solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
2007年4月の日記
連休思索

at 2007 04/30 23:09 編集

連休の中日は雨らしい。
やだわ、今のうちにお洗濯しとかなくっちゃ・・・
と、すっかり「ゴールデン洗濯掃除デー」になってしまった。
でもまぁ、よく乾くのはありがたい。干すと2時間で乾いてしまう。
ささやかな幸せである。

興奮したりときめいたりすることは年々なくなってきたのに、疲れ果てることもなくなった。
4月に新年度のシフトが決まって、それに慣れるのに精一杯で、ちょうどいいころ「ゴールデン骨休め」になっていたのが、三十路のころ。ぐったり疲れて、その変わり春スキーなんかに出かけて行っては、命の選択(自殺するか生きるか?・・・笑)をしていたリズムのようなものが、あったと思う。

今そんなものはない。どっちかというと、5月の連休は特にしたい「種目」がないし、一番やりたいのは仕事だ。
せっかく新年度のペースをつかみかけているのに、8連休もしたら調子が狂うではないか。
この連休を廃止すると、大学生の五月病も減るのではないだろうか?と思ったりもする。

やはり大学生のにしろ会社にしろ、入って2〜3ケ月はがむしゃらにがんばって新しい環境に適応して、夏休みぐらいに一息つくぐらいでいい。それで長すぎるなら、6月に3連休でも設けるか。
だから僕は、殊勝にも「仕事と勉強」をしている!
なんだかねぇ・・・別に、在宅仕事をやっても連休明けの仕事が楽になるわけでもないのに。

勉強は、なんだかんだ言っても、勉強できる身分は幸せだし、自分で選びとった勉強というのは楽しいものだ。
4月からのラジオ講座が、タイマーでどんどん録音されて行くのをまじめに聴いてなかったので、まとめて聴いたりもするのがこの連休。とりあえず、英語を2番組。
毎年、仏語や中国語に手を出しては尻切れになり、「4月はアルファベをのらりくらりやっているレベルだから聴かなくてよろし。ある程度進んだら合流しよう」とえらっそーな言い訳をして、結局何カ月もたってからテクストブックを見ると、もうついて行けない会話に進んでいたりする。

こんな失敗をくりかえすものか、と誓う回数だけは自慢できるが、なんとか勉強の態勢は整えて、ペースをつかみたいものだ。
かろうじて勉強できるほどには余裕があるのは、貧乏生活とはいえ幸運だなーと思う。
金のかからない趣味だ節約生活だと低コストで何かしようとするのもけっこうだが、一番いいのは「お勉強」だと思う。これほど金がかからなくて(図書館ですればノート代ぐらいしかかからない)、ひょっとすると将来の宝になるものが頭にインプットされるわけだから。
仕事から学べるものも大きいけれど、では働き蜂ほどかしこいかというとちょっと疑問で、働き蜂が気づかない知というのは、逆説的だが「ヒマ」の中でしか得られないものかもしれない。


イエロー信号カメラ

at 2007 04/29 19:45 編集

元町駅の真ん前にあったイエローカメラが、あたふたと閉店して、金券屋に替わってしまった。

ふと思い出したのが、やはり元町に古くからあった写真店が倒産して、資産保全のためか突然閉鎖され、シャッターに「大事なネガを返して!」と貼り紙が何枚もされていた眺めだった。
フランチャイズ・チェーンのイエローカメラは、受け付けたDPEはちゃんと処理しての閉店のようだが、それにしても寂しい。
フィルム先細りの時代だから、珍しくない光景とはいえ・・・。

僕の印象では、いい悪いではなく、大阪はケータイカメラが便利でええやん!と合理的に割り切って流れて行くような気がする一方、神戸から阪神間にかけては、写真機で撮る手間のようなものを楽しむ「写真愛好家」が多い印象がある。
ハナヤ勘兵衛や芦屋カメラ倶楽部のような、モダニズム写真の影だろうか、人口規模にしては、三宮界隈には妙にカメラ屋さん、写真屋さんの類が多い(いや、多かった、と過去形になりそうな感じはあるけど)。

だから、イエローカメラが撤退したとはいえ、その目と鼻の先には、フジカラーのパレットプラザが生き残っている。
そして、うちの近所の、魚屋さん、酒屋さん、煙草屋さん・・・の並ぶ住宅街にも自営の写真屋があって、デジカメプリントもリバーサルプリントも扱っているし、アンブレラがあって古きよき「写真屋さん」をしている。細々とではあっても、生き残ってほしいと思う。

僕自身、デジカメは否定しないし、あぁ便利やなーと思いつつ使ってはいるが、レタッチしたとたん(いや、できるし、しているにちがいないと見る側は考える)、フィルム上に焼き付つけられた写真とは本質的に違う。
まぁ、今さら繰り返したってどうにもならない「アウラを消す装置」ではあるけど。

そんな中、フジのコンパクトデジカメはFUJIブランドなのに、ネオ一眼レフにはFUJIFILMと書いてあって、フィルムへのこだわりをアピールしているのがおもしろい。単三電池で駆動するのも貴重だ。
デジイチ買うなら、ファインピックスかな?買っても写真生活そのものが大きく変わるわけではないから、この気もそぞろになるカメラ市場は、罪つくりですなぁ・・・


後ろ向きに連休突入

at 2007 04/28 23:34 編集

連休直前の金曜日は、繁華街はむやみに騒々しかった。
みな海外に脱出してくれたらいいのに。

外食を避けて、電車を降りると「登山コース」の家路に直行した。
さすがに11時近くになると、ふだんあまり値引きしない生協に寄ったら、「半額品」がたくさん並んでいた。ささやかな幸福感に浸りつつ総菜を買って帰り、ウイスキーで戦闘配置について、テレビをオン。

平井堅とアンジェラ・アキが出ていた。
歌の合い間に、お便りコーナー。
「5歳年下の彼とうまくつきあえません私どうしたらよか?」とお悩みメールが読まれて、平井堅が答えていた。

「うーん、僕は上も下もあるんですけど・・・」
アタタタタタッ・・・せめて「年上も年下も」と言わんかい。よりによって、天下の平井堅でっせ。いつ「上も下も、前も後ろも」と口を滑らさないかと、ワタクシははらはらどきどきどぎまぎしていた。
考えすぎか?

その後のナイトスクープで金曜日は静かに終わってしまった。まだ、土曜日まで出勤だから。
歌手のように、祝日フル稼働で、平日ににんびり休める方がありがたい。
同感の殿方も世間には多いようで、「どこに行っても混んでるから、わざわざ出かけることないわい」という。これが、老化の兆しなんだそうな。

たしかにね・・・
人込みだろうと行列だろうと渋滞だろうと、ものともせずリゾート地に出撃する気合いがないと、世捨て人になりかねない。よくわかる。
それでも、混雑はかなわん。子供のころから世捨て人をしているから、今さら世慣れ人になるのも無理だろう。
せいぜい、「ひっそりスポット」をさがすか、ふだん読めない小説など家にこもって読破するか・・・ともかく、迷惑なほど長い連休である。


おやおや学

at 2007 04/27 23:58 編集

もしかして仕掛け人は、議論になるのを見越して企てたのではないかい?とも思える親マニュアル「親学」が、思惑通り賛否両論を巻き起こしている。

マニュアルがないと自信が持てない親が多いなら、マニュアルも捨てたもんではないと思うけれど、母乳だ観劇だとイチ推しされると、「おせっかいだ」と反発したくなる気持ちも、よくわかる。
しかし、すでに「生おばーちゃん」より「おばーちゃんの知恵」本に、失恋体験より「成功する恋愛本」に頼る現代人が当たり前になっていたりするわけで、国民的に支持されていることを国が提唱したからって文句を言うのは、子供の八つ当たりである。

マニュアル欲にこたえて、そのうちサンマーク出版かPHPあたりから、ビニールカバーのついた単行本が出たりするのだろうけど(ゲゲッ!この方が気持ち悪いぞ)、もっと効果的に、かつ楽しく親をマニュアル・ロボット化する方法があるぞ。
ポイントカード制にすりゃいいのだ。
ピタパやスイカと連携して。ケータイと連携してもいい。
献血センターに搾乳場を併設して、その場で絞って1cc1ポイント・・・という具合に。

まぁ、それは冗談として、子供のために何かしてやる(どこか連れて行く、遊ばせる、買い与えるetcetc)より、手を出さない方が大事だと僕は主張しているので、本当の親学は、子供の自主性を育てることであってほしいと思う。
たとえば、子供だけで旅行していたら、親の名前を聞いてポイント加算してあげればいい(どうしても、ポイントカード制にしたい!笑)。

「親いらず」な子供が増えると、子供に依存している母親は猛反対するだろうが、あぁ解放されたぜ!と前向きにとらえるママたちは、仕事に鯉に励んで美しくなり、「ロマンチック・ジャパン」が実現するぞ。
厚生労働省さん、経済産業省さん、いかがかな?


