solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2005年9月の日記
ふーみん祝勝ダイブ

at 2005 09/30 22:27 編集

昨夜の道頓堀川は、案の定やっていた、優勝ダイブ。
妙にナルホドと思ってしまったのが、迷惑防止条例や軽犯罪法ではなく、公務執行妨害でつかまっていたこと。
警官の制止をふりきったか、どつき返したか、まぁ小ぜりあいをやれば、公務執行妨害!で重罪になってしまう。
ただ、いくら重罰を課しても抑止効果はないだろう。

ナルホドとはいえ、警官が裁判官になっては困るから、つかまった浮かれ者の側は「優勝祝賀権」「飛び込み権」「遊泳権」を主張して、人権派弁護士とともに戦っていただきたい。
「こんなこと」でも裁判になって、次の衆議院選挙の争点にでもなれば、土井たか子の「山が動く」じゃないが川が動くこともありそう・・・ではないか(ない。か?)。

いっそ大阪ミナミだけは、タイガースが優勝した年いっぱいに限って治外法権にして、タイガース特区とするのも一案。
もう、何が起きても文句はいえない。いいタイミングで台風でも来てくれたら、川に飛び込んだ浮かれ者を流し去ってくれるかもしれない。
まぁ、それも「タイガースおひざもと」の覚悟というもんである。

穏便にすまそうと思えば、ジャンヌ・ダルクの登場に期待するのもいい。
つまりだ。熱いファンでもあるらしい府知事のふーちゃんが、「皆さんダイブやめて!その気持ちは私が代表して引き受けて、ビキニで飛び込んだげるさかい」とでもなれば、府民もファンも感動して、フーリガンさえおとなしく見守るのではないかと思う。
見たいような、見たくないような・・・(でも僕は見たい)




at 2005 09/29 16:41 編集

友人と、早めの昼飯いこか〜と、開店直前のココイチカレーに足を運んだ。前夜はスリランカ料理屋さんでマトン、チキン、大豆のカレーを食っていたから、なんだかカレー中毒気味だ。

いかにも開店を待って並んで立っているのもみっともないので、少し離れた歩道で横を向いて立ち話をしていた。
すると、歩道をスタスタ歩いてぎたバーコード頭おじさんが、通りすぎざまに、「チキンカツカレ!」と独り言を言い放って消えて行った。「カレー」ではない、早口で「カレッ!」である。
「なんだろねー、あれ」
と笑いながら、中で適当にランチをすませ、レジをすませて出たところで、連れが「中にいたお客さん、チキンカツカレーばかり注文してた」という。

ゾクゾクゾク・・・
いったい、なんやねん!この不思議なチキンカツ・マジックは。
「開店直後はチキンカツカレー100円引き」てなキャンペーンをやっているわけでもなかったし。
バーコードが見知らぬ客にテレパシーを送ったのか、客の注文を予言してみせたということなのか?
チキンカツカレー同盟みたいなものがあって、バーコードが司令塔として号令をかけたわけか?

思い返すほどに不思議な、雑踏のつむじ風のようなミステリーだった。
独り言おじさんからは、目が離せない。


糾弾人事

at 2005 09/28 17:27 編集

楽天がノムさん、巨人が原、そして広島は・・・?
と、不振の各球団の監督人事がささやかれている。いや、大々的に騒がれている。

まだシーズン中にこんな後任人事が報道されると、現場はやりにくいだろうと思う。
まぁ、ジャイアンツ堀内は、春からシーズンオフの去就が想定されていたから(笑)交替は自然なこととして、いつもはさわやかな笑顔の田尾さんの放心状態のような表情を見ると、つくづく同情する。
うわぁ・・・またID野球かよ、サッチー復活もか?ワナワナ、ハラハラ
と、選手たちも心穏やかならずだろう。

こんな中で、欽ちゃん球団は人気上々だとか。
いっそ「コント55号野球」の線で行けば、少なくとも巨人より楽しいプレイが見られるのではないか?とさえ思う。
芸能界が球団を持って悪いはずはない。
ホリプロ・キャラバンズ、関西ジャニーズ(そのまんま)、あと演歌系もあっていい。ずんどこ何とか、とか。
真打ちは、イエローキャブ・ウォーターメロンズ。
がんばってほしいぞ佐藤江梨子。もう、全イニング始球式みたいなゲームで、「野球の試合」にならないかもしれんが。

阪神M3というのも、去年ほどの盛り上がりほどでもない気がする。ホームグラウンドで巨人を迎え撃って優勝、とシナリオを描いてみても、慣れっこになっているのか、おおらかにかまえているようだ。いかんなぁ・・・阪神ジャイアンツみたいになっては。

村上ファンドが阪神電鉄の筆頭株主になったとかどうだとかニュースになっていたけれど、「ファンが株主」という形になればどうだろうと思う。
だからここは村上さんにファンになれ・・・ではなくて、買った株を虎ファンに安く卸し売りでもしてくれたら、お株が上がるのではないかなーと素人考え。


マーボー

at 2005 09/27 10:21 編集

不動坂、北野坂、ハンター坂、トアロード・・・と並んだ坂道と、東西に走る「五線譜」とが交わってできたマトリクスは、数百m四方で囲まれたブロックごとに特有の地元民を繁殖させる。

黒服族はこのブロック限定で出没するとか、このブロックに入ると必ず「イラサイマセー!!」の声を浴びるとか、せまい街なのにずいぶんシビアに「島」が区切られている。
闇の世界の秩序が強力に働いているせいかもしれない。

なにかと雑誌でもてはやされるトア・ウェストの1本西隣りは、わりと大きな鯉川筋という坂道なのに、さっぱりハイライトが当たらない。
けっこう、おもしろくなってきたのに。

この坂道に、あえてテーマをつけるとすると、中華ベンチャー通り」という感じだろうか。
別にレノボ・ジャパンがオフィスをかまえているわけではなくて、創作ラーメン屋の類がそこそこ客を集めている。
ビーナス・ブリッジから下ってくるカップルなんかは、中華街まで行く前に、このあたりで捕捉されると思うから、それっぽいこじんまりしたビストロ風の店も多い。

鉄道をはさんで南側は老舗が群雄割拠する中華街だから、こっちは自由にやりまっせ、という乗りだろうか。
それでは乗ってあげましょう!というわけで、昨夜の夕食は、のぼりも派手な某店で麻婆丼を試食してみた。

おぉぉぉぉっ・・・辛い!
けど、うまい!
しかし、辛い。付録でついている卵スープも、焼ける舌にはきかない。でっかい唐辛子がそのまま入っているもんだから。

結局、ハーヒーいいながら、晩飯どころが1つブックマークされた。650円は手頃だ。
もう少し水っぽい、あんトロな麻婆豆腐が好きなのだが、この辛さで「つゆだく」だと、相当ハードだろう。

しかし変な店だ。
カウンター上には全国の地酒が並んでいる。なんじゃこりゃ。店名は「いかにも中華」なのだが。
客席は、団体貸し切りの2階大部屋と、1階カウンター席しかない。僕のほかに、カップルがカウンター席でやはりスーハー、ヒーハーやっていた。
1階に置けば置けそうなのに、二人テーブルや四人テーブルがないのだ。だから妙に間延びしている。これから繁盛すれば席を増やすのかな?

発展途上感に、ほのかな期待が持てる麻婆店であった。
ご近所ダイニングの探索は続く・・・


愛知急迫

at 2005 09/26 10:08 編集

愛知万博が、終わってしまった。
行こう行こうと思っているうちに・・・とはいえないが、ロングランのお祭りが成功裏に終わったのは、まずはめでたし、めでたし。
設備がせこいとかテーマが茶番だとか、いろいろ下馬評はあったものの、2000万人以上来てくれたんだから、よしとしょう!という感じだろうか。

個人的には、愛知万博の余波でいろいろ出た名古屋本で、あっと驚く名古屋グルメの数々を勉強させていただいたので、いずれどこかで役に立つかもしれない。
近いようで遠いようで・・・・結局、素通りしてしまう都だから、案外ずるずる先延ばしになりそうな気もするのだが。

それなら、どんどん関西進出、東京進出してくれたらいいだがも〜と思うのに、名古屋グルメ業界は慎み深い(?)せいで、かえって魔境&怪食イメージが高まってしまうと思う。
きしめんと味噌カツだけというのは、ちょっと寂しい。

ぜひ全国波及してほしいのが、喫茶店のゴージャスなモーニングセットというか、なんだかんだとワンセットになる「おまけ文化」だ。
すばらしい!!ぜひ、自信を持って、名古屋スタンダードをグローバル・スタンダードにしてはいかがなものか?

スタバではない喫茶店愛好家としては、この「食堂のような名古屋喫茶」は要マークだが、モーニングセットの時間帯に名古屋に降り立つような用事がまずないから、かなり先延ばしになりそうなミッションではある。
そう思っていたら、こちらの感覚でいうモーニングセットは、昼も夕方もやっているらしい。
ますます、すばらしい!!

