルトの上でばかり生活している今でも、少し前までは、大雨といえば六甲の山津波が神戸市民を脅かしていた。
ゼネコンを潤す砂防ダム乱立で、土砂災害は減ったのかもしれないが、記録破りの水害や震災や台風は、いつ「あめつち離れ」した都市住民の足元をすくうかわからない。
日照りの都会じゃ水不足だ節水だという話になるのが例年だから、いっそ新潟のダムやため池にあふれる雨水をどんどん貨車に積み込んで、たまり次第太平洋側に運ぶ「水道列車」を走らせればどうか?とも思う。それこそ、国営鉄道事業として。
10分おきに発車するぐらいの量が、すぐたまるだろうなぁ・・・。
都会の炎天下に野ざらししておけば、すぐ湯だって風呂になるから、「20両編成の野天風呂」というのもいい。走りながら入浴できれば、こりゃ格別ではないだろうか。
あぁ、水害見舞いのつもりが、すぐ不謹慎な空想に流れてしまった。
あ、そういえば
at 2004 07/17 13:03 編集
夏休みが始まったのだった。
バケイションなのだ。馬鹿んスなのだ。アバン誅ルなのだ。
「へー、早いですねー」
「おまけに長いよー8月末まで」
「いいなー、うらやましいなー」
という無意味な会話を、もう15年にわたって800万人の人民とくりかえしてきた。
各種保険なしボーナスなし終身雇用なし退職金なし出世なし有休なし
・・・と並べると、口先ではうらやんでも転職する人はいない。
やりゃーいいのだ、FA宣言。
とはいえ、自由業の「自由と自己責任の大きさ」を考えると、結局「不自由と集団無責任」の方になびいて行くサラリーマンが多かったのも無理はない。
ただ、無能経営のしわ寄せ→忠犬ハチ公のリストラという悪夢を現実に見ると、心は会社から離れて行くサラリーマンが増えるのも、自然のなりゆきだろうと思う。
でも、僕はいくら年収倍やると言われても、年間2000時間労働とか真夏の背広とか通勤ラッシュが耐えられないように、それに耐えてきたサラリーマンが独立だ起業だというのも、「かなりアドベンチャー」ではないだろうか。フレンチっぽくアバンチュールといえば、なびいてしまうおねーちゃんもいるかもしれない。
妻子がぶらさがっている場合は、なおさらだ(アドベンチャーできそうなパートナーを選ぶことよ野郎ども!)。
子供は、いざとなれば親兄弟に託したっていいが、パラサイト娘のまま安定した給料運搬亭主を選んで結婚した(また、亭主もそれを売り込んで口説いた)妻は、方向転換するとき最強の抵抗勢力になるのが現実だろう。
男と女のどっちの意識が高くてどっちが鈍いのか?
という論争は80年代までの演目だった。しょせん「鈍い相手を選んだあんたも同類」というだけのことなのに(身もフタもないな)。
今は、自分の王国の王子様女王様が多いから、論争にもならない。「私は私」と唱えて信じ込もうとしている自分が信頼できない・・・というややこしい王侯貴族もいたりする。
すったもんだで婚礼を乗り切って子供ができてしまえば、「俺は仕事だおまえは子守りだ」といえばまぁ穏やかじゃないが、少し言い方を変えれば「私には子守りがあるからあなたがんばってね」てな穏便な分業に落ち着いてきたわけだ、日本の核家族は。
それが今は、子供ができる前に「待てよ」と足踏みするカップルが多くて、その兆しが「枯れた若いカップル」だったりするのではないだろうか。僕が見聞きしてきた限りでは、彼が及び腰のケース、彼女が及び腰のケース半々ぐらいあるようだが。
次の臭議院選挙で票をかせがなければならないワタクシが大胆な提案はしにくいのだが、ちょっと順序を変えてみるぐらいのプチ革命は、日本の出生率を上げ、劇的に社会保障を楽にするはずだ。
そもそも、つきあい始めてスキンシップがあって結婚して子供ができて・・・の順序がおかしいわけで、「まずサヤ当て(古いね)して相性がよければつきあって、子供ができたら結婚も」という方が自然ちゃうかやー?と思うのだが、どうだろう。
結婚を強制しなければ、税制面での控除もしなくていいメリットがあるし、そもそも婚外子=不幸と決めつけること自体、合理的ではない。
ただ、大日本道徳婦人協会(って、あるのか?)からは、八つ裂きで処刑されかねないなー。
雪乞い
at 2004 07/18 11:23 編集
阪神間からは日本海も太平洋も近い。連休ということもあって、和歌山や舞鶴方面に向かう道路が軒並み渋滞のニュース。
よろしいよろしい、わしらは地元須磨に結集するのだ皆の衆は遠心力で遠くに散らばれ!!
