solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2005年7月の日記
こども帝国こども人事院

at 2005 07/31 16:35 編集

図書館でボーーーッとしていると、いかにも「おれたち夏休みの暴れん坊」らしき小学生低学年がうろついていた。

何かのポスターの前でバタバタしていたとき、偶然そのポスターがパラリとはがれ落ちた。当たったわけでもない。
「し〜らんで!俺ちゃうもんね!」
と、ジャイアン級のボス猿は、子分を連れて一目散に逃げて行った。

残されたミニのび太が、しかたなくポスターをおさえているが、上の方を押しピンでとめようとしても届かない。けなげに、うぃ〜〜〜んと背伸びしてポスターを貼りなおそうとしている。

「こまったな〜」と、とまどうような、助けを求めたいような、でもしかられるのを脅えているような、複雑な心境がひしひしと伝わってくる。
いじらしい。キミの責任ちゃうのにねぇ。
優しいオジサンosawasenseは、押しピンを集めさせて、修復作業を手伝った。

作業完了したころ、ジャイアンについていったスネオ級が様子をうかがいに走ってきたところに、まわりで見ていた爺さまが「コリャー!!静かにしとれ!!」と怒鳴り散らして、ガキどもは退散して行った。

爺さまの気持ちもわからんでもないが、まぁ夏休みの子供って、こんなものだ。
むしろ、夕涼みがてら座り込んでペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャペチャクチャやっている女子大生風、奥様ふうの方が僕にとっては迷惑だが、婦女子は怖くてだれも注意できない(笑)。注意しても治らない気がするし。

子供は、しっかりしつければ、まともな大人になる。
ただ、十把一からげにチヤホヤしたり雷を落としたりするのは雑すぎる。ちゃんと現場検証してみよう。

仲間を置き去りにした「逃げ足の速いガキ」は、重罪である。リーダーシップ欠如。利己主義。冷酷無情。
こいつに親玉の資格はないぞ。島流しを申し渡す。
ついていったスネオ級もそうだ。「あいつを助けなきゃってボクは言ったもんね言ったもんね」と自己弁護しそうだ。それなら情状酌量は認めてやらん!!

とまぁ子供相手に裁くのも大人気ないが、でもこんなダメ親分に、なんでつるんでるの?と言いたくなるような、さびしげな野良犬っ子は、いつの時代にもいるものだ。
教育パパママだったら、「つまらない仲間について行くのはやめて、習い事しなさい」と導くものかもしれないが、偏差値秀才の道というのも、なんだか情けない。

たしかに、子供がいろんな不条理を体験する独特の世界のふくらみを「ダイエット」してしまうのも、大人のおせっかいかなーとも思う。
かといって、放ったらかしにして、我が子川や池から二度と帰ってこなくなるのも悲しいし、そんな親心に、プレイボランティアやジュニアリーダーのおにーちゃん・おねーちゃんが、遊び相手役を買って出てくれるのだろう。

結局は、子供が「この子(人)と一緒にいたい」と選んだ相手が、明らかに有害でなければ、尊重するのが一番だとは思う。そうして、子供は大人の目の行き届かない「子供の聖域」で、その中で子供なりの自治が働いていればいい。
だから、リーダー選びは大切だ。危機に瀕して先に逃げるリーダーか部下を先に逃がしてくれるリーダーか・・・。
やれやれ、大人の転職みたいな話になりかねないな、子供の王国も。


熱湯甲子園へ、選手入湯

at 2005 07/30 18:56 編集

ゆであがってしまいそうな高校野球シーズンが、地方大会でクライマックスを迎えている。
コーリョーが先制点!
と、ふと実況放送が飛び込んできて、一瞬どこの高校かわからなかった。
松井秀喜の母校もコーリョーだったし、広島の方にもコーリョーがあるし、神戸にもコーリョー学園がある。
教育者にとっては、あやかりパワーを感じる字面なのだろう。せめて頭に地名をつけてほしい気もするけど(うちの母校は兵庫県にあるのに、未熟アナウンサーには東京都立高校みたいに読まれる!)。

地方大会で真っ先に甲子園行きが決まったのは、沖縄尚学だったと思う。
ここは、僕の駅までの出勤経路にある県警本部のとなりの旅館を常宿にしていて、よく看板がかかっているから、地元ではおなじみさんになっている。がんばってほしいぞ今年も。

ただ、おなじみさんといっても、地域と触れ合う機会がないから残念ではある。夜はゴーストタウンのように静まり返っているからねぇ。
「あんまり街の中をうろつくなよ!」と球児たちにプレッシャーをかける効果もあるのかもしれない。超豪華超高層の県警本部タワーが玄関の目の前にそびえていると。
中華街にもハーバーランドにも歩いてすぐだし、風俗街はないから、気が散らない息抜きができる好条件の宿なんだろうけど。

しかし夏の甲子園は、北国の球児には本当に気の毒だと思う。第一、明らかに不利ではないか。
夏だけ札幌大会にすればいいのに(新庄がどこかのチームに紛れ込んでいたりするサプライズつき)。タイガースの「死のロード」もなくなる。

甲子園がドームでエアコンというのは似合わないし、妙に伝統や神話にこだわるところが、野球界にはあるようだ。
かちわり氷なんか、何がうまいのか、なんで風物詩なのか、僕は買ってみて首をかしげてしまったことがある。
やがて「なつかしアイテム」になって行くのだろうけど、もうちょっと気の利いた名物をヒットさせてほしい。

楽天が、「ホームグラウンドはボールパークにして、家族で楽しめる場所にしたい」と打ち出したときは、いかにもアメリカのパクりくさかっったが、1つの正解だと思う。
テレビ観戦ばかりのファンが、気軽に行きたくなるような演出を考えてほしいし、できれば家族でその気になればもっといい。
「今岡が手取り足取り腰取り教えます母子キャッチボール教室」とか。
「ミスタージャイアンツ終身名誉監督が胸を貸しますシルバーソフトボールのすすめ」とか。
そうして、サッカーや格闘技とも、子供を魅了する競い合いをすればいいのだ。

とすると、やはり「女子解禁」は大きな課題だな。
いきなりプロ野球で、とはいわないが、高野連は前向きに考えてはどうだろうかと思う。
「女子はソフトボールで」と決めつけなくても、軟式野球でもいいい。
となると、チアリーディングはイケメン少年軍団か?
日本中から、おねーさん&元おねーさん&昔おねーさんが、レミング・・・じゃないイナゴの大群のように甲子園に集結するだろう。

これこそ、ジャイアンツが腐らせた野球界リフレッシュの秘策である!
見てみたいやら、見たくないやら・・・


難問相談室

at 2005 07/29 10:49 編集

仕事を終えて11時ごろ帰宅すると、となりのトラちゃんが道端でウンコの真っ最中だった。
呼ぶと、顔をこっちに回して目を細めやがる。夜風にあたって、「あ〜極楽、極楽」といいたげに。
「キミそれ風呂に入ったときの顔でしょうに」と苦笑しつつ、おやすみをして別れてきた。

で、やっと7月は仕事納め。
夏休みといえば、お楽しみの子供電話相談室だ(おじさん何を楽しみにしてんだか・・・)。
やさしい先生たちが、電話1本で答えてくれる「答えの自販機」になる季節だ。
ただし、理科に限る。そして、検閲する(笑)。

子供電話相談といえば、「保健」分野の恥じらい質問も手を焼くだろうが、言葉のプロならどうにでもごまかしようはある。
むしろ、絶句する質問が続出するのは「社会科」だろう。

「じゅうぐんいあんふって、いたんですか?なにしてたんですか?」
「あまくだりは、どうしてもんだいなの?せんせいは、あまくだるんですか?」
「らいしゅうげんぱつをねらう、ってメールがきたんですけど、ほっといていいかなー」
「てんのうせいがどうわもんだいのねっこだって、おおさわせんせいがいってましたけど、とつぜんいなくなりました。どこいったんでしょう」

こんな素朴な子供たちこそ、真実に直球を投げてくるから、渋谷も麹町も赤坂もお台場も、蜂の巣をつついた騒ぎになるだろう。革命分子よ、がんばれ。
中には、「子供を装った26歳おねえさん」てのも、電話をかけてきたりするかもしれないが。

中高年の電話相談は、深刻でお気の毒な内容が多いけれど、「昔からよくある話」ではある。みのもんた名人の「別れちゃいなさい!」でかたづくことが多い。実際、すっぱり別れたら解決するのに、別れられないから悩むのだろうけど。
つまり、問題の真っ只中にいる。
子供の理科相談のように、客観的に外から見れば、「あぁ、これどうしようもないわ。悩んでないで、ご破算にしよう」と気づくことも、あるかもしれないのに。

うちの軒下にいたツバメは、どこ行ったんですか?
というような具体的な問いに、理科の先生は、「ツバメというものは・・・」と、一般論から話をする。
この発想が、中高年の電話相談の福音になるのではないだろうか。具体的でリアルな問題に巻き込まれている人にこそ、原理原則論・一般論は大切だ。

