2010.02.28 Sunday
病院の事務局長さんと会って、シンポジウム(?)の打ち合わせで土曜日の午後いっぱい費やした。
これまでのシンポジウムは、「ご本尊」の鶴の一声から企画が始まり、懐刀のような事務局長さんが阿吽の呼吸で中身を練って行き、大枠ができたところで、下々の委員に諮られ・・・と、上位下達も甚だしい運営がなされてきた。ははーん、またその流れですか…
きのうも、そしていつも、懐刀さんを介して話が伝わってくる。
電話やメールで親分に直談判できないほど巨大な組織でもないし、職場の部下ではない僕だからこそ、ずけずけ言えてきたところはあった。面と向かって院長批判をしてきた無礼講は、周囲をハラハラさせてきただろうと思う。
それでも、僕のごとき無礼者を破門せず、「今度の企画について意見を聞きたい」と話を向けてくれるのはありがたい。
あいかわらず、「懐刀を介して」とはいえ(苦笑)。
で、何をするのかというと、地域の独居高齢者の実態調査をして、市民フォーラムでも・・・
フムフム、ナルホド、ホホホーと素案をうかがってから、あいかわらず僕は事務局長さん以上に気楽な立場であるから、身もふたもないダメ出しをしてしまった。
「一病院が地域で調査をやると、当然いろいろなニーズを掘り起こすことになりますが、患者が病院に殺到したら、今の態勢で責任もって受けとめられますか?医師も看護師も余ってるわけではないでしょ?」
「たしかに・・・ベッドは一杯で、今のスタッフだとこれ以上受け入れられないのが実態なんですよ。退院促進しているぐらいで」
「調査は周到な計画を立てて、一気にやって分析しないと、信頼性が問われますよ。事務部門で、マンパワーを割けますか?」
「事務職員はリストラ真っ最中です。調査専門のスタッフなんて、とてもとても・・・」
どうも、調査のイメージが社会学屋と医療側とで相当なギャップがあることがわかった。
地域独自の事情もあるようで、患者の「行き先」をめぐって周辺の開業医とはケンカしたくないそうだ。
それはそれで、しかたない事情だろう。
理論や労力の不足は、いざとなれば調査専門会社に外注する道もあるのだが、僕の頭は「その先」にワープしていた。いざ、やってその先に何があるのか?と。
「ご本尊」の院長先生も終末期医療や孤独死の問題にかかわってこられたこともあって、切実に独居高齢者の近未来を憂いておられる様子はとてもよくわかる。
ただ、高齢シングルといっても十人十色。
不本意と確信犯。
未婚単身と離婚単身。
ホワイトカラーとブルーカラー。
資産持ちと貧困層。
そして、男と女。
十人十色なりのニーズがあって、その中には
「今でも結婚したいのでございますよ。72歳女性」
「病気退職したとたん妻子に逃げられた!途方に暮れる58歳男性」
「俺は孤独死でいいのだ48歳男性」
「彼女を紹介してほしい48歳男性」
「腹上死にあこがれる48歳男性」
なんて声も掘り起こされてくるかもしれないのだ。
調べました。わかりました。でも何もできません。
では、無責任というものだ。調査は調査、本業は本業で別建てにしてもかまわないのだが、「そうは世間が卸さない」ものだったりする。
大学や役所の調査だと、何かの参考にするから、アンケートとらせてね〜でお茶を濁すことも、許されるだろうけど。
結局のところ、大規模な社会調査ではなくサンプリングした上での聴き取り調査が精一杯では??
といったところに落ち着いたのだが、懐刀さん曰く、
「院長は大風呂敷を広げるわりに、具体的な方策を示してくれないから、雲をつかむような話なんですよ」
と苦笑されるばかり。大変ですねー
僕も、本を分担執筆したとき、字数の配分さえ知らせてくれなかったことでも、院長とは大げんかしたっけ。
着地点が見えない仕事は、重労働でなくても恐ろしい。逆に、重労働でも、「ここまで」とわかっていれば、作戦の立てようもあるものだ。
つかみどころのない巨大な仕事をわかりやすい形にして、小ユニットに刻んで処理方法を示すことができるマネージメント能力は、福祉や医療のように「いい人の自己犠牲」に限りなく依存しがちな仕事には、特に必要ではないかと思う。
さて、市民集会はどういうところに落ち着くのやら。
市民運動なのか研究なのか病院のCSRなのか、中途半端な活動は終わりがない。
愛想も尽かせてくれない院長先生の懐の深さとも、裏腹なんですがね。
エンドレスな禅問答になってしまった二次会=夜の部は、またあらためて。