2007.06.30 Saturday
トップレスでしこしこ
at 2007 06/30 21:44 編集
忠実な足代わりになってくれているバーディー君が、トップギアが入らない、ブレーキも前後とも効かない、と駆動・制動系のコア部分がいかれてしまった。トップどころか、8速のうち6速までしかシフトできないので、低速で、しこしことポタリングに甘んじていた。
おかげで、高速走行はしたくてもできず、ストレスがたまる。「トップレス」が欲求不満のタネだったわけだ。
ディレイラーの不調は調整しても治らないので、専門店で見てもらうと「こりゃ交換せんとあきませんなぁ」という診断。とりあえず、診断だけしてもらって、何週間も保留していた。
そして、「晴れのち雨」のような、乗って行って、雨になって預けて帰るのにちょうどいい天気の日をうかがって、うまい具合にそうなった昨日、入院手続きをとってきた。
このついでにブレーキも含めてあちこち「触診」してもらうと、さすが老舗のヤマダサイクル若旦那、「だいぶ坂道で酷使してまっしゃろ。チェーンも伸びてるみたいやねぇ」と言い当ててくれた。
「坂の上のチャリ麻呂」が多い土地柄を熟知された上でのプロの触診は、説得力がある。
ディレイラーの交換と、安物を酷使していた制動系もディレイラーに合わせてシマノのVブレーキに替えてもらうことにして、見積もりは1万200円。紙に見積額を書いてくれて、名前と電話番号を書いてくれという。安心できる明朗会計だ。
1泊預けることにして(雨だったからちょうどいい)、ちょうど24時間後に、退院したバーディー君を引き取ってきた。親子3人が切り盛りする中、ダイヤルの黒電話がひっきりなしに鳴る油くさい店へ。
「チェーンも、いずれ替えんとあきませんけど、とりあえずはずして洗浄しときました。あとブレーキワイヤーも錆びとったから新しいのにして、ちょっと不細工ですがこう処理しときました」と、見積もり以上のオプションつきで、明朗会計そのまま。
見違えるほど、駆動も制動もキビキビと生まれ変わっていた。なめらかにシフトが入り、クイッとにぎると車輪が即ロックするほど小気味よく効くブレーキ。
「トップレス」で悶々としていた煩悩をふっきる勢いで、2駅ほど走って図書館まで往復してみた。おぉ、段違いに速く走れる!
自転車は素人技でたいていのメンテナンスや改造ができるのが利点だが、やはりプロに手入れしてもらうと、みごとに復活するから感激する。工賃も部品代も含めて、低料金だし。
ただ、ちょっと気になるのは、折り畳み車なのでブレーキワイヤーとシフトワイヤーは可動域に合わせて長めにボディに這わせてあるのだが、なんだか短くて、必要最小限にカットしてあるような・・・まさか畳もうとすると、畳めなくなっていたりするのでは・・・!?
と、新たな疑惑が浮かんできた。
こんな簡単で肝心なことを、自分の目で、手で確認するのが怖い(笑)。
まぁ、ワイヤー長の不手際ぐらいは、アフターケアをちゃんとやってくれる店だから、どうってことはないけど。「短かすぎて、畳めまへんで」と持って行くと、「ハッハッハー、そうでしたか。ほな、治しましょ」と、即応してくれることは、わかっている。
こんなやりとりも含めて、愛車のメンテナンスは、「愛」が深まる人づきあいでもあるねんなぁ・・・と思う。
宮沢りえも黙祷エビゾーは?
at 2007 06/29 22:32 編集
ベルサイユ講和条約の年に生まれた宮沢喜一元首相が、ふいに逝去された。
ふいに・・・というのは、亡くなる朝までふだんどおりに新聞を読んでいて、家族がかたづけようとすると「もう少し読みたい」と答えていた会話が報じられていて、あまりにも意外だったからだ。
結局そんなありふれた日常のやりとりが最後になり、眠るように息を引き取ったという。
死因は老衰ということになっていて、こんな自然な大往生は、近ごろ珍しいのではないだろうか。僕の祖父母も、畳の上で、やはり眠るように子や孫に見守られて老衰で亡くなって行ったが、いつ心臓が止まったかわからないぐらい、穏やかな最期だった。医師がいたかどうかさえ記憶にない。
ふつうの庶民と政治家の頭や体の使い方はまったくちがうとはいえ、宮沢元首相は、最期までぼけずに、天下国家を案じていたようだ。政治手腕を疑問詞されたり、不信任決議されたり、「55年体制を崩壊させた張本人」と責任追及されたりはしたものの、そして僕は自民党支持者ではないものの、宮沢喜一という政治家に崇敬の念は感じる。
同世代の中曽根元首相が自主憲法」を政治信条としているのと正反対に、与党の中で護憲を貫いてきたリベラルな立場は、「加藤の乱」の加藤紘一に引き継がれた。
宮沢派は、護憲の立場から自衛力の拡大、集団的自衛権の行使に慎重であったために中国には歓迎されたが、それを愛国者の尻に火をつけてしまい、「弱腰外交だ」と批判された。
それはいえるかもしれないが、現実的に国際的な緊張関係の中で日本がいたずらに中・韓はじめアジア諸国とピリピリしているのは賢明ではない、と考えるのが政治的判断だろう。
その意味で、ウルトラ保守派の唱える「美しい日本」やら「自主憲法で真の独立を!」のメッセージは、ひどく観念的に見える。
自主憲法制定を願う気持ちは当然だとしても、「改悪」が目に見えてわかと、「改正」と書く気がしない。
その前に、憲法にのっとった政治が行われているか?
憲法の精神が国民生活にちゃんと定着しているのか?
と問う基本スタンスは、不思議なことに、自民党護憲派と社民・共産党にしか残っていないように見える。なんでだか。
いま一番ホットな「自民党おぼっちゃま派」と「パッチワーク民主党」は、まるで生徒会のように憲法を好き勝手にいじくって「我が党は」「我が党は」のPRにふけっているばかり。
ほんと、強行採決を見ても、委員会審議を見ても、子供のツバぜりあいか、猿の乱闘のようで、国権の最高機関でやっていることとは思えない。
松野頼三さんしかし、宮沢さんしかり、老獪な政治家がほぼ絶滅して、二世、三世とタレントばかりになってしまった。たよりないこと甚だしい。
ここは、存命の大政治家たちが結集して「妖怪党」でも結党すれば、意外と票を集めるのではないだろうか(中曽根康弘と不破哲三が呉越同舟していたりして、前代未聞の政党になるでしょうなぁ・・・笑)。いま人口割合で21%を越えている高齢者層は、有権者の中では30%にもなる一大票田だしね。
平均年齢80歳なんていう政党は、入れ替わりだって激しい激しい(笑)、人事の停滞なんか絶対に起こり得ないから、案外フレッシュな顔ぶれが毎年どんどん循環して行くと思うぞ。
静香ちゃんが参院選にアルベルト・フジモリをかつぎだそうとしているから、妖怪党はゴルバチョフかジミー・カーターか金大中あたりを帰化させて擁立するとか。
「もう、母国の国籍に未練はないでしょ?余生を世界平和に捧げてみませんか?」と勧誘すると、案外いけるかもしれない(ジョンイルはだめだよ)。
がんばれ、爺さま政治!
ミーツホープとして再建せよ
at 2007 06/28 17:01 編集
ミートホープの薄ら笑い社長、「安売りを喜んで買う消費者も悪い、販売店も悪い」と敵を増やして、あの断末魔の放言はもう、アッパレでさえある。まだ、言うかもしれんぞ。
国民の怒りを増幅報道することに躍起になっているメディアで、「もしかすると、当たってるよな」と発言しようものなら、ミソクソに叩かれること確実。
でも、当たってるもんなぁ・・・。
だって、血で色づけしたり、牛脂で風味をつけたりしていたひき肉が、「うまい」から売れてたわけでしょうに?
それを「悪い」といっちゃーなんだが、正解は「愚かだ」となるところを、社長のなりにオブラートにくるんだ表現だと思えばよろしいのだ。ワハハハハハ
たしかに、食品に求める価値として、「うまい」「安い」「正しい」のうち、「正しい」を重視する消費者がどれだけいたのか疑わしい。今でもファストフードに群がる日本人は多い反面、「美味しんぼ」みたいに素材の質や風味を追究する客なんか、いないしね。
楽しければいいのだ。うまければいいのだ。感動できればいいのだ。
あの社長の心の奥底には、「毒が混じって健康被害が出たわけでもなし、客は値段の割にうまいうまいと思って食ってたんだから、騒ぐことねえべ」なんて思いがありそうだから、反省しないまま薄ら笑いを続けるだろう。客は、「ちゃんぽんミンチ」を支持してたんだから。
一応、だましたことは悪い。
ただし、それを言うなら、
レタッチしまくりの広告写真はOKかい!?
歌舞伎か宝塚みたいな厚化粧はいかがなもんですかっ!!
CGを駆使した医薬品のCMって、ありよ?
男たちは、ヅラをかぶり、底上げ靴もはきたいのだ!!偉大なる将軍サマでなくても。
とかなんとか憤慨しはじめると、偽物だらけの今の世の中、ストレス火山が大噴火してしまうぞ。
そんなニセモノ社会をあぶり出した功績をたたえて、ミート社長のもホープ息子も、罪に問わない・・・なんて許されないだろうから、とりあえず起訴する、と。
そして公判をだらだら時間をかけて進めて、その間に罪滅ぼしをして情状酌量を狙ってもらおう。
ずばり、「偽装食品バスター」である。
姉歯もと建築士には「違法建築バスター」を提案したから目新しくない案だし、警察は足を洗ったヤクザを暴力団対策に使っている。名を捨てて実をとる方がいい。
またこれが、類犯、再犯のあぶり出しにはけっこう効果があるのではないだろうか。
真っ白な善人と、真っ黒な悪人との間に、「悪いことしたけど罪滅ぼししようとしているグレーな人」がいて、よく見れば見るほど階調の細かいグラデーションが見えてくる。これが世間のリアリティだと思う。
なのに、自分は白だと開き直る偽善者や、ダークグレーを責めたてるライトグレーがいたりする。こんなやつらの方が罪を意識していない分、悪質だろうなーと思うのだが社長、いかがなもんですかい?(長男は、わかってくれるかも)。
転灯!
at 2007 06/27 22:01 編集
ぼんぼり風のシェードの天井灯がプツンと切れてしまった(もちろん、電球が)。半年の寿命だった。
つけたときは、秋が深まりゆくころだったので、「あー、あったかいなー」と満足していたし、実際むやみに暖かい、まるで暖房器具のような電灯だ。100Wの白熱球が2連装だから、熱帯夜になろうかという季節、なにしろ暑い。
そこで、蛍光電球に替えることにした。20W消費で100W相当の明るさ!とうたっているやつに、1個あたり大枚1500円をはたいて。
おぉっ!光はやさしく明るく、温度はクール。
色温度の高い蛍光灯の直射は大嫌いなので、ちょうどい感じ。
夕暮れ前に帰る日をのぞいて、部屋の明かりは防犯のためにほとんどつけっぱなしにしているし(これは確信犯)、つけたまま眠ってしまうことが多い(これは反省)。
一応これで、照明費も5分の1になったわけで、免罪符になるだろうか。
エアコンを持たないだけでも、罪滅ぼしになるかと思うのだが。
いま、国も蛍光球の普及を奨励しているそうで、先週あたりの新聞で、「白熱電球が消える運命」とかなんとか、小さな見出しが目にとまった。
省エネはわかるし、高性能化もけっこうだが、エジソン以来のフィラメント電球が、消えてしまうのか?と思うと、ちょっと寂しい。もう今さら真空管じゃないでしょー、とソリッドステート化が進んだオーディオ機器を思い出す。
それが今、なぜか静かな真空管ブームだったりする。
趣味の世界と、生活必需品の照明器具は同列に扱えないとはいえ、残るものには、それなりの理由があると思う。
薪ストーブも、かまど炊き御飯も、ろうそくも。
白熱球を撲滅するぐらいの政策パワーを行使するなら、ガソリン車を半減させて、トロトロと下駄代わりにころがす程度のマイカーは、ソーラーカーに転換して行った方が利口ではないのかな。
よくフィリピンやベトナムで走っている三輪モーターバイク(シクロだったかな?)のような低燃費の乗り物を認可して行くぐらい、すぐにできるだろうに。
まぁ、僕はそれほど特別に白熱球に思い入れはないし、ただ「部屋が暑い」から避けているだけだが、省エネ教みたいな運動をみると、「持続可能な運動かな、こりゃ」と疑問がぬぐえない。住民が手間ひまかけてゴミ分別を進めて、市民税が下がったという自治体は、どこにあるのだろうか。
細かいことばかり槍玉にあげて(レジ袋廃止もゴミ分別もそうだ)、クルマ社会とエアコン依存のような大状況を放置しているのも、なんだかねぇ・・・と苦笑してしまう。
木を見て森を見ないように仕向けている黒幕と、広告主に盾つけないマスコミは、なぁなぁの共犯者でしかない。
がんばれオータニ
at 2007 06/26 22:23 編集
ハーバーランドのニューオータニが、撤退を決定!?
第一報で、「震災の影響が尾を引いて・・・」と会見していた経営陣に、僕は素人ながら「いつまで震災を言い訳にしまんねん」といぶかってしまった。
それが、続報では経営上のいざこざが表面化してきて、「やっぱり・・・」と素人ながら合点が行く真相が見えてきた。複合ビルに賃貸入居している形なのだが(大阪のヒルトンと同じ)、オーナーが外資に代わり、運営方針が折り合わなくなったのだそうな。
客室稼働率だけ見ると、神戸市内のホテル平均をうんと上回ってコンスタントに8割を超えているから、本来の宿泊業務は堅実に回っているようだ。
もちろん、ホテルは客室だけでなく、バンケットや外商、料飲部門など、いろいろな顔を持つ立体的なビジネスだから、ニューオータニにも赤字部門があるのかもしれない。
それに第一、地味!である。
ここにニューオータニあり、とわかるようなランドマークもないし、大阪城公園のニューオータニのような晴れ晴れしたエントランスもない。
神戸のは、コチャコチャ甘味どころが寄せ集められたスイーツハーバーとゲーセンにはさまれた(前はダイソーもあった)フロアにあるから、こりゃどっちがメインだか、わからんわな。ロビーもラウンジも暗いし。
このビルは、たしか南部のパソナが持っていたはずだが、テナントの選び方がどうなっているのか、統一イメージがない。同じ海沿いのホテルなら、メリケンパーク・オリエンタルかオークラで海を真正面に眺めながらステイする方がいいに決まっている。
陣内・紀香の披露宴でオークラに知名度を持って行かれたから、オータニも県内カップルを捜し出して、無理やり(無料ででも)式を挙げてもらわなくてはいけない。
だれがいるだろう。
浅野ゆう子は「一番の地元」で、もうあきらめているのかもしれんが、頼まれたらまぁ、結ばれてあるにやぶさかでない(偉そうに!!笑)。
それ以外では、客寄せパンダ、おらんね。
「芸能人婚」だけで名前を売るのもわびしい話で、泊まらなくてもふらりと立ち寄れる快適空間を、なんとか品揃えしてほしいものだ。今の寂しさは、もう「不倫ルーム」の匂いがぷんぷんするだけ。
それはそれで、渡辺淳一センセイが喜んで取材に来そうではあるけど。
ハローワークのような、サロンのような
at 2007 06/25 23:02 編集
何カ月かおきの、のどか〜な読書会に、MSW志望のミセスを招待。
「研究会の司馬遼太郎」のような、歴史好きな事務長さんの担当で、加藤周一氏の高額なハードカバーが昨日の題材だった。
「よりによって、一番避けてきた(思想)分野の本でした」と苦笑しつつ、心理畑出身のミセスは、必死に(?)議論に参加してくれた。やはり、心理は思想と食べ合わせが悪いようで・・・?
おまけに、「MSWですか。実際のところ、患者さんに退院促進してくれて、病院の収益に結びつくスタッフなら歓迎されるでしょうけどね。現場はそんなものですよ」と、中規模病院のリアリティをざっくばらんに突きつけられて、ちょっと気の毒ではあった。
主婦の座という「足元」を見てのことではないだろうが、「ボランティアでなら、ご希望のターミナル・ケアの手伝いにかかわったりすることはできるでしょうけど」とのすげない提案で、希望の光が無残に吹き消されてしまった印象が、なきにしもあらず。
なるほど。現実は厳しいようで・・・でも、ない職域は自分で創ればええんです!!と無責任な応援をしている僕は、つくづく罪なやつなのかね。
グリーフワークだスピリチュアル・ケアだ精神腫瘍学だと、新しいセオリーはいろいろな場で取り沙汰されてはいても、現実として医療の大枠は柔軟に変わっているわけではない。より診療報酬単価の高い患者を、より多く回転させなければいけない収益構造への「改革」の波に、民間病院は飲み込まれつつある。
緩和ケアとか生活相談業務といっても、まず政策上きちんとした位置づけがないし、専門看護師ように資格化されているわけではない。
「あちこちの病院で絶望的な診断をうけた患者の家族の相談を受けていると、ほんと疲労困憊しますよ」という事務長さんの声は、実感がこもっている。よほどの専門的訓練と、本人のメンタル・タフネス、加えて待遇の保証がないと、なかなか続かない仕事だろう。
こうした荒野にこそ、がんがん足を踏み入れる者は少ない。だからこそ、かえってチャンスかもしれない。
とまぁ、山師のような、うさんくさい発想でミセス・ハートを惑わすのは問題かもしれんが、がんばってほしいものだ。
あなたのつけた足跡にゃ〜、きれいな花が咲くでしょう〜♪
だからね。
無責任といえばそうだが、発言の責任を問われず、自由奔放に発言できること、また参加者の発言なり発案なりを抑え込まないことが、リベラルな論争の風土なのだ。
ところが、現実の職場でも学校でも病院でも、いたるところ見えないタブーだらけだし、伊沢元彦さんのいうような「言霊」が、言論を自粛させている気配もありあり。
だからこそ、主従関係も雇用関係も競い合いもない、「ただ物好きな研究とヨタ話が好き」な面々との談論風発は、つくづく貴重だなぁと思う。
次回は僕の担当だ。
さて、何をサカナにしようか?
