2006.04.30 Sunday
かぶりもの上・下
at 2006 04/30 22:43 編集
ホリエモン保釈の波及効果で、麦飯ダイエットがにわかに注目されているらしい。
たしかに、「塀の中の日本一有名人」があれだけ変われば、宣伝効果抜群だろう、麦農家は。
実際、繊維質が多くて腸にもいいらしいから、はやるのはけっこう。
願わくば、ヤケ食いに走ったホリエモンが、数カ月で元の木阿弥になってしまわなければいいけど。
塀の外に出る人あれば新たに入る人あり・・・で、別の意味でどよめくような波及効果を発してしまったのが、あの姉歯さん。
苦しまぎれに「神妙に丸刈りにした姉歯氏は・・・」と読み上げているニュースもあったが、虚偽報道はいかんよね。「刈った」わけではないんだから。もうっ、わかってるくせにっ!!(笑)
被疑者は、取り調べの前にスッポンポンで身上改めされて、穴という穴も徹底的に調べられるぐらいだから、かぶっているものは原則として脱がされる。
なんでも、毛髪のような被り物は、食べて窒息死を図る被疑者がいるらしいから、人間いざとなれば何でもやるんやね。
この逮捕騒動を見て、「明日は我が身」と自覚している姉歯タイプの犯罪者ないし予備軍は、「やはり無理な被り物は、事件そのものとは違う面で目立ってしまうから、やめとこう」と思うかもしれない。もちろん、「自首をやめとこう」ではなく、「悪いことはやめよう」ということで。
とすれば、姉歯さんの被り物は、犯罪抑止効果があったということになる。減刑事由にしてあげてもいのではないかい?
ついでに、俺の頭じゃないが亀の頭に被り物をしている悪い人は、「無理やり脱がされんなら、痛そうだぞ」と考えて、悪事から手を引く。これまた、犯罪抑止効果である。
それにしても、姉歯さんなど末端の個人事業主にすぎないから、本丸は総研の内河と、建築検査を民間に丸投げした霞ヶ関だろう。
ペコリと罪を認めた被疑者に振り上げられた大衆の拳と、身投げした姉歯夫人へのシンパシーが、「本丸」を糾弾する火の手へと燃え上がればいいと思う。
そして、悪あがきするほど、小嶋社長と内河社長は袋小路に追いつめられて行く。往生際の悪い罪人は、教育上も大変よろしくない。
そうだ、こういう疑獄は、小中学生に裁かせればいいのだ。
大胆な判決が出るぞ〜(笑)。
民族大移動を横目に小移動
at 2006 04/30 00:50 編集
お安い文庫と新書ばかり狙うペーパーバック野郎としては、下旬の「新刊の波」は、豊作でうれしかった。ゴールデンウィーク・シフトなのか、いい本が前倒しでドサドサッと出てきた感じ。おかげで、どこにも旅に出ず読書の春になっとる!
今まで椎名誠さんのエッセイは「完読」しているつもりだが、小説というのは、初めて買ったような気がする。
これから、『かえっていく場所』(集英社文庫)をしみじみ読むとするか。
うえやまとち『クッキングパパの絶品ひとり暮らしレシピ』(講談社+α文庫)は、もう見るだけで腹が減る、楽しくニクい文庫コミックだ。どこからでも、つまみ読みできるし。
不思議と、料理ものマンガは、「コミック画質」より、小さくても文庫紙質の方がうれしい。
そういえば、昨年末に絶食状態で入院していたとき、山仲間ホリエクンが差し入れしてくれたのも、よりによって「クッキングパパ」であった。これまた困った悪友である(笑)。
そのホリエクン配偶者は、僕が「お好み焼きにマヨネーズなど要らぬわ!」と叫ぶと、「そんな、美食倶楽部の海原雄山みたいなことを!!」と笑い飛ばしてくれる、なんだか通じ合う符牒を持った、そろいもそろって食いしん坊の輪である。
で、『絶品ひとり暮らしレシピ』の冒頭の1品目が「きつね丼」だったので、感動してしまった。
神戸大学の友人と学食自慢バトルをやっていた時代に、神戸大の「木の葉丼」と張り合ったのが、わが「きつね丼」だった(まぁ、どっちも勝ってもめでたいインカレ学食バトルなのだが)。
きつね丼は、丼ものの中では一番安かったから、学食ではひいきにしていたのに、いま牛丼に牛耳られている外食産業ではあまり見かけないのが寂しい。
まぁ、作るのも簡単だから、わざわざ外に求めなくてもいいわけか。
古本屋で「スペア」を買いなおした太田愛人牧師の『大地からの贈物』(中公文庫)も、大地から採れるうまいもん談義があちこちに出てくる。
食育なんて言葉がはやる二昔も前から、家族そろって食卓を囲まない家庭生活を心配する省察もあって、なるほどなーと思う。
ただ、食卓を囲んで家族団欒というのは、自営業者や農家だと可能かもしれないが、サラリーマン家庭だと難しいかもしれない。
さらに困った現実がどうなっちょるかというと、夕食弁当箱を持った子供が塾に通うまでになると、これはもう、偏差値とプライドだけは高いバカが増えるだけではないかい?
こんなエリート教育はクレイジーではないか・・・と考える良識が大人から失われていることこそ、クレイジーかもしれない。
そういえば昨日、先進国で出生率回復に成功した国の「ちょっとした工夫」が、複数の新聞に載っていた。
どちらかというと、日本人は税制改革や託児所整備のような公的支援をおねだりする傾向が強いが、スウェーデン人はフレックス出勤が第一希望だそうな。「労働時間の裁量を自由にしてくれたら、あとは私たちで工夫するわ」てな感覚かもしれない。
法律婚しなくても子供に不利にならない法改正をしたフランスの真似をするのは難しいと思うが、フレックス出勤なら、法改正までしなくても試せる名案かもしれない。
たとえば、両親が「早出と遅出」に分散すると、共働きでも、子供を保育施設に預ける役、迎えに行く役を交替でできる。
炊事も同じように、早出が朝食を作り置きして、遅出が夕食を作り置きして出ると分担できる。
・・・とまぁ、頭で考えるように実際うまく行かないのかもしれないが、「なんでも一斉に横並び」が大好きな日本人にとっては、いざやってみると、楽になる面もあるだろう。
ただ、フレックス夫婦は一緒にいる時間が減るから、週末は気合いを入れて濃厚に(笑)過ごさないと、育児分担以前に、交尾ができない!
さて太田愛人さんは、世間で言い古されている「衣食住」や「知育・徳育・体育」は、優先順位が逆だと書いておられて、それはごもっともだと思う。
ファストフード&ジャンクフード漬けで、道徳(というと古臭いが、他人や社会や未来に対する想像力ということだろう)そっちのけの進学塾キッズなど、おそらく日本でも世界でも通用しないような気がする。
身も心も健康で、気配りのできる若者というのは、立派な大人にかわいがられてチャンスに恵まれ、どんどん生きた勉強できるって。「世界がキャンパス」という感じかな?
衣食住にしても、キレイに着飾ってグルメにふけっていても、「どこに住むか」の基本が見過ごされている面は、僕も感じることがある。
なにも、マイホーム主義や郊外ニュータウン、パラサイト・シングルを丸ごと否定するつもりはないが(根こそぎ否定してきたけど)、住生活というのは、自分の好きなようにデザインできるものだ。いや、できるべきだ。
まず職場があって、育児中なら保育施設や協力してもらえる身内の家があって、自分の生きがいになっているような都市装置(ライブハウスでも、図書館でも、ひいきのレストランでもいい)があって、程よい距離間隔でネットワークされている生活圏があれば、それが人間らしい地域生活になるというもの。
つまり、あれやこれやの社会資源の関数として、QOLというのが決まってくるものではないだろうか。この点だけマルキスト風にいえば、「物質的な条件が意識をつくる」のである。
だから、あこがれのマイホームが退屈なニュータウンにしか買えなくて、「電車で2時間」なんてのは論外。
コンサート後に軽く一杯・・・さえできない。こんな時間と場所と意識が、都市文化というものだろうに。
仕事が終わって同僚と飲み屋へ流れて「仕事二次会」もいいけれど、ノミニケーションしないと仕事が片づかないというのも、どことなく胡散くさくて、おまけにポマードくさい。
往々にして、ゴマスリお酌だ派閥抗争だセクハラ騒動だと湧きあがるしね。
今その空気は学校をも呑み込んでいて、学生は夕方にはバイト先へ走るだけ、夜学生は郊外の親元へ走るだけ(まぁ、僕も似たようなものだったが)。
余韻の時間と空間で、人生相談や起業や世界同時革命(笑)を語り合うような経験が失われているわな。
せめて、学校なるもの、寝袋持参の学生を泊めてやるぐらいの太っ腹であればいいのに。
安田講堂や西部講堂のような歴史を恐れるなら、「野外フェス」ふうに演出すればいいのだ(大沢先生は、バベ奉行をするぞ)。
学校と職場が、「機能限定」のワンスポットになってしまっているからこそ、地域をフル活用する――再評価する――時代になっていると思うし、意外と(失礼)女性誌がそんな切り口で街をフィーチャーしているのは偉い。
うちはというと、「裏山と海が我が庭だガハハ」「書斎は図書館さ」「5.1サラウンドは持ってないけど近所に映画館ウフフン」を実現したいと夢見つつ、バラックで閑居しているだけなのが不甲斐ない。1駅となりの大倉山というところが条件ぴったりなので、引っ越し先を物色中・・・いや、「憧れ中」のレベルかな。
「GWは日本脱出」なんて景気のいいことはできないから、近所を徘徊するばかりの大型連休である。
おかえり、檻エモン
at 2006 04/28 22:18 編集
8kg減の保釈ホリエモンを見て、「ええ青年やん」と思った視聴者は多いのではないだろうか。麻原彰晃のような姿を想像していた人もいただろうし。
そこは、プライド世界一の金満坊や、自宅で身奇麗にして、今後の秘策を練っているに違いない。
ずばり、株式会社ホリエモンを立ち上げて、孫さんに張り合うか?ドコモを買収したり・・・(笑)。
その前に、「物言う株主」村上ファンドにあやかって、「物言う被告」として法廷パフォーマンスを展開するか?そう重罪でもないのに、異例の長期拘置は見せしめ逮捕・国策拘置そのものだ!と、物言うのもいい。
また、韓国ビジネスに色気を出しているようだから、いっそ竹島を買い取ってくれてもいい。ビジネスになるかどうかは未知数だが。
でもあのキャラクターは、やはり政治には向いていない気がする。経営能力も、メッキが剥げたようだから、次は芸能界・・・か?
たしかに、いじられたり、かつぎあげられたり、泥をかぶったりするほど人気キャラになりそうな気がする。
そして能天気な「ベンチャー小僧」のカリスマになって、出資話を持ちかけて・・・あらら、歴史は回り巡るということでんな。
裏で先生
at 2006 04/27 22:18 編集
盛岡の高校教師が違法風俗店を経営していて逮捕!妻も両親も教師一家!
こんなニュースは、セクハラ事件と同じように、「教師なのに○○!けしからん」というバイアスが透けて見える。たぶん、北野武なら「ちがうんだって。エロいやつが教師もやってただけの話」と笑い飛ばすだろう。
牧師、僧侶、政治家、検事、弁護士らのハレンチ事件も、実態は似たようなものかもしれない。愛妻家の隠し子騒動も、淑女の浮気も。
教師は風俗経営なんかすべきではない!
は朝日新聞的な正義でしかなくて、あのセンセイの場合は、きっぱり教師をやめて風俗社長に転身すべきだった。かけもちしていたのがまずい。
こんなふうにコトが表沙汰になれば、二度と学校には戻れないから、食って行くために、前科ありでもできる仕事といえば、「この世界が俺の生きる道だわ」ということになると思う。
釈放されて裸一貫になったセンセイに、「昔お世話になりました。ところで私も職探しをしているんです」という昔の女子生徒と接点ができれば、もう、いかにも、あんなことやこんなことがアリアリだ。
たぶん、「エステ・1年A組」みたいな商売を始めるのではないだろうか?「3年Z組」までフランチャイズ展開して行ったりして・・・(笑)。
これがもし逆で、ピンク業界で成功した経営者が、その道の経営塾でも開業すれば、「先生と呼ばれるようになったピンクのカリスマ」と、どちらかというとポジティブに評価されたりするものだ。
世の中どっちの側に軸足を置いて考えるかで、似たようなことをやっても評価が180°変わってくるんですなぁ。
だから同じように、元暴走族の機動隊員とか、元ピッキング名人の警備員、元カンニング名人の試験監督・・・どれも、相手の脳裏・手の内・気持ちが、すごーくよくわかる達人になりそうだ。
で、エステ教諭の経営手腕となると、これはどうだったのか?
センセイの特技といえばテストと説教だが、杉本彩センセイや藤原紀香センセイの実技テストや説教は「大繁盛まちがいなし」だとしても(笑)、さて、この教諭は従業員教育にでも能力を発揮していただくしかあるまい。
合掌
at 2006 04/26 22:42 編集
もう1年、やっと1年、まだ1年・・・JR事故から1年たった。
「あの日から時計が止まったまま」と語るご遺族の気持ちは、痛いほどわかる。「あの人」のいない生活が考えられない、でも時が過ぎて容赦なく記憶が風化して行くのもやるせない・・・だから時間は止まるのだろう、とお察しするばかりだ。
ただただ、あらためてご冥福を祈ることしかできない。
こんな不条理な死別の原因が、ただの過失や不運ではなく、大組織の体質や経営風土にある場合、「巨悪」はトカゲのしっぽ切りをしてみせて、怒りを鎮めようとする。
そして、肝心の事故責任のトップにあった社長が、1年たたないうちに引っ込むのは、あまりにもひどい。沈没船から最初に脱出する船長と同じではないか?
垣内前社長は、信楽高原鉄道事故のときも経営陣に顔を並べていた一人だったはずだ。
もう今回の事故で、引き際としては自分で自分を更迭してでも、遺族と最終和解できるまで、無給の社長を続けるべきだったのではないだろうか。やめないで、最後の最後まで被害者・遺族と向き合うことが、せめてもの誠意の示し方になると思うのだが。
金を払うことでもない、頭を丸めることでもない、服役することでもない。
誠意は、被害者の悲劇的な日常から目を背けないことで、少しずつ受け入れられて行くはずだ。
社長と運転士教育の責任者、それに現場から逃げたJR社員は、10年間、遺族の墓参を続けるぐらいの覚悟をみせてほしい。形式的な「執行猶予つき有罪判決」より、はるかに実のある償いになると思う。
会社として、JRが事故遺児への奨学金を提示したのは、正直ちょっと評価できるが、親を失った子供のつらさとは別格に、子供に先立たれた親の抜け殻のような人生も、底無しにつらいと思う。親を見送る覚悟を考える子供もいるだろうが、ふつう子供を見取る覚悟を親がするものではないから。
つい、親の気持ちを考えてしまうトシになったのかな、と思った。
前倒し五月病?
at 2006 04/25 22:54 編集
ネット上の私塾で、「第5志望の大学に入学したが満足できん!どうしたらいいか」と質問をもらった。
なるほど、第5志望とは、きっついなぁ・・・まぁ井上陽水の五浪よりいいか・・・と考えつつ、打ち返したら「よく考え直してみます」というところに落ち着いた。
そんな時期やなぁ、と思う。
入学して2週間ほど受講してみて、違和感が募ってくるか、居心地が日に日によくなってくるか。
どうしても行きたくない大学は受けていないはずだから、最終志望の滑り止めであっても、自分で選んだ結果ではある。いやなら受けなければいいわけで。
僕も「第三志望」に入学したけれど、すぐ友達ができたし、生涯の師のような大教授に出会えたから、やがてパラダイスになった。
勉強したいとか、スポーツしたい、クラブを楽しみたい、等々いろいろぶつけてみて、手応えがなければ愛想を尽かして中退するもよし、仮面学生になってダブルスクールに励むのもいいと思う。
問題は、働きかけをしているのかどうか。
どうせ、おもしろくないに決まっている・・・と「私の回路」の中で答えを出してしまっている自閉的な少年少女は多い。
芥川龍之介の「ピアノ」じゃあるまいし、弾かずして鳴ってくれる楽器なんかないのに、学費を払えば楽しくて資格も取れる自動販売機みたいな感覚なのかもしれない。
何がやりたいのか、そのためにどんな設備や指導者や仲間が必要かを考えて、自分に合う学校を選べばいいわけだから、18、9歳の少年少女より、勤労者こそ高等教育は受け入れるべきだとも思う。
まぁ、ともかくCDを聴く感覚の学生が、ライブハウスの楽しさをつかむには、けっこうハードルがあったりするものだ。
一番うしろにすわって、「見えませ〜ん」「聞こえませ〜ん」とブーたれている子もいるし、このハードル感は、もしかするとなくならないのかもしれない。
ジャージあにき
at 2006 04/24 22:56 編集
いまどきの中高生に、「ジャージをあげる」儀式があると教えられた中津川事件。
彼が彼女にあげるものということで、第二ボタンの代わりになるのかな?