と念じてもむなしく、阪神高速が須磨方面へ何十kmも渋滞しとるとや。
イモの子を洗うような混雑がくっきりと予想されるが、まぁこれは「自然との語らい」などではないのだ、お祭り騒ぎなのだ、メインはバーベキューなのだと考えなおして仕度する。
猛暑の真っ只中に、神戸市職員がズル休みしてスキー大会で大活躍してたことが発覚!?というニュースも、笑えるというか、唖然というか・・・。イザベル・アジャーニじゃないが「殺意の夏」だぞこりゃ。
この程度のこと、公務員がしでかしてたとしてもまったく不思議を感じないのも考えてみると情けないが、スキーにふけっていた日々の給料も市民税からしっかり支払われていたわけで、市民をなめきっちょる。
停職処分で退職金査定が減ったとしても、定年までクビはつながっているわけだから、この税金泥棒&税金詐欺にはうんと仕事をしてもらわねばなるまい。
これで、もし釣りバカ日誌の浜ちゃんみたいに左遷されたりすれば、大喜びしかねない落とし穴があちこちにある。「姉妹都市シアトルの神戸事務所へ」なんていうと、「バンクーバー→ウィスラー→スキー三昧…」と連想するだろうから、できるだけ雪に縁のなさそうな職場に更迭してしまうのがええな。火葬場とか。
この税金泥棒&税金詐欺スキー中毒は、「体調不良で仕事はできなかったがスキーはできた」と言い訳を垂れてやがるが、実感としてはよくわかる。
なるほどね。そしたら、スキーを仕事にしたらいいわけね。
六甲山にもうひとつスキー場を造って、責任者になってもらえば本人ホクホクとなるかもしれない。
「ケガしても雪がなくても私のせい」とヘボ川柳みたいなタスキをかけて、ひたすらゲレンデ整備で定年まで働いてもらおうか。
個人的な努力で年間6ヶ月間オープンできれば、あと半年間は有給休暇にしてあげてもいいと思う。
あぁ、早く初雪の便りを聞きたいなぁ…の海の日連休である。
淡路島通う千鳥足鳴く声に
at 2004 07/19 11:24 編集
阪神高速渋滞27km、3連休、夏休み始まりスタート・・・と聞いてわななきながら須磨海岸へ終結した9人の侍。
そこは、地元民の知恵で、駅から少し離れるとゆったりできる松林にツバをつけておいたので、海もメシも楽しめた。
ただ、皆かけ声だけは海水浴だ海水浴だと浮足立っていたわりに、水着持参は2名だけ。完全に観客か「採点員」と化していたようだ(笑)。
ワシも砂浜を「採点散歩」。
といっても、おねーちゃんチェックではない。ワシは硬派なのだ。
人波がひいた夕暮れの砂浜は、とても空気が優しい。硬派野郎のハードボイルド魂が唯一ゆるむ場所なのだ(笑)。
海を眺めるのとは逆に、波打ち際から陸の方を眺めると、案外それはそれで新鮮な眺めで、別の街に見えたりする。
特に須磨は、沖合は大阪湾だから、海を眺めわたしてもごちゃごちゃしていて「スカッと太平洋」とはいかない。むしろ、緑したたる山が迫っている背景の方が、見違えるような眺めだった。
写真でしか見たことがないコパカバーナ海岸も、僕は山の眺めにばかり目を奪われた。その何分の一かのミニチュアが、須磨といえなくもないか(人出は何倍かだったりして)。
海からより、海への眺めがよかったのは、やはり江ノ島〜片瀬海岸だったかな。
今まで、東尋坊とか浜小清水海岸とか日南海岸とか、大自然!という感じの海岸風景にもあちこちで圧倒されてきたけれど、「改札口を出たらビーチ」の意外性もお手軽でいいものだ。いつでも自転車で行けるし。
さて、今夜中に写真をアップしとくか・・・。
サンキュー!
at 2004 07/20 14:31 編集
東京の都心で39℃を記録しようかという灼熱日、また1つトシをとってしまった。
ハートが熱いのか、怒りのボルテージが高いのか、ともかく神戸も熱いのである。
誕生日は本人の功績ではなく暑い日に産んでくれた親に感謝する日だと思うので、老母に接見に行って赤飯をいただいてきた。
赤飯と祝辞のおかずは、同期の同僚たちの、ワタクシと同年代のご子息たちの噂話である。
似たような年に就職・出産・育児をした横並び世代だから、「あそこの子は灘中に入った」「マサル君は医学部に行ったって」「あそこの娘さんは外資系の証券会社で…」てな話は、もう呼吸するように身についてしまっているのだろう。
親が長生きする時代だから、そうなるのも自然な流れかもしれへんなぁ…と、仙人気分の僕など「高みの見物」を決めこんでいるけれども、真面目ーに生きて真っ当な人生を送ろうとしている年頃の独身男女にとっては、なかなか息苦しい時代だろう。彼も彼女も、向かい合うと互いの背後霊がリアルに長生きしているから、一挙手一投足が逐一チェックされかねない。りえママと梅宮パパみたいなややこしい背後霊が元気でいる(悪いとはいわんが)この国では、もっともっと晩婚化・非婚化・少子化は進むのではないかと思う。
曽我さんちのジェンキンスさんブリンダさん美花さんも、実の親より、日本中の偽善者から監視されて、ありがたいお言葉や贈り物を押しつけられ、わけがわからない涙まで流され(笑)、自分が親しんだ国の偉大な指導者さまのバッジさえつけることを許されない思想統制国家に住まわせられることになり、ご苦労さまなこっちゃと思う。放っておくのも愛情かも?という想像力が欠けとるわなぁ。
金日成のような父権的国家建設者は、それなりに存在意義はあったと僕は思うが、フセインやカダフィと並んで(かつてはカストロも)、「独裁者は悪」という定説に異論をさしはさむ自由はなさそうだ。
我が国には、父権主義的な政治家がいない代わりにアンポンタンなとっちゃん坊やの二世政治家ばかりになり、それを後ろから動かす、集団無責任を絵に描いたような官僚主義・官尊民卑がはびこっている。
ジョンイル君もビンラディンもいない代わりに天皇がいる(雅子さん、はやくワタクシのふところにかけこんで来れば、一緒に「18切符の旅」に出て幸福をかみしめられるよ!)。
雷オヤジが消えた代わりに、金をためこんだジジババが我が子を経済的に動かして―いや、動けないよう骨抜きにして―いる。
原爆で一瞬にして非戦闘員を何十万人と灰にしたり、洞窟に逃げ込んだ沖縄の婦女子を火炎放射機で焼き殺したりの御陽気な国を愛して、ノドンとテポドンばかり騒ぎ立てているこの国は、どれだけ北西の隣国より偉いのか?