『資本論』なんか選んだら、袋叩きに遭いそうだし。
でも、でも・・・
梅雨は流水写真で
at 2007 06/24 21:28 編集
カッと晴れたり、熱帯夜もどきの夜であったり、しとしとと涼しい雨が降り続いたりと、めまぐるしく初夏から真夏への「申し送り」が進んでいる。
とはいえ、梅雨まっただなかである。
このウェット感、じとじと感を映像で写し留めるには、やはりフィルムかな、「現像」のイメージからして。
と思って、あぁ情けないことに今年初めて、フィルムというものを買いに行った。
コダクロームが山岳写真の王道だったこともあって僕はコダック党だが、もう、イーストマン・コダックはフィルムを売る気がないんちゃうか?と思うほど、売り場は寂しい。
「ウルトラカラー」シリーズの5本パックを買ったら、3000円もした。メモリーカードなら1GBが買える値段にあたる。
こりゃ、消費者いなくなるわなぁ・・・と実感する。
せっせと暗室にこもって新作を現像し続けている上北沢暗室職人君は、えらい!とも思う。
たしかに、デジカメは便利だ。
メモ代わり、またアップロード用には、デジフォトさまさまの手軽さを発揮してくれる。僕もフル活用している。
プロの現場は、とっくにアマチュア以上にデジタル化が定着してしまっているという。
広告業界など、レタッチ天国の世界だし、報道写真もスピード処理できるメリットは大きい。
だからこそ、新聞写真であろうとフライデーであろうと、レタッチ=偽造された写真かも・・・と眉に唾して見るのが、メディア・リテラシーの現実になっている。
レタッチできる画像データというのはもう、「鉛筆書きの契約書」みたいなもので、どうにでも作り変えられるから、「本誌(本紙)を信用して下さい偽造してません」なんて宣言が説得力を持たないことは明々白々。
「現場の写真は、この通りフィルムに残っているからな!」といえば動かぬ証拠になるけれど、今やそんな写真家はごく少数派だろう。
つまり、フィルム時代の「写真には真実が写っている」という先入観が生きている中で、レタッチ技術が日進月歩で進んでいるわけで、これはこれでおっかない大衆操作の条件が整っていることになる。
北の将軍サマは、さぞかし活用しているだろうけど、いまヒトラーやスターリンが生きていたら、ドイツ製のフォトショップ、ロシア製のイラストレーターなんてのが、今以上に激しくテクノロジーを競い合っていたに違いない。
そんなことをつらつら考えつつ、ありゃりゃーフィルムどうやって装填するんだっけ?と手元がおぼつかなくなる我が身が、まったく情けない。
でも、パトローネの中には、「写っているだろうか」と思う一抹の不安と背中合わせの夢と期待が宿る。潜像が現像に移行するまでの時間が宿る。
それを、ただの無駄な時間・無駄なリスク・無駄な手間と考えるか、醍醐味と考えるか。
せめて、現像した写真をデジタル管理できるよう、フィルムスキャナーぐらいは導入してみようか・・・ハッセルのデジタルバックが安くなれば試してみようか・・・と考えはじめている僕のフィルム写真道は、結局は中途半端なレベルで「陥落」してしまいそうだ。
行列のできる入隊待ち
at 2007 06/23 22:45 編集
あのビリーが、営業ツアーに来日!
と、ビリー旋風が吹いていた。
僕も、ごく最近たまたま夜中に遭遇して「ぬぉぉぉぉぉっ!なんじゃこりゃ」と打ちのめされたばかりだったから、グッドタイミングだった。
個人的には、ソウルフルで、動と静の両面を持った、いいキャラだと思う。「京都にも行きたい」と語っていたそうだが、本場で座禅を組むぐらいの経験はしてみたいのかもしれない。
これを機会に、高野山で修験道の修行でもやってみれば、今度は欧米で「ビリーズ・スピリチュアル・キャンプ」なんてのに仕立てて売り始めるかもね(がんばれ!)。
デューク更家の旬が過ぎた今、「あのポスト」にうってつけなのがビリーだろう。
何か器具やサプリを買わされるわけでもなし(ビリー・バンドは付録かな?)、「体操するだけ」と思わせるお手軽感は、「歩くだけ」と思わせる更家と戦略が似ている。
でも、あのブートキャンプ、「いやなら、やめちまえ!」「そうそう、できるよ!」とアメとムチで励ますように見えて、結局は脱落者をわんさか出すことになっているのではないかい?
僕も、とても真似はできない。
フィットネス・ローラーだって、未だに先に行ったまま戻らない
のだチクショーなに笑ってやがるビリー!!
と逆切れしてしまうぞ。
だいたい、あの手のエクササイズにしても、美容グッズ健康グッズにしても、実演例は「アフター」であって、「ビフォー」が問題なのだ。
日本でもっと売りたいなら、すそ野を広げなくてはいけないやね。
内山くんとかホンジャマカ石塚くんとか、おやじダンサーズを起用して。
もし、それで劇的に効果が出たら、石塚くんは石塚くんでなくなり、パパイヤ鈴木はただの鈴木さんになってしまうから、「入隊します」とは言いにくいんでしょうなぁ・・・それほど、効くことが証明されたら、これはもう、けた違いに売り上げ記録を塗り替えると思うけど。
ホープレス・ミートホープ
at 2007 06/22 23:17 編集
ミートホープの薄ら笑い社長が不評だ。
「同系」のヒール役であったものの、最近ようやく賞味期限が切れかかっていたヒューザー小嶋社長も、ほっと一息ついているだろう。
社長も相当なアバウトおやじだが、息子たちもそろいもそろって「肉屋一族でござい」と無言でアピールしていたのを感じた視聴者は、僕だけではなかったはずだ。
そのファミリー会社ナンバー2の弟をさしおいて、長男が「正直に言って下さいよ」と親父を諌める場面も、弁護士と打ち合わせ済みのクサい芝居だろう。
もう、いろんなところで「最悪の謝罪会見!」「晩節を汚しきったワンマン社長」「親父の尻拭い次期社長はどっち?」と叩かれて、もう救いのないダメージを受けている――自業自得だとはいえ――ミートホープには、いいところもある。
そう、これだけ偽装しても、消費者の舌は感づかなかった、という事実が突きつけられたことである。ミンチにしてしまえば、日本人の舌はいくらでもだませるのだ。
たぶん、家で手抜きテクニックに使えるワ、と気づいた主婦もいたにちがいない。
また、原材料がわからなくなる「挽き肉」はハンバーグの原材料でもあって、何が混ざってもわからない肉食文化に、すでに日本人は染まってしまっているわけだ。
哀しいことではあるね、消費者の味覚感度低下は。
それと、内部通報でどんどん企業の悪事がばれる世の中になってきたこと(建築設計偽装もそうだった)は、組織の風通しがよくなっている兆しだと思えば、悪くはない。
経営者も社員もみな一蓮托生の運命共同体で、社員を手厚く処遇してやっていれば、多少のインチキの口止めにもなる。
それが、買い主の手をかむ社員が出てきたわけで、これは労働市場の流動化に伴って、もはや避けられない変化ではないだろうか。
内部からリークしたきっかけは、たぶん僕の邪推でしかないが、あの「ギンギンたぷたぷキンキラ三男」が取締役なんかに就いたことではなかっただろうか。だって、父親ぐらいの年の社員に、上から指図する――しかも犯罪行為までも、だ――ふてぶてしいボンボンに、反感を覚えない社員はいないだろうしね。
そこが、創業から叩き上げたオーナー社長の誤算だったといえるかもしれない。
被害者なき鳥インフルエンザ問題で、京都の浅田農産の社長は、老妻を道連れに首を吊ってしまった。
ミートホープも、今のところ「だまされた」以上の食品被害は報じられていない。
報道がどう追いつめて行くのか、ちょっと警戒もしなくてはいけないが、あの社長の薄ら笑いの陰には、鋼鉄のような神経をもつ総研社長と同質の傲慢さは感じられず、臆病で神経質な人となりも感じる。薄ら笑いが消えると、深く「鬱の深海」に沈んで行くかもしれない。
そこで三男は、金ぶちメガネを磨いて、「次はオレ」と息巻いているのかもしれないが、会社自体、再建は大変ではないだろうか。
開き直って、「旦那をだませる上ビーフ風味くず肉ハンバーグ!!」なんて商品を開発すれば、意外に当たるかもしれないから、企画書メールでも出してあげようか(笑)。
カバちゃん!
at 2007 06/21 22:58 編集
通勤電車の斜め前に座っていたリクルート・スーツ姿の女子が、「シューカツ本」らしきものを熱心に読んでいた。レイアウトから、そして覗き見視力6.5の我が「レントゲン・アイ」からして、おぉ!カバシマ先生の小論文マニュアルではないか!とわかったぞ。
樺島忠夫氏の、『文章構成法』(講談社現代新書)である。
まず、絶版になってなかった驚きを書店の新しいカバーに感じたほどのロングセラーで、おそらく70年代の初版だろう。
27年前の浪人生活で、僕は勝手にカバシマ先生を小論文の先生に選んで、しゃぶりつくすほど熟読していた(もちろん、実践も)。ついでに、カバシマ先生は'27年生まれ、僕の父も'27年生まれである(つまり、作文学習の父だな)。
簡潔明朗で、とても実践に移しやすい名著だったと思う。
起承転結なんて絵巻物のような名文ではなく、とにかく伝わりやすい平易な文をカバシマ先生はすすめておられて、しかもつぎはぎ・入れ替えもしやすい=手直ししやすい、今ふうにいえばパラグラフ・ライティングを採り入れた内容は画期的だった。
それが、時を超えて、「我が娘」世代(なんだよなー、二回りも年下の4年生だとすれば)の手にあって読まれているのは、ちょっと感動ものだ。
君は絶対内定!と僕は勝手にテレパシーでお墨つきを授けておいた。
いまどきの小論文のマニュアルというと、頭のいい人・悪い人と単純に分けたがる困ったオヤジがマニュアル本を連発していて、「あんたのコンプレックスの世界に読者を巻き込むなよなー」と難癖もつけたくなるけれど、まぁそれだけマニュアル本が求められ、消費されている証拠なのだろう。
もしかすると、作家や評論家など、あらゆる文筆家が手を染めるジャンルが、女流作家なら恋愛論、男性作家なら文章術ではないだろうか。谷崎や三島のようなオーソリティでさえ、文章読本を書き残していて、このジャンルそれ自体が、実用を離れて「比較読書」の楽しみを確立させているようだ。
名文家や多作家が書いた文章術が、意外にも激しく駄文だったりする(笑)発見も、実益を離れたところで楽しめたりもする。
そして、武田徹さんがどこかの新書に書かれたジャーナリズム文章術の類が、ジャーナリズム論そのものとしても名著であったり
するのも、お宝発見という感じで、一粒で二度おいしい。
カバシマ先生のように、ヒット狙いでもなく、おそらく教え子に誠実に、それでも凛とした姿勢で向き合って、原稿用紙に魂を刻みこんで行く手助けをしてくれるような指南本もまた貴重だ。
安い新書ではあっても、もっと息長く残って、孫ぐらいの世代のシューカツや受験に役に立てばいいと思う。
どこのだれやら知らない彼女の内定を、激しく祈りつつ。
男の園
at 2007 06/20 22:44 編集
最近、人種差別者としての汚名を浴びまくっている僕のもとへ、同窓会だよりが届いた。私立中高一貫の「男の園」の。
明示45年竣工の、文化遺産なみの寮が取り壊しになるという。
友人の部屋に遊びに行ったとき、幽霊屋敷のような維持言空間にびびった覚えがある、今となっては懐かしい館である。
こういう中・高生活も、悪くないのにね。
そして、衝撃のニュースが、あぁ、なんてことだ。2年後に、中一から女子を入学させて行くというのである!
理事長が、あいさつ文で「男女共同参画社会の流れに棹さすことはできません」と書いておられる。
いつの間にか、鉄腕DASH村にあんべとかいう女子が入り込んでいる以上のショックである。
いや、反対!というのではない。「なんで、俺たちの時代に共学にしてくれなかったのだ!」と嘆くケダモノども(笑)は多いはずだ。せめて、「杉本あや先生」ぐらいいてくれてもよかったのに(だれも塾なんか行かず、全員が終電まで居残り勉強させられて喜ぶね)。
そういう憤りでありますな、みっともないけど。
われわれケダモノが、「生徒も教職員も男の園」で悶々としていたころ、学園の周囲は田畑しかなく、勉強かスポーツか悶々か(笑)しかすることがなかった。文武両道というのは、「それしかない」環境がそうさせている面もあるのだ(涙)。
やがて、市は10年間も続けて、人口増加率日本一のニュータウンに変貌し、自治体からは定員増、共学化の要望を受けているとは聞いていた。
周辺に急造された公立高校はもちろん共学で、ちょっとした団塊化の「切磋琢磨効果」か、新設校なのにいきなり進学校になってしまった。
歴史と伝統に安住していた母校からは、かつては毎年いた東大への進学者が、今はいない年もある。総体的に、学力も低下しているのかもしれない。
だから共学化、というわけではないだろうけど。
なるほど、男女共同参画社会に異議を唱えるつもりはないし、少なくとも公民権は絶対に平等でなくてはいけない。
が、一方で、ある種の私立学校は異性に排他的であってもいいとも思うのだ。
妙に混浴が大嫌いな僕は、国税で経営されている「お茶の水女子大学」「奈良女子大学」が女子大のままであってもいいとさえ思うし(別に、国技の土俵に女子は入るな、てな伝統との駆け引きではなく)、ましてや私学だから、男子のみ、女子のみを対象とする教育理念は、男女共同参画社会に反する不正義でもない。
それに、「女の園」は、まるで「つみきみほワールド」で、もうアートでもあって大変けっこう。
これに対して、男の世界で浮かんでくるのは「ジャニー喜多川」で、どうにもどす黒い(苦笑)。どこにも、ベルナールもフィリップもいないのだ!
男子教育または女子教育の伝統は、とにもかくにも共学化で大きな区切りを刻まれることになりそうだ。
はたして今後どうなるのか、OBとしては暖かく見守りたいものだが、さしあたっての心配は制服である。
今の男子は詰め襟の学生服だが、このクラシック・スタイルも、ブレザーばかりの周辺公立校から際立っていて悪くない(僕のころは、学生帽と革カバンも義務で、学生帽をかぶっている高校生は、たぶん兵庫県内でうちだけだったから目立ってしかたなかった)。
では、この詰め襟に合う女子服はというと、セイラ〜服である。これは悩ましすぎる。刺激が強すぎる。
特に、教師たちに(失敬!)。
いっそ、女子も「詰め襟にズボン」とすれば、これはこれで平等だし、スカートの長さチェックだの下着の色・柄がどうたらこうたらと面倒な校則はいらない。
ただ、ガクラン姿の女子中高生なるものが、妙にマニア受けする可能性もあったりするから、これはこれでなんというか、慎重にというか、ぜひ「対応が間に合わなかった」をわざとらしく口実にして、最初だけガクラン女子を通わせてみてほしい。
となると、どうするよ、モー娘みたいな女子がガクラン姿で、通学電車で抱き合っていたりすれば!
志願倍率は、10倍ぐらいに跳ね上がるね。
「彼氏のワイシャツを素肌にまとってみた小悪魔」のような女子は、全国からデジカメ片手に盗撮しにきたマニアたちを萌えさせるにちがいない。
やがて灘中・高なんかも共学になれば、村上ファンドのような女子やら勝谷誠彦のようなイガグリ頭の女子写真部員なんてのが出てきそうで、こりゃー楽しみなんだか恐ろしいんだか・・・
マルタマよりモナSTORY
at 2007 06/19 23:01 編集
二度も不信任決議され、返す刀で二度、議会を解散した火災いや家裁いや加西市長選挙は、いけいけ中川暢一市長が僅差で再選された。
いやもう、これしか話題がないといっちゃ失敬だが、こういうことがあるから、地方選挙はおもしろい。
独断で市職員採用をかきまわした、との批判に、中川さんは「前の市長は裏口採用をしていたではないか」とぶちまけて、名誉棄損で告発されているから、選挙の次は司法の場で第三ラウンドのゴング!である。
やりますなぁ、ワンマン市長。
地方自治体の採用試験など、口ききでどうにでもなるズブズブの世界だから、個人的には、真相は闇の中の裏口採用より、「私が決断した結果だ」とわかる採用の方が、少しはマシだとは思う。
それでも、この中川市長を責めていいのか弁護していいのかイマイチわからないので、おもしろい闘いになるよう、がんばっていただきたいと願うばかり。
たぶん、中川さんは参院選に出るれば当確だろうけど、国会議員より自治体の首長の方が、うま味があるのだろうか。
タレント議員の巣窟でもある参議院には、さくらパパやらマルタマ元アナなど、各党ともあの手この手で人寄せンダをかき集めている感じで、ハンカチ王子の親なんかも出てくれば、さくらパパは撃沈だ。
子供の七光りシリーズ(笑)で、マーくんの親まで引きずり出されたりすると、何かありげな美女をよく出すK明党は、モデルあがり(さがり?)の黒田知永子あたりをくすぐって擁立するかもしれない。
マルタマは、蓮舫の活躍を見て色気づいたのかもしれないが、ちょっと、どうだろうね。
明らかに自民党の「ジジ殺し」枠にはめこまれた感じもするが、あのトゲトゲしい風貌は、ちょっと損な印象もある。やはり、ジジ殺しならNHK有働アナが決定版、そして対民主党ミサイルなら、「あの、モナ」が効果絶大ではないんかね。
おまけに、なんとまーフジモリ大統領を神輿にかつぎ出す話まで出てきて、どうやって軟禁されているペルーから出てくるねん?