でも、ジャージはペロンとずらして小便するだけだから、けっこう「しぶき」がついていたりするもので、衛生上あんまりよろしくない。
まだ、汗くさいTシャツの方がましではないだろうか。と、どうでもいいおせっかいを焼いてしまう。
そういう僕は、個人的にはジャージ娘がマニアックに好きだから、「ジャージの君が好きさー」「では私ぬきでジャージだけあげるさー」「ホカホカのやつを、たのむさー」てな話になると思うが・・・。
それにしても、別に少年少女が恋愛するなとはいわんが、中高生が愛情のもつれで絞殺事件・・・というのは、せちがらいし、やるせない。
もし愛情がすれ違ったり、思い違いがあったりした末の凶行なら、事実がわかっても後の祭りだ。
「小さな濃い物語」は、往々にしてそうなりがちだから、ここでもしスナフキンのような相談役がいれば、悲劇は避けられたかもしれない。
そんな「ちょっとした先輩格」が、後輩の面倒を見るような場がどんどん消えている。これも、せちがらくて、寂しい。
全国の子供会も、スタッフの高齢化(笑えるね、子供をいじくって中高年の手すさびになっているのは)で運営が停滞している
というし、ボースカウト、ガールスカウトというのも、昔ほど輝いて見えない。
そんな中で、琵琶湖の竹生島で元服を迎える少年に、青年団員が儀式の手ほどきをしているルポを、ちらっと見かけた。昔から島に伝わっている習わしらしい。
先輩団員も、かつてその先輩から手ほどきを受け、その慣習を代々バトンタッチしているのだ。
あぁ、いいねぇ、こういう人生の階段は。
異性の悩みも、将来の不安も、すぐ身近に相談したり、ただ気持ちをぶつけるだけでも、ともかく頼りになる相手がいる。それを代々、順繰りに引き受けて行けばいい。
「服のお下がり」というのは、この発想だった。
同じように、「勉強」「補習」「受験対策」も、先輩がちゃんとマンツーマンで教えてくれたら、塾なんかいらなくなる。
こんな人間関係の綾は、いざ思いつめて殺してしまうまでの間に、何重ものチェックが入るはずだ。
沈んでいる、思いつめた目をしている、顔色に生気のない・・・のような変化を見て、何かを察する周囲の存在というのは、すっかり遠ざかってしまった。似た事件は、今後ますます増える。
だから、アニキ!!姉御!!の存在がクローズアップされると思うし、そうであってほしい。
僕の世代からすると、「タイガースの兄貴」ではなく、「サイキックの兄貴」になってしまうのだが。
竹島戦争
at 2006 04/23 22:31 編集
日本海が、血と炎の色に染まるか!?(実はキムチの色)とヒヤヒヤドキドキしてしまった竹島は、とりあえず日本海海戦延期と決まった。
いずれ決戦の日が来るかもしれないので、キムチ・パワーに「ワビサビ風流」で、勝てるのだろうか・・・ちと心配。
韓国も、あまり身勝手な屁理屈を唱えると「北と大差ないな」と思われかねない体面を気にしてか、海底地名については韓国読みの提案を棚上げしたようだ。
でも、地名ぐらいは、「日本国島根県竹島帰属」と引き換えに、韓国に譲ってもいいのではないかと思う。コチジャン大陸棚、ユッケ・バンク、ピビンパ海淵・・・楽しいではないか。
そういえば、玄界灘という場所もあったっけ。韓国放送公社の「玄界灘に立つ虹」という番組は、ちゅー坊時代の僕のお気に入りだった。
DJはチョン・ヨンジャおねーさんだったなぁ・・・と遠い目になる僕は、平壌放送も聞いて、日ソ友の会にも入っていたんだから、まるでイガグリ頭の工作員であった(実際、こんな甘い玄関口から工作員をスカウトしていたのかもしれないが)。
どなたかがコメントしていたが、A国のものかB国のものか、両国が取り合いしているような領土は、「どちらのものでもない」大昔の状態に戻すのがいい、という考え方もあって、なるほど大賛成。
公海ならぬ「公領」とでも決めて、南極大陸や月面と同じように扱えばいい。
まぁ、実際に「この2国でもめている」とわかっているなら、魚や海底資源は山分けすればどうですかな?と思う。
「だれのものでもない」つまり法的に無主物といえば、野良猫がおなじみの例。
どなたかの買い主責任が付着しているわけではなくても、その地域に住みついているから、コミュニティ・キャットとも呼ばれ。犬にはできないグレーゾーンな生き方だ。
おまえたち、いいなぁ・・・と、僕は常々ジェラシ〜を感じている。
まさか猫と島を同列には扱えないとしても、竹島にいる海鳥は、どこの国が責任を持って保護するのだろうか。
鳥は放っておくとしても、あそこにいる韓国兵は、もちろん韓国籍だろうが、ちょっとくすぐってみればどうか。
「君たち月給いくら?ふーん、20万ウォンか。ここが日本国になれば、ウォンはエンで支給してあげるよ」
とささやいてみると、日本に飛んでくる勢いだったりして。
「ウッ!給料が10倍になるなら、この島は日本のものでいいぞ文句あっかノムヒョン!!」と、武装蜂起してくれるかもしれない。
日本にたとえれば、「沖ノ鳥島はアメリカ領とする。そのかわり海保庁と自衛隊の駐留はそのまま認めて、隊員には出張手当として日本円で月給300万円を支給」というような話だから。
金で釣るようなことは後ろめたいが、まぁ魚心あれば水心というもんである。
日本の竹島に出張すると30万エンもらえて、韓国の独島に駐留すると30万ウォン。どっちがいい〜?
でも、ピクリとも動じない韓国であれば、見直すのだが。
ウラシマ・イシノスケー
at 2006 04/22 23:38 編集
六十数年ぶりに岩手に里帰りできた旧日本兵、イシノスケさんがロシア名イシノスキーというのは、「お見事!!」と変に拍手喝采してしまった。
それはそれとして、60年後の日本は、どう映ったのだろう。
ウクライナでも普通の庶民をしてテレビも見ていただろうから、ルバング島に潜伏していた小野田寛郎さんほどの「サプライズ帰国」ではないと思うが、戦前の日本にも、今のウクライナにもなく岩手に普通にあるものは、何だろうか。
コンビニか?新幹線か?
「女店員が、必ず釣り銭に手を添えてワシに片思いしてくれちょるのじゃ〜ヌハッ!ヌハッ!」と驚いておられるかもしれない(笑)。これは、たしかに社会主義国にはない。
ともかく豊かな日本を実感すると、さぞかし「戦争に負けていながら、これだべか(方言あやしい点ご容赦を)!?」と驚いただろうなぁ。
その豊かな日本人が南アジアへ観光に行くと、「いつか見た日本がある」と感動するらしいが、これほど何でもありの日本からすると、本当にまったく見たことがないものなんて、どこの国にあるのだろう。
まぁ、麻薬バーとか拳銃なんて非合法なものはともかくとして、「えっ!こんなのあり!?」と驚くようなものを見て、イシノスケさん気分を味わってみたい気もする。
それが、ちょっと探してみても、意外に見当たらない(経験したことのないモノなら、考えつかないのも当然か)。
で、いざ発見したら、なんでこれが日本にないのだ!!と怒りに震えるかもしれない。歯科の3mixMP法なんてのを聞くと、医療技術に何かありそうな気もするけど・・・。
現実的ワークシェア
at 2006 04/21 22:10 編集
ジェンダー・トラックの話をしてきた。
これは田嶋自動車(株)の生産する高性能トラックで、ラインナップは遥1号、千鶴子1号、猪1号がそろっている。
・・・というのは、さっぱり笑えないジョーク。
この分野の話になると、就職を目前に気が重くなる善男善女もおられて、強迫観念を持ってしまうものかもしれない。ご苦労さまです。
いったい、家で役に立てますか?と迫られている団塊世代おじさんと、バリバリ働けますか?と迫られて心病んでいる新卒OLと、どっちの悩みがトータルで深いのだろうか。
でも、男なみに働くもん私!!というのは80年代の発想。
過労死寸前の働き方なんか、無尽蔵な人海戦術で成長して行ける中国にでもまかせて、これからは男が「女性なみに手を抜きます」とケツをまくればいい。いや、手抜きといっちゃー失礼だが、「深夜勤務ダメなの俺」「介護休暇とらせてよね僕にも」なんてことが、男性労働者も言えたらいい。
特に、高給取りが怠けてくれれば、自然にワークシェアリングが進むはずだ。
そうして、もっと日本人のんきにダラリまったり行きましょう、と思うのだ。まぁ、現実の労働分配はそう簡単なものではないとしても・・・。
かりに年収300万円夫と年収300万円妻が夫婦でいれば、ぜいたくできないまでも、そこそこの暮らしができるのではないのかと思う。
夫の方はかなりヒマができるから、家事も育児も子連れ旅行もうんとできるぞ。
こんな、森永卓郎さん御推薦の「年収300万円生活」は異論もあるものの、所得水準というのは、低いなら低いで何とかなるものかもしれない。
たとえば、母子世帯が平均年収200万円あるかないか、のような実態が報道されると、「気の毒だ」と思う人もいれば、「しっかり働くべし」と檄を飛ばす人もいるだろう。
ただ、もし僕が若い女性だったら、「へー200万あれば子供と暮らせるんだ」と考える。もちろん、ギリギリの生活に近いだろうけど、200万円でギリギリなら、300万円なら母と子は余裕で食って行けるのではないかい?
極端に丼勘定すると、日本人の平均時間給が2000円弱。北欧なみに年間労働時間1600時間でおさえると、年収300万円。
これぐらいの労働量を、男女公平にこなせる社会になればいいと常々思う。
こんなのは、もちろん丼勘定だから、300万円を3000時間労働で稼がなくてはいけない人もるし、300時間で稼ぐ人もいて、この格差は深刻な問題ではある。
所得格差で勝ち組だ負け組だと騒がれているが、所得格差のない国などない。それより、労働単価の格差こそ問題だと個人的には思う。日本人のこだわる「年収」というのも、何時間働いてそれだけ稼いだか?を問うべきなのだ。
戦後すっかり標準化してしまった「年収600万円夫と専業主婦」というのは、実は危いぞ・・・と実感されるようにもなってきた。
おまけに、いまどきの年金分割やら熟年離婚やらのブームを見ていて、「あぁ俺もそうなるかも」と不安に思って、非婚にとどまっている男性諸君も多いと思う(食わせてやる!と大見栄を切ったツケは重いのだ)。
それはそれで、正しい現実認識といえなくもない。
自活できない彼女と婚姻届を出す前に、ふと先々のリスクを考えてしまうの当然というか、賢明というものだ。
僕は男性至上主義者(!?)だから、男たるもの、彼女の仕事を奪って育児に専念させるなっ!!てめぇが半分やれぃ!!と訓示を飛ばしているのだが、果たしてこれは、もてる男をつくりだすのか、警戒される男をつくりだすのか、正直わからない。
警戒されたくなければ、「仕事大好き家事まるでダメ男くん」を演じるのが利口なのかな。
マイかもめ食堂
at 2006 04/20 22:36 編集
新年度の仕事サイクルがちょうど1週間で一巡して、勘がつかめてきた。
ぎゅっと2日にかためると「週休5日制」にならなくもないが、そうなると憧れの(笑)通勤定期を持つには損。
で、結局いまだに「切符で通勤サラリーマン」なのが寂しい。
いや、別に「鉄道利用機会」が仕事選びのものさしになっているような鉄ちゃん魂からではない!と言い訳しても、上北沢君には見破られそうだ。
今のウィークリーサイクルで何より寂しいのが、午前と午後にまたがった仕事日が水曜日しかないこと。
飲み屋に通う習慣のない僕には、顔がつながっているのは行きつけの食堂だけ(家の近所のモスバーガーに顔を覚えられているのは、少しみっともない)。
実際、なじみの定食屋さんとも疎遠になってしまった。
1食15品目の四季定食とも、絶妙にジュージュー焼けて出てきてくれるサバ塩定食とも、マヨネーズが標準仕様になっていない優良お好み焼き屋も、去年は週1回ずつ必ず巡回(笑)できていたのに。
これぐらいのルーチン変化で寂しい寂しい・・・とはいいつつ、定食屋のヨロコビを満喫する水曜日は、帰宅するとグッタリしてしまうから、こんなヘナチョコ男は仕事をかかえこまない方が利口なのかもしれない。
それはそれで日本経済にかかわる大問題になりそうで、続きは明日の日記で。
やります、やります(坂上二郎さん風に)
at 2006 04/19 22:38 編集
きのうは、「両極端なあんちゃん」が、代わる代わるニュースに登場していた。
一人は、山口で妻子を殺された本村さん。「今すぐ被告を釈放してほしい。私がこの手で殺すから」と宣言していた、話題の彼である。
あの表情は、たとえ被告の無期懲役が確定しても、十数年後に確実に思いを遂げるだろうと日本人だれもが確信しているはずだ。もし「15年」と刑期が確定すると、そのときから15年のカウントダウンが始まり、運命の日には刑務所の前に中継車が殺到し、もちろん警察も厳戒態勢を敷いて、でもマスコミの本音としては「豊田商事の永野会長」のような現場中継をしたくて、殺気立つこと確実。
主役の本村氏など、白装束で、鉢巻きをして構えていたりするのではないだろうか。
そうなるとわかっているからこそ、救急救命士もスタンバイしているし、法曹界にもシンパが一大勢力をなしていて、大弁護団ができるに違いない。
なんだか、煽っているようで、よくないなこりゃ。
もう一人は、あのお騒がせ新庄。
いつものエキセントリックな論法の記者会見で、「今シーズン限りで、ユニフォームを脱ぎます」と言われても、オイオイほんまに引退か〜?と疑われかねない。
また実際に、「ジャジャーン!引退しないよ〜(笑)ユニフォームは毎晩脱いでるじゃないっスか」てな申し開きをしそうではないか。本当にユニフォームを脱いでみせて、「これ僕のお気に入り下着っ!!そう、これCMでした」という運びも、考えられるぞ。
本村氏の言動に、冗談や遊び、ブレが見当たらないのに対して、新庄の言動はまるごと冗談に見えるし、しかも憎めないところがある。これはこれで、お二人ともすごい。
プロポ〜ズをしたら新庄に見られ、何かのトラブルで「許せん!!」と言えば本村氏に見られる僕の不徳からすると、ご両人の重さと軽さは、見習いたいものだ。
社会的には、新庄タイプの人が増えれば、自殺者も心病む人も減ると思う。ただ、本来は本村キャラでなくてはいけないのに、妙に新庄成分がにじみ出て怒りを買っていたりするのが、ヒューザー小嶋社長。
いや、あの社長キャラになぞらえること自体、新庄の名誉が傷つくというものかもしれない(ごめんね)。
グランドステージ住民に「本村成分」が増量すると、社長は夜道を歩くことさえリアルに怖くなるだろうから、今後こんな事件が再発すれば、「ぶれないゴルゴ魂」は、いい手本になって行くかもしれない。
問題は、「だれが鈴をつけるか」である。
あぁ、いかん!煽ってるなぁ煽ってるなぁ・・・。
どうする!哀ふる
at 2006 04/18 21:50 編集
金融庁から全店営業停止命令を受けたサラ金に、街行く人民は口々に「あんなにかわいいCMやってる会社なのに、ひどいですね・・・」とコメントしていた。
いや、かわいのは犬だけで、もう二昔も前に大社会問題になったサラ金そのものですって。
たかがCMといえど、まるで麻酔のように効いてまんなー、と僕はあきれてしまった。
「ご利用は計画的にできない」客と、「キャー、チワワかわいー!!」と嬌声をあげている客というのは、かなり重なる部分があるのではないだろうか。ついでに、清水章吾のような硬い男の目に涙が浮かんだら、「いい人」と思い込んでしまったり(清水章吾は実際いい人だろうけど)しそうで、結局サラ金や闇金のカモになって行くのだろう。
僕は田宮二郎の「白い巨塔」に出ていた「ドクター鼎」時代からの清水章吾ファンだが、だからこそ、その存在感がサラ金CMで再評価されるのはつらい。
そもそも、動物や乳幼児をキャラクターに使うのは、女・子供(と一緒にするのは子供に失礼かも)の理性をとろけさせてカモにしようと考える商人の常套手段。
だから、サラ金がハイエナやハゲタカをイメージキャラクターに使うことはないもんな。あったらすごいけど。
日本文化のキーワードみたいに評価されている「かわいい」は、こと情報が必要な広告や、ちゃんと機能してくれないと困る工業製品にまで感染すると、大事な働きが吹っ飛んでしまうばかりか、ユーザーの判断力を麻痺させる。
かわいいブレーキ性能のクルマなんか怖いし、かわいい文房具なんて事務機能に劣るし、麻酔から醒めると「かわいい害悪」が見えてくるだけなのだ。
だから、「かわいいチワワの会社の恐ろしい素顔」がばれたこれからは、武富士の踊り子もアマゾネスみたいなのに入れ替えて、逆効果を狙うのが得策かもしれない。
たとえばレイザーラモンHGが笑いながら
取り立てフォ〜〜〜ッ!!
