solosolo@JUGEM

そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
性治家と戯会のキャットファイト
 

大阪市戯会はトールちゃんやめろコールでフル勃起していたのに、絶倫感じ長に恫喝されて中折れ。なんだかな〜
出直し選挙になればタマがない。そのへんも、野党の腰砕けを招いた内輪の事情だったようだ。

こんなときこそ、平松邦夫が再来すれば、いい勝負になったかもしれない。
平松さんは「兵隊に風俗を」なんてことは考えてもいないはずだし、大阪の顔としては品格が一段上だ(職員の綱紀粛正は手ぬるいかもしれないが)。

トオルちゃんがどんな思想を持っていようと、もちろん表現の自由は保障されるのだが、政治責任はついて回る。「僕のことケシカランなら落とせばいいでしょ」は常套句だが、だからといって、そのへんのおっさんの酒場トークをそのまま政治家の口から吐き出す浅はかさが免責されるわけではない。ボクに勝てる候補がいますかね?と斜に構えているにちがいない。

おもしろい問題提起はしてくれたと思う。3K新聞のように擁護するメディアもある。
だから是々非々で国民的議論をすればいい。慰安婦問題は、被害者側には何の責任もないから、日本国民の十字架だ。そこはトオルちゃんも(口先では)認めている。

慰安婦問題と現代の兵士の性犯罪をセットにしてしまうから、顰蹙をかうのである。よく調べて証拠資料で裏づけないまま垂れ流して、メディアの誤報だ、誤解だと抗弁する論法こそ、責められているのですよ。
会見の草稿は歴史家をブレーンにして補強し、必要なら調査組織を立ち上げて(大学に委託研究してもいいだろう)、欧米記者に返り血を浴びせるぐらいの実態報告を披露してほしい。

でも、その前に、「ボクの歴史哲学」をこねくりまわすのが首長の仕事だろうか。
政党の党首として勇み足が出たのかもしれない。新自由主義なのか、新古典派なのか、社会民主主義なのか、コーポラティズムなのか、思想的バックボーンがないまま粗製急造されてしまったバブル政党だから、党首がガツンと理念を打ち出さないと統制が図れないのはわかる。

だとしても、粗雑すぎるわな。
よく練らないまま外交関係にまで踏み込んだ発言をして物議をかもすより、まず市政で実績を出さんかい!が有権者のホンネではないのかな。
拡大しそうな大大阪構想は隣接する兵庫県からも堺市からも反感を買い、維新議員は不良続出、国政のパートナーからは縁切り宣言。生き急ぎをせず、地方自治でしっかり仕事をしてみせてくれんかな?

ともあれ、首長を矢面に立たせて叩けば叩くほど、大阪の「ふしあわせ」になる。そんな政党に投票したのは有権者なのだから、天に唾するようなものだ。結局、市長が哂われているだけでなく、有権者の良識が世界に恥をさらしているのである。
参院選後の維新の議席数が、大阪の有権者の民度を示すものさしになりますぞ!








JUGEMテーマ:ニュース
政治 | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0)
孤独でない独身死
 

おととしの恩師の旅立ちで喪主を務められた一人娘さんの訃報が、思いがけず入ってきた。
早すぎる。
お父様と同じ癌で、今月はじめまでは闘病記も次々に更新されていたので、ファンも薄々覚悟はしつつ祈る気持ちでステージ復帰を心待ちにしていたと思う。

音楽と結婚し留学先のドイツにそのまま生活拠点を置いておられたピアノ教師だから、「帰国」する気配など感じることもなかった。
闘病生活は、費用負担こそ少なくすんだようだが、医療者との関係は毅然とするしかない厳しいものだっただろうな、と思える内容だった。大人が大人として遇される国を第二の故国として選び、そこで生を全うされたのだから、立派な矜持だと思う。

リサイタル会場と御実家で何度かお目にかかった程度の面識しかないけれども、歩き方も表情もお父様そっくりで、ピアニストの道も実はお父様の敷いた道だったのではないかと思えるほど、見えない絆の固い父娘だった。

この世代としては珍しく一人娘で、ご自身の子宝の有無は詳しく存じあげないが独身だったので、異色の社会学者の血脈は途絶えてしまった。
大学に入るころ読みふけっていた開高健と、ぽっちゃり体型が似ていたのも、恩師に寄生しつづけるひとつのきっかけになった。卒業で、学生としての師弟関係は昭和とともに終わり、同じ年に開高健も永眠。その開高健も一人娘を残し、独身の一人娘も世を去った。

ともにビッグ・ダディだったのは疑いようがない。
もしかして、ビッグ・ダディと魂が結婚していたのではないかと思えるほどの絆の固さを感じる。やはり独身で永眠した岡本敏子さんも、吹田の喫茶店で「養父」岡本太郎を語る口ぶりは、頬を赤らめて、まるで恋人そのものだった。