「姑のいやがらせがひどくて、主人も守ってくれませんの」
「嫁いびりは、嫁を介した近親相姦ですから、姑さんにやめろったって、そりゃやめられません」
「じゃあ私はどうしたら・・・」
「いびられるに身を委ね、随喜の涙を流して気づく被虐の悦楽に到達することじゃ」

まぁこんなところが無難だろう。
あくまでも具体的に相談に対応しようとすると、「あなたにも落ち度がありませんか?」てな展開にもなりかねないから。

問題状況というのは、具体的であるほど他人には伝わりにくいし、他人にはメスを入れてほしいのか触れてほしくないのかわからないケースも多い。
だから、一般論があって、それを自分なりに咀嚼したり距離をはかったりしながら、自然に解決してきたものだろう、人の世の悩みというのは。
そんな究極の一般論は、宗教であったし、これからもそうであると思う。

いや、これ宗教じゃないの。スピリチュアリティなの。
・・・と、不意に2年ぶりに電話をかけてきた人物は、数十分にわたって、「私の前世」と「転生」について語り続けた。
まぁ、それが彼女の生きる杖になっているならいいとしても、みのもんた名人の一喝にあやかりたい気もした。宗教じゃないと言い張る宗教まがいほど、いつの間にか宗教になって行くんですって。


スペース・ラブ

at 2005 07/28 23:27 編集

「野口さん効果」で、スペース・ラムが垂涎の的になった日清食品は、笑いが止まらないだろうなぁ・・・。僕も、ちょっと食べてみたい。あんかけビーフンみたいな感じか?

日清は、カップラーメンの元祖だし、「美智子皇后のふるさと」でもあるし、業界のリーディング・カンパニーであることはだれも疑わないけれども、明星やマルちゃん、エースコック、寿がき屋にも花をもたせてあげたい。赤いキツネと緑のタヌキも宇宙に行きたいだろうし、出前一丁も、なんぼでも宇宙に出前しまっせ!という意気込みだろう。
日本人の国民食は、こういう各社の競争のおかげで、味が磨かれてきたわけだから、どのメーカーもインスタントラーメン界の主役だと僕は思うぞ。

缶詰めやジャンクフードのメーカーはアメリカにも星の数ほどあって、「宇宙デビュー」を競い合っているはずだが、お湯をかける、好みで具材を足すような細工ができるのは、「カップラーメンの人徳」みたいなものだ。

ジャンクフードと来るなら、かっぱえびせん、ぼんち揚げ、かりんとう、柿の種、みたらしだんごetcetcのジャパニーズ・ジャンク・フードも、できることなら宇宙デビューしたいのではなかろうか。
スペースシャトルの中で空中浮遊しながら、
「船長、そのebisen僕にも下さいよ」
「いやじゃ。君こそ、柿の種のピーナッツばかり食べすぎて、柿の種に失礼ではないか」
てな場面が実況中継される日は、来るだろうか。

PRのために、やってみてもいいと思う。サポーターを募れば、日本人は喜んで献金しよるだろう。
国連の経営みたいに、ジャパニーズマネーで支えられるスペースシャトル・・・
テレビに映る船内が、まるでコンビニみたいになっているのも楽しい。


幸福向き日当たり良

at 2005 07/27 15:12 編集

台風のおかげで一時的に涼しくなった昨夜は、なんと鈴虫が鳴いていた。
とはいえ、これからが夏本番なんだろうなー
と思うと、西日直射のボロ部屋暮らしは試練の場である。こんな夏こそ、通勤したいのに、休みはつらい。

こんなことをぼやきつつ、この部屋で10回目の夏。
住所も勤め先も、少しずつズレながらも、だいたい10年周期で替わってきたから、そろそろ「リセットどき」かもしれんなぁ・・・と、ふと感慨にふける。

で、ヤフー賃貸物件情報を見ていると、激安物件が多い。増えている感じ。
トータル15平米前後の、それこそ寝に帰るだけのカプセルホテルふうワンルームが、3万円台からゴロゴロある。神戸の都心の山の手で。
築浅で、おそらく震災後にスクラップ&ビルドで、雨後のタケノコのように建てられた急ごしらえの棟々だろう。
「仕送りニート」や、フリーターのような層には、手頃な棲み家という感じか。

デフレのせいで「底辺物件」が増えたように見える一方で、安全で文化的な生活のできる立地と物件を・・・と探してみると、これがなかなかヒットしない。
今も昔も、条件のいい宝物は、めったに見つからないということなのか。

賃貸家賃なみのローン返済で持ち家!!
てな広告も、よく投げ込まれているし、実際あちこちの賃貸住宅を訪ねて回って「住み替えませんか?ローン組んで」と伝道して回る営業マンの姿も、よく見かける。

この営業努力が実って持ち家族がうんと増えてくれると、程度のいい分譲貸しや、賃貸物件の値崩れが出てくるものだが、持ち家vs賃貸のかけひきは、なかなか決着がつかない。
営業マン諸君もっとがんばってくれないと、賃貸物件たたき売り(たたき貸し)が進まないぞ。

OLもサラリーマンも、ローン組んでマンション買え買え買え!!と煽られて独身のうちに高い買い物をしてしまうと、いざというとき処分するのがはばかられるのだろう。持ち家は住み続けて賃貸家賃なみのローン返済をするからお得感があるのであって、売却すると買い値の半額に叩かれたりする。

結局、売れないから住み続ける。本末転倒かもしれないが、こうして配偶者より物件と熱く結ばれている(笑)持ち家独身者は、かなり多いのではないだろうか。
そんな、持ち家と結婚している孤独な城主にも、親と結婚しているようなパラサイトにもなるまい!とふんばっている賃貸流民が、僕の周囲には多い。
こういう種族の首に鈴をつけることが、できるのだろうか。少子化なんとか政策は。

個人的には、配偶者控除もパートの非課税枠も撤廃して、ワーキングウーマンの待遇を改善する――逆にいえば「働きやすくして、ガッポリ所得税納めてもらいましょう」が最も現実的な策ではないかと思うのだが、保守層はいい顔をしないだろう。「母親が家を空けるなんて、とんでもない!!」「女性の管理職で、組織がうまく行くわけないわい!!」と鼻息も荒げて。

でも、同じことは父親にも言える。
今以上に父性に接しない子供が増えたとしたら、行く末が心配だし、それは育児にかかわらない父親と、父性と子供を切り離した母親の共同責任なのだ。

女性ほど多弁ではないにしても、一生ローンを背負って酷使される「日本のお父さん」像と自殺率とを、冷静に見ながら懐疑的になっている青少男も多い。
19歳にして達観してしまっている少年もいる(笑)。僕は非難しない。
こんなのは気の毒な状況かもしれないが、年金問題なんてこの世に存在せず、学生は女!旅!バイト!でかけずり回っていればよかった80年代と今は違うのだ。

せめて、猜疑心や不安を「言語化」する手助けをするだけが僕にできること。言語化しないと思いが伝わらないし、対話が成り立たないし、老若男女が集まって話し合う土俵――公共空間ができないし、ひいては未来が開かれて行かないように思う。
言いにくいネタにこそ、無口な人にこそ、言語は必要だ。

前途ある少年に変に入れ知恵してしまった結果、「彼がこんなこと考えていたなんてショック」という少女もいる。あぁなるほど、「男は一生ミツグくん」って・・・その言い回しの出どころは僕ですがな!!と言うべきか、素知らぬ顔を貫くべきだろうか・・・(笑)。

今どき、自信があると言っても疑われる、自信がないと言えば逃げられる、で同性諸君は大変だわね。
実際、絵に描いたようなモテナイ君・できない君は僕ぐらいのものなのに、世間では「できる女性の社会進出・怖じけづくダメ男」のステレオタイプは受けがいいのか、マスターベーションのように報道され続ける。
アホな分析(にもなっとらんわい)を続けていたら、ますます少子化には歯止めがかからないだろう。

負担ばかり増えて、負担を上回るようなお得感がないから、否婚、否年金etcetcが増えているのに、霞ヶ関と永田町では「いかに巧妙にこいつらの首に鈴をつけるか」ばかり論議されているのも困ったものだ。

海老坂シングル大明神が、「男と女の解放を」とうたったように、持ち家(ローン)やら、高くつく家政婦(女房)やら、(丈夫でバカな旦那に寄生する)お嫁さん願望やらの幻想から解放された方が、文明人としては幸福ではないかと僕は思う。
なるほど縛られてこそ得られる幸福感というのも、わからなくはないけれど、そんなフレーズ、過労死や鬱自殺した働き蜂の御遺族の前で言えるのか?

とまぁ、働き蜂と主婦が営々と築いてきた日本人の幸せを、はたして僕は尊重しようとしているのか、壊そうとしているのか疑われかねないが、さしあたっては、独身で中途半端な不動を買ってしまった男女は、そんなもの安く手放して、さー解放されましょう!!


