2013.06.30 Sunday
朝イチで公共の会館に出向いて、シンポジウムの設営現場の下見。
現場を見ると、視聴覚に訴えるプレゼンの下支えも実感をもってできる。
かつては、こういう縁の下作業もおまかせしたまま運営委員にまつりあげられていたが、手弁当でやった方がいい。PAなど職場で使っているのと同じタイプなので、勝手知った環境だとわかった。
総合司会を任命なさった事務局長も、「本当にできるか?」「どう進行するつもりか」と不審がっていたが、仰せつかった僕が「出たとこ勝負で大丈夫」「なるようになる」と構えているので、よけい不安がられる。
僕が病院事務の現場を知らないように、あちらも教育現場の業務を知らない。古い時代の国立大学で学んだ経験を引きずっておられるのか、大・短・専・高・・・の序列が頭からぬぐえないばかりか、大卒者は院に進むものと思われているようで、専門学校で大卒者が学ぶ現場でどんなファシリテーションがなされているか、想像もつかないだろう。
悪意はないと思う(思いたい)が、罪のない無知が、しなくていい不審や疑惑を生むことは往々にしてある。
経営者なら、部下全員のスキルとポテンシャルを掌握してこその人材活用というもんだろう。上司も同じ。そもそも、部下のもつ人的資源に関心がない上司など論外だ。
上司といえるのかどうか、カロリンスカ・ドクターに何度かバトンタッチを打診され、「これから、研究会をどんな方向でやりたいですか」と尋ねられた。
まず、関心を持ってくれるのは偉い。新しい時代のリーダーとして、僕は喜んでフォロワーをしている。
あの世のボスは、こうではなかった。
ワンマンで一気呵成にやった方が、手際よくできるとはいえるだろう。それを追認してきたフォロワーも、手となり足となって支えてきた。
調査統計の基本をすっ飛ばしたデータの分析を託されたときは、絶望的な気分(笑)になりつつも、使える部分だけ簡易のクロス集計をしてまとめたのだが、相談してくれたらちゃんと調査設計をしてチーム編成までできたのに・・・と悔やんでも、後の祭り。
この轍を踏むわけにはいかない。
調査研究、発表、広報、資金融通には、それぞれ「餅は餅屋」のスキルがいる。
その持ち主と信頼関係を結んで、できる仕事は任せて、できないところは外注に出すぐらいの判断は、だれにでも思いつくチームワークだろう。
「一人で看板を引き継ぎます」と意気込んでしまうと、ワンマン運営を踏襲することになるので、とりあえず保留したまま。人材がちゃんとそろうかどうか、募集するならどう呼びかけるか次第で、見込みは立つ(か立たないか)。
しかも、給料を払うわけではないので、報酬で釣らずにモチベーションをどう確保するかは、魔法のような世界だ。
いっそ、サークル活動でいいのではないか?とさえ考えている僕のテキトー主義がまた不審がられて、「こいつは何をしゃべるかわからない」と警戒されている気配がなきにしもあらず。
もう、そんな気合いは萎えているのに。
期待に応えてみますか!?(^^♪
JUGEMテーマ:日記・一般