solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
賤ヶ岳スノーハイク


あー、しんど楽しかった。
今年はなんとか「毎月登山」を続けたいなと思って、はや月末。
大雪もおさまったし、底冷えもない。

ではでは・・・と、琵琶湖北隣りの賤ヶ岳をめざすことにした。422mと小ぶりなので、「ま、残雪があるとしても雪化粧」程度でしょう♪
と甘くみて、結局ほうほうのていで登り下りしてきたのであった。犠牲者=女子部員を連行して。ご愁傷さまでした。

片道2800円のところ1日乗り放題2900円という関西ワイデイパスを買って、余呉駅をめざしたのは朝7時。
10時半に現地登山口を出て、間もなく雪道に突入することになった。雨の予報に反して天気はなんとか持ったので、風もなくどんより曇った樹林帯を汗だくで登り、稜線を南下する。

これぐらいの標高だと、裏山の植物園に行くのと変わらんかな?と見当をつけた90分ジャストで、山頂に着いた。「だいたい1時間400m」のペースは、日本アルプスでも六甲山でもほとんど変わらない黄金律みたいなものだ。

山頂の積雪は50cmぐらいか。
天気はあいにくだが、余呉湖、琵琶湖の眺めはすがすがしくて、まるでジオラマを見ているかのように、澄んで見えた。いやもー、心が洗われますな。

山頂のあずまやでお茶を沸かして、女子部員お手製おにぎりをもらって軽く昼食。
何組かのパーティーと軽くあいさつをかわしながら、なごやかに至福の時間・空間をすごす。こんなひとときこそ、宝物だわ、ほんと。

下山は道に迷い、引き返したりルート外の新雪の上を強引に直行したりして悪戦苦闘。
二人とも股下ぐらいまで雪にもぐり、倒れ込んだりしながらも、なんとかルートを発見して、ずぶ濡れになりつつ下山口に着いた。もう、スパッツも防水靴も、屁のつっぱりにもならん。

歩くたびに水が吹き出すようなヨタレ靴をひきずりつつ、木ノ本駅にたどりついたのは午後3時前。順調、順調。
鯖寿司と地酒を買い込んで、電車で「お疲れ〜」と乾杯して(車内がクサい!)帰路についた。

それでもまだ食い足りず、新大阪で途中下車してサバ塩&粕汁定食を平らげて(よく食うねぇ)、今度こそ本当のサヨナラ解散。
なんだか、すごーく効率的に、別世界のような深い雪に戯れることができて、楽しい低山スノーハイクだった。雨も避けられたし。
さて、これから写真をアップして行くとしましょう。

また行きましょかー♪
と再出撃を誓い合って、あいかわらず雪山を甘く見た遭難予備軍は、次のターゲットを物色している。

旅してきました | 22:47 | comments(2) | trackbacks(0)
二人の独り者


新潮文庫の月末新刊で、「独り者」のお二人のホノボノ系エッセイお買い上げ。
谷川俊太郎さんの『ひとり暮らし』と、アレッサンドロ・ジェレヴィーニさんの『いつも心にイタリアを』

僕と親子ほど世代は違うのに、谷川さんの「永遠のラジオ少年ぶり」はエッセイにもにじみ出ていて、シンパシーを感じる。
半田ゴテを握る工作派なのに、決して「電波系」でも「DJ追っかけ系」でもなく、宮沢賢次のような「夜空に詩情を託す詩人系」といえばいいのか・・・?

谷川さんは一度だけ東京で、バイオエシックスのシンポジウムでお見かけしたことがあって、存在そのものが絵になるような、詩人のオーラをまとっていた。政治的な色合いの強い討論の場で、聴衆会から立ち上がって詩の朗読までされたのは、まるでハプニングのような名演出だった。

おかげで、聴衆一同しみじみと聴き入って、ただ素朴に詩人のフレーズにうなずいて「そうだよなー、だれにもせかされず、ゆっくり死にたいよね」と納得したのではないだろうか。
臓器移植に賛成とも反対とも言わない詩人の感覚は、結局1か0か二者択一の世界に振り分けられて行くんだろうけど。

スローライフの聖地の出なのに、それにしては本人は目まぐるしく動いていそうなイタリア人がアレッサンドロ君。
少なくとも本を出したときは、独身イタリア野郎として、日米伊クロスカルチャー論を軽快に語っている。

たとえばジローラモさんなんかは、愛妻キクコさんの包容力に甘えつつチョイ悪ぶりを発揮している感じなのに対して、アレッサンドロ君はストイックだ。
イタリア人も十人十色だから、この二人を典型例のように見るのは誤解のもと・・・ではあっても、似ているのは自他ともに認めるマザコン男であること、南北イタリアはいかにも仲が悪そうなこと、そして「イタリア的であること」に絶対の自信を持っていること。

