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そろそろ、ゆっくり、こっそり革命!
堺屋太一の仕事納めになるか?


大阪万博なんて、本気で2回目やるつもりなのだろうか。
何を博覧するというのかね?
健康長寿をテーマにするらしいから、コンパニオンは全員80歳以上とか(ギョギョッ)。目玉展示が46年前は月の石だったから、今度はこれだけでかい胆石が取れました!でもわしは生きている!!とか(笑)。

 

科学の進歩を博覧するのがエキスポ70のコンセプトだったように、何かメルクマールがあってこそ博覧会が成り立つはず。
だから、第2万博までに不老長寿の秘訣が発明されるか、日野原重明ドクターが息子の老衰を看取るか・・・形にするのはなかなか難しいぞ。

ホンネは博覧会を口実に売れ残った埋立地のツケを出展企業に押しつけたい、地下鉄を延ばしたい、できればリニアを引っぱってこれたら・・・そんな余録が透けてみえるね。

 

五輪誘致で失敗したから万博いっとこか〜、というなら、あまりにも場当たり的な発想ではないか。

全否定するつもりもないので、超高齢社会を明るく照らしてくれるような企画展示ができるなら、新しい博覧会モデルになるかもかもかも…と期待したいところだが。

 

ただ、近未来医療の最先端は京都と神戸である。
間をとって大阪でまとめてお見せしよう、というなら、万博までにiPS臓器をなんとかつくりあげるぐらいの目玉がほしい。
阪大の澤ドクターはiPS心筋細胞の開発に励んでおられるから、ラットでもブタでもいいから、iPS臓器をお披露目してくれないものかな?

 

エキスポ70の跡地は遊園地や公園になったが、人工島は地下鉄を引いたとしても盲腸路線になるから、万博の後わざわざ足を運ぶ目玉設備も考えておかなくてはイケマセン。南港ポートタウンとニュートラムの現状を見れば、同じ轍を踏みそうな予感もある。
地理的に、要になるような場所でもないしなぁ。

 

エキスポ70があまりにも衝撃的な夢の空間だっただけに、二匹目のドジョウを狙った(?)ポートピアには足が向かなかった。つくば科学博はちょっと興味はわいたが、沖縄海洋博、愛・地球博(愛知窮迫?)はスルー。
むしろ、万博は廃墟にこそならなくても、その後の落差を鑑賞するために輝かしく開催してもらった方が見ごたえはある。仁尾太陽博なんて、悲惨だったもんなぁ。

 

大阪シルバー博(?)は、せいぜい跡地にマンモス特養ができるだけだったりするのではなかろうか。市内の僻地のような人工島に団地を造っても完売するとは思えない。
都市型のシルバー社会の未来図を展示する場所にはなったとしても、自然に健康長寿を実現しているのは信州だったりするから、僕も個人的には医療に依存した長寿より畑を耕して長生き♪の方が魅力的ですわ。

 

ハコモノばかり造って保険料と助成金で(とりあえず)長生きできる高齢者が増えるなら、拠出する側の若い世代をとにかく増やさないと、未来へのツケはふくらむ一方であります。
出生率がフランスを抜くぐらいの革命が起きれば、堂々とシルバー博で自慢すればいいと思うがね。

 

 

 

 

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こんな日でした(日記) | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
町の独立写真屋さんフォーエバー!!

 

近所の園芸店が閉店するようで、在庫放出お目当ての住民が殺到している!
てほどでもなく、チラホラ。
ただでもこうだから、営業成績は苦しかったと思う。

 

「いくらですか」「お代いりませんから持ってって」
なんてやりとりをして、喜んで自宅へ取って返す赤ちゃん連れママもいて、たしかに相当でかい鉢はお得感もありそう・・・でも、園芸センス皆無のワタクシには値打ちがわかりません。ただでももらってこようとは思わない。

部屋にベンジャミンをおいて話し相手になってもらおう(笑)と思ったことはあるけど。

 

この店の前のテナントは、セブンイレブン出店のあおりをくらった食品雑貨店で、あっけなく閉店。
コープが新装開店すると、向かいでマシュー君を雇って元気に青空営業をしていた青果店も、ほとんど開店休業状態になっとる。

こんな超ローカル商いでさえ、市場経済で淘汰される厳しい現実を見せてくれる。イヤハヤ小商いは大変だ。
大資本を恨むつもりはないとはいえ。

 