なんてCMをやっているサラ金って、実は親切でやさしい、庶民の味方でした。
・・・なんてことは、ありえないだろうねぇ。
森の中のタコ焼き
at 2006 04/17 23:14 編集
今年は花見せんかったなぁ・・・なら一人で行くか標高の高いところへ。
と、裏山に向かった。例によって、3時もすぎてから。下山してくるハイカーと次々にすれ違いながら。
標高といったって400mそこそこだから、案の定とっくに桜前線は通りすぎていて、ほとんど葉桜だった。
でも、青葉の中の花というのも、黄緑色が映えて、なんともいえずいい感じに染まった色合いに見えた。
陽が傾く時間だから、ゆっくり歩く間の色温度のグラデーションも加わる。夏や春、秋のカチンとした光のめりはりと違う、淡い春色の競演は、なかなか気づきにくいし、写し留めるのも難しい。
クールピクスの試写を兼ねて、F3と一緒に持って行ったのだが、花を抜きにして春を表現するのは、意外に難しい。
ベタッと凪いだ光に、ハイライトをつかまえにくいし、シャドーもしまりがない。
あぁ、無限の自然光の綾に、カメラの表現力なんか役に立たんわい・・・と嘆きながら、そんな場面も幸せだったりする。
ただ、幸福中の不幸は、「ここに来たらいつものタコ焼きやな」と楽しみにしてたどりついた茶屋で、店じまいしかけていたことだ。
「もう、おまへんにゃ」と、申し訳なさそうな店のおばーちゃん。
もう、注文するまでもなく、いつも閉店間際にくる怠け者ハイカーだと見破られているのかもしれない。
みっともない(笑)。
でも汚名返上!・・・とまで、気張ることないか。
スローに楽しい、裏山ヒルウォークだから。
新春とは新書の春なり
at 2006 04/16 20:52 編集
文庫が映画と連動したタイアップ企画か、占いとつるんだエンターテイメント路線に走って、どうにもおもしろくなくなってきた(文庫にエンタメなんてフレーズを持ち込んだ馬鹿野郎はどいつだ!?)のに対して、いま新書がおもしろい。
文庫売り場ほどポップも賑々しく立っていないし、背表紙は画一的で整然としているのだが、いま新書戦争といわれるほど激戦区
なのだそうな。
古参の岩波・中公・現代の3新書が斜陽で、コロモを変えてみたり新シリーズを出してみたりと苦心しているのをよそに、バラエティ豊かになっていて、肩ひじ張って取り組む感じがしないのは、なかなかいい。
実用書のようで教養書のようで、よくわからないのが、とりあえず「何かありそう」な感じはする。
で、なんやかんやで新書は毎月5冊か10冊ぐらい買っては、追われるように読んでいる・・・というか、そうでもして勢いをつけないと、すぐ積ん読=デッドストックと化してしまうのが悩みの種。
文庫も単行本も、頭の体操がてら買ってしまう内田樹センセイの新刊が、角川oneテーマ21で出た。題して『態度が悪くてすみません』。
いやいやなんの、武道家は態度良好なのだ。
内田センセイが一貫して追究し続けているテーマが、身体性とモラルの問題。
勤務先の女子大の、杜の中に住む寮生と大阪から通学してくる学生との観察比較など、なるほどなぁ・・・と思う。
都心の何万という匿名の視線や情報の中を泳いで生活している現代人は、いきおい感覚を低感度にせざるをえず、堅いシェルで覆われた自我は、親しい(はずの)(そう見えるだけの?)他者とのコミュニケーションや共感の難しさをかかえてしまう・・・。
こんな方程式は、特に目新しくはないのだが、かといって言語能力アップだディベートだ自己表現だというテクニックで、難問が解決しないことも、よく知られている通り。
体の声を聞くのだ大衆よ!と言いたげな内田センセイの論法もわかるのだが、エステやダイエットや美容整形や、武道の何百倍もマゾヒスティクな、拷問のような身体改造を嬉々としてやっている女性の花道というのも、僕の目にはどこか深遠な修行に見えてくる(小谷真理さんなら、なんと分析するだろうか)。
さて、「この道」といえば、鉄道である。むちゃくちゃ強引なこじつけ・関連づけだが。
内田本と併読して、さわやかに読み通せてしまったのが、野田隆(こちらは高校のセンセイ)著『テツはこう乗る』(光文社新書)。
これはもう、リンク先の上北沢暗室職人君を観察しながら書いたのではないかと思えるレポートだった(笑)。
等身大のテツの生態を描くだけにとどまらず、全日本人の中にひそかに芽がある鉄分をくすぐって、「どうです、鉄ちゃん道楽は特別なことじゃないんですよ、さぁ、あなたも鉄の世界へカモ〜ン!!」と誘惑しているのだ。
たぶん、これを読んで鉄道の旅にマイ・スタンプ台を持って行くようになる「首尾よし!発車オーライ」派も増えるだろうし、時刻表は保管用と酷使用の2冊を買い備える脳内旅行者も増えるだろう。
罪な牽引車である(あぁっ、これも鉄分の高いたとえだ!)。
僕なんか、別に何かコレクションしているわけではないし、ただ素朴にというか、情緒的に「鉄道はええなぁ」と思う程度。
だから、定期入れに折り畳んだ時刻表をにらんで乗り換え駅の階段の位置にこだわったり、その棒あんたの恋人か?と思うほど車内立ち位置にこだわったりしている通勤・通学客の方が、僕にいわせれば「無自覚に鉄分濃厚」である。
そこで、野田さんには、ぜひ通勤・通学電車の楽しみを深く掘り下げて、殺伐としたラッシュアワーの悦楽みたいなものを、紹介していただきたい。地価の安い地方に住んで優雅に特急通勤するようなワーク・スタイルも、これから増えてくると思うし。
そうなれば、「テツでよかった〜」とうなずきあうテツ家族が、幸せをかみしめるのだろう。
上北沢君がうらやましい。やはりこれから、テツの時代なのだ。
望む、女子監督
at 2006 04/15 18:32 編集
中京女子高の野球部が、負傷者続出でピンチ!
と何げなく聞いたニュース、よく見たら普通の男子野球リーグ戦に出ているのだった。
スコアも、18対0とか30対0とか、すごい失点で(これは試合といえるのか?)。
アィタタタタ・・・
そりゃ、守備だ攻撃だの前に、ケガもするって。女子ソフトボールと違うんだから。
別に、ジェンダーフリーでがんばるのよ私たち!!と気負っているわけではないだろうが、ちょっと痛々しい感じがしないでもない。
素人目には、陸上競技や水泳やウィンタースポーツは、ほとんど男女の能力差がなさそうな気もするのだが、野球など最初から「男のための型」みたいなものが決まっているような気もする。
それが格闘技になるとなおさらで、女子レスリングは個人的には不思議と違和感がないものの、女子相撲や女子ボクシングになると、どう見ていいのかも、僕にはわからない。
たとえ合意の上での競技とはいえ、殴る、蹴る、球を投ぶつける、それをかわす・・・のような技は、「する女子」にも、それを見る側にも、生理的に受けつけにくい何かがあるのではないかと思う。
本人が楽しければいいとはいえ、致命的なケガをしかねないとなると、素朴に心配してしまう。
それは差別意識だと言われれば、謹んで拝聴いたすとして。
もし、「高校スポーツは男女平等参加」と大号令でもかかれば、野球をしたい女子高生チームもできてくるだろうけど、今世紀中は「物珍しさ」「ご愛嬌」「試合の華」「私たちの思い出」になりこそすれ、またベースボールそのものの醍醐味からはずれたところで話題にはなっても、はたして「競技の発展」につながるのかねぇ・・・と考えてしまう。
田嶋陽子に「女子野球、なにがダメなのさー!ついでに女だって土俵に上がっていいじゃーん!!」と噛みつかれるのが面倒くさくて、違和感をごまかしごまかし、批評を押し殺し押し黙りしている人はいると思うのだが。
女子が激しい競技するなというつもりは毛頭ないのだが、つい僕の目に留まってしまう眺めが、女子マラソンにしろ女子ゴルフにしろVリーグにしろ、結局オッサン監督(実父というケースもある)が、おなごを支配しているシーン。
この構図が変わらない限り、競技の質が大きく飛躍するとは思えないのだが、チーム役員も競技団体もOGでやりくりするようになる時代が、いつかは来るものだろうか。
して、北京五輪、どうするの?
世界には、たとえばPL学園野球部と互角に試合しかねない、モンスターのような女子ソフトボールチームだって、うじゃうじゃいたりする。
世界で唯一、水着やブルマーの食い込みをせわしなく気にして手直ししている大和撫子バレー選手を心配している現役女子選手もいたけど(わかってることは、わかってるらしい)、日本と対戦するチームは、食い込んでいる瞬間を狙え!(笑)と作戦を立てているのではないだろうか。
もしかすると、JOCやIOC、プロチームではなく、芸能界や広告代理店の視線を意識して競技やってます・・・という選手がいても、不思議ではない(そう仮定すると、荒川静香は立派だ)。なんだか、雑誌『コンバットマガジン』の表紙モデルに萌え萌えみたいな世界ではないか。
今の日本では、最初からスポーツとしてでなく、キワモノとして見るのが、正しい心構えなのかもしれない。
だから、女子プロレスを、かぶりつき席で観戦している堺屋太一元経企庁長官、あなたは正しい!(笑)
巣鴨証券取引所
at 2006 04/14 22:44 編集
証券市場で、ついにライブドアが最後の取引・・・のニュースと併せて、投資家を欺いた報いだとか、虚像に酔ったマネーゲームセンターだったとか、倒れた人に鞭打つようなコメントが並んでいる。
おいおい、そういうことは、投資家が群がっている真っ最中に言わんかいな。
ったく、勝手なもんだ。さんざんホリエモン・キャラを祭り上げて、甘い汁すすったくせに。
僕は投資家でもないしホリエモン・シンパでもアンチでもないから、「ライブドア祭り」のような投資ブームは、至極ひややかにしか見ていない。
第一、まともなプロなら、ライブドア株は先物感覚でころがしはしても、将来性ある投資先として見てなかったのではないかと思う。ポータルサイトなんか儲かる事業ではないし、ソフトバンクのようにインフラをおさえずして通信事業なんて名乗っているのも、冗談のような話だし。
何万人もの、ライブドアに貢いで損したにわか投資家は、高い授業料を払っていい勉強になったのではないだろうか。
キャラがこけて、今ライブドアを引き継いだ平松社長こそ、最初から会社の顔になっていればよかったのにねと思う誠実な実務家に見えるのだが、さて証券市場から退場させられて、これからが大変だ。
ネット取引の時代だから、いっそホリエモンは罪滅ぼしに証券取引所を立ち上げればどうかとアドバイスしてあげたい気もする。東証に重なるのも少し問題はあるが、「巣鴨証券取引所」でもいい。
「ホリエモン証券取引所」でも悪くない。ただ、どの会社も「東証上場」とか「大証上場」は誇りにしているが、「ホリ証に上場」は、こっぱずかしいだろうなぁ(笑)。
でも、そこはホリエクン、未来の投資社会に備えて、ベンチャー企業や、寄付金がほしい公益団体への投資マーケットのような場をつくってほしいものだ(そうなると、証券取引所とはいえないから、要はやっちゃ場みたいになるわな。ハマコーみたいな胴元が、もろ肌脱いで腹巻き姿で仕切っていたりして・・・笑)。
そこではもう、公益法人やNPO、町内会に老人クラブ、勢いで高校生徒会なんてのも、闇鍋みたいにゴッタ煮にすれば、実はその中に将来大化けする砂金が埋まっていたりするのではないだろうか。こんなガラガラポンに賭けるのも、案外おもしろいかもしれない。
(芸能人が多い)某H学園生徒会に、出資しませんか?
なんて話にデレデレと乗るお調子者も、いるに違いない。
と考えると、アイドル・ファンドなんてのもあったのを思い出すし、ライブドアに投資したお調子者というのは、アイドルファンドと同じ心理で、「ホリエモンに献金した」ということではないだろうか。ふつうは企業の業績や事業展開を見て投資するのが王道だろうけど、社長のキャラに賭けるという投資行動も、未熟な投資社会にはありそうな話だから。
出所したホリエモンに、どんな箔がついて、「あんたに賭ける!」という出資者が出てくるか、少し見ものではある。
阪急タイガース?
at 2006 04/13 22:33 編集
村上ファンドに乗っ取られそうな阪神電鉄の株を、阪急が買い戻すかもかも・・・という案が出ているそうな。
助け舟になるのか、なれあいになるのか、素人にはよくわからないが、阪神と阪急は、カレーライスとハヤシライスみたいな関係ではないか?
もちろん、共存共栄できればいいと思うものの、そもそも関西の私鉄といえばJRが共通の宿敵。僕も、私鉄ファンだとはいえ、やはり速さ・便利さになびいて、大阪へ出勤する足も、京都に遊びに行くときもJR。
まぁ、JRも阪神と阪急もトリオで繁盛してもらうのが一番だが。
京阪神を結ぶ阪急が、西は神戸の須磨までしか行かないのに対して、阪神間しか走っていない阪神は、姫路まで乗り入れて独自性を打ち出している(ようだ)。
ただ、JRより遅くて高いのが大減点だから、阪神ファンとしては、奈良まで乗り入れる計画を大胆に結んで、近鉄と提携していただきたい。調子に乗って、名鉄と相互乗り入れしたりすると、おぉすごい、兵庫県と愛知県が私鉄で直結する!!(笑)
正直、神戸に住んで大阪で働いて京都に遊びに行く黄金三点セットには飽きている僕にとっては、「これからは、奈良」なのである。「不倫」「密会」「傷心」のイメージがつきまとう京都より、「地味」「反省」「自粛」の(僕の勝手な)香り高い奈良の方が、不倫にも安全だ。
・・・といっても、不倫もなにも、そもそも必要もなければご縁もないが。
それにしても、阪神電車はどうなるのだろう。
球団経営を放棄した阪急に助け舟を出してもらっても、その阪急だって手詰まりだろうに。
99%カカオ
at 2006 04/12 22:10 編集
なぜか今、カカオ濃厚チョコレートが静かなブーム!!
ということらしい。
わけ知り顔で、「私、50%以上はパス」「あ〜ら私は80%がいいわ」なんて数字をやりとりしているにわか通も、いたりして・・・
。
そういえば、僕が2月に「年上の人」からもらったゴディバの詰め合わせ(というのは変か?盛り合わせか?)は、50%、65%、75%とカカオ含有率を食べ比べられるようなアソートになっていた。
これぐらいの開きがあると、さすがに味の違いはよくわかる。
ウィスキーをダブルやシングルで、また水で割ったりロックでやったりストレートであおったりするように、そのときの気分で、カカオ濃度を選んで賞味するというのが、粋なのかもしれない。
そこでまず、リンツの「99%もの」がソニープラザで目に留まったので、お買い上げ→試食。
神戸の六甲バター(株)が輸入しているということは、関西限定ということか?
んー、どすこい!と重い。濃厚。
トロリ感が満点だ。
ダース・ビターやロッテのブラックのつもりで食べると、なんかこう、圧倒される。
でも、うまいかといえば、なんせなめらかな粘土を食べているようで、なんともいえない。
結局、「手作りチョコの素材そのもの」という感じ。
だから、わざわざパッケージには、
「その魅力を充分に楽しんでいただくために、まずエクセレンス70%カカオから食べ始め、次に85%カカオというように、カカオ含有率が高いチョコレートの味覚に慣れてから召し上がることをお勧めします。また、お召し上がりの際は少しずつお口に入れ舌の上でゆっくりと溶かしてください」
と書いてある。なかなか親切な「食べ方指導」ではないか。ハイハイ、ゆっくり溶かしますって。
明治の「チョコレート効果 CACAO99%」というのも、よく似た風味だった。
コンビニでこれを買うとき、おなご3人組が、99%と書いてあるパッケージをチラッと見て、「ねーねー、なにが99なん〜?」と相談しあっていた。よほど僕は、「これ、体脂肪燃焼率やで〜食べ食べ」と騙してあげようと思ったものであったが。
たぶん、甘くないチョコレートになじむには、少し時間がかかるかもしれない。
僕は砂糖なしコーヒー、紅茶に慣れて以来、甘くないのが普通と思い込んでしまったから、チョコの世界も、甘いの甘くないのと選べるのが当然になってほしいものだ。
和菓子だと、それ自体が工芸品みたいな感じだから、酸いも甘いも職人さんの決めたままだが、チョコだと私は何%がいい、俺は何%・・・と我が意のまま選ぶような「賞味の作法」が見えてくる。
それはそれで、いいんだか面倒なんだか、「コース・ディナー苦手・和定食好き」な僕は正直よくわからない。バンホーテンの無糖ココアというのも、少し面倒くさかったりする。
どうせなら、コカ・コーラなんか砂糖どっさり・半分・ナシと選べるようになればいいのに。
やったでしょう!いったでしょう!
at 2006 04/11 22:49 編集
痴漢でつかまったサラリーマンが、刑事で不起訴になったのに、民事で「痴漢の事実あり」と裁かれて憤慨していた。
民事裁判の「踏み込み過ぎ」だとか、証拠調べをろくにやらない民事の判事が主観で裁いているとか、逆に警察・検察の調べがおざなりだったのではないかとか、コメントもさまざま。
真相は被告だけが知っているのだろうが、被害者が「このオヤジが私に痴漢したのよ!」と主張する証言が、「なんだかねぇ」なのだ。
こんなことが性犯罪事実の裏づけになるとしたら、もう、言ったもん勝ちの世界ですなぁと思ったのは、「加害者は行為の後、私にウィンクした」という証言を、裁判所はまともに証拠採用しているのだ。
オイオイ、そりゃないよ。
目に虫が入ったのかもしれないし、くしゃみが出そうなのをこらえたら顔が歪んだのかもしれないし、何か反射的に片目を細めるようなことが、あったのかもしれない。
よしんば痴漢があったとしても、ただの表情変化を犯行の裏づけとして採用する前例になったら、片眉毛を動かすクセのある僕は困るわな。「いやらしい目つきをしている」だけで痴漢したということにされ、「鼻息が荒かった」「満足げな顔をしていた」で証拠固めされてしまいそうだ。
被害者だって、困るでしょうに。
「被害者もウィンクしたので、事後合意が成立したのだ」「彼女は恍惚感で目がうるんでおりましたぞ」と抗弁する被告だって、これから出てくるかもしれない。
犯罪は犯罪として立証されなくてはいけないが、言ったもん勝ちのような、一方的・主観的な感じ方は、証拠にしてはまずいと思う。
にっくき痴漢を突き出すつもりなら、周囲に客観的にわかるように「やめたまえ」と言うぐらいは、した方がいいのではないだろうか。
周囲に知られずに、ある人を犯罪者と認めさせるとしたら、「カメラで撮ってましたよ」というような物理的証拠が欠かせないと思う。たとえ加害者が確信犯であったとしても、闇の中で罪を裁くのは、裁判公開の原則に照らしてもまずい。
もちろん、「被害者の人権が尊重されるべし」ゆえに「性犯罪は原告匿名」という風潮もわかる。
が、それだけの証拠がなかったという理由であっても、刑事で不起訴になったら被疑者は被告でもないし、加害者でもない。
とすると、被害者の人権の方が、「推定加害者」の人権なんかより尊重されるのは、平等とはいえない。
痴漢に限らず、自分の発言で、ある人を犯罪者としてしまうかどうかは、こと刑事事件となると責任重大だ。「おまえは能無しだ」「なによ、ヘナチョコ!」というのとは次元が違う。慎重に立件してほしいものである。
だから、もし僕が女性なら、ちゃんと証拠をおさえて犯人を突き出すと思うし、ホモ被害に遭ったとしても同じ(物陰におびき寄せて、私刑を下すかもしれない)。
もっとも、黒木瞳に痴漢されたら、証拠は完全もみ消し工作して、ぞんぶんに被害に浸る(!?)と思う。・・・あぁ、そうなりゃ「被害」ではないな。
近江みやげクールピックス
at 2006 04/10 22:32 編集
18切符の「食べ残し」を消化できるのは、もうこの日曜日しかない!というわけで、3時をすぎてから、新快速に飛び乗った。
演歌の世界じゃ、旅立ちは北へと決まっている。
でも、夕方から出て鈍行で往復できる「モト取れ路線」なんて、著しく限界がある。
そこで結局、近江舞子まで乗って、のどかな琵琶湖岸を眺めながら、ひたすら「車内読書の時間」を過ごして、とんぼ帰りしてきた。片道1890円だから、まぁ、モトはとれたでしょう。
比良山にはまだ雪が残っていたが、ホームに出ても、やんわりと暖かい。
あぁ、もう本当に春なのね!まぎれもなく冬は逝ってしまったのだ!帰っておいで俺様の時間!手を伸ばせばそこに私の時間が広がる・・・その冬はもう、去ってしまったのだ・・・
と、わけわからん感慨に浸って、ただの消化旅行でしかない「新快速ちんたら往復」で切符を使いきってきた。
手ぶらで帰るのもなんだから、ソフマップに寄ってみると、クールピックスが在庫一掃されていて、「ラス1」だった。
価格コムの最安値より安い。ポイントも10倍つくし。
気がつくと、「琵琶湖みやげクールピックス」を手に、家路についていたのであった。情けないやら…
でも、運が良かったわけか?
