2006.07.31 Monday
梅雨明け腕白宣言
at 2006 07/31 17:42 編集
やっと梅雨明け。
どなたかが、「立ち葵の花って下から順に咲いて、一番上まで咲きそろうと梅雨が明けるんですよね」と話していた。
なるほど、花は正直だ。
生家の玄関先に咲いていたのも、立ち葵だった(タチアオイなどと、片仮名表記するのが、なぜ当たり前になってしまったのだろう?)。たしか向日葵も庭に咲いていたはずだが、生まれて初めて憶えたことを憶えている花の名前が、立ち葵。
生まれて初めて絵に描いた花も、立ち葵。
いくら炎天下でも、いや日差しが強いほど花びらが生き生き・しっとりしているのが不思議で、つまんだり、ときには摘み取ってしまったりしたものだ。
土の小経にビニール・プールをおいて水遊びしているとき、となりで揺れている立ち葵の花や葉っぱが、風に笑いながら背中をくすぐってくれた。
最近、アパートはす向かいの新築一軒家に越してきたニュー・ファミリーが、ビニール・プールを玄関先に出して、子供を水遊びさせている。ほほえましい夏の小景である。
あの2mほどの円の中は、子供にとってはプライベート・ビーチさながらの、不思議な空間だ。ムズムズするほど楽しかったのを憶えている。
でも、泳ぐわけでもなく、ただ水に浸かって、何をやって飽きずにすごしていたのだろう。
いま、「大人用」みたいなラージサイズのビニール・プールがあったとしても、僕は「酒と女子は必須オプション」と考えてしまう。情けない。
でも、このオプション2点があれば飽きないと思う。自信をもっていえる。
そうわかっているから、現実がつらい(笑)。
何やらわからんけど、無心に水遊びや虫捕りや戦争ごっこをやって笑っていられる子供の夏は、ものずごく哲学的で、文明的で、創造的ではないか。
なのに、ゲーム機やドリルを与える大人というのは、野暮なものだと思う。
予備校や進学塾で、夏の臨時収入を目当てに夏期講習をやっていた「前科数件」の僕としては、申し訳なくは思っていた。
外には太陽があふれ花が咲き雲が笑っているのに、冷房をガンガンかけて蛍光灯の下で勉強させられるのはつらい。いや、進んでそうしたくなる性というのも哀しい。
生理的に忌まわしい経験は忘れようとするせいか、僕自身も、「夏期講習のおかげで合格してよかった!」とか、楽しかった思い出がさっぱりない。もしかすると役に立っているのかもしれないが、「夏は夏にしかできないことをするための夏」だろうし、春も秋も冬も同じ。年齢におきかえて「18歳」でも「45歳」でも同じようにいえると思う。
働くことと学ぶことは、死ぬまでできること。
でも、12歳のころ初めて北海道へ一人旅したときのようなスリルをかかえての旅は、もう二度とできないと思う。17歳のころペンフレンドに会いに行ったようなトキメキ(発情か?)というのも、邪悪な中年脳の中には二度と戻ってこないだろう。
なんだか追憶ばかりの夏になるのも、情けない。
プレイバックしてみるか、
まずはビニール・プールから!?
ナンあり
at 2006 07/30 21:41 編集
ええかげん「うちはハンバーガー屋ですからハンバーガーを注文してくれませんか」と言われそうなモスで、夏のメニューを発見した。
ナン・タコスとナン・カリー。
ナンとくれば、わが身と心と骨の髄に染み渡っているアジアの血が騒ぐ。
で、さっそくいただいた。
軟らかくてポロポロ落ちるし、食べにくいのなんの。
北野のスリランカ料理やインド料理の店でいただくナンは、もう少しコシがあるというか、パリッと焼けた香ばしさもあるので、このクレープみたいな軟らかさには、とまどった。
観音寺市の合田守夫さんの作られたレタスは、甘みがあって新鮮でよかったけど。
アイスコーヒと合わせて560円。けっこうボリュームがあるのはいいとして.割高ではあるな。
600円出せば、立派な昼定食を食わせてくれる店もあるからね。
文春文庫の夏の100冊シリーズにならんでいる、『喪失の国、日本』(M・K・シャルマ著)というエッセイを本屋で立ち読みしていたら、おもしろくてツルツル半分ぐらい読んでしまったのだが、ここに「インド人、激辛カレーに挑戦」というくだりがある。
駐日で仕事に拐むインド人ビジネスマンが、皮肉にも日本で激辛カレーに出会ったものの、汗が噴き出して半分でギブアップしたというのだ(笑)。
日本人はインドに対して、勝手な期待も含めて、相当な誤解をしているようではあるね。
その本物のインド人やパキスタン人は、和風ナンを食べるとどう思うだろうか。
一般に、パンやラーメンは、本家本元も認めるぐらいのレベルにあるんじゃないかと思うが、ナンとかチャパティとなると、どれがうまいのかまずいのか、わからないものだと思う。
これがイタリアンやフレンチとなると、蘊蓄を傾けたがるやつが腐るほどいるから、「私の体は、ふっくらしたナンでできてるの」なんていう元アイドル・現女優・犬マニアがいればおもしろいのに・・・。
須磨の潮騒
at 2006 07/29 20:49 編集
夏といえば、海でしょう!!
というわけで、愛車をこいで須磨へ。
半裸でくつろいでいる赤茶けたオジサンが多いメリケン波止場までは歩いてすぐだが、こちらは海岸というより「港湾」だから、やはり天然の砂浜で無邪気になりたい気分。
須磨までは電車だとたった10分だが、あえて汗をかいてみる。
初めてこいで行ったときは40分かかっていたのが、30分でたどりついたのは上出来だ。ただ、炎天下の汗だくは、健康的なんだか、血液ドロドロなんだか・・・。
うーん、やはり潮の香りはいいものだ。
ところが、ビーチは寂しい。
泥水でイモの子を洗うような混雑はウンザリだが、そんな眺めを見慣れていて、勝手に想像力が働いてしまうから、あっけにとられるような静けさだった。それはそれで、悪くない感じ。
僕は塩水で溶けてしまう特異体質なので、どこか適当な店でシャボリシャボリと宇治金時にしゃぶりつくか、と思ったら、なんと財布を持ってきてなかった。
どっと疲れた。
せっかく、ビーチを眺めるテラスで読書でもしようかと気合いを入れてきたのに・・・
すごすごと自宅へ引き返す。これまた、ちょうど30分。純粋に、いい運動にはなったかもしれない。
これだけの運動でドス黒く日焼けしたのと、国道の排ガスを1時間も深呼吸してきたのは、果たしてよかったのかまずかったのか・・・?悩ましい須磨ドライブだった。
悩ましい須磨には、悪名高き公共工事ベルトコンベアが横たわっていて、いま次第に残骸になりかけている。
山を削りまくって海を埋め立てて、土地が売れ残って大赤字という痴呆自治体財政の象徴が、この土砂運搬用の巨大ベルトコンベアだった。
それが、やっと開発が終わり用済みになったため解体が始まったところで、不思議なことに、ノスタルジックな声もあがっている。高度成長期の活気を偲ぶ産業遺産という感じだろうか。
いくら問題だらけの大型開発でも、既成事実の重みというのは、「懐かしい心象風景」を創り上げてしまうようだ。
これが首都圏だと、もしTDLが閉園して海岸を復元すると、「あぁTDL〜」と名残り惜しむ人と、「浦安の海岸が取り戻せる」と喜ぶ人がいて、後者の代表は椎名誠さんだと思う。
僕も、神戸のベルトコンベアや人工島がなくなれば、せいせいする。
なんぼ懐かしくても、やはり自然破壊の兵器はなくなった方がよろしい。
いま、リバイバル映画の「日本沈没」が話題になっているから、「神戸空港だけ沈没」なんてリアルな映画もできると、けっこうスカッとするのに。
須磨のお隣りに住む筒井康隆センセイ、いかがかな?
夏の妄想劇場
at 2006 07/28 16:43 編集
八幡浜工業高校の女性講師25歳が、18歳の教え子に無免許運転をさせたカドで書類送検された。
らしい。
複数の新聞報道をパッチワークすると、
1.気分が悪くなったので運転を頼んだ。
2.「私の車を、運転してみる?」と誘った。
3.月がきれいな夜だから、眺めのいいところを坊やに案内してもらった。
という動機の供述があるそうだが、微妙にカムフラージュされてますな。
隠れたメッセージを読み解かなくては!ねぇ、杉本彩ねえさん。
1→発情していたので、ハンドルを握る手が***、*****
2→「車は私の分身なの」と、意味深なふりかたをしてみた
3→月の訪れがキレイさっぱり終わりたてホヤホヤだわさ今日は!!
こりゃもう、「いっとく」以外にない、「夏の月夜の年上女性」ではないか。18歳男子としては、は「情欲のアウトバーン」へ放たれるしかない!(笑)
とはいえ、犯罪は犯罪。
道交法違反(無免許運転教唆)でつかまったのが、せめてもの救いだったかもしれない。
教育委員会としては、本採用するわけにはいかん、ということになるだろうが、本採用してきっちり管理した方がいい。これを、よくある「男性教員と女子学生」の秘め事に置き換えてみればわかる。教師をクビにすればただの「ロリコン男」として野放しになるだけの話だから、こういう不祥事には首切りで処理できると思う組織の方が愚かなのだ。
八幡浜の彩センセイ(勝手に仮名を設定)には、これから
「センセイ、僕のせいで、ごめんなさい・・・ボクは、ボクは・・・」
「いいのよ、もこみち君。今夜は私が免許をあげるから」
なんてドラマの幕が開くだろう。
・・・ばかりか、好調いや校長センセイがこっそり訪ねてきて、
「んー、杉本せんせの懲戒処分は、私の胸ひとつでどうにでもなるんじゃが」
「じゃ、次の月夜に発射オーライと、いきますか」
てなエロ官僚の腹黒ささえ、見え隠れするぞ。
そんなものだ。権力的な男と魅力的な女のねじれた関係は。
もこみち君との関係では、「権力を持つ美女と魅力を持つ少年」という関係へと入れ換わっていただけ。
「夏の姉」というのは、少年にとって、そして少年時代を追憶する男たちにとって永遠に輝く宝だから、ヤボな取り締まりは必要最小限にして、「裏文化遺産」として保護してほしいものだ。
無免許教唆だけなら、実際に交通事故をやって減給処分ぐらいですんでいるセンセイたちの例に照らせば、そう重い犯罪ではないと思うのだが・・・
山の父子鷹
at 2006 07/27 18:08 編集
今日は、いい親子の話。
山道具屋に寄ったら、ザックを買いにきた父子発見。
昔から山を楽しんでいる風のスレンダーなお父さん(38歳)が、11歳の息子を山に連れて行くのに装備を調達しにきたという感じ。
50リッターのザックをかついで、フィットさせてもらっているきゃしゃな少年に勝手に目を細めて、思い余って目頭まで熱くして、まぶしく見えてしまった。勝手ついでに、「うるわしの親子賞」を贈呈しようか(笑)。
父と息子(娘でもいいけど)が、オートでないキャンプに挑む、というのは見上げた根性だ。
ただ、店員さんが「テントを持って縦走することになりますと、60リッター、70リッターは必要で・・・」「お子さんの装備でも50リッターはないと・・・・」とアドバイスしているのは、んー・・・良心的な営業だとは思うが、つい口をはさみたくなる「通りすがりの町人」になりかけたぞワシは。
というのも、穂高連峰を5日間、テントをかついで単独縦走するのに買ったマイ・ザックが、50リッターなのだ。
するってぇと、ワシの装備はお子様仕様というわけか?
これで大人一人、充分に用は足せるんですがねぇ。
ザック・コーナーの店員さんは、気を利かしてか、「冬山となると、70リッター80リッター・・・」とエスカレートして、「我が社のオリジナルで100リッターのモデルもございます」と売り込んでいた。自分が丸ごと入りそうな巨大なザックに、11歳少年は「すっげー!!」とコーフンしている。
あのねー店員さん、この親子をヒマラヤにでも行かすつもりかいっ!?(笑)
そりゃ店としては、高いやつを買ってくれるとありがたい上に、チープな装備が原因で遭難されても困るだろうけど・・・それにしても、オーバースペックやなーと思う。
ゴアテックス雨具を着てないと、雨に降られたらすぐ凍死する!!ってわけでもなかろうし、ザックが小さければムダなものを置いてけばいいだけだし、まぁたりないところは我が身の適応能力でカバーすればいいだろうに?
そんなドタバタ失敗も、父子でわかちあえば楽しさ100倍。
こんな親子に苦笑している僕だって、オーバースペックなオーディオセットを父と競うように組んでいたクチだから、あれやこれやと「武装」を打ち合わせしながら未知の世界へ挑む父子の姿は、とてもほほえましい。
三浦雄一郎・豪太親子みたいに、ほんとにエベレストまで登ってしまうと、もうアッパレである。
あとは、二人とも生きて帰ってほしいと願うばかり。
星になった息子よ〜〜〜〜!!
では悲劇だからね。妻は黙ってないよ(笑)。
子は親の鏡、親は子の鑑
at 2006 07/26 14:55 編集
セミ採りではしゃぐ子供の声で目が覚めた。
ほほえましくていい。これが、夏の風情というもんだと思う。
でも、慣れというのはこわい。
ホテルや居酒屋に小学生がうろついていても、驚かなくなった。小さな王子様、お姫様は、終電近くの電車にも乗っていて、さすがにウトウトしているか、携帯ゲームをやってたりする。
きのうも、夜10時すぎのスタバに「お子様連れファミリーご一行様」が突入してきやがった。
そりゃまぁ、夏休みで気持ちがうわついているのもわかる。
「夏休みだからこそ、子供にいろんな世界を見せてやりたい」ってわけか?
わかるんだが、なんだか親のタガがはずれているような気がするぞ。こんな夜の雑踏の子供は、だれも預かってくれないから親が自分の出入りする店に連れ回しているだけのことかもしれない。
でも、社会勉強とエクスキューズすれば、子連れでどこに行こうと私たちの自由です、というものではないわい、幼稚な親たちよ!
世の中には、子供や、草履履きや襟のない服の大人が立ち入れない(少なくとも、憚られる)場所がある、ということを学ぶのも社会勉強だし、大晦日や縁日を除いて、子供が出歩いていてはいけない時間帯というのもあったはずだわな。
ネオン街に、無邪気に露出度の高いスーパー小学生みたいな小娘がはしゃいでいると、いかがわしい匂いさえするわい。
こんな子供にヒヤヒヤするぐらいなら、「夏期講習でしごかれている小中学生」を哀れむ方が、皮一枚気持ちが鎮まる感じさえするから、それはそれでこわい。
少子化社会なのに、子供を持て余してしまって、大人の文化、大人の社交を深められないのは、気の毒な感じさえするぞ。大人と子供の間には、溝があっていいのに。
で、溝を越えたらあんなに甘美で官能的でおいしい世界(笑)がある!早く大人になりたい!と思ってがんばるのが、まともな子供の発達ではないのだろうか。
ボーダーレス化がどうの、アメリカンスタンダードがどうのと警戒されているけれども、むしろ日本の中で、ビジネスマンみたいな小学生(笑)や小学生頭の大人が増えて、幼稚にフラット化する方が、僕はこわい。
大人の世界はボーダーレス化、子供の世界もボーダーレス化すればいいのだ。
夏休みの子供は、昆虫採集に行って刺されるとか、イカダ遊びして溺れるとか、洞窟に入って出てこないとか、そんなのが正しい姿だと思う。
やい親たち、かわいい子には旅をさせてやれぃ!
デッドストック再生計画
at 2006 07/25 16:51 編集
就職して間もなく買ったから、もう15年以上は使っている腕時計を修理に出してきた。
昔はやった「デジアナ」というタイプのくせに、クラシックな文字盤や真鍮のフリンジが、カジュアル、フォーマルどんな服にも合うので、重宝しながら愛用してきた。真鍮なんか、いい風合いを帯びている。
故障らしい故障はしたことがなく、時計としては問題なく働いているのだが、ボタンの反応がにぶくなったのと、微妙に短針がずれてしまったので、オーバーホールに出したのだ。
区内に支社があったので持参すると、まぁ人けのない事務所で、つい統廃合されないことを祈りたくなるような静かなオフィスであった。
しばらくして、修理進行状況を電話で知らせてくれて、「保守部品がないので調整しかできません」というので、まぁしかたないなーと了解して、いよいよ「修理完了」の電話をもらったので引き取ってきた。
あいかわらず、人けのない静かすぎるオフィスであった(笑)。
前もって聞いていた通りなので、窓口嬢(歴30年?)と、「もう、部品交換はできないわけですねぇ」と苦笑しあいながら、一応は元通りキビキビ反応するようになった腕時計くん退院、となった。
なんと、無料であった。電池を交換してくれているし、清掃その他の技術料というのがかかっているはずなのに。
これは、「無料にしてあげるから、もう修理に出してくれるな」というメッセージなのか、「長年ご愛用ありがとう特典」なのかはわからんが、いいように受けとめておこうか?