ところが、客の姿はほっとんど目撃したことがないのに、勤勉に営業しているDPE店が健在なのだ。
デジカメプリントはコンビニでできるし、フィルムを出す人なんているのか?と思うのだが、ちゃんとフィルムのDPEマシンがあって、営業案内には懐かしい「リバーサルプリント」なんてのも掲示してある。

 

もう、わが丁内なので「かかりつけ写真屋」になってほしい気持ちはありありでも、いまだ現像を出したことはない。

駅近にフジカラー専門店が一応健在だから、めったにないフィルム現像を出すときはそちらに出しているもので…

 

写真屋なんてのは競争相手がどんどん撤退しているから、ライバルのいない商いといえるのかもしれない。
商売敵はデジカメとコンビニになるのかもしれんが、まずフィルムがなかなか買えないから、フジカラーでもアグファカラーでもいいから並べて、懐かしがる客とフィルム未体験世代の両方にアピールしたらいいのに…と思いつつ、それでもワタクシ自身この店に未潜入。イケマセンね。

 

住宅街にあると、その界隈の文化度の高さみたいなものを感じるのが古本屋や写真屋(できれば写真館)、レコード屋の類。
別に八百屋や肉屋がなくなってもいいとは思わんが、代替店はどこかに見つかるものだ。写真屋は、もう新規開業は期待できないから、生き永らえているだけですごい。

 

僕はずーーーっとコダック党だったが、今じゃ「フジカラー」の看板と出会うだけでほっとする。
同時プリントの袋に心ときめかせた(そして、駄作の山に打ちのめされる)20世紀感覚を、ちょっとプレイバックしてみようか。
フィルムは買ってきた。これをフジカラー店に出そう!
アグファカラーフィルムですが(ごめんなさい)。

 

 

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こんな日でした(日記) | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0)
ラジオをサーバーに囲い込むラジコの未来



けっこう新聞各紙でもラジコの新機能スタートがとりあげられて、送り手(放送事業者)側の意図は代弁されているのだが、受け手の要望とのギャップはまともに取材されていない。読者よりスポンサーへの気遣いが先行している感じ。

 

オンエア時間外に聴きたいと思えばエアチェックが一番シンプルで、地元局なら無料で聴いて録音して保存も簡単。
ラジオがオン・ウェブになると、当然エアチェックはアプリが頼りになるが、Raziko をつぶしたからには、ラジコはその代替機能を持たざるをえない。

 

ただ、どうしても放送データを囲い込みたいのか、サーバー上で1週間分のデータを保存しておいて、「制限つきで閲覧させてやる」発想が透けてみえる(聞こえる)。大がかりなポッドキャストにすぎない。
こうなると、当然ダウンロードするアプリが出てくるね。Raziko と同じようにつぶしにかかるわけか?

 

もう、一昔前に電子書籍が出てきたとき、端末の中に書店が!と鳴り物入りでスタートしたサービスを買った研究者たちは、「料金を払ってデータを閲覧しているだけ」の実態に口々にブーイング。本は買ったら自分の財物になり、加工しようと転売しようと自由なのに、電子書籍は字面を閲覧するだけ?と拍子抜けしてしまったわけだ。

 

今ではダウンロード型の電子書籍もあるが、まやかしのキャッチフレーズに猜疑心をもつ識者は相当数おられる。

書籍データも放送データも、コピーが流通すると本業はたまったもんではないから、消費者の手元ではなく供給側でコントロールしたいと思うのは無理もないとは思う。制限つきであっても、電波の届かない地域の放送を聴取できるだけでも画期的で、ありがたいなーと思うラジコ会員(ついに不肖ワタクシもなってしまった)が圧倒的多数だろう。

 

さて、これでラジオ離れを押し返すことができるかどうか。
スマホでラジオを聴くことに違和感のない世代は、地域密着情報など求めないから、おもしろいと思ったら都道府県の垣根は簡単に超えてしまう。僕なんぞ、TBSと文化放送とニッポン放送ばかりで、ABCもMBSも聴かない(ごめんなさい)。魅力的なローカル番組を制作する力が地元局にないケンミンは、在京局リスナーへと鞍替えしてしまうのではないかね?
地上ラジオ波の聴取エリアに守られてきた地方局は、本気でTBS、QR、RFに太刀打ちしないと、リスナーを取り逃がすだろうね。

 