てなことを考えていると、脳内気温は40度を突破しそうだ。
あっつー!
スロー、スロー、クイックイッ
at 2004 07/21 13:50 編集
ウィンドウズCEを狙ったウィルスが初めて発見されたという。システムやファイルを破壊するような力はないイタズラ程度のものらしいが。
9*やXPを狙ったウィルスはさんざん話題になってきたのに、ようやくCEも一人前か!?と喜ぶあまり、久々にCE機で日記を書いてみた(笑)。
ウィルス感染の被害報告や不安の声を聞くたびに、「それならCE機だねぇ」と、クロック133MHzの超高性能CEマシンが輝いて見えるぞ。
「パソコンで動画編集も音楽もなんでもかんでも」と欲張ると、エクスピーだセントリーノだと必要になるんだろうが、仕事上の用途でもせいぜいテキスト作成ぐらいだと、10時間使える800gのCE機で充分だし、その方が安全だったりする。
ウィルスとセキュリティは、イタチごっこも進化の一途。
それなら、いっそ「後戻り」するのも勝ちかもしれない。
メールは郵便にするとか、文書は原稿用紙に万年筆とか。
こりゃあまり現実的ではないか。
僕の尊敬する自転車評論家さんに、「文明は、自転車ぐらいがいい早さ」という名言があって、なるほどなぁと思う。その方は車も自動二輪も乗り回してきてこの境地に達したそうだが、ナイカー族の僕は最初からこの境地しかない(笑)。
渋滞と信号だらけの都心では必ずしもクルマが速いわけではないし、飛行機の旅も僕はきらいではないけれど、せっかくのスピード感がうまく生かされていない感じもする。
というのも、飛行機はプロペラが回っているのが見えないし、クルマはウスノロ運転手に飼い殺しされているように見えるから。
黄信号を見ると、ちびりかけたガキみたいにあせりまくるくせに、カーブでのステアリングの取り回しは「なにトロトロやっとんじゃ!」と怒鳴りたくなるほど、中途半端にノロいドライバーが多い気がする。クルマを発明した民族と、運動神経が根本的に違うせいかもしれない。おみごと!と感動するようなスマートなドライバーは、車バブル社会では育たないのだろうか。
こんな場面では、「もっと機敏に動いてくれよなー」と思うのだが、黄信号で交差点につっこむと、ちびりかけた車に巻き込まれそうになるから、わがエコカーはファイトを投げ捨ててすぐ停まる。「本人ウスノロ」のくせに愛車の性能で錯覚している運転手には近寄らない方が賢い。
しかし、自転車界にも、「都会の歩道で全身レーサー仕様」の錯覚野郎が増えていて、こわい。
ヘルメットはいいが、サングラスなんかすな!っちゅうねん。
フロントガラスにまでスモーク貼ってるクルマみたいな存在でっせこりゃ。法規制がないから、「本人ウットリ」は野放しのまま。
「こぎながらメール中」のバカは、まぁ事故って痛い目に遭えばいい薬になると思うが、これだから「自転車免許」なんて変な話も出てくるのかな。
ペ・ヨンジュー
at 2004 07/22 14:49 編集
甲府で40℃!というニュース映像の背景に、やはり映っていました背広男。実際アスファルトの上だと45℃は越えるだろうに、背広にネクタイ姿で汗をふきふき歩いている。
脱いだらどうかに〜(笑)。
風呂みたいなサウナタウンなのに、こんなもん着てられっか、ペッ!と言わないサラリーマンの新陳代謝は、一体どうなっておるのか!!!!