でも、製品も高性能だし、サービスも良心的すぎるからこそ、カシオの時計だけでも3つも所有してしまっているわけで、気づかないうちに絶大な信頼を寄せているわけだ。
そんな風に、生産とサポートの両面から、メーカーは評価されるべきだと思う(わかっとるか*イクロソフト!!)。
カメラでも、ペンタックスの機械式一眼レフLXなんかオーバーホールに出すと、数万円単位のおそろしい料金を請求される(門前払されないよりましだが、一歩手前かもしれない)。
体の一部になったようになじんでいる機械は、長持ちさせるのにけっこうな維持費がかかるのはつらい。買い替えて行く方が安上がりなのも、腹立たしい限りだ。
では、ものづくりの雄ソニーはどうなのか。
いまだにカセットウォークマンや8ミリハンディカム(Hi-8でもDVでもない)を製造しているソニーは、近ごろ迷走状態なのが心配ではあるけれど、押し入れの肥やしになっている80年代のワープロ専用機(PRODUCE)でも修理に出してみようか。
サジを投げられてもしかたないが、ひょっとして治ったりすると、「じゃ、スカイセンサーもお願い」とエスカレートすること確実である。
日本の夏、緊張の夏、うな丼の夏
at 2006 07/24 14:43 編集
土用の丑の日にちなんで、ウナ丼をワサワサといただいてきた。
六曜なんか毛嫌いしているほどなのに、江戸時代のコピーライター平賀源内さんが発案した(らしい)土用のウナギには、ばか正直にウハウハとびついてしまう。一応うまかった。
でもこのウナ丼、新年度が始まって体がついて行かず疲れ気味のころに、スタミナ補給のために毎年「ウハウハ」しているから、もう特に夏の風物詩でもなくなってきた感じ。
それに、ウナギより好きなアナゴの寿司や丼は、年がら年中いただいて「まいうっ!!」を心の中で叫んでいるせいか、ウナギの脂っこさが、ちょっと鼻についた。関東風と関西風の焼き方があるらしいから、もしかすると「堅焼き」バージョンもあるのかもしれない。捜索してみなくては!
「ウナ丼帰り」のショップ99には、南米産の温州みかんが並んでいて、これも好物だからうれしいのだが、どうだかねぇ・・・と首を2°かしげながら買わずに出てきた。季節感が鈍っとる!けしからん!とブツブツいながら、でも今晩あたり買ってパクついているだろうけど。
丼物は、汁かけ飯を進化させた日本人の大発明だと思うのだが、季節感がないといえばない。海鮮丼の類でも、天丼でもオールシーズン対応してくれているし。
旬が旬でなくなったのは、豊かさのおかげか、現代人が季節かまわず欲深くなっているせいなのか、ちょっとありがた寂しい。
「夏の夜空の場外ホームラン」級の大発明は、ウナ丼より、平凡だが、かき氷かもしれない。練乳に宇治抹茶にアズキの三位一体なんて、どんなオソロシい天才が発明したのだろうと感心するばかりだ。
そして、巌窟王の僕でもつい吸い寄せられてしまう、あの波しぶきに「氷」の、のれん!考え出したのは、たぶん下町の看板屋さんの無名な塗り師だったりするのだろうけど、世界一のグラフィック・デザイナーだと思う。
とまぁ、こうしてポチポチと日記を打っている「のれんの喫茶店」は、いいもんだ。
どうだスターバックス、こんな風情を出せるかね!
と、ケンカを売ってもしかたないのだが。
早くも、安倍内閣の組閣案
at 2006 07/23 20:58 編集
福田さんが辞退して、次期総理は安倍さんにほぼ決まりかけている。そこへ、文春新書から、保守派日本人の琴線に触れるような著書が出るのも、グッド・タイミングすぎる。こりゃ「文春ぐるみ」の総裁後継作戦ではないか。
年齢の順から行くと、次の「お鉢」は福田さん。
これは別に年功序列がいいというわけではなく、今回を逃すと福田さんのチャンスは永遠になくなり、つまり福田さんの政治手腕や人望を永遠に活かせなくなるから、もったいない。
順にチャンスが回ってくる年功序列は、悪いことばかりではない「機会分配システム」だと思うのだ。次に回ってくるとわかっていながら、そのチャンスを活かせなかったら、即退場してもらえばいいだけ。
個人的にはサイクリスト谷垣さんを推したい気もするが、福田さんが降りた椅子に、「ワタクシがやります」と名乗り出る道もあった。ただ、北朝鮮と日本の合併なんか唱えたら、テポドンは抑えられるがパトリオットを撃ち込まれそうだから、命が惜しい僕は遠慮しているだけ。
こんな慎み深さは、僕だけでなく福田さんの人徳でもあり、政治家としては短所なのだろうと思う。
しかし、「麻垣康三郎」のどれが総理にふさわしいかという議論に、公明党も民主党も巻き込まれてしまって、不甲斐ない限りだ。民主党もは、こんなチキン・レースにこそ、「ひょっとする」かもしれない河村たかしを刺客として送りんでほしい。
「そりゃーイヤとはいわんでよぉ、ウヒヒヒヒ・・・総理やってけろっちゅうなら、やらん理屈もありゃーせんだがも」と、満面の笑みの河村たかし首相は、案外いけるかもしれないぞ。
とはいえ、民主党もというツギハギ団体も政権政党としてはあんまり信頼できないし、小泉さんなど自民党総裁らしからぬ一匹狼だし、政党政治はもう実質的に終わっているのかもしれない。
総理が取り巻きの親衛隊を組織して、出身政党も万年野党も、オール野党体制で首相と拮抗して行くという構図になっても、緊張感があっていいと思う。
安倍総理には、たぶんおばさんサポーターがベトベトくっつくだろうから、このアマゾネス軍団は前代未聞のおそろしい力を発揮するだろう。あの、南野法務大臣以上のトンデモ大臣が登場してもおかしくない。
辻元清美の追及には、返し技でポストを与え、防衛庁長官とか(あぁ、自衛隊は自爆隊になる!!)・・・同じ党の阿部知子議員には、(元女医のキャリアを活かして)厚生労働大臣とか・・・。
福島瑞穂党首には最高裁長官をやってもらうと、死刑はなくなり殺人犯は野放しになるかもしれない。
なんだか社民党びいきの組閣案になってしまったが、何をしでかすかわからない怖さが、あの素人政党のキュートな魅力だ。
安倍さんの腹案なんか、この際どうでもよろしい(それじゃー総理じゃないって)。
夏休みシフトワイヤー
at 2006 07/22 17:35 編集
愛車のシフトワイヤーが、無残に錆びて暴発(!?)して皮膜を突き破り、機能しなくなってしまった。長雨で濡れているうちは目立たなかったが、晴れて乾くと見るも無残。
なにより、シフトできないのが致命傷で、トップから2速目でギアチェンジしなくなったから、坂道が重くてたまらん。
まるで、桜木健一が高松英郎に命じられて鉄下駄を履き、砂浜を走る柔道一直線のトレーニングだ(古い!)。
メンテナンスの本やツールはちゃんとそろえているくせに、肝心の部品がないので、頼りになる地元の老舗ヤマダサイクルに持ち込んだ(乗り込んだ、かな?)。
職人肌のおやっさんが「ははーん、ここをこう通って、こっち行っとるんやね。わかりました、30分ほど預かりま。その間にやっときましょ。1600円いただきます」と、明快に診断と会計を示してくれた。
時間をつぶして30分後に戻ると、きれいにワイヤーと皮膜が交換されて、愛車バーディー君が店内で静かに息抜きしていた。
ブレーキワイヤーが神経だとすると、シフトワイヤーはリンパ腺みたいなものだから、リンパ・マッサージでも受けて「あぁ、さっぱりした」といいたげな顔(?)の愛車を引き取って、走ってみる。カチン、ストンと絶妙の感触で軽くシフトできる。
あぁ、やっぱり専門家に手を入れてもらうと、安心できるわい。
すっかり雨が上がって、「夏休みモードのにぎわいでカフェ満席」の都心を逃れ、シャーッと海沿いを走って、ハーバーランドへ。
夏休み初日の週末だというのに、この斜陽ぶりはどうよ!(笑)
こうして、静かなUCCカフェプラザで日記をポチポチ打ちながら午後茶できるのも、客足が遠のいたおかげなのだが(ありがたがっててはいかんのかな?)。
外の並木道に面したカウンターに、僕に並んで夏の少女(という感じ)二人連れが座って、「あーよく歩いた〜」と笑っている。なごやかな時間と場所だ。
三宮には、震災でつぶれた神戸新聞の本社ビルが、11年たってやっと再建された。
去年は、やはり倒壊したNHKが元のトアロードに再建されて戻って行った。
こうして新聞社の仮社屋、NHKの仮局舎が引き払って行くと、ハーバーランドの「磁力」は弱くなって行く一方ではないのだろうか。海が目の前で、うまい店も多くて、風が吹いていて、ビレッジバンガードもソフマップもあって(マニアック!!)、夏は最高に気持ちいい副都心なのに。
いやはやホントに人気がない。
僕は快適だが、これでサティみたいな大型店でもドーンと店開きしやがると、ますます周辺は廃墟になりかねない。
街のにぎわいが伴わない景気回復というのも、なんだかウソくさいぞ竹中さん!
打ちます!打ちます!
at 2006 07/21 21:39 編集
欽ちゃん球団は、どうなるのだろう。
「やめないで」コールが殺到しているようだが。
こんなときこそ、「極楽とんぼ山本ひとりが悪い!」とトカゲのしっぽ切りをすればいいのに、と僕は思う。
とはいえ、欽ちゃんの憔悴ぶりは大きい。純粋に野球を楽しんできた喜劇王なのだろうな、と思う。
同情もする。
でも、あえて逆説的にいえば、密室で決めた欽ちゃんの独断であっけなくつぶれてしまうようなワンマン球団は、これからも何かあるたびに「今度こそ、やめちゃおっかな」となる可能性があるわけで、そのたびに振り回されるスタッフや選手、サポーターは、たまったものではない。
たとえば部員の暴力や飲酒で出場謹慎する高校野球部というのはよくあるが、いきなり「廃部する」と決めてしまう監督がいたら、それは正しい責任の取り方ではなくて、思考停止しているということではないのだろうか。
責任を取るなら、再発防止のためにこんな組織に変えました、と行動で示して、軌道に乗れば身を引くのが大人のやり方ですぜ、欽ちゃん!
そういえば、昔たしか「欽ちゃんヌードル」というラーメンもあったはずだが、これもあっけなく消えてしまったっけ。
ま、これは欽ちゃん本人の責任ではないだろうけど。
あまり地位にしがみつく人ではないと思うから、「球団まるごと御破算」は避けて、適任者に引導を渡すことも考えられる。
そう、欽ちゃんの名パートナーがいたじゃないですか〜。
コメディ野球は、脳梗塞のリハビリにもいいと思うし、いかがでしょーか、二郎さん!
大雨見舞い
at 2006 07/20 21:43 編集
日本人が慣れているはずの、ただの「梅雨の大雨」なのに、こんなにもろい本州だったとは・・・。2けたにのぼる土砂の犠牲者のご冥福を祈りたい。
信州や山陰が、滝のような雨と濁流に呑まれているころ、出勤した大阪は、薄日もさすほどの平穏な陽気だった。
もっとも、朝のラッシュアワーのダイヤは乱れていて、おまけに乗客の急病対応とかで二重に混乱していた。いつもは快速電車で、ときどき座席が空くほどのゆったり通勤なのに、新快速に乗り換えてみると、何年ぶりだろなーと思うような押しあいへしあいだった。ま、これが普通の猛烈サラリーマン通勤なのだが。
出勤した職場からは、今まさに土石流で犠牲者が続出している諏訪湖のほとりに、救急隊員として巣立って行ったセイン君(コードネーム)がいるから、テレビで映ってないかと思って見ていたが、そりゃすぐ見つかるはずもない。
この春だったか、僕が「八ヶ岳には毎年登ってるよ」とメールすると「遭難して手をわずらわせないように」と返事をくれたセイン君は、1年目にして大自然の猛威で洗礼を受けたわけで、それはそれでよかったと思う。「変なキノコを食べてのたうちまわるハイカー(デビッドと自称する、どこから見てもアジア人)」なんてバカヤロに救命処置するような経験は、むなしいだけだろうから。
今回のような災害報道で、いかに人里が山津波や洪水、高波・高潮etcetcに弱いかを見せつけられながら、僕はふと「山小屋って、強いよなぁ」と気づく。
断崖絶壁の上、やせた稜線の上に建っている小屋は、苛酷な立地、苛酷な気候に耐えて崩壊寸前のあばら屋のように見えるのに、不思議と大雨で流された、台風で吹き飛ばされた、という話は聞かない。意外にも丈夫にできているものだ。まれに、黒部の峡谷で流されたような小屋の話は語り草で残っているとはいえ。
八ヶ岳の小屋たちは、まぁ雨漏りの修繕ぐらいはこまめにやっているだろうけど、傷だらけになりながらもたくましく踏んばっていることだろう。
雨だ猛暑だ寒波だとブーブーいわずに、たくましく四季をやりくりできる「小屋人間」に、なりたいものだ・・・と、しみじみ思う。
みられまくっちゃ問題
at 2006 07/19 23:06 編集
おちゃめではないか、シャープの携帯。
「みられまくっちゃ」「かぜがなおりかけた」と入力するだけで自爆するというんだから。
今どきの端末は似たりよったりなのが多いから、こういうところでおちゃめを見せてくれるのは、ホノボノしてていい。修正プログラムの配布なんてヤボなことはせずに、もっと人騒がせな文字列が発見されるのを待つのが。大企業のゆとりっちゅうものだ。
それに、どうせなら「対話型の不具合」が発生してくれたら、愛着もわくと思うのだが・・・
たとえば、「かぜがなおりかけた」と打つと、「よかったねー!!」と出るとか(笑)。
メル友より通話相手より、なにより本体にジャラジャラごてごてお化粧してかわいがっているほど携帯そのものの好きなユーザーが多いようだから、対話できるバグというのは、いい慰みになると思うのだ。
かえって、修理してしまうと「最近すっかり愛想が悪くなって、キライだ」なんてことも、あったりすることうけあい。
そういえば、ふだん僕の愛用する端末も、テリオスにしろザウルスにしろシャープ製なのに、バグらしいバグはない。
ただ、テリオスで「○か×を書きなさい」といテクストを入力したり保存したり上書きしたりしていると、「○か ラ を書きなさい」と化けることがよくある。
これなんか、あんまり意味のないただの不具合だから、おもしろくもなんともない。ただ文字コードの設定ミスだろ?でかたづけられそうだし。
「まるかばつかでこたえなさい」と入力すると、「人生そんなに簡単に割り切れるものじゃーございませんぜ」とたしなめてくれたりすると、たぶん愛着がわくような、キレて投げ捨てたくなるような・・・
ビバ内視鏡
at 2006 07/18 21:03 編集
つい「世界の」と冠してしまう王監督の胃ガン手術が無事成功。よかった、よかった。
すでに歴史に残る名監督だし、人間としても世界の野球人から尊敬されているけれど。手術に臨む王さんのギョロリとした眼光は、鋭く冷徹で、それでいて笑みさえ浮かべ、神々しく、勇猛で、僕はあんなに美しい男の顔を見たことがない。
伝説になってしまった長嶋の人気に比べると、王さんは現役だから、存在感が違う。
内視鏡で胃の全摘なんて、できるんですねーと、あちこちで驚きのコメントも出ていたが、ほんと手品のような現代医療だなーと僕は素朴に感心した。
まぁ、監督のお兄さんが慶応ドクターだったらしいから、万全の態勢だったのだろうし、初期の胃ガンだったそうだから、大騒ぎするほどのこともなかったのかもしれない。
今週中にベンチに復帰してくれると、それこそ涙、涙の大騒ぎだろうけど(もしかすると・・・王メイク・ドラマ!?)、手術の翌日にはもう歩いているようだから、体にダメージの少ない内視鏡手術さまさまというところだろう。
これから、「内視鏡でたのむ」という患者も増えるにちがいないね。
内視鏡の名手といえば、バージニア大学病院脳外科の福島医師は鍵穴手術の世界的権威らしいし、この勢いで「小穴」テクニックがどんどん進めば、そのうち「内視鏡で帝王切開」とか、「あなたでもできる、耳カキでかき出す膀胱結石」なんてのも開発されるかもしれない。
「妻のひざ枕で耳掃除」という男の悦楽も進化して、「おい、結石もたのむ」「あいよ!」てな愛の場面も、実現するかもしれない(いてててて・・・)。
ただ、なんでもかんでも小さな穴ですませるわけにはいかないだろうけど、ワラにもすがる患者は、「大きく切らなきゃ無理」と診断されるだけで絶望してしまうことも、あるかもしれない。
そこで、僕が「あれも患部にピンポイントで切り込む術式だったなぁ・・・」と思い出したのが、トンデモ系の心霊手術だ。
今のようなご時世だと、
「内視鏡に見捨てられたあなたへ!ミンダナオ島の祈祷師があなたのガンを無痛で取り出す、奇跡のマジックハンド!!」
てな民間療法(いや、それ以下の手品だな)が、「王監督効果」のおかげで、またぞろ浮かび上がってくるかもしれないぞ。
危い、危い・・・
くれぐれも、理性を失った手術難民が増えてほしくないし、トンデモ医療も困るわな、好き好きだとはいえ。
せいぜい、「内視鏡メイド医院」ぐらいにしといてほしい(いかかんか?)。
読み書き語り合い闘い泣き笑い
at 2006 07/17 20:09 編集
隔月ペースの読書会に出席。
母体は研究団体、そのまた母体は病院だったのが、どの「母子関係」も断ち切れかけていて、さてこれからどうしましょう、財源は?目標は?管理運営は?・・・と、難問の大波小波をかぶって、おじさん3人でアップアップしてしまった。
営利事業ではないので、金銭欲がからまないだけ深刻な亀裂は生じないのだが、いろいろなタイプの市民運動に共通する(であろう)「経営管理のまずさ」が、マンネリ化、タコツボ化、事なかれ主義を防げなかったのかもしれない。
毎回、当番制で課題図書を選んでレジュメを用意し、要約説明した上でコメントを加え、議論をファシリテートする。
これだけのシンプルでささやかな活動だが、発表者のレジュメの3倍もの異議申し立て書を配布してしまった僕は、もしかすると破壊的なテポドンを撃ってしまったのか???