あのニコンも、フィルムカメラ生産を大幅縮小!というので、年明けのおマニヤ界は動揺していたものだが、デジカメも元気がない。もう、三菱グループお先まっ暗なのか?
ニコンは昔からスイバルにこだわっていて、クールピックス900シリーズも――今みると巨大で持つ気になれないが――独創的な回転メカは世界中にファンがいた。
そして、価格コムの掲示板では「もしかするとスイバル機の最後になるかもしれない」とささやかれていたS4は、「メーカー生産完了」になったとたん、値上がりしはじめた。
まぁ、変なプレミア価格はつかないだろうが、市場に出回らなくなる(コンタックスのスイバル機がそうだ)と困るので、「ラス1」チャンスに僕は飛びついてしまったのだ。
ウェストレベルでかまえて自然なスナップが撮れるのは、スイバルの、そして設計が自由なデジカメならではの利点なのだが、わが買い物を採点する電脳検事D氏にいわせると、「よからぬアングルで撮れるしな」と、冤罪発言ビシバシである。
もちろん、そんな趣味はないので、「猫写真に好都合」ということにしてこう、購入動機は。
S4は珍しく単三電池駆動なので、充電で困ることはないし、スイバルならではの奥行きのとれるレンズ設計のせいか、10倍ズームもなかなか強力だ。
変な沈胴メカニズムも必要ないから、撮影時と電源オフでサイズがまったく変わらない。よけいな電力も使わないですむし。
とまぁ、わが魔窟は下手するとデジカメまで「2けた」行きそうで、自重せねば自重せねばと思うのだが、ライカとローライという2大「禁断の森」が手つかずだから、もうカメラ屋にはあまり立ち寄るべきではないな。
とはいえ、デジイチにはまったく興味が湧かないのは我ながら不思議で、それが「防波堤」になっている加茂…。
ひさトラ
at 2006 04/09 22:47 編集
鍵交換や何やかやで少し落ち込みながらアパートに帰ると、スキー休暇も含めて長いこと会ってなかった「隣りのみよちゃん」ならぬトラちゃんが、ニャーニャー鳴きながら、つつつーーっと出てきた。
いやー、お久しぶり!!
きみは、傷心のツボというのを、よくわかってるねぇ〜・・・と、スリスリお返し大サービスをしてあげた。フガフガ喜んでいた。
指パッチンで車庫の車に飛び乗る芸は、もう仕込んであるので、昨夜もおとなしくボンネットに飛び乗っていただいて、じゃれあっていた。
そこへ、車のオーナーの居酒屋ご主人がやってきた。
無愛想で、愛車に乗っているトラちゃんを以前どやしつけていた硬骨漢。
と思い込んで、僕はあまり、というよりほとんどつきあいもなかった。
ところが、この夜はやけに上機嫌だった。
トラちゃんは本能的に身を隠していたから、「愛車の横の不審者」にしか見えなかったであろう僕に、ニコニコほほえみながら「遅うおますな」と声をかけて、車を出して行った。
よほど、いいことでもあったのだろうか。
あとに残ったトラちゃんと、僕は再びスイ〜トなひとときを過ごした(笑)のであった。
生暖かい春の夜の、「白日夢」であった。
時給201万円
at 2006 04/08 21:51 編集
ワタクシは、ノータックズボンが嫌いだ!
と、自称ファッション評論家がファッション暴言家でしかない破れかぶれなことを吐き続けるには、ちゃんと理由がある。
・・・つもりだった。
あんなところスカスカさせて、男たちの暴れん坊将軍を泳がせておくユルさは嘆かわしい!とか、
短足の日本人が、ことさらに象足化して短足を強調する愚よ!とか。
ところが実際、スーツといえばタック入りズボンが定番みたいになっていて、ツータック、ひどいのになるとスリータック(なぜかイラン人はこのタイプのズボンが大好きなようだ)、まるで男のプリーツよろしく、ひだだらけになっている。
いったい男のズボンは、どこに行く?
「多数派」は経済の法則で安くなるから、選択肢が多くて安いだけが長所だろうか。だから、通勤スーツは「作業着」と割り切って、ゆるゆるズボン数着は持っている。
そのブラックスーツを着て通勤したところ、たしかに下半身はゆるゆるで楽ではあった。暴れん坊将軍は暴れなかったし(笑)。
で、電車で職場まで往復して帰宅すると、ポケットに入れた鍵がない。
考えられるのは、電車の席に座ってる間か、立つときに、席に落ちたハプニングぐらいだ。走ったり宙返りしたりしたことはないから。
JRに届け出てはみても、部屋の鍵がないと、玄関前までしか帰宅できない。幸い、大家さん宅が近所だったから合鍵を借りて帰宅はできたものの、こんなことは初体験だった。
めげるというより、腹立たしい。あくまでも、スーツが悪い!ということにしといた方が、精神衛生上はよろしいかもしれない。
部屋の合鍵は、500円かそこらでできるから大した損害ではないのだが、驚いたのが、自転車の鍵だった。
合鍵を作ってなかったので、最後の鍵をなくすと鍵屋さんに開けてもらうか、ワイヤーを切断して力まかせに開けるか、しかない。
実際、細いワイヤーの鍵をなくしたときは、金鋸で切断してやったこともあるが、簡単にできる・・・ということは、防犯効果も乏しいわけで、極太ワイヤー錠に換えていた。これが災いした。
専門家に頼むしかないのである。
近所に「鍵の救急車」屋さんがあるので出かけて行って相談すると、なんと解錠でも切断でも、「8400円(!!)です」という。
人の足元を見たような料金設定である。クッソー・・・
とはいえ、しかたない。
最初に料金を明快に言ってくれたのは良心的かいなと思い直して依頼すると、ものの20分で、「救急車」がやってきた。
せんだみつお似のあんちゃんが、2本のピンを鍵穴につっこんでシャカシャカやると、あれまぁ、15秒ほどで開いてしまった。
なんじゃこりゃ〜〜〜〜〜っ!!
と、あっけないこと、あっけないこと。
これで8400円。
ボロいでんなぁ!1分で33600円。時給201万6000円!!・・・
せんだみつおよ、あんたは松井秀喜か!!(笑)
こうなるなら、いっそ、ピッキングの勉強をしておいた方がいいかもしれない。
とさえ思ったぞ。17%本気で。
いやはや高い授業料ではあった。
「合鍵は、最後の1つになる前に作っておくべし」とレッスンを受けて、8400円。
それにしても、ポケットの中が鈍感になるツータックズボンも、やはり悪者である。
八つ当たりで悪いか!
祝!民主自由民主党
at 2006 04/07 15:35 編集
民主党の顔が小沢イチローになりそうな勢いで、それは偽メール自爆の後始末かもしれないが、僕は「その先」にワクワクする。
もとは自由民主党にいて、飛び出して自由党をつくって、いま民主党にいるイチローである。何が起こるか・・・
僕が与党の政治家なら、「そろそろ野党やめて、うちと合併しないか?あなたは幹事長までやった人だから、官房長官ポストは用意しておくよ。そのあと大臣ポストも」と、勧誘する。
実は、小泉首相も「自分の後を継げるのは、イチローさん」と思っているのではないだろうか。
筆頭野党といっても、そもそも「元自民」の議員が多い政党だから、「そうねー、合併すれば万年野党から抜け出せるわけか」と、あっさり古巣に戻りたがるやつもいるにちがいない。
そんな調子のいいこと、許せん!という善良なセンセイがたは、新民主党を結成する・・・とまぁ、これは社会党の末期と同じ構図だな。
合併した民主自由民主党(笑)は強力だ。政党政治ったって、まるで旧ソ連か中国である。
総理をめざす河村たかしには奮闘していただいて、ぜひ名古屋弁で首相就任演説をやってほしい(将軍と呼ばれたりして・・・笑)。結局、僕が見たいのはそれだけだったりする。
「そりゃーおみゃーさんよぅ、無責任だがも」と怒られても、ぜんぜん不愉快でないのが、将軍様の人望というものか?
スッキリしたい
at 2006 04/06 20:28 編集
18切符が消化できずに、まだ残っている。この「ノルマ感」が、くせものである。
神戸からだと、琵琶湖岸あたりまで往復すると元がとれる計算になるのだが、使うからにはとことん得したいという貧乏性が出てしまう。
新年度の仕事の準備でバタバタやっていると、放浪気分は飛んでしまったし、こんな格安切符なんか持っていると、かえって腰が重くなってしまうのは僕だけだろうか?
JR西は、近畿中心部だけ1日乗り放題で2000円の京阪神おでかけ切符というのも売っているのだが、これなんか「利用1週間前に発売」という前売り制をとっていた。
大阪から京都とか神戸にぶらり遊びに行く程度の電車利用を、1週間雨から計画を立ててないといかんのか?・・・と首をかしげてしまうほどに不便で、利用者のことを考えてない。さすがに最近「1週間前」は短縮されたようだが。
だから18切符も,残りはチャージして繰り越せるとか、ちょっとは便利になってくれたらとも思うが、5枚ワンセットという制約が、かえってやりがいを感じさせるのか?
あぁしかし10日は出勤だから、あと3日。どこに行くべきか。
熊本をめざす気力はないし、瀬戸内に沿って魚でも食べにいくか?
楽しいんだか気ぜわしいのか微妙なノルマが、まるで「春休みの便秘」である。
新入社員ファッションチェック!!
at 2006 04/05 23:23 編集
もう入社式は終わって。新入社員は勤労に励んでいるはずだが、リクルート・スーツというのは、いわゆる「シューカツ用」からそのまま通勤服に使い回すものなのだろうか。それとも、ちゃんと別にあつらえているのか?
ともかく、ドブネズミ色の、一目でそれとわかる新人プロレタリアートが、盛り場のそこかしこで群れている。なんだろねーこりゃ。
そりゃ、まだスーツが板につかないのはわかるとはいえ、なぜそろいもそろってドブネズミ色なのか。僕の卒業シーズンは、こんな陰気な統一服はなかったぞ。
横並びでないと不安なのか?出る杭になって打たれるのが、こわいのか?
たしかに、いざ出る杭となると、成人式のような無軌道に走りかねない世代だから、無難にドブネズミ色の仮面をかぶっておく・・・ということかもしれないが、それにしても、ねぇ。
陰気すぎる。
ピーコさん、なんとか喝いれてやってくれ!
まだ一人前の仕事ができない新人は、ファッションにうつつを抜かしている場合ではない。
と新人自身が考えているなら、あんたら精神年齢中年か?と言いたくもなるわい。いまどき、部課長だって、ちょい悪オヤジを自己演出したりしているんだから、いい若いもんが、爺さまのジャージみたいな色使いのスーツに収まっているのは、もったいない。
仕事ができないからこそ、まぁ問題発言だと謗られるのを覚悟でいえば、職場を明るくして、人によってはジジババの回春剤として機能するのも、新人の仕事みたいなものではないか?
だって、ほかに取り柄がなければ、ファッションセンスが売りになるでしょうに。
こうして、小鳥のような新人のOLは「ちょい悪に見えて実は極悪」というおちゃめな上司にしてやられ、仔牛のような新人クンは、ちょいツボ(ちょいとお局)のお姉さんにつまみ食いされ、人材が循環して行くのが会社社会というもの(か?)。
1年ワンクールの人材サバイバルゲームが、いよいよ始まった。
だからこそ、勝負服で行かねば!
なんなら、軍服でもいい。
まぁそれは自衛隊以外では難しいから、せめてドブネズミ色の下は、妖しいエナメル光沢インナー!!なんかで決めてほしい。
大沢伍長(おっと、なりきるか)は、撃つのを忘れて白旗をあげるから。
花は桜のみを愛でるものかは
at 2006 04/04 21:55 編集
花見客のご乱行が年々エスカレートしているようで、地元の住民は悲鳴をあげているんです!!キィ〜〜〜ッ!!
というルポを見かけた。
なるほど、怒鳴る歌う踊る散らかす燃やす捨てる吐く・・・の醜態を見ていると、のどかな花を愛でる宴会とは縁遠いマス・ヒステリーにも見える。
周辺住民の皆さん、大変でしょう。
こんな「騒音源」を迎え入れて地域経済が活性化するとでもわかっていれば、しぶしぶ受け入れるのも、ありそうな話。
ところが、しょせん花見客はテキ屋の網の中だから、地域にとっては百害あって一利なし。お気の毒に。
ときにあの某都知事以上にタカ派になる僕が、もし副知事だったら、機動隊の放水車でも巡回させ、夜10時以降に騒いでいる連中に「水をさす」ね。知事も都民もフジサンケイグループも(?)拍手喝采してくれるだろう。
だめか?
日本人の哀しい習性に合わせて、花見スポットをオートキャンプ場みたいに区画整理して、時間いくらで貸し出すのもいい。
おそらく大阪では無理だが、東京都民なら、おとなしく仕切られて宴会ができるのではないだろうか。
バイオテクノロジーが進めば、1日だけ開花する、そのかわり金銀七色に輝く夢見心地の桜の花なんてのも、開発されるかもしれない。1日だけなら、花見もいいでしょう。
でも理想をいえば、息を呑むほど美しく、歌ったり踊ったりするのを忘れて陶酔してしまいそうな花なんてのが生まれれば、スマートというものだ。
テクノロジーついでに、ごちそうの中に毛虫がポロポrポロポロ落ちる桜とか、たちの悪い花粉をばらまく桜、大声に反応してしぼんでしまう桜なんてのも、あればおもしろい。
もっとも、行儀の悪い酔客をどうにかするのが先決で、桜は自然なままでいてほしい気もするから、一番自然な花見公害対策としては、雨天が続けばいい。
あぁ、でも大阪城公園みたいに、土建業の心得あるホームレスが立派な戸建て住宅をおったててしまったりすると、雨だろうと寒波が来ようと余裕のよっちゃんだ。
たぶん僕のようなやつが、テントやタープを持ち込んで得意げに花見しているかもしれないし、雑誌は「今年の花見は、ゴアテックスが必勝アイテム」なんて調子で悪乗りしかねない。
そこまでするか?と言われつつも、今年も来年も、10年先も、阿鼻叫喚の年中行事は続いているだろうねぇ。もっと価値観が多様化すると、夏や秋の花を愛でる花見、冬は雪見・・・というのも、しゃれた行事として広まって、宴会が分散すると思うのだが。
ドドーーーッと桜の花見にばかり群がるのは、イモの子を洗うがごときプールや江ノ島みたいで、どうしようもなく恥ずかしい。
こと花見に限っても、井の頭公園と、弘前や吉野山をくらべて見ると、地方の文化水準の方が、はるかに高いように見える。
附属天国
at 2006 04/04 00:02 編集
4月最初の月曜日・・・というので、入学式や初出勤のニュースが、なんとなく晴れやかな季節感を届けてくれる。
ここからはや1カ月ほどで、五月病へと堕ちて行く善人が多かったのは、もう昔の話なのだろうか。
そんな時期を見計らったかのように、原理運動の学生カルトが、キャンパスを狩り場に「迷える子羊」につきまとっていたものだが。
キャンパスといえば、同志社と立命館が小学校を開校したそうで、京都お受験熱がどうたらこうたらと話題になっている。
マーケティングでいう囲い込み戦略は、教育市場でこそ大本命になるから、「附属ブーム」は、少子化なんかよそ目に、ますます過熱する気配。これで「京大附属小学校」なんてできれば、京都お受験界は、応仁の乱みたいになるだろう。
わが母校も、小学校を開校したり、幼稚園を持つとなりの大学をM&Aしたりと囲い込みにご熱心で、あとは保育園だけ。もし夜間保育とか24時間保育まで始めれば、0歳から大学、大学院までひと続きの純粋培養ができてしまう。
実際、「親子三代・四代同窓生です」なんてコーナーが、同窓会誌に連載されているぐらいだから、こうなるともう、信仰に近い。
at 2006 04/30 22:43 編集
ホリエモン保釈の波及効果で、麦飯ダイエットがにわかに注目されているらしい。
たしかに、「塀の中の日本一有名人」があれだけ変われば、宣伝効果抜群だろう、麦農家は。
実際、繊維質が多くて腸にもいいらしいから、はやるのはけっこう。
願わくば、ヤケ食いに走ったホリエモンが、数カ月で元の木阿弥になってしまわなければいいけど。
塀の外に出る人あれば新たに入る人あり・・・で、別の意味でどよめくような波及効果を発してしまったのが、あの姉歯さん。
苦しまぎれに「神妙に丸刈りにした姉歯氏は・・・」と読み上げているニュースもあったが、虚偽報道はいかんよね。「刈った」わけではないんだから。もうっ、わかってるくせにっ!!(笑)
被疑者は、取り調べの前にスッポンポンで身上改めされて、穴という穴も徹底的に調べられるぐらいだから、かぶっているものは原則として脱がされる。
なんでも、毛髪のような被り物は、食べて窒息死を図る被疑者がいるらしいから、人間いざとなれば何でもやるんやね。
この逮捕騒動を見て、「明日は我が身」と自覚している姉歯タイプの犯罪者ないし予備軍は、「やはり無理な被り物は、事件そのものとは違う面で目立ってしまうから、やめとこう」と思うかもしれない。もちろん、「自首をやめとこう」ではなく、「悪いことはやめよう」ということで。
とすれば、姉歯さんの被り物は、犯罪抑止効果があったということになる。減刑事由にしてあげてもいのではないかい?