レアル・ジャイアンツ

at 2005 07/26 06:14 編集

親善試合とはいえ、レアルマドリッドがまさかの完封負け。
なんでも、北京で試合をしてすぐ来日、日本酒でグデングデンになっていたようだから、無理もない。
「連中、いま疲れて千鳥足だぞチャ〜〜〜〜ンス!!」というわけでもないだろうが、ヴェルディに続いてジュビロも金星を狙っている。

この勢いで、ガタガタのヴィッセル神戸がレアルマドリッドに勝つ珍事も夢ではない。
あたかも、ちびっこ親善相撲で、横綱がころがってみせてやるみたいなものか?それでヴィッセルが勇気づけられればいいけど。

親善試合といいつつ、ヨーロッパのクラブチームがアジア各地にわざわざ試合をしに来なくてはいけない理由は、「実はマーケティング」だったりするのは見え見え。
あっちこっち引き回されて、中華料理でフォアグラ腹になって、日本酒で千鳥足になったあげく負け戦をして、ご苦労さんなこっちゃなぁ・・・と、お見舞いするばかりだ。

傾きかけているといえば、相撲協会もそうだし、ジャイアンツもそうだ。
相撲協会は「琴欧州さまさま」で少〜し人気を盛り返しているが、花田君という難物をかかえている(笑)。理事のサプライズ人事に期待したい。

国技はやはり野球だ。
あのオーナーとゼニカネ作戦が癌だと気づかない球団は、堀内を引きずり下ろして次期監督候補に星野さんに札束を積み、案の定、断られたと思ったら、次はヤンキースのトーリ監督だというではないか。
バックスクリーンのように開いてしまった口がふさがらない。トーリは現役のヤンキース監督である。
札束を積めば何でもできる、客寄せ効果が頼みの綱・・・という発想は、だれか頭蓋内手術してやれないのか?

部外者としては、トーリでだめならアルベルト・フジモリ、それでだめならサダム・フセイン・・・と迷走しそうな気配が、楽しみだったりする。
これ。まるで財産をもっているお年寄りに、リフォーム業者がハゲタカのように群がってくるように、金満球団に「どうですか、いっそミッキーマウス監督という奥の手は」とそそのかしている(笑)やつがいるのかもしれない。

クロマティも候補に上がっているそうだが、クロマティは日本を相手に裁判中である。なに考えてんだか。
個人的には、大洋ホエールズで腰を振っていたカルロス・ポンセを再び見たいけれど、ジャイアンツのために真面目に考えれば、名キャッチャー山倉を発掘してくればどうかと思う。「今は静かにちゃんこ屋をやってますから、放っておいて下せえ」と断られるかもしれないが。

「あぁ、だめじゃったか。んじゃーバースに札束積んでこい。牛も連れてきたら読売牧場つくってやるからの」と、ソファーにふんぞりかえって指示を出したりしているじーさまが、あの球団の癌ではないのかな。
客寄せ効果しか考えてないとしたら、ベッカム監督とかクリント・イーストウッド球団社長とか、意表をつく監督人事も飛び出してきそうで、わくわくする。
監督の指示はハチャメチャになることうけあい、でも経済効果はけっこう出たりすると思う。
いかがですか、ナベツネさん!


六本木トーチュア・ヒルズ?

at 2005 07/25 13:54 編集

関東で震度5の地震は、いくら地震慣れしている(?)関東人でも、さぞかし驚いただろう。
交通ストップ、電話不通となれば、帰宅難民が何百万人も発生しかねないから深刻だが、疋田さんのような自転車ツーキニストは、がぜん得意げにシャーッと走るのかもしれない。

乗り物で僕が心配なのは、前にもロープウェイ事故について書いたのと同じ理由で、エレベーターである。
もし、どこかのテレビ局のエレベーターが突然止まって(お台場のフジテレビが止まったそうだが)、たまたま山口もえと僕が乗り合わせていて、彼女が300cc以上の水分をとって1時間以上監禁状態になれば、一体どうなるか!!

停電して真っ暗だと、まだ救われる・・・といっても、拷問のような密室になるのは必至。
「救出されたら、大丈夫、それ僕がしたことにしましょう!!」と、ええかっこしてみせると、ひょっとする展開になるのだろうか。
でも、シースルーエレベーターだと、望遠カメラで実況中継されてしまうわ明るいわでさらしものになるからこわい。

都市部の震災だと、家に帰れない心配どころか、どこかに缶詰めになる可能性が高いのに、その恐怖を実感として想像できる人はどれだけいるのだろうか。
地下街の停電・洪水もかなりこわいし、地下鉄やエレベーターの停電もこわい。

せまい箱の中だと、生理現象でまず困る。
10年前の震災でも、我々男どもは、避難所にいてトイレが黄金の楽園になってしまうと茂みの中で用を足せたが、個室設備が絶対不可欠の婦女子は大弱りだった。無理もない。
沖縄のおばあちゃん(特に意味のないたとえ)だと、「しょーがないさー」と適当なところでさり気なく「一件落着」できるかもしれないけど。

こんな非常時にどう頭を使うか、仲間が機転をきかせるかは、アウトドア経験が役に立ちそうだが、RV車でトイレやシャワー完備のオートキャンプ場に日常生活を運び込むだけだと、どうだかなぁ・・・と思う。
トイレがあったとしても、かえって不潔で不自然な感じが否めないから、慣れてくると、「もよおしたとき即そこらへんで」となってしまう(もちろん、穴は掘って、紙はライターで燃やしてという程度の作法つきで)。

山パートナーのホリエモンとは、お互い山道で、「ちょっとタイム!」と用足しに出かけてくる気心の知れた仲だが、戻ってきたときのバツの悪そうな表情がだんだん消えて、すぐに至福そのものの達成感(笑)が満面の笑みをもたらしてくれるようになるものだ。

そんなことを集団でやると環境問題だが、15歳までの間のどこかで経験しておくと、いざというとき絶望しなくてすむかもしれない。
「女子の世界」には、もよおしてなくてもつきあわないと後で協調性云々と陰口を叩かれるトイレ仲間の絆というのがあるらしいが、いざというとき、何かの役に立つのだろうか。
まぁ、男子の世界にも妙に「クソ」の似合う体育会系のやつと、人目をはばかって個室に忍び込む僕のような貴公子(実は奇行子)がいるものだが。


乙女心と夏の空

at 2005 07/24 21:03 編集

夏の旅のプランが、なかなか進まない。
「年齢差ちょうど2倍」の危ないオッサン+乙女の二人連れである。
そりゃ、うまく行かないよう、全世界の八百万の神様が怨念をかけてくるのもわかる。
だめもとパターンになりそうな予感は、だんだん確信に変わりつつある(笑)。まぁ、いいか。

職場のシフトが・・・とか、夜中帰宅はしんどいとか、細々したハードルが、途中で次々に出てくる。
まぁ、乙女の言うことだから、「障害事項は初めから言いなはれ!!報告連絡相談!!」と、キレる上司みたいな態度に出るのもヤボというものだが、これ別に「乙女とフリーターおじさん」に特有の問題ではない。

水星と冥王星ぐらいに遠い(!?)乙女とおじさんの間柄で、仕事の都合や体調、気分その他もろもろが何から何まで合わないのは、当然ではある。
では、ご同輩だと阿吽の呼吸でぴったりコトが運ぶかというと、そうでもない。
ご同輩サラリーマンたち相手でも、なかなか呼吸は合わない。
それぞれ事情があるからしかたないとして、お互いの職場の事情や気分の移り変わりや家庭事情etcetcが、さっぱり見えないのが難しいところだ。

きっかけと行動との間に介在する「媒介変数」が、水モノのように変幻自在になっていて(これは昔からそんなものだっただろう)、まさか「私の気分は言わなくてもわかってもらえる」と思っている王子様お姫様はいない(いや、僕の周囲からは排除しているだけか)としても、心模様をもれなく伝えられるものではないし、だから第三者には把握できない。

毎日職場や学校で顔を合わせている間柄だと、集まって打ち合わせすれば10分でまとまる話も、メールでウジャウジャ打ち合わせしていると、遅々としてまとまらない感じがする。
顔を見て、「じゃ、この線で行きましょう。いいね?」とやれば阿吽の拘束力になるものが、メールだと、「都合が悪くなりました〜ゴメン」と、指先1本で簡単に変えられてしまう。いったん決まったように見えて、実は決まらないのだ。
ちょうど、シャッター押せば完成するフィルム写真と、レタッチし始めると永遠に完成しないデジカメ写真との違いに似ている。

メディアそのものが持つ落とし穴のせいか、使う側のメンタリティによるのかはわからないが、人間関係をいろんな意味で難解にしているのが、メール社会ではないかと思う。
正高信男『考えないヒト』(中公新書)は、前著『ケータイを持ったサル』に続いてケータイ依存人間の退化ぶりを科学的に(?)コキおろしている新刊書で、心理学屋さんらしい単純明解な展開なので、読み始めたところだが、あんまり深い絶望は感じなくてすみそうだ(笑)。

メール1本で退職願まですませてしまう人種は、そのうちメール婚約、メール離婚、メール遺言、チャットセックス(これは今あるか)まで導入しそうで、行く末がこわいやら、楽しいやら・・・(笑)


1000匹

at 2005 07/23 16:21 編集

カメラのパーツの安い店をネット上で見つけたら、それが梅田の店だったので、買いに行くのはすぐなのに、なんとなく通販してみた(通買?通購?)。
しかも、店まで歩いて行ける梅田の銀行のATMで振り込む俺はバカか?と苦笑しつつ、待つこと数日。
と思いきや、振り込みの翌日に郵送されてきた。
なんじゃっ、この速さは!!

