バングラ大使殿が、季節はずれの帰省。
見送りがてら、カレーをいただいてきた。
前々から聞いていたので、1ヶ月後には再会できるのを前提に、のどか〜なやりとり。
「おみやげって、どんなもん買っていきますのん?」
「もー私の荷物だけで一杯。でも息子にDS」
と、愛息の写真を見せてくれる。子煩悩なパパでいらっしゃる。
常連客のおじさんが加わり、トリオトークになる。
同世代のおじさんも、気持ちはわかるようで、
「寂しいっすよね。でも今はスカイプでしゃべれるから便利やね」
「イモ使ってる。スカイプより便利」
僕よりITを使いこなしているようだ。
息子さんをぜひ日本に呼び寄せたいと前から夢見ておられるのだが、観光ビザさえなかなか下りないらしい。ローラ・パパがバングラ人への警戒感を高めたのかもしれない。
「学校いけたら、留学生でビザとれる。でもお金かかる」
パパが日本円を仕送りしている分には経済的には恵まれるが、大阪で暮らすとなると生活費もかかるから、日本人と同じように苦しい家計に直面するだろうな〜
それでも、日本での暮らしを経験させてやりたい親心が、ひしひしと伝わってくる。
一方、甥っ子の神戸領事殿はもう何年も帰省していないんだとか。
夫婦で帰省しようとすればそれだけでけっこうな出費になることもあるし、意外と日本にもバングラ・コミュニティが根づいていて、モスクもあるし、ホームシックにかからずにすんでいるようだ。まぁ、早稲田に学んでいたぐらいだから、ひょっとして中国人や日本人よりはコスモポリタンといえるかもしれない。
灼熱の熱帯モンスーンに比べると、日本の夏は快適そのもの♪と涼しい顔をしている。
冬は、来日間もないころの奥様は涙目だったが(笑)。
ことあるごとに、台風で毎年何千人も流されてしまうとか、家ごと飛んでいってしまうとか、大使殿は驚かせてくれる。祖国のエクストリームな風土で脅かしつつ、「旅行においで」と誘ってくれる。どうしよっかな?
Facebookでタイの日本語ペラペラのジャーナリストとチャットもしているので、東南アジアはまずタイから、と決めているのだが、発展めざましいミャンマーとは陸続き。その向こうがバングラデシュである。
「タイからミャンマー通ってバングラデシュに入るルートはどうでしょ?」
「うーん、川を泳いで渡るミャンマー人も、いぱいいる」
「いやいや、密入国やなくて、こっちは旅行者ですから」
「治安もよくなてる。パキスタンより、はるかにいい」
なんてライバル心(?)ものぞかせる大使殿のみやげ話を、とりあえず楽しみにしとります。
バングラデシュというと、僕の世代はダッカ事件の印象が強い。
過激派の懐柔にあたった日本側の政治家が、石井一だった。
その実家が、日曜日にたまたま前の市道を通りかかったら、きれいさっぱり取り壊されて、およそ200坪ほどの更地になっていた。
ダッカ事件も歴史の1コマになり、政界も世代交代。なんとはなしの感慨にふけってしまった。
トルコはアジアのはじっこと考えれば旅したい候補地No.1だったが爆弾テロで悲惨なことになっている。去年だったか、ブルーモスクの前でも爆弾テロがあったから、ISのテリトリーに近いトルコは近寄りにくい(観光業へのダメージも大きいだろうね)。
イスラム教徒の人のよさはよくわかっているから、個人的には警戒感はないのだが、僕には善良なイスラムの民と危ない人との見分けがつかない。わたしゃ平和ボケしている日本人の典型だから、この島で山や川で遊んでいる方が無難であーる。
アジアに平和を❣
と虚しいお祈りをしておこう。
JUGEMテーマ:日記・一般