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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
栴檀は双葉より芳し


小学校の同窓会は初めてだった。
僕は寸前に「中退」してしまったが、我々の学年がちょうど創立100周年生だったのと、人生ジャスト半世紀というキリのいい年なので、話が持ち上がったようだ。

37年もたつと、正真正銘のオッサンとおばさん。祖父母になっている達人もいた。でも自然と童心に返るもので、速攻ワープする。
僕は後ろ髪を引かれつつ転出した部類なので、よけいに懐かしい。農家の子にいじめられ、ホームシックならぬスクールシックにさいなまれていたから、よけいに。

都心の小学校なので、地元に残っている卒業生も多い。商店主のご子息は、ローカル情報もちゃんとおさえていて、記憶の糸をつないでくれる。
面と向かったとたん、「おぉ、ちびくろサンボ!」と思い出してくれるやつもいた。
「おまえ、よういたずらして怒られてたな。山陽新幹線の開通の日に、タダ乗りして新聞沙汰になってたやろ」
「ちゃうちゃう、あれ弟やって」
「もうスカートめくってないやろな」
「去年きっぱりやめました!」
とまぁ、「悪ガキ」タグで思い出してもらえるのはありがたいことである。

いつもニコニコして路傍のひな菊のようにたたずんでいた女子は、幸いほとんど変わらずに列席なすっていた。
「**さんって、癒しキャラやったよな」と、ご本人を前に他愛もなく花を持たせると、
「そうかー、おまえも好きやったんか」と横槍が入る。
「好きとか、そんな邪悪な気持ちちゃいま!」
「俺も好きやった」
「だから、好きとか初鯉とか、ちがうって!!」

けっこう迫力のある熟女に皆さん成長なさっていたので、ラブアゲイン・シンドローム云々には結びつかない、タイムマシン同乗者たちである。大学生の母になっている令嬢、出戻った娘と同居している御陽気なおばーちゃんもいる。屈託なく酒を酌み交わして、「その後の人生」を紹介しあうが、とても語り尽せない。

男どもは、ガキ大将はガキ大将のまま、秀才は秀才一直線だった。わかりやすい。
「俺も、僕も、お前の腰巾着やったぞ」と指摘されて、ごめんなさーい!!と謝るガラス屋の息子は、いまや立派なパパである。

灘・六甲進学組は、全国か世界の第一線で忙しく活躍されているのか顔を出してなかったが、目の前にも博士、社長、教授がズラリ。
通っていた塾の息子がいたので、
「もうちょっと塾で真面目にやってたら、出世できたかもしれんなぁ」
とグチっておいた。責任転嫁である。

光化学スモッグ注意報が続出する当事の環境で、小児喘息に苦しみながらガリ勉をしているのがよかったのかどうかは、なんともいえない。
塩屋か三木か、いくつか選択肢があった転居先の中から落ち着いた新天地でそれなりに楽しい友人もでき、健康体になって野山で遊び、平凡な進学をする。

それが、おぉ、ここですれ違ってたか!?という交点をさぐり当てた同級生に、二次会の後お茶に誘われて語り明かした。
やはり秀才クンは秀才一直線だったが、イヤミのない穏やかな紳士ぶりも変わらない。80年代ニューアカ時代にはやっていたトーマス・クーンが来日講演にくるというので聴講に行った京大で、そのとき彼は経済の博士課程に学んでいたのであった。奇遇やねぇ…

国際金融の最前線でキャリアを積んでから最近になって大学に転職した彼とは、専門は違っても、往年の大学、いまどきの大学、未来の大学について丁々発止。僕などは単発でマイナーな大学に出講する程度でしかないが、今の日本の大学のありかたについて、アウトサイダーの目線はいくつか共有できた気がする。
また今後も情報交換しようぜ、と名刺交換して、お互い午前様になるころ再会を約して別れる。
実りある同窓会だった。

