2011.12.31 Saturday
ただのズボラなのと、プリンターがいかれてしまっているのとダブルパンチで、年賀状は手つかずのまま80枚、机の横にたたずんでいる。
年末に正月気分を装って便りを出すのはウソくさいのではないか!?と理屈をこねていたのは若気の至りで、大人になってからは、長いものに巻かれて年末にウソ葉書を製造していた。
罪滅ぼしをかねて、本心で出すのはクリスマス葉書。
喪中葉書をもらった方(の御遺族)には、季節の葉書がぱったり途絶えていることでしょう、と思ってクリスマス葉書を出すのだが、何通か届いた喪中葉書がまとめて行方不明になってしまったので、今年は出せずに過ぎてしまった。
というわけで、「年賀状が来た方に返事を出す」形で手書きすることになってしまった。毎年いただいていた年賀状が来ない人は、全員喪中でござる。
先日、昔の同僚と電話トークしていて、同じく同僚だった民法の先生が奥様の後を追うように遠い世界に行ってしまいましたねぇ・・・と話すと、その経済学の先生は「なんですって!?知りませんでしたよ、どういうこと?」と驚かれていた。
職場が転職でばらばらになると、情報が途絶えてしまうのもしかたない。僕も、しばらく消息を聞いていない元同僚の近況を聞いて驚くことがある。
それに、民法の先生の詳しい最期は、尋ねられても説明できないのが不甲斐ない。
僕の親しかった北海道の叔父が病死して直後に、奥様も後を追うように病死したことがあるので、そういう最期も頭をよぎったし、病気がメンタルなもので、本当に後を追う行動をトリガーしたのかもしれない。だから、あえて詮索する気になれなかった。
元気で便りがないのは無事の便り。というのは、もし何かあったならしかるべき筋か組織から連絡があるということでもあるけれど、情報伝達の回路が簡単に切れてしまうのが現代社会。
便りがないことを元気ととるか、不測の事態ととるかは難しい。
一番わかりやすいのは、嫌われて絶縁に至ったことが伝わってくる「便りなさ」で、これは強い意志の表現であるから、その元気をお慶びするばかりだ。
断ち切ることで元気になれる、成長する、脱皮できる相手というのは、たしかにあるなぁと思う。
男女交際に縁のないワタクシにはよくわからんが、男女の濃い仲というのもそうかもしれない。距離をおけば深呼吸できるような腐れ縁なら、いっそ消してしまった方がせいせいする殿方淑女も多いでしょう。
ところが、消したつもりが、年賀状がフラリと届いたりすることも世間にはままあるようだから、波乱含みですな、年賀状という風習は。
かけもちのくんずほぐれつから、バタバタッと新婚生活に入った某戦艦大和君の家庭には、捨てられ遊ばれた元カノたちから、意味ありげな年賀状が続々と届くことでありましょう(笑)。住所を秘密にしておく作戦を考えておいたかどうかが、勝敗を分けるのである。
メールや電話番号は拒否設定が簡単にできるが、玄関前に待ち伏せされるゲリラ兵には手を焼くから、住所情報の管理は難題だ。
と、世間ではよくある話。
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