2007.12.31 Monday
いつものドトールに行くと、いつもの兄ちゃんがてきぱき仕事をしていて、僕はいつものショート・ラテを注文して、これを書いている。
入り口の貼り紙に年末年始の営業案内が書いてあって、「さすがに今日は早めに20時閉店か・・・」と思いきや、実は26時だった。「陣内紀香婚」に沸いた生田神社の門前町みたいなところだから、朝まで千客万来なのだろう。
今のところ店は閑散としているのだが、ひょっとして奇跡的に、みな紅白に釘づけになっているのだろうか。
筋書きガチガチの番組だ(いや、局の体質からしてそうだ)から、トリはだれそれ、大トリはだれそれ、の予定調和に従って、年末の夜空は更けて行く。
そんな紋切り型なテレビへのオルタナティブとして、たとえば格闘技に流れて行く視聴者がいるのもわかるし、大晦日の新幹線が相当な割合カウントダウン・ライブに行く客で占められているのも、ごもっともだと思う。人それぞれの年送り・年迎えを厳かにやればいいのだ(厳かに、というのがポイントかな)。
年末に注文したCDがアマゾンから届き、僕の「個人的な大トリ」になったのは、館野泉さんのピアノ・ソロ。
最近ちょっと聞きかじったパルムグレンの小品を、もう少し聴いてみたいなと思って調べると、もう、フィンランド生まれのピアノ曲といえば館野泉さんしかいない!というのが、世界的なスタンダードになっている気配。シベリウスの交響曲はずいぶん多彩な演奏家が手がけているのに、ピアノ曲といえばTatenoが決定版のようだ。
そこで、手頃なコンピレーションを2枚注文して聴いてみると、もう一人暮らしのあばら屋に寂寥感が満ちて満ちて・・・(笑)。
でも、そこは、背筋が一本通りそうなシューベルトの切れ味ではなく、「冬の日だまり」を感じさせてくれるから、ほっこりと暖まる北欧室内楽のいいところ。
シベリウスの「樹の組曲」は、松、白樺、ポプラ、樅の木々をテーマにした連作で、壮大な交響詩とは対称的な、のどかな雪遊びの情景が浮かんでくる。雪景色を、まるで声帯模写のような音楽に仕上げた奇才ドビュッシーの才能も、つい子供のようにはしゃいでしまいそうな不思議な磁場を感じさせてくれて僕は好きだが、シベリウスの曲は、じっと冬の常緑樹を観察する慎み深い視線の賜物だと思う。
おさびし山の寂寥感を垣間見て、あわてて里に帰るときの「まろび方」を音で表現してみせてくれるのが、メリカントやクーラ、パルムグレンら作曲家の世界観によるのか、館野さんの人となりによるのか・・・
そんなくだらない憶測にカサカサと降り積もる「スカンジナビアの雪音」で大晦日が暮れて行くのでありました。
9月に移転してきて以来、引き続き訪問して下さった顔なじみさん、新しく出会ったコメント主さん、今年もありがとう!
入り口の貼り紙に年末年始の営業案内が書いてあって、「さすがに今日は早めに20時閉店か・・・」と思いきや、実は26時だった。「陣内紀香婚」に沸いた生田神社の門前町みたいなところだから、朝まで千客万来なのだろう。
今のところ店は閑散としているのだが、ひょっとして奇跡的に、みな紅白に釘づけになっているのだろうか。
筋書きガチガチの番組だ(いや、局の体質からしてそうだ)から、トリはだれそれ、大トリはだれそれ、の予定調和に従って、年末の夜空は更けて行く。
そんな紋切り型なテレビへのオルタナティブとして、たとえば格闘技に流れて行く視聴者がいるのもわかるし、大晦日の新幹線が相当な割合カウントダウン・ライブに行く客で占められているのも、ごもっともだと思う。人それぞれの年送り・年迎えを厳かにやればいいのだ(厳かに、というのがポイントかな)。
年末に注文したCDがアマゾンから届き、僕の「個人的な大トリ」になったのは、館野泉さんのピアノ・ソロ。
最近ちょっと聞きかじったパルムグレンの小品を、もう少し聴いてみたいなと思って調べると、もう、フィンランド生まれのピアノ曲といえば館野泉さんしかいない!というのが、世界的なスタンダードになっている気配。シベリウスの交響曲はずいぶん多彩な演奏家が手がけているのに、ピアノ曲といえばTatenoが決定版のようだ。
そこで、手頃なコンピレーションを2枚注文して聴いてみると、もう一人暮らしのあばら屋に寂寥感が満ちて満ちて・・・(笑)。
でも、そこは、背筋が一本通りそうなシューベルトの切れ味ではなく、「冬の日だまり」を感じさせてくれるから、ほっこりと暖まる北欧室内楽のいいところ。
シベリウスの「樹の組曲」は、松、白樺、ポプラ、樅の木々をテーマにした連作で、壮大な交響詩とは対称的な、のどかな雪遊びの情景が浮かんでくる。雪景色を、まるで声帯模写のような音楽に仕上げた奇才ドビュッシーの才能も、つい子供のようにはしゃいでしまいそうな不思議な磁場を感じさせてくれて僕は好きだが、シベリウスの曲は、じっと冬の常緑樹を観察する慎み深い視線の賜物だと思う。
おさびし山の寂寥感を垣間見て、あわてて里に帰るときの「まろび方」を音で表現してみせてくれるのが、メリカントやクーラ、パルムグレンら作曲家の世界観によるのか、館野さんの人となりによるのか・・・
そんなくだらない憶測にカサカサと降り積もる「スカンジナビアの雪音」で大晦日が暮れて行くのでありました。
9月に移転してきて以来、引き続き訪問して下さった顔なじみさん、新しく出会ったコメント主さん、今年もありがとう!