そりゃーたしかに日本のパンはイタリアのよりデコラティブで甘ったるくて子供だましかもしれんが、それはそれで、もう日本食文化としてリスペクトしておいてもよかろうに?
寿司は、国ごとに妙に変形(変質)しているようだし。

アレッサンドロ君は早稲田の先生でもあるインテリだから、それなりに日本の都会生活や伝統文化、日本人の発想に敬意を払ってみせながらも、世界中どこにでもイタリアを持ち運んでいる様子が伝わってくる。
ただし、傲慢さではなく、不器用さ、憎めなさをうまいことふりまきながら、あれやこれやのトラブル、摩擦、皮肉(同胞に対しても、日本に対しても)を軽妙に綴っているので、なんとか救われてますな。

恋人と旅行したり、恋人(または恋人未満)が部屋に来たりしたとき、何をチェックされ、どう値踏みされるか、どんなしぐさが怒りを買うか、アレッサンドロ青年の苦い経験則は「どこも同じやね」と思うし(男女交際の未経験者としては勉強になります)、葬式の形もよく似ているんだそうな。

人前で寝姿をさらすか、往来で酔っ払うか、アレッサンドロ君のするどい観察眼は、これまたなるほどねーと思うばかりだし、優劣をつけているわけではないので、ただ素朴にアウトサイダーの視線を楽しめる。

ある調査では、イタリア人ビジネスマンの全員が「イタリア人であることを恥ずかしく感じた経験」があるらしいが、「ここは日本人の致命傷だぞ」といえるところも、ズバリ突いてくれてもよかったと思う(食事で音を出す癖なんぞ、さりげなく警告されているけど)。

祖国イタリアに関しても、「財布はスられるぐらい覚悟すべし、それでも好きになるからイラッサイ」と開き直りなんだか弁護なんだかわからないアドバイスをしているのは、ローマ帝国の自信と威厳に由来するところかな?
そのへんは、見習いたいもんですな。
読みました(書評) | 23:43 | comments(4) | trackbacks(0)
災い転じて福笑い


ほーら、500系を廃止した呪いに見舞われた。
と、こじつけるつもりはないのだが、ただの架線切断で東海道新幹線が停まってしまった。
電車だから停電は致命傷。
停電に備えて、蒸気新幹線をスタンバイさせておきましょう!
というのも非現実的な提案かな。

線路に出してもらえず、照明も消えエアコンもトイレも停まって缶詰めになった乗客のストレスは、いかばかりかとお察しする。なにしろ1編成2000人だから、バスで振り替え輸送するのも大変だ。

新幹線はトイレまで電化されているのは知らなかった。
阪神大震災後しばらく避難所に寝泊りしていた僕は、断水したトイレにできあがっていた黄金のピラミッドを思い出してしまった。

こんなときこそ、鉄ちゃんが乗り込んでいると心強い。かな?
「最短の在来線駅が**駅だから、そこから岡崎行き快速に乗って、岡崎から名古屋、米原まで乗り継げば、新快速で京阪神まではたどりつけますよ」と、脳内時刻表を繰ってみせるにちがいない。もっとも、「俺は食べテツだから時刻表は苦手」なんて妙に専門分化したテツなら役に立たないけど。

電波系が横にいると、刻一刻と列車無線を傍受して、「いまドクターイエローが小田原まで来ている!」とかなんとか、役に立たない情報をキャッチして安心していたり…。
缶詰めになっている限り、身動きできないんですが。

今日は結局、3時間半も立ち往生したあげく動きはじめたようだから、「缶詰め便」は東京―大阪間で8時間ほどかかったことになる(まぁ、飛行機が落ちるより百倍ましなプチ災難でしょう)。
車内にテツの長老がいたら、「昔、つばめ号はそれぐらいの時間をかけて、それでも速い速いと驚いたもんじゃ」と妙に達観していたりしてね(笑)。

運休便はしかたないとして、立ち往生便はとにかく送り届けてくれるんだから、腹をくくってのんびり長旅を楽しむのが大人の対応ですかね?
僕は一度だけ列車ホテルになってしまった特急サンダーバードに乗り合わせたことがあるが、悪くない経験だったぞ。

前半は日本海を眺める特急列車、途中からは大好きな夜行列車に変わるなんて非日常体験は、めったにできるものではない。特急料金は戻ってくるし、夕食の弁当と朝食のパンはもらえるし、仲間とお祭り気分だった。テツでない仲間はうんざりしていたかもしれないが。