仕事とからむ接点も実りではあるが、何度も引っ越しをして根無し草の気分でいた渡り鳥にとっては、同級生たちの恐ろしい記憶力のおかげで「係留点」につなぎとめられた実感はひとしお。
その係留点を「選挙区」にしている同級生は(たまたま)いなかったので、生臭い話も出なかったのも幸運だった。風化しかかっていた世界が、霞が晴れるようにくっきりよみがえってくる。

まぁ、これから「君は神を信じているのか?」「洗剤は何をお使い?」「うちの店にきてきて」という連絡が舞い込むのかもしれんが(笑)、もう耐性はできている。
いい意味で、大人ばかりだしね。

「結婚しちゃったの?」という筋の妖しい探りは、今のところさっぱり受信していない。あったとしても、この筋の耐性はないので困るが(笑)、ほとんど初対面に近い新鮮味すら覚える熟女のお歴々は、同じ係留点でつながれている間柄だから、飲んで四方山話に花を咲かせるには申し分ない「愉快なおばちゃまたち」だ。
「次は卒業40周年、その次は還暦記念で集まりまひょ」と提案すると、「こわいなー!」と笑いながらも、目を輝かせているのもキュート。
僕は孫のような長女を抱いて、披露できますことやら?



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こんな日でした(日記) | 17:17 | comments(0) | trackbacks(0)
ナビ子を求めて


決して測定マニヤではない・・・はずが、新車にナビをつけようか、山歩きに高度計だけでも心もとないし、紙の地図がすぐ古くなってしまうし、と追い風が吹いて、GPSを物色中。
ケータイについていることはついているのだが、地図と連動させようと思えばパケホーダイにしないと悲惨なことになる。そのためにプラン変更すると、月4400円で年5万円はバカバカしい。2万円台から、GPS専用機が買えるわい。

PHSにも、生意気にGPSがついているようなので、アプリをダウンロードしてみた。PHSの方を3G定額にしているので、追加料金はない。
ところが、連動する地図がアメリカかどこかのわけのわからんサーバーで、もちろん英語だし、地元の地図に軌跡も描かれるのだが、とんでもなく古い!
JR元町駅をかすめて鯉川筋という坂道が南北に通っているのは、昔々その名の通りの川が流れていたのを埋めて道路にしたのだが、埋めてない時代の地図が出てくるのだ。僕が物心ついたころには、もう元町に向かって川なんか流れてなかったから、いったい、何十年昔の測地やねん!と突っ込みたくなるほどの「遺跡地図」である。
我が家への道も、山の途中で切れておる。ほほー、人里ではなかったわけですか(苦笑)。

ある意味おもろい古地図で、GPSに連動させるのもオツな味わいがあるが、見知らぬ土地のガイドには使えない。
最新のヤホーかググルの地図を取り込むこともできるはずだが、あれこれいじっても無学なワタクシにはお手上げ状態。だみだこりゃ。

それに、歩いて軌跡を描かせているだけならおもしろいが、1時間で10%ずつ電池が減る。10時間で空になるペースである。
おい!これはGPSではなく、そもそも電話機でっせ。
オマケの機能で電池が空になるなんて、本末転倒。

そんなわけで、やはり専用機かな?と思いなおしているところだが、カーナビをつけて「道おぼえられんようになったわー」とぼやいている身内もいたし、道を探す能力がGPSを操作するテクニックに置き換わるようで、ちょいと悔しいではないか。山道で必死にハンディGPSの画面をにらんでいる登山者も見かけるが、まわりを見ろまわりを!と檄を飛ばしたい気もする。

地形図を読んで、方位をとらえ、移動距離、高低差を頭と体で把握するスキルは劣化させたくないな…と思いつつも、どんぴしゃで緯度経度が出てくるGPSもありがたい。
地図は国土地理院の紙のやつでいい。広範囲が見えるし、電池もいらないから。
ただし、悩ましい声で「そこです、そこ!」「そのまま、お願い」「そっちはイヤ!」とナビゲートしてくれる声は紙からは出ない。