クイック生死

at 2007 04/26 23:02 編集

今年も「4・25」が巡ってきた。
あの日から2年。あらためて、犠牲者のご冥福を祈りたい。
重傷者はリハビリに励んでいる最中で、重度の脳挫傷から蘇生して歩行訓練をしている女性や、両足を失って学生生活に復帰した大学生君の姿には、頭が下がる。
そんな姿こそ、当事者の許す限り、メディアは追跡報道してほしいものだ。

ふと、事故当時の――そして信楽鉄道事故のときも重役だった――JR西日本の社長の名前を、ふと思い出せなくなっている自分にあぜんとする。街行く人にマイクを向けても、当時の記憶はかなり風化しているのではないだろうか。

事故の被害者側は、形式的にはJR西日本という法人と補償交渉を進め、企業の社会的責任を問いつづけるしかないのだろうが、組織は紛れもなく人が造っているもの。企業の体質や経営風土も改善して行くべきなのは当然としても、だからといって運行管理責任者や乗務員が免責されては困る。
だから、生存した車掌が、個人として名乗りを上げて頭を下げているのは、ひとつの良心の示し方として評価されてもいいと思う。

2年は、ご遺族や後遺症に悩む被害者にとっては、あっという間だったかもしれないが、時間は「事故その後」の検証を可能にする。
たとえば、Nスペで特集されていたトリアージの難しさ。負傷者につけるトリアージ・タグのうち、「もうダメ」を示すタグにだけは、判断した者の名前が書かれてなかったりする。
もし、「緊急に処置せよ」のタグがついていたら、助かっていたかもしれない・・・と、今なお御遺族はやり場のない無念をかかえている。

無署名というところに、医師の煩悶がにじみ出ていると見るか、責任を追及されたくない逃げ腰と見るかは、なんとも評価しようがない。
もちろん、現場の医師たちは一人でも多くの救命を、と全身全霊の奮闘をしてくれただろう。
当時の修羅場と2年後の冷静な検証の席はまったく状況が違うから、「蘇生処置を何分か試みてだめなら、次の負傷者の手当てにかかるしかない、でないと両方助からない」と言われれば、見放された被害者の遺族はとしては冷徹な功利主義の前に反論することもできない。
お気の毒だし、不運だし、まさに不条理だと思う。

だれも、こんな場面を想定して電車や飛行機に乗るわけではないから、トリアージは客観的に判定されるものだが、客観的にといっても機械がするのではなく、医師や看護師、救急救命士が行うわけだから、今後もしかすると裁判沙汰になることだってあるだろう。
そういう事態を恐れて、「あきらめタグ」に署名するのを避けて、どの重体者にも「緊急に処置すべしタグ」をつけるようになると、トリアージの意味はなくなる。ある重傷者に注いで無駄になりそうな医療資源を他に振り向けることで、トータルで一人でも多くの救命を図ろうとする功利主義は、事故や災害の現場に限らず、一般の医療や福祉、教育、企業経営など、至るところに浸透しつつあるのを感じる。

そう考えると、「自分で自分につけるトリアージ・タグ」のようなものが、ドナー・カードだったりするのかもしれない。
脳死になったら延命しなくていいから他の患者さんに臓器あげます、という意思表示だから。
それを、ご本人がカードを持っていますから、と紙きれ一枚を錦の御旗のようにして家族を説得する移植コーディネーター(要するに病院に雇用されて臓器摘出を納得させる説得士である)は、因果な専門職だなぁと思う。

こんなふうに、人を死に急がせるシステムは、別世界のオカルト話ではない。早くメシ食え、早く成果を出せ、早く結婚しろ、早く子を産めとせかす空気が、日本列島を覆っているような気もする。クイック成績、クイック若作り、クイック・マネー、クイック出世、クイック快楽・・・あぁ、ワタクシも、「速く」なりたいものだ!
てか?

このアンチ・テーゼが、スローライフ・ブームなのかもしれない。
でも、要介護で長生きすると、金がかかるから、ゲレンデが溶けるまでスキーをして鯉をして、ぽてちんと逝きたいものだ。

でも、それは僕個人の希望だから、とことんスローにゆったり生きたい人から、そのチャンスを奪う空気には結びついてほしくない。
そこに、脳死・移植反対の団体に参加しつつ個人的にはドナー・カードを持っている肩身の狭さを感じるわけだが、すぱっと線引きしてもらうのは難しい。


ハイファイ・クリーナーがほしい

at 2007 04/25 22:10 編集

家庭用のAC仕様の掃除機もあるのに、身の回りの細々したゴミ掃除には、手元にあるPCキーボード用の豆掃除機を使ってしまう。単三電池でウィーンと動く、ダストボックスも指の先ほどしかないやつである。
これで床1畳分ぐらいはちまちまと掃除してしまうのだが、さすがにこんな神経質な掃除はイライラする(当たり前か)。
ちょうどいいスケールの掃除機がほしい。

ホームセンターやカー用品店に行くと、もう1000円台から充電式クリーナーを売っている。今まで買って使ったこともあって、1年か2年で電池がへたって、粗ゴミになって行く。
それに、どうしてどれもこれも、クニャクニャした悪趣味な形をしておるのか!と憤慨してしまう。もっとも、安物にプロダクツデザインなど期待するのが間違いなのか・・・。
電池だって、おぉ、こんなところに生き延びていたのか!と思う化石のようなニッカド電池である(まぁ、ニッケル水素やリチウムイオン電池の掃除機など見たことがないけど)。

おかげで、掃除機を買うぐらいで、もう4回か5回ヨドバシに足を運んで、やっと買ってきたぞ、充電式ハンディクリーナーを。
というのも、「掃除機には紙パック式とサイクロン式があって・・・」「今はやりはサイクロン式で・・・」の類の豆知識がいろいろなところから聞こえてくるもんだから、検討に検討を重ね、清水の舞台から飛び降りるつもりで、納得の逸品を!
と、超高級品を買ったわけではない。
結局、「音」で選んだ。

アメリカ製の強力そうなやつは大音響がネックになったし、松下やサンヨーのは実に静かでいいのに、高い。
結局、「その間」ぐらいのツインバード製が、妥協の産物となった。

音にこだわるのは、オーディオ・マニアだった父の血を引いているせいかもしれない。
カメラだって、シャッター音にこだわる愛好家は多い。ライカM型は静謐そのもののノーブルな音に陶酔してしまうし、愛機のシャッター音を聞くのが、フィルムカメラの楽しみの何%かになっているのだと思う。デジカメはこの楽しみがない。電子回路でシャッター音を出したり選べたりするのは、邪道でしかない。

この正月に、兄とその妻が、会食の席でクルマ談義になって、「私、ドアを閉める音が安っぽいクルマは、許せないの」「そうやなー、レクサスなんか、ほんまええ音するもんなぁ」と納得しあっていた意味が、よくわかる。
兄は暴走族あがりの(笑)バイクの現役プロライダーだから、排気音にもうるさい。
実家にZ1300で乗りつけてきたとき、まるで地の底から噴火してくる鼓動のような排気音に僕は感心してしまったし、たぶんバイクマニアというのは、エンジン音や振動や匂いがダイレクトに伝わってくる「鉄の馬」に魅了されているのだろうと思う。

この感覚は、エンジンアなしバイクにしか乗らない僕でも共感できる(ついでに、僕は2ストロークの音は嫌いである)。
エンジン音にうるさい「聞き耳師」にとっては、四輪のドア音も大事な要素なのだろう。ドアの開閉音は、乗り始めと乗り終わりのセレモニーでもあるからね。

だから、掃除機だって、もっと音を意識して設計してくれたらいいと思う。いくら高性能でも、あまりバカでかい音だと使うこと自体ためらってしまうし、なにかこう、掃除が楽しくてたまらんような絶妙な音にならないものだろうか。

僕が買った中途半端なクラスのクリーナーは、テナー、アルト、ソプラノでいえばアルトぐらいのまぁまぁ控えめな音を出すが、シーメンスとかフィリップスあたりの「ヨーロピアン・サウンド」も、聞いてみたいものだ。
掃除機自身の性能の差なんぞ、ハウスダストやダニでアレルギーを起こしたこともない僕にはノー・プロブレムである。豆掃除機で1畳ぐらいは掃除しているんだから、2DKはハンディ・クリーナーでやってしまうぞ。

うわさのレクサスに乗っている知人はいないので、ドア音はわからないままだが、「レクサスのようなクリーナー」が増えれば、世間の亭主族は、掃除ぐらいから家事参加が進むかもしれない。
少子高齢化対策には夫の家事参加、ならば「家電製品の音に要注目!」である。


全国学力テストの楽しみ方

at 2007 04/24 22:48 編集

全国の小中学校で行われた文科省学力テストが、賛否両論を浴びながらも断行された。
多くの現場の教師や犬山市教委など、「市場原理反対!学校の序列化反対!」を訴えているかと思うと、保護者の中には、「プライバシー侵害だ」と中止を訴えた親もいる。
熱い闘いですなぁ・・・けっこう、けっこう。

