2015.02.28 Saturday
世界も驚くアイボ供養か・・・好きやねぇ供養が。
針供養や人形供養は昔からあったし、日本人の優しさなのかな。だとしたら、kawaiiの次に世界に誇れる大和魂はyasashiiか。
ソニーさんも、犬型玩具がこれほど日本人のアニミズムを刺激するとは思わなかっただろう。
もし南極2.2号なんて生産したら、結婚するやつ葬式するやつ心中するやつも出てきかねない。製品の保証だけでは納得してもらえそうにないから、開発をやめたのでは?と勘ぐりたくもなるわ。
相棒供養のニュースを妙にシュールに見ているとき、山のリア相棒から「デジカメ壊れた!買い換えるのはどこのメーカーがいい?」とメール。
よくまぁ、長持ちしたもんだ。もう記憶が薄れかかっている一昔前に、僕のとおそろいで買っていただいた(買わせたんだったか、押し売りしたんだか…)防水タイプで、たった400画素しかない。
それでも、電源が単3なので重宝する。メーカーが責任を取らない専用充電池なんかではないので、どこででも手に入るもんな〜
このOptioも含めて、うちのデジカメは単3仕様ばかりでござる。
その利点は、野生パパの友人も重々承知して使い古してきたので、これと似た機種を探すにも、もう「単3防水」は絶滅危惧種なのだ。
お気の毒に・・・いや、明日は我が身だな。
発想を変えれば、今このスペックのカメラはケータイについているので、スナップ写真はケータイで、と割り切るのもあり。
ガラケーでさえ、僕が通話に使っているアクオスケータイなんかでも、1200万画素でフルハイビジョン動画が撮れてしまう。防水だし、充電は単3アダプター(みたいな百均商品)で急場をしのげる。
カメラのつもりで白ロムの中古ガラケーを買う選択も否定できないほど、「もうスナップ写真はケータイで充分」な消費者が多くて、撮影専用カメラ(変な表現)は売れない時代なのは寂しい。
友人は特にマニヤではないし、今さらフィルムカメラをすすめるつもりもないけれど、僕がペンタックスLXでフィルム撮影していると、「シャッター音かっこえーっすねぇ!!いかにも写真撮ってるって感じ」と感動しているほどだから、「写真はカメラで撮りたい」という健全なセンスの持ち主なのである。
僕も、便利さは否定できないものの、「多機能スマホ」は結局どの機能も中途半端だから、音楽は音楽プレイヤーで、写真はデジカメで、通話はガラケーで、と分業してしまう。カメラがないシャッターチャンスのときだけケータイ撮影。
だから腕前がさっぱり上達しない。基本スペックも撮影アシスト機能も申し分ないとはいえ、「撮影するぞ感」がない(だから写メ族は有名人を盗撮するのに抵抗がないのか)。
アンドロスマホ、ウィンドーズスマホ、ガラケーのどの電話カメラで撮った写真も、自画自賛できるほど「ええ写りやなぁ」と思った写真は皆無。なんでだろ?
撮った瞬間は画面で「撮れた撮れた」と満足しても、プリントアウトする気にもなる写真はめったにないし、デジカメにメモリーした時点で満足感はピークだったりする。何百カットもデジカメで撮ってしまうと、帰って整理する手間を考えるとうんざりしてくる。
撮るぞ!と意識して撮るまでの時間(旅であったり写真散歩であったり)と、撮ってから現像できるまでの時間に、「フォトグラフの愉悦」みたいなものが熟成されるような気がする。
だから、少々の手間がかかる方が「撮影しました感」は強く刻まれるのだが、それほど構えて撮りたいものが、そもそもない。
撮ってミスって即消去して、が慣れっこになっていると、「ワンシャッター50円かかる」とセコい計算をしていたフィルム時代より被写体そのものの価値さえ低下しているような気がする。あの時代、たとえば「乙女のスマイル」を撮るのにどれだけ苦労していたことか・・・今は「あっちいけ!散れぃ!」と露払いせんといかんほど、職場にはピースサイン乙女があふれているからなぁ。
デジカメの手軽さは否定しないし、恩恵も多々受けているけれども、シャッターを切る(この表現も古いか)ヨロコビで指先が震えるようなカメラがない。
もう、フィルムカメラの撮影間隔を引きずっている方が悪いのかもしれなくて、もしかするとゴープロのような難条件ホイホイ撮影でこそ、デジカメのメリットは大であります。
でも日本人にウケる〜!!のは、「犬型デジカメ」だったりするのではないかね?
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