逆に、ローカル局が民放連加入大手と同じ土俵に乗れたら(今のところラジコはJCBA、CRSA系は取り込めていないが)、「圏外」リスナーが新しいファンになるかもしれない。
新幹線ストロー効果と同じことが、放送でも起きる兆しはすでにあるもんなぁ・・・FM千里にはコアな東京都民リスナーがいたりするように。

 

地方局にはがんばっていい番組づくりに励んでいただくとして…
僕がアナログラジオで愛聴している FM Cocolo の「ゴーゴー・ゴンチチ」なんかは、ラジコプレミアのおかげで全国区になってホクホクしている。

 

ゴンチチさんは、なぜか地元でなくFM徳島で中島らもと「魔界ワールド」なんてマニヤックな番組をやっていたほど、ローカル色が強い。というより、全国区では NHK-FM で長寿番組をやっているから、あえて地方の片隅でひっそりボソボソしゃべるのを楽しんでおられるところもあって、惜しい反面、事情通は「片隅の愉しみ」も堪能できる。いや、できていた。

 

今じゃ天才ゴンザレス三上さんの行きつけの天神橋筋商店街のカレー屋って、どこなの!?
と鵜の目鷹の目の関西以外のファンは、ラジコプレミアのおかげで天神橋筋商店街観光にいらっしゃるかもしれない。
ま、同じことは毒蝮にジジババがいぢられている巣鴨てどんなとこ?と関心を集めてきた TBS ラジオについてもいえることだが。

いつでも好きな地域のラジオを聴き返せるサービスは、とりあえず便利とはいえ、深夜放送(特にナマの)の「深夜感」はやはりリアルタイムでないとね。


いま聴いてくれてる受験生のみんな、予備校に遅刻しないでね!なんて声をかけていたパック・イン・ミュージックの「アジール感」は、ネットラジオにどれだけ生き残れるか、不安半分・期待半分ではある。
エアチェックした深夜ラジオを、出たばかりのカセット・ウォークマンで聴いているやつが、予備校にもいましたがね。

 

 

 

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見た聴いた受信した(メディア評) | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0)
車掌は猫娘にチェンジ!

 

近鉄のプッツン車掌に寛大な処分を!
と署名活動まで起きていて、FBでも友人がシェアしている。

 

職務放棄する前に、どんなストレスをかかえていたかも事情聴取した方がいい気がするが、客がクレームやヤジを浴びせかけていたとしたら、ほかの職員も「もうこの路線に勤務したくない」と思っているかもしれない。
ベテランなら、「まぁ平身低頭ぐっとこらえるのも仕事のうち」と悟っていると思うが。

 

車掌にクレームをつけても、遅れている電車が動くわけでもないことぐらい、大の大人なら会社の事情はわかっているはずだ。だから、早く動かせ!ではなく「情報提供しろ」が今どきのクレームになっている。
それでも、車掌にもわからんものはわからんから、運行本部からツイッターで逐次案内が流れるような形になれば、少しはガス抜きになるかもしれませんな。

 

確かに、動かないのはしかたないとして、いつ動くのか、運休になるのかぐらいは「見込み」だけでも知りたいのが客のホンネだろう。
僕がふだん乗っているJRだと、数分の遅れでも「踏切の無理な横断があったため」とか「前の列車に急病のお客様がおられて」とか、車掌は理由をちゃんと説明している。いいことではある。

 

それが当然とはいえ、アナウンスのなかった時代は、ひたすら客は耐えていた。
それでも、遅れを取り戻すスピードアップもしていたから、ある種の人間的な対応をしていたように思う。
もう、そんなことはできない時代ですがね。

 

ストリートレベルの官僚制という概念があって、これは現場裁量の加減、組織のガバナンスにかかわる研究テーマなのだが、最前線は風当たりも最強の部署でもあるのは確か。新聞が誤報をしたら配達員にクレームがぶつけられるし、警察の不祥事は巡査が矢面に立たされる。


罵詈雑言を浴びせて組織全体が変わることを期待しているのか、ただのウサ晴らしなのかはケース・バイ・ケースとしても、どこにクレームをつけるのが効果的か、小賢しく察知するクレーマーもいるから、よけいに最前線はストレスを背負う結果になる。

その意味で、心を病む公立学校教諭が増え続けているのも気の毒っちゃー気の毒かな。
焼酎学生でさえ、担任にゲームを没収された!といきなり市教委にねじこむ親子がいたりする。または議会とか。
上から指導してもらおうと考えてのことかもしれんが、上の指示通りに仕事をしていた結果なら、あんまり効果はない。