というのも、ふだん冷静な事務長さんから、「それなら、運営やってくれ」と会員のアドレス一覧がいきなり届いてしまい、まるで引導を渡されてしまった感じ。
そもそも、僕自身は、読書を集団でするという形の活動は、あまりなじみがなかった。
似たスタイルとしては、大学の語学の授業で「順に和訳してみなさい」という進行のしかたは、かったるくて苦痛だったし、文を読むという行為は、限りなくマイペースでいいと今でも思っている。
とはいえ、頭に入れなくてはいけないような、しかしなかなかマイペースでは頭に入らないようなテクストは、外から一定のペースでたたきこんでもらった方が入りやすい。
代表的なのは聖典で、たまにバイブルアワーなんかのラジオ番組を聞いてしまうと、妙にすんなり頭に入る。単に聖書を与えて「読みなさい」ではなく、牧師や教戒師、伝道師などが肉声でていねいに語りかけたり、朗々と読み上げたりする形が、布教の重要な一部分を占めているのは、なかなかうまい作戦だと思う(参考にしてほしいよなー仏教会)。
だから、読書は目でするだけでなく、語りや会話を交えた方がよく理解できる。これも、読書会の利点だといえなくもない。
たしかに、立体的な読書ができる、話題が縦横無尽に飛び火して新しい分野にリンクする・・・このおもしろさで、満13年間、震災をはさんでも絶えずに続いて来たのが読書会だった。
現代人は読書をしなくなった、と何げなく嘆きモードで語られる場面が多くて、たしかに大学生でも勤労者でも、本を買って読む人も、量も、想像以上に減っているのかもしれない。
読書会を仕切ってこられた事務長さんは、「本の置き場に借りたアパートが、重量制限2トンしかないので床がへこんできて、しかたなくトランクルームを借りた」と話しておられるような読書家だから、ちょっと例外的な愛読家なのだが、「読書って、なに?」という日本人の方がはるかに多いのは確実だ。
まぁたしかに、新聞・雑誌を読んでも、テレビ・ラジオを見聞きしても広い世界のことは相当わかるから、かったるい読書なんかしなくても・・・という空気が、出版不況の元凶になっているのは否めない。
けれど、ブログの流行は、まぎれもなく書く人・読む人が急増している兆候でもある(厳密にいえば、書くのではなく打っているのだが)。
携帯やPCで読み書きする人が増えることと、紙のメディアとの関係はどうなって行くのか、とりあえず楽観的に考えながら、読書会も方向転換して行ければと思う。
「ブログと併走する読書会」という実験的な企画も任された(さじを投げられた?)のは、いい機会である。
ブログのアカウントも、構成も、新・読書会の名称も、白紙状態。
いま僕の前に、大きなリトマス試験紙が突きつけられている。
サービスも百倍!窓口嬢スマイルも百倍!
at 2006 07/16 23:30 編集
ゼロ金利ついに廃止!
というので、普通預金の利息が100倍にもなるぞーっ!!と騒いでみても、これでもまだ異常な水準だ。「客をバカにしているような利息」が、「客をなめているような利息」に変わるだけ。
おまけに、銀行に土下座して借り入れで運転資金をまかなっている中小の自営業者にとっては死活問題だ。
借り主といえば、もちろんマイホームローンを背負っている善良なサラリーマンも、金利がこの先どれぐらい上がるのか、見通しに不安が募るだろう。元金が巨額なだけに、金利が数%上昇しても、月々のタバコ代を1箱減らすぐらいの小細工では吸収できないほど家計に響くことになる。
おまけに、リストラだ減給だ大病だと「予定が狂う」人生の危機は大いにありありで、いや、「人生それで普通」だと気づけば、25年も30年も借金漬けになる生活を、よくまぁ契約するわなぁ・・・と僕なんかは感心するやら、信じられないやら。まぁ、マイホームパパの勇気はすごいと思うが(笑)。
だから、いざ予定が狂って、女房子供のために背水の陣で組んだローンが家計を崩壊させるようなことになれば、がっくり奈落のそこに突き落とされてしまう気の毒な旦那たちも多い。
儲けすぎている銀行の、もらいすぎている行員に怨念のテレパシーを送り続けると、ちょっとは気晴らしになるか、それとも奇跡でも起こるか・・・
それにしても、ふざけた「金利100倍」だわな。あこぎな邦銀など、かたっぱしから外資に食われてしまえ!と祈りたくもなるわい。
血と汗と涙の夏
at 2006 07/15 16:49 編集
いやはや、猛暑いきなりやなーと思っていたら、浜松で38℃だとか。体温より高い。
うちわでパタパタやると熱風が来るから、これはやりきれない。
道路工事や畑仕事に熱中しすぎて熱中症で命を落としてしまった方々には、ご冥福を祈るばかりだ。
しかし・・・梅雨が明けていないうちに、連日連夜の熱帯夜というのは許せませんな。風呂に入って寝て起きたら汗だく・・・って、不条理ではないか。
などとボヤきつつ、日本人の体の四季は、夏に汗をかくようにできているのだ!と納得するしかない。あと2日出勤したら夏休みだから、ラジオ体操に朝顔日記に海水浴に、たんまり汗を用意しとかなくてはいけない(デトックスできるかな?)
気がつかんうちに、すでに海開きと山開き、プール開き、ビアガーデン開き(これは春か?)が出そろって、なんだかあちこちで開きまくっている。
で、最近の学校のプール授業ではやっているのが、「着衣水泳」だそうな。
えらい!
と僕は素朴に感心した。
水の事故に備えた、こうい安全対策こそ、学校で全員に教えておけばいい(もちろん、泳げない子は泳ぐ基本を身につけてから)。すぐ役に立って命が助かる、ありがたい授業だと思う。
こういう発想に立つなら、たとえば「バイクに乗るな」ではなく、バイクの乗り方を教えてこその学校だろう。
パリダカを完走したら体育の単位を全部認めてあげるとか、気の利いた計らいを見せてくれてもいい。「サハラに死す高校生」というのも、ロマンチックな伝説になるぞ。
いや、最近はバイク事故予防なんかより、性感染症予防と避妊の方が緊急度は高いのかもしれない。ついでに、オプションで「ロリコン先生撃退法」とか、隠しカメラ探知法とか(顧問は物理教諭で)。個人的には、悪質商法やネットトラブルに免疫をつける消費者教育も大事だと思うし。
こんな風にあれやこれやとティーンズに要求するのも酷かもしれないが、どれもこれもおもしろくて夢中になる授業がギッシリ・・・になると、とりあえず不登校も中退もなくなるはずだ。
「防犯エキスパート高校生」は地域社会で大歓迎されるし、「レスキュー名人高校生」は、いろいろアルバイトもできるだろう。
ただ、中退しないが受験勉強もそっちのけ、やたら警備会社に就職集中(笑)となるのもどうかと思うけれど、まぁそういうコースはあってもいい。
何人かの高専OBに文系科目を教えたことがあって、全員がとても優秀でまじめだったから、この5年教育課程というのは、もっと評価され普及してもいいと思う。工業科だけでなく、「商専」「農専」「英専」「災専」なんてのも、あればいい。最近のはやりだと、「鉄専」「熟専」とか(笑)。
マニアックでもオタッキーでも、その道を極めればプロになれると思うので、夏休みは修行期間(今ふうにいえばインターンか)という位置づけにすればいい。
萌えるぐらいでお茶を濁している場合じゃないのだ。
「突き抜ける」勢いでなければ!
露店書
at 2006 07/14 22:08 編集
「露天」だったのが場所を追われて、ついに「車道」に場所を移してしまった古本屋さんは、利用するのも違法営業をあおることになるのかもしれないが、とりあえずひいきにしている。
露天商ならぬ「露店書」かな。
最近は、近づくと「アスキー入ってないわ!ごめんな〜」と、こちらの目当てを見透かされるようになってしまった。この前なんか、近づくと黙って『週刊アスキー』がニュッと出てきた(笑)。
なかなか心ニクい商人根性だ。
あいにく100円玉がなくて大きい札しかないときは、「そこのパチンコ屋の奥に両替機があるさかい、くずしてきてんかー」と、情報提供までしてくれる。
このゲリラ的な商いは、群がる常連客もすでにわきまえているから、初心者(?)がうろたえていると、「両替はあそこや」「ヤンマガあした発売るやから今日まだないよ」と、匿名客から匿名客へ、和気あいあいと指図が飛んでいる。
いいなぁ、このスピード感、カジュアル感。
中古生活は、ビンボーライフにささやかな幸せ感をもたらしてくれる、ありがたい味方だ。
おとといだったか、「初デジカメを買いたいんですけど・・・」とスキー仲間W田君からメールが来たので、僕は自信満々で中古お買い得品情報を送った。すると、「ボク中古がだめな性格なんです」と、妙な潔癖症をカミングアウトしてきた。
それはそれで好みの問題だからいいとして、新品好みからすると、「露店書」なんかは、たとえ800円で発売中の雑誌が100円になっていたとしても、言語道断な廃棄物なのかもしれない。
僕は当然のように古本→新古書→新刊の順に買い物するし、賃貸アパートは「沈滞」しそうな年季の入った格安物件を優先サーチするし、PC関連の端末も全部中古だ。
まぁ、たしかにページがペリペリと切れる新刊ほやほや感もいいものだし、新品には新品なりのメリットもあるだろうが、もうここ何年も、「露店書」のおかげでコンスタントに月数千円は浮いていることを思えば、やめられない。
浮いた数千円で本だってCDだって買える。これまた中古だったりするから、セコハンの複利みたいな世界だ。
ヤフオクも含めて、中古市場という裏経済規模は、無視できない規模になると思う。
ゆくゆくは、中古人間の市場なんてのも、堂々と登場してくるかもしれないが、すでにあっても不思議ではない。定年後就職あっせんや再婚、老齢婚の仲介業なんてのも。
基本的に、僕は中古パワー万歳、死ぬまでリサイクル&リユース大賛成ではあるけれど・・・。
文通月間?
at 2006 07/13 19:04 編集
ウィンドウズ98とMeのサポートが終了。
しかし、全国の学校で3割の端末が使用中・・・どうなるんでしょうか!!
と、おどろおどろしくニュースが伝えていたが、さて一般家庭ではどうなんだろう。
スローライフPCユーザーにも、どうか慈悲の目を〜
と祈るワタクシは、もちろんサポートから見放されたユーザーである。どうりで、このシンクパッドは安かったわけだ(遅いって)。
XPさえ、「数年後には打ち切るよ」と脅しをかけるMクロソフト社は、売り上げが鈍る覚悟もしているんだろうか(もう、天下を取った帝王の気分か?)。
でも、スローなだけでなく、あまり依存しないようにあえて宝を持ち腐れているユーザーとしては、たとえメインマシンが壊れても、すぐカプセル怪獣ウインダムのようなサブ端末で事が足りる。DVD編集とかプレゼンファイル作成のような複雑な仕事はないから、ザウルスで充分だったりするのだ。
サブ端末どころか、普通にメールもやりとりしていた、別に遠方在住でもない令嬢と、このところ紙メールに移行しつつある。文月だからというわけでもないが、悪くない風情だ。
文具マニアの僕は、仕事には弾頭のようにヘビーなロットリングのマルチペンをがしがし使い、私用にはファーバーカステルの梨の木のペンに持ち替えて・・・と気分転換を楽しんでいる。
韓国には梨花女子大という詩的な名前の名門大学があるらしいが、梨の花のような存在感を感じる相手に、梨の木の手触りを感じながら文を書くという時間は、失われてしまったような、何か大切な経験だったような気もする。
そして、ほどよい存在感がある数葉の便箋が、思い出したようなペースで届く。
不思議と色恋沙汰には結びつかない(と実感する)サラサラした間柄(のはず)だから、「紙にインク」の手仕事でも尾を引かない(はずだ)し、重荷でもない。
こんなふうに「萌え」させてくれる相手との手紙のやりとりより、毎日何十通ものメール処理をすることに喜びを覚えるようになると、アップデートやバージョンアップetcetcetcの雑務の奴隷になるのじゃろう。
が、
アドレスはいらない、住所を教えてほしい。
なーんてキザなことを言える立場に、出世したいものである。
「電話番号を知らせてくれないおぬしとは待ち合わせしない」を貫くだけでも、いいかげんソッポ向かれているのに。
「テレビ体操」萌え
at 2006 07/12 20:40 編集
19歳の少年少女たちの前で、あるタレントの話をしていたら、「あの子、AV女優だったんでしょ」と男子の突っ込みが入り、女子がどよめいた。
でも、聞いてみると何のことはない、ただのお色気映画に出ていただけの経歴が、純朴な男子の頭の中では「AV出演」ということになっているらしい。
おまけに、「AVというのはね、飯島愛が芸能界へのステップにしたような・・・」と話しかけると、「えっ、知らなかった!!」と、もう飯島愛の過去を知らない男子女子が普通にいることもわかった。
そりゃ無理もないわな。飯島愛が「現役」のころといえばもう15年ほど前になる(と思う)から。
そんな話は、ただ「世代の違い」で説明できそうな蔵出しネタにすぎないのだが、他愛もない雑談をしながら、少年少女の「成人メディア・リテラシー」が、どことなく平板化しているような感じもした。
まず、イレブンPMやギルガメッシュナイトのような成人映像が、テレビ番組から消えている。
おまけに、ピンク映画というのがあることさえ知らない世代が、普通にいる。いや、にっかつロマンポルノというのは僕も実際に知らないまま「過ぎてしまった」ぐらいだから、映画館で成人映画を見るという習慣は、いま50歳前後のおとっつぁんの心のふるさと(笑)なのかもしれない。
そんな成人映像のように、人目を忍んだり、「お色気」に萌えたりするレベルを越えて、いきなりパソコンでネット動画につながる時代だ(ナローバンドのわしは知らんぞ!!)。
ええんかね。アクセスに苦労しないと、楽しくないものだろうに。
「キミたち、安易に欲情するピンク・メディアなんぞさっさと卒業して、NHKの囲碁・将棋講座の女流解説名人にときめいてみることよ!」
と、マニアックな道におびき出すのもどうかと思うが、こういう萌えかたなら、彼氏と彼女が一緒に楽しめてよろしいのかもしれない。
ここはひとつ示談で
at 2006 07/11 22:54 編集
ジダンの頭突きの理由は、はたして何だったのだ!?!?
と、日に日に謎が拡大している。
ここまで疑惑が濃い闇になり憶測が乱れ飛ぶようになってしまうと、ジダンを怒らせたイタリア野郎も、正直に言うに言えない立場に、追いつめられていることだろう。本当は、あっけなく「おい、頭突きしてみろ」と言っただけかもしれないのに、よほどひどい差別発言をしたかのような容疑が一人歩きしている。
それに、もし差別発言なら、そのまま報道されることはないだろう。だって、「ジダンのような立場」に対する差別発言は、その中でもエリートクラスのジダンだからこそ頭突きですんでも、「ジダンのような立場」の人々の中には、飛び道具を使う突破者もいるかもしれない。
・・・あ、これも差別発言になるのか?
真相は近く記者会見で説明する、とイタリア側は収拾の構えを見せているようだが、あのときあの現場を、ガン・マイクで拾っていた音声さんは、いなかったのだろうか。もし録音していれば、「真実の声」を握っている音声さんというのも、微妙な立場だ。
あまりイタリア側の会見がウソで塗り固められていたら、「ウソはいかんね〜。ホレ、これが証拠だよ」と突きつけられるから、記者会見の「監修役」になるわけだ。
いま実際に「音源」がなくても、あるかもしれない、という緊張感を持ちながら、サッカー界はあざやかなゲームセットを見せてほしいものである。
「僕は、試合後にデートに誘っただけ。そしたらジダンが、バカヤロー!!俺はベッカム一筋だ!と怒っただけなの」
てな話になると、薔薇園イレブン物語が始まってしまう。
また、そんなネタを女性誌はほてりながら(笑)追及するからね。
平井堅は矛先がよそ向いて、ホッとするかもしれない。
おぉ、危ない危ない・・・
副業サマー?
at 2006 07/10 22:31 編集
W杯の優勝が決まったころ、僕は夢の中で逃亡者をしていた。
ただ、仲間とヨーロッパの線路内を歩いていただけの脈絡のないシチュエーションで、どこかで警報でも鳴ったか、とにかく「つかまるから逃げろ!」ということになった。
「3人ひとかたまりだと目立つから、バラバラになろう、無事に再会できるまで、グッドラック」
と段取りを相談する。これはまるで『大脱走』の世界ではないか。
なんとか雑踏に出て、地下鉄に乗って人込みに紛れようとするが、ゲシュタポみたいな捜査員に、一発で発見されてしまう。万事休す!・・・というところで、お目覚めであった。
いやはや、何を暗示している話なのか、ちょっと不気味な逃亡劇だった。何から逃げようとしているのか・・・。
いや、逃げなくても、今週いっぱいで夏休み。あきれかえるほど解き放つたれる時期なのに。
これ、もしかすると仕事から逃げてたら、拘束されて孤立して、袋小路に追い込まれまっせ〜!という天の声、ご多忙サラリーマンの友人たちの「怨念濃縮テレパシー」かもしれない。
夏休みのバイトというと、学生生活でフトコロが豊かになれるかどうか、天下分け目の天王山みたいな年中行事だったのを思い出す。
だからいっそ、お中元配達か、海の家のアルバイトでもするか?(笑)
たぶん、ベテランの学生バイトから、「おっさん、もたもたするんじゃねー!!」と叱り飛ばされそうな予感ありありだが・・・
汗冷房
at 2006 07/09 14:56 編集
きのうの午後、さて街へ出撃に・・・と家を出るところで、裏山から摩耶・六甲の峰々にかけて、重い真綿のような雲がベッタリかかっていた。
雨上がりの山には、よく湯気が立ちのぼるような雲が谷筋に湧き上がっていたりするもので、阪神間の電車通勤客にもおなじみの眺めではある。
それでも、重いかけ布団のような異様な雲は初めてお目にかかったような気がする。台風のせいか?と思って気圧計を見ると、なんとウナギ昇りに上がっている。
なんじゃこりゃー超常現象!?!?・・・と、ふと心ときめいたが、何も起こらず肩透かしに終わった。
台風が来るなら来る、降るなら降る、ピカリと光ればドカンと落ちる、とハッキリしてほしいものだ。降りそうで傘を持って出たら降らない(おかげで、おととい僕は自宅最寄り駅で降りたのが傘だけ終点まで行ってしまった!)とか、大丈夫と思ったのに土砂降りに遭うというのは、やるせないだけ。
ただ、僕はアウトドアには雨の備え万全で出かけるせいか、めったに雨に遭わないから、安くなかったゴアテックス・レインスーツなんか、いつまでも新品同様だ。
こういうのが晴れ男なのだろうが、皮肉にも晴れ男は発見されにくい(笑)。お気の毒に。
実際こんな瀬戸内気候の南斜面の街に暮らしていると、雨不足のニュースも耳にするほどだから、本当は梅雨さまさま・台風さまさまなのに、多くの現代人、またそれに輪をかけて役所も「雨づきあい」が下手で、そのせいで水害を引き起こしたりするのかもしれない。アホな神戸市役所は川まで地下に埋めてしまうし。
雨を毛嫌いして、汗もかかずに、「保湿成分配合」なんて化学薬品を消費しまくっているのも、滑稽じゃのぅ・・・と24時間ジトジト汗をかいている僕は世を憂うのだが、「そんなジトジト生活ぜったいイヤです!!」と拒絶されるにちがいない。
地球温暖化防止、クールビズ、脱原発の敵というのは、善人顔をしてエアコンに依存している、こういう保湿成分マニアたちかもしれないのに。
ワンダーなBJ復活
at 2006 07/08 20:18 編集
プリンターを修理に出すと、保証金3500円を取られつつ、「あぁ、こんなに維持費をかけて大事にするような機種かいな」と、ふと思う(マータイさん、ごめんね)。これで修理代金1万円なんてことになると、保証つき中古を買った方が得かもしれない。
家にもう1台、同シリーズの電池駆動のモバイルプリンターがあって、ほこりをかぶっていたので、リリーフを頼んでみた。まるで、江川卓にマウンドに立ってもらうような気分だ。
充電して、インクカートリッジをつけて、起動して・・・あぁ、セールスポイントだった赤外線で認識してくれない!