よそ行きの博覧会より、名古屋ライフむき出しの「ふだん着の尾張名古屋博」を、超ロングランでやればいいと思う。
そう思っていたら、日本の婦女子には、じわじわと「名古屋嬢」化が進んでいるそうな、先週出たDr.香山リカの『今どきの常識』(岩波新書)によると。
この本については、またあらためて。


グラマー大好き?

at 2005 09/25 12:42 編集

無性に英文法を勉強したくなった。
でも「受験英語」はいやだ。スヌーピーが踊っているようなテクストブックも、なんだかねぇ・・・。
大学受験でもなく、TOEIC受験でもなく、研究者でもなく、趣味で(笑)英文法を勉強する酔狂な人間というのは、なかなかマーケットを形成するほどいないようで、しっくりくる本を探すのに苦労した。

4〜5軒の書店を回って、ようやく「しっくり」きた。
『総合英語フォレスト』。おぉなつかしや、桐原書店である。
やはり研究社とか、開拓社、南雲堂etcといったあたりへのブランド信仰から抜け切れてないのは「共通一次世代」の哀しい性というべきか(共通一次は受けたことがないけど)。
なんだかこう、ギッシリ感があって、多色刷りで、ソフトカバーでA5判というのが、そそるのだ(笑)。

僕の世代だと数研のチャート式とか旺文社の精解シリーズの効能にひれ伏して後遺症を引きずっているぐらいだから、新ブランドの「フォレスト」というのは知らなかった。世に出て6年でもう4版、8刷と改定を重ねつつ売れているようだ。

カバーには自社の受験参考書の宣伝がついているわりに、中には受験に役立ちます云々の効能書きは一切ない。ちゃんと確認ミニテストもついているわりに、「98年上智・文」なんて但し書きもないし、24章もの細かな章だてで、文法の詳解に徹しているのがたのもしい。
純粋に英文法をちゃんと磨き直して、英文メールやビジネス文書に役立てようという社会人向けか・・・?
ええ感じやねぇ。

文法や語法のpolitenessというのは、異文化摩擦や訴訟騒ぎが深刻になりがちな今どきだからこそ、よけいに大切だと思う。
なぁなぁ社会で我々が慣れ親しんできた日本語は、欧米語にくらべると文法がルーズで、単語をどう並べても意味が通じやすい。
そんな村の習わしを欧米に持ち出して、英単語をやみくもにならべていると、とんでもない誤解を招いてしまう。

今ふうにいえば、相手や場所に応じてoptimize(最初に訳したのが技術屋さんなのかもしれんが、最適化なんて日本語はどうにかしてほしい)しないと、いざこざの元になるか、陰で「あのジャップはバカだ」と笑われているか、まぁろくなことがない。

おぎゃーと生まれて以来ずっとネイティブ・イングリッシュを呼吸して育った連中に、発音や聞き取りが追いつくのは絶望的だから、せめて書いたりしゃべったりする外国語は正確さを心がけて、リスクを減らすのが賢明かいなと思う。

いっそ、「文法ミスで撃たれるはめになってしまった留学生」とか、「支離滅裂なアピールをして不当逮捕されちゃった観光客」なんて例を、どんどん参考書に載せて中高生を震え上がらせるのも名案だ(ちがうか)。

とはえ、昔も今も文法は毛嫌いされがち。
僕もとりたてて好きではなかったし、むしろ面倒くさかった。ただ、「文法はむずかしいけど、大事なの。だから少しずつ、がんばりましょう」と、優しく教えてくれた初めての英語教師のおかげで、挫折はせずにすんだ。

ようやく「文法はおもしろい」と思ったのは、意外にも日本の「古文」だった。
日本の古典は、簡単な文法を把握すると、書かれていない主語が浮かび上がってくるし(たとえば現代日本語でも、おっしゃいましたよね?と問うだけで主語が暗黙のうちに想定されるぐらいのレトリックは、だれでも使いこなしている)、物語の舞台の人間関係まで見えてくる。まるで魔法の杖といえるかもしれない。
それも、薄っぺらい文法マニュアルか古語小辞典1冊あれば、源氏でも女御さまたちの日記でも、霧が晴れるように読めてしまう。

パズルのような楽しみの後に残る古典文学の情感や風雅は、ちょっとした息抜きになったりさえするものだが、もちろん、受験生の立場にしてみると、動詞の不規則活用や係り結びなんか、味気ない難行苦行なのだろう。

だからこそ、苦い薬を楽しいオブラートに包んで巧みに呑ませる名人芸こそ、英語、日本語を問わずプロ教師には必要なのに、無責任な「文法無用論」を唱える罪なセンセイも多い。
おかげで、日本人は未だ「a」と「the」すら使いこなせていない。

とりあえず冠詞ぐらいは間違えないように・・・とささやかな切迫感(?)に突き動かされたのも、参考書を手にした動機の一つなのだが、はたして僕は a Japanese なのか、the Japanese なのか、おのれの帰属意識からして問いかけられているような気もする。グラマーあなどれず!である。


ED

at 2005 09/24 12:26 編集

中古でフィールドスコープが出ていたので「救出」してきた(笑)。
行楽の秋には、行楽に行かなくても望遠鏡!なのだ。

たかが望遠鏡でも、いいレンズを使うとガクンと高くなるし、ニコンの望遠鏡なんてなかなか値引きしてくれないから、新品同様で出ていたのは「珍品」ではある。

EDをアピールしてるのが男心としては少し引っかかるが(=考えすぎ)、ともかくED。
ニコンのEDレンズというと、スチルカメラ用のEDニッコール180mmf2.8というのは使っていて、シャープさ、抜けのよさ、逆光強さに舌を巻いたものだが、あぁこれで両方持ち歩くなんてことになるとズシリと重たくなるなぁ・・・と、ため息が出る。

帰宅して、さっそくフィールドスコープを三脚につけて星空を見てみる。光害すさまじい「1000万ドルの夜景都市」のど真ん中だけに、夜空のクリア度には期待してなかったけれど、さすがに夜空は星だらけだった。当たり前か。飛行機がウジャジャ飛んでいる「夜の関西上空」がわかったのも意外だった。

ただ、「さすがEDレンズ!」かどうか、比較しようにも初望遠鏡だからよくわからない。口径はかなり小さいのだが、像はクリアに見える。
天体望遠鏡と違って地上望遠鏡は正立像で見えるから、自由雲台をゆるめて星を探すのが楽。

いや、望遠鏡自体は好調なのだが、三脚がしょぼい行楽用だと、乱視になりそうなほどブレまくる。
ジッツォにつけるとさすがにピタッと固定されるが、あぁ・・・この望遠鏡を使うには、本体の4倍もの重さの三脚をワンセットにせんとかんのかい?と思うと、少しつらい。

ましてや、とてもじゃないが反射望遠鏡だ赤道儀だグレードアップする気には、とてもなれない。ドブソニアンぐらいならベニヤ板で作ってもいいけど。

・・・けど、のめりこむと私設ドームまで建造してしまったりするのが、天文ヲタ。
そこまでではないよなーと自覚しつつも、「でも無線小屋にあこがれてた時期もあったではないか、鉄塔にアンテナを揚げた・・・」「暗室も、ほしいわなぁ」「隣り近所に気がねなく真空管アンプでタンノイを鳴らしたいと夢見てたんではなかったっけ〜?」と、胸に手を当ててみると、わが内なる銀塩成分と電磁気とオーディオ分(?)がほてってきて、「なりゆきドーム」落成という運びにならないとも限らない。

いやー、EDレンズを通した星空はきれいだ。
光害のない土地に、どうにかして小屋でも建てて、夜通し没頭するのもオツなもんかもしれない。反対する妻子もいないし。
いや、反対勢力がなからこそ、進まないのかもしれない。


連休貴族

at 2005 09/23 07:46 編集

土日しか休めない勤労者とその家族を尻目に「平日貴族」を決め込んで、野山でひっそり遊んでいたクセが、だいぶ治ってきた。長いものに巻かれても抵抗しない、円くなった我が身がうらめしくもある。
「わしゃ土日は家で静かにしておるのだ!連休のレジャーなんてとんでもない!」と尖っているうちが、もしかすると青春という時期なのかもしれない。
でも未だに、冬の連休に「滑りに行かな〜い?」と誘われても乗らない不義理を続けているから、このまま行くと寂しい老後が待っていることだろう(笑)。

盆や年末の都心はガラすきで気持ちいいのに、ふだんの連休だと買い物やらデートやらで騒々しいから、裏山ほっつき歩きぐらいがちょうどいい。
だれもいない静かな山河! 絶景を独り占め!
でも、急病になったらうまい具合に人が通りかかって助けてもらえる・・・。
そんな都合のいいこと、あるわけないから、俗人は群れる方を選び、「平日貴族」は孤独に行き倒れる(笑)。

しかしねぇ・・・山関係にしても鉄道関係にしても写真関係にしても、湯水のように出る雑誌が、どいつもこいつも紅葉!黄葉!こうよ!で盛り上がっている。これでもかといわんばかりに見せつけられるカラーページ、観光しないと損!といいたげなモデルコースは、なんだかせきたてられている気がする。『山と渓谷』まで、萌え萌えと燃える秋をかけて穂高ん登れとけしかけてくる。
強迫的な情報は遮断して、静かにCDでも聴いていた方が、骨休めになりそうだ。

