2005.02.28 Monday
セカンドレイプ
at 2005 02/28 06:41 編集
へぇ〜、朝日新聞感覚の放送局が、名古屋にもあったんだがも!と納得してしまった、北野誠への圧力。
あの万引き常習カミングアウトで謹慎中のA・Yのことを名古屋の持ち番組でしゃべろうとしたら、「未成年タレントですから匿名で頼みます」とクギをさされたそうだ。と、こぼしていたサイキックが、朝日新聞系列の局なのは、これいかに?
「名前を出してええケースとそうでないケースと、はっきり基準を示してくれよ」とこぼしていた表現者北野誠のとまどいは、よくわかる。
名前を売ることがタレント活動の命なのに、犯罪が発覚したときだけ匿名で…というなら、芸能人になったらいかんよ!とおっしゃるのは荒削りな意見ながら、プロの芸人としてはごもっともな意見だと思う。
未成年というなら・・・とダルビッシュ君がひきあいに出されていたけれど、それもたしかにそうだ。A・Yより若い現役高校生なのに、しっかり喫煙・パチスロを報道されていて、世論の洗礼を浴びている。お気の毒に。
まぁ、結果的にA・ユウ(KDDIではない)もD・ユウも、名前が先に出てしまったけれど。
若いころのやんちゃは、大目に見ていいんでないかい?後々の糧になれば。というのが僕の基本姿勢だから、犯したことは心の中にしまって、戒めにして生きて行けばいいと思う。被害届けを出すか、本人の改悛の情を汲んで許すか、被害者が決める余地は、あっていい。
もし司法の場に委ねられたら、14歳未満のときの犯罪は児相か保護施設送致、14歳以上は家裁送致と、法にのとって処分するのが、法治国家のあるべき姿だと思う。
僕はまた功利主義者でもあるから、犯罪者を社会から葬らず、類似犯の抑止に「役立つ」なら、そんな社会貢献活動を懲役刑に代えてもいい。英国の地域福祉指令(Community Service Order)という司法政策は、これと同じ発想だ。
A・Yがもし男性タレントで、「中学時代に婦女暴行しちゃって、相手は病気になっちゃいましてね〜」なんて話をテレビでして笑いをとろうとしていたら、視聴者はどう思うだろう。
なにより、被害者は。
こういうのを、セカンドレイプというのではなかったか?
若気の至りでやってしまったこと(便宜上、暴露内容が実話だとすると)はともかく、それをネタとして−−つまりゼニかせぎで−−しゃべること自体、被害者への配慮が欠落している行為として、二重に悪質だ。罪の上塗りで、笑いものにされている「つぶれちゃった酒屋さん」は、商品を盗まれた被害に加えて、犯人が得意げにしやべっている姿を見ると、むなしいやら悔しいやら、憤懣やるかたなしだろうなぁ。
たしかに18歳はまだ若い。誠ちゃんも問いかけていた問題は、芸能人・スポーツ選手の18歳と、一般素人の18歳とで、守られなければいけない人権の尺度がどう違ってくるのかという点だろう。
未成年という属性と、芸能人という職業の、どっちが尊重されるべきか。
個人的には、一般人より「やんちゃ」が厳しく問われる覚悟でデビューしてほしいし、覚悟あっての稼ぎではないかと思う。
もし成人の芸能人だったら、酒の席でちょこっと客をひっぱたいただけでも大問題になるし、恋人発覚だ離婚だと追われてプライバシーなんかない。有名人というのは、そんな苦労も覚悟するということだから。
でも、芸らしい芸も身につけてなくて、罪の意識も生半可な少女を露出させて間もたせしている放送・芸能ビジネスというのも、ほんとリスキーでもあり、罪つくりに荷担しているヤクザな業界だと思う。
出しものがない少年少女は、言うに事欠いて、なにをカミングアウトするかわからんよ、ほんま。J事務所の社長のホモ疑獄だって、食い物にされた被害者が「もうボク芸能界やめるから」とケツをまくれば(妙にシャレ)、ポトポト漏れ出てきたではないか。
このA・Yのぶっちゃけ+謹慎騒動は、もはや対岸の火事ではなくなっているのがネット時代。
ただの「露出」と、考えた上での「表現」を混同しているのは、セルフヌードやらエロトークをばらまいているネット上の素人にも地続きの病気だが、素人芸はあんまり害がないから、お戯れネ、ですむ。
けれど、ある女医が患者を愚弄した日記が公開されてしまった事件
http://members.goo.ne.jp/home/coolhot99
のように、言論空間はあっという間にプロと素人の境界を超えて広まってしまう時代だ。
あんまり暴露話ばかりあふれて傍証がないと、ただの「2ちゃんねる病」とかたづけられてしまうのが救いといえば救いだが(きちんと情報をそろえて論証までしないのが素人の限界だし愛嬌というもんだ)、こんな妙な救済は、被害者のためになるのだろうか。
男心と冬の空
at 2005 02/27 07:33 編集
日も暮れかかってから、「そろそろ、図書館でくつろいでくるか」と思い立って、FMラジオを聴きながら家を出た。
結局「世界の快適音楽」を9時までずっと聴いていたのだが、この番組の「ほのぼの空気」は、冬に木枯らしを受けながら戸外で聴くと、なおさら寒さ満点だ。夏だといい感じの涼風なのに、冬にも同じ強さで風を吹かせてくれるから(笑)、涼しいどころか寒いギャグ、寒い「間」、寒いテーマと3拍子そろっていた。まぁ、ゴンチチファンだから許せる寒さなのだが。
きのうのテーマが男心というやつで、浪速の五十前後のおっちゃん二人でそこはかとなくわびしさをまぶしつつ、「男心」をモチーフにした曲を特集していた。
そりゃ、わびしいテーマだわなぁ。
女心とか悪女といえばすぐ歌詞にもなりそうなのに、「悪男」はただの犯罪者にしかならない(ところが彼女に「悪い人ね」と言われると、ほめ言葉のように響くから妙なもんだ。
あんまりつきつめて男心とは!!と考えると、「さぶ」の世界に流れ込んで行きかねないし(笑)、そうでなければ出世したい、もうけたい、もてたい・・・と、どうも獲得欲のようなものに結びつきやすい。
男心とは何か。
人生の折り返し点を過ぎた身でも、どうもよくわからん。
一般的なご同輩だと、かなりの部分は権力欲と色欲に帰結して行きそうだが、そのへんは僧侶や宦官に尋ねてみないと裏づけが不充分だ。
金銭欲は男女ともにあると思うが、方向が違う。「通帳が恋人」みたいなおばさん&おばあちゃんはよくいるけれども、男心はやはり欲を満たす消費に直結してしまうのではないだろうか。貯蓄という言葉は、OLはともかく二十代のあんちゃんの頭には存在しない(僕は就職して間もなく養老保険に加入したけど)。
金の使い道が、案外その人の人生観を反映しているもので、ジャンボ宝くじが当たったら・・・という類の他愛ない心理テストもどきはよく聞く。
キザなことをいえば、僕は自由時間と静けさはほしい(所帯を持って失うものの筆頭がこの2つだろう)。ほとんど孤独死が見えている独居老人の境地である。
別に防音室を特注してこもりたい、というような意味でもなく、男同士の会話だと、案外こんなぼんやりした夢で話がつながったりする。
下衆な夢だと「酒池肉林」というのがあるだろうが、それもイメージにすぎなくて、「古谷一行がつかっている露天風呂に乱入する女子大生」と同類のファンタジーにすぎない。
ある日、母校の副学長と飲みに行った地下の酒場で、「美しい生活をしたいですね」「美しい、か・・・いいよねぇ」で四十代二人、しみじみしていたものだ。このまったり感がいい。
もし、ここに女性がいると(仮名でH美としておく)「なんなのよ、自由って。愛人ほしいの?静けさだって?笑わすんじゃないよ(なぜかアバズレふうになるのは演出上の都合なので失礼)、あんたのイビキに、こちとら迷惑してるさ!!」とまぁ、トホホな標的が勝手に想定されて、勝手に撃墜されるダンドリになっている。
別に仮名はいらんかったか・・・?
たとえば子供好きな男性はいても、妊娠・出産・授乳をするわけではないから、「かわいいだろうなぁ」とボンヤリしたイメージしかないが、女性は具体的な苦労がちゃんと見えているようだ。民間の保育料いくらかかると思ってるの?とか。
それはそれで、かしこく生きて行く知恵だから、必要な発想だとは思う。
だから、あえてイメージしやすいものを具体的に夢見る(なんか矛盾してるなぁ。具体的な夢というのはマネープランってことだろうに)のが、思いやりあふれる男心というもの。
かな?
ところが。
わかりやすくて手の届く夢を語ろう、財布も頭の中も、胸襟ひらいてさらけ出そう、と覚悟していると、「私を大事にしてほしいの」「本当の私が抑えられている気がするの」てな雲をつかむ話が、あちらから出てくるのも、難儀なのだが。
イチかバチかきっぷ
at 2005 02/26 07:36 編集
しかし早いもんだ、冬休み向けの18きっぷをつい先月見かけたと思ったら、春休みバージョンが発売されている。
そして、いつもの顔ぶれのマニュアル本が書店に並び、いつもの条件反射で、「JTB時刻表別冊版」の手引き書を速攻買いしてきてしまった。
この商法は、心憎くもありがたい。
けれど、春の旅情満載のムックを見るだけで、実際に旅した気分になって、「あぁ、ええなぁ」で終わってしまう。そんな客も多いのではないだろうか。
「源平合戦ゆかりの地」というふれこみで、神戸・須磨から壇ノ浦までのカラーグラフ(なんで義経がはやっているのか最近までさっぱり気づかんかった。清盛びいきの神戸市民だから)、はたまた熊野古道へアクセスする紀勢線コース案内、そして全国のローカル線沿い桜名所・・・すばらしい!!
おまけに、海の幸・山の幸満載の全国の駅弁までちりばめられていて、申し分ない「旅の誘惑本」である。
ちょうど、全国の18歳が野に放たれる季節だ。
こんな時機にこそ、18歳をトリコにして鉄分を注入するスペシャル列車を特別に奮発してはどうですJRさん!!と僕は葛西社長に申し上げたい。ライブドアと闘っている某「右よりの新聞」に連載コラムを書くらしいという記事をふと見かけたから、その復古調の勢いで、ぜひ蒸気機関車を復活してほしい。
中央集権でもいいから、とにかく東京を中心に考えて、そのかわり「日本の終点駅」と東京を直結してくれ。東京駅から、指宿行きと稚内行きの夜行列車が並んで発車する姿は、想像するだけでロマンチックだ。
18きっぷで乗れるためには、鈍行になってなければ困るから、稚内と指宿に着くのは2日後ということでいいだろう。
このルートを通して乗る18歳がいたら、もう体内鉄分100%まちがいなし。
こういうバカなことをやらかす18歳こそ、日本を支える戦乱の志士になれると思う。
いかん、「ライブドアと戦闘」モードになってしまった。
別に敵意はないのだが、あの社長こそ、18きっぷの旅から最も縁がなさそうな、「ゼニと効率」で世渡りしているイメージがぬぐえないのは惜しい。
ひょっとして、「国鉄時代に乗りつぶしてますから僕」なんて言うかもしれない。ホリエモンパパが、インタビューに答えて、「鉄道の駅名を1回乗っただけで憶えてしまう子だった」と回想していたから。
芸能人でさえ、安心して地下鉄に乗ったりできないようだし、ホリエモンのような有名人になれば、もう鉄道の旅なんかできなくなるだろうから、かえって鉄分に飢えているかもしれない。
菊の御紋つきの御召し列車のような車両を持つことぐらいは簡単にできるはずだから、有名人は運転手つきベンツだ自家用ジェット機だ等と俗なことはやめて、御召し列車の時代にならないものだろうか。ホリエモン快速とか、三木谷号とか。
一人忘れていた。孫さんを。
あの人は、どうにも蒸気機関車のイメージがあるのだが・・・
革命郵便局
at 2005 02/25 07:43 編集
さすがに郵便局ファンのワタクシといえども、「郵便局民営化のメリット」というふれこみで政府がまとめた事業計画には、笑ってしまった。
曰く、「東京と大阪の中央郵便局の高層化とテナント収益」
曰く、「24時間営業の物販店経営」
曰く、「国際貨物輸送」
・・・等々
あぁ・・・これで民間企業に勝てると思ったのだろうか。
新しい発想が、さっぱりない。
それぞれ、森ビルとセブンイレブンとFedExのパクリだと言われても、返す言葉がないんじゃありませんか?
これで、収益予測が1兆円だという。
ヒエーーーーーッ!!(笑)
解体されかかって、あわてて民間同業他社を参考にして、「ワシラだって、やれるもんね」ってところを見せようとしたのだろうが、これではブロードウェイに乗り込む学芸会みたいなものだ。
まぁ、ぼろかすに言うだけならイージーかつ無責任だから、ちゃんと対案を示すとしよう。
郵便局の業務分野は、郵便・貯金・保険の3つ。
ならば、それぞれ競合する民間業者がやってないメニューで、独自性を打ち出してほしい。コソコソやれば揚げ足をとられるから、「日本国郵便局」の錦の御旗を堂々と掲げて、どーんとやらかせばいいのだ。
1.郵便事業
配達員は「メイラー」と称して、全国でアムラーOG(笑)を大量採用して、心をこめて配達していただく。んーまぁ、シャラポワ風とか、ぢゃっかんのお色気路線は、やむなしとしよう(・・・と太田光のように苦虫をかみつぶした顔で述べつつ、実はその路線こそ行け行けどんどん!が本音)。
寝たきりのおじーちゃんも、毎日郵便受けまで飛び出してくるぞ。
2.貯金事業
どうせスズメの涙ほどの利子しかつかないんだから、いっそ利子はポイント制にして、ポイントに応じて黒木瞳または氷川きよしのキスで受け取れる、と(郵貯の平均年齢から考えただけで、個人的な好みではない!!)。
日本人の貯蓄率はべらぼうに高くなって、おまけに世界中から貯金が集まって、1京円、1ナユタ円・・・という単位を初めて拝めるかもしれないなぁ。
黒木瞳の唇は腫れ上がって、後任の丈夫そうな利子担当者を選ばねばならない。久本雅美とか柴田理恵とか、丈夫な唇がそろっているワハハ本舗に頼むか。
3.保険事業
掛け金に応じて、「財前五郎(唐沢寿明)の手術か、鈴木京香の看護か、チェ・ジウの垢スリ」を受けられる。結果については文句いわない、と(個人的な好みではない!!)。
あかんかなぁ・・・?
郵便が民営化されると、JRの赤字路線切り捨てと同じように、不採算地域のサービス低下は避けられない。
だからこそ、逆転の発想で不採算地域のメリットも見えてくる。
郵便物の少ない地域だと、メイラー嬢の仕事量も少ないから、住民とぢっくりほっこりまったりふれあう時間もとれるぞ。首都圏だとポストに投げ込んで疾走して回らなければいけないから、メイラーと仲良くなりたい都民、府民は地方へと人口移動を巻き起こして、一極集中の緩和にもなるだろう。
とまぁ、おバカな提案かもしれんが、郵便局への愛情からにじみ出た酒池肉林いや苦肉の策なのである、これは。
しかし考えてみれば、全国どこでも葉書50円封書80円から、という均一料金は、近未来の電話料金みたいで、意外にも古いようで新しい。これは郵便システムがすでに成熟して、減価償却した通信インフラになっている証しだ、というと、税金で補填しているだけだとか、反論もあるかもしれないが。
この「古いようで新しい」を、ぜひメールや携帯から振り向かせる味わいとして、価値を高めてほしいと僕はまじめに思う。
出会い系がらみの事件を防ぐにも、「文通や恋文」は、実は人柄を表現する情報量も多くて、効果的なのだ。
中島みゆきの名曲「恋文」、後ろから前から畑中葉子の「カナダからの手紙」なんかも、「メール」や「ファックス」だとサマにならんではないか。
脅迫状を出すにも、メールよりトレーサビリティが低くて匿名性が数倍高いのが郵便だし、スパムなんぞメールで送れても小包爆弾にはかなわない。
こんなメリットを打ち出すのもどうかと思うけど。
春一番
at 2005 02/24 07:07 編集
携帯を間違って発信してしまい、つながった旧友と「せっかくやし、あした昼メシでも行こか」てな話になった。
なにかと勧誘してくれている保険マンである。
こっちから誘っといて、「あくまでもメシだけね」とクギをさして、ファミレスへ。
春一番が吹いて、妙にポカポカと暖かい一日だった。
昼下がりのサイゼリヤにいる客は、驚くなかれ全員が高校生か、卒業間際のような少年少女ばかりだった(制服姿の女子高生3人連れにも、お煙草お吸いになられますか?と聞いていた店員には笑えた。「ダルビッシュゆう子」ちゃうって)。
向かい合って浮いた四十男は、バカな副業談義、不動産事情、カメラねた・・・とまぁ、しゃべるしゃべる。
で、4時間でお開きにしたのだが、やけに長い昼休みをとれたヤツは、もしかして「営業に出てくる」という扱いで、こんなに非生産的な午後を過ごしているのだろうか。
さすがに別れぎわに「パンフレットだけでも、持って帰らん?」とカバンから出そうとしたのを、「保険、いらんしー。ほな、またー」とかわしてしまったのは、お気の毒ではあった。まぁ、「保険加入しまへん」と前置きしていたから、フェアプレーには違いないが・・・
結婚秒読みのヤツは、新居引っ越しもひかえていて。いい物件が見つかったと喜んでいる。
40年住み慣れた実家を離れる門出だ。このヨロコビ(?)は、半分わかる。
「私たち結婚し、下記の場所に引っ越しました」なんて葉書の文面を、二人して照れながら眺め、
「なんで定型文には、私たちは、と助詞が抜けているのかしら!?」
「お近くにお越しの節は・・・なんて書くと、大沢はホンマに来るから削除しよか」
てな話もしているのだろうか。
と、よけいな邪推をしてしまったのは、キャンディーズの「春一番小唄」(正しいタイトルしらん)の、古きよき歌詞が脳内にちらついていたせいで、あぁ今のアイドルだとこんな歌詞が結びつかないなぁ・・・と、ふと思う。
なんといっても、「お引っ越しのお祝い返し」をしているのだ、70年代のキャンディーズは。
いまどきなら、引っ越しても、そもそも住所なんか知らない(でもすむ)友達づきあいが多いし、どうしても通知が必要なら「メールとレス」の世界だ。それどころか、不動産も、携帯で物件を探して手付けしてしまえる時代だしなぁ。
さすがに、「私たちの挙式動画配信」までやらかすバカップルは、僕の周囲にはいないが、あっても不思議ではない。妊婦日記や育児日記はWEB上に五万と見かけるから、「その間」にある一大ドラマを、破水から、感動の臍の緒カ〜〜〜ット!!まで、「配信」なさる浮かれ者が出てきそうな恐怖感も覚える。
春の陽気のいたずらか?