銀行振り込みって、たしか昔は文書扱いがデフォルトで、やたら決済に日数がかかっていた。急ぐならバカ高い手数料を取る電信扱いとか。
まず銀行が速いのと、おまけに店の対応が速いのと、加えて郵便が速い。
ありがたい話だなぁ。

店も、「商圏は関西一円」どころか、ネット時代になって全国区・世界スケールで競争せざるをえない。
銀行も郵便局も競い合っている。
競争すれば、消費者にとっての利便は確かに上がるものだなぁと実感した買い物であった。

という市場競争パラダイスを、木曜日にはねかえしてみる。
その夜は、「福祉職の市場競争」の可能性について、いくつかのキャッチボールをしてきたのだった。

すでに、ある分野の教育者は、成果主義で採点されている。毎年、採点を総決算して、場合によっては代役に入れ替えられる。だから、教育者というよりパフォーマーに近い(教育者にさえなりきれない趣味の研究者というのは国公立大学に多数生息しているようだが、これも文化的な不良債権といえそうだ)。

実際、予備校はきつかった。
大なり小なり、営業マンや販売員というのも、競わされ比較されて生存競争しているものだと思う。そんな査定と競争の世界から、「私なりにがんばれる世界」で、「私らしいヒューマンサービスを」と思う青年男女が、福祉や心理の世界に向かっているのは、状況としてよくわかる。

そして、「お客さんと私」の蜜月関係だけ見ていれば、そこは平和で小さな楽園になる。エンプロイアビリティだコンプライアンスだコア・コンピタンスだと追求しなくていいし、会計の知識も英会話能力も法律武装も営業努力もプレゼン能力もいらない。

でも、お客さんから見て「もっと相性のいい担当者はいないのかしら」と思ったとき、選択肢がないのは不幸だ。そんなNOといえない袋小路で、実際に多くの入院患者や障害者が生かされている。

こういう人たちに情報を与え、選択の自由を広げ、ひいては人権を擁護する専門家というのは、たいてい今そこでお世話になっている施設内部のスタッフだから、言いたいことが自然に言えなくなる構造が「デフォルト」になっている。
「学校に不満のある子いらっしゃい」と、学校内に置かれているカウンセリングルームみたいなものだ(笑)。
外部から抜き打ちで、入院・入所している利用者に率直な意見を聴取しにくる福祉・医療ミシュランというのは、まだいない。やれば大ヒットするぞ(!?)

いま自分が受けているサービスを、「こんなもんか」と思い込んで囲い込まれている病人・障害者・老人に、「もっといいとこがよそにないかな」と目覚めさせるような風は、徹底的にシャットアウトするのが組織の本性というものだから、そこに風を吹きこもうとする政府の方針は、この部分だけ見ると意義はあると思う。

そうすると、スタッフも経営努力をして、成果を上げなくてはいけなくなる。ケアする専門家のケアをする専門家が必要だ。
で、専門家や専門施設が増えて、それなりの待遇を求め始めると、福祉財政がパンクしないのかね?

いや、もう破綻確実ですから、ここまで!というのが支援費の問題だが、障害者と健常者、入院(すべき)患者と通院(でいい)患者の線引きをしなおす必要も出てくる。
実際、僕の旧友で、作業所に囲い込まれて「自立できない自立支援」を受けている男がいるが、彼の方がワーカーより社会経験も豊富で人間ができていて、ワーカーに適任ではないかという気もする(笑)。違うのは、資格を持っているかどうかだけ。

線を引きなおしてみる――つまり定義を考えなおしてみるのは、やってみる価値があることではないかと思う。
たとえば、「成人は15歳」、
「80歳以上を高齢者と呼ぶ」
と変えてみれば、社会問題のかなりの部分は解決するような気もするが、アナーキーかな?


モーニング・セミ・コール

at 2005 07/22 22:12 編集

今朝もなんてこった。
セミしぐれの声があまりにもうるさくて、目覚まし時計の音が聞こえなかった。セミに起こしてもらって、目覚まし時計が小声で鳴っていたのに気づいた。
セミ天国の理由は、目と鼻の先にある。
幹線道路から30mしか離れていないのに、車の騒音を吸い込んでほとんど聞こえなくなるほど、うっそうと街路樹が茂っているせいだ。
もしホコテンにしたら、絶好のキャンプ場になる。
・・・と思えるほどだから、セミや鳥の声も、はんぱではない。
フクロウがいたら楽しいけど。

汗だくで起きて、ひと風呂浴びて出勤してきた。
まだまだスカッ!!と夏休みにはならなくて、「週末婚」じゃないが、毎週後半にちょぼちょぼ通勤が残っていて、8月も完全に休みにはならない妙な夏だ。

世間がバブリーなころは、今やると過労死しそうな「週休20万円労働」に明け暮れていたが、そのかわり夏休みとか春休みは2カ月ずつあった。
そんなバブル景気は、もうごめんだという気がするものの、オンとオフのめりはりはあった方がいい。

いちがいに景気のせいではないだろうが、今のような薄暗がりの世相だと、オンといってもサービス残業のような部分、持ち帰り仕事も増えて、一方オフといっても、とことん安心して休めないような気がする。
これも不景気サラリーマンの宿命なのかねー


海の日の苦しみ

at 2005 07/21 13:37 編集

なんてこった、誕生日の夜に見た夢で「世界初の出産男性」になってしまった!
当然、分娩なんか経験がないから、どう苦しんだか?の実感はない。
「おまえ、太ってきたねぇ」と、たまに会うたびに老母にあきれられ、そう、極秘のうちに出産に至ったのである。ええかげん「マル高」だったのに加えて、たしか早産だったと思う。

さて世間にどう公表しようか、でもこの子の幸せになるやりかたが第一だわ・・・と(笑)、わが子の寝顔を前に悩みつつ朝を迎えたのだが、「お産野郎」になるとは、なんぼなんでも神様を冒涜している!

ふだん、他愛もなく「シングルパパ・恋人あり」が理想だなぁ・・・とほざいているツケが、神様が与えた「産む苦労」の夢体験だたのかもしれないが、なにぶん現実に体験できるものではないから、そこだけきれいに抜けていた。

とはいえ、産院で、とまどいながら「おめでとう」と言われ、祝福されているのか気持ち悪がられているのか複雑な心境に投げ込まれながら、行く末の苦労や責任感を、「お気楽男」なりにヒシヒシと感じたのであった。

いま一部の国会議員が、介護保険の赤ちゃん版「育児保険」を検討しているそうだが、たしかに育児の負担は社会全体で分かち合ってほしいワ!という気持ちもわかる(官僚は、出生率回復の呼び水になればということばかり考えているだろうけど)。

ただ、育児負担の支え合いが、「現金を強制徴収するだけ」という形でしかないのが社会保険方式の素っ気ないところで、もっと血の通ったいい方法はないものかと思う。
「子供をつくった夫婦と親族の責任で負担しあいなさい」というのも冷たいし、かといって「全国民で」というレベルに広げてしまうのも、不公平感や反感を招くかもしれない。

介護保険だと、介護サービスを受けずに世を去った人の遺族に、掛け金が戻ってくるわけではないし、利用者が少ない方が制度としてはありがたいわけだ。加入者の「掛け損」が制度の成功、逆にいえばモトをとる以上のサービス受給はお得だが、保険制度の運用側としてはありがたくないから何としても阻止しようとする。

これが、主に高齢者を対象にした年金と介護の保険制度の矛盾だが、育児(児童)保険は、その成果が未来の社会で見える形になって生かされるのがポイント。
たとえば、無医村に喜んで赴任する若い医師や看護士、貧乏人から金をとらず大企業や金持ちからうんと金をふんだくる青年弁護士、自分で勉強します!先生お疲れでしょうから寝てて下さい!という学生(笑)・・・
こんな子ばかりになれば、育児保険の加入者としては、かけた甲斐があるというものだが、ホリエモンとか女子アナみたいな少年少女が増えると、金返せ!!の一揆でも起きるかもしれない。

どんな子になればいいか、どんな子になればビシバシ叱られるか、近所の村人が四方八方から教えてくれたようなムラ社会は、育児責任が母親一人に押しつけられることはなかっただろう。親の周辺の大人達が、部分的に親代わりをしてくれるから。