父親は娘の彼氏になれないとはいえ、畏敬の念を持たれる最強の男性でもある。不幸にして毛嫌いされ忘却されるパパ族も多いようだが、娘のような彼女(娘そのものなのだが)に看取られる人生は最高にして最期の幸せなのではないか?
あえて、その娘の立場の「最高にして最期」は考えないでおこう。

芸術でもいい、ビジネスでもいい、政治でもいい、生殖を超えた魂の伴侶を手にしたまま旅立つのは幸せだと思う。音楽家は楽譜と一緒に納棺されるのが、音楽家らしい旅立ちかもしれないし、教師はチョークということになるだろうか(笑)。

最期に信仰を選ぶ方も多い。独り身の最期のためにこそ、信仰はあるのだと思う。非婚社会にこそ信仰の意味は大きい。
遺産争族や姑介護嫁がくすぶり続けるような生々しい家族より、独りで桜の苗木の横に眠るほうがいい。これはアウトドア遊び人の原始信仰(!?)である。
と、独りの最期を考えさせてくれるお手本に、静かに手を合わせたい。





JUGEMテーマ:日記・一般

こんな日でした(日記) | 15:24 | comments(0) | trackbacks(0)
渡米したBCL-1
 

B級グルメを喜ぶ大衆心理と似て(?)、B級無線機道楽もある。
B級送信機は公害をまき散らすからクルマの排ガス規制のような縛りがあるけれども、受信機は野放し状態だ。だから、おもしろい。

大人になってみると、あの一世を風靡した憧れ受信機もB級、C級だったか…とわかってしまうのだが、少年のメカ愛をくすぐる「羊頭狗肉」が次々に出てきたのもサイケデリック70年代。
さすがにA級メーカーのトリオ(現ケンウッド)、ヤエスは、しっかりした通信型受信機を出して、BCLラジオ小僧から一皮むけたいラジオ少年が飛びついた。僕もヤエスFRG-7で「高いラジオ」との違いをしみじみ実感していた(これはFrogと愛称がつき世界各地にオーナーズ・グループが健在だ)。

柳の下のドジョウを狙ったのか、初耳のケンテックなるメーカーからBCL-1というのが出て大々的に宣伝されていた。ラジオマニヤの雑誌限定で広告を出していたから、家電としても出回らなかった。
名前がイージーというか、BCLの一番って、そのまんまやなぁ・・・と苦笑しただけで、僕は特に物欲ももよおさなかった。Frogの完成度が高いので、必要なかったし。

機能的には、アンテナ回路の微同調ができたり、ノイズブランカー、選択度切り替えもついていたりと至れり尽くせりで、短波受信のニーズをうまく突いている。
どうも、通信機の老舗トリオのキット部門「ケンクラフト」、輸出ブランド「ケンウッド」からスピンアウトした社員が興したらしいと噂には流れていたが、この一機種を出しただけで消えてしまった謎のメーカーだ。

これが出たころ、とっくに松下さんはデジタル表示をリリースして、もう「針と目盛り」のアナログ受信機はヒットする余地がなかったから、BCL-1も後継機がなくひっそりと消えてしまったのだった。
タイミングが悪くて「売り逃げ」できなかった非業のモデルとしては、BCL-1のほかビクターFR6600なんてのもある。

ケンテック名義ではたった一機種しか出なくても、同型機がOEMで生産されていたのは最近になって知った。
発注者は米国ラファイエット社。BCR-101とオリジナルを彷彿とさせる型番で、裏面の製造銘板にはちゃんとMade in Japanと書いてある。

テレビとラジオはMade in Japanが絶大な信頼を得ていた時代だったが、世界のユーザーは、この日本生まれアメ車もどきの受信機の内部メカを見てどう思ったことだろう。
いまだ、あちこちのマニヤサイトで語り継がれる奇天烈な構造になっているのだ。

メインダイヤルが、ダイヤルドラムを回すための位置におかれ、長いシャフトをつないで糸かけプーリーでバリコンを回す構造は、うーん…優先順位が逆ではありませぬか?
どうも、ダイヤルドラムと同軸ダブルダイヤルが一番のウリになっているようで、この意匠に合わせて部品を配置したような出来ばえなんですな。伝説の奇天烈デザインをぜひ自分の目で見てみたかったのも、購入の(不純な)動機なのであった。

今さら中身に文句をつけてもどうにもならん。要はちゃんと受信できればいいのだ。
シャフトが曲がってしまうとか、糸がカラ滑りするとか、いろんなトラブルは含み置きで、わたしゃポチったのでござる。完全アナログ機だから、壊れてもある程度までは自力修理できる(と思う)。
幸い、信頼出来る専門店に注文したせいもあって、なかなか精度が高い完動品が届いた。
火入れ式完了。