純米酒でほろ酔いしつつ、暖かいアート・ファーマーのフリューゲル・ホルンとヨーロピアン・ジャズ・トリオのコラボレーションを聴いていると、コテンと寝入ってしまった。
あー、これが一番いええわ・・・と、さわやかに目覚めて、さてこれから悦楽の「二度寝」に入ろう。


阪神M6

at 2005 09/22 13:21 編集

そういえば、去年「阪神優勝」を商標登録してた野郎はどうなったんだろうか?
今年は「阪神M1」を登録してたりするかもしれないぞ・・・と、少し胸騒ぎがする(笑)。
まぁ、刺客に狙われる覚悟があるならの話。

お役所にとっては、今年も心配のタネが道頓堀川。
ダイビングは困ります!といいつつ、府知事のフーちゃん自身、メガホン持って試合を応援に行ってる姿まで報道されているから、盛りあがるなという方が無理。下手すると、フーちゃんが胴揚げされて川に放り込まれかねない。

役所はいつも無粋なことをするもので、今あるフェンスに加えて、壁を設置するという。
単純明解に力ずくで、ということらしい。この発想、川の中にテトラポットまで置きかねへんで。

去年も僕は日記で、水を止めればいいとか、水の代わりに某野村監督の奥さんを流せばだれも飛びこまないとか、勝手なことを放言した憶えがあるが、「飛び込んだら怖い目に遭う」か「飛び込む気が失せる」ような、それでいて祝賀ムードに水をささない粋な対策がほしい。

いっそ、大阪らしくウンコや死体をどんどん流せば、飛び込む人はいなくなりそうだし、「日本のガンジス川」で観光名所にもなるかもしれない。
それではあまりにも美観や衛生上の問題があるから、上流の橋で放尿を許可するのも妙案。
・・・あぁ、これも下手すると「関ジャニも優勝祝賀つれしょんやってるらしい」と噂が流れでもしたら、おねーさん、元おねーさんがわんさか飛び込む。

ましてや、「微笑んでいる貴公子が、あぁあの橋に立って両手を…まさか!!」となれば、もう、川は飛び込んだ1万人の女性ファンで埋め尽くされるね。
コラっ浪花女を変態扱いすなーっ!!
と叱られそうだが、去年はスカート満開で飛び込んでた少女もいたから、ありそうな話ではある。

まぁ一番無難で、ダイビング気分は味わえて、実害も避けられて、しかも安上がり(これ大阪らしい価値観)なのは、網を張ることぐらいではないかと思う。その網には粘着液でも塗っておけば、「それでも飛び込むアホ」がさらしものになる。

そんなイチビリだけではつまらない。お役所仕事もつまらない。いたちごっここそ、庶民は見て楽しみたいのではないだろうか。
さて、今年は何が見られるのか・・・?



発進基地

at 2005 09/21 22:38 編集

職場の都合で、また今週も4連休。
でも、「さあ穂高へ」という強靭なバネのようなものが、なくなったなぁ・・・と思う。
職場から一目散に帰宅、身支度を整えて信州へ発進!という機動力は、どこに行ったのか。「まぁ、山は逃げんわいな。そのうち・・・」おウニャウニャ言ってる間に初雪が降って、冬山登山で凍えるのがいつものオチとわかっているのに。

職場や学校のクラブ活動だと、任意で入っているのに半ば強制力みあいなものがあって、行事だ定例だ慣例だシキタリだと窮屈なことはいろいろあれど、曲がりなりにもどこかに体を運んで、レクリエーション一丁あがり!となる。

今の山パートナーも、大学時代のカヌー部のつながりが10年以上続いているようで、この不思議な力は何だろなーと疑問を覚えながらも、感心するばかりだ。

僕にはそんな「母なる集団」、「ふるさとのような居場所」がない。学校のサークルは弾き出された方だし、過去の職場は外国人だらけだったし(オフタイムは完全プライベート主義者ばかりだ)、今の職場にも、そもそも社員レクの類がない。

まぁ、僕は発作的に行きたいときに行きたいところへ行きたいスタイルで旅に出るけれど、職場にも学校にも所属してなくて、出無精になっている人、引きこもっている人、自宅で鬱々としている人は、増える一方ではないかと思う。

高齢者は介護保険や自治体財源という「うま味」があるから、デイサービスやショートステイが利用できる。昔ながらの老人会もある。
専業主婦はどうなんだろう。
新卒未就職のNEETは、どこで何をして将来に備えているのだろう。

特に福祉サービスとうたってなくても、地域の未組織の老若男女が顔を合わせておしゃべりしたり遊んだりする受け皿のようなものが、どんどん消えつつある気がしてならない。たまにあるとすれば、コンビニの前でたむろする少年少女とか、陰気な場がクローズアップされるだけ。

若衆、消防団、青年団、講・・・と様々な場が昔はあったようだし、欧米だと教会が地域色のある磁場をつくってきたはずだ。
こういう自然なふところが消えて、すきま風が吹いている。・・・のは、都心も郊外も大差がない。

「会社に人生まるごと預けます」という気にならない醒めた勤労者におっても、ご近所での居場所は老後になる前から大事だと思う。家事はできなくても、グチ女房の家事の厄介には一切ならないほど、朝飯前から夜食の後まで地域で遊び倒して、「帰宅して寝るだけ」だと、中高年夫婦のもめごとは大方なくなるのではないかと思う。
家を出たままどこに入り浸っているかと思いきや、愛人宅!
というのは困るとしても、案外それが楽でいいワという夫婦がいたりするのも、ミステリーではある。


白衣40年

at 2005 09/20 16:09 編集

研究活動の拠点になっていた病院の元事務長さんから、癌で早すぎる旅立ちをしてしまった奥さんを追悼する御著書が送られてきた。

今は薬局を経営されていて、そこでも地域医療の一環で、文集をまとめられたり、情報紙を刊行されたりと、きめ細かな活動をされていて、ときおりその成果を送って下さる。

ただただ敬服するばかりのこのエネルギーはどこから来るのだろう・・・と思っていたら、ナースの奥様との二人三脚だったのがよくわかる。ご主人――奥様とともに好きではない言葉だが――の筆致は力強く、パートナーへの愛情と尊敬が一杯にあふれている。

震災で一番深刻な被害を受けた…どころか、地区まるごと焼け野原になってしまった我が国でも最大規模の同和地区で、診療所を切り盛りしておられた奥様は、四十代半ばで看護学校に入って正看へキャリアアップされた努力家だったという横顔も、御著書から初めて知った。
直接面と向かって接した機会は数えるほどしかなかったが、ふくよかな笑顔の肝っ玉ナースさんだった。

気丈夫な医療人でも、癌の苦痛や恐怖は並大抵のものではなかったようで、それでも周囲に気遣い、病気と闘って、最後のひとときを夫婦中心に大切に送られた「愛情物語」は、切なくもうらやましい。いや、うらやましくも切ない。

いま、医療にも市場競争原理が着々と導入されようとしている。
彼女が心血を注いだ協同組合経営の医療機関は、砦として存続できるのだろうか。
安らかに死ねるのか、それとも「高い投薬をさせてくれないなら、早くベッドを空けてくれないと回転率が悪くなる」と、言われかねない終末期が、現実のものになるかもしれない。末期癌にも介護保健適用という政策は、退院誘導の免罪符になりそうだ。

それも「在宅での看取り」などと、聞こえのいい言葉で言い換えられるだけになりそうな気もする。
この本の主人公も、家族に見守られながら、息子さんたちの号泣に包まれながら息を引き取ったという。
畳の上で死にたい。では、それをかなえてあげましょう。
それで正解なのだろうか。
たとえそうであっても、病院でできるだけのこと、すべきことを尽くした上での選択であってほしいと思う。

在宅死=幸せな最期、というだけのブームに流されると、質の高い専門治療を受けるチャンスからあぶれてしまう患者も出てくるのではないかと、少し気がかりではある。


三連休とはつゆ知らず・・・

at 2005 09/19 11:59 編集

体がなまっていたので、2時をすぎてから、ちょっと登ってくるか〜と裏山へ。
夏休みの間は暑すぎて歩かなかった里山に、まだ小さい秋を見つけるにも早かったが、木陰の風は涼しい。

90分でフタタビ公園。いつもここに来ると「レストハウスでたこ焼き」がくせになってしまった。
今年の台風は雨より風が主役だったせいか、池も水不足で、ボートは開店休業状態。3連休のわりに、人影もまばらだった。
おかげで、たこ焼きも焼いた端からどんどん売れて行くほど客がいないから、作り置いて保温してたやつしかない。しかたないねぇ。

登りも数組のハイカーと出会っただけだったが、下山は一人しか見かけない、静かな静かな山歩きだった。
あんまりワッセワッセとハイカーが群れているのも困るが、拍子抜けするほど連休の行楽地に人がいないのも寂しい。もしかすると、上高地とか室堂とか、メジャーなところにはどっと行楽客が繰り出しているのだろうけど。

登山はシルバー世代が支えている観光市場だが、道具お仕着せで「ここに行くといいですよ」とレールを敷いたら、自動的に定年後の生き甲斐が見つかって介護いらず・・・というわけでもないのだろう。
シルバー一色の登山グループが多いということは、子供や孫と一緒に楽しめる余暇になっていない証拠だから、もうちょっと多世代で楽しめる遊び方をしてもいいのに・・・とも思う。「年寄り元気で留守がいい」ということか?