ABC
at 2005 02/23 10:35 編集
就職するというのに勉強したい21歳乙女がいて、おおそうかー!!と感涙にむせび泣きつつ(笑)絶賛するのも、考えてみればおかしな話だが、「就職=勉強おしまい」というのが、日本人感覚。
学校教育と職業教育・社会教育が分かれてしまっているのが日本の特色であり、不幸でもある。
昨年4月8日付日経新聞によると、25歳以上の主要国の「大学等高等教育機関に在学する国民の割合」は、
米国 39%(2000年)
英国 47%(2001年)
ドイツ 53%(2000年)
日本 16%(2003年。院15%学部1.1%)
となっていて、この格差はいろんな読み方ができそうだ。
経済立国、技術立国を成し遂げた力は、大学での研究ではなく現場での叩きあげだったといえるかもしれないし、学校好きな日本人にしてこの数字ということは、いかに大人になれば高度な教育を受ける機会が乏しいか!を表しているともいえる。
国ごとの制度の違いもあって、通信制や夜間の大学・院が、規制政策のおかげで普及が遅れていた面は否めない。ただ最近は、教育事業の規制緩和で、いろいろなスタイルの教育機会に恵まれているから、リカレント学習ももっと盛んになって行くだろうと思う。
ときどき欧米と比較して例に出される、託児所のついた大学や、夫婦で生活できるドミトリー(学生寮)など、まだまだ日本には「当たり前」にならない。
そろそろ日本の産業界で、託児所つきの職場というのは出始めているようだが、とはいっても子連れで通勤電車に乗る気になれない。
それが大学だと、これは子供を預けておくには理想的な場所ではないかと思う。おにーちゃん・おねーちゃんが適当に相手してくれるし(甘いかな)、学食には残飯があるし、幼いころからアスリートやアーチストの練習を間近で見られるのも、情操教育に最適だ。
ただし、多くの学生にとって大学は「そこで働いて生計を立てる拠点」にはならないから、4年とか6年でほとんど去って行き「懐かしい学び舎」になるだけ。
たとえば学生が学内に塾を開くような形で、教育を受ける・消費するだけでなく「生産」する場所になれば、受ける教育も実戦力になるだろう(京大アメフト部員は寮でそんなことをしてなかったっけ)。
これは特に欧米の理工系学部ではやっているスタイルだが、法学、経営学、社会福祉学、教育学といった分野でも、もっと学内で産学協働してもいいのに、と思う。まぁ、そうなりゃ弁護士の前で法学部教授が、ソーシャルワーカーの前で社会学者が、公認会計士の前で経営学者が、権威をおとしめられかねないから、もうしばらくは、学問と実務は「就職」という溝で分かたれたままだろう。
なんだかでかい話になってしまったが、くだんの「21歳乙女」である。
そもそも、英語を勉強したいというので、「働きながら海外の同業者と情報交換できるような英語力を身につける方法」を考える宿題をもらったような気分だ。
今は衛星放送があるしネットもあるから、自分の都合に合わせて好きな方法を選べる便利な時代で、まぁいろいろやってみて楽しければええんちゃう?と、無責任きわまりないアドバイスをするばかりだ。
なんといっても仕事は最優先だから、英語学校に通うことさえ、無理すると、二兎を追う者は・・・になってしまう。
かといって、テープやCDをごっそり買っても、「マイペース」という麻薬におぼれて、三日坊主になるのがオチ。
マイペースの不効率に流されて行かない昔ながらのスタイルがラジオ講座で、ちょっと興味がわいてテキストをぱらぱら覗いてみた。
僕もけなげに受講していた「基礎英語」「続基礎英語」という区分が、今は基礎英語1・2・3と明快になっている。内容は、ほほーなかなか充実してるがな。文法もしっかり網羅されているし、かなり密度が濃い。
これを1年2年ときっちり続ければ、英語学校にくらべてコストパフォーマンスは抜群にいいと思う。
ちょうど今ごろは、「去年の春もチクショー夏まで持たなかった!」とリベンジを誓う外国語学習スタートの季節だ。
勢いで、僕も「英語で学ぶフランス語」のCDつき教本を買ってしまった。カラフルで楽しい英仏辞典もアマゾンから買って準備万端である。
これでいつまで続くかわからんが、6年間学校で学んでものにならなかった言語より、中国語とかハングルとか、時流に乗っている外国語に飛びついた方がいいのかもしれない。
雪の上にも3年
at 2005 02/22 08:56 編集
ampmで買い物したら、POSで読めない商品を手に取ったところで、レジボーイ君が硬直してしまった。二人とも新顔で、いかにも「高校卒業間近の春休み中ですオレタチッ」という感じ。
そりゃ夜中に朝刊を買いに来る客には、意表を突かれたかもしれないがねぇ・・・。商品いろいろ客もいろいろ人生いろいろ。がんばってほしいものだ。
「その新聞は130円な」と教えてやって、レジを打たせた。ついでに、「日経だけは140円やから注意したまえキミタチ!しっかり仕事をおぼえて少年よ大志を抱け!」と説教しようかと思ったが(笑)やめた。
新人もいれば、動く者もあちこちでお目にかかる季節だ。
このコンビにの前に、喫茶店で喫茶していたら(当たり前か)、ある大病院ワーカーから転職相談の電話。もう答えは出しているようなので「そうですかー、ほながんばらにゃー」ですむと思いきや、少し長引いて、そのまま閉店になり外でガタガタふるえながら通話していた。
ふと、「石の上にも3年」は、今はもう「1年」になったのだろうか、と思う。テレビっ子だと、「ワンクール感覚」で仕事の先が見えたり燃え尽きたりするのかもしれない。時間感覚が変わってきているのは確実だ。
現実に、追いつめられたり、渡りに舟があったりすると、動くチャンスだろうから、とりあえず「自分のやりたいようにやれば?」と、背中を押すしかない。
ゆうべの彼女も、自分の出した答えと理由をちゃんと話して、「これって、おかしい?間違ってる?」というので、あっさり承認印をポンと押したのだが、ふと覚えた違和感は、彼女が憎悪むきだしに語っていた親の発想と近いなぁ・・・と年甲斐を感じてしまった。
親のいいなりで失敗なく生きてきたのが我慢ならなくなって、親が喜んでいる立派なポストも投げ出そうとしているのは、わかるような気もするが、母娘間の葛藤というのは、どうもわからない別世界ではある。
まるで一卵性母娘のように溶け合って仲がいい親子よりは、自我意識に目覚めているような印象は受けたし、「おかしいとは思わんよ」とは答えたものの、それが自然なのか不自然なのかといえば、どうしても価値判断が入り込んできてしまう危険を感じる。
いや、価値判断をしない臨床心理士になってどうするのだ。
血気盛んなころは、「思想がない心理屋!」「思想や主義で歪んだ社会学屋!」と研究室で議論していた、当の社会学屋の一員だったではないか。
心理分析をする意図も、スキルもないし。
とはいえ、社会や職場組織への適応は大切だし、「私」の感じる違和感も大切だわなーと思ったりもする。
僕自身、違和感を圧殺される社会の因習や集団の力学のこわさを感じてきたのも事実だが、「社会や組織はそういうものだから、反抗しましょう、離れましょう」とレクチャーするわけにはいかない。そんなことは教えたり教わったりすることではなく、自分で気づいてアクションを起こすかどうかの問題だと思う。
だから、結局は玉石混淆なコメントしかできないのが歯がゆい。
こんなとき、自分はどこに立っていると相手に見えているか?を、ふと考えて言葉を呑み込むこともある。
判断が揺れている場合、ある結論に凝り固まっている場合、手がかりがなく身動きできない場合など、ケースバイケースで立場は変えるべきなのか、変えるべきでないのか・・・。
「んー、悩みがあればゲレンデで頭を真っ白にしよう」
「悩みのない人はモーグル斜面で苦悩すべし」
「答えが出ているなら直滑降してみ」
と、大日本スキー教教祖としては、なんでもかんでもスキー原理主義に導きたいところだが(笑)、適性をチェックせず同伴した別の病院職員嬢が事故って以来、布教は及び腰になっている。
「私を連れてって」と言われると、「自分で体運ばなあかん」と突き放すのが、これまた悩ませることになっているのかもしれないが、導く力がないのは教祖としては致命的欠陥だから、「カウンセラー的」なのかもしれない。
氏か育ちか
at 2005 02/21 07:08 編集
サイキック青年団で「常習集団窃盗タレントあびる優」と名前もろ出しされていた18歳と、もしかして同い年ではないだろうか、「煙草でパチンコ」の二冠王ダルビッシュも。
ダルビッシュ君など、去年しつこい取材カメラに向かって「殺すぞ」と凄んでいたのも加えると、すでに三冠王だ。
やんちゃな年頃だから、大目に見てあげればどうかと思うけど。
この具体的なご両人は横に置くとして、タレントが犯罪をカミングアウトしたとか、清純派アイドルに色欲三昧の過去!とか騒ぐのは、ちょいとおかしい。
「もともとそういう子」が、たまたまタレントをしていたと考えた方が自然だろうに。イメージが光り輝いていても、過去からいろんなものがポロポロ出てくるタレントは多い。
政治家が汚職でつかまったときも、「ペテン師が何かの間違いで政治家をやってただけ」といわれるのと同じかもしれない。
だから、「立候補したら丸裸にされる覚悟」と聞くと、それだけで僕は二の足を踏むのだが、まぁいいっか、正直に邪悪で売り出せば(笑)。
最初から「禁断の女性遍歴と裏人脈、ドス黒い金銭トラブルをひっさげた衆議院議員候補!!」と売り出せば、もう恐れなくてはいけないリークなどない。
紳士録に載っているような著名人に、「過去をばらすよ。口止め料○万円」と怪文書をばらまけば、身に覚えのある殿方が一定割合いるという事情も、この種の犯罪が絶えない温床になっている。
タレントでも、徹底的に身辺調査して、叩けば出るほこりを処理してからデビュー・・・というか養成スタートしないと、リスクは大きいのではないだろうか。
カツラと整形と同性愛が芸能界3大ダウトのようだが、「昔は男性でした」というカミングダウトも、あってもよさそうに思う(笑)。
考えてみれば、十重二十重のヴェールと暴露のせめぎあいが、古典以来の「芸能」というものの真髄かもしれないから、隠し方も暴き方も鮮やかにやってもらえたら、楽しめていい。
年季の入った手品を見せられたようなダウトも、悪くない。
カミングアウト
at 2005 02/20 05:45 編集
「カミングダウト」という番組で、万引きをカミングアウトしてしまったとかで謹慎するはめになった18歳のタレントというのがだれだかわからない(し、たぶん名前を聞いてもわからないし、こんな番組も知らなかった)が、ちょっとお気の毒。
たしかに、堂々と窃盗罪を暴露しているんだから、いくら刑事処分を受けなかったからといってイケナイことはイケナイ。
たぶん、テレビで「デビュー前にこんなやんちゃしてましてねー」というような戯言を聞いて、トークネタぐらいの気持ちで真似してしまったんだろうと思う。
そりゃ森繁久弥さんあたりが、「もう時効だからしゃべるけどねアンタ、戦前は酒場で暴れて2〜3人殺しちゃったもんだよ」とやっても、間違いなく時効だし、たぶん実話であってもだれも「犯罪」だと思わない年輪を感じさせる。
そのノリで、「昔ィ、中学時代はァ、あたしパーだったのね」て感覚の(5年前でも昔に思える!)コ娘が、「もう昔の話だから時効だけど、何人の担任と関係持ったかなぁ」としゃべりはじめると、おいそりゃ時効ちゃうって。
担任は年に1人だから特定されますって。
すぐ教育委員会の指導課も動きますって。
こんなカミングアウトをするリスキータレントはいないものだろうか。
「恋カラ」には潜伏してそうだが。
芸能人がなにげなくしゃべる「時効」も、刑事の時効と民事の時効をしっかり区別しとかないと、たとえば売春の時効と、踏み倒された債権の時効のどっちが長いか短いか、微妙に悩むかもしれない。
そんなこと計算しながら「ぶっちゃけトーク」しているバラエティタレントなんか、いないだろうけど、きわきわラインに詳しいアドバイザーとして復活すればいいのに、シーケンも田代まさしも。
世間が許さないか?
タンコブの…いや「行列のできる法律相談所」も復活できたのにね。
雨の日の果実
at 2005 02/19 16:25 編集
冬にまる2日つづけて雨というのも珍しい。
また「1万歩コース」を歩いて、よく激安のリンゴや柿で驚かせてくれる果物屋の店先で、季節はずれの梨を見つけた。
南半球産だったら納得するものの、韓国産で2個320円。これは冷凍?ハウス?養殖?(笑)・・・
どーんとでかくて、いじくると(あぁ、おばちゃん体質やなぁ)奇妙に柔らかい。長いこと放置したりんごや梨がスカスカの海綿状になったような触感だ。
安いんだか高いんだか見当がつかないが、買って帰って入刀式。
サクッ・・・大満足だった。
甘くて身がどっしりつまっていて、当たりではありませんかペーさま!!
と、韓流・冬の秋の味覚ソナタ!と、わけのわからん感動をした夜のデザートであった。
カップラーメンやカップ焼きそばの類のジャンクフードは、体によくないなぁと思いつつ、新製品や珍品が出ると、つい買ってしまう。
袋ラーメンで育った世代だからか、カップヌードルがこの世に出たときは革命的に輝いて見えたものだ。
そんなこんなで「即席ラーメン愛」に生きて来た名残りが「即席買い」なのだが、店頭で「およよ?」と思うときが食欲のピークで、帰ると食べる気にならず、備蓄されて行くばかり。なんというか、胃が招かない感じ。
気持ちとしては好きなんだがなぁ・・・
逆に、年をとるにつれて、体細胞が呼んでいるようにひしひしと感じるのが果物で、台所に欠かしたことがない。ちょっと小腹が減ったなぁというときにつまむと、果糖のおかげか空腹は収まるし、なにかと便利なスナックになる。
通勤で移動の合間にランチをかきこまにゃいかんときも、「バナナと牛乳」のような取り合わせがヘルシーでいいのだろうけど、一度ビワをかばんに入れて大阪に通勤していて、つぶれて悲しい思いをしたので、なおさらバナナは及び腰になる。
バナナも安くて栄養価が高いのは貧乏暮らしにありがたいけれど、不思議にも、房単位で大量に売っているバナナほどうまくて、コンビニに3本200円で出ているのはイマイチ。
かといって、1房も買ってしまうと腐るまでに食べ切るのが大変だ(特に夏は)。同じ悩みをかかえていそうなじーちゃんばーちゃんをスーパーでナンパして(笑)、割り勘で買って山分けでもしようか。
そう考えると、りんごや梨は長持ちするし(冬だと1ケ月ももつのではないか?)、偉大な軽食だなぁと思う。。
今日は、「備蓄用の梨」を仕入れに行くとするか。
ピッチショック
at 2005 02/18 16:03 編集
毎日新聞夕刊を手に取る手がぶるぶる震え・・・おぉ文法まで狂ってしまうではないか、この衝撃ニュースは!
