2013.11.30 Saturday
会議で土曜出勤。
和食御膳をふるまわれた後、細かな検査データの束を見ながらハッパのかけかた、崖っぷち救済策、授業のファシリテーション等々、山積する課題を角つきあわせての集団討議となった。
個別の目を引くケースはさておき、ひと昔前は続出していた「援助者なのに要援助」のような学生はずいぶん減った。
一方で、放置しておいても大丈夫な優等生もごくわずか。学力の伸び悩みやシューカツ難の実態が、なかなかつかめない。なにしろ、打ち明け話をしないから、介入が難しい。
職場ブログにコメントをくれたりする能動的な学生は、概してよくできる。
ブログなどなかった時代から、これはテッパンの法則だ。「かぶりつき席」で水を得た魚のように勉強している学生や、そこまで目立たなくても職員室に入り浸って四方山話をしているような学生は、伸びしろが大きい。
勉強や就職に関するリソースの宝庫である(はずの)学校に寄りつかず、我が道を行く学生が、青天の霹靂のような成果を出すことは、めったにない。昔々のバガボンド的な学生が、だれもあずかり知らないところで大躍進してみせるようなメイク・ドラマは、現実にはない。まさに都市伝説の世界だ。
別に依存しろとはいわんが、知の殿堂(なんてかっこいいものではない、受験予備校と化している側面もなきにしもあらず)に寄りつかない理由がわからない。安くない学費を払っているのに。
秋の現場実習を終えた時期だから、福祉施設や病院でも立派な専門家と接しているだろう。
ただ、その組織のスタッフは、目の前の仕事を教えこむのに追われている。理論を手取り足取り教えてくれるチューターはいない。口より手足を動かせ、である。
そんな現場の専門家が同僚としても列席しておられて、新入職員の思考力の低さ、想像力の乏しさを嘆く。
「せめて新聞の社説をさっと一読して要旨をつかむぐらいの読解力はほしいですよね」とグチるが、このレベルの学力論争は、ふた昔ほど前なら高校教育の現場で俎上に乗っていたテーマだろう。それがそのまま、大卒者の低学力へと先延ばしされて今に至っている。
「○○学」の概論書を通して読む習慣など、絶滅してしまった。一読して理解できるものではないけれども、最初から「時間の無駄」となおざりにしてしまって、そのくせスマホは1時間でも2時間でもいじっていたりする。つける薬はあるだろうか。
溺れるものがワラをもつかむ思いですがって救われるような良質の教科書が未だにないのも、社会学の不幸なところだ。入門者の前にことさらに高いハードルを立てるような薀蓄まみれの教科書は、一応あるにはある。ハードルを低くしてますよ、といわんばかりの敬体(ですます調)で書かれたものは、ほぼ例外なく毒にも薬にもならない退屈なテクストだ。時間の無駄である。
良質の教科書があれば、最初から最後まで無心に音読するだけで学校いらずなのだ。本当は。
岩波と有斐閣の難解な教科書と格闘しても結局なじめず、酒呑みゼミで卒業証書だけはもらった(=追い出された)が浪人するはめになって、独学者にとってはお寒い勉強リソースを痛感させられたものだ。
結局、ペンギンブックスの入門書を愚直に音読して専門科目と英語の復習はできたし、フランス語は『星の王子様』を愚直に再読再読して何とかなった。いい教科書にたまたま出会うと救われる。
今も事情はあまり変わっていない。
ソーシャルワーカーの卵にとっては、勉強すべき範囲は広いので書籍費を出すのも大変だとは思うが、決定版のような教材がきれいにそろわない。あえて探せば、放送大学の教科書はリファインされるたびに質がよくなっている気はするけれど、まだまだ「一冊で社会学ワールドをカバー」なんて文献はない。東大出版会の『心理学』はよくできている名著なのだが、これの社会学バージョンを、東大さん、出してくれないものかな?
味気なくても、迷ったら参照して偏りのない説明をエられる教科書がちゃんとあれば、授業は安心して脱線できる。脱線して、ときには口論になってしまうのが授業の醍醐味でもあるから。
教科書が頼りにならないと、結局は役人の答弁のような無難で平板な説明になってしまうし、また何を好き好んでか学生も求めてくる。たとえば「コミュニティ」の定義となると、地域福祉の専門家、社会学屋、メディア論者、都市政策の専門家それぞれに違ってくるから、学生は「どれを正解として暗記すればいいんですか?」という実につまらない着地点へ滑り落ちていく。
そもそも受験勉強は味気ないものかもしれないが、おもしろくないと退屈な詰め込み作業にしかならない。おもしろくしようと色気を出すと、よほどのエキスパートでも失敗する。
大半の学士様は、自己満足なパンキョー講義(たいてい、ポスドクの非常勤が任されている)を聞き流すだけで単位をもらってきた犠牲者でもある。
そんなこんなの大学の講義の尻拭いをしている意気込みでリカレント教育をしてきたのだが、そろそろリカレント教育の尻拭いが必要になってくるかもしれない。毎年毎年誕生する浪人生のアフターケアが、ほとんど手つかずだから。
現役で在籍している学生より、卒後に「ちゃんと力のつく講義を受けたかったなー」と悔やんでいる勤労者の方が、確実に市場規模は大きい。DVを予防できる人間力、体罰のない教育、介護離職を避けられるマネージメント、合計特殊出生率2を取り戻せる社会の構想,etc,etcは大人の知恵を絶妙に化合させれば、方策が見えてくると思うがなぁ…
初等教育も大事だが、大人の需要に応えられる教育は、成熟社会の広大なフロンティアだろう。
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