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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
猫的幸福


デスクトップに、なかなかナイスな壁紙を仕入れて癒されている春爛漫。
白で味気ないディスプレイの枠にも、ファンシ〜柄を貼ってやろうかと東急ハンズ素材売り場を物色している。この「施工作業」が、連休中の唯一の予定である。わびしー!!

ひょっこり電話をくれるコードネーム2ちゃんねる君が、「契約切れで、新しい職場の研修が始まりまして…」と近況報告。いきなりの首切りではなく、まだ今年度中は役所パートができるそうなので、次の職場への助走期間になっているようだ。
「ゆっくり慣れろってことやな」
「そうですねん、ちょっと遠いから、体も慣らさなあかんし」
遠いといっても市内通勤から隣町通勤になるだけで、ジテツウできなくもない距離だ。職住接近がええよ。帰宅難民になることもないし。

その町は、伝説のチュンスズメ御大の地元なのであった。
皆無保険・皆無家族・微労働の仙人50歳!2ちゃんねる君がお手本にすると、せっかく進みつつある縁談もパーになりかねないが、どこかで遭遇すると、トリコになってしまう(笑)かもしれない。
2ちゃんねる君は自転車フリークといえども、しまなみ海道ツーリングで遭難しかかったほどのスタミナだから、とてもとても北海道まで陸路をこいで行く50歳には勝てない。

弟子入りすると、年収50万円で幸福に暮らす兵庫県ブータン生活(!?)も会得できるはずだ。
・・・はずだが、「彼女を幸せにしてやらにゃ」と殊勝な心がけを温めている2ちゃんねる君に、禁断の木の実(笑)を見せると、もう家庭も色欲も仕事もどうでもよくなってしまい、現実的な乙女が視野から消えてしまう危険もある。
そういう麻薬のような(!?)カリスマ性に満ち満ちているのだチュンスズメ御大は。
2ちゃんねる君カップルはそろって障害年金暮らしだが、そういう立場の人々には自然体で寄り添うヤサ男でもある。

去年、「昔懐かし同窓会」で20年ぶりぐらいに集まったとき、別れ際に「その後」の身の上を聞かれたときの慈悲深い表情は、リアルに目の前にいる(40年モノのサイクリング車にまたがる)カリスマであった。そのときはランチタイムだったから、乾いた会話は風のように流れていったが、酒が入っていたらウルウルしてしまったかもしれない(笑)。

御大は決して自分のスタイルを「布教」などしないし(ネット環境どころかケータイも持ってない)、人は人、俺は我が道と割り切っているから、幸いにして地位や権力とは無縁だ。神輿に担ぎあげられることも拒む。
苦労話を世渡りの貨幣にしている偽善者も多いからこそ、なおさら際立つ清貧ぶりは、すがすがしい。

「おまえらから見たら信じられん最低生活かもしれんけどな、自分が好きなことやって、自分に向いてへんことせんかっただけやで」と涼しく笑っている御大。何者にも服従しないマイペースぶりは、気高い山猫といえばいいか…。アキバ種族は「神」と呼びたがるだろう。

忍の一字で心を病んでしまった2ちゃんねる君のような善人には、薬剤や作業より、現人神が支えになるかもしれない。別に仕事や芸事の師匠でもいいし、職業的な聖職者でもいい。
そういう存在が、声の聞こえる範囲、手の届く範囲から消えつつあるのが、現代のコミュニティだったりする。

猫も最良のカウンセラー候補だ。猫缶をまとめ買いすると、「顧問料」は月3000円弱ですむ。たったこれだけで、専属の顧問カウンセラーでいてくれる。とことん話を聞いてくれて、冬は暖房代わりにもなる。
クライアントの話は聞こえてはいても理解してないだろうけど(笑)、わずか40グラムの脳であれやこれや賢明に想い、悩み、考えている。そして、しっくりくるような助言が聞こえてくるのが不思議。地位も権力もない(だから汚れのない)裸一貫のカリスマである。

東北の避難所は、地域単位で囲われているようだが、犬派避難所・猫派避難所・なんでもありの動物園避難所、人間オンリー避難所と分けて幸福度を測ってみると、意外な結果が出るかもしれない。
そんな不謹慎な実験は、御法度なのはわかりますがね…。




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こんな日でした(日記) | 11:55 | comments(0) | trackbacks(0)
ビバ罰金ガム宮殿


ヒトサマの挙式に興味津々な人種がいるのは世の常ではあるが、極東の島国の民放が9時間も時差のある別世界の雲の上の挙式に浮かれているのは、ワタクシ的な世界七万不思議の1つである。
これで日本国の景気がよくなって、東北復興に金が回るならバッキンガムに賽銭したくもなるけど。