と、突っ込みどころ満点である。
僕自身は自民党に入れたことはないものの、次の首相はおそらくサブカルチャー麻生セメント大臣で決まりそうだから、ちょっとお手並を拝見してみたい。秋葉原に文化庁を移設したりしそうだし(笑)。
そうなるためにこそ、安倍さんには「選挙大敗」を経験して、引責辞任してもらわにゃ困る。
年金問題の責任は横においといて、ガラガラポンを見たいがゆえに、参議院大どんでん返しに期待したいところだ。
僕が出馬したところで、さて「台風の目」になれるかどうか自信はないが、黒田知永子やモナが出るなら、喜んで秘書の座に寝返ってさしあげるぞ。
議員宿舎に住み込みで、「熱烈奉仕」いたすのだがなぁ・・・。
ほのぼの家族市場
at 2007 06/18 22:57 編集
さしさわりがあると気の毒だから、コードネーム「家族市場」としておこう、町内の西武系コンビニに寄った週末の夜のこと。
お茶だのビールだの(アサヒの「北の職人」は、泡がギネスのように細かくて、うまかった)を買って、レジへ。係は、僕と同年代のおとっつぁんだった。
ストローをつけてくれようとするから、「ストローいらないよ」と制止すると、おとっつぁん、「大人やね〜」と、意表を突く親しみをこめて応じてくれた。
僕も、「もったいないしね」とフォローすると、おとっつぁん小声で、
「いやね、牛乳1個でもストローつけてくれっちゅう客がおるんすわ。ここだけの話、内心『ボケー!!』思いますねん」
と、意表を突きまくりの魂の叫びを吐き出した(笑)。
風采からして、脱サラしたオーナーっぽい感じもしたから、脱マニュアルの受け答えもしたくてたまらなかったのかもしれない。
ええんかねぇ・・・。まぁ、僕はええんですが。
観光客もひっきりなしに立ち寄るエリアだから、よほどイライラする客が多かったのか?
つい、「土日のコンビニも、イレギュラー客が多くて大変でしょうなぁ」と同情してしまった。
まぁ、自分が「ボケー!」と陰口をたたかれると、「カス!」と反撃したくもなるから、雄叫びの善し悪しはケース・バイ・ケースである。
このレジおじさん、別れ際に「京都議定書!」とワンフレーズかけ声をあげていたが(笑)、もしかして環境運動にも取り組んでおられるのか?
いや、コンビニといえば大量のごちそうを廃棄処分しているもったいない天国(地獄?)だから、ふだん心を痛めているのかもしれない。
それなら、おとっつぁんの独断で、「北」へ食糧支援してみますかい?
と提案してみようか。
「六カ国協議!」
と叫ばれそうだが(笑)。
NOVAさまさま?
at 2007 06/17 22:08 編集
被害者に鞭打つようで恐縮しつつも、NOVAの客はいったい何を考えて、何十万円もの契約を結んだのだろうかねぇ・・・と不思議に思う。
いや、「お試し」のつもりが、チケットをまとめ買いするほど得になるような巧みな勧誘に乗せられて・・・ってことなら、それはそれで同情する。まやかしの「お得な感じ」に加えて、都合のいい時間帯に受講できる「マイペースの誘惑」も、落とし穴だったのかもしれない。
マイペースで英会話や資格が習得できるほど、世の中なかなか甘くない。たとえば「今年中にTOEIC800点」と目標があれば、今の実力との格差を時間で割り算して、客観的にペースが決まる。
これに従わないで、ズルズルやったりやらなかったりポカンと空けたりは、こりゃもう道楽の世界になってしまって、費用対効果はほとんど望めない。僕の経験からも。
まぁ、ひまつぶしと「NOVAへの献金」にはなっているけど。
自分の都合のいいときは、多くの人にとっても都合のいいときだったりするから、ピーク需要時に合わせて講師と教室を確保しておくのが企業の良識なのに、NOVAは「閑散時の空き教室に振り分ければええねん」とでも考えていたのだろう。その時点で、「好きなときに受講」はウソになる。
客は、1カ月なら1カ月、広告通りのサービスが買えるか様子を見てから本契約すべきだったと思う。変な意味での「いい授業料」を払って、骨身にしみる学習ができたのではないだろうか。
NOVA商法を糾弾するジャーナリストは、もう20年も前から違法な営業が常習化していたと証言していたが、やっと業務停止にこぎつけた感じ。
まぁ、悪辣NOVA商法のおかげで、特定商取引法や消費者契約法が制定されたといえなくもないから、「雨降って地固まる」といえなくもない。VIVA!NOVA!(笑)
これでNOVAの教室閉鎖が相次ぐと、解雇される講師が続出する。現在進行中のクラスでも、先生はビクビクしていることだろう。
そんな今がチャンス!
教室で、先生をスカウトして雇用すればいいのだ。「NOVAなんかやめて、ダイレクト契約しませんか?」と。
およそスクール業なるものは、会社が間に入って相当額ピンはねしているのが通例だから、ダイレクト契約してピンはね分を双方に還元すると、先生は報酬アップ、生徒は授業料ダウンと一挙両得。NOVAはいい顔しないだろうけど。
それどころか、個人授業するな!と講師契約でクギを刺しているかもしれないが、日本国憲法22条は職業選択の自由を認めているから、ぬかにクギである。
ピンはね分は、通常はマネージメント・コストの償却費になっていて、サイマルやベルリッツのような良質の英語学校は、ちゃんとカリキュラムを組んで生徒の学力管理もしている。
ところが英語学校とは名ばかりの押し売り業だと、ろくに教育的マネージメントなどしていないから、それは先生にやってもらうか、生徒が自分で考えればいいのだ。
マネージメントに学歴認定や就職指導まで入ってくると、これは立派な学校法人格が認められるから、ECCのように全日制の英語専門学校をやっているところは、少しは経営が安定する。
NOVAは無認可で、「スクールのように見える接客サービス業」でしかなかったところが、急所でもあった。
生徒も先生も、どんどん流れ出して、砂でできたNOVA城は瓦解して行くだろう。
本気で学びたい生徒と良心的な先生が、芝生の上ででも青空教室をやればいいのだ。
それが本当の学校なのだから。
あんしんねんきんダイヤル(R)
at 2007 06/16 15:46 編集
徳光さんも、小倉さんも、死亡したことになっていたとか。ワハハハハ・・・奥さん、遺族年金もらいますか?
こんな爆笑ものの年金管理をしていた社保庁が、殺到する問い合わせに、あわてて受付を増強している。
「どうなってるんだ!」「きちんと対応しろ!」とせっつかれて、100台で足りないなら1000台に増やします・・・とまぁ数を増やすしか能のない糞役人のIQにはあきれてしまう。今やもう、公務員の低能ぶり(勧奨を活用して退職金を増やす悪知恵、共済年金のお得なもらい方、自己保身の弁舌には、たぐいまれな才能を発揮する)には、もう納税者のだーれも驚かない。
こんな後手後手であわてふためいて、下請けの民間人に年金という国民の個人情報を扱わせておいて、この次に起きるのは年金情報の漏洩である。まちがいなく。
泥縄で研修したところで、手元に端末がなくて、「お話を聞いて上の者に伝えます」だけの派遣スタッフは、ほとぼりがさめれば解雇するんだから、膨大な個人情報が漏れること必至。
試しに、「私、女優の○△だけど、これから年金に加入したら将来もらえるのかしら」とニセの電話相談をしてみたら、何週間か後に「女優の○△、年金未加入!?」とスクープが飛び出すだろう。
あんまり犯罪教唆ふうになってもいけないが、「ねんきんあんしんダイヤル」の愛称も、ちゃんと商標登録しとかないと、「年金安心ダイヤル」「あんしんねんきんダイヤル」なんていう紛らわしい民間サービスも出てくるかもしれない。こっちの方が先に商標登録されてしまうと、本家ねんきんあんしんダイヤルが偽物よばわりされかねない(笑)。
どうせ、社会保険庁の公式(?)ねんきんあんしんダイヤルも「伝えます」しか言えないんだから、民間サービスでも「ハイハイ、社会保険庁にお伝えしときますよ」という建て前で電話受付すれば、同じこと(これ自体は、犯罪ではない)。
結局は、役所の電話相談も、それ自体は根本的な問題解決とは無関係で、ただ年金加入者にとってのサンドバッグになって、ガス抜きをするためでしかない小細工なんだから。
今回の「年金記録ガラガラポン」は、いま最高の国民的関心事だから、年金不安に後押しされた個人情報が「あんしんねんきんダイヤル」に集まると、これは大きな商機になるね。
・・・と考える柳の下のドジョウ狙いも、うごめいているはずだ。
「ところで、国の年金に不安なあなたのために、元本保証の定額年金、さらに運用益次第でたいへん有利な変額年金保険も用意してございます。いかがでしょうか」なんて営業もできるわけで・・・。
こんなのは限りなくイカサマっぽいが、法的に問題はないし、むしろ本当に「本家ねんきんあんしんダイヤル」より役に立つかもしれない(トホホホである)。
チャンス到来がんばれアフラック!アクサ!AIG!(笑)
「まぎらわしい営業」程度の法的問題を超えて、国民と政府との社会契約をふみにじっているのが社会保険庁なんだから、役所が「うちを信用して下さい」とは言えない状況の方が深刻だ。
「どのツラさげて、信用しろというの?」と言われたら、返す言葉がないではないか(それでも、そう言い返すのが糞役人の心臓なのだが)。
あとは、「役所を信用して年金をかけ続けないと、てめえの給料を差し押さえるぞ!」と恫喝するしかない。あぁ、NHKと同じですなぁ。
駅前イカサマ百貨店NOVAの猿社長に、今さらになって国がナタをふるっているのもあきれるが(NOVA事件はまたあらためて書きたい)、これも「どのツラさげて」である。10年以上も前からわかってたくせに、法人税とるだけとって、業績が下降しはじめると「そろそろ処分するか」ってところだろう。
そもそも政府がイカくさいから、消費者は自分の理性を信頼して、年金や教育投資を慎重に選ぶしかない。
その結果としての失敗は、国民の自己責任・・・というのも哀しいが、コムスンしかない村でコムスンを選ばざるをえない要介護者には同情の涙10滴だが、NOVAを選んだお調子者には、「同情2滴」ぐらいしか出てこない。
ほんと、かしこくならないと・・・。
新大阪エキナカ村
at 2007 06/15 22:10 編集
しばらく休業していたなと思っていたら、新装開店した新大阪駅構内の書店が、ゆったり・びっしりを両立させた、いいムードでほっとする。
DVDやゲームソフトを扱っていたコーナーを取っ払って、純粋な書店(純喫茶ってのが昔あったな・・・)として再出発したわけだが、激しく正しい方向だと思う。大書店とはいかないまでも、京阪神のターミナル駅の構内にある書店としては、一番充実しているのではないだろうか。天王寺駅の旭屋も、けっこう大きかったが、そこにあって新大阪にないのは、小中高校生向けの学参売り場で、そのぶん新大阪は大人の、特にビジネスマン向けの空間だ。
おまけに、営業時間が1時間遅くなって10時まで。
今までは、仕事が終わってからだと閉まっていたので、神戸まで戻って11時までやっている阪急三宮駅構内のブックファーストで「ほっ」としていたのだが、職場の近くで用事をすませられる方がありがたい。もう、サラリーマンの居酒屋感覚である。
この斜向かいで、僕が定期的に色ものコーヒー(メイプルとか、ナッツとか)を仕入れていた食品店が少し横にずれて、その跡にユニクロが入った。で、僕にとっては初ユニクロだったのだこれが。
やたら愛想のいい店員が、マクドかコムサストアか区別がつかないほどそっくりなのが気持ち悪いなー君たちマニュアル接客の裏で陰口たたいてるんちゃうん〜?と意地悪く想像しながら、「とりあえず、ポロシャツ」を試し買い。まるで、サラリーマンの「とりあえずビール」感覚である。
まぁ、別に何のへんてつもない、「生中」みたいな定番シャツで、安くてお手軽でいい。
そういえば、新大阪駅構内に服屋さんはなかったから、これであとクリニックでもあれば(歯医者ぐらいあればいいのに)、駅構内で生活ができそうなほど、まるで「おまけに駅もついたショッピングモール」のような感じ。
もしかすると、大阪駅より生活感があっていい。
大阪駅は、大丸と一体化していて、こじゃれた婦人服屋はあちこちにあれども、デパートはビジネスマン向けではないし、なにぶん高くつく。
京都駅なんか、完全に「よそさん」向きのオブジェと化しているから、新大阪のベタなにぎわいが、僕にとっては過ごしやすい。
うっかり、「暮らしやすい」と書いてしまうところだった(笑)。
書店から消えたDVD売り場には未練はないのだが、CDとか中古レコードを扱う店があると、今どきのご時世かえって「人肌」のようなものを感じるだろうなーと思う。個人的には、古本屋もあれば完璧だ。
まぁ、あれもこれもと盛り込んで行くのが日本の駅のおもしろいところだし、アッパレな商いでもある。脱帽するしかない。
これで、あとパソコンショップかキンコーズでもあれば(大阪駅構内にはあるのに、新大阪店はやたら「駅遠」の街の中にある)、ビジネスマンも芸能人も大助かりだと思うのだが、ミヤテツさん、いかがかな?
ハニカミ王子、ハジカキTV
at 2007 06/14 23:02 編集
TBSが叩かれた盗聴作戦の次は、掟破りのタイガー・ウッズへのコメント依頼、とマスコミの「ハニカミ王子騒ぎ」はフルスペック水準にまで感染している。
どうせ、すぐ次のネタが出てくるまでの熱病だとは思うものの、ただの○○フィーバーではなく、「神聖化」に近い危なっかしいものを感じる。なんで16歳の少年に、大の大人がにわかファンになって命懸けで追い回すかなー。
こんな偶像化はマスコミの得意芸でもある一方、罪なところでもあるし、偉大なる将軍様もヒトラーも、メディアをフル活用して神聖な偶像づくりに励んできた。
我が国の戦時中の朝日新聞も、そうだった。
「プロパガンダではない」としても、手法は同じ。しかも、視聴者は批判や疑問を忘れて、ただポカ〜ンと画面を見て萌えきって(笑)しまう。たしかに、さわやかでいいやつだと思う。個人的には何とも思わんが、多くの女性とゲイを萌えさせているのはわかる。
陰険な僕など、平日にプレーしている高校生に、学校の出欠はどうなってるんやろ?と思ったりもする。同じように、「ゲーマー選手権ニューヨーク大会」に出たい高校生がいたら、学校はどういう扱いにするんだろう?・・・なんてことを指摘すると、「よけいな活躍の場をPRして、高校生を焚きつけないでくれ」と叱られそうだ。
スポーツ選手は弁舌の達人ではないから、おだてられて玉座に載せられてピーピーキャーキャー囃したてていると、それで視聴率を引き上げてCM収入を荒稼ぎ、とまぁ旧態依然としたビジネスモデルを死守しているTBSもフジも、未来がないねぇ。
だから、買収されかけたのではないかい?
そんな浮き足だった取材やヨイショに、堂々と苦言を漏らすところが、ハニカミくん得点アップである(なんや、結局ハニカミファンかい!と突っ込まれそうだ)。
楽天やソフトバンクがスポーツ選手と契約して(八代英輝弁護士が入れ知恵したりして)、放映権料をマネージメントするようになると、構成中立な報道各社は、どう対抗して行くのだろうか。
報道の中立性なんて、とっくの昔から読売が踏み倒しているし
、オリンピックや五輪選手個人の扱いは、メディアにとっては金のなる木である一方で、地雷でもある。
ビーチバレー浅尾など、見せたいのか見せたくないのか、いじましい撮影規制が張り巡らされているから、完全に「さわやかなきわきわ」を売るだけの見世物になってしまった。
本来、もっとハードで健康的なシーサイド・スポーツだっただろうにね。
ここは、たぶんビーチバレーで稼ごうと暗躍している業界とマスコミと広告代理店が結託して、何食わぬ顔をして赤外線撮影をしていたりするのではないだろうか。やがて美和ちゃん引退へ→グラビアアイドル→AV・・・とレールが敷かれているような気もする。
おっと、山本モナがぐずって、先がつかえています!
安達佑実ママが引退してくれません!
ってなことも、あるかもしれない(笑)。
6万件のパイ
at 2007 06/13 23:32 編集
「赤ちゃん本舗」がセブン&アイに買収され、ブルドックソースはどこに買収されるのかと戦々恐々、毎日のように名の通った企業の買収劇を聞かされる。
そして、コムスンである。
元の創業者オーナーに「名前を汚してすみませんでした」と返してもよかろうにと思うが、そう簡単には行かない(そりゃそうだ)。
さっそく、施設部門をワタミが、訪問介護サービスをニチイ学館が、いやいや丸ごと買うよ、と三井物産が買収しようとしている。
関西だと、安倍首相の古巣の神戸製鋼や松下、大阪ガスなど、畑違いではあれ大企業が介護サービスもやっていたような気がする。
だったら、そういう財務体力のあるところが買収すればいいと思うものの、北海道や九州で、神鋼グループだ大阪ガスだと親会社の看板をかかげても、介護事業のイメージはちょっとわきにくい(当のコムスンだって、最初はそうだったのだが)。
障害者福祉を援助している宅急便のヤマト福祉財団や、もっとでかいところでは日本財団あたりが救済に乗り出せば、財務面では心強い。
その一方で、在宅介護の市場シェアは、コムスンとニチイがほぼ互角で6万件強、ちょうど参議院の議席数みたいなかっこうで、「2強」がほぼ独占しているようだ。
とすると、ニチイが事業継承すると、独禁法に触れかねないのではないかい?
