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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
変な和食もどきの逆輸入も阻止したい


中国にとっては変形逆輸入になるのか、王将の焼き餃子が中国からお引き取り。不思議な気もする。
そんなに、餃子を焼くのは嫌われるのか・・・
カリフォルニア巻きとかフィラデルフィア巻きなんて日本に入ってきたら、撃退したくなるようなものか?
もはや焼き餃子は、すっかり和食なんですな。

僕は水餃子も好きだし、焼売も小籠包もウェルカム。餃子と白メシは少々わびしいが、餃子とチャーハンの「ミニマム定食」は昔よくいただいていた。
今はなき王将のきったない西梅田店(失礼!)には、鶏ナス味噌炒め定食なる絶品メニューがあって、「鶏」といってもフライしたやつをさらに味噌炒めしてあった。実にうまくて750円(だったかな)。
どの中華(風)メニューも和風にアレンジされてるんだろうけど、焼き餃子のようなアレンジは却下されるのね〜とわかった。

一度イタリア人にきいてみたいのが、スパゲッティ・ナポリタンとやらはナポリ人にうけるのかどうか。
フライパンで炒めるスパゲッティも、僕は個人的に好きだし、なんだか街の喫茶店の軽食っぽくてお手軽だ。これなんかも、もう和食として売り出してもいいぐらいだ。

もひとつ僕にとって不思議なのが、細いラーメンがなぜか海外でうけているところ。
博多一風堂はうちの近所にもあって、もちろん開店時にチェックしてみたが、ちょっとものたりない。そうめんじゃあるまいし。
ただ僕が太麺好きなだけだから、「細い麺に汁が染みたラーメンがいいのだ!」なんて客がいても、それは撃退しません。

平てぇ麺もあるでよ、ときしめんを推す中京人もおられると思う。大賛成。
うどんもそうめんも和ラーメンも、どんどん世界進出しましょう。

「和風総本家」だったかなんだったか、定食ふうに料理が分かれている和食は食べ合わせが苦手で、全部入りの丼が食べやすいという欧米人が、牛丼に飛びつくのだそうな。
丼のバリエーションも和の知恵かもしれない。天丼、カツ丼、うな丼は立派な和食といっていい。牛丼はヒンドゥー文化圏には入っていけないし、丼もの全般にイスラム圏で苦戦しそうな気もするが、そこは日本人の知恵でハラール丼を展開してみてほしい。

で、中国である。
寿司は大量消費する、北海道には進撃する、サンゴ礁は盗む、と貪欲なちゅごく人は、これまた何かの番組で素朴に「日本のご飯おいし。これだけでもイイ」と絶賛していた旅行者がいた。正直でイイネ。
やはり、米食文化圏のお仲間なのだ。飯の風味がわかるだけでも、欧米人より舌が肥えているといえましょう。
お茶漬け、雑炊、おむすび、TKG・・・と飾り気ない庶民のご飯を、一般家庭で食べるだけでも充分に旅の収穫になるのではないだろうか。

炒めたり火柱をあげたりするのはあちらにまかせて、国産の高品質な米+日本製炊飯器(土鍋でもいい)が国際競争力最強だ。
日本鬼子!!と叫びつつも、安心できる食材をまっとうに料理する和食文化に「いいものはいい」と飛びつく隣人は、反応が正直なところだけでも評価してあげたい。ありがたいお客さんではないか。ねぇ。





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こんな日でした(日記) | 22:43 | comments(0) | trackbacks(0)
やっぱり網だな


なにげな〜く目にした隙間ニュース。
電車の網棚が、最近のけ者扱いされとるんですと?

札幌の地下鉄なんか、最初から網棚がない。
それでやっていける。クレームもない(のだろう)。

それに、もう網の棚ではなくパイプのラックになっている。下駄なんかだれもはいてないのに下駄箱、筆で字を書いてないのに筆箱・・・とならんで、昭和の遺産になっていくのかな網棚は。

なにより、網棚に荷物を置き忘れるから、用心して載せないのもわかる。
僕も買ったばかりの靴をやっちまった(取り戻せたけど)。

置き忘れ対策としては、ヒモでもつけておけばいいのである。
テグスで首にでも結わえておけば、置き引き予防になるかもしれない。
これで安全対策はOK、と。
読み終えた雑誌は、わたしゃ網棚に置き忘れることにしておる。リユース・コーナーですな。
ゴミ箱に捨てるより、清潔でよろしいと思います。

荷物の方はといえば、ひざの上でおさまるか、または網棚にあげるのが力仕事になりそうな巨大なキャリーバッグか、に分かれているような印象もある。
だからよけいに、網棚は「空席だらけ」になってしまうわけね。