 

電車やエアラインの事故はどこにクレームをつけていいのか、わたしゃよくわからない。「ま、しゃーないな」とあきらめてしまう。旅先なら、トラブルもまた思い出になりますわいな。

仕事に差し障りのあるトラブルだと「どうしてくれるんだ!」と噛みつくヤカラも出てくるのもしかたないこととはいえ、駅員が実際どうかしてくれるものでもない。それぐらいの大人の常識をヤカラにたしなめてくれる鎮め役がいない状況も、世知辛いことですな。

 

近鉄の若手車掌クンは、しっかりメンタルケアを受けて、職場復帰するか、適職をみつけて転身するか、ともかく処分は必要最低限にしてやってほしい。末端への情報伝達のまずさがわかれば、会社にも反省点はあるはずだし。
それでも、「客は神様だろうが」と思っている気質が変わらないと、第2第3のプッツンが出てくるかもしれんよ。

 

 

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こんな日でした(日記) | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0)
初心者向けではないがリーダー必携の山べからず集


耳の痛い本イコール役に立つ本である。

出会ったのは、野村仁『やってはいけない山歩き』(青春新書)

 

著者は還暦ちょっと過ぎのベテラン登山ジャーナリスト。豊富な事例から、ありがちなNG登山をわかりやすくまとめてある。

のっけから、「登り始めが遅い人」にダメ出しされている。あちゃー!!
2時から登山開始するワタクシは、確実に叱られるだろうな。
だって、昼食の腹こなしができた頃合いが午後2時ぐらいだし、下山も遅いとわかっているからヘッドランプ持っていくし・・・なんて言い訳は、根本的に間違い!と有罪判決を受けそうだ。

 

その2。「素性のわからない相手と登る人」も危険登山者だとか。
そんな人いるのか?ツアー登山のことか?と思いきや、SNSで出会ったインスタント仲間も、これに入る。そうか、いまどきの若い子にありそうなグループ編成でしょうな。ハンドルネームしかわからないとか、ぼんやり「近鉄に乗ってくる子」ぐらいしか出自がわからんような。
ふつう登山届が必要な山だと、リーダーが全員の住所・電話番号・職業・年齢・非常時連絡先(たいてい親族)を把握して、届けに代書して出していたものだが、今じゃプライバシー保護が命より大事だからな〜

 

その3。初心者を難しいルートに連れていく罪なベテラン。
一度だけやっちまった。白馬岳(2933m)に、初登山OL2名を加えてベテラン男3名で。
とりあえず幸い盗聴して生還したが、ベテランの山男はテントごと強風で転がっていった。笑い話ですんだからよかったけど。


判例でも、大ベテランは中ベテランに、大・中ベテランはビギナーに、安全配慮義務を課すのが常識になっている。ヒルウォーキング程度でも、うっかりミスで負傷すると引率者に法的責任をゴリゴリ突いてくるクレーマーがいないとも限らない。

おそらく親心のような善意で、「壮大な眺めを見せてあげたい」と思って連行してしまうこともあるのだろうが、ちゃんとトレーニングを続けて本番に臨むような(いい意味で)ビビリ症の初心者の方が、「安全な仲間」になるかもしれない。


その4。「遭難しかけているのに認めない人」は笑える。いや、笑えない悲惨な結末になることもあるから、迷ったらわかるところまで引き返すのが「勇気ある撤退」かな。場合によっては停滞してSOS発信するのが最善かもしれない。
仲間がろれつの回らない声で「花畑が見えまーす暑い暑い」と吹雪の中で叫び始めても「死の行軍」になっていることを認めないリーダーは怖い。実際、そんな集団遭難は毎年おきている。

 

かといって、手首をねんざしただけでヘリを要請するのもどうなもんじゃい?と思ったりする。救助ヘリは救急車より貴重な社会資源だから、自力で下山できる人の「送迎」に拘束されてしまうと、本当に心肺停止で一秒を争う遭難者を救えないもんなぁ。

そんなこんなの危ない登山者を例にあげて、ちゃんと説得力ある対策もシンプルにまとめてあって、大変わかりやすい。

 