とはいえ、国が、これまでの教育行政を評価するために学力測定をするのは、当然といえば当然ではある。学力テストだけが問題で、運動能力の測定や身体測定は不問、というのもおかしい。文科省は、客観的な数値をつきつけられた上で、教材やカリキュラムの再検討をすればいいと思う。
つまり、教育行政全体の成否を測るということなら、生徒個人の成績は関係ない。というより、必要ない。

そう考えると、名前を書かせることもないのに、成績がデータを集めたベネッセは、一人一人にコメントでも書いて返してくれるのだろうか。
担任の先生が教え子に指導するための試験なら、今まで学内にあったわけで、個人個人に利益が返ってこないテストなら、個人名など書くことはない。

とすると、まずプライバシー云々の問題は、生徒がみな匿名で受けるか、好き勝手な名前を答案用紙に書けばいい。それでもちゃんと学校ごとの成績の比較はできるわけだから、目的は果たせるぞ。
もし、ペンネームで書いても受験した教室の座り位置から匿名の主がバレて、「おい、11番の大沢、なんだぁ?氏名トムクルーズとはっ!」と怒られそうだから、もう一工夫しなくてはいけない。全員が同じ名前を書くのである。「安倍晋三」で行けばいい。

安倍信三が何万人と集まれば、個人を特定できないなるね。
ムハハハハハハ・・・名案ではないか。でも、「偽計業務妨害教唆」にでもならないかどうか心配だから、良い子は参考にしないように。

次に、「学校の序列化」という危惧をどうするかだが、いわゆる「いい学校」の秀才君に協力をあおぎ、わざと低い点を取ってもらうと、学校間格差はカムフラージュされる。
まぁ、そこまでして格差をなくすべし!と僕は思わないから、結果的に成績のランキングができることはしかたない。
近所に「平均点がやたら高い中学校がある」とわかれば、引っ越してでもわが子を入学させたい親はいるだろう。それは、放っておけばいい。

ただ、学校間のランキングが国語と算数だけで決められてしまうのは空しいから、音楽や美術のテストもしたらいい。
そして、生徒主導で先生に点をつけて、我が校と他校が競い合えばいいほだ。
それで授業の質が良くなれば、ラッキーではないか。前向きに、テストを活用すればいいかがかな?とも思うのだが、今後に期待するとしますかね。


祝プリティ当選

at 2007 04/23 23:24 編集

統一地方選の後半が終わった。
案の定、夕張に「羽柴秀吉市長」は誕生せず、撃たれた伊藤さんの娘婿は長崎市長になれず(新聞社は退社していたのだろうか?)、プリティ長嶋さんは市川市議となり、宅八郎は落ちた。

当選しても、投票終了の2分後に逮捕された生駒市会議長というドラマの主人公もいた(突入したのは地検特捜部だから、これは限りなくクロに近い)し、和歌山の懲りないタビタ卓宗はまた返り咲いている。いったい、生駒や和歌山の有権者は、どんな判断をしたのだあろうか。

銃弾だけは飛んでほしくないが、選挙といえば金、怪文書、恫喝が飛び交い、利権が動くのは定例になっている。そんなものだと思う。

あの長崎市長選でさえ投票率は過去最低だったというし、有権者のしらけ気分は「われ関せず」に行き着くのもしかたない。
逆に、田舎の選挙区で、棄権したり白票を入れたりすると、それがだれなのかおおよその察しがついてしまうところは怖い。
だから、棄権する自由もある社会の方が、まだ自由な気もしてくるのだが、投票に行きたくなるような政治的な風土を創る方が、長い目で見て参加型民主主義の土台になると思う。

その意味で、「プリティさん効果」は効果大ではある。
では、ぜひ「エロかわいい京都府議」なんてのにも期待したいところだ。
色仕かけはどうかと思うが、あのスタイルで議会に出てもらうと、傍聴席は満席、おっさん議員たちも膨張しっぱなしで、これはこれで府政は活性化するだろうね。


高校教育改造

at 2007 04/22 23:41 編集

ひとりドトールで「食後のお茶」をしていたら、昔の同僚からひょっこり電話をもらって、ざわざわと騒々しい中ひとしきり雑談が盛り上がった。
盛り上がるといっても、もともと景気のいい話など我々には縁がない。ただ、長いこと病に臥せっていた彼が元気になったのはうれしい。声も弾んでいた。

経済学部を出て高校の英語教師をした後、専門の経済学の講師をしておられたのだが、体調を崩してからは細々と地元の塾で高校生を教えていたらしい。
それが、ここ数年で壊滅的に生徒がいなくなって、G研のような大手でも潮が引くように事業を縮小したり、地域によっては撤退してしまったところもあるようだ。
「そうでしょうね、うちの近所の日能研も、独立した校舎から撤退して貸しビルの一室で細々とやっている程度ですよ」と、僕は大阪湾のこちら側(彼は和歌山県人)の事情をお話ししていた。

もちろん、年少人口の減少など、ずいぶん前から数字に出ていて、今さらのように驚いてもしかたない。
お受験や習い事の熱が冷めたわけでもないとはいえ、「人口」のレベルでマーケット規模が縮小してしまうと、お子様だけを対象にしていた塾業界などは、生き残りが絶望的に難しい。

僕もずいぶん前にかかわっていた大学予備校だと、僕自身が通っていた予備校自体、チェーン展開していた法人まるごとなくなってしまった。
すでに、大学全入時代は近未来の話どころか半ば現実で、首をかしげるような受験生(笑)が、京都大学にも大阪大学にも入学している。中堅私大など、3回も4回も入試をやって、それでも定員を割っているところが少なくない。

それに、世間の公立高校がめざめた!というので、進学対策に本腰を入れるようになって、わざわざ高い学費を払って家から遠い予備校などに通う必要がなくなってきた。
進学したい高校生が多いのに、「受験対策は予備校におまかせ」という高校は怠慢だといえるし、そういいつつ予備校的な(つまり、数字で成果が上がる)授業を高校教諭たちが軽視して、ふんぞりかえっていた現実もあるように思う。
平均で1000万近く年収を(血税からだ!)むさぼり取っておきながら、教え子を現役で進学させてやれない教諭は、もしかして予備校業界から献金をもらっているのではないか?とさえ思えてくる。・・・あ、だから定年教諭が予備校によくいたりするわけか?(笑)

つまり、「高校に通っていただけではいい大学に行けない」奇妙な現実が教育ビジネスが繁盛する前提としてあったわけで、前提が崩れる事態を想定していないと、足元をすくわれるのだ。
これをを何とかせにゃならん、と気づいた教育行政が、顧客=納税者の当然のニーズに応えるようになったのは、こと社会全体として、また子を持つ保護者からすると、望ましいことだと思う。

僕が保護者なら、高校で英会話や情報処理、バイク運転術、経理や株式投資まで(笑)、あれもこれも教えてくれと要求するだろう。安くあがるなら大歓迎である。
その筋のスクール業界からは反発をくらうだろうが、小・中・高校というのは、1つの生活の場だから、「あんなことも、こんなことも教えてもらえるコミュニティ」になればいい。中退も不登校も減るのではないかね?
こんな夢が、自分の首をしめることになりはしないかと、少し不安ではあるが(笑)、私欲より公益を優先する殊勝な提案ではある。
ヌハハハハハハ


がんばれ専大北上

at 2007 04/21 22:36 編集

相次ぐ銃撃事件に隠れて、深刻なところまで展開していたのが、高野連の専大北上高校への処分。
かなり重い処分で、かわいそうに、北上高校野球部は廃部になってしまった。

プロ球団から金銭をもらっていたこと、野球部員を特待生として経済的な特典を与えていたことが、高校野球憲章に反する、ということで重い処分になったそうだが、部員に責任はないのにね。
部長と監督、校長や教頭にこそ責任があるのに、こいつらは給料も、(未来の)退職金も共済年金もちゃっかり保証されて、野球部員から夢が奪われたわけで、いかにも不条理だ。

野球部が売りの高校が野球部員を特待生にするのは当たり前だし、部員は当然それを期待して入学・入部する。
野球部員は、高校の知名度のために白球を追い汗・泥・涙の3年間を捧げるのだ。広告活動をやってギャラをもらえるどころか、学費を払うのは考えてみれば変ではないか。

それを、僕が尊敬する「ちちんぷいぷい」のコメンテイター石田英二さんは、「ほな、野球部員は野球だけやっとったらええんか?将来プロ選手になれへん球児が大半なのに、就職することになる子が高校で何も勉強せんままで、ええんやろか」と指摘していた。その意味で、高校野球憲章を盾にした高野連の立場を擁護していた。
なるほど!とうなる指摘だ。

一般論としては、そう思う。
学生時代の僕は、高校は英・国・数・理・社を勉強するところ、大学は法律や経済を勉強するところ、と薄っぺらい正論を信じ込んでいた。アメリカの学生時代の僕はスポーツは文武両道で、学業成績が悪いと選手登録もされないのだ!京大ギャングスターズを見習え!と小声で叫んでいた。