暑いといえば、今朝は早起きして電車に飛び込んだ人のおかげで、ダイヤが大混乱していた。間引き運転のせいで、ふだん座って行ける通勤電車も、高濃度のサウナ状態。
いやぁ、絵に描いたような押しくらまんじゅう電車に乗るのも、何年ぶりだろ。
僕の前には「うんと地味なフェミニストT嶋Y子」がいて、僕はしっかりカバンでバリケードにしていたのだが、僕の右にいたサラリーマンが、不運にも手が当たっていたらしく、手さえ動かせないほどのギューギューづめなので、必死にもぞもぞ手をどこかに動かそうとしていた。すると、田島陽子が「な・なにやってるんですかっ!」と怒りはじめた。
いや、あれはどうみても当たってたんだって。
冤罪一歩手前のサラリーマン氏は、お気の毒に次の駅でペ!と舌打ちしながら降りて逃げて行ったが、かりに不当逮捕でもされたら、弁護側証人になってあげたくなった。
でも、「そもそも被害者さん、彼がなんであなたを触るんですか」と怒りの炎に油を注ぐような爆弾質問をしてしまいそうだ。
異性といっさい肉体接触しないスシ詰め満員電車なんて、ありえない。
そんな状況と、いかがわしい動機が見分けにくいところに、痴漢が発生するのはたしかだ。
濡れ衣を着せられないように・・・被害に遭わないように・・・とささやかに築かれたいろんなバリケードのおかげで、よけいに混雑はひどくなっているんではないかと思う。
そこで法案提出。
いっそみんな抱き合えば、かなり混雑はましになるか、もっと詰め込めるかもしれない。
ただし、相手を選べるのは国民投票で合格した女性だけ(笑)。
選ばれた女性に選ばれて毎朝抱きしめられる男性は、きっと日本の「ペッ、あのやろー!」様になるだろう。
実は今朝も、芦屋から乗ってきた天海祐希に後ろから抱き締められていたのだが(後頭部にクッションつきで!)、彼女は彼女で「こんなやつ国民投票で下車させてよね」と思っていたかもしれない。
ごっつぁんです。
還流
at 2004 07/23 13:09 編集
知人の大学語学教師たちの間で、「第二外国語異変」がささやかれている。
今年は特に韓国語をとる学生が急増して、いままでの標準的?なフランス語・ドイツ語のクラスが減ってしまうのだという。非常勤としては死活問題だ。
いままででも、「フランス語でも・ドイツ語でもとっとくか」層は、中国語とスペイン語に流れていた。実務指向というのも無理はない。
いま韓国語がトレンディ!!というのも、駅前留学のNの広告で騒いでいれば自然に見えるけれど、「京都私大の雄」でも、Nのお客様と同じような学生が増えているわけか…?
まぁ、ペさま(僕の中では林家だが)ヨンさまユジンさまと想いが募る勢いで、感性が敏感な時期に熱中した外国語は、それなりに身につくと思うから、悪くはないと思う。
大学の第二外国語なんて制度は、ブームにあやかりでもしないと、風前のともしびだ。
ふた昔前までの大学院入試には第一第二外国語があって、僕はフランス語専攻でもなかったが、デカルトの方法序説を読まされた。いまは第二外国語自体が試験科目にないらしい。
それで即ハードル低下だ学力低下だというつもりはないし、おそらく大学に求められる知のありかたが変わってきているのだろう。
教養課程の廃止・形骸化は、大学という教育研究機関の自殺行為ではないかと個人的には心配だ(教養学部を残している東大とICUは健全だと思う)。
哲学の講義を「盗聴」に来る医学生や、天文学を覗き見に来る文学の徒…なんて学生は、将来の宝ではないのかな。
今の僕の職場でいえば、「目の前の老人」「障害者と私」しか視野に入らない福祉オタクは多い。
外国語音痴がかなり高濃度な世界かもしれない。「日本語で書かれた北欧の福祉」を仰ぎ見て追いかけるだけで、スウェーデンに行って現地の人と意見を交わす発想がない。いや、思いついても萎縮して行動に出ないだけなのかもしれない。
そして、法律や経済を知らないという「福祉な人」が大量生産されている。かくして、福祉は「思いやりの世界」であり続ける。「患者の表情を見ず画像ばかり見ている医者」と同じ。
自立支援に政策転換!といっても、「福祉な人」(カウンセリングな人も同種かな)自身が生活自立できていないと、うろたえるばかり。できることといえば、弱者を囲い込んで、論文の業績に利用するだけ。
こうして、障害者は社会参加どころか「福祉な人」を乗り越えられないという二重の塀に封じ込められている。
・・・というのは一部の問題=氷山の一角かもしれないが、何かの兆候だとしたら、想像力を働かせないと軌道修正できなくなるかもしれない。
脱線してしまった。「明るく楽しい外国語」に戻ろう。
制度が変われば、学生の想像力のありかたも変わらざるをえない。
なんとなく、「将来どこかで何かの役に立つかも」と思いながら、分厚い独和辞典や仏和辞典を毎日キャンパスに運んでいた牧歌的な学生は、今どれだけ生存しているのだろうか。
今だと「そんな辞書ひいこら持ち歩くより、バイオノートがイマ風っすよ」という感じかな。
ネットワークで距離感も抵抗感もなく世界中のサイトにアクセスできるし、翻訳ソフトを使うと「現地語を解読」する手間もいらない。
便利だけど不幸にも見える。
逆に、不便が幸福だったよなーと思うこともある。
ネットなんか使えず、テレビの旅行番組と映画でしか異文化を知ることができない時代だと、ハングリーな小年少女にとっては外国語の学習は魅惑の風穴(笑)になりえた。犬養道子さんの明言「外国語は世界の窓である」は、ほんとその通りだと思う。
カーペンターズの歌が聴いてわかるようになるだけでも、英語の勉強は「勉めて強いる」必要なんかない。僕の少し前の世代だとビートルズ、もひとつ前はプレスリーだった(と、小林克也さんが書いておられた)。
いずれにせよ、今の韓国ブームと似ているかもしれない。
そろそろ、韓国スターが「僕は祖国が好きだ。年金も加入してます」なんてメッセージをつぶやけば、「韓流やまとナデシコ」たちは、自分の足元に目を向けるのかな。
いや、そんな必要はない。
台湾の哈日(ハーリー)族と入れ替え戦をやればいいのだ。民族「還流」は大和魂を守れるぞ(愛国なんだか亡国なんだか…)。
鉄分
at 2004 07/24 15:23 編集
今年ほど、青春18きっぷのマニュアル本があふれている年はなかったのではないだろうか。
と思うほど、雑誌やムックや文庫や新書で、18きっぷ使え使えメッセージがにぎわっている。
JTBのムックに、こんな一節があった。
実際に18きっぷで旅したライターの一文である。
「西脇行きはキハ40の2両編成。すでに電化工事はほとんど完成しており、後は125系&103系の試運転を待つだけになった。<中略>谷川駅では福知山線117系が待っている。80年代に関西国電のエースとして私達を魅了した名車だ。その健在な姿を見ると、私のような非車両派の人間でも嬉しくなってくる」
・・・おいおい、車両派だろうよアンタが!!
