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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2005年3月の日記
王将作法

at 2005 03/31 10:27 編集

会議のため久々に大阪へ足を運んで、くったり疲れてしまった。
命がほしいときは中華料理である。

神戸に帰った足で、何週間かぶりに、王将へ。定番の中華丼+餃子6きれ計609円でパワーをもらう。
そこへ、OL1年生ふうの二人がご来店(イラサイマセー)。
王将では、しょぼいカップルはたまに見かけるようになったが、光り輝く乙女二人連れは珍しいのぅ・・・と、しみぢみ感慨にふけっていると、この二人もしみぢみ感慨にふけっているのか、席につかない。
ここの1階はカウンター席しかない。勝手に座って「餃子とビールね」で3秒。これが王将の作法というものだ。

ははーん、OLさまというもの、席を指定されることに慣らされてしまったのか、「飲食店は席を選べない」と信じ込まされているのか、「案内してくれなきゃイヤ」と構えているのか・・・?
結局店のおばちゃんに「こちらどうぞー」と促されてご着席になり、メニューを見て悩む悩む。キミたちに忠告電波を送っておくけどね、3秒で選ぶのが作法というものだよ(笑)。

たしかに、僕もレストランでアルバイトしていたころは、客を案内すべし、と教わった。
店の思惑としては、目が行き届きにくい死角のような席についてほしくない、すいていればできるだけかたまっていた方が食事の上げ下げがラク、といったところでしかない。
だから、案内する店で勝手に遠い席につく客がいれば、声をあげて呼ばれるまで御用聞きに行かないイヂワルをしたりする(反省)。

ところが、自分が客として行く店で「席をご案内します」と言われると、「席を指定するんか。選べへんのか」とカチンとくるから、勝手なもんだ。
だから、ファミレスも面倒くさい。「おタバコ吸われますか」と確認するのがサービスだと思っているのだろうが、「となりがモクモク喫煙している禁煙席」なんかに座らされたら、それは喫煙席と同じことではないかバカモン!
喫煙するかしないかと、喫煙席がいいか禁煙席がいいかは別問題でだねぇ、そこまでマニュアル店員が細かく機転をきかせるのは至難の業だから、客に選ばせたらええではないか!と思うのだ「身勝手な客代表」としては。ここで椎名誠なら、ドン!と机を叩いて主張しているはずだ。

なんだかくちゃくちゃ憤懣を反芻している間に、OLさまのオーダーがやっと決議された。中華丼と餃子。なんじゃとて!?
「いいものを選びましたね!と合格電波を送っていたら、来店したおっちゃんが間に入ってきて、3秒の早業で「ビールと餃子とホイコーロー!」
くちゃくちゃ音をたてて食べ始めた。
とんだ洗礼を受けてしまったOLさま・・・二度と来ないだろうな(笑)。



プリンス

at 2005 03/30 16:38 編集

コクドグループが、全国数十ケ所ものリゾート施設を閉鎖か売却にするというニュースで、なじみのある場所がリストアップされていた。
てっきり、コクド西武グループ=関東勢と思い込んでいたのに、琵琶湖判の伊吹山スキー場もコクド系らしく、リストラ対象になっていた。
「総帥」の経営失敗とはいえ、よほどうまく経営していたとしても、リゾートで荒稼ぎする80年代の発想は、いずれ行きづまっていたと思う。

僕が一番慣れ親しんでいる妙高は、まんま漢字の「山」の形をした山らしい山で、富士山より美しい山容だと思う。
ところがここは、コクドの妙な開発の跡が残っているエリアで、全面閉鎖になることはないだろうけれど、今後の形が予想しにくい。
もともとあった妙高国際スキー場が、2000mクラスの長い高速リフトを延ばして行って、たてに細長いスキー場ができていた。
そこと谷を隔てて、コクドグループが開発したのが杉ノ原スキー場である。どーんと3000級のゴンドラをつけて国際スキー場上部に接続し、Λ形のゲレンデエリアを造っている。

間の谷を埋めて広大なゲレンデにしてしまうようなことも、コクドならやりかねないが、そんな無謀な乱開発はなんとか免れているようではある。それでも、滑走距離8.5kmは日本最長だし、標高差1100mも、日本最大級の堂々たるゲレンデだ。
こんな標高差を、ドライブウェイだったら何分で走って降りて行けるのか見当がつかないが、スキーだと10分以内で豪快にダウンヒルできる。
このダウンヒル感が、妙高高原の魅力だ。

ところが、コースはダイナミックでいいのに、ふもとにはホテルというものが1軒もない。プリンスホテルどころか、数十人規模のキャパシティの民宿とペンションしかないのだ。
一方で、東大や一橋大などのロッジ、大企業の保養施設がひしめいていて、簡保の宿が唯一、ホテル規模の宿泊施設といえる程度。

となりの赤倉になると、温泉旅館やホテルが林立しているが、ここは京王グループが開発したゲレンデ。
もしかすると、地元での乱開発反対運動であったのか、プリンスホテルができたのは、車で15分も離れた野尻湖畔(野尻湖プリンスホテルはリストラ物件にあがっていた)。その裏山は東急がおさえている。

つまり、コクドがあちこち食い込もうとして果たせないままの、未完の作戦跡というのが妙高エリアだ。
おかげで、とても静かで清潔で地味なスキー場で、コースはダイナミックだから質実剛健でいい。どんちゃん騒ぎするような施設や、発情期のにーちゃんねーちゃんが色気づいている盛り場もない。

うまいものは都会でいくらでも食えるから、まずくない程度のメシと、地酒と温泉があれば、リゾートはそれでいいと思う。妙高は上越の幻の銘酒というのがあるし、僕は地元でつくっているピルスナービールに陶酔している。
高輪プリンスホテルみたいなのを雪国に建てて、投資を回収しようなんて考えるところから、リゾート業者は狂っているのではないだろうか。
すでにある土地の名産を、静かに楽しめればいい。コンシェルジュもコースディナーも、いらんわい。


お手つき!

at 2005 03/29 15:41 編集

ときどき覗く間口1.5mの古本屋に、もうずいぶん長いこと、開高健の単行本が5冊ほど並んでいた。
寄るたびにパラパラ立ち読みしては、ムッシュ開高に心酔していたころを懐しんでいた。

単行本は30冊ぐらいは読んでしまっていたから、ちらほら出る「周辺本」が目に留まっていた。
そんな中で、開高さんの畏友で文芸評論家の谷沢永一と向井敏による評伝を、前から買おうかどうしようかと迷いつつ、結局ほとんど立ち読みしてしまっていた。

そしてきのうも、いよいよ読了か(笑)というところまで読んで戻したところへ、不意に店に入ってきた熱血管理職ふうの57歳(推定)が、「開高さんの本、あるー?」と店主に単刀直入に告げてきた。ずいぶん勢いがある。
「そのあたりに並んでますよ」と指さされた、つまり僕の陣取っているコーナーを、ぢぃっとチェックしている。全部さらわれそうな気配を感じて、僕はとっさに谷沢永一『回想 開高健』(新潮社)だけを抜き取って、結局「お買い上げ」。まぁ、いいきっかけにはなったかな。

しかし、あの57歳は一体どういう勢いで開高モノを「猟書」しているのだろうか。
重役が「読みたまえ」と勧めてくれたから・・・なんて理由は、中学生の課題図書みたいでみっともないが、もし純粋なファンならちょっと珍しいと思う。
ウィスキーの好きな「戦士」が、不意に読みたくなる作家なのかもしれない。開高さん自身、サントリー宣伝部員だったから、かなりのウィスキー・キャットを日本で育てた張本人だといえるかもしれない(僕はニッカ専攻だが)。

豊饒な語彙、深いウィット、哀愁漂う笑いをたたえた開高文学の森は、89年に繁殖を終えてしまったが、多作な作家にもかかわらず、古本屋にあまり出ない。「愛蔵度」の高い作家の筆頭ではないだろうか。
だれが何と言おうと、「生きていたらノーベル文学賞に値する戦後作家」は、三島由紀夫、安部公房、そして開高健だと僕は勝手に考えている。

物故作家を慕うのは昔ながらの文学道楽かもしれないが、今は作家もアイドルである。
それもいい。谷村志穂のようにポルシェを飛ばす女優なみの優雅な作家もいるし、川上弘美も、「えもいえず」いい。
あぁ、こんなふうに美形ばかりひいきにしている僕のような浮ついたやつが、罪滅ぼしのように硬骨漢作家を愛蔵しているだけなのか・・・

角田光代さんが、週刊誌のインタビューで開高健ファンだと話していたが、ちょっと尊敬してしまった。関係ないが、ピンポン愛ちゃんに似ている。
事実婚で育児もしているという。すでに両親がいないとのことだから、いい自立を遂げている表現者だと思う。孫をかわいがってくれる親がいて、「種馬を廃棄処分」して、母子家庭も大変なのよ!とうそぶく幼さは、角田さんからはカケラも漂ってこない。

表現者の家族構成というのは、つい気になってしまう。
別に、子煩悩なハードボイルド作家がいたって、メルヘン小説を書く鬼嫁がいたっていい。文学の命は読者の想像力だから、生活の現実と作品との距離は、そこそこあった方がいい。