かといって、全国ネットの大企業より地域密着ローカル企業がいい・・・かといえば、経営体力の不安が出てくる。あっちをとればこっちが立たずで、なかなか大変だ。
もちろん、一番不安なのは実際の利用者と家族で、どうしたらいいの?とオロオロしている昨今だろう。お気の毒に。
「受け身ではなく、自分で介護事業会社を探して、主体的にサービスを利用するのが正しい!」と教科書ふうにいえばいえるけれど、パターナリズムに慣れてきた世代にとっては、コムスンに二足のゲタをあずけてしまったような感覚だろうから、とまどうのも無理はない。
こんなときのために、「いざA社がサービス継続できない場合は、B社がある。契約の乗り換え手続きは、かくかくしかじか」とマニュアルがあって、事務的に契約変更ができた方がいい。そのためのサポーターがケアマネであるはずなのに、それは「絵に描いた理念」にすぎず、やはり特定の業者とのしがらみもあるのかもしれない。
だから、今回のコムスン災難をきっかけにして、介護サービス業は競争するのもいいが、いざというときの「身売り先」を決めて連携しておくなど、バックアップ態勢ができればいいと思う。
それを、グッドウィルはグループ内でやろうとして待ったをかけられたわけだが、「顧客のつけ替え」は一概に罪なことではない。グッドウィルは、会長が諸悪の根源だから、「客をころがしてピンはねなんぼ」が懲りずにくりかえされること見え見えだから釘を刺されたわけだ。
もちろん、末端のコムスンのヘルパーといい関係の要介護者も多いはずだが、その信頼関係の先には企業の論理があって、どう買収・身売りされるかわからない御時世なのだ。
信頼できるのは、つまるところ自分の判断力ではないのかな・・・と、デカルト主義者としては思いを新たにするのである(でも聖路加病院のような法人は、もう盲目的に信頼して下駄をあずけてしまいそうなワタクシでもある)。
だめな寝だめ
at 2007 06/12 21:45 編集
よく、ふだん寝不足な人が週末に「まとめ寝」をしたりするのを、「そんな離れ業はナンセンス」と打ち砕いてくれる医学書があったような、なかったような・・・。
僕もそんなことができると思い込んでいて、土日はとことん寝ていた。しかも長時間。
ただ、長く眠るほど逆に疲れたような、スッキリしないモヤモヤ頭が残るだけで、どうも俗説は説得力がないぞ・・・?と気づきはじめた。
日曜日も、下山してシャワーを浴びてゴロンと横になったら、1時間ほど気持ちよく昏睡してしまい(笑)、月曜は朝イチ出勤だというのに夜はほとんど眠れなかった。
どうやら、「眠たいときにそこで眠る」のが一番のようで、電車の中でもベンチでも喫茶店でも、とりあえず寝入ることができるよう、我が身は最適化されてしまっておるようだ。
飛行機でもバスでも列車でも友人カーの助手席でも、「夜行」の乗り物で僕は必ず安眠できているし、これが「大沢さん空気読んで下さいよ〜」と言いたげなニュアンスをこめた「どこでも寝られて、いいですね」てな評価を勝ち取っている。
ワハハハハハハハ、すまないね。
で、月曜日はさすがに目がしょぼしょぼしてきたので、午前勤が終わって準夜勤までの空き時間、帰宅して昼寝でもするか、と考えたのだが、これが眠れないのだ。
結局、「ちちんぷいぷい」を見ながら(ふまじめ!)資料準備やらネットでの調べ物やらをやっていると、頭がムワーンと発熱した状態で一睡もできず、重い足で夜の出勤となってしまった。
仕事自体は重労働ではないものの、とにかく時間の使い方が漫然としているので、なかなか「安心就寝、起きて爽快」とはならない。
ヒマなんだか忙しいんだか、よくわからん息づまり感があるので、一度まっしぐらに帰宅してコテンと寝て、「5時起床ラジオ体操!」のような健康優良爺ライフをやってみようか・・・。
と考えると、あぁそうか、まっしぐらに帰宅しないで喫茶店で2時間はねばって新聞を読んだり居眠りしたり(笑)している日課のなんとムダなことよ!と気づいたりもする。
職場と家以外の居場所に漂うのが大好きな性分は、もし失業するとネットカフェ難民にすんなり「転職」できそうでこわい。
こんな性分、激しく家庭的でないし、ヒトミ6号(仮名)を悲しませるだけだろう。
逆にいえば、家で待つ人のいない殿方、待つ人のもとへ帰るのがこわい(笑)人は、町を漂うのがよろしいのである。夜景の見えるカフェなど、ノートPCがあれば本当に仕事がはかどる。
そんなカフェ仕事師が、このごろ目立つようになってきた。サンマルクで、スタバで、ドトールで、そして今僕のいるエクセルシオールで。なぜか、レッツノートが多い(気がする)
「お互い、大変でんなー、だんな」と僕はテレパシーを送りつつ、トロトロと襲ってくる睡魔を感じる、安らぎの宵の口である(バッカみたい、てか?)。
フライング・アジサイ
at 2007 06/11 23:15 編集
梅雨入りが遅い。
でも、降らない方が外出には好都合。
それがジレンマにならないのが、梅雨どき限定の花巡りだ。
で、日曜日は「アジサイ花見」を呼びかけて、裏山へ三々五々集まることにした。
まずいことに待ち合わせに手間取って、2時間歩くコースを、90分で駆け登らなくてはいけないはめになった。「神戸市中央区」なのに、あたり一面が山また山で、ずっと携帯が圏外だったので、遅刻の連絡もできず、とにかく集合時刻に追いつく勢いでガンガン歩く。
まるで朝イチ通勤電車にかけこみ乗車するような気分だ。せっかくに日曜日に、忌わしいことよ。
なんとか100分かけてゼーゼーいいながら植物園にたどりつき、あいかわらず圏外なので足と鼻で(笑)仲間を捜して、無事に落ち合うことができた。
今回は、総勢9名のうち、「新しい命」が、完全防水のベビーカーで顔見せ。たちまちアイドルか、はたまたマスコットか?のデビューを飾っていた。
ホリエモン父さんも、「海より山の方が楽しいみたいで、素質もありそう」と、すでに実験済み(笑)の様子。
「キッズ・バイク、キッズ・カヌー、キッズ・スキー・・・とどんどん備品を買い揃えて、使い古したら次は我々にお下がりよろしく!」と、野郎ども一同お願いをしておいた。そうは問屋が卸してくれますことやら?
ふもとでは晴れていたのに、山の中は降ったりやんだりのくりかえしなのが、少し気ぜわしかった。おまけに、メインのアジサイがほとんどつぼみ状態で、だいぶ早すぎたのが間抜けだった。
それでも、まわりの緑は、どれもみずみずしくて、目に心に保養成分をもらった感じ。
雨はアウトドアで嫌われものだが、僕は雨の眺めが好きで、紅葉を打つ雨もいいし、夏の通り雨もいい。
そして、アントニオ・カルロス・ジョビンの「薔薇に降る雨」じゃないが雨が似合う花もあって、アジサイは代表格だ。
アウトドアでも、もっと雨や雷を楽しめばいいと思う。
雨宿りもしながら、なごやかに園内を散策した後、「じゃ、次は花火大会で」と淡泊に(飲み会に流れて行くわけにも行かないから、しかたない)車に分譲して下山。ブログに写真をアップして、ちょうどいい忙しさの日曜日は終わった。
お目当てだったアジサイは、再出撃しないと見ごろにジャスト・ミートしそうにないから、これは個人的な宿題とするか。
土曜出勤空振り
at 2007 06/10 21:53 編集
土曜出勤したところ、その職場の出勤指令がダブルブッキングされていたことがわかり、結局トンボ返りになってしまった。謝罪メール1本で。
そこはかとなく、情けない。
今年は、季節ごとに出勤指令パターンが変わる風情ある・・・というか目まぐるしい時間割で、梅雨の季節は週休3日になった。もう、毎週だって小旅行に行ける。
そのかわり、夏休みは実質的にない。ふだん週60時間働いてフラフラになり、その代わり「夏休み2カ月、冬休み1カ月、春休み1カ月」になっていたメリハリある前の職場がなつかしい。
きのうも、その当時の同僚から電話がかかってきて、四方山話に花が咲いた。つい「敗残兵のやるせないボヤき話」になってしまうのだが、こき使う一方で休みはドカンとくれる点はよかった。ネイティブ・スピーカーあっての語学学校だから、労務管理もメリハリをつけていたのかもしれない。持ち帰り仕事は「原稿何枚書いて何千円」と個別に契約を交わしていたし、年度途中に不意に勤務が入る、なんてこともなかった。
ただ、労働単価は安かったから、ベア以上の昇給を望むなら、労働市場へ泳ぎ出すしかない。
それも自己責任だから納得するしかないし、そう深刻な不満でもないのだが、今年の夏は2週間ぐらいは空けておきたかった。僕の「槍・穂デビュー25周年記念イヤー」だから、四半世紀ぶりに(まぁこの間、何度か登っているけど)縦走してみるか、と企てているためだ(うれしいことに、25年前にそろえたテントもザックも現役である)。
天気のいい時期を見計らって、日程をギリギリまで見極めようと思えば、所要日数5日+前後3日ぐらいの余地はほしい。
ところが、今年は週1回ずつ仕事が入っていて、盆だけが休み。盆休みは避けたい。
盆の北アルプスなど悪名高き「人間渋滞」で、もう先行く群れの吐き出す二酸化炭素と汗の匂いを吸いながら歩いているようなものでんがな!!・・・とびびっているのだが、実際には海の日から盆までの夏山決定版シーズンに、人の群れに飛び込んだことはない。「食わず嫌い」なだけか?「案の定」になるか・・・?
週1回出勤ぐらいでブーブーぐちっていると、おなじみの遊び仲間のカヌー部員2名から、「てことは、毎週、週休6日ってことですやん。許せん!!」と諌められること必至。なんとか6日間の日程をうまく工夫して、さっと行ってさっと帰ってくるしかない。
それでも、寄る年波のせいか(笑)、もろもろの不安は年ごとに募ってくる。
所要時間だけは、不思議と早いペースを保っているけれど、スタミナより懸念材料なのが、もう学生時代のように、まるで雲に乗ったような、岩場で踊るような、天空で遊ぶような至高感覚が、なかなか取り戻せないこと。出会う風景も、起こりそうなアクシデントも想定内で、「一件落着感」をかかえて3000m下界に下りてくるだけ。
いっそ、仕事がベッタリ入って、土日で日本アルプスに登って帰ってこなくてはいけないとか、そんな大冒険(笑)しかできなくなると、かなりのハード・ミッションになりそうだが、そんなことしたくはない。
「しみじみ・ハラハラ・めくるめく山歩き」を演出してくれるような妙薬は、ないものだろうか。
フィリピーナを 笑うジャップを だれ笑う?
at 2007 06/10 00:08 編集
フィリピーナからタガログ語で話しかけられて、わたしゃ日本人やと答えると英語に切り替えてくれたことで、「なんでやねん!」と憤慨した・・・云々の笑い話を紹介すると、なぜ憤慨しなきゃいけないんですか!と憤慨されてしまった。
憤慨が渦巻く週であった(笑)。
前ふりに、国民性ジョーク(ドイツ人らしさ、英国人らしさ、日本人らしさをカリカチュアライズした、よくある小咄)を一席紹介した後だったので、「高感度」な聞き手には、僕の内なる差別意識と人権感覚をにわかに訝る気持ちを目覚めさせてしまったのだろう。このおっさんは、欧米と日本と途上国を序列化して笑っている不届きなやつではないか、と。
考えてみれば、こうしたジョークに、アフリカ人やアイヌ人が登場することはめったにない。欧米人と並べて笑い飛ばして、それが「人種差別だ」と騒ぎにならないぐらいには、日本の地位が高く、日本人が寛容になった証しともいえるかもしれない。
それでも、僕の話した国民性ジョークを英米人がしゃべれば、私たちを侮辱している!と感じる日本人は、いるかもしれない。このあたりの、多民族世界の中での日本人の地位は微妙なもので、本当の意味でのコスモポリタンは、なかなか存在しない。
ただ、だれがだれを差別しているか?と問い始めると、何者をも差別していない人はいないから、目くそ鼻くそ・・・といっちゃ失礼だが、「コップの中の戦争」をくりかえしても、建設的ではない。
正直、差別はなくならないとも思う。
そもそも、「文化は差別の体系である」という命題もあるからだ。
たとえば、囚人を差別しない人はいないだろう(平等に、共生しましょう!といえる人は、相当おめでたい頭脳の持ち主だ)。
囚人やホームレスよりは、いい生活つまり自分なりの価値観(美とか富、正義、自由、高揚感など)を実現できる生きざまが「文化」でもある。
ショパンが最高だと思うクラシック・ファンは、モーツァルトのファンを見下さないだろうが、ヒップホップをそれとなく軽蔑する。猛烈に働いて地位と財産を築いた人は、ニートを軽蔑する。
そして、エリート企業はエリート学生を優遇する(格差社会をとやかくいうマスコミほど、高学歴者の天下である)。
こうした差別構造があるから、エリート文化に対するサブカルチャー、カウンター・カルチャーが多様化する。
差別が文化に組み込まれているからこそ、奴隷労働でない「職業の選択」や、ただの「交尾」ではない結婚が、差別と無縁ではいられない。
ある種の病気や障害や出自(つまり、同和地区出身であるとか、パパが組長であるとか)をもとにした進学や就職の不自由は、もっと身近でナイーブな問題だ。
「それも文化だから放置しておくべし」というつもりはないが、さて、完全に公明正大で、機会均等な進学や就職、政治参加や結婚は、あり得るのだろうか。
制度的な差別が、社会防衛上どうしても必要な場合もある。性犯罪や放火の常習犯が、何という名前で、いつ出所してどこに住んでいるかは、住民の知る権利が本人のプライバシー権に勝ると思う(オール&ナッシングだとはいえないが)。
最近の論点になっている、認知症と診断された人のマイカー運転については、免許取り消しが差別といえるかどうか微妙なところだ。保険を手厚くかけておけば免罪されるものでもないだろう。
前にあげた囚人の差別も、公的に認められている(というより、国民に強制されている)ように、病気や障害や性癖にかかわらず共生しましょうと言えるほど、社会は、そして現実の僕もタフではないと思う。
かくいう僕は脳卒中や心臓発作のような前兆もない癲癇持ちで、発作もある僕がクルマや飛行機を運転するのは「世界の脅威」だから、パイロットになれなくても全く文句はない。かといって、癲癇持ちにも運転を認めよとアピールする運動は、否定も支援もしない。
癲癇持ちすべてが脅威だとは思わないが、筒井康隆さんの小説『無人警察』騒動にみられるように、過剰反応する社会があるのも確かだから、非合理的な不安も、過剰な被害者意識も、少しずと歩み寄れたらいいと思う。
つまり、非合理的な不安から村八分にしたり隔離したりするのではなく、ちゃんと真実を知った上でリスクヘッジできる社会になるということである(個人的・公的にリスクヘッジできていることを条件に癲癇持ちの運転を認める国もあるから、どうしても運転したければ移住するね)。
もちろん、社会防衛や公安を理由に公権力が人権を制限する度合いは最小限であった方がいい。
制度的な差別が極小化して、その結果として起きる事故や社会不安に、国民が個人的に備えができていて、究極は家族の命が奪われても納得できるならば、と但し書きがつくのだが。
あぁ、障害者差別だ人種差別だと考えはじめると、人によってナイーブさが違うから難しい。
いや、ふだん隠している「差別感度」が表にあぶり出されてくるからこそ、寝た子を起こすような大論争にもなり、しかもそれは人類社会永遠の難題だと思う。
ほてった頭には、シーナさんの新刊が清涼剤になる。
いいタイミングで文春文庫から出たズバズバエッセイが、『ただのナマズと思うなよ』。
僕の頭の中では、アナゴ>ウナギ>ナマズ>ドジョウと「差別構造」ができあがっているのだが、シーナさんはナマズを擁護しておられるのだ。えらい!