おぬしこそ、80年代に117系に魅了されたんでしょうに!?
思わず突っ込みたくなる、鉄分濃厚な文面ではないか。
でも憎めない。
おそらく、鉄ちゃんであるがゆえに、中高大と不遇な立場に追いやられ、お仲間と濃い〜カルトな青春をおくってきたにちがいないのだ。
デートはベイブリッジへドライブにでも行けばいいものを、つい「鶴見線のクモハ42が見納めだから乗りに行こう」と口走って自滅してしまったのだ(大丈夫よ、小野田線があるわ!と助言してくれる、天女のような彼女を探さねばなるまい)。
ようやく日の目を浴びる活躍の舞台が、鉄道旅行雑誌なのである!
そう思って目を通すと、2倍読める。
鉄道記事にはさまれた写真に、異様に「女の子ショット」が多い。「いやこれ取材ですから」と立場を利用して、堂々と激写できるのかね。
表向きは、「鉄道の旅を、女性も楽しんでいます。さぁあなたも鉄道へ!!」というコンセプトなのかもしれないが、記事の中身が↑だとねぇ・・・(笑)
でも、がんばれ鉄ちゃん。
「全身JTB・歩く時刻表」として。
でも、運転席の後ろで「よし!」と叫んでいればわかりやすくて避けやすいが、時刻表をめくりながらブツブツしゃべっているキミもしかして独り旅?・・・というのは無気味だ。
スケパンでか?
at 2004 07/25 12:07 編集
デサントが、透けない競泳水着を開発したのだそうな。
目的はズバリ「赤外線透撮撃退」。なるほどなるほど。
では、一般用はどうなんだ!?
つい、素朴な突っ込みをしてしまうぞ。
このニュースリリースは、朗報であると同時に、「ほとんどの水着は透けるのだ」というメタ・メッセージをまきちらしている。
一般のユーザーにしてみれば、かえって不安だろうに。
透けてるか透けてないかは「赤外線の世界」の話だから、わからんではないか。ワタクシのところへ「あなたの目は赤外線でもスカラー波でも見えそうだから、チェックしてみて」と依頼があれば、喜んで怒りながらチェックしてあげるけど。
よく似た話が、コードレス電話だった。
半径1kmに熱烈な通話(笑)をまきちらしているユーザーも無知すぎるとはいえ、罪はない。こんな電話機を製造して「盗聴防止機能つき」なんて虚偽広告をしているメーカーの罪だと思う。
「聴かれる覚悟で使ってね」と書くのが正しいのだ。タバコには「ガンになります」と表示する義務があるように。メーカー側の製造物責任ではないか?
海岸に「覚悟せよ あなたを狙う 黒レンズ」なんて看板が立つ時代が来るとしたらせちがらいし、なんだか興ざめだ。
が、だれでも自由に行き来できる海岸だと犯人を取り締まるのはほとんど不可能だから、自衛するしかない!