メインダイヤルは右に回すと周波数が下がるのに、スプレッドダイヤルは右回し→周波数ダウンとトンチンカンな設計になっているのはご愛嬌。
一応マーカーもちゃんと発振しているし、中波短波を問わず効く帯域切り替えも、「微効果」はある。ほとんどトーンコントロール代わりだが。

ラジオとは違う受信機でラジオ放送を聞く物好きにはとやかくいう資格はないのだが、よくいえばカチッとした硬質な音で、悪くいえばくつろげない(苦笑)。まぁ、このへんは普通のラジオで楽しめばいいわけで。
メカメカしていて、ラジオ少年のハートをくすぐるパネルデザインは、悪くない。なんといってもドラムダイヤルのインパクトは強烈だ。スカセン6800にもついているが、あちらは優等生すぎる(笑)。
買ったやつは内部改造されているようで、メーターがオリジナルの豆電球、ドラムダイヤルが青色LEDで照明される仕様になっていた。電球色の方がレトロ感はあるのだが、まぁこれぐらいの手入れは許容範囲内でしょう。

新しい受信機を仕入れても、結局いつものAMを聞くだけのラジオにしかならないのは不甲斐ないところだが、外部アンテナをつながないとウンともスンともいわないのが「受信機」のゆえん。ベランダアンテナが厄介な課題である。
やっぱり、アンテナ内蔵で電池で鳴るラジオがフレンドリーでいいですな。











JUGEMテーマ:日記・一般
買いました(むだづかい) | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0)
生き急いで死に急ぐなかれ
 

三浦雄一郎さんにあこがれた登山家おばちゃまは、周到な計画を練っていただろうし、雪崩なのか体調不良か、死因は諸説あるようだが・・・登山歴10年ちょっとで8000m峰は、ちと早いのではなかろうか?が素朴な感想。
「7大陸最高峰に最年少で」なんて記録更新に躍起になる学生登山家はときどきいるが、何をそう生き急いでしまうのか?
死者に鞭打つつもりはありませんが。ただただ、ご冥福を祈るばかりだ。

30年タラタラ登っていても、わたしゃヒマラヤなんか雲の上だし(当たり前だ)、もう穂高岳がエベレストみたいなものだ。
元気で生還してこそ次があるわけだから、ポクポク細く長く山を散歩できれば幸せですな、個人的には。

山好きと山嫌いをはっきり線引きしてしまうのが、学校行事でやっている金魚のウンコ登山。小学生が遭難してしまった。
80人も数珠つなぎになって、果たして深遠な大自然や登山の真髄に触れることができるのかどうかは疑問で、監督不行き届きの責めを負うこと必至。子供から目を離すな!の一語に尽きるわな。

たとえば5人ずつぐらいの班に分けてガイドをつけるぐらいの細かな引率をしないと、今回のように何時間もたってから「二人足りない」と気づく失態をやらかす。「勝手に道それるなよ」と諌める子も、「せんせー、○くんと△ちゃんが脇道に入ってったよ」と報告する子もいなかったのか?
この同級生集団のドライなところも、気がかりではある。こういうクラスは、今度は臨海学校でだれかが沈んでも、先生が点呼をとるまで沈黙しているのではないだろうか。

結果的に生還したのは不幸中の幸いで、皮肉にも一晩ビバークした二人が、だれよりも山の醍醐味(?)を身にしみて学んだことだろう。
いや、ゲッスい大人は「もしや小さな鯉の物語り、とシケこんだのではないかないかないか!?」と疑ってしまう。このやろ、ニクいね!と(笑)。

日が暮れて寒くなる、夜露でシッポリ、ガタガタガタガタ・・・わたし、ユウジくんをあっためてあげる!
なんて場面は、関根恵子と篠田三郎の映画のワンシーンそのものだ。
ま、11歳でホップ・ステップ・ジャンプするのも少々早まりすぎ。せいぜい、
「近道知ってたんちゃうのユウジくん!」
「ごめん、二人になりたかっただけやねん」
「なんやのん!あんたとは離婚や」
で破談になるだけ。あぁ、ナニワの小さなカップルですなぁ。

この二人が、これから思春期に入り、固い絆で結ばれているかどうか、ヒマなメディアは追跡取材していただきたい。
娘の親が「あんな子とつきあっちゃイケマセン!」と横槍を入れると、かえって本人たちは燃え上がるから、密会の場所は山。テント貸してやろうか?(笑)

無断外泊した夜があれば、きっと二人でハプニングを装ったビバーク・デートをしていることだろう。
発見されて、「このテント、どうしたの!?」と追究されると、けしからん大人としてワタクシが矢面に立たされる。クワバラクワバラ
布一枚の愛のホテルは、二十歳になってからにしましょう。




JUGEMテーマ:ニュース
こんな日でした(日記) | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0)
新大阪リニア駅への布石?
 