てほどでもない、あぁいよいよ「そのとき」が来たのか、と淡々と見てしまったのが、「ドコモPHS事業から2〜3年で撤退、今春から新規契約停止」のニュース。
10年近くになる我が「パルディオ歴」も、いよいよ幕なのか。
はかないねぇ。
なるほど、携帯に特化してFOMAに賭けたいドコモの経営方針も、わからないでもない。
携帯に対するPHSのメリットより、PHSに対する携帯のメリットがはるかに大きくなっているのも悲しい現実だ。あいかわらず、「つながりにくく切れやすい」致命的欠点は放置されたままだから、そんなところに愛想を尽かして解約するユーザーも多かっただろう。
今のところ、定額データ通信はPHSの独壇場で契約も増えているそうだが、もしFOMAのデータ通信で定額というプランが出れば、僕もさっさと@FreeDなんか捨てるつもりでいた。i-modeパケ放題はその布石かな?と、少しは期待したいところだが。
ただ、PHSがウィルコム1社だけになると、独占の弊害も心配だ。今でさえ、「遅くて高い」から僕は敬遠していたのに、ライバルがいないと開発も鈍らないかねぇ・・・。
こんな市場にこそ、ホリエモンが乱入してくれないだろうか。ドコモのPHS事業を買収してしまって、ウィルコムと競争してほしいものだ。
近鉄が重荷になって投げ出した球団を買収しようとしたのと同じ気概を、ぜひピッチ事業に向けて、「ライブドアッチ」なんて事業名で再生してくれたら、応援したいところだが、
京都と神戸の議定書
at 2005 02/17 07:37 編集
京都議定書の「発効カウントダウン」までやっていたわりに、温暖化対策はどうも切迫感がない。
アメリカも中国も参加していないために効果は疑問視されているし、ノルマの取り引きができるから、これはもう国際政治のかけひきそのものだ。ただの「地球環境を守りましょうキャンペーン」でないことは明らかだ。
日本としても、このまま海面が上がって、沖ノ鳥島だったか、岩礁のような小島が水没してしまうと漁業水域を失うから、環境問題なんか考えてなさそうなあの知事さんだって奮い立つだろう。
アメリカにNoと言い、中国を罵倒する知事さんが、どんな力を発揮できるか、ヒヤヒヤしながらお手並み拝見するとしよう。
大日本帝国を牛耳っていたような権威主義者なら、「ほしがりません勝つまでは」のような忍耐を、弱い庶民に強要するはずだが、あの知事さんは、そのへんの歴史の決算はどう考えているのだろうか。
実際、東京都はディーゼル規制も厳しくやっているようだから、いよいよ都の最南端の島が水没する・・・ということになると、「私の権限において、二酸化炭素を封じ込める戒厳令を出す!従いなさい!」と号令をかけそうだ。
なぁに、マイカーを禁止して、自転車と人力車と馬車を導入すればいいのである。まじめな話。
コトは大気の問題だから、どこの街の対策が効果を上げているのか、特定しにくいだろうけど、ミュンスターやアムステルダムのように、自転車をフル活用している街もある。また、イギリスかアメリカのどこかで、ナンバープレートの末尾が奇数か偶数かで乗り入れ制限する街もあったような覚えがある。
東京だと、山手線の中だけとか、中央線の北か南の半分だけとか、エリア限定で試験的にマイカーをシャットアウトして、大気を測定してみればどうだろうと思う。
年末年始の静けさを知っている都会の住民なら、案外「やってみましょかね」と賛成してくれそうな気もするし、勇気を出してやってみれば、空気もきれいになる・ぜんそくがおさまる・静かになる・交通事故も減るetcetcの効果に感動するかもしれない。
ただ、都会といっても、「西日本の首都」のつもりの某市は、一筋縄では行かない。
なにしろ、「わしがゼニだしとるんや」という最高にシンプルな理屈で、冷房をガンガンきかせて、那覇より暑い街にしてしまっているのだから。
「御堂筋線こみまくっとるやないかー!マイカー乗らしてぇや」
「アイドリングやめまっさかいに、ちょっとぐらい、乗ってよろしおまっしゃろ」
「デートは環状線で出かけぇっちゅうんか?彼女にふられるわ!」
とまぁ、からむからむ・・・(笑)。
どことは言わないが、この街の市民を説得できれば、中国もアメリカもちょろいものだ。
あぁ、街角で刺されそうな予感・・・
でも、きれいな空気で「食い倒れの街」を堪能した方が、なんでもおいしく感じるはずだから、排ガス規制も本気で考えた方が、未来が明るいよ関市長!
レオパレスの回し者
at 2005 02/16 15:02 編集
自転車に乗らない日が年に何回かあって、珍しく本格的な長雨になった昨日から今日がそうだった。
晩飯どきになってから、いつもの「ドライブ・コース」を歩いてみることにして、歩数計をつけて出た。
自宅〜中央図書館〜ハーバーランド〜三宮〜自宅の四角いコースをすたこら歩いて、9400歩ほど。いつもだと1万は超えるのに、歩くのがまどろっこしくて、つい大股になったせいだろうか。
おかげで、気持ちよく眠れる。
たまには歩き回るもんだな。
と再確認する一方で、廊下でじっとしている愛車が寂しそうで、乗ってやらにゃーとも思う。
下の階の廊下をちらっと覗くと、ほうきやプランターが並んでいて、ほとんど私有地と化しつつある。突き当たりの部屋だと、「共有部分」を共有部分するのは自分しかいないから、私物置き場になってしまう。かくいう僕も、愛車とメンテナンス用の椅子や工具を置きっぱなしだ。
アジアの長屋やなぁ。
けさの地震のニュースで知ったのが、早慶の入試時期なんやなぁ・・・ということ。そういえば、本屋に「私のお部屋」「俺のインテリア」の類のムックが並んでいる季節なのであった。
進学や就職で、「新しい住人」が大量発生する前夜という状況かな。
日本の入試は、一番寒い時期にあって酷だといわれるし、僕も鼻風邪で苦しんだ悔恨の受験生ではあった。なんでこんな時期に入試があるの!なんで風邪ひくのわかってて風邪ひいてしまうの!と半泣きで東京と博多を往復していたものだ。
けれど、下宿生にとっては、水ぬるむ季節に真新しい新居に落ち着くと、間もなくポカポカ暖かくなって発情して・・・という流れは、悪くないと思う。
もし進学時期が半年ずれると、くそ暑い時期に汗だくで入試に臨んで、下宿生活に慣れはじめたころ秋風が吹いて気が滅入り、11月〜12月にかけと鬱々と引きこもる学生が増えるかもしれない。
18歳人口は減る一方で、おまけに地元志向の進学が増えているらしい。早慶でも、自宅通学生が過半数だと聞いたことがある。
全国から方言丸出しの志士たちが集まって、梁山泊を造ってしまうような学生が、よき社会人になってくれそうな気もするが(入試にママが付き添うような堕落は、いつから始まったのだろう)、梁山泊で爆弾を作ったり洗脳にふけったりする部類がいるのも事実。
そんなことに眉をひそめる感覚は、もう古いんだか新鮮なんだか・・・。
「ゲームにふけっていた引きこもり17歳」がにわかにクローズアップされる事件も起こって、爆弾製造世代のお父さんたちなんぞ、かえって夢とロマン(世界同時革命なんてね)に燃えていた青春!と美化されかねない。変な世の中になったものだ。
変な時代といえば、街角や旅先で出会った異性に声をかけてお近づきになる・・・いわゆるナンパというやつは、まぁ少年時代の卒業式のような、「あこがれの行動」だったような気もするのに、今は恥ずかしいことなのだろうか。
携帯でプチプチ「出会い系」をやってる方がみすぼらしいと思うのは、人生後半の証拠なのだろうか。
「自分で家賃を稼いで下宿する」だけの自然なことが、人間を形成する効果は大きいと思うのだが、当たり前のことが当たり前でなくなっているのが今の世の中。
「パラサイト」が流行語として消費されてしまうと、すぐ色あせてしまって、もう解決したかのように見えるのはこわいことだ。問題はどんどん深刻になっているのに。
アメリカの州立大学など、州の住民だけ学費が安くなっていたりするが、これは納税者意識とフリーライダー対策の産物。
むしろ、これを裏返して日本に応用してはどうかと思う。
地方の大学は、下宿学生を割安学費で歓迎すれば、地方の活性化にもつながる。県民税が投入されて、「よそさま」に間接的に益することになったとしても、衣食住の消費は自宅学生の何倍にもなるから、下宿学生への優遇措置は、教育投資としては確実ではないだろうか。
家と教室とバイト先を3点移動するだけの学生生活は、あまりにも貧相だ。「房・労役場・休憩」を巡回するだけの囚人、「家・保育園・スーパー」を回る主婦、「会社・飲み屋・家」の3点移動のサラリーマンと、たいして変わらない暮らしをしている二十歳は多い。
単調な生活と下宿するかしないかは、直接の相関がないのかもしれないし、生活に追われて自分磨きも趣味もままならないのが下宿生活の現実だったりする。
それでも、進学や就職は自立体験の絶好のチャンスだろう。今しかできないことがある。
なんていうと、レオパレス21の宣伝くさくなるが、僕はその先を走っている(つもりだ)ぞ。
学生生活だけではない、老人もマイホームパパもどんどん下宿を持てばいい。
老人の下宿・・・訪問介護ビジネスが活気づく。最期は「孤独死」が自然になると、そもそも問題でなくなる。
マイホームパパの下宿・・・あ〜た何やらかそうとしてるんですかっ!と下世話なもめごと頻発。おもしろい。
主婦の下宿・・・おまえこそ何やらかそうとしてるんだ!と夫婦の溝ができた奥さん、女に復活。
OLの下宿・・・♂やってくる人類繁殖する(笑)
女子高生の下宿・・・先生かならず覗きにくる人類繁殖する
マニアの下宿・・・フィギュアが繁殖する
これこそ、日本経済活性化の名案だと思うのだが。
気分はトワエモア
at 2005 02/15 12:39 編集
札幌雪祭りが終わって雪像が取り壊されている映像を見ると、ずいぶん韓国モノが多かったんやなぁ・・・と、あらためて思った。
微笑みの貴公子さまなんか、何人おったのだ?
マンガっぽいのもあったけど。
札幌は10回近くは行っているのに、この1年で一番の晴れの時期には行ったことがない。寒いのが苦手なわけではないのに。
成人してからも何度か行ったのに、すすきのは知らないままで、豊平川のきれいなせせらぎや、街を見下ろす藻岩山は印象に残っている。
僕だけなのか、旅で訪れた街にいやな思い出が不思議にもまったくないのは、やはり旅人として表面をかすめているせいかもしれなくて、その街で生活すると別の面も見えてくるのだろうか。
たとえば、神戸市民が異人館に行かないように、大阪市民が通天閣に昇らないように、観光客がイメージする街のシンボルと地元民のひいきスポットは、ずいぶんずれているものだ。
ところが、観光ガイドブックなど、十年一日のように「あそこと、ここと、そこ」を並べるだけだから、おいおい、目新しい切り口はないんかい!?と言いたくもなる。
札幌のポイントが、僕にとっては大通り公園と豊平川と藻岩山(少し離れて手稲山を入れてもいい)であるのに対応させると、神戸だと山と海とストリート・・・んーそうやな、六甲摩耶連山と、造船所ドックと、元町高架下(モトコー)という感じになろうか。
それぞれ、トレッキングマニア、船舶マニア、小物マニアを満足させるスポットだ。マニアックに見えるが、それぞれちゃんと歴史的な背景もあって、神戸の歴史的成り立ちを裏づけるポイントばかりだ。
おそらく、欧米人観光客なら、鵜の目鷹の目で「遠足」して回るだろうと思う。
大阪になると、USJにもアメ村にも用はない。
上町台地の開けた街路と、水郷のような川また川、それに寺町あたりの入り組んだ住宅街に、僕は落ち着いた大阪の風情を感じるのだが、地元民はどうなんだろう。
京都は、なんといっても岡崎から東山界隈かな。嵐山には興味が湧かない。その他はさっぱりわからない。「寺と神社を避ける京都観光」ができれば、これはかなりエキセントリックな観光ができるかもしれない。
こうして地元三都を見るめがねは、よその他人さまに、「では具体的にそこで何をすればいいんですか?」と聞かれると、困ってしまう。
潜水艦を造ってる造船所、どきどきしませんか!?
大阪にたくさん残ってる渡し舟の乗りつぶし、やりがいありませんか?
インクラインに沿って哲人歩きすると、賢くなった気分になりませんか?
と、僕が思うように、『るるぶ』『まっぷる』の読者は思ってくれないのかもしれない。
日本人はガイドブックを見ながら観光するのが大好きだから(遠足で刷り込まれているせいか?)、ガイドブックが創り出してしまう街のイメージというのは強いと思う。
それほど影響力が強いから、うかつなことを書いて訴えられても困るせいか、ネガティブ情報は一切書いてない。ここが、情報メディアとしては欠陥だろう。
『地球の歩き方』には、ここには行くな、現地人のこんな行動には要注意、こんなことをしゃべるなetcetcの危険情報がちゃんと書いてあるから、同じ発想で国内版も出せばいいと思う。
神戸つつもたせ出没マップ・国籍別(笑)とか、大阪製の神戸グルメ一覧とか、港町が想像できない北区と西区の真実とか・・・。
つい、地元愛が歪んでイヤミも出てしまうのがいかん。
札幌だと、アバタもエクボに見えてしまう街だから、多少の欠点がガイドブックに書いてあっても(値段を尋ねる方言はなぜか関西弁だとか)、まぁよしとするけどね。
ランさま
at 2005 02/14 13:42 編集
ヒトミ2号+営業マンと連れだって、中華街へ「ご近所観光」。日曜昼間にわざわざ行くこともない中華街は、さすがに押し合いへしあいの人出だった。なんとか空席のある店を見つけて、ラーメン、水餃子、エビから揚げ・・・と庶民食をぱくつく。そして元町界隈をぶらつきながら、「腹こなしに何しよかねー、ボーリングに行こうか、卓球でもしようか・・・ん〜〜マッサージでも行ってみっか」ぐらいの乗りで、善良なニ十代男女を巻き込むことになってしまった。
究極の腹こなしというか、「全身こなし」に僕が提案したのは、タイ古式マッサージである。
台湾だ韓流だ、といろんなマッサージ(と、マッサージと称する風俗営業)が入り乱れている中で、僕が前からまじめに様子をうかがっていたのが、タイ古式マッサージ。古式というのがいい。
僕も含めて、全員が初体験。
そうかー、こんなの一人ではなかなか突入できんから、3人そろって突撃してみるか!と、有無をいわせず当日予約してしまった。
商店街の場末のひっそりしたビルにある小さな店で、あんまり商売繁盛してないせいか、割引券を路上に置きっ放し。それを持って行くと15%引きの30分2550円になった。
問診票らしき紙に既往症やリクエストを書かされて、出されたお茶を飲みながら受付嬢と雑談。
なごやかで僕は緊張せずにすんだが、営業マン27歳は、そわそわしている(笑)。
カーテンで仕切られた施術室は3人分だけ。
ここで専用パジャマに着替えて、ひかえめに入ってきたタイ美人の「足裏おしぼり拭き」からスタートする。
前半はうつ伏せになったまま足の上に乗ったり腰に乗ったり背中にまたがってエビ固めをしたり、直接は見えない「背後ワザ」が次々に施される。
イタクナイデスカ?ダイジョブ?と、こまめに聞いてくれる。
すべての関節と足の指から頭の先、手の指の先までの細かなマッサージと、サバ折り・エビ固め・ブリッジ・「高い高い」(と呼ぶしかない)のような大技を組み合わせて、なかなか心地いい。
肩凝りがひどくて・・・と伝えておいたので、たしかにゴリゴリいうほど集中して凝りをほぐしてくれた。「ナカナカ、イカイデハ、ナオラナイコリ、ネ」と、手を焼いていた様子だった。
そして、この小柄でおとなしいマッサージ嬢が、背後から抱きついて技かけ(?)に入り、僕を手足だけで持ち上げてブリッジ状態でユラユラしてくれる。いやはやご苦労さん。
残り第4クオーターぐらいの時間配分が「仰向け篇」になっていて、股関節のストレッチと首ねじり。
合計30分と少し施術してくれて、「オワリマシタヨー」で完了。となりのカーテンをめくって覗いてみると、営業マンが「気持ちえ〜〜〜〜〜〜っ」と、悦楽のトロリ顔で果てて(笑)いた。
うーん、これはなかなかいい。力がこもっていて、しかもいたずらにボキボキ鳴らすパフォーマンス抜きで、きめ細やかなマッサージという感じ。
荒技に見えて、かゆいところに手が届くソフトでパワフルな技、と見た。
名札をしっかりチェックした僕が、「次はランちゃん指名しよう」とつぶやいていたら、隣人は「えっ、名前なんか確認してたんすか?」と、寝ぼけたリアクション。チェックしないでどうするね!(笑)
ともかくも、初回の30分で、長年わずらっている「片肩凝り」が半減したのは確か。
きっと一人では来なかったと思うので、手持ち無沙汰の者同士が集まって思いついた勢いが、極楽に行かせてくれたわけで、どこにチャンスがひらめくかわからんものだ。
また近々、ほぐされに行くとするか。
H8チャンネル
at 2005 02/13 07:21 編集
あの上目使いの社長が、今度はフジテレビ支配に乗り出して、やる気満々。野球でこけて、競馬事業に出走しかけたと思ったら、いったい何が本業???と思ってしまう札束勝負だ。
とはいえ、おもしろい。
おかげで、ニッポン放送とフジサンケイブループの関係が世間に知れ渡ったわけで、そうなると柳の下を狙うフィクサーや外資も暗躍するかもしれない。
ニッポン放送といえば、あのオールナイトニッポンを思い出すし、80年代にテレビに受け継がれたオールナイトフジがあった。オナッターズというのもいたなぁ。
そんなのを懐かしがる世代は、ホリエモンではなく三木谷社長ではないかと思うのだが、まぁ特定の番組を目当てに買収工作するわけではないだろう。
インターネットと活字メディア+電波メディアの統合、果ては統括支配という野望をホリエモンは持っているようで、それはそれで、「国取り物語」を観戦させていただく楽しみはある。
ただ、この発想は、素人目には、本場の国のAOL+タイム・ワーナーの焼き直し劇にも見える。ネットスケープを買収したり、通信業界の中では破竹の勢いで肥満したAOLは、結局のところ放送や映画や出版という業界から、排除されてしまった。
ビジネスモデルだM&Aだと、どんな業界にも札束で食い込んで行く発想は、札束王国のかの国でも成功しなかった。映画人スピリット、新聞人スピリット、テレビマン・スピリットが、馬の骨を追い出したのである。
もしスティーブ・ケースが映画を愛する姿、新聞を愛する姿、テレビを愛している姿を見せていれば、銀幕の世界からも、テレビマンからも、ブン屋さんからも、警戒されなかったのかもしれない。
同じ轍を、ホリエモンは踏まないだろうか。
あと、テレビや新聞自体が成熟産業だから、こらからどう伸びるのか、素人の僕には見えてこない。
楽天は「ブロードバンドで野球中継」と構想を暖めていて、それはそれでおもしろいと思うけれども、「お茶の間でビール飲みながら野球観戦」というスタイルは、果たして変わるだろうか?と素朴に疑問。
パソコンの家電化は、かけ声通りに進むものだろうか。
たとえば、ハードだけみても、テレビ受像機というのは、洗濯機や冷蔵庫や炊飯器と同じく完成度の高い製品で、まず故障しないし、「アップデート」も必要ない。
ところが、パソコンは、バージョンアップさせられるわフリーズするわクラッシュするわで、とてもじゃないが安定した製品とはいえない。永遠の欠陥商品なのだ。
だから手を入れる楽しみがある、というマニアは一定割合いるようだが、もし掃除機や冷蔵庫がそうだとウンザリしてしまうはずだ。
それと、テレビを見るというのは、もうすっかり日常生活に溶け込んだ行動で、「視聴人口と視聴時間の積算」は、頭打ちになっている。
テレビやラジオや映画、音楽を楽しむというのは、時間を消費することだから、人間ができることには物理的な上限がある。
だれにとっても1日は24時間しかないし、おまけに人口増加は止まっている。1日48時間、テレビやラジオやビデオを楽しむことなどできないのだ。
僕自身、HDD録画した番組を、よくCMカットしたり1.3倍速再生したりして見るのだが、そんなことをまめにやったとしても、節約できる時間などしれている。よほどのイノベーションでもないと、「テレビを見る時間」というのは、そもそも増えないものではないだろうか。
だから、地上波デジタル化でテレビ視聴時間の消費が活性化されるとは思えないし、はたして投資対効果はあるのかねぇ?