と、世を憂うる老人の新聞投書みたいに憤慨してもしかたない。
これだけ開放的な時代になると、「別に水着が透けたって、どってことない」と、物珍しさは相対的に低くなるから、あまり衝撃はないかもしれない。
どうしても困るスイマーは、百均で売ってるアルミ箔のガムテープを前貼りにすれば絶対大丈夫で、なにも特殊な水着を買うことはないぞ。
しょせんは黒い影が見える見えないの話。
「透けてる」ことを前提に、ではどう見せるか?と前向き(というのか)に考えるのも妙案だ。
「タイガースファンの虎刈り」をいただくのもいい。つまり、「黒い影」が縦縞とか五輪マークになっているのもおしゃれだ。密度の濃い人は、「バカ」とか「あほか」とメッセージを残して刈り込むこともできるかもしれない。
透撮を先回りして笑ってあげればよろしいのだ。
ただしこれは自衛手段にすぎないから、怪しいカメラマン取り締まりもビシバシやればいい。
ところで、透けるとすれば、理屈の上では「男はズバリ」だ。
芸能人水泳大会なんかで、カメラを覗いて「あっららららら透け透け」とつぶやいてみせると、となりにいる滝沢君ファンが「えっホントに見えるの?貸して貸して!見せて見せて!ウヒョーッ!」てことになるのではないだろうか。
透撮という秘術は、「とにかくダメ」というのが建て前というもの。その裏には、「私だけが彼にだけ使えて、彼が気づかなければいいのよ」てなホンネが透けて見えてくる。
こんな心の闇に火がともると怖いね(笑)。
夏の百冊は無理でも百読は
at 2004 07/26 15:57 編集
ナイターで遅れに遅れ2時半にまでずれこんだ五木寛之さんのラジオを録音しておいて、暴力的な夏の日ざしの下で、深夜の友へという語りを聴くのも、オツというか拍子抜けするというか…。
「五木寛之の夜」は、辛酸なめ子がゲストだった。僕は読んだことがなかったが、楽しくからんでいた。
このペンネームに、72歳の五木センセイ、「将来、辛酸なめ子に対抗してデビューしようとするエッセイストがいたら、ペンネームをつけてあげる!」と悪乗り。
曰く、「暗澹たる子」
曰く、「水虫かゆ子」。
曰く、「魚の目さゆり」。
・・・おぉ、どれも文壇を賑わせそうなペンネームばかりではないか。
五木センセイ、悪乗りしすぎです!(笑)
「ジェームス三木」とか「ジャッキー吉川」とか、その世代の芸能人は、その世代ふうの芸名がついているケースが多い。なんだか、ほのぼのとした憧れ感覚が匂ってくる。
最近だと、玉袋筋太郎とか、槍魔栗三助なんて芸名で「NHK出してもらえんでええよ」と開き直った芸能人もいたっけ。槍魔栗は改名したけど。
古くは夏目漱石もそうだし、文豪の香り高いペンネームというのは難しい。デビューしたてのころ、歴史に残る文学者になるかどうかわからんもの。
「辛酸なめ子」も、もしもしノーベル文学賞をとればMiss Nameko Shinsanと紹介されるのだろうか。文学全集は、箱に「辛酸なめ子全集全25巻」と書かれるのだろうか。それはそれで、すごい。
ふと全集を思いついたのは、もう数年前に軽井沢で急死した辻邦夫さんの全集が、今月から出はじめたせいでもあって、「並べる」趣味のない僕が初めて全集で読み通したいと思った文学者だ。
華々しい「賞ビジネス」とは縁が薄かった存在だが、気になる作家だった。ずっと。社会学部英文科(笑)にいたころ、『城』『夜』あたりの作品に僕は感化されていた。
数日前の新聞紙上の短いコラムで、デカルト通りというのがパリのカルチェ・ラタンにあるらしく、かつてヘミングウェイも暮らしていたそうだ。最近、そこに暮らした日本人作家として初めて、辻邦夫の記念碑が埋め込まれたのだという。
辻邦夫は、パリに客死した森有正のような亡国の徒でもないし、三島のような憂国の士でもないが、それほど、「欧州」で評価が高い文学者でもあった。
反日的な批評を書いていたわけでもないが、アウトサイダーでもあった。冴え渡った隠喩で、ジャポネスクな情感を徹底して払拭した作品世界のせいか、「西欧かぶれ」という批評もされたことがあった。
でも、こんな文学者の存在は、ボーダーレスになった時代には望めないような気がする。
パリに暮らした池澤夏樹や、アメリカ東海岸に暮らした村上春樹も、僕には安部公房、加藤周一の影を追っているように見える。批判する気はさらさらないけど。
人情や儀礼で個を溶かしてしまうようなこの国で、私であることの座り心地は、言葉で築いて行くしかない。でないと、真綿のようなお膳立てを、まず「善である」という前提で、政府も身内もボランティアも押しつけてくるから。
それにおとなしく従う気分になれなければ、言葉ではっきり要望と拒絶を伝えるしかない。
文学少女であった(今もか?)我が母が、「あの人は本を読まない無教養な男だ」と蔑んでいた父の遺品を整理していたら、文学には無縁な医療人だったと僕でさえ思っていた死者の書棚から、辻邦夫や串田孫一が出てきて驚かされた。
どちらも僕の愛読書だった。僕と文学の話をしたことは一度もないが、実家に暮らしていたころの僕の部屋の書棚をいつか覗き見て読んでみたのか、それとも偶然の好みの一致なのか、今となってはわからない。
父もまたこの人情国家で生まれ、浪花節も好きなオッサンだったが、故郷の方言は完璧に忘れ、北海道の兄弟と電話で話すときも関西弁だった。言論の武器は持たなかったが、哲人や文学者の言葉に、何かを託したのだろうか。息子たち3人のうち、だれかが医者になってほしいと願っていたようだが、さもなくば弁論人か…。
手足も動かなくなり、絶望的な病状はレントゲン写真を見れば自分で厳然と診断できたはずだが、実在する故郷に少なくとも心だけはワープしていた。
僕にとって、故郷といえる愛着の対象になるだろうか、生まれ育ったこのゼネコン都市は。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」というが、「死者を介して思うもの」になるかもしれない。
何かの御縁で、仕事さえあれば、たとえば夕張が新しい故郷になってもいいか…とも思う。
こう暑いとね。
白昼怪談
at 2004 07/27 12:41 編集
天災でしかたないとはいえ、落雷で夜通し宙吊りになったままのロープウェイは、こわかっただろうなぁと思う。
「なんでロープーウェイ」と伸ばすんじゃアナウンサー!!と、どうでもいい突っ込みをしながらも(笑)、僕はお見舞いスカラー波を送信しておいた。
夏とはいえ、薄着だからこそ寒かったかもしれないし、満月でもないから暗い夜空に宙吊りというのは、いくら道連れが何十人いたとしてもかなりこわい。
そこで下世話な僕が心配するのは、シモの問題だ。
まさかロープウェイで女性専用車はないはずだから、もよおしたときどうすればいいか。
窓をあけて空中に半身乗り出してすませられたらいいが、スリル満点すぎる。実際には、せまい空間内で人垣をつくって、その陰ですませるような臨機応変なチームワークができていたらいい。これが、コミュニティ福祉の原型といえるかもしれない。
スキー場のリフトが長時間停まってしまうという事故は毎年のように起こっていて、僕は幸いまだ遭ったことがないが、これも困る。小なら開き直れば勝ちだろうけど(勝負の問題ではないか)、大は目立ちすぎる。
いや、まず同乗の見知らぬ女性客の心配をしなければいけないのか?