シーナ誠さんのカーナビは「ゆう子」と命名されているらしいが(笑)、持ち歩きタイプで、しゃべる徒歩ナビなんかあるのだろうか(聞いたことがないが)?
地図がしっかり頭に入って、渡り鳥のような方位感覚を持つリアル「ゆう子」さんがナビ補佐をしてくれるなら最高なのだが・・・
女性に地図を期待するのは無謀かもしれませんな(パン屋さんマップは恐ろしいほどインプットしているのに)。



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こんな日でした(日記) | 13:34 | comments(0) | trackbacks(0)
投げ続けるためにも、投げたらあかん


アスリート人生の転換は難しい。
伊良部秀輝の右往左往は、他人事とは思えない元野球人、元力士、元ボクサー、元メダリストは多いと思う。
メンタルな弱みは人それぞれだろうし、精神科医でさえわからない闇をかかえていたにちがいない。
生い立ちに対する差別や、豪放磊落な一面へのバッシングも、大器を追い詰める一因だったと思うが、伊良部は生れ落ちたときから、何かから追い詰められ、何かを追い求める人生だったように見える。

出自は変えられないから、人それぞれの十字架を背負って生きるしかない。伊良部が生きのびる場として、野球は正解だったと思う。
ただ、やはり引退後の「人生後半」は長い。球界も、解説者、コーチ職やマイナーリーグの道もあるとはいえ、慣れない事業経営に手を出して負債をかかえて追い込まれている元プロは多い(掛布さんも大丈夫か?)。

人生で一番多感な時期を野球に捧げ、甲子園で「終わり」を悟って潔く方向転換すれば、余裕で挽回はできるだろう。
かりにプロに進んで一生食っていける金銭を手にしたとしても、それで「人生あがり」にはならない。自称コンサルタントだの共同経営者だの仕掛人だの、魑魅魍魎がたかって食い物にしようとする。
別に公認会計士や税理士の知識を身につけろとはいわないが、足りないところを補うメンターがいた方が安心だ。現役なら球団が人材として守ってくれるとしても、「戦力外」になったとたん、戦力ではなく資産をむしり取るヤカラが待ち構えているから。

野球もサッカーも、チームプレイである以上に、組織と業界あっての選手だから、独立して金をかせげるブラックジャックはありえない。
才能のマネージメントは、雇っている会社まかせ。お払い箱になると、芸能プロダクションに移籍できればいいが、財務も法務も営業もズブの素人が一人でかかえこむと大変だ。
「人生は野球」だったかもしれんが、「世の中は野球ではない」のが現実なのだ。野球をスケートに代えてもサッカーに代えても相撲に代えても同じ。

だから、引退アスリートのためのマネージメント・スクールと、就職先としてのクラブスポーツの裾野が広がってほしい。桑田真澄のように個人でキャリアアップを図れるアスリートもいるが、桑田は現役のころから戦略的に人生後半を考えていた稀な存在で、燃え尽きてしまうプロの方が多いのではないだろうか。
やはり法とマネーと教育スキルは、何歳になってからでもいいから系統立った教育を受けないと、ごっつぁん体質で腐った某財団の轍を踏むことになりかねない。

文明開化の時代には、武道の近代化のために、講道館と、引退後に食っていける資格を創設した立役者もいた。教育システムと、社会評価される資格化というのは、「先見の明」があった証し。
その曾孫はバリバリの競技スキー選手でもあったが、きっぱりと学者の道に進んだ。机を並べたとはおこがましくていえないほどの才媛であらせられたが、気さくな姐御でもあった(アスリートとして食っていくそぶりを見せることもなかったが)。

文武両道は、「どっちつかず」ではなく、潔さなのかもしれない。

野球の世界、サッカーの世界は、世代交代で人材を使い捨てしていくだけなのか、それとも裾野を広げるための第二の人生をちゃんと用意できているだろうか。
引退ではなく、TVに映らなくなっても死ぬまで現役でいられる指導者の道の方が、息の長い闘いになるから、やりがいはあると思いますぞ。




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スポーツ | 15:04 | comments(0) | trackbacks(0)
またひとつ巨星堕つ