「絶対に転ぶな」は鉄則だろう。かんたんなようで、なかなか難しい。
不肖ワタクシはよく転ぶ。幸いケガしたことはないし、南八ヶ岳の森で子rんだときは3回転して停まったが、コケの上はソフトで、ころがりながら妙に楽しかった覚えもある。これも、ダメ出しくらいそうやな・・・岩場で下手に転ぶと命取りになりかねないから、ストックもフル活用して、今のところ大事故には至っておりませんが。

 

急病や発作の類は、たとえドクター・チェックを受けていても、登山者人口が高齢化するほどリスクが上がるのも自然なこと。
自分のためにも、たまたま出会った人のためにも、救急処置の初歩ぐらいは身につけて「集団安全保障」を構築するしかないのかな、と思う。
これも、気を利かせてうかつに救難要請すると「頼んでないぞ」と後で本人か遺族から費用のツケを押しつけられることもあるそうだから、世知辛い世相ではある。

 

こういう山の法律問題も、きちんと1冊まとめてくれないと、遭難時にどう金が動いたか、裁判所がどう判断したのか、なかなか伝わってこない。
登山ジャーナリストの視点から、続編を期待したいところだ。

 

 

 

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読みました(書評) | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0)
熱中小は健康の証し


熱中小学校か・・・おもしろい公共事業ではないか。やるねぇ徳島。
町おこしの一環のようだから、大人向けの授業(事業)がプログラムされているようだが、体育や音楽や図工はないのだろうか。
情操教育のジャンルは、ほとんど手抜きして6年間スルーしてきたから、ちゃんと習っておけばよかった^^;と後悔をひきずって我が人生は終わろうとしている。

 

web上でも、中高大の同窓会はさっぱり立ち上がらないのに、なぜか小学校だけ盛り上がっている。
授業や恩師の思い出はほとんど話題にならなくて、学校周辺の店や遠足の話ばかり。それが自然でいい。

高校は5年おきに集まっているが、オッサンだけなので萌えるところはない。

それが、小学校はやはり皆の衆(特にオジサンたち!)、初鯉の相手がいたりするようで、酒の勢いで行動に及ぶ殿方もいる。

 

質実剛健人生一直線(笑)のワタクシは、同性の友人で家族ぐるみのおつきあいもしていたのに行方不明になってしまった親友への思いが消えない。鯉ではなく、もっと深い感情かな。

中学から人と違う道(イエズス会の学校)へ進んだT村君は、北大医学部に進んだところまで皆さん把握している。いま医師名で検索しても、同姓同名がたくさん出てきてしぼりきれない。僕が田舎の焼酎学校へ転校した後も会いにきてくれたり、イエズス会の学校に遊びにいったりして数年はつきあいが続いたのだが、またどこかで何十年ぶりに出会う日がくるかどうか・・・

 

こんな賢い子たちが、どんな勉強をしていたのか、よーく観察しておくべきだった。今のような進学塾チェーンなどなかった時代だから、ほとんど独学か、通っている学校の授業をちゃんと受けて血肉にしていたわけで、英才教育は受験産業にアウトソースなんかしていなかった。


スポーツや音楽芸能の分野で大成した同窓生は、だれも知らない(ベッキーの雇い主はいるが)。
校区から皆そろって進学する中学も同じだったようで、「お勉強小学校」だったのね、と今さらながら(まるで部外者の気分で)キョトンとしてしまう。同窓会も偉い学位を持つOBたちがゾロゾロいるし。

せっかく六甲・摩耶が近くにあるんだから、もっとアスリート系の同窓生が出てもいいだろうに。

 

とはいえ、それが母校の伝統(?)だから、あまり変わってしまうとよけいに部外者気分になる。男だらけの暗黒時代でしかなかた高校は、今や共学だから、うかつに母校訪問もできない(一度も訪ねたことはない)。

だから新しい発想で小学校を創設する大人の企ては、よくわかる。

 

ただ、異業種交流会や町おこし目的になると、あんまり純粋な学校には見えないから、僕は体育と音楽をちゃんと教わりたい。通信簿も最低スコアの1で通したから、開き直ることを覚えてしまった小学時代は、ある種「黒歴史」ではある。
国数理はがんばっていたはずだが、こういう科目は個人戦だから、「勉強仲間」のような輪ができにくい。スポーツと音楽は、仲間あってこそだから、花が咲くのもわかる。

 