かくいう「シルバー手前」の僕は、ちょいと裏山ぐらいでもモノモノしく武装したシルバーハイキング小隊!!なんてのに出くわすと、のけぞってしまう。シルバーカメラサークル写団なんちゃらの類もすごいが、シルバー登山隊もすごい。
あぁ、シルバー市場のカモにされて、買わされましたねえ・・・と感心するほど、装備が飽和している(笑)。なんだか、店員のセールストークが再現できそうな感じ。

「いざというとき」を考えすぎる気持ちもわからなくもないけど、ふだん洪水のような生保のCMに頭が慣らされていると、そういう心境にもなるのだろうか。
もし、モノ持ちの僕が「入隊」したら、おとっつぁんがたの競争心理を刺激して、年金が湯水のごとくノースフェイスに、カリマーに、プリムスに流れて行くだろうなー。僕も調子に乗って「いざというとき頼もしい道具ですよこれはっ!!」とくすぐって、皆さんを行きつけの店に誘導して、店からマージンをもらうか・・・。

三十路にさしかかった、あるナースさんが「近所の登山クラブにでも入ってみようかな」とつぶやいていた。
あぁ、まちがいなく「息子の嫁に」という話になるか、「一緒に歩いてくれると、いざというとき助かるわー」と重宝がられることだろう。だれかに奉仕させられるはめになるのは火を見るより明らかなのに、僕は「入ってみたら〜?」と、そそのかしている。
「やな人ね」と嫌われながら。


犬猫頭

at 2005 09/18 13:29 編集

ゆうべも家路の途中で愛犬家が群れていた。
なぜか、犬は散らばって売り回っているのに、飼い主たちは群れる(笑)。
県警本部に隣接する駐車場で、芝生が敷いてあるせいか、「犬の散歩ダメ」と看板があっても、愛犬家のたまり場&しゃべり場&出会いの場になっている。

都心で犬を飼うのも、癒されるんだかストレスフルなのか、犬にとって幸せなんだか疑問だが、フェンスに囲まれた場所で鎖を解いてもらって、犬はとりあえず喜んでいる。

こんな飼い主の解放区、どことなくママの公園デビューと似ている。
すると犬が子供に似ているのか・・・いや子供を犬のように扱っているのか、鎖があるかないかだけの違いちゃうかなーと、ふと思ったりする。

「猫かわいがり」というのは、実際「犬かわいがり」の方が正しい気がするぞ・・・ブツブツ・・・とつぶやきながら家に着くと、おとなりの軒先で夕涼みしているトラネコが、つつつーーーっと走り寄って出迎えてくれる。

首輪も鈴も、もちろん鎖もつけていない自由な小娘だが、ちゃんと人の顔を見分けて、距離をはかっているのがえらい。
通りすがりの初年少女がちょっかいを出そうとしていたら脱兎のごとく(猫のくせに)逃げて行くし、アラーかわいい!!と手を差し出す「何でもかわいい女」にも媚びを売らない。ちゃんと、初対面の仁義を切る猫人間と「交感」しあうのだ。

もちろん、不意に人に吠えついたりする卑屈さはない。
猫テレパシーを体得した人間というのは、神に選ばれたユダヤ人みたいなもので、だから僕はユダヤ分が濃厚になっているはずだ。

猫の脳は30g。人間の50分の1しかないこの頭で、驚異的な思考をして、だんなをあてにせず子育てして(笑)、日なたぼっこやら昆虫採集やら道楽にいそしんで、人間を慰めて、介護保険も年金も使わず生を全うする。
50倍の脳の持ち主としては、見習いたいものだ。

人間でいえば、自活して、自然に老いて、自宅で静かに老衰で永眠するのがひとつの理想なのかもしれない。
うちの祖父母はそうだったが、祖母のような(=猫に好まれそうな)哲人串田孫一さんの追悼特集が、『山と渓谷』に出ていた。

しかし、この山岳雑誌業界というのもおもしろい。
串田さんの追悼文をおごそかに書いていると思いきや、ブッシュの子分コイズミ!傲慢不遜の極右の石原!愚昧なファシスト安倍晋三!・・・と現政権への痛烈な非難へと筆を滑らせてしまう(笑)登山家あり、共産党委員長がよく山岳紀行を書いていたりもするヤマケイが、泣く子も黙る最大手なんだから。対抗する『岳人』には、今月は皇太子殿下が山岳紀行を書いておられる。
山では「左」が与党なのだ。

大自然に、右だ左だ保守だ革新だ何教だ何主義だという色モノを持ち込むのはヤボな話だから、好き者が戯れる楽園であり続けてほしい。
いってみれば、信仰や肩書きや人種で相手を選んだりしない猫の頭の中も、楽園だろなーと思う。うらやましい頭である。


マニア選

at 2005 09/17 13:46 編集

やはり、政界にも鉄分の濃いスポットがあったか!
いま絶好調の民主党党首選に立候補した前原さんである。

日刊スポーツの記事を限りなくキワキワに引用すると・・・
妻の愛里さん(37)も嘆いているらしい。「SL機関車の撮影は小学時代からずっとです。新婚旅行で、最後に走るSLがあるということで北海道に行きました。強引に決められて。カメラを渡されて『とにかくシャッターを押し続けろ』と指示されて…SLオタクの人たちの中に取り残されちゃいました。よく『決定的チャンスは一瞬だけなんだ。煙が立ち上った瞬間の迫力は逃していかん』なんていいますが、私はその後2度と一緒に撮影には行ってません」
とのこと。
いやはやー、愛里さん大変でしたね。

前原さんと同世代野郎としえは、この「思い出のSL観」が実によくわかる。
地方だと、現役でSLに乗って通学していたギリギリの世代になると思う。もちろん、その当時は特にSLにおだわっていたわけではないだろうが、失って初めてつのるノスタルジー!!という気持ちはあるものだ。
だから、純ちゃんが靖国だ英霊だ御霊だとこだわるのは、幼児体験に戦争の風景、あこがれの兵隊さんの勇姿なんかが刻み込まれて、それが発酵しているせいではないかと僕は推理している。

しかし、何がすごいったって、前原さんは「SLファン」というより、妻への加虐ぶりは一字違いの別世界の心得にも読めてしまうではないか。
カメラを武器その他の「器具」に置き換えて、煙を湯気か血しぶきに読み替えて、愛里さんをサバ子さんに見まちがって読むと、大変なことになる。

こんな邪推が不謹慎なのは重々わかっておるが、こうでも楽しまないと、倒れかかった政党を立て直して二大政党の一翼になってくれない。
「お笑いは河村たかし議員だけ」では寂しいのだ。

もしかして、前原さんのライバルの菅さんも、八十八カ所お遍路巡りをしていたぐらいだから、「塗りつぶし癖」があるのかもしれない。JR完乗とか、次は私鉄制覇とか(あぁ上北沢の職人に近づいて行く)。
菅さん、その盟友ハトヤマさん、上北沢くん、そろって工学畑だったはずだから、やはり!!である。

でもマニアぶりは、さすが大政党の方がキラ星のごとく(というのか?)ひしめいているぞ。
石破茂はアーミー好きが高じて防衛庁長官にまでなったおちゃめなプラモデルフリークだし、愛人騒動をものともせず返り咲いたヤマタクは親子丼オタク、佐藤ゆかりは悩殺メール500通の不倫マニア?
こんな下世話なマニアにくらべると、谷垣財務相の自転車エンスーはクリーンでかっこいい。

どこかの週刊誌の見出しで、純ちゃんと小池百合子が結婚!?という煙もあがっていたが、これなんかは熟年恋愛の応援歌になりそうで、純ちゃんのお株が上がるかもしれない。
独身といえば、土井たか子や辻本清美、田嶋陽子など、斜眠党にも目立つけど、純ちゃんは敬遠したのだろうか。
バックにいる弁護士の党首(事実婚)が、「この二人はですねぇ、事実婚を経ないで婚姻届を提出することが問題です」と、大胆な理屈を展開しそうだし。


支援費再来

at 2005 09/17 02:32 編集

福祉事業所で働いていたワーカーさんにとっては戦々恐々の支援費が、とりあえず選挙のゴタゴタで先送りになった。
でも、与党政権から提出された法案だから、勢いづいて再提出→成立となる見込みは高い。