ついでに、俺の頭じゃないが亀の頭に被り物をしている悪い人は、「無理やり脱がされんなら、痛そうだぞ」と考えて、悪事から手を引く。これまた、犯罪抑止効果である。
それにしても、姉歯さんなど末端の個人事業主にすぎないから、本丸は総研の内河と、建築検査を民間に丸投げした霞ヶ関だろう。
ペコリと罪を認めた被疑者に振り上げられた大衆の拳と、身投げした姉歯夫人へのシンパシーが、「本丸」を糾弾する火の手へと燃え上がればいいと思う。
そして、悪あがきするほど、小嶋社長と内河社長は袋小路に追いつめられて行く。往生際の悪い罪人は、教育上も大変よろしくない。
そうだ、こういう疑獄は、小中学生に裁かせればいいのだ。
大胆な判決が出るぞ〜(笑)。
民族大移動を横目に小移動
at 2006 04/30 00:50 編集
お安い文庫と新書ばかり狙うペーパーバック野郎としては、下旬の「新刊の波」は、豊作でうれしかった。ゴールデンウィーク・シフトなのか、いい本が前倒しでドサドサッと出てきた感じ。おかげで、どこにも旅に出ず読書の春になっとる!
今まで椎名誠さんのエッセイは「完読」しているつもりだが、小説というのは、初めて買ったような気がする。
これから、『かえっていく場所』(集英社文庫)をしみじみ読むとするか。
うえやまとち『クッキングパパの絶品ひとり暮らしレシピ』(講談社+α文庫)は、もう見るだけで腹が減る、楽しくニクい文庫コミックだ。どこからでも、つまみ読みできるし。
不思議と、料理ものマンガは、「コミック画質」より、小さくても文庫紙質の方がうれしい。
そういえば、昨年末に絶食状態で入院していたとき、山仲間ホリエクンが差し入れしてくれたのも、よりによって「クッキングパパ」であった。これまた困った悪友である(笑)。
そのホリエクン配偶者は、僕が「お好み焼きにマヨネーズなど要らぬわ!」と叫ぶと、「そんな、美食倶楽部の海原雄山みたいなことを!!」と笑い飛ばしてくれる、なんだか通じ合う符牒を持った、そろいもそろって食いしん坊の輪である。
で、『絶品ひとり暮らしレシピ』の冒頭の1品目が「きつね丼」だったので、感動してしまった。
神戸大学の友人と学食自慢バトルをやっていた時代に、神戸大の「木の葉丼」と張り合ったのが、わが「きつね丼」だった(まぁ、どっちも勝ってもめでたいインカレ学食バトルなのだが)。
きつね丼は、丼ものの中では一番安かったから、学食ではひいきにしていたのに、いま牛丼に牛耳られている外食産業ではあまり見かけないのが寂しい。
まぁ、作るのも簡単だから、わざわざ外に求めなくてもいいわけか。
古本屋で「スペア」を買いなおした太田愛人牧師の『大地からの贈物』(中公文庫)も、大地から採れるうまいもん談義があちこちに出てくる。
食育なんて言葉がはやる二昔も前から、家族そろって食卓を囲まない家庭生活を心配する省察もあって、なるほどなーと思う。
ただ、食卓を囲んで家族団欒というのは、自営業者や農家だと可能かもしれないが、サラリーマン家庭だと難しいかもしれない。
さらに困った現実がどうなっちょるかというと、夕食弁当箱を持った子供が塾に通うまでになると、これはもう、偏差値とプライドだけは高いバカが増えるだけではないかい?
こんなエリート教育はクレイジーではないか・・・と考える良識が大人から失われていることこそ、クレイジーかもしれない。
そういえば昨日、先進国で出生率回復に成功した国の「ちょっとした工夫」が、複数の新聞に載っていた。
どちらかというと、日本人は税制改革や託児所整備のような公的支援をおねだりする傾向が強いが、スウェーデン人はフレックス出勤が第一希望だそうな。「労働時間の裁量を自由にしてくれたら、あとは私たちで工夫するわ」てな感覚かもしれない。
法律婚しなくても子供に不利にならない法改正をしたフランスの真似をするのは難しいと思うが、フレックス出勤なら、法改正までしなくても試せる名案かもしれない。
たとえば、両親が「早出と遅出」に分散すると、共働きでも、子供を保育施設に預ける役、迎えに行く役を交替でできる。
炊事も同じように、早出が朝食を作り置きして、遅出が夕食を作り置きして出ると分担できる。
・・・とまぁ、頭で考えるように実際うまく行かないのかもしれないが、「なんでも一斉に横並び」が大好きな日本人にとっては、いざやってみると、楽になる面もあるだろう。
ただ、フレックス夫婦は一緒にいる時間が減るから、週末は気合いを入れて濃厚に(笑)過ごさないと、育児分担以前に、交尾ができない!
さて太田愛人さんは、世間で言い古されている「衣食住」や「知育・徳育・体育」は、優先順位が逆だと書いておられて、それはごもっともだと思う。
ファストフード&ジャンクフード漬けで、道徳(というと古臭いが、他人や社会や未来に対する想像力ということだろう)そっちのけの進学塾キッズなど、おそらく日本でも世界でも通用しないような気がする。
身も心も健康で、気配りのできる若者というのは、立派な大人にかわいがられてチャンスに恵まれ、どんどん生きた勉強できるって。「世界がキャンパス」という感じかな?
衣食住にしても、キレイに着飾ってグルメにふけっていても、「どこに住むか」の基本が見過ごされている面は、僕も感じることがある。
なにも、マイホーム主義や郊外ニュータウン、パラサイト・シングルを丸ごと否定するつもりはないが(根こそぎ否定してきたけど)、住生活というのは、自分の好きなようにデザインできるものだ。いや、できるべきだ。
まず職場があって、育児中なら保育施設や協力してもらえる身内の家があって、自分の生きがいになっているような都市装置(ライブハウスでも、図書館でも、ひいきのレストランでもいい)があって、程よい距離間隔でネットワークされている生活圏があれば、それが人間らしい地域生活になるというもの。
つまり、あれやこれやの社会資源の関数として、QOLというのが決まってくるものではないだろうか。この点だけマルキスト風にいえば、「物質的な条件が意識をつくる」のである。
だから、あこがれのマイホームが退屈なニュータウンにしか買えなくて、「電車で2時間」なんてのは論外。
コンサート後に軽く一杯・・・さえできない。こんな時間と場所と意識が、都市文化というものだろうに。
仕事が終わって同僚と飲み屋へ流れて「仕事二次会」もいいけれど、ノミニケーションしないと仕事が片づかないというのも、どことなく胡散くさくて、おまけにポマードくさい。
往々にして、ゴマスリお酌だ派閥抗争だセクハラ騒動だと湧きあがるしね。
今その空気は学校をも呑み込んでいて、学生は夕方にはバイト先へ走るだけ、夜学生は郊外の親元へ走るだけ(まぁ、僕も似たようなものだったが)。
余韻の時間と空間で、人生相談や起業や世界同時革命(笑)を語り合うような経験が失われているわな。
せめて、学校なるもの、寝袋持参の学生を泊めてやるぐらいの太っ腹であればいいのに。
安田講堂や西部講堂のような歴史を恐れるなら、「野外フェス」ふうに演出すればいいのだ(大沢先生は、バベ奉行をするぞ)。
学校と職場が、「機能限定」のワンスポットになってしまっているからこそ、地域をフル活用する――再評価する――時代になっていると思うし、意外と(失礼)女性誌がそんな切り口で街をフィーチャーしているのは偉い。
うちはというと、「裏山と海が我が庭だガハハ」「書斎は図書館さ」「5.1サラウンドは持ってないけど近所に映画館ウフフン」を実現したいと夢見つつ、バラックで閑居しているだけなのが不甲斐ない。1駅となりの大倉山というところが条件ぴったりなので、引っ越し先を物色中・・・いや、「憧れ中」のレベルかな。
「GWは日本脱出」なんて景気のいいことはできないから、近所を徘徊するばかりの大型連休である。
おかえり、檻エモン
at 2006 04/28 22:18 編集
8kg減の保釈ホリエモンを見て、「ええ青年やん」と思った視聴者は多いのではないだろうか。麻原彰晃のような姿を想像していた人もいただろうし。
そこは、プライド世界一の金満坊や、自宅で身奇麗にして、今後の秘策を練っているに違いない。
ずばり、株式会社ホリエモンを立ち上げて、孫さんに張り合うか?ドコモを買収したり・・・(笑)。
その前に、「物言う株主」村上ファンドにあやかって、「物言う被告」として法廷パフォーマンスを展開するか?そう重罪でもないのに、異例の長期拘置は見せしめ逮捕・国策拘置そのものだ!と、物言うのもいい。
また、韓国ビジネスに色気を出しているようだから、いっそ竹島を買い取ってくれてもいい。ビジネスになるかどうかは未知数だが。
でもあのキャラクターは、やはり政治には向いていない気がする。経営能力も、メッキが剥げたようだから、次は芸能界・・・か?
たしかに、いじられたり、かつぎあげられたり、泥をかぶったりするほど人気キャラになりそうな気がする。
そして能天気な「ベンチャー小僧」のカリスマになって、出資話を持ちかけて・・・あらら、歴史は回り巡るということでんな。
裏で先生
at 2006 04/27 22:18 編集
盛岡の高校教師が違法風俗店を経営していて逮捕!妻も両親も教師一家!
こんなニュースは、セクハラ事件と同じように、「教師なのに○○!けしからん」というバイアスが透けて見える。たぶん、北野武なら「ちがうんだって。エロいやつが教師もやってただけの話」と笑い飛ばすだろう。
牧師、僧侶、政治家、検事、弁護士らのハレンチ事件も、実態は似たようなものかもしれない。愛妻家の隠し子騒動も、淑女の浮気も。
教師は風俗経営なんかすべきではない!
は朝日新聞的な正義でしかなくて、あのセンセイの場合は、きっぱり教師をやめて風俗社長に転身すべきだった。かけもちしていたのがまずい。
こんなふうにコトが表沙汰になれば、二度と学校には戻れないから、食って行くために、前科ありでもできる仕事といえば、「この世界が俺の生きる道だわ」ということになると思う。
釈放されて裸一貫になったセンセイに、「昔お世話になりました。ところで私も職探しをしているんです」という昔の女子生徒と接点ができれば、もう、いかにも、あんなことやこんなことがアリアリだ。
たぶん、「エステ・1年A組」みたいな商売を始めるのではないだろうか?「3年Z組」までフランチャイズ展開して行ったりして・・・(笑)。
これがもし逆で、ピンク業界で成功した経営者が、その道の経営塾でも開業すれば、「先生と呼ばれるようになったピンクのカリスマ」と、どちらかというとポジティブに評価されたりするものだ。
世の中どっちの側に軸足を置いて考えるかで、似たようなことをやっても評価が180°変わってくるんですなぁ。
だから同じように、元暴走族の機動隊員とか、元ピッキング名人の警備員、元カンニング名人の試験監督・・・どれも、相手の脳裏・手の内・気持ちが、すごーくよくわかる達人になりそうだ。
で、エステ教諭の経営手腕となると、これはどうだったのか?
センセイの特技といえばテストと説教だが、杉本彩センセイや藤原紀香センセイの実技テストや説教は「大繁盛まちがいなし」だとしても(笑)、さて、この教諭は従業員教育にでも能力を発揮していただくしかあるまい。
合掌
at 2006 04/26 22:42 編集
もう1年、やっと1年、まだ1年・・・JR事故から1年たった。
「あの日から時計が止まったまま」と語るご遺族の気持ちは、痛いほどわかる。「あの人」のいない生活が考えられない、でも時が過ぎて容赦なく記憶が風化して行くのもやるせない・・・だから時間は止まるのだろう、とお察しするばかりだ。
ただただ、あらためてご冥福を祈ることしかできない。
こんな不条理な死別の原因が、ただの過失や不運ではなく、大組織の体質や経営風土にある場合、「巨悪」はトカゲのしっぽ切りをしてみせて、怒りを鎮めようとする。
そして、肝心の事故責任のトップにあった社長が、1年たたないうちに引っ込むのは、あまりにもひどい。沈没船から最初に脱出する船長と同じではないか?
垣内前社長は、信楽高原鉄道事故のときも経営陣に顔を並べていた一人だったはずだ。
もう今回の事故で、引き際としては自分で自分を更迭してでも、遺族と最終和解できるまで、無給の社長を続けるべきだったのではないだろうか。やめないで、最後の最後まで被害者・遺族と向き合うことが、せめてもの誠意の示し方になると思うのだが。
金を払うことでもない、頭を丸めることでもない、服役することでもない。
誠意は、被害者の悲劇的な日常から目を背けないことで、少しずつ受け入れられて行くはずだ。
社長と運転士教育の責任者、それに現場から逃げたJR社員は、10年間、遺族の墓参を続けるぐらいの覚悟をみせてほしい。形式的な「執行猶予つき有罪判決」より、はるかに実のある償いになると思う。
会社として、JRが事故遺児への奨学金を提示したのは、正直ちょっと評価できるが、親を失った子供のつらさとは別格に、子供に先立たれた親の抜け殻のような人生も、底無しにつらいと思う。親を見送る覚悟を考える子供もいるだろうが、ふつう子供を見取る覚悟を親がするものではないから。
つい、親の気持ちを考えてしまうトシになったのかな、と思った。
前倒し五月病?
at 2006 04/25 22:54 編集
ネット上の私塾で、「第5志望の大学に入学したが満足できん!どうしたらいいか」と質問をもらった。
なるほど、第5志望とは、きっついなぁ・・・まぁ井上陽水の五浪よりいいか・・・と考えつつ、打ち返したら「よく考え直してみます」というところに落ち着いた。
そんな時期やなぁ、と思う。
入学して2週間ほど受講してみて、違和感が募ってくるか、居心地が日に日によくなってくるか。
どうしても行きたくない大学は受けていないはずだから、最終志望の滑り止めであっても、自分で選んだ結果ではある。いやなら受けなければいいわけで。
僕も「第三志望」に入学したけれど、すぐ友達ができたし、生涯の師のような大教授に出会えたから、やがてパラダイスになった。
勉強したいとか、スポーツしたい、クラブを楽しみたい、等々いろいろぶつけてみて、手応えがなければ愛想を尽かして中退するもよし、仮面学生になってダブルスクールに励むのもいいと思う。
問題は、働きかけをしているのかどうか。
どうせ、おもしろくないに決まっている・・・と「私の回路」の中で答えを出してしまっている自閉的な少年少女は多い。
芥川龍之介の「ピアノ」じゃあるまいし、弾かずして鳴ってくれる楽器なんかないのに、学費を払えば楽しくて資格も取れる自動販売機みたいな感覚なのかもしれない。
何がやりたいのか、そのためにどんな設備や指導者や仲間が必要かを考えて、自分に合う学校を選べばいいわけだから、18、9歳の少年少女より、勤労者こそ高等教育は受け入れるべきだとも思う。
まぁ、ともかくCDを聴く感覚の学生が、ライブハウスの楽しさをつかむには、けっこうハードルがあったりするものだ。
一番うしろにすわって、「見えませ〜ん」「聞こえませ〜ん」とブーたれている子もいるし、このハードル感は、もしかするとなくならないのかもしれない。
ジャージあにき
at 2006 04/24 22:56 編集
いまどきの中高生に、「ジャージをあげる」儀式があると教えられた中津川事件。
彼が彼女にあげるものということで、第二ボタンの代わりになるのかな?