いまどきの三十路ぐらいの世代だと、名刺を配り歩いて、肩書にCEO とかなんとか刷り込んで、「センセ、納入させて下さい」なんてやっているのかもしれませんな。

金銭と政治のからんだつきあいはしないのが、わが同窓生の人徳みたいなところで、幸運だったと思う。
別に商売気がまるごと悪とは思わんが、ウィンウィンの関係になるとは限らないから、古き良き同窓生の輪を守るなら、同窓会は利用しない方が賢明だろうね。


子供の縁談まっ盛りの世代でもあるから、これからは熟年離婚だの老いらくの鯉だの、イロゴトで同窓会を沸かせてほしいものだ。これが一番ネタになるし他愛なく笑える。

酔いが回ると「おーい、だれかええオバサン紹介してやれ!!」と僕にお節介を焼いてくれるのも、同窓生のありがたい迷惑行為である(笑)。
イヤイヤ、お前こそ離婚式に呼んでくれ!
とかなんとか、オジサンオバサン小学校は、イロゴトもこじれるからおもしろいのです。

 

 

 

 

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こんな日でした(日記) | 21:06 | comments(0) | trackbacks(0)
じすいず・えれめんたりーすくーる


幼いころから、華僑の友人や主治医も身近にいたが、みな関西弁がネイティブなみだったから、異国としての中国に触れたのは、留学生の謝さんがきっかけだった。名門復旦大学で日本語の先生をしておられた知識人だったから、日本語会話も支障なくできたし、日中ちゃんぽん語で楽しく四方山話もできた。

 

英語も仏語も、苦労して学んだわりに、ほめてもらえたことがない。哀しいことに、入試に受かるかどうかだけが、評価ポイント。
それが、中国語をかじって「どうぞごゆっくり」「コンパいきますか?」「ビールでも飲みましょう」ぐらいの片言をしゃべると、謝さんは大喜びしてくれた。手応えは外国語学習の鍵になると思う。

 

ちょうど、FBで友人とプチ論争をしていたところである。
英語教諭の友人は、小学校で英語なんか学ぶ必要がない。需要がないことに税金を使うな!と熱烈に主張している。
最前線の教室での混乱もさることながら、教務や労務の多忙さも訴えていて、それはそれで傾聴に値する教育行政の問題だとは思う。これは文科省とPTA連合がすり合わせをして、いい方向で解決できればと期待するばかり。

 

でも、需要と供給のとらえ方は、友人と僕とで175°ぐらいちがう。
需要がないのに教育をするな、に対して、「教育されてないから需要に気づかない」が僕の立場。

 

いま現在の需要だけで教科課程を再編するなら、図工や音楽や家庭科や部活もいらない?なんて話になってしまうから、需要を根拠にすると方程式も化学式も小説の読解も必要なくなる。また、そんな理屈で責めてくるモンスターペアレント対策で、よけいに教務サイドは仕事が増えませんかね?

 

英語どころか、中国語でもスペイン語でもいいから選択できるようになると、需要は拓けてくる。小学生なら、使ってみようと思うわな。
ニーハオ!でもウォーアイニーでも。

 

会話は続かないとしても、その言葉の使い手が見せるリアクションなり表情なりは、とても自然な外国語学習のモチベーションになるというのが、僕の体験的な確信。

 

現場の教諭は、成績評価をどうするのだ、ドロップアウトをどう救うのだ、毛色の違う教師とどう価値観をすりあわせていけばいいのか、と気にかかるとことも多いと思う。それもわかる。
わかるけれども、それは教務事務の課題であって、新しい言葉を学ぶ意味そのものは否定しない、と一応の合意点に立っている英語のセンセイとは、生産的な議論もしていけたらと思うばかりでござる。

 

「英語より国語!」とおっしゃる切迫感もわからんでもないけど、正しい日本語に触れさせるのは7割がた親の努めではないのかな・・・
くだらないTVを居間で垂れ流しにしていないか、パパでもママでも書斎を持っているか、そして、そもそも国語の教師が「国際社会の中での日本語」の視野を持って透徹した言葉の教育ができているか、英語教育への反発は八つ当たりに見えなくもない。

 

小中学校のセンセイたちがどんな美しい日本語を使って児童生徒に接しているのかは、親でもない地域住民にはブラックボックスと化しているのが現状で、運動場でスピーカーからがなりたてる怒鳴り声や命令口調しか耳に届いてこない。
怒鳴るのが好きなのは、昔は体育教師と決まっていたものだが、いまは23歳の新任女性教師も金切り声をあげているし、組員のような(笑)中堅教諭もいる。
学校に空気のように蔓延している日本語は、看守の命令だったりする。
国語教育の前に、学校という言語空間をどうにかしないとね。