翌日の勤めがなかったから悠長に楽しんでおれるのだ!社用に追われているサラリーマンは大変なのだ!
と叱られかねないのはわかっている。
でも、高速道路だって空路だって鉄路だって、道中のスケジュールは完璧に保証されるものではないから、「こんなことも、あらーな」と構えておくしかない。

裏山へヒルウォーキングに行くにも、ツェルトその他ビバーク用品を携行する用心深いワタクシだがら、18きっぷ旅には(満席にそなえて)折り畳みイスを持参している。
今日のような缶詰め新幹線だと、簡易トイレとケータイ電池ぐらいは必携になるかもしれない。

子供がぐずって困り果てているシングルママ(ここがポイント)に、「これ、よければお使い下され」とニヒルに救いの手を差し伸べて、そこから終点までの間に魔の手に変身するね。
「これも何かのご縁ですから、アドレスを…」
「これに懲りず、また3人で水入らずのテツ旅をいたしましょう」
とかなんとか…(笑)。

何かのご縁???
なんで3人で水入らずの旅やねん!?
と反撃されて、妄想劇場は幕引きになりそう…
テツの鯉なんて、そんなものですかな。

こんな日でした(日記) | 22:05 | comments(4) | trackbacks(0)
なぜ愛パッド・ナノか?


飛ぶ鳥を歌わせる勢いのアップル社が、タブレット端末を発表。愛フォンをそのまま拡大したような(ガリバーの使う愛フォンのような・・・)、多分にキンドルを意識したような端末は、愛パッドというんだそうな。

キーボードもなく全面フラットな液晶画面で、重さは1kg強。
ノートPCにしようと思えば、キーボードをつななはれ、と?
でも、そんな用途は邪道で、マルチタッチで遊べる電子ブックリーダー兼ビデオプレイヤー兼フォトビューワー兼・・・というところだろう。ソフトウェア・キーボードなんて、打ちごたえのないふざけたインターフェイスだしねぇ。
いったい、何に使うんでしょ?

Windows CEの時代からタブレットを偏愛している僕は、いま入力しているザウルスも、XPtabletの富士通ルークス君も、電話(アドエス)も、みんな液晶タッチパネルになっておる。マウスはもう何年も使ってない。
もうすっかり、「ここ!」と思ったら画面をつつく癖がついてしまった。

だから、こんな便利なタッチパネルが、もっと普及してほしいと思う。
最近でこそ愛フォンのマルチタッチがおもしろがられているけど、ウィンドウズは10年も前からタッチパネルのCEを開発していた。
それがなぜかイマイチ普及しなかった理由はいろいろあるとしても、「ポインティングデバイスいらず」程度の消極的な用途から脱却しきれなかった点も大きいと思う。

2軸ディスプレイでタブレットになるハードも、完全にタッチパネルだけで操作し尽くせるわけでもない。実際、カタログなんかに「こーんなに便利なシーン!!」とうたわれているような、「ディスプレイをお客様に向けて商品説明できます」てな場面なんか、見ないからなぁ…。

タブレットモードで手書き入力している人も、見たことがない。
ザウルスぐらい小型になると、タブレットにして机の上に置き、会議中にメモをとるふりしてメールを書いたり文章作成したりするのに重宝する。最近あまりやりませんが(苦笑)。
キーを打つと目立つところが、手書きメモと同じ姿勢だと、カムフラージュは完璧できる(少し離れると、液晶画面さえ見えない)。

そう使ってこそ、タッチパネルの真骨頂だと思うのだが、愛パッドは入力マシンとして売るつもりか、ディスプレイ性で売るつもり(たぶん、こっち)なのか、アップル社はキンドルを意識しすぎているのではないですかい?
ブック・リーダーとしての端末なら、まだまだ重いから500gを切らないと持ち歩こうと思う消費者はいないだろうし、電池ももっと長持ちしないとまずい(裏面かカバーにソーラーパネルを貼りつければいいのに)。

本は紙で読むべきだ!と意固地になるつもりはない。
むしろ僕が「電子読書」に期待するのは、翻訳機能と、目の不自由な高齢者、障害者が読書を楽しめる可能性である。

すでに、ザウルスでも画面のテクストをこすってポップアップ翻訳ぐらいはできるし、辞書検索も別ウィンドウで開くから、なかなか重宝する。ただし、ファイルを手作業でザウルスに映す手間はかかる。
英文を読んで、たちどころにこなれた日本語として出力する、文字サイズも自由自在、電子音声が読み上げてくれる・・・ぐらいの機能は、別にウィンドウズマシンでもできていたことだが、もっと簡単に「読む行為」の自由度を広げてくれたら、愛パッドさまさまと絶賛されるだろうね。