ならばUSBで・・・動いたではないか。
しかも、赤外線より速い速い。
モバイルプリンターだから、最新のピクサスやカラリオほどの性能は期待しないでいたのだが、それにしても二昔前のワープロ専用機みたいなスピードには、イライラしていた。
こんなものか?と思っていたのが、そんなものではなかったのだ。赤外線の115kbpsというのは、そんなに遅いわけか?
まぁ、レーザーほどではないが、「ワープロ専用機より速い」だけでも上出来である。持ち運べるし。
偶然のリリーフで古いプリンターが役立ってくれたのは、ささやかな発見だった。
処分しなくてよかった。
と、しみじみ実感する反面、なんでこのサイズのモバイルプリンターは、後継機がないのだろうか。ピクサス80とかいう現行機もあるが、まさかあれをカバンに入れて持ち運ぼうという人はいないだろう。
ノートPC本体は、1kgを切るか1kg台か、で熾烈な減量開発競争をしているのに、プリンターの小型化は置き去りにされているような気がしてしかたない。
そこだけは、ふた昔前のワープロ専用機の方が、「ともかく文書はその場でプリントを出せます!」といわんばかりに、出力までの文書機能はワンセットで考えられていたからえらい。ソニーのPRODUCEシリーズなんて、軽くてスタイリッシュで、いいコンセプトを持っていたと思う。
オアシスライトや文豪ミニに、本体より小さな熱転写プリンターが着脱式で用意されていれば、FAX用紙でも入れて現役で使えるから、一定の需要はあると思うのだが。
20年ぐらいたつと、当時あこがれた最先端機器も、なにやら懐かしく、愛着のある機械として見えてくるのがよくわかる。
いま二十歳の子は、もう生まれたころからワープロもCDもあったわけだから驚くばかりだが、ワープロ単機能マシンなんか、どう見えるのだろうか。
「メールもできないの!?」の一言で、ダメ出しされそうな気もするが。
カナディアン・クラブ入会
at 2006 07/07 22:20 編集
W杯は南米勢が消えて、ドゴール対ムッソリーニの決勝戦へと収束してしまった。
チームの戦力分析など僕にはできないから、あぁドイツビールか・・・イタリアワインもいいかもなー・・・コニャックも飲んでみたいね・・・と、ご当地の名酒ばかり浮かんでくる。
いっそ、ワールド「カップ」なんだから、飲みすけの世界大会でもやってくれないものだろうか。
夏といえば!の大好きなピルスナーも、エビス黒生も、うまいことはうまいが少々飽きてきた気分。あいかわらず、風呂上がりは牛乳が一番だし。
やはり、冬はホットで夏はクールにと万能なウィスキーに戻って行くのか!わがDNAは・・・
そこで、夏に攻めてみたのが、爽快な大地のライ麦畑で生まれたカナディアン・ウィスキー。
試飲したのは、カナディアン・クラブ12年。
試飲といっても、タダ酒を紙コップで一口いただくのではなく、自腹でボトルを買うんだから、一か八かの大勝負である(下戸から見るとばかばかしい勝負だろうな)。
大勝負といっても、負けるほど幸せな気分でトロンとなってしまう。勝手も負けてもOKなのだ。
で、カナダには余裕で負けたぞ。
2晩でボトル1本あっさり干してしまうほど、つるつる飲めるさわやかさ。いやはや、あっぱれカナダ。40度なのに、25度ぐらいの刺激しかないぞ。このやろ!
ということは、飲み過ぎる危険もあるわけで、2晩で飲んでしまってるのは、すでに手遅れなのか???(笑)
かえって、尖った味わいのシングルモルトの方が、いつまでも飲み手に懐柔させてくれないので、「節酒」にはなりそうだ。
まぁ、そんな酒もいいが、つるつる飲ませてくれるクリアなウィスキー、というのもフレンドリーでいい。
しばらく、カナディアンクラブに入会してみようか?
でも、W杯に勝手にちなんで、コニャックにも手を出してしまった愚かなる私がいる・・・
あぁ重症!
早漏テポドン
at 2006 07/06 20:00 編集
テポドン発射は、正直あっけなかった。
効果音をつけるなら、「ズドン」でも「ゴォ〜〜〜ッ」でもなく、「ポチャン」だからね。
5発だとゴレンジャーみたいで笑われるから、合計7発にして、ラッキーセブンをもじったのかもしれない。
もし、ちょっと風に乗って三沢にでも落ちてしまえば、米軍F16が黙っていないから、北の軍もビクビクしながら「ラジオ深夜便」の時間帯にコッソリ、できの悪いミサイルの在庫処分をしたのではないだろうか。
万景峰号に乗っていた修学旅行帰りの朝鮮学校生も、いきなり沖合に足止めされて、お気の毒だった。
これから、感情的なジャップが八つ当たりするかもしれないから、さらにお気の毒だ。ぜひ受験勉強がんばって工学部に行って、高性能ミサイルの研究開発をしてくれたまえ!(性能のいいミサイルより低性能ミサイルの方が危険だからね)。
せっかく北の政権の演劇局が、ヨンナムさんを利用して経済支援を引きずり出そうとしていた折も折、作戦を台なしにするミサイル発射は、一体なに考えてんだか!?・・・と、世界各国も、朝鮮総連さえも見放すのではなかろうか。
こんな愚かな軍事行動は、よく偉大な将軍様の顔と重ねて報道されているけれど、実際には政権が軍をコントロールできていない証拠にも見える。歴史の教えによれば、外交と軍部の仲違い、バランス崩壊は、国家破滅への道に進んで行くようだから。
だから、僕は素人ながらテポドンを「返し技」に使って、北の分断を図った方が今後のためによろしいのではないかと思う。
また、北の政権も、「一部の反乱軍人が無謀なことをしたのだ「ということ」にして、内部で粛正することができる(あぁこんなこと提案していて、工作員にスカウトされたらどうしよう)。
この手で、拉致被害者もごっそり出てくるかもしれないし、拉致実行犯「ということ」にされた軍人を処分するような形なら、北の政権もやりやすいと思う。「おまえらは人間魚雷艇勤務だ」とかね(笑)。
どうですかねー将軍さま。
軍部だけ切り離すなら、日韓朝で合併してキムチ合衆国を建国してもいい(わが選挙公約の通り)と思うんだが、こんなおいしい提案はないんちゃいますか〜ジョンイルさん!
次の位?次のステージ?
at 2006 07/05 21:59 編集
中田の引退表明は、「鮮やか」「惜しい」「もったいない」・・・と、反応もさまざま。部外者からすると、単純に「潔いなぁ」と思う反面、何かよほど言いたいことがありそうな、虚脱感がにじみ出てるようにも見える。
でも、それを言わないのが中田の美学なのかもしれないし、立派だとは思う。もし、「引退を決意した理由は・・・本人がここにいないから言うわけにはいかない」なんてこと言われた日にゃー、気になってしかたないもの(笑)。
川口が涙目になっていたり、俊輔がガタガタ震えていたりと、人騒がせなことになりかねない。
さて中田の行く先は、大学か、会社か?と憶測も飛び交っている。
なぜか芸能人や女子アナが留学といえばココ、で有名なコロンビア大学を志願しているようだから、あそこの精神心理学部(サッチーが留学しておられたという・・・笑)に入学してみるのもいい。
そして、長期的には、まず「語録販売業」で再スタートだ。
しゃべるだけで、書き取って語録に仕立てて「売らせて下さい」と懇願してくれる出版社は列をなしているだろう。
でも、中田人気は、失われた10年間の「混迷の時代」に咲いた徒花のような面が見え隠れする。この10年は、まだ清算できていないよ。
別に中田個人の「サッカー以外の能力」をどうこう採点するつもりはない。
ただ、困ったときの神頼みでスポーツ選手に会社の経営判断を仰ぐような企業精神というのは、キワキワ感満点でハラハラするだけ(笑)。まるで、難病に打つ手を出し尽くして「波動を・・・」とか「霊障がぁぁっ!!」とか言い出す医者みたいな感じだからね(東ハト、だいじょぶか?)。
そんな組織の不可解で理不尽で不条理なところに目をつけた中田自身は、えらいと思う。
企業の側も、たとえばF井総研や、稲M財団、S学会、D通などは、放っておかないだろう。中田ヒデは、ただイメージだけの広告塔ではなく、考えて発言する広告塔だから、うまく操れば持ちつ持たれつで説得力満点だ。
さて、中田と二人羽織を演じる黒幕は、どんな組織だろうか。
未来からの電波時計
at 2006 07/04 16:34 編集
ブレスレット、指輪、手錠の類はしたことがないし、ネクタイは職場を離れるとき解いてしまうし、腕時計は帰宅したら脱ぎ捨てるようにはずしてしまうほど、僕は「絞めつける装着品」が嫌いな一方で、腕時計がゴロゴロたまって行く。
使っている時間帯なんか、堅気のサラリーマンの3分の1以下だろうに。
めったに壊れるものではないから、オールマイティーな1個があれば事足りるはずだが、そうなると、いつかはクラウン・・・じゃない、ロレックスに行ってしまうのか?
でも、ロレックスを登山にして行くような、イヤミなんだか貧相なんだかわからん俗物にはなりたくないから、TPOに合わせて・・・というのが、現実路線。
現実の我が家はというと、置き時計はデジタル電波時計のくせに常に20秒遅れているので、なるほど遅れは正確やなーと感心しつつも、結局「正確な時計」というものが、どこにもないのだった。
腕時計は、わざと5分ぐらい進めてあって、駅まで走る出勤時に時計を見てほっとしたりする効果(笑)を自己演出しているのだが、進める時間は統一しておかないと混乱する。
5分未来ウォッチ、2分未来ウォッチ、10分未来ウォッチと多彩になってくると、「えーと、この時計は何分未来やったっけ。8時10分の快速に、間に合うかねー」と、戸惑い迷い焦り、結局ドツボにはまることもあるのだ。
「アナログで、電池いらずで、それでもアラームがついてれば便利」とわがままなウォッチ選びにも、優秀な日本国時計メーカーは、ちゃんとこたえてくれる。
でも、さすがにシチズンさんやセイコーさんは高くて、1万円台でとなると、Baby-Gになってしまった。ま、少女サイズの我が細腕にはジャストサイズだから、気にしないことにしてお買い上げ。
しかしまぁ、文字盤が小さいのはこれから慣れるとして、ちっこい中にソーラー充電や受信機やアナログ・ムーブメントやLEDライトやデジタル機能まで、これでもかこれでもかと詰め込んだもんだ。感度も良好で毎晩ぴったり時刻補正するし、文明の進歩はすごいね。
ただ、「5分未来」に設定したくても、毎晩必ず正確な現在に引き戻されてしまうのが、バカ正直なところだ。
カシオさんに頼んでも改造してくれるわけはないから、標準電波送信所を改造して、5分早い日時情報を発信すればいいのか。
そうなれば、日本中の電車かけこみサラリーマンから、「一瞬あわてたけど、5分ゆとりができて助かった」という感謝の声があふれるはずだ(ただ、電車も5分早く運行してたら詮なし・・・である)。
電波ウォッチは、これから慣れて行くのか、違和感が募って行くのかまだ未知数だが、常に正確な何時何分何秒を突きつけられるのも、「わかったわい!だからなんなのだ!!」と無性に楯つきたくなる気がする。
未来から呼んでくれるような数値表示がほしい。
さんざん、合格可能性判定つき模擬試験なんぞで「調教」された世代の哀しさかな。
紫陽花楽園
at 2006 07/03 22:57 編集
雨雲の切れ目から、「梅雨は休憩。いまアジサイが見ごろだよ」と、天の声が聞こえてきたので、発作的に裏山ダッシュしてきた日曜日であった。
蒸すが暑くはない森の小道を登って、心地よい汗をかく。
いや、正しい表現ではないか。汗だくになるのは気が滅入るが、渓流を伝って流れてくる風が汗を奪って行く感触が、なんともいえず快感だ。
足取りも軽く・・・というより出発が出遅れた焦りも手伝って、コースタイムよりうんと早く、アジサイ咲き誇る植物園に到着。
しなびている花もなく、まだ「恋のツボミ」堅いままの花もなく、ちょうど開花時期が重なって百花繚乱。こいつは夏から、縁起がいいやな。
車椅子の高齢者、ゆかた姿でマイカー・ドライブしてきたカップル、家族連れなど、思い思いの「花見」を楽しみながら、そぞろ歩いている。平和で、いい光景だ。
なぜか観光地では殺気立っていたりするカメラおじさんも(あ、人のこと言えないか)、のんびり写真世界に浸っている。
でも、花畑の中に三脚立てているのはいけませんね。倒してあげようか(笑)。
「カメラおじさん駆け出し」の僕は、もう、いつ撮り残したのか記憶にないほどのフィルムが入ったままのニコンF3と、クールピックスのデジアナ二刀流でアジサイを攻めてきた。
アルバム追加は昨夜すぐできたし、公開用にはデジカメが便利でいいのだが、接写やアングル吟味には、やはりちゃんとしたファインダーをじっくり覗いて(光学ファインダーさえ省いたデジカメも多いのは嘆かわしい)暗室の中で考えないと、撮れたような気がしない。
そんなぼやきも、まだまだフィルムカメラの遺物が、頭にこびりついているせいか?
「はやくフィルムカメラ捨てなさい。ハッセルはもらってあげるから」と、さっそく悪魔の声が豊岡からメールで届いたが・・・。なんのなんの、捨てるならデジカメだな。
夏フェス仕様?
at 2006 07/02 21:04 編集
7月といえばアウトドア〜である。
個人的には、7月でなくても年中アウトドア〜だが、海開き、山開きに合わせてバーゲンをやってくれるのでうれしい。
夏フェスのマニュアルっぽいフリーマガジンというのが毎年出ていて、その横でワゴンセールをやっていた。
前から気になっていた商品で、サーマレストというのは商標名かもしれないが、勝手にふくらんでくれる薄型エアマットがある。店頭価格で6000円ぐらいするので、僕は節約しようと百均のエアざぶとんを4つつないで使ったりしていた(これでも、400円以上の満足感があるぞ)。
そこへ、怪しいほど安いサーマレスト2000円也が出ている!