そりゃ日本のロイヤル・ウェディング・ふぃーばーがなければ僕は生まれてこなかったかもしれないし、昭和天皇から名前の1字をもらったぐらいだから、国民的な祝賀ムードは明るい気分にはなれると思いますがの…。

私見では、他国の挙式に目をウルウルさせているのは女子の性癖ではないかと思われる。
何かの参考になるのか?
参考にするなら、ドレスは挙式だけでなく、各種の式典にどんどん着て出ましょいや。
今ああいうドレスを式典以外で着て幸せをふりまいているのは、コスプレ嬢ぐらいだから(剣を持っていたりするけど)、女子の大多数は遠巻きに口をあけて眺めているだけ。がんばれ!

男どもは(男子限定の趣味ではないが)、堂々と賭け事のネタにしている。ブックメーカーには、

「ロイヤルベビー誕生は2年後(つまり、仕込みは来年)」
「ケイトさんの衣装カラーはアイボリー」

など、無難なエントリーも並んで小銭を稼いでいるようだ。
たしか、高い倍率の部では

「フィリップ殿下が居眠りする」
「弟のヘンリー王子が兄貴の式で出会い」
「ウィリアム王子が指輪を忘れる」

なんてのが並んで、一攫千金を狙う冒険家がいるようだ。がんばれ冒険家!
もっと高い倍率だと、

「ケイトさんにアラブ人の元カレ発覚」500倍
「キャサリン妃を襲名したら、スザンヌと熊本県知事が商標侵害を訴える」1000倍
「実は生きていたダイアナ母さんがバッキンガム宮殿にサプライズ登場」1000万倍

逆に低倍率には、

「チャールズ父さんがケイトに手を出す」2倍
「案の定ウィリアム君が浮気する」3倍
「ウィリアム君が『脱帽』する」4倍


なんてのがあるはずだが、表には出ないよう封殺されているんでしょうな。
縁遠いヒトサマの挙式は、こうしてネタにして楽しむのがいい。江戸城の御一家をネタにしたい欲をカムフラージュするためにも。

バツだらけの呪われた一族(よくいえばスーパーフリーな懲りない面々)の挙式に出つづけてきた無傷の僕にしてみれば、一番いいスタンスは「無関心でいることと」であると悟ったものであった。不吉な予感は九分九厘的中しているから。
こんな目利きには(本心として)なりたくないのに、否が応にもなってしまう。

皆が見ようとしないもの、口に出さないこと、想定しようとしないことに目が向いてしまうと、つくり笑い、つくり祝いが偽善的な気がして、嫌われ者なりに良心の呵責をかかえるんですな。ワタクシは、実はイイ人なのだ。
二十代のころは、「ウソくさいことに、皆の衆なぜ気づかないのだ!?」とフンガイして、いやいや臨んだ式を中座したりしていた突っ張り野郎であったものだが、それは若気の至りでもあり、青臭い尊大さでしかなかったと思う(ご迷惑をおかけして申し訳なかった)。

実は、危なっかしいところ、不吉な予感には、充分わかっているのだ賢い大人なら。
加藤尚武さんのいう「愚考権」という考えを知って、「そうか…本人に見えなくて周囲が見えるリスクに先回りして失敗させないような配慮は、本人のためにならんわけか」と学んだのであった。失敗に突き進む冒険家は偉い。偉い人々のおかげでGDPは向上するのだ。

だから僕は、「俺様以外ウェディング推進国民運動」を提唱するようになった。
僕自身が鯉のキューピッチになったカップルには、責任をもってビンゴ係も受付嬢も虹会司会者もニセ牧師もパパラッチもやってきた。もう、オールマイチーな熟練者である(笑)。なんなら、ノーギャラでバッキンガム宮殿に出張してあげてもよろしいのに。
えらっそうなところは、変わらんな…




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こんな日でした(日記) | 15:42 | comments(6) | trackbacks(0)
カリスマ増殖作戦


すっかり手品師として、はたまたパパイヤ鈴木のモデルとして、はたまた林葉直子に突入されかかって有名になっていたサイババは、実は立派なこともしている社会事業家であった(らしい)。
猫パンチのような「奇跡」のパフォーマンスは、騒ぎたてるほどのこともない腹芸で、一事が万事と全否定するのも宗教リテラシーの低さをさらけ出しているようなものだから、メディアは反省しましょう。