さすが、「忘年会と新年会はどっちが偉いか」なんてエッセイも世に問うておられる天才である(笑)。
シーナさんを見習って、「仁義なきキムチと奈良漬けの闘い」などをしていた方が、こと日韓関係は平和でいいかもしれない(シーナさん自身、小学館文庫の『からいはうまい』であちらの漬け物をかなり肩入れしているけど)。
ともあろうもの
at 2007 06/08 23:16 編集
また前時代的な、生徒会レベルの道徳論が、コムスン叩きの背後に見えかくれしている。
「介護事業者ともあろうものが」といわんばかりの特別視は、事件によっては「医師」「教師」に矛先が変わることもあって、そのたびに僕は小声で「ほんなら、風俗業者ならどうやねん」とつぶやきたくなるのだが、独り言もむなしい(笑)。
あぁ、僕がこんなとき「卑しいと評される職種や人の属性(堅気でない人々とか、移民とか)」をたとえにあげるたびに、一部の聞き手のナイーブな倫理観をくすぐるのか、たとえ話に気をつけるようクレームが出るのだ毎年毎年。この件については、またあらためて書きたい。
見下される職種とは対称的に、介護職を高く持ち上げる倫理観は、あまり普遍的な価値観から出たものではないから、往々にして論理的に整合しない。
介護事業に高い倫理観を求めるなら、高い責任に応じた高い報酬を保障しなくてはいけない。介護保険料を値上げするか、それとも負担者を年金と同様に拡大するか。
あたかも、採算は二の次で、家族のように心のこもった介護をしてほしいと望むなら、それは大きな勘違いで、介護保険制度そのものが「ビジネスライクな介護事業」の支援政策だから、金にならないメンタル・サービスは期待しない方がいい。また、ダメモトだと思う。
もちろん、脱法行為をやってでも介護報酬を国から引き出すのは倫理以前に犯罪だから、法令を守った上での営利を追及すればいいだけ。それだけなのだ。
家族にしかできない特別な「真心アービス」は、やはり家族にしかできないものではないだろうか。
あえて誤解を恐れずいえば、コムスンだろうとニチイ学館だろう
at 2007 06/30 21:44 編集
忠実な足代わりになってくれているバーディー君が、トップギアが入らない、ブレーキも前後とも効かない、と駆動・制動系のコア部分がいかれてしまった。トップどころか、8速のうち6速までしかシフトできないので、低速で、しこしことポタリングに甘んじていた。
おかげで、高速走行はしたくてもできず、ストレスがたまる。「トップレス」が欲求不満のタネだったわけだ。
ディレイラーの不調は調整しても治らないので、専門店で見てもらうと「こりゃ交換せんとあきませんなぁ」という診断。とりあえず、診断だけしてもらって、何週間も保留していた。
そして、「晴れのち雨」のような、乗って行って、雨になって預けて帰るのにちょうどいい天気の日をうかがって、うまい具合にそうなった昨日、入院手続きをとってきた。
このついでにブレーキも含めてあちこち「触診」してもらうと、さすが老舗のヤマダサイクル若旦那、「だいぶ坂道で酷使してまっしゃろ。チェーンも伸びてるみたいやねぇ」と言い当ててくれた。
「坂の上のチャリ麻呂」が多い土地柄を熟知された上でのプロの触診は、説得力がある。
ディレイラーの交換と、安物を酷使していた制動系もディレイラーに合わせてシマノのVブレーキに替えてもらうことにして、見積もりは1万200円。紙に見積額を書いてくれて、名前と電話番号を書いてくれという。安心できる明朗会計だ。
1泊預けることにして(雨だったからちょうどいい)、ちょうど24時間後に、退院したバーディー君を引き取ってきた。親子3人が切り盛りする中、ダイヤルの黒電話がひっきりなしに鳴る油くさい店へ。
「チェーンも、いずれ替えんとあきませんけど、とりあえずはずして洗浄しときました。あとブレーキワイヤーも錆びとったから新しいのにして、ちょっと不細工ですがこう処理しときました」と、見積もり以上のオプションつきで、明朗会計そのまま。
見違えるほど、駆動も制動もキビキビと生まれ変わっていた。なめらかにシフトが入り、クイッとにぎると車輪が即ロックするほど小気味よく効くブレーキ。
「トップレス」で悶々としていた煩悩をふっきる勢いで、2駅ほど走って図書館まで往復してみた。おぉ、段違いに速く走れる!
自転車は素人技でたいていのメンテナンスや改造ができるのが利点だが、やはりプロに手入れしてもらうと、みごとに復活するから感激する。工賃も部品代も含めて、低料金だし。
ただ、ちょっと気になるのは、折り畳み車なのでブレーキワイヤーとシフトワイヤーは可動域に合わせて長めにボディに這わせてあるのだが、なんだか短くて、必要最小限にカットしてあるような・・・まさか畳もうとすると、畳めなくなっていたりするのでは・・・!?
と、新たな疑惑が浮かんできた。
こんな簡単で肝心なことを、自分の目で、手で確認するのが怖い(笑)。
まぁ、ワイヤー長の不手際ぐらいは、アフターケアをちゃんとやってくれる店だから、どうってことはないけど。「短かすぎて、畳めまへんで」と持って行くと、「ハッハッハー、そうでしたか。ほな、治しましょ」と、即応してくれることは、わかっている。
こんなやりとりも含めて、愛車のメンテナンスは、「愛」が深まる人づきあいでもあるねんなぁ・・・と思う。
宮沢りえも黙祷エビゾーは?
at 2007 06/29 22:32 編集
ベルサイユ講和条約の年に生まれた宮沢喜一元首相が、ふいに逝去された。
ふいに・・・というのは、亡くなる朝までふだんどおりに新聞を読んでいて、家族がかたづけようとすると「もう少し読みたい」と答えていた会話が報じられていて、あまりにも意外だったからだ。
結局そんなありふれた日常のやりとりが最後になり、眠るように息を引き取ったという。
死因は老衰ということになっていて、こんな自然な大往生は、近ごろ珍しいのではないだろうか。僕の祖父母も、畳の上で、やはり眠るように子や孫に見守られて老衰で亡くなって行ったが、いつ心臓が止まったかわからないぐらい、穏やかな最期だった。医師がいたかどうかさえ記憶にない。
ふつうの庶民と政治家の頭や体の使い方はまったくちがうとはいえ、宮沢元首相は、最期までぼけずに、天下国家を案じていたようだ。政治手腕を疑問詞されたり、不信任決議されたり、「55年体制を崩壊させた張本人」と責任追及されたりはしたものの、そして僕は自民党支持者ではないものの、宮沢喜一という政治家に崇敬の念は感じる。
同世代の中曽根元首相が自主憲法」を政治信条としているのと正反対に、与党の中で護憲を貫いてきたリベラルな立場は、「加藤の乱」の加藤紘一に引き継がれた。
宮沢派は、護憲の立場から自衛力の拡大、集団的自衛権の行使に慎重であったために中国には歓迎されたが、それを愛国者の尻に火をつけてしまい、「弱腰外交だ」と批判された。
それはいえるかもしれないが、現実的に国際的な緊張関係の中で日本がいたずらに中・韓はじめアジア諸国とピリピリしているのは賢明ではない、と考えるのが政治的判断だろう。
その意味で、ウルトラ保守派の唱える「美しい日本」やら「自主憲法で真の独立を!」のメッセージは、ひどく観念的に見える。
自主憲法制定を願う気持ちは当然だとしても、「改悪」が目に見えてわかと、「改正」と書く気がしない。
その前に、憲法にのっとった政治が行われているか?
憲法の精神が国民生活にちゃんと定着しているのか?
と問う基本スタンスは、不思議なことに、自民党護憲派と社民・共産党にしか残っていないように見える。なんでだか。
いま一番ホットな「自民党おぼっちゃま派」と「パッチワーク民主党」は、まるで生徒会のように憲法を好き勝手にいじくって「我が党は」「我が党は」のPRにふけっているばかり。
ほんと、強行採決を見ても、委員会審議を見ても、子供のツバぜりあいか、猿の乱闘のようで、国権の最高機関でやっていることとは思えない。
松野頼三さんしかし、宮沢さんしかり、老獪な政治家がほぼ絶滅して、二世、三世とタレントばかりになってしまった。たよりないこと甚だしい。
ここは、存命の大政治家たちが結集して「妖怪党」でも結党すれば、意外と票を集めるのではないだろうか(中曽根康弘と不破哲三が呉越同舟していたりして、前代未聞の政党になるでしょうなぁ・・・笑)。いま人口割合で21%を越えている高齢者層は、有権者の中では30%にもなる一大票田だしね。
平均年齢80歳なんていう政党は、入れ替わりだって激しい激しい(笑)、人事の停滞なんか絶対に起こり得ないから、案外フレッシュな顔ぶれが毎年どんどん循環して行くと思うぞ。
静香ちゃんが参院選にアルベルト・フジモリをかつぎだそうとしているから、妖怪党はゴルバチョフかジミー・カーターか金大中あたりを帰化させて擁立するとか。
「もう、母国の国籍に未練はないでしょ?余生を世界平和に捧げてみませんか?」と勧誘すると、案外いけるかもしれない(ジョンイルはだめだよ)。
がんばれ、爺さま政治!
ミーツホープとして再建せよ
at 2007 06/28 17:01 編集
ミートホープの薄ら笑い社長、「安売りを喜んで買う消費者も悪い、販売店も悪い」と敵を増やして、あの断末魔の放言はもう、アッパレでさえある。まだ、言うかもしれんぞ。
国民の怒りを増幅報道することに躍起になっているメディアで、「もしかすると、当たってるよな」と発言しようものなら、ミソクソに叩かれること確実。
でも、当たってるもんなぁ・・・。
だって、血で色づけしたり、牛脂で風味をつけたりしていたひき肉が、「うまい」から売れてたわけでしょうに?
それを「悪い」といっちゃーなんだが、正解は「愚かだ」となるところを、社長のなりにオブラートにくるんだ表現だと思えばよろしいのだ。ワハハハハハ
たしかに、食品に求める価値として、「うまい」「安い」「正しい」のうち、「正しい」を重視する消費者がどれだけいたのか疑わしい。今でもファストフードに群がる日本人は多い反面、「美味しんぼ」みたいに素材の質や風味を追究する客なんか、いないしね。
楽しければいいのだ。うまければいいのだ。感動できればいいのだ。
あの社長の心の奥底には、「毒が混じって健康被害が出たわけでもなし、客は値段の割にうまいうまいと思って食ってたんだから、騒ぐことねえべ」なんて思いがありそうだから、反省しないまま薄ら笑いを続けるだろう。客は、「ちゃんぽんミンチ」を支持してたんだから。
一応、だましたことは悪い。
ただし、それを言うなら、
レタッチしまくりの広告写真はOKかい!?
歌舞伎か宝塚みたいな厚化粧はいかがなもんですかっ!!
CGを駆使した医薬品のCMって、ありよ?
男たちは、ヅラをかぶり、底上げ靴もはきたいのだ!!偉大なる将軍サマでなくても。
とかなんとか憤慨しはじめると、偽物だらけの今の世の中、ストレス火山が大噴火してしまうぞ。
そんなニセモノ社会をあぶり出した功績をたたえて、ミート社長のもホープ息子も、罪に問わない・・・なんて許されないだろうから、とりあえず起訴する、と。
そして公判をだらだら時間をかけて進めて、その間に罪滅ぼしをして情状酌量を狙ってもらおう。
ずばり、「偽装食品バスター」である。
姉歯もと建築士には「違法建築バスター」を提案したから目新しくない案だし、警察は足を洗ったヤクザを暴力団対策に使っている。名を捨てて実をとる方がいい。
またこれが、類犯、再犯のあぶり出しにはけっこう効果があるのではないだろうか。
真っ白な善人と、真っ黒な悪人との間に、「悪いことしたけど罪滅ぼししようとしているグレーな人」がいて、よく見れば見るほど階調の細かいグラデーションが見えてくる。これが世間のリアリティだと思う。
なのに、自分は白だと開き直る偽善者や、ダークグレーを責めたてるライトグレーがいたりする。こんなやつらの方が罪を意識していない分、悪質だろうなーと思うのだが社長、いかがなもんですかい?(長男は、わかってくれるかも)。
転灯!
at 2007 06/27 22:01 編集
ぼんぼり風のシェードの天井灯がプツンと切れてしまった(もちろん、電球が)。半年の寿命だった。
つけたときは、秋が深まりゆくころだったので、「あー、あったかいなー」と満足していたし、実際むやみに暖かい、まるで暖房器具のような電灯だ。100Wの白熱球が2連装だから、熱帯夜になろうかという季節、なにしろ暑い。
そこで、蛍光電球に替えることにした。20W消費で100W相当の明るさ!とうたっているやつに、1個あたり大枚1500円をはたいて。
おぉっ!光はやさしく明るく、温度はクール。
色温度の高い蛍光灯の直射は大嫌いなので、ちょうどい感じ。
夕暮れ前に帰る日をのぞいて、部屋の明かりは防犯のためにほとんどつけっぱなしにしているし(これは確信犯)、つけたまま眠ってしまうことが多い(これは反省)。
一応これで、照明費も5分の1になったわけで、免罪符になるだろうか。
エアコンを持たないだけでも、罪滅ぼしになるかと思うのだが。
いま、国も蛍光球の普及を奨励しているそうで、先週あたりの新聞で、「白熱電球が消える運命」とかなんとか、小さな見出しが目にとまった。
省エネはわかるし、高性能化もけっこうだが、エジソン以来のフィラメント電球が、消えてしまうのか?と思うと、ちょっと寂しい。もう今さら真空管じゃないでしょー、とソリッドステート化が進んだオーディオ機器を思い出す。
それが今、なぜか静かな真空管ブームだったりする。
趣味の世界と、生活必需品の照明器具は同列に扱えないとはいえ、残るものには、それなりの理由があると思う。
薪ストーブも、かまど炊き御飯も、ろうそくも。
白熱球を撲滅するぐらいの政策パワーを行使するなら、ガソリン車を半減させて、トロトロと下駄代わりにころがす程度のマイカーは、ソーラーカーに転換して行った方が利口ではないのかな。
よくフィリピンやベトナムで走っている三輪モーターバイク(シクロだったかな?)のような低燃費の乗り物を認可して行くぐらい、すぐにできるだろうに。
まぁ、僕はそれほど特別に白熱球に思い入れはないし、ただ「部屋が暑い」から避けているだけだが、省エネ教みたいな運動をみると、「持続可能な運動かな、こりゃ」と疑問がぬぐえない。住民が手間ひまかけてゴミ分別を進めて、市民税が下がったという自治体は、どこにあるのだろうか。
細かいことばかり槍玉にあげて(レジ袋廃止もゴミ分別もそうだ)、クルマ社会とエアコン依存のような大状況を放置しているのも、なんだかねぇ・・・と苦笑してしまう。
木を見て森を見ないように仕向けている黒幕と、広告主に盾つけないマスコミは、なぁなぁの共犯者でしかない。
がんばれオータニ
at 2007 06/26 22:23 編集
ハーバーランドのニューオータニが、撤退を決定!?
第一報で、「震災の影響が尾を引いて・・・」と会見していた経営陣に、僕は素人ながら「いつまで震災を言い訳にしまんねん」といぶかってしまった。
それが、続報では経営上のいざこざが表面化してきて、「やっぱり・・・」と素人ながら合点が行く真相が見えてきた。複合ビルに賃貸入居している形なのだが(大阪のヒルトンと同じ)、オーナーが外資に代わり、運営方針が折り合わなくなったのだそうな。
客室稼働率だけ見ると、神戸市内のホテル平均をうんと上回ってコンスタントに8割を超えているから、本来の宿泊業務は堅実に回っているようだ。
もちろん、ホテルは客室だけでなく、バンケットや外商、料飲部門など、いろいろな顔を持つ立体的なビジネスだから、ニューオータニにも赤字部門があるのかもしれない。
それに第一、地味!である。
ここにニューオータニあり、とわかるようなランドマークもないし、大阪城公園のニューオータニのような晴れ晴れしたエントランスもない。
神戸のは、コチャコチャ甘味どころが寄せ集められたスイーツハーバーとゲーセンにはさまれた(前はダイソーもあった)フロアにあるから、こりゃどっちがメインだか、わからんわな。ロビーもラウンジも暗いし。
このビルは、たしか南部のパソナが持っていたはずだが、テナントの選び方がどうなっているのか、統一イメージがない。同じ海沿いのホテルなら、メリケンパーク・オリエンタルかオークラで海を真正面に眺めながらステイする方がいいに決まっている。
陣内・紀香の披露宴でオークラに知名度を持って行かれたから、オータニも県内カップルを捜し出して、無理やり(無料ででも)式を挙げてもらわなくてはいけない。
だれがいるだろう。
浅野ゆう子は「一番の地元」で、もうあきらめているのかもしれんが、頼まれたらまぁ、結ばれてあるにやぶさかでない(偉そうに!!笑)。
それ以外では、客寄せパンダ、おらんね。
「芸能人婚」だけで名前を売るのもわびしい話で、泊まらなくてもふらりと立ち寄れる快適空間を、なんとか品揃えしてほしいものだ。今の寂しさは、もう「不倫ルーム」の匂いがぷんぷんするだけ。
それはそれで、渡辺淳一センセイが喜んで取材に来そうではあるけど。
ハローワークのような、サロンのような
at 2007 06/25 23:02 編集
何カ月かおきの、のどか〜な読書会に、MSW志望のミセスを招待。
「研究会の司馬遼太郎」のような、歴史好きな事務長さんの担当で、加藤周一氏の高額なハードカバーが昨日の題材だった。
「よりによって、一番避けてきた(思想)分野の本でした」と苦笑しつつ、心理畑出身のミセスは、必死に(?)議論に参加してくれた。やはり、心理は思想と食べ合わせが悪いようで・・・?
おまけに、「MSWですか。実際のところ、患者さんに退院促進してくれて、病院の収益に結びつくスタッフなら歓迎されるでしょうけどね。現場はそんなものですよ」と、中規模病院のリアリティをざっくばらんに突きつけられて、ちょっと気の毒ではあった。
主婦の座という「足元」を見てのことではないだろうが、「ボランティアでなら、ご希望のターミナル・ケアの手伝いにかかわったりすることはできるでしょうけど」とのすげない提案で、希望の光が無残に吹き消されてしまった印象が、なきにしもあらず。
なるほど。現実は厳しいようで・・・でも、ない職域は自分で創ればええんです!!と無責任な応援をしている僕は、つくづく罪なやつなのかね。
グリーフワークだスピリチュアル・ケアだ精神腫瘍学だと、新しいセオリーはいろいろな場で取り沙汰されてはいても、現実として医療の大枠は柔軟に変わっているわけではない。より診療報酬単価の高い患者を、より多く回転させなければいけない収益構造への「改革」の波に、民間病院は飲み込まれつつある。
緩和ケアとか生活相談業務といっても、まず政策上きちんとした位置づけがないし、専門看護師ように資格化されているわけではない。
「あちこちの病院で絶望的な診断をうけた患者の家族の相談を受けていると、ほんと疲労困憊しますよ」という事務長さんの声は、実感がこもっている。よほどの専門的訓練と、本人のメンタル・タフネス、加えて待遇の保証がないと、なかなか続かない仕事だろう。
こうした荒野にこそ、がんがん足を踏み入れる者は少ない。だからこそ、かえってチャンスかもしれない。
とまぁ、山師のような、うさんくさい発想でミセス・ハートを惑わすのは問題かもしれんが、がんばってほしいものだ。
あなたのつけた足跡にゃ〜、きれいな花が咲くでしょう〜♪
だからね。
無責任といえばそうだが、発言の責任を問われず、自由奔放に発言できること、また参加者の発言なり発案なりを抑え込まないことが、リベラルな論争の風土なのだ。
ところが、現実の職場でも学校でも病院でも、いたるところ見えないタブーだらけだし、伊沢元彦さんのいうような「言霊」が、言論を自粛させている気配もありあり。
だからこそ、主従関係も雇用関係も競い合いもない、「ただ物好きな研究とヨタ話が好き」な面々との談論風発は、つくづく貴重だなぁと思う。
次回は僕の担当だ。
さて、何をサカナにしようか?