怪しいなぁ・・・空気抜けまくりちゃうかなー・・・と思いつつ、「モニターするのだ」という名目で(結局、衝動買いのいいわけなのだ)お買い上げ。
さっそく試しに自宅で使ってみると、なかなか調子がいい。ビニールのエアマットほどバウンドしないし、柔らかい板のような形を保ち、薄いくせに凸凹をよく吸収してくれる。アナログなリクライニング機能がついていて、座椅子にもなるのがご愛嬌だ。
さすがに安物だけあって、同じサイズのブランド品に比べると畳んだ収納サイズは倍ぐらいあるし、ずっしり重たいが、「実戦配備」する機会はあるだろうか。
車キャンプだと何でもOKやけどね。
こんなお買い得品をゲットして、家路の途中で立ち寄ったモスバーガーで、また「そろそろ一緒にハンバーガーもいかがですかぁ?」といわれそうな、いつものマイ・オリジナルお茶菓子セットを注文したら、間もなく厨房があわただしくなってきて、店員が謝りにきた。
「すいません、アップルパイを揚げすぎまして・・・」
というのだ(アップルパイとコーヒーがマイお茶菓子セット)。
ま、凡ミスぐらい僕は気にせず「苦しゅうない。拙者は気長に待っておるぞ」と鷹揚にかまえて、わしはお買い得品ワゴン品の幸せ効果を家に持ち帰ったのであった。
これぐらいの買い
at 2006 07/31 17:42 編集
やっと梅雨明け。
どなたかが、「立ち葵の花って下から順に咲いて、一番上まで咲きそろうと梅雨が明けるんですよね」と話していた。
なるほど、花は正直だ。
生家の玄関先に咲いていたのも、立ち葵だった(タチアオイなどと、片仮名表記するのが、なぜ当たり前になってしまったのだろう?)。たしか向日葵も庭に咲いていたはずだが、生まれて初めて憶えたことを憶えている花の名前が、立ち葵。
生まれて初めて絵に描いた花も、立ち葵。
いくら炎天下でも、いや日差しが強いほど花びらが生き生き・しっとりしているのが不思議で、つまんだり、ときには摘み取ってしまったりしたものだ。
土の小経にビニール・プールをおいて水遊びしているとき、となりで揺れている立ち葵の花や葉っぱが、風に笑いながら背中をくすぐってくれた。
最近、アパートはす向かいの新築一軒家に越してきたニュー・ファミリーが、ビニール・プールを玄関先に出して、子供を水遊びさせている。ほほえましい夏の小景である。
あの2mほどの円の中は、子供にとってはプライベート・ビーチさながらの、不思議な空間だ。ムズムズするほど楽しかったのを憶えている。
でも、泳ぐわけでもなく、ただ水に浸かって、何をやって飽きずにすごしていたのだろう。
いま、「大人用」みたいなラージサイズのビニール・プールがあったとしても、僕は「酒と女子は必須オプション」と考えてしまう。情けない。
でも、このオプション2点があれば飽きないと思う。自信をもっていえる。
そうわかっているから、現実がつらい(笑)。
何やらわからんけど、無心に水遊びや虫捕りや戦争ごっこをやって笑っていられる子供の夏は、ものずごく哲学的で、文明的で、創造的ではないか。
なのに、ゲーム機やドリルを与える大人というのは、野暮なものだと思う。
予備校や進学塾で、夏の臨時収入を目当てに夏期講習をやっていた「前科数件」の僕としては、申し訳なくは思っていた。
外には太陽があふれ花が咲き雲が笑っているのに、冷房をガンガンかけて蛍光灯の下で勉強させられるのはつらい。いや、進んでそうしたくなる性というのも哀しい。
生理的に忌まわしい経験は忘れようとするせいか、僕自身も、「夏期講習のおかげで合格してよかった!」とか、楽しかった思い出がさっぱりない。もしかすると役に立っているのかもしれないが、「夏は夏にしかできないことをするための夏」だろうし、春も秋も冬も同じ。年齢におきかえて「18歳」でも「45歳」でも同じようにいえると思う。
働くことと学ぶことは、死ぬまでできること。
でも、12歳のころ初めて北海道へ一人旅したときのようなスリルをかかえての旅は、もう二度とできないと思う。17歳のころペンフレンドに会いに行ったようなトキメキ(発情か?)というのも、邪悪な中年脳の中には二度と戻ってこないだろう。
なんだか追憶ばかりの夏になるのも、情けない。
プレイバックしてみるか、
まずはビニール・プールから!?
ナンあり
at 2006 07/30 21:41 編集
ええかげん「うちはハンバーガー屋ですからハンバーガーを注文してくれませんか」と言われそうなモスで、夏のメニューを発見した。
ナン・タコスとナン・カリー。
ナンとくれば、わが身と心と骨の髄に染み渡っているアジアの血が騒ぐ。
で、さっそくいただいた。
軟らかくてポロポロ落ちるし、食べにくいのなんの。
北野のスリランカ料理やインド料理の店でいただくナンは、もう少しコシがあるというか、パリッと焼けた香ばしさもあるので、このクレープみたいな軟らかさには、とまどった。
観音寺市の合田守夫さんの作られたレタスは、甘みがあって新鮮でよかったけど。
アイスコーヒと合わせて560円。けっこうボリュームがあるのはいいとして.割高ではあるな。
600円出せば、立派な昼定食を食わせてくれる店もあるからね。
文春文庫の夏の100冊シリーズにならんでいる、『喪失の国、日本』(M・K・シャルマ著)というエッセイを本屋で立ち読みしていたら、おもしろくてツルツル半分ぐらい読んでしまったのだが、ここに「インド人、激辛カレーに挑戦」というくだりがある。
駐日で仕事に拐むインド人ビジネスマンが、皮肉にも日本で激辛カレーに出会ったものの、汗が噴き出して半分でギブアップしたというのだ(笑)。
日本人はインドに対して、勝手な期待も含めて、相当な誤解をしているようではあるね。
その本物のインド人やパキスタン人は、和風ナンを食べるとどう思うだろうか。
一般に、パンやラーメンは、本家本元も認めるぐらいのレベルにあるんじゃないかと思うが、ナンとかチャパティとなると、どれがうまいのかまずいのか、わからないものだと思う。
これがイタリアンやフレンチとなると、蘊蓄を傾けたがるやつが腐るほどいるから、「私の体は、ふっくらしたナンでできてるの」なんていう元アイドル・現女優・犬マニアがいればおもしろいのに・・・。
須磨の潮騒
at 2006 07/29 20:49 編集
夏といえば、海でしょう!!
というわけで、愛車をこいで須磨へ。
半裸でくつろいでいる赤茶けたオジサンが多いメリケン波止場までは歩いてすぐだが、こちらは海岸というより「港湾」だから、やはり天然の砂浜で無邪気になりたい気分。
須磨までは電車だとたった10分だが、あえて汗をかいてみる。
初めてこいで行ったときは40分かかっていたのが、30分でたどりついたのは上出来だ。ただ、炎天下の汗だくは、健康的なんだか、血液ドロドロなんだか・・・。
うーん、やはり潮の香りはいいものだ。
ところが、ビーチは寂しい。
泥水でイモの子を洗うような混雑はウンザリだが、そんな眺めを見慣れていて、勝手に想像力が働いてしまうから、あっけにとられるような静けさだった。それはそれで、悪くない感じ。
僕は塩水で溶けてしまう特異体質なので、どこか適当な店でシャボリシャボリと宇治金時にしゃぶりつくか、と思ったら、なんと財布を持ってきてなかった。
どっと疲れた。
せっかく、ビーチを眺めるテラスで読書でもしようかと気合いを入れてきたのに・・・
すごすごと自宅へ引き返す。これまた、ちょうど30分。純粋に、いい運動にはなったかもしれない。
これだけの運動でドス黒く日焼けしたのと、国道の排ガスを1時間も深呼吸してきたのは、果たしてよかったのかまずかったのか・・・?悩ましい須磨ドライブだった。
悩ましい須磨には、悪名高き公共工事ベルトコンベアが横たわっていて、いま次第に残骸になりかけている。
山を削りまくって海を埋め立てて、土地が売れ残って大赤字という痴呆自治体財政の象徴が、この土砂運搬用の巨大ベルトコンベアだった。
それが、やっと開発が終わり用済みになったため解体が始まったところで、不思議なことに、ノスタルジックな声もあがっている。高度成長期の活気を偲ぶ産業遺産という感じだろうか。
いくら問題だらけの大型開発でも、既成事実の重みというのは、「懐かしい心象風景」を創り上げてしまうようだ。
これが首都圏だと、もしTDLが閉園して海岸を復元すると、「あぁTDL〜」と名残り惜しむ人と、「浦安の海岸が取り戻せる」と喜ぶ人がいて、後者の代表は椎名誠さんだと思う。
僕も、神戸のベルトコンベアや人工島がなくなれば、せいせいする。
なんぼ懐かしくても、やはり自然破壊の兵器はなくなった方がよろしい。
いま、リバイバル映画の「日本沈没」が話題になっているから、「神戸空港だけ沈没」なんてリアルな映画もできると、けっこうスカッとするのに。
須磨のお隣りに住む筒井康隆センセイ、いかがかな?
夏の妄想劇場
at 2006 07/28 16:43 編集
八幡浜工業高校の女性講師25歳が、18歳の教え子に無免許運転をさせたカドで書類送検された。
らしい。
複数の新聞報道をパッチワークすると、
1.気分が悪くなったので運転を頼んだ。
2.「私の車を、運転してみる?」と誘った。
3.月がきれいな夜だから、眺めのいいところを坊やに案内してもらった。
という動機の供述があるそうだが、微妙にカムフラージュされてますな。
隠れたメッセージを読み解かなくては!ねぇ、杉本彩ねえさん。
1→発情していたので、ハンドルを握る手が***、*****
2→「車は私の分身なの」と、意味深なふりかたをしてみた
3→月の訪れがキレイさっぱり終わりたてホヤホヤだわさ今日は!!
こりゃもう、「いっとく」以外にない、「夏の月夜の年上女性」ではないか。18歳男子としては、は「情欲のアウトバーン」へ放たれるしかない!(笑)
とはいえ、犯罪は犯罪。
道交法違反(無免許運転教唆)でつかまったのが、せめてもの救いだったかもしれない。
教育委員会としては、本採用するわけにはいかん、ということになるだろうが、本採用してきっちり管理した方がいい。これを、よくある「男性教員と女子学生」の秘め事に置き換えてみればわかる。教師をクビにすればただの「ロリコン男」として野放しになるだけの話だから、こういう不祥事には首切りで処理できると思う組織の方が愚かなのだ。
八幡浜の彩センセイ(勝手に仮名を設定)には、これから
「センセイ、僕のせいで、ごめんなさい・・・ボクは、ボクは・・・」
「いいのよ、もこみち君。今夜は私が免許をあげるから」
なんてドラマの幕が開くだろう。
・・・ばかりか、好調いや校長センセイがこっそり訪ねてきて、
「んー、杉本せんせの懲戒処分は、私の胸ひとつでどうにでもなるんじゃが」
「じゃ、次の月夜に発射オーライと、いきますか」
てなエロ官僚の腹黒ささえ、見え隠れするぞ。
そんなものだ。権力的な男と魅力的な女のねじれた関係は。
もこみち君との関係では、「権力を持つ美女と魅力を持つ少年」という関係へと入れ換わっていただけ。
「夏の姉」というのは、少年にとって、そして少年時代を追憶する男たちにとって永遠に輝く宝だから、ヤボな取り締まりは必要最小限にして、「裏文化遺産」として保護してほしいものだ。
無免許教唆だけなら、実際に交通事故をやって減給処分ぐらいですんでいるセンセイたちの例に照らせば、そう重い犯罪ではないと思うのだが・・・
山の父子鷹
at 2006 07/27 18:08 編集
今日は、いい親子の話。
山道具屋に寄ったら、ザックを買いにきた父子発見。
昔から山を楽しんでいる風のスレンダーなお父さん(38歳)が、11歳の息子を山に連れて行くのに装備を調達しにきたという感じ。
50リッターのザックをかついで、フィットさせてもらっているきゃしゃな少年に勝手に目を細めて、思い余って目頭まで熱くして、まぶしく見えてしまった。勝手ついでに、「うるわしの親子賞」を贈呈しようか(笑)。
父と息子(娘でもいいけど)が、オートでないキャンプに挑む、というのは見上げた根性だ。
ただ、店員さんが「テントを持って縦走することになりますと、60リッター、70リッターは必要で・・・」「お子さんの装備でも50リッターはないと・・・・」とアドバイスしているのは、んー・・・良心的な営業だとは思うが、つい口をはさみたくなる「通りすがりの町人」になりかけたぞワシは。
というのも、穂高連峰を5日間、テントをかついで単独縦走するのに買ったマイ・ザックが、50リッターなのだ。
するってぇと、ワシの装備はお子様仕様というわけか?
これで大人一人、充分に用は足せるんですがねぇ。
ザック・コーナーの店員さんは、気を利かしてか、「冬山となると、70リッター80リッター・・・」とエスカレートして、「我が社のオリジナルで100リッターのモデルもございます」と売り込んでいた。自分が丸ごと入りそうな巨大なザックに、11歳少年は「すっげー!!」とコーフンしている。
あのねー店員さん、この親子をヒマラヤにでも行かすつもりかいっ!?(笑)
そりゃ店としては、高いやつを買ってくれるとありがたい上に、チープな装備が原因で遭難されても困るだろうけど・・・それにしても、オーバースペックやなーと思う。
ゴアテックス雨具を着てないと、雨に降られたらすぐ凍死する!!ってわけでもなかろうし、ザックが小さければムダなものを置いてけばいいだけだし、まぁたりないところは我が身の適応能力でカバーすればいいだろうに?
そんなドタバタ失敗も、父子でわかちあえば楽しさ100倍。
こんな親子に苦笑している僕だって、オーバースペックなオーディオセットを父と競うように組んでいたクチだから、あれやこれやと「武装」を打ち合わせしながら未知の世界へ挑む父子の姿は、とてもほほえましい。
三浦雄一郎・豪太親子みたいに、ほんとにエベレストまで登ってしまうと、もうアッパレである。
あとは、二人とも生きて帰ってほしいと願うばかり。
星になった息子よ〜〜〜〜!!
では悲劇だからね。妻は黙ってないよ(笑)。
子は親の鏡、親は子の鑑
at 2006 07/26 14:55 編集
セミ採りではしゃぐ子供の声で目が覚めた。
ほほえましくていい。これが、夏の風情というもんだと思う。
でも、慣れというのはこわい。
ホテルや居酒屋に小学生がうろついていても、驚かなくなった。小さな王子様、お姫様は、終電近くの電車にも乗っていて、さすがにウトウトしているか、携帯ゲームをやってたりする。
きのうも、夜10時すぎのスタバに「お子様連れファミリーご一行様」が突入してきやがった。
そりゃまぁ、夏休みで気持ちがうわついているのもわかる。
「夏休みだからこそ、子供にいろんな世界を見せてやりたい」ってわけか?
わかるんだが、なんだか親のタガがはずれているような気がするぞ。こんな夜の雑踏の子供は、だれも預かってくれないから親が自分の出入りする店に連れ回しているだけのことかもしれない。
でも、社会勉強とエクスキューズすれば、子連れでどこに行こうと私たちの自由です、というものではないわい、幼稚な親たちよ!
世の中には、子供や、草履履きや襟のない服の大人が立ち入れない(少なくとも、憚られる)場所がある、ということを学ぶのも社会勉強だし、大晦日や縁日を除いて、子供が出歩いていてはいけない時間帯というのもあったはずだわな。
ネオン街に、無邪気に露出度の高いスーパー小学生みたいな小娘がはしゃいでいると、いかがわしい匂いさえするわい。
こんな子供にヒヤヒヤするぐらいなら、「夏期講習でしごかれている小中学生」を哀れむ方が、皮一枚気持ちが鎮まる感じさえするから、それはそれでこわい。
少子化社会なのに、子供を持て余してしまって、大人の文化、大人の社交を深められないのは、気の毒な感じさえするぞ。大人と子供の間には、溝があっていいのに。
で、溝を越えたらあんなに甘美で官能的でおいしい世界(笑)がある!早く大人になりたい!と思ってがんばるのが、まともな子供の発達ではないのだろうか。
ボーダーレス化がどうの、アメリカンスタンダードがどうのと警戒されているけれども、むしろ日本の中で、ビジネスマンみたいな小学生(笑)や小学生頭の大人が増えて、幼稚にフラット化する方が、僕はこわい。
大人の世界はボーダーレス化、子供の世界もボーダーレス化すればいいのだ。
夏休みの子供は、昆虫採集に行って刺されるとか、イカダ遊びして溺れるとか、洞窟に入って出てこないとか、そんなのが正しい姿だと思う。
やい親たち、かわいい子には旅をさせてやれぃ!
デッドストック再生計画
at 2006 07/25 16:51 編集
就職して間もなく買ったから、もう15年以上は使っている腕時計を修理に出してきた。
昔はやった「デジアナ」というタイプのくせに、クラシックな文字盤や真鍮のフリンジが、カジュアル、フォーマルどんな服にも合うので、重宝しながら愛用してきた。真鍮なんか、いい風合いを帯びている。
故障らしい故障はしたことがなく、時計としては問題なく働いているのだが、ボタンの反応がにぶくなったのと、微妙に短針がずれてしまったので、オーバーホールに出したのだ。
区内に支社があったので持参すると、まぁ人けのない事務所で、つい統廃合されないことを祈りたくなるような静かなオフィスであった。
しばらくして、修理進行状況を電話で知らせてくれて、「保守部品がないので調整しかできません」というので、まぁしかたないなーと了解して、いよいよ「修理完了」の電話をもらったので引き取ってきた。
あいかわらず、人けのない静かすぎるオフィスであった(笑)。
前もって聞いていた通りなので、窓口嬢(歴30年?)と、「もう、部品交換はできないわけですねぇ」と苦笑しあいながら、一応は元通りキビキビ反応するようになった腕時計くん退院、となった。
なんと、無料であった。電池を交換してくれているし、清掃その他の技術料というのがかかっているはずなのに。
これは、「無料にしてあげるから、もう修理に出してくれるな」というメッセージなのか、「長年ご愛用ありがとう特典」なのかはわからんが、いいように受けとめておこうか?