開高さんなど、自分の生活そのものを描いていたわけだが、謎は多い。
その死後まもなく独身四十代の一人娘が奇妙な鉄道自殺を遂げ、詩人として連れ添った牧羊子も最後に亡くなり、完全に文学者の家系は絶えてしまった。
ヘミングウェイやピカソやカミュの子孫が「現役」で活躍している生命力とは、優劣ではないけれど、彼我の差を感じてしまう。
それも、日本文学のワビ・サビなのかもしれない。



ホワイ?ナイト

at 2005 03/28 10:23 編集

ホリエモンに支配されるなら・・・と、ソフトバンク・インベストメントと組んだフジサンケイ・グループ。
この経営判断が吉と出るか凶と出るかは、神のみぞ知るところだが、それにしてもホリエモンアレルギーは、これほど強かったのかと、あらためて思い知らされた。

ところが、世論調査では、過半数がホリエモン・シンパなのが不思議ではある。
なにかサラリーマンの鬱屈した思いがあって、テレビ局をうろたえさせている青年起業家に溜飲を下げているのかもしれないが、自分の勤務先がライブドアに支配されるのはどうか?といえば、7割超がイヤだと答えている。
まぁ、そんなもんだろう。

フジさん宅に土足で上がり込んで「提携しようよ」というのは、法律には触れないが礼儀知らずだ、だから堀江くん宅に戦車で乗り込んで「どうする?坊や」と問いつめる・・・というのは、脅しの応酬のようで、あまり生産的な感じがしない。

その気になれば、ソフトバンク・グループと楽天と民放連がライブドアを窒息させることさえできるだろう。
そうなってしまうと、桟敷席のわれわれ一般人としても、後味が悪い。
ゲッソリやせたホリエモンが九州の実家に帰るシーンは、見たくない。
ノーネクタイでどこまで闘えるのか、限界を見せてほしいものだ。

「M&Aは私が日本一よくわかっている」と自信満々のSBI北尾氏は、ホリエモンをどう懐柔するのだろうか。
会談の内容はともかく、北尾さんには、ぜひこれだけはレポートしてほしい。
あなたに会うときも、ホリエモンはTシャツ姿でしたか?と。


文具の春

at 2005 03/27 15:39 編集

Lマガジンの5月号は、「恋する文房具」特集。そんな季節やなぁ・・・。
タウン誌のレベルを超えた、気合いのこもった取材と構成になっていて、なかなかすごい。
ロフトとハンズと「私が始めた雑貨屋さん」の類をちょこまかと並べて、新春の生活応援特集!という類のやっつけ仕事とは違っている。
「かわい〜」しかボキャブラリーがないコ娘に媚びたよう、あおもちゃのカタログでもない。
ちゃんと訪れて、ちゃんと話を聞いて、ちゃんと使ってみて、記事を書いている。京都府知事にまで取材してますがな。さすがは、エルマガ。

文具は、事務用品とは言い切れなくて、人によっては創作ツールでもあり、文房具を使って何かをするのとは逆に「何かを文房具のように使う」こともできる点で、行動様式をさす言葉にもなる、不思議なものだ。

その筆頭は、たとえばカメラ。
コンパクトカメラをメモ用紙のように使う人もいたし、コニカはちょうどA4判が接写できるビッグミニというタバコ大のカメラを売り出して大ヒットした(その正面には、デザインロゴでA4とプリントされていた)。カラーはフィルムで当たり前でも、コピーではまだまだ・・・という時代だったからこそ、僕はカラーコピー機「として」カメラを使っていた。

今は、リコーが、文面複写モードや1cm接写のついたデジカメを出してきた。カメラというより、OA機器という感じ。
ソニーのサイバーショットU50シリーズのように、少し大きめの消しゴムぐらいのサイズになると、これはもうペンケースに入れて「文房具化」してしまえる。

文房具といえば万年筆フェチの人は多くて、その証拠に、文具もの雑誌といえば「万年筆特集!」である。なんでかわからんが、僕にはあまり興味がない。すでに中学生のころ21金のパイロットを使っていて、良さも不便さも知っていたせいかもしれない。
大学に入って、講義ノートを清書して業者に売るアルバイトをしていたが、そんなときは万年筆が楽だし印刷もきれいに出る。ただフェティッシュな愛着はないから、カーボン入り水性サインペンも適当に使っていた。

万年筆が文房具の象徴のように扱われているわりに、それで手紙を書いているのか?と尋問すると、「いやー、なかなか」という人が多いのではないだろうか。
とすると、万年筆は文房具というよりアクセサリー、装飾品に近い。

だったら、天の邪鬼な僕としては、文房具に入れてもらえないものを「我が文房具の辞書」に入れてあげたい気がする。
たとえば、僕など自転車を運転しながら雑誌をよく読んでいたから、自転車は「書見台」だったわけで(あまり人には勧められない)、つまり「文房具として」の世界である。

それなら、車なんかは、読み書き空間としては悪くないんじゃないかと思うが、経験してみないとわからない。運転しながらエロトピアを読み耽るのは、人騒がせな世界だが。
通勤・通学電車で読書する習慣になじんでいる日本人なら、クルマや電車が文房具の延長と考えることもできると思う。

乗り物は上北沢の専門家に任せるとして(笑)、ではパソコンはどうか。
いや、これも専門家がいるから任せるとして、冷蔵庫や洗濯機や電子レンジを文房具として使うのは難しい。できれば天才だろう。
凡人としては、せいぜい、カセットウォークマンやMDウォークマンを「オーディオブック」として使うぐらいで、これもアメリカのようなクルマ大国だと、カーステで聞くカセットブックが日本の文庫本のように名作ぞろいだとか。
日本語だと、常用漢字かな混じり文400字がだいたい1分で読めるから、2時間朗読を聞いていれば、新書ぐらいは確実に目(耳)を通学せるという計算になる。
「耳で読書」というのは、僕は大賛成だから、もっと安く普及すればいいのに、と思う。そうすれば、目の不自由な人にとっても選択肢が増えて、単価も安くなる。耳学問だって、あなどれない。

こんな風に、家電と文房具というのは、わりと親密な関係になれると思うのに、「デザイン家電」という家具シフト、「IT家電」というロボット化(?)は叫ばれても、あまり「文具家電」は聞かない。
もしかすると、かなりの文房具の機能が、ケータイに備わってきているせいかもしれない。辞書もカメラもメモ帳も録音もラジオも、もちろん「手紙」も。
あとは、台所用品、大工用品、化粧品あたりを「文房具として使う」道に挑んでみるか・・・?
農機具、漁具、武器を文房具として使いこなせたら、達人だろうなぁ。


9回裏のピッチャー

at 2005 03/26 08:29 編集

きのう、ついにドコモからのDMで「ピッチやめるからね、FOMAに替えなさい」と通告があった。
おぉ、いよいよ来たか。
まぁ、別にあわてなくても1年か2年の猶予はあるのだが、全国の約130万件の契約者が、一斉にこの「秒読み通知」を受けているわけだ。
ちょうど、京都市か福岡市の人口ぐらいの数になる。署名を集めてホリエモンに送って「ピッチ事業やってくれない?」と持ちかけても、無理かなぁ・・・。

ドコモは、退職勧奨するかのように、いまFOMAに乗り換えると端末の割引券1万円だとか、何かのポイントを引き継げますとか、小手先のエサをちらつかせているのだが、やる気あるんかねぇ・・・としか伝わってこない。

ドコモに致命的に欠けていたのが、ユーザーの実際の使い方を把握することだった。「こんな端末、だれが使うの」「どうやって使えっちゅうの」と思うような端末を、供給者の論理であれこれ出しては、売れ残って叩き売り。
ピッチにしても、その特色を生かした唯一の端末は、CFスロットにそのまま挿し込んでデータ通信できる611sぐらいだったと思う(僕はもう6年ほど使い倒している)。
あとは、子供のおもちゃみたいな端末ばかり。

回線の性質を考えると、早めにデータ通信に特化した方がよかったのかもしれない。携帯電話感覚で使ってみたユーザーは、ずいぶん失望したはずだ。
会社も、契約者が通話とデータをどう使い分けて、それぞれ用途がどうなっているのか、きちんと調べていたのだろうか。
特別に高速ではないが、定額で一定速度だから、DDIポケットを除外した・・・というのが、ドコモのユーザーだったはずなのだ。

それを、FOMAの高速データ通信に乗り換えるようそそのかして、「6月から新料金プラン登場」というので見てみると、基本的には「パケット従量粋金で速度不安定」のまま。
1パケットあたり0.02円で、何万パケット分が無料!!なんて書いてあるが・・・あのなぁ、webサイトみながら「あ、このページは写真が多いから2万パケットダウンロードしちゃった」「メールがきたぞ、これで1000パケット」なんてカウントしてるやつが、おるんかい!!!!
64Kでええから、一定速度の定額プランを導入してくれた方が、はるかに安心できるのだが、こんな「まったり接続放題」は回線を無駄に占有するから、許さない構えのようだな携帯キャリアは。