かといって、廃止してしまうと不便なことがあると思う。
たとえば、ひと昔前のスキーバッグは、網棚に吊るすフックがついていた。
網棚に載せると2m近いスペースを占有して邪魔になるから、吊るしてしまえば具合がいいのだ。
これから」だと好都合でも、帰り便はうっかりするとポタポタ水滴が落ちてきて、下の席の人にコラコラッ!!と叱られるのも、古き良き時代の思い出である。

長いもの(槍とか高跳び棒とかトーテムポールとか)を電車で運ぶときは立ててもつかえるから、「網棚の軒下」は絶好のスペースになる。30mぐらいの電柱でも運べるぞ。
でなくても、でかいカバンや買い物袋こそ、網棚に載せるのが筋ってもんだ。混んでいるのに座席に「お荷物様」を座らせる困ったちゃんに「ここに上げておけぃ」と指図するスペースとして、網棚はあった方がいい。

もっとポジティ〜ブな活用法も考えてみたい。
網棚直下の席に座れたら、カーテンでも吊れば「1席だけの個室」になる。中で着替えも化粧もできまっせ。
終点まで乗る客が「個室カーテン」をしめていても、傍迷惑にはならんでしょ。

網棚そのものを寝台にしてしまう手もある(はしごをつけて)。酔っ払い対策にどうぞ。上から汚物が降ってきたら困るかな。
インドや中国の満員ブルートレインだと、きっと網棚も寝台と化していると思う。

商魂たくましい鉄道会社だと、あそこを自販機スペースに変えてしまうと、けっこうな売り上げが見込めると思う。ただし、酒類は禁じ手で。
駅弁も悪くない。電子レンジつきで、ホッカホカで買えたりして(^^)
われながら、グッドアイデアだと思うのだが。



 
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こんな日でした(日記) | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0)
海を渡る本の荒波


物語の舞台によって分類するなら、都市文学は圧倒的に多くて、戦場文学がそれに続き、農山漁村文学もいくつかあげることができる(山岳文学、海洋文学も奮闘してほしいところだ)。
何がきっかけだったかは思い出せないが、堀江敏幸さんの郊外文学を知り、熱狂しないまでも気に留まる現代作家になった。
中公文庫から、回送電車シリーズと銘打ったエッセイ集『象が踏んでも』が出ていたので、斜め読み。
楽しいテクストではないし、滋味あふれる珠玉の随想」の類でもないのだが、文学者(純粋な作家でもなく、大学教授兼業だからまさに文学者である)らしい陰影で日常を心象スケッチした文体は心地いい。

パリに研究留学した若いころの体験は、同じ体験はできないまでも、本とのつきあいを考えさせらるいいきっかけになった。
日本から10箱あまりの私用の本を送ったら空港で止められ、関税まで課されたらしい。輸入品と疑われたようだ。
学生が日常生活で趣味として読むような(と、現地当局が考える)量を超えていたのと、同じサイズの箱がそろっていたので、商品を輸入するように見えたのだろう。

「商品でないことを証明せよ」なんて要求されても、読み終えて古書店に売ることだってあるかもしれないし、帰国時にそっくりそのまま持って帰る!と宣誓することなんてできない。
いったい、何をもって個人使用と輸入を区別するのか、関税当局の意図はわからない。堀江氏も、ことの顛末は詳細に書いていない(忘れたようだ)。

愛読書、愛蔵書を段ボール10箱にまとめて移住するなんてことは僕にはないと思うが、そのかわり無線機も2けた、ラジオも2けた。連れていきたい(苦笑)。
こんなものを「個人的なプロパティだ」とアピールしても、とうてい信じてもらえないだろう。国際競争力のある立派な工業製品だし、すでにそこそこの商品価値がある。

たしか80年代の日本の輸出攻勢に対抗した日米構造協議で、米国からの輸入関税がうんと引き下げられた。愛煙家は「洋モク」流入に喜び、呑ん兵衛は高嶺の花だった洋酒に喜んだ。ワインブーム第一波も、このころではなかったかと思う。シーバスなんかは、親父世代は高級ウィスキーとしてサイドボードにうやうやしく陳列していたものだが、いまやスーパーでも安く買えてしまう。
無線通信機はゼロに近い値になったニュースは記憶にある。実際、「こんな製品もあったのか!」と驚き喜んだ無線家も多かった。
結局、メイドインUSAの無線機はおろか、米国政府が押し売りしようとしたクルマも日本では受け容れられなかった。関税の問題ではなかったのだ。