でも、製品も高性能だし、サービスも良心的すぎるからこそ、カシオの時計だけでも3つも所有してしまっているわけで、気づかないうちに絶大な信頼を寄せているわけだ。
そんな風に、生産とサポートの両面から、メーカーは評価されるべきだと思う(わかっとるか*イクロソフト!!)。
カメラでも、ペンタックスの機械式一眼レフLXなんかオーバーホールに出すと、数万円単位のおそろしい料金を請求される(門前払されないよりましだが、一歩手前かもしれない)。
体の一部になったようになじんでいる機械は、長持ちさせるのにけっこうな維持費がかかるのはつらい。買い替えて行く方が安上がりなのも、腹立たしい限りだ。
では、ものづくりの雄ソニーはどうなのか。
いまだにカセットウォークマンや8ミリハンディカム(Hi-8でもDVでもない)を製造しているソニーは、近ごろ迷走状態なのが心配ではあるけれど、押し入れの肥やしになっている80年代のワープロ専用機(PRODUCE)でも修理に出してみようか。
サジを投げられてもしかたないが、ひょっとして治ったりすると、「じゃ、スカイセンサーもお願い」とエスカレートすること確実である。
日本の夏、緊張の夏、うな丼の夏
at 2006 07/24 14:43 編集
土用の丑の日にちなんで、ウナ丼をワサワサといただいてきた。
六曜なんか毛嫌いしているほどなのに、江戸時代のコピーライター平賀源内さんが発案した(らしい)土用のウナギには、ばか正直にウハウハとびついてしまう。一応うまかった。
でもこのウナ丼、新年度が始まって体がついて行かず疲れ気味のころに、スタミナ補給のために毎年「ウハウハ」しているから、もう特に夏の風物詩でもなくなってきた感じ。
それに、ウナギより好きなアナゴの寿司や丼は、年がら年中いただいて「まいうっ!!」を心の中で叫んでいるせいか、ウナギの脂っこさが、ちょっと鼻についた。関東風と関西風の焼き方があるらしいから、もしかすると「堅焼き」バージョンもあるのかもしれない。捜索してみなくては!
「ウナ丼帰り」のショップ99には、南米産の温州みかんが並んでいて、これも好物だからうれしいのだが、どうだかねぇ・・・と首を2°かしげながら買わずに出てきた。季節感が鈍っとる!けしからん!とブツブツいながら、でも今晩あたり買ってパクついているだろうけど。
丼物は、汁かけ飯を進化させた日本人の大発明だと思うのだが、季節感がないといえばない。海鮮丼の類でも、天丼でもオールシーズン対応してくれているし。
旬が旬でなくなったのは、豊かさのおかげか、現代人が季節かまわず欲深くなっているせいなのか、ちょっとありがた寂しい。
「夏の夜空の場外ホームラン」級の大発明は、ウナ丼より、平凡だが、かき氷かもしれない。練乳に宇治抹茶にアズキの三位一体なんて、どんなオソロシい天才が発明したのだろうと感心するばかりだ。
そして、巌窟王の僕でもつい吸い寄せられてしまう、あの波しぶきに「氷」の、のれん!考え出したのは、たぶん下町の看板屋さんの無名な塗り師だったりするのだろうけど、世界一のグラフィック・デザイナーだと思う。
とまぁ、こうしてポチポチと日記を打っている「のれんの喫茶店」は、いいもんだ。
どうだスターバックス、こんな風情を出せるかね!
と、ケンカを売ってもしかたないのだが。
早くも、安倍内閣の組閣案
at 2006 07/23 20:58 編集
福田さんが辞退して、次期総理は安倍さんにほぼ決まりかけている。そこへ、文春新書から、保守派日本人の琴線に触れるような著書が出るのも、グッド・タイミングすぎる。こりゃ「文春ぐるみ」の総裁後継作戦ではないか。
年齢の順から行くと、次の「お鉢」は福田さん。
これは別に年功序列がいいというわけではなく、今回を逃すと福田さんのチャンスは永遠になくなり、つまり福田さんの政治手腕や人望を永遠に活かせなくなるから、もったいない。
順にチャンスが回ってくる年功序列は、悪いことばかりではない「機会分配システム」だと思うのだ。次に回ってくるとわかっていながら、そのチャンスを活かせなかったら、即退場してもらえばいいだけ。
個人的にはサイクリスト谷垣さんを推したい気もするが、福田さんが降りた椅子に、「ワタクシがやります」と名乗り出る道もあった。ただ、北朝鮮と日本の合併なんか唱えたら、テポドンは抑えられるがパトリオットを撃ち込まれそうだから、命が惜しい僕は遠慮しているだけ。
こんな慎み深さは、僕だけでなく福田さんの人徳でもあり、政治家としては短所なのだろうと思う。
しかし、「麻垣康三郎」のどれが総理にふさわしいかという議論に、公明党も民主党も巻き込まれてしまって、不甲斐ない限りだ。民主党もは、こんなチキン・レースにこそ、「ひょっとする」かもしれない河村たかしを刺客として送りんでほしい。
「そりゃーイヤとはいわんでよぉ、ウヒヒヒヒ・・・総理やってけろっちゅうなら、やらん理屈もありゃーせんだがも」と、満面の笑みの河村たかし首相は、案外いけるかもしれないぞ。
とはいえ、民主党もというツギハギ団体も政権政党としてはあんまり信頼できないし、小泉さんなど自民党総裁らしからぬ一匹狼だし、政党政治はもう実質的に終わっているのかもしれない。
総理が取り巻きの親衛隊を組織して、出身政党も万年野党も、オール野党体制で首相と拮抗して行くという構図になっても、緊張感があっていいと思う。
安倍総理には、たぶんおばさんサポーターがベトベトくっつくだろうから、このアマゾネス軍団は前代未聞のおそろしい力を発揮するだろう。あの、南野法務大臣以上のトンデモ大臣が登場してもおかしくない。
辻元清美の追及には、返し技でポストを与え、防衛庁長官とか(あぁ、自衛隊は自爆隊になる!!)・・・同じ党の阿部知子議員には、(元女医のキャリアを活かして)厚生労働大臣とか・・・。
福島瑞穂党首には最高裁長官をやってもらうと、死刑はなくなり殺人犯は野放しになるかもしれない。
なんだか社民党びいきの組閣案になってしまったが、何をしでかすかわからない怖さが、あの素人政党のキュートな魅力だ。
安倍さんの腹案なんか、この際どうでもよろしい(それじゃー総理じゃないって)。
夏休みシフトワイヤー
at 2006 07/22 17:35 編集
愛車のシフトワイヤーが、無残に錆びて暴発(!?)して皮膜を突き破り、機能しなくなってしまった。長雨で濡れているうちは目立たなかったが、晴れて乾くと見るも無残。
なにより、シフトできないのが致命傷で、トップから2速目でギアチェンジしなくなったから、坂道が重くてたまらん。
まるで、桜木健一が高松英郎に命じられて鉄下駄を履き、砂浜を走る柔道一直線のトレーニングだ(古い!)。
メンテナンスの本やツールはちゃんとそろえているくせに、肝心の部品がないので、頼りになる地元の老舗ヤマダサイクルに持ち込んだ(乗り込んだ、かな?)。
職人肌のおやっさんが「ははーん、ここをこう通って、こっち行っとるんやね。わかりました、30分ほど預かりま。その間にやっときましょ。1600円いただきます」と、明快に診断と会計を示してくれた。
時間をつぶして30分後に戻ると、きれいにワイヤーと皮膜が交換されて、愛車バーディー君が店内で静かに息抜きしていた。
ブレーキワイヤーが神経だとすると、シフトワイヤーはリンパ腺みたいなものだから、リンパ・マッサージでも受けて「あぁ、さっぱりした」といいたげな顔(?)の愛車を引き取って、走ってみる。カチン、ストンと絶妙の感触で軽くシフトできる。
あぁ、やっぱり専門家に手を入れてもらうと、安心できるわい。
すっかり雨が上がって、「夏休みモードのにぎわいでカフェ満席」の都心を逃れ、シャーッと海沿いを走って、ハーバーランドへ。
夏休み初日の週末だというのに、この斜陽ぶりはどうよ!(笑)
こうして、静かなUCCカフェプラザで日記をポチポチ打ちながら午後茶できるのも、客足が遠のいたおかげなのだが(ありがたがっててはいかんのかな?)。
外の並木道に面したカウンターに、僕に並んで夏の少女(という感じ)二人連れが座って、「あーよく歩いた〜」と笑っている。なごやかな時間と場所だ。
三宮には、震災でつぶれた神戸新聞の本社ビルが、11年たってやっと再建された。
去年は、やはり倒壊したNHKが元のトアロードに再建されて戻って行った。
こうして新聞社の仮社屋、NHKの仮局舎が引き払って行くと、ハーバーランドの「磁力」は弱くなって行く一方ではないのだろうか。海が目の前で、うまい店も多くて、風が吹いていて、ビレッジバンガードもソフマップもあって(マニアック!!)、夏は最高に気持ちいい副都心なのに。
いやはやホントに人気がない。
僕は快適だが、これでサティみたいな大型店でもドーンと店開きしやがると、ますます周辺は廃墟になりかねない。
街のにぎわいが伴わない景気回復というのも、なんだかウソくさいぞ竹中さん!
打ちます!打ちます!
at 2006 07/21 21:39 編集
欽ちゃん球団は、どうなるのだろう。
「やめないで」コールが殺到しているようだが。
こんなときこそ、「極楽とんぼ山本ひとりが悪い!」とトカゲのしっぽ切りをすればいいのに、と僕は思う。
とはいえ、欽ちゃんの憔悴ぶりは大きい。純粋に野球を楽しんできた喜劇王なのだろうな、と思う。
同情もする。
でも、あえて逆説的にいえば、密室で決めた欽ちゃんの独断であっけなくつぶれてしまうようなワンマン球団は、これからも何かあるたびに「今度こそ、やめちゃおっかな」となる可能性があるわけで、そのたびに振り回されるスタッフや選手、サポーターは、たまったものではない。
たとえば部員の暴力や飲酒で出場謹慎する高校野球部というのはよくあるが、いきなり「廃部する」と決めてしまう監督がいたら、それは正しい責任の取り方ではなくて、思考停止しているということではないのだろうか。
責任を取るなら、再発防止のためにこんな組織に変えました、と行動で示して、軌道に乗れば身を引くのが大人のやり方ですぜ、欽ちゃん!
そういえば、昔たしか「欽ちゃんヌードル」というラーメンもあったはずだが、これもあっけなく消えてしまったっけ。
ま、これは欽ちゃん本人の責任ではないだろうけど。
あまり地位にしがみつく人ではないと思うから、「球団まるごと御破算」は避けて、適任者に引導を渡すことも考えられる。
そう、欽ちゃんの名パートナーがいたじゃないですか〜。
コメディ野球は、脳梗塞のリハビリにもいいと思うし、いかがでしょーか、二郎さん!
大雨見舞い
at 2006 07/20 21:43 編集
日本人が慣れているはずの、ただの「梅雨の大雨」なのに、こんなにもろい本州だったとは・・・。2けたにのぼる土砂の犠牲者のご冥福を祈りたい。
信州や山陰が、滝のような雨と濁流に呑まれているころ、出勤した大阪は、薄日もさすほどの平穏な陽気だった。
もっとも、朝のラッシュアワーのダイヤは乱れていて、おまけに乗客の急病対応とかで二重に混乱していた。いつもは快速電車で、ときどき座席が空くほどのゆったり通勤なのに、新快速に乗り換えてみると、何年ぶりだろなーと思うような押しあいへしあいだった。ま、これが普通の猛烈サラリーマン通勤なのだが。
出勤した職場からは、今まさに土石流で犠牲者が続出している諏訪湖のほとりに、救急隊員として巣立って行ったセイン君(コードネーム)がいるから、テレビで映ってないかと思って見ていたが、そりゃすぐ見つかるはずもない。
この春だったか、僕が「八ヶ岳には毎年登ってるよ」とメールすると「遭難して手をわずらわせないように」と返事をくれたセイン君は、1年目にして大自然の猛威で洗礼を受けたわけで、それはそれでよかったと思う。「変なキノコを食べてのたうちまわるハイカー(デビッドと自称する、どこから見てもアジア人)」なんてバカヤロに救命処置するような経験は、むなしいだけだろうから。
今回のような災害報道で、いかに人里が山津波や洪水、高波・高潮etcetcに弱いかを見せつけられながら、僕はふと「山小屋って、強いよなぁ」と気づく。
断崖絶壁の上、やせた稜線の上に建っている小屋は、苛酷な立地、苛酷な気候に耐えて崩壊寸前のあばら屋のように見えるのに、不思議と大雨で流された、台風で吹き飛ばされた、という話は聞かない。意外にも丈夫にできているものだ。まれに、黒部の峡谷で流されたような小屋の話は語り草で残っているとはいえ。
八ヶ岳の小屋たちは、まぁ雨漏りの修繕ぐらいはこまめにやっているだろうけど、傷だらけになりながらもたくましく踏んばっていることだろう。
雨だ猛暑だ寒波だとブーブーいわずに、たくましく四季をやりくりできる「小屋人間」に、なりたいものだ・・・と、しみじみ思う。
みられまくっちゃ問題
at 2006 07/19 23:06 編集
おちゃめではないか、シャープの携帯。
「みられまくっちゃ」「かぜがなおりかけた」と入力するだけで自爆するというんだから。
今どきの端末は似たりよったりなのが多いから、こういうところでおちゃめを見せてくれるのは、ホノボノしてていい。修正プログラムの配布なんてヤボなことはせずに、もっと人騒がせな文字列が発見されるのを待つのが。大企業のゆとりっちゅうものだ。
それに、どうせなら「対話型の不具合」が発生してくれたら、愛着もわくと思うのだが・・・
たとえば、「かぜがなおりかけた」と打つと、「よかったねー!!」と出るとか(笑)。
メル友より通話相手より、なにより本体にジャラジャラごてごてお化粧してかわいがっているほど携帯そのものの好きなユーザーが多いようだから、対話できるバグというのは、いい慰みになると思うのだ。
かえって、修理してしまうと「最近すっかり愛想が悪くなって、キライだ」なんてことも、あったりすることうけあい。
そういえば、ふだん僕の愛用する端末も、テリオスにしろザウルスにしろシャープ製なのに、バグらしいバグはない。
ただ、テリオスで「○か×を書きなさい」といテクストを入力したり保存したり上書きしたりしていると、「○か ラ を書きなさい」と化けることがよくある。
これなんか、あんまり意味のないただの不具合だから、おもしろくもなんともない。ただ文字コードの設定ミスだろ?でかたづけられそうだし。
「まるかばつかでこたえなさい」と入力すると、「人生そんなに簡単に割り切れるものじゃーございませんぜ」とたしなめてくれたりすると、たぶん愛着がわくような、キレて投げ捨てたくなるような・・・
ビバ内視鏡
at 2006 07/18 21:03 編集
つい「世界の」と冠してしまう王監督の胃ガン手術が無事成功。よかった、よかった。
すでに歴史に残る名監督だし、人間としても世界の野球人から尊敬されているけれど。手術に臨む王さんのギョロリとした眼光は、鋭く冷徹で、それでいて笑みさえ浮かべ、神々しく、勇猛で、僕はあんなに美しい男の顔を見たことがない。
伝説になってしまった長嶋の人気に比べると、王さんは現役だから、存在感が違う。
内視鏡で胃の全摘なんて、できるんですねーと、あちこちで驚きのコメントも出ていたが、ほんと手品のような現代医療だなーと僕は素朴に感心した。
まぁ、監督のお兄さんが慶応ドクターだったらしいから、万全の態勢だったのだろうし、初期の胃ガンだったそうだから、大騒ぎするほどのこともなかったのかもしれない。
今週中にベンチに復帰してくれると、それこそ涙、涙の大騒ぎだろうけど(もしかすると・・・王メイク・ドラマ!?)、手術の翌日にはもう歩いているようだから、体にダメージの少ない内視鏡手術さまさまというところだろう。
これから、「内視鏡でたのむ」という患者も増えるにちがいないね。
内視鏡の名手といえば、バージニア大学病院脳外科の福島医師は鍵穴手術の世界的権威らしいし、この勢いで「小穴」テクニックがどんどん進めば、そのうち「内視鏡で帝王切開」とか、「あなたでもできる、耳カキでかき出す膀胱結石」なんてのも開発されるかもしれない。
「妻のひざ枕で耳掃除」という男の悦楽も進化して、「おい、結石もたのむ」「あいよ!」てな愛の場面も、実現するかもしれない(いてててて・・・)。
ただ、なんでもかんでも小さな穴ですませるわけにはいかないだろうけど、ワラにもすがる患者は、「大きく切らなきゃ無理」と診断されるだけで絶望してしまうことも、あるかもしれない。
そこで、僕が「あれも患部にピンポイントで切り込む術式だったなぁ・・・」と思い出したのが、トンデモ系の心霊手術だ。
今のようなご時世だと、
「内視鏡に見捨てられたあなたへ!ミンダナオ島の祈祷師があなたのガンを無痛で取り出す、奇跡のマジックハンド!!」
てな民間療法(いや、それ以下の手品だな)が、「王監督効果」のおかげで、またぞろ浮かび上がってくるかもしれないぞ。
危い、危い・・・
くれぐれも、理性を失った手術難民が増えてほしくないし、トンデモ医療も困るわな、好き好きだとはいえ。
せいぜい、「内視鏡メイド医院」ぐらいにしといてほしい(いかかんか?)。
読み書き語り合い闘い泣き笑い
at 2006 07/17 20:09 編集
隔月ペースの読書会に出席。
母体は研究団体、そのまた母体は病院だったのが、どの「母子関係」も断ち切れかけていて、さてこれからどうしましょう、財源は?目標は?管理運営は?・・・と、難問の大波小波をかぶって、おじさん3人でアップアップしてしまった。
営利事業ではないので、金銭欲がからまないだけ深刻な亀裂は生じないのだが、いろいろなタイプの市民運動に共通する(であろう)「経営管理のまずさ」が、マンネリ化、タコツボ化、事なかれ主義を防げなかったのかもしれない。
毎回、当番制で課題図書を選んでレジュメを用意し、要約説明した上でコメントを加え、議論をファシリテートする。
これだけのシンプルでささやかな活動だが、発表者のレジュメの3倍もの異議申し立て書を配布してしまった僕は、もしかすると破壊的なテポドンを撃ってしまったのか???