まじめにコツコツ働く者が容赦なく使い捨てられる社会は、とはいえ有権者自身の選択だから、敵は永田町にではなく、身の回りにいる。
・・・という現実は、あまり考えたくない心理が働くのかもしれないが、選挙と議院内閣制というのは、結果責任を有権者で分かち合うしことになるのも現実。

それに、大衆が互いに不信感でトゲトゲ・ギスギスした砂粒になってしまうことは、権力者にとっては好都合だ。エリッヒ・フロムが、ナチズムのみこしをかついだドイツ大衆を分析してみせた教訓は、「古典学説」とレッテルを貼られたとたんに、目をそむけられてしまうようだ。

ヒトラーと違うのは、純ちゃん圧勝は「コイズム・ユーゲント」が組織票を固めたわけでもないし、勝ち組負け組をつくれ!の大衆運動が起こったわけでもない点。
砂粒が個々の判断というか、思考放棄して、フィーリングで夢を託した結果でもある。だから、郵政だけ旗印にした「わかりやすさ」になびいたのだろう。
わが子が就職できなくても純ちゃんに一票。年金がご破算になっても純ちゃんに一票、ブッシュと抱き合わせでテロリストの標的にされても純ちゃんがんばれ!と一票。

安全保障や社会保障の方が、郵便局より深刻なテーマだと思うけれど、いざ東京で爆弾テロや生物化学テロが起こってから、また団塊の世代の年金が破綻してしまってから、「おや、まちがってたかな?」と気づくしかないのだろうか。

だからこそ、「連帯」するという古くさい手法が、古くないのだと思うのだが、孤立している方が好きなのだろうか、日本人は。

振り込め詐欺、多重債務、そして自殺・・・孤立している人ほど被害が深刻になるのに、それでもだまされ続ける。
たとえば、医師の診断書不要!なんて生命保険が、モラルハザードをふくらませて(暴走族とゴールド・ドライバーが同額の自動車保険みたいなものだ)、結局は善良な加入者にツケが回ってくることぐらい、考えればわかりそうなものなのに。
学校で、教師は何教えてまんねん!

消費者問題も、福祉の問題も、労働と報酬の問題も、治安の問題も、そして心の問題も、政治につながって行く。
という想像力を「初期化」してしまったのが、政治責任だし親世代の責任でもあると思う。

とまぁ大風呂敷を拡げても「どうすりゃいいの?」になってしまうから、身近なテーマから天下国家の一大事まで、一歩一歩考えて行くしかない。
「考えようとすると抵抗があるから飛ばしちゃえ」ということが、必ず何年かたってから深刻になるものだ。

政治経済わかりませ〜ん!!という御陽気な人たちにとっても、たとえば、恋人の信仰や国籍の問題。親の介護や墓の問題。金遣いのクセ、などなど・・・みのもんたに「なんで結婚前に話しあておかなかったの」と突っ込まれて絶句してしまう生電話さんは多い。

だから、結婚前提の彼氏がいる婦女子に、夜景を見ながらでも「私はどこの墓に入れるの?」「私はあなたのおかあさんのようになればいいの?」と尋ねんしゃい!と僕はありがたい忠告を押しつける(笑)。

医者と患者の関係、労働者と経営者との関係、親と子の関係に、透き間風のように吹き込んで、コッソリ「疑ってみろよ」とささやく知恵みたいなものが、社会学だと僕は思う。
とはいえ僕はアナーキストではないから、世のため人のためにコツコツがんばっている人の信念まで根こそぎ否定はしない。

善良な人は、冒頭の「福祉な人」に限らず実に多いし、そうなるであろうこと確実な少年少女が何百人と僕の目の前にいる。
それで将来の幸せが保証されていた時代は、曲がりなりにも「日本人同士じゃないか」で社会がまとまっていて、オヤジと少女が今ほど険悪に断絶(笑)しておらず、出生率もゆるやかながら経済成長を約束していた。

それも過去、過去は過去である。'90年が関が原だったのかもしれない。
「福祉の民営化、市場競争」をスローガンにした社会福祉基礎構造改革が、まず介護保険を目の前にぶらさげた。パイの奪い合いになるから、(法人レベルでの)勝ち組負け組の二極分化と、負け法人が雇えない労働者が勝ち組に殺到するから、人件費の奪い合いになる。

経営能力のない経営者は、ボランティアサークルの発想が抜け切れていない上に、善行をしているという誇りだけはある。または、本業が別にあって、「いいこともやってます」のポーズかもしれない。
こんな「俺様王国」を、公益性のある福祉事業だと見誤って就職した人は悲惨だ。

いくら、純粋な福祉の動機を共有しているとしても、給料を払う側ともらう側は、絶対に立場は違う。マルクスは古くないのだ。
もし僕が経営をする立場なら、市場調査をきちんとやって、政策や地方自治の動きを、官僚なり議員なりを通じてキャッチして、簿記・会計の実務もしっかりできるようになってから、人を雇う責任を背負えるものだと思う。できなければ、経営なんかしてはいけない。

本業で、どうしてもこれ以上パイが増えない、収益の限界が見えていれば(支援費の対象になる事業がそうだろう)、経営者のプライドなんて迷惑なものは捨てて、アルバイトを勧めるべきだ。
いや、もう実際にパートタイマーやボランティアに依存しているか・・・。

何より、厚生年金・労災保険に加入させて、労働三法を順守するぐらいのコンプライアンスは基本中の基本だろう。
「法律を守ってたら仕事にならない」と開き直る甘ちゃんは、経営者として不適格だと思う。退場して、きちんと労働者の権利と顧客満足を両立させている勝ち組法人に丁稚奉公して、勉強しなおした方がいいとさえ思うが、もしかして人を使って(巻き込んで)お勉強しているつもりかもしれない。あぁ・・・

おまけに、目の前の困っている人たちを見捨てられない第一線の労働者は、サービス残業にも、不当解雇にも、有害業務にも、セクハラにも差別にも、声をあげない。声をあげられずに、精神的に病んで行く人も多い(経営者は困らない。代役はすぐ補充できるから)。福祉の仕事以外にとりたてて生きがいがない真面目な人柄だったりすると、窒息してしまう。本当にお気の毒だ。

身も心もすり減らしている最前線の戦士福祉の現実を支えているのは、本当に貴い努力をしていると思うし、医者や看護師や保育士や、そして一般の営業職でも似た現実はあるから、なかなか「福祉だけ天国」にならないとは思う。
だから、うちの職場は法律が及ばない解放区(笑)とでも考えるしかない。ポジティブシンキング万歳である(thinkingではなくてsinking)。

労働者が経営に参加して、主体的にしかも収益を上げる法人形態というのも、実は純ちゃん政権の国会で法制化されているのだが、このLLP、LLCという枠組が福祉事業にどう適用できるかは、最前線の福祉ファイターの頭と心次第。

僕が運動にぶらさがってきたワーカーズ・コレクティブの法制化より、スピーディーに国会可決されてしまったのは少しシャクだが、会社とNPOと公益法人しか選択肢がなかった職場に、可能性が広がったわけだから、武器にしてみればいいと思う。雇われて成功する人、雇って成功する人もいれば、連帯して成功する人、さまざまなわけだから。
「最小の労働で最大の効用を追求する」のは、決して悪徳ではないと思うのだが・・・。

陸軍と海軍しかなかった日本が、陸海空軍を巧みにマネージメントした米軍に敗れた歴史は、知らない中高生もいるらしい(教諭ども何やってるんだ!)。
まさに、「歴史は繰り返す」ことになるのだろうか。



ノースデルタ航空vs全日本航空を見たい

at 2005 09/15 16:20 編集

燃料代の値上がりで、ついにノースウェスト航空とデルタ航空が民事再生法の適用を申請したという。
即、倒産!?ということになるのかどうかはわからないし、案外アメリカの大手企業は合理的かつ大胆なリストラをするために「会社を倒してみる」ようなことをするのかもしれない。

パンナムのように消えてしまったブランドもあるし、スイス航空だったかサベナ・ベルギー航空だったか、ヨーロッパでも航空と会社の統廃合は進んでいる。
いやはや、大変だ。

地球規模の競争や原材料費の変動で、名門企業がバタバタ倒れて行く戦国時代が、日本の壁の中にいるとぴんとこない(ただ、壁に守られているのか、檻に閉じ込められているのかはわからない)。
出光がアメリカに石油を輸出するなんて余裕のある日本では、ガソリンが数円上がったとかどこが安いとか、その程度のドタバタしか起こらない。
一方で、日本から石油を輸入するアメリカさん、どうなってまんの?・・・という気もする。

バブル崩壊だ失われた十年だといっても、せまい日本からクルマは減らないわレクサスは売れるわブランドショップは空前の売り上げでホクホク。
それなら、「レクサス買うつもりのサラリーマンからは、税金もっと搾り取れるぞ」「ヴィトンを買う奥さんの控除は取り上げても困らんだろう」と考えた自民党は、おみごとではある。それはそれで正解かもしれない(カメラマニヤを金持ちだと誤解されては困るけど)。

もっと競争しなさい、という経済政策の流れは、「発信源」にこだわって感情的に反発するより、ひとつのポリシーとして直視してもいい時代だとは思う。
ただ、大手スーパーと地元の個人商店を戦わせるような規制緩和は乱暴だから、いろんなセイフティ・ネットはほしい。

競争がなくて、いろんな面で日本国民に「こんなもんか」とあきらめ癖をつけさせてしまった重罪人が、銀行と公務員。
おい、手数料ばかりとって利子をつけないメガバンクどもよ、おまえらドイツ銀行、シティバンク、上海銀行etcetcと競争しろよなー。保険会社は熾烈な競争してるよ。
こら、無難がモットーのクソ役人どもよ、無能ぶりに比例して税金を返せよなー。愛媛大学で続出したセクハラ教授よ、あんたらまさか退職金もらったり再就職を世話してもらったりしてないだろうね。

と考えると、郵政民営化を認めざるをえない立場にいる自分を発見してしまうが、郵政改革が「出発点」になって、公務員の総数削減と競争が進めば納得する。
役人天国にメスを入れられるのは、なんだかんだいっても圧勝した純ちゃんだけだろう。
「泣くがいやさに笑い候」しかない。
のかな?