農村ではない神戸の都心でも、僕たち3兄弟は、そうして育ってきた。
親の職場が自宅の隣りというのも地の利だったから、遊び相手・遊び場に事欠かなかった。社会勉強も兼ねて。
こけたケガした血が出たとなっても、僕を取り上げたという産科医がそこにいるから、こんな安全・安心な遊び場はない。

今そんな子育ての共同体があるだろうか?
と考えると、現実はお寒い。
手助けを最初からあてにするのもお気楽すぎるかもしれないが、心配しなくても自然にあてにできる社会というのは、たとえ○○保険の類がそろってなくても豊かな社会なんだろうな・・・と思う。
せめて「気持ち保険」に、皆さん加入しましょう!
・・・では、なかなか福祉の現場で労働をしている人の待遇は改善されない。

ゼニもうけにもなって、社会貢献にもなって・・・という利潤と福祉の両立は、決して不可能ではないと僕は思う。
ところが、収益を度外視するのが美徳という妙な福祉思想があって、現場もそんな空気に満ちている(らしい)。サービス残業あたりまえ、労災なんて申請しません、私の好きなお仕事だから・・・というのは、ある面で立派な心がけかもしれないが、それで長続きできるのは親元パラサイトぐらいで、どうしても離職率も高くなる。

僕が会社を経営するときは、保育所と特養を敷地内に併設するぞ。
これで労働者が安心して仕事に打ち込んでくれたら、投資は回収できるはずだ。この画期的ビジネスモデルを特許申請して、二番煎じが出てきたらロイヤリティをがっぽりいただく。マスコミが来たら取材費をがっぽりいただく。

保育士さんは素人芸の従業員。「いかにも保母さん」のお嬢ちゃんだけでなく、「多様な大人に触れる」方がいいのだ(←屁理屈)。
ついでに、保育所を児童劇団にして子供にかせいでいただく。松田聖子や黒木瞳みたいな女子従業員が増えるだろう(社長秘書にする)。

特養の入居者は、従業員の親御さんだから、わが子の会社の警備や清掃は喜んでただ働きしてくれる。もちろん、我が社のおじいちゃん・おばあちゃんとして、子守りもしてくれる(はず)。
あぁ、奴隷搾取と紙一重の発想かもしれんな。


44

at 2005 07/20 18:24 編集

また1つ年をとった。死のゾロ目。不吉な1年だ。
獅子のように猛々しい「志士」になれるか、結局へこたれて「死屍累々」のひとカケラになってしまうか・・・。

ハッピーマンデーになっても、学校の終業式は律義に20日!となっているところが多いようで、専業主婦にとっては子守り仕事が増える暑い夏になるのだろう。ご苦労さん。
いつか、主婦の方々を預かる(笑)ビジネスでもできるかもしれない。子供の春・夏・冬休みに合わせて、投資教室とか、ダイエットキャンプとか。
「そんなに僕が家にいるのイヤなの?」
と子供に不審がられそうだが、もしかすると子供はとっくに「夏休みは主婦が大変なんだって」「定年後のお父さんも、濡れ落ち葉になるそうだよ」てな話をして、ため息をついているかもしれない。

20日は、雑誌発売日の波でもある。
モノクロ職人アルベルト君がついに入賞を果たした『アサヒカメラ』は、立ち読みで感動をしみじみかみしめて、買ったのは『カメラGET』(アルベルト君ごめんね)。
もともとジャンク、中古シンパなカメラ雑誌(明らかに写真雑誌ではない)で、「さすが学研」な中身だが、カメラ仙人のお部屋拝見というグラビアで、マミヤカメラのエンジニアOBが載っていた。
74歳にして、工具が密集する工房でくつろぐ姿は、神々しい。
カメラだけでなく、時計や楽器まで自在に操る「メスさばき」らしい。
すばらしい!!

そういえば、このごろ大人の自由研究だとかクラフト云々の雑誌がやたらに増えた気がするし、その頂点がスケール部門で「家造り」、ミクロ部門で「カメラ修理」ではないかと思う。
電子ブロックの復刻ヒットは、「無線機を作ろう」のムックにまでつながる(電波法抵触すれすれ)エレキ部門という感じか?

ものづくり大国ニッポンの心意気は、いまや子供より中高年に残っているだけにも見えるのは、さびしい限り。
パソコン自作派が多いようだから、「デジカメを作ろう」「プリンターを作ってみよう」あげく「CPUを作ってしまおう」まで、クラフトブームが行ってしまうと、これはすごい。
これからは、「ものづくり中年」になってみようか。
 


しあわせ〜

at 2005 07/19 15:02 編集

ちゅーぶるカメラマニ屋の秘境、M宮カメラへ寄ってきた。
ほとんど、「巡礼」するような気分だ。杜や神殿で心が洗われるように、金属とガラスの光沢で目が洗われ、すがすがしくなる(笑)。

おまけに、昨日は「境内(=店先)」でホノボノしてしまった。
50歳に手が届くかどうかの夫婦が、三脚を品定めしている。
奥さんの方が、職人店主にいろいろアドバイスしてもらいながら、中古のジッツォをいじっている。
フランス陸軍の機関銃の台座を製造しているメーカーである。今はやりのカーボンやマグネシウム製ではない、鉄製のズシリと重いタイプは、この小柄なご夫婦には本格的すぎるように見えたが、とにかく奥さんは勉強熱心だ。
店主のインスアントレクチャーを受けて、無事お買い上げ。
ペットをかかえるようにして、裸の三脚を抱きかかえ、「あぁ、よかったー」「幸せ〜幸せ〜」と、意気揚々と駅へ歩いて行った。

中古三脚を買ったぐらいで、こんなに幸福をかみしめているカメラウーマンは珍しい。旦那に連れてこられた風でもなく、その旦那は終始無言でニコニコ見守っていた。
僕も幸せ気分をおすそ分けしてもらった感じ。いい夫婦だなぁ。

最近、写真に目覚めたおばちゃまだろうか。
旦那の方はよくわからないが、共通の道楽にふける夫婦というのは、貴重だと思う。
山登り夫婦、写真夫婦というのは珍しいわけではないから、次のステージ(笑)では、道具でペアルックとか、または道具で対決というのが仲睦まじくていい。
くだんの夫婦は、もしかして旦那がカメラとかレンズに凝っていて、奥さんが三脚やホリゾントにうるさいとか・・・(渋い!)。
勝手にうらやましい。

ちゅーぶるカメラ道やビンボー鉄道旅行やラジオ等々、一緒に楽しんでいたように見えた相手と久しぶりに再会して、普通のOLさまに「戻っていた」のを発見したときの、気が抜けたような寂しさは、大なり小なり、道楽野郎ならば想定の範囲内だろう。
よくスピーチの類で「パートナーシップは二人三脚」といわれるし、それもそうだと思うものだが、二人四脚になってしまうと、二人三脚ごっこの日々がウソくさく見えてくる。あぁ、これが大人の道楽の哀愁というやつですか・・・(笑)。

サブカルチャーが主食の人種と、サブカルチャーがおかずの人種は、似ているようで実は違う。二人はいつか永遠の岐路に立たされるのである!!(笑)
だから、最初から「女にはわからん」と決めこんで、一人で楽しんでいるマニ屋も多い。
それも賢明なやりかたかもしれない。
高いレンズなんか買おうものなら、「マイホーム資金が・・・」とブツクサいわれるのも、想定の範囲内ということで。
でも、「あんたにハッセルブラッドなんか、10年早いわっ!!」と罵倒されつつニコニコしている道楽者こそ、達人というものだ。
とはいえ、達人になるための試練のようなパートナーシップというのも、ねぇ・・・


明日ベター

at 2005 07/18 13:13 編集

今さらのように騒いでいるアスベスト禍、「石綿」と書くと、これ昔あちこちにゴロゴロしてたよなぁ・・・と思い出す。理科実験では「石綿つき金網」が定番ツールだったし、くずれた壁をほじくって遊んだこともある。
工事現場は絶好の探検場所だし、ましてや解体現場や廃墟は最高のスリラー・スポットだった。
ということは、今なんともないのは、ただの潜伏期間か!?

何十年も後にアスベストが肺ガン因子だとわかったところで、当時の行政に責任を問うわけにはいかないのだろうが、「あれ、実は危いんです」と言われても困る。
困るし、手遅れ・・・でも大問題・・・という環境汚染は、ほかにもけっこうあるような気がする。

たとえば、良い子は外で真っ黒になって遊びましょう!!と勧められていたかと思えば、今は紫外線だ皮膚ガンだと「UV商売」が花盛り。
いったい、真っ黒になっていいのか悪いのか!

車道沿いのジョギングとかオープンカフェは、肺ガン誘発行為だ!と、前々から僕は「一人キャンペーン」を展開しているけれども、日光や空気や水の汚染は、なかなか感覚的に気づきにくいから、ちゃんと科学的にチェクしてほしいものだ。

大本営発表で国民総動員できる時代ではないから、せめて義務教育のレベルで、「実は体に悪い」を教えてやってほしい。
そこに日教組や保守勢力や政財界がからまって、文春vs朝日の「買ってはいけない」論争が再燃するかもしれない。

子供の人体実験のようになってくるのは気の毒だが、なんだか国民まるごと、ええかげんな環境政策の実験台にされているような気もする。医療や福祉も、実験と軌道修正の繰り返しだからなぁ。
それが、子孫にいい未来を遺すための犠牲になっているなら、浮かばれるものだが、あの世でスティーブ・マックィーンは「ま、いいさ」と苦笑しているか、「許さねぇ」と怒り狂っているか・・・?