本も、日本語であれば国際競争力はないに等しいし、どの国に持ちこんでも「輸入商品」にはなりえないように思うが、ことマンガやセル画集のようなジャンルに限っては、そこそこの需要はあるのかもしれない。
多品種少量売買の代表格のような本は、段ボール箱なんかに詰めるとおそろしく重たいので、運搬は肉体労働そのもの。
大量に仕事で使う研究者などは、引っ越しや移住で一番苦労するものだと思う。
台所用品や寝具、家具だと現地で買う方が運送料より安いかもしれない。

いま、家で使っている現物を絶対に持ち運ばなくてはいけない耐久消費財は、どれだけあるだろうか。
実家2度の引っ越し、一人暮らし3度の引っ越しで、本やガタクタはずいぶん捨ててきたし、インテリア関係は引っ越しと同時に一新してしまうのが僕の生活ダイエットだった。
そんな中でも、ラジオと無線機は常に一緒(苦笑)。学生時代まで実家で愛用していた真空管のアンプとタンノイのスピーカーも、なぜか捨てられずに連れてきている。

割りきってしまえば、本や書類は電子化してクラウドにあげてしまえば、どこからでも「利用」できるので、処分できないこともない。
もちろん、画面で読む文書は「書籍」とはいえないほど、装丁や匂いが一切そぎ落とされてしまう。研究者にとっての論文は画面上で活用できればいいとしても、芸術家や文学者にとっての「書籍」の実在感は、あっさり捨てられないものだと思う。

「個人輸入」のゴタゴタに懲りた堀江敏幸氏は、万巻の書から解き放たれた執筆をしようと試みるも、結局は書庫専用の部屋を賃借することになる。とてもよくわかる。
こういう悩みにこたえる倉庫業も繁盛しているけれども、学者なら学者、趣味のコレクターならコレクターが、財産を共同で保管する場所のようなものがあってもいいように思う。有能な秘書がいて、世界中どこからでも「あの本をスキャンして送ってくれ」と発注して即対応できるようなサービスは、貸し倉庫業者にはできない技だろう。大学の教員でさえ、研究室は維持してもらえるにしても、私邸の蔵書までは管理してくれない。
こんなビジネスは、近い将来きっと支持されると思いますがね・・・

施設図書館のような書棚が並んだ僕の恩師の自宅は、唯一の相続人になった一人娘が大変な苦労をして処分し、万巻の書はごく一部がオーストリアの大学に寄贈された。処分が終わって間もなく、令嬢も旅立たれてしまった。
こういう本の行く末も、悪くないかもな…と思う。

では、おまえの無線機はどうする!(笑)
と天の声が聞こえてくる。
まぁ不治の病の宣告でも受ければ、てきぱきと売却する時間はもらえるわけだから、ヤフオクにでも出すか。イーベイで海を渡るのも、ロマンチッッッックでいい。
途上国の工業高校に寄附できれば、願ったりかなったりなのだが。


 
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読みました(書評) | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0)
公衆衛生は近代国家の盲点


ついに日本にもエボラ上陸か!?
と関係者を騒然とさせた「話題の人」は、幸い陰性だった。ヤレヤレ
こう騒ぎすぎると、デング熱を忘れてしまうのが大衆心理かもしれないから、用心するに越したことはない。
僕はいまだ鳥インフルエンザもO157も忘れられん。良くも悪くもネにもつ性分なので、「森永」といえばヒ素ミルクだったりする(森永製品は買いますがね)。

空気感染はしないので安心を、といわれても、飛沫感染はするようだから、飛沫が飛んでいるんだかいないんだか微妙なくしゃみをする人種にはヤキモキする。エボラより、インフルエンザで命を落とす高齢者の方が、被害のトータルは深刻ではないのかな?と思ったりもする。

僕が否応なく「お仲間」に入ってしまっているおっさん族の一番かなわんところは、衛生観念の欠落なんである。
世間の女子の実態はよくわからんが、公衆トイレで用をすませたおっさんの約半数は、手を洗わずに出ていく。ヘタレ珍古をにぎった手で、本屋や図書館に入っていく。指をなめなめ本をめくる。ウゲゲゲゲゲゲッ!!…
想像しただけでもウンザリする。いや、邪推ではなく、この目で毎日のように目撃するおっさんの素顔である。
このあたりは、若いあんちゃんの方がよほどマナーはしっかりしている。

咳もくしゃみも痰も、あたりかまわずまきちらす。これは立派な公害発生源ではないかっ!!
マスク率も低い。女子のマスク武装は、おっさん対策でもあったりするのではないでしょうか。