マスコミ論のおさらいはさておくとして(あぁ社会学部時代を思い出すなぁ)、ホリエモンには、フジテレビより、ぜひ鬼の首つまり日テレを買ってほしい。ナベツネの血圧が400ぐらいになって、茹で上がりそうだ(笑)。
かりに「フジテレビホリエチャンネル」が実現したとしても、調子に乗って「オールナイトホリエモン」をやったとしても、テレビとラジオと新聞の3大メディアがヘゲモニーを握っていたマスコミの世紀は、悪い意味ではなく、もう終わっているような気もする。
放送メディアのイノベーションは進んで行くとしても、その一方で、映画復権、うたごえ喫茶復活、酒場の流し復活・・・というレトロ風味を喜ぶ年齢層割合も、確実に増えて行くだろう。
それが、軍歌、唱歌、君が代・・・へと溯って行くマーチを流しているメディアだよホリエモン、きみの買い物は(笑)。
必楽園
at 2005 02/12 16:19 編集
どこかのおねえさまも憤慨しておられるが、紳士の国の皇太子と不倫相手が、ダブル再婚するとか、しないとか。
あるスポーツ紙など、百十何歳不倫カップル婚だとか見出しにしていた(足し算してどうするねん!?)が、なにぶん遠い国のことなので、だれが、このすったもんだの元凶なのか、よくわからない。
惚れた腫れたの色恋沙汰は、なんぼトシをとってようと、どうしようもない。分別もあるはずの中高年なら、なおさら確信的だから、水をかけられても(野良犬の後尾やないって)やめられない・とまらないの蜜の味だろう。
大人同士のことは本人同士の責任で好きにやればいいと思うけれど、「子供に示しがつかん」という倫理感は、日本人だけのものだろうか。ドライに「パパはパパで勝手にやってくれ」ですむのだろうか?・・・と、時差9時間過去の世界のことながら、少し気がかりではある。
かといって、ご子息ももう成人した大学生。そのあたりも、パパ・チャールズは、節目と考えたのかもしれない。
こんな中高年の「第三の人生」は、高齢社会に突入している先進国共通の大きなテーマだ。
夫婦は育児期間中だけに限定された「契約関係」で、子供が手を離れたら両親も男と女・・・と、なかなか割り切れなくても、現実に惚れたり腫れたりしたら、添い遂げる覚悟でがんばるしかないだろう。財産問題だけはクリアにして。
とはいえ、お互い「老後」が視野に入ってくるぐらいの分別がつくと、純愛結婚どころか大いに不純な計算をして(笑)コトを進めなくてはいけない。
デートを重ねて、さあこれから結婚だ結婚だウハウハとほてっている若いカップルだと、自分たちの20年後、30年後なんか、なかなか見えないものだと思う。親の介護の話や、墓をどうするかなんて話をしている二十代のカップルがいたら、殊勝というか、不気味というか・・・(大事な話だと思うのだが)。
晩婚化時代だからこそ、夫婦のどちらか、または双方が子連れ再婚ということも、あっても不思議ではない。
そんな場合でも、よくありそうなホームドラマで、「妻の連れ子にやっとパパと呼んでもらえて涙をにじませる夫」なんて場面は、これまた御苦労な話だろうと思う。「俺は君のママの彼氏だ。それだけじゃい、わかったかい坊や!」と割り切り宣言できれば、すっきりわかりやすくて(?)いいが、なかなかそうは行かないだろう。
普通の結婚でも、配偶者の親をお父さん、お母さんと呼ぶのが普通だし、こんな風に不自然な擬制家族を繕うところに、無理があるのかもしれない。
配偶者の連れ子との関係をどう築くかは、いってみれば「宙ぶらりんな責任領域」で、だれが努力するか、だれがストレスを背負い込むか、いろんな難しさがあると思う。
僕が、70すぎの父の何度目かの再婚相手に対するときは、お母さんと呼ぶ必然性はゼロだったから名前で呼んですませていたけれど、みな成人ばかりの関係だったから、割り切って考えればすむ。
難しいのは、幼い子を伴う再婚だ。よくなついて優秀な子ならいいとしても、グレたり(笑)、進学や病気で経済的な負担がかさんだりすると、夫婦関係まで微妙にぎくしゃくするかもしれない。
なんてことをシリアスに考えていたら、構えたミットにボールが飛んで来たりしそうで、構えてしまう。
どうしよう、松田聖子+SAYAKAみたいな悩ましい親子がいたら(笑)。
ミート・ニート!
at 2005 02/11 10:10 編集
2月10日は「ニートの日」だったそうで、「納豆の日7月10日」を連想してしまった。
高卒者の就職率は、ぼちぼち回復して7割を超えたそうだが、こんな数字は、「本校の名誉にもかかわるからどこでも押し込んでおけ」と高校が考えれば、多少の操作はできるから、1年後、2年後の定着率(離職率)を追跡しないと、実質的な就職率はなんともいえない。
親が自営業で「家業手伝い」だと、就職したことになるのか、親戚のだれかの秘書とか丁稚奉公(古いなぁ)だとどういう扱いになるのか、はたまた「組員」になったらどうなのか・・・グレーゾーンはあちこちにある。
実数のカウントがどうであれ、NEETが社会現象として広がりつつあるのは確かだろう。だから、なんとか手を打たないと、NEETの親より若い世代にとっては、もらえるはずの年金が破綻する可能性が高い。
それに、学校を出ていきなり就職できず無職になってしまうのは、素朴に気の毒だと思う。
僕はNEETなる若者とじかに接した機会は、職員厚遇で悪名がとどろいてしまったO市の委託で、NEET対策の講座(時給2万円は破格だった)を単発でやったときぐらいしかないから、サンプル数が決定的に乏しい。
乏しいながらも、みな「いい子、いいやつ」だったなぁという程度の印象は残っている。
完全に無職でなくても、ぜいたくさえいわなければスーパーの倉庫作業とか、ガソリンスタンドのスタッフとか、小遣い程度のパート仕事はしている。
ところが、志望は雲の上のような企業だったりする。
夢は大事だと思うけれど、子供が「宇宙飛行士になりたい」というのと、就職活動は、似て非なるもの。
夢が、世間の現実に壊され潰され笑われ踏みにじられ、やっとこさ空いた採用枠に収まるのが、就職のリアリティではないかと思う。
平凡にみえるサラリーマン業でも、忍耐力や適応力、自己表現や業務の段取りなど、目が回るほど身につけなくてはいけない難題の束で、それは「シューカツ」の段階から前哨戦が始まっている。やはり、成功する人は足を棒にするし、夏のスーツの1着ぐらいは汗で崩れてしまうし、本も読んで自己表現も磨いている。
そうしたライバルの水面下の努力は、なかなか見えないもので、「自分なりにがんばっているのになぁ」と、タコツボの中で自己評価しているケースも多いのではないかと思う。
ただ、あんまり試練とか苦難ばかり強調するのも気を滅入らせるだけだし、堅苦しく考えなくてもええんちゃう?と思うところもある。
就職できた同世代とニートは、本当に皮一枚ぐらいの違いしかない運・不運の世界で、まぁ気楽に仕事探しと修行を続ければチャンスはあるのではないだろうか。
ニートの元凶の1つでもある「すねをかじらせる親の巣」も、とりあえずチャンスを待つための避難所としては、あってもいいとは思う。ただ30歳、40歳になっても「働かなくても食っていける」のは問題だろうから、巣離れもタイミング次第だろう。
ニートの親は「ええ子いてまっせ使ってやって」情報の発信源になる(笑)から、チャンスも拡がる。「ええ子」情報を耳にした経営者は、どんどん会ってやってほしいと思う。
兄弟の中で唯一、親の就職後押しを拒み通した僕は、チャンスをドブに捨てた代償は大きいと実感している。してもしかたない後悔はしないが、高速道路と脇道ぐらいの違いはあるかもしれない(スローライフしか経験がないので、そもそも高速道路のような人生はわからない)。
捨てて流したそのチャンスは、決して取り戻せないし、そもそも私の都合に合わせて訪れてくれるチャンスなどない。そういうのをチャンスとはいわない。
このあたりの切迫感が、ニートになる「いい子」には少し乏しいのかもしれない。何もせずチャンスは降ってくると思っているわけではないだろうし、市が開催したセミナーに足を運ぶぐらいの前向きな子は、本当に皮一枚で就職間近だと思いたいが。
「景気がよくなれば」とか、「国が対策を発ててくれたら」「年寄りがリタイアしてポストが空いたら」とか、どこまでも他人行儀な発想でいたら、永遠にチャンスに近づけないから、石橋をたたいてでも、ともかく前に外に、出ればいいと思う。
とりあえず見つかった就職口は、別に定年まで辛抱して仕えなくてもいいわけだし。
・・・といえば、1年でやめてしまったりするから、なかなか難儀なニート対策ではある。
妄想快速
at 2005 02/10 15:04 編集
昨日が今年度の仕事納め。1分単位でバタバタして通勤電車にすべりこみセーフする生活とは、春までおさらばできる。
ほっと安心する反面、寂しさもないといえばうそになる。
いつもの通勤電車の、いつもの席の、いつもの顔ぶれとも会えない。
といっても、ラッシュアワーに乗るのは週1回にすぎないけれど、昼の電車が雑多な客がたまたま乗り合わせているだけなのにくらべると、朝の通勤電車というのは実に統制がとれていて、顔なじみさんが指定席のように同じ車両に乗り合わせているものだ。
今の路線で通勤電車のしはじめて5年ほどの間に、おなじみさんを5人ほどマークしていたら、OLとおぼしき方々は見かけなくなり、「総務課長」ふうの殿方がレギュラーメンバーとして残っていた。
学生時代はもてまくっていただろうなと思しき面影もある方だが、ある年に急に頭が真っ白になってしまったのが心配だ。つい、「お体を大切にネあなた一人の体をじゃないんですから・・・」と、奥様気分で(笑)お祈りしてあげたりする次第である。
春に再会できるだろうか。無事に再会できたら、下車する時そっと封筒をお渡ししようか・・・と、バカなドラマが頭の中で開演している(おっさん同士で何やってまんねん!)。
空いた席に座られると、必ず数分のうちに白目をむいて居眠りしはじめるので、よほど眠りの浅い夜を送っているのかな?とも心配してあげている僕は、いやはや、お人よしやなーと自嘲してしまう。
それが、現実にひょんなことから会話する機会でもあって、「いやー、女房が寝かしてくれなくてさ毎夜」なんて言われたら、一転して椎名誠流シネシネ光線を撃ちはじめるかもしれない。
ま、こんな深読みでもして楽しまないと、着メロさえ聞こえない「産業軍隊の輸送列車」は味気ない。
春には「新人」が加わっているだろうか。まだ配属が決まってない研修中のOL1年生とか。
それが、あれよあれよという間に、学生ふうの風貌が小賢しいOL顔に変貌して行くのを見せられたりすると、悪代官に帯を解かれている町娘を横目で見捨てる贈賄商人の気分になるかもしれない。
ホンネは「遠山の金さん」なんだが・・・(キムさん?)。
キックオフ!
at 2005 02/09 11:59 編集
いよいよ、北朝鮮チームとW杯サッカー開戦。
警備も厳戒態勢のようだ。
今のような時期に、敵国でサッカーをしに来る選手たちのプレッシャーは、相当なものだろうと思う。とりあえず、がんばってほしい。
たぶん、選手たちは「俺たちが拉致したわけじゃないしなぁ」とぼやきたいだろうに、それを口にしたとたん処刑されかねないから、宿舎では寝言も言えないのではないだろうか。
喜び組も来ないようだから、否応なくつのる緊張感を、迎える我々としてはぜひ「喜ばし隊」で、ときめかして・・・じゃない、ときほぐしてあげてもいいだろうにと思う。
歌舞伎町精鋭チームが乱舞して、「偉大なる将軍さまの息子たちファイトォ!!」とチアリーディングを叫び、たまには大磯ロングビーチお決まりのポ*リも加えると、選手はもう鼻血まみれで闘うのではないだろうか。ちょっと走りにくくはなるかもしれないか。
そうなると、選手たちは「これは資本主義の堕落だ!腐敗だ!悪夢だ!」と憤慨するか、「資本主義って、いいよなぁ・・・俺たちの喜び組より、邪悪な国の喜ばし隊の方が天女のようだし・・・メロメロ〜」となるか。
宿舎のホテルで、ふつうのテレビや、例の「有料テレビ」など見てしまったら、これはもう睡眠時間なくなること確実。何を隠そう、僕もちょうど25年前の今ごろ、紀尾井町のホテルでドジをふんでしまったから、北の選手諸君の気持ちはよーくわかる(もう、勝手に決めつけてる)。
色じかけで体制崩壊させるなど、ズルい技かもしれないし、田嶋陽子センセイが「女性を道具にするんじゃないわよ!」と怪気炎をあげそうだから、まぁ健全なご愛嬌レベルで攻めてるにとどめて、それでも効き目はあると思う。
そうなると、アムウェイじゃなかったアウェイで闘う6月に、日本のサポーターにビザが出るかどうかが気がかりだ。
「喜ばし隊だけ入国許可」になったりするかもしれない。
喜ばし隊員は、38度線の意味ったって、「私はぁ、37度が平熱だからぁ、少し高くても大丈夫だしぃ」てノリだろうから(失礼)、地味めのヨンさまを探しに行く気分かもしれない(さすがに茶髪はいないと思うが・・・)。
ある程度お勉強がよくできる女子大生「隊員」なんかは、北から帰って来ないで、自らの意志で亡命した「ことになってしまう」かもしれない。
いや、偏見は謹むとして、かの国と我が国の一般国民がぶつかりあってゲームを楽しめるといえばスポーツ交流ぐらいしかないから、なんとか楽しく盛り上がってほしい。
「スポーツと政治は別」だなんて、中学生日記の世界じゃあるまいし虚偽教育はいけません。「スポーツとまぜこぜに政治も楽しむ」ぐらいのノリで行くべし!
スタンドに金正男(ジョン・南無)がいたっていいではないか。意外とサイン攻めになって、一緒に写メールにおさまるやつも続出するだろう。
とまぁ、そんなそっくりさんは、松竹かハリウッドにストックされてないのだろうか。
流暢な日本語で「祖父も見に来てるよ、イルソンじいちゃんが」
と言われると、もう試合よりスタンドの方が熱くなるね。
親心検定
at 2005 02/08 14:59 編集
仕事で父上の死に目に会えなかったみのもんたサンが押し殺した声でインタビューに答えていた。
見送った後、たんすを開けると古いカセットテープが出てきて、「父の字で、のりお(みのさんの本名)第一声と、書いてあったんです・・・」と泣き崩れていた。
そうか・・・そうやねぇ、親心ちゅうもんは。
久々に、ええ話に「ワイドショーのおばさん」と化してしまった午後であった。
僕は初月給で何か買ってあげたこともないし、孫を抱かせることもできなかったし、仕事を継いだわけでもないし、ゴルフにつきあったこともないし、見合いも断ったし、何から何まで男親の期待を裏切るひねくれ息子であった。
2〜3回、スナックにつきあわされた(失礼)とき、「こいつ弁護士立てずに裁判しよるんや」「鉄塔組み立てて無線のアンテナ建てよって」と、誇らしげなのかネタに困って破れかぶれなのか、変な息子自慢をしていた。聞いている相手も返事に困って絶句していたし、僕もマニアなのがばれただけで下を向いていた憶えがある。
すかっと、「スナック好きのわしのために、スナックオーナーになってくれた」ような、わかりやすい息子自慢ができればよかったのだろうが・・・。
そこで、とりかえしのつかない親不孝を根絶するために、「息子検定」を創設したい今日このごろである。
すでに、「お受験」「お入園」では親が採点されているから、ランキング好き(病気)な日本人は、禁断の「人間関係の採点」に足を踏み入れること確実だ。
ベータ版しかもダッシュのバージョン0.0.0.1(改定しまくる必要がある欠陥だらけ)を考えてみた。
父親対応と母親対応の二部構成になっていて、
*父親のいい息子の条件
1.仕事を継ぐ
2.一緒に酒を飲む
3.母親のような彼女と結婚しない(笑)
*母親のいい息子の条件
1.いびり甲斐のある彼女と結婚する
2.さっさと孫を抱かせる
3.父親のようにならない
あたりが、一般向けの設問になるだろうか。
「ダーリン大好き」「俺もだよ」なんて中年夫婦は、日本では残念ながら珍種だから、珍種バージョンの検定項目は別に考えなくてはいけない。
あぁ、しんど。
僕の同級生で、すでに思春期の子供の親をやっている苦労人はたくさんいるが、「父と子」問題(?)を語るとき、自分がどっちに肩入れしているかといえば、なぜか親の立場ではなく息子の立場だ。「悔いが残る息子の経験」は豊富でも、息子とつきあう経験が皆無だと、どうしてもそうなる。
二十歳前後の少年たちと話すときも、どんな仕事に就こうと、結局は「いい息子であればええんちゃう?」に落ち着く。
たとえ親が「この子どうしたらいいんでしょう」と尋ねてきても、親を見て自分なりに判断して育つものだから、どうにもならないというか、どうにかなるというか、無責任なことしかいえない(そもそも、人の子育てに責任ある発言などできないわな)。
だからこそ、「おたくのぼっちゃん、息子検定合格&
at 2005 02/28 06:41 編集
へぇ〜、朝日新聞感覚の放送局が、名古屋にもあったんだがも!と納得してしまった、北野誠への圧力。
あの万引き常習カミングアウトで謹慎中のA・Yのことを名古屋の持ち番組でしゃべろうとしたら、「未成年タレントですから匿名で頼みます」とクギをさされたそうだ。と、こぼしていたサイキックが、朝日新聞系列の局なのは、これいかに?