あらなつかし

at 2005 09/14 15:05 編集

図書館という公共施設には、ある種の常連さんがいて、「ほとんど下着姿」でカーペットの床にへたりこんで涼んでいたり、持参のペットボトルに冷水機から水を汲んだり、もちろん「読書」していたりもする(から、追い出されない)。
平均年齢は六十代という感じだろうか。
その中に、ずいぶん若い顔を見つけて、あっと驚いてしまった。

もう一昔前の職場の上司で、「支店長」に相当する人だった。
スターリンのような粛正と首切りを断行して、われわれヒラ一同の評判が劣悪だった中間管理職とは対称的に、温厚な人柄で、パート・スタッフの送別会まで開いたりしてくれる面倒見のいい紳士だった。

スターリンは案の定やがて自らも職場を追われ、会社も大胆に業務再編を進め、今の「同業他社」に転職した僕は、曲がりなりにも新卒で10年間働いた古巣とは、完全に縁が途絶えたまま今に至っている。
その上司が、「平日の昼間に図書館でたむろするおじさん」として目に留まったわけで、かける言葉が見つからなかった。
「どないしはりましたん?」というわけにもいかないしね。

いやはや、事情はよくわからなものの、管理職の身の処し方というのは、「どぶ板選挙」にも似て大変なんやねぇ・・・と、お察しするばかりの昼下がりの図書館であった。
「そういうキミこそ、平日の昼間に悠長なご身分で」と逆つっこみされかねない僕が、酔狂に人サマの心配することもないのだが。

前の会社そのものの体質には、怒りも空しさも時が洗い流してくれて、もう愛着も未練もないが、地上勤務に降りた「空の天使」のお姉様がたとの宴席なんかは、華やかでよかった。
かも・・・。

いま僕の周囲には、白衣の天使さま、ジャージの天使さまが元気はつらつで働いておられる。
これはこれで楽しいし、「ジャージが一番」と、わが内なるマニヤ(笑)を発見して苦笑するばかり。


サラリーマン百冊

at 2005 09/13 20:03 編集

妙に夏バテしない鈍感体になって順調に9月を迎えるのが例年のパターンだが、少し食が細くなったので、こりゃ何かの黄信号かと不安になる。これしきのことで・・・

きしめんやら喫茶店のトーストセットやらで食事をすませて、「いかん、今日は飯を食ってない!日本人の晩飯こそ米食だ」と愛国心がわいていたのに、帰宅途中のカレーうどん屋を通りすぎるとき、店のオヤジを目が合ってしまって、結局そこで晩飯。
いかんなぁ、飯を食わないと。

夜中に腹が減るのも困る。
でも、それをがまんすれば、胃もたれで朝を迎えることがないのは、さわやかでいい。
っして、さわやかな快速電車通勤である。
朝イチ出勤がなくなって、変な空き時間も長すぎる移動時間もなくなって、ずいぶん楽になった。
すわって六甲の緑の屏風と青空をぼーーっと眺めながら、乗り換えなしの30分、心が洗われる。

その出勤電車の中で、べっこうフレーム眼鏡のガッシリ体型の38歳妻帯者サラリーマンが、『海流の中の島々』を読んでいた。
珍しい。
「新潮文庫の夏休みの百冊」みたいな眺め・・・でも夏休みは終わったし、逝く夏を惜しんでいるのか。

でも、こんな夏の惜しみ方はいい。
『LEON』に書いてあったから真似てみたぜ俺、というのは、ちょっと興ざめだが(笑)。
お父さんにとっては、せめて通勤電車の中が、「夏の百冊」に浸れる場所だったりする・・・と、よけいに哀愁をもよおすなぁ。


つわものどもが夢のあと

at 2005 09/12 09:01 編集

落胆のどん底に突き落とされたような岡田克也さんが、ちょっと気の毒に思えたほどの選挙結果。
これは国会決議ではなく選挙だから、純ちゃんに負けたというより民意に負けたという点は政治家ならわかっているはずで、よけいに厳粛な結果としてつきつけられている。

なんて、えらそうなこといいつつ僕は与野党の議席の取り合いより、岐阜1区にばかり注目していたので、地元がどうなるかは関心の埒外だった。ウム、がんばったもんだ野田聖子。

でも、郵政民営化は着々と進むだろうから、こぶしをふ振り上げた勢いで、「窓口にも配達にも野田聖子」の新郵便行政を立ち上げてほしいものだ。
いっそ、逓信省でも復活してみればどうか?(それなら鉄道省を!というのは鉄ヲタ)

それにしても、ムネオと清美がそろって復活したので、国会が楽しみではある。
疑惑のデパート!なんだ女詐欺師!・・・と、第2ラウンドをやってくれるのだろうか。
背後には、ますます強大化した純ちゃんK−1政権がどっしり構えているから、「多少の場外乱闘はなんぼでもやんなさい」というフトコロの中で、ミニ政党が猫パンチをやりあうコントのような国会になりはしないか?

それをワイドショーがおもしろおかしくとり上げて一喜一憂している間に、サラリーマン増税と年金破綻が確実に現実化する・・・
有権者の責任だからねこりゃ。


初秋の旅の宿

at 2005 09/11 18:30 編集

不意の外泊は、いつものペースを崩してくれるおかげで、妙にぐったり疲れた。
泊まったホテルの部屋番号が「911」って、飛行機が飛び込んできそうな部屋だったが、もしかして「投票日をお忘れなく」のメッセージだったのか?

まぁ、格安のわりに珍しくゆったりしたシングルルームではあったけれど、もしかすると、廃業したら改装してワールームマンションに転用しようともくろんで建てたのか?と思えるような、ワンルームふう占有面積なのであった。

そういえば、昔の知り合いの妹さんが、神戸の官庁街に借りていた「寝に帰るだけ」マンションというのがあって、これは逆にホテルに改装している。こんな手法、ありか?と妙に感心させられたものだった。
インスタント隈研吾気分というか・・・。

3畳ぐらいの空間しかないと、寝る以外の楽しみはないものだが、ある程度ゆとりがある部屋だと、「ここから50ミリでこう構えると、全身が入るかな」「思い切って24ミリで接近してみるのもいいか?」と、ありもしないモデルを想定して画角シミュレーションに遊んでしまう。まちがっても、85ミリが似合う広大な部屋には泊まったことがない。

実際、カメラを持っているときだと、シミュレーションして構えてぴったり想定した画角が得られたりすると、ベテランスタジオマンになったような、勘違いの錯覚の妄想(笑)に浸る楽しみもある。
あとは、ピンぼけ&手ぶれの、手動カメラマンの永遠の課題がなかなかクリアできないだけ(あかんがな)。
そして、この密室空間の妖しい華のようなモデルも、永遠の「想定」でしかない(身もふたもない)。


熱いぞ!ちはる

at 2005 09/10 08:36 編集

選挙戦ばかり話題になっていて、すっかり「どうでもいい儀式」になっているのが最高裁判事の国民審査。
一応、判事さんたちの横顔をずりずら見ていて、ちょいと目に止まった「人間判事」を発見した。
才口ちはるサンという判事どの、趣味が「カメラいじり」ときたもんだ。響くねぇ、写真機家としては。中古道の修験者としては。

実際には、花や風景の写真を撮りに行きたくても、殺人的に忙しくてままならないのかもしれない。それに、撮影を趣味だと言おうものなら、人品をとやかく言われるようなモチーフもある(つまり女体だな)。
だから、メカをいじくるだけにしておけば、無難なのだろう。まさか「モデルいじり」と書くわけにはいくまい(笑)。

それにしても、いじらしい。
写真を趣味にするといっても、上北沢暗室職人のように「現像と焼き付け」といえば、「そんなにヒマがあるのか」と勘ぐられるだろうし、カメラ収集が楽しみだといえば、コレクション→おマニヤ→ヲタク→死刑専門・・・と連想されかねない。