でも、ジャージはペロンとずらして小便するだけだから、けっこう「しぶき」がついていたりするもので、衛生上あんまりよろしくない。
まだ、汗くさいTシャツの方がましではないだろうか。と、どうでもいいおせっかいを焼いてしまう。
そういう僕は、個人的にはジャージ娘がマニアックに好きだから、「ジャージの君が好きさー」「では私ぬきでジャージだけあげるさー」「ホカホカのやつを、たのむさー」てな話になると思うが・・・。
それにしても、別に少年少女が恋愛するなとはいわんが、中高生が愛情のもつれで絞殺事件・・・というのは、せちがらいし、やるせない。
もし愛情がすれ違ったり、思い違いがあったりした末の凶行なら、事実がわかっても後の祭りだ。
「小さな濃い物語」は、往々にしてそうなりがちだから、ここでもしスナフキンのような相談役がいれば、悲劇は避けられたかもしれない。
そんな「ちょっとした先輩格」が、後輩の面倒を見るような場がどんどん消えている。これも、せちがらくて、寂しい。
全国の子供会も、スタッフの高齢化(笑えるね、子供をいじくって中高年の手すさびになっているのは)で運営が停滞している
というし、ボースカウト、ガールスカウトというのも、昔ほど輝いて見えない。
そんな中で、琵琶湖の竹生島で元服を迎える少年に、青年団員が儀式の手ほどきをしているルポを、ちらっと見かけた。昔から島に伝わっている習わしらしい。
先輩団員も、かつてその先輩から手ほどきを受け、その慣習を代々バトンタッチしているのだ。
あぁ、いいねぇ、こういう人生の階段は。
異性の悩みも、将来の不安も、すぐ身近に相談したり、ただ気持ちをぶつけるだけでも、ともかく頼りになる相手がいる。それを代々、順繰りに引き受けて行けばいい。
「服のお下がり」というのは、この発想だった。
同じように、「勉強」「補習」「受験対策」も、先輩がちゃんとマンツーマンで教えてくれたら、塾なんかいらなくなる。
こんな人間関係の綾は、いざ思いつめて殺してしまうまでの間に、何重ものチェックが入るはずだ。
沈んでいる、思いつめた目をしている、顔色に生気のない・・・のような変化を見て、何かを察する周囲の存在というのは、すっかり遠ざかってしまった。似た事件は、今後ますます増える。
だから、アニキ!!姉御!!の存在がクローズアップされると思うし、そうであってほしい。
僕の世代からすると、「タイガースの兄貴」ではなく、「サイキックの兄貴」になってしまうのだが。
竹島戦争
at 2006 04/23 22:31 編集
日本海が、血と炎の色に染まるか!?(実はキムチの色)とヒヤヒヤドキドキしてしまった竹島は、とりあえず日本海海戦延期と決まった。
いずれ決戦の日が来るかもしれないので、キムチ・パワーに「ワビサビ風流」で、勝てるのだろうか・・・ちと心配。
韓国も、あまり身勝手な屁理屈を唱えると「北と大差ないな」と思われかねない体面を気にしてか、海底地名については韓国読みの提案を棚上げしたようだ。
でも、地名ぐらいは、「日本国島根県竹島帰属」と引き換えに、韓国に譲ってもいいのではないかと思う。コチジャン大陸棚、ユッケ・バンク、ピビンパ海淵・・・楽しいではないか。
そういえば、玄界灘という場所もあったっけ。韓国放送公社の「玄界灘に立つ虹」という番組は、ちゅー坊時代の僕のお気に入りだった。
DJはチョン・ヨンジャおねーさんだったなぁ・・・と遠い目になる僕は、平壌放送も聞いて、日ソ友の会にも入っていたんだから、まるでイガグリ頭の工作員であった(実際、こんな甘い玄関口から工作員をスカウトしていたのかもしれないが)。
どなたかがコメントしていたが、A国のものかB国のものか、両国が取り合いしているような領土は、「どちらのものでもない」大昔の状態に戻すのがいい、という考え方もあって、なるほど大賛成。
公海ならぬ「公領」とでも決めて、南極大陸や月面と同じように扱えばいい。
まぁ、実際に「この2国でもめている」とわかっているなら、魚や海底資源は山分けすればどうですかな?と思う。
「だれのものでもない」つまり法的に無主物といえば、野良猫がおなじみの例。
どなたかの買い主責任が付着しているわけではなくても、その地域に住みついているから、コミュニティ・キャットとも呼ばれ。犬にはできないグレーゾーンな生き方だ。
おまえたち、いいなぁ・・・と、僕は常々ジェラシ〜を感じている。
まさか猫と島を同列には扱えないとしても、竹島にいる海鳥は、どこの国が責任を持って保護するのだろうか。
鳥は放っておくとしても、あそこにいる韓国兵は、もちろん韓国籍だろうが、ちょっとくすぐってみればどうか。
「君たち月給いくら?ふーん、20万ウォンか。ここが日本国になれば、ウォンはエンで支給してあげるよ」
とささやいてみると、日本に飛んでくる勢いだったりして。
「ウッ!給料が10倍になるなら、この島は日本のものでいいぞ文句あっかノムヒョン!!」と、武装蜂起してくれるかもしれない。
日本にたとえれば、「沖ノ鳥島はアメリカ領とする。そのかわり海保庁と自衛隊の駐留はそのまま認めて、隊員には出張手当として日本円で月給300万円を支給」というような話だから。
金で釣るようなことは後ろめたいが、まぁ魚心あれば水心というもんである。
日本の竹島に出張すると30万エンもらえて、韓国の独島に駐留すると30万ウォン。どっちがいい〜?
でも、ピクリとも動じない韓国であれば、見直すのだが。
ウラシマ・イシノスケー
at 2006 04/22 23:38 編集
六十数年ぶりに岩手に里帰りできた旧日本兵、イシノスケさんがロシア名イシノスキーというのは、「お見事!!」と変に拍手喝采してしまった。
それはそれとして、60年後の日本は、どう映ったのだろう。
ウクライナでも普通の庶民をしてテレビも見ていただろうから、ルバング島に潜伏していた小野田寛郎さんほどの「サプライズ帰国」ではないと思うが、戦前の日本にも、今のウクライナにもなく岩手に普通にあるものは、何だろうか。
コンビニか?新幹線か?
「女店員が、必ず釣り銭に手を添えてワシに片思いしてくれちょるのじゃ〜ヌハッ!ヌハッ!」と驚いておられるかもしれない(笑)。これは、たしかに社会主義国にはない。
ともかく豊かな日本を実感すると、さぞかし「戦争に負けていながら、これだべか(方言あやしい点ご容赦を)!?」と驚いただろうなぁ。
その豊かな日本人が南アジアへ観光に行くと、「いつか見た日本がある」と感動するらしいが、これほど何でもありの日本からすると、本当にまったく見たことがないものなんて、どこの国にあるのだろう。
まぁ、麻薬バーとか拳銃なんて非合法なものはともかくとして、「えっ!こんなのあり!?」と驚くようなものを見て、イシノスケさん気分を味わってみたい気もする。
それが、ちょっと探してみても、意外に見当たらない(経験したことのないモノなら、考えつかないのも当然か)。
で、いざ発見したら、なんでこれが日本にないのだ!!と怒りに震えるかもしれない。歯科の3mixMP法なんてのを聞くと、医療技術に何かありそうな気もするけど・・・。
現実的ワークシェア
at 2006 04/21 22:10 編集
ジェンダー・トラックの話をしてきた。
これは田嶋自動車(株)の生産する高性能トラックで、ラインナップは遥1号、千鶴子1号、猪1号がそろっている。
・・・というのは、さっぱり笑えないジョーク。
この分野の話になると、就職を目前に気が重くなる善男善女もおられて、強迫観念を持ってしまうものかもしれない。ご苦労さまです。
いったい、家で役に立てますか?と迫られている団塊世代おじさんと、バリバリ働けますか?と迫られて心病んでいる新卒OLと、どっちの悩みがトータルで深いのだろうか。
でも、男なみに働くもん私!!というのは80年代の発想。
過労死寸前の働き方なんか、無尽蔵な人海戦術で成長して行ける中国にでもまかせて、これからは男が「女性なみに手を抜きます」とケツをまくればいい。いや、手抜きといっちゃー失礼だが、「深夜勤務ダメなの俺」「介護休暇とらせてよね僕にも」なんてことが、男性労働者も言えたらいい。
特に、高給取りが怠けてくれれば、自然にワークシェアリングが進むはずだ。
そうして、もっと日本人のんきにダラリまったり行きましょう、と思うのだ。まぁ、現実の労働分配はそう簡単なものではないとしても・・・。
かりに年収300万円夫と年収300万円妻が夫婦でいれば、ぜいたくできないまでも、そこそこの暮らしができるのではないのかと思う。
夫の方はかなりヒマができるから、家事も育児も子連れ旅行もうんとできるぞ。
こんな、森永卓郎さん御推薦の「年収300万円生活」は異論もあるものの、所得水準というのは、低いなら低いで何とかなるものかもしれない。
たとえば、母子世帯が平均年収200万円あるかないか、のような実態が報道されると、「気の毒だ」と思う人もいれば、「しっかり働くべし」と檄を飛ばす人もいるだろう。
ただ、もし僕が若い女性だったら、「へー200万あれば子供と暮らせるんだ」と考える。もちろん、ギリギリの生活に近いだろうけど、200万円でギリギリなら、300万円なら母と子は余裕で食って行けるのではないかい?
極端に丼勘定すると、日本人の平均時間給が2000円弱。北欧なみに年間労働時間1600時間でおさえると、年収300万円。
これぐらいの労働量を、男女公平にこなせる社会になればいいと常々思う。
こんなのは、もちろん丼勘定だから、300万円を3000時間労働で稼がなくてはいけない人もるし、300時間で稼ぐ人もいて、この格差は深刻な問題ではある。
所得格差で勝ち組だ負け組だと騒がれているが、所得格差のない国などない。それより、労働単価の格差こそ問題だと個人的には思う。日本人のこだわる「年収」というのも、何時間働いてそれだけ稼いだか?を問うべきなのだ。
戦後すっかり標準化してしまった「年収600万円夫と専業主婦」というのは、実は危いぞ・・・と実感されるようにもなってきた。
おまけに、いまどきの年金分割やら熟年離婚やらのブームを見ていて、「あぁ俺もそうなるかも」と不安に思って、非婚にとどまっている男性諸君も多いと思う(食わせてやる!と大見栄を切ったツケは重いのだ)。
それはそれで、正しい現実認識といえなくもない。
自活できない彼女と婚姻届を出す前に、ふと先々のリスクを考えてしまうの当然というか、賢明というものだ。
僕は男性至上主義者(!?)だから、男たるもの、彼女の仕事を奪って育児に専念させるなっ!!てめぇが半分やれぃ!!と訓示を飛ばしているのだが、果たしてこれは、もてる男をつくりだすのか、警戒される男をつくりだすのか、正直わからない。
警戒されたくなければ、「仕事大好き家事まるでダメ男くん」を演じるのが利口なのかな。
マイかもめ食堂
at 2006 04/20 22:36 編集
新年度の仕事サイクルがちょうど1週間で一巡して、勘がつかめてきた。
ぎゅっと2日にかためると「週休5日制」にならなくもないが、そうなると憧れの(笑)通勤定期を持つには損。
で、結局いまだに「切符で通勤サラリーマン」なのが寂しい。
いや、別に「鉄道利用機会」が仕事選びのものさしになっているような鉄ちゃん魂からではない!と言い訳しても、上北沢君には見破られそうだ。
今のウィークリーサイクルで何より寂しいのが、午前と午後にまたがった仕事日が水曜日しかないこと。
飲み屋に通う習慣のない僕には、顔がつながっているのは行きつけの食堂だけ(家の近所のモスバーガーに顔を覚えられているのは、少しみっともない)。
実際、なじみの定食屋さんとも疎遠になってしまった。
1食15品目の四季定食とも、絶妙にジュージュー焼けて出てきてくれるサバ塩定食とも、マヨネーズが標準仕様になっていない優良お好み焼き屋も、去年は週1回ずつ必ず巡回(笑)できていたのに。
これぐらいのルーチン変化で寂しい寂しい・・・とはいいつつ、定食屋のヨロコビを満喫する水曜日は、帰宅するとグッタリしてしまうから、こんなヘナチョコ男は仕事をかかえこまない方が利口なのかもしれない。
それはそれで日本経済にかかわる大問題になりそうで、続きは明日の日記で。
やります、やります(坂上二郎さん風に)
at 2006 04/19 22:38 編集
きのうは、「両極端なあんちゃん」が、代わる代わるニュースに登場していた。
一人は、山口で妻子を殺された本村さん。「今すぐ被告を釈放してほしい。私がこの手で殺すから」と宣言していた、話題の彼である。
あの表情は、たとえ被告の無期懲役が確定しても、十数年後に確実に思いを遂げるだろうと日本人だれもが確信しているはずだ。もし「15年」と刑期が確定すると、そのときから15年のカウントダウンが始まり、運命の日には刑務所の前に中継車が殺到し、もちろん警察も厳戒態勢を敷いて、でもマスコミの本音としては「豊田商事の永野会長」のような現場中継をしたくて、殺気立つこと確実。
主役の本村氏など、白装束で、鉢巻きをして構えていたりするのではないだろうか。
そうなるとわかっているからこそ、救急救命士もスタンバイしているし、法曹界にもシンパが一大勢力をなしていて、大弁護団ができるに違いない。
なんだか、煽っているようで、よくないなこりゃ。
もう一人は、あのお騒がせ新庄。
いつものエキセントリックな論法の記者会見で、「今シーズン限りで、ユニフォームを脱ぎます」と言われても、オイオイほんまに引退か〜?と疑われかねない。
また実際に、「ジャジャーン!引退しないよ〜(笑)ユニフォームは毎晩脱いでるじゃないっスか」てな申し開きをしそうではないか。本当にユニフォームを脱いでみせて、「これ僕のお気に入り下着っ!!そう、これCMでした」という運びも、考えられるぞ。
本村氏の言動に、冗談や遊び、ブレが見当たらないのに対して、新庄の言動はまるごと冗談に見えるし、しかも憎めないところがある。これはこれで、お二人ともすごい。
プロポ〜ズをしたら新庄に見られ、何かのトラブルで「許せん!!」と言えば本村氏に見られる僕の不徳からすると、ご両人の重さと軽さは、見習いたいものだ。
社会的には、新庄タイプの人が増えれば、自殺者も心病む人も減ると思う。ただ、本来は本村キャラでなくてはいけないのに、妙に新庄成分がにじみ出て怒りを買っていたりするのが、ヒューザー小嶋社長。
いや、あの社長キャラになぞらえること自体、新庄の名誉が傷つくというものかもしれない(ごめんね)。
グランドステージ住民に「本村成分」が増量すると、社長は夜道を歩くことさえリアルに怖くなるだろうから、今後こんな事件が再発すれば、「ぶれないゴルゴ魂」は、いい手本になって行くかもしれない。
問題は、「だれが鈴をつけるか」である。
あぁ、いかん!煽ってるなぁ煽ってるなぁ・・・。
どうする!哀ふる
at 2006 04/18 21:50 編集
金融庁から全店営業停止命令を受けたサラ金に、街行く人民は口々に「あんなにかわいいCMやってる会社なのに、ひどいですね・・・」とコメントしていた。
いや、かわいのは犬だけで、もう二昔も前に大社会問題になったサラ金そのものですって。
たかがCMといえど、まるで麻酔のように効いてまんなー、と僕はあきれてしまった。
「ご利用は計画的にできない」客と、「キャー、チワワかわいー!!」と嬌声をあげている客というのは、かなり重なる部分があるのではないだろうか。ついでに、清水章吾のような硬い男の目に涙が浮かんだら、「いい人」と思い込んでしまったり(清水章吾は実際いい人だろうけど)しそうで、結局サラ金や闇金のカモになって行くのだろう。
僕は田宮二郎の「白い巨塔」に出ていた「ドクター鼎」時代からの清水章吾ファンだが、だからこそ、その存在感がサラ金CMで再評価されるのはつらい。
そもそも、動物や乳幼児をキャラクターに使うのは、女・子供(と一緒にするのは子供に失礼かも)の理性をとろけさせてカモにしようと考える商人の常套手段。
だから、サラ金がハイエナやハゲタカをイメージキャラクターに使うことはないもんな。あったらすごいけど。
日本文化のキーワードみたいに評価されている「かわいい」は、こと情報が必要な広告や、ちゃんと機能してくれないと困る工業製品にまで感染すると、大事な働きが吹っ飛んでしまうばかりか、ユーザーの判断力を麻痺させる。
かわいいブレーキ性能のクルマなんか怖いし、かわいい文房具なんて事務機能に劣るし、麻酔から醒めると「かわいい害悪」が見えてくるだけなのだ。
だから、「かわいいチワワの会社の恐ろしい素顔」がばれたこれからは、武富士の踊り子もアマゾネスみたいなのに入れ替えて、逆効果を狙うのが得策かもしれない。
たとえばレイザーラモンHGが笑いながら
取り立てフォ〜〜〜ッ!!