「名前を出してええケースとそうでないケースと、はっきり基準を示してくれよ」とこぼしていた表現者北野誠のとまどいは、よくわかる。
名前を売ることがタレント活動の命なのに、犯罪が発覚したときだけ匿名で…というなら、芸能人になったらいかんよ!とおっしゃるのは荒削りな意見ながら、プロの芸人としてはごもっともな意見だと思う。
未成年というなら・・・とダルビッシュ君がひきあいに出されていたけれど、それもたしかにそうだ。A・Yより若い現役高校生なのに、しっかり喫煙・パチスロを報道されていて、世論の洗礼を浴びている。お気の毒に。
まぁ、結果的にA・ユウ(KDDIではない)もD・ユウも、名前が先に出てしまったけれど。
若いころのやんちゃは、大目に見ていいんでないかい?後々の糧になれば。というのが僕の基本姿勢だから、犯したことは心の中にしまって、戒めにして生きて行けばいいと思う。被害届けを出すか、本人の改悛の情を汲んで許すか、被害者が決める余地は、あっていい。
もし司法の場に委ねられたら、14歳未満のときの犯罪は児相か保護施設送致、14歳以上は家裁送致と、法にのとって処分するのが、法治国家のあるべき姿だと思う。
僕はまた功利主義者でもあるから、犯罪者を社会から葬らず、類似犯の抑止に「役立つ」なら、そんな社会貢献活動を懲役刑に代えてもいい。英国の地域福祉指令(Community Service Order)という司法政策は、これと同じ発想だ。
A・Yがもし男性タレントで、「中学時代に婦女暴行しちゃって、相手は病気になっちゃいましてね〜」なんて話をテレビでして笑いをとろうとしていたら、視聴者はどう思うだろう。
なにより、被害者は。
こういうのを、セカンドレイプというのではなかったか?
若気の至りでやってしまったこと(便宜上、暴露内容が実話だとすると)はともかく、それをネタとして−−つまりゼニかせぎで−−しゃべること自体、被害者への配慮が欠落している行為として、二重に悪質だ。罪の上塗りで、笑いものにされている「つぶれちゃった酒屋さん」は、商品を盗まれた被害に加えて、犯人が得意げにしやべっている姿を見ると、むなしいやら悔しいやら、憤懣やるかたなしだろうなぁ。
たしかに18歳はまだ若い。誠ちゃんも問いかけていた問題は、芸能人・スポーツ選手の18歳と、一般素人の18歳とで、守られなければいけない人権の尺度がどう違ってくるのかという点だろう。
未成年という属性と、芸能人という職業の、どっちが尊重されるべきか。
個人的には、一般人より「やんちゃ」が厳しく問われる覚悟でデビューしてほしいし、覚悟あっての稼ぎではないかと思う。
もし成人の芸能人だったら、酒の席でちょこっと客をひっぱたいただけでも大問題になるし、恋人発覚だ離婚だと追われてプライバシーなんかない。有名人というのは、そんな苦労も覚悟するということだから。
でも、芸らしい芸も身につけてなくて、罪の意識も生半可な少女を露出させて間もたせしている放送・芸能ビジネスというのも、ほんとリスキーでもあり、罪つくりに荷担しているヤクザな業界だと思う。
出しものがない少年少女は、言うに事欠いて、なにをカミングアウトするかわからんよ、ほんま。J事務所の社長のホモ疑獄だって、食い物にされた被害者が「もうボク芸能界やめるから」とケツをまくれば(妙にシャレ)、ポトポト漏れ出てきたではないか。
このA・Yのぶっちゃけ+謹慎騒動は、もはや対岸の火事ではなくなっているのがネット時代。
ただの「露出」と、考えた上での「表現」を混同しているのは、セルフヌードやらエロトークをばらまいているネット上の素人にも地続きの病気だが、素人芸はあんまり害がないから、お戯れネ、ですむ。
けれど、ある女医が患者を愚弄した日記が公開されてしまった事件
http://members.goo.ne.jp/home/coolhot99
のように、言論空間はあっという間にプロと素人の境界を超えて広まってしまう時代だ。
あんまり暴露話ばかりあふれて傍証がないと、ただの「2ちゃんねる病」とかたづけられてしまうのが救いといえば救いだが(きちんと情報をそろえて論証までしないのが素人の限界だし愛嬌というもんだ)、こんな妙な救済は、被害者のためになるのだろうか。
男心と冬の空
at 2005 02/27 07:33 編集
日も暮れかかってから、「そろそろ、図書館でくつろいでくるか」と思い立って、FMラジオを聴きながら家を出た。
結局「世界の快適音楽」を9時までずっと聴いていたのだが、この番組の「ほのぼの空気」は、冬に木枯らしを受けながら戸外で聴くと、なおさら寒さ満点だ。夏だといい感じの涼風なのに、冬にも同じ強さで風を吹かせてくれるから(笑)、涼しいどころか寒いギャグ、寒い「間」、寒いテーマと3拍子そろっていた。まぁ、ゴンチチファンだから許せる寒さなのだが。
きのうのテーマが男心というやつで、浪速の五十前後のおっちゃん二人でそこはかとなくわびしさをまぶしつつ、「男心」をモチーフにした曲を特集していた。
そりゃ、わびしいテーマだわなぁ。
女心とか悪女といえばすぐ歌詞にもなりそうなのに、「悪男」はただの犯罪者にしかならない(ところが彼女に「悪い人ね」と言われると、ほめ言葉のように響くから妙なもんだ。
あんまりつきつめて男心とは!!と考えると、「さぶ」の世界に流れ込んで行きかねないし(笑)、そうでなければ出世したい、もうけたい、もてたい・・・と、どうも獲得欲のようなものに結びつきやすい。
男心とは何か。
人生の折り返し点を過ぎた身でも、どうもよくわからん。
一般的なご同輩だと、かなりの部分は権力欲と色欲に帰結して行きそうだが、そのへんは僧侶や宦官に尋ねてみないと裏づけが不充分だ。
金銭欲は男女ともにあると思うが、方向が違う。「通帳が恋人」みたいなおばさん&おばあちゃんはよくいるけれども、男心はやはり欲を満たす消費に直結してしまうのではないだろうか。貯蓄という言葉は、OLはともかく二十代のあんちゃんの頭には存在しない(僕は就職して間もなく養老保険に加入したけど)。
金の使い道が、案外その人の人生観を反映しているもので、ジャンボ宝くじが当たったら・・・という類の他愛ない心理テストもどきはよく聞く。
キザなことをいえば、僕は自由時間と静けさはほしい(所帯を持って失うものの筆頭がこの2つだろう)。ほとんど孤独死が見えている独居老人の境地である。
別に防音室を特注してこもりたい、というような意味でもなく、男同士の会話だと、案外こんなぼんやりした夢で話がつながったりする。
下衆な夢だと「酒池肉林」というのがあるだろうが、それもイメージにすぎなくて、「古谷一行がつかっている露天風呂に乱入する女子大生」と同類のファンタジーにすぎない。
ある日、母校の副学長と飲みに行った地下の酒場で、「美しい生活をしたいですね」「美しい、か・・・いいよねぇ」で四十代二人、しみじみしていたものだ。このまったり感がいい。
もし、ここに女性がいると(仮名でH美としておく)「なんなのよ、自由って。愛人ほしいの?静けさだって?笑わすんじゃないよ(なぜかアバズレふうになるのは演出上の都合なので失礼)、あんたのイビキに、こちとら迷惑してるさ!!」とまぁ、トホホな標的が勝手に想定されて、勝手に撃墜されるダンドリになっている。
別に仮名はいらんかったか・・・?
たとえば子供好きな男性はいても、妊娠・出産・授乳をするわけではないから、「かわいいだろうなぁ」とボンヤリしたイメージしかないが、女性は具体的な苦労がちゃんと見えているようだ。民間の保育料いくらかかると思ってるの?とか。
それはそれで、かしこく生きて行く知恵だから、必要な発想だとは思う。
だから、あえてイメージしやすいものを具体的に夢見る(なんか矛盾してるなぁ。具体的な夢というのはマネープランってことだろうに)のが、思いやりあふれる男心というもの。
かな?
ところが。
わかりやすくて手の届く夢を語ろう、財布も頭の中も、胸襟ひらいてさらけ出そう、と覚悟していると、「私を大事にしてほしいの」「本当の私が抑えられている気がするの」てな雲をつかむ話が、あちらから出てくるのも、難儀なのだが。
イチかバチかきっぷ
at 2005 02/26 07:36 編集
しかし早いもんだ、冬休み向けの18きっぷをつい先月見かけたと思ったら、春休みバージョンが発売されている。
そして、いつもの顔ぶれのマニュアル本が書店に並び、いつもの条件反射で、「JTB時刻表別冊版」の手引き書を速攻買いしてきてしまった。
この商法は、心憎くもありがたい。
けれど、春の旅情満載のムックを見るだけで、実際に旅した気分になって、「あぁ、ええなぁ」で終わってしまう。そんな客も多いのではないだろうか。
「源平合戦ゆかりの地」というふれこみで、神戸・須磨から壇ノ浦までのカラーグラフ(なんで義経がはやっているのか最近までさっぱり気づかんかった。清盛びいきの神戸市民だから)、はたまた熊野古道へアクセスする紀勢線コース案内、そして全国のローカル線沿い桜名所・・・すばらしい!!
おまけに、海の幸・山の幸満載の全国の駅弁までちりばめられていて、申し分ない「旅の誘惑本」である。
ちょうど、全国の18歳が野に放たれる季節だ。
こんな時機にこそ、18歳をトリコにして鉄分を注入するスペシャル列車を特別に奮発してはどうですJRさん!!と僕は葛西社長に申し上げたい。ライブドアと闘っている某「右よりの新聞」に連載コラムを書くらしいという記事をふと見かけたから、その復古調の勢いで、ぜひ蒸気機関車を復活してほしい。
中央集権でもいいから、とにかく東京を中心に考えて、そのかわり「日本の終点駅」と東京を直結してくれ。東京駅から、指宿行きと稚内行きの夜行列車が並んで発車する姿は、想像するだけでロマンチックだ。
18きっぷで乗れるためには、鈍行になってなければ困るから、稚内と指宿に着くのは2日後ということでいいだろう。
このルートを通して乗る18歳がいたら、もう体内鉄分100%まちがいなし。
こういうバカなことをやらかす18歳こそ、日本を支える戦乱の志士になれると思う。
いかん、「ライブドアと戦闘」モードになってしまった。
別に敵意はないのだが、あの社長こそ、18きっぷの旅から最も縁がなさそうな、「ゼニと効率」で世渡りしているイメージがぬぐえないのは惜しい。
ひょっとして、「国鉄時代に乗りつぶしてますから僕」なんて言うかもしれない。ホリエモンパパが、インタビューに答えて、「鉄道の駅名を1回乗っただけで憶えてしまう子だった」と回想していたから。
芸能人でさえ、安心して地下鉄に乗ったりできないようだし、ホリエモンのような有名人になれば、もう鉄道の旅なんかできなくなるだろうから、かえって鉄分に飢えているかもしれない。
菊の御紋つきの御召し列車のような車両を持つことぐらいは簡単にできるはずだから、有名人は運転手つきベンツだ自家用ジェット機だ等と俗なことはやめて、御召し列車の時代にならないものだろうか。ホリエモン快速とか、三木谷号とか。
一人忘れていた。孫さんを。
あの人は、どうにも蒸気機関車のイメージがあるのだが・・・
革命郵便局
at 2005 02/25 07:43 編集
さすがに郵便局ファンのワタクシといえども、「郵便局民営化のメリット」というふれこみで政府がまとめた事業計画には、笑ってしまった。
曰く、「東京と大阪の中央郵便局の高層化とテナント収益」
曰く、「24時間営業の物販店経営」
曰く、「国際貨物輸送」
・・・等々
あぁ・・・これで民間企業に勝てると思ったのだろうか。
新しい発想が、さっぱりない。
それぞれ、森ビルとセブンイレブンとFedExのパクリだと言われても、返す言葉がないんじゃありませんか?
これで、収益予測が1兆円だという。
ヒエーーーーーッ!!(笑)
解体されかかって、あわてて民間同業他社を参考にして、「ワシラだって、やれるもんね」ってところを見せようとしたのだろうが、これではブロードウェイに乗り込む学芸会みたいなものだ。
まぁ、ぼろかすに言うだけならイージーかつ無責任だから、ちゃんと対案を示すとしよう。
郵便局の業務分野は、郵便・貯金・保険の3つ。
ならば、それぞれ競合する民間業者がやってないメニューで、独自性を打ち出してほしい。コソコソやれば揚げ足をとられるから、「日本国郵便局」の錦の御旗を堂々と掲げて、どーんとやらかせばいいのだ。
1.郵便事業
配達員は「メイラー」と称して、全国でアムラーOG(笑)を大量採用して、心をこめて配達していただく。んーまぁ、シャラポワ風とか、ぢゃっかんのお色気路線は、やむなしとしよう(・・・と太田光のように苦虫をかみつぶした顔で述べつつ、実はその路線こそ行け行けどんどん!が本音)。
寝たきりのおじーちゃんも、毎日郵便受けまで飛び出してくるぞ。
2.貯金事業
どうせスズメの涙ほどの利子しかつかないんだから、いっそ利子はポイント制にして、ポイントに応じて黒木瞳または氷川きよしのキスで受け取れる、と(郵貯の平均年齢から考えただけで、個人的な好みではない!!)。
日本人の貯蓄率はべらぼうに高くなって、おまけに世界中から貯金が集まって、1京円、1ナユタ円・・・という単位を初めて拝めるかもしれないなぁ。
黒木瞳の唇は腫れ上がって、後任の丈夫そうな利子担当者を選ばねばならない。久本雅美とか柴田理恵とか、丈夫な唇がそろっているワハハ本舗に頼むか。
3.保険事業
掛け金に応じて、「財前五郎(唐沢寿明)の手術か、鈴木京香の看護か、チェ・ジウの垢スリ」を受けられる。結果については文句いわない、と(個人的な好みではない!!)。
あかんかなぁ・・・?
郵便が民営化されると、JRの赤字路線切り捨てと同じように、不採算地域のサービス低下は避けられない。
だからこそ、逆転の発想で不採算地域のメリットも見えてくる。
郵便物の少ない地域だと、メイラー嬢の仕事量も少ないから、住民とぢっくりほっこりまったりふれあう時間もとれるぞ。首都圏だとポストに投げ込んで疾走して回らなければいけないから、メイラーと仲良くなりたい都民、府民は地方へと人口移動を巻き起こして、一極集中の緩和にもなるだろう。
とまぁ、おバカな提案かもしれんが、郵便局への愛情からにじみ出た酒池肉林いや苦肉の策なのである、これは。
しかし考えてみれば、全国どこでも葉書50円封書80円から、という均一料金は、近未来の電話料金みたいで、意外にも古いようで新しい。これは郵便システムがすでに成熟して、減価償却した通信インフラになっている証しだ、というと、税金で補填しているだけだとか、反論もあるかもしれないが。
この「古いようで新しい」を、ぜひメールや携帯から振り向かせる味わいとして、価値を高めてほしいと僕はまじめに思う。
出会い系がらみの事件を防ぐにも、「文通や恋文」は、実は人柄を表現する情報量も多くて、効果的なのだ。
中島みゆきの名曲「恋文」、後ろから前から畑中葉子の「カナダからの手紙」なんかも、「メール」や「ファックス」だとサマにならんではないか。
脅迫状を出すにも、メールよりトレーサビリティが低くて匿名性が数倍高いのが郵便だし、スパムなんぞメールで送れても小包爆弾にはかなわない。
こんなメリットを打ち出すのもどうかと思うけど。
春一番
at 2005 02/24 07:07 編集
携帯を間違って発信してしまい、つながった旧友と「せっかくやし、あした昼メシでも行こか」てな話になった。
なにかと勧誘してくれている保険マンである。
こっちから誘っといて、「あくまでもメシだけね」とクギをさして、ファミレスへ。
春一番が吹いて、妙にポカポカと暖かい一日だった。
昼下がりのサイゼリヤにいる客は、驚くなかれ全員が高校生か、卒業間際のような少年少女ばかりだった(制服姿の女子高生3人連れにも、お煙草お吸いになられますか?と聞いていた店員には笑えた。「ダルビッシュゆう子」ちゃうって)。
向かい合って浮いた四十男は、バカな副業談義、不動産事情、カメラねた・・・とまぁ、しゃべるしゃべる。
で、4時間でお開きにしたのだが、やけに長い昼休みをとれたヤツは、もしかして「営業に出てくる」という扱いで、こんなに非生産的な午後を過ごしているのだろうか。
さすがに別れぎわに「パンフレットだけでも、持って帰らん?」とカバンから出そうとしたのを、「保険、いらんしー。ほな、またー」とかわしてしまったのは、お気の毒ではあった。まぁ、「保険加入しまへん」と前置きしていたから、フェアプレーには違いないが・・・
結婚秒読みのヤツは、新居引っ越しもひかえていて。いい物件が見つかったと喜んでいる。
40年住み慣れた実家を離れる門出だ。このヨロコビ(?)は、半分わかる。
「私たち結婚し、下記の場所に引っ越しました」なんて葉書の文面を、二人して照れながら眺め、
「なんで定型文には、私たちは、と助詞が抜けているのかしら!?」
「お近くにお越しの節は・・・なんて書くと、大沢はホンマに来るから削除しよか」
てな話もしているのだろうか。
と、よけいな邪推をしてしまったのは、キャンディーズの「春一番小唄」(正しいタイトルしらん)の、古きよき歌詞が脳内にちらついていたせいで、あぁ今のアイドルだとこんな歌詞が結びつかないなぁ・・・と、ふと思う。
なんといっても、「お引っ越しのお祝い返し」をしているのだ、70年代のキャンディーズは。
いまどきなら、引っ越しても、そもそも住所なんか知らない(でもすむ)友達づきあいが多いし、どうしても通知が必要なら「メールとレス」の世界だ。それどころか、不動産も、携帯で物件を探して手付けしてしまえる時代だしなぁ。
さすがに、「私たちの挙式動画配信」までやらかすバカップルは、僕の周囲にはいないが、あっても不思議ではない。妊婦日記や育児日記はWEB上に五万と見かけるから、「その間」にある一大ドラマを、破水から、感動の臍の緒カ〜〜〜ット!!まで、「配信」なさる浮かれ者が出てきそうな恐怖感も覚える。
春の陽気のいたずらか?