きのうはバングラ大使館で、運悪く器官に激辛スパイスがからんで、むせてむせてゲホゲホゲホゲホと大変だった。
お気の毒に、珍しく妙齢のOLと5cm間隔でならんでいたので、申し訳なさで胸いっぱい肺いっぱいになりつつ・・・むせてるだけですからね、わたしゃ今世紀まだ風邪はひいてませんからね、と弁解をテレパシーで送りながら、なんとかむせ封じに努めた。
最後の咳でご飯粒が出てきたから、どうりでハンパないむせかたであったなーと命拾いした感じ。

風邪はひかないしもらわないので、まぁ咳も痰もめったに噴射することはなく、帰宅したらイソジンと手洗いと顔洗いは欠かさないので、最低限の防衛はしているつもりなのだが、病原菌はどこに潜んでいるかわからない。油断は禁物ですな。
電車やエスカレーターの手すりは平気で握っているので、消毒液スプレーなんかも持ち歩いた方がいいのかな?
あんまり潔癖すぎると、ストレスで免疫力が下がるかもしれないから、要は考えようなのかもしれない。

それでも、だ。
おっさん、不潔すぎるぞ。服装や頭が投げやり(笑)なのは自損事故みたいなものだからいいとして、傍迷惑な不衛生は改心していただきたい。家や職場で苦情を聞かないのかな?
苦情をいわれなくなったら、おしまいな気がする。小言を浴びるうちが幸せでござる。

おしっこは立ってしないで!なんて女房族に説教されている亭主族の悲哀は、ちょっと同情したくもなるけど…(家のローンは俺の名義だ!と言い返せばいいのに)。
トイレの手洗いはするけど、必ずズボンの尻でふいている蛭子能収は、行儀がいいんだか愛くるしいんだか??



 
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こんな日でした(日記) | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0)
追悼・ダダイズト赤瀬川原平画伯


木枯らし一番が吹いた今日、ワタクシは悲報に涙した。ホロホロホロ・・・
赤瀬川原平さん、77歳で旅立つ! 
あと7がひとつで、フィーバーだったのに…惜しい!

フランクフルト学派でもなく、ストア学派でもなく、わたしゃ路上観察学派おもいっきり親派である(と自負している)。
路上観察学会には、入会したくてもおいそれと入会できない。
入りたければ、そちらで勝手に立ち上げていいよ、私らは気ままにトマソン探したり東海道五十三次やったりしてるから。
とまぁ、そんな学会であるからして、全国に路上観察が広がった。

僕もトマソンを続々発掘し、雑誌で呼びかけたら真面目な建築研究家と御縁ができて、ちょっと別方向(ヴォーリズとか)にシフトしていったものの、心にはトマソン(笑)であった。
なんたって、建築物(あるいは一部)のようでいて、建築の効用がないから「無用建築」と呼ばれ、そこに赤瀬川さんら現代美術家が新しい価値を発見して超芸術と命名した。
という流れで僕はとらえているのだが、東京の学会本部には立派な東大教授(当時)もおられたから、ナンセンス・アートでも風流でもなく、ちゃんと建築史の流れをおさえながら「物件採集」をしている。

建築だけでない、カケラや廃墟、貼り紙やなんかにフィールドを発見する「学会員」もおられて、まぁなんだっていいのである。収集と定点観測を続ければ、都市開発の時間軸と住民の時間軸のズレが見えてくる。超芸術とは、「時間のズレが生む作品的価値」なんである。
赤瀬川さんらが気鋭の若手アーチストだった時代のハイレッド・センターの活動痕跡を見ると、あらためて現代アートの破壊力が見えてくる。既存の画壇や工芸界がとっくに捨ててしまった、異次元のネオ・ダダイズムが。

赤瀬川さんご本人は、いたって温和で飄々とした文人として晩年をマイペースで生きておられた。
作家としてとらえているファンも多いだろうし、カメラ・エッセイストとしても独特な感性があふれる楽しい著作が多い。

最後のヒットが、「老人力」になったのではなかろうか。
おっと、そうくるか(^^)と笑ってしまう文学的発想だ。
「老いた」を「老人力がついた」と考えるのは別に不自然でも苦しまぎれでもない。この世におさらばするのを「旅立つ」というのも、よく似た発想ではないのかの?
赤瀬川画伯は、「あなたがたも、早くこちらにいらっしゃいよ〜」と笑っているような気がする。