交差点で立ち止まっていると、新聞を運ぶ台車が横について、一番上に「小松左京さん急死」の見出し。
日本のSF界の巨星が散った。

小松左京さんの存在は、万博の仕掛人としての印象が強い。SFそのものの未来都市には何度も遊びに行き、それはもう、夢見心地の世界に遊ばせてもらった。
一方で、万博から3年後に代表作の『日本沈没』を出したのは、高度成長で浮かれ調子の日本に黙示録をぶつける思惑もあったのだろうか。今となっては、憶測するしかない。

ふくよかぽっちゃり属(?)関西系文人の開高健にどっぷりのめりこんでいたので、ベ平連つながりで小松左京を知った僕は、小説家としての小松左京は知らないままだった。むしろ、SFは筒井康隆の軽妙な作品群を受験勉強の合い間を縫って追いかけるのに忙しく、『日本沈没』は映像化されているのを後年テレビ放映で知ったぐらい。
筒井康隆の『日本以外全部沈没』は、原作を読んでないにもかかわらず、パロディーの妙に爆笑させてもらった。

大学に進んでから、岡本太郎、梅棹忠夫、高田宏らが連なる人間山脈に小松左京がつながり、書棚に鮮やかな星座が見えてきた。
政界に遠い関西の地の利あってか、派閥争いのような生臭い権力闘争に明け暮れることもなく、独特な宇宙を築いておられたと思う。

旧制三高カルチャーは、不思議と庶民との垣根が低い。会いに行こうと思えば、わりと身近なところで接触できるのもありがたい。
学会でお会いした梅棹氏も、博物館で何度か懇親の場を分かちあってくれた河合雅雄氏も、若手や素人同然の同好の士に胸襟を開いてくれて、フラットな対話を厭わなかった。

小松左京という人物そのものがひとつの銀河で、文学者にして批評家、プロデューサー、脚本家、都市プランナー・・・と多面体そのものの顔を併せ持っておられた。
こういう巨人は、昭和の人間文化遺産ともいえるのに、幸か不幸か大学人でなかったために、後継者がいない。
それでいい。
大学にいなくても自由闊達に「野生の知」が交流しあえることを証明された関西系文人は数多い。
その象徴であった一人を、失ったわけだ。
ご冥福を祈りたい。



こんな日でした(日記) | 21:58 | comments(2) | trackbacks(0)
韓流洗脳ではなく和風低脳


宮崎あおいの旦那(という肩書きがつきまとうのも気の毒ですな)発言が波紋を呼んでいるようで、山本太郎の原発発言とはちがう意味でTV界から干される可能性も取り沙汰されている。

そもそも、TVで食っている俳優なのかどうかは横におくとして・・・
「洗脳」されているのは業界の方なのか、Kポップ、Kドラマの消費者なのか?と考えると、「あおい夫」の忸怩たる思いは、ファンの方に向けられているのではないだろうか。
まちがっても、たとえ事実であっても、「消費者が悪い」とはいえないのが、「お客さま神さま」業の宿命で、いえるのは批評家。役者は芝居で勝負、歌手は歌で勝負、批評家はモヤモヤした国民が溜飲を下げるような言論で勝負である。

KポップはAKBよりは質が高い気もするのだが、あおい夫がモノ申したいのはドラマの方だろう。
こちらは正直まともに見たことがないし、和風ドラマも見ないので、僕には日韓を比較して云々することはできない。
日本の消費者が、莫大なジャパンマネーを韓国に献金しているのは確かで、それだけ日本のドラマが飽きられている証しでもあるから、韓ドラ叩きより和ドラの質を高めていくのが筋だろう。

和ドラのプロフェッショナルもの(医者もの、教師もの,etc,etc)をちらりと見る限りでは、売りこみたい役者あるいはジャリタレのクローズアップ場面が多すぎる上(プロダクションから、露出時間を1秒でも多く!とねじこまれているのだろう)、画面が止まっとる。
絶え間なく、複線の時間が流れているのが組織の人間模様ではなかろうか。
ナースステーションは、皆もっと動いてまっせ。
医師はしゃべりながらも、機器を操作して、メスをふるって、血がしたたっているでしょうよ。
わっかりやすい権力闘争に明け暮れている法人が、そんなにあるもんかね?