ただの出力マシンとして使うのはもったいないハードウェアだから、あれもできますこれもできます…と風呂敷を拡げていくと、結局はXPtabletマシンと変わらなくなる。
それなら、タブレットにもなりキーボードも打てる1kgのルークス君でもできてますって。

「愛パッドEX」は機能はうんと割り切って安くして、全盲の人でも弱視の人でも高齢者でも、新聞が読める(聞ける)・新刊書が読める(聞ける)・マンガも読める(聞ける)となると即、社会貢献にもなりますがな。
アップルなら、それぐらいの構想は温めているはずだから、期待するとしましょう。




ルークス君が先輩なのだ⇒


こんな日でした(日記) | 21:45 | comments(4) | trackbacks(0)
秘書募集


あぁ忙しかった。
珍しいことではないとはいえ、座椅子に座ったまま居眠り、そのあと風呂で寝込んでしまい、水温10℃ぐらいで心停止する寸前に目が覚めた。

仕事が仕上がらないまま、夜が明けていた。
しかたない、職場で続きをやるか、とFMVビブ郎ルークス君をかばんに放り込んで、快速めがけてダッシュ。これが重いのなんの。

本体は決して重量級ではないB5判ぐらいのサブノートなのに、まぁ寝不足のヘロヘロ足腰に、ほかの書類やらをわざわさ詰め込むから、ずっしりきているだけか。
それで・・・結局、文書入力はルークス君ではしなかった。ネカフェでやってしまったので。
なんのための、荷物運びやったの!?
と自己嫌悪に落ち込む。

しかも、ネカフェでいつもの「禁煙マッサージルーム」と指名したのに、もまれるとこれまた必ず寝てしまうことがわかっているもんで、こわくてもまれなかった。なんのための個室マッサージ料金(なんか、いやらしいな)やったの!?
と、またも落ち込む。

どうも、ダンドリがまずい。この下手さ加減は、重症である。
奥さんはいらんが、秘書がほしい。
「*時までにこのタスクにとりかかって、目鼻ぐらいはつけておいてね。それを先にやれば、先週から持ち越していた仕事が楽になるから」
と、仕事の中身や僕のクセ、能力、無能さまで精通している行事役がいれば申し分ない。
ついでに、営業までやってくれて、ギャラ交渉も見事にかたづけてマネージャーとしても完璧だったり。
ないものねだりか・・・

今は政治屋の秘書が獄中で親分への忠誠を悔やんでいるようだが、男男した世界でオヤジ!書生くん!とやっているのも気持ち悪い話でわな。
秘書は峰不二子か、アンヌ隊員みたいなタイプがいいに決まっている。

秘書という生き方も、悪くないと思う。
香山リカせんせいの秘書ならやったげましょか〜?と思っていたら、とっくに同棲相手がいるようだから計画は頓挫してしまった(笑)。

宇宙飛行士の向井千秋さんに、いまさら助っ人も癒し人もいらないだろうと思うが、向井万起男さんのようなスタンスもいいと思う。しかもマキオさん、定年間際にして准教授というのが粋だね。仕事人間に徹していない。二人でキャッチボールなんぞやってそうな熟年夫婦ではないか。

オンもオフもぴったり価値観、波長が合う男女がうまくやれているうちは気分最高でも、けんかすると逃げ場がなくて最悪だよ、としみじみ語る先輩もいた.大学院生同士でなしくずし婚してしまった二人とか…。
東西冷戦みたいな、思想と哲学が火花を散らす夫婦げんかになるのも、気が滅入るわな。

となると、やはり畑違いで完全別職種の、ほしのあきに落ち着くか・・・
あ゛ぁ〜っ、煩悩じゃ!!


こんな日でした(日記) | 22:40 | comments(4) | trackbacks(0)
東京ヌードル


あのシノヤマさんの、息子の方が芸能ゴシップでよく登場していてあせったのか、「御本尊」が書類送検されちまった。
「東京NUDE」は、もう平成になってすぐ始まった長い企画だから、すっかりシノヤマ流の表現として定着したのかと思いきや、通行人が真夜中の路上ヌードを通報してアウトになったようだ。無粋なことする通行人がいたものだ。

もっとも、シノヤマさんだからこそ犯罪と過激の臨界表現を追究できるわけで、われもわれもとアダルト業界が「露天もの」を始めると、このへんでクギを刺しとくか、とKC庁が動くのもわかる。露出パフォーマンスやらストリーキングやら、去年も次々に見せしめ的につかまっているから、露出業界(?)の旗手としては想定内だったはずだ。
巨匠シノヤマさんだけお咎めなし、というわけにはいかないからね。