ABC
at 2005 02/23 10:35 編集
就職するというのに勉強したい21歳乙女がいて、おおそうかー!!と感涙にむせび泣きつつ(笑)絶賛するのも、考えてみればおかしな話だが、「就職=勉強おしまい」というのが、日本人感覚。
学校教育と職業教育・社会教育が分かれてしまっているのが日本の特色であり、不幸でもある。
昨年4月8日付日経新聞によると、25歳以上の主要国の「大学等高等教育機関に在学する国民の割合」は、
米国 39%(2000年)
英国 47%(2001年)
ドイツ 53%(2000年)
日本 16%(2003年。院15%学部1.1%)
となっていて、この格差はいろんな読み方ができそうだ。
経済立国、技術立国を成し遂げた力は、大学での研究ではなく現場での叩きあげだったといえるかもしれないし、学校好きな日本人にしてこの数字ということは、いかに大人になれば高度な教育を受ける機会が乏しいか!を表しているともいえる。
国ごとの制度の違いもあって、通信制や夜間の大学・院が、規制政策のおかげで普及が遅れていた面は否めない。ただ最近は、教育事業の規制緩和で、いろいろなスタイルの教育機会に恵まれているから、リカレント学習ももっと盛んになって行くだろうと思う。
ときどき欧米と比較して例に出される、託児所のついた大学や、夫婦で生活できるドミトリー(学生寮)など、まだまだ日本には「当たり前」にならない。
そろそろ日本の産業界で、託児所つきの職場というのは出始めているようだが、とはいっても子連れで通勤電車に乗る気になれない。
それが大学だと、これは子供を預けておくには理想的な場所ではないかと思う。おにーちゃん・おねーちゃんが適当に相手してくれるし(甘いかな)、学食には残飯があるし、幼いころからアスリートやアーチストの練習を間近で見られるのも、情操教育に最適だ。
ただし、多くの学生にとって大学は「そこで働いて生計を立てる拠点」にはならないから、4年とか6年でほとんど去って行き「懐かしい学び舎」になるだけ。
たとえば学生が学内に塾を開くような形で、教育を受ける・消費するだけでなく「生産」する場所になれば、受ける教育も実戦力になるだろう(京大アメフト部員は寮でそんなことをしてなかったっけ)。
これは特に欧米の理工系学部ではやっているスタイルだが、法学、経営学、社会福祉学、教育学といった分野でも、もっと学内で産学協働してもいいのに、と思う。まぁ、そうなりゃ弁護士の前で法学部教授が、ソーシャルワーカーの前で社会学者が、公認会計士の前で経営学者が、権威をおとしめられかねないから、もうしばらくは、学問と実務は「就職」という溝で分かたれたままだろう。
なんだかでかい話になってしまったが、くだんの「21歳乙女」である。
そもそも、英語を勉強したいというので、「働きながら海外の同業者と情報交換できるような英語力を身につける方法」を考える宿題をもらったような気分だ。
今は衛星放送があるしネットもあるから、自分の都合に合わせて好きな方法を選べる便利な時代で、まぁいろいろやってみて楽しければええんちゃう?と、無責任きわまりないアドバイスをするばかりだ。
なんといっても仕事は最優先だから、英語学校に通うことさえ、無理すると、二兎を追う者は・・・になってしまう。
かといって、テープやCDをごっそり買っても、「マイペース」という麻薬におぼれて、三日坊主になるのがオチ。
マイペースの不効率に流されて行かない昔ながらのスタイルがラジオ講座で、ちょっと興味がわいてテキストをぱらぱら覗いてみた。
僕もけなげに受講していた「基礎英語」「続基礎英語」という区分が、今は基礎英語1・2・3と明快になっている。内容は、ほほーなかなか充実してるがな。文法もしっかり網羅されているし、かなり密度が濃い。
これを1年2年ときっちり続ければ、英語学校にくらべてコストパフォーマンスは抜群にいいと思う。
ちょうど今ごろは、「去年の春もチクショー夏まで持たなかった!」とリベンジを誓う外国語学習スタートの季節だ。
勢いで、僕も「英語で学ぶフランス語」のCDつき教本を買ってしまった。カラフルで楽しい英仏辞典もアマゾンから買って準備万端である。
これでいつまで続くかわからんが、6年間学校で学んでものにならなかった言語より、中国語とかハングルとか、時流に乗っている外国語に飛びついた方がいいのかもしれない。
雪の上にも3年
at 2005 02/22 08:56 編集
ampmで買い物したら、POSで読めない商品を手に取ったところで、レジボーイ君が硬直してしまった。二人とも新顔で、いかにも「高校卒業間近の春休み中ですオレタチッ」という感じ。
そりゃ夜中に朝刊を買いに来る客には、意表を突かれたかもしれないがねぇ・・・。商品いろいろ客もいろいろ人生いろいろ。がんばってほしいものだ。
「その新聞は130円な」と教えてやって、レジを打たせた。ついでに、「日経だけは140円やから注意したまえキミタチ!しっかり仕事をおぼえて少年よ大志を抱け!」と説教しようかと思ったが(笑)やめた。
新人もいれば、動く者もあちこちでお目にかかる季節だ。
このコンビにの前に、喫茶店で喫茶していたら(当たり前か)、ある大病院ワーカーから転職相談の電話。もう答えは出しているようなので「そうですかー、ほながんばらにゃー」ですむと思いきや、少し長引いて、そのまま閉店になり外でガタガタふるえながら通話していた。
ふと、「石の上にも3年」は、今はもう「1年」になったのだろうか、と思う。テレビっ子だと、「ワンクール感覚」で仕事の先が見えたり燃え尽きたりするのかもしれない。時間感覚が変わってきているのは確実だ。
現実に、追いつめられたり、渡りに舟があったりすると、動くチャンスだろうから、とりあえず「自分のやりたいようにやれば?」と、背中を押すしかない。
ゆうべの彼女も、自分の出した答えと理由をちゃんと話して、「これって、おかしい?間違ってる?」というので、あっさり承認印をポンと押したのだが、ふと覚えた違和感は、彼女が憎悪むきだしに語っていた親の発想と近いなぁ・・・と年甲斐を感じてしまった。
親のいいなりで失敗なく生きてきたのが我慢ならなくなって、親が喜んでいる立派なポストも投げ出そうとしているのは、わかるような気もするが、母娘間の葛藤というのは、どうもわからない別世界ではある。
まるで一卵性母娘のように溶け合って仲がいい親子よりは、自我意識に目覚めているような印象は受けたし、「おかしいとは思わんよ」とは答えたものの、それが自然なのか不自然なのかといえば、どうしても価値判断が入り込んできてしまう危険を感じる。
いや、価値判断をしない臨床心理士になってどうするのだ。
血気盛んなころは、「思想がない心理屋!」「思想や主義で歪んだ社会学屋!」と研究室で議論していた、当の社会学屋の一員だったではないか。
心理分析をする意図も、スキルもないし。
とはいえ、社会や職場組織への適応は大切だし、「私」の感じる違和感も大切だわなーと思ったりもする。
僕自身、違和感を圧殺される社会の因習や集団の力学のこわさを感じてきたのも事実だが、「社会や組織はそういうものだから、反抗しましょう、離れましょう」とレクチャーするわけにはいかない。そんなことは教えたり教わったりすることではなく、自分で気づいてアクションを起こすかどうかの問題だと思う。
だから、結局は玉石混淆なコメントしかできないのが歯がゆい。
こんなとき、自分はどこに立っていると相手に見えているか?を、ふと考えて言葉を呑み込むこともある。
判断が揺れている場合、ある結論に凝り固まっている場合、手がかりがなく身動きできない場合など、ケースバイケースで立場は変えるべきなのか、変えるべきでないのか・・・。
「んー、悩みがあればゲレンデで頭を真っ白にしよう」
「悩みのない人はモーグル斜面で苦悩すべし」
「答えが出ているなら直滑降してみ」
と、大日本スキー教教祖としては、なんでもかんでもスキー原理主義に導きたいところだが(笑)、適性をチェックせず同伴した別の病院職員嬢が事故って以来、布教は及び腰になっている。
「私を連れてって」と言われると、「自分で体運ばなあかん」と突き放すのが、これまた悩ませることになっているのかもしれないが、導く力がないのは教祖としては致命的欠陥だから、「カウンセラー的」なのかもしれない。
氏か育ちか
at 2005 02/21 07:08 編集
サイキック青年団で「常習集団窃盗タレントあびる優」と名前もろ出しされていた18歳と、もしかして同い年ではないだろうか、「煙草でパチンコ」の二冠王ダルビッシュも。
ダルビッシュ君など、去年しつこい取材カメラに向かって「殺すぞ」と凄んでいたのも加えると、すでに三冠王だ。
やんちゃな年頃だから、大目に見てあげればどうかと思うけど。
この具体的なご両人は横に置くとして、タレントが犯罪をカミングアウトしたとか、清純派アイドルに色欲三昧の過去!とか騒ぐのは、ちょいとおかしい。
「もともとそういう子」が、たまたまタレントをしていたと考えた方が自然だろうに。イメージが光り輝いていても、過去からいろんなものがポロポロ出てくるタレントは多い。
政治家が汚職でつかまったときも、「ペテン師が何かの間違いで政治家をやってただけ」といわれるのと同じかもしれない。
だから、「立候補したら丸裸にされる覚悟」と聞くと、それだけで僕は二の足を踏むのだが、まぁいいっか、正直に邪悪で売り出せば(笑)。
最初から「禁断の女性遍歴と裏人脈、ドス黒い金銭トラブルをひっさげた衆議院議員候補!!」と売り出せば、もう恐れなくてはいけないリークなどない。
紳士録に載っているような著名人に、「過去をばらすよ。口止め料○万円」と怪文書をばらまけば、身に覚えのある殿方が一定割合いるという事情も、この種の犯罪が絶えない温床になっている。
タレントでも、徹底的に身辺調査して、叩けば出るほこりを処理してからデビュー・・・というか養成スタートしないと、リスクは大きいのではないだろうか。
カツラと整形と同性愛が芸能界3大ダウトのようだが、「昔は男性でした」というカミングダウトも、あってもよさそうに思う(笑)。
考えてみれば、十重二十重のヴェールと暴露のせめぎあいが、古典以来の「芸能」というものの真髄かもしれないから、隠し方も暴き方も鮮やかにやってもらえたら、楽しめていい。
年季の入った手品を見せられたようなダウトも、悪くない。
カミングアウト
at 2005 02/20 05:45 編集
「カミングダウト」という番組で、万引きをカミングアウトしてしまったとかで謹慎するはめになった18歳のタレントというのがだれだかわからない(し、たぶん名前を聞いてもわからないし、こんな番組も知らなかった)が、ちょっとお気の毒。
たしかに、堂々と窃盗罪を暴露しているんだから、いくら刑事処分を受けなかったからといってイケナイことはイケナイ。
たぶん、テレビで「デビュー前にこんなやんちゃしてましてねー」というような戯言を聞いて、トークネタぐらいの気持ちで真似してしまったんだろうと思う。
そりゃ森繁久弥さんあたりが、「もう時効だからしゃべるけどねアンタ、戦前は酒場で暴れて2〜3人殺しちゃったもんだよ」とやっても、間違いなく時効だし、たぶん実話であってもだれも「犯罪」だと思わない年輪を感じさせる。
そのノリで、「昔ィ、中学時代はァ、あたしパーだったのね」て感覚の(5年前でも昔に思える!)コ娘が、「もう昔の話だから時効だけど、何人の担任と関係持ったかなぁ」としゃべりはじめると、おいそりゃ時効ちゃうって。
担任は年に1人だから特定されますって。
すぐ教育委員会の指導課も動きますって。
こんなカミングアウトをするリスキータレントはいないものだろうか。
「恋カラ」には潜伏してそうだが。
芸能人がなにげなくしゃべる「時効」も、刑事の時効と民事の時効をしっかり区別しとかないと、たとえば売春の時効と、踏み倒された債権の時効のどっちが長いか短いか、微妙に悩むかもしれない。
そんなこと計算しながら「ぶっちゃけトーク」しているバラエティタレントなんか、いないだろうけど、きわきわラインに詳しいアドバイザーとして復活すればいいのに、シーケンも田代まさしも。
世間が許さないか?
タンコブの…いや「行列のできる法律相談所」も復活できたのにね。
雨の日の果実
at 2005 02/19 16:25 編集
冬にまる2日つづけて雨というのも珍しい。
また「1万歩コース」を歩いて、よく激安のリンゴや柿で驚かせてくれる果物屋の店先で、季節はずれの梨を見つけた。
南半球産だったら納得するものの、韓国産で2個320円。これは冷凍?ハウス?養殖?(笑)・・・
どーんとでかくて、いじくると(あぁ、おばちゃん体質やなぁ)奇妙に柔らかい。長いこと放置したりんごや梨がスカスカの海綿状になったような触感だ。
安いんだか高いんだか見当がつかないが、買って帰って入刀式。
サクッ・・・大満足だった。
甘くて身がどっしりつまっていて、当たりではありませんかペーさま!!
と、韓流・冬の秋の味覚ソナタ!と、わけのわからん感動をした夜のデザートであった。
カップラーメンやカップ焼きそばの類のジャンクフードは、体によくないなぁと思いつつ、新製品や珍品が出ると、つい買ってしまう。
袋ラーメンで育った世代だからか、カップヌードルがこの世に出たときは革命的に輝いて見えたものだ。
そんなこんなで「即席ラーメン愛」に生きて来た名残りが「即席買い」なのだが、店頭で「およよ?」と思うときが食欲のピークで、帰ると食べる気にならず、備蓄されて行くばかり。なんというか、胃が招かない感じ。
気持ちとしては好きなんだがなぁ・・・
逆に、年をとるにつれて、体細胞が呼んでいるようにひしひしと感じるのが果物で、台所に欠かしたことがない。ちょっと小腹が減ったなぁというときにつまむと、果糖のおかげか空腹は収まるし、なにかと便利なスナックになる。
通勤で移動の合間にランチをかきこまにゃいかんときも、「バナナと牛乳」のような取り合わせがヘルシーでいいのだろうけど、一度ビワをかばんに入れて大阪に通勤していて、つぶれて悲しい思いをしたので、なおさらバナナは及び腰になる。
バナナも安くて栄養価が高いのは貧乏暮らしにありがたいけれど、不思議にも、房単位で大量に売っているバナナほどうまくて、コンビニに3本200円で出ているのはイマイチ。
かといって、1房も買ってしまうと腐るまでに食べ切るのが大変だ(特に夏は)。同じ悩みをかかえていそうなじーちゃんばーちゃんをスーパーでナンパして(笑)、割り勘で買って山分けでもしようか。
そう考えると、りんごや梨は長持ちするし(冬だと1ケ月ももつのではないか?)、偉大な軽食だなぁと思う。。
今日は、「備蓄用の梨」を仕入れに行くとするか。
ピッチショック
at 2005 02/18 16:03 編集
毎日新聞夕刊を手に取る手がぶるぶる震え・・・おぉ文法まで狂ってしまうではないか、この衝撃ニュースは!