とまぁ、難癖つけようと思えば1分に1つ以上は難点が見えてくるので、筋書きを楽しむどころではない。アラ捜しは悪趣味だと思いつつも、アラが見えて見えてしかたないもので…。
学芸会レベルのドラマは、もう完全につくりものとして割り切って見るしかない。あまり真に迫った政治ドラマなんか放映すると、民放はつぶされかねない。キムタクのような「絶対ありえねー首相」がかっこつけている分には、人畜無害なのだ。

韓ドラには、こんな堕落はないのかといえば、そんなこともないと思う(あくまでも邪推)。
むしろ、実社会では笑ってしまってできないようなアクション、正気の沙汰ではできないようなプロポーズ(まぁプロポーズは冷静にはできませんが)を、恥ずかしげもなく放映している韓流ドラマこそ、TVらしいといえばTVらしい。
わかりやすい意地悪がいて、わかりやすい鬼姑がいて、わかりやすい家父長がいて、わかりやすい白雪姫がいる。
でないと理解できない視聴者が五万といる現実に合わせて、和ドラは東京ラブストーリーに戻りましょう。
久々に、大爆笑したいし。




こんな日でした(日記) | 23:04 | comments(6) | trackbacks(0)
節電マダム電鉄



結局、すったもんだの節電要請にこたえて、阪急電車が間引き発車した。神戸線の鈍行で。
車両を減らすだけでも、4%かそこらの節電にはなるそうだ。

それなら、最初から間引き編成を標準にしておいてもよかろ?と思えるのが神戸線のガラガラ鈍行だ。
さすがに、朝夕は登下校ラッシュになるから無理があるとしても、昼間は実にのどかなすき具合だから。

今は阪急が年に一度乗るかどうかの縁遠い私鉄になってしまったが、学生時代までは毎日の通学の足。当時は西宮から神戸まで、特急だとノンストップで15分弱だから、便利に乗っていた。
あまりにも手軽で便利だから、あえて鈍行に乗って、全然ちがう気分も楽しめた。途中下車する用事もなく、ただ車窓風景と、駅ごとに少しずつ入れ替わる車内の空気を眺めていただけだから、いまだに岡本や御影、芦屋川や夙川あたりのハイソな街(?)は別世界でござる。

こういう駅は、特急を停めずに独特なローカル色を残しておいた方がいいと思う。家の評価額を上げたいがために特急を停めろと要求するセコい住民もいないだろうし。
御影から王子公園までとか、六甲から夙川へと、阪神間山の手のローカル駅間を乗り降りしているJKなど、なかなか気品があるというか、暴れる・騒ぐ・いちゃつく姿なんぞ皆無な、可憐な花であった。
お勉強や読書などしている子には、清楚を超えて静謐な空気が漂っていたりする。これが、阪急神戸線鈍行文化なんですな。

この鈍行電車が8分の6に短くなったわけで、清楚な密度が上がるわけだ。これはいい。
真っ昼間は、JKに毛が増えたぐらいの学生や、「JD」時代の名残り=執着を漂わせている主婦層の足になっているから、ちょっと「成分」はちがってくる。
昨年、楽しく読ませていただいた『阪急電車』の有川浩さんには、『その後の阪急電車』『阪急電車マダム篇』も出してほしい。
やらしいファンタズィーとサスペンスが入り乱れているのが、阪急電車のいいところだから。



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こんな日でした(日記) | 22:49 | comments(4) | trackbacks(0)
哇靠!不是吧!真的吗?