通報者も警察も、大人げないなぁ・・・が正直な感想だが、もちろん法は法、違法は違法。味方したいところだが、ちょっと脇が甘かったのではないですかい?と思う。
写真家シノヤマさんも個人プレイでやっているわけではないはずだし、やんちゃな「カメラ小僧」がゲリラ商売ができた時代はとっくに幕を引いて、コンプライアンスを徹底しとかないと、民事、刑事のトラブルで身動きがとれなくなる時代でしょうに。

かつての「カメラ少年」のあこがれた写真家たちは皆、シノヤマさんと同じような世代で、前立腺癌のアラーキー、沢渡遡あたりが同い年かな(少し年上の浅井慎平さんなんか、若いなぁと感心してしまうばかりだ)。
そんなキラ星のようなお歴々が、時代についていけなくなったヨタツキ具合を見るのは哀しい。

東京NUDEなんか、コンセプトはとてもおもしろいし、ヴェネチアやウィーンのバージョンを見てみたかったとさえ思うのだが(ヘルムート・ニュートンがすでにやっていたけど)、東京だと何かと差し障りがあるのだろう。
それなら、いっそフォトショップで東京NUDEを偽造してしまえば?
などと提案したら、「お前は写真表現がわかっとらん」と説教されるのは必至。

でも、いまどきの「印刷写真の消費者」が、モチーフは本物か加工かにこだわりがなくなっているのも事実だし、見分けようがない。スキャンダルもスクープも、アウラの消失とともに無意味になってしまった。
かりに、二重橋の上で撮った(と称する)東京NUDEを見せられても、本物のようなウソとウソのような本物との境界線が、デジタル加工技術のおかげでぼやけてしまっているから、驚きに「濁り」が混じってしまうのだ。どうしても。
素人でも「これぐらいはできる」技術を持ってしまっているから、驚くようなショットを見ても、壮大な風景写真を見ても、すなおに「きれい」「すごい」と反応していいのか・・・そこには必ず「上手い!」の可能性も入り込んでくるからね。

東京NUDEは、リアリティとオリジナリティにこだわるのだ、とこだわってみても、シノヤマさんと連名で書類送検されたモデルはヌードル嬢。金で買える商材である。
このあたりにも、手抜きを感じるのは僕だけだろうか。別にヌードルを使っていけないと野暮なことをいうつもりはないんですが。
原石のような被写体の発掘も、「紀信の激写」の真骨頂だったと思うのは、妄想癖のあるカメラ小僧の勝手な誤解だったのか?

もしかすると、警視庁の家宅捜索で次々に段ボールにつめこまれて押収された証拠物の中に、原石やら女優の卵やらの「公開不可能」な画像が眠っていた可能性は大である。たしか山口百恵の「封印写真」が流出して騒動になったこともあったように…。
そんなこんなの写真も、見たい人は「作れば完成」してしまうから、ますます写真集のアウラはなくなって行くのが寂しいですな。

見た聴いた受信した(メディア評) | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0)
わがアニキとオヤジ


「リンガーハット応援」には、538ものアクセスをいただいてしまった。全国チェーン店だからかね?
モジャカレーの店員さんとはmixiで出会えたけれど、カレーねたはアクセスがほとんど伸びないのが残念。月並みすぎるせいかね?

もっと人気のない(あくまでも、このブログの反応だけで)のは文学ねたで、これはまぁしかたない。これ、文学か!?と突っ込まれること必至の雑食性の読書感想文だから。
『1Q84』でも論じれば、ファンの目にも留まるだろうが、春樹作品も好きで読んできたとはいえ、『アンダーグラウンド』あたりから、ちょっとオリジナリティに「?」を感じはじめて、僕は真面目な読者ではなくなってしまった。初期の作品の方が、春樹ワールドの荒削りで尖ったところがあったと思う。

で、あいかわらず荒くれ度(失礼)が心地よいシーナさんのソフトカバーである。
ぶちまけ口調のわりに岩波なんぞからも書評を出されていて、つい先週『活字たんけん隊』を買ってぼちぼち・・・というところに、角川文庫から『ひとりガサゴソ飲む夜は…』が出たので、そっちになびいてしまった。

単行本のリメイクにすぎないから、「鮮度」は低いのに、イヤハヤひざをたたきたくなる勢い全開なのである。しかも、モチーフは「こんな酒を、こんなところで」だから、酒飲みにとっては一緒に飲んで笑っているような臨場感もありましてね。