新大阪駅の2階は、改札もバスターミナルもないから、純商業ゾーンといえるだろうか。まるで新大阪デパートといえそうな、何でもありモール。

この店たちが、改修工事のため今週いっぱいで閉店と予告されている。休業でも仮店舗に移転でもなく、軒並み「閉店」!
これは一大事でござる。

新幹線で来阪した旅人は、3階で下車してさっさと2階に下りて乗り換えてしまえば、別に駅構内にさほど思い入れもないだろう。
けど、在来線と地下鉄を利用する地元ネイティブにしてみれば、ここはもう、駅ではあっても我が街みたいなものだ。

エキスパートのいる書店は、ミヤテツさんも御用達。
ドトールもあって和洋中の食堂もあって、なかなかバランスがとれている。2階だけで生活できなくもない。

さて、2階が通り道だけになっちまうと、客の流れがどうなりますかねー
と1階バングラ大使館でダベっていたら、客のような通行人のような、おばちゃんのようなおねーちゃんのような微妙な女子がフラリ入ってきて、カウンターでひたすらゲームをやっている。
藤原紀香店長曰く、「私の同級生」。すぐ近所で働いているらしい。
「美魔女の友達は美魔女」の法則を、あらためて確認したね。うーん、悩ましい(!!)

ちゃっかり美魔女の店もPRしてくれたビッラル大使殿は、あいかわらず藤原紀香店長からビッラル!!と呼び捨てでこき使われていた(笑)。
やはり、このあたりの力関係は藤原紀香店長を軸に回っているのであった。
2階スルーで大丈夫!





JUGEMテーマ:日記・一般
こんな日でした(日記) | 22:32 | comments(0) | trackbacks(0)
ブルー霊な気分
 

HDDレコーダーが満杯になってきた。あと数時間!
なら、ディスクに移せば?とはいかない。ディスクを読み取ってくれない。
故障なのか、ディスクの仕様が進化してファームウェアが対応しなくなったのか、真相はわからない。

おまけに、チューナーも不調。買い替えどきじゃね?と電脳判事の声が聞こえてくる。
もう、DVDガラパゴスRAMにシコシコ焼いている場合ではない。ブルー霊でしょ。

ちょうど昨夜は例の「路線バス乗り継ぎ旅」があるので、これ録ってみるか〜と目標設定(でもしないと、面倒くさいままズルズル先延ばしになりそう)して、夕方ヨドバシに出撃してきた。
ブルー霊は値段がこなれているとはいえ、5倍もの値段の開きがある。20万超も出す客はどんなんや?と謎も沸々。大画面のホームシアターをやっているのか?

使い慣れたDIGAの3代目を軸に選んでささっと買い物してしまおうと思っていたのに、全体に高い。こりゃパナさん、売れんわな。
テレビがBRAVIAなので、そろえておくか〜と安易にひらめいて、レコーダー初ソニーとなった。パナさんより割安感がある。ダブルチューナー最安機で4万ちょっと。
一応、アキバチューナーだのTS抜きだの、マニヤック・モデルも選択肢に入れたが、別にダビング商いをするつもりもない。「ごろ寝テレビ」が快適にできるインターフェイスが洗練されていればよろしい。

S-VHSデッキとは比べものにならんほど軽い梱包で、持ち替えることもなくヒョイヒョイと阪神電車で持ち帰って、セッティング。
古いDIGAも一応HDDプレイヤーとして活かしておいて、配線を変更するのに少々手間取った。セットアップがすんで、無事に放送録画できるようになったのは18:58だった。ホントの話。
番組表からの予約もわかりやすく、録画もきれいにできる。

スゴ録のリモコンはBRAVIAのリモコンとよく似ている・・・というより、TVのリモコンのくせにビデオ関連のボタンもついているし、レコーダーのリモコンとリンク設定できるので、「どっちでもどっち」が使える。
これが少し混乱する。いまTVに映っている画面は、TVで受信している放送なのか、レコーダーのチューナー映像なのか一瞬わからなかったりする。画質もほぼ同じだから。
DIGAのリモコンはとてもとても気に入っていたので、TVをVIERRAにしてもよかったのだが、結局TVにレコーダーを合わせる選択をしてしまった。トリニトロン信仰が尾を引いているのか!?(笑)

ソニーさんのレコーダーに一度も手を出したことがなかったのは、マニヤ魂をうならせてくれないお気楽路線のせいで・・・どのメーカーもそうなっているので、横並びが大好きな日本勢は一斉に似たり寄ったりになってしまう。

編集で重宝するジョグ&シャトルがリモコンで使えるという一点で、ポンコツDIGAを引きずってきたのである!
いま、当のパナさんでさえジョグ&シャトルは採用していない。

まぁ、こんなものはフレーム単位で編集するマニヤ御用達だから、一生使わない消費者にとってはデザインでしかないわな。リモコンの場所をとるから、それならボタンをでかくしてくれ、と市場の声にこたえた結果が横並びリモコン。
ソニーさんは未練ちびちびの十字キーがリモコンど真ん中についているものの、もはやバネのきいたジョグ&シャトルではない。残念!