無線LANを使えってことか?
しかし、ホットスポットがPHSエリアなみに広がるのは無理な話だから、やはりせっかく構築してしまったPHS網を活かして、安くて安定したデータ通信ができる方がいい。
どこでもカード1枚さして、低速でもネットラジオを気楽に聞ける醍醐味は、手放すとなると少し寂しい。
ウィルコムに期待するか。1社独占事業というのが、不安ではあるなぁ・・・。


ボイコットラジオ

at 2005 03/25 10:56 編集

「本丸」に斬り込まれそうなフジテレビが、ソフトバンクと手を結んで防波堤を築こうとしている。おもしろい展開だ。
ノーネクタイの成り金坊やに「支配」されたり、「殺さなくては」とおちょくられっぱなしより、同じIT屋さんでちゃんとネクタイをした社長と手を組んだ方が賢明、と考えたのだろうか。

ゲスなたとえをすれば、僕がだれかに一方的に熱烈求愛したようなとき、「これ以上言い寄ってくるなら、私はあなたの恋敵の○さんと結ばれます!」と抵抗されるようなものか?(とすると、言い逃れに使われた○さんが気の毒だが)。

もしかすると、フジテレビとしては、業界の内部抗争に持ち込んで、同業他社にホリエモンを牽制してもらおう・・・という読みもあるのかもしれない。
ソフトバンク側は「ライブドアの乗っ取り妨害のつもりはない」と会見していたけれど、こりゃそのまま「ライブドアの乗っ取り妨害のつもりです」と言っているようなものではないか。
敵のライバルと手を組むというのは、敵を囲い込むマーケティング戦略としては珍しいやり方ではない。JALはANAを追い詰めるためにJASと提携したわけだし、電話業界だと、もしドコモとauが提携すればボーダフォンには「王手」だ(独禁法違反になりかねないが)。

しかしまぁ、焦土作戦といい囲い込みといい、いろんな手が出てくるものだ。これをきっかけに、「合法だが禁じ手」を真似る業者が、雨後のタケノコのように出てくるのかもしれない。
中島みゆきやタモリや倉本聰など、「ニッポン放送には出ないぞ」と、焦土作戦に一肌脱いでみせようとしているが、これで「ニッポン放送の企業価値が暴落→ホリエモン窮地→買収断念」とはならないだろう。中島みゆきの代わり、タモリの代わり、倉本聰の代わりを入れたらいい、金なら払いますよ・・・というのが、金満坊やの発想だろうから。

たとえ社員から自殺者が出ても、鼻で笑って「僕のせいじゃない」とブログやなんかでうそぶいているかもしれない。
そこは、山一証券がつぶれたときに号泣して見せた野沢社長のように、「社員は、ぅぅぅぅ悪くありませんからぁぁぁっ!!」と、演技してみせるご愛嬌も、あっていいのに。
司法の場で追い風をもらったホリエモンは、さて人気商売の現場で、どうリスナー・視聴者のハートをつかめるのだろうか。


愛名古屋博

at 2005 03/24 15:05 編集

前景気をあおるニュースがいろいろあったので、とっくに始まっていたのかと勘違いしていた、愛・地球博。
大阪万博のようなお祭り騒ぎは、あまり伝わってこない。タネもしかけも、「ゼネコンと電通をもうけさせるしかけ」だと、中学生にも見透かされている時代でもある。

環境に配慮してますよ、愛があふれてますよ、と偽善を偽善で上塗りするから穿った見方もされるわけで、ここは堂々と「名古屋みてちょ博」としていればよかったのに・・・。
そうすれば、いじらしい(?)シャチホコの展示だって、ちゃんと意味が出てくるだろう。

それにしても、地球博とセントレアと名古屋の位置関係が、どうもぴんとこない。成田も羽田も行ったことはなくても、東京との位置関係はわかるというのに。
この、「イメージ湧きにくさ」が名古屋の名古屋らしいところで、あまりメジャーにならん方がいいような気もする。日本中のマニアが、100人いれば100通りの名古屋アイテムを大事にして、「マイナゴヤ」を暖めておけばいいと思う(僕はきしめんが好きだ)。

メジャーになりたい、世界にアピールしたいと思うと、かえって田舎者根性をさらけ出すことになるのは、大阪万博の轍というものではないか。
どこかの工事現場で拾ってきた石を「月の石」だと思って熱狂する浮かれ者(あぁ、僕も何時間も並んで見に行ったぞ恥ずかしー!!)は、今回また懲りずに拾われてきた石コロに、列をつくるのだろうか。
「火星に生えていたシャチホコ」「カッパドキアから発掘されたきしめん」「天国に行けるリニモ」など展示されていたら、ユーモア博にはなるかもしれない。
ともあれ、はじけてほしいものだ大名古屋!


犯人の気持ち

at 2005 03/23 14:36 編集

マラッカ海峡での海賊騒動は、とりあえず解決して、「海の男」たちのさわやかな生還にホッとひと安心。
会社側の会見を、ふだんはニュースの突っ込みが甘いNHKは、しつこいほど「水面下の交渉があったことを示唆しました」と報道していたが、水面下のゴタゴタの百貨店は一体どちらさまだ?

夕迂回とくれば身の代金と決まっているから、あったもなかったも、「支払って解決」としかいいようがない。
いくら払ったのかは会社の判断だからしかたないとしても、払ったあと取り戻す手も考えてみてもいいかもしれない。

まず、「毒をもって毒を制する作戦」。
「○億円もふっかけてきたこいつらの仁義はいかがなものでしょうか、海賊の皆さん!」
とマラッカ海峡で叫ぶと、海賊業界で内部抗争が起こり、こわくて大金をせしめる誘拐行為はなくなる・・・というわけには行かないか(笑)。

次に、「○億円ふんだくった海賊を襲う海賊諸君、取り戻してくれたら懸賞金1割!」という作戦もあるが、これは火に油を注ぐだけかもしれない(作戦ちゃうがな)。

いずれにせよ、悪いやつには、海賊、誘拐は割に合わないことを学んでいただくべきで、だから日本国内では、身の代金目的誘拐は極めて少ない。
そもそも、手段(誘拐)と目的(身の代金)が時間的に離れるほど、不測の事態で作戦遂行は難しくなるのである。・・・って、一体どっちの味方なんや!?と糾弾されそうだが、敵の考えそうなことをシミュレーションしてみた方がいいと思う。

悪いやつに、「被害者(+家族)の立場になって考えなさい」と説教したりする農村思考は、凶悪犯罪には太刀打ちできないから、逆に犯人の立場になって考えるのが、類犯の抑止につながるのではないだろうか。

犯罪ではないが、いま話題の会社乗っ取りも、「乗っ取られたくなかったら株式公開しなきゃいいんです」というホリエモンは正しい。
たぶん、役員会でも「上場して大丈夫だろうか」という異論も出たはずなのに、「乗っ取るような悪いやつやつぁいないよ」で楽観視していたような気がする。こんなとき、上司に異論を告げた身内は、冷や飯を食わされるのが日本の会社だ。もしかすると、フジサンケイグループの反乱分子が、ホリエモン一派に一枚噛んでいるかもしれない。
フジサンケイグループは、以前の買収王マードックとテレビ朝日の買収騒動から、何を学んだのだろうか。

グループで株式を持ち合って、よそものを排除する農村思考と、市場経済が共存しているのが変な話で、ルールの隙を狙って何をしでかすかわからない百鬼夜行の世界のようだ。現実の金融市場は。
「性善説に立って安心して共存共栄できる社会」は、実現すればいいとは思うけれど・・・

マラッカ海峡はどんな世界なのかよくわからないが、「左舷に性善説、右舷に性悪説」ぐらいの感覚で航行しないと安心できない修羅場になっているようだ。
機関銃ぐらい船につけておくのはだめなのだろうか。
家の玄関ドア外側の上に神棚とか日の丸を掲げておくと、訪問販売がよりつかない・・・という程度の「はったりガード」にはなるかもしれない。


オールナイト・セイ・パック

at 2005 03/22 07:25 編集

オールナイト・ホリエモンを期待する日記を書いた後に、NHK80周年にちなんだスペシャル編成で、往年のDJが往年の弁舌を再現してくれた。
さすが太っ腹の受信料放送局(?)。民放が築いた深夜文化を、無視できなかったわけか。

生トーク番組のゲストは、オールナイトニッポン代表の「アンコー」さん、パックインミュージックの「欽欽」、セイヤングの「レモンちゃん(完熟60歳!)」のお三方。
いやもう、懐かしさ極まって、タイムスリップしてしまった。

パックといえば、野沢那智+白石冬美の黄金ペアが、たぶんファン投票ではナンバー1だと思うけれど、この「なっちゃこパック」は文芸誌の別冊付録(?)についていた復刻版CDで楽しめたから、今回は愛川欽也の水曜パックが聞けてよかった。