とはいえ、擁護するつもりもない。
ヨーロッパ、アメリカ、日本でのサイババ叩きはそれぞれ文脈もちがえば拒絶反応の現れかたもちがう。アメリカではサイババもどき、なんちゃって和尚が乱立した。
結果的に、かきまわされた有名人は日本でも続出し、アガステアの葉っぱとともに散ってしまった秀才クンもいた。
聖者にあこがれて日本でもサイババ病院を建てる、サイババ特養を運営する篤志家がどれだけ出現したかといえば、そこまで実を結ぶ信仰にはならなかった。潤ったのはスピリチュアル・ビジネスばかり。

超人的な能力や人望が、「余人をもって代えがたい」カリスマ一人に集積するのは、社会不安やメディアの反応次第でよく起きる現象だ。等身大のカリスマの評価は難しい。
「神の手」や聖者やカリスマが一人君臨するより、「準カリスマ」が大勢いる社会の方が健全だしセイフティネットにもなると考えている僕は、仕事がらやはりカリスマの真の実力は教育力なのだと思う。

カリスマになるより、カリスマを育てる方が社会的利得は大きい。世界的名声に輝く医師に奇跡の治療を受けるために何年も待たされたあげく死んでしまうぐらいなら、身近な名医に早く処置してもらえる方がいい。
宗教家としてのノウハウやカリスマ性は、歪みなく伝達するのは難しいとは思うが、慈善事業のノウハウはきちんと伝達・普及できてこそなんぼである。

ところが、せこいカリスマ(なんだか矛盾するが)は出し惜しみする。教え下手を反省せず、「技は盗むもの」と煙幕を張ったりする。
ある意味それは一面の真理ではあるけれど、やはり手渡し口移しでノウハウ・思想信条・哲学理念を伝えて、場合によっては批判にさらされながら磨いていくのが、トップランナーの使命ではないかと思う。
「子孫に美田を残さず」とはインドと不仲な国の故事だが、死後に醜い骨肉の争いが起きるのも、晩節を汚す失態だ。遺産はきれいさっぱりゼロにしておくのが、高潔な最期というものだろう。

カリスマ的な仕事師から僕なりに学べることとしては、「だれにでもできる仕事」と「自分にしかできない仕事」の臨界で微妙なバランスを量りつつ、後継者が育てば、万々歳で以て瞑すべしということ。
「俺しかいない!」と気張りすぎるから、世間では過労死がなくならないわけでね。
無意識のうちにサイババになろうとしているワーカホリックは、意外に多いのではないだろうか。
「なんぼでもあなたの代わりはいますよ、もっと安上がりで成果も出せる」
とささやく声が聞こえると楽になるのか絶望するのかは人ぞれぞれだろうが…。
僕には、ちゃんと代打ヒトミ先生がマイ・サイババとして君臨しておられるから、安心してポックリ逝けます。
彼女はサイババ子になれる(笑)。



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こんな日でした(日記) | 15:54 | comments(0) | trackbacks(0)
虎穴に入らずんば…


この男にとって憂き世はどう映っているのか・・・浮き世にプカプカ浮いているような俺様世界の王様は、収監決定も人生ゲームの1コマらしい。
我輩が想定したゲーム盤には外の世界があり、そこまでは意のままに設定できなかった現実は、王様にとっては架空の、あるべき世界ではないんですな。
2年半、塀の中にいたとしても、ホリエモンにとっては愚かで間違った司法につきあってやったという「ゲーム」を消化するだけのことで、彼自身の世界観・宇宙観・人間観は何も変わらい。

別にこきおろすつもりもないし、個人的には嫌悪感も不快感もない。それが「永遠の寵児」の人徳かもしれない。
まちがいなく、異形の天才だとは思う。世間の尺度でいう破天荒も、彼にとっては想定業務で、こんな感覚はどこかで活きるとは思う。それが放送・通信業界なのか、ソフト開発業界なのか、宇宙開発事業なのかは僕にはわからない。

少しだけ想像できる絵は、あれだけ神と崇める信者が集まっているからこそ、教祖になる道。
堀江神社を建立すれば、大繁盛するだろう。地下にサイバーな本宮を築き、汗や血や涙とは無縁の「会社ゲーム」に浸る。ゲーム盤を想定するのは彼の得意技である。リアルに、そこそこ雇用の拡大にもつながる(ロールプレイ・ゲームでも開発すればどうだ?)。

ただ、カリスマは愚かな信者がかつげば堕落する。
ホリエモンの不幸は、サソリ武部と痔眠党にかつがれ、風雲児ともてはやすだけで彼の本意を正確に解き明かさなかったメディアにかつがれ落とされ、仲間が離れ、命を絶ち、空回りをくりかえしていること。空回りは遠巻きに見ている分にはおもしろい。もてはやされ続けているうちは気休めにもなる。この点では、結局「ウケる」ことしか頭にない、どげんともならんかった某(元)知事につながるものがありますな。