ある面で、皇族と似ているかもしれない。
クルママニヤでもある秋篠宮殿下を頂点に、カメラマニヤの皇統でいらっしゃるようだ。
磨いてばかりでなく、実際にアウトドアで撮影に励んでらっしゃる姿は広く知られていて、愛用機種は「旧日本軍御用達」のイメージが強いニコンではなく、キヤノンになっている。

こんな風に、日本国の象徴が堂々とキヤノンを愛用しておられるのだから、判事どのにはペンタックスとか、オリンパスを盾にしてほしい。
「ズイコーの輝きが死刑判決を指示した」とか、「関西出身の被告はロッコールに免じて減刑」とか、こじつけのような判決が出るとおもしろい。

裁かれる側も、うかつに「ツァイス愛用」なんて趣味がばれると、判事の愛国心を刺激して、とんでもない重罰を科されかねない。
そんなかけひきを妄想するのも、マニヤから見た法廷の舞台裏の楽しみではある。


長めのいい物件

at 2005 09/09 11:10 編集

家賃を払いに行ったら、ちょうど大家さんが外出から戻ってこられたところだった。旅土産のだんごを差し上げたり海苔をもらったりしながら、しばし立ち話(二人だから井戸端対談か?)。

植物の好きな大家さんは、庭の草木の手入れに余念がない。
「今年は虫がいっぱい出ましてね・・・でも薬なんかまかないで、草ぐらい食べさせてやってるんですよ」と、おぉ昆虫までかわいがっておられる風流人!!と感心してしまった。

「バッタの背中なでてやると気持ちよさそうにして、お仲間何匹も連れて出るようになりまして」・・・なるほど、バッタもマッサージを好むとは!!
「私が虫に話しかけてると、娘が、おかしいんちゃうかって」
いや、そのうち娘さんにもバッタの友達ができますって!!

とまぁ、秋の虫の声を聞きながら、ほのぼのトークを交わして帰ってきた。
前のアパートの家賃は銀行振り込みだったが、大家さん夫妻が安否確認も兼ねてか請求書を一軒一軒配達して回ってたから、毎月のように顔を合わせていた。医師夫妻だから、顔色を見てもらうだけで安心だった。

井戸端会議が見られなくなった・・・といっても、ちょっとしたことで大家と店子、店子同士がつながる機会はあるものだ。
「転がる石に苔むさず」だから、10年をめどに長居は無用だと勝手に決めているものの、なかなか腰が上がらない。結局、長く住み着いてしまうと、回転が悪くなってご迷惑な話かもしれない。

引っ越してしまうのもバクチみたいなものだから、セカンドハウスという手もあるな・・・でも二重家賃をどうにか節税に活用できないかな・・・と、よけいなことを考えてしまう。
それもまた「大人の秘密基地」のようで、楽しみではあるのだけど。


もう、あなたにまたがってもらえないなんて

at 2005 09/08 14:25 編集

「160万円自転車」が盗まれてしまった忌野清志郎さん。
業界――といっても、自転車業界や音楽業界やらIT業界等々、あちこちで名の知れた「こぐロッカー」だから、ちょっとした大ニュースになっている。「自宅の金庫を荒らされた演歌歌手」なんて事件より、なんかこう、純度が高い感じ。

「どこへ行くにもおまえと一緒。なのにもう、おまえに乗れないなんて」と嘆いている清志郎さんは、本当にお気の毒だ。どことなく笑えてしまうところが、人徳というべきか・・・。
ワイヤー錠で青空駐輪していたそうだから、少し無防備だった点は反省していただくとしても、本物のチャリダーなのねぇ、とあらためて感心してしまう。

しかし犯人も、せっかく盗んでも乗り回しにくいだろう。塗装しなおしても、ちょっと詳しいチャリヲタがパーツを見れば、「あの清志郎モデルだ」とわかりそうだし。
だれかのカスタムメイドの愛車なんか、盗むと足がつきやすいだけだから、家でじっと秘蔵しておくのか?

自転車泥棒というと、古典映画の名作にもなっているせいで、花盗っ人と同じように、どこか憎めない罪人と見られるのは、不思議やなぁと私はかねがね思っておった。
たしかに、自転車にあこがれて、あこがれぬいた果てに目についた自転車につい・・・と乗り逃げてしまう子供には、同情を感じなくもないが、つかまえてみてケータイやゲーム機をじゃらじゃら持っていたりすると興ざめだろう。
今どき自転車それ自体は贅沢品ではないから。

かりに「カンパニョーロとデローザで組みたい」なんていう自転車オタクみたいな少年がいたとしたら、可愛くない。働いて買いなさい!と突き放すのが一番だ。

清志郎さんなら1回のギャラで同じ仕様の愛車を復元できるのだろうけど、そんな問題ではなくて、コツコツ組み上げてきた楽しみを不意に奪われたような感じではないかとお察しする。
だから犯人は、チューンナップするか、もっといいパーツをつけてこっそり返したなら、清志郎さんなら許してくれよう(甘いか?)。

いや、記事によると、犯人はワイヤー錠を切断して持ち去ったようだから、これは道具を使った確信犯のようだ。
僕も愛車をワイヤー切断されて盗まれたことがある。
これはむなしく、そして腹立たしい。
以来、僕はワイヤーカッターで切れない鍵に換えたから、苦々しい授業料を払って学習できたかな?と納得しているけれど、それにしても授業料が160万円にもなると、いくらなんでも高いわな・・・。
現実には、1600万円ぐらいの損失感になるのではなかろうか。

愛着やら憎しみやら減価償却やらがからんできて、愛車の被害額は算定が難しい。
だから、盗まれてもあきらめがつくような1万円ママチャリが街にあふれているのかもしれないが、そんな風潮は、人間の情感を薄っぺらくするだけ。

奪われてもあきらめがつくようなモノを買いあさるのが、日本人の追い求めてきた豊かさだったような感じもする。
モノばかりでなく、恋人や家族でさえ、「入れ替え可能」で、哀しいことにその筆頭はお父さんかもしれない(苦笑)。

いや、今に始まった話ではなくて、子連れの恋人と結婚して、その連れ子にパパとかママと呼ばれて感涙をこぼす・・・ようなメロドラマは昔からある。決して親子じゃないのに。
義理の関係に、気持ちを合わせようとするから、無理が出るのだ。
「僕は君のママの恋人。その方が、かっこいいじゃないか」
と、すましていられる粋な男になりたいものだ。

配偶者の親子をお父さん、お母さんと呼ぶのも、しっくりこなければしなくていいのではないかと思う。息子や娘ではないのに、口先でそうなろうとするから、いびられたりするわけで。
だから、名前で呼べばいいのだ。姑の乙女心が萌えあがると困るけど(笑)。


楽しむ気象予報士

at 2005 09/07 13:03 編集

やっと昨夜だけ空が荒れて、とはいえ雨らしい雨もほとんど降らず、台風を見送ろうとしている。
台風報道も、欠航、欠便が並んでいるばかりで、不謹慎で申し訳ないが、「電車が足止めで一夜を明かし、助け合うちにロマンスを発展させてしまった乗客と売り子嬢」というような物語がほしくなる。

風雨に叩きつけられながら木村太郎が現地中継して、スタジオには涼しげな安藤優子・・・というのは、まるで「鬼嫁と姑」のほほえましい姿を見せつけられるような気もするし、芸能レポーターが「呼吸ができません〜!!」と絶叫している午後のワイドショーも、ばかばかしいったらありゃしない。

そして、台風報道に限ったことではないが、ことさらに台風で浮いて見えるのが、気象予報士のおにいちゃん&おねえちゃん。
あの空々しく、白々しく、他人行儀なクールビズというのは、どっから来るのだろう。

そりゃ、受験勉強して合格したら肩書きは本物。でも、彼ら彼女らは「画面」だけ見て、はたまた、データ配信サービスから送られて来る台本をちょこちょこっとアレンジしてしゃべっているだけではないかい?という勘ぐりが、ぬぐえないぞ。
現場感覚ちゅうもんが、漂ってこないのだ、小ぎれいなウェザーキャスターからは。

やはり、ヘルメットと汗が似合うような、空の下が職場です!!といいたげな職人さんの天気予報こそ、しっくりくるぞ私は古いか?

ふた昔前に活躍した、「ニッポンのお天気お父さん」世代に、僕はレトロな信頼を勝手に寄せている信者である。
とはえ、手遅れ感はある。
福井敏雄さんは天に昇ってしまわれたし、倉嶋厚さんは老人性鬱病、かろうじて彼らの息子世代の高田斉さんが、今はベテランとして穏やかに君臨しておられる。四十代ぐらいの「いかにもお天気おじさん・おばさん」は、いないのか?