深夜ラジオといえば、時代の流れか、「高齢者仕様」のラジオ深夜便。聞きながらお休みいただいてかまいませんよ、というNHKアナウンサーを前に、「おしゃべり好きな僕は、みんなに聞いてほしいからね、寝てもらっちゃ困るんだ」とまくしたてる愛川欽也パワーは、あいかわらずご健在でうれしい。まるで、公共放送と商業局は違うんだ!といいたげだった。

テレビとの二元生中継もはさまれていて、「完熟」の落合恵子さんの輝いていたこと!髪の半分は白いが、目は悩ましく、無理のない愛くるしさには、思わず「ちと年上だが、いいかな?」と、バカな妄想をくすぐられてしまった(笑)。
それほど、深夜のラジオ文化は強烈な一時代を築いてた・・・というのが実感だ。おかげで、「おねえさん原風景」を、そのまま年月を超えて引きずってしまうのがこわい。

二夜連続の第二弾は、「シンガーソングライターDJ」が商品名まる出しで熱い生トーク。こちらは坂崎幸之助にしろ、南こうせつにしろ、谷村新司にしろ現役だから、懐かしいというより「併走者」という感じ。
でも、DJの中島みゆき節が聞けたときはしみじみと懐しかった。みゆき姉さんも、「ちと年上だが、いいかな?」である(笑)。

この中島みゆきが横綱だとすると、関脇クラス(?)の兵藤ゆきも、麻世れいらも、中山恵美子も、それぞれ味の違う姉貴たちだった。
こんな兄貴・姉貴が熱く語りかけてくる感覚が、深夜ラジオを解放区にしていた下地だったように思う。

今の中高生にも、こんな夜空の兄貴・姉貴がいれば幸せだろうと思う。
まさか、「僕ラジオ深夜便リスナー。須磨佳津江さんファン」というチュー坊がいたりはしないだろうが、もしいたら、うぬぬぬぬ手ごわい・・・おぬし、ライバルか?と闘志を燃やすかもしれない。


藤岡新喜劇

at 2005 03/21 14:40 編集

ついこの前が震災10年か・・・と思っていたら、今度はサリン事件から10年。
命を落とした被害者と遺族にとっては、天災よりも、無念な思いが消えないだろうと思う。

あれからカルトの問題は解決したのかというと、表向きは「風化」して、実態は「潜在化」しているのが現実。上祐さんもオウムシスターズも、テレビに飽きられてしまった今、報道されなくなった。
現代人にとっては、テレビに映っていないことは存在していないのと同じだから、もう注目度はライブドア100に対してアーレフ1ぐらいではないだろうか。
「その後」の10年の間には、宗教学者が大学から消され、スピリチュアリティがはやり、宜保愛子亡きあと細木数子が稼ぎまくり、ドタバタと同じところを回って、何も変わってない気がする。

トンデモ系といえば、矢追純一と並ぶ川口浩探検隊。二代目の藤岡弘探検隊が間抜けな生け捕り芸をやっていた。
小学生でも蹴って出られそうな檻を細い木で組み立てて、落とし穴まで掘って、まるでガキ大将のいたずら遊びである。それを、いい年した大人が真面目にやっているのは、ドキュメンタリーなんだかコメディなんだかわからない(ドキュメンタリーとして見ると激しくおもしろい)。

で、うまいタイミングで、「おぉ!いよいよ生け捕りにしたぞ」と、そいつが捕らわれたのに、なぜか一晩放置して帰り、翌朝これまたうまいこと逃げられたことになっていて、落とし穴に子熊が落ちていた。熊ちゃん、かわいそうに。

おかしくてたまらなかったのは、ふつう未確認の動く生物を見ると、あれは何だ?→人畜無害か危険か→危険なら退治できるかどうか→退治できなければ逃げよう・・・と考えて行動するのが、まともな反応というもの。
なのに、何かが動いただけで「逃げろーっ!!」というのも、あんたら小学生の肝試しかいな?と突っ込みそうになった(笑)。

結局、謎の生物は発見も捕獲もできなかったわけで、そんなの最初から「いることにする」番組制作の産物だったんでしょう。
まぁ、無邪気に探検ごっこをやっている腕白おじさん番組というだけなら、罪はない。リングロープに投げつけられたレスラーが跳ね返って戻ってくるプロレスと同じ「お約束」の世界だなこりゃ。

先に出せばいいのに、さんざん人を斬り殺した後に水戸黄門さまの印籠を出す「お約束」。
ハエ1匹落とせない気功が人を吹っ飛ばすという「お約束」。
あなたは水に縁がありますね・・・なんていう類の、占いの「お約束」。

こんなタネとしかけを了解した上で、だまされてみせる自分を楽しむ妙な観客気分というのは、確かにある。
なんだか世の中、定番ギャグの吉本新喜劇の世界ではないか。


オールナイトホリエモン

at 2005 03/20 14:04 編集

「ごめんやす馬場章夫です」が、予告もなく終わってしまった。35年の幕引きは、あまりにもあっけなかった。
去年は25年続いた五木さんのトーク番組がスポンサー(カネボウ)の都合で打ち切りになってしまったし、生活の一部になって1週間を刻んでくれていた長寿番組が、あいついで「寿命」になるのは寂しい。

つくづく、ラジオ世代やなぁと思う。
深夜放送やラジオ工作に熱をあげた世代は、いま社会の腰骨のような中堅世代になっている。みな、ラジオを忘れてテレビだホームサラウンドだと転向してしまったのだろうか。
ハード先行の家電ブームは、どこか空滑りしているような気がするのだが。

主婦向け、老人向け、少年少女向けの番組はあっても、「セイヤング」「パックインミュージック」世代が楽しめるラジオ番組が、なかなかない(テレビもか?)。
たしかに仕事で忙しいとはいえ、電車やクルマで移動中とか、職場でBGMのようにかけ流すとか、「ながら」が簡単にできるのはラジオの手軽なところなのに・・・。僕の職場もFM802がかかっている。

それに、仕事と扶養家族を背負った世代は、「乗せにくい」かもしれない。公開放送に足を運んだりリクエストを送ったりするのは、よほどのマニア(=常連)以外はしないだろうから、昔とことん熱中して冷めてしまった世代をもう一度乗せる番組というのは、かなり難しいだろうなぁと素人でも思う。
いまニッポン放送の矢面に立っている亀渕社長や、主婦のカリスマみのもんたも、セイヤング世代にとっては、ハガキを宛てて出す「お兄さん」だったが、みな管理職や一国一城の主になっているのを見ると、リスナーも卒業気分になるのだろう。

支持される番組といえば、保険商品の選び方とか、投資術とか、不倫ごっことか、まぁオッサンの関心はそのへんに収束するに決まっている。
去年だったか、ラジオ広告総額を、ネット広告が超えたそうで、もうAMやFMのラジオは、慢性不況どころか終わっているのかもしれない。
だから、ギャラが高額な長寿番組が次々に打ち切られて、文化祭のような番組が残る。

でも、こんな分野にこそ、ホリエモンは斬り込んでほしい。
あのとっつぁん坊やは、ネットと電波媒体の融合なんて言ってるが、芯の部分では「俺の声を流したい」「俺の話を聞いてくれ」と思っているのではないだろうか。テレビカメラの前での憮然とした口調より、ラジオでしゃべっている声は生き生きしているような印象もあるのだが。
メルマガを配信して、それで政治や経済を動かしたとしても、それで生理的に満足できないタイプにも見える。

ビル・トッテン氏は、「大金をつかんで好き勝手やっている坊や」と評していたけれど、大金の代わりに、「よく届くマイク」と「よく聞く信者」を与えられれば、案外ニコニコしているかもしれない。
あぁ、これはスターリン、カストロ、ヒトラーの世界だ。


グレー・ゾーン

at 2005 03/19 15:51 編集

いよいよ、ペ様が竹島問題に発言しはじめた。
どうせなら、もっと踏み込んで「竹島を日本のものだっていう日本人は、ボクきらいだな」とでもいえば、日本のファンは、ペ様をボイコットするか、竹島を手放すか・・・?
いや、なびきやすい日本人のこと、結果は火を見るより明らかだろう。

芸能人といえども、日本より、はるかに「政治的な存在」なのは、韓国流だけではなく欧米も同じ。芸能やスポーツと政治は無関係(・・・であってほしい、・・・であるべきだ)というのは、日本人の集団幻想かもしれない。

韓国にしろ中国にしろ、幼いころからから全員が徹底的な反日教育を受け、親から祖父母から反日感情を刷り込まれているから、表向きは中日友好・韓日友好と唱えても、反日を核にしたアイデンティティは簡単に変わらない。日本人が「打倒鬼畜米英」から「英米大好き」にコロッと寝返ったのとはわけが違う。

違いは違いとして、相手側にわだかまっている先入観その他のメンタルバリアは、だれが解消すればいいのだろう。
恋人同士の関係にさえ、歴史が陰を落としていることがあるし、「他人の先祖がしでかしたこと」を、愛は越えられるのだろうか!?!?!?