淫行知事は毒にも薬にもならない軽薄さが救いで、ウケ業界のネタとして商品価値は少々あるかもしれない。
ホリエモンもキャラクター化に身をゆだねるそぶりは見せたものの、絶対に目は笑わない策士の顔までは隠せないから、おもしろがる取り巻きも、同じ船に乗る気にはなれないだろう。
塀の中で、ネモ船長と化していくのか?
それとも、角が取れた円満な教祖様として「降臨」するのか・・・?
2年半の熟成発酵に期待しておきたい。
くさやが沢庵に変身するようなことは絶対ないと思うが。



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こんな日でした(日記) | 17:22 | comments(0) | trackbacks(0)
村長の野望


あのDASH村も避難区域にあったようで、番組が成り立たなくなってしまった。
ほかのコーナーもあるので「村ぬきDASH」は続くとはいえ、僕は村づくり、村の行事を楽しみに見つづけて十有余年。いいコーナーだと思う。

村といっても一軒家だから、村人は身内ばかりで、利害対立もない。リアルなファンタジー、つくられた理想郷ではある。そもそも日テレの企画でしかない。
と承知しつつも、あんな村――古民家を中心に、田畑があって池があって里山があって小川が流れているだけの――がもし個人的に1つもらえるなら、「船長になりたい願望」は揺らいで、村長業の方に浮気しそうになる。やっぱり、陸がいい!と。勝手なもんだ。

ネモ船長のような厭世人間になるつもりはない。
羊から毛を、牛から乳を、鶏から卵をいただき、命はいただかず、米と野菜を育て、自家消費する。
不摂生がたたると、病院も必要だ。
必要な消費財は、ちゃんと外の世界と取引して完備する。週1回は都会に出て人と会話する。
でないと、動物としか話のできない蝶能力者になってしまう。

そんな楽園は、日本海か瀬戸内海か東シナ海かに浮かんでいる無人の孤島でもいい。シーフード食べ放題(甘いなぁ)。
家畜と犬と猫と馬(足代わり)、入り江にはイルカを囲って「にぎやかな家族」になるのもいい(あぁ…ますます人と会話できなくなるな)。

やはり、経済システムの一単位として実社会とパイプを持たないと、たちまち孤独死してしまうのがオチだから、宿を経営するとか通販を開業するとか、自営業主になるのが現実かいなと思う。とても文筆業の才能はないので、農園と飲食業と文筆業を軽井沢でやりくりしている玉村豊男さんは尊敬してしまう。
街で季節労働者をしながら、年の4分の1ぐらい楽園で晴耕雨読できれば、願ったりかなったりなのだが。

「小屋番募集。雪で閉ざされると解雇。失業保険で春まで過ごしてね」
という、夢のような条件の求人広告は牧歌的な時代にときどき見かけたが、最近は雇用保険の運用も厳しくなってきたのか、そうは問屋が卸してくれない。
接客が苦手でなければ、孤独にさいなまれることはないだろう。
とはいえ、これも経済単位にならないと、自分の食い扶持が確保できない。山菜を摘むだけでは食って行けない。

では海の家はどうだ、観光農園はどうだ・・・と果てしない現実逃避にふけってしまう。
どれを選んでも、やはり作物を買ってくれる市場、現金を落としてくれる客との人間関係から解き放たれるわけではない。DASH村は、視聴者という「匿名の怪物」あってのファンタジーだ。

ソローの『ウォールデン』は、経済にもしっかり章を割いていて、つい「夢の楽園ものがたり」のように浅読みしがちな文明人を牽制したが、実社会となんらかのトレードがないと自分の暮らしの自立もままならないのは重々承知している。
ならば、何を看板にして村が成り立つか…。

道場を開けば門下生が定着するような技もなにもない。
ならば、修道院はどうだ?(おっと!)
自分が修道士をやったこともなければ、そもそもカトリック信者でもないのに。

かといって、宗教法人を開くつもりもない。何を信仰するでもなく、何を修行するでもなく・・・「なんちゃって修道院」である。まぁ、「猫村長」でもかついで、猫信者を募ってみますか。
駅長を務める猫がいるぐらいだから、神様にもなれるにちがいない。
バチあたりな野望が、黒い腹の底にうずいているのである(笑)。




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こんな日でした(日記) | 22:52 | comments(2) | trackbacks(0)
キャンディーズ・フォーエバー♪


伊藤蘭が遺影に向かって、スーちゃんではなく「スーさん」と弔辞を述べておられたのを、釣りバカ日誌のスーさんはどんな思いで聞いただろうと横槍を入れつつ・・・早すぎる旅立ちに、ご冥福を祈りたい。