雪洞の熱燗も、焚き火を囲んでの竹燗も、「いい女の口噛み酒」も、厳寒の韓国でオンドルの効いた部屋ですくって飲むマッコロリも僕は未体験の味だが、ビールと日本酒党だと思っていたシーナさんのウィスキーへの思いは、しみじみわかる。年末年始狂想曲を背に、シングルモルトの世界に浸る男の背中は、たくましい。

それでもシーナさんも、もう年金世代なんですな。
アニキ感覚で仰ぎ見ていた(海も山も現役バリバリのご様子だが)つもりが、歳月は人を待たずである。
もっと早すぎた「オヤジ」が、マエストロ開高健。
書棚に遺作が50冊は占拠してくれている。これを全部、仕事がらみの専門書に振り向けていたら…と考えるのは邪道というものだ。

去年は没後20年、今年は生誕80年と続いたこともあって、名作の文庫新装やら特集ムックやらが次々に出ていて、愛読者としてはうれしい悲鳴をあげている。
先月は文春文庫から『ロマネ・コンティ・一九三五年』が再版されるわ(もちろん単行本は初版で読んでいる)、光文社文庫で『あぁ。二十五年』が出るわで、念のため読み直そうとしていた矢先に、河出の夢ムックで『文藝別冊 開高健』が出ていたので、衝動買い。
オマージュあふれる寄稿と書評、単行本未収録の座談など盛り沢山で、あのひょうきんな風貌と甲高い声、芳醇な文体を思い起こさせてくれる。

職場で会うドクター・Tがまた開高さんそっくりな巨匠なので、会うたびに僕は故人の生まれ変わりやなーと唖然としながらも怪しい目線会話(笑)を楽しんでいるのだが、世界のすみっこ(あるときは最前線)を駆けてきたアウトサイダーの人間観察力は、「鋭い」なんてものではない。
ユダヤとコミュニズムと資本主義のトライアンギュレーションを、ベトコンと米軍の両方を観察する中で描きあげた表現者は、開高さんが横綱ではないだろうか。

東vs西が見かけの上で溶解する激変の昭和末期を見届けたかのように開高さんは永眠されたが、その後のアラブという極を、開高さんがどう観察していたか、ぜひうかがいたかった。盟友の小田実と、あの世で呑気に酒でも酌み交わしているかもしれないが。

僕の「呑気」は、鉄分である。
・・・というほどの鉄道マニヤではないし、背骨が線路でできている本物の上北沢暗室職人さんの足元のさらに地下鉄の枕木にも及びません!
メディアファクトリー新書『この列車がすごい』で博識バトルをくりひろげている川島令三さんと「あの横見さん」ほどの戦闘能力(笑)もない。

僕のテツ分というのはは、鋼鉄製のロットリングのペン(廃盤)。もう15年か20年、仕事をしているので、メタルな筆記用具は我々業界人の武器なのだ。
もちろん、パソコンもチョークもそれなりに商売道具なのだが、かたや愛着がイマイチ湧かないし、かたやホワイトボード・マーカーにどんどん置き換わっているから、個人的なアイデア・インキュベーションの武器は、僕の場合はずしりと思いペンである(万年筆に凝るほどの粋人ではない)。

和田哲也さんの『文房具を楽しく使う』(ハヤカワノンフィクション文庫)は、これも単行本で読んでしまっていたのだが、「文庫あとがき」のオマケつき(さすがに解説はついてない)なので一緒に買い物カゴへ。
やたら愛フォンHACK術の類が雨後のタケノコのように出ているご時世に、基本、アナログな筆記用具論は一見ずれているようで、いやいやなんの、ロディアとクオバディスの人気は根強い。
個人的には、ロディアは使いにくいから好きになれないのだが、こんな小さな「紙の束」が、立派に批評の一分野を築いているのは、ロディアやモレスキン、ファイロファクスといった黒船の魔力ですな。

それも、和田さんの紙メディア論は、ただファッション性からの「おしゃれ文具エッセイ」でまとまっていない。理工系の著者らしい情報調理のしかたは、「やはりノートと手帳とダイアリーは最適」と説得力でおさえつけてくれる。
ペンの話はほとんど出てこなくて、あえて書くツールとして富士通のオアシスライトが末尾に出てくるあたり、ますます「今はスマートフォンでしょ」と笑い飛ばされそうではある。

僕も、オアシスライトは使ったことがないのだが、仲良しだった経理ウーマンが単三電池で動くモバイルギアを愛用していた姿を、ふと思い出した。
シンプルな機能で、長時間テクスト入力に最適化された端末というのは、古くて新しい現代の文房具といっていいと思う。乾電池なら、世界のどこでも電源補充できるしね。
時代が求める最先端のヒット商品としては、ポメラかな?