『資本論』なんか選んだら、袋叩きに遭いそうだし。
でも、でも・・・
梅雨は流水写真で
at 2007 06/24 21:28 編集
カッと晴れたり、熱帯夜もどきの夜であったり、しとしとと涼しい雨が降り続いたりと、めまぐるしく初夏から真夏への「申し送り」が進んでいる。
とはいえ、梅雨まっただなかである。
このウェット感、じとじと感を映像で写し留めるには、やはりフィルムかな、「現像」のイメージからして。
と思って、あぁ情けないことに今年初めて、フィルムというものを買いに行った。
コダクロームが山岳写真の王道だったこともあって僕はコダック党だが、もう、イーストマン・コダックはフィルムを売る気がないんちゃうか?と思うほど、売り場は寂しい。
「ウルトラカラー」シリーズの5本パックを買ったら、3000円もした。メモリーカードなら1GBが買える値段にあたる。
こりゃ、消費者いなくなるわなぁ・・・と実感する。
せっせと暗室にこもって新作を現像し続けている上北沢暗室職人君は、えらい!とも思う。
たしかに、デジカメは便利だ。
メモ代わり、またアップロード用には、デジフォトさまさまの手軽さを発揮してくれる。僕もフル活用している。
プロの現場は、とっくにアマチュア以上にデジタル化が定着してしまっているという。
広告業界など、レタッチ天国の世界だし、報道写真もスピード処理できるメリットは大きい。
だからこそ、新聞写真であろうとフライデーであろうと、レタッチ=偽造された写真かも・・・と眉に唾して見るのが、メディア・リテラシーの現実になっている。
レタッチできる画像データというのはもう、「鉛筆書きの契約書」みたいなもので、どうにでも作り変えられるから、「本誌(本紙)を信用して下さい偽造してません」なんて宣言が説得力を持たないことは明々白々。
「現場の写真は、この通りフィルムに残っているからな!」といえば動かぬ証拠になるけれど、今やそんな写真家はごく少数派だろう。
つまり、フィルム時代の「写真には真実が写っている」という先入観が生きている中で、レタッチ技術が日進月歩で進んでいるわけで、これはこれでおっかない大衆操作の条件が整っていることになる。
北の将軍サマは、さぞかし活用しているだろうけど、いまヒトラーやスターリンが生きていたら、ドイツ製のフォトショップ、ロシア製のイラストレーターなんてのが、今以上に激しくテクノロジーを競い合っていたに違いない。
そんなことをつらつら考えつつ、ありゃりゃーフィルムどうやって装填するんだっけ?と手元がおぼつかなくなる我が身が、まったく情けない。
でも、パトローネの中には、「写っているだろうか」と思う一抹の不安と背中合わせの夢と期待が宿る。潜像が現像に移行するまでの時間が宿る。
それを、ただの無駄な時間・無駄なリスク・無駄な手間と考えるか、醍醐味と考えるか。
せめて、現像した写真をデジタル管理できるよう、フィルムスキャナーぐらいは導入してみようか・・・ハッセルのデジタルバックが安くなれば試してみようか・・・と考えはじめている僕のフィルム写真道は、結局は中途半端なレベルで「陥落」してしまいそうだ。
行列のできる入隊待ち
at 2007 06/23 22:45 編集
あのビリーが、営業ツアーに来日!
と、ビリー旋風が吹いていた。
僕も、ごく最近たまたま夜中に遭遇して「ぬぉぉぉぉぉっ!なんじゃこりゃ」と打ちのめされたばかりだったから、グッドタイミングだった。
個人的には、ソウルフルで、動と静の両面を持った、いいキャラだと思う。「京都にも行きたい」と語っていたそうだが、本場で座禅を組むぐらいの経験はしてみたいのかもしれない。
これを機会に、高野山で修験道の修行でもやってみれば、今度は欧米で「ビリーズ・スピリチュアル・キャンプ」なんてのに仕立てて売り始めるかもね(がんばれ!)。
デューク更家の旬が過ぎた今、「あのポスト」にうってつけなのがビリーだろう。
何か器具やサプリを買わされるわけでもなし(ビリー・バンドは付録かな?)、「体操するだけ」と思わせるお手軽感は、「歩くだけ」と思わせる更家と戦略が似ている。
でも、あのブートキャンプ、「いやなら、やめちまえ!」「そうそう、できるよ!」とアメとムチで励ますように見えて、結局は脱落者をわんさか出すことになっているのではないかい?
僕も、とても真似はできない。
フィットネス・ローラーだって、未だに先に行ったまま戻らない
のだチクショーなに笑ってやがるビリー!!
と逆切れしてしまうぞ。
だいたい、あの手のエクササイズにしても、美容グッズ健康グッズにしても、実演例は「アフター」であって、「ビフォー」が問題なのだ。
日本でもっと売りたいなら、すそ野を広げなくてはいけないやね。
内山くんとかホンジャマカ石塚くんとか、おやじダンサーズを起用して。
もし、それで劇的に効果が出たら、石塚くんは石塚くんでなくなり、パパイヤ鈴木はただの鈴木さんになってしまうから、「入隊します」とは言いにくいんでしょうなぁ・・・それほど、効くことが証明されたら、これはもう、けた違いに売り上げ記録を塗り替えると思うけど。
ホープレス・ミートホープ
at 2007 06/22 23:17 編集
ミートホープの薄ら笑い社長が不評だ。
「同系」のヒール役であったものの、最近ようやく賞味期限が切れかかっていたヒューザー小嶋社長も、ほっと一息ついているだろう。
社長も相当なアバウトおやじだが、息子たちもそろいもそろって「肉屋一族でござい」と無言でアピールしていたのを感じた視聴者は、僕だけではなかったはずだ。
そのファミリー会社ナンバー2の弟をさしおいて、長男が「正直に言って下さいよ」と親父を諌める場面も、弁護士と打ち合わせ済みのクサい芝居だろう。
もう、いろんなところで「最悪の謝罪会見!」「晩節を汚しきったワンマン社長」「親父の尻拭い次期社長はどっち?」と叩かれて、もう救いのないダメージを受けている――自業自得だとはいえ――ミートホープには、いいところもある。
そう、これだけ偽装しても、消費者の舌は感づかなかった、という事実が突きつけられたことである。ミンチにしてしまえば、日本人の舌はいくらでもだませるのだ。
たぶん、家で手抜きテクニックに使えるワ、と気づいた主婦もいたにちがいない。
また、原材料がわからなくなる「挽き肉」はハンバーグの原材料でもあって、何が混ざってもわからない肉食文化に、すでに日本人は染まってしまっているわけだ。
哀しいことではあるね、消費者の味覚感度低下は。
それと、内部通報でどんどん企業の悪事がばれる世の中になってきたこと(建築設計偽装もそうだった)は、組織の風通しがよくなっている兆しだと思えば、悪くはない。
経営者も社員もみな一蓮托生の運命共同体で、社員を手厚く処遇してやっていれば、多少のインチキの口止めにもなる。
それが、買い主の手をかむ社員が出てきたわけで、これは労働市場の流動化に伴って、もはや避けられない変化ではないだろうか。
内部からリークしたきっかけは、たぶん僕の邪推でしかないが、あの「ギンギンたぷたぷキンキラ三男」が取締役なんかに就いたことではなかっただろうか。だって、父親ぐらいの年の社員に、上から指図する――しかも犯罪行為までも、だ――ふてぶてしいボンボンに、反感を覚えない社員はいないだろうしね。
そこが、創業から叩き上げたオーナー社長の誤算だったといえるかもしれない。
被害者なき鳥インフルエンザ問題で、京都の浅田農産の社長は、老妻を道連れに首を吊ってしまった。
ミートホープも、今のところ「だまされた」以上の食品被害は報じられていない。
報道がどう追いつめて行くのか、ちょっと警戒もしなくてはいけないが、あの社長の薄ら笑いの陰には、鋼鉄のような神経をもつ総研社長と同質の傲慢さは感じられず、臆病で神経質な人となりも感じる。薄ら笑いが消えると、深く「鬱の深海」に沈んで行くかもしれない。
そこで三男は、金ぶちメガネを磨いて、「次はオレ」と息巻いているのかもしれないが、会社自体、再建は大変ではないだろうか。
開き直って、「旦那をだませる上ビーフ風味くず肉ハンバーグ!!」なんて商品を開発すれば、意外に当たるかもしれないから、企画書メールでも出してあげようか(笑)。
カバちゃん!
at 2007 06/21 22:58 編集
通勤電車の斜め前に座っていたリクルート・スーツ姿の女子が、「シューカツ本」らしきものを熱心に読んでいた。レイアウトから、そして覗き見視力6.5の我が「レントゲン・アイ」からして、おぉ!カバシマ先生の小論文マニュアルではないか!とわかったぞ。
樺島忠夫氏の、『文章構成法』(講談社現代新書)である。
まず、絶版になってなかった驚きを書店の新しいカバーに感じたほどのロングセラーで、おそらく70年代の初版だろう。
27年前の浪人生活で、僕は勝手にカバシマ先生を小論文の先生に選んで、しゃぶりつくすほど熟読していた(もちろん、実践も)。ついでに、カバシマ先生は'27年生まれ、僕の父も'27年生まれである(つまり、作文学習の父だな)。
簡潔明朗で、とても実践に移しやすい名著だったと思う。
起承転結なんて絵巻物のような名文ではなく、とにかく伝わりやすい平易な文をカバシマ先生はすすめておられて、しかもつぎはぎ・入れ替えもしやすい=手直ししやすい、今ふうにいえばパラグラフ・ライティングを採り入れた内容は画期的だった。
それが、時を超えて、「我が娘」世代(なんだよなー、二回りも年下の4年生だとすれば)の手にあって読まれているのは、ちょっと感動ものだ。
君は絶対内定!と僕は勝手にテレパシーでお墨つきを授けておいた。
いまどきの小論文のマニュアルというと、頭のいい人・悪い人と単純に分けたがる困ったオヤジがマニュアル本を連発していて、「あんたのコンプレックスの世界に読者を巻き込むなよなー」と難癖もつけたくなるけれど、まぁそれだけマニュアル本が求められ、消費されている証拠なのだろう。
もしかすると、作家や評論家など、あらゆる文筆家が手を染めるジャンルが、女流作家なら恋愛論、男性作家なら文章術ではないだろうか。谷崎や三島のようなオーソリティでさえ、文章読本を書き残していて、このジャンルそれ自体が、実用を離れて「比較読書」の楽しみを確立させているようだ。
名文家や多作家が書いた文章術が、意外にも激しく駄文だったりする(笑)発見も、実益を離れたところで楽しめたりもする。
そして、武田徹さんがどこかの新書に書かれたジャーナリズム文章術の類が、ジャーナリズム論そのものとしても名著であったり
するのも、お宝発見という感じで、一粒で二度おいしい。
カバシマ先生のように、ヒット狙いでもなく、おそらく教え子に誠実に、それでも凛とした姿勢で向き合って、原稿用紙に魂を刻みこんで行く手助けをしてくれるような指南本もまた貴重だ。
安い新書ではあっても、もっと息長く残って、孫ぐらいの世代のシューカツや受験に役に立てばいいと思う。
どこのだれやら知らない彼女の内定を、激しく祈りつつ。
男の園
at 2007 06/20 22:44 編集
最近、人種差別者としての汚名を浴びまくっている僕のもとへ、同窓会だよりが届いた。私立中高一貫の「男の園」の。
明示45年竣工の、文化遺産なみの寮が取り壊しになるという。
友人の部屋に遊びに行ったとき、幽霊屋敷のような維持言空間にびびった覚えがある、今となっては懐かしい館である。
こういう中・高生活も、悪くないのにね。
そして、衝撃のニュースが、あぁ、なんてことだ。2年後に、中一から女子を入学させて行くというのである!
理事長が、あいさつ文で「男女共同参画社会の流れに棹さすことはできません」と書いておられる。
いつの間にか、鉄腕DASH村にあんべとかいう女子が入り込んでいる以上のショックである。
いや、反対!というのではない。「なんで、俺たちの時代に共学にしてくれなかったのだ!」と嘆くケダモノども(笑)は多いはずだ。せめて、「杉本あや先生」ぐらいいてくれてもよかったのに(だれも塾なんか行かず、全員が終電まで居残り勉強させられて喜ぶね)。
そういう憤りでありますな、みっともないけど。
われわれケダモノが、「生徒も教職員も男の園」で悶々としていたころ、学園の周囲は田畑しかなく、勉強かスポーツか悶々か(笑)しかすることがなかった。文武両道というのは、「それしかない」環境がそうさせている面もあるのだ(涙)。
やがて、市は10年間も続けて、人口増加率日本一のニュータウンに変貌し、自治体からは定員増、共学化の要望を受けているとは聞いていた。
周辺に急造された公立高校はもちろん共学で、ちょっとした団塊化の「切磋琢磨効果」か、新設校なのにいきなり進学校になってしまった。
歴史と伝統に安住していた母校からは、かつては毎年いた東大への進学者が、今はいない年もある。総体的に、学力も低下しているのかもしれない。
だから共学化、というわけではないだろうけど。
なるほど、男女共同参画社会に異議を唱えるつもりはないし、少なくとも公民権は絶対に平等でなくてはいけない。
が、一方で、ある種の私立学校は異性に排他的であってもいいとも思うのだ。
妙に混浴が大嫌いな僕は、国税で経営されている「お茶の水女子大学」「奈良女子大学」が女子大のままであってもいいとさえ思うし(別に、国技の土俵に女子は入るな、てな伝統との駆け引きではなく)、ましてや私学だから、男子のみ、女子のみを対象とする教育理念は、男女共同参画社会に反する不正義でもない。
それに、「女の園」は、まるで「つみきみほワールド」で、もうアートでもあって大変けっこう。
これに対して、男の世界で浮かんでくるのは「ジャニー喜多川」で、どうにもどす黒い(苦笑)。どこにも、ベルナールもフィリップもいないのだ!
男子教育または女子教育の伝統は、とにもかくにも共学化で大きな区切りを刻まれることになりそうだ。
はたして今後どうなるのか、OBとしては暖かく見守りたいものだが、さしあたっての心配は制服である。
今の男子は詰め襟の学生服だが、このクラシック・スタイルも、ブレザーばかりの周辺公立校から際立っていて悪くない(僕のころは、学生帽と革カバンも義務で、学生帽をかぶっている高校生は、たぶん兵庫県内でうちだけだったから目立ってしかたなかった)。
では、この詰め襟に合う女子服はというと、セイラ〜服である。これは悩ましすぎる。刺激が強すぎる。
特に、教師たちに(失敬!)。
いっそ、女子も「詰め襟にズボン」とすれば、これはこれで平等だし、スカートの長さチェックだの下着の色・柄がどうたらこうたらと面倒な校則はいらない。
ただ、ガクラン姿の女子中高生なるものが、妙にマニア受けする可能性もあったりするから、これはこれでなんというか、慎重にというか、ぜひ「対応が間に合わなかった」をわざとらしく口実にして、最初だけガクラン女子を通わせてみてほしい。
となると、どうするよ、モー娘みたいな女子がガクラン姿で、通学電車で抱き合っていたりすれば!
志願倍率は、10倍ぐらいに跳ね上がるね。
「彼氏のワイシャツを素肌にまとってみた小悪魔」のような女子は、全国からデジカメ片手に盗撮しにきたマニアたちを萌えさせるにちがいない。
やがて灘中・高なんかも共学になれば、村上ファンドのような女子やら勝谷誠彦のようなイガグリ頭の女子写真部員なんてのが出てきそうで、こりゃー楽しみなんだか恐ろしいんだか・・・
マルタマよりモナSTORY
at 2007 06/19 23:01 編集
二度も不信任決議され、返す刀で二度、議会を解散した火災いや家裁いや加西市長選挙は、いけいけ中川暢一市長が僅差で再選された。
いやもう、これしか話題がないといっちゃ失敬だが、こういうことがあるから、地方選挙はおもしろい。
独断で市職員採用をかきまわした、との批判に、中川さんは「前の市長は裏口採用をしていたではないか」とぶちまけて、名誉棄損で告発されているから、選挙の次は司法の場で第三ラウンドのゴング!である。
やりますなぁ、ワンマン市長。
地方自治体の採用試験など、口ききでどうにでもなるズブズブの世界だから、個人的には、真相は闇の中の裏口採用より、「私が決断した結果だ」とわかる採用の方が、少しはマシだとは思う。
それでも、この中川市長を責めていいのか弁護していいのかイマイチわからないので、おもしろい闘いになるよう、がんばっていただきたいと願うばかり。
たぶん、中川さんは参院選に出るれば当確だろうけど、国会議員より自治体の首長の方が、うま味があるのだろうか。
タレント議員の巣窟でもある参議院には、さくらパパやらマルタマ元アナなど、各党ともあの手この手で人寄せンダをかき集めている感じで、ハンカチ王子の親なんかも出てくれば、さくらパパは撃沈だ。
子供の七光りシリーズ(笑)で、マーくんの親まで引きずり出されたりすると、何かありげな美女をよく出すK明党は、モデルあがり(さがり?)の黒田知永子あたりをくすぐって擁立するかもしれない。
マルタマは、蓮舫の活躍を見て色気づいたのかもしれないが、ちょっと、どうだろうね。
明らかに自民党の「ジジ殺し」枠にはめこまれた感じもするが、あのトゲトゲしい風貌は、ちょっと損な印象もある。やはり、ジジ殺しならNHK有働アナが決定版、そして対民主党ミサイルなら、「あの、モナ」が効果絶大ではないんかね。
おまけに、なんとまーフジモリ大統領を神輿にかつぎ出す話まで出てきて、どうやって軟禁されているペルーから出てくるねん?