キャンディーズの全盛期は年ごろ絶頂期でもあったが、僕はDJや声優の方に萌えていたので、アイドルを追いかけたことはない。
ピンクレディやキャンディーズ、ノーランズ、かしまし娘,etc,etcのどの子が好きか?と選ぶ(選ばせる)のもよくある話で、わが家でも母親が僕と弟にキャンディーズ・チェックをやらかしたことがあった。みごとに三者三様バラバラで、好みがさっぱり一致しない家族だと感動したものであった。

面倒くさいので、とりあえず僕が指名しておいたのが田中好子。
現役のころは少々暑苦しい感じはあったスーちゃんも、その後は女優としていい持ち味を活かしていたと思う。アイドルより、最初から女優デビューしておけば大成したかもしれない。

それはミキも蘭も同じで、無理やり偶像化されていた痛々しさのようなものが伝わってくるので、僕は手放しであこがれる気分になれなかった。
真夏のサンタクロースのようなコスチュームなんか、着せられた感がありありで、囚われの身でいる限り「天使の笑顔」を絶やしてはいけない。アイドルはつらいものよのぅ、と忠孝生の僕は同情申し上げていたものである。

その後も、アイドル・ユニットはおにゃん子ありスピードありMAXありAKBありとコンスタントな需要があるのはわかるが、今なら普通の女の子に戻りたくならんでも普通やん、あまり神々しさもないがな、と言えてしまう素人臭さがつきまとう。熟成させる時間をはしょってベルトコンベア式に製造されているような・・・。
アイドルを見続けて*十年の中年の目は肥えているのだ(笑)。

キャンディーズは、絶妙に歌がうまいわけでもないが、ちゃんと歌唱トレーニングを受けていたからこそ、サンプラーもない時代に、持てるもの全開で勝負していたと思う。
「春一番」の歌詞なんか、いまどき引越し祝いや祝い返しなどする習慣が残っとるかなーと思うと、とても道徳的な内容なのである。学校で教えるべし。

すなおでストレートで、説教くさくなく、ありがたみもなく、マインドコントロールくさくもないアイドル・ポップスは貴重だ。そんな歌は、マインドコントロール指導要領からはお呼びでないかもしれないが。
しずちゃんが加わって、「キャンディースEX」などできないものだろうか。
信者の逆鱗に触れるかな?




こんな日でした(日記) | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0)
青い歯キーボード


やっぱり070に戻ってきた。心のふるさとである(笑)。
常時接続モデムとしてフローティング充電しているのが災いしてか、ハイブリの電池がへたってきた。
外で10分も通話なり通信なりをやっていると、電池残量計が10%になってしまう。

そのくせ、充電すると10分かそこらで満充電になる。で、使うとすぐ激減する。
異常電流を流すような本体の故障か、単に電池の不良か、どうなんでしょうねーとウィルコムカウンターに持ち込むと、案の定「電圧が流れている」「電流がかかっている」と口走りそうなおねーさん店員。試しに、空になりかけの端末を充電してもらうと、やはり10分で満タン。「アラー」と驚いておられる。
原因はわからないままなので、「点検機器がないので預かりになりますね」とのこと。代替機もないらしい。

それでは困る。
電池だけ買い換えて様子を見ることにした。アマゾる。
ついでに、Bluetoothキーボードも試してみるか、と同時注文。すぐ届く。感動する。

やはり、新品電池は充電にぢっくり時間がかかり、長持ちする。単純な電池消耗だったようだ。やれやれ。
ではでは・・・次は初めてのBluetoothを。
ガラケーとハイブリの両方で使えるリュウドの折りたたみキーボードである。前にザウルス用のUSB折りたたみキーボードを買ったが、ケーブルが邪魔だし、ガラケーには使えない。
似たようなつくりだが、仕様は日本語キーボードで(無変換キーもついているしエンターキーはでかい)、ひらがなはプリントされていないから、いい具合に折衷されている。

ペアリングして、あっけなくお見合い成功。
ハイブリにはエディターもインストールしてあるので、内蔵スタンドに立てて(スタンドは使わず収納しておいてもいい)長文がすらすら打てる。実に「かいてキー」である。イライラする親指テンキー入力からは解放される。
単4電池はいるが、消費電流は入力時でも2mAと微々たるものだから、気になるほどの消耗ではない。

ペアリングのとき一応パスワードは設定したが、端末とキーボードをそこそこ離しても使えるので、ご近所のBluetoothケータイとペアリングすることもできるようだ。乗っ取ることもできますな(笑)。
なにより、愛パッドや各社のスマホともペアリングできるようだから、おもちゃのようなソフトキーボードからも解放されるわけだ。あれば好きな人もいるかもしれんが。
やはり、パンタグラフの打鍵感覚はガシガシ打ててよろしい。