では、高校で、野球と勉強の両立は難しいのだろうか。
たしかに、野球とだけやって、甲子園にもプロにも行けなければ、「その先」が心配になる。
大学で続けるハンカチ王子のような例も、ちゃんとエスカレーターのある高校ならいいが(だから附属高校が甲子園には多いのか)、一般の公立高校だと、進学・就職モードへの切り替えが難しいかもしれない。だからといって、「プロ球団の三軍」みたいになってもまずいだろうし。

そこで僕の考えるのが、クラブチーム会社という受け皿である。
球児もラガーもスイマーもスケーターも、そこに就職して、競技を続けながらスポーツクラブ経営にも貢献していただくといい。

ハンカチ王子や浅田舞が営業に出れば(営業しなくても、それだけで広告塔になるけど)、効果絶大だ。
教えて競技費用をかせいで、成績が出れば生徒が増えて収益が上がる。京大ギャングスターズの塾経営の応用編である。

ただ、球技や水泳のようなメジャーな競技なら、地域でそこそこのお客さんはあるだろうが、陸上フィールド競技などは難しいかもしれない。跳んで走って営業してもらうか?(笑)

僕の守備範囲のウィンタースポーツなど、どの企業もチームを縮小したり廃止したりしているのが哀しい現実だから、選手の皆さん、ペンションのおにーちゃん・おねーちゃんになるか、マタギでもやってもらうしかないのかな。
どんどん特待制度でも奨学金でもはずんで英才教育しないと、中・韓に太刀打ちできなくなると思うのだが。


銃で自衛する権利

at 2007 04/20 23:07 編集

バージニア銃乱射事件の犯人のビデオを放送したことに、遺族が猛抗議しているという。当然だ。
各メディアが、おぉ、こりゃー売り上げにつながるネタだ!と飛びついて公開していることが、犯人の自己顕示欲をかなえてやったあげく、遺族には二重の苦痛を与えているわけだから(日米マスコミ各社は同罪だな)。

こんな劇場型犯罪と劇場型報道の拡大循環は、困った連鎖を招きかねない。これから、ひとりよがりな演説や執筆やブログを見てほしい寂しい人間は、放火や強盗をしでかすと、夢がかなうぞ・・・と考えることだってあると思う(とすると、くまぇりは、もしかしてブログを有名にしたかったのか?笑)。

報道の被害者が声をあげて抗議できる社会は、一見健全だと思うが、それを「紅白戦」のように仕立てて売り上げにつなげるのが商業放送の性みたいなものだから、それがわかると、被害者も遺族も憤懣やるかたなしだろう。

こう連日のように銃撃や立てこもり事件が起きると、アメリカの「野放しの銃」と日本の「やーさま専売特許の銃」は、被害においては大差ないのか?と思ってしまう国民がいても不思議ではない。
だからといって、銃の規制は政府の責任ではあるし、一応アメリカでもやっている。
ただ、ライフル協会のロビー活動が邪魔しているとか、自衛権は合衆国憲法上の基本権だといった事情も言い古されていて、それ以上に肯定論も否定論も発展していない。原則としては規制、ケースバイケースで自衛可、と玉虫色の答えしか出せないのが現実。

具体的に銃がいいか悪いかはさておくとして、警察力があてにならなければ自衛するしかないし、警察も自衛もあてにならないとなると、第三の力つまり裏社会が「わしらが守ったろか〜」ということになる。これがやくざの一つの起源でもあるし。

バージニア工科大学は、ブッシュ大統領の追悼メッセージの中でも「Virginia Tec community」と呼んでいたように、大学村ともいえる1つの共同体で、医療や警察も備わっている。
こういう囲いの中で、武装を警備員だけに許可して学生は徹底的に非武装、というのもアメリカの自治警察の伝統になっている。

それでも、優秀な工科大学だと内部で催涙ガスやボールペン偽装小型銃ぐらい作ることはお茶の子さいさい!なんて学生もいるだろうし(プリンストン大学の4年生で原子爆弾を開発した秀才もいたっけ)、水も漏らさぬ武器の規制となると、不可能に近い。
その気になれば、岩石でも、ワイドショーお得意の花瓶でも、人を殺傷することはできるから、完璧な「刀狩り」は難しい。

しょせん無理だから解禁してしまえというつもりはないけれど、実際、銃で襲ってくる凶悪犯がいれば銃で立ち向かうしかないし、家族が銃で脅され誘拐されて行く現場に居合わせて、その場に銃があれば、僕はためらわず使う。

夜道を歩く女性の恐怖感は、ときどき前を小走りされてカチンとくることもあるものの(僕の人相からして、まぁわからなくもない)、冷静に考えるとよくわかる。
かよわい女性に限って、ナイフ、スタンガン、催涙スプレーの携帯は認めてもいいと思う(かよわいかどうかは、ワタクシが面接で決めます)。
痴漢に遭ったら、カッターで反撃するぐらい無罪としてもいい。
女性一人のアウトドアだと、正々堂々とナイフを持ち歩けるし、いざとなれば犯人は谷に埋めれば大丈夫。

もちろん、過剰防衛はいけないから、銃は最後の切り札にしておくべきだが、いちがいに否定はしない。僕はアメリカに住むなら銃は持つと思う。
ただ、銃まるごと規制ではなく、銃弾は「南天の実」に限定するとか、日本では和風テイストの条件をつければよろしいのだ。
弓矢や吹き矢、手裏剣を解禁して、強盗には毒矢、空き巣には落とし穴、セクハラには由美かおるでやり返せば、たとえ犯人が死んでしまっても、全国民しみみじみ納得すると思うぞ。
不謹慎か?


棄国子女のゆくえ

at 2007 04/19 22:33 編集

一人と32人とでコトの深刻さを測るつもりはないけれども、銃犯罪といえば、バージニア工科大学の乱射事件の方が、衝撃的だった。
日本でも、これから首長への銃撃と、学校での大量殺傷事件は、同じくらいの確率で起こりそうな気がする。

バージニアの犯人は、ジェリーという妄想の恋人がいたそうだ。
僕も、猫家族と暮らす中で「トムとジェリー」を見ていたが、ねずみのジェリーの方がなんともキュートで好きだった。まさか、あのジェリーではないだろうけど、妄想上の彼女といえば、メイドやコスプレやアニメの世界とつながって見えてくる。もしかして、犯人は日本のサイトをサーフィンして、萌えまくっていたのかもしれない。

しかし彼の一家が韓国から移住してきた土地には、なんと韓国人5万人が住む移民町までできているという。
夢を求めて一家で移住するというのも、明治時代の日本みたいで、とりあえずそのバイタリティには感心する。仕事熱心で教育熱が高いのも、それはそれで美徳ではある。
それが、子供だけ留学という形ではなく、一家で祖国から脱出するというのは、まるで経済難民でhないか。韓国社会の暗部を見たような気がする。

日本人は、こうは考えない。
いや、貧困で苦しんでいる生活弱者は五万といても、「だからアメリカ」「オーストラリアもいいかも」とは考えない(老後移住は別として)。当然、言葉の壁もあるし、医療や福祉のシステムがあまりにも違うから、「移住のコスト・ベネフィット」を考えると冒険者はほとんど出ない。

国民の移動性というのは、国によって違うものの、年々高くなっているようだ。アジアだと出稼ぎ大国フィリピンやタイも労働力を輸出しているし、中国人も歴史的に全世界に「遠征」してきた方だが、日本は概して外に出ない。また、移民を受け入れない。

それで「日本は遅れている」と批評するのが知識人の常套句だったが、外に出ればいいというものでもないし、人材に困れば外から補充すればいい、ともいえない気がする。

どこかの国の国益になる人材はどんどん招かれて行けばいいと思うが、生活苦から日本を捨てて他国に行く日本人は、まずいない。一方、従軍慰安婦や植民地侵略や領土問題で難癖をつけながらも、その憎らしい日本をめざして入国してくるアジア人も多い。

ともかく、そういう国であるということは誇りに思って、祖国を捨てる韓国人の多さと、日本市場でボロもうけする一握りの韓流スターとの格差を考えると、あちらの方が「希望格差」は深刻ではないかと思う。

せっかくアメリカンドリームの大地に渡っても、大阪あたりの開放的なコリアン・タウンとは違って、まるで租界のように独特な韓国町を造っていると、アメリカ人からは不気味な存在に映るのではないかな?と老婆心もわいてくる。
家族もろとも祖国を捨てる覚悟でグリーン・カードまで取っていると、後には引けない悲壮感が、同胞を一カ所に結集させるのだろうか。

アメリカ社会の中に囲った塀の中で、精神的に煮詰まってしまうと、「安心できる祖国に戻る」という選択肢は残しておいた方がいいのかもしれない。移住先に適応できなかったとしても、恥じるべきことでもない。
結局のところ群れていないと不安で生きて行けないのなら、祖国で団結・連帯して豊かな社会を築いて行く方が、賢明ではないのかな?