なんてCMをやっているサラ金って、実は親切でやさしい、庶民の味方でした。
・・・なんてことは、ありえないだろうねぇ。
森の中のタコ焼き
at 2006 04/17 23:14 編集
今年は花見せんかったなぁ・・・なら一人で行くか標高の高いところへ。
と、裏山に向かった。例によって、3時もすぎてから。下山してくるハイカーと次々にすれ違いながら。
標高といったって400mそこそこだから、案の定とっくに桜前線は通りすぎていて、ほとんど葉桜だった。
でも、青葉の中の花というのも、黄緑色が映えて、なんともいえずいい感じに染まった色合いに見えた。
陽が傾く時間だから、ゆっくり歩く間の色温度のグラデーションも加わる。夏や春、秋のカチンとした光のめりはりと違う、淡い春色の競演は、なかなか気づきにくいし、写し留めるのも難しい。
クールピクスの試写を兼ねて、F3と一緒に持って行ったのだが、花を抜きにして春を表現するのは、意外に難しい。
ベタッと凪いだ光に、ハイライトをつかまえにくいし、シャドーもしまりがない。
あぁ、無限の自然光の綾に、カメラの表現力なんか役に立たんわい・・・と嘆きながら、そんな場面も幸せだったりする。
ただ、幸福中の不幸は、「ここに来たらいつものタコ焼きやな」と楽しみにしてたどりついた茶屋で、店じまいしかけていたことだ。
「もう、おまへんにゃ」と、申し訳なさそうな店のおばーちゃん。
もう、注文するまでもなく、いつも閉店間際にくる怠け者ハイカーだと見破られているのかもしれない。
みっともない(笑)。
でも汚名返上!・・・とまで、気張ることないか。
スローに楽しい、裏山ヒルウォークだから。
新春とは新書の春なり
at 2006 04/16 20:52 編集
文庫が映画と連動したタイアップ企画か、占いとつるんだエンターテイメント路線に走って、どうにもおもしろくなくなってきた(文庫にエンタメなんてフレーズを持ち込んだ馬鹿野郎はどいつだ!?)のに対して、いま新書がおもしろい。
文庫売り場ほどポップも賑々しく立っていないし、背表紙は画一的で整然としているのだが、いま新書戦争といわれるほど激戦区
なのだそうな。
古参の岩波・中公・現代の3新書が斜陽で、コロモを変えてみたり新シリーズを出してみたりと苦心しているのをよそに、バラエティ豊かになっていて、肩ひじ張って取り組む感じがしないのは、なかなかいい。
実用書のようで教養書のようで、よくわからないのが、とりあえず「何かありそう」な感じはする。
で、なんやかんやで新書は毎月5冊か10冊ぐらい買っては、追われるように読んでいる・・・というか、そうでもして勢いをつけないと、すぐ積ん読=デッドストックと化してしまうのが悩みの種。
文庫も単行本も、頭の体操がてら買ってしまう内田樹センセイの新刊が、角川oneテーマ21で出た。題して『態度が悪くてすみません』。
いやいやなんの、武道家は態度良好なのだ。
内田センセイが一貫して追究し続けているテーマが、身体性とモラルの問題。
勤務先の女子大の、杜の中に住む寮生と大阪から通学してくる学生との観察比較など、なるほどなぁ・・・と思う。
都心の何万という匿名の視線や情報の中を泳いで生活している現代人は、いきおい感覚を低感度にせざるをえず、堅いシェルで覆われた自我は、親しい(はずの)(そう見えるだけの?)他者とのコミュニケーションや共感の難しさをかかえてしまう・・・。
こんな方程式は、特に目新しくはないのだが、かといって言語能力アップだディベートだ自己表現だというテクニックで、難問が解決しないことも、よく知られている通り。
体の声を聞くのだ大衆よ!と言いたげな内田センセイの論法もわかるのだが、エステやダイエットや美容整形や、武道の何百倍もマゾヒスティクな、拷問のような身体改造を嬉々としてやっている女性の花道というのも、僕の目にはどこか深遠な修行に見えてくる(小谷真理さんなら、なんと分析するだろうか)。
さて、「この道」といえば、鉄道である。むちゃくちゃ強引なこじつけ・関連づけだが。
内田本と併読して、さわやかに読み通せてしまったのが、野田隆(こちらは高校のセンセイ)著『テツはこう乗る』(光文社新書)。
これはもう、リンク先の上北沢暗室職人君を観察しながら書いたのではないかと思えるレポートだった(笑)。
等身大のテツの生態を描くだけにとどまらず、全日本人の中にひそかに芽がある鉄分をくすぐって、「どうです、鉄ちゃん道楽は特別なことじゃないんですよ、さぁ、あなたも鉄の世界へカモ〜ン!!」と誘惑しているのだ。
たぶん、これを読んで鉄道の旅にマイ・スタンプ台を持って行くようになる「首尾よし!発車オーライ」派も増えるだろうし、時刻表は保管用と酷使用の2冊を買い備える脳内旅行者も増えるだろう。
罪な牽引車である(あぁっ、これも鉄分の高いたとえだ!)。
僕なんか、別に何かコレクションしているわけではないし、ただ素朴にというか、情緒的に「鉄道はええなぁ」と思う程度。
だから、定期入れに折り畳んだ時刻表をにらんで乗り換え駅の階段の位置にこだわったり、その棒あんたの恋人か?と思うほど車内立ち位置にこだわったりしている通勤・通学客の方が、僕にいわせれば「無自覚に鉄分濃厚」である。
そこで、野田さんには、ぜひ通勤・通学電車の楽しみを深く掘り下げて、殺伐としたラッシュアワーの悦楽みたいなものを、紹介していただきたい。地価の安い地方に住んで優雅に特急通勤するようなワーク・スタイルも、これから増えてくると思うし。
そうなれば、「テツでよかった〜」とうなずきあうテツ家族が、幸せをかみしめるのだろう。
上北沢君がうらやましい。やはりこれから、テツの時代なのだ。
望む、女子監督
at 2006 04/15 18:32 編集
中京女子高の野球部が、負傷者続出でピンチ!
と何げなく聞いたニュース、よく見たら普通の男子野球リーグ戦に出ているのだった。
スコアも、18対0とか30対0とか、すごい失点で(これは試合といえるのか?)。
アィタタタタ・・・
そりゃ、守備だ攻撃だの前に、ケガもするって。女子ソフトボールと違うんだから。
別に、ジェンダーフリーでがんばるのよ私たち!!と気負っているわけではないだろうが、ちょっと痛々しい感じがしないでもない。
素人目には、陸上競技や水泳やウィンタースポーツは、ほとんど男女の能力差がなさそうな気もするのだが、野球など最初から「男のための型」みたいなものが決まっているような気もする。
それが格闘技になるとなおさらで、女子レスリングは個人的には不思議と違和感がないものの、女子相撲や女子ボクシングになると、どう見ていいのかも、僕にはわからない。
たとえ合意の上での競技とはいえ、殴る、蹴る、球を投ぶつける、それをかわす・・・のような技は、「する女子」にも、それを見る側にも、生理的に受けつけにくい何かがあるのではないかと思う。
本人が楽しければいいとはいえ、致命的なケガをしかねないとなると、素朴に心配してしまう。
それは差別意識だと言われれば、謹んで拝聴いたすとして。
もし、「高校スポーツは男女平等参加」と大号令でもかかれば、野球をしたい女子高生チームもできてくるだろうけど、今世紀中は「物珍しさ」「ご愛嬌」「試合の華」「私たちの思い出」になりこそすれ、またベースボールそのものの醍醐味からはずれたところで話題にはなっても、はたして「競技の発展」につながるのかねぇ・・・と考えてしまう。
田嶋陽子に「女子野球、なにがダメなのさー!ついでに女だって土俵に上がっていいじゃーん!!」と噛みつかれるのが面倒くさくて、違和感をごまかしごまかし、批評を押し殺し押し黙りしている人はいると思うのだが。
女子が激しい競技するなというつもりは毛頭ないのだが、つい僕の目に留まってしまう眺めが、女子マラソンにしろ女子ゴルフにしろVリーグにしろ、結局オッサン監督(実父というケースもある)が、おなごを支配しているシーン。
この構図が変わらない限り、競技の質が大きく飛躍するとは思えないのだが、チーム役員も競技団体もOGでやりくりするようになる時代が、いつかは来るものだろうか。
して、北京五輪、どうするの?
世界には、たとえばPL学園野球部と互角に試合しかねない、モンスターのような女子ソフトボールチームだって、うじゃうじゃいたりする。
世界で唯一、水着やブルマーの食い込みをせわしなく気にして手直ししている大和撫子バレー選手を心配している現役女子選手もいたけど(わかってることは、わかってるらしい)、日本と対戦するチームは、食い込んでいる瞬間を狙え!(笑)と作戦を立てているのではないだろうか。
もしかすると、JOCやIOC、プロチームではなく、芸能界や広告代理店の視線を意識して競技やってます・・・という選手がいても、不思議ではない(そう仮定すると、荒川静香は立派だ)。なんだか、雑誌『コンバットマガジン』の表紙モデルに萌え萌えみたいな世界ではないか。
今の日本では、最初からスポーツとしてでなく、キワモノとして見るのが、正しい心構えなのかもしれない。
だから、女子プロレスを、かぶりつき席で観戦している堺屋太一元経企庁長官、あなたは正しい!(笑)
巣鴨証券取引所
at 2006 04/14 22:44 編集
証券市場で、ついにライブドアが最後の取引・・・のニュースと併せて、投資家を欺いた報いだとか、虚像に酔ったマネーゲームセンターだったとか、倒れた人に鞭打つようなコメントが並んでいる。
おいおい、そういうことは、投資家が群がっている真っ最中に言わんかいな。
ったく、勝手なもんだ。さんざんホリエモン・キャラを祭り上げて、甘い汁すすったくせに。
僕は投資家でもないしホリエモン・シンパでもアンチでもないから、「ライブドア祭り」のような投資ブームは、至極ひややかにしか見ていない。
第一、まともなプロなら、ライブドア株は先物感覚でころがしはしても、将来性ある投資先として見てなかったのではないかと思う。ポータルサイトなんか儲かる事業ではないし、ソフトバンクのようにインフラをおさえずして通信事業なんて名乗っているのも、冗談のような話だし。
何万人もの、ライブドアに貢いで損したにわか投資家は、高い授業料を払っていい勉強になったのではないだろうか。
キャラがこけて、今ライブドアを引き継いだ平松社長こそ、最初から会社の顔になっていればよかったのにねと思う誠実な実務家に見えるのだが、さて証券市場から退場させられて、これからが大変だ。
ネット取引の時代だから、いっそホリエモンは罪滅ぼしに証券取引所を立ち上げればどうかとアドバイスしてあげたい気もする。東証に重なるのも少し問題はあるが、「巣鴨証券取引所」でもいい。
「ホリエモン証券取引所」でも悪くない。ただ、どの会社も「東証上場」とか「大証上場」は誇りにしているが、「ホリ証に上場」は、こっぱずかしいだろうなぁ(笑)。
でも、そこはホリエクン、未来の投資社会に備えて、ベンチャー企業や、寄付金がほしい公益団体への投資マーケットのような場をつくってほしいものだ(そうなると、証券取引所とはいえないから、要はやっちゃ場みたいになるわな。ハマコーみたいな胴元が、もろ肌脱いで腹巻き姿で仕切っていたりして・・・笑)。
そこではもう、公益法人やNPO、町内会に老人クラブ、勢いで高校生徒会なんてのも、闇鍋みたいにゴッタ煮にすれば、実はその中に将来大化けする砂金が埋まっていたりするのではないだろうか。こんなガラガラポンに賭けるのも、案外おもしろいかもしれない。
(芸能人が多い)某H学園生徒会に、出資しませんか?
なんて話にデレデレと乗るお調子者も、いるに違いない。
と考えると、アイドル・ファンドなんてのもあったのを思い出すし、ライブドアに投資したお調子者というのは、アイドルファンドと同じ心理で、「ホリエモンに献金した」ということではないだろうか。ふつうは企業の業績や事業展開を見て投資するのが王道だろうけど、社長のキャラに賭けるという投資行動も、未熟な投資社会にはありそうな話だから。
出所したホリエモンに、どんな箔がついて、「あんたに賭ける!」という出資者が出てくるか、少し見ものではある。
阪急タイガース?
at 2006 04/13 22:33 編集
村上ファンドに乗っ取られそうな阪神電鉄の株を、阪急が買い戻すかもかも・・・という案が出ているそうな。
助け舟になるのか、なれあいになるのか、素人にはよくわからないが、阪神と阪急は、カレーライスとハヤシライスみたいな関係ではないか?
もちろん、共存共栄できればいいと思うものの、そもそも関西の私鉄といえばJRが共通の宿敵。僕も、私鉄ファンだとはいえ、やはり速さ・便利さになびいて、大阪へ出勤する足も、京都に遊びに行くときもJR。
まぁ、JRも阪神と阪急もトリオで繁盛してもらうのが一番だが。
京阪神を結ぶ阪急が、西は神戸の須磨までしか行かないのに対して、阪神間しか走っていない阪神は、姫路まで乗り入れて独自性を打ち出している(ようだ)。
ただ、JRより遅くて高いのが大減点だから、阪神ファンとしては、奈良まで乗り入れる計画を大胆に結んで、近鉄と提携していただきたい。調子に乗って、名鉄と相互乗り入れしたりすると、おぉすごい、兵庫県と愛知県が私鉄で直結する!!(笑)
正直、神戸に住んで大阪で働いて京都に遊びに行く黄金三点セットには飽きている僕にとっては、「これからは、奈良」なのである。「不倫」「密会」「傷心」のイメージがつきまとう京都より、「地味」「反省」「自粛」の(僕の勝手な)香り高い奈良の方が、不倫にも安全だ。
・・・といっても、不倫もなにも、そもそも必要もなければご縁もないが。
それにしても、阪神電車はどうなるのだろう。
球団経営を放棄した阪急に助け舟を出してもらっても、その阪急だって手詰まりだろうに。
99%カカオ
at 2006 04/12 22:10 編集
なぜか今、カカオ濃厚チョコレートが静かなブーム!!
ということらしい。
わけ知り顔で、「私、50%以上はパス」「あ〜ら私は80%がいいわ」なんて数字をやりとりしているにわか通も、いたりして・・・
。
そういえば、僕が2月に「年上の人」からもらったゴディバの詰め合わせ(というのは変か?盛り合わせか?)は、50%、65%、75%とカカオ含有率を食べ比べられるようなアソートになっていた。
これぐらいの開きがあると、さすがに味の違いはよくわかる。
ウィスキーをダブルやシングルで、また水で割ったりロックでやったりストレートであおったりするように、そのときの気分で、カカオ濃度を選んで賞味するというのが、粋なのかもしれない。
そこでまず、リンツの「99%もの」がソニープラザで目に留まったので、お買い上げ→試食。
神戸の六甲バター(株)が輸入しているということは、関西限定ということか?
んー、どすこい!と重い。濃厚。
トロリ感が満点だ。
ダース・ビターやロッテのブラックのつもりで食べると、なんかこう、圧倒される。
でも、うまいかといえば、なんせなめらかな粘土を食べているようで、なんともいえない。
結局、「手作りチョコの素材そのもの」という感じ。
だから、わざわざパッケージには、
「その魅力を充分に楽しんでいただくために、まずエクセレンス70%カカオから食べ始め、次に85%カカオというように、カカオ含有率が高いチョコレートの味覚に慣れてから召し上がることをお勧めします。また、お召し上がりの際は少しずつお口に入れ舌の上でゆっくりと溶かしてください」
と書いてある。なかなか親切な「食べ方指導」ではないか。ハイハイ、ゆっくり溶かしますって。
明治の「チョコレート効果 CACAO99%」というのも、よく似た風味だった。
コンビニでこれを買うとき、おなご3人組が、99%と書いてあるパッケージをチラッと見て、「ねーねー、なにが99なん〜?」と相談しあっていた。よほど僕は、「これ、体脂肪燃焼率やで〜食べ食べ」と騙してあげようと思ったものであったが。
たぶん、甘くないチョコレートになじむには、少し時間がかかるかもしれない。
僕は砂糖なしコーヒー、紅茶に慣れて以来、甘くないのが普通と思い込んでしまったから、チョコの世界も、甘いの甘くないのと選べるのが当然になってほしいものだ。
和菓子だと、それ自体が工芸品みたいな感じだから、酸いも甘いも職人さんの決めたままだが、チョコだと私は何%がいい、俺は何%・・・と我が意のまま選ぶような「賞味の作法」が見えてくる。
それはそれで、いいんだか面倒なんだか、「コース・ディナー苦手・和定食好き」な僕は正直よくわからない。バンホーテンの無糖ココアというのも、少し面倒くさかったりする。
どうせなら、コカ・コーラなんか砂糖どっさり・半分・ナシと選べるようになればいいのに。
やったでしょう!いったでしょう!
at 2006 04/11 22:49 編集
痴漢でつかまったサラリーマンが、刑事で不起訴になったのに、民事で「痴漢の事実あり」と裁かれて憤慨していた。
民事裁判の「踏み込み過ぎ」だとか、証拠調べをろくにやらない民事の判事が主観で裁いているとか、逆に警察・検察の調べがおざなりだったのではないかとか、コメントもさまざま。
真相は被告だけが知っているのだろうが、被害者が「このオヤジが私に痴漢したのよ!」と主張する証言が、「なんだかねぇ」なのだ。
こんなことが性犯罪事実の裏づけになるとしたら、もう、言ったもん勝ちの世界ですなぁと思ったのは、「加害者は行為の後、私にウィンクした」という証言を、裁判所はまともに証拠採用しているのだ。
オイオイ、そりゃないよ。
目に虫が入ったのかもしれないし、くしゃみが出そうなのをこらえたら顔が歪んだのかもしれないし、何か反射的に片目を細めるようなことが、あったのかもしれない。
よしんば痴漢があったとしても、ただの表情変化を犯行の裏づけとして採用する前例になったら、片眉毛を動かすクセのある僕は困るわな。「いやらしい目つきをしている」だけで痴漢したということにされ、「鼻息が荒かった」「満足げな顔をしていた」で証拠固めされてしまいそうだ。
被害者だって、困るでしょうに。
「被害者もウィンクしたので、事後合意が成立したのだ」「彼女は恍惚感で目がうるんでおりましたぞ」と抗弁する被告だって、これから出てくるかもしれない。
犯罪は犯罪として立証されなくてはいけないが、言ったもん勝ちのような、一方的・主観的な感じ方は、証拠にしてはまずいと思う。
にっくき痴漢を突き出すつもりなら、周囲に客観的にわかるように「やめたまえ」と言うぐらいは、した方がいいのではないだろうか。
周囲に知られずに、ある人を犯罪者と認めさせるとしたら、「カメラで撮ってましたよ」というような物理的証拠が欠かせないと思う。たとえ加害者が確信犯であったとしても、闇の中で罪を裁くのは、裁判公開の原則に照らしてもまずい。
もちろん、「被害者の人権が尊重されるべし」ゆえに「性犯罪は原告匿名」という風潮もわかる。
が、それだけの証拠がなかったという理由であっても、刑事で不起訴になったら被疑者は被告でもないし、加害者でもない。
とすると、被害者の人権の方が、「推定加害者」の人権なんかより尊重されるのは、平等とはいえない。
痴漢に限らず、自分の発言で、ある人を犯罪者としてしまうかどうかは、こと刑事事件となると責任重大だ。「おまえは能無しだ」「なによ、ヘナチョコ!」というのとは次元が違う。慎重に立件してほしいものである。
だから、もし僕が女性なら、ちゃんと証拠をおさえて犯人を突き出すと思うし、ホモ被害に遭ったとしても同じ(物陰におびき寄せて、私刑を下すかもしれない)。
もっとも、黒木瞳に痴漢されたら、証拠は完全もみ消し工作して、ぞんぶんに被害に浸る(!?)と思う。・・・あぁ、そうなりゃ「被害」ではないな。
近江みやげクールピックス
at 2006 04/10 22:32 編集
18切符の「食べ残し」を消化できるのは、もうこの日曜日しかない!というわけで、3時をすぎてから、新快速に飛び乗った。
演歌の世界じゃ、旅立ちは北へと決まっている。
でも、夕方から出て鈍行で往復できる「モト取れ路線」なんて、著しく限界がある。
そこで結局、近江舞子まで乗って、のどかな琵琶湖岸を眺めながら、ひたすら「車内読書の時間」を過ごして、とんぼ帰りしてきた。片道1890円だから、まぁ、モトはとれたでしょう。
比良山にはまだ雪が残っていたが、ホームに出ても、やんわりと暖かい。
あぁ、もう本当に春なのね!まぎれもなく冬は逝ってしまったのだ!帰っておいで俺様の時間!手を伸ばせばそこに私の時間が広がる・・・その冬はもう、去ってしまったのだ・・・
と、わけわからん感慨に浸って、ただの消化旅行でしかない「新快速ちんたら往復」で切符を使いきってきた。
手ぶらで帰るのもなんだから、ソフマップに寄ってみると、クールピックスが在庫一掃されていて、「ラス1」だった。
価格コムの最安値より安い。ポイントも10倍つくし。
気がつくと、「琵琶湖みやげクールピックス」を手に、家路についていたのであった。情けないやら…
でも、運が良かったわけか?