結局タブレットPCも外付けキーボードがついてきたりして、「画面なでなで」だけでは物足りないユーザーに応えているようだから、今後サードパーティー製のキーボードも続出するだろう。
折りたたみだと、テーブルかしっかりした土台の上で打たないと不安定になるのは宿命で、両手持ち入力は難しい。最低かまぼこ板は必要だ。
愛パッドの一番の支持者は十代のお子ちゃま層らしいから、かまぼこ板なんか知らないか・・・



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買いました(むだづかい) | 15:08 | comments(0) | trackbacks(0)
ガラパゴス万歳


文明の進歩には驚くことしきり。文明の利器はありがたい。
一方で、ガラパゴスはガラパゴスなりに、異形の進化を遂げている。
ケータイをスマホにするかガラケーのままでいいか、迷ったあげくガラケーの道を突き進むことにした。
ま、すでにメインはウィンドウズホンで3Gにつないでいるから、屋上屋を重ねることもなかろ、と。

ふだんスマホのもっさり感もわかっているからこそ、ガラパゴス諸島に最適化したガラケーのキビキビ感は、捨てがたい。TPOに応じて使い分ければいいのだ。
「ニコモチ」にも、スマホの維持費は高い。

でも、ふだん090の出番はない。旅とアウトドア専用になっている。
それなら、野外用に防水のきいたやつを、とドコモSHの型落ちモデルに決めた。電脳判事には、「アンドロイドを使わない罪」追及求されて厳しい沙汰が下ること覚悟で(笑)。

防水もワンセグつきも初めての090端末である。
カメラは、僕の持つどのデジカメより画素数が多い。もう、いやになる(苦笑)。

おまけに、フルハイビジョン動画まで撮れる。やりすぎでしょ!!と突っ込みたくなる。
うちの古いキヤノンの「フルまであと一歩ハイビジョン」ムービーと違って、フルスペック。
ただし、しょせんはMPEG4だから、MPEG2ほどのゆとりがない。理論上は。
オプションのHDMIケーブルがバカみたいに高いから、まだ実写テストはできてないけど。
実際に、ケータイでビデオ撮影して再生することなどないとは思うが、記録だけでもできるフルハイビジョン・ムービーは、カプセル怪獣ウィンダムの役目ぐらいは果たせるだろう。

ただし、スマホのような消音カメラアプリなんかは使えない。あくまでも、ガラケーの進化形は「管理されたカメラ、管理されたワンセグ、管理された音楽プレイヤー、管理されたブラウジング」に囲い込まれることにほかならない。
解約して単体で使う方が、スマートに楽しめるかもしれない。
猫も杓子も愛フォンを後追いばかりしているスマホに比べると、ガラケー端末はオブジェとしても多士済々でおもしろい。デザイナーはがんばってるなぁと感心する。

なにより、(頭の中だけ)秘境探検家としては、USBで充電できるガラケーにビデオもスチルもついているわけだから、太陽光でどこでも充電できる。ケータイ用ソーラー充電器は持っているので、すでに動作は確認したぞ。
マイクロSDカードさえスペアを持っていけば、マチュピチュであろうとカッパドキアだろうとパタゴニアだろうと、お陽サマあるところ撮り放題・チャージ放題である。このガラケーの身軽さは、好きですな。

またパケホーダイを復活させようかと思いつつも、やはりスマホのフルブラウザーで得られる情報量は、もっさり感を差し引くとしても捨てがたい。
皮肉にも、全然きびきびしていない、このもっさり感に慣れてしまうと、ガラケーの速さは徹底的に手抜き仕事をしているがゆえの速さではないかと思ったりもする。モスバーガーとマクドの違いといえばいいか・・・
夏のドコモスマホでスライド式キーボードなんかが勢ぞろいすると、ホイホイ〜と飛びつきたくなる不吉な予感もあるのだが(LG端末で出ていることは出ているが、おもちゃみたいだし…)、まだまだアンドロイド界は未成熟。

ガラケーはもう、つけられるものはすべてついたといえるのではないかね?フィルムカメラの成熟感に通じるものさえある。
その意味で、しばらくは「風呂テレビ」やら秘境ハイビジョン撮影やらでガラパゴスを満喫してみたい。



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買いました(むだづかい) | 22:18 | comments(0) | trackbacks(0)
入管モラルハザード