それでも僕は、「無地ノートにロットリング」で、原稿のドラフトや講義時間デザインをしているから、積もり積もって、ずいぶん無駄な作業をしているのかもしれない。
眼精疲労には、平石貴久ドクターの『医者以前の健康の常識』(講談社+α文庫)で・・・
あぁ、かすみ目に涙目が治りません!

読みました(書評) | 17:36 | comments(2) | trackbacks(0)
リンガーハット再生?


最近のラーメン界は細麺ばやりで、なんだか素麺みたいで食べごたえがない。
あまりマニヤックにラーメン店巡礼をする趣味はないので、家路の途中にある店にときどき寄る程度。
カロリー・オーバーは、一駅手前で降りて歩く距離を伸ばすぐらいで免罪符にしているのだが、大阪で下車して神戸まで歩くと免罪符が100枚ぐらいたまるかもしれない。

んなこと、無理に決まっているので、三宮のリンガーハットで、久々に晩飯にしてきた。
去年、経営の建て直しに躍起になっているニュースも聞いていたこともあって、陣中見舞いも兼ねて。

「建て直し以前」は、神戸の東急ハンズ並びの超一等地にあるくせに、のどか〜な店だった。苦学生ふうの人のよさそうなおにーちゃんと、バイトの女の子がまったりと接客していて、慢性的に人手が足りていない(ギリギリまで人件費を抑えている感じの)せいか、食後の会計も待たされることが多かった。

それが、まずホール係が入れ替わっていた。
ムズムズするほど愛想のいい、旅館の仲居のようなトーク(!?)。クセになりそう(笑)。
ていねいでいいのだが、まったりムードは一掃されていて、あの苦学生クンはどこに行ったのだろう?と心配になった。

メニューも変わっていて、あらためてメニューを探しても、ちゃんぽん+餃子+ミニ炒飯のセットが消えている。ここのちゃんぽんは格別にうまいわけではないが、餃子の味の染みぐあいは絶妙で、僕は気に入っていたのだ。

しかたなく、単品でちゃんぽん+ミニ炒飯を注文。あわせて660円なり。お手ごろ値段だ。
店内にも気合いの入ったポスターがぺたぺた貼ってあって、野菜も餃子の原料も、国産農産物100%!!とうたっている。それでこの値段なら、「やってやれないことはないがな」と感心した。味は特別うまくなった感じはしなかったけど(苦笑)。
真っ赤な赤ちゃんぽん、濃厚な黒ちゃんぽんも、去年の季節限定メニューで、復活ならず。簡素化して、素材を選りすぐった戦略か?

生田神社への参道をはさむこの界隈は、ラーメン店もけっこう激戦区だ。路地に入ったところに穴場的な中華食堂もできたりして、TVで紹介されるとすぐ行列ができていたりする。
そんな中で、リンガーハットは週末の夕食時にしては、あいかわらず満席御礼にもならず静かな店内でゆっくりできたのは、行列大嫌いな僕にはありがたい。

あとは、売り上げが順調に伸びることをお祈りしたい。
天津飯や麻婆丼など御飯ものメニューも充実させてくれると、外食党としてはもっとありがたいのだが・・・いつも順番待ちで名前を書かされる(一人でも)王将は、20m隣りですよ。
がんばれ長崎ちゃんぽん!

食べた飲んだ美酒美食 | 15:54 | comments(2) | trackbacks(0)
憲二と一郎


さすが政権与党の幹事長になると、地検がホテルまで出向いて事情聴取をやってくれるわけか。なんだかねぇ・・・。
まさか、五反田の愛のホテルではないだろうが(笑)、千代田区のホテルとしか報道されていない。

「あ〜ら一イチロウさんったら、じらしてじらして、やっと来てくれたんだから」
「悪かったねーケンジ、マスコミがうるさくって」

てな舞台が設定されていたら、槙原くんでなくてもときめくね。よそで、こんなニュースもあったことだし。

今のところは任意だから、一郎さん側が「赤坂ぷりんホテルならいいよ。イケメン検事で」と指定したのかもしれないし、検察が「お望みの場所でやるかわりに、これ以上てこずらせると逮捕状を取るぞ」と貸しをつくってみせたのかもしれない。

疑惑は民酒党支持者の間にも沸々とふくらむ一方だから、正直にしゃべって国会で謝罪すれば、「それでもまだ、かろうじて痔民党よりマシ」と民意は判断するだろう。子供手当が出て、高速道路がどんどん安くなれば、愚民は未来に支払うツケも考えず、ニコニコ喜んでいるだけ。