と、戦争映画のような話になってしまうが、相手の背負っている日本人への先入観なり反感なりは、まるでグレー・ゾーンのような部分で、これがいろんな人間関係で見えてくるたびに、僕は立ち止まってしまう。

たとえば、勉強や学校そのものに不審感や恐怖感、獲得性無力感のような感情をかかえた学生に、教育をするという場合。
義務教育だと、その子を「勉強好きにする」ことも含めて、教師の仕事になるだろう。義務でない学校だと、かなりグレー・ゾーンが広くなる。
「自分で勉強する態勢になってから学校に来なさい」というのは正論だろうし、欧米の高等教育だと、それが自明の前提になっているようではある。
京大から新設の私大に赴任した杉山幸丸氏の『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ)を読んでいると、このグレー・ゾーンまで大学が上げ膳据え膳して学生(=お客さま)に奉仕する不条理感が、ひしひしと伝わってくる。

学校と学生の関係だけではない。
遊び仲間も、今まで上げ膳据え膳しすぎてきたせいか、腰が重い。表向きには、病気と仕事と結婚が3大原因に見えるものの、もっと内面的なモチベーションの次元で、「自分の家庭と仕事とせまい人間関係」の中に自閉してしまう。

これが、高度経済成長時代の社会学の教科書には必ず載っていた「疎外」という問題だったようだが、今は流行遅れのテーマになってしまった。でも、解決はしていない。
「やる気を起こす」のは、あれやこれやの専門家の仕事なのか、個人でどうにかすべきことなのか・・・。やる気が起こらない人を「支援する」というのは、どういうことなのか・・・。

お膳立てされ飼い馴らされてかろうじて「NEETでない」ところにいる若者と、本物のNEETとの距離は実は紙一重で、自主自立でガンガン進む一握りの開拓者との距離は、ますます開いて行くような気がする。
それが階層格差を生み、ますます細分化して、生まれつき人生が決まってしまう昔の身分制度に替わって、「自分で選んだ責任」が個人を縛っている。

ところが、階層を分けるものさしは「所得」ばかり光り輝いていて、法を侵さなければ稼いだ者が勝ち!といわんばかりの空気がバブっている。
それも全面否定するつもりはないし、心の豊かさを愛でるほど僕は地位も名誉も財産も築いていないので、とりあえず金はほしい(笑)。

ただ、生活に必要な金が最低限あれば(給料のかわりに家と飯をもらえたらそれでもいい)以外では、時間と静けさがほしい。
まぁ、余暇を楽しむにもクビにならない程度に、という条件に縛られているのはしかたないことかもしれない。「浜ちゃん」のような生活は、ご機嫌うかがいしなくてはいけない愛妻がいたりすると、夢物語でしかないだろう。

そんな柔肌・・・いや真綿の檻に閉じ込められた仲間とたまに集まる週末、無難な話に終始して刹那的に笑っていると、あぁエレジーやなぁ・・・と思う。
いっそ、もうイエズス会のような「布教」はやめて、個人的な修験道の世界に移ろうか(笑)と、姿勢転換しかかっている春ではある。怠けていてはいけません、ヤマブシズム教祖!と、キュ〜トな乙女から檄が飛んできそうだが。

体を動かしてなんぼ、とのたまう僕も、北国へ旅するのは年に4〜5回でしかなくて、ふだんはゼニの街とゼネコンの街を往復して、合い間に紀行書で息抜きしているのが実態だ。出たばかりの『山の本』春号の手触りは、いいなぁ・・・とウットリしながら。
まだまだ「伝導師」の資格に欠けている。


青年よ疑問を抱け?

at 2005 03/18 15:25 編集

あれやこれやの贈る言葉、送る歌が世にあふれる季節だ。
義務ではないものの、任意で出かけた式典で、全員起立・国歌斉唱のとき一人で静かに着席した学生に、僕はこっそりエールは贈ってきた。

「私を支えたあの一言」の類も、昔からテレビや活字から垂れ流されているから、今に始まったブームではないと思うが、それにしても、なぜテレビに麗々しく字幕までつけて、名文句が量産されているのだろう。
連ドラのせりふも、J-POPの歌詞も、「これ、使ってね」といわんばかりのコじゃれたフレーズばかりでできあがっている気がする。

この無気味なブームは何なのだろう。
僕は言葉を贈る(ことが期待されている)立場にいても、特に「僕から何か聞きたい」わけでもない学生に気の利いた言葉を贈ったことがないし、色紙、サインの類も書いたことがない。「彼女が彼に求めるものはタネとカネ」と、一日一句は口にしているかもしれんが(笑)、まさか感動して涙している相手はいないだろうな。

そもそも名言など、自分で選んだ本を読んで心を打たれたフレーズとか、偶然なにかのチャンスかピンチかに耳に入って消えない言葉が、「私の名言」になればいいだけ。一人が大勢にふりかける口当たりのいい言葉というのは、プロパガンダと紙一重だ。

想像するに、おそらくミニ神様になりたい猿と、大きな神様(キリスト、釈迦、マホメットetc)は荷が重いから「マイ神様」に服従したい犬とで、このくさい空気はできあがっているのではないだろうか。
芸能界では、三代目魚武なんたらというのが名言安売り芸というジャンルを切り拓いたように思う。その前の武田鉄矢は(あ、現役か)もう喜劇的にくさいから罪は薄いけれど、「夜回り先生」になると、批判を許さないナーバスな空気で取り巻かれている。最先端のコミカル系というと、江原スピリチュアル商人か?

子供が親の言葉を聞かない、生徒が先生のいうことを聞かない、社員が経営者の親心を汲み取らない、国民が政治家の言葉を信用しない・・・こんな世の中だから、「和を尊ぶ日本人」なんか幻想で、実はバラバラなのだと気づきはじめたのだろう、普通の庶民も。
納税者が政治家を信用しないような関係は、もしかすると何千年も昔から当たり前の話だったかもしれないが、これこそ切実な不幸だと社会的良心が警鐘を鳴らしているのが、「世の中を信用しない子供」という存在だろうと思う。

年金問題にしろ犯罪にしろ、自ら創り出してしまった大人社会の病理を何とか治して、新しい世代にバトンタッチするのが、大人の責任であるべきなのに、それすらしないで、ありがたい言葉を垂れるしか能がないジジババは多い。
そりゃ、ラクだわな。

その一方で、道で子供に声をかけるだけで110番通報される日本は、どう考えても異常だ。
見知らぬ人はリスキーだというので、「遊ばせ役」の先生、おにいさん、おねえさん、ボランティア、NPO、じーさんばーさんが、巧妙に工夫したお膳立てに子供を乗せて、その笑顔や涙を肥やしに、自慰にふけっている。

集団自閉症社会(惨)。
子飼い牧場(ブヒッ!)。
やっと資格1枚のおかげで「患者側」に入れられずにすんでいるカウンセラー(笑)。
自立してない自立支援者(笑)。
ロリコンの塾教師(危)。
心の豊かさを説く金持ち(偽)。

こんなイカサマを放置して子供をはじめ弱者ばかりいじくるより、ありがたい手垢のついた名文句を垂れ流すより、ちゃんと自立した大人として生きてみせる方が、まともな発想ではないのかと思う。
子供といえども、もしかすると直観的に見抜いているはずだし、二十代の学生や新入社員になれば、知性と失敗経験から、偽善を見抜いてほしい。やさしいボランティアさんや無難な先生のおかげで、子供が身体感覚で失敗や挫折を経験するチャンスを奪われ、言葉だけで操縦されている超管理社会だからこそ・・・。
ありがたい言葉は、乗せられて涙するか、乗せられず唾するか、リトマス試験紙になっているような気もする今日このごろ。


デフレ三連発

at 2005 03/17 12:17 編集

ソフマップを通りかかったら、やたら不鮮明なコピーのチラシが置いてあって、ウィルコム(旧DDIポケット)同士の通話が2900円定額!というのが、いよいよ始まるのだそうな。
眉唾な気もするものの、不人気なPHSは回線に余裕があるだろうから、技術的には可能なのかもしれない。

かくいう僕も、「旅先ネット」の実験用に、ウィルコムの「京ぽん」をパケット定額プランで買ってしまった物好きだが、肝心の端末を旅先に持って行くのを忘れたので、「圏内」の広さ、通信の安定度についてはよくわからないまま。
自宅近くの「里山」のようなエリアで持ち歩くと、かなりの田舎まで圏内には入っているから、普通に都会生活をしているぶんには、ウィルコムで充分かもしれない。宅配便だって、業務用に使っているぐらいだし。

ただ、今のところ最新端末の「京ぽん」は、ケータイと比べると機能は激しく見劣りする。カメラ11万画素というのは冗談ちゃうかと思うから始めから使う気も起こらないし、ブラウザはPCと同じオペラを使っているのでPC用サイトも見放題!!というが、荷が重いのか回線速度が遅いのか、やたら表示が遅い。
テレビ電話なんかもできないからこそ、不人気で回線に余裕があるだろうから、このままでいてほしい気もするけれど、PHSの驚き料金プランが、「定額ケータイ」への布石になるのだろうか?