ちょうど同じ日に、赤瀬川さんと同じ敗血症で旅立ったのは枝川公一さん。枝川さんも、路上の文人だった。路上観察とはちがう文脈だったが。
ともに、80年代の都市論ブームの喧騒に、ちょっと中休みをおいてくれるような街遊びの風流人といえるかもしれない。

これで、ほぼ昭和の都市論は終わった。
路上観察学会を受け継ぐ次世代はいないし、21世紀の都市論はどうなるのだろう。コンパクト・シティやらビジット・ジャパンやら、郊外に向いていた都市計作行政が方向転換して、結局は位相の違う再開発が進みつつある。
いずれにせよ、トマソンが絶滅危惧種になっていきそうなのはまちがいない。

ウケ狙いのようなVOW物件も、ちとわざとらしいしなぁ・・・
純度の高い(笑)トマソンは、顕微鏡で街を観察しないと見つかりそうにない。
やる気がわいてきますなぁ・・・





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こんな日でした(日記) | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0)
フランクフルト学派という文化


ドイツ思想もドイツ文学も、鬱蒼とした森のような重苦しさがぬぐえず親しみを覚えたことがない。
ドイツ・バロックよりイタリア・バロック。

とはいえ、社会学を学んでいた「いきがかり」上、古典といえばドイツ社会学とフランス社会学、現代はアメリカ社会学を無視できない。
ただ平面的に並べてしまうと味気ない専門用語の森で迷い子になりそうなところを、一本の道筋をつけてくれたのが、華僑の教授の思想史講義だった。

特に、現象学的社会学のルーツはフッサール。
そこから社会学の実をつけたのは、シュッツであったりバーガーであったりの「亡命組」だった。
いま全体主義そのものは否定されてはいても、亡命社会学者を輩出したのはナチズムの副産物といえるかもしれない。

祖国でナチズム親派と体制批判のるつぼになっていたのが、フランクフルト学派。この解説を、意外や意外、大阪文学学校の後継者が買って出てくれた。
決してフランクフルト学派の正統な後継者とはいえないが、ハーバーマスは現役の社会学者でもあるし、ハーバーマスからさかのぼって逆思想史を勉強してみるのもいいか、と細見和之『フランクフルト学派』(中公新書)を逆読みしている。

まじめな座学より、電波を使ったりミニコミ誌を出したり同人誌に参加したりのフィールドワーク(なんてかっこいいものではない)に明け暮れていたころ、ベンヤミンの複製芸術論はしっくり読めた。このベンヤミンからハーバーマスへ、メディア論の系譜をつないでみると、その延長にアメリカとは異質な文脈のネット社会論が存在感をもってくる。

おととしの夜学に、メディア論を専攻して准教授になっていた後輩が方向転換して入学してきたときは、驚き半分、再会のヨロコビ半分で懐かし話に花が咲いたのだが(先輩、臓器移植の研究発表してはりましたねーと憶えていてくれた)、あぁそういえばメディア・コミュニケーションを勉強したくて文学部から志望転換したんだっけなーと思い出した。まぁ、趣味と実益を兼ねた不純な動機である。

ハーバーマスのメディア論は、カフェやサロンでの政治談義の時代から、活字メディア、電子メディアまでのツールの進化(?)と世論形成の質的変化を描いたメディア研究の定番だが、フランクフルト学派の批判理論を受け継ぐだけあって、コミュニケーションのありかたを危機的状況として検証している。やや事大主義的な印象もなくはないが、希釈すると「なるほど〜」と合点するところもある。

人は他者とかかわろうとする動物――ホモ・ソシオロジクス――だから、他者の思惑を知り、自分の気持ちを伝えるのが「取り引き」に発展するのもひとつの現実。力関係によっては、権力関係が成立することもある。そうなる契機については、エリッヒ・フロムがナチズム研究の中でドイツ国民の権威的性格として描き出している。

人と人とのつきあいが、「わかりあう」「共感しあう」モードばかりではなく、優劣をつけたい欲望、損得勘定に動機づけられるとき、それはハーバーマスによって「政治・経済システムが人間関係を侵食する」と解釈されている。システムによる生活世界の植民地化ときいてもピンとこないが、思い当たるフシは至るところにある。というより、名刺交換から始まる仕事上の関係は、ほとんど政治ゲームか取り引きが本質といっていいかもしれない。
肩書きや学歴や資格で品定めをする。「上」には媚びへつらい、「下」には慇懃無礼にふるまう。ニセ名刺でも経歴詐称でも、信用させれば勝ちである。