とりあえず、勇気ある人が「前例」をつくってみせれば、後に続きやすくはなるかもしれない。「私もみんなもやってます、あなたもどうぞ」という空気が、日本人の心のふるさと(!?)だから。
そんな場ができれば「集団の効果」ともいえるけれども、孤軍奮闘という場面はしんどい。
岡山かどこかで、パラグライダー事故で電線に何時間かひっかかったままのOLが生中継されていたのは今年の話だったか、ともかくズームアップで生中継というのも困るだろう。目をそらしてあげる気配りもほしい。
たしかに、シモの心配は下世話だとはいっても、現実に避けて通れない生理現象だから、タブー視するより、実際に不測の事態が起きた時どうするか?を考えた方がいいのではないかと僕は思う。
戦前の白木屋デパート火災で、着物のすそがまくれあがるのがいやで飛び降りるのをためらった(のか?)売り子さんたちが、何十人も焼死したという悲劇もあった。
羞恥心が自ら命を奪うこともある。
アメリカの女性登山家キャサリン・メイヤーさん('42年生まれ)が、『山でウンコをする方法』という実にストレートな本を書いている。
内容はエコロジカルな配慮から書かれた「排泄気配り術」なのだが、この類のストレートな本が日本にはない。「だれか教えて」と思う人は特に女性アウトドア予備軍には多いだろうに、女性登山家も書かない。「私はこうしたわさ」(なぜか田嶋陽子口調)という苦労話、なせばなる式の根性論はあっても、マニュアルがない。排泄の処理こそ、マニュアル化は必要なのに。
アウトドアクッキングの本は腐るほど出ているのに、糞便は「はばかりネタ」なのだろうか。
野山でしゃがんだら、おそらく羞恥心から、一刻も早くコトをすませてその場を立ち去りたいと思うのが人情だ。おぉ白銀の峰々よ!と感動して景色を眺めてしゃがんでいる僕のようなのも、男性には多いかもしれないが。
そんな山での排便は、穴を掘って産み落とし、尻をふいた紙を燃やして一緒に埋めるべし、というのが土壌に優しい排泄様式なのだそうだ。
本能的に、目立つ排泄行為を避けようとする心理が働くから、なかなか火をつけることまでは思いつきにくい。
男女を問わず、日本人なら「土に還るから糞も紙もそのままでいい」と勝手な解釈をしそうだし。
どうしても、排泄は無防備にならざるをえない行為だから、「注意」すべき瞬間として、場所や手順を考える女性はいるだろう。
でも、そもそも山奥で「だれか助けてーっ!!」と悲鳴をあげてもどうしようもない危険に遭うことは、男性の想像以上にあるんじゃないかと思う。「自然を愛する人はいい人ばかり」とはいかないのだ、悲しいことに。
おまけに、たいていの登山者はナイフやロープを「合法的」に持ち歩いているから、彼が万一いけない人に豹変したときには、すでに武装ができている。
そんなとき、どうするか。
そもそも、「女の子同士でキャンプ行きたいんですけど」と相談されたとき、僕は「やめとき」と言下に言い放ったし、今でも後ろ向きなアドバイスしかできそうにない。
別の女性と、新潟の山を登って下りたところにおぉ混浴露天風呂が!!という幸運に恵まれたことがあった。先客はやんちゃなおじさん+あんちゃん5〜6名グループ。
ここで「俺様がついとるわい」と変なハッタリをきかせて混浴でもしようものなら、僕が取り押さえられたらオシマイである。
同性だからこそ、こんな場面のシナリオは読める。不思議なもので、男性集団にはすでに「番犬役、取り押さえ役、実行犯」の役割分担ができあがっているものなのだ。チームプレイにローテーション、である。
だから、むやみに危険な状況に身をさらすことはない。危険を冒しながら学んで行くことはあるだろうが、結果があまりにも陰惨になりそうだったら、最初から近づかない方が賢明なのかもしれない。
どうしても!というなら、「覚悟」するか、闘う意識を持つか、しかない。有事立法である!