次に東急ハンズに走って、アーミーナイフの潤滑油を買おうとしたら、ふだんは定価販売ばかりなのに、2000円のオイルが630円になっていた。
お買い得やなーとレジに持って行ったら、店員曰く、さらに安くなっておりまして、「10円!」だという。200分の1とは、激しすぎる値下げではないか。
「システムエラーか?でも訂正されないうちに買っておこう」と、そそくさと買って帰った。効果は、まぁ10円ではある(笑)。

先週の「1000円スキーツアー」につづいて、価格デフレの春がやってきた感じ。ぬか喜びに終わらなければいいが。


名残り雪

at 2005 03/15 12:09 編集

そろそろ最後の冬将軍残党かな?と思わせるミニ寒波が来たので、冬を惜しみに裏山を訪ねてきた。

冬枯れの樹々に当たる日ざしは、さすがに強い。
たぶん、その気になって探せば春の兆しはそこここに見えたのだろうが、雪山ほどダイナミックな変化は見えない。リフトに乗っていると、樹々の枝先に輝いている若芽や、幹を取り巻く雪面の窪みは、鮮烈に目に入ってくる。

都会の里山は、今ごろは「杉花粉の原産地」として恨まれるのが気の毒ではある。
たしかに粉が降っていた(笑)。花粉症は経験がない僕でも、いつか突然にやられてしまうのだろうか。

冬を探しに行ったんだか春を迎えに行ったんだか、優柔不断なポクポク歩きをして(ちくま文庫から出たカメラ中毒おじさん赤瀬川原平の『優柔不断術』がまったりと楽しんでいる今日このごろでもある)、いつもの再度公園へ。

標高400m弱の公園の池には、かすかに粉雪が舞っていた。
池のほとりの茶屋は、客どころか店員もいない。ぼーっと待っていたら、おばあちゃんが戻ってきて、おでんを注文。40年か50年は時間が止まっているような、「昭和の行楽地」だ。

「週末は雪ふったけど、ここだと積もりました?」
「いんやいんや、積もりまっかいな」
と、一言二言交わして、大根と卵とじゃがいもとこんにゃくで400円なり支払って、下山路へ。
月曜日にハイキングしている働き盛りの男を、どう見ていたのだろうか(笑)。

3〜4時間のウォーキングは、スキーでガチガチになった筋肉をほぐすのに、ちょうどいい運動になった感じ。
でも、もう1回、寒波が来てくれてもいい。少しふるえながら眺める夜桜というのも、オツな花見だから。


企業価値

at 2005 03/14 17:40 編集

ニッポン放送のライブドアへの逆襲が「焦土作戦」だなんて、マスコミ各社はバトルイメージをあおりつつ、「明日は我が身かも?」とは思わないのだろうか。
ヤジ馬としては、いろんな手を見せてもらって、高見の見物をしていればいいだけだが。
しかし、資産ナシになってしまえば、
買っても損→支配断念・・・
と、行くのかねぇ目論見どおりに。

民事紛争だと、まず差押えをして財産が動かないようにしてから支払い請求するようなダンドリは、よくある手ではある。
けれど、株取引の世界だと、ライブドアが勝ち取った「違法性がなければ原則自由」の司法判断は、今度は支配しようとしている会社がみずから「焦土」になるような資産売却も可能にしているわけだから、返し技という感じだろうか。
いやー、いろんな手があるものだ。

戦略的に、企業価値を下げてM&Aをかわす作戦は、フジテレビだって使えるぞ。
女子アナがまともにニュースを読んだり取材に行ったりする、スポーツ選手と交際しない、薄着をしない・・・こうしてNHK化して行けば、フジらしさはなくなって行く。

まぁ、フジテレビだからこう大きく話題になるわけで、8ch系列の関西テレビからやってみると、関西では「いちびり」が人気者になったりするから、意外にもうまく行くかもしれない。

それに、アルビン・トフラーも主張したように、ITは地理から自由になる点が革命的なわけで、アメリカだとド田舎のシリコンバレーが有名だとしても、メディア王はニューヨークやロサンゼルスになんか住んでいない。

日本で成功して青山だの六本木だのに豪邸を構えるのは、田舎者の発想だよねーと、江戸っ子は思っているのではないだろうか。
だから、ホリエモンは六本木ヒルズなんか引き揚げてしまって、神戸の六甲山か京都の六波羅か、んー・・・「六」が好きなら天六商店街にでも居を構えて、関西からメディアを変える!と息巻いてほしかった。
「移動の足は京阪です」とか「Tシャツのおっさん体型は阪神電車にジャストフィット」と笑ってくれると、一皮むけた成り金として、一目おかれると思う。
いっそ、大阪市を買い取って、自治体を完全民営化してみれば、本当の世直しになりそうな気もする。


日本海決戦

at 2005 03/13 14:44 編集

きのう吹雪にあおられながらレッスンを受けていた仲間が、今ちょうど銀世界で検定試験を受けているころかなぁ・・・と、春の太陽さんさんの神戸で思うのも、不思議な感覚だ。
特急を乗り継いで帰ると、正味5時間ほどで新潟から神戸まで帰れたから、あんまり「はるばる感」がない。土曜日の夕方に出したスキー宅急便が、もうさっき届いたではないか。早いというか、あわただしく追っかけられたような気分もする。

北陸回りで上越を往復した今週の旅は、JR東日本と西日本をつなぐコースで、ちょうど糸魚川が天下分け目の日本海決戦場になっている。そこを西へ越えて北陸に乗り入れる特急「はくたか」というのが、JR西日本の「雷鳥」を意識した東日本の5番打者という感じ。
雷鳥はサンダーバードと改名しているんだから、「はくたか」はウルトラホーク1号とか、対抗モードに入ってほしいわね。

このあたりの車両の優劣は、上北沢暗室の主にジャッジしてもらうとして、旅情といえば駅弁。
富山駅で、なんか日本海の幸でもないかなーと売店をのぞくと、「ぶりかまめし弁当」というのを売っている。ぶりの釜飯ではない。「ぶりかま」というどっしりしたブリの身を酢飯に乗せたもので、なかなかうまそうだ。

そこで、「ぶりかまめし弁当1つ!」と名指しで買ったのに、売店のおねーちゃん(25歳)は、「幕の内いかがですか?」と、とぼけたセールスをふっかけてくる。
「いや、ぶりかまめし1つね」と念を押すと、なおも「幕の内、残り2つですがいかがですか?」と、面と向かってプッシュしてくる。

ぼけてるんだか大阪人なんだか首をかしげつつ、ようやく納得させたぶりかまめし弁当を、今度は包んでこっちに差し出そうとしないので、手を伸ばして奪い取り、スーパーサンダーバードにかけこんだのであった。
ったく、なに考えてんだか!
売りたくない弁当を、並べるなって。

弁当本体はというと、まずまず合格。
寒ブリなのか冷凍ものなのかはわからないものの、あんまり脂身がのってない、僕好みのブリだった。

アルベルトkuni君など「スキーで4日間も?もの好きでんなぁ」とあきれているようだが、スキーは主食みたいなもので、おかずが楽しみなのである。温泉、絶景、美酒(これはおごられてばかりだった)美食、滑り仲間(なんだかkuniちゃんも経験した予備校みたいですな)、そして駅弁・・・。

惜しいのは、とにかく高いJR料金だった。大阪から15000円で往復して信州一円を1週間ぐるぐる回り放題の「信州ワイド周遊券」の廃止が、とにかく惜しい。
バスも使って、見所満点のかしこい節約旅行でも考えてみるか。


では、また

at 2005 03/12 23:41 編集

相部屋に、「今夜遅くに着くお客さん一人加わります」と聞いていたので、気を利かせて、ふとんを川の字に敷いて眠りについた。同室の紳士と僕が両端で。

なんだか夜中に人が入ってきてゴソゴソと荷物をかたづけて寝てるようだなぁと思いつつ、zzzzzzzzzzz・・・・
で、朝起きると、川の字の真ん中にお姉さまが寝ていて、気づいた一同そろってビックリ。
あらまっ!いけないわっ!どうしましょ!!とノーメイクぼさぼさ頭でうろたえる姿が、妙に悩ましかった。
宿の手違いだっただけだが、ちょっとしたご愛嬌かな。

外は、きのうまでの「春スキー」陽気とはうって変わり、ボタボタと大雪。寒くはない。
最終日の今日も、丸1日講習があったけれども、夜行「きたぐに」に懲りて、今日中に帰宅できるよう夕方の特急に変更して、早めに引き揚げることにした。午前だけ講習を受けて「早退」。
そのあと一人でゲレンデてっぺんからゴンドラふもとまで2〜3回滑り納め。

4日間のスキー三昧が終わった。
もう、しみじみとジャパニーズ・スキーリゾート・ステイを堪能できた感じ。
でも、これぐらいで満ち足りていては生ぬるい。
中高年一色の客層にうっかり(?)まぎれこんだような「女子高生直後」は、けなげに一人でスキーバスで往復して5日間も滞在していた。
ルームメイトの紳士Tさんは、いったん週末は横浜に帰り、また来週平日に再来するというので、宿にスキー道具一式を置いて帰る段取りを決めていた。すごい。
酔っ払いのKさんは「越乃寒梅」をボトルキープしていたが、わけあって酒を断ちましたというTさんは、板とブーツをキープしたわけだ。
まるで達人の技の見本市やなぁ。