いや、そんな異文化摩擦だ、(昔はやった)パリ症候群の21世紀版だ、といった難しい背景でもない可能性はある。
成功した姉と、ぱっとしない自分を引き比べて自暴自棄になっただけだとすると、日本でもあった兄弟姉妹間の屈折した劣等感が根っこにあるのかもしれないし、パリ人肉事件の佐川一政君(先輩だ!笑)のような鬱屈した性幻想があったのかもしれない。セレブへの恨みを書き綴った声明文や、やたらマッチョに「武装」した自画像に、そんな一面も感じるのは僕だけだろうか。

それでも、韓国人の棄国はやまないだろう。
国民が逃げ出す国に未来はない。韓流といったって二昔前の日本の青春ドラマをなぞったようなドラマで、ジャパンマネーを荒稼ぎしている場合じゃないよ、格差是正や年金・介護改革をちゃんとやって、「北」の兄弟を吸収合併できるぐらいの国力をつけてほしいものである。


テロではない

at 2007 04/18 16:14 編集

長崎の伊藤市長が銃撃されて死亡確認されるまで、心穏やかでない夜中をすごしていた。

事件そのものは忌わしいことであっても、不謹慎なのか、僕はふと「でもなぁ・・・重くて無期懲役、ひょっとして有期刑で判決が出てしまうんちゃうかな」と量刑を考えてしまっていた。

長崎では、17年前に本島市長が天皇の戦争責任を口にして狙撃された過去があるから、その事件を思い出す国民がいることは、否定も批判もできない。
ただ、大スポでも女性週刊誌でもない一般紙が、大衆目線におもねるのはまずい。
犯行そのものよりメディアでの扱い方の方が、国民への影響力が大きいから、報道のされ方も含めての事件として、僕は考えさせられてしまった。

よりによって、市民運動家や教育者や女性や子供に支持されている旭新聞が、またまた社説でピンぼけぶりを発揮しておるぞ。
書き出しは「この卑劣なテロを断じて許すことはできない」である。
そんな、ばかな。これって、テロ?

犯人が、今まで公共工事入札や道路工事のトラブルで役所に因縁をつけていた前歴は少しずつ報道されているものの、「私怨から及んだ凶行」以上の背景が、今のところ見当たらないではないか。
年収2000万円の論説委員殿は、犯罪とテロリズムの区別がついていないのか・・・ついているなら「旭によるテロの定義」を見せてほしいものだ。
体制の転覆を狙う政治的・思想的な組織または運動がバックにあって、犯行を正当化するような宣言があって、実行者はヒーローとして賛美するシンパが一定数いる破壊行動――がテロだと僕は考えているのだが、旭の辞書に従って扇情的な社説を書いた方が、ドラマチックといえばドラマチックではある(売り上げ、伸びるかな?)。

つづいて、社説は今回の事件を原爆と強引に結びつけて「被爆地で繰り返される凶行に、強い怒りを覚える」と書いているのだが、おいおい、むやみに誇張してはいかんよ。
「役所を恨んで、そのトップを殺した」短絡的な犯行である以上の動機がわかっていない。そんな時期に、被爆地の市長だから強く憤るという感傷的な論説委員さんは、被爆地でないところの首長だと、どう憤ってくれるのだろうか。もし広島出身のテロリストが「祖先の仇だ」とワシントンに爆弾テロをしかけたりすると、「同情の余地はある」とでも書きそうな気もする。

妙な結びつけで怒りをふくらませる旭の回路は、間抜けな自損事故を起こしたチンピラが市役所にいいがかりをつけて、「わしがヤクザやから鼻であしらっとるんか!?」と凄むのと、皮肉にも似た発想ではないだろうか。
まるで、道端で体が当たってけんかになった日本人とアメリカ人が、「ノーモア・ヒロシマ!」「リメンバー・パールハーバー!!」と怒鳴りあっている(と報道されている)ような話で、旭は案の定、これを「反核運動が萎縮するのではないかと心配だ」てな方向にねじ曲げている。
はて、犯行の動機は「反核運動に反対だから」なのだろうか。犯人は、「暴力で言論を封殺した」のだろうか。

まだ、これから凶行の背景は見えてくるかもしれないが、犯行後たった数時間で「やくざが市長を撃った」事件を、「暴力による反核運動弾圧・言論封殺」へと変身させてしまう社説は、こわい。
悪意でないなら、ひょっとして論説委員殿は、タミフルのみつつ書いていたのかもしれない(笑)。

あらかじめ、長崎や広島といえば原爆、NPOといえば善良、政治家が襲われたらテロ・・・というような貧相な回路があって、刻一刻と入ってくるニュースをその貧相な回路に通して社説らしきものに仕上げて生産していることが、よくわかる。
こんな見識で、思想事件と粗暴犯との区別ができるのだろうか。
殺人犯をテロリストに「格上げ」して断罪する旭の論調が売り上げを伸ばすような社会も、こわい。


歴史認識は地理認識

at 2007 04/17 23:25 編集

温家宝さんの「スマイル訪日」が絶賛されていて、中身をみるとたしかに画期的ではある。
祖国にも生中継した国会演説で、日本のODAに感謝してみせたり、農作業のまねごとや野球の始球式までやって、フレンドリーな中国首脳の顔をアピールしたようだ。

もちろん、政治的な思惑も背後にあるんだろう・・・と賢明な日本人なら眉に唾していたに違いない。日本の若者との交流の舞台になっていた立命館で、学生たちは、東シナ海のガス田開発の問題やチベット問題をちゃんとぶつけたのかどうかも疑わしいし。

それでも、まぁ難しい次期の訪日外交には、ソフトムードの効果的な人選だったとは思う。江沢民や李鵬のような鉄面皮だと、卵でも投げられたかもしれない。
感覚人間の僕は、「あぁ、ええ感じやん」と印象づけられると、とたんに友好ムードになってしまうが、そんな日本人も少なくないはずだ。

いったい、どんな演出が国民感情をソフトに溶かす効果を出すのだろうか。
まず、「日本語がうまいこと」も、少数民族者日本人からすると得点アップ。納豆や日本酒、漬け物が好きといえば、ボーナスポイントがついたりする。ダニエル・カールやジェフ・バーグランドは、このあたりの達人だ。

あと、アニメやコミック、J-POPなど日本文化を持ち上げるのもイマ風で効果的だろう。
たとえば、アンパンマン商品を買って、「やはり、日本文化はすばらしい」とコメントしてもらうと、海賊業者が中国のアニメとして販売して消費者もそう思い込んでいる祖国(中国)では、大問題になるかもしれない。だからこそ、実現しにくいだろうけど。
そんな著作権問題などは、日中間の「こぼれ話」程度のトラブルだと思うが、やはり大きな火種になるのは、歴史認識の問題と、そこともつながってくる台湾の承認問題だろう。

特に、スマイル訪日の狙いは北京オリンピックと上海エキスポを、日本の協力も誘い出しながら成功させることにあるらしいから、立命館の学生は単刀直入に聞けばよかったのだ。
「台湾選手は台湾代表でオリンピック参加できますのん?」と。

僕ぐらいの世代は、まだ角栄さん政権のときの「赤い中国」承認をリアルタイムで見て知っているものの、今の学生世代は、「中国と台湾は、日本列島と佐渡島みたいなもの」としか見ていないかのような気配が気になるところではある。歴史認識と重なって、地理認識も問題にしたいところだ。
北は北方四島から南は尖閣列島まで、日本の国境は描きにくそうな少年少女もいて、それがたんなる無知ではなく、線引きをためらう何か微妙な問題であることを匂わせるのだ。

おそらく、高校時代までに教師もためらいつつ教えてきたせいかもしれない・・・てな気配まで漂ってくるのは考えすぎかな?
それほどに、歴史と地理の交錯する外交問題というのは、アジアに旅する(こともある)日本人にとって、重い十字架じゃなかろうか?と思う日中関係である。


矢祭町のゆくえ

at 2007 04/16 23:33 編集

統一地方選挙の後半の目玉は、やはり出てきました羽柴秀吉!の夕張市長選。
・・・は、実は人騒がせなだけのニュースで、僕が考えさせられるのは、合併しない宣言&住基ネット不参加宣言で有名になった矢祭町だ。

名物おとっつぁん根本町長は、町民から一斉に「やめないでコール」が湧き上がろうと、涙ながらに慰留されようと、頑として引退するつもりらしい。
こんなに納税者から慕われる首長は、政治家冥利に尽きるといえそうだし、実際それだけの功労者なのだろう。小さな自治体だからこそありえる話だろうが、うらやましい町ではある。

そこへ、あえて難癖をつけるなら、たとえ過去と現在の実績、人気は抜群でも、根本町長に欠けていたのは、後継者を育てる能力だったのではないだろうか。
引退後の政策継承を考えていたのか、手を打っていたのかどうかはよそ者には察しきれないが、スーパーマンに往々にしてありがちなのが、自分に代わる人材への政権移行がなかなかすんなり行かないこと。

自分の力を過信しているのか、「まだまだ自分がやれる」とおもっているうちにバトンタッチの機会を逃してしまうのか、結果的に一人帝王になってしまうのは、政財界だけでなく、名医や名匠、名シェフの世界でもみられる晩節の姿だ。