とはいえ、年金加入期間を短縮する案が出てきたのは評価したい。ここは、実現すれば民酒党アッパレである。
長すぎる加入期間の先に果たして受給が保障されるのか?というごもっともな不審感と、24年加入してももらえない残酷さが放置されてきたことは、最大の政治不信の的になっている。世論調査でもわかる通りでしょうよ。

消えた年金問題だって、(全容解明を結局長妻大臣はあきらめたようだが)暴動が起きないことが不思議で不思議で、これこそ痔民党が政権奪取できない禍根ですぞ。
本当の生活保障なくして、内需拡大も景気回復もないのだ。

所得税制改革も、民酒党の英断だと思う。
働き始める専業主婦が増えれば、納税は増え控除も手薄にできるから税収も増える(ついでに、高齢者にも働いてもらおう)。
こんな政治主導の生活改革のなりゆき(成功するとは確信できない)を見てみたいからこそ、いま鳩山政権に失脚されるのは惜しい。

ユキオ君にリーダーシップがないのは全国民に知れわたってしまったし、一郎さんを引っ込めないと自爆してしまう恐れもある。
だから、幹事長には河村たかし名古屋市長をヘッドハントして、一郎さんとトレードすればいい(名古屋の皆さん、ごめんね)。

・・・というのは冗談として、一郎さんが、ついに剛腕を検察にくじかれるか、検察批判を続けるのか、どっちにころんでも「民酒党政権は安泰」なのは民主国家ではない。
それを何とかしようにも、痔民党の負け方が、あまりにも悲惨だったからねぇ・・・老害を一掃して、ゆかりと聖子を旗手に「悩ましい野党」ぶりを発揮してくれたら、小沢ガールズに投票した愚民は悩殺されて目覚めるかも????
もう、だめかなー
政治 | 22:33 | comments(4) | trackbacks(0)
教壇に凶弾


あっけなく、後期試験をやって大学の講義が終わった。
リップサービスだとわかっていても、別れを惜しんでくれる好青年と乙女たち、皆いい子ばかりだった。
全員合格。わたしゃ人相は悪いが、採点は大甘なのだ。

当局からは、「講義評価を受けるように」と設問用紙とマークシートが届いた。
試験のようにきちんと時間を計り、誘導や脅迫(笑)のないよう、手順に従って配布・回収・封入・学生同伴で提出すること・・・と、厳正さを徹底している。

本当に正確にやろうと思えば、講師本人ではなく第三者が配布して、目安箱のような回収箱にいれてシャッフルするのがベターだと思うのだが、こんな若干の「ゆるさ」は、教育が「工業生産のQC」と一線を画する、グリーン・ベルトのようなものかもしれない。

そんな「逆評価の洗礼」も、喜んですませた。
ビビる御同輩もいるようだが、時代が時代だからね。いずれそうなると読んで、僕はさっさと10年前から、自らすすんで評価を受けている。匿名の採点用紙を毎回、全学生に配布して。

評価を受けて、次に活かす方が仕事の改善につながるのは当然だし、聞いて答えるのは教師の義務、授業を評価するのは学費を払っている側の当然の権利だと僕は思う。
権利義務の関係を突き詰めると息苦しくもなるから、これはコミュニケーションだと思えばいい。

それでもなお、違和感を持つ同業者がいる事情も、よくわかる。「教師を採点するとは何様のつもりか!」と憤る家父長的なセンセイは劣勢に立たされているご時世だが、一理あると思う。

組織としてサービス改善を図るための評価ならともかく、首切りの道具に使う愚劣な組織も、あることはある。
匿名アンケートそのものが、「便所の落書き」と化す危険もある(コンマ何%かの率で出てくるだけだが)。

無難な採点にちょっと退屈してくると、あえて刺激的なメッセージを埋め込んでしゃべると、期待通りの(笑)尖ったコメントが出てくるから、「あ、聞いてくれてたか」と逆に安心したりする。
そう、こうやって評価を楽しむのが精神衛生上よろしいのだ。

私は私、
評価されたくない
人と比べないで!
とビビっている若い子は多いけれど、0点だろうと暗殺予告(笑)だろうと浴びせられて、ダメ出しされてなんぼですよん、ヌハハハハハ♪

・・・と構えていたら、ぢーっと冷静な目線で凝視してくれている人とも出会うわけでね。
撃たれ強く、ゴキブリの生命力を携えて生きて行きたいものである。
こんな日でした(日記) | 21:50 | comments(6) | trackbacks(0)
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