心身植物園

at 2005 07/17 14:53 編集

梅雨が明けそうな、でもどんよりと蒸し暑い薄曇りの土曜日、そろそろ終わりのアジサイを見送りに、森林植物園へ出かけてきた。「トヨエツ同級生」のK林君と、小娘M子との異色の3人編成で。

この季節の山歩きは、熱中症と背中合わせである。
そのせいか、3連休初日にしては登山者はまばら。とにかく暑いわい。
まぁ、まったくの炎天下を歩く部分はわずかで、たいてい森の中だから、「木漏れ風」は涼しくて心地いい。濃密な緑に、目が洗われる。

植物園のアジサイ村も、盛りを1週間ほどすぎた感じだったが、しなびた花はなく、満開で出迎えてくれた。
とりあえず、携帯で撮ったスナップだけアップ。
しょぼい100万画素だから、遠景はモヤモヤだが、マクロモードはけっこうきれいに写っていて、中途半端なデジカメは無用かもしれない。
くそ重たいフィルム一眼レフで撮った方のデジタルスキャンは、今夜あたり、アップ作業かな。

雨が降るだの照れば暑いだの軟弱なことをこぼす人間より、天の恵みを全身に浴びて咲き競う夏の花を見ていると、あぁ真夏の山歩きもいいものだと思う。
「夏の穂高、いきましょー!!」の誘いに怖じけ怖じ気づいていてはいけないな。
あと1回、足慣らし(+汗流し)しておくか・・・。


ヘミングウェイの名言

at 2005 07/16 21:42 編集

気の利いた名言で、人を支配するヤカラというのがいる。
「大事なものは、目には見えないんだよ」
の類の名文句を、自分の言葉のように人に浴びせるエセ聖人が。

時の洗礼を浴びて生き残った名言は、それはたしかに宝石のような至言である。だから、好きなのを選んで自分流に解釈して、自分の糧にすればいい。

サマセット・モームの『要約すると』のようなアフォリズムは、これはこれで1つの珠玉の随筆へと熟成している名作だが、名言というのは、幾億もの言の葉が降り積もった中から発酵して芳香がたちのぼってくるようなものではないかと思う。

そうした名言を、つい安易にいただいてしまうばかりか、人に押しつけなくてもいいだろうにと思うのだが、他人のふんどしで相撲をとるようなことを恥ずかしげもなくやってしまう神経はどんなもんだろう。

こう診断してみようか。
偉い人の名言をもっともらしく語りかけると、それは神託の意味を帯びて、口にした方は偉い人格が憑依した気分になり、聞かされた側も、勘違いする。
そんな、政治的な土俵ができあがってしまう魔法のつえが、名言・至言・箴言の類なのだ。

口先で子供を支配することにふけるお山の大将が、テロリストを改心させたとか、自殺率を下げたとか、悪徳経営者を引きずり倒したという話は聞いたためしがない。
負け犬をさらにひれ伏させて、打ち負かしているだけなのだ。
なんだかなぁ、こういうのは。

そんな神託があふれかえって腐っている権化のような場所が、学校という牢獄なのかもしれない。
金八先生ドラマがその象徴で、あれを「くさいのぅ」と笑っていた僕も、かつては中村雅俊の「涙は心の汗だ!」に感動していた単細胞少年だった(苦笑)。

そのまま単細胞中年になると、「涙は心の汗なんだから、うんと流していいんだよ」てな助言で弱者をマインドコントロールし続ける。また、無宗教な国民はそんな「魂の救済者」を求め、ありがたい御言葉を求め、生産され、消費される。N谷彰宏はまだ笑えるが、サッカー選手に語らせた「語録」まで、ありがたがる信者がいる。
まぁ、イワシの頭を信仰するのも個人の勝手だが。

最初「あぁ、またか」と思ってしまった今村楯夫『ヘミングウェイの言葉』(新潮社新書)という新刊を、工学部社会学科米文学専攻の僕は、つい手にしてしまった。
ところが、この名言集、けっこう気が利いている。
というより、なんだかアトランダムにワンフレーズ抜き出してみて、それを肴に書いた文学者今村楯夫の軽快なエッセイなのだ。

スピリチュアルくさい引用句は、最後の
「単純なことを永遠にとどめるためには、目を閉じては不可能だ」
ぐらい。

もしかすると、「偉大な文豪の名を安っぽい名文句集で汚してなるものか」と謹むような気持ちが働いたのかもしれない。
とすると、すばらしい翻訳者であり、文学者であり、エッセイストだと思う。
この夏、今村訳のヘミングウェイを、あらためて読んでみたくなった。



世界遺産JR北海道

at 2005 07/15 14:05 編集

知床の世界遺産登録は、当然といえば当然で、北海道の国立公園は、どこが登録されてもおかしくない。利尻・礼文も穴場だし、阿寒・摩周湖もいいし、根釧原野もいい。

長崎の軍艦島を文化遺産にしようという動きもあるようだから、それなら夕張炭鉱もいかがかと思うが、とりあえず自然遺産は異論がないだろう。
ついでに、どさくさにまぎれて歯舞・色丹島も含めてしまえば、いつの間にか日本領に復帰・・・ということにはならないだろうか。

熊の生息密度が世界有数だというから、世界遺産になったおかげで、ますます守られるわけで、どうも人の足のようなものをくわえている熊とか、人の頭らしきものをころがして遊んでいる子熊なんて姿も、どこかで見られるかもしれない。
こやつら野獣にとっては、世界遺産さまさまである(笑)。

もしかして、今回の登録の陰で鈴木宗男が暗躍してることがわかると、登録キャンセルされたりしないのだろうか。ぜひ、しばらくの間は「俺の力さ」とは言い出さないでいてほしいが。

こんな国際的評価になると、どうしても政治的な力は否定できないから、かなりのロビー活動もあったと思う。
それはそれで政財界人の仕事だからとやかく言わないが、純粋に民間力で世界に魅力をアピールするものがあってもいいと思う。

「遺産」「北海道」「文化」といえば、鉄道だ。
線路と駅と車両、ついでに運行ダイヤもセットで世界初の鉄道遺産にすればいい(D51も復活するかも)。大赤字でも律義に走り続ける路線は、遺産と呼ばれるにふさわしいではないか。

青函連絡船も、再び列車を乗せて津軽海峡をわたってほしい。
あのドラマは、日本人が見捨てても、アジア、欧米の鉄ちゃんが放っておかないだろう。
微笑みの貴公子やチェ・ジウ、ベッカムさま(あぁまた引き合いに出してしまった)、ブリトニー・スピアーズ、ミシェル・ウィー・・・みんな「日本の鉄道大好き。私お忍びで旅してます」といえば、猫もシャクシも鉄道に殺到するぞ。

これが「東名高速をドライブするのが好き」だと、東名高速にファンが殺到することはないと思うけれど、鉄道となると、乗り合わせる幸運を探すゲームのような感覚が味わえる。だれが1537Mに乗ってたとか、どこの駅で803Dに乗り換えたとか、リアルタイムで2ちゃんねるが盛り上がるかもしれない。

この「北国の鉄道こそ、文化遺産!」という誇りは、同時に「遺産になりかねないわびしさ」と背中合わせでもあるから、このバロック風味がまたいいものなのだ。
がんばってほしいぞJR北海道!


萌えカップ

at 2005 07/14 13:20 編集

ロボカップが大阪で開催されているとは知らなかった。
京都にしろ大阪にしろ、かなり「アナログな街」だと思うからこそ、よけいに意外な感じ。

で、厚遇役人の総帥の関市長が大会委員長をしているとかで、スピーチをしていた。
失笑してしまった。
これは、「コストパフォーマンスの悪い市職員はロボットに替えて行きまっせ」といいたいのか、「ロボット以下の怠慢職員をかかえてトホホ」といいたいのか、ともかく陰のメッセージを感じた国民が多かっただろう。

これにこたえて、何年か後の大会までに、だれか「公務員ロボット」でも開発して披露してくれないものだろうか。
呼ばれたらスローモーションで歩いて行くくせに、12時のチャイムが鳴ったら猛スピードで充電スタンドへ走るとか、当てこすり芸を256パターンほどプログラムしてほしい。

当てこすりに終わらず、公務員以上に高性能なレスキューロボットや地雷撤去ロボットは、ハイテク日本のお家芸だと思うし、萌え風味をトッピングしあ介護ロボットなどが開発されると、「目的外使用」でバカ売れするにちがいない。
がんばれ、街の機械工!

