2012.10.31 Wednesday
今週は訃報続き。
桑名のアニキは奇跡的に延命した末に、力尽きた。ご苦労さま。
家族のドライな見送りも、さわやかでよかった。
杖を振り回すあのシェケナベイニーが葬儀委員長を務めたロック通夜も、「へー、こんなのもあるんや」と感心してしまった。なかなかいいもんだ。
坊主が踊ってみせると、ロックの真骨頂だった。裕也のとき、やってあげるべし。
昨夜あの世に旅立たれた藤本義一さんは、イレブンPMの顔だった。
さすが文人のMCだけあって、性民俗学のカタログのような禁断の世界を、こっそり見せてくれた。多感な時代に、たまたま近所の山に男根と女陰のトーテムがあったので、妙にイレブンで学んだこととシンクロして脳裏に焼きついた。
VTRもマイTVもなく、イレブンを見るのは命がけ(おおげさ)だった時代が懐かしい。建て前としてでも子供をシャットアウトした大人の番組というのは、復活してほしいものだ。
ラーゲがどうだ、猥褻の定義とは何だ、ヌーディズムの思想とは何か,etc,etc・・・と論じる放送は、今となっては貴重ですぞ。
藤本義一さんの「読者」になったことは実はない。
昔むさぼり読んでいた井上ひさしのエッセイに、放送作家の登竜門を競い合っていたTV黎明期の熱い業界話が出ていた。東のホープは「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさし、その西のライバルが藤本義一だったらしい。
と知っても、藤本義一さんがどんな放送台本、お笑い作品を書いておられたのかはわからない。申し訳ない。もう、「西の文豪」といえば開高健に耽溺していたもので…
そのかわり(にはならんが)、美しいパートナー藤本統紀子さんが、大学の社会心理学の講義を聴講に来られていた。田中國夫教授も話芸の達人でもあったし、お友達同士だったようだ。いや、家族ぐるみのつきあいだったからこそ、笑いと話芸のセンスを藤本家からインスパイアされたのかもしれない。今となっては、田中先生も義一さんも天国で再会して、仲良く談論風発に花を咲かせているだろう。
そして今日、小学校の恩師が夏に永眠されていたことを同級生経由で知った。
幼稚園時代は「なんかよくわからん」混沌時代だったのに、自我が目覚めはじめるハードルになったのが小学校。1年生の担任が、あまり笑った顔は見覚えがない昌子先生だった。
真剣に叱ってくれた親以外の初めての他人が、昌子先生。
60年代の小学校だから、全科目を教える八面六臂ぶりは、それはそれは大変だっただろう。
ドッジボールも強かったし、習字もキビキビ教えてくれた。今から思い返すと、定年間際とは思えない健啖ぶり。
97歳の大往生に、ご苦労さまでしたと弔辞を贈りたい。
おかげさまで、立派に成長しましたよ♪とはとてもいえないのが不甲斐ない。
昨年は7年師事した大教授をガンで見送り、そのたった一人の御令嬢もまた今、ドイツでガンと闘いながら鍵盤を奏でている。
巨木が花や果実をつけて朽ち果て、樹下に集った教え子たちもまた老いていく。
自分は何を遺せるだろうか。
せめて21性器いや21世紀版イレブンPMうさぎちゃんコーナーだけでも制作させていただきたいものだ。
成長してないなー^^;
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