と、突っ込みどころ満点である。
僕自身は自民党に入れたことはないものの、次の首相はおそらくサブカルチャー麻生セメント大臣で決まりそうだから、ちょっとお手並を拝見してみたい。秋葉原に文化庁を移設したりしそうだし(笑)。
そうなるためにこそ、安倍さんには「選挙大敗」を経験して、引責辞任してもらわにゃ困る。
年金問題の責任は横においといて、ガラガラポンを見たいがゆえに、参議院大どんでん返しに期待したいところだ。
僕が出馬したところで、さて「台風の目」になれるかどうか自信はないが、黒田知永子やモナが出るなら、喜んで秘書の座に寝返ってさしあげるぞ。
議員宿舎に住み込みで、「熱烈奉仕」いたすのだがなぁ・・・。
ほのぼの家族市場
at 2007 06/18 22:57 編集
さしさわりがあると気の毒だから、コードネーム「家族市場」としておこう、町内の西武系コンビニに寄った週末の夜のこと。
お茶だのビールだの(アサヒの「北の職人」は、泡がギネスのように細かくて、うまかった)を買って、レジへ。係は、僕と同年代のおとっつぁんだった。
ストローをつけてくれようとするから、「ストローいらないよ」と制止すると、おとっつぁん、「大人やね〜」と、意表を突く親しみをこめて応じてくれた。
僕も、「もったいないしね」とフォローすると、おとっつぁん小声で、
「いやね、牛乳1個でもストローつけてくれっちゅう客がおるんすわ。ここだけの話、内心『ボケー!!』思いますねん」
と、意表を突きまくりの魂の叫びを吐き出した(笑)。
風采からして、脱サラしたオーナーっぽい感じもしたから、脱マニュアルの受け答えもしたくてたまらなかったのかもしれない。
ええんかねぇ・・・。まぁ、僕はええんですが。
観光客もひっきりなしに立ち寄るエリアだから、よほどイライラする客が多かったのか?
つい、「土日のコンビニも、イレギュラー客が多くて大変でしょうなぁ」と同情してしまった。
まぁ、自分が「ボケー!」と陰口をたたかれると、「カス!」と反撃したくもなるから、雄叫びの善し悪しはケース・バイ・ケースである。
このレジおじさん、別れ際に「京都議定書!」とワンフレーズかけ声をあげていたが(笑)、もしかして環境運動にも取り組んでおられるのか?
いや、コンビニといえば大量のごちそうを廃棄処分しているもったいない天国(地獄?)だから、ふだん心を痛めているのかもしれない。
それなら、おとっつぁんの独断で、「北」へ食糧支援してみますかい?
と提案してみようか。
「六カ国協議!」
と叫ばれそうだが(笑)。
NOVAさまさま?
at 2007 06/17 22:08 編集
被害者に鞭打つようで恐縮しつつも、NOVAの客はいったい何を考えて、何十万円もの契約を結んだのだろうかねぇ・・・と不思議に思う。
いや、「お試し」のつもりが、チケットをまとめ買いするほど得になるような巧みな勧誘に乗せられて・・・ってことなら、それはそれで同情する。まやかしの「お得な感じ」に加えて、都合のいい時間帯に受講できる「マイペースの誘惑」も、落とし穴だったのかもしれない。
マイペースで英会話や資格が習得できるほど、世の中なかなか甘くない。たとえば「今年中にTOEIC800点」と目標があれば、今の実力との格差を時間で割り算して、客観的にペースが決まる。
これに従わないで、ズルズルやったりやらなかったりポカンと空けたりは、こりゃもう道楽の世界になってしまって、費用対効果はほとんど望めない。僕の経験からも。
まぁ、ひまつぶしと「NOVAへの献金」にはなっているけど。
自分の都合のいいときは、多くの人にとっても都合のいいときだったりするから、ピーク需要時に合わせて講師と教室を確保しておくのが企業の良識なのに、NOVAは「閑散時の空き教室に振り分ければええねん」とでも考えていたのだろう。その時点で、「好きなときに受講」はウソになる。
客は、1カ月なら1カ月、広告通りのサービスが買えるか様子を見てから本契約すべきだったと思う。変な意味での「いい授業料」を払って、骨身にしみる学習ができたのではないだろうか。
NOVA商法を糾弾するジャーナリストは、もう20年も前から違法な営業が常習化していたと証言していたが、やっと業務停止にこぎつけた感じ。
まぁ、悪辣NOVA商法のおかげで、特定商取引法や消費者契約法が制定されたといえなくもないから、「雨降って地固まる」といえなくもない。VIVA!NOVA!(笑)
これでNOVAの教室閉鎖が相次ぐと、解雇される講師が続出する。現在進行中のクラスでも、先生はビクビクしていることだろう。
そんな今がチャンス!
教室で、先生をスカウトして雇用すればいいのだ。「NOVAなんかやめて、ダイレクト契約しませんか?」と。
およそスクール業なるものは、会社が間に入って相当額ピンはねしているのが通例だから、ダイレクト契約してピンはね分を双方に還元すると、先生は報酬アップ、生徒は授業料ダウンと一挙両得。NOVAはいい顔しないだろうけど。
それどころか、個人授業するな!と講師契約でクギを刺しているかもしれないが、日本国憲法22条は職業選択の自由を認めているから、ぬかにクギである。
ピンはね分は、通常はマネージメント・コストの償却費になっていて、サイマルやベルリッツのような良質の英語学校は、ちゃんとカリキュラムを組んで生徒の学力管理もしている。
ところが英語学校とは名ばかりの押し売り業だと、ろくに教育的マネージメントなどしていないから、それは先生にやってもらうか、生徒が自分で考えればいいのだ。
マネージメントに学歴認定や就職指導まで入ってくると、これは立派な学校法人格が認められるから、ECCのように全日制の英語専門学校をやっているところは、少しは経営が安定する。
NOVAは無認可で、「スクールのように見える接客サービス業」でしかなかったところが、急所でもあった。
生徒も先生も、どんどん流れ出して、砂でできたNOVA城は瓦解して行くだろう。
本気で学びたい生徒と良心的な先生が、芝生の上ででも青空教室をやればいいのだ。
それが本当の学校なのだから。
あんしんねんきんダイヤル(R)
at 2007 06/16 15:46 編集
徳光さんも、小倉さんも、死亡したことになっていたとか。ワハハハハ・・・奥さん、遺族年金もらいますか?
こんな爆笑ものの年金管理をしていた社保庁が、殺到する問い合わせに、あわてて受付を増強している。
「どうなってるんだ!」「きちんと対応しろ!」とせっつかれて、100台で足りないなら1000台に増やします・・・とまぁ数を増やすしか能のない糞役人のIQにはあきれてしまう。今やもう、公務員の低能ぶり(勧奨を活用して退職金を増やす悪知恵、共済年金のお得なもらい方、自己保身の弁舌には、たぐいまれな才能を発揮する)には、もう納税者のだーれも驚かない。
こんな後手後手であわてふためいて、下請けの民間人に年金という国民の個人情報を扱わせておいて、この次に起きるのは年金情報の漏洩である。まちがいなく。
泥縄で研修したところで、手元に端末がなくて、「お話を聞いて上の者に伝えます」だけの派遣スタッフは、ほとぼりがさめれば解雇するんだから、膨大な個人情報が漏れること必至。
試しに、「私、女優の○△だけど、これから年金に加入したら将来もらえるのかしら」とニセの電話相談をしてみたら、何週間か後に「女優の○△、年金未加入!?」とスクープが飛び出すだろう。
あんまり犯罪教唆ふうになってもいけないが、「ねんきんあんしんダイヤル」の愛称も、ちゃんと商標登録しとかないと、「年金安心ダイヤル」「あんしんねんきんダイヤル」なんていう紛らわしい民間サービスも出てくるかもしれない。こっちの方が先に商標登録されてしまうと、本家ねんきんあんしんダイヤルが偽物よばわりされかねない(笑)。
どうせ、社会保険庁の公式(?)ねんきんあんしんダイヤルも「伝えます」しか言えないんだから、民間サービスでも「ハイハイ、社会保険庁にお伝えしときますよ」という建て前で電話受付すれば、同じこと(これ自体は、犯罪ではない)。
結局は、役所の電話相談も、それ自体は根本的な問題解決とは無関係で、ただ年金加入者にとってのサンドバッグになって、ガス抜きをするためでしかない小細工なんだから。
今回の「年金記録ガラガラポン」は、いま最高の国民的関心事だから、年金不安に後押しされた個人情報が「あんしんねんきんダイヤル」に集まると、これは大きな商機になるね。
・・・と考える柳の下のドジョウ狙いも、うごめいているはずだ。
「ところで、国の年金に不安なあなたのために、元本保証の定額年金、さらに運用益次第でたいへん有利な変額年金保険も用意してございます。いかがでしょうか」なんて営業もできるわけで・・・。
こんなのは限りなくイカサマっぽいが、法的に問題はないし、むしろ本当に「本家ねんきんあんしんダイヤル」より役に立つかもしれない(トホホホである)。
チャンス到来がんばれアフラック!アクサ!AIG!(笑)
「まぎらわしい営業」程度の法的問題を超えて、国民と政府との社会契約をふみにじっているのが社会保険庁なんだから、役所が「うちを信用して下さい」とは言えない状況の方が深刻だ。
「どのツラさげて、信用しろというの?」と言われたら、返す言葉がないではないか(それでも、そう言い返すのが糞役人の心臓なのだが)。
あとは、「役所を信用して年金をかけ続けないと、てめえの給料を差し押さえるぞ!」と恫喝するしかない。あぁ、NHKと同じですなぁ。
駅前イカサマ百貨店NOVAの猿社長に、今さらになって国がナタをふるっているのもあきれるが(NOVA事件はまたあらためて書きたい)、これも「どのツラさげて」である。10年以上も前からわかってたくせに、法人税とるだけとって、業績が下降しはじめると「そろそろ処分するか」ってところだろう。
そもそも政府がイカくさいから、消費者は自分の理性を信頼して、年金や教育投資を慎重に選ぶしかない。
その結果としての失敗は、国民の自己責任・・・というのも哀しいが、コムスンしかない村でコムスンを選ばざるをえない要介護者には同情の涙10滴だが、NOVAを選んだお調子者には、「同情2滴」ぐらいしか出てこない。
ほんと、かしこくならないと・・・。
新大阪エキナカ村
at 2007 06/15 22:10 編集
しばらく休業していたなと思っていたら、新装開店した新大阪駅構内の書店が、ゆったり・びっしりを両立させた、いいムードでほっとする。
DVDやゲームソフトを扱っていたコーナーを取っ払って、純粋な書店(純喫茶ってのが昔あったな・・・)として再出発したわけだが、激しく正しい方向だと思う。大書店とはいかないまでも、京阪神のターミナル駅の構内にある書店としては、一番充実しているのではないだろうか。天王寺駅の旭屋も、けっこう大きかったが、そこにあって新大阪にないのは、小中高校生向けの学参売り場で、そのぶん新大阪は大人の、特にビジネスマン向けの空間だ。
おまけに、営業時間が1時間遅くなって10時まで。
今までは、仕事が終わってからだと閉まっていたので、神戸まで戻って11時までやっている阪急三宮駅構内のブックファーストで「ほっ」としていたのだが、職場の近くで用事をすませられる方がありがたい。もう、サラリーマンの居酒屋感覚である。
この斜向かいで、僕が定期的に色ものコーヒー(メイプルとか、ナッツとか)を仕入れていた食品店が少し横にずれて、その跡にユニクロが入った。で、僕にとっては初ユニクロだったのだこれが。
やたら愛想のいい店員が、マクドかコムサストアか区別がつかないほどそっくりなのが気持ち悪いなー君たちマニュアル接客の裏で陰口たたいてるんちゃうん〜?と意地悪く想像しながら、「とりあえず、ポロシャツ」を試し買い。まるで、サラリーマンの「とりあえずビール」感覚である。
まぁ、別に何のへんてつもない、「生中」みたいな定番シャツで、安くてお手軽でいい。
そういえば、新大阪駅構内に服屋さんはなかったから、これであとクリニックでもあれば(歯医者ぐらいあればいいのに)、駅構内で生活ができそうなほど、まるで「おまけに駅もついたショッピングモール」のような感じ。
もしかすると、大阪駅より生活感があっていい。
大阪駅は、大丸と一体化していて、こじゃれた婦人服屋はあちこちにあれども、デパートはビジネスマン向けではないし、なにぶん高くつく。
京都駅なんか、完全に「よそさん」向きのオブジェと化しているから、新大阪のベタなにぎわいが、僕にとっては過ごしやすい。
うっかり、「暮らしやすい」と書いてしまうところだった(笑)。
書店から消えたDVD売り場には未練はないのだが、CDとか中古レコードを扱う店があると、今どきのご時世かえって「人肌」のようなものを感じるだろうなーと思う。個人的には、古本屋もあれば完璧だ。
まぁ、あれもこれもと盛り込んで行くのが日本の駅のおもしろいところだし、アッパレな商いでもある。脱帽するしかない。
これで、あとパソコンショップかキンコーズでもあれば(大阪駅構内にはあるのに、新大阪店はやたら「駅遠」の街の中にある)、ビジネスマンも芸能人も大助かりだと思うのだが、ミヤテツさん、いかがかな?
ハニカミ王子、ハジカキTV
at 2007 06/14 23:02 編集
TBSが叩かれた盗聴作戦の次は、掟破りのタイガー・ウッズへのコメント依頼、とマスコミの「ハニカミ王子騒ぎ」はフルスペック水準にまで感染している。
どうせ、すぐ次のネタが出てくるまでの熱病だとは思うものの、ただの○○フィーバーではなく、「神聖化」に近い危なっかしいものを感じる。なんで16歳の少年に、大の大人がにわかファンになって命懸けで追い回すかなー。
こんな偶像化はマスコミの得意芸でもある一方、罪なところでもあるし、偉大なる将軍様もヒトラーも、メディアをフル活用して神聖な偶像づくりに励んできた。
我が国の戦時中の朝日新聞も、そうだった。
「プロパガンダではない」としても、手法は同じ。しかも、視聴者は批判や疑問を忘れて、ただポカ〜ンと画面を見て萌えきって(笑)しまう。たしかに、さわやかでいいやつだと思う。個人的には何とも思わんが、多くの女性とゲイを萌えさせているのはわかる。
陰険な僕など、平日にプレーしている高校生に、学校の出欠はどうなってるんやろ?と思ったりもする。同じように、「ゲーマー選手権ニューヨーク大会」に出たい高校生がいたら、学校はどういう扱いにするんだろう?・・・なんてことを指摘すると、「よけいな活躍の場をPRして、高校生を焚きつけないでくれ」と叱られそうだ。
スポーツ選手は弁舌の達人ではないから、おだてられて玉座に載せられてピーピーキャーキャー囃したてていると、それで視聴率を引き上げてCM収入を荒稼ぎ、とまぁ旧態依然としたビジネスモデルを死守しているTBSもフジも、未来がないねぇ。
だから、買収されかけたのではないかい?
そんな浮き足だった取材やヨイショに、堂々と苦言を漏らすところが、ハニカミくん得点アップである(なんや、結局ハニカミファンかい!と突っ込まれそうだ)。
楽天やソフトバンクがスポーツ選手と契約して(八代英輝弁護士が入れ知恵したりして)、放映権料をマネージメントするようになると、構成中立な報道各社は、どう対抗して行くのだろうか。
報道の中立性なんて、とっくの昔から読売が踏み倒しているし
、オリンピックや五輪選手個人の扱いは、メディアにとっては金のなる木である一方で、地雷でもある。
ビーチバレー浅尾など、見せたいのか見せたくないのか、いじましい撮影規制が張り巡らされているから、完全に「さわやかなきわきわ」を売るだけの見世物になってしまった。
本来、もっとハードで健康的なシーサイド・スポーツだっただろうにね。
ここは、たぶんビーチバレーで稼ごうと暗躍している業界とマスコミと広告代理店が結託して、何食わぬ顔をして赤外線撮影をしていたりするのではないだろうか。やがて美和ちゃん引退へ→グラビアアイドル→AV・・・とレールが敷かれているような気もする。
おっと、山本モナがぐずって、先がつかえています!
安達佑実ママが引退してくれません!
ってなことも、あるかもしれない(笑)。
6万件のパイ
at 2007 06/13 23:32 編集
「赤ちゃん本舗」がセブン&アイに買収され、ブルドックソースはどこに買収されるのかと戦々恐々、毎日のように名の通った企業の買収劇を聞かされる。
そして、コムスンである。
元の創業者オーナーに「名前を汚してすみませんでした」と返してもよかろうにと思うが、そう簡単には行かない(そりゃそうだ)。
さっそく、施設部門をワタミが、訪問介護サービスをニチイ学館が、いやいや丸ごと買うよ、と三井物産が買収しようとしている。
関西だと、安倍首相の古巣の神戸製鋼や松下、大阪ガスなど、畑違いではあれ大企業が介護サービスもやっていたような気がする。
だったら、そういう財務体力のあるところが買収すればいいと思うものの、北海道や九州で、神鋼グループだ大阪ガスだと親会社の看板をかかげても、介護事業のイメージはちょっとわきにくい(当のコムスンだって、最初はそうだったのだが)。
障害者福祉を援助している宅急便のヤマト福祉財団や、もっとでかいところでは日本財団あたりが救済に乗り出せば、財務面では心強い。
その一方で、在宅介護の市場シェアは、コムスンとニチイがほぼ互角で6万件強、ちょうど参議院の議席数みたいなかっこうで、「2強」がほぼ独占しているようだ。
とすると、ニチイが事業継承すると、独禁法に触れかねないのではないかい?