僕の身近にも、「先生の方法論を、ぜひ目にみえる形で残して、グループの知として受け継がせて下さい!」と思って、実際何度も何度も求めたのに未だ実現しない名医がおられる。
決して自分の力を過信しているような、驕り高ぶった人物ではないのだが、どうも本心がわかりにくいし、「側近」もいないので、話すたびに隔靴掻痒の感がある。こちらとしても、別に野心があるわけではなく、ともかく先生の業績にしろノウハウにしろ、埋もれたままではもったいない、と思うばかりだが、「盗む」にも限界がある。

こんな経験を反面教師にして、自分の世代からは「現場の知」や失敗例や改革など、できるだけきちんと方法論として構築して行かなければと考えるのが、せめてもの下僕(笑)の企てなのだ。
知識経営だ形式知だ可視化だとスローガンばかり空回りして、どんな組織でも職場でも、知の伝承は実際のところ大変な難作業だと思う。団塊世代の引退で本当に問題なのは、年金財政より、蓄積された知恵が死蔵されることではないだろうか。
引き継ぎをうまくやらないと、素人集団ばかり残ってしまうぞ、政界も企業も、病院も学校も。


お宅に一票

at 2007 04/15 23:33 編集

渋谷区を萌える街にする!と区長選に立候補表明したのが、あらお久しぶりの宅八郎。
こんなとこに出現するなんて、まー、タクらしい!
選挙活動は、また森高人形を片手に絶叫して回るんだろうか。ウグイス嬢は、もちろんメイドぞろいで・・・これは、けっこう得票するかもしれんぞ。

横山ノックのようなおっさんが同じことをやれば、限りなく真っ黒に近い灰色セクハラでしかなくて、実際ノックは強制わいせつ犯になった。
その犯罪を、マニア道楽の世界へとカムフラージュしてしまう装置が「ヲタ」の記号だから、宅に始まるヲタ・ブームはうまいことやっているといえなくもない。

たとえば「萌え」なんて、ICPOまで動く重罪ときわきわな趣味だったのが、萌え〜と「〜」をつけてだけで、ただのもてない野郎たちの画面上の道楽にしか聞こえない。あけすけに「幼児性愛」と呼んでしまうと、身もフタもないからね。
金妻から失楽園、愛るけまで、包装紙だけはとっかえひっかえされてきたのと同じで、けっきょく黒幕はD通か?と思ったりするのは僕だけだろうか。

宅八も、「いかにもヲタ」な姿形をしているが、実はものすごくストイックなマイホームパパだったりするかもしれないし、いや逆にショタコン系かもしれない(後ろ・・・いや後者の方が確率は高い)。それを、フィギュア・フェチでカムフラージュしているだけだったりすると、闇は深い。

ふつう政治資金や事務所経費の闇をえぐる議論が戦わされる区議会が、「宅区長!あなたは森高が好きなんですか、実は江口洋介に萌えているのではありませんかっ!!」と糾弾されていたりして(笑)。
ばかばかしい、とはいえ、そうしてワーワーさわいでいるうちに本当の闇がうやむやになってしまえば、水面下の魚影たちは安泰だ。永田町には、「私も実はヲタ」を呼び水にして、首相の椅子を狙っているセメント大臣もいるようだから、

クィアはクィアで、うそも隠しもせず正々堂々としておいてほしい。いや、あまり堂々と近くにはいてほしくないけど。
変な要望だな。



美しい四十代

at 2007 04/14 23:31 編集

運営にかかわっている研究会が主催する・・・といっても、院長先生の頭の中で1から9まで「決定」している終末期医療のシンポジウムが、今年は仕事と重なってしまった。
だれか代わりにのぞいてきて、報告してくれませんか?
と職場で呼びかけると、年配のお姉様が、とりあえずパンフレットだけ受け取ってくれた。

社会福祉士の卵であるから、自分に合った活躍分野が見つかり、いいMSWになってくれたらいいと願って、激しくエールを送っておいた。
実際、そうなりそうな予感もある。僕の経験では、期待に応えてくれる確率は、おじさん・おばさんの場合100%であった。
たとえば、40歳で臨床心理士を志して苦節4年で就職した奥様もおられたし、舅の介護を機に高齢者福祉を勉強しはじめた元女子アナもおられた。
別に若い世代を軽視するつもりはないものの、「四十の手習い」は、こと切実なモチベーションに突き動かされた向学心は本物だ。こういう大人こそ紳士淑女だし、「円熟ニッポン」を支えて行けると思う。

むやみに、若い(だけの)ことに価値を置く社会は、高齢化をどう乗り切るのだろう?
と僕は思うし、三十路、四十路になってもキャピキャピした(=死語)若さにしがみついている大人は哀れでさえある。まるで演歌のような哀愁をたたえているのは三十路あたりで、四十をこえて一念発起した人々は、ドリカムであったり渡辺美里であったりする!(笑)

若さはそれだけでは美徳ではないし、冷静にみれば未熟で無知なだけ(ときに無恥は大発見やチャンスにつながることはあるけれど)だったりするから、猿みたいな暗記作業はできても、たとえば「社会主義は何を残したか」「この患者さんの痛み・つらさの本質は何か?」「」に答えることはできない。
だから媚びるのはやめて、「大人の世界」に生きて、「大人の矜持」というものをどーんとかまえていればいいと思う。ね、ヨシムラさん!

もちろん、何かを教え導く責任は大人にあるだろうが、ボケッーとしてて旨みが与えられるわけではないことを学習してもらわなにゃ困る。
第二新卒だから、と新卒より一皮むけた気分でいるあんちゃん・お嬢ちゃんの尻は、まだまだ青いわい。ヌハハハハハハハ


代理母と代理妻

at 2007 04/13 22:31 編集

産科界のブラックジャック根津医師が、日本でなかなか認められないのに業を煮やして、代理出産のボランティアを公募してしまった。
代理出産、ボランティア、公募とトリプルパンチで驚く。
1つ1つは聞き慣れた言葉だが、代理出産とボランティアが組み合わさると革命的というか、なんというか・・・。

今までも、母が娘の代わりに孫を出産する例はあったが、今回あえてボランティアというのは、近親者でない他人で産んであげようという篤志家を掘り起こす企てでもあるようだ。そもそも数百万もらったとしてもリスクのある「代行業務」を、ボランティアでやろうという奇特な人が続出するなら、国も動くかもしれない、とふんだのかもしれない。

しかも、すでに数件の申し出があるというから、これはボランティアというより、根津医師へのエールだったりするのではないだろうか。

それほど、代理出産は福音のように受けとめられているのだとすると不妊の当事者のお気持ちはよくわかるし、個人的には代理出産には賛成だ。代理母のリスクや、子供にとっての親の認知の問題など、いろいろ課題は取り沙汰されているけれど、「だから禁止する」のではなく、課題は法整備や医療・福祉のきめこまかな対応で乗り越えて行けばいいと思う。
そうしたフォローを経た上でのリスクを考えれば、今までならあきらめていた、「自分の血を分けた子供」を抱けるメリットの方が、明らかに大きいのではないだろうか。

だから、それほど望まれた子供を代理で産んでくれる女性に、ボランティアはないでしょうに?とも思う。
むしろ逆で、ビジネスライクに「報酬1000万円」で公募した方が、新生児の引き渡しはうまく行くのではないだろうか。ボラティアで産むのは我が子の出産と変わりないから、親子関係とまぎらわしくなると、産んだ子に情が移ることもあると思うのだが、こればっかりは、まったく自信のない憶測でしかない。

保守的な政官界や産科学会は、産みの母と子供に限定した母子関係を重視するあまり、まるで神聖視しているようにも見える。
「赤の他人がお腹を痛めて産んだ子」がどう問題になるのか、なるかならないかも含めて、だれも予知できない。「この子の出生の秘密」なんて風に隠し立てをする風土がそのままだと、たしかに子供は気苦労をかかえるだろうから、最初からオープンにしてもいいのではないだろうか。
むしろ、メリットにも注目すれば、産みの苦しみが人まかせになることで、夫婦の育児負担をクリアに割り勘できると考えることもできる。

もし、代理母が赤の他人であることに難癖をつけるなら、代理出産を依頼する夫婦に限って、妻とは別に代理母を(側室とでも名づけて)家族として認めるように民法を改正すればいい。つまり、一夫二婦制である!ヌハハハハハ
卵子の母も産みの母も、ちゃんと一緒に暮らして子供を育てれば、負担は半分になり、夫の楽しみは2倍になり、妻(母)は倍ぐらい稼げる。名案だと思うがなぁ・・・。

もし、二人の母がケンカすれば、「何よ、産んだわけでもないくせに!」「あなたこそ、血がつながってないじゃない!!」と深刻なキャット・ファイトになりそうだから、板挟みになった夫(父)は、子供を連れて実家に戻る・・・と。
めでたし、めでたし。


新人ブックス

at 2007 04/12 23:28 編集

乙武くんそっくりの小学生(か中学生か?)が、電車で『乙武レポート』を熱心に立ち読みしていた。いい眺めだった。
ゲーム機や塾のドリルをやっている子供は、つい邪険に見てしまうのに、読書している子供や淡い鯉を語っている少女は限りなくほほえましい。