そんな宿に戻って、妙高特有の硫黄泉につかり(いつでも入れるのが、温泉宿のいいところだ)、なごり惜しくチェックアウト手続きを済ませる。
精算は15000円ぽっきりですんだし、陽気なお父さんが毎夜地酒をふるまってくれたし、特別ルートで仕入れてます(笑)というリフト券は定価の半額だし、コストパフォーマンス満点の濃厚スキー休暇だった。

三々五々、全国各地から老若男女が「スキーと美酒美食とおしゃべりが大好き」という共通項を持ち寄ってロッジに集い、すぐ名前を呼び合う仲になり、そして各自の都合でサラリサラリと別れて行く。この、ドライで暖かい一期一会に、なんともいえない旅情を感じる。
宿のスタッフも、すべての客を名前で呼んで、ユーモアに富んだ応対をしてくれる。この気配りがうれしい。

平日ステイという形もよかったのだろうけど、そんなウィンター・リゾートを楽しむのは六十歳代以上の「サード・エイジ」か、学生ぐらいしかいない。三十代、四十代の働き盛りの殿方はいない。
それが寂しいといえば寂しい。
働き盛りでなければいけないのに遊び盛りの僕が旗を振って、三十代、四十代の働き盛りの殿方をもっと遊ばせることができれば、日本は変わると思うのだが・・・


在来線でGo

at 2005 03/09 06:03 編集

玄関に立てかけたままの最新カービングスキーを見るたびに、後ろめたくて「晴れ舞台がなくて悪いねぇ…最近はホリエモンの時代だからねぇサロモン、そのうち一緒に滑ろうな」と、おわびテレパシーを発信する今日このごろ。
やっとこさ、平日スキーを思い立った。

行きつけの温泉ロッジに電話してみると、タコ部屋なら空いてるよ〜というので、ほな、よろしく〜とあっさり予約成立。
「長くステイするほど割安」という連泊プランにあっさりつられたせいで、月曜日に問い合わせて火曜日の出発となってしまった。
3泊4日6食と温泉と講習4日つき15000円。講習単価が4日で14000円だから、ん〜・・・、なんじゃらほい!この値段は(笑)。
宿賃だけだと3泊で20100円だから、客に6000円払って4日間みっちり講習してくれる珍しい宿ともいえる(んなアホな)。

チャンスというのは、いきなりである。
おかげで、荷物の宅配は、佐川に聞いてもヤマトに聞いても「1日で新潟は無理」と言われたので、もう間に合わない。
しかたない、重装備をかついで行くか。
荷造りすると、お・重い!
なにしろ、8年も前に長いスキーはやめてしまって、ずっと超軽量のショートスキーに没頭していたから、その軽快さになれてしまうと、なんなのこのズシリ感は!!と涙が出る。重さにして4倍ぐらいの違いがある。
情けないことに、家から駅までで、すっかりクタクタになってしまった。
宅配便が使えたらなぁ…

格安で直通のシュプール号も、さすがに3月となると平日便はもうなくなっている。
JRの在来線夜行で行くしかない。「原点」に帰ったような気分だ。
新潟行き「きたぐに」は、自由席も半分ぐらいしか埋まってなかった。シュプール号と違って、ボーダーの少年少女ばかりというわけでもなく、「旅人」ふうのオヤジやオバサマも乗り合わせていた。

となりの枡席(この車両はリクライニングなしのボックス席なのが苦痛だ)には、いかにも高卒ホヤホヤの少年2人が、いかにもな「旅気分」で浮かれて、オセロとトランプに興じていた。あと将棋が出てくると3点セットだったのに。
ほほえましくていいねぇ、この年頃の子が、親友同士が、春休みの旅の道連れというのも。もしカップルで夜汽車なんか乗ってる18歳がいたら、演歌みたいな旅するんぢゃないぞ坊やたち!!と説教してやるところだが(笑)。

さぁ、直江津に着いた。
乗り換えて、雪国へと入って行く。
高原の宿は、たぶんPHSネット接続が圏外だから、携帯からブログを更新してみよう。初めての試みだが、うまく行くかな?


ブログレッシブ

at 2005 03/08 07:33 編集

わが電脳判事の強い強いすすめで、ひっそり開設してみたブログは、放ったからし。
もともとgooのサーバー不調でピンチヒッターとして出してみたようなもので、もったいないといえばもったいない。

gooのブログはシンプルだし使いやすいけれど、ここの方が書きやすい気がするのは、慣れの問題かな。
友人は続々と(といっても数名)ブログに移行しているから、人によって相性が違うのだろう。畏友アルベルト君など、旺盛に写真批評をアップしていて、インスピレーションを与えてくれている(→リンク)。

「コンテンツを追記して、ブラウザーやメーラーで更新できる」というのは、ブログがはやる前から、gaiaxや魔法のiランドの無料サービスがやっている。
それが、なぜこんなにブログブログブログブログ・・・とはやりだしたのだろうか。

ブログの「らしさ」といえば、記事1件ごとにコメントとトラックバックがつくことと、ファイル形式が共通なら引っ越しやバックアップもしやすいこと・・・ぐらいしか、初心者の僕にはわからない。
素人目には、「お題ごとに掲示板とリンク先がついている構造」ぐらいには見えるのだが、そうだとすると「レクチャーとディスカッション」のような形になるから、常連が役割分担してまめに書き込むようになっていたら、ちょっとおもしろくなりそうだ。

ビジネスには果たして効果的ななのかどうか、最近のeビジネス・トレンドは、どうもわけがわからん。
「顧客と密接なコミュニケーションがとれる」といっても、本当にブログ上で客とのやりとりをしようとすると、忙殺されそうな気もするけど、ベンチャーさんやソーホーさんは、よほどうまいこと処理してるのだろうか。

ホリエモンなど、ブログで熱心に意見を「配信」しているらしいが、「日枝さんブログ」とトラックバックしあってたらおもしろいと思う。そんなことが柔軟にできる可能性は、確かにブログにはある。

けれど、会社の商品案内なんかは、効果的なレイアウトを考えてwebページに載せてくれたらいいわけで、だらだらと日記ふうに書かれても困る。
たとえば、京ぽんの情報を探そうと思って検索すると、ブログが出るわ出るわ・・・で、肝心の情報がどこに埋もれているのか、わかりにくくて困った。

ブログの短所でもあり長所でもあるのが、時系列的に蓄積されて行くだけ・・・つまり記事が階層的に編集されていない点で、このシステムにふさわしいコンテンツ、ふさわしくないコンテンツというのがあると思う。

ブログの「無編集・時系列の蓄積」が活かせるのは、未完成の商品をPRするような用途ではないだろうか。
サービス業など典型だし、顧客一人一人にカスタマイズするような製品だと、客とのやりとりや、どんな別業者と関連しているか=トラックバックしているかがわかれば、なにかと参考になる。

だからこそ、たとえば病院や学校、福祉事業所の役員クラスが、ぜひブログってほしいと思うし、sabato財閥にも期待したいところだ。
ただ、今のところお楽しみナンバー1は、フジテレビ日枝さんとホリエモンのトラックバックに、あの里谷多英がからむ三つ巴。

堤義明はブログなんて縁がなさそうだが、代わりに渡部絵美がからんできてもおもしろい。
からみこんできそうなキャラクターといえば、礒野貴理子あたり「あたしだって言わせてもらいますけどねー!!」とくちばしをつっこんできそうだが、そんなブログは革命的にヒットするだろうなぁ。


卒業指揮

at 2005 03/07 13:44 編集

卒業式が「旬」の季節。
少子化で、しゃちほこばった保護者と少年少女が街中にあふれかえる眺めはないけれども、12歳、15歳、18歳、20歳、22歳の当の本人たちは、どんな気分なのだろう。

この満年齢の人口がいっせいに「仰げば尊し」を歌い、君が代を聞かされて、日の丸を拝む儀式というのは、なにかしら意味のある共通経験になっているはずだ。入学式と卒業式の間につめこまれた拘束の日々(笑)が、まさに学校の本質なのだから。

「本校には卒業式がありません」とスピーチされた特異な学校が、予備校だった。「それなら入学式せんでもええやろ。晴れ晴れした気分で出席する生徒なんかおるけぇ」と思ったものだが、とはいえこの予備校ほどまじめに通った学校はない。楽しかったわけでもないし、友達は後に行方不明になる一人しかいなかったし、ただバカ正直に体を運んでいただけだが。

通学定期も学割切符も買える学校法人なのに、何年通っても学歴にならないというのはけったいな話だ。ゆるみっぱなしの(一部の?)短大や専門学校より、予備校生の方が勉強はしているはずだろうに。

今は予備校業界も淘汰されていて、SKYダブル戦争(駿台、河合、代ゼミ、早稲田セミナー)とまで言われた競争も、ふりかえってみるとお祭り騒ぎだったようにも見える。
でも、学歴にもならない1年なら、お祭り気分でワァワァ楽しみながら通りすぎて行った方が、精神衛生上いいと思う。鬱々と、陰湿に、ひねくれて過ごすより。