てほどでもない、あぁいよいよ「そのとき」が来たのか、と淡々と見てしまったのが、「ドコモPHS事業から2〜3年で撤退、今春から新規契約停止」のニュース。
10年近くになる我が「パルディオ歴」も、いよいよ幕なのか。
はかないねぇ。
なるほど、携帯に特化してFOMAに賭けたいドコモの経営方針も、わからないでもない。
携帯に対するPHSのメリットより、PHSに対する携帯のメリットがはるかに大きくなっているのも悲しい現実だ。あいかわらず、「つながりにくく切れやすい」致命的欠点は放置されたままだから、そんなところに愛想を尽かして解約するユーザーも多かっただろう。
今のところ、定額データ通信はPHSの独壇場で契約も増えているそうだが、もしFOMAのデータ通信で定額というプランが出れば、僕もさっさと@FreeDなんか捨てるつもりでいた。i-modeパケ放題はその布石かな?と、少しは期待したいところだが。
ただ、PHSがウィルコム1社だけになると、独占の弊害も心配だ。今でさえ、「遅くて高い」から僕は敬遠していたのに、ライバルがいないと開発も鈍らないかねぇ・・・。
こんな市場にこそ、ホリエモンが乱入してくれないだろうか。ドコモのPHS事業を買収してしまって、ウィルコムと競争してほしいものだ。
近鉄が重荷になって投げ出した球団を買収しようとしたのと同じ気概を、ぜひピッチ事業に向けて、「ライブドアッチ」なんて事業名で再生してくれたら、応援したいところだが、
京都と神戸の議定書
at 2005 02/17 07:37 編集
京都議定書の「発効カウントダウン」までやっていたわりに、温暖化対策はどうも切迫感がない。
アメリカも中国も参加していないために効果は疑問視されているし、ノルマの取り引きができるから、これはもう国際政治のかけひきそのものだ。ただの「地球環境を守りましょうキャンペーン」でないことは明らかだ。
日本としても、このまま海面が上がって、沖ノ鳥島だったか、岩礁のような小島が水没してしまうと漁業水域を失うから、環境問題なんか考えてなさそうなあの知事さんだって奮い立つだろう。
アメリカにNoと言い、中国を罵倒する知事さんが、どんな力を発揮できるか、ヒヤヒヤしながらお手並み拝見するとしよう。
大日本帝国を牛耳っていたような権威主義者なら、「ほしがりません勝つまでは」のような忍耐を、弱い庶民に強要するはずだが、あの知事さんは、そのへんの歴史の決算はどう考えているのだろうか。
実際、東京都はディーゼル規制も厳しくやっているようだから、いよいよ都の最南端の島が水没する・・・ということになると、「私の権限において、二酸化炭素を封じ込める戒厳令を出す!従いなさい!」と号令をかけそうだ。
なぁに、マイカーを禁止して、自転車と人力車と馬車を導入すればいいのである。まじめな話。
コトは大気の問題だから、どこの街の対策が効果を上げているのか、特定しにくいだろうけど、ミュンスターやアムステルダムのように、自転車をフル活用している街もある。また、イギリスかアメリカのどこかで、ナンバープレートの末尾が奇数か偶数かで乗り入れ制限する街もあったような覚えがある。
東京だと、山手線の中だけとか、中央線の北か南の半分だけとか、エリア限定で試験的にマイカーをシャットアウトして、大気を測定してみればどうだろうと思う。
年末年始の静けさを知っている都会の住民なら、案外「やってみましょかね」と賛成してくれそうな気もするし、勇気を出してやってみれば、空気もきれいになる・ぜんそくがおさまる・静かになる・交通事故も減るetcetcの効果に感動するかもしれない。
ただ、都会といっても、「西日本の首都」のつもりの某市は、一筋縄では行かない。
なにしろ、「わしがゼニだしとるんや」という最高にシンプルな理屈で、冷房をガンガンきかせて、那覇より暑い街にしてしまっているのだから。
「御堂筋線こみまくっとるやないかー!マイカー乗らしてぇや」
「アイドリングやめまっさかいに、ちょっとぐらい、乗ってよろしおまっしゃろ」
「デートは環状線で出かけぇっちゅうんか?彼女にふられるわ!」
とまぁ、からむからむ・・・(笑)。
どことは言わないが、この街の市民を説得できれば、中国もアメリカもちょろいものだ。
あぁ、街角で刺されそうな予感・・・
でも、きれいな空気で「食い倒れの街」を堪能した方が、なんでもおいしく感じるはずだから、排ガス規制も本気で考えた方が、未来が明るいよ関市長!
レオパレスの回し者
at 2005 02/16 15:02 編集
自転車に乗らない日が年に何回かあって、珍しく本格的な長雨になった昨日から今日がそうだった。
晩飯どきになってから、いつもの「ドライブ・コース」を歩いてみることにして、歩数計をつけて出た。
自宅〜中央図書館〜ハーバーランド〜三宮〜自宅の四角いコースをすたこら歩いて、9400歩ほど。いつもだと1万は超えるのに、歩くのがまどろっこしくて、つい大股になったせいだろうか。
おかげで、気持ちよく眠れる。
たまには歩き回るもんだな。
と再確認する一方で、廊下でじっとしている愛車が寂しそうで、乗ってやらにゃーとも思う。
下の階の廊下をちらっと覗くと、ほうきやプランターが並んでいて、ほとんど私有地と化しつつある。突き当たりの部屋だと、「共有部分」を共有部分するのは自分しかいないから、私物置き場になってしまう。かくいう僕も、愛車とメンテナンス用の椅子や工具を置きっぱなしだ。
アジアの長屋やなぁ。
けさの地震のニュースで知ったのが、早慶の入試時期なんやなぁ・・・ということ。そういえば、本屋に「私のお部屋」「俺のインテリア」の類のムックが並んでいる季節なのであった。
進学や就職で、「新しい住人」が大量発生する前夜という状況かな。
日本の入試は、一番寒い時期にあって酷だといわれるし、僕も鼻風邪で苦しんだ悔恨の受験生ではあった。なんでこんな時期に入試があるの!なんで風邪ひくのわかってて風邪ひいてしまうの!と半泣きで東京と博多を往復していたものだ。
けれど、下宿生にとっては、水ぬるむ季節に真新しい新居に落ち着くと、間もなくポカポカ暖かくなって発情して・・・という流れは、悪くないと思う。
もし進学時期が半年ずれると、くそ暑い時期に汗だくで入試に臨んで、下宿生活に慣れはじめたころ秋風が吹いて気が滅入り、11月〜12月にかけと鬱々と引きこもる学生が増えるかもしれない。
18歳人口は減る一方で、おまけに地元志向の進学が増えているらしい。早慶でも、自宅通学生が過半数だと聞いたことがある。
全国から方言丸出しの志士たちが集まって、梁山泊を造ってしまうような学生が、よき社会人になってくれそうな気もするが(入試にママが付き添うような堕落は、いつから始まったのだろう)、梁山泊で爆弾を作ったり洗脳にふけったりする部類がいるのも事実。
そんなことに眉をひそめる感覚は、もう古いんだか新鮮なんだか・・・。
「ゲームにふけっていた引きこもり17歳」がにわかにクローズアップされる事件も起こって、爆弾製造世代のお父さんたちなんぞ、かえって夢とロマン(世界同時革命なんてね)に燃えていた青春!と美化されかねない。変な世の中になったものだ。
変な時代といえば、街角や旅先で出会った異性に声をかけてお近づきになる・・・いわゆるナンパというやつは、まぁ少年時代の卒業式のような、「あこがれの行動」だったような気もするのに、今は恥ずかしいことなのだろうか。
携帯でプチプチ「出会い系」をやってる方がみすぼらしいと思うのは、人生後半の証拠なのだろうか。
「自分で家賃を稼いで下宿する」だけの自然なことが、人間を形成する効果は大きいと思うのだが、当たり前のことが当たり前でなくなっているのが今の世の中。
「パラサイト」が流行語として消費されてしまうと、すぐ色あせてしまって、もう解決したかのように見えるのはこわいことだ。問題はどんどん深刻になっているのに。
アメリカの州立大学など、州の住民だけ学費が安くなっていたりするが、これは納税者意識とフリーライダー対策の産物。
むしろ、これを裏返して日本に応用してはどうかと思う。
地方の大学は、下宿学生を割安学費で歓迎すれば、地方の活性化にもつながる。県民税が投入されて、「よそさま」に間接的に益することになったとしても、衣食住の消費は自宅学生の何倍にもなるから、下宿学生への優遇措置は、教育投資としては確実ではないだろうか。
家と教室とバイト先を3点移動するだけの学生生活は、あまりにも貧相だ。「房・労役場・休憩」を巡回するだけの囚人、「家・保育園・スーパー」を回る主婦、「会社・飲み屋・家」の3点移動のサラリーマンと、たいして変わらない暮らしをしている二十歳は多い。
単調な生活と下宿するかしないかは、直接の相関がないのかもしれないし、生活に追われて自分磨きも趣味もままならないのが下宿生活の現実だったりする。
それでも、進学や就職は自立体験の絶好のチャンスだろう。今しかできないことがある。
なんていうと、レオパレス21の宣伝くさくなるが、僕はその先を走っている(つもりだ)ぞ。
学生生活だけではない、老人もマイホームパパもどんどん下宿を持てばいい。
老人の下宿・・・訪問介護ビジネスが活気づく。最期は「孤独死」が自然になると、そもそも問題でなくなる。
マイホームパパの下宿・・・あ〜た何やらかそうとしてるんですかっ!と下世話なもめごと頻発。おもしろい。
主婦の下宿・・・おまえこそ何やらかそうとしてるんだ!と夫婦の溝ができた奥さん、女に復活。
OLの下宿・・・♂やってくる人類繁殖する(笑)
女子高生の下宿・・・先生かならず覗きにくる人類繁殖する
マニアの下宿・・・フィギュアが繁殖する
これこそ、日本経済活性化の名案だと思うのだが。
気分はトワエモア
at 2005 02/15 12:39 編集
札幌雪祭りが終わって雪像が取り壊されている映像を見ると、ずいぶん韓国モノが多かったんやなぁ・・・と、あらためて思った。
微笑みの貴公子さまなんか、何人おったのだ?
マンガっぽいのもあったけど。
札幌は10回近くは行っているのに、この1年で一番の晴れの時期には行ったことがない。寒いのが苦手なわけではないのに。
成人してからも何度か行ったのに、すすきのは知らないままで、豊平川のきれいなせせらぎや、街を見下ろす藻岩山は印象に残っている。
僕だけなのか、旅で訪れた街にいやな思い出が不思議にもまったくないのは、やはり旅人として表面をかすめているせいかもしれなくて、その街で生活すると別の面も見えてくるのだろうか。
たとえば、神戸市民が異人館に行かないように、大阪市民が通天閣に昇らないように、観光客がイメージする街のシンボルと地元民のひいきスポットは、ずいぶんずれているものだ。
ところが、観光ガイドブックなど、十年一日のように「あそこと、ここと、そこ」を並べるだけだから、おいおい、目新しい切り口はないんかい!?と言いたくもなる。
札幌のポイントが、僕にとっては大通り公園と豊平川と藻岩山(少し離れて手稲山を入れてもいい)であるのに対応させると、神戸だと山と海とストリート・・・んーそうやな、六甲摩耶連山と、造船所ドックと、元町高架下(モトコー)という感じになろうか。
それぞれ、トレッキングマニア、船舶マニア、小物マニアを満足させるスポットだ。マニアックに見えるが、それぞれちゃんと歴史的な背景もあって、神戸の歴史的成り立ちを裏づけるポイントばかりだ。
おそらく、欧米人観光客なら、鵜の目鷹の目で「遠足」して回るだろうと思う。
大阪になると、USJにもアメ村にも用はない。
上町台地の開けた街路と、水郷のような川また川、それに寺町あたりの入り組んだ住宅街に、僕は落ち着いた大阪の風情を感じるのだが、地元民はどうなんだろう。
京都は、なんといっても岡崎から東山界隈かな。嵐山には興味が湧かない。その他はさっぱりわからない。「寺と神社を避ける京都観光」ができれば、これはかなりエキセントリックな観光ができるかもしれない。
こうして地元三都を見るめがねは、よその他人さまに、「では具体的にそこで何をすればいいんですか?」と聞かれると、困ってしまう。
潜水艦を造ってる造船所、どきどきしませんか!?
大阪にたくさん残ってる渡し舟の乗りつぶし、やりがいありませんか?
インクラインに沿って哲人歩きすると、賢くなった気分になりませんか?
と、僕が思うように、『るるぶ』『まっぷる』の読者は思ってくれないのかもしれない。
日本人はガイドブックを見ながら観光するのが大好きだから(遠足で刷り込まれているせいか?)、ガイドブックが創り出してしまう街のイメージというのは強いと思う。
それほど影響力が強いから、うかつなことを書いて訴えられても困るせいか、ネガティブ情報は一切書いてない。ここが、情報メディアとしては欠陥だろう。
『地球の歩き方』には、ここには行くな、現地人のこんな行動には要注意、こんなことをしゃべるなetcetcの危険情報がちゃんと書いてあるから、同じ発想で国内版も出せばいいと思う。
神戸つつもたせ出没マップ・国籍別(笑)とか、大阪製の神戸グルメ一覧とか、港町が想像できない北区と西区の真実とか・・・。
つい、地元愛が歪んでイヤミも出てしまうのがいかん。
札幌だと、アバタもエクボに見えてしまう街だから、多少の欠点がガイドブックに書いてあっても(値段を尋ねる方言はなぜか関西弁だとか)、まぁよしとするけどね。
ランさま
at 2005 02/14 13:42 編集
ヒトミ2号+営業マンと連れだって、中華街へ「ご近所観光」。日曜昼間にわざわざ行くこともない中華街は、さすがに押し合いへしあいの人出だった。なんとか空席のある店を見つけて、ラーメン、水餃子、エビから揚げ・・・と庶民食をぱくつく。そして元町界隈をぶらつきながら、「腹こなしに何しよかねー、ボーリングに行こうか、卓球でもしようか・・・ん〜〜マッサージでも行ってみっか」ぐらいの乗りで、善良なニ十代男女を巻き込むことになってしまった。
究極の腹こなしというか、「全身こなし」に僕が提案したのは、タイ古式マッサージである。
台湾だ韓流だ、といろんなマッサージ(と、マッサージと称する風俗営業)が入り乱れている中で、僕が前からまじめに様子をうかがっていたのが、タイ古式マッサージ。古式というのがいい。
僕も含めて、全員が初体験。
そうかー、こんなの一人ではなかなか突入できんから、3人そろって突撃してみるか!と、有無をいわせず当日予約してしまった。
商店街の場末のひっそりしたビルにある小さな店で、あんまり商売繁盛してないせいか、割引券を路上に置きっ放し。それを持って行くと15%引きの30分2550円になった。
問診票らしき紙に既往症やリクエストを書かされて、出されたお茶を飲みながら受付嬢と雑談。
なごやかで僕は緊張せずにすんだが、営業マン27歳は、そわそわしている(笑)。
カーテンで仕切られた施術室は3人分だけ。
ここで専用パジャマに着替えて、ひかえめに入ってきたタイ美人の「足裏おしぼり拭き」からスタートする。
前半はうつ伏せになったまま足の上に乗ったり腰に乗ったり背中にまたがってエビ固めをしたり、直接は見えない「背後ワザ」が次々に施される。
イタクナイデスカ?ダイジョブ?と、こまめに聞いてくれる。
すべての関節と足の指から頭の先、手の指の先までの細かなマッサージと、サバ折り・エビ固め・ブリッジ・「高い高い」(と呼ぶしかない)のような大技を組み合わせて、なかなか心地いい。
肩凝りがひどくて・・・と伝えておいたので、たしかにゴリゴリいうほど集中して凝りをほぐしてくれた。「ナカナカ、イカイデハ、ナオラナイコリ、ネ」と、手を焼いていた様子だった。
そして、この小柄でおとなしいマッサージ嬢が、背後から抱きついて技かけ(?)に入り、僕を手足だけで持ち上げてブリッジ状態でユラユラしてくれる。いやはやご苦労さん。
残り第4クオーターぐらいの時間配分が「仰向け篇」になっていて、股関節のストレッチと首ねじり。
合計30分と少し施術してくれて、「オワリマシタヨー」で完了。となりのカーテンをめくって覗いてみると、営業マンが「気持ちえ〜〜〜〜〜〜っ」と、悦楽のトロリ顔で果てて(笑)いた。
うーん、これはなかなかいい。力がこもっていて、しかもいたずらにボキボキ鳴らすパフォーマンス抜きで、きめ細やかなマッサージという感じ。
荒技に見えて、かゆいところに手が届くソフトでパワフルな技、と見た。
名札をしっかりチェックした僕が、「次はランちゃん指名しよう」とつぶやいていたら、隣人は「えっ、名前なんか確認してたんすか?」と、寝ぼけたリアクション。チェックしないでどうするね!(笑)
ともかくも、初回の30分で、長年わずらっている「片肩凝り」が半減したのは確か。
きっと一人では来なかったと思うので、手持ち無沙汰の者同士が集まって思いついた勢いが、極楽に行かせてくれたわけで、どこにチャンスがひらめくかわからんものだ。
また近々、ほぐされに行くとするか。
H8チャンネル
at 2005 02/13 07:21 編集
あの上目使いの社長が、今度はフジテレビ支配に乗り出して、やる気満々。野球でこけて、競馬事業に出走しかけたと思ったら、いったい何が本業???と思ってしまう札束勝負だ。
とはいえ、おもしろい。
おかげで、ニッポン放送とフジサンケイブループの関係が世間に知れ渡ったわけで、そうなると柳の下を狙うフィクサーや外資も暗躍するかもしれない。
ニッポン放送といえば、あのオールナイトニッポンを思い出すし、80年代にテレビに受け継がれたオールナイトフジがあった。オナッターズというのもいたなぁ。
そんなのを懐かしがる世代は、ホリエモンではなく三木谷社長ではないかと思うのだが、まぁ特定の番組を目当てに買収工作するわけではないだろう。
インターネットと活字メディア+電波メディアの統合、果ては統括支配という野望をホリエモンは持っているようで、それはそれで、「国取り物語」を観戦させていただく楽しみはある。
ただ、この発想は、素人目には、本場の国のAOL+タイム・ワーナーの焼き直し劇にも見える。ネットスケープを買収したり、通信業界の中では破竹の勢いで肥満したAOLは、結局のところ放送や映画や出版という業界から、排除されてしまった。
ビジネスモデルだM&Aだと、どんな業界にも札束で食い込んで行く発想は、札束王国のかの国でも成功しなかった。映画人スピリット、新聞人スピリット、テレビマン・スピリットが、馬の骨を追い出したのである。
もしスティーブ・ケースが映画を愛する姿、新聞を愛する姿、テレビを愛している姿を見せていれば、銀幕の世界からも、テレビマンからも、ブン屋さんからも、警戒されなかったのかもしれない。
同じ轍を、ホリエモンは踏まないだろうか。
あと、テレビや新聞自体が成熟産業だから、こらからどう伸びるのか、素人の僕には見えてこない。
楽天は「ブロードバンドで野球中継」と構想を暖めていて、それはそれでおもしろいと思うけれども、「お茶の間でビール飲みながら野球観戦」というスタイルは、果たして変わるだろうか?と素朴に疑問。
パソコンの家電化は、かけ声通りに進むものだろうか。
たとえば、ハードだけみても、テレビ受像機というのは、洗濯機や冷蔵庫や炊飯器と同じく完成度の高い製品で、まず故障しないし、「アップデート」も必要ない。
ところが、パソコンは、バージョンアップさせられるわフリーズするわクラッシュするわで、とてもじゃないが安定した製品とはいえない。永遠の欠陥商品なのだ。
だから手を入れる楽しみがある、というマニアは一定割合いるようだが、もし掃除機や冷蔵庫がそうだとウンザリしてしまうはずだ。
それと、テレビを見るというのは、もうすっかり日常生活に溶け込んだ行動で、「視聴人口と視聴時間の積算」は、頭打ちになっている。
テレビやラジオや映画、音楽を楽しむというのは、時間を消費することだから、人間ができることには物理的な上限がある。
だれにとっても1日は24時間しかないし、おまけに人口増加は止まっている。1日48時間、テレビやラジオやビデオを楽しむことなどできないのだ。
僕自身、HDD録画した番組を、よくCMカットしたり1.3倍速再生したりして見るのだが、そんなことをまめにやったとしても、節約できる時間などしれている。よほどのイノベーションでもないと、「テレビを見る時間」というのは、そもそも増えないものではないだろうか。
だから、地上波デジタル化でテレビ視聴時間の消費が活性化されるとは思えないし、はたして投資対効果はあるのかねぇ?