それに、読書と恋愛は、おじさんのトシになるとなかなかできなくなるものだから、うらやましくもあったりする。
もちろん、仕事に役立つ文書をこなして行くような「作業」や、通りすがりの乙女に萌えるぐらいのことは、もう毎日のルーチンワークになってはいるけれど。

夢中になれるとか、没頭できるものは、貴重な救いの場だと思う。「飲む・打つ・買う」は金食い虫の麻薬みたいなものだから、読書なんか超ローコストのエンターテイメントだと思う。ときには人生が変わったり脳天を打ち破られたりするわけだから、読書おそるべしである。

人間関係もすぐリセットできて、入試も楽々で育ってきたあんちゃん・お嬢ちゃんが最初に壁にぶち当たるのは就職なのかもしれず、壁を越えるためのマニュアル本が書店にあふれている。
この、「新社会人が読むべき本」の類も僕は注目していて、けっこうためになったりする。敬語の使い方やファイリングなど、僕は全然なってないから、おおいに参考になる。「うむ、なるほど」と思うだけで実践しないのが難ではあるが(反省)。

だれとは言わんが一文ごとに改行しているようなスカスカ本や、ビニールカバーのついた「ありがた本」(自分の本を聖書のようにしたがるやつがいるものだ)は無視するとしても、山崎武也さんのビジネス訓話エッセイ(?)は、しっくり頭に入る。
人間をバカと天才に分ける乱暴なパラダイムの持ち主でないことは確かで、「おまえの人間性を見つめなおせ、そして陶冶せよ」といわんばかりの静かなメッセージが伝わってくる。

扇動的な文体でもないし、「不良社員でいい」なんて破滅的なことをすすめる(笑)でもなし、「そういえば、そうだよなぁ」と気づかされて、すとんと腑に落ちるような感じ。名文の書き手だと思う。
いま読んでいる角川新書の『一流の矜持』は、冠婚葬祭や印鑑の扱い方など、おそらく親から子へ受け継がれて行くような処世訓も書かれていて、率直にありがたい。

ただ、深い教養とワールドワイドな経験に裏打ちされているのはわかるが、ユーモアは感じないから、「語り聞かせ」がおもしろいかどうかは何とも察することができない。

山崎氏はちょうど僕の親世代だから、亡き父に代わって世渡りを活字で教えてくれるような存在だ。
いつか、越えられるのだろうか。
「うぬ、なるほど!」と思っているだけでは、永遠に足元にも及ばないだろうけど。


人質救出術

at 2007 04/11 22:47 編集

統一教会もからんでくるからこそ、限りなくクサいなぁ・・・と考えさせられてしまうのがパラグアイの邦人誘拐事件。

案の定、どんどん身代金が吊り上がっているという。あと一歩で交渉成立、犯人確保というところで、カタン、と「ワンメーター上がる」感じ。
これって、どうだかなぁ・・・やっぱりねぇ・・・の世界である。

もしかすると、被害者の側に、誘拐犯とつながっているやつがいないか、交渉役というのが、実は犯人そのものだったりするのではないか、警察も実はグルではないか・・・こんな疑問を否定する証拠がないのだ。

現地関係者が、われもわれもと誘拐ビジネスに参加して、ギャラを吊り上げているとしか思えないフシもある。
とすると、綱引きをしている犯人側とこちら側との力関係を見て、「犯人の周辺」が、どっちにつくか選ぶのではないだろうか。

そもそも、こんな誘拐ビジネスを成立させないためには、とにかく身代金を支払わないことに尽きる。
わりにあわないことがわかれば、反抗の代償の大きさを考えて、抑止につながる。人質を殺せば情状酌量の余地なく死刑、解放すれば死刑にだけはしない、という量刑基準が、インセンティブになるかどうか。
強く出るのが難しければ、ひたすら犯人のメッセージを黙殺して、交渉を無視するぐらいが、せめてもの抵抗になるだろうか。

と机上で理屈を練っていても、実際には誘拐ビジネスはなくならないだろう。もし自分の身内が誘拐されたら、公安でも現地に顔の利く交渉役でもなく、金で手を打つことを選ぶ人だっているわけで。

また、そういう身内のいる人質を厳選して誘拐するのがプロというものかもしれない。
「そんな人質はくれてやる。煮るなり焼くなりご自由に」とでも言われたら、犯人が間抜けなだけ。「あぁ、人質の人選をまちがえた」と嘆くしかない。

もっと間抜けな誘拐は、仲間に裏切られることだ。
身代金の分け前が少なければ、「イチ抜けた」で人質を誘拐して、単独交渉を企てる裏切り者も出るかもしれない。僕なら、そんな呼びかけをして値切るね。「1億円要求して、お前ら何人で分けるのだ?人質を連れて来てくれたら、5000万円を個人的に支払おう」とそそのかすと、たぶん犯人グループは仲間同士で監視しあうことになって、ことによっては内部分裂してくれるかもしれない。そうなれば、こちらとしてはチャンスになる。
これは、労組を切り崩すとき経営側が使う手でもある。

毒をもって毒を制する手もある。
1億円要求されたら、「犯人グループを知っているゲリラの皆さ〜ん、人質を取り戻してくれたら5000万円あげますよ!」と呼びかける。懸賞金をエサに、釣るわけである。応じてくれたら感謝されて、懸賞金ももらえる。ついでに、犯人を私刑しても許す!とそそのかすと、もう裏社会で相打ちが始まるね。
たしか日本赤軍も、これと似た内ゲバで自滅して行ったのではなかったかな?(リンチは公安がそそのかしたことではないけど)。

もちろん、毅然とした姿勢で交渉するのは公安の建て前かもしれないが、公安と誘拐犯の線引きが釈然としないような場合だと、目には目をでずる賢く交渉することも、選択肢としてはあり得ると思う。
フィリピンかどこかで、「旧日本兵が潜伏しているのを知っているから、出てくるよう説得してあげよう」とかいう原地の顔利きがいたことを思い出す。交渉代理人という建て前で、マスコミや政府から金をゆすろうとする輩がいるだけのこと、と種明かしされてしまうと、この「スクープ」は雲散霧消してしまった。

疑って疑って、相手側を動揺させて内部分裂に持ち込む術が成果をあげれば、たとえば偉大なる将軍様の国に拉致された日本人の救出にもつながるのではないだろうか。
ならば、裏切り者としての「英雄」をあぶり出すことである。

うなるほど鮮やかな救出劇を、ぜひ見せてほしいものだ。
安倍首相、できますかな?


統一宇宙選

at 2007 04/10 22:44 編集

統一地方選挙は、期日前投票をすませておいた僕のような「一応まじめな有権者」がそれほど多くなかったのか、神戸での投票率は過去最低だったようだ。

僕の投票した候補者は市会も県会も当選したけれど、フタをあけてみるまでハラハラ・ひやひや・ドキドキの方が楽しめる。
たとえば岩手県知事選の有権者は、「ひょっとしてグレート・サスケ知事が生まれるかも!?」とワクワクまたはヒヤヒヤしていたのではないだろうか。

その点では、やはり都知事選のような「妙に全国区」で、ひとクセもふたクセもある候補者が、くんずほぐれつバトルを見せてくれる方が、少しは関心を呼び起こせると思う。「枯れ木も山のにぎわい」だからね。

そのわりに、ふと気づいたのは、最近とんとトンデモ系の候補者が出てこないのが寂しい限りだ。羽柴秀吉も、ちょっとスタミナ不足だし。
まぁ、ドクター中松も黒川紀章も、ある種トンデモじいさんかもしれない(工学部出身なのは共通点だ)。

サリンや震災で本州が揺らいでいたころは、けっこうエスパー系の候補者が出ていたような気がするのに、最近みなさんどうしておられるんでしょう?
ライフスペース高橋さんは獄中だし、パナウェーブは教祖永眠、先週どこかで久々の死者復活系の信者がニュースになっていたが、これとて政治的な力を発揮しているわけではない。

崇め奉るのはイワシの頭でも何でもいいから、やはり全国民を幸福にするような政策なりビジョンなりを示して、選挙を闘ってほしいやね。
幸か不幸か、この畑の活動家は、国際関係や金融となると手を出せず、マニフェストは心のケア!と子供を救え!ぐらいしか出せない。だからこそ、かえって「それぐらいならわかる」浮遊層が支持するかもしれないぞ。郵政民営化!だけで躍らされる国民性なんだし。

参院選では、宇宙パワー炸裂を期待したいものだ。
がんばれイオンド大学!たま出版!(笑)
上祐がんばれとはいいにくいが・・・(現実味があるからね)。



初陣さぬきうどん聖戦

at 2007 04/09 22:46 編集

日曜日は18切符の消化試合。ったく、このノルマ感はくせものだ。
こんなチープ旅行を知らない女子隊員たちを誘って、前々から懸案の讃岐うどんの聖地をめざすことにする。

「近いから10時集合でよかろ」と決めると、「早く帰りたいの私」という女子意見に軟弱なワタクシはよろめいてしまって、通勤時間帯へと繰り上げ出発になった。
すると、日曜日なのに通勤ラッシュそのもので、気合いのこもったシルバー部隊がひしめいている。しかも、網棚にはリュックや旅行カバンばかり乗っていて、いやーな予感がする。