和階号、やりよるなぁ・・・派手に事故って、車両は高架橋から引きずり落とすわ、証拠物件は重機でぶっこわしてしまうわ、あげく土に埋めてしまうわ、鉄道省は証拠隠滅やりたい放題
たった1日で運転復活させる高速ぶりもすごい。
こういう事故と処理のしかたこそ、国際特許を取ればいかが?とイヤミも出てこようて。

パクリのパッチワークで粗製乱造した中華鉄道には、危ない噂が絶えなかった。
鉄筋を抜いているとか、コンクリートの配合がでたらめだとか、ATSはぶつけて止めるシンプル・スタイル(!?)だったとか。

それに、職員の個々のモラール、使命感、倫理観だけでなく、組織内の信頼関係やシステム全体の連携の妙が問われる仕事だと思うのである。鉄道は特に。
まだエアラインだと、管制塔とヒコーキのどちらかがええ加減でも、独断でピンチを切り抜けるような離れ業はあるのかもしれない(エア・パニック映画の見すぎか?)。チャイナ気質に向いている。あと、タンカーに人を詰めて運ぶような「海運」があるとすれば、会社も客も抵抗がない。

鉄道は違うぞ。
阿吽の危機対応が、被害を最小限に食い止める。新幹線が橋の上でオカマ掘って死屍累々なんて、JRだと考えられない(これからも、油断は禁物だが)。中華新幹線は、あぜ道をハイヒールで走るようなものだったのではないでしょうか???

と、えらそーに論評して(夜勤帰りの電車で打ち込んで)、さて続きは帰って打つか・・・と、ひととおり買い物をすませて袋をさげ、ヒーヒー坂道を登って帰宅した!
したら、愛車がない!
そうか。今日だけは昼の出勤時に駅まで乗って駐輪場に停めてあったのだった。
トホホホホホホ
自己嫌悪も絶望も抑え、淡々と駅まで引き返し、愛車にまたがって家まで戻ってきた。
気分的に、どっと疲れた。
鉄道マンには向いてない。




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こんな日でした(日記) | 23:30 | comments(4) | trackbacks(0)
ブルー霊


記念すべき地アナ最終日イブ。ヨドバシカメラは、メッカに押し寄せるイスラム教徒のごとく、怒涛の駆けこみ寺になっているのでは!?!?
とヤジ馬根性丸出しで視察してまいった。

別にわざわざでもなくて、BD録画機を物色しに行ったついでにとなりの売り場を横目でうかがっただけ。5月に僕が並ばされた長蛇の列がウソのように、最終日イブの昨日は不思議とすいていた。
BD売り場も、まーまーの混み具合か。なんだか盛り上がり感に欠けますな。ちょっと拍子抜けしてしまった。

S-VHSレコーダーが多機能を競いあっていたころ=ちょうどバブルなころは、もうカタログを見るだけで目移りしまくった。フライングイレース・ヘッド、VISS/VASSスキップ、TBC、CM検知・・・よくまぁ、アナログビデオで、多機能をてんこ盛りしたものだ。

高橋ひとみのアップだって静止する。いいねぇ。
静止画にしても、安物ビデオは震えまくるが三菱のTBCはピッタリ止まるだけで感動ものだった。
VHS時代の録画機は、「おとーさんのマシン」だった。トラッキング調整だの録音ボリューム調整だの、ツマミもいろいろついていた。おとーさん族は、つまみ&おつまみ&つまむいたずらが大好きなのだ。
高橋ひとみだけでなく、いろんな人を止めたりスローにしたりコマ送りにしたりして楽しんでいた(笑)。

それが、いまどきのBDレコーダーはたるんどる!
ネット連携やダビングの便利さを打ち出しているようだが、わたしゃ愛ポッドにビデオを持ち出したりする趣味はないのだ。
コンテンツを自在に編集できてこそのデジタルコンテンツでしょうよ。なのに、カット/ムーブ編集できる機種が見当たらないんですな、少なくとも売り場には。客のニーズがないのだろうか。

いまどきの録画機は、子供と主婦とシルバー御用達のひまつぶし家電になってしまった。
動画編集などは、PCでやってくれということだろうか。
ジョグ&シャトルダイヤルも、リモコンから消えて久しい。