マスコミ論のおさらいはさておくとして(あぁ社会学部時代を思い出すなぁ)、ホリエモンには、フジテレビより、ぜひ鬼の首つまり日テレを買ってほしい。ナベツネの血圧が400ぐらいになって、茹で上がりそうだ(笑)。
かりに「フジテレビホリエチャンネル」が実現したとしても、調子に乗って「オールナイトホリエモン」をやったとしても、テレビとラジオと新聞の3大メディアがヘゲモニーを握っていたマスコミの世紀は、悪い意味ではなく、もう終わっているような気もする。
放送メディアのイノベーションは進んで行くとしても、その一方で、映画復権、うたごえ喫茶復活、酒場の流し復活・・・というレトロ風味を喜ぶ年齢層割合も、確実に増えて行くだろう。
それが、軍歌、唱歌、君が代・・・へと溯って行くマーチを流しているメディアだよホリエモン、きみの買い物は(笑)。
必楽園
at 2005 02/12 16:19 編集
どこかのおねえさまも憤慨しておられるが、紳士の国の皇太子と不倫相手が、ダブル再婚するとか、しないとか。
あるスポーツ紙など、百十何歳不倫カップル婚だとか見出しにしていた(足し算してどうするねん!?)が、なにぶん遠い国のことなので、だれが、このすったもんだの元凶なのか、よくわからない。
惚れた腫れたの色恋沙汰は、なんぼトシをとってようと、どうしようもない。分別もあるはずの中高年なら、なおさら確信的だから、水をかけられても(野良犬の後尾やないって)やめられない・とまらないの蜜の味だろう。
大人同士のことは本人同士の責任で好きにやればいいと思うけれど、「子供に示しがつかん」という倫理感は、日本人だけのものだろうか。ドライに「パパはパパで勝手にやってくれ」ですむのだろうか?・・・と、時差9時間過去の世界のことながら、少し気がかりではある。
かといって、ご子息ももう成人した大学生。そのあたりも、パパ・チャールズは、節目と考えたのかもしれない。
こんな中高年の「第三の人生」は、高齢社会に突入している先進国共通の大きなテーマだ。
夫婦は育児期間中だけに限定された「契約関係」で、子供が手を離れたら両親も男と女・・・と、なかなか割り切れなくても、現実に惚れたり腫れたりしたら、添い遂げる覚悟でがんばるしかないだろう。財産問題だけはクリアにして。
とはいえ、お互い「老後」が視野に入ってくるぐらいの分別がつくと、純愛結婚どころか大いに不純な計算をして(笑)コトを進めなくてはいけない。
デートを重ねて、さあこれから結婚だ結婚だウハウハとほてっている若いカップルだと、自分たちの20年後、30年後なんか、なかなか見えないものだと思う。親の介護の話や、墓をどうするかなんて話をしている二十代のカップルがいたら、殊勝というか、不気味というか・・・(大事な話だと思うのだが)。
晩婚化時代だからこそ、夫婦のどちらか、または双方が子連れ再婚ということも、あっても不思議ではない。
そんな場合でも、よくありそうなホームドラマで、「妻の連れ子にやっとパパと呼んでもらえて涙をにじませる夫」なんて場面は、これまた御苦労な話だろうと思う。「俺は君のママの彼氏だ。それだけじゃい、わかったかい坊や!」と割り切り宣言できれば、すっきりわかりやすくて(?)いいが、なかなかそうは行かないだろう。
普通の結婚でも、配偶者の親をお父さん、お母さんと呼ぶのが普通だし、こんな風に不自然な擬制家族を繕うところに、無理があるのかもしれない。
配偶者の連れ子との関係をどう築くかは、いってみれば「宙ぶらりんな責任領域」で、だれが努力するか、だれがストレスを背負い込むか、いろんな難しさがあると思う。
僕が、70すぎの父の何度目かの再婚相手に対するときは、お母さんと呼ぶ必然性はゼロだったから名前で呼んですませていたけれど、みな成人ばかりの関係だったから、割り切って考えればすむ。
難しいのは、幼い子を伴う再婚だ。よくなついて優秀な子ならいいとしても、グレたり(笑)、進学や病気で経済的な負担がかさんだりすると、夫婦関係まで微妙にぎくしゃくするかもしれない。
なんてことをシリアスに考えていたら、構えたミットにボールが飛んで来たりしそうで、構えてしまう。
どうしよう、松田聖子+SAYAKAみたいな悩ましい親子がいたら(笑)。
ミート・ニート!
at 2005 02/11 10:10 編集
2月10日は「ニートの日」だったそうで、「納豆の日7月10日」を連想してしまった。
高卒者の就職率は、ぼちぼち回復して7割を超えたそうだが、こんな数字は、「本校の名誉にもかかわるからどこでも押し込んでおけ」と高校が考えれば、多少の操作はできるから、1年後、2年後の定着率(離職率)を追跡しないと、実質的な就職率はなんともいえない。
親が自営業で「家業手伝い」だと、就職したことになるのか、親戚のだれかの秘書とか丁稚奉公(古いなぁ)だとどういう扱いになるのか、はたまた「組員」になったらどうなのか・・・グレーゾーンはあちこちにある。
実数のカウントがどうであれ、NEETが社会現象として広がりつつあるのは確かだろう。だから、なんとか手を打たないと、NEETの親より若い世代にとっては、もらえるはずの年金が破綻する可能性が高い。
それに、学校を出ていきなり就職できず無職になってしまうのは、素朴に気の毒だと思う。
僕はNEETなる若者とじかに接した機会は、職員厚遇で悪名がとどろいてしまったO市の委託で、NEET対策の講座(時給2万円は破格だった)を単発でやったときぐらいしかないから、サンプル数が決定的に乏しい。
乏しいながらも、みな「いい子、いいやつ」だったなぁという程度の印象は残っている。
完全に無職でなくても、ぜいたくさえいわなければスーパーの倉庫作業とか、ガソリンスタンドのスタッフとか、小遣い程度のパート仕事はしている。
ところが、志望は雲の上のような企業だったりする。
夢は大事だと思うけれど、子供が「宇宙飛行士になりたい」というのと、就職活動は、似て非なるもの。
夢が、世間の現実に壊され潰され笑われ踏みにじられ、やっとこさ空いた採用枠に収まるのが、就職のリアリティではないかと思う。
平凡にみえるサラリーマン業でも、忍耐力や適応力、自己表現や業務の段取りなど、目が回るほど身につけなくてはいけない難題の束で、それは「シューカツ」の段階から前哨戦が始まっている。やはり、成功する人は足を棒にするし、夏のスーツの1着ぐらいは汗で崩れてしまうし、本も読んで自己表現も磨いている。
そうしたライバルの水面下の努力は、なかなか見えないもので、「自分なりにがんばっているのになぁ」と、タコツボの中で自己評価しているケースも多いのではないかと思う。
ただ、あんまり試練とか苦難ばかり強調するのも気を滅入らせるだけだし、堅苦しく考えなくてもええんちゃう?と思うところもある。
就職できた同世代とニートは、本当に皮一枚ぐらいの違いしかない運・不運の世界で、まぁ気楽に仕事探しと修行を続ければチャンスはあるのではないだろうか。
ニートの元凶の1つでもある「すねをかじらせる親の巣」も、とりあえずチャンスを待つための避難所としては、あってもいいとは思う。ただ30歳、40歳になっても「働かなくても食っていける」のは問題だろうから、巣離れもタイミング次第だろう。
ニートの親は「ええ子いてまっせ使ってやって」情報の発信源になる(笑)から、チャンスも拡がる。「ええ子」情報を耳にした経営者は、どんどん会ってやってほしいと思う。
兄弟の中で唯一、親の就職後押しを拒み通した僕は、チャンスをドブに捨てた代償は大きいと実感している。してもしかたない後悔はしないが、高速道路と脇道ぐらいの違いはあるかもしれない(スローライフしか経験がないので、そもそも高速道路のような人生はわからない)。
捨てて流したそのチャンスは、決して取り戻せないし、そもそも私の都合に合わせて訪れてくれるチャンスなどない。そういうのをチャンスとはいわない。
このあたりの切迫感が、ニートになる「いい子」には少し乏しいのかもしれない。何もせずチャンスは降ってくると思っているわけではないだろうし、市が開催したセミナーに足を運ぶぐらいの前向きな子は、本当に皮一枚で就職間近だと思いたいが。
「景気がよくなれば」とか、「国が対策を発ててくれたら」「年寄りがリタイアしてポストが空いたら」とか、どこまでも他人行儀な発想でいたら、永遠にチャンスに近づけないから、石橋をたたいてでも、ともかく前に外に、出ればいいと思う。
とりあえず見つかった就職口は、別に定年まで辛抱して仕えなくてもいいわけだし。
・・・といえば、1年でやめてしまったりするから、なかなか難儀なニート対策ではある。
妄想快速
at 2005 02/10 15:04 編集
昨日が今年度の仕事納め。1分単位でバタバタして通勤電車にすべりこみセーフする生活とは、春までおさらばできる。
ほっと安心する反面、寂しさもないといえばうそになる。
いつもの通勤電車の、いつもの席の、いつもの顔ぶれとも会えない。
といっても、ラッシュアワーに乗るのは週1回にすぎないけれど、昼の電車が雑多な客がたまたま乗り合わせているだけなのにくらべると、朝の通勤電車というのは実に統制がとれていて、顔なじみさんが指定席のように同じ車両に乗り合わせているものだ。
今の路線で通勤電車のしはじめて5年ほどの間に、おなじみさんを5人ほどマークしていたら、OLとおぼしき方々は見かけなくなり、「総務課長」ふうの殿方がレギュラーメンバーとして残っていた。
学生時代はもてまくっていただろうなと思しき面影もある方だが、ある年に急に頭が真っ白になってしまったのが心配だ。つい、「お体を大切にネあなた一人の体をじゃないんですから・・・」と、奥様気分で(笑)お祈りしてあげたりする次第である。
春に再会できるだろうか。無事に再会できたら、下車する時そっと封筒をお渡ししようか・・・と、バカなドラマが頭の中で開演している(おっさん同士で何やってまんねん!)。
空いた席に座られると、必ず数分のうちに白目をむいて居眠りしはじめるので、よほど眠りの浅い夜を送っているのかな?とも心配してあげている僕は、いやはや、お人よしやなーと自嘲してしまう。
それが、現実にひょんなことから会話する機会でもあって、「いやー、女房が寝かしてくれなくてさ毎夜」なんて言われたら、一転して椎名誠流シネシネ光線を撃ちはじめるかもしれない。
ま、こんな深読みでもして楽しまないと、着メロさえ聞こえない「産業軍隊の輸送列車」は味気ない。
春には「新人」が加わっているだろうか。まだ配属が決まってない研修中のOL1年生とか。
それが、あれよあれよという間に、学生ふうの風貌が小賢しいOL顔に変貌して行くのを見せられたりすると、悪代官に帯を解かれている町娘を横目で見捨てる贈賄商人の気分になるかもしれない。
ホンネは「遠山の金さん」なんだが・・・(キムさん?)。
キックオフ!
at 2005 02/09 11:59 編集
いよいよ、北朝鮮チームとW杯サッカー開戦。
警備も厳戒態勢のようだ。
今のような時期に、敵国でサッカーをしに来る選手たちのプレッシャーは、相当なものだろうと思う。とりあえず、がんばってほしい。
たぶん、選手たちは「俺たちが拉致したわけじゃないしなぁ」とぼやきたいだろうに、それを口にしたとたん処刑されかねないから、宿舎では寝言も言えないのではないだろうか。
喜び組も来ないようだから、否応なくつのる緊張感を、迎える我々としてはぜひ「喜ばし隊」で、ときめかして・・・じゃない、ときほぐしてあげてもいいだろうにと思う。
歌舞伎町精鋭チームが乱舞して、「偉大なる将軍さまの息子たちファイトォ!!」とチアリーディングを叫び、たまには大磯ロングビーチお決まりのポ*リも加えると、選手はもう鼻血まみれで闘うのではないだろうか。ちょっと走りにくくはなるかもしれないか。
そうなると、選手たちは「これは資本主義の堕落だ!腐敗だ!悪夢だ!」と憤慨するか、「資本主義って、いいよなぁ・・・俺たちの喜び組より、邪悪な国の喜ばし隊の方が天女のようだし・・・メロメロ〜」となるか。
宿舎のホテルで、ふつうのテレビや、例の「有料テレビ」など見てしまったら、これはもう睡眠時間なくなること確実。何を隠そう、僕もちょうど25年前の今ごろ、紀尾井町のホテルでドジをふんでしまったから、北の選手諸君の気持ちはよーくわかる(もう、勝手に決めつけてる)。
色じかけで体制崩壊させるなど、ズルい技かもしれないし、田嶋陽子センセイが「女性を道具にするんじゃないわよ!」と怪気炎をあげそうだから、まぁ健全なご愛嬌レベルで攻めてるにとどめて、それでも効き目はあると思う。
そうなると、アムウェイじゃなかったアウェイで闘う6月に、日本のサポーターにビザが出るかどうかが気がかりだ。
「喜ばし隊だけ入国許可」になったりするかもしれない。
喜ばし隊員は、38度線の意味ったって、「私はぁ、37度が平熱だからぁ、少し高くても大丈夫だしぃ」てノリだろうから(失礼)、地味めのヨンさまを探しに行く気分かもしれない(さすがに茶髪はいないと思うが・・・)。
ある程度お勉強がよくできる女子大生「隊員」なんかは、北から帰って来ないで、自らの意志で亡命した「ことになってしまう」かもしれない。
いや、偏見は謹むとして、かの国と我が国の一般国民がぶつかりあってゲームを楽しめるといえばスポーツ交流ぐらいしかないから、なんとか楽しく盛り上がってほしい。
「スポーツと政治は別」だなんて、中学生日記の世界じゃあるまいし虚偽教育はいけません。「スポーツとまぜこぜに政治も楽しむ」ぐらいのノリで行くべし!
スタンドに金正男(ジョン・南無)がいたっていいではないか。意外とサイン攻めになって、一緒に写メールにおさまるやつも続出するだろう。
とまぁ、そんなそっくりさんは、松竹かハリウッドにストックされてないのだろうか。
流暢な日本語で「祖父も見に来てるよ、イルソンじいちゃんが」
と言われると、もう試合よりスタンドの方が熱くなるね。
親心検定
at 2005 02/08 14:59 編集
仕事で父上の死に目に会えなかったみのもんたサンが押し殺した声でインタビューに答えていた。
見送った後、たんすを開けると古いカセットテープが出てきて、「父の字で、のりお(みのさんの本名)第一声と、書いてあったんです・・・」と泣き崩れていた。
そうか・・・そうやねぇ、親心ちゅうもんは。
久々に、ええ話に「ワイドショーのおばさん」と化してしまった午後であった。
僕は初月給で何か買ってあげたこともないし、孫を抱かせることもできなかったし、仕事を継いだわけでもないし、ゴルフにつきあったこともないし、見合いも断ったし、何から何まで男親の期待を裏切るひねくれ息子であった。
2〜3回、スナックにつきあわされた(失礼)とき、「こいつ弁護士立てずに裁判しよるんや」「鉄塔組み立てて無線のアンテナ建てよって」と、誇らしげなのかネタに困って破れかぶれなのか、変な息子自慢をしていた。聞いている相手も返事に困って絶句していたし、僕もマニアなのがばれただけで下を向いていた憶えがある。
すかっと、「スナック好きのわしのために、スナックオーナーになってくれた」ような、わかりやすい息子自慢ができればよかったのだろうが・・・。
そこで、とりかえしのつかない親不孝を根絶するために、「息子検定」を創設したい今日このごろである。
すでに、「お受験」「お入園」では親が採点されているから、ランキング好き(病気)な日本人は、禁断の「人間関係の採点」に足を踏み入れること確実だ。
ベータ版しかもダッシュのバージョン0.0.0.1(改定しまくる必要がある欠陥だらけ)を考えてみた。
父親対応と母親対応の二部構成になっていて、
*父親のいい息子の条件
1.仕事を継ぐ
2.一緒に酒を飲む
3.母親のような彼女と結婚しない(笑)
*母親のいい息子の条件
1.いびり甲斐のある彼女と結婚する
2.さっさと孫を抱かせる
3.父親のようにならない
あたりが、一般向けの設問になるだろうか。
「ダーリン大好き」「俺もだよ」なんて中年夫婦は、日本では残念ながら珍種だから、珍種バージョンの検定項目は別に考えなくてはいけない。
あぁ、しんど。
僕の同級生で、すでに思春期の子供の親をやっている苦労人はたくさんいるが、「父と子」問題(?)を語るとき、自分がどっちに肩入れしているかといえば、なぜか親の立場ではなく息子の立場だ。「悔いが残る息子の経験」は豊富でも、息子とつきあう経験が皆無だと、どうしてもそうなる。
二十歳前後の少年たちと話すときも、どんな仕事に就こうと、結局は「いい息子であればええんちゃう?」に落ち着く。
たとえ親が「この子どうしたらいいんでしょう」と尋ねてきても、親を見て自分なりに判断して育つものだから、どうにもならないというか、どうにかなるというか、無責任なことしかいえない(そもそも、人の子育てに責任ある発言などできないわな)。
だからこそ、「おたくのぼっちゃん、息子検定合格&