 

 

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こんな日でした(日記) | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0)
コンプレックス・カウンセリングは大事な現代職かも

 

矢幡洋さんが、ついにカミングアウトしたような。
前々から、けしからん芸人にいじくられたり指さされたりして助走期間はあった。あとは、いつかいつかと秒読みあるのみ。
結局「脱帽」したのかどうか、番組をリアルタイムで見てなかったのが痛恨の極みであるが、あの人は「地頭」で和服姿でたたずんでいた方が威厳が出てよろしくないか?と思う。

 

本業では、対面もしていない犯罪者を「診断」してみたり、教科書に書いてある程度の定説を切り売りしてみたりと、やっていることは低レベルだから、もうすっかり「サイコ芸人枠」におかれている。あぁさすが矢幡先生のお見立てだ!と印象に残ることもないし。

 

心理系の勉強をした人なら、むしろ「こういう人が心理臨床に突き進んでいくわけね」と直感するであろう匂いを、プンプンさせている。
それをおもしろがったメディアがギャラを払うことで、心理臨床家パーソナリティなるものの存在を白日のもとにさらした功績はあると思う。

 

心理屋さんの行状はさておき、男性の薄毛コンプレックスがこれほど根深い・・・いや鵜の目鷹の目で監視する世の中の漠としたコンプレックスから、いつになったら大人たちは卒業できるのだろうか。
昔々のことはわからんが、昭和男子はチビ、包茎、薄毛の3大コンプレックスをあげつらわれ、コンプレックスごまかしビジネスのカモになってきた。平成になってからは、EDとメタボだろうか。

 

ネットのおかげで、「なんだ、割礼するのは未開社会の名残りで、欧米人は平気なのか」と証拠映像も開チンされ、オードリー春日やバナナマンのように包茎芸人を公言するモテ男も出てきた。
シークレットシューズの類は、「男だってヒール」ぐらいの軽いノリではく男子が増え・・・たとは思わんが、「背を伸ばすなんて無駄な努力をするより頭と仕事の腕を磨いた方がもてる」と当たり前の事実に気づく賢明な男性女性が一定数いるから、吹っ切れたら問題なし。

 

ヅラは、別に薄毛でない人でもウィッグ感覚でつけて楽しんでもいいと思う。おばちゃん向けCMは、ぜひオヤジ向けバージョンもどんどん流せばいい。ネクタイと並んでウィッグが売られていたら、抵抗ないでしょ。
むしろ、しんどいのは薄毛で前髪をかわいらしく(?)垂らしたりセンター分けしたりで青春時代を30年ひきずっている殿方かもしれない。思い切って刈り上げるか剃るかして晴れやかな顔をした方が、絶対かっこいいのにな、と思う御同輩は毎日どこかで見かける。
イヤホント、さっさとバッサリやった方が清々しくていいと思いますぞ。

 

当事者の立場になってみないとわからんだろ!と反撃されそうな気もするが、なぁに、ワタクシも間もなくでござる。
坊主頭の清々しさは、十代の3年間だけ経験したから、メリットも充分わかっている。シャンプーもリンスもドライヤーもいらない(笑)。
抗がん剤でツルッツルになったら、和装して僧侶のふりでもしてみようか?
案外もてるかも…と楽しみにしているところであーる。

 

 

 

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こんな日でした(日記) | 23:27 | comments(0) | trackbacks(0)
モニター用ヘッドホンは蒸留水

 

うろたえたワタクシが間抜けだった。
ヘッドホンコードは本体にねじこむ特殊なジャックで、挿しただけでは接点の一部しか導通しないのであった。
引っぱるだけでは抜けないつくりになっているわけで、まるでモニター用ヘッドホンの構造なのだとわかった次第。

 

何事もなかったように鳴るようになったアーバナイトは、なるほどモニター用っぽい。
聞こえなかった楽器の音が聞こえる解像度の高さに加えて、ステレオ・セパレーションも高い。
一方で、低音ブーミーなところもなければ高い周波数帯の刺激もなく、いたってフラットだ。ノリノリで聴きたい曲は、安物のPX100の方がはるかにパンチのある音を弾き出してくれる。

 