DVDレコーダー初期のDIGAのリモコンにはちゃんとついていたから、その古いリモコンを2世代目の現行機でも使っているのだが、便利なんですがねぇ・・・。おもちゃのようなボタンが間延びして並んでいるだけの最新リモコンを見ると、フレーム単位でカット編集をしたりするユーザーがいなくなった証しなのか?とも思う。
同じパナのBDでも使えるのか、次はジョグシャトル・リモコン持参で売り場に行ってみようかと作戦を練りなおしているところだ。変な客だとうさんくさい目で見られること覚悟で。
早くブルーになりたい…



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こんな日でした(日記) | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0)
あんまり中身のないランキング


高3生に人気の大学ランキングを見ると、想像を超えて夢も希望もない結果が出ていた。
単純に考えると、「どこでも選んでいいよ」といわれて東大、京大と答えるのは自由だ。なのに、トップ3には入らない。不思議なことで。

もしかして、読んでますな。「東大卒」で就職すると、期待に押しつぶされるシナリオを。
さよう、ワタクシにもし東大京大卒業生の部下がいれば、「なんでもできて当然だよなー」と重圧をかけまくる(笑)。
期待に応える伸びシロあってこその産業戦士でしょうが、と。

無難に(?)関東の人気トップは明大。
個人的に、好印象も感じるリベラルな大学ではある。西田敏行や北野武のOB威光は、今の十代には通じていないだろう。
上智、青山、ICU、立教の"J-Air"4ミッション大は人気がない。往年の高偏差値JKが、こぞって箔をつけるためにめざしたブランドであったのに。
関西は関大が人気1位で、これも意外といえば意外。男子スケート効果でないことを祈りたい。

識者がいろいろな角度からコメントしている(オリジナル分析ではない)動機説明によれば、「いまどきの高校生」には郊外転出キャンパスより都心型キャンパスが好まれ、また学生の面倒見がいいこと、就職に有利なことも決め手になっているらしい。

キャンパスの立地は、住所を見ればわかるから、東京の大学だと思ったら埼玉県だったとか、京都のはずが琵琶湖のほとりだったとか、脱力するような郊外は最初から避けるようだ。
これは正しいような、浅いような・・・

郊外が大嫌いな僕は、京大は吉田にあってこその京大、東大は駒場と本郷にあってこその東大だと思う。
もちろん、帯広畜産大学が札幌キャンパスで学生集めをするようなパターンはあってもいいが、「琉球大学新宿キャンパス」なんて(万一あれば)ナンセンスでしょうよ。
だから、明大は神田駿河台にあった方がいい。都心回帰、成功ですな。慶応は三田に、早稲田は新宿に集約した方がよろしくないか?

高校生ならではの読みの浅さは、何が就職に有利に働くか?の推論回路だ。世間知らずの高校教諭がぼんやり噂で聞きかじったことを受け売りしているだけなのか、カラフルな大学パンフレットに手前味噌コテコテで書いてある「万全のサポート態勢」を鵜呑みにしているのか?

就職100%を数値の上で達成するのは簡単である。毒にも薬にもならない企業の内定をあてがって、集計を締め切ってから辞退させれば内定獲得としてカウントできる。こんな数字操作を、就職実績とは呼ばない。
本当に就職指導が的確で、卒業生も持ちこたえているかどうかを測るには、5年生存率(笑)が、信頼性できる指標の1つになる。
そういう意味のあるデータを開示して、大学は競いあってほしいものだ。

そこを見て進学先を選ぶ高校生が増えれば、希望の種火にはなる。
まぁ、就職に結びつかない勉強や社交に励んでこその大学生活なのだが・・・悠長なことは言ってられない、世知辛い就職難の時代だから、無理もないか。




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こんな日でした(日記) | 23:50 | comments(2) | trackbacks(0)
水着柄のタトゥーでスッポンポンは可?