親しくなったように見えても、その理由は「協働するパートナー」だから仲良くしているだけか、こちらがいい客であったり、(悪くすると)カモとして利用価値があるから「関係」が成立しているのか、疑うのも無駄である。事実、たいていそうだから(苦笑)。
飲み会も職場の延長になるか、異業種交流会になるかのどちらかで、ただの合コン気分で幹事をやってみたらシビアな品定めが渦巻いているのにびびってしまったこともある(僕は見定められる以前の風来坊であるから、情報だけは集まってくるのだ)。

ビジネスライクでない関係は、遊び仲間や恋愛関係の中にできるかといえば、男女の間柄にも権力と損得はしっかりと根づいているものだから、もう人と人とのフラットな関係なんぞ絵に描いた餅でしかないのかもしれない。

ハーバーマスが商業化して様変わりしてしまったと嘆いたのはメディアの性質だったが、メディアが先か、個人が先かは鶏と卵のようなもの。
職場とも地域とも切り離された社交の場やコミュニティも、(たとえサイバー空間であっても)勝負の累積である。これもまた人間関係を成立させて育てるメディアと考えれば、仕掛け人こそ勝者といえるかもしれない。

かといって、「ただの合コン幹事」ごときには、おどろおどろしい情報ばかり集まってくるので、あまりやりたくない。
やっぱり、山歩き程度が無難だわ。
ここでも、いつの間にか「インストラクター」と見られていたりするので、上下関係が好きなのねーと苦笑してしまう。下手すると「事故責任者」にされかねないから、「この指とまれ」をすることさえもビビります。
山では「係長」と呼ばせたりしているワタクシも、悪乗りの責任を問われることがあるかもしれない。
クワバラクワバラ・・・


 
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読みました(書評) | 20:44 | comments(0) | trackbacks(0)
スマホが里子に出た一夜


現スマホ初の置き忘れ。
ストラップもケースもつけてない。本体はパスワードロックをかけてあるので安心だとしても、それが仇になって、拾った人は持ち主の手がかりもない。
何時間おきかにガラケーからかけてみると、電波の届かない場所にあるか、虚しく着信音が鳴っているかの状態。
以前カギがみごとに見つかった警察庁の遺失物サイトに照会しても載っていない。

とりあえず、ガラケーから回線停止しようにも、ワイモバイルのサイトが「ブラウザに対応してません」と拒絶しやがる。役に立たんサポートじゃのう。ナマ電話でのサポートは昼間限定だし。
帰宅して、やっとPCから停止完了。

冷静に足跡をたどってみると、駅→電車→職場→あっ!バングラデシュではないか。
さっそく大使殿にメールしてみるも、変身がないまま一夜が明けた。
で昨朝さっそく大使館へ。
修行中の沖縄店スタッフとQちゃん、大使が仕込み中で、「あー、わすれもの、あるよー」と引き渡し完了。スタッフさんが自宅に持ち帰って保管していたそうな。ありがたや〜m(_ _)m

今度は、回線停止の解除をしても、開通しない。「時間がかかることもあります」といっても、何時間もかかっていては困る。
こういうときのサポートが手薄なのは、マイナーなキャリアの不便なところだ。
早く脱獄したい。2年縛りの違約金を払ってでも。
もし見つからなければ、解約してドコモにMNPしようと9割がた決意してしまった。

ところが、戦闘モードで飛び込んだワイモバイルのカウンターは、親切なんだわ。ドコモ、アーウー、ソフトバンクのどこよりも常にすいている。順番待ち発券機なんかもない。
てきぱきと回線開通してもらい、本体リセットで復活となった。
んもーしばらく使ってみよか、と「男心と秋の空」になったのであった。アチャ〜

反省点として、連絡先の電話番号をシールで貼りつけておく。なんてアナログなことしか思いつかない。
拾い主がわざわざかけてきてくれるかどうかはともかくとして。
持ち物に名前を書いておくなんて習慣がないまま生きてきたツケが、唐突にまわってくるのは情けない。

世間のケータイ・オーナーはどうしてるんでしょ?
スマホだとGPS連動で場所を探索するサービスなんかもついているようだが。
情けないことに、我が家の中でガラケーかスマホのどちらかが行方不明になることもしばしば。これは、かけてみるとどこかで鳴っているから発見しやすい。枕の下から出てきたりと、実にあっけない。

飲み屋やら電車内やら、不特定多数の見知らぬ他人が入れ替わり立ち代りする場所でモノをなくすと、心底ヤキモキする。
長さ50kmぐらいのテグスで手首に巻きつけておくと、だいたい阪神間で行方不明に鳴ったぐらいだと、たぐり寄せれば取り戻せるかもしれんが(笑)。

アナログ野郎のワタクシには、アナログなやりかたが一番。
鍵の束は、鎖でズボンにつなぐようになってから落とすことはなくなった。
かばんも財布もケータイも、体につないでおくか?