このクセ(のなさ)は、聴きおぼえがあるぞ・・・
そうそう、ソニーの音楽スタジオ御用達モニターMDR-CD900STと似ている。あれも、クセのなさに飽きてしまい埃をかぶっている状態。もったいないが、レファレンス用としては役に立つ(事情通ならたいてい、900STを基準に製品レビューをしているはずだ)。

 

ヘッドホンやスピーカーの解像度の高さは、音響プロフェッショナルの現場では大事な性能なのだろうけど、個人的に楽しむには不向きかもしれない。蒸留水ばかりではなくて、お茶や酒やコーヒーも飲みたいからなぁ。
アーバナイトは、見た目が北欧デザインふうで誤解されかねないと思う。音はいたってフラットで真面目すぎる。暖かみもなければ切れ味も際立っているわけではない。

 

耳を圧迫するオンイヤー型ではなくあえてオーバーイヤー型を選んだのも、パッドの遮音効果を期待したのだが、けっこう音漏れはする(内→外も、外→内も)。900STのパッドは優秀で、ノイズキャンセリングヘッドホンの代わりに使っていたぐらいなのに。
まぁ、潜水艦のような遮音性能をヘッドホンに求めるのも邪道で、外で遮音しすぎるとクルマにひかれるって(苦笑)。

携帯用ポーチとともに、本体には折りたためるみヒンジがついているわりに収納性は中途半端で、大して小さくならない。故障の原因になるヒンジなんかいらないのではないか?

 

アーチも頑丈だしハウジングも無骨なので、ヤワなところはどこにもない。どっしり家で使う用途に向いていると思う。

家で使うからには、携帯プレイヤーやスマホではなく、ちゃんとしたアンプを通してはじめて実力が発揮されるのが本物のヘッドホンというもので、あぁ今さら蔵の奥から真空管アンプを出してくる手間は面倒くさい。

 

同感のマニヤさまも多いのか、だからヘッドホンアンプが静かなブームになっているのもわかる。
携帯プレイヤーやスマホの低周波アンプなんて、常時アイドリングを流しておくとバッテリーを消費するから、必要最小限の省エネ設計にならざるをえない。それなら、電源はどかーんと大容量バッテリーを積んで、惜しみなくD級増幅回路で鳴らす外付けアンプをかました方が安心だろうね。

 

そんなことを夢想していると、ハイレゾに手を出しそうでコワい。
僕が外で聴く音源なんてエアチェックばかりだから、ラジオを高ビットレートでエンコードして、モニター用ヘッドホンで聴いているなんて、笑い草にしかなりません!

 

 

 

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買いました(むだづかい) | 23:15 | comments(0) | trackbacks(0)
アーバナイトはコーデナイト!!

 

ゼンハイザーの HD 系列は、「ヘッドホンかくあるべし」の手本を世界に示して、高い信頼の柱になっていた。
40年前にHD400と出会いって(これは15年ほど使ったが)、多少は浮気しつつ「565」までつきあっている僕も、寄る年波(涙)とやらで重いヘッドホンは疲れる。

 

に加えて、ゼンハイザーは昔からインピーダンス高めの設計がされていて、ポータブルオーディオ機器には非力を感じることもある。ボリュームを目一杯上げても物足りないような。
折りたたみ仕様の PX は軽快に鳴ってくれるが、在宅用を低インピーダンス化しないと!!

 

で目をつけたゼンハイザー最新型。
HD シリーズとは別系列の、URBANITE XL をヨドってきた(ヨドバシ購入のこと)。デニムのアーチが斬新だ。

店頭には愛本専用 URBUNITE とかいう仕様の高額な型番しか並んでいないが、調べれば汎用の安い型番も在庫はあるわけで(スペックは同じ)、レジで直接バックヤードから出してきてもらった。

 

ところがところが!!
一応3.5mmφのプラグは確認して、了解して買ったので文句はいえんが、スマホ用リモコンつきコードというのがクセモノだった。
音は片チャンネルしか出ない。
スマホ用といっても、GalaxyとXperiaには対応と書いてあるのは「専用」の意味なのか?

 

コードは本体と脱着できるので、リモコンなんかついてない「素」コードがオプションで買えないものか、なんならパーツ屋でプラグと4芯ケーブルを買ってきて半田づけ作業するか・・・と次善の策に追われている。

 

あ〜、もっと下調べしておけばよかった。
URBUNITE の斬新さには、ついてけない。
と、昭和オーディオ野郎の遠吠え^^;

 

 

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