もっと重大な「遺物」もあるぞ。
かつて各社が競い合っていたCMオートカット機能でござる。
これをテープで働かせていた三菱さんは長いこと愛用していたのだが、HDDになるともっと完璧にできる。DVD時代のDIGAは、CM自動カット・ダビングもお手のもの。

民放にとってはたまらん機能だから、VHS時代からCMカットのデッキはCMからシャットアウトされていた(そりゃそうだ。自爆機能だから)。
今はHDDも大容量でがんがん録れるから、カットしたい人は再生で飛ばし再生すればいいでしょ?ぐらいの折り合いに、メーカーと民放と消費者が行き着いている感じかな。

そこに果敢に挑戦するCMカッター(笑)、CMでちゃんとチャプターマークはついているから、さっそく手動カット編集をやってみた。
結果、「チャプターマーク削除」と「チャプター間削除」を取り違えてしまった。路線バス乗り継ぎ旅は、イントロとクライマックスだけの超短縮版になっちまった(!!)。あ〜あ…
ま、失敗は大失敗の母である。
腕を磨かねば!





JUGEMテーマ:日記・一般



買いました(むだづかい) | 14:49 | comments(0) | trackbacks(0)
マイホームの闇
 

今度は友人がナイトスクープに出演しよった。横浜に転勤して、何年も会ってないので、元気にしとるかな?と拝見した。
放送までネタは知らせてもらえず、ただ24日オンエアとだけ予告されていたので、どんな内容か?と思いきや、のどか〜な家族ネタ。

どの家庭も「うちも!うちも!うちも!うちも!」と名乗り出そうな、子供のビビリをなんとかして下さい系の依頼だった。住み慣れた我が家2階に一人であがれない怖がりな次男をたたきなおしてやって下さい、と。
結果的に、すんなり克服できた次男坊、よしよし!でハッピーエンドとなった。

挙式から見てきた友人夫婦の印象は、何年も会っていないブランクをはさんでもほとんど変わらず、「メタボに座敷豚」の兆しさえなく、さわやかなニューファミリーそのもの。
よくしたもので、夫婦は似てくる。似たもの同士が二男をもうけ、ソックリ一族になっとる!(笑)身串のトピでも、驚いている視聴者がいた。
血の結束を誇る(?)ナイス・ファミリーには、慶賀の至りでござる。

放送ネタはいたって平凡だったので、おもしろいやつに期待したい。
彼女宅から我が家に帰るパパが、いかに平常心で玄関を開けるか!?とか。
そんな依頼がありえないほど、友人はウルトラ模範的な平穏家族なので、これは期待できない。

家の中の闇にビビる子供の心理は、よくわかる。なんでもない階段の向こう側や、物置き・押入れ、夜中の洗面所の鏡にも魔が潜んでいるような。
僕が生まれ育った6畳二間しかなかった長屋にも、床下の空間があって、まぁ床下収納なんてしゃれたものではなく、われわれ兄弟が悪さをすると父が床板をはずして放り込んでいたものだ。奈落に突き落とされるような恐怖感を覚えて、なかなか効果的だった。

トイレは当然「ボットン」タイプ。板一枚の下はすごい世界だ。
この方が、現代っ子からすると恐怖空間かもしれない。今でも山小屋に残っているけど。
祖父は、なぜか嫁に行った末娘である我が母の家=つまり我が生家の畳の上で眠るように息を引き取った。霊的なものは何も感じなかった。

そんな昭和の木造長屋とは異質の、21世紀ピカピカ建売り住宅にも、今ふうのシュール感がある。
それが集積しているのが、ニュータウンの虚構の明るさ。
清潔で明るくて平穏に見えるニュータウン生活がいたたまれなくなって、僕だけが都心に出戻ったのだが・・・皮肉にも、震災で瓦礫の海と化したのが都心で、びくともしなかったのがニュータウン。

さすがに今さら町家や長屋に住む気はしないけれど、新建材でツルピカにできた戸建て住宅も、どこかアンタッチャブルな空間があったりする。
友人カップルの愛の巣なんて、そこで客の応接も飲み会も夫婦の営みもありありのオープンな間取りだから闇はどこにもないのに、子供部屋、夫婦寝室、書斎、DK、リビングと分かれていくと、各々の扉の向こうは別世界になってくる。

パパの書斎兼無線室兼プレイルーム(笑)のような部屋に厳重に鍵がかかっていたりすると、妻子は怖くてしかたないでしょうな。
何が悪い?と開き直るマニヤは、だから男の城に籠りたがるもので・・・「押入れ書斎」にまで追い詰められているおとーさん族には、同情の念を禁じえない。







JUGEMテーマ:日記・一般
こんな日でした(日記) | 14:24 | comments(0) | trackbacks(0)
BLスカウトありやなしや?
 