今でもたまに声だけ聞く気象業界の東野英治郎こと(僕の勝手な命名)宮澤清治さんは、充分に現役復帰できそうな「ニッポンの天気おじいちゃん」だ。
口調は丁寧、解説は平易で的確、穏やかな四季の移り変わりのようなメリハリのある気象こぼれ話は、豊富な現場経験に裏打ちされている。

どなたも、士官学校レベルの気象官養成所という機関で叩き上げられた世代。そりゃヘルメットも似合うわな。
気象現象は、元のデータは同じだから、あとは伝える技術とキャラクターで勝負してほしいが、そこを「キャラ」と言ってしまうと、石原良純なんぞは勘違いするかもしれない(もう、してるか)。

僕には経験はないけれども、高校を出たばかりの少年少女警察官に反則切符を切られて憤慨することはあっても、「巡査一筋」のベテランにやんわり諭されながら切符を切られる方が、収まりがつく(つかないか?)ようなものだろうか。

人品というか、にじみ出てくるような説得力が、天変地異で打ちのめされた人心を鎮めるマジカル・パワー(!?)になるというもんだ。
台風や猛暑や寒波のように、人間の力ではどうしようもない自然現象で、やり場のない怒りや八つ当たりの標的になって、うまく流しつつ被害も防ぐテクニックを身につけるには、大空の下で20年、30年は修行が必要になるのかもしれない。

ヘルメットと雨合羽と手ぬぐいが似合うかどか、ピーコさんには「お天気キャスター・チェック」をしてみてほしいもんだ。
案外、本職より松浦あやが適役だったりするかもしれないぞ。


嵐寛寿郎

at 2005 09/06 13:27 編集

きのう新大阪駅で、「ブルートレインすべて運休」の表示を見て、無性に物悲しかった台風被害が、なかなか去って行かない。
どさくさにまぎれて、「台風にも弱いことだし収益イマイチだし、これを機会に廃止しますかブルトレ・・・」という空気にならなければいいが。

関門自動車道も新幹線もフェリーも飛行機も止まっているということは、ついに九州は本州から切り離されてしまったということか?
こっちの方は、「これを機会に、独立宣言しますか九州合州国・・・」という話もおもしろい。個人的には、「北海道共和国」に移住したい気もするけど。

土砂崩れの被害というのは、たとえばアメリカ南部の大平原の住民には怖さが実感しにくいだろう。どっちがいいか悲惨かというのは無意味な比較でしかないとしても、自然災害に対して意外に日本人はタフな気もする。

和辻哲郎が日本人の気風を「しめやかな激情・戦闘的な恬淡」と言い表していて、ふだんはぴんとこなくても、大事故や災害に遭遇したような非常時には、恬淡(てんたん)というか、超然というか、諦観に達したような姿勢は、謎めいてみえる外国人もいるようだ。

もちろん、役所や世の中に対して求めるべきところは求めた方がいいし、「行政不作為」による被害なんかには、原因追及を手厳しくやるべきだとも思うが、日本人の恬淡とした台風とのつきあい方は、人生の半分以上日本人をしてきた僕も、しみじみと不思議やなぁと思う。愛すべき謎という感じだが。

いっそ、年中行事のように来る常連客・・・と言って許されるなら、アメリカ風に人名をつけて呼んでもいいと思う。
沙知代とか、清美とか、数子とか。あ、男性名もつけにゃいかんか。宗夫に、ハマコー・・・?
10号とか20号では、どうも印象に残りにくいから、台風にも木枯らし1号にも春の嵐にも、ぜひ愛すべき名前をつけてほしい。
いかがですか、気象庁さん!!



瀬戸内バタバタ

at 2005 09/05 22:54 編集

なんとか今年は18切符を消化できて、ほっと一息。
台風が接近する中、きのうは22歳と24歳の乙女を引率して、山陽本線を攻めてきた。

いかに乗りごたえのある電車旅をこなすかが18切符のミッションだというのに、鉄分まだ薄めの乙女どもはは「尾道ラーメン食べたい」「原爆ドームも見たいな」「仕上げは広島焼きで」・・・と、オプションがあれこれくっついて、観光旅行気分。これは業務だというのに。おかげで、どんどん行程がタイトになってくる。
ええい、行ってみるしかないでしょー!!

というわけで、まず4時間かけて鈍行でたどりついた尾道駅前で、ホリエモン事務所に遭遇。さすが一等地ですなぁ。50億円ぐらい地代払ったのかも。
生ホリエモンには遭遇しなかったが、ほとんど観光客の撮影名所になっていた。人のこといえないが。

尾道ラーメンは、ギトギトにみえて実はしつこくない醤油ラーメンで、これはよかった。
さー次いってみよー!!
で、広島市街へ。
ますます雨は本降りになってくる。
しおらしく原爆ドームの見学をしたのが免罪符になったのか、あとは「お好み村」「お好み共和国」へまっしぐら。

たまたま飛び込んだ「厳島」というカウンターだけの店は、若いご主人の愛想もよくて、「僕の18切符の旅の思い出」も披露してくれて、話がはずんだ。即席の広島弁講座つき(笑)。
野菜満載の巨大な厳島焼き(1050円)二人前を3人で平らげて、身動きできないのに「終電がーーーっ!!」とチンチン電車に飛び乗り、広島駅にて4分の乗り継ぎで、無事に17:22の「終電」に滑り込みセーフ。

ローカル線旅情などどこ吹く風のラッシュアワーを広島で再現するとは思わなかった。
運がいいというか、段取りが悪いというか・・・。
でも、厳島焼きは◎だった。


さー、冬はもっとグレードアップしようかー!!
と呼びかけた乙女たちからは笑顔が消えていた。
あぁ、鉄分注入作戦のはずが、鉄分アレルギーになってしまったか?


カトリーヌ!!

at 2005 09/04 18:50 編集

台風1つで何千人と亡くなるのは、南アジアの発展途上国の話かと思っていたら、アメリカでこれほどの大惨事になっているとは思わなかった。
阪神大震災を上回りかねない犠牲者数が、リアルなのか悪夢なのか、にわかにピンとこないほど。
ただただ、ご冥福をお祈りするばかりだ。

犠牲者の多さは、貧困層が多かったせいだとも言われている。
台風後に、略奪や暴行など治安の悪化が叫ばれているけれど、想像するに、ふだんから治安がよろしくなくて、避難しようにも家財道具が心配、家を空けるわけにはいかない・・・という住民が多かったのではないだろうか。
貧困層同士で助け合うどころか、火事場泥棒が横行して、奪えるものは奪ってしまえといわんばかりのむき出しのエゴは、天災そのものよりこわい。

そう考えると、公民館で「はやく雨やまないかねー」「不便だわ〜」と嵐の過ぎ去るのを待つ日本は、地震あり台風ありとはいっても、平和な国ではある。
もちろん、多少の空き巣はあるかもしれないが、アメリカほど大胆にはやらない。これは世界に誇っていい日本人の美徳だと思う。

だから、もしニューオーリンズ出身の在日アメリカ人というのがたら、家を空けて避難する気にはならないだろうし、かりに避難して帰宅したとき留守宅が手つかずだったりすると、奇跡を経験したように、驚愕するのではないだろうか。

天災はこわいが人災がこわくない社会と、天災はこわくないが人災がこわい社会のどっちをとるか。
こわいのは、大自然か人間か・・・
人間!
のような気がしてならないが。
 


カトリーヌ!!

at 2005 09/04 18:50 編集

台風1つで何千人と亡くなるのは、南アジアの発展途上国の話かと思っていたら、アメリカでこれほどの大惨事になっているとは思わなかった。
阪神大震災を上回りかねない犠牲者数が、リアルなのか悪夢なのか、にわかにピンとこないほど。
ただただ、ご冥福をお祈りするばかりだ。

犠牲者の多さは、貧困層が多かったせいだとも言われている。
台風後に、略奪や暴行など治安の悪化が叫ばれているけれど、想像するに、ふだんから治安がよろしくなくて、避難しようにも家財道具が心配、家を空けるわけにはいかない・・・という住民が多かったのではないだろうか。
貧困層同士で助け合うどころか、火事場泥棒が横行して、奪えるものは奪ってしまえといわんばかりのむき出しのエゴは、天災そのものよりこわい。

そう考えると、公民館で「はやく雨やまないかねー」「不便だわ〜」と嵐の過ぎ去るのを待つ日本は、地震あり台風ありとはいっても、平和な国ではある。
もちろん、多少の空き巣はあるかもしれないが、アメリカほど大胆にはやらない。これは世界に誇っていい日本人の美徳だと思う。

だから、もしニューオーリンズ出身の在日アメリカ人というのがたら、家を空けて避難する気にはならないだろうし、かりに避難して帰宅したとき留守宅が手つかずだったりすると、奇跡を経験したように、驚愕するのではないだろうか。

天災はこわいが人災がこわくない社会と、天災はこわくないが人災がこわい社会のどっちをとるか。
こわいのは、大自然か人間か・・・
人間!
のような気がしてならないが。
 


育児させん政策?

at 2005 09/03 15:04 編集

選挙に出ると、ホコリが出尽くすまで叩かれてプライバシー丸裸になるよ、といわれるもので、さっそく出てきた異性問題。

わがイチ押しの悩殺系くのいち佐藤ゆかりの「不倫メール500通」って、だれが保管してたのやら、見たのやら?
メール文面なんか捏造するのは簡単だから、それより添付ファイルがついてな
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