あのニコンも、フィルムカメラ生産を大幅縮小!というので、年明けのおマニヤ界は動揺していたものだが、デジカメも元気がない。もう、三菱グループお先まっ暗なのか?
ニコンは昔からスイバルにこだわっていて、クールピックス900シリーズも――今みると巨大で持つ気になれないが――独創的な回転メカは世界中にファンがいた。
そして、価格コムの掲示板では「もしかするとスイバル機の最後になるかもしれない」とささやかれていたS4は、「メーカー生産完了」になったとたん、値上がりしはじめた。
まぁ、変なプレミア価格はつかないだろうが、市場に出回らなくなる(コンタックスのスイバル機がそうだ)と困るので、「ラス1」チャンスに僕は飛びついてしまったのだ。
ウェストレベルでかまえて自然なスナップが撮れるのは、スイバルの、そして設計が自由なデジカメならではの利点なのだが、わが買い物を採点する電脳検事D氏にいわせると、「よからぬアングルで撮れるしな」と、冤罪発言ビシバシである。
もちろん、そんな趣味はないので、「猫写真に好都合」ということにしてこう、購入動機は。
S4は珍しく単三電池駆動なので、充電で困ることはないし、スイバルならではの奥行きのとれるレンズ設計のせいか、10倍ズームもなかなか強力だ。
変な沈胴メカニズムも必要ないから、撮影時と電源オフでサイズがまったく変わらない。よけいな電力も使わないですむし。
とまぁ、わが魔窟は下手するとデジカメまで「2けた」行きそうで、自重せねば自重せねばと思うのだが、ライカとローライという2大「禁断の森」が手つかずだから、もうカメラ屋にはあまり立ち寄るべきではないな。
とはいえ、デジイチにはまったく興味が湧かないのは我ながら不思議で、それが「防波堤」になっている加茂…。
ひさトラ
at 2006 04/09 22:47 編集
鍵交換や何やかやで少し落ち込みながらアパートに帰ると、スキー休暇も含めて長いこと会ってなかった「隣りのみよちゃん」ならぬトラちゃんが、ニャーニャー鳴きながら、つつつーーっと出てきた。
いやー、お久しぶり!!
きみは、傷心のツボというのを、よくわかってるねぇ〜・・・と、スリスリお返し大サービスをしてあげた。フガフガ喜んでいた。
指パッチンで車庫の車に飛び乗る芸は、もう仕込んであるので、昨夜もおとなしくボンネットに飛び乗っていただいて、じゃれあっていた。
そこへ、車のオーナーの居酒屋ご主人がやってきた。
無愛想で、愛車に乗っているトラちゃんを以前どやしつけていた硬骨漢。
と思い込んで、僕はあまり、というよりほとんどつきあいもなかった。
ところが、この夜はやけに上機嫌だった。
トラちゃんは本能的に身を隠していたから、「愛車の横の不審者」にしか見えなかったであろう僕に、ニコニコほほえみながら「遅うおますな」と声をかけて、車を出して行った。
よほど、いいことでもあったのだろうか。
あとに残ったトラちゃんと、僕は再びスイ〜トなひとときを過ごした(笑)のであった。
生暖かい春の夜の、「白日夢」であった。
時給201万円
at 2006 04/08 21:51 編集
ワタクシは、ノータックズボンが嫌いだ!
と、自称ファッション評論家がファッション暴言家でしかない破れかぶれなことを吐き続けるには、ちゃんと理由がある。
・・・つもりだった。
あんなところスカスカさせて、男たちの暴れん坊将軍を泳がせておくユルさは嘆かわしい!とか、
短足の日本人が、ことさらに象足化して短足を強調する愚よ!とか。
ところが実際、スーツといえばタック入りズボンが定番みたいになっていて、ツータック、ひどいのになるとスリータック(なぜかイラン人はこのタイプのズボンが大好きなようだ)、まるで男のプリーツよろしく、ひだだらけになっている。
いったい男のズボンは、どこに行く?
「多数派」は経済の法則で安くなるから、選択肢が多くて安いだけが長所だろうか。だから、通勤スーツは「作業着」と割り切って、ゆるゆるズボン数着は持っている。
そのブラックスーツを着て通勤したところ、たしかに下半身はゆるゆるで楽ではあった。暴れん坊将軍は暴れなかったし(笑)。
で、電車で職場まで往復して帰宅すると、ポケットに入れた鍵がない。
考えられるのは、電車の席に座ってる間か、立つときに、席に落ちたハプニングぐらいだ。走ったり宙返りしたりしたことはないから。
JRに届け出てはみても、部屋の鍵がないと、玄関前までしか帰宅できない。幸い、大家さん宅が近所だったから合鍵を借りて帰宅はできたものの、こんなことは初体験だった。
めげるというより、腹立たしい。あくまでも、スーツが悪い!ということにしといた方が、精神衛生上はよろしいかもしれない。
部屋の合鍵は、500円かそこらでできるから大した損害ではないのだが、驚いたのが、自転車の鍵だった。
合鍵を作ってなかったので、最後の鍵をなくすと鍵屋さんに開けてもらうか、ワイヤーを切断して力まかせに開けるか、しかない。
実際、細いワイヤーの鍵をなくしたときは、金鋸で切断してやったこともあるが、簡単にできる・・・ということは、防犯効果も乏しいわけで、極太ワイヤー錠に換えていた。これが災いした。
専門家に頼むしかないのである。
近所に「鍵の救急車」屋さんがあるので出かけて行って相談すると、なんと解錠でも切断でも、「8400円(!!)です」という。
人の足元を見たような料金設定である。クッソー・・・
とはいえ、しかたない。
最初に料金を明快に言ってくれたのは良心的かいなと思い直して依頼すると、ものの20分で、「救急車」がやってきた。
せんだみつお似のあんちゃんが、2本のピンを鍵穴につっこんでシャカシャカやると、あれまぁ、15秒ほどで開いてしまった。
なんじゃこりゃ〜〜〜〜〜っ!!
と、あっけないこと、あっけないこと。
これで8400円。
ボロいでんなぁ!1分で33600円。時給201万6000円!!・・・
せんだみつおよ、あんたは松井秀喜か!!(笑)
こうなるなら、いっそ、ピッキングの勉強をしておいた方がいいかもしれない。
とさえ思ったぞ。17%本気で。
いやはや高い授業料ではあった。
「合鍵は、最後の1つになる前に作っておくべし」とレッスンを受けて、8400円。
それにしても、ポケットの中が鈍感になるツータックズボンも、やはり悪者である。
八つ当たりで悪いか!
祝!民主自由民主党
at 2006 04/07 15:35 編集
民主党の顔が小沢イチローになりそうな勢いで、それは偽メール自爆の後始末かもしれないが、僕は「その先」にワクワクする。
もとは自由民主党にいて、飛び出して自由党をつくって、いま民主党にいるイチローである。何が起こるか・・・
僕が与党の政治家なら、「そろそろ野党やめて、うちと合併しないか?あなたは幹事長までやった人だから、官房長官ポストは用意しておくよ。そのあと大臣ポストも」と、勧誘する。
実は、小泉首相も「自分の後を継げるのは、イチローさん」と思っているのではないだろうか。
筆頭野党といっても、そもそも「元自民」の議員が多い政党だから、「そうねー、合併すれば万年野党から抜け出せるわけか」と、あっさり古巣に戻りたがるやつもいるにちがいない。
そんな調子のいいこと、許せん!という善良なセンセイがたは、新民主党を結成する・・・とまぁ、これは社会党の末期と同じ構図だな。
合併した民主自由民主党(笑)は強力だ。政党政治ったって、まるで旧ソ連か中国である。
総理をめざす河村たかしには奮闘していただいて、ぜひ名古屋弁で首相就任演説をやってほしい(将軍と呼ばれたりして・・・笑)。結局、僕が見たいのはそれだけだったりする。
「そりゃーおみゃーさんよぅ、無責任だがも」と怒られても、ぜんぜん不愉快でないのが、将軍様の人望というものか?
スッキリしたい
at 2006 04/06 20:28 編集
18切符が消化できずに、まだ残っている。この「ノルマ感」が、くせものである。
神戸からだと、琵琶湖岸あたりまで往復すると元がとれる計算になるのだが、使うからにはとことん得したいという貧乏性が出てしまう。
新年度の仕事の準備でバタバタやっていると、放浪気分は飛んでしまったし、こんな格安切符なんか持っていると、かえって腰が重くなってしまうのは僕だけだろうか?
JR西は、近畿中心部だけ1日乗り放題で2000円の京阪神おでかけ切符というのも売っているのだが、これなんか「利用1週間前に発売」という前売り制をとっていた。
大阪から京都とか神戸にぶらり遊びに行く程度の電車利用を、1週間雨から計画を立ててないといかんのか?・・・と首をかしげてしまうほどに不便で、利用者のことを考えてない。さすがに最近「1週間前」は短縮されたようだが。
だから18切符も,残りはチャージして繰り越せるとか、ちょっとは便利になってくれたらとも思うが、5枚ワンセットという制約が、かえってやりがいを感じさせるのか?
あぁしかし10日は出勤だから、あと3日。どこに行くべきか。
熊本をめざす気力はないし、瀬戸内に沿って魚でも食べにいくか?
楽しいんだか気ぜわしいのか微妙なノルマが、まるで「春休みの便秘」である。
新入社員ファッションチェック!!
at 2006 04/05 23:23 編集
もう入社式は終わって。新入社員は勤労に励んでいるはずだが、リクルート・スーツというのは、いわゆる「シューカツ用」からそのまま通勤服に使い回すものなのだろうか。それとも、ちゃんと別にあつらえているのか?
ともかく、ドブネズミ色の、一目でそれとわかる新人プロレタリアートが、盛り場のそこかしこで群れている。なんだろねーこりゃ。
そりゃ、まだスーツが板につかないのはわかるとはいえ、なぜそろいもそろってドブネズミ色なのか。僕の卒業シーズンは、こんな陰気な統一服はなかったぞ。
横並びでないと不安なのか?出る杭になって打たれるのが、こわいのか?
たしかに、いざ出る杭となると、成人式のような無軌道に走りかねない世代だから、無難にドブネズミ色の仮面をかぶっておく・・・ということかもしれないが、それにしても、ねぇ。
陰気すぎる。
ピーコさん、なんとか喝いれてやってくれ!
まだ一人前の仕事ができない新人は、ファッションにうつつを抜かしている場合ではない。
と新人自身が考えているなら、あんたら精神年齢中年か?と言いたくもなるわい。いまどき、部課長だって、ちょい悪オヤジを自己演出したりしているんだから、いい若いもんが、爺さまのジャージみたいな色使いのスーツに収まっているのは、もったいない。
仕事ができないからこそ、まぁ問題発言だと謗られるのを覚悟でいえば、職場を明るくして、人によってはジジババの回春剤として機能するのも、新人の仕事みたいなものではないか?
だって、ほかに取り柄がなければ、ファッションセンスが売りになるでしょうに。
こうして、小鳥のような新人のOLは「ちょい悪に見えて実は極悪」というおちゃめな上司にしてやられ、仔牛のような新人クンは、ちょいツボ(ちょいとお局)のお姉さんにつまみ食いされ、人材が循環して行くのが会社社会というもの(か?)。
1年ワンクールの人材サバイバルゲームが、いよいよ始まった。
だからこそ、勝負服で行かねば!
なんなら、軍服でもいい。
まぁそれは自衛隊以外では難しいから、せめてドブネズミ色の下は、妖しいエナメル光沢インナー!!なんかで決めてほしい。
大沢伍長(おっと、なりきるか)は、撃つのを忘れて白旗をあげるから。
花は桜のみを愛でるものかは
at 2006 04/04 21:55 編集
花見客のご乱行が年々エスカレートしているようで、地元の住民は悲鳴をあげているんです!!キィ〜〜〜ッ!!
というルポを見かけた。
なるほど、怒鳴る歌う踊る散らかす燃やす捨てる吐く・・・の醜態を見ていると、のどかな花を愛でる宴会とは縁遠いマス・ヒステリーにも見える。
周辺住民の皆さん、大変でしょう。
こんな「騒音源」を迎え入れて地域経済が活性化するとでもわかっていれば、しぶしぶ受け入れるのも、ありそうな話。
ところが、しょせん花見客はテキ屋の網の中だから、地域にとっては百害あって一利なし。お気の毒に。
ときにあの某都知事以上にタカ派になる僕が、もし副知事だったら、機動隊の放水車でも巡回させ、夜10時以降に騒いでいる連中に「水をさす」ね。知事も都民もフジサンケイグループも(?)拍手喝采してくれるだろう。
だめか?
日本人の哀しい習性に合わせて、花見スポットをオートキャンプ場みたいに区画整理して、時間いくらで貸し出すのもいい。
おそらく大阪では無理だが、東京都民なら、おとなしく仕切られて宴会ができるのではないだろうか。
バイオテクノロジーが進めば、1日だけ開花する、そのかわり金銀七色に輝く夢見心地の桜の花なんてのも、開発されるかもしれない。1日だけなら、花見もいいでしょう。
でも理想をいえば、息を呑むほど美しく、歌ったり踊ったりするのを忘れて陶酔してしまいそうな花なんてのが生まれれば、スマートというものだ。
テクノロジーついでに、ごちそうの中に毛虫がポロポrポロポロ落ちる桜とか、たちの悪い花粉をばらまく桜、大声に反応してしぼんでしまう桜なんてのも、あればおもしろい。
もっとも、行儀の悪い酔客をどうにかするのが先決で、桜は自然なままでいてほしい気もするから、一番自然な花見公害対策としては、雨天が続けばいい。
あぁ、でも大阪城公園みたいに、土建業の心得あるホームレスが立派な戸建て住宅をおったててしまったりすると、雨だろうと寒波が来ようと余裕のよっちゃんだ。
たぶん僕のようなやつが、テントやタープを持ち込んで得意げに花見しているかもしれないし、雑誌は「今年の花見は、ゴアテックスが必勝アイテム」なんて調子で悪乗りしかねない。
そこまでするか?と言われつつも、今年も来年も、10年先も、阿鼻叫喚の年中行事は続いているだろうねぇ。もっと価値観が多様化すると、夏や秋の花を愛でる花見、冬は雪見・・・というのも、しゃれた行事として広まって、宴会が分散すると思うのだが。
ドドーーーッと桜の花見にばかり群がるのは、イモの子を洗うがごときプールや江ノ島みたいで、どうしようもなく恥ずかしい。
こと花見に限っても、井の頭公園と、弘前や吉野山をくらべて見ると、地方の文化水準の方が、はるかに高いように見える。
附属天国
at 2006 04/04 00:02 編集
4月最初の月曜日・・・というので、入学式や初出勤のニュースが、なんとなく晴れやかな季節感を届けてくれる。
ここからはや1カ月ほどで、五月病へと堕ちて行く善人が多かったのは、もう昔の話なのだろうか。
そんな時期を見計らったかのように、原理運動の学生カルトが、キャンパスを狩り場に「迷える子羊」につきまとっていたものだが。
キャンパスといえば、同志社と立命館が小学校を開校したそうで、京都お受験熱がどうたらこうたらと話題になっている。
マーケティングでいう囲い込み戦略は、教育市場でこそ大本命になるから、「附属ブーム」は、少子化なんかよそ目に、ますます過熱する気配。これで「京大附属小学校」なんてできれば、京都お受験界は、応仁の乱みたいになるだろう。
わが母校も、小学校を開校したり、幼稚園を持つとなりの大学をM&Aしたりと囲い込みにご熱心で、あとは保育園だけ。もし夜間保育とか24時間保育まで始めれば、0歳から大学、大学院までひと続きの純粋培養ができてしまう。
実際、「親子三代・四代同窓生です」なんてコーナーが、同窓会誌に連載されているぐらいだから、こうなるともう、信仰に近い。