例の、「偽装なんちゃって日本人」の大量生活保護申請、取り消し決定だけでなく、払った分も没収する方針は当然のことで、さて・・・おとなしく返納なさることやら?
トオル知事は異常な生活保護で破綻しかかっている行政を、以前「何やってんですかねぇ」とこきおろしていたが、長年の大甘行政が発覚して、引き締めるようになったのはクニオちゃん市政の業績といえるのではないだろうか。
クニオちゃんは、それまでの垂れ流し(だけではない。血税が、めぐりめぐって裏社会の資金源になっているわけだから)の尻拭いをしているわけだ。腐った雑巾はまだまだ搾れるだろう。

クニオちゃんも怒っていたのが、偽装なんちゃって日本人もどき中国人の入国審査。今日の読売夕刊に出ていたのを呼んで、笑ってしまった。
日本での収入源:生活保護
日本での身元引受人:区役所
と、堂々と書いて審査をパスしていたのだそうな。そこに、クニオちゃんは噛みついている。当然だわな。

この毛の生えた心臓めがけて中国人バッシングをしようとしている勘違いな同胞もいるだろうが、魚心あれば水心というでしょうが。甘い行政が、ふざけた申請でパスするんだと学習させていたわけである。
こういう書類申請、偽装入国を生む「名ばかり審査」も責任重大だ。

移民政策については、法務行政と厚生行政は昔から対立をくりかえしてきた。
水際で移民を制限しようとする法務省と、人手不足な専門職に外国人を受け入れたい厚労省。一方で、生活保護認定を厳しくやれば、法務省に人権救済が申し立てられる。
外国人の年金問題も、押しつけあっている感さえある。

いま、東北の被災地で外国人研修生が一斉帰国してしまい、縫製工場が困っているという報道もあったが、研修生の法的身分は労働者ではないから、劣悪な処遇で搾取されている例(被災地の会社が皆そうだとはいえないが)もある。工員を日本人に代えたら人件費が高くついて・・・と嘆いている会社は、いったいどんな条件で中国人を雇っていたのか?と勘ぐりたくもなる。
経営が大変なのはわかるが、同一労働同一賃金を守れない違法雇用は、社会保険加入や残業手当支給、平等な福利厚生を研修生から求められる訴訟リスクをかかえることになりはしないか?

研修は最大限に延長しても5年が限度とはいえ、その期間内に専門職の資格を取るとか就学して学位を取る等の「実のある研修」でなければ、出稼ぎを次々に安上がりに回して使い捨てることになりかねない。
こういう制度でしかないことがわかれば、裏をかく移民も出てきますわな。親族を呼び寄せて生活保護を申請する研修生とかね。

制度は人をつくる。制度のとらえかた次第で、善人も悪人も生まれる。
あまりにも厳しい看護師ビザ、介護福祉士ビザは、政府としては忍耐強い外国人専門職を期待しているのかもしれないが、実態としては9割以上のフィリピン人、インドネシア人志願者が有期の補助労働に甘んじたあげく退去に追いやられる結果になっている。
厚生労働省は、「厚生」に従事する「労働」者の労働条件についても責任を負っているわけだから、OJTに過度に依存せず、きちんとした養成機関で集中研修する枠組みを整えるべきだろう。

単純労働も原則としては入国目的としてアウトにはなってはいても、実態はどこ吹く風。
インチキ移民は、合法的に働いている外国人にも厳しい目が向けられることになる迷惑な存在だろう。
ならば、養成機関をつくって、人材を厳選しつつ受け入れる方向も選択肢になっていい。選別と育成を、前向きに考える方がいい。

僕の行きつけの店からは蚊さん・腸さんが去り、レジ娘は総入れ替えになってしまった。
あいかわらず、「1000円おあずかりま〜す500円おかえしま〜す」が受け継がれている。概してよくやっていると思うが、ここの「卒業生」は、その後どこで何をやっているのか、気がかりではある。
暗がりで「マサージ」に誘う聞きなれた声なんかに出会わないかと楽・・・いや心配で心配で。




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人間取説之ススメ


児童6人が犠牲になった暴走クレーン車の報道を見ていて、慎重に運転手の病名を隠している社と報じている社があるのは「保因者」としては違和感がある。
一次情報として把握しているのはまちがいないから、なぜ報道しないのか、社の方針は開示されなければならない。特定の病名の報道を隠す理由を隠すことは、隠然とした差別の共犯行為になりかねない。
隠すことは、当座の目くらましにはなっても、問題解決にはならないと思う。

だから僕は、「前触れなく崩れ落ちるように倒れることがあるかもしれませんが、呼吸と心拍が正常なら、おそらく癲癇ですから大丈夫。頭を打ってなければ、数時間後にはケロリと目覚めますから、片思いしてくれている奇特な乙女がいれば、凍えないよう抱きしめておいてねムハハハハハハハハ」と、自己紹介しておる。
色覚も片耳の聴力も、障害認定されようと思えばされるけど、あえてしないし、幸せに生きているから憐れみ御無用、と。