といいたいところだが、こりゃ行ける、となると大手が市場参入するのは確実。
「ソニーの微笑みの貴公子ロボットが、貴女に寄り添います疲れ知らずで」「東芝の萌えロボットは着せ替え衣装つき」「サンヨーの大阪ソフトロボットは表面が人肌加工」・・・と入り乱れてくると、あぁますます出生率は低下するね。


破壊的ちゃんこ

at 2005 07/13 10:37 編集

「破壊王」橋本の若すぎる急死は、あらためて、強いのと健康は別なんだと考えさせられた。アンディ・フグもそうだった。
もしかすると、サプリメントやら筋肉増強剤やらで薬漬けになっていて、血管寿命を縮めたのかもしれないし、プロの格闘技は「そうでもしないと・・・」の世界なのだろう。

格闘技といえば、貴乃花の激やせは、「整体師の変な影響か!」「タレントになりたいのか?」「病気か?」と、いろいろな憶測を呼んでいる。
いくら引退したからといって、あのやせかたはないでしょう?と素人の僕でも思うのだが、素人は髪形の方が気になってしまう(笑)。

プロの識者によると、あまりやせすぎると、弟子たちの稽古をつけるとき胸を貸せないのが致命的なマイナスになるという。「あれじゃ肋骨が折れる」と指摘する元現役力士もいるようだし、実際に「胸を貸す」体当たり稽古は親方もつらいらしい。

体を張って弟子の育成ができないとなると、口先でああしろこうしろと言うしかない。なんだか野村監督のID野球セオリーを思い出すなぁ。
あの雄弁な(笑)貴さんの、落ち着きはらった神経質ぶりは、弟子たちを追い詰めているのか、脱走者も出ているようだが。
いっそ、貴乃花部屋はやめて、「貴乃花プロダクション」にでも転業すれば、背後にいる元女子アナも本領を発揮するのではないだろうか。

闘いを見せるプロの世界は、純粋な腕っぷしで勝負しなくても、いろんな意味での「話題性」が収益を呼べば、それはそれで許されるのかもしれない。
芸能界も女子アナ界も(あ、同じか)実際そうなっているようだし。

先代の故・貴ノ花も、大関止まりだったが、角界のプリンスだとか、華やかな結婚とか、父子鷹の物語とか、話題は豊富だった。そして、若すぎる病死。
太く短く生きるのも、細く長く生きるのも、それぞれの人生だと思うけれど、不本意な早死にや長生きは避けたいものだと思う。
「スキャンダルにまみれたまま永眠」とか、遺族に紛争の種を残すような最期というのも、残された身内が気の毒ではある。

その点で、若貴兄弟はどちらも犠牲者といえなくもない。
仲良く弟も兄貴の店の向かいで仲良く張り合って(?)ちゃんこ屋でも始めれば、相乗効果ですごい売り上げになりそうな気もする。
いやー、あの嫁さん・あの髪形だと(こだわりすぎ!)「イタリアン・レストランTAKAをプロデュースさせていただくことになりまして・・・」なんて言い出しかねないが。


もんでます

at 2005 07/12 22:17 編集

朝イチの通勤電車とは2カ月ご縁が切れる。やれやれ。
「定位置の顔ぶれ」にしてもケータイマナーにしても、ビジネスマン&ウーマンの世界にはある種の秩序がきちんとできていて、それはそれで「苦痛に満ちた電車通勤」でもない(押しくらまんじゅうにはならないから思うだけか?)。読書もできるし、マイカー通勤より「お得」感がある。

今月最後のラッシュアワーでは、「無秩序の中の秩序」を目の当たりにして感動した。
スポーツ刈りの高校生が、デイパックの中からラップにくるまれたおにぎりを出して、一生懸命もんでいるのだ(笑)。
そりゃ、ラップしてるとはいえ、本やノートと一緒にデイパックにぶちこんでいれば、崩れるわな。つまり、「にぎり直し」をしているわけだ。

がさつな少年じゃのう・・・と思いつつも、なんだかほほえましかった。
たぶん、ママのにぎった(パパでもいいけど)おむすびなのであろう。
いっそ、そこで食っちゃえば?と思ったぞオジサンは。

おむすびと通学電車といえば、つい先日のJR事故で、犠牲者の遺品になってしまった弁当を思い起こす。不幸の予感などまるでない朝、手渡された弁当こそ、あの世とこの世をつなぐ絆として、何よりも饒舌な「遺品」になっていたと思う。僕は「遺されたお弁当」の報道に接して、号泣したぞホント。

不吉な連想はイガグリ少年には失礼だが、事故に遭わなくても、弁当を手作りして持たせる習慣は、本当にいいものだと思う。
手頃な外食店がないとか、高いとか、いろいろ事情はあるだろうが、弁当という絆は、適度な距離感があっていい。

それに、愛妻弁当とか「かーちゃん弁当」を律義に職場や学校に持って行く男に、悪いやつはいないと思う(勝手な思い込みか?)。
鬼瓦のような柔道部主将が、かーちゃん弁当にパクついている姿なんて牧歌的でいいし、手厳しいカマキリ課長が、意外にも愛妻弁当に舌鼓をうっている昼休みというのも、「人間性の片鱗」が垣間みえるひとときだ。

あんまりメルヘンチックなレイアウトだと開くのに勇気がいるし、僕なら新婚野郎の愛妻弁当とみれば茶化しまくると決めているから、シンプルかつ安全に「おむすび」がいい。
この手仕事で家族が結ばれているわけだから、「おむすび」と呼びたい。「おにぎり」は、どこかエッチだし。

へー、家族愛にめざめたんすかー!!と、社長令嬢サバ子の冷やかしも聞こえてきそうだが、そうであって、そうでないような・・・。
職場で弁当を開いて、「へー、愛妻弁当ですか」と聞かれたときに、「まー近いかな、法的に妻じゃないんだけどさ」というのがクールでいい。超・愛妻弁当である。

さらに妄想特急で行けば、娘に持たせる「パパ弁当」には、腕によりをかけて全力投球したい。
娘が幼稚園で聞かれたら、「これパパがつくってくれてるの」で先生たちをどよめかせる計画となっているのだ。
「なにか事情がありそうだわ。家庭訪問しないと」と思い立った竹内結子せんせいを、からくり屋敷で待ち受けるワタクシ・・・
そうは問屋が卸してくれない世はまだ末ではないな。


松嶋彩

at 2005 07/11 16:07 編集

雨宿りがてらハーバーランドのベンチでメールをごそごそやっていたら、親子3人連れがやってきて、のどかにアイスクリームを食べ始めた。
どことなく、しんみりしている。暴れ盛りの兄弟も、妙におとなしい。
すると、だしぬけに、次男(推定6歳)が、
「ママー、りこんだけは、しないでね」
と言うではないか。なんじゃいな!?

母親は一瞬絶句して、「こんなとこで、そんなこと口にするんじゃないのっ!」といいたげな狼狽ぶり。
なんだか深い事情がありそうだが、よくありそうな話でもある。

兄弟そろってウィーン幼年合唱団(架空)のようなかわいい坊やで、母親はというと、アマチュア松嶋菜々子とアマチュア杉本彩を足して2で割らないような、驚きの女神である!
これはもう、「キミたち、ママの離婚ぐらい許してあげたまえ太っ腹で」と命じた上で、「ママの離婚後はおまかせ下さい」と太鼓判を押してしまいそうになるが、変なおじさんに見られるのがオチだろうから、やめといた。

と謹慎あいつつも、
この子たちの養育費は、俺が払わにゃならんのか?
と、つい気遣いしてしまったのも、先走りのしすぎかもしれないが(笑)、前向きに検討してもよかったぞ。

「ママー、妹ほしいよー」と坊やが無邪気におねだりすると、ママはどんな顔をするのでしょうか!!!!
とまぁ、妄想特急が暴走しそうなので、人騒がせなビューティフルママは離婚など考えず、貞淑に暮らしていただきたい。

こんなミセスは、一人で外出するとナンパされ続けて大変だろうから、「男よけにもなる子連れ」でいるのかもしれないが、ワタクシの前では逆効果というものだ。
それなら、たとえば出川哲郎ふう旦那と幸福絶頂期のファミリーを演じていたらどうか。たぶん妙にアマチュア出川野郎を勇気づけることになって、これも逆効果だろう。

ベッカムだんなという選択肢はどうか。
絵になりすぎるカップルというのはイヤミだし、長続きしないものと決まっている。
どれにしても、ミセスのかけこみ寺は結局ワタクシということになるのだ。
んー、しかし3号被保険者にはしてあげられないかもしれない・・・(笑)。


半日鞍馬天狗

at 2005 07/10 08:54 編集

ニコンのズームが安く手に入った。もちろん中古で。
「アウトドア撮影はペンタックス」で一通りそろえて、かれこれ20年、故障知らずで働いてくれていたのが、標準域のズームニッコールを入れたせいで、2系統のメーカーがそろってしまった。