神戸市民の憩いの場が、闘争の場になるのか…?
「ビーチで刺青露出禁止」の条例が本格運用されはじめた夏休み、店によっては商売あがったりになっているようで、さて矛先をどこに向けるか。
商売vs役所の対立になってしまうと、「共通の敵」がぼやけることになるぞ。

それに、なにも人権を持ち出さなくても、客足が遠のく=売り上げ減どうしてくれる!とホンネを叫べばいいのだ。表現の自由に言及しはじめると、猥褻と表現のボーダーラインは終わりのない闘いだし、フリチンとタトゥーのどちらが表現の自由ぽいか!?!?と、剛毛の論争(笑)になる。

アートなボディペインティングと、凶悪なボディペインティングの線引きも難しいぞ。
般若のようなおばさんの顔面ペインティングは、ある意味タトゥーより怖い(涙)。

タトゥーを見せたい客+見たい客を失ってでも、タトゥーを見たくない客+タトゥー文化そのものを拒絶する客から指示されるリゾートをめざせばいい。ホワイト須磨海岸は。
そのかわり、タトゥー見せ放題のブラック須磨海岸を設けて・・・と提案すると、路上喫煙みたいな構図になってきますな。これも、あまり賢明ではない。

おしゃれタトゥー(とやら)と、極道タトゥーを一緒くたにするしかない行政の網にも限界はあるから、海岸の商人やタトゥー愛好家(?)も含めた市民会議のような場で、実際に運用できる倫理コードを模索するのが、まっとうなデモクラシーだと思う。
運用というのは、啓発・広報からパトロールまで含めて、ルールを定着させるための行動である。バカなコ娘の「あたし的にはおしゃれタトゥー」にはガミガミ注意して泣かせて、組事務所ご一行様には見て見ぬふりなんてことではイケマセン。

わたしゃタトゥーの心理がよくわからんが、親からもらった体に何か決意のシルシを刻み込みたいなら、腎臓を片方寄付するのでもいいわけだ。その方が立派である。
彫りものをして見せる裏には、やはり自己顕示して、見られてビビらせて陶酔したい気分もあるのではないかとお察しする。

裏社会では、それで「示しをつける」意味があるのかもしれない。
神戸市条例のターゲットは裏社会であって、タトゥーそのものではないはずだから、「見せびらかさなければいい」と逃げ道を設けている。フリチンという表現の自由は、公共の福祉に反するから犯罪ですよ、というのと同じ。

だから、問題をタトゥーに矮小化してしまうと、「裏社会のサイン」叩きゲームに追われることになりかねない。
たとえば、スキンヘッドはどうだ(僧侶がとばっちりをくらう)、注射器型の浮き袋はどうだ、タイマーパーチーという名のイベントはどうだ(時間厳守のパーチーですよ)・・・と、数々の目くらましが海岸に花開く。

海岸の迷惑はタトゥーだけではないぞ。
僕自身は、夏の須磨海岸にはここ数年ご無沙汰しているし、プールという人間洗濯機には何十年も行っていないのだが、場所によってはカメラも禁止しているところがあったりする。盗撮対策として、投網をかけてしまうわけですな。

普通にわが子を撮りたいだけのママのケータイカメラまで監視されるとなると、息苦しい施設やなーと思うが、逆に、あなたのかわいいお子さんを盗み撮りしているロリコンがいますよ、という現実を知れば、野放しにはできないだろう。限定された施設に立ち入る際の合意事項としてとらえれば、不便<安心と納得されるのかもしれない。
ポーチにしかけたピンホール・ハイビジョン・カメラとなると、もうどうしようもないが。

世間には、ロリコンだけではなく、熟専、ポチャ専もいればモッコリを狙うジャニーおじさんもいる(笑)から、タトゥーよりカメラの方が、見えない犯罪を生んでいることは間違いない。見えないから、立件されるのは氷山の一角にすぎないだけで、もう、天然の海水浴場でカメラやケータイを見張るのは不可能だ。

そうしたビーチにうごめく「迷惑の森」全体を見ると、標的にされたタトゥー族が少々気の毒な気はする。どうしても「俺様の体を見てよ見てよ」と誇示したいあんちゃん、おっちゃんは、須磨から少し西の、波消しブロック地帯に舞台を移してはいかがでしょ?
ブロックの影から、ぢっと品定めをしている目が光っているから、見られ甲斐があるってもので。




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こんな日でした(日記) | 15:48 | comments(0) | trackbacks(0)
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