18切符有効期限直前の日曜日だから、さては皆「そっち系」の行楽客だろうか・・・ヌヌヌ・・・と察しても、もう遅い。とにかく、途中の駅でさっぱり客が減ることはなく、全員がずっと乗りっぱなしなのだ。

終点で、乗り継ぎの電車にどどどっと皆ダッシュして全速力で走り込む「18切符シルバー軍団」は、あっけにとられている我々より、はるかに闘い慣れしているようであった。
結局、岡山まで3時間のうち、2時間は立ちっぱなしの道中になってしまった。

寝不足もあって、出端から疲れ気味で訪れた高松は、僕にとっては初めての「香川県上陸」である。
ただし、時間の制約もあって、あちこち観光して回るわけには行かない。女子1号が下調べしてきてくれた店2軒を攻めることにして、まずは栗林駅へ。塩田うどんというサイトをちゃんと設けている製麺所つき店舗からお手並み拝見である。
静かな住宅街を歩いて、すんなりと戦場に到着。

まずはめいめい、釜あげなどシンプル・メニューを注文する。食券を買うようなカウンターで「**うどん、熱いやつ」と言えば現物が出てくる明快さ。
そして、味は上々だった!うれしい初戦完敗であった。
うわさ通りのコシの麺に、汁の味がよくなじんでいる。関西風の薄味うどん汁が嫌いな僕にとってはうれしい、香り高い醤油ベースの汁である。

かくして、第一戦目からして、3名そろって大好評だった。
店内で製麺作業もしているので、取材班と、取材班の取材班(笑)はデジカメ片手に忙しい。いい社会見学になったぞ。

「あーごちそうさん、うまかったねー!第二戦目にそなえて少し時間とって、腹こなししましょう」ということで、栗林公園で花見がてら休憩。
人出はすごかったが、桜も満開で、あちこちで整然と花見のシートが広げられていた。庭園もよく整備されていて、落ち着いた感じで散策ができる。写真だけだと周囲のにぎわいを感じさせないようなカットも撮れた。

適当に腹がこなれたころ、てくてく30分ほど歩いて2軒目の「大円」へ。
ここの麺はつるつる柔らか麺で、少し讃岐うどんのイメージからは離れた食感だった。
ふつうの大衆食堂みたいで注文もしやすかったのは、けっこう観光客が来ているからで、壁には雑誌の切り抜きペタペタ、ほかの客はケータイカメラでパシャパシャやっている気配。
ここでは女子隊員が3人前500円という乾燥麺を買っていた。なんとなく、こっちは負けた気がしないから、戦利品か?

こうして、ひかえめに2軒だけ回って、讃岐うどん聖地のごくごく端っこを踏んで、琴電でJR高松に戻り、関西へトンボ帰りした戦麺部隊であった。

反省点としては、なんといってもリーダーシップ不足。
電車の段取りがまずかったな、明らかに。
岡山で乗り換えるのは初心者!一駅だけ下りに乗って、上り電車に乗るべきなんだよ!
と、つい横見浩彦成分が分泌されてくるのを感じる。ひかえめな性格の僕は口に出せないだけ(笑)。

ただ、女子隊員のマニアックなトークや、職場のこぼれ話などうかがっていると、立ち話で時間を忘れる。おしゃべりのおかげで、立ちっぱなしでも気が紛れた。
旅は道連れ、世は情けである。
気がかりなのは、たとえ1600円とはいえ、「鉄分序の口」の旅にウンザリしていないかどうか。戦意喪失していなければ、熊本へ遠征が待っているからね(ヌハハハハハハハ)。


週末マニア相乗効果

at 2007 04/08 23:11 編集

マニアックな週末だった。
土曜日は接待で雨の中、モトコーをだらだら歩いて小物をあさり、スイ〜ツハーバーで「糖分補給」。ウホホホホ、うまいうまい。

その罪滅ぼしになったのかなってないのか、元町に新規開店したブルブル振動ダイエットマシンに10分500円で乗って大笑い(いやもう、自然に笑けてくるのだ)。
10分で500Kcal燃えるという。ほんまかいな。
おかげで、げっそり脂肪が落ちたつもりで(笑)三宮へと足取りも軽く、いつもの野郎ども2名と合流して、4人で飲み会になった。

いやもう、四国から何度もはるばる、よく来るねぇ!と下心みえみえで(?)平井犬がほめちぎり、初顔合わせになったヒロユキ君と女子はさっさく打ち解けあってバター*の話題で盛り上がり、ゲスいねたで4人の絆は堅く結ばれたのであった。
あぁ…!!

僕は別の野暮用で中座したのだが、そのあと3人でブルブルダイエットマシンに乗りに行ったとかで、「ゲッソリやせました」「感動の速効です」「信じられない!!」と、うそくささ満点の報告がメールで着信。ま、脂肪燃焼はともかく、飛びつく伝染力は旺盛なようだと認めてあげよう。

宴はおひらきになり、平井犬が愛車に戻ると、車上荒らしに遭っていたらしく、とんだ災難だったようだ。
あと一歩のところでつかまえそこねて逃げられたそうで、「気をつけようねー」と落胆メールがきていた。ほんと、お気の毒に・・・。

楽しい宴席と、寒々とした窃盗事件との裏表もあわただしく、こうしてあたふたと土曜の夜は更けて行った。
日曜日は日曜日でマニアックな難行苦行の1日だったのだが、それはまた明日…。


高松塚ランドにするか?

at 2007 04/06 23:18 編集

高松塚古墳の壁画が、やっとのことで解体修理されるというので搬出されるニュースに、涙ぐんでいる「考古学ファン」が画面に映っていた。
いやもう、考古学ファンというより、今と古代をつなぐ想像力の持ち主なら、この壁画には格別の思い入れがあると思う。僕も歴史や考古学は苦手な方だが、忘れもしない札幌オリンピックの年に発掘された高松塚古墳の極彩色の壁画の美しさには小学生ながら魅せられたし、記念切手も買ったぞ!(笠谷幸夫か高松塚か浅間山荘かと画面くぎづけの72年であった)。

発見当時の美しさを知っているから、管理の手落ちかどうか何ともいえないが、哀れに色あせてカビだらけの現状を見て、自分の財産でもなく、わが町の名物でもないのに、同情と憐憫があふれてくる思いがした。
ぜひ、これ以上の腐敗は食い止めてほしい・・・
と願う反面、これが古墳の運命なのか?とも思う。日の目を浴びた瞬間から、別次元での腐敗が始まって、あるものは盗掘されたり、あるものは売買されたり、場合によっては国に囲われ、ずさんな維持管理が外部チェックをうけないまま今回のような悲劇を招く。

それに、高松塚の壁画にだけ「格別の思い」を感じても、歴史遺産を大事にしているのか冒涜しているのかわからん国民性でもある。
訪日して「伝統とモダンが融合している」と持ち上げる外国人がいるかと思えば、伝統建築や歴史景観が自販機や電線、看板で台無しになっているところに唖然とする審美家もいる。

高松塚だ吉野ヶ里だと「ブランド遺跡」ばかりもてはやすのは、ガケっぷち犬やタマちゃんにキャーキャー群がってウソくさい愛情を表明する国民性と地続きでもある。古墳は守れといいつつ、我が家は築20年で古くさいだのリフォームだのと「古色蒼然」を毛嫌いする。

式年遷宮のようなリニューアルを含みながらの伝統というのが神道的な歴史観というものかもしれないから、良し悪しをとやかくいうつもりはないけれど、遺跡が大事ならフィルムカメラやウォンドウズMeを大事にしてくれよな!
と、僕は私利私欲にねじ曲がった主張をするのである。
就職した元女子大生から、「大変です、でもがんばってます」と紙メールが届いた。
文通も、ええよなぁ・・・。


雪あられ

at 2007 04/05 22:59 編集

きのうの午後、ええ天気やなーと思っていたら、いきなりパラパラと窓を叩く音。
雪あられというらしい。
おぼえているかぎり、神戸での「初雪」になったようだ。なんと、市内の六甲山には10cmも積もったそうな。
市街地ではすぐやんで、積もるほどではなかったけど。
変な天気であった。

桜前線が進んでいるかと思うと、県内の北部でも北海道でも雪が降っている。
新聞のゲレンデ情報が桜情報に置き換わっただけで、すっかり花見だ桧花粉だ黄砂だと春爛漫の気分になっていても、いやもう、日本は広い。全日本アルペンスキーの大会が野沢温泉で開かれているし、おぉ銀世界は健在ですがな!!とうれしくなった。
桜の散り始めも情緒があっていいものだが、ふとニュースか何かで映る全国あちこちの名残り雪の点景が、僕は好きだ。

おかげで、さすがに夜は暖房なしだと風邪をひきかけて、のどの調子がおかしい。
明日いよいよ年度始めの初ステージなのに、いかん!

準備に追われる一方、まだワタクシの中では春休みが終わ
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