ボーイズ集団にボーイズ・ラバーを参加させていいかどうか。
苦渋の選択で、ようやく決議がまとまったようだ。

個人的に前から追跡していたニュースは、どちらかというと親の立場が議論を主導していた。我が子をボーイズ・ラバーと同じテントで寝かせられるか?ボーイズ・ラブのおっさん指導者も認めるのか?と。
大人の世界は本人同士の自由と責任ですむが、うーん…子供のことを思うと、ナイーブな問題ですな。

ボーイスカウト運動の設立当初のポリシーを頑なに守らなくても、ボーイズ&ガールズ・スカウトにすればいかが?と思いついたとしても、そんな集団の中でもボーイズ・ラブは消えるわけではない。
そもそも、当事者が正直にカミングアウトするとは限らないし。

コトはボーイズ・ラブだけではなく、児童GIDというケースもある。どうしてもガールスカウトに入りたいの!とおねだりする少年もいるかもしれないし、逆もある。
事実、日本国兵庫県内の小学校でも児童GIDの少年が(現状では)女児として処遇されていて、難問を中学校に申し送りしようとしている(いきおい、そうなる)。「心は女子の男子」のままでは女子校には進学できない。
学校というコミュニティの中では、全員の理解があれば女子更衣室や女子トイレは使えるが、この合意形成が実社会で通用するかといえば難しい。遅かれ早かれ、大きな壁にぶちあたる。

話はボーイスカウトに戻って・・・
あえてヘテロの男子ばかり「厳選」したとしても、そもそもそんな集団が特殊なのだ(いまや軍隊も男女混成組織だ)。そんな特殊な状況でどんな愛情が芽生えるかはわからない。しばしばカトリックの聖職者の世界で屈折したセクハラ事件が表面化するのも、氷山の一角にすぎないように、倫理教育をしっかり受けてもそうなるのだ。

だから、男子校や男子寮、ボーイスカウトの世界で、「女子に代わる存在」が自然発生したり(または見染められたり?笑)、確信的にオレは彼氏がほしい!と転向してしまう男子が出てきても不思議ではない。「入り口」でスクリーニングをしたとしても、そういう化学反応を生む集団なのだ。モノセックス集団は。

では、ボーイズラバー男子とガールズラバー女子に限定した混成部隊だと問題ないかといえば、寝返ってしまう子も出てきそうだから、それはそれで親は喜ぶかもしれないが、本人にとって幸せかどうかはまた別問題。
あってもいいとは思うがね、ボーイズ・ラブ・スカウト団とか。
指導者はガールズラブ・レディだと安心だ。
そんなリーダーと団員の関係がどうなるかは、伝統的なボーイスカウト、ガールスカウトの運動家には想像もつかないと思う。

事なかれ主義の大人だと、「寝た子を起こさんでいい」と議論にフタをしてしまうだろうが、当事者を寝かさず参加させるのも大人の教育責任だろうね。
「危なくて寝てられないよ」とこぼす子は、「おまえ、もてるなぁ」とリスペクトしてあげよう。
こりゃ無責任か?







JUGEMテーマ:ニュース

こんな日でした(日記) | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0)
本人不在のピア・レビュー侃々諤々
 

恩医師の遺稿集の編集が大詰め。ほとんどオンラインで意見交換や校正を進めている。
原著者のいない本を出す作業は初めてで、われわれ弟子たちは編集出版責任を背負う立場だ。
これがまた、執筆とは異次元の神経を使う。ピリピリしているのは僕一人のようで、それもストレス源。

最初に封を開けた草稿は、すでに先生の著書を何冊も出している老舗が商業出版を断ったいわくつきの内容で、理由はさまざま錯綜しているのだが、「売れそうにない」のは最重要な判断だろう。しかも、二重の意味で。それがよくわかった。

売り上げが見込めない意味だけでなく、「流通させるわけにはいかない」きわどい内容だった。
同和、Y組、在日がストレートに出てくるのだ。地雷3連弾!