浪人なんて、その気になってしまえば無限に泥沼化するギャンブルのようなものだから、「自主卒業」すべきものだよ、続ける者は自分の責任でやればいい、というメッセージを、予備校の校長は発していたのかもしれない。

3年で形式的にどんどん卒業して行く中・高や、4年で一応終われる大学は、ある意味でわかりやすい。
本当の社会勉強がそこから始まるので、何を身につけたんだろう?と立ちすくむ少年少女が、フリーターになったり引きこもったりするのかもしれない。
ダスティン・ホフマンの『卒業』は、もう30年以上も前に、ポスト・スチューデント・アパシーを描いていたのに、日本でNEETだフリーターだと問題になりはじめたのはごく最近の話。

そんな「先輩たち」の姿も、いろんな報道で見ながら卒業へと送り出されて行く18歳や22歳は、少し気の毒やなぁと思う面もある。
人生トコロテンみたいなものだから、強引に押し出されでもした方が、自立するチャンスにはなると思うのだが、突き放されて成長する子、突き放されると変なものに依存する子・・・と人それぞれだから難しい。
押し出し役であったはずの親や教育者も立ちすくんでいて、紋切り型のことしかいえない。

だから、卒業式こそ、もっとホンネを吐き出せる場になってもいい。最後なんだし、やっと言いたいことをぶちまけて出て行ける。「私をもてあそんだ、ちっこいO・Y先生、式後にスペシャル反省会で吊るし上げます!」とかね。

学生帽をほうり上げる、おなじみの防衛大だか保安大学校だかの眺めも、ホンネが解放されたような爽快感が伝わってくるから、卒業式としては上出来だと思う。
帽子がなければ、
教師「これから、がんばれよ」
生徒「オッサンも、がんばれよな」
なんてやりとりができると、ほのぼのとしてていい。

ホンネを出し合える上級者だと、
教師「がんばって年金制度を支えてくれよな」
生徒「合法的に、のがれてみせるさ」
という火花を散らせるかもしれない。

大学や院になると、卒業生が恩師より年上というケースも増えてくるから、「うちの子は就職したし、センセも早く親離れしないと」なんて言われるアッパレな卒業式も見られるかもしれない。
あぁ、そんな場面に立ち会いたいものだ。


袖擦り合うも他生の縁

at 2005 03/06 07:00 編集

図書館→喫茶店のコースをキコキコ走っていたら、幹線道路に警察車両が10台ぐらい停まって、数十人の警官がずらり並んでいる。

検問にしては並び方が尋常ではないし、おぉ、これは初めて見る非常線か!?包囲網というやつか!?と興奮しかかっていたら、横断歩道を渡り終えたところで僕も呼びとめられた。

「先週ここでおばあさんが轢き逃げされたんですが、そのころ通られませんでしたか?」
と、交通事故の目撃者探しをしているのであった。

よくある事故で拍子抜けしてしまったのも、犠牲者には失礼だが、それにしても、轢き逃げ事件があるごとに、警察はこれだけの人員を出しているのだろうか。
もしかすると、警察幹部の親だったりするのかもしれないな・・・と首をかしげつつ、郵便局に行ってサバト財閥(→リンク先)あて紙メールを出してきた。便箋は段ボール紙なので重い紙メールなのだ。

サンマルクでコーヒーを飲んでいたら、向かいの席で、ゆず似のダブルあんちゃん23歳(推定)が、向かい合ってなごんでいた。
とてもいい第一印象のさわやか野郎で、他愛もない話に興じている。

「男ばっかりの中で女の子一人というのもなぁ・・・」
と、なにやらバンドの人事ネタ(笑)のようだ。

「ほら、ことわざで言うやろ、えーっと・・・」
「・・・・・・・・・・」(紅一点か?と助け舟を出したくなったが、別にことわざではないから、朱にまじわれば赤くなる?いや、ちと違うな・・・)
「ほら、ん〜っと・・・」
「・・・・・・・・・・」
「つきあう人で、性格わかるって」

なんじゃそりゃー!ことわざかい!?
と、ガクッとずっこけて、1時間前にかしげた首が直ってくれたぞ(笑)。
しかし、君たちのはずれ方も、いい人柄に免じて許してあげよう。

ほのぼのと閉店を迎えるサンマルクであった。
平穏な土曜日は、日光を浴びずに終わった。



さっとやれタエ!

at 2005 03/05 06:05 編集

スキーヤーにとっては、上村愛子と並ぶアイドル里谷多英が、知らん間に人妻になっていたのも驚いたし、それどころか「離婚秒読み」を伝えるゴシップにも驚いた。世間の動きは早い。僕が鈍いだけか。

ふと思い返してみると、スケート界には女王やアイドルが昔から多かったのに、スキー界はまったく色気がなかった。
ようやく、もうひと昔も前に世界の檜舞台に出るようになったアルペンの川端絵美はというと、失礼ながら「おっかさん!」と呼びたくなる感じだったし・・・。

そこへ、モーグラーのアイドルがあいついで誕生。
グラビア映りもいい、それでいて金メダルクラスの実力、柔軟な筋力、といえば、これはもう何か起きるとワクワク・・・いやハラハラしていたものだ、雪山風紀委員としては。
案の定、やってしまったのが里谷多英。
ついに、トーニャ・ハーディングが日本のスキー界に現れたか!と思ったね。
ちょっと酔っちゃいましたを大ジャンプして、カラオケ個室で外国人と交尾!店員にとめられても交尾!コップを投げつけながら交尾!とまぁ、ぶっとんでいる。
「お客サマ、そげなこと、ここでは困ります」ととめられると、「なに見てんのよ!」と、青木さやかになっていたのかもしれない(笑)。

おまけに、この里谷を監督する全日本スキー連盟の会長が、現役時代の渡辺絵美にせまっていた(!?)と暴露された堤義明だというから、白銀の世界も実はずいぶん色と欲で桃色だったわけだ。

これが陸上や球技の選手だと、合宿といっても人里に近いところで適当に気分転換しながらトレーニングできそうだが、スキーの強化合宿だけは、寒い山奥に隔離されて、年頃の男女が禁欲的な修行の毎日。ニホンカモシカやニホンザルを恋人にしてしまう選手もいるという。
夜の六本木なんかで飲み会でもしようものなら、もよおしてくるのが自然だと思う。ちょっと同乗、いや同情する。

しかしまぁ、里谷多英は「謹慎解除=グラビア解禁」の勢いでキューティー鈴木路線をめざしてもらうとして、女子選手絶好調のフィギュアスケート界を、清く正しく応援するとしよう。
しかし、だれも、僕がウィンタースポーツ界を清く正しく応援していると思ってはくれない。


チュートロ

at 2005 03/04 07:08 編集

阪神タイガースの応援歌を勝手に著作権登録していた応援団・・・「中虎」ときいて、魚好きな僕には「中トロ」と聞こえてしまった。
だれの作かわからないまま歌い継がれてきた曲というのは、「実は俺の作品」と言ってしまえばどうにかなるのだ、と知らしめてくれたような事件だ。
けしからんなぁ・・・とはいえ、うまいことやりよったなぁ・・・という気もする。

タイガースがらみの知的財産権といえば、「阪神優勝」を商標登録した男は、その後どうなったのだろうか。
名前が出ると、おそらく刺客に狙われるだろうから、報道は徹底して匿名化されていたけれど、知的財産の濫用や争いが、やっと日本でも庶民ネタになってきた感じがする。

「阪神優勝」はさすがにひどいと思うけれど、本当に頭を絞ったアイデアがパクられ放題だったりすると、「頭を絞るよりパクる方がうま味がある」と考える猿だらけの社会になってしまうから、権利は権利できちんと守られるべきだとは思う。
とはいえ、工業所有権(発明)はまだ実体があってイメージしやすいものの、ビジネスモデルや実用新案、翻案著作権・・・となってくると、限りなく灰色に近くなる。パクリか、インスピレーションを受けただけか、線引きは難しいから、裁判所も大変だ。
若いタレントがみな同じに見えるオヤジ世代の判事さまは、つんくの曲と小室の曲なんかも、全部同じに聞こえてしまうのではないだろうか。

最近も、メロディーをパクられたと訴えに出た作曲家の小林亜星さんが敗訴した紛争があった。
音楽にしろ映像にしろ、消費者は「著作者の権利に対価をもって報いよう」なんて考えず、素朴に「よければいい」と思った商品を買うから、パクられた側もパクった側もどっちもOK、みたいなところがあるから、原著作者にとっては油断できない時代だなぁと思う。

だからこそ、著作権ブローカーみたいな商人も暗躍するようになるだろう。
ビジネスチャンスは、たとえば素人が「こんなの著作とはいえないよな」と思いこんでいる写真や詩やイラストを、「私の手にかかれば著作物になって、あなたもビル・ゲイツへの道!!」とそそのかすところに発生する。
人間まるごとだって、肖像権、パブリシティ権としてガッチリ買い取る契約を結んでしまえば、本人が自由に人前に出てなにか芸を披露することもできなくなってしまう(タレントのように)。
おかしな話
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