やがて、首から迷子札をさげておかなくてはいけないGさまになりそうな予感も・・・クワバラクワバラ


 
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こんな日でした(日記) | 17:18 | comments(2) | trackbacks(0)
出すなら行って出せ!


大臣、あなたまちがってます!
SMバーだろうとイメクラだろうと、性事活動費から払っておいて「私いってない」とは、なんじゃらほい?
払ったなら、叩かれて踏まれて打たれてアヒアヒしてくるべきでしょうよ。
好みじゃない店なら、プレイ代金を計上するなっての。

それが支援者へのお手盛りだったら、なおさらイケマセン。
議員本人の「産業視察」なら、堂々と出向いて、公明正大にレポートすればよろしいのだ。違法ではないんだし。

うちわ大臣、演劇大臣につづいてSM大臣の肩書がつくぐらいは覚悟すること。
それでも恥じることなく(恥じたらSM業界差別だわな)SMから深イイ真理を学んで報告してくれ。
「こういうプレイは変態っぽく見られていましたが、これこそ男女のまぐわいの本質!国民の皆さん、イイ子ぶらずに縄とろうそくで二人の仲を深めようではありませんか!」と街頭演説すると、大反響うけあい。姫井ぶってぶって由美子も、ようやく名誉回復の運びとなる(無理か)。

正直ワタクシの趣味でもないのだが(いやホント)、「やめて」は「やめないで」と脳内で翻訳してしまう(やめないで!は翻訳しない)。その程度は男性の標準仕様ってものである。
ほとんどの男女は、隠れSかMだと思う。夜も昼も、猫をかぶっている。発散できる場所が、その手のサロンなのだ。つまり、銭湯ですな。

宮沢大臣は、叔父のクリーン宮沢喜一元首相と結びつけると「SM知らず」を訴えたいのだろうが、
麻生太郎なんかは、本当に庶民の味を知らなかったようで、カップラーメン400円?とボケていたように、世間知らずは笑われるだけ。今からでもせっせと視察にいって、「ろうそくプレイは実は熱くないんですね」「噴火プレイは江頭さんがお手本になります」と報告しなしゃい。ただ冷静に、生真面目に。そうすれば有権者には満身創痍(笑)で視察にまわってるんだ〜と理解してもらえるぞ。

植物系男子がどんどん増える少子化ニッポンに必要な回春政策として、SMはナイス・アイデアだ。もちろん、お互い納得していればの話。
ロリコンやDVに走るより、よほど正常ではないか。

巷の少年・青年・殿方諸君には、家政婦やマスコットのようなパートナーではなく、クイーンに痛めつけてもらおう!と呼びかけたいほどだ。
アングラな店でコソコソ楽しむのは出費もかさむので、パートナーに専属クイーンをやってもらおう。くたびれかけた愛妻にJK(アチャー!!)になってもらうよりは「意外とイケる」はずである。

どうしてもバイオレンスがいやな人は、言葉責めというメニューもある。
「オラオラオラ、なんだ〜このヘナ珍は!?」「おまえは便器になるのさ、いいね!」とかなんとか、パートナーがいきいきと口走る姿をみれば、あらなんということでしょう(*_*;てなサプライズも期待できる。
SMは日本を元気にする。
きっと。





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こんな日でした(日記) | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0)
失敗体験の伝承こそ大人の責任


入門書の類には、大人向け、子供向け、おにゃご向けの3つがあると思う。
乗り物系も、スポーツ系も、アート系も。

大人向けは否応なく「シニア向け」になりつつあるのはしかたないところで、ではではではアウトドアはどうかいな?と思いきや、けっこう万人向けに出そろっている(気がする)。
子供向けのヤマ本なんてなさそうにみえて、おっとどっこい、永遠の少年にいけてる服を買わせるカタログ雑誌は健在だ。この部類が、お子さま向けってことで。

新刊の笹原芳樹『体験的山道具考』(ヤマケイ新書)は、オヤオヤ〜、ヤマケイ文庫はいつの間に新書に変身したのやら〜?と首をかしげながらもパラパラ。
中身は案外(失礼)ちゃんとした大人が大人に向けて書かれた指南書であった。

業界向けメディアに書いた記事のまとめなのに、「なのに」か「だから」なのか、珍しいなーと思ったのは、ガソリンコンロにさっぱり言及がないこと。
「わかってますね職人!」とリスペクトしてしまった。