すすんで「自分取扱説明書」を開示しておくことは、無用のパニックや誤った処置を防ぐためでもある。それで差別するやつには、させておけばいい。
共感できる人、冷静な立場で理解できるリベラルでインテリジェントな人、ただ愛情の深さだけ見る四つ足の猫しか、僕の周囲にはいない。幸せな職場、幸せな友の輪である。愚か者をスクリーニングできるよう、天が与えた個性でもあると感謝している。

差別される前に、「危険地帯」「危険人物」には近づかないこと、安全地帯で自分の扱い方を通知しておくのが処世術というものだ。
だから、乗り物の運転をしなければいいのである。免許にこだわるなら、人畜無害なアマチュア無線にしましょう。
とはいえ、僕はマイクを握ったまま昏睡していたことがあるから(苦笑)、あくまでも趣味の範囲で恥をかくまでにしておかないとコトである。CAにもてたい欲情にかられるまま運悪くパイロットになってしまうと、地球規模のリスクというものだ(なんちゃって空軍パイロットのクヒオ大大佐は、その点で正しい)。

コックピットなどは横にだれか補佐役がいるからリスクは少しだけ減るが、一番危ないのは一番身近なクルマだろう。
鹿沼のクレーン君は病気を隠して走る凶器を扱い、薬の服用を忘れていたようだから、二重三重に無責任であるし、犠牲者には心からご冥福を祈るばかりだが、犯人が病気を隠していた背景には、差別をおそれて隠さざるをえない空気があるのも現実だ。

中には、差別を糾弾して欠格条項の緩和など訴えておられる患者団体もあって、それはそれで耳を傾けるべき主張ではあると思いつつ、あえて僕は加担しない。
空を飛べない、深海を自由に泳げない、耳で字が読めない、UFOに乗れない人類と同列なのである、癲癇は。あくまでも僕の中では。

不当な就労差別をする雇用主、学校でいじめる暴君とは、どこかで闘わなければいけない場面はある。
まぁ、闘うといってもただの無知から長いものに巻かれて差別に加担してしまっている例もあるから、それはきちんと教育をして、理解者を増やしていく運動は必要だろう。

リスクは神様が社会に散布して人間の知恵を測っているリトマス試験紙のようなものだ。
先天的な障害はなかなか共感されるものではないが、血管障害の発作、精神障害の発作は万人にとって無縁ではない隣り合わせの世界である。リスクはリスクとして、社会的にシェアする方が前向きではないのかね?
リスクマネージメントが、人の排除と直結する回路が断ち切れないことこそ問題なのである。

もし僕が学校や企業の管理職なら、だれかがどこかで発症するかもしれない疾病について、その処遇を組織全体で教育研修しておくね。排除しつづけると、人材がいなくなる。「いつか自分もそうなるかも」と想像できる人材は、組織の知恵を見ているぞ。
癲癇、脳卒中、心臓発作のハイリスク従業員がいれば、点呼の際に薬を服用してもらう行動を確認すればいい。現に、パイロットやバス運転士は、点呼の場で呼気のアルコールチェックをしている(まともな会社では)。

それじゃー刑務所みたいだと責められても、実のある点呼をすることこそ労務管理というものだろう。自己管理、自主申告にまかせておくのは、雇用主の無責任ではないだろうか(人身事故や労災が起きれば裁判で追及されることになるだろう)。

報道機関が妙に隠すのは、クレームをおそれての「無難主義」が見え隠れしてしかたないのだが、クレームに予防線を張れたとしても、脳卒中や心臓発作で事故を起こす運転手はあいかわらずいるし、飲酒運転もなくならない。飲み屋のクレームで、飲酒事故を隠しますか?高血圧者のクレームで、運転手の心臓発作を隠しますか?
そんな「肝心なことを報道しない報道」は、報道になっとらん。
ちゃんと報道してこそ、「きっちり健康診断を受けておこう」「飲んだら乗らない」「認知症になれば免許は返納しよう」と行動学習するのである。まだまだ不充分だとはいえ。

ナチュラル・リスク=天賦の障害・疾病と、ヒューマン・エラーとは区別して、対処法をきちんと社会的にシェアしておいた方がいい。
罪も憎まず、ましてや人も憎まず、適切にリスクを管理できる社会であってほしいし、そこに健常者も当事者も参画するスタンスが理想ではある。健常者も保因者も、それぞれ個人としてすべきことがある。
対決するのも、いわんや「隠れる」「あぶり出す」「隔離・排除する」のは賢明なありかたではない。



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