かといって、全国ネットの大企業より地域密着ローカル企業がいい・・・かといえば、経営体力の不安が出てくる。あっちをとればこっちが立たずで、なかなか大変だ。
もちろん、一番不安なのは実際の利用者と家族で、どうしたらいいの?とオロオロしている昨今だろう。お気の毒に。
「受け身ではなく、自分で介護事業会社を探して、主体的にサービスを利用するのが正しい!」と教科書ふうにいえばいえるけれど、パターナリズムに慣れてきた世代にとっては、コムスンに二足のゲタをあずけてしまったような感覚だろうから、とまどうのも無理はない。
こんなときのために、「いざA社がサービス継続できない場合は、B社がある。契約の乗り換え手続きは、かくかくしかじか」とマニュアルがあって、事務的に契約変更ができた方がいい。そのためのサポーターがケアマネであるはずなのに、それは「絵に描いた理念」にすぎず、やはり特定の業者とのしがらみもあるのかもしれない。
だから、今回のコムスン災難をきっかけにして、介護サービス業は競争するのもいいが、いざというときの「身売り先」を決めて連携しておくなど、バックアップ態勢ができればいいと思う。
それを、グッドウィルはグループ内でやろうとして待ったをかけられたわけだが、「顧客のつけ替え」は一概に罪なことではない。グッドウィルは、会長が諸悪の根源だから、「客をころがしてピンはねなんぼ」が懲りずにくりかえされること見え見えだから釘を刺されたわけだ。
もちろん、末端のコムスンのヘルパーといい関係の要介護者も多いはずだが、その信頼関係の先には企業の論理があって、どう買収・身売りされるかわからない御時世なのだ。
信頼できるのは、つまるところ自分の判断力ではないのかな・・・と、デカルト主義者としては思いを新たにするのである(でも聖路加病院のような法人は、もう盲目的に信頼して下駄をあずけてしまいそうなワタクシでもある)。
だめな寝だめ
at 2007 06/12 21:45 編集
よく、ふだん寝不足な人が週末に「まとめ寝」をしたりするのを、「そんな離れ業はナンセンス」と打ち砕いてくれる医学書があったような、なかったような・・・。
僕もそんなことができると思い込んでいて、土日はとことん寝ていた。しかも長時間。
ただ、長く眠るほど逆に疲れたような、スッキリしないモヤモヤ頭が残るだけで、どうも俗説は説得力がないぞ・・・?と気づきはじめた。
日曜日も、下山してシャワーを浴びてゴロンと横になったら、1時間ほど気持ちよく昏睡してしまい(笑)、月曜は朝イチ出勤だというのに夜はほとんど眠れなかった。
どうやら、「眠たいときにそこで眠る」のが一番のようで、電車の中でもベンチでも喫茶店でも、とりあえず寝入ることができるよう、我が身は最適化されてしまっておるようだ。
飛行機でもバスでも列車でも友人カーの助手席でも、「夜行」の乗り物で僕は必ず安眠できているし、これが「大沢さん空気読んで下さいよ〜」と言いたげなニュアンスをこめた「どこでも寝られて、いいですね」てな評価を勝ち取っている。
ワハハハハハハハ、すまないね。
で、月曜日はさすがに目がしょぼしょぼしてきたので、午前勤が終わって準夜勤までの空き時間、帰宅して昼寝でもするか、と考えたのだが、これが眠れないのだ。
結局、「ちちんぷいぷい」を見ながら(ふまじめ!)資料準備やらネットでの調べ物やらをやっていると、頭がムワーンと発熱した状態で一睡もできず、重い足で夜の出勤となってしまった。
仕事自体は重労働ではないものの、とにかく時間の使い方が漫然としているので、なかなか「安心就寝、起きて爽快」とはならない。
ヒマなんだか忙しいんだか、よくわからん息づまり感があるので、一度まっしぐらに帰宅してコテンと寝て、「5時起床ラジオ体操!」のような健康優良爺ライフをやってみようか・・・。
と考えると、あぁそうか、まっしぐらに帰宅しないで喫茶店で2時間はねばって新聞を読んだり居眠りしたり(笑)している日課のなんとムダなことよ!と気づいたりもする。
職場と家以外の居場所に漂うのが大好きな性分は、もし失業するとネットカフェ難民にすんなり「転職」できそうでこわい。
こんな性分、激しく家庭的でないし、ヒトミ6号(仮名)を悲しませるだけだろう。
逆にいえば、家で待つ人のいない殿方、待つ人のもとへ帰るのがこわい(笑)人は、町を漂うのがよろしいのである。夜景の見えるカフェなど、ノートPCがあれば本当に仕事がはかどる。
そんなカフェ仕事師が、このごろ目立つようになってきた。サンマルクで、スタバで、ドトールで、そして今僕のいるエクセルシオールで。なぜか、レッツノートが多い(気がする)
「お互い、大変でんなー、だんな」と僕はテレパシーを送りつつ、トロトロと襲ってくる睡魔を感じる、安らぎの宵の口である(バッカみたい、てか?)。
フライング・アジサイ
at 2007 06/11 23:15 編集
梅雨入りが遅い。
でも、降らない方が外出には好都合。
それがジレンマにならないのが、梅雨どき限定の花巡りだ。
で、日曜日は「アジサイ花見」を呼びかけて、裏山へ三々五々集まることにした。
まずいことに待ち合わせに手間取って、2時間歩くコースを、90分で駆け登らなくてはいけないはめになった。「神戸市中央区」なのに、あたり一面が山また山で、ずっと携帯が圏外だったので、遅刻の連絡もできず、とにかく集合時刻に追いつく勢いでガンガン歩く。
まるで朝イチ通勤電車にかけこみ乗車するような気分だ。せっかくに日曜日に、忌わしいことよ。
なんとか100分かけてゼーゼーいいながら植物園にたどりつき、あいかわらず圏外なので足と鼻で(笑)仲間を捜して、無事に落ち合うことができた。
今回は、総勢9名のうち、「新しい命」が、完全防水のベビーカーで顔見せ。たちまちアイドルか、はたまたマスコットか?のデビューを飾っていた。
ホリエモン父さんも、「海より山の方が楽しいみたいで、素質もありそう」と、すでに実験済み(笑)の様子。
「キッズ・バイク、キッズ・カヌー、キッズ・スキー・・・とどんどん備品を買い揃えて、使い古したら次は我々にお下がりよろしく!」と、野郎ども一同お願いをしておいた。そうは問屋が卸してくれますことやら?
ふもとでは晴れていたのに、山の中は降ったりやんだりのくりかえしなのが、少し気ぜわしかった。おまけに、メインのアジサイがほとんどつぼみ状態で、だいぶ早すぎたのが間抜けだった。
それでも、まわりの緑は、どれもみずみずしくて、目に心に保養成分をもらった感じ。
雨はアウトドアで嫌われものだが、僕は雨の眺めが好きで、紅葉を打つ雨もいいし、夏の通り雨もいい。
そして、アントニオ・カルロス・ジョビンの「薔薇に降る雨」じゃないが雨が似合う花もあって、アジサイは代表格だ。
アウトドアでも、もっと雨や雷を楽しめばいいと思う。
雨宿りもしながら、なごやかに園内を散策した後、「じゃ、次は花火大会で」と淡泊に(飲み会に流れて行くわけにも行かないから、しかたない)車に分譲して下山。ブログに写真をアップして、ちょうどいい忙しさの日曜日は終わった。
お目当てだったアジサイは、再出撃しないと見ごろにジャスト・ミートしそうにないから、これは個人的な宿題とするか。
土曜出勤空振り
at 2007 06/10 21:53 編集
土曜出勤したところ、その職場の出勤指令がダブルブッキングされていたことがわかり、結局トンボ返りになってしまった。謝罪メール1本で。
そこはかとなく、情けない。
今年は、季節ごとに出勤指令パターンが変わる風情ある・・・というか目まぐるしい時間割で、梅雨の季節は週休3日になった。もう、毎週だって小旅行に行ける。
そのかわり、夏休みは実質的にない。ふだん週60時間働いてフラフラになり、その代わり「夏休み2カ月、冬休み1カ月、春休み1カ月」になっていたメリハリある前の職場がなつかしい。
きのうも、その当時の同僚から電話がかかってきて、四方山話に花が咲いた。つい「敗残兵のやるせないボヤき話」になってしまうのだが、こき使う一方で休みはドカンとくれる点はよかった。ネイティブ・スピーカーあっての語学学校だから、労務管理もメリハリをつけていたのかもしれない。持ち帰り仕事は「原稿何枚書いて何千円」と個別に契約を交わしていたし、年度途中に不意に勤務が入る、なんてこともなかった。
ただ、労働単価は安かったから、ベア以上の昇給を望むなら、労働市場へ泳ぎ出すしかない。
それも自己責任だから納得するしかないし、そう深刻な不満でもないのだが、今年の夏は2週間ぐらいは空けておきたかった。僕の「槍・穂デビュー25周年記念イヤー」だから、四半世紀ぶりに(まぁこの間、何度か登っているけど)縦走してみるか、と企てているためだ(うれしいことに、25年前にそろえたテントもザックも現役である)。
天気のいい時期を見計らって、日程をギリギリまで見極めようと思えば、所要日数5日+前後3日ぐらいの余地はほしい。
ところが、今年は週1回ずつ仕事が入っていて、盆だけが休み。盆休みは避けたい。
盆の北アルプスなど悪名高き「人間渋滞」で、もう先行く群れの吐き出す二酸化炭素と汗の匂いを吸いながら歩いているようなものでんがな!!・・・とびびっているのだが、実際には海の日から盆までの夏山決定版シーズンに、人の群れに飛び込んだことはない。「食わず嫌い」なだけか?「案の定」になるか・・・?
週1回出勤ぐらいでブーブーぐちっていると、おなじみの遊び仲間のカヌー部員2名から、「てことは、毎週、週休6日ってことですやん。許せん!!」と諌められること必至。なんとか6日間の日程をうまく工夫して、さっと行ってさっと帰ってくるしかない。
それでも、寄る年波のせいか(笑)、もろもろの不安は年ごとに募ってくる。
所要時間だけは、不思議と早いペースを保っているけれど、スタミナより懸念材料なのが、もう学生時代のように、まるで雲に乗ったような、岩場で踊るような、天空で遊ぶような至高感覚が、なかなか取り戻せないこと。出会う風景も、起こりそうなアクシデントも想定内で、「一件落着感」をかかえて3000m下界に下りてくるだけ。
いっそ、仕事がベッタリ入って、土日で日本アルプスに登って帰ってこなくてはいけないとか、そんな大冒険(笑)しかできなくなると、かなりのハード・ミッションになりそうだが、そんなことしたくはない。
「しみじみ・ハラハラ・めくるめく山歩き」を演出してくれるような妙薬は、ないものだろうか。
フィリピーナを 笑うジャップを だれ笑う?
at 2007 06/10 00:08 編集
フィリピーナからタガログ語で話しかけられて、わたしゃ日本人やと答えると英語に切り替えてくれたことで、「なんでやねん!」と憤慨した・・・云々の笑い話を紹介すると、なぜ憤慨しなきゃいけないんですか!と憤慨されてしまった。
憤慨が渦巻く週であった(笑)。
前ふりに、国民性ジョーク(ドイツ人らしさ、英国人らしさ、日本人らしさをカリカチュアライズした、よくある小咄)を一席紹介した後だったので、「高感度」な聞き手には、僕の内なる差別意識と人権感覚をにわかに訝る気持ちを目覚めさせてしまったのだろう。このおっさんは、欧米と日本と途上国を序列化して笑っている不届きなやつではないか、と。
考えてみれば、こうしたジョークに、アフリカ人やアイヌ人が登場することはめったにない。欧米人と並べて笑い飛ばして、それが「人種差別だ」と騒ぎにならないぐらいには、日本の地位が高く、日本人が寛容になった証しともいえるかもしれない。
それでも、僕の話した国民性ジョークを英米人がしゃべれば、私たちを侮辱している!と感じる日本人は、いるかもしれない。このあたりの、多民族世界の中での日本人の地位は微妙なもので、本当の意味でのコスモポリタンは、なかなか存在しない。
ただ、だれがだれを差別しているか?と問い始めると、何者をも差別していない人はいないから、目くそ鼻くそ・・・といっちゃ失礼だが、「コップの中の戦争」をくりかえしても、建設的ではない。
正直、差別はなくならないとも思う。
そもそも、「文化は差別の体系である」という命題もあるからだ。
たとえば、囚人を差別しない人はいないだろう(平等に、共生しましょう!といえる人は、相当おめでたい頭脳の持ち主だ)。
囚人やホームレスよりは、いい生活つまり自分なりの価値観(美とか富、正義、自由、高揚感など)を実現できる生きざまが「文化」でもある。
ショパンが最高だと思うクラシック・ファンは、モーツァルトのファンを見下さないだろうが、ヒップホップをそれとなく軽蔑する。猛烈に働いて地位と財産を築いた人は、ニートを軽蔑する。
そして、エリート企業はエリート学生を優遇する(格差社会をとやかくいうマスコミほど、高学歴者の天下である)。
こうした差別構造があるから、エリート文化に対するサブカルチャー、カウンター・カルチャーが多様化する。
差別が文化に組み込まれているからこそ、奴隷労働でない「職業の選択」や、ただの「交尾」ではない結婚が、差別と無縁ではいられない。
ある種の病気や障害や出自(つまり、同和地区出身であるとか、パパが組長であるとか)をもとにした進学や就職の不自由は、もっと身近でナイーブな問題だ。
「それも文化だから放置しておくべし」というつもりはないが、さて、完全に公明正大で、機会均等な進学や就職、政治参加や結婚は、あり得るのだろうか。
制度的な差別が、社会防衛上どうしても必要な場合もある。性犯罪や放火の常習犯が、何という名前で、いつ出所してどこに住んでいるかは、住民の知る権利が本人のプライバシー権に勝ると思う(オール&ナッシングだとはいえないが)。
最近の論点になっている、認知症と診断された人のマイカー運転については、免許取り消しが差別といえるかどうか微妙なところだ。保険を手厚くかけておけば免罪されるものでもないだろう。
前にあげた囚人の差別も、公的に認められている(というより、国民に強制されている)ように、病気や障害や性癖にかかわらず共生しましょうと言えるほど、社会は、そして現実の僕もタフではないと思う。
かくいう僕は脳卒中や心臓発作のような前兆もない癲癇持ちで、発作もある僕がクルマや飛行機を運転するのは「世界の脅威」だから、パイロットになれなくても全く文句はない。かといって、癲癇持ちにも運転を認めよとアピールする運動は、否定も支援もしない。
癲癇持ちすべてが脅威だとは思わないが、筒井康隆さんの小説『無人警察』騒動にみられるように、過剰反応する社会があるのも確かだから、非合理的な不安も、過剰な被害者意識も、少しずと歩み寄れたらいいと思う。
つまり、非合理的な不安から村八分にしたり隔離したりするのではなく、ちゃんと真実を知った上でリスクヘッジできる社会になるということである(個人的・公的にリスクヘッジできていることを条件に癲癇持ちの運転を認める国もあるから、どうしても運転したければ移住するね)。
もちろん、社会防衛や公安を理由に公権力が人権を制限する度合いは最小限であった方がいい。
制度的な差別が極小化して、その結果として起きる事故や社会不安に、国民が個人的に備えができていて、究極は家族の命が奪われても納得できるならば、と但し書きがつくのだが。
あぁ、障害者差別だ人種差別だと考えはじめると、人によってナイーブさが違うから難しい。
いや、ふだん隠している「差別感度」が表にあぶり出されてくるからこそ、寝た子を起こすような大論争にもなり、しかもそれは人類社会永遠の難題だと思う。
ほてった頭には、シーナさんの新刊が清涼剤になる。
いいタイミングで文春文庫から出たズバズバエッセイが、『ただのナマズと思うなよ』。
僕の頭の中では、アナゴ>ウナギ>ナマズ>ドジョウと「差別構造」ができあがっているのだが、シーナさんはナマズを擁護しておられるのだ。えらい!
さすが、「忘年会と新年会はどっちが偉いか」なんてエッセイも世に問うておられる天才である(笑)。
シーナさんを見習って、「仁義なきキムチと奈良漬けの闘い」などをしていた方が、こと日韓関係は平和でいいかもしれない(シーナさん自身、小学館文庫の『からいはうまい』であちらの漬け物をかなり肩入れしているけど)。
ともあろうもの
at 2007 06/08 23:16 編集
また前時代的な、生徒会レベルの道徳論が、コムスン叩きの背後に見えかくれしている。
「介護事業者ともあろうものが」といわんばかりの特別視は、事件によっては「医師」「教師」に矛先が変わることもあって、そのたびに僕は小声で「ほんなら、風俗業者ならどうやねん」とつぶやきたくなるのだが、独り言もむなしい(笑)。
あぁ、僕がこんなとき「卑しいと評される職種や人の属性(堅気でない人々とか、移民とか)」をたとえにあげるたびに、一部の聞き手のナイーブな倫理観をくすぐるのか、たとえ話に気をつけるようクレームが出るのだ毎年毎年。この件については、またあらためて書きたい。
見下される職種とは対称的に、介護職を高く持ち上げる倫理観は、あまり普遍的な価値観から出たものではないから、往々にして論理的に整合しない。
介護事業に高い倫理観を求めるなら、高い責任に応じた高い報酬を保障しなくてはいけない。介護保険料を値上げするか、それとも負担者を年金と同様に拡大するか。
あたかも、採算は二の次で、家族のように心のこもった介護をしてほしいと望むなら、それは大きな勘違いで、介護保険制度そのものが「ビジネスライクな介護事業」の支援政策だから、金にならないメンタル・サービスは期待しない方がいい。また、ダメモトだと思う。
もちろん、脱法行為をやってでも介護報酬を国から引き出すのは倫理以前に犯罪だから、法令を守った上での営利を追及すればいいだけ。それだけなのだ。
家族にしかできない特別な「真心アービス」は、やはり家族にしかできないものではないだろうか。
あえて誤解を恐れずいえば、コムスンだろうとニチイ学館だろう