というのも、ふだん冷静な事務長さんから、「それなら、運営やってくれ」と会員のアドレス一覧がいきなり届いてしまい、まるで引導を渡されてしまった感じ。
そもそも、僕自身は、読書を集団でするという形の活動は、あまりなじみがなかった。
似たスタイルとしては、大学の語学の授業で「順に和訳してみなさい」という進行のしかたは、かったるくて苦痛だったし、文を読むという行為は、限りなくマイペースでいいと今でも思っている。
とはいえ、頭に入れなくてはいけないような、しかしなかなかマイペースでは頭に入らないようなテクストは、外から一定のペースでたたきこんでもらった方が入りやすい。
代表的なのは聖典で、たまにバイブルアワーなんかのラジオ番組を聞いてしまうと、妙にすんなり頭に入る。単に聖書を与えて「読みなさい」ではなく、牧師や教戒師、伝道師などが肉声でていねいに語りかけたり、朗々と読み上げたりする形が、布教の重要な一部分を占めているのは、なかなかうまい作戦だと思う(参考にしてほしいよなー仏教会)。
だから、読書は目でするだけでなく、語りや会話を交えた方がよく理解できる。これも、読書会の利点だといえなくもない。
たしかに、立体的な読書ができる、話題が縦横無尽に飛び火して新しい分野にリンクする・・・このおもしろさで、満13年間、震災をはさんでも絶えずに続いて来たのが読書会だった。
現代人は読書をしなくなった、と何げなく嘆きモードで語られる場面が多くて、たしかに大学生でも勤労者でも、本を買って読む人も、量も、想像以上に減っているのかもしれない。
読書会を仕切ってこられた事務長さんは、「本の置き場に借りたアパートが、重量制限2トンしかないので床がへこんできて、しかたなくトランクルームを借りた」と話しておられるような読書家だから、ちょっと例外的な愛読家なのだが、「読書って、なに?」という日本人の方がはるかに多いのは確実だ。
まぁたしかに、新聞・雑誌を読んでも、テレビ・ラジオを見聞きしても広い世界のことは相当わかるから、かったるい読書なんかしなくても・・・という空気が、出版不況の元凶になっているのは否めない。
けれど、ブログの流行は、まぎれもなく書く人・読む人が急増している兆候でもある(厳密にいえば、書くのではなく打っているのだが)。
携帯やPCで読み書きする人が増えることと、紙のメディアとの関係はどうなって行くのか、とりあえず楽観的に考えながら、読書会も方向転換して行ければと思う。
「ブログと併走する読書会」という実験的な企画も任された(さじを投げられた?)のは、いい機会である。
ブログのアカウントも、構成も、新・読書会の名称も、白紙状態。
いま僕の前に、大きなリトマス試験紙が突きつけられている。
サービスも百倍!窓口嬢スマイルも百倍!
at 2006 07/16 23:30 編集
ゼロ金利ついに廃止!
というので、普通預金の利息が100倍にもなるぞーっ!!と騒いでみても、これでもまだ異常な水準だ。「客をバカにしているような利息」が、「客をなめているような利息」に変わるだけ。
おまけに、銀行に土下座して借り入れで運転資金をまかなっている中小の自営業者にとっては死活問題だ。
借り主といえば、もちろんマイホームローンを背負っている善良なサラリーマンも、金利がこの先どれぐらい上がるのか、見通しに不安が募るだろう。元金が巨額なだけに、金利が数%上昇しても、月々のタバコ代を1箱減らすぐらいの小細工では吸収できないほど家計に響くことになる。
おまけに、リストラだ減給だ大病だと「予定が狂う」人生の危機は大いにありありで、いや、「人生それで普通」だと気づけば、25年も30年も借金漬けになる生活を、よくまぁ契約するわなぁ・・・と僕なんかは感心するやら、信じられないやら。まぁ、マイホームパパの勇気はすごいと思うが(笑)。
だから、いざ予定が狂って、女房子供のために背水の陣で組んだローンが家計を崩壊させるようなことになれば、がっくり奈落のそこに突き落とされてしまう気の毒な旦那たちも多い。
儲けすぎている銀行の、もらいすぎている行員に怨念のテレパシーを送り続けると、ちょっとは気晴らしになるか、それとも奇跡でも起こるか・・・
それにしても、ふざけた「金利100倍」だわな。あこぎな邦銀など、かたっぱしから外資に食われてしまえ!と祈りたくもなるわい。
血と汗と涙の夏
at 2006 07/15 16:49 編集
いやはや、猛暑いきなりやなーと思っていたら、浜松で38℃だとか。体温より高い。
うちわでパタパタやると熱風が来るから、これはやりきれない。
道路工事や畑仕事に熱中しすぎて熱中症で命を落としてしまった方々には、ご冥福を祈るばかりだ。
しかし・・・梅雨が明けていないうちに、連日連夜の熱帯夜というのは許せませんな。風呂に入って寝て起きたら汗だく・・・って、不条理ではないか。
などとボヤきつつ、日本人の体の四季は、夏に汗をかくようにできているのだ!と納得するしかない。あと2日出勤したら夏休みだから、ラジオ体操に朝顔日記に海水浴に、たんまり汗を用意しとかなくてはいけない(デトックスできるかな?)
気がつかんうちに、すでに海開きと山開き、プール開き、ビアガーデン開き(これは春か?)が出そろって、なんだかあちこちで開きまくっている。
で、最近の学校のプール授業ではやっているのが、「着衣水泳」だそうな。
えらい!
と僕は素朴に感心した。
水の事故に備えた、こうい安全対策こそ、学校で全員に教えておけばいい(もちろん、泳げない子は泳ぐ基本を身につけてから)。すぐ役に立って命が助かる、ありがたい授業だと思う。
こういう発想に立つなら、たとえば「バイクに乗るな」ではなく、バイクの乗り方を教えてこその学校だろう。
パリダカを完走したら体育の単位を全部認めてあげるとか、気の利いた計らいを見せてくれてもいい。「サハラに死す高校生」というのも、ロマンチックな伝説になるぞ。
いや、最近はバイク事故予防なんかより、性感染症予防と避妊の方が緊急度は高いのかもしれない。ついでに、オプションで「ロリコン先生撃退法」とか、隠しカメラ探知法とか(顧問は物理教諭で)。個人的には、悪質商法やネットトラブルに免疫をつける消費者教育も大事だと思うし。
こんな風にあれやこれやとティーンズに要求するのも酷かもしれないが、どれもこれもおもしろくて夢中になる授業がギッシリ・・・になると、とりあえず不登校も中退もなくなるはずだ。
「防犯エキスパート高校生」は地域社会で大歓迎されるし、「レスキュー名人高校生」は、いろいろアルバイトもできるだろう。
ただ、中退しないが受験勉強もそっちのけ、やたら警備会社に就職集中(笑)となるのもどうかと思うけれど、まぁそういうコースはあってもいい。
何人かの高専OBに文系科目を教えたことがあって、全員がとても優秀でまじめだったから、この5年教育課程というのは、もっと評価され普及してもいいと思う。工業科だけでなく、「商専」「農専」「英専」「災専」なんてのも、あればいい。最近のはやりだと、「鉄専」「熟専」とか(笑)。
マニアックでもオタッキーでも、その道を極めればプロになれると思うので、夏休みは修行期間(今ふうにいえばインターンか)という位置づけにすればいい。
萌えるぐらいでお茶を濁している場合じゃないのだ。
「突き抜ける」勢いでなければ!
露店書
at 2006 07/14 22:08 編集
「露天」だったのが場所を追われて、ついに「車道」に場所を移してしまった古本屋さんは、利用するのも違法営業をあおることになるのかもしれないが、とりあえずひいきにしている。
露天商ならぬ「露店書」かな。
最近は、近づくと「アスキー入ってないわ!ごめんな〜」と、こちらの目当てを見透かされるようになってしまった。この前なんか、近づくと黙って『週刊アスキー』がニュッと出てきた(笑)。
なかなか心ニクい商人根性だ。
あいにく100円玉がなくて大きい札しかないときは、「そこのパチンコ屋の奥に両替機があるさかい、くずしてきてんかー」と、情報提供までしてくれる。
このゲリラ的な商いは、群がる常連客もすでにわきまえているから、初心者(?)がうろたえていると、「両替はあそこや」「ヤンマガあした発売るやから今日まだないよ」と、匿名客から匿名客へ、和気あいあいと指図が飛んでいる。
いいなぁ、このスピード感、カジュアル感。
中古生活は、ビンボーライフにささやかな幸せ感をもたらしてくれる、ありがたい味方だ。
おとといだったか、「初デジカメを買いたいんですけど・・・」とスキー仲間W田君からメールが来たので、僕は自信満々で中古お買い得品情報を送った。すると、「ボク中古がだめな性格なんです」と、妙な潔癖症をカミングアウトしてきた。
それはそれで好みの問題だからいいとして、新品好みからすると、「露店書」なんかは、たとえ800円で発売中の雑誌が100円になっていたとしても、言語道断な廃棄物なのかもしれない。
僕は当然のように古本→新古書→新刊の順に買い物するし、賃貸アパートは「沈滞」しそうな年季の入った格安物件を優先サーチするし、PC関連の端末も全部中古だ。
まぁ、たしかにページがペリペリと切れる新刊ほやほや感もいいものだし、新品には新品なりのメリットもあるだろうが、もうここ何年も、「露店書」のおかげでコンスタントに月数千円は浮いていることを思えば、やめられない。
浮いた数千円で本だってCDだって買える。これまた中古だったりするから、セコハンの複利みたいな世界だ。
ヤフオクも含めて、中古市場という裏経済規模は、無視できない規模になると思う。
ゆくゆくは、中古人間の市場なんてのも、堂々と登場してくるかもしれないが、すでにあっても不思議ではない。定年後就職あっせんや再婚、老齢婚の仲介業なんてのも。
基本的に、僕は中古パワー万歳、死ぬまでリサイクル&リユース大賛成ではあるけれど・・・。
文通月間?
at 2006 07/13 19:04 編集
ウィンドウズ98とMeのサポートが終了。
しかし、全国の学校で3割の端末が使用中・・・どうなるんでしょうか!!
と、おどろおどろしくニュースが伝えていたが、さて一般家庭ではどうなんだろう。
スローライフPCユーザーにも、どうか慈悲の目を〜
と祈るワタクシは、もちろんサポートから見放されたユーザーである。どうりで、このシンクパッドは安かったわけだ(遅いって)。
XPさえ、「数年後には打ち切るよ」と脅しをかけるMクロソフト社は、売り上げが鈍る覚悟もしているんだろうか(もう、天下を取った帝王の気分か?)。
でも、スローなだけでなく、あまり依存しないようにあえて宝を持ち腐れているユーザーとしては、たとえメインマシンが壊れても、すぐカプセル怪獣ウインダムのようなサブ端末で事が足りる。DVD編集とかプレゼンファイル作成のような複雑な仕事はないから、ザウルスで充分だったりするのだ。
サブ端末どころか、普通にメールもやりとりしていた、別に遠方在住でもない令嬢と、このところ紙メールに移行しつつある。文月だからというわけでもないが、悪くない風情だ。
文具マニアの僕は、仕事には弾頭のようにヘビーなロットリングのマルチペンをがしがし使い、私用にはファーバーカステルの梨の木のペンに持ち替えて・・・と気分転換を楽しんでいる。
韓国には梨花女子大という詩的な名前の名門大学があるらしいが、梨の花のような存在感を感じる相手に、梨の木の手触りを感じながら文を書くという時間は、失われてしまったような、何か大切な経験だったような気もする。
そして、ほどよい存在感がある数葉の便箋が、思い出したようなペースで届く。
不思議と色恋沙汰には結びつかない(と実感する)サラサラした間柄(のはず)だから、「紙にインク」の手仕事でも尾を引かない(はずだ)し、重荷でもない。
こんなふうに「萌え」させてくれる相手との手紙のやりとりより、毎日何十通ものメール処理をすることに喜びを覚えるようになると、アップデートやバージョンアップetcetcetcの雑務の奴隷になるのじゃろう。
が、
アドレスはいらない、住所を教えてほしい。
なーんてキザなことを言える立場に、出世したいものである。
「電話番号を知らせてくれないおぬしとは待ち合わせしない」を貫くだけでも、いいかげんソッポ向かれているのに。
「テレビ体操」萌え
at 2006 07/12 20:40 編集
19歳の少年少女たちの前で、あるタレントの話をしていたら、「あの子、AV女優だったんでしょ」と男子の突っ込みが入り、女子がどよめいた。
でも、聞いてみると何のことはない、ただのお色気映画に出ていただけの経歴が、純朴な男子の頭の中では「AV出演」ということになっているらしい。
おまけに、「AVというのはね、飯島愛が芸能界へのステップにしたような・・・」と話しかけると、「えっ、知らなかった!!」と、もう飯島愛の過去を知らない男子女子が普通にいることもわかった。
そりゃ無理もないわな。飯島愛が「現役」のころといえばもう15年ほど前になる(と思う)から。
そんな話は、ただ「世代の違い」で説明できそうな蔵出しネタにすぎないのだが、他愛もない雑談をしながら、少年少女の「成人メディア・リテラシー」が、どことなく平板化しているような感じもした。
まず、イレブンPMやギルガメッシュナイトのような成人映像が、テレビ番組から消えている。
おまけに、ピンク映画というのがあることさえ知らない世代が、普通にいる。いや、にっかつロマンポルノというのは僕も実際に知らないまま「過ぎてしまった」ぐらいだから、映画館で成人映画を見るという習慣は、いま50歳前後のおとっつぁんの心のふるさと(笑)なのかもしれない。
そんな成人映像のように、人目を忍んだり、「お色気」に萌えたりするレベルを越えて、いきなりパソコンでネット動画につながる時代だ(ナローバンドのわしは知らんぞ!!)。
ええんかね。アクセスに苦労しないと、楽しくないものだろうに。
「キミたち、安易に欲情するピンク・メディアなんぞさっさと卒業して、NHKの囲碁・将棋講座の女流解説名人にときめいてみることよ!」
と、マニアックな道におびき出すのもどうかと思うが、こういう萌えかたなら、彼氏と彼女が一緒に楽しめてよろしいのかもしれない。
ここはひとつ示談で
at 2006 07/11 22:54 編集
ジダンの頭突きの理由は、はたして何だったのだ!?!?
と、日に日に謎が拡大している。
ここまで疑惑が濃い闇になり憶測が乱れ飛ぶようになってしまうと、ジダンを怒らせたイタリア野郎も、正直に言うに言えない立場に、追いつめられていることだろう。本当は、あっけなく「おい、頭突きしてみろ」と言っただけかもしれないのに、よほどひどい差別発言をしたかのような容疑が一人歩きしている。
それに、もし差別発言なら、そのまま報道されることはないだろう。だって、「ジダンのような立場」に対する差別発言は、その中でもエリートクラスのジダンだからこそ頭突きですんでも、「ジダンのような立場」の人々の中には、飛び道具を使う突破者もいるかもしれない。
・・・あ、これも差別発言になるのか?
真相は近く記者会見で説明する、とイタリア側は収拾の構えを見せているようだが、あのときあの現場を、ガン・マイクで拾っていた音声さんは、いなかったのだろうか。もし録音していれば、「真実の声」を握っている音声さんというのも、微妙な立場だ。
あまりイタリア側の会見がウソで塗り固められていたら、「ウソはいかんね〜。ホレ、これが証拠だよ」と突きつけられるから、記者会見の「監修役」になるわけだ。
いま実際に「音源」がなくても、あるかもしれない、という緊張感を持ちながら、サッカー界はあざやかなゲームセットを見せてほしいものである。
「僕は、試合後にデートに誘っただけ。そしたらジダンが、バカヤロー!!俺はベッカム一筋だ!と怒っただけなの」
てな話になると、薔薇園イレブン物語が始まってしまう。
また、そんなネタを女性誌はほてりながら(笑)追及するからね。
平井堅は矛先がよそ向いて、ホッとするかもしれない。
おぉ、危ない危ない・・・
副業サマー?
at 2006 07/10 22:31 編集
W杯の優勝が決まったころ、僕は夢の中で逃亡者をしていた。
ただ、仲間とヨーロッパの線路内を歩いていただけの脈絡のないシチュエーションで、どこかで警報でも鳴ったか、とにかく「つかまるから逃げろ!」ということになった。
「3人ひとかたまりだと目立つから、バラバラになろう、無事に再会できるまで、グッドラック」
と段取りを相談する。これはまるで『大脱走』の世界ではないか。
なんとか雑踏に出て、地下鉄に乗って人込みに紛れようとするが、ゲシュタポみたいな捜査員に、一発で発見されてしまう。万事休す!・・・というところで、お目覚めであった。
いやはや、何を暗示している話なのか、ちょっと不気味な逃亡劇だった。何から逃げようとしているのか・・・。
いや、逃げなくても、今週いっぱいで夏休み。あきれかえるほど解き放つたれる時期なのに。
これ、もしかすると仕事から逃げてたら、拘束されて孤立して、袋小路に追い込まれまっせ〜!という天の声、ご多忙サラリーマンの友人たちの「怨念濃縮テレパシー」かもしれない。
夏休みのバイトというと、学生生活でフトコロが豊かになれるかどうか、天下分け目の天王山みたいな年中行事だったのを思い出す。
だからいっそ、お中元配達か、海の家のアルバイトでもするか?(笑)
たぶん、ベテランの学生バイトから、「おっさん、もたもたするんじゃねー!!」と叱り飛ばされそうな予感ありありだが・・・
汗冷房
at 2006 07/09 14:56 編集
きのうの午後、さて街へ出撃に・・・と家を出るところで、裏山から摩耶・六甲の峰々にかけて、重い真綿のような雲がベッタリかかっていた。
雨上がりの山には、よく湯気が立ちのぼるような雲が谷筋に湧き上がっていたりするもので、阪神間の電車通勤客にもおなじみの眺めではある。
それでも、重いかけ布団のような異様な雲は初めてお目にかかったような気がする。台風のせいか?と思って気圧計を見ると、なんとウナギ昇りに上がっている。
なんじゃこりゃー超常現象!?!?・・・と、ふと心ときめいたが、何も起こらず肩透かしに終わった。
台風が来るなら来る、降るなら降る、ピカリと光ればドカンと落ちる、とハッキリしてほしいものだ。降りそうで傘を持って出たら降らない(おかげで、おととい僕は自宅最寄り駅で降りたのが傘だけ終点まで行ってしまった!)とか、大丈夫と思ったのに土砂降りに遭うというのは、やるせないだけ。
ただ、僕はアウトドアには雨の備え万全で出かけるせいか、めったに雨に遭わないから、安くなかったゴアテックス・レインスーツなんか、いつまでも新品同様だ。
こういうのが晴れ男なのだろうが、皮肉にも晴れ男は発見されにくい(笑)。お気の毒に。
実際こんな瀬戸内気候の南斜面の街に暮らしていると、雨不足のニュースも耳にするほどだから、本当は梅雨さまさま・台風さまさまなのに、多くの現代人、またそれに輪をかけて役所も「雨づきあい」が下手で、そのせいで水害を引き起こしたりするのかもしれない。アホな神戸市役所は川まで地下に埋めてしまうし。
雨を毛嫌いして、汗もかかずに、「保湿成分配合」なんて化学薬品を消費しまくっているのも、滑稽じゃのぅ・・・と24時間ジトジト汗をかいている僕は世を憂うのだが、「そんなジトジト生活ぜったいイヤです!!」と拒絶されるにちがいない。
地球温暖化防止、クールビズ、脱原発の敵というのは、善人顔をしてエアコンに依存している、こういう保湿成分マニアたちかもしれないのに。
ワンダーなBJ復活
at 2006 07/08 20:18 編集
プリンターを修理に出すと、保証金3500円を取られつつ、「あぁ、こんなに維持費をかけて大事にするような機種かいな」と、ふと思う(マータイさん、ごめんね)。これで修理代金1万円なんてことになると、保証つき中古を買った方が得かもしれない。
家にもう1台、同シリーズの電池駆動のモバイルプリンターがあって、ほこりをかぶっていたので、リリーフを頼んでみた。まるで、江川卓にマウンドに立ってもらうような気分だ。
充電して、インクカートリッジをつけて、起動して・・・あぁ、セールスポイントだった赤外線で認識してくれない!