もらった父の形見がニコンだったせいで、どんどんニコン勢力が増強されて行く。危うし、ペンタックス!
ペンタックス軍はLX1台を酷使するばかりなのに、ニコン精鋭軍はすでに2台ある。おまけにマニュアルニコンは、どのボディも優秀で、全部ほしくなるから困る。

先月、裏山へお供してフィルムが半分残ったので、抜いてニコンに詰めて、昨日は京都へ出動してきた。ズームニッコールの試写を兼ねて。
行き先は、やはり山間部の、鞍馬寺である。

格安切符を買うと、京都まではJRで50分一直線、たった550円で行けるが、京都市内で地下鉄や叡山電鉄を乗り継いで580円かかる。変な気分。
それほど市街地から離れた鞍馬界隈は、緑が深くて静かだった。祇園祭の最中だったが、しょぼしょぼ雨が降っていたおかげで、山里は観光客でごったがえすほどでもなかった。

それもそのはず、鞍馬寺参詣道は、これでもかといわんばかりの登山道そのもので、ほとんど修験道の山寺である。
だから、鞍馬天狗じゃない一般庶民が手にする観光ガイドブックに載せるのはいかがなものか?天気と季節によっては遭難者が出かねないよ・・・と思うようなコースだった。
ふと思い起こせば、うちの裏山の摩耶山天上寺や再度山大竜寺も、こんな感じだった。

雨の森はしっとりしているし、もやに煙る古木は荘厳で、お堂で雨宿りしてぼーーーっとしている気分は悪くない。
テープで聞かされた宇宙エネルギー云々の講釈には笑ってしまったが(名シェフが腕を奮うレストランの客席に味の素が置いてあるようなものだ)、そんな安っぽい御託をばらまかなくても、参詣道を黙々と歩くだけでも命の洗濯になるわい。

それでも強まる雨足にしっぽり濡れながら、急ぎ足で泥んこになりつつ貴船へ急ぎ、下山してほっとひと安心。
鞍馬寺は花の1つも咲いていない森また森の謹厳な山寺だったのにくらべると、貴船神社は「華」がある感じかな。川床のある飲食店や宿もちょこまかとあって、「お忍びの旅」スポットかもしれない。

あたふたと神戸に戻ると、雨はあがっていて、京都との季候の違いを実感した。雨粒だらけのズームニッコールとF3は、とりあえず故障せず働いてくれていた。

しかし野の花の1つも皆無の、地味ーな寺ではあった。京都にしては珍しいのではないか?ツユクサぐらいはどこかにあって、見落としていたのかもしれないが。
この季節だと、藤や紫陽花や桔梗など、寺社ごとに咲き競っている花を巡る旅というのも楽しみになるけれど、たまには森と草木だけの精霊を感じる静かな参詣もいいものではある。
宇宙エネルギーというより、むしろ大地からしっかり養分を吸っている草木の生命力そのものを感じる「サイエンスなお散歩」だった。


串田孫一さん追悼

at 2005 07/09 10:00 編集

不意に飛び込んできた、串田孫一さんの訃報。
なんとも寂しい。
先月、新聞で晴耕雨読のような生活を楽しんでおられる哲人の姿が紹介されていたばかりなのに。

でも、「自宅で老衰のため永眠」という自然な最期は、珍しい。89歳だと、普通なにか病気をかかえて、病院で看取られる場合が多いから。
僕の祖父母も、眠るように家の畳の上で息を引き取った。そして串田さんは、なぜか僕の祖母にそっくりなのだ。「おばあちゃん顔のおじいちゃん」は、本当に親しみがわく(ドクター日野原の人気の秘訣も、そのへんにあるのかもしれない)。

おばあちゃん顔といっても、串田さんは哲学者でもあるから、柔和な顔の奥に深い思索をたたえて、膨大な著作を遺しておられる。
著作数と古本で流通している量の比率を出してみると、極端に「出回ってない多作家」が串田さんだと思う(両方多いのが赤川次郎か)。
それほど「愛蔵度」の高い随想が多くて、それもやはり読者が同じような立場に身を置いて追体験できる楽しみがあるせいかもしれない。山野を駆けまわりながら詩を読み随想を書く行動派・・・というと薄っぺらくなってしまうが、真似事をしてみたくもなるのだ、山男は。

山を歩きたかったから定年前倒しで国立大学の教授をやめてしまったというから立派だ。
そして、存分に山を歩き、音楽を語り、FMのDJを始めてしまう。
この身軽さは、名誉教授だなんやら審議会委員だと公職にしがみつく学者とは好対照だ。

不謹慎だが、著作集が出て、手に入らなかった本も読めるかもしれない。
虎は死して革を残すというが、串田さんは著書だけではない。
杖を置いて路傍の岩の上で一服している老登山家の姿に、山小屋で地酒をちびちびすすって若い登山者の話をニコニコ聞いている老登山家夫婦の姿に、串田孫一の面影を重ね合わせることができる。

今の「中高年の登山ブーム」の未来に、串田孫一的「山の思索」ブームがあると僕は直観している。
合掌。


郵便的不安

at 2005 07/08 08:35 編集

夜勤日だった昨日は、ロンドンの地下鉄テロより、電車が「須磨駅で小動物と接触のため8分遅れ」というトラブルの方が気になった。
車で出勤していた同僚も、その隣りの区のインターで「小動物が迷い込んだとかで渋滞してたわよ」と笑っていた。

イノシシかなんかですかねー、とうなずきあうものの、少し雷雨が降ったぐらいで、電車や道路をふさぐほどゾロゾロ人里に出てくるお騒がせ者ではないだろう。
未だに謎。

あぁ、「小動物」で電車が止まる日本はのどかでいい。
もちろん、地下鉄サリン事件などは外国からすると宗教テロで、イスラム原理主義テロと同列に見られているのかもしれないが、日本人自身は、テロ対策という意識はピンとこない。「鉄道事故」で100人、飛行機事故で500人という単位で犠牲者が出るから、テロより人為的ミスの方がこわい。

それにしても、英米が中東に干渉するのは今に始まったことではないのに、ニューヨークやロンドンの一般人を一瞬にして何百人、何千人と直接狙うテロが
結果的に、国民を直接不安にさらすような政治にも、どこか致命的な脆弱性があるのではないだろうか。
その象徴がブッシュとブレアという、おちょくられやすいキャラクターだ。

米ソが対立していたころの、レーガン、サッチャーには、水も漏らさぬ威厳と風格があったのに、「アンポンタンといたずら某や」は脇ゆるゆる、難題にぶち当たると癇癪と恫喝とヒステリー・・・で、威厳のカケラも、風太くんほどの風格もない。

一国のリーダーシップというのは、小手先の手練手管ではなく、国民の「恭順」を自然に集めるような謹厳、風格、威信のようなもので、ただの票集めゲームで「合法的に首班になったもんね。文句あっか」では、ちょっとそれは・・・という気分になる。
これが、デモクラシーが宿命的にかかえる脆弱性のようなもので、その兆候として、足元から国民の安全が崩れてくる。

かといって、君主専制を復活させよというつもりはないし、テロのいいなりになれというわけにはいかない。
そもそも英米国内にだって、中東から手を引けという世論があるのに、「テロに屈したことになるのはボクいやだから、後には引かないもん」という意固地なバカ殿様と軍部と戦争商人が、国をまるごと「座礁」させてしまっているように見える。

日本にとっても、他人事ではない。
不条理な犯罪、自殺も増え続け、出生率は減り続ける。国民が逃げ出すのではなく(優秀な頭脳は流出し続ける)、この国で生きて行くことを否定する国民を増やし続けている政治は、投票という形で政治参加する国民を減らし続けている。
なにか「根本的に失格」という気がする。いや、そもそも政治になっていない。

かといって、バカ殿様の手遊びを否定しようにも、オルタナティブは石原慎太郎か、宗教政権かということになるから、どうにもあぶなっかしい。
数合わせで議席総数だけは多い民主パッチワーク党も、いつ空中分解するかわからないし・・・。

いま国民をしっとり安心させる勢力は、郵政民営化反対議連かもしれない。支持政党を超えて、国民の熱烈な支持を得られるだろう。
その勢いで、郵政党をつくればいい。いかがかな?綿貫さん、静香ちゃん。
まずは文月にちなんで、「手紙を書こう」キャンペーンで、やんわり人心を包み込んで行く。キャンペーンソングには、中島みゆきの「恋文」を使って。

これで、「省が消えても政党として復活する」前代未聞の例になる。
となると、個人的には、鉄道省も復活させたい。これも、確実に社民党以上には党員、票を集められると思うのだが。


ロリンピック2012

at 2005 07/07 14:37 編集

オリンピック開催地を、英米仏で争っていたとは知らなんだ。
お互いに、
「テロの標的になるようなものだ」
「うまいもの何もないじゃないか」
「チーズくさいぞキミたち!」
てな痴話げんかも、あったにちがいない。

極東の島民にとっては、どこでもいいようと思えるし、今は北京五輪で日本選手が襲われやしないだろうか、いっそボイコットした方がいいだろうか・・・で頭が一杯だろう。

この際、「
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