ところが、あまたある登山教室というのは、なぜ「女性登山者の護身術」をレクチャーしないのかね。
別に柔道や空手や剣術を身につけろとは言わないが、「誘いを断わるとき絶対に微笑みを浮かべるな」「会話に乗るな」という次元の超基礎的なことを、だれも教えない。
女性がヘラヘラ笑って断わっている(つもりの)うちに、相手は「脈あり」と勘違いしてややこしい話になることもある。
男性側の羞恥心も、災いに手を貸しているかもしれない。
俺が男だったら(いや、すでに男なんだが)…という話を、父親も兄貴も上司も友人も、すべきだと思う。
「へー、あなたってそんなこと考えるの。やらしー」と思われるのがイヤではばかってしまうのかもしれないが、口ごもると、大切な妻や妹や娘や彼女の貴重な学習機会を奪ってしまうことになる。
僕は毛嫌いされても平気だから(笑)、すばり「急所を狙え」とは言うぞ。
なかなか「これで万全」という手立てはないものだが、とりあえず急所、である。
あれは、怖じ気づかないで明るく楽しく(?)蹴るなり刺すなり突くなりすれば、何十秒間かは動けなくなるものだ。刺してもちょん切っても死なないから大丈夫。ポイントを狙ってやれば、殺人未遂にもならない。
その間に延髄にカンザシを・・・ってのは時代劇の話としても、顔に砂でもぶっかけてやれば、さらに数分は身動きできない。その間にトドメを・・・(笑)。
なんぼなんでもトドメは気の毒だから、クマの出そうなヤブの木に縛りつけておけば、被害者の気持ちはわかるだろう(大丈夫、クマが縄を噛み切ってくれる)。
まぁ、そこまで深刻な危険に巻き込まれることはないにこしたことはないが、「あってもおかしくない」のが現実。希望と現実を混同しちゃいかんわな。
希望通りに、現実は動いてくれないのだ。
なのに、きれいな写真ばかり満載している雑誌は、大切な情報が欠落していないだろうか。
リアリティを隠す社会、「考えさせず安心だけさせる社会」は、はたして弱者に優しいといえるのだろうか。
ロープウェイから脱線して、JR東海道本線。
電車の二人がけ座席で、窓際(つまり袋小路だ)で居眠りしている女性客が、痴漢に遭っている場面を目撃したことがある。僕の発するスカラー波で(笑)犯人は逃げて行ったからよかったものの。
「奥からつめて座る」マナーとやらが、いつできあがったのか知らんが、声をあげられない弱者をどれだけ袋小路の危険に追いやることになるか、だれも指摘しないのはなぜだ?
くだらない車内放送はやめて、「次は〜大阪〜窓際席は〜痴漢の餌食です〜」と放送すればいいのに。
僕は二人がけ席は通路側に座るし、宴会はこっそり帰りやすい出口近くに座るし、引っ越しやすい賃貸住宅派だし、婚姻国家登録はしないし、ともかく逃げ足だけは確保しとるぞ(だから人望がない)。
ロープウェイのトイレ問題から脱線してしまったが、なんだか本質的なことを言葉にしないのが、この国の優しさらしい。そして、福祉国家をめざしているのだそうな。
「聖域なき構造改革」というなら、「タブーなき危機管理」も俎上に乗せないと、偽善だろう。
難儀な話である。
らも乳
at 2004 07/28 12:53 編集
最初に謹んでご冥福をお祈りした上で、らもサン!
あんたねぇ・・・あっけなさすぎまっせ。
「らもチチの魔界ワールド」という奇怪な番組で、夜中にボソボソボソボソボソボソしゃべっていたと思ったら、FMは音楽放送だ!という当たり前の声があがったのか、大阪から消えてFM徳島に「移転」。
苦労しながら聴いていたが、関西話芸人(チチ松村さんは僕ギタリストやん!と苦笑してそうだ)ペアの隠れた人気番組を地元大阪で放送しないという異常事態がしばらく続いていた。
あげく、有線放送番組に追いやられてしまった。こんな媒体で、だれが聴くかなぁ。
そうこうしているうちに、らもさん大麻でつかまり、番組も自然消滅。
一方で、ボソボソトークを活字起こしした『らもチチ』という上下二分冊の単行本まで出ている。
そうか、やはり人気番組やったんか・・・と、僕はしみじみ偉大な(?)功績を追憶している。
今度の「酔っ払って転倒して頭部外傷」とそっくりな災難は過去にも前科があるようだから、52歳は若すぎるとはいえ、だれにでも納得できてしまう最期だったかな。なぜだっ!!と絶句する人はいないだろう。それもまた物悲しい。
チチ松村という、名ギタリストのようでいてゴミ拾い名人。
妙にエロいんだか技巧派なのか奇怪な漫画家のようでいて、若い妻と熟年熱烈結婚して「身内とはしたくないんですわ」と笑っているひさうちみちお。
ときには少女のように悩ましく、40年前から肝っ玉かーさんをしていたような、わかぎえふ。
らもさんの周囲には、怪人変人偉人が「汗牛充棟」していた感じ。「代わり」が見当たらない。
あの世で存分に酒を浴びて、トラちゃんに遊んでもらいましょう、らもサン。
呑み放題になったらおもろないねん・・・とぐちって、今度は聖人にでもなろっかな?と笑っていそうだ。
ババア
at 2004 07/29 08:35 編集
ユーミンは騒音ババアって・・・まぁなんて露骨な、女性週刊誌の見出しなんでしょ。
何を今さら?という気もするし、もしかすると実際20年間耐え忍んできたのかもしれないが。
うちの町、ユーミンがライブやってるの・・・って「ユーミン効果」も、あったんちゃいますのん?
と、自治会の逆鱗に触れそうなチャチャを入れてしまった。
火入れ式
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