しかも、「差別はやめよう」「平和な市民生活を!」ぐらいの祈願なら当り障りもなかっただろうに、微妙に思わせぶりな文脈なので、頭をかかえてしまう。
不特定多数の読者に流通すれば、悪意に解釈する余地もこみこみなら、連絡先として明記した病院にどんないやがらせに遭うかわかりませんよ・・・と説得して、校正責任者に手直ししてもらった。できれば封印しておくべきと進言したのだが、出版の希望は強いようなので、リスクをはらんだリリースになる。

もうこの世にはいない原著者も、敬愛する加藤周一との対話で見識不足を思い知らされたと述懐しておられる。そんな謙虚な姿勢もにじみ出ているので、そこは開示する価値はあると思うものの、この姿勢は弟子たちの前では決して見せなかった。
僕自身は同和問題を専攻したわけではないが、同和問題の開拓者であった社会学者のゼミに1回生から院までベッタリいた(寄生していた)ので、この分野で発言するリスクの類も、こぼれ話をよくうかがった。

個別のリスクはともかく、「よく調べた上で手をうち、実証する」「社会的評価も覚悟して、次の研究にフィードバックする」は基本だろう。
それは医療も同じで、「正確な診断と的確な処方」「エビデンスからのフィードバック」は大原則ではないかと思う。釈迦に説法をするつもりはないけれども。

神戸の同和問題を語ろうとすれば、同和政策以前の土地柄まで踏み込まないと、なかなか細部がくっきり見えてこない。神戸芸能社と荷役・貿易産業の関係にも触れないわけにはいかないし、ブルドーザー行政と下請けの蜜月関係、さらに遡って「畿内の辺境」としての地理条件、中世の遊女と弁財天信仰、渡来人(つまりコリアン)と朝廷との関係まで、水脈としてつながってくる。

そこまで調査した上で出版する責任を負うのは、病院経営と医業に忙殺される内科医の守備範囲を超えている。
だったら、弟子たちに歴史家もいれば哲学者、法学者、社会学屋もいるから、ブレーンとして使えばいいんですよ先生、と僕は直談判したこともある。ワンマン運営も承知でついていこうと腹をくくったシモジモが居並んでいるのだから、「餅は餅屋」でこき使ってもらえばよかったのだ。
プライベートに、大澤真幸にコンタクトをとって社会学屋の思考にも接しておられたようだが、おこがましい言い方をすれば、ちょっとした執筆に意見を挿むぐらいのピア・レビューは研究会員にも部下の職員にもできただろう。

先生と分担した執筆作業では、まだ三十路だった僕が若気の至り(?)で「これは画期的な提言だな」と思い上がって書いたくだりは、ばっさり削除された上、ほとんどフランケンシュタインのような修正原稿が出版されてしまった。
アナログな先生が、医局で僕の原稿のプリントアウトをハサミと糊で切り貼りしておられた姿も垣間見えたので、愛情あるナタ(?)には感謝しこそすれ恨みもないのだが、肝心のボツの理由は語られなかった。

僕としては無邪気に書いたことが、医療界を揺るがしかねないアジテーションと映ったのかもしれず、分担させた医師としての責任を感じられたのかと邪推するばかりだ。
「この原稿は、保存しておきなさいよ」のひとことが、立場の違いを痛感させられた楔となったまま今に至っている。
活字で世に出すリスクを充分に自覚しておられた恩医師の教えを、いま恩返しするのが校正作業だととらえているのが僕のスタンスである。
 

在宅ターミナルの問題、格差拡大の中での医療機会の格差、保険診療システムへの不信感、医療者配分の歪み、薬害問題など、医師の守備範囲を超えた福祉と政治の問題が、いま広大な社会病理と化している。
医師も、患者はコンビニ受診するわドクターショッピングするわ、説明責任だ診療トレーサビリティだ訴訟リスクだと神経を使うわ、代替医療やらトンデモ医療の後始末もさせられるわ、と大変な環境の中で疲弊しておられるのはよくわかる。

だから、「素人」との胸襟開いた討論の場は大事・・・
と考える立場と、広報営業活動(?)をする余裕があれば目の前の診療に専念すべしと考える立場もあるだろうし、どちらも正論だ。

今までの市民との対話集会でも、トンデモ発言者もいれば厳しい医療批判をする専門家もおられた。
できれば、創造的な談論風発を楽しんで、あとは自分で自分のQOLを保つ方法を選択すればいいと思う。

となれば、おのずと価値観は多様化する。
死後の臓器は「輸出」したいと希望するドナーも出るかもしれないし、高齢独身女性が子供を産みたいと希望するかもしれない。
生命倫理の研究は、「命かくあるべし」の規範を模索するのが基調だったが、「あれもこれも、いいんじゃない?」の世論溶解にどう立ち向かうか・・・?
倫理のうさんくささをぬぐえない僕は退場処分をくらいそうだ。






JUGEMテーマ:日記・一般

こんな日でした(日記) | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0)
拘束乗り合い交通の悲喜劇
 

昨夜のWBSで、高速ツアーバスが高速乗合バスに一本化されることになった制度改正を、お恥ずかしながら初めて知った。
路線バスより柔軟に企画できるツアーバスに、「公共交通」の性質を持たせようとする(運輸行政の管理下におく)目論見らしい。バス停も増やす、飛び込み乗車もできる、予約ゼロでも運行する・・・ツアーとしては採算の見込みを立てにくくなる。