ならばUSBで・・・動いたではないか。
しかも、赤外線より速い速い。
モバイルプリンターだから、最新のピクサスやカラリオほどの性能は期待しないでいたのだが、それにしても二昔前のワープロ専用機みたいなスピードには、イライラしていた。
こんなものか?と思っていたのが、そんなものではなかったのだ。赤外線の115kbpsというのは、そんなに遅いわけか?
まぁ、レーザーほどではないが、「ワープロ専用機より速い」だけでも上出来である。持ち運べるし。
偶然のリリーフで古いプリンターが役立ってくれたのは、ささやかな発見だった。
処分しなくてよかった。
と、しみじみ実感する反面、なんでこのサイズのモバイルプリンターは、後継機がないのだろうか。ピクサス80とかいう現行機もあるが、まさかあれをカバンに入れて持ち運ぼうという人はいないだろう。
ノートPC本体は、1kgを切るか1kg台か、で熾烈な減量開発競争をしているのに、プリンターの小型化は置き去りにされているような気がしてしかたない。
そこだけは、ふた昔前のワープロ専用機の方が、「ともかく文書はその場でプリントを出せます!」といわんばかりに、出力までの文書機能はワンセットで考えられていたからえらい。ソニーのPRODUCEシリーズなんて、軽くてスタイリッシュで、いいコンセプトを持っていたと思う。
オアシスライトや文豪ミニに、本体より小さな熱転写プリンターが着脱式で用意されていれば、FAX用紙でも入れて現役で使えるから、一定の需要はあると思うのだが。
20年ぐらいたつと、当時あこがれた最先端機器も、なにやら懐かしく、愛着のある機械として見えてくるのがよくわかる。
いま二十歳の子は、もう生まれたころからワープロもCDもあったわけだから驚くばかりだが、ワープロ単機能マシンなんか、どう見えるのだろうか。
「メールもできないの!?」の一言で、ダメ出しされそうな気もするが。
カナディアン・クラブ入会
at 2006 07/07 22:20 編集
W杯は南米勢が消えて、ドゴール対ムッソリーニの決勝戦へと収束してしまった。
チームの戦力分析など僕にはできないから、あぁドイツビールか・・・イタリアワインもいいかもなー・・・コニャックも飲んでみたいね・・・と、ご当地の名酒ばかり浮かんでくる。
いっそ、ワールド「カップ」なんだから、飲みすけの世界大会でもやってくれないものだろうか。
夏といえば!の大好きなピルスナーも、エビス黒生も、うまいことはうまいが少々飽きてきた気分。あいかわらず、風呂上がりは牛乳が一番だし。
やはり、冬はホットで夏はクールにと万能なウィスキーに戻って行くのか!わがDNAは・・・
そこで、夏に攻めてみたのが、爽快な大地のライ麦畑で生まれたカナディアン・ウィスキー。
試飲したのは、カナディアン・クラブ12年。
試飲といっても、タダ酒を紙コップで一口いただくのではなく、自腹でボトルを買うんだから、一か八かの大勝負である(下戸から見るとばかばかしい勝負だろうな)。
大勝負といっても、負けるほど幸せな気分でトロンとなってしまう。勝手も負けてもOKなのだ。
で、カナダには余裕で負けたぞ。
2晩でボトル1本あっさり干してしまうほど、つるつる飲めるさわやかさ。いやはや、あっぱれカナダ。40度なのに、25度ぐらいの刺激しかないぞ。このやろ!
ということは、飲み過ぎる危険もあるわけで、2晩で飲んでしまってるのは、すでに手遅れなのか???(笑)
かえって、尖った味わいのシングルモルトの方が、いつまでも飲み手に懐柔させてくれないので、「節酒」にはなりそうだ。
まぁ、そんな酒もいいが、つるつる飲ませてくれるクリアなウィスキー、というのもフレンドリーでいい。
しばらく、カナディアンクラブに入会してみようか?
でも、W杯に勝手にちなんで、コニャックにも手を出してしまった愚かなる私がいる・・・
あぁ重症!
早漏テポドン
at 2006 07/06 20:00 編集
テポドン発射は、正直あっけなかった。
効果音をつけるなら、「ズドン」でも「ゴォ〜〜〜ッ」でもなく、「ポチャン」だからね。
5発だとゴレンジャーみたいで笑われるから、合計7発にして、ラッキーセブンをもじったのかもしれない。
もし、ちょっと風に乗って三沢にでも落ちてしまえば、米軍F16が黙っていないから、北の軍もビクビクしながら「ラジオ深夜便」の時間帯にコッソリ、できの悪いミサイルの在庫処分をしたのではないだろうか。
万景峰号に乗っていた修学旅行帰りの朝鮮学校生も、いきなり沖合に足止めされて、お気の毒だった。
これから、感情的なジャップが八つ当たりするかもしれないから、さらにお気の毒だ。ぜひ受験勉強がんばって工学部に行って、高性能ミサイルの研究開発をしてくれたまえ!(性能のいいミサイルより低性能ミサイルの方が危険だからね)。
せっかく北の政権の演劇局が、ヨンナムさんを利用して経済支援を引きずり出そうとしていた折も折、作戦を台なしにするミサイル発射は、一体なに考えてんだか!?・・・と、世界各国も、朝鮮総連さえも見放すのではなかろうか。
こんな愚かな軍事行動は、よく偉大な将軍様の顔と重ねて報道されているけれど、実際には政権が軍をコントロールできていない証拠にも見える。歴史の教えによれば、外交と軍部の仲違い、バランス崩壊は、国家破滅への道に進んで行くようだから。
だから、僕は素人ながらテポドンを「返し技」に使って、北の分断を図った方が今後のためによろしいのではないかと思う。
また、北の政権も、「一部の反乱軍人が無謀なことをしたのだ「ということ」にして、内部で粛正することができる(あぁこんなこと提案していて、工作員にスカウトされたらどうしよう)。
この手で、拉致被害者もごっそり出てくるかもしれないし、拉致実行犯「ということ」にされた軍人を処分するような形なら、北の政権もやりやすいと思う。「おまえらは人間魚雷艇勤務だ」とかね(笑)。
どうですかねー将軍さま。
軍部だけ切り離すなら、日韓朝で合併してキムチ合衆国を建国してもいい(わが選挙公約の通り)と思うんだが、こんなおいしい提案はないんちゃいますか〜ジョンイルさん!
次の位?次のステージ?
at 2006 07/05 21:59 編集
中田の引退表明は、「鮮やか」「惜しい」「もったいない」・・・と、反応もさまざま。部外者からすると、単純に「潔いなぁ」と思う反面、何かよほど言いたいことがありそうな、虚脱感がにじみ出てるようにも見える。
でも、それを言わないのが中田の美学なのかもしれないし、立派だとは思う。もし、「引退を決意した理由は・・・本人がここにいないから言うわけにはいかない」なんてこと言われた日にゃー、気になってしかたないもの(笑)。
川口が涙目になっていたり、俊輔がガタガタ震えていたりと、人騒がせなことになりかねない。
さて中田の行く先は、大学か、会社か?と憶測も飛び交っている。
なぜか芸能人や女子アナが留学といえばココ、で有名なコロンビア大学を志願しているようだから、あそこの精神心理学部(サッチーが留学しておられたという・・・笑)に入学してみるのもいい。
そして、長期的には、まず「語録販売業」で再スタートだ。
しゃべるだけで、書き取って語録に仕立てて「売らせて下さい」と懇願してくれる出版社は列をなしているだろう。
でも、中田人気は、失われた10年間の「混迷の時代」に咲いた徒花のような面が見え隠れする。この10年は、まだ清算できていないよ。
別に中田個人の「サッカー以外の能力」をどうこう採点するつもりはない。
ただ、困ったときの神頼みでスポーツ選手に会社の経営判断を仰ぐような企業精神というのは、キワキワ感満点でハラハラするだけ(笑)。まるで、難病に打つ手を出し尽くして「波動を・・・」とか「霊障がぁぁっ!!」とか言い出す医者みたいな感じだからね(東ハト、だいじょぶか?)。
そんな組織の不可解で理不尽で不条理なところに目をつけた中田自身は、えらいと思う。
企業の側も、たとえばF井総研や、稲M財団、S学会、D通などは、放っておかないだろう。中田ヒデは、ただイメージだけの広告塔ではなく、考えて発言する広告塔だから、うまく操れば持ちつ持たれつで説得力満点だ。
さて、中田と二人羽織を演じる黒幕は、どんな組織だろうか。
未来からの電波時計
at 2006 07/04 16:34 編集
ブレスレット、指輪、手錠の類はしたことがないし、ネクタイは職場を離れるとき解いてしまうし、腕時計は帰宅したら脱ぎ捨てるようにはずしてしまうほど、僕は「絞めつける装着品」が嫌いな一方で、腕時計がゴロゴロたまって行く。
使っている時間帯なんか、堅気のサラリーマンの3分の1以下だろうに。
めったに壊れるものではないから、オールマイティーな1個があれば事足りるはずだが、そうなると、いつかはクラウン・・・じゃない、ロレックスに行ってしまうのか?
でも、ロレックスを登山にして行くような、イヤミなんだか貧相なんだかわからん俗物にはなりたくないから、TPOに合わせて・・・というのが、現実路線。
現実の我が家はというと、置き時計はデジタル電波時計のくせに常に20秒遅れているので、なるほど遅れは正確やなーと感心しつつも、結局「正確な時計」というものが、どこにもないのだった。
腕時計は、わざと5分ぐらい進めてあって、駅まで走る出勤時に時計を見てほっとしたりする効果(笑)を自己演出しているのだが、進める時間は統一しておかないと混乱する。
5分未来ウォッチ、2分未来ウォッチ、10分未来ウォッチと多彩になってくると、「えーと、この時計は何分未来やったっけ。8時10分の快速に、間に合うかねー」と、戸惑い迷い焦り、結局ドツボにはまることもあるのだ。
「アナログで、電池いらずで、それでもアラームがついてれば便利」とわがままなウォッチ選びにも、優秀な日本国時計メーカーは、ちゃんとこたえてくれる。
でも、さすがにシチズンさんやセイコーさんは高くて、1万円台でとなると、Baby-Gになってしまった。ま、少女サイズの我が細腕にはジャストサイズだから、気にしないことにしてお買い上げ。
しかしまぁ、文字盤が小さいのはこれから慣れるとして、ちっこい中にソーラー充電や受信機やアナログ・ムーブメントやLEDライトやデジタル機能まで、これでもかこれでもかと詰め込んだもんだ。感度も良好で毎晩ぴったり時刻補正するし、文明の進歩はすごいね。
ただ、「5分未来」に設定したくても、毎晩必ず正確な現在に引き戻されてしまうのが、バカ正直なところだ。
カシオさんに頼んでも改造してくれるわけはないから、標準電波送信所を改造して、5分早い日時情報を発信すればいいのか。
そうなれば、日本中の電車かけこみサラリーマンから、「一瞬あわてたけど、5分ゆとりができて助かった」という感謝の声があふれるはずだ(ただ、電車も5分早く運行してたら詮なし・・・である)。
電波ウォッチは、これから慣れて行くのか、違和感が募って行くのかまだ未知数だが、常に正確な何時何分何秒を突きつけられるのも、「わかったわい!だからなんなのだ!!」と無性に楯つきたくなる気がする。
未来から呼んでくれるような数値表示がほしい。
さんざん、合格可能性判定つき模擬試験なんぞで「調教」された世代の哀しさかな。
紫陽花楽園
at 2006 07/03 22:57 編集
雨雲の切れ目から、「梅雨は休憩。いまアジサイが見ごろだよ」と、天の声が聞こえてきたので、発作的に裏山ダッシュしてきた日曜日であった。
蒸すが暑くはない森の小道を登って、心地よい汗をかく。
いや、正しい表現ではないか。汗だくになるのは気が滅入るが、渓流を伝って流れてくる風が汗を奪って行く感触が、なんともいえず快感だ。
足取りも軽く・・・というより出発が出遅れた焦りも手伝って、コースタイムよりうんと早く、アジサイ咲き誇る植物園に到着。
しなびている花もなく、まだ「恋のツボミ」堅いままの花もなく、ちょうど開花時期が重なって百花繚乱。こいつは夏から、縁起がいいやな。
車椅子の高齢者、ゆかた姿でマイカー・ドライブしてきたカップル、家族連れなど、思い思いの「花見」を楽しみながら、そぞろ歩いている。平和で、いい光景だ。
なぜか観光地では殺気立っていたりするカメラおじさんも(あ、人のこと言えないか)、のんびり写真世界に浸っている。
でも、花畑の中に三脚立てているのはいけませんね。倒してあげようか(笑)。
「カメラおじさん駆け出し」の僕は、もう、いつ撮り残したのか記憶にないほどのフィルムが入ったままのニコンF3と、クールピックスのデジアナ二刀流でアジサイを攻めてきた。
アルバム追加は昨夜すぐできたし、公開用にはデジカメが便利でいいのだが、接写やアングル吟味には、やはりちゃんとしたファインダーをじっくり覗いて(光学ファインダーさえ省いたデジカメも多いのは嘆かわしい)暗室の中で考えないと、撮れたような気がしない。
そんなぼやきも、まだまだフィルムカメラの遺物が、頭にこびりついているせいか?
「はやくフィルムカメラ捨てなさい。ハッセルはもらってあげるから」と、さっそく悪魔の声が豊岡からメールで届いたが・・・。なんのなんの、捨てるならデジカメだな。
夏フェス仕様?
at 2006 07/02 21:04 編集
7月といえばアウトドア〜である。
個人的には、7月でなくても年中アウトドア〜だが、海開き、山開きに合わせてバーゲンをやってくれるのでうれしい。
夏フェスのマニュアルっぽいフリーマガジンというのが毎年出ていて、その横でワゴンセールをやっていた。
前から気になっていた商品で、サーマレストというのは商標名かもしれないが、勝手にふくらんでくれる薄型エアマットがある。店頭価格で6000円ぐらいするので、僕は節約しようと百均のエアざぶとんを4つつないで使ったりしていた(これでも、400円以上の満足感があるぞ)。
そこへ、怪しいほど安いサーマレスト2000円也が出ている!
怪しいなぁ・・・空気抜けまくりちゃうかなー・・・と思いつつ、「モニターするのだ」という名目で(結局、衝動買いのいいわけなのだ)お買い上げ。
さっそく試しに自宅で使ってみると、なかなか調子がいい。ビニールのエアマットほどバウンドしないし、柔らかい板のような形を保ち、薄いくせに凸凹をよく吸収してくれる。アナログなリクライニング機能がついていて、座椅子にもなるのがご愛嬌だ。
さすがに安物だけあって、同じサイズのブランド品に比べると畳んだ収納サイズは倍ぐらいあるし、ずっしり重たいが、「実戦配備」する機会はあるだろうか。
車キャンプだと何でもOKやけどね。
こんなお買い得品をゲットして、家路の途中で立ち寄ったモスバーガーで、また「そろそろ一緒にハンバーガーもいかがですかぁ?」といわれそうな、いつものマイ・オリジナルお茶菓子セットを注文したら、間もなく厨房があわただしくなってきて、店員が謝りにきた。
「すいません、アップルパイを揚げすぎまして・・・」
というのだ(アップルパイとコーヒーがマイお茶菓子セット)。
ま、凡ミスぐらい僕は気にせず「苦しゅうない。拙者は気長に待っておるぞ」と鷹揚にかまえて、わしはお買い得品ワゴン品の幸せ効果を家に持ち帰ったのであった。
これぐらいの買い