普通の素人のハイキングやトレッキングには、ガスコンロでいいもんな。
もしかすると、百均ボンベのカセットコンロでも充分かもしれない(百均ボンベの山用コンロは、すでにあった気がする)。
このへんの見識の真っ当さが、大人向けか子供向けかの分け目になると思うんである。
初心者にガソリンで煮炊きさせるな、ちゅうこと。

そのかわり、笹原さん、安全対策には目配り充分。
ダブルストック・ツェルトなんてのが開発されているのは知らなんだ。ものは工夫なんですなぁ・・・
こんなエマージェンシー対策に親切で丁寧な説明を割くのは、大人の良心である。
おにゃごメディアは、そもそも危ないアドベンチャーを紹介しない(これはこれで、えらい)。

惜しいのは、内容はいいんだから、よほど大書店でしか扱わないようなヤマケイ新書ではなく、講談社現代新書とか+α新書あたりから初刷10万部ぐらいどーんとリリースしてくれた方が、秋冬の遭難予防に役立つんちゃうかな〜と感じたこと。
遭難対策は自己責任だとはいえ、いざとなったら救助は公費負担になったりもするから、全国の焼酎学校でしっかりサバイバル術のレクチャーでもすればいいのにね。

ただ実態は、遭難者の半分が中高年だったりするようだから、タクシー気分でヘリを呼ぶヤカラはそもそも遭難予防策を考えてないんでしょうな。
だからこそ、最低限ツェルトぐらいは必携だと理解してほしい。
標高差150mの里山散歩でも、わたしゃツェルトと一緒である。これに泊まりたくて泊まりたくてしかたない。
のに、いまだ出番がないのは安全でいる証し。
一度ぐらいは、ビバークもしてみるか?





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読みました(書評) | 23:18 | comments(0) | trackbacks(0)
ボランティア出勤は若年ニンチの予兆?


遅ればせながら、今日から衣替え。
まだ街で半袖ボタンダウンでがんばっているサラリーマンに敬意を表しつつ、ブレザーを着用させていただく。

体育会系のC法人で声を枯らして、次はA法人。移動の合い間に激辛ドリンクで滋養強壮!
と大使館に突入したら、「スミマセーン、いま仕込み中」と出鼻をくじかれた。
ひと皿なんとかできまへんか?と無理をきいてもらって、ちゃんと出てきた。ありがたや…

那覇領事館の2等書記官さんが修行にきていた。
「どうですか〜、この味うけてます?」
「なかなか辛いの食べる方いらっしゃらないようで」
「そういえば、辛い沖縄料理って、思いつかんよね」
「唐辛子を使った料理はあるんですけどね…」
とかなんとか、沖縄事情をうかがっているところへ、体育会がドヤドヤ6人やってきた。「やっぱ来てたんすかー!!」と未来の消防官が。

席をゆずって、ちょうどいいころあいでA法人へ移動。
ほとんど一夜漬けで5枚ほど新規で作成した資料を輪転機にかけて準備完了!
したところで、あれれ?1日まちがっとった。出撃は明日だったのだ。
なんと間抜けな・・・
でもまぁ、出直せばいいわけで、資料を預けて帰宅の途。

今年はシフト誤読がやけに多い。ただの事前確認ミスなのだが、今のところ「出勤しすぎ」はあっても穴を空けたことはないので、迷惑はかけとらん。
毎日出勤時間が変わるのは気分転換になるから性に合っているのだが、イレギュラーな割り込み仕事が入ると確認が大変(*_*;
1週間のデコボコ時間割が決まれば、それはそれでルーチン化したいのは、つまり安定志向なのかな?

いつもより早く帰宅すると、ちと手持ち無沙汰な感じがするだけで害はないけれど、最悪な「出勤しすぎ」は、朝イチで出勤したら臨時休業美だったというパターン。朝9時に、もう手持ち無沙汰になってしまう。こんなときの1日の長いこと長いこと・・・帰って寝不足を補うのがかしこい(でも愚か)のだが、グランフロントやらディアモールやら徘徊していると散財するばかり。
先週の誤出勤の後、ヤケクソでカメラを買いそうになったのは、さすがにぐっと思いとどまった。

帰ると、山ワイフから「神戸でカレー臭させて髪を切ってきました」とメール。
そうか、同じころこちらは大阪でカレー臭を注入していたわけですな。
二人の波長はピッタリ♡である(笑)。
でもサスペンスの気配も何もない。
秋風が身にしみる・・・

 
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こんな日でした(日記) | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0)
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