でも、思い立ってすぐ乗れるのが公共交通のいいところだ。
前払いさせて客をつなぎとめるのは会社の都合にすぎず、客にはメリットがない。発車当日まで、他社便に鞍替えする余地があればありがたい。

今年からは、スキーの足は夜行バスにしようかと渋々考えたのだが、あまりにも予約システムが各社バラバラで、予約締め切りも早い。オフシーズンの平日だから、満席で売り切れでないのは確実だ。一人でも乗せて収益を得る気がないとしか思えない。結局、昼のJRに決めて、改札前で切符を買って乗車。これが手軽でいい。

結局、頼りになるのは鉄道なのだ。
対抗するには、「便利な夜行」で勝負するしかないだろうに、不便な夜行バスが野放しにされてきた。少し高いが確実なJRを選んでしまう旅客需要を、真摯にキャッチする気がないツアー会社は、淘汰されていいと思う。

てんでバラバラで独自規格の企画運行をしているから、パイの分け前は頭打ちになるのではないだろうか。
アライアンスを組むのも、便りになる手のひとつ。バスターミナルに行けば必ずどれかに乗れる!料金も似たり寄ったり!と。ただし予約しておけば車体のグレードが上がるぐらいの差別化はいいでしょう。

ツアーはバス停もないから、客待ちで公道を占拠する迷惑バスも問題視されている。
雨でも木枯らしピューピューでも客を外で立ちんぼさせて、「改札」は超アナログな手作業(これも外で)。アライアンスを組めば、共同でバスターミナルぐらいは持てるはずだ。

まぁ、そういう部分はけちってでも、とにかく安く乗りたい客がいるからツアーバスも成り立っているのだろうが、付加価値をつけて高い料金設定に打って出る戦略もあったりする。半個室のようなコンパートメントとか、のびのび横になれるリクライニングとか。
公共運行の規則で「おもしろ企画」がしにくくなる不安は、あるかもしれない。

JRの「天然おもしろ度」は、なんといっても乗り降り自由に由来する出会いのハプニングである。
冷凍みかん食うか?は伝説になっているぐらいなのに、鉄分濃厚な僕でさえ、そういえば冷凍みかんを見知らぬお向かいさんからいただいた記憶は、かすかにあるようなないような…それほど滅多にないのに、ほのぼのとした出会いを象徴する語り草になっている。

ヨシ、これいただきましょう。冷凍みかんを配る長距離バス!
わざとらしいか…

もっと露骨に、「出会い系バス」もいい。
座席はヨンコイチにして、談話せざるをえない形にいたします。男女席が半々。

ツアー企画で囲い込むのは規制されたとしても、行き先が有明ビッグサイトで何月何日となれば、もう同好の士ばかりで席が埋まるのは当たり前。レイヤー同士ができあがってしまいます(笑)。
知らずに乗った(公共の路線バスだから)ビジネスマンが、「静かにしてもらえないか」とクレームをつけようものなら、叩き出されるか染まってしまうか・・・出張の帰りには、スーツがすっかりガンダム化していたりしてね。

こういう目的明快な客は束ねてチャーター便にする必要も出てくる。
子泣きママだけ集めたバスだと、愛児をワンワンワンワンワンワンワン泣かせても気兼ねしなくていい。どうでしょ?

JRは公共交通だから、なかなか柔軟な企画ができない。
かつてはシュプール号なんてのがあったが、これは一般客も空席があれば乗れたので、ほとんどスキーヤーばかりの車内に老夫婦がチンと座っておられたりしたものだ。冷凍みかんを箱で仕入れて配らなくてはイケマセン!

僕は少々反省しているのだが、完全自由席に多いときには十数名の仲間を率いて占拠していた(若気の至りとはいえ、ごめんなさい)。寒い中がんばって並んで席を取ったとはいえ、席取り行為自体がグレーゾーンかもしれない。
そのへんの禁止行為を徹底運用できるかどうかが、快適で公平な公共交通の生命線になるでしょうな。

とはいえ、われわれは騒々しくもなく、オープンで親切な青年淑女団なので(そうか?)、OL二人組なんて客を取り囲むように席をヨンコイチに並べ、通路をはさんでハッコイチにした島で、みな仲良くなりました。
これも、ふりかえってみればJR離れを招いたかもしれず、反省しております。
一人旅で、泉ピン子ふうグループに取り囲まれたら悲劇だしなぁ・・・って、これは予約のツアーバスでもあり得る話か。




JUGEMテーマ:ニュース




こんな日でした(日記) | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0)
| 1/4PAGES | >>


CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2013 >>
PROFILE
NEW ENTRY
RECENT COMMENT
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
your IP
ブログパーツUL5
OTHERS
RECOMMEND

SPONSORED LINKS